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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=203.180.199.75&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-03-28T09:01:46Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 川崎公害 2018-07-05T02:53:12Z <p>203.180.199.75: /* 公害発生の経緯 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;川崎公害&#039;&#039;&#039;(かわさきこうがい)または公害病の&#039;&#039;&#039;川崎喘息&#039;&#039;&#039;(かわさきぜんそく)とは、[[昭和]]戦前期から昭和戦後期にかけて[[神奈川県]][[川崎市]]で[[気管支喘息|ぜんそく]]などの健康被害を出した[[日本]]の大規模[[公害]]。<br /> <br /> [[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて川崎公害訴訟があり、一部を除いて原告が勝訴した。<br /> <br /> == 公害発生の経緯 ==<br /> [[京浜工業地帯]]の中心地域である神奈川県の川崎市は戦前からの[[大気汚染]]の町であった。戦後の工業復興で川崎市の公害被害が復活して近隣の神奈川県の[[横浜市]]でも、横浜公害による横浜ぜんそくも発生した。<br /> <br /> 大気汚染の発生源としては、国の高度経済成長政策の元で石炭から石油への政治的エネルギー政策の転換が行われて、川崎地区に大型コンビナートと道路網が建設されたことがその原因とされる。<br /> <br /> === 鉄鋼・化学産業 ===<br /> 鉄鋼産業については、鉄鋼第一次合理化計画(1951年 - 1955年)と鉄鋼第二次合理化計画(1956年 - 1960年)が構想された&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、209頁&lt;/ref&gt;。また、[[通商産業省]]は昭和30年度を始期とする石油化学工業育成計画を構想した。1955年から1960年にかけての第1期石油化学計画では四日市市・[[新居浜市]]・[[岩国市]]・川崎市を拠点開発した&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、212頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 川崎市内の[[JFEスチール|日本鋼管]]川崎製鉄所(現・[[JFE スチール東日本製鉄所]])は[[第一次世界大戦]]が起きた1914年に第一号平炉が稼働した&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、210頁&lt;/ref&gt;。創業当初工場敷地10万平方メートル・工場労働者数約50人だった工場は、条網・鋼管・合金板・鋼板と製品を拡張したことで、1918年には約50万平方メートル・約4000人へと拡大した。1936年に扇町工場が完成、1941年に水江工場の建設が着工されるなど、太平洋戦争前に有数の規模となっていた。高度経済成長期の1968年には工場労働者数2万6000人まで規模が拡大した。川崎・水江・鶴見の3つの製鉄所が統合して京浜製鉄所と呼ばれるようになり、1971年に扇島埋立地に起工式が実施された。1979年に二号高炉に火入れが行われたが、[[環境省|環境庁]]から窒素酸化物の環境対策不十分との指導を受け、焼結工場の排ガス処理設備のみ脱硝装置が設置された。<br /> <br /> === 火力発電所 ===<br /> 東京電力は京浜工業地帯のエネルギー源として1927年に[[鶴見火力発電所]]を稼働させた。その後潮田火力発電所と[[川崎火力発電所]]の建設をおこない、さらに昭和50年代には液化天然ガスの火力発電所を建設した。<br /> <br /> === 自動車道整備 ===<br /> 昭和29年度に第一次道路整備5か年計画が構想された。昭和34年度に第二次道路整備5か年計画が構想された。<br /> <br /> == 提訴まで ==<br /> [[1960年代]]から[[1970年代]]にかけて四日市公害など日本各地で大気汚染による公害が深刻な社会問題になった。工業地域では[[四日市ぜんそく]]などで住民の健康被害が増加していた。[[1972年]](昭和47年)[[7月24日]]の四日市公害裁判の勝訴は大気汚染を発生させた企業への損害賠償責任を認める判例となった。四日市公害裁判の勝訴が川崎公害裁判提訴へのきっかけとなった。[[1980年代]]に公害が発生する汚染地域だった三重県四日市市の環境は公害対策で改善されたが、川崎市は昭和末期になっても公害による大気汚染が現在進行形の問題となっていた。昭和30年代に産業の中心が石炭エネルギーから石油産業に転換すると川崎市に公害が発生した。昭和戦後期の川崎公害で川崎市の住民の健康被害が深刻になった。[[1960年代]]に入ると川崎市は公害条例を制定するなどの公害対策をおこない、住民も市民運動を起こした。[[1970年代]]には川崎市独自の公害病認定と医療費負担を実施するが、認定患者は1年目で316名にのぼった。特に弱者である高齢者や子供に被害が多く、[[小児ぜんそく]]の患者のために[[養護学校]]が作られた。また、公害患者を中心に公害病友の会を結成するなど、公害撲滅に向けた運動がおこなわれた&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、4頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> しかし、昭和50年代になっても川崎市では大気中の窒素産物や粉じんが環境基準を上まわっていた。川崎市では年々新たな公害病患者が認定されてその数は5052人まで増加し&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、215頁&lt;/ref&gt;、死者は昭和60年度の統計で787人となっていた&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、214頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 川崎公害訴訟==<br /> 1982年(昭和57年)3月18日、長期間にわたり川崎公害の健康被害を受けた患者と家族、公害病で死亡した患者および自殺した患者の遺族128人は&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、64頁&lt;/ref&gt;、[[横浜地方裁判所]]川崎支部に[[東京電力]]などの企業と首都高速道路と日本国を相手どって、総額26億3000万円の損害賠償と環境基準を超える大気汚染物質の排出差し止めを求める裁判を起こした(第1次訴訟)。<br /> <br /> 原告側は以下の2点を求めた。<br /> # 二酸化硫黄と二酸化窒素、浮遊粒子状物質などの有害汚染物質を環境基準まで引き下げる排出の差し止め<br /> # 公害患者と死亡者に対する生活環境破壊と家庭の崩壊破壊の損害賠償<br /> 原告となった患者は『夜が来るのが恐ろしい、咳と発作が夜中に襲ってくる』『大勢の公害患者が苦しみながら死んでいく。私たちの要求は人道的に正当性のある戦いだ』といった内容を訴えた。<br /> <br /> このあと1983年から1988年にかけて第2次 - 第4次の訴訟が起こされている&lt;ref name=&quot;hozen&quot;/&gt;。<br /> <br /> 被告らは1991年の弁論で川崎公害患者の訴えは公害病でなくて心臓ぜんそくや肺結核のよるものだという偽患者論を展開して、病名に疑義をはさめない場合はタバコの吸い過ぎやアレルギー症状だという他病気他原因論を主張した&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、217頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 四日市公害裁判など従来の個別企業やコンビナート関連企業を相手とする裁判と異なり多くの課題と困難をともなう裁判であったが、原告側は川崎市民の支持と多くの法律家と専門家の協力を得ながら産業政策・交通道路政策を問題とした。原告団の支援のため、全国の環境問題に取り組む市民運動と環境研究者の組織である日本環境会議が、1986年11月に川崎市で第6回会議を開催した。<br /> <br /> 第1次訴訟は、1994年1月25日に判決が出された。判決骨子は以下の通り。<br /> # 本件疫病は高度の二酸化硫黄による大気汚染が原因である。二酸化窒素による大気汚染を疫病の原因を認めるのは困難である&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、220頁&lt;/ref&gt;。<br /> # 被告企業は浮島石油化学以外の企業間の共同責任の関連性は認められるが道路との関連性は認められない&lt;ref&gt;[[#Miyazaki1996|宮崎、1996年]]、221頁&lt;/ref&gt;。<br /> # 被告企業には損害賠償責任があるが、国家の監督責任や道路公団の責任は認められない。<br /> # 差し止め請求はその方法、態様を特定していない事などから不適法であり、却下を免れない。<br /> # 被告12社に対して損害賠償請求総額26億3590万円に対して7億3000万を認容する。<br /> この判決に基づき原告弁護団は『加害企業に勝訴』の垂れ幕を掲げた。川崎訴訟原告団・弁護団との交渉により&lt;ref&gt;[[#Miyamoto2014|宮本、2014年]]、672頁&lt;/ref&gt;、国は『川崎南部地域の道路改善のための道路整備方針』を発表した&lt;ref&gt;[[#Miyamoto2014|宮本、2014年]]、671頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 判決時点では提訴から12年が経過しており、判決を聞かないまま公害病で死亡した原告男性がいた&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、94頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1998年8月5日に第2次 - 第4次訴訟に対する判決が出され、この中では第1次訴訟では否定された二酸化硫黄・二酸化窒素・浮遊粒子状物質と健康影響との因果関係を認め、国と首都高速道路公団に対して賠償を命じた&lt;ref name=&quot;hozen&quot;/&gt;。<br /> <br /> これらの判決に対して原告・被告の双方が[[控訴]]したが、1996年12月25日に企業、1999年5月20日に国・首都高速道路公団とそれぞれ[[東京高等裁判所]]で和解が成立した&lt;ref name=&quot;hozen&quot;&gt;[http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/kawasaki/ 川崎公害訴訟] - 環境再生保全機構(記録で見る大気汚染と裁判)&lt;/ref&gt;。1996年の企業との和解では、企業側から解決金31億円の原告への支払と公害防止対策努力が盛り込まれた&lt;ref name=&quot;hozen&quot;/&gt;。1999年5月20日の和解内容は以下である&lt;ref&gt;[[#Nagai2002|永井・寺西・除本、2002年]]、128頁&lt;/ref&gt;。<br /> #自動車を臨海部に誘導するための道路ネットワークの整備<br /> #環境施設帯の整備、道路交差点の改良、低騒音の壁の整備<br /> #土壌システムの設置<br /> など&lt;ref&gt;[[#Nagai2002|永井・寺西・除本、2002年]]、129頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 被告団体 ===<br /> 出典は『環境公害教育に生きる・生徒・父母・市民とともに歩みつづけて』川崎公害212頁。<br /> ; 固定発生源<br /> {{columns-list|3|<br /> # [[JFEエンジニアリング|日本鋼管]]<br /> # [[東京電力]]([[川崎火力発電所]])<br /> # [[東燃ゼネラル石油|東亜燃料工業]]<br /> # 東燃石油化学<br /> # [[東燃ゼネラル石油|日網石油精製]]<br /> # [[新日本石油化学|日本石油化学]]<br /> # 浮島石油化学<br /> # [[昭和電工]]<br /> # [[東燃ゼネラル石油|ゼネラル石油]]<br /> # [[三菱石油]]<br /> # [[昭和シェル石油|昭和石油]]<br /> # [[東亜石油]]<br /> # [[日本国有鉄道]]([[JR東日本川崎火力発電所|川崎火力発電所]])<br /> }}<br /> ; 移動発生源<br /> # [[日本国政府]]<br /> # [[首都高速道路公団]]<br /> <br /> == 年表 ==<br /> ; 1950年代以前<br /> * 1940年頃:川崎市独自で第1回煤煙防止デーが実施される。<br /> * 1950年頃:大気汚染による川崎市民から苦情が急増する。<br /> * 1951年:横浜市で横浜喘息が発生する。<br /> * 1951年 - 1960年:川崎市大師地区で大気汚染による農作物被害が広がる&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、192頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 1955年<br /> ** 9月:川崎市観音町で、日本鋼管・昭和電工からの有害ガスや煤煙被害による健康被害があり、住民が有害性や農作物被害を訴えて、市議会に公害防止を訴える。<br /> ** 12月:川崎市内に川崎市煤煙対策協議会が結成、川崎市議会に公害防止特別委員会を設置。<br /> * 1956年:住民団体の川崎市煤煙対策協議会が公害防止の法制化促進要望の陳情書を厚生大臣・通産省に提出する。<br /> * 1959年6月23日:川崎市煤煙防止対策協議会が川崎市内に煤煙防止市民集会を開催する。<br /> ; 1960年代<br /> * 1960年<br /> ** 7月23日:川崎地区の労働協議会が公害防止条例制定運動をおこして12000人の署名を集める。<br /> ** 12月:川崎市公害防止条例が公布施行される。<br /> * 1961年:川崎市公害審査委員会が発足する。<br /> * 1964年<br /> ** 4月:横浜市が専従者7人で公害係を独立させる。<br /> ** 6月1日:神奈川県が新公害防止条例を実施(6月5日に全国で最初に認定基準を決定)。<br /> ** 12月1日:横浜衛生局に公害モニターが特設される&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、193頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 1965年7月22日:横浜市の一部や川崎市内で玉葱の腐ったような刺激性の悪臭が広がり、市民から頭痛や吐き気の訴えが届く。<br /> * 1969年:川崎市が市独自で大気汚染による公害病認定を行い、患者の医療費負担を実施する方針を決定する。<br /> ; 1970年代<br /> * 1970年<br /> ** 5月10日:川崎市内で公害病患者を中心とした公害病友の会の発会式がとり行われる。<br /> ** 8月24日:川崎市と市内38工場が大気汚染防止協定を結ぶ&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、194頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 1971年1月12日:川崎市の公害病患者に新たに18人が認定されて1年目に総数316名となる。<br /> * 1972年2月4日:川崎市が公害防止条例をまとめて環境権の存在を打ち出す&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、195頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 1975年6月6日:川崎市を中心に首都圏で約2500人に[[光化学スモッグ]]被害が発生。<br /> * 1977年7月1日:川崎市の環境アセスメント条例が執行される。<br /> * 1978年:1972年6月に認定された川崎市の公害患者が自殺&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本 (監修)、1996年]]、196頁&lt;/ref&gt;。<br /> ; 1980年代<br /> * 1981年<br /> ** 1月12日:川崎市の1980年度の公害病認定患者が169人となり認定失効患者243人人で1970年の制度発足以来初めて失効者が上回る。<br /> ** 2月6日:川崎公害病友の会が第1次原告団の結団式を行う。患者91人。遺族11人。<br /> * 1982年3月18日:横浜地裁川崎支部で川崎公害訴訟が開始される(第1次訴訟)。<br /> * 1983年9月17日:患者102人と遺族7家族が横浜地裁川崎支部に提訴(第2次訴訟)。<br /> * 1985年3月9日:原告107人による第3次訴訟が提訴。<br /> * 1987年3月24日:横浜市が自動車公害防止計画を全国の自治体で初めて実施する&lt;ref&gt;[[#Miyamoto1996|宮本(監修)、1996年]]、197頁&lt;/ref&gt;。<br /> * 1988年<br /> ** 11月17日:千葉川鉄公害訴訟([[千葉市]]にある川崎製鉄千葉製鉄所に対する訴訟)で[[千葉地方裁判所]]は健康被害と川崎千葉製鉄所の因果関係を認めて死亡した14人の含む原告61人に内41人に総額7714万円の支払いを命じた。<br /> ** 12月24日:原告100人による第4次訴訟が提訴。<br /> ; 1990年代<br /> * 1992年8月10日:千葉川鉄公害訴訟につき、[[東京高等裁判所]]で提訴以来17年ぶりに和解成立&lt;ref&gt;[http://nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/chiba/ 千葉川鉄公害訴訟] - 環境再生保全機構(記録で見る大気汚染と裁判)&lt;/ref&gt;。<br /> * 1994年1月25日:川崎公害訴訟の第1次訴訟につき、横浜地裁川崎支部で判決。<br /> * 1996年12月25日:東京高裁にて、企業側と原告が和解。<br /> * 1998年8月5日:第2次 - 4次訴訟判決。道路交通による排出物質と健康被害の因果関係を認定。<br /> <br /> == 川崎公害を題材とした作品 ==<br /> * 映画『ともだち』([[日活児童映画]]、[[澤田幸弘]]監督、1974年) - 舞台は川崎市で主人公の少女は喘息を患っている設定。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|3}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Anchors|Miyazaki1996}} {{Cite book | 和書 | author=宮崎一郎 | year=1996 | title=環境公害教育に生きる:生徒・父母・市民とともに歩みつづけて | publisher=[[高文研]] | isbn=9784874981771 }}<br /> * {{Anchors|Miyamoto1996}} {{Cite book | 和書 | others=[[宮本憲一]](監修)| year=1996 | title=日本の公害 -写真・絵画集成 - 5 都市を覆う | publisher=日本図書センター | isbn=4-8205-7300-4 }}<br /> * {{Anchors|Nagai2002}} {{Cite book | 和書 | author1=永井進 | author2=[[寺西俊一]] | author3=[[除本理史]] (共編著)| year=2002 | title=環境再生 - 川崎から公害地域の再生を考える| publisher=[[有斐閣]] |series=有斐閣選書 | isbn=978-4641280779 }} <br /> * {{Anchors|Miyamoto2014}} {{Cite book | 和書 | author=[[宮本憲一]] | title=戦後日本公害史論 | year=2014 | publisher=[[岩波書店]] | isbn=978-4000259842 }}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:かわさきこうかい}}<br /> [[Category:日本の公害病]]<br /> [[Category:日本の大気汚染]]<br /> [[Category:呼吸器疾患]]<br /> [[Category:免疫病]]<br /> [[Category:川崎市の歴史|こうかい]]</div> 203.180.199.75 山鹿素行 2018-07-04T05:40:31Z <p>203.180.199.75: /* 経歴 */</p> <hr /> <div>[[画像:Yamaga Soko bust in the Ako castle ruins.jpg|thumb|200px|[[赤穂城]]二の丸門跡そばにある素行の胸像]]<br /> &#039;&#039;&#039;山鹿 素行&#039;&#039;&#039;(やまが そこう、[[元和 (日本)|元和]]8年[[8月16日 (旧暦)|8月16日]]([[1622年]][[9月21日]]) - [[貞享]]2年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]([[1685年]][[10月23日]]))は、[[江戸時代]]前期の[[日本]]の[[儒学者]]、[[軍学者]]。[[山鹿流]]兵法及び[[古学派]]の祖である。[[諱]]は&#039;&#039;&#039;高祐&#039;&#039;&#039;(たかすけ)、また&#039;&#039;&#039;義矩&#039;&#039;&#039;(よしのり)とも。[[字]]は子敬、[[仮名 (通称)|通称]]は甚五右衛門。因山、素行と[[雅号|号]]した。<br /> <br /> == 経歴 ==<br /> [[陸奥国]][[会津]]([[福島県]][[会津若松市]])にて浪人・山鹿貞以(山鹿高道とも&lt;ref&gt;斎藤[{{NDLDC|983195/5}} 『山鹿素行』1頁]、田制[{{NDLDC|1462455/9}} 『山鹿素行』1頁]、[{{NDLDC|914500/34}} 『山鹿温泉誌』40頁]&lt;/ref&gt;)の子として生まれる&lt;ref&gt;出自については、筑前遠賀郡山鹿とも、肥後山鹿ともいう(斎藤[{{NDLDC|983195/7}} 『山鹿素行』4頁]、田制[{{NDLDC|1462455/9}} 『山鹿素行』1頁])。後者につき詳しい文献として[{{NDLDC|978631/322}} 『鹿本郡誌』572頁]、[{{NDLDC|914500/34}} 『山鹿温泉誌』40頁]。&lt;/ref&gt;。[[寛永]]5年([[1628年]])に6歳で[[江戸]]に出る。寛永7年([[1630年]])、9歳のとき大学頭を務めていた[[林羅山]]の門下に入り[[朱子学]]を学び、15歳からは[[小幡景憲]]、[[北条氏長]]の下で甲州流の[[軍学]]を、廣田坦斎らに[[神道]]を、それ以外にも[[歌学]]など様々な学問を学んだ。&lt;ref&gt;『日本思想全史』220頁&lt;/ref&gt;<br /> [[File:山鹿素行墓(宗参寺).JPG|thumb|200px|山鹿素行の墓(宗参寺)]]<br /> [[朱子学]]を批判したことから[[播磨国]][[赤穂藩]]へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩[[家老|国家老]]の[[大石良雄]]も門弟の一人であり、良雄が活躍した[[赤穂事件]]以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる&lt;ref&gt;なお、赤穂事件を題材にした歌舞伎『[[仮名手本忠臣蔵]]』や『[[忠臣蔵]]』の映画・ドラマには「一打ち二打ち三流れ」という「山鹿流の陣太鼓」が登場するが創作であり、実際の山鹿流軍学にはそうした陣太鼓の奏法は存在しない。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[寛文]]2年([[1662年]])頃から朱子学に疑問を持つようになり、新しい学問体系を研究し、寛文5年([[1665年]])、天地からなる自然は、人間の意識から独立した存在であり、一定の法則性をもって自己運動していると考えた。この考えは、門人によって編集され『山鹿語類』などに示されている。<br /> <br /> [[延宝]]3年([[1675年]])、許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた。その教えは、後代の[[吉田松陰]]などに影響を与えている。<br /> <br /> 貞享2年(1685年)死去。墓所は[[東京都]][[新宿区]]弁天町1番地の曹洞宗宗参寺にある&lt;ref&gt;[http://www.shinjukuku-kankou.jp/map_kagura_11.html 新宿・史跡文化財散策マップ 宗参寺 山鹿素行の墓 牛込氏の墓 - 新宿区観光協会]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> [[画像:Yagama Sokou.jpg|thumb|200px|山鹿素行]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[地球球体説]]&#039;&#039;&#039;を支持し[[儒教]]の宇宙観である&#039;&#039;&#039;[[天円地方]]説&#039;&#039;&#039;を否定している。&lt;ref&gt;岡田俊裕著 『 日本地理学人物事典 [ 近世編 ]』 原書房 2011年 18-20ページ&lt;/ref&gt;。<br /> * 名言に「常の勝敗は現在なり」&lt;!--(前後文有り)--&gt;がある。<br /> <br /> === 子孫 ===<br /> * [[津軽藩]]主の[[津軽信政]]やその後見人である旗本([[黒石藩]])の[[津軽信英]]は素行に師事し、津軽藩は1万石&lt;ref&gt;津軽藩の表高は5万石に満たない。そのうちからの1万石である。幕府旗本で津軽藩から分知を受けた津軽信英の黒石の知行は5000石。&lt;/ref&gt;をもって素行を招聘しようとしたが実現せず、代わりに素行の子の政実が登用されている。政実はのちに津軽姓を名乗ることを許され、家老職家となる。一方、信政の近臣の[[喜多村宗則]]に素行の娘が嫁ぎ、宗則もまた津軽姓を許されて津軽政広と名乗り江戸家老となるが、若くして死去した。政広の遺児は素行の娘である母の手により[[山鹿流]]兵学や[[儒学]]を教育され、長じて津軽藩家老[[喜多村政方]]となる。政方の次男が[[国学者]]や画家として名高い[[建部綾足]]である。素行から6代後の子孫に山鹿流兵学者として活躍した[[山鹿素水]]がいる。&lt;ref&gt;「兵法者の生活」第六章.幕末兵法武道家の生涯 二.山鹿素水の業績(P217-220)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> * 素行が[[平戸藩]]主[[松浦重信|松浦鎮信]]と親しかった縁で、一族の山鹿平馬は松浦家に召し抱えられ、後に家老となっている。<br /> <br /> == 石碑 ==<br /> [[福島県]][[会津若松市]]山鹿町の[[直江兼続]]屋敷跡には、素行を記念する「山鹿素行誕生地」としるした石碑がある。文字は東郷平八郎による。<br /> <br /> == 著書 ==<br /> *『聖教要録』[[土田健次郎]]全訳注 2001年 講談社学術文庫 <br /> *『[[中朝事実]]』<br /> *『配所残筆』<br /> *『武教本論』<br /> *『武教全書』<br /> *『[[武家事紀]]』<br /> *『山鹿語類』<br /> *『謫居童問』<br /> *『山鹿素行全集』全15巻 [[岩波書店]] 1940年–1942年<br /> <br /> == 関連書籍 ==<br /> *[[中山久四郎]]『山鹿素行』北海出版社(日本教育家文庫) 1937年 <br /> *[[納富康之]]『山鹿素行の国体観』鶴書房 1943年<br /> *[[清原貞雄]]『山鹿素行の兵學』ダイヤモンド社(國防科學叢書) 1944年 <br /> *[[堀勇雄]]『山鹿素行』吉川弘文館(人物叢書) 1959年<br /> *[[佐佐木杜太郎]]『山鹿素行 叢書・日本の思想家 8』明徳出版社 1978年<br /> *[[石岡久夫]]『山鹿素行兵法学の史的研究』玉川大学出版部 1980年<br /> *石岡久夫「兵法者の生活」([[雄山閣出版]])1981年<br /> *山鹿光世『山鹿素行』 原書房 1981年<br /> *[[中山広司]]『山鹿素行の研究』神道史学会(神道史研究叢書) 1988年<br /> *佐佐木杜太郎『武士道は死んだか 山鹿素行武士道哲学の解説』壮神社 1995年<br /> *劉長輝『山鹿素行 「聖学」とその展開』ぺりかん社 1998年<br /> *風間健「武士道教育総論」(壮神社)2000年<br /> *[[多田顕]]『武士道の倫理 山鹿素行の場合』[[永安幸正]]編集・解説 麗澤大学出版会 2006年<br /> *[[立花均]]『山鹿素行の思想』ぺりかん社 2007年<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 斎藤弔花『山鹿素行』博文堂 1925年(大正14年)<br /> * 田制佐重『山鹿素行』春秋社 1936年(昭和11年)<br /> * 武富国三郎編『山鹿温泉誌』武富国三郎 1926年(大正15年)<br /> * 鹿本郡編『鹿本郡誌』鹿本郡 1923年(大正12年)<br /> * 山鹿光世『山鹿素行』錦正社 1999年(平成11年)12月 ISBN 978-4-7646-0251-9<br /> * 秋山一實『山鹿素行自筆本『配所残筆』―写真・翻刻・研究・校訂・意訳―』錦正社 2013年(平成25年)7月 ISBN 978-4-7646-0297-7<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Yamaga Soko}}<br /> *[[小栗流|小栗流和]]<br /> *[[山鹿流]]<br /> *[[山鹿素水]]<br /> *[[松浦の太鼓]]<br /> *[[山鹿旗之進]]<br /> *[[山鹿元次郎]]<br /> *[[渡辺美佐 (芸能事務所社長)]]<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{Shinto-stub}}<br /> {{Academic-bio-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:やまか そこう}}<br /> [[Category:江戸時代の儒学者]]<br /> [[Category:江戸時代の軍学者]]<br /> [[Category:日本の哲学者]]<br /> [[Category:17世紀の学者]]<br /> [[Category:神道に関連する人物]]<br /> [[Category:陸奥国の人物]]<br /> [[Category:1622年生]]<br /> [[Category:1685年没]]</div> 203.180.199.75 静岡市 2018-06-28T22:30:28Z <p>203.180.199.75: /* 人口 */</p> <hr /> <div>{{複数の問題|出典の明記=2015年11月|独自研究=2015年11月|内容過剰=2017年1月}}<br /> {{日本の市<br /> |自治体名=静岡市<br /> |画像 = ファイル:Shizuoka montage.jpg<br /> |画像の説明 = &lt;table style=&quot;width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse&quot;&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td style=&quot;width:50%&quot;&gt;[[静岡浅間神社]]大拝殿&lt;td&gt;[[静岡市清水日本平運動公園球技場|IAIスタジアム日本平]]&lt;/tr&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td colspan=&quot;2&quot;&gt;[[富士山]]と[[清水港]]を[[日本平]]より望む&lt;/tr&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td &gt;茶畑&lt;td style=&quot;width:50%; vertical-align: middle&quot; rowspan=&quot;2&quot;&gt;[[駿府城]]巽櫓&lt;/tr&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td &gt;[[登呂遺跡]]&lt;/tr&gt;<br /> &lt;/table&gt;<br /> |市旗 = [[ファイル:Flag of Shizuoka, Shizuoka.svg|100px|border|静岡市旗]]<br /> |市旗の説明 = 静岡市旗&lt;div style=&quot;font-size:smaller&quot;&gt;[[2003年]][[5月29日]]制定<br /> |市章 = [[ファイル:Emblem of Shizuoka, Shizuoka.svg|80px|静岡市章]]<br /> |市章の説明 = 静岡市章&lt;div style=&quot;font-size:smaller&quot;&gt;2003年5月29日制定&lt;ref name=&quot;symbols&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.city.shizuoka.jp/deps/soumu/city_mark.html|title=市章|work=静岡市ホームページ|date=|accessdate=2014-07-18}}&lt;/ref&gt;<br /> |都道府県=静岡県<br /> |支庁=<br /> |コード=22100-7<br /> |隣接自治体={{flatlist|class=hlist-comma|<br /> *[[富士市]]<br /> *[[富士宮市]]<br /> *[[藤枝市]]<br /> *[[焼津市]]<br /> *[[島田市]]<br /> *[[榛原郡]][[川根本町]]<br /> ;[[山梨県]]<br /> :[[南アルプス市]]<br /> :[[南巨摩郡]][[早川町]]<br /> :[[身延町]]<br /> :[[南部町 (山梨県)|南部町]]<br /> ;[[長野県]]<br /> :[[飯田市]]<br /> :[[伊那市]]<br /> :[[下伊那郡]][[大鹿村]]}}<br /> |木=[[ハナミズキ]]&lt;ref name=&quot;花木鳥&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.city.shizuoka.jp/deps/soumu/somu_city_symbol_index.html|title=市の花・木・鳥|work=静岡市ホームページ|date=|accessdate=2014-07-18|quote=市の花・木・鳥(2005年(平成17年)4月13日制定)}}&lt;/ref&gt;<br /> |花=[[タチアオイ]]&lt;ref name=&quot;花木鳥&quot;/&gt;<br /> |シンボル名=市の鳥&lt;hr&gt;シンボルカラー<br /> |鳥など=[[カワセミ]]&lt;ref name=&quot;花木鳥&quot;/&gt;&lt;hr&gt;{{Color|#407CD2|■}}ブルー([[コバルトガラス|スマルト]])&lt;ref name=&quot;symbols&quot;/&gt;<br /> |郵便番号=420-8602<br /> |所在地=静岡市葵区追手町5番1号[[ファイル:City Hall of Shizuoka.jpg|250px|静岡市役所]]<br /> |外部リンク={{Wikidata|property|P856}}<br /> |位置画像={{基礎自治体位置図|22|100}}{{行政区位置図|22|100}}<br /> |特記事項=市役所所在地の欄は静岡庁舎について。それ以外は[[#市庁舎]]に記載。}}<br /> [[File:Mount Fuji and Shizuoka Station.jpg|thumb|200px|[[満観峰]]から望む[[安倍川]]と静岡市[[都心|都心部]]遠景]]<br /> [[File:遠方に静岡市中心部.jpg|thumb|200px|[[賤機山]]より静岡市[[都心|都心部]]を臨む]]<br /> [[File:Nihondaira from shizuoka plain.JPG|thumb|200px|[[静岡県庁舎]]別館21階展望デッキから静岡市[[都心|都心部]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;静岡市&#039;&#039;&#039;(しずおかし)は静岡県中部に位置する[[政令指定都市]]であり、同県の[[県庁所在地]]である。<br /> <br /> ==概要==<br /> {{独自研究|section=1|date=2015年11月}}<br /> [[東京特別区|東京]]と[[名古屋市|名古屋]]の[[太平洋ベルト]]地帯上のほぼ中間に位置し、[[静岡県]]の東西間でもほぼ中央にある。[[葵区]]、[[駿河区]]、[[清水区]]の3区で構成されていて、範囲は[[駿河湾]]から[[静岡平野]]や清水平野を経て[[赤石山脈]]([[南アルプス]])の県境まで南北に繋がる。[[2003年]][[4月]]に旧静岡市と[[清水市|旧清水市]]の[[市町村合併|合併]]で福島県[[いわき市]]を抜き、[[2005年]][[2月]]に岐阜県[[高山市]]が周辺9町村と合併するまで、[[日本一の一覧|日本一]]広い[[面積]]を持つ市であった。2017年現在では、岐阜県高山市、静岡県[[浜松市]]、栃木県[[日光市]]、北海道[[北見市]]に次いで全国で5番目に面積が広い市で、[[都道府県庁所在地]]の市としては日本最大の面積を誇る。県内では人口は12市町が合併し[[浜松市]]の方が多いものの、都市構造が同市とは異なり、葵区中北部の広大な山間部と駿河湾に挟まれた狭い区域での密度の濃い都市部となっている。<br /> === 地域間関係 ===<br /> 静岡市は、県中央部に広大な市域を擁しているが、市街地は南部の平坦地に集中している。<br /> 平成21年3月27日、国によりに「[[中心市街地の活性化に関する法律#中心市街地活性化基本計画|中心市街地活性化基本計画]]」が、2地区(静岡地区&lt;ref&gt;静岡市中心市街地活性化基本計画における静岡地区は、静岡駅と葵区役所付近の約250[[ヘクタール]]である。&lt;/ref&gt;、清水地区&lt;ref&gt;静岡市中心市街地活性化基本計画における清水地区は、清水駅と清水区役所付近の約140ヘクタールである。&lt;/ref&gt;)に認定された&lt;ref&gt;{{Cite web|title=中心市街地活性化基本計画 |publisher=静岡市ホームページ|url=http://www.city.shizuoka.jp/deps/shogyorousei/tyushinshigaichi.html|accessdate=2014-05-29}}&lt;/ref&gt;。1つの自治体で2地区認定されているのは[[北九州市]](小倉地区、黒崎地区)に続く2例目で、平成21年12月時点[[熊本市]](熊本地区、植木地区)と合わせ3市である&lt;ref&gt;{{Cite web|title=認定された中心市街地活性化基本計画|publisher=首相官邸ウェブサイト|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/chukatu/nintei.html|accessdate=2014-05-29}}&lt;/ref&gt;。<br /> なお、最近{{いつ|date=2018年5月}}は静岡駅寄りの東静岡駅周辺にも、文化施設や商業施設を主体とする新市街地が形成されつつある。<br /> <br /> ==地理==<br /> [[File:Shizuoka city center area Aerial photograph.1988.jpg|thumb|200px|静岡市中心部周辺の空中写真。1988年撮影の15枚を合成作成&lt;ref&gt;{{国土航空写真}}&lt;/ref&gt;]]<br /> === 基本データ ===<br /> * 人口集中地区面積:98.8[[平方キロメートル|km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;]]<br /> * 都市計画区域面積:223.0km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> * 市街化区域面積:99.2km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> <br /> === 自然 ===<br /> {{複数の問題|section=1|出典の明記=2015年11月|雑多な内容の箇条書き=2015年11月}}<br /> [[富士山]]を望む[[日本平]]、[[三保の松原]]などの景勝地や、温暖な気候でも知られる。三方を山に囲まれ、南は[[駿河湾]]に接している。市域面積の10%未満しかない[[平野]]部に人口の約98%が集中しており、残り市域の大半は非可住の山林である。[[糸魚川静岡構造線]]上に位置しており、急峻な山や急流が目立つ。また、[[駿河トラフ]]に近いために、[[南関東]]と同様に大[[地震]]の危険性が指摘されており、{{要出典|防災にも力が入れられている。|date=20151114}}<br /> ;山地<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> *[[間ノ岳]]<br /> *[[塩見岳]]<br /> *[[荒川岳]](悪沢岳)<br /> *[[赤石岳]]<br /> *[[聖岳]]<br /> *[[光岳]]<br /> *[[山伏 (赤石山脈)|山伏]](やんぶし)<br /> *[[大無間山]]<br /> *満観峠<br /> *真富士山<br /> *[[十枚山]]<br /> *[[竜爪山]]<br /> *[[賤機山]]<br /> *[[谷津山]]<br /> *八幡山<br /> *[[有度山]](日本平)<br /> *梶原山<br /> *薩埵山([[薩た峠|薩埵峠]])<br /> *[[浜石岳]]<br /> *大丸山<br /> *大平山}}<br /> ;河川<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> *[[大井川]](上流)<br /> *[[安倍川]]<br /> *[[藁科川]]<br /> *丸子川<br /> *[[巴川 (静岡県)|巴川]]<br /> *[[大谷川放水路]]<br /> *長尾川<br /> *[[富士川]]<br /> *[[興津川]]<br /> *大沢川<br /> *庵原川<br /> *山切川<br /> *中河内川<br /> *大橋川<br /> *[[小河内川 (静岡市清水区)|小河内川(興津川支流)]]}}<br /> ;湖沼<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> *井川湖([[井川ダム]]湖)<br /> *畑薙湖([[畑薙第一ダム]]湖)<br /> *麻機沼(麻機遊水地)<br /> *鯨ヶ池<br /> *有東坂池<br /> *二ツ池(小鹿池)<br /> *船越堤}}<br /> <br /> === 気候 ===<br /> 温暖な[[太平洋側気候]]である。夏は暑さが厳しく、南アルプスからの北風によるフェーン現象で最高気温が39℃前後に達することもある。冬は1月の平均気温が6.7℃と九州や四国の県庁所在地に匹敵する温暖さである。[[南岸低気圧]]では太平洋から暖気が入るため関東平野や濃尾平野が大雪の際にも基本的に雨になる。そのため1cm以上の積雪は観測史上に数回しかなく非常に希で、本土のなかでも最も雪の積もりにくい地域のひとつである。冬型の気圧配置下ではにわか雪が見られる。<br /> 北部の[[南アルプス]]南麗に接する[[井川村|井川]]([[葵区]])は、[[豪雪地帯対策特別措置法]]に基づく[[豪雪地帯]]に指定されている。<br /> {{climate chart|&#039;&#039;&#039;静岡&#039;&#039;&#039;<br /> |1.8|11.5|75.0<br /> |2.5|12.0|102.6<br /> |5.7|14.8|216.8<br /> |10.4|19.5|209.9<br /> |14.7|23.0|213.0<br /> |18.8|25.7|292.8<br /> |22.7|29.5|277.6<br /> |23.8|30.8|250.9<br /> |20.8|27.9|292.0<br /> |15.0|23.1|199.9<br /> |9.4|18.4|131.5<br /> |4.1|14.0|63.0<br /> |float=right<br /> |clear=none<br /> |source=[[気象庁]]&lt;ref name=&quot;wx-shizuoka&quot; /&gt;}}<br /> <br /> {{Location map+|Japan Shizuoka|width=320|float=left|caption=気象観測地点|places=<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=34.975|long=138.403333|position=right|label=静岡}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=35.053333|long=138.521667|position=right|label=清水}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=35.25|long=138.221667|position=right|label=井川}}}}<br /> <br /> {{Weather box<br /> |location = 静岡<br /> |metric first = yes<br /> |single line = yes<br /> |Jan record high C = 25.7<br /> |Feb record high C = 26.2<br /> |Mar record high C = 26.6<br /> |Apr record high C = 33.3<br /> |May record high C = 33.9<br /> |Jun record high C = 38.3<br /> |Jul record high C = 38.4<br /> |Aug record high C = 38.7<br /> |Sep record high C = 37.1<br /> |Oct record high C = 33.9<br /> |Nov record high C = 28.0<br /> |Dec record high C = 24.5<br /> |Jan high C = 11.5<br /> |Feb high C = 12.0<br /> |Mar high C = 14.8<br /> |Apr high C = 19.5<br /> |May high C = 23.0<br /> |Jun high C = 25.7<br /> |Jul high C = 29.5<br /> |Aug high C = 30.8<br /> |Sep high C = 27.9<br /> |Oct high C = 23.1<br /> |Nov high C = 18.4<br /> |Dec high C = 14.0<br /> |year high C = 20.9<br /> |Jan mean C = 6.7<br /> |Feb mean C = 7.3<br /> |Mar mean C = 10.3<br /> |Apr mean C = 14.9<br /> |May mean C = 18.8<br /> |Jun mean C = 22.0<br /> |Jul mean C = 25.7<br /> |Aug mean C = 27.0<br /> |Sep mean C = 24.1<br /> |Oct mean C = 18.9<br /> |Nov mean C = 13.9<br /> |Dec mean C = 9.0<br /> |year mean C = 16.5<br /> |Jan low C = 1.8<br /> |Feb low C = 2.5<br /> |Mar low C = 5.7<br /> |Apr low C = 10.4<br /> |May low C = 14.7<br /> |Jun low C = 18.8<br /> |Jul low C = 22.7<br /> |Aug low C = 23.8<br /> |Sep low C = 20.8<br /> |Oct low C = 15.0<br /> |Nov low C = 9.4<br /> |Dec low C = 4.1<br /> |year low C = 12.5<br /> |Jan record low C = -6.8<br /> |Feb record low C = -5.8<br /> |Mar record low C = -4.6<br /> |Apr record low C = -1.4<br /> |May record low C = 5.1<br /> |Jun record low C = 12.5<br /> |Jul record low C = 15.4<br /> |Aug record low C = 16.9<br /> |Sep record low C = 10.6<br /> |Oct record low C = 3.9<br /> |Nov record low C = -1.7<br /> |Dec record low C = -5.1<br /> |Jan snow cm = 0.0<br /> |Feb snow cm = 0.2<br /> |Mar snow cm = 0.0<br /> |Apr snow cm = 0.0<br /> |May snow cm = 0<br /> |Jun snow cm = 0<br /> |Jul snow cm = 0<br /> |Aug snow cm = 0<br /> |Sep snow cm = 0<br /> |Oct snow cm = 0<br /> |Nov snow cm = 0.0<br /> |Dec snow cm = 0.0<br /> |year snow cm = 0.2<br /> |Jan precipitation mm = 75.0<br /> |Feb precipitation mm = 102.6<br /> |Mar precipitation mm = 216.8<br /> |Apr precipitation mm = 209.9<br /> |May precipitation mm = 213.0<br /> |Jun precipitation mm = 292.8<br /> |Jul precipitation mm = 277.6<br /> |Aug precipitation mm = 250.9<br /> |Sep precipitation mm = 292.0<br /> |Oct precipitation mm = 199.9<br /> |Nov precipitation mm = 131.5<br /> |Dec precipitation mm = 63.0<br /> |year precipitation mm = 2324.9<br /> |unit precipitation days = 1.0 mm<br /> |Jan precipitation days = 5.5<br /> |Feb precipitation days = 5.7<br /> |Mar precipitation days = 10.3<br /> |Apr precipitation days = 9.7<br /> |May precipitation days = 10.4<br /> |Jun precipitation days = 12.1<br /> |Jul precipitation days = 11.5<br /> |Aug precipitation days = 9.5<br /> |Sep precipitation days = 11.8<br /> |Oct precipitation days = 9.3<br /> |Nov precipitation days = 6.8<br /> |Dec precipitation days = 4.8<br /> |year precipitation days = 107.3<br /> |Jan humidity = 57<br /> |Feb humidity = 57<br /> |Mar humidity = 63<br /> |Apr humidity = 66<br /> |May humidity = 71<br /> |Jun humidity = 78<br /> |Jul humidity = 79<br /> |Aug humidity = 77<br /> |Sep humidity = 75<br /> |Oct humidity = 70<br /> |Nov humidity = 66<br /> |Dec humidity = 60<br /> |year humidity = 68<br /> |Jan sun = 201.6<br /> |Feb sun = 181.0<br /> |Mar sun = 179.1<br /> |Apr sun = 185.1<br /> |May sun = 183.3<br /> |Jun sun = 132.1<br /> |Jul sun = 154.2<br /> |Aug sun = 201.4<br /> |Sep sun = 148.9<br /> |Oct sun = 160.9<br /> |Nov sun = 170.3<br /> |Dec sun = 201.1<br /> |year sun = 2099.0<br /> |source = [[気象庁]] (平均値:1981年-2010年、極値:1940年-現在)&lt;ref name=&quot;wx-shizuoka&quot;&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=50&amp;block_no=47656&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=a2<br /> | title = 平年値(年・月ごとの値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=50&amp;block_no=47656&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=<br /> | title = 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> {{Weather box<br /> |location = 清水<br /> |metric first = yes<br /> |single line = yes<br /> |Jan record high C = 22.3<br /> |Feb record high C = 26.8<br /> |Mar record high C = 27.4<br /> |Apr record high C = 31.8<br /> |May record high C = 34.3<br /> |Jun record high C = 37.8<br /> |Jul record high C = 38.2<br /> |Aug record high C = 37.8<br /> |Sep record high C = 37.3<br /> |Oct record high C = 33.3<br /> |Nov record high C = 26.9<br /> |Dec record high C = 24.3<br /> |Jan high C = 11.5<br /> |Feb high C = 12.2<br /> |Mar high C = 14.9<br /> |Apr high C = 19.6<br /> |May high C = 23.1<br /> |Jun high C = 25.6<br /> |Jul high C = 29.1<br /> |Aug high C = 30.9<br /> |Sep high C = 28.0<br /> |Oct high C = 23.1<br /> |Nov high C = 18.4<br /> |Dec high C = 14.0<br /> |year high C = 20.8<br /> |Jan mean C = 6.5<br /> |Feb mean C = 7.1<br /> |Mar mean C = 10.1<br /> |Apr mean C = 14.7<br /> |May mean C = 18.5<br /> |Jun mean C = 21.7<br /> |Jul mean C = 25.3<br /> |Aug mean C = 26.7<br /> |Sep mean C = 23.9<br /> |Oct mean C = 18.8<br /> |Nov mean C = 13.7<br /> |Dec mean C = 8.9<br /> |year mean C = 16.3<br /> |Jan low C = 2.2<br /> |Feb low C = 2.7<br /> |Mar low C = 5.7<br /> |Apr low C = 10.3<br /> |May low C = 14.6<br /> |Jun low C = 18.6<br /> |Jul low C = 22.4<br /> |Aug low C = 23.6<br /> |Sep low C = 20.6<br /> |Oct low C = 15.1<br /> |Nov low C = 9.8<br /> |Dec low C = 4.7<br /> |year low C = 12.5<br /> |Jan record low C = -3.9<br /> |Feb record low C = -5.6<br /> |Mar record low C = -2.1<br /> |Apr record low C = 1.7<br /> |May record low C = 6.8<br /> |Jun record low C = 12.9<br /> |Jul record low C = 16.3<br /> |Aug record low C = 18.9<br /> |Sep record low C = 12.2<br /> |Oct record low C = 6.4<br /> |Nov record low C = 0.7<br /> |Dec record low C = -2.5<br /> |Jan precipitation mm = 79.6<br /> |Feb precipitation mm = 104.6<br /> |Mar precipitation mm = 222.5<br /> |Apr precipitation mm = 209.0<br /> |May precipitation mm = 209.2<br /> |Jun precipitation