ja>Teakant |
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− | {{Infobox 聖人
| + | Thomas Aquinas |
− | |名前=トマス・アクィナス
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− | |生誕日=[[1225年]]頃
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− | |死去日=[[1274年]][[3月7日]]
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− | |記念日=[[1月28日]]
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− | |崇敬する教派=[[カトリック教会]]、[[聖公会]]
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− | |画像=St-thomas-aquinas.jpg
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− | |画像サイズ=250px
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− | |画像コメント=トマス・アクィナス像、15世紀、カルロ・クリヴェッリ作
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− | |生誕地=[[シチリア王国]]・[[ロッカセッカ]]
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− | |死去地=シチリア王国・フォッサノヴァ
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− | |肩書き=教会博士
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− | |列福日=
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− | |列福場所=
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− | |列福決定者=
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− | |列聖日=[[1323年]][[7月18日]]
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− | |列聖場所=[[フランス]][[アヴィニョン]]
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− | |列聖決定者=[[ヨハネス22世]]
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− | }}
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− | '''トマス・アクィナス'''({{lang-la-short|Thomas Aquinas}}、[[1225年]]頃 - [[1274年]][[3月7日]])は、[[中世]][[ヨーロッパ]]、[[イタリア]]の[[神学者]]、[[哲学者]]。[[シチリア王国]]出身。[[ドミニコ会|ドミニコ会士]]。『[[神学大全]]』で知られるスコラ学の代表的神学者である。[[カトリック教会]]と[[聖公会]]では[[聖人]]、カトリック教会の33人の[[教会博士]]のうちの1人。[[イタリア語]]表記では''トンマーゾ・ダクイーノ'' (Tommaso d'Aquino)。
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− | == 生涯 ==
| + | [生] 1225頃.ロッカセッカ<br> |
− | [[File:Tommaso - Super Physicam Aristotelis, 1595 - 4733624.tif|thumb|''Super Physicam Aristotelis'', 1595]] | + | [没] 1274.3.7. フォッサヌオバ |
− | [[1225年]]ごろ、トマスは南イタリアの[[貴族]]の家に生まれた。母テオドラは[[神聖ローマ帝国]]の[[ホーエンシュタウフェン]]家につらなる血筋であった。生まれたのは[[ランドルフ]]伯であった父親の居城、[[ナポリ王国]][[アクイーノ]]近郊の[[ロッカセッカ]]城であると考えられている。伯父のシニバルドは[[モンテ・カッシーノ修道院]]の院長をしていたため、やがてトマスもそこで院長として伯父の後を継ぐことが期待されていた。修道院にはいって高位聖職者となることは貴族の子息たちにはありがちなキャリアであった<ref>稲垣、1999、pp.85-96</ref>。 | + | |
| + | 聖人。イタリアのドミニコ会士,神学者,教会博士。アキノのトマともいう。「天使的博士」 Doctor angelicusとあだ名された。[[アルベルツス・マグヌス]]に学び,1252年パリ大学教授となった。そこで托鉢修道会を攻撃する教区付司祭教授たちに反駁した。3年後イタリアに帰り,活躍。 1269年再びパリ大学教授,アリストテレス説をめぐる論争に参加。中庸的立場でこれを擁護し,その原理を批判的に摂取してカトリックの信仰を体系的に説明し,あわせて自律的哲学を樹立した。可能態としての本質領域に対して,現実態としての存在領域の優位,豊かさを洞察し,存在の類比によって神の秘義を不完全ながら探求すると同時に,人間本性の深い理解を求めた。1272年パリを去り,ナポリにおいて新設の大学の充実に専念した。主著『存在と本質について』 De ente et essentia (1254~55) ,『対異教徒大全』 Summa de veritate catholicae fidei contra gentiles ([[スンマ・コントラ・ゲンティレス]] ) ,『神学大全』 Summa theologiae ([[スンマ・テオロギアエ]] ) などのほか,聖書,アリストテレスその他の注解,討論,詩など。 |
