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|title=ツァボの人食いライオン
 
|image=Lionsoftsavo2008.jpg
 
|caption=フィールド自然史博物館に展示されている人食いライオン(2008年)
 
|date=1898年3月-12月
 
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|place=[[イギリス領東アフリカ]]、[[ツァボ川]]付近
 
|coordinates = {{coord|2|59|36.8|S|38|27|41.0|E|type:event_region:KE|display=inline,title}}
 
|cause=獣害事件
 
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|casualties1=死者28人以上(諸説あり)<ref name="パターソン307-312"/><ref name="食べられて77-78">ハート、サスマン、pp.77-78</ref><ref name="小原31"/>
 
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}}
 
 
 
'''ツァボの人食いライオン'''(ツァボのひとくいライオン、{{lang-en-short|Tsavo Man-Eaters}})は、1898年3月から同年12月にかけてイギリス領東アフリカ(現:[[ケニア]])の[[ツァボ川]]付近で発生した2頭の雄[[ライオン]]による獣害事件である。ケニア-[[ウガンダ]]間の[[ウガンダ鉄道]]敷設によるツァボ川架橋工事中に人食いライオンが現れ、少なくとも28名の労働者が犠牲になった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="食べられて77-78"/><ref name="小原31">小原、p.31.</ref>。2頭は鉄道現場総監督のジョン・ヘンリー・パターソン{{enlink|John Henry Patterson (author)|a=on}}{{refnest|group="注釈"|name="パターソン氏"|一部の資料では、パターソンのことを「ライオン退治に雇われたハンター」と記述しているものが見受けられる<ref name="今泉61"/>。パターソンの本業は、ハンターではなく鉄道技術者であった<ref name="解説391-394"/>。}}によって射殺され、後に剥製となって[[シカゴ]]の[[フィールド自然史博物館]]に展示された<ref name="食べられて77-78"/><ref name="小原95-98"/><ref name="フィールド"/>。この事件を題材にして、映画『[[ゴースト&ダークネス]]』や[[戸川幸夫]]の小説『人喰鉄道』などが作られた<ref name="戸川全集360-363">『戸川幸夫動物文学全集』、pp.360-363</ref><ref name="食べられて77-78"/><ref name="フィールド">{{Cite web|author |date= |url=http://archive.fieldmuseum.org/exhibits/exhibit_sites/tsavo/maneaters.html |title=Lions of Tsavo |publisher=フィールド自然史博物館 |language=英語|accessdate=2016-1-17}}</ref><ref name="トリビューン">{{Cite web|author= |date=2009-11-3 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/2659339 |title=映画にもなった人食いライオン、それほどどう猛ではなかった?米研究 |publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]] |accessdate=2016-1-25}}</ref>。パターソン自身も、事件についての実録『''The Tsavo Man-Eaters''』([[:en:The Man-eaters of Tsavo]])を出版している<ref name="トリビューン"/><ref name="解説391-394">『世界動物文学全集』解説、pp.391-394</ref>。なお、記事内における固有名詞などの表記は『世界動物文学全集 29』([[講談社]])所収の『ツァボの人食いライオン』(パターソン著、大岩順子訳)に拠った。
 
 
 
== 事件の経緯 ==
 
=== 発端 ===
 
[[ファイル:John_Henry_Patterson.jpg|alt=ジョン・ヘンリー・パターソン|thumb|left|220px|ジョン・ヘンリー・パターソン]]
 
ウガンダ鉄道の建設は、1896年に[[イギリス]]により植民地政策の一環として計画された。[[インド洋]]に面する[[モンバサ]]を起点として工事が始まり、1901年に[[ビクトリア湖]]畔の[[キスム]]までの線路敷設が完了して1903年に運行が開始された。事件の舞台となったのは、海岸から約210キロメートル内陸に入った{{仮リンク|ツァボ|en|Tsavo}}であった<ref name="パターソン276-278">パターソン、pp.276-278</ref>。その地名のもととなったツァボ川は流量が多く流れも速い川で、この川に恒久的な鉄橋を架橋する工事中に事件が起きた<ref name="パターソン276-278"/>。
 
 
 
ジョン・ヘンリー・パターソンは鉄道現場総監督として、ツァボ川の鉄橋建設および川の両岸にそれぞれ50キロメートルほどの区間の付帯工事を完成させることを主な仕事として、1898年にツァボに着任した<ref name="パターソン276-278"/>。着任当初は[[キリンディニ港]]にある本部から派遣された労働者たちや、道具、物資などが次々と到着した<ref name="パターソン276-278"/>。ツァボの鉄道現場で働く労働者は、[[インド帝国|イギリス領インド]]から来た[[インド人]]の季節労働者が主力であった<ref name="natgeo">{{Cite web|author |date=2013-10-6 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8431/?ST=m_news |title=ケニア襲撃事件の中のインド系住民 |publisher=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |accessdate=2016-1-25}}</ref><ref name="小原31">小原、p.31.</ref><ref name="今泉61">今泉、p.61.</ref>。工事は順調に始まったように思われたが、この状態は長続きせず工事は中断せざるを得なくなった<ref name="パターソン276-278"/>。それは、2頭の人食いライオンが出現したためであった<ref name="パターソン276-278"/><ref name="今泉61"/><ref name="小原22-32">小原、p.22-32</ref>。
 
 
 
パターソンが「凶暴なライオンが付近に現れる」という話を初めて聞いたのは、ツァボに着任してまだ2、3日程度の頃であった<ref name="パターソン278-282">パターソン、pp.278-282</ref>。その直後に労働者が1人か2人いなくなって、ライオンが夜間にテントから連れ去って食い殺したという話を聞かされたが、パターソンはその話を信じることができなかった<ref name="パターソン278-282"/>。パターソンによればその2人は非常に善良な人間であり、2人とも金をかなり蓄えていたためその金目当ての悪人に殺されることもありうると思ったためであった<ref name="パターソン278-282"/>。
 
 
 
パターソンの疑いは、不幸な形で消えることになった<ref name="パターソン278-282"/>。着任して3週間ほどたったある日の朝、パターソンは労働者の頭を務めていたウンガン・シンという名の[[シク教徒|シーク人]]が夜間にテント内で襲撃を受け、連れ去られて食われたという知らせを受けた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38">小原、p.36-38</ref>。パターソンはテントに急行して現場を調べ、その場に居合わせた他の労働者の証言を聞いた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。当時テント内にはウンガン・シンの他に6人の労働者が居合わせ、そのうち1人が事件を目の当たりにしていた<ref name="パターソン278-282"/>。目撃者は夜間に突然ライオンがテントの入り口から首を突っ込んで、たまたま一番近くにいたウンガン・シンの喉元に食いついたと証言した<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。ウンガン・シンは「チョロ(放せ)」と叫んで抵抗し、両腕をライオンの首に回したが間もなくテント内から姿が消えていた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。他の労働者たちはこの事態に怯えきり、テント外での戦いの気配を聞くほかになす術はなかった<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。
 
 
 
パターソンはさっそくライオンの追跡に出発し、たまたまツァボに滞在していたハスレム大尉も同行した<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。ライオンの通った道にはところどころに血だまりができていたため、追跡は容易だった<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。やがてウンガン・シンの遺体が見つかったが、その状況は凄惨を極めていて、2頭のライオンが遺体を取り合って散々争ったことを示していた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。パターソンとハスレムはウンガン・シンの遺体を可能な限り集め、その上に石を積み上げた<ref name="パターソン278-282"/>。ライオンの足跡は、川沿いの岩地で消えていてそれ以上追うことはできなかった<ref name="小原36-38"/>。ウンガン・シンの首はライオンの牙の穴以外は無傷だったが、医務官に鑑定してもらうために持ち帰った<ref name="パターソン278-282"/>。
 
 
 
その晩パターソンは、ライオンがまた襲撃してくるのに備えて現場近くの樹上で不寝番をした<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。間もなくライオンの唸り声が近づいてきたが、やがて声は止んで1-2時間は静穏な状態が続いた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。しかしライオンは800メートルほど離れた別のテントを襲い、そこから労働者を1人連れ去っていた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原36-38"/>。翌日パターソンは、そのテントの近くの樹上で不寝番をしたが、ライオンは再びその裏をかいて別のテントから労働者を1人連れ去った<ref name="パターソン278-282"/>。当時労働者のキャンプ地は分散していたため、人食いライオンはツァボの周囲に12-13キロメートルほどの行動範囲を持っていた<ref name="パターソン278-282"/>。ライオンは毎夜違うキャンプ地に侵入する戦術をとっていたため、先回りをするのは困難であった<ref name="パターソン278-282"/>。
 
 
 
事件発生後もずっと、パターソンのテントは垣根一つない開拓地に張られていた<ref name="パターソン282-286">パターソン、pp.282-286</ref><ref name="小原47-50">小原、pp.47-50</ref>。ある夜医務官のローズ博士がテントに泊まっていたとき、真夜中に何者かがテントの張り綱につまづく音がして目を覚ましたが、明かりを持って外に出ると何もいなかった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。しかし朝になってみると、テントの周囲にはライオンの足跡がはっきりと残されていた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。これにはパターソンも住居を移さざるを得ず、新たにこの地域の医療を担当するために着任したブロック博士と小屋に共同で住むことにした<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。小屋はかつてパターソンたちが川の東岸に建てておいたもので、シュロの葉と木の枝でできていた<ref name="パターソン282-286"/>。周囲にはイバラでできた「ボマ」([[:en:Boma (enclosure)]])と呼ばれる垣根が約60-70メートルにわたって張り巡らされていて、パターソンなどの世話をする使用人たちもこの囲いの中に住んで一晩中火を焚き続けていた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。それでもパターソンやブロックは用心を怠らず、ベランダで夕涼みをする時などには銃を手元に置いてライオンの接近に警戒していた<ref name="パターソン282-286"/>。
 
 
 
労働者たちのキャンプ地にもボマが張り巡らされるようになったが、ライオンはボマの弱い部分を突き破ったり飛び越えたりして侵入を敢行した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。パターソンのもとには、2晩か3晩おきに労働者がライオンにさらわれたという悲しい知らせが届くようになった<ref name="パターソン282-286"/>。当事者である労働者たちは、最初のうち仲間の死をそれほど真剣に受け止めていなかったというが、これは2000人から3000人に上る労働者が広い範囲に散らばっていたためで、これだけ大勢の人の中から自分が人食いライオンの犠牲者になる確率は低いと考えていたからであった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。
 
 
 
