「懐疑主義」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ja>タバコはマーダー
(外部リンク)
 
(ページの作成:「(かいぎしゅぎ、米: skepticism、英: scepticism) 人間理性による確実な真理認識をおしなべて否定する哲学的立場。その変形された…」)
1行目: 1行目:
'''懐疑主義'''(かいぎしゅぎ、{{Lang-en-us-short|skepticism}}、{{Lang-en-gb-short|scepticism}})とは、基本的原理・認識に対して、その普遍妥当性、客観性ないし蓋然性を吟味し、根拠のないあらゆる[[ドクサ]]([[独断]])を排除しようとする主義である。'''懐疑論'''(かいぎろん)とも呼ばれる。これに対して、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする立場を[[独断主義]]({{lang-de-short|Dogmatismus}})ないし[[独断論]]という。懐疑主義ないし懐疑論は、古代から近世にかけて、真の認識をもたらさない、あるいは[[無神論]]へとつながる破壊的な思想として論難されることが多かった。これは、懐疑主義が、懐疑の結果、普遍妥当性及び客観性ないし蓋然性ある新たな原理・認識が得られなかった場合、判断停止に陥り、[[不可知論]]と結びつき、伝統的形而上学の保持する神や存在の確かさをも疑うようになったためである。しかし近代以降は、[[自然科学]]の発展の思想的エネルギー源となったこともあり、肯定的に語られることが多い。
+
(かいぎしゅぎ、米: skepticism、英: scepticism)
  
経験的な証拠が欠如している主張の真実性、正確性、普遍妥当性を疑う認識論上の立場、および科学的・日常的な姿勢は[[#科学的懐疑主義|科学的懐疑主義]]と呼ばれる。
+
人間理性による確実な真理認識をおしなべて否定する哲学的立場。その変形されたものとしては,蓋然性を認める認識論的蓋然主義,経験的現象での真理認識は認めるがその背後なる超越者の認識を否定する不可知論,客観的真理を否定する相対主義などがあり,認識の局面をこえて実践面にそれを適用した宗教的,倫理的懐疑論がある。絶対的懐疑論は真理認識を否定するが,その主張自体は真理であるとしているのであるから,決定的な自己矛盾を含んでいるというのが,アウグスチヌスの批判である。古代の懐疑学派のほかに,近世のモンテーニュやバークリー,経験論を徹底したヒューム,物自体の認識を否定したカントらが懐疑論者と考えられる。
 
 
== 古代懐疑主義 ==
 
=== ピュロン ===
 
'''懐疑主義'''は、西欧においては[[ピュロン|エリスのピュロン]](前365/360年頃ー前275/70年頃)の思想から始まった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.446.</ref>。[[ピュロン]]自身は著作を残しておらず、またその弟子[[ティモン]](前325/320頃ー前235/230年頃)による彼の言行録も断片しか残っていないので、[[ピュロン]]の思想がどのようなものであったのか、その後のピュロン主義とどの程度まで一致するのかは不明である<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.446-447.</ref>。ピュロン主義者の中で唯一著作が現存している[[セクストス・エンペイリコス]](200年頃活躍)の著作のひとつ『ピュロン主義哲学の概要』によれば、懐疑主義はピュロン主義とも呼ばれるが、それは[[ピュロン]]の思想だからではなく、古代の懐疑主義者の中で[[ピュロン]]が最も懐疑主義に専念したからであった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.8.</ref>。
 
 
 
=== ピュロン主義 ===
 
[[ディオゲネス・ラエルティオス]]が伝えるところによれば、ティモン以後のピュロン主義は、ティモンに弟子がいなかったため[[プトレマイオス]]が再建するまでは断絶していたという説と、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]まで連綿と続いていたという説がある<ref>田中龍山『セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想』[[学校法人東海大学出版会|東海大学出版会]]、2004年、p.5.</ref>。もっとも、ディオゲネスが伝えているこの系譜の中で、今日においてその詳細が明らかになっている人物はひとりもいない<ref>田中龍山『セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想』東海大学出版会、2004年、p.5-6.</ref>。また、ディオゲネスは[[プトレマイオス]]がピュロン主義を復活させたと述べているが、これについても、実際に復活させたのは[[アイネシデモス]](前1世紀頃活躍)である説が今日では有力である<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.6.</ref><ref>田中龍山『セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想』東海大学出版会、2004年、p.7-8.</ref>。
 
 
 
