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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=2402%3A6B00%3A5609%3AEF00%3A9D18%3A3D98%3A3397%3AD431&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-23T18:11:18Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 浮世絵 2018-07-26T10:19:58Z <p>2402:6B00:5609:EF00:9D18:3D98:3397:D431: </p> <hr /> <div>{| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;float:right;&quot; class=&quot;infobox&quot;<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;2&quot; |[[File:Beauty looking back.jpg|alt=Painting of a finely dressed Japanese woman in 16th-century style.|220px]]<br /> | [[File:Toshusai Sharaku- Otani Oniji, 1794.jpg|alt=Colour print of a colourfully made-up Japanese actor making a bold expression with his fingers extended, facing right.|155px]]<br /> | [[File:Ase o fuku onna.jpg|alt=Colour print of a closeup of a heavily made-up woman&#039;s face. The woman cranes her head left as she wipes her face with a patterned cloth.|155px]]<br /> |-<br /> | colspan=&quot;2&quot; | [[File:Tokaido13 Hara.jpg|alt=Colour landscape print of a group of three walking to the left, forests and a tall mountain in the background.|315px]]<br /> |-<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;width:550px;&quot; | &#039;&#039;左から<br /> * 「[[見返り美人図]]」, [[菱川師宣]](17世紀後半、肉筆画)<br /> * 「大谷鬼次(2代目)の江戸兵衛」, [[東洲斎写楽]], 1794<br /> * 「汗を拭く女」, [[喜多川歌麿]], 1798<br /> * 「[[原宿 (東海道)|原]]」, [[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次]]13番, [[歌川広重]], 1833–34<br /> |}<br /> &#039;&#039;&#039;浮世絵&#039;&#039;&#039;(うきよえ)は、[[江戸時代]]に成立した[[絵画]]のジャンルである。本来、「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く[[風俗画]]である。[[大和絵]]の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。[[演劇]]、[[古典]][[文学]]、[[和歌]]、[[風俗]]、地域の[[伝説]]と奇談、[[肖像]]、静物、[[風景]]、[[文明開化]]、[[皇室]]、[[宗教]]など多彩な題材がある。大別すると、[[版本]]の[[挿絵]]、一枚摺の[[木版画]]、&#039;&#039;&#039;[[肉筆浮世絵]]&#039;&#039;&#039;の3種類に分けられる。当然、木版画が量産されるようになる以前には[[肉筆画]]のみしか存在しなかったわけで、[[巻物]]などの肉筆浮世絵が含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、[[屏風絵]]、[[絵巻]]、[[画帖]]、[[掛け物]]、[[扇絵]]、[[絵馬]]、[[画稿]]、[[版下絵]]の8種類に大別される。また、[[浮世絵師]]は[[和装本]]の[[挿絵]]、[[表紙]]の仕事も並行して行った。広義には[[引き札]]、[[鏝絵]]、[[泥絵]]、[[ガラス絵]]、[[凧絵]] [[ねぶた絵]]なども浮世絵の一種といえる。ただし、現代においては一般的には多色摺りの[[木版画]]&#039;&#039;&#039;[[錦絵]]&#039;&#039;&#039;のことを指すことが多い。<br /> == 概要 ==<br /> &lt;!--== 特徴 ==--&gt;<br /> [[ファイル:Ejiri in the Suruga province.jpg|thumb|300px|[[葛飾北斎]]『[[冨嶽三十六景]]』「駿州江尻」]]<br /> 浮世絵には元来、木版画、絵画(肉筆画)のものがある。絵画つまり肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は[[版画]]であるために、同じ絵柄のものを多く摺り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められた。また有力者や大名などのコレクションが、現代の有数のコレクションに引き継がれているという見方もある。<br /> <br /> 浮世絵版画は[[大衆文化]]の一部であり、手に取って眺め愛玩された。現代の美術展等のように額に入れて遠目に眺めるものではなかった。しかし、現在は手にとって眺めるほかに、[[額]]に入れて[[美術館]]や[[家庭]]などに飾られることが多くなった。[[草双紙]]や[[絵巻物]]、また[[瓦版]]([[新聞]])の[[挿絵]]の役割も果たした。[[絵暦]]と呼ばれる[[カレンダー]]の制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。江戸から国元への土産にも、その美しさと嵩の低さが喜ばれた。[[玩具絵]]のように切り抜いて遊ぶものもある。<br /> <br /> はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴である。[[遠近法]]も取り入れられた。遠景の人物を逆に大きく描く北斎の『釣の名人』のように、意図的に遠近をずらされたものもある。<br /> <br /> また、絵師による誇張や意図などを考慮する必要はあるが、描かれている風景や現在では変化・消失した名所、人々の生活や生業、文化などを伝える歴史資料としても活用されている。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[ファイル:KIYONOBU-Hayakawa-R.jpg|right|thumb|150px|[[鳥居清信]]の役者絵(早川はつせと中村七三郎]]<br /> もともと浮世絵は、浮世を描いた絵、[[風俗画]]として登場している。<br /> <br /> [[:Category:浮世絵師|浮世絵師]]には[[狩野派]]、[[土佐派]]出身の絵師が数多く見られる。そのため[[室町時代]]から[[安土桃山時代|桃山時代]]の風俗画の影響が見受けられる。<br /> <br /> ;[[#始期|始期]]<br /> :[[天文 (元号)|天文]]末期から[[明暦の大火]]の頃。木版の発生前であり、厳密には&#039;&#039;&#039;浮世絵&#039;&#039;&#039;とはいえないかもしれないが、肉筆によって[[岩佐又兵衛]]らが当時の風俗画を描いており、[[京都]]では、[[北村忠兵衛]]や[[辻村茂兵衛]]といった[[絵師]]が[[清水寺]]に[[絵馬]]を奉納している。<br /> <br /> ;[[#初期|初期]]<br /> :[[明暦の大火]]から[[宝暦]]の頃。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り([[墨摺絵]])が主である。その後、墨摺絵に赤い[[顔料]]で着色した&#039;&#039;&#039;[[丹絵]]&#039;&#039;&#039;(たんえ)、&#039;&#039;&#039;[[紅絵]]&#039;&#039;&#039;(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠を塗って光沢を出した&#039;&#039;&#039;[[漆絵]]&#039;&#039;&#039;(うるしえ)が登場、以上はすべて筆による彩色であった。さらに紅絵に[[緑色]]など二、三色を版摺りによって加えた&#039;&#039;&#039;[[紅摺絵]]&#039;&#039;&#039;(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「[[ツユクサ|露草]]」の[[青色|青]]とした&#039;&#039;&#039;水絵&#039;&#039;&#039;(みずえ)と呼ばれる、極端に[[彩度]]の低い多色刷りも生まれている。<br /> ;[[#中期|中期]]<br /> :[[明和]]2年([[1765年]])から[[文化 (元号)|文化]]3年([[1806年]])頃。鮮やかな多色刷りの&#039;&#039;&#039;東錦絵&#039;&#039;&#039;(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。[[下絵師]]、[[彫師]]、[[摺師]]の分業体制が整っていく。<br /> ;[[#後期|後期]]<br /> :文化4年([[1807年]])から[[安政]]5年([[1858年]])頃。[[美人画]]、[[役者絵]]、[[武者絵]]のほか、旅行ブームに伴い[[名所絵]]([[風景画]])が発達。<br /> ;[[#終期|終期]]<br /> :安政6年([[1859年]])から明治45年([[1912年]])頃。幕末から明治にかけて、[[横浜絵]]、[[開化絵]]、[[錦絵新聞]]、[[皇室]]を描いた絵など、新しい時代の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たす。世相を反映した[[戦争絵]]も歓迎されたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退していく。絵師は挿絵画家や日本画家に転じ、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。<br /> === 始期 ===<br /> :天文末期(1555)から明暦の大火の(1657)頃までを指す。まだ木版の誕生前であり、肉筆画が主であった。<br /> <br /> === 初期 ===<br /> 明暦の大火(1657)頃から宝暦の(1760)頃までを指す。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り([[墨摺絵]])が主である。<br /> <br /> [[17世紀]]半ば以降、木版画の原図を描く者を&#039;&#039;&#039;版下絵師&#039;&#039;&#039;といい、その中で絵本や[[浮世草子]]に挿絵を描いた[[菱川師宣]]が登場する。また、代表作として有名な『[[見返り美人図]]』は肉筆画である。<br /> <br /> [[井原西鶴]]の『[[好色一代男]]』([[1682年]]刊)には、12本骨の[[扇子]]に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。<br /> <br /> [[鳥居清信]]の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを&#039;&#039;&#039;丹絵&#039;&#039;&#039;(たんえ)、紅を使ったものを&#039;&#039;&#039;紅絵&#039;&#039;&#039;(べにえ)と呼んだ。紅絵までは筆彩であったが、さらに&#039;&#039;&#039;紅絵&#039;&#039;&#039;に色を二、三色、版彩によって加えたものを&#039;&#039;&#039;紅摺絵&#039;&#039;&#039;(べにずりえ)と呼ぶ。この当時から[[鳥居派]]は[[歌舞伎]]と強く結びつき、現代でも[[歌舞伎]]の看板を手がけている。<br /> <br /> === 中期 ===<br /> [[ファイル:KitagawaUtamaro FlowersOfEdo.jpg|thumb|150px|歌麿作 江戸の花 娘浄瑠璃]]<br /> [[ファイル:Sharaku1.jpg|thumb|150px|写楽作 市川男女蔵]]<br /> 錦絵が誕生した明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃を指す。