フェニキア
(古代ギリシャ語: Φοινίκη、Phoiníkē、ポイニーケー、羅: Phoenices、Poeni、ポエニ、英: Phoenicia)
古代,地中海に発展した民族と国家。現在のレバノンとほぼ地域的に一致。ヘロドトスによれば,フェニキア人は前 3000年頃ペルシア湾から東地中海地方へ移住してきたという。フェニキア人は北西セム語系諸族で,カルメル山から北へテュロス,シドン,ベイルート,ビブロス,ウガリト(ラス・シャムラ) などの東地中海沿岸地域に居住した。フェニキアの語源はエジプト語の「フェンクー (「アジアの人」の意) 」に由来し,ギリシア人は「フォイニケス (「赤い皮膚」の意) 」と呼んだ。彼らの海上交易の歴史は古く,クレタ文明時代のクレタ島やギリシア諸都市との交流もうかがわれる。ウガリト文書によれば貿易活動は前 14~13世紀には当時の全世界に及んでいた。海上貿易の発展に伴い,各地にフェニキア人の商業基地が生れ,前 814年頃につくられたカルタゴは大都市に成長した。フェニキア人は貿易を行うのみで土地を奪うことはなく,カルタゴでも先住民に土地使用料を払っていた。しかしフェニキア本土は前8世紀以来アッシリア軍に悩まされ,アッシリア王エサルハッドンは前 680年シドンを滅ぼした。バビロニアもアッシリアの政策を受継ぎ,前 572年テュロスがバビロニア王ネブカドネザル2世により滅ぼされ,フェニキアの勢力は急速に衰えた。アケメネス朝ペルシア帝国のもとでフェニキアは一時息を吹返したが,アルタクセルクセス3世のときにシドンが反乱を起して滅ぼされ (前 351) ,やがてアレクサンドロス3世 (大王) の東征とともにヘレニズム世界のなかに編入され,フェニキアはその固有の歴史を閉じた。その文化はエジプト,エーゲ海地域,メソポタミア,シリアの要素の混合したものであるが,最大の遺産は 22文字から成るアルファベットの発明にある。 (フェニキア美術 )