Warning: Undefined variable $type in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php on line 3

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/json/FormatJson.php on line 297

Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 660

Warning: session_name(): Session name cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Setup.php on line 834

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 126

Warning: ini_set(): Session ini settings cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 127

Warning: session_cache_limiter(): Session cache limiter cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 133

Warning: session_set_save_handler(): Session save handler cannot be changed after headers have already been sent in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/session/PHPSessionHandler.php on line 140

Warning: "continue" targeting switch is equivalent to "break". Did you mean to use "continue 2"? in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/languages/LanguageConverter.php on line 773

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 294

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/Feed.php on line 300

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46
https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=158.201.245.201&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-26T01:35:13Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 信用協同組合 2018-09-16T10:49:44Z <p>158.201.245.201: /* 有名、特異な破綻・合併 */</p> <hr /> <div>{{金融市場参加者}}<br /> &#039;&#039;&#039;信用協同組合&#039;&#039;&#039;(しんようきょうどうくみあい、Credit Cooperative または Credit Union)とは、日本において[[預金]]の受け入れ、資金の移動や貸し出し(融資、ローン)、手形の発行などを行う[[金融機関]]の一つである。現在の根拠法である[[中小企業等協同組合法]]の制定以前から&#039;&#039;&#039;信用組合&#039;&#039;&#039;という呼称が一般的であり、略称は&#039;&#039;&#039;信組&#039;&#039;&#039;であるが、読み方について業界団体では「しんくみ」で統一している。2015年3月末現在、信用組合全体で約20兆円の預金を擁し、組合員を中心に10兆円を超える資金を融資している。2018年1月30日現在、全国に148の信用組合が存在する。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[中小企業等協同組合法]]第3条に規定された[[中小企業等協同組合]]の一つで、第9条の8で事業分野が規定されている。業務内容について詳細を定めた法律としては協同組合による金融事業に関する法律が存在するが、同法は多くの部分で[[会社法]]や[[銀行法]]、[[金融商品取引法]]を準用している。<br /> <br /> 基本的には[[銀行]]や[[信用金庫]]と同様の業務を行っており、[[小切手法]]においては銀行と同視されている。信用金庫や[[農業協同組合]]などと同じ[[非営利組織]]([[組合]]組織)であるが、組合員以外の預金の受入が全体の20%以内に制限されている点で信用金庫などと異なる&lt;ref&gt;[http://www.shinyokumiai.or.jp/gaiyo/gaiyo01.html 信用組合と銀行って同じじゃないの?]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 一部の信用協同組合の間では、相互の[[現金自動預け払い機|ATM]]利用手数料を無料化するサービス「[[しんくみ お得ねっと]]」が実施されているほか、[[セブン銀行]]との[[コンビニATM]]による提携(片乗り入れ、一部時間帯にて手数料無料)、それに[[イオン銀行]]とのATM相互出金提携(手数料が必要)も実施されている。一部の信用組合同士なら記帳も相互にできる。<br /> <br /> 日本各地の信用組合は、&#039;&#039;&#039;一般社団法人全国信用組合中央協会&#039;&#039;&#039;(全信中協、{{Lang-en-short|&#039;&#039;National Central Society of Credit Cooperatives&#039;&#039;}})を構成する。また信用組合の[[系統中央機関]]=中央金庫の機能を有するのが、&#039;&#039;&#039;[[全国信用協同組合連合会]]&#039;&#039;&#039;(全信組連、{{Lang-en-short|&#039;&#039;The Shinkumi Federation Bank (SFB)&#039;&#039;}})である。<br /> <br /> == 組合員の資格 ==<br /> 信用組合の事業地区内で以下のような場合に限られる。<br /> * 住所または居所がある<br /> * [[事業所]]を持つが小規模の事業者である<br /> * 勤労に従事している<br /> * 事業を行う小規模の事業者の役員である<br /> <br /> ただし事業者の場合、常時雇用の従業員数が300人(卸売業は100人、小売業は50人、サービス業は100人)以下、または資本金3億円(卸売業は1億円、小売業・サービス業は5,000万円)以下の場合に限られる。<br /> <br /> == 信用組合の分類 ==<br /> ; 地域信用組合<br /> : 一定地域内の小規模零細事業者や住民を組合員とする信用組合で、分類される信用組合では最も組織数が多い。業域組合や職域組合として運営していたものが規模拡大に伴って地域組合に移行した例もあるほか、[[1951年]]の[[信用金庫法]]施行により、現在ある信用金庫の多くはこの地域組合から転換をしている。[[朝銀信用組合]]や[[商銀信用組合]]といったいわゆる民族系の信用組合もこの地域組合に含まれる。<br /> ; 業域信用組合<br /> : 特定業種の関係者を組合員とする信用組合で、医師、青果卸、公衆浴場、出版・印刷業などの業種がある。大都市圏に位置する信用組合を除き、複数店舗は持たず本店のみの場合が多い。<br /> ; 職域信用組合<br /> : 同じ職場に勤務する人たちを組合員とする信用組合で、官公庁(警察・消防署・地方自治体)、会社(新聞社)などの職場がある。店舗(本店のみの場合も多い)は各庁舎や企業の社屋内に置かれている。<br /> <br /> == その他 ==<br /> === イメージキャラクター ===<br /> [[1995年]]より3年間は女優の[[菊池麻衣子]]、[[1998年]]より8年間はタレントの[[遠藤久美子]]を起用し、[[2006年]]より[[本仮屋ユイカ]]を起用している。全国統一マスコットキャラクターに女子職員を模した「くみちゃん」がある。<br /> <br /> === 信用組合の再編 ===<br /> &#039;&#039;&#039;金融自由化&#039;&#039;&#039;の進展に伴い、経営基盤の強化を目的とした合併や経営難に陥った信用組合の破綻等により、全国の信用組合数は減少している。近年は、信用組合が地域から撤退する事例も多く、大抵の地域に進出してる信用金庫と比べ、信用組合は「空白地帯」が多く存在する。又、信用組合同士の合併により、営業地域が県内全域若しくは広域に展開する信用組合が増加している。<br /> <br /> * 信用組合の本店が存在しない県 2018年1月末現在、&#039;&#039;&#039;奈良県・鳥取県・徳島県・愛媛県・沖縄県&#039;&#039;&#039;の5県に本店を有する信用組合は存在しない。<br /> * 地域信用組合の本店が存在しない県 &#039;&#039;&#039;岩手県、石川県、福井県、静岡県、三重県、和歌山県&#039;&#039;&#039;では、職域、業域の信用組合の本店は存在するものの、地域信組は空白地帯となっていて、特定の企業団体の関係者以外は信用組合の利用が困難である。<br /> * 統合により、地域信用組合が「県信組」となっている県。 &#039;&#039;&#039;青森県、秋田県、茨城県、長野県、富山県、香川県、大分県、熊本県&#039;&#039;&#039;では、県内の地域信組が統合により合併し1信組となっており、県内の多くの市町村に店舗網を展開している。<br /> * 地域信用組合が存在するが、大半の地域が「地域信組空白・未進出」である県。 &#039;&#039;&#039;栃木県、神奈川県、島根県、山口県、高知県、京都府、宮崎県&#039;&#039;&#039;では、県内に地域信組が存在するものの、非常に小規模の為、店舗が少ない・営業地域が限られる等、同じ県内であっても利用できる住民は非常に限定される。<br /> <br /> === 有名、特異な破綻・合併 ===<br /> 1995年3月、東京協和信用組合と安全信用組合が[[二信組事件]]により、受け皿のため旧東京共同銀行が設立され(後の整理回収銀行、現:[[整理回収機構]])譲渡。<br /> <br /> 1995年7月、[[バブル経済#バブル崩壊|バブル崩壊]]の影響を受け、[[コスモ信用組合]]が経営破綻で旧東京共同銀行へ譲渡。<br /> <br /> [[1995年]]8月、預金高1兆円(最大時)を超えるマンモス信組として有名であった[[木津信用組合]]が経営破綻。<br /> <br /> [[2002年]]6月、[[那須信用組合]]が西那須野・矢板・黒羽の3信組と合併すると同時に、小川・馬頭・黒磯の3信組の事業を譲り受ける、事実上7信用組合による合併となる。<br /> <br /> [[2005年]]3月、[[大分県信用組合]]が杵築信用金庫を吸収合併した。一般に規模が小さいとされる信用組合が信用金庫を吸収した珍しい事例である。また、信用金庫が銀行を吸収合併することも法的には可能だが、現在までそのような事例はない。<br /> <br /> 又、[[山形信用金庫]]は2007年6月に[[山形庶民信用組合]]と合併してるが、これは山形信用金庫側の申し入れによるもので、組織上は山形信金が残っているが、事実上の山形庶民信組による「救済合併」である。<br /> <br /> === 解散 ===<br /> 合併や経営破綻等の要因を伴わない自主解散が信用組合ではたびたび発生する。<br /> これは、金融機関としては地銀や信用金庫より更に規模の小さい信用組合が大半である為、社会的に及ぼす影響が少数の組合員に限られ、経営不振に陥る前に解散を決定する事が他の金融機関より容易に決定出来る環境にあるためである。<br /> 2018年現在、信金、地方銀行など他の金融機関ではこのような事例はない。<br /> <br /> 2005年3月、倉庫精練グループ社員を対象とした職域系信組である[[倉庫精練信用組合]](石川県金沢市)が自主的に解散。<br /> [[2017年]]10月2日には農林中央金庫の職域系信組である[[甲子信用組合]]が、自主的に解散している。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons|Category: Credit unions in Japan }}<br /> * [[日本の信用組合一覧]]<br /> * [[朝銀信用組合]]<br /> * [[商銀信用組合]]<br /> * [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ライファイゼン]]<br /> * [[ヘルマン・シュルツェ=デーリチュ]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.zenshinkumiren.jp/ 全国信用協同組合連合会]<br /> * [http://www.shinyokumiai.or.jp/ 社団法人全国信用組合中央協会]<br /> <br /> {{Economy-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しんようきようとうくみあい}}<br /> [[Category:信用組合|*]]<br /> <br /> [[de:Genossenschaftsbank]]<br /> [[he:בנקאות קואופרטיבית]]</div> 158.201.245.201 野球場 2018-08-09T14:29:24Z <p>158.201.245.201: </p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2017年10月}}<br /> <br /> {{Redirectlist|球場&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ダグアウト|その他のスポーツ|球技一覧|北朝鮮の郡|球場郡|[[THE BLUE HEARTS]]のアルバム|DUG OUT}}<br /> {{右|<br /> [[ファイル:Dodger-Stadium-Panorama-052707.jpg|thumb|300px|最も一般的な、屋外・天然芝・野球専用・左右対称の野球場([[ドジャー・スタジアム]])]]<br /> [[ファイル:ATT Sunset Panorama.jpg|thumb|300px|左右非対称の野球場([[AT&amp;Tパーク]])]]<br /> [[ファイル:Yokohama Stadium 2007 -3.jpg|right|thumb|300px|人工芝の多目的野球場([[横浜スタジアム]])]]<br /> [[ファイル:Summer Koshien 2009 Final.jpg|right|thumb|300px|日本最古の本格的な野球専用球場であり、日本を代表する野球場の[[阪神甲子園球場]]]]<br /> [[File:Tokyo_Dome_2015-5-12.JPG|thumb|300px|right|日本初の[[ドーム球場]]、[[東京ドーム]]]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;野球場&#039;&#039;&#039;(やきゅうじょう)とは、[[野球]]を行うための[[運動場]]である。単に「&#039;&#039;&#039;球場&#039;&#039;&#039;(きゅうじょう)」と呼ぶこともある。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> === 規格 ===<br /> [[ファイル:Baseball_Area.png|thumb|300px|野球場の概要図]]<br /> もともと、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]において野球場は街中の空き地に造られていたため、その形状や広さは野球場によってまちまちであった([[ボストン・レッドソックス]]の本拠地[[フェンウェイ・パーク]]はそのような昔の名残を色濃く残している)。<br /> <br /> [[公認野球規則]]2.01に、以下のような野球場の規格についての定めがある。以後この節における数値は全て公式規定である。<br /> : 野球場を作るためには、次の要領で正方形を描き、その一辺を90[[フィート]](27.431[[メートル]])としなければならない。<br /> : 正方形のそれぞれの頂点には目印となる塁を置く。<br /> : このうちの一点は[[#本塁|本塁]]と呼び、五角形のゴム板を置く。<br /> : 正方形を描くためにはまず本塁を置く位置を決め、本塁から127フィート3&lt;math&gt;\tfrac{3}{8}&lt;/math&gt;インチ(38.795メートル)の位置に[[#二塁|二塁]]を置く。<br /> : 次に、本塁と二塁を基点に90フィート(27.431メートル)ずつ測って、本塁から見て右側の交点を[[#一塁|一塁]]、左側の交点を[[#三塁|三塁]]と呼ぶ。<br /> : つまり本塁から反時計回り順に、一塁・二塁・三塁となる。<br /> : 本塁以外の3つの塁には厚みのある、正方形状のキャンバスバッグを置く。<br /> : 一・三塁ベースは描いた正方形の内側、二塁ベースは描いた正方形の頂点とキャンバスバッグの中央が重なるように置く。<br /> : そして本塁から二塁への線分上で、本塁から60フィート6インチ(18.44メートル)の位置には投手板と呼ばれる長方形の板を置く。