アドルフ・フォン・ハルナック
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Adolf von Harnack アドルフ・フォン・ハルナック | |
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生誕 |
1851年5月7日 リヴォニア、ドルパート |
死没 |
1930年7月10日(79歳没) テンプレート:DEU1919、ハイデルベルク |
出身校 | ライプツィヒ大学 |
職業 |
神学者 大学教授(教会史) (ギーセン大学、マールブルク大学、 ベルリン大学) |
流派 | 自由主義神学、リッチュル学派 |
宗教 | キリスト教 |
アドルフ・フォン・ハルナック(Adolf von Harnack、1851年5月7日 - 1930年7月10日)は、ドイツの自由主義神学者。主著は『キリスト教の本質』。
生涯
思想
ハルナックは初期キリスト教におけるギリシャ哲学の影響を追究し、初代キリスト教会の教理に疑問を呈した。彼はヨハネによる福音書を拒絶し、共観福音書は受け入れ、使徒信条を批判し、社会的福音を推進した。キリストの復活については、弟子達の精神的錯乱によって信じられた錯覚とまで考えた[1]。
神学観
19世紀に高等批評がドイツで栄えた。それは聖書解釈と史的イエスを理解するリベラル神学の基準として確立された。ハルナックの活動はこの新しい伝統の一部である。ハルナックらによる自由主義神学は、三つの前提により鼓舞されていた。すなわち歴史に基く確信に至る可能性、宗教経験の可能性、社会変革の可能性であり、それらの可能性に対して自由主義神学の担い手達は楽観的であった[2]。
後世への影響
ハルナックは第一次世界大戦の際、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世によるドイツ国民に対する参戦へのメッセージの起草に関わり、戦争を肯定する93人の知識人宣言に署名していた。こうしたハルナックら(他にも多くのハルナックに同調した神学者達がいた)の言動は、大惨禍をもたらした第一次世界大戦後に、自由主義神学の楽観的前提に対する疑問、およびキリスト教世界への危機意識という結果を多くの神学者達に招来した。このような中でカール・バルトらによる新正統主義が登場してくる[2]。
著書
- 『教義史綱要』山田保雄訳 久島千枝 1997年
- 『基督教の本質』山谷省吾譯 イデア書院 1925年
- 『基督教の本質』山谷省吾譯 岩波書店 1939年
- 『キリスト教の本質』山谷省吾訳 玉川大学出版部 1977年
- 『キリスト教の本質』深井智朗訳 新教出版社 2014年
- 『世界教育宝典5』 佐藤敏夫編 玉川大学出版部
- 『アウグスティンの懺悔録』山谷省吾譯 岩波書店 1929年
- 『アウグスティヌスの「告白」』山谷省吾訳 新教出版社 1957年
- 『独逸大学の精神 : アカデミーに於ける歴代碩学記念講演集』フリッツ・シュトリヒ編 石川錬次邦訳監修 高山書院 1944年
- 『省察と箴言』 アウグスティヌス ハルナック編 服部英次郎譯 岩波書店 1937年
- 『基督教神學及び教會教理の成立』森敬之譯 長崎書店 1932年
- 『基督教の真髄』和田琳熊訳 真理社 1904年
- 『奇蹟新論』三並良 青木律彦共訳 真理社 1901年
脚注
関連項目
典拠レコード: