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miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-05-21T19:52:42Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.31.0
エミール・デュルケーム
2018-07-25T05:09:46Z
<p>240B:11:4A00:400:4DE2:808A:2257:6192: </p>
<hr />
<div>{{Infobox Scientist<br />
|name = エミール・デュルケーム<br />Émile Durkheim<br />
|image = Emile Durkheim.jpg<br />
|image_size =<br />
|caption =<br />
|birth_date = [[1858年]][[4月15日]]<br />
|birth_place = {{FRA}}、[[エピナル]]<ref>{{Cite web |url = https://kotobank.jp/word/デュルケーム-577024 |title = 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-02-11 }}</ref><br />
|death_date = {{死亡年月日と没年齢|1858|4|15|1917|11|15}}<br />
|death_place = {{FRA}}、[[パリ]]<br />
|residence = <br />
|citizenship = <br />
|nationality = {{FRA}}<br />
|ethnicity = <br />
|field = [[社会学]]([[総合社会学]])<br />
|work_institutions = <br />
|alma_mater = <br />
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|doctoral_students = <br />
|known_for = <br />
|influences = <br />
|influenced = <br />
|prizes = <br />
|religion = <br />
|footnotes = <br />
|signature = <br />
}}<br />
<br />
'''エミール・デュルケーム'''('''Émile Durkheim'''、[[1858年]][[4月15日]] - [[1917年]][[11月15日]])は、[[フランス]]の[[社会学者]]。'''デュルケム'''、'''デュルケイム'''などと表記されることもある。[[オーギュスト・コント]]後に登場した代表的な[[総合社会学]]の提唱者であり、その学問的立場は、'''方法論的集団主義'''と呼ばれる。また[[社会学]]の他、[[教育学]]、[[哲学]]などの分野でも活躍した。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
デュルケームはフランスの[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ地方]]の[[エピナル]]で代々敬虔な信仰を保持したフランス系[[ユダヤ人]]の家系に誕生している。父親と祖父は[[ラビ]]であった。また彼の教え子と友人の多くは[[ユダヤ人]]であり、血縁者であった。<br />
<br />
しかし、彼自身は世俗的な人生を送っている。事実、彼の業績の多くは[[宗教|宗教現象]]が天与の要素よりはむしろ社会的なそれに起因していることを実証したものであった。<br />
<br />
彼は[[パリ]]の[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)]]で学んだ後、[[リセ]]で[[哲学]]の教授を務めた。1886年には[[ドイツ]]に[[留学]]し、実証的社会科学の方法を学んだとされる。翌年の1887年にはフランスに帰り、[[アルフレッド・エスピナス]]に招かれ[[ボルドー]]大学の職に就くとともに、ルイーズ・ドレフェスと結婚する。この[[ボルドー]]時代に、処女作『社会分業論』や代表作『自殺論』が執筆された。これらの研究成果により、彼の名声は次第に高まることとなった。(『自殺論』については後述)<br />
<br />
1902年、デュルケームはフェルディナン・ビュイッソンの後任として、[[ソルボンヌ大学]]の教育科学講座に転じた。以降、デュルケームの研究には[[教育]]をテーマとしたものが多くなり、『教育と社会学』や『道徳教育論』などの論文を執筆するに至る(ただし、これらが書籍として出版されるのは、彼の死後のことである)。また、他方で彼の[[宗教]]研究も続けられており、『宗教生活の原初形態』も執筆された。これらの研究成果は、後に[[教育社会学]]および[[宗教社会学]]として成立することとなる。<br />
