マルコ・ポーロ
Marco Polo | |
---|---|
生誕 |
1254年 ヴェネツィア共和国 |
死没 |
1324年1月8日 ヴェネツィア共和国 ヴェネツィア |
墓地 |
サン・ロレンツォ教会(en) 東経12度20分43.79秒北緯45.4372917度 東経12.3454972度 |
職業 | 商人、冒険家 |
著名な実績 | 『東方見聞録』 |
配偶者 | ドナータ・バドエル |
子供 | ファンティーナ、ベレーラ、 |
親 |
父:ニコーロ・ポーロ 母:不詳 |
マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo、1254年 - 1324年1月9日)
イタリア,ベネチアの旅行家。生地はベネチアあるいはダルマチア沿岸のコルチュラ島。東方貿易商人の家に生れ,1271年父ニコロ・ポーロ,叔父マッフェオ・ポーロに従って東方への旅に出た。ローマ教皇グレゴリウス 10世から元朝皇帝あての信任状を得て,ペルシアからタクラマカン砂漠南側の天山南路を通って粛州に到着,そこにしばらく滞在してからおそらく74年 (75年説もある) に元朝宮廷に達した。一行はフビライ・ハンに教皇信任状とエルサレムの聖油を差出し,その後 90年まで 16~17年間元朝のもとにとどまることになった。3人は元朝宮廷とともに夏の首都の上都 (現ドロンノール) と冬の首都の大都 (現北京) の間を行き来し,また各地を歴訪して過した。 90年イル・ハン国にとつぐ元朝の王女に随行することとなり,92年泉州を出帆してマライ,セイロン (現スリランカ) ,インド西岸を経て,94年ペルシアのオルムズに上陸した。一行は王女をペルシアに残して陸路帰国の旅につき,95年にベネチアに戻った。その後ベネチア艦隊のガレー船の指揮官となり,98年ベネチア軍とジェノバ軍のコルチューラの戦いで,ジェノバ軍に捕えられ投獄された。獄中で物語作者ルスティケッロ・ダ・ピサに東方での経験談,見聞談を筆録させ,イタリア,フランス混合語でできあがったのが『東方見聞録』として知られる旅行記の原本である。ここにはチパンゴ Cipangoないしジパング Zipanguとして日本についての記述もあるが,当時の東方の社会,経済,文化だけではなく,イタリア人商人の知的・精神的態度を知るうえでも貴重な資料である。釈放されてからのマルコについては不明な点が多いが,結婚して3人の子をもうけている。
脚注