Warning: Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660

Warning: session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127

Warning: session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133

Warning: session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=210.194.82.225&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-16T18:00:54Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 ジャック・ラカン 2018-06-03T13:43:27Z <p>210.194.82.225: /* 理論的難解さへの批判 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 哲学者<br /> | region = [[西洋哲学]]<br /> | era = 20世紀の哲学<br /> | color = #B0C4DE<br /> | image_name = Jacques Lacan.jpg<br /> | image_size = 200px<br /> | image_alt = <br /> | image_caption = <br /> | name = ジャック=マリー=エミール・ラカン&lt;br /&gt;Jacques Marie Émile Lacan<br /> | other_names = <br /> | birth_date = {{生年月日と年齢|1901|4|13|死去}}<br /> | birth_place = {{FRA}}・[[パリ]]<br /> | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1901|4|13|1981|9|9}}<br /> | death_place = {{FRA}}・[[パリ]]<br /> | school_tradition = [[大陸哲学]]、[[精神分析学]]、[[構造主義]]及び[[ポスト構造主義]]<br /> | main_interests = [[精神分析学]]、[[認識論]]、[[セクシャリティの哲学]]、[[倫理学]]<br /> | notable_ideas = 鏡像段階{{enlink|Mirror Stage}}、[[現実界・象徴界・想像界]]、欲望のグラフ、[[父の名]]、[[大文字の他者]]、対象a<br /> | influences = [[ジークムント・フロイト]]、[[ガエタン・ガシアン・ド・クレランボー]]、[[テオドール・ライク]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|G.W.F.ヘーゲル]]、[[マルティン・ハイデッガー]]、[[フェルディナン・ド・ソシュール]]、[[ロマーン・ヤーコブソン]]、[[カール・ヤスパース]]、[[アレクサンドル・コジェーヴ]]、[[クロード・レヴィ=ストロース]]、[[カール・マルクス]]、[[サルバドール・ダリ]]、[[ジョルジュ・バタイユ]]、[[アンリ・ワロン]]など<br /> | influenced = [[アラン・バディウ]]、[[ルイ・アルチュセール]]、[[リュス・イリガライ]]、[[ジュリア・クリステヴァ]]、[[ジャック=アラン・ミレール]]、[[スラヴォイ・ジジェク]]、[[エリック・ローラン]]、[[エリザベート・ルディネスコ]]、{{仮リンク|リュブリャナ哲学学校|en|Ljubljana school of psychoanalysis}}など<br /> | signature = <br /> | signature_alt = <br /> | website = <br /> }}<br /> {{精神分析学}}<br /> &#039;&#039;&#039;ジャック=マリー=エミール・ラカン&#039;&#039;&#039;(Jacques-Marie-Émile Lacan、[[1901年]][[4月13日]] - [[1981年]][[9月9日]])は、[[フランス]]の[[哲学者]]、[[精神科医]]、[[精神分析家]]。<br /> <br /> フランスの[[構造主義]]、[[ポスト構造主義]]思想に影響力を持った[[精神分析家]]として知られ、[[ジークムント・フロイト|フロイト]]の[[精神分析学]]を[[構造主義]]的に発展させた[[パリ・フロイト派]]のリーダー役を荷った。また、[[フロイトの大義派]](仏:&#039;&#039;[[:fr:École de la Cause freudienne|École de la Cause freudienne]]&#039;&#039;)を立ち上げた。<br /> <br /> [[新フロイト派]]や[[自我心理学]]に反対した。[[アンナ・フロイト]]の理論については、フロイトの業績を正しく継承していないとして批判し「アナフロイディズム」と呼び、「フロイトに還れ」(仏:&#039;&#039;[[:fr:Jacques Lacan#Le retour à Freud|Le retour à Freud]]&#039;&#039;)と主張した。その一方で、ドゥルーズ&ガタリらポストモダンの哲学者から、理論も振舞いも父権的であるとして、痛烈な批判を受けている。