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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=220.221.202.203&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-19T00:42:13Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 日本国憲法第9条 2018-07-20T01:47:43Z <p>220.221.202.203: </p> <hr /> <div>{{pathnav|日本国憲法|frame=1}}<br /> {{law}}<br /> &#039;&#039;&#039;日本国憲法 第9条&#039;&#039;&#039;(にほんこく/にっぽんこくけんぽう だい9じょう)は、[[日本国憲法]]の条文の一つで、[[日本国憲法前文|憲法前文]]とともに「三大原則の1つ」である[[平和主義]]を規定しており、この条文だけで憲法の[[日本国憲法第2章|第2章]](章名「戦争の放棄」)を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「[[戦争]]の放棄」、憲法第9条第2項前段の内容である「[[戦力]]の不保持」、憲法第9条第2項後段の内容である「[[交戦権]]の否認」の3つの規範的要素から構成されている&lt;ref&gt;法学協会『註解日本国憲法(上)』有斐閣、1953年、210頁参照&lt;/ref&gt;。日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは、憲法前文の記述およびこの第9条の存在に由来している。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[1928年]](昭和3年)に締結された[[不戦条約|戦争放棄二関スル条約]]、いわゆるパリ[[不戦条約]]の第1条と、日本国憲法第9条第1項は文言が類似しているが、これをどの様に捉えるかは、本条の解釈において問題となる。この条文の[[日本国政府]]見解に拠れば、[[自衛隊]]は憲法第9条第2項にいう「戦力」には当たらない組織とされている&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;1972年(昭和47年)の参議院予算委員会において吉國一郎内閣法制局長官(当時)は「戦力とは、広く考えますと、文字どおり、戦う力ということでございます。そのようなことばの意味だけから申せば、一切の実力組織が戦力に当たるといってよいでございましょうが、憲法第九条第二項が保持を禁じている戦力は、右のようなことばの意味どおりの戦力のうちでも、自衛のための必要最小限度を越えるものでございます。それ以下の実力の保持は、同条項によって禁じられてはいないということでございまして、この見解は、年来政府のとっているところでございます。(中略)憲法第九条第一項で自衛権は否定されておりません。その否定されていない自衛権の行使の裏づけといたしまして、自衛のため必要最小限度の実力を備えることは許されるものと解されまするので、その最小限度を越えるものが憲法第九条第二項の戦力であると解することが論理的ではないだろうか。このような考え方で定義をしてまいったわけでございます」と述べている([[1972年]](昭和47年)11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁)[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/070/1380/07011131380005c.html]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 条文 ==<br /> [http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION#30 日本国憲法]、[[e-Gov法令検索]]。<br /> &lt;blockquote {{日本国憲法/blockquote@style}}&gt;<br /> ;第九条<br /> :日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、[[国権]]の発動たる[[戦争]]と、武力による[[威嚇]]又は武力の行使は、[[国際紛争]]を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。<br /> :前項の目的を達するため、陸海空軍その他の[[戦力]]は、これを保持しない。国の[[交戦権]]は、これを認めない。<br /> &lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> == 立法の経緯 ==<br /> === 本条の淵源 ===<br /> 本条の淵源については、立法経緯が複雑であることもあって様々な議論がある&lt;ref&gt;西修『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、234頁参照&lt;/ref&gt;。憲法9条の発案において、その背景にあった、主な動機は、「[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]が参加する極東委員会の中の、[[中華民国]]・[[オーストラリア]]・[[フィリピン]]・[[ソビエト社会主義共和国連邦]]などの[[国家]]や、アメリカ国内世論&lt;ref&gt;五百旗頭真、「日米戦争と戦後日本」、2005年、講談社、221ページ&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;John W. Dower,Japan in War and Peace,1993,p342&lt;/ref&gt;からの『天皇制の保持』に対する批判を逸らす為であった。」という見解で、日本人もアメリカ人の学者も一致する傾向がある、とされる&lt;ref&gt;{{Cite book|author=John W. Dower|title=Embracing Defeat|year=1999|pages=27,28,300, 362, 378, 611–612}}, [[ジョン・ダワー]]、「敗北を抱きしめて」、上巻13,14ページ、下巻38, 132~133, 156, 444~445ページ、岩波書店、2001年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 発案者をめぐる議論 ====<br /> このような条文を、憲法に盛り込む事が、一体誰の発案であったのかが議論になることがある&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、149頁&lt;/ref&gt;。<br /> * [[幣原喜重郎]]の発案によるとする説&lt;ref&gt;深瀬忠一『戦争放棄と平和的生存権』岩波書店、1987年、137-138頁&lt;/ref&gt;<br /> : マッカーサーは[[1951年]][[5月5日]]のアメリカ議会上院軍事外交合同委員会での証言、[[1962年]](昭和37年)12月10日の内閣憲法調査会の[[高柳賢三]]会長への書簡、[[1964年]](昭和39年)の自身の回想録の中で本条は幣原喜重郎の発案によるものであると語っている&lt;ref&gt;西修『日本国憲法成立過程の研究』成文堂、2004年、219-220頁&lt;/ref&gt;。<br /> * マッカーサー主導で起案されたとする説&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、167頁&lt;/ref&gt;<br /> * 幣原の発言を受けてマッカーサーが骨子を決定したとする説 - 現在の憲法学上では通説とされる&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、149頁&lt;/ref&gt;。<br /> * [[チャールズ・L・ケーディス]]の発案によるとする説<br /> * [[憲法調査会法|憲法調査会事務局]]が編集した『[[帝国弁護士会]]の憲法改正案』には、「(君民一体に淵源する)統治権の発動として行ふ戦争及び武力による威嚇及び武力の行使を他国との間の紛争解決の具とすることは永久にこれを放棄す 陸海空軍其の他の戦力は之を保持せず国の交戦権は之を行わず」という、文言が相似の草案がある&lt;ref&gt;憲法調査会事務局(1957年)『帝国弁護士会の憲法改正案』(1946年4月22日決定)、第12条。『[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F0000000000000331486&amp;ID=&amp;LANG=default&amp;GID=&amp;NO=&amp;TYPE=JPEG&amp;DL_TYPE=pdf&amp;CN=1 帝国憲法改正諸案及び関係文書(二)]』、p.p.50(29コマ目)。国立公文書館。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== ハーバート・ジョージ・ウェルズと日本国憲法 ====<br /> 『[[タイム・マシン (小説)|タイムマシン]]』を発表した[[SF小説]]家であり、[[思想家]]でもある[[ハーバート・ジョージ・ウェルズ]](H.G.ウェルズ)は、日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされる。特に本条の平和主義と戦力の不保持は、ウェルズの[[人権思想]]が色濃く反映されている。しかし、ウェルズの原案から日本国憲法の制定までに様々な改変が行われたため、現在における本条の改正議論が行われる一つの原因となっている。<br /> <br /> また、この原案を世界全ての国に適用して初めて戦争放棄と戦力の不保持が出来るように記されていることが根幹にある。そして、ウェルズも世界全ての国に適用しようと考えたが、結果として、日本のみにしか実現しなかったことで、本条の解釈に無理が生じたといわれている。<br /> <br /> === 不戦条約 ===<br /> [[ハーグ平和会議]]の開催([[1899年]](明治32年)、[[1907年]](明治40年))など[[19世紀]]末から、国際法上において侵略戦争を実定法により規制し平和を確保するための努力が進められ、[[国際連盟規約]]([[1919年]](大正8年))、ジュネーヴ議定書([[1924年]](大正13年))、[[不戦条約|不戦条約(パリ不戦条約、戰爭抛棄に關する條約)]]などが締結された。このうち不戦条約は[[第一次世界大戦]]後の[[1928年]](昭和3年)に多国間で締結された国際条約である。同条約では国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することなどを規定した。<br /> {{quotation|;{{lang|en|Kellogg-Briand Treaty}}<br /> :{{lang|en|ARTICLE I}}<br /> ::{{lang|en|The High Contracting Parties solemnly declare in the names of their respective peoples that they condemn recourse to war for the solution of international controversies, and renounce it, as an instrument of national policy in their relations with one another.}}<br /> :{{lang|en|ARTICLE II}}<br /> ::{{lang|en|The High Contracting Parties agree that the settlement or solution of all disputes or conflicts of whatever nature or of whatever origin they may be, which may arise among them, shall never be sought except by pacific means.}}<br /> |{{lang|en|Kellogg-Briand Treaty}}&lt;ref&gt;{{cite wikisource|Kellogg-Briand Treaty|Kellogg-Briand Treaty|en|nobullet=yes}}&lt;/ref&gt;}}<br /> {{quotation|;不戦条約<br /> :第一條<br /> ::締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス<br /> :第二條<br /> ::締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス<br /> |戰爭抛棄ニ關スル條約&lt;ref&gt;{{cite wikisource|戰爭抛棄ニ關スル條約|戰爭抛棄ニ關スル條約|ja|nobullet=yes}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> 日本国憲法第9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言の解釈については、不戦条約にある「國際紛爭解決ノ爲」の文言との関係をどうみるべきかという観点から学説は分かれており、憲法第9条全体の解釈として一切の戦争を放棄しているとするのであれば「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても不戦条約等の国際法上の用例に拘泥すべきでないとする説&lt;ref&gt;[[清宮四郎]]「法律学全集 憲法I 第3版」有斐閣、1979年、112頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]『注釈 日本国憲法 上巻』青林書院新社、1984年、168頁&lt;/ref&gt;と憲法9条は平和という国際関係と密接な関連性を有するもので「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても不戦条約等の国際法上の用例を尊重すべきであるとする説&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年、408-409頁&lt;/ref&gt;が対立している。<br /> <br /> === ポツダム宣言 ===<br /> 日本国憲法第9条の立法に至る背景には、[[大西洋憲章]](1941年)、[[ポツダム宣言]](1945年)、[[国務・陸軍・海軍調整委員会#SWNCC228文書とSWNCC228/1文書|SWNCC228]]文書(1946年)などが挙げられる&lt;ref&gt;[[国務・陸軍・海軍調整委員会]](SWNCC)によるSWNCC228は、『[https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1946v08/d116 Memorandum by the State–War–Navy Coordinating Committee to the Secretary of State]』([[:en:H. Freeman Matthews|H. Freeman Matthews]], 1946年1月7日)の付属書1であり、またこの付属書2(SWNCC228/1)は、[[ポツダム会談]]([[ポツダム宣言]])や[[言論の自由]]にも言及している。[[連合軍最高司令官総司令部]]が日本国内で発表し[[高柳賢三]]が部分的に訳した文書は、後者の文書が附属しておらず、発信者も異なる。なお、この指針が公表されてから3カ月後には、米国[[国務省]]から派遣されていた[[ダグラス・マッカーサー]]政策顧問の[[ジョージ・アチソン]]がマッカーサーの代理などを務めるようになった。&lt;/ref&gt;。このうち[[1945年]](昭和20年)7月26日に発表されたポツダム宣言では、日本軍の武装解除とともに、再軍備の防止を示唆する条項が盛り込まれた。<br /> <br /> {{quotation|;&#039;&#039;&#039;{{lang|en|Potsdam Declaration}}&#039;&#039;&#039;<br /> :(7) {{lang|en|Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan&#039;s war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth.}}<br /> :(9) {{lang|en|The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives.}}<br /> :(11) {{lang|en|Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted.}}|{{lang|en|Potsdam Declaration}}&lt;ref&gt;{{cite wikisource|Potsdam Declaration|Potsdam Declaration|en|nobullet=yes}}&lt;/ref&gt;}}<br /> {{quotation|;ポツダム宣言<br /> :第七條<br /> ::右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ<br /> :第九條<br /> ::日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ<br /> :第十一條<br /> ::日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ<br /> |ポツダム宣言&lt;ref&gt;{{cite wikisource|ポツダム宣言|ポツダム宣言|ja|nobullet=yes}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> === 憲法改正要綱とマッカーサー・ノートとGHQ原案 ===<br /> 終戦後、憲法改正に着手した日本政府は大日本帝国憲法の一部条項を修正した、陸海軍をまとめて「軍」とする、軍事行動には議会の賛成を必要とする、という規定のみを盛り込んで済ませるつもりであった。<br /> <br /> [[1946年]](昭和21年)2月8日に憲法問題調査委員会([[松本烝治]]委員長)がGHQに提出した「憲法改正要綱」(松本案)では次の条文となっている。<br /> <br /> {{quotation|;憲法改正要綱&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/074shoshi.html|title=3-12 GHQに提出した「憲法改正要綱」|work=日本国憲法の誕生|publisher=[[国立国会図書館]]|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;<br /> :五<br /> ::第十一条中ニ「陸海軍」トアルヲ「軍」ト改メ且第十二条ノ規定ヲ改メ軍ノ編制及常備兵額ハ法律ヲ以テ之ヲ定ムルモノトスルコト(要綱二十参照)<br /> :六<br /> ::第十三条ノ規定ヲ改メ戦ヲ宣シ和ヲ講シ又ハ法律ヲ以テ定ムルヲ要スル事項ニ関ル条約若ハ国ニ重大ナル義務ヲ負ハシムル条約ヲ締結スルニハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要スルモノトスルコト但シ内外ノ情形ニ因リ帝国議会ノ召集ヲ待ツコト能ハサル緊急ノ必要アルトキハ帝国議会常置委員ノ諮詢ヲ経ルヲ以テ足ルモノトシ此ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ報告シ其ノ承諾ヲ求ムヘキモノトスルコト<br /> }}<br /> <br /> これに対して、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)では戦争と軍備の放棄の継続が画策されていた。その意思は、憲法草案を起草するに際して守るべき三原則として、最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]がホイットニー民政局長(憲法草案起草の責任者)に示した「マッカーサー・ノート」に表れている&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html|title=3-10 マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日|work=日本国憲法の誕生|publisher=国立国会図書館|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;。その三原則のうちの第二原則は以下の通り。<br /> <br /> {{quotation|;マッカーサー三原則(「マッカーサーノート」)第二原則<br /> &#039;&#039;&#039;(原文)&#039;&#039;&#039;<br /> :{{lang|en|War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.}}<br /> &#039;&#039;&#039;(日本語訳)&#039;&#039;&#039;<br /> :国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。<br /> }}<br /> <br /> この指令を受けて作成された「GHQ原案」([[マッカーサー草案]])には次の条文が含まれていた&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html|title=3-15 GHQ草案 1946年2月13日|work=日本国憲法の誕生|publisher=国立国会図書館|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;。なお、この段階では現行の9条に相当する条文は8条に置かれていた。<br /> <br /> {{quotation|;GHQ原案<br /> &#039;&#039;&#039;(原文)&#039;&#039;&#039;<br /> :{{lang|en|Chapter II Renunciation of War}}<br /> ::{{lang|en|Article VIII War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.&lt;br&gt; No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.}}<br /> &#039;&#039;&#039;(外務省仮訳)&#039;&#039;&#039;<br /> :第二章 戦争ノ廃棄<br /> ::第八条 国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス&lt;br&gt;陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ<br /> }}<br /> <br /> 次のような点でGHQ原案はマッカーサー・ノートとは異なる。<br /> #マッカーサー・ノート第二原則第2文「even for preserving its own security(自己の安全を保持するための手段としてさえも)」に該当する部分が削除された。<br /> #:これはすべての国は自国を守る固有の権利を有しており、自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当であるとGHQ原案の作成にあたった運営委員会の法律家らが考えたためとされる&lt;ref&gt;塩田純『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』日本放送出版協会、2008年、104頁&lt;/ref&gt;。マッカーサーも後年の回想録の中で憲法9条は自衛権まで放棄したものではないと述べている&lt;ref&gt;塩田純『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』日本放送出版協会、2008年、106頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、269頁&lt;/ref&gt;。<br /> #「The threat or use of force(武力による威嚇又は使用)」の文言が加えられた。