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{{Infobox Settlement
 
|name= 己斐
 
|official_name = 己斐上・己斐大迫・己斐中・<br />己斐西町・己斐東・己斐本町
 
|settlement_type = [[町丁]]
 
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|image_skyline = Hiroden-Kaikan Building.JPG
 
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|image_caption = [[ひろでん会館]]
 
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|footnotes = ※座標は西広島駅前交差点付近<!--GeoLocatorで調査-->
 
}}
 
{{座標一覧}}
 
'''己斐'''(こい)は、[[広島県]][[広島市]][[西区 (広島市)|西区]]の地域である。古の[[己斐町]]を前身とする歴史ある地域であり、さまざまな史跡が存在するが、地域西部には[[戦後]]になって造成された[[ニュータウン]]もある。
 
 
 
なお、ここでは[[町丁|町丁名]]に己斐を冠する地域について扱う。己斐上は一丁目から六丁目まであり、己斐大迫は一丁目から三丁目まであり、己斐中は一丁目から三丁目まであり、己斐西町の郵便番号は、己斐東は一丁目から二丁目まであり、己斐本町は一丁目から三丁目まである。当地域の[[人口]]は26,773人、[[世帯|世帯数]]は12,698世帯<!-- 更新の際はInfobox Settlementや[[#人口の変遷]]記載の数字、横の<ref>も同時に更新をお願いします。 --><ref name=population>2013年10月末現在、住民基本台帳調査による。[http://www.city.hiroshima.lg.jp/kikaku/joho/toukei/02_cho/cho-ind.html 広島市調べ]。</ref>。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[File:己斐 Koi (1988年度).jpg|thumb|right|300px|1988年度の航空写真。己斐は、太田川放水路の西側の地域である。大迫団地(己斐大迫)は赤色、もみじが丘(一致する行政区分がないため、大まかに囲んである)は黄色で囲んである。また、西広島駅は青色、広電西広島駅は緑色で示してある。放水路にかかっている4本の橋は北から順に己斐橋、新己斐橋、旭橋、新旭橋。なお、新旭橋が旭橋に沿うように架橋されているため、3本に見える。{{国土航空写真}}]]
 
=== 己斐の位置 ===
 
己斐は広島市中心部([[紙屋町・八丁堀|紙屋町]])から西へ約3から5[[キロメートル|km]]、同市西区に位置する地域。主に己斐上・己斐大迫・己斐中・己斐西町・己斐東・己斐本町からなる。東側の[[福島町 (広島市)|福島町]]とは[[太田川放水路]]で隔てられている。西で[[高須台]]、南で[[庚午 (広島市)|庚午]]と接する。庚午との境界には[[西広島バイパス]]が走っている<ref name=a>[[国土地理院]]発行2万5千分の一地形図</ref>。
 
 
 
=== 己斐地域内の地理 ===
 
地域内を[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]]および[[広島電鉄]][[広島電鉄本線|本線]]・[[広島電鉄宮島線|宮島線]]が走り、己斐本町に[[西広島駅]]および[[広電西広島駅]]がある。また、己斐本町に[[宮島街道]]が走っており、西広島駅前交差点付近には前述の2駅のほか[[ひろでん会館]]がある。己斐バスストップが[[広島電鉄]][[広島電鉄本線|本線]]および[[広島電鉄宮島線|宮島線]]の[[広電西広島駅]]のすぐそばにあり、西広島駅バスストップが[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]][[西広島駅]]のすぐそばにある。地域東部には[[茶臼山 (広島市西区)|茶臼山]](通称「小茶臼」{{ウィキ座標|34|24|27.55|N|132|25|29.67|E||地図|name=茶臼山}})があり、昔[[己斐城]](平原城)があったことで知られる。また、地域南部には旭山({{ウィキ座標|34|23|50.8|N|132|25|14.1|E||地図|name=旭山}})もあり、己斐古城(岩原城)があったという<ref name=b>[http://maps.google.com/maps?hl=ja&tab=wl Google map]</ref><ref name=west>[http://www.west21.gr.jp/9osirase%20file/15nishiku-map/koi/koi-100.pdf west21.gr.jp]2013年9月7日閲覧。</ref>。
 
