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高速いえしま株式会社(こうそくいえしま)は、兵庫県姫路市家島町の海運会社。姫路港と家島を結ぶ航路を運航している[1]。
Contents
概要
姫路港と家島を結ぶ航路は家島汽船が就航していたが、1日5往復で姫路港発の最終便は18時台など利便性が低く、航路を独占しながらサービス水準の低い家島汽船に対して島民は不満を持っていた。通勤、通学が不便であるため姫路市内に家を買い二重生活する島民もあった。自治会の増便・最終便の繰り下げの再三の要望に対して、家島汽船は赤字を理由に応じなかったため、反発した自治会は1億6000万円で船舶を購入して自主運航を始めた。1997年7月に1日6往復で運航を開始、高速船の就航により所要時間は3分の1に短縮され、姫路港発の最終便は20時30分となった。また運賃は当時、片道800円であり家島汽船よりも180円安かった[2]。
当時の運輸省神戸海運監理部は、ダブルトラック化による供給過剰を懸念して定期航路を認可しなかったが、自治会は年間30日以内の不定期航路として、役員を順番に代表者として30日毎に申請することで、実質的な定期航路として運航を強行した。運輸省は運航中止を勧告したが、1998年には2隻目を導入するなど運航は継続され、家島汽船から旅客を奪った。その後、1999年春に運輸省が家島町が運営に加わる第三セクターによる運航を提案、家島町と自治会の共同出資により高速いえしま株式会社が設立され、定期旅客航路事業として運航が認可された[2]。
その後は家島汽船と高速いえしまが各8往復を運航、利便性の向上により、本土から兵庫県立家島高等学校へ通学する学生が出るなど旅客数は大幅に増加、1998年に14万人だった旅客数は、高速いえしま参入後の2000年には38.6万人と倍増、高福ライナーが新規参入した2001年には59.7万人に達した。2001年から2004年までは3社合計で最大24往復が運航されていたが、競争の激化により2005年に家島汽船は倒産、運航から撤退したため、高速いえしまと高福ライナーの2社による運航となっている[3]。
背景
家島町は国政選挙の投票率が20-40%台という都会並みの低さだったが、この低率は島民の独立心の強さのあらわれであるとも言われ、高速船を島民が自主運行を始めたのも「島の反骨心に火がついた」とかつて陳情に同行した鍬方志郎町長は表現した。国は当初、実質的に定期運航であり、違法性が強く、安全面の問題も大きいと運航中止を勧告したが、島民らは聞き入れず運行を続けた。このため、多くの島民が家島汽船から高速船に乗り換え、家島汽船の乗客は激減した。多くの離島では減便、廃止が相次ぎ、赤字を理由にそれを受け入れているが、家島の例は競争原理と利便性の向上が潜在需要を掘り起こした例として語られる[2]。
航路
- 姫路港 - 真浦港 - 宮港
- 1日8往復を運航する。「まうら」が就航する1往復は、真浦港止めとなる。
船舶
就航中の船舶
- 高速いえしま
- 2006年12月就航、三保造船所 (大阪府)建造、146総トン、旅客定員200名
- まうら
過去の船舶
- しろやま(初代)
- しろやま(2代)
- 2009年11月1日就航、形原造船建造。
- 2017年、日本政府が購入してミャンマーへ無償供与、同3月29日にラカイン州で引き渡し式典開催、同4月10日より「KISPANADI(1)」として就航。
- 113総トン、全長32.95m、全幅6.30m、深さ2.60m、旅客定員142名、航海速力20ノット
事故・インシデント
機関故障による漂流
2016年5月1日、10時20分ごろ、家島港から姫路港に向かっていた「しろやま」が飾磨沖約4kmの播磨灘で、機関故障により停船、漂流した。乗客71名は来援した旅客船「はやなみ」など2隻に移乗、姫路港へ移送された[4]。
脚注
- ↑ 高速いえしま公式サイト
- ↑ 2.0 2.1 2.2 “新瀬戸内海論 島びと20世紀 第4部 視線は高く 反骨-家族諸島(4)-”. 四国新聞 (四国新聞社). (2000年) . 2017閲覧.
- ↑ 姫路市総合交通計画(p13)
- ↑ “エンジン故障で旅客船“漂流” 別船が救援 姫路”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2016年5月1日) . 2017閲覧.
参考文献
- 姫路市都市局交通計画室 『公共交通を中心とした姫路市総合交通計画 基本計画編』 姫路市、2008年8月 。. 2017閲覧.。