<br /> #:これは前年に国際連合原加盟国によって調印されていた国連憲章2条4を受けたものとされている&lt;ref&gt;塩田純『日本国憲法誕生 知られざる舞台裏』日本放送出版協会、2008年、104頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、256頁&lt;/ref&gt;。<br /> #「forever(永久に)」の文言が加えられた。<br /> #マッカーサー・ノート第二原則第3文に該当する部分については修正ののち前文第2項冒頭に回されることとなった。<br /> #マッカーサー・ノート第二原則第4文に該当する部分については段落を分けないこととした。<br /> #「other war potential(その他の戦力)」の文言が加えられた。<br /> #:これは[[第一次世界大戦]]以後の戦争が国家の総力戦となったことを意識したものとされている&lt;ref&gt;山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、257頁&lt;/ref&gt;。<br /> #「any japanese force(日本軍)」から「the state(国)」に文言がそれぞれ変更された。<br /> なお、GHQ案の第一次案では二段落構成から一段落構成に改められていたが、最終案では二段落構成に戻されている。<br /> <br /> === 3月2日案と3月5日案 ===<br /> GHQ原案を受けて日本政府が起草した3月2日案では次の文章となっている。<br /> <br /> {{quotation|;3月2日案<br /> :第二章 戦争ノ廃止<br /> ::第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ廃止ス。<br /> ::陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ。}}<br /> <br /> 次のような点で3月2日案はGHQ原案とは異なる。<br /> #第1章に条文が追加されたため、第2章の第8条であった本条は繰り下がって第9条となった。<br /> #第1項の第1文と第2文はつなげられ一つの文となった。<br /> #「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言が戦争にもかかるように解釈しうることとなった。<br /> #「廃棄」から「廃止」に改められた。<br /> #第2項の最後の部分が「之ヲ認メズ」に改められた。<br /> <br /> さらに議論が重ねられ、3月5日案では次の文章となっている。<br /> <br /> {{quotation|;3月5日案<br /> :第二章 戦争ノ抛棄<br /> ::第九条 国家ノ主権ニ於テ行フ戦争及武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄ス<br /> ::陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サス。国ノ交戦権ハ之ヲ認メス}}<br /> <br /> 次のような点で3月5日案は3月2日案とは異なる。<br /> #「国家ノ主権ニ於テ行フ戦争」という表現に改められた。<br /> #「他国トノ間ノ争議ノ解決ノ具トスルコトハ」の文言について、国家の主権において行う戦争と武力の威嚇・行使とが「及」で結ばれることとなったため、国家の主権において行う戦争にもかかることが明確になった。<br /> #「廃止」から「抛棄」に改められた。<br /> #第2項は「之ヲ許サズ」、「認メズ」と分けて書き改められた。<br /> <br /> === 憲法改正草案要綱 ===<br /> [[1946年]](昭和21年)3月6日に政府案として発表された「憲法改正草案要綱」には次の文章が含まれている&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/093shoshi.html|title=3-22 「憲法改正草案要綱」 の発表|work=日本国憲法の誕生|publisher=国立国会図書館|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> {{quotation|;憲法改正草案要綱<br /> :第二 戦争ノ抛棄<br /> ::第九 国ノ主権ノ発動トシテ行フ戦争及武力ニ依ル威嚇又ハ武力ノ行使ヲ他国トノ間ノ紛争ノ解決ノ具トスルコトハ永久ニ之ヲ抛棄スルコト<br /> ::陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持ハ之ヲ許サズ国ノ交戦権ハ之ヲ認メザルコト<br /> }}<br /> <br /> === 憲法改正草案 ===<br /> [[1946年]](昭和21年)4月17日に政府案として発表され[[枢密院 (日本)|枢密院]]に諮詢された「憲法改正草案」では次の条文となっている&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/099shoshi.html|title=3-25 口語化憲法草案の発表|work=日本国憲法の誕生|publisher=国立国会図書館|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> {{quotation|;憲法改正草案(政府原案)<br /> :第二章 戦争の抛棄<br /> ::第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。<br /> ::第二項 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。<br /> }}<br /> <br /> 次のような点で憲法改正草案は要綱とは異なる。<br /> #条文が口語化された。<br /> #「戦争及」を「戦争と」に改めた。<br /> #「具」を「手段」に改めた。<br /> #第2項は二つの文に分離された。<br /> #「之ヲ」の文言を取り除き、第二項について「許されない」、「認められない」とした。<br /> #表題を「戦争の抛棄」とした。<br /> <br /> 枢密院での審議を受け、政府が若干の修正を行った上で1946年(昭和21年)5月25日に改めて枢密院に諮詢した案では次の条文となっている&lt;ref&gt;[[西修]] 『日本国憲法成立過程の研究』 [[成文堂]]、2004年3月31日、ISBN 4792303702、267頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> {{quotation|;憲法改正草案(政府修正案)<br /> :第二章 戦争の抛棄<br /> ::第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。<br /> ::第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。<br /> }}<br /> <br /> === 衆議院での審議と芦田修正 ===<br /> 憲法改正草案の案文は枢密院で可決され、1946年(昭和21年)6月25日に[[衆議院]]に上程された。そして、[[芦田均]]が委員長を務める衆議院帝国憲法改正案委員小委員会においていわゆる芦田修正が加えられた。<br /> <br /> 芦田修正は[[第90回帝国議会]]の[[衆議院]][[帝国憲法改正小委員会]]での審議過程&lt;ref&gt;{{Cite web | url=http://mainichi.jp/senkyo/ch950902283i/%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E9%8C%B2%E5%85%AC%E9%96%8B | title=憲法秘密会議事録公開|author=毎日新聞社|date=1995-09-30<br /> |year=1995|accessdate=2017-05-22}}&lt;/ref&gt;において第9条に加えられた修正であり、第1項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文言を加えた。これは1946年2月3日にマッカーサーがホイットニー民政局長に示した[[マッカーサー・ノート]]&lt;ref&gt;同、[http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日]&lt;/ref&gt;における「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」が復活したもので、憲法前文第2項の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と一連のものであると考えられる。<br /> <br /> 第2項冒頭に「前項の目的を達するため」の文言を入れた修正を指す&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、150頁以下&lt;/ref&gt;。特に第2項冒頭の修正を指して用いられることもある&lt;ref&gt;長谷部恭男『新法学ライブラリー(2)憲法 第3版』2004年、新世社、60頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 第90回帝国議会の衆議院帝国憲法改正小委員会は1946年(昭和21年)7月25日から8月20日にかけて13回にわたって開催された&lt;ref&gt;西修『日本国憲法成立過程の研究』成文堂、2004年、279頁&lt;/ref&gt;。帝国議会に提出された際の憲法改正案の案文は次のようなものである。<br /> <br /> {{quotation|;憲法改正草案<br /> :第二章 戦争の抛棄<br /> ::第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。<br /> ::第二項 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。<br /> }}<br /> <br /> この案文については、積極的な印象がなく自主性が乏しいとの意見が出されたため&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、150頁&lt;/ref&gt;、7月29日に芦田委員長は次のような試案を提示した。<br /> {{quotation|;芦田試案<br /> :第二章 戦争の抛棄<br /> ::第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。<br /> ::第二項 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを抛棄する。<br /> }}<br /> このうち「声明す」の文言については文語体であり口語体の条文にはふさわしくないとして「宣言する」に改められた。7月30日の小委員会は金森国務大臣が出席して開かれたが、この段階での試案の案文は次のようなものとなっていた。<br /> {{quotation|<br /> ::第九条 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力は、これを保持せず。国の交戦権は、これを否認することを宣言する。<br /> ::第二項 前掲の目的を達する為め、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。<br /> }}<br /> <br /> この試案では原案(政府案)における第1項と第2項の順序が入れ替えられていたが、犬養健議員から第1項と第2項の順序をもとの原案(政府案)のままに戻し、その冒頭に「日本国民は・・・」の文言を入れてはとの提案がなされた&lt;ref&gt;西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、281頁&lt;/ref&gt;。このほか、語尾の「宣言する」について、言い放つことで自主性が出るとして、「放棄する」に修正された。また、「抛棄」の字句が漢字制限の関係で「放棄」に改められた。<br /> &lt;ref&gt;西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、282頁&lt;/ref&gt;。その結果として次のような法文となった。<br /> <br /> {{quotation|;日本国憲法<br /> :第二章 戦争の放棄<br /> ::第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。<br /> ::第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。<br /> }}<br /> <br /> 1946年(昭和21年)8月24日、衆議院本会議での委員長報告において芦田均はいわゆる芦田修正について「戦争抛棄、 軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、 専ラ人類ノ和協、 世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタ」ものであると述べている&lt;ref&gt;官報号外昭和21年8月25日衆議院議事速記録35号503頁&lt;/ref&gt;。その後、この修正について芦田は、自衛戦力を放棄しないための修正であり、このことは小委員会の会議録にも書かれていると発言している&lt;ref&gt;『憲法調査会総会第7回議事録』1957年、90-91頁&lt;/ref&gt;。ところが、のちに公開された小委員会の速記録&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;第7回小委員会において芦原は、議事録({{Cite web | url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/s210801-s07.htm | title=関係会議録 小委員会 昭和21年8月1日(第7回)|author=衆議院|year=1946|accessdate=2017-05-22}})によると次のように発言している。{{indent|&#039;&#039;&#039;○犬養委員&#039;&#039;&#039; 委員長のおっしゃった前掲の目的を達するためということを入れて、一項、二項の仕組みはそのままにして、(中略)冒頭に日本国民は正義云々という字を入れたらどうかとも思うのですが、それで何か差し障りが起こりますか。&lt;br&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;○芦田委員長&#039;&#039;&#039; 前項のというのは、実は双方ともに国際平和ということを念願しているということを書きたいけれども、重複するような嫌いがあるから、前項の目的を達するためと書いたので、つまり両方ともに日本国民の平和的希求の念慮から出ているのだ、そういう風に持って行くに過ぎなかった。&lt;br&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;○吉田(安)委員&#039;&#039;&#039; そこで、正義と秩序を基調とする国際平和を希求して、その希求の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は之を保持してはならない、「これを保持せず」、そうしたら「保持せず」と直しても目的が謳ってあるから、委員長の御苦心が生きる、(後略)}}&lt;/ref&gt;<br /> や『芦田均日記』からは修正の意図がこのような点にあったかは必ずしも実証的には確認できないといわれる&lt;ref&gt;山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、270頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、151-152頁&lt;/ref&gt;。ただし、国際法の専門家である芦田が自衛のための戦力保持の可能性を生じることとなった点について気付いていなかったとは思われないとみる見方もある&lt;ref&gt;佐藤功「憲法第九条の成立における『芦田修正』について」(東海法学1号)1987年、51頁&lt;/ref&gt;。このようなこともあって芦田の真意は未だに謎とされている&lt;ref&gt;西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、287-288頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 芦田の真意の問題は別として、総司令部や極東委員会は芦田修正の結果として「defence force」を保持することが解釈上可能になったと考えられるようになったといわれる&lt;ref&gt;憲法調査会事務局『憲法の制定経過に関する小委員会報告書』1961年、502-503頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、152頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 芦田修正について総司令部からの異議はなかったといわれる&lt;ref&gt;憲法調査会事務局『憲法の制定経過に関する小委員会報告書』1961年、502-503頁&lt;/ref&gt;。これに対して極東委員会の反応は異なっていた。芦田修正については、自衛({{en|self-defence}})を口実とした軍事力({{en|armed forces}})保有の可能性があるとした極東委員会の見解&lt;ref name=&quot;bunmin&quot;/&gt;が有名であり、この見解の下、芦田修正を受け入れる代わりに、[[文民統制]]条項({{en|civilian}})を入れるよう、GHQを通して日本国政府に指示し、[[日本国憲法第66条|憲法第66条]]第2項が設けられることとなった。<br /> <br /> === 貴族院での審議と文民条項 ===<br /> [[貴族院 (日本)|貴族院]]では本条については修正されずこの案が最終的なものとなったが、本条の芦田修正との関係で貴族院での審議において憲法66条2項に文民条項が挿入されることとなった。<br /> <br /> {{quotation|;日本国憲法<br /> :第六十六条<br /> ::第二項 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。<br /> }}<br /> <br /> 当初、このような条項を挿入することについては、軍隊のない日本においては無用であるとの議論もあった&lt;ref&gt;山室信一『憲法9条の思想水脈』朝日選書、2008年、253頁&lt;/ref&gt;。金森国務大臣は「civilian」を「過去において職業軍人の経歴を有しない者」を意味するとの理解のもとに交渉にあたっていたが、新しい訳語をあてるべきと考えられたため、[[川村竹治]]委員の提案した「文民」の訳語をあてることとなった&lt;ref&gt;西修 『日本国憲法成立過程の研究』 成文堂、2004年、307-308頁&lt;/ref&gt;。そして、文民条項(日本国憲法第66条第2項)については、1946年(昭和21年)9月に普通選挙制([[日本国憲法第15条]]第3項)とともに貴族院での審議を通して挿入されることとなった。<br /> <br /> 「文民」の意味については、軍人ではない者を意味するとする説&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、507-508頁&lt;/ref&gt;や職業軍人の経歴を持たない者を意味する説&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット注釈全書・憲法(下)新版』有斐閣、1984年、819-820頁&lt;/ref&gt;などが唱えられている。これらの説に対しては、憲法9条により一切の軍が存在しないのであれば「軍人」というものはありえないので憲法66条第2項の文民条項は説明困難となり、仮に「文民」を職業軍人としての経歴を持たない者を指すとするならば憲法66条第2項の文民条項は経過規定として補則の章に置かれるべき規定だったということになると齟齬を指摘する見解もある&lt;ref&gt;田中英夫「憲法第九条の制定過程とその意味するもの」(法学セミナー増刊・日本の防衛と憲法)1981年、63頁&lt;/ref&gt;。この憲法66条第2項の文民条項の存在については、限定放棄説の立場からその論拠として示されることがあり、百里基地訴訟第一審では憲法9条第2項前段の解釈において「「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を受けて侵略戦争と侵略的な武力による威嚇ないしその行使に供しうる一切の戦力の保持を禁止したものと解するのが相当であって、みぎ第一項の「国際平和を誠実に希求」するとの趣旨のみを受けて戦力不保持の動機を示したものと解することは困難である。このような見解のもとにおいてこそ、憲法第六六条第二項の、いわゆる文民条項の合理的存在理由をみいだすことができるのである」と判示している&lt;ref&gt;水戸地判昭52・2・17民集43・6・506&lt;/ref&gt;。これに対し全面放棄説の立場からは、この規定の存在意義について、制定時の貴族院の審議では9条との関係では無用のものと考えられ、これを意味の有るものとするためにあえて「文民」の語について「過去に職業軍人であった者」と公定解釈されたものであるという経緯が指摘されている&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、149頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、文民条項については、その後の実力部隊(自衛隊)の創設によって新たな要素が導入されるに至り、通説では現役自衛官は「文民」ではないとされている(ただし、自衛官であった者については学説により見解が分かれている)&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(2)第4版』有斐閣、2006年、174頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、2012年時点で、日本政府は、自衛隊を合憲とする根拠について「『戦力に至らない必要最小限の実力』の保持は合憲」とする解釈をおこなっており、芦田修正は政府の合憲根拠とは無関係であり、芦田修正が無くとも合憲であるとしている&lt;ref&gt;{{Cite news<br /> | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;k=2012021700931<br /> | title = 「芦田修正」なくても合憲=自衛隊の憲法解釈<br /> | newspaper = <br /> | publisher = 時事通信<br /> | date = 2012-2-17<br /> | accessdate = 2012-2-17<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 審議過程での第9条への反対 ===<br /> [[1946年]](昭和21年)の憲法改正審議で、[[日本共産党]]の[[野坂参三]]衆議院議員は[[自衛戦争]]と[[侵略戦争]]を分けた上で、「[[自衛権]]を放棄すれば[[民族]]の独立を危くする」と第9条に反対し、結局、共産党は議決にも賛成しなかった。<br /> <br /> また、[[南原繁]]貴族院議員も共産党と同様の「国家自衛権の正統性」と、 将来、国連参加の際に「国際貢献」で問題が生ずるとの危惧感を表明している。それは「互に血と汗の犠牲を払うこと」なしで「世界恒久平和の確立」をする[[国際連合]]に参加できるのか?という論旨であった。これらの危惧感は後の東西[[冷戦]]終結後、現実問題として日本に生じ、結果的にPKOなどの派遣を憲法の無理な解釈で乗り切ろうとする事態が生じている。(この憲法の推進を行った[[ダグラス・マッカーサー]]自身も日本再独立後にこの事項を作った事を戦後の米軍の負担増という点から後悔し、旧軍を最低限度の人数と装備で存続させるべきであったと一生の悔いにしていたとの逸話がある)<br /> <br /> === 制定過程を巡る議論 ===<br /> 法的有効性について次のような議論がある。<br /> *日本が被占領国で主権を失っていたときに半強制的に制定された歴史権益上の事実があったこと(当時の国際条約(成文国際法)は現在ほど発達しておらず、[[極東国際軍事裁判]]においても裁判官側はすべて連合国側の人物だったことなどもその証左である&lt;ref&gt;[[中島岳志]]「パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義」 [[白水社]]、2007年&lt;/ref&gt;)、また、先述している通り、もともと、現行日本国憲法においては[[松本烝治]]を中心とした[[松本試案]]による憲法をGHQに提出しているが、GHQ側が拒否し[[ダグラス・マッカーサー]]により独自に作成された&#039;&#039;&#039;[[マッカーサー草案]]が大本になっている&#039;&#039;&#039;こと&lt;ref&gt;[[手島孝]] 監修 [[安藤高行]] 編「基本憲法学」([[法律文化社]])3-10頁。