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<hr />
<div>{{出典の明記|date=2008年6月}} <!-- 違和感を覚える点はほとんどありませんが、出典を明記するようお願いします。特に注意を要するところについて出典要求をしました。 --><br />
'''実験'''(じっけん、{{Lang-en|experiment}})は、構築された[[仮説]]や、既存の[[理論]]が実際に当てはまるかどうかを確認することや、既存の理論からは[[予測]]が困難な[[対象]]について、さまざまな[[条件]]の下で様々な[[測定]]を行うこと。[[知識]]を得るための[[手法]]の一つ。<br />
<br />
実験は[[観察]](測定も含む)と共に[[科学]]の基本的な[[方法]]のひとつである。ただ、観察が対象そのものを、その姿のままに知ろうとするのに対して、実験ではそれに何らかの操作をくわえ、それによって生じる対象に起こる変化を調べ、そこから何らかの結論を出そうとするものである。ある実験の結果が正しいかどうかを確かめることを[[追試]]という。<br />
<br />
[[工学]]においては、規範的実験と設計的実験とに分類できる{{要出典|date=2008年6月}}。<br />
* 規範的実験とは、理論と原理を検証し、知識を理解・定着させ、基本的な実験操作技能や厳密で着実な作業態度を育成することを目的にしている。<br />
* 設計的実験とは、学生の実験設計能力や問題解決能力の育成を重視している{{要出典|date=2008年6月}}。<br />
<br />
より一般的な場では、目新しい手法を使う場合や、本番前の試しの意味で実験的という語が使われる場合がある。「実験的な手法」などといった表現がある。また、科学史の上では、特にその分野で重要な発見の元になった実験に対して、「○○の実験」といった固有名詞をつくる。普通は関わった研究者の名をつけて呼ばれる。<br />
<br />
== 実験と仮説 ==<br />
一般的には実験は、[[仮説]]を検証するために行われる。全く仮説なしに行われる場合もあるが、普通は観察やそれまでに知られている知見に基づき、そこにはこんな仕組みや[[法則]]があるのではないかと予想する。そしてその予想が正しければ、このような実験をすればこのような結果が出るだろう、と判断する。そこでそれを実際に行うことで、この予想を確かめる。当たれば想像は正しかったのかも知れない。当たらなければまず間違いだったとわかる。<br />
<br />
たとえばかつては「物体はその[[質量]]が大きいほど早く落ちる」と考えられていた。[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレオ]]はこれは間違いだと考え、伝説によると[[ピサの斜塔]]から[[重さ]]の異なる二つの物体を落とし、落下時間に差がないことを証明した(ここでは伝説の真偽は置く)。普通の感覚では、上記の[[命題]]はそれほど不思議とは思えない。たとえば石ころは早く落ちるし、羽根はふわふわと落ちる。しかし、これには[[空気抵抗]]などが関与している。だから、本当に質量によって落ちる速さが変わるかどうかを確かめるためには、少なくとも、二つの物体の大きさや形態を同じにし、できるだけ空気の影響を受けない形にしなければならない。そのようにしてはじめて、本当に質量だけが落下速度を決めているのかが確かめられる。これが実験に求められることである。<br />
<br />
伝説では実験ではやはり重い方がわずかに早かったともいわれる。これが質量の影響だと考えるならば、今度は質量の差と落下速度にどのような関係があるかを確かめるための実験を行うだろう。そうではなく、やはり空気の影響だと考えるなら、より空気の影響を受けない実験を行うことも方向性としてはあるだろう。このような予想、仮説の設定と実験による確認によって科学は進歩してきた。<br />
<br />
中には全く仮説なしに、とりあえず何か突いて見るべし、との判断もあり得る。特にその細部や内部の構造に予測がつかない、あるいは知見が不足している場合に、まず何か試してみて、出た結果から何かを得ようというやり方も行われる。<br />
<br />
== 対照実験 ==<br />
{{Main|対照実験}}<br />
厳密な意味での実験では、比較のための[[対照実験]](コントロール実験)が行われる。これは観察対象とする現象にある要因が影響するという仮説を実験で検証する際に、その要因だけを変え、それ以外の条件を同じにする実験をいう(''対象'' と''対照'' を間違えないように注意)。現象が起こらない対照を[[陰性対照]]、現象が起こることがすでにわかっている対照を[[陽性対照]]という。また、ある数値[[データ]]が得られることがすでにわかっている条件に設定する実験を'''標準'''といい、これも対照実験の一種である。例えば[[吸光度]]から目的とする物質の[[濃度]]を求める場合など、得られた数値データから条件を逆算するには、条件と標準データとの関係をグラフ化した'''[[標準曲線]]'''(検量線)が用いられる。対照実験は、微妙な条件が実験ごとに異なる可能性があるため、可能であれば主実験と同時に行うことも多い(対照群とか対照区とか呼ばれる)。また直接的な対照が置かれない実験でも、例えば同種の実験を従来多数行っていればそれらの結果と比較するのが普通であり、このような従来の実験結果を'''背景'''(バックグラウンド)'''データ'''という。対照実験が不可能な場合(例えば生命に係るような医学的処置、あるいは条件の設定が困難な自然現象や社会現象を調べる場合)もあるが、この場合にも対照の代わりに比較できるようなデータを得る工夫が必要である。<br />
<br />
== 実験計画 ==<br />
[[物理学]]や[[化学]]の実験では条件を一定に設定して実験するのが普通だが、[[生物学]]などでは(対象によるが)条件設定がより困難であり、[[社会科学]]などではさらに困難となる。従って実験の計画に当たっては、物理学や化学などでは条件を設定して[[再現性]]を確認することに主眼が置かれ、[[医学]]や社会科学などでは[[統計学]]的方法によってバラツキを減らすことに主眼が置かれる。効率のよい実験を行うための応用統計学的方法として[[実験計画法]]があり、これは生物学、医学、社会科学、工学などに利用されている。<br />
<br />
== 物理実験 ==<br />
{{See also|実験物理学}}<br />
理論的予想を検証するため、新しい物理法則を見つけ出すため、或いは既存の実験の精度を高め[[再現性]]を確認するために行われる実験。なお、学生実験は大規模で形式的な追実験の一種である。<br />
<br />
== 化学実験 ==<br />
化学の分野における実験とは、主として新規[[物質]]の[[合成]]、新しい[[化学反応]]の探索、[[化学構造]]や[[物性]]の解析、などを目的とする。化学実験の[[ステレオタイプ]]であるような、[[白衣]]姿で[[試薬]]と[[フラスコ]]を駆使する、という実験は合成を行うときのみであり、近年ではコンピュータ制御の大型測定装置による[[機器分析]]も分野を問わず頻繁に行われる。また、[[理論化学]]や[[計算化学]]などの分野では全く実験をせずに、計算のみで化学的な性質の議論が行われる。<br />
<br />
== 仮想実験 ==<br />
実際に実験ができないものについて(または実際の実験結果と比較するために)、架空で実験をしてみるというもの。そのためには対象物の性質に関する情報が必要であり、これが間違っていれば大きな[[誤差]]を生じるであろう。近年では[[コンピュータ]]を使うことで細部の計算を精密にすることで現実に近い結果を求めることが試されている。<br />
* [[思考実験]]<br />
* [[計算機実験]]([[計算機]]による[[シミュレーション]])<br />
<br />
== 生物学において ==<br />
{{See also|動物実験}}<br />
生物学は特にその初期において、その起源を博物学におき、主として記載的な学問と考えられてきた。そのため、観察は重要な手法であったが、実験についてはそれをどのように行えばいいかすらわからなかった。物理化学の対象に比べ、生物の性質そのものが複雑でありすぎたためかも知れない。[[ヤン・ファン・ヘルモント|ファン・ヘルモント]]によるネズミの[[自然発生説|自然発生]]の証明と植物の生長が土壌の吸収によらないことの証明との共存がそのあたりを物語るとも言える。<br />
<br />
しかし次第に生物に関する細部の知識が増えるに連れ、様々な実験が行われるようになった。たとえば発生学では記載と群間の比較に始まり、19世紀末に[[実験発生学]]が行われるようになった。[[メンデル]]は19世紀半ばに遺伝の実験を行い、[[メンデルの法則|遺伝法則]]を発見したが、当時の生物学はこれを受け入れず、それが理解されるようになったのはやはり19世紀末である。遺伝学ではそれ以前からも交配実験が行われたが、そもそもその結果を解釈するための手法や、理解するための細部の知識が存在しなかったためにその結果が利用できなかったものと考えられる。なお、[[自然発生説]]については、例外的に先述のファン・ヘルモント以降、19世紀半ばに[[パスツール]]によって結論が出るまで、長く実験に基づく論争が繰り返された。これは、重要な問題ではありながら、ある意味で生命現象の細部の理解が必要ないわかりやすい現象であったためであろう。<br />
<br />
生物学においては、その構成が物理化学的な対象である[[分子]]や[[原子]]であり、少なくとも細部においてはその性質に基づいて理解されるべきであるが、その間の乖離があまりに大きい。これはその対象にも、その現象の背景にも言えることである。したがって、そのような対象に関する実験を行う場合、それを試験管に取り出して実験を行って得られた結果が、その生物に於いて実際にあり得るとは限らない場合もある。そこで、その実験がどの条件で行われたかを以下のように言い表す。それぞれの意味は、対象や分野によってやや異なる。<br />
* ''[[in vitro]]''(インビトロ):生体外・細胞内や生体内を[[試験管]]など人工容器に取り出して再現する。<br />
* ''[[in vivo]]''(インビボ):生体内、生きた細胞の中で実験する。<br />
* ''[[in situ]]''(インサイチュー):生きた生物のそれが本来あるべき場所、あるいはその場の細胞内で実験する。<br />
<br />
== 哲学的背景 ==<br />
物理学ひいては科学全体の営みの中で、実験という行為は非常に重要な意味を持っており、そのため[[哲学]]においてもしばしばその意味や役割が議論される。そういった議論は哲学の中の、[[科学哲学]](科学の意味や正当性について議論する哲学の一分科)において行われる。例えば科学哲学の世界の有名な主張である[[カール・ポパー|ポパー]]の[[反証主義]]は、実験に最重要の位置づけを与えており、「[[反証可能性]]」(実験によって否定される可能性)を持たない理論は科学理論とは言えない、と主張する。この反証可能性の概念は科学者の間では有名なものであり{{要出典|date=2008年7月}}、疑似科学を批判するさいに今でも良く引き合いに出される。その他、実験という行為の意味付けや、その理論的バックボーンについてなどの様々な議論も、もっぱら[[科学哲学]]を中心に行われている。<br />
<br />
== 教育の場で ==<br />
[[初等教育|初等]]・[[中等教育|中等]]の[[学校教育]]の場では、[[理科]]の実験はそれなりに重視されている。理科の内容を理解するためには、実物に触れるのは大事なことであり、また、様々な実験において、対象物が時に意外な変化をするのは、子どもにとっても大きな驚きの体験となる。<br />
<br />
ただし、実験は場所や準備の時間など、労力が大きいこと、それに知識の伝授という立場からは効率がよくない点など、一部では煙たがられる。また、機材などを多く要することから、その整備も重要である。日本では[[理科教育振興法]]によってこれが推進されている。<br />
<br />
理科以外においても、予測を立ててそれを試してみることはままあり、そういった方法をより発展させたものに「[[仮説実験授業]]」がある{{要出典|date=2008年6月}}。<br />
<br />
[[高等教育]]の専門分野においても、実験は重要である。ここでは知識と体験の伝授と同時に、自ら新しい実験を行えるような実験技術の習得が求められる。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* {{Cite journal|和書|author = 川崎謙|year = 2001|title = 実験 : その日本的様相|journal = 科学教育研究|volume = 25|issue = 1|pages = 2-10|publisher = [[日本科学教育学会]]|issn = 0386-4553|doi = |naid = 110002704871|id = |url = http://ci.nii.ac.jp/naid/110002704871|format = PDF}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commonscat|Experiments}}<br />
{{Wiktionary}}<br />
* [[実験の一覧]]<br />
* [[科学実験の年表]]<br />
* [[実験ノート]]<br />
* [[試験]](分析試験、臨床試験などのいわゆる学校のテストとは異なるもの)<br />
* [[観察]]<br />
* [[測定]]<br />
* [[実験心理学]]<br />
* [[実験考古学]]<br />
* [[動物実験]]<br />
* [[擬似相関]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しつけん}}<br />
[[Category:実験|*]]<br />
[[Category:科学的方法]]<br />
[[Category:科学哲学の概念]]<br />
[[Category:科学哲学の主題]]<br />
[[category:和製漢語]]<br />
[[Category:哲学の和製漢語]]<br />
[[Category:評価方法]]</div>202.214.30.73公倍数2017-12-25T05:35:41Z<p>202.214.30.73: 2400:4020:9C8F:FD00:C4F0:D560:E4F5:AD03 (会話) による ID:66737077 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''公倍数'''(こうばいすう)とは、2つ以上の整数に共通な倍数。例えば、<math>2</math>と<math>3</math>の公倍数は-18,-12,-6,0,6,12,18などである。ただし、算数では、倍数に<math>0</math>を含めないので、公倍数にも<math>0</math>を含めない。<br />
<br />
公倍数のうち、正で最小のものを[[最小公倍数]]という。上の例でいうと、<math>2</math>と<math>3</math>の最小公倍数は<math>6</math>である。<br />
<br />
与えられた2つ(以上)の数に対し、それら全てを掛け合わせたものは、それらの数の公倍数になるが、最小公倍数になるとは限らない。例えば、<math>4</math>と<math>6</math>の最小公倍数は<math>12</math>であるが、<math>4 \cdot 6 = 24</math>である。<br />
<br />
==一般化==<br />
二つの整数<math>m,\ n</math>の'''公倍数'''とは、<math>m</math>の倍数全体の集合<math>m \mathbb{Z} = \{mk|k</math>は整数全体を動く<math>\}</math>、<math>n</math>の倍数全体の集合<math>n \mathbb{Z} = \{nk|k</math>は整数全体を動く<math>\}</math>の集合の共通部分<math>m \mathbb{Z} \cap n \mathbb{Z}</math>に属する整数のことである。<br />
<br />
<math>m \mathbb{Z} \cap n \mathbb{Z}</math>はある整数<math>c</math>を用いて<math>c \mathbb{Z} = \{ck|k</math>は整数全体を動く<math>\}</math>の形に表すことができる。このような<math>c</math>は正と負の2つが存在し、正の方を<math>m</math>と<math>n</math>の'''最小公倍数'''という。これらの概念は<math>m,\ n</math>が正の整数のとき、既に定義したものと一致する。<br />
<br />
この定義に現れる「整数」を一般の「単項イデアル整域の元」に取り替えても、全く同様の概念として公倍元・最小公倍元を定義できる。一般の[[環論|環]]では、公倍元は定義できるが最小公倍元の存在は必ずしもいえない。<br />
<br />
==関連記事==<br />
*[[最小公倍数]]<br />
*[[公約数]]<br />
<br />
[[Category:数論|こうはいすう]]<br />
[[Category:初等数学|こうはいすう]]<br />
[[Category:数学に関する記事|こうはいすう]]</div>202.214.30.73全体2017-12-21T23:55:29Z<p>202.214.30.73: 126.198.18.157 (会話) による ID:66701325 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''全体'''(ぜんたい)とは、ある特定の事物を残らず集め、何も欠けていないその事物のこと。'''全部'''、'''総体'''、'''全て'''ともいう。<br />
<br />
== ホーリズム ==<br />
{{main|ホーリズム}}<br />
全体は部分や[[要素]]に還元できない独自の[[原理]]を持つため、全体それ自身の原理的な[[考察]]が必要であるとする考え方を'''ホーリズム'''(全体論)といい、[[還元主義]] と対立する。この考え方は[[原子]]から人間社会に至るまで様々な場合で成り立つ(但し、[[数学]]の[[集合]]だけは例外で、ある要素および[[部分集合]]のみに注目したときの下の集まりを[[全体集合]]といい、要素の総和であるという考え方の下に成り立つ)。<br />
<br />
[[生物学]]や[[生理学]]では要素に還元することなく全体を把握するためには、要素以外の原理を必要とすることから、しばしば[[生気論]]と結びついてきた。この生気論は、[[生命]]現象は[[物理]]や[[化学]]の[[法則]]のみでは説明できない独特の[[原理]]があるという考え方であるが、これによって科学的に説明することになるかどうかには、よくわからない問題がある。<br />
<br />
== 全体主義 ==<br />
{{main|全体主義}}<br />
[[社会学]]においては、社会は単なる[[個人]]の集合でなく、独自のあり方を持っており、個人が[[社会]]に規定されている面のほうが多いと考えられている。この考え方が発展したのが'''全体主義'''である。<br />
<br />
== 参考書籍 ==<br />
*[[広辞苑]](第5版、[[岩波書店]])<br />
*[[世界大百科事典]]([[平凡社]])<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[全体主義]]<br />
* [[ホーリズム]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:せんたい}}<br />
{{philos-stub}}<br />
[[Category:哲学の概念]]<br />
<br />
[[fa:کلنگری]]</div>202.214.30.73令旨2017-12-14T05:34:28Z<p>202.214.30.73: 240F:3:7B91:1:5578:6E62:BAA7:DA22 (会話) による ID:66619257 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''令旨'''(りょうじ)とは、[[律令制]]のもとで出された、[[皇太子]]・三后([[太皇太后]]・[[皇太后]]・[[皇后]])の[[命令]]を伝えるために出した文書。<br />
<br />
[[中国]]([[唐]])では[[皇太子]]の命令を伝える文書を「令」といったが、それが[[日本]]に伝わり、[[日本]]では[[皇太子]]の命令を伝える文書を令旨といい、[[太皇太后]]・[[皇太后]]・[[皇后]]の出す文書もこれに準じた。[[平安時代]]中期以降は、[[皇太子]]・三后に加えて[[女院]]や[[親王]]などの[[皇族]]の命令も令旨と呼ばれるようになった。<br />
<br />
歴史上有名な令旨としては、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)の際に諸国の[[源氏]]に挙兵を命じるために[[以仁王]]が発した「[[以仁王の挙兵|以仁王の令旨]]」があるが、これは皇太子でも親王でもない以仁王が命令の正統性を高めるためにあえて親王の身位を冒して発したもので、本来ならば王の命令書は「[[御教書]]」と呼ばれるべきものだった。<br />
<br />
なお、[[天皇]]の命令を伝える文書に[[宣旨]]・[[綸旨]]などがある。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[院宣]]<br />
*[[綸旨]]<br />
*[[宣旨]]<br />
<br />
{{Japanese-history-stub}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:りようし}}<br />
[[Category:奈良時代]]<br />
[[Category:平安時代]]<br />
[[Category:鎌倉時代]]<br />
[[Category:日本の律令制]]<br />
[[Category:古文書]]<br />
[[Category:命令文書]]</div>202.214.30.73ミカン科2017-12-04T06:20:06Z<p>202.214.30.73: rvv</p>
<hr />
<div>{{生物分類表<br />
|名称 = ミカン科<br />
|色 = lightgreen<br />
|画像=[[File:Ruta_graveolens3.jpg|250px]]<br />
|画像キャプション = [[ヘンルーダ]]<br />
|分類体系 = [[APG III]]<br />
|界 = [[植物界]] [[w:Plantae|Plantae]]<br />
|門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}}<br />
|綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}}<br />
|下綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||Rosids}}<br />
|目 = [[ムクロジ目]] [[w:Sapindales|Sapindales]]<br />
|科 = '''ミカン科''' [[w:Rutaceae|Rutaceae]]<br />
|下位分類名 = [[属 (分類学)|属]]<br />
|下位分類 = * 本文参照<br />
|学名 = Rutaceae {{AU|[[アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー|Juss.]], 1789}}<br />
}}<br />
<br />
[[ファイル:Lemon tree flower.jpg|thumb|[[レモン]]]]<br />
<br />
'''ミカン科'''(Rutaceae)は[[双子葉植物]]の[[科 (生物)|科]]で約150[[属 (分類学)|属]]、900[[種 (分類学)|種]]からなる。[[木]](一部[[草本]])の状態で存在し、[[温帯]]から[[熱帯]]に分布する。[[精油]]を含み芳香(異臭の場合もある)を有する。花に芳香のあるものも多い。<br />
<br />
== 利用 ==<br />
ミカン科の[[柑橘類]](ミカン属、キンカン属、カラタチ属などのグループ)は[[果樹]]として非常に重要であるとされ、[[サンショウ]]、[[コブミカン]]、[[オオバゲッキツ]]などは、[[香辛料]]として用いられる。[[キハダ (植物)|キハダ]]、[[ゴシュユ]]、[[ヘンルーダ]]など薬用に用いられたものや、[[ミヤマシキミ]]など[[有毒植物]]もある。観賞用に栽培されるものとして{{仮リンク|ボロニア (品種)|en|Boronia|preserve=1}}、[[ゲッキツ]]などがある。また、[[アゲハチョウ]]科の[[チョウ]]の[[食草]]としても知られる。<br />
<br />
== 属(アルファベット順) ==<br />
'''目次'''<br />
__NOTOC__<br />
[[#A|A]] [[#B|B]] [[#C|C]] [[#D|D]] [[#E|E]] [[#F|F]] [[#G|G]]<br />
[[#H|H]] [[#I|I]] [[#J|J]] [[#K|K]] [[#L|L]] [[#M|M]] [[#N|N]]<br />
[[#O|O]] [[#P|P]] [[#Q|Q]] [[#R|R]] [[#S|S]] [[#T|T]] [[#U|U]]<br />
[[#V|V]] [[#W|W]] [[#X|X]] [[#Y|Y]] [[#Z|Z]]<br />
<br />
=== A ===<br />
*''Acmadenia''<br />
*''Acradenia''<br />
*''Acronychia''<br />
*''Adenandra''<br />
*''Adiscanthus''<br />
*''Aegle''<br />
*''Aeglopsis''<br />
*''Afraegle''<br />
*''Agathosma''<br />
*''Almeidea''<br />
*''Amyris''<br />
*''Angostura''<br />
*''Apocaulon''<br />
*''Araliopsis''<br />
*''Asterolasia''<br />
*''Atalantia''<br />
<br />
=== B ===<br />
*''Balfourodendron''<br />
*''Balsomocitrus''<br />
*''Bergera''<br />
*''Boenninghausenia''([[マツカゼソウ属]])<br />
*''Boninia''([[シロテツ属]])<br />
*''Boronia''([[ボロニア属]])<br />
*''Bosistoa''<br />
*''Bouchardatia''<br />
*''Bouzetia''<br />
*''Brombya''<br />
*''Burkillanthus''<br />
<br />
=== C ===<br />
*''Calodendrum''<br />
*''Casimiroa''<br />
*''Choisya''<br />
*''Chorilaena''<br />
*''Citropsis''<span style="font-size: 0.77em;">([[:en:Citropsis|英語版]])</span><br />
*''Citrus''([[ミカン属]]:[[ウンシュウミカン]]、[[ユズ]]、[[レモン]]など)<br />
*''Clausena''([[ワンピ属]])<br />
*''Clymenia''<br />
*''Cneoridium''<br />
*''Coleonema''<br />
*''Comptonella''<br />
*''Correa''<br />
*''Crowea''<br />
*''Cusparia''<br />
<br />
=== D ===<br />
*''Decagonocarpus''<br />
*''Decatropis''<br />
*''Decazyx''<br />
*''Dictamnus''([[ハクセン属]])<br />
*''Dictyoloma''<br />
*''Diosma''<br />
*''Diphasia''<br />
*''Diphasiopsis''<br />
*''Diplolaena''<br />
*''Drummondita''<br />
*''Dutaillyea''<br />
<br />
=== E ===<br />
*''Empleurum''<br />
*''Eremocitrus''<br />
*''Eriostemon''<br />
*''Erythrochiton''<br />
*''Esenbeckia''<br />
*''Euchaetis''<br />
*''Euodia''([[オガサワラゴシュユ属]])<br />
*''Euxylophora''<br />
*''Evodiella''<br />
<br />
=== F ===<br />
*''Fagaria''<br />
*''Fagaropsis''<br />
*''Feronia''<br />
*''Feroniella''<br />
*''Fortunella''([[キンカン属]]:[[キンカン]])<br />
<br />
=== G ===<br />
*''Galipea''<br />
*''Geijera''<br />
*''Geleznowia''<br />
*''Glycosmis''([[ハナシンボウギ属]])<br />
<br />
=== H ===<br />
*''Halfordia''<br />
*''Haplophyllum''<br />
*''Helietta''<br />
*''Hortia''<br />
<br />
=== I ===<br />
*''Ivodea''<br />
<br />
=== J ===<br />
<br />
=== K ===<br />
*''Kodalyodendron''<br />
<br />
=== L ===<br />
*''Leptothyrsa''<br />
*''Limnocitrus''<br />
*''Limonia''<span style="font-size: 0.77em;">([[:en:Limonia acidissima|英語版]])</span><br />
*''Lubaria''<br />
*''Lunasia''<br />
*''Luvunga''<br />
<br />
=== M ===<br />
*''Maclurodendron''<br />
*''Macrostylis''<br />
*''Medicosma''<br />
*''Megastigma''<br />
*''Melicope''([[アワダン属]]):[[アワダン]]<br />
*''Merope''<br />
*''Merrillia''<br />
*''Metrodorea''<br />
*''Microcitrus''<br />
*''Microcybe''<br />
