「原宿駅」の版間の差分
細 (1版 をインポートしました) |
|
(相違点なし)
|
2018/9/28/ (金) 06:42時点における版
原宿駅(はらじゅくえき)は、東京都渋谷区神宮前一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線の鉄道駅である。駅番号はJY 19。
Contents
概要
駅名は、開業当時近隣にあった地名、原宿(豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿)から。
特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。また、近接する東京地下鉄(東京メトロ)千代田線の明治神宮前〈原宿〉駅との連絡運輸が実施されている。なお、副都心線の連絡運輸は渋谷駅となるため、この駅での連絡運輸はない。しかし山手線車内の自動放送においては当駅においても副都心線への乗り換え案内がなされている。
原宿・表参道地区のアクセス駅で、近隣は若者を中心に賑わいをみせているが、明治神宮や代々木公園の森林に接しており、改札内に乗換路線もない(後述)ことから、ホーム上は比較的閑静である。
二代目となる現在の駅舎は1924年(大正13年)に竣工した木造建築で[1]、都内で現存する木造駅舎で最も古い。建物は二階建てで、尖塔付きの屋根に白い外壁という、イギリス調のデザインとなっている[2]。窓格子は二重斜格子文で、階段に使用されている廃レールには、1950の刻印が見られる。2016年現在、新宿ゴールデン街とともに外国人観光客の注目を集めている[3]。
歴史
開業時は乗降客が少なかったが、1919年(大正8年)に明治神宮が造営された後には発展を続けた[2]。乗降客が増加した1929年(昭和4年)には竹下口地下道、1939年(昭和14年)には明治神宮側臨時プラットホームが設置されている[2]。
戦前
- 1906年(明治39年)
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により山手線の所属となる。
- 1914年(大正3年)
- 1916年(大正5年)1月:明治神宮造営のために駅北部から分岐する引込み線を設置[1]。
- 1920年(大正9年)11月1日:明治神宮が完成、鎮座祭が行われる。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災。
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)10月15日:原宿変電所跡地に原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)が完成。病弱だった大正天皇が日光・沼津・葉山の御用邸に静養に出発する専用の目的で建設された。
- 1941年(昭和16年)2月1日:貨物取り扱いを廃止。
- 1945年(昭和20年)4月14日:空襲により駅舎に直撃弾を受けるも、すべて不発により焼失を免れる。
戦後
戦災からの復興の過程、隣接する千駄ヶ谷地区には連れ込み宿が林立、原宿駅前にも同様の旅館が出現した[7]。しかしながらそれらを一掃しようという運動が近隣住民やPTAを中心に行われ、その結果原宿駅を含む原宿地区は1957年(昭和32年)、文教地区の指定を受け、その結果風俗営業は姿を消した[7]。
- 1952年(昭和27年)10月14日:鉄道開業80周年を記念して「皇室専用ホーム」の一般公開を実施。復元された北海道最初の蒸気機関車「義經」「しづか」が展示された。
- 1972年(昭和47年)10月20日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の明治神宮前駅が付近に開業。
- 1976年(昭和51年)7月:みどりの窓口営業開始(2017年1月31日営業終了)[8]。
- 1987年(昭和62年)
- 1997年(平成9年):「関東の駅百選」に認定される。選定理由は「神宮の森とマッチしている西洋風の駅舎」。
- 2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2015年(平成27年):1・2番線ホームにホームドアを設置。
- 2016年(平成28年)6月8日:2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて千駄ケ谷駅、信濃町駅とともに駅舎の建て替えを含む改良工事を発表[11]。
駅構造
山手線の島式ホーム1面2線が、通常使用されている。
表参道口にはトイレが設置され、改札外に東京地下鉄(東京メトロ)の明治神宮前駅への乗り換え口がある。コンコースとホームを連絡するエスカレーターとエレベーターが設置され、改札まではスロープとなっているなどバリアフリー措置が取られているが、竹下口には何もない。自動改札機が設置されている。表参道口には簡易Suica改札機も設置されている。臨時ホームは簡易Suica改札機のみ設置されている。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 山手線 | 内回り | 渋谷・品川方面 |
2 | 外回り | 新宿・池袋方面 | |
3 | (臨時ホーム) |
(出典:JR東日本:駅構内図)
臨時ホーム
当駅の特徴として、外回り線(代々木方向)に1面1線の明治神宮敷地内「臨時ホーム」(3番線ホーム)が、内回り線(渋谷駅方向)の駅手前・代々木寄りに1面1線の皇室専用ホーム(後述)がある。