 
 
=== 河川と橋梁 ===
 
[[太田川放水路]]が地域の東端を流れており、北から[[己斐橋]]({{ウィキ座標|34|23|55.99|N|132|25|57.48|E||地図|name=己斐橋}})、[[新己斐橋]]({{ウィキ座標|34|23|46.61|N|132|25|51.37|E||地図|name=新己斐橋}})、[[旭橋 (広島市)|旭橋]]({{ウィキ座標|34|23|22.71|N|132|25|35.65|E||地図|name=旭橋}})がかかっている。地域内には[[八幡川 (太田川放水路支流)|八幡川]]が西から東に流れ、太田川放水路に流れ込んでいる。八幡川には東から順に[[観光橋]]({{ウィキ座標|34|23|45.4|N|132|25|37.8|E||地図|name=観光橋}})、源左衛門橋({{ウィキ座標|34|23|46.51|N|132|25|34.79|E||地図|name=源左衛門橋}})がかかっている<ref name=b/>。
 
 
 
源左衛門橋は、歴史のある橋である。昔、時の広島藩主は広島入府の後に親友である源左衛門を呼び寄せて、現在の己斐西町のあたりに領地を与えた。大雨で八幡川が氾濫した時、源左衛門が仮設の橋を渡して大名行列を助けた。このことからその後この場所にできた橋を源左衛門橋と呼ぶようになったのだという<ref name=west/>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{Vertical_images_list
 
|寄せ=右
 
|幅= 250px
 
| 1=Hiroshima city map 1880.jpg
 
| 2=1880年の廣島市地図
 
| 3=Hiroshima map circa 1930.PNG
 
| 4=1930年頃の広島市地図 / [[太田川放水路]]はまだなく、ほぼ同じ位置に[[己斐川]]が確認できる。
 
| 5=Hiroshima - Extend Of Fire & Limits Of Blast Damage.jpg
 
| 6=原爆による火災消失分布図 / 己斐川で火の手が止まり、己斐地区の全域が被爆火災による消失から免れたことがわかる。
 
| 7=Hiroshima City Map 1945.jpg
 
| 8=1945年アメリカ軍作成の広島市地図 / 前述の己斐川がこちらではYAMATE-GAWAとなっている。
 
}}
 
=== 地名の由来 ===
 
「己斐」は[[鎌倉時代]]以来の歴史ある地名で、その由来についてはいくつかの説がある。一つは[[神功皇后]]が[[長門国|長門]]の[[熊襲|熊襲族]]征討に際してこの地に立ち寄ったとき、[[県主]]が大きな[[コイ|鯉]]を献上したので「'''鯉'''村」と称したというもの(国郡志下調書出帳)、「山間の村」を意味する「'''峡'''村」(かひむら)が変化したというもの(秋長夜話)、古くは「'''許斐'''」とも書いたことから[[筑前国|筑前]][[宗像市|宗像]]の「許斐神社」と何らかの関係を有するというもの(芸藩通志)、などである。
 
 
 
=== 沿革 ===
 
:''広島市への編入合併前の詳細については「[[己斐町]]」を参照''
 