<br /> <br /> 明和2年(1765年)に江戸の俳人を中心に[[絵暦]]が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い[[鈴木春信]]らが多色刷りによる&#039;&#039;&#039;東錦絵&#039;&#039;&#039;(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な[[和紙|紙]]が普及したことが挙げられる。[[越前和紙|越前奉書]]、[[伊予柾紙]]、[[西ノ内紙]]などの[[楮]]を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により[[下絵師]]、[[彫師]]、[[摺師]]と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。<br /> <br /> 鈴木春信の死後、美人画は中性的・人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。<br /> <br /> [[安永]]期、[[北尾重政]]は写実的な[[美人画]]で人気を博した。[[役者絵]]にも写実さが加わり[[勝川春章]]によって[[ブロマイド]]的な似顔絵が描かれた。<br /> <br /> さらに[[喜多川歌麿]]が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、[[美人画]]の[[大首絵]]を数多く手がけた。<br /> <br /> [[寛政]]2年(1790年)、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。<br /> 寛政7年(1795年)、禁令のため財産を没収された版元[[蔦屋重三郎]]が起死回生を狙い、[[東洲斎写楽]]が売り出される。独特の誇張された[[役者絵]]によって話題を呼ぶが、役者の特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、[[歌川豊国]]による『役者舞台姿絵』のより美しく、贔屓目に描かれた役者絵の絶大な人気に敗退した。<br /> <br /> 歌川豊国の一番弟子、[[歌川国政]]の役者絵の技量は抜群であり、師をしのぐ勢いがあるといわれたが、文化2年(1805年)か同3年(1806年)ころには作画を辞め、役者似顔の面を作って売ったといわれる。<br /> <br /> その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である[[歌川派]]が形成されていった。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 後期 ===<br /> [[ファイル:Hiroshige nuit de neige à Kambara.JPG|thumb|240px|広重作 東海道五十三次之内 蒲原]]<br /> 文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃まで。[[喜多川歌麿]]の死後、美人画の主流は[[渓斎英泉]]が描くような官能的な色っぽい美人や可愛げに移っていく。<br /> <br /> [[勝川春章]]の門人、[[葛飾北斎]]は旅行ブームに伴い『[[富嶽三十六景]]』を手がけ、それが元で[[歌川広重]] によって『[[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次]]』が刊行された。この2人によって浮世絵における[[名所絵]]([[風景画]])が発達した。<br /> <br /> 役者絵では[[歌川国貞]]が師匠[[歌川豊国]]の流れを受け継いで、力強い[[役者絵]]を手がけた。<br /> <br /> また、[[草双紙]]で[[伝奇]]ブームに伴い、[[歌川国芳]]などによって[[武者絵]]が描かれるようになる。[[歌川国芳]]の『[[水滸伝]]』シリーズは当時人気を博し、浮世絵水滸伝ブームが起こる。<br /> <br /> [[嘉永]]6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。<br /> {{-}}<br /> === 終期 ===<br /> [[ファイル:Yoshitoshi Onogawa 1865.jpg|thumb|150px|芳年作 和漢百物語 小野川喜三郎]]<br /> 安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃を指す。この時期の主な特徴は、浮世絵以外の様々なジャンルとの相互乗り入れが頻繁に行われたことである。また、当時「洋赤」と呼ばれた安価な輸入染料が使われ、前代から引き続き使われた[[紺青|プルシャンブルー]]と相まって、毒々しいまでの色とともに、新しい題材が加わる。<br /> <br /> [[文明開化]]によって、西洋建築や[[鉄道]]を描いた[[開化絵]]や[[横浜絵]]が描かれ、[[明治維新]]後の急激な社会変動の有様を写し、人々に伝える[[ジャーナリズム]]の役割を担った。[[楊洲周延]]が幕末の戦争絵から[[大奥]]、明治時代の上流階級の群像を豪華で華麗な姿で描き、もてはやされた。<br /> <br /> また、維新によって発展した社会の中で、[[歌川国芳]]の門人、[[月岡芳年]]や[[豊原国周]]によって様々な画題の新鮮味のある絵が描かれた。[[無残絵]]や[[錦絵新聞|新聞錦絵]]も生まれた&lt;ref&gt;『幕末・明治のメディア展 : 新聞・錦絵・引札』 早稲田大学図書館編. -- 早稲田大学出版部, 1987 41-54頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[月岡芳年]]は繊細で写生を重視した絵柄で、数多くの[[歴史画]]、[[風俗画]]を手がけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、[[水野年方]]ら弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、[[鏑木清方]]のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。<br /> <br /> また、歌川国芳にも学んでいる[[河鍋暁斎]]のような[[狩野派]]の画家から浮世絵を描くものも登場する。<br /> [[小林清親]]は西洋画を[[チャールズ・ワーグマン]]に学び、[[光線画]]と呼ばれる輪郭線を使わない西洋風の風景画を手がけた。<br /> <br /> [[歌川芳藤]]は子供のための[[玩具絵]]と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫が受けて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。<br /> <br /> 明治初年から30年間における、錦絵の作画量・出版数は、幕末の15年間より遥かに多い&lt;ref&gt;樋口弘編『幕末明治の浮世絵集成』 味灯書屋, 1955&lt;/ref&gt;。しかし、このころ新聞や写真、石版画などの新技術が発展してゆき、挿絵画家などへの転向を余儀なくされることもあった。江戸時代からずっと続いた浮世絵の歴史は、[[日清戦争]]、[[日露戦争]]後一時下火になる。しかし、明治38年([[1895年]])に[[博文館]]から『[[文芸倶楽部]]』という[[雑誌]]が刊行されると、その表紙の次のページに描かれる口絵を[[浮世絵師]]たちが描くようになり、[[武内桂舟]]、[[水野年方]]、[[富岡永洗]]、[[梶田半古]]、鏑木清方らがこれを担当しており、清方はこの時代を「木版口絵の時代」と称している。<br /> <br /> 明治40年(1907年)の朝日新聞「錦絵問屋の昨今」には「江戸名物の一に数へられし錦絵は近年見る影もなく衰微し(略)写真術行はれ、コロタイプ版起り殊に近来は絵葉書流行し錦絵の似顔絵は見る能はず昨今は書く者も無ければ彫る人もなし」とあり、ほとんど出版されなくなった様子が窺える。<br /> <br /> [[大正]]を経て[[昭和]]にかけて、[[川瀬巴水]]、[[伊東深水]]らは浮世絵の復興を目する[[新版画]]を出して、浮世絵の木版多色摺りの技法を活かした作品を多数残している。また、[[山本鼎]]、[[石井柏亭]]、[[恩地孝四郎]]らは自ら絵を描き、自分で彫り摺りも行う[[創作版画]]を作り始めた。<br /> 近代以降、絵師・彫師・摺師が減少し続け、技術や文化の継承が難しくなってきている&lt;ref&gt;[http://www.ukiyoeproject.com/project.html 浮世絵プロジェクトとは]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 浮世絵師一覧 ==<br /> {{See also|浮世絵師一覧}}<br /> <br /> === 代表的な浮世絵師 ===<br /> ; 始期([[天文 (元号)|天文]]から[[寛文]])<br /> :[[岩佐又兵衛]](岩佐勝以)、[[岩佐勝重]]<br /> ; 初期([[延宝]]から[[宝暦]])<br /> :[[花田内匠]]、[[菱川師宣]]、[[菱川師房]]、[[古山師重]]、[[古山師政]]、[[菱川和翁]]、[[田村水鴎|田村水鷗]]、[[山崎龍女]]、[[石川流宣]]、[[鳥居清元]]、[[鳥居清信]]、[[鳥居清倍]]、[[鳥居清満]]、[[懐月堂安度]]、[[長陽堂安知]]、[[懐月堂度繁]]、[[懐月堂度辰]]、[[懐月堂度種]]、[[懐月堂度秀]]、[[松野親信]]、[[宮川長春]]、[[宮川一笑]]、[[宮川長亀]]、[[宮川春水]]、[[西川祐信]]、[[西川祐尹]]、[[奥村政信]]、[[奥村利信]]、[[西村重長]]、[[石川豊信]]、[[鳥居清広]]、[[月岡雪鼎]]、[[川又常行]]、[[川又常正]]、[[杉村治兵衛]]、[[鳥居清信 (2代目)|二代鳥居清信]]、[[鳥居清倍 (2代目)|二代鳥居清倍]]、[[万月堂]]、[[鳥居清忠]]、[[鳥居清重]]、[[鳥居清経]]、[[広瀬重信]]、[[鳥居清里]]、[[小川破笠]]、[[鳥山石燕]]<br /> ; 中期([[明和]]から[[文化 (元号)|文化]])<br /> :[[鈴木春信]]、[[礒田湖龍斎]]、[[北尾重政]]、[[一筆斎文調]]、[[岸文笑]]、[[勝川春章]]、[[勝川春好]]、[[勝川春英]]、[[歌川豊春]]、[[鳥居清長]]、[[勝川春潮]]、[[窪俊満]]、[[北尾政演]]([[山東京伝]])、[[北尾政美]]([[鍬形蕙斎]])、[[水野廬朝]]、[[恋川春町]]、[[喜多川歌麿]]、[[鳥文斎栄之]]、[[栄松斎長喜]]、[[鳥高斎栄昌]]、[[一楽亭栄水]]、[[東洲斎写楽]]、[[歌川豊国]]、[[歌川国政]]、[[歌川豊春]]、[[歌川豊広]]、[[酒井抱一]]、[[歌川国丸]]、[[鈴木春重]]([[司馬江漢]])、[[亜欧堂田善]]、[[勝川春常]]、[[勝川春泉]]、[[勝川春山]]、[[喜多川藤麿]]、[[喜多川月麿]]、[[喜多川式麿]]、[[闇牛斎円志]]、[[歌舞伎堂艶鏡]]、[[玉川舟調]]、[[鳥橋斎栄里]]、[[鳥園斎栄深]]、[[五郷]]、[[一貫斎栄尚]]、[[琢斎栄玉]]、[[酔月斎栄雅]]、[[弄春斎栄江]]、[[栄烏]]、[[鳥喜斎栄綾]]、[[栄鱗]]、[[鳥卜斎栄意]]、[[葛堂栄隆]]、[[一掬斎栄文]]、[[鳥玉斎栄京]]、[[文和斎栄晁]]、[[鳥囀斎栄寿]]、[[酔夢亭蕉鹿]]、[[桃源斎栄舟]]、[[鳥龍斎栄源]]、[[十返舎一九]]、[[祇園井特]]<br /> ; 後期(文化から[[安政]])<br /> :[[葛飾北斎]]、[[菱川宗理]]、[[昇亭北寿]]、[[柳々居辰斎]]、 [[魚屋北渓]]([[葵岡北渓]])、[[蹄斎北馬]]、[[柳川重信]]、[[高井鴻山]]、[[葛飾応為]]、[[大山北李]]([[恒斎北李]])、[[安田雷洲]]、[[牧墨僊]]、[[本間北曜]]、[[喜多川歌麿 (2代目)|二代喜多川歌麿]]、[[喜多川雪麿]]、[[菊川英山]]、[[渓斎英泉]]、[[磯野文斎]]、[[鳥居清満 (2代目)|二代鳥居清満]]([[鳥居清峰]])、[[歌川国安]]、[[歌川国虎]]、[[歌川豊国 (2代目)|二代歌川豊国]]([[歌川豊重]])、[[歌川豊国 (3代目)|三代歌川豊国]]([[歌川国貞]])、[[歌川国芳]]、[[歌川広重]](安藤広重)、[[歌川豊広]]、[[歌川国政]]、[[勝川春扇]]、[[歌川国直]]、[[勝川春亭]]、[[歌川貞虎]]、[[歌川貞景]]、[[歌川貞房]]、[[歌川房種]]、[[歌川芳虎]]、[[歌川重丸]]、[[歌川貞広]]、[[玄珠斎栄暁]]、[[三畠上龍]]、[[吉原真龍]]、[[春好斎北洲]]、[[春梅斎北英]]、[[歌川国輝]]、[[歌川貞升]]<br /> ; 終期(幕末から[[明治]])<br /> :[[歌川芳艶]]、[[歌川貞秀]]([[橋本貞秀]])、[[歌川広重 (2代目)|二代歌川広重]]([[歌川重宣]])、[[歌川芳藤]]、[[歌川豊国 (4代目)]]、[[歌川国政 (4代目)]]、[[落合芳幾]]、[[月岡芳年]]、[[河鍋暁斎]]、[[豊原国周]]、[[歌川広重 (3代目)|三代歌川広重]]、[[歌川国貞 (3代目)|三代歌川国貞]]、[[長谷川貞信]]、[[長谷川貞信 (2代目)|二代目長谷川貞信]]、[[小林清親]]、[[井上安治]]([[井上探景]])、[[田口米作]]、[[小倉柳村]]、[[楊洲周延]]([[橋本周延]])、[[小林永濯]]、[[尾形月耕]]、[[水野年方]]、[[山本昇雲]]、[[歌川芳鶴]]、[[歌川芳満]]、[[楊斎延一]]<br /> ; [[大正]]から[[昭和]]<br /> :[[土屋光逸]]、[[楢崎栄昭]]、[[川瀬巴水]]、[[北野恒富]]、[[小早川清]]、[[弦屋光渓]]、[[橋口五葉]]、[[山本鼎]]、[[石井柏亭]]、[[石井鶴三]]、[[織田一磨]]、[[吉田博]]、[[戸張孤雁]]、[[上村松園]]、[[竹久夢二]]、[[鏑木清方]]、[[池田輝方]]、[[榊原蕉園]]、[[山村耕花]]、[[伊東深水]]、[[山川秀峰]]、[[鳥居言人]]、[[名取春仙]]、[[小村雪岱]]、[[志村立美]]、[[岩田専太郎]]<br /> <br /> == 主な版元 ==<br /> 娯楽出版物を扱う[[地本]][[問屋]](じほんといや)が浮世絵の版元となっている。