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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-06T01:49:47Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
藤沢周平
2018-06-28T20:58:32Z
<p>240B:11:4A00:400:60EC:9F97:ADD0:6F6: /* 要素の複合したもの */</p>
<hr />
<div>{{Infobox 作家<br />
| name = 藤沢 周平<br />(ふじさわ しゅうへい)<br />
| image = <br />
| imagesize = <br />
| caption = <br />
| pseudonym = <br />
| birth_name = 小菅 留治(こすげ とめじ)<br />
| birth_date = [[1927年]][[12月26日]]<br />
| birth_place = {{JPN}} [[山形県]][[東田川郡]][[黄金村 (山形県)|黄金村]]<br/>(現・[[鶴岡市]])<br />
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1927|12|26|1997|1|26}}<br />
| death_place = {{JPN}} [[東京都]][[新宿区]][[戸山 (新宿区)|戸山]]<br />
| resting_place = 八王子霊園<br />
| occupation = [[小説家]]<br />
| language = [[日本語]]<br />
| nationality = {{JPN}}<br />
| education = <br />
| alma_mater = [[山形師範学校]]<br />
| period = <br />
| genre = [[時代小説]]<br />
| subject = <br />
| movement = <br />
| notable_works = 『暗殺の年輪』(1973年)<br />『[[たそがれ清兵衛]]』(1983年)<br/>『海鳴り』(1984年)<br/>『白き瓶』(1985年)<br />『[[蝉しぐれ]]』(1988年)<br />
| awards = [[オール讀物新人賞]](1971年)<br />[[直木三十五賞]](1973年)<br/>[[吉川英治文学賞]](1986年)<br />[[芸術選奨]](1989年)<br />[[菊池寛賞]](1989年)<br />[[朝日賞]](1994年)<br />[[紫綬褒章]](1995年)<br />
| debut_works = <br />
| spouse = <br />
| partner = <br />
| children = [[遠藤展子]](長女)<br />
| relations = <br />
| influences = <br />
| influenced = <br />
| signature = <br />
| website = <br />
<!--| footnotes = --><br />
}}<br />
'''藤沢 周平'''(ふじさわ しゅうへい、[[1927年]]([[昭和]]2年)[[12月26日]] - [[1997年]]([[平成]]9年)[[1月26日]])は、[[日本]]の[[小説家]]。[[山形県]][[鶴岡市]]出身。本名、'''小菅 留治'''(こすげ とめじ)。[[ABO式血液型|血液型]]はB型<ref>阿部達二『藤沢周平残日録』p.87</ref>。<br />
<br />
[[江戸時代]]<ref>特に町人文化が熟した[[文化文政]]期を主に描いた。</ref>を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた[[時代小説]]作品を多く残した<ref>藤沢周平にとって小説はどう書いてもいいのではなく、人生の哀切を確かに読者に伝える事のできる小説をと願った。それを時代小説という形式で現した。その時代小説は、剣客や藩士の登場する'''武家もの'''と、町人や渡世人を主人公とする'''市井もの'''との二系列に書き分けられている。(藤沢周平著 『藤沢周平全集 別巻』 文藝春秋 2002年 17ページ)</ref>。とくに、架空の[[藩]]「'''[[海坂藩]]'''(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。<br />
<br />
長女[[遠藤展子]]は、[[随筆家|エッセイスト]]。[[2010年]][[4月29日]]、出身地の鶴岡市に「[[鶴岡市立藤沢周平記念館]]」が開館した。<br />
<br />
== 来歴・人物 ==<br />
=== 生い立ち ===<br />
[[山形県]][[東田川郡]][[黄金村 (山形県)|黄金村]]大字高坂字楯ノ下(現在の[[鶴岡市]]高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は[[農家]]で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。郷里[[庄内地方|庄内]]と並んで農は、作家藤沢周平を考えるうえで欠くことのできない要素である。<br />
<br />
[[1934年]](昭和9年)、青龍寺[[尋常小学校|尋常高等小学校]]入学(在学中に黄金村[[国民学校]]に改称。現在の[[鶴岡市立黄金小学校]])。小学校時代からあらゆる小説、雑誌の類を濫読し、登下校の最中にも書物を手放さなかった。また、6年生の頃には時代物の小説を書いた<ref>『歴史読本』編集部編『藤沢周平を読む』 新人物往来社、2010年 298ページ</ref>。[[1938年]](昭和13年)、11歳の時ひどい吃音に悩まされる<ref>[[笹沢信]]著 『藤沢周平伝』 白水社 2013年 423ページ</ref>。[[1942年]](昭和17年)、15歳の時、黄金村国民学校高等科を卒業し、山形県立鶴岡中学校(現在の[[山形県立鶴岡南高等学校|鶴岡南高校]])夜間部入学。昼間は印刷会社や村役場書記補として働いた。<br />
<br />
[[1945年]](昭和20年)、18歳、「8月15日の終戦のラジオ放送を、わたしは役場の控え室で聞いた。……喜びもかなしみもなく、私はだだっぴろい空虚感に包まれていた。しばらくして、これからどうなるのだろうと思ったが、それに答えるひとは誰もいないこともわかっていた。」(第七巻月報)<ref>藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 578ページ</ref><br />
<br />
[[1946年]]に[[旧制中学校|中学校]]を卒業後、[[山形師範学校]]<ref>当時の師範学校は入学金も授業料も要らなかった。予科から入っていれば、給費二千円近くもらえた。しかし、小菅は本科から入った。下宿代は出さねばならなかったから、親にはかなりな負担を賭けている。奨学金を貰った。</ref>(現在の[[山形大学]])に進む<ref>留治にとって兄久治が復員してきたことも進学を決心させた</ref>。一級上に[[無着成恭]]<ref>藤沢周平著 『藤沢周平全集 第23巻』 文藝春秋 1994年 577-578ページ</ref>がいた。入学後はもっぱら文芸に親しみ、校内の[[同人雑誌]]『砕氷船』に参加した(このときの同人は[[蒲生芳郎]]、小松康裕、土田茂範、那須五郎、丹波秀和、松阪俊雄、小菅留治の7人、最初は自筆原稿の回覧、ポーの評伝を発表)。この時期の思いでは自伝『半生の記』に詳しく記されており、また小説作品にしばしば登場する剣術道場同門の友情などにも形を変えて描かれている。小菅は、二年生の夏と三年生の冬の二回肺炎になりかけた。二回目の時には意識不明の状態に陥っている。<br />
<br />
=== 教員時代 ===<br />
[[1949年]]、山形師範学校を卒業後、山形県[[西田川郡]][[湯田川村]]立湯田川中学校(鶴岡市湯田川、現在は[[鶴岡市立鶴岡第四中学校]]へ統合)へ赴任し<ref>{{cite web|url=http://yamagata-np.jp/feature/kiyokawahachirou/kj_2010122100787.php |title=「元気・まちネット」踏査同行記(4) 湯田川温泉 |publisher=[[山形新聞]] |date=2009-10-01 |accessdate=2011-03-26 }}</ref>、国語と社会を担当。[[1951年]]、『砕氷船』の後継誌である『プレリュウド』に参加した。優秀な教師として将来を嘱望され、教え子たちからも「体格がよく、スポーツマンで、色白で二枚目の素敵な先生」と慕われた。当時、この地方では師範学校卒の教師はエリートであり、順調な人生を歩み始めた。しかし、この年3月の集団検診で当時不治の病とされた[[肺結核]]が発見され、休職を余儀なくされる<ref>教師時代の事項は専ら徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』(文春文庫『甘味辛味』所収)に基づく。</ref>。<br />
