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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=210.149.251.206&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-22T11:59:19Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 杜の都 2018-07-17T16:47:50Z <p>210.149.251.206: 出典がない上、ルビを振るか否かだけの違いであり記述する必要性があるとは思えない</p> <hr /> <div>{{Otheruses|仙台の雅称|類似の呼称|森の都}}<br /> {{Pathnav|日本|宮城県|仙台市|frame=1}}<br /> {{右|<br /> [[ファイル:Higashi-Ni-banchō-dōri avenue 01.JPG|none|thumb|300px|[[勾当台公園]]付近から見た、[[仙台・青葉まつり]]の「時代絵巻巡行」パレード中の[[東二番丁通り|東二番丁通]](2012年5月)]]<br /> [[ファイル:Jozenji Streetjazz Festival in SENDAI 1.JPG|none|thumb|300px|[[定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台]]における[[定禅寺通り|定禅寺通]]のステージの1つ(2009年9月)]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;杜の都&#039;&#039;&#039;(もりのみやこ)とは、[[宮城県]][[仙台市]]の[[雅称]]および[[愛称]]である。「杜の都・[[仙台]]」として知られる。<br /> <br /> [[2008年]]([[平成]]20年)時点で発見されている文献による初出年は、仙台を「[[森の都]]」と記したのが[[1909年]]([[明治]]42年)、「杜の都」と記したのが[[1916年]]([[大正]]5年)である&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;&gt;『「杜の都・仙台」の原風景 -樹木を育てた城下町-』(大崎八幡宮 仙台・江戸学 実行委員会)&lt;/ref&gt;。[[1970年]]([[昭和]]45年)[[9月22日]]に市が制定した「公害市民憲章&lt;ref name=&quot;charter&quot;&gt;[http://www.city.sendai.jp/soumu/bunsyo/reiki/reiki_honbun/a600RG00000922.html 公害市民憲章](仙台市)&lt;/ref&gt;」に「杜の都」と記されて以降、市は同表記を[[公文書]]における統一表記として用いている&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;&gt;『流行歌「ミス・仙台」~郷土・仙台の近現代史散歩~』(著者:石澤友隆 著、発行所:[[河北新報]]出版センター、発行日:2005年11月1日 ISBN 4-87341-196-3) p.94-p.175&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.77bsf.or.jp/business/quarterly/no35/senjin%2035.pdf 商都仙台400年]}}([[七十七銀行|七十七]]ビジネス情報 2006年秋季号 2006年10月13日)&lt;/ref&gt;。<br /> &lt;!--<br /> 大正11年 - 大正15年の地理教材研究:第1-8輯:地理教材研究会編(東京・目黒書店)の仙台市の項目で、[[森の都]]の雅称があり、空気は清澄で、青葉山・広瀬川の風光もいいと記載されている。<br /> <br /> また、[[森林|森]]が杜と表記されるようになったのは、市街地の[[街路樹]]([[人工林]]を意味する杜)からである。国立国会図書館 NDL-OPAC検索結果では、杜の都仙台市の街路樹;八巻芳夫編著:1976年が最古の文献で確認できる。<br /> <br /> ※仙台市では、森の都(または杜の都)は、[[伊達政宗]]の仙台開府以来の植林政策によるものとしているが、大正時代の地理教材研究会の文献では、青葉山・広瀬川・四園(園は畑の意味)と四方が自然環境豊かな点について記述している。<br /> --&gt;<br /> <br /> == 「社」と「杜」と「森」 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;float: right; font-size:80%;&quot;<br /> |+漢和辞典での説明<br /> !漢字<br /> !colspan=&quot;2&quot; |読み<br /> !意味<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot; align=&quot;center&quot; |[[社]]<br /> |[[音読み|音]]<br /> |シャ([[漢音|漢]])<br /> |rowspan=&quot;2&quot; |1. [[産土神|土地の神]]。神を祭る施設。&lt;br /&gt;2. 人々の集団。[[社会]]。&lt;br /&gt;3. 「[[会社]]」の略。<br /> |-<br /> |[[訓読み|訓]]<br /> |やしろ<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot; align=&quot;center&quot; |&#039;&#039;&#039;[[杜]]&#039;&#039;&#039;<br /> |音<br /> |ズ([[呉音|呉]])&lt;br /&gt;ト(漢)<br /> |1. 山野に自生する[[落葉樹|落葉]][[果樹]]。&lt;br /&gt;2. ふさぐ。とじる。<br /> |-<br /> |訓<br /> |&#039;&#039;&#039;もり&#039;&#039;&#039;<br /> |神社[[境内]]の木立。<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot; align=&quot;center&quot; |[[森]]<br /> |音<br /> |シン(漢呉)<br /> |rowspan=&quot;2&quot; |1. 多数の樹木が生い茂る場所。&lt;br /&gt;(その他の意味は省略)<br /> |-<br /> |訓<br /> |&#039;&#039;&#039;もり&#039;&#039;&#039;<br /> |}<br /> [[木部 (部首)|木偏]]の「[[杜]]」の[[音読み]]は[[呉音]]で「ズ」(ヅ)、[[漢音]]で「ト」であり、[[中国]]古来の意味では山野に自生する[[落葉樹|落葉]][[果樹]]([[ヤマナシ]]、[[コリンゴ]]など)を指すことはあっても「もり」の意味はない。[[訓読み]]には「もり」「やまなし」「ふさ-ぐ」があるが、「もり」は[[国訓]]とされる&lt;ref name=&quot;u-gakugei&quot;&gt;{{PDFlink|[http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/13419/1/03878929_51_19.pdf 国訓の構造 : 漢字の日本語用法について(上)]}}([[東京学芸大学]][[紀要]] 2000年2月)&lt;/ref&gt;。一方、[[示部|示偏]]の「[[社]]」の訓読みには「やしろ」のほかに「もり&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;[[万葉集]]の古写本や[[風土記]]において、「神社」あるいは「社」と書いて「もり」と訓読みする例がしばしば見られる。&lt;/ref&gt;」もあったが、[[平安時代]]以降、示偏の「社」を「やしろ」、木偏の「杜」を「もり」と使い分けるようになった&lt;ref name=&quot;u-gakugei&quot;/&gt;。このため、「杜(もり)」は[[神社]]の「[[鎮守の森]]」「ご[[神木]]」を意味するともされる。<br /> <br /> しかし、「もり」という訓読みが共通する[[同訓異字]]の「[[森]]」と「杜」とは古くから混用されており、例えば[[鎌倉時代]]には地名であっても書き分けられていない&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。また、「杜の都」という表記の初発とみられている1916年(大正5年)発行の『仙台繁盛記』(富田広重 著)の中で、同じ著者が「森の都」と「杜の都」の両方を使用しているため、明治期に生まれた「森の都」という名称を、著者が意味の違いを意識して大正期に「杜の都」に書き換えたという説明も成り立たない&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> <br /> 1970年(昭和45年)に「公害市民憲章」を制定したのを機に、仙台を指す場合は「杜の都」が公式表記と定められた&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;。これ以降、[[仙台市役所]]により「杜」と「森」とは意味が異なるとされ、「杜」は[[江戸時代]]から仙台の人々が植え育ててきた[[屋敷林]]や[[街路樹]]などの[[人工林]]を指し、それらが仙台の[[風土]]や歴史に立脚しているという説明がなされてきた&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/hyakunen-chose/kurashi/shizen/midori/hyakunen/morinomiyako.html 「杜の都」のいわれ](仙台市)2018年6月30日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 江戸時代の植林 ===<br /> 伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「[[宮城野]]」と呼ばれており、[[仙台平野]]には木がほとんどなかったと言われいる&lt;ref&gt;[http://www.okos.co.jp/oosaki/letter/no03.html 八幡さま便り03号]([[大崎八幡宮]])&lt;/ref&gt;。現在の仙台市の[[仙台市都心部|中心市街地]]に当たる部分も、城下町が建設される以前は[[ススキ]]や[[ヨシ]]が生い茂る草原だった&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編4(近世2)171頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 城下町が造られると、その中の[[武家屋敷]]において植林が行われて屋敷林が形成された。武家屋敷は広大な敷地を持ち、屋外空間が広く取られていた。例えば、昭和初期に行われた調査では、とある仙台の中級家臣の旧邸宅は、敷地に対する家屋の面積は7パーセントだった&lt;ref name=&quot;sisi4-170&quot;&gt;『仙台市史』通史編4(近世2)170-171頁。&lt;/ref&gt;。仙台藩は継ぎ木を分け与えるなどして、家臣に植樹を奨励した。武家屋敷の敷地に植えられた樹種は、主に[[スギ]]、[[マツ]]、[[キリ]]、[[カキノキ]]、[[ナシ]]、[[クワ]]、[[クリ]]などである&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)412頁。&lt;/ref&gt;。果樹は食料として利用され、屋敷林は武士による生産活動の場だったとされる。また、これとは別に、郊外の神社仏閣でも境内や参道、敷地の辺縁で植樹が行われた&lt;ref name=&quot;sisi4-170&quot;/&gt;。<br /> <br /> このような城下町での植林は仙台に限ったことではなく、日本各地の城下町で一般的に行われていた。ただ、仙台の城下町は、[[元禄]]年間([[1688年]]から[[1704年]])において城下町における武士の比率が8割に達するなど、他の城下町と比べて武士の割合が高く&lt;ref name=&quot;sisi4-172&quot;&gt;『仙台市史』通史編4(近世2)172頁。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;佐藤雅也「地方都市の近代」 『都市と暮らしの民俗学1 都市とふるさと』、新谷尚紀・岩本通也編、吉川弘文館、2006年&lt;/ref&gt;、また、城下町の屋敷林、郊外の寺社の並木、周辺の丘陵地と続く樹林の連続性という特徴を持っていた&lt;ref name=&quot;sisi4-172&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 明治から戦中まで ===<br /> 明治時代になり武士の世が終わると、一部の武家屋敷は分割されたり借家に転用されたりしたが、多くは住宅としてそのまま継承され、屋敷林も維持されていた&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)411-412頁。&lt;/ref&gt;。この時代に仙台を訪れたフランス人宣教師のジャン・M・マランは、仙台市街の樹木が多い景観について、その印象を記録に書き留めている&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)411頁。