「北関東」の版間の差分

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|above        = '''北関東'''のデータ
 
|headerstyle  = background-color: skyblue
 
|header1      = 北関東3県の合計
 
|label2      = [[国]]
 
|data2        = {{JPN}}
 
|label3      = [[面積]]
 
|data3        = '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/茨城県|茨城県}} + {{自治体面積/栃木県|栃木県}} + {{自治体面積/群馬県|群馬県}} }}}}'''[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]
 
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|data5        = '''{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/茨城県|茨城県}} + {{自治体人口/栃木県|栃木県}} + {{自治体人口/群馬県|群馬県}}) / ({{自治体面積/茨城県|茨城県}} + {{自治体面積/栃木県|栃木県}} + {{自治体面積/群馬県|群馬県}}) round 1}}}}'''人/km<sup>2</sup><br />({{自治体人口/茨城県|date}})
 
|header6      = 位置
 
|data7        = [[ファイル:NorthKanto-region Small2.png|center|北関東の位置]]
 
|header8      = 北関東4県の合計
 
|label9      = 面積
 
|data9        = '''{{formatnum:{{#expr:{{自治体面積/茨城県|茨城県}} + {{自治体面積/栃木県|栃木県}} + {{自治体面積/群馬県|群馬県}} + {{自治体面積/埼玉県|埼玉県}} }}}}'''km<sup>2</sup>
 
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|label11      = [[人口密度]]
 
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|header12    = 位置
 
|data13      = [[ファイル:Kita-kanto- map.png|center|北関東の位置]]
 
}}
 
'''北関東'''(きたかんとう)は、[[関東地方]]の北部を指す名称である。同じく関東地方の南部を指す呼称として[[南関東]]がある。
 
  
== 概要 ==
+
'''北関東'''(きたかんとう)
関東地方の北部、[[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]の3県を指した地域の呼称である。[[埼玉県]]を加えた4県を指すこともあり、その場合、埼玉県の中でも北部・秩父地域を北関東とし、南部は含まないこともある(埼玉県が北関東に含まれない場合は、一般に南関東に含まれる)。
 
  
== 各種用語使用範囲 ==
+
関東地方の北部地域をいう語。多く、茨城・栃木・群馬の3県をさす。
「北関東」が含まれる主な用語は以下のとおり。
 
* [[北関東工業地域]]:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県に広がる工業地域
 
* [[北関東自動車道]]:茨城県、栃木県、群馬県を横断する自動車専用道路
 
* [[比例北関東ブロック|北関東選挙区]]:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県の衆議院比例代表選出議員選挙区
 
* [[北関東防衛局]]:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、新潟県、長野県の防衛管理業務を管轄する[[防衛省]]の組織
 
* [[北関東公営競馬]]:栃木県、群馬県にある競馬場(現在は全廃)<ref>茨城県にも競馬場が存在したが、1959年までに廃止された。埼玉県にある[[浦和競馬場]]は「[[南関東公営競馬]]」に含まれる。</ref>。
 
  
== 範囲の分類 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
=== 県別の分類 ===
 
;北関東三県(茨城県+栃木県+群馬県)
 
: <!--経済面では、[[北関東工業地域]]を構成する  ←「北関東工業地域」という場合埼玉県も含まれているようです。-->茨城県・栃木県・群馬県の3県。人口は、3県合計で約698.5万人。
 
;北関東四県(茨城県+栃木県+群馬県+埼玉県)
 
: 茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県の4県。人口は4県合計で約1,415万人。国政選挙の選挙区では、首都圏一都七県を東京ブロック([[東京都]])、南関東ブロック([[千葉県]]+[[神奈川県]]+[[山梨県]])、および、'''北関東ブロック'''(上記4県)としている。また、[[カトリック教会]]の[[カトリックさいたま教区|さいたま教区]]や日本聖公会の北関東教区の範囲はこの4県である。
 
<!--
 
;北関東五県(茨城県+栃木県+群馬県+長野県+新潟県)
 
: 新潟県から茨城県まで含む細長い地域。これに[[福島県]]を含むこともある{{要出典|date=2010年6月}}。人口は、5県合計で約1,156万人。 関東の領域から出ており、北関東5県という表現に関する出典が必要であると共に、北関東とそれ以外を含めた5県という概念での用法であるとすれば記載について考え直す必要があります -->
 
 
 
=== 地域圏的分類 ===
 
;北関東(東京大都市圏の北側にある地域圏)
 
: 経済的に一体な東京圏(→[[都市雇用圏]])は、埼玉県南東部や茨城県南西部にまで及ぶ。そのため、それらを北関東四県から除いた範囲が「東京大都市圏の北側にある地域」として「北関東」と表現される。
 
: 東京圏の南側には、神奈川県の[[小田原市|小田原]]周辺(小田原都市圏)、千葉県の[[房総半島|南房総]]などの[[東京を中心とする地域の定義一覧#都市雇用圏に含まれる市町村|東京大都市圏]]に含まれない地域があり、「東京大都市圏の北側にある地域」=「北関東」に相当する地域となっているが、これらを以って一括りに「南関東」ということはない。そのため、この場合の「北関東」の対義語は存在しない。
 
:* 群馬県 約200万人
 
:* 栃木県 約200万人
 
:* [[茨城県#地域|茨城県の南西部以外]] 約200万人
 
:* [[埼玉県#地域|埼玉県の各広域市町村圏]] 約90万人
 
:; 北関東四県の内、東京圏に含まれる地域 約700万人
 
:* 茨城県南西部(県南地域) 約100万人
 
:* 埼玉県の各大都市周辺広域行政圏 約620万人
 
<!-- ←「北」関東に対する地方は「南」関東であり、東京大都市圏は全く別の概念である。東京大都市圏は関東地方のある一部地域を特定する定義であり、北関東より下位にあたる概念である。なお、茨城県南部は歴史的にも文化風俗的にも北関東であり、南関東ではない。そういう意味ではむしろ下総(千葉県北部)までは北関東という見方はあり得るだろう。
 
←東京大都市圏は北関東の下位にあたる概念ではない。また、歴史的に下総は後に武蔵国に編入された部分を含め、南関東が主となっており、歴史的にはむしろ南関東という見方の方が適切と思われる。-->
 
 
 
=== 歴史的分類 ===
 
;[[鬼怒川|毛野川(鬼怒川)]]流域
 
: 有史以来[[江戸時代]]以前の北関東。
 
: [[律令制]]が敷かれる以前、毛野川流域には[[毛野国]]が成立し、その勢力は[[ヤマト王権]]や[[吉備国]]や[[筑紫国]]に伍するものだったと言われる。[[下野宇都宮氏#下毛野氏|下毛野古麻呂]]は、[[藤原不比等]]らとともに[[大宝律令]]の編纂にあたった。
 
: 律令制が敷かれた[[奈良時代]]以降、常陸国は[[東海道]]に属し、[[桓武平氏]]流[[大掾氏]]や[[平将門]]が支配した時代があったが、[[鎌倉時代]]以降は他の北関東諸地域と同様に[[藤原北家]]流[[小田氏]]や[[清和源氏]]流[[佐竹氏]]の治世となったことから同一地域とみなすのが一般的である。
 
: 歴史的に[[藤原北家]]流諸氏([[宇都宮氏]]、小田氏、[[小山氏]]、[[結城氏]]、[[佐野氏]]、[[川野辺氏]]、[[比企氏]]、[[那須氏]]等)や[[清和源氏]]流諸氏([[足利氏]]、[[新田氏]]、[[佐竹氏]]、[[武田氏]]、[[高氏]]等)が支配した地域が北関東であり、[[桓武平氏]]流諸氏([[鎌倉氏]]、[[三浦氏]]、[[千葉氏]]、[[北条氏]]、[[秩父氏]]、[[長尾氏]]等)が支配した地域は[[南関東]]である。
 
: 下毛野古麻呂が建立した[[薬師寺 (下野市)|下野薬師寺]]は、[[大和国]]の[[東大寺]]、[[筑後国]]([[筑紫国]]が[[筑前国]]と筑後国に分割)の[[観世音寺]]とともに[[戒壇院|三戒壇]]に指定され、当時[[下野国]]がこの地域の文化の中心地であったことを客観的に示している。なお、日光山を開山したと謂われる[[勝道上人]]はこの寺の修行僧であった人物である。
 
;[[利根川]]以北
 
{{see also|利根川東遷事業}}
 
: [[江戸時代]]後期~[[明治]]以降の北関東。旧来の[[藤原北家]]流諸氏や[[清和源氏]]流諸氏が姿を消し、[[新田氏]]流[[徳川家康]]に近しい親族や[[旗本]]、[[譜代大名]]が変わって入封し、北関東は事実上[[徳川幕府]]の自領となった。家康は'''利根川東遷事業'''を号令し、利根川・[[渡良瀬川]]の河口を[[東京湾|江戸湾]]から現在の[[銚子市]]に変更し、干拓/開拓された[[入間川 (埼玉県)|入間川]]~[[鬼怒川|毛野川]]の流域は旧来の[[関東八屋形]]諸氏の一部領土であった地域も含め南関東に組み込まれ、河口干拓地には[[江戸]]が設けられ南関東の中心地となった。
 
