養老孟司

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養老 孟司(ようろう たけし、1937年(昭和12年)11月11日 - )

解剖学者。神奈川県鎌倉生まれ。幼少のころより甲虫採集を愛し、大学では昆虫の研究を望んだが、結局医学部に進学。1956年(昭和31)東京大学医学部入学、1962年卒業後同大学院に進み、解剖学を専攻した。同大学助教授を経て、1981年より同教授となる。このころより旺盛(おうせい)な執筆活動をスタート。東大時代の養老のスタンスは、まったく二つの時期に分かれた。前期は、顕微鏡の前に座り、解剖と観察にいそしむ「科学者」としての生活を送っていたが、ある時期から「人が変わった」といわれるほどに原稿を書く時間が多くなる。そのような変化は、当然思考のスタイルや表現される文章にも表れ、以後、それが科学なのか、哲学なのか文学なのか、そのジャンルわけを云々(うんぬん)するのが無意味に思われるほどに、独自のものとなっていった。

 養老の世界を語るキーワードは、「脳」そして「身体」である。ふつう、どちらもヒトにかかわるもので、似たものと考えられがちだが、養老はこの二つのキーワードを対立する正反対のものと考えた。たしかに脳も、身体の一部であるが、ここでいう脳とはとくにその機能をさす。都市や人工物といった現代社会にあるものを、養老は「脳の産物」ととらえた。一方身体は、それら人工物と対極の世界にある、「都市に残された最後の自然」と考えた。これら脳と身体の対立は、心身二元論と解釈されかねないが、それが「脳」であって「心」でないところに、二元論を超える何かがあるといえる。つまり脳は、身体の対立物であると同時に、身体の一部でもあるからだ。これらの主張は『唯脳論』(1990)、『カミとヒトの解剖学』(1992)などで展開された。

 養老の語り口は、科学のみならず現代社会そのものを小気味よく明快に斬(き)るもので、医学以外の多くのジャンルにも影響を及ぼすことになる。養老は「諸学の学」といういい方をするが、クラシックとも時代遅れともいわれた解剖学をベースに、まったく新しい現代の知を展開することに成功した。

 2003年に発行された著書『バカの壁』は大ベストセラーとなり、翌2004年には新書の最多部数記録を塗り替えた。さらに著書『人間科学』(2002)などにおいて展開された「情報」論、つまり「情報とは、世界を止めたものである」などという観点からの主張は、それまでの情報論に比べ斬新(ざんしん)であった。

 養老の世界はその多くが脳をめぐるものであった。脳科学が明らかにした以上に、脳というものの本質に迫った養老の知的営為は、それが脳という生物に普遍なものであるだけに、時代や流行をこえて「生き」続けるだろう。1995年(平成7)に東京大学を退官後、1996~2003年北里大学大学院教授を務めた。