<br />
1914年、[[第一次世界大戦]]が勃発し、その直前にデュルケームの高等師範学校時代の旧友[[ジャン・ジョレス]]は右翼テロの犠牲となり、またデュルケームは息子アンドレを戦争で失った。これらの出来事は、日頃の多忙な生活を続けるデュルケームの心身に大きな打撃を与えることとなり、1917年5月にはソルボンヌの講義を中止し、静養することになる。しかしその後、彼はもとの職務に復帰することはなく、同年11月に死去。<br />
<br />
== デュルケームの業績 ==<br />
=== 社会学主義の提唱者 ===<br />
デュルケームは当時としては斬新な独自の視点から[[社会現象]]を分析し、[[経験科学]]としての社会学の立場('''[[デュルケーム学派|社会学主義]]''')を鮮明に打ち出した人物である。[[実証主義]]の科学として[[オーギュスト・コント]]によって創始された[[社会学]]が、未だに学問として確立されていない状況を見たデュルケームは、他の学問にはない独自の対象を扱う独立した[[科学]]としての地位を築くために尽力した。<br />
<br />
彼は『'''社会分業論'''』において、社会学を「'''道徳科学'''」と位置づけ、諸個人の統合を促す社会的要因としての[[道徳]]([[規範]])の役割を解明することであると考えた。そしてその後、『'''[[社会学的方法の規準]]'''』において、社会学の分析対象は「'''社会的事実'''」であることを明示し、同時代の[[心理学]]的社会学の立場をとっていた[[ガブリエル・タルド]]を強く批判した。<br />
<br />
デュルケームが社会学独自の対象とした「'''社会的事実'''」とは、[[個人]]の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、[[集団]]あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式のことであり、「'''集合表象'''」(直訳だと'''集合意識''')とも呼ばれている。つまり人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、[[慣習]]などによって支配されるということである(たとえば、初対面の人に挨拶をすること、[[うそ]]をつくのは悪いことだと考えることなどは、社会における一般的な行動・思考のパターンとして個人の意識の中に定着したものである)。<br />
<br />
彼は、個人の[[意識]]が社会を動かしているのではなく、個人の意識を源としながら、それとはまったく独立した社会の意識が諸個人を束縛し続けているのだと主張し、個人の意識を扱う心理学的な視点から社会現象を分析することはできないとして、タルドの心理学的社会学の立場を批判した。<br />
<br />
彼の理論は20世紀初頭に活躍した多くの[[社会学]]者、[[民族学]]者、[[人類学]]者などに多大な影響を与えた。また、フランスにおいて初めて[[社会学]]の[[機関紙]]として、L'ANNÉE SOCIOLOGIQUE([[社会学年報]]、1898年発刊)を創刊し、この機関紙の執筆者や協力者たちによって'''[[デュルケーム学派]]'''という研究グループが形成された。この学派は、彼の死後[[マルセル・モース]]が中心となり、フランスにおける有力な社会学派へと成長するに至っている。<br />
<br />
=== 『自殺論』 ===<br />
[[19世紀]]後半に欧州の[[自殺率]]の急上昇が話題になる中、デュルケームが39歳の[[1897年]]に公刊された『自殺論』には「社会学研究」というサブタイトルがあり、先述の「'''社会的事実'''」を客観的かつ実証的に分析し、その実態を具体的な事例によって明らかにしようとしたデュルケームの意欲作である。<br />
<br />
当時の[[ヨーロッパ]]各国での[[自殺率]]が短期間ではほぼ一定値を示した[[統計]][[資料]]などから、各社会は一定の社会自殺率を持っているとし、[[社会]]の特徴によって自殺がどのように異なるかを明らかにしようとした。デュルケームは、この研究において自殺を個々の人間の心理から説明するのではなく、社会的要因(社会的事実)から4つに類型化している。<br />
<br />
公刊の2年前に著書『社会学的方法の基準』においてデュルケームは、「社会的事実の決定要因は、個人の意識ではなく先行した社会的事実にもとめねばならない」という説明の公準をたてており、その適用を本書で試みている。<br />
<br />
なお、デュルケーム研究者の[[アンソニー・ギデンズ]]は、論文『自殺の理論』の中で、'''「本書は膨大な数に上る自殺未遂の問題を無視してしまった」'''と批評している。<br />
<br />
==== [[自殺]]の四分類 ====<br />
; 利他的自殺(集団本位的自殺)<br />
: 集団の価値体系に絶対的な服従を強いられる社会、あるいは諸個人が価値体系・規範へ自発的かつ積極的に服従しようとする社会に見られる自殺の形態。<br />