: 家康は東北を見据える地として[[日光市|日光]]を自らの墓所と指定し、病没後は[[徳川秀忠]]や[[徳川家光]]によって[[日光東照宮]]が造営・改築された。
 
 
 
== 歴史 ==
 
現在の[[関東地方]]の中央部には[[利根川]]が東西に流れているが、この地形になったのは[[徳川家康]]の号令で始まった[[利根川東遷事業]]が完了した[[明治時代]]以降である。それまでの関東地方は中央部(現在の[[荒川 (関東)|荒川]]~利根川の間の帯状地)に以下の水系が集まり、大雨の時期には氾濫を繰り返し下流域~河口付近は広大な湿地帯を形成していた。<!-- 従って江戸時代以前、関東地方はこの低湿地帯を挟んで北部と南部に分かれていたといえる。 根拠はなし-->
 
* 東京湾に注ぐ水系
 
** [[隅田川]]・利根川水系 : 入間川(現在の荒川)、荒川(現在の[[元荒川]])、利根川(現在の[[古利根川]])
 
** 渡良瀬川・太日川水系 : 渡良瀬川(現在の[[江戸川]])
 
* [[香取海]](現在の[[常陸利根川]])に注ぐ水系
 
** 毛野川・[[小貝川]]水系 : 毛野川(現在の[[鬼怒川]])、小貝川
 
[[古墳時代]]、関東地方には毛野川(けぬのかわ、現在の鬼怒川)流域一体に[[毛野国]](けぬのくに)が成立しており、[[毛野氏]]は[[ヤマト王権]]の中でも大きな発言力を有していたと言われる。
 
 
 
毛野国は北関東の中央部に位置し、開祖は第10代天皇・[[崇神天皇]]の第一皇子・[[豊城入彦命]]で、毛野氏はその後裔と伝えられる。[[飛鳥時代]]後期、毛野氏後裔の[[下毛野古麻呂]]は[[藤原不比等]]らとともに[[ヤマト王権]]の律令制定([[大宝律令]]:[[大宝 (日本)|大宝]]元年)の編纂に関わったと言われる。[[金太郎|足柄山の金太郎]]のモデルは'''[[下毛野公時]]'''で、[[足利銀行]]のマスコットキャラクターは金太郎であった。
 
 
 
[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]以前、関東地方は[[藤原氏]]流あるいは[[河内源氏]]流で毛野氏の流れをくむ諸氏の治世であり、都の文化を基盤とした関東独特の文化が培われてきた。
 
 
 
[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には主に[[守護大名]]や[[関東八屋形]]が[[戦国大名]]化していった。また、戦国時代中期までは上位権力として[[古河公方]]([[古河府]])が存在した。
 
 
 
'''北関東地方の主要な戦国大名'''
 
* [[下野宇都宮氏|宇都宮氏]]([[下野国]])
 
* [[佐竹氏]]([[常陸国]])
 
* [[結城氏|下総結城氏]]([[下総国]])
 
* [[山内上杉氏]]([[上野国]])
 
* [[小山氏]](下野国)
 
* [[小田氏]](常陸国)
 
* [[那須氏]](下野国)
 
** [[上那須氏]](下野国)
 
** [[下那須氏]](下野国)
 
* [[大掾氏]](常陸国)
 
* [[皆川氏]](下野国)
 
* [[壬生氏]](下野国)
 
* [[佐野氏]](下野国)
 
* [[由良氏]](上野国)
 
* [[岩松氏]](上野国)
 
 
 
戦国時代初期には[[永正の乱]]での混乱に乗じて下野国の戦国大名[[宇都宮成綱]]が北関東の覇権を制し頭角を現す<ref>恩田浩孝『座禅院昌尊の生涯 日光山の終焉と上三川 今泉家』(随想社、2015年)P182 </ref>が、子の[[宇都宮忠綱|忠綱]]の代に[[大永の内訌 (下野宇都宮氏)|内訌]]で勢力を急速に喪失するなど北関東の情勢は安定していなかった。宇都宮氏だけでなく佐竹氏、山内上杉氏、那須氏、小山氏、岩松氏といった各勢力内でも[[永正]]~[[天文 (日本)|天文]]年間に内紛が発生している<ref>その一方で結城氏の[[結城政朝]]や小田氏の[[小田政治]]は勢力を拡大し、最盛期を築いた。両勢力はかつて宇都宮成綱の代に宇都宮氏と婚姻関係を結んでいた関係であり、永正の乱の古河公方家の内紛では宇都宮成綱に従い、[[足利高基]]の古河公方擁立に協力している。また、これらの他に上那須氏の[[那須資親]]も宇都宮氏と婚姻関係を結び、足利高基を支持していたが、[[1514年]]に内紛が発生し滅亡している。一方で佐竹氏や小山氏、下那須氏などは二代目古河公方[[足利政氏]]に味方しており、高基支持の勢力に敗れた結果、不利な情勢になりそのまま本格的な戦国乱世を迎えることになる。</ref>。
 
 
 
そうした内紛の対応に追われている間に南関東の[[後北条氏]]が虎視眈々と勢力を拡大し、北関東へと侵攻を仕掛けてきた。結城氏、小田氏、那須氏、壬生氏といった勢力は後北条氏に従い、佐竹氏や宇都宮氏、小山氏といった勢力は[[越後国]]の[[上杉謙信]]、南関東の[[里見義堯]]と連携し、[[北条氏康]]・[[北条氏政|氏政]]父子に抵抗した。一方、[[佐野昌綱]]、[[皆川広照]]、[[由良成繁]]といった一部の小大名は上杉謙信を盟主とした連合軍と後北条氏の間を離反と降伏を駆使して命脈を保った。後北条氏の侵攻により山内上杉氏、小山氏といった勢力は没落し小田氏、壬生氏、皆川氏、佐野氏、由良氏といった勢力は最終的に後北条氏に従属する形となった。また、上野国には[[甲斐国]]の[[武田信玄]]も侵攻を仕掛けており、主君無き後も山内上杉家臣の[[長野業正]]が侵攻を食い止めていた。そんな状況下で常陸国の[[佐竹義重 (十八代当主)|佐竹義重]]が頭角を現し、反後北条氏連合の盟主を務めつつ奥州方面に勢力拡大するなど佐竹氏は北関東の中心勢力へと成長することに成功。反後北条氏連合は[[豊臣秀吉]]による[[小田原征伐]]まで後北条氏による侵攻に激しく抵抗していった。
 
 
 
また、戦国時代の北関東では[[大田原資清]]、[[大関高増]]、[[壬生綱房]]、[[芳賀高定]]、[[大田原綱清]]、[[福原資孝]]、[[芳賀高経]]、由良成繁等、多くの謀略家が活躍しており、暗殺や下克上が頻繁に起こっていた。
 
 
 
小田原征伐後、豊臣秀吉による[[宇都宮仕置]]により、こうした[[関東地方]]の文化を築いた諸名家([[足利氏]]、[[上杉氏]]、[[武田氏]]、小山氏、小田氏、大掾氏、壬生氏、[[江戸氏]]等)は支配的地位から退くことを余儀なくされた。一方で佐竹氏、宇都宮氏、結城氏、那須氏、皆川氏、由良氏、[[大関氏]]、[[大田原氏]]、[[岡本氏]]等は所領を安堵され[[豊臣政権|豊臣大名]]へとなっている。しかし、豊臣大名として残れた勢力も決して安泰ではなく、宇都宮氏のように改易されたり、佐竹氏、結城氏のように豊臣大名から[[近世大名]]へと移行する間に[[江戸幕府]]の命で北関東の地から去ることとなった勢力もいた。
 
 
 
主を失った関東の地で、これら諸氏の受け皿となったのが[[清和源氏]][[源義家|義家流]]・[[新田氏]]の名を継ぎ[[江戸幕府]]の祖となった[[徳川家康]]であった。[[徳川氏]]は着々と関東各地に[[親藩]]や[[旗本]]・[[譜代大名]]など腹心を配置し、あるいは直轄地([[天領]])化し、戦国期の「覇道」的支配体制(武力・苛烈な法をもって治める方法)に代えて「鳴くまで待とう…」に象徴される「王道」的支配体制(仁徳をもって治める方法)を敷いた。こうして[[江戸時代]]の間、関東はさしたる大変化や大改革も求められず、(大雑把な意味での)古来の[[関東平野]]に根付いた文化が引き続き培われ、更にそれが領主の定期交代によって関東一円で一様化された。
 
 
 
しかし、欧米列強による[[帝国主義]](グローバル化)の波は[[日本国]]内に覇道を再起させ、江戸幕府の王道的統治機構を麻痺・崩壊に至らしめた。こうして関東地方は再び大きな主を失うこととなった。[[倒幕運動]]・[[戊辰戦争]]といった武力闘争の末に誕生した[[明治政府]]は国家の近代化・列強化、そして[[中央集権]]化を「民主的な法」をもって急速に推進し、明治政府の本拠地となった[[江戸]]は、中央政府の「近代国家・日本」の象徴・首都[[東京市|東京]]たるべく急激に改造され、それに見合う「東京文化」が新たに形成された。しかし、その表舞台となった関東地方に根付く旧来の民衆、都市構造、文化といった要素は、「東京文化」に相反するものであり、「東京」との距離が生じる結果となった。
 