mm = 282.5<br /> |Jul precipitation mm = 266.3<br /> |Aug precipitation mm = 249.3<br /> |Sep precipitation mm = 294.1<br /> |Oct precipitation mm = 211.2<br /> |Nov precipitation mm = 143.4<br /> |Dec precipitation mm = 67.8<br /> |year precipitation mm = 2367.6<br /> |unit precipitation days = 1.0 mm<br /> |Jan precipitation days = 5.8<br /> |Feb precipitation days = 6.4<br /> |Mar precipitation days = 11.4<br /> |Apr precipitation days = 10.6<br /> |May precipitation days = 11.1<br /> |Jun precipitation days = 13.3<br /> |Jul precipitation days = 11.6<br /> |Aug precipitation days = 9.8<br /> |Sep precipitation days = 12.2<br /> |Oct precipitation days = 9.8<br /> |Nov precipitation days = 7.6<br /> |Dec precipitation days = 5.3<br /> |year precipitation days = 115.2<br /> |Jan sun = 178.4<br /> |Feb sun = 163.9<br /> |Mar sun = 167.5<br /> |Apr sun = 176.8<br /> |May sun = 165.2<br /> |Jun sun = 116.6<br /> |Jul sun = 136.8<br /> |Aug sun = 185.2<br /> |Sep sun = 145.4<br /> |Oct sun = 148.3<br /> |Nov sun = 156.7<br /> |Dec sun = 182.7<br /> |year sun = 1935.7<br /> |source = [[気象庁]] (平均値:1981年-2010年、極値:1978年-現在)&lt;ref&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_amd_ym.php?prec_no=50&amp;block_no=1243&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=a2<br /> | title = 平年値(年・月ごとの値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_a.php?prec_no=50&amp;block_no=1243&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=<br /> | title = 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> {{Weather box<br /> |location = 井川<br /> |metric first = yes<br /> |single line = yes<br /> |Jan record high C = 18.2<br /> |Feb record high C = 21.8<br /> |Mar record high C = 24.2<br /> |Apr record high C = 27.5<br /> |May record high C = 29.9<br /> |Jun record high C = 34.4<br /> |Jul record high C = 35.7<br /> |Aug record high C = 34.7<br /> |Sep record high C = 33.2<br /> |Oct record high C = 28.4<br /> |Nov record high C = 22.4<br /> |Dec record high C = 19.4<br /> |Jan high C = 6.5<br /> |Feb high C = 7.3<br /> |Mar high C = 10.4<br /> |Apr high C = 15.9<br /> |May high C = 19.9<br /> |Jun high C = 22.8<br /> |Jul high C = 26.6<br /> |Aug high C = 27.7<br /> |Sep high C = 24.1<br /> |Oct high C = 18.8<br /> |Nov high C = 14.0<br /> |Dec high C = 9.2<br /> |year high C = 23.9<br /> |Jan mean C = 1.1<br /> |Feb mean C = 1.7<br /> |Mar mean C = 4.7<br /> |Apr mean C = 9.9<br /> |May mean C = 14.1<br /> |Jun mean C = 17.6<br /> |Jul mean C = 21.3<br /> |Aug mean C = 22.1<br /> |Sep mean C = 18.9<br /> |Oct mean C = 13.3<br /> |Nov mean C = 8.3<br /> |Dec mean C = 3.6<br /> |year mean C = 11.4<br /> |Jan low C = -3.1<br /> |Feb low C = -2.9<br /> |Mar low C = 0.1<br /> |Apr low C = 4.9<br /> |May low C = 9.3<br /> |Jun low C = 13.7<br /> |Jul low C = 17.6<br /> |Aug low C = 18.3<br /> |Sep low C = 15.3<br /> |Oct low C = 9.2<br /> |Nov low C = 3.8<br /> |Dec low C = -0.9<br /> |year low C = 7.1<br /> |Jan record low C = -11.5<br /> |Feb record low C = -11.4<br /> |Mar record low C = -8.6<br /> |Apr record low C = -3.8<br /> |May record low C = 0.5<br /> |Jun record low C = 5.9<br /> |Jul record low C = 11.7<br /> |Aug record low C = 11.7<br /> |Sep record low C = 5.2<br /> |Oct record low C = 0.0<br /> |Nov record low C = -3.2<br /> |Dec record low C = -9.5<br /> |Jan precipitation mm = 105.7<br /> |Feb precipitation mm = 134.4<br /> |Mar precipitation mm = 261.8<br /> |Apr precipitation mm = 252.4<br /> |May precipitation mm = 287.2<br /> |Jun precipitation mm = 367.9<br /> |Jul precipitation mm = 353.4<br /> |Aug precipitation mm = 353.8<br /> |Sep precipitation mm = 451.8<br /> |Oct precipitation mm = 258.9<br /> |Nov precipitation mm = 181.5<br /> |Dec precipitation mm = 86.8<br /> |year precipitation mm = 3110.1<br /> |unit precipitation days = 1.0 mm<br /> |Jan precipitation days = 6.5<br /> |Feb precipitation days = 7.6<br /> |Mar precipitation days = 12.0<br /> |Apr precipitation days = 11.8<br /> |May precipitation days = 13.3<br /> |Jun precipitation days = 14.4<br /> |Jul precipitation days = 15.4<br /> |Aug precipitation days = 13.1<br /> |Sep precipitation days = 14.2<br /> |Oct precipitation days = 11.4<br /> |Nov precipitation days = 8.3<br /> |Dec precipitation days = 6.0<br /> |year precipitation days = 134.6<br /> |Jan sun = 176.3<br /> |Feb sun = 165.8<br /> |Mar sun = 163.5<br /> |Apr sun = 176.1<br /> |May sun = 168.1<br /> |Jun sun = 133.6<br /> |Jul sun = 155.2<br /> |Aug sun = 172.6<br /> |Sep sun = 132.9<br /> |Oct sun = 143.6<br /> |Nov sun = 157.8<br /> |Dec sun = 180.9<br /> |year sun = 1919.4<br /> |source = [[気象庁]] (平均値:1981年-2010年、極値:1978年-現在)&lt;ref&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_amd_ym.php?prec_no=50&amp;block_no=1338&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=<br /> | title = 平年値(年・月ごとの値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;<br /> {{cite web<br /> | url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_a.php?prec_no=50&amp;block_no=1338&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;view=a1<br /> | title = 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)<br /> | accessdate = 2014-07-22<br /> | publisher = 気象庁}}&lt;/ref&gt;}}<br /> <br /> === 広袤 ===<br /> {{Location map+|Japan Shizuoka|relief=1|width=420|float=right|caption={{SUBJECTPAGENAME}}の広袤|places=<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=35.115|long=138.639444|position=right|label=東端}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=35.324722|long=138.083056|position=left|label=西端}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=34.898611|long=138.348333|position=bottom|label=南端}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=35.645833|long=138.22833335|position=left|label=北端}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=34.975556|long=138.382778|position=left|label=[[静岡市役所|市役所]]|mark=Blue pog.svg}}<br /> {{Location map~|Japan Shizuoka|lat=34.997661|long=138.421125|position=right|label=人口重心|mark=Green pog.svg}}}}<br /> {{座標一覧|section=広袤 }}<br /> 国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、{{SUBJECTPAGENAME}}の面積は{{formatnum:{{自治体面積/静岡県|{{SUBJECTPAGENAME}}|{{SUBJECTPAGENAME}} }} }}平方キロメートルである&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm|title=全国都道府県市区町村別面積調|author=国土地理院|accessdate=2018-05-02}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 『静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)』([[国土地理院]])によると静岡市の広袤は以下の通り&lt;ref&gt;[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/CENTER/kendata/shizuoka_heso.htm 静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)]国土地理院(2018年5月2日閲覧)&lt;/ref&gt;。また、『我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-』([[総務省]])による人口重心&lt;ref&gt;[http://www.stat.go.jp/data/kokusei/topics/topi102.html 我が国の人口重心 -平成27年国勢調査結果から-]総務省(2018年5月2日閲覧)&lt;/ref&gt;も併記する。<br /> <br /> * 静岡市役所 - {{coord|34|58|32|N|138|22|58|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡市役所}}([[葵区]]追手町)<br /> * 東端 - {{coord|35|06|54|N|138|38|22|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡市最東端}}([[清水区]]蒲原:[[富士川]]河口)<br /> * 西端 - {{coord|35|19|29|N|138|04|59|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡市最西端}}(葵区田代:百俣沢の頭)<br /> * 南端 - {{coord|34|53|55|N|138|20|54|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡市最南端}}([[駿河区]]石部:[[大崩海岸]])<br /> * 北端 - {{coord|35|38|45|N|138|13|42|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡県の北端}}(葵区田代:[[間ノ岳]])&lt;ref&gt;静岡県最北端でもある。&lt;/ref&gt;<br /> * 人口重心 - {{coord|34|59|51.58|N|138|25|16.05|E|region:JP-22_type:landmark|display=inline|name=静岡市人口重心}}(葵区古庄五丁目)<br /> <br /> === 人口 ===<br /> 近年、静岡市の人口は減少が続いていて、2017年4月には、政令指定都市の中で初めて移行の目安とされる人口70万人以上を下回った。若者が大企業が多数立地する[[首都圏 (日本)|首都圏]]や製造業が盛んな[[中京圏]]へ流出していることが主な原因である。また静岡市内に拠点を置く[[大企業]]が少ないことも、人口減少の遠因と考えられている。2017年4月現在の推計人口は69万9421人で、政令指定都市の中では最小である&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/20170406-OYT1T50172.html |title=静岡市、政令市初の70万人割れ…若者ら流出 |publisher=読売新聞 |date=2017-04-07 |accessdate=2017-04-07}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;<br /> {{Cite web|url=http://biz-journal.jp/2017/05/post_19076.html|title=静岡市、未曾有の人口減少で「静岡市総合戦略」発動…あらゆる手立て講じて人口流出を歯止め|publisher=Busainess Journal|date=2017-05-14|accessdate=2017-05-16}}&lt;/ref&gt;。<br /> {{人口統計|code=22100|name=静岡市}}<br /> <br /> === 隣接する市町村 ===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1={{段組/不可分|1=<br /> ;{{Flagicon|静岡県}}[[静岡県]]<br /> :*[[富士市]]<br /> :*[[藤枝市]]<br /> :*[[焼津市]]<br /> :*[[島田市]]<br /> :*[[富士宮市]]<br /> :*[[榛原郡]][[川根本町]]}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;{{Flagicon|山梨県}}[[山梨県]]<br /> :*[[南アルプス市]]<br /> :*[[南巨摩郡]][[早川町]]<br /> :*南巨摩郡[[身延町]]<br /> :*南巨摩郡[[南部町 (山梨県)|南部町]]}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;{{Flagicon|長野県}}[[長野県]]<br /> :*[[飯田市]]<br /> :*[[伊那市]]<br /> :*[[下伊那郡]][[大鹿村]]}}}}<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{複数の問題|section=1|出典の明記=2014年5月|独自研究=2014年5月|雑多な内容の箇条書き=2014年5月}}<br /> {{See also|駿府|清水市#歴史|蒲原町#歴史|由比町#歴史}}<br /> {{Wikisource|地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令 (平成16年政令第322号)|地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令の一部を改正する政令}}<br /> [[File:Shizuoka map circa 1930.PNG|thumb|200px|[[1930年]]頃(昭和初頭)の清水市及び静岡市の地図。]]<br /> <br /> === 静清地域(古代〜江戸時代)===<br /> *『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』に、[[景行天皇]]の皇子、[[日本武尊]]は[[東国]]平定の折、当地に至り賊と戦ったとある(草薙剣伝説)。現在に伝わる「[[日本平]]」や「[[草薙]]」の地名はこれに因む&lt;ref&gt;比定地については異説もある。&lt;/ref&gt;。<br /> *[[廬原国造#本拠|廬原君]]が[[富士川]]から[[大井川]]までを支配。<br /> *珠流河国(現在の伊豆を含む県東部)と廬原国を併せ[[駿河国]]とした。<br /> *663年(天智2年) &lt;q&gt;百済王「今聞く、大日本の救将廬原君臣、健兒萬余を率て、正に海を越えて至らむ。願はくば、諸の将軍等は、預め圖るべし。我自ら往きて、白村に待ち饗へむ」&lt;/q&gt;([[白村江の戦い]]=日本書紀)。<br /> *663年 &lt;q&gt;大日本の救将、廬原の君臣、健児萬余を率いて (清水湊を出て) 正に海を越えて百済に至らむ&lt;/q&gt;(日本書紀、[[白村江の戦い]])。<br /> *681年頃 [[駿河国]]の[[国府]]が[[駿河郡]]駿河郷(現在の[[沼津市]]大岡)から[[安倍郡]]に移る。<br /> *1200年頃〜 入江武士団の勢力伸長。[[吉川氏#駿河吉川氏|吉川氏]](入江一族)、[[承久の乱]](1221年)等の戦功により西国に地頭職を得て西遷、後、[[岩国藩]]主となる。<br /> *1338年 [[今川範国]]、[[足利尊氏]]より駿河の守護に任じられる。<br /> *1560年 [[今川義元]]が[[桶狭間の戦い]]で討たれる。<br /> *1570年 [[武田信玄]]、水軍の基地を兼ね、[[巴川 (静岡県)|巴川]]の左岸に[[江尻城]]を築き、駿河支配の拠点とする。<br /> *1585年 [[徳川家康]]、[[駿府城]]を築城<br /> *1607年 徳川家康は駿府城に入場、[[大御所]]として[[江戸]]を後見。<br /> *清水湊、甲州や西国の物資を江戸へ回送する中継基地として栄える。<br /> <br /> === 旧清水市 ===<br /> {{hidden begin<br /> |title = 旧静岡市(2003年清水市と合併前)<br /> |titlestyle = background:lightgrey;}}<br /> ;明治から第二次大戦まで<br /> :*1868年(明治元年)旧幕府軍咸臨丸が補修のため清水港に停泊中、官軍に襲われ旧幕府軍乗組員は全員死亡。遺体が清水港に浮かぶが官軍の威を恐れて誰も手をつけず。これを次郎長が「死ねば仏」と言って遺体を引き上げ葬った。(壮士の墓)<br /> :*1869年(明治2年)片平信明、杉山に日本初の夜学を開設。(明治27年)日本初の農業補修学校となり、ロンドンタイムス等、海外より視察相次ぐ。<br /> :*1879年(明治12年)米国前大統領グラント将軍一行清水港に上陸。<br /> :*[[1889年]][[2月1日]]:[[東海道本線]]が開通し、江尻駅(現[[清水駅 (静岡県)|清水駅]])が開設される。<br /> :* [[1899年]]:[[清水港]]が[[貿易港]]の指定を受ける。<br /> :* 明治中期〜昭和前期 三保は米作に不適な土地であったためか、当地から2,000人とも言われる人間が米国西海岸に渡った。そのため三保はアメリカ村とさえ言われたことがあった。<br /> :* 1912年日本初の鉄筋コンクリート製灯台(三保灯台、日本の近代化産業遺産)初点灯。<br /> :* 1912年米国ワシントンの桜の苗木を興津農事試験場にて育苗、米国に贈る。※前回贈呈した他所の苗木は、害虫多く米国で全て焼却された。興津では日本の名誉をかけ、熊谷技師達が接ぎ木、施肥、除草など精魂をこめた結果、健全な苗木が作られた。<br /> :* 1924年(大正13年)[[2月11日]]:[[清水町 (静岡県安倍郡)|清水町]]、[[入江町]]、[[不二見村]]、[[三保村 (静岡県)|三保村]]が合併し、面積25.34km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;、人口約43,000人の&#039;&#039;&#039;清水市&#039;&#039;&#039;となった。全国で第101番の市制施行。<br /> :* 1939年〜日本軽金属、東亜燃料、日立製作所等々の軍需工場が次々に進出。<br /> :* 1940年(昭和15年)ヒットラー・ユーゲント一行、列車で来清。波止場、草薙神社等を見学し「清水港の皆様さようなら」 の言葉を残し帰国。<br /> :* 1940年最後の元老(元総理)西園寺公望、興津坐漁荘にて死去。(当時の坐漁荘は明治村へ移築)<br /> :* 1943年航空科学専門学校(東海大学の前身)が三保に開校。以後この地が、全国展開する東海大学の建学の地となった。<br /> :* 1943年清水高等商船学校設立。戦後商船大学となり、1957年に東京へ移転、東京商船大学となった。(現東京海洋大学)。<br /> :* [[1945年]][[7月]]:清水大空襲。艦砲射撃。<br /> ;第二次大戦後<br /> :* 1950年(昭和25年):毎日新聞社主催の観光地百選において、日本平が平原の部全国第1位となる。<br /> :* [[1952年]]2月1日:[[清水港]]が[[特定重要港湾]]に指定される。<br /> :* 1953年:[[パーフェクト リバティー教団|PL教]]本部、大阪府富田林市へ移転。<br /> :* 1954年(昭和29年)高田交歓会(後に「上越交歓(会)」とも呼ばれた)始まる。雪深い北陸の高田市と、陽光輝く表日本の清水市。新幹線も高速道も無く、お互いのまちが現在より遥かに遠かった時代、両市の中学生が互いの市を訪問する交歓会が始まった。静清合併と共に終了したが、現静岡市が上越市(高田市)と姉妹都市の関係にあるのはこの縁によるものである。<br /> :* 1955年英豪華船チューサン号入港。<br /> :* 1959年ストックトン市(米国カリフォルニア州)と姉妹都市提携。[[市町村歌|市歌]]「[[我らの港]]」を制定。<br /> :* 1960年(昭和35年)興津埠頭の建設が始まる。<br /> :* 1961年商船大学の跡地に清水海員学校設置、後、海上技術短期大学校と改称。<br /> :* [[1969年]][[4月25日]]:[[東名高速道路]][[清水インターチェンジ (静岡県)|清水IC]]開通。<br /> :*[[1974年]](昭和49年7月7日)一夜で 500ミリの集中豪雨([[七夕豪雨]])が発生し、市内に甚大な被害<br /> :* 1993年(平成5年)Jリーグが開幕。清水エスパルスが参戦。<br /> :* 1996年次世代エネルギーLNGの受け入れ基地が操業。<br /> :* [[2001年]]4月1日:[[特例市]]となる。<br /> :*2002年駿河湾フェリー(清水港〜西伊豆・土肥港)就航<br /> :*2003年三大港湾(京浜、阪神、名古屋)に次いで大水深岸壁(-15m)を供用。<br /> :* [[2003年]](平成15年)4月1日:清水市と[[静岡市#旧静岡市|静岡市( - 2003年3月)]]が新設合併。<br /> {{hidden end}}<br /> <br /> === 旧静岡市 ===<br /> {{hidden begin<br /> |title = 旧静岡市(2003年清水市と合併前)<br /> |titlestyle = background:lightgrey;}}<br /> {{日本の市 (廃止)<br /> |廃止日=2003年4月1日<br /> |廃止理由=新設合併<br /> |廃止詳細=静岡市・[[清水市]] → &#039;&#039;&#039;静岡市&#039;&#039;&#039;<br /> |現在の自治体=静岡市<br /> |画像 =<br /> |画像の説明 =<br /> |市旗 = [[ファイル:Flag of Fomrer Shizuoka Shizuoka.JPG|100px]]<br /> |市旗の説明 = 静岡[[市町村旗|市旗]]&lt;div style=&quot;font-size:smaller&quot;&gt;[[1964年]][[9月15日]]制定<br /> |市章 = [[ファイル:Emblem of Former Shizuoka City chapter.svg|75px]]<br /> |市章の説明 = 静岡[[市町村章|市章]]&lt;div style=&quot;font-size:smaller&quot;&gt;[[1914年]][[4月11日]]制定<br /> |よみがな = しずおかし<br /> |自治体名 = 静岡市<br /> |都道府県=静岡県<br /> |支庁=<br /> |コード=22201-1<br /> |面積=1146.19<br /> |境界未定=あり<br /> |人口=469,120<br /> |人口の出典=[[推計人口]]<br /> |人口の時点=2003年2月1日<br /> |隣接自治体=&#039;&#039;[[静岡県]]&#039;&#039;:[[清水市]]、[[本川根町]]、[[川根町]]、[[藤枝市]]、[[岡部町 (静岡県)|岡部町]]、[[焼津市]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;[[山梨県]]&#039;&#039;:[[富沢町]]、[[南部町 (山梨県)|南部町]]、[[身延町]]、[[早川町]]、[[芦安村]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;[[長野県]]&#039;&#039;:[[南信濃村]]、[[上村 (長野県)|上村]]、[[大鹿村]]、[[長谷村 (長野県)|長谷村]]<br /> |木=[[ケヤキ]]<br /> |花=[[タチアオイ]]<br /> |シンボル名=市の鳥<br /> |鳥など=[[ヒメアマツバメ]]<br /> |郵便番号=420-8602<br /> |所在地=静岡市追手町5番1号<br /> | 緯度度 = 34 | 緯度分 = 58 | 緯度秒 = 32 | N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 138 |経度分 = 22 | 経度秒 = 58 | E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 地図国コード = JP-22<br /> |外部リンク=<br /> |InternetArchive=www.city.shizuoka.shizuoka.jp<br /> |位置画像=<br /> |特記事項=}}<br /> ;明治<br /> *[[1869年]][[7月28日]](明治2年[[6月20日]]) - 徳川家の象徴的都市であった「&#039;&#039;&#039;府中&#039;&#039;&#039;」([[駿河国]][[府中]])という都市名が「(明治政府に対する)不忠」に通じることから、改名することとなった。当初は、駿府城近くの[[賤機山]]に因んで「賎ヶ丘」とすることとなったが、「賎」が「いやしい」「さげすむ」を意味するため、代わりに駿府学問所の[[向山黄村]]によって「&#039;&#039;&#039;静岡&#039;&#039;&#039;」と改名された。&lt;ref&gt;『47都道府県うんちく事典』著者八幡和郎125頁&lt;/ref&gt;<br /> *[[1873年]](明治6年)[[5月]] - [[大区小区制]]により、静岡は「静岡県第4大区5小区静岡」となる<br /> *[[1877年]](明治10年)[[4月1日]] - 静岡〜江尻間に乗合馬車が開業<br /> *[[1879年]](明治12年) - [[郡区町村編制法]]により静岡は[[東海道#道としての東海道が誕生|東海道]]より北が「[[安倍郡]]」、南が「[[有渡郡]]」に属する。なお、同法による「区」は設置されなかった。<br /> *[[1883年]](明治16年)[[5月15日]] - 静岡〜[[浜松市|浜松]]間で電信開通<br /> *[[1886年]](明治19年)[[6月]] - [[静岡事件]]起こる<br /> *[[1889年]](明治22年)[[2月1日]] - [[東海道本線]][[東京駅|東京]]〜[[静岡駅|静岡]]間開通。/市街地火災により千百戸余りが焼失<br /> *1889年(明治22年)[[4月1日]] - 静岡([[駿府]])城下にあたる[[有渡郡]]の[[府中宿 (東海道)|静岡宿]](概ね現在の[[葵区]]伝馬町)と74町および[[安倍郡]]の50町、ならびに有渡郡南安東村の一部を統合し&lt;ref&gt;この日の直前には村域の一部が町に編入された所が5か所ほどあり、また静岡駅の所在地となる有渡郡南安東村の一部が分離し「静岡栄町」に改称された。なお、飛び地の有渡郡静岡銭座町は、静岡市に入らず千代田村に編入された。&lt;/ref&gt;[[市制]]を施行し、「&#039;&#039;&#039;静岡市&#039;&#039;&#039;」となる。面積4.36km{{sup|2}}、人口3万7,681人、戸数7,664戸。日本で最初に市制施行した31市の中のひとつである。<br /> *1889年(明治22年)[[4月16日]] - [[東海道線 (静岡地区)|東海道本線]][[静岡駅|静岡]]〜[[浜松駅|浜松]]間開通<br /> *[[1891年]](明治24年)[[2月26日]] - [[静岡市役所|市役所]]初代庁舎が完成<br /> *[[1892年]](明治25年)[[12月14日]] - 市街地の火災により市役所等の官庁舎焼失<br /> *[[1894年]](明治27年)[[3月18日]] - 追手町に市役所庁舎が再建<br /> *[[1900年]](明治33年)[[4月5日]] - 静岡[[御用邸]]が完成(昭和7年廃止)<br /> *[[1902年]](明治35年)[[5月29日]] - 静岡電話所が江川町(現・葵区紺屋町1番地)に開設<br /> *[[1905年]](明治36年)[[3月3日]] - 県告示により[[静岡市歌]]([[田辺友三郎]]作詞・作曲)を制定。<br /> *[[1907年]](明治40年)[[2月25日]] - 静岡市内に一般[[加入電話]]が開通(申込数302件)<br /> *1908年(明治41年)[[10月2日]] - 豊田村南安東の一部を市域に編入<br /> *1908年(明治41年)[[12月9日]] - 静岡〜江尻間に[[軽便鉄道]]が開通(現・[[静岡鉄道静岡清水線]])<br /> *[[1909年]](明治42年)[[7月1日]] - [[南賤機村]]の一部を編入<br /> *1909年(明治42年)[[11月1日]] - [[用宗駅]]開業<br /> *[[1911年]](明治44年)[[1月27日]] - 電気事業が[[静岡市電気部|市営]]として認可<br /> ;大正<br /> [[File:Emblem of Former Shizuoka City chapter.svg|thumb|right|静岡市章(旧)]]<br /> *[[1914年]](大正3年)[[4月11日]] - 市章制定&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|title=都章道章府章県章市章のすべて|author=[[望月政治]] 編輯|publisher=日本出版貿易株式会社|year=1973|date=1973-07-07}}&lt;/ref&gt;<br /> *1914年(大正3年)[[8月29日]] - 台風により[[安倍川]]が氾濫して堤防が決壊(浸水家屋8263戸 死者4人 負傷者72人)<br /> *[[1916年]](大正5年)[[4月15日]] - [[安倍鉄道]](井宮〜牛妻)が開業([[1934年]](昭和9年)[[12月]]まで)<br /> *[[1918年]](大正7年)[[8月13日]] - 静岡市内で[[1918年米騒動|米騒動]]が起こる<br /> *[[1920年]](大正9年)[[8月]] - 静岡〜清水間の軽便電化される<br /> *1920年(大正9年)[[10月]] - 第一回[[国勢調査]]が行われ、静岡市の人口が74,093人と判明した。<br /> *[[1922年]](大正11年)[[6月28日]] - 静岡駅前〜[[新静岡駅|鷹匠町]]間に[[静岡鉄道静岡市内線|路面電車]]が開通<br /> ;昭和(第二次大戦前)<br /> [[File:Shizuoka map circa 1930.PNG|thumb|300px|[[1930年]]頃([[昭和]]初頭)の&#039;&#039;&#039;静岡市&#039;&#039;&#039;、[[清水市]]、および、周辺の地図。]]<br /> *[[1926年]](昭和元年)[[12月29日]] - 呉服町〜安西間、路面電車運転開始<br /> *1928年(昭和3年)[[10月1日]] - [[豊田村 (静岡県安倍郡)|豊田村]]を編入<br /> *[[1929年]](昭和4年)[[1月3日]] - [[国道1号|静清国道]]日出町〜曲金(現・葵区柚木)間が開通<br /> *1929年(昭和4年)[[3月1日]] - [[安東村 (静岡県)|安東村]]、[[大里村 (静岡県)|大里村]]を編入<br /> *1929年(昭和4年)[[4月1日]] - 呉服町〜中町間路面電車開通し静岡市内路面電車全通<br /> *[[1930年]](昭和5年)[[5月28日]] - [[昭和天皇|天皇]]行幸<br /> *[[1932年]](昭和7年)[[4月1日]] - [[賤機村]]を編入<br /> *[[1934年]](昭和9年)[[5月]] - 静岡駅から静岡県庁、市役所まで直行可能な幹線道路「御幸通り」開通(現在は[[静岡県道27号井川湖御幸線]]の終点付近)<br /> *1934年(昭和9年)[[10月1日]] - [[静岡市役所|市庁舎]]本館(現在の静岡庁舎本館)完成<br /> :4階建て 床面積4881m{{sup|2}} 建設費約66万円 設計者・[[中村與資平|中村与資平]]<br /> *1934年(昭和9年)[[10月1日]] - [[千代田村 (静岡県)|千代田村]]、[[麻機村]]、[[長田村 (静岡県)|長田村]]、[[大谷村 (静岡県)|大谷村]]、[[久能村]]の5村を編入<br /> *[[1935年]](昭和10年)[[7月11日]] - [[静岡地震 (1935年)|地震]]のため、静岡市南部方面に被害([[マグニチュード]]6.4 死者8人 負傷者778人 全半壊家屋1649戸)<br /> *[[1938年]](昭和13年)[[1月1日]] - 2代目[[静岡市歌]](作詞:大川浩、作曲:[[信時潔]])が発表される<br /> *1940年(昭和15年)[[1月15日]] - [[静岡大火]]発生。全焼家屋5,170戸 半焼99万戸 死者4人 負傷者778人 被災者2万8,152人 焼失面積1.32km{{sup|2}})<br /> *[[1941年]](昭和16年)[[4月]] - [[静岡県草薙総合運動場|草薙総合運動場]]竣工<br /> *[[1943年]](昭和18年)[[1月20日]] - 住友金属工業静岡プロペラ工場予定地から土器などを発見(後の[[登呂遺跡]])&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2009/tokushu/toku02.html|title=鹿島紀行特集 第2話登呂遺跡|work=鹿島ホームページ|date=|accessdate=2014-07-01}}&lt;/ref&gt;<br /> *[[1945年]](昭和20年)[[6月19日|6月19]]〜[[6月20日|20日]] - [[静岡大空襲]]。死者1,969人 負傷者約6,000人 被災者約11万4,000人<br /> ;昭和(第二次大戦後)<br /> *1947年(昭和22年)[[7月13日]] - 登呂遺跡の本格的発掘を開始(1950年終了)<br /> *[[1948年]](昭和23年)[[3月7日]] - 静岡市自治警察([[静岡市警察]])が発足(1954年[[静岡県警察]]となる)<br /> *1948年(昭和23年)[[4月10日]] - [[西奈村]]編入<br /> *1949年(昭和24年)[[5月31日]] - 国立学校設置法により[[静岡大学]]を設置<br /> *1953年(昭和28年)[[3月14日]] - [[静岡競輪場]]を小鹿に設置<br /> *[[1955年]](昭和30年)[[6月1日]] - [[美和村 (静岡県)|美和村]]、[[服織村]]、[[中藁科村]]、[[南藁科村]]を編入<br /> *1957年(昭和32年)[[9月2日]] - [[井川ダム]]完成<br /> *1957年(昭和32年)[[10月26日]] - [[第12回国民体育大会]]秋季大会を静岡市他で開催<br /> *[[1958年]](昭和33年)[[4月]] - 清水市中吉田、平沢の全域と、谷田、中之郷の一部(現・駿河区弥生町)、市域に編入<br /> *[[1962年]](昭和37年)[[9月15日]] - 静岡駅前〜安西間の[[静岡鉄道静岡市内線|路面電車]]廃止される<br /> *[[1963年]](昭和38年)[[3月11日]] - 静岡競輪場施設が市有となる<br /> *1964年(昭和39年)[[9月15日]] - 市旗を制定し、市花に[[タチアオイ|たちあおい]]を選定<br /> *1964年(昭和39年)[[10月1日]] - [[東海道新幹線]]静岡駅開業<br /> *1966年(昭和41年)[[9月25日]] - [[昭和41年台風第24・26号|台風26号]]により[[梅ヶ島温泉]]が豪雨の被害に遭う。死者・行方不明者27人<br /> *1968年(昭和43年)4月 - [[静清バイパス]]建設事業に着手<br /> *1968年(昭和43年)[[4月24日]] - [[東名高速道路]][[静岡インターチェンジ|静岡IC]]〜[[富士インターチェンジ|富士IC]]間が開通<br /> *[[1969年]](昭和44年)[[1月1日]] - [[大河内村 (静岡県)|大河内]]、[[梅ヶ島村|梅ヶ島]]、[[玉川村 (静岡県)|玉川]]、[[井川村|井川]]、[[清沢村|清沢]]、[[大川村 (静岡県)|大川]]の6か村を編入合併。市の人口が40万人を超える<br /> *1969年(昭和44年)[[5月30日]] - 東名高速道路が全線開通<br /> *[[1970年]](昭和45年)4月 - [[静岡大学]]が大岩から大谷に移転<br /> *1973年(昭和48年)[[8月10日]] - 市の木「けやき」、市の鳥「ヒメアマツバメ」を選定<br /> *[[1974年]](昭和49年)[[7月7日]] - 集中豪雨([[七夕豪雨]])が発生し、市内に甚大な被害<br /> *[[1975年]](昭和50年)[[3月28日]] - 静清総合卸売センター(現・静岡流通センター)が完成<br /> *[[1976年]](昭和51年)7月 - 国鉄のダイヤ改正で静岡駅に初めて[[ひかり (列車)|新幹線ひかり]]が1日上下1本止まる<br /> *[[1978年]](昭和53年)[[5月20日]] - [[国道150号]]バイパス(広野)開通<br /> *1978年(昭和53年)[[11月3日]] - [[静岡市民文化会館]]開館<br /> *[[1979年]](昭和54年)[[10月9日]] - 国鉄全面高架化(安倍川〜柚木)完成<br /> *1979年(昭和54年)[[11月10日]] - 国道1号[[静清バイパス]]安倍川大橋開通<br /> *1980年(昭和55年)[[8月16日]] - 静岡駅前ゴールデン街で[[静岡駅前地下街爆発事故|ガス爆発事故]]起きる<br /> *[[1981年]](昭和56年)[[3月23日]] - [[静岡市消防局|静岡市消防本部]]と[[静岡中央警察署]]の合同庁舎完成<br /> *[[1985年]](昭和60年)[[3月14日]] - [[安倍川駅]]開業<br /> *1986年(昭和61年)[[8月4日]] - [[静岡市役所]]新館(現・静岡庁舎・葵区役所)完成し業務開始<br /> *[[1988年]](昭和63年)[[3月17日]] - 静清バイパス丸子藁科トンネル開通<br /> ;平成(合併前)<br /> *[[1989年]](平成元年) [[3月18日]] 静岡市制100周年記念事業として「静岡駿府博覧会([[SUNPU博&#039;89]])」開催([[5月21日]]まで)<br /> *[[1990年]](平成2年)[[12月23日]] - 常磐公園の全面改修が完了し開園<br /> *[[1991年]](平成3年)[[6月2日]] - 西ヶ谷総合運動場オープン<br /> *[[1992年]](平成4年)[[3月26日]] - 青葉シンボルロード完成<br /> *[[1993年]](平成5年)[[1月1日]] - 静清区画整理事業完了にともない清水市界が一部変更、清水市中之郷(現・駿河区中吉田)・谷田・草薙の一部が静岡市に<br /> *[[1994年]](平成6年)[[3月26日]] - 静岡駅南口広場整備完了<br /> *[[1996年]](平成8年)[[4月1日]] - [[中核市]]に指定される<br /> *[[1997年]](平成9年)[[3月26日]] - 静清バイパス全線開通(暫定2車線)<br /> *[[1998年]](平成10年)[[4月1日]] - [[コミュニティ放送|コミュニティFM放送局]]「[[シティエフエム静岡]]」開局<br /> *1998年(平成10年)[[10月30日]] - JR[[東静岡駅]]開業<br /> *[[2000年]](平成12年)[[1月8日]] - [[大河ドラマ]]「[[葵 徳川三代]]」の放送に伴い、[[静岡「葵」博]]開催(翌年[[1月7日]]まで)<br /> *[[2002年]](平成14年)[[3月20日]] - 静岡市・清水市合併協議会が「合併」を決定<br /> *2002年(平成14年)[[7月11日]] - 静岡県議会が静岡市・清水市の合併関連議案を可決<br /> *2002年(平成14年)[[9月9日]] - 総務大臣が静岡・清水両市の合併を官報で告示<br /> *[[2003年]](平成15年)[[3月28日]] - 静岡市閉市式を挙行<br /> {{hidden end}}<br /> <br /> === 現在の静岡市(2003年旧静岡市と旧清水市と合併後) ===<br /> [[File:Merger of Shizuoka City Ja.png|thumb|200px|現在の静岡市域における1893年(明治26年)当時の静岡市および周辺町村。&lt;hr&gt;{{legend|#DCB6F2|市制当初の静岡市}}{{legend|#FFA9C1|合併前の静岡市}}{{legend|#07F6F5|清水市}}{{legend|#F7EBC3|蒲原町}}{{legend|#FFF218|由比町}}]]<br /> *2003年(平成15年)[[4月1日]] - 旧静岡市と旧清水市が合併し、現在の静岡市となる。中核市に指定される。平成の大合併で唯一、中核市と特例市が合併したケース。面積が日本で最大の市となる(2005年1月まで。2018年4月現在の日本一は[[岐阜県]][[高山市]])<br /> *2003年(平成15年)[[5月29日]] - 静岡市誕生記念式典を開催、市章制定&lt;ref name=&quot;symbols&quot; /&gt;<br /> *[[2005年]](平成17年)4月1日 - 全国14番目の[[政令指定都市]]に移行。[[葵区]]、[[駿河区]]、[[清水区]]を設置/「静岡市自治基本条例」施行<br /> *2005年(平成17年)[[4月13日]] - 政令指定都市移行記念式典をグランシップで開催。市の花(タチアオイ)、市の木(ハナミズキ)、市の鳥(カワセミ)、新市歌「[[わたしの街 静岡]]」制定&lt;ref name=&quot;花木鳥&quot;/&gt;<br /> *2005年(平成17年)[[11月26日]] - 清水区の一部を葵区に編入<br /> *2006年(平成18年)[[3月31日]] - 庵原郡[[蒲原町]]を編入<br /> *2008年(平成20年)[[11月1日]] - 庵原郡[[由比町]]を編入<br /> *[[2009年]](平成21年)[[8月11日]] - 午前5時7分ごろに発生した[[駿河湾地震 (2009年)|駿河湾地震]]で、清水区庵原町、葵区駒形通、駿河区曲金で震度5強を観測。駿河区で死者1名のほか、全県で負傷者245名の被害が発生した<br /> *2010年(平成22年)[[7月24日]] - [[東静岡駅]]北口前広場で「[[模型の世界首都 静岡ホビーフェア]]」開催(2011年3月27日まで)<br /> *[[2011年]](平成23年)[[6月11日]] - [[サウスポット静岡]]内に「[[静岡ホビースクエア]]」オープン<br /> *2011年(平成23年)[[9月21日]] - [[平成23年台風第15号|台風15号]]が静岡市付近を通過、葵区梅ヶ島で総雨量554ミリを記録、死者1名、重軽傷者21名、住宅全壊1棟、多くの世帯で停電など多数の被害&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/bosai/disaster/ty1115/ty1115_shizuoka.pdf|format=PDF|title=平成23年 台風第15号に関する静岡県気象速報|work=静岡地方気象台ホームページ|date=|accessdate=2014-07-23}}&lt;/ref&gt;<br /> *2012年(平成24年)4月14日 - [[新東名高速道路]]の一部区間開通・清水連絡路開通に伴い、静岡市内で計画されていた全区間が供用開始<br /> *2016年(平成28年)2月8日 - 葵区七間町に静岡市上下水道局庁舎が完成し上下水道局が清水庁舎より移転<br /> *2017年(平成29年)4月1日 - 推計人口が70万人を割る<br /> *2017年(平成29年)4月6日 - [[スペイン]]国王[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]・[[レティシア (スペイン王妃)|レティシア]]王妃と天皇・皇后両陛下が訪問<br /> <br /> === 合併への変遷表 ===<br /> 市内の町字名については[[静岡市の町名の変遷]]を参照のこと。<br /> {{hidden begin<br /> |title = 市域における自治体の変遷<br /> |titlestyle = background:lightgrey;}}<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:x-small;&quot;<br /> |+合併への変遷表<br /> !地図上&lt;br/&gt;の番号<br /> !明治22年&lt;br/&gt;4月1日<br /> !明治22年 - 45年<br /> !colspan=&quot;3&quot;|大正1年 - 15年<br /> !昭和1年 - 19年<br /> !昭和20年 - 29年<br /> !colspan=&quot;2&quot;|昭和30年 - 39年<br /> !昭和40年&lt;br/&gt;- 平成14年<br /> !平成15年 - 平成20年<br /> !現在<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 1<br /> |静岡市<br /> |静岡市<br /> | rowspan=&quot;2&quot; colspan=&quot;3&quot; | 静岡市<br /> | rowspan=&quot;2&quot; | 静岡市<br /> | rowspan=&quot;13&quot; | 静岡市<br /> | rowspan=&quot;14&quot; | 静岡市<br /> | rowspan=&quot;18&quot; colspan=&quot;2&quot; | 静岡市<br /> | rowspan=&quot;39&quot; | 平成15年4月1日&lt;br/&gt;静岡市と清水市が合併、両市は廃止&lt;br/&gt;名称は同一であるが新自治体として&lt;br/&gt;静岡市が設置される。