ja>Baterch |
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− | {{Otheruses|宗教的救済|[[法 (法学)|法律]]による救済|法的救済|[[鎌倉時代]]末期の[[連歌]]師|救済 (連歌師)}}
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− | '''救済'''(きゅうさい、{{lang-en|salvation}})とは、ある対象にとって、好ましくない状態を改善して(脱して)、望ましい状態へと変える(達する)ことを意味する。宗教的な救済は、現世における悲惨な状態が宗教に帰依することで解消または改善されることも意味する。様々な[[宗教]]で極めて重要な概念であり、救済を強調する宗教は[[救済宗教]]とも呼ばれ、「救済宗教」で通常「救済」という場合は、現世の存在のありようそのものが、[[生]]及び[[死]]を越えた存在領域にあって、何らかの形で決定的に改善されることを表すのが一般である。
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− | == 救済の型の分類 ==
| + | '''救済'''(きゅうさい、{{lang-en|salvation}}) |
− | *救済される場所による分類:来世救済型 対 現世救済型
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− | *救済される対象による分類:個人救済型 対 集団救済型
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− | *救済される方法による分類:自力救済型 対 他力救済型
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− | 救済の型には、生者や死者や魂などが天国や極楽や理想郷などの「あの世」に行く「来世救済型」と、神や仏や菩薩や救世主や理想郷などが「この世」に現れる「現世救済型」がある。また、個人単位で救済される「個人救済型」と、[[宗教的共同体]]や民族や国家や人類全体など集団単位で救済される「集団救済型」がある。また、信仰や苦行や禁欲や悟りや善行による「自力救済型」(≒「因果説型」)と、神や仏や菩薩や救世主などの恩恵や慈悲による「他力救済型」がある。
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− | [[ファイル:Solar eclipse at kashima Japan May 21 2012.jpg|thumb|right|250px|太陽と月が一つになった「金星神=光明神」のシンボル 「オーリオール(アウレオラ/アウラ)」。]]
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− | [[ファイル:ChristianEyeOfProvidence.svg|thumb|right|250px|[[キリスト教]]で用いられるプロビデンスの目。この「目」は、本来、「太陽」(丸)と「月」(三日月もしくはアーモンド型)のシンボルを合成したものであり、「金星(神)」を意味する。「太陽(神)」+「月(神)」→「金星(神)」。]]
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− | == キリスト教における救済 ==
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− | キリスト教[[神学]]においては特に「救済論」(soteriology)の中心概念である。[[キリスト教]]は典型的な救済宗教で、キリスト教における救済とは、キリストの十字架による贖いの功績に基づいて与えられる恵みにより、信仰による[[罪]]の咎と束縛からの解放、そして死後にあって、超越的な存在世界にあって[[神]]の恩顧を得、[[永遠のいのち]]に与ることである。永遠のいのちは、時として、生物的ないのちとは種類を異にする、この世にあって持つことのできる霊的ないのちとも解釈できる。
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− | ローマ・カトリック教会においては、罪は犯したが償える可能性の残っている者は[[煉獄]]に送られるとされる。
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− | また、未来において世界が終末を迎えたとき、神が人々を裁くという[[最後の審判]]の観念もある。その時混乱の極みにある世界に[[イエス・キリスト|イエス]]が[[救世主]]として再臨し、王座に就くとされる。死者達は墓の中から起き上がり(伝統的に[[火葬]]しなかったのはこの時甦る体がないといけない為)、生者と共に裁きを受ける。信仰に忠実だった者は[[天国]]へ、罪人は[[地獄 (キリスト教)]]へ、世界はイエスが再臨する前に一度終わるが、この時人々は救済され、新しい世の始まる希望がある。([[千年王国]])
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− | == グノーシス主義における救済 ==
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− | [[グノーシス主義]]における救済とは、[[反宇宙的二元論]]の[[世界観]]より明らかなように、[[悪]]であり[[暗黒]]の偽の[[神]]が支配する「この世」を離れ、[[肉体]]の束縛を脱し、[[霊]]として、[[永遠]]の世界([[プレーローマ]])に帰還することを意味する。グノーシス主義では悪が肉体を形作るものの、善もまた人の体に光の欠片(魂)を埋めたという神話もある。信者は死ぬとき真の神なる父を自覚し、プレーローマへ帰ろうとするが、悪([[アルコーン (グノーシス主義)|アルコーン]]達)の妨げる重囲を突破しなければならない。この過程は全体から見れば、光の欠片の回収でもある。
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− | == 仏教における救済 ==
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− | [[仏教]]における救済とは、個人が[[悟り]]を得て、[[輪廻]]から外れ([[解脱]])、苦しみの多い(本質的に苦である)この世に二度と生まれてこない(転生しない)ことである。
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− | つまり仏教における救済とは、「[[輪廻転生]]」という、仏教が[[バラモン教]]から引き継いだ、世界の仕組みに関する「概念」([[世界観]])をそもそもの前提としている。
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− | そして「輪廻転生」は、「転生」という概念を前提としている。そして「転生」は、「霊魂的な「何か」の存在」という概念を前提としている。
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− | しかしバラモン教や仏教では、そうした「転生」が輪(環)のように永続する(輪廻する)ことで、「転生」そのものは「救済」ではなく「苦」と化しており、転生の輪(環)=輪廻から外れることを「救済」とするという、さらにひねくれた(発達した)構造となっている。
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− | (通俗的には)悟りを啓いた者を「ブッダ」と呼び(伝統的には「[[仏陀]]」は歴史的人物としての[[釈迦]]を指す)、人間は誰でも(可能性としては)「ブッダ」になることが出来るとされる。
