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{{未検証|date=2015年12月}}
 
'''西暦'''(せいれき)とは、[[キリスト教]]で[[キリスト]](救世主)と見なされる[[イエス・キリスト]]が生まれたとされる年の翌年を元年([[紀元]])とした[[紀年法]]である<ref>J・D・ブルゴワン 『暦の歴史』 池上俊一監修、南條郁子訳 創元社 2001年5月20日、p.066</ref>。[[ラテン文字]]表記は[[ヨーロッパ]]各国で異なるが、[[日本語]]や[[英語]]圏では、[[ラテン語]]の「'''A.D.'''」又は「'''AD'''」が使われる。A.D.またADとは「[[wikt:anno Domini|アンノドミニ (Anno Domini)]]」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。
 
  
今年は'''2018年''' ([[日本標準時|JST]]) である。西ヨーロッパのキリスト教([[カトリック教会]]、および後の[[プロテスタント]])地域から徐々に普及し(後述)、西欧諸国が世界各地で進めた植民活動などによって伝わった結果、現在において世界で最も広く使われている紀年法となっている。
+
'''西暦'''(せいれき)
  
しかし、19世紀以降においては、非キリスト教徒との関係から、ADを'''Common Era'''(略:CE、「共通紀元」の意)へ、同時に紀元前(BC)をBefore Common Era(BCE)に切り替える動きが広まっている。
+
キリスト生誕の年と信じられている年を紀元とする西洋の暦。6世紀頃[[ディオニシウス・エクシグウス]]によって考えられた。ヨーロッパで一般的に用いられるようになったのは9世紀以降である。キリストの生誕以前を紀元前とし,「B. C.…年」と記すが,B. C.とは Before Christの略。生誕以後を紀元後とし,「A. D.…年」と記すが,A. D.は Anno Domini (主の年) の略。 ([[紀年法]] )
 
 
== 歴史 ==
 
=== 誕生 ===
 
西暦は[[6世紀]]の[[ローマ]]<ref>当時のローマは東ローマ帝国の承認を受けた[[東ゴート王国]]の[[テオドリック (東ゴート王)|テオドリック大王]]による支配下にあり、ローマ教皇は管轄地域である西方地域での影響力を持っていた。</ref>の[[神学者]][[ディオニュシウス・エクシグウス]]によって算出された<ref name=okazaki1>[[#okazaki1996|岡崎 1996]], 第二章 中世における普遍史の展開,ディオニシウス・エウシグウス</ref>。[[525年]]、ディオニュシウスは[[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネス1世 (ローマ教皇)|ヨハネス1世]]の委託を受けて[[キリスト教]]の[[移動祝日]]である[[復活祭]]の暦表(復活祭暦表)を改訂する際に、当時ローマで用いられていた[[ディオクレティアヌス紀元]]([[ローマ皇帝]][[ディオクレティアヌス]]の[[即位]]を紀元とする)に替えて、イエス・キリストの[[受肉]](生誕年)の翌年を元年とする新たな紀元を提案した。これはディオクレティアヌスがキリスト教の迫害者であり、その迫害者の名を残す事が疎まれたからである<ref name=okazaki1/>。
 
 
 
[[聖書]]の記述によると、イエスが[[復活 (キリスト教)|復活]]した日は[[ユダヤ教]]の[[過越]]の祭り([[春分]]の頃の最初の満月の日)の前日から三日目の[[日曜日]]([[主日]])であり、伝承では「[[ユダヤ暦]]でニサンの月の14日」([[ユリウス暦]]の[[3月25日]])とされていた。ディオニュシウスはイエスの生誕年を求めるにあたり、ディオクレティアヌス紀元279年が、伝えられるイエスの復活した日の状況と合致することを発見した<ref name=okazaki2>[[#okazaki1996|岡崎 1996]], 第二章 中世における普遍史の展開,ディオニシウスの算定方法</ref>。そこで、ここから過越の祭りと同日である[[復活祭]]の日付が532年で一巡するという当時の知識に基づき、一巡に要する532年にその時のイエスの年齢が「満30歳であった」とする当時の聖書研究者の見解を根拠として、31年を加えた<ref name=okazaki2/>。これにより「ディオクレティアヌス紀元279年=キリスト紀元563年」の等式が成り立ち、この年号を出発点として他の年号が求められた<ref name=okazaki2/>。ディオニシウスはこの年号を「主の体現より (ab incarnatione Domini)」と表した<ref name=okazaki1/>。また、紀元の始点を(イエス生誕の12月25日ではなく)1月1日までさかのぼらせた<ref name=okazaki2/>。
 
 
 
=== 受容 ===
 
西暦[[1年]]から[[524年]]までは概念上の存在であり、実際の[[紀年法]]として使用されたことはない。その後も長らくこの紀年法は受け入れられず、[[731年]]に[[ベネディクト会|ベネディクト会士]][[ベーダ・ヴェネラビリス]]が『イングランド教会史(イギリス教会史)』をキリスト紀元で著してから徐々に普及し、[[10世紀]]頃にようやく一部の国で使われ始め、西欧で一般化したのは[[15世紀]]以降のことであるという。
 
 
 
西暦が国際社会でもっとも用いられる年号となったのは、キリスト教圏であるヨーロッパ各国の世界進出や[[植民地]]拡大により非キリスト教国でも西暦が普及したからである。
 
 
 
=== 正教圏 ===
 
[[東ローマ帝国]]などの[[正教会]]諸国では10世紀以降、[[世界創造紀元]](『[[旧約聖書]]』の『[[創世記]]』にある[[天地創造]]が基準。西暦[[紀元前]]5508年を元年とする)が使用されていた。現在も正教会の幾つかの教会で使用されている。西暦がキリスト教圏すべてで用いられた訳ではないので、注意が必要である。
 
 
 
また紀年法が異なるのみならず、正教圏では[[20世紀]]初頭に至るまで西欧とは異なり、[[グレゴリオ暦]]ではなくユリウス暦が用いられていた。現在でも[[アトス山]]、[[エルサレム総主教庁]]、[[ロシア正教会]]、[[セルビア正教会]]などがユリウス暦を使用している。他方、[[コンスタンディヌーポリ総主教庁]]、[[ギリシャ正教会]]などは[[修正ユリウス暦]]と呼ばれる、月日にグレゴリオ暦と同様の修正を施したユリウス暦を使用している。
 
 
 
== 西暦元年とイエス生年のズレ ==
 
ディオニュシウスの求めた紀元は、今日推定されるイエスの生年から4年ほどずれていると考えられている。現在では、イエスは[[ヘロデ大王]]の治世の末期、[[紀元前4年]]頃に生まれたと考えられている。これは、[[新約聖書]]の2つの記述
 
 
 
*「大規模な人口調査が行われた年にイエスが[[ベツレヘム]]で誕生した」という記述が[[ルカ福音書]]2章にあり、人口調査は紀元前4年に行われたとされている。
 
*「救世主イエス誕生の話を耳にしたヘロデ大王が、新たな王の存在を恐れ二歳以下の幼児を虐殺させたためにイエスと両親がエジプトに避難した」という記述が[[マタイ福音書]]2章にある。
 
 
 
が根拠となっている。
 
 
 
これらの記述自体に歴史的な裏づけはないが、ヘロデ大王在位中にイエスが誕生したことは明らかであり、ヘロデ大王の死は当時の文書などにより紀元前4年という説が有力視されているため、イエスは少なくとも紀元前4年には誕生していたと考えられている(「[[ナザレのイエス#イエスの生年]]」も参照)。
 
 
 