<br /> | rowspan=&quot;41&quot; | 静岡市<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 2<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;豊田村<br /> | 明治41年10月2日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 豊田村<br /> | 昭和3年10月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 3<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;南賤機村<br /> | 明治42年7月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> | colspan=&quot;3&quot; | 静岡市<br /> | 静岡市<br /> |-<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治42年7月1日&lt;br/&gt;北賤機村に編入<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;賤機村<br /> | rowspan=&quot;2&quot; | 昭和7年4月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 4<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;北賤機村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治42年7月1日&lt;br/&gt;改称 賤機村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 5<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;大里村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 大里村<br /> | rowspan=&quot;2&quot; | 昭和4年3月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 6<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;安東村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安東村<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安東村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 7<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;千代田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 千代田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 千代田村<br /> | rowspan=&quot;5&quot; | 昭和9年10月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 8<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;麻機村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 麻機村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 麻機村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 9<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;大谷村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 大谷村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 10<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;久能村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 久能村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 11<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;長田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 長田村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 12<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;西奈村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 西奈村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; |西奈村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 西奈村<br /> | 昭和23年4月10日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 13<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;美和村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 美和村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 美和村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 美和村<br /> | rowspan=&quot;4&quot; | 昭和30年6月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 14<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;服織村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 服織村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 服織村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 服織村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 15<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;中藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 中藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 中藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 中藁科村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 16<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;南藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 南藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 南藁科村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 南藁科村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 17<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;大河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 大河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 大河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 大河内村<br /> | rowspan=&quot;6&quot; | 昭和44年1月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 18<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;梅ヶ島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 梅ヶ島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 梅ヶ島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 梅ヶ島村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 19<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;玉川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 玉川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 玉川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 玉川村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 20<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;井川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 井川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 井川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 井川村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 21<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;大川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 大川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 大川村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 大川村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 22<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 安倍郡&lt;br/&gt;清沢村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 清沢村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 清沢村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;4&quot; | 清沢村<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 23<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;有度村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; rowspan=&quot;2&quot; colspan=&quot;3&quot; | 有度村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; rowspan=&quot;2&quot; colspan=&quot;2&quot; | 有度村<br /> | rowspan=&quot;2&quot; | 昭和30年4月1日&lt;br/&gt;清水市に編入<br /> | 昭和33年4月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> | 静岡市<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;14&quot; | 清水市<br /> | 平成5年1月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 24<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;清水町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 清水町<br /> | rowspan=&quot;6&quot; | 大正13年&lt;br/&gt;2月11日&lt;br/&gt;市制&lt;br/&gt;清水市<br /> | rowspan=&quot;6&quot; colspan=&quot;2&quot; | 清水市<br /> | rowspan=&quot;8&quot; | 清水市<br /> | rowspan=&quot;13&quot; | 清水市<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 25<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;入江町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 入江町<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 26<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;江尻町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 江尻町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 江尻町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 大正13年&lt;br/&gt;1月13日&lt;br/&gt;入江町に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 27<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治26年4月9日&lt;br /&gt;分立 辻村<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 大正7年8月1日&lt;br /&gt;町制 辻町<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 28<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;[[不二見村]]<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 不二見村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 29<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 有渡郡&lt;br/&gt;三保村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 明治29年4月1日&lt;br/&gt;安倍郡<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 三保村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 30<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;飯田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 飯田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 飯田村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 飯田村<br /> | 昭和29年2月11日&lt;br/&gt;清水市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 31<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;高部村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 高部村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 高部村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 高部村<br /> | 昭和29年4月1日&lt;br/&gt;清水市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 32<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;袖師村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 袖師村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 袖師村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 袖師村<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 昭和23年4月8日&lt;br/&gt;町制 袖師町<br /> | rowspan=&quot;5&quot; | 昭和36年6月29日&lt;br/&gt;清水市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 33<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;興津町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 興津町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 興津町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 興津町<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 34<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;庵原村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 庵原村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 庵原村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 35<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;小島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 小島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 小島村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 小島村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 36<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;両河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; | 両河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 両河内村<br /> | style=&quot;background-color:#9cf;&quot; colspan=&quot;2&quot; | 両河内村<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 37<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;蒲原町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 蒲原町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 蒲原町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;5&quot; | 蒲原町<br /> | 平成18年3月31日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> | style=&quot;font-size:small;text-align:right;padding-right:1ex;&quot;| 38<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 庵原郡&lt;br/&gt;由比町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; | 由比町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;3&quot; | 由比町<br /> | style=&quot;background-color:#6ff;&quot; colspan=&quot;5&quot; | 由比町<br /> | 平成20年11月1日&lt;br/&gt;静岡市に編入<br /> |-<br /> |}<br /> {{hidden end}}<br /> <br /> === 旧清水市歴代市長 ===<br /> # 大島要蔵 (1924.7.7 - 1925.9.9)<br /> # 山田勝四郎(1926.1.13 - 1929.3.8)<br /> # [[塩原時三郎]](1929.10.12 - 1932.2.22)<br /> # 大石恵直 (1932.3.18 - 1937.6.14)<br /> # 山田勝四郎(1937.7.11 - 1946.11.13)<br /> # 山本正治 (1947.4.6 - 1955.4.7)<br /> # 鈴木平一郎(1955.4.30 - 1959.4.30)<br /> # 稲名徹 (1959.5.1 - 1960.7.22)<br /> # 稲名亀造 (1960.9.15 - 1964.9.12)<br /> # 池上善作 (1964.9.13 - 1965.7.6)<br /> # [[佐藤虎次郎 (静岡県の政治家)|佐藤虎次郎]](1965.8.20 - 1977.8.19)<br /> # 稲名嘉男 (1977.8.20 - 1985.8.19)<br /> # 宮城島弘正(1985.8.20 - 2003.3.31)<br /> <br /> === 旧静岡市歴代市長 ===<br /> {|class=&quot;wikitable sortable&quot;<br /> |+旧静岡市歴代市長<br /> !代!!氏名!!就任日!!退任日<br /> |-<br /> |1||[[星野鉄太郎]]||1889年5月13日||1902年4月17日<br /> |-<br /> |2||長嶋弘裕||1902年5月14日||1914年5月13日<br /> |-<br /> |3||[[小森慶助]]||1914年5月28日||1918年5月27日<br /> |-<br /> |4||伴野欣平||1918年6月18日||1926年7月2日<br /> |-<br /> |5||[[小島源三郎]]||1926年9月8日||1929年9月7日<br /> |-<br /> |6||[[宮崎通之助]]||1931年3月3日||1933年1月25日<br /> |-<br /> |7||菅貞仁||1933年3月14日||1935年8月12日<br /> |-<br /> |8||[[尾崎元次郎]]||1935年10月12日||1938年6月30日<br /> |-<br /> |9||稲森誠次||1938年8月29日||1942年8月5日<br /> |-<br /> |10||尾崎元次郎||1942年10月7日||1944年8月21日<br /> |-<br /> |11||宮崎通之助||1944年9月11日||1946年11月11日<br /> |-<br /> |12||増田茂||1947年4月5日||1955年4月9日<br /> |-<br /> |13||[[山田順策]]||1955年5月2日||1959年5月1日<br /> |-<br /> |14||松永彦雄||1959年5月2日||1963年5月1日<br /> |-<br /> |15||[[荻野凖平]]||1963年5月2日||1983年5月1日<br /> |-<br /> |16||河合代悟||1983年5月2日||1987年5月1日<br /> |-<br /> |17||[[天野進吾]]||1987年5月2日||1994年7月31日<br /> |-<br /> |18||[[小嶋善吉]]||1994年8月28日||2003年3月31日<br /> |}<br /> <br /> ==政治==<br /> ===行政===<br /> ;歴代市長<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;margin-left:2em&quot;<br /> |+ 静岡市の歴代市長一覧<br /> !代!!氏名!!就任日!!退任日<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|1-2||[[小嶋善吉]]||2003年4月14日||2011年4月12日<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|3-4||[[田辺信宏]]||2011年4月13日||現職<br /> |}<br /> ;行政組織&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.city.shizuoka.jp/556_000025.html#h2_1|title=各課の仕事と連絡先:静岡市 -- 局・独立機関|author=静岡市総務局広報課報道広報係|date=2018-04-01|accessdate=2018-04-01}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 静岡市は、行政組織に局制を採用している(同クラス自治体の静岡県と浜松市は部制を採用している)。なお合併から政令指定都市移行までは部制を採用していた。<br /> <br /> * 市長<br /> ** 副市長 x2<br /> *** 政策官<br /> {| class=&quot;wikitable hlist&quot;<br /> |+ 静岡市の行政組織<br /> |-<br /> !scope=&quot;col&quot;|局<br /> !scope=&quot;col&quot;|部<br /> !scope=&quot;col&quot;|課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; |総務局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 行政管理課<br /> * コンプライアンス推進課<br /> * 政策法務課<br /> * 人事課<br /> * 秘書課<br /> * 広報課<br /> * ICT推進課<br /> * 職員厚生課<br /> * 東京事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 危機管理総室<br /> |<br /> * 危機管理課<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 企画局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 企画課<br /> * アセットマネジメント推進課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 財政局<br /> !scope=&quot;row&quot;| 財政部<br /> |<br /> * 財政課<br /> * 管財課<br /> * 契約課<br /> * 公営競技事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 税務部<br /> |<br /> * 税制課<br /> * 納税課<br /> * 滞納対策課<br /> * 市民税課<br /> * 固定資産税課<br /> * 清水市税事務所<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 市民局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 市民自治推進課<br /> * 男女参画・多文化共生課<br /> * 生涯学習推進課<br /> * 生活安心安全課<br /> * 戸籍管理課<br /> * 井川支所<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 観光交流文化局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 観光・国際交流課<br /> * 歴史文化課<br /> * 文化財課<br /> * まちは劇場推進課<br /> * 文化振興課<br /> * スポーツ振興課<br /> * スポーツ交流課<br /> * 日本平動物園<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 環境局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 環境創造課<br /> * 環境保全課<br /> * 環境保健研究所<br /> * ごみ減量推進課<br /> * 廃棄物対策課<br /> * 収集業務課<br /> * 廃棄物処理課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;5&quot; |保健福祉長寿局<br /> ! scope=&quot;row&quot; |地域包括ケア推進本部<br /> |<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; |健康福祉部<br /> |<br /> * 福祉総務課<br /> * 健康づくり推進課<br /> * 障害者福祉課<br /> * 高齢者福祉課<br /> * 介護保険課<br /> * 保険年金管理課<br /> * 福祉債権収納対策課<br /> * 地域リハビリテーション推進センター<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 保健衛生医療部<br /> |<br /> * 保健医療課<br /> * こころの健康センター<br /> * 動物指導センター<br /> * 静岡看護専門学校<br /> * 清水看護専門学校<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 保健衛生医療部&lt;br/&gt;保健所<br /> |<br /> * 保健予防課<br /> * 生活衛生課<br /> * 食品衛生課<br /> * 精神保健福祉課<br /> * 保健所清水支所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 清水病院<br /> |<br /> * 病院総務課<br /> * 病院施設課<br /> * 医事課<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 子ども未来局<br /> | colspan=&quot;2&quot; |<br /> * 子ども未来課<br /> * 青少年育成課<br /> * 幼保支援課<br /> * こども園課<br /> * 子ども家庭課<br /> * 児童相談所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; colspan=&quot;1&quot; rowspan=&quot;3&quot; | 経済局<br /> !scope=&quot;row&quot;| 海洋文化都市推進本部<br /> |<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 商工部<br /> |<br /> * 産業政策課<br /> * 産業振興課<br /> * 商業労政課<br /> * 中央卸売市場<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 農林水産部<br /> |<br /> * 農業政策課<br /> * 農地利用課<br /> * 農地整備課<br /> * 治山林道課<br /> * 水産漁港課<br /> * 中山間地振興課<br /> * 経済事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 都市局<br /> !scope=&quot;row&quot;| 都市計画部<br /> |<br /> * 都市計画課<br /> * 交通政策課<br /> * 開発指導課<br /> * 市街地整備課<br /> * 新インターチェンジ周辺整備課<br /> * 清水駅周辺整備課<br /> * 緑地政策課<br /> * 公園整備課<br /> * 都市計画事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 建築部<br /> |<br /> * 建築総務課<br /> * 建築指導課<br /> * 住宅政策課<br /> * 公共建築課<br /> * 設備課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 建設局<br /> !scope=&quot;row&quot;| 土木部<br /> |<br /> * 建設政策課<br /> * 技術政策課<br /> * 土木管理課<br /> * 河川課<br /> * 土木事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 道路部<br /> |<br /> * 道路計画課<br /> * 道路保全課<br /> * 葵南道路整備課<br /> * 葵北道路整備課<br /> * 駿河道路整備課<br /> * 清水道路整備課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 会計管理者<br /> !scope=&quot;row&quot;|会計室<br /> |<br /> * 静岡会計課<br /> * 清水会計課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;3&quot; |&#039;&#039;&#039;消防局&#039;&#039;&#039;<br /> !scope=&quot;row&quot;| 消防部<br /> |<br /> * 消防総務課<br /> * 財産管理課<br /> * 予防課<br /> * 査察課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 警防部<br /> |<br /> *警防課<br /> * 救急課<br /> * 指令課<br /> * 航空課<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 消防署<br /> |<br /> * 葵消防署<br /> * 駿河消防署<br /> * 千代田消防署<br /> * 清水消防署<br /> * 港北消防署<br /> * 日本平消防署<br /> * 島田消防署<br /> * 吉田消防署<br /> * 牧之原消防署<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; | 上下水道局<br /> !scope=&quot;row&quot;| 水道部<br /> |<br /> * 水道総務課<br /> * 水道企画課<br /> * 営業課<br /> * 給水装置課<br /> * 水道管路課<br /> * 水道施設課<br /> * 水質管理課<br /> * 水道事務所<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot;| 下水道部<br /> |<br /> * 下水道総務課<br /> * 下水道計画課<br /> * 下水道建設課<br /> * 下水道維持課<br /> * 下水道施設課<br /> * 下水道事務所<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 教育委員会<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 事務局&lt;hr /&gt;教育局<br /> |<br /> * 教育総務課<br /> * 教職員課<br /> * 教育施設課<br /> * 学校教育課<br /> * 児童生徒支援課<br /> * 学校給食課<br /> * 教育センター<br /> * 中央図書館<br /> * 市立学校<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; | 選挙管理委員会<br /> !scope=&quot;row&quot;| 事務局<br /> |<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; | 人事委員会<br /> !scope=&quot;row&quot;| 事務局<br /> |<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; | 監査委員<br /> !scope=&quot;row&quot;| 事務局<br /> |<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; | 農業委員会<br /> !scope=&quot;row&quot;| 事務局<br /> |<br /> |-<br /> !scope=&quot;row&quot; | 議会<br /> !scope=&quot;row&quot;| 事務局<br /> |<br /> * 議会総務課<br /> * 議事課<br /> * 調査法制課<br /> |}<br /> <br /> === 市庁舎 ===<br /> * 静岡庁舎・葵区役所 〒420-8602 静岡市葵区追手町5番1号<br /> ** 葵区役所井川支所 〒428-0504 静岡市葵区井川656番地の2<br /> * 駿河区役所 〒422-8550 静岡市駿河区南八幡町10番40号<br /> ** 駿河区役所長田支所 〒421-0132 静岡市駿河区上川原13番1号<br /> * 清水庁舎・清水区役所 〒424-8701 静岡市清水区旭町6番8号 (旧清水市役所)<br /> ** 清水区役所蒲原支所 〒421-3211 静岡市清水区蒲原新田一丁目21番1号<br /> [[File:Scenery-around-HigashiShizuoka-Station.jpg|thumb|200px|right|東静岡駅から富士山を望む。この画像でいえば、ドコモ東海静岡ビルの奥が新しい事務所の建設予定地だった。]]<br /> ;静岡市役所本庁舎について<br /> : 静岡市・清水市合併協議会において、合併後に[[東静岡駅]]周辺に新しく事務所を建設することが決定した。新市発足時にも、[[地方自治法]][[s:地方自治法 第一編 総則#4|第四条の1]]の規定に基づく市の事務所の位置は条例において、本則では新事務所建設予定地であった「静岡市長沼663番地の9」(制定時の地名、NTTドコモ静岡ビルの東隣、現在葵区長沼南2番・東静岡スマイル公園のある場所)とし、附則として、完成するまでは暫定的に「静岡市追手町5番1号」(同、静岡庁舎の位置)と定めた&lt;ref&gt;2003年(平成15年)4月1日公布 平成15年静岡市条例第1号「静岡市の事務所の位置を定める条例」&lt;/ref&gt;。<br /> : しかし静岡市長[[小嶋善吉]]は2008年12月、老朽化した[[静岡県草薙総合運動場体育館|草薙体育館]]を新事務所建設予定地に移転するよう静岡県知事[[石川嘉延]]に求め、新事務所の建設予定は白紙撤回された&lt;ref&gt;{{Cite web|author=SBS静岡放送|authorlink=静岡放送|date=2009-01-19|url=http://www.digisbs.com/tv/program/tvukan/special/090119%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%9D%B1%E9%9D%99%E5%B2%A1%E5%9C%B0%E5%8C%BA.htm |title=今月の特集 1月19日 コレってどうなの? (130) 「どうなる? 東静岡地区」|accessdate=2009-06-14}}&lt;/ref&gt;。パブリックコメントや市議会(特別議決)を経て、2009年4月1日施行の市条例において、同附則を削除し、本則を「静岡市葵区追手町5番1号」(静岡庁舎の位置)と改めた&lt;ref&gt;2009年(平成21年)3月13日公布 平成21年静岡市条例第37号「静岡市の事務所の位置を定める条例の一部を改正する条例」&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===行政区===<br /> [[2005年]][[4月1日]]の[[政令指定都市]]移行に伴い、3つの[[行政区]]が設置された。行政区の数は政令指定都市の中では[[相模原市]]と並んで最も少ない(次に少ないのは[[岡山市]]の4区である)。これは、従来の行政管轄や地域流動をそのまま移行させ、移行による混乱を最小限に抑えるためであること、コスト面、サービス面でバランスが良い1行政区あたり20万人前後という適正人口目安に沿うように設定しているからである。<br /> * [[葵区]](旧静岡市の長田地区、国吉田一・二丁目、中吉田の一部、弥生町を除く[[東海道本線|東海道線]]より北の地域と旧清水市楠、鳥坂の各一部※楠は一部が瀬名川三丁目に、鳥坂も一部が東瀬名町および瀬名一丁目に編入されている)<br /> * [[駿河区]](長田地区、国吉田一・二丁目、中吉田の一部、弥生町と旧静岡市東海道線より南の地域と旧清水市谷田、草薙の各一部※いずれも町域で谷田に編入されている)<br /> * [[清水区]](旧清水市の全域(楠、鳥坂、谷田、草薙の各一部を除く)、旧[[庵原郡]][[蒲原町]]、[[由比町]]の全域)<br /> {| cellpadding=&quot;2&quot; class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+歩道橋などの表記の変遷<br /> |- style=&quot;word-break:keep-all&quot;<br /> !-2003年3月31日<br /> !2003年4月1日-&lt;br/&gt;2005年3月31日<br /> !2005年4月1日-&lt;br/&gt;2006年3月30日<br /> !2006年3月31日-&lt;br/&gt;2008年10月31日<br /> !2008年11月1日-&lt;br/&gt;現在<br /> |-<br /> | colspan=&quot;2&quot; rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;text-align: rowspan=2 colspan=2&quot; |静岡市○○<br /> | colspan=&quot;3&quot; |葵区○○<br /> |-<br /> | colspan=&quot;3&quot; |駿河区○○<br /> |-<br /> |清水市○○<br /> |清水 ○○ ※<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;text-align: colspan=3&quot; |清水区○○<br /> |-<br /> | colspan=&quot;3&quot; style=&quot;text-align: colspan=3&quot; |蒲原町○○<br /> | colspan=&quot;2&quot; |清水区蒲原○○<br /> |-<br /> |style=#text-align: colspan=4|由比町○○<br /> |清水区由比○○<br /> |}<br /> ※「市」を無印刷のステッカーなどで削除。後に国道については&#039;&#039;&#039;区&#039;&#039;&#039;を追加し、市県道については(国交省管轄国道の一部も含む)、地名表示部分自体を新たに作成し直した。<br /> <br /> {|class=&quot;sortable wikitable&quot; style=&quot;text-align:right&quot;<br /> |+ 行政区の人口・面積と人口密度&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO-title.htm|title=全国都道府県市区町村別面積調|work= [[国土地理院]]ホームページ|date=|accessdate=2014-07-23}}&lt;/ref&gt;<br /> |- style=&quot;font-size:small&quot;<br /> !class=&quot;unsortable&quot;| 区名 || 人口&lt;br&gt;(人) || 面積&lt;br&gt;(km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;) || 人口密度&lt;br&gt;(人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;)<br /> |-<br /> ! [[葵区]]<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/静岡県|静岡市葵区}} }}<br /> | {{formatnum:{{自治体面積/静岡県|静岡市葵区}} }}<br /> | {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/静岡県|静岡市葵区}} / {{自治体面積/静岡県|静岡市葵区}} round 2}} }}<br /> |-<br /> ! [[駿河区]]<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/静岡県|静岡市駿河区}} }}<br /> | {{formatnum:{{自治体面積/静岡県|静岡市駿河区}} }}<br /> | {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/静岡県|静岡市駿河区}} / {{自治体面積/静岡県|静岡市駿河区}} round 2}} }}<br /> |-<br /> ! [[清水区]]<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/静岡県|静岡市清水区}} }}<br /> | {{formatnum:{{自治体面積/静岡県|静岡市清水区}} }}<br /> | {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/静岡県|静岡市清水区}} / {{自治体面積/静岡県|静岡市清水区}} round 2}} }}<br /> |- class=&quot;sortbottom&quot; style=&quot;border-top: #aaa double 3px;&quot;<br /> ! 合計<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/静岡県|静岡市}} }}<br /> | {{formatnum:{{自治体面積/静岡県|静岡市}} }}<br /> | {{formatnum:{{#expr: {{自治体人口/静岡県|静岡市}} / {{自治体面積/静岡県|静岡市}} round 2}} }}<br /> |- class=&quot;sortbottom&quot;<br /> |colspan=&quot;4&quot; style=&quot;text-align:right;font-size:small&quot; |({{自治体人口/静岡県|source}}、{{自治体人口/静岡県|date}})<br /> |}<br /> ;行政区のイメージカラー<br /> {{色}}<br /> 2006年12月22日、それぞれの区をイメージした「区のイメージカラー・ロゴマーク」が制定された&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.city.shizuoka.jp/deps/kusei/sankucolor.html|title=三区のイメージカラー・ロゴマーク |work=静岡市ホームページ|accessdate=2014-06-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+行政区のイメージカラー<br /> ![[葵区]]<br /> |{{Color|#388956|■}}葵区グリーン ([[DICカラーガイド|DIC]] 214&lt;ref name=&quot;colours&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.city.shizuoka.jp/deps/kusei/sankucolor.html|title=三区のイメージカラー及びロゴマークの制定 |work=静岡市ホームページ|format=PDF|date=2007-07-26|accessdate=2014-06-06|page=7}}&lt;/ref&gt;)<br /> |-<br /> ![[駿河区]]<br /> |{{Color|#BC233A|■}}駿河区レッド (DIC 2484&lt;ref name=&quot;colours&quot; /&gt;)<br /> |-<br /> ![[清水区]]<br /> |{{Color|#50A7CE|■}}清水区ブルー (DIC 69&lt;ref name=&quot;colours&quot; /&gt;)<br /> |}<br /> ;都市基盤の整備<br /> * [[静岡駅]]周辺整備<br /> : 市の玄関口として再開発を進める。駅南口([[サウスポット静岡]]、エスパティオ)、御幸町(ペガサート)、[[紺屋町再開発事業]]。<br /> * 東静岡新都市拠点整備<br /> : 静岡駅から約3キロ東に位置する[[東静岡駅]]周辺地区。第三次[[都市再生緊急整備地域]]。<br /> * [[清水駅 (静岡県)|清水駅]]周辺整備<br /> : 清水駅西口(通称「江尻口」)再開発(再開発ビル建設、バスターミナル整備)<br /> : 清水駅東口(通称「みなと口」)清水港側の整備<br /> * 清水区港町再開発(キララシティ)<br /> * 清水港日の出地区の整備(浪漫館、[[エスパルスドリームプラザ]]など)<br /> * 下水道普及率:70.2%(平成17年度末)<br /> ;福祉・医療<br /> *城東保健福祉エリア(葵区)<br /> :(保健所、急病センター、保健福祉センター、心身障害者デイサービスセンター、いこいの家)<br /> ;分区について<br /> 政令指定都市移行直後、初代市長小嶋善吉は都市の発展に合わせる形での行政区増設を示唆したが、現状では難しいとの判断で凍結。市議会の中では長田区、日本平区等の提案がある(駿河区役所長田支所は将来、駿河区から分区されることを想定し、また、駿河区の安倍川以西の住民の便を考慮して設置している)。また現状では葵区の区域面積が非常に広大であるため、山間部地域から区役所までの距離が非常に離れているなど、行政サービス上の問題が残存したままとなっている。<br /> <br /> === 市町合併の経過 ===<br /> 現在の静岡市は、旧静岡市と旧清水市の[[市町村合併|新設合併]](静清合併)により、[[2003年]]4月に発足した。市の名称については、合併の際の合併協議会の多数決により「&#039;&#039;&#039;静岡市&#039;&#039;&#039;」となった。したがって現在の静岡市は、制度上は旧静岡市とは別の自治体である。同様の例は数多くあり、県内では[[磐田市]]、[[掛川市]]、[[袋井市]](いずれも2005年4月1日合併)や[[島田市]](2005年5月5日合併)等があげられる。<br /> <br /> 2005年4月1日には、[[さいたま市]](2003年4月移行)に続いて全国で14番目の[[政令指定都市]]に移行した。<br /> <br /> [[2006年]][[3月31日]]には[[蒲原町]]を編入し、これによって[[飛地]]が発生した。これは、同じく[[庵原郡]][[由比町]]では現在の静岡市との合併が議会で否決され、富士川町では合併相手として現在の静岡市ではなく、元々経済圏である[[富士市]]を選んだ。ただし、由比町では住民投票で合併賛成派が多数となった。[[2007年]][[4月22日]]の由比町長選挙では合併推進の現職が当選、町議会議員選挙でも合併推進派が過半数となった。これに伴い、[[5月1日]]の由比町議会で、[[5月14日]]から合併推進室を設置することが可決された。これに基づき、「静岡市・由比町合併協議会」を再度設置して協議が進められ、2008年11月1日に合併することで双方が合意した。12月5日に合併調印式を開催。2008年11月1日には由比町を編入し、飛地を解消した。<br /> ;平成に入ってからの合併の経過<br /> * [[1991年]](平成3年) - 静岡市、清水市、島田市、焼津市、藤枝市、富士川町、蒲原町、由比町、岡部町、大井川町の5市5町で、政令指定都市研究会を設置し、研究調査を行った。<br /> * [[1998年]](平成10年) - 静岡市・清水市合併協議会を設置。[[2002年]]まで4年間にわたり、協議が行われた。<br /> * [[2003年]](平成15年) - 合併協定書調印から1年間の準備期間を経て、静岡市と清水市が新設合併し、現在の静岡市に移行。<br /> * [[2004年]](平成16年) - 蒲原町、由比町とそれぞれ合併協議会を設置。<br /> * [[2006年]](平成18年) - 蒲原町を編入。<br /> * [[2008年]](平成20年) - 由比町を編入。<br /> <br /> ===議会===<br /> ;市政<br /> *市議会議員は、合併に伴う在任特例で2004年度末まで旧両市の議員がそのまま務めていた。その際は71名だったが、現在は定数48。<br /> *会派別議員数 (2013年改選)<br /> &#039;&#039;詳細は「[[静岡市議会]]」を参照のこと。&#039;&#039;<br /> ;県政<br /> * 静岡県議会議員 (定数69 2011年4月選挙 任期4年)<br /> ** 葵区:5人 会派別内訳(自民改革会議 3、民主党・ふじのくに県議団 1、公明党静岡県議団 1)<br /> ** 駿河区:4人 会派別内訳(自民改革会議 1、民主党・ふじのくに県議団 1、公明党静岡県議団 1、欠員 1)<br /> ** 清水区:4人 会派別内訳(自民改革会議 1、民主党・ふじのくに県議団 1、公明党静岡県議団 1、富士の会 1)<br /> ;国政<br /> *任期:2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(平成33年)10月21日(「[[第48回衆議院議員総選挙]]」参照)<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !選挙区!!議員名!!党派名!!当選回数!!備考<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|[[静岡県第1区]]([[葵区]]、[[駿河区]])||[[上川陽子]]||[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]||align=&quot;center&quot;|6||選挙区<br /> |-<br /> |[[青山雅幸]]||[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]||align=&quot;center&quot;|1||比例復活<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|[[静岡県第4区]]([[清水区]]、[[富士宮市]]、[[富士市]](旧[[富士川町]])||[[望月義夫]]||[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]||align=&quot;center&quot;|8||選挙区<br /> |}<br /> <br /> このほかに、[[大口善徳]]([[公明党]]・比例単独)が当市に在住している。<br /> <br /> == 施設 ==<br /> ===図書館===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> *[[静岡市立図書館]]<br /> *静岡市立中央図書館<br /> **静岡市立中央図書館麻機分館<br /> **静岡市立中央図書館美和分館<br /> *[[静岡市立御幸町図書館]]<br /> *静岡市立藁科図書館<br /> *静岡市立西奈図書館(リンク西奈)<br /> *静岡市立北部図書館<br /> *[[静岡県立中央図書館]]<br /> **グランシップ静岡県立図書館コーナー<br /> *静岡市立南部図書館<br /> *静岡市立長田図書館(オーク長田)<br /> *静岡キリスト教点字図書館<br /> *静岡市立清水中央図書館<br /> *静岡市立清水興津図書館<br /> *静岡市立蒲原図書館<br /> * [[静岡競輪場]]ライブラリー<br /> * [[静岡大学]]附属図書館<br /> * [[静岡県立大学]]附属図書館小鹿図書館<br /> * 静岡県立大学附属図書館草薙図書館<br /> * [[静岡県立大学短期大学部]]附属図書館<br /> * [[東海大学短期大学部]]静岡図書館<br /> * [[東海大学]]付属図書館清水図書館<br /> * [[常葉大学]]附属静岡瀬名図書館<br /> * 常葉大学附属静岡水落図書館<br /> * [[常葉大学短期大学部]]附属図書館之山文庫<br /> * [[静岡英和学院大学]]図書館<br /> * [[静岡英和学院大学短期大学部]]図書館}}<br /> <br /> ===文化施設===<br /> [[File:静岡県立美術館-7.JPG|thumb|200px|静岡県立美術館 ロダン館、手前の作品は「考える人」(2014年7月16日撮影)]]<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1={{段組/不可分|1=<br /> ;美術館<br /> :*[[静岡県立美術館]](駿河区谷田)<br /> :*[[葵タワー#静岡市美術館|静岡市美術館]](葵区、葵タワー内)<br /> :*静岡市民ギャラリー(葵区、市役所内)<br /> :*静岡市立[[芹沢けい介|芹沢&amp;#37512;介]]美術館(駿河区登呂)<br /> :*東海道広重美術館(清水区由比)<br /> :*静岡近代美術館(葵区西草深町)}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;博物館&lt;ref&gt;登録博物館以外の博物館類似施設を含む&lt;/ref&gt;<br /> :* 静岡市文化財資料館([[静岡浅間神社]]境内)<br /> :* 日本人形・招き猫博物館<br /> :* [[ふじのくに地球環境史ミュージアム]]<br /> :* 静岡大学キャンパスミュージアム<br /> :* 久能山東照宮博物館<br /> :* 静岡市立登呂博物館([[登呂遺跡]])<br /> :* [[静岡ホビースクエア]]<br /> :* 駿府博物館<br /> :* [[東海大学海洋科学博物館]]<br /> :* [[東海大学自然史博物館]]<br /> :* 清水港湾博物館(フェルケール博物館)<br /> :* 水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館)<br /> :* 静岡市埋蔵文化財センター<br /> :* [[エスパルスドリームプラザ#施設紹介|清水すしミュージアム]]}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;動物園・水族館<br /> :*静岡市立[[日本平動物園]](駿河区)<br /> :*[[東海大学]]海洋科学博物館(清水区)}}}}<br /> <br /> === 産業展示・見本市施設 ===<br /> *[[静岡産業支援センター]](駿河区曲金、ツインメッセ静岡)<br /> *駿府匠宿(駿河区丸子、伝統工芸等地場産業の展示体験施設)<br /> <br /> === コンサートホール・コンベンション施設・会議場 ===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> *静岡音楽館AOI<br /> *[[静岡市民文化会館]]<br /> *しずぎんホールユーフォニア<br /> *サールナートホール<br /> * [[静岡県コンベンションアーツセンター]](グランシップ)<br /> * [[静岡市清水文化会館|清水文化会館]]マリナート<br /> * 清水テルサ<br /> * 清水マーカムホール}}<br /> <br /> === 主な公園 ===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[駿府城公園]]([[駿府城]]祉。桜の名所)<br /> * 城北公園(旧制静岡高校跡)<br /> * 常磐公園<br /> * [[広野海岸公園]]<br /> * 大浜公園(大浜プール)<br /> * 清水船越堤公園(桜の名所)<br /> * 清水鶴舞公園<br /> * 中尾羽根親水公園<br /> * 清水清見潟公園<br /> * 清水秋葉山公園}}<br /> <br /> ===スポーツ施設===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1={{段組/不可分|1=<br /> * 西ケ谷総合運動場<br /> ** 静岡県立水泳場<br /> * 静岡市中央体育館(体育館、プール)<br /> * 城北運動場テニス場・相撲場<br /> * [[静岡県草薙総合運動場]]<br /> ** [[静岡県草薙総合運動場硬式野球場|静岡草薙球場]]<br /> ** [[静岡県草薙総合運動場陸上競技場|陸上競技場]]他<br /> * [[静岡競輪場]]<br /> * 清水日本平運動公園<br /> ** [[静岡市清水日本平運動公園球技場]](IAIスタジアム日本平)<br /> * 清水総合運動場<br /> * [[清水ナショナルトレーニングセンター|NTC]]「J-STEP」<br /> * 東海大学松前球場}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;野球場・テニス場・スキー場<br /> :* [[静岡市清水庵原球場]](清水区)<br /> :* 桜ケ丘公園テニス場(清水区)<br /> :* 横砂テニス場(清水区)<br /> :* 月見公園テニス場(清水区)<br /> :* リバウェル井川スキー場(葵区)}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;プール<br /> :* ふれあい健康増進館「ゆ・ら・ら」<br /> :* 田町公園プール<br /> :* 大浜公園プール<br /> :* 清水総合運動場プール<br /> :* 清見潟スポーツセンター屋内プール<br /> :* 清水テルサ屋内プール}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;体育館<br /> :* 静岡市東部体育館<br /> :* [[静岡北部体育館|静岡市北部体育館]]<br /> :* 静岡市南部体育館<br /> :* 静岡市長田体育館<br /> :* 静岡市清水鈴与記念体育館<br /> :* 静岡市清水清見潟体育館<br /> :* 静岡市清水三保体育館<br /> :* 蒲原体育館}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;多目的グラウンド<br /> :* 門屋スポーツ広場<br /> :* 下スポーツ広場<br /> :* 与一スポーツ広場<br /> :* 狩野橋スポーツ広場<br /> :* 秋山スポーツ広場<br /> :* 堤町スポーツ広場<br /> :* 桜町スポーツ広場<br /> :* 伝馬町新田スポーツ広場<br /> :* 辰起町スポーツ広場<br /> :* 柳町スポーツ広場<br /> :* 弥勒スポーツ広場<br /> :* 田町安倍中スポーツ広場<br /> :* 田町緑地スポーツ広場<br /> :* 山崎スポーツ広場<br /> :* 新間宮前スポーツ広場<br /> :* 安倍口スポーツ広場<br /> :* 足久保八十岡スポーツ広場<br /> :* 麻機遊水池スポーツ広場<br /> :* 辰起町スポーツ広場<br /> :* 有度山総合公園<br /> :* 南安倍スポーツ広場<br /> :* 中原スポーツ広場<br /> :* 中島多目的スポーツグラウンド<br /> :* 南部スポーツ広場<br /> :* 向敷地スポーツ広場<br /> :* 丸子新田スポーツ広場<br /> :* 東新田スポーツ広場<br /> :* 下川原スポーツ公園<br /> :* 蛇塚スポーツグラウンド<br /> :* 草薙スポーツ広場<br /> :* 宍原スポーツ広場<br /> :* 長崎新田スポーツ広場<br /> :* 三保貝島スポーツ広場<br /> :* 清見寺公園スポーツ広場<br /> :* 富士川河川敷グラウンド}}}}<br /> <br /> ===レジャー===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1={{段組/不可分|1=<br /> ;海水浴場<br /> :*用宗海水浴場(駿河区)<br /> :*清水三保海水浴場(清水区)}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;キャンプ場<br /> :* 玉川キャンプセンター<br /> :* 梅ヶ島キャンプ場<br /> :* 県民の森キャンプ場<br /> :* 南アルプス井川オートキャンプ場<br /> :* 井川青少年キャンプセンター<br /> :* 清水森林公園やすらぎの森キャンプ場<br /> :* 清水黒川キャンプ場<br /> :* 清水大平キャンプ場<br /> :* 清水西河内キャンプ場}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ;市営温泉<br /> :* [[南アルプス赤石温泉白樺荘]]<br /> :* 梅ヶ島新田温泉浴場黄金の湯<br /> :* 口坂本温泉浴場<br /> :* 湯ノ島温泉浴場<br /> :* 清水西里温泉浴場やませみの湯}}}}<br /> <br /> === その他の施設 ===<br /> {{段組|width=18em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[中勘助]]文学記念館<br /> * 静岡平和資料センター<br /> * [[静岡県地震防災センター]]<br /> * 静岡県工業技術研究所<br /> * 静岡県農林技術研究所果樹研究センター<br /> * 静岡県環境衛生科学研究所<br /> * [[筑波大学]]農林技術センター(井川)<br /> * [[果樹研究所]]カンキツ研究興津拠点<br /> * [[静岡科学館]]「る・く・る」<br /> * 静岡市視聴覚センター「マビック」&lt;sup&gt;†&lt;/sup&gt;&lt;ref&gt;平成24年3月31日をもって廃止。