=== 襲撃 ===
 
工事の進捗に伴い労働者キャンプの本体が前進するにつれ、事態は切迫していった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52">小原、pp.51-52</ref>。パターソンは軌道工事の仕上げに取りかかるため、200人か300人程度の労働者とともに残留した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。残留組となった労働者たちは1か所に集まってキャンプすることになったため、人食いライオンの活動もここに集中した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。労働者たちは恐慌状態に陥ったため、パターソンは彼らを慰留することに苦心した<ref name="パターソン282-286"/>。労働者たちが作業を中止して特別に頑丈で高さのあるボマをキャンプの周囲に築くことを許可することによって、労働者たちは残留することに同意した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。労働者たちは不寝番を置いて一晩中火を焚き、安全なテント内から長いロープを使って手近な木に吊るした数個の石油の空き缶を鳴らし続けて人食いライオンを追い払おうと試みた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。それでもライオンの襲撃を防ぎきれず、労働者たちが1人また1人と姿を消していった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。
 
 
 
労働者キャンプの本体が労働者とともに移動した後も、病院キャンプは元の場所に残留していた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。病院キャンプはパターソンが住む小屋から1キロメートルあまり離れた開拓地にあったが、厚いボマに守られていて見た目は非常に安全な感じであった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。しかし、ライオンのうち1頭がボマの弱い部分を発見してそこから侵入した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。この襲撃では病院の助手が危ういところで難を逃れたが、8人の患者が寝ていた別のテントで被害があり、1人がさらわれた上に2人の患者が重傷を負った<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。翌朝パターソンと医師が駆けつけて、この事態を発見した<ref name="パターソン282-286"/>。病院キャンプはただちに中央キャンプの近くに移されることになり、その日の日没までに患者たちは新たな場所に移送された<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。
 
 
 
ライオンは人気がなくなった後のキャンプによく出現すると聞いていたため、パターソンは労働者たちが立ち退いた後のボマに残ってライオンの襲撃を待ち伏せることにした<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原51-52"/>。しかし、不寝番の最中に新たに作ったばかりの病院キャンプの方角から悲鳴や叫び声がパターソンの耳に届いた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60">小原、pp.55-60</ref>。夜明けになってから現場に急行したパターソンは、病院キャンプで水汲みに従事していた労働者がさらわれたことを知らされた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。パターソンはブロックとともにライオンを追跡し、400メートルほど離れたところで無残な姿となった労働者の遺体を発見した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。病院キャンプは、再度移転することになった<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原55-60"/>。その日の日没までにさらに厚くて頑丈なボマに囲まれた病院キャンプが完成して、患者たちの移送も完了した<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原55-60"/>。
 
 
 
パターソンは病院キャンプが元あった場所近くの待避線上に、有蓋貨車を1両置いた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。テント2基をボマの中に残し、数匹の家畜もおとりとして係留しておいた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。この日(4月23日)の午後、ライオンの姿が少なくとも3か所の別々の場所で目撃されていたが、襲撃はあったものの人的な被害はなかった<ref name="パターソン282-286"/>。パターソンとブロックは、有蓋貨車の中で不寝番にあたるつもりであった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。
 
 
 
パターソンとブロックは夕食後に、小屋から1.5キロメートルほど離れた場所にある貨車に赴いた<ref name="パターソン282-286"/>。2人は無事に到着して、10時頃に不寝番を開始した<ref name="パターソン282-286"/>。1-2時間ほどは静寂のうちに過ぎていったが、突然枯れ枝が折れる音が聞こえ、動物が動き回っているのがわかった<ref name="パターソン282-286"/>。
 
 
 
このときパターソンは、ライオンを狙いやすいようにと貨車を出て近くの地面に腹ばいになって待とうとブロックに提案していた
 
{{refnest|group="注釈"|name="貨車"|小原は『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』p.58.でパターソンが「貨車の上に乗って待ち伏せる」ことを提案した旨を記述している。本項では『ツァボの人食いライオン』からの記述に拠った<ref name="パターソン282-286"/>。}}<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。ブロックはその提案を退け、「そこにじっとしているように」と説得した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。数秒後、パターソンはブロックの言葉が正しかったことに感謝した<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。それは、ライオンのうち1頭が至近距離で2人を狙っていたからであった<ref name="パターソン282-286"/>。しっかり閉めるようにと命じていたはずのボマの入り口が完全に閉じていなかったため、ライオンはそこから入り込んでパターソンとブロックの様子を外からうかがっていた<ref name="パターソン282-286"/>。
 
 
 
やがてパターソンは足音を忍ばせて近寄ってくる物影を見たような気がしたが、目の疲れも相まって確信が持てなかった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。彼はブロックに何か見なかったかと小声で尋ね、同時に暗闇の中にいる「目標」に銃の狙いを定めた<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。ブロックはその問いに答えなかったが、後になってブロックは、自分も何か動く物を見たがそう言えばパターソンが発砲しないか、そしてもし何もいなかったということになればその結果がどうなるかを恐れたため、答えるのをためらったと明かした<ref name="パターソン282-286"/>。
 
 
 
直後に1、2秒間の沈黙が訪れ、突然ライオンが2人をめがけてとびかかってきた<ref name="パターソン282-286"/>。「ライオンだ!」とパターソンが叫び、2丁の銃が同時に発射された<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。この瞬間についてパターソンは「もう一秒遅ければ、ライオンはまちがいなく貨車の中にとび込んでいただろう」と記述している<ref name="パターソン282-286"/>。ライオンの狙いは外れた。それはおそらく銃の閃光に目がくらんだ上に、2発の銃声の反響に怯えて逃走したものと思われた<ref name="パターソン282-286"/>。
 
 
 
翌朝、ライオンの足跡のすぐそばでブロックの撃った銃弾が発見された<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。その銃弾は、あと4-5センチメートル程度でライオンに命中するところであった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。パターソンの撃った銃弾は、どこにも見当たらなかった<ref name="パターソン282-286"/>。後になって、このときパターソンが撃った銃弾がライオンの牙を1本折っていたことが判明した<ref name="小原55-60"/>。これが人食いライオンとパターソンとの直接対決の最初であった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原55-60"/>。
 
 
 
=== 陰謀 ===
 
人食いライオンの脅威に晒されながらも、鉄道敷設工事は進捗していた<ref name="パターソン286-289">パターソン、pp.286-289</ref>。川の直前部分に立ちはだかっていた岩の切り通し部分を広げてどんな列車でも問題なく通行できるように掘削する作業や、切り通しとツァボ駅の間にある峡谷にかける陸橋の基礎工事、給水施設などが次々と行われた<ref name="パターソン286-289"/>。この時期は人食いライオンの襲撃が一時的に収まっていたため、野外での昼食や川のイカダ下りなど、パターソンたちにはよい気晴らしになるできごとも時折あった<ref name="パターソン286-289"/><ref name="小原60-64">小原、pp.60-64</ref>。ただしパターソンは相変わらず多忙で、日中は作業の監督や雑用に明け暮れ、夜には労働者たちの争いの仲裁や様々な報告や不平を聞き届けたり[[スワヒリ語]]の学習に時間をとられたりの日々であった<ref name="パターソン286-289"/>。
 
 
 
ツァボ川での鉄橋架設準備は急速に進み、パターソンは川の水量などの調査や測量など、必要な仕事を一通りやり終えて橋台と橋脚の位置を選定して基礎石を水中に設置する作業が始まった<ref name="パターソン286-289"/>。この工事は非常な難工事であり、いくら掘り続けても堅い基盤に達しなかったためにくい打ちによる工法に切り替えようかと思い始めた時に、運よく堅い岩を掘り当てることができた<ref name="パターソン286-289"/>。もう一つの難題は、橋に使う石材に適合する岩石が周囲に見当たらないことであった<ref name="パターソン286-289"/>。周辺に岩石は豊富に存在していたが、加工が困難な堅い石ばかりであった<ref name="パターソン286-289"/>。パターソンが何日も探したものの見つからなかった石は、ブロックと鳥撃ちに出かけた先で幸運にも見つかり、トロッコを使って現場に運ぶことができた<ref name="パターソン286-289"/>。
 
 
 
