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'''科学革命'''(かがくかくめい)と[[和訳]]される概念には、次の2つがある。
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'''科学革命'''(かがくかくめい)
# 「科学革命」({{lang-en-short|'''Scientific Revolution'''}})とは、[[歴史学]]者[[ハーバート・バターフィールド]]が[[1949年]]に考案した時代区分の名称で、[[ニコラウス・コペルニクス]]、[[ヨハネス・ケプラー]]、[[ガリレオ・ガリレイ]]、[[アイザック・ニュートン]]らによる[[科学]]の大きな変革と、[[科学哲学]]上の[[変化]]を称する。しばしば「'''17世紀科学革命'''」と呼称される。
 
# 「科学革命」({{lang-en-short|'''scientific revolution'''}})とは、[[トマス・クーン]]が1.の「科学革命」を拡張した概念で、いわゆる「[[パラダイム転換]]」一般を指す。
 
  
しかし、この2者の「科学革命」という言葉の[[意味]]や[[綴り]]には大きな違いがある。
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 狭義と広義の二義がある。狭義には、第二次世界大戦後、イギリス、ケンブリッジ大学近代史教授のバターフィールドがその著『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science(1949)で唱導したもので、コペルニクスのころから始まって17世紀のガリレイ、ニュートンのころに完結する近代科学の成立の事象をさす。
  
== バターフィールドの科学革命 ==
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 西洋の歴史叙述のうえでは、伝統的に「近代」はルネサンスや宗教改革によって画されていたが、戦後、非西洋諸国の独立と興隆とともに、以上のような西洋中心的な事象で世界史の時代区分を行うことの不適切さに気づいたバターフィールドは、非西洋圏でも受け入れられる近代科学の普遍性に注目し、科学革命をもって近代を画することを提唱した。「科学革命」は「産業革命」を模して造語されたものであるが、ともに学問的分析用具として使えるほど厳密な内容と定義をもつものではない。厳密であろうとすれば、近代科学の成立のさらに要素分析が必要であり、力学的自然観の定着とか、実験科学の成立とかが取り出せる。狭義の「科学革命」は、そうしたことよりも、歴史上ヨーロッパに起こった1回限りの現象として、固有名詞として扱われ、しばしば大文字でScientific Revolutionと書かれる。日本語では「17世紀科学革命」とすれば他と混同されることはない。「科学革命」を広義の意味で一般名詞として用い、学問的分析用具としての普遍性をもたせたのはアメリカのクーンである。彼の『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutions(1962)における「科学革命」は、小文字で書かれた一般名詞であるうえに、複数である。つまり科学革命は時と場所を問わず何度も生起する現象である。
[[イギリス]]の科学史家H.バターフィールドが提唱した「科学革命」({{lang-en|'''Scientific Revolution'''}})は、[[歴史]]上ただ1回、主に[[17世紀]]に生じた科学の大規模な変革を指す[[固有名詞]]である<ref name=nakayama2>[[#中山2|中山「科学革命」(2004)]]</ref>。バターフィールドは、[[1949年]]の著作『近代科学の誕生』''The Origins of Modern Science'' において、[[近代]]を画する時代区分点として、従来の[[ルネサンス]]や[[宗教改革]]よりも、[[17世紀]]の[[近代科学]]の成立という事象をあて、これを[[産業革命]]にならって「科学革命」と呼称した<ref name=nakayama1>[[#中山1|中山「バターフィールド」(2004)]]</ref>。
 
  
バターフィールドには、従来の[[歴史観]]があまりにも[[ヨーロッパ]]中心的であり、歴史の実情からは遠いという反省があった<ref name=murakami134>[[#村上|村上(1994)p.134]]</ref>。彼は、[[17世紀]]に近代科学が出現するまでのヨーロッパ文明は、[[世界史]]の中で必ずしも指導的な立場にはなかったという論点に立ったのである<ref name=murakami136>[[#村上|村上(1994)p.136]]</ref>。
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 そのメカニズムの分析に際して、クーンは、特定の科学者集団が奉じるパラダイム(一定の期間その集団の科学者に問い方と答え方のモデルを与える古典的業績)に従って通常科学の研究が行われるが、変則性が現れてパラダイムに危機が生じ、ついに科学革命が起こって、他のパラダイムにとってかわられる、とする。従来、科学はただ累積的に一定方向に進歩すると考えられていたが、クーンのそれは、科学革命によって研究の路線の方向が変えられるものであることを示し、一般思想界にも強い影響を与えている。
 
 
この時期に起こった明確な科学の変革はまず、従来の宇宙体系の変革にあった。それ以前の[[天動説]]に立った[[宇宙観]]が捨てられ、[[地動説]]への転換がなされたのである。これにもとづけば、科学革命の中心的な担い手は[[ポーランド]]のコペルニクス、[[ドイツ]]のケプラー、[[イタリア]]のガリレイ、[[イングランド]]のニュートンの4名であった<ref name=nakayama1/>。地動説は、単に[[惑星]]位置の[[計算]]方法の変更にとどまらず、当時の宇宙観そのものの転換に大きな影響を与えた。また、ガリレイによる[[自由落下]]運動の[[法則]]などの[[力学]]的な発見は、従来の目的論的自然観(物体がそれぞれの目的に向かって運動するという[[アリストテレス]]的な自然観)に変更をせまるものであり、[[万有引力]]の発見などをはじめとする[[ニュートン力学]]の発表は、近代的な機械論的自然観の提唱につながり、また、これまで地上のものと天上のものとを二分してきた[[キリスト教]]的世界観をくつがえした一方、多くの[[技術革新]]を導き、[[18世紀]]における[[蒸気機関]]の開発、さらには[[産業革命]]へとつながった。
 
 
 
誰にでも再現可能な方法、すなわち[[実験]]や[[観察]]によって自説の正しさを[[証明]]するという方法が採用されはじめたのもまた、この時代からであった。それ以前は、経験知を軽視して純論理的な[[哲学]]的真理が追究され、科学的な証明方法は充分に確立されていなかった。ガリレイは、その著作のなかで実際に[[球]]を転がし、[[振り子]]を往復させた結果を記述し、読者に再現可能な実験の方法と結果を提示することによって自説の正しさを証明した。また、ケプラーは[[ルドルフ星表]]を作り、天動説よりも地動説の方が、より精密に惑星の運行を計算できることを明示した。これらの手法は哲学にも大きな影響を与え、[[科学哲学]]の成立を促した。
 
 
 
バターフィールドは、『近代科学の誕生』のなかで「この革命(科学革命)は近代世界と近代精神の真の生みの親として大きく浮かび上がってきた」と述べ、科学革命の意義と歴史的重要性を説いたのである<ref name=nakayama1/>。
 
 
 
=== バターフィールドへの批判 ===
 
バターフィールドの説が発表されると、それをめぐる議論が起こった。近代科学の成立を新しい時代の画期とすることに賛同しない立場からの意見は、「科学革命」の意義は認めるが、「科学革命」の歴史全体への[[評価]]は受け入れられないというものが多かった。そのため、後述のトマス・クーンによる「科学革命」と区別する際、[[日本語]]では「バターフィールドの科学革命」という表記ではなく、「'''17世紀科学革命'''」と表記されることが多い<ref name=nakayama2/>。
 
 
 
=== 第二次科学革命 ===
 
バターフィールドの所論を拡張し、[[18世紀]]の[[産業革命]]期における、[[蒸気機関]]などの[[科学技術]]の発展とそれが産業や社会に果たした役割を評価して、特に「'''第二次科学革命'''」または「'''18世紀科学革命'''」と呼ぶことがある。
 
<!--===第三次科学革命===
 
1950年以降の急激な科学技術の普及・進歩を第三次科学技術革命と呼ばれ、主な特徴としては[[家電製品]]や[[自家用車]]の普及と性能進歩、[[コンピューターゲーム]]の急激な普及と高解像度化・高機能化、[[デジタル化]]・[[コンピューター化]]による[[情報爆発]]と情報の氾濫、[[延命治療]]の普及・発達、[[グローバル化]]の進展、[[生態系]]の汚染・破壊の拡大と[[地下資源]]需要増加による地球の有限性の大幅な上昇、急激な[[インターネット]]の普及とネット技術の進歩、[[コンテンツ]]産業の確立と肥大化等が挙げられており、いずれも[[西洋文明]]が主導してきたとされる。
 
:定義されている文献、参考となる書籍が全く確認できないためコメントアウト-->
 
 
 
== クーンの科学革命 ==
 
[[アメリカ]]の科学史家[[トマス・クーン]]の「科学革命」({{lang-en|'''scientific revolution(s)'''}} )は、英語綴りが[[小文字]]から始まり、しばしば[[複数形]]が使用されることからも察せられるように、[[普通名詞]]であり、バターフィールドの「科学革命」よりも広い意味で使用される。クーンは、[[1962年]]、『[[科学革命の構造]]』''The Structure of Scientific Revolutions'' を著し、科学は「通常科学」と「科学革命」より構成されると主張、特定の[[科学者]]集団が奉じる[[パラダイム]](一定の期間その集団の科学者に、問いと答えの範型を与える古典的な業績)にしたがって「通常科学」の研究がおこなわれるが、その過程で変則性が顕現するにいたって当該パラダイムに危機が生じ、ついに「科学革命」がなされて、別のパラダイムが生み出され、それと交代する事実があることを指摘した<ref name=nakayama2/><ref name=kikai>[[#鬼界|鬼界(2004)]]</ref>。すなわち、科学者は一定の[[発想]]、[[前提]]、[[枠組み]]、[[ルール]]などにしたがって[[研究]]を進め、できるだけその枠内で問題解決を図る傾向にあるものの、このような試みが行きづまると、枠組み自体が疑われることになり、混乱期を経て思考の枠組みの大幅な変更が起こることになる。これをクーンは「科学革命」と称し、しばしば「[[パラダイムシフト]]」(パラダイム転換、パラダイムチェンジ)と言い換えられる。クーンによれば、こうした「科学革命」は歴史上何度も起き、また、現在も起こりつつある<ref name=nakayama2/>。クーンによれば、天動説が地動説に転換したできごとだけではなく、ニュートンの力学体系が行きづまって[[アルベルト・アインシュタイン]]の[[相対性理論]]が生みだされたという事象や経緯もまた「科学革命」のひとつに数えられる。また、新旧パラダイムは根本的な前提やものの見方において大きく異なるために、共通の[[指標]]や約束事をもたず、たとえば同じ用語を用いても意味と内容が異なっていたり、相互に共約が不可能である。これを、クーンは「[[共約不可能性]]」(''incommensurability'' )と述べた<ref name=kikai/>。
 