 
 
こうした歴史を見ると、関東地方は、「日本の首都・東京を抱える地方」という実状は元より、「古くから関東平野に培われた独自文化が放置され、急激な近代化・列強化した文化に直接曝された地方」という意味合いを背後に含んでいるのである{{要出典|date=2010年6月}}。
 
 
 
更に'''南関東'''が、将に「近代化・列強化」の表舞台となって、急激な変化が一次的に起こった地域であるのに対して'''北関東'''は、「[[利根川]]水系と関東北部山系の[[地理]]的・[[気候]]的影響」によって「近代化・列強化」が二次的に起こった地域であり、これが関東地方内における'''北関東'''の大きな特徴とも言える。
 
 
 
== 地域 ==
 
=== 都県間流動 ===
 
:※[http://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/jyunryuudou/h12/h12_od_2.xls 交通機関別都道府県間流動表(年間)](全交通機関)
 
:※目的地への流動が100万人/年以上のみ記載(2000年)
 
:※関東地方以外は「{{Color|#f0f0f0|■}}」
 
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;出発地:茨城県
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|-
 
!順!! 目的地 !! 万人/年
 
|-
 
| style="text-align:center;" |1
 
|千葉県
 
| style="text-align:right;" |1988.3
 
|-
 
| style="text-align:center;" |2
 
|栃木県
 
| style="text-align:right;" |1524.6
 
|-
 
| style="text-align:center;" |3
 
|東京都
 
| style="text-align:right;" |1153.2
 
|-
 
| style="text-align:center;" |4
 
|埼玉県
 
| style="text-align:right;" |806.2
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
| style="text-align:center;" |5
 
|福島県
 
| style="text-align:right;" |528.7
 
|-
 
| style="text-align:center;" |6
 
|神奈川県
 
| style="text-align:right;" |225.1
 
|-
 
| style="text-align:center;" |7
 
|群馬県
 
| style="text-align:right;" |109.9
 
|}
 
{{col-break}}
 
;出発地:栃木県
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|-
 
!順!! 目的地 !! 万人/年
 
|-
 
| style="text-align:center;" |1
 
|茨城県
 
| style="text-align:right;" |1523.8
 
|-
 
| style="text-align:center;" |2
 
|群馬県
 
| style="text-align:right;" |1158.0
 
|-
 
| style="text-align:center;" |3
 
|埼玉県
 
| style="text-align:right;" |827.5
 
|-
 
| style="text-align:center;" |4
 
|東京都
 
| style="text-align:right;" |651.2
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
| style="text-align:center;" |5
 
|福島県
 
| style="text-align:right;" |380.8
 
|-
 
| style="text-align:center;" |6
 
|千葉県
 
| style="text-align:right;" |223.0
 
|-
 
| style="text-align:center;" |7
 
|神奈川県
 
| style="text-align:right;" |217.3
 
|}
 
{{col-break}}
 
;出発地:群馬県
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
|-
 
!順!! 目的地 !! 万人/年
 
|-
 
| style="text-align:center;" |1
 
|埼玉県
 
| style="text-align:right;" |1797.9
 
|-
 
| style="text-align:center;" |2
 
|栃木県
 
| style="text-align:right;" |1157.4
 
|-
 
| style="text-align:center;" |3
 
|東京都
 
| style="text-align:right;" |514.6
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
| style="text-align:center;" |4
 
|長野県
 
| style="text-align:right;" |252.2
 
|-
 
| style="text-align:center;" |5
 
|千葉県
 
| style="text-align:right;" |200.0
 
|-style="background-color: #f0f0f0;"
 
| style="text-align:center;" |6
 
|新潟県
 
| style="text-align:right;" |122.1
 
|-
 
| style="text-align:center;" |7
 
|神奈川県
 
| style="text-align:right;" |118.3
 
|-
 
| style="text-align:center;" |8
 
|茨城県
 
| style="text-align:right;" |109.7
 
|}
 
{{col-end}}
 
このように、北関東は[[関東平野]]の北部地域であり、自治体の境無く自治体間流動が非常に活発となっている。
 
 
 
=== 地域別特徴 ===
 
代表的な地域とその特徴を以下に列挙する。
 
 
 
==== 茨城県 ====
 
===== 北部 =====
 
県央(けんおう)地域と県北(読みは「けんほく」<ref>{{Cite web|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/10022567656|title=茨城県で発生した高病原性鳥インフルエンザ(弱毒タイプ)についての一考察|publisher=茨城県県北家畜保健衛生所|accessdate=2010-08-02}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.ia-ibaraki.or.jp/kokusai/paper/guide/lifeguide/spanish/11-04.html|title=LISTA DE OTRAS ORGANIZACIONES RELACIONADOS|publisher=茨城県国際交流協会|accessdate=2010-08-02}}</ref>及び「けんぽく」<ref>{{Cite web|url=http://www.jobcafe-ibaraki.jp/index.html|title=ジョブカフェいばらき|publisher=ジョブカフェいばらき|accessdate=2010-08-02}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.md.tsukuba.ac.jp/clinical-med/radiology/institution/|title=関連施設紹介|publisher=筑波大学附属病院|accessdate=2010-08-02}}</ref>が見られる)地域。茨城県北部は[[常陸国]]であった。古代の[[常陸国]]周辺は東国最果ての地であったと言われる。[[奈良時代]]に[[律令制]]が敷かれると[[東海道]]に属した。[[平安時代]]に入り、[[桓武天皇]]に多くの[[皇子]]があったことから[[大和朝廷]]は常陸国を[[親王任国]]と指定し、以降常陸は[[桓武平氏]]一族の任地の一つとなり、水戸周辺は常陸平氏・[[大掾氏]]の領地となった。大掾氏は水戸に館を築くが、これがその後の[[水戸城]]に継承された。
 
 
 
一方、[[前九年の役]]、[[後三年の役]]で[[安倍氏 (奥州)|奥州安倍氏]]の鎮圧で功を挙げた[[清和源氏]]流新羅三郎[[源義光]]の長男・[[源義業]]は常陸国[[久慈郡]][[常陸太田市|佐竹郷]](現在の[[常陸太田市]])を領して[[佐竹氏]]を名乗った。また義光の三男・[[源義清 (武田冠者)|源義清]]は[[那珂郡]][[ひたちなか市|武田郷]]を領して[[武田氏]]を名乗った。武田氏は大掾氏と競合して朝廷から牽制され[[甲斐国]]に移ったが、佐竹氏は大掾氏の娘を嫁として土着し[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[戦国大名]]となって常陸国・下総国を支配したが、[[関ヶ原の戦い]]で西軍に就いたため[[久保田藩]]に転封された。[[江戸時代]]、この地には[[水戸徳川家]]が配され、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]からは[[水戸街道]]が整備された。
 
 
 
現在は、主な鉄道にJR[[常磐線]]、道路は[[常磐自動車道]]、[[国道6号]]が通り、[[福島県]][[浜通り]]への経路となっているほか、[[北関東自動車道]]、[[国道50号]]が[[栃木県]]・[[群馬県]]への経路となっている。中心地は茨城県の県庁所在地である[[水戸市]](人口約26万人、人口密度は約1,200人/平米)。県央地域と県北地域を合わせた茨城県北部(水戸市、[[ひたちなか市]]、[[笠間市]]、[[那珂市]]、[[常陸太田市]]、[[常陸大宮市]]、[[日立市]]、[[高萩市]]、[[北茨城市]]、[[東茨城郡]]、[[那珂郡]]、[[久慈郡]])の人口は約114万人。
 
 
 
日立市、[[東海村]]、ひたちなか市、[[大洗町]]には北関東随一の[[重要港湾]]である[[茨城港]](日立港区、常陸那珂港区、大洗港区)があり、[[北海道]]/[[北米]]/[[ヨーロッパ|欧州]]/[[極東]]/[[中国]]/[[大韓民国|韓国]]定期貨物[[航路]]の拠点・[[北海道]]定期旅客航路の拠点・北関東の物流拠点となっている。また日立市、ひたちなか市は[[日立製作所]]およびその関連企業の工場が多数立地する[[企業城下町]]となっている。
 
 
 
地域の東部には北関東最大の海水浴場である[[大洗町|大洗]]や[[ひたちなか市|阿字ヶ浦]]、夏に海浜コンサートが開かれる[[国営ひたち海浜公園]]が立地し、また北部[[日立市|日立]]周辺は河原子・川尻・伊師浜等の海水浴場を抱える。[[久慈川]]上流は[[八溝山地]]の関東北部山系、さらに[[阿武隈高地]]に連なり、[[陸奥国]]との天然の境界となっていたが、現在はJR[[水郡線]]や[[国道349号]]が整備され、日本有数の[[滝|名瀑]]である[[袋田の滝]]があり観光名所となっている。
 
 
 
