Warning: Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660

Warning: session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127

Warning: session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133

Warning: session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=203.165.22.143&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-26T08:45:56Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 香港の歴史 2018-10-07T01:49:24Z <p>203.165.22.143: /* 特別行政区時代 1997年 - */ WP:MSH#NOLINK見出しの中でリンクはしない</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2009年10月}}<br /> [[画像:Victoria peak.jpg|thumb|350px|right|2004年の香港、ヴィクトリア・ピークからの眺望]]<br /> {{香港の歴史}}<br /> &#039;&#039;&#039;香港の歴史&#039;&#039;&#039;(ホンコンのれきし)では、[[香港]]の歴史を概観する。<br /> &lt;!-- &quot;香港特別行政区&quot;にすると1997年7月1日からの歴史になってしまい、1997年7月1日以前の歴史が含まなくなりますのでご注意ください。--&gt;<br /> <br /> == 香港の地名の由来 ==<br /> 広義の香港には[[九龍]]半島や[[新界]]を含み、地区毎に主権が異なる時期もあったが、狭義には[[香港島]]のみを指す。この香港島の南西部に[[香港仔]](ヒョンコンツァイ)と呼ばれる湾に面した地区がある。観光客には、海鮮料理船があるアバディーン (Aberdeen) として知られるが、昔は漁村であるとともに、ここに香木が集積されたところから、香港と命名されたと伝えられている。<br /> <br /> 香港は、[[広東語]]では「Heong Gong、ヒョンコン」と発音するが、これを英語で「ホンコン」と呼ぶ由来は、[[アヘン戦争]]前に遡る。英軍が初めてアバディーン付近に上陸した時、土地の名を知らなかった。そこで地元の民に地名を聞いたところ「ホンコン」と言った。これは、現地の[[蛋民]](水上生活者)の訛で「香港」と言ったのを記録したためと言われている。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 旧石器時代 約紀元前39000年 - 紀元前35000年===<br /> 黄地峒舊石器<br /> <br /> === 新石器時代 約紀元前4000年 - 紀元前2000年 ===<br /> 中国南部、[[珠江]]デルタに属する香港地区では5,000年前の[[新石器時代]]台湾文化の遺跡が[[ランタオ島]]や[[香港島]]で発見されている。<br /> <br /> === 青銅器時代 約紀元前2000年 - 紀元前1000年 ===<br /> <br /> === 王朝時代 紀元前221年 - 1368年 ===<br /> [[紀元前214年|前214年]]、[[秦|秦朝]]が[[嶺南 (中国)|嶺南]](華南)に郡県を設置すると中原王朝の支配を受けるようになり、当初は[[番禺県]]、[[331年]]から[[756年]]までは[[宝安県]]、[[757年]]から[[1572年]]までは[[東莞県]]の管轄とされた。李鄭屋東漢墓<br /> <br /> [[唐|唐代]]には[[広州市|広州]]が南海貿易の交易港として繁栄したため、ランタオ島から対岸の東莞を含む地域が軍隊の駐屯地「[[屯門]]」と呼ばれて史料に頻出するようになる。この頃から香港地区では[[塩田]]が開かれ、[[五代十国時代]]には[[南漢]]による[[真珠]]採集も行われた。<br /> <br /> === 王朝明時代 1368年 - 1644年 ===<br /> [[1563年]]([[嘉靖]]42年)、[[明|明朝]]は香港地区南端に水軍(南頭寨)を設置、[[1565年]](嘉靖44年)には参将を置いて南頭寨を統括させた。南頭寨には大小戦船53隻、官兵1,486人が置かれ、[[1591年]]([[万暦]]19年)以後は戦船112隻、官兵及雜役2,008人に増員している。[[1552年]](嘉靖31年)頃からは「九龍」の地名が史料に登場し、その後「香港島」の地名も散見されるようになった。[[1573年]](万暦元年)には[[宝安区|新安県]]が新設され、県治は南頭に置かれた。設置時の新安県の人口は約34,000人と記録されている。<br /> <br /> [[1517年]]([[正徳 (明)|正徳]]12年)には[[ポルトガル]]人が来航、[[ランタオ島|屯門島]]を占拠する事件が発生、明朝は[[1522年]](嘉靖元年)に広東海道副使・[[汪鋐]]を派遣しポルトガル人を駆逐している。その後、ポルトガル人は[[寧波市|寧波]]沖のリャンポー(双嶼島)に移り、やがて[[マカオ]]に拠点を移している。<br /> <br /> === 王朝清時代 1644年 - 1842年 ===<br /> [[File:William John Huggins - The opium ships at Lintin, China, 1824.jpg|thumb|220px|right|第一次アヘン戦争]]<br /> [[清|清代]]になり[[広州市|広州]]が開港されると、[[1699年]]([[康熙]]38年)以降は[[イギリス東インド会社]]などが来航するようになり、[[1711年]](康熙50年)には広州にイギリス商館が開設されている。<br /> <br /> イギリスは[[茶|茶葉]]の大量輸入に起因する貿易赤字に対応すべく、[[インド]]から[[アヘン]]を輸出し販売を開始したが、アヘン輸入規制を推進する清朝とイギリスの間に紛争が発生した。当時アヘンを取り扱った商会の一つである[[ジャーディン・マセソン]]商会の清朝への政治的圧力行いアヘンの販路拡大を目指す[[ロビー活動]]により、イギリス国会は1票という僅差で軍の派遣を決定、[[1839年]]([[道光]]19年)に[[アヘン戦争]]が勃発、[[1841年]](同21年)[[1月20日]]にチャールズ・エリオット大佐率いるイギリス軍は香港島を占領した。そして翌年締結された[[南京条約]]により、香港島はイギリスに永久割譲された。<br /> <br /> === イギリス植民地時代(前半) 1842年 - 1941年 ===<br /> [[File:Central1895.jpg|thumb|220px|right|1895年頃の中環]]<br /> [[File:HK Statue Square 1910.jpg|thumb|220px|right|1910年頃の中環]]<br /> [[1843年]](道光23年)6月、初代[[香港総督]]に[[サー・ヘンリー・ポッティンジャー]]がに就任、[[植民地]]としてのイギリス統治が開始された。更に[[1856年]]([[咸豊]]6年)に勃発した[[アロー戦争]]の結果、[[1860年]](咸豊10年)に[[北京条約]]が締結されて九龍半島もイギリスに割譲される。なお、1873年に日本の[[岩倉使節団]]が香港を市内見学しており、当時の様子が「米欧回覧実記」に記されている&lt;ref&gt;久米邦武 編『米欧回覧実記・5』田中 彰 校注、岩波書店(岩波文庫)1996年、324~328頁&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> そして、イギリスをはじめとした西欧列強による中国進出の圧力が強まる中、イギリスは清朝に迫り[[1898年]]([[光緒]]24年)[[7月1日]]には九龍以北、深圳河以南の[[新界]]地域の租借に成功した。この地域の租借期限は99年間とされ、[[1997年]][[6月30日]]午後12時をもって切れることになっていた。<br /> <br /> ==== イギリス植民地下での発展 ====<br /> 中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点となった香港では、イギリス政府による植民地統治機関である[[香港政庁]]のもとで、[[19世紀]]末から[[20世紀]]初にかけて華南貿易の基地として発展する。[[1884年]](光緒10年)には跑馬地(Happy Valley・ハッピーバレー)に皇家香港賽馬会(Royal Hong Kong Jockey Club・ロイヤル香港ジョッキー・クラブ)の競馬場が建設されてイギリス人の社交場となり、[[1877年]](光緒3年)には香港西医書院([[香港医科大学]]の前身)が創立され、[[1910年]]([[宣統]]2年)には総合大学である[[香港大学]]に発展する。<br /> <br /> 経済面では[[1865年]]([[同治]]4年)に創設されたイギリス資本の[[香港上海銀行]]が、その多くをイギリスが植民地統治下においていた極東最大の銀行に発展し、地域通貨として初期には[[銀貨]]が使用され、後の[[1935年]]([[中華民国暦|民国]]24年)には[[香港ドル]]が発券された。<br /> <br /> [[1928年]](民国17年)に[[蒋介石政権|南京国民政府]]が成立すると清英間で締結された[[不平等条約]]の改定を目指したが、イギリス側が交渉に応じなかった。なお当時の[[中華民国]]と新界の国境線は開放され、中国人は自由な往来が可能であった。<br /> <br /> === 日本統治時代 1941年 - 1945年 ===<br /> {{main|日本占領時期の香港}}<br /> [[File:Battle of HK 03.jpg|thumb|220px|right|九龍駅付近でイギリス軍を制圧する日本軍]]<br /> [[File:Battle of HK 05.jpg|thumb|220px|right|ペニンシュラ・ホテルで行われた日英軍の降伏交渉]]<br /> [[1941年]](民国30年)12月8日に、イギリスの植民地下にあった[[マレー半島]]のイギリス軍に対する[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の攻撃([[マレー作戦]])により[[太平洋戦争]]が勃発すると、同日[[酒井隆]][[中将]]指揮下の陸軍[[第23軍 (日本軍)|第23軍]]も、同じくイギリスの植民地である香港のイギリス軍に対する侵攻を開始した([[香港の戦い]])。<br /> <br /> 日本軍は九龍半島にある[[イギリス連邦]]軍の要塞地帯の「ジン・ドリンカーズ・ライン」を突破、12月13日には九龍半島を制圧したが、その後香港島内でイギリス連邦軍は地の利を生かした[[ゲリラ]]戦法を行い、日本軍はこれに苦戦している。しかし、[[12月25日]]に香港島唯一の貯水池を奪われたマーク・ヤング総督は、九龍にあるイギリス資本の[[ザ・ペニンシュラ香港|ペニンシュラ・ホテル]](香港半島酒店)に出向き、日本軍に降伏した。戦後イギリスの植民地に復帰して以降、香港政庁はこの日を「黒いクリスマス(Black Christmas)」と呼んでおり、香港が中華人民共和国に返還/譲渡された現在もそのまま呼ばれている。<br /> <br /> イギリスの植民地であった香港を統治することとなった[[日本]]は当初、イギリス政府が運営する香港政庁に代わる統治機関として、酒井中将を長官とする香港軍政庁を設置し、[[1942年]](民国31年)2月には[[磯谷廉介]]中将を香港総督に任命して軍政実施した。<br /> <br /> 日本軍政府は、これまでイギリスの植民地下で全てがイギリス式に統治されていた香港で脱イギリス化政策を実施し、これまでイギリスが香港における公用語として押し付けていた[[英語]]の使用を禁止して、代わりに[[日本語]]の使用を指導した(広東語の使用は継続された)。また、上記のペニンシュラ・ホテルを接収した後に「東亜ホテル」と改称して総督府を設置したほか、「[[ネイザンロード]]」のようなイギリス式の主要地名を「[[香取神宮|香取]]通り」のような日本式の地名に改称しイギリス色を払しょくするよう努めた。なお日本軍は、1942年3月にイギリス軍の専用空港であった[[啓徳空港]]の[[滑走路]]の延長など設備の拡充を行った。<br /> <br /> また軍政府はこれまでの香港ドルに代わる貨幣として[[軍票]]を大量に発行し、無計画に流通させたために香港経済に深刻な[[インフレ]]を引き起こした。更にこれまで香港を支配していたイギリス系企業や銀行が営業を停止したことや、戦時体制下で日本と戦闘状態にあった中華民国本土との貿易が大幅に減少したのみならず、イギリスの植民地が多くを占めていた[[東南アジア]]や[[オーストラリア]]などとの貿易が完全に止まったために、香港は経済的苦境に立たされる。その後日本軍の占領下の香港から70万人前後の中国人住民が中国本土に退去し、占領前に160万人の人口を抱えていた香港は、[[1945年]](民国34年)8月の終戦時には人口が60万人程度にまで減少した。この3年8か月間にわたる日本統治時期を香港では「三年零八個月」と呼んでいる。なお日本軍政府により発行された軍票は、日本の敗戦に伴いイギリス軍の命令により無価値とされ、現在も日本に経済的補償を要求する香港人も存在している。<br /> <br /> === イギリス植民地時代(後半) 1945年 - 1997年 ===<br /> [[Image:1945 liberation of Hong Kong at Cenotaph.jpg|thumb|220px|right|日本統治からイギリス統治への主権移譲セレモニー([[1945年]])]]<br /> [[Image:Hongkong Central 1955.jpg|thumb|220px|right|中環のフェリーターミナル付近(1955年)]]<br /> [[File:Shang Hai Street in 1960s.jpg|thumb|220px|right|佐敦の上海路(1960年代)]]<br /> <br /> <br /> [[第二次世界大戦]]後、戦勝国の1国として[[国際連合安全保障理事会|国連安保理]]の[[常任理事国]]となった[[中華民国]]はイギリスに香港主権移譲を要求したが、間もなく発生した[[国共内戦]]のため交渉は不調に終わった。国共内戦の結果中華民国の[[中国国民党]]政府は[[台湾島]]へ遷都し、[[1949年]]には[[中国共産党]]による[[中華人民共和国]]が成立している。<br /> <br /> 共産党政権の成立に伴い、[[共産主義]]に反発する多くの中国人が大陸から香港に逃れ、廉価な労働力を提供するとともに、[[スワイヤー・グループ]]や[[ジャーディン・マセソン]]など技術と資本をもったイギリスを中心とした外国資本や華人資本も[[上海市|上海]]から香港に本拠を移し、香港の経済発展に少なからぬ寄与をした。また、[[董建華]]や[[陳方安生|アンソン・チャン]]など香港の華人エリートの中に上海人が多いのも、このような背景による。<br /> <br /> ==== 主権移譲先の変更 ====<br /> この頃世界中のイギリスの植民地では独立運動が活発化し、[[インド]]やマレー半島、アフリカ各地をはじめとする多くの植民地を放棄していたが、[[1949年]]以降香港に隣接する中国大陸を新たに支配することになった[[中国共産党]]政府率いる中華人民共和国は、香港の主権を棚上げしたままイギリスとの国交樹立の交渉を進め、その結果、[[1950年]]イギリスは中華人民共和国を国家承認して国交樹立に動き&lt;ref&gt;[https://en.wikisource.org/wiki/British_note_recognising_the_People’s_Republic_of_China British note recognising the People&#039;s Republic of China]&lt;/ref&gt;、[[中華民国]]とは[[台湾]]に駐在する[[領事館]]を残した&lt;ref&gt;[https://www.roc-taiwan.org/uk_en/post/39.html Taiwan-UK Relations - Taipei Representative Office in the U.K. 駐英國台北代表處]&lt;/ref&gt;。これは西側諸国としては最も早い中華人民共和国への国家承認であった。<br /> <br /> またこれを受けてイギリス政府は、将来の香港の主権移譲先を、今や香港から遠く海を隔てた[[台湾島]]周辺を中心とした限られた地域のみを統治することになった[[中国国民党]]率いる中華民国から、香港に隣接する中国大陸を新たに支配することになった中国共産党政府率いる中華人民共和国へと移すこととなった。<br /> <br /> ==== 冷戦の影響 ====<br /> その後の[[冷戦]]下で発生した[[朝鮮戦争]]に中華人民共和国が介入して世界から孤立すると、香港が中華人民共和国にとって西側世界との唯一の窓口となった。この様な状況は[[1967年]]に起きた[[文化大革命]]の終焉まで続くこととなった。<br /> また、[[大文化革命]]や[[大躍進政策]]などにより、多くの人が香港に逃れた。これらの人により香港の人口は急増した。これらの人を[[逃港者]]という。<br /> <br /> 文化大革命が起こると、香港でも中国共産党の影響下にある住民を中心にした暴動が発生し、[[紅衛兵]]が[[深セン市|深圳]]方面から越境し、イギリス軍や香港警察と国境付近で小規模な銃撃戦が起こることもあった。さらに暴動を鎮静化させる過程でデモ隊に負傷者が出ると、これに対する謝罪を中国共産党政府が香港政庁に要求し、さらに人民解放軍部隊を国境付近に移動させるなどの恫喝を行った。しかし、間もなく共産党政府のナンバー・ツーで穏健派の[[周恩来]]が「長期的な利益から香港を回収しない方針」を明らかにし、香港暴動は沈静化した。<br /> <br /> ==== 経済発展 ====<br /> 戦前の香港は、イギリスの植民地支配下で中国大陸と諸外国間の中継貿易港として発展し、香港政庁は古典的な[[レッセフェール]](自由放任政策)に徹していた。しかし、朝鮮戦争が勃発すると、[[国際連合|国連]]による中華人民共和国への経済制裁が行われ、中継貿易への依存ができなくなった。<br /> <br /> その代わり、中華人民共和国から中国共産党による一党独裁を嫌った難民が流入し、彼らが安価な労働力となり香港の製造業を支えた。加えて[[ベトナム戦争]]の終結後に[[南ベトナム]]から[[ボートピープル]]が流入した。なお、増え続ける香港への流入人口を食い止めるために、[[1984年]]以降は、許可を持たない中華人民共和国からの密入国者は全て送還する政策がとられた。また、香港政庁も大量に押し寄せた難民に対処する過程で、住宅供給や市街地の拡大に伴う開発プロジェクトを行うようになる。ただし、政府規制を極力押さえ、低い税率を維持するなど過剰な経済への介入を避けた。これが[[積極的不介入]]主義である。<br /> <br /> [[1970年代]]からは繊維産業を中心とする輸出型の[[軽工業]]が発達し、後に香港最大の財閥を率いる[[李嘉誠]]のような企業家を輩出する。さらに、1960年代以降の[[旅客機]]のジェット化、大型化を受けて、航空機による人と貨物の輸送量が急上昇し、香港が東南アジアにおける流通のハブ的地位を確立した結果、[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて香港は[[シンガポール]]、中華民国(台湾)、[[大韓民国|韓国]]とともに経済発展を遂げた「[[アジア四小龍]]」あるいは「アジア[[新興工業経済地域|NIEs]]」と呼ばれるようになる。<br /> <br /> ==== 中英交渉 ====<br /> [[File:Margaret Thatcher near helicopter.jpg|thumb|220px|right|マーガレット・サッチャー首相]]<br /> 1970年代に入ると、[[租借地]][[新界]]の租借期限が次第に近付いてくるため、イギリス政府は新界租借の延長を中華人民共和国に求めたが、中華人民共和国は応じなかった。しかし、この頃には租借期限問題にどのような結末を付けるかまだ誰にも予測できなかった。その後[[1980年代]]に入ると中華人民共和国の[[改革開放]]政策が進展し、香港の製造業は国境を越えて中華人民共和国側に進出、香港は金融、商業、観光都市となっていった。<br /> <br /> [[マーガレット・サッチャー]]首相はイギリスが引き続き香港を植民地支配下におけるよう求めていたが、中華人民共和国は「[[港人治港]]」を要求してこれに応じず、[[鄧小平]]はサッチャー首相に対し「イギリスがどうしても応じない場合は、武力行使や水の供給の停止などの実力行使もありうる」と示唆した。サッチャーは予想外の鄧小平の強硬姿勢にショックを受け、会談を終えて[[人民大会堂]]を出る時、足元がふらついたという。<br /> <br /> [[1984年]][[12月19日]]、中英双方が署名した中英共同声明が発表され、イギリスは[[1997年]][[7月1日]]に香港の主権を中華人民共和国に主権移譲し、香港は中華人民共和国の一[[特別行政区]]となることが明らかにされた。この中で中華人民共和国政府は鄧小平が提示した「[[一国二制度|一国両制]]」政策をもとに[[社会主義]]政策を将来50年([[2047年]]まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。<br /> <br /> この発表は共産主義の一党独裁政府である中華人民共和国の支配を受けることを喜ばない香港住民を不安に陥れ、[[イギリス連邦]]内の[[カナダ]]や[[オーストラリア]]への移民ブームが起こった。<br /> <br /> その後[[1989年]]に[[北京市|北京]]で[[六四天安門事件]]が発生すると、香港では民主派支持の大規模デモが行われ、専制的で強権的、かつ国民に対する武力行使も辞さない中華人民共和国の本質が明確になったとして再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港移民は[[イギリス連邦]]の構成国である[[カナダ]]の[[トロント]]や[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]、[[シドニー]]や[[シンガポール]]に向かった。<br /> <br /> ==== 香港の主権移譲 ====<br /> [[File:Encaenia 2009.jpg|thumb|220px|right|クリストファー・パッテン]]<br /> [[1990年]][[4月4日]]、[[香港基本法]]が制定されると、香港人の不安は一応、沈静化した。しかし、[[1992年]]に[[クリストファー・パッテン]]が香港総督として着任すると、主権移譲を前に香港の政治的な民主化を加速させたため、中華人民共和国との関係が緊張した。ただ、このような政治的動揺や移民の大量流出にもかかわらず、経済的には中華人民共和国資本の流入によって主権移譲前の香港の不動産市場や株式市場は空前の活況を呈した。<br /> <br /> [[1997年]][[7月1日]]に、香港は正式にイギリスから中華人民共和国に主権移譲(香港島などのイギリスの領土は「譲渡」となる)され、最後の総督となったパッテンは香港を去った。<br /> <br /> パッテン時代に直接選挙を実施した立法局は、北京が成立させた臨時立法会に取って代わられ、中華人民共和国政府と深い関係にある富豪の[[董建華]]が初代[[香港特別行政区行政長官]]となった。これまで香港に君臨してきた[[イギリスの国旗|ユニオンジャック]]と[[エリザベス2世]]の肖像は姿を消し、[[中華人民共和国の国旗|五星紅旗]]が香港に翻った。<br /> <br /> === 特別行政区時代 1997年 - ===<br /> <br /> ==== 主権移譲後の香港 ====<br /> [[Image:P1030013.JPG|thumb|220px|right|市民による民主化要求デモ([[2005年]])]]<br /> [[File:Hong Kong Skyline Restitch - Dec 2007.jpg|thumb|220px|right|現在の香港の夜景]]<br /> 主権移譲後の香港では中華人民共和国が外交権と軍事権を掌握し、イギリス軍に代わって[[人民解放軍]]部隊が香港に進駐、これまでの[[英語]]、[[広東語]]とともに[[普通話]](標準中国語)も香港の実質的公用語となり、学校でも教えられるようになった。しかし、基本的な社会経済制度は「一国二制度」を元に変わらず、法体系もイギリス領時代の[[コモン・ロー]]がそのまま用いられている。<br /> <br /> さらにイギリスの植民地統治下では言論や報道、表現の自由がほぼ保障されていたものの、主権移譲後は中華人民共和国の中央政府による圧力のため、[[新聞]]や[[雑誌]]などに対する有形無形の[[言論統制]]が行われるようになった上、選挙への露骨な干渉が行われることで、市民の不満が鬱積するようになった。返還直前の香港市民の中にはイギリスの植民地から中国の植民地に変わるだけで政治的な転換はないとみる者もいた&lt;ref&gt;三好雅典「[http://www.ritsumei.ac.jp/~yamai/7KISEI/miyoshi.pdf 都市国家・香港の経済とアジア危機] 」2017年6月3日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> その様な中で、あまりにも中華人民共和国の中央政府寄りで香港市民に不評だった董建華行政長官は[[2005年]][[3月12日]]に辞任し、[[中国人民政治協商会議|全国政治協商会議]]副主席に転じ、[[曽蔭権]]が長官代理となった。新しい行政長官を決める選挙は2005年7月に行われ、曽蔭権が正式に行政長官に就任したものの、直接選挙による行政長官選出と、さらなる民主化を求める香港市民による抗議デモが数度に渡り行われた。<br /> <br /> なお、香港主権移譲直後に始まった[[アジア通貨危機]]の影響で香港の不動産価格は大暴落し、中華人民共和国との貿易の中継基地としての役割も次第に減少して香港の失業率は上昇、香港の衰退がささやかれた。とりわけ[[2003年]]には隣接の[[広東省]]が発端となった[[SARS]]が香港でも急速に拡大し、2000人が感染、299人が死亡する事態となり、観光客は激減、香港経済は大打撃を受けた。<br /> <br /> しかし同時期に中華人民共和国本土からの観光での来訪が解禁された他、[[2005年]]9月には新[[香港国際空港]]近くに[[香港ディズニーランド]]がオープンし、香港への観光客は再び増加に転じた。さらにSARSやアジア通貨危機による経済への打撃を乗り越え、欧米諸国や日本、さらには中華人民共和国本土からの投資も増加し、現在では[[東京証券取引所]]に次ぐアジア第2の株式取引高を誇るなど、東京や[[シンガポール]]と並ぶアジアにおける[[金融センター]]としての地位を確立している。<br /> <br /> なお、香港主権移譲から12年を経た後の[[2009年]]に行われたアンケートでは、香港人の2割のみが「自分は中国(中華人民共和国)人」と認識していることが分かった。また、その後の2012年11月に香港中文大学伝播・民意調査センターが発表した調査結果では、自分の身分を「中国人」と答えた人は12.6%である。1997年の32.1%から大幅に低下し、調査を始めた96年以降で最低となった。一方で「香港人」と「香港人、ただし中国人でもある」を合わせた香港人の身分を優先する割合は65.2%に達し、過去16年で最高となった。<br /> <br /> [[2014年]]、[[2014年香港反中デモ]]、[[2014年香港反政府デモ]]が起きた。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[香港の戦い]]<br /> * [[大英帝国]]<br /> * [[中国の歴史]]<br /> * [[マカオの歴史]]<br /> * [[日本占領時期の香港]]<br /> * [[香港返還]]<br /> * [[香港独立運動]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://sokamonline.com/HongKong/HongKongHist.cfm 香港史](中国語)<br /> * [http://victorian.fortunecity.com/durer/661/history.htm Hong Kong History](英語)<br /> * [http://hongkong.7as.net/contents02.html 香港の基礎知識]<br /> <br /> {{アジアの題材|歴史|mode=4}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ほんこんのれきし}}<br /> [[Category:香港の歴史|*]]<br /> [[Category:都市史]]</div> 203.165.22.143 チェス・オリンピアード 2018-07-27T11:10:13Z <p>203.165.22.143: /* 注釈 */</p> <hr /> <div>[[画像:Dresden_Olympiad_2008.jpg|thumb|right|320px|2008年第38回[[ドレスデン・チェス・オリンピアード]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;チェスオリンピアード&#039;&#039;&#039;は、[[1927年]]以来[[国際チェス連盟]] (FIDE)により開催されている[[チェス]]の大会。近年は偶数年に、2年毎に開催されている。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 第二次世界大戦前は、毎年開催されたこともあった。政治的な理由により、1936年と1976年には「非公式」な(FIDE主催ではない)大会も開かれている。<br /> <br /> チェスは多くの国の新聞などでは、スポーツとして扱われているが、[[オリンピック競技]]としては認められていない。FIDEは[[国際オリンピック委員会]] (IOC) のメンバーでIOCのルールに則って競技を行っているが、チェスが将来オリンピックの公式種目になるかどうかの見通しは立っていない。<br /> <br /> 2018年のチェス・オリンピアードは[[グルジア]]の[[バトゥミ]]、2020年は[[ロシア]]の[[ハンティ・マンシースク]]で行われる予定である。<br /> <br /> 男子チームの優勝杯は、第1回大会(ロンドン・1927年)のスポンサーとなったイギリスの富豪の名にちなみ、ハミルトン・ラッセル杯と呼ばれている。優勝杯は、優勝国が持ち帰り、次の大会で優勝国に渡される。女子の優勝杯は、初代女子世界チャンピオンの名にちなみ、ヴェラ・メンチク杯と呼ばれている。<br /> <br /> [[画像:Fischer Score Card.jpg|thumb|left|350px|1970年 チェス・オリンピアード&lt;br /&gt;[[ボビー・フィッシャー]]の第3戦での棋譜用紙&lt;br /&gt;(vs ミゲル・ナイドルフ)]]<br /> [[画像:OdznakaOS.jpg|right|thumb|200px|第6回チェス・オリンピアード&lt;br /&gt;(1935年・ワルシャワ大会)の紋章]]<br /> {{clear}}<br /> <br /> == 男子大会の成績 ==<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;margin:auto;&quot;<br /> ! 開催年 !! 大会名 !! 開催地 !! 金 !! 銀 !! 銅<br /> |-<br /> | [[1924年]] || &#039;&#039;The Chess Olympiad&#039;&#039;&lt;br /&gt;(individual) || {{flagicon|FRA}} [[パリ]]([[フランス]]) || チェコスロバキア || ハンガリー || スイス<br /> |-<br /> | [[1926年]] || &#039;&#039;The Team Tournament&#039;&#039;&lt;br /&gt;(part of FIDE summit) || {{flagicon|HUN1918}} [[ブダペスト]]([[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー]]) || ハンガリー || ユーゴスラビア || ルーマニア<br /> |-<br /> | [[1927年]] || 1st Chess Olympiad || {{flagicon|GBR}} [[ロンドン]]([[イギリス]]) || ハンガリー 40 || デンマーク 38.5 || イングランド 36.5<br /> |-<br /> | [[1928年]] || 2nd Chess Olympiad || {{flagicon|NED}} [[デン・ハーグ|ハーグ]]([[オランダ]]) || ハンガリー 44 || アメリカ 39.5 || ポーランド 37<br /> |-<br /> | [[1930年]] || 3rd Chess Olympiad || {{flagicon|DEU1919}} [[ハンブルク]]([[ヴァイマル共和政|ドイツ]]) || ポーランド 48.5 || ハンガリー 47 || ドイツ 44.5<br /> |-<br /> | [[1931年]] || 4th Chess Olympiad || {{flagicon|CSK}} [[プラハ]]([[チェコスロバキア]]) || アメリカ 48 || ポーランド 47 || チェコスロバキア 46.5<br /> |-<br /> | [[1933年]] || 5th Chess Olympiad || {{flagicon|GBR}} [[フォークストーン]](イギリス) || アメリカ 39 || チェコスロバキア 37.5 || スウェーデン 34<br /> |-<br /> | [[1935年]] || 6th Chess Olympiad || {{flagicon|POL}} [[ワルシャワ]]([[ポーランド第二共和国|ポーランド]]) || アメリカ 54 || スウェーデン 52.5 || ポーランド 52<br /> |-<br /> | [[1936年]] || &#039;&#039;non-FIDE unofficial&lt;br /&gt;Chess Olympiad&#039;&#039; || {{flagicon|DEU1935}} [[ミュンヘン]]([[ナチス・ドイツ|ドイツ]]) || ハンガリー || ポーランド || ドイツ<br /> |-<br /> | [[1937年]] || 7th Chess Olympiad || {{flagicon|SWE}} [[ストックホルム]]([[スウェーデン]]) || アメリカ 54.5 || ハンガリー 48.5 || ポーランド 47<br /> |-<br /> | [[1939年]] || 8th Chess Olympiad || {{flagicon|ARG}} [[ブエノスアイレス]]([[アルゼンチン]]) || ドイツ 36 || ポーランド 35.5 || エストニア 33.5<br /> |-<br /> | colspan=&quot;6&quot; style=&quot;text-align:center&quot; | &#039;&#039;&#039;[[第二次世界大戦]]により中断&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | [[1950年]] || 9th Chess Olympiad || {{flagicon|YUG1945}} [[ドゥブロヴニク]]([[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]) || ユーゴスラビア 45.5 || アルゼンチン 43.5 || 西ドイツ 40.5<br /> |-<br /> | [[1952年]] || 10th Chess Olympiad || {{flagicon|FIN}} [[ヘルシンキ]]([[フィンランド]]) || ソ連 21 || アルゼンチン 19.5 || ユーゴスラビア 19<br /> |-<br /> | [[1954年]] || 11th Chess Olympiad || {{flagicon|NED}} [[アムステルダム]](オランダ) || ソ連 34 || アルゼンチン 27 || ユーゴスラビア 26.5<br /> |-<br /> | [[1956年]] || 12th Chess Olympiad || {{flagicon|SSR1955}} [[モスクワ]]([[ソビエト連邦]]) || ソ連 31 || ユーゴスラビア 26.5 || ハンガリー 26.5<br /> |-<br /> | [[1958年]] || 13th Chess Olympiad || {{flagicon|FRG}} [[ミュンヘン]]([[西ドイツ]]) || ソ連 34.5 || ユーゴスラビア 29 || アルゼンチン 25.5<br /> |-<br /> | [[1960年]] || 14th Chess Olympiad || {{flagicon|GDR}} [[ライプツィヒ]]([[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]) || ソ連 34 || アメリカ 29 || ユーゴスラビア 27<br /> |-<br /> | [[1962年]] || 15th Chess Olympiad || {{flagicon|BGR1946}} [[ヴァルナ (ブルガリア)|ヴァルナ]]([[ブルガリア人民共和国|ブルガリア]]) || ソ連 31.5 || ユーゴスラビア 28 || アルゼンチン 26<br /> |-<br /> | [[1964年]] || 16th Chess Olympiad || {{flagicon|ISR}} [[テルアビブ]]([[イスラエル]]) || ソ連 36.5 || ユーゴスラビア 32 || 西ドイツ 30.5<br /> |-<br /> | [[1966年]] || 17th Chess Olympiad || {{flagicon|CUB}} [[ハバナ]]([[キューバ]]) || ソ連 39.5 || アメリカ 34.5 || ハンガリー 33.5<br /> |-<br /> | [[1968年]] || 18th Chess Olympiad || {{flagicon|CHE}} [[ルガノ]]([[スイス]]) || ソ連 39.5 || ユーゴスラビア 31 || ブルガリア 30<br /> |-<br /> | [[1970年]] || 19th Chess Olympiad || {{flagicon|FRG}} [[ジーゲン]](西ドイツ) || ソ連 27.5 || ハンガリー 26.5 || ユーゴスラビア 26<br /> |-<br /> | [[1972年]] || 20th Chess Olympiad || {{flagicon|YUG1945}} [[スコピエ]](ユーゴスラビア) || ソ連 42 || ハンガリー 40.5 || ユーゴスラビア 38<br /> |-<br /> | [[1974年]] || 21st Chess Olympiad || {{flagicon|FRA}} [[ニース]](フランス) || ソ連 46 || ユーゴスラビア 37.5 || アメリカ 36.5<br /> |-<br /> | [[1976年]] || 22nd Chess Olympiad &lt;ref&gt;1976年の大会は、ソ連と共産圏の国は政治的な理由により不参加。&lt;/ref&gt;|| {{flagicon|ISR}} [[ハイファ]](イスラエル) || アメリカ 37 || オランダ 36.5 || イングランド 35.5<br /> |-<br /> | [[1976年]] || &#039;&#039;Against-Israeli Chess&lt;br /&gt;Olympiad&#039;&#039; || {{flagicon|LBY1972}} [[トリポリ]]([[大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国|リビア]]) || エルサルバドル || チュニジア || パキスタン<br /> |-<br /> | [[1978年]] || 23rd Chess Olympiad || {{flagicon|ARG}} [[ブエノスアイレス]](アルゼンチン) || ハンガリー 37 || ソ連 36 || アメリカ 35<br /> |-<br /> | [[1980年]] || 24th Chess Olympiad || {{flagicon|MLT}} [[バレッタ]]([[マルタ]]) || ソ連 39 || ハンガリー 39 || アメリカ 35<br /> |-<br /> | [[1982年]] || 25th Chess Olympiad || {{flagicon|CHE}} [[ルツェルン]](スイス) || ソ連 42.5 || チェコスロバキア 36 || アメリカ 35<br /> |-<br /> | [[1984年]] || 26th Chess Olympiad || {{flagicon|GRE}} [[テッサロニキ]]([[ギリシャ]]) || ソ連 41 || イングランド 37 || アメリカ 35<br /> |-<br /> | [[1986年]] || 27th Chess Olympiad || {{flagicon|UAE}} [[ドバイ]]([[アラブ首長国連邦]]) || ソ連 40 || イングランド 39 || アメリカ 38<br /> |-<br /> | [[1988年]] || 28th Chess Olympiad || {{flagicon|GRE}} テッサロニキ(ギリシャ) || ソ連 40.5 || イングランド 34.5 || オランダ 34.5<br /> |-<br /> | [[1990年]] || 29th Chess Olympiad || {{flagicon|YUG1945}} [[ノヴィ・サド]](ユーゴスラビア) || ソ連 39 || アメリカ 35.5 || イングランド 35.5<br /> |-<br /> | [[1992年]] || 30th Chess Olympiad || {{flagicon|PHL}} [[マニラ]]([[フィリピン]]) || ロシア 39 || ウズベキスタン 35 || アルメニア 34.5<br /> |-<br /> | [[1994年]] || 31st Chess Olympiad || {{flagicon|RUS}} [[モスクワ]]([[ロシア]]) || ロシア 37.5 || ボスニア・ヘルツェゴビナ 35 || ロシア B 34.5<br /> |-<br /> | [[1996年]] || 32nd Chess Olympiad || {{flagicon|ARM}} [[エレバン]]([[アルメニア]]) || ロシア 38.5 || ウクライナ 35 || アメリカ 34<br /> |-<br /> | [[1998年]] || 33rd Chess Olympiad || {{flagicon|RUS}} [[エリスタ]](ロシア) || ロシア 35.5 || アメリカ 34.5 || ウクライナ 32.5<br /> |-<br /> | [[2000年]] || 34th Chess Olympiad || {{flagicon|TUR}} [[イスタンブール]]([[トルコ]]) || ロシア 38 || ドイツ 37 || ウクライナ 35.5<br /> |-<br /> | [[2002年]] || 35th Chess Olympiad || {{flagicon|SLO}} [[ブレッド]]([[スロベニア]]) || ロシア 38.5 || ハンガリー 37.5 || アルメニア 35<br /> |-<br /> | [[2004年]] || 36th Chess Olympiad || {{flagicon|ESP}} [[カルビア]]([[スペイン]]) || ウクライナ 39.5 || ロシア 36.5 || アルメニア 36.5<br /> |-<br /> | [[2006年]] || 37th Chess Olympiad || {{flagicon|ITA}} [[トリノ]]([[イタリア]]) || アルメニア 36 || 中国 34 || アメリカ 33<br /> |-<br /> | [[2008年]] || [[ドレスデン・チェス・オリンピアード|38th Chess Olympiad]] || {{flagicon|DEU}} [[ドレスデン]]([[ドイツ]]) || アルメニア 19 || イスラエル 18 || アメリカ 17<br /> |-<br /> | [[2010年]] || 39th Chess Olympiad || {{flagicon|RUS}} [[ハンティ・マンシースク]](ロシア) || ウクライナ 19 || ロシア1 18 || イスラエル 17<br /> |-<br /> | [[2012年]] || 40th Chess Olympiad || {{flagicon|TUR}} イスタンブール(トルコ) || アルメニア 19 || ロシア 19 || ウクライナ 18<br /> |-<br /> | [[2014年]] || 41st Chess Olympiad || {{flagicon|NOR}} [[トロムセ]]([[ノルウェー]]) || 中国 19 || ハンガリー 17 || インド 17<br /> |-<br /> | [[2016年]] || 42nd Chess Olympiad || {{flagicon|AZE}} [[バクー]]([[アゼルバイジャン]]) || アメリカ 20 || ウクライナ 20 || ロシア 18 <br /> |-<br /> | [[2018年]] || 43rd Chess Olympiad || {{flagicon|GEO}} [[バトゥミ]]([[グルジア]]) || || || <br /> |-<br /> | [[2020年]] || 44th Chess Olympiad || {{flagicon|RUS}} [[ハンティ・マンシースク]]([[ロシア]]) || || || <br /> |}<br /> 注:第37回まではゲームポイント、つまり全対局の結果の合計。第38回からはチームポイント、つまり4局中勝ち越しで2点、指しわけで1点、負け越しで0点。<br /> <br /> == 男子大会での個人成績 ==<br /> * 最低4回以上のオリンピアードに参加した選手のみ対象とした。<br /> * 国名はIOCの3文字のコードによる。<br /> * メダルはチームではなく個人のメダル(金-銀-銅の順)<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center&quot;<br /> ! style=&quot;width:11em&quot;|選手 !! style=&quot;width:5em&quot;|国!! style=&quot;width:5em&quot;|参加回数!! style=&quot;width:5em&quot;|対局数!! style=&quot;width:3em&quot;|勝!! style=&quot;width:3em&quot;|引分!! style=&quot;width:3em&quot;|敗!! style=&quot;width:5em&quot;|勝率!! style=&quot;width:7em&quot;|メダル&lt;br /&gt;(金-銀-銅)<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:left&quot;|[[ミハイル・タリ]] ||URS||8||101||65||34||2||81.2||5 - 2 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[アナトリー・カルポフ]] || URS || 6 || 68 || 43 || 23 || 2 || 80.1 || 3 - 2 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[チグラン・ペトロシアン]] || URS || 10 || 129 || 78 || 50 || 1 || 79.8 || 6 - 0 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[アイザック・カシュダン]] || USA || 5 || 79 || 52 || 22 || 5 || 79.7 || 2 - 1 - 1<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ワシリー・スミスロフ]] || URS || 9 || 113 || 69 || 42 || 2 || 79.6 || 4 - 2 - 2<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ダヴィド・ブロンステイン]] || URS || 4 || 49 || 30 || 18 || 1 || 79.6 || 3 - 1 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ガルリ・カスパロフ]] || URS || 9 || 82 || 50 || 29 || 3 || 78.7 || 7 - 2 - 2<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[アレクサンドル・アレヒン]] || FRA || 5 || 72 || 43 || 27 || 2 || 78.5 || 2 - 2 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ミラン・マトゥロビッチ]] || YUG || 6 || 78 || 46 || 28 || 4 || 76.9 || 1 - 2 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[パウリ・ケレス]] &lt;ref&gt;ケレスは最初の3大会は、エストニア・チームで参加した。&lt;/ref&gt;|| URS || 10 || 141 || 85 || 44 || 12 || 75.9 || 5 - 1 - 1<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[エフィム・ゲラー]] || URS || 7 || 76 || 46 || 23 || 7 || 75.6 || 3 - 3 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ジェームス・タージャン]] || USA || 5 || 51 || 32 || 13 || 6 || 75.5 || 2 - 1 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ボビー・フィッシャー]] || USA || 4 || 65 || 40 || 18 || 7 || 75.4 || 2 - 1 - 0<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[ミハイル・ボトヴィニク]] || URS || 6 || 73 || 39 || 31 || 3 || 74.7 || 2 - 1 - 2<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left&quot;| [[サロ・フロール]] || TCH || 7 || 82 || 46 || 28 || 8 || 73.2 || 2 - 1 - 1<br /> |}<br /> &lt;br /&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.fide.com/official/handbook.asp?level=DD2 FIDE Handbook: Chess Olympiad] - 公式ルール<br /> ** [http://www.fide.com/official/handbook.asp?level=DD702 FIDE Handbook: Children&#039;s Olympiad] - 公式ルール<br /> * [http://www.olimpbase.org/ OlimpBase: the encyclopaedia of team chess] - 各大会の結果と概要<br /> ** [http://www.olimpbase.org/olympiads/men_results.html Men&#039;s results summary]<br /> ** [http://www.olimpbase.org/olympiads/women_results.html Women&#039;s results summary]<br /> ** [http://www.olimpbase.org/youth/children_results.html Children&#039;s Chess Olympiad and results]<br /> * [http://www.chessolympiad-torino2006.org/eng/index.php 37e Olimpiadi degli Scacchi - Torino 2006] - 第37回チェス・オリンピアードの公式サイト<br /> *[http://chess-results.com/tnr16314.aspx?art=0&amp;rd=11&amp;lan=1&amp;fed=JPN&amp;flag=30&amp;m=-1&amp;wi=1000 Dresden 2008] - 第38回ドレスデン大会結果サイト<br /> **[http://chess-results.com/tnr16314.aspx?art=20&amp;fed=JPN&amp;lan=1&amp;flag=30&amp;m=-1&amp;wi=1000 Japan National Team at Dresden] - ドレスデン大会日本代表チーム結果サイト<br /> <br /> {{チェス}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ちえすおりんひああと}}<br /> [[Category:チェスの棋戦|おりんひああと]]</div> 203.165.22.143 横浜市 2018-07-16T16:22:33Z <p>203.165.22.143: </p> <hr /> <div>{{日本の市<br /> |自治体名 = 横浜市<br /> |画像 = Japan Yokohama.png<br /> |画像の説明 = &lt;table style=&quot;width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse&quot;&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td style=&quot;width:100%&quot; colspan=&quot;2&quot;&gt;[[横浜みなとみらい21]]&lt;/tr&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td style=&quot;width:50%&quot;&gt;[[横浜中華街]]&lt;td style=&quot;width:50%&quot;&gt;[[日本丸 (初代)|日本丸]]&lt;/tr&gt;<br /> &lt;tr&gt;&lt;td style=&quot;width:50%&quot;&gt;[[横浜駅]]西口前&lt;td style=&quot;width:50%&quot;&gt;[[横浜マリンタワー]]&lt;/tr&gt;<br /> &lt;/table&gt;<br /> |市旗 = [[画像:Flag of Yokohama, Kanagawa.svg|100px|border|横浜市旗]]<br /> |市旗の説明 = 横浜[[市町村旗|市旗]]<br /> |市章 = [[画像:Emblem of Yokohama, Kanagawa.svg|80px|横浜市徽章]]<br /> |市章の説明 = 横浜[[市町村章|市章]]&lt;div style=&quot;font-size:smaller&quot;&gt;[[1909年]][[6月5日]]制定{{efn|徽章は横浜港開港50周年を記念して、市民からの公募により制定(明治42年6月5日告示第44号)。「ハマ」の2文字が図案化されている。公式には、この意匠を「ハマ菱」という(「交通局徽章設定ノ件」(大正10年2月25日)、横浜市功労章に関する規則(昭和30年3月5日規則第7号)別図)}}<br /> |都道府県 = 神奈川県<br /> |コード = 14100-3<br /> |隣接自治体 =<br /> {{flatlist|class=hlist-comma|<br /> *[[川崎市]]<br /> *[[藤沢市]]<br /> *[[大和市]]<br /> *[[横須賀市]]<br /> *[[鎌倉市]]<br /> *[[逗子市]]}}<br /> {{flatlist|class=hlist-comma|<br /> ;[[東京都]]<br /> :[[町田市]]}}<br /> |木 = [[イチョウ]]、[[ケヤキ]]、[[サザンカ]]、&lt;br /&gt;[[サンゴジュ]]、[[シイ]]、[[ツバキ]]<br /> |花 = [[バラ]]<br /> |シンボル名 = 市の歌<br /> |鳥など = [[横浜市歌]]<br /> |郵便番号 = 231-0017<br /> |所在地 = 横浜市中区港町1丁目1番地&lt;br /&gt;{{small|{{ウィキ座標度分秒|35|26|38.3|N|139|38|17.7|E|region:JP-14_type:adm2nd|display=inline,title}}}}&lt;br /&gt;[[画像:Yokohama City Hall 2009.jpg|250px|横浜市役所]]<br /> |外部リンク = [http://www.city.yokohama.jp/ 横浜市] <br /> |位置画像 = {{基礎自治体位置図|14|100}}{{行政区位置図|14|100}}<br /> |特記事項 =}}<br /> {{ウィキポータルリンク|横浜市}}<br /> &#039;&#039;&#039;横浜市&#039;&#039;&#039;(よこはまし)は、[[関東地方]]南部、[[神奈川県]]の東部に位置する[[都市]]で、同県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]。[[政令指定都市]]の一つであり、18区の行政区を持つ。現在の総人口は日本の市町村では最も多く、[[四国地方]]に匹敵するおおよそ373万人であり1府37県の人口を上回る。[[人口集中地区]]人口は[[東京都区部|東京23区(東京特別区)]]、[[大阪市]]に次ぐ。神奈川県内の市町村では、[[面積]]が最も広い。市域の過半は旧[[武蔵国]]で、南西部は旧[[相模国]]([[戸塚区]]、[[泉区 (横浜市)|泉区]]、[[栄区]]の全域と[[瀬谷区]]、[[港南区]]の一部)。<br /> <br /> 幕末以降(詳しくは[[#神奈川開港と都市横浜の誕生・発展|後述]])から外国資本が積極的に当地に進出。そのため近代日本において有数の[[外資]]獲得力を誇った。[[関東大震災]]後は政府による積極的な振興政策により、[[京浜工業地帯]]の中核都市となった。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 横浜市は[[都心|東京都心]]から南南西に約30kmから40km圏内にある、[[東京湾]]に面した神奈川県で最大の都市である。横浜市政の中心地は[[関内]]地区([[中区 (横浜市)|中区]]の[[関内駅]]周辺)で、横浜市域の中央駅は[[横浜駅]]([[西区 (横浜市)|西区]]){{efn|関内地区の中区港町一丁目1番地には横浜市役所が、中区日本大通1番地には神奈川県庁がある。}}、横浜市の経済活動の中心地は横浜駅周辺地域である。経済活動の中心地である横浜駅周辺地域は、横浜市政の中心地である関内地区から北北西に約3kmの所にあり、両地域間は事実上分断されており、横浜市政は両地区の中間に位置する[[横浜みなとみらい21]]地区([[桜木町駅]]周辺)の開発を進めて、横浜都心の一体的発展を進めている。また、横浜都心[[ウォーターフロント|臨海部]](インナーハーバー&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/shingikai/ih/ 横浜市インナーハーバー検討委員会](横浜市都市整備局都市デザイン室、開港150周年の2009年設置)&lt;/ref&gt;)に位置する[[東神奈川]]臨海部周辺([[東神奈川駅]]周辺および[[山内埠頭|山内ふ頭]]周辺)地区&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/keihin/higashikanagawa.html 東神奈川臨海部周辺地区のまちづくり](横浜市都市整備局)&lt;/ref&gt;、横浜駅周辺地区、みなとみらい地区、関内・関外地区、[[山下埠頭|山下ふ頭]]周辺地区では長期的な都市の再生計画が進行中で、これらの五地区を[[路面電車#近代化する路面電車|LRT]](次世代型路面電車システム)で結ぶ案も検討されている&lt;ref&gt;[http://sankei.jp.msn.com/region/news/130903/kng13090323050011-n1.htm LRT導入検討本格化へ 林市長が2期目に意欲 横浜](MSN産経ニュース 2013年9月3日付)&lt;/ref&gt;。<br /> [[画像:Yokohama Municipal Subway map.png|thumb|right|250px|横浜市営地下鉄路線図]]<br /> 横浜市域は比較的広大であり、横浜市政が指定する[[都心]](ツインコア)は、横浜都心(関内・関外地区、横浜みなとみらい21 (MM21) 地区、横浜駅周辺地区&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/daikaizou/kaigi/keikaku/pdf/guidelines2.pdf エキサイトよこはま22 横浜駅周辺大改造計画 概要版(改訂版)]}}平成25年6月。発行・編集、横浜市都市整備局都心再生部都心再生課。&lt;/ref&gt;)&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/kasseika/pdf/pamphlet2.pdf 関内・関外地区活性化推進計画(概要版)]}}平成22年3月。横浜市都市整備局都市再生推進課。&lt;/ref&gt;、と[[新横浜]]都心(城郷地区([[小机駅]]周辺地区)、[[羽沢町|羽沢地区]]([[横浜羽沢駅|羽沢駅(仮称)]]周辺地区)、新羽地区([[新羽駅|新羽]]・[[北新横浜駅|北新横浜]]駅周辺地区)、新横浜地区([[新横浜駅]]周辺地区))&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/seibi/pdf/sinyoko.pdf 新横浜都市整備基本構想パンフレット(1999年)]}} 平成11年6月発行。横浜市都市計画局都市企画部企画調査課。&lt;/ref&gt;である。また、主要な生活拠点(旧:[[副都心]])としては、[[鶴見駅]]周辺、[[港北ニュータウン|港北NT(港北ニュータウン)センター]]、[[二俣川駅|二俣川]]・[[鶴ヶ峰駅|鶴ヶ峰]]駅周辺、[[戸塚駅]]周辺、[[上大岡駅]]周辺が指定されている&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/kikaku/cityplan/master/kaitei/kaitei/pdf/kaiteiplan.pdf 横浜市都市計画マスタープラン(全体構想)]}}平成25年3月発行。編集・発行、横浜市都市整備局企画部企画課。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&amp;story_id=1279 上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは?](はまれぽ.com 2012年8月19日)&lt;/ref&gt;。港北NTセンターを除く各地区は、JR[[東海道線]]、[[横浜線]]、[[京急本線]]、[[相鉄本線]]の鉄道駅を中心として古くから発展してきた街である。港北NTセンターは、[[1965年]](昭和40年)に策定された[[横浜市六大事業]]の一つとして、当時の[[港北区]](現在の中心は[[都筑区]])に計画的に開発された街である。都心(ツインコア)と各主要な生活拠点(旧:副都心)間は、[[横浜市営地下鉄]]の[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン]]および[[横浜市営地下鉄グリーンライン|グリーンライン]](横浜環状鉄道)&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/toshiko/tetsudoukeikaku/chukan/chukanhonpen.pdf 鉄道計画検討調査。運輸政策審議会答申路線に関する中間まとめ。]}}平成25年4月。横浜市都市整備局。&lt;/ref&gt;、[[横浜環状道路]]を中核とした[[自動車専用道路]]によって&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/jigyochosei/kanjodouro/download/yokokanpanf-t.pdf 横浜環状道路パンフレット]}}平成12年8月発行、平成13年11月改訂。横浜市道路局。横浜環状道路調整部事業調整課&lt;/ref&gt;、計画的に結ばれる予定となっている。そのほかの郊外区は[[首都圏 (日本)|首都圏]]への人口集中による[[スプロール現象|スプロール化]]した市街地が散在しており、都市基盤整備が推進されている。[[多摩田園都市]]をはじめとした市内北西部は、東京都心の[[ベッドタウン]]として開発されたため、鉄道網も東京からの放射線が軸となり、東京都心への通勤通学人口が多い(詳細は[[#人口|後述]])。<br /> <br /> 横浜市域は、南に接する[[鎌倉]]に[[鎌倉幕府]]が置かれた[[鎌倉時代]]から本格的に開発され始めた。[[江戸時代]]には[[江戸幕府]]が置かれた[[江戸]]に近いため、[[幕府]]直轄地や[[旗本]]領が大部分を占め、藩は小規模な[[六浦藩]]([[金沢区]])のみがおかれた。また、大きな港を持たない鎌倉幕府の海の玄関口として六浦湊(金沢区六浦)が、江戸湾(東京湾)内海交通の要衝として神奈川湊([[神奈川宿]]、神奈川区神奈川)が、早くから栄えた。[[幕末|江戸時代末期]]には、神奈川沖・小柴(旧・六浦湊外周部)で締結された[[日米修好通商条約]]により、「神奈川」を開港場にすることが定められた。実際には神奈川湊の対岸にある&#039;&#039;&#039;横浜村&#039;&#039;&#039;{{efn|武蔵国久良岐郡に属する。「横浜」の名は、海から見たとき「横に長い浜」であることに由来するとされる&lt;ref&gt;[http://hamarepo.com/story.php?story_id=73 「横浜」の由来って何?](はまれぽ.com 2011年3月28日)&lt;/ref&gt;。[[櫻井澄夫]]や鏡味明克(横浜地名研究会会長)によれば、古語の「ヨコ」の用例から「長い浜」であることに由来し、大浜や長浜とほぼ同義であるという&lt;ref&gt;「横浜地名考」『横浜の町名』初版所収。1982年&lt;/ref&gt;。}}(現在の中区関内地区)に新たに港湾施設が建設され、短期間に国際港の体裁を整えた。[[安政]]6年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1859年]][[7月1日]])に開かれた&#039;&#039;&#039;[[横浜港]]&#039;&#039;&#039;は「金港」とも呼ばれ、[[生糸]]貿易港、商業港、旅客港として、また工業港として急速に発展。横浜を日本の代表的な国際港湾都市へと発展させる礎となった。<br /> <br /> [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]]に[[市制]]が施行され、&#039;&#039;&#039;横浜市&#039;&#039;&#039;となった{{efn|横浜村は、安政6年(1859年)に&#039;&#039;&#039;横浜町&#039;&#039;&#039;となり、[[1878年]](明治11年)には[[郡区町村編制法]]の施行により&#039;&#039;&#039;横浜区&#039;&#039;&#039;になっていた。}}。市域の面積は、市制施行時には横浜港周辺の5.4&amp;nbsp;km² にすぎなかったが、6次にわたる拡張と埋立てにより437.38&amp;nbsp;km² (2006年)となっている。[[1927年]](昭和2年)の区制施行で市域は5区に分けられ、周辺町村の合併と区域の再編を経て、[[行政区]]の数は&#039;&#039;&#039;18区&#039;&#039;&#039;となっている。市制施行時の横浜市の人口は約12万人だったが、その後は[[第二次世界大戦]]中の一時期を除いて増加の一途をたどり、現在では&#039;&#039;&#039;約370万人&#039;&#039;&#039;となった。これは&#039;&#039;&#039;日本の市では最も多く&#039;&#039;&#039;、[[人口集中地区]]人口も[[東京都区部|東京23区(東京特別区)]]に次ぐ。