==== アイネシデモス ====
 
[[アイネシデモス]]は『ピュロン主義の議論』全8巻を著したが、しかしこの著作は残っておらず、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]が『ピュロン主義哲学の概要』などで彼について言及していることが知られているだけである<ref>田中龍山『セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想』東海大学出版会、2004年、p.5.</ref>。
 
{{quotation|
 
〔[[ヘラクレイトス]]哲学が〕われわれ懐疑主義と異なることは自明である。なぜなら、[[ヘラクレイトス]]は多くの不明瞭な物事に関してドグマティスト流の表明を行っているが、すでに述べたとおり、われわれはそんなことはしないからである。ところが、[[アイネシデモス]]を中心とする人たちは、懐疑主義は[[ヘラクレイトス]]哲学に通じる道であると言っていた。(〔〕内は引用者の付記)
 
|セクストス『ピュロン主義哲学の概要』|金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.104.}}
 
このため、[[アイネシデモス]]は本当はピュロン主義者ではなく[[ヘラクレイトス]]主義者だったのではなかったという疑いも持たれている<ref>田中龍山『セクストス・エンペイリコスの懐疑主義思想』東海大学出版会、2004年、p.8.</ref>。
 
 
 
==== 経験主義者セクストス ====
 
ピュロン主義者であり医者でもあった[[セクストス・エンペイリコス]](エンペイリコスとは名前ではなく経験主義者というあだ名である)は<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.433.</ref>、ピュロン主義とその他の学派との相違を次のように伝えている。
 
{{quotation|
 
人々が何か物事を探究する場合に、結果としてありそうな事態は、探究しているものを発見するか、あるいは発見を拒否して把握不可能であることに同意するか、あるいは探究を継続するかのいずれかである。たぶんこのゆえにまた、哲学において探究される事柄についても、真実を発見したと主張した人々もいれば、真実は把握できないと表明した人々もおり、またほかに、さらに探究を続ける人々もいるのであろう。そしてこのうち、真実を発見したと考えるのは、[[アリストテレス学派]]、[[エピクロス学派]]、[[ストア派]]、その他の人々のように固有の意味でドグマティストと呼ばれている人たちであり、また、把握不可能であると表明したのは、[[クレイトマコス]]や[[カルネアデス]]の一派、およびその他の[[アカデメイア派]]であり、そして探究を続けるのは懐疑派である。
 
|セクストス『ピュロン主義哲学の概要』|金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.6.}}
 
ここで[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]は、ピュロン主義を[[独断論]]および[[不可知論]]と対立するものとして提示している。ただし、このような分類はやや割り切り過ぎなのではないかという見解もあり、特に初期の[[アカデメイア派]]を[[不可知論]]に属せしめてよいのかについては今日では疑問が呈されている<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.450.</ref>。[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]によれば、懐疑主義の目的は、「思いなしに関わる物事における無動揺[平静]と、不可避的な物事における節度ある情態である」<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.20.</ref>。
 
{{quotation|
 
というのも、懐疑主義者はもともと、諸々の表象を判定して、そのいずれが真であり、いずれが偽であるかを把握し、その結果として無動揺[平静]に到達することを目指して、[[哲学]]を始めたのであるが、けっきょく、力の拮抗した反目のなかに陥り、これに判定を下すことができないために、判定を保留したのである。ところが判断を保留してみると、偶然それに続いて彼を訪れたのは、思いなされる事柄における無動揺[平静]であった。
 
|セクストス『ピュロン主義哲学の概要』|金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.20.}}
 
もっとも、あらゆる事柄について判断を留保するのではなく、[[表象]](感覚へのそのままの現れ)として不可避的に受け取っている事態についてはこれを承認する<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.13.</ref>。つまり、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]の説明によれば、知識が何らかの不明瞭な物事に関係しているという意味での[[ドグマ]]を持たないという意味で、[[ドグマ]]を持たないのである<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.13.</ref>。同様に、ピュロン主義者は、「万物は虚偽である」とか「何事も真理ではない」とは言わずに、「私にとっては今のところ何事も把握不可能であるように思われる」とか「私は今のところこのことを肯定もしないし否定もしない」という慎重な言い回しを用いる<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.96.; p.98.</ref>。
 
 
 
このようなピュロン主義は、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]が伝えているところによれば、新旧異説を合わせて全部で17の議論の仕方を有している。伝統的な10の方法は、次の通りである<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.25-26.</ref>。
 
 
 