===== 鹿行地域 =====
 
南東部に位置する地域(読みは「ろっこう」)。[[大洗鹿島線]]や[[鹿島線]]、[[国道51号]]の沿線地域である。
 
[[東関東自動車道]]により[[千葉県|千葉]]、[[東京都|東京]]と結ばれている。[[水郷筑波国定公園]]の一角で、東に[[鹿島灘]]、西に[[霞ヶ浦]]、南に[[利根川]]、北に[[霞ヶ浦|北浦]]が面する。古くから関東第一の神社として知られる[[鹿島神宮]](古代には最果ての地であり、[[常陸国|常陸]]は海路で奥州へ向かう船出の地だったと言われる)や、[[菖蒲]]([[前川あやめ園]])で有名な[[水郷]]地帯の[[潮来市|潮来]]といった観光地を抱える。[[高度経済成長]]期に重要港湾の[[鹿島港]]を中心とした[[鹿島臨海工業地帯]]が建設され、[[住友金属工業|住友金属]]系の企業などが多い鉄鋼や石油を中心とした工場が置かれており、重化学コンビナートのとしても発展と工業が盛んであり、最近の[[神栖市|神栖]]は商業としても発展している。また、鹿嶋、神栖は[[風力発電]]が行われている。農業も盛んであり、鉾田の[[メロン]]出荷量は日本一である。
 
[[スポーツ]]界では鹿行地域の全域が[[鹿島アントラーズ]]の[[ホームタウン]](鹿嶋、潮来、神栖、[[鉾田市|鉾田]]、[[行方市|行方]])に指定されており、最近は鹿嶋の高校から[[全国高等学校サッカー選手権大会]]に出場するほか、神栖にはサッカーグラウンドといったスポーツ施設が整備され、全国から合宿で訪れるなどサッカーが定着している。他の地域へは、[[千葉県]]北東部([[香取市|香取]]、[[成田市|成田]]、[[銚子市|銚子]]など)に行く者が多い。
 
 
 
===== 県南地域 =====
 
かつての[[鬼怒川|毛野川]]・[[小貝川]]河口付近であり、南部は[[香取海]]や湿地帯であった。江戸時代以降に開墾され、新田となった土地も多い。現在ではベッドタウンとして開発され、東京都区部や南関東が生活圏に含まれる地域となっている。
 
 
 
常陸国部分と下総国部分に分かれる。常陸国部分に関しては、古代、毛野川流域には[[毛野国]]が立国され[[下野宇都宮氏|下毛野君]]の領土であったと言われる。[[平安時代]]、この一帯は[[桓武平氏]]流[[大掾氏]]の領地であったが、その後政争に敗れて失脚した。[[鎌倉時代]]から[[室町時代]]にかけては[[下野国|下野]][[国司]]・[[宇都宮氏]]傍系の[[八田知家|八田氏]]流・[[小田氏]]が[[常陸国]][[守護]]となって統治し、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]には常陸国守護で[[戦国大名]]となった[[佐竹氏]]の勢力下にあった。[[江戸時代]]になると[[清和源氏]]・[[細川氏]]が[[谷田部藩]]に入封し[[明治維新]]まで続いた。[[廃藩置県]]の当初は[[新治県]]に編入された。また、下総国として続いてきた南部は[[印旛県]]、[[千葉県]]を経て、茨城県に編入された。現在は[[筑波山]]や[[霞ヶ浦]]などの観光地を抱える。
 
 
 
県南地域は大きく4つに分けられ、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]沿線地区、取手・龍ケ崎・牛久地区、土浦・石岡地区、稲敷地区に分かれる。[[筑波研究学園都市]]や[[常総ニュータウン]]、[[竜ヶ崎ニュータウン]]をはじめとする新興都市が多く、県南地域の中心として人口21万を数えるつくばは、研究学園都市としての成熟が進む中、鉄道開業と前後して商業集積が進み、ベッドタウンの側面を見せつつも、ニュータウン都市とは一線を画した独自の中心性を持っている。
 
 
 
JR[[常磐線]]・[[首都圏新都市鉄道]][[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]沿線は、[[東京都]][[東京特別区|区部]]へ通勤する新興住民が増え、この新興住民は「[[茨城都民]]」とも呼ばれる(→[[ニュータウン]])。このため、場合によっては[[南関東]]扱いされる事もある。常磐線及び国道6号が[[利根川]]を渡ってすぐの所に位置する[[取手市|取手]]は、JR[[電車特定区間]]の北端であり朝夕は地下鉄[[東京メトロ千代田線|千代田線]]が乗り入れ、長年に渡って茨城の南の玄関口とされてきたが、2005年のつくばエクスプレス開業以降、[[都心回帰]]が叫ばれる今なお着実に人口増加を続ける[[守谷市|守谷]]をはじめとした同線沿線の地域に、その座を奪われつつある。
 
 
 
===== 県西地域 =====
 
古河や筑西を初めとする地域(読みは「けんせい」)。主に、旧猿島郡(一部西葛飾郡)、旧真壁郡、旧結城郡に相当する。古河は宇都宮線の沿線なので、埼玉県や栃木県の一部だと誤認される事も多い。結城も新4号国道が通っている為、埼玉県や栃木県・群馬県(両毛)との繋がりが深いのに対して、県内他地域との繋がりは浅い。国県の出先機関が集中する筑西も栃木県との境にあり、県庁所在地の水戸方面との繋がりは浅い(自動車・鉄道とも栃木県の県庁所在地宇都宮市の方が、水戸よりもはるかに近い)。以前は土浦ナンバーだったが、全域でご当地ナンバーにより新たに作られたつくばナンバーへと変わった。
 
 
 
地域格差を解消するための施策として、県では、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、県北山間・県北臨海・県央の各地域を「北部広域連携圏」に分けた展開の方向性を示している。「南部圏」は、南関東との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを、「北部圏」は、北関東における物流拠点や先端産業拠点と、広域交通基盤の整備を目指している。 また、県庁内に、県北地域の振興を専門に行なう県北振興室が新設され、県北地域振興を担う(財)グリーンふるさと振興機構とともに、「いばらき さとやま生活」 と名付けた主に団塊世代をターゲットにした移住・二地域居住など、県北地域でのゆったりと豊かなライフスタイルを発信、推進している。今後は、東京都心に近く人口増加傾向の南西部の発展が続くと予想されている。逆に北部は過疎地域が増加する傾向にあるため、衰退の可能性も孕んでいる。
 
 
 
==== 栃木県 ====
 
===== 宇都宮都市圏とその周辺 =====
 
[[栃木県]]最大の都市であり、北関東随一の商工業都市である[[宇都宮市|宇都宮]](人口約50万人、人口密度1470人/平米)を中心とする地域。宇都宮市・日光市・[[塩谷郡]]・[[河内郡]]・[[芳賀郡]]・[[真岡市]]・[[鹿沼市]]・[[上都賀郡]]の人口は約100万人。[[東北新幹線]]、[[宇都宮線]]、[[東武日光線]]、[[東北自動車道]]、[[北関東自動車道]]をはじめとする数多くの交通網が整備されている。南東平野部には[[北関東工業地域]]の工業団地([[宇都宮清原工業団地|清原]]・芳賀・平出・真岡)が造成され工業化が進んでいる。北西の山地部と各都市部には歴史的財産([[日光東照宮]]、[[輪王寺]]、[[日光二荒山神社]]、[[宇都宮二荒山神社]]、[[益子町#歴史|益子西明寺]]など)および[[日光国立公園]]などの天然資源([[奥日光]]・[[鬼怒川温泉]]など)を基盤とする観光施設、文化施設(栃木県立美術館・[[宇都宮美術館]]など)やレジャー施設([[東武ワールドスクウェア]]・[[日光江戸村]]・[[ツインリンクもてぎ]]など)を配している。大規模商業施設は宇都宮等の都市域に集中している([[東武宇都宮百貨店]]・[[パルコ|パルコ宇都宮店]]・[[三井不動産商業マネジメント|ララスクエア宇都宮]]・[[福田屋百貨店|FKDショッピングプラザ]]・[[ベルモール]]・[[インターパーク宇都宮南|FKDインターパーク店]]など)。北関東自動車道は、北関東各県間の物流を強化するため、[[新4号国道]]沿線の北関東工業地域と、[[茨城県]]と[[群馬県]]の三地域を結ぶ形で建設されている。
 
 
 
古代・[[毛野国]](けぬ-)の時代から[[鬼怒川]](毛野川(けぬのかわ))の上中流域に位置し、肥沃な土地を基盤として安定した地域が形成されてきたが、一方でこの豊穣な土地の領有権を巡る抗争の戦場となり、また[[天正]]や[[幕末]]の動乱期には政権の180度転換を強いられて来た。[[宇都宮二荒山神社]]・[[日光二荒山神社]]・[[輪王寺]]等を歴史的基盤としている。[[日光の社寺|日光の二社一寺]](輪王寺・東照宮・日光二荒山神社)は[[世界遺産]]に登録されている。
 
 
 
