レオポルト5世 (オーストリア公)
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レオポルト5世(Leopold V, ? - 1194年)は、バーベンベルク家の第2代オーストリア公(在位:1177年 - 1194年)。有徳公(der Tugendhafte)と呼ばれた。ハインリヒ2世と妃テオドラ・コムネナの子。
第3回十字軍に参加し、そのときに自身の功績を示すために自分の軍旗を掲げたが、その軍旗をイングランド王リチャード1世に引き摺り下ろされたため、リチャード1世に対して恨みを抱くようになった。
この十字軍参加の折、敵の返り血を浴びて全身赤く染まったが、ベルトの部分だけは白く残ったという伝説が、上から赤・白・赤のオーストリアの国旗のデザインになった。
この経緯から、第3次十字軍が終わった後にイングランド本国に帰還しようとしていたリチャード1世を逮捕し、その身柄を神聖ローマ皇帝であったハインリヒ6世に引き渡した。そして、莫大な身代金を受け取ることでリチャード1世を釈放している。
しかしサラーフッディーン(サラディン)と並び「獅子心王」とまで称される英雄リチャード1世を逮捕したことは、ローマ教皇ケレスティヌス3世の怒りを買うことになり、レオポルト5世は破門されてしまった。そして1194年、落馬事故が原因であっけなく死去した。
遺体はハイリゲンクロイツ修道院の集会室に埋葬されている[1]。1188年に彼がこの修道院にもたらした聖十字架は現存しており、1982年に専用のチャペルに安置されて以来一般にも公開されている[2]。
子女
1172年、ハンガリー王ゲーザ2世の娘イロナと結婚、3人の子を儲けた。
脚注
- ↑ “ハイリゲンクロイツ修道院はウィーンの森の神秘なる中心”. ハイリゲンクロイツ修道院. . 2014閲覧.
- ↑ “What is the Cistercian Abbey Stift Heiligenkreuz?”. ハイリゲンクロイツ修道院. . 2014閲覧.
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