&lt;/ref&gt;。この頃の仙台では、武家屋敷に住んでいた資産家が、その敷地に芝生を張ったり庭石や灯篭を置いたりして[[庭園]]をたしなみ、割烹や料亭においても接遇のために庭園が重要視された&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)412頁。&lt;/ref&gt;。また、[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]を見下ろす位置に設置された[[西公園 (仙台市)|桜ヶ岡公園]]は、旧武家屋敷からの屋敷林を引き継ぎ、桜や梅などを加えて整備された。街路樹の整備も行われ、[[1885年]](明治18年)に[[仙台城]]の大手門から[[大橋 (広瀬川)|大橋]]まで、松や杉、桜の並木が造られた。[[1887年]](明治20年)に[[日本鉄道]]が仙台まで路線を伸ばし[[仙台駅]]が設置されると、駅前通となった[[南町通り (仙台市)|南町通]]に[[1891年]](明治24年)に桜が街路樹として植樹された&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)413頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 鉄道が仙台まで延びたことで、仙台を紹介する観光案内書が発行されるようになる。[[1890年]](明治23年)刊行の『仙台案内』には市街地の緑が豊かであることが書かれている。[[1907年]](明治40年)に荒川偉三郎が『松島志を李』において、仙台市街地南部の向山から見た仙台の町の様子を「深林の都」と表現し、その2年後、荒川は『仙台松島塩竈遊覧の栞』において「林巒西北に綬り、平野東南に開け、河渠市街を貫流し、樹木各所に繁茂し、常に気は澄み翠は滴りいわゆる都会の紅塵を見ず。故に森の都と称す。」と記し、ここに森の都という言葉が生まれた&lt;ref&gt;[https://www.city.sendai.jp/kensetsu/100forest/morizukuri/rekishi.html 仙台の緑の歴史](仙台市 百年の杜)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.kids-100forest.jp/diary/top/iware.html 「杜(もり)の都」のいわれ](キッズ百年の杜)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編6(近代1)410-411・414頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 昭和の時代に入ると、仙台市民の意識に「森の都」の浸透が進んだ。仙台市内の[[尋常小学校]]で使われた郷土読本において「森の都」が題材になり、教育に用いられた&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編7(近代2)244頁。&lt;/ref&gt;。また、『仙台小唄』や『仙台音頭』の歌詞に「森の都」が含まれ、市民に口ずさまれた。[[1936年]](昭和11年)にコロムビアから発売され、歌詞にやはり「森の都」が含まれた新民謡『[[ミス仙台]]』は戦後にも再販売されるヒット作となった&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編7(近代2)243頁。&lt;/ref&gt;。後の[[1978年]](昭和53年)に[[第20回日本レコード大賞]]の新人賞を受賞した[[さとう宗幸]]の歌謡曲『[[青葉城恋唄]]』もヒットし、仙台に「杜の都」のイメージを定着させ、その知名度を全国的に上げる契機となる。<br /> <br /> [[第二次世界大戦]]の末期の[[1945年]](昭和20年)、[[アメリカ軍]]は大規模空襲を予告するため撒いたビラに「仙台よい町 森の町 7月10日は灰の町」と印刷していたという&lt;ref&gt; 石沢友隆 『七月十日は灰の町 仙台空襲と戦争中のこと』 河北新報出版センター 2008年 ISBN 978-4873412184&lt;/ref&gt;。そして予告どおりの同年7月10日、仙台市街は[[仙台空襲]]によって焼き尽くされた。この空襲によって市街地にあった屋敷林も同時に焼失した&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編7(近代2)514頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 第二次世界大戦後 ===<br /> [[画像:The promenade of Jouzenji-dori Avenue.JPG|200px|thumb|[[定禅寺通り|定禅寺通]]の様子。]]<br /> 戦後の復興において、市街地を縦横に貫く広い幅員の幹線道路が建設されたが舗装までは行き届かず、晴れの日は砂埃が舞い上がって「仙台砂漠」と呼ばれた&lt;ref&gt;[http://www.sendai-c.ed.jp/~d-con17/kurasi/mati/sengo/sabaku.htm 仙台砂漠](1954年の青葉通)&lt;/ref&gt;。また、家庭の燃料として[[亜炭]]が大量に使用されたため、昭和30年代までの仙台では夕方になると煙突から立ち上る[[煤煙]]と亜炭特有の甘酸っぱい匂いが街中に漂うようになり&lt;ref&gt;[http://www.hirosegawa-net.com/kioku/14_1.html 広瀬川の記憶 vol.14 「天守台に向き合って立つ経ヶ峯の崖が物語るもの」](仙台市「広瀬川ホームページ」)&lt;/ref&gt;、埃っぽさに拍車をかけた。一方、雨の日は道がぬかるみ「仙台田圃」とも呼ばれた&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編8(現代1)129頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1950年]](昭和25年)4月、全国で行われた国土緑化運動にあわせて、[[青葉通り|青葉通]]で市長や市議会議員が臨席の元、植え初め式が行われ、これ以後、[[1966年]](昭和41年)まで段階的に青葉通への[[ケヤキ]]の植樹が行われた。青葉通以外の街路でも「森の都」の再生を願って植樹が多数行われ、植えられた樹種は[[ニセアカシア]]、[[イチョウ]]、[[トウカエデ]]、[[シラカシ]]、[[エンジュ]]、[[ユリノキ]]など多岐にわたった&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編8(現代1)130頁。&lt;/ref&gt;。植樹された街路樹は[[1987年]](昭和62年)までに1万9000本以上に達し、その総延長は計242路線で約125キロに及んだ&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)130頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 高度経済成長期に当たる[[1960年代]]後半になると、日本各地で郊外の開発が行われるようになり、これによってその緑地が次第に失われていった。そのような状況の中で仙台市は[[1973年]](昭和48年)に行政の力で緑地の保全、育成を目指す「杜の都の環境をつくる条例」を制定した&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)170頁。&lt;/ref&gt;。これは、仙台市が保存を目指す緑地を指定し、指定された場所で樹木の伐採や建物の建築を行う場合には事前に届出をしなければならないというもので、急速に進む郊外の開発の抑止を狙っていた。指定地所有者が仙台市と緑地保存協定を結べば、所有者は一部の税が免減され、また協力援助金が交付された。[[1975年]](昭和50年)から3年間で、保存緑地に指定された土地は45箇所644ヘクタールに上った。このうち4割が民有地であり、さらにその中の約7割が協定を結んだ&lt;ref name=&quot;sisi9-171&quot;&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)171-173頁。&lt;/ref&gt;。この他に仙台市は1980年代中頃に、保存緑地を買い取るための「緑地保全基金」や、民有地での生垣設置を助成する「杜の都緑化基金」を立ち上げた&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)181頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかし、[[1980年代]]後半になると、代替わりした保存緑地の所有者の中に、地価の高騰から土地を手放す者が現れた。保存緑地に指定されたまま宅地やマンションが建設され、それに対して仙台市は有効な手立てを打ち出せなかった&lt;ref name=&quot;sisi9-171&quot;/&gt;。また、街路樹においても電線埋設工事や共同溝設置工事で伐採される事例が出始め&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)179頁。&lt;/ref&gt;、仙台市は緑地の保全と都市整備、開発の間で板ばさみとなった&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)183頁。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[1989年]]([[平成]]元年)、青葉通において地下式駐輪場が建設されることが公表されると、市民が反対運動を展開した。仙台のマスメディアがこれに追従したこともあり、仙台市は計画の変更を迫られることになった。当初予定だったケヤキ9本の移植と3本の植え直しを、4本の移植と3本の植え直しに変更することで仙台市と市民に間で妥協が成立し、地下式駐輪場は建設された&lt;ref&gt;『仙台市史』通史編9(現代2)182-183頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 年表 ===<br /> [[ファイル:Hirosegawa.JPG|thumb|西公園から見た広瀬川(2006年8月)。]]<br /> * [[1873年]]([[明治]]6年)[[1月14日]]、[[全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方]](廃城令)により、[[仙台城]](青葉城)が[[仙台鎮台]](後の[[第2師団 (日本軍)|第2師団]])の所有となり、破却が進む。<br /> * [[1874年]](明治7年)、[[仙台藩]]祖・[[伊達政宗]]を祀る[[青葉神社]]創建。<br /> * [[1875年]](明治8年)、桜ケ岡公園(現・[[西公園 (仙台市)|西公園]])が開園&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;&gt;[http://www.city.sendai.jp/kensetsu/soumu/gaiyou/ 建設局事業概要](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1882年]](明治15年)、仙台城二の丸御殿が焼失。<br /> * [[1887年]](明治20年)<br /> ** 4月、[[仙台区]]に第二[[高等中学校]](後の[[第二高等学校 (旧制)|(旧制)第二高等学校]])が創立。<br /> ** [[12月15日]]、[[日本鉄道]](現・[[東日本旅客鉄道|JR]][[東北本線]])が[[仙台駅]]を経て塩竈駅(後の[[塩釜線]][[塩釜埠頭駅]]。現在の[[塩釜駅]]とは異なる)まで開通。<br /> * [[1889年]](明治22年)<br /> ** [[4月1日]]、仙台区が[[市制]]施行して仙台[[市]]となる。<br /> ** 宮城郡[[七ヶ浜町|七ヶ浜村]]に「[[高山外国人避暑地]]」が設置。<br /> * [[1895年]](明治28年)、[[学校林]]設置の[[訓令]]がなされ、教育の一環として学校による[[植林活動]]が推奨された。<br /> * [[1898年]](明治31年)、[[天皇]]および[[皇后]]が出席して初代天皇を祭る[[宮中祭祀]]「[[神武天皇祭]]」が行われる[[4月3日]]が「植栽日」とされた。 <br /> * [[1899年]](明治32年)<br /> ** &lt;!--5月?--&gt;「仙台開府三百年祭」開催。市内に電線が張り巡らされたため、山鉾運行を伴う仙台祭は最後となる&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;[[1985年]](昭和60年)の政宗没後350年を機に[[仙台・青葉まつり]]として再興された。&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[外国人居留地]]の廃止と[[内地雑居]]が実施される。<br /> * [[1900年]](明治33年)、宮城県会決議により、県立公園管理規則が定められた。<br /> * [[1901年]](明治34年)<br /> ** 3月、[[土井晩翠]]作詞、[[瀧廉太郎]]作曲の『[[荒城の月]]』が発表された。<br /> ** [[特別会計]]宮城県公園費が設置され、[[松島]]が県立公園として整備・運営され始めた。<br /> * [[1902年]](明治35年)<br /> ** 仙台城本丸に「昭忠碑」建立。