古くは[[東山道]]の北側に位置する要害の地であり、遥か京から蝦夷を見据える重要拠点であった。また宇都宮は[[鎌倉街道|中道(なかつみち)]]の最北端に位置し、[[陸奥国|奥州]]に抜ける際には必ず通らねばならない要衝であり、[[下野国]][[一之宮]]・宇都宮二荒山神社が置かれ、平安~鎌倉期には[[藤原秀郷]]卿や[[藤原北家]][[藤原道兼|道兼流]]・[[宇都宮氏]]等、蝦夷対策に中央政府から派遣された武人ないし[[祭祀]]が支配権を有した。特に宇都宮二荒山神社の神職者であり、[[下野国|下野]][[国司]]であった宇都宮氏は、[[京都]]の中央政府との繋がりを維持しつつ、[[鎌倉幕府]]の有力な[[御家人]]として、また室町期~戦国期には時の[[室町幕府]]([[足利氏]])を援護し[[関東八屋形]]として、毛野川流域一帯を統治した。また鬼怒川(当時は毛野川)以東は宇都宮氏の郎党・[[紀氏|紀]][[清原氏|清両党]]が統治し、[[益子氏]]の居館があった[[益子町|益子]][[西明寺 (益子町)|西明寺]]には宇都宮氏の墓所も現存する。宇都宮氏は終始中央政府に従属し、足利将軍家をはじめ[[鎌倉府]]、[[関東管領]][[上杉氏]]に従い、[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]後期には[[南関東]]に台頭した[[後北条氏]]を[[常陸国]]の[[佐竹氏]]とともに牽制し、[[小田原征伐]]の後は[[豊臣秀吉]]から[[羽柴氏|羽柴姓]]を授かった。この後、秀吉は時の当主・[[宇都宮国綱]]とともに[[宇都宮城]]に入城し、この折参陣した東北の大名の処遇を決定した(宇都宮仕置)。この地は引き続き宇都宮氏が統治したが、[[文禄・慶長の役|朝鮮の役]]の後の[[1597年]]、宇都宮氏は突然改易となり、[[蒲生氏]]や奥平氏が替って領主となった。
 
 
 
その後、[[清和源氏]]を称する[[徳川家康]]が[[征夷大将軍]]に就き[[江戸]]の地に[[徳川幕府]]を開くと、[[江戸]]のお膝元として繁栄を享受した。[[江戸時代]]、家康は自分の廟所としてこの地を選び、その子[[徳川秀忠|秀忠]]は家康を祀って[[東照宮]]を建立、さらに孫・[[徳川家光|家光]]は東照宮を今日の姿に大造替した。これに伴って、[[江戸]]・[[京都|京]]・[[仙台]]方面から家康の廟所・[[日光東照宮]]に参詣するための交通路([[日光街道]]・日光[[例幣使街道]]、日光北街道など)が整備され、[[徳川家]]・諸[[大名]]・京の[[勅使]]など当時の要人達が行き交う要衝となると同時に、地域政治の中心地でもあった宇都宮は[[江戸]]から[[那須]]を経て[[陸奥国]]・[[白河市|白河]]へ向かう[[奥州街道]]の分岐点となり、江戸幕府にとって軍事的最重要拠点の一つとなった。宇都宮城は時の領主・[[本多正純]]が近代的平城に大改築し、また宇都宮の町は幾重もの堀と周囲に配置された寺社群に囲まれた要塞都市に生まれ変わった。[[幕末]]には新政府軍と旧幕府軍との抗争の場となり、[[戊辰戦争]]では新政府軍は宇都宮・六道の辻から宇都宮城・宇都宮二荒山神社([[崇神天皇]]第一皇子である[[豊城入彦命]]を祭祀する)に向け大砲による攻撃を行い、旧幕府軍を掃討した([[宇都宮城の戦い|宇都宮戦争]])。この戦闘で二荒山神社社殿は焼失したが、[[明治]]年間に政府によって再建された。[[廃藩置県]]では宇都宮県、日光県、茂木県、真岡県等を経て[[栃木県]]に編入され、[[1884年]]からは県都として栃木県地域の行政・経済の中心となっている。
 
 
 
===== 那須・大田原周辺 =====
 
古くは街道[[東山道]]が通り、江戸時代には[[奥州街道]]、現在は[[東北新幹線]]・[[東北自動車道]]・[[国道4号]]線などが整備され、中央と[[陸奥国]]を結ぶ交通の要衝であり、[[那須町|那須]]や[[黒羽町|黒羽]]、[[大田原市|大田原]]など、[[那珂川]]流域を中心に豊かで安定した地域が形成されてきた。[[奥の細道]]紀行では[[松尾芭蕉]]も長期滞留した。北関東にあっては珍しく、江戸時代にあって中世来の豪族に支配権が認められた地域。[[藤原北家]][[藤原長家|長家]]流・[[那須七党|那須諸氏]]が江戸時代以降も[[黒羽藩]]や[[大田原藩]]としてその基盤を維持した。
 
 
 
[[大田原市]]、[[那須塩原市]]、[[矢板市]]、[[さくら市]]、[[那須烏山市]]、[[那須町]]、[[那珂川町 (栃木県)|那珂川町]]の人口は約35万人。[[那須高原]]を中心として観光業が盛んで、果樹園や牧場も多く見られる。
 
 
 
那須・大田原における[[商圏]]は大田原・那須塩原・矢板・さくらの各市の商業施設を中心とし、総人口の約70%にあたる25万人前後の購買活動を吸収している。一方、[[福島県]]境に近い那須町や旧黒磯市付近からは、越境して[[福島県]][[白河市]]等の商業施設に購買に出る例が見られるが、逆に福島県の住民も食品や日用品の買出し、飲食に那須・大田原圏を訪れるため、黒磯以北の[[国道4号]]線には、福島ナンバーの車の往来が多い。
 
 
 
===== 両毛地区 =====
 
古代、[[毛野国]]の中心にあった地域で、現在の[[栃木市]]付近には[[下野国]]の[[国府]]が置かれた([[国造]]は[[下毛野氏|下毛野君]])。また、栃木市の東隣に位置する[[下野市]]には下野国分寺跡、[[薬師寺 (下野市)|下野薬師寺跡]]といった史跡がある。
 
 
 
[[平安時代]]以降、関東に起こった[[清和源氏]][[源義家|義家]]流[[新田氏]]・[[足利氏]]、同[[源義光|義光]]流[[佐竹氏]]、[[藤原秀郷]]流[[足利氏 (藤原氏)|藤姓足利氏]]・[[小山氏]]・[[結城氏]]・[[佐野氏]]・皆川氏らはこの地域の領有権を巡って抗争した。[[下野国|下野]][[国司]]で[[宇都宮二荒山神社]]座主と[[輪王寺|日光山]][[検校]]職を兼務した[[藤原北家]][[藤原道兼|道兼]]流で[[下毛野氏]]ないし中原氏の流れを汲む[[宇都宮氏]]は終始中央政権体制として下野国内の政争の鎮静にあたった。
 
 
 
[[鎌倉時代]]には[[鎌倉幕府]]の有力御家人となった[[小山氏]]が治め、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[足利尊氏]]の意向を受けた[[国司]]の[[宇都宮氏]]が掌握したが、[[室町幕府]]が[[鎌倉府]]を設置すると[[関東管領]]・[[上杉氏]]の統治下に入った。[[鎌倉公方]]の[[足利成氏]]が台頭し[[古河城|古河]]に移って[[古河公方]]を称すると領主たちはこれに従属した。[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]に入って[[後北条氏]]が台頭すると、この地域は中央政府方(上杉氏、佐竹氏、宇都宮氏等)と後北条方(足利氏、小山氏、結城氏等)が拮抗する主戦場となり、最終的に後北条氏が勢力下に置いた。[[豊臣秀吉]]が後北条氏を破ると結城氏が代わって治めた。その後結城氏は領地換えになり、[[江戸時代]]は時の中央勢力から派遣された者が代わる代わる統治した。
 
 
 
[[栃木県]]と[[群馬県]]に跨がる地域(足利、佐野、桐生、太田、館林など)は[[両毛|両毛地域]]と呼ばれ、古くは東山道、江戸時代には[[例幣使街道|日光例幣使街道]]、現在は[[国道50号]]・[[国道122号]]・[[国道293号]]・[[両毛線]]・[[東武伊勢崎線]]等が通っている。現在、[[国道50号]]沿線は[[モータリゼーション]]が発達して商工業ベルト地帯化しており『R50ベルト地帯』や『両毛デルタ地帯』などと呼ばれることがある。[[水戸線]]や[[両毛線]]はR50ベルト地帯を結ぶ生活路線として機能しているほか、[[2008年]][[3月8日]]には[[北関東自動車道]]の[[太田藪塚インターチェンジ|太田藪塚IC]]と[[太田桐生インターチェンジ|太田桐生IC]]が開通した。近隣の[[佐野市]]の[[佐野プレミアムアウトレット]]や[[太田市]](人口約21.8万人)の[[イオン太田ショッピングセンター]]など郊外型商業施設には、近隣住民が県境を越えて訪れ、これらの道路には周辺各地域のナンバー車が往来する。
 
 
 
この両毛地区の東に接する[[小山市]]、[[古河市]]などの[[宇都宮線]]沿線地域は近年[[ベッドタウン]]化が見られ、[[東京#東京圏|東京圏]]に属する住民も少なくない。関東地方のほぼ中央ともいうべき地域で、[[小山市]]は国道50号、[[古河市]]は国道125号、国道354号の沿線であり、共に国道4号、JR[[宇都宮線]]が市内を縦断している。[[古河市]]は茨城県であるが、南北軸を見ると[[日光街道]]の沿線である。東京大都市圏の北端部に位置しており、[[南関東]]と同一地域と見ることもできる。
 