当時、[[町人]]は[[苗字帯刀]]が許されておらず、鶴屋などは屋号で、苗字ではない。<br /> *[[伊賀屋勘右衛門]]- [[懐月堂度繁]]などの作品を出版。<br /> *[[丸屋九左衛門]](正本屋)<br /> *[[鶴屋喜右衛門]](鶴屋) - 老舗の一つ。「東海道五十三次」を途中まで出版。<br /> *[[奥村屋政信]](鶴寿堂) - 自らの作品などを出版。<br /> *[[西宮新六]](翫月堂)<br /> *[[和泉屋市兵衛]](甘泉堂・泉市) - 天明-明治初期の代表的版元。歌麿、広重、国貞などの作品を手がける。<br /> *[[西村屋与八]] - 「冨嶽三十六景」など[[葛飾北斎|北斎]]作品を多く手掛ける。<br /> *[[蔦屋重三郎]]- 歌麿、写楽らを輩出。<br /> *[[丸屋甚八]]<br /> *三河屋利兵衛<br /> *[[山口屋藤兵衛]]<br /> *伊場屋仙三郎 / 伊場屋久兵衛([[伊場仙]] / 伊場久) - 東海道張交図絵(歌川広重)。元は[[江戸幕府|幕府]][[御用達|御用]]の和紙・竹製品店。それにもかかわらず、[[風刺画|風刺絵]]や役者絵禁止令が出された後にも「[[落書き]]」と称して役者絵を出版している。団扇絵を多く手掛け、現在は[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]で団扇、[[扇子]]、[[カレンダー]]業を営み、[[新宿]][[伊勢丹]]、日本橋[[三越]]、[[銀座]][[伊東屋]]などに出店している。<br /> *[[有田屋清右衛門]] - 「東海道五十三次・有田屋版」(歌川広重)<br /> *[[伊勢屋利兵衛]] - 「東海道五十三次 絵本駅路鈴」(葛飾北斎)<br /> *[[魚屋栄吉]](魚栄)-広重、国貞らの作品を手がける。<br /> *[[上村与兵衛]](上ヨ / 上村) - 後発の新興版元。22歳の[[歌川国政]]を抜擢し、鮮烈なデビューを飾らせた。<br /> *[[加賀屋吉兵衛]]<br /> *亀屋岩吉<br /> *[[川口屋正蔵]] ‐ 広重、国芳の錦絵を出版。<br /> *[[蔦屋吉蔵]] - 「東海道五十三驛之図」、「東海道・蔦屋版」(歌川広重)<br /> *西村屋祐蔵 - 「富嶽百景」(葛飾北斎)<br /> *[[藤岡屋彦太郎]] / [[藤岡屋慶次郎]] - 「東海道風景図会」(歌川広重・文:柳下亭種員)<br /> <br /> == 浮世絵の題材と種類 ==<br /> [[ファイル:Couple under umbrella in snow.jpg|right|thumb|180px|[[鈴木春信]]「雪中相合傘」]]<br /> ; [[美人画]]<br /> : 女性を描いたもの。当時人気のあった店の看板娘、[[八百屋お七]]、江戸百人美女、[[小野小町]]、[[秋色女]]、[[加賀千代女]]など多数の有名女性や、化粧姿、入浴姿、[[遊女]]、群像の美人画なども多く描かれた。美人画は浮世絵を代表する画題の一つである。[[喜多川歌麿]]を筆頭に、[[鈴木春信]]、[[鳥居清長]]、[[鳥文斎栄之]]、[[菊川英山]]、[[渓斎英泉]]などが画面の力が違う古典的美人画の名手とされる。以降、浮世絵にコクと更に自在な筆さばきが出始め、[[歌川国輝]]など多数の絵師が、色彩豊かな美人画を描く。更に[[月岡芳年]]、近代的な[[橋口五葉]]などにつながってゆく。<br /> ; [[役者絵]]<br /> : [[歌舞伎]]の人気役者などを描いたもの。[[ブロマイド]]的なものや、[[チラシ|広告チラシ]]の役割を持つものもある。[[役者絵]]は、最も多く作られた浮世絵の題材の一つである。初期から特に[[鳥居清倍]]が[[市川団十郎]]を描いてから、[[一筆斎文調]]、[[東洲斎写楽]]、円熟期の[[歌川国芳]]、[[歌川芳艶]]などから、[[楊洲周延]]が役者絵から[[大奥]]、開花期の貴婦人などに切り替えるまで、[[役者絵]]は常に[[美人画]]とともに浮世絵の最も重要な画題であった。巨匠を含め有名[[絵師]]から、無名の絵師まで多くの作品が作られた。現在も続く[[市川左団次]]、[[河原崎権十郎]]など。<br /> [[ファイル:Act II- Konami Receiving Rikiya while Her Mother Watches; Honzo Holds a Pine Branch after Cutting with Wakasanosuke&#039;s Sword LACMA M.66.35.47.jpg|thumb|300px|「[[仮名手本忠臣蔵]] 二段目」, 広重画。]]<br /> ; [[芝居絵]]<br /> : 芝居そのものを描いたもの。[[歌舞伎]]絵。主に[[公家]]、[[僧侶]]、[[武士]]階級の出来事を扱ったものを[[時代物]]と言う。[[義経千本桜]]、[[楼門五三桐]]、[[葛の葉]]など。江戸時代の[[庶民]]の出来事を扱ったものを[[世話物]]と言う。[[三人吉三廓初買]]、[[心中天の網島]]など。[[仮名手本忠臣蔵]]のように両者にまたがっているものもある。[[歌舞伎舞踊]]の[[娘道成寺]]、[[怪談]]話の[[皿屋敷]]などもある。二枚、三枚続きの[[芝居絵]]は最も多く作られた題材の一つである。<br /> ; [[花鳥画 (日本)|花鳥画]]<br /> : 花や鳥、魚貝類などを主題にして描いたもの。[[アサガオ]]、[[ナデシコ]]、[[雉]]、[[雁]]、[[鶏]]、[[鷹狩]]の[[鷹]]など。<br /> ; [[戯画]]<br /> : 面白おかしく描いた絵。[[鳥羽絵]]を含む。こっけいな場面や、[[擬人化]]したものが登場する。[[風刺画]]的な要素もあるが、あくまでも[[娯楽]]性が強い。<br /> ; [[鳥羽絵]]<br /> : 手足の長い人物を描く[[戯画]]。[[鳥羽僧正]]から名前が来ている。初期の漫画をこのように呼ぶこともある。<br /> [[ファイル:Manga Hokusai.jpg|right|thumb|180px|「[[北斎漫画]]」より]]<br /> ; [[漫画]]<br /> : 絵手本。万の物を描いた画。現代の漫画とは違う。代表例が[[北斎漫画]]。<br /> ; [[肖像画]]<br /> : 美人、役者、武将、皇族、火消しなどの他にも、話題の人、[[藩主]]、[[幕末の志士]]、維新後の[[政治家]]、[[落語家]]などの様々な肖像画。[[東洲斎写楽]]の肖像画は世界的に評価が高い。<br /> ; 集団肖像画<br /> : [[武田氏]]武将名鑑、[[相撲取り]]や、明治以降、[[徳川十六神将]]、家康からの歴代[[将軍]]、初期の[[内閣]][[大臣]]、神格化された偉人、たたえられた女性、[[神武天皇]]からの歴代天皇などの集団肖像画。<br /> ; [[春画]]<br /> : [[性行為]]の場面や、性的なものを描くもの。性玩具の[[カタログ]]や、[[性器]]の擬人化などがある。[[田舎]]では錦絵といえばこれを指すほどの主流。嫁入り道具にもなる。芸術性が高いものが多く、沢山作られた。<br /> [[ファイル:Hiroshige_View_of_a_long_bridge_across_a_lake.jpg|thumb|right|300px|[[近江八景]]より「勢多夕照」。広重画]]<br /> ; [[名所絵]]<br /> : [[風景画]]。当時、自由に[[旅行]]できなかった民衆が、憧れの[[名所]]を知るためのもの。旅行の[[リーフレット]]的な役割も持つ。[[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次]]、[[名所江戸百景]]、[[富嶽三十六景]]、[[中山道六十九次]]、[[六十余州名所図会]]、[[近江八景]]や全国の名所、伝説奇譚の場所、足踏[[水車]]や[[早乙女]]の[[田園]]風景など。[[雪]]景色や、[[犬]][[猫]]のいる情景、[[傘]]をさす風景なども多く描かれた。[[歌川広重]]、[[葛飾北斎]]だけでなく、多数の[[絵師]]が、多くの作品を残した。<br /> ; 風物絵<br /> : [[隅田川花火大会]]、[[凧揚げ]]、[[獅子舞]]、[[独楽]]、[[ホタル]]狩り、[[猿まわし]]、[[海女]]の[[アワビ]]取り、[[金魚]]や[[錦鯉]]、[[鳥かご]]、[[鳩]][[豆]]などを描いた絵。<br /> ; 名産絵<br /> : 桑名の[[蛤]]、山梨の[[葡萄]]など全国各地の名産を紹介した絵。大日本物産図絵など。<br /> ; [[摺物絵]]<br /> : [[狂歌]]師が浮世絵師に絵を描いてもらい、それに狂歌を添えたもの。[[絵暦]]も摺物の一種である。<br /> ; [[絵暦]]<br /> : [[大小暦]]、[[伊勢暦]]、現代の暦など暦の絵や、暦を読んでる人の絵など。<br /> [[ファイル:Edo Meisyo Hanji-mono.jpg|thumb|right|300px|[[歌川重宣]]「江戸名所はんじもの」<br /> ----<br /> 目が黒くて「目黒」、4本の矢で「四谷」、「あ」が尻から「さ」を出して「浅草」など<br /> ]]<br /> ; 判じ絵<br /> : [[言葉]]を人や物の絵に置き換え、その絵に対する音で色々なものを表現した絵。謎解き絵。たとえば歯と逆さの猫の絵は、はコネ([[箱根]])、台の上に狐がのっている絵は、だいコン([[大根]])など、濁点や洒落・文字抜き・動物の鳴き声や言葉の逆転等、一定のパターンがあり、そのルールで読ませるものが多かった。[[天保の改革]]によって風紀の取り締まりが厳しくなると、浮世絵に役者や遊女の名前が載せられなくなった。その為、[[歌麿]]などは絵の上隅に小窓のように判じ絵をのせた。それが江戸に判じ絵が流行した原因となっている。判じ絵の歴史は古く、平安時代に行われていた『言葉遊び』が始まりらしい、とされている。最初は[[上方]]で判じ絵物の着物や手ぬぐいが流行し、次第に流行が江戸にまで広がり、戯作の作家が採り入れられる様になってきた&lt;ref&gt;[[タイムスクープハンター]](NHK総合1ch 11:30~0:00)2013年4月13日放送分 第2話『判じ絵!なぞなぞ挑戦状』番組内説明より。&lt;/ref&gt;。<br /> ; [[橋]]絵<br /> : [[橋]]を中心に描いた絵。[[眼鏡橋]]、[[萬代橋]]、[[吾妻橋]]、大阪の[[高麗橋]]など。<br /> ; [[通り]]絵<br /> : [[浅草]]、[[霞が関]]、[[銀座]]などの目抜き通りと群衆を描いた絵。<br /> ; [[店舗]]絵<br /> : [[反物]]屋、[[大福帳]]、[[千両箱]]、[[そろばん]]の[[商家]]、[[俵]]の[[米屋]]、[[宿屋]]、[[八百屋]]、[[茶店]]、浮世絵屋、[[下駄]][[草履]]屋、[[なまず]]の[[蒲焼]]屋、また[[寿司]]、[[二八そば]]、[[おでん]]、[[田楽 (料理)]]や[[お面]]などの屋台の絵や、[[書物]]、[[飴]]、[[ういろう (菓子)|ういろう]]、[[団扇]]、[[鈴虫]]、[[松虫]]などの[[虫かご]]売りなどの絵。後に[[牛肉]]屋なども。<br /> ; [[職人]]絵<br /> : [[石工]]、[[大工]]、[[左官]]、[[仏師]]、[[おみくじ]]書き、[[綿]]伸ばし、[[刀鍛冶]]、[[皮革]]のなめし、屋根ふき、築城の[[鳶職]]など職人の絵。<br /> ; [[着物]][[柄]]絵。<br /> : [[絵師]]が様々な着物の柄を意匠し、見せるための立美人絵、[[花魁]]絵、着物姿の力士絵、役者絵などが沢山作られた。江戸の大胆な[[市松模様]]、[[紗綾形]]、鱗文、麻の葉などだけでなく、独創的で[[粋]]な柄、[[瓜]]、[[茄子]]などの野菜柄、[[寛永通宝]]、[[碁石]]、[[将棋]]の[[駒]]をちりばめた柄、[[雪]]の[[結晶]]など、斬新な着物のデザインが楽しませたと思われる。<br /> ; [[食事]]絵<br /> : [[座敷]]や庭で[[刺身]]の盛り合わせ、[[天ぷら]]、[[鍋]]、[[鯛]]の尾頭付き、[[麺類]]、[[だんご]]などを[[伊万里焼]]などの皿や器に盛って、[[箸]]や[[蓮華]]で食べている絵や、[[グラス]]や[[杯]]、[[とっくり]]、[[急須]]で[[酒類]]、[[お茶]]などを飲んでいる絵。[[囲炉裏]]で[[串]]刺しの[[鮎]]の[[塩焼き]]、[[大根おろし]]、[[せんべい]]を食べてる絵などもある。<br /> [[ファイル:Raiko tormented by the earth spider.jpg|right|thumb|300px|[[歌川国芳]]「[[源頼光]]・四天王による[[土蜘蛛]]退治の図」]]<br /> ; [[武者絵]]<br /> : [[源頼光]]、[[新田義貞]]、[[楠木正成]]、[[上杉謙信]]、[[武田信玄]]、[[織田信長]]、[[豊臣秀吉]]など多くの[[武将]]の名場面、肖像から戦記ものまで、[[伝記]]や伝説、歴史に登場する武者が描かれる。[[巴御前]]など女性武将も人気があった。伝奇ブームの後、特に流行った。[[幕府]]の規制によって、徳川家や[[天正]]年間以降の大名家に関する出来事は描けない。