<br /> <br /> == 生涯 ==<br /> 初め[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校]]で[[哲学]]を学ぶが、転学し[[パリ大学]]に移り、そこで医学を学ぶ。卒業後は、精神科医として働いていたが、徐々にフロイトの精神分析学に傾倒していった。さらに、[[アレクサンドル・コジェーヴ]]の[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]講義などに参加([[ジョルジュ・バタイユ]]も参加しており、当時友人であった。ちなみに、バタイユは、当時女優をしていたシルヴィア・バタイユと結婚生活を送っていたが、1933年には別居していた。シルヴィアは、ジャック・ラカンと愛人関係となり、1938年に2人の間には女児が生まれた。1953年にラカンはシルヴィアと正式に結婚した)、パリ精神分析協会に所属し、同協会の会長に選ばれるが、会長就任後、同協会に内紛が生じ分裂した。[[1964年]]に自ら「[[パリ・フロイト派]]」を立ち上げた。だが、同派も結局[[1980年]]に解散することになった。[[1981年]]8月に[[大腸癌]]の手術を受けたが、縫合部が破れて[[腹膜炎]]と[[敗血症]]を併発した。同年9月9日に[[モルヒネ]]を投与されて亡くなった。ラカンの最後の言葉は、「私は強情だが・・・消えるよ。」だった&lt;ref&gt;新宮一成『ラカンの精神分析』310頁 講談社現代新書、1995年&lt;/ref&gt;。ラカンの私生活の、滑稽かつ悲哀を帯びた実像を描いた小説に、フィリップ・ソレルスの『女たち』がある。<br /> <br /> ===セミネール===<br /> 20年以上にわたりセミネール(セミナー)を開き、「対象a」「[[大文字の他者]]」「[[鏡像段階]]」「[[現実界・象徴界・想像界|現実界]]」「[[現実界・象徴界・想像界|象徴界]]」「[[現実界・象徴界・想像界|想像界]]」「[[シェーマL]]」などの独自の概念群を利用しつつ、自己の理論を発展させた。セミネールの開催場所は、当初は[[サンタンヌ病院]]であったが、後に[[ルイ・アルチュセール]]の計らいによって、パリ・ユルム街の[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校]]となった。参加者には、ラカン派の臨床家だけでなく、[[ジャン・イポリット]](哲学者、ヘーゲルの専門家)、フランソワ・ヴァール([[スイユ社]]編集者)などもいた。<br /> <br /> アルチュセールはある時期まではラカンの業績を非常に高く評価していた。のちにラカンの娘婿となる[[w:Jacques-Alain Miller|ジャック=アラン・ミレール]](ラカンをして「唯一私のテクストの読み方を知っている人物」と言わしめた)はもとアルチュセールの学生であったが、ラカンの講義を受けてはどうかとアルチュセールに助言されたことがきっかけで、ラカンに接近することとなった。<br /> <br /> ===著作物===<br /> ラカンは初期の博士論文を除いてまとまった著作を書いていない。&lt;ref&gt;『フロイトの技法論 上』日本語版への序にかえて 7頁 &lt;/ref&gt;ラカンは、セミネールを録音することを拒否していたが、録音する聴衆が多いため、受け入れていた。<br /> <br /> 生前の著書として『エクリ』(&#039;&#039;Écrits&#039;&#039;、「書かれたもの」の意)があるが、この『エクリ』も時期を異にして発表された論文の集積であり、その多くは口頭発表の原稿である。なお、『エクリ』は邦訳が刊行されているが、原書より難解であるとの指摘がある&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://book.asahi.com/mybook/TKY200806110186.html|title=ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』 斎藤環(下)|accessdate=2014-09-28}}&lt;/ref&gt;。また、ラカンの弟子たちは、セミネールを出版するべく努力したが、師匠であるラカンを満足させる水準を満たすことができなかった。しかし、最終的には、[[ジャック=アラン・ミレール]](ラカンの娘婿で弟子)が編集した『精神分析の四つの基本概念』が、ラカンの許可を得て出版された&lt;ref&gt;『フロイトの技法論 上』日本語版への序にかえて 8頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『エクリ』はその難解さにも拘らず、フランスで20万部以上のベストセラーとなった&lt;ref&gt;立木康介編『精神分析の名著 フロイトから土居健郎まで』282頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ラカンの死後、ラカンの草稿・原稿類の管理は、ジャック=アラン・ミレールが行っている。[[2001年]]になって、『エクリ』に収録されなかった論文を集めた『他のエクリ』(&#039;&#039;Autres Écrits&#039;&#039;)が出版された。近年になり、未公刊だったセミネールの内容が、順次公刊されつつあり、日本での邦訳も進みつつある。<br /> <br /> == ラカン派のその後 ==<br /> フランスではいわゆる「ラカン派」は、ラカンの死後、内部の分派抗争のためにさまざまの団体・派閥に分裂して活動することとなった。