スンダランド
スンダランド(Sundaland)とは、現在タイの中央を流れるチャオプラヤー川が氷河期に形成した広大な沖積平野の呼称。
概略
スンダランドと想定されている範囲は、現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底に没しており、マレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たる。氷河期に、海面が100メートル程度低くなり広大な平野であった。最近では、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけてのヴュルム氷河期には陸地であった。紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没した。オセアニアにもオーストラリアとニューギニアの間に海面下にしずんだ平野がありサフルランドと呼ばれている。
モンゴロイドとの関連
モンゴロイドの南方起源説によると広大なスンダランドはモンゴロイドの故郷とする説がある。それによると「スンダランドに住んでいた現生人類が紀元前50000年頃から一部が北上しモンゴルやシベリアにまで広がり、徐々に寒さに適応して新モンゴロイドになり、更に彼らの一部はシベリアから陸続きになっていたベーリング海峡を越え、アメリカ大陸に広がっていった」とする。これは、古モンゴロイドとされる縄文人が、新モンゴロイド優性の東アジアの他集団と異なり、「スンダランド型」の歯列を持つものが多いという特徴があるためである[1]。
一方、尾本惠市や崎谷満などの分子人類学者は出アフリカ後の東アジアへの人類到達はヒマラヤ山脈の北方を経由したとする「北ルート説」を唱えている。崎谷は著書[2]において、ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的であったと述べている。この説が正しいとすれば、モンゴロイドのスンダランド起源説は完全な誤りということになる。
なお、出アフリカ後南ルートで東南アジアに至ったオーストラロイドは、スンダランドと陸続きになっていたジャワ島やバリ島から海を渡りオセアニアに移住した[2]。
同様の場所
同様に、同じ時期に世界の数か所、同じような場所がある。
脚注
- ↑ 東南アジア人および縄文人の起源に関する形質人類学的研究(KAKEN)
- ↑ 2.0 2.1 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)
関連項目
外部リンク
- 日本人はるかな旅展:スンダランドは海洋民の故郷 (国立博物館)