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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=60.46.240.165&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-29T22:18:21Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 名鉄キハ8000系気動車 2018-06-28T06:05:04Z <p>60.46.240.165: /* 間合い運用 */</p> <hr /> <div>{{unreferenced|date=2016年9月9日 (金) 20:18 (UTC)}}<br /> {{右|[[ファイル:Meitetsu-8200DC.jpg|thumb|240px|right|名鉄 キハ8000系]]}}<br /> {{ブルーリボン賞 (鉄道)|9|1966}}<br /> &#039;&#039;&#039;名鉄キハ8000系気動車&#039;&#039;&#039;(めいてつキハ8000けいきどうしゃ)とは[[名古屋鉄道]](名鉄)にかつて在籍した優等列車用[[気動車]]の一群を指す総称である。<br /> <br /> [[日本国有鉄道]](国鉄)[[高山本線]]への直通列車運転を目的に、[[日本車輌製造]]で1965年と1969年の2回に亘り、6両ずつ合計12両が製造された。当初は[[準急列車]]に用いられ、その後[[急行列車]]、さらには国鉄ばかりか[[富山地方鉄道]]の[[特別急行列車|特急列車]]にまで充当されるという希有な経歴を持つ&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;元々、準急形・急行形車両であった車両が特急列車への格上げによって事実上の特急形車両になった事例は他にも[[東武200系電車|東武200・250系]]や[[東武300系電車|300・350系]]、[[国鉄157系電車|国鉄157系]]がある。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 第9回(1966年)[[鉄道友の会]][[ブルーリボン賞 (鉄道)|ブルーリボン賞]]受賞車。<br /> <br /> == 直通運転の背景 ==<br /> {{see also|名鉄特急#高山本線直通列車}}<br /> 名古屋鉄道は名岐鉄道時代の[[1932年]]([[昭和]]7年)10月から[[週末]]に、自社[[名鉄犬山線|犬山線]]と国鉄(当時の運営母体は[[鉄道省]])高山本線経由で[[名古屋市]]内の[[柳橋駅 (愛知県)|柳橋駅]]([[名古屋駅]]近くの名鉄[[ターミナル駅]]。[[1941年]]〈昭和16年〉廃止)から[[下呂駅]]への[[直通運転|直通列車]]を運行していた。当時は[[列車便所|便所]]取付・[[畳]]敷化などの改装を施した名鉄[[電車]]([[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ750形]])を、高山本線内で国鉄[[蒸気機関車]]に牽引させることで、直通運転を実現していた。両線が近接している[[鵜沼駅]]に[[連絡線]]を設けて直通させている。<br /> <br /> この背景には、名古屋駅 - 鵜沼駅間では[[岐阜駅]]経由の[[東海道本線]]・高山本線ルートより犬山線を経由する方が短距離という事情と、名鉄のターミナルであった柳橋駅は当時の名古屋市の[[中心市街地|中心街]]に位置していたこともあって、[[旅客]]誘致策の一環として名鉄が鉄道省に申し入れた。鉄道省側は当初、一私鉄の車両を省線で運行するには[[保安装置|保安]]上問題があるとして拒んでいたが、[[昭和天皇]]が犬山[[行幸]]の折に名鉄を利用していたこと、また、鉄道省も当時は観光客の誘致に力を入れていたこともあり、名鉄車両の省線乗入れを受け入れたものである。<br /> <br /> 名鉄ではこの乗入れ列車のために、当時の最新鋭車であるモ750形2両の半室を畳敷に改造した「お座敷電車」を用意し、「&#039;&#039;&#039;下呂行き特急&#039;&#039;&#039;」として大々的に宣伝した。下呂への往路は[[土曜日]]の[[昼]]過ぎに柳橋を出発し、復路は[[日曜日]]の[[夕方]]に柳橋へ到着するダイヤが設定され、週末の1泊[[旅行]]に適したものとなった。<br /> <br /> その後[[1940年]](昭和15年)10月の[[戦時体制|戦時]][[ダイヤ改正]]からは国鉄の[[木造]]客車を名鉄線内で電車牽引する、逆乗入れの形態となった(運用上、この方が鉄道省の取扱が楽になる)。直通運転は[[太平洋戦争]]中に戦況の激化に伴って休止されたが、時期は不明([[1944年]]〈昭和19年〉改正時の[[時刻表]]には乗入れ列車の記述あり)となっている。<br /> <br /> [[戦後]]、[[1960年代]]の国内観光[[流行|ブーム]]を背景にこの直通運転再開が目論まれた。名鉄側は以前から運転再開を希望していたが、実現の契機となったのは従来[[名鉄築港線]]によって担われてきた[[東名古屋港駅]]からの貨車輸送が[[1965年]](昭和40年)に開業した[[第三セクター鉄道]]の[[名古屋臨海鉄道]]に立替えられた事情があった。名古屋臨海鉄道には国鉄も[[資本]]参加しており、高山本線直通運転再開は築港線貨物輸送の[[補償]]という意味合いがあったようである。<br /> <br /> すでに高山本線では[[1958年]](昭和33年)以降、気動車による[[準急列車]]が運行されて好成績を収めており、名鉄直通列車についても気動車が用いられることになった。この列車もまた準急列車としての設定が[[計画]]された。<br /> <br /> 名古屋鉄道(と同社に[[M&amp;A|合併]]されたいくつかの[[鉄道事業者|鉄道会社]])は[[戦前]]こそ[[支線]]用の[[日本の気動車史#ガソリンカーの一般化|ガソリンカー]]を保有していたがそれらは[[戦中]][[戦後]]に全て[[電車]]の[[付随車]]に改造され、戦後長らく気動車の保有はなかった。だが、狭小な[[建築限界]]の名鉄線には幅広な国鉄形気動車が直通できないこと、また国鉄車両よりも水準の高いサービスが目論まれたこともあり、新たに専用の気動車を開発することになった。<br /> <br /> == 仕様・構造 ==<br /> === 走行機器 ===<br /> 開発コストを抑制し、また国鉄線内では国鉄乗務員が運転するという事情から、[[操縦席|運転台]]と走行性能については[[1961年]]から量産されていた国鉄の[[急行形車両|急行形]]気動車[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]に準じたものとなった。最高速度は95[[キロメートル毎時|km/h]]である。<br /> <br /> {{Sound|meitetsu kitaalps kiha8003 zingumae.ogg|8003の走行音}}[[ディーゼルエンジン|エンジン]]はキハ58形と同一仕様の[[DMH17系エンジン|DMH17H形]](180[[馬力|PS]]/1,500rpm)を搭載、[[鉄道車両の台車|台車]]も同様の国鉄標準形である金属バネ台車のDT22C形・TR51B形が用いられた。[[液体式変速機|変速機]]や逆転機の減速比もキハ58系(ひいては一般形気動車)に等しい2.976である&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[国鉄キハ80系気動車|国鉄キハ80系]]は2.613(最高速度100km/h)、同キハ181系は2.362(同120km/h)、[[JR東海キハ85系気動車|JR東海キハ85系]]と名鉄キハ8500系が2.280、JR北海道キハ183系の130km/h対応車は2.000である。&lt;/ref&gt;。ブレーキも国鉄形気動車同様の[[自動空気ブレーキ]]DAE-1形だが、高山本線での連続[[勾配]]を考慮し、キハ58系に中途から採用されていた機関ブレーキ機構([[エンジンブレーキ]]の制御回路)を当初から併設している。<br /> <br /> 名鉄線内の車両限界([[建築限界]])に対応するため車体寸法が縮小され、床下の艤装空間が不足することから、[[ラジエーター|放熱器]]は車端部の床上に置かれた。室内配置では自然通風による放熱が困難であるため、屋根上のファンで車体側面から吸気し、屋根上に排熱する強制通風式である。これは[[国鉄キハ80系気動車|国鉄キハ81形・キハ82形気動車]]の[[発電機|発電セット]]用冷却系と同様であるが、小断面車体で屋根高さも低い本系列では、通路の天井高さを確保するため、小径ファンを左右に振り分けて装備する。車体端部には冷却風の吸気口を配する。<br /> <br /> 保安装置は[[自動列車停止装置|ATS]]を装備し、&#039;&#039;&#039;M式ATS&#039;&#039;&#039;(名鉄式自動列車停止装置)と国鉄仕様のATS-S形の二重装備としている。<br /> <br /> === 車体 ===<br /> [[ファイル:Meitetsu 8052 syanai.jpg|thumb|200px|right|キハ8052の室内]]<br /> 国鉄気動車を基準とした走行機器とは異なり、車体の内外装は独特の意匠をもつ。<br /> <br /> 名古屋鉄道は[[1959年]]に[[普通列車]]に用いられる車両としては日本初の「大衆冷房電車」[[名鉄5500系電車|5500系電車]]を送り出し、[[1961年]]には前面展望構造を備えた冷房付車[[名鉄7000系電車|7000系電車]]「[[パノラマカー]]」を開発していた。この先例との兼ね合いもあり、名鉄は直通準急用気動車についても冷房の搭載を決定した。冷房装置は名鉄で初採用のいわゆるポンプレス型で、屋上カバーは排気扇と一体化した連続形に、室内は平ら天井となった。キハ58系の設計に準ずるため、客室床面と窓[[框]](850mm)が共に名鉄の電車に比べて高く、側面はやや腰高に見える。側窓についてはパノラマカー同様のヒドゥン[[ピラー]]を用いた広い固定式連続窓(天地寸法 75 [[センチメートル|cm]])として眺望を確保し、[[普通車 (鉄道車両)|二等]]座席もパノラマカーと同様の[[転換クロスシート]]とした。座席のモケットは登場時灰緑色で特急昇格時に赤色へ、[[1980年代]]には7000系白帯車と同じ2色へと変化している。また私鉄としては異例な[[グリーン車|一等車]]も製造され、こちらは国鉄優等車両の一等車と同等の[[リクライニングシート]]を採用した。長距離運用のためデッキ付としトイレも設置されている。客室化粧版は7000系と異なり薄茶色の木目柄が採用され、少し上級なイメージであった。なお屋根高さが3,450mm、床面高さ1,250mmであったことから、客室天井高さは薄型のポンプレス式冷房装置を以てしても2055mmで、国鉄特急車と同様に低かった&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;国鉄キハ80系は床面高さが同じで、屋根高さは3,490mm。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[操縦席|運転台]]は正面貫通式の高運転台構造で、窓上両側に[[シールドビーム]]2灯を配置している点はキハ58系と共通である。運転台前面窓は隅部に斜めの平面ガラスを配置することで簡易なパノラミックウィンドウを採用し、前面は国鉄キハ82形の意匠に類似する。正面貫通路上はキハ58系にある[[方向幕|列車種別表示幕]]を廃した代わりにスピーカーが仕込まれ、名鉄特急(パノラマカー)の象徴である[[警笛#名古屋鉄道|ミュージックホーン]]の吹鳴装置を装備していた。通常の空気笛は冬季降雪時の伝播性(聞こえ易さ)を考慮して、国鉄車両と同型の[[タイフォン]]を装備した。&lt;!-- 余談だがミュージックホーンは本来名鉄線内のみでの使用だったが直通先の富山地方鉄道にて使用された事もあった。--&gt;<br /> [[ファイル:Meitetsu-DC-8000.jpg|thumb|200px|right|犬山橋を通過するキハ8000形]]<br /> 国鉄気動車並みの20[[メートル|m]]級車体ではあるが、カーブなどで限界に抵触しないよう車幅をキハ8200形で2,710[[ミリメートル|mm]]に、他の形式では2,730mmに抑えた。これは国鉄キハ58系の全幅2,944mmより200mm以上狭い仕様である。のちに製造された[[名鉄1000系電車|1000系]]、[[名鉄8800系電車|8800系]]中間車やキハ8500系においては、20m級車体であっても端部の角を落とすことで2,740mmの車体幅を確保しているが本系列では車体全体の幅を抑えた構造になっているため特に車体幅が狭い。<br /> <br /> [[枇杷島分岐点]]の急カーブに対応するため、連結面の隙間は国鉄車両の500mmより拡大され、730mmとしている。客用扉は[[戸袋]]の不要な2枚折戸を用い、車体内側の空間確保に配慮した。乗降口は乗降頻度の少なさと床上配置の放熱器を設置する空間を確保するため、運転台とは反対側の1か所のみである。<br /> <br /> 当時非冷房が主体であった国鉄の準急用車両に比べ&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;当時の準急・急行列車の二等車は一部の例外を除き非冷房で、一等車でさえ冷房化途上であった。当時の高山本線の準急列車には一等車いえども非冷房・非リクライニングシートの車両さえあった。&lt;/ref&gt;、「特急車両」に準じて設計された本系列の接客設備は列車種別相応の設備から乖離する懸念も指摘されたが、名鉄は自社の方針を堅持した準急用気動車として本系列を完成させた(それと引き換えに全車指定席制となった。自由席が設けられたのは特急格上げ後である)。なお、本系列と同様に観光路線向けの準急用として特急車両並みの設備で登場し、実際に後年は専ら特急用とされた点では[[国鉄157系電車]]の前例がある(ただし同系は新製当初非冷房。また側窓は1段下降式であった)。<br /> <br /> * 名鉄は元々市内電車を出発点とし、特に旧名岐鉄道の各路線では終戦直後(名古屋本線の直通運転開始)まで小・中型車両が主体であった影響から、今でも枇杷島橋梁付近などに急カーブが残り[[車両限界]](車幅)も国鉄・関東の[[大手私鉄]]などより一回り小さい「地方鉄道車両定規」2,744mmを守り通している。<br /> <br /> == 個別形式 ==<br /> <br /> === キハ8000形 ===<br /> {{vertical images list<br /> |幅=200px<br /> |1=急行北アルプス号美濃太田駅.jpg<br /> |2=キハ8002<br /> |3=Meitetsu 8000 sakou.jpg<br /> |4=キハ8003<br /> |5=Meitetsu 8052 toyama.jpg<br /> |6=キハ8052<br /> }}<br /> 片運転台の二等車で[[1965年]]7月に2両(8001・8002)が製造され、その後[[1969年]]9月に1両(8003)が増備された。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを1基搭載する。1976年の特急格上げ時、客室前方の一角に車掌室を設置した。<br /> <br /> === キハ8050形 ===<br /> 運転台のない中間二等車で、1965年7月に2両(8051・8052)が製造された。高山本線の急勾配に備え、走行用エンジンを2基搭載する。<br /> <br /> === キロ8100形・キロ8150形 ===<br /> 私鉄には珍しい一等車(1969年から[[グリーン車]])で1965年7月に先頭車1両(8101)中間車1両(8151)が製造された。リクライニングシートを装備し、他形式と同様の連続窓だが、座席1列に1窓の割で配置されているため窓幅が狭い。走行用エンジン1基と、冷房電源用エンジンを搭載する。<br /> <br /> [[1970年]]の立山直通運転に際してグリーン車(旧一等車)の乗車率なども考慮した輸送力見直しが行われ、座席を普通車仕様の転換クロスシートに交換して普通車キハ8100形(8101)に格下げされた。8151には運転台取付改造も行われ、キハ8100形に編入されて8102となった。この時に取外されたリクライニングシートは当時計画のあった特急専用車に転用するため保管されていたが、車両計画の停滞により使用されないまま後年に廃棄されている。1985年に廃車された。<br /> <br /> === キハ8200形 ===<br /> {{vertical images list<br /> |幅=200px<br /> |1=Meitetsu 8000 alpenexp terada.jpg<br /> |2=キハ8202<br /> }}<br /> 立山直通に際して不足する駆動力を補強するため増備。片運転台の普通車で、1969年9月に5両(8201 - 8205)が製造された。走行用エンジン2基の他に電源用エンジンまで搭載した重装備車であり、他のキハ8000系各形式の全長19730mmに対し、床下スペース確保のため全長を20730mm に延伸している。これは当時名鉄の車両で最大であった&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;名鉄において20m級車両は既に初代3700系(私鉄向け63系)の前例があったが、車体外寸が20mジャストで最大長が20m超となったのは本形式が最初。引き続きオーバーハングを自社の電車と同様に短く取ったため台車間が長く、曲線での車体偏倚が大きいため車体幅をさらに狭めることになった。