&lt;/ref&gt;<br /> * 健康文化交流館「来・て・こ」<br /> * 静岡市治水交流資料館「かわナビ」<br /> * [[静岡県埋蔵文化財調査研究所|静岡県埋蔵文化財センター]]<br /> * 清水視聴覚ライブラリー<br /> * 独立行政法人[[水産総合研究センター]][[国際水産資源研究所]]}}<br /> <br /> ==国家機関==<br /> ===内閣府===<br /> *[[関東管区警察局]]静岡情報通信部<br /> <br /> ===総務省===<br /> *中部[[管区行政評価局]]静岡行政評価事務所<br /> <br /> ===法務省===<br /> *[[東京法務局|静岡地方法務局]]<br /> *[[静岡刑務所]]<br /> *駿府学園(男子[[少年刑務所]])<br /> *静岡[[少年鑑別所]]<br /> *静岡[[保護観察所]]<br /> *[[静岡地方検察庁]]<br /> **静岡区検察庁・清水区検察庁<br /> *関東[[公安調査局]]静岡公安調査事務所<br /> <br /> ===財務省===<br /> *[[東海財務局|静岡財務事務所]]<br /> *名古屋[[国税不服審判所]]静岡支所<br /> <br /> ===厚生労働省===<br /> *名古屋[[検疫所]]清水検疫所支所<br /> *[[静岡労働局]]<br /> <br /> ===農林水産省===<br /> *[[関東農政局]]静岡支局<br /> *名古屋[[植物防疫所]]清水支所<br /> *動物[[検疫所]]静岡出張所清水事務所<br /> *[[関東森林管理局|静岡森林管理署]]<br /> <br /> ===国土交通省===<br /> *[[中部地方整備局]]静岡営繕事務所・静岡国道事務所・静岡河川事務所<br /> *[[静岡運輸支局]]<br /> *[[東京管区気象台|静岡地方気象台]]<br /> <br /> ===防衛省===<br /> *[[自衛隊静岡地方協力本部]]<br /> **静岡募集案内事務所<br /> **清水募集案内事務所<br /> <br /> ==対外関係==<br /> ===姉妹都市・提携都市===<br /> [[File:NihondairaZoo CeramicTanukiStatue 396x720px.jpg|right|thumb|200px|[[2015年]]、オマハとの姉妹都市提携50周年を記念して、同市から静岡市に贈られた陶製のタヌキ像。[[金子潤]]作&lt;ref&gt;[http://www.at-s.com/news/article/local/central/166071.html 友好の証し タヌキ像設置 静岡市とオマハ交流50周年]. 静岡新聞. 2015年10月30日. 2016年3月7日閲覧.&lt;/ref&gt;。]]<br /> ====海外====<br /> ; {{Visible anchor|姉妹都市}}<br /> * {{Flagicon|USA}} [[ストックトン (カリフォルニア州)|ストックトン]]市([[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]])<br /> *: [[1959年]][[10月16日]]旧[[清水市]]と[[姉妹都市]]提携締結<br /> * {{Flagicon|USA}} [[オマハ (ネブラスカ州)|オマハ]]市(アメリカ合衆国[[ネブラスカ州]])<br /> *: [[1965年]][[4月1日]]旧静岡市と姉妹都市提携締結<br /> * {{Flagicon|USA}} [[シェルビービル (インディアナ州)|シェルビービル]]市(アメリカ合衆国[[インディアナ州]])<br /> *: [[1989年]][[11月3日]]旧[[蒲原町]]と姉妹都市提携締結<br /> * {{Flagicon|FRA}} [[カンヌ]]市([[フランス共和国]][[プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏|プロヴァンス・アルプ・コートダジュール州]])<br /> *: [[1991年]][[11月5日]]旧静岡市と姉妹都市提携締結<br /> ; {{Visible anchor|友好都市}}<br /> * {{Flagicon|VNM}} [[フエ]]市([[ベトナム社会主義共和国]][[トゥアティエン=フエ省|トゥアティエン・フエ省]])<br /> *: [[2005年]][[4月12日]]友好都市提携締結<br /> ;過去の友好都市&lt;ref&gt;[http://vp.city.shizuoka.jp/koe2015/detail.php?id=1778 静岡市 市民の声(寄せられた声)「静岡市は、現在も米国のオックスナード市・韓国の城南市と友好都市なのですか。」]&lt;/ref&gt;<br /> * {{Flagicon|USA}} [[オックスナード (カリフォルニア州)|オックスナード市]](アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]])<br /> *: [[1991年]]友好都市提携 - 旧静岡市が「友好の証」を交換し交流をしていたが1996年以降交流が途絶え、新市発足の際に引き継がれなかった。<br /> * {{Flagicon|KOR}} [[城南市]]([[大韓民国]][[京畿道]])<br /> *: [[2003年]]友好都市提携 - 旧清水市が職員の交流を図るなど友好関係を結んでおり、その関係は現在も続いているが、正式な友好都市提携として調印は、静岡市に合併されてからはされていない。城南市には友好都市と表記されている。<br /> <br /> ====日本国内====<br /> ;{{Visible anchor|姉妹都市}}<br /> *[[ファイル:Flag of Hokkaido Prefecture.svg|25px]][[室蘭市]]([[北海道]][[胆振総合振興局]])<br /> *:[[1976年]][[12月24日]] 旧[[清水市]]と姉妹都市提携締結<br /> *[[ファイル:Flag of Niigata Prefecture.svg|25px]][[上越市]]([[新潟県]])<br /> *:[[1995年]][[10月22日]] 旧清水市と姉妹都市提携締結<br /> :なお、室蘭市、上越市同士も姉妹都市である。<br /> ;{{Visible anchor|提携都市}}<br /> *[[ファイル:Flag of Shizuoka Prefecture.svg|25px]][[伊豆市]]([[静岡県]])<br /> *:[[1980年]]、交流連携都市提携。旧清水市から引継ぎ、静岡市と伊豆市青少年交流事業が行われている<br /> *[[ファイル:Flag of Nagano Prefecture.svg|25px]][[佐久市]]([[長野県]])<br /> *:[[1989年]][[10月12日]] 旧清水市と友好都市提携締結<br /> *[[ファイル:Flag of Yamanashi Prefecture.svg|25px]][[甲府市]]([[山梨県]])<br /> *:[[2006年]][[7月31日]] 交流連携都市提携。<br /> *[[ファイル:Flag of Ishikawa Prefecture.svg|25px]][[金沢市]]([[石川県]])<br /> *:[[2009年]][[7月23日]] 交流連携都市提携。<br /> *[[ファイル:Flag of Nagano Prefecture.svg|25px]][[長野市]]([[長野県]])<br /> *:[[2010年]][[7月1日]] 集客プロモーションパートナー都市提携<br /> ;過去の友好都市<br /> *[[ファイル:Flag of Yamanashi Prefecture.svg|25px]][[八代町 (山梨県)|八代町]]([[山梨県]][[東八代郡]]、現・[[笛吹市]])<br /> *:[[1989年]]4月 旧[[由比町]]と友好都市提携<br /> ;その他<br /> *{{Flagicon|JPN}}[[全国門前町サミット]] - 全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町を有する自治体・観光協会・商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議。<br /> <br /> ===姉妹港湾・友好港湾===<br /> :[[清水区]]にある[[清水港]]は、[[富士山]]を仰ぎ、[[日本の世界遺産|世界文化遺産]]である[[三保の松原]]に囲まれた美しい港町で外国船員の人気も高く、[[神戸港]]・[[長崎港]]と共に『日本三大美港』の1つに数えられている。<br /> :[[港湾法]]上の[[国際拠点港湾]]に指定され、また[[中核国際港湾]]にも指定されている。さらに、[[港則法]]上の[[特定港]]にも指定されている。<br /> ; 姉妹港湾<br /> :{{Flagicon|USA}} [[サバンナ (ジョージア州)|サバンナ]]港([[アメリカ合衆国]][[ジョージア州]]) - [[1986年]][[10月27日]]姉妹港提携<br /> ; 友好港湾<br /> :{{Flagicon|CHN}} [[青島市|青島]]港([[中華人民共和国]][[山東省]]) - [[1984年]][[4月]]友好港提携<br /> <br /> ===国際機関===<br /> ====領事館====<br /> ;名誉領事館<br /> *{{Flagicon|ROU}}在静岡[[ルーマニア|ルーマニア国]]名誉領事館<br /> *{{Flagicon|KOR}}在静岡[[大韓民国]]名誉領事館<br /> <br /> == 経済 ==<br /> [[File:Shizuoka city at night from Choseniwa.jpg|thumb|200px|[[富士山]]と静岡市[[都心|都心部]]の夜景]]<br /> [[File:Shizuoka Station from Choseniwa.jpg|thumb|200px|朝鮮岩から望む[[静岡駅]]周辺]]<br /> * 2004年現在の事業所数は39,237で県内第1位。<br /> * 産業別就業人口比(2004年)は、第一次産業0.1%、第二次産業26.9%、第三次産業73.0%である。<br /> <br /> === 第一次産業 ===<br /> [[File:稜線上の茶畑.jpg|thumb|200px|[[賤機山]]の茶畑。静岡市葵区。]]<br /> [[File:Kuno district seen from Kunōzan.JPG|thumb|200px|[[久能山]]から久能地区を見下ろす。白い建物のほとんどがビニールハウスである。2016年2月撮影。]]<br /> 葵区郊外の安倍川上流の地区は、日本で緑茶栽培業が興った土地でもある。これ以降、安倍川上流の郊外部では緑茶栽培業が盛んになり、江戸時代には徳川将軍家に献上する御用茶の栽培が行われた。[[北原白秋]]作詞の『[[ちゃっきり節]]』は、地元鉄道会社(現[[静岡鉄道]])のコマーシャルソングとして作られたが、今では茶どころ静岡の[[新民謡]]と言える。<br /> <br /> また、ワサビ栽培業の発祥地も、安倍奥の有東木(うとうぎ)地区である。また、足久保地区は、日本で初めて緑茶が植えられた地である{{要出典|date=2018年6月}}。<br /> ; 農業(太字は本市で開発された品種)<br /> * [[緑茶]]([[静岡茶]])<br /> : (&#039;&#039;&#039;本山&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[やぶきた]]&#039;&#039;&#039;など。市内各所で生産される。主な地区としては、葵区藁科地区、清水区両河内地区が、最高品質{{要出典|date=2018年6月}}の緑茶の産地となっている。)<br /> * [[石垣イチゴ]]<br /> : (&#039;&#039;&#039;章姫&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;紅ほっぺ&#039;&#039;&#039;(静岡11号)等。国道150号沿いの駿河区久能地区、清水区駒越地区)<br /> * [[ワサビ]](安倍奥の葵区有東木など)<br /> * [[ウンシュウミカン|温州みかん]](&#039;&#039;&#039;青島温州&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[清見]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[はるみ]]&#039;&#039;&#039;など。)<br /> * その他[[柑橘類]](&#039;&#039;&#039;スルガエレガント&#039;&#039;&#039;など。)<br /> : (主な産地:葵区麻機地区、清水区興津清見寺町、駿河区小坂など)<br /> * [[レンコン]](葵区麻機地区)<br /> * [[大豆]]([[枝豆]])(清水区三保地区、折戸地区、駒越地区)<br /> * [[バラ]](清水区庵原地区、興津地区)<br /> * [[モモ|桃]](駿河区長田地区)<br /> ; 水産業<br /> * [[#港湾|港湾]]の節参照<br /> <br /> === 第二次産業 ===<br /> [[File:Iharanikkei Chemical Industry - panoramio.jpg|thumb|200px|[[清水区]]にあるイハラニッケイ化学工業]]<br /> [[File:Mount Fuji and Port of Shimizu.JPG|thumb|200px|[[日本三大#港湾|日本三大美港]]の1つである[[清水港]]]]<br /> 清水港臨海地帯を中心に軍需工場の系譜を引く大企業や戦後建設された工場等、様々な製造業が立地している。その為、清水の工業生産高は一時県下一を誇ったが、産業構造の変化によりその地位を失った。しかし、近年は一時の停滞期を脱し生産高は微増に転じている。<br /> *製造業<br /> :自動車部品、アルミニウム、産業用・民生用空調機、特殊紙、化学製品、食料品、精密機器、造船<br /> *地場産業・伝統工芸品<br /> :[[缶詰]]<br /> :[[プラモデル]]、雛具・[[雛人形]]、[[家具]]、[[静岡仏壇|仏壇]]、[[賤機焼]]、井川メンパ、静岡挽物、駿河和染、[[下駄]]、駿河[[蒔絵]]、駿河[[漆器]]、駿河指物、駿河竹千筋細工<br /> <br /> === 第三次産業 ===<br /> 静岡駅周辺は、大型店や商店街、公共施設や鉄道駅の間に有効的な回遊性・回廊性を持っており、効率的に集積した構造の商業地区となっている。2006年度の調査では[[富士市]]から[[御前崎市]]までの約160万人が基本的な[[商圏]]人口であると発表された(2006年度は[[西武百貨店]]静岡店が撤退し、静岡[[パルコ]]が開店する前の空白期間である)。2007年3月に開店した静岡[[パルコ]]に加え2007年10月に開店したSHIZUOKA[[109 (商業施設)|109]]や、2011年10月出店の[[東急ハンズ]]、その他の商業施設再開発計画などにより、更に商圏が拡大する可能性がある。<br /> <br /> 旧静岡市の郊外大型[[ショッピングセンター]]の市民一人あたり床面積は全国でも最少水準である。これは旧[[大規模小売店舗法]]時代に地元の商業関係者の反対活動によりなかなか出店ができなかった影響である。[[大規模小売店舗立地法]]になってからは企業私有地の有効活用などで徐々に増えてきたが、もともと平野部の人口密度が高く、安価で大規模な開発用地が残されていないため、店舗面積3万平米を越えるような大型ショッピングセンターは[[2013年]][[4月]]の[[MARK IS 静岡]]開業までなかった。<br /> このような旧静岡型の商業体系は閉鎖的であるとかつては批判されていたが、時流が変わり、結果的にそれが中心商店街の活性化維持に繋がった。<br /> しかし一方で、旧静岡地区全体の商業販売高の減少率は郊外店舗が展開する近隣地域より大きく、今後に課題を残している&lt;ref name=&quot;mlit2005&quot;&gt;{{Cite web|title=中心市街地再生のためのまちづくりのあり方に関する 研究アドバイザリー会議報告書について|url=http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/04/040810_.html|work=国土交通省ホームページ|date=2005-8-10|accessdate=2014-06-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> ;静岡駅周辺の主な繁華街<br /> {{独自研究|section=1|date=2017年6月}}<br /> * 呉服町 - 静岡駅寄りの二丁目(札之辻からスクランブル交差点まで)は、静岡県内最大の繁華街。空き店鋪がほとんどなく人通りも多く、3ブロックある二丁目の最も静岡駅寄りのブロック(旧六丁目)は、県内一地価が高いことで知られる。静岡駅からやや離れた一丁目([[静岡銀行]]本店から[[伊勢丹#関連会社の店舗|静岡伊勢丹]]まで)は人通りは比較的少なかったが、3ブロックある一丁目の中央に[[呉服町タワー]]ができ人通りが増えつつある。<br /> * 紺屋町(こうやまち) - 静岡駅開業と共に発展した街。直下に小規模な地下街があり、駅に直結している。[[静岡駅前地下街爆発事故]]以降、通りの再開発が進み、[[パルコ|静岡パルコ]]の開業とも相まって、一時少なくなっていた地上部分の人通りが最近は多くなっている。<br /> *御幸町 - 静岡市において老舗と呼べる百貨店[[松坂屋]]、その裏手にある[[丸井]]が買い物客を吸引する大きな力となっている。特に90年代半ばの丸井静岡店の増床改築により、若年層の買い物客をさらに集めているほか、隣接する[[伝馬町]]に[[109 (商業施設)|109]]が開業したことから、現在においては一番活気のある場所とも言える。<br /> * [[七間町 (静岡市)|七間町]] - 旧東海道沿いの[[映画館]]や飲食店の集積するかつては静岡市内で最も賑やかな通りであったが、娯楽としての映画の地位低下でやや賑わいが乏しくなっている。それでも石畳風の車道、大理石の歩道と整備されたけやき並木など、風格を保っている。<br /> * [[両替町]] - 静岡駅寄りの二丁目(七間町通りとの交差点から江川町通りとの交差点まで)は、飲食店の集積した静岡県内最大の歓楽街。[[銀座 (歴史)|銀座]]の発祥地である一丁目は比較的落ち着いた雰囲気の飲食店や衣料品店、雑貨店などが立地する。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:2 Chome Gofukuchō, Aoi-ku, Shizuoka-shi, Shizuoka-ken 420-0031, Japan - panoramio (1).jpg|[[呉服町]]<br /> File:Parco shizuoka.jpg|[[紺屋町]]<br /> File:Aoba symbol road, Shizuoka city.jpg|[[青葉通り]]<br /> File:Miyukicho Crossroads near Shizuoka Station.JPG|[[御幸町]]<br /> File:Keyaki-dori Street in front of Shin-Shizuoka Station at night.JPG|[[伝馬町 (曖昧さ回避)|伝馬町]]<br /> File:静岡市 - panoramio.jpg|[[七間町]]<br /> File:Night in Ryogaecho, Aoi ward, Shizuoka City.JPG|[[両替町]]<br /> File:静岡市 中町交差点 - panoramio.jpg|[[中町]]<br /> File:静岡駅前 - panoramio.jpg|[[静岡駅]]前<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> ==== 主な商業施設 ====<br /> ; 静岡駅周辺<br /> * [[松坂屋]]静岡店<br /> * [[静岡伊勢丹]]<br /> * 静岡[[丸井|マルイ]]・静岡[[モディ]]<br /> * [[新静岡セノバ]](旧称・[[新静岡センター]])<br /> * [[パルシェ]](JR静岡駅ビル)<br /> * [[静岡駅#南口(駿河区側)|ASTY静岡]]<br /> * 静岡東急スクエア([[静岡伝馬町プラザビル]])<br /> * [[トップセンタービル]]<br /> * ペガサート<br /> * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]静岡両替町店<br /> * 静岡[[パルコ|PARCO]]<br /> * [[葵タワー]]<br /> * [[呉服町タワー]]<br /> ; 葵区(静岡駅周辺以外)<br /> * [[MARK IS 静岡]]([[2013年]][[4月12日]]開業)<br /> * [[マキヤ|エスポット]]静岡東店<br /> * エスポット静岡千代田店<br /> * [[ザ・ビッグ]]静岡新伝馬店<br /> * ザ・ビッグ静岡城北店<br /> * [[カインズ]]静岡羽鳥店<br /> * [[DCMカーマ]]静岡柳町店<br /> * ドン・キホーテ静岡山崎店<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Matsuzakaya-Shizuoka.jpg|[[松坂屋]]静岡店<br /> File:ShizuokaIsetan.jpg|[[静岡伊勢丹]]<br /> File:Marui shizuoka-2.jpg|[[丸井|静岡マルイ]]<br /> File:Shinshizuoka-cenova.jpg|[[新静岡セノバ]]<br /> File:静岡駅 (北口).jpg|JR静岡駅ビル [[パルシェ]]<br /> File:Shizuoka109.jpg|静岡伝馬町プラザ&lt;br/&gt;(SHIZUOKA109)<br /> File:Parco shizuoka.jpg|静岡[[パルコ]]<br /> File:Aoi-Tower.jpg|[[葵タワー]]<br /> File:Gofukucho Tower.JPG|[[呉服町タワー]]<br /> File:Markis Shizuoka.JPG|[[MARK IS 静岡]]<br /> File:Shizutetsu Store Shinshizuoka Center 001.JPG|[[静鉄ストア]]<br /> File:Top Center Building.JPG|トップセンタービル<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> ; 駿河区<br /> * [[静岡県コンベンションアーツセンター|グランシップ]]<br /> * [[イトーヨーカ堂]]静岡店<br /> * [[セントラルスクエア静岡]]([[アピタ]])<br /> * [[エスパティオ]]<br /> * [[エンチョー|ジャンボエンチョー]]静岡店<br /> * ジャンボエンチョー静岡下川原店<br /> * [[マキヤ|エスポット]]静岡駅南店<br /> * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]パウSBS通り店<br /> * [[マックスバリュ東海|マックスバリュ]]静岡曲金店<br /> * マックスバリュ静岡丸子店<br /> * マックスバリュ静岡川原店<br /> * マックスバリュ静岡西脇店<br /> * [[サウスポット静岡]]<br /> * [[ザ・ビッグ]]静岡登呂店<br /> * ザ・ビッグ静岡豊田店<br /> * ザ・ビッグ静岡新川店<br /> * ホームプラザ[[ナフコ (ホームセンター)|ナフコ]]丸子店<br /> * ルピナス富士見台ショッピングセンター([[バロー (チェーンストア)|スーパーマーケットバロー]]富士見台店)<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Granship from east side.JPG|[[静岡県コンベンションアーツセンター|グランシップ]]<br /> File:CentralSquare.jpg|[[セントラルスクエア静岡]]<br /> File:Mizunomori Building and S-Patio.JPG|[[エスパティオ]]<br /> File:HotelCentury-Shizuoka.jpg|[[サウスポット静岡]]<br /> File:Marks the tower Higashi-shizuoka.JPG|マークスタワー東静岡<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> ; 清水区<br /> * [[イオン (店舗ブランド)|イオン]]清水店<br /> * [[エスパルスドリームプラザ]]<br /> * [[フレスポ]]静岡(ジャンボエンチョー清水鳥坂店)<br /> * [[ベイドリーム清水]]<br /> * エスポットタウン天王(エスポット清水天王店)<br /> * ジャンボエンチョー清水店<br /> * [[フィットハウス]]清水店<br /> * マックスバリュ清水興津店<br /> * マックスバリュ清水三保店<br /> * マックスバリュ清水八坂店<br /> * スーパーマーケットバロー清水高橋店(各種テナントあり)<br /> * [[ケーヨー|ケーヨーデーツー]]清水店<br /> * [[イオンタウン]]新蒲原駅前店<br /> * [[DCMカーマ]]・HODAKA清水店<br /> * [[カインズ]]清水店<br /> * [[ザ・ビッグ]]蒲原店<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:S-pulse dream plaza 01.jpg|[[エスパルスドリームプラザ]]<br /> File:BayDream-Shimizu.jpg|[[ベイドリーム清水]]<br /> File:SEIYU Shimizu 001.JPG|[[西友#静岡県|西友清水店]]<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> ; 清水駅周辺の主な繁華街<br /> * 真砂町:駅前銀座商店街<br /> * 銀座:清水銀座商店街<br /> * [[旭町 (静岡市)|旭町]]・巴町:古くからの飲食店街。港町清水の象徴的地域。<br /> * さつき通り<br /> <br /> === 本社を置く主な企業 ===<br /> {{See also|Category:静岡市の企業}}<br /> ;金融<br /> *[[静岡銀行]](本部は清水区草薙北、本店は葵区呉服町)<br /> *[[清水銀行]](清水区)<br /> *[[しずおか信用金庫]](葵区)<br /> *[[静清信用金庫]](葵区)<br /> *[[静岡県労働金庫]](葵区)<br /> *[[クレディア]](消費者金融、駿河区、[[フロックス (貸金業者)|フロックス]]に事業譲渡)<br /> ;小売業・サービス業<br /> {{段組|width=28em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[メガネトップ]](眼鏡販売「眼鏡市場」を展開)<br /> * [[秀英予備校]](学習塾)<br /> * ラッシュ([[キルフェボン]]の運営企業)<br /> * [[江崎書店]](書籍・雑誌の販売)<br /> * [[ヴィノスやまざき]](酒・ワインの販売)<br /> * [[ヨシケイ開発]](惣菜宅配「ヨシケイ」)<br /> * [[ヤマシタコーポレーション]](福祉用具、寝具リース)<br /> * [[太陽建機レンタル]](総合建設機械レンタル業)<br /> * [[アウトソーシング (企業)|アウトソーシング]](生産請負業務)<br /> * [[タカラ・エムシー]](スーパーマーケット、レストラン等を展開)<br /> * [[ハル・インダストリ]](消臭・無臭の研究、開発)<br /> * [[天神屋]](弁当・惣菜など)<br /> * [[戸田書店]](書籍・雑誌の販売)<br /> * [[どんどん (弁当屋)|どんどん]](持ち帰り[[弁当]]店)}}<br /> * [[エスパルス]]<br /> ;建設業<br /> * [[百年住宅]](駿河区)<br /> * [[鈴与建設]](清水区)<br /> ;製造業<br /> {{段組|width=28em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[靜甲]](包装機械、充填機)<br /> * [[アイエイアイ]](産業用ロボット)<br /> * [[日立製作所|日立]]空調SE(冷凍冷蔵空調機器の製造)<br /> * [[セイリン]](医療器具)<br /> * [[三明]](精密機器)<br /> * [[PLATZ]](プラスチック模型)<br /> * [[アイ・テック]](シャーリング)<br /> * [[ニチフリ食品]](食品製造)<br /> * [[はごろもフーズ]](食品製造)<br /> * [[ホテイフーズコーポレーション]](食品製造)<br /> * [[いなば食品]](食品製造)<br /> * [[三井化学|三井化学エムシー]]([[ポリウレタン]]樹脂製品の製造)<br /> * [[青島文化教材社]](プラスチック模型)<br /> * [[野桜本店]](わさび漬け)<br /> * [[東海澱粉]](食品加工)<br /> * [[SSKセールス]](食品製造)<br /> * [[松岡カッター製作所]]<br /> * [[アムスライフサイエンス]](健康食品等製造)<br /> * [[市川園 (静岡市)|市川園]](緑茶、食品、和菓子)<br /> * [[ウッディジョー]](木製模型)<br /> * [[シャンソン化粧品]](化粧品の開発・製造)<br /> * [[スター精密]](電子機器、産業機械)<br /> * [[タミヤ]](プラスチック模型)<br /> * [[日興製薬 (静岡県)|日興製薬]](洗顔料・美容液)<br /> * [[フジミ模型]](プラスチック模型)<br /> * [[丸六食品]](水産加工)<br /> * [[村上開明堂]]([[バックミラー]])<br /> * [[矢崎化工]](合成樹脂形成品・製品)}}<br /> ;インフラ・情報<br /> * [[清水エル・エヌ・ジー]](天然ガス製造販売、清水区)<br /> * [[静岡瓦斯|静岡ガス]](都市ガス、駿河区)<br /> * [[TOKAIコミュニケーションズ]](ソフトウエア開発、通信サービス、葵区)<br /> * [[ナルテック]](コンピュータ周辺機器開発、清水区)<br /> * [[TOKAI]](ガス、不動産、情報処理、葵区)<br /> ;運輸・流通<br /> * [[鈴与]]([[物流]]。清水区)<br /> ** [[エスパルスドリームフェリー]](海運。清水区)<br /> ** [[フジドリームエアラインズ]](航空。清水区)<br /> ** [[静岡エアコミュータ]](ヘリコプター運航事業。葵区)<br /> * [[静岡鉄道]]([[鉄道]]。葵区)<br /> ** [[しずてつジャストライン]](バス。葵区)<br /> * [[日本平自動車]](バス。駿河区)<br /> <br /> ===本社以外の拠点施設を置く主な企業===<br /> [[File:Nippon Light Metal Kambara complex 1988.jpg|thumb|[[日本軽金属]] 蒲原製造所&lt;br /&gt;{{国土航空写真}}(清水区、1988年度撮影)]]<br /> {{段組|width=28em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[日本軽金属]] 蒲原製造所(清水区蒲原) 日本唯一の[[アルミニウム]]製錬所であった<br /> * [[日本軽金属]] 清水工場(清水区三保) [[アルミナ|アルミナ及び化成品]]が生産されている<br /> * 三井・デュポン フロロケミカル清水工場(清水区三保)[[テフロン]]などの[[フッ素]]化学製品を製造<br /> * [[日立アプライアンス]]清水工場(清水区村松) 業務用[[空調機器]]・冷凍機などを製造<br /> * [[巴川製紙所]] 清水事業所(清水区入江) 主力工場・開発拠点<br /> * [[小糸製作所]] 静岡工場(清水区北脇) 主力工場・開発拠点<br /> * [[EAファーマ]](旧味の素メディカ→味の素製薬)清水工場(清水区宮加三)<br /> * [[ヤヨイ食品]] 清水工場(清水区永楽町) [[レトルト]]食品の製造<br /> * [[ニチレイ]] 清水事業所(清水区島崎町)<br /> * [[クミアイ化学工業]] 本社分室・製剤技術研究所(清水区渋川)[[JAグループ]]の[[農薬]]専業メーカー:2010年10月までは、同社の主力工場として清水工場も設けられていた。<br /> * [[J-オイルミルズ]](旧・豊年製油)静岡工場(清水区新港町)[[食用油]]メーカー<br /> * [[東燃ゼネラル石油]] 清水油槽所(清水区袖師)[[エクソンモービル]]グループ<br /> * [[日東富士製粉]] 静岡工場(清水区清開) 製粉メーカー<br /> * [[大和製缶]] 清水工場(清水区中之郷)<br /> * [[リョービ]] 静岡工場(清水区蒲原) [[ダイカスト]]の製造<br /> * [[ノダ]] 清水工場(清水区駒越北町) 住宅建材の製造<br /> * [[レンゴー]] 清水工場(清水区渋川) [[段ボール]]・[[板紙]]の製造<br /> * [[トーモク]] 清水工場(清水区長崎新田) [[段ボール]]・[[紙器]]の製造<br /> * [[タイカ]] 清水工場及び研究開発拠点(清水区江尻台町他)[[アルファゲル|αゲル]]発祥の地<br /> * [[合同酒精]] 清水工場(清水区横砂) 酒類 医薬品製造<br /> * [[三菱電機]]静岡製作所(駿河区小鹿)[[エアコン]]・[[冷蔵庫]]などの開発・生産拠点<br /> * [[巴川製紙所]]静岡事業所(駿河区用宗)<br /> * [[アルバイトタイムス]](発祥は駿河区:現在の本社は[[東京都]])求人情報誌の発行<br /> * [[明治 (企業)|明治]] 静岡工場(旧・[[明治乳業]])(駿河区富士見台)牛乳、デザート等の製造<br /> * [[焼津水産化学工業]] 静岡本部(駿河区南町)開発部門以外の本社機能を集約:登記上の本社は[[焼津市]]<br /> * ポーラ化成工業 静岡工場(駿河区弥生町) [[ポーラ (企業)|ポーラ]]・[[オルビス]]グループの[[化粧品]]製造拠点<br /> * [[バンダイホビーセンター]](葵区長沼)[[バンダイ]]グループの[[プラモデル]]の生産拠点。従来の同社静岡ワークスより移転。「[[ガンプラ]]」の国内唯一の生産拠点として有名。<br /> * [[富国生命]] 静岡支社 (葵区御幸町)<br /> * [[第一精工]](電子部品メーカー) 静岡技術センター(葵区御幸町)}}<br /> <br /> == 教育 ==<br /> {{Vertical_images_list|幅=200px<br /> |画像1=Shizuokauniv4.jpg<br /> |説明1=[[静岡大学]]<br /> |画像2=Yada Campus University of Shizuoka cropped 1 Yada Campus University of Shizuoka rotated Yada Campus University of Shizuoka 20080220.jpg<br /> |説明2=[[静岡県立大学]]<br /> |画像3=Tokoha University KusanagiCampus.jpg<br /> |説明3=[[常葉大学]] 静岡草薙キャンパス}}<br /> <br /> === 大学・短期大学 ===<br /> ; 葵区<br /> * [[常葉大学]]<br /> * [[常葉大学短期大学部]]<br /> * [[東海大学短期大学部]]<br /> ; 駿河区<br /> * [[静岡大学]](国立総合大学)<br /> * [[静岡県立大学]](公立総合大学)<br /> * [[静岡県立大学短期大学部]]<br /> * [[静岡英和学院大学]]<br /> ; 清水区<br /> * [[東海大学#海洋学部|東海大学]](海洋学部)<br /> <br /> === 専修学校 ===<br /> {{段組|width=28em|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[静岡産業技術専門学校]]<br /> * [[静岡デザイン専門学校]]<br /> * [[静岡工科自動車大学校]](旧:静岡工科専門学校)<br /> * 静岡県理容美容専門学校<br /> * [[駿河学院実務専門学校]]<br /> * [[清水学院実務高等専修学校]]<br /> * [[静進情報高等専修学校]]<br /> * プロスペラ学院外国語専門学校<br /> * 専門学校静岡電子情報カレッジ<br /> * 静岡福祉医療専門学校<br /> * 静岡インターナショナル・エア・リゾート専門学校}}<br /> <br /> === 高等学校 ===<br /> {{段組|width=28em|rule=1px solid #E0DEDB|1={{段組/不可分|1=<br /> ; 葵区<br /> :; 公立<br /> ::* [[静岡県立静岡高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立科学技術高等学校]]&lt;br /&gt;(旧[[静岡県立静岡工業高等学校|静岡工高]]と旧[[静岡県立清水工業高等学校|清水工高]]が統合)<br /> ::* [[静岡県立静岡商業高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立静岡農業高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立静岡城北高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立静岡中央高等学校]]&lt;br /&gt;(単位制による定時制・同通信制)<br /> ::* [[静岡県立静岡西高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立静岡東高等学校]]<br /> ::* [[静岡市立高等学校]]<br /> :; 私立<br /> ::* [[静岡英和女学院中学校・高等学校|静岡英和女学院高等学校]]<br /> ::* [[静岡北中学校・高等学校|静岡北高等学校]](旧:静岡県自動車工業高等学校)<br /> ::* [[静岡大成中学校・高等学校|静岡大成高等学校]](旧:静岡精華高等学校)<br /> ::* [[静岡雙葉中学校・高等学校|静岡雙葉高等学校]](旧:不二高等学校)<br /> ::* [[常葉大学附属常葉中学校・高等学校|常葉大学附属常葉高等学校]]<br /> ::* [[常葉大学附属橘中学校・高等学校|常葉大学附属橘高等学校]]<br /> ::* [[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高等学校]]<br /> :; 私立単位制による通信制<br /> ::* [[鹿島学園高等学校]]静岡キャンパス<br /> ::* [[鹿島朝日高等学校]]静岡朝日キャンパス<br /> ::* [[第一学院高等学校]]静岡校<br /> ::* [[つくば開成高等学校]]静岡キャンパス<br /> ::* [[日本航空高等学校通信制課程|日本航空高等学校]]静岡校<br /> ::* [[キラリ高等学校]]静岡キャンパス<br /> ::* [[ヒューマンキャンパス高等学校]]静岡学習センター}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ; 駿河区<br /> :;公立<br /> ::* [[静岡県立駿河総合高等学校]]&lt;br /&gt;(旧静岡南高と旧静岡市立商業高が統合)<br /> :;私立<br /> ::* [[静岡聖光学院中学校・高等学校|静岡聖光学院高等学校]]<br /> ::* [[静岡女子高等学校]](旧:静岡和洋高等学校)<br /> ::* [[城南静岡高等学校・中学校|城南静岡高等学校]](旧:静岡女子商業高等学校)<br /> :;私立単位制による通信制<br /> ::* [[クラーク記念国際高等学校]]静岡キャンパス<br /> ::* [[科学技術学園高等学校]]静岡スクーリングセンター<br /> ::* [[未来高等学校]]静岡中央学習センター<br /> ::* [[屋久島おおぞら高等学校]]・[[KTC中央高等学院]]静岡キャンパス}}<br /> {{段組/不可分|1=<br /> ; 清水区<br /> :;公立<br /> ::* [[静岡県立清水東高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立清水西高等学校]]<br /> ::* [[静岡県立清水南高等学校・中等部|静岡県立清水南高等学校]]<br /> ::* [[静岡市立清水桜が丘高等学校]]&lt;br /&gt;(旧庵原高と旧清水商業高が統合)<br /> :;私立<br /> ::* [[清水国際高等学校]](旧:清水女子高等学校)<br /> ::* [[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]&lt;br/&gt;(旧東海大一高と旧東海大工高が統合)<br /> ::* [[静岡サレジオ中高一貫教育学校・高等学校|静岡サレジオ高等学校]](旧:静岡星美高等学校)<br /> :;私立単位制による通信制<br /> ::* [[精華学園高等学校]]清水学習センター<br /> ::* [[NHK学園高等学校]] スクーリング:清水国際高校}}}}<br /> <br /> === 小・中学校 ===<br /> &#039;&#039;(→「[[葵区#中学校|葵区]]」「[[駿河区#中学校|駿河区]]」「[[清水区#中学校|清水区]]」の頁へ。)&#039;&#039;<br /> <br /> === 特別支援学校 ===<br /> ; 県立<br /> * [[静岡県立静岡視覚特別支援学校]]<br /> * [[静岡県立静岡聴覚特別支援学校]]<br /> * [[静岡県立静岡北特別支援学校]]<br /> * [[静岡県立中央特別支援学校]]<br /> * [[静岡県立静岡南部特別支援学校]]<br /> * 静岡県立清水特別支援学校<br /> ; 国立<br /> * [[静岡大学教育学部附属特別支援学校]]<br /> <br /> === 各種学校 ===<br /> * [[静岡朝鮮初中級学校]]([[朝鮮学校]]、駿河区)<br /> * 静岡日本語教育センター([[日本語学校]]、葵区)<br /> * 国際ことば学院日本語学校(日本語学校、駿河区)<br /> <br /> === 学校教育以外の施設 ===<br /> ; 独立行政法人海技教育機構立<br /> * [[国立清水海上技術短期大学校]](清水区)([[国土交通省]]所管の船員教育機関)<br /> ; 静岡県立<br /> * 静岡県立清水高等職業訓練校(清水区)([[職業能力開発促進法]]に基づく[[職業能力開発校]])<br /> * 県立農林短期大学校果樹分校(清水区)<br /> ; 自動車教習所<br /> * [[静岡県自動車学校]]<br /> * 安西自動車学校<br /> * 中田自動車学校<br /> * 古庄自動車学校<br /> * 清水自動車学校<br /> * 静鉄自動車学校<br /> * スルガ自動車学校<br /> <br /> == 交通 ==<br /> [[File:Shizuoka Station (North exit).jpg|thumb|200px|[[静岡駅]]]]<br /> [[File:Shimizu Station (Tokaido Main Line) 20150916-2.JPG|thumb|200px|[[清水駅 (静岡県)|清水駅]]]]<br /> [[File:Shizuoka Railway A3001 20160508.jpg|thumb|200px|[[静岡鉄道]]]]<br /> [[File:Shizuoka Railway Linemap.svg|thumb|200px|[[静岡鉄道静岡清水線]]]]<br /> === 空港 ===<br /> 公共用ヘリポートとして葵区諏訪に[[静岡ヘリポート]]がある。他の[[空港]]等との定期便はない。他には[[航空法]]上の[[飛行場]]ではないものの、清水区三保に[[三保飛行場|三保場外離着陸場]](三保飛行場)、清水区蒲原に[[富士川滑空場|富士川場外離着陸場]](富士川滑空場)があり、主に[[ゼネラル・アビエーション]](一般航空)に利用されている。<br /> *[[2009年]][[6月4日]]に[[静岡空港]]が同県内の[[牧之原市]]・[[島田市]]に、開港した。静岡市から自家用車で片道約40分で行ける。<br /> === 鉄道 ===<br /> ;[[File:JR logo (central).svg|25px|東海旅客鉄道|link=東海旅客鉄道]] &#039;&#039;&#039;[[東海旅客鉄道]](JR東海)&#039;&#039;&#039;<br /> *[[File:Shinkansen jrc.svg|16px|■]] [[東海道新幹線]] :(富士市)- &#039;&#039;&#039;[[静岡駅]]&#039;&#039;&#039; -(掛川市)<br /> * {{JR海駅番号|CA}} [[東海道本線]]:[[新蒲原駅]] - [[蒲原駅]] - [[由比駅]] - [[興津駅]] - [[清水駅 (静岡県)|清水駅]] - [[草薙駅 (JR東海)|草薙駅]] -[[東静岡駅]] - &#039;&#039;&#039;[[静岡駅]]&#039;&#039;&#039; - [[安倍川駅]] - [[用宗駅]]<br /> ;[[File:JR logo (freight).svg|25px]][[日本貨物鉄道]](JR貨物)<br /> *{{Color|black|■}}東海道本線:[[静岡貨物駅]]<br /> ;[[静岡鉄道]](静鉄)<br /> * {{駅番号b|#009|white|S}} [[静岡鉄道静岡清水線|静岡清水線]]:&#039;&#039;&#039;[[新静岡駅]]&#039;&#039;&#039; - [[日吉町駅]] - [[音羽町駅]] - [[春日町駅]] - [[柚木駅 (静岡市)|柚木駅]] - [[長沼駅 (静岡県)|長沼駅]] - [[古庄駅]] - [[県総合運動場駅]] - [[県立美術館前駅]] - [[草薙駅 (静岡鉄道)|草薙駅]] - [[御門台駅]] - [[狐ヶ崎駅]] - [[桜橋駅 (静岡県)|桜橋駅]] - [[入江岡駅]] - [[新清水駅]]<br /> ;[[File:Daitetsu logomark.svg|20px]][[大井川鐵道]]<br /> *{{Color|red|■}}[[大井川鐵道井川線|井川線]]:[[井川駅]] - [[閑蔵駅]]<br /> <br /> なお現在LRT([[路面電車]]方式の[[ライトレール]])が計画されている。LRT導入を促進する複数の市民団体が発足され、超党派の市議会議員を迎えて実現に向けた活動を行っており、静岡市長の[[2009年]]度施政方針に盛り込まれた他、同年度静岡市の予算案に[[路面電車]]の路線策定、調査等の予算が静岡市議会で議決された。[[2011年]][[9月]]には静岡市と[[静岡鉄道]]、静岡商工会議所の三者により「LRT導入検討委員会」が正式に発足している。<br /> <br /> === バス・索道 ===<br /> [[File:Shin-Shizuoka bus terminal 2.JPG|thumb|200px|新静岡バスターミナル]]<br /> 運行経路、停留所などの詳細はバス事業者記事、バス営業所記事、路線記事を参照。<br /> ;路線バス(市内・近郊)<br /> *[[しずてつジャストライン]] - 市内ほぼ全域、[[静岡空港]]連絡バスなど<br /> *[[富士急静岡バス]] - [[庵原郡|旧庵原郡]]から[[富士市]]方面<br /> *[[山交タウンコーチ]] - 旧庵原郡から[[富士宮市]]方面<br /> *[[大井川鐵道]] - 閑蔵駅から[[川根本町]]方面<br /> *[[井川地区自主運行バス]] - しずてつジャストライン路線の[[廃止代替バス]]<br /> *[[日本平自動車]] - [[東静岡駅]]から大谷・小鹿・日本平動物園方面<br /> ;高速バス<br /> *関東方面<br /> **[[東名ハイウェイバス]] - [[東京都]]方面([[ジェイアール東海バス]]、[[ジェイアールバス関東]]、[[ジェイアールバステック]])<br /> **横浜ライナー - [[神奈川県]]方面(しずてつジャストライン)<br /> **[[新宿 - 静岡線|新宿・静岡号、新宿 / 渋谷・静岡号]] - 東京都方面(しずてつジャストライン、ジェイアールバス関東、ジェイアール東海バス、[[京王電鉄バス|京王バス東]])<br /> **しみずライナー - 東京都方面(しずてつジャストライン、ジェイアールバス関東)<br /> **静岡[[成田国際空港|成田空港]]線 - [[千葉県]]方面(しずてつジャストライン)<br /> *中部方面<br /> **東名ハイウェイバス - [[愛知県]]方面(ジェイアール東海バス、ジェイアールバス関東、ジェイアールバステック)<br /> **静岡甲府線 - [[山梨県]]方面(しずてつジャストライン、[[山梨交通]])<br /> *関西方面<br /> **[[京阪神ドリーム静岡号]] - [[京都府]]・[[大阪府]]・[[兵庫県]]方面(ジェイアール東海バス、[[西日本ジェイアールバス]])<br /> **京都大阪ライナー - 京都府・大阪府方面(しずてつジャストライン、[[阪急バス]])<br /> **[[京阪神昼特急静岡号]] - 京都府・大阪府方面(ジェイアール東海バス)<br /> **[[東海道昼特急号|東海道昼特急号、プレミアム昼特急号]] - 京都府・大阪府方面(ジェイアールバス関東、西日本ジェイアールバス)<br /> **[[フジヤマライナー]] - 京都府・大阪府方面([[富士急山梨バス]])<br /> ;索道<br /> *[[日本平ロープウェイ]](静岡鉄道)<br /> <br /> === 道路 ===<br /> [[File:Mount Fuji and Ashitaka Mountains from Satta Pass.JPG|thumb|200px|富士山と[[国道1号]](山側)と[[東名高速道路]](海側)]]<br /> [[File:静岡サービスエリア上り線施設.jpg|thumb|200px|[[静岡サービスエリア|静岡SA]]]]<br /> [[File:Shin-Shimizu JCT. 20120929.jpg|thumb|200px|[[新清水ジャンクション|新清水JCT]]]]<br /> ;高速道路<br /> *[[新東名高速道路]]<br /> **本線 [[新清水インターチェンジ|新清水IC]] - [[清水パーキングエリア|清水PA]] - [[新清水ジャンクション|新清水JCT]] - [[新静岡インターチェンジ|新静岡IC]] - [[静岡サービスエリア|静岡SA]]/[[静岡サービスエリア#静岡SAスマートインターチェンジ|静岡SIC]]<br /> **清水連絡路 [[清水ジャンクション|清水JCT]] - [[清水いはらインターチェンジ|清水いはらIC]] - 新清水JCT<br /> *[[東名高速道路]]<br /> **[[由比パーキングエリア|由比PA]] - 清水JCT - [[清水インターチェンジ (静岡県)|清水IC]] - [[日本平パーキングエリア|日本平PA]] - [[静岡インターチェンジ|静岡IC]]<br /> *[[中部横断自動車道]](平成29年度に中央自動車道に連結予定)<br /> **新清水JCT<br /> ;国道<br /> * [[国道1号]](清水区辻町 - 葵区栄町間は[[静清国道]]とも呼ばれる)<br /> * 国道1号[[静清バイパス]]([[地域高規格道路]] [[静岡東西道路]])<br /> * 国道1号[[富士由比バイパス]]<br /> * [[国道52号]](清水区興津中町 - [[甲府市]])<br /> * [[国道149号]](清水区真砂町 - 清水区羽衣橋)<br /> * [[国道150号]](清水区羽衣橋 - [[浜松市]][[中区 (浜松市)|中区]])<br /> * [[国道362号]](葵区常磐町2丁目 - [[豊川市]])<br /> 国道1号線(バイパス、現道共に)、52号線は市内全て指定区間(国土交通省中部地方整備局管理)、その他は非指定区間(静岡市建設局が管理)である。また、焼津市とを結ぶ国道150号新日本坂トンネルは、焼津市内部分についても平成20年度より静岡市が管理している(トンネル設備の管理を市境で区切ることは物理的に不可能なので静岡市が一元的に管理。19年度までは静岡県による一元管理)。<br /> ;その他高規格道路<br /> * 清水臨港道路<br /> * [[主要地方道]]下大谷線(新東名新静岡ICに繋がる[[自動車専用道路]](建設中)[[地域高規格道路]][[静岡南北道路]]の一部)<br /> * 地域高規格道路静清環状道路(候補路線)<br /> <br /> === 港湾 ===<br /> [[File:S-pulse dream plaza 01.jpg|thumb|200px|[[清水港]]にある[[エスパルスドリームプラザ]]]]<br /> ;[[清水港]]<br /> 国際拠点港湾で、北米、アジア、欧州に定期コンテナ航路 23航路を持つコンテナ取扱量全国7位の国際貿易港である。<br /> 主な輸出品は二輪自動車、自動車部品、産業機械等。輸入品は原料品、[[液化天然ガス]]、食料品、マグロ等。<br /> 港湾法の改正により従来の特定重要港湾は、京浜港、阪神港の国際戦略港湾と、名古屋港、博多港、清水港等の国際拠点港湾18港に位置づけられた。(なお、18港の内、名古屋、博多、清水等9港は施設運営に優遇税制を適用。)となった。<br /> [[長崎港|長崎]]、[[神戸港|神戸]]と並んで日本三大美港のひとつであり、外国[[クルーズ客船]]の寄港もある。<br /> *[[エスパルスドリームフェリー]]:伊豆土肥港への[[カーフェリー]](通称:駿河湾フェリー)、港内[[水上バス]]も運航。<br /> ;漁港<br /> * 蒲原漁港(清水区):第1種漁港、[[サクラエビ|桜海老]]の水揚げが盛ん。<br /> * 由比漁港(清水区):第1種漁港、桜海老の水揚げが盛ん。<br /> * 西倉沢漁港(清水区):第2種漁港<br /> * [[用宗漁港]](駿河区):第3種漁港、[[シラス (魚)|シラス]]の水揚げが盛ん。<br /> かつて、江尻漁港(清水区)・興津漁港(清水区)は[[漁港漁場整備法]]の第1種漁港に指定され漁港区域ではあるが沿岸部の埋め立て等により漁港施設はなく廃止手続きが行われた。&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://vp.city.shizuoka.jp/privinfo/detail.php?gyomu_r_uid=1272&amp;keyword=&amp;type=g&amp;now=1&amp;old=0&amp;p=&amp;kaid=82|title=静岡市経済局農林水産部治山林道課における興津漁港区域の廃止に伴う国有地所管換え業務の個人情報取扱届出書を表示します。|publisher=静岡市|date=|accessdate=2014-07-23}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|title=漁港一覧 静岡県|format=PDF|url=http://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_zyoho_bako/gyoko_itiran/pdf/pdf_15_04_16.pdf|date=2015-4-1|publisher=[[水産庁]]|accessdate=2016-04-07}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 観光 ==<br /> === 景勝地・観光地 ===<br /> 標高3000m以上の山岳地帯から駿河湾岸に至る起伏に富んだ地形のため、市内には多くの景勝地がある。<br /> {{段組|rule=1px solid #E0DEDB|1=<br /> * [[三保の松原]](世界遺産・富士山の構成資産、[[日本三大一覧|新日本三景]]・[[日本三大一覧|三大松原]]。清水区)<br /> * [[日本平]](観光地百選第一位。清水区)<br /> * [[大谷崩]](葵区梅ヶ島)<br /> * [[井川ダム]](葵区井川)<br /> * [[畑薙第一ダム]](葵区小河内・田代)<br /> * [[畑薙第二ダム]](葵区田代)<br /> * 南アルプス([[赤石山脈]]。葵区田代)<br /> * 満観峠(駿河区)<br /> * [[薩た峠|薩&amp;#22517;(さった)峠]](清水区)<br /> * [[浜石岳]](清水区)<br /> * [[大崩海岸]](駿河区)<br /> * [[賤機山]](葵区)<br /> * [[竜爪山]](葵区)}}<br /> <br /> ==== 清水区 ====<br /> ; 中心部<br /> * [[鉄舟寺]](前身は700年ころ創建の久能寺。国宝「久能寺経」を始め数々の文化財を有する。[[山岡鉄舟]]再興の寺)<br /> * [[龍華寺 (静岡市)|龍華寺]](「観富山」の名のとおり富士の絶景を望む寺。[[高山樗牛]]ゆかりの寺でもある。)<br /> * [[草薙神社]](「日本平」とともに「[[ヤマトタケル|日本武尊]]の東征」にちなむ名を残す古社、祭神は日本武尊)<br /> * [[霊山寺 (静岡市)|霊山寺]]([[室町時代]]創建の寺、[[仁王門]]は国の重要文化財、桜の名所)<br /> * [[海長寺]]([[日蓮宗]]本山)<br /> * 梅蔭寺([[清水次郎長]]墓)<br /> * 船越堤公園(桜の名所)<br /> * 末廣(清水次郎長の経営した船宿(復元))<br /> * 次郎長生家(美濃輪町) - 次郎長の産湯に使ったと言われる井戸や、座敷などが当時のまま残っている。もともと実家は船持ち船頭を営んでいたが、次郎長は叔父の家に養子に出された為、この家で暮らしたのは幼少期のみ。<br /> * 壮士の墓(清水港内で官軍に襲われて全滅した幕軍([[咸臨丸]])の湾に漂う遺体を、次郎長が官軍の威を恐れず葬った墓。これが次郎長と鉄舟を結びつけた。墓碑の揮毫は山岡鉄舟。<br /> * 甲州廻米置場跡(富士川を川舟で下った甲州米を江戸へ廻送するために大型船に積替えた場所)<br /> * 河岸の市(仲卸業者が直接水産物を販売する施設)<br /> * [[エスパルスドリームプラザ]](清水港に面し、対岸に三保の松原を望み富士を仰ぐ、観光・商業施設)<br /> * 日の出ドリームパーク(エスパルスドリームプラザに隣接する施設群)<br /> ** 清水マリンターミナル([[エスパルスドリームフェリー#フェリー事業|駿河湾フェリー]]の清水港側乗船受付がある、展示場・ホール・会議室などを設備する)<br /> ** 清水マリンパーク(臨海公園。西欧の城壁風の歩道に囲まれたイベント広場、ボードウォーク、ヨットハーバーやスケー トボードパークなどを設備する)<br /> ** 清水港[[テルハ|テルファー]](港湾荷役機械、国の登録有形文化財)<br /> ** 清水マリンビル(多目的ホール・展示室・会議室などを設備する)<br /> * フェルケール博物館(「人・海・未来がふれあう――“みなと”」をテーマとした博物館)<br /> ; 三保<br /> * [[御穂神社]](創建は平安時代以前。羽衣の松より続く神の道(参道)を持つ古社。)