*''Micromelum''<br />
*''Monanthocitrus''<br />
*''Monnieria''<br />
*''Muiriantha''<br />
*''Murraya''([[ゲッキツ属]]):[[ゲッキツ]]<br />
*''Myrtopsis''<br />
<br />
=== N ===<br />
*''Naringi''<br />
*''Naudinia''<br />
*''Nematolepis''<br />
*''Neobyrnesia''<br />
*''Neoraputia''<br />
*''Nycticalanthus''<br />
<br />
=== O ===<br />
*''Oricia''<br />
*''Oriciopsis''<br />
*''Orixa''([[コクサギ属]])<br />
*''Oxanthera''<br />
<br />
=== P ===<br />
*''Pamburus''<br />
*''Paramignya''<br />
*''Peltostigma''<br />
*''Pentaceras''<br />
*''Phebalium''<br />
*''Phellodendron''([[キハダ属]])<br />
*''Philotheca''<br />
*''Phyllosma''<br />
*''Pilocarpus''<br />
*''Pitavia''<br />
*''Platydesma''<br />
*''Pleiospermium''<br />
*''Plethadenia''<br />
*''Polyaster''<br />
*''Poncirus''([[カラタチ属]])<br />
*''Pseudiosma''<br />
*''Psilopeganum''<br />
*''Ptelea''([[ホップノキ属]])<br />
<br />
=== Q ===<br />
<br />
=== R ===<br />
*''Raputia''<br />
*''Raputiarana''<br />
*''Rauia''<br />
*''Raulinosa''<br />
*''Ravenia''<br />
*''Raveniopsis''<br />
*''Rhadinothamnus''<br />
*''Ruta''([[ヘンルーダ属]]:[[ヘンルーダ]])<br />
*''Rutaneblina''<br />
<br />
=== S ===<br />
*''Sarcomelicope''<br />
*''Sargentia''<br />
*''Severinia''<br />
*''Sheilanthera''<br />
*''Sigmatanthus''<br />
*''Skimmia''([[ミヤマシキミ属]]:[[ツルシキミ]])<br />
*''Spathelia''<br />
*''Spiranthera''<br />
*''Stauranthus''<br />
*''Swinglea''<br />
<br />
=== T ===<br />
*''Teclea''<br />
*''Tetractomia''<br />
*''Tetradium''([[ゴシュユ属]])<br />
*''Thamnosma''<br />
*''Ticorea''<br />
*''Toddalia''([[サルカケミカン属]])<br />
*''Toddaliopsis''<br />
*''Tractocopevodia''<br />
*''Triphasia''<br />
<br />
=== U ===<br />
<br />
=== V ===<br />
*''Vepris''<br />
<br />
=== W ===<br />
*''Wenzelia''<br />
<br />
=== X ===<br />
<br />
=== Y ===<br />
<br />
=== Z ===<br />
*''Zanthoxylum''([[サンショウ属]]:[[サンショウ]])<br />
*''Zieria''<br />
*''Zieridium''<br />
<br />
== 下位分類 ==<br />
一部不確定であるが、一般に次のように下位分類(亜科・連・属)されている。<br />
*ヘンルーダ亜科 Rutoideae<br />
**サンショウ連 Zanthoxyleae<br />
***''Bosistoa''<br />
***サンショウ属<br />
***''Evodiella''<br />
***コクサギ属<br />
***アワダン属<br />
***''Choisya''<br />
***''Platydesma''<br />
**マツカゼソウ連 Ruteae<br />
***マツカゼソウ属<br />
***''Psilopeganum''<br />
***ヘンルーダ属<br />
***''Thamnosma''<br />
***''Cneoridium''<br />
***ハクセン属<br />
**ボロニア連 Boronieae<br />
***''Eriostemon''<br />
***''Phebalium''<br />
***''Asterolasia''<br />
***''Correa''<br />
***ボロニア属<br />
**Diosmeae連<br />
***''Agathosma''<br />
***''Diosma''<br />
**Cusparieae連<br />
***''Pilocarpus''<br />
***''Esenbeckia''<br />
***''Euxylophora''<br />
***''Erythrochiton''<br />
*サルカケミカン亜科 Toddalioideae<br />
**キハダ属<br />
**ホップノキ属<br />
**''Oricia''<br />
**''Vepris''<br />
**''Acronychia''<br />
**サルカケミカン属<br />
**ミヤマシキミ属<br />
**''Amyris''<br />
**''Teclea''<br />
*ミカン亜科 Aurantioideae<br />
**ミカン連 Citreae<br />
***カラタチ属<br />
***ミカン属<br />
***''Clymenia''<br />
***''Microcitrus''<br />
***キンカン属<br />
***''Citropsis''<br />
***''Limonia''<br />
***''Triphasia''<br />
**ワンピ連 Clauseneae<br />
***ゲッキツ属<br />
***ワンピ属<br />
***''Atalantia''<br />
***''Swinglea''<br />
***''Aegle''<br />
***ハナシンボウギ属<br />
*Spathelioideae亜科<br />
**''Spathelia''<br />
*Dictyolomatoideae亜科<br />
**''Dictyoloma''<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[柑橘類]]<br />
*[[:Category:ミカン科]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{ウィキポータルリンク|植物|[[ファイル:Gluecksklee.jpg|32px]]}}<br />
{{ウィキプロジェクトリンク|植物|[[ファイル:Gluecksklee.jpg|32px]]}}<br />
* [http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/rutaceae/rutaceae.htm ミカン科]<br />
* [http://www.yonemura.co.jp/zukan/zukan-f/kaindex/z-mikan.htm ミカン科]<br />
<br />
{{柑橘類}}<br />
[[Category:フウロソウ目|みかんか]]<br />
[[Category:ミカン科|*]]</div>202.214.30.73道光2017-11-28T07:57:56Z<p>202.214.30.73: 222.76.60.70 (会話) による ID:66444392 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''道光'''(どうこう、[[満州語]]:{{mongol|ᡩᠣᠷᠣ<br>ᠡᠯᡩᡝᠩᡤᡝ}}、転写:doro eldengge)は[[清]]の[[道光帝|宣宗]]の治世中に使われた[[元号一覧 (中国)|元号]]。[[1821年]] - [[1850年]]。[[一世一元の制]]を採用していたため宣宗は'''道光帝'''と称される。<br />
<br />
{{ウィキプロジェクトリンク|紀年法}}<br />
<br />
<br />
==西暦との対照表==<br />
{| class="wikitable" style="background-color:#ffffff;text-align:center"<br />
|- style="background-color:#cccccc;font-weight:bold"<br />
|道光||元年||2年||3年||4年||5年||6年||7年||8年||9年||10年<br />
|- <br />
|[[西暦]]||[[1821年]]||[[1822年]]||[[1823年]]||[[1824年]]||[[1825年]]||[[1826年]]||[[1827年]]||[[1828年]]||[[1829年]]||[[1830年]]<br />
|-<br />
|[[干支]]||[[辛巳]]||[[壬午]]||[[癸未]]||[[甲申]]||[[乙酉]]||[[丙戌]]||[[丁亥]]||[[戊子]]||[[己丑]]||[[庚寅]]<br />
|- style="background-color:#cccccc;font-weight:bold"<br />
|道光||11年||12年||13年||14年||15年||16年||17年||18年||19年||20年<br />
|- <br />
|[[西暦]]||[[1831年]]||[[1832年]]||[[1833年]]||[[1834年]]||[[1835年]]||[[1836年]]||[[1837年]]||[[1838年]]||[[1839年]]||[[1840年]]<br />
|-<br />
|[[干支]]||[[辛卯]]||[[壬辰]]||[[癸巳]]||[[甲午]]||[[乙未]]||[[丙申]]||[[丁酉]]||[[戊戌]]||[[己亥]]||[[庚子]]<br />
|- style="background-color:#cccccc;font-weight:bold"<br />
|道光||21年||22年||23年||24年||25年||26年||27年||28年||29年||30年<br />
|-<br />
|[[西暦]]||[[1841年]]||[[1842年]]||[[1843年]]||[[1844年]]||[[1845年]]||[[1846年]]||[[1847年]]||[[1848年]]||[[1849年]]||[[1850年]]<br />
|-<br />
|[[干支]]||[[辛丑]]||[[壬寅]]||[[癸卯]]||[[甲辰]]||[[乙巳]]||[[丙午]]||[[丁未]]||[[戊申]]||[[己酉]]||[[庚戌]]<br />
|}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[元号一覧 (中国)]]<br />
*[[元号一覧 (朝鮮)]]<br />
*[[元号一覧 (台湾)]]<br />
<br />
{{中国の元号|[[清]]|[[嘉慶 (清)|嘉慶]]|[[咸豊]]|とうこう}}<br />
{{台湾の元号}}<br />
[[Category:清の元号]]<br />
[[Category:台湾の元号|清]]</div>202.214.30.73戦略爆撃機2017-11-24T05:02:27Z<p>202.214.30.73: 106.186.217.10 (会話) による ID:66397939 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2015-11-16}}<br />
[[ファイル:B-2 launch jassm.jpg|thumb|300px|AGM-158巡航ミサイルを投下する[[B-2 (航空機)|B-2 スピリット]]]]<br />
'''戦略爆撃機'''(せんりゃくばくげきき)は、前線後方の戦略目標([[司令部]]、[[工場|生産施設]]、[[発電所]]など)の破壊に使用される爆撃機。爆撃機の発展とともに戦略爆撃機のみになったが、[[戦術爆撃]]にも使用される。戦略目標の爆撃に戦術機の[[戦闘攻撃機]]で[[核兵器]]を投入できるようになり、戦略爆撃と戦術爆撃の区別が難しくなり、[[冷戦]]後は明確な戦術機と戦略機の区別がなくなっている<ref>青木謙知『ミリタリー選書1現代軍用機入門 (軍用機知識の基礎から応用まで)』イカロス出版14頁</ref>。<br />
<br />
== 性能 ==<br />
戦略爆撃機にはその攻撃目標の性質上次のような性能が求められる。<br />
# 敵地奥深くに侵入するための[[航続距離|航続]]力<br />
# [[爆弾]]を多量に搭載する能力<br />
# [[護衛]]戦闘機がつかない場合の[[防御]][[火器]]、高々度飛行能力、高速飛行能力<br />
これらの性能を満たすために、大型の[[発動機]]を四つまたはそれ以上有している。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
その歴史は古く、[[第一次世界大戦]]時には既に投入されている。<br />
<br />
世界で最初に実用化に成功した戦略爆撃機(厳密には大型爆撃機)の祖は、3発エンジンの[[イタリア軍]]のカプロニCa.36型といわれ、296機生産されたという。第一次大戦中には、[[ロシア帝国]]が世界最初の4発爆撃機[[イリヤー・ムーロメツ_(航空機)|イリヤ・ムロメッツ5]]を約80機。[[イギリス]]が4発のハンドレページV-1500を36機生産し、[[ベルリン]]を夜間空襲。また、[[ドイツ帝国]]はツェッペリン飛行船を使用して[[ロンドン]]や[[パリ]]を夜間空襲。大戦後期には4発の巨大爆撃機ツェッペリン・シュタッケンR-6を18機生産。英仏連合軍への夜間空襲に使用した。当時の爆撃機はいずれも低速だったので、損害を減らすため主に夜間に使われた。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]では、上記のような性能を持った4発エンジンの戦略爆撃機を[[枢軸国]]側([[He 177 (航空機)|ハインケル He 177 グライフ]],[[P.108 (航空機)|P.108]])も[[ソビエト連邦]]([[Pe-8 (航空機)|ペトリャコフ Pe-8]])も大量生産はできず、少数生産された機体も、戦略爆撃を行うには若干性能面で劣っていたため、この分野では[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側の[[アメリカ合衆国]]・イギリス両国の爆撃機に限定された。アメリカの[[B-17 (航空機)|B-17]]及び[[B-24 (航空機)|B-24]]が主に昼間爆撃に、[[イギリス]]の[[アブロ ランカスター]]、[[ハンドレページ ハリファックス]]、[[ショート スターリング]]が主に夜間爆撃に使用された。<br />
<br />
アメリカは大戦末期に[[日本]]本土に対して戦略爆撃を実施したが、長大な航続距離を要する事から上記のB-17及びB-24ではいずれも不十分で、当時最新鋭で最高性能の大型戦略爆撃機[[B-29 (航空機)|B-29]]を投入した。<br />
<br />
第二次大戦後は、[[核爆弾]]による攻撃を主軸に置きはじめ、[[冷戦]]の影響もあって開発が進んだが、[[核兵器]]の小型化により[[ミサイル]]への搭載が可能となりミサイル技術の発達とともに、衰退していった。それと同時に、航空機技術の進歩により[[戦闘爆撃機]]・[[マルチロール機]]が発達したため、[[戦闘機]]を兼務する小型な機体であっても、かつての戦略爆撃機に近い、もしくは同等の能力を得た事も、この傾向に拍車をかける事となった。現在でも大型の戦略爆撃機を運用しているのは、アメリカ合衆国、[[ロシア|ロシア連邦]]、[[中華人民共和国]]に限られている。現在のフランス空軍において戦略爆撃機として運用されている[[ミラージュ2000N (航空機)|ミラージュ2000N]]は戦闘機ベースの機体であり、しかも原型機の[[ミラージュ2000N (航空機)|ミラージュ2000]]は、[[第4世代ジェット戦闘機|第4世代のジェット戦闘機]]としても比較的小型・軽量な部類に入る。<br />
<br />
近年では、爆弾の搭載量の多さから、[[ベトナム戦争]]から、アメリカ主導の[[対テロ戦争]]まで、拠点制圧などにおける有効性が再評価されてきている。しかしながら新規の戦略爆撃機の開発は停滞傾向にあり、アメリカ合衆国の[[B-52 (航空機)|B-52]]やロシアの[[Tu-95 (航空機)|Tu-95]]、中国の[[H-6 (航空機)|轟炸六型]](ロシアの[[Tu-16 (航空機)|Tu-16]]を国産化・近代化改修)など、現在でも[[1950年代]]に開発された戦略爆撃機が主体となっている。<br />
<br />
== 戦略爆撃機の一覧 ==<br />
;第一次世界大戦期<br />
{{DEU1871}}<br />
* [[ツェッペリン]] ([[飛行船]])<br />
* [[ゴータ G.IV|ゴータ G]]<br />
<br />
{{UK}}<br />
* [[ハンドレページ]] [[ハンドレページ O/400|O/400]]<br />
* ハンドレページ V/1500<br />
<br />
{{RUS}}<br />
* [[イーゴリ・シコールスキイ|シコールスキイ]] [[イリヤー・ムーロメツ (航空機)|イリヤー・ムーロメツ]]<br />
<br />
;第二次世界大戦期<br />
{{USA}}<br />
* [[ボーイング]] [[B-17 (航空機)|B-17 フライングフォートレス]]<br />
* [[コンソリデーテッド]] [[B-24 (航空機)|B-24 リベレーター]]<br />
* ボーイング [[B-29 (航空機)|B-29 スーパーフォートレス]]<br />
<br />
{{UK}}<br />
* [[アブロ]] [[アブロ ランカスター|ランカスター]]<br />
* [[ハンドレページ ハリファックス]]<br />
* [[ショート・ブラザーズ|ショート]] [[ショート スターリング|スターリング]]<br />
<br />
;冷戦期<br />
{{USA}}<br />
* [[コンベア]] [[B-36 (航空機)|B-36 ピースメーカー]]<br />
* [[ボーイング]] [[B-47 (航空機)|B-47 ストラトジェット]]<br />
* コンベア [[B-58 (航空機)|B-58 ハスラー]]<br />
* [[ノースアメリカン]] [[XB-70 (航空機)|XB-70 ヴァルキリー]]<br />
<br />
{{UK}}<br />
* [[ビッカース ヴァリアント]]<br />
* [[ハンドレページ ヴィクター]]<br />
* [[アブロ バルカン]]<br />
<br />
{{FRA}}<br />
* [[ダッソー]] [[ミラージュIV (航空機)|ミラージュIV]]<br />
<br />
{{SSR}}<br />
* [[V・M・ミャスィーシチェフ記念試作機械製造工場|ミャスィーシチェフ]] [[M-4 (航空機)|M-4]] ([[NATOコードネーム|NATOコード名]]「バイソン」)<br />
* [[ツポレフ]] [[Tu-4 (航空機)|Tu-4]] (NATOコード名「ブル」)<br />
<br />
;冷戦後<br />
{{USA}}<br />
* [[ボーイング]] [[B-52 (航空機)|B-52ストラトフォートレス]]<br />
* [[ロックウェル・インターナショナル|ロックウェル]] [[B-1 (航空機)|B-1ランサー]]<br />
* [[ノースロップ]] [[B-2 (航空機)|B-2スピリット]]<br />
* [[ノースロップ・グラマン]] [[B-21 (航空機)|B-21 レイダー]]<br />
<br />
{{RUS}}<br />
* ツポレフ [[Tu-22M (航空機)|Tu-22M]] (NATOコード名「バックファイア」)<br />
* ツポレフ [[Tu-95 (航空機)|Tu-95]] (NATOコード名「ベア」)<br />
* [[ツポレフ]] [[Tu-160_(航空機)|Tu-160]] (NATOコード名「ブラックジャック」)<br />
* [[PAK DA (航空機)|PAK DA]] - 開発中<br />
<br />
{{CHN}}<br />
* [[H-6 (航空機)|轟炸六型]]<br />
* [[H-20]] - 開発中<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[爆撃機]]<br />
* [[戦略爆撃]] / [[戦術爆撃]]<br />
<br />
==脚注==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:せんりやくはくけきき}}<br />
[[Category:戦略爆撃機|*]]<br />
[[Category:爆撃機|*せんりやくはくけきき]]<br />
[[Category:戦略爆撃|*せんりやくはくけきき]]<br />
{{mil-aviation-stub}}</div>202.214.30.73794年2017-11-22T07:58:07Z<p>202.214.30.73: 126.233.75.178 (会話) による ID:66376890 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{年代ナビ|794}}<br />
{{year-definition|794}}<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]] : [[甲戌]]<br />
* [[日本]]<br />
** [[延暦]]13年<br />
** [[皇紀]]1454年<br />
* [[中国]]<br />
** [[唐]] : [[貞元 (唐)|貞元]]10年<br />
* [[朝鮮]]<br />
** [[檀紀]]3127年<br />
** [[渤海 (国)|渤海]] : [[中興 (渤海)|中興]]元年<br />
** [[新羅]] : [[元聖王]]10年<br />
* [[ベトナム]] :<br />
* [[仏滅紀元]] :<br />
* [[ユダヤ暦]] :<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[7月14日]](延暦13年6月13日) - 桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂が蝦夷征討に出発。<br />
* [[11月18日]] (延暦13年10月22日) - 桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都。<br />
* [[12月4日]](延暦13年[[11月8日 (旧暦)|11月8日]]) - [[平安京]]が新都となり、同時に山背国が[[山城国]]、[[近江国]]古津を旧名の[[大津市|大津]]と改められる。<br />
*[[令外官]]として[[征夷大将軍]]を新設<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
* [[安慧 (天台宗)|安慧]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]](+ [[868年]])<br />
* [[円仁]]、平安時代の天台宗の僧(+ [[864年]])<br />
* [[賀陽親王]]、平安時代の[[皇族]](+ [[871年]])<br />
* [[ムウタスィム]]、[[アッバース朝]]の第8代[[カリフ]](+ [[842年]])<br />
<br />
== 死去 ==<br />
* [[6月28日]](延暦13年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]) - [[藤原帯子]]、[[平城天皇]]の[[皇后]](* 生年未詳)<br />
* [[7月31日]](延暦13年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[藤原小黒麻呂]]、[[奈良時代]]の[[公卿]](* [[733年]])<br />
* [[大元義]]、[[渤海 (国)|渤海]]の第4代王(* 生年未詳)<br />
* [[大華ヨ|大華璵]]、渤海の第5代王(* 生年未詳)<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
{{フィクションの出典明記|ソートキー=年0794|section=1|date=2011年7月}}<br />
<br />
*映画「[[ドラえもん のび太のドラビアンナイト]]」で本年の[[バグダード]]が舞台となった。<br />
<br />
[[Category:794年|*]]</div>202.214.30.73887年2017-11-22T07:57:37Z<p>202.214.30.73: 126.233.75.178 (会話) による ID:66376900 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{年代ナビ|887}}<br />
{{year-definition|887}}<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]] : [[丁未]]<br />
* [[日本]]<br />
** [[仁和]]3年<br />
** [[皇紀]]1547年<br />
* [[中国]]<br />
** [[唐]] : [[光啓]]3年<br />
* [[朝鮮]] :<br />
* [[ベトナム]] :<br />
* [[仏滅紀元]]:<br />
* [[ユダヤ暦]]:<br />
<br />
== できごと ==<br />
* 7月 - 諸国大地震([[仁和地震]])。<br />
* [[9月17日]](仁和3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[光孝天皇]]が崩御。定省王が[[立太子]]して[[践祚]]し、第59代[[天皇]]・[[宇多天皇]]となる。<br />
* [[12月5日]](仁和3年[[11月17日 (旧暦)|11月17日]]) - 宇多天皇が[[即位]]。<br />
* [[12月9日]](仁和3年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]) - [[藤原基経]]が初の人臣[[関白]]に就く。<br />
* 11月 - [[阿衡事件]](阿衡の紛議)<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
* [[賀静]]、[[平安時代]]の[[天台宗]]の[[僧]] (+ [[967年]])<br />
* [[銭元瓘]]、[[五代十国時代]][[呉越]]の第2代の王 (+ [[941年]])<br />
* [[劉ク|劉昫]]、五代十国時代[[後晋]]の政治家 (+ [[946年]])<br />
<br />
== 死去 ==<br />
*[[9月17日]](仁和3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[光孝天皇]]、第58代の[[天皇]](*[[830年]] )<br />
*[[12月14日]](仁和3年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]]) - [[源仁]]、[[平安時代]]の[[真言宗]]の[[僧]](*[[818年]] )<br />
* [[アッバース・イブン・フィルナス]]、[[後ウマイヤ朝]]の[[学者]](* [[810年]])<br />
* [[定康王]]、[[新羅]]の第50代の王(* 生年未詳)<br />
<br />
[[Category:887年|*]]</div>202.214.30.73カラビ予想2017-11-20T23:51:40Z<p>202.214.30.73: 218.41.166.230 (会話) による ID:66362849 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{要改訳}}<br />
[[数学]]において'''カラビ予想'''({{lang-en-short|Calabi conjecture}})とは、ある種の[[複素多様体]]上に「良い」性質を持つ[[リーマン計量]]が存在することを主張する予想である。{{harvs |txt |authorlink=エウジェニオ・カラビ |first=Eugenio |last=Calabi |year =1954 |year2=1957}} が1950年代に提出し、1977年頃に{{harvs |txt |authorlink=シン=トゥン・ヤウ |first=Shing-Tung |last= Yau |year1=1977 |year2= 1978}}により解決された。この証明を理由のひとつとしてヤウは1982年[[フィールズ賞]]を受賞した。<br />
<br />
カラビ予想とは、[[コンパクト空間|コンパクト]] [[ケーラー多様体]]は、2-形式により与えられる任意の[[リッチ曲率]]<ref>本記事では、Ricci curvatureとRicci formを同じ訳語とし、「リッチ曲率」に統一する。</ref>に対し、リッチ曲率の所属する第一チャーン類に対し、多様体上に一意にケーラー計量が決まるであろうという予想である。特に、第一チャーン類がゼロである場合には、[[リッチ曲率]]がゼロとなる同じクラスのなかに一意的にケーラー計量が決まり、これらを[[カラビ・ヤウ多様体]]と言う。<br />
<br />
さらに公式に、カラビ予想を記述すると、<br />
:M がケーラー計量 <math>g\;</math> とケーラー形式 <math>\omega\;</math> を持つ[[コンパクト空間|コンパクト]][[ケーラー多様体]]で R が多様体 M の第一[[チャーン類]]を表す[[微分形式|(1,1)-形式]]とすると、一意にケーラー計量 <math>\tilde{g}</math> とケーラー形式 <math>\tilde{\omega}</math> が M 上に存在し、<math>\omega\;</math> と <math>\tilde{\omega}</math> が[[コホモロジー]] H<sup>2</sup>(M,'''R''') の同じクラスを表し <math>\tilde{\omega}</math> のリッチ曲率が R となる。<br />
<br />