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− | こうして5歳にして修道院にあずけられたトマスはそこで学び、[[ナポリ大学]]を出ると両親の期待を裏切って[[ドミニコ会]]に入会した。ドミニコ会は当時、[[フランシスコ会]]と共に中世初期の教会制度への挑戦ともいえる新機軸を打ち出した修道会であり、同時に新進気鋭の会として学会をリードする存在であった。家族はトマスがドミニコ会に入るのを喜ばず、強制的にサン・ジョバンニ城の家族の元に連れ帰り、一年以上そこで軟禁されて翻意を促された。初期の伝記によれば、家族は若い女性を連れてきてトマスを誘惑までさせたが、彼の決心はゆるがなかったという<ref>稲垣、1999、pp.111-112</ref>。
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− | ついに家族も折れてドミニコ会に入会を許されるとトマスは[[ケルン]]に学び、そこで生涯の師とあおいだ[[アルベルトゥス・マグヌス]]と出会った。おそらく[[1244年]]ごろのことである。[[1245年]]にはアルベルトゥスと共に[[パリ大学]]に赴き、3年同地ですごし、[[1248年]]に再び二人でケルンへ戻った。アルベルトゥスの思考法・学問のスタイルはトマスに大きな影響を与え、トマスがアリストテレスの手法を神学に導入するきっかけとなった<ref>稲垣、1999、pp.113-121</ref>。トマスは非常に観念的な価値観を持つ人物であり、同時代の人と同じように聖なるものと悪なるものをはっきりと区別するものの見方をしていた。あるとき、自然科学に興味があったアルベルトゥスがトマスに自動機械なるものを示すと、トマスは悪魔的であるとしてこれを批判した。
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− | [[1252年]]にパリに赴いて学位を取得しようとしたが、パリ大学の教授会が托鉢修道会に対して難癖をつけてきたため、やっとの思いで学位を取得し、パリ大学神学部教授となった。しかし、明晰なトマスはやがて[[1257年]]に教授会に迎え入れられ、そこで教鞭をとった。[[1259年]]にはヴァレンシエンヌでおこなわれたドミニコ会総会に代表として出席した<ref>稲垣、1999、pp.122-163</ref>。
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− | その後、教皇[[ウルバヌス4世 (ローマ教皇)|ウルバヌス4世]]の願いによって[[ローマ]]で暮らすことになった。
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− | [[1269年]]再びパリ大学神学部教授になり、[[シゲルス]]を中心とするラテンアヴェロエス派や、[[ジョン・ペッカム]]を中心とするアウグスティヌス派と論争を繰り広げる<ref>稲垣、1999、pp.192-219</ref>。同時代の人々の記録によるとトマスは非常に太った大柄な人物で、色黒であり頭ははげ気味であったという。しかし所作の端々に育ちのよさが伺われ、非常に親しみやすい人柄であったらしい<ref>稲垣、1999、p.192</ref>。議論においても逆上したりすることなく常に冷静で、論争者たちもその人柄にほれこむほどであったようだ。記憶力が卓抜で、いったん研究に没頭するとわれを忘れるほど集中していたという。そしてひとたび彼が話し始めるとその論理のわかりやすさと正確さによって強い印象を与えていた。
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− | [[1272年]]の[[フィレンツェ]]の教会会議において、トマスは、ローマ管区内の任意の場所に神学大学を設立するように求められ、温暖な故郷ナポリを選び、著作に専念して思想を集大成に努めるようになった<ref>稲垣、1999、p.220</ref>。
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− | [[1274年]]の初頭、教皇は[[第2リヨン公会議]]への出席を要請した。トマスは健康状態が優れなかったが、これを快諾し、ナポリから[[リヨン]]へ向かった。しかし、道中で健康状態を害し、ドミニコ会修道院で最期を迎えたいと願ったが、かなわず[[ソンニーノ]]に近いフォッサノヴァ(現在は[[プリヴェルノ]]市の一部)の[[シトー会]]修道院で世を去った。1274年3月7日のことであった。シトー会士たちは遺体をドミニコ会側に渡すまいと、棺を修道院内に隠す、頭を切り離す、骨だけにするために遺体を煮込むなどの暴挙をあえて行ったともいわれているが、教皇の命令により[[1369年]]になってようやく遺骨がドミニコ会に引き渡された<ref>稲垣、1999、p234</ref>。
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− | トマスは会う人すべてに強い印象を与えている。彼は[[パウロ]]や[[アウグスティヌス]]と並び立つ人物といわれ、Doctor Angelicus(神の使いのような博士)と呼ばれた。[[1319年]]にトマスの[[列聖]]調査が始められ、[[1323年]][[7月18日]]、[[アヴィニョン]]の教皇[[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]によって列聖が宣言され、聖人にあげられている<ref>稲垣、1999、pp.233-235</ref>。
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− | [[1545年]]の[[トリエント公会議]]。議場に設けられた祭壇の上には二つの本だけが置かれていた。一つは聖書、そしてもう一つはトマス・アクィナスの『[[神学大全]]』であった<ref>稲垣、1999、p.482</ref>。
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− | == 思想 ==
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− | トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている<ref>稲垣、1999、pp.55-56。</ref>。
