「五井昌久」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__」で置換)
(タグ: Replaced)
 
1行目: 1行目:
'''五井 昌久'''(ごい まさひさ、[[1916年]](大正5年)[[11月22日]] - [[1980年]](昭和55年)[[8月17日]])は、日本の[[宗教家]]。[[宗教法人]][[白光真宏会]](びゃっこうしんこうかい)の開祖。祈りによる世界平和運動を提唱した。
+
{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__
 
 
== 経歴 ==
 
[[東京]]の[[浅草]](現[[東京都]][[台東区]][[千束]])に8人兄弟の4男として生まれる。7歳で関東大震災に遭い、家が焼けたため、一時、父の郷里新潟県に移り住み、近くの寺でお経を聞いたり、座禅をくむ経験をした。高等小学校1年を終え13歳で日本橋の小さな織物問屋の店員となった。数年後、その店をやめ、個人で五井商店を開業、音楽家をめざし、苦学して音楽の勉強をはじめた。また詩作にも励み、[[高村光太郎]]や[[竹内てるよ]]にも教えを受けた。
 
 
 
[[1940年]](昭和15年)、[[日立製作所]]の亀有工場に入社。文化活動の中心者として、[[学徒動員]]された青少年の心を癒そうとつとめた。
 
 
 
大戦終了後、日本のため、人類のために自分の命を捧げたいとの想いが湧き、宗教心が芽生える。[[岡田茂吉]]の霊線療法に興味を持ち、岡田の弟子に講習を受け病人の治療を開始する。また、[[生長の家]]の[[谷口雅春]]の教えに感銘を受け弟子になる。生長の家の講師として活動を開始するが、後には生長の家から離れることになる。
 
 
 
[[1949年]](昭和24年)、厳しい修行の後、空の境地([[悟り]]、[[正覚]])を体得したとする。
 
 
 
[[1950年]](昭和25年)7月、結婚。
 
 
 
[[1955年]](昭和30年)2月、千葉県[[市川市]]に宗教法人「五井先生鑽仰会」を設立(なお、もともと「五井先生鑽仰会」は、五井を師と仰ぐ人々によって結成されたものである)。のちに「白光真宏会」と改称。
 
 
 
当初の活動は、人生指導や病気治療を主とした活動であったが、その根底にある思想は、人々の心が平和になることによる大調和世界(完全平和世界、地上天国)の実現であったとする。
 
 
 
[[1980年]](昭和55年)8月死去。その活動は白光真宏会2代目会長・[[西園寺昌美]](1971年に五井の養女に)に受け継がれた。
 
 
 
== 根本思想 ==
 
# 人間は本来、神の分霊であって、業生ではない。
 
# 人間は守護霊・守護神によって常に守られている。
 
# この世の中のいかなる苦悩も、現われれば必ず消えてゆく。苦悩は消え去ってゆくのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという'''善念'''を起こし、どんな困難の中にあっても'''自分を愛し人を愛し、自分を赦し人を赦す'''愛と真と赦しの言行をなしつづけなさい。
 
# 自分を守っている守護霊・守護神への感謝の心を常に想い、'''世界平和の祈り'''(※)を祈りつづけなさい。
 
 
 
これを実行していると、個人も人類も真の救われ(正覚)を体得できる('''個人人類同時成道''')。
 
 
 
== 守護霊・守護神 ==
 
五井の宗教は別名、守護霊守護神教とも呼ばれるくらい、守護霊・守護神の重要性を強調している。守護神とは神の救済面、愛の働き(神のもう一つの働きは法則である)の権化で、人類救済の任を帯びた偉大な光明体である。守護霊は、守護神によって救済され、個人守護の任を与えられた、先祖の悟った霊である。守護霊には、個人の主運を導く正守護霊と、仕事の面で補佐する副守護霊がある。人間が安心立命の心境に到達する第一歩は、自分の背後で見守っている守護霊・守護神の存在を認め、その守護に感謝することであると五井は説いている。
 
 
 
== 世界平和の祈り ==
 
* 世界人類が平和でありますように
 
* 日本が平和でありますように
 
* 私達の天命が完うされますように
 
* 守護霊様ありがとうございます
 
* 守護神様ありがとうございます
 
 
 
