名和長年
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名和 長年 | |
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時代 | 鎌倉時代後期 - 南北朝時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 延元元年 / 建武3年6月30日(1336年8月7日) |
主君 | 後醍醐天皇 |
氏族 | 名和氏 |
名和 長年(なわ ながとし)
南北朝時代初期の武将。伯耆国名和の豪族。行高の子。元弘3=正慶2 (1333) 年閏2月隠岐を脱出した後醍醐天皇を伯耆船上山に迎え,鎌倉幕府軍を撃退した。その功により伯耆国を与えられ伯耆守に任じられた。建武中興政府では記録所,武者所などの寄人となり,後醍醐天皇親政に尽力。建武1 (34) 年頃,京都の市政権を握る東市正となった。同2年謀反を企て捕えられた西園寺公宗を殺し,翌年鎌倉で建武政権にそむいて上京した足利尊氏と戦ってこれを西走させたが,再度尊氏が光厳院を奉じて入京するに及び,一族をあげて攻撃したが,敗れ戦死した。