<br /> * [[羽衣の松]](天女の伝説・能「羽衣」の舞台の地)<br /> * [[清水灯台]](日本最古の鉄筋コンクリート灯台、初点灯明治45年 日本の近代化産業遺産)<br /> * 東海大学社会教育センター(博物館等、三保文化ランドは2006年を以って緑地公園としてのリニューアルに向けて閉館中)<br /> * エスパルス練習場(Jリーグ1部清水エスパルスの練習場・本社がある。連日多くの見学者が訪れる)<br /> ; 興津<br /> [[File:Seikenji and Tōkaidō Line.jpg|thumb|200px|right|清見寺と東海道本線]]<br /> * [[清見寺]](奈良時代創建の古寺。[[朝鮮通信使]]史跡として福山市の福禅寺、岡山県の本蓮寺と共に国指定史跡でもある。)<br /> * 独立行政法人「農業・食品産業技術総合研究機構」「果樹研究所」カンキツ研究興津拠点(旧農商務省農事試験場園芸部)<br /> : 日米友好のため、旧[[東京市]]から[[アメリカ合衆国]]に贈られた[[ワシントンD.C.]]の[[ポトマック川]]畔に植えられた桜の育苗地。<br /> : 贈られた桜の兄弟木やアメリカ合衆国から返礼に贈られた[[ハナミズキ]]が現存する。<br /> * [[坐漁荘]](最後の元老[[西園寺公望]]の別荘。政財界の要人が頻繁に訪れ「興津詣で」という言葉が生まれた地。<br /> : [[2004年]]に市が復元。実物は愛知県の[[博物館明治村]]に移築。ただし明治時代ではなく大正時代の建築物である。)<br /> * 水口屋ギャラリー(興津宿の脇本陣。フェルケール博物館別館 ※水口屋はオリバー・スタットラー著「ジャパニーズ・イン(歴史の宿)水口屋物語」で海外にもその名を知られ、1957年(昭和32年)静岡国体の際には昭和天皇も宿泊した名門旅館であったが港湾建設による海岸の消滅とともにその幕を閉じた。)<br /> ; 小島<br /> * [[小島藩]][[陣屋]]跡(国の[[史跡]])<br /> ; 由比<br /> * 倉沢の宿(由比宿から薩埵峠へ向かう途中、寺尾・倉沢地区と呼ばれる集落を通るが、この界隈にも古い木造建築が多く残っている)<br /> * 東海道広重美術館<br /> * 東海道由比宿、おもしろ宿場館(弥次喜多道中のキャラクター人形などを使って、江戸時代の由比宿の様子を分かり易く再現した見学施設)<br /> * 正雪紺屋(江戸時代に活躍した軍学者・[[由井正雪|由比正雪]]の生家とされる染物店)<br /> ; 蒲原<br /> * 蒲原城跡<br /> * 旧五十嵐邸([[登録有形文化財]]) - 蒲原宿に残る歯科医院兼住宅として使われていた建物。江戸時代から明治頃に建てられた町家を、大正3年(1914)に洋風の外観に改装したもので、1階の和室の住居部と、2階の診療室・待合室に分かれている。<br /> * 志田邸(切妻造り平入瓦葺きの母屋は安政年間の築で、蒲原宿に現存する建物の中では、最とも古い建物の1つと言われている。元は屋号を「やま六」と言い、醤油や味噌などの醸造業を営んでいたとされ、醸造に使われていた道具類や神棚、提灯を入れる箱などが保存されている)<br /> * [[御殿山]](桜の名所)<br /> <br /> ==== 葵区 ====<br /> ; 中心部<br /> * [[静岡浅間神社]]([[徳川家康]]が築造。本社は[[富士宮市]])<br /> * [[駿府城]]址(現在は[[駿府城公園]]となっており桜の名所徳川家康銅像、家康手植ミカン、復元された駿府城巽櫓・東御門 他)<br /> * [[徳川慶喜]]旧居跡([[紺屋町]](現浮月楼)、西草深町の2か所)、[[西郷隆盛]]・[[山岡鉄舟]]会見場跡(葵区伝馬町のペガサート)<br /> * [[山田長政]]生家跡(葵区浅間通り商店街)<br /> * [[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]](徳川家康が幼少期を過ごした寺)<br /> * [[長源院]](徳川家康の位牌、印籠などの遺品がある)<br /> * [[清水寺 (静岡市)|清水寺]](徳川家康が奉納した[[千手観音]]がある)<br /> * [[宝台院]]<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:浅間神社-7.JPG|[[静岡浅間神社]] 舞殿(重文)、大拝殿(重文)(2015年3月26日撮影)<br /> File:Rinzai-ji1.jpg|[[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]](本堂・国宝重要文化財、庭園・史蹟名勝天然記念物)(2016年8月14日撮影)<br /> File:長源院-1.jpg|[[長源院]] 山門(三門解脱)(2013年12月10日撮影)<br /> File:Kiyomizudera Shizuoka-8.jpg|[[清水寺 (静岡市)|清水寺]] 観音堂(県指定有形文化財)(2017年9月20日撮影)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> ; 安倍川以西<br /> * 木枯の森(『[[枕草子]]』。[[歌枕]]として有名)<br /> * 洞慶院(梅林がとても綺麗な寺)<br /> * 安倍城址([[狩野貞長]]の居城跡)<br /> <br /> ==== 駿河区 ====<br /> ; 静岡駅南・有度山周辺<br /> :* [[登呂遺跡]]<br /> :* [[久能山東照宮]]<br /> :* 旧マッケンジー邸(名誉市民[[エミリー・マーガレッタ・マッケンジー|マッケンジー夫人]]の旧邸宅。スペイン風洋館)<br /> :* [[やぶきた種原樹|「やぶきた」原樹]] (日本の茶樹の大半を占める主要品種の原木、[[静岡県指定文化財一覧#天然記念物|静岡県指定天然記念物]])<br /> :* [[小鹿神明社のクス|小鹿神明社のクス(伊勢神明社の大クス)]](静岡県指定天然記念物)<br /> :* 石蔵院のお葉付公孫樹(静岡県指定天然記念物)<br /> :<br /> ; 安倍川以西<br /> :* [[丸子]]([[東海道]][[鞠子宿]])<br /> :* 丸子梅園<br /> :* [[宇津ノ谷峠|宇津ノ谷]](明治トンネル 旧東海道、[[蔦の細道]](『[[伊勢物語]]』))<br /> :* 吐月峰[[柴屋寺]]&lt;br&gt;([[連歌]]師[[宗長]]の草庵が元。宗長の手によるといわれる庭園 (国の[[史跡]]及び[[名勝]]) が有名。宗長の墓もある)<br /> :* [[誓願寺 (曖昧さ回避)#中部地方|誓願寺]]&lt;br&gt;([[片桐且元]]夫妻墓。[[大坂の役]]の発端となった方広寺鐘銘事件の際の片桐且元の宿所)<br /> <br /> === 温泉 ===<br /> {{段組|<br /> ; 葵区安倍川上流部<br /> * [[梅ヶ島温泉]]<br /> * 梅ヶ島新田温泉<br /> * 梅ヶ島金山温泉<br /> * 油山温泉<br /> * 油野温泉<br /> * 田代温泉<br /> * [[梅ヶ島コンヤ温泉]]<br /> * わらびの温泉<br /> * 口坂本温泉<br /> ; 葵区藁科川上流部<br /> * 湯ノ島温泉}}<br /> {{段組|<br /> ; 葵区井川地区<br /> * 井川赤石温泉<br /> ; 葵区平野部他<br /> * 静岡温泉<br /> * 平山温泉<br /> * 麻機温泉<br /> ; 清水区興津川上流部<br /> * 西里温泉}}<br /> <br /> === 名産品 ===<br /> [[ファイル:Wasabizuke-Statue.jpg|thumb|150px|right|駿府城公園にある、ワサビ漬け発祥の地の碑]]<br /> * [[緑茶]]<br /> * [[ワサビ]]・[[わさび漬け|ワサビ漬け]]<br /> * [[安倍川餅]]<br /> * [[おでん|静岡おでん]]<br /> * [[ヤマノイモ|とろろ汁]]<br /> * [[プラモデル]]<br /> * 駿河竹千筋細工<br /> * [[ひな人形]]<br /> * 駿河漆器<br /> * 賎機焼<br /> * 駿河[[凧]]<br /> * 祝い鯛<br /> * 首振り虎<br /> * 井川メンパ<br /> * [[マグロ]]およびマグロ缶詰([[シーチキン]]他)<br /> * 追分[[羊羹]]<br /> * [[サクラエビ]]<br /> * [[ウンシュウミカン|温州みかん]]<br /> * [[石垣イチゴ]]<br /> * しずまえ鮮魚 - 豊かな漁場であるにもかかわらず、全国的な知名度は今ひとつ&lt;ref&gt;&#039;&#039;&#039;しずまえ&#039;&#039;&#039;とは、清水区蒲原から駿河区石部の沿岸地域のこと。世界的なブランド「江戸前」にあやかって名付けられた[http://zratto.com/lineupdata/223/ ZRATTOしずおかHP、しずまえ鮮魚、閲覧2017年1月26日]。&lt;/ref&gt;な、この地域の魚を盛り上げようと、たちあげられたブランド。<br /> <br /> ==祭事・催事==<br /> {{col-begin}}<br /> {{col-2}}<br /> * 静岡市民継走大会(1月)<br /> * 静岡サイクルジャム(2月)<br /> * 静岡おでんフェスタ(2月)<br /> * [[静岡マラソン]](3月第1日曜日)<br /> * 清水スーパーシニアサッカー大会(3月)<br /> * [[静岡まつり]](3月末〜4月上旬)<br /> * 静岡浅間神社廿日会祭(4月1日〜5日)<br /> * 日本平桜マラソン(4月上旬)<br /> * 清水[[アートクラフト]]フェアー(4月中旬)<br /> * 静岡サンバカーニバル(5月上旬)<br /> * [[静岡ホビーショー]](5月中旬)<br /> * 静岡市民文化祭(5月〜6月)<br /> * 水神社(清水区)大祭(6月中旬)<br /> * 静岡市民大音楽祭(6月中旬)<br /> * 静岡[[家具|KAGU]]メッセ(6月)<br /> * 清水[[七夕祭り]](7月上旬)<br /> * [[清水寺 (静岡市)|清水寺]]観音大祭(7月9日)<br /> * 清水巴川灯ろう祭り(7月中旬)<br /> * [[日本平ホテル|日本平まつり・大花火大会]](7月)<br /> * 安倍川花火大会(7月最終土曜日)<br /> * [[清水みなと祭り]](8月上旬)<br /> * 清水カップ・全国少年少女草サッカー大会(8月)<br /> <br /> {{col-2}}<br /> * [[全国高等学校定時制通信制サッカー大会]](8月)<br /> * ざぁ静岡 はぐしゃれ夢まつり(9月)<br /> * [[草薙神社]]龍勢打ち上げ(9月)<br /> * [[山田長政|長政]]まつり(10月)<br /> * 徳川まつり(10月)<br /> * 静岡市芸術祭(10月)<br /> * 静岡みこしまつり(10月)<br /> * 葵区民総合体育大会(10月)<br /> * 駿河区民総合体育大会(10月)<br /> * 清水区民体育大会(10月)<br /> * 西宮神社(葵区)[[えびす講]](10月)<br /> * 羽衣まつり(10月)<br /> * 駿府お茶壺道中行列(10月)<br /> * [[大道芸ワールドカップin静岡]](10月末〜11月最初の週末)<br /> * [[ストリートフェスティバル・イン・シズオカ]](11月)<br /> * 全国レディースサッカー大会(11月)<br /> * 富士山[[コスプレ]]世界大会(11月)<br /> * 西宮神社(清水区)えびす講(11月)<br /> * 産業フェアしずおか(11月)<br /> * [[しずおか市町対抗駅伝]](12月)<br /> * 秋葉神社(清水区)大祭(12月)<br /> {{col-end}}<br /> <br /> == 文化 ==<br /> === 音楽 ===<br /> * [[静岡交響楽団]]<br /> * コンセール・リベルテ<br /> * 静岡フィルハーモニー管弦楽団<br /> * 清水フィルハーモニー管弦楽団<br /> * [[シンフォニエッタ静岡]]<br /> * デリリウムトレーメンス弦楽四重奏団<br /> * 静岡混声合唱団TERRA<br /> <br /> === 食文化 ===<br /> [[File:Shimizu Motsu Curry 20090902.jpg|thumb|200px|はごろもフーズの「清水もつカレー缶」]]<br /> [[File:Tokaido53 Mariko.jpg|thumb|200px|[[歌川広重]]『[[東海道五十三次 (浮世絵)|東海道五十三次・丸子]]』に描かれた[[鞠子宿]]のとろろ汁屋]]<br /> {{独自研究|section=1|date=2010年1月}}<br /> ; おでん<br /> : [[おでん]]は静岡市で多く食べられており、葵区の青葉横丁・青葉おでん街に店舗が立地する。長年、注ぎ足しして使っているうちに黒くなった[[出汁|だし]]、具が串に刺してある、[[黒はんぺん]](はんべとも呼ぶ)が入っている、味噌を付けて[[アオノリ|青海苔]]や出汁粉(だしこ)をかけるといった特徴があり、酒の肴だけではなく、おかず、おやつとしても食されている。<br /> : おでんは居酒屋や料理屋だけでなく、[[駄菓子屋]]や甘味処、大浜プールに隣接した売店などでも、一年を通して提供されている。そういった駄菓子屋や甘味処は、昭和の頃と比べて一時期激減した。[[麒麟麦酒|キリンビール]]のコマーシャルに取り上げられ、それにタイアップして[[紀文]]から黒はんぺんが発売(大手メーカーで静岡の黒はんぺんが全国発売されるのは初の試み)されるなど、販売促進が行われている。「静岡おでんフェスティバル」を開催し、ご当地B級グルメとしてPRされている。近年では[[首都圏 (日本)|首都圏]]や[[バンコク]]でも静岡おでんが味わえる店が進出している。<br /> ; フライ<br /> : [[フライ (料理)|フライ]]はおでんと並んで伝統的な居酒屋料理の代表格である。代表的な具材としては黒はんぺんや[[ジャガイモ|じゃがいも]]、[[シシトウガラシ|ししとう]]などの野菜などが用いられる。前述の青葉横町・青葉おでん街などでは、串に刺した具材を目の前で揚げた[[フライ (料理)|フライ]]を供してくれる。[[串カツ]]のように熱々のフライを[[ソース (調味料)|ソース]]に浸して食べるスタイルである(ただし古くからの店では[[愛知県|愛知]]風に、ソースの入った醤油差しをカウンターに置く店もある)。<br /> ; 餃子<br /> : 静岡市は統計上[[餃子]]の消費量が多い。過去に餃子の一人当たり消費量が、[[宇都宮市]]を抜き日本一になった年もあった(平成7年家計調査年報)。しかし、市民にはさほど認知されていない。静岡市においても餃子を[[地域おこし|町興し]]に利用しようという動きもあるが、宇都宮市程に活発ではない。<br /> ; 蕎麦<br /> {{See|蕎麦#静岡県}}<br /> ; 魚介類<br /> : [[清水港]]・[[用宗漁港]]・蒲原漁港・由比漁港、また[[焼津漁港]]・大井川漁港にも近いため、海産物に恵まれている。水深の深い駿河湾では[[サクラエビ|桜海老]]や[[シラス (魚)|シラス]]、[[タカアシガニ]]、その他白身の地魚が豊富に獲れる。静岡駅周辺や駿河区の海岸部、清水区に魚を出す料理屋や居酒屋が多い。<br /> ; 雑煮<br /> : 本地域の家庭で一般的に食べられている[[雑煮]]は角餅・醤油仕立て・煮餅であり、関東風の角餅・醤油仕立て・焼餅、関西風の丸餅・味噌仕立て・煮餅のいずれとも異なる。<br /> ; とろろ汁<br /> : 静岡の[[ヤマノイモ|とろろ汁]]は「自然薯(じねんじょ)」を摩り下ろして「だし味噌汁」で溶いて麦飯にかけるというもの([[麦とろご飯|とろろご飯]])。安倍川を挟んで静岡市街の対岸にある山間の町・駿河区丸子(まりこ=旧[[鞠子宿|丸子宿]])は、昔ながらの「とろろ汁」を出すことで知られる。<br /> ; もつカレー<br /> {{See|もつカレー}}<br /> ; 静岡割り(お茶割り)<br /> : [[静岡割り]]は焼酎等を緑茶で割った飲み物。「お茶割り」と呼ばれることが多かったが、2006年6月8日に静岡割り普及推進委員会が設立され、静岡おでん、黒はんぺんとセットで「静岡[[B級グルメ]]3点セット」と銘打ち、「静岡割り」として普及活動に乗り出した。<br /> <br /> === スポーツ ===<br /> ; サッカー<br /> [[File:Nihondaira Kop for S-Pulse versus Kashima Antlers April 2007.JPG|thumb|200px|清水エスパルスのホームゲームの様子]]<br /> 清水地域はJリーグ[[清水エスパルス]]のホームタウンであり、小学生サッカークラブ発祥の地でもある。1970年代から約20年の間に旧清水市内の高校は、選手権優勝5回・準優勝4回、高校総体優勝8回・準優勝2回の成績を残している。エスパルスのエス (S)は静岡 (Shizuoka)及び清水 (Shimizu)の頭文字である。<br /> *[[清水エスパルス]]([[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]])<br /> *[[清水第八プレアデス]]([[東海女子サッカーリーグ]])<br /> <br /> ; 野球<br /> [[File:20090103 sawamura ruth.jpg|thumb|200px|静岡草薙球場にある沢村栄治像とベーブ・ルース像]]<br /> [[プロ野球]]の球団は存在しないが、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]は旧大洋時代に[[静岡県草薙総合運動場野球場|静岡草薙球場]]で春季キャンプを行っていた。また、同球団で選手・監督を務めた[[山下大輔]]は清水東高等学校出身である。<br /> <br /> [[静岡草薙球場]]は県内の中心的球場で、[[全国高等学校野球選手権静岡大会]]の会場である。2006年までは毎年11月に[[パシフィック・リーグ|パリーグ]][[パ・リーグオールスター東西対抗|東西対抗]]が同球場で行われていたほか、かつては横浜・DeNA主催の公式戦・交流戦が年2試合程度行われていた。[[読売ジャイアンツ]]や[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[オープン戦]]や[[イースタン・リーグ]]戦も開催されている。[[日米野球]]が行われたことがあり、[[沢村栄治]]が[[ベーブ・ルース]]らアメリカチーム相手に9三振を獲ったというエピソードがあり、球場ゲート前にその対戦を再現した銅像が建っている。<br /> <br /> [[2012年]]、プロ野球球団創設に向けての新部署設置と予算計上することが報道された&lt;ref&gt;{{Cite Web|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120201/szk12020102300002-n1.htm |title=プロ球団創設へ 静岡市が始動 「子供に夢を」数千万円の予算計上 |newspaper=産経新聞 |date=2012-02-01 |accessdate=2012-02-05|archiveurl=http://web.archive.org/web/20120201163551/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120201/szk12020102300002-n1.htm#MainContent |archivedate=20120201 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[高校野球]]では、[[静岡県立静岡高等学校|静岡高校]]の[[全国高等学校野球選手権大会|選手権]]優勝や[[静岡県立静岡商業高等学校|静岡商業高校]]の[[選抜高等学校野球大会|センバツ]]優勝などがある。<br /> <br /> [[社会人野球]]では、[[クラブチーム (社会人野球)|クラブチーム]]の[[静岡硬式野球倶楽部]]が活動している。1991年に[[全日本クラブ野球選手権大会]]を制覇した。<br /> <br /> ; バスケットボール<br /> [[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]に[[シャンソンVマジック]]が存在する。1980年代から90年代にかけて、日本リーグ、Wリーグで優勝を果たすなど黄金時代を築いた。<br /> <br /> プロバスケットボールの[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]を目指す男子のクラブチームを静岡市に創設する計画が2018年より進められている&lt;ref&gt;{{Cite Web|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/201803030000314.html |title=静岡市にBリーグ目指すクラブ、今年4月から始動 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-03-03 |accessdate=2018-03-05}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; その他のスポーツ<br /> * 水鳥体操館(アテネ五輪金メダリスト選手の[[水鳥寿思]]など[[体操]]選手を輩出)<br /> * 三津山ボクシングジム([[ボクシング]]・[[プロボクサー]]を輩出)<br /> * 清水ペガサス体操クラブ<br /> * [[静岡プロレス]]<br /> * 靜甲([[ソフトボール]]女子1部リーグ)<br /> * [[バルーンバレーボール]] (静岡市が発祥)<br /> <br /> ==マスメディア==<br /> * 静岡県内を[[県域放送|放送エリア]]とする[[民間放送]](地上系一般放送)の本社があるほか、[[ケーブルテレビ|ケーブルテレビ局]]、[[コミュニティ放送|コミュニティFM局]]がある。<br /> <br /> === テレビ放送 ===<br /> : ※ チャンネルは[[リモコンキーID]]と市内各テレビ中継局の物理チャンネルを表記する。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center;&quot;<br /> |+放送局名と物理チャンネル<br /> |-<br /> ! 放送局名 !! リモコン&lt;br&gt;キーID !! [[日本平デジタルタワー|日本平D]] !! [[静岡籠上テレビ中継局|静岡籠上]] !! [[玉川テレビ中継局|玉川]] !! [[清沢テレビ中継局|清沢]] !!静岡大原<br /> (大原)<br /> ![[井川テレビ中継局|井川]]!! [[静岡丸子テレビ中継局|静岡丸子]] !! [[清水興津テレビ中継局|清水興津]]<br /> |-<br /> | [[NHK静岡放送局|NHK静岡]]&lt;br&gt;[[NHK総合テレビジョン|総合]] || 1 || 20ch || 30ch || 16ch || 52ch || 16ch || 16ch || 30ch || 36ch<br /> |-<br /> |NHK静岡&lt;br&gt;[[NHK教育テレビジョン|教育]] || 2 || 13ch || 34ch || 14ch || 45ch || 14ch || 14ch || 34ch || 37ch<br /> |-<br /> | SDT&lt;br&gt;[[静岡第一テレビ]]|| 4 || 19ch || -- || 25ch || 25ch || 27ch || 25ch || -- || --<br /> |-<br /> | SATV&lt;br&gt;[[静岡朝日テレビ]]|| 5 || 18ch || -- || 23ch || 23ch || 29ch || 23ch || -- || --<br /> |-<br /> | SBS&lt;br&gt;[[静岡放送]]|| 6 || 15ch || -- || 21ch || 21ch || 24ch || 21ch || -- || --<br /> |-<br /> | SUT&lt;br&gt;[[テレビ静岡]]|| 8 || 17ch || -- || 22ch || 22ch || 26ch || 22ch || -- || --<br /> |}<br /> <br /> === ラジオ放送 ===<br /> ;AM放送<br /> * NHK静岡放送局 [[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]] 882kHz、[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]] 639kHz<br /> * 静岡放送(SBSラジオ) 1404kHz<br /> ;FM放送(県域局)<br /> * NHK静岡放送局 [[NHK-FM放送|FM放送]] 88.8MHz<br /> * [[静岡エフエム放送]](K-mix) 静岡 79.2MHz - [[全国FM放送協議会|JFN]]系。送信所親局とサテライトスタジオのみ。本社:浜松市<br /> * 静岡放送(SBSラジオ)[[静岡ラジオ送信所#静岡放送FM補完中継局(SBS高草FM)|FM補完中継局]] 93.9MHz - 所在地は焼津市・藤枝市の[[高草山]]。<br /> ;FM放送([[コミュニティ放送|コミュニティFM]]局)<br /> * [[シティエフエム静岡]](FM-Hi!) 76.9MHz - 葵区。<br /> * [[エフエムしみず]](マリンパル) 76.3MHz - 清水区。<br /> <br /> ===トンネル内の再送信設備===<br /> * [[東名高速道路]] - NHK静岡第1放送、NHK東京第1放送、NHK第2放送、SBSラジオ、[[TBSラジオ&amp;コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、[[文化放送]]、[[ニッポン放送]]、NHK静岡FM放送、K-mix<br /> * [[国道1号]]、[[国道150号]] - NHK静岡第1放送、NHK東京第1放送、NHK第2放送、SBSラジオ、ニッポン放送、NHK静岡FM放送、K-mix、FM-Hi!、マリンパル([[賤機山トンネル]]のみ)<br /> * [[国道362号]]、その他県道は基本的にはコミュニティFMを除く静岡局、トンネルによってはニッポン放送、FM-Hi!の再送信がある。[[国道52号]]には再送信設備のあるトンネルはない。<br /> <br /> === ケーブルテレビ放送 ===<br /> * [[トコちゃんねる静岡]](清水区蒲原地区・由比地区を除いた全域※郊外の一部・山間部全域はエリア外)<br /> * @TCOM([[TOKAIコミュニケーションズ]] 清水区蒲原地区・由比地区のみ)<br /> <br /> === 新聞 ===<br /> * [[静岡新聞]](部数約70万。県紙では全国的にも規模が大きい)<br /> * 建通新聞(建設専門紙)<br /> <br /> === コミュニティー誌・情報誌 ===<br /> * 静岡ぐるぐるマップ<br /> * 季刊清水<br /> * 静岡市Walker<br /> * すろーかる<br /> <br /> ===本社を置くマスメディア===<br /> * [[静岡新聞|静岡新聞社]](日刊紙。駿河区)<br /> * [[静岡放送]]([[ラテ兼営]]。テレビは[[Japan News Network|JNN]]系列、ラジオは[[Japan Radio Network|JRN]]/[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系列。駿河区)<br /> * [[テレビ静岡]]([[フジニュースネットワーク|FNN]]系列。駿河区)<br /> * [[静岡朝日テレビ]]([[All-nippon News Network|ANN]]系列。葵区)<br /> * [[静岡第一テレビ]]([[Nippon News Network|NNN]]系列。駿河区)<br /> * [[建通新聞|建通新聞社]](建設専門紙。駿河区)<br /> <br /> ===拠点を置くマスメディア===<br /> * [[朝日新聞社]]静岡総局(葵区)<br /> * [[毎日新聞社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[読売新聞東京本社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[日本経済新聞社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[産業経済新聞社]]([[産経新聞]])静岡支局(葵区)<br /> * [[中日新聞社]]([[中日新聞]]・[[東京新聞]])静岡総局(葵区)<br /> * [[日刊スポーツ新聞社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[報知新聞社]]([[スポーツ報知]])静岡支局(葵区)<br /> * [[共同通信社]]静岡支局(駿河区)<br /> * [[時事通信社]]静岡支局(葵区)<br /> * [[静岡エフエム放送]]静岡支社(葵区)<br /> <br /> == 出身有名人 ==<br /> {{See|静岡市出身の人物一覧}}<br /> <br /> === 静岡市観光親善大使 ===<br /> * [[森理世]](2011年12月1日就任)&lt;ref&gt;{{Cite Web|url=http://www.city.shizuoka.jp/600_000010.html|title=静岡市観光親善大使 森理世さん、春風亭昇太さんからのメッセージ|work=静岡市ホームページ|date=2015-04-23|accessdate=2015-09-08}}&lt;/ref&gt;<br /> * [[春風亭昇太]](2012年3月12日就任)<br /> * [[明日海りお]](2015年9月7日就任)&lt;ref&gt;{{Cite Web|title=花組トップスター 明日海りお 静岡市観光親善大使就任委嘱式|work=宝塚歌劇公式ホームページ|date=2015-09-07|url=http://kageki.hankyu.co.jp/news/20150907_001.html|accessdate=2015-09-08}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 作品 ==<br /> === 漫画 ===<br /> * [[ちびまる子ちゃん]] ([[さくらももこ]] 1986年 - 1996年&lt;ref&gt;りぼん版&lt;/ref&gt;, 2007年 - 2011年&lt;ref&gt;新聞連載版&lt;/ref&gt;)- 作者の出身地旧[[清水市]]が舞台<br /> * [[無明逆流れ]]([[とみ新蔵]] 1967年)<br /> * [[シグルイ]]([[山口貴由]] 2003年 - 2010年)<br /> * [[腕 -駿河城御前試合-]]([[南條範夫]]原作・[[森秀樹 (漫画家)|森秀樹]]作画 2011年 - 2012年)<br /> * [[ローカル女子の遠吠え]]([[瀬戸口みづき]]、2014年 - 連載中)<br /> <br /> === テレビドラマ ===<br /> * [[徳川家康 (山岡荘八)#TVドラマ|徳川家康]](1964年 NET(現[[テレビ朝日]]))<br /> * [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]](1983年、[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]])<br /> * [[Dの複合#テレビドラマ|松本清張スペシャル Dの複合]](1993年、フジテレビ[[金曜エンタテイメント]])<br /> * [[徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜]](1998年、NHK大河ドラマ)<br /> * [[葵 徳川三代]](2000年、NHK大河ドラマ)<br /> * [[次郎長背負い富士|次郎長 背負い富士]](2006年、NHK[[木曜時代劇 (NHK)|木曜時代劇]])<br /> * [[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]](2007年、NHK木曜時代劇)<br /> <br /> === 小説 ===<br /> * [[次郎長三国志]]([[村上元三]] 1952年 - 1954年)、[[背負い富士]]([[山本一力]] 2006年)、[[巴川 (小説)|巴川]]([[村松友視]] 1994年)ほか清水港関係小説多数。<br /> * [[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]]([[山岡荘八]] 1950年 - 1967年)<br /> * [[駿河城御前試合]]([[南條範夫]] 1956年 - 1962年) - 「無明逆流れ」「シグルイ」「腕 -駿河城御前試合-」の原作。<br /> * [[Dの複合]]([[松本清張]] 1965年 - 1968年) - 市内の[[三保の松原]]が舞台となっている。<br /> * [[寺町三丁目十一番地]]([[渡辺茂男]] 1969年)<br /> * [[柳生十兵衛七番勝負]]([[津本陽]] 2004年)<br /> * [[イニシエーション・ラブ]]([[乾くるみ]] 2004年)、- 1986年頃の静岡市を舞台としている。2015年の映画化の際はロケ地にもなった。<br /> <br /> === テレビアニメ ===<br /> * [[ちびまる子ちゃん#テレビアニメ|ちびまる子ちゃん]](1990年 - 、フジテレビ) - [[清水市]](現・[[清水区]])。<br /> * [[いぬかみっ!#テレビアニメ|いぬかみっ!]](2006年、[[テレビ東京]])<br /> * [[シグルイ#テレビアニメ|シグルイ]](2007年、[[WOWOW]])<br /> * [[模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG]](2011年、[[日本BS放送|BS11]])<br /> * [[ガンダムビルドファイターズ]](2013年、テレビ東京)<br /> * [[魔法少女大戦]](2014年、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]) - 静岡浅間大社、グランシップ<br /> * [[〈ハルチカ〉シリーズ#テレビアニメ|ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜]](2016年、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]) - 清水区内<br /> <br /> === ドラマ撮影地 ===<br /> * [[西部警察 PART-II]](1982年、テレビ朝日) - [[日本全国縦断ロケ#西部警察PART-II時代の全国縦断ロケ|日本全国縦断ロケ]]の[[日本全国縦断ロケ#第1弾:静岡|第一弾]]として静岡でロケーションが行われた。<br /> * [[女かじき特急便]] (1982年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])<br /> * [[転校少女Y]] (1984年、[[TBSテレビ|TBS]])<br /> * [[もっとあぶない刑事]] (1988年、日本テレビ)<br /> * [[エリアコードドラマ#エリアコードドラマ054|Alice 6]](1995年、[[テレビ静岡|SUT]] / [[新潟テレビ21|UX]]) - 静岡市・[[伊豆市]]<br /> * [[僕だけのマドンナ]](2003年、フジテレビ) - [[用宗漁港]]。<br /> * [[WATER BOYS2]] (2004年、フジテレビ) - グランシップ。<br /> * [[検察官キソガワ#テレビドラマ|検察官キソガワ]](2005年、[[BSジャパン]]) - [[青葉おでん街]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;<br /> * 次郎長背負い富士(2006年、NHK木曜時代劇)- 10話(最終話);三保の松原&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;<br /> * [[白夜行]] (2006年、TBS)<br /> * [[輪舞曲 (テレビドラマ)|輪舞曲(ロンド)]](2007年、TBS) - [[カナサシ重工]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]](2007年、NHK大河ドラマ) - [[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]]、[[駿府城|今川氏館跡]]、[[久能山東照宮]]、[[清見寺]]。<br /> * [[華麗なる一族 (2007年のテレビドラマ)|華麗なる一族]](2007年、TBS)- [[日本平ホテル]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[血痕 警科研・湯川愛子の鑑定ファイル]]第2作(2007年) - [[駿府城公園]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * 柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い(2007年、NHK木曜時代劇) - 久能山東照宮。<br /> * [[コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-]](2008年、フジテレビ)<br /> * [[魔王 (2008年のテレビドラマ)|魔王]](2008年、TBS)<br /> * [[篤姫 (NHK大河ドラマ)|篤姫]](2008年、NHK大河ドラマ) - [[宝台院]]、[[浮月楼]]。<br /> * [[不毛地帯#フジテレビ版(2009年)|不毛地帯]](2009年、フジテレビ) - [[静岡県コンベンションアーツセンター|グランシップ]]。<br /> * [[万引きGメン・二階堂雪]]第18作(2009年) - [[徳洲会病院|静岡徳洲会病院]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[GOLD (テレビドラマ)|GOLD]](2010年、フジテレビ) - [[静岡市役所]]、[[静岡県立水泳場]]。<br /> * [[熱海の捜査官]](2010年、テレビ朝日)<br /> * {{仮リンク|杜拉拉昇職記(Go Lala Go!)|zh|杜拉拉升职记 (电视剧)}}(2010年、中国ドラマ)- 青葉おでん街&lt;ref&gt;{{cite news|title=日本のロケ地が中国人ツアー客に人気|url=http://j.people.com.cn/94476/7171057.html|newspaper=[[人民日報|人民日報日本語版]]|date=2010-10-20|accessdate=2014-05-30}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web|title=地域ブランドの構築による観光需要の創造に関する一考察 ―中国人観光客を対象として―|author=王 家灼|publisher=早稲田大学|pages=122,129|url=http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/35052/1/ShokenShuron_2011_9_O.pdf|date=2011|accessdate=2014-05-31|format=PDF}}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-#2nd season(2010年)|コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-]](2010年) - 供用開始前の[[新東名高速道路]]。<br /> * [[江〜姫たちの戦国〜]](2011年、NHK大河ドラマ) - [[駿府城公園]]、久能山東照宮。<br /> * [[熱海の捜査官]](2010年、テレビ朝日[[金曜ナイトドラマ]]) - 清水区蒲原小金の路上。<br /> * [[JIN-仁-]] 第2期第2話 (2011年、TBS) - [[静岡浅間神社]]<br /> * [[それでも、生きてゆく]](2011年、フジテレビ)<br /> * [[運命の人 (小説)#テレビドラマ|運命の人]](2012年、TBS) - [[静岡県庁|静岡県庁本館]]。<br /> * [[TAKE FIVE〜俺たちは愛を盗めるか〜]](2013年、TBS[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]) - 興津第二埠頭<br /> * [[潜入探偵トカゲ]](2013年、TBS[[木曜ドラマ9]]) - [[ホテルセンチュリー静岡]]。<br /> * [[とんび (小説)#TBS版(2013年)|とんび]](2013年、TBS[[日曜劇場]]) - 久能山東照宮。<br /> * [[ちびまる子ちゃん#2013年スペシャルドラマ版|ちびまる子ちゃんスペシャル(実写版)]](2013年、フジテレビ[[カスペ!]]) - [[静岡市立清水入江小学校|清水入江小学校]]、[[巴川 (静岡県)|巴川]]、三保の松原。<br /> * [[警視庁捜査一課9係]](2013年、テレビ朝日) - [[東海大学]][[海洋学部]]。<br /> <br /> === 映画撮影地 ===<br /> {{external media| video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=3snLiEL3Pzw 『幕が上がる』映画予告編] - YouTube&lt;br /&gt;[[踊る大捜査線]]シリーズでも知られる[[本広克行]]が監督を務めた青春映画。静岡市の旧[[静岡県立庵原高等学校|庵原高校]]などで撮影された。}}<br /> * [[サラリーマン清水港]](1962年)<br /> * [[続サラリーマン清水港]](1962年)<br /> * [[乱れる]](1964年)<br /> * [[クレージーの無責任清水港]](1966年)<br /> * [[クレージーの殴り込み清水港]](1970年)<br /> * ユー・ガッタ・チャンス(1985年)<br /> * [[みんなあげちゃう]](1985年)<br /> * [[ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲]](1987年) - [[静岡鉄道静岡清水線|静岡鉄道]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[シュート!]](1994年)<br /> * Lie Lie Lie (1997年)<br /> * [[ピンチランナー (映画)|ピンチランナー]](2000年)- [[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属翔洋高等学校]]。<br /> * [[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]](2001年)<br /> * [[ぷりてぃ・ウーマン]](2003年) - 静岡鉄道&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[69 sixty nine]](2004年)- [[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|旧東海大学第一高等学校]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[デコトラの鷲#シリーズ|デコトラの鷲 恋の花咲く清水港]](2005年) - [[国道150号|いちご海岸通り]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[実録・東海道抗争|実録・東海道抗争 白と黒]](2006年) - [[三保生涯学習交流館]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[吉祥天女]](2007年) - [[エミリー・マーガレッタ・マッケンジー#旧マッケンジー住宅|旧マッケンジー邸]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.s-fs.jp/location/|title=静岡市のロケ実績一覧|work=<br /> [[静岡市フィルムサポーターズ]]ホームページ|accessdate=2014-06-05}}&lt;/ref&gt;。<br /> * [[やじきた道中 てれすこ]](2007年)&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;<br /> * [[エクステ (映画)|エクステ]](2007年)- [[清水港#埠頭|興津第二埠頭]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;<br /> * [[少林少女]](2008年) - [[静岡県立大学]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[次郎長三国志#角川版(2008年)|次郎長三国志]](2008年)&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;<br /> * [[ぐるりのこと。]](2008年) - [[静岡市民文化会館]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[DIVE!!]](2008年) - [[静岡県立水泳場]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[フィッシュストーリー#映画|フィッシュストーリー]](2009年)- [[エスパルスドリームフェリー#フェリー事業|駿河湾フェリー]]&lt;ref name=&quot;ScFS&quot; /&gt;。<br /> * [[BOX 袴田事件 命とは]](2010年)<br /> * [[ぼく東綺譚#映像化|癒しの遊女 濡れ舌の蜜]] (2010年) - 七間町。<br /> * [[土竜の唄#実写映画|土竜の唄 潜入捜査官REIJI]](2014年)<br /> * [[百合子、ダスヴィダーニヤ]](2011年)- 旧マッケンジー邸。監督の[[浜野佐知]]は静岡城北高校卒である。<br /> * [[近キョリ恋愛]](2014年)- 青葉シンボルロード。<br /> * [[神さまの言うとおり]](2014年)- 旧庵原高校。<br /> * [[幕が上がる]](2015年)<br /> * [[イニシエーション・ラブ]](2015年)- 常磐公園など(原作小説が静岡市を舞台にしている)<br /> <br /> === 鉄道唱歌 ===<br /> 1900年に作られた[[鉄道唱歌]]・第1集東海道編に静岡市が登場する歌詞は、下記のとおりである。<br /> : 19. &#039;&#039;世にも名高き興津鯛 鐘の音響く清見寺 清水につづく江尻より 行けば程なき久能山&#039;&#039; (1911年一部修正)<br /> : 20. &#039;&#039;三保の松原田子の浦 逆さにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とや思ふらむ&#039;&#039;<br /> : 21. &#039;&#039;駿州一の大都会 静岡いでて安部川を わたればここぞ宇津ノ谷の 山きりぬきし洞の道&#039;&#039;<br /> <br /> == その他 ==<br /> === 市章・市歌・名誉市民 ===<br /> ; [[市町村章|市章]] :富士山と波を描いたもの。<br /> * 公募作品<br /> * 2003年5月29日制定<br /> ; 市歌 :『[[わたしの街 静岡]]』<br /> * 2005年4月13日制定<br /> * 作詞:市民応募作品<br /> * 補作詞・作曲:[[小椋佳]]<br /> * 編曲:[[川辺真]]<br /> * CD化の際に[[伊東恵里]]が歌唱した。<br /> ; [[名誉市民]]<br /> * [[エミリー・マーガレッタ・マッケンジー]](旧静岡市で福祉事業に貢献)<br /> * [[芹沢けい介|芹沢銈介]](人間国宝、旧静岡市名誉市民)<br /> * [[松前重義]](旧清水市に[[東海大学]]を建学、教育・文化に貢献)<br /> * [[鈴木与平]](旧清水市の経済・発展に貢献)<br /> * [[後藤磯吉]](1919-2011、[[はごろもフーズ]]前会長、[[清水港]]の発展に貢献)<br /> * [[大野乙次郎]](旧蒲原町の財政基盤作りに貢献)<br /> * [[佐藤一郎 (静岡県議会議員)|佐藤一郎]](旧蒲原町の教育・建設・防災行政に貢献)<br /> * [[山本良作]](旧蒲原町の産業発展に貢献)<br /> * [[山本幾太郎]](旧蒲原町の産業・教育・福祉に貢献)<br /> <br /> === 市外局番 ===<br /> 固定電話の[[市外局番]]は、054(200-299、320-399、600-699、900-909)である([[焼津市]]、[[藤枝市]]とともに静岡[[単位料金区域|MA]])。NTT西日本の一般加入電話の場合、番号帯はいずれも主に、葵区と駿河区は200番台・650番台(一部)、清水区&lt;ref&gt;[[富士市]]のごく一部の地域も含む&lt;/ref&gt;は300番台、焼津市・藤枝市は600番台を使用している。<br /> <br /> [[1990年]][[9月9日]]、静岡MA(旧静岡市 0542)に藤枝MA(当時の志太2市2町&lt;ref&gt;その後平成の大合併期に旧岡部町は藤枝市に、旧大井川町は焼津市に編入された。&lt;/ref&gt; 0546)が編入され、3市2町で市内通話となった。同時に市外局番が054に統一される。<br /> <br /> 2003年の静清合併当時は、旧静岡市域、志太2市2町が054、旧清水市域が0543(20-99)と、同一市内でも2つの市外局番があり[[単位料金区域]] (MA) も054は静岡MA、0543は清水MAと市外局番ごとに異なっていた。このため、旧静岡市域と旧清水市域の相互間は市外通話となっていた。このため、[[2007年]][[2月1日]]に静岡MAに編入され、市内通話となった。市外局番も054に統合された。<br /> <br /> === 学校給食 ===<br /> 合併前の名残から、1市3制度となっており、葵区(梅ヶ島小中学校を除く全小中学校)、駿河区(全小中学校)、清水区(一部の小中学校)では市営の学校給食センター(東部、西部、南部、北部、藁科、井川、庵原、両河内)で一括製造し、葵区の[[静岡市立梅ヶ島中学校|梅ヶ島小中学校]]と清水区の小学校の半数以上では自校調理を採用している。清水区の中学校の半数以上では民間委託を行っている。(個別に弁当持参も可能。)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Multimedia|静岡市の画像}}<br /> {{Sisterlinks<br /> |commons=Shizuoka, Shizuoka<br /> |commonscat=Shizuoka, Shizuoka<br /> |voy=Shizuoka}}<br /> {{段組|<br /> * [[静岡]]<br /> * [[静岡都市圏]]<br /> * [[清水市]]<br /> * [[由比町]]<br /> * [[蒲原町]]}}<br /> {{段組|<br /> * [[井川村]]<br /> * [[オクシズ]]<br /> * [[駿府]]<br /> * [[駿河国]]<br /> * [[安倍郡]]}}<br /> {{段組|<br /> * [[徳川氏]]<br /> * [[江戸]]<br /> * [[名古屋]]<br /> * [[和歌山]]<br /> * [[水戸]]<br /> * [[甲府]]<br /> * [[銀座]]}}<br /> {{clear|left}}<br /> *[[:Category:静岡市]]<br /> *{{prefix}}<br /> *{{intitle}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{osmrelation-inline|4674742}}<br /> * {{Official website}}<br /> * {{Facebook}}<br /> * {{twitter}}<br /> * {{YouTube channel|shizuokacitykoho}}<br /> * {{Google+|101907815884915630849}}<br /> {{Geographic Location<br /> |Centre = 静岡市<br /> |North = [[長野県]][[伊那市]] [[山梨県]][[南アルプス市]]<br /> |Northeast = 山梨県[[南巨摩郡]][[早川町]]&lt;br/&gt;[[身延町]]&lt;br/&gt;[[南部町 (山梨県)|南部町]]<br /> |East = [[富士宮市]]&lt;br/&gt;[[富士市]]<br /> |Southeast =<br /> |South =<br /> |Southwest = [[藤枝市]]&lt;br/&gt;[[焼津市]]<br /> |West = [[榛原郡]][[川根本町]]&lt;br/&gt;[[島田市]]<br /> |Northwest = 長野県[[下伊那郡]][[大鹿村]]&lt;br/&gt;[[飯田市]]<br /> |image = }}<br /> <br /> {{静岡県の自治体}}<br /> {{日本の政令指定都市}}<br /> {{日本の都道府県庁所在地}}<br /> {{ふじのくに地域・大学コンソーシアム}}<br /> {{Authority control}}<br /> {{DEFAULTSORT:しすおかし}}<br /> [[Category:静岡県の市町村]]<br /> [[Category:静岡市|*しすおかし]]<br /> [[Category:城下町]]<br /> [[Category:都道府県庁所在地]]<br /> [[Category:政令指定都市]]</div> 203.180.199.75 トーア紡コーポレーション 2018-06-25T18:30:03Z <p>203.180.199.75: /* 沿革 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> |社名 = 株式会社トーア紡コーポレーション<br /> |英文社名 = Toabo Corporation CO., LTD.<br /> |ロゴ = <br /> |画像 =<br /> |画像説明 =<br /> |種類 = [[株式会社]]<br /> |市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 3204}}{{上場情報 | 大証1部 | 3204}}<br /> |略称 = トーアボウ、TOABO<br /> |国籍 = {{JPN}}<br /> |本社郵便番号 = 540-6018<br /> |本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見一丁目2番27号クリスタルタワー18階<br /> |設立 = [[2003年]][[6月12日]]<br /> |業種 = 3100<br /> |統一金融機関コード = <br /> |SWIFTコード = <br /> |事業内容 = [[持株会社]]<br /> |代表者 = 代表取締役社長 長井渡<br /> |資本金 = 39億40百万円<br /> |発行済株式総数 = 89,404,488株<br /> |売上高 = 連結185億1百万円&lt;br /&gt;(2013年12月期)<br /> |営業利益 = <br /> |純利益 = <br /> |純資産 = 連結107億34百万円&lt;br /&gt;(2013年12月)<br /> |総資産 = 連結324億90百万円&lt;br /&gt;(2013年12月)<br /> |従業員数 = 連結482名 単体52名&lt;br /&gt;(2013年12月)<br /> |決算期 = 12月31日<br /> |主要株主 = [[日本トラスティ・サービス信託銀行|日本トラスティ・サービス信託銀行(株)]](信託口) 5.94%&lt;br /&gt;[[双日|双日(株)]] 3.03%&lt;br /&gt;[[日本マスタートラスト信託銀行|日本マスタートラスト信託銀行(株)]](信託口) 2.53%&lt;br /&gt;[[三菱UFJ銀行|(株)三菱東京UFJ銀行]] 2.10%&lt;br /&gt;(2013年12月31日現在)<br /> |主要子会社 = 東亜紡織株式会社、トーア紡マテリアル株式会社<br /> |関係する人物 = [[岩井勝次郎]]<br /> |外部リンク = http://www.toabo.co.jp/<br /> |特記事項 = <br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;株式会社トーア紡コーポレーション&#039;&#039;&#039;(トーアぼうコーポレーション {{lang-en|Toabo Corporation}})は、繊維メーカーである。繊維製品製造業・ウール事業・半導体生産事業・[[不動産賃貸業]]などの事業を多角化経営をしている。平成期に国内の主力工場だった大垣工場などを閉鎖して、[[1990年代]]から[[2000年代]]にかけて[[中華人民共和国]]に生産拠点を移して、[[2010年代]]に[[ベトナム]]に生産拠点を移した。東亜紡織株式会社や、トーア紡マテリアル株式会社などの企業を傘下にもつ持株会社である。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1922年]]([[大正]]11年) - 資本金400万円で[[岩井勝次郎]]が設立した[[岩井商店]]系に岩井財閥の(現在の[[総合商社]][[双日]])が支援した企業として東亜紡織株式会社の前身である「中央毛糸紡績株式会社」が設立される。<br /> * [[1923年]](大正12年)- [[岐阜県]][[大垣市]]に大垣工場が建設される。梳毛糸の製造が開始される。<br /> * [[1929年]](昭和4年)に大阪証券取引所で取引を開始した。 <br /> * [[1934年]](昭和9年)- [[三重県]][[三重郡]][[楠町 (三重県)|楠村]]に楠村長の[[岡田武兵衛]]によって誘致されて楠工場が建設される。梳毛糸の製造が開始される。同年4月に四日市市の[[四日市コンビナート]]付近の三重郡[[日永村]]泊地区に四日市工場が建設される。<br /> * [[1940年]](昭和15年)- [[東京市]]に事務所を開設する。<br /> * [[1941年]](昭和16年)- 「中央毛糸紡績株式会社」と「錦華毛糸株式会社」が合併して、「東亜紡織株式会社」を設立する。<br /> * [[1943年]](昭和18年)- 名古屋営業所が設置される。<br /> * [[1944年]](昭和19年) - 「関西紡織株式会社」など9社を合併する。4月に 四日市工場が[[名古屋]][[陸軍造兵廠]]に借り上げられる。 <br /> * [[1946年]](昭和21年 )- 梳毛糸及び毛織物の製造を開始する。<br /> * [[1948年]](昭和23年)12月- 陸軍製絨廠四日市支廠が払い下げられて、泊工場と改称して、操業を開始する。 <br /> * 戦後の[[1949年]](昭和24年)[[5月14日]]に、[[東京証券取引所]]・[[大阪証券取引所]]・[[名古屋証券取引所]]の3つの市場に上場した。<br /> * [[1951年]](昭和26年)12月に 大垣工場の復元が完了して、大垣工場の操業が開始する。 <br /> * [[1962年]](昭和37年)- 泊工場でタフテッドカーペットの製造を開始する。<br /> * [[1963年]](昭和38年)- 泊工場でポリプロビレン綿の製造を開始する。<br /> * [[1967年]](昭和42年)- 泊工場でニードルパンチカーペットの製造を開始する。<br /> * [[1972年]](昭和47年)- 泊工場に織編部門を整備した。<br /> * [[1983年]](昭和58年)- [[三重郡]][[楠町 (三重県)|楠町]]の[[東亜紡織楠工場]]などの他工場から[[大垣]]工場に紡績設備を集約した。<br /> * [[1985年]](昭和60年)- 3月東京営業所を東京支店に昇格させる。泊工場から楠工場にインテリア関係の設備と産業資材関係の設備を移設した。