ただし人口密度は大阪市、川崎市などのほうが高い。[[1956年]](昭和31年)には[[政令指定都市]]に&lt;ref&gt;[[地方自治法]](昭和22年法律第67号)252条の19第1項、地方自治法第二百五十二条の十九第一項の指定都市の指定に関する政令(昭和31年政令第254号)。&lt;/ref&gt;、[[1988年]](昭和63年)には[[業務核都市]]&lt;ref&gt;多極分散型国土形成促進法(昭和63年法律第83号)8条1号イ、多極分散型国土形成促進法施行令(昭和63年政令第194号)5条1号、[[首都圏整備法]](昭和31年法律第83号)2条3項、首都圏整備法施行令(昭和32年政令第333号)2条。&lt;/ref&gt;、[[2011年]](平成23年)には環境未来都市と国際戦略総合特区に指定され&lt;ref&gt;「[http://www.city.yokohama.lg.jp/keizai/happyou/h23/231222sinsan.html 横浜市が「環境未来都市」及び「国際戦略総合特区」にダブル選定!]」、横浜市経済局新産業振興課、2011年(平成23年)。&lt;/ref&gt;、[[2012年]](平成24年)には横浜駅周辺地区などが[[特定都市再生緊急整備地域]]&lt;ref&gt;[[都市再生特別措置法]]2条3項、都市再生緊急整備地域及び特定都市再生緊急整備地域を定める政令2条。&lt;/ref&gt;に指定された。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[画像:Yokohama Landsat.jpg|thumb|250px|横浜市のランドサット画像]]<br /> 市域は神奈川県の東部にあたり、東経139度43分31秒(鶴見区[[扇島]])から139度27分52秒(瀬谷区[[目黒町]])、北緯35度35分33秒(青葉区[[美しが丘西]])から35度18分44秒(金沢区六浦南)に位置する&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/daitoshi/new/h010100.html 「横浜市統計ポータルサイト大都市比較統計年表(平成16年)I 土地及び気象 1。位置、面積及び市域の高低」]&lt;/ref&gt;。東は[[東京湾]]に面し、北は[[川崎市]]、西は[[大和市]]・[[藤沢市]]・[[東京都]][[町田市]]、南は[[鎌倉市]]・[[逗子市]]・[[横須賀市]]に接する。市域の面積は神奈川県の約18%を占め、県内の市町村で最も広い。<br /> <br /> === 地形 ===<br /> 横浜市域の地形は、[[丘陵|丘陵地]]、[[台地]]・[[河岸段丘|段丘]]、[[低地]]、[[埋立地]]に分けられる。<br /> <br /> 丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は[[保土ケ谷区]]・[[旭区 (横浜市)|旭区]]などを流れる[[帷子川]]付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、[[多摩丘陵]]の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、[[三浦半島]]に続く[[三浦丘陵]]の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。鎌倉市に山頂部を置く大平山をはじめとする通称「鎌倉アルプス」に続く峠部分が市内最高点([[栄区]][[上郷町 (横浜市)|上郷町]]、標高159.4m)であり、市内最高峰の[[大丸山 (神奈川県)|大丸山]]([[金沢区]][[釜利谷町]]、標高156.8m)や[[円海山]]([[磯子区]]峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地に位置する。<br /> <br /> 台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]の地名を取って[[下末吉台地]]と呼ばれ、標高は40mから60mで[[鶴見川]]付近まで続く。[[瀬谷区]]、[[泉区 (横浜市)|泉区]]、[[戸塚区]]など西側の台地は、[[相模野台地]]の東端に当たり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。[[本牧]]付近で台地が海に突き出し、その南側は[[根岸湾]]と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。<br /> <br /> 低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な[[三角州]]性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江[[平潟湾]]は、[[鎌倉幕府]]が江戸湾側の海の玄関口とした天然の良港であった。[[島]]としては金沢区の[[野島 (神奈川県)|野島]]([[扇島]]・[[八景島]]は[[人工島]])があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。<br /> ;河川<br /> :[[鶴見川]]、[[鳥山川]]、早渕川、砂田川<br /> :[[帷子川]]、今井川、中堀川<br /> :[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]、[[柏尾川]]、[[いたち川 (横浜市)|いたち川]]、宇田川、[[和泉川 (神奈川県)|和泉川]]<br /> :[[大岡川 (神奈川県)|大岡川]]、[[堀割川]]、[[中村川 (横浜市)|中村川]]<br /> :入江川、[[侍従川]]、富岡川、大川、滝の川<br /> ;山<br /> :南部の[[港南区]]・磯子区・栄区・金沢区境付近が最も高く、[[大丸山 (神奈川県)|大丸山]](標高156m)、[[円海山]](標高153m)などがある<br /> <br /> === 気候 ===<br /> [[画像:平年気温 (横浜).png|thumb|240px|left|横浜の平年気温(月ごとの値)]]<br /> [[画像:平年降水量 (横浜).png|thumb|240px|left|横浜の平年降水量(月ごとの値)]]<br /> [[本州]]のほぼ中央、[[太平洋]]岸に位置し、[[ケッペンの気候区分]]では[[温帯]]の[[温暖湿潤気候]]に属する。気温の年較差は大きく、四季は明瞭。1日の寒暖の差は小さく、1年を通じて穏やかな気候である。横浜では、[[梅雨]]時と[[秋雨]]・[[台風]]の時期に降水量が多い。夏は名古屋以西の都市と比べると暑さが穏やかで、冬は晴れる日が多く、積雪は南岸低気圧によるもので年1回程度だが、積もるときには比較的まとまる(10cm以上)ことが多い。<br /> 横浜の平均気温はヒートアイランド現象により年々上昇傾向にあり、その傾向は特に冬の最低気温に顕著に現れる。<br /> 近年では氷点下まで冷え込むことも稀となっており、冬日は年に数日程度である。<br /> 一方で[[旭区 (横浜市)|旭区]]や[[瀬谷区]]など横浜市西部は緑被率が高く、内陸部に位置することから市中心部と比較して気温は低い。特に冬季の最低気温では横浜気象台より5度程度低く、氷点下5度以下を記録することも多い。<br /> 中心部と比較して積雪も多い。<br /> <br /> 横浜の年平均[[降水量]]は1688.6mmで、月平均降水量の最高は9月の233.8mm、最低は12月の54.8mm。年平均[[気温]]は15.8{{℃}}で、月平均気温の最高は8月の26.7{{℃}}、最低は1月の5.9{{℃}}。年平均相対湿度は67%で、月平均[[湿度|相対湿度]]の最高は6、7月の78%、最低は1月の53%。年平均[[風速]]は3.5m/sで、最大は3月の3.9&amp;nbsp;m/s、最小は7、8月の3.2&amp;nbsp;m/s。6月から8月にかけて南西風が卓越する他は、北風が卓越する。年平均の合計[[日照]]時間は1964.4時間で、最多は8月の206.3時間、最少は9月の130.7時間。大気現象の年平均日数は、[[雪]]が9.7日、[[霧]]が8.0日、[[雷]]が12.6日となっている&lt;ref&gt;[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=46&amp;prec_ch=%90_%93%DE%90%EC%8C%A7&amp;block_no=47670&amp;block_ch=%89%A1%95l&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;elm=normal&amp;view= 平年値(年・月ごとの値)] 気象庁、横浜地方気象台。平均値は1981年 - 2010年の平年値。極値は横浜気象台が観測を始めてから、記述時現在(2011年12月23日)までのもの。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 横浜地方気象台の観測史上、最高気温は2013年8月11日および2016年8月9日の37.4{{℃}}、最低気温は1927年1月24日の−8.2{{℃}}。同じく、日降水量が最も多かったのは1958年9月26日の287.2mm、年降水量が最も多かったのは1941年の2535.2mm&lt;ref&gt;[http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=46&amp;prec_ch=%90_%93%DE%90%EC%8C%A7&amp;block_no=47670&amp;block_ch=%89%A1%95l&amp;year=&amp;month=&amp;day=&amp;elm=rank&amp;view= 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)](2011年12月23日確認)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 横浜の初雪の平年値は1月4日で、初霜は12月6日、初氷は12月12日。[[サクラ|桜]]([[ソメイヨシノ]])の開花日の平年値は3月28日で、満開日は4月5日となっている&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/web/20070819111842/http://www.tokyo-jma.go.jp/sub_index/koho/hodo/sakura2007/kaikabi2007.htm 「2007年さくら(ソメイヨシノ)の開花日及び満開日一覧(東京管内)」] 気象庁。(2007年8月19日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])&lt;/ref&gt;。<br /> {{Yokohama weatherbox}}<br /> <br /> === 参考文献 ===<br /> *[http://www.city.yokohama.jp/me/anzen/kikikanri/keikaku/shinsai.html 「横浜市防災計画 震災対策編 YOKOHAMA2005」] 横浜市防災会議・発行、横浜市安全管理局危機管理室・編集、2006年(平成18年)3月<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{main|横浜市の歴史}}<br /> <br /> === 現市域各地の前史 ===<br /> 市域には、およそ25か所の[[後期旧石器時代]]の遺跡が発見されている。[[縄文時代]]の遺跡は、[[都筑区]]の[[花見山遺跡]]など数多く見られる。中期までの[[弥生時代]]遺跡は少なく、中期後半以降は、都筑区の[[大塚・歳勝土遺跡]]など、[[方形周溝墓]]を伴う[[環濠集落]]が現れる。[[古墳]]の出現は4世紀の中期以降とされ、青葉区の[[稲荷前古墳群]]などはこの時代の遺跡である。<br /> <br /> 市域の地名に関する文献上の初出は、『[[日本書紀]]』の[[安閑天皇]]元年([[534年]])の条とされる。[[武蔵国]]に住む豪族が、&#039;&#039;&#039;橘花&#039;&#039;&#039;(たちばな。[[橘樹郡]])、&#039;&#039;&#039;倉樔&#039;&#039;&#039;(くらす。後に久良(くらき)郡、さらに[[久良岐郡]])ほか4か所を屯倉として献上したと記される。7世紀後半までに市域には、武蔵国橘樹郡、久良岐郡、[[都筑郡]]、[[相模国]][[鎌倉郡]]が置かれた。青葉区の[[長者原遺跡]]は、8世紀に成立した都筑郡衙跡とされる。なお、都筑郡の名が見える最古の記録は、『[[万葉集]]』である。[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])には、都筑郡の杉山神社が、[[式内社]]とされた。この杉山神社には論社がいくつかあり、位置は確定されていない。<br /> <br /> 市域は[[奈良時代]]以降、人口も増えて生産力を高めた。[[平安時代]]には各所の開発も進み、[[坂東八平氏]]や[[武蔵七党]]など、関東武士の力が蓄えられた。市域には、[[平子氏]]、[[榛谷氏|榛谷(はんがや、はりがや)氏]]、[[稲毛氏]]、[[綴党]](つづきとう)などの武士団が勢力を張った。今に残る[[弘明寺]]、[[宝生寺 (横浜市)|宝生寺]]など、[[平安時代]]以前の建立とされる寺院は、これら有力武士団の支援を受けていたものと考えられる。<br /> [[画像:Shomyo-ji.jpg|thumb|left|[[称名寺 (横浜市)|称名寺]]庭園(金沢区)]]<br /> 市域は、鎌倉に[[鎌倉幕府]]が開設された[[12世紀]]から本格的に開発が始まった。[[鶴見川]]や[[柏尾川]]などの河川流域では[[農業]]が発達し、13世紀前半には、現在の新横浜周辺地域に当たる小机郷鳥山(港北区小机町・鳥山町)から、[[多摩川]]・鶴見川周辺地域が、幕府によって大規模に開発された。また、東京湾に面する六浦湊(金沢区六浦)が鎌倉の玄関口として文化・交易・産業の中心地となり、[[中国大陸]]([[南宋]])との貿易([[日宋貿易]])や内湾の交易によって栄え、武士や商人・職人・宗教者などが多く集まり賑わいを見せ、[[東海道]]に接して栄えた神奈川湊(神奈川区神奈川)とともに[[漁業]]と[[海運業]]の発達へと繋がっていった。<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;横浜&#039;&#039;&#039;の名の初出は、[[室町時代]]中期の[[嘉吉]]2年([[1442年]])の文献である。この年、平子氏の家臣と思われる市川季氏と比留間範数の両名が、石河宝金剛院(現、南区の宝生寺)に、横浜村の薬師堂免田畠を寄進する旨の文書が残されている。横浜村は[[武蔵国]][[久良岐郡]]に属し、神奈川湊の対岸、現在では市政の中心街になっている関内地区(中区)にあたる地域にあった。<br /> [[画像:1853Yokohama 01.jpg|thumb|[[マシュー・ペリー|ペリー]]一行の上陸]]<br /> [[画像:NauticalChart Yokohama 1874.jpg|thumb|[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[水路部 (日本海軍)|水路寮]]作成[[海図]]「武藏國横濱灣」の一部、[[1874年]](明治7年)刊行]]<br /> [[江戸幕府]]が置かれた[[17世紀]]以降は、[[東海道]]の[[宿場]]とされた[[神奈川宿]]、[[程ヶ谷宿]](保土ヶ谷宿)、[[戸塚宿]]を中心に発展する。特に、神奈川湊を持つ神奈川宿が江戸湾(東京湾)内海交通の要衝の一つとして栄え、対する六浦湊は、[[歌川広重]]が[[金沢八景]]を浮世絵としたように、風光明媚な景勝地としての色合いを濃くしていった。なお、[[江戸時代]]末期までの横浜村は、前出2つの湊とは対照的に、戸数わずか100戸足らずの[[砂州]]上に形成された半農半漁の寒村であった。<br /> <br /> === 神奈川開港と都市横浜の誕生・発展 ===<br /> 横浜村の運命を一変させたのは、当時国交を持たなかった[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[マシュー・ペリー]]率いる[[黒船来航|黒船の来航]]であった。太平洋航路の拠点として、また、[[捕鯨]]の際の供給基地として日本の港を利用することを望んだ[[アメリカ海軍]]の黒船一行は六浦藩小柴村沖(現在の金沢区八景島周辺)に無許可のまま2か月間投錨し、幕府の対応を待った後に横浜沖へと進み入り、その後幕府は横浜村に設営した応接所で外交交渉を行った。交渉の結果、[[嘉永]]7年/[[安政]]元年([[1854年]])に横浜村で[[日米和親条約]]が締結され、安政5年([[1858年]])には神奈川沖・小柴(現・八景島周辺)のポウハタン号上で[[日米修好通商条約]]が締結された。この通商条約に「神奈川」を開港するよう定めたことが、横浜の都市開発の発端となった。<br /> <br /> 幕府は、東海道に直結し当時すでに栄えていた神奈川湊を避け、[[外国人居留地]]を遠ざけるため、対岸の横浜村を「神奈川在横浜」と称して開港地とした。横浜村には、短期間で居留地、[[深谷市]]在の[[笹井万太郎]]により[[波止場]]、運上所([[税関]])など国際港の体裁が整えられ、安政6年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1859年]]7月1日)に&#039;&#039;&#039;[[横浜港]]&#039;&#039;&#039;は開港した。横浜市では、6月2日を&#039;&#039;&#039;開港記念日&#039;&#039;&#039;としている{{efn|横浜市立学校の管理運営に関する規則(昭和59年教育委員会規則第4号)4条1項8号は、小中学校における休業日として「開港記念日 6月2日」と定めている。}}。しかし勅許は6年遅れた。文久/元治元年(1864年)には[[安政五カ国条約]]の相手国へ[[横浜鎖港談判使節団]]を派遣、失敗。[[薩英戦争]]まで起こった。騒然とした世相にも関わらず、横浜には[[ジャーディン・マセソン]]、[[アルフレッド・デント|デント商会]]、そして[[オリエンタル・バンク]]が進出してきた。[[慶応]]2年(1866年)には[[香港上海銀行]]も支店を出した。[[明治]]5年([[1872年]])には[[ドイツ銀行]]までやってきた。<br /> [[画像:Kanagawa prefectural museum of cultural history01s3200.jpg|thumb|left|[[神奈川県立歴史博物館]](旧[[横浜正金銀行]]本店、中区)]]<br /> [[画像:NYK maritime museum01s3200.jpg|thumb|left|[[日本郵船]]横浜支店(中区)]]<br /> 横浜村は幕府が設置した運上所([[税関]])を境に、以南を[[外国人居留地]](横浜居留地)、以北を日本人居住区とした。境界には関所が置かれ、関所から外国人居留地側を[[関内]]、以外を関外と呼んだ。外国人居留地には、[[イギリス]]や[[フランス]]、[[ドイツ]]やアメリカを中心とした各国の外国商館が立ち並んだ。今に残る[[横浜中華街]]は、外国人居留地の中に形成された[[中国]]人商館を起源とする。一方日本人居住地は&#039;&#039;&#039;横浜町&#039;&#039;&#039;と名付けて5区域に分割し、各区域に名主を置いて総年寄が町全体を統括した。明治6年、横浜町は第1区1番組に編入され、[[1874年]](明治7年)6月14日[[大区小区制]]により第1大区1小区となり、[[1878年]](明治11年)11月21日に[[郡区町村編制法]]に基づき、第1大区が&#039;&#039;&#039;横浜区&#039;&#039;&#039;となり、[[久良岐郡]]から分離して横浜区長が管轄することとされた。そして、[[1889年]](明治22年)4月1日、[[市制]]が施行されると同時に横浜区は[[市]]となり、&#039;&#039;&#039;横浜市&#039;&#039;&#039;が誕生した。当時の市域面積は、横浜港周辺の5.4&amp;nbsp;km²。面積は狭いものの、市制施行当時、すでに戸数27,209戸、人口121,985人(1889年末時点)に達した。その後、関内地区は市政と商業の中心地として発展する。<br /> <br /> 開港当初の横浜港には、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が設置され、東西波止場はその形から「象の鼻」と呼ばれた。象の鼻は、現在の[[大さん橋]]の付け根部分にあたる。ここでの貿易は、[[生糸]]、[[茶]]、海産物が輸出され、絹織物、毛織物が輸入された。明治5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]([[1872年]]10月14日)には、新橋(後の[[汐留駅 (国鉄)|汐留駅]]。現在は廃止)と横浜(現在の[[桜木町駅]])を繋ぐ[[日本の鉄道開業|日本初の官設鉄道が開通]]し、新橋・横浜それぞれの会場で盛大に開業式典が執り行われた。同年には、[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]](現在の[[横浜駅]]近傍)と[[鶴見駅]]も開設されている。当時、生糸貿易の主導権は外国商館にあった。そのため、横浜商人と呼ばれた日本人貿易商は、[[1873年]](明治6年)には生糸改会社を設立して競争力を高め、[[1881年]](明治14年)には[[生糸荷預所]]を設立して生糸貿易の主導権確立に努めた。また、横浜商人たちは、県営水道の設置(1887年(明治20年))、横浜共同電灯会社の設立(1890年(明治23年))、[[横浜市立大学|十全病院]]の設立(1891年(明治24年))、生糸検査所、商業会議所の設立(1895年(明治28年))など、都市基盤の整備と商業の発達に大きく寄与した。<br /> <br /> [[1909年]](明治42年)には開港50周年を迎え、この年の7月1日{{efn|従来、開港記念日は旧暦に合わせて6月2日としてきたが、このとき新暦に合わせて7月2日とした。しかし、1928年([[昭和]]3年)には6月2日に再変更され、現在に至っている。}}から3日間にわたって、横浜開港50年祭と銘打った数々の記念行事が催され、「全市は殆ど家族打連れて外出せしやの観あり」と伝えられた&lt;ref&gt;1909年(明治42年)7月4日付、「横浜貿易新報」。&lt;/ref&gt;。できたばかりの新港埠頭で行われた式典では、[[森鴎外]]の作詞による[[横浜市歌]]が、市内小学生の合唱によって初めて披露され、各国艦船は[[祝砲]]を放った。また、このとき、市章の「浜菱」が制定され、市民の寄付による開港記念横浜会館(1917年([[大正]]6年)竣工。現・[[横浜市開港記念会館]]、ジャックの塔)の建設が計画されるなど、市制施行20周年と併せて盛大に祝われた。[[大正|大正時代]]に入ると、[[鶴見川]]河口の埋立が始まって[[京浜工業地帯]]が形成され始め、横浜港は工業港としての性格をも持ち始めることとなる。<br /> <br /> === 震災と戦災・接収の時代 ===<br /> [[画像:HIH the Prince Regent viewing devastated Yokohama-restored.jpg|thumb|right|[[関東大震災]]直後の横浜を視察する摂政宮(後の[[昭和天皇]])]]<br /> [[画像:Hikawamaru.jpg|thumb|[[氷川丸]](中区)]]<br /> [[1923年]](大正12年)[[9月1日]]に起きた[[関東大震災]](大正[[関東地震]])では、横浜港、関内を始め、市内全域で甚大な被害を受けた。東京より震源に近くほぼ[[直下型地震]]の直撃を受けた横浜市内は特に壊滅的な被害を受け{{efn|関東大震災による死者は2万人余で人口比にして東京の約2倍 (5.4%)、全壊家屋は6万戸。}}、各国領事館の建物はすべて倒壊し、山手(横浜)地区の[[洋館]]群も壊滅的被害を受け、港湾機能・対外貿易都市としての機能は完全にマヒした。その後、震災復興事業により、日本大通りの拡幅、[[山下公園]]の造成、[[横浜三塔]]に数えられる神奈川県庁舎(キングの塔)や横浜税関庁舎(クイーンの塔)の建設などが行われ、[[1929年]](昭和4年)にはほぼ旧状に復した。<br /> <br /> [[昭和|昭和時代]]に入り、[[1926年]](昭和2年)4月に第3次市域拡張が行われ、同年10月には区制が施行されて、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区、磯子区の5区が置かれた。以降も第6次まで続く市域拡張(1939年(昭和14年))と東京湾岸の[[埋立]]により市域は拡大し、市域面積は437.38&amp;nbsp;km²([[2006年]](平成18年))、行政区の数は18区となっている。[[1930年]](昭和5年)前後には、現在山下公園に係留されている[[氷川丸]]など、豪華客船の就航が相次ぎ、横浜港は太平洋航路の乗船地として、客船黄金時代の一翼を担った。また、この頃の横浜港は、生糸貿易港から工業港へと変貌し、輸出、輸入とも、機械類・金属製品、鉄鋼の割合が高まった。この傾向は、[[第二次世界大戦]]中の軍需生産期、戦後の[[高度経済成長|高度経済成長期]]を経て、より強まっていった。<br /> <br /> 第二次世界大戦末期の[[1945年]](昭和20年)[[5月29日]]の[[横浜大空襲]]では、磯子区から鶴見区に至る沿岸部が焼き尽くされ、中区、西区の中心市街地は壊滅した{{efn|横浜大空襲による被害は、死者3,787人、重傷者1,554人、軽傷者10,837人、罹災者313,144人、罹災戸数79,350戸に及ぶ({{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/me/gyousei/housei/sisi/web_air_raid/images/pdf/65_1.pdf 「神奈川県下の空襲被害状況」]}}、『神奈川県警察史(中巻)』より、横浜市行政運営調整局総務部法制課)。}}{{ef|戦時中を通じての空襲による被害は、罹災面積6,940,000坪、罹災人口399,187人、罹災戸数98,361戸、死者5,830人、負傷者14,215人に及び、市街地の46%が被害を受けた({{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/me/gyousei/housei/sisi/web_air_raid/images/pdf/64_2.pdf 建設省編『戦災復興誌』第1巻(1959年)]}} より、横浜市行政運営調整局総務部法制課)。}}。同年8月の終戦により[[イギリス軍]]や[[アメリカ軍]]、[[ソビエト連邦軍]]を中心とした[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍が進駐し、横浜の中心市街地と横浜港は接収され、都市機能は麻痺した{{efn|横浜は連合国軍によって、港湾施設の90%、市街地の27%が接収された。接収された土地の面積は918万m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;、建物は96万m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;に上る。また、横浜の接収は、沖縄を除く全国の接収土地面積の70%、接収建物の61%を占め、その6割は継続接収であった。}}。連合国軍は、横浜税関ビルに[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ、後に東京の[[第一生命保険#第一生命館|第一生命ビル]]に移転)と太平洋陸軍総司令部(AFPAC)を置き、軍事拠点とした。空襲とそれに引き続く接収により、横浜の復興は大幅に遅れた。<br /> <br /> [[1950年]](昭和25年)、[[横浜国際港都建設法]]が制定され、復興に向けた取り組みが本格化する。[[1951年]](昭和26年)には、[[日本国との平和条約|対日講和条約]]が締結され日本の連合国による占領体制が終わり、新たに市長となった実業家で元[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員の[[平沼亮三]]の下、接収解除に向けて動き始めた。また、この年には、横浜港の管理が国から市に移管された。条約が発効した翌[[1952年]](昭和27年)以降、大さん橋や山下公園などが次々と接収解除された。[[1957年]](昭和32年)には[[横浜国際港都建設総合基幹計画]]が決定され、今日に至るまでの都市計画の骨子となった。なお市域には475万m²余の[[在日米軍]]施設がある([[2006年]](平成18年)1月1日現在)&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kichitaisaku/index.html 横浜市都市経営局基地対策部]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 戦後の発展 ===<br /> [[1956年]](昭和31年)9月1日、制度の開始とともに、[[政令指定都市]]に指定される。この頃から、[[相模鉄道]]を中心とした横浜駅西口の開発が始められた。1959年(昭和34年)に行われた開港100周年記念祭では、[[横浜公園平和野球場]](現・[[横浜スタジアム]])で、横浜出身の[[美空ひばり]]や[[草笛光子]]が3万人の観客を前に歌った。[[1964年]](昭和39年)5月には[[根岸線]](桜木町 - 磯子)が開通し、同年10月には[[東海道新幹線]]の開業に伴い、[[横浜線]]との交点に[[新横浜駅]]が開設された。横浜駅西口地下街が完成したのもこの年で、横浜駅西口は急速に発展し始めた。また、[[1960年代]]後半(昭和40年代)には中区の[[元町 (横浜市)|元町商店街]]が活況を呈し、元町ブランドで固めた[[山手 (横浜市)|山手]]の女子高生たちのファッションは、後に[[1970年代]]後半(昭和50年代)の[[ハマトラ (ファッション)|ハマトラ]](横浜トラディショナル・ファッション)ブームへと繋がっていく。また、[[1966年]](昭和41年)には[[東急田園都市線]]([[溝の口駅]]-[[長津田駅]])が開業し、今まで寒村であった市北部が東京のベッドタウンの[[多摩田園都市]]として発展し始めた。<br /> [[画像:IMG 1071.JPG|thumb|left|[[横浜市営地下鉄]]]]<br /> [[1963年]](昭和38年)、[[日本社会党]]の[[衆議院議員]]であった[[飛鳥田一雄]]が市長となり、「革新首長」のリーダー的存在となった。1965年(昭和40年)1月、飛鳥田市政下、[[横浜市六大事業]]と呼ばれる都市計画プロジェクトに着手した。これは、(1) [[横浜みなとみらい21]]に代表される都心部強化、(2) [[金沢地先埋立事業]]による中小企業の集約化、(3) [[港北ニュータウン]]の建設による[[スプロール現象]]の抑制と良質な住宅街の提供、(4) [[横浜市営地下鉄]]である高速鉄道建設事業、(5) 高速道路建設事業、(6) [[横浜ベイブリッジ]]建設の6事業からなり、都市基盤の整備と中枢管理機能の充実を図るものである。<br /> <br /> まず、高速道路建設に取りかかり、[[1968年]](昭和43年)には[[首都高速神奈川1号横羽線|神奈川県道高速横浜羽田空港線]]([[浅田出入口|浅田]] - [[東神奈川出入口|東神奈川]])が開通する。[[1972年]](昭和47年)には[[横浜市営地下鉄]]([[上大岡駅]] - [[伊勢佐木長者町駅]])が開通した。また、1979年には[[横浜横須賀道路]](日野―朝比奈間が開通し、1981年には狩場―日野間を、1982年には朝比奈―逗子間と逗子―衣笠間を供用開始した。<br /> [[画像:Yokohama-stadium-2014-08-19.jpeg|thumb|250px|[[横浜スタジアム]]]]<br /> [[1977年]](昭和52年)には金沢地先埋立が完成し、[[1990年]](平成2年)に[[大黒埠頭]]の埋立(第2期)が完成すると、横浜の東京湾沿岸における大規模埋立事業は一段落した。日本社会党委員長として国政に復帰した飛鳥田のあとを受けて、[[1978年]](昭和53年)に市長となった[[細郷道一]]も、六大事業の推進に力を注いだ。1980年(昭和55年)には[[港北ニュータウン]]の入居が始まり、1985年(昭和60年)には人口が300万人を超えた。また、1978年(昭和53年)には[[横浜スタジアム]]が完成し、[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)]]の本拠地となった。<br /> <br /> [[1989年]]([[平成]]元年)、市制100年と開港130年を記念して、[[横浜博覧会]]が開催された。同年には[[横浜ベイブリッジ]]も開通し、[[1994年]](平成6年)の[[鶴見つばさ橋]]開通と合わせて、[[首都高速湾岸線]]の整備・延伸が進んだ。1990年(平成2年)、急逝した細郷のあとを引き継いで市長となった[[高秀秀信]]は、六大事業の中心となる都心部強化、横浜駅周辺地区と関内地区の間を繋ぐ[[横浜みなとみらい21|横浜みなとみらい21地区]]の整備を本格化させた。[[1993年]](平成5年)には、みなとみらい21地区のシンボルとなる[[横浜ランドマークタワー]]が完成した。<br /> [[File:Yokohama Landmark Tower at night 2.jpg|thumb|left|240px|[[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]](西区)]]<br /> 高秀は、六大事業の継続に加え、[[港北ニュータウン]]や[[新横浜]]等における横浜市北部での新規事業を追加した。[[1999年]](平成11年)よこはま動物園ズーラシアが開園し、[[1998年]](平成10年)に完成した[[横浜国際総合競技場|横浜国際総合競技場(現在の日産スタジアム)]]と[[横浜国際プール]]は高秀市政の象徴となった。[[2002年]](平成14年)には、国際総合競技場で[[2002 FIFAワールドカップ]]の[[2002 FIFAワールドカップ・決勝|決勝]]が行われ、国際プールでは[[パンパシフィック水泳選手権]]が行われた。また、2002年(平成14年)には、横浜港[[大さん橋|大さん橋国際客船ターミナル]]の建替が完成した。[[横浜国際港都建設法]]に基く国際港都建設事業である横浜市内の[[都市計画道路]]は戦後進捗が遅れていたが、高秀市政期に事業化された区間も多く、一定の進歩が見られた。<br /> <br /> 2002年(平成14年)、高秀と争って新たに市長となった[[中田宏]]は財政改革、行政改革、医療と教育の民営化を軸にした政策を打ち出した。主な政策としては家庭廃棄物の分別収集、外郭団体の見直しや統廃合、公立病院や保育園の民営化、交通局や水道局の構造改革、新緑税導入、横浜都心の立地企業増加に向けた企業立地促進条例の制定、横浜港への客船寄港促進等を行い、2008年度(平成20年度)には、1961年度(昭和36年度)以来47年ぶりに、[[地方交付税#普通交付税|普通交付税]]の不交付団体となる等成果に現れた。また国際コンベンションの誘致も積極的に行い[[2010年日本APEC]]の開催誘致を行った。一方では[[都市計画道路]]整備の予算が減少し事業速度の低下がみられた。<br /> <br /> [[2009年]](平成21年)、開港150周年・市制施行120周年を迎え、横浜市などが設立した[[横浜開港150周年協会|財団法人横浜開港150周年協会]]が中心となって、様々な記念事業・祝祭イベントが行われた&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kaikou/150/enterprise/plan/index.html 「横浜開港150周年〜市政120周年〜基本計画」]、横浜市開港150周年・創造都市事業本部。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.yokohama150.org/y150/ 横濱開港150周年]、財団法人横浜開港150周年協会。&lt;/ref&gt;。同年4月28日から9月27日まで横浜みなとみらい21新港地区で[[開国博Y150]]が始まり&lt;ref&gt;[http://event.yokohama150.org/ 開国博Y150公式サイト]、財団法人横浜開港150周年協会。&lt;/ref&gt;(7月4日から9月27日まで、ヒルサイドエリア([[横浜動物の森公園]])でも開催)、4月19日には横浜動物の森公園で第20回全国「みどりの愛護」の集いが開催された。5月31日には[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)国立大ホールにおいて、天皇皇后両陛下、内閣総理大臣など三権の長らを招いて、横浜開港150周年記念式典が挙行された&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kaikou/150/ceremony/ 開港記念式典/ヴィジョン!ヨコハマ]、横浜市開港150周年・創造都市事業本部。&lt;/ref&gt;。このほか、開港150周年を記念したプロジェクトとして、「[[象の鼻]]」地区を中心とした広場や緑地の整備&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/port/general/zounohana/ 横浜港 象の鼻地区]、横浜市港湾局企画調整課。&lt;/ref&gt;、「開港150周年の森」づくり&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/event/150green/ikuseicyu2.html 「開港150周年の森」づくり]、横浜市環境創造局みどりアップ推進部みどりアップ推進課。&lt;/ref&gt;、[[横浜マリンタワー]]の再整備&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keizai/kankou/zigyo/marine.html マリンタワー再生事業]、横浜市経済観光局観光交流推進課。&lt;/ref&gt;、[[横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校・附属中学校|横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校]]の開校&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/sidou2/koukou/sfh/ 横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校]、横浜市。&lt;/ref&gt; などが実施された。また、同年7月に任期途中で中田が市長職を辞任した。[[第45回衆議院議員総選挙]]と同じ同年8月30日に行われた市長選挙で、[[東京日産自動車販売]]代表取締役社長の[[林文子]]が新たな市長に選ばれた。<br /> <br /> [[2010年]](平成22年)11月13日から14日には、パシフィコ横浜が[[2010年日本APEC]]の参加国[[首脳会議]]の会場になった&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/bunka/kancon/info/ APEC首脳会議の開催]、横浜市文化観光局APEC開催推進課、2010年(平成22年)&lt;/ref&gt;。[[2011年]](平成23年)3月11日の[[東日本大震災]]では、ごく少数ではあるものの、地震動による建造物の全半壊、[[液状化現象]]による建物損壊がみられ、大規模な停電が発生し、少数の死傷者などの被害が発生した。また、[[福島第一原子力発電所事故]]により放出された[[放射性物質]]が市域にも降下したため、土壌の[[除染]]等の対応が採られた&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/houshasen/ 横浜市放射線対策本部]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2013年(平成25年)5月には、[[待機児童|保育所待機児童数]]がゼロとなったことを発表した&lt;ref&gt;{{cite press release|title = 平成25年4月1日現在の保育所待機児童数について|publisher = 横浜市こども青少年局保育対策課|date =2013-05-20|url = http://www.city.yokohama.lg.jp/kodomo/kinkyu/file/250520-250401taikijidousuu.pdf.pdf|accessdate = 2013-05-22}}{{Cite web|title = ヨコハマはぴねすぽっと(横浜市こども青少年局、こども・青少年の総合ポータルサイト)|publisher = 横浜市こども青少年局|date = 2013-05-20|url = http://www.city.yokohama.lg.jp/kodomo/kinkyu/jidou.html|accessdate = 2013-05-22}}&lt;/ref&gt;。これは、「横浜方式」と呼ばれる一連の待機児童解消政策の成果とされる。<br /> <br /> === 行政区域の変遷 ===<br /> ;市制施行時の町名<br /> :1889年(明治22年)に横浜区が市制を施行した時の138町の町名。駿河町、富士見町は2ヶ所に存在。<br /> {|class=&quot;wikitable hlist hlist-comma&quot; style=&quot;font-size:80%;width:80%;border:0&quot;<br /> !rowspan=&quot;3&quot;|<br /> * 現存する町名<br /> |<br /> * 現・西区<br /> |<br /> *[[戸部町 (横浜市)|戸部町]]<br /> * 伊勢町<br /> * 宮崎町<br /> * [[老松町 (横浜市)|老松町]]<br /> * 花咲町<br /> * [[桜木町]](四 - 七丁目)<br /> |-<br /> |<br /> * 現・中区<br /> |<br /> * 桜木町(一 - 三丁目)<br /> * 宮川町<br /> * [[野毛町]]<br /> * 内田町<br /> * 日ノ出町<br /> * [[黄金町]]<br /> * 初音町<br /> * 英町<br /> * [[石川町 (横浜市)|石川町]]<br /> * 吉田町<br /> * [[福富町 (横浜市)|福富町]]<br /> * [[伊勢佐木町]]<br /> * 羽衣町<br /> * 蓬莱町<br /> * [[万代町 (横浜市)|万代町]]<br /> * 不老町<br /> * 翁町<br /> * 扇町<br /> * [[寿町 (横浜市)|寿町]]<br /> * 松影町<br /> * 吉浜町<br /> * 長者町<br /> * 末吉町<br /> * 若葉町<br /> * 山吹町<br /> * 富士見町<br /> * 山田町<br /> * 千歳町<br /> * 三吉町<br /> * 太田町<br /> * 相生町<br /> * 住吉町<br /> * 常盤町<br /> * 尾上町<br /> * 真砂町<br /> * 港町<br /> * 元浜町<br /> * 北仲通<br /> * 本町<br /> * 南仲通<br /> * 弁天通<br /> * [[元町 (横浜市)|元町]]<br /> * 諏訪町<br /> * 千代崎町<br /> * 上野町<br /> * 山元町<br /> * 日本大通<br /> * 海岸通<br /> ** 旧[[外国人居留地#横浜居留地|山下外国人居留地]]内<br /> |-<br /> |<br /> * 現・南区<br /> |<br /> * 永楽町<br /> * [[真金町]]<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|<br /> * 現存しない町名<br /> **カッコ内は現在の町名<br /> |<br /> * 現・西区<br /> |<br /> * 月岡町(老松町)<br /> * 平沼町<br /> * 仲町<br /> * 材木町<br /> ** [[平沼 (横浜市)|平沼]]<br /> * 高島町<br /> * 裏高島町<br /> ** [[高島 (横浜市)|高島]]<br /> * 長住町<br /> * 橘町<br /> ** みなとみらい<br /> |-<br /> |<br /> * 現・中区<br /> |<br /> * 緑町<br /> ** 真砂町<br /> * 清水町<br /> ** 赤門町<br /> * 霞町<br /> ** 赤門町<br /> ** 英町<br /> ** 西中町<br /> * 福島町<br /> ** 花咲町<br /> * 三春町<br /> ** 黄金町<br /> ** 初音町<br /> ** 前里町<br /> * 石川仲町<br /> ** 石川町<br /> * 柳町<br /> ** 吉田町<br /> * 姿見町<br /> * 若竹町<br /> ** 末広町<br /> * 松ヶ枝町<br /> * 賑町<br /> * 長島町<br /> ** 伊勢佐木町<br /> * 足曳町<br /> ** 長者町<br /> * 吉岡町<br /> ** [[曙町 (横浜市)|曙町]]<br /> * 久方町<br /> ** 伊勢佐木町<br /> ** 長者町<br /> ** 曙町<br /> * 梅ヶ枝町<br /> * 浪花町<br /> ** 羽衣町<br /> * 雲井町<br /> * 駿河町<br /> ** 弥生町<br /> * 境町<br /> ** 日本大通<br /> * 薩摩町<br /> * 越後町<br /> * 前橋町<br /> * 小田原町<br /> * 豊後町<br /> * 富士山町<br /> * 九州町<br /> * 上田町<br /> * 堀川町<br /> * 本村通<br /> * 函館町<br /> * 尾張町<br /> * 蝦夷町<br /> * 加賀町<br /> * 大阪町<br /> * 二子町<br /> * 角町<br /> * 武蔵横町<br /> * 武蔵町<br /> * 琵琶町<br /> * 京町<br /> * 水町通<br /> * 本町通<br /> * 長崎町<br /> * 神戸町<br /> * 阿波町<br /> * 駿河町<br /> ** 旧山下外国人居留地内。[[山下町 (横浜市)|山下町]]<br /> * 泉町<br /> * 稲荷町<br /> * 内台町<br /> * 大丸坂<br /> * 貝殻坂<br /> * 公園坂<br /> * 小坂町<br /> * 汐汲坂<br /> * 撞木町<br /> * 陣屋町<br /> * 諏訪町通<br /> * 高田坂<br /> * 環町<br /> * 地蔵坂<br /> * 西坂町<br /> * 西野坂<br /> * 畑町<br /> * 林町<br /> * 富士見町<br /> * 南坂<br /> * 三ノ輪坂<br /> * 宮脇坂<br /> * 谷戸坂通<br /> * 矢の根町<br /> * 山手本町通<br /> * 弓町<br /> ** 旧[[外国人居留地#横浜居留地|山手外国人居留地]]内。[[山手 (横浜市)|山手町]]<br /> |}<br /> ;その後の変遷<br /> :「市政記録」(2007年版)、第1部市勢編より<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; border=&quot;1&quot; cellspacing=&quot;0&quot; cellpadding=&quot;2&quot; style=&quot;font-size:80%&quot; width=80%<br /> !年月日<br /> !事柄<br /> ! nowrap=&quot;nowrap&quot; |面積 (km²)  <br /> |-<br /> |1889年(明治22年)4月1日||市制施行||align=right|5.40<br /> |-<br /> |[[1901年]](明治34年)4月1日||第1次市域拡張([[橘樹郡]][[神奈川町]]、[[久良岐郡]][[戸太町]]・[[中村 (神奈川県久良岐郡)|中村]]・[[本牧村]]・[[根岸村 (神奈川県)|根岸村]]を編入)||align=right|24.80<br /> |-<br /> |[[1911年]](明治44年)4月1日||第2次市域拡張(橘樹郡[[子安村]]の一部(大字子安)、久良岐郡[[屏風浦村]]の一部(大字磯子、滝頭、岡)・同郡[[大岡川村]]の一部(大字堀ノ内、井土ケ谷、蒔田、弘明寺、下大岡)を編入)||align=right|36.71<br /> |-<br /> |[[1927年]](昭和2年)4月1日||第3次市域拡張(橘樹郡[[鶴見町 (神奈川県)|鶴見町]]・[[保土ケ谷町]]・[[旭村 (神奈川県橘樹郡)|旭村]]・[[大綱村]]・[[城郷村]]、久良岐郡屏風浦村・大岡川村・[[日下村 (神奈川県)|日下村]]、[[都筑郡]][[西谷村 (神奈川県)|西谷村]]を編入)||align=right|133.88<br /> |-<br /> |align=right|同年10月1日||区制施行。&#039;&#039;&#039;[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[神奈川区]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[中区 (横浜市)|中区]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[保土ケ谷区]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[磯子区]]&#039;&#039;&#039;の5区を置く。||align=center|-<br /> |-<br /> |[[1936年]](昭和11年)10月1日||第4次市域拡張(久良岐郡[[金沢町 (神奈川県)|金沢町]]・[[六浦荘村]]を磯子区に、[[鎌倉郡]][[永野村 (神奈川県)|永野村]]を中区に編入)||align=right|168.02<br /> |-<br /> |[[1937年]](昭和12年)4月1日||第5次市域拡張(橘樹郡[[日吉村 (神奈川県)|日吉村]]の一部(大字駒林、駒ケ橋、箕輪と[[矢上 (川崎市)|矢上]]、[[南加瀬]]の各一部)を神奈川区に編入)||align=right|173.18<br /> |-<br /> |[[1939年]](昭和14年)4月1日||第6次市域拡張(都筑郡[[都岡村]]・[[二俣川村]]を保土ケ谷区に編入。同郡[[川和町]]・[[新治村 (神奈川県)|新治村]]・[[田奈村]]・[[中里村 (神奈川県)|中里村]]・[[山内村 (神奈川県)|山内村]]・[[川和町]]・[[中川村 (神奈川県都筑郡)|中川村]]・[[新田村 (神奈川県)|新田村]]を編入し、[[港北区]]を新設。鎌倉郡[[戸塚町 (神奈川県)|戸塚町]]・[[中川村 (神奈川県鎌倉郡)|中川村]]・[[川上村 (神奈川県)|川上村]]・[[豊田村 (神奈川県鎌倉郡)|豊田村]]・[[本郷村 (神奈川県)|本郷村]]・[[中和田村]]・[[瀬谷村 (神奈川県)|瀬谷村]]・[[大正村 (神奈川県)|大正村]]を編入し、[[戸塚区]]を新設)。鎌倉郡から&#039;&#039;&#039;[[戸塚区]]&#039;&#039;&#039;、都筑郡から&#039;&#039;&#039;(1代目)[[港北区]]&#039;&#039;&#039;を新設。||align=right|400.97<br /> |-<br /> |[[1943年]](昭和18年)12月1日||中区から&#039;&#039;&#039;[[南区 (横浜市)|南区]]&#039;&#039;&#039;を分区新設。神奈川区の一部を中区に編入。||align=center|-<br /> |-<br /> |[[1944年]](昭和19年)4月1日||中区から&#039;&#039;&#039;[[西区 (横浜市)|西区]]&#039;&#039;&#039;を分区新設。||align=center|-<br /> |-<br /> |[[1948年]](昭和23年)5月15日||磯子区から&#039;&#039;&#039;[[金沢区]]&#039;&#039;&#039;を分区新設。||align=center|-<br /> |-<br /> |[[1956年]](昭和31年)9月1日||政令指定都市に指定。||align=center|-<br /> |-<br /> |[[1969年]](昭和44年)10月1日||南区を(新)南区と&#039;&#039;&#039;[[港南区]]&#039;&#039;&#039;に分割。戸塚区を(新)戸塚区と&#039;&#039;&#039;[[瀬谷区]]&#039;&#039;&#039;に分割。保土ケ谷区を(新)保土ケ谷区と&#039;&#039;&#039;[[旭区 (横浜市)|旭区]]&#039;&#039;&#039;に分割。港北区(1代目)を港北区(2代目)と&#039;&#039;&#039;[[緑区 (横浜市)|緑区]](1代目)&#039;&#039;&#039;に分割。港北区の一部(上菅田町、新井町)を(新)保土ケ谷区に編入。||align=right|417.29<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |[[1986年]](昭和61年)11月3日||戸塚区を(新)戸塚区と&#039;&#039;&#039;[[栄区]]&#039;&#039;&#039;と&#039;&#039;&#039;[[泉区 (横浜市)|泉区]]&#039;&#039;&#039;に分割。||align=right|430.80<br /> |-<br /> |[[1994年]](平成6年)11月6日||港北区(2代目)と緑区(1代目)を再編し、港北区(3代目)、緑区(2代目)、&#039;&#039;&#039;[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[都筑区]]&#039;&#039;&#039;を新設。||align=right|433.20<br /> |-<br /> |[[2008年]](平成20年)4月1日||-||align=right|437.38&lt;ref&gt;[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200804/shikuchouson/kanagawa.htm 全国都道府県市区町村別面積調]、国土地理院。[[2008年]](平成20年)4月1日速報値。&lt;/ref&gt;<br /> |}<br /> ;行政区制の沿革<br /> [[画像:The history of the Yokohama-shi wards.png|thumb|left|700px]]<br /> {{-}}<br /> <br /> == 人口 ==<br /> {{人口統計|code=14100|name=横浜市}}<br /> [[画像:横浜市の人口の推移.png|right|thumb|450px|横浜市の人口の推移(1889年(明治22年)から2009年(平成21年)まで)&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/jinko/ayumi/01/ayumi-j.html 人口のあゆみ(明治22年〜平成11年)]、[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/jinko/dotai/new/data/hyo18.xls 第18表 年齢(3区分)別人口、年齢構造指数及び平均年齢の推移-市(大正9年〜平成24年)]、横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係。&lt;/ref&gt;]]<br /> 横浜市の人口は、[[1942年]](昭和17年)に100万人を超え、戦時中は減少したものの、[[1951年]](昭和26年)に再び100万人を超え、[[1968年]](昭和43年)に200万人を超えて[[名古屋市]]を抜き、[[1978年]](昭和53年)には大阪市を抜いて東京都区部に次ぐ大都市中第2位となり、[[1985年]](昭和60年)には300万人を超えた&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/jinko/ayumi/index-j.html 「人口のあゆみ」] 横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係&lt;/ref&gt;。現在は、&#039;&#039;&#039;{{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市}}}}&#039;&#039;&#039;人({{自治体人口/神奈川県|date}}現在)&lt;ref name=&quot;yokohamashi jinko&quot;&gt;[http://www.pref.kanagawa.jp/tokei/tokei/204/jinko.html 神奈川県の人口と世帯]&lt;/ref&gt; と、全国の市で最も多くなっており、これは10番目に人口が多い都道府県である[[静岡県]]に匹敵する([[都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位|都市人口順位]]、[[都道府県の人口一覧|都道府県人口順位]]も参照)。市の人口が多い理由は、市域面積が大きいこと(横浜市の面積は、神奈川県の総面積の18.0%を占め、市人口第2位の大阪市の面積の約2倍に上る)や、山地湖沼が少ないことなどが挙げられる。また、第二次世界大戦後に急速に人口が拡大した理由は、戦後復興に伴い京浜工業地帯や関内駅・横浜駅周辺など東京湾沿岸部の商工業が発展したことや、[[高度経済成長|高度成長期]]以降に顕著となった[[東京一極集中]]により、[[田舎|地方]]から[[都市部]]への人口流入が進んだこと、市郊外の[[私鉄]]沿線に沿って[[宅地]]開発が進み、[[ベッドタウン]]としての性格も持つようになったことなどが挙げられる。特に、横浜都心に直接接続しない[[東急田園都市線|田園都市線]]沿線の開発は、横浜に住んで東京に[[通勤]][[通学]]する&#039;&#039;&#039;横浜都民&#039;&#039;&#039;の増加をもたらした。平成27年度(2015年度)の国勢調査によれば、横浜市の昼夜間人口比率(常住人口(夜間人口)に対する[[昼間人口]]の比率)は91.7%となっている&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/chuyakan.pdf 国勢調査でみる横浜市の昼夜間人口]}}、横浜市&lt;/ref&gt;。横浜市の昼夜間人口比率は長らく低落傾向を示していたが、1990年代初めに底を打って以来、上昇傾向に転じた。<br /> なお、東京都特別区部への通勤率は横浜市平均で23.7%&lt;ref&gt;平成27年国勢調査 従業地・通学地による人口・就業状態等集計&lt;/ref&gt;で、東京都特別区部への通勤率が最も高いのは、青葉区の38.2%で最も少ないのが瀬谷区の12.9%となっている。<br /> <br /> 行政区別の人口が最も多いのは港北区の344,172人{{efn|以下、いずれも[[2015年]](平成27年)10月1日現在。}}で、以下、青葉区309,692人、鶴見区285,356人、戸塚区275,283人と続く。人口の最も少ない区は西区で98,532人、以下、栄区122,171人、瀬谷区124,560人、中区148,312人と続く。<br /> <br /> == 市政 ==<br /> 横浜市の財政状況は、2011年度(平成23年度)の決算によれば、歳入は1兆4,221億円、歳出は1兆3,956億円となっている&lt;ref name=&quot;zaisei20&quot;&gt;{{PDF|[http://www.city.yokohama.lg.jp/zaisei/org/zaisei/zaiseijoukyou/pdf/23zaisei1.pdf 横浜市の財政状況(平成23年度版)]}}、横浜市総務局財政部財政課。&lt;/ref&gt;。[[地方公共団体の財政の健全化に関する法律|地方公共団体の財政の健全化に関する法律(財政健全化法)]]に定める指標のうち、[[実質公債費比率]]は16.3%、将来負担比率は213.0%で、いずれも国の定める早期健全化基準等を下回っている。歳入決算の主な項目の構成比は、市税49.6%、国庫支出金15.5%、諸収入7.5%、市債9.1%、県税交付金3.7%&lt;ref name=&quot;zaisei20&quot; /&gt;。市税収入は7,055億円で、西区、神奈川区、中区、鶴見区、港北区の5区からの税収が、市全体税収の約52.2%を占める&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/somu/citytax/dl/kessan_dl.html 「平成20年度・市税決算額調」]、横浜市総務局主税部税務課。&lt;/ref&gt;。また、歳出決算の主な項目(性質別)の構成比は、義務的経費が合計46.7%(扶助費17.7%、人件費15.2%、公債費13.8%)、普通建設事業費14.7%、物件費9.8%、補助費11.6%、貸付金8.6%、繰出金6.6%などとなっている&lt;ref name=&quot;zaisei20&quot; /&gt;。経常収支比率は94.7%、[[財政力指数]]は1.00で、政令指定都市18市中、それぞれ第9位、第5位となっている&lt;ref name=&quot;zaisei20&quot; /&gt;。<br /> <br /> 横浜市の当面の課題としては、[[幹線道路]]整備の遅れ([[都市計画道路]][[道路整備率|整備率]]は、平成21年3月31日現在、64.8%&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/douro/yokodouro/data.html#keikaku 「都市計画道路の整備状況」] 横浜市道路局計画調整部企画課。&lt;/ref&gt;)による市内各拠点と郊外住宅地を結ぶ体系化の未達、低い[[昼間人口|昼夜間人口比率]]([[平成]]17年[[国勢調査]]によれば、90.4&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/census/index.html#1 「平成17年国勢調査 従業地・通学地集計結果」] 横浜市、総務省統計局&lt;/ref&gt;)、市域の一体的な発展などがある。都市基盤整備や地域経済圏の確立が遅れた地域もあるため、市内の一体感に乏しいとも指摘されている。直面する課題に向けた政策推進力が求められている。<br /> <br /> 横浜市政は、神奈川県との二重行政解消のため、神奈川県の持つ権限や事務などを横浜市に移譲し、横浜市が神奈川県から独立して、より効率のよい市政運営を行うことができるよう、&#039;&#039;&#039;[[特別自治市|「横浜特別自治市」構想]]&#039;&#039;&#039;を掲げている&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/daitoshi/bunken/leaflet/250508panhu.pdf 横浜特別自治市~横浜市が変わる!地方自治が変わる!~(パンフレット)]}}平成25年05月発行。横浜市政策局大都市制度推進課。&lt;/ref&gt;。なお、[[東京都区部|東京23区(東京特別区)]]のような[[特別区]]は設置せず、市および区の2層構造を基本とした現行の[[行政区]](横浜18区)を単位に、住民自治の制度的強化を図る構想である。<br /> <br /> === 市長 ===<br /> ==== 現職市長 ====<br /> * [[市町村長|市長]] - {{読み仮名|[[林文子|林 文子]]|はやし ふみこ}}<br /> ::: [[2009年]](平成21年)8月30日初当選(63歳)&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot;&gt;選挙ドットコム&lt;/ref&gt;、当日就任、[[2013年]](平成25年)8月29日退任。同年8月25日再選(67歳)&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;、8月30日再任、[[2017年]](平成29年)8月29日退任。同年8月30日3選(71歳)&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;、同日再任。現在3期目で、[[任期]]満了日は[[2021年]](平成33年)8月29日。[[無所属]]([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]推薦、[[公明党]]推薦)。横浜初の女性[[首長]]、横浜市初の女性市長。<br /> * [[副市町村長|副市長]] - {{読み仮名|渡辺 巧教|わたなべ かつのり}}&lt;ref name=&quot;市-副市長分変-20171020&quot;&gt;{{Cite web |author=横浜市総務局人事組織課 |date=2017年〈平成29年〉10月20日 |url=http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201710/images/phpAQ1efE.pdf |title=副市長事務分担の変更について |work=公式ウェブサイト |publisher=横浜市 |accessdate=2018-04-03 }}&lt;/ref&gt;<br /> ::: [[2013年]](平成25年)11月1日初選任&lt;ref name=&quot;市-副市長分変-20171020&quot; /&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web |author=横浜市総務局人事組織課 |date=2013年〈平成25年〉10月31日 |url=http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201310/20131031-023-17706.html |title=副市長事務分担の変更について |work=公式ウェブサイト |publisher=横浜市 |accessdate=2018-04-03 }}&lt;/ref&gt;。[[2017年]](平成29年)11月1日再選任&lt;ref name=&quot;市-副市長分変-20171020&quot; /&gt;。任期満了日は[[2021年]](平成33年)10月31日。職務代理順序 第1順位&lt;ref name=&quot;市-特職就-20180323&quot;&gt;{{Cite web |author=横浜市総務局人事課 |date=2018年〈平成30年〉3月23日 |url=http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201803/images/php04GXwf.pdf |title=特別職の就任について - 横浜市記者発表資料 |format=PDF |work=公式ウェブサイト |publisher=横浜市 |accessdate=2018-04-03 }}&lt;/ref&gt;。&lt;ref name=&quot;市-組織図-20180401-p4&quot;&gt;{{Cite web |author= |date=2018年〈平成30年〉4月1日 |url=http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/jinji/soshikizu/soshikizu.pdf |title=副市長事務分担 - 横浜市組織図 |pege=4 |format=PDF |work=公式ウェブサイト |publisher=横浜市役所 |accessdate=2018-04-03 }}&lt;/ref&gt;<br /> * 副市長 - {{読み仮名|平原 敏英|ひらはら としひで}}<br /> ::: [[2016年]](平成28年)11月1日初選任&lt;ref&gt;{{Cite web |author=横浜市総務局人事組織課 |date=2016年〈平成28年〉3月25日 |url=http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201603/20160325-023-22920.html |title=副市長事務分担の変更について |work=公式ウェブサイト |publisher=横浜市 |accessdate=2018-04-03 }}&lt;/ref&gt;。任期満了日は[[2020年]](平成32年)10月31日。職務代理順序 第2順位&lt;ref name=&quot;市-特職就-20180323&quot; /&gt;。&lt;ref name=&quot;市-組織図-20180401-p4&quot; /&gt;<br /> * 副市長 - {{読み仮名|小林 一美|こばやし かずみ}}<br /> ::: [[2018年]](平成30年)4月1日初選任。任期満了日は[[2022年]](平成34年)3月31日。職務代理順序 第3順位。&lt;ref name=&quot;市-特職就-20180323&quot; /&gt;<br /> * 副市長 - {{読み仮名|荒木田 百合|あらきだ ゆり}}<br /> ::: 2018年(平成30年)4月1日初選任。任期満了日は2022年(平成34年)3月31日。職務代理順序 第4順位。&lt;ref name=&quot;市-特職就-20180323&quot; /&gt;<br /> <br /> ==== 歴代市長 ====<br /> * 出典1 - (外部リンク){{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/shiminjoho/center/shisei/shiseikiroku2015/2015-shiseihen.pdf 「市政記録2015年版」 第1部 市勢編、横浜のあゆみ p10]}}※初代から第31代の就任日まで。