日本基督教団金沢長町教会
提供: miniwiki
2018/2/3/ (土) 02:20時点におけるja>Shouji Hasegawaによる版 (→脚注)
日本基督教団金沢長町教会(にほんきりすときょうだん かなざわながまちきょうかい)は、石川県金沢市にある、旧メソジスト系の日本基督教団の教会である。
1888年(明治21年)1月、カナダ・メソジスト教会のD・R・マッケンジーが、チャールズ・イビーの自給伝道隊の呼びかけに応じた一人として来日する[1]。第四高等学校で英文学の講師になる。講義の傍ら、自宅で英語聖書会を開く。これが、メソジスト派の金沢伝道の最初になる。
1890年(明治23年)6月に東京麻布での日本メソジスト教会の第2年回で、金沢部会を設けJ・W・サンビーを部会長として派遣することを決議した。1891年(明治24年)にカナダ・メソジスト・ミッションは兼六園の入口、広坂通に土地と建物を購入し、広坂教会を名付けた。サンビーは翌1892年(明治25年)に病に倒れ、カナダに一時帰国する。
1891年(明治34年)にカナダ・メソジスト婦人伝道会が進出し、M・J・カニンガムとハーグレーブが赴任し、「婦女子の授産所」「孤女院」「幼稚園」などの事業を展開する[2]。
1892年(明治35年)にマッケンジーがカナダ・ウェスレアン・メソジスト教会(日本メソジスト教会)の牧師になる。1893年(明治26年)、マッケンジーが金沢部会長になる。同時に、金沢英学院を設立する。また、日露戦争で戦死した金沢連隊の兵士の遺族の救済のために金沢育児院を設立した。
1910年(明治43年)に広坂1番地から広坂通27番地に会堂を移築する。
1941年(昭和16年)、日本基督教団に参入して金沢長町教会と改称する。
1955年(昭和30年)に新会堂を建設する。
交通アクセス
参考文献
- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
- 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年