&lt;/ref&gt;。車体延長に拘らず、ラジエターの追加で定員はキハ8000形より4名減少した。また長い車体がカーブ通過時に車両限界に支障しないよう、車体幅もさらに狭い 2,710 mm となっている。キハ8000系のうちで最後まで残った形式である。<br /> {{-}}<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> === 「たかやま」運用 ===<br /> 8000系は1965年8月から運行を開始した名鉄[[神宮前駅]] - [[高山駅]]間[[準急列車]]「[[名鉄特急#かつて運行された特急|たかやま]]」の専用車として、まず6両が製造された。当時から塗色は国鉄[[急行形車両|急行形]]気動車に準じ、[[クリーム4号]]地色に、窓回り、車体裾、屋根水切りが[[赤11号]]で、運転台周りの塗り分けも全く同一である。<br /> <br /> 冷房付のデラックス準急は名鉄沿線から高山方面へ出掛ける観光客に人気を集め、当初は全車[[座席指定席|指定席]]で運行されたにもかかわらず、特にオンシーズンは[[座席指定券|指定席券]]を確保するのが難しい列車となった。<br /> <br /> 国鉄は[[1966年]]に、走行距離100[[キロメートル|km]]以上の準急列車を[[急行列車]]へ格上げする施策を行ったため「たかやま」も同年3月から急行列車となった。<br /> <br /> 変則的運用として国鉄からの要望で[[1967年]][[7月15日]] - [[8月26日]]([[8月12日]]を除く)の毎土曜日に名古屋駅 - 高山駅間の[[臨時列車|臨時]][[夜行列車|夜行]]急行「りんどう」に投入された例がある。<br /> *「りんどう」は名古屋駅23時28分発 - 高山駅3時05分着の[[ダイヤグラム|ダイヤ]]で下り列車のみの運転とされた。<br /> *[[運用 (鉄道)|運用]](車両受け渡し)は、当日(土曜日)の「たかやま」と夕方の自社線(ディーゼル特急)運用を終えて燃料を補給後、[[神宮前駅]] - [[熱田駅]]間の連絡線から国鉄側へ入線。上り(復路)は日曜日の高山発が未明の3時過ぎでは乗客が見込めないことや定期の「たかやま」運用に支障を与えないために[[回送列車|回送]]とし、早朝に鵜沼駅から犬山線経由で新川工場(現・[[新川検車区]])へ入庫とされた。ただし、国鉄では岐阜駅で進行方向が逆転([[スイッチバック]])するため、犬山線からは[[枇杷島分岐点|下砂杁信号場]]([[西枇杷島駅]]隣接の三角線)を経由して新川工場へ入庫し、方向転換を行った。&lt;!--確かに上記のように記述された文献が残っているが、鵜沼でスイッチバックするので不要のはずだが…。詳細が分かる方、訂正をお願いします--&gt;<br /> *なお名鉄では[[間合い運用]]で自社線内の「ディーゼル特急」で運用していたが、「りんどう」運転翌日は7000系などのパノラマカーで代走を行った。<br /> <br /> === 「北アルプス」運用 ===<br /> [[ファイル:Meitetsu 8000 kitaalps toyama tateyama.jpg|thumb|200px|right|特急「北アルプス」]]<br /> キハ8000系の運用が大きな発展を見せたのは[[1970年]]である。この年7月、[[立山黒部アルペンルート]]が貫通(開通)し運行(乗り入れ)区間も夏季限定ではあったが、玄関口である[[富山地方鉄道]](富山地鉄)[[富山地方鉄道立山線|立山線]][[立山駅]]([[富山駅]]経由)まで延長され、列車名も「たかやま」から「[[名鉄特急#かつて運行された特急|北アルプス]]」へと改称した。このため所要の車両数確保を目的として、キハ8000形・キハ8200形計6両を増備している。<br /> <br /> またこの延長運転には名鉄が当時最も注力していた北陸進出の一環との意味合いも込められており、資本参加を画策していた富山地鉄に対する影響力の増大を意識した名鉄の企業戦略に則ったものであった。後に富山地鉄への資本参加(グループ化)は断念したが、その後も良好な協力関係を築くきっかけともなった。<br /> <br /> [[1976年]]10月、国鉄の増収政策を背景に「北アルプス」は特急列車に格上げされた。客室設備の水準の高さがこの措置を可能としたとも言える。塗色は急行色のまま塗分のみ国鉄特急形気動車に準じた形に変更され、運転台窓下に羽根状の帯を入れた。これより、国鉄のキハ82系に一層よく似たものとなった。予備車も少なく一夜にして急行から特急へ変更する経過措置として塗色はそのまま急行色を使用したと思われるが、結局この配色は8000系全廃時まで変更されることはなく、全国で唯一、急行配色のまま運行された特急列車であった。<br /> <br /> 立山乗り入れは[[1983年]]夏まで13年間継続したが、名古屋駅 - 富山駅間の直通客は所要時間の短い[[北陸本線]]経由の特急を利用するという&lt;!--「しらさぎ」は1964年から運行されているのだが--&gt;実情もあり同年の夏季ダイヤ終了後は神宮前駅 - [[飛騨古川駅]]間に運転区間を固定し、富山地鉄への直通も取りやめた。その後、[[1985年]]には再び富山駅まで区間延長されたが、同時に車両運用(連結両数)も見直され余剰となったキハ8100形2両がこの時点で[[廃車 (鉄道)|廃車]]された。この時期には通常キハ8200形またはキハ8050形2両+キハ8000形1両(2M1m)の3両編成での運行が基本となっていた。<br /> <br /> [[国鉄分割民営化|国鉄民営化]]によって発足した[[東海旅客鉄道]](JR東海)は[[1989年]]、高山線特急「ひだ」に従来の[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系気動車]]に代わり、大出力エンジン搭載の新型車[[JR東海キハ85系気動車|キハ85系気動車]]を投入した。1970年代後半には簡易リクライニングシート、90年代に入れば本格的な[[鉄道車両の座席#クロスシート|リクライニングシート]]が標準仕様であった優等列車の設備傾向に比し、1960年代の仕様であるキハ80系の「[[鉄道車両の座席#クロスシート|回転クロスシート]]」より水準の低い狭幅の「[[鉄道車両の座席#転換式クロスシート|転換クロスシート]]」&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;ただし、「北アルプス」特急格上げ時点での[[新幹線0系電車|新幹線0系]]も普通車の座席は転換クロスシートであった。シートピッチは名鉄が900mm、0系は940mmで各々の標準値に従っている。昇格当時の国鉄特急車ではこれ以外に例がなかった。後年、特急列車・普通列車兼用として製造された[[国鉄185系電車|185系電車]]や、[[1986年]]に特別保全工事が施工された「ひだ」用のキハ80系の一部車両では転換クロスシートの採用例がある。&lt;/ref&gt;で、走行性能も、最終的に2基エンジン車のみになったとは言え1960年代の急行形気動車並みであり&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;名鉄線内では、最高速度はもとより曲線や下り勾配の通過制限速度も旧型電車(所謂AL車)並みの「B速度」が適用された。そのため社線内間合い運用の際も、例えば新名古屋駅 - 豊橋駅間の所要時間を電車列車の52 - 53分(当時)に対して60分前後かけるなど、専用ダイヤを組む必要があった。&lt;/ref&gt;、さらにもともと特急運用を想定していなかったこともあり、台車も金属バネ仕様であった&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;新性能有料特急車として金属バネ台車を装着していた車両としては、[[小田急3000形電車 (初代)|小田急3000形]]と[[東武1720系電車#1700系|東武1700系]]の例がある(後者はのちに空気バネ台車に交換)。&lt;/ref&gt;キハ8000系の陳腐化が顕在化した。もとより準急列車への使用を企図した接客設備は準急・急行形としては優秀であったが、特急形の水準としては十分なものではなかった。<br /> <br /> [[1990年]]には[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)エリア内への乗り入れを中止し、再び運転区間を高山駅までに短縮したが翌[[1991年]]、「北アルプス」の車両は後継形式の[[名鉄キハ8500系気動車|キハ8500系気動車]]に置換えられ、キハ8000系は残存の全車が運用を終了し、除籍された。その後、[[名鉄尾西線|尾西線]][[日比野駅 (愛知県愛西市)|日比野駅]]側線に稼動可能な状態で留置され、対外譲渡を検討したものの車齢と車体重量が原因で成就せず、最後に残ったキハ8200形5両も全て解体された。<br /> <br /> === 間合い運用 ===<br /> [[File:Meitetsu 8000 alpenexp uodu.jpg|thumb|right|150px|アルペン特急]]<br /> 「たかやま」「北アルプス」としての直通運用のほか[[間合い運用]]で[[名鉄特急#「たかやま」・「北アルプス」の間合い運用特急|名鉄線内の特急列車]]にも使われた。また富山地鉄でも立山駅での折り返し時間(特急昇格時ダイヤで15:05着 - 翌11:05発)が長いことから、同社線内立山駅 - [[宇奈月温泉駅]]間の「[[アルペン特急]]」などで運用された実績もある。<br /> {{-}}<br /> <br /> == 注釈 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[名鉄特急]]<br /> * [[西村京太郎]] - 著作『[[特急北アルプス殺人事件]]』で舞台となり、この気動車がトリックとして使われた。<br /> * [[名鉄キハ8500系気動車]]<br /> {{名古屋鉄道の車両}}<br /> {{ブルーリボン賞選定車両一覧}}<br /> {{DEFAULTSORT:めいてつきは8000けいきとうしや}}<br /> [[Category:名古屋鉄道の気動車|8000]]<br /> [[Category:1965年製の鉄道車両]]<br /> [[Category:日本車輌製造製の気動車]]</div> 60.46.240.165 ボーイング737 クラシック 2018-05-13T03:49:24Z <p>60.46.240.165: /* 展示 */</p> <hr /> <div>{{Pathnav|ボーイング737|frame=1}}<br /> {{ Infobox 航空機<br /> | 名称=ボーイング737 クラシック&lt;br /&gt;737-300/-400/-500<br /> | 画像=ファイル:Boeing 737-500 (All Nippon Airways) 2k.jpg<br /> | キャプション=[[ANAウイングス]]の737-500型機<br /> | 用途=[[旅客機]] 、[[ビジネスジェット]]<br /> | 分類=[[ナローボディ]]民間旅客機<br /> | 設計者=<br /> | 製造者=[[ボーイング]]<br /> | 運用者 more=<br /> : [[ANAウイングス]]<br /> : [[日本トランスオーシャン航空]]<br /> : など<br /> | 初飛行年月日=[[1984年]][[2月24日]]<br /> | 生産数=1,988<br /> | 生産開始年月日=[[1981年]]<br /> | 運用開始年月日=[[1984年]]<br /> | 退役年月日=<br /> | 運用状況=運用中<br /> | ユニットコスト= <br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;ボーイング737 クラシック&#039;&#039;&#039;は、[[アメリカ合衆国]]の[[航空機]]メーカー、[[ボーイング]]社が製造する[[ボーイング737]]の第2世代の小型[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> この世代の機体は、[[ボーイング737]]の第1世代で浮上した改善すべき点や寄せられた要望に応えるべくして製造された。ボーイングの目指したひとつの完成形であり、737を代表する機体であることから、「&#039;&#039;&#039;737クラシック&#039;&#039;&#039;」と呼ばれることがある(これに-100型、-200型を含めることもある)。<br /> <br /> [[ボーイング737 ネクストジェネレーション|737NG]](Next-Generation)シリーズの登場により、[[2000年]]に生産を終了している。[[日本トランスオーシャン航空]](JTA)や[[エアーニッポン]](ANK)は導入の途中で生産中止となったが、機種統一の観点から当初は737NGを導入せず、しばらくの間は中古機のオペレーションリースで賄った。<br /> <br /> == 開発・設計 ==<br /> [[ファイル:Boeing 737-400 Engine.JPG|thumb|737-400型機のエンジンカウル([[ガルーダ・インドネシア航空]])]]<br /> [[File:Cockpit of 737-300 LN-KKU.jpg|thumb|737-300 [[コックピット]]]]<br /> 737-200の成功に続き、[[ボーイング]]社はキャパシティーと[[航続距離]]の増大を考えた。そこで、それ以前の737との共通性を保持しながら、改良を行ってアップグレードを行った。<br /> <br /> 開発は[[1979年]]に始まり、[[1980年]]に[[ファーンボロー国際航空ショー]]で発表され、[[1981年]]3月に[[USエアウェイズ]]と[[サウスウエスト航空]]がそれぞれ20機のオプションと一緒に10機を発注した。<br /> <br /> エンジンをそれまでの低バイパス比の[[プラット・アンド・ホイットニー JT8D|JT8D]]から高バイパス比の[[CFMインターナショナル]]製[[CFMインターナショナル CFM56|CFM56-3Bシリーズ]]に換装し、燃費を大幅に向上させるとともに騒音を抑える効果も得られている。地上高の低い737に大直径のエンジンを装備するため、パイロンで主翼前方に突き出すとともに、独特なおむすび型の[[エンジンカウル]]が導入されている。<br /> <br /> 外観上の特徴としてはエンジンの他に、空力面や強度向上の面から垂直尾翼のデザインが変更され、付け根が前に伸びていることがあげられる。翼は[[空気力学]]に基づく改善の変更をいくつか組み込み、翼端は、9[[インチ]](22[[センチメートル]])延長され、最先端の[[スラット]]と後縁[[フラップ]]を調整した。<br /> <br /> また、途中から[[ボーイング757|757]]や[[ボーイング767|767]]の技術を導入して[[グラスコックピット]]化が図られ、[[コックピット]]に4面の[[ブラウン管|CRT]][[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]が登場し、コンピュータ制御による操縦が可能となっている。このほか、客室の内装も757スタイルのものに改められている。<br /> <br /> 基本型は[[1984年]]に登場した-300型で、-200型より胴体が2.64m延長された。[[1988年]]に登場した-400型は-300型の胴体をさらに3.05m延長した胴体延長型、[[1989年]]に登場した-500型は胴体の長さを-200型とほぼ同じにする代わりに、[[航続距離]]を伸ばしたタイプである。本シリーズでは初めから貨物機として製造された機体はなく、貨物型は全て旅客型を改修する形で製造されている。中には[[コンチネンタル航空]]などで後付のウイングレットを装着した-300型や-400型もある。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Air.malta.arp.750pix.jpg|[[マルタ航空]] ボーイング 737-300<br /> Qantas (Jetconnect) Boeing 737-400 Zhao-3.jpg|[[カンタス航空]] 737-400<br /> N512SW (6284246715).jpg|[[サウスウェスト航空]] 737-500<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> なお、[[日本]]が[[ボーイング]]と共同開発する予定だった[[YSX]]は、-500型をベースとして90席程度の機体に改造開発するものであったが、[[1997年]]にボーイングが同クラスのマクドネル・ダグラスMD-95を&#039;&#039;&#039;[[ボーイング717]]&#039;&#039;&#039;として生産することにしたため、実質中止となった。<br /> <br /> ==オペレータ==<br /> ===民間===<br /> {{Main|{{仮リンク|ボーイング737オペレータ一覧|en|List of Boeing 737 operators}}}}<br /> <br /> 2015年7月の時点で、934機のボーイング737クラシックが商用サービスで使用されていた。これは483機の-300、259機の-400、192機の-500を含んでいる。