#動物相互の違いにもとづく方式:例えば犬と魚とバッタは異なるように物を見ているかもしれない<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.30.</ref>。
 
#人間同士の相違にもとづく方式:例えば人によって身体構造が異なるということ<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.42.</ref>。
 
#感覚器官の異なる構造にもとづく方式:例えば絵は視覚によれば奥行きがあるように見えるが触覚によれば平面であること<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.48.</ref>。
 
#情況にもとづく方式:例えば一般人と神がかりに合っている人は異なる表象を持つこと<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.52.</ref>。
 
#置かれ方と隔たり方と場所にもとづく方式:例えば、船は遠くから見ればゆっくり動いているように見えるが近くから見れば速く動いているように見えること<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.58.</ref>。
 
#混入にもとづく方式:(注:この箇所は現代の知識から見るとかなり分かりにくい内容になっている。例えば身体は水中では軽くなり空気中では重くなると言われているが、これはいわゆる重量が周辺の物質との混合によって変化していると考えられていたものと解される)<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.62.</ref>。
 
#事物の量と調合にもとづく方式:例えば酒を飲み過ぎると害になるが適度に飲めば健康になるということ<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.64.</ref>。
 
#相対性にもとづく方式:すなわち物事は主体に応じて異なるということ。
 
#頻度にもとづく方式:例えば彗星はたまにしか現れないので驚かれるが、彗星が頻繁に現れるようになれば驚かれなくなるであろうこと<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.69.</ref>。
 
#様々な説の対置による方式:習慣、法律、神話および学説がばらばらであること<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.70.</ref>。
 
 
 
=== アカデメイア派懐疑主義 ===
 
[[ティモン]]から[[アイネシデモス]]までの断絶期間中に懐疑主義に大きな貢献を果たしたのは、[[プラトン]]が創設した[[アカデメイア]]であった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.448.</ref>。ただし、[[プラトン]]自身が懐疑主義者だったわけではなく、その後の学頭[[アルケシラオス]](前316/315年ー前241/240年)が[[ストア派]]を反駁するために懐疑主義に方向転換したからである<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.449.</ref>。ピュロン主義の重要な用語である「判断留保」([[エポケー]])も[[アルケシラオス]]の考案ではないかと言われている<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.449.</ref>。初期の[[アカデメイア派]]懐疑主義の特徴は、[[対人論法]]という議論の形式にあった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.450.</ref>。これは、[[プラトン]]の師[[ソクラテス]]が行っていたように、相手方の主張を仮定的に前提とした上で、そこからどのような結論が導き出されるかを探究する手法である。[[アルケシラオス]]および同じく[[アカデメイア派]]の[[カルネアデス]](前214年頃ー紀元前129年)らが引き出した結論は、仮に[[ストア派]]の前提が承認されるならば、彼らは[[不可知論]]に陥ってしまうということであった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.450.</ref>。
 
 
 
[[アルケシラオス]]や[[カルネアデス]]の徹底した[[対人論法]]はその後廃れ、さらに後代の学頭[[ラリサのピロン]](前159/58年頃ー前84/83年頃)の下で、[[アカデメイア派]]は、[[不可知論]]を正式な見解とした上で、信頼性の高い表象から真理へと漸次接近するという立場を取るようになった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.450-451.</ref>。しかし、このような立場は結局のところ、現存しない理想的な知者を目標として漸次探究するという[[ストア派]]の見解と異なる点がなく、[[アイネシデモス]]はついに[[アカデメイア派]]と決別してピュロン主義を再興することになった<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.451.</ref>。
 
 
 
=== 古代の医学における懐疑主義 ===
 
古代の医術に関する立場の中には、経験主義と方法主義という考え方があり、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]によれば、どちらも懐疑主義と親和的であるが、前者は[[不可知論]]に陥らない限りにおいて親和的であり、後者の方がより親和的であると分析している<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.120-121.</ref>。もっとも、実際には、ピュロン主義者であり経験主義者であった医者は多くいたが、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]が言うようなピュロン主義と方法主義を両立させている人物は、史料上およそ知られていない<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.434.</ref>。ここで経験主義とは、医術の実践における経験と熟練を重視し、過去の医療記録を尊重する立場である<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.434.</ref>。これに対して、方法主義とは、医術全体の学習には六ヶ月もあれば十分であり、[[ヒポクラテス]]の「人生は短く、医術は長い」を転倒させて「医術は短く、人生は長い」と考えていた人々のことである<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.434.</ref>。[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]以前の著名な医者[[ガレノス]]も、『経験派の概要』などにおいてこれらの立場を詳しく論じている<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.435.</ref>。
 