<br /> 市制が敷かれた1889年(明治22年)6月に就任した初代・増田知から2017年(平成29年)8月30日付で3期目に入った[[林文子]]まで、32代20人の[[市町村長|市長]]がいる。2003年(平成15年)4月から助役を「[[副市町村長|副市長]]」と呼称していたが、2007年4月より正式名称となった{{efn|2007年(平成19年)4月の[[地方自治法]]改正により。}}。<br /> <br /> [[首長]]の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数である。横浜市は a の方式を採っているが(他の例:[[八王子市#歴代市長|八王子市]]、[[弘前市#行政|弘前市]][http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/rekishi/shuchou/]、[[浜松市#行政|浜松市]][http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hisho/intro/101_01d.html])、b の方式を採る自治体も多く(例:[[京都市#歴代市長|京都市]][http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000033357.html]、[[大垣市#行政|大垣市]][http://www.city.ogaki.lg.jp/0000000749.html])、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、これを横浜市に当てはめた場合、b から1代([[半井清]])を引く。<br /> <br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;overflow:visible;width:100%&quot;<br /> |+ 歴代横浜市長<br /> |-<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:#52b8b8; width:1%&quot; | 代a <br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:#52b8b8; width:1%&quot; | 代b<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:lightblue; width:5%&quot; | 肖像 <br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:#52b8b8; width:10%&quot; | 氏名 <br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:lightblue; width:27%&quot; | 就任年月日 <br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:#52b8b8; width:27%&quot; | 退任年月日 <br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;background-color:#aad&quot; | 備考<br /> |-<br /> ! style=&quot;background-color:#d3d3d3&quot; colspan=&quot;7&quot; | [[選挙#官選|官 選]] 市 長<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;1 || &lt;center&gt;1 || [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|増田 知|}} || [[1889年]]([[明治]]22年)[[6月18日]] || [[1890年]](明治23年)2月15日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;2 || &lt;center&gt;2 || [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|佐藤 喜左衛門|さとう きざえもん}} || 1890年(明治23年)3月3日 || [[1896年]](明治29年)3月2日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;3 || &lt;center&gt;3 || [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|梅田 義信|}} || 1896年(明治29年)6月3日 || [[1902年]](明治35年)9月20日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;4 || &lt;center&gt;4 || [[ファイル:Ichihara Morihiro.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[市原盛宏|市原 盛宏]]|いちはら もりひろ}} || [[1903年]](明治36年)1月9日 || [[1906年]](明治39年)5月2日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;5 || &lt;center&gt;5 || [[ファイル:Japan’s minister in Copenhagen, J. Mitsuhashi, June 1901. (10797978603).jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[三橋信方|三橋 信方]]|みつはし のぶかた}} || 1906年(明治39年)9月28日 || [[1910年]](明治43年)6月25日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;6 || &lt;center&gt;6 || [[ファイル:Arakawa Yoshitaro.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[荒川義太郎|荒川 義太郎]]|あらかわ よしたろう}} || 1910年(明治43年)9月10日 || [[1913年]]([[大正]]2年)11月13日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;7 || &lt;center&gt;7 || [[ファイル:Ando Kensuke.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[安藤謙介|安藤 謙介]]|あんどう けんすけ}} || [[1914年]](大正3年)7月24日 || [[1918年]](大正7年)7月23日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;8 || &lt;center&gt;8 || [[ファイル:Kubota Kiyochika.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[久保田政周|久保田 政周]]|くぼた きよちか}} || 1918年(大正7年)8月26日 || [[1922年]](大正11年)5月27日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;9 || &lt;center&gt;9 || [[ファイル:Watanabe Katsusaburo.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[渡辺勝三郎|渡辺 勝三郎]]|わたなべ かつさぶろう}} || 1922年(大正11年)11月29日 || [[1925年]](大正14年)4月10日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;10 || &lt;center&gt;10 || [[ファイル:Ariyoshi Chuichi.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[有吉忠一|有吉 忠一]]|ありよし ちゅういち}} || 1925年(大正14年)5月7日 || [[1931年]]([[昭和]]6年)2月26日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;11 || &lt;center&gt;11 || [[ファイル:Onishi Ichiro.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[大西一郎|大西 一郎]]|おおにし いちろう}} || 1931年(昭和6年)3月3日 || [[1935年]](昭和10年)7月18日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;12 || &lt;center&gt;12 || [[ファイル:Aoki Shuzo (1875-1946).jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[青木周三|青木 周三]]|あおき しゅうぞう}} || 1935年(昭和10年)8月3日 || [[1941年]](昭和16年)2月10日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;13 || &lt;center&gt;13 || [[ファイル:Kiyoshi Nakarai.jpg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[半井清|半井 清]]|なからい きよし}} || 1941年(昭和16年)2月10日 || [[1946年]](昭和21年)11月30日 || {{small|}}<br /> |-<br /> ! style=&quot;background-color:#d3d3d3&quot; colspan=&quot;7&quot; | 公 選 市 長<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;14 || &lt;center&gt;14 || [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || &lt;center&gt;{{Ruby|[[石河京市|石河 京市]]|いしかわ きょういち}} || [[1947年]](昭和22年)[[4月9日]] || [[1951年]](昭和26年)4月4日 || &#039;&#039;&#039;横浜市初の[[選挙#公選|公選]]市長&#039;&#039;&#039;{{small|として就任。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;15 || rowspan=&quot;2&quot; | &lt;center&gt;15 || rowspan=&quot;2&quot; | [[ファイル:Ryozo Hiranuma 1937.jpg|75px]] || rowspan=&quot;2&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[平沼亮三|平沼 亮三]]|ひらぬま りょうぞう}} || 1951年(昭和26年)4月25日 || [[1955年]](昭和30年)4月3日 || {{small|}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;16 || [[1955年]](昭和30年)4月25日 || [[1959年]](昭和34年)2月13日 || {{small|2期目4年満了を目前に死去。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;17 || &lt;center&gt;16 || [[ファイル:Kiyoshi Nakarai.jpg|75px]] || &lt;center&gt;半井 清 || 1959年(昭和34年)4月25日 || [[1963年]](昭和38年)4月22日 || {{small|公選市長としては1期4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;18 || rowspan=&quot;4&quot; | &lt;center&gt;17 || rowspan=&quot;4&quot; | [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || rowspan=&quot;4&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[飛鳥田一雄|飛鳥田 一雄]]|あすかた いちを}} || 1963年(昭和38年)4月23日 || [[1967年]](昭和42年)4月22日 || {{small|1期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;19 || 1967年(昭和42年)4月23日 || [[1971年]](昭和46年)4月22日 || {{small|2期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;20 || 1971年(昭和46年)4月23日 || [[1975年]](昭和50年)4月22日 || {{small|3期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;21 || 1975年(昭和50年)4月22日 || [[1978年]](昭和53年)3月1日 || {{small|4期目4年を満了せず。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;22 || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;18 || rowspan=&quot;3&quot; | [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[細郷道一|細郷 道一]]|さいごう みちかず}} || 1978年(昭和53年)4月16日 || [[1982年]](昭和57年)4月15日 || {{small|1期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;23 || 1982年(昭和57年)4月16日 || [[1986年]](昭和61年)4月15日 || {{small|2期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;24 || 1986年(昭和61年)4月15日 || [[1990年]]([[平成]]2年)2月15日 || {{small|1期目4年満了を目前に死去。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;25 || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;19 || rowspan=&quot;3&quot; | [[ファイル:Replace this image JA.svg|75px]] || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[高秀秀信|高秀 秀信]]|たかひで ひでのぶ}} || 1990年(平成2年)4月8日 || [[1994年]](平成6年)4月7日 || {{small|1期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;26 || 1994年(平成6年)4月8日 || [[1998年]](平成10年)4月7日 || {{small|2期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;27 || 1998年(平成10年)4月8日 || [[2002年]](平成14年)4月7日 || {{small|3期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;28 || rowspan=&quot;2&quot; | &lt;center&gt;20 || rowspan=&quot;2&quot; | [[ファイル:Hiroshi Nakada cropped 2 William Hague and Members of the UK-Japan 21st Century Group 20130502.jpg|75px]] || rowspan=&quot;2&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[中田宏|中田 宏]]|なかだ ひろし}} || 2002年(平成14年)4月8日 || [[2006年]](平成18年)4月7日 || {{small|1期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;29 || 2006年(平成18年)4月8日 || [[2009年]](平成21年)8月17日 || {{small|2009年(平成21年)7月28日に辞表を提出し、8月17日に辞任した。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;30 || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;21 || rowspan=&quot;3&quot; | [[ファイル:Fumiko Hayashi at Yokohama City Hall.jpg|75px]] || rowspan=&quot;3&quot; | &lt;center&gt;{{Ruby|[[林文子|&#039;&#039;&#039;林 文子&#039;&#039;&#039;]]|はやし ふみこ}} || 2009年(平成21年)8月30日 || [[2013年]](平成25年)8月29日 || {{small|2009年(平成21年)8月30日、63歳で初当選し&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;、当日就任。[[無所属]]([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]推薦、[[公明党]]推薦)&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;。&#039;&#039;&#039;横浜初の女性[[首長]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;横浜市初の女性市長&#039;&#039;&#039;。1期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;31 || 2013年(平成25年)8月30日 || [[2017年]](平成29年)8月29日 || {{small|2013年(平成25年)8月25日、67歳で再選&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;。2期目4年を満了。}}<br /> |-<br /> | &lt;center&gt;&#039;&#039;&#039;32&#039;&#039;&#039; || 2017年(平成29年)8月30日 || &lt;center&gt;&#039;&#039;&#039;( 現 職 )&#039;&#039;&#039; || {{small|2017年(平成29年)8月30日、71歳で3選を果たし&lt;ref name=&quot;選挙.com&quot; /&gt;、同日再任。任期満了日は[[2021年]](平成33年)8月29日。}}<br /> |}<br /> <br /> ==== 横浜市長選挙 ====<br /> &lt;div class=&quot;NavFrame&quot; style=&quot;clear:both;border:0&quot;&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavHead&quot; style=&quot;text-align:left&quot;&gt;選挙結果一覧&lt;/div&gt;<br /> &lt;div class=&quot;NavContent&quot; style=&quot;text-align:left&quot;&gt;<br /> ;第19回<br /> {{See also|2017年横浜市長選挙}}<br /> * [[2017年]](平成29年)7月30日実施&lt;ref name=&quot;yokosenkan2017&quot;&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.lg.jp/senkyo/170730/h29shityousennmidorikuhosenkekka.pdf 平成29年7月30日執行 横浜市長選挙結果票 横浜市議会議員緑区選挙区補欠選挙結果票]}}横浜市選挙管理委員会&lt;/ref&gt;<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数=3,062,061&lt;ref name=&quot;yokosenkan2017&quot;/&gt; <br /> |最終投票率=37.21 <br /> |前回比=+8.16<br /> |当選者名=[[林文子]]<br /> |当選者年齢=71<br /> |当選者所属=[[無所属]]<br /> |当選者新旧別=現<br /> |当選者得票数=598,115 <br /> |当選者得票率=53.13 <br /> |当選者推薦・支持= 推薦:[[自由民主党 (日本)|自民]]、[[公明党|公明]]<br /> |落選者名=[[長島一由]]<br /> |落選者年齢=50 <br /> |落選者所属=無所属<br /> |落選者新旧別=新<br /> |落選者得票数=269,897 <br /> |落選者得票率=23.98 <br /> |落選者推薦・支持=<br /> |2落選者名=伊藤大貴<br /> |2落選者年齢=39 <br /> |2落選者所属=無所属<br /> |2落選者新旧別=新<br /> |2落選者得票数=257,665 <br /> |2落選者得票率=22.89 <br /> |2落選者推薦・支持=}}<br /> ;第18回<br /> {{See also|2013年横浜市長選挙}}<br /> *[[2013年]](平成25年)[[8月25日]]実施&lt;ref name=&quot;yokosenkan2013&quot;&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/senkyo/tosho/data/130825/shicho-kaihyo.html 平成25年8月25日執行 横浜市長選挙 開票速報] - 横浜市選挙管理委員会&lt;/ref&gt;<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,966,136&lt;ref name=&quot;yokosenkan2013&quot;/&gt;<br /> |最終投票率 = 29.05<br /> |前回比 = −39.71<br /> |当選者名 = 林文子<br /> |当選者年齢 = 67<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 694,360<br /> |当選者得票率 = 81.86<br /> |当選者推薦・支持 = 推薦:自民、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主]]、公明<br /> |落選者名 = 柴田豊勝<br /> |落選者年齢 = 66<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 134,644<br /> |落選者得票率 = 15.87<br /> |落選者推薦・支持 = 推薦:[[日本共産党|共産]]<br /> |2落選者名 = 矢野未来歩<br /> |2落選者年齢 = 38<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 19,259<br /> |2落選者得票率 = 2.27<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第17回<br /> {{See also|2009年横浜市長選挙}}<br /> *[[2009年]](平成21年)[[8月30日]]実施&lt;ref name=&quot;yokosenkan2009&quot;&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/senkyo/tosho/data/090830/kaihyo-shicho.html 平成21年8月30日執行 横浜市長選挙 開票結果] - 横浜市選挙管理委員会&lt;/ref&gt;<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,960,336&lt;ref name=&quot;yokosenkan2009&quot;/&gt;<br /> |最終投票率 = 68.76<br /> |前回比 = +33.46<br /> |当選者名 = 林文子<br /> |当選者年齢 = 63<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 910,297<br /> |当選者得票率 = 45.85<br /> |当選者推薦・支持 = 推薦:民主 支持:[[国民新党|国民新]]<br /> |落選者名 = [[中西健治]]<br /> |落選者年齢 = 45<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 874,626<br /> |落選者得票率 = 44.06<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 岡田政彦<br /> |2落選者年齢 = 43<br /> |2落選者所属 = 日本共産党<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 200,283<br /> |2落選者得票率 = 10.09<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第16回<br /> {{See also|2006年横浜市長選挙}}<br /> *[[2006年]](平成18年)[[3月26日]]実施&lt;ref name=&quot;yokosenkan2006&quot;&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/senkyo/tosho/data/060326/kaihyo-shicho.html 平成18年3月26日執行 横浜市長選挙 開票結果] - 横浜市選挙管理委員会&lt;/ref&gt;<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,861,843&lt;ref name=&quot;yokosenkan2006&quot;/&gt;<br /> |最終投票率 = 35.30<br /> |前回比 = −4.05<br /> |当選者名 = [[中田宏]]<br /> |当選者年齢 = 41<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 834,815<br /> |当選者得票率 = 83.68<br /> |当選者推薦・支持 = 支持:公明<br /> |落選者名 = 松川康夫<br /> |落選者年齢 = 64<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 144,208<br /> |落選者得票率 = 14.46<br /> |落選者推薦・支持 = 推薦:共産<br /> |2落選者名 = 遠藤賢次郎<br /> |2落選者年齢 = 63<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 18,607<br /> |2落選者得票率 = 1.87<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第15回<br /> {{See also|2002年横浜市長選挙}}<br /> *[[2002年]](平成14年)[[3月31日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,750,044<br /> |最終投票率 = 39.35<br /> |前回比 = +5.24<br /> |当選者名 = 中田宏<br /> |当選者年齢 = 37<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 447,998<br /> |当選者得票率 = 41.96<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = [[高秀秀信]]<br /> |落選者年齢 = 72<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 現<br /> |落選者得票数 = 426,833<br /> |落選者得票率 = 39.97<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 松川康夫<br /> |2落選者年齢 = 60<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 158,088<br /> |2落選者得票率 = 14.81<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = 稲垣隆彦<br /> |3落選者年齢 = 28<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 34,855<br /> |3落選者得票率 = 3.26<br /> |3落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第14回<br /> *[[1998年]](平成10年)[[4月5日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数=2,620,755<br /> |最終投票率 = 34.11<br /> |前回比 = +1.74<br /> |当選者名 = 高秀秀信<br /> |当選者年齢 = 68<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 459,774<br /> |当選者得票率 = 52.48<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 森卓爾<br /> |落選者年齢 = 52<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 172,603<br /> |落選者得票率 = 19.70<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 向田映子<br /> |2落選者年齢 = 51<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 165,882<br /> |2落選者得票率 = 18.93<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = 仲本宏章<br /> |3落選者年齢 = 55<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 33,793<br /> |3落選者得票率 = 3.86<br /> |3落選者推薦・支持 =<br /> |4落選者名 = 小杉秀紀<br /> |4落選者年齢 = 49<br /> |4落選者所属 = [[日本労働党]]<br /> |4落選者新旧別 = 新<br /> |4落選者得票数 = 23,528<br /> |4落選者得票率 = 2.69<br /> |4落選者推薦・支持 =<br /> |5落選者名 = 大山祐一<br /> |5落選者年齢 = 54<br /> |5落選者所属 = 無所属<br /> |5落選者新旧別 = 新<br /> |5落選者得票数 = 20,506<br /> |5落選者得票率 = 2.34<br /> |5落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第13回<br /> *[[1994年]](平成6年)[[4月3日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,511,846<br /> |最終投票率 = 32.37<br /> |前回比 = -1.95<br /> |当選者名 = 高秀秀信<br /> |当選者年齢 = 64<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 422,481<br /> |当選者得票率 = 52.81<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 野村たかし<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 213,602<br /> |落選者得票率 = 26.70<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = [[伊豆利彦]]<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 163,951<br /> |2落選者得票率 = 20.49<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第12回<br /> *[[1990年]](平成2年)[[4月8日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,332,044<br /> |最終投票率 = 34.32<br /> |前回比 = −2.48<br /> |当選者名 = 高秀秀信<br /> |当選者年齢 = 60<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 357,419<br /> |当選者得票率 = 45.07<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 大久保英太郎<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = [[日本社会党]]<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 294,393<br /> |落選者得票率 = 37.12<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 黒川万千代<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 市民の市長をつくる会連絡会<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 66,837<br /> |2落選者得票率 = 8.43<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = 木内博<br /> |3落選者年齢 =<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 45,006<br /> |3落選者得票率 = 5.67<br /> |3落選者推薦・支持 =<br /> |4落選者名 = 佐藤哲善<br /> |4落選者年齢 =<br /> |4落選者所属 = 無所属<br /> |4落選者新旧別 = 新<br /> |4落選者得票数 = 29,451<br /> |4落選者得票率 = 3.71<br /> |4落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第11回<br /> *[[1986年]](昭和61年)[[4月13日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 2,108,807<br /> |最終投票率 = 36.80<br /> |前回比 = −2.96<br /> |当選者名 = [[細郷道一]]<br /> |当選者年齢 = 70<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 567,213<br /> |当選者得票率 = 73.90<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 黒川万千代<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 市民の市長をつくる会連絡会<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 178,800<br /> |落選者得票率 = 23.30<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 前田文弘<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 三選反対六党相乗体制打破市民会議<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 11,729<br /> |2落選者得票率 = 1.53<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = [[高田がん]]<br /> |3落選者年齢 = 55<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 9,759<br /> |3落選者得票率 = 1.27<br /> |3落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第10回<br /> *[[1982年]](昭和57年)[[4月11日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,923,174<br /> |最終投票率 = 39.76<br /> |前回比 = +3.68<br /> |当選者名 = 細郷道一<br /> |当選者年齢 = 66<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 528,375<br /> |当選者得票率 = 69.86<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 井之川平等<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 市民の市長をつくる会<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 192,594<br /> |落選者得票率 = 25.47<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 小杉秀紀<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 日本労働党<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 17,894<br /> |2落選者得票率 = 2.37<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = 高橋満<br /> |3落選者年齢 =<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 8,199<br /> |3落選者得票率 = 1.08<br /> |3落選者推薦・支持 =<br /> |4落選者名 = 高田がん<br /> |4落選者年齢 = 51<br /> |4落選者所属 = 無所属<br /> |4落選者新旧別 = 新<br /> |4落選者得票数 = 6,927<br /> |4落選者得票率 = 0.92<br /> |4落選者推薦・支持 =<br /> |5落選者名 = 樽井誠之輔<br /> |5落選者年齢 =<br /> |5落選者所属 = 無所属<br /> |5落選者新旧別 = 新<br /> |5落選者得票数 = 2,292<br /> |5落選者得票率 = 0.30<br /> |5落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第9回<br /> *[[1978年]](昭和53年)[[4月16日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,817,747<br /> |最終投票率 = 36.08<br /> |前回比 = −-8.45<br /> |当選者名 = 細郷道一<br /> |当選者年齢 = 62<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 341,006<br /> |当選者得票率 = 52.68<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 朝倉了<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 市民の市長をつくる会<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 269,325<br /> |落選者得票率 = 41.61<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 金子駿介<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 36,981<br /> |2落選者得票率 = 5.71<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第8回<br /> *[[1975年]](昭和50年)[[4月13日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,735,147<br /> |最終投票率 = 64.53<br /> |前回比 = −1.05<br /> |当選者名 = [[飛鳥田一雄]]<br /> |当選者年齢 = 60<br /> |当選者所属 = 日本社会党<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 764,701<br /> |当選者得票率 = 69.52<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = [[亀井善之]]<br /> |落選者年齢 = 38<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 292,469<br /> |落選者得票率 = 26.59<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 大友八郎<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 22,323<br /> |2落選者得票率 = 2.03<br /> |2落選者推薦・支持 =<br /> |3落選者名 = 岡田道文<br /> |3落選者年齢 =<br /> |3落選者所属 = 無所属<br /> |3落選者新旧別 = 新<br /> |3落選者得票数 = 20,495<br /> |3落選者得票率 = 1.86<br /> |3落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第7回<br /> *[[1971年]](昭和46年)[[4月11日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,529,817<br /> |最終投票率 = 63.48<br /> |前回比 = +0.13<br /> |当選者名 = 飛鳥田一雄<br /> |当選者年齢 = 56<br /> |当選者所属 = 日本社会党<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 663,543<br /> |当選者得票率 = 69.85<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = [[川合武]]<br /> |落選者年齢 = 55<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 280,113<br /> |落選者得票率 = 29.49<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 樽井誠之輔<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 6,353<br /> |2落選者得票率 = 0.67<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第6回<br /> *[[1967年]](昭和42年)[[4月15日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,219,073<br /> |最終投票率 = 63.35<br /> |前回比 = &amp;minus3.11<br /> |当選者名 = 飛鳥田一雄<br /> |当選者年齢 = 52<br /> |当選者所属 = 日本社会党<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 465,374<br /> |当選者得票率 = 62.02<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 五神辰雄<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 253,013<br /> |落選者得票率 = 33.72<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 佐々木修二<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 日本共産党<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 31,920<br /> |2落選者得票率 = 4.25<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第5回<br /> *[[1963年]](昭和38年)[[4月17日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 1,004,102<br /> |最終投票率 = 66.46<br /> |前回比 = −1.60<br /> |当選者名 = 飛鳥田一雄<br /> |当選者年齢 = 48<br /> |当選者所属 = 日本社会党<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 279,964<br /> |当選者得票率 = 42.86<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = [[半井清]]<br /> |落選者年齢 = 75<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 現<br /> |落選者得票数 = 267,188<br /> |落選者得票率 = 40.90<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 田中省吾<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 自由民主党<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 106,094<br /> |2落選者得票率 = 16.24<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第4回<br /> *[[1959年]](昭和34年)[[4月23日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 791,413<br /> |最終投票率 = 68.06<br /> |前回比 = +4.61<br /> |当選者名 = 半井清<br /> |当選者年齢 = 71<br /> |当選者所属 = 自由民主党<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 288,425<br /> |当選者得票率 = 54.76<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = [[石河京市]]<br /> |落選者年齢 = 61<br /> |落選者所属 = 日本社会党<br /> |落選者新旧別 = 元<br /> |落選者得票数 = 217,852<br /> |落選者得票率 = 41.36<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 松尾彪五<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 20,444<br /> |2落選者得票率 = 3.88<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第3回<br /> *[[1955年]](昭和30年)[[4月23日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 702,570<br /> |最終投票率 = 63.45<br /> |前回比 = −11.11<br /> |当選者名 = [[平沼亮三]]<br /> |当選者年齢 = 76<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 現<br /> |当選者得票数 = 232,469<br /> |当選者得票率 = 53.44<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 石河京市<br /> |落選者年齢 = 57<br /> |落選者所属 = 日本社会党<br /> |落選者新旧別 = 元<br /> |落選者得票数 = 192,156<br /> |落選者得票率 = 44.17<br /> |落選者推薦・支持 =<br /> |2落選者名 = 久野恵司<br /> |2落選者年齢 =<br /> |2落選者所属 = 無所属<br /> |2落選者新旧別 = 新<br /> |2落選者得票数 = 10,425<br /> |2落選者得票率 = 2.40<br /> |2落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第2回<br /> *[[1951年]](昭和26年)[[4月23日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 566,563<br /> |最終投票率 = 74.56<br /> |前回比 = +19.28<br /> |当選者名 = 平沼亮三<br /> |当選者年齢 = 72<br /> |当選者所属 = 無所属<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 242,685<br /> |当選者得票率 = 60.12<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 石河京市<br /> |落選者年齢 = 53<br /> |落選者所属 = 日本社会党<br /> |落選者新旧別 = 現<br /> |落選者得票数 = 161,014<br /> |落選者得票率 = 39.88<br /> |落選者推薦・支持 =}}<br /> ;第1回<br /> *[[1947年]](昭和22年)[[4月5日]]実施<br /> {{選挙結果 (日本の首長)<br /> |当日有権者数 = 408,247<br /> |最終投票率 = 55.28<br /> |前回比 =<br /> |当選者名 = 石河京市<br /> |当選者年齢 = 49<br /> |当選者所属 = 日本社会党<br /> |当選者新旧別 = 新<br /> |当選者得票数 = 102,378<br /> |当選者得票率 = 50.97<br /> |当選者推薦・支持 =<br /> |落選者名 = 山崎次隆<br /> |落選者年齢 =<br /> |落選者所属 = 無所属<br /> |落選者新旧別 = 新<br /> |落選者得票数 = 98,487<br /> |落選者得票率 = 49.03<br /> |落選者推薦・支持 =}}&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> ;財政&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/gyousei/zaisei/ 横浜市行政運営調整局財政課のサイト] を参照。&lt;/ref&gt;<br /> {{Col-begin}}<br /> {{Col-break}}<br /> *平成22年度(2010年度)予算<br /> **一般会計 1兆3604億円<br /> ***市税収入見込額 6870億円<br /> ***市債 1274億円(平成22年度末の市債残高は2兆4,136億円の見込み)<br /> **特別会計 1兆1639億円<br /> **公営企業会計 5755億円<br /> **全会計純計{{efn|会計間で相互にやりとりする重複部分を除いた純計。}} 2兆3516億円<br /> {{Col-break}}<br /> *平成23年度(2011年度)決算<br /> **一般会計<br /> **歳入決算額 &lt;small&gt;(A)&lt;/small&gt; 1兆3922億円(うち市税収入 7055億円)<br /> **歳出決算額 &lt;small&gt;(B)&lt;/small&gt; 1兆3796億円<br /> **形式収支 &lt;small&gt;(C)=(A)-(B)&lt;/small&gt; 195億5200万円<br /> **翌年度への繰越財源 &lt;small&gt;(D)&lt;/small&gt; 138億3500万円<br /> **実質収支 &lt;small&gt;(E)=(C)-(D)&lt;/small&gt; 57億1800万円<br /> {{Col-end}}<br /> <br /> === 議会 ===<br /> 横浜市では、市議会を「市会」と称している&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/sikai/ 「横浜市会」] 横浜市市会事務局&lt;/ref&gt;{{efn|市議会を地方自治法規定外の通称である「市会」と称する慣習は、他の[[五大都市]]にも見られる。}}。<br /> {{Main|横浜市会}}<br /> ;議長と副議長<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !役職!!氏名!!期数!!所属会派<br /> |-<br /> |議長||梶村充||5期||自由民主党<br /> |-<br /> |副議長||加藤広人||6期||公明党<br /> |}<br /> {{Col-begin}}<br /> {{Col-break}}<br /> ;各区ごとの定数<br /> :議員定数:86人<br /> :{|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:90%&quot;<br /> !選挙区!!定数!!選挙区!!定数!!選挙区!!定数<br /> |-<br /> |鶴見区||{{0}}{{0}}6||神奈川区||{{0}}{{0}}5||西区||{{0}}{{0}}2<br /> |-<br /> |中区||{{0}}{{0}}3||南区||{{0}}{{0}}5||港南区||{{0}}{{0}}5<br /> |-<br /> |保土ケ谷区||{{0}}{{0}}5||旭区||{{0}}{{0}}6||磯子区||{{0}}{{0}}4<br /> |-<br /> |金沢区||{{0}}{{0}}5||港北区||{{0}}{{0}}8||緑区||{{0}}{{0}}4<br /> |-<br /> |青葉区||{{0}}{{0}}7||都筑区||{{0}}{{0}}5||戸塚区||{{0}}{{0}}6<br /> |-<br /> |栄区||{{0}}{{0}}3||泉区||{{0}}{{0}}4||瀬谷区||{{0}}{{0}}3<br /> |}<br /> :&lt;small&gt;※2018年(平成30年)4月現在&lt;/small&gt;<br /> {{Col-break}}<br /> ;会派の構成<br /> :{|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:90%&quot;<br /> !会派名!!議席数!!代表者<br /> |-<br /> |[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|29<br /> |横山 正人(青葉)<br /> |-<br /> |民権フォーラム<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|21<br /> |今野典人(緑)<br /> |-<br /> |[[公明党]]<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|16<br /> |高橋正治(緑)<br /> |-<br /> |[[日本共産党]]<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|{{0}}9<br /> |大貫憲夫(青葉)<br /> |-<br /> |ヨコハマ会<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|{{0}}2<br /> |小幡 正雄(金沢)<br /> |-<br /> |無所属保守の会<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|{{0}}2<br /> |大桑正貴(栄)<br /> |-<br /> |[[無所属]]<br /> |style=&quot;text-align:right&quot;|{{0}}7<br /> |太田正孝(磯子)<br /> |}<br /> :&lt;small&gt;※2015年(平成27年)4月30日現在&lt;ref name=kaiha&gt;{{cite web<br /> |title = 横浜市会 会派別名簿<br /> |url = http://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/meibo/meibo3.html#anchor5jimin<br /> |accessdate = 2015-05-10<br /> }}&lt;/ref&gt;&lt;/small&gt;<br /> {{Col-end}}<br /> <br /> == 国政・県政 ==<br /> [[画像:Yokohama-District-Court01s3200.jpg|thumb|[[横浜地方裁判所]]]]<br /> [[画像:Yokohama customs01s3200.jpg|thumb|[[横浜税関]](クイーンの塔)]]<br /> [[画像:Yokohama Port Opening Memorial Hall 2009.jpg|thumb|[[横浜市開港記念会館]](ジャックの塔)]]<br /> <br /> === 国等の機関 ===<br /> 横浜市に置かれる国、独立行政法人、特殊法人の機関は以下の通り&lt;ref&gt;[http://www.soumu.go.jp/kanku/kanto/kanagawa/kanagawa18.html 「神奈川県内の行政機関ガイド」] 総務省神奈川行政評価事務所。&lt;/ref&gt;。横浜市に置かれる各省庁の[[地方支分部局]]のうち、関東地方(もしくはそれよりも広い地域)を統括するものは、[[国土交通省]]の関東[[地方整備局]](港湾空港部)・[[関東運輸局]]、[[海上保安庁]][[第三管区海上保安本部]]など、数少ない。それらの多くは中区山下町の横浜地方合同庁舎、もしくは中区北仲通の横浜第2合同庁舎(旧生糸検査所)に所在する。<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot;<br /> !colspan=&quot;2&quot; |[[日本の行政機関|国の行政機関]]<br /> |-<br /> |<br /> *&#039;&#039;&#039;[[警察庁]]&#039;&#039;&#039;:[[関東管区警察局]]神奈川県情報通信部<br /> *&#039;&#039;&#039;[[総務省]]&#039;&#039;&#039;:関東[[管区行政評価局]]神奈川行政評価事務所<br /> *&#039;&#039;&#039;[[法務省]]&#039;&#039;&#039;:[[横浜刑務所]]、横浜[[拘置所|拘置支所]]、横浜[[少年鑑別所]]、横浜[[保護観察所]]、横浜[[地方法務局]]、[[東京入国管理局]]横浜支局、[[公安調査庁]]横浜公安調査事務所、[[横浜地方検察庁]]<br /> *&#039;&#039;&#039;[[財務省 (日本)|財務省]]&#039;&#039;&#039;:[[横浜税関]]、税関研修所横浜支所、[[関東財務局]]横浜財務事務所、[[国税庁]]東京[[国税不服審判所]]横浜支所、[[東京国税局]]税務相談室分室(4か所)、[[税務署]](7か所)<br /> *&#039;&#039;&#039;[[厚生労働省]]&#039;&#039;&#039;:横浜[[検疫所]]、関東信越厚生局麻薬取締部横浜分室、神奈川労働局、労働基準監督署(4か所)、公共職業安定所(8か所)<br /> |<br /> *&#039;&#039;&#039;[[農林水産省]]&#039;&#039;&#039;:横浜[[植物防疫所]]、[[動物検疫所]]、関東農政局神奈川農政事務所<br /> *&#039;&#039;&#039;[[経済産業省]]&#039;&#039;&#039;:関東経済産業局横浜通商事務所<br /> *&#039;&#039;&#039;[[国土交通省]]&#039;&#039;&#039;:関東[[地方整備局]](港湾空港部と河川、国道、営繕事務所)、[[関東運輸局]](本局)、神奈川[[運輸支局]]、[[横浜地方海難審判所]]、[[気象庁]]横浜[[地方気象台]]、[[海上保安庁]][[第三管区海上保安本部]](本部、横浜海上保安部、第三管区情報通信管理センター、横浜機動防除基地)<br /> *&#039;&#039;&#039;[[防衛省]]&#039;&#039;&#039;:[[南関東防衛局]]、[[自衛隊神奈川地方協力本部]]、[[陸上自衛隊]][[横浜駐屯地]]([[中央輸送業務隊]]、東部方面調査隊横浜派遣隊、第316基地通信隊横浜派遣隊、第113地区警務隊横浜連絡班)<br /> |-<br /> !colspan=&quot;2&quot;|&#039;&#039;&#039;[[日本の裁判所|司法機関]]&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> |colspan=&quot;2&quot;|<br /> *[[横浜地方裁判所]]<br /> *[[横浜家庭裁判所]]<br /> *[[横浜簡易裁判所]]<br /> *[[神奈川簡易裁判所]]<br /> *[[保土ケ谷簡易裁判所]](通称・交通裁判所)<br /> |-<br /> !colspan=&quot;2&quot;|[[独立行政法人]]<br /> |-<br /> |<br /> (&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;は本部が所在)<br /> *[[国際協力機構]]横浜国際センター<br /> *[[理化学研究所]]横浜研究所<br /> *[[日本スポーツ振興センター]]神奈川県支部<br /> *&#039;&#039;&#039;[[日本学生支援機構]]&#039;&#039;&#039;<br /> *[[海洋研究開発機構]]横浜研究所<br /> *[[勤労者退職金共済機構]]建設業退職金共済事業本部神奈川県支部<br /> *[[国立病院機構横浜医療センター]]<br /> *[[農林水産消費安全技術センター]]横浜センター<br /> |<br /> *&#039;&#039;&#039;[[水産総合研究センター]]&#039;&#039;&#039;<br /> *[[農畜産業振興機構]]横浜事務所<br /> *[[日本貿易振興機構]]横浜貿易情報センター<br /> *&#039;&#039;&#039;[[海技教育機構]]&#039;&#039;&#039;<br /> *[[自動車技術総合機構]]関東検査部神奈川事務所<br /> *&#039;&#039;&#039;[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]&#039;&#039;&#039;<br /> *[[自動車事故対策機構]]神奈川支所<br /> *&#039;&#039;&#039;[[海上災害防止センター]]&#039;&#039;&#039;<br /> *&#039;&#039;&#039;[[都市再生機構]]&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> !colspan=&quot;2&quot;|[[特殊法人]]<br /> |-<br /> |<br /> *[[日本年金機構]]年金事務所(5か所)<br /> *[[日本郵政|日本郵政株式会社]]横浜逓信病院<br /> *[[郵便事業|郵便事業株式会社]]南関東支社<br /> *[[郵便局 (企業)|郵便局株式会社]]南関東支社<br /> *[[東日本電信電話|東日本電信電話株式会社]](NTT東日本)神奈川支店<br /> *[[日本放送協会]] (NHK) [[NHK横浜放送局|横浜放送局]]、営業センター(横浜西口)<br /> *[[日本銀行]]横浜支店<br /> *[[日本政策金融公庫]]横浜支店、横浜西口支店<br /> *[[日本たばこ産業|日本たばこ産業株式会社]]横浜支店、たばこ中央研究所、医薬探索研究所<br /> |<br /> *[[放送大学学園]]放送大学神奈川学習センター<br /> *[[日本中央競馬会]] (JRA) [[ウインズ横浜]]、[[ウインズ新横浜]]<br /> *[[商工組合中央金庫]]横浜支店、横浜西口支店<br /> *[[中日本高速道路|中日本高速道路株式会社]](NEXCO中日本)東京支社横浜保全・サービスセンター<br /> *[[東日本高速道路|東日本高速道路株式会社]](NEXCO東日本)関東支社事務所京浜管理事務所、横浜工事事務所<br /> *[[首都高速道路|首都高速道路株式会社]]神奈川建設局、神奈川管理局<br /> *[[日本貨物鉄道|日本貨物鉄道株式会社]](JR貨物)神奈川営業支店<br /> |}<br /> <br /> === 県の機関 ===<br /> [[画像:Kanagawa prefectural office01s3200.jpg|thumb|[[神奈川県庁]]本庁舎(キングの塔)]]<br /> [[画像:衆議院小選挙区 (神奈川県).png|thumb|神奈川県内の衆議院小選挙区]]<br /> [[神奈川県庁]]、[[神奈川県警察]]本部、[[神奈川県立図書館]]など、多くの機関が所在する。<br /> <br /> === 国会議員 ===<br /> ;衆議院&lt;ref&gt;[http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/senkan/sokuhou/ 第45回衆議院議員総選挙 投・開票速報]、神奈川県選挙管理委員会。&lt;/ref&gt;<br /> *;小選挙区選出<br /> :{|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:95%&quot;<br /> !選挙区!!議員名!!