カラビ予想は、どのようなケーラー多様体が[[ケーラー・アインシュタイン計量]]を持つのかという問題と密接に関連する。<br />
<!---In mathematics, the '''Calabi conjecture''' was a conjecture about the existence of certain "nice" [[Riemannian metric]]s on certain [[complex manifold]]s, made by {{harvs |txt |authorlink=Eugenio Calabi |first=Eugenio |last=Calabi |year =1954 |year2=1957}} and proved by {{harvs |txt |authorlink=Shing-Tung Yau |first=Shing-Tung |last= Yau |year1=1977 |year2= 1978}}. Yau received the [[Fields Medal]] in 1982 in part for this proof. <br />
<br />
The Calabi conjecture states that a [[compact space|compact]] [[Kähler manifold]] has a unique Kähler metric in the same class whose [[Ricci form]] is any given 2-form representing the first [[Chern class]]. In particular if the first Chern class vanishes there is a unique Kähler metric in the same class with vanishing [[Ricci curvature]]; these are called [[Calabi&ndash;Yau manifold]]s.<br />
<br />
More formally, the Calabi conjecture states:<br />
:If ''M'' is a [[compact space|compact]] [[Kähler manifold]] with Kähler metric <math>g\;</math> and Kähler form <math>\omega\;</math>, and ''R'' is any [[differential form|(1,1)-form]] representing the manifold's first [[Chern class]], then there exists a unique Kähler metric <math>\tilde{g}</math> on ''M'' with Kähler form <math>\tilde{\omega}</math> such that <math>\omega\;</math> and <math>\tilde{\omega}</math> represent the same class in [[cohomology]] H<sup>2</sup>(''M'','''R''') and the [[Ricci form]] of <math>\tilde{\omega}</math> is ''R''.<br />
<br />
The Calabi conjecture is closely related to the question of which Kähler manifolds have [[Kähler&ndash;Einstein metric]]s.--><br />
<br />
==ケーラー・アインシュタイン計量==<br />
カラビ予想と密接な関連する予想として、コンパクトケーラー多様体が負、ゼロ、正の第一チャーン類を持つと、定数倍を除外してケーラー計量としてチャーン類に対応するケーラー・アインシュタイン計量を持つという予想がある。この予想の証明は、負のチャーン類に対して、{{仮リンク|ティエリー・オービン|en|Thierry Aubin}}(Thierry Aubin)と[[シン=トゥン・ヤウ]](Shing-Tung Yau)により1976年になされた。チャーン類が 0 のときは、ヤウにより、0 の場合の結果より証明された。<br />
<br />
第一チャーン類が正の場合は、ヤウが 2点でブローアップした{{仮リンク|複素射影平面|en|complex projective plane}}はケーラー・アインシュタイン計量を持たないことを証明した。従って、正の場合の反例となる。また、ケーラー・アインシュタイン計量が存在しても一意には決定されないことも証明した。正の第一チャーン類に対して、さらに多くの結果がある。ケーラー・アインシュタイン計量が存在するための必要条件は、[[正則]]ベクトル場のリー代数が[[簡約群|簡約的]]であることなどがある。ヤウは、正の第一チャーン類に対しケーラー多様体がケーラー・アインシュタイン計量を持つことと、[[幾何学的不変式論]]の意味でケーラー多様体が安定なことが同値であることを予想した。<br />
<!---==Kähler&ndash;Einstein metrics==<br />
A conjecture closely related to the Calabi conjecture states that if a compact Kähler variety has a negative, zero, or positive first Chern class then it has a [[Kähler&ndash;Einstein metric]] in the same class as its Kähler metric, unique up to rescaling. <br />
This was proved for negative first Chern classes independently by [[Thierry Aubin]] and [[Shing-Tung Yau]] in 1976. When the Chern class is zero it was proved by Yau as an easy consequence of the Calabi conjecture. <br />
<br />
It was disproved for positive first Chern classes by Yau, who observed that the [[complex projective plane]] blown up at 2 points has no Kähler&ndash;Einstein metric and so is a counterexample. Also even when Kähler&ndash;Einstein metric exists it need not be unique. There has been a lot of further work on the positive first Chern class case. A necessary condition for the existence of a Kähler&ndash;Einstein metric is that the Lie algebra of [[holomorphic]] vector fields is reductive. Yau conjectured that when the first Chern class is positive, a Kähler variety has a [[Kähler&ndash;Einstein metric]] if and only if it is stable in the sense of [[geometric invariant theory]].--><br />
<br />
複素曲面の場合は、[[ガン・ティアン]](Gang Tian)により研究された。正のチャーン類を持つ複素曲面は、2つの射影直線(明らかにケーラー・アインシュタイン計量を持つ)の積か、もしくは一般の位置にある多くとも 8個の点ブローアップされた射影平面である。一般の位置の意味は、一直線上に 3つの点が並ばないこと、二次曲線の上に 6つの点が載っていないことを言う意味である。射影平面はケーラー・アインシュタイン計量を持っていて、1つまたは 2つの点でブローアップされた射影平面は、正則ベクトル場のリー代数が簡約的ではないので、ケーラー・アインシュタイン計量を持たない。ティアンは、一般の位置にある 3, 4, 5, 6, 7, 8 個の点でブローアップされた射影平面はケーラー・アインシュタイン計量を持つことを示した。<br />
<!---The case of complex surfaces has been settled by [[Gang Tian]]. The complex surfaces with positive Chern class are either a product of two copies of a projective line (which obviously has a Kähler&ndash;Einstein metric) or a blowup of the projective plane in at most 8 points in "general position", in the sense that no 3 lie on a line and no 6 lie on a quadric. The projective plane has a Kähler&ndash;Einstein metric, and the projective plane blown up in 1 or 2 points does not, as the Lie algebra of holomorphic vector fields is not reductive.<br />
Tian showed that the projective plane blown up in 3, 4, 5, 6, 7, or 8 points in general position has a Kähler&ndash;Einstein metric.--><br />
<br />
==カラビ予想の証明の概要==<br />
<br />
カラビは、予想を複素{{仮リンク|モンジュ・アンペール方程式|en|Monge–Ampère equation}}(Monge–Ampère equation)のタイプの非線形偏微分方程式として解釈し、この方程式が多くとも 1つの解しか持たないこと、従って求められているケーラー計量は一意であることを示した。<br />
<br />
ヤウは、この方程式の解を[[連続の方法]]を使いカラビ予想を証明した。連続の方法とは、最初はより簡単な方程式を解き、続いて難しい方程式へ連続的に変形することができる簡単な方程式の解を示すことを意味する。ヤウの解法の最も困難な部分は、解の微分に対するある{{仮リンク|アプリオリ評価|en|a priori estimate}}(a priori estimate)を証明するところにある。<br />
<!---==Outline of the proof of the Calabi conjecture==<br />
<br />
Calabi transformed the Calabi conjecture into a non&ndash;linear partial differential equation of complex [[Monge–Ampère equation|Monge&ndash;Ampere]] type, and showed that this equation has at most one solution, thus establishing the uniqueness of the required Kähler metric.<br />
<br />
Yau proved the Calabi conjecture by constructing a solution of this equation using the [[continuity method]]. This involves first solving an easier equation, and then showing that a solution to the easy equation can be continuously deformed to a solution of the hard equation. The hardest part of Yau's solution is proving certain [[a priori estimate]]s for the derivatives of solutions.--><br />
<br />
===カラビ予想の微分方程式への変換===<br />
<br />
M をケーラー形式 ω を持つコンパクト複素多様体とする。同じクラスに中の任意の他のケーラー形式は、定数を加えることを除き、一意に M 上のある滑らかな函数 φ に対し<br />
:<math>\omega+dd'\phi</math><br />
となる。従って、カラビ予想は次の問題と同値となる。<br />
<br />
:F=e<sup>f</sup> を平均値 1 を持つ M 上の正の滑らかな函数とする。すると、滑らかな実函数 &phi; が存在して、<br />
<br />
::<math>(\omega+dd'\phi)^m = e^f\omega^m</math><br />
<br />
:を満たし、&phi; は定数を加えることを除き一意に決まる。<br />
<!---===Transformation of the Calabi conjecture to a differential equation===<br />
<br />
Suppose that ''M'' is a complex compact manifold with a Kahler form ω.<br />
Any other Kahler form in the same class is of the form<br />
:<math>\omega+dd'\phi</math><br />
for some smooth function φ on ''M'', unique up to addition of a constant. The Calabi conjecture is therefore equivalent to the following problem:<br />
<br />
:Let ''F''=''e''<sup>''f''</sup> be a positive smooth function on ''M'' with average value 1. Then there is a smooth real function &phi; with<br />
::<math>(\omega+dd'\phi)^m = e^f\omega^m</math><br />
:and &phi; is unique up to addition of a constant.--><br />
<br />
これは、単一の函数 φ についての複素モンジュ・アンペールタイプの方程式である。この方程式は、高次の項が非線形であるため、解くことが特に困難な偏微分方程式である。f = 0 のときに、φ = 0 が解であることは簡単である。連続の方法のアイデアは、全ての解かれた f の解に対して、開いている場合と閉じている場合の双方での解となっているような f の集まりを示すにより f を求める方法である。f の解くことのできる集まりが空集合でなければ、全ての f は連結で、このことは全ての f に対して解くことが可能なことを示している。<br />
<br />
次の式により定義される φ から F への滑らかな函数どうしの写像は、単射でも全射でもない。<br />
<br />
::<math>F=(\omega+dd'\phi)^m/\omega^m</math><br />
<br />
φ に定数を加えることで F は変化しないので単射ではないし、F は正であり、かつ平均値 1 を取らねばならないので全射ではない。従って、平均値 0 を取るように正規化された φ に函数を限定した写像を考え、この写像が平均値 1 を取る正の F=e<sup>f</sup> の集合の上への写像となるかを問うことになる。カラビとヤウは、実際、この写像が同型となることを証明した。下記に示すように、この証明はいくつかのステップを踏む。<br />
<!---This is an equation of complex Monge&ndash;Ampere type for a single function φ.<br />
It is a particularly hard partial differential equation to solve, as it is non-linear in the terms of highest order. <br />
It is trivial to solve it when ''f''=0, as φ=0 is a solution. The idea of the continuity method is to show that it can be solved for all ''f'' by showing that the set of ''f'' for which it can be solved is both open and closed. Since the set of ''f'' for which it can be solved is non-empty, and the set of all ''f'' is connected, this shows that it can be solved for all ''f''.<br />
<br />
The map from smooth functions to smooth functions taking φ to ''F'' defined by <br />
::<math>F=(\omega+dd'\phi)^m/\omega^m</math><br />
is neither injective nor surjective. It is not injective because adding a constant to φ does not change ''F'', and it is not surjective <br />
because ''F'' must be positive and have average value 1. So we consider the map restricted to functions φ that are normalized to have average value 0, and ask if this map is an isomorphism onto the set of positive ''F''=''e''<sup>''f''</sup> with average value 1. Calabi and Yau proved that it is indeed an isomorphism. This is done in several steps, described below.--><br />
<br />
===解の一意性===<br />
<br />
解の一意性を証明することは、 <br />
:<math>(\omega+dd'\varphi_1)^m = (\omega+dd'\varphi_2)^m</math><br />
の時に、φ<sub>1</sub> と φ<sub>2</sub> が定数のみ異なることを示すことである(すると、正規化されていて、平均値が 0 であることの双方を示すと同一であるはずである)。カラビは、このことを<br />
:<math>|d(\varphi_1-\varphi_2)|^2</math><br />
の平均値が多くとのゼロである表現により与えられることを証明した。少なくともゼロであることが示すと、ゼロとなるはずであるから、 <br />
:<math>d(\varphi_1-\varphi_2) = 0</math><br />
となり、このことは φ<sub>1</sub> と φ<sub>2</sub> が定数しか異なっていないことを示していることとなる。<br />
<!---===Uniqueness of the solution===<br />
<br />
Proving that the solution is unique involves showing that if <br />
:<math>(\omega+dd'\varphi_1)^m = (\omega+dd'\varphi_2)^m</math><br />
then φ<sub>1</sub> and φ<sub>2</sub> differ by a constant<br />
(so must be the same if they are both normalized to have average value 0). <br />
Calabi proved this by showing that the average value of<br />
:<math>|d(\varphi_1-\varphi_2)|^2</math><br />
is given by an expression that is at most 0. As it is obviously at least 0, it must be 0, so <br />
:<math>d(\varphi_1-\varphi_2) = 0</math><br />
which in turn forces φ<sub>1</sub> and φ<sub>2</sub> to differ by a constant.--><br />
<br />
===F の集合が開いている場合===<br />
<br />
可能な F の集合が開いている(滑らかな函数で平均値が 1 である集合)を証明することは、ある F に対して解を求めることができる場合は、全ての閉じた集合で F の解となることができることを示すことである。カラビは、[[バナッハ空間]]の[[陰関数#陰関数定理|陰函数定理]]を使い証明した。これを適用するために、主要なステップは上の微分作用素の「線形化」が可逆なことを示すステップである。<br />
<!---===The set of ''F'' is open===<br />
<br />
Proving that the set of possible ''F'' is open (in the set of smooth functions with average value 1) involves showing that if it is possible to solve the equation for some ''F'', then it is possible to solve it for all sufficiently close ''F''. Calabi proved this by using the [[implicit function theorem]] for [[Banach space]]s: in order to apply this, the main step is to show that the ''linearization'' of the differential operator above is invertible.--><br />
<br />
===F の集合が閉じている場合===<br />
証明の最も困難な部分で、ヤウによりこの部分が証明された。<br />
<br />
F が可能な函数 φ のイメージの閉包とする。このことは、函数の列 φ<sub>1</sub>, φ<sub>2</sub>, ...<br />
が存在し、対応する函数 F<sub>1</sub>, F<sub>2</sub>,... が F へ収束することを示すことを意味し、問題はある φの部分列が解 φ へ収束することを示すことである。この収束性を証明するために、ヤウは、函数 φ<sub>i</sub> とそれらの高次導関数に対して、log(f<sub>i</sub>) の高次導函数の項の中に{{仮リンク|前提的境界|en|a priori bound}}(a priori bound)を見つけた。これらの境界を見つけることは、困難な見積もりの長い列を必要とし、前の見積もりを少しずつ改善する必要がある。ヤウの得たこの境界は、函数 φ<sub>i</sub> は全て適当な函数バナッハ空間の中のコンパクトな部分集合の中にあることを示すに十分であったので、収束列を見つけることが可能となった。この部分列は、F にイメージを持つ函数 φ へ収束し、F の可能なイメージの集合が閉じていることを示している。<br />
<!---===The set of ''F'' is closed===<br />
This is the hardest part of the proof, and was the part done by Yau.<br />
Suppose that ''F'' is in the closure of the image of possible<br />
functions φ. This means that there is a sequence of <br />
functions φ<sub>1</sub>, φ<sub>2</sub>, ...<br />
such that the corresponding functions ''F''<sub>1</sub>, ''F''<sub>2</sub>,...<br />
converge to ''F'', and the problem is to show that some subsequence of the φs converges to a solution φ. In order to do this, Yau finds some [[a priori bound]]s for the functions φ<sub>''i''</sub> and their higher derivatives<br />
in terms of the higher derivatives of log(''f''<sub>''i''</sub>). Finding these bounds requires a long sequence of hard estimates, each improving slightly on the previous estimate. The bounds Yau gets are enough to show that the functions φ<sub>''i''</sub> all lie in a compact subset of a suitable Banach space of functions, so it is possible to find a convergent subsequence.<br />
This subsequence converges to a function φ with image ''F'', which <br />
shows that the set of possible images ''F'' is closed.--><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
<br />
==参考文献==<br />
*T. Aubin, ''Nonlinear Analysis on Manifolds, Monge&ndash;Ampère Equations'' ISBN 0-387-90704-1 This gives a proof of the Calabi conjecture and of Aubin's results on Kaehler&ndash;Einstein metrics.<br />
*{{Citation | last1=Bourguignon | first1=Jean-Pierre | title=Séminaire Bourbaki, 30e année (1977/78) | publisher=[[Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | series=Lecture Notes in Math. | doi=10.1007/BFb0069970 | year=1979 | volume=710 | chapter=Premières formes de Chern des variétés kählériennes compactes [d'après E. Calabi, T. Aubin et S. T. Yau] | pages=1–21 | mr=554212 | isbn=978-3-540-09243-8}} This gives a survey of the work of Aubin and Yau.<br />
*{{Citation | last1=Calabi | first1=Eugenio | chapter=The space of Kähler metrics |title= Proc. Internat. Congress Math. Amsterdam |volume=2 |year=1954 |pages= 206&ndash;207 | url=http://mathunion.org/ICM/ICM1954.2/ | chapter-url=http://mathunion.org/ICM/ICM1954.2/Main/icm1954.2.0206.0207.ocr.pdf}}<br />
*{{Citation | last1=Calabi | first1=Eugenio | editor1-last=Fox | editor1-first=Ralph H. | editor2-last=Spencer | editor2-first=D. C. | editor3-last=Tucker | editor3-first=A. W. | title=Algebraic geometry and topology. A symposium in honor of S. Lefschetz | url=http://books.google.com/books?id=n_ZQAAAAMAAJ | publisher=[[Princeton University Press]] | series=Princeton Mathematical Series | mr=0085583 | year=1957 | volume=12 | chapter=On Kähler manifolds with vanishing canonical class | pages=78–89}}<br />
*Dominic D. Joyce ''Compact Manifolds with Special Holonomy'' (Oxford Mathematical Monographs) ISBN 0-19-850601-5 This gives a simplified proof of the Calabi conjecture.<br />
*G. Tian, [http://www.springerlink.com/content/k6w204w55607k5t2/ ''On Calabi's conjecture for complex surfaces with positive first Chern class.''] Invent. Math. 101 (1990), no. 1, 101&ndash;172.<br />