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− | トマスは[[アヴィケンナ]]や[[イブン=ルシュド|アヴェロエス]]、[[ソロモン・イブン・ガビーロール|アビケブロン]]、[[マイモニデス]]などの多くのアラブやユダヤの哲学者たちの著作を読んで研究し、その著作においても度々触れている<ref>稲垣、1999、p.59</ref>。そこから、トマスは単なる折衷家にすぎないとの見方も根強いものがあったが<ref>稲垣、1999、p.54。</ref>、現在では、「[[存在]]」([[エッセ]])の形而上学がトマス的総合の核心であり、彼独自の思想である点に見解の一致があり、その存在をどのように解釈するかによって様々な立場に分かれるとされている<ref>稲垣、1999、p.72</ref>。
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− | 全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来の[[ネオプラトニズム]]の影響を残しつつも、哲学における軸足を[[プラトン]]から[[アリストテレス]]へと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。
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− | トマスの思想は、その死後も[[トマス主義]]として脈々と受け継がれ、近代の[[自然法論]]や国際法理論や[[立憲君主制]]にも多大な影響を与えただけでなく、19世紀末におきた[[新トマス主義]]に基づく復興を経て現代にも受け継がれている。
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− | === 神学 ===
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− | トマスの生きた時代は、[[十字軍]]をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわらず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。
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− | トマスは、このような時代背景の下、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていた[[アヴィケンナ]]や[[イブン=ルシュド|アヴェロエス]]とは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた<ref>稲垣、1999、p.59</ref>。また、トマスは、同様に、[[ソロモン・イブン・ガビーロール|アビケブロン]]のみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった<ref>トマス自身は世界の永遠性という説を積極的に否定していたが、この説がアリストテレスに由来するという問題があった。そこでトマスは『神学大全』(1:45)においてなんとかこの矛盾を回避すべく、アリストテレスと「世界の永遠性」の結びつきを否定しようとしている。その論述においてトマスは[[マイモニデス]]の『迷えるものへの手引き』を引用している。</ref>。トマスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。
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− | === 哲学 ===
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− | トマスは、その哲学において、アリストテレスの「[[形相]]-[[質料]]」(forma-materia)と「現実態-可能態」の区別を受け入れる。アリストテレスによれば、存在者には「質料因」と「形相因」があるが、存在者が何でできているかが「質料因」、その実体・本質が「形相因」である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが「可能態」であり、それが生成したものが「現実態」である。「形相-質料」は主に質量を持つ自然界の存在者に限られるが、「現実態-可能態」は自然界を超越した質量を持たない形相のみの存在者にまで及ぶ。すべての存在者は可能態から現実態への生成流転の変化のうちにあるが、すべての存在者の究極の原因であり、「神」(不動の動者)は質料をもたない純粋形相でもあった。
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− | しかし、トマスにとって、神は、万物の根源であるが、純粋形相ではあり得なかった。[[旧約聖書]]の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在-本質」(esse-essentia)を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。
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− | 人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる[[神の存在証明|宇宙論的証明]])。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は恩寵の光のみ与えられるので、人には信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られるのである。
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− | === 法・政治論 ===