所属政党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第1区|神奈川1区]](中区・磯子区・金沢区)<br /> |[[松本純]]<br /> |[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]<br /> |-<br /> |[[神奈川県第2区|神奈川2区]](西区・南区・港南区)<br /> |[[菅義偉]]<br /> |自由民主党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第3区|神奈川3区]](鶴見区・神奈川区)<br /> |[[小此木八郎]]<br /> |自由民主党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第4区|神奈川4区]](栄区・鎌倉市・逗子市・葉山町)<br /> |[[早稲田夕季]]<br /> |[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]<br /> |-<br /> |[[神奈川県第5区|神奈川5区]](戸塚区・泉区・瀬谷区)<br /> |[[坂井学]]<br /> |自由民主党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第6区|神奈川6区]](保土ケ谷区・旭区)<br /> |[[青柳陽一郎]]<br /> |立憲民主党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第7区|神奈川7区]](港北区・都筑区)<br /> |[[鈴木馨祐]]<br /> |自由民主党<br /> |-<br /> |[[神奈川県第8区|神奈川8区]](緑区・青葉区)<br /> |[[江田憲司]]<br /> |[[無所属]]<br /> |}<br /> *&#039;&#039;&#039;比例代表選出&#039;&#039;&#039;(カッコ内は所属政党と[[重複立候補制度|重複立候補]]した小選挙区)<br /> [[篠原豪]](立憲民主党、[[神奈川県第1区|神奈川1区]])<br /> [[山本朋広]](自由民主党、[[神奈川県第4区|神奈川4区]])<br /> [[串田誠一]]([[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]]、[[神奈川県第6区|神奈川6区]])<br /> [[中谷一馬]](立憲民主党、[[神奈川県第7区|神奈川7区]])<br /> [[三谷英弘]](自由民主党、[[神奈川県第8区|神奈川8区]])<br /> <br /> === 県議会議員 ===<br /> *定数:105名<br /> *任期:2015年(平成27年)4月30日 - 2019年(平成31年)4月29日&lt;ref&gt;[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f5/p46727.html 任期満了日 - 神奈川県ホームページ]&lt;/ref&gt;<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot; width=&quot;60%&quot;<br /> !width=&quot;10%&quot;|選挙区<br /> |width=&quot;10%&quot;|鶴見区<br /> |width=&quot;10%&quot;|神奈川区<br /> |width=&quot;10%&quot;|西区<br /> |width=&quot;10%&quot;|中区<br /> |width=&quot;10%&quot;|南区<br /> |width=&quot;10%&quot;|港南区<br /> |width=&quot;10%&quot;|保土ケ谷区<br /> |width=&quot;10%&quot;|旭区<br /> |width=&quot;10%&quot;|磯子区<br /> |-<br /> !定数<br /> |3||3||1||2||2||3||2||3||2<br /> |}<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot; width=&quot;60%&quot;<br /> !width=&quot;10%&quot;|選挙区<br /> |width=&quot;10%&quot;|金沢区<br /> |width=&quot;10%&quot;|港北区<br /> |width=&quot;10%&quot;|緑区<br /> |width=&quot;10%&quot;|青葉区<br /> |width=&quot;10%&quot;|都筑区<br /> |width=&quot;10%&quot;|戸塚区<br /> |width=&quot;10%&quot;|栄区<br /> |width=&quot;10%&quot;|泉区<br /> |width=&quot;10%&quot;|瀬谷区<br /> |-<br /> !定数<br /> |2||4||2||3||2||3||1||2||1<br /> |}<br /> ※[[脱法ドラッグ|違法ドラッグ]]所持の疑いで [[日本の警察|警察]]の[[捜査]]を受けていた横山幸一県議が、2014年7月8日に辞職。なお横山は同年7月16日に[[逮捕]]された&lt;ref&gt;{{Cite news|title = 県議在職中に違法ドラッグ所持容疑 「違法だと思わず」|url = http://www.asahi.com/articles/ASG7J6DXCG7JULOB038.html|date= 2014-07-16|newspaper = [[朝日新聞]]|accessdate = 2014-07-16}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ※2014年3月20日の本会議で、議員定数を現行の107から105に削減する条例改正案が賛成多数で可決された。これにより2015年選挙から青葉区選挙区は「4」から「3」となった&lt;ref&gt;{{Cite news|title = 大幅削減のはずでは…県議「2減」可決した県|url = http://www.yomiuri.co.jp/election/local/20140321-OYT1T00222.html|date = 2014-03-21|newspaper = [[読売新聞]]|accessdate = 2014-07-16}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 地域 ==<br /> &lt;div style=&quot;position:relative;float:right;font-size:13px;width:400px;height:525px;overflow:hidden;margin-left:15px&quot;&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:0px;left:0px&quot;&gt;[[画像:Map of wards of Yokohama city.svg|400px]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:28%;left:75%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:38%;left:55%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[神奈川区|&lt;span style=&quot;color:white&quot;&gt;神奈川区&lt;/span&gt;]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:45%;left:55%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[西区 (横浜市)|西区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:56%;left:70%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[中区 (横浜市)|中区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:56%;left:45%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[南区 (横浜市)|南区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:50%;left:35%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[保土ケ谷区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:70%;left:54%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[磯子区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:85%;left:55%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[金沢区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:20%;left:55%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[港北区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:65%;left:23%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[戸塚区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:66%;left:40%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[港南区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:40%;left:25%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[旭区 (横浜市)|&lt;span style=&quot;color:white&quot;&gt;旭区&lt;/span&gt;]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:25%;left:20%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[緑区 (横浜市)|緑区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:40%;left:5%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[瀬谷区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:80%;left:35%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[栄区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:60%;left:12%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[泉区 (横浜市)|泉区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:14%;left:15%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> &lt;div style=&quot;position:absolute;top:20%;left:35%&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;[[都筑区]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;<br /> 東京、川崎から続く市域の沿岸部には、&#039;&#039;&#039;[[京浜工業地帯]]&#039;&#039;&#039;が広がる。[[埋立地]]を中心とした地域には、鉄鋼業や化学工業などの大規模工場や、火力発電所が多く、内陸部にかけた地域は、部品や食品などの中小規模事業所が多い。横浜駅へ鉄道路線を集中したため、商業の中心地は関内地区から横浜駅周辺へと移っている。そのため元々の中心地であった[[伊勢佐木町]]や[[関内]]の相対地位が低下しており、その中間に位置する「&#039;&#039;&#039;[[横浜みなとみらい21|みなとみらい21]]&#039;&#039;&#039;([[横浜ランドマークタワー]]他)」を整備することで都心の一体化を目指している。また、[[新幹線]]駅を持つ[[新横浜]]を始め、[[上大岡]]、[[戸塚町 (横浜市)|戸塚]]、[[二俣川]]・[[鶴ヶ峰駅|鶴ヶ峰]]、[[鶴見区 (横浜市)|鶴見]]、港北ニュータウンなど、副都心としての機能を持つ街の整備を図り、都市機能の集積や地域経済強化に注力している。[[東急田園都市線]]沿いの[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]は横浜市街地よりも東京23区との繋がりが深い。<br /> *NTT市外局番はほぼ全域が「045」(横浜MA)。ただし、青葉区奈良町のごく一部に「042」(相模原MA)、鶴見区尻手のごく一部に「044」(川崎MA)地域がある。<br /> *[[日本の音風景100選]]:横浜港新年を迎える船の汽笛<br /> <br /> === 行政区 ===<br /> 横浜市は現在、18区(行政区)で構成される。市役所本庁の所在地は[[中区 (横浜市)|中区]]。行政区の数としては、[[大阪市]]の24区に次ぐ。区名と主要な施設・観光地は以下の通り。<br /> {{Clear}}<br /> {|class=&quot;sortable wikitable mw-datatable hlist hlist-hyphen&quot; style=&quot;overflow: visible;font-size:95%&quot;<br /> |+横浜市の各区<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; | &amp;nbsp;<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|区名}}<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|設置年}}<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|人口}}<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|面積}}<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|人口密度}}<br /> ! style=&quot;position:sticky;top:0;&quot; scope=&quot;col&quot; | {{nowrap|主なスポット}}<br /> |-<br /> |1<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=つるみく|[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]<br /> | 1927年&lt;br /&gt;(昭和2年)<br /> | {{nowrap|{{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市鶴見区}}}}人}}<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市鶴見区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市鶴見区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市鶴見区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[總持寺]]<br /> * [[鶴見つばさ橋]]<br /> * [[横浜ベイブリッジ]]<br /> * [[大黒パーキングエリア]]<br /> * [[京浜運河]]<br /> * [[神奈川県立三ツ池公園]]<br /> * [[花月園競輪場]]<br /> * [[電気の史料館]]<br /> * [[環境エネルギー館]]<br /> * [[麒麟麦酒#事業所#旧本社工場(現在の横浜工場)について|キリン横浜ビアビレッジ]]<br /> * [[鶴見駅]]<br /> |-<br /> |2<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=かなかわく|[[神奈川区]]<br /> | 1927年&lt;br /&gt;(昭和2年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市神奈川区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市神奈川区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市神奈川区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市神奈川区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> *[[浦島太郎]]伝説<br /> * [[三ツ沢公園球技場]]<br /> * [[本覚寺 (横浜市)|本覚寺]]<br /> * [[横浜市中央卸売市場本場]]<br /> * [[ポートサイド地区]]<br /> * [[コットンハーバー地区]]<br /> * 旧[[神奈川宿]]<br /> * [[東神奈川駅]]<br /> |-<br /> |3<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=にしく|[[西区 (横浜市)|西区]]<br /> | {{nowrap|1944年&lt;br /&gt;(昭和19年)}}<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市西区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市西区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{nowrap|{{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市西区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市西区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;}}<br /> | <br /> * [[横浜みなとみらい21]](中央地区)<br /> * [[横浜ランドマークタワー]]<br /> * [[クイーンズスクエア横浜]]<br /> * [[三菱みなとみらい技術館]]<br /> * [[パシフィコ横浜]]<br /> * [[横浜美術館]]<br /> * [[臨港パーク]]<br /> * [[高島水際線公園]]<br /> * [[横浜能楽堂]]<br /> * [[水天宮平沼神社]]<br /> * 横浜観光コンベンション・ビューロー<br /> * [[野毛山公園]]<br /> * [[野毛山動物園]]<br /> * [[そごう横浜店]]<br /> * [[高島屋|横浜高島屋]]<br /> * [[横浜スカイビル]]<br /> * [[横浜ベイシェラトン ホテル&amp;タワーズ]]<br /> * [[横浜ポルタ]]<br /> * [[横浜中央郵便局]]<br /> * [[横浜駅]]<br /> |-<br /> |4<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=なかく|[[中区 (横浜市)|中区]]<br /> | 1927年&lt;br /&gt;(昭和2年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市中区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市中区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市中区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市中区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[神奈川県庁]]<br /> * [[横浜市役所]]<br /> * [[横浜みなとみらい21]]<br /> ** [[新港 (横浜市)|新港地区]]<br /> * [[横浜赤レンガ倉庫]]<br /> * [[よこはまコスモワールド]]<br /> * [[コスモクロック21]]<br /> ** よこはまコスモワールド内にある[[観覧車]]<br /> * [[三溪園]]<br /> * [[本牧市民公園]]<br /> * [[元町 (横浜市)|元町]]<br /> * [[横浜中華街]]<br /> * [[横浜マリンタワー]]<br /> * [[横浜スタジアム]]<br /> * [[山下町 (横浜市)|山下町]]<br /> * [[山下公園]]<br /> * [[根岸森林公園]]<br /> * [[横浜競馬場|馬の博物館]]<br /> * 県立音楽堂<br /> * [[港の見える丘公園]]<br /> * [[山手 (横浜市)|山手]]<br /> * [[北仲通]]<br /> * [[桜木町駅]]<br /> * [[関内駅]]<br /> |-<br /> |5<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=みなみく|[[南区 (横浜市)|南区]]<br /> | 1943年&lt;br /&gt;(昭和18年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市南区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市南区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{nowrap|{{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市南区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市南区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;}}<br /> | <br /> * [[横浜市立大学附属市民総合医療センター]]<br /> * [[弘明寺]]<br /> * [[横浜国立大学教育学部附属特別支援学校]]<br /> * [[庚申塔]]<br /> * [[井土ヶ谷駅]]<br /> |-<br /> |6<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=ほとかやく|{{nowrap|[[保土ケ谷区]]}}<br /> | 1927年&lt;br /&gt;(昭和2年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市保土ケ谷区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市保土ケ谷区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{#expr:{{自治体人口/神奈川県|横浜市保土ケ谷区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市保土ケ谷区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * 旧[[程ヶ谷宿]]<br /> * [[横浜国立大学]]<br /> * [[横浜ビジネスパーク]]<br /> * [[保土ヶ谷公園|県立保土ヶ谷公園]]<br /> * [[横浜市児童遊園地]]<br /> * 横浜市こども植物園<br /> * [[陣ヶ下渓谷]]<br /> * [[横浜カントリークラブ]]<br /> * [[横浜市立市民病院|横浜市民病院]]<br /> * [[保土ケ谷駅]]<br /> |-<br /> |7<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=いそこく|[[磯子区]]<br /> | 1927年&lt;br /&gt;(昭和2年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市磯子区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市磯子区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市磯子区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市磯子区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[根岸森林公園]]<br /> * [[横浜市電保存館]]<br /> * [[横浜こども科学館]]<br /> * [[三殿台遺跡]]<br /> * [[円海山]]<br /> ** 浜マーケット<br /> * [[磯子駅]]<br /> * [[新杉田駅]]<br /> |-<br /> |8<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=かなさわく|[[金沢区]]<br /> | 1948年&lt;br /&gt;(昭和23年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市金沢区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市金沢区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市金沢区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市金沢区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[金沢自然公園]]<br /> * [[横浜市立金沢動物園]]<br /> * [[横浜・八景島シーパラダイス]]<br /> * [[金沢文庫]]<br /> * [[金沢八景]]<br /> * [[称名寺 (横浜市)|称名寺]]<br /> * [[横浜市立大学]]<br /> * [[海の公園]]<br /> * [[野島公園]]<br /> * 明治憲法起草の碑<br /> * [[横浜ベイサイドマリーナ]]<br /> * [[横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン|金沢シーサイドライン]]<br /> * [[横浜市立大学附属病院]]<br /> * [[横浜南部市場]]<br /> * [[金沢漁港]]<br /> * 大丸山<br /> ** 横浜市内最高峰<br /> * [[金沢文庫駅]]<br /> |-<br /> |9<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=こうほくく|[[港北区]]<br /> | 1939年&lt;br /&gt;(昭和14年)<br /> | {{nowrap|{{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市港北区}}}}人}}<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市港北区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市港北区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市港北区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[横浜市大倉山記念館|大倉山記念館]]<br /> * [[小机城|小机城址市民の森]]<br /> * [[プリンスホテル|新横浜プリンスホテル]]<br /> * [[横浜アリーナ]]<br /> * [[横浜国際総合競技場]]<br /> ** 日産スタジアム<br /> * [[新横浜ラーメン博物館]]<br /> * [[菊名駅]]<br /> * [[新横浜駅]]<br /> |-<br /> |10<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=とつかく|[[戸塚区]]<br /> | 1939年&lt;br /&gt;(昭和14年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市戸塚区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市戸塚区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市戸塚区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市戸塚区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[舞岡公園]]<br /> * 旧[[戸塚宿]]<br /> * [[仮名手本忠臣蔵]]<br /> * [[西横浜国際総合病院]]<br /> * [[ドリーム開発ドリームランド線]]跡地<br /> * [[ラピス戸塚]]<br /> * [[東戸塚駅#オーロラシティ|オーロラシティ]]<br /> * [[トツカーナ]]<br /> * [[清水谷戸トンネル]]<br /> * [[東戸塚駅]]<br /> * [[戸塚駅]]<br /> |-<br /> |11<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=こうなんく|[[港南区]]<br /> | 1969年&lt;br /&gt;(昭和44年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市港南区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市港南区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市港南区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市港南区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[久良岐公園]]<br /> * 神奈川県戦没者慰霊堂<br /> * [[ゆめおおおか]]<br /> * [[京急百貨店]]<br /> * ウイング上大岡<br /> * [[カミオ]]<br /> * [[ミオカ]]<br /> * [[上大岡駅]]<br /> * 港南台タカシマヤ<br /> * [[港南台駅]]<br /> |-<br /> |12<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=あさひく|[[旭区 (横浜市)|旭区]]<br /> | 1969年&lt;br /&gt;(昭和44年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市旭区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市旭区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市旭区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市旭区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[よこはま動物園ズーラシア]]<br /> * [[こども自然公園]]<br /> ** 大池公園<br /> * [[神奈川県運転免許試験場]]<br /> * [[二俣川駅]]<br /> * 戸塚カントリークラブ<br /> * 程ヶ谷カントリークラブ<br /> * 矢指市民の森<br /> |-<br /> |13<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=みとりく|[[緑区 (横浜市)|緑区]]<br /> | 1969年&lt;br /&gt;(昭和44年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市緑区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市緑区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市緑区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市緑区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[四季の森公園]]<br /> * [[三保市民の森]]<br /> * [[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]<br /> * [[横浜町田インターチェンジ]] <br /> |-<br /> |14<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=せやく|[[瀬谷区]]<br /> | 1969年&lt;br /&gt;(昭和44年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市瀬谷区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市瀬谷区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市瀬谷区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市瀬谷区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[環状4号線 (横浜市)|海軍道路]]<br /> * [[瀬谷市民の森]]<br /> * [[長屋門公園]]<br /> * [[三ツ境駅]]<br /> |-<br /> |15<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=さかえく|[[栄区]]<br /> | 1986年&lt;br /&gt;(昭和61年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市栄区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市栄区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市栄区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市栄区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[地球市民かながわプラザ]]<br /> * [[上郷森の家]]<br /> * [[本郷ふじやま公園]]<br /> * [[本郷台駅]]<br /> |-<br /> |16<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=いすみく|[[泉区 (横浜市)|泉区]]<br /> | 1986年&lt;br /&gt;(昭和61年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市泉区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市泉区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市泉区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市泉区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[境川遊水地公園]]<br /> * かまくらみち<br /> * 相鉄ギャラリー<br /> * [[いずみ中央駅]]<br /> |-<br /> |17<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=あおはく|[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]<br /> | 1994年&lt;br /&gt;(平成6年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市青葉区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市青葉区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市青葉区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市青葉区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[こどもの国 (横浜市)|こどもの国]]<br /> * [[寺家ふるさと村]]<br /> * [[市が尾駅]]<br /> * [[たまプラーザテラス]]<br /> * [[青葉台東急スクエア]]<br /> * [[保木薬師堂]]<br /> |-<br /> |18<br /> ! scope=&quot;row&quot; data-sort-value=つつきく|[[都筑区]]<br /> | 1994年&lt;br /&gt;(平成6年)<br /> | {{formatnum:{{自治体人口/神奈川県|横浜市都筑区}}}}人<br /> | {{0}}{{自治体面積/神奈川県|横浜市都筑区}}km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | {{formatnum:{{日本の市/round|{{ #expr: {{自治体人口/神奈川県|横浜市都筑区}} / {{自治体面積/神奈川県|横浜市都筑区}} }}}}}}人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> | <br /> * [[横浜市歴史博物館]]<br /> * [[大塚・歳勝土遺跡]]<br /> * [[横浜国際プール]]<br /> * [[港北ニュータウン]]<br /> * [[ららぽーと横浜]]<br /> * [[センター南駅]]<br /> |}<br /> [[画像:Kamioooka-north.JPG|thumb|[[上大岡駅]]]]<br /> [[画像:Senan00.JPG|thumb|[[港北ニュータウン]]]]<br /> ;住所の表記<br /> :「[[保土ケ谷区]]」や「[[市ケ尾町]]」など、横浜市では公式の表記において大文字の『[[け|ケ]]』で記している。また、住所で『が』と表記される場合でも、駅名などでは小文字の『ヶ』が用いられる場合もある{{efn|詳しい表記などは、[http://www.city.yokohama.jp/me/shimin/jigyo/jyukyo/chomeiichiran/chomeiichiran.html 「横浜市の町名一覧(平成18年11月1日現在)」](横浜市市民活力推進局区政支援部窓口サービス課、2007年1月5日更新)を参照。}}。<br /> :「[[丁目]]」の数字においては[[漢数字]]と[[アラビア数字|算用数字]]が併用されている。<br /> :*アラビア数字の丁目は「字丁目」としての表記であり、「1丁目〜○丁目」を一括して一つの町である。(ただし、二俣川1丁目・2丁目のみ例外で各々一つの町名。)<br /> :*漢数字の丁目は町名の一部に含まれるものであり、[[住居表示]]を実施した地域、[[土地区画整理事業]]、町名地番整理事業などにより町名が変更された地域で用いられている。「一丁目」だけで単独の町である。<br /> :*[[小字|字]](あざな)がある町も多いが、上掲「字丁目」以外で通常使用されているのは南区蒔田町と南区弘明寺町のみである。なお、住居表示や土地区画整理事業、町名地番整理事業で設けられた町は字を廃止している。また、[[大字]]は存在しない。<br /> <br /> === インフラ整備の状況 ===<br /> *[[下水道]]普及率:99.7%(平成17年度末)<br /> <br /> === 隣接している自治体・行政区 ===<br /> *神奈川県<br /> **[[川崎市]]([[川崎区]]、[[幸区]]、[[高津区]]、[[中原区]]、[[宮前区]]、[[麻生区]])<br /> **[[藤沢市]]<br /> **[[大和市]]<br /> **[[横須賀市]]<br /> **[[鎌倉市]]<br /> **[[逗子市]]<br /> *[[東京都]]<br /> **[[町田市]]<br /> <br /> == 観光 ==<br /> 横浜市の観光入込客数は&#039;&#039;&#039;約4,253万人&#039;&#039;&#039;(延べ数、2008年(平成20年)&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keizai/happyou/h21/210420.html 平成20年(2008年)横浜市観光入込客数過去最高の4,253万人]、経済観光局観光交流推進課、2009年4月20日発表。&lt;/ref&gt;)で、このうち日帰り客が87.9%を占めている。また、神奈川県の調べによる横浜・川崎地域の入込観光客数は5,598万2千人(延べ数、2008年(平成20年)&lt;ref&gt;[http://www.pref.kanagawa.jp/press/0906/030/index.html 県の観光客数が4年連続で過去最高に]、神奈川県、2009年(平成21年)6月9日発表。&lt;/ref&gt;)で、これは県全体の入込観光客数の32.7%を占めており、地域別では最も多い。<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !施設<br /> |colspan=&quot;2&quot;|[[金沢文庫]] - [[三溪園]] - [[山下公園]] - [[横浜中華街]] - [[横浜外国人墓地]] - [[横浜みなとみらい21]] - [[三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド]](旧[[横浜ベイサイドマリーナ]]ショップス&amp;レストランツ)- [[横浜ワールドポーターズ]] - [[横浜赤レンガ倉庫]] - [[横浜マリンタワー]] - [[大さん橋]] - [[伊勢山皇大神宮]] - [[横浜・八景島シーパラダイス]]<br /> |-<br /> !祭り<br /> |colspan=&quot;2&quot; |[[野毛大道芸]] - みなと祭国際仮装行列 - 開港記念バザー - [[横浜開港祭]] - [[フランス映画祭 (横浜)|フランス映画祭]] - [[神奈川新聞花火大会]] - みなと祭国際花火大会 - [[サマーナイトフェスティバル]] - [[ヨコハマカーニバル]] - お三の宮例大祭 - 三蹊園観月会 - JATA国際観光会議&amp;世界旅行博 - ワールドフェスタ・ヨコハマ - 横浜オクトーバーフェスト - [[横浜ジャズプロムナード]] - [[横浜マラソン]] - [[横浜トリエンナーレ]]<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;3&quot;|娯楽<br /> !スポーツ<br /> |[[横浜DeNAベイスターズ]]([[プロ野球]][[セントラル・リーグ]])- [[横浜F・マリノス]]([[サッカー|プロサッカー]][[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]1部)- [[横浜FC]](プロサッカーJリーグ2部)- [[横浜スポーツ&amp;カルチャークラブ]](プロサッカーJリーグ3部)- [[横浜ギガスピリッツ]]([[バスケットボール]]、いすゞ自動車→横浜ギガキャッツ→横浜ギガスピリッツ)- [[大日本プロレス]]([[プロレス]]団体)- [[横浜ビー・コルセアーズ]]([[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]])- [[パンクラス]]([[総合格闘技]]団体)<br /> |-<br /> !芸能{{efn|交通の便が良いため、[[コンサート]]、ライブ等は多数開催されている。[[#横浜市出身の有名人]]で見られるように、輩出している芸能人は多いものの地元への定着性は低い。これは、地元密着のマスコミが少ないためであり、東京を除く[[広域放送|関東広域圏]]共通の傾向でもある(詳しくは[[ローカルタレント]]の項を参照)。}}<br /> |[[横浜 7th AVENUE]]<br /> |-<br /> ! nowrap=&quot;nowrap&quot; |大規模な&lt;br /&gt;娯楽施設<br /> |[[横浜アリーナ]] - [[横浜国際総合競技場]](日産スタジアム)- [[横浜国際プール]](ウォーターアリーナ)- [[横浜スタジアム]] - [[横浜・八景島シーパラダイス]] - [[よこはま動物園ズーラシア]] - [[横浜みなとみらいスポーツパーク]] - [[よこはまコスモワールド]]<br /> |}<br /> &lt;gallery mode=&quot;packed&quot;&gt;<br /> File:Sangkaien Garden.jpg|[[三溪園]]・聴秋閣<br /> File:Saint Patricks Day in Motomachi Yokohama.jpg|[[元町 (横浜市)|元町]]<br /> File:Chinatown in Yokohama 10.jpg|[[横浜中華街]]・善隣門<br /> File:Yokohama Landmark Tower 02.JPG|[[横浜ランドマークタワー]]<br /> File:横浜マリンタワー2.jpg|[[横浜マリンタワー]]<br /> File:Nippon maru.JPG|[[日本丸 (初代)|日本丸]]<br /> File:横浜赤レンガ1.jpg|[[横浜赤レンガ倉庫]]<br /> File:Yokohama World Porters.JPG|[[横浜ワールドポーターズ]]<br /> File:YokohamaBaysideMarina01.jpg|[[三井アウトレットパーク 横浜ベイサイド]]<br /> File:Yokohama Stadium 2007 -3.jpg|[[横浜スタジアム]]<br /> File:NISSANSTADIUM20080608.JPG|[[横浜国際総合競技場]]<br /> File:横浜市立金沢動物園.jpg|市立金沢動物園<br /> File:Yokohama Hakkeijima Sea Paradise.jpg|[[横浜・八景島シーパラダイス]]<br /> File:Cosmo Clock 21 at night.jpg|[[よこはまコスモワールド]]<br /> File:Gaijin bochi.JPG|[[横浜外国人墓地]]<br /> File:Negishi Horse Racing Track.jpg|[[根岸森林公園]](旧[[横浜競馬場]])<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 経済 ==<br /> 横浜市内総生産は[[2006年]](平成18年)に12兆9,048億円に達した。市内都道府県と比較すると静岡県と広島県の間に位置する。[[経済協力開発機構|OECD]]諸国と比較すると26位の[[ハンガリー]]と27位の[[ニュージーランド]]の間に位置する。概ね[[第一次産業]]が (0.1%)、[[第二次産業]]が (21.7%)、[[第三次産業]]が (82.3%) となっており、第一次産業の割合が低く、第二次産業、および第三次産業の割合が高い。他の政令指定都市との比較では、[[大阪市]]の約6割の規模であり、[[名古屋市]]とほぼ同じ。本社企業も別表の通り少なくないが、それでも大阪市に比べ大きく見劣りするのは、伝統的な差、東京の隣県であること、これに関連してブロック型の大企業(JR、NTT、電力、ガス、大手民放等)が不在であることなどが影響している。<br /> :内訳は、[[第一次産業]]が119億円 (0.1%)、[[第二次産業]]が2兆7473億円 (21.7%)、[[第三次産業]]が10兆4379億円 (82.3%) となっている。他の政令指定都市と比べ、第一次産業の額と第二次産業の建設業の割合、第三次産業の不動産業の割合が大きく、第三次産業の金融・保険業、卸売・小売業、サービス業の割合は小さいが、第三次産業は名古屋とほぼ同じ。<br /> ;市民所得<br /> :横浜市の市民所得は11兆3077億円で、一人当たりでは320万6千円(平成15年)。これは、国民所得を100とすると110.9となる。<br /> :市民所得のうち雇用者報酬は9兆5924億円で、市民所得に占める割合は84.8%。これはいずれも政令指定都市の中で第1位である。市民所得のうち企業所得は1兆5427億円で、市民所得に占める割合は13.6%。政令指定都市中第3位。<br /> :また、市民所得全体のうち、市外からの所得は2兆4727億円となっている。これは、市内から市外へ通勤する人の数が、市外から市内へ通勤する人の数より多いことを示している。2000年(平成12年)の国勢調査によれば、移動人口は、東京都区部、川崎市に対する流出超過となっている。<br /> ;市内総支出<br /> :市内総支出(=市内総生産)は12兆6814億円。他の政令指定都市との比較では、家計の最終消費支出が大きいことが挙げられ、その額は8兆7137億円と大阪市(5兆4206億円)の1.6倍の規模である。横浜市の民間住宅投資は7372億円で、政令指定都市中第1位。民間企業設備投資は1兆5810億円で、第1位大阪市(2兆7027億円)の約6割の規模。公共投資は5208億円で、名古屋市(5854億円)に次ぐ第2位。<br /> ;労働力・就業者数等(平成17年国勢調査より&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.city.yokohama.jp/me/stat/census/kokucho0510/2ji-gaiyo.pdf 平成17年国勢調査 第2次基本集計結果「横浜市の概要」]}} 横浜市行政運営調整局総務部総務課統計係&lt;/ref&gt;)<br /> :横浜市の[[労働力率]]は62.0%となっている。これは全国平均 (61.5%) 並みで、政令指定市の中では第8位、首位の川崎市 (66.1%) より4.1ポイント少ない。<br /> :また、完全失業者数は97,464人、[[完全失業率]]は5.3%となっている。これは政令指定市のうち、[[広島市]] (5.0%)、[[静岡市]] (5.1%) に次いで、3番目に低い。<br /> :戦後、第1次産業の就業者数、就業者割合は一貫して減っている。第2次産業の就業者数および就業者割合は[[高度経済成長]]期に拡大。その後は産業構造の転換により、数の上では増減したものの割合は減少している。第3次産業の就業者数は一貫して増加しており、就業者割合も昭和35年を除いて常に拡大している。平成17年には就業者割合が74.8%に達した。<br /> :平成17年の産業別就業者割合を全国平均と比較すると、農業(全国4.4、横浜0.5)と製造業(全国17.3、横浜13.6)が低く、情報通信業(全国2.6、横浜6.6)とサービス業(全国14.3、横浜17.9)の割合が高くなっている。<br /> [[画像:就業者割合の推移(横浜市).png|thumb|240px|横浜市における、産業3部門別就業者割合の推移(昭和25年から平成17年まで)]]<br /> *15歳以上人口 (A):3,063,487人<br /> **労働力人口 (B):1,834,323人<br /> ***就業者総数:1,736,859人<br /> ****第1次産業:8,935人 (0.5%)<br /> ****第2次産業:378,582人 (21.8%)<br /> ****第3次産業:1,299,538人 (74.8%)<br /> ***完全失業者数 (C):97,464人<br /> ***労働力率 (B/A):62.0%<br /> ***完全失業率 (C/B):5.3%<br /> <br /> === 産業 ===<br /> ;商業<br /> :事業所数は2万8527(平成16年6月1日現在、以下同じ)で、このうち卸売業は6523事業所、小売業は2万2004事業所となっている。従業者数は25万3026人で、うち卸売業は7万480人、小売業は18万2546人。[[日本の年間商品販売額一覧|年間商品販売額]]は9兆3105億円で、卸売業が5兆6889億円、小売業が3兆6216億円。小売業の売場面積は280万9693km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;。<br /> ;サービス業<br /> :サービス業の事業所数は、4万2566(平成16年サービス業基本調査、以下同じ)。従業者数は39万1346人で、うち常用雇用者数は32万249人。経費総額は4兆5300.75億円で、うち給与支出総額は1兆2464.65億円。設備投資額は1801.20億円。<br /> ;工業<br /> :製造業に属する事業所数は、2800(平成22年工業統計調査、以下同じ)で、従業者数は10万203人。製造品出荷額等は4兆3807億円、付加価値額は1兆3965億円、有形固定資産投資総額は1178億円となっている。<br /> :製造品出荷額の業種別構成比では、石油1兆568億円 (24.1%) が最も多く、以下、一般機械6236億円 (14.2%)、輸送機械4998億円 (11.4%)、食料4635億円 (10.6%)、情報機器3593億円 (8.2%)、金属製品2411億円 (5.5%)、飲料1532億円 (3.5%)、電気機械1403億円 (3.2%)、非鉄1099億円 (2.5%)、化学1022億円 (2.3%)、その他14業種6310億円 (14.4%) と続く。<br /> :明治以降は[[捺染]]業が[[地場産業]]として発展した。[[横浜スカーフ]]は、最盛期の1976年には世界の50%、日本国内の90%の生産量を占めた。<br /> ;農業<br /> {{main|横浜市の農業}}<br /> :都市化の中にありながら第一次産業である農業も[[近郊農業]]として確立し、盛んに行われている。横浜市内の農地面積は3,419ha と神奈川県内最大である。<br /> :横浜市独自の農業振興策として、市街化調整区域や生産緑地地区などの他に、農業専用地区という都市農業の確立と都市環境を守ることを目的とした地区が定められている。現在26地区、1011ha(うち田畑は613ha)が指定されており、横浜農業の中心として意欲的な農業経営が持続されている。<br /> :現在では[[キャベツ]]・[[ホウレンソウ]]・[[コマツナ]]・[[ジャガイモ]]などをはじめ、「&#039;&#039;&#039;横浜ブランド農産物&#039;&#039;&#039;」の生産が意欲的に行われている。港北区[[綱島]]の桃「日月桃」や保土ケ谷区の「保土ヶ谷いも」など、かつては全国に知られた野菜産地も市内に存在する。<br /> *[[横浜農業協同組合]](JA横浜)<br /> *[[田奈農業協同組合]](JA田奈)<br /> <br /> === 本社を置く主な企業 ===<br /> [[画像:Nissan Head Office 2009.jpg|thumb|[[日産自動車]]グローバル本社]]<br /> [[File:The Bank of Yokohama, Ltd.jpg|thumb|[[横浜銀行]]本社ビル]]<br /> [[画像:Sagami Railway 11000 Sagami-Otsuka for Yokohama.jpg|thumb|[[相模鉄道]](相鉄HD傘下)]]<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; <br /> ! rowspan=&quot;6&quot; nowrap=&quot;nowrap&quot; |一般企業 <br /> |-<br /> ! nowrap=&quot;nowrap&quot; |東証1部&lt;br /&gt;上場<br /> |[[日産自動車]] - [[相鉄ホールディングス]] - [[日本発条]] - [[芝浦メカトロニクス]] - クリエートメディック - [[JVCケンウッド]](旧・[[日本ビクター]])- [[千代田化工建設]] - [[京三製作所]] - [[新興プランテック]] - [[宇徳]] - CIJ - [[あい ホールディングス]] - [[サカタのタネ]] - [[コロワイド]] - [[かっぱ寿司|カッパ・クリエイト]] - [[横浜冷凍]] - [[オカムラ]] - [[コナカ]] - [[図研]] - [[すてきナイスグループ]] - [[ユニプレス]] - [[フィード・ワン]] - [[ヨロズ]] - [[アネスト岩田]] - [[アマノ]] - [[パイオラックス]] - [[古河電池]] - [[コーエーテクモホールディングス]] - [[マクニカ・富士エレ ホールディングス]] - [[アイネット (システムインテグレーター)|アイネット]] - [[小野測器]] - [[富士ソフト]] - [[日揮]] - [[丸全昭和運輸]] - [[クリエイトSDホールディングス|クリエイトエス・ディー]] - [[ファンケル]] - エーアンドエーマテリアル - [[アルプス技研]] - [[ランド (不動産会社)|ランド]] - [[東京エレクトロン デバイス]] - [[テクノメディカ]] - [[エバラ食品工業]] - [[トーエル]] - [[AOKIホールディングス]] - [[ココカラファイン]] - [[東芝プラントシステム]] - [[日新]] - [[ブイ・テクノロジー]] - [[ソディック]] - [[ピーシーデポコーポレーション]] - [[イリソ電子工業]] - [[ハイマックス]]<br /> |-<br /> !東証2部&lt;br /&gt;上場<br /> |ベリテ - [[花月園観光]] - [[KIホールディングス]] - 工藤建設 - [[アルプス物流]] - [[スリーエフ]] - [[エルナー]] - [[トリニティ工業]] - [[DNAチップ研究所]] - [[東京汽船]] - [[ウインテスト]] - [[PALTEK]]<br /> |-<br /> !JASDAQ&lt;br /&gt;上場<br /> |ヒップ - [[ASIAN STAR]] - [[タウンニュース社]] - [[創健社]] - [[菊水電子工業]] - [[ミナトホールディングス]] - [[ワットマン]] - [[ニューフレアテクノロジー]] - [[テイン]] - [[アイエーグループ]] - [[ホテルニューグランド|ホテル、ニューグランド]]<br /> |-<br /> !マザーズ&lt;br /&gt;上場<br /> |[[テラプローブ]] - [[フォーライフ (不動産業)|フォーライフ]]<br /> |-<br /> !非上場等<br /> |[[日本飛行機]] - [[劇団四季]](四季株式会社)- [[高梨乳業|タカナシ乳業]] - [[パナソニック モバイルコミュニケーションズ]](旧・松下通信工業)- [[崎陽軒]] - [[富士通ワイエフシー]] - [[三和エナジー]] - [[富士シティオ]] - [[大倉陶園]] - [[グラフテック]] - [[日立システムズエンジニアリングサービス]] - [[日本ヒルティ]] - [[日本農産工業]] - [[スルガコーポレーション]] - [[チップワンストップ]] - [[東京濾器]] - [[トオカツフーズ]] - [[横浜フリエスポーツクラブ]] - [[横浜スポーツアンドカルチャークラブ]]<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|金融機関<br /> |-<br /> |colspan=&quot;2&quot;|[[横浜銀行]] - [[横浜信用金庫]] - [[神奈川銀行]](旧神奈川相互銀行:第二地方銀行)- [[横浜農業協同組合]](JA横浜)<br /> |-<br /> !rowspan=&quot;2&quot;|メディア<br /> |-<br /> |colspan=&quot;2&quot;|[[神奈川新聞]] - [[テレビ神奈川]](tvk:[[神奈川新聞]]傘下)- [[アール・エフ・ラジオ日本]] - [[横浜エフエム放送]] (Fm yokohama) - [[横浜コミュニティ放送]] (FM-salus)<br /> |}<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 航空 ===<br /> :市内に空港はなく、[[東京都]][[大田区]]の[[東京国際空港]](羽田空港)もしくは[[千葉県]][[成田市]]の[[成田国際空港]](成田空港)が最寄りとなる。アクセス路線として横浜駅東口バスターミナルに隣接する[[横浜シティ・エア・ターミナル]] (YCAT) を中心に、市内の各主要駅から両空港へのリムジンバスが発着し、鉄道路線では[[京浜急行電鉄|京急]]が市内各駅と[[羽田空港国際線ターミナル駅]]および[[羽田空港国内線ターミナル駅]]を結ぶ列車、[[東日本旅客鉄道|JR]]が横浜駅と[[空港第2ビル駅]]および[[成田空港駅]]を結ぶ列車([[成田エクスプレス]]など)を運行している。<br /> :なお、[[国際航空運送協会]] (IATA) 都市コード &#039;&#039;&#039;YOK&#039;&#039;&#039; を持つ。<br /> <br /> === 船舶 ===<br /> ;[[横浜港]]<br /> {{main|横浜港}}<br /> [[画像:Yokohama port osanbashi with asuka II.jpg|thumb|[[横浜港]]・[[大さん橋]]]]<br /> :横浜港は、開港当初から[[昭和]]初期に至るまで、[[木綿|綿花]]などの原料・[[鉄]]類・[[機械]]の[[輸入]]と、[[生糸]]・[[綿糸]]・[[絹織物]]の[[輸出]]を主とし、特に&#039;&#039;&#039;生糸貿易港&#039;&#039;&#039;として発展した。その後、[[京浜工業地帯]]の発展に伴い、鉄鋼・機械類・[[油脂]]の輸入と、機械類・金属製品・鉄鋼の輸出を主とする&#039;&#039;&#039;工業港&#039;&#039;&#039;となる。現在では、[[本牧埠頭]]、[[大黒埠頭]]、[[南本牧埠頭]]の三つの複合型コンテナ埠頭群が整備され、コンテナ貨物取扱や倉庫物流における日本経済の拠点として重要な役割を担っている&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/port/ 「横浜港ホームページ」] 横浜市港湾局&lt;/ref&gt;。一方では、[[高島埠頭]]や、[[新港 (横浜市)|新港埠頭]]はその役割を終えて、[[みなとみらい]]地区として再整備され、新たな港湾機能の役割を担っている。また、[[山下埠頭]]もバルク貨物のコンテナ輸送移行に伴いその役割を終えつつあり、新山下地区再整備構想のなかで、新たな横浜都心の整備エリアとしての構想が出されている。[[横浜港]]は、日本有数の貿易港となり、[[東京港]]と併せて[[京浜港]]として[[指定特定重要港湾]](スーパー中枢港湾)に指定されている&lt;ref&gt;[[港湾法]](昭和25年法律第218号)2条の2、平成16年7月23日[[国土交通大臣]]公示&lt;/ref&gt;。また横浜港は、[[明治]]以来、海外渡航者の海路玄関口の一つとして、&#039;&#039;&#039;[[大さん橋]]&#039;&#039;&#039;や新港埠頭に多くの[[客船]]や[[移民]]船が出入りした。1960年代以降は外国航路が空路に替わり、国内フェリー航路の中心が東京港を中心に発展したことや、1970年代前半の[[オイルショック]]により海運会社が[[貨客船]]による船客輸送を減少させたことから、[[旅客船|客船]]ターミナルとしての役割は減衰し始めた。しかし1960年代後半から1990年代前半まで旧ソ連極東船舶公社がナホトカ定期航路を開設し維持したことが横浜港の海外渡航機能としての役割を維持した。また[[東海汽船]]により[[伊豆諸島]]への旅客港としての航路も維持している。<br /> :1990年代になると、日本国内で[[クルーズ客船]]による船旅が活発化し始め、[[クルーズ客船]]も大型化が著しくターミナルも老朽化したことから、[[2002年]](平成14年)6月に大さん橋国際客船ターミナルが新装オープンした。また横浜市も[[クルーズ客船]]の寄港誘致に積極的に取り組んだ結果、横浜港への日本船籍のクルーズ客船の寄港回数は[[2003年]]度に国内1位になり、現在まで国内1位を続けている{{efn|2006年(1月〜12月)の日本船籍客船の寄港回数は、131回で4年連続国内1位。}}&lt;ref&gt;「クルーズ客船に人気があるのはどの港?」(2007年1月26日) クルーズオンライン&lt;/ref&gt;。<br /> : 一方乗降客数では、2007年から2008年現在、外国航路の定期路線が存在せず、国内航路は伊豆諸島への定期航路しかないため、国内主要旅客港との乗降客数の比較では、中国への定期客船航路を持つ[[大阪港]]や[[神戸港]]、国内フェリー航路を持つ[[東京港]]のより低い数値となっている。[[横浜港]]への[[クルーズ客船]]寄港が大きな経済波及効果を伴うことと、クルーズ旅行そのものが、先進国の富裕層の指標ともなっており、中長期的に増加が見込まれることから、横浜市や[[横浜港]]にとって[[クルーズ客船]]寄港促進は、同じく経済波及効果の高い[[コンテナ船]]寄航促進と並び、重要な課題となっている。<br /> ;横浜港遊覧<br /> *[[大さん橋]]発着:[[ロイヤルウイング]]<br /> *[[山下公園]]発着:マリンルージュ、他<br /> *[[ポートサービス|シーバス]]が[[横浜駅]]東口、[[横浜みなとみらい21|みなとみらい地区]]の「[[ぷかりさん橋]]」、山下公園を結ぶ。<br /> <br /> === 鉄道路線 ===<br /> ;主要な駅<br /> :市の中央駅は[[横浜駅]]、[[新幹線]]停車駅は[[新横浜駅]]、本庁最寄駅は[[関内駅]]。