*{{Citation | last1=Yau | first1=Shing Tung | title=Calabi's conjecture and some new results in algebraic geometry | url=http://www.pnas.org/content/74/5/1798 | year=1977 | journal=[[Proceedings of the National Academy of Sciences|Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America]] | issn=0027-8424 | volume=74 | issue=5 | pages=1798–1799 | mr=0451180 | doi=10.1073/pnas.74.5.1798}}<br />
*{{Citation | last1=Yau | first1=Shing Tung | title=On the Ricci curvature of a compact Kähler manifold and the complex Monge-Ampère equation. I | doi=10.1002/cpa.3160310304 | mr=480350 | year=1978 | journal=[[Communications on Pure and Applied Mathematics]] | volume=31 | issue=3 | pages=339–411}}<br />
*{{Citation | last1=Hassan | first1=Jolany | title=Calabi conjecture, Master thesis, Aix-Marseille University, http://arxiv.org/abs/1211.4171 }}<br />
*{{cite book |first=啓 |last=中島 |title=非線型問題と複素幾何学 |year=1999 |series=現代数学の展開 |volume=20 |publisher=岩波書店 |location=Tokyo |isbn=4-00-010656-2 }}<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*{{citation |last=Yau |first=S. T. |url=http://www.scholarpedia.org/article/Calabi-Yau_manifold |title=Calabi-Yau manifold |publisher=Scholarpedia |doi=10.4249/scholarpedia.6524 |year=2009 |journal=Scholarpedia |volume=4 |issue=8 |pages=6524}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:からひよそう}}<br />
[[Category:複素多様体]]<br />
[[Category:微分幾何学]]<br />
[[Category:予想]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>202.214.30.73社説2017-11-09T02:02:20Z<p>202.214.30.73: 202.32.67.5 (会話) による ID:66227237 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{Globalize|領域=日本|date=2017年7月}}<br />
'''社説'''(しゃせつ)は、一般紙(全国紙、地方紙)の[[新聞]]に掲載されている解説記事のことである。新聞社のスタンスなどによりその論調は異なる。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
一般には社としての立場・意見の表明。よって執筆者署名はない。<br />
<br />
最新の時事・[[国際]]問題など、注目される[[ニュース]]の中から毎日1・2項目ずつ取り上げて、新聞社の[[論説委員]](地方新聞の一部は[[共同通信社]]・[[時事通信社]]などニュース配信をする[[通信社]]の論説委員・[[編集委員]])がその背景を解説すると同時に解説者の主張や考えを掲載するものである。<br />
<br />
それだけに、地方紙が通信社から配信される社説を転用することへの批判も少なくない。通信社はニュースの速報を、新聞社はそのニュースを受けて解説・論説を、という役割分担が必要との議論も古くからある。<br />
<br />
新聞によっては、'''社説'''に独自の名称を用いている場合もある([[産経新聞]]の「主張」、[[岐阜新聞]]「論説」など)。<br />
<br />
社説は2~5面あたりに掲載されることが多い。(2面…産経新聞、[[日本経済新聞]]、3面…[[読売新聞]]、5面…[[毎日新聞]])<br />
<br />
一法人の新聞社が発行する、一定の地域で題字が異なる新聞に於いても、同一内容の社説が掲載されている。(例:[[中日新聞社]]…[[中日新聞]]・[[東京新聞]]、北國新聞社…[[北國新聞]]・[[富山新聞]]、[[新日本海新聞社]]…[[日本海新聞]]・[[大阪日日新聞]])<br />
<br />
== 放送メディアによる社説 ==<br />
[[放送法]]第1条第2項(放送の不偏不党、真実及び自律保障とこれによる[[表現の自由]]の確保)に基づき、公式には「社説」ではなく、解説委員個々人の意見の扱い。<br />
* [[山形県]]の[[山形放送]]が、[[YBC社説放送]]を[[月曜日]]~[[金曜日]]に放送している。内容は強い結び付きを持つ[[山形新聞]]の社説を分かりやすく解説する番組だが、日によっては山形放送独自の社説を展開することもある。<br />
*[[NHK総合テレビ]]が「[[時論・公論]]」を放送している。「[[NHKニュース解説]]」、「[[あすを読む]]」の流れを継ぐもの。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[コラム]]<br />
*[[op-ed]]<br />
<br />
{{Journalism-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:しやせつ}}<br />
[[Category:新聞記事]]</div>202.214.30.73海溝2017-11-06T01:43:38Z<p>202.214.30.73: </p>
<hr />
<div>'''海溝'''(かいこう、trench)は、[[海底]]が細長い溝状に深くなっている場所のことでその深さは深いものでは水面下1万mに達する。ここでは、[[海嶺]]で生まれた[[海洋プレート]]が[[アセノスフェア]]に沈み込んでいる。<br />
<br />
== 海洋底が沈む場所 ==<br />
[[プレートテクトニクス]]では、海溝は海洋プレートが他のプレートの下に沈み込む場所([[沈み込み帯]])とされる。海溝から斜め下に向かって薄い板状の地震多発域([[和達・ベニオフ帯]])があり、その上面では[[断層|逆断層]]型にずれていることが、海洋プレート沈み込みの証拠のひとつと考えられている。また最近、[[海山]]が割れながら海溝に沈んで行くところが発見された。<br />
<br />
海溝は'''大陸辺縁部'''の中でも'''活動的辺縁部'''で形成される。大陸辺縁部がプレート境界に近いために大陸棚は狭く、大陸斜面は急峻となり海溝を形成する。反対に大陸辺縁部がプレート境界から遠い場所では大陸棚は広く、コンチネンタル・ライズと呼ばれる緩やかで滑らかな海底斜面を形成し、深海平原へとつながる。活動的辺縁部では地震が多発し[[火山活動]]も活発だが、それ以外の大陸辺縁部は比較的安定しており地震は少なく火山活動もない<ref name = "深海の不思議">瀧澤美奈子著 『深海の不思議』 日本実業出版社、2008年3月20日初版発行、ISBN 9784534043542。</ref>。<br />
<br />
== トラフ ==<br />
{{main|トラフ (地形)}}<br />
海溝と同じような海底構造に'''トラフ'''([[:en:Trough (geology)|trough]]、舟状海盆)がある。6,000m以上の深さのものを海溝と呼び、それより浅いものはトラフと呼ばれる。[[南海地震]]、[[東南海地震]]を起こす[[南海トラフ]]などは、浅いだけで海溝と同じ沈み込み帯だが、トラフの中にはそれとは異なり他の成因のものもある。<br />
<br />
== 地震・火山・列島 ==<br />
海溝では、沈み込む海洋プレートとその上のプレートとの間の摩擦のため、スムーズにすべるのではなく間欠的に急激にずれることで沈み込みが進行する。この急激なずれが[[地震#プレート間地震|海溝型地震]]で、日本においては[[南海地震]]・[[東南海地震]]・[[東海地震]]などがこれにあたる<ref>これらの地震を引き起こす南海トラフは海溝ではなくトラフであるが、プレートテクトニクスの観点からは同じメカニズムによるものなので海溝型地震に含まれる。</ref>。またそれ以外にも海洋プレート内部が割れたり、その上のプレートが海洋プレートに押されることで割れたりするため、海溝周辺は[[地震]]多発地帯である(詳細は[[断層]]を参照)。<br />
<br />
海溝から海洋プレートが沈み込んで一定の深度に達すると[[岩石]]の一部が融解して[[マグマ]]となり、上昇して地表に[[火山]]を形成するため、海溝には平行する[[火山帯]]が伴う(詳細は[[火山]]を参照)。多くは[[日本列島]]のような[[火山列島]]の形をとり、南アメリカ大陸西岸の[[アンデス山脈]]にのみ大陸上に火山帯がある。これを[[島弧‐海溝系]]という。<br />
<br />
北アメリカ大陸西岸にも同様の火山帯、[[カスケード山脈]]があるが、海溝は陸からの[[堆積物]]で埋め立てられており不明瞭である。<!--海溝ではなく中央海嶺によるもの、またはホットスポットによる火山ではないだろうか →下鶴ほか編「火山の事典」によれば、北米カスケード火山列は海溝型だが、陸からの土砂の供給が多いため海溝は埋まっているのだそうです。ホットスポットは無いはずです。また海嶺だとすると方向が合いません。--><br />
<!--<br />
海洋底が直接大陸の下に沈んでゆくペルー・チリ海溝を除いて、海溝には列島それも火山列島がつきもの。火山と地震はペルー・チリを含む全海溝でセットになっている。プレートが沈み込む場所では、対面のプレートとの摩擦・ズレが発生し地震となる。また海洋底プレートに含まれた大量の水分が、地下深部の岩石の溶解温度を低下させ、マグマを生成し(※)火山帯を形成する。<br />
:(※)地殻の岩石は高温でも固体であるが、水分があると融解温度が低下するので同じ温度でも液状化し、マグマとなって上昇する。--><br />
<br />
== 主な海溝 ==<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! 海溝<br />
! 場所<br />
! 深さ<br />
|-<br />
| [[マリアナ海溝]]<br />
| [[太平洋]] [[マリアナ諸島]]の東側([[サイパン島]]を含む)<br />
| 10,924m(世界最深)<br />
|-<br />
| [[トンガ海溝]]<br />
| 太平洋 ケルマデック海溝の北、[[トンガ]]のすぐ東<br />
| 10,882m<br />
|-<br />
| [[フィリピン海溝]]<br />
| 太平洋 [[フィリピン]]の東側<br />
| 10,057m<br />
|-<br />
| [[ケルマデック海溝]]<br />
| 太平洋 [[ニュージーランド]]の北、[[ケルマデック諸島]]の東側<br />
| 10,047m<br />
|-<br />
| [[伊豆・小笠原海溝]]<br />
| 太平洋 [[伊豆諸島|伊豆]]・[[小笠原諸島|小笠原]]両諸島の東にある<br />
| 9,780m<br />
|-<br />
| [[千島海溝|千島・カムチャツカ海溝]]<br />
| 太平洋 [[千島列島|千島]]・[[カムチャツカ]]両列島の南東にある<br />
| 9,550m<br />
|-<br />
| [[ニューヘブリデス海溝]]<br />
| 太平洋 [[ニューカレドニア島]]の北東<br />
| 9,175m<br />
|-<br />
| [[ヤップ海溝]]<br />
| [[太平洋]] [[ヤップ島]]の東側<br />
| 8,946m<br />
|-<br />
| [[プエルトリコ海溝]]<br />
| [[大西洋]] [[西インド諸島]]、[[プエルトリコ]]のすぐ北側<br />
| 8,605m<br />
|-<br />
| [[サウスサンドウィッチ海溝]]<br />
| 大西洋 [[サウスサンドウィッチ諸島]]の東側<br />
| 8,428m<br />
|-<br />
| [[チリ海溝]]<br />
| 太平洋 [[南アメリカ大陸]]のすぐ西にある<br />
| 8,170m<br />
|-<br />
| [[日本海溝]]<br />
| 太平洋 [[東北地方]]の沖合いにある<br />
| 8,020m<br />
|-<br />
| [[アリューシャン海溝]]<br />
| 太平洋 [[アリューシャン列島]]のすぐ南<br />
| 7,679m<br />
|-<br />
| [[琉球海溝|琉球(南西諸島)海溝]]<br />
| 太平洋([[フィリピン海]]) [[南西諸島]]の東方に分布している<br />
| 7,507m<br />
|-<br />
| [[ジャワ海溝|ジャワ(インドネシア/スンダ)海溝]]<br />
| [[インド洋]] [[ジャワ島]]の南<br />
| 7,125m<br />
|-<br />
| [[中央アメリカ海溝]]<br />
| 太平洋 [[メキシコ]]西岸<br />
| 6,669m<br />
|}<br />
''<small>([[理科年表]] 平成19年版より <ref>[[国立天文台]]編 『理科年表 平成19年』 [[丸善]]、2006、ISBN 4-621-07763-5。</ref>)</small>''<br />
<br />
なお、マリアナ海溝の一番深いところは、[[チャレンジャー海淵]]<ref>海淵(かいえん)は、海底の中でも特に深い場所(凹地)を指す。チャレンジャー海淵は地球上で最も深い海淵である。</ref>と呼ばれている。その海淵付近まで、[[潜水艇]]によって人類は到達している。詳しくは「[[マリアナ海溝]]」を参照。<br />
<br />
== 湧水域 ==<br />
海溝では海洋プレートが他のプレートの下に沈みこむ時に長年プレートの上に積もった'''堆積物'''から断層に沿って'''間隙水'''が搾り出される'''湧水域'''と呼ばれる場所がある。1984年にオレゴン沖の深度2,000mの海底で初めて発見されて以降、南海トラフ、日本海溝、バルバドス海域でも見つかっている。湧水域では[[硫化水素]]や[[メタン]]を含んだ海水が湧き出している<ref name = "深海の不思議"/>。<br />
<br />
== 備考 ==<br />
日本では、株価等の暴落や、深い事、深い場所の[[比喩]]として、海溝、日本海溝、マリアナ海溝などの名前が使われる事がある。<br />
<br />
== 脚注・出典 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references/><br />
<br />
==関連項目==<br />
* [[深海]]<br />
* [[トラフ (地形)|トラフ]]<br />
* [[海嶺]]<br />
* [[プレートテクトニクス]]<br />
<br />
<!-- == 参考文献 == --><br />
<!-- == 外部リンク == --><br />
<br />
{{地形}}<br />
{{プレートテクトニクス}}<br />
{{デフォルトソート:かいこう}}<br />
[[Category:地形]]<br />
[[Category:海底地形]]<br />
[[Category:海溝|*]]</div>202.214.30.73支出2017-09-28T07:59:34Z<p>202.214.30.73: 122.19.162.106 (会話) による ID:65718366 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{Wiktionary redirect}}<br />
{{Short pages monitor}}<!--<br />
これは[[Template:Long comment]]によって挿入された定型文です。この長いコメントは、このページが[[特別:短いページ]]に載らないように理由があって付け加えられたものです。なぜこれが必要なのか理解せずにコメントを除去するようなことはしないでください。それを理解した上で除去する必要がある場合は、{{Short pages monitor}}も共に除去してください。<br />
--><br />
{{DEFAULTSORT:ししゆつ}}</div>202.214.30.73第三次産業2017-09-28T05:09:10Z<p>202.214.30.73: 126.113.175.138 (会話) による ID:65716707 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''第三次産業'''(だいさんじさんぎょう、{{lang-en-short|tertiary sector of industry}})は、[[コーリン・クラーク]]による古典的な産業分類の一つ。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
第三次産業には、[[第一次産業]]にも[[第二次産業]]にも分類されない産業が分類される。クラークによれば[[小売]]業や[[サービス]]業などの[[無形財]]がこれに該当する。これらの産業は商品やサービスを分配することで富を創造することに特色がある。<br />
<br />
== ペティ=クラークの法則 ==<br />
{{出典の明記|section=1|date=2007年6月}}<br />
クラークは、経済発展につれて[[第一次産業]]から[[第二次産業]]、第三次産業へと産業がシフトしていくことを提示したが、クラークのいう第三次産業には[[単純労働]]も含まれており、後進的な産業が先進的な産業と同じ扱いになっているという批判がある。また、第三次産業は、公益事業のような資本集約的な産業も、飲食業のような労働集約的な産業も、[[教育]]のような知識集約的な産業も含むという雑多な産業の集合体であり、雑多な産業を単一のくくりで単純化することについても批判がある。この点に関しては、[[情報通信業]]などの情報や知識を取り扱う産業を[[第四次産業]]あるいは[[第五次産業]]として捉えなおす考え方も提唱されている。<br />
<br />
==各国の状況==<br />
===日本===<br />
====分類====<br />
慣例として、[[日本標準産業分類]]における下記の産業を第三次産業に含めることが多い<ref>例えば、[http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm 平成17年国勢調査 抽出速報集計 結果の概要]</ref>。これは[[電気]]・[[ガス燃料|ガス]]業を第二次産業ではなく第三次産業に分類している点でクラークによる定義とは異なる。<br />
<br />
* 大分類F [[電気]]・[[ガス燃料|ガス]]・[[熱供給]]・[[水道]]業<br />
* 大分類G [[情報通信業]]<br />
* 大分類H [[運輸業]]、[[郵便]]業<br />
* 大分類I [[卸売]]業、[[小売]]業<br />
* 大分類J [[金融]]業、[[保険]]業<br />
* 大分類K [[不動産]]業、物品賃貸業<br />
* 大分類L 学術研究、専門・技術サービス業<br />
* 大分類M 宿泊業、飲食サービス業<br />
* 大分類N 生活関連サービス業、娯楽業<br />
* 大分類O [[教育、学習支援業]]<br />
* 大分類P [[医療]]、[[福祉]]<br />
* 大分類Q 複合サービス事業<br />
* 大分類R [[サービス]]業(他に分類されないもの)<br />
* 大分類S 公務(他に分類されるものを除く)<br />
* 大分類T 分類不能の産業<br />
<br />
====産業活動の把握====<br />
第三次産業は現代の日本では経済の中核をなしているが、その複雑さ多様さゆえに経済[[統計]]の整備が最も遅れている産業である。[[工業統計調査]]のような全事業所を対象とするような調査は行われておらず、業界団体が出す資料しかない産業もある。そのため、複数の統計を加工して推測するしかない。<br />
<br />
第三次産業の活動を把握できる統計としては<br />
* [[国民経済計算]]([[内閣府]])<br />
* [[第3次産業活動指数]]([[経済産業省]])- なお、上記のような国際的な定義との違いに配慮し、電気・ガス・熱供給・水道業を除く指数を参考系列として公表している。<br />
* [[特定サービス産業実態調査]]([[経済産業省]])<br />
* [[法人企業統計調査]]([[財務省 (日本)|財務省]]) - ただし、金融を除く<br />
がある。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[1.5次産業]] - [[2.5次産業]]<br />
* [[第一次産業]] - [[第二次産業]]<br />
* [[六次産業]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
{{主要産業}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:たい3しさんきよう}}<br />
[[Category:産業|*3]]<br />
[[Category:産業組織論]]</div>202.214.30.73平和2017-09-13T06:19:58Z<p>202.214.30.73: 219.169.236.122 (会話) による ID:65478056 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{otheruses}}<br />
'''平和'''(へいわ)は、[[戦争]]や[[内戦]]で社会が乱れていない状態。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
国際関係において「平和」は戦争が発生していない状態を意味し、元来、戦争は[[宣戦布告]]に始まり平和(講和)条約をもって終了し、これにより平和が到来するとされてきた<ref name="kiyou38">吉川p.38</ref>。[[国際連合憲章]]の下では、一般に、自衛権や[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の決定に基づくもの以外の武力行使は禁止されており、伝統的な意味での戦争は認められなくなっている<ref name="jinken">{{Cite web |url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken.html |title = 人権外交 |publisher = 外務省 |accessdate = 2015-03-27 }}</ref>(戦争の違法化)。しかし、武力紛争は現実には発生しており<ref name="jinken"/>、特に[[第二次世界大戦]]後の武力衝突では宣戦布告もなく休戦協定も頻繁に破られるなど旧来の戦争の定義をあてはめることが困難になり戦争と平和の時期的な区別も曖昧になっているという指摘がある<ref name="kiyou38"/>。また、従来、国際平和秩序はあくまでも国家間での平和の維持を共通目標とするものにとどまり、各国の国内の人民の安全まで保障しようとするものではなかったため、各国の国内での人道的危機が国際社会から見放されてきたのではないかという問題も指摘されており、[[人間の安全保障]]と平和の両立が課題となっている<ref name="kiyou55・56">吉川p.55・56</ref>。<br />
<br />
== 国家間の平和から人間の安全保障への展開 ==<br />
上のように[[人間の安全保障]]と平和の両立が新たな課題となっている<ref name="kiyou55・56"/>。R.J.ランメルによって20世紀に発生した政府権力による民衆殺戮の犠牲者数は戦争犠牲者数を上回るという研究が出されるなど、従来の平和創造の歴史は国家間の平和にとどまり必ずしも人々の安全確保のためではなかったことが問題視されるなど伝統的な平和観の変容が指摘されている<ref name="kiyou39">吉川p.39</ref>。国民統合が進まず政府の統治の正当性が確立されていない[[多民族国家]]や[[発展途上国]]では、外部脅威に加えて反体制派(運動)や分離主義(運動)といった内部脅威が存在し、内部脅威への強権的な対応の帰結として戦争の犠牲者数を上回るほどの多くの命が政府権力の手によって奪われるという人道的危機を発生させた<ref name="kiyou46・47">吉川p.46・47</ref>。その背景には、武力行使が禁止され侵略戦争は減少したが、国際政治での勢力拡張の様式が旧来の侵略や領土併合ではなく同盟国や友好国の数を増やすことに変化した結果、同盟国や友好国の内部で発生する非人道的行為が看過されることになったこと<ref name="kiyou56">吉川p.56</ref>、核時代の黎明期に「平和共存」平和観が支配的になり、人権侵害を止めるための外交的圧力がかえって国際関係に緊張をもたらし核戦争にまで発展する恐れがあることから敵対する陣営内の人権問題への干渉は互いに控えねばならず、人権の抑圧等が看過せざるを得ない状況が出現したことが挙げられている<ref name="kiyou56"/>。<br />
<br />
2001年1月に[[緒方貞子]]国連難民高等弁務官(当時)と[[アマルティア・セン]]・ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学長(当時)を共同議長とする「人間の安全保障委員会」が創設され、2003年2月の最終報告書では「安全保障」の理論的枠組みを再考し、安全保障の焦点を国家のみを対象とするものから人々を含むものへ拡大していく必要があり、人々の安全を確保するには包括的かつ統合された取り組みが必要であるとしている<ref name="security">{{Cite web |url = http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/security/index.html |title = 人間の安全保障分野をめぐる国際潮流 |publisher = 外務省 |accessdate = 2015-03-27 }}</ref>。グローバル化や相互依存の深まりによって、戦争に限らず、貧困、環境破壊,自然災害、感染症、テロ、突然の経済・金融危機といった人々の生命・生活に深刻な影響を及ぼす国際課題に対処するためには、従来の国家を中心に据えたアプローチだけでは不十分になってきているという背景もある<ref name="security"/>。<br />
<br />
一方、1990年代の[[バルカン半島]]情勢への対処以降、人道目的のための武力行使が増加し、国家中心的で伝統的な主権の概念よりも人権と正義に関する国連憲章条項が重視されるようになったことと関係があると広く考えられているが、人道目的のための武力の行使や武力の行使の示唆に対しては異論もある<ref>{{Cite web |url = http://jp.unu.edu/news/news/unu-event-on-use-of-force-in-defence-of-human-rights.html |title = 国連大学のイベントで人権擁護のための武力行使に注目 |publisher = 国連大学 |accessdate = 2015-03-21 }}</ref>。<br />
<br />
== 平和論の類型 ==<br />
今日までの平和論は軍縮・軍備管理による平和、戦争違法化による平和、経済国際主義による平和、相互信頼による平和、集団安全保障による平和などに分類される<ref name="kiyou42">吉川p.42</ref>。このほかに20世紀末に民主主義による平和論が考えられるようになった<ref name="kiyou43">吉川p.43</ref>。<br />
<br />
=== 軍縮及び軍備管理 ===<br />
軍縮・軍備管理による平和としては、[[国際連盟規約]]、[[ワシントン海軍軍縮条約]]、[[弾道弾迎撃ミサイル条約]]、[[戦略兵器削減条約]]、[[核兵器不拡散条約]]などがある<ref name="kiyou42"/>。<br />
{{div col|colwidth=30em}}<br />
*[[国際連盟規約]]<br />
*[[ワシントン海軍軍縮条約]](1922年)<br />
*[[ロンドン海軍軍縮会議]](1930年)<br />
*[[第二次ロンドン海軍軍縮会議]](1935年)<br />
*[[部分的核実験禁止条約]](1963年)<br />
*[[第二次戦略兵器制限交渉]](1979年)<br />
*[[特定通常兵器使用禁止制限条約]](1980年)<br />
*[[南太平洋非核地帯条約]](1985年)<br />
*[[中距離核戦力全廃条約]](1987年)<br />
*[[ヨーロッパ通常戦力条約]](1990年)<br />
*[[第一次戦略兵器削減条約]](1991年)<br />
*[[第二次戦略兵器削減条約]](1993年)<br />
*[[化学兵器禁止条約]](1993年)<br />
*[[東南アジア非核兵器地帯条約]](1995年)<br />
*[[包括的核実験禁止条約]](1996年)<br />
*[[アフリカ非核兵器地帯条約]](1996年)<br />
*[[モスクワ条約 (2002年)]](2002年)<br />
*[[対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約]](2007年)<br />
*[[クラスター弾に関する条約]](2008年)<br />
*[[第四次戦略兵器削減条約]](2011年)<br />
{{div col end}}<br />
<br />
=== 戦争の違法化 ===<br />
戦争の違法化は国際連盟の設立を機に、不戦条約で戦争放棄に関する初の多国間条約が成立し、第二次世界大戦後には国際連合憲章の武力行使の禁止原則(国際連合憲章第2条4項)に発展した<ref name="kiyou42"/>。<br />
<br />
*国際連合憲章第2条第4項<br />
:すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。<br />
<br />
=== 経済国際主義 ===<br />
戦争は資源や食糧を求めて他国を侵略することで発生することから、資源の共同管理や自由貿易(資源・食糧を金銭で獲得できる制度)を実現すれば戦争はなくなるという考え方が経済国際主義による平和論である<ref name="kiyou42"/>。<br />