<br /> <br /> ;フロイトの大義派<br /> :いわゆる「正統派」は「[[フロイトの大義派]]」およびパリ第8大学精神分析学科を拠点に、[[ジャック=アラン・ミレール]]を中心とした分析家たちが研究と教育を通じて活動している。<br /> <br /> ;国際ラカン協会<br /> :ジャック=アラン・ミレールの教育分析を担当した[[シャルル・メールマン]]は別の団体&#039;&#039;&#039;[[国際ラカン協会]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr:Association Lacanienne Internationale|Association Lacanienne Internationale]]&#039;&#039;)を設立し、「正統派」とは独立に活動している。<br /> <br /> ;パリ精神分析セミナー<br /> :[[アルゼンチン]]出身の[[フアン=ダヴィド・ナシオ|J=D・ナシオ]](フランス読みでは「ナジオ」)は、ラカンが信頼していたとされる僚友である[[フランソワーズ・ドルト]]の協力を得て&#039;&#039;&#039;[[パリ精神分析セミナー]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr:Les Séminaires Psychanalytiques de Paris|Les Séminaires Psychanalytiques de Paris]]&#039;&#039;)を主宰し、独自の方法でラカン理論の再解釈を精力的に展開している。<br /> <br /> ;世界精神分析協会<br /> :フランス国外にもラカン派精神分析学の影響は及んだ。[[アルゼンチン]]や[[ブラジル]]など南米方面では&#039;&#039;&#039;[[世界精神分析協会]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr:Association Mondiale de la Psychanalyse|Association Mondiale de la Psychanalyse]]&#039;&#039;)が「フロイトの大義派」と連携しつつ活動している。<br /> <br /> ;国際精神分析学会との和睦<br /> :かつてラカンおよびパリ・フロイト派を「破門」した&#039;&#039;&#039;[[国際精神分析学会]]&#039;&#039;&#039;(英:[[:en:International Psychanalytical Association|International Psychanalytical Association]])内部でも、ラカンを研究しようという動きもあり、以前の緊張関係は緩んできている。<br /> <br /> ;ロンドン新ラカン派<br /> :これと並行してロンドンにも&#039;&#039;&#039;[[新ラカン派]]&#039;&#039;&#039;(英:[[:en:New Lacanian School|New Lacanian School]])が旗揚げされ、「フロイトの大義派」と人的交流を持つに至っている。<br /> <br /> == 諸概念と理論 ==<br /> === 鏡像段階論 ===<br /> [[File:Mirror baby.jpg|thumb|right|鏡と子供]]<br /> [[1937年]]発表の初期ラカンを代表する、[[発達論]]的観点からの理論。<br /> <br /> [[鏡像段階]](仏:&#039;&#039;[[:fr:stade du miroir|stade du miroir]]&#039;&#039;)論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡に映った像(仏:&#039;&#039;[[:fr:signe|signe]]&#039;&#039;)が自分であり、統一体であることに気づくという理論である。一般的に、生後6ヶ月から18ヶ月の間に、幼児はこの過程を経るとされる。<br /> <br /> 幼児は、いまだ神経系が未発達であるため、自己の「[[身体的統一性]]」(仏:&#039;&#039;unité corporelle&#039;&#039;)を獲得していない。つまり、自分が一個の身体であるという自覚がない。言い換えれば、「[[寸断された身体]]」のイメージ(仏:&#039;&#039;[[:fr:Image du corps#Représentation|image morcelée du corps]]&#039;&#039;)の中に生きているわけである。&lt;br/&gt;<br /> そこで、幼児は、鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とは、まぎれもなく他者のことでもある。つまり、人は、他者を鏡にすることにより、他者の中に自己像を見出す(この自己像が「[[自我]]」となる)。<br /> <br /> すなわち、人間というものは、それ自体まずは空虚なベース(エス)そのものである。一方、自我とは、その上に覆い被さり、その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)[[現実界・象徴界・想像界|想像的なもの]]である。自らの無根拠や無能力に目を瞑っていられるこの想像的段階に安住することは、幼児にとって快いことではある。この段階が、鏡像段階に対応する。