== 紀元前 ==
 
{{main|紀元前}}
 
西暦1年以前を表現する場合、西暦1年の前年を[[0年]]ではなく[[紀元前1年]]とし、過去に遡る度に年数を増やす「西暦紀元前」を使う。これは[[17世紀]]フランスの神学者ドニ・プトによる案で、[[18世紀]]末になってようやく一般化した。
 
 
 
日本では、通常「紀元前××××年」と言う。日本での欧文表記は、[[英語]]の“{{lang|en|Before Christ}}”の略である'''B.C.'''又は'''BC'''である。
 
 
 
== 表記 ==
 
<!-- 以下をコメント化。無理に「元号との統一性」とかいうよりも、具体的に韓国語でどうなのかを書き足せば十分でしょう。「漢字圏」の範囲もあいまいですし。
 
漢字圏では西暦年を表す際、[[元号]]との統一性から漢字二文字を[[接頭辞]]的に使い、「西暦{{#time:Y}}年」のように表すのが一般的である。西暦の普及に伴い、西暦年のみで表記する機会が格段に増えたため、「西暦」そのものを省略して「{{#time:Y}}年」、あるいは下2桁のみで「{{#time:y}}年」と表記する。
 
-->
 
[[日本]]では西暦年での表記が増えており、「{{#time:Y}}年」、あるいは下2桁のみで「{{#time:y}}年」と表記する事が多い。[[元号]]と区別する為には、「西暦{{#time:Y}}年」と、「西暦」を年の前に付ける。「西暦+下2桁」(例えば、西暦13年)とは'''書かない'''(詳細は後節の「[[#西暦と各国の紀年法の関係]]」を参照)。
 
 
 
キリスト教由来の紀年法として明示する場合は「キリスト紀元」と表記する。「紀元」と紀年法を明示せずに表記する場合、現在ではキリスト紀元(西暦)を指しているが、[[大日本帝国]]では[[神武天皇即位紀元]](皇紀)を指していた。
 
 
 
[[英語]]では、{{#time:Y}}または{{#time:y}}と書くのが普通だが、まれに西暦である事を明示するためには、"AD {{#time:Y}}" と書く。紀元前ならば "123 BC" と書く。
 
 
 
英語のADは、[[ラテン語]]の {{la|Anno Domini}}([[主]](イエス・キリスト)の年に)に由来するが、他の多くのヨーロッパ諸語ではラテン語表現を使わない<ref>たとえば[[wikt:AD|ウィクショナリー「AD」]]([[wikt:en:AD|英語版]])を参照。</ref>。たとえばフランス語ならば、フランス語で「キリスト前/後」を意味する{{lang|fr|Après Jésus-Christ}} / {{lang|fr|Avant Jésus-Christ}}(を略したもの)を使う。
 
 
 
== 中立的な表現 ==
 
キリスト教に基づく表現である{{lang|la|Anno Domini}}(AD)、{{lang|en|Before Christ}}(BC)を、より中立的に、たとえば英語では{{lang|en|[[:en:Common Era|Common Era]]}}([[共通紀元]])、 {{lang|en|Before Common Era}}(共通紀元前)とする動きが起きている。
 
<!-- 以前の版で、「略して CE とかsmallcap」とかあったが、C.E. もあり、smallcapである必要もない。英語の事であり、英語版に譲れば十分だろう。-->
 
 
 
もともと18世紀ごろからユダヤ教徒の間で、Common EraやVE (Vulgar Era) を使う動きがあった。背景には、[[19世紀]]から[[20世紀]]初期にかけて、西洋のシステムが[[グローバルスタンダード]]になって行く中で、非キリスト教圏にも西暦が浸透して行き、特に欧米の非キリスト教徒には強い抵抗感があったことがある。
 
 
 