 
 
== アカデメイア派懐疑主義とキリスト教の真理論 ==
 
{{節スタブ}}
 
既に古代ギリシャにおいて学問的によく練られていた懐疑主義は、実際にはかなり通俗化した形でしか広まらなかった<ref>バートランド・ラッセル著、市井三郎訳『西洋哲学史』みすず書房、昭和36年、p.234-235.</ref>。とりわけピュロン主義は、主要な著作がギリシャ語で書かれていたということがこれに拍車をかけ、1562年に[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]の『ピュロン主義哲学の概要』がラテン語訳されるまでは、学問的に忘れ去られてしまう。これに対して、[[アカデメイア派]]懐疑主義は、[[キケロ]]がその支持者として『アカデミア派』全4巻を著したことにより<ref>A. A. ロング著、金山弥平訳『ヘレニズム哲学ーストア派、エピクロス派、懐疑派ー』京都大学学術出版会、2003年、p.347.</ref>、批判の対象になりながらも[[キリスト教]]哲学に影響を及ぼすことになった。事実、[[アウグスティヌス]]は、一時期[[キケロ]]の『アカデメイア派』に親しみ、懐疑主義の立場を取っていたことが今日では定説となっている<ref>岡部由紀『アウグスティヌスの懐疑論批判』創文社、1999年、p.8-9.</ref>。[[アウグスティヌス]]は[[キリスト教]]に改宗した後で、『アカデミア派反駁』という書物を著したが、そこで彼は[[アカデメイア派]]懐疑主義を次のように評価している。
 
{{quotation|
 
あらん限りの力をふりしぼって真理を探究するというわたしたちの仕事は些細で不必要なことではなく、むしろきわめて必要な、しかも最も重要なことであるとわたしは思う。この点については、わたしとアリピウス〔引用者註:アカデミア派懐疑主義の擁護者〕とは意見が一致している。というのは、すべての哲学者たちもまた、各自の考える知者が真理を見出したと思っているし、また、[[アカデミア派]]の人々も、知者は真理の発見に大いに力を尽くすべきであり、また実際に知者は注意深くそうしていると認めているからだ。だが、真理は覆われ秘められているか、あるいは、錯綜していて明かとはなっていないのだから、実生活上は蓋然的なもの、または似真的なものとして現れてくることに従うのだと、彼らは言っている。
 
|アウグスティヌス『アカデミア派反駁』3巻1章|清水正照訳『アウグスティヌス著作集』第1巻、教文館、1979年、p.87-88.}}
 
 
 
初期[[アウグスティヌス]]の真理論は、[[矛盾律]]や[[排中律]]から出発する<ref>K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社、2000年、p.206.</ref>。
 
{{quotation|
 
もし世界に四つの元素しかないならば、五つの元素はない。もし一つの太陽しかないならば二つの太陽はない。同じ魂が同時に死に、かつ不死であることは不可能である。
 
|『アカデミア派論駁』第3巻13章29|K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社、2000年、p.206.}}
 
しかし、このような真理論は、現実がどうなっているのかについて知識をもたらすものではない<ref>K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社、2000年、p.206-207.</ref>。ここから[[アウグスティヌス]]は、より根源的な問いへ、すなわち自己認識の確実性へと思い至る<ref>K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社、2000年、p.207.</ref>。
 
{{quotation|
 
自分が生き、想起し、知解し、意志し、思惟し、知り、判断することを誰が疑おうか。たとい、疑っても生きており、疑うなら、なぜ疑うのかを記憶しており、疑うなら、自分が疑っていることを知解し、疑うなら、彼は確実であろうと欲しているのだ。疑うなら、思惟しており、疑うなら、自分が知らないということを知っている。疑うなら、彼は軽率に同意してはならないと判断しているのだ。
 
|アウグスティヌス『三位一体論』第10巻10章|K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社、2000年、p.208.}}
 
 
 
== 近世におけるピュロン主義の再発見 ==
 
{{節スタブ}}
 
1562年、[[セクストス・エンペイリコス|セクストス]]『ピュロン主義哲学の概要』のラテン語訳によってピュロン主義が学問的に再発見されることになった。この再発見は、[[モンテーニュ]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]、[[デイヴィッド・ヒューム|ヒューム]]、[[カント]]などの近世哲学に、「きみは何ごとを知りうるか?」という問いを提起し、[[認識論]]を中心とする近世的な懐疑論を形成した<ref>金山弥平=金山万里子訳『ピュロン主義哲学の概要』京都大学学術出版会、1998年、p.435.</ref>。
 