<br />
=== 相互信頼による平和論 ===<br />
戦争を偏見と民族差別に起因するものとみて相互信頼を構築することによって戦争が予防されると考える平和論である<ref name="kiyou42"/>。国際連盟の[[知的協力委員会]]及び第二次世界大戦後の[[ユネスコ]]の活動、国際親睦団体による国際交流や[[留学制度]]にその思想が引き継がれている<ref name="kiyou42"/>。 <br />
<br />
=== 集団安全保障 ===<br />
国際社会で集団的な制裁の仕組みを作ることによって戦争を防止しようとするもの<ref name="kiyou42"/>。集団安全保障体制は、国際連盟で 初めて制度実現し、その後、国際連合で整備拡充されて今日に引き継がれている<ref name="kiyou42"/>。 <br />
<br />
=== 民主主義による平和論 ===<br />
特に20世紀末に考えられるようになった思想で、民主国家の間には相互に戦争を抑制する制度と文化が備わっていると考え、世界のすべての国を民主化させることにより平和を実現しようとするのが民主主義による平和論である<ref name="kiyou43">吉川p.43</ref>。<br />
<br />
== 運動・活動 ==<br />
=== 国際連合 ===<br />
{{See also|国際連合平和維持活動の一覧}}<br />
[[File:United Nations peacekeeping missions 2009.svg|thumb|[[国際連合平和維持活動の一覧|国連平和維持活動]]の実施状況を示した地図<br>{{legend2|#5b92e5|現在平和維持活動を実施中の国・地域}}<br>{{legend2|#5bcce5|過去に平和維持活動が実施された国・地域}}]]<br />
[[国際連合]]は平和のために創設されたが、多くの問題を内包している。[[国際連合憲章|国連憲章]]にある[[集団安全保障]]は、[[冷戦]]における米ソの対立により機能不全に陥った。現在世界各地で行っている[[国連平和維持活動|平和維持活動]]も、人材や資金の確保、その権限や任務内容において数多くの問題がある。特に[[ルワンダ]]における平和維持活動は、[[国際連合|国連]]の限界や平和維持活動の問題を浮上させることとなった。<br />
<br />
国連では、PKF(国連平和維持軍:Peace-Keeping Forces)を用いて、戦争に介入することで平和を積極的に創造する取組みも行う。治安維持や一般市民への食料・医療の供給、停戦や戦争を行う軍隊の撤退を手助けしている。この活動に対して、[[1988年]]には[[ノーベル平和賞]]が贈られた。<br />
<br />
=== 国際連盟 ===<br />
{{main|国際連盟}}<br />
<br />
=== 近代オリンピック ===<br />
{{main|近代オリンピック}}<br />
<br />
=== ノーベル平和賞 ===<br />
{{main|ノーベル平和賞}}<br />
<br />
=== 学生平和賞 ===<br />
{{main|学生平和賞}}<br />
<br />
== 記念物 ==<br />
以下は、平和の記念物である。<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! 名称<br />
! 位置<br />
! 組織<br />
! 意義<br />
! 画像<br />
|-<br />
| [[日本の平和の鐘]]<br />
| [[アメリカ合衆国]]・[[ニューヨーク]]<br />
| [[国際連合]]<br />
| World peace<br />
| [[File:Japanese Peace Bell of United Nations.JPG|100px]]<br />
|-<br />
| [[w:Fountain of Time|Fountain of Time]]<br />
| アメリカ合衆国・[[シカゴ]]<br />
| [[w:Chicago Park District|Chicago Park District]]<br />
| 100 years of peace between the USA and UK<br />
| [[File:Fountain of Time front1.jpg|100px]]<br />
|-<br />
| [[w:Fredensborg Palace|Fredensborg Palace]]<br />
| [[デンマーク]]・[[w:Fredensborg|Fredensborg]]<br />
| [[フレデリク4世 (デンマーク王)|フレデリク4世]]<br />
| The peace between [[Denmark–Norway]] and [[Sweden]], after [[Great Northern War]] which was signed July 3, 1720 on the site of the unfinished palace.<br />
| [[File:Fredensborg Slot 124.JPG|100px]]<br />
|-<br />
|[[w:International Peace Garden|International Peace Garden]]<br />
|アメリカ合衆国・[[ノースダコタ州]]、カナダ・[[マニトバ州]]<br />
|非営利組織<br />
|Peace between the US and Canada, World peace<br />
| [[File:2009-0521-CDNtrip003-PeaceGarden.jpg|100px]]<br />
|-<br />
|[[w:Peace Arch|Peace Arch]]<br />
|[[サレー]]付近のアメリカ合衆国・カナダの国境<br />
|非営利組織<br />
|Built to honor the first 100 years of peace between [[Great Britain]] and the [[United States]] resulting from the signing of the [[Treaty of Ghent]] in 1814.<br />
| [[File:Peace Arch.JPG|100px]]<br />
|-<br />
|[[w:Statue of Europe|Statue of Europe]]<br />
|[[ブリュッセル]]<br />
|[[欧州委員会]]<br />
|Unity in Peace in Europe<br />
|[[File:Statue of Europe-(Unity-in-Peace).jpg|100px]]<br />
|-<br />
|[[ウォータートン・グレイシャー国際平和自然公園]]<br />
|アメリカ合衆国・[[モンタナ州]]、カナダ・[[アルバータ州]]<br />
|非営利組織<br />
|World Peace<br />
|[[File:GlacierNP L7 20010701.jpg|100px]]<br />
|-<br />
|The Peace Dome<br />
|アメリカ合衆国・ウィンディービル<br />
|非営利組織<br />
|Many minds working together toward a common ideal to create real and lasting transformation of consciousness on planet Earth. A place for people to come together to learn how to live peaceably.<ref>http://www.peacedome.org/PeaceDomeStory/history/1DomeHistory.html</ref><br />
|}<br />
<br />
== 平和学 ==<br />
{{main|平和学}}<br />
<br />
== 平和の指標 ==<br />
{{main|世界平和度指数}}<br />
<br />
== 参考資料 ==<br />
* 広島市立大学広島平和研究所紀要『広島平和研究』創刊号(特別寄稿3)「平和とは何か―だれのための平和、友好、そして援助なのか―」(吉川元)2013年11月<br />
<br />
==出典==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|group=注釈}}<br />
{{Reflist|30em}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{sisterlinks<br />
| commons = Peace<br />
| commonscat = Peace<br />
| q = 平和<br />
}}<br />
{{ウィキポータルリンク|平和}}<br />
{{div col|colwidth=30em}}<br />
* [[w:Catholic peace traditions|Catholic peace traditions]]<br />
* [[w:Creative peacebuilding|Creative Peacebuilding]]<br />
* [[世界平和度指数]]<br />
* [[w:Group on International Perspectives on Governmental Aggression and Peace|Group on International Perspectives on Governmental Aggression and Peace]] (GIPGAP)<br />
* [[w:Human overpopulation#Warfare and conflict|Human overpopulation#Warfare and conflict]]<br />
* [[国際平和デー]]<br />
* [[w:List of peace activists|List of peace activists]]<br />
* [[w:List of places named after peace|List of places named Peace]]<br />
* [[w:List of peace prizes|Peace prizes]]<br />
* [[w:Moral syncretism|Moral syncretism]]<br />
* [[平和教育]]<br />
* [[w:Peace in Islamic philosophy|Peace in Islamic philosophy]]<br />
* [[w:Peace journalism|Peace Journalism]]<br />
* [[w:Peace makers|Peace makers]]<br />
* [[w:Peace One Day|Peace One Day]]<br />
* [[ピースマーク]]<br />
* [[w:Peacekeeping|Peacekeeping]]<br />
* [[w:Peacemaking|Peacemaking]]<br />
* [[構造的暴力]]<br />
* [[w:Sulh|Sulh]]<br />
* [[w:Suresh Joachim|World Cease fire day]]<br />
* [[w:War resister|War resister]]<br />
* [[w:World peace|World peace]]<br />
{{div col end}}<br />
<br />
{{社会哲学と政治哲学}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:へいわ}}<br />
[[Category:平和|*]]<br />
[[Category:非暴力]]</div>202.214.30.73イラストレーション2017-09-13T05:29:19Z<p>202.214.30.73: 219.169.236.122 (会話) による ID:65477509 の版を取り消し</p>
<hr />
<div><!-- メモ:<br />
* 世界のイラストレーションの歴史と広がりをしっかりと視野に入れた日本語の本を発見できておらず、記述の見通しが立てにくい記事となってしまっています。いずれまた改稿が必要そうです。<br />
* 20世紀後半の歴史で紹介しているイラストレーターの選択には難があるように思われます。<br />
* マンガ・アニメ系とアート系で反目関係があるとする記述が随所にありましたが(そういうのもあるだろうとも思うのですが)、明確な出典なしに記述すべき内容ではないと思われるのでコメントアウトしています。<br />
* グラフィックデザイン、絵画/アート、イラストレーション、キャラクターの関係をもっと見通しやすくしたい。そもそもどこまでがグラフィックデザインなのかetcが難しい。<br />
* 「絵本」「ファッションイラストレーション」「社会派」あたりにもう少し触れてもいいかも。<br />
* ギャラリーを分解して文脈に合わせ4-8枚ずつ各セクションに織り込んだ方が質が上がる?<br />
--><br />
{{Otheruses||雑誌|イラストレーション (雑誌)}}<br />
[[Image:Wilcox.jpg|thumb|right|200px|[[ジェシー・ウィルコックス・スミス]]による[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン|R・L・スティーヴンソン]]『[[子供の詩の園|子どもの詩の園]]』のイラストレーション(1905)]]<br />
[[File:Kate Greenaway - May day.jpg|thumb|300px|[[ケイト・グリーナウェイ]]『[[メーデー]]』]]<br />
'''イラストレーション'''({{lang-en-short|}}{{lang-fr-short|}}{{lang-de-short|''illustration''}})とは図像によって物語、小説、詩などを描写もしくは装飾し、また科学・報道などの文字情報を補助する、形式よりも題材に主眼を置いた図形的もしくは絵画的な[[可視化|視覚化]]表現である。<br />
<br />
イラストレーションは情報を伝達する[[メディア (媒体)|媒体]]の1つであり、目的に沿って作成される[[絵画|絵]]や図像であり、情報の[[図解]]という性格を持つ。[[マスメディア]]を通じて社会の中で機能することを大前提としており、[[グラフィックデザイン]]の中の分野でもある。そのため、作家自身の世界を一貫して追求する[[芸術]]・[[美術]]とは性質が異なっている<ref name="toha">{{Harvnb|須長|2003|pp=62-65}}</ref>。<br />
<br />
イラストレーションを描くことを職業にしている人を[[イラストレーター]]という。<br />
<br />
== 語源と日本語での「イラストレーション」 ==<br />
<!--[[Image:Monde_Illustr%C3%A9.jpg|thumb|[[ドレフュス事件]]を伝える新聞「le Monde Illustré」(1898)。19世紀の[[報道|ジャーナリズム]]は競ってイラストレーションを導入した。]]--><br />
[[Image:Illustrated London News - front page - first edition.jpg|thumb|「[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]」創刊号(1842)。19世紀の[[報道|ジャーナリズム]]は競ってイラストレーションを導入した。]]<br />
[[英語]]の''illustration'', ''illustrate''及び西洋諸言語の同系の言葉の[[語源]]は「照らす」「明るくする」を意味する[[ラテン語]]''lustrare''(さらには''lux''「[[光]]」に遡り、英語''illuminate''「照らす」と同一語源)であり、明るくすることから転じて「分かりやすくする(もの)」<!--1611-->という意味となった。従って、西洋での''illustration''の元々の意味は図解や[[挿絵]]など印刷物の中に扱われ理解を助ける「図版」のことであった<!--1825-->が、現在はさらに拡大した解釈で用いられている<ref name="VD-joron">{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=6-9}}; 執筆者は[[粟津潔]]。</ref><ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=5}}</ref>。<br />
<br />
イラストレーションは、[[日本]]では略して'''イラスト'''と呼ばれ一般化しているが、この略称は日本で作られたもので、海外では通じない<ref name="VD-joron" />。<!-- 情報源の提示をお願いします。: そのため、日本イラストレーション界の大御所というべき人達{{誰|date=2011年2月}}が'''イラスト'''という呼称を使わず、「イラストレーション」という呼び方に改めるべきだと唱え、若いイラストレーターに呼びかけている。一方で、漫画・アニメ系の絵柄を描く人達での間では'''イラスト'''という呼称がよく使われている。-->[[現代 (時代区分)|現代]]の日本におけるイラストレーションは単に絵を示すことも多いが、西洋の''illustration''は基本的にはその意味がなく、また必ずしも絵だけには限らない。芸術としての絵画([[ファインアート]])に対し、イラストレーターが制作するような、分かりやすい「[[大衆文化|ポピュラー美術]]」に相当するのが現在の広義のイラストレーションであるとも言える。<br />
<br />
[[挿絵]]はイラストレーションそのものであり、[[絵本]]や[[漫画]]もイラストレーションに含まれ、もしくはイラストレーションを構成要素として持つが、これらはイラストレーションという呼称が普及した[[1960年代]]以前から存在していたため固有の呼称が用いられている。[[建築物]]の[[完成予想図]]([[遠近法#建築パース|建築パース]])もイラストレーションの一種である。<br />
<br />
== 形態・領域 ==<br />
[[File:Twist serialcover.jpg|thumb|left|upright|[[ジョージ・クルックシャンク]]による『[[オリバー・ツイスト]]』表紙(1846)]]<br />
[[デザイナー]]=イラストレーター・[[芸術家]]・[[版画家]]・[[写真家]]などによって制作されるイラストレーションは非常に幅広い領域に亘る<ref>{{Harvnb|須長|2003|pp=66-78}}</ref>――<br />
* [[文学]]:[[小説]]、[[物語]]、[[本]]の[[表紙]]、[[児童文学|児童書]]([[絵本]])……<br />
* 資料、技術領域:[[辞典|辞書]]、[[百科事典]]、概説書や入門書、[[マニュアル|取扱説明書]]……<br />
* [[報道|ジャーナリズム]]:[[記事]]の図解、[[戯画|風刺画]]……<br />
* [[宣伝]]・[[広告]]:[[新聞広告]]、[[雑誌]]表紙、[[ポスター]]、[[パッケージデザイン|パッケージ]](箱や梱包)、[[はがき|ポストカード]]、[[ネオンサイン]]、[[ショーウィンドー]]<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=24-29}}</ref><br />
……<br />
* その他:[[CDジャケット]]、[[キャラクターデザイン]]……<br />
このリストは領域を限定するものではなく、こうしたさまざまな領域の境界線は不明瞭なもので揺れがある。例外はあるが、何らかのメッセージを持つテクストに付随するということと、印刷や版画といった手段により大量に複製されるということでイラストレーションは定義される。<br />
<br />
イラストレーションは図解であるが、これは必ずしもイラストレーションがテクストに従属することを意味しない。[[ジョセフ・ヒリス・ミラー]]は[[ハンス・ホルバイン|ホルバイン]]を例に取りつつ、イラストレーションと文章は対話的関係にあり相互干渉し意味を二重化するのであって同一のものを表すことは決してないと表現している<ref>{{Harvnb|ミラー|1996|pp=132-133}}</ref>。<br />
<br />
作家[[チャールズ・ディケンズ]]の出世作『[[オリバー・ツイスト]]』には[[ジョージ・クルックシャンク]]によるイラストレーションが添えられているが、これはディケンズの小説を基にクルックシャンクが挿絵を描いたのではなく、ロンドンの下層社会を描いた版画連作のためのスケッチをディケンズが見て『オリバー・ツイスト』の[[キャラクター]]を着想したものであった(と少なくともクルックシャンクは主張した)。イラストレーターによるキャラクターが小説に先行したのであり、この構図は今日の日本の[[ライトノベル]]や[[アニメ]]・[[マンガ]]などのキャラクタービジネスではより鮮明となっている<ref>{{Harvnb|小田切|2010|pp=111-115}}</ref>。<br />
<br />
== 美術とイラストレーション ==<br />
イラストレーションはメディアで複製され機能する、メッセージを伴う図版表現として[[芸術|芸術作品]]から区別されるが、これは機能からの分類であり、機能と切り離してみれば「絵」の一種以外の何物でもない<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=123-124}}</ref>。独創的な芸術作品もまたしばしば書籍のカバーや挿絵などのイラストレーションとして利用される。逆にイラストレーションの原本がその制作時の文脈に関係なく芸術作品として取り扱われ画廊などで販売されたりることも少なくない<ref name="toha" />。<br />
<br />
美術においては画家という「個」から出発して1つの普遍性を目指すが、イラストレーションにおいては即座に人を捉える分かりやすい「個性」が求められる。このため美術では常に人とも過去の自分とも異なる表現が求められるが、イラストレーションではそうした桎梏から自由な反面、一度タッチなどの作風が定着するとその作風を反復し続けることを要求される側面もある<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=46-47}}: 伊藤桂司「イラストレーションの問題点」</ref><ref>{{Harvnb|吉田|東野|多木|1979|pp=134-139}}</ref>。<br />
<br />
イラストレーションにはさまざまな環境において[[大衆]]に訴求する分かりやすさが求められると同時に、大量に複製されることによって大衆が身近に触れることのできる絵画的表現物ともなっており、即時的な「消費される絵画」<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=9}}</ref> であると同時に絵画(タブロー)にはない共有性や同時代性も持つ<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=24-25}}</ref>。他方で[[消費社会]]の高度化に伴い商業領域でも「個」に訴求する表現が受け入れられるようになり表現者が美術とイラストレーションを往還し、またメディアも紙のみならずデジタルや環境などへと拡散していったため、美術との境界のみならずイラストレーションそのものの定義も揺らぎつつある<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=81, 88-90}}</ref>。<br />
<br />
== 用途 ==<br />
[[Image:Segelboot.jpg|thumb|[[ヨット]]の[[図解]]イラストレーション]]<br />
イラストレーションはさまざまなテーマを表現することができ、以下のような幅広い目的に用いられる――<br />
* 物語のニュアンスを浮き彫りにする。<br />
* 読者に感情を吹き込む。<br />
* 登場人物に人格や顔を与える。<br />
* 教育・科学的な記事などを[[可視化|視覚化]]する。<br />
* 利用ガイドや取扱説明書などの説明を図式化する。<br />
* 商品が売れるようにする。<br />
イラストレーションに関わる職業はイラストレーター・写真家・その他の「クリエイター」だけではなく、作家や作品と最終的な顧客との関係を確保する重要な役割を担う仲介者も含まれる<ref name="toha" /><!-- フルにはカバーせず-->――アートディレクターや制作ディレクター<!--日本だと「編集者」がしっくり来る?-->はイラストレーションの様式やアーティストをプロジェクトに最も適するように選択し、関係を確立し、仕様書を渡し、仕事の進行を管理し、必要な訂正を行わせる。図版担当の編集者は写真・文献・版画・絵画など、既に存在するありとあらゆる形態のイラストレーションから必要なものを探し出し、個人・各種組織・[[図書館]]・[[美術館]]などの[[著作権]]所持者との交渉を行う。<br />
<br />
今日では以上のような用途の少なからぬ部分は[[写真]]で代用可能となっているが、それゆえに独自の表現を求めてイラストレーションは多様化し<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=14-15}}</ref>、またイラストレーターの目と手を通じた抽象化や説明性は対象を写真よりも理解しやすいものとするので、図鑑などのサイエンティフィック・イラストレーションや技術分野での[[テクニカルイラストレーション]]として生き続けている<ref>{{Harvnb|吉田|東野|多木|1979|pp=139-143}}</ref>。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[Image:Les_Tr%C3%A8s_Riches_Heures_du_duc_de_Berry_juin.jpg|thumb|left|『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]』より6月]]<br />
=== 概略 ===<br />
イラストレーションの起源は定め難いが、文字では表すことのできないものを絵によって表すことから始まり、[[印刷]]技術の発明により、[[活字]]の他に絵による図版が登場し、[[大量生産]]によって[[大衆|大衆化]]することで本格化した。新聞、図鑑、解剖図などで挿絵が活躍する。<br />
<br />
[[19世紀]]後半には数多の文学作品に芸術的な挿絵が添えられ、西洋のイラストレーションは黄金時代を迎える。印刷技術の大型化に伴い、[[ポスター]]が登場し、メディアとしての広がりを見せる。[[ヨーロッパ]]では、[[アール・ヌーヴォー]]の[[画家]]や[[デザイナー]]が華を咲かせた。[[ラファエル前派]]、[[アーツ・アンド・クラフツ]]、[[ナビ派]]、[[アール・デコ]]などの美術潮流と相互に影響を及ぼし合う。やや遅れ、19世紀末から20世紀初頭には[[アメリカ合衆国]]がイラストレーションの黄金時代を迎え、現代に至るまでのイラストレーションの原型がほぼ出揃う。<br />
<br />
日本においても、[[1950年代]]後半にはイラストレーションという呼称が用いられるようになり、[[1960年代]]にはグラフィックデザインから独立したジャンルを築く。[[写真]]使用の一般化に伴い新聞雑誌などでの使用は減少したが、媒体自体の増加に伴い空間、環境、舞台、衣装、[[ウェブデザイン]]、[[コンピュータゲーム]]など、表現領域を大きく広げている<ref name="VD-joron" /><ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=28}}</ref>。<br />
<!--現在では現代美術の一端を担っている。WP:APT--><br />
<br />
[[File:AltamiraBison.jpg|thumb|先史時代、[[アルタミラ洞窟]]の[[洞窟壁画]]]]<br />
=== 起源 ===<br />
イラストレーションの起源は初期の図像表現と分かち難く、先史時代の[[洞窟壁画]]がその最初の形であろう<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=6}}</ref>。[[印刷機]]が発明されるまでは、[[本]]には手描きで絵を入れていた。[[極東]]、とりわけ[[中国]]・[[朝鮮]]・[[日本]]では、[[8世紀]]から伝統的に[[版画]]により文章にイラストレーションを添えていたが、より一般的にはこれらの国々の絵画芸術では[[19世紀]]に至るまで絵画の方に短い詩文([[賛]])が添えられるのが常であった。<br />
<br />
西洋や中近東での始まりは[[中世]]や[[ルネサンス]]の[[ミニアチュール|彩色装飾]]であったとも考えられる。注目に値する数々の彩色装飾の中でも際立つのが『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]』のそれである。イスラーム圏では絵画(タブロー)が宗教的理由で抑圧されたため[[イスラーム美術#写本芸術|写本芸術]]が発達を見た<ref>{{Citation|last=桝屋|first=友子|author=桝屋友子|year=2009|date=2009-10-20|title=すぐわかるイスラームの美術 建築・写本芸術・工芸|place=東京|publisher=[[東京美術]]|isbn=978-4-8087-0835-1|pages=p. 68}}</ref>。<br />
<br />
=== 15-18世紀 ===<br />
[[15世紀]]には[[印刷|印刷術]]が発明され、書物には木版術([[木版画|板目木版]])で挿絵が施されるようになった。16世紀には製版術が進歩し、木版から銅版([[凹版印刷|凹版]]、[[エッチング]])へ<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=6}}</ref>、そして18世紀末には[[リトグラフ]]へと発展していった<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=30}}</ref>。<br />
<br />
17世紀の[[コメニウス]]の『世界図絵』は文字と絵を併置したはじめての視覚的教科書であった<ref name="VD-what">{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=10-11}}</ref>。この時代の特筆すべきイラストレーターに、凸版エッチングを用いて自著に自らの手で挿画した[[ウィリアム・ブレイク]]がいる。[[ドゥニ・ディドロ|ディドロ]]と[[ジャン・ル・ロン・ダランベール|ダランベール]]の[[百科全書]]は[[啓蒙思想]]に基づき大量のイラストレーションを使用し、今日の[[テクニカルイラストレーション]]の先駆けとなった<ref name="VD-what" />。<br />
<br />
=== 19世紀初頭 ===<br />
