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南小谷駅(みなみおたりえき)は、長野県北安曇郡小谷村大字千国乙にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)大糸線の駅である。駅番号は「9」[1]。
Contents
概要
JR東日本が管轄する電化区間と、JR西日本が管轄する非電化区間との境界駅であり[2]、直江津駅の第三セクター移管後は、在来線ではJR東日本とJR西日本との唯一の境界駅[3]である。JR旅客会社の境界駅では唯一、行政組織が村に位置する。
JR東日本長野支社が構内施設の保有や駅業務等を担当している。
歴史
- 1935年(昭和10年)11月29日 - 国有鉄道大糸南線の信濃森上駅 - 中土駅間開通に伴い一般駅として開業[4][5]。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)
- 1945年(昭和20年)7月15日 - 水害により信濃森上駅 - 中土駅間が被災。当駅以南が18日間、以北が20日間不通となる[6]。
- 1952年(昭和27年)7月1日 - 当駅 - 中土駅間において築堤が崩壊し、3ヶ月間不通となる[6]。
- 1957年(昭和32年)8月15日 - 中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、所属路線名を大糸線と改称する[4][10][11]。
- 1961年(昭和36年)12月23日 - 当駅 - 白馬大池駅間に千国崎仮乗降場が開業する[11]。
- 1962年(昭和37年)12月25日 - 当駅 - 白馬大池駅間の千国崎仮乗降場が、千国駅として開業する[12]。同時に当駅が千国駅の管理駅となる[13]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)3月29日 - 当駅に中土方逸走防止乗越転轍機を設置する[6]。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)12月25日 - 当駅に小谷村村営観光案内所を設置する[6]。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 当駅への特急「あずさ」の定期乗入れ開始[6]。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止[18]。
- 1985年(昭和60年)7月17日 - 当駅の自動券売機1台を撤去する[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道・西日本旅客鉄道の駅となる[19][20][注釈 1]。
- 1989年(平成元年)12月 - 駅舎を白色を基調として改装し、三角屋根の設置等を行う[22]。
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)1月16日 - 不通区間たる当駅 - 小滝駅間において1995年(平成7年)12月22日に国道148号が全線復旧したので代行バスの運行を開始する[25]。
- 1997年(平成9年)
- 2006年(平成18年)1月14日 - 当駅 - 糸魚川駅間に雪崩の危険ありとして同日より同年3月9日まで同区間の運休を行う[29]。
- 2010年(平成22年)8月11日 ‐ 信州デスティネーションキャンペーンに合せて駅舎の改装を行い[30]、同日その完成式を挙行する[31]。
- 2014年(平成26年)
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である[2]。糸魚川方面約600米の第一構内信号機以北は西日本旅客鉄道北陸広域鉄道部(旧:糸魚川地域鉄道部)の管轄下となっており[35]、東日本旅客鉄道と西日本旅客鉄道の社界を示す標柱が立てられている[13]。かつては同社界を越えて運行される列車の設定もあった[36][37]。
駅舎は2010年(平成22年)8月に改装されたもので[30]、外側は蔵造り建築をモチーフとしたなまこ壁となっており[38]、待合室には畳敷きのスペースがある[38]。また同スペースは冬季には炬燵が設置される[39][40][41]。構内には売店がないが、駅前に食品等を取扱う商店が存在する[38]。
JR東日本の駅としては直営駅であり、管理駅として白馬大池駅、千国駅を管理している。駅舎内にはJR東日本が営業するみどりの窓口が設置されている[2]。営業時間は5:30 - 21:00である[42]。冬季には除雪のため数名が増員される[35]。
のりば
番線 | 事業者 | 路線 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2・3 | ■大糸線 | 信濃大町・松本・新宿方面 | 特急は1番線から発車 | |
2・3 | ■大糸線 | 糸魚川方面 |
- JR Minami Otari sta 001.jpg
構内
- JR Minami Otari sta 002.jpg
駅前
- JRW Kiha 58 1000 Oito Line 19890322.jpg
当駅に停車中のキハ58(1989年(平成元年)3月22日)
利用状況
各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
乗車人員推移 | ||
---|---|---|
年度 | 1日平均人員 | 出典 |
1935 | 19 | [43] |
1936 | 43 | [44] |
1950 | 157 | [45] |
1954・1955 | 226 | [46] |
1960・1961 | 699 | [47] |
1965 | 457 | [48] |
1970 | 491 | [49] |
1975 | 495 | [50] |
1980 | 472 | [51] |
1982 | 488 | [52] |