&lt;ref name=FI15&gt;{{cite web |url=https://d1fmezig7cekam.cloudfront.net/VPP/Global/Flight/Airline%20Business/AB%20home/Edit/WorldAirlinerCensus2015.pdf |title= World Airliner Census |work= Flight International |date=July 2015 |page=14 |accessdate=September 27, 2015}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[ロッキード・マーティン]]は[[F-35 (戦闘機)|F-35]]の[[アビオニクス]]のテストベッド機({{仮リンク|CATBird|en|Lockheed Martin CATBird}})のベースとして使用していた。<br /> <br /> ===日本での導入===<br /> ====737-400====<br /> -400型は[[日本航空]](JAL)、[[JALエクスプレス]](JEX、現在は日本航空に吸収合併)、[[日本トランスオーシャン航空]](JTA)、[[エアーニッポン]](ANK、現在は[[全日本空輸]]に吸収合併)、[[AIRDO]](ADO)、[[ソラシドエア]](SNJ)に導入されている。このうち新造機として導入した会社はJAL・JEX・JTAの3社である。<br /> <br /> 最初に-400型を導入したのはJTAで、1994年から-200型・[[YS-11]]の置き換え用として導入を開始した。JALは1995年から導入したが、導入からほどなくして運航コスト低減のために新たに設立されたJALエクスプレスに機材が移管された。なお、JEXの-400型の最終号機であるJA8999については、JALではなく直接JEXに導入された。JTAでは導入途中で-400型の生産が打ち切られたことから、海外の航空会社で運航されていた中古機も導入された。<br /> <br /> 旧JALエクスプレスの-400型の大半は当初日本航空が導入したものを移管されたもので、日本航空本体としては[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]][[ダグラス DC-8|DC-8]]以来の単通路機であった。1990年代からJALグループのJTAが国内線主力機材として運航していたが、容量不足も指摘されがちな機体であった。経年化もあり、今後順次B737-800型に更新予定。各機体には導入月にちなんだ花の愛称が付けられ、737-400全体には「フラワージェット」の愛称が付いた。なお、植物の愛称が付いたJALフリートとしては過去に[[コンベア]][[コンベア880|CV880]]があったが、CV880と同じ名をつけた機体はなかった。<br /> <br /> 2000年代後半から2011年にかけてJEXへの-800型導入により余剰となった機材のJTAへの移管が進められ、JALグループの-400型はJTAに集約されることとなった。それに伴い、JTAで運航されていた海外の航空会社の中古機は全て退役し、以後は自社発注機とJEX移管機のみとなった。2016年からは-800型の導入がJTAでも始まり、-400型の退役が本格的に進められている。<br /> <br /> ====737-500====<br /> -500はエアーニッポン(ANK)とAIRDOが導入した。ANKでは&#039;&#039;&#039;スーパードルフィン&#039;&#039;&#039;の愛称を附与。このうち新造機は[[ボーイング・カスタマーコード一覧|ボーイング社カスタマーコード]]&#039;&#039;&#039;4K&#039;&#039;&#039;を持つ唯一の機種である。JTAの-400同様に導入途中で生産終了したため中古機を導入した。AIRDO機は同社の経営破綻後に傘下に入ったANAウイングスからサブリースされたものである。<br /> <br /> ===軍用===<br /> 多くの国では、政府や軍事用途で737旅客型と貨物型の派生型を運用している。<br /> * [[ブラジル]]、[[チリ]]、[[コロンビア]]、[[インド]]([[インド空軍]])、[[インドネシア]]、[[クウェート]]、[[メキシコ]]、[[ニジェール]]、[[ペルー]]、[[フィリピン]]([[フィリピン空軍]])、[[韓国]]、[[台湾]]([[中華民国空軍]])、[[タイ王国|タイ]]([[タイ王国空軍]])、[[アラブ首長国連邦]]、[[ベネズエラ]]。<br /> * [[中華人民共和国]]の[[人民解放軍空軍]]([[PLAAF]])は空中指揮所として737-300([[機体記号]] B-4052)を運用している。<br /> <br /> ===販売実績===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:96%;&quot;<br /> |-<br /> !タイプ!!合計!!2000!!1999!!1998!!1997!!1996!!1995!!1994!!1993!!1992!!1991!!1990!!1989!!1988!!1987!!1986!!1985!!1984<br /> |-<br /> !737-300<br /> |1113|| ||29||52||65||37||52||54||54||57||69||67||89||141||137||120||83||7<br /> |-<br /> !737-400<br /> |486||2||9||33||33||21||13||32||68||82||56||63||57||17|| || || ||<br /> |-<br /> !737-500<br /> |389|| ||4||31||34||18||24||35||30||79||90||44|| || || || || ||<br /> |-<br /> !合計<br /> |1988||2||42||116||132||76||89||121||152||218||215||174||146||158||137||120||83||7<br /> |}<br /> * 情報源: ボーイング&lt;ref&gt;http://active.boeing.com/commercial/orders/displaystandardreport.cfm?cboCurrentModel=737&amp;optReportType=AllModels&amp;cboAllModel=737&amp;ViewReportF=View+Report&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 展示・保存機 ==<br /> * N759BA(以前の[[機体記号]]はB-2921) - [[中国南方航空]]の737-300。[[アリゾナ州]][[ツーソン]]の{{仮リンク|ピマ航空宇宙博物館|en|Pima Air &amp; Space Museum}}で展示&lt;ref&gt;{{cite news |last=Hechanova |first=Maria |date=November 5, 2013 |title=&#039;Most popular jetliner&#039; added to Pima Air and Space Museum |url=http://www.tucsonnewsnow.com/story/23869174/most-popular-jetliner-added-to-inventory-at-pima-air-and-space-museum |website=www.tucsonnewsnow.com |publisher=[[KOLD-TV]] |accessdate=22 May 2014 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.planespotters.net/Production_List/Boeing/737/27286,N759BA-Boeing-Capital-Corporation.php |title=N759BA Boeing Capital Corporation (BCC) Boeing 737-3Q8 - cn 27286 / ln 2528 |date= |website=www.planespotters.net |accessdate=22 May 2014}}&lt;/ref&gt;。<br /> * N300SW - [[1984年]][[11月]]に[[サウスウェスト航空]]へ最初にデリバリーされた737-300。[[テキサス州]][[ダラス]]の[[ラブフィールド]]にある{{仮リンク|最先端航空博物館|en|Frontiers of Flight Museum}}で展示&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.flightmuseum.com/exhibits/aircraft-3/boeing-737-300/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2016年10月17日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160731232224/http://www.flightmuseum.com/exhibits/aircraft-3/boeing-737-300/ |archivedate=2016年7月31日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 仕様 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center; font-size:80%;&quot;<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#ccc; width:7em;&quot;|&amp;nbsp;<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:5em;&quot;|-300<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:5em;&quot;|-400<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:5em;&quot;|-500<br /> |-<br /> !最大座席数<br /> |149<br /> |188<br /> |145<br /> |-<br /> !座席数&lt;br /&gt;導入例<br /> | -<br /> |JAL145(20+125)<br /> |ANA126<br /> |-<br /> !貨物室容積<br /> |align=center|-||align=center|-||align=center|-<br /> |-<br /> !全長<br /> |33.40m<br /> |36.40m<br /> |31.01m<br /> |-<br /> !全高<br /> |colspan=&quot;3&quot;|11.07m<br /> |-<br /> !全幅<br /> |colspan=&quot;3&quot; align=center|28.88m<br /> |-<br /> !胴体<br /> |colspan=&quot;3&quot; align=center|胴体幅3.76 m(客室幅 3.54 m)<br /> |-<br /> !最大離陸重量<br /> |align=center|56,473 kg||align=center|62,823 kg||align=center|52,390 kg<br /> |-<br /> !エンジン型式<br /> |colspan=&quot;3&quot; align=center|CFM56-3B<br /> |-<br /> !エンジン出力<br /> |colspan=&quot;3&quot; align=center|10,660kg×2<br /> |-<br /> !巡航速度<br /> |colspan=&quot;3&quot; align=center|Mach 0.745<br /> |-<br /> !航続距離<br /> |align=center|約5,000km||約5,000km||約4,500km<br /> |-<br /> !初飛行年<br /> |align=center|1984年||align=center|1988年||align=center|1989年<br /> |-<br /> !製造終了年<br /> |align=center|1999年||align=center|2000年||align=center|1999年<br /> |}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * {{仮リンク|ボーイング737ラダー問題|en|Boeing 737 rudder issues}}<br /> <br /> ===関連機材===<br /> * [[ボーイング737]]<br /> * [[ボーイング737 ネクストジェネレーション]]<br /> * [[ボーイング737 MAX]]<br /> * [[T-43 (航空機)]]<br /> <br /> ===同等サイズ、構成、時代の航空機===<br /> * [[エアバス A320]]<br /> * [[マクドネル・ダグラス MD-80]]<br /> * [[マクドネル・ダグラス MD-90]]<br /> * [[Tu-154 (航空機)]]<br /> * [[Yak-42 (航空機)]]<br /> <br /> ===関連リスト===<br /> * {{仮リンク|ボーイング737オペレータ一覧|en|List of Boeing 737 operators}}<br /> * [[旅客機の一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Boeing 737 Classic}}<br /> * [http://www.boeing.com/commercial/737family/background.html Boeing 737 Family]{{en icon}}<br /> * [http://www.anawings.co.jp/fleet/b737-500/ ボーイング737-500] - ANAによる紹介。<br /> {{Boeing Airliners}}<br /> {{Boeing 7x7 timeline}}<br /> {{Boeing model numbers}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:ほおいんく737くらしつく}}<br /> [[Category:ボーイング737]]</div> 60.46.240.165 ボーイング737 ネクストジェネレーション 2018-05-06T10:41:04Z <p>60.46.240.165: /* 日本での導入 */</p> <hr /> <div>{{Pathnav|ボーイング737|frame=1}}<br /> {{ Infobox 航空機<br /> | 名称=ボーイング737 ネクストジェネレーション&lt;br /&gt;737-600/-700/-800/-900<br /> | 画像=ファイル:Skymark B737-800(JA73NA) (5026158708).jpg<br /> | キャプション=[[スカイマーク]]の737-800型機<br /> | 用途=[[旅客機]] 、[[ビジネスジェット]]<br /> | 分類=[[ナローボディ]]民間旅客機<br /> | 設計者=<br /> | 製造者=[[ボーイング]]<br /> | 運用者 more=:<br /> : [[スカイマーク]]<br /> : [[日本航空|日本航空グループ]]など<br /> | 初飛行年月日=1997年<br /> | 生産数=<br /> | 生産開始年月日=<br /> | 運用開始年月日=<br /> | 退役年月日=<br /> | 運用状況=運用中<br /> | ユニットコスト= &#039;&#039;&#039;737-600:&#039;&#039;&#039; USD47-55M&lt;br /&gt; &#039;&#039;&#039;737-700:&#039;&#039;&#039; USD54-64M&lt;br /&gt; &#039;&#039;&#039;737-800:&#039;&#039;&#039; USD66-75M&lt;br /&gt; &#039;&#039;&#039;737-900ER:&#039;&#039;&#039; USD70-80.5M<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;ボーイング737 ネクストジェネレーション&#039;&#039;&#039;は、[[アメリカ合衆国]]の[[航空機]]メーカー、[[ボーイング]]社が製造する[[ボーイング737]]の第3世代型となる小型[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 1990年代に入り、小型機市場において勢力を急速に伸ばした[[エアバスA320]]シリーズに対抗するために、ベストセラーシリーズである[[ボーイング737]]シリーズを近代化して開発した機体。[[1997年]]より生産が開始された。[[日本]]でも[[日本航空]](JAL)や[[全日本空輸]](ANA)の主力小型機材として導入され、国内地方都市間を結ぶ路線の主役として活躍している現行機モデルである。