上関町
上関町(かみのせきちょう)は、山口県南東部にある町。
Contents
地理
瀬戸内海の西部に位置する。四方をほぼ海に囲まれるため、気候は温暖である。町域は室津半島先端および長島・祝島・八島などの島で構成され、町の中心部は半島先端部の室津(むろつ)地区、および室津地区の対岸で、上関大橋で本土と陸続きになっている長島になる。
隣接している自治体
人口
上関町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
かつて瀬戸内海西部には船の荷を検査する番所が設置されていた。現在の山口県に当たる部分においても、都に近いほうから「上関」「中関」「下関」が設置されていた。このうち、「上関」が設置されていたのが当所であったため、この地名がついた。
平安時代から室町中期にかけてはもっぱら「竈戸(かまど)」「竈戸関」と呼ばれた[1]。史料に残される最も古い記録としては、966年(康保3年)の『清胤王書状』に、長島近辺の集落がイカの塩辛を皇室に進納する御厨として記載されている。また、平安後期には風待ち港として記録が残っている。 平安末期になると、竈戸は賀茂別雷神社の社領となり、 1445年(文安2年)の東大寺への年貢船の記録に初めて「上関」の名が現れ、以後多く使われるようになった。
鎌倉時代には地頭が配属されて関所としての機能が強まり、海上交通の要衝となっていった[1]。 室町時代には大内氏が竈戸関を支配したが、海上勢力の活動も活発であり、竈戸関は倭寇の拠点として海外にも認識されていた[1]。 江戸時代に上関天満宮に作られた灯籠の銘文によれば、足利期に能島村上氏の祖である村上義顕が上関城を築城したとあり、中世から戦国期にかけて上関は村上水軍と、その同盟関係にあった毛利氏の重要な海上拠点のひとつとなっていた[2]。
江戸時代中期に上関は北前船の風待ち港として全盛期を迎えた[2]。公館である御茶屋、海上保安の御番所、藩営の商業機関である越荷会所など長州藩の出先機関が置かれ、富裕な商家の名残が今日にも見られる。明治時代以降、機帆船や蒸気船の登場によって上関は寄港地としての役割を終えた。
沿革
行政
町政
- 町長
- 議会
- 定数12
警察
消防
- 柳井地区広域消防組合(管理者:柳井市長)
産業
商業
- 上関町商工会
農業
漁業
- 山口県漁業協同組合
- 祝島市場
金融機関
教育
小学校
- 町立
- 上関小学校
- 祝島小学校
中学校
- 町立
- 上関中学校
- 祝島中学校
交通
道路
- 町内には国道は通っていない(国道188号から約15km)。
- 主要地方道
航路
バス
防長交通が柳井駅前と長島の間を結ぶ。かつては長島の島内にも路線があったが、廃止され、現在は上関町営バスが代替運行している。
出身有名人
その他
- NHK朝の連続テレビ小説『鳩子の海』の舞台になったことでも知られている。
- 現在長島西部で中国電力が長島の四代(しだい)地区に原子力発電所の建設を計画している。町は賛成・反対に意見が二分されている。上関原子力発電所を参照。
- 1969年から1972年まで、町内の上関港と、愛媛県大洲市の長浜港との間で長浜・上関フェリーが就航していた。
脚注
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
外部リンク