<br /> * ショッピングセンターのパワーシティ四日市(現・[[イオンタウン四日市泊]])として東亜紡織泊工場用地の不動産売却をして、泊工場から楠工場に繊維生産設備を移転して「トーア紡マテリアル株式会社」となった。<br /> * [[1986年]]([[昭和]]61年)- トーア紡第2ビルを淡路町三丁目2番8号に建設する。株式会社「トーア自動車学校」を設立する。<br /> * [[1989年]]([[平成]][[元年]])- 新たに医薬品事業と半導体事業に進出して半導体事業部を発足させる。<br /> * [[1991年]](平成3年)-呼称を東亜紡織からトーア紡に変更する。 <br /> * [[1992年]](平成4年)- 創業70周年を迎える。<br /> * [[1994年]](平成6年)- 株式会社「トーアレディース」と株式会社「トーアアパレル」を設立する。<br /> * [[1995年]](平成7年)- 3月に[[佐賀県]]三田川にゴルフ練習場の「ゴルフガーデン三田川」をオープンさせる。不動産事業部が賃貸契約で売却した紡績工場跡地に「パワーシティ四日市」と「泉大津ロードサイドショップ」を建設する。[[中華人民共和国]]で「無錫東亜毛紡織有限公司」を設立する。 <br /> * [[1997年]](平成9年)- ウールエコサイクルプロジェクトを発足させる。「大阪新薬株式会社」に資本参加する。<br /> * [[1998年]](平成10年)-大垣工場の紡績部門の14400錘の機械を休止して、楠工場・宮崎工場・中華人民共和国の無錫東亜毛紡織の3カ所に集約化した。各工場で生産品種を住み分ける効率化を実施した。トーア紡の宮崎トーアの生産能力を半減して、大垣工場のトップ染め、染色、織布を休止した。 <br /> * [[1999年]](平成11年)- 不動産事業部が賃貸契約で売却した紡績工場跡地に[[山梨県]][[中巨摩郡]]にショッピングセンター「クレッセ甲西」と[[大阪府]][[泉大津市]]にクレッセ「泉大津ショッピングセンター」を建設する。<br /> * [[2000年]](平成12年)-[[9月]]に[[青森県]][[西津軽郡]]に「株式会社レーベン」を設立する。同年12月に三重県三重郡楠町に「トーアテック株式会社」を設立する。 <br /> * [[2001年]](平成13年)- 合繊設備を楠工場に集約する。<br /> * [[2002年]](平成14年) 大阪新薬株式会社を100%子会社化する。 <br /> * [[2003年]](平成15年) - 純粋[[持株会社]]として株式会社トーア紡コーポレーションを設立する。各事業部は事業会社として傘下企業となる。不動産事業として四日市の泊工場の用地を商業施設に転用して、岐阜県大垣市の大垣工場の用地を住宅地として不動産会社に売却して、愛知県の大府工場と近畿地方の泉大津工場・甲西工場など紡績工場の跡地を商業施設や住宅団地として売却した。<br /> * [[2004年]](平成16年)-大垣工場の跡地と東亜紡織に社宅跡地を不動産企業の[[大和ハウス工業]]株式会社に新興住宅団地のルーチェ南一色の南側の住宅開発用地として売却する。<br /> * [[2005年]](平成17年)- 5月に 中華人民共和国で保税区企業間の貿易を行う「颯進貿易有限公司」を中華人民共和国[[上海市]]に設立する。大阪工場がISO14001:1996の認証を取得する。中華人民共和国に「張家港東鹿毛紡織有限公司」を設立する。 <br /> * [[2006年]](平成18年)- 7月に中華人民共和国で工程用特種紡織品の生産、加工などを行う「広州東富井特種紡織品有限公司」を設立する。東亜紡織株式会社主体で「グリーンウールラベル会」を発足させる。中華人民共和国に「常熟青亜紡織有限公司」を設立する。楠工場の不織布部門がISO9001:2000の認証を取得する。 <br /> * [[2007年]](平成19年)- 中華人民共和国に 「常熟東博紡織有限公司」を設立する。 <br /> * [[2008年]](平成20年)- 中華人民共和国の「[[広州]]東富井」を増資する。300万usドルから資本金600万usドルとなる。 <br /> * [[2009年]](平成21年)- 中華人民共和国の 「武漢光谷微電子股有限公司」に資本参加する。中華人民共和国の「江陰万達外貿進出口有限公司」に資本参加する。中華人民共和国の「無錫東亜毛紡織有限公司」を100%子会社化する。 <br /> * [[2010年]](平成22年)- 三重県四日市市楠町の 楠工場を「四日市工場」に改名する。中華人民共和国の「無錫東亜毛紡織有限公司」を「無錫東亜紡織有限公司」に改名する。NC WORKS([[アメリカ合衆国]])に資本参加する。<br /> * [[2013年]](平成25年)- 本社を大阪市中央区瓦町から中央区城見の大阪ビジネスパークにあるクリスタルタワーへ移転する。<br /> <br /> == 主な傘下企業 ==<br /> === 日本国内 ===<br /> * 株式会社トーア自動車学校 - [[自動車教習所]]経営(三重校が[[三重県]][[多気郡]][[明和町 (三重県)|明和町]]大字上村に立地。湖西校。岐阜校(売却)<br /> * 株式会社トーアアパレル- 学生服と企業ユニフォームの製造、毛織物製造 ([[佐賀県]][[神埼郡]][[吉野ヶ里町]]吉田 に立地)<br /> * 大阪新薬株式会社 - 薬品製造([[山口県]][[山陽小野田市]]東高泊横土手に立地) <br /> * 株式会社有明ユニフォーム - 毛織物製造(佐賀県[[杵島郡]][[白石町]]戸ケ里に立地) <br /> * 有限会社千代田トーア - 毛織物製造(佐賀県[[神埼市]]千代田町下西に立地)<br /> * トーア興発株式会社 - ゴルフ練習場経営([[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見一丁目に立地)<br /> * 東肥前商業開発株式会社 - ボウリング場経営(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町吉田に立地)<br /> * 東亜紡織株式会社 - 毛糸販売、毛織物販売(津島事務所 が[[愛知県]][[愛西市]]立田町前田面に立地)<br /> ** 東亜紡織株式会社宮崎工場 - 梳毛糸製造、毛織物製造([[宮崎県]][[都城市]]高城町大井手に立地)<br /> * トーアニット株式会社 - 毛糸販売、ニット製品の販売、毛織物の販売とサービス([[岡山県]][[真庭市]]古見に立地)<br /> <br /> ==== トーア紡マテリアル株式会社 ====<br /> ; 東亜紡織楠工場時代<br /> * 東亜紡織楠工場は工業立村を目指す[[三重郡]][[楠町 (三重県)|楠町]]長の岡田武兵衛が誘致した繊維企業の工場である。[[1953年]](昭和28年)に男性従業員が268人。女性従業員が1941人。臨時工が65人。従業員の合計が2274人の大工場であった。<br /> * [[1958年]](昭和33年)から合織繊維を生産している。<br /> * 現在の工場の名称はトーア紡マテリアル四日市工場である。三重県四日市市の楠地区南川に化学繊維を生産している。従業員は135人である。&lt;ref&gt;新編楠町史四日市市楠総合支所2005年249頁 &lt;/ref&gt;<br /> ; 事業内容<br /> * 創業は、[[2000年]](平成12年)12月8日で、設立は、[[2003年]](平成15年)10月1日、旧東亜紡織株式会社の会社分割により、インテリア産業資材事業を承継して設立された。<br /> * 資本金 1億円。 <br /> * 事業内容 タフトカーペット製品・ニードルパンチ製品・ロックタフト製品・ポリプロファイバー製品・タイルカーペット製品・不織布製品の製造販売事業と梳毛糸の整地を行っている。<br /> * 本店所在地 大阪府大阪市中央区城見一丁目。<br /> ; 設備<br /> # 不織布(設備はニードルパンチ式機3セット)<br /> # ニードルパンチ<br /> # ポリプロ<br /> # 合成繊維(綿糸設備10トン)<br /> # タフトカーペット<br /> # ロックタフト製造設備1セット<br /> # ホリプロファイバー<br /> # タイルカーペット<br /> # カールロック製造設備1セット<br /> # 毛布の製造・販売・サービス<br /> <br /> === 海外生産拠点(中華人民共和国・ベトナム)===<br /> ; 毛糸(製造)<br /> # 常熟青亜紡織有限公司<br /> # 張家港市東亜毛紡織有限公司<br /> ; 毛糸(販売)<br /> # 無錫東亜紡織有限公司<br /> # 颯進上海貿易有限公司<br /> ; 毛織物(製造・販売)<br /> # 無錫東洲紡織有限公司<br /> # 張家港東鹿毛紡織有限公司<br /> # 常熟東博紡織有限公司<br /> ; 自動車内装材用不織布(製造・販売)<br /> # 広州東富井特種紡織品有限公司<br /> ;アプライアンス事業生産拠点<br /> #中華人民共和国の[[上海市]]<br /> ;インテリア産業資材不織布生産拠点<br /> #中華人民共和国の[[広州市]]<br /> ;衣料事業生産拠点<br /> #ベトナムの[[ナムディン]]<br /> <br /> == 事業所 ==<br /> * 東京支店([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]])<br /> <br /> == 事業内容 ==<br /> === 衣料事業 ===<br /> * [[毛糸]]製造<br /> * テキスタイル([[メンズ]]・[[レディース]])<br /> * [[ユニフォーム]]製造<br /> <br /> === インテリア・産業資材 ===<br /> * [[自動車]]用内装材製造<br /> * [[ファイバー]]製造<br /> * [[不織布]]製造<br /> * [[カーペット]]製造<br /> <br /> === 非繊維事業 ===<br /> * [[半導体]]製造<br /> * ファイバーケミカル事業<br /> * [[不動産]]事業<br /> # 四日市泊工場用地のイオンタウン四日市泊<br /> # 大垣工場用地だった住宅団地のルーチェ南一色の南側<br /> # 大府工場用地<br /> # 泉大津工場用地のクレッセ泉大津ショッピングセンター<br /> # 甲西工場用地のクレッセ甲西<br /> # 神戸市の工場跡地のケーズ[[HAT神戸]]メディカルモール<br /> <br /> == 企業情報 ==<br /> * 平成15年度に衣料事業分野を東亜紡織株式会社([[大阪府]][[大阪市]])に、インテリア産業資材事業分野をトーア紡マテリアル株式会社(三重県四日市市楠町)に、非繊維事業分野をトーア紡コーポレーションに分離した。平成17年度に中国にで税区企業間の貿易を行う颯進([[上海市]])貿易有限公司を設立した。平成18年度に中国で工程用特種紡織品の生産と加工事業を行う広州東富井特種紡織品有限公司を設立した。<br /> * 子会社4社と関連会社3社でトーア紡コーポレーショングループを構成している。天然繊維業界に所属していて、毛糸製造・毛織物製造と第二次産業製品などの製造と販売をする衣料事業と、カーペット・毛布・不織布などの繊維製品の製造と販売をするインテリア産業資材事業と、半導体事業・薬品の製造と販売事業・不動産賃貸事業・自動車教習所の運営などの非繊維事業を行う。繊維業界のライバル企業との競争に勝利する為に、第10期の予算では試験研究費として5500万円を投下している。<br /> * 昔の広告コピーは『ウールならトーア紡』だった。<br /> * 主力の毛糸ブランドは『トーア毛糸』であるが、かつては、『アルプス毛糸』、『アトラス毛糸』だった。<br /> * [[ウール]]マークライセンシーである。<br /> * 毛織物など衣料用品の[[老舗]]企業である。自動車専用の内装材など産業用資材が第1のトップ収入源である。半導体関連の部材生産・不動産事業・医薬品事業にも力を入れている。<br /> * 旧岩井財閥系企業で設立された最勝会の会員企業である一方[[みどり会]]にも参加しているため[[最勝会グループ]]と[[三和グループ]]の両方に属している&lt;ref&gt;[https://www.sojitz.com/jp/csr/contribute/nagaoka/ 長岡禅塾] - [https://www.sojitz.com/jp/ 双日公式サイト]内のページ。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.midorikai.co.jp/member.html メンバー会社一覧 - みどり会]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 併の歴史 == <br /> * [[1941年]](昭和16年)6月に錦華毛糸株式会社を合併。<br /> * [[1942年]](昭和17年)5月に株式会社白金莫大小製造所を合併。<br /> * [[1943年]](昭和18年)10月に満蒙毛織工業株式会社を合併。<br /> * [[1944年]](昭和19年)2月に合資会社尾張毛糸紡績を合併。 <br /> * 1944年(昭和19年)2月に合名会社徳原毛糸紡績所、株式会社三昭起毛所、大垣毛織株式会社、昭和製絨株式会社、名古屋織物工業株式会社、関西紡織株式会社、深喜毛糸紡績株式会社、東洋紡毛工業株式会社を合併。<br /> * [[1987年]](昭和62年)7月にトーア興発株式会社、株式会社湖西自動車教習所を合併。 <br /> * [[1991年]](平成3年)10月に太陽不動産株式会社を合併。<br /> <br /> == 教育 ==<br /> * [[岐阜県]][[大垣市]]に立地する東亜紡織大垣工場勤務の女子工員の多くは、働きながら[[大垣女子短期大学]]の[[三部]]課程に通学していた。<br /> <br /> == トーア紡と関連する人物 ==<br /> * [[岩井勝次郎]](設立者)<br /> * [[沢井余志郎]](四日市市泊工場の元社員)<br /> * [[岡田武兵衛]](楠工場を誘致した政治家)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *『東亜紡織70周年記念史』 [[1993年]](平成5年)2月出版<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.toabo.co.jp/ 株式会社トーア紡コーポレーション]<br /> <br /> {{みどり会}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:とおあほうこおほれえしよん}}<br /> [[Category:日本の持株会社]]<br /> [[Category:日本の繊維製品メーカー]]<br /> [[Category:日本の不動産会社]]<br /> [[Category:半導体企業]]<br /> [[Category:大阪市中央区の企業]]<br /> [[Category:東証一部上場企業]]<br /> [[Category:2003年上場の企業]]<br /> [[Category:三和グループ]]<br /> [[Category:みどり会]]<br /> [[Category:岩井商店]]<br /> [[Category:2003年設立の企業]]</div> 203.180.199.75 常磐炭田 2018-06-25T18:16:05Z <p>203.180.199.75: /* 歴史 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;常磐炭田&#039;&#039;&#039;(じょうばんたんでん)とは、[[20世紀]]前半に、[[福島県]][[双葉郡]][[富岡町]]から[[茨城県]][[日立市]]までに広がって存在した[[炭田]]である。[[夜ノ森]]と[[久慈川]]に挟まれた沿岸地域に立地していた。<br /> <br /> 「常磐」は、[[律令]]旧国名の「[[常陸国]]」と、[[戊辰戦争|明治]]旧国名の「[[磐城国]]」の頭文字を取って付けられた名称で、「常」は[[水戸藩]]に、「磐」は[[磐城平藩]]に相当する地域である。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[File:Emperor Showa visit to Joban Coalfield in 1947.JPG|thumb|常磐炭鉱に行幸する[[昭和天皇]](1947年)]]<br /> [[戊辰戦争]]が終結した直後、神永喜八、片寄平蔵らにより発見された。[[明治]]初期の[[1870年代]]から、[[茨城県]]北部(旧[[水戸藩]])から[[福島県]][[浜通り]]南部(旧[[磐城平藩]])にかけての[[海岸|海岸線]]に面する丘陵地帯にかけて、大規模な炭鉱開発が行われた。これは、[[首都圏 (日本)|首都圏]]に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし[[硫黄]]分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに[[地層]]が激しい[[褶曲]]を受けているため、[[石炭]]層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。地下水が多く温泉も湧き出すため坑内は暑く過酷な環境で、1tの石炭を採掘するのに4t程度の地下水が湧き出すともいわれ(常磐炭鉱記録映画による)当時世界最大級の排水ポンプを並べるなど採炭コストも高かった。しかし首都圏に最も近い大規模炭田であり、また石炭以外にも[[銅]]を産出する地域([[日立鉱山|日立銅山]])も含まれていたので、[[戦前|第二次大戦前]]には首都・東京に近い[[鉱工業]]地帯として発展した。<br /> <br /> ところが、[[戦後|第二次大戦後]]、特に[[エネルギー革命]]と[[高度経済成長]]が起こった[[1960年代]]になると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の[[リン|燐]]、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の[[硫黄]]資源も、技術革新により[[石油]]の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より[[常磐興産]])の所有する鉱山も[[1976年]](昭和51年)に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も[[1985年]](昭和60年)に撤退した。<br /> <br /> == 常磐炭田地域の現在 ==<br /> 常磐興産は、炭鉱の斜陽化による収益の悪化を[[観光業]]に転換することで生き残りを図った。[[いわき市]]付近ではかつては炭鉱の[[坑道]]から温泉が湧出し、労働者を悩ませただけでなく[[いわき湯本温泉|常磐湯本温泉]]を湯枯れさせてしまったが(1tの石炭を掘る為に40tの湯を廃棄していた)、その[[温泉]]を利用して常磐ハワイアンセンター(現・[[スパリゾートハワイアンズ]])を建設し成功を収めた。また鉱床を[[ボーリング]]して常磐湯本温泉の安定した源泉を確保している。ちなみに[[2006年]]公開の映画『[[フラガール]]』は、閉山前後のこの地域を描いている。<br /> <br /> また南部の[[日立市]]付近では、鉱山機械の修理工場から始まった[[日立製作所]]が世界的電機メーカーに成長、その関連企業と合わせて石炭産業従事者の多くを労働力として吸収し、地域の産業基盤の維持に貢献した。<br /> <br /> なお、旧炭田地帯の南端に[[東海発電所|東海第一]]・[[東海第二発電所|第二原子力発電所]]、北端に[[福島第一原子力発電所|福島第一]]・[[福島第二原子力発電所|第二]]原子力発電所が建設され、首都圏のエネルギー供給地帯としての役割も形を変えて担うことになったが[[2011年]][[3月]]に[[東京電力福島第一原子力発電所事故]]が発生した。<br /> <br /> [[東日本大震災]]の余震活動では、常磐炭田の直下でも地震活動が活発化し、[[福島県浜通り地震]]をはじめとする強い地震が発生している。<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[日立鉱山]]<br /> *[[常磐興産]]<br /> *[[久原房之助]]<br /> *[[スパリゾートハワイアンズ]]<br /> *[[いわき市石炭・化石館]]<br /> *[[常磐共同火力]]<br /> **[[勿来発電所]]<br /> *[[東京電力]]<br /> **[[福島第一原子力発電所]]<br /> **[[福島第二原子力発電所]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.sekitankasekikan.or.jp/ いわき市石炭・化石館]<br /> * [http://www.joban-kosan.com/ 常磐興産]<br /> * [http://www.jyoban-coalfield.com/ 常磐炭田ネットワーク]<br /> * [http://www.hawaiians.co.jp/ スパリゾートハワイアンズ]<br /> * [http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/jouban.html 常磐炭田]<br /> * [http://www.ibaraki-geopark.com/%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88/%E5%8C%97%E8%8C%A8%E5%9F%8E-%E5%B8%B8%E7%A3%90%E7%82%AD%E7%94%B0/ 常磐炭田 - 茨城県北ジオパーク]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しようはんたんてん}}<br /> [[Category:日本の炭田]]<br /> [[Category:常磐炭鉱]]<br /> [[Category:戦前日本の経済]]<br /> [[Category:福島県の歴史]]<br /> [[Category:茨城県の歴史]]<br /> [[Category:浜通り]]</div> 203.180.199.75 外地 2018-06-25T05:45:20Z <p>203.180.199.75: /* 台湾 */</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2018年2月}}<br /> &#039;&#039;&#039;外地&#039;&#039;&#039;(がいち)とは、[[戦前]]の[[日本]]において、いわゆる[[内地]]以外の統治区域をいう。&#039;&#039;&#039;属地&#039;&#039;&#039;ともいった。日本の現行法において単に「外地」という場合は「本邦以外の地域」を意味し、日本の旧統治区域に限定されない([[#外地の語の用法]]参照)。<br /> <br /> ==概要==<br /> 外地(属領&lt;ref&gt;{{lang-en-short|dependent territory}}&lt;/ref&gt;)は一般に国外の地を指し、日本では日本固有の領土&lt;ref&gt;日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。[[明治憲法]]には領土規定がなく、[[ヘルマン・ロエスレル]]の案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」([[上杉慎吉]]「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた。*「憲法における領土」石村修(法制理論39pp158-185.2007-03.新潟大学法学会ISSN-0286-1577)[http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/6089/1/18_0028.pdf][http://jairo.nii.ac.jp/0018/00005050]*「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[http://www.law.ntu.edu.tw/east-asia2006/EA-Home/PD/%E6%97%A5%E6%9C%AC/2006032608.pdf]<br /> &lt;/ref&gt;以外に、[[第二次世界大戦]]終結までの日本が領有していた地域を指す。<br /> <br /> 具体的には以下の地域である&lt;ref&gt;goo辞書「外地」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/30097/m0u/%E5%A4%96%E5%9C%B0/]&lt;/ref&gt;。<br /> *[[日本統治時代の台湾|台湾]]<br /> *[[樺太]]<br /> *[[関東州]]<br /> *[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]<br /> *[[南洋群島]]<br /> 樺太は1918年に準内地的扱いとなり、1943年に内地に編入された。<br /> <br /> 第二次世界大戦中に日本軍により占領された区域&lt;ref&gt;{{lang-en-short|occupied territories}}&lt;/ref&gt;は法的に領有されたものではないが、[[満州国]]や中国各地の[[租界|日本人租界]]、中南米やハワイなど移民先を含め、日本領土以外で日本人社会が形成されている領域を含め外地と呼ぶこともあった&lt;ref&gt;「日本の国土からみて、外国の土地」Yahoo!辞書[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&amp;p=%E5%A4%96%E5%9C%B0&amp;stype=0&amp;dtype=0]&lt;/ref&gt;。行政用語としては用語「外地」は慣例的なものであり、立法上明確に定義されたものではなかった([[#外地の語の用法]])。<br /> <br /> == 共通法の制定 ==<br /> 日本は、台湾を領土とした後、地域により異なる形式・内容の法令が施行される事態になったため、これらの法令の適用関係を定めるための法規範が必要になった。そのため、1918年に、日本の統治権が及ぶ各地域間の法令の適用範囲の確定及び連絡統一を目的とする[[共通法]](大正7年法律第39号)(1918年4月17日施行)が制定された(2017年現在も廃止の措置は採られていないが、事実上失効していると解されている)。<br /> <br /> なお、共通法は、その性質上当然に(領土ではない関東州や南洋群島も含む)外地にも施行されるべき法律とされていた。<br /> <br /> また、法的には共通法1条で内地(同条2項で樺太は内地に含むと規定)とされていない地域が外地に該当する。<br /> <br /> ==内地に編入された地域==<br /> === 南樺太 ===<br /> [[樺太]]は1875年の[[樺太・千島交換条約]]で一旦喪失したが、1905年に発効された[[ポーツマス条約]]により、[[緯度|北緯]][[50度線]]以南が日本領に復帰した。<br /> <br /> 南樺太についても、台湾や朝鮮と同様に日本の領土であったため、帝国議会の協賛を要するという見解を前提にした方策が採られた。しかし、南樺太に設置された[[樺太庁]]の長たる樺太庁長官には&#039;&#039;&#039;樺太庁令&#039;&#039;&#039;という形式の[[命令 (法規)|命令]]を発する権限はあったものの、台湾総督や朝鮮総督とは異なり、立法権を一般的に委任する方策は採られなかった。これは、台湾や朝鮮とは異なり南樺太は内地からの移住者が多かったため、内地からの移住者については内地の法令をそのまま適用するのが相当であったためである。そのため、南樺太に施行すべき法律を勅令で定めるほか、施行される法律については勅令により若干の地方的又は種族法的な性質を有する特例を設ける方式を採った。そのような事情から南樺太を外地として扱わないことがあり、前述の共通法でも内地として扱われていた。<br /> <br /> なお、1918年4月17日に[[共通法]](大正7年法律第39号)で内地とされ準内地的扱いとなり、1943年4月1日に「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)の廃止にともない、名実ともに樺太が内地に編入された。<br /> * [http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00443.htm 樺太内地編入ニ伴フ行政財政措置要綱]<br /> * 所管…[[大日本帝国|日本政府]]直轄<br /> * 行政区分…[[樺太庁]]([[都道府県#戦前の都庁府県|都庁府県]]のひとつ)の下に[[市町村]]設置<br /> * 警察組織…[[府県警察部]]<br /> * 帝国陸軍…[[北部軍 (日本軍)|北部軍]]、[[北部軍管区 (日本軍)|北部軍管区]]<br /> * 流通通貨…[[日本銀行]]発行の日本円<br /> * 鉄道…[[鉄道省]]([[樺太鉄道局]]、旧樺太庁鉄道事務所)<br /> * 郵便電話…[[逓信省]]<br /> * 公共放送…[[社団法人]][[日本放送協会]]([[豊原放送局]])<br /> <br /> == 外地に適用される法令の区分 ==<br /> 日本が外地を最初に取得したのは、[[下関条約]]の締結に伴い台湾の割譲を受けたことが最初である。その際、既に内地に施行されていた[[大日本帝国憲法]](以下、単に「憲法」という)の効力がその後に統治権を取得した地域に対しても及ぶかという形式的な問題(具体的には、外地の[[立法]]につき憲法5条の規定により[[帝国議会]]の協賛が必要か否かという問題)、内地人とは異なる慣習を持つ者が住む地域に対して内地に施行されていた法令をそのまま外地にも施行するのが相当かという実質的な問題が生じた。<br /> <br /> 当時の政府は、外国人顧問から聴いた母国の植民地法制を参考にしつつ、日本の[[領域 (国家)|領土]]たる外地(南樺太、台湾、朝鮮)には憲法の効力が及ぶのに対し、日本の領土ではない外地(関東州、南洋群島)には憲法の効力が及ばないという考え方を前提にして、統治方針を決めた。[[台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律]](明治29年法律第63号(六三法))にちなみこの論点は[[六三問題]]と呼ばれ、[[宮澤俊義]]『憲法講義案』(1936年4月17日発行)によれば「台湾・朝鮮および樺太でも憲法は通用する。但し、ここでは法律(大正一〇法三・明治四四法三〇・明治四〇法二五)によつてゐる程度の「立法の委任」が行はれてゐる」(P.16)とする。これに対し美濃部達吉は、著書『憲法講話』において上記植民地の見解をふまえ「凡て殖民地には憲法は施行せられないと解するのが正当な解釈である」として政府の解釈を否定した。<br /> <br /> 外地に施行すべき法令の形式については、日本の領土であったか否かという点、領土であった地域については内地人の割合が多かったか否かという点により、統治方針が区別される。<br /> <br /> === 台湾 ===<br /> 台湾は、[[1895年]](明治28年)に[[清国]]と間で調印された[[下関条約]]により、日本の領土となった。<br /> <br /> 台湾統治に当っては、当時の政府の見解としては、前述のとおり日本の領土であるため憲法の効力が及び、台湾における立法についても憲法5条により帝国議会の協賛を要するという見解を基本として統治方針を固めた。しかし、慣習調査の必要もあり、台湾の実情を踏まえた法律を整備することには時間を費やすことが予想された。<br /> <br /> そのため、時期によって差異はあるものの、その性質上当然に施行されるべき法律は別として、台湾統治のために設置された[[台湾総督府]]の長たる台湾総督が発する[[命令 (法規)|命令]](&#039;&#039;&#039;[[律令]]&#039;&#039;&#039;)という形で立法権を委任する(委任が包括的であったため、憲法違反ではないかという議論が起きた。)ほか、内地に施行される法律につき[[勅令]]で台湾にも施行することができるようにする方針を採った(初期は前者が原則だったが、後に後者が原則になる。詳細については[[台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律]]を参照)。<br /> * [[総督府|現地政府]]…[[台湾総督府]]<br /> * 行政区分…1920年より地方制度改正とともに地方を[[日本統治時代の台湾行政区分|5州2庁]]で区分、その下に市・郡・支廳([[台湾原住民|高砂族]]の集落には街庄を置かざる[[蕃地]])、郡・支廳の下に街・庄・区を設置。(州庁は内地の都庁府県に、郡・市・街・庄および社は内地の郡市町村に相当)<br /> * 警察組織…[[台湾総督府警察]](内地の府県警察部に相当するのは州警務部・庁警務課)<br /> * 帝国陸軍…[[台湾軍 (日本軍)|台湾軍]]、台湾軍管区<br /> * 流通通貨…[[台湾銀行]]発行の台湾圓(円)([[:zh:台湾銀行券|台湾銀行券]])<br /> * 鉄道…[[台湾総督府交通局鉄道部]]<br /> * 郵便電話…[[台湾総督府交通局逓信部]]<br /> * 公共放送…台湾総督府交通局逓信部(台北放送局)→社団法人[[台湾放送協会]]<br /> {{Main2|日本統治期の台湾については[[日本統治時代の台湾]]を}}<br /> <br /> === 朝鮮 ===<br /> 朝鮮は、1910年調印の[[日韓併合条約]]により、日本の領土となった。<br /> <br /> 朝鮮における立法も、台湾と同様に日本の領土とされたため、帝国議会の協賛を要するという見解を前提にした方策が採られ、その性質上当然に施行されるべき法律は別として、朝鮮統治のために設置された[[朝鮮総督府]]の長たる朝鮮総督が発する命令([[制令]])という形で立法権を委任するほか、内地に施行される法律につき勅令で朝鮮にも施行することができるようにする方針を採った。もっとも、台湾の場合と異なり、最後まで前者が原則であった。<br /> * 現地政府…[[朝鮮総督府]]<br /> * 行政区分…地方を[[朝鮮八道|道]]で区分、その下に[[府]]・[[郡#韓国の郡|郡]]、郡の下に[[邑 (朝鮮)|邑]]・[[面]]。(道は内地の都庁府県に、府・邑・面は市町村に相当)<br /> * 警察組織…[[朝鮮総督府警察]](内地の府県警察部に相当するのは道警察部)<br /> * 帝国陸軍…[[朝鮮軍 (日本軍)|朝鮮軍]]、朝鮮軍管区<br /> * 流通通貨…[[朝鮮銀行]]発行の朝鮮圓(円)<br /> * 鉄道…[[朝鮮総督府鉄道|朝鮮総督府鉄道局]]→朝鮮総督府交通局<br /> * 郵便電話…[[朝鮮総督府逓信局]]<br /> * 公共放送…社団法人京城放送局→社団法人[[朝鮮放送協会]]<br /> {{Main2|日本統治期の朝鮮については[[日本統治時代の朝鮮]]を}}<br /> <br /> === 関東州 ===<br /> [[関東州]]は、1905年調印のポーツマス条約により、[[租借地]]として[[ロシア帝国|ロシア]]から引き継いだ地域である。<br /> <br /> 関東州は、日本が統治権を取得したものの、領土の一部を構成していたわけではなかった。このようなことを根拠に、政府は関東州には憲法の効力が及ばず、天皇は帝国議会の協賛を要せず立法権を行使できるという見解を採った。つまり、内地の法律を勅令により施行する措置は採らず(性質上外地にも施行される法律を除く)、勅令を関東州に対して発することにより立法権を行使することにした。もっとも、基本的には内地に施行されていた法律に依る旨の内容の勅令を出していた。また、関東長官には、一定の範囲で罰則の制定権を認めることにより、一定の範囲で立法権を委任する措置を採った([[関東庁]]令)。<br /> * 現地政府…[[関東都督府]]→[[関東庁]]→[[関東局]][[関東州庁]]<br /> * 行政区分…市・会(内地の市町村に相当)<br /> * 警察組織…[[関東州の警察|関東州警察]]<br /> * 帝国陸軍…[[関東軍]]、関東軍管区 <br /> * 流通通貨…朝鮮銀行発行の朝鮮圓(円)<br /> * 鉄道…[[南満州鉄道|南満州鉄道株式会社]]<br /> * 郵便…逓信省関東逓信局<br /> * 電話…[[満洲電信電話|満洲電信電話株式会社]]<br /> * 公共放送…関東庁逓信局(大連放送局)→満洲電信電話株式会社(大連中央放送局)<br /> <br /> === 南洋群島 ===<br /> [[南洋諸島|南洋群島]]は、1919年調印の[[ヴェルサイユ条約]]により、[[ドイツ国|ドイツ]]の植民地であった南洋群島の一部につき1920年に[[国際連盟]]による[[委任統治|委任統治領]]として認められた地域である。<br /> <br /> 南洋群島([[南洋庁]])についても、関東州と同様に領土ではないという点から、内地の法律を施行する措置は採られず、天皇が発する勅令により立法権を行使することにし、南洋長官には、一定の範囲で罰則を設けることを認めることにより、一定の範囲で立法権を委任する措置を採った(&#039;&#039;&#039;南洋庁令&#039;&#039;&#039;)。1933年、日本が国際連盟脱退を宣言すると(正式脱退は1935年)、南洋群島については引き続き委任統治を行った&lt;ref&gt;日本が国際連盟を脱退すると、委任統治の根拠が薄くなったが、1933年3月16日「帝国の国際連盟脱退後の南洋委任統治の帰趨に関する帝国政府の方針決定の件」を閣議決定し、委任統治はヴェルサイユ条約での批准事項であることを盾に引き続き委任統治を行った。なお国際連盟への統治に関する年次報告は1938年まで行っている。&lt;/ref&gt;。住民構成は、朝鮮・台湾・関東州と異なり、現地人である島民よりも[[日本人|内地人]]や[[台湾人]]などの移住者の人口が多かった。<br /> <br /> * 現地政府…[[南洋庁]]<br /> * 警察組織…[[南洋群島の警察|南洋庁警察]](内地の府県警察部に相当するのは内政部警務課)<br /> * 帝国陸軍…[[南方軍 (日本軍)|南方軍]]及び[[第31軍 (日本軍)|第31軍]]<br /> * 流通通貨…日本銀行発行の日本圓(円)<br /> * 郵便電話…南洋庁交通部逓信課([[電話]]は後に[[国際電気通信]]に移管)<br /> * 公共放送…社団法人日本放送協会([[パラオ放送局]])<br /> <br /> == 教育制度 ==<br /> {{See|Category:日本の旧外地の学校}}<br /> :{{See also|旧外地の高等教育機関}}<br /> :{{See also|旧制中等教育学校の一覧 (旧外地)}}<br /> <br /> == 外地の喪失 ==<br /> 外地とされていた地域は、敗戦により全て喪失したため、現在は外地と称される地域は存在しない。外地を喪失した法的な時期については、[[日本国との平和条約]]第2条に外地の[[権原]]放棄に関する規定があるため、同条約の発効日(1952年4月28日)と考えるのが一般的である。もっとも、同条約には[[中華民国]]が参加していないことなどから、台湾については、[[日本国と中華民国との間の平和条約|日華平和条約]]の発効日(1952年8月5日)とする考え方もある。<br /> <br /> 2017年6月5日、[[衆議院]]の決算行政監視委員会が旧外地5地域(朝鮮・台湾・樺太・関東州・南洋)の10[[特別会計]]について、最終年度である1944-45年度決算を承認。政府会計上の戦後処理が全て終了した&lt;ref&gt;{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20170606/ddm/005/010/113000c|title=旧外地特別会計 衆院委承認/政府会計、戦後処理終わる|work=|publisher=[[毎日新聞]]朝刊|date=2017年6月6日}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==外地の語の用法==<br /> ===太平洋戦争(大東亜戦争)開戦以前・戦時中の用例===<br /> [[太平洋戦争]](当時の日本側呼称:[[大東亜戦争]])前の日本では、外地の語は慣用語であったため、用例により範囲が異なっていた。<br /> *太平洋戦争(大東亜戦争)開戦前の法令で[[s:所得税法人税内外地関渉法|所得税法人税内外地関渉法]](昭和15年法律55号)など表題に&#039;&#039;&#039;内外地&#039;&#039;&#039;という表現を含む法令があったが、外地の語は単独で用いられず、その範囲は定義されなかった。ただし、これらの法令は朝鮮・台湾・関東州・南洋群島・樺太について規定しており、これらが外地に相当するものと推定される。<br /> *内閣統計局『日本帝国統計年鑑』(~1941年)は&#039;&#039;&#039;朝鮮・台湾・樺太&#039;&#039;&#039;のみを外地とした。日本の領土ではなかった南洋群島・関東州・南満州鉄道付属地は外地に含めなかった。<br /> *山崎丹照『外地統治機構の研究』(1943年)は&#039;&#039;&#039;朝鮮・台湾・関東州・南洋群島・樺太&#039;&#039;&#039;を外地とした。<br /> *一般的な用法としては、朝鮮・台湾・樺太・関東州・南洋群島のほか、&#039;&#039;&#039;南満州鉄道付属地&#039;&#039;&#039;や&#039;&#039;&#039;満洲国&#039;&#039;&#039;、および[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])中の占領地を含めて外地と呼ぶことがあった。<br /> <br /> その他、領事が領事裁判権を保有する[[租界]]などは、内地に含まれた。<br /> <br /> ===太平洋戦争(大東亜戦争)終結後の用例===<br /> 太平洋戦争(大東亜戦争)終結後の日本では、外地の語が法令で用いられるようになった。<br /> *[[s:外地官署所属職員の身分に関する勅令|外地官署所属職員の身分に関する勅令]](昭和21年勅令第287号)など法令に外地の語があらわれた。法令中では外地の定義・範囲は明かではないが、&#039;&#039;&#039;外地官署&#039;&#039;&#039;とはすなわち台湾総督府、朝鮮総督府、関東局、樺太庁、南洋庁を指すものとして運用された。<br /> *外務省条約局編『外地法制誌』(1955~1971年)は&#039;&#039;&#039;台湾・朝鮮・樺太・南洋諸島・関東州・南満州鉄道付属地&#039;&#039;&#039;を外地として扱っていた。[[外務省]]条約局によれば、「外地とはすなわち内地の法体系とは異なる外地法によって外地法令が適用された地域&lt;ref&gt;{{lang-en-short|the territory governed by laws other than those of Japan proper}}&lt;/ref&gt;」とされた。<br /> <br /> ===現行法上の外地===<br /> [[2016年]]現在の現行法において単に&#039;&#039;&#039;外地&#039;&#039;&#039;という場合は「&#039;&#039;&#039;本邦以外の地域&#039;&#039;&#039;」を意味し、日本の旧統治区域に限定されない([[引揚者]]給付金等支給法第2条など)。このほか、外地に関する法律用語としては次のようなものがあるが、その範囲は一定しない。<br /> <br /> ;外地郵便貯金・外地郵便為替・外地郵便振替貯金<br /> :朝鮮、台湾、関東州、樺太、[[千島列島]]、南洋群島、[[小笠原諸島]]、[[火山列島|硫黄列島]]、[[硫黄鳥島]]、[[伊平屋村|伊平屋島]]及び北緯27度以南の[[南西諸島]]([[大東諸島]]を含む)にあった[[郵便局]]で扱われたもの(軍事郵便貯金等特別処理法第2条&lt;ref&gt;法律では「旧外地等にあつた郵便局で預入された郵便貯金」「旧外地等にあつた郵便局に振出の請求があつた郵便為替」「旧外地等にあつた郵便局で払い込まれた郵便振替貯金の払込金」としている。&lt;/ref&gt;)<br /> <br /> ;外地弁護士<br /> :朝鮮弁護士令・台湾弁護士令・関東州弁護士令による弁護士(検察庁法第37条など)<br /> <br /> ;外地関係共済組合<br /> :朝鮮総督府の逓信官署共済組合・交通局共済組合、および台湾総督府の[[台湾総督府専売局|専売局]]共済組合・営林共済組合令・交通局逓信共済組合・交通局鉄道共済組合(旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法第2条)<br /> <br /> ;外地整理事務<br /> :[[外務省]]の所管事務の一つ(外務省設置法第4条)<br /> :外務省[http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/sosiki/gaichi/ 外地整理室]を参照。<br /> <br /> {{要出典範囲|なお、[[北海道]]や[[沖縄県]]、[[奄美諸島|奄美群島]]([[鹿児島県]])、[[小笠原諸島]]([[東京都]])の住民が、本土あるいは[[本州]]を「内地」と呼ぶことがあるが|date=2018年2月}}、内地に対する語としてこれらの地域を「外地」と呼ぶことは基本的にはない。<br /> <br /> == 類似概念 ==<br /> ===植民地===<br /> 日本政府が内地以外の統治区域を[[植民地]]と呼ぶことは珍しく、ほとんどの法令は個別の領域名(樺太・朝鮮・台湾等々)をもって記述されるのが通例であった。ただし行政文書においては「植民地」の用語例は見られ、例えば大正12年刊行の拓殖事務局『植民地要覧』では朝鮮・台湾・樺太・関東州・南洋群島を「我が植民地と解せらるる」としていた(同書では南満州鉄道付属地も扱っている)。準行政文書としては1929年の満鉄臨時経済調査委員会編纂『帝国植民地課税一覧』がある。<br /> <br /> 法令等において日本の外地を植民地と呼称した例としては、1932年9月3日『予算外国庫ノ負担トナルベキ契約ヲ為スヲ要スル件』に使用例があるが、その他にはほとんどみられない。現行法上は日本の旧外地を植民地と呼ぶことはない。なお外国の属領を植民地と呼ぶことはある(現行法でも)。<br /> <br /> 社会科学界では「外地」「植民地」分類による文章は大量に存在し、例えば憲法学者・行政法学者であった[[美濃部達吉]]は、「法律上の意義に於ての殖民地」を「国家の統治区域の一部にして内地と原則として国法を異にし」たものと定義し、「朝鮮、台湾、樺太、関東州及南洋群島が此の意義において植民地なることは疑いを容れず」と述べている(『憲法撮要』1923年)。<br /> <br /> しかし同時代的な「植民地」なる用語への評価としては<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;(植民地の)文字の我国で用ゐられ初めたのは、極めて最近の事で、明治以前の空気に多く包まれた人の頭には、植民地という文字が、非常にハイカラな文字になつて響いて居る。植民地がどうの、植民政策がどうの、拓殖局がどうのといつた所で、虻が鼻の頭を刺した程の感じもない。新領土といふ文字にせよ、其れは二十七八年、三十七八年に於ける、二大戦役の賜物で、此戦役以前、新領土といふ文字は、あまり繰り返されて居ない。何れにしても、植民地といふ文字は、現代人に未だ耳新しい文字である。先ず植民的知識をいへば、其れは北海道開拓の其れであつたらう。北海道開拓は、我日本国民に、植民の意味を、朧気ながらも、先づ放つた所の鐘の音であるのである」(「日本植民地要覧」全国新聞東京聯合社編、1912年10月)。&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> また以下の資料からは植民地という用語への感情的反発があったことがうかがえる。1905年の帝国議会において下記のようなことがあった。<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;衆議院の委員会において、当時の首相で第二代台湾総督でもあった桂太郎が、台湾は「日本」なのか「殖民地」なのかいう問に、うっかり「無論殖民地であります内地同様には行かぬと考へます」と答えてしまったのである。..中略..この首相発言は、議員達に大きな感情的反発をよんだ。議員側からは、「台湾を殖民地にするとは云ふことは、何れの内閣からも承ったことはない」とか「吾々議員として実にぞっとするではございませぬか」といった非難が出た。([[小熊英二]]、『&lt;日本人&gt;の境界』新曜社 第5章 p142~p143 ISBN 4-7885-0648-3、1998年刊)&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> &lt;blockquote&gt;我国にては斯の如き公の呼称を法律上一切加えず単に台湾朝鮮樺 <br /> 太等地名を呼ぶ。 <br /> 但し学術的又は通俗的に之等を植民地と称するを妨げない。 <br /> 我国の学者政治家等が朝鮮を指して植民地と称することに対し、 <br /> 「千万年歴史の権威」と「二千万民衆の誠忠」を有する朝鮮民族は <br /> 大なる侮辱を感じ、大正八年三月一日の独立宣言書にもその憤慨が披瀝せられた。 <br /> 併乍ら研究者は事実関係を以ってその研究対象とするより外はない。([[矢内原忠雄]]『植民及植民政策』 有斐閣 1926年刊)&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> ===海外領土等===<br /> 国際連盟事務局からの&#039;&#039;&#039;海外領土等&#039;&#039;&#039;の名称及び順序に関する照会に対し、外務省は1930年8月、朝鮮&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Chosen}}&lt;/ref&gt;・台湾&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Taiwan}}&lt;/ref&gt;・樺太&lt;ref&gt;{{lang-en-short|Karafuto}}&lt;/ref&gt;・関東州租借地&lt;ref&gt;{{lang-en-short|The leased Territory of Kwantung}}&lt;/ref&gt;・日本国委任統治南洋群島&lt;ref&gt;{{lang-en-short|The South Sea Islands under Japanese Mandate}}&lt;/ref&gt;と回答している。なお、この回答案作成の際、外務省の内部文書ではこれらの地域を一括して&#039;&#039;&#039;殖民地&#039;&#039;&#039;と呼んでいる。<br /> <br /> ===属地===<br /> 条約上、内地以外の統治区域を総称するときに&#039;&#039;&#039;属地&#039;&#039;&#039;という語が用いられた。例えば[[万国郵便条約]](大正14年条約第11号)。<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> ==参考文献==<br /> *「詳解 旧外地法」向英洋著([[日本加除出版]]、2007年7月31日)ISBN 978-4-8178-3774-5/40291-01<br /> <br /> ==関連項目==<br /> *[[アジア・アフリカ諸国の独立年表]]<br /> *[[ウトラメール]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> * [http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/gaiti-hourei.php 旧外地法令の調べ方](国立国会図書館リサーチ・ナビ)<br /> * [http://homepage1.nifty.com/kitabatake/gyosei.html 植民地行政官事典]<br /> <br /> {{旧外地の行政区分}}<br /> {{DEFAULTSORT:かいち}}<br /> {{Japanese-history-stub}}<br /> [[Category:外地|*]]<br /> [[Category:植民地]]<br /> [[Category:大日本帝国]]<br /> [[Category:日本の植民政策|*]]</div> 203.180.199.75 嶺南 2018-06-24T19:13:28Z <p>203.180.199.75: /* 概要 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|日本の嶺南}}<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;float:right; margin:1em 0em 1em 1em; width:16em;&quot;<br /> |-<br /> |colspan=&quot;2&quot; style=&quot;text-align:center; background-color:#ec7;&quot;|&#039;&#039;&#039;嶺南&#039;&#039;&#039;のデータ<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center; background-color:#eee;&quot;|国<br /> |style=&quot;text-align:left;&quot;|{{JPN}}<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center; background-color:#eee;&quot;|地方<br /> |style=&quot;text-align:left;&quot;|[[中部地方]]、[[北陸地方]]、[[関西地方]]<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center; background-color:#eee;&quot;|面積<br /> |style=&quot;text-align:right;&quot;|&#039;&#039;&#039;1,099.91&#039;&#039;&#039; [[平方キロメートル|km²]]<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:center; background-color:#eee;&quot;|[[推計人口]]<br /> |style=&quot;text-align:right;&quot;|&#039;&#039;&#039;{{formatnum:{{#expr:{{自治体人口/福井県|敦賀市}} + {{自治体人口/福井県|小浜市}} + {{自治体人口/福井県|美浜町}} + {{自治体人口/福井県|高浜町}} + {{自治体人口/福井県|おおい町}} + {{自治体人口/福井県|若狭町}} }}}}&#039;&#039;&#039; 人&lt;br /&gt;(全県比:{{formatnum:{{#expr:({{自治体人口/福井県|敦賀市}} + {{自治体人口/福井県|小浜市}} + {{自治体人口/福井県|美浜町}} + {{自治体人口/福井県|高浜町}} + {{自治体人口/福井県|おおい町}} + {{自治体人口/福井県|若狭町}}) *100 / {{自治体人口/福井県|福井県}} round 1}}}}%)&lt;br /&gt;({{自治体人口/福井県|date}})<br /> |-<br /> |colspan=&quot;3&quot;|[[ファイル:Fukui_Reinan.png|frame|center|嶺南の自治体&lt;br /&gt;{{Nowrap begin}}1. 敦賀市{{\wrap}}2. 小浜市{{\wrap}}3. 美浜町{{\wrap}}4. 高浜町{{\wrap}}5. おおい町{{\wrap}}6. 若狭町{{Nowrap end}}]]<br /> |}<br /> &#039;&#039;&#039;嶺南&#039;&#039;&#039;(れいなん)とは、[[福井県]]南部の[[若狭湾]]沿岸の[[地域]]を指す(地域名称については[[#地域名称|後節]]も参照)。[[江戸時代]]の[[小浜藩]]にほぼ該当する。[[リアス式海岸]]が特徴的である。<br /> <br /> [[嶺北]]との境は、[[山中峠]]・[[木ノ芽峠]]・[[栃ノ木峠]]の[[尾根|稜線]]である。<br /> <br /> ==概要==<br /> &#039;&#039;&#039;嶺南&#039;&#039;&#039;という呼称は、現在の[[福井県]]が設置された[[1881年]](明治14年頃)に、[[北陸道]]([[北国街道]])の難所である[[木ノ芽峠]](木嶺)より南側を「木嶺以南」(もくれいいなん)と呼び始めたことに由来する。<br /> <br /> 地理的には[[若狭湾]]岸に位置しており、[[観光ガイド]]などで[[北近畿]]に含まれることもある。また[[敦賀市|敦賀]]から[[舞鶴市|舞鶴]]・[[米原市|米原]]・[[京都市|京都]]・[[金沢市|金沢]]の各方面へ[[鉄道]]や[[道路]]が分岐しており、[[交通]]の要衝でもある。歴史的に、[[畿内]]から[[北陸道]]の入り口として機能したほか、[[若狭湾]]の港は古くから畿内の外港として機能し、京や[[近江国|近江]]、[[丹後国|丹後]]との交流が盛んであった。<br /> <br /> その影響もあって、嶺南地方で話されている方言([[嶺南方言]])は[[近畿方言]]に分類され、[[舞鶴弁]]や[[近江弁]]などに近い。<br /> <br /> また嶺南地域には[[原子力発電所]]が多く立ち並ぶため、「原発銀座」として有名な地域である。<br /> <br /> == 自治体 ==<br /> 以下の2市3郡4町からなる。<br /> <br /> *[[敦賀市]](福井県嶺南振興局所在地)<br /> *[[小浜市]](福井県嶺南振興局所在地)<br /> *[[三方郡]] <br /> **[[美浜町 (福井県)|美浜町]]<br /> *[[大飯郡]]<br /> **[[高浜町]] - [[おおい町]]<br /> *[[三方上中郡]]<br /> **[[若狭町]]<br /> <br /> === 地域名称 ===<br /> この地域を表す名称として、嶺南のほかに&#039;&#039;&#039;若狭&#039;&#039;&#039;という名称が用いられることもある。敦賀市は、[[令制国]]では[[北陸道]]の入口として[[越前国]]に属しているが、若狭湾に面する地理的な位置や、江戸時代には[[若狭国|若狭]][[酒井家]]の統治する[[小浜藩]](若狭藩)の領地(越前敦賀郡の大部分は小浜藩領(若狭藩領)・残りが小浜藩(若狭藩)の支藩である[[敦賀藩]]の領地)であった歴史的背景から、便宜的に嶺南を「若狭」という名称で扱われることがままある&lt;ref&gt;観光ガイドで、敦賀を「若狭エリア」に掲載しているものがある。&lt;/ref&gt;。一方で、[[1942年]]の地方官官制改正による地方事務所の区分でも見られる、敦賀市と[[三方郡]]の嶺南東部を「&#039;&#039;&#039;二州&#039;&#039;&#039;」&lt;ref&gt;福井県の施設である[http://info.pref.fukui.jp/fukushi-s/nisyuu-hwc/toppage/annai/gaikyou.html 二州健康福祉センター]は、敦賀市・若狭町(旧三方地区)・美浜町をエリアに入れている。&lt;/ref&gt;、遠敷郡([[小浜市]]など)と[[大飯郡]]の嶺南西部を「若狭」と表示される例もある。ただし、若狭(旧国名)に比べて、二州(「二」は越前国と若狭国の2国、あるいは敦賀郡と三方郡の2郡を指す)の名称はあまり一般的ではない。<br /> <br /> === 市町村合併 ===<br /> いわゆる「[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]」において、8市町村を一つにする「嶺南一市構想」が持ち上がったが、意見が集約できず、結局は、[[若狭町]]と[[おおい町]]の発足に留まっている。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> [[市町村制]]施行以降の沿革(概略)<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size: x-small;&quot;<br /> !明治22年以前<br /> !<br /> !<br /> !明治22年4月1日<br /> !明治22年 - 昭和20年<br /> !昭和20年 - 昭和30年<br /> !昭和31年 - 昭和63年<br /> !平成1年 - 現在<br /> !