最後の将軍[[徳川慶喜]]、または[[徳川綱吉]]の[[御台所]]などは、明治時代に描かれた。<br /> ; [[時局絵]]<br /> : その時々の社会の成り行き、世界の出来事などを描いた絵。<br /> [[ファイル:Guanyu.jpg|thumb|180px|歌川国芳「通俗三国志之内 [[華佗|華陀]]骨刮[[関羽]]箭療治図」]]<br /> ; [[古典文学]]画<br /> : [[古事記]]、[[太平記]]、[[南総里見八犬伝]]、[[東海道中膝栗毛]]、通俗[[三国志]]など。<br /> ; [[御伽草子]](昔物語絵)<br /> : [[浦島太郎]]、[[狐の嫁入り]]、[[九尾の狐]]、[[舌切り雀]]、[[分福茶釜]]などの絵など。<br /> ; [[楽器]]絵<br /> : [[三味線]]、[[琴]]、[[横笛]]、日本の[[胡弓]]演奏などの絵。<br /> ; [[踊り]]絵<br /> : [[静御前]]の舞や[[花笠踊]]など踊りの絵。[[浄瑠璃]]の[[歌舞伎舞踊]]絵など。<br /> ; [[雅楽]]絵<br /> : 宮中の[[雅楽]]や雅楽の舞の絵。<br /> ; [[能楽]]絵<br /> : [[能楽]]の様々な演目の絵。<br /> ; [[故事]][[ことわざ]]絵<br /> : 日本、中国などの故事ことわざの絵。[[二十四孝]]など。<br /> [[ファイル:Kitagawa Utamaro - Untitled - Google Art Project (YgGhLZsmddp5Rw).jpg|right|thumb|180px|喜多川歌麿「教訓親の目鑑」シリーズより]]<br /> ; [[教訓絵]]<br /> : 女性や子供に向けた日本、中国の教訓を題材にした絵。<br /> ; [[広告絵]]<br /> : 商品や事業などを広く世間一般に知らせて民衆に興味を抱かせるために描かれた絵。<br /> ; [[和歌]]絵<br /> : [[奈良]]、[[平安時代]]の[[六歌仙]]などの[[和歌]]の絵。[[百人一首]]など。<br /> ; 俳歌絵<br /> : [[俳句]]、[[川柳]]、[[狂歌]]、[[どどいつ]]などが人物と組み合わせて描かれた絵。<br /> ; [[歴史画]]<br /> : 古代から[[明治維新]]まで。歴史の名場面を描く。[[元寇]]、[[本能寺の変]]など。[[明治維新|維新]]後[[皇室]]の正当性を高めるために[[天皇の一覧|歴代の天皇]]を描いたものなどがある。<br /> ; 徳川画<br /> : [[参勤交代]]、[[士農工商]]の絵、[[大奥]]の情景、[[桜田門外の変]]などの絵。<br /> ; [[偉人]]画<br /> : [[平清盛]]、[[足利尊氏]]、[[斎藤道三]]、[[菅原道真]]、[[太田道灌]]、[[安倍晴明]]など。<br /> [[ファイル:BodhidharmaYoshitoshi1887.jpg|right|thumb|180px|[[月岡芳年]]「月百姿」より[[達磨]]図]]<br /> ; [[連作]][[人物]]画<br /> :見ごたえのあるシリーズものの連作人物画。[[渓斎英泉]]の當世会席尽、[[三代歌川豊国]]の見立十二か月、清書七伊呂波、東海道五十三対、俳優見立夏商人、大和高名列女鏡、[[豊原国周]]の当世三十二相、当世開花花引品、[[歌川国芳]]の本朝[[水滸伝]]、賢女烈婦伝、艶姿十六女仙、山海愛度図絵、英雄大倭十二支、誠忠義士伝、[[月岡芳年]]の月百姿、新柳二十四時、風俗三十二相、英名組討揃、皇国二十四孝、[[小林清親]]などの教導立志基、[[楊洲周延]]の時代かがみなど沢山作られた。<br /> ; [[講談]]関係絵<br /> : [[西行|西行法師]]、[[一休宗純]]、[[水戸黄門]]、[[大久保忠教|大久保彦左衛門]]など講談関係の人物の絵。[[講談師]]の絵<br /> ; [[開化絵]]<br /> : [[国会議事堂]]、[[国立銀行]]、当時の[[人力車]]、[[自転車]]、[[自動車|車]]などの絵。[[内国勧業博覧会]]、上野不忍池[[競馬]]、異国人[[サーカス]]など。時計も[[和時計]]から[[柱時計]]に代わり始める。<br /> ; [[乗り物]]絵<br /> : 平安の[[牛車]]、[[駕籠]]、玩具の[[木馬]]、[[大八車]]、[[船]]、文明開化の[[人力車]]、[[自転車]]、[[馬車]]、[[汽車]]、[[蒸気船]]、[[気球]]など乗り物中心の絵。[[戦艦]]の絵などもある。<br /> [[ファイル:Seinansenso snou.jpg|right|thumb|300px|月岡芳年「鹿児島暴徒出陣図」]]<br /> ; [[戦争絵]]<br /> : [[治承・寿永の乱|源平合戦]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[川中島の戦い]]、[[伊賀越え]]、[[城]]攻めの絵、[[西郷隆盛]]の[[西南戦争]]、[[榎本武揚]]の[[箱館戦争]]、[[戊辰戦争]]や、[[日清戦争]]、[[日露戦争]]の多くの上陸戦、海戦などの様子を描いた絵。日露戦争時の[[従軍看護婦]]などの絵もある。[[石橋山の戦い]]、[[宇治川の戦い]]、[[四条畷の戦い]]、[[長篠の戦い]]など多くの合戦図が描かれた。[[清仏戦争]]、[[下関条約]]の場面などもある。<br /> [[ファイル:Musashi ts pic.jpg|right|thumb|180px|歌川国芳「[[宮本武蔵]]」]]<br /> ; [[剣豪]]絵<br /> : 有名な剣豪[[宮本武蔵]]、[[弓 (武器)|弓]]の[[源為朝]]、[[槍]]の[[賤ヶ岳の戦い#賤ヶ岳の七本槍|賤ヶ岳の七本槍]]などだけでなく、[[竹刀]]、[[木刀]]、[[鎖鎌]]、[[なぎなた]]、[[鉄砲]]、[[大砲]]の名手の勇壮な場面の絵。[[墓石]]、[[碁盤]]切り、無数の[[弓矢]]を受ける武将、女性の[[なぎなた]]合戦図などもある。<br /> ; [[鉄道]]絵<br /> : [[新橋駅]]、[[品川駅]]、[[上野駅]]、[[高輪駅]]などの駅舎や[[機関車]]の鉄道の絵。<br /> ; 郵便錦絵<br /> : 明治時代の[[郵便局]]、郵便船、郵便駅など。<br /> ; [[玩具絵]]<br /> : [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]から[[清水寺]]上がりなど様々な[[双六]]、[[福笑い]]、切り抜いて[[メンコ]]に貼り付ける絵、人気の浮世絵のミニチュア版、紙の美人や少女の[[着せ替え人形]]、紙の組み立て[[建築]]、切抜く[[トランプ]]などもある。[[サイコロ]]など遊び道具が入った絵。子供の遊び道具として様々な趣向が凝らされた。<br /> ; 尽くし絵<br /> : [[相撲取り]]尽くしなど沢山の[[妖怪]]、[[武者]]、[[お金]]、[[勲章]]、余興の[[芸]]などを一枚に集めた絵。<br /> ; [[見立絵]]<br /> : 古典作品を江戸に置き換えた絵。[[パロディ]]なども。<br /> [[ファイル:Kunisada Sumo Triptychon c1860s.jpg|right|thumb|300px|[[歌川国貞]]「相撲絵」]]<br /> ; [[相撲絵]]<br /> : [[野見宿禰]]、[[雷電為右衛門]]、[[谷風梶之助]]、[[小野川喜三郎]]、[[陣幕久五郎]]、[[明石志賀之助]]、[[不知火諾右衛門]]、[[雲龍久吉]]など多数の力士の肖像や取組などの[[相撲]]を描いた絵。相撲絵も沢山作られた題材の一つである。<br /> ; [[張交絵]]<br /> : 一枚の紙に色んな絵を入れたもの。<br /> [[ファイル:Portrait à la mémoire d&#039;Hiroshige par Kunisada.jpg|right|thumb|180px|歌川広重の[[死絵]]([[歌川国貞|3代豊国]]筆、安政5年(1858年))]]<br /> ; [[死絵]]<br /> : 有名な[[歌舞伎役者]]などが[[他界]]した際に出される絵。有名絵師のものもある。[[日時]]、[[戒名]]、[[葬儀]]の[[寺]]などとともに、全体に淡い調子の色調で描かれた[[肖像画]]。<br /> ; [[子供絵]]<br /> : 子供が[[鞠]]などで遊ぶ様子を描いた絵。<br /> ; [[上方絵]]<br /> : 関西の絵。<br /> ; [[長崎絵]]<br /> : [[長崎市|長崎]]で見られる[[異国]]の文化を描いた絵。長崎版画ともいう。<br /> ; [[富山絵]]<br /> : [[富山]]の売薬人が地方へ散布した土産用の絵。富山版画ともいう。<br /> ; [[横浜絵]]<br /> : [[横浜市|横浜]]を舞台にした異国情緒あふれる絵。<br /> ; [[鎌倉絵]]<br /> : [[源頼朝]]、[[護良親王]]、[[畠山重忠]]、[[佐々木高綱]]、[[北条氏]]など[[鎌倉]]関係の絵。<br /> ; [[鹿児島絵]]<br /> : [[西南戦争]]、[[上野戦争]]などの[[西郷隆盛]]や多くの軍功関係の絵。<br /> [[ファイル:AinuBearSacrificeCirca1870.jpg|right|thumb|300px|[[1870年代]]の[[アイヌ絵]]]]<br /> ; [[アイヌ絵]]<br /> : [[アイヌ]]の風俗、習慣、酋長などを描いた絵。<br /> ; 異国人絵<br /> : 亜米利加人、阿蘭陀人、仏蘭西人、露西亜人、伊太利亜人、中国人などを描いた絵。主に[[横浜絵]]、[[長崎絵]]においてみられる。<br /> [[ファイル:Namazu-e.jpg|right|thumb|300px|[[鯰絵]]]]<br /> ; [[鯰絵]]<br /> : [[安政の大地震]]後に登場した絵。鯰が地震を起こすという俗信から来ている。地震以外の災害、諸国災害図会など。<br /> ; [[医学]]絵<br /> : [[疱瘡絵]]は、[[天然痘]]を防ぐための[[護符]]。病気を治す[[医者]]の絵、[[新井白石]]、[[麻疹]]、[[らい病]]の絵、[[妊婦]]や[[腹]]の[[解剖]]図の絵などもある。<br /> [[ファイル:Brooklyn Museum - Matsushima in Oshu Province - Utagawa Hiroshige (Ando).jpg|right|thumb|200px|広重の[[団扇絵]]「日本三景 陸奥松島」]]<br /> ; [[団扇絵]]<br /> : [[うちわ]]に張られる絵。芸術性が高い絵が多く、有名絵師も多数描いた様式。<br /> ; [[羽子板]]絵<br /> : 絵の中の大きな羽子板に描いた絵。<br /> ; [[かるた]]絵<br /> : かるた、[[花札]]、[[百人一首]]などに描かれた絵。[[貝合わせ]]に興じる人の絵。<br /> ; [[月]]下絵<br /> : 月下の様々な絵。当時、[[太陰暦]]の生活は、日中は問題ないのだが、[[旧暦]]の月末、月初は月明かりがなくなるなど月明かりが重要であった。<br /> ; [[源氏絵]]<br /> : 『[[源氏物語]]』を題材とした絵。ただし[[柳亭種彦]]作の『[[偐紫田舎源氏]]』が人気を博してからは、これを題材とした絵のことも称するようになった。<br /> ; [[宮廷]]絵画<br /> : [[明治]]、[[大正]]の[[皇室]]関係の絵。[[肖像画]]、[[馬車]]行列、[[皇居]]、[[行幸]]や[[国会]]に臨幸の様子、凱旋、天覧の諸芸など沢山作られた。<br /> [[ファイル:Ando hirosige miyakawanowatasi.jpg|300px|right|thumb|歌川広重「伊勢参宮・宮川の渡し」]]<br /> ; [[宗教]]画<br /> : 江戸、明治時代から特に信仰を集めた[[伊勢神宮]]、[[上野東照宮]]、[[日光東照宮]]、[[鶴岡八幡宮]]、[[厳島神社]]、[[太宰府天満宮]]、[[靖国神社]]などや、各地の神社や[[釈迦]]、[[親鸞]]聖人、[[不動明王]]の石仏、[[浅草寺]]、[[成田山]]、各地の寺院、[[江戸三十三間堂]]の絵など[[仏教]]関係の絵。[[七福神]]の絵などもある。<br /> ; [[巡礼]]絵<br /> : [[観音]]霊験記の[[四国八十八か所]]お遍路、[[西国三十三所]]、[[お伊勢参り]]、[[金毘羅]]参りなどの巡礼絵。<br /> ; [[古地図]]絵<br /> : 全国の[[城郭]]、[[寺院]]、[[温泉街]]などを中心に作られた[[古地図]]の絵。色彩ものと単色の絵がある。<br /> ; [[囲碁浮世絵]]<br /> : [[囲碁]]、[[将棋]]の図柄をモチーフにした絵。<br /> ; [[書画]]絵<br /> : [[筆]]、[[刷毛]]、[[硯]]、[[絵皿]]などで手紙や絵を描いている人の絵。[[机]]、[[衝立]]、[[屏風]]、[[火鉢]]、[[銅]]製の水盤、[[鼎]]などもよく置かれてある。<br /> ; [[朝鮮錦絵]]<br /> : 古代から戦前まで。[[神功皇后]]や[[加藤清正]]など。[[月岡芳年]]など[[東京経済大学]]に主なコレクションがある。<br /> ; [[中国]]画<br /> : 古代[[中国]]、[[台湾]]の絵。<br /> ; [[影絵]]<br /> : 人物の[[影]]や影で他のものを表した絵。[[障子]]に映る[[ちょんまげ]]の[[武士]]や、ポーズをとって何かを表現したものなど色々ある。