「妙見山 (能勢)」の版間の差分
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妙見山(みょうけんさん、みょうけんざん)は兵庫県、大阪府、京都府にまたがる山。北摂山系に属する。
概要
山体が信仰の対象であり、山頂近くには日蓮宗の関西地区における重要寺院である能勢妙見堂がある。能勢妙見堂は正式名称を無漏山真如寺境外仏堂(けいがいぶつどう)能勢妙見山と称し、能勢町地黄にある真如寺の飛び地境内であるが、本寺の真如寺よりもはるかに多くの参詣者を集めている。
山頂には4等三角点が設置されている。三角点の所在地は大阪府豊能郡豊能町で、記念碑の陰の目立たない場所に標識が設置されている[1]。
当山は西南日本の標高600m付近でのブナの自生の南限とされ、これまでは大阪府側のみに分布すると考えられてきたが、兵庫県川西市で8本発見された(この個体群は2013年に兵庫県のレッドリストに追加された[2])のに続き、山頂付近のブナ林(9.5ヘクタール)が一部兵庫県側に入っていることが確認された。[3][4] ちなみに、大阪府下のブナ自生地は妙見山と和泉葛城山のみであり、いずれも天然記念物に指定されている。
歴史
山頂
山頂には行基の建立を伝える為楽山大空寺があった。鎌倉時代に入ると源満仲を祖とする能勢氏が領主となりその地に妙見菩薩を祀ったとされる。その後、江戸時代初期に当時の領主能勢頼次の帰依を受けた日乾(後の日蓮宗総本山である身延山久遠寺二十一世)の手によって新たな妙見菩薩像が彫られ、大空寺趾に建立した仏堂に祀ったのが現在の能勢妙見堂である。 山頂の境内地に残るブナ林は一万年以上前から残る自然林である。そのことより、行基による大空寺建立以前から山頂付近には何らかの信仰があったことがうかがえる。
中腹の滝
北側中腹には能勢の本滝があり、江戸時代より滝に打たれる者が増えた。江戸時代中期に刊行された摂津名所図会には能勢の本滝ではなく妙見滝とあり、能勢妙見堂の参詣者が打たれた滝であった。当時、滝の横には常富堂があったとされる。1834年に編纂された能勢東郷志においても参詣者が行をする妙見山滝と記述されており、滝が境内地の一部として栄えていたことがうかがえる。
しかし、妙見山は旗本である能勢氏の知行地であったため、明治政府の廃藩置県や版籍奉還の影響を少なからず受け、その後天台宗系修験道の僧侶である野間日照が、妙見瀧の地を野間中村より取得し居を構えた。1935年には野間日照により滝の横にあった常富堂を改築する形で本瀧寺(現在の妙見宗総本山)を建立した。現在、能勢の本滝までの山道に多くの石仏が祀られているのを見ることができるが、これは能勢の本滝が行場であった時代の名残である。
他に東側中腹に清滝、南西側中腹に新滝(雄滝)と呼ばれる滝がある。清滝の側には日蓮宗松籟山妙瀧寺がある。また、新滝は白瀧神社の境内地にある。
交通・アクセス
- 能勢電鉄妙見線の妙見口駅が最寄りである。妙見口駅から能勢妙見堂本堂までのハイキングコースが設定されている。
- 初日の出、初詣のため正月三が日には特別ダイヤが組まれる。能勢妙見山 (日蓮宗)#正月三が日を参照されたい。
脚注
関連項目
外部リンク