<br />
1952年2月、[[東京都]][[北多摩郡]]東村山町(現在の[[東村山市]])の篠田病院に入院し、保生園病院において右肺上葉切除の大手術を受けた。予後は順調で、篠田病院内の[[句会]]に参加し、静岡県の俳誌『海坂』([[百合山羽公]]、[[相生垣瓜人]]主宰)に投稿をおこなうようになる。'''北邨'''という[[俳号]]を用いた。またこの時期に大いに読書に励み、ことに海外小説に親しみ、作家生活の素地を完成させた。<br />
<br />
=== 記者時代 ===<br />
[[1957年]]、退院準備に入るものの思わしい就職先が見つからず、郷里で教員生活を送ることを断念。歴史研究家の[[大井篤]]の妹・晴の勧めにより[[練馬区]]貫井町に下宿して[[業界紙|業界新聞]]に勤めはじめるも、倒産などが相次ぎ数紙を転々とする。<ref>後に徳永文一が調査したところでも、藤沢がこの時期どこに勤めていたのかは判然としないという。徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』(文春文庫『甘味辛味』所収)。</ref>[[1959年]]、三浦悦子と結婚。8歳年下の同郷者であった。[[1960年]]に株式会社日本食品経済社に入社、『日本食品加工新聞』の記者となる。以後作家生活に専念するまで同社に勤務、記者としての仕事は、本人の性にあっており、精力的に取材執筆を行う。のちに同紙編集長に昇進し、ハム・ソーセージ業界について健筆を振るい、業界の健全化に尽力した。コラム「甘味辛味」をほとんど一人で執筆。<ref>「甘味辛味」は藤沢没後、文春文庫から遺稿集として出版された。「ほとんど一人」は徳永文一『業界紙時代の藤沢周平』による(文春文庫『甘味辛味』所収)。</ref>取材先の一つで[[日本ハム]]創業者で当時社長の[[大社義規]]とは信頼関係を結んだ<ref>「藤沢周平のすべて」での同僚金田明夫の回想と、阿部達二「発掘! 新聞記者 藤沢周平のエッセイ」、『オール読物』(2012年2月号、文藝春秋)による。</ref>。そのかたわら文学への情熱やみがたく、勤務のかたわらこつこつと小説を書きつづけていた。当時はもっぱら[[純文学]]を志していたらしい([[1963年]]には、[[読売新聞]]短編小説賞に『赤い夕日』が選外佳作となった)。<br />
<br />
[[1963年]]、長女・展子が生まれ、[[清瀬市]]上清戸で間借り生活を始めるも、同年10月に妻・悦子が急性の癌により<ref>徳永及び『藤沢周平の説いた我慢』2013年1月20日読売新聞15面</ref>急死(28歳)。このことに強い衝撃を受け、同市内で引っ越しをしつつ、やり場のない虚無感をなだめるために[[時代小説]]の筆を執るようになる。主に大衆的な「倶楽部雑誌」に短編を発表(『藤沢周平 未刊行初期短編』に収録)。藤沢作品の初期に特徴的な、救いのない暗い雰囲気とヒロインの悲劇には、妻の死がつよく影響を与えていると思われる。翌年以降、毎年のように[[オール讀物新人賞]]に投稿を始める。[[1965年]]から'''藤沢周平'''の[[ペンネーム]]を使いはじめた。「藤沢」は悦子の実家のある地名(鶴岡市藤沢)から、「周」の字は悦子の親族の名から採られている<ref>阿部達二『藤沢周平残日録』、p.85</ref>。<br />
<br />
=== 作家デビュー ===<br />
妻の没後は、郷里から呼び寄せた母、長女との三人暮らしとなり、目の悪い母を看病しつつ育児を行い、編集長の激務の傍ら5年独身で過ごす。再婚話は中々まとまらなかった。<ref>徳永『業界紙時代の藤沢周平』より</ref>[[1969年]]、高澤和子と再婚。長女とあわせて三人家族となり、疲労困憊していた家事から解放され、週末は小説執筆に専念できるようになった。[[1970年]]に[[東久留米市]]に引っ越しをし、翌年[[1971年]]、ついに 『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。[[直木賞]]候補となり、翌年『暗殺の年輪』で第69回直木賞。記者仲間や大社らに祝われ、編集長の傍ら新進の時代小説作家として認められるようになる。この年最初の作品集『暗殺の年輪』を[[文藝春秋]]より刊行し、翌[[1974年]]には日本食品経済社を退社して、本格的な作家生活に入る。<br />
<br />
この頃の自分の心境を、藤沢はこう述べている。<br />
{{Quote|<br />
「三十代のおしまいごろから四十代のはじめにかけて、私はかなりしつこい鬱屈をかかえて暮らしていた。鬱屈といっても仕事や世の中に対する不満といったものではなく、まったく私的なものだったが、私はそれを通して世の中に絶望し、またそういう自分自身にも愛想をつかしていた。(中略)(そういう鬱屈の解消方法が)私の場合は小説を書く作業につながった。「溟い海」は、そんなぐあいで出来上がった小説である。」<br />
|(「溟い海」の背景)<br />
}}<br />
{{Quote|<br />
「私自身当時の小説を読み返すと、少少苦痛を感じるほどに暗い仕上がりのものが多い。男女の愛は別離で終わるし、武士が死んで物語が終わるというふうだった。ハッピーエンドが書けなかった。」<br />
|(転機の作物)<br />
}}<br />
<br />
初期には自ら述べるように暗く重い作風であり、地味な作家であったが、[[1976年]]刊行の『竹光始末』、同年連載の『用心棒日月抄』のあたりから作風が変り、綿密な描写と美しい抒情性のうえにユーモアの彩りが濃厚となってきた。藤沢は、これについて<br />
「『用心棒日月抄』あたりから[[ユーモア]]の要素が入り込んできた。北国風のユーモアが目覚めたということだったかも知れない」(転機の作物、要約)と述べている。<br />
<br />
=== 円熟の作家として ===<br />
1980年代前半、町人もので数多くの秀品をものする(『時雨みち』『霜の朝』『龍を見た男』などの短篇集に所収)一方で、[[大衆小説]]の本道ともいうべき娯楽色の強いシリーズもの(短篇連作)を次々と生みだす。刊行年によって挙げると、[[1980年]]に町人ものの『橋ものがたり』、捕物帳の『霧の果て-神谷玄次郎捕物控』、獄医立花登ものの第一作となる『春秋の檻-獄医立花登手控え』、『用心棒日月抄』の第二部『孤剣』、翌[[1981年]]にはユーモア色を生かした『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』と立花登ものの第二作『風雪の檻』、[[1982年]]には同じく『愛憎の檻』、[[1983年]]には『用心棒日月抄』の系統を生かした『よろずや平四郎活人剣』、立花登第三作『人間の檻』、『用心棒日月抄』の第三作『刺客』などがある。<br />
<br />
[[1984年]]以降になると、こうしたシリーズもののほかに綿密な構成による長篇が登場し、物語性のつよい傑作が相次いで発表・刊行されるようになる。すでに[[1980年]]に唯一の伝奇小説『闇の傀儡師』、[[1982年]]に江戸の[[ハードボイルド]]を狙ったといわれる彫師伊之助ものの第二作『漆黒の霧の中で-彫師伊之助捕物覚え』が上梓されているが、[[1984年]]には江戸を舞台にした恋愛小説『海鳴り』、[[1985年]]には武家青春小説とお家騒動ものの系譜の集大成ともいえる『風の果て』と伊之助もの第三作『ささやく河』が刊行され、いずれも高い人気を得た。<br />
<br />
[[1992年]]6月に、[[文藝春秋]]で『藤沢周平全集』<ref>[[向井敏]]『海坂藩の侍たち』は、大半は「全集」解説集。</ref>を刊行開始した(全23巻、1994年4月完結)<ref>没後の2002年に、24巻「漆の実のみのる国 ほか短編」、25巻「書簡・句集 ほか」、別巻「作品解説 ほか」が、2012年には、26巻「初期短篇十五篇、エッセイ、選評集」が刊行された。</ref>。<br />
<br />
=== 晩年 ===<br />
[[1995年]]頃より、若いころの結核手術の際の輸血に際し罹患した[[肝炎]]により、[[1996年]]には入退院をくりかえす。1996年7月に帰宅した際、『文藝春秋』への連載が4月号より中断していた「漆の実のみのる国」結末部の6枚を執筆した。<br />
<br />
[[1997年]][[1月26日]]、[[肝不全]]のため[[国立国際医療センター]]で逝去した({{没年齢|1927|12|26|1997|1|26}})<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)285頁</ref>。戒名は藤澤院周徳留信居士、墓所は都営[[八王子霊園]]。<br />
<br />