&lt;/ref&gt;。<br /> *戦勝国である連合国側の協定(国連憲章)での「[[敵国条項]](53条、77条、107条)」がまだ有効であったとき制定された(この敵国条項は現在死文化しており、[[1995年]](平成7年)の[[国際連合総会|国連総会]]で削除が採決されたが、現在も憲章に残ったままである)うえ、日本の[[主権]]が回復するのは[[日本国との平和条約|サンフランシスコ条約]]効力発生時、すなわち、[[1952年]](昭和27年)4月28日のことである。<br /> *第二次世界大戦にいたる経緯のなかで、戦勝国である連合国側の反省として、戦争拡大責任に関する歴史検証が確立される前に制定された&lt;ref&gt;家永三郎 著「戦争責任」([[岩波書店]] 1985年)。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 朝鮮戦争とアメリカの改憲・派兵要求 ===<br /> [[朝鮮戦争]]勃発によってアメリカから、日本を朝鮮戦争に派兵させるため改憲要求が出された。アメリカの要求に対抗するため総理大臣吉田茂は社会党に再軍備反対運動をするよう要請した&lt;ref&gt;{{cite web| url=http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/1590512oguma.pdf/$File/1590512oguma.pdf| accessdate=2015-11-4| work=衆議院憲法調査会| date=2004-5-12| author=小熊英二| title=第9条の歴史的経緯について| format=PDF| publisher=衆議院}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 第9条の解釈上の問題 ==<br /> 憲法9条の規定については、憲法9条の法的性格、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言の意味、第2項前段の「戦力」の定義、同じく第2項前段の「前項の目的を達するため」という文言の意味、第2項後段「交戦権」の定義などについて議論がある。この部分については、[[日本国憲法#平和主義(戦争放棄)]]も参照。<br /> <br /> === 第9条の法的性格 ===<br /> 憲法9条の法的性格については、次のような説がある。<br /> * 法規範性はなく理想的規範にすぎないとみる説&lt;ref&gt;[[高柳賢三]]「天皇・憲法第九条」有紀書房、1963年(p.147)&lt;/ref&gt;<br /> : 憲法規範には為政者を直接的に拘束する現実的規範と為政者の目標を示す理想的規範とがあり本条は後者にあたるとする&lt;ref&gt;[[高柳賢三]]『天皇・憲法第九条』有紀書房、1963年、160頁以下&lt;/ref&gt;。<br /> * 法規範性はあるが裁判規範性が極めて希薄であるとみる説&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.168-169)ISBN 978-4335300578&lt;/ref&gt;<br /> : 憲法規範の規範的性格は各条項の間で同じではないとし、憲法規範には裁判規範と政治規範とがあり、本条は高度の政治性を有することなどから裁判規範性が極めて希薄な政治規範であるとする&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]『憲法 第三版』弘文堂、1995年、171頁以下&lt;/ref&gt;。<br /> * 法規範性も裁判規範性も認められるとする説&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]「憲法学I憲法総論」有斐閣、1992年(p.299)ISBN 978-4641031685 &lt;/ref&gt;<br /> * 法規範性も裁判規範性も認められるが、国際情勢等の著しい変化により[[憲法の変遷]]を生じているとする説&lt;ref&gt;[[橋本公亘]]「日本国憲法 改訂版」有斐閣、1988年(p.438-440)ISBN 978-4641030978 &lt;/ref&gt;<br /> : ただし、本説にいう「憲法の変遷」は、通常の憲法学における「憲法の変遷」の概念とは異なるものであるとの指摘がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年、488頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 「日本国民」の解釈 ===<br /> 憲法9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文で始まる。この「日本国民」とは個々の国民ではなく全体としての日本国民もしくは一体としての日本国民を指すとされる&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.394)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;。本条の趣旨からみて個々の国民を指すとみるべきではなく&lt;ref name=&quot;chukaiu211&quot;&gt;法学協会『註解日本国憲法(上)』有斐閣、1953年、211頁&lt;/ref&gt;、通例においても個々の国民を指す場合には「すべて国民は」(例として[[日本国憲法第25条]]・[[日本国憲法第26条]])あるいは「国民は」(例として[[日本国憲法第30条]])の文言が用いられることが根拠とされる&lt;ref name=&quot;chukaiu211&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤功]]『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、109頁&lt;/ref&gt;。そして、「日本国民」というこの文言は日本国と同義であるとされる&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.109)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;。なお、この点については、日本国民と一体化した[[日本国政府]]と同義であるとみる説&lt;ref&gt;[[横田喜三郎]]「自衛権」有斐閣、1951年(p.213)&lt;/ref&gt;がある一方で、主権者としての日本国民を指すのであって日本国政府と同義ではないとする説&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.394)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;もある。百里基地訴訟第一審判決では日本国政府を含むとしている。<br /> <br /> 以上のように「日本国民」は全体としての国民あるいは一体としての国民を指すとみるべきと理解されており&lt;ref&gt;[[佐藤功]]『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、109頁&lt;/ref&gt;、このことから個々の国民が自由な意思で各自の判断の下に外国軍隊や[[国連軍]]に志願し参加することは直接本条の問題とするところではないとみるのが多数説である&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.395)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.160)ISBN 978-4417009368&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[横田喜三郎]]「自衛権」有斐閣、1951年(p.213)&lt;/ref&gt;。これに対して国連軍への参加の場合を除いてこのような行為は憲法の精神に反するとみる見解もある&lt;ref&gt;[[宮沢俊義]]「戦争放棄・義勇兵・警察予備隊」平和と人権、東京大学出版会、1969年(p.10-11)&lt;/ref&gt;。しかし、この見解に対しては憲法は基本的には国民ではなく国家機関を直接の対象とする法規範であり(憲法の対国家性)、本条中の「国権の発動たる」の文言からも「日本国民」の文言に個々の国民を含めて考えるには無理があるとの批判がある&lt;ref&gt;[[吉川智]]、[[阿部一夫]]、[[富永健]]、[[宮林茂樹]]、[[和田隆夫]]『概説日本国憲法 増補・補正版』国書刊行会、1995年、122頁&lt;/ref&gt;。なお、本条の問題とは別に立法政策によってこれらの行為を禁止することは可能であると考えられている&lt;ref&gt;[[吉川智]]、[[阿部一夫]]、[[富永健]]、[[宮林茂樹]]、[[和田隆夫]]『概説日本国憲法 増補・補正版』国書刊行会、1995年、122-123頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> このほか国民が個人の立場で[[軍需産業]]に従事することは本条に反すると説く見解があるが&lt;ref&gt;中村哲「警察の限界と戦力」昭和27年[[世界 (雑誌)|世界]]5月号、岩波書店、1952年&lt;/ref&gt;、「日本国民」は個々の国民を意味するものではないとみる立場からはこのような解釈は妥当ではないという批判がある&lt;ref name=&quot;chukaiu211&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の解釈 ===<br /> 憲法9条第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は戦争放棄の動機ないし目的について示したものと考えられ&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.160)ISBN 978-4417009368&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.109)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;、マッカーサーノートの「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」に通じるものである。<br /> <br /> なお、ここにいう「正義と秩序を基調とする国際平和」は憲法前文第2項の「恒久の平和」と同じ意味と解されており&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、159頁&lt;/ref&gt;、憲法前文第2項にいう「専制と隷従、圧迫と偏狭」の支配する状態とは区別される国際社会を意味するものとされる&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年、395頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 「国権の発動たる戦争」等の定義 ===<br /> ==== 「国権の発動たる戦争」 ====<br /> 憲法9条第1項の「国権の発動たる戦争」とは、[[国際法]]上、[[宣戦布告]]又は[[最後通牒]]という形で明示的に、あるいは武力行使による国交断絶という形で黙示的に戦争の意思表示が表明されることを要件とし、戦時国際法規が適用される国の主権の発動として行われる武力(兵力)による国家間の闘争(形式的意味の戦争)をいう&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.397-398)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.110-112)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.164)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、この「国権の発動たる」という部分は、旧来、国際法において戦争が国家の主権に属する権利として発動されてきたものであるとの観念を表現したものとされ&lt;ref name=&quot;chukaiu212&quot;&gt;法学協会『註解日本国憲法(上)』有斐閣、1953年、212頁&lt;/ref&gt;、国権の発動でない戦争というものが存在しその意味での戦争は放棄しないという趣旨ではないとされる&lt;ref&gt;横田喜三郎『自衛権』有斐閣、1951年、213頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 「武力の行使」 ====<br /> 憲法9条第1項の「武力の行使」とは、宣戦布告等の手続がとられず「戦争」の意思表示を示さないで行われる戦時国際法の適用を受けない武力(兵力)による国家間の闘争(実質的意味の戦争)をいう&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.398)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.112-113)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.164)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、112頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 事実上の戦闘が継続的な敵対関係へと発展して戦争となった場合には「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」との区別は難しくなるが、「国権の発動たる戦争」と「武力の行使」とは放棄の条件の点では同じ扱いとなるという解釈をとる限り厳密に区別することは実益に乏しいとされる&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、159頁-160頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、日本国憲法では「国権の発動たる戦争」(形式的意味の戦争)と「武力の行使」(実質的意味の戦争)を分けているが、国連憲章2条4では「use of force(武力の行使)」として双方を区別せずに扱っている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.398-399)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 「武力による威嚇」 ====<br /> 憲法9条第1項の「武力による威嚇」とは、現実的な武力行使には至らないものの、武力を背景に自国の要求を容れなければ武力を行使するとの態度を示して相手国を強要することをいう&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.398)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.113)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.164)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 第1項の「武力」と第2項の「戦力」との関係であるが、多数説は武力の行使も実質においては戦争にかわりないことなどを根拠として第1項の「武力」と第2項の「戦力」は同義であるとみる&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.113)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;。これに対して、第1項では「武力」、第2項では「戦力」とあえて異なる文言が用いられていることから両者は異なる概念であるとする説もある。そのうちの一説として、第1項でいう「武力」は第2項でいう「戦力」よりも広い概念で「武力」には警察力が含まれ、外国から不法に侵入してきた軍隊を警察力で排除することは「武力の行使」にあたるとする説がある。しかし、この説に対しては「武力の行使」でいう「武力」に警察力を含むと解釈するならば、これと並列的に列挙されている「武力による威嚇」でいう「武力」にも警察力を含むこととなるが、警察力による外国への威嚇などというものは考えられないとの批判がある&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、160頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、113頁&lt;/ref&gt;。第1項の「武力」と第2項の「戦力」とは異なるとする説としては、上の説のほかに、後述されている「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」にのみかかるとみる説があり、「戦力」を手段とするものが「(国権の発動たる)戦争」であり、外国軍隊の不法な侵入を排除するための「戦力」に至らない程度の「武力」による自衛権の行使が憲法上認められるとする解釈をとる構成上、「武力」と「戦力」は異なるという立場をとる&lt;ref&gt;佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、124-127頁&lt;/ref&gt;(次節を参照)。<br /> <br /> ===「国際紛争を解決する手段としては」の解釈 ===<br /> 憲法9条第1項にある「国際紛争を解決する手段としては」の文言のかかる範囲とその意味については、次のような説がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401以下)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.153-156)ISBN 978-4417009368 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;樋口陽一「憲法 改訂版」創文社、1998年(p.136)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;阪本昌成『憲法理論(1)』成文堂、1993年、245頁以下&lt;/ref&gt;。<br /> * 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は、「国権の発動たる戦争」、「武力の行使」、「武力による威嚇」のすべてにかかるとする説<br /> : 「国際紛争を解決する手段としては」の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかると解釈するのが通説である&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.164-165)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> : そして、「国際紛争を解決する手段としては」の文言の意味をどう捉えるかという点をめぐって、さらに以下のように細分される。<br /> :* およそすべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるのであるから、この文言はなんらの留保たり得ず、第1項ですべての戦争を禁じているとする説(峻別不能説=一項全面放棄説)&lt;ref&gt;[[小林直樹]]「憲法講義(上)新版」東京大学出版会、1980年(p.193)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[浦部法穂]]「全訂憲法学教室2版」日本評論社、2000年(p.407)&lt;/ref&gt;<br /> :: この見解は憲法9条第2項を待たずに第1項ですべての戦争が放棄されているとみる説である(本説で説かれる根拠や本説に対する批判については次節参照)。<br /> :* [[不戦条約]]1条や[[国際連合憲章]]2条3項などでの国際法上の用例に従った解釈をすべきであるとして、第1項の「国際紛争を解決する手段としては」とは侵略戦争の放棄を意味しているとする説(広義の限定放棄説=一項における限定放棄説)&lt;ref&gt;渋谷秀樹、赤坂正浩「有斐閣アルマ 憲法2統治 第4版」有斐閣、2010年(p.309)&lt;/ref&gt;<br /> :: この見解は第2項前段の「前項の目的を達するため」の解釈によって、さらに第2項によってすべての戦争が放棄されているとみる遂行不能説(二項全面放棄説)と第2項においても自衛戦争は放棄されていないとみる限定放棄説(狭義の限定放棄説)に分かれる(各説で説かれる根拠や各説に対する批判については次節参照)。<br /> * 制定時の英文の9条1項をもとに、「国際紛争を解決する手段としては」の条件の文言は「武力による威嚇又は武力の行使」の部分にのみかかると解釈し、自衛のための武力の行使は許容されているとみる説&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.651)&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;なお、杉原泰雄編「体系憲法事典」青林書院、2008年(p.350)では本稿における狭義の限定放棄説を「限定放棄説(1)」とし、本説を「限定放棄説(2)」と分類する。&lt;/ref&gt;<br /> : この見解は第1項の「国権の発動たる戦争」の手段が第2項の「戦力」であるとみて両者を結びつけて解釈し&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]『憲法第三版』青林書院、1995年、655頁&lt;/ref&gt;、憲法9条2項で全面的に放棄されたのは「国権の発動たる戦争」を遂行するための「戦力」であり&lt;ref&gt;佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、127頁&lt;/ref&gt;、自衛戦争を含むすべての戦争と国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇及び武力の行使は否定されているが、外国軍隊の不法な侵入を排除するための武力による自衛権の行使は許容されており、そのための「武力」は保持しうると解釈する(非戦力的武力合憲説)&lt;ref&gt;佐藤幸治編『大学講義双書 憲法1 総論・統治機構』成文堂、1986年、124-125頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]『憲法第三版』青林書院、1995年、651頁&lt;/ref&gt;。<br /> : この見解に対しては憲法制定過程(3月2日案)において二つの文が一つの文にまとめられた結果、最終的な日本語の正文では「国際紛争を解決する手段としては」の文言が「武力による威嚇又は武力の行使」の部分だけでなく「国権の発動たる戦争」の部分にもかかる表現になっているとの批判がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.400)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.165)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> : なお、前述されているように、この見解は「戦力」と「武力」は同義であるとする多数説の立場と異なり、「戦力」と「武力」とは異なる性質のものであるという解釈をとるが、このような解釈をとるとき「戦力なき武力」というものをどのように捉えるかという問題を生じるといわれる&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 「前項の目的を達するため」の解釈 ===<br /> 憲法9条第2項前段は戦力不保持について定めるが、これには「前項の目的を達するため」という文が付されており、この文言の意味については戦力不保持の動機を示すものとみる説と戦力不保持の条件を示すものとみる説がある&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、115頁以下参照&lt;/ref&gt;。