「臨時ホーム」は、例年正月のみ使用される明治神宮初詣客向けのもので、1940年(昭和15年)元日から供用が開始された[12]。明治神宮は毎年日本で最多の初詣客が訪れ、山手線は大晦日から元日にかけて終夜運転が行われる。この時間帯は外回り線は臨時ホームで乗降を行い、2番線ホームは使用中止となって方面標も3番線ホームに設置される。
改札も明治神宮側の臨時改札口で行われるため、渋谷駅のようなホームとなるだけでなく、表参道口と竹下口は内回り専用となる。
発車メロディ
外回り・内回りともに当駅オリジナルのメロディが使われている。なお、2011年3月1日から20日までは期間限定でmiwaの楽曲「春になったら」が採用され、1番線ではサビ、2番線では冒頭部を使用していた。また、臨時ホームでは発車ベルが使われる。
皇室専用ホーム
駅北側(代々木駅寄り)の貨物線線路から分岐する形で設置されている、皇室専用駅[13]。
正式な名称は原宿駅側部乗降場であるが[14][15]、「北部乗降場[16]」、「北乗降場[17]」、「帝室御乗降場[16]」などとも呼称され、宮廷ホームの通称でも知られる。設置以来お召し列車の発着に使われ、2013年(平成25年)現在は財務省とJR東日本の共同所有となっている[18]。
有効長は217メートル、ホーム長は171メートルあり[14]、一般客が乗り降りする山手線のホームとは厳格に区別された宮廷ホームは簡素な造りで、屋根には古レールが使われているなど派手さはない[18]。これは宮廷ホームが造られた当時、大正天皇が病気療養中だったためで、あまり派手な駅を作ると療養中の天皇が利用している姿が人目につき、健康を害している天皇の姿を国民が目の当たりにしたら、社会に動揺が広がることにもなりかねないと考えられ、あえて控えめに造られたとされている[18]。敷地内にはホームのほかに、信号扱所、貴賓室、待合室がある[14]。
このホームが使用される際のみ、原宿駅は運転取扱駅へと一時的に昇格する。通常は当ホームの出発信号機・場内信号機はレンズ部分に黒い蓋をして使用停止とし、山手貨物線本線(通過線)側の出発信号機・場内信号機は閉塞信号機として扱っている。
大正時代
大正天皇が宮城(きゅうじょう、皇居の旧称)から沼津御用邸や葉山御用邸等へ静養に出発するための専用駅として設置された。
工事は1925年(大正14年)夏、旧原宿駅跡地、および旧原宿変電所跡地とその側線を転用する形で着工され[5]、同年10月15日に完成した。同年12月17日には試運転が行われ、大正天皇が初めて利用したのは、1926年(大正15年)8月10日、葉山御用邸に出発する際であった。
しかしながら大正天皇は同年12月25日に崩御、同27日に霊柩列車によってこのホームに戻ることとなった[5]。
昭和時代
昭和時代には昭和天皇・香淳皇后が那須や須崎(静岡県下田市)にある御用邸や全国植樹祭などへ向かう(行幸啓)場合などに運行される専用のお召し列車が年に数回発着していた。また、香淳皇后が須崎・那須両御用邸へ静養のために向かう際には、このホーム発の専用列車に乗車していた。
昭和天皇がこのホームを利用する場合、三権の長(内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所長官)、国務大臣、日本国有鉄道(国鉄)総裁、東京鉄道管理局(1969年(昭和44年)4月以降は東京西鉄道管理局)長が揃って「お見送り」をすることが、国鉄時代の慣わしであった。
皇族専用ホームは皇族による利用のほか、1979年(昭和54年)には201系電車の試作車展示や[5]、1988年(昭和63年)にはパビリオン列車「アメリカントレイン」の出発式といった、各種イベントにも用いられた。
平成時代
今上天皇の時代になると東京駅を利用することがもっぱらとなり、それ以前に他交通機関の発達もあって鉄道利用が少なく、お召し列車の運行自体が稀になっている。
今上天皇が原宿駅の皇室専用ホームを最後に使用したのは2001年(平成13年)5月21日、第52回全国植樹祭から帰った際であり、以来皇室専用ホームを皇族が利用した実績はない。
原宿駅・皇室専用ホームが利用されなくなった背景には、山手貨物線が、埼京線の延伸や湘南新宿ラインの運行開始などに伴って過密ダイヤとなり、お召し列車の運行には不適切になっているという事情もあるという[19]。乗降場の周囲では草刈りは定期的に実施されているものの、場内信号機は白い蓋で塞がれており、分岐器が使用停止のまま長らく列車の発着がないためにレールが錆び付くなど、即座には使用できない状態となっている。一方、皇室専用ホームは廃止されたわけではなく、宮内庁では今後、国賓の地方への案内といった場合に使用される可能性が示唆されている[19]。
2016年10月30日に、原宿駅開業110周年の記念として、ホームの一般公開が行われた[14]。
駅改良工事
JR東日本によると、2020年の東京オリンピック開催に向けて、当駅の駅改良工事に着手することが発表された。年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとして常設化する他、2階建ての駅舎に建て替え・エレベーターとエスカレーターの増設・トイレや改札口と通路の拡張などが行われる。また、新駅舎は明治神宮口にも設置される[11][20]。なお、今回常設化される外回り専用ホームにはホームドアも設置され、改良工事後の島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームになる。駅舎の解体には渋谷区長の長谷部健や地元住民が反対し駅舎保存の声を上げているが、JR東日本からの明確な回答はない[21]。