<br /> ** 松島の観光地区である観瀾亭や[[瑞巌寺]]等を含む範囲を県立公園に組み入れる許可を得た&lt;ref name=&quot;tayori13&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.pref.miyagi.jp/koubun/tayori/tayori13.pdf 松島公園の整備]}}(宮城県公文書館だより 13号 2008年6月)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[榴岡公園]]が開園&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1903年]](明治36年)、(旧制)第二高等学校[[尚志会]]会歌の募集において、優秀作品7篇の1つである同校学生の応募作品の歌詞の中で「&#039;&#039;&#039;森の市&#039;&#039;&#039;」(「もりのいち」あるいは「もりのし」)と謳われた&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> * [[1904年]](明治37年)<br /> ** [[8月27日]]、仙台城本丸に「[[招魂社]]」(後の[[宮城縣護國神社]])創建。<br /> * [[1905年]](明治38年)<br /> ** 3月、『尚志会雑誌』65号が発行。同号の付録に、2年前の尚志会会歌の優秀作品が収録され、「森の市」は仙台市の新熟字であると紹介された&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> * [[1907年]](明治40年)<br /> ** [[6月22日]]、東北帝国大学(現・[[東北大学]])創立。<br /> ** [[8月15日]]、仙台市会で「五大事業調査の建言」が提出され、可決。<br /> ** 10月、『松島の志を李』(「松島の[[栞]]」、荒川偉三郎 著、三澤書店)の中で、仙台を「&#039;&#039;&#039;深林の都会&#039;&#039;&#039;」(しんりんのとかい)と紹介&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> ** 12月、地元紙において仙台を指して「[[学都]]と[[学界]]」という標題の記事が見られた&lt;ref name=&quot;gakuto-sendai&quot;&gt;[http://www.gakuto-sendai.jp/about_g/history.html 学都仙台とは]([[学都仙台コンソーシアム]])&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1908年]](明治41年)<br /> ** 8月、仙台市にとって初の[[自治体史]]『[[仙台市史]]』刊行。<br /> ** 9月、『「仙台」しをり』(東北文芸社)の初版が発行&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> * [[1909年]](明治42年)<br /> ** 『「仙台」しをり』の第三版として『仙臺松島塩釜遊覧[[ファイル:TRON 9-837B.gif|16px|link=の]]栞』(「仙台松島塩竈遊覧の栞」、荒川偉三郎 著、東北文芸社)が発行。この中で、仙台を「&#039;&#039;&#039;森の都&#039;&#039;&#039;」(もりのみやこ)と紹介。これが2008年時点で見つかっている、仙台を「森の都」と記した初めての文献だが、前年発行の『「仙台」しをり』と内容的に同様である可能性があるため、文献的初出はこれより以前になる可能性がある&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> ** 松島湾全体を県立公園に組み入れる許可を[[内務省 (日本)|内務省]]から得た&lt;ref name=&quot;tayori13&quot;/&gt;。<br /> * [[1910年]](明治43年)、松島公園整備が本格化&lt;ref name=&quot;tayori13&quot; /&gt;。<br /> * [[1913年]]([[大正]]2年)<br /> ** [[東京府]]の竹内書房から『松島大観』(山下重民 著)が発行。「青葉城跡 天主台」の項目において、仙台城本丸より眺める仙台を紹介し、仙台を「森の都」と紹介&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> * [[1914年]](大正3年)<br /> ** [[勝山公園 (仙台市)|勝山公園]]が開園&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> ** 斎洛花が発行した『宮城野』に「[[ホトトギス|杜鵑]]青葉の森に啼いて、&#039;&#039;&#039;森都&#039;&#039;&#039;新緑の香に匂ふ」と記された&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://lib-www.smt.city.sendai.jp/localdata/miyagino_kyodoshi_zoku.pdf]}}([[仙台市図書館]])&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1915年]](大正4年)、「松島公園落成記念大会」が催行された&lt;ref name=&quot;tayori13&quot; /&gt;。<br /> * [[1916年]](大正5年)、『仙台繁盛記』(富田広重 著)の中で、「仙台は&#039;&#039;&#039;杜の都&#039;&#039;&#039;と謳はれて居る」と記された。これが仙台を「杜の都」と記した文献的初出とされる(2008年時点)。なお、本文中では「森の都」と「杜の都」の両方を使用&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> {{ external media<br /> | align = right<br /> | width = 260px<br /> | topic = <br /> | image1 = [http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-b.php?id=D05-2-086-004&amp;instg=02&amp;areag=&amp;sbjg=&amp;yrsg=03 1922年度(大正11年度)の旧制二高卒業アルバムにおける「杜の都」の文字]<br /> | image2 = <br /> | image3 = <br /> }}<br /> * [[1923年]](大正12年)[[3月7日]]、松島が、[[史蹟名勝天然紀念物保存法]](大正8年法律第44号)に基づき[[名勝]]に指定。<br /> &lt;!--* [[1923年]](大正12年)7月、キリンビール仙台工場が操業開始&lt;ref&gt;[http://www.kirin.co.jp/company/news/2011/1102_01.html ~仙台工場88年の歴史を未来につなぎ、東北復興への願いをこめて~ 仙台工場出荷再開「一番搾り とれたてホップ生ビール」初出荷式を実施](キリンビール 2011年11月2日)&lt;/ref&gt;。--&gt;<br /> * [[1925年]](大正14年)[[6月5日]]、[[宮城電気鉄道]](現・JR[[仙石線]])が[[仙台駅 (宮城電気鉄道)|宮電仙台駅]]から[[西塩釜駅]]まで開業。<br /> [[ファイル:Sendai map circa 1930.PNG|thumb|right|250px|1927年(昭和2年)頃の[[仙台市|仙臺市]]および近郊[[地図]]。]]<br /> * [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月18日]]、宮城電気鉄道が松島公園駅(現・[[松島海岸駅]])まで延伸開業。<br /> * [[1928年]](昭和3年)<br /> ** [[4月1日]]、仙台市が市制施行後初の合併。[[宮城郡]][[原町 (宮城県)|原町]]、同郡[[七郷村 (宮城県)|七郷村]]の一部(旧・南小泉村)、[[名取郡]][[長町 (宮城県)|長町]]を編入。<br /> ** [[4月15日]]~[[6月3日]]、[[東北産業博覧会]]開催。『仙台遊覧の枝折』に「仙台は森の都として知られ学都としてしられてゐる」と記される&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> * [[1931年]](昭和6年)<br /> ** 8月、(初代)[[八木山橋]]竣工。<br /> ** 仙台城(大手門および隅櫓)と[[瑞鳳殿]](感仙殿含む)が[[国宝]]に指定。<br /> &lt;!--* [[1933年]](昭和8年)1月、 [[和歌吉]]が歌う『仙台小唄』発売。歌詞に「森の都」が盛り込まれる。--&gt;<br /> * [[1934年]](昭和9年)<br /> ** 2月、[[藤本二三吉]]が歌う『仙台音頭』発売。歌詞に「森の都」が盛り込まれる。<br /> ** 4月3日、神武天皇祭が開催される同日を毎年「[[愛林日]]」とし、全国的な植樹運動が実施されるようになる。<br /> * [[1935年]](昭和10年)[[5月24日]]の[[伊達政宗]]の300[[年忌|回忌]]に合わせて、仙台城に「[[小室達#伊達政宗騎馬像|伊達政宗騎馬像]]」が建立された。<br /> * [[1936年]](昭和11年)<br /> ** [[7月1日]]、[[二葉あき子]]が歌う『[[ミス仙台]]』&lt;!--([[日本コロムビア|コロムビア]])--&gt;が仙台地区で先行発売&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;『ミス仙台』が好評だったため、曲はそのままに『乙女十九』と改題して新たに歌詞を付け直し、またも二葉あき子が歌って1937年(昭和12年)1月に発売した。&lt;/ref&gt;。歌詞に「森の都」が盛り込まれる。[[仙台七夕]]のPR盤。 <br /> ** [[8月20日]] - 二葉あき子が歌う『ミス仙台』の全国発売開始&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;。<br /> [[ファイル:Sendai after the 1945 air raid.JPG|thumb|250px|空襲で焼け野原となった仙台市街を走る[[仙台市電]](1945年9月18日)]]<br /> * [[1945年]](昭和20年)<br /> ** [[7月10日]]、[[仙台空襲]]。<br /> ** 8月15日、[[第二次世界大戦]]が[[終戦]]。<br /> * [[1946年]](昭和21年)<br /> ** [[11月16日]]、[[当用漢字]]1850字を[[内閣]]が告示。同表に「杜」は含まれなかった。<br /> ** [[勾当台公園]]、[[錦町公園 (仙台市)|錦町公園]]、西公園等が都市計画公園として決定&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1947年]](昭和22年)、森林愛護連盟が結成。戦争で中断されていた「愛林日」の行事が、[[明仁]][[皇太子]]([[今上天皇]])臨席のもと復活&lt;ref name=&quot;ikujusai&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.pref.ehime.jp/h35780/ikujusai/kaisaikeii.pdf 「全国育樹祭」開催の経緯]}}(愛媛県)&lt;/ref&gt;。一方で[[皇室祭祀令]]が廃止され、「神武天皇祭」を行う法的根拠を失うが、同祭は宮中祭祀として存続。<br /> * [[1948年]](昭和23年)、「愛林日」の行事に天皇および皇后が出席&lt;ref name=&quot;ikujusai&quot;/&gt;。「神武天皇祭」は宮中祭祀として行われるが、天皇および皇后は「愛林日」の行事に出席する慣例が形作られる。<br /> * [[1950年]](昭和25年)<br /> ** 1月、「[[国土緑化運動]]」を国民運動として盛り上げるための全国組織「国土緑化推進委員会」(現・[[公益社団法人]][[国土緑化推進機構]])が設立&lt;ref&gt;[http://www.green.or.jp/about/ 国土緑化推進機構とは](公益社団法人国土緑化推進機構)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[4月1日]]、[[緑の募金|緑の羽根募金]]始まる。<br /> ** [[4月3日]]、[[青葉通り|青葉通]]にて「国土緑化運動」における初の[[街路樹]]植樹が実施された&lt;ref name=&quot;OsakiHachiman&quot;/&gt;。<br /> ** [[4月4日]]、愛林日を受け継いだ、天皇および皇后が出席する「[[全国植樹祭]]」が[[山梨県]][[甲府市]]片山[[恩賜林]]で初めて開催&lt;ref name=&quot;shokujyusai&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.rinya.maff.go.jp/j/hozen/ryokuka/pdf/shokujyusai.pdf 全国植樹祭開催一覧]}}(林野庁)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1951年]](昭和26年)<br /> ** 1月、二葉あき子が歌う『ミス仙台』が戦前の原盤を利用して再発売&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;&lt;ref group=&quot;†&quot;&gt;[{{NDLDC|3568661}} 新民謡:ミス仙台](国立国会図書館デジタルコレクション)によれば、1950年(昭和25年)12月発売。