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− | トマスは、神の摂理が世界を支配しているという神学的な前提から、[[永久法]]の観念を導きだし、そこから理性的被造物である人間が永遠法を「分有」することによって把握する[[自然法]]を導き出し、その上で、人間社会の秩序付けるために必要なものとして、人間の一時的な便宜のために制定される[[人定法]]と[[神]]から啓示によって与えられた[[神定法]]という二つの観念を導きだした<ref>稲垣、1999、pp.430-433</ref>。その詳細は以下のとおり。
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− | 永久法とは、この宇宙を支配する神の理念であり<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第1項</ref>、そのうち、理性的被造物たる人間が分有しているものが、自然法である<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第2項</ref>。そして、自然法のうち、人間が何らかの効用のために特殊的に規定するものが人定法であり<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第3項</ref>、人間がより強く永久法に与れるように、神から補助的に与えられたものが神定法である<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第4項</ref>。すなわち、人間の能力には限界があるために、人々は永久法から与った自然法にもとづいて適切に人定法を制定するということができず、また、様々な意見の対立が生じるので、それを補うために神から与えられたものが、神定法である。ここで、神定法として念頭に置かれているのは、[[旧約聖書]]と[[新約聖書]]において命じられている事柄であり、前者は旧法(lex vetus)、後者は新法(lex nova)と呼ばれる<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第5項</ref>。永久法は、[[神]]のうちにある最高の理念であり<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第1項</ref>、あらゆる法 の源泉である<ref>トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第3項</ref>。このような永久法の一部である自然法は、あらゆる人定法の源泉であり、その妥当性の基準となるとして、トマスは、永久法・自然法・人定法の階層構造を認めたのである<ref>高坂直之『トマス・アクィナスの自然法研究ーその構造と憲法への展開ー』創文社、昭和46年、p.36.</ref>。
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− | == 著作 ==
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− | [[Image:Tommaso - Super libros de generatione et corruptione - 4733257 00007.tif|thumb|''Super libros de generatione et corruptione'']]
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− | === 分類と解説 ===
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− | トマスの著作は、大きく以下の5種類に分類できる<ref>稲垣、1999、pp.240-258。</ref>。
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− | #神学に関する総合的・体系的著作
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− | #討論
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− | #聖書注解
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− | #アリストテレス及びその他の権威ある著作の注解
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− | #その他の小著作。
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− | 第一のカテゴリーに分類されるものには、『命題論集注解』及び『対異教徒大全』のほか、もっとも有名な『[[神学大全]]』が含まれる。
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− | 第二のカテゴリーには、様々な題のついた「定期討論集」(正規の授業で行なわれた討論を集めたもの)と「任意討論集」(復活祭と誕生祭の前の週に行なわれた討論を集めたもの)がある。
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− | 定期討論集は以下のとおり
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− | *『悪について』
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− | *『神の能力について』
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− | *『真理について』
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− | *『徳一般について』
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− | *『霊魂について』
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− | *『霊的被造物について』
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− | 第三のカテゴリーは、旧約聖書や新約聖書の注解である。