このうち「前項の目的を達するため」を戦力不保持の動機を示すものとみる説には、第2項の「前項の目的」とは、第1項前段の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の部分を指すとする一項前段動機説、第1項全体の指導精神ないし趣旨を指すとする一項全体動機説、第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を戦力不保持の動機として指すとする一項後段動機説がある&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、116頁-117頁参照&lt;/ref&gt;。また、「前項の目的を達するため」を戦力不保持の条件とみる説としては、第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を戦力不保持の条件として指すとする一項後段不保持限定説がある&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、117頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 学説の分布 ===<br /> 以上の第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言と第2項の「前項の目的を達するため」の文言の法解釈のとり方によって次のような説に分類される&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401以下)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;阿部照哉『憲法 改訂版』青林書院、1991年&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;なお、[[芦部信喜]]「憲法学(1)憲法総論」有斐閣、1992年 ISBN 978-4641031685 では、峻別不能説を「一項全面放棄説」、遂行不能説を「一項二項全面放棄説」として分類している。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 峻別不能説(一項全面放棄説)====<br /> : およそすべての戦争は国際紛争を解決する手段としてなされるもの(侵略戦争と自衛戦争との峻別は困難)であり、憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言はなんらの留保たり得ず、憲法9条第1項の規定によって全ての戦争が禁じられており、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」とは憲法9条第1項全体の指導精神を受けて全ての戦争放棄という目的を実効化するためであるとみる説&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではA-X説と分類されている。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[小林直樹]]「憲法講義(上)新版」東京大学出版会、1980年(p.193、p.198)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[浦部法穂]]「全訂憲法学教室」日本評論社、2000年(p.407)&lt;/ref&gt;。<br /> : 一般に本説は第2項は第1項の実効性を確保するために定められたとみるもので、第2項冒頭の「前項の目的」とは憲法9条第1項全体の指導精神を指すとする一項全体動機説と結びつき、第2項前段は戦争の全面的放棄という第1項の目的を達するため一切の戦力の不保持を定めたものとみる(戦力全面不保持説と結びつく)&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、116頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 峻別不能説では国際紛争を解決する手段でない戦争はありえない(自衛戦争も国際紛争の存在を前提とする)とし、憲法に宣戦等に関する規定がないこと、本条全体の解釈として一切の戦争を放棄しているとみるのであれば「国際紛争を解決する手段としては」の文言も国際法上の用例に拘泥すべきでないこと、憲法第9条第1項ですべての戦争が放棄されたと解さなければ第2項の交戦権の否認との整合性がとれなくなること、憲法前文第2項は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳っていること、多くの戦争が自衛目的という名目で行われてきたという歴史的経緯などをその根拠として挙げる&lt;ref&gt;[[清宮四郎]]「法律学全集 憲法I 第3版」有斐閣、1979年(p.112)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]『注釈 日本国憲法 上巻』青林書院新社、1984年、168頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 峻別不能説の法解釈に対しては、平和という国際関係と密接な関連性を有する憲法9条の解釈においては文言についても国際法上の用例を尊重すべきであり、憲法9条の成立の経緯の点からみても妥当ではないとの批判がある&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年、408-409頁&lt;/ref&gt;。具体的には峻別不能説では「国際紛争を解決する手段としては」の文言は何らの留保たり得ないと解釈するため、この文言の規範的意味を希薄化させるものであるとの批判&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.409)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;、あるいは、この文字が不必要ということになってしまうとの批判&lt;ref&gt;佐藤功「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.114)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;(第一項で全ての戦争が放棄されているという結論を導くのであれば「国際紛争を解決する手段としては」という文言がないほうが意味が明瞭になるという奇妙なことになるとの指摘&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、129頁参照&lt;/ref&gt;)がある。<br /> : そもそも憲法9条の成立の経緯の点において、マッカーサーノートでは「紛争解決のための手段としての戦争」と「自己の安全を保持するための手段としての戦争」が別々に定められていた。「自己の安全を保持するための手段としての戦争」が立法過程を経て放棄の対象から削られた経過から、自衛のための戦争は否定されていないとする指摘がある&lt;ref&gt;阿部照哉『新憲法教室』法律文化社、1997年、50頁&lt;/ref&gt;。さらに、自衛戦争は他国からの急迫不正の侵略行為(武力攻撃)に対して、これを排除するためにやむを得ずなされる性格のものであり、被侵略国にとっては国際紛争を解決する手段としての戦争とはいえないという指摘&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、115頁&lt;/ref&gt;があるほか、第1項ですべての戦争が放棄されているとするならば第2項は確認規定にしか過ぎなくなるという指摘&lt;ref&gt;辻村みよ子『憲法第3版』日本評論社、2008年、110頁&lt;/ref&gt;がある。比較法の見地からも、[[イタリア共和国憲法]]第11条など日本国憲法第9条第1項と同様に「国際紛争を解決する手段としての戦争」の放棄を謳っている憲法の下での法解釈においても自衛戦争は放棄されていないと解釈されていることも本説の問題点として指摘されている&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、115頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> : なお、長沼ナイキ事件第一審判決は「憲法は第九条第一項で自衛戦争、制裁戦争をも含めたいかなる戦争をも放棄したものであるとする立場があるが、もしそうであれば、本項において、とくに「国際紛争を解決する手段として」などと断る必要はなく、また、この文言は、たとえば、一九二八年の不戦条約にもみられるところであり、同条約では、当然に、自衛戦争、制裁戦争を除いたその他の不法な戦争、すなわち、侵略戦争を意味するものと解されており(このことは同条約に関してアメリカの国務長官が各国に宛てた書簡に明記されている。)、以後、国際連盟規約、国際連合憲章の解釈においても、同様の考えを前提としているから、前記した趣旨に解するのが相当と思われる。したがって、本条項では、未だ自衛戦争、制裁戦争までは放棄していない」と本説のような解釈に否定的な立場をとった&lt;ref name=&quot;s4897&quot;&gt;札幌地判昭48・9・7判時712・249&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 遂行不能説(二項全面放棄説)====<br /> : 憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は不戦条約など国際法上の用例に従って侵略戦争の放棄を意味すると解釈すべきであるが、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」は憲法9条第1項の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するという文言あるいは憲法9条第1項全体の趣旨を戦力不保持の動機として示したものであり、憲法9条第2項の規定(戦力の不保持・交戦権の否認)によって「戦力」の遂行が困難となるために、結局、すべての戦争が放棄されているとみる説&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではB-X説と分類されている。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)参照&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;本説は第2項の「前項の目的」について「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の部分を指すとみる一項前段動機説、一項全体の趣旨を指すとみる一項全体動機説、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を指すとする一項後段動機説のいずれとも結びつく([[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、116頁-117頁参照)&lt;/ref&gt;。<br /> : 本説の解釈は、第9条第1項はまず従来の諸外国の例にならい侵略戦争の放棄を明らかにしたものであり、その上で、憲法は第9条第2項でこの目的を達するための手段として一切の戦力の不保持と交戦権の否認をとったものであり、その結果として事実上すべての戦争が放棄されたものとみる(戦力全面不保持説と結びつく)&lt;ref&gt;戸波江二『地方公務員の法律全集(1)憲法 新版』ぎょうせい、1998年、94頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 遂行不能説の根拠としては、平和という国際関係と密接な関連性を有する憲法9条の理解にとっては、「国際紛争を解決する手段としては」の文言についても国際法上の用例に従って理解することが有益かつ実定法上望ましいことが挙げられている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.408-409)&lt;/ref&gt;。また、「前項の目的を達するため」の文言は立法過程において第1項冒頭への文言の追加に呼応して加えられたものであり、第2項の冒頭にも重ねて「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するためとすべきところを重複を避けるために「前項の目的を達するため」と受けたものであるから条件ではなく動機を示したものとみるべきであるという点も根拠として挙げられている&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット注釈全書・憲法(上)新版』有斐閣、1983年、116頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 遂行不能説は憲法学上の多数説となっている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)参照&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;ghdhj710&quot;&gt;「現代法律大百科事典(7)」ぎょうせい、1995年(p.10)参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 判例では長沼ナイキ事件第一審判決がこの説を採ったものといわれており&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;、「国際紛争を解決する手段として放棄される戦争とは、不法な戦争、つまり侵略戦争を意味する」とし、また、「「前項の目的」とは、第一項を規定するに至った基本精神、つまり同項を定めるに至った目的である「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求(する)」という目的を指す」(一項前段動機説)とした上で、「本項(第二項)でいっさいの「戦力」を保持しないとされる以上、軍隊、その他の戦力による自衛戦争、制裁戦争も、事実上おこなうことが不可能となったものである」と判示した&lt;ref name=&quot;s4897&quot;/&gt;。そして、憲法9条と自衛権の関係について後述の非武装自衛権説に立って、「自衛権を保有し、これを行使することは、ただちに軍事力による自衛に直結しなければならないものではない」とし、自衛権の行使方法として外交交渉、警察力による排除、群民蜂起等を挙げ、「自衛権の行使方法が数多くあり、そして、国家がその基本方針としてなにを選択するかは、まったく主権者の決定に委ねられているものであって、このなかにあって日本国民は前来記述のとおり、憲法において全世界に先駆けていっさいの軍事力を放棄して、永久平和主義を国の基本方針として定立したのである」と判示した&lt;ref name=&quot;s4897&quot;/&gt;。<br /> : 一方で、基本的には本説と同様の法解釈に立ちつつ、憲法9条と自衛権の関係について後述の自衛力論に立って、憲法第9条で放棄の対象となっている「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力(自衛力・防衛力)を保持することは憲法上否定されておらず、国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権に基づいてその自衛行動が認められるとする見解(後述の自衛力論)をとる立場もあり、政府見解も基本的に遂行不能説と同様の法解釈に立ちつつ自衛力論をとる立場をとっている&lt;ref&gt;芦部信喜『憲法学I憲法総論』有斐閣、1992年、261-262頁&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;ghdhj710&quot;/&gt;&lt;ref&gt;吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫「概説日本国憲法」国書刊行会、1995年(p.138)参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 政府見解は憲法制定時より憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする遂行不能説に立ちつつ&lt;ref&gt;佐藤達夫『憲法講話』(1960年)立花書房、16頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;奥平康弘『弘文堂入門双書 憲法』弘文堂、1981年、247-255頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;1946年(昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会、金森国務大臣&lt;/ref&gt;、交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとし、このうち自衛権に基づく自衛行動については憲法上許容されているとの解釈のもと&lt;ref name=&quot;sh110308&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;sh110315&quot;/&gt;、その自衛行動のための「戦力」に至らない程度の実力についてのみ保持しうるとしている&lt;ref&gt;[[1972年]](昭和47年)11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁&lt;/ref&gt;。<br /> : 自衛行動の範囲について、当初、政府見解は交戦権を伴う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとの構成をとり&lt;ref name=&quot;sh110308&quot;&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/145/0014/14503080014011c.html 1999年(平成11年)3月8日、参議院予算委員会、大森内閣法制局長官答弁]&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;sh110315&quot;&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/145/0005/14503150005005c.html 1999年(平成11年)3月15日、参議院外交・防衛委員会、秋山收内閣法制局第一部長答弁]&lt;/ref&gt;、わが国は集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されないという立場をとっていた&lt;ref name=&quot;gyousei1995&quot;&gt;政府見解について「現代法律大百科事典(3)」ぎょうせい、1995年(p.437)参照&lt;/ref&gt;。しかし、自衛権の発動としての自衛行動の範囲については、その後、2014年の閣議決定により集団的自衛権についても密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で行使可能とする政府見解の見直しが行われることとなった&lt;ref name=&quot;nikkei20140630&quot;&gt;{{cite news |title=集団的自衛権の行使容認、1日に閣議決定 公明が受け入れ方針 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2014-6-30 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3003L_Q4A630C1MM8000/ |accessdate=2014-7-1}}&lt;/ref&gt;。<br /> : 政府見解は憲法9条第2項前段の解釈につき「憲法第9条第2項の「前項の目的を達するため」という言葉は、同条第1項全体の趣旨、すなわち同項では国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄しているが、自衛権は否定しておらず、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められているということを受けている」との立場をとっており&lt;ref&gt;昭和55年12月5日、森清衆議院議員質問主意書に対する政府答弁書[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b093011.htm]&lt;/ref&gt;、第2項の「前項の目的」は第1項全体の趣旨を指すとしつつ、第1項では国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄しているが、自衛権は否定しておらず、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められていると解釈している&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修『注釈憲法第1巻』有斐閣、2000年、410頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 以上のように政府見解は基本的には遂行不能説と同様の法解釈を基礎とする法的構成に立っているが&lt;ref&gt;芦部信喜『憲法学I憲法総論』有斐閣、1992年、261-262頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[吉川智]]、[[阿部一夫]]、[[富永健]]、[[宮林茂樹]]、[[和田隆夫]]『概説日本国憲法 増補・補正版』国書刊行会、1995年、138頁&lt;/ref&gt;、「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力(自衛力・防衛力)を保持することは憲法上否定されていないとしており、「自衛権」と「戦力」の理解の点で学説の遂行不能説とは少なからず異なっていると言われている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;芦部信喜『憲法学I憲法総論』有斐閣、1992年、261-262頁&lt;/ref&gt;。この点については、政府見解が立脚しているはずの戦力全面不保持説と矛盾する結果をもたらすことになっているとの指摘&lt;ref&gt;樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂『注釈 日本国憲法 上巻』青林書院新社、1984年、181頁&lt;/ref&gt;や2項後段の解釈の方法などの点を除けば結論において実質的に後述の限定放棄説(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)に接近しているという指摘&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.180)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;もあるが、政府見解は自衛のための「戦力」については保持しうるとする立場(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)を公式には採用しておらず&lt;ref&gt;[[山内敏弘]]「現代法双書 新現代憲法入門」法律文化社、2004年(p.257)&lt;/ref&gt;、あくまでも遂行不能説と同様の法解釈を基礎としながら「戦力」に至らない程度の実力のみ保持しうるとの法的構成に立脚している&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.162-163)ISBN 978-4417009368 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;樋口陽一『憲法 改訂版』創文社、1998年、136-137頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;(自衛力による自衛権説(自衛力論)に立つ場合の、自衛力と憲法9条第2項後段(交戦権の否認)の規定との関係については後述の「交戦権」の解釈を参照)。<br /> : なお、本説に立った上で第2項の「前項の目的」とは第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を指すとする一項後段動機説がとられることもあるが、この説では憲法9条2項の前段ではなく後段の交戦権の否認の規定によってすべての戦争が放棄されると解釈する&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、116頁-117頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 遂行不能説の法解釈に対しては、すべての戦争の放棄という1つの目的のために2つの違った趣旨の規定を置いたことになり、憲法9条は立法技術的にみて拙劣な規定ということになってしまうとの批判がある&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.655)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、163頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 限定放棄説(狭義の限定放棄説・侵略戦争放棄説・自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)====<br /> : 憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段としては」の文言は侵略戦争を放棄したものと解すべきで、憲法9条第2項の「前項の目的を達するため」は憲法9条第1項の侵略戦争放棄という目的を達成するための戦力不保持の条件を示したものであるから自衛戦争は許容されているとみる説&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.161-163)ISBN 978-4417009368 ではB-Y説と分類されている。