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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=2400%3A2653%3A88A3%3A2400%3A5AB0%3A35FF%3AFEF8%3AD43B&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-05T18:53:49Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 スチュワーデス物語 2018-07-17T09:46:13Z <p>2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B: /* 千秋の同期生 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 テレビ番組<br /> |番組名=スチュワーデス物語<br /> |画像=<br /> |画像説明=<br /> |ジャンル=[[テレビドラマ]]<br /> |放送時間=火曜日20:00 - 20:54<br /> |放送分=54<br /> |放送枠=TBS火曜8時枠の連続ドラマ<br /> |放送国={{JPN}}<br /> |制作局=[[TBSテレビ|TBS]]<br /> |プロデューサー=[[野添和子]]、野村清<br /> |出演者=[[風間杜夫]]&lt;br&gt;[[堀ちえみ]]&lt;br&gt;[[片平なぎさ]]&lt;br&gt;[[高樹澪]]&lt;br&gt;[[山咲千里]]&lt;br&gt;[[秋野暢子]]&lt;br&gt;[[吉行和子]]&lt;br&gt;[[長門裕之]]&lt;br&gt;[[石立鉄男]] ほか<br /> |OPテーマ= [[麻倉未稀]]&lt;br/&gt;「[[フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング|Flashdance... What a Feeling]]」<br /> |EDテーマ= 同上<br /> |放送期間=[[1983年]][[10月18日]] - [[1984年]][[3月27日]]<br /> |放送回数=22<br /> |特記事項=<br /> }}<br /> 『&#039;&#039;&#039;スチュワーデス物語&#039;&#039;&#039;』(スチュワーデスものがたり)は、[[日本航空]](JAL)の[[客室乗務員]]&lt;ref&gt;当時は「スチュワーデス」と呼ばれていた。&lt;/ref&gt;訓練生を描いた、[[深田祐介]]の[[小説]]、およびそれを[[原作]]として[[JNN|TBS系列]]で放送された[[大映テレビ]]・[[TBSテレビ|TBS]]製作の[[テレビドラマ]]である。テレビドラマは、[[1983年]][[10月18日]]から[[1984年]][[3月27日]]まで毎週[[火曜日|火曜]]20:00 - 20:54に放送された。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[ファイル:MyPhotoJal-05.jpg|left|240px|thumb|日本航空のボーイング747型機(放送当時の鶴丸塗装)]]<br /> 日本航空の[[定期運送用操縦士|パイロット]]であった今は亡き父親の思い出を胸に、スチュワーデスへの道を進みだした高校卒の日本航空のスチュワーデス訓練生である&#039;&#039;&#039;松本千秋&#039;&#039;&#039;が、3か月に渡る厳しい訓練を受ける中で、[[風間杜夫]]演じる教官との恋愛や、教官の元[[婚約|婚約者]]や[[義親|継父]]による嫌がらせ、同じ訓練生寮「くれない寮」に住む訓練仲間との友情や対立を通じて一人前のスチュワーデスになるまでの経緯を、日本航空の全面協力の下で計22回(+スペシャル1回)の放送で描いた作品。<br /> <br /> 日本航空の全面的な協力を得たこともあり、要所要所で本物の訓練所や客室モックアップ、[[ボーイング747]]や[[マクドネル・ダグラス DC-10]]などの[[旅客機]]や現役教官が出演し、[[フランス]]や[[イタリア]]など日本国外での[[ロケーション撮影|ロケ]]も行われている。<br /> <br /> 当時[[ホリプロ]]所属の人気[[アイドル]]であった[[堀ちえみ]]が主役を演じた。全23回の放送を通じた平均[[視聴率]]が約20[[パーセント|%]]、最高視聴率は26.8%を記録するなど高い視聴率を確保したほか、&lt;!--「ドジでのろまな亀」、「教官!」などの--&gt;ドラマ内の台詞が当時の[[流行語]]になった。<br /> <br /> 原作は、元日本航空社員(放映当時は嘱託社員)の[[直木賞]][[作家]]、深田祐介が日本航空の新人スチュワーデスの奮闘を描いた小説『&#039;&#039;&#039;スチュワーデス物語&#039;&#039;&#039;』(1983年[[新潮社]]刊、1984年[[新潮文庫]]刊、1991年[[文春文庫]]刊)である。しかし、大げさな台詞と衝撃的なストーリー展開を特徴とする[[大映テレビ]]製作のテレビドラマ作品のため、原作とはかけ離れたストーリー展開となっている。&lt;!--なお、TBS系大映ドラマの一つであるが、「この物語は…」のオープニングで知られる[[芥川隆行]]のナレーションは挿入されていない。-蛇足につきコメント化--&gt;<br /> <br /> 社団法人[[全日本テレビ番組製作者連盟]](ATP)による、第1回ATP賞テレビグランプリ(1984年(昭和59年)5月31日)にて、「人気番組賞」を受賞した&lt;ref&gt;[http://www.atp.or.jp/award/award_001.html 全日本テレビ番組製作者連盟(ATP) 第1回ATP賞受賞作品一覧]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == くれない寮 ==<br /> 本作劇中で日本航空のスチュワーデス訓練生が地上訓練期間中に住む[[寮]]となる施設。青い門扉、青い手すりのある[[螺旋階段]]を上った2階から屋内に入る構造になっている。訓練生の部屋割りは個室ではなく相部屋で、ロビーなどに[[公衆電話]]が置かれている。所在地は[[東京都]][[大田区]][[西嶺町]]29-5。<br /> <br /> 撮影に使用された建物は、本作製作時に実在した日本航空西嶺寮である。また1970年にTBS系列で放送されたドラマ『[[アテンションプリーズ]]』においては実際の施設名で登場した。のちの[[1997年]]に施設は閉鎖、敷地は売却され、跡地には「パークハイム西嶺町」との名称のマンションが建てられた。<br /> <br /> == 登場人物 ==<br /> ===メインキャラクター===<br /> *村沢 浩(478期担当教官) - [[風間杜夫]]<br /> *:元々はパーサーで、訓練生たちの憧れの的。特に千秋からは立場を越えた恋心を抱かれる。とはいえ当初は訓練指導に乗り気でなく、担任する478期生達にも辛く当たっていたが、最初のルートインフォメーション試験で全員合格を修めたことをきっかけに考えを改め、以後は担当期生を全員一人前にすると誓い愛情を注ぐようになる。<br /> *松本 千秋(主人公/478期) - [[堀ちえみ]]<br /> *:生真面目で心優しいが、「&#039;&#039;&#039;ドジでノロマな[[カメ|亀]]&#039;&#039;&#039;」と自称するほど失敗を重ねる落ちこぼれ訓練生徒。19歳。一方で他の478期生のことは「利口で速い[[ウサギ|兎]]」と喩えており、彼女達の妹分的存在となっている。スチュワーデスをめざし、高校卒業から1年間スチュワーデス養成関連の専門学校に通った後、実父の勤務先でもあった日本航空に採用される。<br /> *新藤 真理子(浩の元婚約者) - [[片平なぎさ]]<br /> *:[[ピアニスト]]を目指していたが、[[スキー]]に行った際に浩と衝突し、両手の指を粉砕骨折したために義手となり、夢を諦めざるを得なくなった。以来心が荒み、浩に生涯の責任を強迫する。<br /> *柿野 竜太(客室訓練部課長) - [[石立鉄男]]<br /> *:浩の兄貴分。訓練生たちの父親がわりを自称し、478期生が巻き起こす出来事に一喜一憂している。彼が浩に478期担当教官への任命を電話連絡した場面から本作の物語が始まる。<br /> *火山 さと子(479期担当教官) - [[秋野暢子]]<br /> *:長年スチュワーデスを務め、教官に転じた女性。考え方が堅苦しくヒステリックな態度を見せ、また自身の自慢をすることもたびたびである。浩に密かに想いを寄せる。478期のことを「ズッコケ組といわれる」と評する。<br /> <br /> ===千秋の同期生===<br /> *石田 信子([[小樽市|小樽]]出身) - [[高樹澪]]<br /> *:478期生一の優等生でおとなしい性格。出身地の方言ではなく標準語を話す。478期生の長姉的存在。21歳。当初は婚約者のために髪を伸ばしていたが、訓練生の決まりにより髪を切り、ショートヘアになる。<br /> *木下 さやか- [[山咲千里]]<br /> *:千秋の寮でのルームメイト。おっちょこちょいでお調子ものだが、[[江戸っ子]]気質で正義感が強く、何かと千秋に目をかけている。一方で、千秋をからかう兼子とは仲が悪く、乗客役となる彼女とのやりとりでも、口喧嘩になることが多い。<br /> *寺本 はるえ - [[百瀬まなみ]]<br /> *鈴野 はなえ - 片山理子([[吉本新喜劇]]座員)<br /> *中島 友子(両親とも日本航空関係者) - [[白石まるみ]]<br /> *:ぶりっ子口調で話す。千秋・さやかと仲がよい。寮では信子・克美と同室。<br /> *池田 兼子([[大阪市|大阪]]出身) - [[春やすこ]]<br /> *:常に[[大阪弁]]で話す。寮では千秋・さやかと同室だが、本人曰く「千秋をいびるのが楽しみ」とのこと。さやかとも互いにライバル視しあう。訓練の成績は良い方だがルートインフォメーションだけは苦手で、カンニングを試みたこともある。<br /> *落合 克美([[博多]]出身) - [[松岡ふたみ]]<br /> *:常に[[博多弁]]で話す。兼子の腰巾着的存在。乗客役としてのやりとりでは、千秋につっかかることがしばしばある。<br /> <br /> ===千秋や同期生の家族など===<br /> *松本 誠治(千秋の継父) - [[長門裕之]]<br /> :弓子の再婚相手。千秋の実父(弓子の前夫)に対抗心・嫉妬心を抱き、彼女に対して辛く当たる。利害関係が一致する真理子と知り合ってからは共謀し千秋への嫌がらせを展開する。外車ディーラーのセールスマンだが、ギャンブルに手出しをし続けたために借金を抱え、取り立てに怯えている。千秋への態度を村沢に叱責されたことがある。<br /> *松本 弓子(千秋の実母) - [[吉行和子]]<br /> :千秋の実父と死別後、誠治を家に迎え入れる形で再婚。母親としての愛情は持ち合わせてはいるものの、誠治に気兼ねし、千秋への虐待などを容認。のちに前夫の遺産でもある一軒家を誠治が借金の担保として差し出していた事が判明し、借金の取り立て人が押し掛けた直後に自殺を図り、千秋に救出される。村沢の協力を得て、誠治とともに夜逃げをした後は登場していない。<br /> *木下 徳造(さやかの父) - [[前田吟]]<br /> :浅草で、そば屋「そば徳」を経営。<br /> *木下 富子(さやかの母) - [[朝丘雪路]]<br /> *小堀 庄介 - [[田山涼成]]<br /> :「そば徳」のアルバイト店員。さやかに思いを寄せ、雇い主の徳三からも婿入りを望まれるが、さやかからは相手にされていない。千秋の渡欧時にはさやかから空港への送迎役を頼まれる。<br /> *村沢 章一(浩の父) - [[河原崎長一郎]]<br /> :真理子の父が経営する会社に勤め、板挟みの立場となる。<br /> *村沢 冬子(浩の母) - [[南田洋子]]<br /> :浩に接近する千秋を快く思っておらず、彼女に対して学歴・身体に関する侮蔑的な言葉を投げ付け、千秋の同期生たちの怒りを買う。<br /> *江原 三郎(千秋の幼馴染み) - [[光石研]]<br /> :実家は鮮魚店を営む。