十和田市
十和田市(とわだし)は、青森県上北、南部地方の内陸部に位置する市である。
Contents
地理
地形
市の北西部は八甲田山の山麓である。青森市との境には、乗鞍岳などの南八甲田連峰がそびえ、青森市側の田代平から続く牧場が広がっている。谷地・猿倉・蔦・焼山といった温泉が点在する。市の南西部も山地であり、主なものはカルデラ湖である十和田湖、その外輪山である御鼻部山や十和田山である。
十和田湖の水が唯一流れ出る奥入瀬川は、十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に流れる。約20km北に位置する八甲田山麓などからの水も奥入瀬川に流れ込む。
奥入瀬川において、子ノ口から焼山(十和田市法量(大字)焼山(字))までの約14kmを奥入瀬渓流と呼ぶ。
市の中部から東部、さらに隣の六戸町へと平坦な三本木原が広がる。三本木原は、奥入瀬川が流した土砂や八甲田山からの火山灰が積もって作られた洪積平野である。奥入瀬川は三本木原の南縁をさらに削って東へ流れており、三本木原へ上水するために新渡戸傳が開いたのが、人工河川である稲生川である。市の北東部には、砂土路川が北東に流れている。市の南東部は東西へ伸びる丘陵地であり、丘と丘との谷間を後藤川などが流れる。
気象
アメダスは相坂(十和田観測所)、奥瀬(休屋観測所)の2ヶ所置かれている
気候
ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属し、冷涼である。気象庁によると、1979 - 2000年の平均値で、年平均気温9.4℃、最も寒い1月が-2.0℃、最も暑い8月が21.8℃である。北海道ほど寒くはないが、稲作が容易でない気温でもある。
降雨は、夏に多く冬に少ない。気象庁によると、1979 - 2000年の平均値で、年降水量961.3mm、降水量の最も少ない1月が28.5mm、最も多い9月が164.3mmである。
旧十和田湖町以外では八甲田山の東に位置するため、太平洋側気候で雪はやや少ない。それでも2月には50cm程度の積雪になり、豪雪地帯である。一方、旧十和田湖町では雪が多くなり、特別豪雪地帯で日本海側気候である。八甲田山から吹きつける寒冷な北西風は、八甲田おろしと呼ばれる。5月・6月には晴天が続くが、土ぼこり混じりの強風が西から吹くことがある。新渡戸傳が開拓にあたり防風林を設けたのも、西からの強風を防ぐためという。また、数年から十数年に一度は、7月・8月に偏東風(やませ)がゆるゆると流れる年がある。そのような年は、蒸し暑く感じる日もカラッと晴れる日も稀で、薄暗い曇り空の日々が続き、しとしとと雨の降る日が偶にあり、米の収穫量はめっきり減る。11月には霜が降り、12月には雪が降る。
一方十和田湖の真横にある休屋はケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に分けられる。
居住
人口7万人弱の半数以上は都市部(三本木地区)に住む。都市部は、三本木原に東西2km程南北2km程の大きさで展開している。都市部の南北を旧国道4号が、東西を国道102号が貫いている。その他の人口は、奥入瀬川の川沿いや三本木原に点在する集落に住む。
隣接している自治体
開拓地
日本三大開拓地の一つである。
歴史
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。荒漠たる原野の様子は、1785年(天明5年)にこの地を訪れた橘南谿の『東遊記』に記されており、吉田松陰が『東北遊日記』のなかで荒野であると評している[1]。
開拓が始められたのは、1855年(安政2年)のときで、南部藩勘定奉行の職を辞して、「無益の荒野」に開拓構想とロマンを追い続けた、新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に始められた[1]。奥入瀬川から水を引く計画に着手し、延長1万1362 mのトンネル、陸堰を貫通して、安政6年(1859年)5月4日に人工河川稲生川(いなおいがわ)を完成させて引水に成功し、開拓の基礎ができた[1]。さらに、傅の長男である新渡戸十次郎によって、市街地の開発が進められた。碁盤目状の都市計画は京都を模範としたもので、上杉流兵法に基づく設計と努力によって、現在のような市街地の形が作られていった[1]。
明治期には稲吉地区に、渋沢栄一の三本木渋沢農場が開拓され、現在の福島県伊達市等からの入植者が自治を形成し農業林業及び牧畜業の経営を進めた。