<!--[[File:SubstanceandShadow.jpg|thumb| [[パンチ (雑誌)|パンチ誌]]に1843年に掲載された[[ジョン・リーチ]]の[[カートゥーン]]。[[戯画|風刺画]]を[[カートゥーン]]と呼んだ最初の例。]]--><br />
[[File:Cruikshank - Snuffing out Boney.png|thumb|[[ジョージ・クルックシャンク]]『ボニーの火を消しちまえ!』(1814)。[[ナポレオン・ボナパルト]]の追放を[[風刺]]。]]<br />
19世紀初頭には、[[大衆]]的な新聞や[[暦]]([[:en:almanac<!-- [[:ja:生活暦]] とリンク -->]]. 当時の暦は一種のメディアであった)が飛躍的に普及しマスメディアが形成され、そこに掲載された短篇小説や連載小説が人気を博したこともあり[[報道|ジャーナリズム]]のイラストレーションが発達した。[[識字|識字率]]の低かった当時、図像の訴求力は大きかったのである。この頃の注目に値する人物としては{{仮リンク|ジョン・リーチ|en|John Leech (caricaturist)}}、[[ジョージ・クルックシャンク]]、[[チャールズ・ディケンズ]]の挿絵画家{{仮リンク|ハブロット・K・ブラウン|en|Hablot Knight Browne}}、フランスの[[オノレ・ドーミエ]]がいる。同じイラストレーターたちが風刺雑誌と一般のフィクション雑誌の双方に寄稿する場合が多かったが、どちらの場合も需要は社会的な類型や階層を要約しまたは風刺するキャラクター画にあった。<br />
<br />
先行するクルックシャンクの『コミック・アルマナック』(1827-1840)の成功を受けて1841年に創刊されたイギリスのユーモア雑誌『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』は、[[ジョン・テニエル]]、{{仮リンク|ディエル兄弟|en|Dalziel Brothers}}、[[ジョージ・デュ・モーリア]]<!-- ou ジョルジュ・デュ・モーリエ -->を含む高水準な漫画([[カートゥーン]])イラストレーターたちを20世紀まで途切れなく採用し続けた。パンチ誌は大衆的イラストレーションが風刺への依存から時事問題の洗練された観察へと徐々に移行してゆくさまを映し出している。これらのアーティストたちは皆、伝統的な[[ファインアート]]の芸術家としての教育を受けていたが、主にイラストレーターとしてその名声を獲得している。パンチ誌や、『ル・ヴォルール』誌({{lang-fr-short|Le Voleur}}、『泥棒』)などのこうした雑誌は、優れたイラストレーションは文字のコンテンツと同等に売れるものであると世に示した。1842年には『[[イラストレイテド・ロンドン・ニュース]]』紙が創刊され、以降相次いでイラストレーション入りの新聞が発行されるようになる。<br />
<br />
=== イラストレーションの黄金時代 ===<br />
[[ファイル:Lechatbotte1.jpg|thumb|[[ギュスターヴ・ドレ]]による『[[マ・メール・ロワ]]のおはなし』収録の「[[長靴をはいた猫]]」の挿絵]]<br />
19世紀後半は[[ヨーロッパ]]と[[アメリカ合衆国]]における「[[挿絵の黄金時代|イラストレーションの黄金時代]]」と考えられている。一般大衆向け出版の発達と[[雑誌]]の出現がイラストレーションの流布を増大させた。{{仮リンク|木口木版|en|Wood engraving}}術は、熟練した製版家の力と相俟って、デザイナーの仕事を極めて細かいディテールまで再現することを可能にした。新しい印刷技術の発明(とりわけ写真製版)は挿絵画家たちにカラーや新しい表現技法を実験する自由を与えた。<br />
<br />
[[ファイル:Mucha-Maud Adams as Joan of Arc-1909.jpg|thumb|left|[[アルフォンス・ミュシャ]]による[[演劇]]『[[ジャンヌ・ダルク]]』ポスター(1909)]]<!--ミュシャ目立ちすぎかな?--><br />
[[フランス]]では{{仮リンク|ポール・ガヴァルニ|fr|Paul Gavarni}}、[[J・J・グランヴィル]]、そしてとりわけ[[ギュスターヴ・ドレ]]によってこの分野は芸術の域にまで到達した。ドレの『[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ|ラ・フォンテーヌ]]寓話集』『[[シャルル・ペロー]]の童話』、[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]の『[[ドン・キホーテ]]』などの挿絵は一時代を画するものであった。1860年代[[ロンドン]]の貧困の陰鬱さを反映したこれらの挿絵は、[[社会学|社会]]問題の芸術分野での現れの注目すべき例でもあった。熟練した製版家によって実践される木口木版術の恩恵で、出版社は大量のイラストレーションを使用した。熟練製版家の存在がなければ、どんな単純なイラストレーターの仕事も出版されることはなかったであろう。最も代表的な例はおそらく、[[ジュール・ヴェルヌ]]の小説を出版したエッツェル社である。本文とは別に印刷して、別丁にしなければならない他の技法([[凹版印刷|凹版]]や[[リトグラフ]])とは対照的に、この技法は挿絵を本文と同時に、多くの部数に印刷することが出来た。デザイナーの制作した原本を再生産する仕事をするこれら製版家の大部分は、彼ら自身もまたイラストレーターであった。{{仮リンク|フランソワ・パンヌマケ|fr|François Pannemaker}}、[[エドゥアール・リウー]]、{{仮リンク|レオン・ベネット|fr|Léon Benett}}などがそうである。[[エドゥアール・マネ]]、[[エドガー・ドガ]]、やや後の[[ピエール・ボナール]]といった偉大な画家たちも、[[エドガー・アラン・ポー]]の詩や[[ギ・ド・モーパッサン]]の小説の挿絵を描いてみたりしていた。<br />
<br />
[[ファイル:Crane beauty5.jpg|thumb|[[ウォルター・クレイン]]による『[[美女と野獣]]』の挿絵(1874)]]<br />
[[イギリス]]では、[[ジョン・テニエル]]による挿絵が[[ルイス・キャロル]]の『[[不思議の国のアリス]]』の幻想世界を読者たちに表現してみせた<ref name="VJ-world">{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=102-105}}</ref>。ドレやテニエルが[[モノクローム]]の版画で幻想的な作品を作り続けた一方で、他のイラストレーターたちは[[色|色彩]]の可能性を発見していった。彼らは特に[[ラファエル前派]]の画家たちの影響を受け、[[ウィリアム・モリス]]が興した[[アーツ・アンド・クラフツ]]の[[デザイン]]志向の手刷りによる技術を模倣した。[[エドマンド・デュラック]]、[[アーサー・ラッカム]]、[[ウォルター・クレイン]]、[[カイ・ニールセン]]などがこのスタイルの代表例で、{{仮リンク|新中世趣味|en|neo-medievalism}}の風潮を持ち、[[神話]]や[[御伽話|説話]]を題材にすることが多かった。それとは対照的に、[[ビアトリクス・ポター]]は彼女自身の短い物語に、[[ヴィクトリア朝]]様式に着飾った動物たちを自然観察に基づき描いたイラストレーションを添えた『[[ピーターラビット]]』で大衆的な人気を獲得しイラストレーションの領域を広げた<ref name="VJ-world" />。黄金時代のイラストレーターたちの豊饒さと調和は、1890年代には[[ジャポニスム]]や板目木版と影絵に影響され密度の薄い白黒のスタイルに回帰し[[アール・ヌーヴォー]]や[[ナビ派]]を先取りした[[オーブリー・ビアズリー]]などのイラストレーターによってさらに際立った。<br />
<br />
19世紀末には[[リトグラフ]]の技法によりカラーの広告[[ポスター]]が一般化し、[[アール・ヌーヴォー]]の開花と共に[[ジュール・シェレ]]、[[ウジェーヌ・グラッセ]]、[[アルフォンス・ミュシャ]]、[[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック]]らが近代的なポスターを作り出した<ref name="VJ-world" /><ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=8}}</ref>。<!--この時期「モダンデザイン」という言葉が生まれた。:アール・ヌーヴォーとは相反する動きです--><br />
<br />
合衆国での黄金時代は1880-1914年であった。{{仮リンク|アーサー・バーデット・フロスト|en|Arthur Burdett Frost}}や[[ハワード・パイル]]は子供向けの本のイラストレーションで名声を得、パイルの開いたブランデーワイン・バレー学校の生徒であった{{仮リンク|N・C・ワイエス|en|N.C. Wyeth}}、[[マックスフィールド・パリッシュ]]、[[ジェシー・ウィルコックス・スミス]]、{{仮リンク|フランク・スクーノヴァ|en|Frank Schoonover}}らが時代を支え、後の[[ノーマン・ロックウェル]]にも影響を与えた。またパイルらは1902年<!-- 脚注の文献には1901年とありますが、公式サイトが1902年としているのでそちらに従います -->にイラストレーターの職業団体である{{仮リンク|ソサエティ・オブ・イラストレーターズ|en|Society of Illustrators}}を設立し、イラストレーターの地位を向上させた<ref name="VJ-world" />。<br />
<br />
=== 1914-1945年 ===<br />
[[Image:Unclesamwantyou.jpg|thumb|[[ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ]]「I Want You」、1917年アメリカの兵士募集ポスター]]<br />
<br />
20世紀は「[[デザイン]]の世紀」とも呼ばれ、[[大量生産]]と社会の大衆化に伴い商品の差別化のためのデザインが重要となり、デザインの絵画的要素としてのイラストレーションも発達を見た。[[アール・ヌーヴォー]]、[[アール・デコ]]、あるいは[[キュビスム]]などの美術潮流や、[[バウハウス]]のようなデザイン潮流などがイラストレーションに流入し混ざり合い、近代的なイラストレーションが成立してゆく。また両大戦を通じ政治的な[[プロパガンダ]]にイラストレーションが用いらるようになったのもこの時代であった<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=12-13}}</ref>。<br />
<br />
<!-- デルガドやラッグは日本の文献では出て来ない… --><br />
[[シカゴ]]の美術学生であった{{仮リンク|サンティアゴ・マルティネス・デルガド|en|Santiago Martinez Delgado}}によって[[ラテンアメリカ]]に一つの運動が引き起こされた。デルガドは1930年代に『エスクァイア』誌で、その後[[コロンビア]]にて『ヴィダ』誌で活動した。[[フランク・ロイド・ライト]]の弟子である彼のイラストレーションは[[アール・デコ]]様式の影響を受けていた。<br />
<br />
同じく1930年代には[[表現主義]]の影響がイギリスのフリーイラストレーターであった{{仮リンク|アーサー・ラッグ|en|Arthur Wragg}}<!-- Wragg: ラック?ラッグ? -->の仕事に見出される。ラッグは[[ステンシルテンプレート|ステンシル]]の技法で得られた[[プロパガンダ]]のポスターで用いられるようなフォルムを様式化した。ラッグの様式化されたモノトーンな輪郭は政治的なポスターに使われるような木版印刷を彷彿とさせるものであったが、この時代の写真的な手段で原画を印刷版に転写する技術はラッグに全ての作品を[[ペン]]と[[インク]]で制作することを可能にする域に達していた。<br />
<br />
合衆国では[[サタデー・イブニング・ポスト]]誌の表紙イラストで中流アメリカ人の生活を騒がせた[[J・C・ライエンデッカー]]、[[ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ]]、[[ノーマン・ロックウェル]]らの名前を雑誌出版界が強く印象付けた。<!-- XXX 「有名になった」ぐらいに意訳でもいい? --><br />
<br />
=== 1945年から今日まで ===<br />
<!-- 新しい世代の図版が欲しいところですが、著作権の壁があります。 --><br />
印刷技術がさらに発達し、[[グラビア印刷]]により[[写真]]が容易に印刷できるようになった20世紀後半になるとメディアは徐々に手描きのイラストレーションを見捨てるようになり、イラストレーションは写真を補完する形で個性化が進んでいった<ref>{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|p=42}}</ref><ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=15}}</ref>。イラストレーターたちは広告、児童書、科学書、[[ディスクジャケット]]、それから政治や社会の「[[戯画|風刺画]]」を主とした新聞雑誌の図版<!--([[カナール・アンシェネ]]、[[チャーリー・エブド]]、[[シネ・エブド]]) フランス固有なので割愛-->といった領域で活動を続けている。{{仮リンク|ラルフ・ステッドマン|en|Ralph Steadman}}、[[トミー・ウンゲラー|トミー・アンゲラー]]、{{仮リンク|ダニエル・マジャ|fr|Daniel Maja}}、{{仮リンク|ローラン・トポール|en|Roland Topor}}などなど、数多くの個性が新聞雑誌、文学の挿絵、[[児童文学]]などのさまざまな領域で頭角を現している。美術出版社は[[アンリ・マティス]]、{{仮リンク|レイモン・モレッティ|fr|Raymond Moretti}}、[[パブロ・ピカソ]]といった高名な画家に頼るようになった。一例としてピカソはスキラ社が出版する[[オウィディウス]]の『[[変身物語|変身譚]]』のために挿絵を描いた。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]で本土に被害を受けなかった合衆国の1950年代は[[ノーマン・ロックウェル]]、{{仮リンク|ハリー・アンダーソン|en|Harry Anderson (artist)}}、{{仮リンク|ボリス・アルツィバーシェフ|en|Boris Artzybasheff}}、{{仮リンク|チャールズ・ケリンズ|en|Charles Kerins}}らによる第2の黄金時代を迎え、1960年代前半までは雑誌広告や漫画などを中心にメディアでのイラストレーションの活躍が見られた。イラストレーションは主に出版と[[コミュニケーション]]の領域で、絵画の潮流に追随する形で存続したが、時には[[アンディ・ウォーホル]]や[[ロイ・リキテンスタイン]](両者とも商業イラストレーターとして働いていた)の[[ポップアート]]作品のように絵画の潮流を先取りし導いたこともあった。この時代には、広告が巨大産業となってゆくのに伴い[[グラフィックデザイン]]の分業化が進み、イラストレーターも独立した職業となっていった一方で、商業の中の部品への後退も見られた<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=15}}</ref>。<br />
<br />
フランス1970年代の出版界で、グループ「バズーカ」の若いグラフィックデザイナーたちが[[ロシア構成主義]]や[[漫画]]の影響を受け、写真や[[タイポグラフィ]]と戯れる[[コラージュ]]からなる大胆で革新的なスタイルを打ち出した<!-- 仏語版由来ですが、歴史節に組み入れるほど重要かはチェックが必要? -->。1980年代にはノーマン・ロックウェルの再発見を通じて、写真[[モンタージュ]]の[[模写]]・演出を主に利用し、(コンピュータに取って代わられるまでは)[[エアブラシ]]を多用した「ハイパーリアリズム」の傾向が見られた<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|pp=58-59}}</ref>。<br />
<br />
[[File:Osaka Kaiyukan04s3000.jpg|thumb|240px|[[アイヴァン・チャマイエフ]]、大阪「[[海遊館]]」壁画(一部。1991)<!--。イラストレーションは領域を広げている。-->]]<br />
1980-1990年代には、[[テレビ|テレビジョン]]のような視聴覚メディアが[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]を使用して生で番組の主題を戯画化したり図解したりといった形で時折イラストレーターの助けを借りるのが見られた。<!--今みたいなペンタブではなくて、テレビ画面に直接インポーズでイラストを描いて見せたのか-->このタイプの高度な即興と早描きの能力を要求するイラストレーションは[[シンポジウム]]や会議やセミナーやその他のイベントなどでも用いられることがあった。<br />
<br />
<!--[[Image:Pyle pirates approaching ship.jpg|thumb|[[ハワード・パイル]]の海賊イラストと遺稿を集めた『カリブ海の海賊』は没後10年の1921年に編纂・出版。]]--><br />
20世紀末以降も、イラストレーションの伝統的な技法は教えられ利用され続けている([[美術学校]]、[[応用美術]]、[[グラフィック・アート]]……)。イラストレーションの添えられた出版物(児童書、雑誌、教育書、百科事典……)は増加を続けている。手描きのイラストレーションは専門誌(<!--『Hebdogiciel』のような:日本人には無縁なので割愛。日本の例があると良い-->コンピュータ誌や女性誌など)で人気を取り戻しており、若年層向けの雑誌や書籍でも急速に数を増やしている<!-- 日本のラノベなんかですね。後日加筆? -->。今日では、書籍・[[雑誌]]・[[ポスター]]などで使用されたイラストレーションの原画を蒐集し眺めることへの関心が高まりつつあり、数多くの美術館・美術雑誌・[[ギャラリー (美術)|画廊]]が、昔のイラストレーターたちのためにスペースを割いている。アートブックやイラスト集などとしてイラストレーションそのものが商品となることも多い<ref name="toha" />。<br />
<!-- 今日のホビーとしてのイラストについて触れてもいいかもしれません。 --><br />
<br />
媒体の選択肢が広がり、[[ビジュアルデザイン]]や[[インフォグラフィック]]などの概念も発達し、空間・環境などの領域への進出も見られる<ref name="toha" />。[[情報機器]]の発達によって可能になった[[コンピュータゲーム]]や[[ウェブサイト]]などのような[[マルチメディア]]や[[コンピュータグラフィックス]]のイラストレーションもまたますます存在感を増しつつある<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=25-26}}</ref>。浩瀚な紙の百科事典も今日ではマルチメディア版([[CD-ROM]]や[[DVD]]と[[インターネット]]の[[ハイパーリンク]])が出ており、画像・図案・写真のコピーだけでなく、音声・合成映像・アニメーション・ビデオなどをも主題の図解に使用している<!-- 音声や動画も「イラストレーション」だということ -->。<br />
<br />
== 日本のイラストレーション ==<br />
[[画像:Kuniyoshi Utagawa, Stingrays.jpg|thumb|イラストレーション的側面をもつ浮世絵([[歌川国芳]] 江戸時代後期)]]<br />
[[王朝時代]]の[[絵巻物]]から西洋美術にも[[ジャポニスム]]として大きな影響を与えた[[江戸時代]]の[[浮世絵]]のような版画メディアまで、日本は独自の図説文化を有していた。明治以降、[[挿絵]]は基本的に画家が担っていた<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=9}}</ref>。この時期の重要な挿絵画家には[[木村荘八]]や[[小村雪岱]]などがいる<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=100}}</ref>。<br />
[[日露戦争]]以降の商工業の成長と石版印刷の技術向上により広告ポスターが隆盛し、西洋イラストレーションの影響を受け変容が進んでいった<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=13-14}}</ref>。<br />
<!--[[明治]]期の[[文明開化]]により一時断絶する。洋式の出版が行われるようになったのに伴い[[挿絵]]や[[表紙]]の需要も生まれ、また[[漫画]]が独自の発達を始めたが、--><br />
<br />
分野としての「イラストレーション」という呼び名が日本に定着したのは[[戦後]]になってからである。<br />
1951年に発足した[[日本宣伝美術会]](日宣美)の公募展がデザイナーの登竜門となり、出品作のほとんどにはイラストレーションが用いられた。この時期に[[早川良雄]]、[[粟津潔]]、[[灘本唯人]]らがイラストレーションの土壌を作った<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|pp=12-13}}</ref>。また[[福音館書店]]を始めとする[[児童文学|児童書]]の出版社により今日のような[[絵本]]が成立したのも1950年代半ばであった<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=110}}</ref>。<br />
<br />
1960年代には[[グラフィックデザイナー]]とイラストレーターの分業化が始まり、<br />
1964年には日宣美の会員たちが[[東京イラストレーターズ・クラブ]]を結成する<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=13}}</ref>。同クラブは「現代をイメージによって証言し そのコスモスの拡大を意識の根底として 創造的形象化をめざす イラストレーターの集団」とのマニフェストを掲げイラストレーションとイラストレーターの存在を世に広めた<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|pp=16-18}}</ref>。[[宇野亜喜良]]、[[和田誠]]、[[横尾忠則]](横尾は後に「画家宣言」をすることになる)らが活躍して一大ブームを形成し、イラストレーションの市民権を獲得することに成功した<ref name="VD-joron" />。<br />
<br />
「[[挿絵]]」という言葉より後に出来たことや、紙媒体での挿絵の需要が写真に置き換えられて行く時期であったこともあり<ref>{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=40-42}}</ref>、そこには文章に従属した挿絵というニュアンスを超えて、独立した美術表現としてのイラストレーションという分野の確立が打ち出されていた。当時[[グラフィックデザイナー]]もしくは[[漫画家]]などを兼任していたイラストレーターが独立した職業となるのは[[1970年代]]以降であり<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|p=20}}</ref>、分業化されて拡大した日本の[[デザイン]]業界と、[[高度経済成長]]などの経済力に支えられたマスメディアがその背景にある。<br />
<!--ただし、挿絵などを専門にする者と、[[アニメーター]]や漫画家とを分ける向きこの頃から有る。後者は単に「アニメ」「マンガ」と呼ばれ、挿絵画家からは分けられることを望む者が多い。:「望む」かどうかは主観の域で、「多い」に根拠がありません。そういう向きもありそうだとは思うのですが、これを記述するためにはある程度信頼できる情報源が必要です。--><br />
<br />
1980年代には美術の抽象化や非絵画化が進行したこともあり、[[湯村輝彦]]の[[ヘタうま]]が社会現象化する<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|p=42}}</ref>など、手近に触れられる楽しい絵画的表現としてイラストレーションが広く受け入れられ、才能が流入し多様化した。一方で、1982年には[[横尾忠則]]が「画家宣言」を行うなど、濫造されポップに消費されるイラストレーションに飽き足らず逆に美術の側へと越境する動きも見られ、イラストレーションという概念の曖昧化が進行した<ref>{{Harvnb|京都造形芸術大学|1998|pp=22-23, 30-31}}</ref>。<br />
<br />
1990年代にはこうした状況に加え、成長を続けていた日本経済の転換や、メディアの多様化なども手伝い、1992年には長らく権威的存在であった『年鑑日本のイラストレーション』が刊行を停止し、登竜門も『[[イラストレーション (雑誌)|イラストレーション]]』誌のコンペティション「ザ・チョイス」を残すのみになるなど、活動領域の拡大の一方で表現としてのイラストレーション像は拡散と流動化が進んでいる<ref>{{Harvnb|美術手帖|2010|pp=121-127}}</ref>。<br />
<br />
== デジタル時代のイラストレーション ==<br />
<!--[[File:Intuos4m.jpg|thumb|left|[[ワコム]]社製の[[ペンタブレット]]]]--><br />
<br />
1990年代から、伝統的な媒体・画材に並んでコンピュータの[[グラフィックソフトウェア]]やコンピュータに直接描画する[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]がイラストレーションに用いられ始めた。<br />
イラストレーターたちはデジタルツールを、発表する作品を手っ取り早く調整・編集・送付する手段として用いるようになってきている<ref>{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=36-37}}</ref>。編集者の求めに応じ、人物を取り替えたり、建物を右から左に動かしたりといったことが、元々の作品に実際の変更を一切行うことなく可能である。スピードが重要となる業種ではコンピュータは不可欠なものとなっていることも多い一方で、無個性な仕上がりになりやすく個性を活かすのは難しいとも言われる<ref>{{Harvnb|須長|2003|pp=84-85}}</ref>。<br />
<br />
表現としては、当初は3Dなどの新奇なものとして使用されたが<ref>{{Harvnb|日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会|2000|pp=36-37}}</ref>、技術の発展に伴い自然な表現も可能となり、アナログで描いてデジタルで仕上げ、もしくはデジタルで下絵を作成・出力しアナログで仕上げるなど画材の1つとして使われるようになってきている<ref>{{Harvnb|イラストノート編集部|2009|p=98}}</ref>。<br />
<br />
<!-- <br />
イラストレーションは<!-従来クリエイティブ産業や娯楽産業の小さな部分に過ぎないと考えられていたが、->[[テレビゲーム]]・[[映画]]・[[アニメーション]]・[[広告]]・[[出版]]・[[ウェブサイト]]といった業界で新たに重要な要素となりつつある。これらのうち最初の3つでは、試作段階で[[コンセプトアート]]を使用し、[[キャラクターデザイン]]にもイラストレーターの力を借りることが多い。<br />
--><br />
<br />
{{-}}<br />
== テクニカルイラストレーション ==<br />
<!-- [[File:Drum set.svg|thumb|[[ドラムセット]]のイラストレーション]] --><br />
[[File:Interface lg.jpg|thumb|[[拡張カード]]の接続法を図解したテクニカルイラストレーション]]<br />
{{main|テクニカルイラストレーション}}<br />
[[テクニカルイラストレーション]]は技術的性質の情報を視覚的に伝達するイラストレーションの用法である。部品の[[図面]]や[[ダイアグラム]]といったものも含む。<br />
<br />
テクニカルイラストレーションの目的は視覚的な経路を通じて人間の観察者に何らかの[[情報]]を効率的に伝達できる表現力のあるイメージを作成することであり<ref name="ViGr05"> Ivan Viola and Meister E. Gröller(2005). "Smart Visibility in Visualization". In: ''Computational Aesthetics in Graphics, Visualization and Imaging''. L. Neumann et al. (Ed.)</ref>、大なり小なり非専門の閲覧者に向けてこうした事項を記述・説明することが主目的となる。視覚イメージは、閲覧者の興味と理解を引き出すために大きさや比率に関しては正確でなくてはならず、対象物が何であるか・何をしているかの全体的な印象を提供するものである必要がある<ref>[http://www.industriegrafik.com/TIE1.htm www.industriegrafik.com] website, Last modified: Sep 13 2009 09:50:53.</ref>。<br />
<br />
{{-}}<br />
== イラストレーションの歴史ギャラリー ==<br />
{{Notice|サムネイルをクリックすると拡大画像を表示します。各キャプション末の<!--[[ウィキメディア・コモンズ]]関連カテゴリへの-->リンクからさらに多くの図版を閲覧できます。|section=1}}<br />
<gallery style="font-size:small;"><br />
File:Lascaux2.jpg|[[ラスコー洞窟]]の[[洞窟壁画]](後期[[旧石器時代]])。人類最初期の広義でのイラストレーション[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Lascaux 。]<br />
File:LibroMuertosMetropolitan.jpg|[[古代エジプト]]の[[パピルス]]『[[死者の書 (古代エジプト)|死者の書]]』(BC14世紀)は最初期の[[挿絵]]の例[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Book_of_the_Dead 。]<br />
File:Gu Kaizhi 003.jpg|[[顧ガイ之]](344?-405?)『女史箴図』。宮廷の9つの物語を図解している[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Gu_Kaizhi 。]<br />
File:Illustrated Sutra of Cause and Effect.jpg|日本の『[[絵因果経]]』(8世紀)。経文とその図説。[[絵巻物]]の起源[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Art_of_the_Nara_period 。]<br />