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− | 旧約聖書の注解は以下のとおりである。
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− | *『ヨブ記注解』
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− | *『詩篇注解』
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− | *『イザヤ書注解』
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− | *『エレミヤ書注解』
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− | *『エレミヤ悲歌注解』
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− | 新約聖書の注解は以下のとおり
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− | *『マタイ福音書注解』
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− | *『ヨハネ福音書注解』
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− | *『カテナアウレア』(1475年)。これは四福音書への注解である。この福音書注解はどちらかというと[[教父]]たちの注解を引用して集成したものといえる。
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− | 第四のカテゴリーは、アリストテレスやその他の権威ある人の注解である。
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− | アリストテレスの著作への注解は以下のとおり
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− | *『感覚と感覚されるものについての注解』
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− | *『記憶と想起についての注解』
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− | *『形而上学注解』
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− | *『自然学注解』
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− | *『生成消滅論注解』
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− | *『天体宇宙論注解』
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− | *『分析論後書注解』
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− | *『命題論注解』
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− | *『倫理学注解』
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− | *『政治学注解』
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− | アリストテレス以外の権威ある者の著作への注解は以下のとおり
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− | *『原因論注解』
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− | *『ディオニシウス注解』
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− | *『ボエティウス・デ・ヘブドマディブス注解』
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− | *『ボエティウス三位一体論注解』
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− | 第五のカテゴリーには、『世界の永遠性についてーつぶやく者に対して』など論争的著作や『存在するものと本質について』など特定の主題についての論文が含まれる。
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− | トマスは著作を自ら筆記せず、口述したものを弟子たちに書き取らせた。トマスは悪筆で有名で、初期の伝記作家によればトマスは複数の筆記者にそれぞれに異なった事柄を話し、あたかも「神からの真理の巨大な奔流が彼のうちに流れこんでいるかのようだった」という。このような伝説的な逸話は別としても、近代の研究者も写本の研究から、トマスが覚書を手にして読み上げながら、自分が読み上げた文章を必要に応じて修正し、他の著作を引用するときはその書物を取り出して読んでいたのであろうと推測している<ref>稲垣、1999、pp.144-146。</ref>。
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− | その著作において、トマスは[[ドゥンス・スコトゥス]]らと違い、読者にも自らの思想の軌跡を懇切丁寧に追体験させるような表現をせず、権威を持って教えるという形にしている。これは彼が啓示を受けて著作したというスタンスに立っているためであり、そのためトマスの著作は現代のわれわれの視点からはやや物足りないという感を与えるものになっている。
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− | === 著作(主な邦訳) ===
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− | *『[[神学大全]]』 [[高田三郎 (哲学者)|高田三郎]]・[[山田晶]]・[[稲垣良典]]ほか訳、[[創文社]]、1960–2012(全45巻)<ref>後半部に連番となった巻があり、全冊数は39冊。</ref>