石を見つけた後、パターソンは石工の増援を本部に依頼した<ref name="パターソン289-294">パターソン、pp.289-294</ref>。本部から派遣されてきた石工の大部分は[[パシュトゥーン人|パターン人]]で、熟練工との触れ込みであった<ref name="パターソン289-294"/>。しかし本物の石工はその中のごく一部に過ぎず、多くが月給12ルピーの代わりに45ルピーをもらおうと企んだただの労働者に過ぎないことが判明した<ref name="パターソン289-294"/>。パターソンはこの事実を認めると、石工の賃金を出来高払いに改めた<ref name="パターソン289-294"/>。能力の高い者には月45ルピーかそれ以上を支給できるようにして、偽の石工たちの賃金を引き下げた<ref name="パターソン289-294"/>。人数比では偽の石工たちが多数派だったため、彼らは本物の有能な石工たちを脅して出来高払いの制度をやめさせようとしたが、パターソンにはその手段は通用しなかった<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
労働者たちの仮病騒ぎや喧嘩などは絶え間なく続き、ついに石工たちの[[サボタージュ]]騒動にまで発展した<ref name="パターソン289-294"/>。この日パターソンは徹夜でライオンの見張りをした帰路に、ふと思い立って石切り場に立ち寄った<ref name="パターソン289-294"/>。石工たちはみな持ち場を離れて木陰で休憩を取り、ある者は昼寝、別の者はトランプなど思い思いに過ごしていた<ref name="パターソン289-294"/>。パターソンはこのありさまにあきれ果てたが、彼らの頭上に銃を放って脅かすことを思いついた<ref name="パターソン289-294"/>。銃声に驚いた石工たちは慌てて作業を再開したが、彼らはパターソンが遠くにいるものと思い込んでいた<ref name="パターソン289-294"/>。騒動の一部始終を見届けたパターソンは居合わせた者全員に罰金を科し、石切り場の責任者を監督不行き届きで即刻格下げ処分とした<ref name="パターソン289-294"/>。その直後、労働者のうち2人がパターソンの銃弾が背中に当たったと訴えてきた<ref name="パターソン289-294"/>。2人は背中に弾のあとのような穴をあけてそこから血を流していたが、これは仲間を言いくるめてつけさせたものであった<ref name="パターソン289-294"/>。ただし、パターソンは散弾銃ではなくライフルを持っていたため、彼らの企みはすぐに露見した<ref name="パターソン289-294"/>。しかも、2人は衣服に穴を開けることさえ忘れていたため、追加の罰金と仲間たちからの嘲りを得ただけであった<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
この騒動があって間もなく、労働者たちはパターソンが支払った賃金に見合うだけの労働を求める立場を変えず、いかなる妨害も許さない人物であることを悟った<ref name="パターソン289-294"/>。彼らが出した結論は、パターソンを「亡き者」にするということであった<ref name="パターソン289-294"/>。ある夜、彼らは会合を開き、翌日パターソンが採石場に行ったときに殺害してその遺体を密林の中に投げ込むことに決めた<ref name="パターソン289-294"/>。その後「ライオンに食い殺された」ということに話を合わせることにして、この提案に全員が賛成した<ref name="パターソン289-294"/>。しかし、会合終了後1時間もしないうちに出席者の1人がパターソンのもとを訪れ、陰謀について警告した<ref name="パターソン289-294"/>。パターソンはその警告に感謝したが、翌日は通常どおり採石場に行くことを決めた<ref name="パターソン289-294"/>。この段階ではパターソンは陰謀について半信半疑であり、この出席者が単に彼を脅迫するために派遣されたのではないかとも考えていたからであった<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
翌日(9月6日)の朝、パターソンが採石場に行く途中で、石工頭のヘーラ・シンが藪陰からひそかに声をかけてきた<ref name="パターソン289-294"/>。ヘーラ・シンはパターソンにこの先に行ってはいけないと警告したため理由を尋ねると、「それは言うわけにはいかないが、石切り場でごたごたが起こりそうなので、自分と他の20人の石工は今日は仕事に出ない」との答えが返ってきた<ref name="パターソン289-294"/>。ヘーラ・シンは人のよい性格だったためパターソンも昨夜の話はある程度本当だと思ったが、「ごたごたなど起こらないよ」と笑って採石場に歩き続けた<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
採石場は表向き平穏で全員が忙しそうに労働についていたが、パターソンは彼らがこっそりと目配せを交わしているのに気づいた<ref name="パターソン289-294"/>。やがて言うことを聞かない労働者を説得するという名目で、谷の上に一緒に行ってもらえないかという申し出があった<ref name="パターソン289-294"/>。パターソンはこれは自分をおびき寄せるための罠だとすぐに悟ったが、あえて同行することに決めた<ref name="パターソン289-294"/>。谷の上に到着したパターソンは、騒ぎを起こしたと名指しされた2人の男の名前を手帳に書きつけ、元来た道を引き返そうとした<ref name="パターソン289-294"/>。そのとき、労働者たちが怒号をあげてパターソンに詰め寄ってきた<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
追い詰められたパターソンは、労働者たちの説得にかかった<ref name="パターソン289-294"/>。説得の大意は、彼を殺しても大勢が絞首刑になるだろうし、ライオンにさらわれたという作り話も通用しない。ほんの1人か2人の悪者の扇動によってこの愚挙を犯したこともわかっている。計画が成功しても、別の人間が新たに監督にならないという保証があるのか、その人間がパターソンより厳しい監督でないといえるのか、彼がまじめな職人には公正であることを知っているはずだというものであった<ref name="パターソン289-294"/>。パターソンは続けて、不満のある者はすぐにモンバサに帰ってよい、そうでない者は仕事に戻って今後このような陰謀を起こさなければ不問にすると言うと、全員が作業に戻ることを希望した<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
パターソンはいったん危地を脱したが、陰謀は彼が帰宅の途についた途端に再燃した<ref name="パターソン289-294"/>。労働者たちは再度会合を開き、その晩にパターソンを殺す計画を立てた<ref name="パターソン289-294"/>。労働時間の記録係をしている男が、この陰謀をパターソンに知らせた<ref name="パターソン289-294"/>。記録係は、労働者たちが彼をも殺すと脅しつけているので点呼に行くのが怖いと打ち明けた<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
パターソンは直ちに鉄道警察と地方官のホワイトヘッドに電報を打って急を知らせた<ref name="パターソン289-294"/>。その知らせを受けて、ホワイトヘッドと部下が40キロメートルの距離を駆けつけてきた<ref name="パターソン289-294"/>。ホワイトヘッドの機敏な行動によって、その晩パターソンは襲撃を免れた<ref name="パターソン289-294"/>。2-3日後には鉄道警察も到着して、首謀者とその一味を逮捕した<ref name="パターソン289-294"/>。首謀者たちはモンバサに連行されて取り調べを受け、やがて1人が口を割ったことによって陰謀のすべてが明らかになった<ref name="パターソン289-294"/>。首謀者とその一味は全員有罪となり、さまざまな期間の懲役刑を受けた<ref name="パターソン289-294"/>。その後のパターソンは、労働者たちの謀反に悩まされることがなくなった<ref name="パターソン289-294"/>。
 
 
 
=== 恐怖 ===
 
[[ファイル:Colonel_Patterson_with_Tsavo-Lion.jpg|alt=1頭目とパターソン|thumb|220px|1頭目の人食いライオンとパターソン]]
 
貨車での遭遇以降、しばらくの間人食いライオンはツァボを避けていてパターソンたちを襲うような行動はとらなかった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299">パターソン、pp.294-299</ref>。パターソンはこの期間中に、ある考えを思いついた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。それは、2-3人の労働者を危険な目には絶対遭わせずに「おとり」に使うような罠を作れば人食いライオンを捕えることができるのでは、というものであった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
パターソンは早速罠の作成にとりかかった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。材料となったのは、枕木やトロッコのレール、電線の切れ端や重い鎖などで、彼の考えでは十分に頑丈な出来栄えであった<ref name="パターソン294-299"/>。罠はおとりとなる人間用の部屋と、ライオンを閉じ込めるための部屋に分けられ、2つの部屋の間は枕木とレールを利用して作った堅牢な鉄格子がはめ込まれていた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。ライオン用入り口は、ネズミ捕りと同じ要領で餌となるおとりを捕まえなくてもドアが閉まるように工夫されていた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。パターソンはライオンの目を欺くため、罠の上にテントを張り、さらに周囲を特別に強力なボマで囲んだ<ref name="パターソン294-299"/>。最初の2-3日はパターソン自身がおとり役となって罠に入っていたが、なかなか眠れないうえに蚊の襲撃を受けただけで特段の変事はおこらなかった<ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
他のキャンプはときどき人食いライオンの襲撃を受けていて、パターソンもその情報はつかんでいた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。しかしツァボは完全にライオンの攻撃対象を外れていたため、労働者たちはすっかり安心して日々を過ごしていた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。そこに油断が生じ、ツァボに恐怖が再び忍び寄ってきた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
ライオンが再度の襲撃を始めた夜は、大勢の労働者が涼を求めてテント外で就寝していた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。突然起こった叫び声と悲鳴で夜の平穏は破られ、パターソンを始めとした人々はライオンがツァボに再び狙いを定めたことを思い知らされた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。そのライオンはボマに1頭で闖入し、発見者によって警鐘が鳴らされてたいまつやこん棒、石などで攻撃されたが、ライオンは意にも介さず労働者を1人捕えた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。ライオンはボマの外でもう1頭のライオンと合流して、大胆なことにテントから30メートルも離れていない地点で労働者を食べ始めていた<ref name="今泉61"/><ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。労働者の頭がライオンたちに向けて数発発砲したものの、ライオンは「食事」を済ませるまでその場を離れようとしなかった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
パターソンはこの事件後、1週間以上ライオンを待ち伏せてみたが、すべてが徒労に終わった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。毎晩のようにライオンはパターソンの裏をかいてキャンプを襲い、翌朝には労働者1名が欠けているのが常態になっていた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。パターソンもこの事態には意気阻喪し、ライオンたちは本当に「悪魔」で「不死身」なのではないかと考えるまでになっていた<ref name="パターソン294-299"/>。パターソンは周囲の気を引き立たせるために、昼間の密林の中でライオンを追跡する仕事を始めたが、これも成功しなかった<ref name="パターソン294-299"/>。役人や軍の将校たちもツァボを訪れて毎夜の見張りを手伝ったが、ライオンはこれも避けて犠牲者の数を毎晩のように増やしていた<ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
ライオンが駅から労働者をさらった上に、パターソンのいるキャンプのそばまで運んできてそこでむさぼり食うというできごとさえ起った<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。パターソンの耳にはライオンが骨をかむ音や満足げに喉を鳴らす音までがありありと聞こえ、その音は数日間彼の耳に残って離れなかった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。たとえ外へ出たとしても労働者を救うことは不可能とわかりきっていたため、パターソンは無力感にさいなまれた<ref name="パターソン294-299"/>。パターソンが滞在しているボマの近くにいた数名の労働者もこの事態に怯えきって、パターソンのボマに入れてほしいと大声で救いを求めた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。パターソンは快く彼らを迎え入れたが、彼らと一緒に病人が1人いたことを思い出して聞いてみると、置き去りにしてきたことがわかった<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。パターソンはすぐさま労働者数名を率いて病人を連れてこようとしたが、到着したときには病人は仲間に見捨てられたショックのためにすでに絶命していた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
事態は悪化の一途をたどり、ライオンたちはますます大胆にふるまうようになっていた<ref name="小原60-64"/><ref name="パターソン294-299"/>。これまでは1頭のみが労働者たちを襲い、もう1頭は外の藪の中で待っていた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67">小原、pp.64-67</ref>。しかし2頭は一緒に行動するようになり、それぞれがボマに押し入って労働者を1人ずつ襲うまでとなった<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。
 
 
 
11月の最終週には、スワヒリ人の運搬労働者2名が襲われた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。1人はライオンがすぐに連れ去って食べたが、もう1人はボマのイバラに引っかかったために連れ去りは免れた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。その労働者は何とか助け出すことができたが、重傷だったため病院に着く前に絶命した<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。その2-3日後には、ツァボ駅からほど近い位置にあった地区で最大級の労働者キャンプが襲撃された<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。2頭のライオンは真夜中にキャンプに押し入り、恐れおののく労働者たちを襲って不幸な犠牲者をさらい、キャンプのすぐそばでむさぼり始めた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。一連の騒ぎは、かなり離れた距離にあるパターソンのボマからもはっきりと聞き取れた<ref name="パターソン294-299"/>。監督官のダルゲヤンズがライオンのいる方向に50発以上発砲したものの、ライオンを追い払うことさえできず、2頭は「食事」が済むまでその場にとどまっていた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。
 
 
 
翌朝になってから、パターソンたちはライオンの追跡を試みた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。砂上には折れた肢のつま先でつけたような痕跡が残っていたため、ダルゲヤンスはライオンのうち1頭を負傷させたものと確信していた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。痕跡を追っていくうちに不気味な唸り声が聞こえ、一行はライオンのそばに来ていたことに気づかされた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。注意深く前進してやぶをかき分けてみると、前夜さらわれた労働者の遺体が残されていた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。一行がライオンのつま先で付けた痕跡と思い込んでいたのは、引きずられて連れ去られた労働者の指が残したものであった<ref name="パターソン294-299"/>。ライオンはすでに立ち去っていて、一行は遺体の残骸を葬ってから戻るしかなかった<ref name="パターソン294-299"/>。
 
 
 
連続する惨劇によって、労働者たちは恐慌状態に陥った<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。12月1日の午後、キャンプに戻ったパターソンを待ちうけていたのは作業を放棄した労働者の一団であった<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。彼らはパターソンに「これ以上どんなことがあってもツァボにはとどまらない」と宣言した<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。政府のために働く約束でインドから来たので、ライオンなどの餌食になるために来たのではない、というのが彼らの主張であった<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。
 