<br /> : 各塁と投手板は全て白色である。<br /> : 本塁から一塁へ伸ばした半直線と、本塁から三塁へ伸ばした半直線をファウルラインと呼ぶ。<br /> : 2本のファウルラインで挟まれた、投手板や二塁のある側をフェアゾーン、それ以外をファウルゾーンと呼ぶ。<br /> <br /> ファウルゾーンについては「本塁からバックストップ(ネット)までの距離、塁線からファウルグラウンドにあるフェンス・スタンドまでの距離は60フィート(18.288メートル)以上を必要とする。」 と書かれている。塁線は一、三塁までを指し、外野のファウルゾーンについては規定がない。<br /> <br /> [[File:日米の野球場の方位.png|thumb|300px|日米の屋外野球場における本塁の方位]]<br /> 外野の広さについては「本塁よりフェアグラウンドにあるフェンス、スタンドまたはプレイの妨げになる施設までの距離は250フィート(76.199 メートル)以上を必要とするが、両翼は320フィート(97.534メートル)以上、また中堅は400フィート(121.918メートル)以上あることが優先して望まれる」と規定されている。両翼とは、本塁と一塁・三塁とを結ぶファウルラインの延長線上を指し、中堅とは本塁と二塁を結ぶ直線の延長のことをいう。<br /> <br /> この規定には注記があり、[[1958年]][[6月1日]]以降にプロ野球球団が新設する球場は、両翼325フィート(99.058メートル)、センター400フィート(121.918メートル)以上なければならないとし、既存の球場を改修する場合もこの距離以下とすることができない旨を定めている。ただし、日本においてはこの規定を満たさない球場が1958年6月1日以降も多数誕生しており、プロ野球球団の本拠地球場でも規定を満たしていない球場が見られる(詳細は後述)。<br /> <br /> さらに、「本塁から投手板を経て二塁に向かう線は、東北東に向かっていること」が「理想とする」と努力義務を定めている。この規定に従って本塁を南西に置いた場合、内野席の観客は太陽が視野に入らないためプレーが見やすい。さらに多層階のスタンドを持つ球場の場合、内野スタンドの大部分が午後のデーゲーム時には日陰となるので、観客は直射日光に晒されず涼しく観戦できる。<br /> <br /> 興業目的で建設された米国の野球場は、[[PNCパーク]]や[[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]に見られる球場からの景観作りを狙った例を除き、多くは「Official Baseball Rules」(公認野球規則の原典)に記された努力義務を守って、本塁が西南西から南に位置する。また、この規則に則った球場の場合、守備につく選手の左腕は南側となる。左投手を「[[サウスポー]]」(south-paw)と呼ぶ理由はここから産まれたとされている。<br /> <br /> その一方で、日本の球場は規定を無視して本塁を北から北北東に設置する場合が多い。これは日本の球場の多くが、[[国民体育大会]]や学生野球といった教育の一環として建設されているため、興行面を重視するよりも、守備に就くプレイヤーが午後のデーゲームで太陽が視野に入らないよう配慮した設計をしているためである。<br /> <br /> === バッターボックス、キャッチャーボックス ===<br /> [[ファイル:David-ortiz-batters-box.JPG|thumb|250px|左打席に立つ打者([[デービッド・オルティス]])。写真右は打者の後方に構える捕手と[[球審]]。]]<br /> バッターボックス(batter&#039;s box、ルール上の正式名称はバッタースボックス、もしくは打者席)とは、打撃を行う際に[[打者]]が立つ場所のこと。しばしば&#039;&#039;&#039;[[打席]]&#039;&#039;&#039;とも言われる。ただし、「打席数」を意味する場合の「打席」は、英語で &quot;plate appearance&quot; という。通常は、[[土|天然土]]や[[アンツーカー]]の上に白いチョークで四角い線が引かれ、バッターボックスが示されている。バッターボックスは、本塁を挟んで左右に1つずつ存在し、打者はそのどちらかに入って打撃動作を行う。[[投手]]の側から見て右側の三塁方向に近いバッターボックスを右打席、一塁方向に近い左側のバッターボックスを左打席という。<br /> <br /> 打者の身体の一部分でも、バッターボックスの外で地面に接している時、投手は投球動作を行ってはならない。また、打者が一旦打席に入ったならば、投手がピッチャープレートに足を触れた後に打席を外すためには、必ず審判に[[タイムアウト]]を要求しなければならない。打球がフェアグラウンドに飛べば、打者は打者走者(バッターランナー)となって一塁に向かって走る必要がある。左打席の方が一塁ベースに近いため、内野安打に関しては左打席が有利である。<br /> <br /> ホームベース後方のファウルグラウンドには、キャッチャーボックス(catcher&#039;s box、ルール上の正式名はキャッチャースボックス、もしくは捕手席)が位置している。[[捕手]]は、このキャッチャーボックス内で捕球動作を行う。キャッチャーボックスも、バッターボックスと同じく白いチョークで位置が示されている。投手が投球動作を始め、その手からボールが離れるまで、捕手は必ずファウルグラウンドに設けられたキャッチャーボックス内に位置していなければならない。<br /> <br /> === ネクスト・バッタースボックス、コーチスボックス ===<br /> 次打者、もしくは代打予定者が待機する場所として、[[ダートサークル]]側方の規定された位置(一塁三塁側それぞれ一箇所ずつ)に直径5[[フィート]]の円形区画が設けられ、これをネクスト・バッタースボックス(next batter&#039;s box、次打者席)と呼ぶ。&#039;&#039;&#039;[[ネクストバッターズサークル]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ネクストバッターサークル&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ウェイティングサークル&#039;&#039;&#039;などとも称される。<br /> <br /> また、一塁三塁のファウルゾーン側には、ベースコーチのためのコーチスボックス (coach&#039;s box) が白チョークなどにより明示される。<br /> <br /> === 内野 ===<br /> 野球場のグラウンドは、大別して[[内野]]と[[外野]]の2つに区分できる。内野には4つの&#039;&#039;&#039;塁&#039;&#039;&#039;(るい、英:base または bag、日本語でもしばしば&#039;&#039;&#039;ベース&#039;&#039;&#039;と呼称)が置かれ、内野を守る[[捕手]]、[[投手]]を除く4人の[[野手]]が[[内野手]]と呼ばれる。内野の正方形内のことをダイヤモンドとも呼ぶ。<br /> <br /> ==== 本塁 ====<br /> [[ファイル:Subway Series 2008.jpg|thumb|250px|本塁上は、度々捕手と走者のクロスプレイの場となる]]<br /> 本塁は、内野に位置する4つの塁のうち、左右両バッターボックスの間に位置する塁である。ホームベース(home base)、またはホームプレート(home plate)ともいう。4つの塁の中で最もジャッジの基準に用いられることが多い塁であり、得点を記録するために最終的に到達しなければならない塁である。本塁は[[五角形]]のゴム板で、グラウンドと面一に埋め込まれている。そのためプレイの最中に本塁が土に覆われてしまうということはしばしばであり、その都度[[球審]]がブラシで本塁上の土を払う光景が見られる。<br /> <br /> 野球場を作るには、まず本塁の位置を決める必要があり、これを基準にして他の塁や[[マウンド]]などの位置が決められる。公認野球規則2.02では、本塁を次のように定義している。<br /> &lt;blockquote&gt;本塁は五角形の白色のゴム板で表示する。この五角形をつくるには、まず一辺が 17 [[インチ]](43.2 [[センチメートル]])の正方形を描き、17 インチの一辺を決めてこれに隣り合った両側の辺を 8.5 インチ(21.6 センチメートル)とする。それぞれの点から各 12 インチ(30.5 センチメートル)の二辺を作る。12 インチの二辺が交わった個所を本塁一塁線、本塁三塁線の交点に置き、17 インチの辺が投手板に面し、2 つの 12 インチの辺が一塁線及び三塁線に一致し、その表面が地面と水平になるように固定する。&lt;/blockquote&gt;<br /> <br /> 本塁は、塁やマウンドを設ける上での基準点としての役割だけでなく、[[ストライクゾーン]]の幅を決める基準としての役割も持つ。打者が打とうとしなかった(バットを振らなかった)投球が[[ストライク (野球)|ストライク]]と判定されるためには、インフライト(ノーバウンド)で本塁上を通過していることを必要とする([[三振]]、一塁に走者がいない、ワンバウンドで捕球された・若しくは後逸、この3条件が満たされた瞬間は[[振り逃げ]]が可能となり、出塁できる)。<br /> <br /> 走者がアウトにならずに本塁に達すれば、得点が記録される。そのため、得点させまいと触球を試みる[[捕手]]と、触球を避けようとする走者がぶつかり合う[[クロスプレイ]]が起こることもあり、他の塁に比べて激しいプレイが起こりやすい。中には、捕手が本塁に触れさせまいと走路をブロックしたり、逆に、ブロックする捕手を、返球されるボールを受け取る前に突き飛ばして本塁前から排除し、本塁に触れようと体当たりを敢行する走者もみられる。これらのプレイは野球の醍醐味の一つと見られる向きもあるが、大怪我や大事故につながりかねない、非常に危険なプレイであり、また状況によっては[[走塁妨害]]あるいは[[守備妨害]]が宣告される反則行為ともなり得るものである(ぶつかり方によっては[[乱闘]]の発端にさえなる)。&lt;ref&gt;[[メジャーリーグベースボール]]は2014年シーズンから、捕手がボールを持たずに本塁前に立ち塞がった場合は走塁妨害で本塁生還と看做すと定め、2015年のOfficial Baseball Rules改正時に、規則6.01(i)として「本塁での衝突プレイ」という項目が追加された。日本でも2016年に、同様の改正が行われた。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[プロ野球]]やメジャーリーグでは、審判の判定に不服を持った選手が抗議の意思を示すために、土を蹴り上げて本塁の幅を狭くしようとしたり、つばを吐いたり、プレート脇にバットで線を引いたりする行為を見かけることがある(これを実際に行うと球審侮辱で[[退場]]となる)。<br /> <br /> ==== 一塁 ====<br /> [[ファイル:Baseball Play-at-first.jpg|thumb|250px|一塁ベースへ向かう打者走者と、送球を捕球しようとする[[一塁手]]。]]<br /> 一塁(first base、または1B)は、内野に位置する4つの塁のうち、本塁側から見て右に位置する塁であり、打者走者が最初に到達しなければならない塁である。打者走者は、ただちに一塁に戻ってくる(二塁へ進塁を試みず、一塁へ戻ってくる)ことを条件として、駆け抜けることが認められている。一塁側ファウルライン(塁線)には「[[スリーフットライン]]」が設定されている。<br /> <br /> 打者が[[アウト (野球)|アウト]]にならずに一塁ベース上に到達することを[[出塁]]という。出塁が可能なのは[[安打]]、[[四球]]、[[死球]]、[[失策]]、[[野手選択]]、[[振り逃げ]]、[[打撃妨害]]、[[走塁妨害]]のいずれかの場合である。<br /> <br /> 一塁ベース付近を守る野手を、[[一塁手]](first baseman)という。一塁手は各内野手からの送球の的となるため、長い四肢を持つ長身の選手が好ましいとされる。一般に打球や送球の捕球や、捕球後の送球、[[牽制球]]の触球では左投げの選手([[サウスポー]])の方が有利だとされる。右投げの選手は捕球後、体を90度回転させて無理な姿勢での送球になりがちだが、サウスポーなら自然体で投げることができる。牽制の触球は右手にミットを持つほうが素早く行うことができる。一塁手は普段、一塁から離れて守っているが、牽制球を受ける際には、塁に片足を付け、投手からの牽制送球に備える。<br /> <br /> ==== 二塁 ====<br /> 二塁(second base、または2B)は、内野に位置する4つの塁のうち、本塁から[[マウンド]]へ延びる直線の延長上に位置する塁であり、一塁に到達した走者が、2番目に到達を目指す塁である。<br /> <br /> 本塁から最も遠い塁である(127フィート3.375インチ=38.184メートル)ため、一塁走者が二塁到達を狙って[[盗塁]](二盗)を企てることが多い。二塁に走者が到達すると、単打でも本塁まで帰ってこられる可能性が高くなり、得点の可能性が一気に増す。そのため、二塁、もしくは三塁上に走者がいる状況を[[得点圏]](scoring position)という。<br /> <br /> 二塁は、一塁や三塁のように一人の選手だけによって守られる塁ではない。一塁と二塁の間に[[二塁手]](second baseman)、二塁と三塁の間に[[遊撃手]](shortstop)が位置し、2人で連携して二塁の守備に当たる。二塁手と遊撃手は、[[併殺]]やベースカバーなどで、高度な連携が必要とされる。<br /> <br /> 一塁手と二塁手の間にあるスペースを一二塁間、二塁手と遊撃手の間にあるスペースを二遊間と呼ぶ。<br /> <br /> ==== 三塁 ====<br /> 三塁(third base、または3B)は、内野に位置する4つの塁のうち、本塁側から見て左に位置する塁であり、二塁に到達した走者が、その次(3番目)に到達を目指す塁である。<br /> <br /> 三塁を占有できれば次に進塁すべき塁は本塁であり、この意味で本塁に最も近いということができる。三塁に走者がいる場合は得点の可能性が高い。安打での得点に加えて、無死また一死の状況で走者が三塁にいる場合は[[犠牲フライ]]や[[スクイズプレイ]]、内野ゴロなどでも得点が可能になる(犠牲フライの場合は野手が余程の強肩でなければ捕手の触球は間に合わない)。[[暴投]]や[[捕逸]]が直接得点に結びつくため、投手はより慎重な投球を強いられる。<br /> <br /> 三塁への盗塁(三盗)が試みられることもあるが、物理的距離の意味でも本塁・二塁間の距離よりも本塁・三塁間の距離は短いため難易度は高く、二盗と比較すれば三盗が行われることは少ないといってよい。ただし、少ないといっても三盗はしばしば目にするプレイである。三盗の難易度は高いが、投手の油断を突いて試みられることが多い。三塁手と遊撃手の間にあるスペースは三遊間と呼ぶ。<br /> <br /> なお、一塁・二塁・三塁とも、ベースバッグは[[正方形]]で、白色の[[帆布|キャンバス]]かゴムで覆われた厚みのある形状である。大きさは、正方形の一辺が15フィート(38.1センチメートル)で、厚さは3インチ(7.6センチメートル)ないし5インチ(12.7センチメートル)である。設置位置は、一・三塁はバッグが内野の正方形内に完全に収まるようにし、二塁は、バッグの中心が二塁地点に重なるようにする。ベースバッグは必要に応じてダートエリアから取り外せるようになっている(外した後の穴は蓋を填めて塞ぐ。蓋がスライド式の作り付けになっている球場もある)。<br /> <br /> ==== マウンド ====<br /> {{main|マウンド}}<br /> <br /> === 外野 ===<br /> {{main|外野}}<br /> 外野には、ホームベース方向から見て左側から順に左翼(レフト)、中堅(センター)、右翼(ライト)の3つのポジションが存在する。それぞれの守備を担当する[[左翼手]]、[[中堅手]]、[[右翼手]]の3人をまとめて[[外野手]]と呼ぶ。<br /> <br /> === 付帯設備 ===<br /> おおむね次のようなものがあるが、野球場の規模によって付帯する設備は大きく異なる。<br /> <br /> ==== フェンス ====<br /> [[ファイル:Wrigley_Field_400_sign.jpg|thumb|250px|[[リグレー・フィールド]]の特徴的な外野フェンス。蔦が生い茂っている。]]<br /> 外野及びファウルゾーンに設け、グラウンドとグラウンド外とを区切る柵。[[コンクリート]]パネルや金網などが用いられる。野手がフェンス際の打球を取りに出て衝突した際に怪我をしないよう、安全対策としてコンクリート部分には発泡ラバーや[[発泡ウレタン]]、ポリエステル不織布などの素材で造られた緩衝材を被せているところが多い。<br /> <br /> 抜ければ長打になるかという打球を、外野手がフェンスに衝突し転倒しながらも捕球することがある。また[[本塁打]]性の打球を、外野手が背走してフェンス際でグラブを差し出して捕球したり(フェンスに達すれば打者走者が二塁にまで進んでしまう事は確実)、時にはフェンスによじ登って捕球したりと、身を挺して本塁打を防ぐこともある。こうした[[珍プレー|好プレー]]は外野手の見せ場の一つでもある。<br /> <br /> かつて日本国内にはフェンスに緩衝材を設けていなかった野球場が数多く、プロ本拠地でも対策が立ち遅れていた。[[1977年]][[4月29日]]に[[川崎球場]]で開催された[[横浜ベイスターズ|大洋ホエールズ]]対[[阪神タイガース]]9回戦で、左翼への飛球を追った阪神・[[佐野仙好]]がフェンスのコンクリート部に頭を強打し重傷を負ったことがきっかけで、プロ本拠地にはラバーフェンスの設置が義務付けられた。[[1988年]]以降は、フェンスに緩衝材が設置されていない野球場では地方に所在するものも含め、プロ野球の試合は一切開催できないと取り決められており、現在はアマチュア野球の公式戦の多くも、緩衝材が設けられている野球場で行われている。