千秋に恋愛感情を抱いているが、千秋からは友人としか思われてない。誠治の嗾しで気持ちをエスカレートさせ、レイプまがいの行為に及んたことがある。さらに真理子の差し金でくれない寮に押しかけて千秋に強引なプロポーズをするが、手土産に持参した[[鯛]]を同期生たちに没収されそのまま追い返される。その後、訓練に挫折しかけた千秋に自分の家業の手伝いをさせながら面倒を見たこともある。<br /> *中野 孝(信子の婚約者) - [[金田賢一]]<br /> :[[登山家]]。信子の長い髪を気に入り、訓練生の決まりで髪を切るかどうかで揉めたことがある。その後、信子の父が死去した際には登山の予定を優先して葬儀に参列しようとせず、また信子が残された母のために訓練生を辞めることを申し出ると別れ話を切り出す。この件で同期生らから非難されるとともに、登山の渡航費用を浮かそうと信子の社員割引目当てで婚約していたことが露呈され、破局する。<br /> *松永 一郎(さやかのボーイフレンド) - [[井上純一 (俳優)|井上純一]]<br /> :千秋への英語のレッスンに託けて、くれない寮の談話室でさやかと飲み騒いでいるところを、兼子からの密告で庄介に押しかけられて喧嘩になり、その騒動がきっかけでさやかと破局する。<br /> *中島 第一運航整備課長(友子の父) - [[井川比佐志]]<br /> *松本千秋の実父(故人/生前パイロット) - [[佐々木敏]](訓練センター医務室の医師の配役も担当)<br /> *石田信子の父(中学校校長/作中で死去) - [[内藤武敏]]<br /> <br /> ===その他のキャラクター===<br /> *岩倉 ハナ(ビューティーレッスン担当教官) - [[奈美悦子]]<br /> *益岡 康夫(客室訓練部英語教官) - [[益岡康夫]]<br /> *:現役の英語専門教官による直演。日本語の発音が特徴的で、日本人の男性教官では唯一、訓練生に対して呼び捨てせずに接する。<br /> *ジョン・マキャバレー(客室訓練部英語教官) - ジョン・マキャバレー<br /> *岩崎教官(救難訓練専門教官) - [[中島久之]]<br /> *大西教官(救急看護法専門教官) - [[木内みどり]]<br /> *新藤 久之(真理子の父) - [[鈴木瑞穂]]<br /> *南 洋子(機内で自殺を図る女) - [[中島唱子]]<br /> *:フランスに留学した恋人を留学先の女性にとられたことを理由に自殺を図ろうとする。年齢は千秋と同じ19歳。<br /> *本田 まさお(南洋子の恋人) - 原亮介<br /> *:留学先に追ってきた洋子と元の鞘に収まり、その後結婚。挙式の後で洋子とともに重傷を負い、ともに千秋に助けられる。<br /> *総合最終試験試験官 - [[高畑淳子]]<br /> *総合最終再試験試験官 - [[佐原健二]]<br /> *専任パーサー - [[勝部演之]]<br /> <br /> == スタッフ ==<br /> *プロデューサー:[[野添和子]]、野村清<br /> *監督:[[國原俊明]]、[[瀬川昌治]]、[[合月勇]]、[[江崎実生]]<br /> *脚本:[[安本莞二]]、加瀬高之、[[増村保造]]<br /> *音楽:[[菊池俊輔]]<br /> *美術:杉川広明、仲美喜雄<br /> *照明:内田浩三<br /> *音響効果:佐々木英世([[東洋音響効果グループ]])<br /> *MA:辻井一郎([[アオイスタジオ]])<br /> *タイトル:デン・フィルムエフェクト<br /> *現像:[[IMAGICA|東洋現像所]]<br /> *協力:[[デサント]]、[[BMWジャパン]]<br /> *製作:[[大映テレビ]]、[[TBSテレビ|TBS]]<br /> <br /> == 主題歌・挿入歌 ==<br /> ; 主題歌「&#039;&#039;&#039;ホワット・ア・フィーリング&#039;&#039;&#039;」<br /> : 歌:[[麻倉未稀]]<br /> : [[アメリカ映画]]『[[フラッシュダンス]]』の主題歌「[[フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング|Flashdance... What a Feeling]]」の日本語バージョン。原曲自体が『フラッシュダンス』のヒットと同時に世界中で大ヒットしたが、日本では本作の主題歌として使用されたこともあり、「『スチュワーデス物語』の曲」とも呼ばれることもある。<br /> ; 挿入歌「&#039;&#039;&#039;100℃でHEARTBEAT&#039;&#039;&#039;」<br /> : 歌:風間杜夫<br /> : 風間杜夫の歌手としての代表作。本作劇中では、訓練生一同がこの曲に合わせて踊るシーンがある。原曲は[[サバイバー (バンド)|サバイバー]]の「AMERICAN HEARTBEAT」。<br /> <br /> == サブタイトル ==<br /> {| class=wikitable border=&quot;1&quot;<br /> |-align<br /> !話数||放送日||サブタイトル||脚本||監督<br /> !視聴率&lt;ref&gt;「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ&lt;/ref&gt;<br /> |-align<br /> |1||1983年10月18日||先生好きですッ!||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|安本莞二||國原俊明、増村保造<br /> |17.2%<br /> |-align<br /> |2||1983年10月25日||憎らしい先生||國原俊明<br /> |17.2%<br /> |-align<br /> |3||1983年11月1日||とんでもない噂||加瀬高之||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|瀬川昌治<br /> |18.3%<br /> |-align<br /> |4||1983年11月8日||ショックなラブシーン||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|安本莞二<br /> |24.0%<br /> |-align<br /> |5||1983年11月15日||先生と二人だけの旅||合月勇<br /> |24.1%<br /> |-align<br /> |6||1983年11月22日||先生が離れて行く||増村保造||國原俊明<br /> |15.6%<br /> |-align<br /> |7||1983年11月29日||卒業までの恋||増村保造、安本莞二||合月勇<br /> |17.2%<br /> |-align<br /> |8||1983年12月6日||初めてのキッス||増村保造||江崎実生<br /> |18.0%<br /> |-align<br /> |9||1983年12月13日||ダンス!ダンス!!||安本莞二||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|國原俊明<br /> |17.6%<br /> |-align<br /> |10||1983年12月20日||娘は度胸よ!||増村保造<br /> |20.1%<br /> |-align<br /> |11||1983年12月27日||ラブレターで事件||増村保造、安本莞二||合月勇<br /> |{{Color|blue|14.8%}}<br /> |-align<br /> |総集編||1984年1月10日||(スペシャル)||安本莞二||國原俊明<br /> |16.5%<br /> |-align<br /> |12||1984年1月17日||恥知らずなウソ!||増村保造||江崎実生<br /> |22.7%<br /> |-align<br /> |13||1984年1月24日||意外なプレゼント||安本莞二||瀬川昌治<br /> |20.9%<br /> |-align<br /> |14||1984年1月31日||やっぱり失恋||増村保造||江崎実生<br /> |19.5%<br /> |-align<br /> |15||1984年2月7日||娘たちは怒ったぞ||安本莞二||瀬川昌治<br /> |17.1%<br /> |-align<br /> |16||1984年2月14日||意地悪なささやき||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|増村保造||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|國原俊明<br /> |19.7%<br /> |-align<br /> |17||1984年2月21日||こわい手紙<br /> |23.3%<br /> |-align<br /> |18||1984年2月28日||やるっきゃない恋||安本莞二||瀬川昌治<br /> |21.1%<br /> |-align<br /> |19||1984年3月6日||カメの大失敗||増村保造||國原俊明<br /> |22.6%<br /> |-align<br /> |20||1984年3月13日||ないしょ話||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|増村保造、安本莞二||瀬川昌治<br /> |21.1%<br /> |-align<br /> |21||1984年3月20日||恋のゆくえ!!||align=&quot;center;&quot; rowspan=&quot;2&quot;|國原俊明<br /> |22.7%<br /> |-align<br /> |22||1984年3月27日||さよなら!!||増村保造<br /> |{{Color|red|26.8%}}<br /> |}<br /> <br /> == 放送局 ==<br /> * 東京放送([[TBSテレビ|TBS]])をはじめとする[[JNN|TBS系列]]<br /> * [[TBSチャンネル]]([[衛星放送|CS]])<br /> <br /> == ロケ地 ==<br /> [[ファイル:McDonnell Douglas DC-10 (Japan Airlines) 16.jpg|240px|thumb|right|日本航空のDC-10-40型機(機体塗装は放送当時のもの)]]<br /> 日本航空の全面協力の元に制作されたため、[[東京国際空港|羽田空港]]内にある客室乗務員訓練センター(のちに空港内の[[整備場駅]]近辺に移転)や[[成田国際空港|新東京国際空港(現在の成田国際空港)]]のオペレイションセンター、[[成田国際空港#第1ターミナル|新東京国際空港ターミナル]]&lt;!--当時は2タミ開業前であり、「第1ターミナル」の呼称ではない--&gt;の北ウイングなどが使用された。また当時の日本航空の寄港地であったイタリアの[[ローマ]]や[[フィウミチーノ空港]]、[[アッシジ]]、[[フランス]]の[[パリ]]、[[マルセイユ]]、[[エクス=アン=プロヴァンス]]などでの、日本国外ロケも盛り込まれている。<br /> <br /> 基本的には、羽田空港の訓練センター周辺でのロケが多く、[[東急ホテルズ#閉館した東急ホテル|羽田東急ホテル]](2004年9月閉館)や[[穴守稲荷神社]]、[[京急空港線]][[天空橋駅|旧羽田空港駅(現在の天空橋駅)]]、[[京浜島]]などが登場する。なおドラマ内で重要な役割を担った「くれない寮」は実際には存在せず、当時存在した日本航空の西嶺寮を使用した。<br /> <br /> また、[[BMWジャパン]]との[[タイアップ]]により、[[BMW]]の[[BMW・3シリーズ|3シリーズ]]や[[BMW・5シリーズ|5シリーズ]]などの各車が、日本国外ロケを含め主要な場面に数回登場した。<br /> <br /> === 担当する路線 ===<br /> * ヨーロッパ線<br /> <br /> === 登場する機体 ===<br /> *[[ボーイング]][[ボーイング747|747]]<br /> *[[ダグラス DC-8]]<br /> *[[マクドネル・ダグラス DC-10]]<br /> <br /> ==エピソード==<br /> *松本千秋役は当初[[小泉今日子]]が検討されたが、小泉のスケジュールの調整が付かず断念された&lt;ref&gt;[http://www.asagei.com/4461 芸能界ピンチヒッター裏・物語(1)] - アサ芸+&lt;/ref&gt;。