 
 
労働者たちは最初に通りかかった汽車を止めて乗り込み、ツァボから逃げ出した<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。このため、鉄道工事は完全にストップした<ref name="食べられて77-78"/><ref name="今泉61"/><ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。その後3週間は、ツァボに踏みとどまった労働者たちのために「ライオン対策」を施した小屋を作る以外の作業はできなかった<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。小屋は貯水タンクの上や、屋根、はてはガードの上など、およそ安全であろうと思われる場所にはどこにでも作られた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。テント内に穴を掘って、重い丸太で上を覆ってからそこで眠る者もいた<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。多くのベッドが手ごろな木に結びつけられたが、ときには木の耐えうる限界以上にまでなった<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。ライオンが夜中にキャンプを急襲したとき、たくさんの労働者が1本の木に殺到して逃れようとしたため、その木が折損した<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。木に登った労働者たちはまさにライオンの目前に投げ出される状態となったが、そのときは別の犠牲者を手中にしていたライオンは彼らに興味を示さず、全員が命拾いした<ref name="パターソン294-299"/><ref name="小原64-67"/>。
 
 
 
=== 災難 ===
 
多くの労働者が引き上げる少し前に、パターソンは地方官のホワイトヘッドに手紙を書いて救援を要請していた<ref name="パターソン299-302">パターソン、pp.299-302</ref><ref name="小原67-71">小原、pp.67-71</ref>。ホワイトヘッドはその要請に応えて、12月2日(労働者が引き上げた翌日)の夕食時に待っていてくれと回答してきた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドを乗せた列車は、2日の夕方6時ごろにツァボ駅に到着する予定だった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
パターソンは使用人に、ホワイトヘッドを駅まで迎えに行くように命じた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。しかし、使用人は怯えきった状態で間もなく戻ってきた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。その報告では、駅には汽車も駅員も全く見当たらず、その代わりに1頭の大きなライオンがプラットホームに立っていたということであった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。最初のうちパターソンはその報告を信じなかったが、翌日になってそれは事実であることが判明した<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。駅長を始め全員が、ライオンを避けて駅舎の中に閉じこもる事態に陥っていたのであった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
パターソンはホワイトヘッドを待っていたが、結局12月2日のうちに会うことはできなかった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。日程を1日延ばしたのだろうと考えたパターソンは、1人で食事を済ませた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。食事中に2回銃声が聞こえたが、特段珍しいことでもないため、パターソンは気にとめなかった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
その日の夜更けに、パターソンは日課の見張りに出かけた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。見張りについて間もなく、パターソンは60メートルほど離れたところでライオンが「食事」をしているのに気づいた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。周囲のキャンプからは騒ぎが聞こえてこなかったため、パターソンは労働者の誰かではなく現地人がこの夜の犠牲になったのであろうと結論づけた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
翌朝、パターソンはライオンがいた付近の様子を確かめに出かけた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。その途中で、パターソンはホワイトヘッドに出会った<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドは疲労困憊の様子で顔色が悪く、服装も乱れていた<ref name="パターソン299-302"/>。ホワイトヘッドは「きみのところのあのひどいライオンが、ゆうべもう少しでぼくを殺すところだったよ」と言い、驚愕するパターソンに自分の背中を見せた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドの着衣は襟首から下へ大きく引き裂かれた状態で、背中には4つの爪痕が赤く腫れているのが見て取れた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。パターソンは取り急ぎホワイトヘッドを自分のテントに連れ帰り、傷の手当などを行った<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドの具合がよくなったところで、パターソンは昨日以来彼の身に起こったできごとを聞き取った<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
ホワイトヘッドを乗せた汽車は定刻を大幅に過ぎてツァボ駅に到着したため、あたりは暗くなっていた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドはアブドゥラという名の現地人の軍曹を伴って、パターソンのキャンプへの道を歩み始めた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。キャンプまでのトロッコ道は、途中狭くなった切り通しの部分を通っていた<ref name="パターソン299-302"/>。ホワイトヘッドが先に歩き、アブドゥラはランプを持ってその後ろを歩いていた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。途中までは何事もなかったが、切り通し部分の中ほどまで来たとき突然土手の上から1頭のライオンが2人をめがけて飛びかかってきた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ホワイトヘッドの背中の傷は、このときつけられたものであった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。カービン銃を持っていたホワイトヘッドはすぐさま発砲し、銃声と閃光がライオンをひるませた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。しかし次の瞬間、ライオンはアブドゥラに飛びかかって彼をくわえて逃走した<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。「おお、ブワナ(だんな様)、シンバ!(ライオンだ!)」というのがアブドゥラの最期の言葉になった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ライオンが土手の上にアブドゥラを引きずり上げているときにホワイトヘッドは再度発砲したが、これも徒労に終わった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
ホワイトヘッドの話を聞いたパターソンは、昨夜見たあの「食事」はアブドゥラだったのかと合点がいった<ref name="パターソン299-302"/>。ホワイトヘッドの負傷は軽度だったため、後遺症もほとんどなく回復した<ref name="パターソン299-302"/>。
 
 
 
=== 失策 ===
 
12月3日には警察長官のファーカーがインド兵20名を引率して、海岸からツァボに到着した<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ライオンの噂は遠くまで広まっていたため、インド兵たちはすべてのキャンプそばの適当な木の上に周到に配置された<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。その他に、数名の役人が警戒に加わった<ref name="パターソン299-302"/>。パターソンが以前作っていた罠もこの警戒で使用されることになり、おとりとして2名のインド兵が中に入った<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
その日の日没までに警戒の準備は完了し、全員が所定の位置でライオンを待ち受けた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。夜9時頃までは平穏に過ぎていったが、その平穏を破ったのは罠のドアがカタンと落ちる音であった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。「ついに、1頭やっつけた」とパターソンは一瞬喜んだが、その結果は惨憺たるものであった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
インド兵2名は銃とたくさんの弾丸を携えて完全武装し、ライオンが罠に入り込んだらただちに撃つようにと厳命されていた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。しかしライオンが罠に入り込むと、インド兵は動揺して発砲どころの騒ぎではなくなっていた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。近くの持ち場にいたファーカーが大声でインド兵を励ますとようやく発砲を始めたが、それは狙いを定めるどころではない無茶苦茶なもので、パターソンとホワイトヘッドのそばにまで落ちてきた<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。全部で20発以上撃ったものの、罠のドア格子を1本吹き飛ばしたのみでライオンはそこから逃走した<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。パターソンには、インド兵2名が銃口をライオンの体にくっつけるほどそばにいたのに、なぜ殺しそこなったのか理解できなかった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。罠にはライオンの血痕が少量残されていて、かすり傷程度の負傷しかしていないこともわかった<ref name="パターソン299-302"/>。
 
 
 
パターソンは翌朝、狩猟隊を編成してライオンを追跡した<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。時々ライオンの咆哮を聞いたものの追いつくことはできず、ファーカーだけがやぶを飛び越えるライオンの姿を一瞬見かけただけであった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。狩猟隊はさらに2日、ライオンを追跡したが成果はなかった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。ファーカーとインド兵たちは海岸に引き返さねばならず、ホワイトヘッドも地元に戻っていった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。パターソンのみが、2頭の人食いライオンとともにツァボに残されることになった<ref name="パターソン299-302"/><ref name="小原67-71"/>。
 
 
 
=== 不運 ===
 
ホワイトヘッドやファーカーなどが帰って1-2日後の12月9日の明け方、パターソンがボマから出ようとしているところに「シンバ!シンバ!(ライオンだ!ライオンだ!)」と叫び声をあげて1人のスワヒリ人が走ってきた<ref name="パターソン302-305">パターソン、pp.302-305</ref><ref name="小原79-83">小原、pp.79-83</ref>。彼の報告によると、ライオンが川のそばにあるキャンプから労働者をさらおうとして失敗し、かわりにロバを1頭襲って殺していた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。ライオンは今、そのロバをすぐそこで食べているというものだった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。
 
 
 
パターソンはただちにキャンプに戻って、ファーカーが万一の備えにと残してくれていた連発銃で武装し、案内役となったスワヒリ人の後に続いた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。ライオンがその場にとどまっていることを願いながら近づくと、やぶの向こうにライオンの姿が認められるところまで行くことができた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。しかし、案内役のスワヒリ人が枯れ枝を折る音を立て、それに気づいたライオンは唸り声をあげて近くの密林に逃げ込んだ<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。
 
 
 
また逃げられると思ったパターソンは急いでキャンプに引き返し、その場にいた労働者たちを集めた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。パターソンは太鼓やブリキ缶などの鳴り物を手当たり次第に持参するよう命じ、ライオンの潜んでいる茂みを半円形に取り巻くように労働者を配置した<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。パターソンが茂みの向こう側に回り込んだところで鳴り物を一斉に打ち鳴らすように労働者の頭に言い含め、彼は単独で茂みを巡ってアリ塚のそばに身を潜めた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。
 
 
 
労働者たちは包囲の円を少しずつ縮めて前進し、その音はパターソンの耳にも届いた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。そのとき、たてがみのない巨大なライオンが獣道まで出てきた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。ライオンはゆっくりと歩き2、3秒ごとに周囲の様子をうかがっていたが、労働者たちが立てる騒音に気をとられてパターソンの存在に気づかなかった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。パターソンはライオンが14-15メートルの距離に近づくまで待ち、銃の狙いを定めた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。
 
 
 
ライオンはようやくパターソンの存在に気づいて、唸り声を上げた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。パターソンはライオンの頭部に狙いをつけて銃の引き金を引いたが、手ごたえがなく不発であった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。この事態にうろたえたパターソンは、左の銃身から発砲することを失念した<ref name="パターソン302-305"/>。ライオンはまだ労働者たちが立てている騒音に動揺していたため、パターソンを襲うことはせずに道路わきの密林に逃げ込もうと跳躍した<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。落ち着きを取り戻したパターソンは、左の銃身から発砲してそれはライオンに当たっていた<ref name="パターソン302-305"/>。ライオンはそれでも逃げ切り、後を追ったパターソンはやがて足跡を見失った<ref name="パターソン302-305"/>。
 
 
 
度重なる不運の連続は、さすがにパターソンを意気消沈させた<ref name="パターソン302-305"/>。インド人たちは、ライオンがいかなる武器をも寄せつけない「悪霊」だといっそう強く信じ込むようになっていた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原43-46"/>。
 
 
 
=== 対決 ===
 
パターソンはキャンプに戻る前に、死んだロバの状態を確かめてみた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。ロバは臀部をわずかに食害されているのみだったため、パターソンはライオンが再びここに戻ってくるという確信を持った<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。
 