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[佐々木惣一]]「改訂日本国憲法論」有斐閣、1952年(p.231-238)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[大石義雄]]「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)&lt;/ref&gt;。<br /> : 本説は第2項の「前項の目的」とは第1項後段の「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」の部分を戦力不保持の条件として指すとする一項後段不保持限定説から導かれ&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、117頁参照&lt;/ref&gt;、一般には自衛戦争のための「戦力」を保持することは否定されていないとする後述の自衛戦力肯定説(戦力限定不保持説)と結びつく&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。<br /> : 限定放棄説では侵略戦争と自衛戦争の区別は可能であるとし、1928年のパリ不戦条約の締結時においても自衛戦争まで放棄するものではないことは締約国の了解するところであったこと、本条の立法上の経緯、特に既述の芦田修正や憲法9条の制定過程において[[極東委員会]]が、当時、このような解釈の可能性を認めており、そのために憲法66条2項に文民条項を入れることを強く要求したとされること&lt;ref name=&quot;bunmin&quot;&gt;{{Cite web<br /> |url=http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/126/126_020r.html<br /> |title=Transcript of Twenty-Seventh Meeting of the Far Eastern Commission, Held in Main Conference Room, 2516 Massachusetts Avenue, N.W., Saturday, September 21, 1946<br /> |work=日本国憲法の誕生<br /> |publisher=国立国会図書館<br /> |accessdate=2009-12-09<br /> }}&lt;/ref&gt;、また、世界平和を最高の目的とする国際連合においても国連憲章51条において自衛権を認めていることなどを根拠とする&lt;ref&gt;吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫『概説日本国憲法』国書刊行会、1995年、124頁-126頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;立法の経緯については[[長谷部恭男]]「新法学ライブラリー(2)憲法 第3版」新世社、2004年(p.63、p.60) 参照&lt;/ref&gt;。この説の法解釈からは自衛戦争について憲法は許容しており、その扱いは立法政策上の問題であるとする&lt;ref&gt;吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫『概説日本国憲法』国書刊行会、1995年、126頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 判例では百里基地訴訟第一審判決がこの説を採ったものといわれており&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.403)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;、「わが国は、外部からの不法な侵害に対し、この侵害を阻止、排除する権限を有するものというべき」とし、また、「「前項の目的」とは第一項全体の趣旨を受けて侵略戦争と侵略的な武力による威嚇ないしその行使に供しうる一切の戦力の保持を禁止したものと解するのが相当」とした上で、「わが国が、外部から武力攻撃を受けた場合に、自衛のため必要な限度においてこれを阻止し排除するため自衛権を行使することおよびこの自衛権行使のため有効適切な防衛措置を予め組織、整備することは、憲法前文、第九条に違反するものではない」と判示した&lt;ref&gt;水戸地判昭52・2・17判時842・22&lt;/ref&gt;。<br /> : このほか国民主権の国家における国民は憲法やその前提となる国家の存立について責任を有するとともに、[[日本国憲法第13条]]の規定は基本的人権に加えられる国内外からの侵害を排除することを要請すると説く学説もあり&lt;ref&gt;田上穣治「主権の概念と防衛の問題」日本国憲法体系(2)&lt;/ref&gt;、百里基地訴訟第一審判決も「国家統治の根本を定めた憲法は、国としての理念を掲げ、国民の権利を保障し、その実現に努力すべきことを定めており、しかも、憲法前文第二項において、「われらの安全と生存」の「保持」を「決意」していることによっても明らかなように、憲法は、わが国の存立、わが国民の安全と生存を、その前提として当然に予定するところであるから、わが国の主権、国民の基本的人権の保障を全うするためには、これらの権利が侵害されまたは侵害されようとしている場合、これを阻止、排除しなければならないとするのが、憲法の基本的立場であるといわなければならない」と判示している&lt;ref&gt;水戸地判昭52・2・17判時842・22&lt;/ref&gt;。<br /> : 限定放棄説の法解釈に対しては、戦力不保持を定めた9条2項の存在理由がなくなるもしくは極めて不明確になるとの批判があり&lt;ref&gt;芦部信喜『憲法学I憲法総論』有斐閣、1992年、261頁&lt;/ref&gt;、また、自衛戦争のための「戦力」と侵略戦争のための「戦力」を区別しうるのか、あるいは自衛戦力の保持が可能であるとすれば軍隊の設置や戦争の遂行についての規定が憲法に規定されていて然るべきはずであるといった批判がある&lt;ref&gt;[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]「憲法 第三版」青林書院、1995年(p.654-655)&lt;/ref&gt;。遂行不能説(二項全面放棄説)の立場では憲法9条第1項の段階では自衛戦争は放棄されていないと解釈するが、この遂行不能説(二項全面放棄説)の立場をとる論者からは、自衛のための戦力保持が可能であるとするのであれば、第1項では侵略戦争のみを放棄しているのであるから自衛戦争のための「戦力」を保持しうるのは自明で第2項は全く不必要のはずであり、あえて戦力の不保持について規定する第2項の存在理由が説明できなくなるとの指摘がある&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット注釈全書・憲法(上)新版』有斐閣、1983年、117頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 「自衛戦争」の概念については学説上の混乱が問題点として指摘されている&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]『憲法 第三版』弘文堂、1995年、173頁&lt;/ref&gt;。<br /> : 国際法(国連憲章)との関係上、限定放棄説において許容される「自衛戦争」とは当事者が法的に平等な地位において戦う闘争(full-blown selfdefence)ではなく、武力攻撃に対する自衛行動(limited selfdefence)にとどまるものであるとの見解がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年、409頁&lt;/ref&gt;。このような点から、本説に立った上で、憲法9条第2項前段により「戦力」は保持できないとして後述の自衛戦力肯定説をとらずに、人員・装備の点で「戦力」に至らない程度の「自衛力」を保持することはできるとする後述の自衛力論と結び付けて説く学説もある&lt;ref&gt;[[田上穣治]]「公法学研究」良書普及会、1982年(p.78-79)&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.401-402)ISBN 978-4641016910 では、自衛戦力肯定説と結びつけて説かれる限定放棄説を「a説」とし、自衛力論と結び付けて説かれる限定放棄説を「a´説」として分類する。&lt;/ref&gt;。ただ、限定放棄説(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)に対しては文理解釈や憲法の体系的解釈の点で難があるとの指摘があり、政府見解は前述のように交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づき必要最小限度の範囲で行使される自衛行動とは概念を異にするとの立場をとりつつ、自衛行動のための「戦力」に至らない程度の実力についてのみ保持しうるとしており(後述)&lt;ref&gt;[[1972年]](昭和47年)11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁&lt;/ref&gt;、法解釈の構成上は本説(自衛戦争許容説・戦力限定不保持説)ではなく遂行不能説を基礎とする法解釈に立ちつつ後述の自衛力論をとる立場に立っている&lt;ref name=&quot;ghdhj710&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[[吉川智]]、[[阿部一夫]]、[[富永健]]、[[宮林茂樹]]、[[和田隆夫]]「概説日本国憲法」国書刊行会、1995年(p.138)参照&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.410)ISBN 978-4641016910 では、政府見解(自衛力論と結び付けて説かれる遂行不能説)を「b´説」として分類する。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、「自衛戦争」の概念について、憲法第9条の解釈において従来の論者は「自衛戦争」の中に侵略的自衛戦争と自衛行動の双方を含意して用いてきたが、この二つは交戦法規の適用対象あるいは許容される軍事行動の態様の点で異なるとの指摘がある&lt;ref&gt;西修『エレメンタリ憲法新訂版』成文堂、2008年、51-52頁&lt;/ref&gt;。一方で「自衛戦争」と「自衛行動」という概念の区別が議論に混乱をもたらしているとする見解もあり、政府見解の「自衛のための戦力」とは異なる「自衛力」また「自衛戦争」とは異なる「自衛権の発動」という理論構成について議論に混乱をもたらしているとする見解もある&lt;ref&gt;吉川智、阿部一夫、富永健、宮林茂樹、和田隆夫『概説日本国憲法』国書刊行会、1995年、139頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 交戦権にかかる峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説については、[[日本国憲法第9条#峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説との関係|峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説との関係]]を参照。<br /> <br /> === 自衛権の問題 ===<br /> ==== 自衛権の意義 ====<br /> 自衛権(個別的自衛権)とは「外国からの違法な侵害に対して、自国を防衛するために緊急の必要がある場合、それに武力をもって反撃する国際法上の権利」と定義され、[[:s:国際連合憲章#第51条|国際連合憲章51条]]ではこの個別的自衛権に加えて[[集団的自衛権]]も規定する&lt;ref name=&quot;筒井167&quot;&gt;{{Cite book|和書|author = 筒井若水|year = 2002|title = 国際法辞典|publisher = 有斐閣|isbn = 4-641-00012-3|page=167}}&lt;/ref&gt;。この国際連合憲章51条を以下に引用する。<br /> <br /> {{quotation|この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。}}<br /> <br /> ==== 自衛権の行使 ====<br /> 国際法上、自衛権の行使が正当化されるためには、違法性、必要性、均衡性の要件を満たすことが必要と考えられている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.411)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;なお、[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.168)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> * 違法性<br /> : 侵害が急迫または現実のものであって、その行為が違法(不正)なものであること。<br /> * 必要性<br /> : 侵害排除という目的を実現するために一定の実力を行使する以外に選択する手段がないこと。<br /> * 均衡性<br /> : 自衛のための実力行使は必要な限度で行使され、侵害行為に対して均衡を失わない程度のものであること。<br /> <br /> ==== 憲法9条と自衛権 ====<br /> 憲法9条と自衛権の関係については、次のような説がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415以下)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.169-170)ISBN 978-4641129986 では、自衛権放棄説をさらに実質放棄説と形式放棄説とに分けている。&lt;/ref&gt;。<br /> * 自衛権放棄説<br /> : 憲法9条は自衛権を放棄しているとする説&lt;ref name=&quot;yh236238&quot;&gt;[[山内敏弘]]「平和憲法の理論」日本評論社、1992年(p.236-238)&lt;/ref&gt;。<br /> : 本説では自衛権が武力の行使を伴うことは不可避であり、日本国憲法の下では自衛権は放棄されているとみる&lt;ref name=&quot;yh236238&quot;/&gt;。<br /> : 本説に対しては、日本も主権国家である以上は自衛権そのものまで放棄しているとみることはできないのではないかとの指摘がある&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.170)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> * 自衛権留保説<br /> ** 自衛力なき自衛権説(非武装自衛権説)<br /> *: 憲法9条は自衛権を放棄してはいないが、軍事力を伴わない手段に限られるとする説&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]「憲法学I憲法総論」有斐閣、1992年(p.266)ISBN 978-4335300028 &lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説では国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権は放棄されてはいないが、憲法9条第2項により「戦力」や「武力」を用いた自衛権の行使は禁じられているとみる&lt;ref&gt;[[野中俊彦]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]、[[中村睦男]]、[[高見勝利]]「憲法(1)第4版」有斐閣、2006年(p.170)ISBN 978-4641129986&lt;/ref&gt;。<br /> *: 判例では長沼ナイキ事件第一審判決がこの説を採ったものといわれる&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.420、p.422-423)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説では軍事力を伴わない手段として、具体的に外交交渉、警察力、群民蜂起などを挙げる&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]、[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]補訂「憲法 第四版」岩波書店、2006年(p.61)ISBN 978-4000227643&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説に対しては、外交交渉、警察力、群民蜂起による自衛権の行使という観念は、伝統的な「自衛権」の概念とは異なるものであり、一定の客観的な意味と役割を有しているはずの「自衛権」の固有の意味を失わせ異質化させるものであるとの指摘がある&lt;ref&gt;[[山内敏弘]]「平和憲法の理論」日本評論社、1992年(p.208-209、p.236-238) 参照&lt;/ref&gt;。<br /> ** 自衛力による自衛権説(自衛力肯定説・自衛力論)<br /> *: 憲法9条は自衛権を放棄しておらず「戦力」に至らない程度の実力(自衛力・防衛力)の範囲において自衛権が認められるとする説&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.173)ISBN 978-4335300578&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説では国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権は放棄されておらず、その自衛行動をとるために必要とされる「戦力」に至らない程度の実力を保持することは憲法上否定されていないとみる&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.173)ISBN 978-4335300578 参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: 政府見解(公定解釈)はこの立場をとっている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.417)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。判例では砂川事件上告審判決がこの説を採ったのではないかとみる見解がある一方&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.419)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;、この事案が駐留米軍に関するものであったことから、日本独自の自衛力を保持することの是非についてまでは明らかとなっていないとみる見解もある&lt;ref&gt;芦部信喜『憲法学I憲法総論』有斐閣、1992年、284頁&lt;/ref&gt;。<br /> *: 学説においては本説の根拠として、国際法上において国家固有の権利として認められている自衛権は放棄されておらず、憲法が無防備・無抵抗を定めているとみることは正当でないが、憲法第9条に戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認が定められており、そのほか憲法に宣戦など戦争に関する規定が全くないことから、自衛権の行使は必要最小限度に限られ、その自衛行動をとるために必要とされる「戦力」に至らない程度の実力を保持することは憲法上否定されていないとみる&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]『憲法 第三版』弘文堂、1995年、172-173頁&lt;/ref&gt;。本説は「戦力」に至らない程度の自衛のための必要最小限度の実力についてのみ保持しうると解釈するものであり、その一定の制約から伝統的な「自衛権」の概念は憲法上維持できないとみる点で自衛戦力許容説とは法理論上は異なる立場となる&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、172頁参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;辻村みよ子編『基本憲法』悠々社、2009年、324頁(愛敬浩二)参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説に対しては自衛権の存在をもって直ちに憲法上の自衛力の保持の容認に繋がるか疑問であるとの指摘&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.158)ISBN 978-4417009368 参照&lt;/ref&gt;や、「自衛力」と「自衛の戦力」との相違が必ずしも明確ではないとの指摘がある&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891&lt;/ref&gt;。<br /> ** 自衛戦力による自衛権説(自衛戦力肯定説)<br /> *: 憲法9条は自衛戦争のための「戦力」を保持することを否定していないとする説&lt;ref&gt;[[大石義雄]]「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説は上の限定放棄説と結びつく説であり&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.415)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;、憲法上、自衛戦争は放棄されておらず、そのための「戦力」を保持することも許容されているとみる&lt;ref&gt;[[大石義雄]]「日本国憲法の法理」有信堂、1957年(p.199-206)&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説に対しては憲法9条の理解が形式的に過ぎ、戦力不保持について定める第2項前段の解釈の点で問題があるとの指摘がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.416)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: 判例において百里基地訴訟第一審判決や長沼ナイキ事件第二審判決ではこのような解釈がとられたが、一方、砂川事件第一審判決ではこのような解釈に否定的な判断がなされた&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.416)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[遠藤浩]]編「法令解釈事典(上)」ぎょうせい、1986年(p.17) 参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: 本説は憲法上、自衛目的のための「戦力」の保持は可能であり、伝統的な「自衛権」の概念が憲法上も維持されるとみる点で上の他の説とは異なる&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、172頁参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;辻村みよ子編『基本憲法』悠々社、2009年、324頁(愛敬浩二)参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: なお、政府見解(公定解釈)は自衛力による自衛権説に立っており、「「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力」は保持できるが「戦力」は保持できないとしているので自衛戦力肯定説とは異なる&lt;ref&gt;[[浦部法穂]]「全訂憲法学教室2版」日本評論社、2000年(p.408、p414)参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 集団的自衛権 ====<br /> {{see|集団的自衛権}}<br /> 集団的自衛権とは「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」と定義される&lt;ref&gt;筒井若水編「国際法辞典」有斐閣、1998年(p.176)&lt;/ref&gt;。