: 献身や[[自己犠牲]]が強調される伝統的な道徳構造を持つ未開社会、さらにその延長線上にある軍隊組織に見られる自殺・[[殉死]]などが該当する(一般人よりも[[軍人]]のほうが自殺率が高く、軍隊内では[[工兵]]や[[後方支援]]部隊の兵士よりも戦闘部隊の兵士のほうが自殺率が高い)<br />
; 利己的自殺(自己本位的自殺)<br />
: 過度の[[孤独]]感や焦燥感などにより個人が集団との結びつきが弱まることによって起こる自殺の形態。[[個人主義]]の拡大に伴って増大してきたものとしている。<br />
: デュルケームによればユダヤ教徒よりも[[カトリック教会|カトリック]]教徒、カトリック教徒よりも[[プロテスタント]]教徒のほうが自殺率が高く、[[農村]]よりも[[都市]]、[[既婚]]者よりも[[未婚]]者の自殺率が高いなどと言ったように個人の孤立を招きやすい環境において自殺率が高まるとしている。<br />
: ただし、宗教別の自殺率の比較は、その後の研究によって統計上の誤りが証明され、デュルケームが指摘するほどに大きな違いがないことが明らかになっている。<br />
; [[アノミー]]的自殺<br />
: 社会的[[規則]]・[[規制]]がない(もしくは少ない)状態において起こる自殺の形態。集団・社会の規範が緩み、より多くの自由が獲得された結果、膨れ上がる自分の[[欲望]]を果てしなく追求し続け、実現できないことに幻滅し虚無感を抱き自殺へ至るものである。つまり、無規制状態の下で自らの欲望に歯止めが効かなくなり、自殺してしまうもので、[[不況]]期よりも[[好景気]]のほうが欲望が過度に膨張するので自殺率が高まる。<br />
; 宿命的自殺<br />
: 集団・社会の規範による拘束力が非常に強く、個人の欲求を過度に[[抑圧]]することで起こる自殺の形態(彼はこのパターンについては[[脚注]]において説明しているに過ぎないので、「3分類」という場合はこれを含めないので注意が必要)。デュルケーム自身は、この自殺類型に関して具体的な事例を挙げていないが、[[宮島喬]]は身分の違いによって道ならぬ[[恋]]を成就できずに自殺へ至る「[[心中]]」がこれに該当するものとしている。<br />
<br />
==== アノミー ====<br />
[[アノミー]] (anomie) は、社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることを指す「アノモス(anomos)」を語源とし、[[宗教学]]において使用されていたが、デュルケームが初めて[[社会学]]にこの言葉を用いたことにより一般化した。デュルケームはこれを近代社会の病理とみなした。社会の[[規制]]や[[規則]]が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥ることを指す。規制や規則が緩むことは、必ずしも社会にとってよいことではないと言える。<br />
<br />
=== 『道徳教育論』 ===<br />
{{main|道徳教育#歴史}}<br />
デュルケーム晩年の作。[[ソルボンヌ大学]]に就任後、[[宗教]]に依拠しない[[道徳教育]]の実践を目指した。[[道徳性]]の諸要素を社会学的分析により明らかにした後、[[学校教育]]における実践方法について述べている。なお、実践方法にかかわって[[体罰]]の問題や[[教科|教科教育]]([[生物学]]、[[歴史]]、[[芸術]])の果たす役割についても述べている。なお日本語訳版では、[[道徳性]]の諸要素については『道徳教育論1』、教育実践方法については『道徳教育論2』として収録されている。<br />
<br />
==== 道徳性の三要素 ====<br />
; 規律の精神<br />
; 社会集団への愛着<br />
; 意志の自律性<br />
このうち、最後の「意志の自律性」については、後半の[[教育]]実践のところでは十分に触れられていない。<br />
<br />
== 著作(日本語訳) ==<br />
; 『社会分業論』(原著1893年)<br />
: 田原音和訳、[[青木書店]]「現代社会学大系2」復刻版2005年<br />
: 田原音和訳、ちくま学芸文庫、2017年 ISBN 4-480-09831-3<br />
; 『社会学的方法の規準』(原著1895年)<br />
: [[宮島喬]]訳、[[岩波文庫]] 1978年 ISBN 4-003-42143-4<br />
: [[菊谷和宏]]訳、[[講談社学術文庫]] 2018年 ISBN 4-06-511846-8<br />
; 『自殺論』(原著1897年)<br />
: 宮島喬訳、[[中公文庫]] 1985年 ISBN 4-122-01256-2<br />
; 『宗教生活の原初形態』(原著1912年)<br />
: [[古野清人]]訳、[[岩波書店|岩波文庫]](上・下)、1975年<br />
: 山崎亮訳、[[ちくま学芸文庫]](上・下)、2014年。表記は「宗教生活の基本形態 オーストラリアにおけるトーテム体系」<br />
; 『デュルケム社会学講義 習俗と法の物理学』(日本語訳 1974年、第2版1982年、新装版2008年) <br />