<br /> <br /> 西武ドームや[[長野オリンピックスタジアム]]などファウルゾーン内にブルペンを設けている野球場では、グラウンド間を金網フェンスなどで区切っているところがある。このうち西武ドームでは[[2001年]][[6月20日]]に開催された[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]対[[大阪近鉄バファローズ]]16回戦で、一塁側ファウルゾーンへの飛球を追った西武・[[平尾博嗣]]がブルペンのフェンスに衝突した際、右足のスパイクを金網に引っ掛けて足首を強く捻り、[[骨折#開放性による分類|複雑骨折]]する重傷を負ったのがきっかけで、同年オフにブルペンのフェンス下部をラバーフェンスに改修している。しかし地方球場のブルペン付近のフェンスは現在も、地面まで金網となっているところが多い。<br /> <br /> アメリカでも、リグレー・フィールドの外野フェンスには緩衝材が設けられていないが、フェンスの壁面にツタを植栽して代用している。<br /> <br /> ==== バックネット ====<br /> 公認野球規則上はバックストップと呼ばれ、本塁から60フィート(約18.288メートル)以上離れて設置される、ボールが後方場外に飛び出すのを防ぐ構造物。とくに本塁後方方向へのファウルボールは勢いがある場合が多いので、網で作られている場合が多く、通称としてバックネットと呼ばれる。バックネットが設置されていない野球場は皆無といって良い。<br /> <br /> 一般的には支柱を立てて金属製もしくは合成繊維製の網を張る場合が多い。観客の多い野球場で細くて強度のあるステンレス製の網を用いる場合や、観客席上に張ったロープから網を吊り下げる方式を用いる場合は、バックネットを黒く塗る、網ではなく[[アクリル樹脂|アクリル]]製の透明の板を使うなど、観客の安全性と視認性を高めるために工夫をこらしている野球場も多い。<br /> <br /> ==== ファウルポール ====<br /> [[File:Left Field seats at Kauffman.JPG|thumb|200px|ファウルポール]]<br /> 打球がフェアかファウルかを判断するため、ファウルラインがフェンスと接する地点に立てる柱。[[公認野球規則]]では「白く塗らなければならない」と定められているが、打球の判別の便宜上、他の色でもよいとされている。白色ではボールが見えにくいことがあるため([[幻の本塁打一覧]])、現在はより判別しやすい黄色や橙色が多く使われている。判断をより正確にするため、ポールのフェア地域側にネットを取り付け、打球がファウル側からフェア側へ、またフェア側からファウル側へ飛び込まないよう考えられたものもある。<br /> <br /> 打球が直接ファウルポールに接触した場合は本塁打、打球が地面やフェンスに当たってからポールに接触した場合は二塁打となる。<br /> <br /> ==== スコアボード ====<br /> [[ファイル:Scoreboard.JPG|thumb|200px|[[リグレー・フィールド]]のパネル式スコアボード]]<br /> [[ファイル:Hanshin Koshien Stadium 2007-17.jpg|thumb|200px|[[阪神甲子園球場]]の3代目スコアボード]]<br /> 競技の得点や出場選手、ボール・アウトカウントなどを表示するための設備。通常、外野中堅の後方に設けられることが多い。従来はイニングスコアや選手名をパネルにより掲出する方式が一般的で、鉄や木のパネル([[黒板]])にチョークで手書きするか、紙に印刷したものを貼付して表示していた。人力による作業を必要とするため、出場選手が交代する場合等にはパネルの入れ替えや書き換えに手間取ることもしばしばあった。<br /> <br /> 日本では{{by|1970年}}、[[後楽園球場]]に初の本格的な電光式スコアボードが導入された。当時は電球式で画素が粗く、画数の多い漢字などの表示がままならないケースもあり、かつて、ロッテに在籍していた[[醍醐猛夫]]は画数が多いため、一部の地方球場では「ダイゴ」とカタカナ表記で書かれていた事もあり、本人も「ファンの方から『外人選手だと思った』と言われた事があった」と言う。他に、地方球場ではないが、巨人や中日で外野手を努めた[[与那嶺要]]も『ヨナミネ』と書かれたスコアボードの写真が「プロ野球60年史」のオールスターの写真に掲載されている。<br /> <br /> {{by|1975年}}から[[パシフィック・リーグ]]で[[指名打者]]制度が採用されるようになったが、多くの球場では9人分しか表示できないため、守備中は投手、攻撃中は指名打者の選手を入れ替えて表示したことがあった。後楽園ではチーム名を表示する箇所に投手名、[[明治神宮野球場|神宮球場]]では単色掲示板だった時代はフリーボードの箇所に投手名を表示したことがあるほか、[[川崎球場]]でもロッテオリオンズが本拠地とするようになった{{by|1978年}}に投手を含めた10人分を記載できるよう改造された。<br /> <br /> 現在は高輝度放電管や[[発光ダイオード]](LED)を使用した電光式のシステムや、電磁石で制御する磁気反転式のシステムを使用して表示部を遠隔操作する方式が主流である。{{by|1997年}}以降、日本のプロ12球団が本拠地とする野球場は全て電光式を採用しており、それに加え大型映像装置が設置されている。これにより投手の球速、打者の現時点における[[打率]]・[[本塁打]]数・[[打点]](その[[打席]]での結果如何でこれら数値は変動するが、これも演算により修正可能で、上昇・下降が即時表示される)、風向・風速([[千葉マリンスタジアム]]。測定用の風車がフラッグポールと同じ位置にある)などさまざまな情報を表示できる他、映像装置を使用して観客により多くの情報を提供でき、かつ様々な演出が行えるようになった。なおメジャーリーグでは[[リグレー・フィールド]]のようにパネル式を敢えて残している球場もある。<br /> <br /> 1980年代後半から各地で採用されている磁気反転式のスコアボードは、ランニングコストやメンテナンスの低廉さと直射日光下での視認性の高さから主に地方球場で普及したが、表示部が自ら光を発せないため夜間にはスコアボード全体をライトアップせねばならず、また経年劣化すると表示部が帯磁して円滑に回転しなくなるという難点があり、老朽化して動作不良を起こすケースがしばしば発生している。<br /> <br /> 近年はフルカラーLEDのコスト低下に伴って映像装置の導入コストが低廉になったこともあり、本拠地球場ではスコアボードの全面を映像装置として、イニングスコアや選手名表示などといったスコアボード本来の表示機能を映像装置に表示させたり、画面全体を使った演出を行ったりする施設も増加している。なお、こうした派手な装飾のある表示形式はプロ野球での使用時のみで、それ以外のアマチュアの試合で使用する場合のためのシンプルな表示形式も用意している。また地方球場においても、消費電力が少なく且つ昼夜を問わず視認性を確保できるLED式のスコアボードを採用する例が多くなりつつあり、近年は[[郡山総合運動場開成山野球場]]、[[埼玉県営大宮公園野球場]]、[[新潟県立野球場]](HEAD OFF ECOスタジアム新潟)、[[長良川球場]]、[[沖縄市野球場]](コザしんきんスタジアム)などプロ本拠地ではない野球場でも映像装置を採用する例が増えつつある。<br /> <br /> また磁気反転型のものも品種改良がなされ、より遠くからでも文字情報などが識別しやすいレモンイエロー(蛍光黄色)の文字盤を使ったものや、文字盤のパネルにLED電球を装着し、薄暮やナイターでも電光表示並みに明るさを保つことができるスコアボードが設置されている。<br /> <br /> ==== バックスクリーン ====<br /> {{see|バックスクリーン}}<br /> 外野の中堅後方に設けられる暗色の板状の部分。打者・捕手・球審が投手の投球を視認しやすいように設けられる。日本では一般にバックスクリーンと呼ばれるが、これは和製英語で、英語ではcenterfield screen、もしくはcenterfield fence、batter&#039;s eye screenなどと呼ばれる。<br /> <br /> 公認野球規則に定めはないが、プロ野球球場ではバックスクリーンかこれに類似した措置(それに相当する外野席を暗色にしてその部分には観客を入場させないなど)が執られている。スコアボードと一体化されている野球場も多い。<br /> <br /> ==== ブルペン ====<br /> {{see|ブルペン}}<br /> 投球練習場。内野ファウルグラウンドに多く設けられたが、甲子園球場や藤井寺球場では外野ラッキーゾーンにあった。練習中に打球が当たる恐れなどもあることから、近年、プロ野球球場では観客席下など(1階の関係者施設地区)に設けていることが多い。メジャーリーグの球場では外野席と外野フェンスの間、ファウルグラウンドなどフィールド上に設けられている場合が多い。<br /> <br /> ==== プレーヤーズベンチ ====<br /> 両チームの選手、コーチなどの控え場所で、一塁、三塁のファウルグラウンド外側に設けられる。公認野球規則2.05には「ホームクラブは、各ベースラインから最短25フィート(7.62メートル)離れた場所に、ホームチーム及びビジティングチーム用として、各一個のプレーヤーズベンチを設け、これには左右後方の三方に囲いをめぐらし、屋根を設けることが必要である」とある。グラウンドよりも低い位置に設けられたものを「&#039;&#039;&#039;ダッグアウト&#039;&#039;&#039;」(&#039;&#039;dugout&#039;&#039;)、グラウンドと同じ高さに設けられたものを「&#039;&#039;&#039;ベンチ&#039;&#039;&#039;」(&#039;&#039;bench&#039;&#039;)と呼ぶ。プロ野球球場では、観客席を設ける関係でグラウンドよりも低いダッグアウトが多い。<br /> <br /> 公認野球規則にはどちらをホームチーム側とするといった規則はない。<br /> : 日本のプロ野球では一塁側をホームチーム、三塁側をビジターチームが使うことが多いが、利便性を考慮する場合がある([[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]]では一塁側の屋根にのみ[[ロッテ]]と[[千葉ロッテマリーンズ]]のロゴが描かれている。一方[[西武ドーム]]と[[楽天Koboスタジアム宮城]]では逆に三塁側がホームチームで、[[埼玉西武ライオンズ]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]とファンはこちらに陣取る)。2011年現在、ホームチームが三塁側を使用するのは日本ハム、楽天、西武の3チームである。また、各球団の[[二軍]]の本拠地は選手寮に隣接しているものが多く、そのため選手寮に近い方をホームチームが使用することが多い。メジャーリーグの球団ではバラバラで、参加30チームのうち12チームが三塁側ホームである&lt;ref&gt;[http://www.npb.or.jp/qtaro/topic20020917.html 球太郎の野球雑学ページ 「ホームベンチは一塁側?」(日本野球機構オフィシャルサイト)]&lt;/ref&gt;。&lt;br /&gt;韓国のプロ野球は参加9チームのうち2チームが三塁側ホームである。<br /> <br /> ==== 観客席(スタンド) ====<br /> [[ファイル:08 Shea Stadium big.jpg|thumb|235px|満員の観客席([[シェイ・スタジアム]])]]<br /> [[ファイル:Seibu Dome baseball stadium - 32.jpg|thumb|235px|[[西武ドーム]]の外野芝生席]]<br /> 競技を観覧するための座席を備えた建物。グラウンドに向かって階段状に設けられる。外周がグラウンドに近い形状のものと円形になっているものがある。重層になっていたり、屋根が付いたりする場合もある。小規模な野球場では外野席が土盛り([[芝生]]のみで座席が設けられないことも多い)であったり、観客席が内野にしか設置されていないものも見られる。2009年現在日本国内でプロ野球本拠地として使用されている12球場のうち、[[西武ドーム]]の外野席の大部分と、[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]](以下「マツダスタジアム」)、[[宮城球場]]の外野席の一部に、固定式の座席が設けられていない芝生席が存在する。<br /> <br /> 日本では、プロ球団の一軍が本拠地・準本拠地として使用する球場は、[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の本拠地・宮城球場(楽天koboスタジアム)を除く全てが収容人数3万人以上の規模である。最も収容人数が多い球場は[[阪神甲子園球場]](収容人数47,808人)、次いで[[東京ドーム]](収容人数約47,000人弱、ただし非公式)である。[[札幌ドーム]]も収容人数が4万人を超える。二軍の本拠地球場は全体的に座席数が少なく、数百~数千の収容人数となっている。<br /> <br /> 日本では、観客席が重層の球場は少なく、12球団の本拠地13球場で重層なのは半数以下の5球場である。各球場とも外野席に一定の座席を割いており、応援の中心が外野席であることも大きな特徴である。ほぼ全ての球場で、外野席に[[私設応援団]]が陣取っており、鳴り物(トランペット、太鼓、呼子笛)を利用した組織的応援が行われる。また試合内容によってはホーム側ファンとビジター側ファンの衝突さえ起きかねないため(試合終了後、場外での挑発合戦から睨み合いに発展し、[[機動隊]]が割って入って規制線を引いた事例さえある)、多くの本拠地球場でホーム側ファンの立ち入りを認めない「[[ビジター応援席]]」区域が設定される。<br /> <br /> アメリカでは、メジャー球団が本拠地とする球場の多くが4万人以上の収容人数を誇る。[[アメリカンフットボール]]との兼用球場を除く野球専用球場で収容人数が4万人を下回るのは、[[フェンウェイ・パーク]](36,108席)、[[カウフマン・スタジアム]](38,030席)、[[トロピカーナ・フィールド]](36,048席)、[[PNCパーク]](38,496席)の4球場のみである。<br /> *{{by|2008年}}までは、旧[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]が57,545人という最多の収容人数を誇ったが、{{by|2009年}}から新[[ヤンキー・スタジアム]](収容人数52,325人)に移転したため、収容人数1位の座を[[ドジャー・スタジアム]](収容人数56,000人)に譲った。ただし、{{by|2003年}}の[[2003年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]では、[[フロリダ・マーリンズ]]が本拠地[[サンライフ・スタジアム|ドルフィン・スタジアム]]で通常時は開放していないフットボール用の観客席を開放したため、第5戦で65,975人の観客を動員している。<br /> <br /> [[ファイル:Wrigley_Field_and_Wrigley_Rooftops.jpg|thumb|left|220px|[[リグレー・フィールド]]の外野スタンド。球場に隣接する家屋の屋上にも観客席が設けられている。]]<br /> <br /> [[マイナーリーグ]]の球場も、日本の二軍本拠地球場とは違い、一定以上の観客席が設けられている。AAA級では、収容人数23,145人の[[ローゼンブラット・スタジアム]](現在は閉場)を筆頭に、殆どの球場が1万席以上の観客席を備えている。AA級やA級、ルーキー級でも、数千人〜1万数千人の収容人数を持つ球場が揃っている。これは、米国でベースボールが国民的娯楽(national pastime)として広く親しまれている証である。<br /> <br /> 米国の球場は、日本とは違い観客席が重層のものが殆どである。[[ニューヨーク・ヤンキース]]のかつての本拠地[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキースタジアム]]のような巨大球場は、5階席まで存在する。野球は少しでもフィールド(内野・投手・打者)から近い位置で観戦するものだという意識によるものである。外野席に割かれる座席数は、球場によって違いはあるものの、概して少なめである。[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]の本拠地[[カウフマン・スタジアム]](2008年度まで)や、[[ニューヨーク・メッツ]]の前本拠地[[シェイ・スタジアム]]は、外野席がほとんどないことで有名であった。<br /> <br /> [[大韓民国|韓国]]では、[[ロッテ・ジャイアンツ]]の本拠地[[社稷野球場]]、[[LGツインズ]]と[[斗山ベアーズ]]の本拠地[[蚕室総合運動場野球場]]、[[SKワイバーンズ]]の本拠地[[文鶴野球場]]の三球場が3万人以上の収容人数を誇る。日本と違って内野スタンドに応援団用のスペースが存在し、[[チアリーダー]]付きの応援が行われているのが大きな特徴である。<br /> <br /> [[台湾]]では[[中信兄弟]]の本拠地[[台中インターコンチネンタル野球場]]が国内最大となる20,000人収容の観客席を有し、その他のプロ球団が使用する球場は収容人数が1万人台である。<br /> <br /> ==== 照明 ====<br /> 夜間(昼間でも薄暗い時等)に試合を行うためにグラウンドを照らす設備。グラウンド全体を照らすため、複数(数個〜数百個前後)の[[電球]]から成る照明を[[鉄塔]]など一定の高さの場所に設置する。光源には[[水銀灯]]、高圧[[ナトリウムランプ]]、[[ハロゲンランプ]]、[[メタルハライドランプ]]、[[LED]]などが用いられる。<br /> <br /> ナイター設備が普及し始めた[[1950年代]]から[[1960年代]]の照明は水銀灯が基本であり、この緑色輝線を和らげるために高圧ナトリウムランプを分散配置するのが一般的だった。この光源を組み合わせたものは「カクテル光線」と称され、昼光色を可能な限り再現したものとされてきたが、実際の[[演色性]]は褒められたものではなく、カラーテレビの普及に伴い使用例は減っていった。現在は[[水銀灯]]の演色性を改善し、省エネにも優れたメタルハライドランプの使用が主流となっている&lt;ref&gt;太陽光の演色性を100とした場合、水銀ランプは41、ナトリウムランプは63、メタルハライドランプは90とされている&lt;/ref&gt;。2010年代からはより省エネに優れ、これまでのものと違い即時点灯が可能なLEDも導入され始めている。<br /> <br /> 照明設備は内野1塁側・3塁側に2基ずつ、さらに外野に2基、計6基架設する形式のものが最も一般的だが、[[千葉マリンスタジアム]]や[[阪神甲子園球場]]、[[岡山県倉敷スポーツ公園野球場]](マスカットスタジアム)、[[松山中央公園野球場]](坊っちゃんスタジアム)、[[秋田県立野球場]](こまちスタジアム)、[[新潟県立野球場]](HEAD OFF ECOスタジアム新潟)などではスタンドの[[庇]](ひさし)に照明を架設する手法が用いられている。<br /> <br /> 日本で初めて野球場の照明設備を設置したのは[[早稲田大学]]の[[戸塚球場]]で、[[1933年]]7月に完成した。高さ30.6mの照明塔6基に1.5kWの電球を156個取り付けたもので、照度は内野で150[[ルクス]]、外野で90ルクスしかなかった。後の1962年に完成し「光の球場」と称された[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]では、1600ルクスの照明を得るに至った。<br /> <br /> その後も球場の照明の強化は続き、現在、野球場の照度は硬式、軟式と競技区分別にJIS規格で定められている。プロ野球の場合、内野は1500〜3000ルクス、外野は750〜1500ルクスの平均照度が必要とされている。<br /> <br /> ==== マスコミの取材エリア ====<br /> [[マスコミュニケーション|マスコミ]]が試合の取材やテレビ・ラジオによる試合の生中継を行う為に、主要となる野球場を中心に放送席・記者席・カメラエリアが常設される。<br /> <br /> [[ファイル:Tokyo Dome 2007-7.jpg|thumb|200px|right|東京ドームの放送席・記者席]]<br /> <br /> 主要野球場の放送席や記者席の場合、かつては内野スタンドのグラウンドレベルに配置されることが多かったが、近年建設された野球場では、放送席は内野スタンド上段に個々が独立、記者席は同じく上段に外(ドーム型球場に多い)または部屋の中(グラウンドが見えるように窓を設置)に配置されるようになった。カメラエリアは、プロ野球本拠地の場合、多くは場所を固定の場合(特にグラウンドレベルの一・三塁側)が多い。複数のAM放送局&lt;ref&gt;FMの中継は[[エフエムナックファイブ]]以外で行なわれたことはない&lt;/ref&gt; で系列を問わず同一カードを中継することもあるため、ブースは複数ある。主にひとつの放送局でローカル・全国ネット兼用とビジターチーム向けの裏送り・ビジターチームの放送局スタッフが来場して制作用の2部屋を確保している。<br /> <br /> 地方球場の場合、ほとんどの場合、記者席はある程度確保してある場合が多いが、放送席に関しては常設していなかったり、適当な空き部屋の確保が難しい場合が多い為、個々の放送局が内野スタンド上段に臨時に小屋を設置したり、観客席を使用する場合が多い&lt;ref&gt;[http://www.jsports.co.jp/baseball/blog/log/2007/04/post-47.html 下見日記] - 野球好き日記(J SPORTS)2007年4月17日&lt;/ref&gt;。カメラエリアも同様に場所が確保される。<br /> {{-}}<br /> <br /> == 野球場のフィールド ==<br /> === 野球場と芝 ===<br /> グラウンドに芝を植えると、土埃の発生や表土の流出を防ぐことが出来る。また日光の反射が無く、スタンドと調和して風光を引き立てる。<br /> <br /> ==== 天然芝 ====<br /> [[ファイル:AmeriQuest Field, home of the Texas Rangers.jpg|thumb|250px|アメリカでは、ほとんどの野球場が内外野総天然芝である。]]<br /> アメリカでは、外野に加えて内野のマウンドとランニングゾーンを除く部分にも芝が敷設されている内外野総天然芝の球場が標準である。[[メキシコ]]、[[ベネズエラ]]、[[ドミニカ共和国]]などの[[カリブ海]]諸国や、[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]]でも、主要球場のほとんどがこの形態である。<br /> <br /> その一方、日本では、天然芝の育成・管理の難しさから、外野部分とファウルエリアのみ天然芝が敷設されている球場が多い。<br /> <br /> かつて[[阪急西宮スタジアム|西宮球場]]は、1937年完成時から内外野天然芝としたが、1940年代後半には内野天然芝は廃止された。[[明治神宮野球場]]は、1945年の米軍接収時に内野に天然芝を植えたものの、グラウンドの使用が激しいため密生せず、まもなく廃止された。[[後楽園球場|後楽園スタヂアム]]は1950年3月に内野に天然芝を植えたものの、芽が出ないうちから過激に使用したため、たちまち枯死した。<br /> <br /> その後[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]](1962年完成-1972年閉鎖 現・味の素スタジアムではない)が内外野天然芝を導入すると、後楽園スタジアムも再び内野天然芝を導入したが(1965年-1975年)、東京スタジアムは1977年4月に取り壊され、後楽園スタヂアムも1976年3月に内外野全面人工芝に切り替えられると、他球場も後楽園に倣ったため、内野天然芝は普及しなかった。<br /> <br /> {{by|1995年}}の[[野茂英雄]]のメジャー挑戦以降、日本の野球ファンや選手の間でも天然芝への認識が高まり、人工芝でプレーする選手の身体への負担について議論されるようになった。{{by|2001年}}ごろ起こった[[千葉マリンスタジアム]]のドーム化計画や、横浜での人工芝ドーム球場建設計画にファンが抗議し、既存球場の天然芝化を要求したこと(両球場とも2003年に新型人工芝に変更)、広島の新球場計画が人工芝ドーム球場から天然芝球場に変更されたことなどがこの代表例である。<br /> <br /> 2016年現在、プロ野球全12球団の本拠地において、天然芝を採用しているのは[[阪神甲子園球場]]、前述の議論を経て2009年にオープンした[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]、そして2016年に人工芝から切り替えられた[[宮城球場|楽天Koboスタジアム宮城]]の3球場である。さらに国内で内外野天然芝を採用した球場は、前述のマツダスタジアム、楽天Koboスタジアムに加えて、[[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]]、[[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]]、[[鶴岡市小真木原野球場|鶴岡ドリームスタジアム]]、[[夕張市平和運動公園野球場]]などがある。<br /> <br /> * 長所<br /> ** クッション性が良いため選手の膝への負担が軽く、スライディング等の摩擦による火傷をしにくいことから選手は思い切ったプレイができる。<br /> ** 夏季において、人工芝や土と比較して、グラウンドの温度上昇が抑えられる。<br /> * 短所<br /> ** ゴロ打球が失速しやすい上にイレギュラーバウンドも発生しやすいため、内外野手とも高レベルな技術が要求される。<br /> ** 日照条件や通風面など、維持管理には技術が必要であり、これらの障害となるような大型の観客席を備える球場は、散水装置を含めて天然芝用の専用設計が必要になる。<br /> ** 刈り込みや施肥、[[オーバーシード]]、雑草取りなどといった日常のメンテナンスが必要不可欠である。特に内野天然芝はバント処理等で野手がダッシュする場面が多いため損傷しやすく、修復作業が多くなるため、年間維持費用も人工芝に比べて余計にかかる。<br /> ** 痛んだ芝生を張り替えるため、球場とは別に天然芝を育成して準備しておく必要がある。<br /> ** イベントや他競技との併用が難しい。<br /> <br /> 人工芝も張替え時には天然芝以上のコストがかかるとの指摘もある。天然芝のフィールドを採用している競技施設の中には[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]などのように、天然芝の箇所にアクリル板などの保護材を敷設してイベントとの併用を実現しているケースも存在する。<br /> <br /> ==== 天然芝の種類 ====<br /> 野球場で使用される天然芝は、暖地系として、野芝、高麗芝、バミューダ・グラス、寒地系として、ペレニアル・ライグラス、ケンタッキー・ブルーグラスなどが挙げられる。<br /> <br /> アメリカでは主に寒地系のケンタッキー・ブルーグラスが野球場芝として利用される。ケンタッキー・ブルーグラスはアメリカで多く植栽される芝であるが、多くの水・肥料を必要とする上、種の発芽や初期成長が遅いのが欠点である。しかし造成された芝草は青々と美しく、かつ丈夫であり、通年に渡って常緑を維持する。<br /> <br /> 一方、日本においては、大半の地域で寒地系の芝は厳しい夏を越せずに枯死してしまうため、天然芝を使用する野球場の多くは暖地系の高麗芝を使用している。高麗芝は成長が早く、しかも日照りが続かない限り散水の必要性がほとんど無く、肥料も少量で済むので維持管理が比較的容易である。ただし高麗芝はケンタッキー・ブルーグラスと比較すると葉の発色性で劣る。さらに冬期には休眠するため、これを使用した野球場の芝生部分は若葉が生えてくる春季まで黄化し枯れたように見えてしまう。<br /> <br /> 1980年代後半、[[日本中央競馬会]](JRA)が暖地系芝と寒地系芝の2毛作により通年に渡って常緑の芝生を実現する技術「[[オーバーシード]]」を開発し、これを野球場に導入する動きが広まった。現在、[[阪神甲子園球場]]、[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]]、[[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]]では、高麗芝より発色が鮮やかなバミューダ・グラス系のティフトン419と、ペレニアル・ライグラスによるオーバーシードが行われている。<br /> <br /> その一方、[[宮城球場|楽天Koboスタジアム宮城]]、[[鶴岡市小真木原野球場|鶴岡ドリームスタジアム]]は、所在地の夏の気候が比較的涼しいため、アメリカの野球場と同様、寒地系の芝が通年使用されている。<br /> <br /> ==== 人工芝 ====<br /> {{See also|人工芝#野球場}}<br /> [[ファイル:Kunstgress.JPG|thumb|250px|[[人工芝]]]]<br /> 人工芝は天然芝のフィールドと比較してゴロ打球が失速しにくいことから、守備側の野手にはより素早い反応が求められる。その反面イレギュラーバウンドは発生しにくい。<br /> <br /> [[1965年]]、世界初の[[ドーム球場]]である[[アストロドーム]]で、世界初の人工芝(アストロターフ)が導入される。以後、アメリカンフットボールとも兼用できる野球場が米国で流行するにつれ、人工芝は急速に普及していった。だがその後、1990年代以降に興った新古典主義ボールパークの建設ラッシュにより、人工芝を採用する施設は減少の一途を辿っている。[[2018年]]現在のMLB本拠地で人工芝を採用している球場はMLB唯一の密閉式ドーム球場である[[トロピカーナ・フィールド]]([[セントピーターズバーグ (フロリダ州)|セントピーターズバーグ]])のみである。<br /> <br /> 一方、日本では[[1976年]]に[[後楽園球場]]が初めて人工芝を導入。2016年現在、日本国内でプロ野球本拠地として使用されている12球場のうち、9球場(ドーム球場は6)が人工芝を採用している。その結果、内野手の真正面を突くゴロ打球に対しては“打球が来るのを待つ”ような受け身の態勢で守備を行う機会が増加したこと、球足が速いので肩力が多少弱くても内野を守れるようになったこと、内外野問わず前述のケガのリスクから球際の鋭い当たりに対する消極的なプレイが増えたことから、一部では野手の守備レベルが低下しているのではないかという指摘もある&lt;ref&gt;{{Cite news |title=かつては名選手を輩出したポジションの今。西武の遊撃手はなぜ定着できないのか |url=http://www.baseballchannel.jp/npb/17023/ |newspaper=ベースボールチャンネル |date=2016-04-18 }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===== 人工芝改良の歴史 =====<br /> 人工芝が日本に導入された当時、天然芝の管理方法はあまり進歩しておらず、管理が行き届かないケースが多かったこともあり、人工芝のフィールドは「守りやすい」「景観が美しい」など、選手・ファンからは概ね好意的に受け止められていたが、グラウンドの管理面では雨天時の排水性が問題となった。初期の人工芝は、グラウンド周囲にコンクリートの側溝を設置し、ファウルグラウンドや外野をこの側溝に向かってやや傾斜させることで雨天時の排水を行っていたが、このような表面排水方式はグラウンド中央部分の排水が難しい。そのため各球場ではグラウンド上に吸水自動車を走らせて排水を行っていた。<br /> <br /> 雨天の多い日本では人工芝の排水性の無さが早急に解決すべき課題となり、その結果、[[旭化成]]は「サラン透水性人工芝」の開発に成功する。この人工芝は透水性を実現したことで地中に設けたパイプを使って排水することが可能となり、結果、初期人工芝では必須であったグラウンドの傾斜や吸水自動車を不要とした。当初、この透水性人工芝はヨーロッパのサッカースタジアムで使用されていたが、1982年3月に[[明治神宮野球場]]が野球場として初導入する。これを契機として透水性人工芝は全国の野球場に広まっていった。<br /> <br /> また開発当初の人工芝はパイル(毛足)が短く、スライディングすると火傷や擦過傷を負うことも少なくなかった。更に天然芝と比較するとクッション性が低いため、足腰など選手の身体への負担増大も指摘されるようになり、この点についても品質向上が図られるようになった。先に述べた旭化成の「サラン透水性人工芝」はクッション性も考慮し、人工芝(パイル丈13mm)の下に厚さ14mmの透水性アンダーマットを敷いていたが、1990年代後半になるとパイルの丈は5~6cmと長くなり、その下層部に砂・土・ラバーチップを充填してクッション性を高めた「ロングパイル人工芝」が開発され、日本のプロ本拠地野球場でもロングパイル型を導入するところが増加した。またショートパイル型でも、長さの異なる2種類のパイルを用いることで、クッション性の向上に加えて景観も天然芝に近づけた製品がある。<br /> <br /> このような改良が施された人工芝は「ハイテク人工芝」とも呼ばれ、従来の人工芝と比較して身体への負担が軽く、プレー条件も改善されていることなどから選手からも概ね好評である。とりわけ、屋外野球場として人工芝を使用している明治神宮野球場はデーゲームで高校や大学、社会人などアマチュア公式戦を行った後、ナイターでプロ野球を開催するなど、同日中に複数の試合を行うことが多いため、耐久性のある人工芝の特徴を活かしている。<br /> [[ファイル:Sendaimiyagikyuzyo200607b.jpg|thumb|250px|left|塁間に着色がなされた人工芝球場([[koboパーク宮城]])]]<br /> <br /> ===== 課題 =====<br /> このように日々改良が続けられている人工芝だが、プレーヤーの身体面へのデメリットを指摘する声は後を絶たない。実際、人工芝が導入されてからは足首の捻挫、靭帯や半月盤の損傷などの怪我が多くなったという意見がメーカーなどに寄せられている。人工芝のパイルにはポリエチレンなどの材質を使用しているため滑りやすくなっている。このため、不慣れなプレーヤーがプレー中に足を滑らせて転倒するようなことがしばしばある。特に降雨時等、パイルが水を含んだ時にはよりスリップしやすくなる。現在使われている野球スパイクのスタッド(歯)には金属や樹脂が使用されているが、天然芝であれば芝の下の土の部分までスタッドが刺さるため、それが衝撃吸収の役割を担う。しかし人工芝ではスタッドが刺さりにくいため衝撃が直接膝や脚にかかることが多い(一部の選手らからは「下から突き上げるような衝撃を感じる」という意見がある)。激しいプレーではスパイクの引っ掛かりが土や天然芝に比べて強いことから筋肉や関節に特に負荷が掛かりやすい。さらに夏場など猛暑の際には輻射熱や日光の照り返しによってフィールドの表面温度が高温になりやすく、プレー条件が低下する恐れも生じる。こうした要素から、人工芝は天然芝や土に比べて故障を誘発しやすいといわれている。<br /> <br /> またロングパイル型は品種により、打球のバウンドや野手のスライディングなどといったプレー中の状況によっては充填材のラバーチップが飛散することがあるため「思い切ったプレーがしにくい」という意見もあり、[[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]]が[[2011年]]に張り替え工事を行った際には[[千葉ロッテマリーンズ]]選手会の意見を反映し、ラバーチップを充填していないショートパイル型が採用された例もある。