国際連合憲章51条に定められている。日本の集団的自衛権について国際法上は、[[日本国との平和条約]](サンフランシスコ平和条約)第5条(C)が「連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」と定め、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言([[日ソ共同宣言]])第3項は「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。」と定める。<br /> <br /> 当初、政府見解はわが国は集団的自衛権を国際法上保有しているが、憲法上その行使は許されないという立場をとり&lt;ref name=&quot;gyousei1995&quot;/&gt;、1981年(昭和56年)の政府答弁書も「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」&lt;ref&gt;衆議院議員稲葉誠一君提出「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書(昭和56年5月29日)[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b094032.htm]&lt;/ref&gt;と述べていた。<br /> <br /> しかし、2014年、閣議決定により、密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で集団的自衛権も行使可能とする政府見解の見直しが行われることとなった&lt;ref name=&quot;nikkei20140630&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 「戦力」の解釈 ===<br /> ==== 「戦力」の内容 ====<br /> 憲法9条第2項の「戦力」の内容については、次のような説がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.424以下)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[辻村みよ子]]「憲法 第3版」日本評論社、2008年(p.110)参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、117頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、173-176頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]『注釈 日本国憲法 上巻』青林書院新社、1984年、168頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 戦力全面不保持説<br /> *: 憲法9条第2項は一切の「戦力」の保持を禁じているとする説。「戦力」の内容の具体的基準をめぐって以下のような説に分かれる。<br /> ** 潜在的能力説<br /> *: 憲法第9条第2項にいう「戦力」とは戦争に役立つ可能性のある潜在的能力をすべて含むとする説&lt;ref&gt;[[鵜飼信成]]「憲法 新版」弘文堂、1968年(p.61-62)ISBN 978-4335300028&lt;/ref&gt;。本条英文「other war potential」などを根拠とする&lt;ref&gt;鵜飼信成『要説 憲法』弘文堂、1984年、56頁参照&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、173-176頁参照&lt;/ref&gt;。<br /> *: この説に対しては警察力、重工業施設、港湾施設、[[航空機]]や[[空港]]・[[飛行場]]、[[航空工学]]の研究など科学技術、エネルギー資源等までも「戦力」に含まれうることとなり広汎に過ぎ失当であるとの批判がある&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、167頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、118頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;粕谷友介・向井久了『青林法学双書 憲法』青林書院、1995年、45頁&lt;/ref&gt;。<br /> ** 超警察力説<br /> *: 憲法第9条第2項にいう「戦力」とは警察力を超える程度の実力をいうとする説&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]「憲法学I憲法総論」有斐閣、1992年(p.269)ISBN 978-4335300028 &lt;/ref&gt;。この説からは一般に憲法9条第2項にいう「戦力」とは「軍隊」あるいは「軍備」を指すものであるとし、「軍隊」を「外敵の攻撃に対して実力をもって抵抗し、国土を防衛することを目的として設けられる人的および物的手段の組織体」と定義する&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、167頁&lt;/ref&gt;。<br /> ** 近代戦争遂行能力説<br /> *: 憲法第9条第2項にいう「戦力」とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいうとする説&lt;ref&gt;1952年11月25日、吉田内閣政府統一見解&lt;/ref&gt;。1952年(昭和27年)に第四次吉田茂内閣によって政府見解として示されたものである&lt;ref&gt;1952年11月26日付朝日新聞&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;粕谷友介・向井久了『青林法学双書 憲法』青林書院、1995年、46頁&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、174頁&lt;/ref&gt;。<br /> ** 超自衛力説<br /> *: 憲法第9条第2項にいう「戦力」とは自衛のための必要最小限度を超える実力をいうとする説&lt;ref&gt;1954年12月22日、鳩山一郎内閣政府統一見解&lt;/ref&gt;。1954年の自衛隊発足に伴って第一次鳩山一郎内閣によって示されたもので&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、175頁&lt;/ref&gt;、現在の政府見解(公定解釈)の立場である&lt;ref&gt;粕谷友介・向井久了『青林法学双書 憲法』青林書院、1995年、46頁&lt;/ref&gt;。憲法第9条第1項は自衛権を否定しておらず、その否定されていない自衛権の行使の裏付けとなる自衛のため必要最小限度の実力は憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらず、それを超えるものが憲法第9条第2項にいう「戦力」であると解釈する&lt;ref&gt;昭和47年11月13日、参議院予算委員会、吉國内閣法制局長官答弁&lt;/ref&gt;。<br /> * 戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)<br /> : 憲法第9条第2項は自衛のための「戦力」まで禁ずるものではないとする説&lt;ref&gt;佐々木惣一『日本国憲法論』有斐閣、1984年、234頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 「戦力」の判断基準 ====<br /> 「戦力」にあたるか否かの判断基準については、その実力組織を利用する者の目的という主観的観点から判断すべきとする主観説もあるが、実力組織そのものの性質という客観的観点から判断すべきとする客観説が通説となっている&lt;ref&gt;田辺勝二『憲法大要 学説・判例付』高文堂出版、1983年、275頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 不正規兵 ====<br /> 義勇隊(義勇兵)、組織的抵抗運動体、群民蜂起といった国際法にいう不正規兵は戦時において自然発生的に生じるものであり、憲法第9条第2項にいう「戦力」にはあたらないとされる&lt;ref&gt;樋口陽一、中村睦男、佐藤幸治、浦部法穂『注解法律学全集 憲法(1)』青林書院、1994年、166頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== その他 ====<br /> [[自衛隊員]](幹部自衛官を除く)が入隊時に朗読、署名捺印をする[[服務の宣誓]]には[[三島事件]]以降、「日本国憲法の遵守」という文言が挿入された。<br /> <br /> [[海上保安庁法]]には「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」とする規定がある&lt;ref&gt;海上保安庁法第25条&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[矢部宏冶]]は著書「知ってはいけない隠された日本支配の構造」([[講談社現代新書]])で1945年終戦・占領時は、各国軍隊は[[国連]]の元に[[国連軍]]として各国を防衛する理想から世界にゆだねたが、1950年の[[朝鮮戦争]]で[[冷戦]]が始まり国連軍が機能しないのに、その後に憲法改正されないので矛盾が生じたとしている。<br /> <br /> === 「交戦権」の解釈 ===<br /> ==== 「交戦権」の内容 ====<br /> 憲法9条第2項後段にある「交戦権」の内容については、次のような説がある&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.166-168)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、142頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 広く国家が戦争を行う権利をいうとする説&lt;ref&gt;[[小林直樹]]「憲法講義(上)新版」東京大学出版会、1980年(p.197)&lt;/ref&gt;<br /> : この説からは憲法9条2項後段は実質的には憲法9条1項と同じことを別の表現を用いて規定したものということになる&lt;ref&gt;美濃部達吉『日本国憲法原論』有斐閣、1952年、203頁&lt;/ref&gt;。なお、現代においては戦争が全面的に違法化されており国家が戦争を行う権利などありえようはずもないとして、本説における交戦権の否認の意味は事実上の戦争の放棄を意味するものとなるとの指摘がある&lt;ref&gt;西修『エレメンタリ憲法新訂版』成文堂、2008年、55頁&lt;/ref&gt;。<br /> : この説に対しては、憲法9条2項後段が1項の規定との重複する内容のものとなってしまうとの批判&lt;ref&gt;野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法(1)第4版』有斐閣、2006年、179頁&lt;/ref&gt;や国際法上の通常の用例に反する解釈であるとの批判&lt;ref&gt;佐藤功『ポケット註釈全書 憲法(上)新版』有斐閣、1983年、116頁参照&lt;/ref&gt;がある。<br /> * 国際法において交戦国に認められている権利の総体をいうとする説&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891 &lt;/ref&gt;<br /> : この説からは具体的には船舶の[[臨検]]・[[拿捕]]、占領地行政等の権利などが「交戦権」に含まれるとする&lt;ref&gt;宮沢俊義・芦部信喜補訂『コンメンタール全訂日本国憲法』日本評論社、1978年、176頁&lt;/ref&gt;。<br /> : この説に対しては「国の交戦権」の字句からみて日本語として無理のある解釈であるとの批判&lt;ref&gt;杉原泰雄『憲法(2)統治の機構』有斐閣、1989年、142頁参照&lt;/ref&gt;がある。<br /> * 上の両者をすべて含むとする説&lt;ref&gt;[[鵜飼信成]]「憲法 新版」弘文堂、1968年(p.61-62)ISBN 978-4335300028&lt;/ref&gt;<br /> : ただし、広く国家が戦争を行う権利をいうとする説でいう交戦権は国際法において交戦国に認められている権利の総体をいうとする説でいう交戦権を包含する関係にあることから&lt;ref&gt;[[清宮四郎]]『憲法(1)法律学全集 第3版』有斐閣、1979年、114頁&lt;/ref&gt;、これら両者をすべて含むとするこの説でいう「交戦権」は結論的には広く国家が戦争を行う権利をいうとする説での「交戦権」と重なり合うとみられている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.448)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。そのため、この説は広く国家が戦争を行う権利をいうとする説と異なる説であるとする独自の存在意義に乏しいとの批判がある&lt;ref&gt;[[清宮四郎]]『憲法(1)法律学全集 第3版』有斐閣、1979年、114頁&lt;/ref&gt;。<br /> これらの説のうち「国際法において交戦国に認められている権利」をいうとする説が多数説となっている&lt;ref&gt;[[長谷部恭男]]「新法学ライブラリー(2)憲法 第3版」新世社、2004年(p.66) 参照&lt;/ref&gt;&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;1953年に出版された法学協会編「註解日本国憲法 上巻」有斐閣(p.213)では「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説が多数説であるとしている。&lt;/ref&gt;。判例においても「国際法上の概念として、交戦国が国家として持つ権利」をいうとし(長沼ナイキ事件第一審判決、百里基地訴訟第一審判決)、政府見解も「交戦者として戦時国際法上認められている権利」をいうとしている&lt;ref&gt;政府見解については[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]「立憲主義と日本国憲法」有斐閣、2005年(p.50)ISBN 978-4641129825 参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==== 峻別不能説・遂行不能説・限定放棄説との関係 ====<br /> 上のように「交戦権」については「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説がある&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.448)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 憲法第9条第2項後段の交戦権の否認については、同項前段の「前項の目的を達するため」の文との関係が問題となるが、学説の多くは「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかからないとみている&lt;ref&gt;[[樋口陽一]]、[[中村睦男]]、[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]、[[浦部法穂]]「注解法律学全集 憲法(1)」青林書院、1994年(p.167)ISBN 978-4417009368 参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 限定放棄説では憲法9条第2項前段の「前項の目的を達するため」を侵略戦争放棄という目的を達成するための条件を示したものとみるが、この文が句点によって区切られた憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文言にまでかからないのではないかという問題を生じる&lt;ref&gt;[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]「立憲主義と日本国憲法」有斐閣、2005年(p.49)ISBN 978-4641129825&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[杉原泰雄]]『有斐閣法学叢書 憲法(2)統治の機構』青林書院、1989年、117頁参照&lt;/ref&gt;。この点については、限定放棄説から、「交戦権」の内容を「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈し、憲法9条2項後段の交戦権の否認については、あえて他の国家に対して国際法上の交戦権を主張しない趣旨であるとみる説がある&lt;ref&gt;[[佐々木惣一]]「改訂日本国憲法論」有斐閣、1952年(p.198)&lt;/ref&gt;。一方でこのような解釈とは異なり、そのまま「前項の目的を達するため」の文は後段の「国の交戦権は、これを認めない」の部分にまでかかり、交戦権の否認も侵略戦争放棄という目的を達成するための限定的なものとなるとする説もある&lt;ref&gt;小林宏晨「交戦権」『[[ジュリスト]]増刊 憲法の争点 新版』有斐閣、1985年&lt;/ref&gt;。この説によれば、憲法第9条第2項後段は、万が一、侵略的な行動を犯した場合にも交戦国の権利を主張できないという趣旨であるとの帰結となり、二重に侵略行動を抑圧するものであるとする&lt;ref&gt;小林宏晨「交戦権」『ジュリスト増刊 憲法の争点 新版』有斐閣、1985年、53頁&lt;/ref&gt;。なお、前述のように、政府見解は基本的には遂行不能説と同様の法解釈に立ちつつ「前項の目的を達するため」の文は憲法9条第2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」の文にまでかからないとした上で、交戦権は全面的に否認されているが交戦権とは区別される自衛行動権(自衛権の行使として自国に対する急迫不正の武力攻撃を排除するために行われる必要最小限度の実力を行使する権利)については憲法上否認されていないと解釈する&lt;ref&gt;「現代法律大百科事典(3)」ぎょうせい、1995年(p.23)参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一般に限定放棄説からは「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」と解釈すると結局のところ全面放棄となってしまうため、「交戦権」については「国際法において交戦国に認められている権利」と解釈する説とのみ結びつくと考えられている&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.450)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。これに対して、峻別不能説及び遂行不能説からは、「交戦権」について「広く国家が戦争を行う権利」とみる説と「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説のいずれの説とも結びつくといわれる&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]監修「注釈憲法 第1巻」有斐閣、2000年(p.449)ISBN 978-4641016910 参照&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 峻別不能説(一項全面放棄説)に立って、「交戦権」を「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説からは、憲法9条2項後段は憲法9条1項の戦争の全面的放棄の裏付けとして国際法上の観点から規定されたものと説明される&lt;ref&gt;田畑忍「憲法と再軍備」戦争と平和の政治学、有斐閣、1952年&lt;/ref&gt;。また、峻別不能説(一項全面放棄説)に立って「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説からは、憲法9条第1項は事実上の戦争を禁じるものであり、第2項は法上の戦争も否認するものであると説明される&lt;ref&gt;[[清宮四郎]]『憲法(1)法律学全集 第3版』有斐閣、1979年、116-117頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 遂行不能説(二項全面放棄説)に立って、「交戦権」を「国際法において交戦国に認められている権利」とみる説からは、憲法9条2項前段は物的な面から、憲法9条2項後段は法的な面から戦争を不可能にする趣旨であると説明される&lt;ref&gt;[[佐藤功]]「ポケット注釈全書・憲法(上)新版」有斐閣、1983年(p.135)ISBN 978-4641018891 &lt;/ref&gt;。また、遂行不能説(二項全面放棄説)に立って「交戦権」を「広く国家が戦争を行う権利」とみる説からは、憲法9条2項後段は憲法9条前段の戦力不保持とあわせて一切の戦争が行えなくなったことを示すものと説明される&lt;ref&gt;横田喜三郎『戦争の放棄』1947年、60頁以下&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> なお、「戦力」に至らない程度の実力を「自衛力」あるいは「防衛力」として認め、これについては保持しうるとする自衛力による自衛権説をとる場合の自衛力の行使と交戦権の否認との関係については次節参照。<br /> <br /> ==== 自衛力・防衛力との関係 ====<br /> 憲法9条2項前段によって不保持の対象となっている「戦力」を保持することはできないが、「戦力」に至らない程度の実力(自衛力・防衛力)については保持することが認められるとする「自衛力による自衛権説」に立つ場合、その自衛力の行使と憲法9条2項後段(交戦権の否認)との関係が問題となる。この点について、自衛のための必要最小限度の自衛力の行使の関係においてのみ例外的に交戦権が存在しているとみる見解&lt;ref&gt;[[伊藤正己]]「憲法 第三版」弘文堂、1995年(p.178)ISBN 978-4335300578&lt;/ref&gt;がある一方、政府見解のように憲法9条2項前段の「前項の目的を達するため」は憲法9条2項後段(交戦権の否認)にはかからないので交戦権は全面的に否認されているが、交戦権とは区別される自衛行動権については憲法上否認されていないとみる見解&lt;ref&gt;政府見解について「現代法律大百科事典(3)」ぎょうせい、1995年(p.23)参照&lt;/ref&gt;もある。この点について、昭和44年の参議院予算委員会において[[高辻正己]]内閣法制局長官(当時)は「あくまでも憲法の第九条二項が否認をしている交戦権、これは絶対に持てない。しかし、自衛権の行使に伴って生ずる自衛行動、これを有効適切に行なわれるそれぞれの現実具体的な根拠としての自衛行動権、これは交戦権と違って認められないわけではなかろうということを申し上げた趣旨でございますので、不明な点がありましたら、そのように御了解を願いたいと思います」&lt;ref&gt;1969年(昭和44年)2月22日、参議院予算委員会における高辻内閣法制局長官の答弁&lt;/ref&gt;と述べている。<br /> <br /> なお、自衛行動の範囲、自衛のための武力行使の要件についての政府の憲法解釈は2014年7月に変更されている&lt;ref name=&quot;nikkei20140705&quot;&gt;{{cite news |title=憲法解釈変更、変わる安保 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2014-7-5 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXZZO71183560U4A510C1000048/ |accessdate=2014-7-24}}&lt;/ref&gt;。