File:Songhuizong4.jpg|[[徽宗]]『芙蓉錦鶏図』(12世紀)。[[花鳥画|花鳥]]を描いた[[院体画]]で、[[漢詩]]が添えられている[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Paintings_of_the_Song_Dynasty 。]<br />
File:Genji emaki Yadorigi.JPG|『[[源氏物語絵巻]]』より宿木(12世紀)。見渡しやすい[[ビュー|クオータービュー]]を採用し表現性と説明性を両立[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Illustrated_Handscroll_of_The_Tale_of_Genji_(Tokugawa_Art_Museum) 。]<br />
File:Chouju sumou.jpg|『[[鳥獣人物戯画|鳥獣戯画]]』(12-13世紀)。[[漫画]]の始祖ともされる風刺イラスト絵巻[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Emakimono 。]<br />
File:Al-Jazari Automata Elephant-Clock 1315.jpg|[[シリア]]の[[からくり]]時計の図解(1315)。イスラームでは科学を出発点に[[イスラーム美術#写本芸術|写本芸術]]が発展した[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Arabic_art 。]<br />
File:Da Vinci Vitruve Luc Viatour.jpg|[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]『[[ウィトルウィウス的人体図]]』(1485-90頃)。手描きの[[解剖学]]的挿絵。[[ルネサンス]]期の芸術と科学の融合[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Vitruvian_Man 。]<br />
File:Folio 157v - Psalm LVI.jpg|[[ミニアチュール|彩色装飾]]写本『[[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]』(15世紀末)。祈りの言葉を図説。一冊単位で制作される極めて高価なものであった[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Tr%C3%A8s_Riches_Heures_du_Duc_de_Berry 。]<br />
File:A Young Hare, Albrect Durer.jpg|[[アルブレヒト・デューラー]]『子兎』(1502)。自然物を克明に描いた[[博物画]]は[[博物学]]で重要な役割を担った[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Natural_history 。]<br />
File:Herstellung-eines-Kupferstichs.png|『[[百科全書]]』(1751-72)は[[印刷|印刷術]]の発達と、知識を広める[[啓蒙思想]]から大量の挿絵を採用した。啓蒙思想は仏語でLumières「光」であり、illustrationと同語源[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Encyclop%C3%A9die,_ou_Dictionnaire_raisonn%C3%A9_des_sciences,_des_arts_et_des_m%C3%A9tiers 。]<br />
File:Blake shepherd.jpg|[[ウィリアム・ブレイク]]『[[無垢と経験のうた]]』(1789)。詩人ブレイクは銅版画職人でもあり、[[エッチング]]により自著を自作のイラストレーションで彩った[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:William_Blake 。]<br />
<!--File:Cruikshank - Snuffing out Boney.png|[[ジョージ・クルックシャンク]]『ボニーの火を消しちまえ!』(1814)。[[ナポレオン・ボナパルト]]の追放を[[風刺]]。今日まで続く[[カートゥーン]]の伝統に繋がる。--><br />
<!--File:Hiroshige_nuit_de_neige_%C3%A0_Kambara.JPG|[[歌川広重]]『[[東海道五十三次]]』より蒲原(1834)。観光名所の図解イラストレーション。[[浮世絵]]は[[ジャポニスム]]として西洋イラストレーションにも影響。--><br />
File:Hiroshige03 kawasaki.jpg|[[歌川広重]]『[[東海道五十三次]]』より川崎(1834)。版画イラストによる観光名所案内。[[浮世絵]]は[[ジャポニスム]]として西洋イラストレーションにも影響[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:The_Fifty-three_Stations_of_the_T%C5%8Dkaid%C5%8D 。]<br />
File:Rue Transnonain, le 15 Avril 1834.tif|[[オノレ・ドーミエ]]『トランスノナン街、1834年4月15日』。殺人現場の報道。[[報道|ジャーナリズム]]の普及にイラストレーションは大きく寄与した[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Honor%C3%A9_Daumier 。]<br />
File:SubstanceandShadow.jpg|[[雑誌]]『[[パンチ (雑誌)|パンチ]]』に1843年に掲載された[[ジョン・リーチ]]の[[カートゥーン]]。[[戯画|風刺画]]を[[カートゥーン]]と呼んだ最初の例[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:John_Leech 。]<br />
File:Don Quixote 6.jpg|[[ギュスターヴ・ドレ]]による『[[ドン・キホーテ]]』の挿絵(1863)。ドレは1万枚以上の作品を遺し、イラストレーションは黄金期を迎える[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Gustave_Dor%C3%A9 。]<br />
File:De Alice's Abenteuer im Wunderland Carroll pic 15.jpg|[[ジョン・テニエル]]による『[[不思議の国のアリス]]』の挿絵(1865)。物語本文と同等かそれ以上の影響を今日の読者にまで与えた[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Alice_in_Wonderland 。]<br />
<!--Alice par John Tenniel 15.png--><br />
File:'Around the Moon' by Bayard and Neuville 36.jpg|アンリ・ド・モントー画、[[フランソワ・パンヌマケ]]製版による[[ジュール・ヴェルヌ]]『[[月世界旅行]]』挿絵(1868)。[[サイエンス・フィクション|SF]]イラストの嚆矢[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Henri_de_Montaut 。]<br />
File:Edouard Manet - Le Corbeau.jpeg|[[エドゥアール・マネ]]による[[エドガー・アラン・ポー]]『[[大鴉]]』挿絵(1875)。高名な画家もイラストレーションを手がけた[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:%C3%89douard_Manet 。]<br />
File:Lautrec moulin rouge, la goulue (poster) 1891.jpg|[[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|ロートレック]]による[[ムーラン・ルージュ]]の宣伝[[ポスター]](1891)。イラストレーションが広告に進出すると共に[[美術]]にも影響を与え始める[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Henri_de_Toulouse-Lautrec 。]<br />
File:Aubrey Beardsley - The Dancer's Reward.jpg|[[オーブリー・ビアズリー]]による[[オスカー・ワイルド]]『[[サロメ (戯曲)|サロメ]]』挿絵(1894)。[[世紀末]]を代表する[[デカダンス|頽廃性]]と鋭い白黒[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Aubrey_Beardsley 。]<br />
File:Exposition_Eug%C3%A8ne_Grasset_au_Salon_des_Cent.jpg|[[ウジェーヌ・グラッセ]]によるポスター(1898?)。[[アール・ヌーヴォー]]の先駆者として知られる[[グラフィックデザイナー]][http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Eug%C3%A8ne_Grasset 。]<br />
File:Pyle pirates approaching ship.jpg|[[ハワード・パイル]](1853-1911)の海賊イラスト。ブランデーワイン学校を設立し合衆国でのイラストレーション黄金期を築いた[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Howard_Pyle 。]<br />
<!--Pyle pirates treasfight.jpg--><br />
File:Tale_of_peter_rabbit_12.jpg|[[ビアトリクス・ポター]]の[[絵本]]『[[ピーターラビットのおはなし]]』(1902)。動物の忠実な観察に基づき独自の優しいイラストレーションの世界を拓いた。<br />
File:Dinky Bird by Maxfield Parrish, 1904.jpg|[[マックスフィールド・パリッシュ]]による『子どもを想う歌』挿絵(1904)。特徴ある青は「パリッシュ・ブルー」と呼ばれる[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Maxfield_Parrish 。]<br />
File:Correa-Martians vs. Thunder Child.jpg|[[H.G.ウェルズ]]『[[宇宙戦争 (H・G・ウェルズ)|宇宙戦争]]』のイラストレーション。Henrique Alvim Corr画(1906)。<br />
File:Martin_van_Maele_-_Trilogie_%C3%A9rotique_03.jpg|[[マーティン・ヴァン・マーレ]]による[[ポール・ヴェルレーヌ]]『エロティックな3部作』挿絵(1907)。好色文学に欠かせぬ存在であった[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Martin_Van_Maele 。]<br />
<!--File:Mucha-Maud Adams as Joan of Arc-1909.jpg|[[アール・ヌーヴォー]]の[[グラフィックデザイナー]]、[[アルフォンス・ミュシャ]]による演劇『[[ジャンヌ・ダルク]]』ポスター(1909)[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Alfons_Mucha 。]--><br />
File:Princess of Mars large.jpg|[[フランク・スクーノヴァ]]による『[[火星のプリンセス]]』表紙(1917)。空想世界である[[サイエンス・フィクション|SF]]や[[ファンタジー]]にイラストレーションが占める位置は大きい[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Book_covers]<br />
File:Jack and the Beanstalk Giant - Project Gutenberg eText 17034.jpg|[[アーサー・ラッカム]]による『[[ジャックと豆の木]]』の挿絵(1918)。[[ラファエル前派]]、[[アーツ・アンド・クラフツ]]の影響。[[児童文学]]とイラストは縁が深い[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Arthur_Rackham 。]<br />
File:Akai-Tori first issue.jpg|[[清水良雄]]による『[[赤い鳥]]』創刊号表紙(1918)。いわゆる[[童画]]。イラストレーションの概念はなかったが役割の大きさは変わらなかった[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Children%27s_literature 。]<br />
<!--File:The Three Bears - Project Gutenberg eText 17034.jpg--><br />
File:Perpetual Motion by Norman Rockwell.jpg|[[ノーマン・ロックウェル]]による雑誌表紙(1920)。リアルでいてユーモラスなタッチは後のハイパーリアリズムにも影響[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Norman_Rockwell 。]<br />
File:Boys King Arthur - N. C. Wyeth - p16.jpg|ブランデーワイン派の[[N・C・ワイエス]]による『[[アーサー王物語|アーサー王と円卓の騎士]]』挿絵(1922)。新中世趣味は現在の[[ファンタジー]]イラストの源流となった[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:N._C._Wyeth 。]<br />
File:Martinez Delgado 8.jpg|[[アール・デコ]]の影響を受けた[[サンティアゴ・マルティネス・デルガド]]のイラストレーション(1940)[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Santiago_Martinez_Delgado 。]<br />
File:LIFE 06191944 Eisenhower cover.jpg|[[写真週刊誌]]『[[ライフ (雑誌)|LIFE]]』(1936年創刊)。イラストレーションはメディアの主役の座を[[写真]]に明け渡す。写真もまた[[映像]]に座を譲り『LIFE』は1972年に休刊[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Photojournalism 。]<br />
<!--File:Red copyright.svg|([[著作権]]保持期間の関係で20世紀後半のイラストレーション画像はありません。)--><br />
File:Disney-infinite-copyright.svg|([[著作権]]保持期間の関係で20世紀後半の画像は限定的なものになっています。画像は[[:en:User:AnonMoos|AnonMoos]]画、[[著作権延長法]]に抗議した[[ピクトグラム]]イラスト[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Copyright-Copyleft 。])<br />
File:Rayleigh-Taylor instability.jpg|[[レイリーテイラー不安定性]]。[[アメリカ合衆国エネルギー省|米エネルギー省]]作成。[[コンピュータグラフィックス]]による科学情報の[[可視化|視覚化]][http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Scientific_visualization 。]<br />
File:Don't abbreviate as Wiki.png|[[User:Kasuga~jawiki|Kasuga~jawiki]]『[[Wikipedia:ウィキペたん|ウィキペたん]]』(2007)。現代日本の高度に様式化された[[萌え絵|萌えイラスト]]。[[キッチナーの募兵ポスター]]の[[パロディ]]でもある[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Wikipe-tan 。]<br />
File:Campus-SKOLKOVO.jpg|[[モスクワ]]のビジネススクール「SKOLKOVO」の[[遠近法#建築パース|建築パース]]図(2008)。[[3次元コンピュータグラフィックス]]の利用が進んでいる[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Architectural_visualisation_drawings 。]<br />
File:Swine_influenza_symptoms_on_swine-en.svg|米国立アレルギー感染症研究所による[[豚インフルエンザ]]の解説図(2009)。情報の理解を助ける実用的なイラストの価値は今日もなお高い[http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Swine_flu 。]<br />
</gallery><br />
<!--<br />
残念ながら、20世紀中葉以降は著作権の壁のため掲載できる図版が限られています。<br />
可能なら以下のものを追加してください:<br />
* 朝鮮の文人画などから1枚<br />
* アフリカなどから1枚<br />
* イスラム圏、インドから各1枚<br />
* 戦後から数枚、特にピカソ・ウォーホル・リキテンスタイン。(日本のWikipediaではフェアユースの法理を盾に出来ないのが残念)<br />
* 「日本のイラストレーション」節で挙げられている戦後のイラストレーターから1枚<br />
--><br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
[[Image:WalterRatterman01WEB.jpg|thumb|{{仮リンク|ウォルター・ラッターマン|en|Walter Ratterman}}による『Good Housekeeping』誌の表紙(1927頃)]]<br />
== 参考文献 ==<br />
<!-- 数は多いわりに、記述の中心とできるような日本語の文献がありませんでした。『世界イラストレーション史』のような本は出ないものか……グラフィックデザイン関係ならあるのですが。 --><br />
* Émile Bayard, ''L'Illustration et les illustrateurs'', Librairie Ch. delagrave, Paris,1898, 384 p.<br />
* Michel Melot, ''L'Illustration; histoire d'un art'', éd. Skira, Genève, 1984. ISBN 2-605-00033-8<br />
*: 以上2冊は仏語版の翻訳による部分の出典。<br />
* {{Citation<br />
|editor=京都造形芸術大学<br />
|year=1998<br />
|date=1998-05-20<br />
|title=イラストレーションの展開とタイポグラフィの領域<br />
|series=情報デザインシリーズ<br />
|volume=Vol.1<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[角川書店]]<br />
|isbn=4-04-651401-9<br />
}}<br />
*:227ページ。第1-2章(pp.5-65)がイラストレーション。榎本了壱による第1章はイラストレーション全体を見通し良く俯瞰。第2章は多数の執筆者が見開き2ページずつを担当したエッセイ的内容。巻末に用語集、参考図書一覧、索引を備える。<br />
<!-- * [[粟津潔]]他『VISUALDESIGN3 イラストレーション』 [[六耀社]]、1993年、ISBN 4-89737-374-3 --><br />
* {{Citation<br />
|editor=日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会<br />
|year=1993<br />
|date=1993-07-01<br />
|title=VISUAL DESIGN3 イラストレーション<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[六耀社]]<br />
|isbn=4-89737-167-8<br />
}}<br />
** {{Citation<br />
|editor=日本グラフィックデザイナー協会 教育委員会<br />
|year=2000<br />
|date=2000-04-10<br />
|title=VISUAL DESIGN3 イラストレーション 改訂新版<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[六耀社]]<br />
|isbn=4-89737-374-3<br />
}}<br />
*:119ページ、フルカラー。 デザイン志望者向け入門書シリーズの1冊。大量のカラー図版を含む。多数の執筆者が見開き2ページずつを担当。日本中心の内容となっている。改訂新版はCGの進出を反映しているほか、「世界のイラストレーション」の項目が追補されている。<br />
* {{Citation<br />
|editor=美術手帖<br />
|year=2010<br />
|date=2010-10-22<br />
|title=日本イラストレーション史<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[美術出版社]]<br />
|isbn=978-4-568-43069-1<br />
}}<br />
*:152ページ、フルカラー。1950年代以降の日本のイラストレーションの歴史を、主要なイラストレーターのインタビューも交え綴る。SF、ファンタジー、ゲームなどの分野は対象外。『[[美術手帖]]』2010年1月号の特集の単行本化。<br />
* {{Citation<br />
|last1 = 吉田<br />
|first1= 光邦<br />
|last2 = 東野<br />
|first2= 芳明<br />
|last3 = 多木<br />
|first3= 浩二<br />
|year = 1979<br />
|month = 9<br />
|title = [鼎談]図示表現の意味=認識と伝達機能の位相<br />
|journal = [[美術手帖]]<br />
|volume = <br />
|issue = 454<br />
|pages = pp. 120-145<br />
|publisher = [[美術出版社]]<br />
|issn = <br />
|quote = <br />
}}<br />
*: 特集「イラストレーション=文化の図解」の一環。<br />
* {{Citation<br />
|last=須長<br />
|first=千夏<br />
|year=2003<br />
|date=2003-11-25<br />
|title=イラストレーターになるには<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[ぺりかん社]]<br />
|isbn=4-8315-1052-1<br />
}}<br />
*: 158ページ。進路を考える若い人向けのシリーズの1冊。全体の約半分をイラストレーターのインタビュー、残りの半分を志望者向けの職業解説とアドバイスが占める。<br />
* {{Citation<br />
|editor=イラストノート編集部<br />
|year=2009<br />
|date=2009-05-31<br />
|title=プロとして知っておきたいノウハウ イラストレーターの仕事<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[誠文堂新光社]]<br />
|isbn=978-4-416-80960-0<br />
}}<br />
*:125ページ。打ち合わせの実際やギャランティの相場などにまで踏み込んだ、より実践的なハウツー。<br />
* {{Citation<br />
|last=ミラー<br />
|first=J・ヒリス<br />
|year=1996<br />
|date=<br />
|title=イラストレーション<br />
|place=<br />
|language=<br />
|publisher=[[法政大学出版局]]<br />
|isbn=978-4-588-42005-4<br />
}}<br />
*: 尾崎彰宏、加藤雅之訳。235ページ。原書は1992年。[[ハンス・ホルバイン|ホルバイン]]や[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ターナー]]などを例に引きつつイラストレーションと言葉の関係を読み解いてゆく。いわゆるイラストレーションの美術史的解説ではない。<br />
* {{Citation<br />
|last=小田切<br />
|first=博<br />
|year=2010<br />
|date=2010-01-10<br />
|title=キャラクターとは何か<br />
|place=東京<br />
|language=<br />
|publisher=[[筑摩書房]]<br />
|isbn=978-4-480-06531-5<br />
}}<br />
*: ちくま新書、202ページ。[[キャラクター]]をコンテンツでなくビジネスとして捉え解説。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commonscat|Illustrations}}<br />
<!--{{wiktionary|illustration}} ない --><br />
* [[イラストレーター]]、[[イラストレーター一覧]]<br />
* [[グラフィックデザイン]]、[[ビジュアルデザイン]] - 視覚的に[[情報]]を伝達する[[デザイン]]分野。<br />
* [[インフォグラフィック]] - 洗練された[[抽象化]]により情報を表現するイラストレーション形式。<br />
* [[テクニカルイラストレーション]] - 技術情報に特化したイラストレーション。<br />
* [[コンセプトアート]] - 実作する前にアイデアやデザインを先行して[[可視化]]するイラストレーション。<br />
* [[クリップアート]] - 使い回して概念の説明に用いる記号的なイラストレーション。<br />
* [[挿絵]]、[[口絵]]、[[似顔絵]]、[[戯画|風刺画]]、[[絵本]]、[[漫画]]、[[カートゥーン]] - イラストレーションの一種もしくは密接な関係にある表現。<br />
* [[デッサン]]、[[スケッチ]]、[[クロッキー]]、[[絵コンテ|画コンテ]] - タッチとして[[絵画]]よりイラストレーションに近い。<!-- ? --><br />
* [[複製技術時代の芸術]] - イラストレーションは大量に複製されることを前提にした表現形式。<!-- 本文に織り込みたいのですが、ベンヤミンとイラストレーションの関係を明確に論じた文献が意外とない --><br />
* [[ファッションイラストレーション]] - [[w:Fashion illustration|Fashion illustration]]<br />
<br />
<br />
{{イラストレーション|state=uncollapsed}}<br />
{{美術|state=uncollapsed}}<br />
{{Normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:いらすとれえしよん}}<br />
[[Category:イラストレーション|*]]<br />
[[Category:美術のジャンル]]<br />
[[Category:絵画技術]]</div>202.214.30.734月2日 (旧暦)2017-08-24T00:32:46Z<p>202.214.30.73: 126.211.37.241 (会話) による ID:65235896 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{旧暦4月}}<br />
'''旧暦4月2日'''(きゅうれきしがつふつか)は[[4月 (旧暦)|旧暦4月]]の2日目である。六曜は[[六曜#大安|大安]]である。<br />
<br />
== できごと ==<br />
*[[寛弘]]3年([[ユリウス暦]][[1006年]][[5月1日]]) - [[おおかみ座]]に[[超新星]] ([[SN 1006]]) 出現。後世、[[藤原定家]]が『[[明月記|名月記]]』に記録。<br />
* [[貞永]]元年([[ユリウス暦]][[1232年]][[4月23日]]) - [[寛喜]]より貞永に[[改元]]<br />
* [[弘治 (日本)|弘治]]3年(ユリウス暦[[1557年]][[4月30日]]) - [[大内義長]]が[[毛利元就]]に攻められ自害。[[大内氏]]が滅亡<br />
* [[天正]]2年(ユリウス暦[[1574年]][[4月22日]]) - [[石山本願寺]]の[[顕如]]が[[織田信長]]に反抗して挙兵<br />
* [[天明]]元年([[グレゴリオ暦]][[1781年]][[4月25日]]) - [[光格天皇]]の即位に伴い、[[安永]]より天明に改元<br />
* [[明治]]5年(グレゴリオ暦[[1872年]][[5月8日]]) - 東京・湯島の昌平黌講堂跡に書籍館(しょじゃくかん)を開設。日本初の公共[[図書館]]<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
* [[永久 (元号)|永久]]3年(ユリウス暦[[1115年]][[4月27日]]) - [[藤原為房]]、[[廷臣]](* [[1049年]])<br />
* [[文明 (日本)|文明]]13年(ユリウス暦[[1481年]][[4月30日]]) - [[一条兼良]]、[[歌人]]・古典学者(* [[1402年]])<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{旧暦360日|4|1|4|3|3|2|5|4|0402}}</div>202.214.30.73アルコール度数2017-08-04T02:18:19Z<p>202.214.30.73: 210.149.47.126 (会話) による ID:65001036 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>[[File:Absinthe ABV.jpg|thumb|325px|ボトルの度数表示]]<br />