<br /> *片平なぎさが演じる新藤真理子が、義手を隠している両手袋を[[歯]]で引っ張って外すシーンが恒例となっていた。片平は、非情な悪役ゆえに、プライベートで街を歩いているときなども番組ファンからたびたび石を投げられたこともあり苦悩したという。2006年(平成18年)公開の[[日本映画]]『[[トリック劇場版2]]』に、片平が霊能力者の役で出演したが、本作でも披露していた「口で手袋を外す」というシーンを演じている。<br /> *本作の[[台本]]に目を通した堀ちえみは物語の設定や役付け、台詞回しに違和感を覚えていたが口を挟む間もなく、周囲はさも当たり前であるかのように次々と収録が進み、とてもではないが新人の者が異を唱えるような雰囲気ではなかったと回想している。<br /> *本作の本放送時に実際に日本航空の英語教官を務めていた益岡康夫やジョン・マキャバレー(両人ともにのちに定年退職)などが実名で登場しており、放送終了後20年以上経っても撮影中の逸話を訓練生によく話していたという。<br /> *1983年7月に、堀が成田空港に駐機中のボーイング747-246型機(JA8161)の機内でロケーション中に、当時同じTBSで放送されていた歌謡番組『[[ザ・ベストテン]]』の中継が入り、客室乗務員の制服を着用したまま機内の[[ファーストクラス]]付近で、「[[青い夏のエピローグ]]」を歌った。<br /> *関西の[[MBSテレビ|毎日放送]]では[[1985年]]7月下旬から平日帯の17時台に本作の再放送が行われていたが、再放送途中で[[日本航空123便墜落事故]]が発生したため、事故翌日([[8月13日]])に放送予定だった最終回「さよなら!!」を残して、[[打ち切り]]となった。<br /> *[[2011年]][[12月31日]]に放送された『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]] [[絶対に笑ってはいけない空港24時]]』の中のパロディドラマ『キャビンアテンダント物語』(主演は[[千秋 (タレント)|千秋]])の最後の場面で堀本人が登場した。<br /> *[[サントリーフーズ]]「[[なっちゃん]]」CA編([[2006年]])で、堀が新人客室乗務員([[堀北真希]])を叱咤激励する先輩客室乗務員役で出演し、つまづいて転倒した堀北に「私も昔はよくやった」と本作のエピソードを連想させる言葉を語りかけるシーンを演じた。<br /> *[[2013年]][[9月7日 ]]に[[BS朝日]]にて放送された『[[極上空間]]』第125回に風間杜夫と堀がゲスト出演し、本作の思い出話を披露した。また、羽田空港内のロケ地にも訪れた。<br /> <br /> == 関連商品 ==<br /> 放送当時、ドラマの中で訓練生が実際に着用していたものと同一デザインのTシャツや帽子が、日本航空の[[機内誌]]『Winds』(現・『[[SKYWARD]]』)内の[[通信販売|通販]]コーナーで「&#039;&#039;&#039;スチュワーデス物語公式グッズ&#039;&#039;&#039;」として個数限定で販売された。また、[[DVD]]ソフトが[[エイベックス・エンタテインメント]]から発売されている。<br /> <br /> == DVD ==<br /> *スチュワーデス物語 前編 ASIN: B0002IJPCY<br /> *スチュワーデス物語 後編 ASIN: B0002IJPD8<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[政府観光局]]<br /> *[[トップスチュワーデス物語]]<br /> *[[スチュワーデス刑事]]<br /> *[[スチュワーデスの恋人]]<br /> *[[フライング☆ラビッツ]]<br /> *[[デッドヘッド]]<br /> *[[アテンションプリーズ#アテンションプリーズ (2006年版ドラマ)|アテンションプリーズ]] - 本作と同様に客室乗務員を題材にしたドラマで、日本航空が協力している。<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0289/ スチュワーデス物語](TBSチャンネルの番組詳細情報)<br /> * [http://www.ss478.jp/ くれない寮]<br /> * {{Wayback|url=http://www.avexnet.or.jp/daiei/|title=avexnet「大映テレビドラマシリーズ」|date=20090515152955}}<br /> <br /> {{前後番組|<br /> 放送局=[[TBSテレビ|TBS]]系|<br /> 放送枠=[[TBS火曜8時枠の連続ドラマ|火曜20時台の連続ドラマ]](1983年10月 - 1984年3月)|<br /> 番組名=スチュワーデス物語|<br /> 前番組=[[高校聖夫婦]]|<br /> 次番組=[[不良少女とよばれて]]|}}<br /> {{TBS火曜8時枠の連続ドラマ}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:すちゆわあてすものかたり}}<br /> [[Category:日本航空の歴史]]<br /> [[Category:大映テレビ]]<br /> [[Category:TBS火曜8時枠の連続ドラマ]]<br /> [[Category:1983年のテレビドラマ]]<br /> [[Category:客室乗務員を題材とした作品]]<br /> [[Category:東京国際空港を舞台とした作品]]<br /> [[Category:成田国際空港を舞台にした作品]]<br /> [[Category:大田区を舞台とした作品]]</div> 2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B デ・ハビランド DH.106 コメット 2018-04-12T08:28:26Z <p>2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B: /* コメットの開発 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2013年1月}}<br /> {{ Infobox 航空機<br /> | 名称=デ・ハビランド DH.106 コメット<br /> | 画像=File:Comet 4.jpg<br /> | キャプション=英国海外航空のDH.106 コメットIV<br /> | 用途=[[旅客機]]、[[軍用機]]<br /> | 分類=第1世代ジェット旅客機<br /> | 設計者=<br /> | 製造者=[[デ・ハビランド・エアクラフト]]<br /> | 運用者 more=:<br /> ** [[英国海外航空]]<br /> ** [[メヒカーナ航空]]<br /> ** [[アルゼンチン航空]]<br /> ** [[エールフランス航空]]<br /> ** [[オリンピック航空]]<br /> ** [[ミドル・イースト航空]]<br /> ** ほか<br /> | 初飛行年月日=[[1949年]][[7月27日]]<br /> | 生産数=112<br /> | 生産開始年月日=<br /> | 運用開始年月日=[[1952年]]5月<br /> | 退役年月日=[[1982年]]<br /> | 運用状況=全機退役<br /> | ユニットコスト= }}<br /> &#039;&#039;&#039;デ・ハビランド コメット&#039;&#039;&#039; (&#039;&#039;&#039;de Havilland DH.106 Comet&#039;&#039;&#039;) は、[[イギリス]]の[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]]社が製造した世界初の[[ジェット機|ジェット]][[旅客機]]。「コメット」の名称は自社の[[デ・ハビランド DH.88 コメット|デ・ハビランド DH.88]]に続いて二代目である。<br /> <br /> 定期運航就航後、程なくして、与圧された胴体のくりかえし変形による[[金属疲労]]が原因の空中分解事故を起こしたが、そこで得られた教訓がその後の航空技術、とりわけ安全向上に果たした役割もまた非常に大きい。<br /> <br /> ==計画==<br /> === ブラバゾン委員会 ===<br /> イギリスでは1930年代、インペリアル航空やブリティッシュ・エアウェイズ(当時)が、大型の陸上機・[[飛行艇]]を用いて、世界各地の海外[[植民地]]への航空輸送路を開拓し、[[アメリカ合衆国]]と覇を競い合った。インペリアルとブリティッシュ・エアウェイズは1939年に合併して[[英国海外航空]](BOAC)になるが、[[第二次世界大戦]]の激化により、民間長距離航空路の開拓は一時休止を強いられる。<br /> <br /> 第二次世界大戦中、イギリス政府は[[アメリカ合衆国]]との取り決めで、欧州戦線に投入する重[[爆撃機]]の生産に集中することになり、一方のアメリカは[[輸送機]]供給を担当することになった。<br /> <br /> アメリカはこの取り決めにより、高性能旅客機の設計をベースとした軍用輸送機を大量生産した。主力双発機のダグラス[[C-47 (航空機)|C-47]]([[ダグラス DC-3|DC-3]]の軍用型)のみならず、C-54([[ダグラス DC-4]]の軍用型)や、与圧機構装備のC-69([[ロッキード コンステレーション]]の軍用型)など、当時最大級の4発の大型プロペラ輸送機をも生産・供給し、その過程で後年にまで至る大型輸送機の製造・運用ノウハウを蓄積していったのである。<br /> <br /> 対[[ドイツ]]戦での機材供給合理化には両国分担も適切であったが、イギリスからすれば、自国メーカーがその能力を爆撃機生産に傾注し続けることは、戦争終結後に見込まれる民間輸送機需要へのノウハウ構築に寄与しないのは明らかであった。<br /> <br /> 当時の[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]政権は、戦後の民間航空分野でも自国の先進性を保持し、その市場のニーズを探る目的で、[[保守党]]の政治家であると共に英国航空界の指導的立場にあった[[ジョン・ムーア=ブラバゾン|ロード・ブラバゾン・タラ]]を委員長とする[[ブラバゾン委員会]]を[[1943年]]2月に立ち上げ、具体的なプランを検討させることになった。翌[[1944年]]にはタイプ1からタイプ4までの旅客機案がまとめられ、各々が国内の航空機メーカーに提示された。<br /> <br /> ===コメットの開発===<br /> [[Image:RM2 aka De Havilland Ghost.jpg|thumb|240px|コメット Mk.I に装着された物と同系の「ゴースト」エンジン]]<br /> 後にコメットと呼ばれる機体は、当初タイプ4として提案されたカテゴリー、即ち超高速で[[大西洋]]横断飛行可能な「ジェット郵便輸送機」として計画されていた&lt;ref&gt;郵便物は軽荷重で旅客機に比べて安全面での制約も厳しくないので、開発のハードルは旅客機に比べると低い。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかし、同国初ジェット[[戦闘機]]の開発に成功していた老舗航空機メーカー・[[デ・ハビランド・エアクラフト|デ・ハビランド]]社は、より大型化した「ジェット旅客機」という全く新しいジャンルに挑むことを表明し、[[軍需省 (イギリス)|軍需省]]から2機、[[英国海外航空]](BOAC、現[[ブリティッシュエアウェイズ]])から7機の仮発注を受け、[[国家プロジェクト]]として[[1946年]]9月に開発が始動した。