蓮如
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蓮如[1] | |
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応永22年2月25日 - 明応8年3月25日 | |
幼名 | 布袋丸 |
法名 | 蓮如 |
院号 | 信證院 |
諱 | 兼壽 |
諡号 | 慧燈大師 |
尊称 | 蓮如上人 |
生地 |
京都・大谷本願寺 (現、知恩院塔頭 崇泰院) |
没地 | 京都・山科本願寺 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | (後の本願寺系諸派) |
寺院 |
吉崎御坊、山科本願寺、 大坂石山御坊(後の石山本願寺) |
著作 | 『御文』、『正信偈大意』 |
廟 |
蓮如上人廟所(京都市山科区)、 大谷祖廟 (真宗大谷派)他 |
蓮如(れんにょ)
室町時代の浄土真宗中興の祖。本願寺第8世。第7世存如とその召使の女性との間に生まれ,幼名は布袋丸。17歳のとき青蓮院尊応の室に入り,次いで大谷の草庵で宗義をきわめ,文安4(1447)年に関東に下り,親鸞の遺跡を巡拝した。長禄1(1457)年に本願寺の宗統を継ぎ,門徒の教化に努め,日常語で宗学の要を説いた。精力的かつ現実に対応するやわらかい頭脳と,人間的魅力によって教化に成功し,教団を拡大した。東北各地の旅ののち文明3(1471)年に越前の吉崎に道場を設け,北陸の教化に努めた。明応5(1496)年大坂に石山別院を営んだ。1882年に慧燈大師と勅諡された。著書『正信偈大意』『御文(御文章)』『領解文』など。蓮如の教示の文章を東本願寺では「おふみ」と呼び,西本願寺では「ごぶんしょう」と呼ぶ。