<br /> <br /> === 現実界・象徴界・想像界 ===<br /> [[File:Schéma RSI.svg|thumb|right|現実界・象徴界・想像界 (RSI)]]<br /> {{main|現実界・象徴界・想像界}}<br /> 人間は、いつまでも鏡像段階に留まることは許されず、成長するにしたがって、やがて自己同一性(仏:&#039;&#039;[[:fr:identité|identité]]&#039;&#039;)や主体性(仏:&#039;&#039;[[:fr:sujet|sujet]]&#039;&#039;)を持ち、それを自ら認識しなければならない。その際、言語の媒介・介入は、不可欠である。&lt;br/&gt;<br /> ラカンによれば、主体性は、構造的に[[現実界・象徴界・想像界]](仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire| Réel symbolique imaginaire]]&#039;&#039;:&#039;&#039;R.S.I.&#039;&#039;と略称される)という三つの領界もしくは機能から成るものであり、鏡像段階を経て人が主体性を獲得し、言語に介入されるということは、すなわち&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界|象徴界]]&#039;&#039;&#039;へと参入するということであるとされる。<br /> <br /> === 父の名 ===<br /> {{main|父の名}}<br /> さらに、このことは、&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界|想像界]]&#039;&#039;&#039;に安住するのを禁ずる&#039;&#039;&#039;父の命令&#039;&#039;&#039;を受け入れることであり、このことは社会的な法の要求を受け入れること、自分が全能ではないという事実を受け入れることと同義である。この父の命令にあたるものを、ラカンは、フランス語における「&#039;&#039;non&#039;&#039;(否)」と「&#039;&#039;nom&#039;&#039;(名)」をひっかけて&#039;&#039;&#039;[[父の名]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Noms-du-Père|Noms-du-Père]]&#039;&#039;)と呼んだ。<br /> <br /> したがって、&#039;&#039;&#039;父の名&#039;&#039;&#039;とは、個別の具体的な父親の姓名を指すのではなく、人である限りすべての子どもに割り当てられ、彼らの行為に一定の限界をもうける、父性的機能のことである。いわば、象徴的な[[掟]]である。&lt;br/&gt;<br /> ラカンは、このような&#039;&#039;&#039;掟&#039;&#039;&#039;が、言語活動(仏:&#039;&#039;[[:fr: langage|langage]]&#039;&#039;)によって生じるとする。つまり、象徴的な掟は、具体的に聞こえたり見えたりはしないものの、さまざまな形をとってわれわれの生活を制禦してくる。そのとき、われわれは「自らの限界を思い知る」。&lt;br/&gt;<br /> 精神分析学では、このことを&#039;&#039;&#039;[[去勢]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: forclusion|forclusion]]&#039;&#039;)と呼ぶ。そして、去勢なくして言語活動の開始はないというのが、ラカンの立場である。<br /> <br /> === 去勢と自己の確立 ===<br /> {{main|去勢}}<br /> 上記のことを言い換えれば、&#039;&#039;&#039;父の名&#039;&#039;&#039;を受け容れる過程は、幼児の全能性である「[[ファルス (性)|ファルス]]」(仏:&#039;&#039;[[:fr: phallus|phallus]]&#039;&#039;)を傷つけることという意味で、&#039;&#039;&#039;[[去勢]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: forclusion|forclusion]]&#039;&#039;)と呼ばれるわけだが、この去勢によって、人間は自らの不完全性を認め、不完全であるところの自己を逆に積極的に確立するのである。<br /> <br /> 逆に見れば、「これが自分だ」と自己を同定し、自我を確立するためには他者が必要だが、そこで真の自己と出会えるわけでは決してない。人は常に「出会い損ね」ている存在なのだ。ここに人間の根源的な空虚さを見出せるとも言える。<br /> <br /> このように、彼の言う「我、思わぬ故に我あり」は、フロイトの「エスがあったところに自我が生じなければならない」という警句の別言である。ラカンの鏡像段階論は、フロイトの[[エディプスコンプレックス]]理論をラカン流に読み替えたものなのである。<br /> <br /> === 母子関係と言語 ===<br /> ゆえに、母子関係から上記のラカン理論を、あくまでも一般的な理解のために、わかりやすくおおまかに言い換えれば、次のようになる。&lt;br/&gt;<br /> <br /> まず、胎児として子宮の内部に浮遊している状態では、人は「ママ!」という原初の言葉を持つ必要がない。だから、言語活動は発生しない。<br /> さらに、生まれてからも(原初の状態を象徴的にいうならば)乳児の口には母の乳房が詰まっている。これは乳児の必要をすべて満たしているから、言葉を発して何かを求める必要もないし、そもそも口に乳房が詰まっているから言葉の発しようもない。