以下の通り<ref name=west/>。
 
* [[1889年]] [[町村制]]発足により[[佐伯郡]]己斐村が発足
 
* [[1911年]] 町制施行により佐伯郡己斐町と改称
 
* [[1929年]][[4月1日]] 広島市への編入合併
 
* [[1950年]] [[ノートルダム清心中学校・高等学校|ノートルダム清心中学校]]が開校
 
* [[1961年]] [[ノートルダム清心女子大学]]短期大学部(1964年[[ノートルダム清心女子短期大学]]に改称)が開学
 
* [[1964年]] [[広電ストア]]己斐店([[ひろでん会館]])が開業
 
* [[1969年]] 国鉄己斐駅を[[西広島駅]]に改称
 
* [[1972年]] [[広島市立己斐中学校]]が開校
 
* [[1973年]] [[広島音楽高等学校]]が小町より移転
 
* [[1975年]] [[広島市立己斐東小学校]]が開校
 
* [[1978年]] 花満花市場跡地に[[イズミ|スーパーいづみ]]己斐店(現・ゆめマート己斐)が開業
 
* [[1982年]] [[広島市立己斐上小学校]]が開校
 
* [[1984年]] キリシタン殉教の碑の建立
 
* [[1987年]] [[広島市立己斐上中学校]]が開校
 
* [[2001年]] [[広島高速4号線]]が開通
 
* [[2003年]] [[ノートルダム清心女子短期大学]]が廃止
 
* [[2012年]][[9月4日]] 学習塾に通っていた小学校6年の女児が己斐でカバンに詰め込まれ誘拐される事件が起きる。容疑者が西広島駅から乗車したタクシーの運転手の機転により無事救出された<ref>[http://www.j-cast.com/tv/2012/09/05145216.html 間一髪で救出!塾帰りの女児「旅行カバンに押し込め監禁」成城大3年生(J-castニュース)] 2013年9月7日閲覧。</ref>。
 
 
 
=== 人口の変遷 ===
 
<!--
 
グラフの作成 r01.png=100戸(100世帯)、g01.png=200人で換算しています(r50=5000戸(5000世帯)、g50=10000人)
 
-->
 
'''総数 [戸数または世帯数: [[画像:r10.png]] 、人口: [[画像:g10.png]] ]'''
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
| [[1980年]]([[昭和]]55年)[[12月]]末<ref name=oldpop>1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。{{Cite web |url= http://www.city.hiroshima.lg.jp/kikaku/joho/toukei/02_cho/cho-ind.html|title= 広島市調べ。|accessdate=2013-12-11}}</ref>
 
|| [[画像:r50.png]][[画像:r10.png]][[画像:r10.png]][[画像:r10.png]][[画像:r10.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]] 9,325世帯<br />[[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g01.png]] 26,118人
 
|-
 
| [[1990年]]([[平成]]2年)[[12月]]末<ref name=oldpop/>
 
|| [[画像:r100.png]][[画像:r10.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]] 11,296世帯<br />[[画像:g100.png]][[画像:g50.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]] 30,364人
 
|-
 
| [[2000年]](平成12年)[[12月]]末<ref name=oldpop/>
 
|| [[画像:r100.png]][[画像:r10.png]][[画像:r05.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]] 11,743世帯<br />[[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g01.png]] 28,215人
 
|-
 
| [[2010年]](平成22年)[[12月]]末<ref name=oldpop/>
 
|| [[画像:r100.png]][[画像:r10.png]][[画像:r10.png]][[画像:r05.png]][[画像:r01.png]] 12,573世帯<br />[[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g05.png]][[画像:g01.png]] 27,119人
 
|-
 
| [[2013年]](平成25年)[[10月]]末<ref name=population/><!-- 一番下は執筆時において最新の統計。<ref>でつなげているので更新の際は冒頭文記載の数字およびその横の<ref>も同時に更新をお願いします。 -->
 
|| [[画像:r100.png]][[画像:r10.png]][[画像:r10.png]][[画像:r05.png]][[画像:r01.png]][[画像:r01.png]] 12,698世帯<br />[[画像:g100.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g10.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]][[画像:g01.png]] 26,773人
 
|}
 
 
 
== 住宅地 ==
 
大迫団地は己斐地域の北東部のニュータウンであり、己斐大迫という[[町丁]]に対応している。広電己斐団地は己斐地域の北西部のニュータウンであり、己斐上の一部である。フジハイツやイトーピアは茶臼山の南、己斐地域の東側のニュータウンであり、それぞれ己斐中、己斐東という町丁の一部である。もみじが丘は己斐地域の西側のニュータウンであり、己斐上という町丁の一部である。
 