 
 
手近には立ち木がなかったため、パターソンはロバのところから3メートルほど離れたところに3.5メートルぐらいの足場を作らせてそこに陣取ることにした<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。ロバは近くの切り株に丈夫な針金を使ってしっかりとつなぎ、銃撃の前にライオンが奪っていかないように対策をとった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原79-83"/>。パターソンは日没後、ただ1人でこの足場に登った<ref name="パターソン302-305"/>。使用人である鉄砲持ちのマヒナは、単独行動に難色を示したが、それを押し切った<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。パターソンも実は彼を連れていきたいと考えていたが、マヒナはその日ひどく咳をしていたため、声や音などで台無しにされるのを恐れたのであった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86">小原、pp.83-86</ref>。
 
 
 
宵闇は暗く深く、周囲は完全な静寂に包まれていた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。パターソンは緊張して待機していたが、やがて半分眠った状態になった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。パターソンの意識を覚醒させたのは、小枝が折れる音であった<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。パターソンが周囲の気配に意識を集中したところ、大きな動物がやぶの中を逃げるような気がしたため「人食いライオンだ」と判断した<ref name="パターソン302-305"/>。ライオンは明らかに空腹であることを示す深く長いため息をつくと、やぶの中を注意深く進み始めた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。間もなくライオンはパターソンの存在に気づき、怒ったような唸り声を上げた<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/>。
 
 
 
また逃げられるのかとパターソンは心配になったが、ライオンは逃げる代わりにパターソンを攻撃することを選んだ<ref name="パターソン302-305"/><ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307">パターソン、pp.305-307</ref>。ライオンはパターソンのいる足場の周囲を、2時間ほどかけてゆっくりとはい回って彼を怯えさせた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。急ごしらえの足場の脚部が折れたら、もしくはライオンがパターソンのいる地上3メートル付近まで跳躍してきたら、などという恐ろしい考えがパターソンを後悔させた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。
 
 
 
切迫した状況に耐えながら、パターソンはできるだけ不動の姿勢を保つように注意を払った<ref name="パターソン305-307"/>。真夜中ごろに何かが飛んできて、パターソンの後頭部を直撃した<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。一瞬ライオンの攻撃かと動揺したパターソンは足場から落ちそうになったが、その正体はフクロウであることがわかった<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。一連の行動でパターソンが体を動かしたため、ライオンは唸り声を返した<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。
 
 
 
ライオンは少しずつ忍び足で近寄り、パターソンとの距離を縮めてきていた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。ライオンは下草の中に身を潜めていたが、パターソンはおおよその見当をつけることができた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン302-305"/>。ライオンがそれ以上近づいてこないうちに、パターソンは狙いを定めて銃の引き金を引いた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。直後にライオンは恐ろしい唸り声を上げ、のたうち回る音がパターソンの耳に届いた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。ライオンの姿自体は見えなかったが、パターソンはライオンが逃れた方向に向けて発砲を続けた<ref name="パターソン305-307"/>。大きい唸り声を上げた後、ライオンの声は苦痛のあまり深い喘ぎ声に変わって、やがて声自体がやんだ<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。
 
 
 
パターソンが人食いライオンのうち1頭を倒したという知らせは、瞬く間に周囲のキャンプ一帯に広まった<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。キャンプにいた人々は歓喜してパターソンのいる足場を取り囲み、「マバラク!マバラク!」(神様、あるいは救世主という意味)と叫んで地面にひれ伏した<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。その夜、慎重を期したパターソンはライオンの死骸を探しに行くのはやめさせて、人々とともにキャンプに引き上げ、そこで夜通し盛大な祝宴が開かれた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。
 
 
 
夜明けを待って、パターソンは昨夜の場所へ向かった<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。何度もパターソンから逃れてきたライオンがまた消え失せなどしていたらと不安だったというが、ライオンは間違いなく死んでいた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。従ってきた人々は、パターソンを肩上に担ぎ上げてライオンの周りをまわるなど大喜びしていた<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。パターソンがライオンを調べると、2発の銃弾が命中していた<ref name="パターソン305-307"/>。1発は左肩後ろから心臓を貫通し、別の1発は右後ろ脚に当たっていた<ref name="パターソン305-307"/>。このライオンは鼻先から尾の先端までの長さが2メートル90センチ、立ったときの高さは1メートル15センチを測り、8人がかりで
 
キャンプまで運ぶことになった<ref name="小原83-86"/><ref name="パターソン305-307"/>。ただし、何度もイバラだらけのボマを突破して人々を襲っていたため、その毛皮は傷だらけになっていた<ref name="パターソン305-307"/>。さらに、以前有蓋貨車で撃った弾丸がこのライオンの牙を欠損させていたことも判明した<ref name="小原55-60"/><ref name="小原83-86"/>。
 
 
 
人食いライオンのうち1頭が死んだというニュースは、ほどなくして国中にも知れ渡った<ref name="パターソン305-307"/>。多くの祝電が届き、各地から人食いライオンの毛皮を見るためにたくさんの人々がツァボを訪問した<ref name="パターソン305-307"/>。
 
 
 
=== 追撃 ===
 
[[ファイル:Second_Tsavo_lion.png|alt=2頭目のライオン|thumb|left|220px|2頭目の人食いライオン]]
 
1頭が死んでも、人食いライオンはもう1頭残っていた<ref name="パターソン307-312">パターソン、pp.307-312</ref><ref name="小原87-92">小原、pp.87-92</ref>。1頭目が死んでほんの2、3日後に、ライオンは鉄道監督官を狙った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。ライオンは監督官のいるバンガローの階段を上り、ベランダを徘徊していたが監督官はその物音を酔っぱらった労働者の立てるものと思い込んで、「あっちへ行け!」と怒鳴りつけた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。監督官を襲うのに失敗したライオンは、その代わりにヤギ2頭を襲ってその場で空腹を満たした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
この話を聞いたパターソンは、次の日の夜に監督官の住まいのそばで見張りをすることに決めた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。近くには無人の鉄製の小屋があり、銃を発砲するのに適したのぞき穴も備わっていた<ref name="パターソン307-312"/>。小屋の外には3頭のヤギをおとりとしておき、重量が110キログラムほどもある鉄製のレールにつないだ<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。夜明けの直前までは、平穏に過ぎていった<ref name="パターソン307-312"/>。ライオンはそのときに現れて、ヤギのうち1頭にとびかかり、他の2頭もろともレールごと引きずっていった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンはライオンのいる方向に向けて数回発砲したが、真っ暗だったためライオンではなくヤギのうち1頭に当たったのみであった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
朝になって、パターソンはキャンプから来た数名の者とともにライオンの追跡を敢行した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。ヤギとレールが残した跡はすぐにわかり、400メートルほど先でライオンがヤギをむさぼっている場面に遭遇した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンたちが近づく音に気づいたライオンは茂みに身を隠し、腹立たしげな唸り声を上げた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。さらに近づいたところ、ライオンは茂みを突き抜けて攻勢に転じたため、ほとんどの者が手近な木に急いで登り難を逃れた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンと助手のウインクラーのみがその場に残った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。ライオンは結局襲ってこず、ひそかにその場を逃れていた<ref name="パターソン307-312"/>。茂みの中には、ほとんど手をつけられていないヤギの死骸のみが残されていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
パターソンはライオンがいつもどおり、もう1度獲物を食べに来ることは間違いないと踏んで近くに頑丈な足場を組み立てて、日暮れ前にその上に登った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンは連日の追跡や夜の不寝番などで疲労が蓄積していたため、鉄砲持ちのマヒナを交代要員として伴っていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンが寝入っているときに突然マヒナが腕をつかんで、「シャー([[ヒンズー語]]でライオンを意味する)」とただ一言伝えてきた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。早速パターソンは自分の2連銃を装備し、ライオンの出現を待ち受けた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
ライオンはやがて姿を現し、忍び足でパターソンたちがいる地点のすぐ下を通った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。パターソンはすかさず、両方の銃身からライオンの両肩を狙って発砲した<ref name="パターソン307-312"/>。ライオンはこの攻撃を受けてよろめいたため、パターソンは別の連発銃を装備した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。しかし発砲の前にライオンはやぶの中に逃れ、その方向をめがけて撃ちまくるしかなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
夜が明けると、パターソンはライオンの後を追った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。2キロメートルくらいの距離は、ライオンの血痕をたどるのは容易だった上に何回も休んだ痕跡が見受けられたので、相当な負傷をしていることは明らかだった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。結局ライオンは見つからず、岩だらけの場所で後を追うのが難しくなったためパターソンはそれ以上の追跡を断念した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
この時期に、元国営鉄道でインド政府付き顧問技師を務めていたリチャード・モールワースが、視察旅行の途上でツァボを訪問した<ref name="パターソン307-312"/>。モールワースは鉄橋などの工事を調査してその成果に満足したことを伝え、写真をたくさん撮影した<ref name="パターソン307-312"/>。モールワースは、ライオンの襲撃などの試練についてパターソンに大いに同情した<ref name="パターソン307-312"/>。2頭目のライオンをそのうちやっつけるつもりかと質問を受けたパターソンは「近日中にやっつけます」と自信をもって答えたが、モールワースは半信半疑の様子であったという<ref name="パターソン307-312"/>。
 
 
 
ライオンはその後10日ほど姿を見せなかったので、パターソンたちはあのときの傷がもとになって死んだものと思い始めた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。ただし、夜の警戒は怠らずに続けたため、結果的にそれ以上の犠牲者を増やさずに済んだ<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。12月27日の夜、パターソンはトロッコ係の作業員たちの怯えた叫び声で目を覚ました<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。作業員たちはボマのすぐ外側にある木の上で睡眠をとっていたが、ライオンがそこを狙っていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。雲に隠されて月の見えない暗夜だったため外へ出ることはできず、パターソンは2、3発発砲してライオンを追い払った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。翌朝、ライオンがそれぞれのテントまで入り込んだり、木の周りを輪になって巡ったりした痕跡が発見された<ref
 
name="パターソン307-312"/><ref name="小原87-92"/>。
 
 
 