<br /> <br /> 計画着手時には24席クラスの無尾翼機案が有力だったが、[[1946年|同年]]、デ・ハビランド社がドイツの[[メッサーシュミット Me163|Me163「コメート」]]を摸して開発した無尾翼高速研究機[[デ・ハビランド DH.108|DH.108]]は試験飛行中に墜落、同社創業社長サー・ジェフリー・デ・ハビランド([[:en:Geoffrey_de_Havilland|Geoffrey de Havilland]])の息子で事故機の操縦者だったジェフリー・ジュニアは死亡した。このためデ・ハビランド社長にとって、世界初のジェット旅客機を自らの手で早期に完成させることは悲願になり、機体は堅実な緩後退翼案に転換すると共に、融通性重視で自社製[[ターボジェットエンジン]]「[[デ・ハビランド ゴースト|ゴースト]]」 エンジンが選定された。<br /> <br /> イギリスで開発され、[[第二次世界大戦]]終結時には既に十分な実績を積んでいた[[遠心式圧縮機|遠心圧縮式]]ターボジェットエンジンだったが、機械的限界から推力5,000[[重量ポンド|ポンド(lbf)]](≒22k[[ニュートン|N]], 2,300[[キログラム重|kg]])以上に向上する余地がほとんどなく、当時における最強水準であったデ・ハビランド「ゴースト」や[[ロールス・ロイス ニーン|ロールス・ロイス「ニーン」]]とて例外ではなかった。<br /> <br /> ジェットエンジンの改良面で、遠心式よりも構造は複雑化するが、小径で応答性に勝り、制御パラメータがより多く取れ、発展性のある[[軸流式圧縮機|軸流式]]への転換は技術的必然であった。しかし後退翼と同様に、軸流式ターボジェットエンジンの分野で先陣を切っていたドイツの技術者は、ドイツ敗戦と同時に米ソが奪い合う形で自国に招聘していたため、英仏は独自開発を余儀なくされ、スタートラインから大きく出遅れていた。コメットの設計着手時に基礎研究段階にあった、軸流式エンジンの[[ロールス・ロイス エイヴォン|ロールス・ロイス「エイヴォン」]]、並びに[[アームストロング・シドレー サファイア|アームストロング・シドレー「サファイア」]]の開発は難航し、実用化は[[1950年]]以降になると予想された。それらの完成を待っていてはコメット計画全体が遅延するため、敢えて小出力の「ゴースト」で試作が進められることになった。<br /> <br /> 機体の規模に対して、4発をもってしても推力が不足する「ゴースト」の採用は、設計全体に影響を及ぼした。コメットがいまだ製図板上にあった[[1947年]]末に、米[[ボーイング]]はドイツから受け入れた亡命技術者達に青天井の予算を与え、戦時中のプロジェクトを継続させた結果、[[翼平面形|後退翼]]を持つ超革新的な6発式大型ジェット[[戦略爆撃機]] [[B-47 (航空機)|B-47]] を進空させると共に、後に主流となる主翼[[パイロン]]吊下式のエンジン搭載法を特許で固めてしまった(ボーイングはその後1952年に進空させた超大型ジェット爆撃機・[[B-52 (航空機)|B-52]]において、8発ものエンジンを吊下式で搭載して必要なパワーを確保している)。このため、デ・ハビランド社の主任技師ロナルド・ビショップ(Ronald Bishop)は、空気抵抗の低減を兼ねて主翼付根に大径な遠心式エンジンを2基ずつ埋め込む回避策を選んだ。<br /> <br /> 推力の不足を補い、高[[与圧]](高度 35,000 ft=約 10,000 m 時に 0.75 気圧=2,700 m 相当を保つ)と、-60 度Cに達する低温に耐える必要から、機体には[[デ・ハビランド モスキート|「DH.98 モスキート」]]など同社のお家芸とも言える木製高速機で十分な経験を積んだ、[[接着剤#接着剤の種類#有機系接着剤#合成系接着剤|エポキシ接着剤]]が多用され、新開発の[[ジュラルミン|超々ジュラルミン]]薄肉[[モノコック]]構造による徹底した軽量化と、表皮の平滑化が図られた。後に総ての大型機に装備される[[ボギー台車|ボギー式]][[降着装置|主輪]]を初採用したのもコメットで、これらは[[ロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント]] (RAE) との共同開発である。<br /> <br /> == 完成 ==<br /> ===試験飛行===<br /> [[File:Dh Comet.jpg|220px|thumb|試作初号機]]<br /> コメット試作初号機の進空が行われた[[1949年]][[7月27日]]は、ジェフリー・デハビランド社長自身の57歳の誕生日であった。彼はこの日、世界初のジェット旅客機の初飛行にあたり、チーフ・テストパイロットの[[ジョン・カニンガム]]元空軍大佐と共に、自ら操縦席に座った。<br /> <br /> これは当時の最新鋭機である[[ダグラス DC-7]]よりも早く、ロッキード コンステレーションの改良版であるL-1649スーパーコンステレーションとほぼ同時であるものの、アメリカのライバル達はいずれも巡航速度500km/h台以下の[[レシプロエンジン|レシプロ]]機であり、コメットの実用化は他の追随を引き離した独走状態であった。<br /> <br /> しかし同時期の軍用機分野では、既に[[1947年]]に後退翼の大型ジェット戦略爆撃機B-47が実用化されており、そのスケールと共に「[[フラミンゴ]]のようにスマート」と評されたほど優美なフォルムで全世界に衝撃を与えていた。対してまるでレシプロ機をジェットエンジンに換装したのみのように見え、さらに後退翼もない保守的な外観のコメットには失望の声も半ばしていたという。<br /> <br /> [[プロトタイプ|試作]]2号機の処女飛行も、[[1950年]]の同じ7月27日に同じメンバーでなされた。その後テスト飛行が本格化され、離着陸時の安定性や、舗装が貧弱な滑走路への重量配分を考慮し、主脚が大型のタイヤ1個から現代の大型旅客機でもよくみられる4個のものに変更されるなど、就航を見すえて様々な改良が施された。<br /> <br /> === 就航 ===<br /> [[File:BOAC Comet 1952 Entebbe.jpg|thumb|220px|英国海外航空のコメットMk.I([[エンテベ国際空港]])]]<br /> [[1951年]][[1月9日]]にはコメット Mk.Iの最初の量産型(G-ALYP)が[[英国海外航空]]に納入された。速度・高度共に前人未到の領域を飛ぶ初のジェット旅客機には、地上支援体制を始め運航システムのほとんどすべてを新規開発する必要があり、[[イギリス空軍]]、英国海外航空と協働の上、航路開拓も含めて2年間の入念な準備期間が置かれ、その間2機の試作機(G-ALVG、G-ALZK)は世界各地に飛来し、先々で羨望を浴びた。<br /> <br /> [[1952年]][[5月2日]]に、満を持した初の商用運航が英国海外航空のコメット Mk.I によって[[ヒースロー空港|ヒースロー]] - [[ヨハネスブルグ]]([[ローマ]]、[[カイロ]]、[[ハルツーム]]、[[エンテベ]]、[[リビングストン]]経由)間で行われ、所要時間を一気に半減させてみせた。同年内には5機のコメットMk.Iが完成し、定期運航や試験飛行に使用された。<br /> <br /> コメットMk.Iは乗客数は[[ダグラス DC-6]]やロッキード・コンステレーションなどの従来のプロペラ機と同等かそれ未満で、航続距離も同様であり、太平洋はおろか大西洋横断路線の無着陸横断も不可能であった。しかし、従来の2倍の速度だけでなく定時発着率の高さも実証され、さらに天候の影響を受けにくい高高度を飛行することや、ピストンエンジンと違い振動も少ないなど快適性もレシプロ機の比ではない事が明らかになり、英国海外航空のみが就航させていた初年度だけで3万人が搭乗する人気を博した。<br /> <br /> === 運航拡大 ===<br /> [[File:DH Comet 1 BOAC Heathrow 1953.jpg|thumb|220px|英国海外航空のコメットMk.I(ヒースロー空港)]]<br /> [[File:Air France De Havilland DH.106 Comet 1A (F-BGNX) at Hatfield.jpg|thumb|220px|エールフランスのコメットMk.I]]<br /> 翌[[1953年]]には試作2号機が[[ファーンボロー国際航空ショー]]で超低空90度[[バンク]]([[ローリング]])ターンを決めて見せたほか、[[エリザベス・ボーズ=ライアン|エリザベス王太后]]らを乗せた招待飛行を行うなど、イギリス航空界はその存在を存分にアピールした。<br /> <br /> さらに8月には[[ヨーロッパ航空航路#南回りヨーロッパ線|南回り航路]]経由でヒースロー-[[東京国際空港|羽田]]間([[ローマ]]、[[カルカッタ]]、[[香港]]など経由)や、ヒースロー-[[シンガポール]]という長距離路線にも定期就航した。第二次世界大戦争中にジェット機の試作と量産開始にまで成功したものの、[[占領]]下で航空機開発の一切を禁じられ、ジェット時代の到来になす術もなくいた[[日本]]の元航空[[技術者]]たちは、コメットの銀翼と快音に悔しがったと言う。<br /> <br /> 「[[ドル箱]]路線」の1つであった[[大西洋]]横断路線にこそ就航していなかったものの、順次航路を全世界に拡大したのみならず、まもなく[[エールフランス]]や[[エア・カナダ|トランス・カナダ航空]]などでも運航開始され、懸念された[[燃費]]も低廉な[[ジェット燃料]]と高い満席率で相殺できることがわかり、就航当初の様子見気分は払拭された。また、[[イギリス王室]]メンバーの海外訪問や[[イギリス連邦]]諸国、そして[[植民地]]訪問にも頻繁に利用され、その威信を内外に誇示した&lt;ref&gt;[https://www.youtube.com/watch?v=Dy-cMeHIh48 B.O.A.C Year Of History (1952) ]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ロールス・ロイス・エイヴォン・エンジン搭載のパワーアップ型 Mk.IIは、[[日本航空]]や[[パンアメリカン航空]]、[[エア・インディア]]、[[南アフリカ航空]]、[[アルゼンチン航空]]など世界中の長距離国際線を運航する[[フラッグ・キャリア]]から50機以上のバックオーダーを抱えた。<br /> <br /> さらに[[大西洋横断飛行]]用に航続距離延長と機体の延長が施されることとなったコメットMk.IIIは、パンアメリカン航空やキャピタル航空などの[[アメリカ]]の航空会社からの発注を受けるなど、[[大量生産|量産]]体制に入ったデ・ハビランド社は前途洋々であった。<br /> <br /> == 連続事故 ==<br /> ===運航停止と再開===<br /> {{Main|コメット連続墜落事故}}<br /> <br /> 就航から1年の間に3機の Mk.I/IAが[[離陸|離]][[着陸]]時の事故で失われたが、[[旅客|乗客]]に死者は出なかった。何れも高速機特有の挙動に不慣れな[[パイロット (航空)|パイロット]]の誤[[操縦]]によるものと判断されたが、[[マニュアル]]が改訂され運用法が変更された他、既存機にも[[失速]]性能向上のための改良が施された。<br /> <br /> しかし[[1954年]]1月に、[[ローマ]]の[[チャンピーノ空港]]を離陸後、[[イタリア]]近海を飛行中の英国海外航空のMk.I/IAが墜落し、乗客乗員35人が全員死亡した([[英国海外航空781便墜落事故]])。回収された残骸の状況などより[[空中分解]]が疑われ、本件事故の発生を受けた英国海外航空はコメット全機の運航を停止し、[[東京]]、[[シンガポール]]、[[ヨハネスブルグ]]に駐機していた3機を、[[郵便]]物以外空席のまま低空飛行で[[ロンドン]]に呼び戻した。<br /> <br /> その後[[耐空証明]]を取り消されたが、問題部分と思われた個所を改修後に運航が再開された。しかし運航再開後の同年4月にも、イタリア近海を飛行中の南アフリカ航空のMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員21名が全員死亡した([[南アフリカ航空201便墜落事故]])。<br /> <br /> 2度に渡る空中分解を受けてコメットは再び耐空証明を取り消され、全機運航停止処分になった。この時も羽田空港に滞在していた英国海外航空機が、運航停止の報を受けて乗客を乗せず、低高度飛行をして急遽本国に取って返している。