 
 
== 交通 ==
 
=== バス ===
 
地域内を運行するのは[[広電バス]]、[[広島バス]]、[[エイチ・ディー西広島]]の三社である。前2者は己斐本町を通過する便が主だが、己斐を拠点とするエイチ・ディー西広島は西広島駅バスストップや[[紙屋町・八丁堀|八丁堀]]バスストップと地域東部の住宅地を結んでおり、己斐上・己斐大迫・己斐中・己斐東にも停車する<ref name=b/><ref>[http://www.hiroden.co.jp/bus/rosen/ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図]2013年9月7日閲覧。</ref><ref>[http://www.hirobus.co.jp/route-bus/rosen/25.html 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図]2013年9月7日閲覧。</ref><ref name=bonbusline>[http://www.bonbus.co.jp/root.html エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図]2013年9月7日閲覧。</ref>。
 
{{see also|エイチ・ディー西広島}}
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
己斐本町に[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]][[西広島駅]]({{ウィキ座標|34|23|52.2|N|132|25|40.72|E||地図|name=西広島駅}})および[[広島電鉄]][[広島電鉄本線|本線]][[広島電鉄宮島線|宮島線]][[広電西広島駅]]({{ウィキ座標|34|23|48.68|N|132|25|40.62|E||地図|name=広電西広島駅}})がある。地域北東部、己斐大迫のあたりは[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[山陽本線]]および[[広島電鉄]][[広島電鉄横川線|横川線]]の[[横川駅 (広島県)|横川駅]]({{ウィキ座標|34|24|35.65|N|132|27|0.52|E||地図|name=横川駅}})が最寄りである。
 
<gallery widths="200px" heights="140px">
 
ファイル:西広島駅 2008-2.JPG|link=西広島駅|西広島駅
 
ファイル:Hiroden-nishihiroshima-station.jpg|link=広電西広島駅|広電西広島駅
 
</gallery>
 
 
 
=== 道路 ===
 
地域内に[[宮島街道]]が走っており、南の他地区との間には[[西広島バイパス]]が走っている。[[広島県道265号伴広島線]]が地域内を通っており、[[己斐峠]]を経由して[[五月が丘 (広島市)|五月が丘]]へ行くことができる。
 
 
 
== ズッコケ三人組との関係 ==
 
[[File:Zukkoke sanningumi.JPG|thumb|right|250px|西広島駅付近に設置されたズッコケ三人組の像]]
 
[[ズッコケ三人組]]に登場する花山町のモデルが己斐であることは作者の[[那須正幹]]自身が明かしており、広島市の広報紙でも紹介されている<ref>[http://www.poplar.co.jp/zukkoke/nasu-sensei/nashu-message.html それいけ!ズッコケ三人組ホームページ]2013年9月7日閲覧。</ref>。那須によると、ミドリ市のモデルは「もう完全に1960年代の後半の広島、人口もちょうど60万人ぐらいになるかな、あのころの広島」であるという<ref>[[石井直人]]・[[宮川健郎]]編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139([[ポプラ社]]、[[2000年]])</ref>。
 
{{see|ズッコケ三人組#舞台のモデル}}
 
 
 
== 施設・企業 ==
 
歴史ある宗教施設が多数ある<ref name=west/>。また、以下に示すように、小中学校の名前と存在地域は必ずしも一致していない。
 
 
 
=== 宗教施設 ===
 
[[ファイル:Asahiyama shrine 01.JPG|thumb|right|250px|旭山神社]]
 
* [[旭山神社]](己斐西町 {{ウィキ座標|34|23|50.0|N|132|25|29.0|E||地図|name=旭山神社}})
 
: 「[[コイ|鯉]]の神社」と親しまれている。
 
:{{main|旭山神社}}
 
* [[国泰寺 (広島市)|国泰寺]](己斐上 {{ウィキ座標|34|24|52|N|132|24|38.3|E||地図|name=国泰寺}})
 