&lt;/ref&gt;。<br /> ** 青葉通に[[ケヤキ]]の植栽を開始&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1953年]](昭和28年)、[[青葉山公園]]を開園&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1954年]](昭和29年)[[7月21日]]、大年寺山公園、「[[仙台市野草園]]」開園&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1957年]](昭和32年)、[[定禅寺通り|定禅寺通]]にケヤキの植栽を開始&lt;ref name=&quot;kensetsu&quot;/&gt;。<br /> * [[1958年]](昭和33年)、[[仙台城]]御裏林が[[東北大学]]に移管され、「東北大学植物園」として開園&lt;ref name=&quot;TUGarden&quot;&gt;[http://www.biology.tohoku.ac.jp/garden/hajime.htm 東北大学植物園の歴史](東北大学)&lt;/ref&gt;(当時の正式名称は「東北大学理学部付属植物園」、現在は「[[東北大学学術資源研究公開センター植物園]]」)。<br /> * [[1960年]](昭和30年)[[4月6日]]、第6回全国植樹祭が[[黒川郡]][[大衡村]]で開催&lt;ref name=&quot;shokujyusai&quot;/&gt;。<br /> * [[1961年]](昭和31年)[[4月20日]]、[[都市公園法]]施行。<br /> * [[1962年]](昭和37年)<br /> ** [[3月16日]]、[[仙台市議会]]が「健康都市宣言」を議決&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/soumu/bunsyo/reiki/reiki_honbun/aa60009211.html 健康都市宣言](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> ** 10月、[[原油]]が輸入自由化された。これにより[[エネルギー革命]]が本格化&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.enecho.meti.go.jp/policy/coal/date1/23.pdf 我が国石炭政策の歴史と現状]}}([[経済産業省]][[資源エネルギー庁]] 2009年2月5日)&lt;/ref&gt;し、[[薪]]や[[亜炭]]の需要が大幅に減少。<br /> ** 11月、[[コロムビア・ローズ#二代目コロムビア・ローズ|二代目コロムビア・ローズ]]が歌う『ミス仙台』が発売&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;。歌詞に「森の都」が盛り込まれる。<br /> * [[1964年]](昭和39年)[[3月3日]]、仙台市を含む[[仙台湾]]地区が[[新産業都市]]の1つに指定。<br /> * [[1967年]](昭和42年)、明治百年記念事業の1つとして、仙台市・[[黒川郡]][[富谷市|富谷町]](現・富谷市)・[[宮城郡]][[利府町]]にまたがる山林に「[[県民の森]]」の整備を開始し、[[1969年]](昭和44年)に開園&lt;ref&gt;[http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/sizenhogo/zikan-kenmin.html 県民の森緑地環境保全地域](宮城県)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1968年]](昭和43年)[[6月15日]]、[[都市計画法]]施行。<br /> * [[1970年]](昭和45年)<br /> ** [[6月9日]]、市街地を囲む[[安養寺]](68.1ha)、[[台原]](3.2ha)、[[北山]](13.3ha)、[[大崎八幡宮|大崎八幡]](6.0ha)、[[八木山]](93.9ha)、[[霊屋]](10.6ha)、[[愛宕山 (仙台市)|愛宕山]](8.6ha)、[[大年寺山|大年寺]](67.2ha)の計8地区(270.9ha)が[[風致地区]]に指定された&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.sendai.jp/midori/__icsFiles/afieldfile/2010/12/13/tizu.pdf 仙台市風致地区指定状況]}}(仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[9月22日]]、「公害市民憲章」制定&lt;ref name=&quot;charter&quot;/&gt;。公文書での「杜の都」の表記統一が始まる&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;。<br /> * [[1971年]](昭和46年)<br /> ** 3月、[[林野庁]]が仙台市およびその周辺の[[国有林]]に「仙台[[自然休養林]]」を設置し、海浜地区(浜辺の森)、鈎取地区(モミの山)、三共地区([[水の森公園|水の森]])、台原地区(憩いの森)、権現森地区(見晴らしの森)が指定された&lt;ref name=&quot;kyuyorin&quot;&gt;[http://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/syo/sendai/kyuyorin/index.html 仙台自然休養林マップ](林野庁[[東北森林管理局]]仙台森林管理署)&lt;/ref&gt;。<br /> ** 健康都市宣言10周年を記念して、市民投票により仙台市の木が「[[ケヤキ]]」に決定した&lt;ref name=&quot;marks&quot;&gt;[http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/toukei/mark/index.html 紋章、市の花・木・鳥・虫 ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20040606130240/http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/toukei/mark/index.html |date=2004年6月6日 }}(仙台市)&lt;/ref&gt;。同様に市の花は[[ハギ]]、鳥は[[カッコウ]]、虫は[[スズムシ]]に決定した&lt;ref name=&quot;marks&quot;/&gt;。<br /> * [[1972年]](昭和47年)<br /> ** [[6月22日]]、[[自然環境保全法]]施行。<br /> ** [[7月11日]]、東北大学植物園の一部が国の[[天然記念物]]「[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]」に指定された&lt;ref name=&quot;TUGarden&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/database/c0000000029.html 青葉山](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> * [[1973年]](昭和48年)<br /> ** [[3月27日]]、「杜の都の環境をつくる条例」&lt;!--(昭和48年仙台市条例第2号)--&gt;制定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/shizen/midori/keikaku/1193490_1729.html 杜の都の環境をつくる条例](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> ** 4月、[[台原森林公園]]開園。<br /> ** 8月15日、仙台市を舞台にした青春小説『[[青葉繁れる]]』([[井上ひさし]] 作)が発刊。翌年、テレビドラマ化および映画化。<br /> ** [[9月1日]]、[[都市緑地保全法]]施行&lt;ref name=&quot;MLITryokuchi&quot;&gt;[http://www.mlit.go.jp/crd/park/joho/houritsu/ryokuchi/index.html 都市緑地法]([[国土交通省]]都市・地域整備局公園緑地・景観課「公園とみどり」)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1974年]](昭和49年)<br /> ** [[6月1日]]、[[生産緑地法]]施行。<br /> ** [[9月28日]]、「広瀬川の清流を守る条例」&lt;!--(昭和49年仙台市条例第39号)--&gt;制定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/shizen/midori/keikaku/1123.html 広瀬川の清流を守る条例](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> ** 7月、[[島倉千代子]]が歌う『ミス仙台』が発売&lt;ref name=&quot;MissSendai&quot;/&gt;。<br /> * [[1977年]](昭和52年)<br /> ** 4月1日、仙台市「彫刻のあるまちづくり事業」を開始(2001年3月31日まで)&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/manabu/bunka/tenji/1296.html 彫刻のあるまちづくり](仙台市)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.zenken.com/hypusyou/21seiki/h12/21_12_03.pdf 仙台市彫刻のあるまちづくり事業]}}(一般社団法人[[全日本建設技術協会]]『21世紀の「人と建設技術」賞』)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[9月16日]]、[[皇太子]](および[[皇太子妃]])が出席する「[[全国育樹祭]]」が、[[大分県]][[別府市]]で初めて開催される&lt;ref name=&quot;ikujusai&quot;/&gt;<br /> * [[1978年]](昭和53年)<br /> ** [[5月5日]]、[[さとう宗幸]]が歌う『[[青葉城恋唄]]』が発売。歌詞に「杜の都」が盛り込まれる。<br /> ** [[6月1日]]、[[ダークダックス]]が歌う『青葉城恋唄』が発売。歌詞に「杜の都」が盛り込まれる。<br /> ** [[12月31日]]、「[[第20回日本レコード大賞]]」で、さとう宗幸が新人賞に選ばれた。<br /> ** 12月31日、さとう宗幸が「[[第29回NHK紅白歌合戦]]」に出演し、『青葉城恋唄』を歌った。<br /> * [[1981年]](昭和56年)[[10月1日]]、当用漢字に替わって[[常用漢字]]1945字を内閣が告示。同表にも「杜」は含まれなかった。<br /> * [[1985年]](昭和60年)、伊達政宗没後350年を記念して、過去に存在した祭りを復活する形で「[[仙台・青葉まつり]]」が初開催。<br /> * [[1986年]](昭和61年)<br /> ** 12月、青葉通および定禅寺通にて「[[SENDAI光のページェント]]」が初開催。<br /> ** 12月、仙台市を含む仙台北部地区が[[テクノポリス]]に指定&lt;ref name=&quot;MiyagiElectro&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/19267.pdf みやぎ高度電子機械産業集積形成基本計画 参考資料]}}(宮城県)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1987年]](昭和62年)<br /> ** 1月、[[新潟県]]を含む東北地方の[[産学官連携]]による「東北インテリジェント・コスモス構想」が提唱される&lt;ref name=&quot;MiyagiElectro&quot;/&gt;。<br /> * [[1989年]]([[平成]]元年)<br /> ** 4月1日、仙台市が[[政令指定都市]]に移行。[[仙台市役所]]が所在する中心区の名称が[[青葉区 (仙台市)|青葉区]]となる。<br /> ** [[7月29日]]~[[10月16日]]、「&#039;89[[全国都市緑化フェア|グリーンフェアせんだい]]」を[[七北田公園]]および[[勾当台公園]]にて開催。