没後、山形県県民栄誉賞と鶴岡市特別顕彰(鶴岡市名誉市民顕彰と同等)が贈られた。鶴岡藤沢周平文学愛好会が、毎年「寒梅忌」を開催している(祥月命日の前後)<ref>{{cite news |title=藤沢さんの魅力再発見 鶴岡・没後20年「寒梅忌」、パネル展も|author= |agency=|publisher=山形新聞|date=2017-01-30 |url=http://yamagata-np.jp/news/201701/30/kj_2017013000741.php|accessdate=2017-2-4}}</ref><ref>{{cite news |title=<藤沢周平>没後20年 魅力語り尽くせず|author= |agency=|publisher=河北新報|date=2017-01-30 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201701/20170130_53029.html|accessdate=2017-2-4}}</ref>。<br />
<br />
== 受賞歴と選考委員歴 ==<br />
=== 受賞歴 ===<br />
*[[1971年]](昭和46年)「溟い海」で、第38回「オール讀物」新人賞受賞。 <br />
*[[1973年]](昭和48年)「暗殺の年輪」で、第69回直木賞受賞。 <br />
*[[1986年]](昭和61年)「白き瓶」で、第20回[[吉川英治文学賞]]受賞。<br />
*[[1989年]](平成元年)「[[市塵]]」で、第40回[[芸術選奨文部大臣賞]]受賞。<br />
*[[1989年]](平成元年) 作家生活全体の功績に対して、第37回菊池寛賞受賞。<br />
*[[1994年]](平成6年)[[朝日賞]]受賞。第10回東京都文化賞受賞。<br />
*[[1995年]](平成7年)[[紫綬褒章]]受章。<br />
*[[1997年]](平成9年)鶴岡市特別顕彰、山形県県民栄誉賞受賞。<br />
<br />
=== 選考委員 ===<br />
*[[1976年]]からはオール讀物新人賞選考委員。<br />
*[[1985年]]から直木賞選考委員。<br />
*[[1988年]]、[[山本周五郎賞]]選考委員。<br />
<br />
== エピソード ==<br />
*[[織田信長]]の先進性を認めながらも、小説の下調べのため史料を調べている時に残虐な振る舞いの多さに気づき、以降信長を嫌うようになった、とエッセイ『信長ぎらい』で述べている。別のエッセイによれば、この小説は[[明智光秀]]を描いた小説『逆軍の旗』のことであったという。また、この信長観については「全集」解説を担当している[[向井敏]]が、[[司馬遼太郎]]との差異として取り上げている。<br />
<br />
*趣味は[[囲碁]]。日本棋院から初段を認められる腕前であり、職場(新聞社)の昼休みに打つ他、作家専業になってからも近所の碁会所に通ったり、作家仲間と打つなどしていた。碁に負けると[[林海峰]]の『定石の急所』を帰宅後ひそかに読んでいたという。本人は「直木賞をとってもアマ四段の職場の同僚に負けており、なかなか腕が上がらない」と述べている。また、しばしばエッセイで囲碁について触れている。<br />
<br />
*郷里である[[山形県]][[鶴岡市]]に憧憬があり、作品に反映されている。とくに[[庄内交通]][[庄内交通湯野浜線|湯野浜線]]電車([[1975年]]廃止)が馴染みがあったこともあり、書斎には同線が廃止になった際に作られたレールの文鎮があり、愛用していた<ref>1994年3月2日、朝日新聞「藤沢周平の世界」</ref>。また、1975年に発刊された『消えゆく山形の私鉄電車』(久保田久雄、東北出版企画)にも、湯野浜線電車廃止についてコメントを寄せている。<br />
<br />
*自伝随想集である『周平独言』内では、「ある政党」を応援していると記してあるが、同項で文学と政治では分野が異なると述べ、選挙応援などの政治活動は自分には似合わないことのような気がするとも記している。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
=== シリーズ作品 ===<br />
* [[用心棒日月抄]]シリーズ<br />
** 用心棒日月抄 新潮社 1978 のち文庫<br />
** 孤剣 用心棒日月抄 新潮社 1980 のち文庫<br />
** 刺客 用心棒日月抄 新潮社 1983 のち文庫<br />
** 凶刃 用心捧日月抄 新潮社 1991 のち文庫<br />
* 彫師伊之助捕物覚え<br />
** 消えた女 立風書房 1979 のち新潮文庫<br />
** 漆黒の霧の中で 新潮社 1982 のち文庫<br />
** ささやく河 新潮社 1985 のち文庫<br />
* [[立花登・青春手控え|獄医立花登手控え]]シリーズ<br />
** 春秋の檻 獄医立花登手控え1 講談社 1980 のち文庫、文春文庫<br />
** 風雪の檻 獄医立花登手控え2 講談社 1981 のち文庫、文春文庫<br />
** 愛憎の檻 獄医立花登手控え3 講談社 1982 のち文庫、文春文庫<br />
**人間の檻 獄医立花登手控え4 講談社 1983 のち文庫、文春文庫<br />
* [[隠し剣]]シリーズ<br />
** 隠し剣孤影抄 文藝春秋 1981 のち文庫<br />
** 隠し剣秋風抄 文藝春秋 1981 のち文庫<br />
<br />
=== 作品 ===<br />
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"><br />
* 暗殺の年輪 文藝春秋 1973 のち文庫<br />
* 又蔵の火 文藝春秋 1974 のち文庫<br />
* 闇の梯子 文藝春秋 1974 のち文庫<br />
* 檻車墨河を渡る 文藝春秋 1975<br />
** 改題 「雲奔る 小説・[[雲井龍雄]]」 文春文庫、のち中公文庫 <br />
* 竹光始末 立風書房 1976 のち新潮文庫<br />
* 時雨のあと 立風書房 1976 のち新潮文庫<br />
* [[義民が駆ける]] [[中央公論新社|中央公論社]] 1976 のち文庫、[[講談社文庫]]<br />
* 冤罪 青樹社 1976 のち新潮文庫<br />
* 暁のひかり 光風社書店 1976 のち文春文庫<br />
* 逆軍の旗 青樹社 1976 のち文春文庫<br />
* 喜多川歌麿女絵草紙 青樹社 1977 のち[[文春文庫]]<br />
* 闇の穴 立風書房 1977 のち新潮文庫<br />
* 闇の歯車 講談社 1977 のち文庫、[[中公文庫]]<br />
* 長門守の陰謀 立風書房 1978 のち文春文庫<br />
* 春秋山伏記 家の光協会 1978 のち新潮文庫、[[角川文庫]]<br />
* [[一茶 (小説)|一茶]] 文藝春秋 1978 のち文庫<br />
* 神隠し 青樹社 1979 のち新潮文庫<br />
* 雪明かり 講談社文庫 1979<br />
* 回天の門 文藝春秋 1979 のち文庫<br />
* 驟り雨 青樹社 1980 のち新潮文庫<br />
* 橋ものがたり 実業之日本社 1980 のち新潮文庫<br />
* [[神谷玄次郎捕物控|出合茶屋 神谷玄次郎捕物控]] [[双葉社]] 1980<br />
** 改題 「霧の果て」文春文庫 1985<br />
* 闇の傀儡師 文藝春秋 1980 のち文庫<br />
* 夜の橋 中央公論社 1981 のち文庫、文春文庫<br />
</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"><br />
* 時雨みち 青樹社 1981 のち新潮文庫<br />
* 霜の朝 青樹社 1981 のち新潮文庫<br />
* 密謀 毎日新聞社 1982 のち新潮文庫<br />
* [[よろずや平四郎活人剣]] 文藝春秋 1983 のち文庫<br />
* 龍を見た男 青樹社 1983 のち新潮文庫<br />
* 海鳴り 文藝春秋 1984 のち文庫<br />
* 白き瓶-小説・[[長塚節]] 文藝春秋 1985 のち文庫<br />
* [[花のあと]] 青樹社 1985 のち文春文庫<br />
* [[風の果て]] 朝日新聞社 1985 のち文春文庫<br />
* 決闘の辻 藤沢版新剣客伝 講談社 1985 のち文庫<br />
* 潮田伝五郎置文 東京文芸社 1985 新版1989 のち光風社出版<br />
* 本所しぐれ町物語 新潮社 1987 のち文庫<br />
* [[蝉しぐれ]] 文藝春秋 1988 のち文庫<br />
* [[たそがれ清兵衛]] 新潮社 1988 のち文庫<br />
* [[市塵]] 講談社〈日本歴史文学館〉 1988 新版1989 のち文庫<br />
* 麦屋町昼下がり 文藝春秋 1989 のち文庫<br />
* [[三屋清左衛門残日録]] 文藝春秋 1989 のち文庫<br />