<br /> <br /> [[松井秀喜]]は[[読売ジャイアンツ]]在籍当時の[[2001年]]、『[[週刊ベースボール]]』8月13日号において「(天然芝は)打球を追う時に思い切ってダイビングできる。(人工芝は)単純に痛いし、こすれて熱い。(スパイクが)芝の継ぎ目に当たれば大怪我することになるし、足への負担が大きい。新しい人工芝の開発も進んでいるみたいだけど、人工芝は所詮人工芝」と話した他、[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]移籍後の2010年夏に[[スポーツニッポン]]の取材を受け、日本球界復帰の可能性を問われた際には、日本のプロ本拠地に人工芝を採用している施設が多い事と、自身が両膝に故障を抱えている事を引き合いに「僕の膝でどうやって人工芝の上でプレーするんですか。 自分が帰りたくてもプレーできない。DHでも走塁はある。1週間で膝を痛めて登録抹消ですよ」と答えるなど、人工芝には否定的な意見を述べている(しかし、現役最終年に所属した球団は皮肉にも人工芝の[[トロピカーナ・フィールド]]を本拠地とする[[タンパベイ・レイズ]]だった)。メーカー側も「土のグラウンドと違う筋肉を使うので、疲労がたまりやすい」と、人工芝にはある程度の「慣れ」が必要であることを指摘している。またスポーツ用品メーカーも、スタッドの低いスパイクやグラウンドシューズなど人工芝に対応した製品を開発・販売している。<br /> <br /> しかし、天然芝の維持管理には農薬や化学肥料を使用しているケースが多い。こうしたことから天然芝と人工芝とを比較する場合、あらゆる安全性を勘案すると総合的な優劣は一概に判断し難い部分もある。<br /> <br /> * 長所<br /> ** 維持管理が簡便であるため一旦敷いてしまえばランニングコストは低廉であり、フィールドを多目的利用できる。<br /> ** 耐久性があるため、同日中に複数試合を行うことができる。<br /> ** フィールドの状態を長期間に亘ってほぼ恒常に保つことができる。<br /> ** 雨に強く、試合の雨天順延を減らせる。<br /> ** 日光が照射されない閉鎖式ドーム球場でも敷設できる。<br /> ** ゴロのイレギュラーバウンドは発生しにくいが球速が非常に速いため、内外野手とも打球に対する素早い反応が要求される。 <br /> * 短所<br /> ** 新品を敷設する際の初期投資額が膨大。使用済みのものは[[産業廃棄物]]として処理しなければならない。<br /> ** 天然芝は、プレーヤーが踏ん張ると足がスライドしながら土に食い込み、踏ん張った力が地中に抜けて衝撃を緩和するが、人工芝はプレーヤーのスパイクを噛むため、踏ん張った力が地中に抜けず強く抵抗する。雨が降ると逆に滑りやすくなる。その結果、プレーヤーの足腰に負担が掛かりやすくなり、故障が増える。<br /> ** 屋外野球場での夏期の日中は反射や照りつけによる温度上昇が激しく(摂氏50度近くまで上がる事もある)、プレーヤーに負担がかかる。<br /> ** メーカーや球場によって踏圧やボールのバウンド高がまちまち。品質基準も曖昧になっている部分がある。<br /> <br /> ==== 土 ====<br /> [[ファイル:Hiroshima Municipal Stadium 1.jpg|thumb|250px|旧広島市民球場]]<br /> 芝がなく、土が剥き出しになっているグラウンド。天然芝より維持が容易で、人工芝より初期コストが低い。英語では「bare ground(むき出しのグラウンド)」と称される。<br /> <br /> [[軟式野球]]専用の野球場では内外野すべて土のグラウンドも見られる。かつての[[藤井寺球場]]や[[阪急西宮スタジアム|西宮球場]]のように、内野が土で外野が人工芝という球場もあった(この2つは後に全面人工芝化された)。<br /> <br /> 日本では、外野は天然芝(ごく稀に人工芝)、内野は土という球場が圧倒的に多く、かつてはプロ野球球団の本拠地球場もこの形式が多かった。現在でも阪神甲子園球場はこの形式であるが、旧[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]の閉場により、NPBはおろかMLBを含めても唯一のものとなった。<br /> <br /> アメリカでは土のグラウンドの球場は少なく、メジャーリーグの本拠地球場には使用されていない。AA、Aクラスのマイナーリーグなど低いグレードの球場では一部使用されているが、基本的に人工芝以上に評価が低い。日本では柔らかく湿気を含んだ黒土が好まれるのに対し、アメリカでは白く乾いた土が使われるのが通例である。このため日米間で移籍した選手は、芝の有無以上にグラウンド(特にピッチャーズ・マウンドなど)の固さに対する違和感を覚えることが多い。<br /> <br /> == 各国の野球場 ==<br /> === アメリカ合衆国 ===<br /> ==== メジャーリーグベースボール (MLB) ====<br /> [[ファイル:Coors field 1.JPG|thumb|250px|メジャーリーグで最も打者有利の球場とされる[[クアーズ・フィールド]]]]<br /> {{See also|メジャーリーグベースボールの本拠地野球場一覧}} <br /> [[メジャーリーグベースボール|MLB]]の本拠地球場は、1970年代から80年代にかけて[[アメリカンフットボール]]との兼用球場が一世を風靡したが、1990年代からは天然芝の野球専用球場への回帰が進んだ。現在、[[人工芝]]の球場と密閉式[[ドーム球場]]は[[トロピカーナ・フィールド]]のみとなった。[[ロジャース・センター]]、[[チェイス・フィールド]]、[[セーフコ・フィールド]]、[[ミニッツメイド・パーク]]、[[ミラー・パーク]]は開閉式の屋根を備えている。他競技との兼用が行われている球場は、ロジャース・センター、[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]の2球場のみである(詳細は、後述の[[野球場#アメリカ合衆国における野球場の歴史|アメリカ合衆国における野球場の歴史]]を参照)。<br /> <br /> 米国では左右非対称で歪な形状の外野フェンスを持つ球場が多く、両翼や中堅の距離だけで球場の広さを測ることはできない。むしろ重要なのは左中間・右中間への距離や、フェンスの高さ、ファウルゾーンの広さ、気圧などである。例えば、左翼・中堅への距離がア・リーグ最長の[[コメリカ・パーク]]や両翼への距離が全球場で最長の[[リグレー・フィールド]]は左中間、右中間の膨らみが少なく、決して打者不利の球場ではない(リグレー・フィールドは逆に打者有利の球場である)。また、右翼への距離がナ・リーグで最も短い[[AT&amp;Tパーク]]は、右中間最深部が128.3mもあり、右翼フェンスも7.6mと非常に高いため、左打者に不利な球場である。<br /> <br /> 球場ごとに、[[本塁打]]、[[二塁打]]、[[三塁打]]の出やすさや得点の入りやすさには明確な差異があるが、球場ごとの偏りを示す指標として[[パークファクター]]が用いられている(詳細は当該記事を参照)。<br /> <br /> 一般に、[[投手]]有利の球場は「&#039;&#039;&#039;ピッチャーズパーク(ピッチャーフレンドリーパーク)&#039;&#039;&#039;」、[[打者]]有利の球場は「&#039;&#039;&#039;ヒッターズパーク(ヒッターフレンドリーパーク)&#039;&#039;&#039;」と呼ばれる。[[ESPN]]は[[ターゲット・フィールド]]を除く29球場を[[2005年]]~[[2009年]]のパークファクター、[[BABIP]]を用いて総合的に評価し、打者に有利な順に並べたランキングを発表した&lt;ref name=&quot;rnk&quot;&gt;Tristan H. Cockcroft(2010-3-28), [http://sports.espn.go.com/fantasy/baseball/flb/story?page=mlbdk2k10ballparks Ranking The Ballparks], ESPN(英語), 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。ベスト5とワースト5は以下の通りである。<br /> <br /> ;ベスト5<br /> :{| class=wikitable<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 順位<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 球場名<br /> ! style=&quot;width: 35em;&quot; | 理由<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |1位||[[クアーズ・フィールド]]||標高約1600mの高地に位置し、海抜0mと比べて打球が9%も伸びる&lt;ref name=&quot;rnk&quot; /&gt;。外野は広く、抜ければ長打になる。長打を警戒して深く守れば、ポテンヒットが増える&lt;ref name=&quot;slg&quot;&gt;出野哲也「全30球団ボールパーク 傾向と対策&スケジュール」 『月刊スラッガー』2010年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、76-91頁。&lt;/ref&gt;。<br /> |-<br /> |2位||[[レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン]]||[[テキサス州|テキサス]]の乾燥した気候に加え、右翼スタンドが前方にせり出しており本塁打が出やすい。ファウルゾーンも狭い&lt;ref name=&quot;slg&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |3位||[[チェイス・フィールド]]||[[砂漠]]地帯で空気が乾燥しており、標高も332mとクアーズフィールドに次いで高い&lt;ref&gt;Nick Piecoro(2006-08-04), [http://www.azcentral.com/sports/diamondbacks/articles/0804dbxmain0804.html Chase Field: a hitter&#039;s paradise], azcentral.com(英語), 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。外野の膨らみがない一方でポール際は広いので、本塁打、三塁打が共によく出る&lt;ref name=&quot;slg&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |4位||[[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]||左中間・右中間の膨らみが少ないため本塁打が非常に出やすい。右翼後方の[[オハイオ川]]からの川風に乗り、レフト方向への打球がよく飛ぶ&lt;ref name=&quot;slg&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |5位||[[シチズンズ・バンク・パーク]]||右中間・左中間の膨らみがないので本塁打が出やすいことに加え、球場の構造的に打者の視界が良好で、球が見やすい&lt;ref&gt;Mel Antonen(2010-10-05), [http://www.usatoday.com/sports/baseball/2010-10-05-ballparks-playoffs_N.htm Pitcher or hitter friendly? Ballparks will come into play during playoffs], USA Today(英語), 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> |}<br /> ;ワースト5<br /> :{| class=wikitable<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 順位<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 球場名<br /> ! style=&quot;width: 35em;&quot; | 原因<br /> |-<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |29位||[[ペトコ・パーク]]||外野が全体的に広いことに加え、サンディエゴ湾から吹く湿った海風により、打球が伸びない。右中間は非常に深く、左打者は特に不利&lt;ref name=&quot;slg&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |28位||[[ブッシュ・スタジアム]]||原因ははっきりしないが、右打者に本塁打が出にくい。[[アルバート・プホルス]]という強打者を抱えながら、2005年~2009年の得点ファクターは28位、本塁打ファクターは29位である&lt;ref name=&quot;rnk&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |27位||[[セーフコ・フィールド]]||[[雨]]が多い気候なので空気が湿っており、外野も広いため本塁打が出にくい。特に左中間は深く、右打者に不利な構造である&lt;ref&gt;[http://blog.seattlepi.com/marinersfanblog/archives/211589.asp Time to move the fences in at Safeco Field], Seattle PI(英語), 2010年11月26日&lt;/ref&gt;。<br /> |-<br /> |26位||[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]||左中間・右中間が広い上に、[[アメリカンフットボール|アメフト]]兼用であるためファウルゾーンが極めて広い。観客席が大きく風の影響も少ない&lt;ref name=&quot;slg&quot; /&gt;。<br /> |-<br /> |25位||[[シティ・フィールド]]||外野が広く、フェンスも高いため本塁打が出にくい&lt;ref&gt;Tristan H. Cockcroft(2009-07-02), [http://sports.espn.go.com/fantasy/baseball/flb/story?id=4284640 David Wright has lost six home runs to Citi Field&#039;s new dimensions], ESPN(英語), 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> |}<br /> <br /> 本塁打の出やすさに限れば、[[ギャランティード・レート・フィールド]]、[[ヤンキー・スタジアム]]、[[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]がベスト3、[[ペトコ・パーク]]、[[セーフコ・フィールド]]、[[カウフマン・スタジアム]]がワースト3である。しかし、本塁打の出やすさと得点の入りやすさは必ずしも相関しない&lt;ref name=&quot;rnk&quot; /&gt;。<br /> <br /> ;[[アメリカンリーグ]]球場一覧<br /> :{| class=&quot;wikitable sortable&quot; style=&quot;font-size: 80%;&quot;<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 地区<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 球場名<br /> ! style=&quot;width: 19em;&quot; | チーム<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 左翼<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 中堅<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 右翼<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 収容人数<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 開場年<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 所在地<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: crimson; text-align: center;&quot;|[[アメリカンリーグ東地区|{{color|white|東地区}}]]<br /> | [[オリオールパーク・アット・カムデンヤーズ]]&#039;&#039;&#039;&#039;&#039;<br /> | [[ボルチモア・オリオールズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 101.5m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 125m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 96.