<br /> <br /> === 徹底調査 ===<br /> [[ファイル:Comet 1 G-ALYP - wreckage recovered png.png|thumb|220px|回収され復元されたG-ALYP機と亀裂発生個所]]<br /> [[File:DH.106 Comet C.2 XK697 216 Sq LHR 21.06.65 edited-3.jpg|thumb|220px|イギリス空軍のコメット C.2]]<br /> 時のイギリス首相の[[ウィンストン・チャーチル]]から「資金と人員を惜しまず徹底調査せよ」との指示を受けた[[ロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント]] (RAE) によって、イタリア沖に1月に墜落した機体の大規模な[[サルベージ]]と[[復元]]作業が行われ、イギリス国内のみならず、アメリカから[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]]も参加して徹底的な調査が実施された。<br /> <br /> いくつかの事故原因が取りざたされる中、最も有力な説として与圧された胴体が高高度を飛行する中で[[金属疲労]]で破壊された可能性が指摘された。そこで実際に英国海外航空で使用されていたコメットMk.I1機を試験用に廃用、巨大な[[水槽]]を建造して中に胴体を沈め、[[水圧]]を掛けて地上で人工的に与圧状態を作り出し、これを解除するサイクルを繰り返す、極めて大がかりな再現実験が計画された。<br /> <br /> 人力制御で1954年6月初旬から開始された試験では、致命的な破損が発生まで数ヶ月かかると予想されたところ、実際には3週間足らずで発生した。その後実験データを解析した結果、数万フライト分と計算されていた[[構造]][[寿命]]が、実際には一桁低かったことが判明した。[[1955年]]2月には、離着陸サイクルで加減圧と熱収縮の反復に晒されたことで発生した金属疲労が原因だとする、最終報告が纏められた。窓枠の角、或いは航法装置取付部に亀裂が発生し、これが成長して機体が破裂的な空中分解に至ったのである。<br /> <br /> この[[シークエンス]]が明らかになったことで、その後のジェット旅客機は、[[応力]]の集中する窓などの開口部の角を丸くし、また万一亀裂が生じてもその成長を食い止める[[フェイルセーフ]]構造が採り入れられた。<br /> <br /> なお、連続墜落事故発生当時、製造ライン上にあったMk.II は、世界各国の航空会社から受けていた発注を総てキャンセルされたが、胴体構造を変更、強化し、飛行回数を制限した上で、イギリス空軍の[[輸送機]]として継続運用され、安全性を実証する傍ら飛行データの収集が続けられた。<br /> <br /> == 再就航 ==<br /> ===Mk.IIIの登場===<br /> [[ファイル:DH106 Comet 3 G-ANLO FAR 1954.jpg|thumb|220px|英国海外航空のコメットMk.III]]<br /> [[File:G-APDC DH106 Comet 4 G-APFH B707-436 BOAC LHR 02SEP63 (6812607529).jpg|thumb|220px|英国海外航空のボーイング707に囲まれるコメットMk.IV]]<br /> [[File:G-AROV DH106 Comet 4C Dan-Air MAN MAY79 (6812605709).jpg|thumb|220px|ダン・エアのコメットMk.IV]]<br /> 続くMk.IIIは抜本的な改設計を受け、[[大西洋横断飛行]]が可能なストレッチ版の本格仕様に成長し、[[1954年]]末に初飛行したものの、同年[[ボーイング367-80|367-80]](後の[[ボーイング707]])を進空させたアメリカの[[ボーイング]]が、自社の新型機が実用化するまでの間、[[連邦航空局|FAA]]に政治的圧力を掛けてアメリカの耐空証明の再発行を先延ばしさせ続けさせたとも言われ、設計着手から10年を経ていたコメットはこの空白期間にリードを失い、陳腐化を余儀なくされてしまった。<br /> <br /> ===競争の激化===<br /> 改良型のMk.IVは、かねてから運航を行っていた英国海外航空に併せて、アルゼンチン航空、ダン・エア、[[オリンピック航空]]や[[メキシカーナ航空|メヒカーナ航空]]、[[マレーシア航空|マレーシア・シンガポール航空]]など多数の航空会社からの発注を受け、[[1958年]][[10月4日]]に英国海外航空の手によって漸くロンドン - [[ニューヨーク]]間の定期便に再就航した。<br /> <br /> しかしMk.IVは、わずか1か月弱後に就航した、より高速でより大型のボーイング707や[[ダグラス DC-8]]ら第2世代機との競合に敗退し、その後英国海外航空までがボーイング707を発注した上に、皮肉なことに、血縁関係ともいえる[[シュド・カラベル]]が好調なセールスとなったこと。さらに、[[1960年代]]に入り事実上の後継機となるイギリス製の[[ビッカース VC-10|ヴィッカースVC-10]]や、中短距離向けの[[ホーカー・シドレー トライデント]]が就航したことなどによりオーダーが途絶え、[[1964年]]末にシリーズ合計112機をもって生産を終了した。<br /> <br /> ===退役===<br /> 生産は終了したものの、Mk.IIとMk.IVシリーズの事故率は同時代に就航していた競合機より明らかに低く、連続事故後に施された安全対策が完全に奏功したことを実証してみせ、その後も[[英国欧州航空]]や[[TAP ポルトガル航空]]、[[ミドル・イースト航空]]、[[エジプト航空]]など世界各国の航空会社で運用された。<br /> <br /> しかし、国際線旅客機の急速な大型化や高速化、さらに中近距離路線のジェット化により、英国海外航空を含む主要な運航航空会社もボーイング707やダグラスDC-8などへの代替を進め、英国航空会社は1960年代後半に運航を終了した。さらにほかの航空会社も、より運航効率の良い[[ボーイング727]]やホーカー・シドレー トライデント、[[ボーイング737]]や[[マクドネル・ダグラス DC-9]]などの中型機が相次いで登場したこともあり、[[1982年]]までに全ての航空会社から全機退役している。なお最後まで使用した航空会社はイギリスのダン・エアであった。<br /> <br /> == 仕様 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |- bgcolor=&quot;#B8CAF4&quot;<br /> !<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;3&quot;|&#039;&#039;&#039;コメット Mk. I&#039;&#039;&#039;<br /> |align=&quot;center&quot;|&#039;&#039;&#039;コメット Mk. II&#039;&#039;&#039;<br /> |align=&quot;center&quot;|&#039;&#039;&#039;コメット Mk. III&#039;&#039;&#039;<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;3&quot;|&#039;&#039;&#039;コメット Mk. IV&#039;&#039;&#039;<br /> |- bgcolor=&quot;#FFDEAD&quot;<br /> !タイプ名<br /> !コメット 1<br /> !コメット 1A<br /> !コメット 1XB<br /> !コメット 2<br /> !コメット 3<br /> !コメット 4<br /> !コメット 4B<br /> !コメット 4C<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|全長<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;3&quot;|28.61 m<br /> |align=&quot;center&quot;|29.53 m<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|33.98 m<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|35.97 m<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|全幅<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;6&quot;|34.98 m<br /> |align=&quot;center&quot;|32.83 m<br /> |align=&quot;center&quot;|34.98 m<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|胴体幅<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;8&quot;|2.97 m<br /> |-<br /> |alalign=&quot;center&quot;|翼面積<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;4&quot;|188.30 m²<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|197.04 m²<br /> |align=&quot;center&quot;|191.30 m²<br /> |align=&quot;center&quot;|197.04 m²<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|高さ<br /> |align=&quot;center&quot;|8.70 m<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;7&quot;|8.99 m<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|自重<br /> |align=&quot;center&quot;|5,670 kg<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|5,350 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|6,125 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|9,160 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|9,200 kg<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|10,930 kg<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|最大離陸重量<br /> |align=&quot;center&quot;|47,620 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|52,160 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|53,070 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|54,430 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|65,760 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|73,480 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|71,610 kg<br /> |align=&quot;center&quot;|73,480 kg<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|乗客<br /> |align=&quot;center&quot;|36<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;3&quot;|44<br /> |align=&quot;center&quot;|58<br /> |align=&quot;center&quot;|56<br /> |align=&quot;center&quot;|71<br /> |align=&quot;center&quot;|79<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|乗員<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;8&quot;|4<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|巡航速度<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;3&quot;|725 km/h<br /> |align=&quot;center&quot;|770 km/h<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|805 km/h<br /> |align=&quot;center&quot;|850 km/h<br /> |align=&quot;center&quot;|805 km/h<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|最大限界上昇高度<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;4&quot;|12,800 m<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|12,200 m<br /> |align=&quot;center&quot;|11,500 m<br /> |align=&quot;center&quot;|11,900 m<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|航続距離<br /> |align=&quot;center&quot;|2,415 km<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=&quot;2&quot;|2,850 km<br /> |align=&quot;center&quot;|4,065 km<br /> |align=&quot;center&quot;|4,345 km<br /> |align=&quot;center&quot;|5,190 km<br /> |align=&quot;center&quot;|4,025 km<br /> |align=&quot;center&quot;|6,900 km<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|エンジン、推力<br /> |align=&quot;center&quot;|[[デ・ハビランド ゴースト]] 50 Mk1 22.2&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot;|デ・ハビランド ゴースト 50 Mk2 22.8&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot;|デ・ハビランド ゴースト 50 Mk4 23&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot;|[[ロールス・ロイス・ホールディングス|ロールス・ロイス]] [[ロールス・ロイス エイヴォン|エイヴォン]] 503 32.5&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot;|ロールス・ロイス エイヴォン 523 44.5&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot;|ロールス・ロイス エイヴォン 524 46.7&amp;nbsp;kN Schub<br /> |align=&quot;center&quot; colspan=2|ロールス・ロイス エイヴォン 525B 46.7&amp;nbsp;kN Schub<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|初飛行日<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1949年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1952年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1957年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1953年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1954年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1958年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1959年]]<br /> |align=&quot;center&quot;|[[1959年]]<br /> |-<br /> |align=&quot;center&quot;|製造数<br /> |align=&quot;center&quot;|11<br /> |align=&quot;center&quot;|10<br /> |align=&quot;center&quot;|4<br /> |align=&quot;center&quot;|22<br /> |align=&quot;center&quot;|1<br /> |align=&quot;center&quot;|28<br /> |align=&quot;center&quot;|18<br /> |align=&quot;center&quot;|28<br /> |}<br /> <br /> === ニムロッド ===<br /> {{Main|BAE ニムロッド}}<br /> コメットを原型として、燃費改善のため[[ロールス・ロイス スペイ]][[ターボファン]]エンジンに換装した[[対潜哨戒機]][[BAE ニムロッド|ニムロッド]]が[[1967年]]から64機製作され、2011年の退役まで[[イギリス空軍]]で現用された。<br /> <br /> [[ロッキード L-188|ロッキード L-188 エレクトラ]]同様、劣速と低燃費が哨戒機としての適性を満たし、かつ適当なサイズ、出自が旅客機のため搭載電子機器にとっても良好な居住性、長時間滞空性能、ジェット燃料使用による資材共通化などが評価された。<br /> <br /> 主翼付根にエンジンを集中配置しているため、1発停止時の[[トリム]]変化も最少で済み、哨戒時には燃料節約のため単発飛行も可能である。<br /> <br /> === シュド カラベル ===<br /> [[ファイル:SR Caravelle.jpg|thumb|220px|シュド・アビアシオン カラベル]]<br /> {{Main|シュド・カラベル}}<br /> [[エールフランス]]がコメット Mk.I を発注した際、短中距離向け双発ジェット旅客機の開発中だったシュド・エスト (SNACASE) 社との間で、開発期間の短縮を目的に、胴体設計、操縦系を含む運航システムの殆どを技術供与する旨の契約が交わされ、コメットの機首をそのまま流用した同機は[[1955年]]に初飛行した。<br /> <br /> カラベルは[[リアエンジン]]方式で初めて成功したジェット旅客機となり、最終的にコメットを上回る279機が生産され、[[2000年代]]まで運航された。<br /> &lt;!--<br /> この英仏国際共同開発は、後の超音速機構想でも再び行われ、[[コンコルド]]に結実する。従ってコンコルドの操縦席周りの印象がコメット、カラベルと似ているのは、同じ血が流れているからであって偶然の一致ではない。<br /> 流用は共同開発とは言えず、情緒的な憶測でしかない。<br /> --&gt;<br /> <br /> == 主なカスタマー(軍用機を含む) ==<br /> === 民間 ===<br /> [[File:Mexicana de Havilland Comet 4 APM.jpg|thumb|220px|メヒカーナ航空のコメット4]]<br /> [[ファイル:MSA Comet Groves.jpg|thumb|220px|マレーシア・シンガポール航空のコメットMk.IV]]<br /> * 英国海外航空 (BOAC)<br /> * [[英国欧州航空]] (BEA)<br /> * BEA エアツアーズ<br /> * ダン・エアー<br /> * チャネル・エアー<br /> * [[エールフランス航空]]<br /> * [[オリンピック航空]]<br /> * [[ミドルイースト航空]] (MEA)<br /> * ユナイテッド・アラブ航空<br /> * [[エジプト航空]]<br /> * イースト・アフリカン航空<br /> * [[スーダン航空]]<br /> * [[メヒカーナ航空]]<br /> * [[アルゼンチン航空]]<br /> * AREAエクアドル航空<br /> <br /> === 軍 ===<br /> * [[イギリス空軍]]<br /> * カナダ空軍<br /> <br /> == 関連作品 ==<br /> * ドキュメンタリー『[[衝撃の瞬間]]4』シリーズ(『衝撃の瞬間』シリーズ シーズン4) 第8回『コメット墜落の謎』([[ナショナル・ジオグラフィック]])<br /> * ドキュメンタリー『[[イギリス 発明の歴史]]』シリーズ 『1950年代 新しい時代へ』(ナショナル・ジオグラフィック)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 文献 ==<br /> * {{cite book|和書| author=坂出健 |title=イギリス航空機産業と「帝国の終焉」&lt;small&gt;軍事産業基盤と英米生産提携&lt;/small&gt; | publisher=[[有斐閣]]| date=2010年|pages=|url=|isbn=4641163618}}<br /> * {{cite journal|和書| author=坂出健 |title=アメリカ航空機産業のジェット化における機体・エンジン部門間関係 | publisher=|journal=富大経済論集 |volume=43|issue=3|| date=1998年3月|pages=|url=|isbn=}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[コーンズ]]<br /> * [[マッハの恐怖]]<br /> * [[ハンドレページ マラソン]] - ブラバゾン委員会での4種類の旅客機のうちの1つ<br /> * [[ビッカース バイカウント]] - ブラバゾン委員会での4種類の旅客機のうちの1つ<br /> * [[ブリストル・ブリタニア]] - ブラバゾン委員会での4種類の旅客機のうちの1つ<br /> * [[Tu-104 (航空機)|Tu-104]] - コメットが運行停止中に唯一運用されていた、ソ連の[[ツポレフ|ツポレフ設計局]]製のジェット旅客機<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.dehavillandmuseum.co.uk/ de Havilland Aircraft Heritage Centre]<br /> * [http://www.geocities.com/CapeCanaveral/Lab/8803/comet.htm Marc Schaeffer&#039;s De Haviiand Comet website]<br /> * [http://www.dlyoung.freeserve.co.uk/DH106/COMET.htm de Havilland Comet DH106 by David Young]<br /> * [http://user.itl.net/~colonial/comet/intro.html Comet 4C XS 235 &quot;Canopus&quot; restoring project]<br /> * [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/048/0016/04803050016009c.html 第48回国会 運輸委員会議事録 第9号(昭和40年3月5日)]<br /> * [https://web.archive.org/web/20070917122635/http://www.dehavillandaviation.com/ De Havilland Aviation]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:てはひらんとDH106こめつと}}<br /> [[Category:イギリスの旅客機]]<br /> [[Category:デ・ハビランドの航空機|こめつと2]]</div> 2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B 中尉 2018-02-24T12:02:07Z <p>2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B: /* 自衛隊 */</p> <hr /> <div>{{軍隊の階級}}<br /> &#039;&#039;&#039;中尉&#039;&#039;&#039;(ちゅうい)は、[[軍隊の階級]]の一。[[将校]]([[士官]])に相当。[[尉官]]に区分され、[[大尉]]の下、[[少尉]]の上に位置する。<br /> <br /> *[[陸軍]]では主に[[中隊]]付若しくは[[中隊|中隊長]]、又は[[小隊|小隊長]]等を務める。<br /> *[[海軍]]では主に[[軍艦]]([[護衛艦]])の航海士等を務める。<br /> *[[空軍]]では主に[[航空機]]の[[パイロット (航空)|操縦士]]等を務める。<br /> <br /> ==日本==<br /> ===旧日本軍===<br /> &#039;&#039;&#039;明治3年9月18日太政官布達第604号&#039;&#039;&#039;で兵部省に設けられた陸海軍大将から陸海軍權曹長までの11等級の8番目として陸軍中尉と海軍中尉が設けられたのが最初である。これらは[[四等官]]に倣って官位と分掌事務がセットとなった職員の等級であったが、&#039;&#039;&#039;明治6年5月8日太政官布達第154号&#039;&#039;&#039;による官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ、[[軍隊における階級呼称一覧|西欧近代軍の階級呼称の序列]]に当てはめられることとなった。<br /> <br /> [[大日本帝国]]陸海軍の中尉並びに同相当官は[[高等官]]七等相当であり、[[勲等|勲六等乃至五等]]に叙せられ、武功著しい場合は功五級乃至三級の功級に叙せられ[[金鵄勲章]]を授与された&lt;ref&gt;岩倉規夫、藤樫準二 『日本の勲章-日本の表彰制度-』 第一法規出版、1965年1月。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===自衛隊===<br /> 各[[自衛隊]]では2尉(略称)と呼称する。警察では[[警部補]]に相当し、[[中央官庁]]では本省[[係長]]、[[主任]]及び[[係員]]に相当する&lt;ref&gt;[http://www.mod.go.jp/pco/hiroshima/images/shimanami2602.pdf 自衛隊広島地方協力本部「自衛隊しまなみ通信」]{{リンク切れ|date=2017年12月}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *[[陸上自衛隊]]:2等陸尉<br /> *[[海上自衛隊]]:2等海尉<br /> *[[航空自衛隊]]:2等空尉<br /> <br /> 尚、以下の条件に当てはまる者は、おおよそ1年以内の規定の教育期間を経た後、すぐさま2等陸・海・空尉に任命される。<br /> <br /> *一般大学の大学院修士課程修了者(見込み含)で自衛隊幹部候補生試験に合格した者。ただし、修了見込みの身分で試験に合格した者は、その年度に修了できなかった場合、採用取消となる。<br /> *防衛医科大学校を卒業後、医師国家試験に合格した者<br /> <br /> いずれも競争率は数十倍に上り、難関である。<br /> <br /> 尚、民間企業などの自衛隊以外の職域で即戦力となる技能を持つものを2尉以上の階級で採用する『公募幹部』と呼ばれる<br /> 制度も存在する。主に医師、歯科医、薬剤師、弁護士、エンジニアなどがこれに当たる。<br /> これらは経験と年齢によっては1尉や3佐の階級を以って採用されるケースもある([[特技兵]]を参照)。<br /> <br /> ==外国での呼称==<br /> [[イギリス]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;Lieutenant&#039;&#039;(レフテナント)<br /> * 海軍 &#039;&#039;Sub-Lieutenant&#039;&#039;(イギリス海軍では中尉と少尉の区別がなく、少尉の上はすぐ大尉。)<br /> * 空軍 &#039;&#039;Flying Officer&#039;&#039;<br /> [[アメリカ合衆国]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;1st Lieutenant&#039;&#039;(ファースト・ルーテネント)<br /> * 海軍 &#039;&#039;Lieutenant Junior Grade&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;First Lieutenant&#039;&#039;<br /> * 海兵隊 &#039;&#039;1st Lieutenant&#039;&#039;<br /> [[ドイツ]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;Oberleutnant&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;Oberleutnant zur See&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;Oberleutnant&#039;&#039;<br /> [[フランス]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;lieutenant&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;enseigne de vaisseau de 1{{sup|ère}}&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;lieutenant&#039;&#039;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[海尉]] - 近代以前の海軍の階級制度の「Lieutenant」に対する意訳語。詳細は当該項目を参照。<br /> * [[デビッド・ロビンソン]] - アメリカのバスケットボール選手。退役時には海軍中尉だったが、珍しい経歴から[[提督]](The Admiral)のニックネームで呼ばれた。<br /> <br /> {{gunji-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:ちゆうい}}<br /> [[Category:軍隊の階級]]</div> 2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B 少佐 2018-02-23T11:44:50Z <p>2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B: /* 自衛隊 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2014年2月}}<br /> &#039;&#039;&#039;少佐&#039;&#039;&#039;(しょうさ)は[[軍隊の階級]]の一。[[佐官]]に区分され、[[中佐]]の下、[[大尉]]の上に位置する。[[北大西洋条約機構]]の階級符号では、OF-3に相当する。<br /> <br /> アメリカ軍を始めとして主要国の軍隊では、大尉から少佐に昇進する時に特別な専門教育を受ける。これは少佐以上の階級の軍人は、一つの作戦単位の指揮官となることを求められるからである。そのため能力の不十分な大尉は、少佐に昇進することができないまま除隊することが多い。士官にとっては、一つの出世の壁と言っても良い。<br /> <br /> 企業に例えれば「副部長クラス」に相当し、将来的な幹部候補として出世コースに歩むことになる。経営陣(上官)の下につき、現場での直接指揮をする役割を担う。つまり、個人での能力以外に、「現場での集団への指揮能力」を認められた者に与えられる役職であると言える。<br /> * [[陸軍]]では主に[[大隊長]]若しくは[[中隊長]]又は連隊付等を務める。<br /> * [[海軍]]では主に[[軍艦]]の副長や[[分隊長]]、[[艇長]]および[[潜水艦]]艦長等を務める。<br /> * [[空軍]]では主に熟練した[[航空機]][[パイロット (航空)|操縦士]]や[[軍]]の幕僚等を務める。<br /> <br /> {{軍隊の階級}}<br /> <br /> == 日本 ==<br /> === 旧日本軍 ===<br /> 明治3年9月19日政官布達第604号で兵部省に設けられた陸海軍大将から陸海軍權曹長までの11等級の6番目として陸軍少佐と海軍少佐が設けられたのが最初である。これらは[[四等官]]に倣って官位と分掌事務がセットとなった職員の等級であったが、明治6年5月7日太政官布達第154号による官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ、[[軍隊における階級呼称一覧|西欧近代軍の階級呼称の序列]]に当てはめられることとなった。日本陸海軍では当初は少佐以上を上長官、大尉以下を士官とそれぞれ呼称した。<br /> <br /> === 自衛隊 ===<br /> 各[[自衛隊]]では、3等陸佐・3等海佐・3等空佐(略称は3佐)に当たる。警察では[[警部]]に相当し、[[中央官庁]]では本省[[係長]]に相当する&lt;ref&gt;[http://www.mod.go.jp/pco/hiroshima/images/shimanami2602.pdf 自衛隊広島地方協力本部「自衛隊しまなみ通信」]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 3等陸佐及び3等空佐以上の[[制帽|正帽]]の目庇表面には飾りが付される。一方、3等海佐には付されない。3等海佐に付されない理由は、海上自衛隊において正帽のひさしの飾りは[[船長#艦長|艦長]]相当職以上の証であって、3等海佐は原則として艦長には任じられない&lt;ref&gt;[[ミサイル艇]]や[[掃海艇]]の「艇長」には3等海佐か1等海尉が就く。&lt;/ref&gt;事による。