* 玄鳥 文藝春秋 1991 のち文庫<br />
* 天保悪党伝 角川書店 1992 のち文庫、新潮文庫<br />
* [[秘太刀 馬の骨|秘太刀馬の骨]] 文藝春秋 1992 のち文庫<br />
* 夜消える 文春文庫 1994、文藝春秋 1995<br />
* 日暮れ竹河岸 文藝春秋 1996 のち文庫<br />
* [[漆の実のみのる国]] 文藝春秋 1997 のち文庫<br />
* 早春 その他 文藝春秋 1998 のち文庫<br />
* 静かな木 新潮社 1998 のち文庫<br />
* 未刊行初期短篇 文藝春秋 2006 のち文庫<ref>改題「無用の隠密 未刊行初期短篇」 文春文庫 2009。1編追加し全15篇</ref><br />
</div>{{clear}}<br />
<br />
==== 随想集 ====<br />
* 周平独言 中央公論社 1981 のち文庫、文春文庫。初のエッセイ集<br />
* 小説の周辺 潮出版社 1986 のち文春文庫<br />
* 半生の記 文藝春秋 1994 のち文庫。自叙伝<br />
* ふるさとへ廻る六部は 新潮文庫 1995、新潮社 1998<br />
* 帰省 未刊行エッセイ集 文藝春秋 2008 のち文庫<br />
* 乳のごとき故郷 文藝春秋 2010<br />
* 甘味辛味 <small>業界紙時代の藤沢周平</small> 文春文庫<ref>業界記者だった時期の精選コラム70篇。併せて徳永文一による当時の同僚・仲間を取材した評伝を収録。</ref> 2012<br />
* 江戸おんな絵姿十二景 文藝春秋 2016<br />
<br />
===作品集 その他===<br />
* 藤沢周平短篇傑作選 全4巻 文藝春秋 1981<br />
* '''藤沢周平全集''' 文藝春秋。※第1〜23巻 1992-94、第24・25巻・別巻 2002、第26巻 2012<br />
* 藤沢周平珠玉選 全9巻 青樹社 1993-94<br />
* 藤沢周平句集 文藝春秋 1999 のち文庫<br />
* 海坂藩大全(上・下) 文藝春秋 2007<br />
<br />
== 著作の他メディア展開 ==<br />
=== 映画 ===<br />
*[[たそがれ清兵衛]]([[2002年]] 配給:[[松竹]] 監督:[[山田洋次]] 出演:[[真田広之]]、[[宮沢りえ]])<br />
*[[隠し剣 鬼の爪]]([[2004年]] 配給:松竹 監督:山田洋次 出演:[[永瀬正敏]]、[[松たか子]])<br />
*[[蝉しぐれ]]([[2005年]] 配給:[[東宝]] 監督:[[黒土三男]] 出演:[[市川染五郎 (7代目)|市川染五郎]]、[[木村佳乃]])<br />
*[[武士の一分]]([[2006年]] 配給:松竹 監督:山田洋次 主演:[[木村拓哉]]、[[檀れい]])<br />
*[[山桜 (映画)|山桜]]([[2008年]] 配給:[[東京テアトル]] 監督:[[篠原哲雄]] 主演:[[田中麗奈]]、[[東山紀之]])<br />
*[[花のあと]]([[2010年]] 配給:[[東映]] 監督:[[中西健二]] 主演:[[北川景子]])<br />
*[[必死剣 鳥刺し]](2010年 配給:東映 監督:[[平山秀幸]] 主演:[[豊川悦司]])<br />
*[[小川の辺]]([[2011年]] 配給:東映 監督:篠原哲雄、主演:東山紀之、[[菊地凛子]])<br />
*[[一茶 (小説)#映画|一茶]]([[2017年]]公開予定 監督:[[吉村芳之]]、主演:[[リリー・フランキー]])<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/eiga/news/205205|title=リリー・フランキーが小林一茶役で主演、藤沢周平による伝記小説を映画化|newspaper=映画ナタリー|date=2016-10-13|accessdate=2016-10-13}}</ref><br />
<br />
=== テレビドラマ ===<br />
*小ぬか雨([[1980年]] [[TBSテレビ|TBS]]系 出演:[[吉永小百合]]、[[三浦友和]])<br />
*[[悪党狩り]](1980年 [[テレビ東京]]系 出演:[[尾上菊五郎 (7代目)|尾上菊五郎]]、[[鶴田浩二]])<br />
*愛の旅路([[1981年]] [[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]] 出演:[[大原麗子]]、[[夏八木勲]])<br />
*思い違い(1981年 TBS系 出演:[[竹脇無我]])<br />
*江戸の用心棒(原作:[[用心棒日月抄]] 1981年 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系 出演:[[古谷一行]]、[[夏八木勲]])<br />
*[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|宿命剣鬼走り]](1981年 フジテレビ系 出演:[[萬屋錦之介]])<br />
*[[立花登・青春手控え#テレビドラマ(1982年)|立花登 青春手控え]]([[1982年]] [[日本放送協会|NHK]] 出演:[[中井貴一]]、[[篠田三郎]])<br />
*[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|彫師伊之助捕物覚え 消えた女]](1982年 フジテレビ系 出演:[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]]、[[野川由美子]])<br />
*[[水曜グランドロマン]]・[[用心棒日月抄]]([[1989年]] [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系 出演:[[杉良太郎]]、[[竜雷太]]) <br />
*[[神谷玄次郎捕物控]](原作:霧の果て-神谷玄次郎捕物控- 1990年 フジテレビ系 出演:古谷一行、[[藤真利子]])<br />
*[[腕におぼえあり]](原作:用心棒日月抄 [[1992年]]、[[1993年]] NHK 出演:[[村上弘明]]、[[渡辺徹 (俳優)|渡辺徹]])<br />
*[[清左衛門残日録]](原作:[[三屋清左衛門残日録]] 1993年、[[1995年]] NHK 出演:[[仲代達矢]]、[[南果歩]]、[[かたせ梨乃]]、[[財津一郎]])<br />
*[[命捧げ候 夢追い坂の決闘]] (原作:穴熊、帰郷 [[1996年]] [[NHK正月時代劇]] 出演:[[緒形拳]]、[[南野陽子]]、[[浅野忠信]])<br />
*[[風光る剣 八嶽党秘聞]](原作:闇の傀儡師 [[1997年]] [[NHK正月時代劇]] 出演:[[中井貴一]]、[[高岡早紀]])<br />
*[[藤沢周平の用心棒日月抄]](原作:用心棒日月抄 1997年 [[テレビ朝日]]系 出演:[[小林稔侍]]、[[寺尾聰]])<br />
*[[よろずや平四郎活人剣#NHK 『新・腕におぼえあり〜よろずや平四郎活人剣〜』|新・腕におぼえあり]](原作:よろずや平四郎活人剣 [[1998年]] NHK 出演:[[高嶋政伸]]、[[村田雄浩]])<br />
*[[藤沢周平の人情しぐれ町]](原作:本所しぐれ町物語 [[2000年]] NHK 語り:[[小林桂樹]]、出演:[[萩原健一]]、[[石田ひかり]])<br />
*[[蝉しぐれ]]([[2002年]] NHK 出演:[[内野聖陽]]、[[水野真紀]])<br />
*[[秘太刀 馬の骨]]([[2005年]] NHK 出演:内野聖陽、[[段田安則]])<br />
*[[よろずや平四郎活人剣]]([[2007年]] テレビ東京 出演:[[中村俊介]])<br />
*[[風の果て]](2007年 NHK 出演:[[佐藤浩市]])<br />
*[[花の誇り]]([[2008年]] NHK 出演:[[瀬戸朝香]]、[[酒井美紀]])<br />
*[[神谷玄次郎捕物控]]([[2014年]]、[[2015年]] [[NHK BSプレミアム]] 出演:[[高橋光臣]]、[[中越典子]])<br />
*[[藤沢周平 新ドラマシリーズ]]<br />
**[[果し合い]](2015年 [[時代劇専門チャンネル]]・[[BSスカパー!]] 出演:[[仲代達矢]])<br />
**[[遅いしあわせ]](2015年 時代劇専門チャンネル 出演:[[檀れい]]、[[加藤雅也]]、[[柄本佑]])<br />
**[[冬の日 (テレビドラマ)|冬の日]](2015年 時代劇専門チャンネル 出演:[[中村梅雀]]、[[高岡早紀]])<br />
*[[三屋清左衛門残日録#テレビドラマ|三屋清左衛門残日録]] / 三屋清左衛門残日録 完結篇([[2016年]]・[[2017年]] [[BSフジ]]・時代劇専門チャンネル 出演:[[北大路欣也]]、[[伊東四朗]])<br />