2002年に、イングランドとウェールズの公立学校が、CE、BCE を導入した<ref>{{cite news|url=http://www.thisislondon.co.uk/news/article-531644-ad-and-bc-become-cebce.do |title=AD and BC become CE/BCE |date=9 February 2002 |accessdate=2012-02-05 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111220120909/http://www.thisislondon.co.uk/news/article-531644-ad-and-bc-become-cebce.do |archivedate=December 20, 2011 }}</ref>。2007年度版 World Almanac(世界年鑑)なども追随し、出版業界でも切り替えの動きが広がっている。また、アメリカの大学入試テスト等を運営する非営利団体の[[カレッジボード]]なども導入している<ref>[https://collegereadiness.collegeboard.org/sat-subject-tests/subjects/history/world-history World History Subject Test]([[カレッジボード]] [[SAT (大学進学適性試験)]] 歴史テストのページ)</ref>。
 
 
 
たとえば、[[Unicode]] Standard では{{Smallcaps|ce}}と{{Smallcaps|bce}}を使っている。
 
 
 
== 西暦と各国の紀年法の関係 ==
 
=== 日本 ===
 
日本には、[[16世紀]]に[[カトリック]]の宣教師によって西暦がもたらされた。しかし、[[江戸時代]]になると[[禁教令]]が出されると、西暦はキリスト教と結びついていた紀年法であったため、使用が禁じられた。実際、[[1641年]]における、[[平戸]]の[[オランダ商館]]の[[出島]]への移転は、西暦が使われたことを、[[長崎奉行]]が問題視したために実行された。
 
 
 
西暦が使われるようになったのは、西洋に合わせる形で[[明治]]5年([[1872年]])に[[天保暦]]([[太陰太陽暦]])から[[グレゴリオ暦]]([[太陽暦]])への移行が決まってから(''[[改暦]]の詳細については「[[グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入]]」を参照'')のことであり、日常生活に普及し始めたのは[[戦後#第二次世界大戦後|第二次世界大戦後]]のことである。
 
 
 
日本の公の機関が作成する[[公文書]]における年の表記は基本的に[[元号]]が用いられている。
 
 
 
気象測器検定規則([[平成]]14年3月26日国土交通省令第25号)に定められた気象機器の検定証印の年表示<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14F16001000025.html#1000000000000000000000000000000000000000000000001300000000000000000000000000000 気象測器検定規則 第十三条] - [[法令データ提供システム]]</ref>や、乳及び乳製品の成分規格等に関する省令([[昭和]]26年12月27日厚生省令第52号)に定められた食品の賞味期限表示の一部のように、西暦を使用する法令も存在する。また一部の[[白書]]は、西暦主体の表記となっている。
 
 
 
西暦年自体を公的に定義している例として、情報における日時データ形式を規定する[[日本工業規格]] JIS X 0301 においては国際規格 [[ISO 8601]] に準じて、西暦年を[[メートル条約]]の調印年を「1875」年としてこの起点から年の値を増減両方向に定義する紀年法として定めている。
 
 
 
今日の日常生活では、「平成12年([[2000年]])」のように元号と併記する場合がある。主要な[[マスメディア]]([[新聞]]・[[テレビ]]等)の多くは、主に西暦を使用しており、[[法令番号]]や[[判例]]など、元号で記される公文書を示す場合は、西暦に換算するか西暦を併記している。(その他日本国内における元号との使い分け事例等については「[[元号#元号使用の現状]]」を参照)
 
 
 
西暦と同様の紀年法として、日本には[[神武天皇即位紀元]](皇紀、神武紀元)が存在する。明治期から太平洋戦争終了までは元号と共に皇紀も用いられた。現在でも有効である[[閏年]]の置き方に関する[[勅令]]([[s:閏年ニ關スル件|閏年ニ関スル件]]、明治31年5月11日勅令第90号)で神武天皇即位紀元が使われている。
 
 
 
西暦に対して、元号を用いた日本独自の紀年法のことを'''[[和暦]]'''、あるいは'''邦暦'''と呼ぶことがある<ref>邦暦の使用例 [http://www.pref.niigata.jp/kyoiku/soumu/soumuka/kouhou/tyouki/nenhyo1.htm 新潟県庁:新潟県の教育統計:図説「新潟県教育20世紀のあゆみ」:教育史年表(教育法制・教育改革)]</ref>。
 