&lt;ref&gt;自衛艦の艦内の編制等に関する訓令」昭和47年5月10日海上自衛隊訓令第17号より&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == アメリカ合衆国 ==<br /> [[アメリカ合衆国]]<br /> * [[アメリカ陸軍|陸軍]]:[[:en:Major (United States)|Major]]<br /> * [[アメリカ海軍|海軍]]:[[:en:Lieutenant Commander|Lieutenant Commander]]<br /> * [[アメリカ空軍|空軍]]:Major<br /> * [[アメリカ海兵隊|海兵隊]]:Major<br /> <br /> == イギリス ==<br /> [[イギリス]]<br /> * [[イギリス陸軍|陸軍]]:[[:en:Major (UK)|Major]]<br /> * [[イギリス海軍|海軍]]:[[:en:Lieutenant Commander|Lieutenant Commander]]<br /> * [[イギリス空軍|空軍]]:[[:en:Squadron Leader|Squadron Leader]]<br /> * [[イギリス海兵隊|海兵隊]]:Major<br /> <br /> == ドイツ ==<br /> [[ドイツ]]<br /> * [[ドイツ陸軍|陸軍]]:[[:de:Major|Major]]<br /> * [[ドイツ海軍|海軍]]:[[:de:Korvettenkapitän|Korvettenkapitän]]<br /> * [[ドイツ空軍|空軍]]:[[:de:Major|Major]]<br /> <br /> == フランス ==<br /> [[フランス]]<br /> * 陸軍:&#039;&#039;commandant&#039;&#039;または&#039;&#039;(commandant) chef de bataillon&#039;&#039;(砲兵隊などでは&#039;&#039;(commandant) chef d&#039;escadron&#039;&#039;)<br /> * 海軍:&#039;&#039;capitaine de corvette&#039;&#039;<br /> * 空軍:&#039;&#039;commandant&#039;&#039;<br /> <br /> == 中華人民共和国 ==<br /> [[中華人民共和国]]<br /> * [[:zh:少校|少校]]<br /> <br /> == 大韓民国 ==<br /> [[大韓民国]]<br /> * [[:ko:소령|少領(소령)]]<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{reflist}}<br /> <br /> [[Category:軍隊の階級|しようさ]]</div> 2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B 大尉 2018-02-22T10:19:06Z <p>2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B: /* 自衛隊 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;大尉&#039;&#039;&#039;(たいじょう)は、古代日本の[[律令]]制の職名の一。左右[[衛門府]]および左右[[兵衛府]]に置かれた。長官・次官・判官・主典の[[四等官]]中の判官に相当する。<br /> ----<br /> {{軍隊の階級}}<br /> &#039;&#039;&#039;大尉&#039;&#039;&#039;(たいい、だいい)は[[軍隊の階級]]の一。<br /> [[尉官]]の最上級であり、[[中尉]]の上、[[少佐]]の下に位置する。<br /> *[[陸軍]]では主に[[中隊|中隊長]]等を務める。<br /> *[[海軍]]では主に[[分隊長]]に充てられ、[[軍艦]]等の当直士官を務める。<br /> *[[空軍]]では主に[[航空機]]の[[パイロット (航空)|操縦士]]等を務める。<br /> 多くの国の[[海軍]]では、海軍大尉は2条の線で階級が表される。<br /> <br /> == 日本 ==<br /> === 日本軍 ===<br /> 明治3年9月18日太政官布達第604号で兵部省に設けられた陸海軍大将から陸海軍權曹長までの11等級の7番目として陸軍大尉と海軍大尉が設けられたのが最初である。これらは[[四等官]]に倣って官位と分掌事務がセットとなった職員の等級であったが、明治6年5月8日太政官布達第154号による官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ、[[軍隊における階級呼称一覧|西欧近代軍の階級呼称の序列]]に当てはめられることとなった。<br /> <br /> === 自衛隊 ===<br /> 各[[自衛隊]]では、1尉(略称)に相当する。[[日本の警察|警察]]では[[警部]]または[[警部補]]に相当し、[[中央官庁]]では本省[[係長]]及び[[主任]]に相当する&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20151208171443/http://www.mod.go.jp/pco/hiroshima/images/shimanami2602.pdf 自衛隊広島地方協力本部「自衛隊しまなみ通信」]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> *[[陸上自衛隊]]:1等陸尉([[警察予備隊]]時代は一等警察士、[[保安隊]]時代は一等保安士)<br /> *[[海上自衛隊]]:1等海尉([[海上警備隊]]時代は一等海上警備士、[[警備隊 (保安庁)|警備隊]]時代は一等警備士)<br /> *[[航空自衛隊]]:1等空尉<br /> <br /> 職務は中隊長等の[[指揮官|指揮官職]]の他に副中隊長・運用訓練幹部・上級部隊の班長職や[[幕僚]]活動を行う。また、偵察隊では小隊長職に就く場合もあるほか、中隊等の派遣部隊では派遣隊長職としての活動も行われる<br /> <br /> == 欧米 ==<br /> Captainは、もともとは[[ラテン語]]の「頭」を示す「caput」に由来し、このため部隊規模にかかわらず&#039;&#039;&#039;隊長&#039;&#039;&#039;を意味している。歴史的には中隊の保有者が転じて中隊の指揮官を意味し、傭兵が主体であった時代には募兵も担当(通常は中隊単位で実行されるため)していた&lt;ref&gt;阪口、左読みP48&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 英語で「{{lang|en|Captain}} キャプテン」(隊長)というのは、そもそもこの階級が[[傭兵|傭兵隊]](後世の[[中隊]]相当)などの長の役職が制度化・階級化されたことに由来する。<br /> <br /> [[イギリス]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;{{lang|en-GB|Captain}}&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;{{lang|en-GB|Lieutenant}}&#039;&#039;(通常[&#039;&#039;lefténant&#039;&#039;]のように発音する。)<br /> * 海兵隊 &#039;&#039;{{lang|en-GB|Captain}}&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;{{lang|en-GB|Flight Lieutenant}}&#039;&#039;<br /> [[アメリカ合衆国]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;{{lang|en-US|Captain}}&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;{{lang|en-US|Lieutenant}}&#039;&#039;<br /> * 海兵隊 &#039;&#039;{{lang|en-US|Captain}}&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;{{lang|en-US|Captain}}&#039;&#039;<br /> [[ドイツ]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Hauptmann}}&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Kapitänleutnant}}&#039;&#039;(カピテーンロイトナント)、海軍言葉ではしばしば &#039;&#039;{{lang|de-DE|Kaleu}}&#039;&#039;(カーロイ)と略される。<br /> * 空軍 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Hauptmann}}&#039;&#039;<br /> * 軍医科 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Stabsarzt}}&#039;&#039;<br /> * 薬剤科 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Stabsapotheker}}&#039;&#039;<br /> * 獣医科 &#039;&#039;{{lang|de-DE|Stabsveterinär}}&#039;&#039;<br /> [[フランス]]<br /> * 陸軍 &#039;&#039;{{lang|fr-FR|Capitaine}}&#039;&#039;<br /> * 海軍 &#039;&#039;{{lang|fr-FR|Lieutenant de vaisseau}}&#039;&#039;<br /> * 空軍 &#039;&#039;{{lang|fr-FR|Capitaine}}&#039;&#039;<br /> * [[フランス国家憲兵隊|憲兵隊]] &#039;&#039;{{lang|fr-FR|Capitaine}}&#039;&#039;<br /> <br /> == 古代中国 ==<br /> 大尉とは異なるが、古代[[中国]]において軍事を担当する高官の官職名に&#039;&#039;&#039;[[太尉]]&#039;&#039;&#039;があった。もちろん現在の軍隊の階級の大尉は、古代日本の[[律令]]制を由来とした命名であり、古代中国の官職とは関係がない(官職として無くなっており、そのような高位の官が格下げになったといった歴史は存在しない)。なお、現代中国においても1955年から1965年までは&#039;&#039;大尉&#039;&#039;の階級名が使われていた。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 阪口修平:編「近代ヨーロッパの探求12 軍隊」ミネルヴァ書房、2009年。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[海尉]] - 近代以前の海軍の階級制度の「Lieutenant」に対する意訳語。詳細は当該項目を参照。<br /> * [[ベトナム戦争]] - 大尉などの尉官級の将校は、率先して前線に立つ前線[[指揮官]]や[[ベトナム共和国軍|南ベトナム政府軍]]の軍事顧問などの危険な任務につく場合が多く、非常に死傷率が高かったことから、「&#039;&#039;&#039;大尉の墓場&#039;&#039;&#039;」と呼ばれた。<br /> <br /> {{gunji-stub}}<br /> [[Category:軍隊の階級|たいい]]</div> 2400:2653:88A3:2400:5AB0:35FF:FEF8:D43B
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