<br /> {{Col-begin}}<br /> {{Col-break}}<br /> :*&#039;&#039;&#039;[[横浜駅]]&#039;&#039;&#039;(JR・京急線・東急東横線・相鉄線・みなとみらい線・ブルーライン)<br /> :*[[鶴見駅]](JR京浜東北線・鶴見線)<br /> :*[[東神奈川駅]](JR京浜東北線・横浜線)<br /> :*[[戸塚駅]](JR東海道線・横須賀線・ブルーライン)<br /> :*[[桜木町駅]](JR根岸線・ブルーライン)<br /> :*[[関内駅]](JR根岸線・ブルーライン)<br /> :*[[菊名駅]](JR横浜線・東急東横線)<br /> :*[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]](JR横浜線・グリーンライン)<br /> {{Col-break}}<br /> :*[[新横浜駅]](JR横浜線・東海道新幹線・ブルーライン)<br /> :*[[長津田駅]](JR横浜線・東急線・こどもの国線)<br /> :*[[上大岡駅]](京急本線・ブルーライン)<br /> :*[[金沢八景駅]](京急線・シーサイドライン)<br /> :*[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]](東急線・グリーンライン)<br /> :*[[青葉台駅]](東急田園都市線)<br /> :*[[二俣川駅]](相鉄線・相鉄いずみ野線)<br /> {{Col-end}}<br /> <br /> {{Vertical_images_list<br /> |幅 = 240px<br /> |画像1=Yokohama Station from above.jpg<br /> |説明1=[[横浜駅]]とその周辺(2005年撮影)&lt;br /&gt;{{Color|#FFFFFF|■}}<br /> |画像2=JR Shin yokohama sta 001.jpg<br /> |説明2=[[新横浜駅]](2008年撮影)<br /> |画像3=桜木町駅前 - St. Sakuragi-cho - panoramio.jpg<br /> |説明3=[[桜木町駅]]前周辺(2012年撮影)}}<br /> <br /> [[画像:JR logo (east).svg|25px|left]] &#039;&#039;&#039;[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:JR JT line symbol.svg|17px|left]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]<br /> ::*- [[横浜駅]] - [[戸塚駅]] -<br /> :[[画像:JR JO line symbol.svg|17px|JO|left]] [[横須賀線]]<br /> ::*- 横浜駅 - [[保土ケ谷駅]] - [[東戸塚駅]] - 戸塚駅 -<br /> :[[画像:JR JK line symbol.svg|17px|JK|left]] [[京浜東北線]]<br /> ::*- [[鶴見駅]] - [[新子安駅]] - [[東神奈川駅]] - 横浜駅<br /> :[[画像:JR JK line symbol.svg|17px|JK|left]] [[根岸線]]<br /> ::*横浜駅 - [[桜木町駅]] - [[関内駅]] - [[石川町駅]] - [[山手駅]] - [[根岸駅 (神奈川県)|根岸駅]] - [[磯子駅]] - [[新杉田駅]] - [[洋光台駅]] - [[港南台駅]] - [[本郷台駅]] -<br /> :[[画像:JR JH line symbol.svg|17px|JH|left]] [[横浜線]]<br /> ::*東神奈川駅 - [[大口駅]] - [[菊名駅]] - [[新横浜駅]] - [[小机駅]] - [[鴨居駅]] - [[中山駅 (神奈川県)|中山駅]] - [[十日市場駅 (神奈川県)|十日市場駅]] - [[長津田駅]] -<br /> :[[画像:JR JN line symbol.svg|17px|JN|left]] [[南武線]]<br /> ::*- [[矢向駅]] -<br /> :[[画像:JR JI line symbol.svg|17px|JI|left]] [[鶴見線]]<br /> ::*&#039;&#039;&#039;本線&#039;&#039;&#039; : 鶴見駅 - [[国道駅]] - [[鶴見小野駅]] - [[弁天橋駅]] - [[浅野駅]] - [[安善駅]] -<br /> ::*&#039;&#039;&#039;海芝浦支線&#039;&#039;&#039; : 浅野駅 - [[新芝浦駅]] - [[海芝浦駅]]<br /> <br /> [[画像:JR logo (central).svg|27px|left|東海旅客鉄道|link=東海旅客鉄道]] &#039;&#039;&#039;[[東海旅客鉄道]](JR東海)&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Shinkansen jrc.svg|16px|left]] [[東海道新幹線]]<br /> ::*- 新横浜駅 -<br /> <br /> [[画像:Keikyu logo small.svg|45px|left]] &#039;&#039;&#039;[[京浜急行電鉄]](京急)&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Number_prefix_Keikyū.PNG|17px|KK|left]] [[京急本線|本線]]<br /> ::*- [[鶴見市場駅]] - [[京急鶴見駅]] - [[花月園前駅]] - [[生麦駅]] - [[京急新子安駅]] - [[子安駅]] - [[神奈川新町駅]] - [[仲木戸駅]] - [[神奈川駅]] - 横浜駅 - [[戸部駅]] - [[日ノ出町駅]] - [[黄金町駅]] - [[南太田駅]] - [[井土ヶ谷駅]] - [[弘明寺駅 (京急)|弘明寺駅]] - [[上大岡駅]] - [[屏風浦駅]] - [[杉田駅 (神奈川県)|杉田駅]] - [[京急富岡駅]] - [[能見台駅]] - [[金沢文庫駅]] - [[金沢八景駅]] -<br /> :[[画像:Number prefix Keikyū.PNG|17px|KK|left]] [[京急逗子線|逗子線]]<br /> ::* 金沢八景駅 - [[六浦駅]] -<br /> <br /> [[画像:TokyuLogotype.svg|23px|left]] &#039;&#039;&#039;[[東京急行電鉄]](東急)&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Tokyu TY line symbol.svg|17px|TY|left]] [[東急東横線|東横線]]<br /> ::*- [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]] - [[綱島駅]] - [[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]] - 菊名駅 - [[妙蓮寺駅]] - [[白楽駅]] - [[東白楽駅]] - [[反町駅]] - 横浜駅<br /> :[[画像:Tokyu MG line symbol.svg|17px|MG|left]] [[東急目黒線|目黒線]]<br /> ::*- 日吉駅<br /> :[[画像:Tokyu DT line symbol.svg|17px|DT|left]] [[東急田園都市線|田園都市線]]<br /> ::*- [[たまプラーザ駅]] - [[あざみ野駅]] - [[江田駅 (神奈川県)|江田駅]] - [[市が尾駅]] - [[藤が丘駅 (神奈川県)|藤が丘駅]] - [[青葉台駅]] - [[田奈駅]] - 長津田駅 -<br /> :[[画像:Tokyu KD line symbol.svg|17px|KD|left]] [[東急こどもの国線|こどもの国線]] (全線)<br /> ::*長津田駅 - [[恩田駅]] - [[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]<br /> <br /> [[画像:SOTETSU logo horizontal.svg|70px|left]] &#039;&#039;&#039;[[相模鉄道]](相鉄)&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Sotetsu line symbol.svg|17px|SO|left]][[相鉄本線|本線]]<br /> ::*横浜駅 - [[平沼橋駅]] - [[西横浜駅]] - [[天王町駅]] - [[星川駅 (神奈川県)|星川駅]] - [[和田町駅]] - [[上星川駅]] - [[西谷駅]] - [[鶴ヶ峰駅]] - [[二俣川駅]] - [[希望ヶ丘駅]] - [[三ツ境駅]] - [[瀬谷駅]] -<br /> :[[画像:Sotetsu line symbol.svg|17px|SO|left]][[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]<br /> ::*二俣川駅 - [[南万騎が原駅]] - [[緑園都市駅]] - [[弥生台駅]] - [[いずみ野駅]] - [[いずみ中央駅]] - [[ゆめが丘駅]] -<br /> <br /> [[画像:YMRC logomark.svg|23px|left]]&#039;&#039;&#039;[[横浜高速鉄道]]&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Yokohama Minatomirai Railway logo.png|17px|left]] [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]](全線)<br /> ::* 横浜駅 - [[新高島駅]] - [[みなとみらい駅]] - [[馬車道駅]] - [[日本大通り駅]] - [[元町・中華街駅]]<br /> <br /> [[画像:Yokohama Municipal Subway Logo.svg|18px|left]] &#039;&#039;&#039;[[横浜市営地下鉄]]&#039;&#039;&#039;([[横浜市交通局]])<br /> :[[画像:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|17px|B|left]][[横浜市営地下鉄ブルーライン]]([[湘南台駅]]以外全線)<br /> ::*- [[下飯田駅]] - [[立場駅]] - [[中田駅 (神奈川県)|中田駅]] - [[踊場駅]] - 戸塚駅 - [[舞岡駅]] - [[下永谷駅]] - [[上永谷駅]] - [[港南中央駅]] - [[上大岡駅]] - [[弘明寺駅 (横浜市営地下鉄)|弘明寺駅]] - [[蒔田駅]] - [[吉野町駅]] - [[阪東橋駅]] - [[伊勢佐木長者町駅]] - [[関内駅]] - [[桜木町駅]] - [[高島町駅]] - 横浜駅 - [[三ツ沢下町駅]] - [[三ツ沢上町駅]] - [[片倉町駅]] - [[岸根公園駅]] - 新横浜駅 - [[北新横浜駅]] - [[新羽駅]] - [[仲町台駅]] - [[センター南駅]] - [[センター北駅]] - [[中川駅 (神奈川県)|中川駅]] - あざみ野駅<br /> :[[画像:Yokohama Municipal Subway Green Line symbol.svg|17px|G|left]][[横浜市営地下鉄グリーンライン]](全線)<br /> ::*中山駅 - [[川和町駅]] - [[都筑ふれあいの丘駅]] - センター南駅 - センター北駅 - [[北山田駅 (神奈川県)|北山田駅]] - [[東山田駅]] - [[高田駅 (神奈川県)|高田駅]] - [[日吉本町駅]] - 日吉駅<br /> <br /> [[画像:Yokohama Seaside Line Symbol.svg|23px|left]] &#039;&#039;&#039;[[横浜シーサイドライン]]&#039;&#039;&#039;<br /> :[[画像:Seaside_line_logo.svg|50px|left]] [[横浜シーサイドライン金沢シーサイドライン|金沢シーサイドライン]](全線)<br /> ::*新杉田駅 - [[南部市場駅]] - [[鳥浜駅]] - [[並木北駅]] - [[並木中央駅]] - [[幸浦駅]] - [[産業振興センター駅]] - [[福浦駅]] - [[市大医学部駅]] - [[八景島駅]] - [[海の公園柴口駅]] - [[海の公園南口駅]] - [[野島公園駅]] - 金沢八景駅<br /> <br /> ;備考<br /> *市内の[[JR]]の駅は、JRの[[特定都区市内]]制度の「横浜市内」駅として扱われる。(なお、「横浜市内」駅には[[川崎市]]内の一部JR駅も含む)<br /> *横浜駅は西区の中央駅でもあるが、横須賀線ホームの一部が[[神奈川区]]に跨る。<br /> *横須賀線および京浜東北線は運転系統上の名称であり、線路名称上は東海道本線に属する。そのため、線路名称上市内を通るJRの在来線は東海道本線・根岸線・横浜線・南武線・鶴見線の計5路線である。<br /> *京浜東北線と根岸線は常時相互直通運転。<br /> *横浜線の一部列車は東神奈川駅から根岸線に乗り入れる。<br /> *西隣の[[鎌倉市]]に所在する[[大船駅]]の東側一部が[[栄区]]に跨る。(上記「横浜市内」駅には含まれない)<br /> *弘明寺駅は京急と地下鉄の2つがあるが、距離が大きく離れているため、乗換駅ではない。<br /> *一方、JR京浜東北線・横浜線の「東神奈川駅」と、京浜急行電鉄の「仲木戸駅」は、名前は違うがペデストリアン(歩行者用)・デッキで繋がれた乗換駅である。<br /> <br /> === 路線バス ===<br /> [[画像:Yokohamacitybus 1-4550 hamarin-bus.jpg|thumb|[[横浜市営バス]]]]<br /> 各事業者の運行子会社は省略。<br /> *[[横浜市営バス]] - 旧市街地を中心に市域の約5割をカバー。一部路線を神奈中など民営に移管中。また、一部の運行業務を、[[横浜交通開発]]に委託している。(車両は、横浜市営バスのものを使用)<br /> *[[京浜急行バス]] - 金沢区・磯子区中心。[[京浜急行電鉄|京急グループ]]。<br /> *[[川崎鶴見臨港バス]] - 鶴見区中心。京急グループ。<br /> *[[東急バス]] - 港北区鶴見川以北・都筑区・青葉区中心。[[東急グループ]]。<br /> *[[江ノ電バス|江ノ電バス横浜]] - 港南区笹下地区、磯子区西南部、戸塚区JR以東および栄区豊田地区中心。[[江ノ島電鉄]]の事業子会社。[[小田急グループ]]。<br /> *[[小田急バス]] - 青葉区の一部に乗り入れる形。小田急グループ。<br /> *[[神奈川中央交通]] - 戸塚区・栄区・泉区・瀬谷区・港南区・旭区・緑区・青葉区のJR以南中心。小田急グループ。<br /> *[[相鉄バス]] - 相鉄沿線・中区・西区・神奈川区・戸塚区の一部[[相模鉄道|相鉄グループ]]。<br /> *[[大新東|大新東バス]] - 金沢区南部の分譲地限定。<br /> *[[フジエクスプレス]] - 2007年4月1日より横浜市営バス134系統を全便移譲の上、一部運行経路を変更(桜木町駅〜中区本牧地区循環線)して運行を開始する。[[富士急行]]グループ。<br /> *[[川崎市交通局|川崎市バス]] - 久末団地線の高田町 - 久末団地間のみ横浜市に乗り入れ。<br /> 乗車方法は、地域・会社毎に異なる。市営バス・臨港バス・東急バス・小田急バス・フジエクスプレス・大新東バスは前乗り後降り先払いで、区間制の路線であっても整理券は使用せず、乗車時に行き先を乗務員に告げて所定の運賃を支払う。京急バス・相鉄バス・江ノ電バス・神奈中バスは前乗り後降りの路線と後乗り前降りの路線があるが、これは地域(均一制か区間制)によって分かれる。なお、神奈中バスでは主として戸塚以西で前乗り前降りの路線も存在する。後乗り前降りと前乗り前降りの路線はいずれも後払いであり、整理券方式を採っている。<br /> <br /> 運賃は均一制を採る区間と区間制を採る区間に分かれる。後者は主として金沢区・戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区および旭区の大部分と緑区の一部であり、それ以外の地区は均一制である。<br /> ;境界バス停<br /> :寬政・京町三丁目・池田一丁目・南幸町・末吉橋西詰・鷹野大橋・江川町・井田坂・蟹ヶ谷・道中坂下・すみれが丘公園・美しが丘三丁目・美しが丘西一丁目・保木・すすき野団地・すすき野二丁目・早野・三輪緑山二丁目<br /> ::(以上、川崎運賃との境界)<br /> :杉山神社前・長津田駅・公園前・若葉台西・大貫橋・緑警察署前・都岡辻・今宿・二俣川駅北口・万騎が原大池・環2今井・星川ランプ・富士見橋・さかえ橋・東戸塚駅東口・不動坂・戸塚駅東口・港南車庫入口・日野南中学校前・元大橋公園前・横浜栄高校前・市民の森入口・上の前・杉田・慶珊寺前・東柴町<br /> ::(以上、区間制運賃(武相運賃地区)との境界。これより内側が均一制運賃となる)<br /> ※川崎鶴見臨港バスの尻手駅前 - 末吉橋・江ヶ崎間および矢向駅前バス停は横浜市内にあるが川崎運賃となる。江ヶ崎・江ヶ崎八幡の両バス停は同じ臨港バスでも三角線は横浜運賃であるため運賃が混在する。&lt;br&gt;<br /> ※川崎市バスの高田町 - 久末団地間は横浜運賃を採用していたが、2007年3月31日より川崎運賃に変更した。<br /> <br /> === 道路 ===<br /> 横浜市は「[[横浜国際港都建設法]]」により、日本の代表的な国際港都であるべきことが目的として掲げられている(法第1条)。そのため、国際港都にふさわしい都市計画として「横浜国際港都建設計画」を定めることになっており、その道路事業が「横浜国際港都建設計画道路事業」として計画されている。<br /> <br /> しかし[[道路整備率]]は13大都市間で最低位である。戦後比較的早期に「横浜国際港都建設計画道路事業」として策定され、その後も都市計画法制定まで多数の計画路線が追加されたが、事業着手され全線完成した路線は少ない。直近でも「ゆめはま2010プラン」1994-2010や「横浜中期政策プラン」2002-2006、「中期計画」2007-2010等で横浜都心迄30分の交通体系整備を実現させる3環状10放射からなる主要計画があるが、全線完成したのは2路線に過ぎない。市内の[[都市計画道路]]の整備率は、[[2009年]]3月31日時点で計画延長688.93kmに対し、整備済446.37kmであり、整備率は64.8%である。<br /> *3環状<br /> **[[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]<br /> **[[環状3号線 (横浜市)|環状3号線]]<br /> **[[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]]<br /> *10放射<br /> **[[横浜藤沢線]](港南区丸山台〜戸塚区小雀町)<br /> **羽沢池辺線(神奈川区羽沢町〜都筑区池辺町)<br /> **[[山下長津田線]](中区山下町〜緑区長津田町)<br /> **横浜鎌倉線(鎌倉街道、[[神奈川県道21号横浜鎌倉線|県道21号]]と一部重複)(中区本町〜栄区公田町)<br /> **[[桂町戸塚遠藤線]](栄区桂町〜泉区下飯田町)<br /> **横浜伊勢原線(長後街道、[[神奈川県道22号横浜伊勢原線|県道22号]]と一部重複)(戸塚区上倉田町〜泉区上飯田町)<br /> **日吉元石川線([[神奈川県道102号荏田綱島線|県道102号]]と一部重複)(港北区日吉〜青葉区美しが丘西)<br /> **横浜上麻生線([[神奈川県道12号横浜上麻生線|県道12号]]と一部重複)(神奈川区東神奈川〜青葉区鉄町)<br /> **横浜逗子線([[笹下釜利谷道路]]、[[神奈川県道22号横浜伊勢原線|県道22号]]と一部重複)(港南区上大岡西〜金沢区六浦町)<br /> **権太坂和泉線(保土ケ谷区狩場町〜泉区和泉町)<br /> ;[[高速自動車国道]]:[[東名高速道路]]:[[横浜青葉インターチェンジ|横浜青葉IC]] - [[横浜町田インターチェンジ|横浜町田IC]]<br /> ;[[高規格幹線道路]]:[[首都圏中央連絡自動車道]]<br /> ;[[地域高規格道路]]<br /> :[[第三京浜道路]]([[都筑インターチェンジ|都筑IC]] - [[港北インターチェンジ|港北IC]] - [[羽沢インターチェンジ|羽沢IC]] - [[保土ヶ谷インターチェンジ|保土ヶ谷IC]])<br /> :[[国道1号]][[横浜新道]](保土ヶ谷IC - [[保土ヶ谷インターチェンジ|常盤台IC]] - [[峰岡インターチェンジ|峰岡IC]] - [[星川インターチェンジ|星川IC]] - [[藤塚インターチェンジ|藤塚IC]] - [[新保土ヶ谷インターチェンジ|新保土ヶ谷IC]] - [[今井インターチェンジ (神奈川県)|今井IC]] - [[川上インターチェンジ|川上IC]] - [[上矢部インターチェンジ|上矢部IC]])<br /> :[[国道16号]][[横浜横須賀道路|横浜新道]](新保土ヶ谷IC - [[狩場インターチェンジ|狩場IC]])<br /> :[[横浜横須賀道路]]本線(狩場IC - [[別所インターチェンジ|別所IC]] - [[日野インターチェンジ|日野IC]] - [[港南台インターチェンジ|港南台IC]] - [[朝比奈インターチェンジ|朝比奈IC]])<br /> :[[横浜横須賀道路]]金沢支線([[堀口能見台インターチェンジ|堀口能見台IC]] - [[並木インターチェンジ|並木IC]])<br /> :;[[核都市広域幹線道路]]<br /> ::[[保土ヶ谷バイパス]]([[新保土ヶ谷インターチェンジ|新保土ヶ谷IC]] - [[新桜ヶ丘インターチェンジ|新桜ヶ丘IC]] - [[南本宿インターチェンジ|南本宿IC]] - [[本村インターチェンジ|本村IC]] - [[下川井インターチェンジ|下川井IC]] - [[上川井インターチェンジ|上川井IC]])<br /> :;[[首都高速道路]]<br /> ::K1 [[首都高速神奈川1号横羽線|神奈川1号横羽線]](浅田出入口 - 汐入出入口 - 生麦出入口 - 守屋町出入口 - 子安出入口 - 東神奈川出入口 - 横浜駅東口出入口 - みなとみらい出入口 - 横浜公園出入口)<br /> ::K2 [[首都高速神奈川2号三ツ沢線|神奈川2号三ツ沢線]](横浜駅西口出入口 - 三ツ沢出入口)<br /> ::K3 [[首都高速神奈川3号狩場線|神奈川3号狩場線]](新山下出入口 - 山下町出入口 - 石川町出入口 - 阪東橋出入口 - 花之木出入口 - 永田出入口)<br /> ::K5 [[首都高速神奈川5号大黒線|神奈川5号大黒線]]<br /> :: B [[首都高速湾岸線|湾岸線]](大黒ふ頭出入口 - 本牧ふ頭出入口 - 三溪園出入口 - 磯子出入口 - 杉田出入口 - 幸浦出入口)<br /> :[[横浜藤沢線]]<br /> :[[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]<br /> :横浜北部放射連絡道路<br /> [[画像:Yokohama bay bridge.jpg|thumb|[[横浜ベイブリッジ]](上層部は首都高速湾岸線、下層部は国道357号)]]<br /> ;一般国道<br /> :[[国道1号]](第二京浜、東海道)<br /> :[[国道15号]](第一京浜、東海道)<br /> :[[国道16号]](東京外環)<br /> :[[国道246号]](厚木街道)<br /> :[[国道357号]](東京湾岸道路)<br /> ;[[主要地方道]]<br /> :[[神奈川県道2号東京丸子横浜線]]<br /> :[[神奈川県道6号東京大師横浜線]]<br /> :[[神奈川県道12号横浜上麻生線]]<br /> :[[神奈川県道13号横浜生田線]]<br /> :[[神奈川県道14号鶴見溝ノ口線]]<br /> :[[神奈川県道21号横浜鎌倉線]]<br /> :[[神奈川県道22号横浜伊勢原線]]<br /> :[[神奈川県道23号原宿六ツ浦線]]<br /> :[[神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線]]<br /> :[[神奈川県道40号横浜厚木線]]<br /> :[[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線]]<br /> :[[環状2号線 (横浜市)|環状2号線]]<br /> :[[環状4号線 (横浜市)|環状4号線]](一部)<br /> :[[横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線]]<br /> :[[横浜市主要地方道81号藤棚伊勢佐木線]]<br /> :[[横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線]]<br /> :[[横浜市主要地方道83号青木浅間線]]<br /> :[[横浜市主要地方道84号保土ヶ谷宮元線]]<br /> :[[横浜市主要地方道85号鶴見駅三ツ沢線]]<br /> <br /> == 文化施設 ==<br /> [[画像:ContinentalYokohama.jpg|thumb|[[パシフィコ横浜]]]]<br /> [[画像:Yokohama museum of art2.JPG|thumb|[[横浜美術館]]]]<br /> ;ホール・集会場<br /> *[[神奈川県民ホール]]<br /> *[[横浜みなとみらいホール]]<br /> *[[関内ホール]]<br /> *[[横浜国際平和会議場|パシフィコ横浜]]<br /> *[[横浜アリーナ]]<br /> *[[神奈川県立音楽堂]]<br /> ;図書館<br /> *[[神奈川県立図書館]](本館)<br /> *[[横浜市立図書館]]<br /> **[[横浜市中央図書館]]をはじめ各区1館ずつ配置された18館で構成されており、全体では約409万冊を所蔵し日本でも屈指の規模を誇る。図書館カードは各館共通で使える。<br /> ;博物館<br /> *[[中区 (横浜市)|中区]]を中心に多数存在。<br /> ;美術館<br /> *[[横浜美術館]](西区)- [[建築家]][[丹下健三]]の設計。<br /> **他にも[[中区 (横浜市)|中区]]を中心に多数存在。<br /> ;公民館<br /> *横浜市では「地区センター」、「コミュニティハウス」が相当する。各区に数箇所存在。<br /> ;スポーツ施設<br /> *[[横浜文化体育館]]<br /> *スポーツセンター - すべての区に存在する。<br /> <br /> == 教育 ==<br /> 市域に設置されている[[幼稚園]]、[[小学校]]、[[中学校]]、[[高等学校]]、[[中等教育学校]]、[[特別支援学校]]、[[専修学校]]、および[[各種学校]]の数は、下表の通り(いずれも平成24年度神奈川県学校基本調査結果(速報)&lt;ref&gt;[http://www.pref.kanagawa.jp/tokei/tokei/206/g22sok/H22top.html 「平成24年度神奈川県学校基本調査結果速報」]、神奈川県統計センター。&lt;/ref&gt;)。各種学校等の[[外国人学校]]は9校設置されている&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/nenkan/ 「平成19年度版 教育年鑑」] 横浜市教育委員会&lt;/ref&gt;。校名等は、各区の記事を参照のこと。<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:90%&quot; <br /> |+学校種・設置主体別 学校数<br /> |-<br /> !学校種!!総数!!国立!!県立!!市立!!私立 <br /> |-<br /> ![[幼稚園]]<br /> |align=right|286||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=right|286<br /> |-<br /> ![[小学校]]<br /> |align=right|356||align=right|1||align=&quot;center&quot;|-||align=right|345||align=right|10<br /> |-<br /> ![[中学校]]<br /> |align=right|181||align=right|1||align=&quot;center&quot;|-||align=right|149||align=right|31<br /> |-<br /> ![[高等学校]]<br /> |align=right|91||align=&quot;center&quot;|-||align=right|46||align=right|9||align=right|36<br /> |-<br /> ![[中等教育学校]]<br /> |align=right|2||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=right |2<br /> |-<br /> ![[特別支援学校]]<br /> |align=right|22||align=right|1||align=right|7||align=right |12||align=right|2<br /> |-<br /> ![[専修学校]]<br /> |align=right|61||align=&quot;center&quot;|-||align=right|2||align=&quot;center&quot;|-||align=right|59<br /> |-<br /> ![[各種学校]]<br /> |align=right|11||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=&quot;center&quot;|-||align=right|11<br /> |}<br /> <br /> === 大学・短期大学 ===<br /> [[大学]]は20校、[[短期大学]]は6校設置されている。[[高等専門学校]]は設置されていない&lt;ref&gt;[http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08072901/005.htm 「平成20年度学校基本調査(速報値)」]&lt;/ref&gt;。校名一覧は下表の通り(&#039;&#039;&#039;太字&#039;&#039;&#039;は本部所在校)。<br /> {|class=&quot;wikitable hlist hlist-hyphen&quot; style=&quot;font-size:90%&quot;<br /> |+ 大学・短期大学<br /> ! scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;3&quot; |大学<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 国立<br /> |<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜国立大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * [[東京工業大学]]<br /> * [[東京芸術大学]]<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 公立<br /> |<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜市立大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 私立<br /> |<br /> * &#039;&#039;&#039;[[神奈川大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[関東学院大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[鶴見大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[桐蔭横浜大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[フェリス女学院大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜薬科大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜商科大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * [[慶應義塾大学]]<br /> * [[東京都市大学]]<br /> * [[明治学院大学]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[日本体育大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * [[横浜美術大学]]<br /> * [[國學院大學]]<br /> * [[洗足学園音楽大学]]<br /> * [[玉川大学]]<br /> * &#039;&#039;&#039;[[東洋英和女学院大学]]&#039;&#039;&#039; <br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; rowspan=&quot;2&quot; |短期大学<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 公立<br /> |<br /> * &#039;&#039;&#039;[[神奈川県立外語短期大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> ! scope=&quot;row&quot; | 私立<br /> |<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜美術短期大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜女子短期大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[カリタス女子短期大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[横浜創英短期大学]]&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;[[鶴見大学短期大学部]]&#039;&#039;&#039;<br /> |}<br /> <br /> === 学校教育以外の教育施設 ===<br /> ;自動車教習所<br /> *青葉自動車学校、神奈川ドライビングスクール、鎌倉自動車学校、鴨居自動車学校、KANTOモータースクール横浜西口校、菊名ドライビングスクール、京急上大岡自動車学校、コヤマドライビングスクール綱島、湘南平塚モータースクール、新鶴見ドライビングスクール、鶴ヶ峰自動車学校、日吉自動車学校、南横浜自動車学校、横浜自動車学校<br /> ;神奈川労働局長登録教習機関<br /> *杉孝<br /> ;登録小型船舶教習所<br /> *小型船舶免許センター<br /> <br /> === 職業訓練 ===<br /> [[公共職業能力開発施設]]として、[[職業能力開発短期大学校]]が2校設置されている。<br /> ;職業能力開発短期大学校<br /> *[[独立行政法人]][[高齢・障害・求職者雇用支援機構]]立<br /> **[[港湾職業能力開発短期大学校横浜校]]<br /> *県立<br /> **神奈川県立産業技術短期大学校<br /> <br /> == 自治体間交流・国際交流 ==<br /> === 自治体間交流 ===<br /> 横浜市は[[山梨県]][[南都留郡]]の[[道志村]]と友好・交流に関する協定を結んでいる&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/daitoshi/bunken/doshi/kyoutei.html 「道志村との友好交流促進について」] 横浜市都市経営局調査・広域行政課、2004年6月23日作成 - 2012年4月6日更新&lt;/ref&gt;。<br /> ;友好・交流に関する協定<br /> :横浜市と道志村の友好・交流に関する協定書(2004年(平成16年)6月22日調印)-「市民と村民が相互に活発な交流を進め、持続的な友好交流が行われるよう努める」ことなど、3項目に合意。<br /> :「横浜市民ふるさと村」に関する覚書(2004年(平成16年)6月22日調印)- 道志村を「横浜市民ふるさと村」とすることなど、3項目に合意。<br /> <br /> === 国際交流 ===<br /> ==== 姉妹都市など ====<br /> 横浜市は7都市と姉妹都市提携、1都市と友好都市提携し、7都市とパートナー都市提携している&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kokusai/exchange/exchange.html 「国際交流」] 横浜市都市経営局国際政策室&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/keizai/happyou/h19/191023.html ベトナム・ホーチミン市と「ビジネスパートナー都市」提携]、横浜市経済観光局誘致・国際経済課。&lt;/ref&gt;。また、横浜港は3港と姉妹港提携、2港と友好港提携し、1港と貿易協力港提携している&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.jp/me/port/inter/shimaiko/index.html 「姉妹港・友好港・貿易協力港」] 横浜市港湾局振興事業課。&lt;/ref&gt;。<br /> ;姉妹都市<br /> *{{flagicon|USA}} [[サンディエゴ]]([[アメリカ合衆国]])- [[1957年]](昭和32年)10月29日提携<br /> *{{flagicon|FRA}} [[リヨン]]([[フランス|フランス共和国]])- [[1959年]](昭和34年)提携<br /> *{{flagicon|IND}} [[ムンバイ]]([[インド]])- [[1965年]](昭和40年)6月26日提携<br /> *{{flagicon|UKR}} [[オデッサ]]([[ウクライナ]])- 1965年(昭和40年)7月1日提携<br /> *{{flagicon|CAN}} [[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]([[カナダ]])- 1965年(昭和40年)7月1日提携<br /> *{{flagicon|PHI}} [[マニラ]]([[フィリピン|フィリピン共和国]])- 1965年(昭和40年)7月1日提携<br /> *{{flagicon|ROU}} [[コンスタンツァ]]([[ルーマニア]])- [[1977年]](昭和52年)10月12日提携<br /> ;友好都市<br /> *{{flagicon|CHN}} [[上海市]]([[中華人民共和国]])- [[1973年]](昭和48年)11月30日提携<br /> ;パートナー都市<br /> *{{flagicon|VIE}} [[ホーチミン市]]([[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]])- [[2007年]](平成19年)10月23日提携<br /> *{{flagicon|CHN}} [[北京市]](中華人民共和国)- 2006年(平成18年)5月17日提携<br /> *{{flagicon|ROC}} [[台北市]](中華民国)- 2006年(平成18年)5月22日提携<br /> *{{flagicon|KOR}} [[釜山広域市]](大韓民国)-2006年(平成18年)6月26日提携<br /> *{{flagicon|VIE}} [[ハノイ市]](ベトナム社会主義共和国)-2007年(平成19年)11月16日提携<br /> *{{flagicon|KOR}} [[仁川広域市]](大韓民国)-2009年(平成21年)12月23日提携<br /> *{{flagicon|GER}} [[フランクフルト市]](ドイツ)- 2011年(平成23年)9月27日提携<br /> ;姉妹港<br /> *{{flagicon|USA}} [[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]港(アメリカ合衆国)- [[1980年]](昭和55年)5月2日姉妹港提携<br /> *{{flagicon|CAN}} [[バンクーバー港]]([[カナダ]])- [[1981年]](昭和56年)5月15日姉妹港提携<br /> *{{flagicon|GER}} [[ハンブルク]]港([[ドイツ]])- 1992年(平成4年)10月27日姉妹港提携<br /> ;友好港<br /> *{{flagicon|CHN}} [[上海市|上海]]港(中華人民共和国)- [[1983年]](昭和58年)10月12日友好港提携<br /> *{{flagicon|CHN}} [[大連港]](中華人民共和国)- [[1990年]](平成2年)9月5日友好港提携<br /> ;貿易協力港<br /> *{{flagicon|AUS}} [[メルボルン港]]([[オーストラリア]])- [[1986年]](昭和61年)5月24日貿易協力港提携<br /> <br /> ==== 総領事館など ====<br /> 横浜市には、大韓民国が総領事館を置き、中華民国が[[台北経済文化代表処|台北駐日経済文化代表処]]を置いている他、5ヶ国が名誉領事館を置いている。1975年(昭和50年)前後までは、米国、英国、フランスなども横浜に総領事館を置いていた。<br /> ;総領事館など<br /> *{{flagicon|KOR}} 在横浜[[大韓民国]]総領事館(中区山手町)<br /> *{{flagicon|ROC}} [[台北経済文化代表処|台北駐日経済文化代表処]]横浜分処(中区日本大通り)<br /> ;外国政府事務所<br /> *{{flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国国務省|米国国務省]]日本語研修所(アメリカ合衆国)<br /> *{{Flagicon|SIN}} [[アセンダス]]日本代表事務所(政府系企業、[[シンガポール]])<br /> *{{flagicon|USA}}{{Flagicon|Tennessee}} [[テネシー州]]政府日本事務所(アメリカ合衆国)<br /> *{{flagicon|USA}}{{Flagicon|Mississippi}} [[ミシシッピ州]]政府駐日代表事務所(アメリカ合衆国)<br /> *{{Flagicon|PHI}} [[フィリピン・インク]](経済団体、[[フィリピン]])<br /> *{{flagicon|VIE}} [[ホーチミン市]]人民委員会サイゴン商業公社駐日事務所(ベトナム社会主義共和国)<br /> ;名誉領事館<br /> *{{flagicon|ESA}} 在横浜[[エルサルバドル|エルサルバドル共和国]]名誉総領事館(中区本町)<br /> *{{flagicon|GUA}} 在横浜[[グアテマラ|グアテマラ共和国]]名誉領事館(青葉区美しが丘)<br /> *{{flagicon|BUL}} 在横浜[[ブルガリア|ブルガリア共和国]]名誉領事館(神奈川区入江)<br /> *{{flagicon|VEN}} 在横浜[[ベネズエラ|ベネズエラ・ボリバル共和国]]名誉領事館(中区山下町)<br /> *{{flagicon|ROU}} 在横浜[[ルーマニア]]名誉領事館(中区本牧三之谷)<br /> <br /> ==== 海外事務所 ====<br /> 横浜市は、[[ドイツ]]の[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]と中華人民共和国の上海(財団法人横浜産業振興公社が運営)に海外事務所、[[インド]]の[[ムンバイ]]に海外拠点機能を置いている。かつては、[[マレーシア]]の[[クアラルンプール]](2003年(平成15年)6月末に閉鎖)、アメリカの[[ニューヨーク]](2007年(平成19年)3月末に閉鎖)、[[ロサンゼルス]](2007年(平成19年)10月に設置、2010年(平成22年)3月末に閉鎖)にも海外事務所を置いていた。<br /> *{{flagicon|CHN}} 財団法人横浜産業振興公社上海事務所 - 1987年(昭和62年)10月開設<br /> *{{flagicon|GER}} 横浜市フランクフルト事務所 - 1997年(平成9年)6月開設<br /> *{{flagicon|IND}} 横浜市ムンバイ拠点機能 - 2008年(平成20年)3月開設&lt;ref&gt;[http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/kokusai/exchange/office/mboffice.html 横浜市ムンバイ拠点機能]、横浜市政策局国際政策室ムンバイ拠点担当、2011年。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ==== その他の連携協定 ====<br /> [[2011年]](平成23年)[[4月26日]]、横浜市は国際的な[[生物多様性]]の取り組みを発展させることを目的として、[[国連大学高等研究所]] (UNU-IAS) と生物多様性に関する連携協定を締結した&lt;ref&gt;{{Cite web<br /> |url = http://www.jfunu.jp/blog/ias-yokohama.html<br /> |title = 国連大学高等研究所と横浜市が連携協定を締結<br /> |accessdate = 2012-01-16<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> *{{Flagicon|UN}} [[国連大学高等研究所]]<br /> <br /> == 横浜市を舞台とした作品 ==<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot;<br /> !演劇<br /> |[[人間万事金世中]] (1879年)<br /> |-<br /> !映画<br /> |[[港の日本娘]](1933年)- [[悲しき口笛]](1949年)- [[霧笛]](1952年)- [[俺は待ってるぜ]](1957年)- [[霧笛が俺を呼んでいる]](1960年)- [[涙を、獅子のたて髪に]](1962年)- [[天国と地獄 (映画)|天国と地獄]](1963年)- [[三大怪獣 地球最大の決戦]](1964年)- [[夜霧のブルース]](1963年)- [[月曜日のユカ]](1964年)- [[赤いハンカチ]](1964年)- [[カミカゼ野郎 真昼の決斗]](1966年 - [[ひき逃げ (映画)|ひき逃げ]](1966年)- [[帰らざる波止場]](1966年)- [[夜霧よ今夜も有り難う]](1967年)- [[やくざ刑事]](1970年)- [[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年)- [[麻薬売春Gメン]](1972年)- [[虹をわたって]](1972年)- [[正義だ!味方だ!全員集合!!]](1975年)- [[冬の華]](1978年)- [[ヨコハマBJブルース]](1981年)- [[喜劇 家族同盟]](1983年)- [[キャバレー]](1986年)- [[あぶない刑事 (映画)|あぶない刑事]](1987年)- [[またまたあぶない刑事]](1988年)- [[もっともあぶない刑事]](1989年)- [[ゴジラvsモスラ]](1992年)- [[私立探偵 濱マイク|我が人生最悪の時]](1993年)- [[私立探偵 濱マイク|遥かな時代の階段を]](1994年)- [[居酒屋ゆうれい]](1994年)- [[横浜ばっくれ隊 夏の湘南純愛篇]](1994年)- [[あぶない刑事リターンズ]](1996年)- [[私立探偵 濱マイク|罠]](1996年)- [[あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE]](1998年)- [[ジャンクフード]](1998年)- [[ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃]](2001年)- [[ゴジラ×メカゴジラ]](2002年)- [[まだまだあぶない刑事]](2005年)- [[ヨコハマメリー]](2005年)- [[名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌]](2006年)- [[犯人に告ぐ]](2007年)- [[大決戦!超ウルトラ8兄弟]](2008年)- [[映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!]](2009年)- [[ねこタクシー]](2010年)- [[コクリコ坂から]](2011年)- [[夜明けの街で]](2011年)- [[映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち]](2012年)<br /> |- [[さらばあぶない刑事]](2016年)<br /> |- [[シン・ゴジラ]](2016年)<br /> !テレビ&lt;br /&gt;ドラマ<br /> |[[ウルトラマン]](1966年)- [[キイハンター]](1968 - 1973年){{small|※複数話}} - [[追跡 (1973年のテレビドラマ)|追跡]](1973年)- [[俺たちの勲章]](1975年)- [[大追跡 (テレビドラマ)|大追跡]](1978年)- [[探偵物語]] {{small|※複数話}}(1979 - 1980年)- [[プロハンター]](1981年)- [[早春スケッチブック]](1983年)- [[牟田刑事官事件ファイル]](1983年 - )- [[あぶない刑事]](1986年 - 1987年)- [[ベイシティ刑事]](1987 - 1988年)- [[もっとあぶない刑事]](1988 - 1989年)- [[法医学教室の事件ファイル]](1992年 - )- [[しあわせの決断]] (1992年)- あぶない刑事フォーエヴァー TVスペシャル&#039;98(1998年)- [[おばはん刑事!流石姫子]](1998 - 2003, 2006年)- [[Sweet Season]](1998年)- [[あきまへんで!]](1998年)- [[ストロベリー・オンザ・ショートケーキ]](2001年)- [[救急救命士・牧田さおり]](2002年 - 2015年)- [[私立探偵 濱マイク]](2002年)- [[ホットマン]](2003年 - 2004年)- [[喰いタン (テレビドラマ)|喰いタン]](2006 - 2007年)- [[海猿]](2005年)- [[14才の母]](2006年)- [[たったひとつの恋]](2006年)- [[どんど晴れ]](2007年)- [[正義の味方 (漫画)|正義の味方]](2008年)- [[打撃天使ルリ]](2008年)- [[シバトラ#テレビドラマ|シバトラ〜童顔刑事・柴田竹虎〜]](2008年)- [[イノセント・ラヴ]] (2008年)- [[相棒]]Season 7 第10話 ノアの方舟〜聖夜の大停電は殺人招待状!(2009年1月1日)- [[RESCUE〜特別高度救助隊]](2009年)- [[時々迷々]](2009年 - 放送中)- [[ねこタクシー]](2010年)- [[Piece (漫画)#テレビドラマ|Piece]](2012年)- [[ダブルフェイス (テレビドラマ)]](2012年)- [[まれ]](2015年)- [[逃げるは恥だが役に立つ]](2016年)<br /> |-<br /> !アニメ<br /> |[[Kanon_(ゲーム)#TVアニメ(京都アニメーション版)|Kanon]](京都アニメーション版)- [[超神伝説うろつき童子]] - [[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]] - [[鋼鉄天使くるみ|鋼鉄天使くるみ2式]] - [[MAJOR]](メジャー)- [[君が主で執事が俺で]] - ミラクル☆ガールズ - [[探偵オペラ ミルキィホームズ]] - [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]] - [[プリティーリズム・オーロラドリーム]] -[[コクリコ坂から]] - [[ココロコネクト]] - [[超速変形ジャイロゼッター]] - [[ハマトラ (アニメ)|ハマトラ]] - [[デジモンセイバーズ]]<br /> |-[[文豪ストレイドックス]]<br /> !漫画<br /> |[[夜回り先生 (漫画)|夜回り先生]] - [[新世紀エヴァンゲリオン]] - [[ハチミツとクローバー]] - [[MAJOR]] - [[夏のあらし!]] - [[絶対少年]](横浜編)- [[ヨコハマ買い出し紀行]] - [[スクールランブル]] - [[ケンタウロスの伝説]] - [[疾風伝説 特攻の拓]] - あいしてる([[守村大]])- [[あいつとララバイ]]([[楠みちはる]])- [[B・B]]([[石渡治]])- [[僕といっしょ]]([[古谷実]])- ミラクル☆ガールズ(秋元奈美)- [[探偵オペラ ミルキィホームズ]] - [[バンビ〜ノ!]]SECONDO([[せきやてつじ]])- [[とっとこハム太郎]] - [[文豪ストレイドッグス]] ^ [[湾岸ミッドナイト]](楠みちはる)<br /> |-<br /> ! nowrap=&quot;nowrap&quot; |ゲーム<br /> |[[君が望む永遠]] - [[マブラヴ]] - [[マブラヴ サプリメント]] - [[マブラヴ オルタネイティヴ]] - [[マブラヴ ALTERED FABLE]] - [[レーシングラグーン]] - [[電車でGO!]](京浜東北線で横浜市の駅が出てくる)- [[金色のコルダ]] ([[金色のコルダ3|3]] - [[ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜|ときめきメモリアル3]] - [[KAIDO-峠の伝説-]](ショートコースで収録、コース中に外国人墓地が出てくる)- [[潮風の消える海に]] - [[探偵 神宮寺三郎 横浜港連続殺人事件]] - [[探偵オペラ ミルキィホームズ]] - [[青空の見える丘]] - [[首都高バトル01]]|-[[カミカゼエクスプローラー]]<br /> |-<br /> !文学<br /> |[[田園の憂鬱]]([[佐藤春夫]])- [[一房の葡萄]]([[有島武郎]])- [[霧笛]]([[大佛次郎]])- 黄金伝説([[石川淳]])- 海の沈黙([[三好徹]])- [[午後の曳航]]([[三島由紀夫]])- [[砂の上の植物群]]([[吉行淳之介]])- [[マイク・ハマーへ伝言]]([[矢作俊彦]])- [[横浜殺人事件]]([[内田康夫]])- [[花園の迷宮]]([[山崎洋子]])- [[ゴールドラッシュ]]([[柳美里]])- [[海を見ていたジョニー]]([[五木寛之]])- 傷痕の町([[生島次郎]])- [[夜明けの街で]]([[東野圭吾]])<br /> |-<br /> !絵画<br /> |[[Y市の橋]]([[松本竣介]])<br /> |-<br /> !音楽<br /> |[[m-CABI|横浜リリー]]([[ポルノグラフィティ]])- [[ヨコハマシカ]] feat.[[OZROSAURUS]]([[サイプレス上野とロベルト吉野]])<br /> |}<br /> ;[[横浜市歌]]<br /> :作詞・森林太郎([[森鴎外]])、作曲・[[南能衛]]<br /> :[[1909年]](明治42年)に、開港50周年を記念して作られた。なお、各区の歌は区の記事を参照。<br /> ;横浜音頭<br /> :山野芋作([[長谷川伸]])による同名の小説がある。後に舞台化され[[1913年]](大正3年)に横浜座で初演。<br /> ;いいね!横浜G30<br /> :作詞・駒井瞭、作曲・[[横山剣]]([[クレイジーケンバンド]])<br /> :横浜市環境事業局(現在は資源循環局)「ヨコハマはG30」タイアップ曲。横浜市内では、ごみ収集時に流される。<br /> *使用当初は原曲のまま(歌詞付き)使用されていたが、その後電子音によるアレンジを使用している。<br /> ;歌謡曲<br /> :横浜を歌った[[ご当地ソング]]は数多くある。[[1998年]](平成10年)1月3日放送の「[[出没!アド街ック天国]]」で紹介された「全国名曲の街ベスト50」では、第1位は横浜([[ブルー・ライト・ヨコハマ]])だった。主要な曲目については[[神奈川県のご当地ソング一覧#横浜]]を参照。<br /> <br /> == マスコット ==<br /> 横浜市には数多くのマスコットキャラクター([[ゆるキャラ]])が存在する。<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot;<br /> !イベントの&lt;br /&gt;キャラクター<br /> |[[開国博Y150#たねまる|たねまる]](横浜開港150周年)- toMtoM21(トムトム21、市政100周年横浜市泉区地域イベント)-ブルアちゃん([[横浜博覧会]])-ハマこい君([[ヨコハマカーニバル]])<br /> |-<br /> ! nowrap=&quot;nowrap&quot; |行政機関の&lt;br /&gt;キャラクター<br /> |[[横浜市交通局#はまりん|はまりん]](交通局)- はまピョン(水道局)- ハマサイ(行政運営調整局・横浜市債マスコット)- [[戸塚区#マスコットキャラクター|とつか再開発くん]](都市整備局・戸塚駅西口再開発事業)- へら星人ミーオ(資源循環局「ヨコハマはG30」)- クリーンバード(資源循環局のシンボルマーク)- ふや星人ゴミーオ(資源循環局・中事務所)- にこりん(コールセンター)- イコットちゃん(選挙管理委員会)- イコットJr.(選挙管理委員会)- だいちゃん(環境創造局)- はま菜ちゃん(環境創造局)- エコぽん(環境創造局)- ひだまりちゃん(こども青少年局)- すくすくん(こども青少年局)- ハマくん(消防局)- みんなのアース君(地球温暖化対策事業本部地球温暖化対策課) <br /> |-<br /> !区での&lt;br /&gt;キャラクター<br /> |ワッくん(鶴見区)- かめ太郎(神奈川区)- にしまろちゃん(西区)- スウィンギー(中区)- みなっち(南区)- こう・なん・くぅ(港南区)- かるがも隊(保土ケ谷区)- あさひくん(旭区)- てっくるちゃん(旭区・グリーンロードシンボルマーク)- いそっぴ(磯子区、磯子まつりマスコット)- ミズキー(港北区)- なしかちゃん(青葉区)- えら坊(青葉区選挙管理委員会)- ミドリン(緑区)- ウナシー(戸塚区)- ララ・ミミ・キキ(戸塚区・とつか緑と暮らそうキャンペーン)- せやまる・このは家族(瀬谷区)- いっずん(泉区)- タッチーくん(栄区、いたち川マスコット)- ぼたんちゃん(金沢区)- どぼくねこ(港北土木事務所)- あいちゃん(都筑区・地域福祉保健計画マスコット)<br /> |-<br /> !その他<br /> |いこあら(金沢区明るい選挙推進協議会)- ヨッチー(横浜市立大学)- キャプテンわん(横浜市体育協会)- みどりちゃん(横浜市緑の協会.※[[ミドリ電化]]のミドリちゃんとは無関係)<br /> |}<br /> {{See also|神奈川県のマスコットキャラクター一覧}}<br /> <br /> == ナンバープレート==<br /> 横浜市は、横浜ナンバー([[神奈川運輸支局]])を割り当てられている。<br /> ;横浜ナンバー割り当て地域<br /> *横浜市・鎌倉市・逗子市・横須賀市・三浦市・三浦郡(葉山町)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Notelist}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 横浜市 『横浜の歴史』 横浜市教育委員会事務局小中学校教育課、2007年。<br /> * 「図説・横浜の歴史」編集委員会 『図説〈横浜の歴史〉市政一〇〇周年 開港一三〇周年』 横浜市市民局市民情報室広報センター、1989年。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{ウィキポータルリンク|横浜市|[[画像:Emblem of Yokohama, Kanagawa.svg|45px|Portal:横浜市]]}}<br /> {{Multimedia|横浜市の画像}}<br /> {{Wikisource|市制施行地|横浜市を市制施行地に指定した告示}}<br /> {{Sisterlinks|wikt=|b=|q=|s=|commons=横浜市|commonscat=Yokohama|n=|v=|voy=Yokohama|d=Q38283}}<br /> ; 企業・団体<br /> * [[P&amp;O]]<br /> * [[香港上海銀行]]<br /> * [[横浜ゴム]]<br /> * [[横浜ベイキット]]<br /> * [[ベイスターズ・ベースボールアカデミー]]<br /> ; 歴史<br /> * [[横浜バプテスト神学校]]<br /> * [[横浜オデヲン座]]<br /> * [[横浜市の歴史]]<br /> * [[神奈川県の神社一覧]]<br /> * [[横浜市指定文化財および地域文化財一覧]]<br /> * [[横浜市認定歴史的建造物]]<br /> ; その他<br /> * [[ヨコハマ・みなとみらいパス]]<br /> * [[横浜オリンピック構想]]<br /> * [[横浜ドリームランド]]<br /> * [[ハマっ子]]<br /> * [[第二都市]]<br /> ; 一覧<br /> * [[:Category:横浜市]]<br /> * [[横浜市出身の人物一覧]]<br /> * [[特別:Prefixindex/横浜|横浜で始まる記事一覧]]<br /> * [[特別:Prefixindex/横浜市|横浜市で始まる記事一覧]]<br /> * [[神奈川県のシンボル一覧]]<br /> * [[神奈川県のマスコットキャラクター一覧]]<br /> * [[神奈川県中学校一覧]]<br /> * [[神奈川県のご当地ソング一覧]]<br /> * [[特別:Prefixindex/神奈川県|神奈川県で始まる記事一覧]]<br /> * [[日本の地方公共団体一覧]]<br /> * [[日本の市町村の廃置分合]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{osmrelation-inline|2689482}}<br /> * [http://www.city.yokohama.jp/ 横浜市]<br /> * {{Twitter|yokohama_koho|横浜市広報課}}<br /> * {{Twitter|yokohama_saigai|横浜市総務局危機管理室}}<br /> * {{Dmoz|Regional/Asia/Japan/Prefectures/Kanagawa/Yokohama}}{{en icon}}<br /> * {{Googlemap|Yokohama}}<br /> : {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;font-size:80%&quot;<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392355 原町田(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392450 荏田(北西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392455 荏田(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392455 川崎(北西)]<br /> |<br /> |-<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392305 原町田(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392400 荏田(南西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392405 荏田(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392500 川崎(南西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53392505 川崎(南東)]<br /> |-<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391355 座間(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391450 横浜西部(北西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391455 横浜西部(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391550 横浜東部(北西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391555 横浜東部(北東)]<br /> |-<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391305 座間(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391400 横浜西部(南西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391405 横浜西部(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391500 横浜東部(南西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53391505 横浜東部(南東)]<br /> |-<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390355 藤沢(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390450 戸塚(北西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390455 戸塚(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390550 本牧(北西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390555 本牧(北東)]<br /> |-<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390305 藤沢(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390400 戸塚(南西)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390405 戸塚(南東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=53390500 本牧(南西)]<br /> |<br /> |-<br /> |<br /> |<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=52397455 鎌倉(北東)]<br /> |[http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=52397550 横須賀(北西)]<br /> |<br /> |}<br /> {{Geographic Location<br /> |Centre = 横浜市<br /> |North = [[川崎市]]<br /> |Northeast =<br /> |East = (東京湾)<br /> |Southeast = [[横須賀市]]<br /> |South = [[鎌倉市]] [[逗子市]]<br /> |Southwest = [[藤沢市]]<br /> |West = [[大和市]]<br /> |Northwest = [[東京都]][[町田市]]<br /> |image =}}<br /> {{日本の政令指定都市}}<br /> {{神奈川県の自治体}}<br /> {{日本の都道府県庁所在地}}<br /> {{Navboxes<br /> |title=横浜市各区の町名<br /> |titlestyle=background-color:#FFE4C4<br /> |list1=<br /> {{横浜市青葉区の町名}}<br /> {{横浜市旭区の町名}}<br /> {{横浜市泉区の町名}}<br /> {{磯子区の町名}}<br /> {{神奈川区の町名}}<br /> {{金沢区の町名}}<br /> {{港南区の町名}}<br /> {{港北区の町名}}<br /> {{栄区の町名}}<br /> {{瀬谷区の町名}}<br /> {{都筑区の町名}}<br /> {{横浜市鶴見区の町名}}<br /> {{戸塚区の町名}}<br /> {{横浜市中区の町名}}<br /> {{横浜市西区の町名}}<br /> {{保土ケ谷区の町名}}<br /> {{横浜市緑区の町名}}<br /> {{横浜市南区の町名}}}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:よこはまし}}<br /> [[Category:神奈川県の市町村]]<br /> [[Category:横浜市|*]]<br /> [[Category:日本の港町]]<br /> [[Category:政令指定都市]]<br /> [[Category:都道府県庁所在地]]</div> 203.165.22.143 綾瀬市 2018-07-16T15:08:01Z <p>203.165.22.143: </p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年12月7日 (月) 06:25 (UTC)}}<br /> {{日本の市<br /> |画像 = Kanagawa prefectual road route 406 one-way traffic.jpg<br /> |画像の説明 = [[五社神社]]<br /> |市旗 = [[ファイル:Flag of Ayase, Kanagawa.svg|100px]]<br /> |市旗の説明 = 綾瀬[[市町村旗|市旗]]&lt;br /&gt;[[1952年]][[1月1日]]制定<br /> |市章 = [[ファイル:神奈川県綾瀬市市章.svg|80px|center]]<br /> |市章の説明 = 綾瀬[[市町村章|市章]]&lt;br /&gt;[[1952年]][[1月1日]]制定<br /> |自治体名 = 綾瀬市<br /> |都道府県 = 神奈川県<br /> |コード = 14218-2<br /> |隣接自治体 = [[海老名市]]、[[大和市]]、[[藤沢市]]<br /> |木 = [[カエデ|ヤマモミジ]]<br /> |花 = [[バラ]]<br /> |シンボル名 = 市民の鳥<br /> |鳥など = [[カワセミ]]<br /> |郵便番号 = 252-1192<br /> |所在地 = 綾瀬市[[早川 (綾瀬市)|早川]]550番地&lt;br /&gt;{{ウィキ座標度分秒|35|26|13.7|N|139|25|34.1|E|region:JP-14_type:adm3rd|display=inline,title}}&lt;br/&gt;[[ファイル:Ayase City Hall,(KANAGAWA Pref. Japan).jpeg|250px|center|綾瀬市役所庁舎]]<br /> |外部リンク = [http://www.city.ayase.kanagawa.jp/ 綾瀬市ホームページ]<br /> |位置画像 = {{基礎自治体位置図|14|218}}<br /> |特記事項 = [[市外局番]]:0467(市内全域)、北端は[[座間市]]境まで100m <br /> }}<br /> {{osm box|r|2689440}}<br /> &#039;&#039;&#039;綾瀬市&#039;&#039;&#039;(あやせし)は、[[神奈川県]]中部に位置する[[市]]である。