利用状況
2016年(平成28年)度の1日平均乗車人員は76,084人であり[22]、JR東日本全体では第59位。
近年の推移は下記の通り。
年度 | 1日平均乗車人員 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|
定期外 | 定期 | 合計 | ||
1989年(平成元年) | 70,838 | [* 1] | ||
1990年(平成 | 2年)69,709 | [* 2] | ||
1991年(平成 | 3年)69,331 | [* 3] | ||
1992年(平成 | 4年)68,156 | [* 4] | ||
1993年(平成 | 5年)67,208 | [* 5] | ||
1994年(平成 | 6年)66,301 | [* 6] | ||
1995年(平成 | 7年)67,265 | [* 7] | ||
1996年(平成 | 8年)70,586 | [* 8] | ||
1997年(平成 | 9年)71,058 | [* 9] | ||
1998年(平成10年) | 71,819 | [* 10] | ||
1999年(平成11年) | [JR 1]71,946 | [* 11] | ||
2000年(平成12年) | [JR 2]71,364 | [* 12] | ||
2001年(平成13年) | [JR 3]72,392 | [* 13] | ||
2002年(平成14年) | [JR 4]72,463 | [* 14] | ||
2003年(平成15年) | [JR 5] 72,400 | [* 15] | ||
2004年(平成16年) | [JR 6]71,685 | [* 16] | ||
2005年(平成17年) | [JR 7]73,446 | [* 17] | ||
2006年(平成18年) | [JR 8]75,149 | [* 18] | ||
2007年(平成19年) | [JR 9]76,788 | [* 19] | ||
2008年(平成20年) | [JR 10]74,524 | [* 20] | ||
2009年(平成21年) | [JR 11]75,581 | [* 21] | ||
2010年(平成22年) | [JR 12]71,456 | [* 22] | ||
2011年(平成23年) | [JR 13]69,750 | [* 23] | ||
2012年(平成24年) | [JR 14]47,354 | [JR 14]24,117 | [JR 14]71,472 | [* 24] |
2013年(平成25年) | [JR 15]47,713 | [JR 15]23,152 | [JR 15]70,866 | [* 25] |
2014年(平成26年) | [JR 16]48,090 | [JR 16]22,676 | [JR 16]70,766 | [* 26] |
2015年(平成27年) | [JR 17]50,476 | [JR 17]23,256 | [JR 17]73,733 | [* 27] |
2016年(平成28年) | [JR 18]52,754 | [JR 18]23,330 | [JR 18]76,084 | [* 28] |
2017年(平成29年) | [JR 19]51,091 | [JR 19]23,262 | [JR 19]74,353 |
ギャラリー
- Harajuku Station1.jpg
駅舎の正面(2016年7月31日撮影)
- Harajuku Station3.jpg
駅舎(2016年7月31日撮影)
- Harajuku Station4.jpg
表参道口(2016年7月31日撮影)
- JR Harajuku sta 002.jpg
竹下口(2010年8月)
- JR East Harajuku Station Extra entrance.jpg
明治神宮にある臨時出入口(2012年1月)
- Harajuku-eki-temp-platform,2004-05-14.jpg
ホームドア設置前のホームの様子(2011年4月)
- Harajuku Station-2a.jpg
駅舎工事 外回り渋谷駅方向を見る(2018年8月21日撮影)
- Harajuku Station-1a.jpg
駅舎工事 外回り代々木駅方向を見る(2018年5月20日撮影)
駅周辺
- 明治神宮
- 代々木公園
- 東郷神社、原宿東郷記念館
- 警視庁原宿警察署
- 明治通り
- 竹下通り
- 表参道
- 国立代々木競技場
- アドヴァン本社
- 原宿駅前ステージ - アイドルグループ「原駅ステージA」と「ふわふわ」の専用劇場。
- 明治神宮前〈原宿〉駅 - 東京メトロ千代田線・副都心線
その他の駅周辺施設は「明治神宮前駅#駅周辺」を参照。
バス路線
最寄り停留所は、原宿駅、原宿駅入口、明治神宮となる。
- 原宿駅
- 原宿駅入口
- 明治神宮
- 渋谷区コミュニティバス「ハチ公バス」
- 神宮の杜ルート:表参道駅・千駄ヶ谷駅方面
原宿ファッションジョイボード文化展
駅構内のホーム沿いに設置されている大型看板「原宿ファッションジョイボード」(縦3m×横4m)の17面すべてを1週間限定で貸し切り、社会的・文化的メッセージのあるポスターの連作を展示する広告展開企画で、1979年12月から春と秋の年2回開催している[25]。
- 1979年冬:原宿ものがたり
- 2002年春:ワールドカップ 日本代表がんばれ
- 2014年春:ブレイブサークル大腸がん撲滅キャンペーン”40歳になったら毎年、大腸がん検診を受けましょう!
