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芦田 均(あしだ ひとし、1887年(明治20年)11月15日 - 1959年(昭和34年)6月20日)
政治家,法学博士,外交史家。内閣総理大臣(首相。在任 1948.3.~10.)。1912年東京帝国大学卒業後,外務省に入り,外交官補,大使館書記官,大使館参事官を歴任。1932年退官して立憲政友会から衆議院議員総選挙に立候補して当選。1933~40年ジャパン・タイムズ社長。第2次世界大戦後,日本自由党の結成に参加したが脱党。1947年民主党結成に参加し総裁となり,日本社会党と国民協同党との連立内閣,片山哲内閣では副総理および外務大臣を務めた。1948年には同じ 3党連立で芦田内閣を組織し,修正資本主義,中道政治を標榜した。占領下(対日占領)における労働運動の高まりに対し,政令201号を発してこれを抑えた。しかし同 1948年10月,昭和電工事件に連座し内閣総辞職。のち党総裁の地位も退いた。