 
 
また両毛地区の南に接する[[羽生市]]、[[加須市]]などの北埼玉地区は、歴史的に日光街道[[春日部市|粕壁宿]]の北西部に位置する地区で[[下野国]]南部地域との繋がりが深く、一方で『埼玉』の名称の由来となった地域でもある。現在の生活圏は東京圏に属する住民も多いが、[[東武伊勢崎線]]が[[久喜駅|久喜]]で、[[東武日光線|日光線]]が[[南栗橋駅|南栗橋]]で系統分離され、群馬県あるいは栃木県両毛地区と同一の運転が行われているなど、両毛地区の生活圏としての施策が執られている。利根川沿岸地区は、市外局番が古河0280で[[単位料金区域]]は古河MAであり、[[新古河駅]]は古河市ではなく加須市にあるなど、対岸の古河市との関わりも深い。
 
 
 
==== 群馬県 ====
 
===== 前橋・高崎都市圏および群馬県中北部 =====
 
前橋・高崎(両市計約70万人、人口密度約1,090人/平米)は[[関東平野]]の北西端に位置し、群馬県の行政・商業・産業の中心となっている。前橋・高崎都市圏は平成の大合併により山間地域を合併したため人口密度は下がったが、旧前橋・旧高崎地域は15km圏内の市街地で充墳され、前橋・高崎都市圏を形成している。
 
隣接する[[前橋市]]・[[高崎市]]・[[伊勢崎市]]・[[藤岡市]]・[[富岡市]]・[[安中市]]・[[渋川市]]及びその周辺自治体の人口は約120万人。
 
 
 
一方、北部一帯は[[谷川岳]]に代表される峻険な山岳地帯となっており、その湧水は当地域の殆どの人口が集中する[[利根川]]流域に結集する。この南部平地部と北西部山岳部では気候も全く異なり、前者の冬の平均月最低気温が-1.0度程度で最深積雪も殆ど無いのに対し、後者では気温-8.0度、積雪2m以上に達する[[気象庁]]観測点も存在する。
 
 
 
人口密集地域が限られるため、公共交通網整備は比較的効果的に行き届いており、道路では[[関越自動車道]]や[[北関東自動車道]]、[[国道17号]]、[[国道18号]]、[[国道50号]]、鉄道では[[高崎線]]、[[信越本線]]、[[上越線]]、[[両毛線]]、[[八高線]]、[[吾妻線]]、[[上毛電気鉄道]][[上毛電気鉄道上毛線|上毛線]]などが整備されている。
 
 
 
この地域は古くは[[毛野国]]に、また[[令制国]]時代にはこれを分かった[[上野国]]に属した。[[国府]]は車郡([[群馬郡]])に置かれていたとされる。[[平安時代]]初頭、上野国は[[常陸国]]([[茨城県]]中北部)等とともに[[親王任国]]とされ、その[[親王]]の子孫である[[平氏]]が土着したとされる。[[長尾氏#白井・総社長尾氏|白井長尾氏や総社長尾氏]]、沼田氏、安中氏などがその後裔といわれ、同一県内でも[[藤原北家]]流諸氏や[[清和源氏]]流諸氏の輩出が多い[[太田市]]や[[桐生市]]周辺とは対照的である。
 
 
 
この地域は北部山岳地帯を中心に関東の北の温泉場として著名であり、観光開発が施されている。温泉場の数は[[伊香保温泉]]、[[四万温泉]]、[[草津温泉]]、[[水上温泉]]、[[猿ヶ京温泉]]など200を越し、特に草津温泉は日本一の自噴湧出量を誇る名湯とされる。一方、首都東京からの交通の便は決してよいとは言えず、草津温泉の場合、[[上野駅]]から[[東日本旅客鉄道|JR]]の[[在来線]][[特別急行列車|特急]]で約2時間30分の[[長野原草津口駅]]からさらに[[路線バス]]で20~30分かかり、また直行高速バスでも[[新宿駅]]から3時間30分以上かかり、車利用でも関越自動車道の[[渋川伊香保インターチェンジ|渋川伊香保IC]]から約50kmの山道を行かねばならない。同じ北関東の温泉場である[[鬼怒川温泉]](新宿駅から電車で2時間)や[[塩原温泉]](東京駅から新幹線で1時間20分の[[那須塩原駅]]から路線バスで1時間)、[[那須温泉]](同)に比較しアクセスしにくい状況もあり、近年では誘客が芳しくない<ref>[[東京新聞]][[2006年]][[10月17日]]付の記事による。</ref><ref>[http://www.travelnews.co.jp/2008/08/onsen080804.html#more 2007年度入湯客数 トップ3は箱根町、札幌市、日光市(トラベルニュース)]</ref>。
 
 
 
産業は[[農業]]が非常に盛んであり、前橋市の農業産出額は約300億円に達し、次いで[[嬬恋村]]も100億円以上を産する。[[工業]]は[[北関東工業地域]]の一端にあり、年間製造品出荷額は高崎・前橋だけでも1.2兆円を超える。[[日本の年間商品販売額一覧|年間商品販売額]]は高崎・前橋だけでも群馬県内の総販売額の50%以上を占める。
 
 
 
==== 埼玉県 ====
 
===== 秩父・寄居・熊谷周辺 =====
 
熊谷(人口約20.5万人、人口密度1,420人/平米)は[[国道17号]](旧[[中山道]])、寄居・秩父は[[国道140号]]の沿線であり、[[秩父鉄道秩父本線|秩父鉄道]]はこれらの地域を結ぶ生活路線となっている。この他、東京へ向かう鉄道路線として[[八高線]]・[[東武東上本線|東武東上線]]・[[高崎線]]が走る。
 
 
 
[[荒川 (関東)|荒川]]の流域で「内陸国」の色が濃く、住民のショッピング地や視線は、地元志向の傾向が見られる。南端には[[国営武蔵丘陵森林公園]]に代表される[[台地]]が広がるが、西端には[[奥秩父山塊]]の山々が峙えている。夜祭で有名な[[秩父市]]や、[[長瀞]]などの観光地を抱える。北関東と南関東の文化や風土が混在している。特に熊谷周辺は太田・小山などと同じようにモータリゼーションが発展しており、同じ埼玉県内にありながら北関東系の店舗が多い。また、秩父地方の車が熊谷ナンバーであったり、北関東系の店舗の比重が大きいことから秩父地方もここでは北関東扱いする。
 
 
 
しかし、歴史的には[[桓武平氏]]流諸氏([[秩父氏]]や[[熊谷氏]]など)にゆかりの地域であり、[[南関東]]と同一地域と見なせなくもない。
 
 
 
== 自然地理 ==
 
=== 気候 ===
 
茨城県沿岸部([[水戸市|水戸]]、[[鹿嶋市|鹿嶋]]など)では、年間を通して温暖な[[太平洋側気候]]が見られる。しかし、茨城県沿岸部を除く地域では、気温の年較差が大きい[[内陸性気候]]が共通して見られる。
 
 
 
夏の昼下がり時の[[雷]]は上州(群馬県)名物として有名であるが、栃木県や埼玉県でも多く見られ、宇都宮市は「雷都」という異名を持つ。又、冬の[[からっ風]]は、群馬県では「[[赤城おろし]]」、栃木県では「二荒おろし」「[[男体山|男体]]おろし」、茨城県では「[[筑波山|筑波]]おろし」などと呼ばれており、何れも北部と西部に山岳地帯を抱える北関東に特徴的な気象となっている。
 
 
 
[[水郷]]、[[筑波山]]、[[日光市|日光]]、[[鬼怒川温泉]]、[[那須高原]]、[[草津温泉]]といった気候温暖な[[観光地]]を抱えており、週末や行楽シーズンには観光客で賑わう。
 
 
 
[[関東平野]]に位置する点もあって[[近郊農業]]が盛んであり、[[深谷市|深谷]]の[[ネギ|葱]]、[[坂東市|岩井]]の[[レタス]]、[[土浦市|土浦]]の[[レンコン|蓮根]]、[[二宮町 (栃木県)|二宮]]の[[イチゴ|苺]]、[[板倉町|板倉]]の[[キュウリ|きゅうり]]などが代表的な農産物である。
 
 
 
=== 地形 ===
 
* [[山地]]:[[阿武隈高地]]、[[八溝山地]]、[[日光連山]]、[[帝釈山脈]]、[[足尾山地]]、[[下野山地]]、[[那須連山]]、[[三国山脈]]、[[関東山地]]、[[奥秩父山塊]]
 