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− | 本来、仏教は、個人が[[悟り]]を得ることで[[輪廻]]から外れようとする、「個人救済」「自力救済」の営みから始まったものだが、[[大乗仏教]]が興ると自分のみならず他者(衆生)も救済しようという方向性が現れた。
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− | また[[阿弥陀]]信仰や[[観音]]信仰や[[弥勒]]信仰や[[地蔵]]信仰など、[[仏]]や[[菩薩]]により救済される「他力救済」もあるが、本来の仏教の「自力救済」の論理からはありえず、西方の異教([[ゾロアスター教]]・[[ミトラ教]]・[[ネストリウス派]]キリスト教・[[マニ教]]など)に由来する、仏教の皮を被った救世主待望思想の面が強い。
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− | なお、[[弥勒菩薩]]は56億7000万年後に降臨するとされると通常言われているが、初期経典の記述からは5億7600万年が正しい。これは現在弥勒が転生し修行中の兜率天での天寿を計算で出したものである。
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− | [[平安時代]]には[[釈迦]][[入滅]]後[[末法]]の世が到来するという不安に戦乱も重なり、終末の後の救済を求める人心を反映してか[[浄土教]]が浸透していった。
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− | こうした(本来の仏教の論理ではありえない)仏教の「他力救済」の面が、日本における[[キリスト教]]の受容に繋がっていることは否めない。
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− | == 救済事業 ==
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− | 救済を行う事業。[[国際連合パレスチナ難民救済事業機関]] (UNRWA)の[[パレスチナ難民]]救済事業などがよく知られている。種類としては[[貧民]]救済事業、[[孤児]]救済事業、[[失業]]救済事業、各種[[被害者]]救済事業などがある。
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− | === おもな例 ===
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− | * [[難民]]への救済事業
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− | * [[護王神社]] - 孤児救済事業
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− | * [[油須原線]] - 政府が失業救済事業として
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− | * [[ユース・ウィズ・ア・ミッション]]
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− | * [[ハンセン氏病]]救済事業
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− | * [[救済土木事業]]
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− | * [[新梅田食道街]] - 旧国鉄退職者に対する救済事業として* [[学生セツルメント]] - [[大学生]]による[[貧民]]救済事業として始まった
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− | * [[森永ヒ素ミルク中毒事件]]被害者救済事業
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− | * [[公害]]被害者救済事業
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− | * [[救世軍]][[難民]]支援事業(戦時難民救済事業等)
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− | * [[連合国救済復興機関]]救済事業
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− | * [[千葉県]] [[習志野開拓]]や[[下志津開墾]]など
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− | * [[暴力追放青森県民会議]]暴力団員による不法行為の被害者に対する救済事業
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− | * レスト・デュ・クール("Restaurants du coeur") - 貧困者救済事業
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− | * [[弓張岳#軍用道路と高角砲台の建設]]野外コンサートホールに改修 - [[炭鉱]]閉鎖が相次いだ昭和40年代初期に失業者救済事業の一つとして
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− | * 大阪市営地下鉄建設工事 - 失業者救済事業としての一面が
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− | * ドイツ[[強制的同一化]] [[冬季救済事業]]([[:de:Winterhilfswerk des Deutschen Volkes|de]])
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− | * [[ホスピタル・ホスピタリティ・ハウス]](ファミリーハウス)- 宿泊施設での救済事業
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− | === 関連人物 ===
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− | * [[施乾]]
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− | * [[井上友一]] - 感化救済事業や[[地方改良運動]]などを推進
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− | * [[ハンナ・リデル]] - 日本における[[ハンセン氏病]]救済事業で知られる
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− | * [[光田健輔]] - ハンセン病患者への救済事業に積極的に取り組んだ
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− | * 綱脇龍妙 - [[ハンセン病]]患者救済事業の先覚者
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− | * [[フィニーズ・ヴァローラム]]
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− | * [[高木仙右衛門]] - 伝道士として[[赤痢]]患者の救護や孤児救済事業に尽力