- 2014年秋:『福島魅力再発見の旅』〜「福が満開、福のしま。」でお待ちしております〜
- 2015年春:パスワード―もっと強くキミを守りたい―[26]
隣の駅
脚注
記事本文
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 「大正浪漫の駅 原宿駅(その1)」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 アイランズ 『東京の戦前 昔恋しい散歩地図』 草思社 2004年1月30日発行第1刷
- ↑ 「原宿駅解体」が示す日本的観光政策の大問題(2016年12月29日時点のアーカイブ) - 東洋経済オンライン、2016年12月28日。
- ↑ 現在駅と「宮廷ホーム」の間付近に本屋(駅舎)とホームが位置した。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 「大正浪漫の駅 原宿駅(その2)」
- ↑ 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 1978年9月30日発行 p206
- ↑ 7.0 7.1 神宮前五丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会 1994年12月25日発行 p42
- ↑ 国鉄監修『交通公社の時刻表』1976年8月号
- ↑ 『鉄道ジャーナル』第21巻第11号、鉄道ジャーナル社、1987年9月、 126頁。
- ↑ 朝日新聞 1994年8月4日夕刊。
- ↑ 11.0 11.1 駅改良の工事計画について
- ↑ 「昭和15年10月頃の山手線線路図」 『鉄道ピクトリアル』(電気車研究会発行) 1985年10月号 p.50-51
- ↑ 表参道・原宿・青山 日本観光史 2011年12月27日閲覧
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 ベールに包まれたもう1つの原宿駅「宮廷ホーム」に行ってみた
- ↑ 『お召列車百年』 p.5、p.61
- ↑ 16.0 16.1 小野田滋 『大正浪漫の駅 原宿駅』
- ↑ 鉄道省編 『大正天皇大喪記録』
- ↑ 18.0 18.1 18.2 小川裕夫 『封印された鉄道史』 彩図社、2013年。ISBN 978-4-88392-901-6。
- ↑ 19.0 19.1 “原宿駅の北、宮廷ホームひっそり 皇室専用、9年不使用”. 朝日新聞 (2010年8月31日). 2010年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010閲覧.
- ↑ 原宿駅臨時ホームが常用に 明治神宮口も新設 五輪に向け都内の駅改良へ
- ↑ 「原宿駅改良計画」に渋谷区が不安を抱く理由(2017年2月15日時点のアーカイブ) - 東洋経済オンライン、2017年2月15日。
- ↑ 各駅の乗車人員 - JR東日本
- ↑ 渋谷区勢概要 - 渋谷区
- ↑ 東京都統計年鑑
- ↑ 大型看板に「胸キュン」シーンでパスワードの大切さを啓発 エヌケービー、2015年4月3日
- ↑ 原宿ファッションジョイボード文化展に「パスワード」をテーマにしたマンガポスターを出展中!独立行政法人情報処理推進機構(IPA)、2015年4月3日
利用状況
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員
- ↑ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ↑ 14.0 14.1 14.2 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ↑ 15.0 15.1 15.2 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ↑ 16.0 16.1 16.2 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ↑ 17.0 17.1 17.2 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ↑ 18.0 18.1 18.2 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ↑ 19.0 19.1 19.2 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- 東京都統計年鑑
- ↑ 東京都統計年鑑(平成元年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成2年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成3年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成21年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成22年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成23年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成24年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成25年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成26年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成27年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成28年)
参考文献
- 鉄道省編 『大正天皇大喪記録』 鉄道省、1928年。
- 星山一男 『お召列車百年』 電気車研究会、1973年。
- 小野田滋「東京鉄道遺産をめぐる22 大正浪漫の駅 原宿駅(その1)」、『鉄道ファン』No. 597、交友社、2011年1月。
- 小野田滋「東京鉄道遺産をめぐる22 大正浪漫の駅 原宿駅(その2)」、『鉄道ファン』No. 598、交友社、2011年2月。