「パリスの審判」の版間の差分
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2018/8/18/ (土) 11:04時点における版
パリスの審判(パリスのしんぱん)は、ギリシア神話の一挿話で、トロイア戦争の発端とされる事件である。
内容
イリオス(トロイア)王プリアモスの息子パリス(アレクサンドロス)が、神々の女王ヘーラー・知恵の女神アテーナー・愛と美の女神アプロディーテー(ローマ神話においては、ユーノー・ミネルウァ・ウェヌス)という天界での三美神のうちで誰が最も美しいかを判定させられた。
テティスとペーレウスの結婚を祝う宴席には全ての神が招かれたが、不和の女神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒って宴席に乗り込み、「最も美しい女神にあたえる」として黄金の林檎を投げ入れた。この林檎をめぐってヘーラー・アテーナー・アプロディーテーが争った。ゼウスは仲裁するために「イリオス王プリアモスの息子で、現在はイデ山で羊飼いをしているパリス(アレクサンドロス)に判定させる」こととした(パリスの審判)。この時、女神たちは様々な賄賂による約束をしてパリスを買収しようとした。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」を与えることを申し出た。しかし、結局「最も美しい女を与える」としたアプロディーテーが勝ちを得た。「最も美しい女」とはすでにスパルタ王メネラーオスの妻となっていたヘレネーのことで、これがイリオス攻め(トロイア戦争)の原因となった。トロイア戦争の間にパリスを憎むヘーラーとアテーナーとはギリシア側に肩入れした。
なお古い伝承ではパリスがアプロディーテーの加護の下に置かれ、ヘレネーが連れ去られたとするが、後にゼウスの娘であるヘレネーは半神とみなされ、不敬を避けるためパリスが略奪したのは、ヘレネーに似せて作られた雲で出来た像であったとする説ができた。
絵画
「パリスの審判」では3人の女神が、美男といわれたパリスの前に並び美を競い合う。このことから画家の好む主題の1つとなり、様々な画家が『パリスの審判』というタイトルの絵を描いた。
- The Judgement of Paris by Lucas Cranach the Elder 1508.jpg
『パリスの審判』ルーカス・クラナッハ(1508年))
- Peter Paul Rubens 115.jpg
『パリスの審判』ペーテル・パウル・ルーベンス(1639年)
- Claude Lorrain (1600 - 1682), The Judgment of Paris, 1645-1646, oil on canvas. National Gallery of Art, Washingto.jpg
『パリスの審判』クロード・ロラン(1645-1646年)
- Philippe Parrot - Le Jugement De Paris.jpg
『パリスの審判』フィリップ・パロット(1875年)
- Pierre-Auguste Renoir 150.jpg
『パリスの審判』オーギュスト・ルノアール(1910年)
- The Judgement of Paris by Jean Baptiste Regnault (1820).jpg
『パリスの審判』ジャン=バプティスト・ルニョー(1820年)
- Enrique Simonet - El Juicio de Paris - 1904.jpg
『パリスの審判』エンリケ・シモネ(1904年)
- Walter Crane - The Judgement of Paris, 1909.jpg
『パリスの審判』ウォルター・クレイン(1909年)
- François-Xavier Fabre - The Judgment of Paris.jpg
『パリスの審判』フランソワ=シャビエル・ファーブル(1808年)
- Joachim Wtewael - The Judgment of Paris (1615).jpg
『パリスの審判』ヨアヒム・ウテワール(1615年)
アトリビュート
個々の人物が誰であるかはアトリビュートによって判断できる。女は左から近くにフクロウとメデューサの盾があるのでアテーナー、同様にエロース(クピードー、キューピット)からアプロディーテー、孔雀からヘーラーであることが分かる。男は翼の生えた帽子からヘルメース(メルクリウス)、金色の林檎からパリス、となる。