<br /> * [[1990年]](平成2年)6月、[[自治省]]の地域づくり推進事業([[ふるさと創生事業|参照]])の1つとして、「ふるさと仙台環状公園整備事業」「親と子のふれあい回廊整備事業」「市民と土の出あいのむら事業」の3つのプロジェクトで構成される「杜の都ユートリア・プラン」が指定された&lt;ref&gt;[http://asp.db-search.com/sendai-c/dsweb.cgi/documentframe!1!guest05!!18013!0!1!1,-1,1!11362!289437!1,-1,1!11362!289437!8,7,6!26!38!71709!6!2?Template=DocOneFrame 平成2年第3回定例会(第2日目) 6:◯三番(庄子晋)](仙台市議会 1990年9月14日)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h3/wp-pl91-02201.html 平成3年 国民生活白書 東京と地方―ゆたかさへの多様な選択]([[総理府]][[経済企画庁]] 1991年11月19日)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1991年]](平成3年)[[9月15日]]、定禅寺通にて「[[定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台]]」が初開催。<br /> * [[1995年]](平成7年)[[3月16日]]、「杜の都の風土を育む景観条例」&lt;!--(平成7年仙台市条例第5号)--&gt;制定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/business/d/kenchiku_01_04_02.html 「杜の都の風土を育む景観条例」について](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> * [[1996年]](平成8年)[[3月19日]]、「仙台市環境基本条例」&lt;!--(平成8年仙台市条例第3号)--&gt;制定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/sumiyoi/kankyo/keikaku/0379.html 仙台市環境基本条例](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> * [[1997年]](平成9年)、<br /> ** 3月、仙台市環境基本条例に基いて「杜の都環境プラン」(仙台市環境基本計画)策定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/sumiyoi/kankyo/keikaku/0378.html 杜の都環境プラン(仙台市環境基本計画)](仙台市)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/kankyou/kanri/plan/mori/index.html 杜の都環境プランの概要](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> ** 10月、都市緑地保全法および杜の都の環境をつくる条例で規定された『仙台市緑の基本計画「仙台グリーンプラン21」』を策定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/midori/1194378_2445.html 緑の基本計画「仙台グリーンプラン21」](仙台市)&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.city.sendai.jp/kikaku/sougou/sougou/pdf/211021/9_01.pdf 仙台市基本計画(仙台21プラン)の策定後の状況]}}(仙台市 2009年10月)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1999年]](平成10年)[[12月16日]]、「仙台市環境影響評価条例」&lt;!--(平成10年仙台市条例第44号)--&gt;制定&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/sumiyoi/kankyo/yasashii/0367.html 環境影響評価(環境アセスメント)](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> * [[1999年]](平成11年)、「百年の杜づくり行動計画」策定&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;。<br /> * [[2004年]](平成16年)<br /> ** [[3月19日]]、「杜の都の風土を守る土地利用調整条例」&lt;!--(平成16年仙台市条例第2号)--&gt;制定&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/business/d/1195564_1434.html 杜の都の風土を守る土地利用調整条例「土地利用調整制度」](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[6月18日]]、都市緑地保全法が「[[都市緑地法]]」に改称され、内容も改正&lt;ref name=&quot;MLITryokuchi&quot;/&gt;。<br /> ** [[10月6日]]~[[10月7日]]、第1回「[[グリーン購入]]世界会議in仙台」開催&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/kankyou/kanri/icgps/index.html 第1回グリーン購入世界会議in仙台](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> ** 「百年の杜づくり」が「緑の都市賞」で[[内閣総理大臣賞]]を受賞&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://urbangreen.or.jp/ug/blog/category/honoring/green-city/ 緑の都市賞](財団法人[[都市緑化機構]])&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2006年]](平成18年)[[6月23日]]、「杜の都の環境をつくる条例」&lt;!--(平成18年仙台市条例第47号)--&gt;改正<br /> * [[2009年]](平成21年)<br /> ** [[3月17日]]、[[景観法]]に基いて『仙台市「杜の都」景観計画』策定&lt;ref name=&quot;SendaiSougou211021&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;SendaiBusiness&quot;&gt;[https://www.city.sendai.jp/business/d/1205955_1434.html 仙台市「杜の都」景観計画](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> ** [[7月1日]]、『仙台市「杜の都」景観計画』施行&lt;ref name=&quot;SendaiBusiness&quot;/&gt;([[仙台市の高層ビルの一覧#仙台市「杜の都」景観計画|参照]])。<br /> * [[2010年]](平成22年)[[11月30日]]、従前の常用漢字1945字に替わり、新たな常用漢字2136字を内閣が告示。同表にも「杜」は含まれなかった。<br /> * [[2011年]](平成23年)[[3月11日]]、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生。<br /> * [[2012年]](平成24年)7月、仙台グリーンプラン21に替わって「仙台市みどりの基本計画」を策定&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/shizen/midori/keikaku/1193533_1729.html 仙台市みどりの基本計画](仙台市)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 仙台を表す記号 ==<br /> 近年、「杜」(もり)の一文字で「仙台」を表す例が増加している。「杜の囲碁サロン」「杜のホテル」、その他店舗の名前として、自然林とも人工林とも関係なく「杜」という言葉が用いられている。当然、「杜」は仙台を指しているが、仙台を指す場合は「杜の...」「~の杜」というように「杜」単独で用いられることは少ない。ただし、団体名において、「杜都」と書いて「もりと」「とと」と読ませる例も見られる。<br /> <br /> 他の地方でも「自然と共生」している施設や公園などに「杜」という言葉を使う例があるが、宮城県では「仙台」または「[[仙台都市圏]]」という意味が付加されていることが多い。公共施設の他、自然の多い住宅地や自然の中の喫茶店などに「~の杜」という命名も見られる。住宅地の場合は「~の丘」「~ヶ丘」と命名する代わりに用いられていると考えられるが、いずれにせよ、「仙台市または仙台郊外」「自然と共生」という意味あいを含んでいる。<br /> <br /> なお、仙台を示すものを列記すると、以下のようになる。<br /> * 記号<br /> ** 「杜」(←杜の都より)<br /> ***「[[森林|森]]」「フォレスト(forest [[英語]])」「ラ・フォーレ(la forêt [[フランス語|仏語]])」「[[セルバ (ショッピングセンター)|セルバ]](selva [[スペイン語|西語]])」<br /> ***「[[緑]]」「グリーン(green 英語)」「ヴェール(vert 仏語)」<br /> ** 「[[青葉]]」 (←[[仙台城]]の雅名「青葉城」や[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]より)<br /> ** 「ケヤキ」(←杜の都の象徴の樹木。仙台市木。zelkova)<br /> ** 「[[ハギ|萩]]」(←ミヤギノハギ。仙台市花。bush clover)<br /> ** 「伊達」(←[[伊達氏]]、[[伊達政宗]])<br /> ** 「竹に雀」(←伊達家の[[家紋]])→[[すずめ踊り]]<br /> * 異名(→[[仙台]]参照)<br /> ** 仙府(僊府)<br /> ** 杜の都<br /> ** [[第二都市]]<br /> ** 仙都<br /> * 異字<br /> ** 仙臺(せんだい)、僊臺<br /> ** 千代(せんだい、ちよ)<br /> <br /> == 具体例 ==<br /> === 杜の都 ===<br /> ;組織・大会・通称名<br /> * [[杜の都信用金庫]]<br /> * 杜の都産業保健会&lt;ref&gt;[http://www.morisanho.or.jp/ 杜の都産業保健会]&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都[[ゴルフ]]倶楽部<br /> * 杜の都[[駅伝]]([[全日本大学女子駅伝対校選手権大会]]の公式愛称)<br /> * 杜の都[[ハーフマラソン|ハーフ]]([[仙台国際ハーフマラソン大会]]の公式愛称)<br /> * 杜の都オープン[[卓球#ラージボール|ラージボール卓球]]大会(仙台市卓球協会主催、団体戦)&lt;ref name=&quot;STT&quot;&gt;[http://www.sendai-tta.info/taikai.html 大会予定・結果](仙台市卓球協会)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都レディース卓球大会(仙台市卓球協会主催)&lt;ref name=&quot;STT&quot;/&gt;<br /> * 杜の都[[ペタンク]]交流大会(宮城県ペタンク協会主催、第1回:2004年、2012年より現称)<br /> * 杜の都中学校選抜[[剣道]]大会(剣育会主催)<br /> * 杜の都[[弓道]]大会<br /> * 杜の都Kids[[ウォークラリー]](仙台商工会議所青年部主催)&lt;ref&gt;[http://www.sendai-yeg.jp/kids-wr/ 仙台YEG第30回杜の都Kidsウォークラリー](仙台商工会議所青年部)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都U-10[[ベガルタ仙台|ベガルタ]]・クリーンコヤマカップ([[ベガルタ仙台 (企業)|ベガルタ仙台]]主催)&lt;ref&gt;[http://www.vegalta.co.jp/news/online_news/2014/11/post-2084.html 11月2日(日)、「第5回杜の都 U-10 ベガルタ・クリーンコヤマカップ」を開催いたしました。](ベガルタ仙台)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都大茶会(宮城県芸術協会茶道部加盟13流派合同の野点茶会、[[勾当台公園]]で開催)&lt;ref&gt;[http://tankoukai-miyagi.com/?p=1642 2015年6月 &gt; 第19回 杜の都大茶会](一般社団法人 茶道裏千家淡交会 宮城支部)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都ふれあいコンサート([[仙台市消防局#仙台市消防音楽隊|仙台市消防音楽隊]]、市内屋外各所、5月~10月、月1回)&lt;ref&gt;[http://www.city.sendai.jp/kurashi/shobo/ongakutai/1203302_2816.html 平成27年度「杜の都ふれあいコンサート」開催のお知らせ](仙台市)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都コンサート([[東日本鉄道文化財団]]主催、[[東日本旅客鉄道|JR]][[仙台駅]]、春・秋の年2回)&lt;ref&gt;[http://www.ejrcf.or.jp/concert/ 上野の森・杜の都コンサート](公益財団法人東日本鉄道文化財団)&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都の音楽会(仙台吹奏楽団の定期演奏会の名称)&lt;ref name=&quot;SSG&quot;&gt;[http://ssg-web.sakura.ne.jp/concert_top.html 演奏会のページ]([http://ssg-web.sakura.ne.jp/ 仙台吹奏楽団])&lt;/ref&gt;<br /> * 杜の都のちょっとくだけた音楽会(仙台吹奏楽団の定期演奏会の名称)&lt;ref name=&quot;SSG&quot;/&gt;<br /> * NAK杜の都仙台歌謡祭(日本アマチュア歌謡祭東北地区予選会)&lt;ref&gt;[http://nak.gr.jp/event/ 日本アマチュア歌謡祭とは…](日本アマチュア歌謡連盟)&lt;/ref&gt;<br /> * せんだい・杜の都親善大使(仙台[[商工会議所]])<br /> * &#039;08杜の都国際親善[[テコンドー]]選手権大会(2008年3月23日開催の国際大会) &lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.sendai-taekwondo.jp/pdf/shidai03.pdf ]}}(仙台市テコンドー協会)&lt;/ref&gt;<br /> &lt;!