== 主著 ==
 
* 『神と人間』:五井昌久の神観・人間観の詳説
 
* 『天と地をつなぐ者』:霊覚者になるまでの自叙伝
 
* 『小説 阿難』:釈迦の十代弟子の一人・阿難を主人公にした小説
 
* 『老子講義』:老子の現代的解釈
 
* 『聖書講義』:仏陀との比較でイエスの真意を明らかにする
 
(いずれも白光出版[http://www.byakkopress.ne.jp/]刊)
 
 
 
== 人脈 ==
 
[[合気道]]開祖・[[植芝盛平]]とは肝胆相照らす仲だった。五井は植芝を「神の化身」と讃え、植芝は五井を「祈りのご本尊」と敬った。また、東洋学者の[[安岡正篤]]や作曲家の[[古賀政男]]も五井を敬愛した。[[世界紅卍字会|紅卍会]]とも交流があり、[[フーチ]]によって「昱修(いくしゅう)」(光を身に修めた者)という道名をもらった。会員であった[[第二尚氏|琉球王家]]の血をひく尚悦子は、病気をきっかけに五井の養女となり、[[西園寺昌美|昌美]]と改名し、西園寺裕夫([[西園寺公望]]の曾孫)と結婚、五井の死後、白光真宏会会長を継承した。
 
 
 
== 五井の思想から生まれた平和活動 ==
 
五井昌久は、個人の救済のみならず、世界平和の樹立を希求していた。五井の理念は現在では、'''白光真宏会'''[http://www.byakko.or.jp/](本部は富士宮市)のほか、「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉を中心とした平和運動団体 '''World Peace Prayer Society'''[http://www.worldpeace.org/](本部はニューヨーク州)、非宗教の立場で平和への人類の叡智を結集することを目的とする'''[[五井平和財団]]'''[http://www.goipeace.or.jp/](東京)という三つの団体に受け継がれている。
 
 
 
== ピースポール ==
 
{{Vertical images list
 
| 幅= 240px
 
| 1=PeacePole.jpg
 
| 2=ピースポール ([[港区 (東京都)|港区]][[白金 (東京都港区)|白金]])
 
| 3=Churasan no Hi is the Stele of Chura-san in Kohamajima.jpg
 
| 4=ピースポール ([[小浜島]])
 
}}
 
[[:en:Peace Pole|ピースポール]]とは、「世界人類が平和でありますように」という言葉が書かれたポール。英語の《May Peace Prevail on Earth》をはじめとして、世界各国語にも翻訳されている。平和のシンボルとして日本各地、世界各国の神社・お寺・教会・モスク・公園等、さらに国連本部、世界銀行、アラブ連盟本部などの国際機関にも建立されている。
 
 
 
文化侵略という批判をうけたこともある<ref>「[http://www.ettoday.com/2007/05/13/327-2095732.htm 日本人插和平柱 學者批荒謬、文化侵略]{{ref-zh}}」、[[:zh:東森媒體集團|東森新聞報]]、2007年5月13日。</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<references />
 
 
 
== 出典 ==
 
* [http://byakko.or.jp/ 白光真宏会公式サイト]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://byakko.or.jp/founder/goi/ 白光真宏会公式ホームページ 初代会長プロフィール]
 
* [http://www.geocities.jp/byakkou51/zuimon.htm 五井先生随聞記(筆者が五井昌久との思い出を綴ったサイト)]
 
* [https://goisensei.net/ 五井先生に学ぶ(五井昌久の著書や講話の各種抜粋、教えの紹介)]
 
* [https://www.goipeace.or.jp/ 公益財団法人五井平和財団(五井昌久の思想から派生した公益財団法人)]
 
* [http://goisensei.com/index.shtml/ 一般社団法人五井昌久研究会(五井昌久の教えを後世に残すことを目的に設立された団体)]
 
 
 
{{新宗教}}
 
 
 
{{Normdaten}}
 
{{デフォルトソート:ごい まさひさ}}
 
[[Category:日本の宗教家]]
 
[[Category:新宗教の開祖]]
 
[[Category:生長の家の人物]]
 
[[Category:日立製作所の人物]]
 
[[Category:東京都区部出身の人物]]
 
[[Category:1916年生]]
 
[[Category:1980年没]]
 

2019/6/13/ (木) 16:07時点における最新版



楽天市場検索: