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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=182.251.143.4&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-15T00:56:34Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 コービー・ブライアント 2018-08-05T08:36:48Z <p>182.251.143.4: 内容追加</p> <hr /> <div>{{複数の問題<br /> | 存命人物の出典明記 = 2014-9<br /> | 大言壮語 = 2014-9<br /> }}<br /> {{バスケットボール選手<br /> |名前=コービー・ブライアント<br /> |画像=Kobe Bryant warming up.jpg<br /> |画像サイズ=230px<br /> |画像説明=2016年のコービー・ブライアント<br /> |本名=Kobe Bean Bryant<br /> |愛称=Black Mamba(ブラックマンバ)<br /> |アルファベット表記=Kobe Bryant<br /> |原語名=<br /> |原語表記=<br /> |国={{USA}}<br /> |誕生日={{生年月日と年齢|1978|8|23}}<br /> |出身地=[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]<br /> |出身=[[ローワー・メリオン高校]]&lt;br &gt; ([[ペンシルバニア州]])<br /> |身長=198cm<br /> |体重=93kg<br /> |足のサイズ=32.0cm<br /> |シューズ=[[ナイキ]]<br /> |所属チーム名=引退<br /> |ポジション=[[シューティングガード|SG]]<br /> |背番号=<br /> |永久欠番={{NBAR|LAL|2|8}} &lt;br&gt;{{NBAR|LAL|2|24}}<br /> |ドラフト=[[1996年のNBAドラフト|1996年]] 13位<br /> |CAP数={{USAmb}} 2007-2012<br /> |賞歴=*5×[[NBAファイナル|NBAチャンピオン]]:2000, 2001, 2002, 2009, 2010<br /> *1×[[NBA最優秀選手|NBAシーズンMVP]]:2008<br /> *2×[[NBAファイナルMVP]]:2009, 2010<br /> *2×[[NBAシーズン得点王|NBA得点王]](1試合平均):2006 (35.4), 2007 (31.6)<br /> *4×年間最多得点:2003 (2,461), 2006 (2,832), 2007 (2,430), 2008 (2,323)<br /> *3×年間最多フィールドゴール成功:2003 (868), 2006 (978), 2007 (813)<br /> *2×年間最多フリースロー成功:2006 (696), 2007 (667)<br /> *[[オールNBAチーム]]<br /> **11×1stチーム:2002-2004, 2006-2013<br /> **2×2ndチーム:2000, 2001<br /> **2×3rdチーム:1999, 2005<br /> *[[NBAオールディフェンシブチーム]] <br /> **9×1stチーム:2000, 2003, 2004, 2006-2011<br /> **3×2ndチーム:2001, 2002, 2012<br /> *18×[[NBAオールスターゲーム]]出場:1998, 2000-2016<br /> *4×[[NBAオールスターゲーム|NBAオールスターゲームMVP]]:2002, 2007, 2009&lt;ref&gt;2009年大会は、[[シャキール・オニール]]と同時受賞&lt;/ref&gt;,2011<br /> *[[NBAオールルーキーチーム]] 2ndチーム:1997<br /> *[[NBAスラムダンクコンテスト]]優勝 : 1997<br /> *No.8 &amp; 24 [[ロサンゼルス・レイカーズ]]永久欠番<br /> *第90回[[アカデミー短編アニメ賞]]<br /> |経歴=[[ロサンゼルス・レイカーズ]]<br /> |経歴年=1996-2016<br /> |show-medals = yes<br /> |medaltemplates = <br /> {{MedalCountry|{{USAmb}}}}<br /> {{MedalCompetition|[[オリンピックバスケットボール競技|オリンピック]]}}<br /> {{MedalGold|[[北京オリンピックにおけるバスケットボール競技|2008 北京]]|バスケットボール}}<br /> {{MedalGold|[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるバスケットボール競技|2012 ロンドン]]|バスケットボール}}<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;コービー・ブライアント&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;{{Lang|en|Kobe Bean Bryant}}&#039;&#039;&#039;, [[1978年]][[8月23日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[バスケットボール]]選手。[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]出身。[[NBA]]の[[ロサンゼルス・レイカーズ]]一筋で活躍した。ポジションは[[シューティングガード]]。身長198cm、体重93kg。狙った獲物は99,9%の確率で仕留めると言われている世界で最も危険な猛毒蛇の一種「&#039;&#039;Black Mamba&#039;&#039; ([[ブラックマンバ]])」の愛称を持つ。<br /> <br /> 17歳でNBA入りして以降、20年間にわたって名門ロサンゼルス・レイカーズ一筋でキャリアを過ごし、[[チャンピオンリング|NBAチャンピオン]]5回、[[NBA最優秀選手賞|シーズンMVP]]1回、[[NBAファイナル|ファイナルMVP]]2回、NBA記録となる18年連続[[NBAオールスターゲーム|オールスターゲーム]]選出並びに、歴代最多の[[NBAオールスターゲーム|オールスターMVP]]4回に輝くほか、NBA歴代2位の1試合81得点の記録を持つなど、キャリア初期から大ベテランの域に入るまで、長年に渡ってリーグ最高の選手の一人として君臨し続けた、NBAを代表するスーパースターである。<br /> <br /> 現役時代の背番号は[[シャキール・オニール]]とのコンビで若くして三連覇を達成した「8」と、成熟しチームリーダーとして二連覇を達成した「24」の2つの時代に分けられる。引退後には[[ロサンゼルス市]]がコービーに敬意を表し、現役時代の背番号を組み合わせた8月24日を「Kobe Bryant Day (コービー・ブライアントの日)」としてロサンゼルス市の記念日に制定した。またレイカーズは、同一選手に置いてNBA史上初となる二種類の背番号の永久欠番を発表した。<br /> <br /> 現役引退した[[2016-2017シーズンのNBA|2016-17シーズン]]現在、レギュラーシーズン通算33,643得点を挙げNBA歴代第3位。プレーオフ通算5,640得点を挙げNBA歴代第4位。また、オールスターでは通算290得点を挙げNBA歴代第2位に位置している。<br /> <br /> 父親は元NBA選手の[[ジョー・ブライアント]]で、母親は元NBA選手ジョン・コックスの妹であるパミラ・コックス。彼の名前”Kobe”は、父ジョーのお気に入りだったアメリカの鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と行った際、“KOBE” ([[神戸市|神戸]])の名前の由来を店主に聞いた事をきっかけに、両親が名前を気に入って付けたものである&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.yokosojapan.net/mt/archive/000408.html |title=ジョーブライアントさんにインタビュー |accessdate=2012-01-12 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;bio&quot;&gt;{{cite web |last=NBA Staff |title=Kobe Bryant Bio |publisher=NBA.com |date=N.D. |url=http://www.nba.com/playerfile/kobe_bryant/bio.html |accessdate=2007-08-05}}&lt;/ref&gt;。コービー本人は1998年に初来日した際に、生まれて初めて自身の名前の由来となった神戸を訪れている。その際、東京で開催されたアディダス・ABCバスケットボールキャンプでの募金を市民福祉に役立てるため神戸市に寄付した。また、2001年12月13日には神戸大使に委嘱された&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.city.kobe.lg.jp/information/about/ambassador/taishi_5.html |title=神戸大使:コビー・ブライアント氏 |accessdate=2012-01-12 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 生い立ち ==<br /> === アメリカ生まれのイタリア育ち ===<br /> コービーは父親の[[ジョー・ブライアント]]が[[NBA]]で3年目、[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ]]に所属していた1978年に、2人の姉の弟として生まれた。ジョーはその後[[ロサンゼルス・クリッパーズ|サンディエゴ・クリッパーズ]]、[[ヒューストン・ロケッツ]]を渡り歩き、[[1982-1983シーズンのNBA|1983年]]にはNBAを離れ、[[大西洋]]を渡って[[イタリア]]リーグに移籍することになった。父親に連れ立って一家もイタリアに引越し、6歳だったコービーはイタリアで約7年を過ごすことになる。その一方でNBAでは目立った成績を残すことが出来なかった父親ジョーがイタリアではトップ選手として活躍しており、ジョーに触発されたコービーは次第にバスケットボール選手を志すようになり、ジョーの練習や試合には常に付き添ってバスケットの技術と知識を培うようになった。ジョーは1991年に現役を引退。[[ラ・サール大学]]のヘッドコーチに就任が決まったため、一家は再びフィラデルフィアに舞い戻ることになる。[[ファイル:Kobe Bryant retired HS2.jpg|thumb|right|160px|母校ローワー・メリオン高校には高校時代のコービーのジャージーとその功績が立てかけられている。]]<br /> <br /> === 高校時代 ===<br /> コービーは[[フィラデルフィア]]のローワー・メリオン高校に進学。長年イタリアで過ごしてきたコービーにとってアメリカは異文化の地であり、最初はその環境に馴染むことに苦労したが、3年生になる頃にはいよいよその才能を発揮し出し、このシーズンには31.1得点10.3リバウンド5.2アシストの成績を残して州の最優秀選手に選ばれる。またNBA伝説の巨人[[ウィルト・チェンバレン]]が長年保持していた[[ペンシルベニア州]]の高校得点記録を更新するなど一躍注目選手となった彼のもとには、複数の[[全米大学体育協会|NCAA]]名門校からスカウトが訪れるようになり、またオフシーズンに全米から優秀な高校バスケット選手が集うABCDキャンプに参加し、ここでも目覚しい活躍を見せたことで、プロからも熱い視線を受けるようになった。4年生のシーズンには母校を42年ぶりの州チャンピオンシップに導いている。<br /> <br /> == ロサンゼルス・レイカーズ ==<br /> === ドラフト ===<br /> 高校に在学中のコービーは多くのバスケット選手がそうしたように、大学への進学を考えていた。ところが彼が高校を卒業する前年の[[1995年のNBAドラフト]]で[[ケビン・ガーネット]]が高校を卒業したばかりの選手としては実に20年ぶりの指名を受け、高卒選手に対してNBAへの道が拓けたことでコービーは心変わりし、NBA入りを決意。高校での最後のシーズンが終了した後、会見を開いて[[1996年のNBAドラフト]]へのアーリーエントリーを宣言した。またコービーは当時すでに引退を目前に控えていた、憧れの[[マイケル・ジョーダン]]と対戦したかった事もひとつの理由であると語っている。<br /> <br /> 前年にガーネットが全体5位という上位指名を受けたとは言え、当時はまだNBA関係者の大半が高校を卒業したばかりの選手が即プロで通用するとは思っておらず、この年のドラフト候補生の中ではコービーは特別評価の高い選手という訳ではなかった(この年のドラフト候補生には[[アレン・アイバーソン]]や[[ステフォン・マーブリー]]、[[レイ・アレン]]など、名だたるスター候補生が揃っていた)。しかしドラフト前に行われたワークアウトでコービーの才能を見抜いていた当時[[ロサンゼルス・レイカーズ]]の[[ゼネラルマネージャー]]だった[[ジェリー・ウェスト]]&lt;ref name=&quot;number748&quot;&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/10759/ |title=記録を塗り替えた「息子」に「父」が贈った言葉。~コービーとウェストの師弟関係~ |publisher=[[Sports Graphic Number]] |author=[[宮地陽子]] |date=2010-02-22 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;がコービー獲得に動いた。ドラフト当日、コービーは全体13位で[[ニューオーリンズ・ペリカンズ|シャーロット・ホーネッツ]]からの指名を受けるが、コービーは「レイカーズに入団できなかったら、[[デューク大学]]に進学する」と譲らなかった。そこでウェストはホーネッツとトレードを行い、生え抜きのベテランセンター[[ブラデ・ディバッツ]]を放出し、かわりにコービーを獲得(このトレードは[[シャキール・オニール]]獲得のための[[NBAサラリーキャップ|サラリーキャップ]]調整のためでもあった)。コービーは名門レイカーズの一員としてNBAのキャリアをスタートさせることになったのである。なお、レイカーズが持っていた24位指名権は、コービーと後に多くの栄光を共にする[[デレック・フィッシャー]]に行使された。またこの年のドラフトは先の3人のほか、[[マーカス・キャンビー]]や[[シャリーフ・アブドゥル=ラヒーム]]、[[アントワン・ウォーカー]]、[[ジャーメイン・オニール]]、[[スティーブ・ナッシュ]]らが指名を受けており、ドラフト史上でも屈指の豊作の年と評価された。<br /> <br /> === キャリア初期 ===<br /> ;[[1996-1997シーズンのNBA|1996-97シーズン]] 才能の片鱗<br /> <br /> ルーキーイヤーとなった1996-1997シーズンは[[シューティングガード]]の他に[[スモールフォワード]]、[[ポイントガード]]もこなしたが出場時間は約15分とまだ少なく、このシーズンは平均7.6得点の成績に終わった。それでも随所で才能の片鱗は見せており、1月28日の[[ダラス・マーベリックス]]戦では故障者が続出したことも手伝って初めて先発に抜擢され、18歳と158日で当時のNBA先発出場最年少記録を塗り替えた。また[[NBAオールスターウィークエンド|オールスター・ウィーク・エンド]]では[[NBAスラムダンクコンテスト|スラムダンクコンテスト]]に出場し、レッグスルーダンクを決めこちらもNBA史上最年少での優勝を果たした。その他、[[NBAルーキーチャレンジ|ルーキーチャンレジ]]でも当時の歴代最多得点となる31得点をあげている。<br /> <br /> ;[[1997-1998シーズンのNBA|1997-98シーズン]] スター選手の仲間入りへ<br /> <br /> 2年目の1997-1998シーズンになると出場時間も増え、その才能を発揮し始める。そのプレーはファンの心を掴み、ベンチスタートであったが、試合途中に交代で出場すると大きな歓声が起こり、多くのファンがいたことがうかがえた。その人気を象徴する出来事がこの年の[[NBAオールスターゲーム]]だった。コービーはレイカーズでは控えにもかかわらずファン投票によりNBA史上最年少でオールスターに選出され、しかも先発出場という異例の出来事となった。所属チームで控えの選手がオールスターの先発に名を連ねるのは過去にも先にもNBA史上コービーだけである。試合では周囲の期待に応えるように派手なダンクやテクニカルなプレーで観客を沸かせ、プロ2年目、わずか19歳でスターの仲間入りを果たす。レイカーズはコービーの急成長もあってチームは61勝21敗の好成績を残し、コービー自身もシーズン途中までは平均20点近い得点を挙げ、[[NBAシックスマン賞|6thマン賞]]受賞は確実と目されていたが、シーズン後半に調子を落とし(最終成績は15.4得点)、記者投票では2位に終わった。<br /> <br /> ;[[1998-1999シーズンのNBA|1998-99シーズン]] シャックの存在 <br /> <br /> [[ロックアウト]]で50試合に短縮された1998-1999シーズンには[[リック・フォックス]]から完全に先発を奪い、成績を19.9得点5.3リバウンドまで伸ばして初のオールNBA3rdチームに選出される。名実共にリーグトップレベルの選手に成長したコービーだったが、彼の活躍、人気が増すごとに、レイカーズの大黒柱、[[シャキール・オニール]](以後シャック)との摩擦も大きくなり、2人の“&#039;&#039;&#039;不仲説&#039;&#039;&#039;”が公に報じられるようになった&lt;ref name=&quot;number745-1&quot;&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/12407/ |title=フィル・ジャクソンの究極スター操縦法。~ジョーダン&amp;コービーを育てた男~(1/3) |publisher=Sports Graphic Number |author=宮地陽子 |date=2010-01-17 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。この頃のレイカーズはレギュラーシーズンこそ高い勝率を残すもののプレーオフでは敗退を繰り返しており、1997-98シーズンには[[ユタ・ジャズ]]に、そしてこの年も[[ティム・ダンカン]]、[[デビッド・ロビンソン]]のツインタワーを擁する[[サンアントニオ・スパーズ]]に2年連続でスウィープ負けを喫していた。<br /> <br /> === 三連覇時代へ ===<br /> ;[[1999-2000シーズンのNBA|1999-00シーズン]] フィル・ジャクソンの就任、初優勝へ<br /> <br /> [[ファイル:Lipofsky_Kobe.jpg|thumb|right|160px|ショートアフロがトレードマークだった若き日のコービー。]]なかなか優勝に手が届かないレイカーズは新シーズン開幕を前にチーム改革に踏み切った。最も大きな動きは、コービーもその招聘を待望していた[[シカゴ・ブルズ]]を2度の三連覇に導いた[[フィル・ジャクソン]]のヘッドコーチ就任だった。彼の指導により、コービーとシャックは少なくともコートの中では共存の道を見つけることが出来るようになった。またベテランの[[ロン・ハーパー]]らが加入してロスターも大幅に入れ替わり、レイカーズは新たな指導者と新たな陣容で新シーズンを迎えた。<br /> <br /> 1999-00シーズンが始まるとレイカーズは快進撃を開始。終わってみれば史上でも屈指の勝率となる67勝15敗の成績だった。コービー自身も初のアベレージ20得点越えとなる22.5得点6.3リバウンド4.9アシストを記録し、オールNBA2ndチームに選出された(シャックは[[NBA最優秀選手賞|シーズンMVP]]を受賞)。またディフェンス面での大幅な改善も見られ、NBA史上最年少でオールディフェンシブ1stチームにも選ばれるなど、攻守共にハイレベルなスーパースターへと成長した。プレーオフではライバルチームの[[サクラメント・キングス]]や[[ポートランド・トレイルブレイザーズ]]の前に思わぬ苦戦を強いられるも、カンファレンス決勝は第7戦でのコービーの25得点11リバウンド7アシスト4ブロックという活躍もあってブレイザーズを4勝3敗の末に降し、念願の[[NBAファイナル]]進出を果たす。<br /> <br /> ファイナルでは[[レジー・ミラー]]擁する[[インディアナ・ペイサーズ]]と対戦。コービーにとっては夢にまで見た大舞台だったが、第2戦で足首を捻挫してしまい、第3戦はベンチから試合を見守るという屈辱を強いられた。レイカーズはコービー不在でもシャックがコートで大いに暴れ回り、最初の3試合を2勝1敗とシリーズを優位に進めた。最高の舞台を目の前に居ても立っても居られなくなったコービーは、怪我も癒えぬうちに第4戦に強行出場した。試合は接戦となり、延長に突入。オーバータイムではこの日ファウルトラブルに陥っていたシャックがついにファウルアウトに追いやられたが、足を引き摺ったままプレイを続けるコービーがオーバータイムのチームの得点の殆どをあげるという活躍を見せ、レイカーズを勝利に導いた。レイカーズはその後4勝2敗でペイサーズを降し、レイカーズにとっては[[1987-1988シーズンのNBA|1988年]]以来の&#039;&#039;&#039;優勝&#039;&#039;&#039;を決めた。コービーにとっては4年目にして初の優勝となった。<br /> <br /> ;[[2000-2001シーズンのNBA|2000-01シーズン]] 二連覇へ<br /> <br /> チャンピオンチームとして迎えた新シーズンもコービーは平均28.5得点をあげるなど絶好調で、私生活ではプレーオフを前にした4月に電撃結婚するなど嬉しい話題もあった。チームは56勝26敗と前年ほどではなかったが、プレーオフに入れば1回戦からカンファレンス決勝までの全シリーズを全勝で勝ち抜くという圧倒的な強さでファイナルに進出。ファイナルではコービーとは同期である[[アレン・アイバーソン]]の[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ]]と対決し、4勝1敗で降して&#039;&#039;&#039;連覇&#039;&#039;&#039;を達成した。<br /> <br /> ;[[2001-2002シーズンのNBA|2001-02シーズン]] 傷心の地元でのオールスター、三連覇へ<br /> <br /> 連覇を果たし、オールNBAチームなどにももはや常連となっていたコービーだが、過去2年は故障にも苦しみ、1999-00シーズン、2000-01シーズンは2年連続で出場回数は60試合代に留まっていた。しかしこのシーズンにはキャリアで初めて80試合に出場し、成績も25.2得点5.5アシストと高水準を維持。オールNBAチームでは初の1stチームに名を連ねた。出身地である[[フィラデルフィア]]で開催されたオールスターでは自身初のMVPを受賞。しかし前季のファイナルで地元のチーム[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ]]をレイカーズが破っているため、オールスターにファイナルの感情を持ち込んだ観客から心無いブーイングを食らってしまい、コービーにとって地元でのオールスターは傷心のMVPとなってしまった。プレーオフでは3年連続でファイナルに進出し、[[ジェイソン・キッド]]率いる[[ニュージャージー・ネッツ]]と対決。4戦全勝という最高の形でシリーズを制し、ついに&#039;&#039;&#039;三連覇&#039;&#039;&#039;を達成した。当時23歳だったコービーは、3回の優勝を経験した史上最も若い選手となった。<br /> <br /> === 王朝の揺らぎ、そして崩壊 ===<br /> ;[[2002-2003シーズンのNBA|2002-03シーズン]] モチベーションのギャップ<br /> <br /> 三連覇を達成して無敵の名をほしいままにしていたレイカーズだが、コービーとシャックの反目は優勝の美酒に和らぐどころかむしろ年々強まっており、彼らのロッカールームは冷め切っていた。2002-2003シーズンはシャックが開幕から欠場。シャックの不在で伸び伸びとプレイしたコービーは持ち前の得点力が爆発。40得点以上を19回、50得点以上を3回、さらに9試合連続40得点以上を記録するなど思う存分得点を獲りまくり、このシーズン初のアベレージ30得点越えとなる30.0得点6.9リバウンド5.9アシストを記録し、得点王レースでは2位につけるなど個人としては過去最高のシーズンを送っていたが、チームはコービーとシャックの不仲による影響や、三連覇したことでのモチベーションの低下などが響き、50勝32敗と波に乗り切れないシーズンだった。プレーオフではカンファレンス準決勝でスパーズと対戦し、2勝4敗で敗戦。レイカーズの連覇記録もこの年に途絶えた。<br /> ちなみにこのシーズンのコービーのシーズンハイは55得点であり、この数字を記録したのが憧れのジョーダンとの最後の試合だった。<br /> <br /> ;[[2003-2004シーズンのNBA|2003-04シーズン]] 王朝の崩壊、コービーの“決意”<br /> <br /> 王座奪回を目指すレイカーズはオフに[[カール・マローン]]と[[ゲイリー・ペイトン]]、2人のビッグネームを獲得するという大型補強を敢行。シャックにコービー、マローン、ペイトンと史上類を見ない豪華な陣容に、新シーズンのレイカーズへの期待はいやが上にも高まった。しかし再び頂点に返り咲くはずだったシーズンを、コービーはコート外のスキャンダルで台無しにしてしまう。オフの6月に19歳の女性からレイプされたと訴えられたのである(詳細は後述)。このスキャンダルでコービーは観客のブーイングや裁判所とアリーナを行き来する生活に悩まされるシーズンを送る羽目となった。また期待の補強組もマローンがシーズンの半分近くを欠場、全ての栄誉を手に入れてしまったオニールのモチベーションは益々下がっており、さらに今度はコービー自身も膝や肩の故障に襲われるなど、このシーズンのレイカーズは受難続きだった。それでもプレーオフでは勝ち抜いて、ファイナルに進出。[[デトロイト・ピストンズ]]と対戦するが、1勝4敗と完敗を喫してしまい、王座奪回は失敗に終わった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/14179 |title=NBA Final 〜ピストンズが見せつけた、優勝に必要なこと。 |publisher=Sports Graphic Number |author=[[小尾慶一]] |date=2004-06-22 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[ファイル:Kb black.jpg|thumb|right|160px|「コービー&シャック」NBA史に名を残す最強デュオは内部崩壊という最悪の形で終焉を迎えた。]]この頃になるとコービーとシャックの関係は危険水域に達していた。シャックはコービーの独りよがりなプレイが気に入らず、コービーとしては完璧主義な自分と対照的に、練習嫌いで知られるシャックがコンディショニング不足により、度々チーム練習やレギュラーシーズンの試合を欠席していたという状況、そして三連覇を達成しても評価が上がるのはシャックばかりという状況(3回の優勝でファイナルMVPを獲得したのは全てシャック)は受け入れ難いものだった。また、コービーは常にシャックの機嫌を伺いながら指揮するジャクソンHCにも不信感を抱いており、21世紀最初の王朝を築いたチームはすでに内部崩壊していた。<br /> <br /> 2004年のオフシーズン、ついにレイカーズ王朝に幕が降ろされる。この年、[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となったコービーは再契約を望むレイカーズに対し、この先もシャックをチームの中心に据えるなら、そしてジャクソンの下でプレーしなければいけないのならば自分は移籍する、という意志をちらつかせチームにエースの座を要求した。レイカーズは結局コービーを選択し、シャックとジャクソンはレイカーズを退団、夢のチャンピオンリングを求めてレイカーズにやってきたマローン、ペイトンもレイカーズを去り、同期のフィッシャーも移籍するなどして&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/12602 |title=いよいよ開幕、今季の見所 |publisher=Sports Graphic Number |author=小尾慶一 |date=2004-11-05 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;、王朝チームは完全に崩壊した。コービーはレイカーズと7年で総額1億3600万ドル(約168億円)の大型契約を結んだ。ちなみにこの時[[ロサンゼルス・クリッパーズ]]はコービー獲得を本気で狙っていた。<br /> <br /> === 栄光と不満の日々 ===<br /> ;[[2004-2005シーズンのNBA|2004-05シーズン]] 理想と現実<br /> <br /> 晴れてエースの座に座ったコービーだったが、彼を待っていたのは辛い現実だった。新ヘッドコーチには名将[[ルディ・トムジャノビッチ]]を招き、[[ラマー・オドム]]や[[カロン・バトラー]]ら新戦力を揃えたが、一度ゼロから仕切り直したチームが王朝時代のように勝てるはずもなく、2004-2005シーズンは34勝48敗と負け越し、11年ぶりにプレーオフ出場を逃すという屈辱を味わった。新エースとして意気込んで新シーズンに臨んだコービーも27.6得点6.0アシストの成績を残すも、フィールドゴール成功率は43.3%の低水準に沈み、評価を上げるどころかシャックやジャクソンを追い出した挙句にプレーオフにすら導けなかったとして、NBAファンや関係者からはコービーに対する激しいバッシングが巻き起こった。<br /> <br /> トムジャノビッチHCはシーズン終了を待たずして「体調不良」を理由に突然ヘッドコーチを辞任してしまったが&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/11615 |title=恋人か旧友か。過熱するジャクソン争奪戦。|publisher=Sports Graphic Number |author=宮地陽子 |date=2005-03-31 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;、オフには1年前に退団したばかりのジャクソンが再びレイカーズのヘッドコーチとして招聘された。ジャクソンはこの期間に出版した著書“&#039;&#039;The Last Season&#039;&#039;”の中でコービーを「コーチング不可能な選手」などと痛烈に批判しており、コービーとの関係が不安視されていたが、コービー自身はレイプスキャンダルがようやく解決したこともあり、新シーズンを良好な状態で迎えようとしていた。<br /> <br /> ;[[2005-2006シーズンのNBA|2005-06シーズン]] 不動の現役“No.1”プレイヤーへ[[ファイル:Kobe 81 scoreboard.jpg|thumb|right|230px|2006年1月26日vsトロント・ラプターズ戦でNBA歴代2位となる一試合81得点を挙げ大きな話題となった。]]<br /> 2005-06シーズンはコービーの類稀な得点力が遺憾なく発揮されたシーズンだった。開幕から4試合連続で30得点以上を記録すると、8試合目で42得点をあげたのを皮切りに、このシーズンは27試合で40得点以上を記録。1月に記録した月間平均得点は43,4得点と、[[ウィルトチェンバレン]]以来となる記録を叩き出した。さらに4月にも月間平均40得点を記録している。そして極めつけは1月26日の[[トロント・ラプターズ]]戦で達成した&#039;&#039;&#039;81得点&#039;&#039;&#039;である。この1ヶ月前の[[ダラス・マーベリックス]]戦では3Q終了時点ですでに62得点をあげていたが、試合の大勢はすでに決まっていたためジャクソンHCは4Qでコービーを起用しなかった。(ちなみに3Q終了時のマーベリックスの総得点は61点であり、コービー1人で相手チームの総得点を上回るという衝撃的なスコアリングショーを魅せていた。)そしてこのラプターズ戦でもジャクソンはアシスタントコーチに「この辺で彼を下げたほうがいいと思うんだが…」と、コービーをベンチに下げようとしたが、アシスタントコーチに「いえ、それはできないと思いますよ。いま77点目をあげたところです。」と制止されたため、コービーの偉業が達成された。この試合、フィルはコービーのパフォーマンスに対してそれほど注目していなかったという。81得点は[[ウィルト・チェンバレン]]が記録した100得点に次ぐ歴代2位の記録となった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/11396 |title=ブライアントの大記録、81点がもたらした幸福。 |publisher=Sports Graphic Number |author=宮地陽子 |date=2006-02-09 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。[[マイケル・ジョーダン]]と共にシカゴ・ブルズ黄金時代を築いた経験のあるジャクソンHCは試合後「今夜のコービーはジョーダンのどんな試合よりも凄かった。」とコービーに最大限の賛辞を送った。次々と高得点を叩き出したコービーのこのシーズンの成績は35.4得点5.4リバウンドとなり初の得点王に輝く。アベレージ35得点越えはジョーダンが[[1986-1987シーズンのNBA|1986-87シーズン]]に記録して以来の極めて高い数字だった。<br /> <br /> 絶好調のコービーに率いられてレイカーズはこのシーズン45勝37敗と勝ち越し、プレーオフにも復帰。1回戦で[[フェニックス・サンズ]]と対戦した。第4戦では2点ビハインドの状況で試合終了間際にジャンプショットを決めて試合を延長に持ち込ませると、オーバータイムでは1点ビハインドの状況で今度は[[ブザービーター]]を炸裂させ、チームに劇的な逆転勝利をもたらしている。結局シリーズはサンズがものにし、レイカーズは1回戦で敗退したものの、この年はコービーを“&#039;&#039;&#039;現役屈指のスコアラーの一人&#039;&#039;&#039;”から“&#039;&#039;&#039;歴代屈指のスコアラーの一人&#039;&#039;&#039;”と、その評価を一段階押し上げたシーズンだった。<br /> <br /> ;[[2006-2007シーズンのNBA|2006-07シーズン]] 栄光と苦悩[[ファイル:Bryant Fades Over Butler.jpg|thumb|160px|2006-07シーズンから背番号を『24』に変更。]]<br /> <br /> 2006-07シーズンに入ってもコービーの勢いは止まらず、チェンバレン以来となる1シーズンで50得点以上を10回記録。(3月にはNBA記録となる4試合連続で50得点以上を挙げた。さらにその内2試合は60得点を超えている。)31.6得点5.7リバウンド5.4アシストの成績で2年連続で得点王に輝き&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/13961?page=2 |title=熱かったシーズンを終えて |publisher=Sports Graphic Number |author=小尾慶一 |date=2007-06-28 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;、オールスターでは2度目のMVPを獲得した。コービーの孤軍奮闘の活躍もあってチームも2年連続でプレーオフに進出し、昨シーズン同様1回戦で[[フェニックス・サンズ]]と対戦した。2連敗で迎えた第3戦では45得点を挙げ一矢報いるも優勝候補の一角サンズとの大きな戦力差は明白で2年連続の1回戦敗退となった。<br /> <br /> コービーが次々と叩き出す並外れた数字に「一人でシュートを打ちすぎる」、「チームの勝利よりも自分の得点を優先させている」と眉根を寄せる人々も少なくなかったが、それでもコービーが史上最高クラスのスコアラーであるという点では多くの人々の間で意見は一致しており、また一部からは「こと得点力に関してはジョーダンを越えているのではないか」という声さえ上がり始めた。この頃にはスキャンダルで著しく汚されたコービーへのイメージも大分回復しており、ジャージー売り上げは全選手で1位に輝くなど、周囲からの評価はかつてないほど高まりつつあった。しかしそんな巷の評判を他所に、コービー自身はプレーオフ1回戦敗退を繰り返すチームに不満を募らせていた。<br /> <br /> === 最高峰の選手として ===<br /> コービーのチームに対する不満は2年連続でサンズの前にプレーオフ1回戦敗退を喫した後に爆発。チームに対し、補強が進まない場合は自身をトレードして欲しいと要求した&lt;ref name=&quot;number704&quot;&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/12011 |title=コービーの言葉が招いた、レイカーズの精神的成長。 |publisherSports Graphic Number |author=宮地陽子 |date=2008-05-29 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。コービーがとったこの行動がここまで積み重ねてきたコービーへの評価を再び台無しにすることになってしまい、トレード要員になるはずのチームメイトに対する配慮に欠けた発言や、チームフロントに対する攻撃的な批判はファンの反感を買った。コービー自身はその後トレード要求を撤回したが事態は収まらず、コービーはホームの[[ステイプルズ・センター]]で開催された[[2007-2008シーズンのNBA|2007-08シーズン]]の開幕戦で、レイカーズファンから[[ブーイング]]を浴びてしまったのである。<br /> ;[[2007-2008シーズンのNBA|2007-08シーズン]] “ターニングポイント”新たな因縁<br /> <br /> しかし新シーズンが始まるとコービーはそれまでの苛烈な発言を一切封印してプレイに集中し、以前よりも増してリーダーシップを発揮するようになり、コービーの変化にチームも刺激されたか最初の10試合を7勝3敗と快調な滑り出しを見せた。開幕前には3シーズンレイカーズから離れていたフィッシャーが復帰しており、またトレード要求の一件でコービーとひと悶着あった[[アンドリュー・バイナム]]が急成長を見せるなど、好材料が揃っていた。<br /> <br /> [[ファイル:Lakers_Finals_08.jpg|thumb|right|160px|5年ぶりのファイナルは失意の敗退となった。]]オフでは結局コービーが望んだような大型補強はなかったが、トレードデッドライン目前の2月になって、コービーを歓喜させる重要なトレードが実行される。[[メンフィス・グリズリーズ]]からリーグ有数のビッグマン、[[パウ・ガソル]]を獲得したのである&lt;ref name=&quot;number704&quot;/&gt;。このトレードでレイカーズが失ったものは無きに等しく、「近年最も不公平なトレード」として記録されるが、シャックの退団以後インサイドの駒不足に悩んでいたレイカーズにとってはこの上ない補強であり、レイカーズの戦力は大幅に向上した。レイカーズは勝ち星を積み重ね、混戦となったウエスタンカンファレンスでトップとなる57勝を記録し、一躍優勝候補へとのし上がった。<br /> <br /> コービーは28.3得点6.3リバウンド5.4アシストを記録し、念願の&#039;&#039;&#039;シーズンMVP&#039;&#039;&#039;を受賞した&lt;ref name=&quot;number704&quot;/&gt;。開幕直後にはコービーにブーイングを浴びせていたステイプルズ・センターのファンも、シーズン終盤にはコービーに対し“MVP”コールを送った。プレーオフではウエストの並み居る強豪を蹴散らして5年ぶりのファイナルに進出。奇しくも同じ年に名門復活を果たしたレイカーズの永遠のライバル、[[ボストン・セルティックス]]と対戦したが、セルティックスの堅い守りを崩せず、2勝4敗で敗退した。<br /> <br /> ;[[2008-2009シーズンのNBA|2008-09シーズン]] シャックの“幻影”からの解放、悲願の頂点へ<br /> <br /> オフには初めて[[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]として[[2008年北京オリンピック|オリンピック]]に出場し、金メダルを獲得。代表チームでは得点に対する欲を捨て、主にディフェンスでの献身的な姿勢が高く評価され、コービーが以前のコービーではなくなったことを周囲に改めて認識させた。<br /> <br /> [[ファイル:Bryant MSG.jpg|thumb|left|160px|マディソン・スクエア・ガーデンで当時のアリーナ新記録となる61得点を挙げたコービー。]]そして迎えた2008-09シーズン、レイカーズは優勝候補筆頭として開幕から快進撃を続け、65勝17敗で2年連続カンファレンストップに立った。コービー自身は靭帯が断裂した右手小指の手術が出来ずに開幕を迎えていたことが不安視されていたが、それは杞憂に過ぎなかった。チームの戦力が大幅に改善されたことで、これまでのように毎試合フル出場する必要はなくなったため、このシーズンは平均36.1分と先発に定着してからでは最も少ない数字となり、出場時間の減少で成績は26.8得点5.2リバウンド4.9アシストだったが、それでもコービーがリーグ最高峰の選手であることは変わりなく、2月2日には[[ニューヨーク・ニックス]]のホーム、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で当時のアリーナ新記録となる61得点を記録するなど、話題を振りまくことも忘れなかった。オールスターでは自身3度目のMVPを獲得している。<br /> <br /> プレーオフではカンファレンス準決勝で[[トレイシー・マグレディ]]と[[ヤオ・ミン]]という主力が飛車角落ちした[[ヒューストン・ロケッツ]]相手に第7戦に持ち込まれるなど苦戦する場面もあったが、期待通りに2年連続でファイナルに進出。王座奪還に燃えるコービーは対戦相手の[[オーランド・マジック]]に対し、第1戦で40得点を記録して先制パンチを浴びせると、その後もコンスタントに高得点をあげ続け、マジックに殆ど付け入る隙を与えず、4勝1敗でファイナルを制した。コービーにとっては7年ぶりの優勝となった。シャックがレイカーズを退団してからのコービーの5年間は、「シャックが居なくても優勝できる」ことを証明するための5年間でもあった。そしてようやく成果を収めたこのファイナルでシリーズ平均32.4得点7.4アシスト5.6リバウンドを記録したコービーは、念願の&#039;&#039;&#039;ファイナルMVP&#039;&#039;&#039;を獲得した。そして、シャックもコービーの実力をついに認め、祝福の言葉を送った。<br /> <br /> ;[[2009-2010シーズンのNBA|2009-10シーズン]] 満身創痍での“リベンジ”5度目の優勝へ&quot;<br /> <br /> [[ファイル:Lakers White House.jpg|thumb|left|230px|前年チャンピオンチームとしてホワイトハウスに招かれたコービー&レイカーズ。]]コービー自身キャリア2度目の連覇へ向けての挑戦となったこのシーズン、NBAで2年連続優勝したチームはコービーがシャックとのコンビで三連覇を達成した2002年のレイカーズが最後で、それ以来どのチームも達成出来ていない。<br /> <br /> 開幕からガソルが怪我で欠場した事もあり、コービーはガソルが欠場した最初の11試合で4度の40得点オーバーを記録するなど過去2年ほどレギュラーシーズンでは抑えていた得点能力を存分に発揮する事になる。また12月4日の[[マイアミ・ヒート]]戦では、[[ドウェイン・ウェイド]]の上から逆転[[ブザービーター]]を決めるなど最高のスタートを切ったと思われたが、12月11日の[[ミネソタ・ティンバーウルブズ]]戦で試合中に相手選手との接触で右手人差し指を剥離骨折してしまう。<br /> <br /> コービーは欠場こそ免れた物の残りのシーズンをテーピングを巻いて戦う事となる。しかし12月16日の[[ミルウォーキー・バックス]]戦で再び逆転ブザービーターを決めるなど骨折の影響を感じさせないプレーを披露すると、年が明けた1月1日の[[サクラメント・キングス]]戦でも逆転ブザービーターを決め、リーグトップクラスの選手でも数年に1度あるかという決勝ブザービーターを、わずか1ヶ月の間に3度も決めて見せた。結局コービーはシーズン終了までに6度の決勝シュートを沈め、驚異の勝負強さを改めて知らしめる事となった。また、2月1日の[[メンフィス・グリズリーズ]]戦ではジェリー・ウェストの保持していたレイカーズのチーム通算得点記録を更新し&lt;ref name=&quot;number748&quot;/&gt;、4月2日には、来季で終了するレイカーズとの契約を、35歳になる2013-14シーズンまで3年総額8960万ドル(約85億1000万円)で延長するなど、明るい話題もあった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/19886 |title=コービーの契約延長が半年以上かかった理由。~FAよりもレイカーズに残留~ |publisherSports Graphic Number |author=宮地陽子 |date=2010-04-16 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。一方で体の方は骨折した右指に神経を使いながらプレーするあまり、新たに足首、膝、背中を痛めてしまうなど試合毎に怪我が蓄積しており、31歳のコービーの体は満身創痍の状態になっていた・・・。<br /> <br /> [[ファイル:Kobe Bryant left floater.jpg|thumb|right|160px|ハワードの上から左手でシュートを放つコービー。]]プレーオフ1回戦[[オクラホマシティ・サンダー]]戦はコービーのコンディションの悪さもあって、最初の4試合を2勝2敗のタイで終える。この時点でコービーの膝は、このシリーズ中に膝に溜まった水を抜く処置をしなければいけない程ヒドくなっていた。しかし結果的にその処置が功を奏し、復調の兆しを見せたコービーに引っ張られるようにレイカーズはその後きっちりと連勝し苦しみながらも1回戦を突破した。その後のカンファレンス準決勝の[[ユタ・ジャズ]]、決勝の[[フェニックス・サンズ]]も本来の動きに戻りつつあるコービーを相手は止めることが出来ず、レイカーズは3年連続のファイナル進出となった。ファイナルでレイカーズを待っていたのは、2年前破れた宿敵[[ボストン・セルティックス]]であった。リーグ屈指のディフェンス力を誇るセルティックス相手に互いに一進一退となった攻防は、伝統の一戦に相応しく第7戦までもつれこむ事となった。激しい試合となった第7戦は序盤からセルティックスが有利に試合を進めて行くも、ホームの後押しを受けたレイカーズが徐々に追い上げ第4Qついに同点に追いつく。この試合ここまで堅い守りに苦しめられてきたコービーだったがこの状況でついに目覚め、逆転フリースロー、さらに続けざまにジャンプシュートを沈め連続4得点を奪い一気に流れを引き寄せた。結局このリードを守りきり追いすがるセルティックスを83-79で振り切ったレイカーズが2年前のリベンジを果たし連覇を達成した。満身創痍でシーズンを戦い抜いたコービーは自身5度目の優勝、そしてシリーズ平均28.6得点8.0リバウンドを記録し2年連続となるファイナルMVPを受賞した。<br /> <br /> ;[[2010-2011シーズンのNBA|2010-11シーズン]] 三連覇ならず“不完全燃焼”のシーズン<br /> <br /> [[ファイル:LakersChristmas2010.jpg|thumb|left|230px|シーズン通して安定感が無かったレイカーズ。]]オフシーズンにフィル・ジャクソンHCが、このシーズンを最後に監督業からの完全引退を表明するなどレイカーズはチームとしての集大成的な意味合いを持つシーズンとなった。<br /> <br /> コービーはオフに手術した右膝の回復が予定より長引いたため、プレシーズンからのぶっつけ本番でコンディション作りに励む事になった。それでもシーズンに入るとコービー自身からは「問題無い。」と言った言葉が何度と無く聞かれたが、実際には手術した右膝の状態が思わしくなく、3年連続でのNBAファイナル出場や北京五輪出場といった度重なる連戦により体を酷使していた影響で、右膝の軟骨が磨り減ってほとんど無いような状態になってしまっていた。コービーはチーム練習にもシーズン通して都度、参加出来ないような状態で、ジャクソンHCはコービーの出場時間をセーブするという方法を取らざるを得ず、これはシーズン通して徹底され試合展開やコービーの好不調関係無く決まった時間帯には必ず下げるという方法を取り続けた。その結果レギュラーシーズンのコービーのプレイタイムは、昨シーズンから1試合平均5分も少なくなり、平均33.9分にまで減少した。平均33.9分という数字はコービーがプロ入り後、先発に定着してから最も少ない数字であり、それより少ない出場時間になると、実にプロ2年目で6thマンだった13年前の1997-98シーズンにまでさかのぼってしまう。レイカーズはチーム成績こそ昨シーズンと同じ57勝25敗のウエスタンカンファレンス2位で終えたが、チームはコービーの出場時間減少の影響や新加入選手が期待された活躍が出来なかった事もありシーズン通して試合内容が安定せず、シーズン終盤には5連敗を喫するなど好不調の波が非常に激しいシーズンとなってしまった。コービーはこのシーズン怪我に苦しみ出場時間を大幅に抑えられたが、レギュラーシーズン全82試合に先発出場し、平均25.3得点という数字を残した。また、レイカーズの地元ロサンゼルスで行われたオールスターではNBA歴代最多タイとなる自身4度目のMVPを獲得し、レギュラーシーズンのNBA歴代通算得点記録では、シーズン前の歴代12位から、このシーズンで一気に歴代6位まで引き上げるなど個人としての話題に事欠くことはなかった。<br /> <br /> プレーオフ1回戦は[[ニューオリンズ・ホーネッツ]]と対戦。下馬評ではレイカーズ圧倒的有利だったが、安定感の無かったレギュラーシーズンのチーム状況そのままに初戦を落としてしまう。その後、4勝2敗で1回戦は突破したものの、明らかに昨シーズンまでの安定感はレイカーズになくなってしまっていた。カンファレンス準決勝のダラス・マーベリックス戦でも1回戦同様初戦を落とすと、相手のエース、[[ダーク・ノヴィツキー]]とマッチアップしたガソルの絶不調もあり終始抑える事が出来ず、またベンチ力の差もまざまざと見せ付けられ、結局このまま4連敗で屈辱のスウィープ負けとなってしまった。コービーはプレーオフに入ってからジャクソンHCにより多少出場時間は伸ばされたが、それでもシーズン同様、昨シーズンのプレーオフから1試合平均5分近く出場時間が減らされ、例年のような爆発力を見せる機会も無いままチームとしても個人としても、なんとも不完全燃焼でシーズンを終えることになってしまった。キャリア初期よりジャクソンHCと苦楽を共にしてきたコービーは試合後「自分はジャクソンHCの下で育った。バスケットのことだけではなく、物事へのアプローチの仕方、考え方は彼から大きな影響を受けた。(ジャクソンHCのいない)来シーズンのことを考えると何だか不思議な気持ちになる」と語り、本来の力を発揮できないまま恩師との最後のシーズンを終えてしまった事に悔しさを滲ませた。<br /> <br /> ;[[2011-2012シーズンのNBA|2011-12シーズン]] “波乱”の再始動<br /> <br /> ジャクソン退任後の新HCには、一昨年まで[[クリーブランド・キャバリアーズ]]を指揮していた[[マイク・ブラウン (バスケットボールコーチ)|マイク・ブラウン]]が就任した。トライアングルオフェンスからの脱却に伴いメンバーの改革を図ったレイカーズは、33歳になったコービーの負担を軽減するため一流ポイントガードの補強に着手した。そして、ガソル、オドムの絡んだ三角トレードで[[クリス・ポール]]獲得に動き、チーム間で合意に達したが、正式承認直前にNBAコミッショナーの[[デビッド・スターン]]が介入し、トレードを阻止するという異例の事態が起きた。これは昨シーズン、[[ドウェイン・ウェイド]]、[[レブロン・ジェームズ]]、[[クリス・ボッシュ]]の各チームでエースだった3人が[[マイアミ・ヒート]]に集結して物議を醸し出したように、一部のチームにスター選手が集中してしまうリーグの事態を懸念してのものだった。結果的にトレードは中止となったものの、選手の知らない水面下で進んでいたトレード内容が公になったことで、トレードに絡んでいたことにショックを受けた昨シーズン6thマン賞のオドムが自身を放出するようチームに要求するなど、一転して補強の計画が全て狂ったレイカーズは、昨シーズンより戦力が低下した状態で開幕を迎える事となってしまった。<br /> <br /> [[ファイル:Kobe Bryant Jordan Crawford.jpg|thumb|left|200px|鼻骨骨折しフェイスガードをつけてプレーするコービー。]]コービー自身キャリア二度目となるロックアウトの影響で2ヶ月遅れの開幕となったこのシーズン、ここ数年満身創痍の状態でプレーしているコービーにとって、オフシーズンが長引いた事は結果的に好都合だった。特にオフ期間中ドイツで手術した右膝の経過が良好で、コービーはここ数シーズンで一番良いコンディション状態を保ち開幕を迎えようとしていた。ところが、開幕戦を6日後に控えたプレシーズンマッチで右手首の靭帯を断裂してしまい、またしても怪我を抱えながらシーズンを戦う事となってしまった。それでも出場が危ぶまれた開幕戦からスターターに名を連ねると、これまで同様、試合中はしっかりと怪我に対応し靭帯断裂の影響を感じさせないプレーでチームを引率、1月には4試合連続で40得点オーバーを記録するなど序盤から得点ランクトップをひた走る活躍を見せた。また、NBA歴代タイ記録となる14回連続出場となったオールスターでは、[[マイケル・ジョーダン]]が保持していた通算得点記録を塗り替え、“&#039;&#039;&#039;オールスター通算得点記録保持者&#039;&#039;&#039;”となった。一方で、この試合中に[[ドウェイン・ウェイド]]からハードファウルを受け、鼻骨骨折に加え、軽い脳震盪を起こすなどしたが、3日後に行われたオールスター明け最初の試合も欠場する事なく、フェイスガードをつけて試合に臨んでいる。最後まで僅差となった得点王レースでは、先にシーズンを終えたトップの[[ケビン・デュラント]]28.0得点とわずか0.1ポイント差、27.9得点の2位でシーズン最終戦を迎えたが、チームの順位は既に決まっていたため最終戦は欠場し、若いデュラントに得点王を譲った。オドム放出の影響などでリーグワーストとなったレイカーズのベンチ層の薄さも重なって、コービーはこのシーズン右手首の靭帯断裂や鼻骨骨折といった怪我を抱えながらも、平均出場時間は38分を超えるなど奮闘、27.9得点、5.4リバウンド、4.6アシストの成績を残し、7年連続、自身10度目となるオールNBAファーストチーム入りを果たしている。オフシーズンの補強に失敗し、昨シーズンから戦力が低下して望んだレイカーズは41勝25敗のウエスタンカンファレンス3位でレギュラーシーズンを終えた。<br /> <br /> プレーオフ1回戦では[[デンバー・ナゲッツ]]と対戦し第7戦の末に勝ち上がったが、続く2回戦で優勝候補筆頭の[[オクラホマシティ・サンダー]]を倒すまでには至らず、1勝4敗で2年連続の2回戦敗退となってしまった。<br /> <br /> ;[[2012-2013シーズンのNBA|2012-13シーズン]] “衝撃”の結末<br /> <br /> [[ファイル:Dwight Howard Lakers February 2013.jpg|thumb|left|200px|チームがうまく機能せず鬼気迫る表情のコービーとは対照的に、笑顔を見せるハワード。]]オフシーズンに[[ドワイト・ハワード]]と[[スティーブ・ナッシュ]]が加入し、コービー、ガソルと共に「プレミアム4」として注目が集まったこのシーズン、キャリア通して相方にオールスタークラスのポイントガードがいなかったコービーにとって、ナッシュの加入は本来の役割である得点に専念出来ると同時に、自身の負担を軽減する事にもなるという大きな期待を受けての加入だった。しかし、レイカーズは序盤から連敗を重ねるなど攻守において噛み合わず、シーズン開幕から、わずか5試合でHCの[[マイク・ブラウン (バスケットボールコーチ)|マイク・ブラウン]]が解任され、後任には全くスタイルの異なる[[マイク・ダントーニ]]が就任するなどチームは迷走していった。プレミアム4の一人として期待されたガソルはプレーエリアが極端に狭いハワードと共存出来ず、自身の衰えも相俟って成績を大きく落とした。また、ゲームメイクを期待されて加入した38歳のナッシュも衰えを隠せず、シーズンが進むにつれコービーは得点とゲームメイクの両方を担うようになるなど試合毎に負担は増していった。コービー自身も34歳という年齢であり、オフェンスでの負担の大きさから、ディフェンスまで力を注ぐスタミナは以前のように残っていなかった。<br /> <br /> それでもコービーが担う役割が大きくなるのと比例するようにチームは成績を伸ばし始め、ハイレベルなウエスタンカンファレンスにおいてシーズン序盤の借金でプレーオフ進出すらも危ぶまれていたチームは中盤以降の追い上げでプレーオフ争いに加わるまで成績を戻す。プレーオフ争いが熾烈さを増す3月後半からはコービーの出場時間は毎試合40分を超えるなど異常事態になっていた。そして、プレーオフを目前に控えた4月12日の[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]戦、この日もコービーは何度もコートに倒れこみながらも、一度も休むことなく試合に出続けた。しかし、試合終盤ドライブを仕掛けた所で左[[アキレス腱]]を完全断裂し(全治6〜9カ月)&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/45228.html |title=RG3が負傷したNBAのスターへ励ましのメッセージ |publisher=NFL JAPAN |date=2013-04-14 |accessdate=2013-04-14 }}&lt;/ref&gt;、無念のシーズン終了となった。34歳のコービーは、このシーズン78試合出場、27.3得点、6.0アシスト、5.6リバウンドと依然としてハイアベレージを記録し“&#039;&#039;&#039;NBA歴代最多タイ&#039;&#039;&#039;”となる自身11度目のオールNBA1stチームに選出された。レイカーズはシーズン中盤以降の追い上げによりウエスタンカンファレンス7位でプレーオフに滑り込むも、引き換えにプレーオフ目前で絶対的エースの離脱というあまりにも大きな代償を負い、[[サンアントニオ・スパーズ]]にスウィープ負けを喫し1回戦敗退となった。<br /> <br /> ;[[2013-2014シーズンのNBA|2013-14シーズン]] &quot;再び&quot;の故障<br /> <br /> 2014年12月8日の[[トロント・ラプターズ]]戦で左アキレス腱の断裂から8ヶ月ぶりに戦列復帰したが、同17日のグリズリーズ戦で相手選手との接触プレーで右膝を負傷し、MRI検査の結果、脛骨プラトー骨折(全治6週間)と診断され再び欠場を余儀なくされる。その後の回復の経過が思わしくなかった為、以降の試合を全休。僅か6試合の出場に終わり、チームもパシフィック・ディビジョン最下位で9年ぶりにプレーオフ進出を逃した。<br /> <br /> ;[[2014-2015シーズンのNBA|2014-15シーズン]] &quot;再起&quot;をかけて<br /> <br /> シーズン開幕戦で、左アキレス腱の完全断裂と右膝の脛骨プラトー骨折という二つの大怪我から、約一年ぶりに復帰を果たした。2014年12月14日に行われた[[ミネソタ・ティンバーウルブズ]]戦で、[[マイケル・ジョーダン]]のレギュラーシーズンキャリア通算得点(32,292得点)を上回り、“&#039;&#039;&#039;通算得点歴代3位&#039;&#039;&#039;”に浮上した。しかし、2015年1月22日の[[ニューオーリンズ・ペリカンズ]]戦で試合中、右肩を負傷。精密検査の結果、右肩回旋筋腱板の断裂で手術が必要と診断され(全治9ヵ月)、3シーズン連続、大怪我でのシーズン途中離脱となった&lt;ref&gt;[http://www.nba.com/2015/news/01/26/kobe-to-have-surgery-on-shoulder.ap/index.html?ls=iref:nbahpts Kobe to have shoulder surgery, likely out for season---NBA.com]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;[[2015-2016シーズンのNBA|2015-16シーズン]] &quot;ラストシーズン&quot;<br /> <br /> [[ファイル:Kobe Bryant vs Gary Neal.jpg|thumb|left|180px|[[ゲイリー・ニール]]とマッチアップするコービー(2015年)]]<br /> 2015年11月29日「親愛なるバスケットボールへ」と題したメッセージを発表し、今シーズン限りでの現役引退を正式に表明した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.nba.com/2015/news/11/29/kobe-bryant-to-retire-after-this-season.ap/index.html?ls=iref:nbahpts |title=Kobe says he will retire after this season |publisher=NBA.com |date=2015-11-29 |accessdate=2015-12-01 }}&lt;/ref&gt;。コービーは「僕の身体が別れの時だと言っている。心は高鳴っているし、気持ち的にもまだやれる。でも、身体が別れの時が来たと言っていて、それを受け入れた。」「皆さんの気持ちを楽にする準備は整った。これで、共に過ごす、残りの一瞬一瞬を大切にすることができるんだ。良い事も、そうでない事も、僕達は互いに持てる全てを出し切ったのだから。」とつづった。NBAコミッショナーの[[アダム・シルバー]]はすぐさま声明を発表し「レイカーズで17度のオールスター選出、シーズンMVP、5度のNBA制覇、さらに[[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|米国代表]]として五輪で2度の金メダル獲得、そして、相手に対して容赦しないプレースタイル。絶えることなく労働倫理を貫いたコービー・ブライアントという選手はバスケットボール史上において、歴史に残る偉大な選手の1人です。」「ファイナルで優勝を争うことも、真夜中に無人のジムでジャンプシュートを打つことも、コービーはバスケットボールに無条件の愛を注いできました。」「私も、世界中に点在するコービーファンとともに、彼の傑出したNBAキャリアを祝し、数々のスリリングな瞬間を見せてくれたことに感謝しています。」と敬意を表した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://allball.blogs.nba.com/2015/11/29/the-nba-reacts-to-kobe-bryants-retirement-plans/?iref:nba:story_page:trending |title=THE NBA REACTS TO KOBE BRYANT’S RETIREMENT PLANS |publisher=NBA.com |date=2015-11-29 |accessdate=2015-12-01 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> コービーの引退表明が各方面に与える影響は大きく、[[マイケル・ジョーダン]]も声明を発表し「コービーの存在は、バスケットボール界とNBAにとって大きな助けとなった。」「君が成し遂げてきた素晴らしいキャリアを、我々は非常に誇りに感じていると伝えたい。」「世界中に君のファンがいるように、私も君の大ファンの一人で、今でも君のプレーを観るのが好きだ。」「私は兄で、君は弟のような存在。電話番号は知っているだろう。これからも連絡を取り合おう。」と自身の引退以降、NBAの「顔」として期待と重圧を一身に背負いバスケットボール界を盛り上げてきたコービーを労った。また、[[サッカーアルゼンチン代表]]の[[リオネル・メッシ]]は「コービー・ブライアントは歴史上最も偉大な選手の1人として名前が刻まれるだろう。僕はあなたの魅力溢れるプレースタイルのおかげでバスケットボールに興味を持ったんだ。コービーの新しい人生に幸運が訪れますように。」と自身のFacebook上にメッセージを投稿した。その他、[[バラック・オバマ|オバマ]]大統領からは[[ホワイトハウス]]に招待され、バスケットボールや引退後について会談した。2016年1月21日、ファン投票で最多得票を獲得し、自身の持つNBA記録を更新する18年連続の[[NBAオールスターゲーム|オールスターゲーム]]出場が決定した。<br /> <br /> 4月13日、現役引退試合となったレギュラーシーズン最終戦vsユタ・ジャズ戦では、10点ビハインドで迎えた残り試合時間2分30秒からゾーンに突入し、一人でノーミスの連続13得点を挙げ、チームを逆転勝利へと導いた。コービーは現役引退試合でキャリア6度目となる60得点を記録し、有終の美を飾った。コービーがこの試合で記録した37歳での60得点は、[[ウィルト・チェンバレン]]が48年前に記録して以来、誰にも破られていなかった32歳での60得点を大幅に更新する“&#039;&#039;&#039;NBA史上最年長記録&#039;&#039;&#039;”となった。<br /> ====引退後====<br /> 2017年9月12日、レイカーズはコービーが現役時に着用していた背番号『&#039;&#039;&#039;8&#039;&#039;&#039;』と『&#039;&#039;&#039;24&#039;&#039;&#039;』を[[永久欠番]]に認定すると発表した&lt;ref&gt;[http://www.nba.co.jp/nba/lakers-retire-both-8-and-24-of-kobe-bryant/cpz2elgv594f1lem4vhwhei82 レイカーズがコービー・ブライアントの8番と24番を永久欠番化 NBA JAPAN]&lt;/ref&gt;。同年12月18日、レイカーズの本拠地ステイプルズセンターにおいてNBA史上初となる二種類の背番号の永久欠番セレモニーが行われた。<br /> <br /> [[2017-2018シーズンのNBA|2017-18シーズン]]の[[開幕戦]]で足首骨折の大怪我を負った[[ボストン・セルティックス]]の[[ゴードン・ヘイワード]]に対して長文の激励メッセージを自身の[[Instagram]]へ投稿して話題となり&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.nba.co.jp/nba/kobe-bryant-sent-inspirational-message-to-gordon-hayward/8sfnflok80fo1j5d21pjztddu|title=ゴードン・ヘイワードにエールを送るコービー・ブライアント「前に進むとき」|publisher=NBA Japan|date=2018-10-19|accessdate=2018-05-05}}&lt;/ref&gt;、他の投稿と比べても多い100万以上の[[いいね!ボタン|いいね!]]がついた&lt;ref&gt;{{Cite web|url=https://www.instagram.com/p/BaZQjy1gyv2/?taken-by=kobebryant|title=Be sad. Be mad. Be frustrated. Scream. Cry. Sulk...|publisher=コービー・ブライアント公式[[Instagram]]|language=英語|date=2017-10-18|accessdate=2018-05-05}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2018年3月4日、[[第90回アカデミー賞]]において自身の半生をバスケットボールに対する愛情とともに綴ったアニメーション作品『Dear Basketball』が[[アカデミー短編アニメ賞]]に選出された&lt;ref&gt;{{Cite web |author= |date=2018-03-05|url=http://www.nba.co.jp/nba/kobe-bryant-wins-oscar/kckzzb20s4bx1lnaizewlp772|title=コービー・ブライアントのアニメ作品『Dear Basketball』がアカデミー賞を受賞|work=NBA.com|publisher= |accessdate=2018-03-06}}&lt;/ref&gt;。受賞後には[[シャキール・オニール]]、[[レブロン・ジェームズ]]などがSNS上で受賞を讃えた&lt;ref&gt;{{Cite web |author= |date=2018-03-05|url=http://www.huffingtonpost.jp/2018/03/05/kobe-bryant-oscar_a_23376977/|title=元NBA選手のコービー・ブライアント、アカデミー賞受賞に喜び爆発「NBA優勝よりも気分がいい」|work=huffingtonpost.jp|publisher= |accessdate=2018-03-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == コービーとジョーダン ==<br /> コービーはデビュー当時からことあるごとに[[マイケル・ジョーダン]]と比較される。これまで、同世代の[[アレン・アイバーソン]]、[[トレイシー・マグレディ]]、[[ビンス・カーター]]、一つ下の世代の[[レブロン・ジェームズ]]、[[ドウェイン・ウェイド]]ら、多くのスター選手が若手時代に[[ネクスト・ジョーダン]]と期待されてきたが、コービーほどキャリアを通して極端に比較され続けてきた選手は他にはいない。それは実績とカリスマ性に加え、ポジション、プレースタイル、体格、ともに闘争心旺盛で筋金入りの負けず嫌いであることなど、類似点が非常に多いことも理由の一つとして挙げられる。<br /> またコービー自身も、全盛期のジョーダンのプレーを見て育った世代のため、他の選手たちと同じように影響を受けたものは多いと語っている。<br /> ジョーダン自身も、1998年のオールスターゲーム終了後に後継者としてコービーを指名しており、現役最後となった2003年のオールスターゲームの際にも、次代を託した若手スター選手の一人としてコービーの名を挙げていた。また、引退して月日が経った2012年には「自分の引退後のプレイヤーの中で、自分と比較されるにふさわしい選手はコービーだけだ。」と語っている。<br /> さらにジョーダンは「自身の全盛期にマッチアップをしてみたい相手は誰ですか?」との問いに「[[ジェリー・ウエスト]]、[[エルジン・ベイラー]]、レブロン、ウェイド、メロ………誰にも負ける気はしない。コービー以外には。彼は私の動きを全て盗んだからね。」と答えている。コービー自身も「1on1では誰も俺には勝てない。もし俺に勝てる選手がいるとすれば、彼は98年にユタでラストショットを決めて引退したよ。」と答えた。もちろんラストショットを決めて引退した選手というのはジョーダンであり、このように互いに実力を認め合い、リスペクトし合う関係である。<br /> <br /> ジョーダンと共に6回の優勝、コービー共に5回の優勝をした[[フィル・ジャクソン]]は、2013年に出した著書の中で両者を比較しており、コート外でのリーダーシップ、FG成功率、ディフェンスでの貢献度、以上3点を理由にジョーダンの方が上である、とこの比較論を結論づけている。(ただし、コービーが81得点を挙げた試合後、「ジョーダンのどのゲームよりもコービーがすごかった」と発言していたり、「残り10秒2点ビハインドの状況ならばジョーダンよりコービーにシュートを任せる」などとも過去に発言したことがあり、ジャクソンHCの中でも評価は一定とは言いがたい。)また、両者のゲームの進め方について、ジョーダンは自然とゲームの流れを自分に引き寄せるタイプで、コービーは強引にゲームの流れをつかみ取ろうとする部分があったと語っている。これは大学卒業してからNBAに入ったジョーダンと、高校卒業後にNBA入りしたコービーの違いなのかもしれないと述べている。しかし両者の一番の違いはプレー面ではなくリーダーシップ面にあるとし、2人ともチームメイトに対して厳しく接するタイプだが、その中でもジョーダンはチームの士気をコントロールする力は、ずば抜けていたと述べている。<br /> <br /> == 代表チーム ==<br /> [[ファイル:Nate Reinking defended by Kobe Bryant USA vs GBR in Manchester 2012.jpg|thumb|left|180px|代表ではエースキラーの役割も担うコービー。]]コービーの国際試合デビューは遅く、[[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]に参加したのは2008年の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]予選を兼ねた2007年の[[バスケットボールアメリカ選手権]]からだった(過去に何度か代表入りの話はあったが、故障などで機会を逸していた)。すでにNBAで不動の地位を築いていたコービーの待望の代表チーム参加とあって大きな話題となり、アメリカ代表は前回の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]でNBA選手をオリンピックに送り出して以来、初めて金メダルを逃していたことや、[[レブロン・ジェームズ]]、[[ドウェイン・ウェイド]]、[[カーメロ・アンソニー]]ら若手選手中心で臨んだ2006年の[[2006年バスケットボール世界選手権|世界選手権]]でも銅メダルに終わっていたこともあり、コービーはアメリカの最終兵器として期待を寄せられた。また、コービーが代表に参加したことで、しばらく使われなくなっていた「ドリームチーム」というアメリカ代表の名称がメディアで再び使われるようになった。<br /> <br /> 代表チームには、すでに下の世代のスコアラーが大勢居たため、コービーは自ら積極的にサポート役に回り、またディフェンスでは相手チームのエースを大いに苦しめ、若い選手中心で構成されたチーム内では高いリーダーシップも発揮した。コービーの代表参加は大成功となり、本番の北京五輪ではあっさりと決勝に進出。唯一の接戦となった決勝[[バスケットボールスペイン代表|スペイン]]との対戦では、第4Qだけで13得点をあげるなど格の違いを見せ、チームを見事、金メダルに導いた。[[中国]]では近年NBAの人気が高まっていたこともあり、コービーは中国のファンからも大きな声援を受けた。<br /> <br /> [[File:Kobe Bryant smiling on the bench USA vs GBR 2012.jpg|thumb|180px|right|[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]でのコービー (2012年)]]<br /> 2012年の[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]にはチーム唯一の30代となる33歳で選出され、全試合に先発出場。未だNBAトップクラスの実力を維持していながらも、最年長として北京五輪時よりも、より黒子に徹したプレーで下の世代の選手たちをサポートし、チームを二大会連続の金メダルに導いた。<br /> <br /> かねてから話にあがっていたが、ロンドン五輪終了後のインタビューで改めて代表から退く意向を示し、コービーはアメリカ代表として出場した国際試合無敗(31勝0敗)を誇ったまま終える事となった。<br /> <br /> == 女性・スキャンダル ==<br /> 『&#039;&#039;&#039;概要&#039;&#039;&#039;』<br /> <br /> ブライアントはデビュー時よりバスケットボール界の若きスーパースターとして活躍し、NBAで最も人気のある選手の一人であったが[[コロラド州]]のリゾート・ホテルにおけるレイプ・スキャンダルにより、彼の人気は著しく下がり大きな批判を招くこととなる。ブライアントはスキャンダルの結果[[マクドナルド]]と[[イタリア]]の菓子メーカー、[[フェレーロ]]との契約を失った。<br /> 2003年6月30日にコロラド州[[イーグル郡 (コロラド州)|イーグル郡]]エドワーズのコロラド・ホテルでフロントデスクとして勤めていた19歳の女性が、同州に膝の治療の為に訪れ、同ホテルに滞在していたブライアントにレイプされたと訴えた。ブライアントは7月17日に逮捕されたが&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/13779 |title=憧れの選手を支えるために。 |publisher=Sports Graphic Number |author=小尾慶一 |date=2004-09-28 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;、直ちに保釈された。彼は女性との関係を認めたが、合意の元であると主張した。<br /> <br /> 『&#039;&#039;&#039;経過&#039;&#039;&#039;』<br /> <br /> 当時、既にNBA屈指のスーパースターであり犯罪とは無縁のイメージのあったブライアントを突如襲ったスキャンダルということもあり、事件発生以来、全米のメディアがコロラドの現場に殺到。「コロラド・キャンプ」と呼ばれる報道陣村を作って待機し、連日のニュースに加えて特別番組も放送されるなどメディアの報道は過熱した。この事件の行方は「[[O・J・シンプソン事件]]」以来のスポーツ界の一大スキャンダルとしてこの年、全米最大の関心事の一つになった。<br /> 裁判はシーズン中にも行われ、彼はその都度コロラドの裁判所に出頭しなければならず、肉体的・精神的消耗が激しい上に練習不足の状態で試合に出なければならないことも度々であった。また、試合中も激しいブーイングに悩まされた。しかし、ブライアントはタフな精神力を見せ集中力を切らすことなくシーズンを終え、まずまずの成績を残した。<br /> <br /> 『&#039;&#039;&#039;結末&#039;&#039;&#039;』<br /> <br /> 訴えた女性が同時期に、ブライアント以外にも3日間に3人の別の男性と肉体的関係を持っていた事も発覚し、当初から芸能人志望で[[オーディション]]番組に出場歴があった事も報道されるなど、この女性の証言にも矛盾する点が多々見られたため、結局この事件は、2005年オフに示談となった。<br /> <br /> == 音楽作品 ==<br /> 2000年にファッションモデルの[[タイラ・バンクス]]とのコラボレーションでアルバム『Visions』とシングル「K.O.B.E」を発売し、[[ラッパー]]として[[コンパクトディスク|CD]]デビューした。<br /> <br /> == その他 ==<br /> *名前の&quot;Kobe&quot;がコービーという読み方なのは[[ローマ字]]読みではなく[[英語]]読みのためである。<br /> *&quot;Kobe&quot;という名前の由来は「神戸ビーフ」であり、これは、彼の父親がアメリカの「神戸ステーキハウス」という鉄板焼きレストランで神戸ビーフを食べてからすっかりこれが気に入ってしまい、この名前を息子にも付けようと思い立ったからである。&lt;ref&gt;2016年6月3日『池上彰スペシャル』より。&lt;/ref&gt;<br /> *キャリア初期は特徴的なショート[[アフロヘアー]]だった。<br /> *「[[月刊コロコロコミック]] 1998年9月号」でコービーを題材にした読み切り作品の漫画「シューティングスター コービー・ブライアント物語」が掲載された(作:[[斉藤むねお]])。コービーが自身の名前のルーツである[[神戸]]を訪れ、地元の少年たちと出会うという[[フィクション]]を交えたものであった。<br /> *若い頃から大の練習熱心な選手として知られていて、毎日朝6時に一人で練習場に来て1000本シュート(1000本入るまでシュート)などの自主練習をしてから、その後のチーム練習に参加するといった逸話がある。過去に[[マイケル・ジョーダン]]等、名選手を指揮して来た名将[[フィル・ジャクソン]]が「私が見てきた中でもずば抜けて練習熱心な選手」と発言する程である。<br /> *身長は当初の登録は201cmだったが、ジョーダンが現役復帰した頃からジョーダンと同じ198cmに変更した。<br /> *2001年4月18日に約2年間交際を続けてきた、当時19歳のヴァネッサ・コーネジョ・ウブリエタ・ラインと[[カリフォルニア州]]ダナ・ポイントで結婚した。2003年1月19日に長女ナタリア、2006年5月1日には次女ジアナ、現役引退後の2016年12月21日には三女ビアンカが誕生した。<br /> *右腕に妻ヴァネッサの名前、右手首には長女ナタリア、次女ジアナ、三女ビアンカの名前のタトゥーを入れている。<br /> *2006年の世界選手権にはアメリカ代表として来日する予定だったが、膝の手術のため辞退した。<br /> *2006-07シーズンから背番号を、プロ入り当初からつけていた「8」から、「24」へ変更した。もともと24は入団時に希望した番号だったが、既に[[フレッド・ロバーツ]]がつけていたため断念、更に第2希望の33も[[カリーム・アブドゥル=ジャバー]]の永久欠番だったために8を選んだという経緯がある。24は高校時代最初につけていた番号、33は高校時代に父がプロでつけていたことで24から変更した番号、8は高校時代に参加したABCキャンプでつけた143番の数字を足した番号である。<br /> *デビュー当時は細身の体型であったが、2002年オフに15ポンド(約7キロ)の増量を行った後は、体重は約100kgに届いていた。2007オフ、今度はそれまでのビルドアップされた肉体から主に筋肉を落とす事で20ポンド(約9キロ)の減量を行った。過剰な筋肉を落とすことで年間100試合以上出場するだけのスタミナを向上させた&lt;ref&gt;[http://fitnessblackbook.com/fitness-studs/kobe-bryant-loses-20-pounds-for-upcoming-nba-season Kobe Bryant Loses 20 Pounds For Upcoming NBA Season]&lt;/ref&gt;。<br /> *2007-08シーズンは、[[ラシード・ウォーレス]]を超える15個の[[テクニカルファウル]]を吹かれた。ちなみに16個で1試合出場停止となる。<br /> *2007-08シーズン以降[[フリースロー]]の際にファンが“MVP”コールをするのが定番となっている。<br /> *彼の名前の由来であるアメリカの鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House」は、日本にも同名のレストラン「神戸ステーキハウス」があるが全く関係は無い。(2008年に[[産経新聞]]がコービーの特集記事を書く際、誤って同店に取材を行い記事にしてしまった。)<br /> *2008年12月には自身のシグネイチャーモデル「ZOOM KOBE(ズームコービー)」シリーズの第4弾として、NBAで主流となっている足首まで覆うハイカットや、くるぶし上まで覆うミッドカットではなくローカット・モデルのシューズ「ZOOM KOBE IV(ズームコービー4)」を発表した。このシューズは少しでも軽く素足に近い感覚でプレーしたいという本人の希望で誕生した物である。一般的に足首が保護されにくいローカットシューズはハイカットに比べ捻挫しやすいと言われているが、コービーは「ハイカットでも捻挫するときは同じ。」と答えている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/10911 |title=コービーが足下で示したさらなる挑戦への姿勢。 |publisher=[[Sports Graphic Number]] |date=2009-01-16 |accessdate=2011-05-04 }}&lt;/ref&gt;。<br /> *アメリカの大手世論調査会社ハリス社が毎年発表している「アメリカで最も人気のあるスポーツ選手」の2010年度のランキングで、プロゴルファーの[[タイガー・ウッズ]]と並び男性アスリート部門で1位に選ばれた。(前年の2009年は4位だった。)<br /> *2011年、[[ロサンゼルス]]の代表的観光名所である[[グローマンズ・チャイニーズ・シアター|チャイニーズ・シアター]]に手形、足型が刻まれる事になった。チャイニーズ・シアターには、現在200人以上の歴代ハリウッドスターの手形や足形が刻まれているが、スポーツ選手の手形、足型が刻まれるのはコービーが初めての事である。<br /> *2011年4月、[[中華圏]]で絶大な人気を誇る[[台湾]]出身ミュージシャンの[[周杰倫|周杰倫(ジェイ・チョウ)]]の音楽作品「天地一闘(英題:Spark)」にフィーチャリングされミュージックビデオ等で競演した&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.youtube.com/watch?v=eaW0jUGaHe0&amp;feature=relmfu |title=周杰倫+Kobe Bryant&quot;天地一闘&quot; J、ay Chou+Kobe Bryant&quot;Spark&quot;MV |publisher=[[YouTube]] |accessdate=2012-01-12 }}&lt;/ref&gt;。<br /> *2012年1月、自身のシグネイチャーモデル第7弾「ZOOM KOBE VII(ズームコービー7)」のプロモーションに、[[カニエ・ウェスト]](ラッパー)、[[リチャード・ブランソン]](実業家)、[[ジェリー・ライス]](元NFL選手)、[[セリーナ・ウィリアムズ]](女子テニス選手)、[[ホープ・ソロ]](女子サッカー選手)ら、各分野のトップが参加。CMではモチベーション・スピーカーに扮したコービーが、すでに各々の分野で成功を収め、自身のピークに達したと思っている“成功者”達を前に、ピークの向こう側、ピークを越える「KobeSystem(コービー・システム)」をプレゼンするという内容になっている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.youtube.com/watch?v=_MwwHJXLjg4 |title=NIKE: Welcome to the #KobeSystem |publisher=[[YouTube]] |accessdate=2012-02-10 }}&lt;/ref&gt;。<br /> *[[2014年]]6月、アメリカの経済誌[[フォーブス_(雑誌)|フォーブス]]は[[スポーツ選手長者番付|世界のアスリートの年収]]を公表した。ブライアントの年収は6150万ドル(約62億7000万円)であり、世界のアスリートの中で5位。バスケットボール選手の中では[[レブロン・ジェームズ]]に次ぐ2位&lt;ref&gt;[http://www.forbes.com/athletes/ The World&#039;s Highest-Paid Athletes] Forbes.com 2014年6月発表。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 個人成績 ==<br /> {{バスケットボール選手個人成績表の略称説明}}<br /> <br /> === NBAレギュラーシーズン ===<br /> {{バスケットボール選手個人成績表}}<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1996-1997シーズンのNBA|1996–97]]<br /> | align=&quot;left&quot; | [[ロサンゼルス・レイカーズ|LAL]]<br /> | 71 || 6 || 15.5 || .417 || .375 || .819 || 1.9 || 1.3 || .7 || .3 || 1.58 || 7.6<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1997-1998シーズンのNBA|1997–98]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 79 || 1 || 26.0 || .428 || .341 || .794 || 3.1 || 2.5 || .9 || .5 || 1.99 || 15.4<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1998-1999シーズンのNBA|1998–99]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 50 || 50 || 37.9 || .465 || .267 || .839 || 5.3 || 3.8 || 1.4 || &#039;&#039;&#039;1.0&#039;&#039;&#039; || 3.14 || 19.9<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[1999-2000シーズンのNBA|1999–00]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 66 || 62 || 38.2 || .468 || .319 || .821 || 6.3 || 4.9 || 1.6 || .9 || 2.76 || 22.5<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2000-2001シーズンのNBA|2000–01]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 68 || 68 || 40.9 || .464 || .305 || .853 || 5.9 || 5.0 || 1.7 || .6 || 3.24 || 28.5<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2001-2002シーズンのNBA|2001–02]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 80 || 80 || 38.3 || &#039;&#039;&#039;.469&#039;&#039;&#039; || .250 || .829 || 5.5 || 5.5 || 1.5 || .4 || 2.79 || 25.2<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2002-2003シーズンのNBA|2002–03]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;41.5&#039;&#039;&#039; || .451 || &#039;&#039;&#039;.383&#039;&#039;&#039; || .843 || &#039;&#039;&#039;6.9&#039;&#039;&#039; || 5.9 || &#039;&#039;&#039;2.2&#039;&#039;&#039; || .8 || 3.51 || 30.0<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2003-2004シーズンのNBA|2003–04]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 65 || 64 || 37.6 || .438 || .327 || .852 || 5.5 || 5.1 || 1.7 || .4 || 2.63 || 24.0<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2004-2005シーズンのNBA|2004–05]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 66 || 66 || 40.7 || .433 || .339 || .816 || 5.9 || 6.0 || 1.3 || .8 || 4.09 || 27.6<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2005-2006シーズンのNBA|2005–06]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 80 || 80 || 41.0 || .450 || .347 || .850 || 5.3 || 4.5 || 1.8 || .4 || 3.13 || style=&quot;background:#cfecec;&quot;|&#039;&#039;&#039;35.4&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2006-2007シーズンのNBA|2006–07]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 77 || 77 || 40.8 || .463 || .344 || &#039;&#039;&#039;.868&#039;&#039;&#039; || 5.7 || 5.4 || 1.4 || .5 || 3.31 || style=&quot;background:#cfecec;&quot;|31.6<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2007-2008シーズンのNBA|2007–08]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || 38.9 || .459 || .361 || .840 || 6.3 || 5.4 || 1.8 || .5 || 3.13 || 28.3<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2008-2009シーズンのNBA|2008–09]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || 36.1 || .467 || .351 || .856 || 5.2 || 4.9 || 1.5 || .4 || 2.56 || 26.8<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2009-2010シーズンのNBA|2009–10]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 73 || 73 || 38.8 || .456 || .329 || .811 || 5.4 || 5.0 || 1.6 || .3 || 3.19 || 27.0<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2010-2011シーズンのNBA|2010–11]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;82&#039;&#039;&#039; || 33.9 || .451 || .323 || .828 || 5.1 || 4.7 || 1.2 || .2 || 2.96 || 25.3<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2011-2012シーズンのNBA|2011–12]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 58 || 58 || 38.5 || .430 || .303 || .845 || 5.4 || 4.6 || 1.2 || .3 || 3.52 || 27.9<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2012-2013シーズンのNBA|2012–13]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 78 || 78 || 38.6 || .463 || .324 || .839 || 5.5 || 6.0 || 1.4 || .3 || 3.68 || 27.3<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2013-2014シーズンのNBA|2013–14]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 6 || 6 || 29.5 || .425 || .188 || .857 || 4.3 || &#039;&#039;&#039;6.3&#039;&#039;&#039; || 1.2 || .2 || &#039;&#039;&#039;5.70&#039;&#039;&#039; || 13.8<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2014-2015シーズンのNBA|2014–15]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 35 || 35 || 34.5 || .373 || .293 || .813 || 5.7 || 5.6 || 1.3 || .2 || 3.7 || 22.3<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2015-2016シーズンのNBA|2015–16]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 66 || 66 || 28.2 || .358 || .285 || .826 || 3.7 || 2.8 || .9 || .2 || 2.0 || 17.6<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | キャリア<br /> | align=&quot;left&quot; |<br /> | 1,346 || 1,198 || 36.1 || .447 || .329 || .837 || 5.2 || 4.7 || 1.4 || .5 || 3.00 ||25.0<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | オールスター<br /> | align=&quot;left&quot; |<br /> | 15 || 15 || 27.6 || .500 || .324 || .324 || .789 || 5.0 || 4.7 || 2.5 || .4|| 19.3<br /> {{end box}}<br /> <br /> === NBAプレーオフ ===<br /> {{バスケットボール選手個人成績表}}<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1996-1997シーズンのNBA|1996–97]]<br /> | align=&quot;left&quot; | [[ロサンゼルス・レイカーズ|LAL]]<br /> | 9 || 0 || 14.8 || .382 || .261 || .867 || 1.2 || 1.2 || .3 || .2 || 1.56 || 8.2<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1997-1998シーズンのNBA|1997–98]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 11 || 0 || 20.0 || .408 || .214 || .689 || 1.9 || 1.5 || .3 || .7 || 1.00 || 8.7<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[1998-1999シーズンのNBA|1998–99]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 8 || 8 || 39.4 || .430 || .348 || .800 || 6.9 || 4.6 || &#039;&#039;&#039;1.9&#039;&#039;&#039; || 1.2 || 3.88 || 19.8<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[1999-2000シーズンのNBA|1999–00]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 22 || 22 || 39.0 || .442 || .344 || .754 || 4.5 || 4.4 || 1.5 || &#039;&#039;&#039;1.5&#039;&#039;&#039; || 2.50 || 21.1<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2000-2001シーズンのNBA|2000–01]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 16 || 16 || 43.4 || .469 || .324 || .821 || &#039;&#039;&#039;7.3&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;6.1&#039;&#039;&#039; || 1.6 || .8 || 3.19 || 29.4<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2001-2002シーズンのNBA|2001–02]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 19 || 19 || 43.8 || .434 || .379 || .759 || 5.8 || 4.6 || 1.4 || .9 || 2.84 || 26.6<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2002-2003シーズンのNBA|2002–03]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 12 || 12 || 44.3 || .432 || &#039;&#039;&#039;.403&#039;&#039;&#039; || .827 || 5.1 || 5.2 || 1.2 || .1 || 3.50 || 32.1<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2003-2004シーズンのNBA|2003–04]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 22 || 22 || 44.2 || .413 || .247 || .813 || 4.7 || 5.5 || &#039;&#039;&#039;1.9&#039;&#039;&#039; || .3 || 2.77 || 24.5<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2005-2006シーズンのNBA|2005–06]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 7 || 7 || &#039;&#039;&#039;44.9&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;.497&#039;&#039;&#039; || .400 || .771 || 6.3 || 5.1 || 1.1 || .4 || &#039;&#039;&#039;4.71&#039;&#039;&#039; || 27.9<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2006-2007シーズンのNBA|2006–07]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 5 || 5 || 43.0 || .462 || .357 || &#039;&#039;&#039;.919&#039;&#039;&#039; || 5.2 || 4.4 || 1.0 || .4 || 4.40 || &#039;&#039;&#039;32.8&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2007-2008シーズンのNBA|2007–08]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 21 || 21 || 41.1 || .479 || .302 || .809 || 5.7 || 5.6 || 1.7 || .4 || 3.33 || 30.1<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2008-2009シーズンのNBA|2008–09]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;23&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;23&#039;&#039;&#039; || 40.9 || .457 || .349 || .883 || 5.3 || 5.5 || 1.6 || .9 || 2.57 || 30.2<br /> |-<br /> | style=&quot;text-align:left; background:#afe6ba;&quot;| [[2009-2010シーズンのNBA|2009–10]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | &#039;&#039;&#039;23&#039;&#039;&#039; || &#039;&#039;&#039;23&#039;&#039;&#039; || 40.1 || .458 || .374 || .842 || 6.0 || 5.5 || 1.4 || .7 || 3.43 || 29.2<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2010-2011シーズンのNBA|2010–11]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 10 || 10 || 35.4 || .446 || .293 || .820 || 3.4 || 3.3 || 1.6 || .3 || 3.10 || 22.8<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | [[2011-2012シーズンのNBA|2011–12]]<br /> | align=&quot;left&quot; | LAL<br /> | 12 || 12 || 39.7 || .439 || .283 || .832 || 4.8 || 4.3 || 1.3 || .2 || 2.83 || 30.0<br /> |-<br /> | align=&quot;left&quot; | キャリア<br /> | align=&quot;left&quot; |<br /> | 220 || 200 || 39.3 || .448 || .331 || .816 || 5.1 || 4.7 || 1.4 || .6 || 2.94 || 25.6<br /> {{end box}}<br /> <br /> == タイトル、記録など ==<br /> <br /> === 記録 ===<br /> &#039;&#039;&#039;NBA記録&#039;&#039;&#039;<br /> *同一チーム最長在籍年数(1996-97シーズン〜2015-16シーズンまでレイカーズ在籍20年)<br /> *レギュラーシーズン通算30,000得点+6,000アシスト達成<br /> *最多オールNBA1stチーム選出:11([[カール・マローン]]と並ぶタイ記録)<br /> *最多オールNBAディフェンシブ1stチーム選出:9(他3名と並ぶタイ記録)<br /> *1クォーター最多フリースロー成功:14(他5名と並ぶタイ記録)<br /> *プレーオフで年間600得点以上記録した連続シーズン数:3<br /> *最多クリスマスゲーム出場:16<br /> *クリスマスゲーム通算最多得点:395<br /> *オールスター連続選出回数:18<br /> *オールスター先発出場回数:15<br /> *最多オールスターMVP受賞:4([[ボブ・ペティット]]と並ぶタイ記録)<br /> *オールスター通算最多フィールドゴール成功:119<br /> *オールスター1試合最多オフェンスリバウンド獲得:10<br /> *オールスター通算最多スティール数:38<br /> *自軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:66.4%(122得点中81得点)<br /> *両軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:35.8%(226得点中81得点)<br /> :※ショットクロック導入後<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;NBA史上最年少記録&#039;&#039;&#039;<br /> :*史上最年少スラムダンクコンテスト優勝:18歳と175日<br /> :*史上最年少オールスター先発出場:19歳と175日<br /> :*史上最年少オールNBAディフェンシブチーム選出:21歳と251日<br /> :*史上最年少通算得点到達<br /> ::*32,000:36歳と87日<br /> ::*33,000:37歳<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;NBA史上最年長記録&#039;&#039;&#039;<br /> *34歳以上で40得点10アシスト以上を記録した連続試合数:2<br /> *34歳以上で30得点以上を記録した連続試合数:10<br /> *36歳以上で1試合30得点10アシスト10リバウンド以上を記録<br /> *37歳以上で1試合60得点以上を記録<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;レイカーズ記録&#039;&#039;&#039;<br /> *最多得点記録(レギュラーシーズン)<br /> :*通算:33,643 <br /> :*年間:2,832<br /> :*1試合:81<br /> :*ハーフ:55<br /> :*クォーター:30<br /> :*月間1試合平均:43.4<br /> *最多得点記録(プレーオフ)<br /> :*通算:5,640 <br /> :*年間:695<br /> :*オーバータイム:12<br /> *キャリア通算60得点以上を記録した回数(レギュラーシーズン):6<br /> *キャリア通算50得点以上を記録した回数(レギュラーシーズン):27<br /> *キャリア通算40得点以上を記録した回数(レギュラーシーズン):125<br /> *キャリア通算40得点以上を記録した回数(プレーオフ):13<br /> *キャリア通算30得点以上を記録した回数(プレーオフ):88<br /> *1シーズンで50得点以上を記録した回数:10<br /> *1シーズンで40得点以上を記録した回数:27<br /> *50得点以上を記録した連続試合数:4<br /> *40得点以上を記録した連続試合数:9<br /> *35得点以上を記録した連続試合数:13<br /> *20得点以上を記録した連続試合数:62<br /> *月間1試合平均得点で平均40得点以上を記録した回数:3<br /> <br /> (その他のレイカーズ記録)<br /> *最多通算試合出場<br /> ::*レギュラーシーズン:1,239 <br /> ::*プレーオフ:220<br /> *最多フィールドゴール成功<br /> :*レギュラーシーズン<br /> ::*通算:11,024<br /> ::*ハーフ:18、クォーター:11<br /> :*プレーオフ<br /> ::*通算:2,014<br /> *最多3Pシュート成功<br /> :*レギュラーシーズン<br /> ::*通算:1,637<br /> ::*1試合:12、ハーフ:8、クォーター:6、連続:9<br /> :*プレーオフ<br /> ::*通算:292 <br /> *最多フリースロー成功<br /> :*レギュラーシーズン<br /> ::*通算:7,932<br /> ::*ハーフ:16、クォーター:14、連続:62<br /> :*プレーオフ<br /> ::*通算:1,320<br /> ::*1試合:21、クォーター:11<br /> *最多スティール<br /> :*レギュラーシーズン<br /> ::*通算:1,828<br /> ::*ハーフ:6<br /> :*プレーオフ<br /> ::*クォーター:3<br /> <br /> === その他の業績 ===<br /> *「Sporting News」&「TNT」、2000年代(2000〜2009)NBA最優秀選手選出<br /> *北京五輪&ロンドン五輪、金メダル獲得<br /> *アメリカ代表として出場した国際試合無敗(31勝0敗)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://kobebryant.com// コービー・ブライアント公式サイト]{{en icon}}<br /> *{{Twitter|kobebryant|Kobe Bryant}}{{en icon}}<br /> *{{instagram|kobebryant|Kobe Bryant}}{{en icon}}<br /> *{{Facebook|Kobe|Kobe Bryant}}{{en icon}}<br /> *{{basketballstats|nba=kobe_bryant|bbr=b/bryanko01|espn=110/kobe-bryant}}<br /> *{{IMDb name|1101483}}<br /> <br /> {{NBA最優秀選手}}<br /> {{NBAシーズン得点王}}<br /> {{NBAファイナルMVP}}<br /> {{Navboxes|title = {{Color|#000|[[オールNBAチーム]]}}|titlestyle = background:#eee;color:#000;|list1= <br /> {{オールNBAチーム1998-1999シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム1999-2000シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2000-2001シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2001-2002シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2002-2003シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2003-2004シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2004-2005シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2005-2006シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2006-2007シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2007-2008シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2008-2009シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2009-2010シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2010-2011シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2011-2012シーズン}}<br /> {{オールNBAチーム2012-2013シーズン}}<br /> }}<br /> {{Navboxes|title = {{Color|#000|[[NBAオールディフェンシブチーム]]}}|titlestyle = background:#eee;color:#000;|list1= <br /> <br /> {{NBAオールディフェンシブチーム1999-2000シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2000-2001シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2001-2002シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2002-2003シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2003-2004シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2005-2006シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2006-2007シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2007-2008シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2008-2009シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2009-2010シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2010-2011シーズン}}<br /> {{NBAオールディフェンシブチーム2011-2012シーズン}}<br /> }}<br /> {{NBAオールスターゲームMVP}}<br /> {{NBAオールスター・スラムダンクコンテスト}}<br /> {{Navboxes||titlestyle = {{BasketColorCell|ロサンゼルス・レイカーズ}}|title=ロサンゼルス・レイカーズ優勝歴(5回) |list1=<br /> {{ロサンゼルス・レイカーズ 1999-2000NBA優勝}}<br /> {{ロサンゼルス・レイカーズ 2000-01NBA優勝}}<br /> {{ロサンゼルス・レイカーズ 2001-02NBA優勝}}<br /> {{ロサンゼルス・レイカーズ 2008-09NBA優勝}}<br /> {{ロサンゼルス・レイカーズ 2009-10NBA優勝}}<br /> }}<br /> {{北京オリンピックバスケットボール男子アメリカ合衆国代表}}<br /> {{ロンドンオリンピックバスケットボール男子アメリカ合衆国代表}}<br /> {{normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:ふらいあんと こおひい}}<br /> [[Category:アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手]]<br /> [[Category:バスケットボール男子アメリカ合衆国代表選手]]<br /> [[Category:オリンピックバスケットボールアメリカ合衆国代表選手]]<br /> [[Category:バスケットボールのオリンピックメダリスト]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国のオリンピック金メダリスト]]<br /> [[Category:アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手]]<br /> [[Category:ロサンゼルス・レイカーズの選手]]<br /> [[Category:NBAオールスターゲーム選出選手]]<br /> [[Category:フィラデルフィア出身の人物]]<br /> [[Category:1978年生]]<br /> [[Category:存命人物]]</div> 182.251.143.4
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