 
 
従来、科学はただ累積的に一方向にむけて進歩すると考えられていたが、クーンの言説は、「科学革命」によって研究の路線の方向性そのものが変化しうるものであることを提示しており、一般思想界にも強い影響を与えた<ref name=nakayama2/>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書|author=[[村上陽一郎]]|chapter=|editor=|year=1994|month=6|title=文明のなかの科学|publisher=[[青土社]]|series=|isbn=4791753194|ref=村上}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[中山茂]]|chapter=バターフィールド|editor=[[小学館]](編)|year=2004|month=2|title=日本大百科全書|publisher=小学館|series=スーパーニッポニカProfessional Win版|isbn=4099067459|ref=中山1}}
 
* {{Cite book|和書|author=中山茂|chapter=科学革命|editor=小学館(編)|year=2004|month=2|title=日本大百科全書|publisher=小学館|series=スーパーニッポニカProfessional Win版|isbn=4099067459|ref=中山2}}
 
* {{Cite book|和書|author=[[鬼界彰夫]]|chapter=共訳不可能性|editor=小学館(編)|year=2004|month=2|title=日本大百科全書|publisher=小学館|series=スーパーニッポニカProfessional Win版|isbn=4099067459|ref=鬼界}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
<!-- {{Commonscat|}} -->
 
*[[科学史]]
 
*[[パラダイムシフト]]
 
*[[パラダイム]]
 
*[[:Category:16世紀の学者]] - [[:Category:17世紀の学者]] - [[:Category:18世紀の学者]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.asahi.com/edu/university/toretate/TKY201207180193.html?ref=chiezou 「日本はパラダイム転換期」 科学史研究者・中山茂さん](朝日新聞デジタル)
 
  
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[[Category:科学史]]
 
[[Category:科学史]]

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科学革命(かがくかくめい)

 狭義と広義の二義がある。狭義には、第二次世界大戦後、イギリス、ケンブリッジ大学近代史教授のバターフィールドがその著『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science(1949)で唱導したもので、コペルニクスのころから始まって17世紀のガリレイ、ニュートンのころに完結する近代科学の成立の事象をさす。

 西洋の歴史叙述のうえでは、伝統的に「近代」はルネサンスや宗教改革によって画されていたが、戦後、非西洋諸国の独立と興隆とともに、以上のような西洋中心的な事象で世界史の時代区分を行うことの不適切さに気づいたバターフィールドは、非西洋圏でも受け入れられる近代科学の普遍性に注目し、科学革命をもって近代を画することを提唱した。「科学革命」は「産業革命」を模して造語されたものであるが、ともに学問的分析用具として使えるほど厳密な内容と定義をもつものではない。厳密であろうとすれば、近代科学の成立のさらに要素分析が必要であり、力学的自然観の定着とか、実験科学の成立とかが取り出せる。狭義の「科学革命」は、そうしたことよりも、歴史上ヨーロッパに起こった1回限りの現象として、固有名詞として扱われ、しばしば大文字でScientific Revolutionと書かれる。日本語では「17世紀科学革命」とすれば他と混同されることはない。「科学革命」を広義の意味で一般名詞として用い、学問的分析用具としての普遍性をもたせたのはアメリカのクーンである。彼の『科学革命の構造』The Structure of Scientific Revolutions(1962)における「科学革命」は、小文字で書かれた一般名詞であるうえに、複数である。つまり科学革命は時と場所を問わず何度も生起する現象である。

 そのメカニズムの分析に際して、クーンは、特定の科学者集団が奉じるパラダイム(一定の期間その集団の科学者に問い方と答え方のモデルを与える古典的業績)に従って通常科学の研究が行われるが、変則性が現れてパラダイムに危機が生じ、ついに科学革命が起こって、他のパラダイムにとってかわられる、とする。従来、科学はただ累積的に一定方向に進歩すると考えられていたが、クーンのそれは、科学革命によって研究の路線の方向が変えられるものであることを示し、一般思想界にも強い影響を与えている。



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