現在<br /> |-<br /> ! <br /> |rowspan=&quot;7&quot;|越前国<br /> |rowspan=&quot;15&quot;|二州<br /> |style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;敦賀町<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|昭和12年4月1日&lt;br /&gt;敦賀市<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|敦賀市<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|敦賀市<br /> |rowspan=&quot;7&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|敦賀市<br /> |rowspan=&quot;7&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|敦賀市<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;松原村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東浦村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東浦村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東浦村<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|昭和30年1月15日&lt;br /&gt;敦賀市に編入<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;東郷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;愛発村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;愛発村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;愛発村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;中郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;中郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;中郷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;粟野村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;粟野村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|敦賀郡&lt;br /&gt;粟野村<br /> |-<br /> ! rowspan=&quot;2&quot;|<br /> |rowspan=&quot;34&quot;|若狭国<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|[[三方郡]]&lt;br /&gt;西郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|明治31年4月1日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;北西郷村<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和29年2月11日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;美浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;美浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;美浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;美浜町<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|明治31年4月1日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;南西郷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;耳村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;耳村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;山東村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;山東村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;西浦村<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|明治40年7月1日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;西田村<br /> |rowspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和28年4月1日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;三方町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;三方町<br /> |rowspan=&quot;9&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|平成17年3月31日&lt;br /&gt;[[三方上中郡]]&lt;br /&gt;若狭町<br /> |rowspan=&quot;9&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|三方上中郡&lt;br /&gt;若狭町<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;田井村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;八村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;八村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;十村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|三方郡&lt;br /&gt;十村<br /> |style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和29年3月2日&lt;br /&gt;三方郡&lt;br /&gt;三方町に編入<br /> |-<br /> ! <br /> |rowspan=&quot;26&quot;|若狭<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|[[遠敷郡]]&lt;br /&gt;鳥羽村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;鳥羽村<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和29年1月1日&lt;br /&gt;遠敷郡&lt;br /&gt;上中町<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;上中町<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;瓜生村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;瓜生村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;熊川村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;熊川村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;三宅村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;三宅村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;野木村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;野木村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;小浜町<br /> |rowspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和10年4月1日&lt;br /&gt;遠敷郡&lt;br /&gt;小浜町<br /> |rowspan=&quot;10&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|昭和26年3月30日&lt;br /&gt;小浜市<br /> |rowspan=&quot;10&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|小浜市<br /> |rowspan=&quot;12&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|小浜市<br /> |rowspan=&quot;12&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|小浜市<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;雲浜村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;西津村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;内外海村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;内外海村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;松永村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;松永村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;国富村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;国富村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;遠敷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;遠敷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;今富村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;今富村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;口名田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;口名田村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;中名田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;中名田村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;宮川村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;宮川村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;宮川村<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #ff6;&quot;|昭和30年2月21日&lt;br /&gt;小浜市に編入<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|[[大飯郡]]&lt;br /&gt;加斗村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;加斗村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;加斗村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;南名田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|明治24年4月1日&lt;br /&gt;改称&lt;br /&gt;遠敷郡&lt;br /&gt;知三村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;知三村<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|昭和30年1月1日&lt;br /&gt;遠敷郡&lt;br /&gt;名田庄村<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|平成18年3月3日&lt;br /&gt;大飯郡&lt;br /&gt;おおい町<br /> |rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;[[おおい町]]<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;奥名田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;奥名田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|遠敷郡&lt;br /&gt;奥名田村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;佐分利村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;佐分利村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;佐分利村<br /> |rowspan=&quot;3&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和30年1月15日&lt;br /&gt;大飯郡&lt;br /&gt;大飯町<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;本郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;本郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;本郷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;大島村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;大島村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;大島村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;高浜村<br /> |style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|明治45年4月1日&lt;br /&gt;町制<br /> |style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;高浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|昭和30年2月11日&lt;br /&gt;大飯郡&lt;br /&gt;高浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;高浜町<br /> |rowspan=&quot;4&quot; style=&quot;background-color: #6ff;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;高浜町<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;青郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;青郷村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;青郷村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;内浦村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;内浦村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;内浦村<br /> |-<br /> ! <br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;和田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;和田村<br /> |style=&quot;background-color: #9cf;&quot;|大飯郡&lt;br /&gt;和田村<br /> |}<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[若狭湾]]沿岸は、地形が入り組んだ[[リアス式海岸]]が続き、[[平野]]が狭小であるため、古くから[[港]]を中心にして発展してきた。[[奈良時代|奈良]]・[[平安時代]]から[[畿内]]の外港として機能し、[[渤海国]]からの使節が寄港し、宿泊する松原客館が置かれたほか([[気比松原]])、[[江戸時代]]には、[[出羽国]]や[[加賀国]]から、[[京都|京]]や[[大坂]]へ物資を運ぶ[[北前船]]の寄港地となり、[[鯖街道]]を通して京や[[近江国|近江]]との交流が盛んで、現在でも[[京都府]]・[[滋賀県]]とも繋がりが深い地域である。また風光明媚な海岸として、福井県内は元より、県外から若狭湾へ海水浴に訪れる者も多くみられる。<br /> <br /> また、この地域は[[琵琶湖]]の北の[[日本海]]岸に位置する。<br /> <br /> ; 地形<br /> * [[海岸]]:[[若狭湾]]<br /> * [[山]]・[[峠]]:[[木ノ芽峠]]、[[愛発山]]、[[青葉山 (京都府・福井県)|青葉山]]、[[野坂山地]]([[野坂岳]]、[[乗鞍岳 (福井県・滋賀県)|乗鞍岳]])、[[若丹山地]]([[百里ヶ岳]]、[[頭巾山]]、[[三十三間山]])<br /> * [[川]]:[[遠敷川]]、[[笙の川]]<br /> * [[湖]]:[[三方五湖]]<br /> * [[港]]:[[敦賀港]]、[[小浜漁港 (福井県)|小浜港]]<br /> <br /> === 都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷 ===<br /> 金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏。細かい定義等は[[都市雇用圏]]に則する。一般的な都市圏の定義については[[都市圏]]を参照のこと。<br /> * 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center;&quot;<br /> |-style=&quot;border-bottom:solid 3px #666;&quot;<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|自治体}}; width:6em;&quot;|[[自治体]]&lt;br /&gt;(&#039;80)<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;&quot;|1980年<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;&quot;|1990年<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;&quot;|1995年<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;&quot;|2000年<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|年}}; width:8em;&quot;|2005年<br /> !style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|自治体}}; width:6em;&quot;|自治体&lt;br /&gt;(現在)<br /> |-<br /> |[[敦賀市]]<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|敦賀|8|4886}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|敦賀|9|1080}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|敦賀|8|9049}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|敦賀|8|8928}}<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|{{都市圏|敦賀|7|9425}}<br /> |敦賀市<br /> |-<br /> |[[美浜町 (福井県)|美浜町]]<br /> |美浜町<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|青}};&quot;|[[三方町]]<br /> |rowspan=&quot;5&quot;|{{都市圏|小浜|5|8179}}<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|青}};&quot;|[[若狭町]]<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|青}};&quot;|[[上中町]]<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|小浜|4|5287}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|小浜|4|4833}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|小浜|4|4676}}<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|{{都市圏|小浜|4|4395}}<br /> |-<br /> |[[小浜市]]<br /> |小浜市<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|緑}};&quot;|[[名田庄村]]<br /> |rowspan=&quot;2&quot; style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|緑}};&quot;|[[おおい町]]<br /> |-<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|緑}};&quot;|[[大飯町]]<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|灰}};&quot;| -<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|灰}};&quot;| -<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|灰}};&quot;| -<br /> |style=&quot;background-color:#{{都市圏Color|灰}};&quot;| -<br /> |-<br /> |[[高浜町]]<br /> |{{都市圏|舞鶴|4=舞鶴都市圏}}<br /> |{{都市圏|舞鶴}}<br /> |{{都市圏|舞鶴}}<br /> |{{都市圏|舞鶴}}<br /> |{{都市圏|舞鶴}}<br /> |高浜町<br /> |}<br /> * 2005年[[3月31日]]:[[三方郡]][[三方町]]、[[遠敷郡]][[上中町]]が新設合併し、[[三方上中郡]][[若狭町]]が誕生。<br /> * 2006年[[3月3日]]:[[大飯郡]][[大飯町]]と遠敷郡[[名田庄村]]が新設合併し、大飯郡[[おおい町]]が誕生。<br /> <br /> == 原子力発電所 ==<br /> * [[日本原子力発電]]<br /> ** [[敦賀発電所]]([[敦賀市]])<br /> * [[日本原子力研究開発機構]]<br /> ** [[もんじゅ]]([[高速増殖炉]]・敦賀市)<br /> ** [[ふげん]]([[新型転換炉]]・敦賀市) - 運転停止・廃炉作業中。<br /> * [[関西電力]]<br /> ** [[美浜発電所]]([[美浜町 (福井県)|美浜町]]) <br /> ** [[大飯発電所]]([[おおい町]]) <br /> ** [[高浜発電所]]([[高浜町]])<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{main|若狭国#歴史|敦賀市#歴史}}<br /> {{要出典範囲|大飯郡は若狭国の西側に位置することから若西(じゃくせい)と呼ばれ、三方郡は同じ理由から若東(じゃくとう)と呼ばれた。また遠敷郡は若狭国の中央に位置することから中郡と呼ばれたが、のちに細分化した上中・下中と呼び分けられた|title=検証可能性を満たすソースを提示ください。|date=2011年3月}}。<br /> <br /> == 道州制 ==<br /> {{main|日本の道州制論議#北陸}}<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 鉄道 ===<br /> * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)<br /> ** [[北陸本線]]<br /> ** [[小浜線]]<br /> <br /> === 道路 ===<br /> {{Col|<br /> ; 高速道路<br /> * [[北陸自動車道]]<br /> * [[舞鶴若狭自動車道]]<br /> |<br /> ; 国道<br /> * [[国道8号]]<br /> * [[国道27号]]<br /> * [[国道161号]]<br /> * [[国道162号]]<br /> * [[国道303号]]<br /> * [[国道367号]]<br /> * [[国道476号]]<br /> |<br /> ; [[道の駅]]<br /> * [[道の駅うみんぴあ大飯]]<br /> * [[道の駅シーサイド高浜]]<br /> * [[道の駅名田庄]]<br /> * [[道の駅三方五湖]]<br /> * [[道の駅若狭おばま]]<br /> * [[道の駅若狭熊川宿]]<br /> }}<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Col|<br /> * [[若狭国]]<br /> * [[若狭湾]]<br /> * [[若狭湾国定公園]]<br /> * [[若狭梅街道]]<br /> * [[若狭農業協同組合]]<br /> |<br /> * [[敦賀県]]<br /> * [[小浜藩]]<br /> * [[北近畿]]<br /> * [[鯖街道]]<br /> * [[若江線]]<br /> |<br /> * [[御食国]]<br /> * [[琵琶湖若狭湾快速鉄道]]<br /> * [[三方五湖レインボーライン]]<br /> * [[嶺北]]<br /> * [[越前国]]<br /> }}<br /> <br /> == テレビ局 ==<br /> * [[NHK福井放送局]]<br /> * [[福井放送]]<br /> * [[福井テレビジョン放送]]<br /> * [[讀賣テレビ放送]]<br /> * [[MBSテレビ|毎日放送]]<br /> * [[関西テレビ放送]]<br /> * [[朝日放送テレビ]]<br /> * [[京都放送]]<br /> * [[びわ湖放送]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.wakasaji.org/index.html 若狭湾観光連盟]<br /> * [http://jforest-reinan.com/index.html れいなん森林組合]<br /> &lt;!--* [http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm 三井寺 若狭地方の新羅神社]--&gt;<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:れいなん}}<br /> [[Category:福井県の地理]]</div> 203.180.199.75 農業協同組合 2018-06-11T18:17:52Z <p>203.180.199.75: /* 新規農協設立の認可 */</p> <hr /> <div>{{otheruses|日本の農業協同組合|韓国の農業協同組合|農業協同組合 (韓国)}}<br /> {{単一の出典|date=2014年4月}}<br /> [[File:JA logo.svg|200px|right|thumb|JA及びJAグループ所属団体の[[ロゴマーク]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;農業協同組合&#039;&#039;&#039;(のうぎょうきょうどうくみあい、通称:&#039;&#039;&#039;農協&#039;&#039;&#039;〈のうきょう〉)は、[[日本]]において農業者(農民又は農業を営む法人)によって組織された[[協同組合]]である。[[農業協同組合法]]に基づく法人であり、事業内容などがこの法律によって制限・規定されている。なお、&#039;&#039;&#039;[[全国農業協同組合中央会]]&#039;&#039;&#039;が組織する農協グループ(総合農協)を、愛称として&#039;&#039;&#039;JA&#039;&#039;&#039;(ジェイエイ、&#039;&#039;&#039;J&#039;&#039;&#039;apan &#039;&#039;&#039;A&#039;&#039;&#039;gricultural Cooperativesの略)と呼ぶ&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;&gt;『日本の食と農』 [[神門善久]]著 NTT出版 2006年6月&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> [[江戸時代]]の[[天保]]期、[[農業経済学|農政学]]者・農村指導者の[[大原幽学]]が[[下総国]][[香取郡]]長部村(現・[[千葉県]][[旭市]]長部)一帯で興した先祖株組合が、日本における農業協同組合の始まりとされる。一方、近代的意味における農業協同組合の前身は、[[明治時代]]に作られた[[産業組合]]([[1900年]])や[[帝国農会]]([[1910年]])にさかのぼる。[[太平洋戦争]]中、生産物を一元的に集約する目的で「農業会」という統制団体に改組された。<br /> <br /> 戦後の[[農地改革]]の一環として、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は欧米型の農業協同組合(行政から独立しており、自主的に組織できる)を作ろうとした。だが、当時の食料行政は深刻な食糧難の中で、食料を統制・管理する必要があった。そのため、[[1948年]](昭和23年)、既存の農業会を改組する形で農協が発足した&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。その際に、「協」を図案化した円形の「農協マーク」が制定された(地方の古い農業倉庫などに「農協マーク」が残っている場合がある)。1992年4月から「農協マーク」に代わり、「JA」の名称や「JAマーク」を使い始める。このような設立の経緯から、農民の自主的運営というよりは、上意下達の組織という側面をもっている。<br /> <br /> == 組織 ==<br /> 事業ごとに次の全国組織([[農業協同組合連合会]])および都道府県組織がある。なお専門農協は「[[専門農協]]」の項を参照。<br /> * [[全国農業協同組合中央会]](JA全中)一般社団法人 - 単位農協(JA)および連合会の指導、[[監査]]、広報活動<br /> ** 都道府県[[農業協同組合中央会]] (JA中央会)- 各都道府県に1つずつ設置されている。<br /> * [[全国農業協同組合連合会]](JA全農) - 経済事業([[販売]]、購買)<br /> ** 県[[経済農業協同組合連合会]](JA経済連) -[[全国農業協同組合連合会]](JA全農)や県単一農協への統合が進んでおり、現存しているのは7県。北海道は北海道経済農業協同組合連合会から[[ホクレン農業協同組合連合会]]に名称変更。<br /> * [[農林中央金庫]] (農林中金)- 農協貯金、漁協貯金の中央金庫(運用機関)<br /> ** 都道府県信用農業協同組合連合会(JA信連) - 信用事業([[JAバンク]])、都道府県ごと(32都道府県、ほかの県は農林中金へ事業譲渡又は県域農協に包括継承)<br /> * [[全国共済農業協同組合連合会]](JA共済連) - 共済事業<br /> * [[全国厚生農業協同組合連合会]](JA全厚連) - 厚生事業(主に[[医療]]=[[病院]]など)、医療法人への組織変更規定を追加。<br /> ** 都道県厚生農業協同組合連合会 (JA厚生連)- 都道県ごと(33都道県、栃木県については、本来の県単位の組織が破綻しているが、別途地区ごとにあった2つの厚生連が現在も存在)<br /> <br /> 各全国組織は、会員である単位農協および連合会が出資している協同組合組織(全国農業協同組合中央会および農林中央金庫を除く)であり、一般的な株式会社の親会社、子会社とは関係が異なる。最近ではJA全農と各都府県経済連の合併が行われ、全農本体の都府県本部が「JA全農○○(○○には都府県名が入る)」として経済事業、販売事業、購買事業の都道府県組織となる例も多い。<br /> <br /> === 総合・専門農協 ===<br /> 個別の農協(単位農協)には、総合農協(信用事業を含む、複数の事業を行っている農協)のほか、[[専門農協]](信用事業を行わず(一部は信用事業を行う組合もある)、[[畜産]]、[[酪農]]、[[園芸]]といった特定の生産物の販売・購買事業のみを行う農協)もある。平成23事業年度において、専門農協数は719、組合員数は約256千人(正組合員数約186千人、准組合員数約69千人)。<br /> <br /> === 新規農協設立の認可 ===<br /> [[2001年]]([[平成]]13年)の[[農業協同組合法]]改正において、地区の重複する農協は、総合農協であるかないかにかかわらず、認められることとなった。この改正において、行政庁が設立認可をする際には、関係する[[市町村]]及び[[農業協同組合中央会]]に協議することが義務付けられたものの、その後になされた申請については、全て認可されていた。こうした状況を踏まえ、「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(第3次一括法)([[2013年]][[6月7日]]成立、2013年[[6月14日]]公布)により、当該協議の義務付けは廃止された。<br /> <br /> == 事業内容 ==<br /> 農協は、組合員の自主的な選択により事業範囲を決めており、多くの農協は、組合員が必要とするサービスを総合的に提供している。<br /> ; 指導事業<br /> * 営農指導事業<br /> * 生活指導事業<br /> ; 経済事業<br /> * 組合員の生産物([[農産物]])の販売(販売事業)<br /> ** [[ファーマーズマーケット]]([[農産物直売所]])の運営<br /> * 農業の生産に必要な[[肥料]]、[[農薬]]、[[農業機械]]や生活に必要な食品などの供給(購買事業)<br /> ** [[ガソリンスタンド]](&#039;&#039;&#039;[[JA-SS]]&#039;&#039;&#039;)・[[液化石油ガス|プロパンガス]]供給元(&#039;&#039;&#039;クミアイプロパン&#039;&#039;&#039;)の運営<br /> ** [[スーパーマーケット]](&#039;&#039;&#039;[[エーコープ|Aコープ]]&#039;&#039;&#039;)の運営<br /> ** [[配置販売業|配置薬事業]](&#039;&#039;&#039;クミアイ家庭薬&#039;&#039;&#039;)の運営<br /> ; 信用事業(通称、&#039;&#039;&#039;[[JAバンク]]&#039;&#039;&#039;)<br /> * [[預金|貯金]]、[[融資|貸付]]、[[為替]]、[[証券業]]の取り扱い(このため農協は[[小切手法]]においては[[銀行]]と同視されている)<br /> ; [[共済]]事業(通称、&#039;&#039;&#039;[[全国共済農業協同組合連合会|JA共済]]&#039;&#039;&#039;)<br /> * [[生命保険]]と[[損害保険]]に相当。終身共済、医療共済、年金共済、[[建物更生共済]]、[[火災共済]]、[[自動車保険|自動車共済]]、[[自動車損害賠償責任保険|自賠責共済]]などの加入とりまとめ<br /> ; 厚生事業<br /> * [[病院]]・診療所([[全国厚生農業協同組合連合会|厚生連]]病院)、保健施設等の運営<br /> ; 高齢者福祉事業<br /> ; 利用事業<br /> * [[カントリーエレベーター]]、[[ライスセンター]]等の運営<br /> <br /> そのほか、[[冠婚葬祭]](主に[[葬儀]](JA葬祭))事業、観光・旅行事業([[農協観光]])、[[不動産]]仲介事業、新聞([[日本農業新聞]])・出版事業、市民農園、郵便窓口業務の受託([[簡易郵便局]])、[[農機]]の販売・整備が主の自動車ディーラー、建築設計、[[自動車学校]]、[[有線放送]]、[[発電]]など、多岐に亘る。これは、組合員たる農家の預貯金をほぼ一手に引き受ける豊富な資金と「農協」の信用力、組合員の互選で選ばれた組合長による文字通り「地域の発展の為」の事業展開の結果である。また、[[生活協同組合]]などと違い信用事業・金融事業を禁止されていないなどの特権を持つことも理由である。これらの特権は[[族議員]]や農協の[[ロビー活動]]などによって死守されてきた。一方で、農協婦人会や青年部等による生活改善運動は、農村の食生活や生活改善など教育の場として発展して来た。また大規模かつ安定的な需要を目当てに、各メーカーが農協専売品を用意していた([[スバル・サンバー|JAサンバートラック]]など)。事業内容が多岐に亘ることで「&#039;&#039;&#039;農協簿記&#039;&#039;&#039;」という特殊な[[簿記]]が用いられる。他業務をカバーする勘定科目を使い、なおかつ購買や販売等については独自の勘定科目名称を用いる。<br /> <br /> [[東京都]][[御蔵島村]]の御蔵島村農協のように、地域農協だが信用事業を行っていない組合も存在する。群馬県上野村の[[上野村農業協同組合|上野村農協]]・東京都の[[東京島しょ農業協同組合|東京島しょ農協]]・大分県の下郷農協のように信用事業だけ譲渡し、信用事業を廃止したところもある。また、[[宮城県]]の「宮城県農民の家農業協同組合」(平成30年2月28日、破産手続開始決定&lt;ref&gt;https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00010005-biz_shoko-bus_all&lt;/ref&gt;)は農民運動活動家が組織した組合で、利用事業として[[温泉]]宿泊施設と施設に併設された[[診療所]]のみを経営していた特殊な組合であった(会員以外も利用可能であった)。<br /> <br /> 全県1農協を目指しての合併促進がされているところもあり、[[奈良県農業協同組合|奈良県]]・[[沖縄県農業協同組合|沖縄県]]・[[香川県農業協同組合|香川県]]・[[島根県農業協同組合|島根県]]などはすでに実現した(香川県は、信連は県域農協に包括承継させていない、島根県は、JA全農島根県本部の一部事業譲渡を受けたが包括承継はまだ)。<br /> <br /> == 農協の目的 ==<br /> 農業協同組合法によって定められており、[[農業]]生産力の増進と農業者の経済的・社会的地位の向上を図るための協同組織とされている。組合員の自主的な選択により、事業範囲を決めており、多くの組合員が必要とするサービスを総合的に提供する。加入者の大半が米作農家で、そのためJAは米を中心に活動を行っている&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> *農協の事業運営は、正組合員である農業者の意思決定により行われている。しかし、組合員以外も、一定の範囲で事業を利用することができる。組合員以外の利用の範囲は、組合員の事業の20/100。貯金の受入れ等は、25/100。加工・農村工業事業、医療・老人福祉等は、100/100である。<br /> === 組合員資格 ===<br /> 組合員資格は、各農協の定款において定められ、一般的に、耕作面積や従事日数の要件を規定している。組合員は、正組合員と准組合員に分かれる。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> ! !! 資格 !! 権利など !! 備考<br /> |-<br /> | 正組合員 ||農業者。農協の地区内に住所を有する農民、農業を営む法人 ||<br /> *組合員が一人一票の議決権を持つ。   <br /> *[[役員]]や[[総代]]に選出される権利。<br /> *臨時総会を開く請求権。但し、正組合員の1/5以上の同意が必要。<br /> *組合の事業を利用する権利等。 <br /> ||<br /> [[専業農家]]と[[兼業農家]]に議決権を公平にしたことで、効率的な農業の推進が妨げられてきたという意見もある。<br /> [[減反]]を参照。<br /> |-<br /> | 准組合員 || 農業者で無くてもなれる || <br /> *出資すれば、全ての事業が利用可能になる。但し、農協の地区内に住所のある個人。 <br /> || 准組合員に議決権を認めない理由は二つ。一つは、農業者で無い者に組合を支配されない為。もう一つは、地域の住民(旧産業組合・旧農業会に於いて構成員となることができた者)の事業の利用を認めるため。<br /> |}<br /> <br /> === 問題の提起 ===<br /> [[神門善久]]は、以下の問題を指摘した&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> *正組合員資格は、農業者に限られている。だが、実際はすでに離農した者が多く存在しており、土地持ち非農家などがその代表格。<br /> *准組合員においては、転居や死亡等で本人の所在が確認できない場合も、含まれる。<br /> *組合員が資格を満たしているかのチェックは、ほとんど行われていなかった。<br /> *その結果、2000年代には、本来であれば資格を持たないはずの組合員が、100万人は存在する。<br /> <br /> 総合[[規制改革会議]]でも、組合員の状況は問題視され、「規制改革推進3か年計画(再改定)」(平成15年3月28日閣議決定)において、「組合員制度の実態、員外利用率の状況等を考慮し、法令違反等のある場合はこれを是正するよう指導するなど所要の処置を講ずる」とされた。これを踏まえ、[[農林水産省]]では平成15年3月に事務ガイドラインを改正して、員外利用規制に違反があれば所管行政庁(都道府県)が是正を指導するよう徹底してきた。<br /> ==== 指導の結果 ====<br /> これに沿った是正指導が行われることになり、指導を受けた組合を中心に、積極的に員外利用者を、准組合員として組合に加入させる対策を講じた。その結果、平成20事業年度に農協数違反は、すべて解消される見込みとなった。<br /> == 後継者不足問題 ==<br /> 高齢化や後継者不足等による農家戸数の減少等。これにより、農業者である正組合員が減少している。離農後も、農協の事業を継続して利用したい者の増加。員外利用者対策による加入推進対策等。これにより、非農業者である准組合員が増加している。そのため、平成21事業年度以降、准組合員数が正組合員数を上回る状況になっている&lt;ref name=&quot;hakusyo24&quot;/&gt;。<br /> <br /> 平成27事業年度(農林水産省経営局の総合農協一斉調査)においては、正組合員数約443.3万人に対し、准組合員数約593.7万人である。<br /> <br /> == 独占禁止法との関係 ==<br /> *農協を含めた[[協同組合]]は、一定の行為について[[独占禁止法]]の適用除外が認められている(独占禁止法第22条)。中小事業者は、単独では[[大企業]]に対抗できないが、協同組合を組織することで、有効な競争の単位となり得る。<br /> *しかしながら、農協が[[不公正な取引方法]]をした場合&lt;ref group=&#039;注&#039;&gt;例:組合員に農協の事業の利用を強制するなど&lt;/ref&gt;または一定の取引分野における競争を実質的に制限することにより不当に対価を引き上げることとなる場合は、独占禁止法の&lt;!--適用が除外されるものではなく、違法であり、--&gt;取締りの対象となる(独占禁止法第22条但書)。<br /> *また、他の事業者や単位農協と共同して価格や数量の制限等を行うこと(カルテル)等も、(その)組合の行為とは言えないため、独占禁止法の適用除外とはならない&lt;ref&gt;http://www.jftc.go.jp/dk/noukyou/nokyogl.html&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[公正取引委員会]]は、[[農林水産省]]と連携して、農業協同組合等の農畜産物の販売事業及び生産資材の購買事業の取引実態についてヒアリングを行うなど、実態の把握と検証を実施した。その結果、農業者は依然として大企業に伍して競争し又は大企業と対等に取引を行う状況にはないこと、農業者や単位組合は農畜産物販売及び生産資材購入について自らの判断で取引先を選択できること、適用除外制度があるために判断できない農業協同組合等の問題行為は特段認められなかったこと等から、平成23年4月までに、当該検証の結果としては、適用除外制度を直ちに廃止する必要はないとの結論に至った&lt;ref name=&quot;kiseifu23&quot;&gt;「規制・制度改革に関する閣議決定事項の実施状況の調査結果」(平成23年9月公表)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 各国の農協 ===<br /> なお、日本と同様に、[[アメリカ]]、[[EU]]、[[韓国]]においても農協に対する独占禁止法の適用除外が認められている。このため、これまで[[年次改革要望書]]や[[日米経済調和対話]]など、日米二国間の経済協議において、農協に対する独占禁止法の適用除外の見直しが求められたことは無い。<br /> <br /> == 評価 ==<br /> [[神門善久]]は、農協について幾つかの指摘をしている&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> === 組織面 ===<br /> *農協の規模、組織力は、他国の農協の比較して、特異なもの&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> *[[農林水産省]]は、最初はJAの存在が本来の農業協同組合のものではないとして否定的であったが、次第に農業政策の下部組織として使うようになる。このため、自発的な会員組織としての性格は薄く、政府を頂点とする[[上意下達]]のための組織と見る傾向がある。しかし、金融自由化などをきっかけに、農水省は、次第にJAと距離を取ろうとする態度に転じていった。この事は金融自由化で次第にJAの特権が無くなる中で、不良債権問題等が出たときの責任を取らされる恐れがあるため&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> *JAは組織率が非常に強力だった。そのため、ほとんどの農家はJAの会員になっており、地方において強力な[[票田]]となっていたと言われ、政治へ大きな影響力があると考えられてきた。&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。ただ、JAは、票田としての力もなくなってきたため、以前ほどの政治力を行使しづらくなるという背景もある&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> *働き口(各種講演など)の関係から、JAの活動を支持・肯定する研究者が多い&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 事業面 ===<br /> *「食料・農業・農村基本計画」(平成22年3月閣議決定)では、農協等の団体が地域一体となった取組の推進や個々の農業者の経営安定に重要な役割を果たしている。だが、一部で、事業運営の問題があり、地域の農業者の期待に応えられていないケースもみられる&lt;ref name=&quot;syokutonou&quot;/&gt;。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> ! !! 事業面に対する指摘内容<br /> |-<br /> | 長所 ||<br /> : ・所得の再配分を行い、社会の歪みが生じるのを防いだ。<br /> : ・高度成長期にJAが政治活動を通じて農家への所得再配分を誘導した結果、農家 - 非農家の[[所得格差]]を是正した(戦前の農家 - 非農家の所得格差は約0.3だったのに対し、戦後は約0.7とだいぶ緩和されている)。このため、例えば2000年代の中国のように農家の所得格差が社会問題化せず、社会の安定に貢献した。<br /> :・[[自由民主党 (日本)|自民党]]政権に、政策のフリーハンドを与えた。<br /> : ・1950〜60年代は、農業従事者が全労働人口の3分の1を占めていた。JAが自民党を支持していたことにより、自民党は非[[第1次産業]]に対し、比較的フリーハンドで政策を立案、運営することができた(支持基盤が安定しているため、特定の産業を優遇する必要もなく、敵に回しても問題がない)。<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; | 短所 ||<br /> :・JAは、体質として法令違反を非常に行いやすいものとなっている。<br /> :・会員に、零細農家が多い。遵守意識が低いため、少々の不祥事があっても、何でも頼めるJAを頼る。<br /> :・実質的に農水省の下部組織として活動しているため、何かあっても救済があり、行政と一体化している。<br /> :・JAの事業には、初めから法令違反を前提としたものがある。 特に戦後の米は、[[闇市|闇流通]]の米を前提にしなければ市場が回らない代物であった為である。<br /> :・1地域1JAという体制は、1地域における独占状態を招く。そのため、遵守意識がゆるむ。<br /> |}<br /> <br /> === その他の評価 ===<br /> *「平成24年度食料・農業・農村白書」においては、農協は、農産物の流通や生産資材の供給等を適切に行い、農業所得を向上させていくことが最大の使命であるとしている&lt;ref name=&quot;hakusyo24&quot;&gt;『平成24年度食料・農業・農村白書』 2013年6月&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 規制改革会議 ==<br /> 2014年5月22日、[[規制改革会議]]は、「全国農業協同組合中央会(JA全中)が、法律に基づいて農協の経営指導などを行う」今の制度を廃止する農協改革案を提案した。しかし、議員からは「安易に組織をいじれば生産者の不安をあおるだけ」、「あくまでみずからで行う改革が基本だ」と、反発の声が相次いだ。一方、一部の議員からは「農協にもっと経営能力のある人材を登用すべき」とか「農協の販売力の強化は必要だ」という意見も出た。その為、自民党は、6月上旬を目標に目処に、生産者の所得を増やすための案をまとめる模様&lt;ref&gt;NHKニュース2014年5月21日 自民党 農協改革案に反発相次ぐ&lt;/ref&gt;。<br /> なお、規制改革会議の農協(JA)改革案は、[[環太平洋戦略的経済連携協定 |TPP]]交渉をにらんでの考えとされている&lt;ref&gt;東京新聞2014年5月20日 朝刊 [http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014052002000131.html 首相、JA改革を指示 TPP視野 政府会議で議論]{{リンク切れ|date=December 2017}}&lt;/ref&gt;。[[竹中平蔵]]は、「外国人労働者を入れて農業を再生したい」という提案を拾い上げ、実現に向けて意欲を示している&lt;ref&gt;東洋経済2013年12月27日 竹中平蔵「アベノミクスは2014年が正念場」構造改革は進むのか&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 関連企業 ==<br /> {{main|[[:Category:農業協同組合]]}}<br /> <br /> == 出資企業 ==<br /> * [[雪印メグミルク]]<br /> * [[ボーソー油脂]]<br /> <br /> == 主なキャラクター ==<br /> === JAバンク ===<br /> {{main|[[JAバンク#主なキャラクター]]}}<br /> === JA共済 ===<br /> {{main|[[全国共済農業協同組合連合会#キャラクター]]}}<br /> <br /> == 注釈 ==<br /> {{Reflist|group=注}}<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|JA Group}}<br /> * [[日本の農業協同組合一覧]]<br /> * [[日本の農業]]<br /> * [[農業経済学]]<br /> * [[コミュニティ・ビジネス]]<br /> * [[生活協同組合]] - 農産物の供給や栽培などで、農協と生協が組むことも多い。<br /> * [[全日本農民組合連合会]]<br /> * [[農民運動全国連合会]]<br /> * [[全国農協青年組織協議会]](略称:JA全青協)<br /> * [[協同組合短期大学]]<br /> * [[静岡第一テレビ]](開局時に関与)<br /> * [[既得権益]]<br /> * [[農林水産省]]<br /> * [[漁業協同組合]]([[漁業協同組合|JF]])<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.zenchu-ja.or.jp/ JA全中]<br /> * [http://www.zennoh.or.jp/ JA全農]<br /> * [http://www.ja-kyosai.or.jp/ JA共済連]<br /> * [http://www.nochubank.or.jp/ 農林中金]<br /> * [http://www.jabank.org/ JAバンク]<br /> * [http://www.ja-zenkouren.or.jp/ JA全厚連]<br /> * [http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&amp;H_NAME=%94%5f%8b%c6%8b%a6%93%af%91%67%8d%87&amp;H_NAME_YOMI=%82%a0&amp;H_NO_GENGO=H&amp;H_NO_YEAR=&amp;H_NO_TYPE=2&amp;H_NO_NO=&amp;H_FILE_NAME=S22HO132&amp;H_RYAKU=1&amp;H_CTG=1&amp;H_YOMI_GUN=1&amp;H_CTG_GUN=1 法令データ提供システム - 農業協同組合法]{{リンク切れ|date=December 2017}}<br /> <br /> {{JAグループ}}<br /> {{日本の法人}}<br /> <br /> {{agri-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:のうきようきようとうくみあい}}<br /> [[Category:農業協同組合|*]]</div> 203.180.199.75 コンビナート 2018-06-11T16:08:16Z <p>203.180.199.75: /* 関連項目 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;コンビナート&#039;&#039;&#039;({{lang-ru|комбинат}}, [[ラテン文字]]転写: {{en|kombinat}})&lt;ref&gt;日本語で「結合」の意。&lt;/ref&gt;とは、企業相互の生産性の向上のために原料・燃料・工場施設を計画的・有機的に結び付けた企業集団のことである。あるいは、広義としてその企業集団が集中的に立地する[[工業地域]]を指す。<br /> <br /> コンビナートはロシア語に由来し、旧[[ソビエト連邦|ソ連]]で関連産業の企業や工場を一地域に立地させ有機的に結合させた工業建設組織のことをいった&lt;ref name=&quot;kagaku669&quot;&gt;『化学辞典 普及版』森北出版、1985年、669頁&lt;/ref&gt;。第二次世界大戦後に発展した石油化学工業のコンビナートはその典型例となっており&lt;ref name=&quot;kagaku669&quot; /&gt;、一般的には&#039;&#039;&#039;石油コンビナート&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;石油化学コンビナート&#039;&#039;&#039;)のことを指すことが多い。<br /> <br /> 一方、コンビナートとよく混同される&#039;&#039;&#039;コンプレックス&#039;&#039;&#039;(complex)とは、地域生産複合体と訳される、コンビナートよりも近距離にある原料・燃料・工業施設のまとまりである。旧ソ連においては[[1970年代]]からコンビナートからコンプレックスへと工業路線の変更がみられた。<br /> [[File:Tokuyama.jpg|thumb|300px|&lt;center&gt;山口県・[[#石油精製企業とエチレン処理企業が一緒|徳山]]の工場群&lt;/center&gt;]]<br /> <br /> == 日本のコンビナート ==<br /> === 石油コンビナートの歴史と現状 ===<br /> 日本にはコンビナートとされるものは[[石油化学工業協会]]の見解では15箇所(三菱化学の四日市、三井化学の岩国大竹を含む)あるとしている。実際には製油所、[[エチレンプラント]]、誘導品工場の3種類がそろっているコンビナートは13箇所である。<br /> <br /> 日本の石油コンビナートは、戦後復興がある程度実り、成長を図ろうとしていた日本が「軽工業から重化学工業への転換」を謳っていて、石油コンビナートは設置からその政策の延長線上にあった。