翌日パターソンは、作業員たちがいた木の上に陣取ってライオンを待つことにした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95">小原、pp.92-95</ref>。幸先の悪いことに、パターソンが木に登るときに手をかけようとした枝には毒蛇が巻き付いていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンが慌てて木から降りると、その事態に気づいた部下の1人が長い棒を使って毒蛇を木から引きはがすことに成功した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
その晩は明るい月夜で、見通しもよかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンはマヒナと一緒に待機し、午前2時まで見張りをした後でマヒナと交代した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。1時間ほど睡眠をとった後、パターソンは異様なものを感じて突然目を覚ました<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。見張りを続けていたマヒナの方では特段気がついたことはなく、パターソンも周囲を見回したものの異変は発見できなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンが再び休息をとろうとしたとき、少し離れたところで何かが動く気配がした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。その場所に注意を払ってよく見ると、まぎれもなくあのライオンがいた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
木の周囲には、ところどころに小さな草むらがあるのみで見通しはかなり良かったが、ライオンはその草むらを巧妙に利用しながらじわじわと距離を詰めてきていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンは逃げられることを防ぐために、ライオンがさらに近づくのを待ち受けた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンが20メートル以内に距離を縮めたのを見計らって、パターソンはその胸部を狙い撃ちした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。弾はライオンに命中したものの、撃ち倒すまでには至らなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンは唸り声を上げて方向転換し、大きく跳び上がって逃れようとしたが、パターソンはすかさず連発銃で3発撃ちこんだ<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンがまた唸り声を上げたため、この射撃も命中したことがわかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
夜が明け始めてから間もなく、パターソンとマヒナは現地人の追跡者を伴ってライオン追跡に出発した<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンは多量に出血したまま逃げていたため、追跡は容易なことであった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。一行が林の中を400メートル足らず進んだところで、突然ライオンの唸り声がすぐ前方で聞こえた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。やぶの向こうに、ライオンが牙をむいて一行をにらみつけ、唸りながら威嚇しているのが見えた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンが狙いを定めて発砲したところ、ライオンは跳び上がって逆襲を仕掛けてきた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンはもう1発発砲して1度ライオンは倒れたが、すぐさま立ち上がって片足をひきずりながらも再度立ち向かおうとした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
パターソンは3発目を発砲したが、目覚ましい効果はなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。今度こそとどめをさそうとして、パターソンはマヒナが持っているはずの銃を手渡してもらうべく手を出したが、そこにマヒナはいなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。マヒナは突然のライオン襲撃に恐れおののいて、銃を持ったままで木に登っている最中であった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンもやむなく、木に登ってライオンの攻撃を逃れることにした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンが足に負傷していたため、パターソンはやっとのことで攻撃されないところの枝にぶら下がることができた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
一行を取り逃がしたことを悟ったライオンは、やぶへ引き返してその場を立ち去ろうとした<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンはマヒナの手から銃を奪い、すかさず撃った<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。1発目が命中し、ライオンは前のめりに倒れて動こうとしなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンがすぐさま木から降りてライオンに近寄ると、ライオンの体がいきなり跳び上がって彼を驚かせた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。だが、ライオンの抵抗もそこまでで、胸と頭に受けた銃弾のダメージで絶命することになった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。ライオンはパターソンから5メートルも離れていない場所にくずおれ、その口に折れ枝をしっかりとくわえた状態で死を遂げた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
=== 歓喜 ===
 
銃声を耳にしたキャンプの労働者たちは、全員パターソン一行のところまでやってきた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。2頭目のライオンがパターソンによって倒されたことを知った彼らは大いに喜んだが、同時にたくさんの仲間が殺された恨みも募っていたため、死骸を八つ裂きにしようとするのをやっとの思いで押しとどめねばならなかった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
労働者たちや現地人の歓呼の中で、パターソンはライオンを自分のボマまで運搬させた<ref name="パターソン307-312"/>。ライオンには6個以上の弾痕があり、背中には10日以上前にパターソンが撃ち込んだ散弾が肉の中まで浅く入り込んでいた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。全長は2メートル85センチで高さは1メートル19センチを測ったが、このライオンも最初の1頭と同様にボマのイバラに引っかかるなどして毛皮のあちこちに深い傷がついていた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。
 
 
 
2頭目のライオンの死の知らせも、間もなく各地に広まった<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。現地人が各地から汽車でやってきて、戦利品となったライオンと「悪魔殺し」の英雄となったパターソンを見に訪れた<ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原92-95"/>。パターソンにとって何よりもよかったのは、以前ツァボを逃亡した労働者たちが一斉に戻ってきてくれたことであった<ref name="パターソン307-312"/>。工事は再び始まり、二度とライオンの被害に遭うこともなくなった<ref name="パターソン307-312"/>。
 
 
 
2頭のライオンを倒したのち、労働者たちのパターソンに対する態度は一変していた<ref name="パターソン307-312"/>。以前はパターソンを殺したいとたくらんでいた彼らは、その代わりに「英雄」として深い尊敬と感謝の念を表すまでになっていた<ref name="パターソン307-312"/>。彼らはそのしるしとしてパターソンに美しい銀杯を贈り、パターソンが受けた試練と苦闘の末に勝ち取った勝利についてやや古風で荘重な筆致で称賛したヒンズー語の長編詩を添えた<ref name="パターソン307-312"/>。パターソンは大いに喜んで、彼らの好意を受け取った<ref name="パターソン307-312"/>。
 
 
 
銀杯には、1899年1月30日の日付で次のような賛辞が刻み込まれていた<ref name="パターソン307-312"/>。
 
 
 
{{Quotation|閣下、私たち作業監督、計時係、作業員は、あなたが自分の生命の大きい危険を冒してまで、勇敢に人食いライオン二頭を殺してくださったことに対し、私たちの感謝のしるしとして、この杯をあなたに贈ります。
 
(中略)これを贈るにあたって、私たちはあなたの長寿と幸福と繁栄を祈ります。|パターソン、pp.307-312.
 
}}
 
 
 
=== 終局 ===
 
人食いライオンの脅威が去ると、作業は順調に進捗した<ref name="パターソン312-314">パターソン、pp.312-314</ref>。ツァボ川の鉄橋工事は1899年2月に完成し、線路が敷設されて汽車も通るようになった<ref name="フィールド"/><ref name="パターソン312-314"/>。鉄橋が完成し仮橋脚を撤去してから2、3日後に猛烈な豪雨がツァボを襲ったが、トロッコ用の仮橋2つは流失したものの鉄橋はびくともしなかった<ref name="パターソン312-314"/>。
 
 
 
資材不足で工事が休みになった日、パターソンはマヒナとムータ(でぶという意味)という名の[[パンジャブ人]]の労働者を連れてツァボの南西にある丘陵地帯に向かった<ref name="パターソン327-332">パターソン、pp.327-332</ref>。はっきりとした獣道をたどれば、ほとんど間違いなく目的の場所にたどり着くことがわかってきたので、パターソンはその道を少しずつ地図に書き込んでいた<ref name="パターソン327-332"/>。
 
 
 
このときパターソンの一行は、サイのつけた獣道をたどって次第に森の奥深くまで入り込んでいた<ref name="パターソン327-332"/>。渓谷沿いに歩いていると、サイやカバが通るトンネル状の場所を見つけてその先にあるものを確かめることにした<ref name="パターソン327-332"/>。パターソンは水路の近くに「うす気味の悪いほら穴」の存在を認めた<ref name="パターソン327-332"/>。そのほら穴はかなり奥行きがあるように見えたが、入り口や穴の中にたくさんの人骨があるのが認められた<ref name="パターソン327-332"/>。パターソンの一行は、偶然人食いライオンの根城を発見したのだった<ref name="パターソン327-332"/>。中にメスライオンか仔のライオンが潜んでいるかもしれないと思ったパターソンは銃を1、2発撃ちこんでみたが、穴からはコウモリの群れが出てきただけであった<ref name="パターソン327-332"/>。
 
 
 
パターソンはツァボでの仕事を1899年3月に終え、同月のうちにケニア南部の[[マチャコス|マチャコス・ロード]]に赴任した<ref name="パターソン337-340">パターソン、pp.337-340</ref>。彼がイギリスに戻ったのは1899年の終わりごろのことで、彼を慕う[[キクユ族]]の人々400人余りがイギリスへの同行を願い出たため、説得するのに骨を折ったという<ref name="パターソン377-380">パターソン、pp.377-380</ref>。パターソンはマヒナを始めとした忠実な使用人や、長きにわたって苦楽を共にした労働者数名とともに海岸まで旅をした<ref name="パターソン377-380"/>。一足先にインドへ戻る彼らに別れを告げた後、パターソンは翌日の船でイギリスへ旅立った<ref name="パターソン377-380"/>。
 
 
 
== 影響 ==
 
この事件については、本国イギリスの議会でも取り上げられた<ref name="食べられて77-78"/><ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原22-32"/>。時の首相[[ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)|ソールズベリー侯爵]]は、ウガンダ鉄道建設の長期化について説明を求められて、次のような答弁を行った<ref name="食べられて77-78"/><ref name="パターソン307-312"/><ref name="小原22-32"/>。
 
 
 
<blockquote>
 
その地域に人食いライオンが出現し、人夫たちを好んで食べるという不幸な事態が生じたため、鉄道建設の工事が三週間にわたって全面的に中止されました。ついに人夫たちが、鉄の囲いで保護されることを要求し、作業を継続することを固く拒んだためであります。そのような状況のもとで工事を続行することは困難であり、情熱的な狩猟家がこれらのライオンを倒すまでは、作業はいちじるしく妨げられました<ref name="パターソン307-312"/>。
 
</blockquote>
 
 
 
その後もツァボ付近では、人食いライオンの被害記録が残っている<ref name="小原98-101">小原、pp.98-101</ref>。2頭のライオンとの戦いが終了して約3か月後の1899年3月、[[ボイ]] - {{仮リンク|タヴェタ|en|Taveta, Kenya}}間で道路建設に従事していた技師が殺されている<ref name="小原98-101"/>。1900年6月には、キマ駅をライオンが襲撃し、現地人の駅員が殺された<ref name="小原98-101"/>。ライオン退治に白人3人が列車で現場に乗り込んだが、見張り役が眠った隙に客車に侵入したライオンと遭遇した<ref name="小原98-101"/>。1人が噛み殺され、1人はライオンの下敷きになったため負傷はしなかったものの神経を損傷して動けなくなった<ref name="小原98-101"/>。残る1人がライオンの背を飛び越えて客車からの脱出を試みたとき、ライオンは窓を破って死体を運び出していた<ref name="小原98-101"/>。このライオンは「キマの人食い」と呼ばれ、のちに箱罠にかかって殺された{{refnest|group="注釈"|name="キマ"|小原によれば、「キマの人食い」については、「ツァボの人食い」の話と混同されて伝えられることがあるという<ref
 
name="小原98-101"/>。戸川は『人喰鉄道』で「キマの人食い」についても、小説内での出来事として記述している<ref name="戸川全集273">『戸川幸夫動物文学全集』、p.273.</ref>。}}<ref name="小原98-101"/>。
 
 
 
これらの事例以外にも、鉄道や駅の周辺に出没したライオンについて多くの記録が残されている<ref name="小原98-101"/>。[[第一次世界大戦]]中、ツァボの付近にはドイツ軍が駐留していた<ref name="小原98-101"/>。兵士数人がライオンの犠牲となったため、その死体に[[ストリキニーネ]]を仕込んでおき、加害ライオンの毒殺を果たしている<ref name="小原98-101"/>。[[第二次世界大戦]]後にも、ツァボでは人食いライオンの出現が記録されている<ref name="小原98-101"/>。
 