--* 杜都法律事務所(もりのみやこほうりつじむしょ)&lt;ref&gt;[http://www.morinomiyako-lawoffice.or.jp/ 杜都法律事務所]&lt;/ref&gt;--&gt;<br /> &lt;!--* ミネラルウォーター「杜の都」&lt;ref&gt;[http://www.kanesa-f.com/item/2010-07-01-115.html ミネラルウォーター「杜の都」をリニューアルいたしました](カネサ藤原屋)&lt;/ref&gt;--&gt;<br /> 全国規模の組織では支部の名称を「杜の都」としている団体もある。<br /> : * 杜の都献血ルームAOBA([[日本赤十字社]]宮城県[[赤十字血液センター]])<br /> : * [[日本棋院]]杜の都支部&lt;ref&gt;[http://archive.nihonkiin.or.jp/group/shibu.html 日本棋院]&lt;/ref&gt;<br /> : * [[日本スポーツ吹矢協会]] 杜の都仙台支部 / 杜の都仙台KHK国見支部 / 杜の都仙台中山支部&lt;ref&gt;[https://www.fukiya.net/branch/index.php?block=2&amp;pref=4&amp;PHPSESSID=c09c52b62f5b281157c2fcc0f69cc6fa 地域支部一覧](日本スポーツ吹矢協会)&lt;/ref&gt;<br /> : * [[住友生命保険]]相互会社 仙台総支社 杜乃都桃李支部&lt;ref&gt;[http://itp.ne.jp/shop/KN0406111100000607/ 住友生命保険相互会社仙台総支社/杜乃都桃李支部](iタウンページ)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ;作品名<br /> * 杜の都殺人事件 - 長編・旅情ミステリー([[内田康夫]]、[[双葉社]]、[[1985年]]10月発行)<br /> * 杜の都殺人事件(内田康夫、[[角川書店]]、[[1988年]][[10月1日]]発行)<br /> * [[杜の都 恋物語]]([[東日本放送]]制作、[[1997年]]から[[1999年]]の各年[[12月23日]]に[[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]]で放送)<br /> * [[内田康夫]]サスペンス [[信濃のコロンボ]]10 杜の都殺人事件 仙台~軽井沢~東京を結ぶ殺人紀行([[BSジャパン]] 2006年1月8日放送、[[TXN|テレビ東京系列]] 2006年1月11日放送)<br /> * [[医師・円城寺修]]「杜の都の死刑囚」([[TBSテレビ|TBS]]制作、[[2011年]][[12月5日]]放送)&lt;ref&gt;[http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2035/ 医師・円城寺修「杜の都の死刑囚」]([[TBSチャンネル]])&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 杜 ===<br /> 「杜」を仙台または仙台都市圏を表す記号として用いている主なもの。住宅地の名称や商店名は除く。<br /> *人名([[芸名]]・[[ペンネーム]])<br /> ** [[杜けあき]]<br /> ** [[北杜夫]]<br /> *公共施設等<br /> ** [[杜せきのした駅]]([[仙台空港鉄道仙台空港線|仙台空港線]]。[[名取市]]関下)<br /> ** [[国営みちのく杜の湖畔公園]]<br /> *花([[名取市]]にある宮城県農業・園芸総合研究所&lt;ref&gt;[http://www.pref.miyagi.jp/res_center/ 宮城県農業・園芸総合研究所]&lt;/ref&gt;が開発した[[ユリ]])<br /> ** 杜の乙女&lt;ref&gt;[http://www.afftis.or.jp/seihin/products/product7706.html 杜の乙女]&lt;/ref&gt;<br /> ** 杜の精&lt;ref&gt;[http://www.afftis.or.jp/seihin/products/product7707.html 杜の精]&lt;/ref&gt;<br /> ** 杜のロマン&lt;ref&gt;[http://www.afftis.or.jp/seihin/products/product7708.html 杜のロマン]&lt;/ref&gt;<br /> *[[漫画]]・冊子<br /> ** [[ダイヤモンドは砕けない|ジョジョの奇妙な冒険Part4~ダイヤモンドは砕けない]](杜王町)<br /> ** [[ジョジョリオン|ジョジョリオン~ジョジョの奇妙な冒険Part8]](杜王町)<br /> ** [[辣韮の皮~萌えろ!杜の宮高校漫画研究部~]]<br /> ** まなびの杜&lt;ref&gt;[http://www.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/ まなびの杜]&lt;/ref&gt;([[東北大学]]が発行している広報誌)<br /> *テレビ番組<br /> ** [[東日本放送]]『[[杜の旅行社]]』([[2006年]][[7月4日]]~)<br /> *その他<br /> ** [[窓の杜]]<br /> ** 杜の奇跡&lt;ref&gt;[http://www2.app.ne.jp/mori-kiseki/ 杜の奇跡]&lt;/ref&gt;([[同人誌即売会]]の名称)<br /> ** [[杜の市場]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;†&quot;|}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> === 参考文献 ===<br /> * [[国宝]]大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書6 『「杜の都・仙台」の原風景 -樹木を育てた城下町-』(菊池慶子 著、[[大崎八幡宮]] 仙台・江戸学 実行委員会、2008年)<br /> * 『近代日本の国際リゾート - 一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に』(砂本文彦 著、[[青弓社]]、2008年。ISBN 978-4787220318)<br /> * 『八木山物語』(石澤友隆 著、[[河北新報]]出版センター、2000年)<br /> * 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編4(近世2) 仙台市、2003年。<br /> * 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編6(近代1) 仙台市、2008年。<br /> * 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編7(近代2) 仙台市、2009年。<br /> * 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編8(現代1) 仙台市、2011年。<br /> * 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編9(現代2) 仙台市、2013年。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[都市#都市を形容する俗称]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.city.sendai.jp/shizen/midori/index.html 緑・公園・河川](仙台市)<br /> * [http://www.sendaicci.or.jp/jigyou&amp;katudou/02_f.html 「杜の都・仙台」シンボルマーク](仙台商工会議所)<br /> * [http://sendai-shinzentaishi.com/ せんだい・杜の都親善大使](仙台商工会議所)<br /> * [http://www.sendai-park.or.jp/ 杜のひろば]([[公益財団法人]]仙台市公園緑地協会)<br /> * [http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/sizenhogo/syoukai-top.html 宮城県の自然公園・県自然環境保全地域](宮城県)<br /> {{デフォルトソート:もりのみやこ}}<br /> [[Category:仙台市の地理|*]]<br /> [[Category:日本の観光]]<br /> [[Category:日本の都市]]<br /> [[Category:日本の景観]]<br /> [[Category:日本の森林]]<br /> [[Category:日本の都市計画]]</div> 210.149.251.206 聖人 2018-07-17T16:45:24Z <p>210.149.251.206: 出典がない記述を除去</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;聖人&#039;&#039;&#039;([[呉音]]:しょうにん、[[漢音]]:せいじん)とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・[[崇敬]]対象となる過去の人物をさすことが多い。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> #[[儒教]]の聖人<br /> #[[仏教]]の聖人<br /> #[[キリスト教]]の聖人<br /> #[[イスラム教]]、[[ユダヤ教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[サンテリア]]などの宗教の聖人<br /> <br /> [[日本語]]では元来は儒教の聖人のことであり、次に仏教での聖人([[上人|上人&lt;small&gt;[しょうにん]&lt;/small&gt;]]、[[聖|聖&lt;small&gt;[ひじり]&lt;/small&gt;]])のことであった。生きている人にもすでにこの世を去った人にもあてはめられ、世界の多くの宗教で同じような概念があるとして、キリスト教では日本布教の際に&quot;Sanctus&quot;([[ラテン語]])・&quot;Saint&quot;([[英語]]・[[フランス語]])を「聖人」と翻訳した。そのような宗教の中で、「聖人」と呼ばれる人々は特定宗教の信徒にとり模範となり、その生涯が記録され、後世に語り継がれることが多い。<br /> <br /> 各宗教によってニュアンスにばらつきがあるが、現代の宗教で「聖人」という概念が存在するのは、[[キリスト教]]、[[イスラム教]]、[[ユダヤ教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[サンテリア]]などが挙げられる。ただしこれらの宗教でも宗派・教派によって扱いが異なる場合があり、キリスト教[[プロテスタント]]の一部やイスラム教の[[ワッハーブ派]]などでは聖人崇敬は否定されている。また、聖人に対する崇敬を行う[[キリスト教諸教派の一覧|キリスト教教派]]では、教会によって公式に認定([[列聖]])されなければ聖人と認められない。<br /> <br /> == 儒教 ==<br /> [[ファイル:Confucius - Project Gutenberg eText 15250.jpg|thumb|right|180px|[[孔子]](E.T.C. Wernerの、[[1922年]]刊行の『中国の神話と遺産』に掲載された挿絵)]]<br /> [[中国]]の[[儒教]]における聖人とは、偉大・崇高・高貴の三要素を兼ね備えている人物を指す。即ち、政治指導者としてだけではなく、[[道徳]]の体現者としても理想とされる人物である。高貴だが凡庸な人物、高貴だが下劣な人物、あるいは下賎だが崇高な人物は該当しない。