<br /> [[ファイル:At first glance he looks very fiarce, but he s really a nice person.jpg|right|thumb|180px|歌川国芳の[[だまし絵]]「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」 [[弘化]]4年([[1847年]])]]<br /> ; [[だまし絵]]<br /> : 猫や人の群像で人の顔や、平仮名の文字などを表した。寄せ絵。[[歌川国芳]]が有名。<br /> ; 忠孝絵<br /> : [[忠臣蔵]]、[[曽我物語]]などが多く作られた。[[桜井の別れ]]、[[安寿と厨子王]]など。<br /> ; [[尊王攘夷]]絵<br /> : [[建武の新政]]、[[天狗党の乱]]など尊王攘夷の絵。<br /> ; 情話絵<br /> : [[芝居絵]]には[[与話情浮名横櫛]]、[[積恋雪関扉]]、博多小女郎波枕などの恋愛、情話絵がある。判じ絵に想う人を暗示した[[美人画]]など情話ものの絵。<br /> ; [[花見]]絵<br /> : [[桜]]、[[梅]]、[[キク|菊]]、[[アヤメ]]の花見絵。<br /> ; [[盆栽]]絵。<br /> : [[盆栽]]、鉢物の[[園芸]]、また[[水石]]など。<br /> ; [[庭園]]絵<br /> : 主に美人画の背景として描かれ、年代とともに移り変わる[[庭園]]の絵。[[若菜]]摘み、[[紅葉]]から[[園遊会]]など。<br /> ; [[静物画]]<br /> : [[鶴]][[カメ|亀]]、[[野鳥]]や、[[鯛]]、[[ふぐ]]、[[イセエビ|伊勢海老]]などの[[魚介類]]などの静物画。<br /> ; [[風刺画]]<br /> : 社会風刺の絵。百撰百笑、貧福大合戦など。[[ポンチ絵]]など。<br /> [[ファイル:Hiroshige hikeshi.jpg|thumb|right|180px|[[歌川広重 (3代目)|3代目歌川広重]]「東京名所八代洲町警視庁火消出初梯子乗之図」(部分)]]<br /> ; [[火消し]]絵<br /> : 火消しの肖像、はしごのりや火事の絵。<br /> ; [[稽古]]絵<br /> : [[茶道]]、[[生花]]、[[香道]]や[[マナー]]などの絵。[[寺子屋]]の[[書道]]など。[[楊洲周延]]など有名絵師の絵もある。<br /> [[ファイル:100 views edo 063.jpg|thumb|right|180px|歌川広重「[[名所江戸百景]]」より[[こいのぼり]]]]<br /> ; [[伝統行事]]絵<br /> : [[羽子板]]、[[雛祭り]]、[[蹴鞠]]、[[七夕]]、[[節句]]、[[七五三]]の[[千歳飴]]、[[こいのぼり]]、[[鏡餅]]、[[門松]]などの絵。<br /> ; [[婚礼]]絵<br /> : [[皇室]]の婚礼だけでなく、庶民の[[白無垢]]、[[角隠し]]姿の婚礼準備の絵などもある。<br /> ; [[明かり]]絵<br /> : [[照明器具]]中心の絵。[[油皿]]、[[灯篭]]、[[行燈]]、[[提灯]]、[[ろうそく]]、[[松明]]の明かりと人物の絵。豪華な[[ランタン]]、[[ガス灯]]の絵もある。<br /> [[ファイル: Yoshitoshi - 100 Aspects of the Moon - 33-2.jpg|180px|thumb|江戸時代の[[山王祭 (千代田区)|山王祭]]の様子を描いた「月百姿 神事残月」、月岡芳年画]]<br /> ; [[祭]]絵。<br /> : [[神田明神]]の[[山車]]、[[山王祭 (千代田区)|山王祭]]の[[神輿]]、[[酉の市]]の[[熊手]]、[[亀戸天神]]の[[藤まつり]]など。<br /> ; [[山海信仰]]絵<br /> : [[富士山]]、[[鳴門の渦潮]]、[[華厳滝]]、[[布引の滝 (兵庫県)|布引の滝]]や[[磐梯山]]噴火など。<br /> ; [[海]][[川]]絵<br /> : [[潮干狩り]]、[[天秤棒]]での[[潮]]汲み、[[浜辺]]の情景や、[[乗合船]]、[[屋形船]]での納涼、[[夕涼み]]、[[川]]遊び、[[隅田川]]の[[花火]]や[[花見]]、[[大井川]]の渡し、京都三条河原など海川の絵。また[[鵜飼]]、[[杵]]と[[臼]]での[[洗濯]]の絵など。<br /> ; [[水屋]]絵。<br /> : [[井戸]]、防火用水[[桶]]、手[[桶]]、[[たらい]]、茶[[箪笥]]など水物中心の絵。<br /> ; [[島]]絵<br /> : [[江の島]]、[[源為朝]]上陸の[[伊豆大島]]、[[屋島の戦い]]の[[屋島]]など島を描いた絵。<br /> ; [[釣り]]絵<br /> : 岸、船の[[海釣り]]、[[川釣り]]の絵。<br /> ; [[老舗]]絵<br /> : [[三越]]、[[松坂屋]]、[[三井]]、[[山本山]]など老舗の絵。<br /> ; [[錦絵新聞]]<br /> : 世相を映した[[新聞]]絵。[[東京日日新聞]]、[[大阪日日新聞]]など。珍しい話の夫婦親子の[[人情噺]]、警官に逮捕される[[泥棒]]や殺人事件の[[無残絵]]が多い。[[郵便報知新聞]]、[[やまと新聞]]、東京各社撰抜新聞など。<br /> ; [[無残絵]]<br /> : 血みどろ絵。<br /> ; [[大津絵]]<br /> : [[大津市|大津]]地方の絵。<br /> ; [[扇]]絵<br /> : [[扇]]そのものか、扇状の枠に描かれた絵。[[投扇興]]や[[那須与一]]の扇落としの絵もある。<br /> ; 手仕事絵<br /> : [[製茶]]、[[機織]]、着物の[[染織]]、[[和鋏]]や[[鋏]]と[[針刺し]]の[[裁縫]]、[[鶴]]や[[蛙]]の[[折り紙]]などの絵。<br /> ; [[養蚕]]絵<br /> : [[桑]]の葉で[[蚕]]を飼育する様子や[[繭]]を製品化する過程など養蚕絵は多く描かれ、養蚕神などの絵もある。<br /> ; [[酒]]絵<br /> : [[酒]]を飲んだり注いだりする人、三組[[盃]]、酒のしこみ場面、積み上げられた[[酒樽]]の絵など。<br /> ; [[野菜]][[果物]]絵<br /> : [[瓜]]、[[大根]]、[[茄子]]、[[きゅうり]]、[[カボチャ]]などの野菜や、江戸にこんなものがという[[とうもろこし]]や、まずくて下人が食べるとある当時の[[バナナ]]などや[[スイカ]]、[[葡萄]]、[[軒]]に吊るした[[干し柿]]など野菜果物の描いてある絵。<br /> ; [[煙管]]絵<br /> : [[煙管]]、[[革製品]]のたばこ入れ、たばこ盆、また[[印籠]]などを中心とした絵。<br /> ;[[刺客]]絵<br /> : [[幡随院長兵衛]]、龍王太郎など刺客の出てくる絵。<br /> [[ファイル:Eight Hundred Heroes of Our Country s Suikoden 12.jpg|thumb|180px|歌川国芳「児雷也」]]<br /> ;[[忍者]]絵<br /> : [[児雷也]]、伊賀小太郎朝行など忍者の出てくる絵。<br /> ; [[刺青]]絵<br /> : 役者、火消しなどの腕や背中に力強く巧みな様々な[[刺青]]が描かれた絵。<br /> [[ファイル:Utamakura 歌まくら (Poem of the Pillow).jpg|right|thumb|300px|喜多川歌麿「歌まくら」]]<br /> ; [[遊郭]]画<br /> : [[吉原 (東京都)|吉原]]の[[遊郭]]の[[遊女]]や館、絢爛豪華な[[花魁]]の絵。有名な遊女、[[高尾太夫]]、[[宮城野]]など、また[[地獄太夫]]なども描かれた。遊郭画も沢山作られた題材である。<br /> ; 遊覧絵<br /> : 大通りや名所などを主に美人の集団が徒歩、船で遊覧する絵。五枚続きの何十人という遊覧絵もある。 [[飛鳥山]]遊覧図、[[隅田川]]遊覧図など。<br /> ; [[楼閣]]絵<br /> : [[金閣寺]]から楼閣の[[屋敷]]、[[料亭]]などや、関東大震災で半壊した[[凌雲閣]]などの絵。<br /> ; 型押し絵<br /> : [[版木]]の凹凸で、着物の柄や木の葉や花、判じ絵の部分だけ紙を凹凸に紗綾形などに細かく浮き出させる技法のある絵。[[芳年]]などが好んで使った。また[[木目]]つぶし絵という絵の中の[[羽子板]]などに[[版木]]で[[木目]]調を出した技法のある絵。<br /> ; [[ちりめん]]絵<br /> : 厚手の[[和紙]]を絞って紙全体に[[布地]]の[[ちりめん]]のような凹凸を出した紙に、元絵に沿って摺られた絵。<br /> ; [[浮絵]]<br /> : 遠景の川面などから手前の座敷、料亭が浮き出て見える絵。[[芸妓]]遊び、[[酒宴]]の絵。<br /> ; [[遊び]]絵<br /> : 伝統になっている遊びのほか、[[腕相撲]]、[[碁盤人形]]、首[[綱引き]]、[[文楽]]の真似事のような人形の腰のあたりから手を入れる[[人形]]遊び、棒の付いている相撲人形などなくなってしまったものや、今では不明の遊びの絵。<br /> [[ファイル:Девушка дует в свисток.jpg|right|thumb|180px|歌麿「[[ぽぴん|ポッピン]]を吹く女」]]<br /> ; [[流行]]物絵<br /> : 流行った様々な風俗、持ち物の入った絵。武士などと[[地球儀]]、[[羅針盤]]、[[眼鏡]]、美人と[[望遠鏡]]など流行物が描いてある絵。<br /> ; [[柱絵]]<br /> : [[柱]]にかける約10x70センチの細長い絵。[[鳥居清長]]などが好んで使った。<br /> ; 縦揃絵<br /> : [[美人画]]全身像を縦二枚で大きく描いた掛物や、集団の[[武者絵]]などの絵。[[歌川国政]]など。縦三枚揃の[[五重塔]]などもある。<br /> [[ファイル:Yōshū Chikanobu Takiyasha-hime.jpg|right|180px|thumb|[[楊洲周延]]「滝夜叉姫」]]<br /> ; [[姫]]、御前絵<br /> : [[滝夜叉姫]]、[[中将姫]]、[[八重垣姫]]、[[若菜姫]]、[[常盤御前]]、[[袈裟御前]]など多くの庶民の美人画の他に位の高い女性の絵も多い。<br /> ; [[行列]]絵<br /> : [[参勤交代]]行列、[[駕籠]]乗りの[[姫]]行列、[[稚児行列]]、[[火消し]]行列、[[狐]]の行列などの絵。<br /> ; [[参道]]絵<br /> : 浅草寺、神田明神などの[[境内]]からにぎわう参道の様子を描いた、祭りや群衆の絵。<br /> ; [[士]]絵<br /> : 沢山作られた[[忠臣蔵]]の[[義士]]、江戸の[[烈士]]、[[南総里見八犬伝|八犬伝]]の八犬士、[[維新]]の[[志士]]などの絵。<br /> ; 出陣図<br /> : 有名武将の他、[[真田信繁|真田幸村]]出陣図、甲州軍団出陣図など出陣の絵。<br /> [[ファイル:Kabukiza inside 1893.jpg|right|thumb|300px|[[歌舞伎座]](第1期)内観([[1893年]])]]<br /> ; [[舞台]]絵<br /> : [[中村座]]など[[江戸三座]]、[[上方]]、[[明治座]]などの[[歌舞伎座]]での劇場の様子、相撲の[[本場所]]の[[升]]席の大勢の観客の様子や、[[能舞台]]の絵。<br /> ; [[お家芸]]絵<br /> : 七代目[[市川団十郎]]の[[歌舞伎十八番]]、[[豊原国周]]が描き上げた五代目[[尾上菊五郎]]の[[梅幸百種]]、五、六代目菊五郎の[[新古演劇十種]]など歌舞伎のお家芸の絵。<br /> ; [[お家騒動]]絵<br /> : [[鏡山物]]や[[伊達騒動]]物&lt;!--の[[伽羅先代萩]]--&gt;などのお家騒動物の芝居絵。<br /> ; [[役人]]絵<br /> : 松江出雲守など[[国司]]の守(かみ)、[[内膳司]]、[[式部]]の丞、大判事など役者絵で役人が登場する絵。<br /> ; [[桟敷]]絵<br /> : [[武将]]、[[貴族]]、[[公家]]、[[天皇]]などが、[[城]]内、[[館]]などで、[[歌舞]]、[[芸道]]、[[遊興]]、[[会議]]、口上などを桟敷席からのぞんでいる群衆の絵。上覧絵、天覧絵。<br /> ;図解絵<br /> : [[日本髪]]、[[櫛]]、[[かんざし]]、[[えびす講]]など[[民間信仰]]、風俗、[[魚介類]]、開化時の[[乗り物]]、のちに[[体操]]などの多くの種類、様子を[[図解]]した絵。<br /> ; 婦人子宝絵<br /> : 婦人と子供の取り合わせの絵。抱いたり、遊んだり、散歩したり、[[カミソリ]]で頭を剃ったりするほほえましい絵。<br /> [[ファイル:Chikamatsu Kiken buto no ryakuke.jpg|300px|right|thumb|[[鹿鳴館]]での舞踏会のようすを描いた「貴顕舞踏の略図」、楊洲周延画]]<br /> [[ファイル:Hiroshige III - Daini hakurankai bijitsukan narabini funsuiki.jpg|thumb|right|300px|3代目広重「上野公園 内国勧業第二博覧会美術館図」]]<br /> ; [[洋服]]絵<br /> : [[開化]]絵、[[横浜絵]]、異国人絵などで、洋装の人物を描いた絵。当時の様々な彩色の上流中心の洋装の資料は、世界で浮世絵しかなく貴重。<br /> ; [[僧侶]]絵<br /> : [[俊寛]]など僧侶はよく登場するが、特に[[文覚]]上人、[[土佐坊昌俊]]([[金王丸]])、[[武蔵坊弁慶]]など武勇のある僧侶がよく描かれた。<br /> ; [[魔人]]絵<br /> : [[達磨]]、[[閻魔大王]]、[[雷神]]などの魔人の出てくる絵。