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ウイグル(ئۇيغۇرچە / Uyghurche: ئۇيغۇر、Uyghur、中国語: 维吾尔族、拼音: )
中央アジアに住むチュルク系(チュルク語系諸族)の民族。漢字では回鶻,廻紇,畏兀児,維吾爾などと記される。史上に初めて姿を現すのは 6世紀末で,外モンゴルのセレンゲ川(セレンガ川)流域で遊牧生活を送り,突厥に服属していた。744年突厥を打倒して,部族長クトルク・ボイラがウイグル帝国の初代カガン(可汗)となる。755年の安史の乱では唐朝を援助して反乱の鎮圧に介入した。シルクロードを支配し,ソグド商人の往来によってマニ教を信奉した。839年キルギス人の侵入で帝国は崩壊し,ウイグル人は四散したが,甘粛,天山方面に移ったものはそれぞれ王国を建て,ことに天山のウイグル王国は長く繁栄した。10世紀にはサーマン朝のもとでイスラム化した。12世紀にはモンゴル帝国に服属して自治を保ったが,のちチャガタイ・ハン国に併合された。17世紀の初め,預言者ムハンマドの子孫と称するホージャ家 (カシュガル・ホージャ家) がカシュガルに移住してきて教権を握り,白山党,黒山党に分かれて対立抗争した。18世紀に清の支配下に入り,19世紀にはカシュガルのヤクブ・ベクの指導下に大反乱を起こしたが鎮圧され,1884年,ウイグル人統治のために新疆省が置かれた。1944年ウイグル人はカザフ人らとともに東トルキスタン共和国を建てたが,1950年中国に吸収され,1955年シンチヤン(新疆)ウイグル(維吾爾)自治区を形成した。人口は約 1516万 (1990) 。