 
 
=== 中国 ===
 
[[中華民国]]では、[[辛亥革命]]勃発([[1911年]])の翌年に当たる[[1912年]]に元号を廃止し、中華民国が樹立された1912年を元年とする[[民国紀元]](中華民国暦)を採用した。中華民国では[[宣統]]の次の元号のように「[[民国]]」という表記で扱われている。中華民国が[[台湾]]に逃れた[[1949年]]10月以降も、政府機関が公式に使用している紀年法であり、民間では西暦と共に使用されている。
 
 
 
1949年10月に成立した[[中華人民共和国]]では、民国紀元も廃止され、政府機関も民間も西暦(公元)に統一されている。歴史に関する話題で元号を使用(あるいは併用)していても、1912年以降は元号が廃止されているので西暦のみを使用する(中華民国時代についても民国紀元を使わない)。
 
 
 
=== 朝鮮半島 ===
 
朝鮮半島で南北に存在する[[大韓民国]](韓国)と[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)では、同一の[[朝鮮民族]]を主体とする2つの国家が独自の紀年法を西暦と併用して維持している。
 
 
 
韓国では[[朝鮮神話]]における最初の王朝、[[檀君朝鮮]]の初代王である[[檀君]]の即位年とされる[[紀元前2333年]]を紀元とした[[檀君紀元]]<ref>檀君紀元と西暦では新年のずれは生じない。西暦2017年は檀君紀元4350年となる。</ref>が提唱され、建国直後の西暦[[1948年]](壇君紀元4281年)から[[1961年]](同4294年)までは公文書に記載されていたが<ref>なお、同年8月15日の建国直後には[[大韓民国臨時政府]](上海亡命政府)が成立した[[1919年]]を紀元とする「[[大韓民国 (年号)|大韓民国暦]]」が使われたが、1カ月で使用が停止された。</ref>、[[1962年]]1月1日からは廃止された<ref>韓国の初代大統領は1919年の臨時政府でも大統領を務めた[[李承晩]]で、彼は強いナショナリズム政策を取っていたが、李の失脚後に1961年の[[5・16軍事クーデター|軍事クーデター]]で政権を奪取した[[朴正煕]]は強権による近代化路線への変更を準備していた。
 
</ref>。ただし、その後も檀君紀元は民間の中で使用が続けられている<ref>韓国の歴史教育では檀君自体は実在するとされている。一方で、その考古学的証拠はないという指摘もある。</ref>。
 
 
 
北朝鮮では西暦1949年の建国から西暦のみが使われてきたが、1997年9月9日から[[主体暦]]の使用が告知され、公式行事や同国の報道機関<ref>一例として、北朝鮮の国営通信社である[[朝鮮中央通信]]の公式サイトでは、朝鮮語と英語の双方で主体暦と西暦の併記が行なわれている。</ref>で使用されるようになった。これは同国の初代かつ唯一の[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家主席]]である[[金日成]]の生誕年である西暦[[1912年]]を紀元としたもので<ref>金日成は主体曆導入3年前の1994年に死去していた。この主体暦導入決定は彼の長男で、北朝鮮の2代目最高指導者となった[[金正日]]により実施された。</ref>、結果として民国紀元(中華民国暦)と同年となる。日本語で表記する場合には「主体□□年」、ないし朝鮮語の発音をカタカナにした「チュチェ□□年」となる<ref>西暦2017年は主体(チュチェ)106年。</ref>。
 
 
 