1885年(明治18年)に陸軍が軍馬局出張所を設置(1896年(明治29年)に軍馬補充部三本木支部と改称)したことから、馬産が栄えた。同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、1949年(昭和24年)から普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、現在のような穀倉地帯になった。現在「藤坂5号」そのものは多く栽培されてはいないが、その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。
沿革
- 1910年(明治43年)9月1日 - 町制施行。三本木町。
- 1955年2月1日 - 上北郡三本木町、大深内村、藤坂村が合併して三本木市が誕生。
- 1955年3月1日 - 上北郡四和村を編入。
- 1956年10月10日 - 十和田湖に因んで十和田市に改称。
- 2005年1月1日 - (旧)十和田市、上北郡十和田湖町と新設合併して、新しい十和田市が発足。新十和田市の面積は689km2、人口は68,355人(2006年9月30日)。
行政
- 歴代市長((旧市制)十和田市)
- 水野陳好(1955年3月 - 1956年10月、(三本木市長))
- 小山田七次郎(1956年10月 - 1968年10月、3期(以後、十和田市長))
- 中村亨三(1968年10月 - 1976年10月、3期)
- 洞内徳藏(1976年10月 - 1980年10月、1期)
- 中村亨三(1980年10月 - 1992年10月、3期)
- 水野好路(1992年10月 - 1998年6月、2期目途中で死去)
- 中野渡春雄(1998年7月 - 2004年12月、2期目途中で合併)
- 市長((新市制)十和田市)
- 中野渡春雄(2005年1月 - 2009年1月29日)
1937年(昭和12年)10月14日生 略歴(旧十和田市教育長) - 小山田久(2009年1月30日 - )
1946年(昭和21年)10月8日生 略歴(青森県畜産協会専務理事)
- 市議会:定数22人(現在の議員の任期は2018年(平成30年)12月31日まで)
経済
産業
- 主な産業
- 産業人口
姉妹都市・提携都市
国内
海外
地域
人口
十和田市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
健康
- 平均年齢
公共施設
- 十和田市民文化センター
- 十和田市総合体育センター
- 十和田市営相撲場
- 十和田市営野球場
- 十和田市立新渡戸記念館(市が特段の理由もなく取り壊しを通告している)
- 十和田市現代美術館
- 十和田市立中央病院
- 十和田市役所 新庁舎を建設中(2019年3月完成予定)[2]。
- 市民交流プラザトワーレ[1] - 設計:建築家 隈研吾氏
- 十和田市民図書館[2] - 設計 : 建築家 安藤忠雄氏
教育
大学
高等学校
中学校
- 青森県立
- 十和田市立
小学校
- 十和田市立
- 三本木小学校
- 北園小学校
- 南小学校
- 東小学校
- 西小学校
- 下切田小学校
- 上切田小学校
- 藤坂小学校
- 高清水小学校
- 洞内小学校
- 松陽小学校
- 深持小学校
- ちとせ小学校
- 四和小学校
- 沢田小学校
- 法奥小学校
- 十和田湖小学校
学校教育以外の施設
- 職業訓練施設
- 十和田職業能力開発校(認定職業訓練施設)
- ヘアーメイク・アーティスタースクール(認定職業訓練施設)
市内に店舗を持つ金融機関
- 青森銀行
- みちのく銀行
- 青い森信用金庫
かつては十和田信用金庫として市内に本店を置いていたが、2008年5月19日をもって八戸信用金庫(現:青い森信用金庫)に合併されたため、約60年の歴史に幕を下ろした。なお、旧十和田信金本店は現在青い森信金の十和田営業部として営業している。 - 青森県信用組合
- 東北労働金庫
- 十和田おいらせ農業協同組合(三沢市に本店を置く「おいらせ農業協同組合」とは別組合)
郵便
- 藤坂郵便局(84106)
- 深持郵便局(84182)
- 焼山郵便局(84194)
- 陸奥沢田郵便局(84206)
- 切田郵便局(84230)
- 十和田穂並町郵便局(84239)
- 十和田西二十二番郵便局(84264)
- 十和田大学前郵便局(84273)
- 十和田元町郵便局(84280)
- 滝沢簡易郵便局(84731)