: [[曹洞宗]]。大茶臼山西麓にある。
 
:{{main|国泰寺 (広島市)}}
 
* 教順寺・滝之観音堂(己斐上{{ウィキ座標|34|24|59.5|N|132|25|2.2|E||地図|name=教順寺・滝之観音堂}})
 
: 境内の滝は古くから自然の聖地とされ、[[蓮如]]上人作と伝えられる観音が祀られていた。<ref name=ikusatsu1>参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73</ref>土砂崩れによる被害を受けたが、[[1850年]]に再興。広島新四国八十八か所の第十番霊場となっている。
 
* 長栄山清照寺と西福院淡島大明神(己斐西町 {{ウィキ座標|34|23|44.1|N|132|25|11.4|E||地図|name=長栄山清照寺と西福院淡島大明神}})
 
: [[真言宗]]。隆誉上人が藩主[[毛利輝元]]から土地を拝領して[[1593年]]に[[中島町 (広島市)#原爆投下まで存在した施設|木挽町]]で開山。[[1619年]]に[[淡島神|淡島大明神]]を併せて祭るようになった。[[1945年]]に原爆に遭い仏像が消失。国の重要文化財「紺紙金泥宝篋印陀羅尼経(こんしきんでいほうきょういんだらにきょう)<ref>[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-102050030.html 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経]2013年9月8日閲覧。</ref>」に被害はなく寺宝として大切に保管されている。[[1968年]]に現在地に移転した。<ref name=ikusatsu2>参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76</ref>
 
* 新山千手観音堂(己斐東 {{ウィキ座標|34|24|22.1|N|132|25|44.4|E||地図|name=新山千手観音堂}})
 
: [[毛利輝元]]彫刻の千手観音が祀られているが、開帳日以外は見ることができない。大元稲荷社がすぐ近くにあり、観音堂を守護している。
 
* 瑞雲山善法寺(己斐本町 {{ウィキ座標|34|23|41.7|N|132|25|30.5|E||地図|name=瑞雲山善法寺}})
 
:[[浄土真宗本願寺派]]。[[1928年]]、[[広瀬・寺町|寺町]]から移転した。終戦直後、臨時に軍人および被爆死没者の遺骨の奉安所となる。遺骨は後に広島市の慰霊塔に合祀された。またかつては境内に「己斐幼稚園」を経営していた。
 
* 通玄観音堂
 
: 己斐上と己斐中の境界付近に位置<!-- 住所がわからないので「境界付近」とごまかしています。住所をご存知の方は加筆をお願いします。 -->。[[己斐#史跡|後述]]の通玄山の近くにある。
 
* 法輝山光西寺(己斐中 {{ウィキ座標|34|24|2.9|N|132|25|26.6|E||地図|name=法輝山光西寺}})
 
:[[浄土真宗本願寺派]]。[[高田郡]][[美土里町|桑田村]]出身の智鏡和尚により[[宝永]]年間に廃寺となっていた教坊を再興したのが前身とされ、[[1862年]]に[[西本願寺]]より許可、[[1879年]]に「光西寺」の寺号を許可される。<ref name=ikusatsu3>参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74</ref>
 
* 浄修院(己斐西町 {{ウィキ座標|34|23|54.6|N|132|25|21.1|E||地図|name=真宗木辺派浄修院}})
 
: [[真宗木辺派]]。[[真田増丸]]率いる[[救世軍#関連項目|大日本仏教済世軍]]運動に挺身した橋本豊和師により[[1926年]]創建。<ref name=ikusatsu4>参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75</ref>
 
 
 
=== 小学校 ===
 
* [[広島市立己斐小学校]](己斐上 {{ウィキ座標|34|24|0.66|N|132|25|19.56|E||地図|name=広島市立己斐小学校}})
 
* [[広島市立己斐上小学校]](己斐上 {{ウィキ座標|34|25|1.94|N|132|25|28.72|E||地図|name=広島市立己斐上小学校}})
 