* [[山]]:[[筑波山]]、[[加波山]]、[[八溝山]]、[[男体山]]、[[女峰山]]、[[赤薙山]]、[[大真名子山]]、[[小真名子山]]、[[太郎山 (栃木県)|太郎山]]、[[帝釈山]]、[[荒海山]]、[[日光白根山]]、[[皇海山]]、[[高原山]]、[[那須岳]]、[[三本槍岳]]、[[羽黒山 (栃木県)|羽黒山]]、[[古賀志山]]、[[太平山 (栃木県)|太平山]]、[[赤城山]]、[[榛名山]]、[[妙義山]]、[[草津白根山]]、[[浅間山]]、[[谷川岳]]、[[平ヶ岳 (群馬県・新潟県)|平ヶ岳]]、[[武尊山]]、[[至仏山]]、[[三宝山]]、[[甲武信ヶ岳]]
 
* [[高原]]:[[那須高原]]、[[戦場ヶ原]]、[[霧降高原]]、[[八方ヶ原]]
 
* [[台地]]:[[常陸台地]]
 
* [[盆地]]:[[秩父盆地]]
 
* [[平野]]:[[関東平野]]
 
* [[海浜]]:[[波崎海水浴場|波崎海岸]]、[[下津海水浴場|下津海岸]]、[[大竹海岸鉾田海水浴場|大竹海岸]]、[[大洗海岸]]、[[阿字ヶ浦海水浴場|阿字ヶ浦]]、[[河原子海水浴場|河原子海岸]]、[[伊師浜海岸]]、[[五浦海岸]]
 
* [[川]]:[[利根川]]、[[渡良瀬川]]、[[鬼怒川]]、[[那珂川]]、[[久慈川]]、[[小貝川]]、[[荒川 (関東)|荒川]]、[[田川 (利根川水系)|田川]]、[[思川 (栃木県)|思川]]、[[烏川 (利根川水系)|烏川]]、[[神流川 (利根川水系)|神流川]]
 
* [[湖]]:[[霞ヶ浦]]、[[北浦]]、[[涸沼]]、[[千波湖]]、[[中禅寺湖]]、[[五十里ダム|五十里湖]]、[[鬼怒沼]]、[[湯ノ湖]]、[[渡良瀬遊水地]]、[[榛名湖]]、[[野反ダム|野反湖]]、[[尾瀬沼]]
 
* [[滝]]:[[袋田の滝]]、[[華厳滝]]、[[竜頭の滝]]、[[湯滝]]、[[霧降の滝]]、[[裏見滝]]、[[吹割の滝]]
 
* [[温泉]]:[[草津温泉]]、[[伊香保温泉]]、[[水上温泉]]、[[四万温泉]]、[[猿ヶ京温泉]]、[[万座温泉]]、[[鹿沢温泉]]、[[川原湯温泉]]、[[沢渡温泉 (群馬県)|沢渡温泉]]、[[磯部温泉]]、[[老神温泉]]、[[日光湯元温泉]]、[[鬼怒川温泉]]、[[川治温泉]]、[[湯西川温泉]]、[[女夫渕温泉]]、[[奥鬼怒温泉郷]]、[[塩原温泉郷]]、[[那須温泉郷]]、[[馬頭温泉郷]]、[[喜連川温泉]]、[[袋田温泉]]、[[大子温泉]]、[[五浦温泉]]
 
* [[景勝地]]:[[尾瀬]]、[[奥日光]]、[[龍王峡]]、[[長瀞]]、[[偕楽園]]
 
* [[自然公園]]:[[日光国立公園]]、[[尾瀬国立公園]]、[[上信越高原国立公園]]、[[水郷筑波国定公園]]、[[妙義荒船佐久高原国定公園]]
 
 
 
== 経済 ==
 
北関東3県には日本の人口の約6%、約700万人が居住し、約27兆円の[[国内総生産|GDP]]を生み出している。
 
 
 
=== 第一次産業 ===
 
==== 農業 ====
 
* [[茨城県]]を筆頭として、北関東は農業が盛んである。
 
* 東京周辺地域には典型的な都市[[近郊農業]]として、野菜や[[花卉]]の栽培が多い。
 
* 北関東各市町村における年間農業産出額([[2004年]]、[http://www.stat.go.jp/data/ssds/zuhyou/05c-3.xls 出典])は多い順に以下のとおり。
 
*#[[鉾田市]](525億円) 茨城県
 
*#[[前橋市]](319億円) 群馬県
 
*#[[那須塩原市]](278億円) 栃木県
 
*#[[大田原市]](262億円) 栃木県
 
*#[[小美玉市]](257億円) 茨城県
 
*#[[行方市]](244億円) 茨城県
 
*#[[筑西市]](234億円) 茨城県
 
*#[[坂東市]](230億円) 茨城県
 
*#[[太田市]](204億円) 群馬県
 
*#[[石岡市]](184億円) 茨城県
 
*#[[伊勢崎市]](177億円) 群馬県
 
*#[[茨城町]](159億円) 茨城県
 
*#[[宇都宮市]](156億円) 栃木県
 
*#[[渋川市]](152億円) 群馬県
 
*#[[小山市]](150億円) 栃木県
 
 
 
==== 畜産業 ====
 
* 大消費地である東京を控え、茨城県や栃木県で養豚、養鶏、酪農が多い。生乳生産量では、[[北海道]]に続いて、栃木県が第2位に位置する。
 
 
 
=== 第二次産業 ===
 
==== 鉱業 ====
 
* 昭和半ばまで、[[日立市]]や[[足尾町|足尾]]など一部の鉱山が操業していたが、1975年頃に閉鎖された。
 
 
 
==== 工業 ====
 
* [[宇都宮市]]や[[太田市]]などを中心に、'''内陸型'''の[[北関東工業地域]]が形成されている。
 
* [[茨城県]]の北部([[日立市]]や[[ひたちなか市]])には、[[日立製作所]]の関連工場が多く、南東部の[[鹿島臨海工業地帯]]([[鹿嶋市]]や[[神栖市]])には、[[住友金属工業|住友金属]]系の工場が多い。
 
* 北関東における主要工業都市は、各市町村別の年間製造品出荷額等([[2008年]]、[http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/result-2.html 出典])の多い順に以下のとおり。
 
*#[[太田市]](2.19兆円) 群馬県
 
*#[[宇都宮市]](1.69兆円) 栃木県
 
*#[[神栖市]](1.49兆円) 茨城県
 
*#[[日立市]](1.45兆円) 茨城県
 
*#[[伊勢崎市]](0.95兆円) 群馬県
 
*#[[鹿嶋市]](1.02兆円) 茨城県
 
*#[[ひたちなか市]](1.00兆円) 茨城県
 
*#[[河内郡]][[上三川町]](0.93兆円) 栃木県
 
*#[[土浦市]](0.89兆円) 茨城県
 
*#[[小山市]](0.78兆円) 栃木県
 
*#[[高崎市]](0.77兆円) 群馬県
 
*#[[大田原市]](0.76兆円) 栃木県
 
*#[[真岡市]](0.67兆円) 栃木県
 
*#[[邑楽郡]][[大泉町]](0.63兆円) 群馬県
 
*#[[前橋市]](0.59兆円) 群馬県
 
*#[[古河市]](0.55兆円) 茨城県
 
 
 
=== 第三次産業 ===
 
==== 商業 ====
 
* 北関東の各市町村における[[日本の年間商品販売額一覧|商業年間商品販売額]](([[2003年]]、[http://www.stat.go.jp/data/ssds/zuhyou/05c-3.xls 出典])卸売業を含む)は、多い順に以下のとおり。
 
*#[[宇都宮市]](2.54兆円) 栃木県
 
*#[[前橋市]](2.08兆円) 群馬県
 
*#[[高崎市]](1.37兆円) 群馬県
 
*#[[水戸市]](1.36兆円) 茨城県
 
*#[[つくば市]](0.69兆円) 茨城県
 
*#[[太田市]](0.66兆円) 群馬県
 
*#[[小山市]](0.56兆円) 栃木県
 
*#[[土浦市]](0.55兆円) 茨城県
 
*#[[日立市]](0.46兆円) 茨城県
 
*#[[伊勢崎市]](0.46兆円) 群馬県
 
*#[[ひたちなか市]](0.35兆円) 茨城県
 
*#[[足利市]](0.34兆円) 栃木県
 
*#[[佐野市]](0.31兆円) 栃木県
 
*#[[古河市]](0.27兆円) 茨城県
 
*#[[茨城町]](0.26兆円) 茨城県
 
 
 
=== 家電量販店 ===
 
* 茨城県は[[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]]([[水戸市]])、栃木県は[[コジマ]]([[宇都宮市]])、群馬県は[[ヤマダ電機]]([[高崎市]]、創業は[[前橋市]])、[[ベイシア電器]](前橋市、創業は高崎市)と3県それぞれ家電量販店企業の本社が置かれており、これら4店舗は俗に'''「北関東系」'''とも呼ばれている。また、現在は[[東京]][[池袋]]に本店を構える[[ビックカメラ]]<ref>2012年に前述のコジマを子会社化している。</ref>も創業は群馬県高崎市だった。
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 交通史 ===
 
[[律令制|律令]]時代には、[[畿内]]を中心とした行政区分であったため、茨城県([[常陸国]]・[[下総国]]北西部)と東京都・埼玉県([[武蔵国]]北部)は'''[[東海道]]'''に、栃木県([[下野国]])と群馬県([[上野国]])は'''[[東山道]]'''にと、畿内を中心とした放射状地方区分になっており、東山道には京から[[白河市|白河]]に至る街道・「東山道」が整備された。
 