 
 
== 事件の原因と分析 ==
 
=== 環境 ===
 
鉄道工事が開始されたとき、現地人は工事作業員の仕事に関心を示さず技術的にも能力不足だったので、鉄道会社はインドからの季節労働者に頼らざるを得なかった<ref name="natgeo"/><ref name="小原31"/><ref name="今泉61"/>。19世紀末のツァボは未開の地だったため、インドからの労働者は環境になじむことができず疲労も激しかったことから、[[マラリア]]や[[黄熱病]]などの病気で死亡する人々が続出していた<ref name="今泉61"/><ref name="小原22-25">小原、pp.22-25</ref>。
 
 
 
病気の流行によって多数の人が死亡したために埋葬することすらできず、キャンプから運び出した死体を谷底などに投げこんでハゲワシやハイエナなどの餌食にされるままにするほかはなかった<ref name="今泉61"/><ref name="小原22-25"/>。このときにライオンが現れて人間の味を覚えたものと推定される<ref name="今泉61"/><ref name="小原22-25"/>。
 
 
 
19世紀後半、ライオンの常食である[[アフリカスイギュウ]]は[[牛疫]]という伝染病のために著しく減少していた<ref name="解説391-394"/><ref name="食べられて77-78"/>。そのため、このライオンは人間を捕食するために、広範囲に広がるツァボの労働者キャンプに狙いを定めてそこを「なわばり」として人間をえものとするようになった<ref name="今泉61"/><ref name="小原22-25"/><ref name="小原43-46">小原、pp.43-46</ref>。
 
 
 
ツァボの労働者キャンプは、ツァボ川をはさんだ形で設営されていて、差し渡し10キロメートル以上もの範囲に広がっていた<ref name="小原41-42">小原、pp.41-42</ref>。そのためパターソンはライオンが襲撃地点を毎晩変えているのに気づいていたものの、待ち伏せ場所を選ぶために苦労を強いられることになった<ref name="小原41-42"/>。実際、ライオンはパターソンの行動を観察してしばしばその裏をかいて襲撃を敢行していた<ref name="パターソン278-282"/><ref name="小原41-42"/>。何より労働者自身がこれだけ大勢の人の中から自分が人食いライオンの犠牲者になる確率は低いと考えていたことも、9か月にも及ぶライオンの襲撃が続いた原因の1つとなった<ref name="パターソン282-286"/><ref name="小原47-50"/>。さらに、作業員のインド人やアフリカ人には、護身用の銃器さえ行き渡っていなかった<ref name="小原55-60"/>。
 
 
 
=== 加害ライオン ===
 
2頭のライオンは、たてがみを欠いた若いオスのライオンであった<ref name="今泉61"/><ref name="小原41-42"/><ref name="小原22-32"/>。オスのライオンがペアを組んで行動する場合は、たいてい血縁関係が存在する<ref name="小原22-32"/>。遺伝的形質の類似点からも、2頭は同腹の兄弟であると推定されている<ref name="小原22-32"/>。ライオンは幼児期の死亡率が非常に高い動物であり、同じ場所で行動していたことからも兄弟である可能性は高い<ref name="小原22-32"/>。なお、この2頭に限らず、ツァボに生息するライオンはオスでもたてがみがないか、あっても非常に短いのが特徴である<ref name="ダーウィン"/><ref name="性淘汰"/>。ツァボはアフリカの中でも特に気温が高い地域であり、ツァボに生息するライオン達は過酷な暑さから身を守るためにたてがみを[[退化]]させる必要があったものと考えられている<ref name="ダーウィン">{{Cite web |date= |url=http://cgi2.nhk.or.jp/darwin/broadcasting/detail.cgi?p=p463 |title=[[ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜]] 第463回 常識はずれ!タテガミを捨てたライオン |publisher=[[NHKオンライン]] |accessdate=2016-07-18}}</ref><ref name="性淘汰">{{Cite web |author=廣田忠雄 |date=2002-12-13 |url=http://sci.kj.yamagata-u.ac.jp/~columbo/Lab/noko/021213_Hirota.pdf |title=ライオンの鬣にかかる性淘汰と気温の影響 |format=PDF |publisher=[[山形大学]] |accessdate=2016-07-18}}</ref>。
 
 
 
この2頭がいつ頃から人間を捕食し始めたかについて、正確なことは不明である<ref name="小原22-32"/>。ツァボにいたアフリカスイギュウなどの草食獣が減少し、多くのライオンは獲物を探して他の地域に移動した後にも、2頭はこの地に残っていた<ref name="小原22-32"/>。最初はハゲワシやハイエナが貪るだけであった病に斃れた人間の死体を、2頭が食料とするまでには特段の障害も抵抗もなかったと考えられている<ref name="小原22-32"/>。
 
 
 
2頭の剥製は、シカゴにあるフィールド自然史博物館に所蔵されている<ref name="食べられて77-78"/><ref name="フィールド"/><ref name="小原95-98">小原、pp.95-98</ref>。『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』の著者である[[小原秀雄]]が「あまり巧みな剥製とはいえない」と評するほど、不出来なものである<ref name="小原95-98"/>。この2頭が剥製として展示されたのは、射殺から25年以上が経過した1925年のことだった<ref name="小原95-98"/>。パターソンは1924年に毛皮となったライオン2頭をフィールド自然史博物館に5000ドルで売却し、この値段は2007年9月時点で換算すれば、6万ドル(約690万円)に相当するという<ref name="毛皮"/>。この毛皮は、博物館の館長スタンリー・フィールドが所蔵していた<ref name="小原95-98"/>。毛皮はパターソンが長期にわたって敷物に使っていた状態だったため、剥製にするのはかなり困難を伴い、展示まで時間がかかったという<ref name="小原95-98"/><ref name="毛皮"/>。
 
 
 
事件から100年後、人間を襲うようになった理由を調べるために2頭はフィールド自然史博物館の科学者たちによって詳細な調査を受けた<ref name="食べられて77-78"/>。その結果、2頭はパターソンが記述していたとおり年齢が若く、健康障害などの所見もなかったため、老齢や病気などの理由で狩りが難しくなったために人間を襲ったという説は否定された<ref name="今泉61"/><ref name="小原41-42"/><ref name="小原22-32"/><ref name="食べられて77-78"/>。研究にあたった科学者の1人、ジュリアン・カービス・ピーターハンズは「条件さえそろえば、どのライオンでも人間を攻撃する能力をもっているのだから」と、アフリカではライオンによる被害で毎年たくさんの人が殺されているはずだと指摘している<ref name="食べられて77-78"/>。
 
 
 
スティーブンソン・ハミルトンの調査によれば、南アフリカで射殺した6頭の人食いライオンの内訳は老衰したオス2、ひどくやせた若いメス1、普通の体調の若いメス2、そして若い健康なオス1であった<ref name="小原104-105">小原、pp.104-105</ref>。グッギイズベルグが人食いライオン52例を調査したところ、老獣はわずかに10例のみで、残り42例は盛りの個体か若い個体であったことを報告している<ref name="小原104-105"/>。人食いライオンの事例研究では、獲物が少なくて飢えたために人間をやむなく襲撃したものは11.3パーセントであった<ref name="小原104-105"/>。人間を襲って食べることが習慣となったライオンの群れでは、「人食い」の性癖が伝承されるといい、実際に子ライオンを含む群れのすべてが「人食い」となった事例がある<ref name="小原104-105"/>。ただし、小原は『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』の中で「ライオンの非行化は、人間社会での殺人犯などと同様に、特定の条件下に起こるのであって、ごくふつうの何万、何十万のライオンのうちの、ごく一部であることを強調しておきたい」と記述している<ref name="小原104-105"/>。
 
 
 
2007年になって、ケニア政府は2頭の剥製の返還をフィールド自然史博物館に要求したが、博物館側はこれを拒否した<ref>{{cite news|url= http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/africa/6988918.stm |title= Kenya wants Tsavo man-eaters back|publisher= BBC News |date=2007-09-11}}</ref><ref name="毛皮">{{cite news|url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2286476/2167629|title=人食いライオンの毛皮、故郷ケニアへ返却されず|publisher= AFPBB News|date=2007-09-21}}</ref>。ケニア政府は、引き続き2頭の返還を博物館側に要求し続けている<ref>{{cite news|url=http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2418423/3134119 |title=ケニア国立博物館が再オープン、大統領が植民地時代の遺品の返還求める|publisher=AFPBB News|date=2008-07-16}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nation.co.ke/News/-/1056/560740/-/u49nug/-/index.html|title=Kenya presses US to return ‘man-eaters of Tsavo’|publisher=DAILY NATION|date=2009-04-15}}</ref>。
 
 
 
=== 犠牲者の数 ===
 
2頭のライオンの犠牲となった人数には、「28人以上」や「135人」などの諸説がある<ref name="食べられて77-78"/><ref name="今泉61"/><ref name="小原22-32"/>。パターソン自身は「インド人の人夫だけでも二十八人以上にのぼり、それに加えて、公的な記録はないが、数十人のアフリカの原住民が被害を受けたはずである」と記述した<ref name="トリビューン"/><ref name="パターソン307-312"/>。別の説では135人が犠牲になったとされるが、その内訳は不明瞭である<ref name="トリビューン"/><ref name="食べられて77-78"/><ref name="小原22-32"/>。小原はパターソンの記述を検討し、「九か月にわたる被害」という表現から「それを信用する限りでは、一三五人は少なすぎるくらいだ」と疑問を呈している<ref name="小原22-32"/>。
 
 
 
犠牲者の数については、最新科学の力を借りて分析する試みが行われた<ref name="トリビューン"/>。[[カリフォルニア大学]]の学者たちは、2頭から毛(角質)と骨([[コラーゲン]])のサンプルを採取して[[窒素の同位体|同位体分析]]を実施した<ref name="トリビューン"/>。この分析では2頭が生命を維持するために、何人の人間を食べる必要があったのかを、19世紀のケニア原住民の遺体から得たサンプルを使用した上で同位体分析を行って割り出した<ref name="トリビューン"/>。分析の結果は、先に射殺された方(FMNH 23970<ref group="注釈">Department of Zoology Mammals Collections Catalog Number, Florida Museum of Natural History.</ref>)が24.2人、後の方(FMNH 23969)は10.5人分の人間を「食料」にしていたと見積もっている<ref name="トリビューン"/>。
 
 
 
学者たちは、「135人」という数字は誇張であり、犠牲者は「35人」の可能性が高いことを指摘した<ref name="トリビューン"/>。学者の1人、ジャスティン・ヤーケルは「犠牲者数は、4人から72人の間の可能性がある。しかし、35人と考えるのが最適であろう」と発言した<ref name="トリビューン"/>。「135人」という数字について、学者たちはパターソンが自分の評判を高めるために誇張した可能性に言及している<ref name="トリビューン"/>。
 