<br /> <br /> == 特徴 ==<br /> {{Double image aside|right|boeing 737 cockpit.jpg|180|Cockpit of Boeing 737-800, ATA Airlines 1.jpg|180|737従来型コックピット|737-800コックピット}}<br /> 1990年代に[[ボーイング777]]で開発された技術を導入したシリーズで、主翼が翼幅、翼面積ともに拡大された新設計のものに変えられ、これに応じて[[尾翼]]も大型化されている。[[旅客機のコックピット|コックピット]]も最新の大型の液晶画面を装備した[[グラスコックピット]]になり、後に左席のみオプションで[[ヘッドアップディスプレイ]]も装備できるようになった。ディスプレイには従来型と同じ計器を表示可能とすることで、従来型と操縦規格の共通性を持たせた点も重要な特徴である。航空機の操縦資格は一般に、同一機種ごと(日本の場合は「ボーイング式737型」)であるため、ベストセラー機である737シリーズの資格を持つ多くのパイロットが、新規の資格取得不要で最新鋭機を操縦できることとなり、運航会社はパイロット育成のコストを抑えることができる。この点をセールスポイントとしたボーイングの販売戦略が、737の販路を更に広げることになった。<br /> <br /> エンジンは、[[CFMインターナショナル]]の[[CFMインターナショナル CFM56#CFM56-7 シリーズ|CFM56-7B型]]に統一されている。主翼端にはオプションで[[ウィングレット]]を装備でき、離陸性能や燃費の向上が図れる(航行距離が長いほど燃費改善が大きく期待できる)。このウイングレットは翼端をそのまま上に持ち上げたような形状のため「ブレンデット・ウイングレット」と呼ばれている。このほか、燃料容量の増加もあって長距離飛行(最大[[航続距離]]がそれまでは3,000 - 5,000km程度だが、NG型は5,000 - 6,200km程度)が可能になったものもある。更に、2014年以降は後付したものおよび新造機において、「スプリット・シミタール・ウィングレット(Split Scimitar Winglet)」と呼ばれる新型ウィングレットを装着したものも現れ、ブレンディッド・ウイングレットより2%燃費が改善される&lt;ref&gt;http://flyteam.jp/news/article/32220&lt;/ref&gt;。<br /> 内装を変えて[[ビジネスジェット]]に用いられるなど、737=短距離用・[[ローカル線]]用機材の概念も崩れつつある。ただ、胴体断面は[[ボーイング707]]以来ほとんど変わっておらず、そのため貨物室が[[:en:Unit Load Device|コンテナ]]に対応できないという問題点はそのままである。<br /> {{Double image aside|right|Lufthansa 737 interior.jpg|165|Boeing 737 Next Generation Sky Interior first cabin.jpg|180|3+3配列の客室|BSI仕様の2+2配列&lt;br /&gt;(ファーストクラス)|}}<br /> 2010年からは、[[ボーイング787]]の客室インテリアをもとに開発された、[[LED照明]]の採用や客室内騒音の低下などを図ったBSI(Boeing Sky Interior)仕様がリリースされており、2010年10月27日に[[アラブ首長国連邦]]の[[フライドバイ]]が世界で初めて導入した。<br /> <br /> 2014年7月16日に、737NGシリーズの通算5,000機目がロールアウトされた。この記念すべき5,000機目は、C-40Aクリッパーとして[[アメリカ海軍]]へ引き渡される&lt;ref&gt;[http://boeing.mediaroom.com/2014-07-16-Boeing-Rolls-Out-5000th-Next-Generation-737 Boeing Rolls Out 5000th Next-Generation 737] July 16, 2014&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2014年10月6日には、エアロノーティカル・エンジニアリング(AEI)がボーイング・エンジニアリング・データとB737-800もしくはB737-900を貨物機or貨客混載(コンビ型)に改修するプログラムが締結され&lt;ref&gt;[http://www.aeronautical-engineers.com/media/news/brochures/AEI_B737_800_Licensing_Oct2014_Final_Graphic.pdf AEI Licenses Boeing Engineering Data for Boeing 737-800 Freighter Conversion]&lt;/ref&gt;、ライセンス契約が結ばれた。<br /> <br /> == 派生型 ==<br /> [[ボーイング737 クラシック|737クラシック]]とは異なり、ダッシュのあとの数字が大きくなる順に胴体長が長くなっている。したがってNGシリーズでもっとも小さいのが-600型、もっとも大きいのが-900型で、-900型は[[ボーイング757|757-200]]にせまる収容力を持っている(787の開発もあり、757の生産は[[2005年]]に終了した)。ただし-900型は-800型より胴体が延長されているものの、非常口数が変わらないため最大客席数は-800型と同じ189席となっている&lt;ref name=&quot;bj737-64&quot;&gt;{{Cite book |和書|editor= |year=2002 |title=旅客機形式シリーズ6 ベストセラー・ジェット Boeing737 |publisher=[[イカロス出版]] |series=イカロスMOOK |page=64 |isbn=978-4871493925}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;htj757767-80&quot;&gt;{{Cite book |和書|editor= |year=2000 |title=旅客機形式シリーズ2 ハイテク・ツイン・ジェット Boeing757&amp;767 |publisher=イカロス出版 |series=イカロスMOOK |page=80 |isbn=978-4871492973}}ボーイングのジェット旅客機において、同じ型式で非常口の配置にバリエーションを持たせているのは、ボーイング757とボーイング767のみで、それ以外の機種ではモデルごとに扉配置は固定されている。&lt;/ref&gt;。航続距離を延長したERタイプもある。<br /> <br /> 売れ筋は-700型と-800型で、インドネシアの政府専用機として採用された特別仕様機もある。<br /> ===旅客型===<br /> [[File:Boeing 737-600NG Malev.jpg|thumb|200px|[[マレーヴ・ハンガリー航空]]&lt;br /&gt;737-600]]<br /> ;737-600<br /> :737-500の後継で[[エアバスA318]]と競合する。オプションとしてウィングレットは含まれていない。[[ローンチカスタマー]]は[[スカンジナビア航空]]。<br /> :[[ボンバルディア・エアロスペース|ボンバルディア]]や[[エンブラエル]]などの[[リージョナルジェット]]と競合する-600型は、エアバスA318共々苦戦し、2012年に生産を終了。価格表からも削除された。<br /> {{-}} <br /> {{Double image aside|right|N560WN FLL JTPI 9036 (15551318313).jpg|195|ANA B737-700ER(JA13AN) &quot;ANA Business Jet&quot; (4493063629).jpg|180|サウスウェスト航空&lt;br /&gt;737-700&lt;br /&gt;N560WN|全日本空輸&lt;br /&gt;737-700ER&lt;br /&gt;JA13AN}}<br /> ;737-700<br /> :737-300の後継となる基本型で[[エアバスA319]]と競合する。空力改善のため737-300より胴体が若干延長されているが、客室の長さは変わっていない。<br /> :NGシリーズのローンチカスタマーとなった[[サウスウエスト航空]]が[[1993年]]11月に採用を決めた際に開発が始まった。2015年よりアジア・欧州等から手放した同シリーズを大量購入したのもサウスウエスト航空であり、主に[[ウエストジェット]]・[[ターキッシュ・エアラインズ]]・[[ジンエアー]]・[[ティーウェイ航空]]・[[ライアンエアー]]・[[中国東方航空]]・[[トランスアエロ航空]]から購入してアメリカ国内線の輸送力増強に充当される。<br /> <br /> ;;737-700C<br /> ::737-700の貨客両用型。<br /> <br /> ;;737-700ER<br /> ::[[2006年]]1月31日に発表された737-700の航続距離延長型。燃料タンク増設などにより最大で10,000kmを越える航続距離を持つ。<br /> [[File:American Airlines.Boeing 737-800.LAX.2007.jpg|thumb|200px|[[アメリカン航空]]&lt;br /&gt;737-800]]<br /> ;737-800<br /> :737-400の後継で[[エアバスA320]]と競合する。NGシリーズ中最も多く生産されているモデルである。737-400よりも胴体が長く、最大座席数は[[ボーイング727|ボーイング727-200]]と同じ189席となった。ローンチカスタマーは[[ハパックロイド#航空部門|ハパックロイド・フルーク]](現[[TUIフライ・ドイッチュラント]])。<br /> <br /> ;;737-800ERX<br /> ::737-900ERの主翼と降着装置を使用した、航続距離延長型。<br /> {{Double image aside|right|Alaska Airlines 737-900 with Disneyworld livery.jpg|180|Lionair 737-900 ER first flight.jpg|180|アラスカ航空&lt;br /&gt;737-900|ライオン・エア&lt;br /&gt;737-900ER}}<br /> ;737-900<br /> :導入時点で最長の派生型。-800と同じ非常口設定が保持されるため2クラス時座席数は約177席と高いが、高密度の1クラスレイアウトは189席に制限される。[[アラスカ航空]]がローンチカスタマーとなった。-900ERと入れ替わる形で生産を終了。<br /> <br /> ;;737-900ER<br /> ::ボーイング737シリーズ最大の派生型である。廃止されたボーイング757-200の[[航続距離]]と座席数を満たすために導入した。[[エアバスA321]]と競合する。<br /> ::最大航続距離が5,900kmで非常口を増設することで最大座席数は201席となった&lt;ref name=&quot;bj737-64&quot;/&gt;。ローンチカスタマーは[[ライオン・エア]]。<br /> <br /> === ボーイング・ビジネス・ジェット(BBJ) ===<br /> [[File:Samsung Boeing 737-700BBJ KvW.jpg|200px|thumb|[[サムスングループ]]&lt;br /&gt;737-700BBJ]]<br /> -700型をベースに-800型の主翼と降着装置を使用して離陸重量を増加し、内装を[[ビジネス機]]仕様に改修した機体。のちに-800型ベース(BBJ2)や-900型ベース(BBJ3)の機体も製造。10,000km以上の航続距離を持ち、近年では小型化が進んでいる[[政府専用機]]としても多数採用された。なおBBJは[[ボーイング777|777]]・[[ボーイング787|787]]・[[ボーイング747-8|747-8]]ベースでも製造される。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 軍用型 ===<br /> * [[P-8 (航空機)|P-8]]:-800ERX型を基に、[[アメリカ海軍]]が[[ロッキード]][[P-3 (航空機)|P-3]]の後継として導入した[[哨戒機]]。[[インド海軍]]や[[オーストラリア空軍]]でも採用されている。ボーイング社では737-800Aという名称も使用している。<br /> * [[ボーイング737 AEW&amp;C|737 AEW&amp;C]]:-700型を基にした[[早期警戒管制機]]。オーストラリア空軍・トルコ空軍・[[大韓民国空軍]]が採用した。<br /> * [[C-40 (航空機)|C-40]]:C-40Aは[[C-9 (航空機)|C-9B]]の後継としてアメリカ海軍に導入された輸送機。C-40BおよびC-40Cはアメリカ空軍の高官輸送機。C-40Aは主に海軍機として運用されており、陸軍高官輸送機としては[[C-12 (航空機)|C-12]]([[ビーチクラフト キングエア|キング・エア200]]型改修機)が用いられている。<br /> <br /> ==オペレータ==<br /> {{Main|{{仮リンク|ボーイング737オペレータ一覧|en|List of Boeing 737 operators}}}}<br /> 2015年7月の時点で、5,102機のボーイング737ネクストジェネレーションが商用サービスにあった。内訳は57機の-600、1,036機の-700、3,629機の-800、380機の-900である。&lt;ref&gt;https://d1fmezig7cekam.cloudfront.net/VPP/Global/Flight/Airline%20Business/AB%20home/Edit/WorldAirlinerCensus2015.pdf&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 日本での導入 ===<br /> [[File:ANA B737-700ER(JA10AN) (4817611301).jpg|200px|thumb|全日本空輸&lt;br /&gt;737-700ER&lt;br /&gt;JA10AN]]<br /> [[全日本空輸|全日空グループ]]が-700・-700ER・-800を導入しており、ローンチカスタマーとして導入した-700ERは「ANAビジネスジェット」と銘打ち国際線用機材として2016年3月まで就航した。-700は系列の[[エアーニッポン]]・[[エアドゥ]]へ移籍しても同じ機材が登録変更しただけのため型式に含まれるボーイングカスタマーコードは全日空の「81」のままである。また全日空では2015年に-800を5機追加発注&lt;ref&gt;[http://www.aviationwire.jp/archives/54244 ANA、787-10やA321neoなど15機発注へ]&lt;/ref&gt;受領運用&lt;ref&gt;[http://flyteam.jp/news/article/58222 ANA、33機目の737-800「JA83AN」を受領]&lt;/ref&gt;、さらに[[MRJ]]の遅延補償として2017年4機を追加発注し、2018年受領予定&lt;ref&gt;[http://flyteam.jp/news/article/81123 ANA、2018年導入の737-800で予約登録 JA87ANからJA90AN]&lt;/ref&gt;として同社保有の-800は40機になる予定である。<br /> <br /> [[日本航空|日本航空グループ]]は-800を2007年3月から主に羽田発着の地方路線をはじめとした国内線に、同年5月から国際線に就航させ保有は50機であるほか、グループの[[日本トランスオーシャン航空]](JTA)は2014年3月、機材刷新計画で-400から-800に移行すると発表。2016年1月に初号機を受け取り、2019年までに全機を更新する。CFMインターナショナル製のCFM56-7エンジンを搭載し、最新の効率性向上パッケージ(PIP)も装備する予定。JTAとボーイング社との合意内容には、調達機材を[[ボーイング737MAX|737MAX]]に変更することを可能とする条項も含んでいる。<br /> <br /> [[スカイマーク]]では2006年から-800のリース導入を開始し、2009年には保有機をすべて-800に統一した。<br /> <br /> スカイネットアジア航空も[[ソラシドエア]]へブランド変更した2011年から新造機導入を開始し、現在は全て-800に統一した。<br /> <br /> 2014年夏に運航を開始した[[春秋航空日本]]も日本の格安航空会社として-800を初導入運用中。<br /> <br /> 機内照明にLED採用などの最新機内仕様『ボーイングスカイインテリア:BSI』については、導入決定は2010年2月9日のスカイネットが初事例となり&lt;ref&gt;{{Cite press release |title=ボーイング737-800型機の導入について |publisher=[[スカイネットアジア航空]] |date=2010-2-9 |url=http://www.skynetasia.co.jp/corporate/pdf/press100209.pdf |format=PDF |accessdate= }}&lt;/ref&gt;、就航開始は2011年5月23日のスカイマーク&lt;ref&gt;{{Cite press release |title=ボーイング737-800型機19機目「737ボーイング・スカイ・インテリア」仕様機が到着 |publisher=[[スカイマーク]] |date=2011-5-16 |url=http://www.skymark.co.jp/ja/company/press/press110516.html |accessdate= }}&lt;/ref&gt;、同仕様は国内他社へも波及していった。