<br /> ; [[偽名]]絵<br /> : [[織田信長]]を小田信長、[[羽柴秀吉]]を真柴秀吉など有力武将達を事情により偽名で描いた絵。<br /> [[ファイル:Kuniyoshi The Ghost in the Lantern.jpg|right|180px|thumb|歌川国芳「[[四谷怪談|東海道四谷怪談]]」より「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」]]<br /> ; [[怪談]]絵<br /> : [[怪談]]を描いた絵。[[四谷怪談]]、[[北斎]]の百物語、[[本所七不思議]]などの絵。<br /> ; [[擬人]]絵<br /> : [[馬]]、[[虎]]、[[象]]、[[オオカミ]]、[[ヤギ]]、[[獅子]]など動物だけでなく、[[ろうそく]]、[[俵]]、酒瓶などを擬人化した絵。[[魚]]、[[蛙]]などの合戦図もある。<br /> ; [[町人]]絵<br /> : 町人が何人かで路上、部屋で、何かをやっている絵。今では何をやっているかわからないものが多い。<br /> ; [[御所]]絵<br /> : [[皇居]]、[[東宮御所]]、[[京都御所]]、六条御所で宴会などをやっている絵。<br /> ; [[壽]]絵<br /> : 目出度い図柄、祝の場面の絵。<br /> ; 競絵<br /> : 花(美人)競い、色香(粋)競いの[[美人画]]、[[役者絵]]や、名産や名所に順位を付けたりして紹介している絵。<br /> [[ファイル:Brooklyn Museum - Iwai Hanshiro IV - Katsukawa Shunsho.jpg|right|thumb|180px|[[勝川春章]]「[[岩井半四郎 (4代目)|4代目岩井半四郎]]」]]<br /> ; 春色絵<br /> : なまめかしい、色香の香る様子の[[美人画]]や[[役者絵]]。<br /> [[ファイル:Yoshitoshi - 100 Aspects of the Moon - 85.jpg|right|180px|thumb|[[浅茅ヶ原の鬼婆]]を描いた「孤家月」。月岡芳年「月百姿」より]]<br /> [[ファイル:Kawase Zôjôji.jpg|right|180px|thumb|[[新版画]]。[[川瀬巴水]]「東京二十景」より「芝 増上寺」([[1925年]]([[大正]]14年))]]<br /> ; [[妖怪]]絵<br /> : [[酒呑童子]]、[[土蜘蛛]]、[[鞍馬天狗]]、[[浅茅ヶ原の鬼婆]]、[[百鬼夜行]]など妖怪の絵。<br /> ; [[怪物]][[怪獣]]絵<br /> : 大きな[[化け猫]]、[[鯉]]、[[龍]]、[[虎]]、[[象]]、[[蛸]]、[[ガマ]]、[[ねずみ]]、[[クジラ|くじら]]、[[どくろ]]などが中心の絵。<br /> ; [[幽霊画]]<br /> : [[幽霊]]を描いた絵。<br /> ; [[盗賊]]絵<br /> : [[石川五右衛門]]、[[鼠小僧]]、[[白波五人男]]などの絵。<br /> ; [[奇術]]絵<br /> : [[天竺徳兵衛]]、[[鳴神]]上人、[[児雷也]]、仁木弾正などの奇術使いの絵。<br /> ; 退治絵<br /> : [[藤原秀郷|俵藤太]]の百足、戸隠れ[[紅葉伝説]]、[[渡辺綱]]の[[茨木童子]]、[[源頼政]]の[[鵺]]、[[スサノオ]]の[[八岐大蛇]]などの退治する絵。<br /> ; [[豪族]]絵<br /> : [[蘇我入鹿]]、[[藤原鎌足|中臣鎌足]]、[[平将門]]など豪族の絵。<br /> ; 豪傑絵<br /> : [[平知盛]]、[[熊谷直実]]、[[白井権八]]、[[左甚五郎]]、[[天草四郎]]、[[国姓爺]]や足柄山の[[金太郎]]など豪傑の絵。<br /> ; [[聖人]]絵<br /> : [[天照大神]]、[[イザナギ]]、[[イザナミ]]、[[大国主]]、[[ヤマトタケル]]、[[後醍醐天皇]]などの神、聖人の絵。<br /> ; [[藍色|藍]]摺絵<br /> : 藍色のみの濃淡で摺った花魁、美人などの絵。<br /> ; [[屏風絵]]<br /> : 好みの又は同じ題目の浮世絵を多数貼り付けた屏風。<br /> ; 折帖絵<br /> : [[蛇腹]]状の紙や台紙に多数の浮世絵を張り付けた絵。<br /> ; [[額]]絵<br /> : 楕円鏡の額の中に肖像画を描いた[[歌川豊国]]などの押絵鏡、四角い額縁をかたどってある絵。<br /> ; 比喩絵<br /> : [[門]]、[[衝立]]、[[手ぬぐい]]、[[谷]]、[[戸]]、[[尺八]]、[[かんざし]]、[[傘]]、[[包丁]]、[[垣根]]、[[竹]]の[[ものさし]]など様々なものや思わせぶりな仕草で何かを比喩していると思われる絵。女性、男性の思いなどを表しているものもあると思われるが、解明されていない。特に最盛期の[[役者絵]]、[[美人画]]などは、多くに比喩の部分があるとされる。<br /> ; [[裏打ち]]絵<br /> : 昔は稀に絵に虫の食いたどった細長い穴が開くことがあり、また痛んだ紙を古い時代に当時の[[紙]]、[[のり]]で裏側から修繕、裏打ちした絵。紙には江戸時代からの[[手紙]]などがよく使われた。状態が悪くても、貴重なものも多い。<br /> ; [[検閲]]画<br /> : [[地本問屋]]の検印のある絵、後に[[逓信省]]などの認可とある絵。<br /> ; [[銘柄]]絵<br /> : 多くの他の絵師が、有名絵師の質の高い画風、銘をブランドとして描いた絵。<br /> ; 下絵<br /> : 版下絵は[[版木]]に貼られ、現存するものは稀にしかない。<br /> ; [[新版画]]<br /> : [[大正時代]]に始まった伝統技法を継承しながら、新境地をめざした[[美人画]]、[[役者絵]]、[[風景画]]などの絵。<br /> ; 謎絵<br /> : 中世の[[風俗]]、[[習慣]]、物語などで、現代では判らない浮世絵は膨大にある。更なる研究が必要。<br /> <br /> == 浮世絵版画の制作法 ==<br /> [[ファイル:Ukiyo-e dsc04679.jpg|thumb|right|300px|浮世絵版画の工房]]<br /> [[ファイル:Ukiyo-e dsc04680.jpg|thumb|right|300px|浮世絵版画の版木]]<br /> 浮世絵を描く人を浮世絵師、または[[絵師]](画工)と呼んだ。浮世絵師が描いたデザインを木版に彫るのが[[彫師]](彫工)、彩色して紙に摺るのが[[摺師]](摺工)である。共同作業の作品だが、絵師の名だけが残される風習がある。ここに注文主を加えた四者が最低でも必要になり、独自の[[分業体制]]が構築されていた。<br /> <br /> # 版元が企画を立案し、絵師に作画を依頼する。<br /> # 絵師が版下絵を描く。<br /> #: 絵師は墨線だけを用いて主版(おもはん)の版下を描く&lt;ref name=&quot;digital148&quot;&gt;{{Cite book |和書 |author=池田一郎 |year=2003 |title=新・特殊印刷への招待デジタル時代に活かせる拡印刷 |page=148}}&lt;/ref&gt;。<br /> # 版元は版下絵を、絵草子掛りの名主に提出、出版許可の印を捺してもらい、彫師に渡す。<br /> # 彫師が主版(おもはん)を彫る。<br /> #: 版材には西洋ではツゲの輪切りなどが用いられており、サクラの板目材を用いたのは日本の木版の特色である&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。大きさは大判と呼ばれる美濃判の大きさが主流であった&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。彫師は版下を版木に裏返しに貼り付けて主版(おもはん)を彫る&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。この工程で絵師が描いた版下絵は彫刻刀で彫られて消滅する。<br /> #: この工程で出来上がった基本版で摺ったものを校合摺り(きょうごうずり)という&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。<br /> #摺師は主版の墨摺り(校合摺り)を10数枚摺って絵師に渡す。<br /> #絵師は校合摺りに各色版別に朱で色指しをする。また、着物の模様などの細かい個所を描き込む。<br /> #指示に従い、彫師は色版を作る。<br /> #:色が指定された校合摺りを裏返して版木に貼り刀入れを行う&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。まず三角刀で各版に模様を彫り込むが、墨版については各色版の部分も含めて彫りを加える(無駄彫りという)&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。この無駄彫り版で摺った紙を版木に貼り付けて色数に応じた色版を彫る&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。無駄彫り版と色版とを絵合わせし、調整後、無駄彫り版の墨以外の部分を削り取る&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。<br /> #:次に各版の不要な部分を相合のみと木槌で大まかに削る&lt;ref name=&quot;digital148&quot; /&gt;。さらに角のみの一種である間透(あいずき)と丸のみの一種である小間透(こますき)を使って仕上げ彫りを行う&lt;ref name=&quot;digital149&quot;&gt;{{Cite book |和書 |author=池田一郎 |year=2003 |title=新・特殊印刷への招待デジタル時代に活かせる拡印刷 |page=149}}&lt;/ref&gt;。<br /> #:仕上げ彫りの工程で見当合わせ用の「鍵」と「引き付け」を残しておく&lt;ref name=&quot;digital149&quot; /&gt;。多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」(現在の[[トンボ (印刷)|トンボ]])は[[1744年]]に出版物の問屋の主人・[[上村吉右衛門]]が考案したとする説と、[[1765年]]に金六という摺師によって行われたとする説がある。また、[[鈴木春信]]と交流した[[平賀源内]]が発明したとも言われる。現代でも使われる「見当を付ける」「見当違い」「見当外れ」という言葉はここから来ている。<br /> #摺師は絵師の指示通りに試し摺りを作る。<br /> #: 「刷り」ではなく「摺り」とするのは絵の具を塗った版木の上に紙を重ねて[[馬楝]](ばれん)で摺るからである&lt;ref name=&quot;digital149&quot; /&gt;。<br /> #: 木の伸縮を考慮してあらかじめ版木裏面にも水刷毛で水を塗って調整しておく&lt;ref name=&quot;digital149&quot; /&gt;。<br /> #: 墨は習字用の固形の墨を半年間水につけて乳鉢で細かくしたものを用いる&lt;ref name=&quot;digital149&quot; /&gt;。また、色絵の具には日本画用の色絵の具に膠(にかわ)などを混ぜて作る&lt;ref name=&quot;digital149&quot; /&gt;。木版の紙には越前奉書が多く用いられ、あらかじめ膠(にかわ)とミョウバンの混合液を塗っておく(この工程を礬水(どうさ)という)&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=池田一郎 |year=2003 |title=新・特殊印刷への招待デジタル時代に活かせる拡印刷 |page=150}}&lt;/ref&gt;。<br /> #摺師は絵師の同意が得られれば、初摺り200枚を摺る。売れ筋の商品の場合、初めから200枚以上の見込み生産をする。<br /> #絵草子屋から作品を販売する。<br /> <br /> == 浮世絵の値段 ==<br /> 浮世絵の値段は、しばしば「[[蕎麦|そば]]一杯」と同じとされる。実際の価格を調べると、浮世絵の形式や年代などによってバラつきがあるが、19世紀前後の大判錦絵の実勢価格は約20文前後で、19世紀半ばになっても総じて20文台で推移した事が、当時の史料や日記、紀行類などで裏付けられる。そば代は幕末で16文だったことから、ほぼ同等と見なせる。<br /> <br /> [[山東京伝]]の[[黄表紙]]『荏土自慢名産杖』(文化2年([[1805年]])刊)には、「二八十六文でやくしやゑ二まい 二九の十八文でさうしが二さつ 四五の廿なら大にしき一まい」というくだりがあり、しばしば諸書で引用される。なお、2枚で16文の役者絵とは、用紙もやや劣る細版の事だと考えられる。時代が遡った[[宝暦]]頃(1751-61年)の細判[[紅摺絵]]の役者絵は、1枚4文だったと記されている(随筆『塵塚談』文化11年(1814年)刊)が、これは紅摺絵が僅か2,3色摺りで、紙質も薄い分安価だったからだと考えられる。<br /> <br /> 寛政7年([[1795年]])の[[町触]]では、20文以上の錦絵は在庫限りは売ってよいが、新たに制作するものは16文から18文に制限されている(『類聚撰要』)。[[天保の改革]]では、色摺りは7,8回まで、値段は1枚16文以下に規制を受けている。この数字は採算割れすら招きかねない厳しい数字だったらしく、『[[藤岡屋日記]]』天保14年(1843年)春の記事には、紅を多用した極彩色の[[神田祭]]の錦絵は売れはしたが、16文の値段では売れば売るほど赤字になったという話が記されている。