「明和」の版間の差分

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'''明和'''(めいわ)は[[日本]]の[[元号]]の一つ。[[宝暦]]の後、[[安永 (元号)|安永]]の前。[[1764年]]から[[1772年]]までの期間、施行された。この時代の[[天皇]]は[[後桜町天皇]]、[[後桃園天皇]]。[[江戸幕府]]将軍は[[徳川家治]]。
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'''明和'''(めいわ)
  
== 改元 ==
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[[日本]][[元号]]の一つ。[[宝暦]]の後、[[安永 (元号)|安永]]の前。
*宝暦14年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]][[グレゴリオ暦]]1764年[[6月30日]]) 後桜町天皇即位のため改元
 
*明和9年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]](グレゴリオ暦[[1772年]][[12月10日]]) 安永に改元
 
  
当初[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]改元の予定であったが、[[朝鮮通信使]]の来日中の改元は事務上の問題に加えて外聞の問題も生じるとして4ヶ月延期された<ref>久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P260-262</ref>。
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[[1764年]]から[[1772年]]までの期間。この時代の[[天皇]][[後桜町天皇]][[後桃園天皇]]。
 
 
== 出典 ==
 
『[[書経|尚書]]』の「九族既睦、平章百姓、百姓昭'''明'''、協'''和'''万邦、黎民於變時雍。」から。
 
 
 
出典の「九族既に睦(むつ)みて、百姓(ひゃくせい)を平章(辨章 べんしょう)し、百姓昭'''明'''にして、萬邦(ばんぽう)を協'''和'''し、黎民(れいみん)於(おほ)いに變(しげ)り時(こ)れ雍(やはら)ぐ。」というこの言葉は、[[三皇五帝|五帝]]の一人である[[堯]]を称えたもので、「人々が、それぞれ仲良くして、身分や立場に見合った振る舞いを行い、徳を明らかにすれば、世界の共存繁栄がはかられ、国民は大いに栄え、また和合したのである。<ref>[http://fukushima-net.com/sites/meigen/478 今日の四字熟語 -No. 402 【百姓昭明】 ひゃくせいしょうめい] ([[福島みんなのNEWS]])</ref>」という意味である。
 
 
 
後の[[1926年]]にこれと同じ出典で、[[昭和]]の元号が制定された。
 
 
 
== 明和年間の出来事 ==
 
*明和元年12月、[[中山道]]沿いで[[伝馬騒動]]が勃発。
 
*明和2年9月、[[五匁銀]]発行。
 
*明和5年、五匁銀運用停止。
 
*明和5年9月、[[新潟明和騒動]]。[[越後長岡藩]]の藩政に対する不満を爆発させた新潟町民が町役人を追放、約2カ月にわたり町人自治を行った。
 
*明和7年7月28日(1770年9月17日)、全国で[[オーロラ]]が観測される。
 
*明和8年3月10日、[[沖縄県]][[石垣島]]を[[明和の大津波]]が襲う。
 
*明和8年夏、[[山城国]]宇治を中心に[[お蔭参り]]大流行。
 
*明和9年
 
**2月、[[明和の大火]](目黒行人坂の大火事)。[[江戸の火事|江戸三大火]]の一つ。この年は災害が相次いで起こり、「明和九年は迷惑年」などと言われた。
 
**9月、五匁銀の失敗を教訓に[[南鐐二朱銀]]を発行。これより「分」、「朱」を単位とする計数銀貨が[[秤量銀貨]]を凌駕する時代が始まる。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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{{日本の元号}}
 
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[[Category:日本の元号]]
 
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[[Category:江戸時代|元めいわ]]
 
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明和(めいわ)

日本元号の一つ。宝暦の後、安永の前。

1764年から1772年までの期間。この時代の天皇後桜町天皇後桃園天皇




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