*[[立花登・青春手控え#テレビドラマ(2016年)|立花登青春手控え]] / 立花登青春手控え2(2016年・2017年 NHK BSプレミアム 出演:[[溝端淳平]]、[[平祐奈]])<br />
*藤沢周平 新ドラマシリーズ 第二弾「橋ものがたり」(2017年 BSスカパー!)<br />
**[[小さな橋で]](出演:[[松雪泰子]]、[[江口洋介]])<br />
**[[吹く風は秋]](出演:[[橋爪功]]、[[臼田あさ美]])<br />
**[[小ぬか雨]](出演:[[北乃きい]]、[[永山絢斗]])<br />
<br />
=== 舞台 ===<br />
*若き日の唄は忘れじ-「蝉しぐれ」より([[1994年]] [[宝塚歌劇団]])<br />
*腕におぼえあり ([[2000年]]、[[明治座]] 出演:[[村上弘明]])<br />
*きょうの雨あしたの風 ([[2002年]]、[[劇団俳優座]] 脚本:吉永仁郎)<br> [驟り雨]より「うしろ姿」、[時雨みち]より「おばさん」、[竹光始末]より「冬の終わりに」<br> 3作品を一つの劇にした。(劇団[[俳優座]]で、2002年秋に東京での初演以降も全国各地で上演している)<br />
*春秋山伏記([[2003年]] - [[2004年]] [[わらび座]]) <br />
*三屋清左衛門残日録〜夕映えの人〜 ([[2004年]] [[劇団俳優座]])<br />
*蝉しぐれ ([[2007年]] [[大阪松竹座]])<br />
*蝉しぐれ ([[2008年]] [[明治座]])<br />
*海鳴り ([[2008年]] [[劇団民藝]])<br />
*思案橋 ([[2011年]] [[劇団民藝]])「小ぬか雨」(『橋ものがたり』所収)、「夜の雷雨」(『神隠し』所収)、「亭主の仲間」(『時雨みち』所収)すべて新潮文庫刊 <br />
<br />
=== 朗読(ラジオほか) ===<br />
*[[藤沢周平傑作選|朗読・藤沢周平傑作選]] - ([[ニッポン放送]]ほか、[[2009年]]4月より1年間放送され、好評につき放送延長された、案内:[[児玉清]])<br />
*『新潮CD [[山田洋次]]が選ぶ 藤沢周平傑作選』-(新潮社、2004年10-11月に10作品を刊行、朗読:[[倍賞千恵子]]・[[奈良岡朋子]]・[[中村梅雀]]ほか) <br />
*『[[森繁久彌]]のNHK[[日曜名作座]] 藤沢周平傑作選』 - (小学館、2010年5月、CD14枚に長編4作+短編集11作を所収) <br />
<br />
== 関連文献 ==<br />
=== 作家本人の身辺を主とするもの ===<br />
* [[遠藤展子]]『藤沢周平 父の周辺』(文藝春秋、2006年、文春文庫、2010年) ISBN 4-16-777338-4<br />
* 遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』 ([[新潮社]]、2007年、[[新潮文庫]]、2009年) ISBN 4-10-128681-7 <br />
** 遠藤展子<ref>夫遠藤崇寿と共に『わたしの藤沢周平』([[宝島社]]、2009年1月/文春文庫、2012年10月)の監修を行っている。本書は、没後10年を記念した番組『わたしの藤沢周平』(NHK衛星放送BS2)の書籍化で、著名人30数名のファンが、好きな作品を選び想いを語っている。</ref> 『父と娘の「橋ものがたり」』(連作短篇集『橋ものがたり 新版』の巻末エッセイ、[[実業之日本社]]、2007年)、ISBN 4-408-53505-2 <br />
**『藤沢周平 遺された手帳』(文藝春秋、2017年)、ISBN 4-16-390761-0<br />
* 小菅繁治『兄 藤沢周平』([[毎日新聞社]]、2001年)<br />
* 粕谷昭二『藤沢周平の礎 小菅留治』(東北出版企画、2008年)、ISBN 4-88761-046-7、故郷の関係者による人間像<br />
<br />
=== 作家論・作品論を主とするもの ===<br />
* [[向井敏]] 『海坂藩の侍たち 藤沢周平と時代小説』(文藝春秋、1994年、文春文庫、1998年)<br />
* [[蒲生芳郎]] 『藤沢周平 「海坂藩」の原郷』([[小学館文庫]]、2002年)、 ISBN 4-09-402796-3<br />
* [[高橋敏夫]] 『藤沢周平 <small>負を生きる物語</small>』([[集英社新書]]、2002年)、 ISBN 4-08-720125-2<br />
* 高橋敏夫 『藤沢周平という生き方』([[PHP新書]]、2007年)、ISBN 4-569-65994-2 、上記の続編<ref>他に、『藤沢周平の言葉』(角川SSC新書、2009年)、[[佐高信]]との対談『藤沢周平と[[山本周五郎]]』(毎日新聞社、2004年/[[光文社]]知恵の森文庫、2012年)がある。</ref><br />
* [[松本健一]] 『藤沢周平が愛した静謐な日本』(朝日新聞出版、2007年10月、朝日文庫、2010年11月)、ISBN 4-02-264571-7<br />
* [[別冊宝島]]編集部編 『藤沢周平の本 <small>全65冊完全案内</small>』(宝島社文庫、2005年)、ISBN 4-7966-4868-2<br />
* 『藤沢周平のツボ』(朝日文庫、2007年12月)、ISBN 4-02-264425-7<br> [[関川夏央]]、[[杉本章子]]、[[立松和平]]、[[重松清]]、[[山本一力]]ほか全22名による作品案内。<br />
<br />
=== 要素の複合したもの ===<br />
* 文藝春秋編 『藤沢周平のすべて』(文春文庫<ref>『文藝春秋臨時増刊 藤沢周平のすべて』(同、1997年10月)の再編版</ref>、2001年2月)、ISBN 4-16-721775-9 <br />
* 文藝春秋編 『藤沢周平の世界』(文春文庫<ref>『文藝春秋臨時増刊 藤沢周平の世界』(同、1994年6月)の再編版</ref>、1997年4月)、ISBN 4-16-721763-5 <br />
* [[阿部達二]] 『藤沢周平残日録』([[文春新書]]、2004年)、ISBN 4-16-660359-0<br />
* [[オール読物]]責任編集 『藤沢周平のこころ <small>没後二十年 文春[[ムック (出版)|ムック]]</small>』(文藝春秋、2016年12月)<ref>ムック本は、他に『「蝉しぐれ」と藤沢周平の世界』(文藝春秋、2005年)、『藤沢周平と〈海坂藩〉を旅する』(徳間書店、2012年)がある。</ref>、ISBN 4-16-008603-9<br />
* 『別冊太陽 藤沢周平 <small>人間の哀歓と過ぎし世のぬくもりを描いた小説家</small>』([[平凡社]]、2006年10月) ISBN 4-582-94501-5<br />
* [[山形新聞社]]編 『藤沢周平と庄内 <small>海坂藩を訪ねる旅</small>』(ダイヤモンド社、1997年)<br />
**改題 『藤沢周平が愛した風景 <small>庄内・海坂藩を訪ねる旅</small>』([[祥伝社]]黄金文庫、2000年) ISBN 4-396-31231-8<br />
* 山形新聞社編 『<small>続</small> 藤沢周平と庄内 <small>海坂藩の人と風</small>』(ダイヤモンド社、1999年)<br />
* 山形新聞社編 『<small>没後十年</small> 藤沢周平読本』(荒蝦夷(仙台市)、2008年)、※「[[山形新聞]]」連載企画を書籍化<br> [[高橋義夫]]、[[中村明]]、[[蒲生芳郎]]、[[井上史雄]]、[[井上ひさし]]、[[佐伯一麦]]、[[佐藤賢一]]、[[杉村隆]]、[[酒井賀世]]、[[奥島孝康]]、[[仲川秀樹]]、[[中村敦夫]]等が寄稿。<br />
* [[笹沢信]] 『藤沢周平伝』(白水社、2013年9月)、※著者は山形新聞社記者で、郷里・[[庄内地方|庄内]]からの視点を軸に描いた評伝。<br />
* 「[[歴史読本]]」編集部編 『藤沢周平を読む』<ref>旧版は『別冊歴史読本 藤沢周平読本』 新人物往来社、1998年</ref>([[新人物往来社]]、2010年9月)、ISBN 4-404-03912-3<br />
* 『藤沢周平全集 別巻 人とその世界』<ref>上記『藤沢周平のすべて』と『藤沢周平の世界』、および文庫判の作品解説。</ref>(文藝春秋、2002年)、ISBN 4-16-364460-1<br />
* 『藤沢周平事典』(志村有弘編、[[勉誠出版]]、2007年)、ISBN 4-585-06059-6<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[阿部達二|阿部達児]]「藤沢周平 完全年譜」。文藝春秋編『藤沢周平のすべて』(文春文庫、2001年)の巻末に収録<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[庄内藩]]-[[庄内地方]]にあった大名[[藩]]([[海坂藩]]の[[モチーフ (物語)|モチーフ]]とされる)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/index.html 鶴岡市立藤沢周平記念館]<br />