<br /> {{quotation|従来の武力行使の3要件&lt;ref name=&quot;nikkei20140705&quot;/&gt;<br /> # 我が国に対する急迫不正の侵害があること<br /> # これを排除するために他に適当な手段がないこと<br /> # 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと<br /> }}<br /> {{quotation|2014年7月に閣議決定された武力行使の新3要件&lt;ref name=&quot;nikkei20140705&quot;/&gt;<br /> # 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること<br /> # これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと<br /> # 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと<br /> }}<br /> <br /> ===== 自衛行動の地理的範囲 =====<br /> 政府見解では我が国が自衛権の行使として我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することのできる地理的範囲は、必ずしも我が国の[[領土]]、[[領海]]、[[領空]]に限られるものではなく、自衛権の行使に必要な限度内で[[公海]]・[[公空]]に及ぶとする&lt;ref&gt;[[1985年]](昭和60年)9月27日、森清衆議院議員提出憲法第9条の解釈に関する質問に対する政府答弁書&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、武力行使の目的をもって自衛隊を他国の領土、領海、領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないが&lt;ref&gt;[[1985年]](昭和60年)9月27日、森清衆議院議員提出憲法第9条の解釈に関する質問に対する政府答弁書&lt;/ref&gt;、わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対して[[誘導弾]]等による攻撃が行われた場合に、その攻撃を防ぐのに必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくということは、法理的には自衛の範囲に含まれ可能であるとする&lt;ref&gt;[[1956年]](昭和31年)2月29日、衆議院内閣委員会における鳩山総理答弁(船田防衛庁長官代読)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===== 保有しうる兵器の範囲 =====<br /> 政府見解では性能上専ら他国の国土の潰滅的破壊のためにのみ用いられる兵器については、いかなる場合においても、これを保持することが許されないとし、例えば[[ICBM]]、[[戦略爆撃機|長距離戦略爆撃機]]、[[航空母艦|攻撃型空母]]については保有することが許されないとする&lt;ref&gt;[[1988年]](昭和63年)4月6日、参議院予算委員会における瓦防衛庁長官答弁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一方、兵器の範囲が自国防衛のみに限定されるという制約は、日本が防御や隠密性に優れた兵器開発に力を注ぐ事となったとして、[[CNN]]はこの制約がむしろ日本の戦力をさらに強化するのに役立ったという見方があると報じた&lt;ref&gt;{{cite news |title=日本海上自衛隊、世界2~3位の戦力保有…戦力強化は平和憲法のおかげ? |newspaper=[[ハンギョレ]] |date=2016-12-8 |url=http://japan.hani.co.kr/arti/international/25896.html | accessdate=2016-12-11 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===== 戦時国際法及び国際人道法の適用 =====<br /> 交戦権の否認との関係で戦時国際法及び国際人道法の適用が議論されることがあるが、[[1978年]](昭和53年)の衆議院内閣委員会において[[真田秀夫]]内閣法制局長官(当時)は「憲法の制約内における実力行使はできるわけでございますから、その実力行使を行うに際して既述されている戦時国際法規は適用があります。たとえば、侵略軍の兵隊を[[捕虜]]にした場合にはその捕虜としての扱いをしなければならないというようなことは当然適用があるということでございます」&lt;ref&gt;[[1978年]](昭和53年)8月16日、衆議院内閣委員会における真田秀夫内閣法制局長官の答弁&lt;/ref&gt;と述べている。また、同委員会において[[柳井俊二]]外務省条約局法規課長(当時)は「一九四九年のいわゆるジュネーブ諸条約その他条約がございまして、これはわが国も締約国になっておりますし、これらの条約に規定されましたところのもろもろのルールというものはわが国についても適用があるというふうに考えております」&lt;ref&gt;1978年(昭和53年)8月16日、衆議院内閣委員会における柳井俊二外務省条約局法規課長の答弁&lt;/ref&gt;と述べている。さらに、平成2年の国際連合平和協力に関する特別委員会において柳井俊二外務省条約局長(当時)は「我が国が紛争当事国にならない場合におきましては、自衛官もあるいは文民もいわゆる第四条約、これは戦時における文民の保護に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約でございますが、この文民の保護に関する条約のもとで保護を受けるということでございまして、この場合におきましては、自衛官の場合もあるいはそれ以外の文官の場合も特に変わりなく人道的な保護を受けるということでございます。(中略)このようなことは実際上は余り考えにくいわけでございますけれども、ある国が我が国をいわば紛争当事国とみなすというようなことを全く理論的に考えました場合におきましては、この自衛官は国際法上軍人とみなされますから捕虜の待遇を受けるわけでございます。この場合におきましては、ヘーグ条約あるいは捕虜の待遇に関する千九百四十九年のジュネーヴ条約の保護を受けます。そして文民の方々は、先ほど挙げましたジュネーブ第四条約、文民の保護に関する条約の保護を受けることになります」と述べている&lt;ref&gt;[[1990年]](平成2年)10月25日、国際連合平和協力に関する特別委員会<br /> における柳井俊二外務省条約局長の答弁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 憲法改正権との関係 ===<br /> * 憲法改正無限界説<br /> : 憲法改正に限界はないとする説からは憲法9条も当然に改正しうるとする&lt;ref&gt;[[大石義雄]]「軍備の設定をめぐる憲法法理論」阪大法学3号(p.12-14)&lt;/ref&gt;。<br /> * 憲法改正限界説<br /> ** 憲法改正には限界があるが、国民主権原理のみが憲法改正の限界にあたるとし、憲法9条は憲法改正の限界に含まれない(憲法9条第1項の「永久に」に法的意味はなく国家の方針を示した宣言的文言である)とする説&lt;ref&gt;[[宮沢俊義]]・[[芦部信喜]]補訂「コンメンタール全訂日本国憲法」日本評論社、1978年(p.125-126)&lt;/ref&gt;<br /> ** 憲法改正には限界があり、憲法9条第1項については憲法改正の限界に含まれるとみる説&lt;ref&gt;[[芦部信喜]]「憲法学I憲法総論」有斐閣、1992年(p.78)ISBN 978-4335300028&lt;/ref&gt;<br /> ** 憲法改正には限界があり、憲法9条第1項・第2項ともに憲法改正の限界に含まれるとみる説&lt;ref&gt;[[鵜飼信成]]「法律学入門双書 要説 憲法」弘文堂、1984年(p.56)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 第9条に関する有権解釈 ==<br /> === 政府における解釈 ===<br /> 政府見解は憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする立場をとりつつ&lt;ref&gt;1946年(昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会、金森国務大臣答弁&lt;/ref&gt;、交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとし、このうち自衛権に基づく自衛行動について憲法上許容されているとの解釈をとるに至っている&lt;ref&gt;1953年(昭和28年)8月5日、衆議院外務委員会、下田外務省条約局長答弁&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;sh110308&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;sh110315&quot;/&gt;。<br /> {{quotation|;1946年9月、[[金森徳次郎]]国務大臣<br /> *「第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです」([[1946年]](昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における高柳賢三議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)&lt;ref&gt;「第九十回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第十二号」3頁&lt;/ref&gt;<br /> *「第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります」(1946年9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における[[大河内輝耕]]議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁)&lt;ref&gt;「第九十回帝国議会貴族院帝国憲法改正案特別委員会議事速記録第十二号」29頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1953年8月、[[下田武三]]外務省条約局長<br /> 「国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行って爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であって、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入って敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。」([[1953年]](昭和28年)8月5日、衆議院外務委員会における下田武三外務省条約局長の答弁)<br /> }}<br /> ==== 「戦力」についての政府解釈の変遷 ====<br /> 憲法学者からは「戦力」概念について政府見解の変遷が指摘されることがある。憲法制定当初、政府は、憲法は一切の軍備を禁止し、自衛権の発動としての戦争をも放棄したものとしていた。しかし、朝鮮戦争に伴う日本再軍備とともに、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは憲法上禁止されておらず、自衛隊は必要最小限度の「実力」であって、憲法で禁止された「戦力」には当たらないとするに至っている。<br /> {{quotation|;1946年6月、[[吉田茂]]内閣総理大臣<br /> *「自衞權に付ての御尋ねであります、戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります」([[1946年]](昭和21年)6月26日、帝国議会衆議院本会議における原夫次郎議員に対する吉田茂首相の答弁)&lt;ref&gt;「第九十回帝国議会衆議院議事速記録第六号」3頁&lt;/ref&gt;<br /> *「戰爭抛棄に關する憲法草案の條項に於きまして、國家正當防衞權に依る戰爭は正當なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります」(1946年6月28日、帝国議会衆議院本会議における野坂参三議員に対する吉田茂首相の答弁)&lt;ref&gt;「第九十回帝国議会衆議院議事速記録第八号」14頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1950年7月、吉田茂内閣総理大臣<br /> 「(警察予備隊の設置)の目的は何か、これは全然治安維持であります。秩序を維持するためであります。その目的以外には何ら出ないのであります。これが、あるいは国連加入の條件であるとか、用意であるとか、あるいは再軍備の目的であるとかいうようなことは、全然含んでおらないのであります。現在の状態において、いかにして現在の日本の治安を維持するかというところに、全然その主要な目的があるのであります。従つて、その性格は軍隊ではないのであります。また軍隊によつていわゆる国際紛争を解決するというのは軍隊の目的としての一つでありますが、この警察予備隊によつて国際紛争を解決する手段とは全然いたさない考であります」([[1950年]](昭和25年)7月29日、衆議院本会議における佐瀬昌三議員に対する吉田茂首相の答弁)&lt;ref&gt;「第八回国会衆議院会議録第十号」164頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1952年11月、吉田茂内閣の政府統一見解<br /> 「戦力とは、近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものをいう。戦力に至らざる程度の実力を保持し、これを直接侵略防衛の用に供することは違憲ではない」([[1952年]](昭和27年)11月、吉田茂内閣の政府統一見解)<br /> }}<br /> {{quotation|;1953年7月、[[木村篤太郎]]保安庁長官<br /> 「第九条第二項の戦力とは何ぞやということになりますると、結局近代戦争を遂行し得るような装備編成を持つた大きな力であると、こう解釈する。そこで外国へ向つて侵略戦争を行い得るような力は往々にしてこの戦力に該当するような大きな力であると、我々はこう考えておる。従いまして、必ずしも侵略戦争に用いる力が即戦力とは申されませんが、外国に対して侵略戦争をするような力は往々にして戦力に該当するものであろうと、こう考えております」([[1953年]](昭和28年)7月25日、参議院予算委員会における亀田得治議員に対する木村篤太郎保安庁長官の答弁)&lt;ref&gt;「第十六回国会参議院予算委員会会議録第二十三号」3頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1954年4月、木村篤太郎保安庁長官<br /> 「常々申し上げます通り、軍隊とは何であるか、引続いて戦力とは何であるかということについては、確たる一定の定義というものはないのであります。御承知の通り、わが憲法においては自衛力は否定されていないのであります。一国独立国家たる以上は、外部からの不当侵略に対してこれを守るだけの権利があります。その権利の関係であります力を持つことは当然の事理であります。安保条約においてもまた国連憲章五十一条においてもこれはひとしく認めるところであります。ただ憲法第九条第二項において戦力を持つことを否定されておるのであります。現段階においてはいわゆる戦力に至らざる程度においての自衛力を持とうというのがわれわれの念願とするところであります。しこうして今御審議を願つております自衛隊法による自衛隊にいたしましても、もちろん外部からの不当侵略に対して対処し得る実力部隊、これを軍隊といい、また軍隊といわなくとも一向さしつかいないのであります。要は戦力に至らない実力部隊、われわれはこう考えておる次第であります。」([[1954年]](昭和29年)4月27日、衆議院内閣委員会における田中稔男議員に対する木村篤太郎保安庁長官の答弁)&lt;ref&gt;「第十九回国会衆議院内閣委員会会議録第二十八号」&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1954年12月、[[第1次鳩山一郎内閣]]の政府統一見解<br /> 「憲法第九条は、独立国としてわが国が自衛権を持つことを認めている。従つて自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。自衛隊は軍隊か。自衛隊は外国からの侵略に対処するという任務を有するが、こういうものを軍隊というならば、自衛隊も軍隊ということができる。しかしかような実力部隊を持つことは憲法に違反するものではない」([[1954年]](昭和29年)12月22日、衆議院予算委員会における福田篤康議員に対する大村清一防衛庁長官の答弁)&lt;ref&gt;「第二十一回国会衆議院予算委員会会議録第二号」1頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> <br /> ==== 第9条に関する政府見解 ====<br /> ===== 自衛権とその発動 =====<br /> {{quotation|;1954年5月、[[佐藤達夫 (法制官僚)|佐藤達夫]]内閣法制局長官<br /> 「いざこざが前にあろうとなかろうとこちらから手を出すのは、これは無論解決のための武力行使になりますけれども、いざこざがあつて、そうして向うのほうから攻め込んで来た場合、これを甘んじて受けなければならんということは、結局言い換えれば自衛権というものは放棄した形になるわけです。自衛権というものがあります以上は、自分の国の生存を守るだけの必要な対応手段は、これは勿論許される。即ちその場合は国際紛争解決の手段としての武力行使ではないんであつて、国の生存そのものを守るための武力行使でありますから、それは当然自衛権の発動として許されるだろう、かように考えておるのであります。」([[1954年]](昭和29年)5月13日、参議院法務委員会における中山福藏議員に対する佐藤達夫内閣法制局長官の答弁)&lt;ref&gt;「第十九回国会衆議院法務委員会会議録第三十五号」&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> ===== 交戦権と自衛行動 =====<br /> {{quotation|;1955年7月、[[林修三]]内閣法制局長官<br /> 「先ほどから申し上げます通りに、いわゆる交戦権という問題と、日本が他国あるいは外部から侵略された場合に、自衛のためにそれを排除するために抗争するということとは観点が別だと思います。しかしたまたまその形が、いわゆる戦争、国際法的に見た戦争と見られるような形をとるということは、これはもちろんあり得ることと思いますが、それは私は排除されておらない。つまり日本その自衛のために必要な限度における、の侵略を排除する範囲における自衛行動、これは認められておる。その形を国際法上何と見るか。これは国際法の関連において決する、かように考えます。」([[1955年]](昭和30年)7月26日、参議院内閣委員会における堀眞琴議員に対する林修三内閣法制局長官の答弁)&lt;ref&gt;「第二十二回国会衆議院内閣委員会会議録第三十四号」&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1999年、[[大森政輔]]内閣法制局長官<br /> 「個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います」&lt;ref name=&quot;sh110308&quot;/&gt;(1999年(平成11年)、参議院予算委員会における大森政輔内閣法制局長官の答弁)<br /> }}<br /> {{quotation|;1999年、[[秋山收]]内閣法制局第一部長<br /> 「自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます」&lt;ref name=&quot;sh110315&quot;/&gt;(1999年(平成11年)、参議院外交防衛委員会における秋山收内閣法制局第一部長の答弁)<br /> }}<br /> <br /> なお、2014年、閣議決定により、密接な関係にある他国への攻撃であり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合などに限って必要最小限度の範囲で集団的自衛権も行使可能とする政府見解の見直しが行われている&lt;ref name=&quot;nikkei20140630&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===== 自衛力の法的限界 =====<br /> {{quotation|;1957年5月、[[岸信介]]内閣総理大臣<br /> 「今日核兵器と言われておるところの原水爆やその他これに類似したようなものが、これはその性格から申しましても、もっぱら攻撃的なものでありまして、こんなものを日本が持つということは、これは憲法の自衛権というものの解釈からいってもこれは許せないことであろう。しかし核兵器と一言に言われておるけれども、この原子力のいろんな発達というものは非常に著しいものがあるからして、そういう場合において、憲法の議論としては、これはそういうものが、あらゆる、たとえもっぱら防禦的だと考えられるようなものであったとしても、いわゆる核兵器と名がついたら、これは憲法違反だ。―憲法に核兵器を禁止しておるという私は明文はないと思うのです。ただ自衛権の内容というもの、自衛というもののワクでもって、われわれが持ち得る一つの実力といいますか、力というものは、限定されなければならないというのが私の憲法の議論でございます」([[1957年]](昭和32年)5月13日、参議院予算委員会における小林孝平議員に対する岸信介首相の答弁)&lt;ref&gt;「第二十六回国会参議院予算委員会会議録第二十九号」22頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1967年3月、[[佐藤榮作]]内閣総理大臣<br /> 「わが国が持ち得る自衛力、これは他国に対して侵略的脅威を与えない、侵略的脅威を与えるようなものであってはならないのであります。これは、いま自衛隊の自衛力の限度だ。かように私理解しておりますので、ただいま言われますように、だんだん強くなっております。これはまたいろいろ武器等におきましても、地域的な通常兵器による侵略と申しましても、いろいろそのほうの力が強くなっておりますから、それは、これに対応し得る抑止力、そのためには私のほうも整備していかなければならぬ。かように思っておりますが、その問題とは違って、憲法が許しておりますものは、他国に対し侵略的な脅威を与えない。こういうことで、はっきり限度がおわかりいただけるだろうと思います」([[1967年]](昭和42年)3月31日、参議院予算委員会における鈴木強議員に対する佐藤榮作首相の答弁)&lt;ref&gt;「第五十五回国会「参議院予算委員会会議録第四号」3頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1978年4月、[[真田秀夫]]内閣法制局長官<br /> 「政府が従来から憲法第九条に関してとっている解釈は、同条が我が国が独立国として固有の自衛権を有することを否定していないことは憲法の前文をはじめ全体の趣旨に照らしてみても明らかであり、その裏付けとしての自衛のための必要最小限度の範囲内の実力を保持することは同条第二項によっても禁止されておらず、右の限度を超えるものが同項によりその保持を禁止される「戦力」に当たるというものである。(中略)核兵器であっても仮に自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまるものがあるとすれば、憲法上その保有を許されるとしている意味は、もともと、単にその保有を禁じていないというにとどまり、その保有を義務付けているというものでないことは当然であるから、これを保有しないこととする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていないのであって、現に我が国は、そうした政策的選択の下に、国是ともいうべき非核三原則を堅持し、更に原子力基本法及び核兵器不拡散条約の規定により一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。」