| |
− | *『トマス・アクィナス 神学大全』 山田晶訳、[[川添信介]]補訳・解説([[中央公論新社]]〈[[中公クラシックス]]〉全2巻、2014)。※別訳版、第一部26章目まで
| |
− | *『トマス・アクィナス 神秘と学知-[[ボエティウス]]「[[三位一体論]]」に寄せて 翻訳と研究』 [[長倉久子]]訳、創文社、1996
| |
− | * [http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=browse&code=734024 『トマス・アクィナス』]、[[上智大学]]中世思想研究所編、[[中世思想原典集成]](第14巻)、[[平凡社]]、1993
| |
− | **『兄弟ヨハネスへの学習法に関する訓戒の手紙』、『形而上学注解』、『使徒信条講話』、『種々の敬虔な祈り』、『聖書の勧め』、『聖書の勧めとその区分』、『存在者と本質について』、『知性の単一性について―アヴェロエス主義者たちに対する論駁』、『ボエティウス 三位一体論注解』、『ボエティウス・デ・ヘプドマディプス注解』、『命題論注解』、『離存的実体について(天使論)』の12編を収録。(全編初訳もしくは新訳)
| |
− | *『君主の統治について 謹んでキプロス王に捧げる』 [[柴田平三郎]]訳、[[慶應義塾大学出版会]]、2005/[[岩波文庫]]、2009
| |
− | *『在るものと本質について』 [[稲垣良典]]訳註、知泉書館、2012
| |
− | *『トマス・アクィナス ヨブ記註解』 保井亮人訳、[[知泉書館]]、2016
| |
− | *『トマス・アクィナス 真理論 (上・下)』、中世思想原典集成(第Ⅱ期/第1・2巻)、上智大学中世思想研究所編・監修(山本耕平訳)、平凡社、2018
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− | == 脚注 ==
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− | {{脚注ヘルプ}}
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− | <div class="references-small"><references /></div>
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− | == 参考文献 ==
| |
− | *[[稲垣良典]] 『トマス・アクィナス』 [[講談社学術文庫]]、1999(元版『人類の知的遺産 20 トマス・アクィナス』、[[講談社]]、1979)
| |
− | *フェルナンド=ファン・ステンベルゲン 『トマス哲学入門』 稲垣良典・山内清海訳、[[白水社]]〈[[文庫クセジュ]]〉、1990、新装版2004、ISBN 4560057044
| |
− | *長倉久子 『トマス・アクィナスのエッセ研究』 [[知泉書館]]、2009
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− | === 関連文献 ===
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− | *高坂直之 『トマス・アクィナスの自然法研究―その構造と憲法への展開』 創文社、1971
| |
− | *山田晶 『トマス・アクィナスの〈エッセ〉研究』 創文社、1978
| |
− | *山田晶 『在りて在る者-中世哲学研究第三』 創文社 1979
| |
− | *山田晶 『トマス・アクィナスの〈レス〉研究-中世哲学研究第四』 創文社 1986
| |
− | *渡部菊郎 『トマス・アクィナスにおける真理論』 創文社、1997
| |
− | *[[水田英実]] 『トマス・アクィナスの知性論』 創文社、1998
| |
− | *稲垣良典 『トマス・アクィナス哲学の研究』 創文社、2007
| |
− | *稲垣良典 『トマス・アクィナス 『神学大全』』 講談社選書メチエ、2009
| |
− | <!--*メアリ・カラザース、[[別宮貞徳]]他訳、『記憶術と書物 中世ヨーロッパの情報文化』、工作舎、1997 トマスについては若干の記述があるだけにつき、コメントアウト。-->
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| |
− | == 関連項目 ==
| |
− | {{Wikiquote|トマス・アクィナス}}
| |
− | {{commons|Thomas Aquinas}}
| |
− | *[[エッセ]]
| |
− | *[[神学者の一覧]]
| |
− | *[[スコラ学]]
| |
− | *[[正戦論]]
| |
− | *[[聖トマス大学]]
| |
− | *[[トマス主義]]([[新トマス主義]])
| |
− | *[[ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス]]
| |
− |
| |
− | == 外部リンク ==
| |
− | *[http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=30 自立性と関係性 —トマス・アクィナスにおける理性的実体としてのペルソナ—]
| |
− | *{{SEP|aquinas/|Saint Thomas Aquinas}}
| |
− | *{{IEP|aquinas|Thomas Aquinas}}
| |
− | *[http://www.corpusthomisticum.org/iopera.html CORPUS THOMISTICUM, S. THOMAE DE AQUINO OPERA OMNIA] - トマスの著作のラテン語原典
| |
− |
| |
− | {{自然法論のテンプレート}}
| |
− | {{ドミニコ会}}
| |
− | {{Normdaten}}
| |
− |
| |
− | {{Philos-stub}}
| |
− | {{Academic-bio-stub}}
| |
| | | |
| {{DEFAULTSORT:あくいなす とます}} | | {{DEFAULTSORT:あくいなす とます}} |