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 48,876人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1992年のメジャーリーグベースボール|1992]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[メリーランド州]][[ボルチモア]]<br /> |-<br /> | [[フェンウェイ・パーク]]<br /> | [[ボストン・レッドソックス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 94.5m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;128m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 92m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 38,805人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;[[1912年のメジャーリーグベースボール|1912]]&#039;&#039;&#039;<br /> | {{flagicon|USA}} [[マサチューセッツ州]][[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン]]<br /> |-<br /> | [[ヤンキースタジアム]]<br /> | [[ニューヨーク・ヤンキース]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 96.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 124m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 95.7m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 50,086人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2009年のメジャーリーグベースボール|2009]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]・[[ブロンクス区|ブロンクス]]<br /> |-<br /> | [[トロピカーナ・フィールド]]<br /> | [[タンパベイ・レイズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 96m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 123m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 98m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 36,048人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1990年のメジャーリーグベースボール|1990]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[フロリダ州]][[セントピーターズバーグ (フロリダ州)|セントピーターズバーグ]]<br /> |-<br /> | [[ロジャース・センター]]<br /> | [[トロント・ブルージェイズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;50,516人&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1989年のメジャーリーグベースボール|1989]]<br /> | {{flagicon|CAN}} [[オンタリオ州]][[トロント]]<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: #f00; text-align: center;&quot;|[[アメリカンリーグ中地区|{{color|white|中地区}}]]<br /> | [[ギャランティード・レート・フィールド]]<br /> | [[シカゴ・ホワイトソックス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 40,615人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1991年のメジャーリーグベースボール|1991]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[イリノイ州]][[シカゴ]]<br /> |-<br /> | [[プログレッシブ・フィールド]]<br /> | [[クリーブランド・インディアンス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 125m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 43,863人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1994年のメジャーリーグベースボール|1994]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]<br /> |-<br /> | [[コメリカ・パーク]]<br /> | [[デトロイト・タイガース]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;105.2m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;128m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,070人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2000年のメジャーリーグベースボール|2000]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ミシガン州]][[デトロイト (ミシガン州)|デトロイト]]<br /> |-<br /> | [[カウフマン・スタジアム]]<br /> | [[カンザスシティ・ロイヤルズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 125m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 38,177人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1969年のメジャーリーグベースボール|1969]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ミズーリ州]][[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]<br /> |-<br /> | [[ターゲット・フィールド]]<br /> | [[ミネソタ・ツインズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 103.3m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 123.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 39,504人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2010年のメジャーリーグベースボール|2010]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ミネソタ州]][[ミネアポリス (ミネソタ州)|ミネアポリス]]<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color:#ff5600; text-align: center;&quot; | [[アメリカンリーグ西地区|{{color|white|西地区}}]]<br /> | [[エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム]]<br /> | [[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 45,050人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1966年のメジャーリーグベースボール|1966]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[カリフォルニア州]][[アナハイム]]<br /> |-<br /> | [[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]<br /> | [[オークランド・アスレチックス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 34,077人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 1966<br /> | {{flagicon|USA}} カリフォルニア州[[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]]<br /> |-<br /> | [[セーフコ・フィールド]]<br /> | [[シアトル・マリナーズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 123.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.7m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 47,116人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1999年のメジャーリーグベースボール|1999]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ワシントン州]][[シアトル]]<br /> |-<br /> | [[グローブライフ・パーク・イン・アーリントン]]<br /> | [[テキサス・レンジャーズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 101.2m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 47,116人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 1994<br /> | {{flagicon|USA}} [[テキサス州]][[アーリントン (テキサス州)|アーリントン]]<br /> |-<br /> | [[ミニッツメイド・パーク]]<br /> | [[ヒューストン・アストロズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 96.0m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;132.6m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 40,950人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2000年のメジャーリーグベースボール|2000]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[テキサス州]][[ヒューストン]]<br /> |}<br /> ;[[ナショナルリーグ]]球場一覧<br /> :{| class=&quot;wikitable sortable&quot; style=&quot;font-size: 80%;&quot;<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 地区<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 球場名<br /> ! style=&quot;width: 19em;&quot; | チーム<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 左翼<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 中堅<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 右翼<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 収容人数<br /> ! style=&quot;width: 4.5em;&quot; | 開場年<br /> ! style=&quot;width: 20em;&quot; | 所在地<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: royalblue; text-align: center;&quot;|[[アメリカンリーグ東地区|{{color|white|東地区}}]]<br /> | [[サントラスト・パーク]]&#039;&#039;&#039;&#039;&#039;<br /> | [[アトランタ・ブレーブス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 122m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,500人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2017年のメジャーリーグベースボール|2017]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ジョージア州]][[アトランタ]]<br /> |-<br /> | [[マーリンズ・パーク]]<br /> | [[マイアミ・マーリンズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 103.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 126.8m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 37,000人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2012年のメジャーリーグベースボール|2012]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[フロリダ州]][[マイアミ]]<br /> |-<br /> | [[シティ・フィールド]]<br /> | [[ニューヨーク・メッツ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 103.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 125.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,800人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2009年のメジャーリーグベースボール|2009]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]・[[クイーンズ区|クイーンズ]]<br /> |-<br /> | [[シチズンズ・バンク・パーク]]<br /> | [[フィラデルフィア・フィリーズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.3m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 122.2m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 43,500人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2004年のメジャーリーグベースボール|2004]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]<br /> |-<br /> | [[ナショナルズ・パーク]]<br /> | [[ワシントン・ナショナルズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 122.5m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,888人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2008年のメジャーリーグベースボール|2008]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ワシントンD.C.]]