* [http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/fujisawa/ 海坂かわら版(荘内日報社)]<br />
* [http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/index.html た-さんの部屋2-藤沢周平作品データベース]<br />
* [http://loungecafe2004.com/novels/japan-ha/shuhei-fujisawa/ 海坂の果て]<br />
* [http://www.semishigure.jp/ 映画『蝉しぐれ』公式サイト]<br />
<br />
{{直木賞|第69回}}<br />
{{吉川英治文学賞|第20回}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:ふしさわ しゆうへい}}<br />
[[Category:藤沢周平|*]]<br />
[[Category:日本の小説家]]<br />
[[Category:歴史小説家]]<br />
[[Category:直木賞受賞者]]<br />
[[Category:菊池寛賞受賞者]]<br />
[[Category:朝日賞受賞者]]<br />
[[Category:紫綬褒章受章者]]<br />
[[Category:日本の中等教育の教員]]<br />
[[Category:山形大学出身の人物]]<br />
[[Category:山形県出身の人物]]<br />
[[Category:1927年生]]<br />
[[Category:1997年没]]</div>
240B:11:4A00:400:60EC:9F97:ADD0:6F6
高坂正堯
2018-06-28T19:43:22Z
<p>240B:11:4A00:400:60EC:9F97:ADD0:6F6: </p>
<hr />
<div>{{Infobox scientist<br />
|name = 高坂正堯<br />
|image = <!-- (ファイル名のみ) --><br />
|image_width = <br />
|alt = <br />
|caption = <br />
|birth_name = <br />
|birth_date = {{生年月日と年齢|1934|05|08|no}}<br />
|birth_place = {{JPN}}[[京都府]][[京都市]]<br />
|death_date = {{死亡年月日と没年齢|1934|05|08|1996|05|15}}<br />
|death_place = {{JPN}}[[京都府]][[京都市]]<br />
|death_cause = [[肝癌|肝臓癌]]<br />
|residence = <!-- 居住 --><br />
|citizenship = <!-- 市民権 --><br />
|nationality = <!-- 国籍 --><br />
|field = [[国際政治学]]<br />
|workplaces = [[京都大学]]<br />
|alma_mater = [[京都大学]]<br />
|doctoral_advisor = <!-- 博士課程指導教員 --><br />
|academic_advisors = <!-- 他の指導教員 --><br />
|doctoral_students = [[戸部良一]]<br />
|notable_students = [[中西寛]]<br/>[[坂元一哉]]<br/>[[田所昌幸]]<br/>[[佐古丞]]<br/>[[岩間陽子]]<br/>[[益田実]]<br/>[[中西輝政]]<br />
|known_for = 古典外交の成熟と崩壊<br />
|influences = [[田岡良一]]<br/>[[猪木正道]]<br />
|influenced = 中西寛<ref>[http://www.sankei.com/life/news/160629/lif1606290010-n2.html]国際政治学者・高坂正堯没後20年 「現代の古典」思想家として注目</ref><br />
|awards = [[吉野作造賞]]([[1978年]])<br />
|author_abbreviation_bot = <!-- 命名者名略表記(植物学) --><br />
|author_abbreviation_zoo = <!-- 命名者名略表記(動物学) --><br />
|signature = <!-- 署名(ファイル名のみ) --><br />
|signature_alt = <br />
|footnotes = <!-- 備考 --><br />
}}<br />
<br />
'''高坂 正堯'''(こうさか まさたか、[[1934年]]([[昭和]]9年)[[5月8日]] - [[1996年]]([[平成]]8年)[[5月15日]])は[[日本]]の[[国際政治学者]]、社会科学者、[[思想家]]、[[法学博士]]、元[[京都大学大学院法学研究科・法学部|京都大学法学部]]教授。専門は[[国際政治学]]・ヨーロッパ外交史。<br />
<br />
父[[高坂正顕]]の次男。実弟[[高坂節三]]は、コンパスプロバイダーズL.L.C日本代表、[[東京都]]元[[教育委員]]並びに[[経済同友会]]元幹事、憲法問題懇談会委員長を務めた。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
=== 学歴 ===<br />
* [[1934年]](昭和9年)[[5月8日]] - [[京都市]]に生まれる。父正顕は[[哲学者]](師は[[西田幾太郎]])で「[[近代の超克]]」を唱えた<br />
* [[1953年]](昭和28年) [[京都府立洛北高等学校・附属中学校|洛北高校]]卒業<br />
* [[1957年]](昭和32年) [[京都大学]][[法学部]]卒業<br />
* [[1984年]](昭和59年) [[法学博士]](京都大学、学位論文『古典外交の成熟と崩壊』)<br />
<br />
=== 研究歴 ===<br />
* [[1957年]](昭和32年)4月 - 京都大学法学部助手<br />
* [[1959年]](昭和34年)9月 - 同助教授<br />
* [[1960年]](昭和35年)9月 - [[1962年]](昭和37年)9月 [[ハーバード大学]]客員研究員<br />
* [[1965年]](昭和40年)10月 - [[1966年]](昭和41年)3月[[タスマニア大学]]交換教授<br />
* [[1971年]](昭和46年)4月 - 京都大学法学部教授<br />
* [[1973年]](昭和48年)1月 - [[国際戦略研究所]]客員研究員<br />
* [[1978年]](昭和53年)9月 - 同理事(兼任)<br />
* [[1978年]](昭和53年)10月 - 『古典外交の成熟と崩壊』で、第13回[[吉野作造賞]]受賞<br />
* [[1986年]](昭和61年)4月 - 財団法人[[平和・安全保障研究所]]理事長(兼任)<br />
* [[1992年]](平成4年)3月 - 同理事長退任<br />
<br />
== 人物像 ==<br />
大学では国際法学者の[[田岡良一]]や政治学者の[[猪木正道]]に師事。猪木は高坂の没後に、「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と回想している<ref>「師あり弟あり - 国際政治学者(読売新聞2007年3月14日付)」</ref>。<br />
<br />
現実主義の論客として著名で、見識が広く近現代日本の史論も多く著した。一般に社会科学者らの著作は時を経ると時代遅れになるが、高坂は没後20年以上経ても『現代の古典』として研究者・専攻学生たちに読まれ続けている<ref>[http://www.sankei.com/life/news/160629/lif1606290010-n2.html]国際政治学者 高坂正堯没後20年「現代の古典」思想家として注目</ref>。<br />
<br />
高坂が一般に知られるようになった契機は、『[[中央公論]]』誌での活躍からで、高坂は[[1963年]]に[[ハーバード大学]]留学から帰国した直後に、当時『中央公論』編集部次長であった[[粕谷一希]]の依頼により「現実主義者の平和論」を同誌に寄稿、論壇にデビューした。高坂は同論文において、当時日本外交の進むべき道として論壇の注目を集めていた[[坂本義和]]らの「非武装中立論」の道義的な価値を認めながらも、実現可能性の難しさを指摘し、軍事力の裏付けのある外交政策の必要性を主張した。<br />