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> 全域が[[相模川]]の[[河岸段丘]]にあり、丘陵の起伏は比較的穏やか。「緑と文化が薫るふれあいのまち あやせ」を市の標語に掲げている。<br /> <br /> 神奈川県内では最も新しい市で、市内の18%強が[[在日米軍]]と[[海上自衛隊]]の[[厚木海軍飛行場|厚木基地]]になっており(同基地総面積の約78%に相当&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.city.ayase.kanagawa.jp/hp/page000020100/hpg000020060.htm|title=綾瀬市ホームページ 厚木基地の概要|accessdate=2015-09-01}}&lt;/ref&gt;)、市長選では常に[[騒音]]問題が争点となる。市南部には[[東海道新幹線]]、北部には[[東名高速道路]]が通っているが、[[鉄道駅]]や[[インターチェンジ]]等の市内立ち寄り施設が設置されておらず、公共交通機関はバス路線のみである。このため市内の交通は自動車に依存しており、各所で朝夕のラッシュ時に渋滞が発生している。<br /> <br /> 近年、市内はタウンセンター計画により、市役所周辺は住宅地や飲食店等が立ち並び、2005年3月には大型商業施設、[[綾瀬タウンヒルズSC]]が開店するなど都市化の波が広がっている。また、綾瀬市と地元周辺自治体は東名高速道路に「[[綾瀬スマートインターチェンジ|綾瀬IC]]」を誘致する運動を提唱しており、神奈川県は[[スマートインターチェンジ|スマートIC]]制度を導入して事業を行う予定である。<br /> <br /> === 自然 ===<br /> ; 河川<br /> :* [[目久尻川]](市西部)<br /> :* 比留川(市中部)<br /> :* 蓼川(市東部・市南部で比留川と合流)<br /> <br /> === 隣接している自治体 ===<br /> * [[神奈川県]]<br /> ** [[海老名市]]<br /> ** [[大和市]]<br /> ** [[藤沢市]]<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] : 小園村・早川村・吉岡村・寺尾村・深谷村・蓼川村・本蓼川村・上土棚村の8村が合併し、[[高座郡]]&#039;&#039;&#039;綾瀬村&#039;&#039;&#039;が成立する。<br /> * [[1945年]]([[昭和]]20年)4月1日 : [[町制]]施行。<br /> * [[1978年]](昭和53年)[[11月1日]] : [[市制]]施行。<br /> * [[1989年]](昭和64年) : 綾瀬誕生から100年を迎える。<br /> * [[1996年]]([[平成]]8年) : 綾瀬市庁舎が現在地に移転。<br /> * [[2008年]](平成20年) : 市制施行から30周年を迎える。<br /> * [[2009年]](平成21年) : [[神奈川県警察]]綾瀬合同庁舎が開設。<br /> <br /> == 人口 ==<br /> 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増加率をみると、1.69%増の83,172人であり、増加率は神奈川県下33市町村中12位。<br /> {{人口統計|code=14218|name=綾瀬市}}<br /> <br /> == 地域 ==<br /> === 町名 ===<br /> 綾瀬市では、一部の区域で[[住居表示に関する法律]]に基づく[[住居表示]]が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。<br /> &lt;!-- 町名の順序は、綾瀬市統計書等公的資料の順序による。 --&gt;<br /> {{hidden begin<br /> |title = 現行行政町名一覧(116町丁)<br /> |titlestyle = text-align:center;<br /> |border = solid<br /> }}<br /> {|class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;width:100%; font-size:small&quot;<br /> |-<br /> !style=&quot;width:12%;|町名<br /> !style=&quot;width:12%;|町名の読み<br /> !style=&quot;width:12%;|町区域新設年月日<br /> !style=&quot;width:12%;|住居表示実施年月日<br /> !style=&quot;width:34%;|住居表示実施前の町名等<br /> !style=&quot;width:18%;|備考<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷&#039;&#039;&#039;<br /> |ふかや<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;7&quot;|ふかやなか<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大邸・字大久保・字中郷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大久保・字中郷・字本郷・字四ッ谷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字中郷・字本郷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大邸・字鶴ヶ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大邸・字中郷・字与蔵山下・字水久保・字鶴ヶ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中八丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字中郷・字本郷・字与蔵山下・字水久保<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷中九丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字廻り坂・字与蔵山下・字水久保・字鶴島、大字本蓼川字稲荷山・字新道<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;7&quot;|ふかやみなみ<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大邸・字取内・字不聞山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字大邸・字鶴ヶ岡・字取内・字不聞山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字鶴ヶ岡・字鶴島<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字鶴ヶ岡・字鶴島・字水久保、大字本蓼川字稲荷山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字鶴島・字打越<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字鶴ヶ岡・字鶴島・字不聞山・字打越<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷南七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2005年11月7日<br /> |2005年11月7日<br /> |大字深谷字鶴島・字取内・字不聞山・字打越<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;6&quot;|ふかやかみ<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字長峰・字谷頭<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字長峰・字谷頭・字山王塚<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字谷頭・字与蔵山・字本郷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字長峰・字谷頭・字中郷・字本郷・字四ッ谷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字谷頭・字本郷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;深谷上八丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字与蔵山・字与蔵山下・字本郷・字廻り坂、大字本蓼川字新道・字宮越<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;7&quot;|おちあいきた<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字取内<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字落合・字取内<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字下落合・字打越・字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字落合・字取内<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字取内<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合北七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字下落合・字打越・字不聞山・字落合・字取内<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;9&quot;|おちあいみなみ<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字長坂上・字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字長坂上<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字長坂上・字下落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字長坂上・字下落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字長坂上・字下落合・字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字下落合・字落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南八丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字下落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;落合南九丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2004年2月23日<br /> |2004年2月23日<br /> |大字深谷字下落合・字打越<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;蓼川&#039;&#039;&#039;<br /> |たてかわ<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;蓼川一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|たてかわ<br /> |1987年11月9日<br /> |1987年11月9日<br /> |大字蓼川字桜ヶ岡・字稲ノ森・字水ノ頭<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;蓼川二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1987年11月9日<br /> |1987年11月9日<br /> |大字蓼川字水ノ頭<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;蓼川三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1987年11月9日<br /> |1987年11月9日<br /> |大字蓼川字藤之森・字松ケ本・字稲ノ森・字水ノ頭<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上&#039;&#039;&#039;&lt;ref group=&quot;†&quot; name=&quot;*&quot; /&gt;<br /> |おおがみ<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|&#039;&#039;&#039;大上一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;10&quot;|おおがみ<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字深谷字桃並・字山王塚、大字大上字豊原<br /> |<br /> |-<br /> |2001年10月29日<br /> |大上1(住居表示未実施区域の全部)<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字大上字共ケ岡・字豊原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字大上字共ケ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字大上字豊原・字青原・字共ケ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字大上字青原・字共ケ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1984年2月13日<br /> |1984年2月13日<br /> |大字大上字青原・字共ケ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字出口・字柳川、大字蓼川字桜ヶ岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上八丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字出口・字柳川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;大上九丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |2007年10月1日<br /> |2007年10月1日<br /> |大字深谷字柳川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾&#039;&#039;&#039;&lt;ref group=&quot;†&quot; name=&quot;**&quot; /&gt;<br /> |てらお<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾北一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;4&quot;|てらおきた<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字大塚・字天野原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾北二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字大塚・字林<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾北三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字林<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾北四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字林・字大塚<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾台一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;4&quot;|てらおだい<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字天野原・字中尾<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾台二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字天野原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾台三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字天野原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾台四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字天野原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾中一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;4&quot;|てらおなか<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字子ノ神<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾中二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字子ノ神・字林<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾中三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字子ノ神・字林<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾中四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1980年9月30日<br /> |1980年9月30日<br /> |大字寺尾字林<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾釜田一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|てらおかまた<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字釜田<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾釜田二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字釜田<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾釜田三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字釜田・字代官<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾西一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|てらおにし<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字釜田<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾西二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字中尾、大字小園字上原・字中原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾西三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字中尾<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾本町一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|てらおほんちょう<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字釜田・字中尾・字比留川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾本町二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字子ノ神<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾本町三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字子ノ神・字比留川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾南一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;3&quot;|てらおみなみ<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字代官、大字深谷字山王塚・字長峰<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾南二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字代官・字釜田・字比留川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;寺尾南三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1982年2月1日<br /> |1982年2月1日<br /> |大字寺尾字比留川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;小園&#039;&#039;&#039;<br /> |こぞの<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;小園南一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|こぞのみなみ<br /> |1986年8月11日<br /> |1986年8月11日<br /> |大字小園字前畑<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;小園南二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1986年8月11日<br /> |1986年8月11日<br /> |大字小園字前畑<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[早川 (綾瀬市)|早川]]&#039;&#039;&#039;<br /> |はやかわ<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|&#039;&#039;&#039;[[早川城山|早川城山一丁目]]&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;7&quot;|はやかわしろやま<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|2000年8月28日<br /> |2000年8月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保・字東山<br /> |<br /> |-<br /> |2002年10月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[早川城山|早川城山二丁目]]&#039;&#039;&#039;<br /> |2000年8月28日<br /> |2000年8月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保・字清水・字東山・字天神森・字武者寄<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[早川城山|早川城山三丁目]]&#039;&#039;&#039;<br /> |2000年8月28日<br /> |2000年8月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保・字清水・字伊勢山・字武者寄・字山王原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[早川城山|早川城山四丁目]]&#039;&#039;&#039;<br /> |2000年8月28日<br /> |2000年8月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保・字上原・字山王原<br /> |<br /> |-<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|&#039;&#039;&#039;[[早川城山|早川城山五丁目]]&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;2&quot;|2000年8月28日<br /> |2000年8月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保・字上原<br /> |<br /> |-<br /> |2002年10月28日<br /> |大字早川字嫁ヶ久保<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡&#039;&#039;&#039;<br /> |よしおか<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡東一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;5&quot;|よしおかひがし<br /> |1990年11月5日<br /> |1990年11月5日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡東二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1990年11月5日<br /> |1990年11月5日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡東三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1990年11月5日<br /> |1990年11月5日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡東四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1990年11月5日<br /> |1990年11月5日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;吉岡東五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1990年11月5日<br /> |1990年11月5日<br /> |大字吉岡、大字深谷、大字早川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚北一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;5&quot;|かみつちだなきた<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字蓼川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚北二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字蓼川・字中原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚北三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字蓼川・字中原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚北四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字中原<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚北五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字中原・字並塚<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;6&quot;|かみつちだなみなみ<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山、大字深谷字長坂上・字下落合<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山・字藪根・字笹山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山・字藪根<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山・字西原・字山谷・字藪根<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚南六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1992年10月26日<br /> |1992年10月26日<br /> |大字上土棚字松山・字西原・字山谷<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;7&quot;|かみつちだななか<br /> |1996年11月25日<br /> |1996年11月25日<br /> |大字上土棚字蓼川・字中原・字中村<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1996年11月25日<br /> |1996年11月25日<br /> |大字上土棚字中村<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1996年11月25日<br /> |1996年11月25日<br /> |大字上土棚字中原・字並塚・字中村・字嵯峨<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1996年11月25日<br /> |1996年11月25日<br /> |大字上土棚字並塚・字笹山・字嵯峨<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1995年2月13日<br /> |1995年2月13日<br /> |大字上土棚字中村・字笹山・字嵯峨<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中六丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1995年2月13日<br /> |1995年2月13日<br /> |大字上土棚字中村・字笹山<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;上土棚中七丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1995年2月13日<br /> |1995年2月13日<br /> |大字上土棚字中村<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;本蓼川&#039;&#039;&#039;<br /> |ほんたてかわ<br /> |1889年4月1日<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[厚木海軍飛行場|厚木基地内]]&#039;&#039;&#039;<br /> |あつぎきちない<br /> |<br /> |未実施<br /> |<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;綾西一丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |rowspan=&quot;5&quot;|りょうせい<br /> |1975年7月1日<br /> |1975年7月1日<br /> |大字吉岡、大字早川<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;綾西二丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1975年7月1日<br /> |1975年7月1日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;綾西三丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1975年7月1日<br /> |1975年7月1日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;綾西四丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1975年7月1日<br /> |1975年7月1日<br /> |大字吉岡<br /> |<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;綾西五丁目&#039;&#039;&#039;<br /> |1975年7月1日<br /> |1975年7月1日<br /> |大字吉岡、大字早川<br /> |<br /> |-<br /> |}<br /> &lt;references group=&quot;†&quot;&gt;<br /> &lt;ref group=&quot;†&quot; name=&quot;*&quot;&gt;大上三丁目の北側に町区域が僅かに存在するが、住所としては使用されていない。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref group=&quot;†&quot; name=&quot;**&quot;&gt;寺尾北二丁目の北側に町区域が僅かに存在するが、住所としては使用されていない。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;/references&gt;<br /> {{hidden end}}<br /> <br /> === 郵便 ===<br /> &#039;&#039;&#039;郵便番号&#039;&#039;&#039;<br /> * &#039;&#039;&#039;252-11XX&#039;&#039;&#039; - [[綾瀬郵便局]]が管轄・集配を担当する。<br /> <br /> == 行政 ==<br /> === 市の行政機関 ===<br /> * [[市長]] - [[古塩政由]]([[2016年]][[7月25日]]就任、1期目)<br /> ** [[綾瀬市消防本部]]<br /> <br /> === 県の行政機関 ===<br /> * [[大和警察署 (神奈川県)|神奈川県大和警察署]]<br /> ** 綾瀬地区交番(綾瀬合同庁舎内)<br /> ** 寺尾交番<br /> ** 深谷交番<br /> ** 上土棚交番<br /> ** 相模大塚駅前交番(所在地は大和市、受け持ち区域に蓼川と大上七丁目〜九丁目を含む)<br /> * 厚木児童相談所(綾瀬市・[[秦野市]]・[[伊勢原市]]・[[厚木市]]・[[海老名市]]・[[座間市]]・[[愛甲郡]][[愛川町]]・愛甲郡[[清川村]])<br /> * 厚木土木事務所東部センター(大和市・海老名市・座間市・綾瀬市)<br /> <br /> === 広域行政機関 ===<br /> * 高座清掃施設組合(綾瀬市・海老名市・座間市) <br /> * 広域大和斎場組合(綾瀬市・大和市・海老名市・座間市) <br /> * 神奈川県県央地域県政総合センター(綾瀬市・厚木市・大和市・海老名市・座間市・愛甲郡愛川町・愛甲郡清川村)<br /> <br /> == 立法 ==<br /> === 市議会 ===<br /> {{main|綾瀬市議会}}<br /> * 定数:21名 <br /> * 任期:2011年(平成23年)4月30日〜2015年(平成27年)4月29日<br /> * 議長:出口けい子(公明党)<br /> * 副議長:比留川政彦(新政会)<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> !会派名!!議席数!!議員名(◎は代表)<br /> |-<br /> | 新政会 || style=&quot;text-align:right&quot; | 8 || ◎増田淳一郎、山田晴義、青柳愼、綱嶋洋一、笠間善晴、比留川政彦、橘川佳彦、笠間昇<br /> |-<br /> | [[公明党]] || style=&quot;text-align:right&quot; | 4 || ◎松澤堅二、出口けい子、井上賢二、内山恵子<br /> |-<br /> | [[日本共産党]]綾瀬市議団 || style=&quot;text-align:right&quot; | 2 || ◎松本春男、上田博之<br /> |-<br /> | 改革フォーラム || style=&quot;text-align:right&quot; | 2 || ◎佐竹百里、安藤多恵子<br /> |-<br /> | 無会派 || style=&quot;text-align:right&quot; | 4 || 二見昇、越川好昭、森藤紀子、武藤俊宏<br /> |-<br /> | 計 || style=&quot;text-align:right&quot; | 20 || <br /> |}<br /> <br /> 2012年7月8日に行われた綾瀬市長選挙に、議員の笠間信一郎が出馬。笠間の辞職により、現在&#039;&#039;&#039;欠員1&#039;&#039;&#039;となっている。<br /> <br /> === 神奈川県議会(綾瀬市選挙区) ===<br /> * 綾瀬市は、[[神奈川県議会]]綾瀬市選挙区に属する。<br /> * 定数:1名<br /> * 任期:2015年(平成27年)4月30日〜2019年(平成31年)4月29日<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !氏名!!会派名<br /> |-<br /> | 綱嶋洋一 || 神奈川自由クラブ<br /> |}<br /> <br /> === 衆議院 ===<br /> * 綾瀬市は、周辺の大和市、海老名市、座間市から構成される[[衆議院]][[神奈川県第13区|神奈川13区]]が選挙区となる。下記は2014年に実施された[[第47回衆議院議員総選挙]]の選挙結果である。<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:center; font-size:small;&quot;<br /> |-<br /> !style=&quot;width:100px;&quot;|候補者氏名<br /> !style=&quot;width:70px;&quot;|得票数<br /> !style=&quot;width:150px;&quot;|所属会派<br /> !style=&quot;width:70px;&quot;|当落<br /> |-<br /> |&#039;&#039;&#039;[[甘利明]]&#039;&#039;&#039;<br /> |&#039;&#039;&#039;142,201&#039;&#039;&#039;<br /> |[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]<br /> |&#039;&#039;&#039;当選&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> |伊藤優太<br /> |58,941<br /> |[[維新の党]]<br /> |<br /> |-<br /> |高久良美<br /> |34,014<br /> |[[日本共産党]]<br /> |<br /> |}<br /> <br /> === 参議院 === <br /> * 綾瀬市は[[参議院]] 南関東ブロック・神奈川選挙区に属する。<br /> * 当選挙区の参議院選挙比例代表区選出議員についての詳細は、[[神奈川県選挙区]]を参照のこと。<br /> <br /> == 経済 ==<br /> === 市内に本社を置く主な企業 ===<br /> * [[多摩川ホールディングス]]([[多摩川電子]])<br /> * 東灌工業<br /> * [[メイコー]]<br /> * 横浜乳業<br /> * エムケーチーズ<br /> * ガステック<br /> * [[油研工業]]<br /> * [[秋本食品]]<br /> * [[屏風浦工業]]<br /> * マイセット<br /> <br /> === 市内に事業所を置く主な企業 ===<br /> * [[日立オートモティブシステムズ]] 相模事業所(旧・[[トキコ]]→[[日立製作所]] オートモティブシステムグループ)<br /> * [[ジョンソンコントロールズ]](旧・池田物産)<br /> * [[キヤノン]] 綾瀬事業所<br /> * [[サントリービバレッジプロダクツ]] 神奈川綾瀬工場<br /> * [[トピー工業]] 綾瀬製造所<br /> * [[東ソー]] 東京研究所<br /> <br /> == 商業施設 ==<br /> * [[マルエツ]]<br /> * [[フードワン]]<br /> * [[ロピア]]<br /> * [[相鉄ローゼン]]国分寺台店<br /> * [[綾瀬タウンヒルズSC]]<br /> * [[フレスポ]]綾瀬<br /> * [[ライズモール]]綾瀬<br /> * [[ドン・キホーテ (企業)|MEGAドン・キホーテ]]綾瀬店<br /> <br /> === 産業 ===<br /> * [[畜産業]]<br /> ** [[養豚]] - [[高座豚]]で有名。<br /> <br /> == 姉妹都市・提携都市 ==<br /> === 国内 ===<br /> * 姉妹都市<br /> ** [[千葉県]][[柏市]](旧[[東葛飾郡]][[沼南町]]) <br /> *** [[1967年]](昭和42年)9月9日提携<br /> <br /> == 教育 ==<br /> 綾瀬市では、「綾瀬市奨学金条例」に基づく給付型奨学金制度がある。 主に、[[高等学校]]・[[専修学校]]高等課程を対象としている。<br /> === 小学校 ===<br /> :; 市立<br /> * 綾瀬小学校<br /> * 早園小学校<br /> * 落合小学校<br /> * 綾西小学校<br /> * 寺尾小学校<br /> * 綾北小学校<br /> * 天台小学校<br /> * 綾南小学校<br /> * 土棚小学校<br /> * 北の台小学校<br /> <br /> === 中学校 ===<br /> :; 市立<br /> * 綾瀬中学校<br /> * 綾北中学校<br /> * [[城山中学校]]<br /> * 北の台中学校<br /> * 春日台中学校<br /> <br /> === 高等学校 ===<br /> * [[神奈川県立綾瀬高等学校]]<br /> * [[神奈川県立綾瀬西高等学校]]<br /> * [[生蘭高等専修学校]]<br /> * [[日々輝学園高等学校]]神奈川校<br /> <br /> === 専門学校 ===<br /> * [[湘央医学技術専門学校]]<br /> * [[湘央生命科学技術専門学校]]<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 鉄道 ===<br /> [[東海道新幹線]]が通過してはいるものの、鉄道の駅はなく「鉄道が通る、駅のない市」となっている。当市以外では[[青森県]][[十和田市]]と[[福岡県]][[宮若市]]が該当する{{efn|十和田市には2012年3月31日まで、[[十和田観光電鉄]][[十和田観光電鉄線]]が営業していた。現在の市域に鉄道が通っていながら市制施行以前も含め駅が存在したことのない市としては、綾瀬市が唯一となる。}}。<br /> <br /> なお、[[相鉄本線]][[かしわ台駅]]([[海老名市]])が北端市境から約100mと至近であるほか、市北部には[[海老名駅]]、[[さがみ野駅]]、[[相模大塚駅]]が徒歩圏内の地域がある。また、[[小田急江ノ島線]][[長後駅]]([[藤沢市]])が東南部市境から約1.5kmほどの場所に位置している。<br /> <br /> 市周辺を通過する[[小田急小田原線]]には「綾瀬行き」が存在するが、これは[[相互直通運転|乗り入れ]]先の[[東京メトロ千代田線]]・[[常磐緩行線|JR常磐線]][[綾瀬駅]]([[東京都]][[足立区]][[綾瀬 (足立区)|綾瀬]]に所在)の事であり、当市とは無関係である。<br /> <br /> === 路線バス ===<br /> 市内には鉄道駅が無いため、路線バス網が発達しており、市外の駅などに向かうバス路線が多い。また、市内を循環するコミュニティバスもある。<br /> * [[神奈川中央交通]]<br /> ** [[神奈川中央交通綾瀬営業所|綾瀬営業所]]<br /> * [[相鉄バス]]<br /> ** 綾瀬営業所<br /> : 綾瀬市役所バス停からかなりの本数で[[海老名駅]]行きなどのバスが運行されている。<br /> * [[綾瀬市コミュニティバス]]「かわせみ」<br /> * 高速バス [[綾瀬バスストップ]](東名綾瀬)<br /> ** [[東名ハイウェイバス]]([[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]、[[ジェイアール東海バス|JR東海バス]])東京方面・静岡および名古屋方面行き<br /> ** [[小田急箱根高速バス]] 新宿方面・箱根桃源台方面行き<br /> ** [[レイクライナー]]([[相鉄バス]]・[[フジエクスプレス]])横浜方面・河口湖方面行き<br /> <br /> === 道路 ===<br /> 前述の通り、市内は自動車交通に依存しているため、各所で渋滞が発生している。最近では[[神奈川県道42号藤沢座間厚木線]](寺尾上土棚線)全線開通により、[[神奈川県道40号横浜厚木線]]から[[国道1号]]まで接続したため、交通量が増加傾向にある。また、[[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線]](丸子中山茅ヶ崎線)や都市計画道路(早川本蓼川線)などの朝夕のラッシュ渋滞の影響からか、生活道路を抜け道として利用する自動車が多い。<br /> <br /> 将来、綾瀬インターチェンジが設置された場合、渋滞や生活道路に流入する自動車が多くなることが懸念されているほか、寺尾上土棚線の大塚本町方面への延伸計画がある。<br /> しかし近隣住民が反対運動を行っているため着工には至っていない。<br /> 反対の理由は寺尾上土棚線の延伸によって地域が分断し、交通量の増加により住環境が悪化する事を懸念している為である。<br /> <br /> 市内に[[一般国道]]に指定されている道路はなく、[[1993年]]4月の国道改正においても指定はなかった。ただし、[[1981年]]の国道246号[[大和厚木バイパス]]開通以前は現在の綾瀬市内を通過する[[神奈川県道40号横浜厚木線]]が[[国道246号]]の一部として指定されていた。&lt;!--また、江戸以前の旧東海道もあったという説や言い伝えもある。--&gt;<br /> <br /> * [[高速自動車国道]]<br /> ** [[東名高速道路]]<br /> *** [[綾瀬バスストップ]]<br /> <br /> * [[主要地方道]]<br /> ** [[神奈川県道22号横浜伊勢原線]]<br /> ** [[神奈川県道40号横浜厚木線]]<br /> ** [[神奈川県道42号藤沢座間厚木線]]<br /> ** [[神奈川県道43号藤沢厚木線]]<br /> ** [[神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線]]<br /> <br /> * [[都道府県道|一般県道]]<br /> ** [[神奈川県道406号吉岡海老名線]]が西端市境となっている。<br /> <br /> == 文化 ==<br /> === 観光地 ===<br /> * 蓮光寺<br /> * 五社神社<br /> * 長龍寺(大橋氏累代の墓碑群)<br /> * 遠山氏累代の墓石群<br /> * 熊野社本殿<br /> * 小園子之社本殿<br /> * 蓼川神社<br /> * [[神崎遺跡]]<br /> &lt;!--<br /> === レジャー ===<br /> === 観光 ===<br /> --&gt;<br /> === 祭・イベント ===<br /> * あやせロックバンドフェスティバル<br /> * 綾瀬大納涼祭<br /> * 綾瀬ささらおどり<br /> <br /> == 出身有名人 ==<br /> * [[石井章夫]] - 元[[社会人野球]]選手([[東京ガス硬式野球部|東京ガス]])<br /> * [[石井貴]] - 元[[プロ野球選手]]([[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]])、石井章夫の弟<br /> * [[石渡真修]] - [[俳優]]<br /> * [[小畑由香里]] - [[ファッションモデル]]、[[タレント]]、[[柳沢敦]]の妻<br /> * [[香椎由宇]] - [[俳優|女優]]、[[オダギリジョー]]の妻<br /> *[[志田未来]] - [[女優]]<br /> * [[鈴木拓]](お笑いタレント、[[ドランクドラゴン]])<br /> * [[加藤祐哉]] - [[ボウリング|プロボウラー]]<br /> * [[鴨志田誉]] - [[サッカー選手]]([[栃木サッカークラブ|栃木SC]])<br /> * [[さかなクン]] - [[タレント]]、[[魚類学者]]<br /> * [[シューレスジョー (お笑い芸人)|シューレスジョー]] - [[お笑いタレント]]<br /> * [[高田栄二]] - 元サッカー選手([[川崎フロンターレ]])<br /> * [[藤井貴彦]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]<br /> * [[増田亜矢子]] - 元サッカー選手([[TEPCOマリーゼ]])<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Notelist}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> &lt;!-- 文献参照ページ --&gt;<br /> {{Reflist}}<br /> &lt;!-- <br /> == 参考文献 == --&gt;<br /> &lt;!-- 実際に参考にした文献一覧 --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Ayase, Kanagawa}}<br /> {{Multimedia|綾瀬市の画像}}<br /> {{See also|Category:綾瀬市}}<br /> * [[綾瀬 (足立区)]]([[東京都]]の地域名)<br /> * [[大和市]] - [[厚木海軍飛行場|厚木基地]]は綾瀬市と同市に広がる<br /> * [[特別:Prefixindex/綾瀬|綾瀬から始まる記事一覧]]<br /> * [[特別:Prefixindex/綾瀬市|綾瀬市から始まる記事一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{osm box|r|2689440}}<br /> *{{official website}}<br /> <br /> {{神奈川県の自治体}}<br /> {{Authority control}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:あやせし}}<br /> [[Category:神奈川県の市町村]]<br /> [[Category:高座郡]]&lt;!--綾瀬村、綾瀬町のカテゴリ--&gt;<br /> [[Category:綾瀬市|*]]</div> 203.165.22.143 独ソ戦 2018-06-30T17:09:13Z <p>203.165.22.143: 節の移動</p> <hr /> <div>{{脚注の不足|date=2013年2月}}<br /> {{Battlebox<br /> | battle_name =独ソ戦<br /> | campaign =独ソ戦<br /> | colour_scheme=background:#ffccaa<br /> | image = [[File:EasternFrontWWIIcolage.png|300px]]<br /> | caption = 上段左:ベルリン上空の[[Il-2 (航空機)|IL-2]][[シュトゥルモヴィーク]]&lt;br /&gt;上段右:[[クルスクの戦い]]での[[ティーガーI]]&lt;br /&gt;中段左:[[スターリングラード攻防戦]]時のソ連軍&lt;br /&gt;中段右:1943-1944年時の[[Ju 87 (航空機)|Ju 87 シュトゥーカ]]&lt;br /&gt;下段左:降伏文書に署名する[[ヴィルヘルム・カイテル|カイテル]][[元帥]]&lt;br /&gt;下段右:[[ユダヤ人]]女性を[[銃殺]]する[[アインザッツグルッペン|特別行動部隊]]<br /> | conflict =[[第二次世界大戦]]/[[大祖国戦争]]<br /> | date =1941年6月22日から1945年5月8日<br /> | place =[[ウクライナ]]、[[ロシア]]西部、[[ポーランド]]、ドイツ東部他<br /> | result =ソ連軍の勝利<br /> | combatant1 = &lt;div align=&quot;center&quot;&gt;{{Flagicon|DEU1935|size=45px}}&lt;br /&gt; &#039;&#039;&#039;[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> ----<br /> {{ROM1881}} (〜1944)&lt;br /&gt;{{ITA1861}} (〜1943)&lt;br /&gt;{{FIN}} (〜1944)&lt;br /&gt;{{HUN1920}}&lt;ref&gt;1944年10月18日以降は[[矢十字党]]政権の[[国民統一政府 (ハンガリー)|ハンガリー国民統一政府]]&lt;/ref&gt;&lt;br /&gt;{{SVK1939}}&lt;br /&gt;{{HRV1941}}&lt;br /&gt;{{BGR1908}}&lt;ref&gt;正式な対ソ宣戦布告は行わなかった&lt;/ref&gt; (〜1944)&lt;br /&gt;{{ESP1939}}(義勇軍を派遣)&lt;br /&gt;[[File:Französische Legion Mod1.svg|25px|border]] [[:fr:Légion des volontaires français contre le bolchevisme|フランス義勇兵]]&lt;br /&gt;[[ファイル:Naval Ensign of Russia.svg|25px|border]] [[ロシア解放軍]]<br /> | combatant2 = &lt;div align=&quot;center&quot;&gt;{{Flagicon|SSR1923|size=45px}}&lt;br /&gt;&#039;&#039;&#039;[[ソビエト連邦]]&#039;&#039;&#039;&lt;/div&gt;<br /> ----<br /> {{POL}}&lt;br /&gt;[[File:Flaga PPP.svg|25px|border]] [[ジェゴタ|ポーランド秘密国家]]&lt;br /&gt;{{YUG1918}}&lt;br /&gt;{{YUG45}} (1943~)&lt;br /&gt;{{ROM1881}} (1944~)&lt;br /&gt;{{BGR1908}} (1944~)&lt;br /&gt;{{CSK}}&lt;br /&gt;[[File:Flag of Free France (1940-1944).svg|25px|border]] [[自由フランス]](遠征軍&lt;ref&gt;[[ノルマンディ・ニーメン]]&lt;/ref&gt; を派遣)&lt;br /&gt;{{GBR}}(遠征軍&lt;ref&gt;[[:en:No. 151 Wing RAF]]&lt;/ref&gt; を派遣)<br /> | commander1 = {{Flagicon|DEU1935}} &#039;&#039;&#039;[[アドルフ・ヒトラー]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[エルンスト・ブッシュ (軍人)|エルンスト・ブッシュ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ハインツ・グデーリアン]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[エヴァルト・フォン・クライスト (軍人)|エヴァルト・フォン・クライスト]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ギュンター・フォン・クルーゲ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ゲオルク・フォン・キュヒラー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ヴィルヘルム・フォン・レープ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ヴィルヘルム・リスト]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ヴァルター・モーデル]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[フリードリヒ・パウルス]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ゲルト・フォン・ルントシュテット]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[フェルディナント・シェルナー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[エアハルト・ラウス]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|DEU1935}} [[ヴァルター・フォン・ライヒェナウ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[イオン・アントネスク]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[イリエ・シュテフレア]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[ペトレ・ドゥミトレスク]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[ミハイ・ラスカル]]&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[ラドゥ・コルーネ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ITA1861}} [[ベニート・ムッソリーニ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ITA1861}} [[ジョヴァンニ・メッセ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ITA1861}} [[イータロ・ガリボルディ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|FIN}} [[リスト・リュティ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|FIN}} [[レンナルト・オシュ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|FIN}} [[カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|HUN1918}} [[ホルティ・ミクローシュ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|HUN1918}} [[サーラシ・フェレンツ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SVK1939}} [[ヨゼフ・ティソ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|HRV1941}} [[アンテ・パヴェリッチ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|BGR1908}} [[ドブリ・ボジロフ]]<br /> | commander2 = {{Flagicon|SSR1923}} &#039;&#039;&#039;[[ヨシフ・スターリン]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[アレクセイ・アントーノフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[イワン・コーネフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[ロディオン・マリノフスキー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[イワン・バグラミャン]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[レオニード・ゴヴォロフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[ミハイル・キルポノス]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[キリル・メレツコフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[イワン・ペトロフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[アレクサンドル・ロジムツェフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[コンスタンチン・ロコソフスキー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[パーヴェル・ロトミストロフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[ワシーリー・ソコロフスキー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[セミョーン・チモシェンコ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[フョードル・トルブーヒン]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[アレクサンドル・ヴァシレフスキー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[ニコライ・ヴァトゥーチン]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[クリメント・ヴォロシーロフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[アンドレイ・エリョーメンコ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[マトヴェイ・ザハロフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|SSR1923}} [[ゲオルギー・ジューコフ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|POL}} [[エドヴァルト・オスプカ=モラフスキ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|POL}} [[ズィグムント・ベルリンク]]&lt;br /&gt;[[File:Flaga PPP.svg|25px|border]] [[タデウシュ・コモロフスキ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|YUG1945}} [[ヨシップ・ブロズ・チトー]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|ROM1881}} [[コンスタンチン・サナテスク]] (1944)&lt;br /&gt;{{Flagicon|TCH}} [[ルドヴィーク・スヴォボダ]]&lt;br /&gt;{{Flagicon|BGR1908}} [[キモン・ゲオルギエフ]] (1944)<br /> | strength1 =&#039;&#039;&#039;1941年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;400万&lt;br/&gt;&#039;&#039;&#039;1942年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;269万7000&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1943年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;348万3000&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1944年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;252万2000人&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1945年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;196万&lt;br/&gt;<br /> | strength2 =&#039;&#039;&#039;1941年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;268万&lt;br/&gt;&#039;&#039;&#039;1942年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;531万3000&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1943年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;670万&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1944年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;640万&lt;br/&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1945年&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;640万&lt;br/&gt;<br /> | casualties1=犠牲者 1075万8000人&lt;br /&gt;(諸説あり)<br /> | casualties2=犠牲者 1470万人&lt;br /&gt;(諸説あり)<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;独ソ戦&#039;&#039;&#039;(どくソせん)([[英語]]Eastern Front(World War II)) は、[[第二次世界大戦]]中の[[1941年]]から[[1945年]]にかけて[[ドイツ]]を中心とする[[枢軸国|枢軸各国]]と[[ソビエト連邦]]との間で戦われた[[戦争]]を指す。