 
 
[[江戸時代]]になると、[[参勤交代]]によって東京([[江戸]])を中心とした放射状の街道が整備された。茨城県には'''[[水戸街道]]'''、埼玉県東部から栃木県北西部にかけては'''[[日光街道]]'''、栃木県北部には'''[[奥州街道]]'''、群馬県と埼玉県西部には'''[[中山道]]'''が整備され、宿場が置かれた。
 
 
 
また、中山道の[[倉賀野宿]](高崎郊外)から[[鹿沼市|都賀]]を経て[[日光市|日光]]に至るルートとして、東山道に重なる形で[[日光東照宮]]への金貨奉納のために[[京都]]からの勅使が通る'''[[日光例幣使街道]]'''が整備された。
 
 
 
江戸時代のそれぞれの街道は、現在の国道6号、国道4号、国道119号、国道17号、国道293号・121号等の源流となった。
 
 
 
=== 現在の交通網 ===
 
江戸時代に五街道が整備されて以来、[[関東地方]]の交通網は、基本的に[[東京特別区|東京]]を中心とした'''放射状幹線'''及び[[京都]]からの放射状路線に当る'''環状(弧状)連絡線'''によって構成されている。
 
 
 
道路網では、東京から北に伸びる'''放射状道路'''には、西(群馬県、埼玉県)から東(茨城県)へ順に、[[関越自動車道]]・[[国道17号]]・[[国道122号]]・[[東北自動車道]]・[[国道4号]]・[[新4号国道]]・[[国道294号]]・[[常磐自動車道]]・[[国道6号]]・[[東関東自動車道]]・[[国道51号]]が扇状に列んでいる。
 
 
 
そして、これらの''扇''を結ぶ'''弧状道路'''として、南から北へ順に、[[東京外環自動車道]]・[[国道16号]]・[[国道354号]]・[[国道125号]]・[[国道50号]]・[[国道293号]]+[[国道123号]]、[[国道145号]]+[[国道120号]]+[[国道461号]]などが通っており、現在は[[北関東自動車道]]や[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]]などを整備中である。
 
 
 
鉄路網も同じく、東京から北に伸びる'''放射状鉄路'''には、西から順に[[東武東上線]]・[[高崎線]]+[[上越線]]・[[上越新幹線]]・[[東北新幹線]]・[[宇都宮線]]・[[東武本線]]・[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]・[[常磐線]]などが列ぶ。
 
 
 
これらを結ぶ'''弧状鉄路'''には、南から北へ順に[[武蔵野線]]、[[川越線]]+[[東武野田線]]([[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]で接続)、[[両毛線]]+[[水戸線]]([[小山駅]]で接続)などが列んでいるが、県庁所在地である水戸・宇都宮・前橋・さいたま相互を結ぶ列車は存在しない<ref>[[宇都宮線]]と[[両毛線]]とを直通し、宇都宮と前橋を結ぶ列車は、1日に2往復だけ存在する。</ref>。
 
 
 
経済的・地政学的には、この「''扇''」の範囲が「北関東」に当たる。扇の骨に当たる幹線道路沿いには工場が多く立地し前述の[[北関東工業地域]]を形成している。
 
 
 
=== 代表的な鉄道路線 ===
 
;JR線 
 
2009年3月13日までは在来線の[[Suica]]エリアは[[偕楽園駅]]を除き[[東京近郊区間]]となっていたが翌14日のダイヤ改正よりSuicaエリア外の鹿島線、烏山線も東京近郊区間となった。関東地方のJR東日本の在来線で東京近郊区間外は水郡線、吾妻線、東北本線黒磯以北、上越線水上以北のみとなった。
 
{{col|
 
* [[東北新幹線]]
 
* [[上越新幹線]]
 
* [[北陸新幹線]]
 
* [[常磐線]]
 
* [[水戸線]]
 
|
 
* [[水郡線]]
 
* [[鹿島線]]
 
* [[宇都宮線]]([[東北本線]])
 
* [[日光線]]
 
* [[烏山線]]
 
|
 
* [[高崎線]]
 
* [[上越線]]
 
* [[信越本線]]
 
* [[吾妻線]]
 
* [[両毛線]]
 
}}
 
 
 
;[[東武鉄道]]
 
{{col|
 
<!--* [[東武東上本線|東上線]]
 
* [[東武越生線|越生線]]
 
* [[東武野田線|野田線]] 埼玉はここでは北関東に含まない-->
 
* [[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]
 
* [[東武桐生線|桐生線]]
 
* [[東武佐野線|佐野線]]
 
* [[東武小泉線|小泉線]]
 
|
 
* [[東武日光線|日光線]]
 
* [[東武宇都宮線|宇都宮線]]
 
* [[東武鬼怒川線|鬼怒川線]]
 
}}
 
 
 
; その他の鉄道
 
{{col|
 
* [[野岩鉄道]]
 
** [[野岩鉄道会津鬼怒川線|会津鬼怒川線]]
 
* [[真岡鐵道]]
 
** [[真岡鐵道真岡線|真岡線]]
 
* [[首都圏新都市鉄道]]
 
** [[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]
 
* [[関東鉄道]]
 
** [[関東鉄道常総線|常総線]]
 
** [[関東鉄道竜ヶ崎線|竜ヶ崎線]]
 
* [[ひたちなか海浜鉄道]]
 
** [[ひたちなか海浜鉄道湊線|湊線]]
 
|
 
* [[鹿島臨海鉄道]]
 
** [[鹿島臨海鉄道大洗鹿島線|大洗鹿島線]]
 
* [[上毛電気鉄道]]
 
** [[上毛電気鉄道上毛線|上毛線]]
 
* [[上信電鉄]]
 
** [[上信電鉄上信線|上信線]]
 
* [[わたらせ渓谷鐵道]]
 
** [[わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線|渓谷線]]
 
* [[秩父鉄道]]
 
** [[秩父鉄道秩父本線|秩父本線]]
 
}}
 
 
 
=== 代表的な道路 ===
 
{{col|
 
*南北軸
 
** [[東北自動車道]]、[[国道4号]]<!--主要幹線順が良いのでは?東北道はこの中で圧倒的です。-->
 
** [[関越自動車道]]、[[国道17号]]
 
** [[上信越自動車道]]、[[国道18号]]
 
** [[常磐自動車道]]、[[国道6号]]
 
** [[東関東自動車道]]、[[国道51号]]
 
** [[日光宇都宮道路]]、[[国道119号]]
 
** [[国道294号]]
 
|
 
*東西軸
 
** [[北関東自動車道]]、[[国道50号]]
 
** [[首都圏中央連絡自動車道]] <!-- 茨城を通過しています -->
 
** [[国道125号]]<!--、[[国道140号]] 埼玉はここでは北関東に含まない-->
 
** [[国道354号]]
 
** [[栃木県道・茨城県道1号宇都宮笠間線]]
 
}}
 
 
 
=== 主要な港湾 ===
 
;[[中核国際港湾]]
 
*[[茨城港]]
 
** [[日立港]]区
 
** [[常陸那珂港]]区
 
** [[大洗港]]区
 
;[[重要港湾]]
 
*茨城港
 
*[[鹿島港]]
 
 
 
=== 空港 ===
 
*[[百里飛行場|茨城空港]]
 
なお、茨城県の鹿行地域は[[成田国際空港]]にも近い。また、栃木県北部及び茨城県北西部は[[福島空港]]も利用圏内である。
 
 
 
== 補足 ==
 
* 日経リサーチの行った、2008年の地域ブランド力調査では、[[茨城県]]、[[栃木県]]、[[群馬県]]がワースト3を占めている。
 
* ブランド総合研究所が実施した「地域ブランド調査」の都道府県の魅力度ランキングでは、最下位3連覇の茨城県(3年連続47位)を筆頭に、栃木県(42位、2010年45位、2009年40位)・群馬県(2010年41位、2009年45位)・埼玉県(45位、2010・2009年共43位)の4県全てが3年続けて40位以下のみに名を連ねている。また、2016年の調査では、47位に茨城県、46位に栃木県、45位に群馬県となった。<ref>[http://tiiki.jp/news/05_research/survey2016/3301.html 地域ブランド調査2016 都道府県・魅力度ランキング] - ブランド総合研究所</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[頭文字D]](北関東<!--熊谷ナンバーが登場するので四県-->の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]が登場する作品)
 
* [[U字工事]](栃木県出身のお笑いコンビ。北関東各県に関するネタを用いる)
 
* [[北関東工業地域]]
 
* [[上武]]
 
* [[南関東]]
 
* [[首都圏 (日本)|首都圏]]
 
* [[関東地方知事会]]
 
* [[北関東・磐越地域]]
 
* [[北関東磐越五県知事会議]]
 
* [[北関東ダービー]]
 
 
 
{{日本の地域}}
 
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{{デフォルトソート:きたかんとう}}
 
{{デフォルトソート:きたかんとう}}
 
[[Category:関東地方]]
 
[[Category:関東地方]]

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北関東(きたかんとう)

関東地方の北部地域をいう語。多く、茨城・栃木・群馬の3県をさす。



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