<br /> <br /> ==販売実績==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:96%;&quot;<br /> |+ 受注およびデリバリー<br /> |-<br /> ! scope=&quot;col&quot; | モデルシリーズ !! scope=&quot;col&quot; colspan=&quot;2&quot;|受注!! scope=&quot;col&quot; colspan=&quot;21&quot;|デリバリー<br /> |-<br /> !商用ジェット機 !!合計!!未受領!!合計!!2016!!2015!!2014!!2013!!2012!!2011!!2010!!2009!!2008!!2007!!2006!!2005!!2004!!2003!!2002!!2001!!2000!!1999!!1998!!1997<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-600<br /> |69|| ||69|| || || || || || || || || || ||10||3||3||6||5||4||6||24||8||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-700<br /> |1,191||75||1,116|| ||7||11||12||7||43||23||51||61||101||103||93||109||80||71||85||75||96||85||3<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-700C<br /> |20||3||17|| || ||2|| || ||1||2|| ||1|| ||1|| ||2|| ||2||3||3|| || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-700W<br /> |14|| ||14|| || || || ||| |||||2||2|| || ||5||2||1||1||1|| || || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-800<br /> |5,029||1,018||4,011||129||396||386||347||351||292||323||283||190||214||172||104||78||69||126||168||185||133||65||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | [[P-8 (航空機)|737-800A]]<br /> |104||42||62||6||15||13||8||9||5||1||3||2|| || || || || || || || || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-900<br /> |52|| ||52|| || || || || || || || || || || ||6||6||11||8||21|| || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 737-900ER<br /> |515||134||381||21||73||70||67||44||24||15||28||30||9|| || || || || || || || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | Total<br /> |6,994||1,272||5,722||156||491||482||434||411||365||366||367||284||324||291||208||199||167||213||281||269||253||158||3<br /> |-<br /> ! scope=&quot;col&quot; | Business Jet!!colspan=&quot;23&quot;|<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | BBJ 737-700<br /> |120||1||119|| ||3||1||5||2||7||4||4||4||6||9||3||3||3||8||13||11||25||8||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | BBJ 737-800<br /> |21|| ||21|| || ||2||1||2||||2|| ||1|| ||2||1|| ||3||2||5|| || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | BBJ 737-900<br /> |7|| ||7|| ||1|| || || || ||4||1||1|| || || || || || || || || || ||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | Total<br /> |148||1||147|| ||4||3||6||4||7||10||5||6||6||11||4||3||6||10||18||11||25||8||<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | Grand Total<br /> |7,142||1,273||5,869||156 ||495||485||440||415||372||376||372||290||330||302||212||202||173||223||299||280||278||166||3<br /> |}<br /> &lt;small&gt;&#039;&#039;Data through April 30, 2016&#039;&#039;&lt;/small&gt;&lt;ref name=&quot;737_O_D_summ&quot;&gt;[http://active.boeing.com/commercial/orders/displaystandardreport.cfm?cboCurrentModel=737&amp;optReportType=AllModels&amp;cboAllModel=737&amp;ViewReportF=View+Report &quot;737 Model Orders and Deliveries data.&quot;] &#039;&#039;Boeing&#039;&#039;, February 2016. Retrieved March 8, 2016.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 仕様 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center; font-size:80%;&quot;<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#ccc; width:7em;&quot;|&amp;nbsp;<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:7em;&quot;|-600<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:7em;&quot;|-700<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:7em;&quot;|-700ER<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:12em;&quot;|-800<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:5em;&quot;|-900<br /> !style=&quot;background-color:#dff; width:5em;&quot;|-900ER<br /> |-<br /> !座席数<br /> |2クラス110&lt;br /&gt;1クラス132<br /> |2クラス126&lt;br /&gt;1クラス149<br /> |2クラス126<br /> |2クラス162&lt;br /&gt;1クラス189<br /> |colspan=&quot;2&quot;|2クラス180&lt;br /&gt;1クラス215<br /> |-<br /> !貨物室容積<br /> |20.4 m&lt;sup&gt;3&lt;/sup&gt;<br /> |colspan=&quot;2&quot;|27.3 m&lt;sup&gt;3&lt;/sup&gt;<br /> |44.0 m&lt;sup&gt;3&lt;/sup&gt;<br /> |colspan=&quot;2&quot;|51.7 m&lt;sup&gt;3&lt;/sup&gt;<br /> |-<br /> !全長<br /> |31.20m<br /> |colspan=&quot;2&quot;|33.60m<br /> |39.50m<br /> |colspan=&quot;2&quot;|42.10m<br /> |-<br /> !全高<br /> |12.60m<br /> |colspan=&quot;5&quot;|12.50m<br /> |-<br /> !全幅<br /> |colspan=&quot;6&quot; align=center|34.30m(ウイングレット有:35.80 m)<br /> |-<br /> !胴体<br /> |colspan=&quot;6&quot; align=center|胴体幅3.76 m(客室幅 3.54 m)<br /> |-<br /> !最大離陸重量<br /> |align=center|66,000 kg||align=center|70,080 kg||align=center|77,565 kg||align=center|79,010 kg||colspan=&quot;2&quot; align=center|85,130 kg<br /> |-<br /> !エンジン型式<br /> |colspan=&quot;5&quot; align=center|CFM56-7B||align=center|CFM56-7BE<br /> |-<br /> !エンジン出力<br /> |align=right|12,380kg×2||colspan=&quot;2&quot; align=center|12,030kg×2||colspan=&quot;2&quot; align=center|12,380kg×2||align=center|12,880kg×2<br /> |-<br /> !巡航速度<br /> |colspan=&quot;5&quot; align=center|Mach 0.78 - 0.785||align=center|Mach 0.791<br /> |-<br /> !航続距離<br /> |align=center|5,648km||align=center|6,225km||align=center|10,200 km||align=center|5,665km||align=center|約5,000km||align=center|5,925km<br /> |-<br /> !初飛行年<br /> |align=center|1998年||align=center|1997年||align=center |2007年||align=center|1997年||align=center|2000年||align=center |2007年<br /> |}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Boeing 737 Next Generation}}<br /> * ボーイング社Webサイトより<br /> ** [http://www.boeing.com/commercial/737ng/ Next-Generation 737]{{en icon}}<br /> ** [http://www.boeing.jp/%E3%83%92%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%82%B9%E9%83%A8%E9%96%80-%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AF%E6%B0%91%E9%96%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%83%A8%E9%96%80/%E6%AC%A1%E4%B8%96%E4%BB%A3737%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81.page 次世代737型機] - 日本法人Webサイトより<br /> * [[日本航空]](JAL)Webサイトより<br /> ** [https://www.jal.co.jp/aircraft/conf/737.html ボーイング737-800] - 現行サイト<br /> ** [https://web.archive.org/web/20131405412300/http://www.jal.co.jp/aircraft/737/ BOEING 737-800] - 旧アドレスによるサイト《[[インターネットアーカイブ]]内残存;ペーパークラフト掲載有》<br /> * [http://www.anawings.co.jp/fleet/b737-700800/ ボーイング737-700/800] - [[ANAウイングス]]Webサイトより<br /> * [https://www.united.com/web/ja-JP/content/travel/inflight/aircraft/737/800/default.aspx ボーイング737-800(738)] - [[ユナイテッド航空]]・日本語版サイトより<br /> <br /> {{Boeing Airliners}}<br /> {{Boeing 7x7 timeline}}<br /> {{Boeing model numbers}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:ほおいんく737ねくすとしえねれしよん}}<br /> [[Category:ボーイング737]]</div> 60.46.240.165 日本アジア航空 2018-04-19T13:01:57Z <p>60.46.240.165: /* 旅客型 */</p> <hr /> <div>{{Pathnav|日本航空|frame=1}}<br /> {{航空会社情報ボックス<br /> |航空会社 = 日本アジア航空&lt;br/&gt;{{en|Japan Asia Airways, Co.,Ltd.}}<br /> |ロゴ = JAA company logos.svg<br /> |ロゴサイズ = 200px<br /> |IATA = EG<br /> |ICAO = JAA<br /> |コールサイン = ASIA(エイシア)<br /> |親会社 = [[日本航空]]<br /> |設立日 = 1975年8月8日<br /> |本拠地 = [[日本]]<br /> |代表者 = 代表取締役社長 松井茂夫<br /> |ハブ空港 = [[成田国際空港]](かつては[[東京国際空港]])<br /> |拠点空港 = [[台湾桃園国際空港]](旧中正国際空港)&lt;br/&gt;[[関西国際空港]]&lt;br/&gt;[[名古屋空港]]&lt;br/&gt;[[那覇空港]]<br /> |焦点都市 =<br /> |マイレージサービス = [[JALマイレージバンク]]<br /> |ラウンジ =<br /> |航空連合 = [[ワンワールド]]<br /> |保有機材数 = &lt;!--必須--&gt;<br /> |目的地 = 中華民国(台湾)、香港、グアム、インドネシアなど<br /> |ウェブ = [https://web.archive.org/web/20040923015719/http://www.japanasia.co.jp/ ウェブアーカイブ]<br /> }}<br /> {{基礎情報 会社<br /> |社名=日本アジア航空株式会社<br /> |英文社名=Japan Asia Airways, Co.,Ltd.<br /> |種類=株式会社<br /> |市場情報=非上場<br /> |略称=JAA<br /> |国籍={{JPN}}<br /> |郵便番号=140-0002<br /> |本社所在地=[[東京都]][[品川区]][[東品川]]2-4-11<br /> |設立=1975年8月8日<br /> |業種=5150<br /> |統一金融機関コード=<br /> |SWIFTコード=<br /> |事業内容=<br /> |代表者=代表取締役社長 松井茂夫<br /> |資本金=4,310百万円<br /> |発行済株式総数=<br /> |売上高=60,857百万円(2007年3月期)<br /> |営業利益=489百万円(2007年3月期)<br /> |純利益=490百万円(2007年3月期)<br /> |純資産=<br /> |総資産=<br /> |従業員数=721名<br /> |決算期=3月31日<br /> |主要株主=[[日本航空 (持株会社)|日本航空]] 100%<br /> |主要子会社=アジア旅行開発<br /> |関係する人物=<br /> |外部リンク= [https://web.archive.org/web/20040923015719/http://www.japanasia.co.jp/ ウェブアーカイブ]<br /> |特記事項=概要は2008年3月31日時点。