<br /> <br /> 大戦の当初は[[ポーランド侵攻|ポーランドを共に占領]]していたドイツとソビエト連邦であったが、1941年6月22日に突如[[ドイツ国防軍]]がソ連に侵入し、戦争状態となった。当時のソ連は国民を鼓舞するため、[[ナポレオン・ボナパルト]]に勝利した[[1812年ロシア戦役|祖国戦争]]に擬えて&#039;&#039;&#039;[[大祖国戦争]]&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;{{lang|ru|Великая Отечественная война}}&#039;&#039;&#039;)と呼称。一方、ドイツ側では主に&#039;&#039;&#039;[[東部戦線]]&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;{{lang|de|der Ostfeldzug}}&#039;&#039;&#039;)と表現される。<br /> <br /> [[アドルフ・ヒトラー]]は、ソ連との戦争を「イデオロギーの戦争」「絶滅戦争」と位置づけ、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]とは別の戦争であると認識していた{{sfn|イアン・カーショー|1999|pp=194、214}}。<br /> <br /> [[1941年]][[6月22日]]3時15分、ドイツ軍は作戦名「[[バルバロッサ作戦|バルバロッサ]]」の下にソ連を奇襲攻撃した。ヨーロッパにおけるドイツ占領地からは反共主義者の志願者や、武装親衛隊によって徴発された人々がドイツ軍に加わった。<br /> <br /> 開戦当初、ソ連軍が大敗を喫したこともあり歴史的に反ソ感情が強かった[[バルト三国|バルト]]地方や、過酷な共産党の政策から[[ウクライナ]]の住民は、ドイツ軍を当初「共産主義ロシアの圧制からの解放軍」と歓迎し、ドイツ軍に志願したり共産主義者を引き渡すなど自ら進んでドイツ軍の支配に協力する住民も現れた。また反共主義者は[[ロシア国民解放軍]]や[[ロシア解放軍]]として共産主義者と戦った。しかし、[[スラブ人]]を劣等民族と認識していたヒトラーは、彼らの独立を認める考えはなく、こうした動きをほとんど利用しようとしなかった。[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]や{{仮リンク|東部占領地域省|de|Reichsministerium für die besetzten Ostgebiete}}はドイツ系民族を占領地に移住させて植民地にしようと計画し、一部実行された。<br /> <br /> この戦いにおいて、特にソ連側の死者は大規模である。なお、独ソ戦の犠牲者(戦死、戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が1075万人である。民間人の死者をいれるとソ連は2000〜3000万人が死亡し、ドイツは約600〜1000万人である。ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多いと言われている。両国の捕虜・民間人に対する扱いも苛酷を極め、占領地の住民や捕虜は強制労働に従事させられるなど極めて厳しい扱いを受けた。ドイツが戦争初期に捕らえたソ連兵の捕虜500万人はほとんど死亡している({{仮リンク|第二次世界大戦におけるドイツによる外国人強制労働|en|Forced labour under German rule during World War II}})。またドイツ兵捕虜300万人の多くはそのままソ連によって強制労働に従事させられ、およそ100万人が死亡した({{仮リンク|ソビエト連邦におけるドイツ人強制労働|en|Forced labor of Germans in the Soviet Union}})。<br /> <br /> 開戦から1943年7月の[[クルスクの戦い]]までは主にドイツ軍の攻勢とソビエト軍の防御という展開であったが、クルスクの戦いの後は攻守が逆転し、東欧からドイツ東部にいたる地域がソビエトの占領地域となり、1945年5月8日に[[国防軍最高司令部 (ドイツ)|ドイツ国防軍最高司令部]]総長[[ヴィルヘルム・カイテル]]元帥がベルリンで[[無条件降伏]]文書の批准手続きを行ったことにより、戦争は終結した。<br /> <br /> == 経過 ==<br /> === 開戦までの両国の関係 ===<br /> {{see also|独ソ不可侵条約}}<br /> [[第一次世界大戦]]後、世界の孤児であったドイツとソ連は1922年、[[ラパッロ条約 (1922年)|ラパッロ条約]]により国交を回復させた。当時のドイツは[[ヴェルサイユ条約]]により、過大な賠償金負担に苦しみ、軍備は10万人に制限されていた。経済も世界的に不況で、ドイツには資源が乏しかった。一方、ソ連も共産主義国家として孤立し、[[シベリア出兵]]など列強各国政府から軍事干渉を受けた。ドイツには資源と場所が皆無だった。ソ連は資源と場所は恵まれていたが、技術が乏しかった。互いに世界から孤立していたが為に利害が一致し、ドイツとソ連は手を結んでしばし蜜月の時を刻む。<br /> <br /> 1933年にヒトラーが政権を握った。ヒトラーをはじめとするナチ党([[国家社会主義ドイツ労働者党]])は反共を唱えており、ソ連はナチスを「[[ファシズム|ファシスト]]」と呼んで批判していた。双方の独裁者はお互いを「人類の敵」、「悪魔」などと罵り合った一方、互いの利害のために利用することもあった。[[スペイン内戦]]では、代理戦争という形で両国は対決した。また、[[赤軍大粛清]]の一因に、[[SD (ナチス)|SD(親衛隊情報部)]]長官[[ラインハルト・ハイドリヒ|ハイドリヒ]]の謀略があったともされる。<br /> <br /> その後、一方の[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]は、イギリスのドイツに対する[[宥和政策]]をみてイギリスとドイツが対ソ包囲網を結んでいるのではないかとの懸念から、また、他方のヒトラーは[[二正面作戦]]を避けることを目論んで、1939年8月に[[独ソ不可侵条約]]を結ぶこととなる。<br /> <br /> この間にソ連は、ドイツに対して[[ヴェルサイユ条約]]が禁止する航空機・戦車部隊の技術提携、バルト海沿岸の港の使用や[[バトル・オブ・ブリテン|イギリス空爆]]のためのレーダー技術の提供などを行い、更にソ連に亡命してきたドイツの共産主義者を強制送還までさせてヒトラーに便宜を図っていた。またソ連から資源がドイツへ輸出されており、戦争開始数時間前まで鉄道による輸送が続いていた。ドイツの[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]外相はソ連とより強力な連携を取るべきと考え、日独伊にソ連を加えた四国同盟を構想していた。<br /> <br /> しかしヒトラーは[[バトル・オブ・ブリテン]]の失敗によって戦争の前途に行き詰まりを感じており、「ソ連が粉砕されれば、英国の最後の望みも打破される」とし{{sfn|児島襄|第三巻|pp=333-336p}}、さらに東方生存圏の獲得のためソ連侵攻を考えるようになった。1940年7月中旬には「ヨーロッパ大陸最後の戦争」である独ソ戦開始の意思を国防軍首脳に告げ{{sfn|芝健介|1995|pp=68}}、侵攻計画の策定を命令した{{sfn|ヨースト・デュルファー|2010|pp=86}}。この後も表面上両国関係は穏やかであったが、ソ連からの物資が滞りなく流入していたにもかかわらず、ドイツの支払いは不自然なほどに引き延ばされたり、工作機械のソ連への引き渡しが当局によって妨害されたりもした{{sfn|ジョン・トーランド|1990年|pp=370-371}}{{sfn|ジョン・トーランド|1990年|pp=405}}。<br /> <br /> 一方でソ連は軍備増強も行っていた。開戦前夜の1941年の3月から4月にかけ、機械化歩兵師団20個師団を編成し、暗号系統を変更した。ドイツ国防軍情報部はこれを開戦準備と受け止めている。また、欧米でも比類のない大規模な航空機工場が存在しており、練度の面でも高いものがあるとドイツ空軍技術視察団は報告している。ヒトラーは後に、「この報告が最終的にソ連即時攻撃を決心させる要因になった。」と述懐している&lt;ref&gt;「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」[[児島襄]]([[文藝春秋]]社)ISBN 978-4167141387&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1940年12月、ヒトラーは対ソ侵攻作戦[[バルバロッサ作戦]]の作戦準備を正式に指令した{{sfn|谷喬夫|2007|pp=676}}。ソ連にはドイツの戦争準備を告げる情報が、イギリス政府や軍の情報部などから様々な形で集まった。しかし、スターリンを始めとするソ連上層部は、これらの情報を欺瞞情報であるとして退けた。ドイツ軍への挑発につながるため、独ソ国境での防衛準備も目立って行われなかった。<br /> <br /> === 1941年 ===<br /> [[File:Eastern Front 1941-06 to 1941-12.png|thumb|250px|1941年6月から12月にかけての戦線]]<br /> 6月22日、[[バルバロッサ作戦]]の発動によりドイツ・ソ連国境で一斉にドイツ軍の侵攻が開始された。当初は5月の侵攻を予定していたが、ユーゴスラビアで発生した政変により作戦の開始が一ヶ月以上延ばされることになった。開戦直前、ヒトラーは赤軍に配属された[[政治委員]]の即時処刑を命令し([[コミッサール指令]])、「イデオロギー戦」としての性格を認識するよう軍指導部に伝えている{{sfn|イアン・カーショー|1999|pp=194}}。<br /> <br /> 開戦当初は奇襲により各戦線でほぼドイツ軍がソ連赤軍を圧倒し、[[北方軍集団]]では[[レニングラード包囲戦|レニングラードを包囲]]、中央軍集団は開戦1ヶ月で[[スモレンスク]]を占領する快進撃を続けた。赤軍は各地で分断され、多くの部隊が投降・捕虜となった。また、ソ連赤軍の航空部隊は独ソ戦勃発時には、はるかに時代遅れでありドイツ軍の爆撃により壊滅し、制空権はドイツ軍が掌握することに成功した。しかし南方軍集団は、投入兵力の割りに作戦地域が広大であったため、進撃が遅れ気味であった。これは、近年では開戦前ドイツに対し先制攻撃を考えていたソ連赤軍が南部に兵力を集中させていたからという説がある([[バルバロッサ作戦#奇襲成功の要因]]の項を参照)。しかしドイツ側の損害も甚大であり、1週間で1939年から1940年6月までのドイツ軍死傷者数を上回ることもあった{{sfn|児島襄|第4巻|pp=110}}。<br /> <br /> その為、8月には[[スモレンスク]]を陥落させた中央軍集団の主力部隊の矛先を南部に向け、南方軍集団を支援することによりウクライナ地方に展開していた数十万のソ連赤軍部隊は壊滅し、[[キエフ]]、[[ハリコフ]]などが陥落した。この支援により中央軍集団の首都[[モスクワ]]への進撃は約1ヵ月遅延した後、9月に[[モスクワの戦い|モスクワ攻略(タイフーン作戦)]]に乗り出す。<br /> <br /> ドイツ軍は[[クレムリン]]まであと十数キロのところまで迫ったが、例年より早い冬によって発生した泥濘と降雪が進撃の足を止め、赤軍も猛抵抗したことによりドイツ軍の攻勢は頓挫した。短期決戦を想定していたドイツの目論見は外れ持久戦の様相を呈することになる。電撃戦を続けてきたドイツ軍にとっては初めてのケースであった。補給路が延び切った上、冬季装備の前線部隊への配送が滞ったドイツ軍は各地で進撃の停止を余儀なくされた。<br /> <br /> その頃、ソ連側は[[リヒャルト・ゾルゲ]]など日本の勢力圏で活動する諜報員からもたらされた情報によって、[[日本軍]]が参戦する可能性は無いと確信し、10月以降、満州やシベリア地区の精鋭部隊を[[モスクワ]]周辺に投入した。11月にはモンゴルの騎兵師団が戦線に投入されたが、この騎兵部隊は戦況にほとんど影響を与えることなく壊滅した。国際面から言えば、アメリカの[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領がソ連に対する武器・物資援助([[レンドリース法]]適用)に踏み切ったのは1941年11月7日、モスクワ市が陥落の危機を脱したと確認された時点である。このことは「モスクワを後回し」にしたことの誤りの一つとされる。&lt;ref&gt;歴史群像シリーズ43 アドルフ・ヒトラー 戦略編 P.93&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ドイツ軍の損害はすでに投入兵力の35%、100万人におよび、この年だけで戦死者は20万人に達していた{{sfn|芝健介|1995|pp=104}}。国防軍の指導部はモスクワ前面からの撤退を唱えるようになったが、ヒトラーの厳命によって戦線は維持された{{sfn|イアン・カーショー|1999|pp=218}}。ヒトラーは陸軍総司令官[[ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ]]ら多くの将軍を更迭し、自ら陸軍総司令官に就任することで、さらに独ソ戦の戦争指導に容喙することとなった{{sfn|イアン・カーショー|1999|pp=200}}。ソ連側は12月初旬から冬季大反攻を開始し、ドイツ軍をモスクワ近郊から後退させる事に成功した。ヒトラーの死守命令によって撤退できないドイツ軍による必死の抵抗と自軍の稚拙な作戦によりソ連赤軍は各個撃破され攻勢は失敗し、ドイツ軍は辛うじて戦線崩壊を回避した。<br /> <br /> ソ連側は[[焦土作戦]]によりドイツ軍の現地調達の手段を奪い、更にドイツが占領した地域の住民に対し[[赤軍パルチザン|パルチザン]]を組織させ、後方撹乱によりドイツ軍の補給を妨害した。また、軍事的に重要な工場や労働者を貨物列車によりドイツの手の届かない内陸部にまで[[疎開]]させた。このことにより一時的に生産力は低下することとなったが、やがてこの安全な地から大量の戦車が生み出されることになる。<br /> <br /> === 1942年 ===<br /> [[File:Eastern Front 1942-05 to 1942-11.png|thumb|250px|1942年5月から1942年11月にかけての戦線]]<br /> [[File:Bundesarchiv Bild 101I-218-0501-27, Russland-Süd, rumänische Soldaten.jpg|thumb|250px|スターリングラードでのルーマニアの兵士]]<br /> ドイツ軍の損害を過大に評価したスターリンは、1942年を「ヒトラー・ドイツの崩壊の年、赤軍の勝利の年に」と叫び、赤軍参謀本部の反対を押し切って「全戦線での総反撃」を命じた。しかし、いまだ強力な戦力を保持したドイツ軍及びその同盟軍を打ち破るには、赤軍の戦力は質的にも量的にもまだ十分でなく、春先には総反撃は頓挫して戦線は膠着した。しかし、赤軍はドイツ軍を後退させたことにより、失いかけていた自信を回復することができ、ドイツ陸軍の無敵の神話は破られたのである&lt;ref&gt;『ライフ 独ソの激闘』、P.188-191&lt;/ref&gt;。このような状況の中でスターリンは前年の経験から「ドイツ軍は、決着をつけるために一気に首都モスクワ侵攻を狙うに違いない」と思い込み、モスクワ西部及び南面での防備の強化と、予想されるモスクワ進撃作戦を牽制し、事前にドイツ軍戦力を撃破するための反撃をハリコフ方面で開始するよう命令した([[第二次ハリコフ攻防戦]])。しかし、ドイツ軍の今度の主攻勢方面は全く逆のソ連南部を目指すものだった。<br /> <br /> 前年の作戦により、ドイツの地上戦力の限界が露見した。生産力の上限から広大な戦線での損害を埋めることも、補給することも困難な状況であることが明確になったのだ。1942年のドイツ軍夏季攻勢は限られた戦力によるものとなり、成功すれば効果的ではあるが非常に危険を伴う作戦であった。こうして純軍事的目的ではなく、ヒトラーの言う戦争経済の元に計画が建てられた。6月28日、南部戦線にて、[[ヴォルガ川]]への到達とコーカサス地方の[[石油]]資源獲得を目的とした[[ブラウ作戦]]が発動される。作戦開始当初は快進撃が続き、7月23日にはヒトラーが「(ブラウ作戦の目標は)大部分が達成された」と明言するほどであった{{sfn|芝健介|1995|pp=116}}。しかし赤軍の撤退速度は早く、前年にあったような包囲殲滅がされることもなければ、重火器の放棄もない、赤軍の兵・装備上の損害が伴わないものであった。7月28日、スターリンは「[[ソ連国防人民委員令第227号]]」を発し、全戦線における抵抗を命じた{{sfn|芝健介|1995|pp=117-118}}。&lt;!--ドイツ軍のコーカサスへの攻勢は頓挫し、油田地帯を獲得することはできなかった。--&gt;[[コーカサス]]の油田地帯に向かったドイツのA軍集団は油田のある[[マイコープ|マイコプ]]を占領したが、油田はすでにソ連軍により火をつけられていた。次にA軍集団は油田のある東の[[グロズヌイ]]に向かったが、進軍するにつれて補給路が伸び、燃料不足とソ連軍の抵抗により進軍は停止した&lt;ref&gt;『ライフ ソ連軍の大反攻』、P.117, P.192&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> &lt;!--また[[B軍集団]]は[[ヴォルガ川]]の要衝の地[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]を攻略しようとしていたが、市街戦での消耗戦に陥る。冬季が訪れた11月には、ソ連軍の反撃により枢軸軍33万人がスターリングラードに包囲されてしまった([[スターリングラード攻防戦]])。ヒトラーはあくまで空輸を通じて徹底抗戦を命じるが、空軍の威信をかけて行われた補給事業は失敗し、被包囲軍の衰弱と、空軍総司令官[[ヘルマン・ゲーリング]]の権威失墜を招いた。{{-}} --&gt;<br /> スターリングラードに向かったドイツのB軍集団は市の大部分を制圧したもののソ連軍の頑強な抵抗により冬が到来しても市街戦を続けていた([[スターリングラード攻防戦]])。このような中で、ソ連は極秘のうちに大規模な[[ウラヌス作戦|反攻作戦]]の準備を進めていた。反攻作戦は11月19日に開始され、スターリングラードのドイツ軍は補給路を切断されて包囲されることになった。空軍総司令官で[[国家元帥]]の[[ヘルマン・ゲーリング|ゲーリング]]が空軍による空からの補給を約束したこともあり、ヒトラーはスターリングラードのドイツ軍の包囲突破による退却を許可せず、防御陣地を構築して戦うよう命じた。しかし、空軍による物資補給は必要量を届けることができず、包囲されたドイツ軍は日ごとに衰耗していった。ドイツ軍は包囲網の外から陸路での[[冬の嵐作戦|救出作戦]]も行ったが、救出軍はソ連軍の包囲網を突破することができなかった&lt;ref&gt;『ライフ ソ連軍の大反攻』、P.181-184&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 1943年 ===<br /> [[File:Eastern Front 1942-11 to 1943-03.png|thumb|250px|1942年11月から1943年3月にかけての戦線]]<br /> [[File:Eastern Front 1943-02 to 1943-08.png|thumb|250px|1943年2月から8月にかけての戦線]]<br /> [[File:Marasesti1918-1944.jpg|thumb|left|ルーマニア王国海軍 駆逐艦 [[マラシェシュティ (フリゲート)#第二次世界大戦 カウンターパート|マラシェシュティ]]]]<br /> <br /> 1943年1月後半、[[スターリングラード]]で包囲されていた約10万人の枢軸軍は、[[第6軍 (ドイツ軍)|第6軍]]司令官[[フリードリヒ・パウルス|パウルス]][[元帥 (ドイツ)|元帥]]の決断により投降し捕虜となった。一方、[[コーカサス]]で進軍が止まっていたA軍集団もこの方面でソ連軍が大規模な反攻を開始したために退路を断たれる危険が迫ったが、こちらはヒトラーに撤退を認められ、2月に包囲網が完成する前にかろうじて撤退に成功した&lt;ref&gt;『ライフ ソ連軍の大反攻』、P.193&lt;/ref&gt;。この結果、ブラウ作戦の目標はどれも達成させず、ドイツは膨大な兵員と資材を失っただけであった。ブラウ作戦の失敗、とりわけスターリングラード攻防戦の敗北は対ソビエト戦における決定的な勝利の可能性を失しただけでなく、同盟国に与えた影響が大きかった。なによりも人的資源の余裕のないドイツにとってこの敗北の影響は大きく、予備兵力の殆どを投入せざるを得なくなる。<br /> <br /> 一方でスターリングラードの勝利は、ソ連軍にとって勝利への自信を持たせるに至った。ソ連の将軍である[[ゲオルギー・ジューコフ]]は、「やはりドイツ軍も無敵ではないのだ。我々もドイツ軍を破りうるのだ。この確信を持てたことが決定的に重要であった。スターリングラード後も、ソ連にいるドイツ軍は強大であり、これを撃退できるかどうか予測はできなかった。が、我々でもドイツ軍を撃破できるとの確信を持てたこと。その効果こそが、限りなく大きかった。」と、スターリングラードの勝利を評価している&lt;ref&gt;大東亜戦争ここに甦る P.88&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ドイツ軍ではブラウ作戦と、スターリングラードにおける血みどろの市街地戦の戦訓により、様々な戦闘車両が生み出される事となった。主力戦車の交代([[III号戦車]]→[[V号戦車パンター]])、自走砲の出現、[[ブルムベア]]のような市街地戦闘を想定した大口径の突撃砲。これらの複数の戦闘車両は一部の旧式車両の車台を流用する場合を除き、戦闘車両生産をますます混乱させることとなった。<br /> <br /> 1943年夏季攻勢においてドイツ軍内部では積極的に攻勢に出るか、防衛の後攻勢に出るかで意見が分かれたが、ヒトラーが主張した積極攻勢が実施され中央軍集団と南方軍集団の間にできたクルスク突出部を南北から挟撃する作戦が実行された([[クルスクの戦い]])。諜報活動に基づき十分に事前準備された針鼠のごとく巡らされたソ連赤軍の対戦車陣地に進撃をはばまれ、ドイツ軍は多大の出血を強いられた。<br /> <br /> 時を同じくして[[シチリア]]への[[ハスキー作戦|連合軍上陸]]の報に作戦は決戦を待たずして中止される。以後、ドイツ軍は完全に東部戦線の主導権を失い、秋以降、圧倒的な物量を武器にしたソ連赤軍の冬季攻勢の猛攻に敗走を続けることとなる。これにより戦線は、ドニエプル河を越えて、西へ移動しウクライナ地方の大部分はソ連赤軍に奪回された。{{-}}<br /> <br /> === 1944年 ===<br /> [[File:Eastern Front 1943-08 to 1944-12.png|thumb|250px|1943年8月から1944年12月にかけての戦線]]<br /> ドイツがソ連に侵攻を開始してからちょうど3年目の6月22日に、赤軍は一大攻勢である[[バグラチオン作戦]]を発動した。ドイツ軍は当初攻勢は南部戦線と予測しており、赤軍の欺瞞作戦の効果もあって対応が後手に回ることになった。赤軍は、かつてのドイツ軍が得意としていた陸空一体の[[電撃戦]]を展開。圧倒的な物量・戦力差とヒトラーの厳命により撤退すら出来ない部隊はもはや機動戦すら出来ず個別に撃破されるという、開戦時と立場が逆転したのではないかというような状況となり、ドイツ[[中央軍集団]]は事実上壊滅することになる。<br /> <br /> この作戦の結果、ドイツ軍はロシア全域から駆逐され、開戦前の国境線まで後退することになった。この段階で東部戦線の継続はほぼ不可能となり、以後絶望的な戦いを余儀なくされる。<br /> <br /> 南部では[[ヤッシー=キシニョフ攻勢]]の影響によりルーマニアでクーデターが発生し枢軸を離反、逆にドイツに宣戦を布告した。9月には、[[ブルガリア]]と[[フィンランド]]も枢軸側より離脱した。一方ハンガリーは、ドイツ軍主導の[[パンツァーファウスト作戦]]の工作により枢軸側に留まった。{{-}}<br /> <br /> === 1945年 ===<br /> {{see also|欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)}}<br /> [[File:Eastern Front 1945-01 to 1945-05.png|thumb|250px|1945年1月から5月にかけての戦線]]<br /> 1月からはソ連軍が[[ヴィスワ=オーデル攻勢]]を行い、2月2日にはベルリンまで70kmにせまった。2月14日、ハンガリーの首都[[ブダペスト]]が陥落し、ハンガリーのほぼ全土がソ連赤軍の支配下となった。ドイツ軍はハンガリーの油田奪回を目指して最後の攻勢[[春の目覚め作戦]]を行うが、圧倒的な戦力差により惨敗を喫する。<br /> <br /> 4月16日、[[ゲオルギー・ジューコフ|ジューコフ]]元帥の[[ベルリンの戦い|ベルリン総攻撃]]が開始される。4月30日、[[アドルフ・ヒトラーの死|ヒトラーが自殺]]。5月2日、ベルリンは陥落した。後継大統領に指名された[[カール・デーニッツ]]元帥の[[フレンスブルク政府]]は降伏を決断し、5月7日にフランスの[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で降伏文書の調印が行われ、5月8日午後11時1分に休戦が発効する事になった。<br /> <br /> 5月8日午後11時からはベルリン市内のカールスホルストで降伏文書の批准式が行われ、連合軍代表[[ゲオルギー・ジューコフ]]元帥と[[アーサー・テッダー]]元帥、ドイツ国防軍代表[[ヴィルヘルム・カイテル]]陸軍元帥が降伏文書に批准した(調印時間はベルリン時間で5月9日0時15分、ロンドン時間で5月8日23時15分、モスクワ時間で5月9日2時15分)&lt;ref&gt;井上(2006:242)&lt;/ref&gt;。しかし、独ソ戦すべての戦闘が終結したのは[[プラハの戦い (第二次世界大戦)|プラハの戦い]]が終結する5月11日のことだった。{{-}}<br /> <br /> == 戦場としてのソビエト・東部戦線 ==<br /> [[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1975-099-15A, Russland, Kosaken in der Wehrmacht.jpg|thumb|250px|ソビエトと戦うためドイツ陣営に加わる[[コサック]](1942年)]]<br /> ナチス・ドイツ軍がそれまでに行った戦いは鉄道網、道路網が整備された限定的な地域であり、目的地までの距離は比較的短かった。このことは、ドイツ軍が編み出した[[電撃戦]]という戦術を行うことにおいて有利に働いた。進軍・補給ともに計画もしくはそれ以上の結果を残したため電撃戦の効果を十二分に発揮できたのだ。電撃戦によって自軍の損害を小規模にとどめ、短期間に他国を蹂躙・占領し戦闘で消耗した兵器・兵士は修理・補充・休養を取り、資源を搾取する。このことは資源を持たないドイツにとって重要なことであった。戦争前からの経過を見ればわかることであるが、ドイツは他の方面の防衛は最小限とし攻勢の前面にほぼ全力を投入する戦闘を続けており(この命題は戦争をする者にとって最大かつ最重要なことであり正しいことである)、電撃戦の失敗による長期持久戦化はドイツにとって危険となる[[二正面作戦]]を生み出すことになるはずである。<br /> <br /> 独ソ戦の開戦時、機甲師団の能力・電撃戦の限界については未知数だったといってよい。なぜならば対ソビエトの戦闘においての進撃すべき距離は、これまでの戦闘とは比較にならない距離だったからである。<br /> これまでの戦いとは異なり、本国とはるか離れた広大な領土を持つソビエトにおける戦いは電撃戦による短期決戦が可能かどうかという点については意見が分かれるところであった。電撃戦に必要なものは一にも二にも速度であり、これには補給と飛行場の確保が不可欠である。だが、ロシアの大地は電撃戦をしかけるにはあまりに広大であった。インフラストラクチャーは未整備、冬季は厳寒。攻撃する側は必要以上に十分な装備を持ち得ていなければならない非常に危険な大地だった。<br /> <br /> 広大な土地に対しての情報は不足し、道路の情報はほぼ間違いであるといって過言ではなかった。ほとんどの道路は未舗装であり、そのことが後に進軍を阻む泥濘と化すことを知らなかったのではないかといえるほど、ドイツ軍の準備はなされていなかったといえる。輸送に関し、いまだに無数の荷馬車に依存していたドイツ軍はロシアのぬかるんだ地面では嫌になるくらい進軍がはかどらなかった&lt;ref&gt;「Engineers of Victory」Paul Kennedy&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> これまでにも機甲師団の進軍においての故障率は対オーストリアへの進駐の段階ですら看過できない状態であり、戦闘期間が長引けばそれは機甲師団を軸に戦争の計画を立てている者にとっては恐るべき結果が待っていたといっても過言ではない。部隊の数を増やすことなどままならず、維持することすら多くの努力をもってなされていた状態であった。<br /> <br /> ドイツの戦車は、ドイツ気質を体現するように最善を求めて作り上げた精密機械であった。電撃戦による短期決戦には対応できるが、長期持久戦を維持するには膨大な人的資源を必要とした。ロシアの冬は精密機械であるドイツ戦車を使用不能にするほど過酷な大地であった。驚くべきことに、ドイツはその気質を体現するかのように整備・回収の能力を保持していたといえるだろう。だがロシアの大地は苛酷であり、あらゆるものが故障し、放棄される運命にあった。そして補給の混乱がそれに輪をかけたのである。必要な部品は届けられず、他の兵器を活用するために部品を抜かれる兵器も多かった。<br /> <br /> ドイツ軍のそれまでの対戦国はドイツと[[イギリス|同等]]もしくは[[フランス|劣勢]]であると考えられる国々であったのに対し、ソビエトは資源・生産力・人口においてドイツを圧倒していた。戦争が長引けば、国力の差がドイツを日々圧倒してくることは間違いなく、それはドイツ軍の敗北を意味していた。すでに同等以上の国力を誇っている英米連合国との戦争をしている状況において、西部戦線・北アフリカ戦線に加えて東部戦線という三つの戦線を維持し続けることはドイツにとって過大な負担となることは明白であった。<br /> <br /> このような状況・段階にもかかわらずヒトラーのソビエトに対する認識はあくまでも過小評価であり、バルバロッサ開始時だけでなくブラウ開始後においても、ソビエト赤軍の戦力の低下を認識し、それを参謀本部にも確認する状況であった。確かにソビエト赤軍の[[冬戦争|対フィンランド戦]]での戦力比に対しての戦闘の状況、その元となる赤軍の総合的な戦力の低下はまぬがれなかった。まして独ソ戦初期における損害は膨大であり戦力の低下は間違いなかった。だが、赤軍の予備兵力はドイツ軍が想定するよりもはるかに膨大であった。もし勝利を得られることがあるとすれば、圧倒的な電撃戦による勝利か、開戦1年目のような捕虜・軍事物資の放棄が常に続くような状況でない限り勝利は遠かったのだ。<br /> <br /> このようなドイツに対して、ソビエトは全力をあげて赤軍の組織を再編しドイツ軍に対抗した。<br /> <br /> [[File:Bundesarchiv Bild 101III-Zschaeckel-206-35, Schlacht um Kursk, Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|史上最大の戦車戦となった[[クルスクの戦い]]]]<br /> 陸・海・空という総合的な戦力が問われるわけではない独ソ戦において、ソ連赤軍には革新的ともいえる[[T-34]]という戦車の存在があったことは特筆すべきであろう。敵の砲弾を弾く効果的な形状を持ち、その形状にそった小さな砲塔には敵戦車に対しては必要十分な砲を持つという、対戦車戦において絶対的に優位な、今日における主力戦車の概念を与えうる戦車の歴史を変えるほどの戦車であった。確かに、その実態は様々な部分において洗練されておらず、無骨で運用面での様々な特性・利便を無視した設計でありドイツからみた戦車戦術からするとまだまだ問題の多い戦車であったといえその性能はさまざまな部分において欠陥が指摘されているであろう。だが、戦術という面ではなく戦車単独でみる限りにおいてその性能はずばぬけていた。ロシアの大地に最適な戦車であり大量生産しうる体制を確立し、それらを加味したうえで必要十分な性能を持った時代が必要としていた戦車そのものだったのである。独ソ戦という状況、かつロシアの平原においては既存のドイツ戦車を駆逐する性能と生産性と整備性を維持している驚異的な戦闘車両であった。ドイツから指摘しうる欠陥は砲塔、砲など着実に変更・修正され、やがて三人乗りの大型砲塔に85mmの砲を積むことによって中戦車としてはその量産性をもってしてドイツ軍を圧倒することになるのである。それに及ばず、トラックを利用した簡易なロケット砲([[カチューシャ (兵器)|カチューシャ]])、ソ連空軍は襲撃機といった対地攻撃に特化した航空機([[シュトゥルモヴィーク]])を量産し対抗した。<br /> <br /> 赤軍はその膨大な予備兵力によって、圧倒的な敗北から敗北を理解し、攻勢の失敗から攻勢のなんたるかを理解した。そして、予備兵力にかげりが見られるかと思われる段階において、もはや予備兵力のないナチス・ドイツに対して最大の大攻勢を行うのである。<br /> <br /> === 交通事情 ===<br /> [[File:Bundesarchiv Bild 101III-Roth-173-01, Russland, Raum Charkow, Jagdpanzer.jpg|thumb|250px|left|1943年、ハリコフでの[[第1SS装甲師団]]。戦闘車両は[[マルダーII]]]]<br /> ロシアの鉄道はドイツとは[[軌間]](レールの幅)が異なり(ドイツが[[標準軌]]なのに対し、ソ連側は1524mm(現在の公式発表では1520mm)のロシアゲージ([[広軌]]の一種))、そのままではドイツから直接列車を乗り入れることができなかった。ドイツ側は列車の[[鹵獲]]を当てにしていたが、ソ連側は[[ウラル連邦管区|ウラル]]への工場疎開と同時に列車を避難させておりドイツ軍の鹵獲は思うように行かず、結局、[[工兵]]によって線路を標準軌に変更する工事を行った。これらの線路はソ連側の逆襲時にアメリカの援助を受けて元のロシアゲージに戻されている。冬季のロシアの厳寒はドイツが持ち込んだ蒸気機関車を容易に故障させた。劣悪な路盤整備においては大型の機関車の導入も拒んだ。<br /> <br /> 道路網は舗装もされていない整備がなされていない悪路が多く情報が不足していた。また、南北方向の道路網は比較的整備されていたが、東西に移動するドイツ軍の進撃には役に立たなかった。そのため、軍備増強を急いだために、自動車化が完全ではなく移動・補給の多くに鉄道と軍馬を必要としているドイツ軍にとっては困難な戦場であった。自国の生産だけでは間に合わず、占領国からもかき集めたトラックなどを含めて荒れ果てた道路での利用による故障は甚だしく、輸送の効率は非常に低いものになった。<br /> <br /> また、同時期に戦場となっていた[[北アフリカ戦線|北アフリカ]]は、広大な戦域(地図上でみても、西端から東端までの距離は、ベルリンからモスクワよりも遠い)にも関わらず港湾付近以外では自動車以外の補給手段がない為にその作戦規模に比較して膨大な輸送用自動車が割かれていたことも大きな問題となっていた。確かに北アフリカ戦線は自動車以外の補給の方法は無かった。だが、要求する数量はあきらかに作戦が生み出すものからすれば桁はずれな数量であった。最前線に対しては1割の部隊への燃料補給に対して9割の補給部隊の燃料消費が必要なほど、補給部隊の消耗が激しかった。<br /> <br /> それに対して、赤軍にはレンドリースによってアメリカから送りこまれた大量の軍用車両が配備されていた。[[カチューシャ (兵器)|カチューシャ]]の台として用いられた物を含めたこれらの車両がなければバグラチオンのような電撃戦は無理であろうといわれている。<br /> <br /> ドイツにおける冬期装備は考えられないほど遅れていた。例にもらずドイツの装備は理想的なものを想定し、ロシアにおける冬期装備の準備を策定していたにもかかわらず、その配備は遅々として進まなかった。その装備はこの戦闘の冬季戦闘のどこに配当されたかと思うほどである。<br /> <br /> === 土壌と気候・焦土作戦 ===<br /> ロシアの大地は内陸気候と土壌により、春と初冬には泥濘と化し、夏は乾燥、冬は厳寒の土地であった。春・初冬の泥濘の時期には移動はもとより、最低限の補給にも大きな影響を与えた。また、冬季の厳寒における戦線の維持も重大な問題であった。だがこれは攻められる側のロシアにとっては有利なことであった。大地そのものが[[要塞]]であり、毎年早くに訪れる[[冬将軍]]も侵略者を苦境に陥らせるのである。そしてさらに攻略する軍を苦しめるために行われるのが焦土戦術である。<br /> <br /> 以上のことから、夏季にドイツ軍の攻勢・反撃を行うが冬には装備の不備から防戦に回り、赤軍は夏・冬に攻勢・反撃を行った。ナチス・ドイツ軍は電撃戦の成功を信じたのか、1942年(バルバロッサ)、1942年(ブラウ)でも冬季装備を全くと言っていいほど装備していなかった。<br /> <br /> [[冬戦争]]における[[フィンランド国防軍]]との戦闘では醜態を晒した赤軍であるが、ドイツとの戦いでは日本との戦争に備えてシベリア方面にいた精鋭軍を投入できたことも大きかった。<br /> <br /> かつて[[焦土作戦]]を展開し[[大北方戦争]]で[[スウェーデン]]を、[[1812年ロシア戦役|祖国戦争]]で[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]率いる[[大陸軍 (フランス)|大陸軍]]を撃退したロシアは、三度同じ戦略を決行することは明白であった。もっともこの作戦は、ロシア側にとっても多大な犠牲を強いることになった。<br /> <br /> のちに、ソ連赤軍が攻勢に転じドイツ軍が防戦に回ると、ナチス・ドイツ軍は同じようにソ連領土内を焦土としていった。このことにより多くの都市は廃墟となった。戦争末期になるとヒトラーはドイツ国内の生産設備を破壊するよう命じている([[ネロ指令]])。<br /> <br /> === パルチザン ===<br /> {{see also|赤軍パルチザン}}<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> === 同盟国 ===<br /> 戦況の変化により各国は同盟する陣営を変えた。枢軸国側は一枚岩ではなく、長年問題を抱える隣国同士(ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア)が枢軸側として同盟していたこともあり敵側にまわることにより戦争状態に入ることに対して問題を感じることなく対応することもあった。<br /> <br /> == 連合国における東部戦線の位置 ==<br /> [[File:British Tanks 1939-45 H14786.jpg|thumb|250px|ソ連に輸送されるイギリスの[[マチルダII歩兵戦車]]。1941年10月17日]]<br /> {{see also|レンドリース}}<br /> ソビエトは第二次世界大戦開始当時の状況を見る限りにおいて侵略国であると考えられる。ポーランド、フィンランド、ルーマニア、バルト三国などの隣国に対しての行動は明らかに侵略そのものとみられた。これらの状況をふまえてイギリス・アメリカは困惑を含めて眺めていた。ナチス・ドイツが目論んでいるロシアの植民地化は地政学でいう[[ランドパワー]]としての地位を確立することになる。連合軍の目的は全体主義国家でありランドパワーとしての地位を復活しようとするナチス・ドイツの殲滅である。連合国にとってソビエトはその対象であるのか。共産主義を嫌っていることで知られるイギリスの首相[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]は、ナチス・ドイツとの戦争に勝利するという何事にも変えることの出来ない目的を遂行するために、「敵の敵は味方」として自身の信念を曲げてでも共産主義国家であるソ連と手を握るという判断を下すのである。<br /> <br /> 独ソ戦が始まると、それまでたびたびソ連を非難していた英国はただちに大量の物資の援助を提案し、中立であったアメリカは5月に制定した[[レンドリース法]](武器貸与法)をソ連にも適用することにした。ソ連と米英の協定は1941年10月に結ばれ、この時から1945年までに武器と物資がソ連に供与された。援助の効果は1942年に目立ちはじめ、1943年にはソ連軍の兵站物資・機材の相当部分を占めるようになった。大半の援助物資は[[ペルシア回廊]]を経由して供給された。大ざっぱに言えば、スターリングラード戦までのソ連軍はほぼ自国製品で戦い、クルスク戦以降は援助物資とともに戦ったと言える。<br /> <br /> [[航空機]]、[[戦車]]などの[[正面装備]]、[[貨物自動車|トラック]]、[[ジープ]]、[[機関車]]、[[無線機]]、[[野戦電話]]、[[電話線]]などの[[後方支援]]のための物資、さらに[[缶詰]]、[[靴]]、[[ブーツ]]のような一般工業製品から[[銅]]、[[アルミニウム]]といった原材料まで、さまざまな援助物資が届けられた。供与兵器は、正面装備に関するかぎりソ連戦力で大きな比率を占めなかった。戦車はソ連製の方が要目上は優れていたため、前線で歓迎されない型もあったが、機械的信頼性の高さからアメリカ・イギリス製戦車が好まれる場合もしばしばあった。しかし、援助物資が[[兵站]]と経済、生活に与えた寄与は大きかった。主要工業地帯がドイツ軍に占領され、残る生産能力も兵器生産に向けられたことで、ソ連では[[後方支援]]と生活のための物資が著しく不足していたためである。また、兵站などはソ連が立ち遅れていた分野で、米英からの援助が重要であった。<br /> <br /> スターリン以下のソ連の指導者は、援助がソ連の戦争遂行能力を支えていることを自覚していたが、同時に、ドイツ軍の戦力のほとんどをソ連が引き受けている以上、援助は当然だとも考えていた。アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」と。ソ連は米英軍が西ヨーロッパのいずれか(フランス、あるいはイタリア)に上陸して第二戦線を開くことを要求したが、この要請は1944年に[[ノルマンディー上陸作戦]]が実施されるまでほぼ、満たされなかったといってよい。このためスターリンは、米英が自らは戦わず、独ソをともに消耗させようとしているのではないかという疑念を抱いていた。そこでソ連が米英に用いたのが、対独単独講和というカードであり、援助を止めさせないために単独講和をほのめかし続けた。<br /> <br /> そしてソ連は獲得したポーランド東部領土の承認を英米に求め、[[ポーランド亡命政府]]とソ連の関係が悪化すると、ポーランド亡命政府との関係を絶つよう英米に要求を行った。結果としてポーランド国境についてはソ連の要求が通り、戦後ポーランドは大きく西に移動する形となった。<br /> <br /> 連合国の勝利がほぼ確定的となった1944年になると、イギリスはソ連の東欧支配、さらには地中海への進出に警戒心を見せるようになった。{{仮リンク|モスクワ会談 (1944年)|en|Moscow Conference (1944)|label=モスクワ会談}}ではチャーチルとスターリンは「[[パーセンテージ協定]]」を締結し、東欧に対するソ連の優越権を認める一方で、地中海へのソ連の進出を食い止めようとした。しかし後の[[ポツダム会談]]でソ連はさらに進出の意向を示す。共通の敵を失った連合国の列強は再びイデオロギーの対立に立ち戻り、[[冷戦]]という対立軸へと向かうことになる。<br /> <br /> == 戦争犯罪 ==<br /> ナチズムにおいてスラブ人は[[劣等民族]]として扱われており、またイギリスの海上封鎖によって食糧難に陥っていたドイツでは、ソ連の土地から食糧を収奪することが喫緊の課題であった。占領地域に民族ドイツ人を植民し、ドイツ領土化するという「[[東部総合計画]]」はこの時期に建てられたものである。[[四カ年計画]]庁と食糧次官[[ヘルベルト・バッケ]]は、ドイツが戦争を遂行するためには、3年間現地において国防軍が食糧を調達することが必要であると試算している{{sfn|谷喬夫|2007|pp=677}}。バッケらはこの食糧収奪によって数百万人のロシア人・スラブ人を結果的に餓死させるという計画を立案していた({{仮リンク|飢餓計画|en|Hunger Plan}})。彼らは最終的に3千万人のロシア人が餓死すると見込んでいた{{sfn|谷喬夫|2007|pp=677}}。ゲーリングの大都市の占領は「望ましくなく、包囲して餓死させるべきである」という発言もこれにつながっている{{sfn|谷喬夫|2007|pp=678}}。<br /> <br /> また、親衛隊によって組織された[[アインザッツグルッペン]]は、占領地域の治安維持のためとして[[ユダヤ人]]・共産主義者・パルチザンの検挙・殺害を組織的に行った。ドイツ占領地では[[ホロコースト]]実行のために親衛隊が活発な活動を行い、国防軍もこれに協力した([[清廉潔白な国防軍]])。<br /> <br /> 一方で、ソ連軍は敵の捕虜に対して苛酷な労働を課した(ソ連は捕虜の待遇を定めた[[ジュネーブ条約]]を批准していなかった)。ソ連軍が東欧に侵攻すると報復の対象は民間人にも及び、激しい略奪と暴行が繰り返された。<br /> <br /> == 対敵協力者 ==<br /> ドイツの捕虜になったソ連軍将兵や民間人のなかには、[[アンドレイ・ウラソフ]]将軍が組織した[[ロシア解放軍]]や[[ヒヴィ]]など、対独協力者となった者も少なくなかった。大戦後半、人的資源の枯渇に苦しむドイツ軍で多くのソ連出身者が弾薬、燃料輸送など後方活動に従事し、中には最前線でかつての「同志」に銃口を向ける者もいた。<br /> <br /> 戦後、ソ連政府は「裏切り者」に対して容赦をせず、対独協力者としての過去が判明すれば、銃殺や絞首刑に処されたり、[[コルィマ鉱山]]等のシベリア各地への追放を受けた。<br /> <br /> また、ドイツ軍人の中にも、パウルス元帥や[[ヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ|フォン・ザイトリッツ=クルツバッハ]]将軍など、捕虜になった後に[[反ナチ運動]]に参加した者も存在した。<br /> <br /> == 影響 ==<br /> ドイツは戦争によって敗北し、ナチス政体は崩壊、アメリカ・ソ連・イギリス・フランスによる分割占領を受けることとなった([[連合軍軍政期 (ドイツ)]])。その後東西両陣営の対立により、[[西ドイツ|ドイツ連邦共和国 (西ドイツ)]]および[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)の2国に分断されることとなった。この分断状態は1990年の[[ドイツ再統一]]まで続くことになる。さらに東プロイセン等を含む[[オーデル・ナイセ線]]以東の領土を喪失し([[旧ドイツ東部領土]])、これらの土地や東欧に住んでいたドイツ人はドイツ本国へと追放された([[ドイツ人追放]])。また戦争賠償として、ドイツ国内の原料や生産設備が現物徴収され、ソ連軍の捕虜は労務による賠償を負わされた([[第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償]])。<br /> <br /> 独ソ戦は連合国の対ナチス・ドイツ戦争の中で最大の戦域であり、それに膨大な損害を出しながら勝利したソ連の威信は極めて大きなものとなり、戦後秩序における[[超大国]]としての位置を確立した。また新領土としては東プロイセンの[[カリーニングラード州|ケーニヒスベルクとその周辺地域]]、[[カーゾン線]]以東の旧ポーランド領土を獲得している。またソ連は占領した東欧地域の政権を社会主義化し、自由な選挙によって政体を決定するという連合国間の合意は反故となった。アメリカ合衆国・イギリスとの摩擦は大きくなり、[[冷戦]]への道に至ることになる。<br /> <br /> ドイツが降伏した日は[[ヨーロッパ戦勝記念日]]として現在でも各地で式典が行われている。2004年には[[国際連合総会]]において、5月8日と9日が[[第二次大戦中に命を失った全ての人に追悼を捧げる日]]と定められている。<br /> <br /> == 評価 ==<br /> ドイツの敗戦40周年にあたる1985年5月8日、[[リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー]]大統領がドイツ連邦議会で記念の演説を行った際に次のように述べている。<br /> 「五月八日は、ドイツの歴史のみならず、ヨーロッパの歴史に深く刻み込まれている。ヨーロッパの内戦は終わり、古いヨーロッパの世界は崩れ去っていった。歴史学者[[ミヒャエル・シュテュルマー]]教授の言を借りれば『ヨーロッパは戦い尽くした』のである。停戦の直前、東西から進撃してきた米ソ両軍兵士の[[エルベの誓い|エルベ河畔での邂逅]]は、さし当って、ヨーロッパの一つの時代が終わったことのシンボルである」&lt;ref&gt;荒れ野の40年&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[エマニュエル・トッド]]はその著書『[[帝国以後]]』の中で「第二次世界大戦の戦略的真相は、ヨーロッパ戦線での真の勝利者はロシアであったということである。スターリングラードの以前、最中、以後のロシアの人的犠牲が、ナチスの軍事機構を粉砕することを可能にしたのだ。1944年6月のノルマンディ上陸作戦は、時期的にはかなり遅い時点で実行されたもので、その頃にはロシア軍部隊はすでにドイツを目指して戦前の西部国境に到達していた。当時多くの人士が、ドイツ・ナチズムを打ち破り、ヨーロッパの解放に最も貢献したのはロシア共産主義だと考えたということを忘れたら、戦後のイデオロギー的混乱を理解することはできない。イギリスの歴史家で軍事問題の専門家である[[ベイジル・リデル=ハート]]が見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、投入された経済的・人的資源の圧倒的な優位を考えれば、効率性に劣るものだった。ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された」と述べている&lt;ref&gt;帝国以後 P.121-122&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、1985年、当時は東ドイツの同地にかつての米ソ兵が集まって往時をしのび合った。<br /> <br /> == 文献 ==<br /> ; ソ連側から<br /> * 『第二次世界大戦史―ソ独戦と対日戦』、国民文庫社、1954年<br /> * [[ヨシフ・スターリン|スターリン]]『ソ同盟の偉大な祖国防衛戦争』、清水邦生訳、国民文庫社、1953年<br /> * N.チーホノフ 『レーニングラード』、創元社、1952年 - レーニングラード戦を題材にソ連側から描かれた小説<br /> * Harrison E. Solisbury 『独ソ戦:この知られざる戦い』、早川書房、1980年 - 米人記者がソ連側から見た独ソ戦<br /> * Theodor Plievier 『モスクワ』 金森誠也訳、フジ出版社、1986年、ISBN 4-89226-069-X - ソ連側から描かれた独ソ戦の小説<br /> * David M.Glantz / Jonathan M.House 『独ソ戦全史;「史上最大の地上戦」の実像』 守屋純訳、学習研究社、2005年、ISBN 4-05-901173-8 - ソ連側から見た独ソ戦<br /> * [[スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ]] 『ボタン穴から見た戦争』 三浦みどり訳、群像社、[[2000年]]。 - 原題は『最後の生き証人』。当時子供だった人々へのインタビュー集<br /> * アントニー・ビーヴァー 著、川上洸 訳、『赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート 1941-1945』、白水社、2007年<br /> ; ドイツ側から<br /> * [[井上鍾]]編 『モスクワへ、独逸宣伝戦闘隊写真報告第一報』、番町書房、1942年 - 、昭和17年に出版された写真集<br /> * [[パウル・カレル]] 『バルバロッサ作戦』 [[松谷健二]]訳、フジ出版社、1971年<br /> * パウル・カレル 『焦土作戦:ソ連の大反攻とヒトラーの敗走』 松谷健二訳、フジ出版社、1972年<br /> * Jürgen Thorwald 『幻影、ヒトラーの側で戦った赤軍兵士たちの物語』 松谷健二訳、フジ出版社、1979年 - ソ連人対独協力者の運命<br /> * パウル・カレル &#039;&#039;Unternehmen Barbarossa im Bild: Der Rußlandkrieg fotografiert von Soldaten&#039;&#039;, Ullstein, 1985, ISBN 3-550-08509-5 - ドイツ兵士の撮った写真に見る独ソ戦<br /> * Richard Muller 『東部戦線の独空軍』 手島尚訳、朝日ソノラマ、1995年、ISBN 4-257-17295-9<br /> * Werner Maser 『独ソ開戦、盟約から破約へ、ヒトラーVSスターリン』 守屋純訳、学習研究社、2000年、ISBN 4-05-400983-2 - スターリンの戦争準備<br /> * [[クルト・マイヤー]] 『擲弾兵:パンツァー・マイヤー戦記』 松谷健二訳、学習研究社、2000年、ISBN 4-05-400984-0 - 武装親衛隊指揮官の回顧録 - フジ出版社版の復刻<br /> <br /> == ボードゲーム ==<br /> ;独ソ戦全体<br /> *『Sturm Nach Osten』(WWW、[[シックス・アングルズ]]別冊第8号)1982年<br /> *『Russian Front』([[アバロンヒル|Avalon Hill]]、[[ホビージャパン]])1985年<br /> *『The Russian Campaign 2/独ソ戦2』(Jedko Games、国際通信社「[[コマンドマガジン日本版]]第33号」)1986年<br /> *『失われた勝利』([[エポック社]]、[[サンセットゲームズ]])1986年<br /> *『War for the Motherland』(Rampart Games、シックス・アングルズ第9号)1994年 - [[山崎雅弘]]デザイン<br /> *『Russia Beseiged』(L2 Design Group、国際通信社「コマンドベスト第10弾」)2004年<br /> *『East Front II』(Columbia Games)2006年<br /> *『NO RETREAT!』(Victory Point Games、国際通信社「ワールド・ウォー・シリーズ第1号」)2008年<br /> *『The Barbarossa Campaign/独ソ戦ソリティア』(Victory Point Games、国際通信社「ワールド・ウォー・シリーズ第3号」)2010年 - 1人用ゲーム<br /> <br /> ;バルバロッサ作戦<br /> *『1941』([[ゲームデザイナーズ・ワークショップ|GDW]]、国際通信社「コマンドマガジン日本版第45号」)1981年<br /> *『独ソ電撃戦』(エポック社、国際通信社「コマンドマガジン日本版第57号)1981年<br /> *『Fire in the East』(GDW、ホビージャパン)1984年<br /> *『モスクワ電撃戦』([[翔企画]]SSシリーズ、国際通信社「コマンドマガジン日本版第75号」)1988年 - [[中黒靖]]デザイン<br /> *『Blitzkrieg &#039;41』(XTR、国際通信社「コマンドマガジン日本版第7号」)1989年<br /> *『Army Group Center』(シックス・アングルズ第12号)1992年<br /> *『真・バルバロッサ作戦』([[ゲームジャーナル]]1号)2001年 - [[鈴木銀一郎]]デザイン<br /> *『Barbarossa: The Russo-German War, 1941-45』(Decision Games、国際通信社「コマンドマガジン日本版第87号」)2008年<br /> *『激闘レニングラード電撃戦』(ゲームジャーナル49号)2013年<br /> *『バルバロッサ作戦』(国際通信社「ウォーゲームハンドブック2014」)2014年<br /> <br /> ;スモレンスク<br /> *『スモレンスク攻防戦』(国際通信社「コマンドマガジン日本版第74号」、「コマンドベスト第13弾」)2007年<br /> *『A Victory Denied/激闘!グデーリアン装甲軍』([[マルチマン・パブリッシング|Multi-Man Publishing]]、ゲームジャーナル35号)2009年<br /> <br /> ;モスクワ<br /> *『Operation Typhoon』([[シミュレーションズ・パブリケイションズ|SPI]]、ホビージャパン)1978年<br /> *『東部戦線:冬季戦41-42』([[アドテクノス]]、ゲームジャーナル22号)1984年<br /> *『Battle for Moscow』(GDW、国際通信社「コマンドマガジン日本版第39号」)1986年<br /> *『The Last Stand at Moscow/モスクワ攻防戦』(シックス・アングルズ第11号)2008年 - 山崎雅弘デザイン<br /> *『モスクワ &#039;41』(国際通信社「コマンドマガジン日本版第84号」)2009年 - 中黒靖デザイン<br /> *『Roads to Moscow』(GMT Games)2013年<br /> <br /> ;青作戦・スターリングラード<br /> *『Drive on Stalingrad』(SPI、サンセットゲームズ)1977年<br /> *『Battle for Stalingrad/スターリングラード攻略』(SPI、ホビージャパン、シックス・アングルズ別冊第1号)1980年<br /> *『スターリングラード』(エポック社、国際通信社「ワールド・ウォー・シリーズ第4号」)1983年<br /> *『Stalingrad Pocket』(The Gamers、国際通信社「コマンドマガジン別冊第5号」)1992年<br /> *『Paulus&#039; 6th Army』(シックス・アングルズ第10号)2005年 - 山崎雅弘デザイン<br /> *『スターリングラード強襲』(ゲームジャーナル19号)2006年<br /> *『激闘スターリングラード電撃戦』(ゲームジャーナル47号)2013年<br /> <br /> ;ヴェルキエ・ルキ<br /> *『White Death』(GDW、国際通信社「コマンドマガジン日本版第96号」)1979年<br /> *『Velikye Luki/ヴェリキエ・ルキ攻防戦』(Moments in History、国際通信社「コマンドマガジン日本版第76号」)2000年<br /> <br /> ;クルスク<br /> *『Kursk: History&#039;s Greatest Tank Battle, July 1943/クルスク大戦車戦』(SPI、シックス・アングルズ別冊第3号)1980年<br /> *『Zitadelle: Duel for Kursk/ツィテダレ作戦:クルスクの決戦』(WWW、国際通信社「コマンドマガジン別冊第4号」、シックス・アングルズ第13号)1992年 - 山崎雅弘デザイン<br /> *『Drive on Kursk』(Decision Games「S&amp;T#253」、国際通信社「コマンドマガジン日本版第93号」)2008年<br /> <br /> ;ハリコフ<br /> *『ハリコフ1941-1943』(翔企画SSシリーズ、シックス・アングルズ第8号)1991年 - 山崎雅弘デザイン<br /> *『Ring of Fire』(Moments in History、国際通信社「コマンドマガジン別冊第18号」)1994年<br /> *『激闘!マンシュタイン軍集団』(ゲームジャーナル4号)2002年<br /> <br /> ;その他<br /> *『Army Group South/ドイツ南方軍集団』(SPI、サンセットゲームズ)1979年 - クワドリ(キエフ、ロストフ、星作戦、コルスン)<br /> *『48th Panzer Korps』(Pacific Rim、国際通信社「コマンドマガジン日本版第17号」)1991年<br /> *『Berlin &#039;45 The Nightmare Ends』(XTR、国際通信社「コマンドマガジン日本版第3号」)1992年<br /> *『Budapest 1945』(XTR、国際通信社「コマンドマガジン日本版第13号」)1994年<br /> *『Forgotten Axis: Murmansk 1941』(GMT Games、国際通信社「コマンドマガジン日本版第63号」)1999年<br /> *『Ukraine &#039;43』(GMT Games、国際通信社「コマンドマガジン日本版第60号」)2000年<br /> *『Drive to the Baltic!/死闘! 北方軍集団』(Moments in History、国際通信社「コマンドマガジン日本版第34号」)2000年<br /> *『ウクライナ&#039;44』(国際通信社「コマンドマガジン日本版第70号」)2006年 - 中黒靖デザイン<br /> *『Hongrie 1944-1945/ハンガリー戦役1944-45』(Vae Victis#78、国際通信社「コマンドマガジン日本版第100号」)2008年<br /> *『レッドタイフーン』(国際通信社「コマンドマガジン日本版第85号」)2009年<br /> *『Battle for Korsun』(Chris Harding Simulations、国際通信社「コマンドマガジン日本版第97号」)2010年<br /> *『1940: What If』(Decision Games、国際通信社「コマンドマガジン日本版第103号」)2010年 - 仮想戦<br /> *『Army Group Narwa/激闘、ナルヴァ軍集団』(Three Crowns Game Productions、国際通信社「コマンドマガジン日本版第112号」)2012年<br /> *『ルントシュテットの戦い』(国際通信社「コマンドマガジン日本版第109号」)2013年<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> &lt;!-- 実際に参考にした文献一覧 --&gt;<br /> *{{Cite book|和書|author= イアン・カーショー|translator= 石田勇治|year= 1999|origyear = 1991|title =ヒトラー権力の本質|publisher = 白水社|isbn= : 978-4560028162}}<br /> * {{Cite journal|和書|author=[[井上茂子]]|title=ドイツ降伏の日はいつか? : 第二次世界大戦終結をめぐる神話と伝説(月例会発表要旨新入生歓迎記念講演)|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110006426456|format=PDF|journal=上智史學|publisher=上智大学|issue=51|naid=110006426456|year=2006|pages=pp. 241-242}}<br /> * {{Cite book|和書|author = [[児島襄]]|year = 1992|title = 第二次世界大戦 ヒトラーの戦い |volume = 第3巻 |publisher = 文藝春秋社 |isbn = 978-4167141387}}<br /> * {{Cite book|和書|author = 児島襄|year = 1992|title = 第二次世界大戦 ヒトラーの戦い |volume = 第4巻 |publisher = 文藝春秋社 |isbn = 978-4167141394}}<br /> *{{Cite book|和書|author=[[児島襄]]|title=第二次世界大戦 ヒトラーの戦い 10巻|series=[[文春文庫]]|date=|year= 1993|publisher=[[文藝春秋社]]|isbn=978-4167141455}}<br /> * ニコラス・ベサル著、加登川幸太郎 監修、横田恒 翻訳、『ライフ 第二次世界大戦史 「独ソの激闘」』、タイム ライフ ブックス<br /> * ジョン・ショウ著、加登川幸太郎 監修、島村力/小山田義文 翻訳、『ライフ 第二次世界大戦史 「ソ連軍の大反攻」』、タイム ライフ ブックス<br /> * {{Cite journal|和書|author=谷喬夫|title= 東方支配と絶滅政策|url=http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/6066/1/18|format=PDF|journal=法政理論|publisher=新潟大学法学会|issue= 39 ( 4 ) |year=2007|pages=pp.650 - 686|ncid=AN00226270|ref=harv}}<br /> *{{Cite journal|author=ヨースト・デュルファー|date=2010|journal =平成22年度戦争史研究国際フォーラム報告書|url=http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2010/06.pdf|title=ドイツと三国軍事同盟}}<br /> *{{Cite book|和書|author= 芝健介|year= 1995|title = 武装SS &lt;small&gt;もう一つの暴力装置&lt;/small&gt;|publisher = 講談社|isbn = 4-06-258039-X}}<br /> *{{Cite book|洋書|author= Christian Hartmann|year= 2011|title = &#039;&#039;Unternehmen Barbarossa.&#039;&#039;&lt;small&gt; &#039;&#039;Der deutsche Krieg im Osten 1941–1945&#039;&#039; &lt;/small&gt;|publisher = C.H. Beck (München)|isbn = 978-3-406-61226-8 <br /> }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> &lt;!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク --&gt;<br /> {{Commonscat|Great Patriotic War|大祖国戦争}}<br /> {{Commonscat|Eastern Front (World War II)|第二次世界大戦における東部戦線}}<br /> * [[独ソ不可侵条約]]<br /> * [[焦土作戦]]<br /> * [[ゾルゲ事件]]<br /> * [[祖国戦争]](ナポレオン軍のロシア侵攻)<br /> * [[冬将軍]]<br /> * [[ドイツ人追放]]<br /> * [[人海戦術]]<br /> * [[赤軍パルチザン]]<br /> * [[ライヒスタークの赤旗]]<br /> *{{仮リンク|ソビエト連邦における外国人強制労働|en|Foreign_forced_labor_in_the_Soviet_Union}}<br /> **{{仮リンク|ソビエト連邦におけるドイツ人強制労働|en|Forced labor of Germans in the Soviet Union}}<br /> **{{仮リンク|ソビエト連邦におけるハンガリー人強制労働|en|Forced labor of Hungarians in the Soviet Union}}<br /> **{{仮リンク|ソビエト連邦におけるイタリア人強制労働|en|Italian prisoners of war in the Soviet Union}}<br /> * [[ソビエト連邦戦争捕虜に対するナチスの犯罪行為]]<br /> * [[ソビエト連邦による戦争犯罪]]<br /> <br /> {{Campaignbox-bottom|第二次大戦ヨーロッパ戦線}}<br /> {{ナチス・ドイツ}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:とくそせん}}<br /> [[Category:第二次世界大戦の作戦と戦い]]<br /> [[Category:独ソ戦|*]]<br /> [[Category:ナチス・ドイツ]]<br /> [[Category:ドイツの戦争]]<br /> [[Category:ソビエト連邦の戦争]]<br /> [[Category:ブルガリアの戦争]]<br /> [[Category:エストニアの戦争]]<br /> [[Category:ラトビアの戦争]]<br /> [[Category:リトアニアの戦争]]<br /> [[Category:イタリアの戦争]]<br /> [[Category:ルーマニアの戦争]] <br /> [[Category:フィンランドの戦争]]<br /> [[Category:ハンガリーの戦争]]<br /> [[Category:クロアチアの戦争]]<br /> [[Category:フィンランド・ロシア関係]]</div> 203.165.22.143 龍谷大学短期大学部 2018-06-30T11:46:02Z <p>203.165.22.143: </p> <hr /> <div>&lt;!--<br /> この記事は[[プロジェクト:大学/大学テンプレート (日本国内)]]にしたがって作成されています。