1983 | 708 | [53] |
1984 | 497 | [54] |
1994 | 437 | [55] |
1995 | 387 | [56] |
1996 | 413 | [57] |
1997 | 371 | [58] |
1998 | 328 | [59] |
1999 | 249 | [60] |
2000 | 249 | [61] |
2001 | 215 | [62] |
2002 | 168 | [63] |
2003 | 159 | [64] |
2004 | 150 | [65] |
2005 | 144 | [66] |
2006 | 129 | [67] |
2007 | 134 | [68] |
2008 | 119 | [69] |
2009 | 120 | [70] |
2010 | 100 | [71] |
2011 | 108 | [72] |
2012 | 102 | [73] |
2013 | 105 | [74] |
2014 | 106 | [75] |
2015 | 121 | [76] |
2016 | 123 | [77] |
駅周辺
- 小谷村役場
- 南小谷郵便局
- 小谷村立小谷小学校
- 小谷郷土館
- 国道148号
- 姫川
- 白馬コルチナ国際スキー場
バス路線
小谷村営バスの路線が運行されている[78]。詳細は当該記事参照。
その他
- 大糸線内の三連休東日本・函館パス、週末パスのフリーエリアは当駅までである[79][80]。
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- ■大糸線(全列車が各駅に停車)
- 南小谷駅 - 中土駅
脚注
注釈
出典
- ↑ “大糸線に「駅ナンバー」を導入します (PDF)”. 東日本旅客鉄道 (2016年12月7日). . 2016閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 信濃毎日新聞社編集部編、『長野県鉄道全駅 増補改訂版』、2011年(平成23年)7月、信濃毎日新聞社
- ↑ 両社の境界駅としてはほかに北陸新幹線の上越妙高駅がある。
- ↑ 4.0 4.1 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「chikuma-matsumoto-shiojiri-history-3-2-modern-1965
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 昭和10年鉄道省告示第537号(『官報』、1935年(昭和10年)11月22日、内閣印刷局)
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 小谷村鉄道開業50年の歩み編纂委員会編、『小谷村鉄道50年の歩み』、1987年(昭和62年)1月25日、南小谷駅
- ↑ 7.0 7.1 昭和14年鉄道省告示第134号(『官報』、1939年(昭和14年)8月7日、内閣印刷局)
- ↑ 昭和15年鉄道省告示第20号(『官報』、1940年(昭和15年)1月19日、内閣印刷局)
- ↑ 昭和15年鉄道省告示第237号(『官報』、1940年(昭和15年)10月30日、内閣印刷局)
- ↑ 石野哲編、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅰ』、1998年(平成10年)9月、JTB
- ↑ 11.0 11.1 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB
- ↑ 昭和37年日本国有鉄道公示第628号(『官報』、1962年(昭和37年)12月22日、大蔵省印刷局
- ↑ 13.0 13.1 小谷村誌編纂委員会編、『小谷村誌 社会編』、1993年(平成5年)9月、小谷村誌刊行委員会
- ↑ 昭和42年日本国有鉄道公示第469号(『官報』、1967年(昭和42年)9月30日、大蔵省印刷局)
- ↑ 日本国有鉄道編、『日本国有鉄道百年史年表』、1972年(昭和47年)10月、日本国有鉄道
- ↑ 昭和46年日本国有鉄道公示第28号(『官報』、1971年(昭和46年)1月30日、大蔵省印刷局)
- ↑ 昭和46年日本国有鉄道公示第337号(『官報』、1971年(昭和46年)9月7日、大蔵省印刷局)
- ↑ 昭和59年日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)
- ↑ 『交通年鑑 昭和63年版』 交通協力会、1988年3月。
- ↑ 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 中央法規出版、1997年8月。ISBN 978-4805840863
- ↑ 近藤禎夫 安藤陽 『JRグループ 「民営化」に活路を求めた基幹鉄道』 大月書店、1990年9月。ISBN 978-4272102037
- ↑ 「白を基調に改装 ペンション風駅舎 JR南小谷駅」、『信濃毎日新聞』18面、1989年(平成元年)12月31日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「大雨のため、新潟で2万世帯が停電 長野でも2900人以上避難」、『朝日新聞』1995年(平成7年)7月12日、朝日新聞社
- ↑ 「3週間ぶり運転再開 県北信豪雨災害のJR大糸線白馬-南小谷間 「活気戻りうれしい」」、『信濃毎日新聞』夕刊6頁、1995年(平成7年)8月1日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「JR大糸線不通区間 南小谷 - 小滝 代行バス発車」、『信濃毎日新聞』朝刊26頁、1996年(平成8年)1月17日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「復旧開通するJR大糸線 代行バスの役目も終了」、『信濃毎日新聞』朝刊31頁、1997年(平成9年)11月29日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「JR大糸線、きょう2年ぶりに復旧」、『朝日新聞』1997年(平成9年)11月29日、朝日新聞社