決算情報は[http://www.jal.com/ja/jaanews/news/2007/0510.html JALホームページ内]から。<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;日本アジア航空株式会社&#039;&#039;&#039;(にほんアジアこうくう、{{Lang-en|Japan Asia Airways Co., Ltd. [[略語|略称]]: JAA}})とは、かつて存在した日本の[[航空会社]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 日本アジア航空は[[日本航空 (持株会社)|日本航空]]の[[子会社|完全子会社]] (JALグループ企業の一つ) であり、[[1975年]][[8月8日]]の設立以来、主に[[東京国際空港]](羽田)を拠点に[[日本]]と[[台湾]]を結ぶ路線に就航していた。[[国際航空運送協会]](IATA)[[航空会社コード]]は&#039;&#039;&#039;EG&#039;&#039;&#039;であるが、IATAには加盟していなかった。<br /> <br /> なお、台湾では「&#039;&#039;&#039;日亜&#039;&#039;&#039;」の略称が使われることがあった。[[2008年]]3月31日をもって[[日本航空]]に吸収合併され、32年の歴史に幕を降ろした。なお同年4月1日からは、合併後の日本航空が自社便として運航している。<br /> <br /> 同社のICAOコードであるJAAは、2009年12月に設立された[[タイ王国]]の航空会社である[[ジェットアジア・エアウェイズ]]が2010年以降、使用している。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 設立の背景 ===<br /> [[1972年]]に、日本国政府と[[中華人民共和国]]政府との間に[[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]が出され、国交が築かれたことにより、日本は[[中華民国]]政府と断交した。日本 - 台湾路線は、当時は日本航空により運航が続けられていたが、後に当時の[[内閣総理大臣]]・[[田中角栄]]の肝いりで締結が急がされていた&lt;ref&gt;[[石原慎太郎]]『オンリー・イエスタディ』[[幻冬舎]]、2008年&lt;/ref&gt;、日中間の[[航空協定]]を締結する際の中国政府からの申し入れにより、同国に乗り入れる日本の航空会社(=日本航空)の台湾乗り入れは禁止とされた。<br /> <br /> その上に、このような状況を受けた[[1974年]][[4月21日]]の台湾当局による日台間の航空路線断絶により、台湾への便は廃止([[チャイナエアライン|中華航空]]も日本乗り入れ中止)となったうえ、日本航空機の台北[[飛行情報区|FIR]]通過も一時拒否された。<br /> <br /> そこで、別会社として設立された&#039;&#039;&#039;日本アジア航空&#039;&#039;&#039;が台湾への便を運航することで、日中航空協定における日本航空の乗り入れ禁止項目を避け、日本航空グループにおける台湾航路を補う役割を担うこととなった。同様の中国への過剰な配慮は当時、両国に乗り入れる世界中の多くの航空会社でみられた。[[KLMオランダ航空]]によるKLMアジア航空(KLM asia)などもその一例である。<br /> <br /> === 運航開始 ===<br /> [[ファイル:MyPhotoJa-01.jpg|right|220px|thumb|日本アジア航空マクドネル・ダグラスDC-10型機(初代塗装)]]<br /> 1975年8月8日に日本航空の全額出資で設立され、同年[[9月15日]]に、日本航空からリースされた[[ダグラス DC-8#-50シリーズ|ダグラスDC-8-53]]型機によって[[東京国際空港]]と[[台北市|台北]]の[[台北松山空港]]、および[[高雄国際空港]]間の運航を開始した。その後、[[1978年]]の新東京国際空港(現・[[成田国際空港]])の開港を受けて本拠地を同空港に移転した他、日本航空からのリース機材によって貨物便の運航も開始した。<br /> <br /> なお、その後も日本アジア航空および日本航空は、日本国政府および多くの[[マスメディア|マスコミ]]の表記と同様、中国政府による「[[一つの中国]]」政策を受けて、正式国名である「中華民国」ではなく、「台湾」と表記していた。<br /> <br /> === 拡大 ===<br /> その後の両国間の輸送量の増加を受けて、[[マクドネル・ダグラス DC-10]]-40型機や[[ボーイング]][[ボーイング747#747-200B型|747-200]]/[[ボーイング747-300|300]]型機を導入した。1990年代以降は[[グアム]]、当時[[イギリス]]の[[植民地]]であった[[香港]]や[[インドネシア]]の[[デンパサール]]、[[ジャカルタ]]路線の運航も行った&lt;ref&gt;その際、旧:日本航空の近距離国際線の受け皿会社としての機能の構想もあった。&lt;/ref&gt;ほか、[[関西国際空港]]や[[名古屋空港]]発の路線も開設した。<br /> <br /> [[1992年]]に金融機関などを対象とした[[第三者割当増資]]を行ったため、日本航空の完全子会社でなくなった(出資比率は90.5%になった)が、[[2004年]]に株式会社日本航空システム(のちの株式会社日本航空)の完全子会社となった。<br /> <br /> === 消滅 ===<br /> その後[[2007年]]に、日本側の対台湾の窓口である[[財団法人交流協会]]と、台湾側の[[亜東関係協会]]が、日本 - 台湾路線の直接運航を認めることを確認した。これを受けて2008年4月に日本航空インターナショナルと統合されると報道され、同年3月31日をもって運航を終了し、日本航空インターナショナルが日本アジア航空を吸収合併、翌4月1日に運航および便名が日本航空インターナショナルに承継された。<br /> <br /> なお、日本アジア航空の日本と台湾で勤務する殆どの社員と全ての運航機材、運航発着権も2008年4月1日をもって日本航空インターナショナルにそのまま移管、承継された。<br /> <br /> == 乗り入れ空港 ==<br /> * 日本<br /> ** [[成田国際空港]](1978年5月までは[[東京国際空港]])<br /> ** [[中部国際空港]](2005年2月までは[[名古屋飛行場|名古屋空港]])<br /> ** [[関西国際空港]](1994年9月までは[[大阪国際空港]])<br /> ** [[那覇空港]]<br /> <br /> * 台湾<br /> ** [[台湾桃園国際空港]](1979年2月までは[[台北松山空港]])<br /> ** [[高雄国際空港]]<br /> <br /> なお、一部の便については、[[香港国際空港]]にも乗り入れ、利用者への便宜を図っていたが、2005年2月17日より台北 - 香港間は運休とされた。<br /> <br /> また、香港発着の同便は香港〜バンコクを日本航空の便名の運航に用いられていた。<br /> <br /> 以前は[[那覇空港]] - [[台湾桃園国際空港]]の航路を日本航空の[[ボーイング767]]で運航していたが、後に運休となっている。また、関西国際空港が開港した際は関西国際空港 → [[バリ島|バリ]]・[[デンパサール国際空港]] → [[スカルノハッタ国際空港]](ジャカルタ) → 関西国際空港や名古屋空港~[[グアム国際空港|グアム]]航路を運航(名古屋~グアムは日本航空の機体を用いて運航)していたが、後に日本航空に移管されている。なお、1990年代前半までは日本航空が運航していたグアム・[[サイパン国際空港|サイパン]]線に日本アジア航空の機体を使用することもあり(この場合ビデオサービスはなし)、タイムテーブルにはその旨が記載されていた。<br /> <br /> == 使用機体 ==<br /> === 旅客型 ===<br /> [[ファイル:MyPhotoJal-AC02.jpg|220px|thumb|ボーイング747-100F(初代塗装、日本航空との共通事業機。旅客型からの改造機で客室窓が埋められていない)]]<br /> * [[ボーイング747-400]]型機&#039;&#039;&#039;(BOEING 747-446)&#039;&#039;&#039;<br /> : 塗装は日本航空のまま。自主で導入した-400はなく、メンテナンス及び繁忙期で投入されてきた。JAA終了後は、正式にJAL路線で台湾へ乗り入れるようになった。<br /> * [[ボーイング747-300]]型機&#039;&#039;&#039;(BOEING 747-346/-346SR)&#039;&#039;&#039;<br /> : 2007年3月の運航スケジュール改正を期に機体経年化、人員構成削減などの理由で運航を終了した。JA8189号機は日本航空からの移籍機ではなく初めての新造機であり、最後まで日本航空塗装になることはなかった。主翼の取り付け方法([[フェアリング (航空機)|フェアリング]]) が747-400と同一となっており、車両の衝突防止の“I”字状のラインも引かれている。なお、日本航空経由での発注・受領のため、ボーイングのカスタマーコードは日本航空の「46」である。なお、この機材は本来の日台路線の他に本家JAL路線で香港直行の他に[[シンガポール・チャンギ国際空港|シンガポール]]線へも投入されていた。超長距離型JT9D-7R4G2エンジン搭載機材ながら機内コンフィギュレーションの都合上、[[ホノルル国際空港|ホノルル]]、[[サンフランシスコ国際空港|サンフランシスコ]]、[[ロサンゼルス国際空港|ロサンゼルス]]、[[ジョン・F・ケネディ国際空港|ニューヨーク]]率いる太平洋路線と欧州路線には最後まで投入されなかった。2000年代に入ると、JA812J、JA813J、JA8177、JA8185と、元来国内線機材だったJA8183、JA8184、JA8186,JA8187が国際線転用などといった本家JAL機も充当される様になってきた。JAA機との差別もなくなり、後述の200B同様メンテナンスで補充のためにJAA路線でJAL機の投入が目立つようになった。<br /> * [[ボーイング747#747-200B型|ボーイング747-100/-200B]]型機&#039;&#039;&#039;(BOEING747-747-146/-246B)&#039;&#039;&#039;<br /> : 2007年3月の運航スケジュール改正を期に機体経年化、人員構成削減などの理由で運航を終了した。主にJALからの移籍で充当してきたが、JAAだけでは手持ちが少ないことから機材メンテナンス等で不足するため、当初はJALからの短期リースで投入していた機体もあった。1980年代前半まではアッパーデッキ部分が3つ窓の-146が中心だったが、それ以降はJALからの-246Bを充当している。2000年代になり日台間の緩和が始まると、JAL機との区別化が解消されてJAA便でJAL塗装のまま日台区間を充当した機材があった。JAA便のままで&#039;&#039;&#039;JAL SUPER RESORT EXPRESS&#039;&#039;&#039;(リゾッチャ機材)やJALウェイズ塗装、[[ジョン・F・ケネディ国際空港|JFK直行便専用機]]JT9D-7R4G2エンジン搭載の-200B(JA8161.JA8162の2機)などもJALの間合いアルバイト運用もこなしてきた。<br /> * [[マクドネル・ダグラス DC-10]]-40型機&#039;&#039;&#039;(McDONELL DUGLAS/BOEING DC-10-40)&#039;&#039;&#039;<br /> : 老朽化したDC-8の置き換えで導入したDC-10はJALからの移籍である。当初はJAA機との区別で運用されてきたが、1990年代後半以降はJALからのリース(またはJAL塗装のまま)で区別なく運行されてきた。<br /> * [[ボーイング767#767-300|ボーイング767-300]]型機&#039;&#039;&#039;(BOEING 767-346ER)&#039;&#039;&#039;<br /> : 日本航空からのリースおよび本家JAL機(主にER型)で運用したが2000年代以降の導入のため特別な区別無しで運用されていた。<br /> * [[ダグラス DC-8#-50シリーズ|ダグラスDC-8-53]]型機<br /> * [[ダグラス DC-8#-60シリーズ|ダグラスDC-8-61,62]]型機<br /> <br /> かつては[[ボーイング747#747-200型|ボーイング747-200]]には「トロピカルジャンボ」、[[マクドネル・ダグラス DC-10]]には「スカイバス」の愛称が付けられていた。<br /> <br /> === 貨物機 ===<br /> [[File:Japan Airlines Boeing 747-246F(SCD) (JA8180 23641 684) (4070697257).jpg|thumb|JALカーゴに移籍後のJA8180]]<br /> * [[ボーイング747#747-200F型|ボーイング747-200F]]型機<br /> 旅客転用改造の-146SFとともに本家JAL機材(当初はLを省略したJA CARGO塗装が存在した)を機材限定した形で運航したが、JAA終了間際の2000年代には共通機無関係で本家JALカーゴ塗装が台湾区間に投入された。注目はやはり[[1992年]]に無塗装([[アメリカン航空]]で存在したシルバーメタリック仕様)となったJA8180もJAA便で登板し、台北蔣介石国際空港に初飛来したときには注目を集めた。JAA終了後には正式にJALカーゴ便で飛来するようになった。<br /> <br /> * [[ダグラス DC-8#-50シリーズ|ダグラスDC-8-55F]]型機<br /> <br /> == 塗装 ==<br /> 先述したように、台湾就航を目的として当初日本航空とは別会社として発足したが、基本的に日本航空を模した塗装デザインであった。<br /> <br /> ; 設立当時<br /> : 当時の日本航空と同じく白地に紺と赤のラインを配したデザインであるが、ライン上部は「Japan Asia」の[[ロゴタイプ|ロゴ]]が表記されていた。[[垂直尾翼]]のマークは[[日本航空の歴史#「鶴丸」|鶴丸]]ではなく赤い丸に3本の白い線が引かれたAを連想させるデザインであった。<br /> <br /> ; 2代目<br /> : 当時の日本航空と同じく[[ランドーアソシエイツ]]による灰色と赤色のブロックを合わせたデザインである。ただし当初は設立当時と同じく「Japan Asia」、後に「JAA」(真ん中Aに赤いブロックが入り、2つのAの横棒がない)のロゴに「Japan Asia Airways」の文字が配置された。垂直尾翼のマークは赤丸の3本線のままであったが、サイズが若干小さくなっている。<br /> <br /> ; 3代目<br /> : 当時の日本航空で採用された「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」のデザインになり、日本航空機とほぼ区別がつかなくなる。ただし「JAL」ではなく「JAA」(二つのAの横棒がなく、真ん中のAにノが入る)のロゴが配され、「JAPAN ASIA AIRWAYS」と横に表記されていた。<br /> <br /> また、日本アジア航空との共通使用であった日本航空の一部の機体は、塗装は社名をぼかすことを目的に「JAL」を「JA 」(貨物機の場合は「JA CARGO」)のように「L」を消し、垂直尾翼は[[機体記号]]のみを黒字で表記されていた。ただしチャーター便などでは日本航空塗装のまま[[ウェット・リース]]して運航することもあった。<br /> <br /> &lt;gallery caption=&quot;caption&quot; widths=&quot;150px&quot; heights=&quot;150px&quot; perrow=&quot;6&quot;&gt;<br /> ファイル:MyPhotoJa-02.jpg|日本アジア航空ボーイング747-200B(初代塗装)<br /> ファイル:EG-KIX PICT2273-2.JPG|日本アジア航空ボーイング747-200B(2代目塗装、JAA表記)<br /> ファイル:JAA-plane-JA8130.JPG|日本アジア航空ボーイング747-200B(3代目塗装)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 子会社 ==<br /> * [[ジャルパック#アジア旅行開発|アジア旅行開発]] (ASIA CREATIVE TOURS CO.,LTD.:ACT) <br /> *: 台湾行きの[[パッケージツアー]]についても中国向け商品を扱う[[ジャルパック]]で扱うわけにはいかないため、親会社同様に設立された &lt;ref&gt;他の大手[[旅行代理店|旅行会社]]も台湾関係は分社していた。2009年4月時点では[[近畿日本ツーリストグループ]]のユナイテッドツアーズが現存している。&lt;/ref&gt;。この社名はジャルパックの旧社名「旅行開発 (Creative Tours) 」の名残である。