<br /> <br /> ただし、当時の浮世絵はあくまでも商品であるため、彫りや摺りの手間や、人気による[[需要と供給]]の関係によって価格は変動した。錦絵の創始者・[[鈴木春信]]の中版は、1枚銀1匁(銭約65文)で売られ、その代表作である「座舗八景」などは8枚揃いで桐箱に入れられ、金1分(銭1000文)&lt;ref&gt;春信が活躍した1765年から1770年の両替相場は、金1両=銀60匁強=銭4000文ほどで推移している。&lt;/ref&gt; もしたと伝えられている。他にも、天保の改革を風刺したと風評の立った[[歌川国芳]]の大判三枚続『源頼光公館土蜘作妖怪図』は、商品回収のうえ版木は削られる憂き目を見たが、ある[[彫師]]は[[歌川貞秀]]に模刻させ密かに100文で売った話(『藤岡屋日記』)や、同じく国芳の大判三枚続『八犬伝之内芳流閣』(天保11年)は、1枚38文、3枚セットで118文(なぜか38x3=114文ではない)で売られ、[[曲亭馬琴]]は割高だと感じつつも、色版を多く使い通常より手間がかかっているからと聞き及んで、それを買い求めている(馬琴日記)&lt;ref&gt;大久保純一 「浮世絵の制作と流通」([[長岡龍作]]編 『講座日本美術史 第4巻 造形の場』 [[東京大学出版会]]、2005年、ISBN 978-4-13-084084-2)、「浮世絵の価格」(『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年、48頁)。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 明治になると出版条例改正によって定価表示が義務付けられ、浮世絵の値段がわかる。総じて1枚2銭、2枚続・3枚続でもこれに準じ、手間がかかるものはこの基準価格に5厘から1銭程度割増価格で売られている&lt;ref&gt;[[岩切信一郎]] 「明治期木版画の盛衰」([[青木茂 (美術評論家)|青木茂]]監修 [[町田市立国際版画美術館]]編輯 『近代日本版画の諸相』 [[中央公論美術出版]]、1998年12月、pp.89-118。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 浮世絵の飾り方 ==<br /> 昔は壁に[[のり]]で貼ったり、[[洗濯ばさみ]]で吊るしたりしていた。現代では、美術館や家庭でも、浮世絵にはとても薄いものもあるので、[[額]]に[[コピー用紙]]や[[画用紙]]など白っぽい紙を背景にして、額の[[アクリル樹脂|アクリル]]や[[ガラス]]板に挟み、ずれ落ちる時には裏に紙などを重ねて調整する。明るい背景で、浮世絵は浮き立つことがある。または版画専用マットに浮世絵の問題ない部分にのりやテープで最小限止めて落ちるのを防ぐこともある。浮世絵は長持ちするものの繊細なため、丁寧な取り扱いが必要である。直射日光を避け、暖房風が直接当たったり、照明の熱に直接触れないようにしなければならない。お茶などをこぼして濡らしてはならない。<br /> <br /> 額に入れないときの保存方法としては、地面に平らに置いておくことが良く、[[桐箱]]、[[箪笥]]、木箱、[[プラスチック]]の箱や[[文具]][[ファイル]]などの中に寝かしておくことが望ましい。奉書や紙にはさむと特に良い。[[雨天]]などの持ち運びには、ファイルや[[ビニール]]などに入れて、[[セロテープ]]などで、端を固定し水気を直接触れないようにすることが必要である。<br /> <br /> == 浮世絵の「色」 ==<br /> 浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の[[染料]]・[[顔料]]であった。<br /> <br /> 黒は[[墨]]。初期の墨一色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。白([[胡粉]])は[[ハマグリ|蛤]]の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。<br /> <br /> 赤色系では<br /> * [[紅色|紅]]:[[紅花]] - 紅絵<br /> * 朱:水銀&lt;!--[[辰砂]]?酸化水銀?硫化水銀?--&gt;<br /> * 紅殼([[弁柄]]):[[酸化鉄|酸化第二鉄]]<br /> * 丹([[鉛丹]]):[[鉛|酸化鉛]]<br /> 黄色系では<br /> * [[黄色|黄]]:[[ウコン]]、海棠の木、雌黄の木<br /> * 石黄([[雄黄]]、生黄):硫化黄(硫化砒素)<br /> 青色系では<br /> * [[藍色|藍]]:[[アイ (植物)|藍]]、[[ツユクサ|露草]]<br /> などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や[[雲母]]粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。<br /> <br /> 非常に退色しやすく、印刷当時の色を残すものは稀である。[[ボストン美術館]]のスポルディングコレクション(約6500点)も、「展示の厳禁」を条件に寄贈したスポルディング兄弟の意思を汲み、原則的には非公開である([[デジタル画像]]による閲覧は可能)。<br /> [[ファイル:The Great Wave off Kanagawa.jpg|right|thumb|300px|[[神奈川沖浪裏]]([[葛飾北斎]])]]<br /> [[ファイル:Shimbashi Station Hiroshige III.jpg|right|thumb|300px|新橋駅(三代目[[歌川広重]])]]<br /> 幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。<br /> <br /> * 藍:[[ベルリン|ベロリン]]藍(ベロ藍:[[プルシャンブルー]]) - 藍摺(あいずり)、[[富嶽三十六景|冨嶽三十六景]]など<br /> * 紫:ムラコ<br /> * 桃色:ローダミン<br /> * 赤:[[アニリン]]赤(洋紅) -[[開化絵]]など<br /> {{-}}<br /> <br /> == 現代に至る影響と評価・研究、保存・公開 ==<br /> [[ファイル:Hokusai-fuji7.png|thumb|300px|[[凱風快晴]]([[葛飾北斎]])]]<br /> [[ファイル:Hiroshige Van Gogh 1.JPG|thumb|right|300px|左:広重, 右:ゴッホの模写]]<br /> [[ファイル:Hiroshige Van Gogh 2.JPG|thumb|right|300px|左:広重, 右:ゴッホの模写]]<br /> &lt;!--== 概要 ==--&gt;<br /> <br /> 明治時代以降、浮世絵は日本以上に海外で評価され、多量の作品が日本国外に渡った。この為、絵画作品としての浮世絵研究にあっては、正当かつ体系的・学問的な研究は為されておらず、個々の収集家や研究者によって、知見の異なる主張が部分的・断続的に繰り返されるのみである。また、[[鈴木春信]]、[[喜多川歌麿]]等の作品を始め、多くの有名作品の偽造品が流通してしまった経緯が江戸時代当時から存在している&lt;ref&gt;偽造品について:小林忠『江戸浮世絵を読む』ちくま新書 2002年 17-22頁。新藤茂 『浮世絵の贋作カタログ』 ヨコハマ浮世絵サロン、1998年。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 欧米諸国では、浮世絵は[[印象派]]の巨匠たちに見出されてその作品に影響を与え、ゴッホなどによって油絵による模写もされている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけである。ボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない。<br /> <br /> {{独自研究|section=1|date=2016年2月}}<br /> 色鮮やかな紙の絵画、精緻な彫りがなされた版画群は世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが高い評価につながっていると思われる。高品質の芸術品がこれほど庶民の間で広まっていたのも世界に例がなく、大衆のための美術としては世界で初めてのものといえる。また、[[中世]]・[[近世]]の[[庶民]]を中心に多様な生活を描き、記録している資料は世界に浮世絵しかないことも貴重である。明治時代の文献によると、無名の[[絵師]]を含めると、2000人近い絵師がその当時までにいたということである。当時は版画の場合、一作品に100から200枚は摺ることもあって、多くの浮世絵が市中に出回っていたが、現在では古い浮世絵で二枚同じ絵を見ることはほとんどない。<br /> <br /> 大量の流失品には、歌麿を始めとする比較的簡潔な構図が多く、複雑な構図に極彩色の浮世絵は意外に少ない。多くの収集、評価が始まったと考えられる幕末、明治ころの収集の方針や評価が現在まで影響していると思われる。日本国内には、日本国外への流出分の何倍か以上は残っており、旧家の蔵や箪笥の中から出て来るものもあり、総数が把握できないほど大量にあるとも推定されている。世界に稀に見る芸術作品群として、西洋の評価だけにとらわれない更なる研究が進むことが望まれている。<br /> <br /> 摺られた浮世絵だけでなく、版木を保管している美術館や博物館、図書館なども国内外にある。版木は使用後に破棄されることが多かったため貴重な文化遺産であるが、版木の調査・修復、さらに所蔵施設との許可を得て摺りを再現している版画家もいる&lt;ref&gt;{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGKKZO19172550U7A720C1BC8000/|title=竹中健司「甦れ世界の浮世絵版木◇各地の図書館や美術館調査海を渡って再び摺る◇」|work=|publisher=『[[日本経済新聞]]』朝刊(文化面)|date=2017年7月25日}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 日本の主要な個人コレクション ===<br /> {{Columns-list|2|<br /> * 津島コレクション:[[房総浮世絵美術館]]<br /> * 浦上コレクション:[[山口県立萩美術館・浦上記念館]]<br /> * [[小針暦二|小針コレクション]]:[[光記念館]]<br /> * 酒井コレクション:[[日本浮世絵博物館]]<br /> * [[高橋誠一郎|高橋コレクション]]:[[慶應義塾]]図書館<br /> * [[松方コレクション]]:[[東京国立博物館]]<br /> *[[青木コレクション]]:[[那珂川町馬頭広重美術館]]<br /> * [[氏家武雄|氏家コレクション]]:[[鎌倉国宝館]]<br /> * [[出光佐三|出光コレクション]]:[[出光美術館]]<br /> * [[大谷米太郎|大谷コレクション]]:[[ニューオータニ美術館]]<br /> * [[太田清蔵 (5代目)|太田コレクション]]:[[浮世絵 太田記念美術館]]<br /> * 今西コレクション:[[熊本県立美術館]]<br /> * [[平木信二|平木コレクション]]:[[平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO]]<br /> * 松井コレクション:[[礫川浮世絵美術館]]<br /> }}<br /> <br /> === 日本国外への影響 ===<br /> [[Image:Van Gogh - Portrait of Pere Tanguy 1887-8.JPG|thumb|180px|ゴッホ画 タンギー爺さん]]<br /> [[1865年]]、[[フランス]]の画家[[ブラックモン]]が、日本から輸入した陶器の包み紙に使われていた『[[北斎漫画]]』を友人らに見せて回ったことで美術家の間にその存在を知られるようになった。日本では庶民の娯楽であり、読み古されたものやミスプリントが船便の梱包材に使われるほど安値で取引されていた浮世絵は、[[ヨーロッパ]]で当時の日本人には考えられないほどの高値で取引された。その後、様々な作品が正式に日本から渡るようになり、[[印象派]]の作風に大きな影響を与えることとなった。<br /> <br /> [[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]が『[[タンギー爺さん]]』という作品の背景に浮世絵を描いたり、広重の絵を油絵で模写したり、[[エドゥアール・マネ|マネ]]の『[[笛を吹く少年]]』が浮世絵の影響を受けていることは有名である。その他、[[エドガー・ドガ]]、[[メアリー・カサット]]、[[ピエール・ボナール]]、[[エドゥアール・ヴュイヤール]]、[[ロートレック]]、[[ゴーギャン]]らにも影響を与えたと言われる&lt;ref&gt;[http://www.metmuseum.org/art/metpublications/The_Great_Wave_The_Influence_of_Japanese_Woodcuts_on_French_Prints The Great Wave: The Influence of Japanese Woodcuts on French Prints ]Colta Feller Ives, Metropolitan Museum of Art (1974) &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> さらに、[[ジャポニスム]]の影響と日本美術を取り扱っていたビングによって[[アール・ヌーヴォー]]には浮世絵のように平面的な意匠がみられる。