<br /> --&gt;<br /> {{大学<br /> | 大学名=龍谷大学短期大学部<br /> | ふりがな=りゅうこくだいがくたんきだいがくぶ<br /> | 英称= &#039;&#039;Ryukoku University Faculty of Junior College&#039;&#039;<br /> | 画像= [[ファイル:Ryukoku university Fukakusa campus West gate.jpg|250px]]<br /> | 画像説明=龍谷大学深草キャンパス<br /> | 大学設置年=1950年<br /> | 創立年=1950年<br /> | 学校種別=私立<br /> | 設置者=[[学校法人龍谷大学]]<br /> | 国=日本<br /> | 本部所在地=[[京都府]][[京都市]][[伏見区]][[深草]]塚本町67<br /> | キャンパス=<br /> | 学部=仏教科&lt;ref name=&quot;仏教科&quot;&gt;学生募集は[[2002年]]度入学生まで。[[2007年]]3月29日付けで正式廃止。&lt;/ref&gt;&lt;br&gt;社会福祉学科&lt;br&gt;こども教育学科<br /> | 研究科=福祉専攻<br /> | 大学の略称=龍短(りゅうたん)<br /> | ウェブサイト= http://www.human.ryukoku.ac.jp/<br /> }}<br /> == 概観 ==<br /> [[ファイル:170325 Ryukoku University Fukakusa Campus Kyoto Japan03n.jpg|thumb|短期大学部の実習施設を備える深草キャンパス21号館]]<br /> <br /> === 大学全体 ===<br /> * [[京都府]][[京都市]][[伏見区]]に所在する。[[1950年]]に西本願寺系の[[龍谷大学]]に併設された[[短期大学部]]である。キャンパスは龍谷大学、深草学舎内にある。<br /> <br /> &lt;!-- === 建学の精神(校訓・理念・学是) ===<br /> --&gt;<br /> === 教育および研究 ===<br /> * 短期大学部は社会福祉学科とこども教育学科が設置されている。かつて社会福祉科には、「障害者福祉論」・「高齢者福祉論」・「社会福祉原論」など社会福祉全般にわたる諸科目を学ぶいわゆるAコースと、「児童福祉論」・「小児栄養」など主に保育や[[児童福祉]]に関する科目を学ぶBコースがあったが、[[2011年]]度入学生より、前者は社会福祉学科、後者はこども教育学科にて学ぶことになった。[[一般教育と専門教育|一般教育科目]]には「[[仏教学]]」・「真宗概説」が宗教系科目がある。<br /> <br /> === 学風および特色 ===<br /> * 短期大学部は大学と同様、[[親鸞]]の[[浄土真宗]]に基づいた教育がベースとなっている。<br /> * 過去にあった仏教科を含め、設置されている学科は大学と同類のものとなっている。そのため、卒業後、龍谷大学への編入学者が毎年少なからずいる。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> * [[1950年]]([[昭和]]25年) : 京都市[[下京区]]に&#039;&#039;&#039;龍谷大学短期大学部&#039;&#039;&#039;が開学。当初は仏教科を設置。<br /> * [[1962年]] : 社会福祉科が開設(学生数:[[男性|男]]28、[[女性|女]]14&lt;ref&gt;[[1963年|昭和38年]]度版『[[全国学校総覧]]』(以下『[[全国学校総覧|総覧]]』と略す。)29頁より。&lt;/ref&gt;)<br /> * [[1985年]] : 専攻科仏教専攻を設置。<br /> * [[1992年]]([[平成]]4年) : 専攻科に福祉専攻を新設。<br /> * [[1999年]] : 学生数(仏教科:男182、女127、社会福祉科:男23、女336&lt;ref&gt;[[2000年]]度版『[[全国学校総覧|総覧]]』76頁より。&lt;/ref&gt;)<br /> * [[2003年]] : 文部科学省の[[特色ある大学教育支援プログラム]]に採択される。<br /> * [[2007年]]3月29日 : 仏教科を正式廃止する&lt;ref&gt;[[2011年|平成23年]]度『[[全国短期大学高等専門学校一覧]]』126頁より。&lt;/ref&gt;。<br /> * [[2011年]] : こども教育学科を設置。社会福祉科を社会福祉学科に変更。<br /> <br /> == 基礎データ ==<br /> === 所在地 ===<br /> * 京都府京都市伏見区深草塚本町67<br /> <br /> === 交通アクセス ===<br /> * [[京阪電気鉄道|京阪]][[京阪本線|本線]][[深草駅|深草]][[鉄道駅|駅]]下車。<br /> <br /> === 象徴 ===<br /> * 短期大学部のカレッジマークは龍谷大学と同じものを使用。<br /> <br /> == 教育および研究 ==<br /> === 組織 ===<br /> ==== 学科 ====<br /> * 社会福祉学科<br /> * こども教育学科<br /> <br /> ===== 過去にあった学科 =====<br /> * 仏教科&lt;ref name=&quot;仏教科&quot;/&gt;:「[[浄土真宗]]」と「[[仏教]]文化」について学ぶための[[カリキュラム]]が中心となっていた。<br /> <br /> ==== 専攻科 ====<br /> * 福祉専攻:指定された科目履修者が対象。修業年限は昼間部1年制で[[大学評価・学位授与機構]]に認定されている。[[2008年]]度で募集を終了。<br /> <br /> ===== 過去にあった課程 =====<br /> * 仏教専攻:[[浄土真宗]]に関する内容の科目を重点的に学び、仏教者としての教化伝導能力を育むというねらいがあった。修業年限は昼間部2年制で大学評価・学位授与機構に認定されていた。<br /> <br /> ==== 別科 ====<br /> * なし<br /> <br /> ===== 取得資格について =====<br /> ; [[資格]]<br /> * [[保育士]]:[[2011年]]度より、こども教育学科にて取得できるようになる。それ以前は社会福祉科にて。<br /> * ほか[[社会福祉士]]の受験基礎資格もある。卒業後、2年以上社会福祉施設での相談業務を経験することが必要である。<br /> * [[介護福祉士]]:専攻科にて取得できる。<br /> ; [[教職課程]]<br /> * [[幼稚園]][[幼稚園教員|教諭]]二種免許状:[[2011年]]度よりこども教育学科にて<br /> * [[中学校]][[中学校教員|教諭]]二種[[教育職員免許状|免許状]]<br /> ** [[社会 (教科)|社会]]:社会福祉学科教養福祉コース。2010年度までは、社会福祉科にて。[[2011年]]度より社会福祉学科にて。<br /> ** [[宗教教育|宗教]]:かつてあった仏教科に設けられていた。<br /> <br /> ==== 附属機関 ====<br /> * 国際センター<br /> * 附属図書館ほか<br /> <br /> &lt;!-- === 研究 ===<br /> --&gt;<br /> === 教育 ===<br /> * 現代的教育ニーズ取組支援プログラム<br /> **「イメージ創生を中心としたキャリア教育-視聴覚教材・学外教育資源・体験型学習を活用した体系的教育プログラム-」において[[2006年]]度に採択されている。<br /> * 特色ある大学教育支援プログラム<br /> **「体験型教育で学ぶ『共に生きる地域づくり』-校区住民と交流する「砂川アクション」と知的障がい者と共に学ぶ「ふれあい大学」の取組-」において2006年度に採択されている。<br /> <br /> == 学生生活 ==<br /> === 部活動・クラブ活動・サークル活動 ===<br /> * クラブ活動は、大学と合同でおこなわれている。<br /> <br /> === 学園祭 ===<br /> * 学園祭は深草キャンパスで大学と合同で行われている。<br /> <br /> &lt;!-- === スポーツ ===<br /> --&gt;<br /> == 大学関係者と組織 ==<br /> &lt;!-- === 大学関係者組織 ===<br /> --&gt;<br /> === 大学関係者一覧 ===<br /> ==== 大学関係者 ====<br /> * [[森川智徳]]:初代学長<br /> * [[増山顕珠]]<br /> * [[星野元豊]]<br /> * [[川崎恵璋]]<br /> * [[武邑尚邦]]<br /> * [[二葉憲香]]<br /> * [[千葉乗隆]]<br /> * [[信楽峻麿]]<br /> * [[北畠典生]]<br /> * [[上山大峻]]<br /> * [[若原道昭]]:現学長<br /> <br /> ==== 著名出身者 ====<br /> * [[小鴨由水]]:女子[[マラソン]]選手(1992年[[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]代表)<br /> * [[大内寛文]]:[[ラグビー日本代表]]選手。後に[[龍谷大学]]文学部に編入学。<br /> <br /> == 施設 ==<br /> === キャンパス ===<br /> * ほとんど全て大学と共同使用している。<br /> <br /> == 対外関係 ==<br /> &lt;!-- === 地方自治体との協定 ===<br /> --&gt;<br /> &lt;!-- === 他大学との協定 ===<br /> --&gt;<br /> === 姉妹校 ===<br /> * [[京都女子大学短期大学部]]<br /> <br /> == 社会との関わり ==<br /> * 2008年度では『ビハーラ活動論』公開講座が行われた&lt;ref&gt;「ビハーラ」とは[[サンスクリット語]]で、「休息」や「寺院」ほか漢訳で「安住」を意味する言葉となっている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 卒業後の進路について ==<br /> === 就職について ===<br /> * 仏教科:[[住職]]や伝道者などいわゆる仏教に携わる職に携わる人、[[ヤンマー]]・[[大塚商会]]・[[南都銀行]]・[[第一生命保険]]などの一般企業への就職者もいた。<br /> * 社会福祉科:[[社会福祉協議会]]や[[社会福祉施設]]など福祉関連業界への就職者が多い。[[大日本塗料]]・[[ジャヴァグループ]]・[[日本銀行]]・[[新光証券]]・[[滋賀銀行]]などの一般企業への就職者もいる。<br /> <br /> === 編入学・進学実績 ===<br /> * 龍谷大学への編入学や龍谷大学短期大学部専攻科への進学者が目立つが、それ以外には次の実績がある。<br /> ** 仏教科:[[佛教大学]]・[[大谷大学]]ほか<br /> ** 社会福祉科:[[花園大学]]ほか<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *『[[全国学校総覧]]』<br /> *『[[日本の私立短期大学]]』(日本私立短期大学協会発行:[[1980年]])<br /> *『[[進学年鑑]]』(『私大コース』シリーズ別冊)<br /> *『[[全国短期大学高等専門学校一覧]]』([[文部科学省|文部省]][[高等教育]]局技術教育課監修)<br /> *『[[短期大学教育]]』第49号(日本私立短期大学協会発行:[[1992年]])<br /> *『[[螢雪時代|短大蛍雪]]』(全国短大&amp;専修・各種学校受験年鑑シリーズ。[[旺文社]])<br /> *『[[全国短期大学受験要覧]]』([[廣潤社]])<br /> *『[[全国短期大学案内 (教学社)|全国短期大学案内]]』([[教学社]])<br /> *『[[全国短期大学受験案内]]』([[晶文社]])<br /> *『[[全国短期大学案内 (梧桐書院)|全国短期大学案内]]』([[梧桐書院]])<br /> *『短大蛍雪』([[2000年]][[5月]]臨時増刊。[[旺文社]])<br /> *『龍谷大学』入学案内冊子<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[短期大学の一覧#京都府|短期大学の一覧]]<br /> * [[指定保育士養成施設]]<br /> <br /> == 公式サイト ==<br /> * [http://www.human.ryukoku.ac.jp/ 龍谷大学短期大学部]<br /> <br /> {{龍谷総合学園}}<br /> {{学校法人龍谷大学}}<br /> {{大学コンソーシアム京都}}<br /> {{京滋私立短期大学協会}}<br /> {{全国保育士養成協議会}}<br /> {{国連アカデミック・インパクトJapan}}<br /> {{仏教系大学会議}}<br /> {{jc-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:りゆうこくたいかくたんき}}<br /> [[Category:日本の私立短期大学]]<br /> [[Category:京都府の大学]]<br /> [[Category:日本の仏教系短期大学]]<br /> [[Category:指定保育士養成施設 (短期大学)]]<br /> [[Category:日本の幼稚園教員養成機関 (短期大学)]]<br /> [[Category:日本の中学校教員養成機関 (短期大学)]]<br /> [[Category:過去の介護福祉士養成施設 (短期大学)]]<br /> [[Category:龍谷総合学園]]<br /> [[Category:学校記事]]</div> 203.165.22.143 覆面算 2018-06-01T14:33:02Z <p>203.165.22.143: /* 脚注 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;覆面算&#039;&#039;&#039;(ふくめんざん)は、0から9の[[数字]]がそれぞれに対応する別の記号に置き換えられた計算式を与えられ、どの記号が何の数字に対応しているかを推理し、完全な計算式を導き出す[[パズル]]である。解き手のヒントになるように、計算式は[[筆算]]の形で与えられることが多い。<br /> <br /> ==ルール==<br /> * 同じ文字には同じ数字が入り、違う文字には違う数字が入る。<br /> * 最上位の文字には0は入らない。<br /> ** 1桁の場合も最上位であるので0を入れないという考えが一般的であるが、1桁の場合は0を認めるという考えもある。<br /> * 問題に出ている数字を文字に当ててもよい。<br /> <br /> ==例題==<br /> <br /> * AB2DEF×2=2DEFAB (「虫食い算大会」[[海野十三|佐野昌一]]より引用。&lt;!--なお著者の没年は1949年--&gt;)<br /> <br /> 「A」には、0から9までのいずれかの数字が入る。2つある「A」の一方が例えば1と決まると、もう一方の「A」にも自動的に1が入る。そして、「B」には、1以外のいずれかの数字が入る。もともとの式に現れている2を使ってもよい。<br /> <br /> ==種類==<br /> &lt;!--注:以下の項目内に出てくる例題は、すべて編者の未発表作であり、著作権の問題はない。--&gt;<br /> ===ワード覆面算===<br /> 覆面算のうち、各項が意味のある単語となっているものを&#039;&#039;&#039;ワード覆面算&#039;&#039;&#039;と呼ぶ&lt;ref&gt;{{Cite book<br /> |author=[[高木茂男]]<br /> |year=1976<br /> |title=数学遊園地<br /> |publisher=講談社<br /> |isbn=9784061178915<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> 一例を挙げる。<br /> *バナナ+バナナ=シナモン<br /> <br /> 掛け算のワード覆面算の場合、A × B = C の形式の物と、筆算で表記され途中の積もすべて意味のある言葉になっている物がある。<br /> <br /> それぞれの例を1つずつ挙げる。<br /> *みず×みず=飲みみず<br /> <br />  大宮<br /> &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;×大宮&lt;/span&gt;<br /> 大井町<br /> &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;横浜 &lt;/span&gt;<br /> 浜松町<br /> <br /> ;数詞覆面算<br /> :&#039;&#039;&#039;ワード覆面算&#039;&#039;&#039;のうち、各項が数字を表す単語となっており、かつ、その数字の計算も正しいものを&#039;&#039;&#039;数詞覆面算&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。<br /> :一例を挙げる。<br /> :*third+third+third+seven=eight<br /> :(1/3+1/3+1/3+7=8 となり、正しい式である。)<br /> :Dani Ferrai・田村三郎らにより、コンピューターによる検討が行われ、多くの作品が発表されている。<br /> ;時事覆面算<br /> :ニュースをテーマにした覆面算。<br /> ===その他===<br /> ;Word Arithmetic<br /> :覆面算のうち、使用された文字を対応する数字の順に並べると短文が表れるものを&#039;&#039;&#039;Word Arithmetic&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。<br /> :すべての数字を使い切るために、割り算の筆算による形で出題されることが多い。<br /> :以下に例題を挙げる<br />     &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;   &#039;&#039;&#039;いしき&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;しれい&#039;&#039;&#039;/&#039;&#039;&#039;てつていてき&#039;&#039;&#039;<br />     &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;うてほき &lt;/span&gt;<br />      いんして<br />      &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;てほうて &lt;/span&gt;<br />       いつれき<br />       &lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;いりてつ&lt;/span&gt;<br />         ほて<br /> :割る数・割られる数・商の3つ(例題の太字の部分)は意味のある言葉にすることが多い。<br /> <br /> ;幾何模様覆面算<br /> :覆面算のうち、文字の配列に趣向を凝らし、同じ文字が固まっていたり直線状になっているものを&#039;&#039;&#039;幾何模様覆面算&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。<br /> :以下に例題を挙げる。<br /> {|<br /> |-<br /> || || ||A||B||A<br /> |-<br /> || ||&lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;×||A||B||A&lt;/span&gt;<br /> |-<br /> || || ||C||A||C<br /> |-<br /> || ||A||B||A||<br /> |-<br /> ||&lt;span style=&quot;text-decoration:underline;&quot;&gt;C||A||C|| || &lt;/span&gt;<br /> |-<br /> ||C||C||D||C||C<br /> |}<br /> <br /> ;超高層覆面算<br /> :足す項の数が多い覆面算。縦長になるのを避けるために掛け算の形で出題されることが多い。数字にも意味を持たせることができる数詞覆面算が多い。<br /> :項数に関する定義はないが、超高層覆面算として発表された作品の中で最小のものは約150項である&lt;ref&gt;『続・虫食算パズル700選』 問題472&lt;/ref&gt;。<br /> :以下に例を挙げる。<br /> :*&lt;!--いち×94+さん×2=ひゃく--&gt;に×5000+せん×4+にせん×8=さんまん<br /> <br /> ===連立覆面算===<br /> 一問では複数解が出る式を複数組み合わせることによって解答が一意になるようにしたものを[[連立方程式]]になぞらえて連立覆面算という。<br /> <br /> 連立覆面算では違う式にあっても同じ文字は同じ数字、違う文字は違う数字である。<br /> <br /> 以下に例を挙げる<br /> * a+b+c=ab<br /> * b+b+b=c<br /> この問題は、上の式だけだと7解(b=0 を認めると8解)、下の式だけだと3解が存在するが、(上の式のb)=(下の式のb),(上の式のc)=(下の式のc)より解が一つに決まる。<br /> <br /> ==解き方==<br /> 覆面算の解き方は問題によって変わる部分が多いので統一的な解法は存在しないが、多くの問題で使用される考え方がいくつかある。<br /> <br /> 注:以下の解説には例題として「バナナ+バナナ=シナモン」という問題を用いる。<br /> <br /> ===繰り上がり===<br /> 足し算の覆面算において、和の桁数が他の桁数より多い場合には繰り上がりが発生している。このことから最上位の文字を確定する(又は絞り込む)ことができる。<br /> *例題において、シに入る数字は百の位からの繰り上がりなので1しかありえない。<br /> また、各桁で加えている数が同じなのに和が違う場合、繰り上がりが影響していると考えられる。<br /> *例題において、一の位も十の位も「ナ+ナ=○」の形になっているが、文字が異なっている。これは、一の位から十の位に繰り上がりがあるためである。<br /> 繰り上がりの有無によって文字の範囲を絞り込むこともある。<br /> *上の例から、「ナ+ナ」「バ+バ」は共に繰り上がる。このことから「ナ」「バ」は共に5以上である事が分かる。<br /> <br /> ===偶数・奇数===<br /> 同じ数を足すと偶数になる。これを利用して文字の可能性を絞り込むことができる。ただし、繰り上がりに注意する必要がある。<br /> <br /> 例題において、和の一の位の「ン」は偶数になるが、ナ+ナが繰り上がるため、「モ」「ナ」は共に奇数になる。<br /> <br /> ===その他===<br /> [[九去法]]などを利用して、文字の範囲を絞り込んだり[[検算]]することがある。<br /> <br /> ==作り方==<br /> 覆面算には決まった作り方は存在しないが、一般的には<br /> #テーマを決めて単語の候補を挙げる。<br /> #候補を組み合わせて式を作る。<br /> #検算する。<br /> #解が1つなら完成。<br /> #解が複数あるか存在しない場合、2.に戻り新しい組み合わせを考える。<br /> といった手順で作られる。<br /> <br /> 例として、ヨーロッパをテーマとした覆面算を考える。<br /> <br /> まず「イギリス+スイス=ヨーロッパ」という式を考えると、これには解が2つある。次に助詞をつけて「イギリスと+スイス=ヨーロッパ」という式を考えると、これは解が3つある。次にイギリスをイタリアに変えて「イタリア+スイス=ヨーロッパ」という式を考えるとこれは解が1つである。これで1つの問題が完成である。<br /> <br /> ===一意解でない自明なパターン===<br /> 上の手順で「検算する」と書いたが、実際には見ただけで解がなかったり複数あるのが分かる場合も多い。<br /> <br /> 以下に代表的な例を示す。<br /> ;文字数過多<br /> :数字は10種類しかないため11種類以上の文字を使用した問題には解がない。<br /> ;桁数不足<br /> :和の桁数が他よりも2桁以上(項数が多い(12以上)場合にはこの限りではない)大きいと、繰り上がりを考慮しても最上位が0となる。これはルールで認められていない。<br /> :例えば「one+two=three」という問題は、3桁+3桁なので和は最大でも4桁にしかならない。<br /> ;浮き<br /> :全体で一度しか使われていない文字が同じ桁にあると、その2文字が交換可能となり複数解が発生する。これを「浮き」という。<br /> :例えば「カナダ+ロシア=アメリカ」という問題は、10の位の「ナ」と「シ」が交換可能となる。100の位は「カ」、1の位は「ア」がそれぞれ和でも使用されているので問題ない。<br /> :アメリカなどでは浮きがある場合小さい数字を上の文字に当てるというルールがあり、複数解の要因とならない。<br /> <br /> ===朝日新聞方式===<br /> 同じ単語を複数個重ねることにより浮きをなくす作成法を&#039;&#039;&#039;朝日新聞方式&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。かつて[[朝日新聞]]紙上でこの方法で作られた問題が多く掲載されたことから高木茂夫によって命名された。<br /> <br /> 上で例題としてあげた「バナナ+バナナ=シナモン」はこの方法で作られたものである。<br /> <br /> ===一意解と分かっている式の利用===<br /> あらかじめ一意解であることが判明している式に適当な言葉を当てはめて問題を作ることができる。<br /> <br /> 例えば「abcd+fdgh=abcde」という式がある。「abcde」に「ふくめん算」という文字をあてはめて他を調整すると「ふくめん+さんすう=ふくめん算」という問題を作ることができる。<br /> <br /> [[パズル通信ニコリ]]や虫食算研究室([[虫食い算#虫食い算・覆面算の歴史|虫食い算の歴史]]参照)では、一意解の問題を提示して入れる単語を募集したことが何度かある。<br /> <br /> ===コンピューターの利用===<br /> コンピュータで覆面算を作成するプログラムが存在する。最も一般的なのは、単語群をデータとして渡すとその単語を組合せて問題を作るものである。<br /> <br /> 単語の組合せが限定される数詞覆面算ではコンピュータによる探索が一般的である。<br /> <br /> 10進法であれば、各文字に0~9の数字を当てはめて、式が成立することを確認すれば良いので、10! 通りの方法を確認することで解くことができる。一般的に r進法であれば、r! 通りの確認をすることで、コンピュータならば容易に解く事ができる。しかし、「何進法であるか」も入力の一部となっている問題については、2つの数字の加算についての問題が[[NP完全問題|NP完全]]であることが証明されており、非常に難しいクラスに属する問題であると考えられている&lt;ref&gt;{{Citation<br /> |author=David Eppstein<br /> |date=1987<br /> |title=On the NP-completeness of cryptarithms<br /> |journal=SIGACT News <br /> |volume=18<br /> |issue=3<br /> |pages=38–40.<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==例題の解答==<br /> * 最初の例題の解答 142857×2=285714<br /> * ワード覆面算の解答 877+877=1754 76×76=5776 29×29=841<br /> * 数詞覆面算の解答 15687+15687+15687+49290=96351<br /> * Word Arithmetic の解答 636769/807=789 あまり 46<br /> ** 文字を0に対応する文字から順に並べると、「れんりつほうていしき(連立方程式)」となる。<br /> * 幾何模様覆面算の解答 212×212=44944<br /> * 超高層覆面算の解答 &lt;!--10×94+23×2=986--&gt;1×5000+20×4+120×8=6040<br /> * 連立覆面算の解答 1+3+9=13,3+3+3=9<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> ==参考文献==<br /> * 山本行雄『新覆面算―続 数のふしぎ・数のたのしみ』ナカニシヤ出版 ISBN 978-4-7795-0378-8<br /> <br /> ==関連項目==<br /> * [[虫食い算]]<br /> * [[小町算]]<br /> * [[ペンシルパズル]]<br /> * [[数字根]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> * [[海野十三|佐野 昌一]][http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/card43532.html 『虫喰ひ算大会』(旧字旧仮名)]([[青空文庫]])<br /> * 佐野 昌一[http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/card43533.html 『虫喰い算大会』(新字新仮名)](青空文庫)<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ふくめんさん}}<br /> <br /> [[Category:パズル]]<br /> [[Category:ペンシルパズル]]<br /> [[Category:数学パズル]]<br /> [[Category:数学に関する記事]]</div> 203.165.22.143 佐藤アツヒロ 2018-05-27T08:05:33Z <p>203.165.22.143: BLP unsourced から 存命人物の出典明記 へ変更</p> <hr /> <div>{{存命人物の出典明記|date=2018年5月27日 (日) 08:05 (UTC)}}<br /> {{ActorActress<br /> | 芸名 = 佐藤 アツヒロ<br /> | ふりがな = さとう アツヒロ<br /> | 画像ファイル = <br /> | 画像サイズ = <br /> | 画像コメント = <br /> | 本名 =<br /> | 別名義 = &lt;!-- 別芸名がある場合記載。愛称の欄ではありません。 --&gt;<br /> | 出生地 = {{JPN}}・[[京都府]][[綴喜郡]]八幡町&lt;br /&gt;(現・[[八幡市]])<br /> | 国籍 = <br /> | 民族 = <br /> | 身長 = 168 cm&lt;ref&gt;[http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:YhsLasAQ9VcJ:geino-deep.nikkansports.com/i/johnnys/saturday2010/a_sato.zpl+&amp;cd=1&amp;hl=ja&amp;ct=clnk&amp;gl=jp 佐藤アツヒロ 考え続けた「人の価値 」] 日刊スポーツ、2011年5月14日に紙面に掲載された。&lt;/ref&gt;<br /> | 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]<br /> | 生年 = 1973<br /> | 生月 = 8<br /> | 生日 = 30<br /> | 没年 = <br /> | 没月 = <br /> | 没日 = <br /> | 職業 = [[俳優]]、[[歌手]]<br /> | ジャンル = [[テレビドラマ]]・[[舞台]]<br /> | 活動期間 = [[1986年]] -<br /> | 活動内容 = [[1987年]]:[[光GENJI]]&lt;br /&gt;[[1993年]]:[[SAY・S]]&lt;br /&gt;[[2000年]]:舞台で活躍し始める。<br /> | 配偶者 = <br /> | 著名な家族 = <br /> | 事務所 = [[ジャニーズ事務所]]<br /> | 公式サイト = <br /> | 主な作品 = <br /> | アカデミー賞 = <br /> | AFI賞 = <br /> | 英国アカデミー賞 = <br /> | セザール賞 = <br /> | エミー賞 = <br /> | ジェミニ賞 = <br /> | ゴールデングローブ賞 = <br /> | ゴールデンラズベリー賞 = <br /> | ゴヤ賞 = <br /> | グラミー賞 = <br /> | ブルーリボン賞 = <br /> | ローレンス・オリヴィエ賞 = <br /> | 全米映画俳優組合賞 = <br /> | トニー賞 = <br /> | 日本アカデミー賞 = <br /> | その他の賞 = <br /> | 備考 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;佐藤 アツヒロ&#039;&#039;&#039;(さとう アツヒロ、[[1973年]]〈[[昭和]]48年〉[[8月30日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[歌手]]。デビュー当時の芸名は&#039;&#039;&#039;佐藤 敦啓&#039;&#039;&#039;(さとう あつひろ)。<br /> <br /> [[京都府]][[綴喜郡]]八幡町(現・[[八幡市]])生まれ、小学校3年の3学期以降[[神奈川県]][[藤沢市]][[藤沢本町駅|藤沢本町]]で育つ。[[ジャニーズ事務所]]所属。男性[[アイドル]]グループ[[光GENJI]](後に光GENJI SUPER 5にグループ名を変更)の元メンバー。2015年現在は[[舞台]]を中心に活躍している。<br /> <br /> == 略歴 ==<br /> * [[1987年]](昭和62年)[[8月19日]]、「[[光GENJI]]」として「[[STAR LIGHT]]」でレコードデビュー。<br /> * [[1993年]]([[平成]]5年)[[4月22日]]、「[[SAY・S]](セイズ)」として「[[曇りのち晴れ]]」でレコードデビュー。<br /> * [[1994年]][[8月31日]]、光GENJIメンバーの[[大沢樹生]]・[[佐藤寛之]]が卒業、残りのメンバー5人でユニット名を「光GENJI SUPER 5」へ変更。同時に「SAY・S」も解散。<br /> * [[1995年]][[9月3日]]、「光GENJI SUPER 5」が解散、アツヒロサトウ名義を経て、佐藤アツヒロ名義となった。<br /> * 同年[[12月21日]]、「RISKY LOVE」でソロCDデビューを果たした。ソロデビュー時のキャッチフレーズは「歌うしか愛せない」。<br /> * [[2000年]]、[[鴻上尚史]]の舞台『ララバイまたは百年の子守唄〜ハッシャバイより〜』にて初舞台を踏み、以後、舞台俳優として数々の作品に出演。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> * 光GENJIとしてアイドル活動を行う一方、高校2年生の夏から作詞も初めており、ソロ曲やソロ活動中の持ち歌は殆どが自作である。<br /> * ソロデビュー後のライブで使用する楽器は、ギターと[[ハーモニカ|ブルースハープ]]が中心であった。他にも縦笛や[[オカリナ]]、[[サックス]]等にチャレンジすることもあった。<br /> * 2012年以降ローラースケートの練習を続けており、度々テレビ番組などで披露している。&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.oricon.co.jp/news/2014082/full/|title=元光GENJI・佐藤アツヒロ、解散以来の“新曲”挑戦 ローラースケートも披露|publisher=ORICON STYLE|accessdate=2012-07-09}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.oricon.co.jp/news/2036600/full/|title=元光GENJI・佐藤アツヒロ「趣味で」[[ローラースケート]]練習中|publisher=ORICON STYLE|accessdate=2014-04-21}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://datazoo.jp/tv/%E4%B8%AD%E5%B1%85%E6%AD%A3%E5%BA%83%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8/992452/|title=【中居正広のミになる図書館】元光GENJI佐藤アツヒロ出演!佐藤アツヒロと玉森がローラースケート披露|accessdate=2016-09-06}}{{リンク切れ|date=2018年5月}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 作品 ==<br /> 個人での作品のみ記載。グループでの作品は[[光GENJI#ディスコグラフィ]]を参照。<br /> === シングル ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; <br /> ! # !! 発売日 !! タイトル !! カップリング !! 名義<br /> |-<br /> ! 1<br /> | [[1995年]][[12月21日]]|| &#039;&#039;&#039;RISKY LOVE&#039;&#039;&#039;||Jumping out||アツヒロサトウ<br /> |-<br /> ! 2<br /> | 1998年[[6月25日]]|| &#039;&#039;&#039;BRAND NEW HEART&#039;&#039;&#039;||Angel||佐藤アツヒロ<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> === アルバム ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; <br /> ! # !! 発売日 !! タイトル !! 名義<br /> |-<br /> ! 1<br /> | [[1996年]][[1月25日]]|| &#039;&#039;&#039;eyes&#039;&#039;&#039;||アツヒロサトウ<br /> |-<br /> ! 2<br /> | 1996年[[8月25日]]|| &#039;&#039;&#039;YELLOW&#039;&#039;&#039;||佐藤敦啓<br /> |-<br /> ! 3<br /> | 1996年[[12月11日]]|| &#039;&#039;&#039;BUTTER CUP, MYRTLE&#039;&#039;&#039;||佐藤敦啓<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> === 映像作品 ===<br /> * 「FIRST SOLO CONCERT 1994 佐藤敦啓」佐藤敦啓(DVD、VHS)(1994年6月16日)<br /> * 「佐藤敦啓 地球人の瞬き」佐藤敦啓(DVD、VHS)(1995年4月25日)<br /> * 「アツヒロ サトウ Love Eyes 〜Eyes Tour &#039;95-&#039;96〜」/アツヒロ サトウ(DVD、VHS)(1996年3月25日)<br /> * 「ジャニーズ・ファンタジーKYO TO KYO&#039;97 夏公演(VHS)(1998年1月1日)<br /> * 「atshiro a film future passed」(VHS)(1998年4月25日)<br /> * 「SHONENTAI PLAYZONE 2002-愛史」(DVD)(2002年10月23日)<br /> * 「犬夜叉」(DVD)(2002年11月21日)<br /> * 「Never Ending Spirit1997-2003」/[[J-FRIENDS]](DVD、VHS)(2003年4月9日)<br /> * 「七芒星」(DVD)(2003年9月20日)<br /> * 「ミュージカル・天使は瞳を閉じて」(DVD)(2004年3月18日)<br /> * 「SHONENTAI PLAYZONE 2005-20th Anniversary- TwentyYears…そしてまだ見ぬ未来へ」(DVD)(2005年10月29日)<br /> * 「髑髏城の七人〜アオドクロ」(DVD)(2005年9月8日)<br /> * 「ドクロBOX」(DVD)(2005年7月28日)<br /> * 「SHONENTAI PLAYZONE 2006『Change』」(DVD)(2006年)<br /> * 「地獄八景・・浮世百景」(DVD)(2007年)<br /> * 「SHONENTAI PLAYZONE 2007『Change2Chance』」(DVD)(2007年)<br /> * 「愛と青春の宝塚 スペシャルDVD-BOX」(3枚組)(DVD)(2009年2月11日)<br /> * 「さくら色 オカンの嫁入り」(DVD)(2010年)<br /> * 「PLAYZONE &#039;12SONG &amp; DANC&#039;N。PARTII」(DVD)(2012年)<br /> * 「PLAYZONE &#039;12SONG &amp; DANC&#039;N。PARTIIオリジナル・サウンドトラック」(ALBUM)(2012年)<br /> <br /> == 出演 ==<br /> 個人での出演のみ記載。グループでの出演は[[光GENJI#主な出演作品]]を参照。<br /> === テレビドラマ ===<br /> * [[若さま侍捕物帖]] (1991年、テレビ朝日)<br /> * [[非行少年たち]] (1992年10月15日、日本テレビ)<br /> * [[映画みたいな恋したい]]「[[トップガン (映画)|トップガン]]」(1992年12月19日、テレビ東京)<br /> * [[ハートにS]]<br /> ** 第20回「フレンチ・ブルー」(1995年8月28日)<br /> ** 第21回「マンスリースペシャル 夏のファンタスム」(1995年9月4日)<br /> * [[クリスマスキス〜イブに逢いましょう]] (1995年10月14日 - 12月23日、テレビ東京、初の懸賞付きドラマ) - 主演・榊原雄二 役<br /> * [[木曜の怪談]]「シンデレラの靴」(1995年、フジテレビ)<br /> * [[砂の城]] (1997年6月30日 - 10月3日、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]製作、フジテレビ)- 主演・磐城比羅夫 / 磐城杉彦 役(二役)<br /> * [[おふくろに捧げる歌]] (1998年)<br /> * [[P.A.|P.A. プライベートアクトレス]]第5話(1998年11月14日)- 完治 役※ゲスト出演<br /> * [[警視庁女性捜査班|警視庁・女性捜査班]](1999年1月30日、テレビ朝日、[[土曜ワイド劇場]])- 岡野淳 役<br /> * [[はぐれ刑事純情派]]第15シリーズスペシャル「伊勢志摩、真珠の海に消えたふたりの女」(2002年、[[テレビ朝日]]) ‐ 芳野章吾 <br /> * [[駅に佇つ人]](2002年、女と男とミステリー)- 市原保夫 役<br /> * [[お祭り弁護士・澤田吾朗]]3 青森ねぶた祭〜徳島阿波おどり、日本縦断二大祭り1600キロを結ぶ連続殺人!(2002年8月31日、テレビ朝日、土曜ワイド劇場)- 三枝眞二 役<br /> * [[劇団演技者。]]第16回公演作品「ナーバスな虫々」(2006年、フジテレビ)- 主演・(座長)積田理科夫 役<br /> * [[はぐれ刑事純情派]]最終回スペシャル「さよなら安浦刑事! 命を懸けた最後の大捜査!!」(2009年12月26日、テレビ朝日)- 北原誠司 役※ゲスト出演<br /> * [[税務調査官・窓際太郎の事件簿|税務調査官・窓際太郎の事件簿29]](2015年7月20日、TBS、[[月曜ゴールデン]])- 真島良介 役<br /> * [[鼠、江戸を疾る#第2シリーズ|鼠、江戸を疾る2]] 第5話(2016年5月12日、NHK) - 浩次 役※ゲスト出演<br /> * [[早子先生、結婚するって本当ですか?]] 第4話(2016年5月12日、フジテレビ)- 伊東慶太 役※ゲスト出演&lt;ref&gt;{{Cite web |url= http://www.sanspo.com/geino/news/20160504/joh16050405030002-n1.html |title=佐藤アツヒロ、19年ぶり連ドラで初の三枚目役「やりがいがある」 |publisher=SANSPO.COM |date=2016-05-04 |accessdate=2016-05-04}}&lt;/ref&gt;<br /> *[[特命刑事 カクホの女]](2018年1月19日、3月9日、テレビ東京) ‐ 飯田竜司<br /> <br /> === テレビ出演 ===<br /> ※ソロでの出演のみ<br /> * [[キスした?SMAP]](朝日放送)<br /> * [[世界ウルルン滞在記]]3時間SP(1997年、TBS)<br /> * [[快傑えみちゃんねる]](2013年10月25日、関西テレビ)<br /> * [[ナカイの窓]]ゴールデンスペシャル([[2015年]][[9月30日]]、日本テレビ)<br /> * [[ノンストップ!]](2016年5月12日、フジテレビ)<br /> * [[プレバト!!]]2時間スペシャル(2016年7月7日、TBS)<br /> * (秘)荷物!開封バラエティー [[ビックラコイタ箱]](2016年7月28日、8月4日、日本テレビ)<br /> * [[ABChanZoo]](2016年9月3日、9月10日、テレビ東京)<br /> * [[中居正広のミになる図書館]](2016年9月6日、テレビ朝日)<br /> * [[この差って何ですか?]](2016年9月11日、TBS)<br /> <br /> === CM ===<br /> * 「STAR LIGHT EXPRESS」スポットCM「レッスン編」「スター誕生編」(1987年7月 - )<br /> * 西武園(1988年4月 - )<br /> * 森永のクリスピーナ(1988年4月 - )<br /> * 森永のワンショット(1988年4月 - )<br /> * マイクロマジックポテト(1988年7月 - )<br /> * 不二家のアメリカンバー(1988年8月 - )<br /> * ゼネラル石油(1988年10月 - )<br /> * ナショナルエアコン「エオリア」(1992年 - )<br /> <br /> === 映画 ===<br /> * [[ふ・し・ぎ・なBABY]] (1988年12月18日公開、東宝)<br /> * ゲキ×シネ ツアー2005「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2005年)<br /> * ゲキ×シネ ツアー2007「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2007年)<br /> * ゲキ×シネ ツアー2008「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2008年)春/秋上映<br /> * ゲキ×シネ ツアー2009「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2009年)春/秋上映<br /> * 「[[愛と青春の宝塚〜恋よりも生命よりも〜]]」映画館上映(2009年)<br /> * ゲキ×シネ ツアー2010「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2010年)<br /> * ゲキ×シネ ツアー2011「[[髑髏城の七人〜アオドクロ]]」映画館上映(2011年)<br /> <br /> === 舞台 ===<br /> 2000年<br /> * [[ララバイまたは百年の子守唄]]〜「ハッシャバイ」より〜 ※舞台初出演<br /> * [[犬夜叉]] - 犬夜叉役(初主演/初演)<br /> * フランス演劇クレアシオン[[〜仕上がりのよい手紙〜]](主演)<br /> * [[恋の第九交響曲]]<br /> 2001年<br /> * [[犬夜叉]] - 犬夜叉役(主演/再演)<br /> * [[デジャ・ヴュ&#039;01]]〜伊集院警部補の憂鬱 - 伊集院警部補 役(主演)<br /> * [[室温]]〜夜の音楽〜<br /> * [[質屋の女房]]〜麻布陽だまり愛の町〜 - 森田洋介 役<br /> 2002年<br /> * [[ありがとうサボテン先生]]-宮崎先生 役<br /> * [[少年隊PLAY ZONE]] 2002 [[愛史]] - チラノ 役<br /> * 月影十番勝負第7番[[〜愛の嵐〜]]<br /> * [[七芒星 (戯曲)|七芒星]]- 輪剣 役(主演)<br /> 2003年<br /> * [[夜叉ヶ池 (戯曲)#2003年版|夜叉ヶ池]] - 萩原晃(鐘楼守)役(主演)<br /> * [[ボーイング・ボーイング]] - ロベール 役<br /> * ミュージカル[[天使は瞳を閉じて]] - ユタカ 役(主演)<br /> 2004年<br /> * [[エドガーさんは行方不明]](主演)<br /> * [[LYNX]]{{要曖昧さ回避|date=2016年2月}} -リンクス - オガワオサム役(主演)<br /> * [[少年隊PLAY ZONE]] 2004 [[WEST SIDE STORY]] - チノ 役<br /> * [[髑髏城の七人|髑髏城の七人〜アオドクロ]] - こぶしの忠馬 役<br /> * [[TAPE]] - ヴィンス役(主演)<br /> 2005年<br /> * いとこ同士(主演)<br /> * [[少年隊PLAY ZONE]] 2005 [[-20th Anniversary-]]<br /> * Team ARAGOTO〜Strong Play of The World〜Vol.1[[エビ大王]]<br /> 2006年<br /> * [[MYTH]] - ミス - 息子=タロウ役(主演)<br /> * [[少年隊PLAY ZONE]] 2006 [[Change]]<br /> * [[蒲田行進曲]]〜城崎非情編〜 - 中村屋 役<br /> * 「@The Globe Project Vol.2」『巨大宇宙人何もせず帰る』『俺たちに明日は‥‥あってほしい』<br /> 2007年<br /> * [[地獄八景‥浮世百景]](主演)<br /> * [[少年隊PLAY ZONE]] 2007[[Change2Chance]]<br /> 2008年<br /> * プーシリーズEpisodeI[[アマツカゼ 〜天つ風〜]] - 不動 役<br /> * [[HYMNS]] -ヒムス- オガワ 役(主演)<br /> * [[愛と青春の宝塚|愛と青春の宝塚〜恋よりも生命よりも〜]] - オサム 役<br /> 2009年<br /> * 静かじゃない大地<br /> * フロスト/ニクソン<br /> 2010年<br /> * [[オカンの嫁入り|さくら色 オカンの嫁入り]] - 服部研二 役<br /> 2011年<br /> * The Globe Tokyo Produce 『TRAVELING』(主演)<br /> * 30-DELUX The Ninth Live 『デスティニー』(主演)<br /> * ジンギスカン 〜わが剣、熱砂を染めよ〜<br /> 2012年<br /> * PLAYZONE&#039;12 SONG &amp; DANC&#039;N。PARTII。<br /> * 『ハーベスト』 ―神が田園を創り、ひとが町をつくった―ハリソン家、百年の物語 - ステファン 役 / ブルー 役<br /> 2013年<br /> * [[オカンの嫁入り|さくら色 オカンの嫁入り]] - 服部研二 役<br /> * 30-DELUX The Remake Theater 『デスティニー』(主演)<br /> 2014年<br /> * 30-DELUX Special Theater 『マホロバ』 - イコマ役<br /> 2015年<br /> * [[オカンの嫁入り|さくら色 オカンの嫁入り]] - 服部研二 役<br /> 2016年<br /> * 30-DELUX Dynamic Arrangement Theater 『新版 国性爺合戦』 - 和藤内(ワトウナイ)役(主演)&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://enterstage.jp/news/2016/08/005496.html/ |title=佐藤アツヒロ3年ぶりの主演!30-DELUX最新作『新版 国性爺合戦』が全国4都市で上演!|date=2016-08-23 |accessdate=2016-08-23}}&lt;/ref&gt;<br /> 2017年<br /> * [[オカンの嫁入り|さくら色 オカンの嫁入り]] - 服部研二 役 &lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://natalie.mu/stage/news/209788/ |title=「オカンの嫁入り」4度目の上演、佐藤アツヒロ×熊谷真実ら前回キャストが続投|date=2016-11-17 |accessdate=2016-11-17}}&lt;/ref&gt;<br /> 演出<br /> *30-DELUX SQUARE ENIX Special Theater 「[[サガシリーズ#舞台|ロマンシング サガ THE STAGE 〜ロアーヌが燃える日〜]]」- シャール役 &lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.famitsu.com/news/201612/01121871.html/ |title=『ロマサガ3』が舞台化! ハリードやカタリナ、エレンらのキャストが発表、2017年4月より全国4都市で上演 - ファミ通.com|date=2016-12-01 |accessdate=2016-12-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180412211953/https://www.famitsu.com/news/201612/01121871.html |archivedate=2018-04-01}}&lt;/ref&gt;<br /> * 『剣豪将軍義輝~星を継ぎし者たちへ~』 - 松永弾正久秀役<br /> <br /> === イベント・コンサート ===<br /> 1994年<br /> * ファーストソロコンサート(中野サンプラザ)<br /> * ソロコンサート「無力な僕の小さな抵抗」<br /> * ソロコンサート「地球人の瞬き」全国3ヶ所<br /> 1995年<br /> * 「God Morning」<br /> * 「CONCERT TOUR&#039;96 START」全国9ヶ所18公演<br /> 1996年<br /> * アツヒロサトウ&#039;96春のコンサートツアー「EYES“ANOTHER”」全国8ヶ所16公演<br /> * アツヒロサトウ&#039;96夏のコンサートツアー「YELLOW」全国3ヶ所11公演<br /> * 写真展開催(銀座山野楽器にて)<br /> * 「1996-1997 WINTER CONCERT -Butter Cup Myrtle-」全国3ヶ所10公演<br /> 1997年<br /> * 夏のコンサートツアー「HANDSOME SUMMER」全国3ヶ所7公演<br /> * ジャニーズファンタジー「KYO TO KYO」公演<br /> * 冬のコンサートツアー「LOVE SPACE」6公演<br /> 1998年<br /> * 東京宝塚劇場コンサート<br /> * ジャニーズ祭り in東京宝塚劇場フィナーレ<br /> * 山本&amp;アツヒロ ジョイントDinner Show<br /> 1999年<br /> * 山本&amp;アツヒロ ジョイントDinner Show<br /> 2000年<br /> * 山本&amp;アツヒロ ジョイントDinner Show<br /> 2001年<br /> * 佐藤アツヒロDinner Show<br /> 2003年<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2004年<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2005年<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2008年<br /> * A&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;新感覚(シークレットライヴ)<br /> 2010年<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2011年<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2012年<br /> * 佐藤アツヒロ 25周年記念 お久しぶりですね、お茶しましょ。(ANAインターコンチネンタルホテル東京 プロミネンスIII)<br /> * 佐藤アツヒロ 祝25周年&Atsuhiro Birthday Party(東京・ホテルニューオータニ 鶴の間)<br /> 2014年<br /> * 「マホロバ」製作発表(日比谷シアタークリエ)<br /> * 佐藤アツヒロ Atsuhiro Birthday ハッピーイベント2014(恵比寿 ザ・ガーデンルーム)<br /> 2015年<br /> * 佐藤アツヒロ Atsuhiro Birthday ハッピーイベント2015(恵比寿 ザ・ガーデンルーム)<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> 2016年<br /> * 佐藤アツヒロ Atsuhiro Birthday ハッピーイベント2016〜Thank you 42 Hello…I Love You 43〜(恵比寿 ザ・ガーデンルーム)<br /> * [[ジャニーズカウントダウンライブ]]<br /> <br /> === 書籍 ===<br /> * 少年 (1991年、[[集英社]])- 光GENJI全集第7巻。1991年2月27日発売。<br /> * [[GAKKEN MOOK]]写真集「eyes collection」Atsuhiro Satoh &#039;90-&#039;96 1996年8月20日<br /> * [[ワニブックス]]写真集「ALTERNATIVE」1996年12月25日<br /> * [[LOOK at STAR!]] 「HOST★MAN」 ([[学研ホールディングス|学習研究社]])<br /> <br /> === ラジオ ===<br /> * GENJI GENKI爆発!! (当初の仮タイトルは『GENJI爆発百点満点』)(1987年 - 、ニッポン放送)<br /> * MBSラジオ「ホントにホンキでホンネさ」レギュラー出演(1995年 - 1996年)<br /> * FM愛知「CLUB EYES」(1996年 - 1998年)<br /> * bay fm「J-KIDS SQUARE」(1997年 - 1999年)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> {{光GENJI}}<br /> {{ジャニーズ}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:さとう あつひろ}}<br /> [[Category:日本のアイドル]]<br /> [[Category:日本の男優]]<br /> [[Category:ジャニーズ]]<br /> [[Category:光GENJI]]<br /> [[Category:京都府出身の人物]]<br /> [[Category:神奈川県出身の人物]]<br /> [[Category:1973年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 203.165.22.143 関町 2018-05-15T16:45:39Z <p>203.165.22.143: </p> <hr /> <div>{{Otheruses|三重県鈴鹿郡関町(せきちょう)|その他の地名|関}}<br /> {{日本の町村 (廃止)<br /> |画像=Tokaido Seki Juku Kameyama City Mie JPN 001.jpg<br /> |画像の説明=[[関宿]]<br /> |紋章=[[ファイル:Seki Mie chapter.gif|100px]]<br /> |紋章の説明=関町章(1972年10月1日制定)<br /> |廃止日=2005年(平成17年)1月11日&lt;ref name=&quot;mainichi-np-2015-1-9&quot;&gt;加藤新市(2015年1月9日). “亀山市:合併10年 11日に記念式典−−市文化会館”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)&lt;/ref&gt;<br /> |廃止理由=新設合併<br /> |廃止詳細=亀山市、&#039;&#039;&#039;関町&#039;&#039;&#039; → [[亀山市]]&lt;ref name=&quot;mainichi-np-2015-1-9&quot; /&gt;<br /> |現在の自治体=[[亀山市]]&lt;ref name=&quot;mainichi-np-2015-1-9&quot; /&gt;<br /> |よみがな=せきちょう<br /> |自治体名=関町<br /> |区分=町<br /> |支庁=<br /> |都道府県=三重県<br /> |郡=[[鈴鹿郡]]<br /> |コード=24361-2<br /> |面積=79.88<br /> |境界未定=<br /> |人口=7,277<br /> |人口の時点=2004年11月1日<br /> |木=[[スギ]]<br /> |花=[[シャクナゲ]]<br /> |シンボル名=町の鳥&lt;br /&gt;町の獣<br /> |鳥など=[[キジ]]&lt;br /&gt;[[シカ]]<br /> |隣接自治体=&#039;&#039;&#039;三重県&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;亀山市、[[伊賀市]]&lt;br /&gt;[[安芸郡 (三重県)|安芸郡]][[芸濃町]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;&#039;[[滋賀県]]&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;[[甲賀市]]<br /> |郵便番号=519-1192<br /> |所在地=鈴鹿郡関町木崎町919番地1&lt;br /&gt;[[ファイル:KameyamaCity -SekiOffice.JPG|240px|亀山市関支所(旧関町役場)]]<br /> |外部リンク=<br /> |経度=東経136度23分27.1秒<br /> |緯度=北緯34度51分16.9秒<br /> |位置画像=[[ファイル:Map.Seki-Town.Mie.PNG]]<br /> |特記事項=<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;関町&#039;&#039;&#039;(せきちょう)は、[[三重県]][[鈴鹿郡]]にあった[[町]]。[[2005年]](平成17年)[[1月11日]]に亀山市と合併し、新しい[[亀山市]]となったため廃止された&lt;ref name=&quot;mainichi-np-2015-1-9&quot; /&gt;。<br /> <br /> 中心地区である[[関宿]]は、[[江戸時代]]の[[東海道五十三次]]で、[[鈴鹿峠]]越えを控え、大和街道・[[伊勢参宮街道|伊勢別街道]]へ分岐する[[宿場町]]として栄えた。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行により、木崎村・関中町・新所村・古厩村・久我村の区域をもって&#039;&#039;&#039;関町&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> * [[1955年]](昭和30年)[[2月1日]] - [[神辺村]]の一部(大字小野字末藤・上門田・下門田・南会下・北会下・西野・長田・山神谷・栂木・東丸・西丸・走り下)・[[白川村 (三重県)|白川村]]の一部(大字鷲山および大字白木字一色・吉尾・石場・山田)を編入。<br /> * [[1955年]] ([[明治]]30年) 5月 - 関町長に伊藤偉作就任。<br /> * [[1955年]] ([[明治]]30年) 7月 - [[関]][[保育園]]完成。<br /> * 1955年(昭和30年)[[4月17日]] - [[坂下村 (三重県)|坂下村]]・[[加太村]]と合併し、改めて&#039;&#039;&#039;関町&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> * [[1956年]](昭和31年)[[8月1日]] - 加太一ツ家を[[阿山郡]][[柘植町]]に編入。<br /> * [[1957年]] (昭和32年) 10月 - 関町長に伊藤茂就任。<br /> * [[1958年]] (昭和33年) 4月 - [[芸濃町]]の一部 (萩原・福徳/旧明村)を編入。<br /> * [[1974年]] (昭和49年) 4月 - 観音山公園聖橋完成。<br /> * [[1974年]] (昭和49年) 8月 - [[坂下]]地区簡易水道給水開始。<br /> * [[2005年]]([[平成]]17年)[[1月11日]] - [[亀山市]]と合併し、改めて&#039;&#039;&#039;[[亀山市]]&#039;&#039;&#039;が発足&lt;ref name=&quot;mainichi-np-2015-1-9&quot; /&gt;。同日関町廃止。<br /> <br /> == 行政 ==<br /> * 町長:清水孝哉<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 鉄道 ===<br /> * [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)<br /> ** [[関西本線]]:[[関駅 (三重県)|関駅]] - [[加太駅 (三重県)|加太駅]] - [[中在家信号場]]<br /> <br /> === 道路 ===<br /> * [[高速道路]]<br /> ** [[伊勢自動車道]]:[[関ジャンクション|関JCT]] <br /> ** [[名阪国道]]:関JCT - [[関インターチェンジ (三重県)|関IC]] <br /> * [[一般国道]]<br /> ** [[国道1号]]<br /> ** [[国道25号]]<br /> <br /> == 公共施設 ==<br /> * 関町民会館&lt;ref name=&quot;gk&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.gappei-archive.soumu.go.jp/db/24mie/2406kame/pdf/04/13/siryou/13-03-40.pdf|title=各種事務事業の取扱い(社会教育事業)について|date=2003|publisher=亀山市・関町合併協議会|accessdate=2016-12-11|archiveurl=http://megalodon.jp/2016-1211-1836-31/www.gappei-archive.soumu.go.jp/db/24mie/2406kame/pdf/04/13/siryou/13-03-40.pdf|archivedate=2016-12-11}}&lt;/ref&gt;<br /> ** [[亀山市立図書館#関図書室|図書室]]&lt;ref name=&quot;gk&quot;/&gt;<br /> <br /> === 教育 ===<br /> * 中学校<br /> ** 関中学校<br /> * 小学校<br /> ** 加太小学校<br /> ** 関小学校<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * [[2005年]] (平成17年) 1月 [[三重県]]関町発行 - 関町五十周年記念誌<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[三重県の廃止市町村一覧]]<br /> <br /> {{Japan-area-stub}}<br /> {{デフォルトソート:せきちよう}}<br /> [[Category:亀山市域の廃止市町村]]<br /> [[Category:鈴鹿郡]]<br /> [[Category:2005年廃止の日本の市町村]]</div> 203.165.22.143
Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46