こちらも主催商品のジャルパック移管に伴い、2008年4月30日付で解散。同年8月27日付で清算終了し、完全消滅した。<br /> <br /> == 広告 ==<br /> 日本の[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]では、かつては[[浜美枝]]、[[杉本彩]]、[[葉月里緒奈|葉月里緒菜]]、[[ハイ・ファイ・セット]]などが起用され、[[1990年代]]後半からは両国において有名である[[金城武]]と[[志村けん]]を長きに渡り(金城は1998年度から、志村は2000年より)起用していたが、2006年度より[[オセロ (お笑い)|オセロ]]([[中島知子]]、[[松嶋尚美]])に交代し、CMや雑誌広告、ポスターなどで見ることができた。なお、金城が出演した1998年以降のポスター画像は日本アジア航空の[[ウェブサイト]]で見ることができた。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[JALウェイズ]]<br /> * [[稲葉賀恵]]<br /> * [[近畿日本鉄道]]<br /> * [[エアーニッポン]] - 同様の理由で全日空も自社名で台湾便を飛ばせなかったが、こちらは既存の子会社を利用していた。<br /> * [[石田紗英子]]([[フリーアナウンサー]])- [[客室乗務員]]として勤務していた。<br /> * [[オーストラリア・アジア航空]] - 同様の理由で設立された[[カンタス航空]]の子会社。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.jal.co.jp/taiwan/ JAL台湾 (日本航空)]&lt;!--日本アジア航空の公式サイトアドレスはここに転送される--&gt;<br /> * [http://www.jal.co.jp/jaltv/source/?s1=jalnews&amp;s2=news&amp;s3=jal-group&amp;id=jaa 日本航空(JALTVより)]<br /> <br /> {{ワンワールド}}<br /> {{日本の航空会社}}<br /> {{JALグループ}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:にほんあしあこうくう}}<br /> [[Category:日本航空の歴史]]<br /> [[Category:かつて存在した日本の航空会社]]<br /> [[Category:かつて存在した東京都の企業]]<br /> [[Category:日台関係]]<br /> [[Category:中台関係]]<br /> [[Category:冷戦]]<br /> [[Category:1975年設立の航空会社]]<br /> [[Category:2008年廃止の航空会社]]</div> 60.46.240.165 北陸トンネル 2018-03-21T22:56:19Z <p>60.46.240.165: /* 開通後の状況 */</p> <hr /> <div>{{Infobox tunnel<br /> |name = 北陸トンネル<br /> |image = Hokuriku Tunnel Tsuruga side 20081025.jpg<br /> |caption = 北陸トンネル敦賀側坑口&lt;br /&gt;坑口上部に「北陸隧道」とある。&lt;br /&gt;すぐ左方には北陸トンネル列車火災事故の慰霊碑がある。<br /> |line = [[北陸本線]]<br /> |location = {{JPN}}[[福井県]][[敦賀市]] - [[南条郡]][[南越前町]]<br /> |coordinates = {{ウィキ座標2段度分秒|35|41|12|N|136|7|57|E|region:JP_type:landmark_scale:25000|display=inline,title}}<br /> |os_grid_ref = <br /> |system = <br /> |status = 供用中<br /> |start = [[福井県]][[敦賀市]]深山寺<br /> |end = [[福井県]][[南条郡]][[南越前町]]新道<br /> |stations = <br /> |startwork =[[1957年]](昭和32年)<br /> |open =[[1962年]](昭和37年)[[6月10日]] <br /> |close = <br /> |owner =<br /> |engineer = <br /> |operator =[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)<br /> |traffic = <br /> |character = <br /> |construction =<br /> |length = 13,870 [[メートル|m]]<br /> |linelength = <br /> |tracklength = <br /> |notrack = 2([[複線]])<br /> |gauge = 1,067 [[ミリメートル|mm]]<br /> |el = 有([[交流電化|交流]]20,000 [[ボルト (単位)|V]]・60 [[ヘルツ|Hz]])<br /> |speed = <br /> |hielevation = <br /> |lowelevation = <br /> |height =<br /> |grade =<br /> }}<br /> [[ファイル:Suizupa enkei.JPG|thumb|right|240px|旧杉津駅付近(北陸道[[杉津パーキングエリア|杉津PA]])より&lt;br /&gt;麓の杉津集落(写真中央部より左側の沿岸、その右側は横浜地区)と[[敦賀湾]]を望む]]<br /> &#039;&#039;&#039;北陸トンネル&#039;&#039;&#039;(ほくりくトンネル)は、[[福井県]]の[[敦賀市]]と[[南条郡]][[南越前町]]にまたがる[[複線]][[鉄道]][[トンネル]]である。[[北陸本線]]の[[敦賀駅|敦賀]] - [[南今庄駅]]間、[[木ノ芽峠]]の直下に位置する。総延長は13,870 [[メートル|m]]あり、[[1962年]][[6月10日]]に開通した。<br /> <br /> 本稿ではこのほか、並行して建設されている[[北陸新幹線]]&#039;&#039;&#039;新北陸トンネル&#039;&#039;&#039;(しんほくりくトンネル)についても記述する。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1972年]]に[[山陽新幹線]]の[[六甲トンネル]]が完成するまで、日本最長のトンネルであった。なお、[[狭軌]]の陸上鉄道トンネルとしては[[2016年]]時点でも日本最長である&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[1982年]]に[[スイス]]のフルカ・オーバーアルプ鉄道(現[[マッターホルン・ゴッタルド鉄道]])に[[新フルカトンネル]] (15,442 m) が開通するまでの20年間は、狭軌の鉄道トンネルとして世界最長であった。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == トンネル開通前 ==<br /> 敦賀と今庄の間にはの[[鉢伏山 (福井県)|鉢伏山]]([[高さ#標高|海抜]] 762 m)がそびえ、その鞍部である木ノ芽峠(海抜 628 m)は、古くから[[北陸道]]の[[隘路]]であった。<br /> <br /> 北陸トンネル開通前の北陸本線敦賀 - 今庄間([[1896年]]開通)は、木ノ芽峠を避け、敦賀市の海岸部に近い[[杉津駅]]を経由する山中峠ルートを採っていた。だがこの区間は、海岸の山麓を縫いながら4箇所の[[スイッチバック]]を擁して25[[パーミル|‰]]の急勾配を上り下りする厳しい条件の単線区間であった。途中には3箇所の駅、3箇所の信号場、12箇所のトンネルも存在し、列車の行き違いにも時間を要した。眺望こそ優れた区間であったが、速度や輸送力、列車本数(急勾配の単線区間であるゆえ、列車本数に限りがあった)の面で、[[木ノ本駅|木ノ本]] - 敦賀間の[[柳ヶ瀬線|旧線]]区間と同じく、重要幹線である北陸本線にとっての[[ボトルネック]]となっていた。<br /> 勾配の厳しさのみならず、地盤の脆弱さによる[[がけ崩れ]]、冬期には雪国特有の雪害にも悩まされていた。<br /> <br /> 補助機関車として[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]][[蒸気機関車]]をつけての重連では 700 [[トン|t]] 輸送が限界であったため、1955年より(試作機的な)電気式[[ディーゼル機関車]][[国鉄DD50形ディーゼル機関車|DD50形]]、当時最新鋭だった電気式[[ディーゼル機関車]][[国鉄DF50形ディーゼル機関車|DF50形]]等が配属され、機関車三重連により 1000 t 輸送を始めた。しかしそれでも貨物増には対処しきれず、1956年7月には金沢鉄道管理局管内で抑制列車は36本を数え、駅頭滞貨は 3万8000 t(対前年比 178 %)にも及んだ。<br /> <br /> == トンネル工事 ==<br /> 敦賀以南の改良([[深坂トンネル]]開削、鳩原上りループ線構築、交流電化)に引き続く北陸線の抜本的な輸送改善を期し、[[戦前]]より様々な改良案が出されていた。<br /> <br /> 本格的に改良案の検討に着手したのは1952年以降で、[[日本国有鉄道|国鉄]]金沢改良委員会を中心に検討が行われた。その際に出された改良案は、<br /> # 在来線腹付け盤下げ複線化案(敦賀 - 新保 - 杉津 - 大桐 - 今庄)<br /> # 南今庄(大桐付近に設置予定とされたもので、現在の南今庄駅とは異なる)より杉津海岸へトンネルで抜け、海岸沿いに敦賀までの単線を新たに敷設する新線案(敦賀 - 阿曽 - 杉津 - 南今庄(新大桐) - 今庄)<br /> # 上述海岸線の改良版で、敦賀、杉津から武生までの複線化案(敦賀 - 杉津 - 武生)<br /> # 今庄より中之郷までの直線トンネル複線化案([[中ノ郷駅|中ノ郷]] - 今庄)<br /> であったが、<br /> * 1.は既存のルートを最大限に生かしスイッチバック解消のため路盤を下げ、勾配緩和工事を瑣末に行うものであったが、雪害・地崩れ対策に明るい解決策がない。<br /> * 2.は戦前から有力であった海岸線の構想で、海岸沿いのルートを取ることによって雪害・地崩れ対策などには若干効果があるが、単線案のため、スピードアップなどの面においては在来線に変わるメリットがさほど見出せない。また、単線のため、新線を在来線と併設すると二重投資になる.<br /> * 3.海岸線の改良複線化案であるが、この案でも武生 - 今庄 - 杉津間を存続させるかどうかが問題になる。<br /> * 4.は明治初期より計画されていたもので、技術的にも最も好感を持たれていたが、敦賀を通らない案は容認されなかった。また、将来的に関西方面 - 米原 - 敦賀の湖東経由東海道線の輸送量が[[パンク]]した際に、湖西周りからのバイパス路線を接続しにくいこともネックであった([[湖西線]]開通によりその意図は達成された)。<br /> などを理由にいずれも却下された。<br /> <br /> 結局、スピードアップを最優先事項とし、今庄から敦賀まで一本のトンネルを掘る事になった。<br /> <br /> [[1957年]]に着工した。敦賀・今庄の両坑口のほか、中間2箇所からも立坑・斜坑を掘るという突貫工事で掘削が進められた。世界的にも注目され日本国外からの視察団もよく訪れた。期間中、新保駅のスイッチバック今庄方引き込み線が延長されて葉原斜坑への資材運搬拠点とされた。北陸トンネルのルートに当たる敦賀市葉原には作業員(とその家族)が多く住み、[[1959年]]の葉原小学校には229人もの児童が在籍した。断層や出水に悩まされたが[[1961年]]7月に貫通し、翌1962年3月に完成した。以後、整備を重ね6月9日には旧線から線路を付け替え暫定運行を開始し、6月のダイヤ改正に合わせ10日より正式供用を開始した。6月10日の開通祝賀式典に併せ、殉職者慰霊祭が敦賀ポータル側で行われた。当初から交流 20,000 [[ボルト (単位)|V]]で[[鉄道の電化|電化]]されていた。今庄止まりの通勤列車はすべて敦賀まで延長され、今庄敦賀間の所要時間は1時間以上の短縮となった。<br /> <br /> この区間の開業に伴い、杉津経由の旧線は廃止されている。沿線住民との交渉の結果、大桐駅の代替駅として約 2 [[キロメートル|km]] 今庄よりに南今庄駅が新設され、また敦賀 - 新保、敦賀 - 杉津(海岸周り)、今庄 - 大桐と旧駅間にそれぞれ代替バス路線が設定された。旧線敷地跡は1963年11月4日に道路化された。<br /> <br /> 掘削時に[[温泉]]が湧き出し、「[[敦賀トンネル温泉]]」(北陸トンネル温泉)として開業された。その反面、トンネル掘削の影響で地下水流が変わり、新保集落ではかつていたるところで湧き出ていた温泉が枯れたといわれる。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Hokuriku tunnnel iriguchi.jpg|北陸トンネル入口の看板(敦賀市深山寺)&lt;br /&gt;左手の道路([[国道476号]])は深山信号場跡<br /> ファイル:Hokuriku tunnnel kashimagari.JPG|北陸トンネル 樫曲斜坑入口の看板(敦賀市獺河内)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 開通後の状況 ==<br /> [[ファイル:CA320228.JPG|thumb|250px|right|トンネルの先は[[嶺北]]]]<br /> [[ファイル:EF70Mitsubishi.jpg|thumb|250px|right|開通祝賀列車牽引のため飾られた[[国鉄EF70形電気機関車|EF70 18]]([[三菱電機]]の雑誌広告)]]<br /> 開通当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12か所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルはインパクトが大きく、新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。<br /> <br /> 都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、[[新保駅]]、[[杉津駅]]、[[大桐駅]]の沿線はモータリゼーションの進展及び過疎化に伴いバスも通勤時間に数本走るのみとなった。<br /> <br /> 長大トンネルながら[[頸城トンネル]]の[[筒石駅]]のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。<br /> <br /> トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは[[2016年]]現在においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。<br /> <br /> [[1972年]][[11月6日]]、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の[[食堂車]]で火災が発生し、30名の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間及び列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている(蒸気機関車時代は、蒸気そのものを機関車から客車に直接送ることができた)。この事故の前の[[1969年]]12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の[[電源車]]から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった(詳細は[[北陸トンネル火災事故]]も参照)。<br /> <br /> [[2006年]][[10月21日]]に長年交流電化であった北陸本線[[長浜駅|長浜]] - 敦賀間と[[湖西線]][[永原駅|永原]] - [[近江塩津駅|近江塩津]]間が直流電化され、敦賀口付近に[[デッドセクション]]が設けられた。福井方面からやってきた列車は特急・普通を問わず、デッドセクションにおける交流→直流の電源切り替えに備えるため、トンネルを抜ける手前で若干減速し、ほぼ抜け切ったところで車掌が案内放送を行う。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 旧線の現況 ===<br /> [[ファイル:Usogochi tunnnel.JPG|thumb|250px|right|樫曲隧道(敦賀市獺河内)]]<br /> {{see also|旧北陸線トンネル群}}<br /> 旧線跡地は1963年11月4日に道路に転用された。<br /> 旧線跡は、敦賀駅から葉原集落までが概ね[[国道476号]]、葉原から杉津PAまでが敦賀市道、今庄駅より杉津PA、そしてふもとの海岸線を走る国道8号までは[[福井県道207号今庄杉津線]]となった。杉津駅南方の河野谷トンネルは解体された。また、杉津駅より[[山中トンネル (福井県)|山中トンネル]]までは、山の中腹をトンネルと鉄橋でつないでいたが、公道化された。旧線鉄橋跡は深山、大桐付近も含め、いずれも鉄橋の上にアスファルト道路を載せている。