 
 
=== デカルトの懐疑論と「[[我思う、ゆえに我あり]]」 ===
 
再発見されたピュロン主義に対抗し、新たな確実性を求めた[[ルネ・デカルト|デカルト]]は、[[アウグスティヌス]]の自己の確実性を近世的な形で発展させた。彼は様々な感覚的事物を疑うことから初め、そして最後に、次のような確実性を発見したと述べる。
 
{{quotation|
 
「私は考える、ゆえに私はある」というこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。
 
|デカルト『方法序説』|野田又夫訳『世界の名著22 デカルト〔第3版〕』中央公論社、昭和42年、p.198.}}
 
 
 
=== ヒュームの懐疑論と心理主義 ===
 
[[デイヴィッド・ヒューム]]は、古代懐疑論と同じように感覚的事物の存在を承認し<ref>斉藤繁雄[他]編『イギリス思想研究業書6 デイヴィッド・ヒューム研究』お茶の水書房、1987年、p.22.</ref>、[[デカルト的懐疑]]に見られるところの、まず感覚を疑ってみるという立場とは全く逆のアプローチを行った。ヒュームが疑うのは、経験的事実ではなく、そこに設定される[[因果関係]]と[[帰納]]によるその正当化である。ヒュームによれば、「初めて存在するものには、すべて存在の原因がなければならぬということは、哲学で一般的な基本原則となっている」が、「よく調べてみれば、原因の必然性を証明するためにこれまで提出されてきた論証はどれも誤っており、こじつけである」<ref>大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.433.</ref>。
 
 
 
{{quotation|
 
このように、新しい生成にはすべて原因が必要だという考えは知識から引き出されるのではなく、またいかなる学問的推論からも引き出されないのだから、どうしても観察と経験とから生じるものでなければならない。そこで、当然、次に問題となるのは、いかにして経験はそのような原理を生じさせるのか、ということである。しかし、私はこの問題を次のような問題にはめ込むほうがもっと都合がよいと思うので、それをこれから研究の主題にしよう。それは、われわれはなぜ、しかじかの特定の原因は必然的にしかじかの特定の結果を伴わねばならないと断定するのか、また、なぜ、一方から他方へ推理を行うのか、という問題である。
 
|ヒューム『人性論』第1編3部3節|大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.433.}}
 
 
 
このような問題に対する最も簡潔で常識的な解答は、因果的推論が[[帰納]]によって正当化されるからである。ところが、ヒュームの考えによれば、観察と経験から因果関係が[[帰納]]によって正当化されるということはありえない。なぜなら、[[帰納]]の根拠となる[[自然の斉一性の原理]]は実際に観察も経験もされず、論証されることもないからである<ref>大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.437.</ref>。かくして、ヒュームの徹底された[[経験主義]]は、次のような結論に至る。
 
{{quotation|
 
このようにして、理性によっては原因と結果の究極的な結合を見出し得ないだけではなく、さらに経験がそれらの恒常的な相伴を知らせたあとでさえも、なぜわれわれはその経験をすでに観察された個々の実例以上に拡げるのかという点について、理性によっては納得が得られないのである。したがって、心が一つの対象の観念もしくは印象から、他の対象の観念もしくは信念へと移るときに、心は理性によって規定されるのではなく、想像においてこれらの対象の観念を連合し、結び合わせるようなある原理によって規定されるのである。
 
|ヒューム『人性論』第1編3部6節|大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.438.}}
 
 
 
では、対象の[[観念]]を連合し、それらを結び合わせるような原理とはいったいなんなのか。このような設問に対して、ヒュームは真理に関する[[心理主義]]、すなわち客観的な真理に代わる主観的な尤もらしさという規則を採用する。
 
{{quotation|
 
そういうわけで、こんなに念入りにその仮想の一派の議論を私が示してみせる意図は、私が立てた仮説の真理を、すなわち、原因と結果に関するすべての推論は習慣にのみ起因すること、また、信念はわれわれの本性の知的部分の働きというよりもむしろ情的部分の働きであること、これらの真理を読者に気づかせることにほかならない。
 
|ヒューム『人性論』第1編4部2節|大槻春彦訳『世界の名著27 ロック ヒューム〔第3版〕』中央公論社、昭和45年、p.460.}}
 
 
 