一方、これは、乳児にとっては全世界を支配しているかのような快楽の状態である。&lt;br/&gt;<br /> だが、やがて口から乳房が去る。そこに&#039;&#039;&#039;欠如&#039;&#039;&#039;(もしくは&#039;&#039;&#039;不在&#039;&#039;&#039;)が生まれる。欠如が生まれて初めて、乳児は母を求めるなり、乳を求めるなり、「マー」などと叫びをあげる。これは&#039;&#039;&#039;言語&#039;&#039;&#039; - より正確には&#039;&#039;&#039;[[言語活動]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: langage|langage]]&#039;&#039;) - の発生である。<br /> <br /> こうした象徴的な意味での言語の発生は、人間が人間となるためにどうしても通らなければならない段階である。言語とは、人間が自分の頭に思い描いているもの、すなわち&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界#想像界|想像的なもの]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire|l&#039;Imaginaire]]&#039;&#039;)を他者と共有しようとしたり、他者に伝達しようとしたりするために用いる&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界#象徴界|象徴的なもの]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire|l&#039;symbolique]]&#039;&#039;)であるから、言語は[[現実界・象徴界・想像界#象徴界|象徴界]]のものであると云える。<br /> <br /> 一方、社会はさまざまな人間がせめぎあう場であるがゆえに、無数の[[掟]]・契約・約束事などでできている。こうした掟は、象徴的な意味では言語で書かれているわけである。たとえば、[[不文律]]や「黙契」といった概念ですら、人間が言語を持たなければ存在しえない。また、掟を与えるのは象徴的な&#039;&#039;&#039;父&#039;&#039;&#039;である。&lt;br/&gt;<br /> ゆえに、上記の意味においては象徴界とは掟であり、父であり、言語であるといった図式が成り立つ。<br /> <br /> === 言語活動と現実界 ===<br /> たとえば、ある大事件に遭遇した人々は、口々にその事件を語る。これは、その大事件という&#039;&#039;&#039;現実的なこと&#039;&#039;&#039;、もしくは&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界#現実界|現実界]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire|le Réel]]&#039;&#039;)を、言語という&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界#象徴界|象徴界]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire|l&#039;symbolique]]&#039;&#039;)を以って描き出そうとしているわけである。証言者Aは事件の決定的瞬間を語り、証言者Bは事件の背景に秘められた事情を語るなど、あらゆる角度から証言がなされる。これらを集めて「事件の全容を解明しよう」という動きが起こったりする。しかし、マスコミ用語としては耳に親しい「事件の全容」なるものは、実際には語り尽くされるのは不可能である。<br /> <br /> 同じように、どうがんばっても言葉では現実そのものを語ることはできない。「言語は現実を語れない」のである。ところが同時に、人は「言語でしか現実を語れない」。これら二つの命題は、平板に見れば矛盾しているかのように聞こえるが、[[メビウスの輪]]のような立体的な論理として考えればそうでないことがわかる。&lt;br/&gt;<br /> したがって、人は、より的確な言葉を探したり、より多くの言葉を重ねていくことによって、少しでも現実に近いものを描き出そうと奮闘する。この誠実さは、評価されるかもしれない。しかし、それでも言語活動=現実となる瞬間はない。これが象徴界と現実界が分かたれる一面である。<br /> <br /> すなわち、象徴界の参入という「言語との出会い」は、現実をラカンのいう「不可能なもの」(仏:&#039;&#039;l&#039;impossible&#039;&#039;)に変える。われわれは一生、それに対する抵抗とあこがれの間で揺れ惑う。しかし、人が事故的に現実を垣間見たり、現実に触れたりすることがある。その一形態こそが、&#039;&#039;&#039;[[精神病]]&#039;&#039;&#039;である。<br /> <br /> === 言語活動と想像界 ===<br /> 一方、&#039;&#039;&#039;[[現実界・象徴界・想像界#想像界|想像界]]&#039;&#039;&#039;(仏:&#039;&#039;[[:fr: Réel symbolique imaginaire|l&#039;Imaginaire]]&#039;&#039;)は、たとえば「[[日常]]」「[[平和]]」「[[不幸]]」といった、人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような、言語(象徴界)に縛られている世界であり、なおかつわれわれが思っているものから成っている。