- 八郷簡易郵便局(84761)
農業
十和田市の経営耕地面積は、10,000ha(2005年農林業センサス)と総面積の14.5%を占め、人工河川「稲生川」の導水による三本木原開拓以来、主に稲作を中心に発展してきた。また、一戸当たりの経営面積は3.3ha(2005年農林業センサス)と比較的大規模で、水稲、野菜、畜産などを組み合わせた複合経営の多いことが特徴である。
水稲については、旧十和田市地区では「まっしぐら」、旧十和田湖地区では「つがるロマン」を中心に安全・安心な米作りが行なわれている。一方、1970年(昭和45年)以降の生産調整(減反)により、現在では市内の水田の約半分が転作となり、牧草などの飼料作物や小麦、大豆、ソバ、野菜類などが作付けされている。また、十和田市を含む青森県南地域では、梅雨のころに太平洋側から吹く冷涼な偏東風(やませ)が、しばしば農作物に悪影響を及ぼし、特に、1993年(平成5年)には皆無作という大冷害となった。
野菜については生産量日本一のニンニク(2009年 東北農政局 青森県内にんにく生産ベスト5市町村)、長ネギ、ナガイモ、ゴボウなどが県内有数の産地となっている。また、土壌診断を行って土作りにこだわり、出荷時には糖度や硝酸値の厳しい基準をクリアした安全で安心な「ミネラル野菜」の生産に取組んでいる。
果樹では、近年新たな特産物としてブルーベリーの栽培が増加しており、観光摘み取り園も開設されている。
このように、十和田市では、農家がそれぞれの経営条件を活かして多様な作物を作付けしており、今後は、農産物のPRや販路の拡大、新たな農産物加工品の開発などにより、産地力の強化を目指している。[3]
商業
かつては中心商店街に十和田松木屋とジョイフルシティ十和田亀屋の2つのデパートが立ち並んでいたが、近郊の市町村に大型店が開店したことや、不況の煽りから客足が次第に減っていった。1999年8月に十和田松木屋が、2000年3月にジョイフルシティ十和田亀屋がそれぞれ閉店。十和田松木屋跡には1階部分のみでセリアなどが入居する「まちの駅」になっていたが、再開発に伴い2010年に閉鎖し、建物は取り壊された。十和田亀屋跡については、商工会議所の要望により、同年5月にジョイフルシティ十和田亀屋の1階部分のみで100円均一のスーパーマーケット「タートルズプラザ十和田亀屋」が開店したが、経営していた亀屋みなみチェーンが2001年に経営破綻したため、同年11月閉店し、その後も空き店舗状態が続いていたが、2006年8月には解体されることになった。亀屋の跡地利用はまだ決まっていない。このため、中心商店街の空洞化が顕著になっている。
それに追い討ちをかけるかのように郊外に大型店が開店している。2002年7月には相坂地区にサンデー十和田店、マックスバリュ十和田南店、ユニクロ十和田店などからなる十和田南ショッピングセンター、2005年9月には十和田バイパス沿いにイオン十和田ショッピングセンターが開店している。
また、2006年3月には十和田観光電鉄本社跡地に、デンコードー、ホーマック、紳士服コナカなどからなる十和田元町ショッピングセンターがオープンした。
そして、2016年11月には十和田市駅(とうてつ駅ビル店)跡地に「ユニバース十和田東ショッピングセンター」が新設され、ユニバース、サンドラッグ、ダイソーなど7店舗の商業施設が開店している。
このほかにも、十和田市駅にとうてつ駅ビル店、東五番町にはザ・ダイソー、西松屋などからなるアクロスプラザ十和田南などが立地している。とうてつ駅ビル店はかつてはダイエーのFCだったが、2003年にフランチャイズ店舗から商品供給形式に、2006年3月に商品の供給を自主供給にしたため、完全に独立店舗となった。最近では同駅を含めたSC全体の再開発計画を打ち出されたが、その後に頓挫したため、2007年3月31日を以て、そのターミナル部分・銀行・郵便局を除いたショッピングセンター全体の閉店が決まった(十和田観光電鉄#スーパーマーケット事業も参照)。
交通
鉄道路線
バス路線
道路
市街地は道路で格子状に区画されている。新渡戸傳の子、十次郎が安政年間に都市計画したものと言われている。
- 一般国道
- 県道
- 市道
- 十和田都市計画街路官庁街通り線(大通り)