- ↑ 「大糸線が待望の復旧―出発式 強風の影響、列車は運休」、『信濃毎日新聞』夕刊1頁、1997年(平成9年)11月29日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「JR大糸線、運行再開 54日ぶり」、『朝日新聞』2006年(平成18年)3月9日、朝日新聞社
- ↑ 30.0 30.1 「信州デスティネーションキャンペーン」におけるJRグループの取り組みについて - 2010年(平成22年)8月11日、JRグループ
- ↑ 「JR南小谷と信濃松川両駅、改修終わる 信州DCに合わせ」、『信濃毎日新聞』朝刊23頁、2010年(平成22年)8月11日、信濃毎日新聞社
- ↑ “41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)
- ↑ 長野県北部を震源とする地震について(第8報) (PDF) - 国土交通省 災害情報、2014年11月26日 9:00現在
- ↑ “JR大糸線、全線復旧 15日ぶり、高校生ら歓迎” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2014年12月8日)
- ↑ 35.0 35.1 「JR大糸線・南小谷駅 小谷村(しなの途中下車)」、『朝日新聞』2002年(平成14年)9月20日、朝日新聞社
- ↑ 「海水浴客向けの臨時列車、姿消す JRが夏の増発計画」、『朝日新聞』2000年(平成12年)5月27日、朝日新聞社
- ↑ 「街PRへヒスイ号再び 東京・新宿発 - 糸魚川行き企画列車」、『朝日新聞』2003年(平成15年)10月10日、朝日新聞社
- ↑ 38.0 38.1 38.2 郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』通巻36号、2013年(平成25年)4月、朝日新聞出版
- ↑ 「こたつで列車を待つ駅 JR大糸線南小谷駅、風物詩に」、『信濃毎日新聞』朝刊27頁、2009年(平成21年)12月16日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「待ち時間…こたつでのんびりと JR南小谷駅に今年も登場」、『信濃毎日新聞』朝刊27頁、2010年(平成22年)12月23日、信濃毎日新聞社
- ↑ 「南小谷駅にこたつ設置 待合室の3畳 - お年寄りら、温かく」、『信濃毎日新聞』朝刊22頁、2005年(平成17年)1月6日、信濃毎日新聞社
- ↑ JR東日本 南小谷駅 - 東日本旅客鉄道
- ↑ 長野県編、『昭和十年 長野県統計書第二編』、1937年(昭和12年)3月、長野県
- ↑ 長野県編、『昭和十一年 長野県統計書第二編』、1938年(昭和13年)3月、長野県
- ↑ 長野県総務部統計課編、『昭和25年 長野県統計書』、1950年(昭和25年)3月、長野県総務部統計課
- ↑ 長野県総務部統計課編、『昭和29・30年 長野県統計書』、1957年(昭和32年)3月、長野県総務部統計課
- ↑ 長野県総務部統計課編、『昭和35・36年 長野県統計書』、1963年(昭和38年)3月、長野県総務部統計課
- ↑ 長野県総務部統計課編、『昭和40年 長野県統計書』、1967年(昭和42年)3月、長野県総務部統計課
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- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『昭和50年 長野県統計書』、1977年(昭和52年)9月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課社会生活統計班編、『昭和55年 長野県統計書』、1982年(昭和57年)9月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課社会生活統計班編、『昭和57年 長野県統計書』、1984年(昭和59年)11月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『昭和58年 長野県統計書』、1985年(昭和60年)11月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『昭和59年 長野県統計書』、1986年(昭和61年)12月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『平成6年 長野県統計書』、1996年(平成8年)10月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『平成7年 長野県統計書』、1997年(平成9年)10月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県総務部情報統計課編、『平成8年 長野県統計書』、1998年(平成10年)10月、長野県総務部情報統計課
- ↑ 長野県企画局情報政策課、『平成9年 長野県統計書』、1999年(平成11年)11月、長野県企画局情報政策課
- ↑ 長野県企画局情報政策課編、『平成10年 長野県統計書』、2000年(平成12年)10月、長野県企画局情報政策課
- ↑ 長野県企画局情報政策課編、『平成11年 長野県統計書』、2001年(平成13年)10月、長野県企画局情報政策課
- ↑ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ↑ 村営バスのご案内 - 小谷村
- ↑ 「三連休東日本・函館パス」の発売について - 2017年(平成29年)6月8日、東日本旅客鉄道
- ↑ 週末パス - 東日本旅客鉄道