この想像界も、けっして現実界と一致することはない。<br /> <br /> 上記のように、[[現実界・象徴界・想像界]]が分かたれることから、ラカン流に人間世界を解明していくことが可能となるのである。<br /> <br /> === 構造論的転回 ===<br /> ラカンは、[[ローマン・ヤコブソン]]や[[エミール・バンヴェニスト]]らを通じて、[[フェルディナン・ド・ソシュール]]の構造主義言語学の影響を受けている。<br /> <br /> ソシュールによれば、[[記号]]は、[[シニフィアンとシニフィエ]]の対からなる。ソシュールはそのことを&lt;br/&gt;<br /> : &lt;math&gt;\frac{SE}{SA}&lt;/math&gt;&lt;br/&gt;<br /> と表記した。ラカンはそれを上下逆にし、SA→S、SE→sと記号を変えて&lt;br/&gt;<br /> : &lt;math&gt;\frac{S}{s}&lt;/math&gt;&lt;br/&gt;<br /> と書く。上下を逆にしたのは、ラカンの「シニフィアンの優位」という考え方に関係がある。ソシュールにとっても、シニフィアンの差異こそがシニフィエの差異を生みだすのだから、その考え方においてはソシュールとラカンは共通している。しかし上が下を規定する、というニュアンスからラカンはこの分数表記を上下逆にしている。<br /> <br /> さらに、ラカンは、ヤコブソンの[[失語症]]研究より、失語症に見られる2つのタイプが、それぞれ[[隠喩]]と[[換喩]]という修辞表現の対立と並行関係がある、との示唆を受ける。<br /> <br /> === シェーマL ===<br /> シェーマL(仏:&#039;&#039;[[:fr:schéma L|schéma L]]&#039;&#039;)は[[主体]]S、[[大文字の他者|他者A]]、[[小文字の他者|他者a&#039;]]、[[自我]]aからなる。&lt;br/&gt;<br /> Sは主体(仏:&#039;&#039;sujet&#039;&#039;)を表すとともに、エス(独:[[:de:Es (Psychoanalyse)|Es<br /> ]])も表す。Aは他者を表す。&lt;br/&gt;<br /> a&#039;は他者を表す。aは自我を表す。Aとa&#039;は異なるものである。&lt;br/&gt;<br /> 主体Sと他者Aを結ぶ軸を象徴的な軸という。他者a&#039;と自我aを結ぶ軸を想像的な軸という。<br /> <br /> == 批判 ==<br /> === セッション技法への批判===<br /> 1セッションの時間を短くする「短時間セッション」による訓練分析が[[国際精神分析協会|IPA]]本部から問題とされ、1963年のIPA総会、ストックホルム大会でフランス協会から除名される。<br /> ラカン派は「短時間セッション」を理論的に正当化しているが、臨床家の間ではその危険性を指摘する声が多い。<br /> <br /> === 理論的難解さへの批判===<br /> ラカンの理論を「疑似科学」とする見方もある。たとえば、[[ジャック・ブーヴレス]]は、論理実証主義的な見地からラカンを批判している。また、ラカンは自らの理論を数式として表すことを好んだが、物理学者[[アラン・ソーカル]]らは、これが数学的にはまったくのデタラメであり、科学的な外観を装う虚飾であると批判した(参照:[[ソーカル事件]])。<br /> <br /> === 父権の理論への批判 ===<br /> ラカンはフロイトと同じく、『父』を理論の支柱に置いている。その前提自体への、強烈かつ持続する批評が存在する。1972年に哲学者[[ジル・ドゥルーズ]]とかつてはラカンの下でも学んだ精神科医[[フェリックス・ガタリ]]が、共著として出版した『[[アンチ・オイディプス]]』は、全編を通じ、エディプス(オイディプス)・コンプレックスを精神分析の支柱に置くことを批判し、世界的ベストセラーとなった。父権は権力構造の理論でもあり、その結果、フロイト、ラカンを頂点とする父権的学派が形成され、さらにあらゆる分野で、似た構造が散見され、そのこと自体が、この著作が社会構造批判にまで発展する理由となっている。<br /> <br /> == 著書 ==<br /> === 邦訳著書(セミネール以外) ===<br /> <br /> * 『エクリ(1-3)』 [[宮本忠雄]]ら共訳&lt;ref&gt;第1巻の担当は宮本忠雄、[[竹内迪也]]、[[高橋徹]]、[[佐々木孝次]]。第2巻の担当は佐々木孝次、[[三好暁光]]、[[早水洋太郎]]。第3巻の担当は佐々木孝次、[[海老原英彦]]、[[芦原眷]]。&lt;/ref&gt; ([[弘文堂]], [[1972年]])<br /> **『精神分析における話と言語活動の機能と領野 ローマ大学心理学研究所において行われたローマ会議での報告 1953年9月26日・27日』 [[新宮一成]]訳 弘文堂、[[2015年]] - 『エクリ』第1巻所収の論文の新訳<br /> * 『二人であることの病い――パラノイアと言語』 宮本忠雄、[[関忠盛]]共訳 ([[朝日出版社]], [[1984年]] [[講談社学術文庫]]、2011年)<br /> * 『[[ディスクール]]』 佐々木孝次、[[市村卓彦]]共訳 (弘文堂, [[1985年]])<br /> * 『家族複合』 宮本忠雄、関忠盛共訳 ([[哲学書房]], [[1986年]])<br /> * 『人格との関係からみたパラノイア性精神病』 宮本忠雄、関忠盛共訳 (朝日出版社, [[1987年]])<br /> * 『テレヴィジオン』 [[藤田博史]]、[[片山文保]]共訳 ([[青土社]], [[1992年]])<br /> *『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』 [[小林芳樹]]編訳 ([[人文書院]], [[2014年]])<br /> <br /> === セミネール ===<br /> # &#039;&#039;Les Ecrits techniques de Freud 1953-1954&#039;&#039; (『フロイトの技法論(上・下)』 [[小出浩之]]、[[笠原嘉]]、[[小川豊昭]]、[[小川周二]]共訳 [[岩波書店]], [[1991年]])<br /> # &#039;&#039;Le Moi dans la theorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse 1954-1955&#039;&#039; (『フロイト理論と精神分析技法における自我(上・下)』 小出浩之、鈴木國文、[[南淳二]]、小川豊昭共訳 岩波書店, [[1998年]])<br /> # &#039;&#039;Les psychoses 1955-1956&#039;&#039; (『精神病(上・下)』 小出浩之、[[鈴木國文]]、[[川津芳照]]、笠原嘉共訳 岩波書店, 1987年)<br /> # &#039;&#039;La relation d&#039;objet 1956-1957&#039;&#039; (『対象関係(上・下)』 小出浩之、鈴木國文、[[菅原誠一]]共訳 岩波書店, [[2006年]])<br /> # &#039;&#039;Les formations de l&#039;inconscient 1957-1958&#039;&#039; (『無意識の形成物(上・下)』 佐々木孝次、[[原和之]]、[[川崎惣一]]共訳 岩波書店, [[2005年]], [[2006年]])<br /> # &#039;&#039;Le desir et son interpretation 1958-1959&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;L&#039;ethique de la psychanalyse 1959-1960&#039;&#039; (『精神分析の倫理(上・下)』 小出浩之、鈴木國文、[[保科正章]]、菅原誠一共訳 岩波書店, [[2002年]])<br /> # &#039;&#039;Le transfert 1960-1961&#039;&#039;(『転移(上・下)』 小出浩之、鈴木國文、菅原誠一共訳 岩波書店,[[2015年]])<br /> # &#039;&#039;L&#039;identification 1961-1962&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;L&#039;angoisse 1962-1963&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse 1963-1964&#039;&#039; (『精神分析の四基本概念』 小出浩之、鈴木國文、新宮一成、小川豊昭共訳 岩波書店, [[2000年]])<br /> # &#039;&#039;Problemes cruciaux pour la psychanalyse 1964-1965&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;L&#039;objet de la psychanalyse 1965-1966&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;La logique du fantasme 1966-1967&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;L&#039;acte psychanalytique 1967-1968&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;D&#039;un Autre a l&#039;autre 1968-1969&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;La psychanalyse a l&#039;envers 1969-1970&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;D&#039;un discours qui ne serait pas du semblant 1971&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;...ou pire 1971-1972&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Le savoir du psychanalyste 1971- 1972&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Encore 1972-1973&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Les non-dupes errent 1973-1974&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;R.S.I. 