* [[広島市立己斐東小学校]](己斐中 {{ウィキ座標|34|24|23.76|N|132|25|31.4|E||地図|name=広島市立己斐東小学校}})
 
 
 
=== 中学校 ===
 
* [[広島市立己斐中学校]](己斐上 {{ウィキ座標|34|24|27.27|N|132|24|51.34|E||地図|name=広島市立己斐中学校}})
 
* [[広島市立己斐上中学校]](己斐上 {{ウィキ座標|34|24|26|N|132|24|49.6|E||地図|name=広島市立己斐上中学校}})
 
* [[ノートルダム清心中学校・高等学校]](己斐東 {{ウィキ座標|34|24|11.4|N|132|25|54.7|E||地図|name=ノートルダム清心中学校・高等学校}})
 
 
 
=== 高等学校 ===
 
[[ファイル:Yumemart koi 20131215.JPG|thumb|right|250px|ゆめマート己斐]]
 
* [[広島音楽高等学校]](己斐東 {{ウィキ座標|34|24|15.33|N|132|25|56.18|E||地図|name=広島音楽高等学校}}
 
* ノートルダム清心中学校・高等学校
 
 
 
=== 企業 ===
 
* [[エイチ・ディー西広島]]本社(己斐上 {{ウィキ座標|34|24|54.53|N|132|25|5.05|E||地図|name=エイチ・ディー西広島本社}})
 
* [[メガネ21]]本社(己斐本町 {{ウィキ座標|34|23|32.4|N|132|25|28.7|E||地図|name=メガネ21本社}})
 
 
 
=== 金融機関 ===
 
* [[広島銀行]]己斐支店(己斐本町)- [[1920年]]開設の[[芸備銀行]]己斐支店を前身とする。
 
* [[もみじ銀行]]己斐支店(己斐本町)- [[1973年]]に[[広島相互銀行]]己斐支店として現在地に開設。
 
* [[広島信用金庫]]己斐支店(己斐本町)- [[1951年]]に同金庫土橋支店己斐出張所として開設。[[1967年]]に現在地へ移転。
 
* [[広島市信用組合]]己斐支店(己斐本町)- [[1964年]]に[[ひろでん会館]]内に開設。[[1973年]]に現在地へ移転。
 
* [[広島市農業協同組合|JA広島市]]己斐駅前支店(己斐本町)- [[1907年]]設立の己斐[[産業組合|信用販売利用組合]]を前身とする。
 
 
 
=== 商業施設・その他 ===
 
* [[ひろでん会館]](己斐本町 {{ウィキ座標|34|23|50.25|N|132|25|42.59|E||地図|name=ひろでん会館}})
 
* [[イズミ|ゆめマート]]己斐(己斐本町 {{ウィキ座標|34|23|54.7|N|132|25|45.8|E||地図|name=ゆめマート己斐}})
 
* ひろぎんの森(己斐上 {{ウィキ座標|34|25|9.21|N|132|25|33.01|E||地図|name=広銀の森}})
 
: [[広島銀行]]研修所と付属する各種スポーツ施設。同体育館はかつて[[広島銀行ブルーフレイムズ]]が本拠地としていた他、[[広島メイプルレッズ]]も練習場としている。また、広島銀行の関連法人である学校法人信愛学園のぞみ幼稚園も隣接して立地する。
 
* 己斐ガーデンスクエア(己斐本町 {{ウィキ座標|34|23|36.99|N|132|25|27.88|E||地図|name=己斐ガーデンスクエア}})
 
 
 
== 史跡 ==
 
[[ファイル:Ropeway at Koi Radio Relay Station 1955.jpg|right|thumb|250px|通称「己斐ロープウェイ」。電電公社己斐無線中継所専用のロープウェイで現存せず。]]
 
[[ファイル:Koi Radio Relay Station 1955.jpg|right|thumb|250px|1955年頃の己斐無線中継所。中央がロープウェイの発着所。]]
 