=== 東南アジア・南アジア地域 ===
 
東南アジア・南アジア地域のうち、[[仏教]]、特に[[上座部仏教]]の信徒が多数を占めている[[タイ王国|タイ]]・[[カンボジア]]・[[ラオス]]・[[ミャンマー]]・[[スリランカ]]などでは、仏教の開祖である[[釈迦]]の[[入滅]](死去)した年を基準とする[[仏滅紀元]](仏暦)が普及している。なお、ミャンマーとスリランカでは釈迦の入滅年とされる[[紀元前544年]]を紀元元年、タイ・カンボジア・ラオスではその翌年である[[紀元前543年]]を紀元元年とし、1年のずれが生じている。
 
 
 
特に[[チャクリー王朝|王室]]が仏教を厚く保護するタイ王国ではこの仏暦が公式文書で使われている。この場合、タイ語では仏滅紀元、西暦が普及している国で広く使われる英語や日本語では西暦で表記される例がある<ref>たとえば、西暦2017年(仏暦2560年)に日本で開催される「第18回タイ・フェスティバル2017」では、タイ語の案内では仏暦[http://site.thaiembassy.jp/th/news/announcement/5422/ (実例)]、日本語の案内では西暦[http://site.thaiembassy.jp/jp/news/announcement/5423/ (実例)]の紀年法が採用されている。出典:[[駐日タイ王国大使館|在東京タイ王国大使館]]、「[http://site.thaiembassy.jp/jp/ 公式サイト]」、2017年5月1日閲覧。</ref>。また、西暦[[1940年]](仏滅紀元2483年)に仏暦が9月で打ち切られて元日が揃えられ、「西暦□□年△△月◇◇日=仏滅紀元△△+543年△△月◇◇日」の計算式が成立したが<ref>例えば、西暦2017年は仏滅紀元2560年。</ref>、一部では整理前の年号が使用されているともいわれる。詳細は「[[仏滅紀元]]」も参照。
 
 
 
== 日本語の過去の用法 ==
 
この方式の[[紀年法]]の日本での呼び名は、今日では「西暦」と呼ばれる事が圧倒的に多いが、'''キリスト紀元'''('''基督紀元''')や'''西洋紀元'''ともいい、また西洋紀元を略して'''西紀'''(せいき)とも呼ばれる。『西洋聞見録 後編』(1871年)では、「西暦」は西洋の'''[[暦法]]'''である[[グレゴリオ暦]](あるいは[[ユリウス暦]])を指している。
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist}}
 
 
 
==参考文献==
 
*{{Cite book |和書
 
|author    = 岡崎 勝世
 
|year      = 1996
 
|title      = 聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か
 
|edition    = Kindle版
 
|publisher  = 講談社
 
|series    = 講談社現代新書
 
|isbn      = 978-4061493216
 
|ref        = okazaki1996}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{ウィキプロジェクトリンク|紀年法|[[画像:Nuvola apps date.svg|34px]]}}
 
* [[グレゴリオ暦]]
 
* [[紀元]]
 
* [[紀元前]]
 
* [[イエス・キリスト]]
 
* [[クリスマス]]
 
* [[コンプトゥス]]
 
* [[太陰太陽暦]]
 
* [[元号]]
 
* [[世紀]]
 
* [[年表]]
 
 
 
{{Chronology}}
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:せいれき}}
 
{{DEFAULTSORT:せいれき}}
 
[[Category:紀年法]]
 
[[Category:紀年法]]
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[[Category:1年]]
 
[[Category:1年]]
 
[[Category:532年]]
 
[[Category:532年]]
 
 
 
[[als:Christliche Zeitrechnung]]
 

2019/5/1/ (水) 21:48時点における最新版

西暦(せいれき)

キリスト生誕の年と信じられている年を紀元とする西洋の暦。6世紀頃ディオニシウス・エクシグウスによって考えられた。ヨーロッパで一般的に用いられるようになったのは9世紀以降である。キリストの生誕以前を紀元前とし,「B. C.…年」と記すが,B. C.とは Before Christの略。生誕以後を紀元後とし,「A. D.…年」と記すが,A. D.は Anno Domini (主の年) の略。 (紀年法 )



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