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てんきゅう、celestial sphere
'''天球'''(てんきゅう、celestial sphere)とは、[[惑星]]や[[恒星]]がその上に張り付き運動すると考えられた、[[地球]]を中心として取り巻く球体のこと。また、[[位置天文学]]において地球から見える天体の方向を表すために無限遠の距離にある仮想の[[球面]]上の点も天球と呼ぶ。
 
  
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観測者を中心とした,半径の無限に大きい仮想的球面。天体の視位置をその上に投影し,見かけの位置を求める。地球の地軸の延長線が天球と交わる点を,それぞれ[[天の北極]],[[天の南極]]と呼び,地球の自転に伴って天体は1日1回このまわりを回る。地軸に垂直な平面と天球とが交わってできる大円を[[天の赤道]]と呼ぶ。観測者を通る鉛直線と天球との交点を[[天頂]],反対側を[[天底]],鉛直線に垂直で観測者を通る平面と天球とが交わってできる大円を[[地平線]]と呼ぶ。天体の視位置は,天球上の適当な起点を定めてはかられる。[[地平座標]][[赤道座標]][[黄道座標]][[銀河座標]]などが用いられる。
== 歴史的概念としての天球 ==
 
[[ファイル:Ptolemaicsystem-small.png|thumb|180px|right|[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の体系に基づく天球。地球の回りに透明な物質でできた惑星と太陽の天球があり、恒星天の外側は神と神の選民の住まい<!--Coelum Empireum Habitaculum Dei et Omnium Electorum, The dwelling place of God and all the elect-->とされた。天球は長い間実体をもつものとして扱われた。([[ペトルス・アピアヌス]]、''Cosmographia,'' 1539年)]]
 
[[ファイル:ThomasDiggesmap.JPG|thumb|180px|right|[[トーマス・ディッグス|トマス・ディッグズ]]が16世紀にコペルニクスの新しい体系を説明するために用いた宇宙の図。ディッグズは恒星天を取り除いて無限の宇宙を想定したが、惑星は太陽を巡る入れ子状の天球に配置されている。]]
 
前4世紀の[[アリストテレス]][[天動説]]を受け継いで、2世紀の[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]は著書『[[アルマゲスト]]』において惑星や恒星がその上に存在するとする天球を導入した。当初、惑星の動きを説明するための純粋に数学的なモデルであったこの天球の概念は、後にプトレマイオス自身によってこの宇宙の成り立ちを表す実体的概念として扱われるようになった。この宇宙像では地球はこうした幾重もの水晶のような天球に取り囲まれているとされる。プトレマイオスの体系は惑星の複雑な実際の運動を説明するために[[周転円]][[エカント]]点のような工夫が必要とされ、この素朴な見方には危うさがつきまとってはいた。しかし基本的にはこうした実体としての天球をもつ宇宙像はその後のアラビアやヨーロッパへほぼそのまま受け継がれ17世紀まで俎上に載せられることはなかった。
 
  
16世紀の[[ニコラウス・コペルニクス|コペルニクス]]の[[地動説]]においても宇宙は惑星が運動する入れ子になった球体と恒星の天球(恒星天)とに取り囲まれていた。むしろコペルニクスの体系はプトレマイオスの体系の内の天球からの逸脱を少しでも減らし、太陽系に調和を取り戻そうとした試みであったと捉えられる。一方で、地球が公転するとしたにも関わらず恒星の[[年周視差]]は観測にかからなかったため、コペルニクスの体系では恒星天が惑星の天球よりもはるかに大きなものと考える必要が生じた。コペルニクスの地動説の普及に努めた[[トーマス・ディッグス|トマス・ディッグズ]]は恒星天を取り除き恒星がちらばる無限の宇宙を導入し、[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレオ]]は恒星天があまりに巨大だとして自らの天球図に描き込まなかった。
 
 
惑星の天球の概念を捨てねばならなくなったのは、1609年の『新天文学』において[[ヨハネス・ケプラー]]が[[火星]]、そして他の惑星の軌道が[[楕円]]であることを示したときである。ケプラーは一方では恒星天の存在は維持し宇宙は有限であると考えていたが、とりわけ[[ティコ・ブラーエ]]の行った[[彗星]]の観測によって惑星の天球の考えは捨てねばならないことに気づいていた。このとき惑星の動きが完全な図形としての球を基準とすることはありえなくなり、天球を実体として保持し続けることはできなくなった。
 
 
天球のないケプラーの太陽系像では、惑星は何の支えもない空間を彼の発見した精密な法則に従って動かねばならないという、当時の考えでは驚くべき事態をもたらした。機械論的な近接作用のみで運動が説明されねばならないと考えた[[ルネ・デカルト|デカルト]]は、後の[[エーテル (物理)|エーテル]]の概念につながる渦まく流体を想定した。空間を越え、単純な数学に従って作用する[[重力]]を定式化したのは、神学的な信念からこのデカルトの機械論に反発した[[アイザック・ニュートン]]によってであった。
 
 
== 位置天文学における天球 ==
 
[[暦]]の計算をする場合は、しばしば地球を中心として天体が動くという[[天動説]]的な説明をした方が都合が良い。よって、地球から無限大の距離にある[[球]]への射影をおこない、天体はその上を動くものとした。この仮想的な球も天球とよばれる。[[黄道]]・[[天の赤道]]・[[白道]]などは天球上の[[大円]]である。天球上の位置は[[赤道座標系]]([[赤緯]]・[[赤経]])または[[黄道座標系]]([[黄緯]]・[[黄経]])によって示される。
 
== 関連項目 ==
 
* [[宇宙空間]]
 
{{Commonscat|Celestial spheres}}
 
{{Wiktionary|天球}}
 
 
{{デフォルトソート:てんきゆう}}
 
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[[Category:天文学]]
 
[[Category:天文学]]
 
[[Category:天球座標系]]
 
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[[Category:天文学に関する記事]]
 
[[Category:天文学に関する記事]]

2018/7/30/ (月) 19:37時点における版

てんきゅう、celestial sphere

観測者を中心とした,半径の無限に大きい仮想的球面。天体の視位置をその上に投影し,見かけの位置を求める。地球の地軸の延長線が天球と交わる点を,それぞれ天の北極天の南極と呼び,地球の自転に伴って天体は1日1回このまわりを回る。地軸に垂直な平面と天球とが交わってできる大円を天の赤道と呼ぶ。観測者を通る鉛直線と天球との交点を天頂,反対側を天底,鉛直線に垂直で観測者を通る平面と天球とが交わってできる大円を地平線と呼ぶ。天体の視位置は,天球上の適当な起点を定めてはかられる。地平座標赤道座標黄道座標銀河座標などが用いられる。