<br />
さらに翌1964年に[[吉田茂]]を論じた「宰相吉田茂」は、吉田の築き上げた日米基調・経済重視の戦後外交路線をその内外政に即して積極的に高く評価し、否定的な評価が広まっていた吉田に対する評価を一変させ、現在に至る吉田茂への肯定的評価を定着させることとなる(また、同年に寄稿した「海洋国家日本の構想」では、島国の日本が[[海洋国家]]として戦略的・平和的発展を目指すべしと論じて、この議論を補強する論を展開している)<ref>なお、高坂は吉田の研究著述にあたり、晩年の吉田自身にも取材した。高坂は吉田にも気に入られ、[[日本放送協会|NHK]]「わが外交を語る」(1965年8月29日放送、現存)では[[萩原延壽]]と共にインタビュアーを担当(同番組を原稿に起こしたものは吉田茂記念事業財団編『人間 吉田茂』中央公論社, 1991年に所収)した。また、吉田が[[ブリタニカ百科事典]]に依頼され寄稿した日本の近代史を俯瞰するエッセイ「日本を決定した百年」は、高坂がゴーストライターを務めたといわれる。吉田茂『日本を決定した百年――附・思出す侭』(中公文庫, 1999年)、解説粕谷一希より。</ref>。これらの論文を契機として、30歳前後にして高坂は[[現実主義]]を代表するオピニオン・リーダーとしての地位を確立することとなる<ref>しかし、当時の政治学界では、高坂を「保守政権にすり寄るタカ派知識人」とレッテルを貼られることとなった。高坂も当時を「勧められて飛び降りてみたら、まわりはすべて敵であった」と語っている。五百旗頭・前原・細谷、上記鼎談、82-83ページを参照。</ref>。<br />
<br />
高坂は[[冷戦]]時代から[[共産主義]]国家に対しても、国内の中立主義と同様その理想の持つ魅力・意義を認めながら批判的な態度を取った。以後、時事的な外交評論のみならず、国際政治学、文明論などを含む幅広い分野において切れ味鋭い分析と提言を展開することとなる。その議論は人間の本性に即した権力構造を探求していたと言える。<br />
<br />
高坂は[[進歩的文化人]]が主流だった当時の論壇では貴重な[[アメリカ合衆国|アメリカ]]重視の論客であったため、オピニオン・リーダーとしての言論活動だけでなく、1960年代以降[[佐藤栄作]]・[[大平正芳]]をはじめとする自民党政権のブレーンとしても長く活動することとなる<ref>一例として、佐藤派番記者・佐藤総理秘書官を務めた[[楠田實]]は、佐藤首相が環境問題に注目した契機が、ヨーロッパの環境汚染を見てきた高坂のアドバイスであったと語っている。『[[アステイオン]] 42号』掲載の楠田の追悼文を参照。また、『佐藤栄作日記』『楠田実日記』は、高坂が頻繁に佐藤・佐藤側近らと会食・会談を重ねていたことを記録している。</ref>。とりわけ有識者研究会を幾つも設置し、長期的な政策検討を行なった大平内閣では、その一つである「[[総合安全保障]]研究グループ」の幹事として、報告の実質的な取りまとめを行なった。軍事力による安全保障だけでなく、外交政策・経済・エネルギー・食料などを総合して日本の安全保障を追求すべしと論じた同グループの報告書は、高坂が肯定的に評価してきた戦後外交路線の性格を、戦略的なものとして実現しようとする意志の現れであったと評価する研究者もいる<ref>添谷『日本の「ミドルパワー」外交』、第3章を参照。</ref>。その後、1983年に設置された[[中曽根康弘]]首相の私的諮問機関「平和問題研究会」でも座長を務め、[[防衛費1%枠]]見直しの提言を行ない、当時の防衛力整備の理論的根拠とされていた基盤的防衛力の見直しを提言した。<br />
<br />
また、コメンテイターとして[[テレビ朝日]]系の「[[サンデープロジェクト]]」にも出演。同じくテレビ朝日系の「[[朝まで生テレビ]]」の初期にもパネリストとして出演した。番組内で交流のあった[[田原総一朗]]からは、「余人を持って代え難い方」と高い評価を受けた<ref>『高坂正堯著作集』付録の月報を参照</ref>。<br />
<br />
京大教授退任後は、[[2000年]]に開校した[[静岡文化芸術大学]]学長に内定していたが、[[1996年]]5月15日に[[肝癌|肝臓癌]]のため62歳で死去。その死にあたっては、政治学者としては異例な数の追悼企画が様々な雑誌で設けられた。また、没後には戦後の言論・現実政治の双方に与えた影響から、高坂自身を対象とする研究評伝も現れている。<br />
<br />
還暦前に運転免許を取得し、[[マツダ・RX-7|FC3S型RX-7]]を愛車としていた。また熱烈な[[阪神タイガース]]のファンとしても有名で、1985年に阪神がリーグ優勝した際[[サンケイスポーツ]]に手記を寄せた<ref>サンケイスポーツ1985年10月17日5面「ありがとう阪神 恐怖のつり橋渡り待ってる」</ref>。<br />
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== 交流 ==<br />
京都大学での門下生には[[中西寛]]、[[坂元一哉]]、[[戸部良一]]、[[田所昌幸]]、[[佐古丞]]、[[岩間陽子]]、[[益田実]]、[[中西輝政]]などがおり、多くの[[学者|研究者]]を育成した面でも名高い。また政治家([[衆議院議員]])となった[[前原誠司]]([[民主党代表]]ほか)も、高坂正堯ゼミ出身であった。前原がゼミ在籍時に、[[外交官]]になるか[[学者]]として大学に残ろうか迷っていた際、「外交官は京大出身では偉くなれないし、[[母子家庭]]なのでどうか」「学者は天才じゃないといかんが、それほど頭はよくない」「[[大学院]]に行くつもりで[[松下政経塾]]に行ってこい」とのアドバイスを行い、ともに松下政経塾から[[日本新党]]へ参画する[[山田宏]](のち[[東京都議会]]議員、[[参議院議員]])を紹介し、[[政治家]]としての道を志すことを決意させた<ref>[http://www.maehara21.com/kiji/kiji25.html 政治家の本棚 運命の高坂正堯『国際政治』との出会い2/2(前原誠司公式ホームページ)]</ref>。また、他大学出身の研究者にも分け隔てなく接し、[[猪口邦子]]など師弟関係のない研究者からも信頼を寄せられていた<ref>『高坂正堯著作集』付録の月報を参照</ref>。<br />
<br />
== 家系 ==<br />
弟の高坂節三の回想で「高坂家の先祖は甲斐の[[武田信玄]]に仕えた武将・[[高坂昌信|高坂弾正忠昌信]]といわれ、兄は自分が[[戦国武将]]の末裔であることを非常に誇(ほこ)りに思っていた」という<ref name="Kousaka_p28">高坂節三『昭和の宿命を見つめた眼――父・高坂正顕と兄・高坂正堯』28ページ</ref>。<br />
<br />
== 著作 ==<br />
=== 単著 ===<br />
* 『海洋国家日本の構想』([[中央公論新社|中央公論社]], 1965年、増補版1969年/[[中公クラシックス]], 2008年)<br />
* 『世界史を創る人びと――現代指導者論』([[日本経済新聞社]], 1965年)<br />
* 『国際政治――恐怖と希望』(中央公論社〈[[中公新書]]〉, 1966年、改版2017年)<br />
* 『世界地図の中で考える』([[新潮社]]〈[[新潮選書]]〉, 1968年、改版2016年)<br />
* 『宰相[[吉田茂]]』(中央公論社〈中公叢書〉, 1968年、新版1978年/中公クラシックス, 2006年)<br />
* 『大世界史(26) 一億の日本人』([[文藝春秋]], 1969年)<br />
*:英訳版 ''100 Million Japanese: the Postwar Experience'', (Kodansha International, 1972)<br />
* 『政治的思考の復権』(文藝春秋, 1972年)<br />
* 『地球的視野で生きる――日本浮上論』([[実業之日本社]], 1975年)<br />
* 『古典外交の成熟と崩壊』(中央公論社, 1978年/中公クラシックス(全2巻), 2012年)<br />
* 『豊かさの試練』(新潮社, 1979年)<br />
* 『文明が衰亡するとき』(新潮社〈新潮選書〉, 1981年、改版2012年)<br />
* 『近代文明への反逆――社会・宗教・政治学の教科書『[[ガリヴァー旅行記]]』を読む』([[PHP研究所]](新書判), 1983年、新版1998年) <br />
* 『陽はまた昇るか――挑戦するアメリカ』([[TBSブリタニカ]], 1985年) <br />
* 『外交感覚――同時代史的考察』(中央公論社, 1985年)<br />
* 『国際摩擦――大国日本の世渡り学』([[東洋経済新報社]], 1987年/PHP文庫, 1990年)<br />
* 『現代の国際政治』([[講談社学術文庫]], 1989年)<br />
* 『時代の終わりのとき――続・外交感覚』(中央公論社, 1990年)<br />