<br /> <br /> 北陸本線下り線敦賀方新旧分岐点附近は記念碑が置かれた。<br /> <br /> [[深山信号場]]附近は二車線道路に拡幅されて痕跡をとどめない。<br /> <br /> 樫曲トンネル及び獺河内トンネルは北向き一方通行の一般道として供用されていたが2002年、[[木ノ芽峠トンネル]]開通に併せた道路整備に際して樫曲トンネルは解体を免れ車両通行禁止の歩道として整備され、レトロ調の街灯も設置されたものの獺河内トンネルは拡幅され二車線一般道のトンネルとなった。<br /> <br /> 獺河内地区の旧新保駅の下にあった木の芽川にかかる鉄橋梁は同じく2002年、[[木ノ芽峠トンネル]]開通に併せた道路整備により消滅。<br /> <br /> 国道476号から葉原大カーブへ分岐する地点は、神社内敷地を横断しており、廃線後も公道として供用されていたが2007年の道路改修に際し、元の神社に返され通行不可能となったため新たに北側に国道に迂回連絡する車道築堤が造られた。旧道分岐地点近くの鉄橋はひきつづき道路橋として供用中。<br /> <br /> 葉原大カーブ - 葉原トンネル南ポータルまでの直線区間は、3線をなす[[葉原信号場]]スイッチバック跡である。本線跡の道路の両側、すなわち山側の北陸道下り線築堤及び海側空き地が引き込み線であった。引き込み線築堤が一部北陸道の土台に流用されている。<br /> <br /> 杉津駅の跡地には[[北陸自動車道|北陸道]]上り線の[[杉津パーキングエリア|杉津PA]]が設置された。本線の山側に旧線から転用された道路を見ることができる。<br /> なお、杉津駅あたりの旧線跡は必ずしも北陸自動車道とは一致しない。旧線は山の斜面に沿ってなだらかなS字カーブを描くが、北陸道は盛り土をして一直線に敷かれた。杉津海岸から杉津駅までは一直線の石段があったらしいが、現在は草むらの中に埋もれているようである(駅から海岸までの自動車道はその当時は存在しなかった。北陸道建設に伴い盛り土をした杉津上りPA高架の下に、PA付近より杉津集落へつづら折れに下りる道路と、葉原 - 山中への連絡回廊とができた)。<br /> <br /> 山中トンネルは長大ながら直線のため、交互通行用の信号機が設置されていない。<br /> <br /> 町村合併により南越前町が出来てから[[山中信号場]]跡に記念碑が建てられた。「上り方引き込み線が上方の林道にあった」と説明文には書かれているが、実際には上下引き込み線は並んでいた。<br /> <br /> 大桐駅跡には上り線ホーム跡が残存し看板が建てられた。<br /> <br /> 福井県道207号今庄杉津線T字交差点(北陸本線踏み切り附近)から今庄方新旧分岐点までは私有地となり通行出来ない。<br /> <br /> [[1996年]][[2月]]に発生した[[国道229号]][[豊浜トンネル]]岩盤崩落事故に伴い、葉原トンネル(事業主体:敦賀市)が[[1997年]][[12月]]までの1年10ヶ月間、山中トンネル(事業主体:福井県)が[[1998年]][[4月]]までの2年2ヶ月間通行止めになり、補強工事が施工された。歴史的に価値がある建造物であることから、当時の外観を極力損なわないように配慮した工事を行ったという。<br /> <br /> == 記念切手 ==<br /> 開通の当日、[[郵政省]]から10円の[[記念切手]]が1962年6月10日&lt;ref name=&quot;stamp1&quot;&gt;日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。&lt;/ref&gt;に発行された。新路線開業ではなく従来線を付け替えたトンネルであり発行は異例だが、当時国内の鉄道トンネルとしては[[清水トンネル]]の開通以来31年ぶりの最長記録更新となる点が考慮されたと考えられる。図柄はトンネルを出る[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系]]特急「[[白鳥 (列車)|白鳥]]」である。また、当初は4月10日発行予定であったが開通が伸びて延期されていた&lt;ref name=&quot;stamp1&quot;&gt;日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかし、この図柄は以下に示すような多数の[http://www.yushu.co.jp/shop/pages/tori_09.aspx 間違い]が指摘され、[[エラー切手|エラーの多い切手]]として名を残すことになった&lt;ref name=&quot;stamp1&quot;&gt;日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;arai1964&quot;&gt;荒井誠一 切手に見る世界の鉄道 補遺〔7〕 北陸トンネル開通記念切手、[[鉄道ピクトリアル]]1964年3月号(通巻155号)pp36-37、[[電気車研究会]]。&lt;/ref&gt;。<br /> * トンネルの天井に実際より多くの架線・送電線があり、支持具の形状も実際とは異なる。<br /> * トンネル内の照明が天井にある(実際はトンネルの側壁に設置)。<br /> * [[道床]]が[[枕木]]を並べた[[バラスト軌道|砂利道床]]である(実際は[[スラブ軌道|コンクリート道床]])。<br /> * 車両の乗務員室ドアが描かれていない。<br /> * 車両の車体下部の裾絞りが明確に描かれていない。<br /> * 車両ヘッドマーク下部の換気口が実際より大きい。<br /> * トンネル開通とともに電化開業を伴っているにもかかわらず、気動車であるキハ80系を描いている。キハ80系も北陸トンネルを通過しており間違いではないが、北陸トンネル開通にあわせて新形式の[[国鉄EF70形電気機関車|EF70形電気機関車]]が新製投入されており、同形が牽引する列車を描くべきであったとの指摘がある&lt;ref name=&quot;arai1964&quot; /&gt;。<br /> <br /> 原因であるが、図案作成者の長谷部日出男が前年に撮影した写真と完成予想図だけで描いたものとされている&lt;ref name=&quot;stamp1&quot;&gt;日本郵趣協会監修『ビジュアル日本切手カタログVol.1記念切手編』、郵趣サービス社、2012年、96頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == マイクロ水力発電 ==<br /> 北陸トンネルの南側(敦賀側)では毎秒180リットルの湧き水が流れでて排水路に流している。これに水車形[[マイクロ水力発電|水力発電機]]を設置して発電に最適な条件を探っている。年間約1万kW時(一般家庭3世帯分)の消費電力が生み出される見込みで、発電された電気は近くにあるJR西日本の事務所の照明などに利用する。この実証試験の結果を踏まえて、ほかのトンネルでも導入を検討、余剰電力は電力会社への売電も考える&lt;ref&gt;出典・読売新聞2013年12月29日・鉄道ファン2014年3月号148頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 新北陸トンネル ==<br /> [[2012年]][[6月29日]]に工事実施計画が認可および建設工事着手され&lt;ref name=&quot;建設促進同盟会 経緯&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.h-shinkansen.gr.jp/top6.html|title=北陸新幹線のあゆみと課題|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=北陸新幹線建設促進同盟会|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;石川県 歩み&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.pref.ishikawa.jp/shink/hokuriku-shinkansen/ayumi.html|title=北陸新幹線これまでの歩み|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=石川県|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;上越市 経緯&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/kotsu/shinkansen-keii.html|title=北陸新幹線の整備に関するこれまでの経緯|accessdate=2015-02-06|date=|publisher=上越市|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;JRTT 手続き状況&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.jrtt.go.jp/02Business/Construction/const-seibi900.html|title=整備新幹線の手続き状況|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=鉄道建設・運輸施設整備支援機構|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;新潟県 概要&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.pref.niigata.lg.jp/koutsuseisaku/1192379427499.html|title=北陸新幹線の概要|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=新潟県|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;報道&quot;&gt;{{Cite press release|title=整備新幹線の工事実施計画の認可について|publisher=国土交通省|date=2012-04-04|url=http://www.mlit.go.jp/report/press/tetsudo09_hh_000032.html|accessdate=2014-12-16|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;、2023年度の開通を予定する[[北陸新幹線]][[金沢駅]] - 敦賀駅間のうち、[[南越駅]](仮称、[[越前市]]の[[武生インターチェンジ]]付近) - [[敦賀駅]]間に設けられるトンネルである。<br /> <br /> 延長は福井県南越前町奥野々から敦賀市樫曲にかけての19475m&lt;ref name=&quot;jrtt-report_no48&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.jrtt.go.jp/01Organization/publicity/pdf/prm/no48-06.pdf|format=PDF|title=WORKING REPORT ~北陸新幹線~ 現場との連携で困難な地質を発破掘削で切り開く|writer=鉄道建設本部 大阪支社 敦賀鉄道建設所|work=鉄道・運輸機構だより 平成28年新春号(No.48)|publisher=独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構|date=2017-01|accessdate=2017-06-11}}&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;当初計画では20009m。また、一部報道等で約19.7kmとの記載も見られる。&lt;/ref&gt;で計画され、北陸新幹線(高崎 - 敦賀間)では[[飯山トンネル]](22225m)に次ぐ2番目に長いトンネルとなり、南越駅 - 敦賀駅間30.150kmの大半を占める&lt;ref name=&quot;route1_tsubata-tsuruga&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.h-shinkansen.gr.jp/route1.html|title=北陸新幹線〔津幡・敦賀間〕路線概要図|accessdate=2015-02-26|date=|publisher=北陸新幹線建設促進同盟会|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 工区は奥野々、大桐、清水(南越前町)と葉原、田尻、樫曲(敦賀市)の6工区に分割され&lt;ref name=&quot;fukuishimbun20161216&quot; &gt;{{Cite news|title=新北陸トンネル工事進ちょく26% 葉原工区は1日8メートル掘削|newspaper=福井新聞ONLINE|date=2016-12-16|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/62652|accessdate=2017-06-10|publisher=福井新聞社}}&lt;/ref&gt;、&lt;ref name=&quot;kumagaigumi_csr2017&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.kumagaigumi.co.jp/csr/kankyo/csr2016/P1518.pdf|title=「独自の現場力」と「しあわせ品質」の最前線 志高き“精鋭”たちの「ものづくり」 新北陸トンネル工事(福井県南越前町)|accessdate=2017-06-11|date=2016|work=熊谷組グループ CSR報告書2016|publisher=[[熊谷組]]}}&lt;/ref&gt;[[2014年]][[12月22日]]の葉原工区を皮切りに順次着工し、掘削が進められている&lt;ref&gt;{{Cite press release|title=北陸新幹線 新北陸トンネル(葉原)工事安全祈願の開催のお知らせについて|publisher=鉄道建設・運輸施設整備支援機構|date=2014-12-16|url=http://www.jrtt.go.jp/08-2Press/pdf/H26/pressh261216.pdf|format=PDF|accessdate=2014-12-16|archiveurl=|archivedate=}}&lt;/ref&gt;。2016年4月22日時点で約2900m(進捗率14.7%)&lt;ref name=&quot;fukuishimbun20160501&quot;&gt;{{Cite news|title=新北陸トンネル長さは全国6番目 6工区に分け工事、進捗14・7%|newspaper=福井新聞ONLINE|date=2016-05-01|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/59785|accessdate=2017-06-10|publisher=福井新聞社}}&lt;/ref&gt;、2016年12月1日時点で約5.2キロ(進捗率約26.6%)を掘削したと発表されている&lt;ref name=&quot;fukuishimbun20161216&quot; /&gt;。トンネル全体の貫通は2020年3月を予定している&lt;ref name=&quot;fukuishimbun20161216&quot; /&gt;。<br /> <br /> なお、トンネル全体の掘削で出る土砂(約160万立方メートル)は敦賀港の鞠山南地区の用地埋め立てに利活用されている。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}} <br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> &lt;references group=&quot;報道&quot;/&gt;<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の鉄道路線一覧]]<br /> * [[柳ヶ瀬線]]<br /> * [[敦賀トンネル]](道路トンネル)<br /> * [[木ノ芽峠]]<br /> ** [[木ノ芽峠トンネル]]<br /> * [[プロジェクトX全放送作品リスト#2004年]]<br /> * [[延長別トンネルの一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{PDFlink|[http://www.jrtt.go.jp/news/pressrelease/data/pressH17.12.12.pdf 北陸新幹線南越(仮称)・敦賀間工事実施計画(その1)の許可申請について―鉄道・運輸機構]}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ほくりくとんねる}}<br /> [[Category:日本の鉄道トンネル]]<br /> [[Category:中部地方のトンネル]]<br /> [[Category:北陸本線]]<br /> [[Category:西日本旅客鉄道|施ほくりくとんねる]]<br /> [[Category:敦賀市の交通]]<br /> [[Category:南越前町の交通]]<br /> [[Category:1962年の鉄道]]</div> 60.46.240.165
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