* [[己斐城]](己斐上、茶臼山)
 
: [[鎌倉時代]]中期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[山城]]。
 
:{{main|己斐城}}
 
* 己斐古城(己斐西町、旭山)
 
: 築城年、城主は不明。[[鎌倉時代]]中期の城と推定されている<ref name=west/>。
 
* キリシタン殉教の碑(己斐東{{ウィキ座標|34|24|3.1|N|132|25|54.89|E||地図|name=キリシタン殉教の碑}})
 
: 広島では[[1599年]]に伝道されたキリスト教であるが、[[豊臣秀吉]]が[[1587年]]に出した[[バテレン追放令]]や[[1596年]]に出した[[禁教令]]、および[[江戸幕府]]が[[1612年]]および[[1613年]]に出した[[禁教令]]により迫害された。[[1616年]]山手川(現在の[[太田川放水路]])の河原にて処刑が行われた。時は流れ、付近に[[カトリック教会|カトリック]]の学校(ノートルダム清心中学校・高等学校)ができるなど、迫害は過去のものとなった。そして[[1984年]][[2月]]、己斐の歴史研究会の有志によってキリシタン殉教の碑が設置された<ref name=west/>。
 
* 通玄山(己斐中 {{ウィキ座標|34|24|12.6|N|132|25|17.6|E||地図|name=通玄山}})
 
: 通玄山という文字が彫られた岩。通玄という語には禅の極地という意味がある。[[浅野長晟]]の家臣の子として広島に移り住み、晩年を己斐の地で過ごした広島藩士、寺西織部信之が、[[黄檗宗]]の開祖である[[隠元隆き|隠元禅師]]の通玄山という書を禅門の師を通じて得て、岩に彫刻したものであると言われている<ref name=west/>。
 
* [[己斐配水池]](己斐東 {{ウィキ座標|34|24|11.4|N|132|25|45.8|E||地図|name=己斐配水池}})
 
: 旧送水ポンプ室は、1945年(昭和20年)の[[広島市への原子爆弾投下|原爆]]に耐えた[[被爆建造物|被爆建物]]である<ref>[http://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibakumap/spot/BD-0023.html NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室]2013年9月10日閲覧。</ref>。
 
:{{main|己斐配水池}}
 
* 原爆被爆給水塔(己斐本町、[[己斐#施設|前述]]の己斐ガーデンスクエア内)
 
: 赤レンガ積みの給水塔であり、1辺が約4[[メートル|m]]、高さ約10mの大きさの[[被爆建造物|被爆建物]]。軍服を製造していた日本麻紡績株式会社が所有していた<ref name=west/>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 『軍津浦輪物語(改定版)』広島郷土史研究会、[[1980年]]
 
* 『広島県の地名』(日本歴史地名大系 第35巻) [[平凡社]]、[[1982年]]
 
* 『角川日本地名大辞典 第34巻:広島県』 [[角川書店]]、[[1987年]] ISBN 4040013409
 
* 長船友則 『広電が走る街 今昔』 [[JTBパブリッシング]]、[[2005年]] ISBN 4533059864
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[広島市町名・地区一覧]] - [[西区 (広島市)|西区]]
 
* [[己斐町]]
 
 
 
{{Geographic Location
 
|Centre    = 己斐
 
|North    = [[山手町 (広島市)|山手町]]
 
|Northeast =
 
|East      = [[福島町 (広島市)|福島町]]
 
|Southeast = [[観音 (広島市)|観音]]
 
|South    = [[庚午 (広島市)|庚午]]
 
|Southwest = [[高須 (広島市)|高須]]
 
|West      = [[高須台]]
 
|Northwest = [[五月が丘 (広島市)|五月が丘]]
 
|image    =
 
}}
 
{{広島市の市域}}
 
{{DEFAULTSORT:こい}}
 
[[Category:広島市西区の地理]]
 
[[Category:己斐 (広島市)|*]]
 

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