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− | * [[トマス・ハマーベリ]] - 中近東和平多国間協議での難民救済事業の仕事にも関係
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− | * [[朱慶瀾]]
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− | * [[許世英]]
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− | * [[和気清麻呂]]
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− | * [[アンソニー・カリア]]
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− | * [[石井十次]]
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− | * [[鈴木正三]] - 明治になって失業した武士の救済事業として考案された撃剣興行を主催[[人道]]
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− | * [[タマラ・ド・レンピッカ]] - 戦争救済事業にも参加
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− | * [[大高善兵衛(社会教育家)]] - 1820-1893.農民・農民救済事業に貢献した。家々を回って嬰児教育をし、捨て子を多数養育した<ref>[{{NDLDC|1191420/159}} 大高善兵衛]『読史随筆』赤堀又次郎 著 (中西書房, 1928) </ref>。
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− | * [[佐藤助九郎]]
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− | ==脚注==
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− | <references />
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− | == 参考文献 ==
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− | * 『グノーシスの神話』大貫隆 岩波書店 ISBN 400000445X
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− | * 『終末論と世紀末を知るために』エンカルタ百科事典
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− | * 宮城洋一郎 『日本仏教救済事業史研究』永田文昌堂、1993年
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− | == 関連項目 ==
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− | * [[救済宗教]]
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− | * [[霊]]-[[魂]]-[[肉体]]
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− | * [[キリスト教]]-[[天国]]
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− | * [[救いの順序]]
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− | * [[信仰の確証]]
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− | * [[信仰]]-[[原罪]]
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− | * [[グノーシス主義]]-[[プレーローマ]]
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− | * [[グノーシス]]-[[悪]]
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− | * [[仏教]]-[[涅槃]]
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− | * [[悟り]]-[[無明]]
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− | * [[ストア哲学]]-[[アタラクシア]]
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− | * [[救世軍]](salvation army):'''salvation'''に対して「救済」ではなく「救世」の語をあてている
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− | * [[救済土木事業]]
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− | * [[フィランソロピー]]
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− | * [[チャリティー]]
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− | * [[救世主]]
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− | * [[ウィーン宣言及び行動計画]]
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− | * [[法的救済]]
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− | {{Reli-stub}} | |
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| + | 宗教における基本的な概念の一つ。広義には超合理的な方法で肉体的,心理的に否定的な状況から脱して,安定に到達することをいう。その具体的な内容は,それぞれの宗教により,さまざまな様相を示しており,個人だけではなく家族,民族といった集合体までもが,救済の対象として考えられることがある。実現の方法は,基本的に神仏や,なんらかの霊的な存在などに祈願し,その加護を期待するものと,もっぱら自己の努力による達成を期するものとに分けられる。前者は他力的な救済,後者は自力的な救済ともいいうるが,狭義には前者を,特に限定して救済ということもある。キリスト教をはじめ,多くの有神論的な宗教においては,救済は超人間的な存在によって,初めてもたらされると考えられており,各宗教の民衆的な性格とも無関係ではない。これに対し,とりわけ初期のインドの仏教のように,少数の達人的な修行者によってになわれた宗教では,自己修練の積重ねによって,[[解脱]]にいたることが目標とされた。この意味で仏教は基本的に解脱型,キリスト教は救済型といってもよい。現実には,キリスト教の内部でも解脱に近い体験はみられるし,逆に仏教にも浄土教のように明らかに救済型というべきものもある。そのかぎりでは,解脱と狭義の救済とは,さまざまな宗教を通じてみられる体験の類型といえる。 |
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