'''アルコール度数'''(アルコールどすう, Alcohol by volume, ABV)は、ある[[アルコール飲料]]に対する[[エタノール]]の[[濃度#容積濃度、体積濃度|体積濃度]]を[[百分率]]([[パーセント]]、%)で表示した[[割合]]である。数多くの[[国]]で標準的に使われている。'''××度'''、'''××%'''、あるいは '''××% ABV''' のように表す。[[日本]]では「1度」=「1%」である。<br />
<br />
[[フランス]]の[[化学者]]・[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック|ゲイ=リュサック]]にちなみ、'''ゲイ=リュサック度数'''と呼ぶ国もある。<br />
<br />
アルコール度数の計測にはアルコール度数計(酒精計など)が用いられる。なお厳密に体積濃度を測るには、測定時の[[温度]]を決めなければならない。日本の[[酒税法]]では15[[セルシウス度|℃]]と決めている。<br />
<br />
== プルーフ ==<br />
{{main|アルコールプルーフ}}<br />
[[英語圏]]では、度数のほかプルーフも使われる。[[アメリカ合衆国|US]]プルーフは度数の2倍、[[イギリス|UK]]プルーフは度数の約1.75倍である。例えば、アルコール度数 4% は 8 USプルーフと同じ、7 UKプルーフとはほぼ同じエタノール濃度である。<br />
<br />
ただし、アメリカでは[[連邦規則集]] (Code of Federal Regulations; CFR) により度数の表示が義務付けられている。併記は可。イギリスも、[[欧州連合|EU]]標準の[[OIML|国際法定計量機関]]に従い、[[1980年]]からは度数に切り替わった。<br />
<br />
[[英語圏]]でアルコール度数はもっぱら%で表し、 {{lang|en|degree}} や {{lang|en|°}} はプルーフに用いる。<br />
<br />
== アルコール度数の代表的な例 ==<br />
* [[ジュース|果汁]](自然に生成されるもの):0.1%以下<br />
* [[ビール]]:3-9%<br />
* [[アルコポップ]]:4-7%<br />
* [[シードル]]:4-8%<br />
* [[バーレーワイン]]([[エール (ビール)|エール]]の一種):10-15%<br />
* [[ワイン]]:10-15%<br />
* [[日本酒]]:15%前後<br />
* [[焼酎]]:20 - 30%<br />
* [[ポートワイン]]:20%前後<br />
* [[リキュール]]類の大部分:15-55%<br />
* [[蒸留酒]]([[スピリッツ]]):主として40%以上だが、[[アメリカ合衆国]]で「ライトリカー」と呼ばれるものは20%<br />
* 樽詰め(加水前)の[[ウイスキー]]や[[ラム酒]]:54%-95%未満<br />
* [[アブサン]]:55-89.5%<br />
* [[中性スピリッツ|ニュートラルスピリッツ]]:95%-96%<br />
* [[スピリタス]]:96% - アルコール度数世界最高の酒<br />
* [[無水エタノール]]:99.5-100%<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{アルコール飲料}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あるこるとすう}}<br />
[[Category:酒|とすう]]<br />
[[Category:割合の単位]]</div>202.214.30.73ギリシア美術2017-06-29T04:28:11Z<p>202.214.30.73: さーさ (会話) による ID:64605597 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2012年12月}}<br />
'''ギリシア美術'''(ギリシアびじゅつ)は、現在の[[ギリシャ共和国]]を含む[[バルカン半島]]、[[アナトリア半島]]などの古代・中世の[[ギリシア人]]居住地域を中心に発展した[[美術]]および、現在のギリシャ共和国の美術。単に「ギリシア美術」といった場合は、[[古代ギリシア]]時代の美術を指すことが多い<ref>例えば『角川 世界史辞典』(角川書店)P252の「ギリシア美術」の項目では「古代ギリシア人の手になる陶器、工芸や彫刻、建築などの分野が中心をなす美術」と書かれている。</ref>。<br />
<br />
==古代ギリシア美術==<br />
[[ファイル:TreasuryofSiphniansDec.jpg|right|150px|thumb|シフノス人の宝庫の装飾(デルフィ考古学博物館所蔵)]] <br />
[[古代ギリシア]]の[[哲学]]者達は、[[美術]]を「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」として定義している。そこで、絶対的な美の基本は見るものをどれくらい感動させられるか、という点にある。その結果、ギリシアの芸術作品は、完璧な美を備えている神々の姿をとった[[彫刻]]が多い。<br />
<br />
[[ギリシア]][[彫刻]]の発展はアルカイック期、クラシック期、[[ヘレニズム]]期に分けられる。アルカイック初期の彫刻には、両手を腿に当てた直立したほぼ左右対称的な[[彫刻]]があり、[[エジプト]]の影響が見られる。これらの特徴は次第に消えていき、クラシック期、ヘレニズム期には、[[自然主義]]的で、動作に富む非対照的な[[彫刻]]が創られた。後期には顔の表情があまり表れなくなるが、これは当時の考えであった、「人間的感情を公で出すのは野蛮である」に基づくものである。<br />
<br />
これら古代ギリシアの美術は、[[ローマ美術]]や[[オリエント]]の美術に大きな影響を与え、またオリエントの美術の影響も受けている。<br />
<br />
==ビザンティン美術==<br />
{{See also|ビザンティン美術}}<br />
中世になると古代ギリシア文明の栄えていた地域は[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国、ビザンティン帝国という)の領土となり、古代ギリシアの美術に[[キリスト教]]([[正教会]])、オリエントの影響を受けた'''[[ビザンティン美術]]'''が発展した。ビザンティン美術の高度な[[モザイク]]技術や[[ビザンティン建築|建築]]、[[イコン]]などは[[東ヨーロッパ]]の正教圏、西欧の美術にも大きな影響を与えた。<br />
<br />
==近現代ギリシア美術==<br />
<br />
==脚註==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==関連項目==<br />
{{commonscat|Art of Greece|Art of Greece}}<br />
*[[古代ギリシア]]<br />
*[[ギリシア建築]]<br />
*[[古代ギリシアの陶芸]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.namuseum.gr/ アテネ国立考古学博物館公式サイト](希語)<br />
*[http://www.theacropolismuseum.gr/?pname=Home&la=2 新アクロポリス博物館公式サイト](英語)<br />
*[http://www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp?bmLocale=fr_FR ルーブル美術館公式サイト](仏語)<br />
*[http://www.christusrex.org/www1/vaticano/0-Musei.html バチカン美術館公式サイト](英語)<br />
<br />
{{Art-stub}}<br />
{{世界の美術}}<br />
{{normdaten}}<br />
{{DEFAULTSORT:きりしあひしゆつ}}<br />
[[Category:ギリシア美術|*]]<br />
[[Category:西洋美術史]]<br />
[[Category:ギリシア哲学]]<br />
[[Category:ギリシャの芸術]]<br />
[[Category:ヨーロッパの文化史]]</div>202.214.30.73ハーリング2017-06-02T04:45:10Z<p>202.214.30.73: rvv</p>
<hr />
<div>{{otheruses|アイルランドのスポーツ|ニシンの酢漬け料理|ハーリング (料理)}}<br />
{{出典の明記|date=2014年5月30日 (金) 11:06 (UTC)}}<br />
[[画像:Hurling sport - Taking a swing.jpg|thumb|right|ハーリング]]<br />
'''ハーリング'''('''Hurling''')は[[ケルト人|ケルト]]族に起源をもち、スティックとボールを使用して行う屋外[[スポーツ]]である。[[アイルランド]]を中心に行われ、[[ゲーリック・ゲームズ]]の1つである。類似する競技に、主に[[スコットランド]]で行われる[[シンティ (スポーツ)|シンティ]](shinty)、[[イングランド]]や[[ウェールズ]]で行われた[[バンディ]](bandy)がある。また、女性選手が行うハーリング相当の競技は[[カモギー]](camogie)と呼ばれる。<br />
<br />
== 競技の概要 ==<br />
競技は2チームに分かれて互いにゴール、得点を競う形式で行われる。1チームの選手数は15名で、概念的にはゴールキーパー1名、ディフェンダー6名、ミッドフィルダー2名、フォワード6名に分かれる。1試合は70分、中間にインターバルが入り前半と後半に分かれる。競技のフィールドの大きさは、長さ140 m(154ヤード)、幅は80 mから90 mの間であり、[[サッカー]]や[[ラグビー]]のフィールドよりもかなり大きい。<br />
<br />
ゴールはフィールドの両サイドにあり、ラグビーのように'''H'''の形をしているが、クロスバーの下側にはサッカーのゴール同様にネットが張られている。2本のゴールポストの間隔は6.37 m(7ヤード)、地面からクロスバーまでの高さは2.12 m(7フィート)である。<br />
<br />
得点は相手方のゴールポスト(ゴールの垂直部分)の間にボール(シリター、sliotarないしslioter)を放つことによって与えられ、クロスバー(ゴールの水平部分)の上部であっても下部であっても良い。ボールが上部を通過した場合には1点、これに対し下部を通過すると3点が与えられる。<br />
<br />
[[画像:Hurling Ball and Hurley.JPG|thumb|スティックとボール]]<br />
ハーリング用のスティック(ハーリー、hurleyないしhurly。またはカモーン、caman)は元来は[[トネリコ]]の根を加工して作られ、長さは97 cm以下(25インチから38インチ)で手で持つ部分と反対側の表面は平らになっている。ボールは皮製で直径は65 mm(2.55インチ)である。スティックでボールをクリーンに打撃すると、ボールの最高速度は時速150 km(93 mph)、飛距離は80 m に達する。<br />
<br />
試合中、選手は敵ゴールを目指すとともに自ゴールを守備する。 ボールが地上にある場合にはスティックを使用してボールを打つか、持ち上げるなりしてから再び打撃するか選手の手で掴みとる必要がある。ボールを掴み取った選手は、4歩歩く間若しくは4秒間のうちいずれか短い時間内しか投げたり手で持って運ぶことは許されていないが、スティック、手でボールを打ち又は足で蹴ることはできる。<br />
<br />
選手はスティック先端部の平らな表面部(bas)の上にボールを乗せて運ぶことは出来るが、これには高い技術が要求される。選手に対しタックルをすることは許されるが、スティックでもって打撃を加えることは認められていない。アクシデントで選手にスティックなどが当たることがあるので、頭部を保護するヘルメットの着用が推奨されているが、着用の義務付けはない。 <br />
<br />
選手にはボールをコントロールする技術とスピードが求められる。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
アイルランドの神話における 紀元前14世紀頃の[[モイトゥラの戦い]]で、[[トゥアハ・デ・ダナーン]](ダーナ神族)がアイルランドへの移民([[フィル・ボルグ]])をハーリングの試合で破り、さらに戦闘でも破ったとする記述が見られる。また、このほかにもアイルランドにおける数々の古い話でハーリングについて言及がなされており、時代とともにその人気も高まってきた。<br />
<br />
== 各国の事情 == <br />
世界のあちこちにハーリングチームは点在するが、アイルランドのみがナショナルチームを有する。このナショナルチームはスコットランドのシンティのチームとともにルールを一部改変して長年にわたって対戦を行っている。この対戦が唯一の国際試合といえる。<br />
<br />
ハーリングは大抵はアマチュア・スポーツとして位置づけられており、選手や監督にプロはおらず、勝利の栄冠のみを目指してプレイする。<br />
<br />
=== アイルランド ===<br />
アイルランドにおいてはかつては強いチームが、[[コーク州]](アイルランド南西部の州)、[[キルケニー州]](南東部の州)、[[ティペラリー州]](中南部の州)から現れたが、1980年代からは[[クレア州]](西部の州)、[[ゴールウェイ州]](西部の州)、[[リムリック州]](南西部の州)、[[オファリー州]](中東部の州)、[[ウォーターフォード州]](南部の州)、[[ウェックスフォード州]](南東部の州)のチームが有力となってきた。また、北東部の[[アントリム州]]は独立した「ハーリング王国」と看做されているが、Liam McCarthy Cup で優勝した経験がない。<br />
<br />
アイルランド4地方内ではそれぞれ州別対抗戦が行われる。1990年代終盤頃までは地方における優勝チームはプレイオフの準決勝で戦い、毎年[[ダブリン]]の[[クローク・パーク]]で9月に行われる 全アイルランド・シニア・ハーリング選手権大会決勝戦への進出をかけて争ったが、その後選手権試合は州別対抗戦及び準々決勝の段階まで含むものへと拡張された。<br />
<br />
[[1884年]]以来、ハーリングは[[ゲーリック体育協会]](Gaelic Athletic Association, GAA)によって統括されている。最重要の試合は、[[全アイルランドシニアハーリング選手権]]であり、毎年ノックアウト方式を改良したルールで開催されている。決勝戦は[[クローク・パーク]]で行われ、常時83,000人程の観客が詰め掛ける。<br />
<br />
== 北米 ==<br />
ハーリングはアイルランド系の移民が上陸して以来、北米においても行われている。北米における最古の試合は、[[1788年]]に[[カナダ]]ニューファンドランドのセント・ジョンズで行われたものとされている。<br />
<br />
[[アメリカ合衆国]]でもいくつかの都市でハーリングが行われ、元々アイルランド系の多い[[ボストン]]、[[ニューヨーク]]、[[シカゴ]]、[[サンフランシスコ]]の他[[ミルウォーキー]]、[[セントルイス]]、[[シアトル]]などにクラブがある。<br />
{{球技}}<br />
{{チームスポーツ}}<br />
{{Celtic nations}}<br />
{{アイルランド関連の項目}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:はありんく}}<br />
[[Category:スポーツ競技]] <br />
[[Category:ゲーリック・ゲームズ]]</div>202.214.30.73整流子2017-02-15T00:02:38Z<p>202.214.30.73: 220.108.88.227 (会話) による ID:63024461 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{出典の明記|date=2014年1月}}<br />
[[File:Electric motor 150px.gif|thumb|150px|整流子電動機の動作。外側に配置される界磁と、内側で回転する電機子による構成。手前にあるのが整流子とブラシ。電機子側が整流子、固定側がブラシ。]]<br />
'''整流子'''(せいりゅうし、[[英語]]:commutator)は、特定の種類の[[電動機]]または[[発電機]]において[[回転子]]と外部回路の間で定期的に[[電流]]の方向を交替させる回転電気[[スイッチ]]である<ref>{{Cite web |url=http://www.nidec.com/ja-JP/technology/motor/basic/00011/ |title=2-1-1 DCモータの回転原理を見直す |publisher=[[日本電産]]株式会社 |accessdate=2016-05-08 }}</ref>。電動機においては電力を回転子の上で最善の場所に印加し、発電機においては同様に電力を取り出す。通常の動作で生じる多くの回路のオンオフを考えると、スイッチとして例外的に長い寿命を持つ。<br />
<br />
整流子は、[[直流]]の回転機器の共通の特徴である。電動機の電機子の回転するコイルの電流の方向を交替させることによって、一方向への回転力が発生される。同様に発電機では、外部回路へのコイルの接続を交替させることは、一方向の、即ち直流の電流を外部回路へ流す。最初の整流子式直流機は、[[アンドレ=マリ・アンペール]]の提案に基づき、1832年に[[イポリット・ピクシー]]によって造られた。<br />
<br />
[[整流子機の電機子反作用]]による火花で焼損する。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[整流子電動機]]<br />
** [[直流整流子電動機]]<br />
*** [[永久磁石界磁形整流子電動機]]<br />
**** [[コアレスモータ]]<br />
*** [[電磁石界磁形整流子電動機]]<br />
**** [[直巻整流子電動機]]<br />
**** [[分巻整流子電動機]]<br />
**** [[複巻整流子電動機]]<br />
** [[交流整流子電動機]]<br />
* [[整流子発電機]]-[[ダイナモ]]<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
{{電動機}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:せいりゆうし}}<br />
[[Category:電動機]]<br />
[[Category:電力変換]]<br />
<br />
{{Tech-stub}}</div>202.214.30.73ティーボール2016-10-25T07:25:13Z<p>202.214.30.73: 2001:8003:A070:2200:1D4E:3DF8:BFEB:7932 (会話) による ID:61669055 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''ティーボール'''とは、[[野球]]や[[ソフトボール]]に似た屋外[[球技]]。[[ニュースポーツ]]のひとつで、[[1988年]]に[[国際野球連盟]]と[[国際ソフトボール連盟]]が協力して考案したピッチャーのいない球技である。<br />
<br />
== 人数 ==<br />
*競技者の数は10~15人となっている。双方、同じ数にしなくてはならない。<br />
*守備者は、10名となっている。それぞれ本塁手(ホームベースマン)、一塁手(ファーストベースマン)、二塁手(セカンドベースマン)、三塁手(サードベースマン)、第一遊撃手(ファーストショートストップ)、第二遊撃手(セカンドショートストップ)の6人の内野手と左翼手(レフトフィルダー)、第一中堅手(レフトセンターフィルダー)、第二中堅手(ライトセンターフィルダー)、右翼手(ライトフィルダー)の4人の外野手に分かれている。他の選手はエキストラヒッター(打撃のみの選手)になっている。<br />
<br />
== 競技方法 ==<br />
*ピッチャーのいない球技であるため、打者は、審判の「プレイ」の宣告後、バッティングティーの上に置かれたボールを打つ。<br />
*打撃時の軸足の移動は1歩まで、2歩以上動いた場合、1ストライクが加えられる。ツーストライク後からこれを行った場合には、三振扱いになる。<br />
*打者がボールを打たずに、ティーを打った場合は、空振りでワンストライクが加えられる。ツーストライク後からこれを行った場合は、打者は三振扱いになる。<br />
*ツーストライク後からのファウルは、打者はアウトになる<br />
*バントやプッシュバントは認められていない。ツーストライク後からこれを行ったときは、打者はアウトになる<br />
*本塁手(ホームベースマン)、つまりキャッチャーは打者が打撃を完了するまでは、バッターズサークルの外にいなければならないことになっている。<br />
*走者は打者が打った後、離塁することが可能である。走者の離塁が早い場合は走者は離塁アウトになる<br />
*盗塁は認められていない<br />
*スライディングは禁止。行った場合は走者はアウトになる。走者の1塁、2塁、3塁での駆け抜けは認められる(走者は塁ベースを駆け抜けた後、進塁の意志がない場合には野手にタッチされてもアウトにならないこととなっている)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.teeball.com/ 日本ティーボール協会]<br />
<br />
<br />
{{球技}}<br />
[[Category:球技|ていいぼおる]]</div>202.214.30.73公約数2016-08-30T07:53:08Z<p>202.214.30.73: 219.96.33.199 (会話) による ID:60963520 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>'''公約数'''(こうやくすう、common divisor, common factor)とは、2 つ以上の[[自然数]]について、そのいずれの[[約数]]にもなることができる[[整数]]のことである。<br />
<br />
== 定義 ==<br />
2つ以上の整数に'''共通な[[約数]]'''。公約数は、'''[[最大公約数]]の約数'''となる。例えば、<math>12</math>と<math>15</math>の公約数は<math>12</math>と<math>15</math>の最大公約数<math>3</math>を求め、最大公約数<math>3</math>の約数<math>1,\ 3</math>となる。<br />
<br />
== 例 ==<br />
一般には約数は自然数の範囲内で考えることが多いので、例えば、<math>36</math>と<math>48</math>と<math>108</math>の公約数は<math>\{1,\ 2,\ 3,\ 4,\ 6,\ 12 \}</math>である。約数を整数の範囲内で考えるとき、約数には[[符号]]の違いを許すので、その個数は<math>2</math>倍となる。どういう範囲で考えているのかを常にはっきりさせておくべきである。<br />
<br />
== 諸概念 ==<br />
公約数の内最大のものを[[最大公約数]]という。公約数は、全て最大公約数の約数であるので、最大公約数を求めれば全ての公約数を求めることができる。前述の例で言えば、<math>36</math>と<math>48</math>と<math>108</math>との最大公約数は<math>12</math>であるので、<math>12</math>の約数をすべて求めればそれが3つの数の全ての公約数になる。<math>1</math>は全ての自然数の公約数である。<br />
<br />
また、2つ以上の[[多項式]]について、それぞれを[[因数分解]]したときに共通に現れる因数(因子、factor)も公約数(あるいは公約元、共通因子、common factor など)と呼ぶ。例えば、<math>(x+1)^2</math>と<math>x^2-1</math>について、<math>x+1</math>は公約数である。<br />
<br />
最大公約数が<math>1</math>であるような2つの整数の組は、[[互いに素]]であるという。<br />
<br />
== 一般化 ==<br />
[[単項イデアル整域]]<math>R</math>(例えば整数の全体<math>\mathbb{Z}</math>や[[実数]]係数[[多項式]]の全体<math>R[x]</math>はそうである)において、その2つの元<math>a,\ b</math>に対し、集合<br />
:<math>aR+bR = \{ax+by|x,\ y \in R \}</math><br />
に含まれるイデアルの生成元を<math>a</math>と<math>b</math>の'''公約元'''という。特に<br />
:<math>aR+bR = cR</math><br />
を満たす<math>c \in R</math>を<math>a</math>と<math>b</math>の'''最大公約元'''という。更に、この<math>c</math>が<math>R</math>の単元であるとき、<math>a</math>と<math>b</math>は'''互いに素'''であるという。つまり、<br />
:<math>a</math>と<math>b</math>が互いに素<math>\Leftrightarrow ax+by = 1</math>となる<math>x,\ y \in R</math>が存在する。<br />
互いに素という概念は、更に一般の[[環論|環]]で[[イデアル]]の間の関係として一般化される。環<math>S</math>の2つのイデアル<math>I,\ J</math>が<br />
:<math>I+J = S</math><br />
を満たすとき、<math>I</math>と<math>J</math>は'''互いに素'''であるという。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[公倍数]]<br />
*[[最大公約数]]<br />
*[[ユークリッドの互除法]]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:こうやくすう}}<br />
[[Category:数論]]<br />
[[Category:初等数学]]<br />
[[Category:数学に関する記事]]</div>202.214.30.73コウシンソウ2016-07-28T04:59:49Z<p>202.214.30.73: 219.167.108.26 (会話) による ID:60579414 の版を取り消し</p>
<hr />
<div>{{生物分類表<br />
| 名称 = コウシンソウ<br />
| 色 = lightgreen<br />
| 画像=[[画像:Pinguicula ramosa at Koushinsou 2.jpg|250px]]<br />
| 画像キャプション = コウシンソウ(庚申山・2007年6月)<br />
| status = 絶滅危惧II類<br />
| 分類体系 = [[APG III]]<br />
| 界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}}<br />
| 門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}}<br />
| 綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}}<br />
| 下綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||asterids}}<br />
| 上目階級なし = [[シソ類]] {{Sname||lamiids}}<br />
| 目 = [[シソ目]] {{Sname||Lamiales}}<br />
| 科 = [[タヌキモ科]] [[:w:Lentibulariaceae|Lentibulariaceae]]<br />
| 属 = [[ムシトリスミレ属]] ''[[:w:Pinguicula|Pinguicula]]''<br />
| 種 = '''コウシンソウ''' ''P. ramosa''<br />
| 学名 = ''Pinguicula ramosa'' Miyoshi ex Yatabe<br />
|和名 = コウシンソウ<br />
|英名 = <br />
}}<br />
<br />
'''コウシンソウ'''(庚申草)は、[[タヌキモ科]]ムシトリスミレ属の[[食虫植物]]。[[日本]]固有種であり、学名は''Pinguicula ramosa'' Miyoshi ex Yatabe。国の植物レッドデータブックで絶滅危惧II類に指定されている。<br />
<br />
1890年に[[三好学]]により[[栃木県]]の[[庚申山]]で発見され、山の名前をとってコウシンソウと命名された。<br />
<br />
== 分布 ==<br />
現在知られている自生地は栃木県の庚申山、[[男体山]]、[[女峰山]]及び[[群馬県]]の[[袈裟丸山]]で、庚申山の自生地は国の[[特別天然記念物]]である。生育地はこれらの山の標高1200〜2200m付近の垂直な崖であり、環境は常に霧が流れて寒冷多湿。夏でも気温が25度を上回ることはない。<br />
いくばくかの群落を形成するのは庚申山の数箇所のみであるが、群落自体が目立たない、垂壁や崖等の危険な場所にある上、特に目印などはないため、観察のためには、群落の位置を知る者の案内が必要である。<br />
<br />
== 特徴 ==<br />
植物体は葉がロゼット状に広がり直径は3cm以下。6~7月に高さ5cm前後の花茎を伸ばし、薄紫色の直径5〜10mmほどの花を咲かせる。近縁の[[ムシトリスミレ]]に似るが、一回り小型なこと、花の色がやや薄いこと、花茎はしばしば二股に分岐することが特徴となっている。<br />
<br />
なお、花軸は開花時には横を向くが、結実すると上に反り返り、株の位置より上の位置に種子を押しつける。このため、一列に並んだ小群落を形成する事がある。<br />
秋になると中心部に芽が固く集まった冬芽を作り、春までの期間を休眠する。<br />
<br />
食虫植物としての捕虫部は葉や花茎で、これらから分泌した粘液で小さな虫などを捕らえ、消化吸収して自らの栄養分としている。<br />
<br />
{{Commons|Pinguicula ramosa}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:こうしんそう}}<br />
[[Category:タヌキモ科]]<br />
[[Category:特別天然記念物]]<br />
[[Category:植物天然記念物]]<br />
[[Category:着生植物]]<br />
{{Plant-stub}}</div>202.214.30.73 Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46