1974-1975&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Le sinthome 1975-1976&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;L&#039;insu que sait de l&#039;une bevue s&#039;aile a mourre 1976-1977&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Le moment de conclure 1977-1978&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;La topologie et le temps 1978-1979&#039;&#039;<br /> # &#039;&#039;Dissolution 1980&#039;&#039;<br /> <br /> ==注==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> ==参考文献==<br /> *[[新宮一成]]『ラカンの精神分析』 [[講談社現代新書]]、1995年<br /> *[[立木康介]]編『精神分析の名著 フロイトから[[土居健郎]]まで』 [[中公新書]]、2012年<br /> *新宮一成『無意識の病理学 クラインとラカン』 [[金剛出版]]、1989年<br /> *エリザベト・ルディネスコ『ジャック・ラカン伝』 [[藤野邦夫]]訳 [[河出書房新社]]、2001年<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[精神分析]]<br /> * [[ジークムント・フロイト]]<br /> * [[フランソワーズ・ドルト]]<br /> * [[ジャン・ウリ]]<br /> * [[フランソワ・トスケル]]<br /> * [[フェリックス・ガタリ]]<br /> * [[構造主義]]<br /> * [[ルイ・アルチュセール]]<br /> * [[ジュリア・クリステヴァ]]<br /> * [[フェルディナンド・ソシュール]]<br /> * [[クロード・レヴィ=ストロース]]<br /> * [[現実界・象徴界・想像界]] / [[言語活動]] / [[シニフィアン]]<br /> * [[父の名]] / [[去勢]]<br /> * [[大文字の他者]] / [[小文字の他者]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Jacques Lacan}}<br /> * [http://www.k4.dion.ne.jp/~lsj/ 日本ラカン協会]<br /> * [http://socioanalysis.net/reading/psycho.html ラカン派精神分析学・日本語文献案内(中野昌宏・青山学院大学)]<br /> * [http://gaogoa.free.fr/SeminaireS.htm Transcription des SEMINAIRES de LACAN](仏語)<br /> * [http://www.ecole-lacanienne.net/bibliotheque.php?id=10 Ecole Lacanienne de Psychanalyse](仏語)<br /> * [http://www.causefreudienne.net/orientation-lacanienne/orientation-lacanienne/ L&#039;orientation lacanienne](仏語)<br /> * [http://jacsib.lutecium.org/thesaur4/thesaur4.html Les Mathèmes de Lacan](仏語)<br /> * {{IEP|lacweb|Jacques Lacan}}<br /> * {{SEP|lacan|Jacques Lacan}}<br /> <br /> {{大陸哲学}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:らかん しやつく}}<br /> [[Category:ジャック・ラカン|*]]<br /> [[Category:20世紀フランスの哲学者]]<br /> [[Category:フランスの医学者]]<br /> [[Category:フランスの精神科医]]<br /> [[Category:フランスの精神分析家]]<br /> [[Category:フランスの倫理学者]]<br /> [[Category:フロイト派心理学]]<br /> [[Category:フランスの無神論者]]<br /> [[Category:無神論の哲学者]]<br /> [[Category:認識論の哲学者]]<br /> [[Category:セクシャリティの哲学者]]<br /> [[Category:ポスト構造主義者]]<br /> [[Category:パリ大学の教員]]<br /> [[Category:高等師範学校 (フランス)の教員]]<br /> [[Category:パリ大学出身の人物]]<br /> [[Category:パリ出身の人物]]<br /> [[Category:安楽死した人物]]<br /> [[Category:1901年生]]<br /> [[Category:1981年没]]</div> 210.194.82.225
Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46