日本では当時、一つの企業でコンビナート全体を作るコストに耐える体力がなかったことと、多くの企業が参画できるように政府が企業の調整を行っていた、とされている。そしてこの「複数の企業で一つのコンビナートを形成する」が日本の石油コンビナートのユニークな点であり、現在においては足かせともなっている。[[1956年]]([[昭和]]31年)、[[川崎市]]、[[四日市市]]、[[岩国市]]、[[新居浜市]]の4ヶ所に建設が決定され、それぞれ[[新日本石油化学|日本石油化学]]、[[三菱化学|三菱油化]]、[[三井化学|三井石油化学工業]]、[[住友化学|住友化学工業]]が中核業者となった。[[1958年]](昭和33年)に三井化学・岩国(日本最初のコンビナート)、住友化学・新居浜が稼動。4か所の中核業者をみてもわかるとおり、エチレンプラントという巨大な設備投資に耐えられるのは旧財閥・コンツェルン系企業であった。<br /> <br /> 高度経済成長を象徴するものの一つであり、コンビナートの中には[[公害]]で悪名を轟かせたものもある。日本のコンビナートはおよそ高度経済成長期にできたものがほとんどである。よって、最近の海外の超大規模コンビナートと比べ見劣り、それが生産量にも反映されている。新たなコンビナートを作り、それで採算ラインまでいけるかどうか、は不透明である。見劣りするという事は生産能力において劣り始めている、という事である。<br /> <br /> そして先述のとおり、複数の企業でコンビナートを形作っていて、コンビナートの中には非常に多くの企業を擁しているところもある。さらに特徴的なのが、エチレンプラントで基礎原料を供給している企業が、他のコンビナートでは他企業から基礎原料を得て誘導品を製造している、という現状である。エチレンプラントが不採算だからといって、勝手にエチレンプラントを停止させることができず、事前にコンビナート内で利害の調整を図り、結果としてそのプラントが作っていたものを他から輸送する、ということをしなければいけなくなることもある。生産効率低下、コスト上昇の一因となり、合理化という意味では非常にネックとなる。<br /> <br /> そしてもう一点、海外と日本の石油化学コンビナートにおける違いがある。それはエチレンプラントに供給する原料の違いである。日本では[[ナフサ]]がほとんどであるが、海外では[[エタン]]の比率が多い、もしくはどれかへの偏りがないように調達している。エタンは石油を採掘する際の副産物であり、中東などでは油田からパイプラインで供給することができる。原油と同時に得られるものなので(つまりナフサのようにプラントでわざわざ作る必要がない)価格も安く抑えることができる。<br /> <br /> 海外では、超大規模なコンプレックスが一つの企業(化学メーカーだったり石油メジャーだったりするが)で運営されている。産油国自身が油田、製油所、石化プラントを丸ごと敷地内におき、運営している、という例もある。この動きを受けて日本では、関係企業間の利害の調整を図り、海外の石化プラントに匹敵するスケールメリットを創出するため、石化コンビナートに関係する一部の企業同士で「[[石油コンビナート高度統合運営技術研究組合]](RING)」と呼ばれる活動を行っている。日本の石油コンビナートは今岐路にあると言える。<br /> <br /> 日本における通常のコンビナートの基本構成は、原油を受け入れる施設、原油を蒸留する事による沸点の差で[[ナフサ]]や[[ガソリン]]などを取り出す製油所、ナフサをさらに細かく成分分けするエチレンプラント(ここの生産能力がそのまま石油コンビナートの能力と見なされる事が多い)、分けられた成分(誘導品と呼ぶ)を使用してそれぞれにあった製品を作る多くの各種工場に分かれる。それぞれは近距離に集中して配置され、パイプで結ばれ、成分を供給している事が多い。最近では化学メーカーだけでなく、石油メーカー自体が石油コンビナートを持つ形態もある。逆に製油所がない石油コンビナート、合理化などの理由によりエチレンプラントがない石油コンビナートもあり、その形態は非常に多様化している。<br /> <br /> === 石油化学コンビナートの岐路における動き ===<br /> 誘導品レベルでは[[1994年]]([[平成]]6年)前後から業界再編があったが、コンビナートの基幹設備であるエチレンプラントが関わる段階での再編は行われなかったに等しい。[[2008年]](平成20年)あたりからの深刻な不況により化学業界全体が軒並み減益や赤字となっている。そして、中東では産油から汎用樹脂生産までを現地一貫で行う巨大プラントが続々と立ち上がっている。そのうち石化プラントの調達原料は軒並み、ナフサと比べて大幅に安上がりなエタンである。<br /> <br /> そして、アメリカにおいて大量に発掘され始めている[[シェールガス]]の波もあり、国内のエチレンプラントの廃止を含めた再編がいよいよ本格化し始めている。<br /> <br /> ちなみに[[住友化学]]は、サウジアラビアのラービグにおいて、アラムコ社との合弁会社「[[ペトロ・ラービグ]]」を立ち上げ、原油の採掘、精製、化学プラントの一貫生産設備を建設し、その一部が2009年4月9日、稼動を開始した(住友化学の発表より)。石化プラントの使用する原料はエタンである。<br /> <br /> それらの動きを受け、日本のコンビナートにおいていくつかの動きが見られている。RINGが選定した動き(国から補助金=税金 が出る)とそうでない動き(純粋な企業同士の連携であり補助金なし)がある。なお、以下の内容は全てRINGや各社発表を基にしたものである。<br /> <br /> ==== 三井化学と出光興産・千葉 ====<br /> 三井化学市原工場と出光興産千葉工場が連携する動きがある。具体的には、出光側から三井側にナフサの供給ができるようにパイプラインを敷設する、というものである。これはRING選定対象事業である。さらに[[2010年]]([[平成]]22年)[[4月1日]]、三井化学と出光興産の折半出資により、両者が千葉地区に持つエチレンセンターの製造や運営を行う「千葉ケミカル製造有限責任事業組合」([[LLP]])を設立した。意味するものは、両社の千葉地区のエチレンセンターの事実上の統合である。<br /> <br /> ==== 住友化学と富士石油・千葉 ====<br /> 住友化学千葉工場は以前から富士石油袖ヶ浦製油所からナフサやLPGを調達していたが、LPGの調達経路を船からパイプに変更し(成分調整がリアルタイムにできる)。そして、[[ブタン]]と[[ブチレン]]を調達するパイプラインを設置する。これもRING選定対象事業である。<br /> <br /> ==== JXTGエネルギーと出光興産・愛知 ====<br /> JXTGエネルギー知多製造所と出光興産愛知製油所での連携で、JXTGエネルギー側から出光側へ水素の供給を行う。出光側からJXTGエネルギー側へ重油とブタンを供給する。ここで相互供給されるものは、全て施設維持のための燃料である。これもRING選定対象事業である。<br /> <br /> ==== 三菱化学と旭化成ケミカルズ・水島 ====<br /> [[2009年]]([[平成]]21年)[[6月2日]]、三菱化学と旭化成ケミカルズがエチレンプラントの統合を目指していることを明らかにした。発表によると、まず共同出資で会社を作り、その会社に両方にエチレンセンターの運営を行わせる。次に3年以内に運用の最適化(つまり統合)を行う、としている。なお、これはRING選定対象事業ではない。[[2010年]](平成22年)[[5月31日]]、翌[[2011年]](平成23年)4月より双方のエチレンセンターの一体運営を行う、という発表が双方からなされた。[[2011年]](平成23年)[[2月23日]]、三菱化学と旭化成ケミカルズの折半出資による、西日本エチレン有限責任事業組合([[LLP]])の設立が発表され、同年[[4月1日]]に事業を開始した。<br /> <br /> ==== 出光興産・周南 ====<br /> 2011年11月1日、出光興産徳山製油所の、原油処理機能を停止させると発表した。製油所としての機能を停止させると言う事である。化学プラントとしての機能の停止予定は今の所ない(外部からの調達)。<br /> <br /> ==== 三菱化学・鹿島 ====<br /> 2012年6月11日、三菱化学は2014年に行われる定期修理を持って、鹿島事業所内の鹿島第一エチレンプラントを停止させると発表した。<br /> <br /> ==== 住友化学・千葉 ====<br /> 2013年2月1日、住友化学は2015年9月までに、自社が所有するエチレンプラントの稼働を停止させると発表した。以後は、住友化学などが出資している京葉エチレンからエチレンの供給を受ける事になる。<br /> <br /> === 主な石油化学コンビナート ===<br /> ここでは日本にある主な石油化学コンコンビナートを挙げる。<br /> <br /> ==== 石油精製企業とエチレン処理企業が別 ====<br /> 精製所、エチレンプラントが一つのコンビナートにあり、かつ石油精製とエチレン処理が別企業な形態。エチレンプラント業者が製油業者または化学業者の子会社である場合においても、別会社として扱う。ここには、かつてエチレン処理をしていたが今はしていないコンビナートを含める。<br /> <br /> *下部の表示は以下の要領で表記されている。<br /> **プラントにナフサ他を提供する製油所<br /> **中核施設であるエチレンプラントを擁する事業所<br /> **パイプラインによりコンビナート内で原料を供給され(または外部から調達し)、コンビナート内(コンビナートのライン上にある外部工場含む)工場に原料を供給する関係にある誘導品工場<br /> **コンビナートにおいて末端(パイプラインで供給されるだけの関係)の誘導品工場<br /> **タンカーやタンクローリーなど、パイプライン以外の手段「のみ」で供給され、また供給する関係にある誘導品工場<br /> **コンビナート所在地(複数の市町村にまたがる場合は全て記述)<br /> **コンビナートが属する工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三菱化学コンビナート・鹿島&#039;&#039;&#039;<br /> **[[鹿島石油]](株)&lt;[[JXTGエネルギー]](株)の関連会社&gt;鹿島製油所<br /> **[[三菱化学]](株)鹿島事業所<br /> **[[JSR]](株)鹿島工場、(株)[[トクヤマ]]鹿島工場、[[日本ポリエチレン]](株)鹿島工場、[[日本ポリプロ]](株)鹿島工場、[[旭硝子]](株)鹿島工場、[[鹿島塩ビモノマー]](株)本社工場、(株)ティーエムエアー鹿島工場、鹿島ケミカル(株)本社工場<br /> **[[花王]](株)鹿島工場、[[日本乳化剤]](株)鹿島工場、(株)[[カネカ]]鹿島工場、(株)[[ADEKA]]鹿島工場、[[信越化学工業]](株)鹿島工場、(株)[[クラレ]]鹿島事業所、ライオンケミカル(株)鹿島工場、(株)[[ユポ・コーポレーション]]鹿島工場、(株)油化スケネクタディー鹿島工場、[[三菱ガス化学]](株)鹿島工場、JSRクレイトンエラストマー鹿島工場、(株)クラレ鹿島事業所、三井化学(株)鹿島工場、日本ブチル(株)鹿島工場<br /> **該当なし<br /> **[[茨城県]][[神栖市]]<br /> **[[鹿島臨海工業地帯]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;丸善石油化学コンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **[[コスモ石油]](株)千葉製油所<br /> ** [[丸善石油化学]](株)&lt;コスモ石油(株)[旧:丸善石油]の石油化学部門&gt; 千葉工場、京葉エチレン(株)<br /> **JSR(株)千葉工場、日本ポリプロ(株)五井工場、京葉エチレン(株)、千葉ブタジエン工業(株)、京葉モノマー(株)、[[デンカ]](株)千葉工場、旭ペンケミカル(株)千葉工場、<br /> **[[JNC石油化学]](株)本社工場、五井化成(株)本社工場、[[日立化成]](株)五井事業所、[[宇部丸善ポリエチレン]](株)、[[宇部興産]](株)千葉石油化学工場、旭硝子(株)千葉工場、[[KHネオケム]](株)千葉工場、[[東洋スチレン]](株)五井工場<br /> **JSR(株)鹿島工場、(株)クレハいわき事業所、[[UMG ABS]](株)<br /> **[[千葉県]][[市原市]]<br /> **[[京葉工業地域]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三井化学コンビナート・千葉&#039;&#039;&#039;<br /> **[[JXTGエネルギー]](株)千葉製油所<br /> **[[三井化学]](株)市原工場、京葉エチレン(株)<br /> **JSR(株)千葉工場、(株)[[プライムポリマー]] 千葉工場、千葉フェノール(株)本社工場<br /> **三井・デュポンポリケミカル(株) 市原工場、日本アルキルフェノール(株)、日本エポキシ樹脂製造(株)、三井・デュポンフロロケミカル(株)千葉工場<br /> **JSR(株)鹿島工場、[[日本ゼオン]](株)、三井化学(株)岩国大竹工場<br /> **千葉県市原市<br /> **京葉工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;住友化学コンビナート・千葉&#039;&#039;&#039;<br /> **[[出光興産]](株)千葉製油所及び富士石油(株) 袖ヶ浦製油所<br /> **[[住友化学]](株)千葉工場、京葉エチレン(株)<br /> **JSR(株)千葉工場、東部ブタジエン(株)、千葉アルデハイド(株)、[[日本オキシラン]](株)千葉工場<br /> **日本ポリスチレン(株)千葉工場、[[広栄化学工業]](株)千葉プラント、[[日本エイアンドエル]](株)千葉工場<br /> **[[ダイセル]](株)ほか<br /> **千葉県市原市及び[[袖ヶ浦市]]<br /> **京葉工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;東燃化学コンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)川崎製油所<br /> **[[東燃化学]]合同会社川崎工場<br /> **該当なし<br /> **[[日本ゼオン]](株)川崎工場、日本ポリプロ(株)川崎工場、旭化成ケミカルズ(株)川崎事業所、[[昭和電工]](株)川崎事業所、日本合成アルコール(株)本社工場、(株)[[NUC (企業)|NUC]]川崎工業所、[[新日本理化]](株)川崎工場、日本ブチル(株)川崎工場<br /> **昭和電工(株)<br /> **[[神奈川県]][[川崎市]][[川崎区]]<br /> **[[京浜工業地帯]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三菱化学コンビナート・四日市&#039;&#039;&#039;<br /> **[[昭和四日市石油]](株)四日市製油所(2001年、三菱化学のエチレンプラント停止によりエチレン供給機能停止)<br /> **三菱化学(株)四日市事業所 (2001年エチレンプラント停止、水島・鹿島両事業所より供給受ける)<br /> **JSR(株)四日市工場<br /> **三菱ガス化学(株)四日市工場、[[ライオン・スペシャリティ・ケミカルズ]](株)本社工場、日本アエロジル(株)四日市工場、日本ユニペット(株)四日市工場、[[四日市合成]](株)本社工場、[[PSジャパン]](株)四日市工場、[[テクノポリマー]](株)四日市事業所、(株)JSP四日市工場、[[東邦化学工業]](株)四日市工場、ジャパンエポキシレジン(株)四日市工場、ケッチェン・ブラック・インターナショナル(株)四日市工場<br /> **三菱化学(株)鹿島事業所、ヴィテック(株)四日市工場<br /> **[[三重県]][[四日市市]]<br /> **[[中京工業地帯]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;東ソーコンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **コスモ石油(株)四日市製油所<br /> **[[東ソー]](株)四日市事業所<br /> **JSR(株)四日市工場<br /> **丸善石油化学(株)四日市工場、三菱化学(株)四日市事業所、KHネオケム(株)四日市工場、大洋塩ビ(株)四日市工場、日本ポリプロ(株)四日市工場、(株)[[ジェイ・プラス]]四日市工場、[[DIC (企業)|DIC]](株)四日市工場、テクノポリマー(株)四日市事業所<br /> **東ソー(株)の他工場<br /> **三重県四日市市<br /> **中京工業地帯<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三井化学コンビナート・大阪&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株) 堺製油所、コスモ石油(株) 堺製油所及び[[大阪国際石油精製]](株)&lt;JXTGエネルギー(株)の関連会社&gt;大阪製油所<br /> **大阪石油化学(株)本社工場<br /> **三井化学(株) 大阪工場<br /> **[[日本アルキルアルミ]](株)大阪工場、[[日本酢ビ・ポバール]](株) 堺工場、(株)[[プライムポリマー]] 大阪工場<br /> **旭化成ケミカルズ(株)、(株)カネカ、東ソー(株)、大洋石油化学(株)、日本ポリスチレン(株)、日本エイアンドエル(株)、日本ゼオン(株)、三井化学(株)他工場<br /> **[[大阪府]][[堺市]]西区及び大阪府[[高石市]]<br /> **[[阪神工業地帯]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三菱化学コンビナート・水島&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)[[JXTGエネルギー水島製油所|水島製油所]]A工場<br /> **三菱化学(株)水島事業所、ダイヤニトリックス(株)水島工場、ヴィテック(株)水島工場、岡山ブタジエン(株)水島工場<br /> **[[日本ゼオン]](株)水島工場、日本ポリエチレン(株)水島工場、[[日本ポリプロ]](株)水島工場、(株)クラレ倉敷事業所、[[日本合成化学工業]](株)水島工場、[[関東電化工業]](株)水島工場、日本イソブチレン(有)<br /> **ヴィテック(株)川崎工場・四日市工場、三菱化学(株)鹿島事業所・四日市事業所・黒崎事業所・松山工場、日本メタアクリルモノマー(有)<br /> **[[岡山県]][[倉敷市]]<br /> **[[瀬戸内工業地域]]<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;旭化成ケミカルズコンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)[[JXTGエネルギー水島製油所|水島製油所]]B工場<br /> **山陽石油化学(株)&lt;旭化成ケミカルズ(株)の子会社&gt;<br /> **旭化成ケミカルズ(株)水島製造所、[[大阪ソーダ]](株)水島工場、岡山ブタジエン(株)水島工場<br /> **日本ゼオン(株)水島工場、PSジャパン(株)水島工場、旭化成エポキシ(株)<br /> **日本ゼオン(株)他工場、PSジャパン(株)千葉工場、旭化成ケミカルズ(株)川崎製造所<br /> **岡山県倉敷市<br /> **瀬戸内工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;三井化学コンビナート・岩国大竹&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)[[JXTGエネルギー麻里布製油所|麻里布製油所]](1993年、エチレン供給停止)<br /> ** 三井化学(株)岩国大竹工場 (1993年エチレンプラント停止)<br /> **ダイセル(株)大竹工場、三井・デュポンポリケミカル(株)大竹工場<br /> **[[広島県]][[大竹市]]及び[[山口県]][[岩国市]]及び山口県玖珂郡[[和木町]]<br /> **瀬戸内工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;出光興産コンビナート・周南&#039;&#039;&#039;<br /> **出光興産(株)徳山事業所<br /> **東ソー(株)南陽事業所、(株)[[トクヤマ]]徳山製造所、<br /> **昭和電工(株)徳山事業所、徳山積水工業(株)本社工場、日本ゼオン(株)徳山工場、新第一塩ビ(株)徳山工場、徳山ポリプロ(有)、出光サートマー(株)<br /> **大洋塩ビ(株)、三井化学(株)岩国大竹工場徳山分工場、東ソー(株)南陽事業所<br /> **山口県[[周南市]]<br /> **瀬戸内工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;住友化学コンビナート・新居浜&#039;&#039;&#039;<br /> **なし<br /> **住友化学(株)愛媛工場 (1983年エチレンプラント停止)<br /> **[[愛媛県]][[新居浜市]]<br /> **瀬戸内工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;昭和電工コンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)[[JXTGエネルギー大分製油所|大分製油所]]<br /> **昭和電工(株)[[昭和電工大分コンビナート|大分コンビナート]]<br /> **住友化学(株) 大分工場、[[新日鉄住金化学]](株) 大分製造所、[[日油]](株) 大分工場、昭和高分子(株) 大分工場、日本酢酸エチル(株) 本社工場、[[サンアロマー]](株)大分工場、[[日本ポリエチレン]](株)大分工場<br /> **[[大分県]][[大分市]]<br /> **[[大分臨海工業地帯]]<br /> <br /> ==== 石油精製企業とエチレン処理企業が一緒 ====<br /> *石油精製業者がエチレン処理まで行い、誘導品製造を他企業が行う形態。<br /> <br /> 表示順序は「石油精製企業とエチレン処理企業が別」に準拠。<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;出光興産コンビナート・千葉&#039;&#039;&#039;<br /> **[[出光興産]](株)千葉製油所<br /> **出光興産(株)千葉工場<br /> **千葉フェノール(株)<br /> **三井化学(株)千葉工場、(株)[[プライムポリマー]] 姉崎工場、PSジャパン(株)市原工場、BASF出光(株)千葉工場、京葉エチレン(株)<br /> **出光興産(株)徳山工場、日本ゼオン(株)<br /> **千葉県市原市<br /> **京葉工業地域<br /> <br /> *&#039;&#039;&#039;JXTGエネルギーコンビナート&#039;&#039;&#039;<br /> **JXTGエネルギー(株)川崎製造所<br /> **JXTGエネルギー(株)川崎製造所、日本ポリエチレン(株)川崎工場、旭化成ケミカルズ(株)川崎製造所、[[日本触媒]](株)川崎製造所<br /> **日本ゼオン(株)川崎工場、[[サンアロマー]](株)川崎工場、日本乳化剤(株)川崎工場、日本合成アルコール(株)本社工場、サンケミカル(株)<br /> **新日石プラスト(株)芝山工場、サン・ペトロケミカル(株)本社工場、日本触媒(株)他工場<br /> **神奈川県川崎市川崎区<br /> **京浜工業地帯<br /> <br /> ==== その他 ====<br /> *精製業者の単独の事業所として石化プラントがある形態。海外ではこちらのほうが多い。<br /> **JXTGエネルギー(株)知多製造所(2000年石油精製機能停止)<br /> <br /> === 石油化学コンビナート以外のコンビナート ===<br /> 大規模工場など、広義のコンビナートである。このパターンは該当数が非常に多い。石油工業においてはある程度の規模になると、巨大な試験管とも言うべき蒸留塔や反応器、それを取り囲み施設を結ぶ無数のパイプ、鉄骨むき出しのやぐらなど、おおよそ同じような外観となる。<br /> <br /> [[File:Mitsubishi chemical -Sakaide.jpg|thumb|270px|&lt;center&gt;[[三菱化学]]・坂出事業所&lt;/center&gt;]]<br /> ==== 石油化学以外の化学コンビナート ====<br /> 化学工業は原料が石油だけではない。石炭からコークスを作り、それを原料として化学工業を形成する形態は、石油以前の産業においてはスタンダードであった。いわゆる石炭化学である。<br /> *三菱化学(株) 黒崎事業所や坂出事業所<br /> *宇部興産(株) 宇部ケミカル工場や堺工場<br /> など<br /> <br /> ==== 化学・川中や川下 ====<br /> エチレンプラントを筆頭とする川上事業はせず、川中から川下の化学製品(機能性化学と呼ばれる)を作る企業のプラントも「試験管やパイプ」で構成されるものが多い。ここは石油化学や石炭化学は問わない。<br /> *信越化学工業(株) 群馬事業所や直江津工場<br /> *ダイセル化学工業(株) 姫路製造所網干工場<br /> など<br /> <br /> ==== 化学業以外のコンビナート ====<br /> <br /> ;泉佐野食品コンビナート<br /> *[[大阪府]][[泉佐野市]]の海岸を埋め立て、かつ掘り込み、そこに泉佐野食品コンビナートという名前の、食品関連工場をまとめたものを形成している。<br /> <br /> ;シャープ堺コンビナート<br /> 大阪府[[堺市]]には[[シャープ]]が中核企業となり「21世紀型コンビナート」をコンセプトとし、液晶パネル工場と太陽電池工場、部材工場、事業用特殊ガス工場、超純水工場、その他のインフラ施設からなるコンビナートを、部品供給関係にある関連会社と合同で建設し、2010年春に稼動した。<br /> *シャープ:液晶パネル工場と太陽電池工場<br /> *[[コーニング (企業)|コーニング]]:液晶パネル用のガラス工場<br /> *[[大日本印刷]]:カラーフィルター工場<br /> *[[凸版印刷]]:カラーフィルター工場<br /> *[[関西電力]]:コンビナート各施設の屋上に太陽光発電所<br /> *その他ガス工場などの工場が進出。<br /> <br /> 鉄鋼一貫製鉄所や、ある程度大規模な製鉄施設は「鉄鋼コンビナート」とも呼ばれる。そして製鉄所の構内に、[[コークス]]製造の副産物として得られる[[コールタール]]を使った、石炭化学プラントを持つ製鉄所もある。<br /> <br /> ;京葉食品コンビナート<br /> *東京湾に面した[[千葉県]][[船橋市]]高瀬町に食品関連企業の工場や物流センターなどを集めたコンビナートが造成されている。<br /> <br /> == サウジアラビアのコンビナート ==<br /> [[サウジアラビア]]の代表的なコンビナートには、アルジュベールの石油化学コンビナート、ヤンブーの石油化学コンビナート、ラービグの石油化学コンビナートなどがある&lt;ref&gt; 田島慶三『図解入門 業界研究最新化学業界の動向とカラクリがよーくわかる本 第4版』秀和システム、2016年、162頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == ヨーロッパのコンビナート ==<br /> [[ヨーロッパ]]の代表的な石油化学コンビナート地域としては[[オランダ]]の[[ロッテルダム]]や[[ベルギー]]の[[アントワープ]]などがある&lt;ref name=&quot;tajima140&quot;&gt; 田島慶三『図解入門 業界研究最新化学業界の動向とカラクリがよーくわかる本 第4版』秀和システム、2016年、140頁&lt;/ref&gt;。これらの地域の石油化学コンビナートは[[ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン]]などの内陸化学工場とは河川([[ライン川]]や[[ローヌ川]]等)や運河などでつながっており、[[北海]]や[[地中海]]などとはパイプライン網で結ばれている&lt;ref name=&quot;tajima140&quot; /&gt; 。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[四日市コンビナート]]<br /> * [[石油コンビナート等災害防止法]]<br /> * [[貯油施設]]<br /> * [[工場萌え]]<br /> {{DEFAULTSORT:こんひなあと}}<br /> [[Category:製造]]<br /> [[Category:石油]]<br /> [[Category:経済地理学]]<br /> [[Category:工業地]]<br /> [[Category:ロシア語の語句]]<br /> [[Category:ロシア語由来の外来語]]</div> 203.180.199.75 中世 2018-06-05T13:41:12Z <p>203.180.199.75: /* ヨーロッパ */</p> <hr /> <div>{{Otheruses||三島由紀夫の小説|中世 (小説)|地質時代|中生代}}<br /> {{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=ちゆうせい_____世界史}}<br /> [[File:St Michaels Church Hildesheim.jpg|thumb|right|220px|[[ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル聖堂|聖ミカエル聖堂]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;中世&#039;&#039;&#039;(ちゅうせい、[[英語]]:middle ages)は、狭義には[[西洋史]]の[[時代|時代区分]]の一つで、[[古代]]よりも後、[[近代]]または[[近世]]よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は[[1610年代]]にまでさかのぼる&lt;ref&gt;[http://www.etymonline.com/index.php?search=Middle+Ages&amp;searchmode=none Online Etymology Dictionary]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。<br /> ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。<br /> また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する&lt;ref&gt;[http://www.merriam-webster.com/dictionary/middle%20ages Merriam-Webster Dictionary]。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://dictionary.reference.com/browse/Middle+Ages Dictionary.com]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 例えば英語では[[日本史]]における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「[[:en:History_of_Japan#Medieval_Japan_.281185.E2.80.931573.2F1600.29|medieval Japan]]」(中世日本)とする。<br /> <br /> == ヨーロッパ ==<br /> {{See also|中世ヨーロッパ|中世前期|中世盛期|中世後期}}<br /> [[イタリア]]・ルネサンスの時代には、栄光の[[古代ギリシャ]]・[[古代ローマ|ローマ]]が衰退したのちに、[[ゲルマン民族]]が支配する「[[暗黒時代]]」となり、ルネサンス(復興)の時代を経て「現在」([[啓蒙時代|啓蒙主義の時代]])に至ると考えられた。栄光の古代と復興後の現代の中間に横たわるこの暗黒時代は&#039;&#039;&#039;中世&#039;&#039;&#039;と呼ばれ、古代―中世―近代の&#039;&#039;&#039;三時代区分法&#039;&#039;&#039;が西洋史の大きな枠組みとして広く使われるようになった。<br /> <br /> [[生産]]関係に重点を置く[[マルクス主義]]歴史学([[唯物史観]])の5時代区分論([[原始共産制]]・古代奴隷制・[[封建制]]・[[資本主義]]制・[[共産主義]]制)においても基本的には同様で、中世は[[封建制]]・[[農奴制]]社会とされる。ただ唯物史観は、古代から退化して現代にいたるのではなく、生産手段の継続的な進歩という[[進化論]]的視点をとる。<br /> <br /> 伝統的な西洋史の時代区分における中世は、一般に5世紀から15世紀、歴史的大事件で捉えるならば[[西ローマ帝国]]滅亡([[476年]])のあたりから[[東ローマ帝国]]滅亡([[1453年]])のあたりとされ、[[ルネサンス]]から[[宗教改革]]以降を[[近世]]とする。ただしルネサンスは国によって時期が大幅に前後することもあって、これを中世に含めるかどうかについては古くから議論があった。<br /> <br /> 中世はさらに、[[ゲルマン民族の大移動]](蛮族の侵入)から[[マジャル人|マジャール人]]、[[ノルマン人]]の侵入が収まるまでの&#039;&#039;&#039;[[中世前期]]&#039;&#039;&#039;(early middle ages、500年頃から1000年頃)、[[十字軍]]により西欧が拡大し、汎ヨーロッパ的な権力を巡って[[教皇|教皇権]]が世俗王権と争う&#039;&#039;&#039;[[中世盛期]]&#039;&#039;&#039;(high middle ages、1000年頃から1300年頃)、[[ルネサンス]]の興隆や[[百年戦争]]の争乱を経て[[絶対王制]]に向かいはじめる&#039;&#039;&#039;[[中世後期]]&#039;&#039;&#039;(late middle ages、1300年頃から1500年頃)に時代区分されることがある。<br /> <br /> 西ヨーロッパの中世は[[ペスト]]の流行、[[異端審問]]などに象徴される[[暗黒時代]]という見方をされていたが、新たな文化を生み出した時期でもある(例えば[[12世紀ルネサンス]])として、歴史学の分野では再評価が行われている。しかし一般的には中世を暗黒時代とみなす風潮はなお根強い。また、12世紀になるまでは経済力・文化などの面などで[[イスラム]]や[[東ローマ帝国]]の後塵を拝していたのも事実である。<br /> <br /> 時代が下ると、西ローマ帝国の滅亡から東ローマ帝国の滅亡までという歴史的大事件の枠にはまった従来の中世観を見直して、より包括的な社会人類学の視点から中世を定義することが行われるようになった。すなわち、ゲルマン民族大移動収拾後の定住化と共に[[キリスト教]]が大衆へ浸透し、[[封建制]]社会が確立した時期の9世紀から10世紀頃をもって中世の開始として、官僚と常備軍をもって地方分権的領主を圧迫していった国王が国内統一を成し遂げ[[絶対王政]]による強大な中央集権国家を築いた時期の[[16世紀]]末頃をもってその歴史区分の中世期の終焉とするものである。(このような見直しに伴う8世紀以前の時代区分については、&#039;&#039;&#039;[[古代末期]]&#039;&#039;&#039;を参照。)<br /> <br /> 近年では、これまでの古代 → 中世 → 近代の三時代区分に新たに&#039;&#039;&#039;[[近世]]&#039;&#039;&#039;(early modern period)という時代区分を加え、ルネサンスから絶対王政の終焉までをこの近世、それ以降を近代と考えることが主流となりつつある。&lt;!--<br /> <br /> なお、イスラムは成立そのものが西ヨーロッパにおける中世にあたるため、時々見られる「中世イスラム」などという表現は不適当ではないかという指摘がなされている。--&gt;&lt;!-- 記事の自己矛盾(下記の「イスラム世界」節の記述と相反します) --&gt;<br /> <br /> == 日本 ==<br /> === 中世区分の導入 ===<br /> [[日本の歴史]]における古代・中世・近代の区分は、西洋の歴史学をモデルとした[[明治時代|明治]]以降の近代歴史学が使い始めた。具体的には、20世紀はじめに歴史学者の[[原勝郎 (歴史家)|原勝郎]]が初めて「中世」の歴史区分を用いた。[[武家政権]]の存在した期間にヨーロッパ中世の[[騎士]]・[[封建制]](主従制)・[[荘園#ヨーロッパの荘園|荘園制]]との類似点を見出だし、[[鎌倉幕府]]の成立([[1192年]])から[[室町幕府]]の滅亡([[1573年]])まで、すなわち[[鎌倉時代]]と[[室町時代]]([[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで含む)を合わせたおよそ4世紀の期間を中世と定義するのが一般的であった。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]を挟んで中世前期・中世後期に区分される。<br /> <br /> ここに定義された「中世」は[[政治史]]的に武家政権([[幕府]])による支配を特徴としており、[[天皇]]の政権([[朝廷]])が全国を統合していた[[古代]]([[大和時代]]・[[奈良時代]]・[[平安時代]])と区別された。また武家政権の存在した時期でも、中世的支配構造が解体された後、強力な中央政権(あるいは連邦政権)によって新たな支配構造が形成される[[近世]]([[安土桃山時代]]・[[江戸時代]])を区別する。<br /> <br /> 平安時代末期、中央(朝廷)による支配は諸国の[[武士]](&#039;&#039;&#039;[[在地領主]]&#039;&#039;&#039;)の離反のために危機に瀕していた。[[院政]]・[[平氏政権]]による試みを経て、[[源頼朝]]は[[所領]][[安堵]]を媒介とする[[武家の棟梁]]と[[御家人]]の主従制を、[[日本国惣地頭]]([[征夷大将軍|将軍]])による[[地頭|地頭職]][[補任]]の形式をもって国制化し、在地領主層の政治的統合を一定程度達成した。これが中世国家における&#039;&#039;&#039;全国支配&#039;&#039;&#039;のありようの主要部分をなした(ただ[[在庁官人]]・[[荘官]]などで地頭に補任されず将軍と主従関係を持たない[[非御家人]]も少なくなかった)。南北朝内乱の過程で、&#039;&#039;&#039;[[守護]]&#039;&#039;&#039;は軍事指揮権行使や[[半済令]]などを足がかりに任国における上級領主([[守護大名]])へと性格を改め([[守護領国制]])、全国支配は[[足利将軍家|足利将軍]]の下の守護(および[[鎌倉公方]]・[[九州探題]]など)が分掌する形に移行していった。[[守護所]]と並存していた[[国衙]]の権限は侵奪され、[[国衙領|国衙領(公領)]]も[[守護領]]に転換した。公領・[[荘園 (日本)|荘園]]の在地領主であった在庁官人も荘官も、地頭御家人・非御家人の別なく同質に&#039;&#039;&#039;[[国人]]&#039;&#039;&#039;(国衆)と呼ばれる存在になっていたが、守護はこれらの[[被官]]化に努めた。やがて室町幕府の支配力の縮小により、自立的権力としての性格を強める守護・[[守護代]]あるいは国人からも[[戦国大名]]化するものが広汎に現れて全国支配は全く形骸化し、[[織田信長]]・[[豊臣秀吉]]による再統合([[天下統一]])の時を迎えるに至る。<br /> <br /> === 古代との画期の見直し ===<br /> しかし、こうした見方はあまりに政治史的であり、また鎌倉幕府の成立時期や平氏政権の評価について異論が出され、武士の発生過程も見直されるなどして、従来の区分は広く受け容れられなくなった。&lt;!--今日一般的には、平氏政権の成立([[1160年代]])から[[安土桃山時代]]までが中世と目される。--&gt;<br /> <br /> そして、中世を通じて支配の基層にあった在地領主(御家人・非御家人→国人)や、その領主的所有・支配の対象であり中世的な重層的土地収益権([[職の体系]])が成立した公領・荘園を重視する[[社会経済史]]・[[土地制度史]]面からの捉え方により、[[荘園公領制]]が確立した院政期([[1100年]]頃以降)を中世初期に含める見解が有力になった。学校教育においても、すでに[[1980年代]]頃からこれに沿った構成を取る教科書が増え、さらに遡って[[律令制]]から[[王朝国家|王朝国家体制]]に移行する平安中期([[900年]]頃以降)を発端とするものもある(平安時代は古代から中世への過渡期と考えられ、どちらに分類するかはいまだに議論があり、曖昧さを避けるため古くから文学史で使われた「[[中古 (時代区分)|中古]]」という語を用いることもまれにある)。<br /> <br /> === 近世との画期 ===<br /> 中世と近世との画期をどの時点に求めるかについては、(1)統一事業に乗り出す[[織田政権]]が姿を現した信長上洛([[1568年]])、(2)[[太閤検地]]で荘園公領制を最終的に解体した[[豊臣政権]]による全国統一([[1590年]])、(3)[[幕藩体制]]による全国支配を確立する[[江戸幕府]]の成立([[1603年]])などさまざまな見解がある。<br /> &lt;!--なお、近代以前には[[末法思想]]を背景とする三時代区分論(正法・像法・末法)が存在していた。←削除してもよい--&gt;<br /> <br /> == 中国 ==<br /> [[中国の歴史]]における中世の概念は、[[内藤湖南]]の『支那近世史』(内藤1909 - 1919)に始まる。内藤は[[後漢]]の中ごろまでを上古、[[魏晋南北朝時代]]から[[唐]]中期までを中古、[[宋 (王朝)|宋]]以降を[[近世]]とする。上古・中古はそれぞれ古代・中世と言い換えて間違いは無い。この観点は主に[[京都大学]]出身者によって作られる[[京都学派]]によって発展を遂げる。その代表を挙げるとすれば[[宮崎市定]]である。<br /> <br /> これに対して戦後、[[前田直典]]によって唐の中期までを古代、宋以降を中世とする論が出され、大きな論戦を引き起こした([[中国史時代区分論争]])。唐中期までを古代とする論はその後、[[西嶋定生]]・[[堀敏一]]らの[[歴史学研究会]]を中心とする[[東京学派]]の手によって発展していき、京都学派との長い論戦が続いた。<br /> <br /> しかし1970年代ごろからは[[実証主義]]的な立場からこのような「大きな物語」に対する批判が生じ、分野の細分化が進み、時代区分論争のような大きな枠組みの研究は少なくなった。<br /> <br /> == イスラム世界 ==<br /> 前出の「中世イスラム」とは、[[ファーティマ朝]]成立([[909年]])や[[ブワイフ朝]]の[[バグダード]]入城([[945年]])、[[セルジューク朝]]の帝国成立([[1055年]]のバグダード入城)など、[[アッバース朝]]の形骸化によりいわゆる[[イスラム帝国]]という世界帝国が瓦解した時期から、[[オスマン帝国]]が[[トルコ]]の地域国家を超えてイスラム世界帝国を確立した時期([[1517年]]の[[マムルーク朝]]の滅亡)までを指すことが多い。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> ;中国史<br /> * [[内藤湖南]]<br /> **『支那近世史』、京都大学における講義をまとめたもの、1909–19年。『内藤湖南全集』に収録。<br /> **『内藤湖南全集』10、[[筑摩書房]]、1969年。<br /> * [[前田直典]]<br /> **「東アジヤに於ける古代の終末」、『歴史』1 - 4、1948年。『元朝史の研究』に収録。<br /> **『元朝史の研究』、[[東京大学出版会]]、1973年。ISBN 4-13-026013-8<br /> * [[谷川道雄]]<br /> **『中国中世の探求』、日本エディタースクール出版部、1987年。ISBN 4-88888-126-X<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Colbegin}}<br /> ;ヨーロッパ<br /> *[[ヨーロッパ世界]]<br /> *[[ロマネスク]]<br /> *[[ゴシック]]<br /> *[[十字軍]]<br /> *[[ラテン語]]<br /> *[[神聖ローマ帝国]]<br /> *[[東ローマ帝国]]<br /> ;日本<br /> *[[日本の中世文学史|中世文学史]]<br /> *[[権門体制]]<br /> *[[顕密体制]]<br /> *[[寺社勢力]]<br /> *[[網野善彦]]<br /> *[[中世語]]<br /> *[[中世都市]]<br /> ;地球規模<br /> *[[中世の温暖期]]<br /> *[[モンゴル帝国]]<br /> {{Colend}}<br /> <br /> {{時代区分}}<br /> {{中世}}<br /> {{Periods of the History of Europe}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ちゆうせい}}<br /> [[Category:中世|*]]<br /> [[Category:時代区分]]</div> 203.180.199.75 三陸 2018-02-27T22:14:31Z <p>203.180.199.75: /* 三陸海岸(地域名) */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;三陸&#039;&#039;&#039;(さんりく)は、[[日本]]の[[東北地方]]の地域名。<br /> <br /> == 三陸(陸州) ==<br /> [[ファイル:Old Japan Sanriku.svg|250px|thumb|三陸(陸州)にあたる陸奥・陸中・陸前の3か国を赤色で図示。]]<br /> [[明治]]元年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1869年]][[1月19日]])、[[奥羽越列藩同盟]]諸[[藩]]に対する[[戊辰戦争]]の戦後処理が行われた際に[[陸奥国]]と[[出羽国]]は分割され、陸奥国(むつ)は[[陸奥国 (1869-)|陸奥国(りくおう)]]・[[陸中国]](りくちゅう)・[[陸前国]](りくぜん)・[[岩代国]]・[[磐城国]]に5分割された。このとき生まれた、[[令制国]]名に「陸」がついている陸前・陸中・陸奥の3国を「三陸」(または陸州)と総称するようになった。しかし「三陸」は、明治中期まで行政地名として使われるのみで一般にはほとんど知られておらず、明治29年([[1896年]])の[[明治三陸地震]]の[[報道]]によって一般に広まった&lt;ref name=&quot;3riku&quot;&gt;{{PDF|[http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/1626/1/erar-v54n1p131-144.pdf 地名「三陸地方」の起源に関する地理学的ならびに社会学的問題]}}([[岩手大学]]教育学部)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 令制国の単位での「三陸」の範囲は以下の通り。<br /> * [[青森県]]全域<br /> * [[岩手県]]全域<br /> * [[宮城県]]の[[亘理郡]]・[[伊具郡]]・[[刈田郡]]・[[角田市]]・[[白石市]]を除いた地域。<br /> * [[秋田県]][[鹿角郡]][[小坂町]]および[[鹿角市]]。<br /> <br /> しかしながら前記の経緯のために、「三陸」の名称は陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことよりも、[[三陸海岸]]地域を指すことの方がほとんどである。<br /> <br /> == 三陸海岸(地域名) ==<br /> {{main|三陸海岸}}<br /> [[青森県]][[八戸市]]の鮫角岬から[[岩手県]]の太平洋側を経て[[宮城県]]の[[牡鹿半島]]までの[[リアス式海岸]]および付属[[諸島]]を指す[[地理]]的名称。[[#三陸(陸州)|令制国の三陸]]にまたがって連なるためこう言う。現在では前述の通り、「三陸地方」あるいは「三陸」といった場合に律令国三国(陸州)の地域よりもここで述べた三陸海岸と接する地域を指す場合が多い。<br /> <br /> 三陸海岸に面する岩手県の旧[[三陸町]](現[[大船渡市]]の一部)、および、宮城県の[[南三陸町]]が[[自治体]]名としてこの[[広域地名]]を用いた例がある。<br /> <br /> == 三陸沖(海域名) ==<br /> [[太平洋]]における[[海域]]、あるいは[[漁場]]の名称として「三陸沖」が用いられる。[[親潮]]([[寒流]])と[[黒潮]]([[暖流]])がぶつかる世界三大[[漁場]]の1つである。<br /> <br /> 「三陸沖」は狭い範囲から並べると以下のようなものがある。<br /> # [[三陸海岸]]の太平洋側の海域<br /> #: 青森県[[八戸市]]・鮫角岬(概ね北緯40度32分)の正東線から宮城県・[[金華山 (宮城県)|金華山]](概ね北緯36度17分)の正東線までの海域。<br /> # [[#三陸(陸州)|令制国の三陸]]の太平洋側の海域&lt;ref name=&quot;JMA01&quot;&gt;[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/chimei.html 日本および日本の周辺を個別的に表す地名]([[国土交通省]]・[[気象庁]])&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;JFA01&quot;&gt;[http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/sigen/pdf/080807-01.pdf 平成20年度北西太平洋サンマ漁況予報]([[農林水産省]]・[[水産庁]])&lt;/ref&gt;。<br /> #: 陸奥国北端にあたる[[下北半島]]・[[大間崎]]の正東線(概ね北緯41度30分)から、陸前国と磐城国の国境にあたる[[阿武隈川]]河口の正東線(概ね北緯38度)までの海域。<br /> # 青森県八戸以南・岩手県・宮城県[[松島]]以北の太平洋側の海域。<br /> #: 1の三陸海岸に沿う陸路という意味合いで使用され、この場合、宮城県松島以南は「常磐沖」として扱われる(例:[[常磐線]])。<br /> # [[東北地方]]の太平洋側の海域。[[勿来]]以北の太平洋側の海域。<br /> ## 青森県北東端にあたる下北半島・[[尻屋崎]]から東南東へ引いた線を北限とし、福島県と[[茨城県]]の県境の正東線(概ね北緯36度51分)を南限とする海域。西端は東北地方の太平洋側の海岸線、東端は350[[海里]]線とみられる。[[東経]]145度を境に西側を「三陸沖西部」、東側を「三陸沖東部」とする。三陸沖を東西の海域に分ける[[東経145度線]]は概ね海岸線から200海里にあるため、「三陸沖西部」は日本の[[排他的経済水域]]である。<br /> ## 青森県北端にあたる下北半島・大間崎の正東線(概ね北緯41度30分)から、福島県と茨城県の県境の正東線(概ね北緯36度51分)までの海域&lt;ref name=&quot;JMA01&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.jfa.maff.go.jp/sendai/org/area/index.html 管轄区域](農林水産省・水産庁・仙台[[漁業調整事務所]])&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 国の機関では、2の令制国の範囲を「三陸沖」とする例が見られるものの、4にあたる勿来以北の沖合いを「三陸沖」とする場合が多い&lt;ref name=&quot;JMA01&quot;/&gt;。海上の[[天気予報]]は4-1を用いる&lt;ref&gt;[http://www.jma.go.jp/jp/seawarn/ 海上警報](国土交通省・気象庁)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://tenki.wet.co.jp/forecast/sea_map.html 全国海上気象予報 海域図](ウェザーテック)&lt;/ref&gt;。ただし、[[地震]]の名称では、1にあたる三陸海岸の沖合いを「[[三陸沖地震|三陸沖(三陸沖地震)]]」としている。一方、「三陸沖」に対して、[[福島県]][[浜通り]]及び[[茨城県]]にかけての沖合いは「[[常磐]]沖」と呼ばれることもある&lt;ref&gt;[http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/211882.pdf 宮城県庁 漁海況情報第1報(2013年4月11日発行)]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> ;「三陸」に関連する広範な地域<br /> * {{前方一致ページ一覧}}<br /> * [[奥州]]<br /> * [[陸州]]<br /> * [[奥羽]]<br /> * [[陸羽]]<br /> * [[常磐]]<br /> ; 地形<br /> * [[リアス式海岸]]<br /> * [[日本海溝]]<br /> ; 巨大地震<br /> * [[明治三陸地震]]([[1896年]])<br /> * [[昭和三陸地震]]([[1933年]])<br /> * [[チリ地震津波]]([[1960年]])<br /> * [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]]・[[2011年]])<br /> ; 交通<br /> * [[国道45号]]<br /> * [[三陸鉄道]]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:さんりく}}<br /> [[Category:日本の旧地域名]]<br /> [[Category:名数3|りく]]<br /> [[Category:東北地方の地理]]</div> 203.180.199.75 三教指帰 2018-02-27T22:10:47Z <p>203.180.199.75: /* 「聾瞽指帰」から「三教指帰」へ */</p> <hr /> <div>{{Portal|文学}}<br /> 『&#039;&#039;&#039;三教指帰&#039;&#039;&#039;』(さんごうしき、さんごうしいき)は、[[空海]]による、宗教的寓意小説に仮託した出家宣言の書。<br /> <br /> == 「聾瞽指帰」から「三教指帰」へ ==<br /> 序文から、[[延暦]]16年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]([[797年]][[12月23日]])に成立していることがわかる。空海が24歳の著作であり、出家を反対する親族に対する出家宣言の書とされている。ただし、この時の題名は『&#039;&#039;&#039;聾瞽指帰&#039;&#039;&#039;』(ろうこしいき)であり、空海自筆とされるものが現在も[[金剛峯寺]]に伝えられて[[国宝]]に指定されている。その後、[[天長]]年間に同書を序文と十韻詩の改訂して朝廷に献上した際に書名を『三教指帰』に改めたと考えられている。阿部龍一は『聾瞽指帰』の改訂には50代になった空海の心境の変化や仏教思想の深化(特に「真言」への理解)を反映させるとともに、社会的地位の変化に伴って『聾瞽指帰』の特に序文に記された当時の律令国家においては反社会的な性格を有する儒教批判・[[文章経国主義]]批判を抑制したものになっている(阿部は周囲との対立を乗り越えて仏教を最上のものとして体制の統治イデオロギーであった儒教を捨ててその外側に出る決意を文章にした『聾瞽指帰』の執筆時と、体制の内側において密教の朝廷への導入を進めている中で体制の統治イデオロギーであった儒教との相互協力を打ち出す必要があった校訂及び『三教指帰』への改題時の違いと評する)。そして、朝廷に献上された『三教指帰』が宮廷で広く読まれたことが『[[続日本後紀]]』承和2年3月25日条に記された空海の薨伝から分かる。また、任官試験の1つである[[対策]]においても三教の関係について問われる場合も多く、『三教指帰』を読むことは当時の貴族社会においては実用的な意味も有していた&lt;ref name=abe&gt;阿部龍一「『聾瞽指帰』の再評価と山林の言説」根本誠二 他編『奈良平安時代の〈知〉の相関』(岩田書院、2015年) ISBN 978-4-87294-889-9&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 流麗な四六[[駢儷体]]で書かれている。[[蛭牙公子]]、[[兎角公]]、[[亀毛先生]]、[[虚亡隠士]]、[[仮名乞児]]の5人による対話討論形式で叙述され、[[戯曲]]のような構成となっている。亀毛先生は[[儒教]]を支持しているが、虚亡隠士の支持する[[道教]]によって批判される。最後に、その道教の教えも、仮名乞児が支持する[[仏教]]によって論破され、仏教の教えが儒教・道教・仏教の[[三教]]の中で最善であることが示されている。[[弁証法]]的な手法によって、仏教が論理的に称揚されている。日本における最初の比較思想論であり、思想の主体的実存的な選択を展開した著作である。&lt;ref&gt;『日本思想全史』清水正之88頁&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 評価 ==<br /> [[宗教学者]]の[[島薗進]]は、本書における[[儒教]]と[[道教]]の記述が仏教の記述と比べて不十分かつ深みがないと指摘している&lt;ref&gt;島薗進『宗教学の名著30』28頁([[ちくま新書]]、2008年)&lt;/ref&gt;。しかし、本書は3つの宗教を比較し、空海自身とそれらとの関係について考察しているため、日本における宗教学の先駆けと位置付けることができるとしている&lt;ref&gt;島薗進『宗教学の名著30』27-34頁(ちくま新書、2008年)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 阿部龍一は、改訂前の『聾瞽指帰』に対するこれまでの内容面に対する評価の低さや後世における空海が真言宗の開祖・弘法大師であることを前提とした研究を批判し、空海出家時の心境や密教との出会い、出家当時の仏教環境などを知る上で重要な資料であるとしている&lt;ref name=abe/&gt;。<br /> <br /> == 古注釈書 ==<br /> * [[三教指帰注集]]<br /> * [[三教勘注抄]]<br /> * [[三教指帰注]]<br /> * [[三教指帰註抄]]<br /> <br /> == 主な訳注文献 ==<br /> * 『三教指帰』([[加藤精神]]訳註、[[岩波文庫]]、1935年) [[角川文庫]]版は子と孫。<br /> * 『弘法大師著作全集 第三巻』[[勝又俊教]]編(山喜房佛書林、1973年)<br /> * 『三教指帰 性霊集』[[渡辺照宏]]・[[宮坂宥勝]]校注 〈[[日本古典文学大系]]71〉([[岩波書店]]、1965年)<br /> * 『弘法大師 空海全集 第六巻』(山本智教訳注、[[筑摩書房]]、1984年、再版2001年)<br /> * 『三教指帰 文鏡秘府論・序』([[福永光司]]訳注、[[中公クラシックス]]、2003年)<br /> * 『空海 三教指帰』(加藤純隆、加藤精一訳注、[[角川ソフィア文庫]]、2007年)<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[十住心論]]<br /> * [[三教]]<br /> * [[レーゼドラマ]]<br /> <br /> {{Book-stub}}<br /> {{DEFAULTSORT:さんこうしいき}}<br /> [[Category:中国の宗教]]<br /> [[Category:論 (仏教)]]<br /> [[Category:8世紀の書籍]]<br /> [[Category:平安時代の仏教書]]<br /> [[Category:空海]]</div> 203.180.199.75
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