 
 
== 事件を題材とした作品 ==
 
; パターソン自身による実録
 
: パターソンは、ツァボの人食いライオンに関する自らの経験談をザ・フィールドという新聞に寄稿した<ref name="トリビューン"/><ref name="解説391-394"/>。パターソンの原文は、全27章にサファリについての付録がついたものであった<ref name="解説391-394"/>。そのうちツァボの人食いライオンに関する記述は9章までと、第14章で偶然ライオンの根城を見つけた部分のみとなっている<ref name="解説391-394"/><ref name="パターソン327-332"/>。
 
: ザ・フィールドに載った記事は、サルースというアフリカ探検家の目にとまった<ref name="解説391-394"/>。サルースはその記事を友人のアメリカ合衆国大統領[[セオドア・ルーズベルト]]に送った<ref name="解説391-394"/>。ルーズベルトはアフリカでの猛獣狩りに熱心にかかわった経験があったため、パターソンの記事を読んで「これが本の形で残されないのは残念だ」と述べた<ref name="解説391-394"/>。最初の単行本化は、1907年のことであった<ref name="解説391-394"/>。
 
; 小説『人喰鉄道』
 
: 小説家の戸川幸夫は、この事件をもとに長編小説『人喰鉄道』を執筆している<ref name="解説391-394"/><ref name="戸川全集360-363"/>。戸川は1966年に東アフリカを初めて訪れ、この事件について話を聞いた<ref name="戸川全集360-363"/>。その話に興味を覚えた戸川は、翌年7月から8月にかけて再度東アフリカを訪問して詳しい取材を行った<ref name="戸川全集360-363"/><ref name="人喰まえがき">『人喰鉄道』完全版まえがき</ref><ref name="人喰カバー"/>。[[伊藤忠商事]]の[[ナイロビ]]支社現地駐在員やツァボ国立公園の自然保護官などの協力を得て当時の話を聞いたり、ウガンダ鉄道に関する資料やパターソンの実録『''The Tsavo Man-Eaters''』を集めたりした<ref name="戸川全集360-363"/><ref name="人喰カバー"/>。さらにはツァボにも訪れて、労働者たちが生活していた小屋なども見た<ref name="戸川全集360-363"/>。
 
: 2回目の東アフリカ旅行には、漫画家の[[石川球太]]も同行していた<ref name="人喰まえがき"/><ref name="人喰カバー">『人喰鉄道』カバー裏面</ref>。2人は約1か月にわたって広大なサバンナをジープで巡って取材を重ねた<ref name="人喰まえがき"/><ref name="人喰カバー"/>。戸川は『人喰鉄道』を1967年11月から1968年10月にかけて『[[サンデー毎日]]』に連載した<ref name="戸川全集282">『戸川幸夫動物文学全集』、p.282.</ref>。この作品では、人食いライオンを十数頭からなる一団と設定し、リーダー格の「黒鬣」、「欠け耳」、「三本指」が存在するなどの創意と、パターソンの実録から別の出来事の記述を物語内に挿入するなどの再構築の試みがなされている<ref group="注釈" name="キマ"/><ref name="戸川全集253">『戸川幸夫動物文学全集』、p.253.</ref>。文芸評論家の[[尾崎秀樹]]は『人喰鉄道』について「ゆたかな構想力の裏づけによってまとめられた創作」と評し、「人間たちの行動だけでなく、ライオン側の心理をも無理なくたどることで、自然にたいする人間の心構えとでもいったものを述べており、そこにいかにも戸川幸夫らしい視点が感じられる」と称賛した<ref name="戸川全集360-363"/>。この作品はのちに『戸川幸夫動物文学全集』第2巻(講談社刊)に収録され、[[旺文社文庫]]、ランダムハウス講談社文庫からも刊行された<ref name="戸川全集282"/><ref name="メーター">{{Cite web |date= |url=http://bookmeter.com/b/4270102012 |title=人喰鉄道 (ランダムハウス講談社文庫 と 1-3 戸川幸夫動物文学セレクション 3) |publisher=読書メーター |accessdate=2016-1-22}}</ref>。
 
: 石川は戸川の小説をもとに『人喰鉄道』を漫画化して、[[週刊少年サンデー]]の1969年3号から同年22号に連載した<ref name="人喰扉絵">『人喰鉄道』扉絵ギャラリー</ref><ref name="出版作品">{{Cite web |date= |url=http://www.mangashop.jp/bin/mainfrm?p=topics/list_2007 |title=2007年 出版作品 |publisher=マンガショップ |accessdate=2016-1-18}}</ref><ref name="出版作品2">{{Cite web |date= |url=http://www.mangashop.jp/bin/showprod?c=9784775911587 |title=人喰鉄道〔完全版〕 |publisher=マンガショップ |accessdate=2016-1-18}}</ref>。現地での綿密な取材に裏づけられたこの作品は、その迫力と臨場感で当時の読者から好評を得た<ref name="人喰カバー"/><ref name="人喰扉絵"/>。漫画版の『人喰鉄道』は、2007年にマンガショップから完全版が発行された<ref name="出版作品"/><ref name="出版作品2"/>。この完全版には、石川による連載当時の扉絵も収録されている<ref name="人喰扉絵"/>。
 
; 映画
 
: この事件については、複数回にわたって映画化されている。アーチ・オボラー([[:en:Arch Oboler]])は[[立体映画]]『ブワナの悪魔』([[:en:Bwana Devil]])を1952年に制作した<ref name="音元出版">{{Cite web|author=大口孝之 |date=2010-3-19 |url=http://www.phileweb.com/review/column/201003/19/87.html |title=今度こそ本当に普及するのか?「3Dブーム」の今までとこれから【前編】過去にも数度、3Dブームが存在していた |publisher=音元出版 |accessdate=2016-1-17}}</ref>。作品自体の出来はよくなかったというものの大ヒットを記録したため、ハリウッドは「これこそ映画業界を救う救世主だ」と大いに宣伝し、世界中に立体映画ブームが起こった<ref name="音元出版"/>。この映画でヘイワード(史実のパターソンにあたる)役を演じたのは、[[ロバート・スタック]]であった<ref name="allmovie">{{Cite web|author= |date= |url=http://www.allmovie.com/movie/bwana-devil-v86338/cast-crew |title=Bwana Devil (1953)  |publisher=allmovie |language=英語|accessdate=2016-1-17}}</ref>。
 
: 1997年には、映画『[[ゴースト&ダークネス]]』が制作された<ref name="食べられて77-78"/><ref name="allcinema">{{Cite web|author= |date= |url=http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=52314 |title=ゴースト&ダークネス(1996) |publisher=allcinema |accessdate=2016-1-17}}</ref><ref name="スターチャンネル">
 
{{Cite web|author= |date= |url=http://www.star-ch.jp/ondemand/detail.php?movie_id=7374&ondemand_id=2947 |title=ゴースト&ダークネス |publisher=[[スター・チャンネル]] |accessdate=2016-1-25}}</ref>。監督は[[スティーヴン・ホプキンス (映画監督)|スティーヴン・ホプキンス]]、出演は[[ヴァル・キルマー]]、[[マイケル・ダグラス]](製作総指揮も兼任)などで、キルマーがパターソン役、ダグラスがプロハンターのレミントン(架空の人物)役を演じた<ref name="allcinema"/><ref name="スターチャンネル"/>。この映画で、{{仮リンク|ブルース・スタンブラー|en|Bruce Stambler}}が[[第69回アカデミー賞|第69回]][[アカデミー音響編集賞]]を受賞した<ref name="allcinema"/>。また、キルマーは[[第17回ゴールデンラズベリー賞#最低助演男優賞|第17回ゴールデンラズベリー賞最低助演男優賞]]にノミネートされた<ref name="allcinema"/>。<!--よい出典が見つからないのでコメントアウトします。その他に、2007年の映画『Prey』 :en:Prey (2007 film) もこの事件に影響を受けている<ref>http://www.ugo.com/ugo/html/article/?id=16646  UGO.COM – Prey DVD Review {{リンク切れ|date=2016年1月}}</ref>。-->
 
== 脚注 ==
 
=== 注釈 ===
 
<references group="注釈" />
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[今泉忠明]] 『絶滅野生動物の事典』 [[東京堂出版]]、1995年。ISBN 4-490-10401-4
 
* [[今西錦司]]、戸川幸夫、[[中西悟堂]]監修、[[藤原英司]]責任編集 『世界動物文学全集 29』 [[講談社]]、1981年。(『ツァボの人食いライオン』J・H・パターソン著、大岩順子訳)の他に[[ラドヤード・キップリング|ラドヤード・キプリング]]『[[ジャングル・ブック (小説)|ジャングル・ブック]]』など3編を収録)
 
* [[小原秀雄]] 『ライオンはなぜ「人喰い」になったか』 [[文芸春秋]]、1990年。ISBN 4-89036-792-6
 
* 『戸川幸夫動物文学全集 2』 講談社、1976年。(他に『オホーツク老人』など3編を収録)
 
* 戸川幸夫・原作、石川球太・漫画 『人喰鉄道』 マンガショップ、2007年。ISBN 978-4-7759-1158-7
 
* ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン 『ヒトは食べられて進化した』 伊藤伸子訳、[[科学同人社]]、2007年。ISBN 978-4-7598-1082-0
 
 
 
== 関連図書 ==
 
* デューイ・グラム 『ゴースト&ダークネス』 岡山徹訳、[[徳間文庫]]、1997年。ISBN 4-19-890680-7
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* 人食い動物 - [[:en:Man-eater|Man-eater]] {{En icon}}
 
* [[三毛別羆事件]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commonscat|Tsavo maneaters}}
 
* [https://en.wikisource.org/wiki/The_Man-Eaters_of_Tsavo The Man-Eaters of Tsavo] [[ウィキソース]] {{En icon}}
 
* [http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1704/20/news146.html 数十人を殺した「ツァボの人食いライオン」が人を食べたのはなぜ? 米大学が研究] [[ITmedia|ねとらぼ]]
 
* {{PDFlink|[http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/bitstream/iyokan/2250/1/AN00024786_1990_22-13.pdf 戸川幸夫動物文学におけるアフリカ : 「人喰鉄道」「サバンナに生きる」を中心に]}} 阿部真人 愛媛地区共同リポジトリ
 
 
 
{{Good article}}
 
{{DEFAULTSORT:つあほのひとくいらいおん}}
 
[[Category:生物災害]]
 
[[Category:ライオン]]
 
[[Category:1898年の鉄道]]
 
[[Category:ケニアの歴史]]
 
[[Category:1898年没]]
 

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