([[1978年]](昭和53年)4月3日、参議院予算委員会における矢追秀彦議員に対する真田秀夫内閣法制局長官の答弁)&lt;ref&gt;「第八十四回国会参議院予算委員会会議録第二十三号」&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> {{quotation|;1979年3月、[[大平正芳]]内閣総理大臣<br /> 「自衛のために最小必要限度を超えない実力を保持することは憲法によって禁止されておらない、したがって、自衛のための必要最小限度の範囲を超えることになるものは、通常兵器でありましてもその保有は許されないと解されるのが憲法の精神だろうと思いますが、その精神は、一方、核兵器でございましても、仮に右の限度の範囲内にとどまるものであれば、憲法上はその保有を禁ずるものでないという解釈を政府はとっておりますことは御案内のとおりであります。憲法の解釈は右のとおりでございますけれども、わが国は、政策的な選択といたしまして、いわゆる非核三原則を国是とも言うべき政策として堅持しております。さらに、原子力基本法並びに核兵器不拡散条約の規定によりまして、一切の核兵器を保有し得ないとしていることは言うまでもないところでございます」(1979年3月16日、参議院本会議における吉田正雄議員に対する大平正芳首相の答弁)&lt;ref&gt;「第八十七回国会参議院会議録第九号」3頁&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> ===== 自衛官と国際法上の地位 =====<br /> {{quotation|;1990年10月、[[中山太郎]]外務大臣<br /> 「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします。この点は、平和協力隊に参加している自衛隊の部隊等についても変わりはございません。」([[1990年]](平成2年)10月18日、衆議院本会議における日笠勝之議員に対する中山太郎外務大臣の答弁)&lt;ref&gt;「第百十九回国会衆議院会議録第四号」&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> <br /> === 判例における解釈 ===<br /> [[自衛隊]]の憲法9条に対する合憲性について直接判断した最高裁の判例は未だ存在しない。下級裁においては長沼ナイキ事件(札幌地裁)、航空自衛隊イラク派遣違憲訴訟(名古屋高裁)の2例がある。<br /> <br /> ==== 時間的適用範囲 ====<br /> [[1951年]](昭和26年)[[11月28日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]大法廷判決。&#039;&#039;&#039;遡及効の否定&#039;&#039;&#039;&lt;ref name=&quot;hanrei&quot;&gt;{{Cite 判例検索システム<br /> | 事件名 = 贈賄、収賄<br /> | 裁判所 = [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]<br /> | 法廷 = 大法廷<br /> | 裁判形式 = 判決<br /> | 裁判年 = 1951<br /> | 裁判月 = 11<br /> | 裁判日 = 28<br /> | 事件番号 = 昭和25(れ)755<br /> | 全文URI = http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319122221258148.pdf<br /> | 検索結果詳細画面URI = http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=54553&amp;hanreiKbn=02<br /> | 閲覧日時 = 2012-10-20<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> *憲法9条の規定は将来に対する宣言であり、制定前の戦時中の収賄行為について戦時刑事特別法を適用するかの判断には関係しない。<br /> <br /> ==== 警察予備隊違憲訴訟 ====<br /> {{main|警察予備隊違憲訴訟}}<br /> <br /> ==== 砂川事件 ====<br /> {{main|砂川事件}}<br /> [[1959年]](昭和34年)[[12月16日]]、最高裁判所大法廷判決(この判決が示されるに当たり、アメリカの圧力があった事が判明している&lt;ref&gt;{{cite news<br /> |url = http://www.47news.jp/CN/200804/CN2008042901000464.html<br /> |title = 「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明<br /> |newspaper = [[47NEWS]]<br /> |publisher = [[共同通信社]]<br /> |date = 2008-04-29<br /> |accessdate = 2009-02-02<br /> }}&lt;/ref&gt;)<br /> * 憲法9条はわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定していない。<br /> * 憲法9条はわが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら否定していない<br /> * 憲法9条2項にいう「戦力」とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使する戦力をいう<br /> * 外国の軍隊は憲法9条2項にいう「戦力」に該当しない<br /> * [[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|(旧)日米安全保障条約]]は憲法9条に一見極めて明白に違反するということはできない<br /> <br /> ==== 恵庭事件 ====<br /> {{main|恵庭事件}}<br /> <br /> ==== 長沼ナイキ事件 ====<br /> {{main|長沼ナイキ事件}}<br /> <br /> ==== 百里基地訴訟 ====<br /> {{main|百里基地訴訟}}<br /> [[1989年]](平成元年)[[6月20日]]、最高裁判所第三小法廷判決<br /> *憲法9条は私法上の行為に直接適用されるものではない<br /> *国が行政の主体としてでなく私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約がその成立の経緯及び内容において、実質的にみて公権力の行使の発動たる行為と何ら変わらないといえるような特段の事情のない限り、憲法9条の直接適用を受けない<br /> <br /> ====沖縄代理署名訴訟====<br /> [[1996年]](平成8年)[[8月28日]]、最高裁判所大法廷判決&lt;ref&gt;{{Cite 判例検索システム<br /> | 事件名 = 地方自治法一五一条の二第三項の規定に基づく職務執行命令裁判請求事件<br /> | 裁判所 = 最高裁判所<br /> | 法廷 = 大法廷<br /> | 裁判形式 = 判決<br /> | 裁判年 = 1996<br /> | 裁判月 = 8<br /> | 裁判日 = 28<br /> | 事件番号 = 平成8(行ツ)90<br /> | 全文URI = http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319121011226899.pdf<br /> | 検索結果詳細画面URI = http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52606&amp;hanreiKbn=02<br /> | 閲覧日時 = 2012-10-20<br /> }}&lt;/ref&gt;<br /> *現行日米安全保障条約は憲法9条に一見極めて明白に違反するということはできない<br /> *駐留軍用地特措法は憲法9条に違反しない<br /> <br /> {{節スタブ}}<br /> &lt;!--<br /> === 規定の解釈 ===<br /> <br /> ==== 規定の時間的適用範囲 ====<br /> 「憲法九条は、将来に対し戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を宣言したものであつて、戦時刑事特別法廃止法律が過去の戦時中の行為に関して当時施行されて居た戦時刑事特別法の適用ある旨を規定したことは憲法九条の何等の関りもあるものではない。されば本件過去の戦時中の収賄行為について戦時刑事特別法を適用した原判決は何等違法はない。」([[1951年]](昭和26年)11月28日、最高裁判所大法廷判決)&lt;ref name=&quot;hanrei&quot;/&gt;<br /> <br /> ==== 規定の意義 ====<br /> 「先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。<br /> <br /> そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」(S34.12.16 大法廷・決定 昭和34(あ)710 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反 - &#039;&#039;&#039;砂川事件&#039;&#039;&#039;)<br /> <br /> === 適用例 ===<br /> <br /> ==== 日米安全保障条約 ====<br /> 「次、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。<br /> <br /> しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。<br /> <br /> ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。<br /> <br /> 三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起されたわが国における大規模の内乱および騒じようを鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。<br /> <br /> 果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法九条二項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。(なお、行政協定は特に国会の承認を経ていないが、政府は昭和二七年二月二八日その調印を了し、同年三月上旬頃衆議院外務委員会に行政協定およびその締結の際の議事録を提出し、その後、同委員会および衆議院法務委員会等において、種々質疑応答がなされている。そして行政協定自体につき国会の承認を経べきものであるとの議論もあつたが、政府は、行政協定の根拠規定を含む安全保障条約が国会の承認を経ている以上、これと別に特に行政協定につき国会の承認を経る必要はないといい、国会においては、参議院本会議において、昭和二七年三月二五日に行政協定が憲法七三条による条約であるから、同条の規定によつて国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決され、また、衆議院本会議において、同年同月二六日に行政協定は安全保障条約三条により政府に委任された米軍の配備規律の範囲を越え、その内容は憲法七三条による国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決されたのである。しからば、以上の事実に徴し、米軍の配備を規律する条件を規定した行政協定は、既に国会の承認を経た安全保障条約三条の委任の範囲内のものであると認められ、これにつき特に国会の承認を経なかつたからといつて、違憲無効であるとは認められない。)」(S34.12.16 大法廷・判決 昭和34(あ)710 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反 - 砂川事件)<br /> <br /> ==== 日米新安全保障条約 ====<br /> 「所論は、原判決は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年六月二三日条約第六号、以下新安保条約という。)の解釈および憲法九条、九八条一項、八一条の解釈を誤つた違法があるという。<br /> <br /> しかし、新安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有するものが違憲であるか否かの法的判断をするについては、司法裁判所は慎重であることを要し、それが憲法の規定に違反することが明らかであると認められないかぎりは、みだりにこれを違憲無効のものと断定すべへきではないこと、ならびに新安保条約は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反して違憲であることが明白であるとは認められないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和三四年(あ)第七一〇号、同年一二月一六日大法廷判決、刑集一三巻一三号三二二五頁)の趣旨に照らし、明らかである」(S44.04.02 大法廷・判決 昭和41(あ)1129 国家公務員法違反、住居侵入)<br /> <br /> ==== 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法 ====<br /> <br /> 「日米安全保障条約六条、日米地位協定二条一項の定めるところによれば、我が国は、日米地位協定二五条に定める合同委員会を通じて締結される日米両国間の協定によって合意された施設及び区域を駐留軍の用に供する条約上の義務を負うものと解される。我が国が、その締結した条約を誠実に遵守すべきことは明らかであるが(憲法九八条二項)、日米安全保障条約に基づく右義務を履行するために必要な土地等をすべて所有者との合意に基づき取得することができるとは限らない。これができない場合に、当該土地等を駐留軍の用に供することが適正かつ合理的であることを要件として(駐留軍用地特措法三条)、これを強制的に使用し、又は収用することは、条約上の義務を履行するために必要であり、かつ、その合理性も認められるのであって、私有財産を公共のために用いることにほかならないものというべきである。国が条約に基づく国家としての義務を履行するために必要かつ合理的な行為を行うことが憲法前文、九条、一三条に違反するというのであれば、それは当該条約自体の違憲をいうに等しいことになるが、日米安全保障条約及び日米地位協定が違憲無効であることが一見極めて明白でない以上、裁判所としては、これが合憲であることを前提として駐留軍用地特措法の憲法適合性についての審査をすべきであるし(最高裁昭和三四年(あ)第七一〇号同年一二月一六日大法廷判決・刑集一三巻一三号三二二五頁参照)、所論も、日米安全保障条約及び日米地位協定の違憲を主張するものではないことを明示している。そうであれば、駐留軍用地特措法は、憲法前文、九条、一三条、二九条三項に違反するものということはできない。」(H08.08.28 大法廷・判決 平成8(行ツ)90 地方自治法一五一条の二第三項の規定に基づく職務執行命令裁判)<br /> --&gt;<br /> <br /> == 第9条をめぐる歴史==<br /> * [[1946年]](昭和21年)<br /> ** 11月3日 - 日本国憲法公布<br /> * [[1947年]](昭和22年)<br /> ** 5月3日 - 日本国憲法施行<br /> * [[1950年]](昭和25年)<br /> ** 6月25日 - [[朝鮮戦争]]が勃発<br /> * [[1951年]](昭和26年)<br /> ** 9月8日 - [[サンフランシスコ平和条約]]調印、[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|日米安全保障条約]]調印<br /> * [[1952年]](昭和27年)<br /> ** 4月26日 - [[海上警備隊]]設置<br /> ** 8月1日 - [[保安庁]]設置<br /> ** 10月15日 - [[警察予備隊]]を[[保安隊]]に改組<br /> * [[1954年]](昭和29年)<br /> ** 3月8日 - [[日米相互防衛援助協定]](MSA協定)締結<br /> ** 7年1日 - [[防衛庁]]設置、保安隊を自衛隊に改組<br /> * [[1960年]](昭和35年)<br /> ** 1月19日 - [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|新日米安全保障条約]]調印<br /> * [[1992年]](平成4年)<br /> ** 6月15日 - [[PKO協力法]]成立<br /> * [[1999年]](平成11年)<br /> ** 5月28日 - [[重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律|周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律]](周辺事態法)制定<br /> * [[2003年]](平成15年)<br /> ** 6月6日 - [[有事法制#武力攻撃事態対処関連3法|有事関連3法]]成立。<br /> * [[2004年]]<br /> ** 6月14日 - [[有事法制#有事関連7法|有事関連7法]]成立。<br /> * [[2005年]](平成17年)<br /> ** 10月28日 - 自民党の新憲法草案が発表される。自民党の新憲法草案第9条では、第1項は変えずに、第2項に自衛軍の規定を新設している&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |author=新憲法起草委員会|year=2005|url=http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf|title=新憲法草案|format=PDF|publisher=自由民主党|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2007年]](平成19年)<br /> ** 1月9日 - 防衛庁から[[防衛省]]に移行<br /> * [[2014年]](平成26年)<br /> ** 4月1日 - 閣議決定で「[[武器輸出三原則]]」を廃止して「[[防衛装備移転三原則]]」を閣議決定。<br /> ** 7月1日 -これまでの内閣が認めてこなかった、限定的な[[集団的自衛権]]の行使を容認する憲法9条の憲法解釈を変更する閣議決定がなされた。<br /> * [[2015年]](平成27年)<br /> ** 9月19日 - 平和安全法制整備法・国際平和支援法成立([[平和安全法制]])<br /> <br /> == 比較憲法的考察 ==<br /> 現在、同様に戦争放棄を憲法でうたっている国としては[[フィリピン]]がある。また、侵略戦争のみを放棄した憲法を有する国は[[西修]]の調べでは124ヶ国にのぼる。<br /> <br /> [[佐藤功]]によれば、過去にさかのぼり平和主義を規定した憲法を分類すると、<br /> # 侵略戦争のみを放棄しているもの(フランス1791年憲法など)<br /> # 国家の政策の手段としての戦争を放棄しているもの(スペイン1931年憲法など)<br /> # [[国際連盟]]規約に従うべきとしているもの(シャム1932年憲法など)<br /> # 国際紛争の解決についてまず仲裁その他の平和的な手段を試みなければならないとしているもの(ブラジル1891年憲法など)<br /> # 国際平和組織や集団的安全保障体制への参加を規定しているもの<br /> があるが、自衛の戦争を含むすべての戦争を全面的に放棄し、一切の軍備の保持をしないとした点で、日本国憲法は最も徹底しているとする&lt;ref&gt;佐藤功『日本国憲法概説』学陽書房、1990年、74-76頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> * [[コスタリカ]]憲法は、軍隊の常設を禁止しているが、自衛権を明示的に認め、国家非常事態に[[徴兵制]]を敷くことも可能としている。<br /> * [[アイスランド]]は軍を持たない。ただし、両国の軍隊不所持はアメリカ合衆国による安全保障が前提となっている。<br /> ** [[アイスランド]]では、2006年9月までは[[アメリカ軍]]を国内に受け入れていた。また、外務省管轄だが、[[防衛庁 (アイスランド)|アイスランド防衛庁]]という組織も保有している。国連の[[平和維持活動]]にも積極的に人員を派遣している。<br /> * [[イタリア共和国憲法]]第11条は、日本国憲法第9条に似ているが、自衛のためおよび平和維持の目的のためで、[[国際機関]]の賛同を得た場合には、軍事力の行使を許している。<br /> <br /> == 注釈 ==<br /> {{Reflist|group=&quot;注釈&quot;}}<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> &lt;!--出典として用いた資料を記載します。文中に明記する方が推奨されています。--&gt;<br /> * [[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H.G.ウェルズ]] 『{{仮リンク|解放された世界|en|The World Set Free}}』浜野輝訳、岩波書店《岩波文庫》、1997年。ISBN 4003227662。 (リッチー・カルダーによる序説、ウェルズによる序文、訳者による「ウェルズと日本国憲法」、付録「人権宣言」「サンキー権利宣言」)&lt;!--2009年2月4日の編集で本文でのウェルズの言及の際に追加されている--&gt;<br /> * 芦部信喜監修『注釈憲法 第1巻』有斐閣、2000年。&lt;!--2011年1月24日前後の大幅な編集の際に追加されている--&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{wikisource|憲法制定の経過に関する小委員会報告書}}<br /> * [[平和主義]]<br /> * [[平和的生存権]]<br /> * [[戦力]]<br /> * [[交戦権]]<br /> * [[自衛権]]<br /> * [[集団的自衛権]]<br /> * [[専守防衛]]<br /> * [[統治行為論]]<br /> * [[武装中立]]<br /> * [[非武装中立]]<br /> * [[軍隊を保有していない国家の一覧]]<br /> * [[憲法改正論議]]<br /> * [[日本国憲法前文]]<br /> * [[日本国憲法第98条]]<br /> * [[大日本帝国憲法第11条]]<br /> * [[大日本帝国憲法第12条]]<br /> * [[大日本帝国憲法第13条]]<br /> * [[不戦条約]]<br /> * [[ポツダム宣言]]<br /> * [[大西洋憲章]]<br /> * [[連合国共同宣言]]<br /> * [[ダンバートン・オークス会議]]<br /> * [[国際連合憲章]]<br /> * [[国連軍]]<br /> * [[憲法記念日 (日本)|憲法記念日]]<br /> * [[憲法9条にノーベル平和賞を]]<br /> * [[日本の平和の鐘]]<br /> * [[九条の会]]<br /> * [[京都コミュニティ放送]] - 京都府京都市のラジオ局。九条の会による、憲法9条を守ることを趣旨とした番組を放送。<br /> * [[カナリア諸島#ヒロシマ・ナガサキ広場と日本国憲法9条の碑|ヒロシマ・ナガサキ広場と日本国憲法9条の碑]]<br /> * [[日本とモンテネグロの関係#歴史|日本とモンテネグロ公国の戦争]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Wikisource|日本國憲法|日本国憲法}}<br /> {{Wikibooks|日本国憲法|日本国憲法}}<br /> * [http://www.ndl.go.jp/constitution/ronten/02ronten.html 日本国憲法の誕生 論点2 戦争放棄](国立国会図書館)<br /> <br /> {{日本国憲法}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:にほんこくけんほうたい9しよう}}<br /> [[Category:日本国憲法|09]]<br /> [[Category:日本の軍事]]<br /> [[Category:平和]]<br /> [[Category:幣原喜重郎]]</div> 220.221.202.203
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