==科学的懐疑主義==
 
{{main|科学的懐疑主義}}
 
現代では、我々が普段意識せずに用いている常識的な思考法が洗練されたものである[[合理主義哲学 (大陸合理論)|合理主義]]や[[科学的手法]]、[[批判的思考]]を日常的に、より徹底して用いる姿勢を懐疑主義と呼ぶことがある。これは哲学的懐疑主義と区別して'''科学的懐疑主義'''と呼ばれることもある。現代の科学啓蒙家である[[カール・セーガン]]や[[マーティン・ガードナー]]は具体的な懐疑主義的姿勢として、常識であれ突飛な主張であれ、提唱された理論や主張をすぐには信じずに、根拠や理論の妥当性を考慮したり、主張者の背景を見極めようとする態度を推奨している。常識や自分の経験に反する出来事を疑う姿勢は、基本的に多くの人が持っているものである。しかし同時に、人間は自分の信念に沿う理論や現象を無批判に受け入れやすい傾向がある。セーガンやガードナーは、自分の信念が正しいとは限らないのであるから、自分の信念に合致しようとすまいと「信じたければまず疑う」ことを推奨している。
 
 
 
[[オカルト]]や[[心霊現象]]、[[占い]]等の科学的根拠に乏しい主張・[[疑似科学]]を批判することを懐疑主義と同一視することもあるが、オカルト批判や疑似科学批判と懐疑主義は密接に関連しているとはいえ、同一ではない。
 
<!--少し書き換えてみました
 
一般的・[[常識]]的とされている[[思想]]・[[考え方]]や、[[事実]]として語られる事柄に対して、自分自身の[[経験]]や自分自身がそうあるべきだと思う考えと照らし合わせてみて、おかしいと思った場合それを受け入れないでいること。特に[[非科学]]的な事柄([[未確認飛行物体|UFO]]・[[心霊現象]]・[[占い]]等の[[オカルティズム]]等)に対して強く疑いを持つ考え方を、一般的に「懐疑主義」という<sup><span title="要出典">''<nowiki>[</nowiki>[[Template:要出典|<span title="要出典">要出典</span>]]<nowiki>]</nowiki>''</span></sup>。この観点から言えば、一般の人は基本的には懐疑主義であるといえる。また、そうでない人はUFO研究家であったり、霊能者であったりする。そして、誰でも経験上怪しいもの、たやすく信じてはならないものを見分けようとする姿勢は持っている。-->
 
十分に懐疑主義が根付いているかといえばそうではない。自分の専門外の分野については、その道の専門家の助言や主張を受け入れるのは妥当な態度であるが、「科学的と銘打っているものはどれもきっと正しい」という[[常識]]に盲目的に従っている人も多くいると考えられる。[[疑似科学]]はそういった社会の[[固定観念]]に付け入っていると考えられる。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[基礎付け主義]]
 
* [[可謬主義]]
 
* [[批判的思考]]
 
* [[懐疑論者]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{SEP|skepticism|Skepticism}}
 
{{IEP|skepcont|Contemporary Skepticism|現代の懐疑主義}}
 
{{SkepDic|skepticism|Philosophical skepticism|哲学的懐疑主義}}
 
 
 
{{SEP|skepticism-ancient|Ancient Skepticism|古代の懐疑主義}}
 
{{IEP|skepanci|Ancient Greek Skepticism|古代ギリシャの懐疑主義}}
 
{{DPM|cartesianskepticism|Cartesian skepticism|デカルト的懐疑主義}}
 
 
 
{{古代ギリシア学派}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:かいきしゆき}}
 
{{DEFAULTSORT:かいきしゆき}}

2018/7/28/ (土) 17:59時点における版

(かいぎしゅぎ、米: skepticism、英: scepticism)

人間理性による確実な真理認識をおしなべて否定する哲学的立場。その変形されたものとしては,蓋然性を認める認識論的蓋然主義,経験的現象での真理認識は認めるがその背後なる超越者の認識を否定する不可知論,客観的真理を否定する相対主義などがあり,認識の局面をこえて実践面にそれを適用した宗教的,倫理的懐疑論がある。絶対的懐疑論は真理認識を否定するが,その主張自体は真理であるとしているのであるから,決定的な自己矛盾を含んでいるというのが,アウグスチヌスの批判である。古代の懐疑学派のほかに,近世のモンテーニュやバークリー,経験論を徹底したヒューム,物自体の認識を否定したカントらが懐疑論者と考えられる。