対義語で、凡庸・下劣・下賎の三要素を兼ね備えている人物は「小人」という。<br /> <br /> もっとも理想の聖人とされるのは、&#039;&#039;&#039;[[堯]]&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;[[舜]]&#039;&#039;&#039;、二人の聖天子である。続く「[[三代 (中国史)|三代]]」と言われる時代の統治者、すなわち[[夏 (三代)|夏]]王朝の創業者である&#039;&#039;&#039;[[禹]]&#039;&#039;&#039;、[[殷]]王朝の創業者である&#039;&#039;&#039;[[天乙|湯王]]&#039;&#039;&#039;、[[周]]王朝の創業者である&#039;&#039;&#039;[[武王 (周)|武王]]&#039;&#039;&#039;もまた聖人として位置づけられ、堯と舜をあわせて「&#039;&#039;&#039;堯舜三代&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる。<br /> <br /> また、周王朝の創業に力を尽くした&#039;&#039;&#039;[[周公旦]]&#039;&#039;&#039;、儒学の大成者である&#039;&#039;&#039;[[孔子]]&#039;&#039;&#039;もまた聖人として位置づけられている。[[孟子]]は聖人ではないが、それに次ぐ存在であるとして「&#039;&#039;&#039;亜聖&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる。<br /> <br /> [[北宋|宋代]]になると、[[士大夫]]たちは孔子・孟子を継ぐ聖人となることを目指すようになり、「聖人、学んで至るべし」というスローガンのもと、道徳的な自己修養を重ねて聖人に到る学問を模索した。[[明代]]の[[陽明学]]では「満街聖人」という街中の人が本来的に聖人であるとする主張をし、王や士大夫のみならず、庶民に到るすべての人が聖人となることができる可能性を見いだした。また、日本では[[近江国]]([[滋賀県]])出身の[[江戸時代]]初期の[[陽明学]]者[[中江藤樹]]は&#039;&#039;&#039;近江聖人&#039;&#039;&#039;と称えられている。<br /> <br /> == 仏教 ==<br /> [[日本]]の[[仏教]]宗派の一部の宗祖に対する敬称として、一般的な「[[上人|上人&lt;small&gt;(しょうにん)&lt;/small&gt;]]」ではなく、「&#039;&#039;&#039;聖人&#039;&#039;&#039;&lt;small&gt;(しょうにん)&lt;/small&gt;」という敬称を付する場合がある。<br /> <br /> 一般的に「聖人」という敬称で呼ばれる仏教者。<br /> * [[法然]]([[浄土宗]])<br /> * [[親鸞]]([[浄土真宗]])<br /> * [[日蓮]]([[日蓮宗]])<br /> * [[空海]]([[真言宗]])<br /> * [[最澄]]([[天台宗]])<br /> <br /> なお、[[浄土真宗]]では開祖の親鸞のみならずその師である法然に対しても「聖人」と呼称されたことがあるが、通例では親鸞に対してのみ「聖人」を用いる。<br /> <br /> == キリスト教 ==<br /> [[ファイル:Michelangelo_Caravaggio_060.jpg|180px|right|thumb|『[[アレクサンドリアのカタリナ]]』[[ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ|カラヴァッジョ]]画。[[1598年]]頃]]<br /> [[キリスト教]]においては、[[新約聖書]]に出る{{Lang-grc|ο Άγιος}}(ホ・ハギオス「聖なる人」の意 現代ギリシャ語ではオ・アギオス)またその[[複数形]]{{Lang-grc|οι Άγιοι}}(ホイ・ハギオイ 現代ギリシャ語ではイ・アギイ)に由来する。新約聖書では、「ホ・ハギオス」という言葉が、かれらの教会の歴史にとっての重要さにかかわらず、生者と死者の両方にあてはめられている。[[使徒]][[パウロ]]の手紙の多くは「すべての聖なるものたちに」、あるいは「年長者とともに」と宛てられている。たとえば『[[エフェソの信徒への手紙]]』は「エフェソの聖なる人々へ」で始まっている。<br /> <br /> 聖人への崇敬は教派によって扱いが異なり、[[正教会]]、[[東方諸教会]]、[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[ルーテル教会]]などで聖人崇敬が行われている。[[キリスト教諸教派の一覧]]参照のこと。<br /> <br /> ただし、対象は歴史的に若干の変動があり、またこれら聖人崇敬・聖人の概念を認める諸教派の中でも崇敬の方法・あり方には差異が存在する。一方、[[プロテスタント]]では聖公会、ルーテル教会を除いて聖人に対する崇敬を行わない教派が多い。[[改革派教会]]以降のプロテスタントと[[バプテスト]]系は、聖人崇敬を否定し、クリスチャンすべてを[[聖徒]]と呼ぶ。プロテスタントの中には、キリスト教初期の慣用表現から、「聖人」という語を単にこの世を去った信徒たちを指す言葉として用いるものもある。<br /> <br /> 正教会、東方諸教会、カトリック教会など、聖書と同様に聖伝(古代からの伝承)を現代に至るまで尊重する諸教派では、聖人への崇敬は伝統によってキリスト教信仰の一部をなしてきた。このような伝統にしたがって、聖人は人々の祈りを執り成し、神と人間の仲介としての役割を担うとされる&lt;ref&gt;日本カトリック司教協議会、第2バチカン公会議文書公式訳改訂特別委員会 『教会憲章』 カトリック中央協議会、2014年2月28日。68-70頁(50)。ISBN 978-4-87750-181-5。&lt;/ref&gt;。また、聖人は昔の殉教者などに限らず、20世紀の現代聖人が多数いる:教皇聖[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]、[[マザー・テレサ]]、聖[[ホセマリア・エスクリバー]]、パドレ・ピオなど。<br /> <br /> === 崇敬と歴史 ===<br /> [[ファイル:Mary of egypt2.jpg|thumb|180px|[[エジプトのマリア|エジプトの聖マリア]]の[[イコン]]。[[17世紀]]に[[ロシア]]で描かれたもの。中心に祈りを奉げるエジプトの聖マリアの姿が描かれ、周囲にその生涯についての伝承内容が左上から順に描かれている。]]<br /> 時として、「キリスト教は[[一神教]]といいながら、なぜ多神教のように聖人を崇拝するのか」という疑問が提示されることがあるが、聖人の概念を持つキリスト教では、&#039;&#039;&#039;崇敬・尊崇&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;崇拝&#039;&#039;&#039;は異なる意義付けをなされている。この観点からは、キリスト教徒は聖母マリアや諸聖人を崇拝しているわけではなく、聖人を敬うこと([[マリア崇敬]]・聖人崇敬)は拝むこと([[マリア崇拝]]・聖人崇拝)ではない。神への信仰と聖人への敬意はまったく別のものとして捉えられる。<br /> <br /> [[正教会]]・[[東方諸教会]]・[[カトリック教会]]では、聖人の像や生涯を描画した聖画像([[イコン]])を作り、崇敬の対象とする。[[聖像破壊運動]]で古代の多くの聖像は失われたが、この運動が及ばなかった地域、とりわけそれ以前にカトリック教会やギリシャ系の正教会と分かれた東方諸教会の聖堂には、古いイコンが残っていることがある。このような古いイコンを収蔵する代表的な存在としては[[聖カタリナ修道院]]が挙げられる。<br /> <br /> 聖人の伝記([[聖人伝]])を読み書きすることも、聖人を崇敬する上で重要な役割を果たしている。これは古代から行われ、信仰上の模範を示すことで後世の信仰のあり方に大きな影響を与えたものも少なくない。たとえば[[アレクサンドリアのアタナシオス|アタナシオス]]による『[[アントニオス]]伝』は、修道者に大きな影響を与えた。聖人伝として著名なものに[[ヤコブス・デ・ウォラギネ|ヤコブス・デ・ヴォラギネ]]の『[[レゲンダ・アウレア|黄金伝説]]』がある。<br /> <br /> 聖人はつねに個人名で記念(記憶)されるとは限らない。[[七十門徒]]などはそのよい例で、七十人の内訳には幾つかの説があり、かならずしも確定していない。古代の殉教者などには、名前の伝わっていない聖人も数多い。聖書に出てくる例では、[[ヘロデ大王]]による[[ベツレヘム]]の[[幼児虐殺]]の死亡者は「聖嬰児」「幼子殉教者」として聖人であるが、彼らの個人名は伝わっていない。<br /> <br /> === 祝日・記憶日 ===<br /> [[ファイル:Ilja Jefimowitsch Repin - Saint Nicholas of Myra saves three innocents from death.jpg|thumb|right|180px|『[[ミラのニコラオス|ミラの聖ニコライ]]、無実の三人を[[死刑]]から救う』&lt;br /&gt;(画:[[イリヤ・レーピン]])]]<br /> それぞれの教会において、一年間の中で聖人の祝日(記憶日・記念日)は特定の日付に固定されている。これをまとめたものをカトリック教会では[[聖人暦]](聖人カレンダー)と呼ぶ。正教会においては[[正教会暦]]と呼ぶ。多くはその聖人が死亡した日が記念日となるが、異なる場合もある。特に重要な聖人の場合は、複数回の記念日がある(例:[[ミラのニコラオス]])。古代より崇敬される聖人は、カトリック教会と[[東方教会]]で記念の日を同じくすることが多い(ただし後者のうち[[ユリウス暦]]を使用する教会では、[[グレゴリオ暦]]を使用する教会と日付のずれを生じている)が、一部の聖人は違った日に記念されることがある(例:[[エジプトのマリア]])。<br /> <br /> 聖人の祝日は、基本的にそれぞれの聖人に個々に決まっているが、幾人かの聖人は、他の聖人と共通の祝日をもっている。そのような例に[[ペトロ]]と[[パウロ]]([[聖使徒ペトル・パウェル祭]])、[[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]と[[メトディオス (スラヴの(亜)使徒)|メトディオス]]、正教会における[[七十門徒]]などがある。多数の聖人をともに記憶する祭を正教会では「会衆祭」(かいしゅうさい)という。正教会では、[[正教会#十二大祭|十二大祭]]のいくつかの祭で、その翌日に関連する聖人の祭を行うが、これにも会衆祭と呼ばれるものがある。<br /> <br /> === 洗礼名・聖名・霊名 ===<br /> 聖人崇敬において重要な概念には[[守護聖人]]の考えがある。これは[[正教会]]・[[カトリック教会]]において存在する考え方で、個人のほか、特定の団体や地域に対してある聖人が特別な加護を与えているという概念である。<br /> <br /> 一般に、[[洗礼名]](正教会では「[[聖名]]」・カトリック教会では「[[霊名]]」とも)の概念を持つ教派の場合、洗礼を受ける者は聖人にちなんで洗礼名(聖名・霊名)を受ける。この名前の起源となる聖人が、個人の保護の聖人となる。<br /> <br /> 自分の洗礼名の聖人の祝日を、正教会では「聖名日」、カトリック教会では「[[霊名日|霊名の祝日]]」と呼んで祝う習慣がある。一部の地域では誕生日より盛大に祝うこともある。カトリック教会などの[[西方教会]]では、洗礼名のほかに[[堅信]]のときには堅信名を付ける習慣もあり、これは洗礼名と別の聖人を選ぶこともできる。また[[修道士]]は、ある聖人の名前にちなんで自らの修道名をつける。<br /> <br /> === 聖遺物・不朽体 ===<br /> [[ファイル:Patriarchal Church of St. George - larnax, Instanbul.JPG|thumb|right|200px|[[聖ゲオルギオス大聖堂]]にある、[[不朽体]]が納められている[[大理石]]製の[[聖櫃]]。]]<br /> {{See also|聖遺物|不朽体}}<br /> 古代のキリスト教では聖人として尊崇された者の多くが[[殉教者]]であったが、殉教者を尊び、その遺骸や遺物を集めて墓を立て、崇敬することがなされていた。殉教者の墓(マルティリウム)は[[聖堂]]・[[礼拝堂]]と並んで、信仰生活の中心となった。こうした崇敬は時に行き過ぎ、聖人の遺骸と称されるものが高額で取引されたり、ある崇敬が過度の熱狂におちいることがあった。[[アウグスティヌス]]など、こうした風潮に警鐘を鳴らし、聖人の遺骸を崇敬の対象にすることに反対を唱えたものもいた。<br /> <br /> 聖人の遺骸は、[[カトリック教会]]では[[聖遺物]]、[[正教会]]では[[不朽体]]と呼ばれる。遺体が腐敗せずに残ることを聖人である証明の一つとみなすことは伝統的な見方である。聖人の遺骸またその一部は古代から中世においては強い崇敬の対象となり、それに関連した奇跡が多く語られている。現在でも一部の教派では聖人の遺骸に接吻するなどして崇敬を表明することもある。正教会においては、聖人の遺骸に対する崇敬の表明は、[[聖像]](イコン)への崇敬の表明と同じ形式を取る。これはイコンと同様聖人の遺骸が、究極には神に由来する聖性が現実界に現れる窓とする考えに基いており、信者の見解によれば、ものそのものが崇拝ないし信仰の対象となっているわけではないとされる。<br /> <br /> また伝統的に、教会の祭壇(正教会では[[宝座 (正教会)|宝座]])の下には聖人の遺骸または遺物(不朽体)を納めることが必要であるとされる。