<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color: blue; text-align: center;&quot;|[[アメリカンリーグ中地区|{{color|white|中地区}}]]<br /> | [[リグレー・フィールド]]<br /> | [[シカゴ・カブス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;108.2m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;107.6m&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,118人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;[[1914年のメジャーリーグベースボール|1914]]&#039;&#039;&#039;<br /> | {{flagicon|USA}} [[イリノイ州]][[シカゴ]]<br /> |-<br /> | [[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]<br /> | [[シンシナティ・レッズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.0m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 123.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 42,059人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2003年のメジャーリーグベースボール|2003]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[オハイオ州]][[シンシナティ]]<br /> |-<br /> | [[ミラー・パーク]]<br /> | [[ミルウォーキー・ブルワーズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 104.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 105.2m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 42,400人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2001年のメジャーリーグベースボール|2001]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ウィスコンシン州]][[ミルウォーキー]]<br /> |-<br /> | [[PNCパーク]]<br /> | [[ピッツバーグ・パイレーツ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 99.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 97.5m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 38,496人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 2001<br /> | {{flagicon|USA}} ペンシルベニア州[[ピッツバーグ]]<br /> |-<br /> | [[ブッシュ・スタジアム]]<br /> | [[セントルイス・カージナルス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.9m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 102.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 43,975人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[2006年のメジャーリーグベースボール|2006]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[ミズーリ州]][[セントルイス]]<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;5&quot; style=&quot;background-color:#007fff; text-align: center;&quot; | [[アメリカンリーグ西地区|{{color|white|西地区}}]]<br /> | [[チェイス・フィールド]]<br /> | [[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 124.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 101.8m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 49,033人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1998年のメジャーリーグベースボール|1998]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[アリゾナ州]][[フェニックス (アリゾナ州)|フェニックス]]<br /> |-<br /> | [[クアーズ・フィールド]]<br /> | [[コロラド・ロッキーズ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 105.8m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 126.5m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 106.7m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 50,445人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1995年のメジャーリーグベースボール|1995]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[コロラド州]][[デンバー (コロラド州)|デンバー]]<br /> |-<br /> | [[ドジャー・スタジアム]]<br /> | [[ロサンゼルス・ドジャース]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 120.4m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 100.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | &#039;&#039;&#039;56,000人&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | [[1962年のメジャーリーグベースボール|1962]]<br /> | {{flagicon|USA}} [[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]<br /> |-<br /> | [[ペトコ・パーク]]<br /> | [[サンディエゴ・パドレス]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 101.8m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 120.7m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 98.1m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 42,445人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 2004<br /> | {{flagicon|USA}} カリフォルニア州[[サンディエゴ]]<br /> |-<br /> | [[AT&amp;Tパーク]]<br /> | [[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 103.3m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 121.6m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 94.2m<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 41,503人<br /> | style=&quot;text-align: center;&quot; | 2000<br /> | {{flagicon|USA}} カリフォルニア州[[サンフランシスコ]]<br /> |}<br /> <br /> ==== マイナーリーグ ====<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> === 日本 ===<br /> 日本では興行上の理由から、公認野球規則2.01の規定を敢えて無視し、両翼を狭くすることで[[本塁打]]の出やすい球場が多く作られた。中には[[阪神甲子園球場]]、[[明治神宮野球場]]、[[阪急西宮スタジアム|西宮球場]]、[[京都市西京極総合運動公園野球場]](わかさスタジアム京都)、[[倉吉市営野球場]]などのように、完成時の広いグラウンド内に、わざわざ[[ラッキーゾーン]]という金網の柵を設けたこともあった。[[藤井寺球場]]には外野客席とフィールドの間にブルペンが設置(ラバーフェンスはフィールドとブルペンの間に設置)されており、事実上のラッキーゾーンを成していた(神宮球場は1967年にラッキーゾーンを撤去している)。<br /> <br /> [[1984年]]の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]から野球が[[オリンピック公開競技]]となることが決まると、既存球場の広さでは将来的なオリンピック開催や選手の野球技術の向上の点で国際的に通用しないとの危機感が浮上した。[[1981年]][[12月24日]]、[[日本野球機構]]の[[下田武三]][[コミッショナー (日本プロ野球)|コミッショナー]]は12球団のオーナーらに要望書を送付。新設する野球場は正規の規格で建設するよう訴えた。こうした流れを受けて、1980年代後半以降は国際ルールに適合、またはそれに準ずる球場が続々完成(改修工事を施した球場でも両翼を国際基準、またはそれに準じたサイズに拡大)し、ラッキーゾーンのあった球場も倉吉(ナイター設備がラッキーゾーンの中にあるため撤去が困難)を除いて全て撤去された。後、2010年代になって宮城球場にEウイング、福岡ドームにホームランテラスと称する、外野フェンスから外野に張り出す形での観客席が新設され、フィールドを狭くするラッキーゾーン敷設同様の改修が行われている。<br /> <br /> また従来の球場のファウルゾーンは、公認野球規則に規定された最低限の面積を遙かに上回る広大なものが多く、両翼までなだらかにファウルゾーンが狭まっていくのが主流であった。各球場のグラウンドの両翼が公認野球規則に従って拡張されつつあった1980年代から90年代にかけても、この点について考慮はあまり見られなかった。しかし2000年代以降、メジャーリーグのTV中継により視聴者がアメリカの球場を目にする機会が増えると、国内のプロ球団が使用する球場においても、観客席を新たに設けることにより、一(三)塁を過ぎた所でファウルゾーンを急激に狭める改修が進められた。特に2009年に完成した広島市民球場([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]、以降マツダスタジアム)は、公認野球規則の制限内において可能な限りファウルゾーンを狭めている。また、2008年から2009年にかけての改修によりファウルゾーンを狭めた西武ドームも同様であり、グラウンド面積はマツダスタジアムを下回り専用球場12球場で最小となっている。<br /> <br /> 基本的にフィールドは左右対称となっている(日本国内のプロ本拠地ではマツダスタジアムのみ非対称)。アメリカでは、1960年代から1980年代までに建設されたものは左右対称のフィールドが多かったものの、新古典派球場ブームの到来で現在左右対称のフィールドとなっているスタジアムはわずかである。<br /> <br /> さらにグラウンドの方角については、野手が長時間南側を向いて守備し、直射日光を受けねばならないことを考慮して、公認野球規則の規定を敢えて無視し、本塁から投手板を経て二塁に向かう線を南向きにする球場が多く見られる。甲子園球場、宮城球場、[[神戸総合運動公園野球場]]、千葉マリンスタジアム、京都市西京極総合運動公園野球場、藤井寺球場などが代表例である。<br /> <br /> 一方、明治神宮球場・横浜スタジアムなどは、守備側が概ね南側を向くようになっており、さらにマツダスタジアムは公認野球規則に完全に従い、本塁から投手板を経て二塁に向かう線を東北東向きとしている。公認野球規則の規定は球場内の多数を占める内野スタンドの観客が直射日光に晒されないよう配慮されたもので、アメリカ・メジャーリーグのスタジアムで数多く見られる伝統的なグラウンド配置である。こうした球場での午後のデーゲームは、内野スタンドの大部分が日陰になる一方、外野手のサングラス着用は必須となっている。<br /> <br /> なお、現在プロ12球団が本拠地としている野球場の両翼・中堅・左右中間までの距離の公称値(非公称値含む)は下記の通りである。<br /> * [[札幌ドーム]] - 両翼100m、中堅122m、左右中間116m<br /> * [[宮城球場]](楽天生命パーク宮城) - 両翼100.1m、中堅122m、左右中間116m<br /> * [[西武ドーム]](メットライフドーム) - 両翼100m、中堅122m、左右中間116 m<br /> * [[東京ドーム]] - 両翼100m、中堅122m、左右中間110 m<br /> * [[明治神宮野球場]] - 両翼97.5m、中堅120m、左右中間112.3m<br /> * [[千葉マリンスタジアム]](ZOZOマリンスタジアム) - 両翼99.5m、中堅122m、左右中間116.3 m<br /> * [[横浜スタジアム]] - 両翼94m、中堅118m、左右中間111.4 m<br /> * [[ナゴヤドーム]] - 両翼100m、中堅122m、左右中間116 m<br /> * [[大阪ドーム]](京セラドーム大阪) - 両翼100m、中堅122m、左右中間116 m<br /> * [[阪神甲子園球場]] - 両翼95m、中堅118m、左右中間118 m<br /> * 広島市民球場([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]) - 左翼101m、右翼100m、中堅122m、左右中間116m<br /> * [[福岡ドーム]](福岡ヤフオク!ドーム) - 両翼100m、中堅122m、左右中間110 m<br /> <br /> 2009年現在、公認野球規則2.01の付記(a)で規定された規格を充足しないのは神宮、横浜、甲子園の3球場である。神宮は2008年の改修によってフィールドを拡張したが、規格は充足されなかった。横浜は都市公園法上の建ぺい率制限から将来的にもほぼ拡張不可能。甲子園も2007年から行われた改修においてフィールドの拡張は行われなかった。ただし甲子園は左右中間の奥行きが広く、両翼のポールの位置も独特なため、両翼・中堅の数値だけをもって狭いとは言えない。左右中間の膨らみは規定されていないため、甲子園のように左右中間までの距離が中堅までとほぼ変わらず巨大な膨らみを持つ球場から、東京ドーム、福岡ドームのように左右中間の膨らみがほぼないものまで様々である。近年の球場の外野フェンスは二塁やや後方の一点を中心とする真円の弧になっているものが多い。フェンスの高さも規定されておらず、ホームランテラスを設置する前の福岡ドームの外野フェンスは5.8mあり、アメリカの[[フェンウェイ・パーク]]にならって「グリーンモンスター」とも呼ばれた。<br /> <br /> === 韓国 ===<br /> [[ファイル:Busan Sajik Stadium 20080706.JPG|thumb|250px|[[社稷野球場]]([[釜山広域市]])]]<br /> <br /> 近年は国際大会での躍進が目立つ[[大韓民国|韓国]]だが、学生野球の段階から極端な少数精鋭制(野球部のある高校は全国で50余校しかない)を採っているため、野球の競技人口は非常に少なく、野球[[インフラストラクチャー|インフラ]]の整備が進んでいない。そのため、大都市を除けば野球場が殆ど存在しないのが現状である&lt;ref&gt;水沼啓子(2009-03-29), [http://megalodon.jp/2009-0330-0229-40/sankei.jp.msn.com/world/korea/090329/kor0903291301002-n1.htm 【週刊韓(カラ)から】韓国野球の強さの秘訣は“抗日義士”?], MSN産経ニュース, 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> プロ球団が本拠地とする8球場のうち、[[社稷野球場]]([[釜山広域市|釜山]])、[[文鶴野球場]]([[仁川広域市|仁川]])、[[蚕室総合運動場野球場]]([[ソウル特別市|ソウル]])に位置する3球場は内外野総天然芝のグラウンドなど充実した設備を持ち、3万人近い観客を収容可能である。それ以外の球場は人工芝で、1万人台前半〜2万人程度の収容能力しか持たず、設備も劣悪である。特に[[大邱市民運動場野球場]]([[大邱広域市|大邱]])は老朽化が深刻で[[宣銅烈]]は「プロ野球がこんな球場で行われるということ自体が恥ずかしい」と語っている&lt;ref&gt;{{Cite news|title=<野球>「崩壊の危険ある球場で野球しろと?」