: [[宮島喬]]・川喜多喬訳、[[みすず書房]] <br />
; 『分類の未開形態』(日本語訳 1980年)<br />
: [[小関藤一郎]]訳、[[法政大学出版局]]・叢書ウニベルシタス<br />
; 『モンテスキューとルソー 社会学の先駆者たち』(日本語訳 1975年)<br />
: 小関藤一郎・[[川喜多喬]]訳、法政大学出版局・叢書ウニベルシタス<br />
; 『デュルケームドイツ論集』(日本語訳 1993年)<br />
: 小関藤一郎・[[山下雅之]]訳、行路社 <br />
; 『デュルケーム家族論集』(日本語訳 1972年)<br />
: 小関藤一郎訳、川島書店<br />
; 『フランス教育思想史』(日本語訳 1981年) <br />
: 小関藤一郎訳、行路社<br />
; 『デュルケーム宗教社会学論集』(日本語訳 1983年)<br />
: [[小関藤一郎]]編訳、行路社<br />
; 『社会主義およびサン‐シモン』(日本語訳 1977年、新版2003年)<br />
: [[森博]]訳、恒星社厚生閣 ISBN 4-769-90190-9<br />
; 『デュルケム法社会学論集』(日本語訳 1990年)<br />
: 内藤莞爾編訳、恒星社厚生閣<br />
; 『社会科学と行動』(日本語訳 1988年)<br />
: ジャン・クロード・フィユー編/佐々木交賢・中嶋明勲訳、恒星社厚生閣<br />
; 『社会学と哲学』(日本語訳 1985年)<br />
: 佐々木交賢訳、恒星社厚生閣<br />
; 『教育と社会学』(原著1922年/日本語訳1976年、新装版1982年)<br />
: [[佐々木交賢]]訳、誠信書房<br />
; 『道徳教育論』(原著1925年/日本語訳1964年)<br />
: [[麻生誠]]・山村健訳、明治図書出版/[[講談社学術文庫]]、2010年<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* 山崎亮 『デュルケーム宗教学思想の研究』 未來社、2001年12月、ISBN 4-624-10041-7<br />
* 藤原聖子 『「聖」概念と近代―批判的比較宗教学に向けて』 大正大学出版会、2006年7月、ISBN 4-924297-29-1<br />
* 作田啓一、井上俊編『命題コレクション 社会学』 筑摩書房 1986年6月、ISBN 4480852921 <br />
* 那須壽編 『クロニクル社会学・人と理論の魅力を語る』 有斐閣-有斐閣アルマBasic、1997年12月、ISBN 4641120412<br />
* 田原音和・田野崎昭夫・阿閉吉男他(新明正道監修)『現代社会学のエッセンス 社会学理論の歴史と展開(改訂版)』 ぺりかん社-ぺりかん・エッセンス・シリーズ、1996年7月、ISBN 4831507210<br />
* 宮島喬 『デュルケム 自殺論』 有斐閣-有斐閣新書、1979年6月、ISBN 4641088780<br />
* 麻生誠・原田彰・宮島喬 『デュルケム道徳教育論入門』 有斐閣新書、1978年4月、ISBN 4641087806<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[総合社会学]]<br />
* [[教育社会学]]<br />
* [[宗教社会学]]<br />
* [[デュルケーム学派]]<br />
* [[機械的連帯]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [[宮島喬]][http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%A0/ 「デュルケーム」(Yahoo!百科事典)]<br />
{{社会哲学と政治哲学}}<br />
{{Authority control}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:てゆるけえむ えみいる}}<br />
[[Category:19世紀の社会科学者]]<br />
[[Category:20世紀フランスの哲学者]]<br />
[[Category:フランスの社会学者]]<br />
[[Category:社会科学の哲学者]]<br />
[[Category:宗教学| ]]<br />
[[Category:宗教学者]]<br />
[[Category:宗教社会学者]]<br />
[[Category:道徳]]<br />
[[Category:ユダヤ系フランス人]]<br />
[[Category:ユダヤ人の不可知論者]]<br />
[[Category:ヴォージュ県出身の人物]]<br />
[[Category:パリ大学の教員]]<br />
[[Category:ボルドー大学の教員]]<br />
[[Category:1858年生]]<br />
[[Category:1917年没]]</div>
240B:11:4A00:400:4DE2:808A:2257:6192
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