結城氏広
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結城氏広 | |
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時代 | 室町時代後期 |
生誕 | 宝徳3年(1451年) |
死没 | 文明13年3月29日(1481年4月27日) |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利成氏 |
氏族 | 結城氏 |
結城 氏広(ゆうき うじひろ)は、室町時代後期の武将。下総結城氏14代当主。
略歴
宝徳3年(1451年)、11代当主・結城氏朝の子・結城長朝の子として誕生。
寛正3年(1463年)、13代当主・結城成朝が多賀谷氏家の弟・朝経に暗殺されると、朝経は結城基景(山川景貞の子)の擁立を図るが、基景が19歳で急死したために、かつて成朝との家督争いに敗れた成朝の兄・長朝の子である氏広が擁立された。
享徳3年(1455年)からの享徳の乱で古河公方・足利成氏と関東管領・上杉氏とが対立すると、結城氏は成氏方に味方し、当主である氏広も成氏方の将として転戦し、古河城が一時陥された際は、千葉孝胤・那須資実らと共に成氏に協力し、古河城回復を援護している。しかし、多賀谷氏や山川氏、水谷氏が独立色を強めた活動をしたため、家中の統一が図れないまま、文明13年(1481年)に死去。享年31。
家督は子・政朝が継いだ。