* 『日本存亡のとき』(講談社, 1992年)<br />
* 『平和と危機の構造――ポスト冷戦の国際政治』([[NHK出版|日本放送出版協会]]〈NHKライブラリー〉, 1995年)<br />
* 『長い始まりの時代――外交感覚・3』(中央公論社, 1995年)<br />
* 『不思議の日米関係史』(PHP研究所, 1996年)<br />
* 『高坂正堯外交評論集――日本の進路と歴史の教訓』(中央公論社, 1996年)<br />
* 『世界史の中から考える』(新潮社〈新潮選書〉, 1996年) <br />
* 『現代史の中で考える』(新潮社〈新潮選書〉, 1997年)<br />
* 『外交感覚――時代の終わりと長い始まり』(千倉書房, 2017年)。シリーズ全3冊を合本し解題を増補<br />
<br />
=== 共著 ===<br />
* ([[尾上正男]]・[[神谷不二]])『アジアの革命』([[毎日新聞社]], 1966年)<br />
* ([[岸田純之助]]・[[力石定一]])『豊かさのなかの危機――新しい「幸福論」への試み』(日本経営出版会, 1970年)<br />
* ([[鳥海靖]]・[[野田宣雄]])『変貌する現代世界』(講談社, 1973年)<br />
* ([[杉本苑子]]・[[笹沢左保]])『天下布武―戦乱日本の歴史(7)』([[小学館]]、1977年)<br />
* ([[矢野暢]]・[[村上陽一郎]]ほか)『21世紀への提言(3)』(PHP研究所, 1981年)<br />
* ([[宮澤喜一|宮沢喜一]])『美しい日本への挑戦』(文藝春秋, 1984年、新版1991年)<br />
* ([[山本七平]]・[[長谷川慶太郎]])『90年代の日本 繁栄への戦略――日米関係・税制・政治・教育』(PHP研究所, 1987年)<br />
* ([[天谷直弘]]・[[堺屋太一]]・山本七平ほか)『90年代・大変革の読み方――日本はどう進むべきか』(PHP研究所, 1987年)<br />
* ([[香西泰]])『歴史の転換点で考える』(講談社, 1994年)<br />
<br />
=== 編著 ===<br />
* 『吉田茂――その背景と遺産』(TBSブリタニカ, 1982年)<br />
* ''Japan's Choices: New Globalism and Cultural Orientations in an Industrial State'', (Pinter Publishers, 1989).<br />
* 『詳解・戦後日米関係年表――1945-1983』(PHP研究所, 1985年、増訂版1995年) <br />
* 『日米・戦後史のドラマ――エピソードで読む好敵手の深層』(PHP研究所, 1995年)<br />
<br />
=== 共編著 ===<br />
* ([[渡辺一]])『政治を学ぶ人のために』([[世界思想社]], 1971年)<br />
* ([[桃井真]])『多極化時代の戦略(上・下)』([[日本国際問題研究所]], 1973年)<br />
* ([[猪木正道]])『日本の安全保障と防衛への緊急提言』(講談社, 1982年) <br />
* ([[公文俊平]])『国際政治経済の基礎知識』([[有斐閣]], 1983年、増訂版1993年)<br />
* (リチャード・H・ソロモン)『核のジレンマとソ連の脅威――アジア・太平洋地域の安全保障』(人間の科学社, 1986年)<br />
: ''The Soviet Far East Military Buildup: Nuclear Dilemmas and Asian Security'', co-edited with Richard H. Solomon, (Auburn House, 1986).<br />
* ([[ロバート・スカラピーノ]])『アジアで政治協力は可能か――経済摩擦と大国の競合の狭間で』(人間の科学社, 1986年)<br />
: ''Peace, Politics and Economics in Asia: the Challenge to Cooperate'', co-edited with Robert A. Scalapino, (Pergamon-Brassey's International Defense Publishers, 1988).<br />
* ([[市村真一]])『ゼミナール・現代日本の政治経済』(PHP研究所, 1988年)<br />
* ([[勝田有恒]]・[[河上倫逸]])『蟻塚教育体制への警鐘――大学から見た入試改革問題』(世界思想社, 1990年)<br />
* ([[佐古丞]]・[[安部文司]])『戦後日米関係年表』(PHP研究所, 1995年)<br />
* ([[吉田和男]])『冷戦後の政治経済――座標軸なき時代の論点を読む』(PHP研究所, 1995年)<br />
<br />
=== 訳書 ===<br />
* アレグザンダー・ワース『フランス現代史(1・2)』(みすず書房、1958-59年)<br />
* [[ウォルト・ロストウ]]『政治と成長の諸段階(上・下)』(ダイヤモンド社, 1975年)<br />
<br />
=== 著作集 ===<br />
* 『高坂正堯著作集』(全8巻、[[都市出版]], 1998-2000年)<br />
** 「(1) 海洋国家日本の構想」(解説:[[北岡伸一]])<br />
** 「(2) 日本存亡のとき」(解説:[[佐藤誠三郎]])<br />
** 「(3) 豊かさの試練」(解説:[[山崎正和]])<br />
** 「(4) 宰相吉田茂」(解説:[[野田宣雄]])<br />
** 「(5) 文明が衰亡するとき」(解説:[[塩野七生]])<br />
** 「(6) 古典外交の成熟と崩壊」(解説:[[中西輝政]])<br />
** 「(7) 国際政治――恐怖と希望」(解説:[[中西寛]])<br />
** 「(8) 一億の日本人」(解説:[[五百旗頭真]])<br />
<br />
== テレビ出演(上記以外) ==<br />
*[[世界まるごとHOWマッチ]]([[MBSテレビ|毎日放送]]制作・[[TBSテレビ|TBS]]系列)- ゲスト解答者<br />
<br />
== 関連文献 ==<br />
* [[大嶽秀夫]]「保守外交の再評価――高坂正堯」同『高度成長期の政治学』(東京大学出版会, 1999年)<br />
* [[粕谷一希]]「歴史を愛した物静かな強い意志」『アステイオン』42号(1996年)<br />
* 粕谷一希「高坂正堯の世界」『アステイオン』63号(2005年)<br />
* [[高坂節三]]『昭和の宿命を見つめた眼――父・高坂正顕と兄・高坂正堯』(PHP研究所, 2000年)<br />
* [[添谷芳秀]]『日本の「ミドルパワー」外交――戦後日本の選択と構想』(筑摩書房[ちくま新書], 2005年)<br />
** 改訂版『日本の外交――「戦後」を読みとく』(筑摩書房[[[ちくま学芸文庫]]], 2017年)<br />
* [[中西寛]]「解説 至高のモラリスト 高坂正堯教授の政治学」『高坂正堯著作集(7) 国際政治』(都市出版, 2000年)<br />
* 中西寛「"吉田ドクトリン"の形成と変容――政治における『認識と当為』との関連において」『法学論叢』152巻5・6号(2003年) <br />
* [[五百旗頭真]]・[[前原誠司]]・[[細谷雄一]]「高坂正堯没後十年 遺された『責任ある国家』という課題」『中央公論』2006年12月号<br />
: Webでの再掲:[http://www.maehara21.com/kiji/kiji06_12.html 前原誠司公式ホームページ]<br />
*『高坂正堯と戦後日本』(五百旗頭真・中西寛編、中央公論新社, 2016年)。没後20年論集<br />
<br />
== 注 == <br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://gazoo.com/my/sites/0001507139/kosakakai/default.aspx 京都大学 高坂会のホームページ]<br />
<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:こうさかまさたか}}<br />
[[Category:日本の外交評論家]]<br />
[[Category:日本の政治学者]]<br />
[[Category:国際関係研究者]]<br />
[[Category:日本の貿易立国論者]]<br />
[[Category:京都大学の教員]]<br />
[[Category:京都大学出身の人物]]<br />
[[Category:京都府立洛北高等学校出身の人物]]<br />
[[Category:京都市出身の人物]]<br />
[[Category:1934年生]]<br />
[[Category:1996年没]]</div>
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