<br /> <br /> [[クロード・ドビュッシー]]が北斎の『[[神奈川沖波裏]]』に触発されて『[[海 (ドビュッシー)|交響詩“海”]]』を作曲したとされることもあるが&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.city.kawasaki.jp/templates/pubcom/cmsfiles/contents/0000097/97240/kihonhoushin.pdf |title=浮世絵等の活用に向けた基本方針 平成30(2018)年6月 |publisher=川崎市 |accessdate=2018-7-7}}&lt;/ref&gt;、根拠のない俗説である&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&amp;id=1000132429<br /> |title=レファレンス事例詳細(国立音楽大学付属図書館) |publisher=国立国会図書館 |accessdate=2018-7-7}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 日本国外からの影響 ===<br /> [[ジャポニスム]]に影響を与える一方で、後期の浮世絵には、西洋の[[遠近法]]や陰影の技法を取り入れたものも現れ、また、ドイツに起源を持つ人工顔料[[紺青|ベロ藍]](「ベロ」は[[ベルリン]]に由来)は、鮮やかな発色を持ち、[[葛飾北斎]]らによってさかんに使われた。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> ; 入門書<br /> * [[小林忠]] 『浮世絵の歴史』 [[美術出版社]]、1998年4月 ISBN 978-4-5684-0044-1<br /> * 小林忠・[[大久保純一]] 『浮世絵の鑑賞基礎知識』 [[至文堂]]、1994年5月 ISBN 978-4-7843-0150-8<br /> * [[稲垣進一]]編 『図説 浮世絵入門』 [[河出書房新社]]、1990年9月 ISBN 978-4-3097-2476-8<br /> ; 新書<br /> * 大久保純一 『カラー版 浮世絵』 [[岩波書店]]〈[[岩波新書]]〉、2008年11月 ISBN 978-4-0043-1163-8<br /> * 小林忠 『江戸浮世絵を読む』 [[筑摩書房]]〈[[ちくま新書]]〉、2002年4月 ISBN 978-4-4800-5943-7<br /> ; その他<br /> * [[国際浮世絵学会]]編『浮世絵大事典』 [[東京堂出版]]、2008年6月 ISBN 978-4-4901-0720-3<br /> * 小林忠監修 『浮世絵師列伝』 [[平凡社]]&lt;別冊太陽&gt;、2006年1月 ISBN 978-4-5829-4493-8<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[地本問屋]]<br /> * [[千社札]]<br /> * [[歌舞伎]]<br /> * [[春峯庵事件]]<br /> * [[浮世絵師一覧]]<br /> * [[肉筆浮世絵]]<br /> * [[夢の浮世に咲いてみな#ミュージック・ビデオ(PV)]] - [[歌川国芳]]による浮世絵をアニメーションで表現している。[[ももいろクローバーZ]]の楽曲。<br /> * [[磯部磯兵衛物語]] - [[作者]]の「浮世絵に台詞を書いてみたい」という思いを具現化させた[[漫画]]。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons&amp;cat|浮世絵|Ukiyo-e}}<br /> * [http://www.univie.ac.at/karikaturen/ 錦絵の風刺画1842-1905] ウィーン大学東アジア研究所のデーターベース<br /> * [http://www.adachi-hanga.com/adachis.htm 浮世絵の制作について] アダチ版画研究所のHP<br /> * [http://ebiki.jp/about/index.html 渋沢栄一記念財団 実業史錦絵・絵引]<br /> * [http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ 大阪府立中之島図書館 錦絵にみる大阪の風景]<br /> * [[江戸東京博物館]]<br /> * [[日本浮世絵博物館]]<br /> * [http://www.kamigata.jp/ 上方浮世絵館] 役者絵を中心とする浮世絵専門美術館<br /> * [http://www.ukiyo-e.gr.jp/10/ 国際浮世絵学会]<br /> * [http://edohanga.jp/ 東京伝統木版画工芸協同組合]<br /> * [http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/ トーキョーデジタルミュージアム]<br /> * [http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 江戸東京博物館]<br /> * [http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html 東京大学史料編纂所]<br /> * [http://www.library.metro.tokyo.jp/ 東京都立図書館]<br /> * [http://www.rekihaku.ac.jp/ 国立歴史民俗博物館]<br /> * [http://www2.ntj.jac.go.jp/ 独立行政法人 日本芸術文化振興会]<br /> * [http://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/ 山口県立萩美術館・浦上記念館]<br /> * [http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/ 静岡県立中央図書館]<br /> * [http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html 神戸市立博物館]<br /> * [http://www.wul.waseda.ac.jp/ 早稲田大学図書館]<br /> * [http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-11842.htm 奈良県立美術館]<br /> * [http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/ukiyoe.html 米国議会図書館所蔵浮世絵データベース] 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国際日本文化研究センター のデータベースで、米国議会図書館のP&P(Prints and Photographs Division)が保有する日本の浮世絵コレクションである。<br /> * [http://unno.nichibun.ac.jp/geijyutsu/ukiyoe-geijyutsu/index.html 浮世絵芸術データベース]<br /> * [http://www.brooklynmuseum.org/ ブルックリン美術館] 楊洲周延「時代かがみ」の版木が収蔵されている。<br /> *[http://www.ukiyoeproject.com/ 浮世絵プロジェクト]<br /> <br /> {{浮世絵}}<br /> {{美術}}<br /> {{日本関連の項目}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:うきよえ}}<br /> [[Category:浮世絵|*]]<br /> [[Category:版画|*]]<br /> [[Category:美術のジャンル|*]]<br /> [[Category:日本美術史|*]]<br /> [[Category:日本の美術|*]]<br /> [[Category:日本の伝統工芸品|*]]<br /> [[Category:江戸時代の文化]]</div> 2402:6B00:5609:EF00:9D18:3D98:3397:D431 洪積台地 2018-07-26T10:19:52Z <p>2402:6B00:5609:EF00:9D18:3D98:3397:D431: </p> <hr /> <div>{{子記事|台地}}<br /> [[File:Mikatahara &amp; Iwatahara Relief Map, SRTM-1.jpg|thumb|静岡県西部の地形図。&lt;br /&gt;[[三方原]]洪積台地(西)と[[磐田原]]洪積台地(東)。その間が[[天竜川]]。]]<br /> &#039;&#039;&#039;洪積台地&#039;&#039;&#039;(こうせきだいち、[[英語]]:diluvial upland)とは、[[更新世]](洪積世)において形成された平坦面が、その後[[隆起]]したことで形成された[[扇状地]]や[[三角州]]、[[台地]]の総称。一般に小規模であり、牧之原台地には[[標高]]が200mに達する部分があるなど例外もあるが、標高も低い。基本的に水はけがよく、比較的平坦かつ地盤特性が良好で[[洪水]]の心配もないため、建築基礎地盤として好条件にあることが多い。[[水田]]には適さないため、[[畑作]]や果樹園、茶畑などに利用されることが多い。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 洪積 (diluvial)は&#039;&#039;&#039;「ノアの洪水の」&#039;&#039;&#039;を意味し、そのような天変地異を前提とした解釈を背後に持つ用語のため、地形学で用語「洪積台地」は使わなくなっており「最終間氷期とそれ以降に形成された段丘」のことを,単に「台地」と呼ぶようになっている。2017年現在の高校地理教科書9冊でも、6冊は「台地」とし、3冊はそれぞれ「洪積台地」、「台地(洪積台地)」「台地は洪積台地と呼ばれてきた」と記述している。&lt;ref&gt;月刊「地理」 2017.09 - {{JAN|4910061550979}} &lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.teikokushoin.co.jp/teacher/previous_files/changesocial/geo/index.html#q3 「洪積台地」が「台地」と表記されるようになったのはなぜですか?] - 帝国書院 &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 日本の主な洪積台地 ==<br /> ;[[根釧台地]]<br /> :[[北海道]]の[[根室]]から[[釧路]]にかけて広がる[[火山灰]]層に覆われた、面積5,000km2、標高100~200mの日本最大規模の台地。&#039;&#039;&#039;格子状防風林&#039;&#039;&#039;が有名。<br /> ;[[武蔵野台地]]<br /> : [[関東ローム層]]からなる水はけのよい土壌で、江戸時代に[[玉川上水]]などの灌漑が整備され耕地化がなされた。[[宅地]]化が進んでいるものの農地も多く残っており、[[埼玉県]]の一部で大規模な[[畑作]]が行われている。<br /> ;[[大宮台地]]<br /> : 関東ローム層からなる。埼玉県中央部、武蔵野台地と下総台地の間に位置し、宅地化が進んでいる。<br /> ;[[下総台地]] (常総台地・常陸台地)<br /> :埼玉県東端、[[千葉県]]北部および茨城県南部一帯に広がる。西部では武蔵野台地同様に比較的低く平坦であるが、東に行くほど標高が高くなる。首都東京の[[近郊農業]]で国内有数の農業産出額を誇る。下総台地西部には江戸時代には[[小金牧]]という放牧地が広がっていたが、[[江戸時代]]から[[明治時代]]にかけて大規模な開墾が行われた。第二次世界大戦中に内陸工業地帯としての開発が始まり、戦後は東京の[[ベッドタウン]]として大規模[[ニュータウン]]が次々と作られ、宅地化も進んでいる。<br /> ;[[牧之原台地]] (牧ノ原台地)<br /> : 静岡県中西部、遠州地方東南部にある台地。おもに[[茶]]の栽培が行われている。<br /> ;[[三方原台地]]<br /> : [[静岡県]][[浜松市]]に属し、[[三方ヶ原の戦い]]の古戦場として知られる。茶の栽培が盛んに行われている。<br /> ;[[熱田台地]]・[[御器所台地]]<br /> :名古屋市中心部ならびに東部を形成する台地。<br /> ;[[上町台地]]<br /> : [[大阪市]]中央部を南北に走る台地。最北に[[大阪城]]があり、官庁街、住宅街として発展している。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[台地]]<br /> * [[山の手]]<br /> <br /> {{地形}}<br /> {{DEFAULTSORT:こうせきたいち}}<br /> [[Category:台地]]<br /> {{Geo-stub}}</div> 2402:6B00:5609:EF00:9D18:3D98:3397:D431
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