これは東方教会においては必ずしも必須の要件ではないが、しかしそのようにすることが望ましいと今でも考えられている。カトリック教会においてはかつては必須の要件であったが、現代ではこの要件は撤廃されている。<br /> <br /> === 聖人認定 ===<br /> 聖人に対する崇敬を行う教派では、教会によって公式に認定([[列聖]])されなければ聖人と認められない。一般に、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、早くても死後数十年、場合によっては死後数百年に及ぶ審査を経てようやく認められる(例:[[ジャンヌ・ダルク]]が聖人として認められたのは本人の死から489年後であった)&lt;ref&gt;[[1226年]][[10月3日]]に死去した[[アッシジのフランチェスコ]]は、[[1228年]][[7月16日]]に死後わずか2年足らずで聖人として認定されたが、当時(13世紀前期)のカトリック教会における聖人の認定制度は現在と異なり、本人の存命中の業績によっては死後短期間で認定される場合もあった。&lt;/ref&gt;。しかも[[カトリック教会]]の場合、列聖の前段階として、[[福者]]と認められなければならない([[列福]]されることが必要)。正教会の場合は、さらに急ぐのを避け、その人物に対する世間の反響が冷めるまでに十分な時間を割り当てる場合が多い。<br /> <br /> === 教派別の崇敬のあり方の違い ===<br /> 教派によって、どの聖人を聖人として崇敬するかに違いがある。ある教派で聖人として崇敬されていても、別の教派では聖人と捉えられていないといった事例は数多い。<br /> <br /> また、崇敬のあり方にも違いがある。以上に述べた全教派に共通する聖人の一般論とは別に、こうした教派ごとの特徴を以下の節に記す。<br /> <br /> ==== 正教会 ====<br /> {{Main|Category:正教会の聖人の称号}}<br /> [[正教会]]の場合、聖人には必ず[[使徒]]、[[亜使徒]]、[[致命者]]、[[克肖者]]などの称号が付く。これはその聖人の信仰のありようを記憶するために教会が決めるもので、個人が恣意的に変更してよいものではない。ただし「主教」「大主教」等の称号には、地域差が反映されることがある。たとえば[[新致命者]][[神品致命者]][[アンドロニク・ニコリスキイ|聖アンドロニク]]([[ロシア革命]]で[[致命]])は、世界的には「ペルミの大主教」と呼ばれるが、日本においては初代[[京都]]主教という関係を重くみて「京都の主教」と称する。<br /> <br /> 正教会には、[[カトリック教会]]におけるような[[尊者]]・[[福者]]の概念は存在しない。従って[[列福]]といった手続きも存在しない。[[英語]]の&quot;Venerable&quot;は正教会では[[克肖者]]、カトリック教会では[[尊者]]と訳されて異なっている事にも見られるように、訳語にそれぞれの教会の聖人に対する扱いの差が反映されている。<br /> <br /> ==== カトリック教会 ====<br /> [[ファイル:Fra Angelico portrait.jpg|150px|thumb|[[福者]][[フラ・アンジェリコ]]の[[肖像画]]]]<br /> カトリック教会には列聖前の段階として、尊者・福者の段階がある&lt;ref&gt;[https://www.cbcj.catholic.jp/faq/saints/ 尊者・福者・聖人とは? カトリック中央協議会]&lt;/ref&gt;。<br /> {{列聖}}<br /> <br /> [[第2バチカン公会議]]後の[[カトリック教会]]のあり方の見直しの中で、史実での存在が疑われる伝説的な聖人は聖人暦から外された。またキリストの降誕を準備する[[アドベント|待降節]]、復活を準備する[[四旬節]]からも、本来の精神を大切にするという意味で聖人の祝い日が移動された。<br /> <br /> ==== 聖公会 ====<br /> {{節スタブ}}<br /> [[聖公会]]([[イギリス国教会]])はローマ・カトリック教会から分離したためにプロテスタントに分類される事もあるが、信仰を理由にしてカトリック教会から分離したわけではなく、教義や精神は非常にカトリックに近いことから、聖人の崇敬を行っている。<br /> <br /> ==== プロテスタント ====<br /> [[プロテスタント]]にとってすべてのクリスチャンは[[聖徒]]である。ただし、[[ルーテル教会]]と他のプロテスタントは異なっている。<br /> <br /> ===== ルーテル教会 =====<br /> {{see also|聖名祝日}}<br /> [[マルティン・ルター]]はローマ教会(カトリック教会)の習慣を残した。[[ルーテル教会]]はプロテスタント教派のなかでも、一部では聖人の概念をもち、信仰の模範としてとくに礼拝でとりあげ、洗礼名の根拠としたり、記念日を祝ったりするところがある。<br /> <br /> ===== 改革派教会等 =====<br /> [[ジャン・カルヴァン]]は『[[キリスト教綱要]]』で聖人崇敬・崇拝を批判した。[[改革派教会]]以降のプロテスタント[[福音派]]、[[バプテスト]]系は聖人崇敬を崇拝と見なして拒否しており、ルーテル教会の習慣については、ローマ教会の残滓とみなされることがある&lt;ref&gt;『新聖書辞典』、 『夜明けか黄昏か』、『カトリックとは何ぞや』(いのちのことば社)、『聖書の教理』(羊群社)、『カトリックとプロテスタントの団結ですか?』(ICM出版 )、『[[キリスト教綱要]]』([[改革派教会]])、『[[ウェストミンスター信仰基準]]』([[新教出版社]])&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 崇敬の地域性 ===<br /> 聖人崇敬は現実の信仰生活のなかで行われるものであって、そこにはおのずと地方や時代の独自性が反映される。聖人のリストは世界で共通であるが、ある聖人とかかわりの深い地域では、その聖人はより重く崇敬される。そのような信仰生活の個別性は、個人や集団の[[守護聖人]]への信心に現れている。<br /> <br /> 例えば[[ラドネジのセルギイ|ラドネジの克肖者聖セルギイ]]の記憶日は[[ロシア正教会]]やその流れを汲む諸正教会では盛んに祝われるが、他の地域では聖セルギイの記憶日は最も重要な祭日であるとは認識されない。このような事情は[[ブルガリア正教会]]の著名な聖人である[[リラのイオアン|リラの克肖者イオアン]]などについても同様の事が言える。<br /> <br /> === 聖人にちなむ地名 ===<br /> 聖人の名をつけた地名は多い。聖人は各国語でサン(San、Saint)、セント(Saint)、サンタ(Santa)、サント(Santo)、サンクト(Sancto)等になるため、これらで始まる地名は概ね守護聖人の名が使われている。<br /> <br /> 例:[[サンフランシスコ]](聖[[アッシジのフランチェスコ|フランシスコ]])、[[セントルイス]](聖王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ]])、[[サンクトペテルブルク]]、[[セントピーターズバーグ (曖昧さ回避)|セントピーターズバーグ]](聖[[ペトロ]])、[[サンパウロ]](聖[[パウロ]])、[[サンティアゴ (曖昧さ回避)#地名|サンティアゴ]](聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]])、[[サンタモニカ]]([[聖モニカ]])、[[セントヘレナ島]]([[聖ヘレナ]])、[[サンマリノ]]共和国(聖マリヌス)、[[アイオス・ニコラオス]]([[奇蹟者]][[ミラのニコラオス|ニコラオス]])<br /> <br /> == イスラム教 ==<br /> 宗派にもよるが、預言者ムハンマドの教友である[[サハーバ]]や[[十二イマーム派]]のイスラム教指導者である十二[[イマーム]](特に初期のイマームは[[スンニ派]]・[[シーア派]]双方で)などが聖人として扱われている。<br /> イスラム教の教義においては[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]はただの人間であるが、同時にイスラム教をもたらした最も崇敬すべき聖人でもある。また、ムハンマド以前の預言者たちも聖人として扱われており、イスラム教においては[[イスラームにおけるイーサー|イエスキリスト]]も聖人の一人として扱われている。<br /> イスラム社会には聖人が住んでいたモスクが多く現存しており、聖人崇敬を行う信者によって巡礼の対象となっている。<br /> <br /> [[シーア派]]においては歴代のイマームへの崇敬は特に重要な意味を持っており、[[マシュハド]]などイマームの[[廟|墓廟]]のある都市は[[聖廟都市]]と呼ばれ重要な巡礼地になっている。十二イマーム派を国教とする[[イラン]]では歴代イマームの肖像画なども多く描かれているが、基本的にはポスターであり、キリスト教のイコンほどは特別な意味は持たない。<br /> <br /> [[ワッハーブ派]]などの[[イスラム原理主義]]派では聖人崇敬を偶像崇拝であるとして禁止しており、ワッハーブ派を国教とする[[サウジアラビア]]やその前身の[[ワッハーブ王国]]では聖廟に対する破壊活動が行われている。また、原理主義を信奉する[[イスラム過激派]]も聖廟の破壊を目的とした[[テロ]]をしばしば起こしている。ワッハーブ派ではムハンマドの誕生日を祝うことも禁じられている。<br /> <br /> [[アナトリア]]、[[バルカン半島]]などキリスト教とイスラム教と隣接する地域では「聖人は誰にとっても聖人」という言葉があり、両宗教に共通する聖人が存在する&lt;ref&gt;ティエリー・ザルコンヌ『スーフィー:イスラームの神秘主義者たち』 &lt;知の再発見双書&gt; 創元社 2011年、ISBN 9784422212128 pp.76-77.&lt;/ref&gt;。たとえば[[スーフィー]]教団のひとつ、[[ベクタシュ教団]]の創設者[[ハジ・ベタクシュ]]は[[聖ハラランボス]]と同一視され、双方に崇敬されている。<br /> <br /> === 聖人として扱われることがある人物 ===<br /> *[[アブー=バクル]] - [[預言者ムハンマド]]の最初期の教友([[サハーバ]])<br /> *[[ビラール・ビン=ラバーフ]] - [[預言者ムハンマド]]が所有していた黒人奴隷<br /> *[[マリク・イブン=アシュタル]] - イスラーム初期の武将 <br /> ===十二イマーム派の歴代イマーム===<br /> #[[アリー・イブン・アビー=ターリブ|アリー]]<br /> #[[ハサン・イブン・アリー|ハサン]]<br /> #[[フサイン・イブン・アリー (イマーム)|フサイン]] - [[ウマイヤ朝]]軍と[[カルバラー]]で戦い敗死。<br /> #[[アリー・ザイヌルアービディーン]]<br /> #[[ムハンマド・バーキル]]<br /> #[[ジャアファル・サーディク]]<br /> #[[ムーサー・カーズィム]]<br /> #[[アリー・リダー]]<br /> #[[ムハンマド・タキー|ムハンマド・ジャワード]]<br /> #[[アリー・ハーディー]]<br /> #[[ハサン・アスカリー]]<br /> #[[ムハンマド・ムンタザル]](マフディー) - 隠れイマーム<br /> <br /> ==脚注==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *『曙光 [[長司祭]][[牛丸康夫]]遺稿集』([[1995年]]、牛丸忍発行、及川信編集)<br /> * 日本カトリック司教協議会、第2バチカン公会議文書公式訳改訂特別委員会 『教会憲章』 カトリック中央協議会、第2刷、2015年7月15日。126頁。ISBN 978-4-87750-181-5。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[キリスト教の聖人一覧]]<br /> * [[守護聖人]]<br /> * [[霊名日]]<br /> * [[諸聖人の日]]<br /> * [[教会暦]]<br /> * [[聖人暦]]<br /> * [[列聖]]<br /> * [[列福]]<br /> * [[聖 (曖昧さ回避)]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie04.html 生神女マリヤ、聖人、聖師父] - [[日本正教会]]公式サイトのページ<br /> *[http://www.orthodox-jp.com/nagoya/saints.htm 正教時報掲載その他 聖人伝一覧] - [http://www.orthodox-jp.com/nagoya/ 名古屋ハリストス正教会]のページ:過去の「正教時報」で取り上げられた聖人伝の一覧表<br /> {{宗教|state=collapsed}}<br /> {{Authority control}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:せいしん}}<br /> <br /> [[Category:聖人|!]]<br /> [[Category:キリスト教用語]]<br /> [[Category:カトリックの神学思想]]<br /> [[Category:東方正教会]]<br /> [[Category:聖公会]]<br /> [[Category:イスラーム用語]]<br /> [[Category:儒教の用語]]<br /> [[Category:宗教の称号・役職]]</div> 210.149.251.206
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