- 十和田市役所前を東西に走る十和田市稲生町から西十二番までの延長1.1 km、幅員36 mの街路(都市計画道路)である。戦前の軍馬補充部時代には、事務所本部の正門付近から両翼あたりまであったアカマツやソメイヨシノが市民から親しまれており、1969年(昭和44年)の都市計画街路完成時に、植樹帯にアカマツ約170本、ソメイヨシノ約150本のほか、花壇が整備された[4]。道路の周辺には、20以上の官庁や公共施設が建ち並ぶ。かつて、馬の産地であったことに由来し、「馬のモニュメント」「馬の車止め」などが配置されていたり、奥入瀬渓流をイメージした「せせらぎ水路」「滝」を設置して市民の憩いの場として親しまれている[4]。また、4月から5月にかけて「桜まつり」、9月に山車が舞い6万人の人出で賑わう「秋祭り」が開催される[4]。桜と赤松並木が調和したコミュニケーションロードとして、1986年(昭和61年)8月10日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された旧建設省が選定する「日本の道100選」のほか[5]、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)に選定されている[6]。
かつて存在した鉄道路線・駅
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 十和田市現代美術館
- 十和田科学博物館〔奥瀬字十和田〕博物館相当施設[3]
- 新渡戸記念館(十和田市発祥の礎を築いた新渡戸傅の資料館)〔東三番町〕[4] - 甲冑(室町末期)
- 称徳館(馬に関する文化資料館)〔深持字梅山〕[5]
- 十和田市十和田湖民俗資料館〔奥瀬字栃久保〕[6]
- 官庁街通り(日本の道100選)
- 十和田湖温泉郷
- 焼山温泉
- 猿倉温泉
- 蔦温泉
- 谷地温泉
- 十和田湖畔温泉
- 法量のイチョウ(法量字銀杏木)[7]
- モミの木 〔沢田字水尻山〕県天然記念物、樹齢は500年 - 600年で、場所は安土桃山時代に沢田村を治めていた沢田左衛門定基の居城の跡とされる。[8]
- クヌギ 〔沢田字野倉沢〕県天然記念物、樹齢不詳で、場所は安土桃山時代に沢田村を治めていた沢田左衛門定基の居城の跡とされる。[9]
- 旧笠石家住宅(奥瀬字栃久保)国の重要文化財[10]
- 一里塚 県史跡〔伝法寺字平窪、上ノ沢〕[11]、〔大沢田字池ノ平〕[12]、慶長年間。
- 奥瀬館
- 十和田バラ焼き
出身有名人
- 新渡戸傳 - 三本木原を開拓した南部藩士。新渡戸稲造の祖父(ただし本来の生地は現在の岩手県)
- 起田高志 - 元プロレスラー
- 熊谷浩二 - 元プロサッカー選手(元鹿島アントラーズ・ベガルタ仙台所属選手)
- 田端秀規 - 元プロサッカー選手(元ジュビロ磐田所属選手、現ソニー仙台FC監督)
- SUPERCAR
- 岩崎信 - 工学者、東北大学大学院教育情報学研究部長(ただし育ちは盛岡市)
- 舞風昌宏 - 大相撲力士
- 川上健一 - 作家、映画『雨鱒の川』原作者
- ひたか良 - 漫画家
- 中屋敷法仁 - 俳優、脚本家、演出家
- 菅原都々子 - 歌手(陸奥明の長女)
- 陸奥明 - 作曲家(菅原都々子の父)
- 有名な曲『月がとっても青いから』を親子で合作している
- 七戸長生 - 農業経済学者
- 江利塚たまみ - ビーエフエムパーソナリティ(ローカルタレント時は仙台市で活動していた)
- 大野直志 - 元自転車競技選手、高等学校教員
- 中野渡詔子 - 元衆議院議員
- 小原由梨愛 - 女子サッカー選手(アルビレックス新潟レディース所属選手、サッカー日本女子代表)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 「日本の道100選」研究会 2002, p. 26.
- ↑ 市役所新庁舎工事の安全を祈願/十和田 東奥日報 2017年8月4日
- ↑ 引用:「ゆるりら、十和田検定」p28
- ↑ 4.0 4.1 4.2 「日本の道100選」研究会 2002, p. 27.
- ↑ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 8.
- ↑ 浅井建爾 『道と路がわかる辞典』 日本実業出版社、2001-11-10、初版。ISBN 4-534-03315-X。
参考文献
- 「日本の道100選」研究会 『日本の道100選〈新版〉』 国土交通省道路局(監修)、ぎょうせい、2002-06-20、26-27。ISBN 4-324-06810-0。
外部リンク
- 十和田市
- ゆるりら十和田 - 十和田市観光協会
- 十和田商工会議所
- 公益財団法人 渋沢栄一記念財団