ムィコーラ・プィモネーンコ

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プィモネーンコの自画像

ムィコーラ・コルヌィーロヴィチ・プィモネーンコウクライナ語:Мико́ла Корни́лович Пимоне́нкоムィコーラ・コルヌィーロヴィチュ・プィモネーンコ1862年3月9日 - 1912年3月26日)は、近代のウクライナの画家である。ウクライナの風景・農村をテーマにした作品が多い。

概要

プィモネーンコは1862年にキエフ市に生まれた。ロシア帝国ペテルブルク美術アカデミーで洋画を学んだが、1884年に肺病と授業料未納のため退学を余儀なくされた。キエフに戻ると、ムィコーラ・ムラーシュコの美術学校で教員となった。1883年にウクライナの画家ヴォロディームィル・オルローウシクィイの娘と結婚した。

19世紀末、プィモネーンコは移動派の影響を受け、その派の有名な画家の一人としてロシア帝国中で広く知られるようになった。その結果、1904年にロシア帝国の美術アカデミーの一員となったのである。

1912年に病死した。墓所はキエフのルキヤーニウシク墓地にある。

ギャラリ

参考文献