宣銅烈監督|newspaper=中央日報|date=2006-04-06|url=http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=74444&amp;servcode=600&amp;sectcode=|accessdate=2017-08-19}}&lt;/ref&gt;。米球界経験者である[[奉重根]]は、「韓国の球場施設はあまりにも劣悪。大邱や[[光州広域市|光州]]、[[木洞野球場|木洞]]の球場は正直言って([[マイナーリーグ]]の)1A水準」「スライディンクもダイビングキャッチも、思い切ってできない状況だ。[[マウンド]]も少し投球しただけでくぼみができる」と不満を述べている&lt;ref&gt;{{Cite news|title=奉重根「韓国の野球インフラひどすぎ」|newspaper=朝鮮日報|date=2009-06-26|author=ナム・ジョンソク|url=http://www.chosunonline.com/news/20090626000045|accessdate=2017-08-19|archiveurl=http://archive.is/fiBtZ|archivedate=2013-09-28}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 近年は[[ワールド・ベースボール・クラシック]]1次ラウンド誘致を見込んで、釜山にドーム球場建設の動きがある。「韓国球界の宿願」とされるドーム球場建設だが、資金面や運用面で問題が山積みであり、実現の目途は立っていなかったが&lt;ref&gt;[http://www.chosunonline.com/news/20100919000009 野球:釜山ドーム構想、費用問題で足踏み]{{リンク切れ|date=2017年8月}}, 朝鮮日報, 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;、2015年10月にソウル特別市[[九老区]]で韓国初となるドーム球場[[高尺スカイドーム]]が開場した。<br /> <br /> [[ファイル:New Gwangju Baseball Stadium.jpg|thumb|250px|2014年に開場した[[光州起亜チャンピオンズフィールド]]([[光州広域市]])]]<br /> * [[社稷野球場]]([[ロッテ・ジャイアンツ]]の本拠地) - 両翼95m、中堅118m。内外野[[天然芝]]。28,500人収容。<br /> * [[文鶴野球場]]([[SKワイバーンズ]]の本拠地) - 両翼95m、中堅120m。内外野天然芝。27,800人収容。<br /> * [[蚕室総合運動場野球場]]([[LGツインズ]]と[[斗山ベアーズ]]の本拠地) - 両翼100m、中堅125m。内外野天然芝。27,500人収容。<br /> * [[木洞野球場]]([[ネクセン・ヒーローズ]]の本拠地、2015年まで) - 両翼98m、中堅118m。[[人工芝]]。20,000人収容。<br /> * [[高尺スカイドーム]]([[ネクセン・ヒーローズ]]の本拠地、2016年から) - 両翼99m、中堅122m。[[人工芝]]。22,258人収容。<br /> * [[馬山総合運動場野球場]]([[NCダイノス]]の本拠地) - 両翼96m、中堅116m。人工芝。20,000人収容。<br /> * [[大邱市民運動場野球場]]([[三星ライオンズ]]の本拠地) - 両翼98m、中堅120m。人工芝。13,941人収容。<br /> * [[光州無等総合競技場野球場]]([[起亜タイガース]]の前本拠地) - 両翼99m、中堅120m。人工芝。13,872人収容。<br /> * [[光州起亜チャンピオンズフィールド]]([[起亜タイガース]]の本拠地) - 両翼99m、中堅121m。内外野天然芝。22,244人収容。<br /> * [[大田ハンバッ運動場野球場]]([[ハンファ・イーグルス]]の本拠地) - 両翼97m、中堅114m。人工芝。10,500人収容。<br /> * [[水原総合運動場野球場]]([[KTウィズ]]の本拠地) - 両翼95m、中堅120m。天然芝。20,000人収容。<br /> <br /> [[光州広域市]]は2010年から、市幹部が相次いで[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]を視察し、その結果、目標をドーム球場建設から内外野天然芝のボールパーク建設に鞍替えした。2011年12月から建設が始まった[[光州無等総合競技場野球場]]に代わる新球場は2014年2月に竣工し、[[光州起亜チャンピオンズフィールド]]と命名された。<br /> <br /> === 中南米 ===<br /> [[ファイル:Estadio de beisbol en Monterrey.jpg|thumb|250px|[[エスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイ]]([[メキシコ]]・[[モンテレイ (メキシコ)|モンテレイ]])]]<br /> [[ファイル:Estadio Latinoamericano.jpg|thumb|250px|[[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]]([[キューバ]]・[[ハバナ]])]]<br /> [[ファイル:Universitario-caracas.jpg|thumb|250px|[[エスタディオ・ウニベルシタリオ・デ・カラカス]]([[ベネズエラ]]・[[カラカス]])]]<br /> <br /> 野球が盛んな中南米には、本格的な野球場が多く存在する。ただし、一部の例外を除けば収容人数は多くても2万人台である。米国と同様に内外野総[[天然芝]]の屋外球場が基本的な形態である。特徴の1つとして、その地に所縁のある往年の名選手の名が付けられた球場が多い(例:[[ベネズエラ]]の[[エスタディオ・ルイス・アパリシオ・エル・グランデ]]、[[ニカラグア]]の[[エスタディオ・デニス・マルティネス]]、[[プエルトリコ]]の[[エスタディオ・ロベルト・クレメンテ・ウォーカー]]など)。また、この地域は経済水準が北米や極東アジアに比べると低いため、プロレベルの試合が行われる野球場であっても、グラウンドのコンディションや設備が劣悪な状態であることも珍しくない&lt;ref&gt;石原豊一(2008-07-18),[http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat82358/index.html リガ・ノロエステ ~もうひとつのウィンターリーグ(最終回)], 野球小僧編集部, 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;nika&quot;&gt;石原豊一(2008-12-05), [http://kozo.weblogs.jp/kozo/2008/12/post-1cd6.html ニカラグア野球紀行 第1回], 野球小僧編集部 , 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;cuba&quot;&gt;[http://www15.plala.or.jp/samayoinohoshi/cuba6.htm ラブランド・アイランド・キューバ VoL.6 キューバ野球]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;[[メキシコ]]<br /> :国内で最大の野球場は、北東部の都市[[モンテレイ (メキシコ)|モンテレイ]]にある[[エスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイ]](2万8000人収容)である。[[1996年]]と[[1999年]]には[[サンディエゴ・パドレス]]の主催でMLBの公式戦が開催されている。次いで収容人数が多いのは、首都[[メキシコシティ]]にある多目的球場[[フォロ・ソル]](2万5000人収容)である。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]のメキシコラウンドがフォロ・ソルで開催された。メキシコでは夏季リーグ([[メキシカンリーグ]])と[[ウィンターリーグ]]の2つのリーグが存在し、全国に一定規模の野球場が存在するが、収容人数が2万人を上回るのは前記の2球場だけで、それ以外は数千人 - 1万人台のものである。<br /> ;[[キューバ]]<br /> :首都[[ハバナ]]にある[[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]]は[[ラテンアメリカ]]最大の野球場で、収容人数は最大で5万5000人に達する。{{by|1946年}}の開場当初は、3万人収容だったが、{{by|1971年}}の大改装で客席が大幅に増設された。名実共にキューバを代表する野球場であり、{{by|1999年}}3月28日には[[ボルチモア・オリオールズ対キューバ代表の親善試合]]第1戦も開催され、5万人を超える観客が詰めかけた&lt;ref&gt;[http://www.latinosportslegends.com/USvsCuba.htm http://www.latinosportslegends.com/USvsCuba.htm], Latino Legends in Sports(英語), 2010年11月26日&lt;/ref&gt;。キューバではエスタディオ・ラティーノアメリカーノだけが突出して規模が大きく、その他の球場は他の中南米諸国と同程度の規模である。[[サンティアゴ・デ・クーバ]]市にある[[:es:Estadio Guillermón Moncada|エスタディオ・ギジェルモン・モンカダ]](2万5000人収容)、[[:en:Matanzas|マタンサス]]市にある[[:es:Estadio Victoria de Girón|エスタディオ・ビクトリア・デ・ヒロン]](2万2000人収容)が2万人以上の収容能力を持つ。<br /> ;[[ドミニカ共和国]]<br /> :[[ウィンターリーグ]]で本拠地として使用される野球場は全部で5つあるが、収容人数2万人以上の球場は存在せず、国内第2の都市[[サンティアゴ・デ・ロス・カバリェロス]]にある[[エスタディオ・シバオ]]が1万8077人で国内最大である。首都[[サントドミンゴ]]の[[エスタディオ・キスケージャ]](1万6500人収容)が2番目の規模を持つ。プロ球団が使用する5球場では、[[エスタディオ・テテーロ・バルガス]]を除く4球場が1万人以上の収容能力を持つ。<br /> ;[[プエルトリコ]]<br /> :最大の都市[[サンフアン (プエルトリコ)|サンフアン]]にある[[ヒラム・ビソーン・スタジアム]](1万8000人収容)が同国最大の野球場である。[[ワールド・ベースボール・クラシック]]で2度会場になり、MLBの公式戦もたびたび開催されている。同球場と[[エスタディオ・フランシスコ・モンタネール]]、[[エスタディオ・ロベルト・クレメンテ・ウォーカー]]の3球場は、中南米の主要球場としては珍しく[[人工芝]]のグラウンドを持つ。<br /> ;[[ベネズエラ]]<br /> :[[ウィンターリーグ]]で本拠地として使用される野球場は全部で7つあり、その全てが1万人以上の収容能力を持つ。国内最大([[南米大陸]]最大)の野球場は、首都[[カラカス]]にある[[エスタディオ・ウニベルシタリオ・デ・カラカス]](約2万6000人収容)である。2万人以上を収容できる野球場は、その他に[[マラカイボ]]の[[エスタディオ・ルイス・アパリシオ・エル・グランデ]](2万3900人収容)、[[バルキシメト]]の[[エスタディオ・アントニオ・エレーラ・グティエレス]](2万450人収容)がある。<br /> ;[[パナマ]]<br /> :首都[[パナマ市]]にある[[:es:Estadio Nacional de Panamá|エスタディオ・ナシオナル・デ・パナマ]](2万7000人収容)が国内最大の野球場である。パナマ出身の殿堂入り選手[[ロッド・カルー]]を記念して、「エスタディオ・ナシオナル・ロッド・カルー」の別名を持つ。<br /> ;[[コロンビア]]<br /> :本格的な野球場は、野球が盛んな[[カリブ海]]沿岸部に多い。[[カルタヘナ (コロンビア)|カルタヘナ]]にある[[:es:Estadio Once de Noviembre|エスタディオ・オンス・デ・ノビエブレ]](1万2000人収容)と、[[シンセレホ]]にある[[:en:Estadio 20 de Enero|エスタディオ・20・デ・エネロ]](1万人収容)の2球場が1万人以上の収容能力を持つ&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://teamrenteria.info/teamrenteria/Joomla/content/view/263/104/|title=&quot;Estadio Once de Noviembre&quot; |language=スペイン語|accessdate=2009-05-07 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20090528033326/http://teamrenteria.info/teamrenteria/Joomla/content/view/263/104/ |archivedate=2009年5月28日}}&lt;/ref&gt;。[[バランキヤ]]にある[[:es:Estadio Tomás Arrieta|エスタディオ・トマス・アリエタ]](8000人収容)には、国内リーグの本部が設置されている&lt;ref&gt;石原豊一(2010-07-20), [http://kozo.weblogs.jp/kozo/cat6387091/ コロンビア野球紀行 第19回], 野球小僧編集部, 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。ちなみに、同球場はバランキヤ出身の名遊撃手[[エドガー・レンテリア]]を冠した名称に変更される予定である&lt;ref&gt;[http://www.elheraldo.com.co/ELHERALDO/BancoConocimiento/E/estadioedgarrenteria/estadioedgarrenteria.asp?CodSeccion=59 Alcalde anuncia que estadio de béisbol se llamará Édgar Rentería], EL HERALD.COM.CO(スペイン語), 2010年11月26日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> ;[[ニカラグア]]<br /> :同国出身の名投手[[デニス・マルティネス]]の名を冠した[[エスタディオ・デニス・マルティネス]]が国内最大の野球場([[サッカー]]場も兼ねる多目的スタジアム)であり、中南米でも最大規模の収容能力(約3万100人収容)を持つ&lt;ref&gt;[http://fedefutbol.net/fed.aspx?id=NCA : Fedefutbol.net - Federaciones Internacionales de Fútbol :&lt;!-- Bot generated title --&gt;](スペイン語)&lt;/ref&gt;。ただし、資料によっては2万5000人という表記もある&lt;ref&gt;Andrew G. Clem, [http://www.andrewclem.com/Baseball/EstadioDennisMartinez.html &quot;Estadio Dennis Martinez&quot;], [http://www.andrewclem.com/Baseball.php &#039;&#039;Clem&#039;s Baseball&#039;&#039;]&lt;/ref&gt;。全体的に球場のコンディションは悪く、デコボコの内野グラウンドに荒れた芝、薄暗い照明など劣悪な環境で試合が行われている&lt;ref name=&quot;nika&quot; /&gt;。<br /> <br /> === その他 ===<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === アメリカ合衆国における野球場の歴史 ===<br /> {{See also|メジャーリーグベースボールの本拠地野球場一覧}} <br /> 野球は[[アメリカ合衆国]]の4大スポーツの中で最も古い歴史を持ち、野球場も時代の流れの中で大きな変遷を遂げてきた。以下、アメリカ合衆国における野球場の歴史を概説する。<br /> <br /> ==== 黎明期 ====<br /> [[ファイル:Baseball1866.JPG|thumb|250px|エリシアン・フィールズ(1866年)]]<br /> 野球のゲームルールを確立した[[アレクサンダー・カートライト]]が設立したニッカーボッカー・クラブは[[ニューヨーク]]が本拠地だったが、マンハッタンに適当なグラウンドが無かったために、[[1845年]]、[[ニュージャージー州]]の[[ホーボーケン (ニュージャージー州)|ホーボーケン]]にある[[:en:Elysian Fields, Hoboken, New Jersey|エリシアン・フィールズ]]を使い始めた&lt;ref&gt;Nieves, Evelyn. [http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0DE1D71239F930A35757C0A960958260 &quot;Our Towns;In Hoboken, Dreams of Eclipsing the Cooperstown Baseball Legend&quot;], &#039;&#039;The New York Times&#039;&#039;, April 3, 1996. Accessed October 26, 2007. &quot;&lt;/ref&gt;。翌年、エリシアン・フィールズで、ニッカーボッカー・クラブとニューヨーク・ナインの試合が、初めての野球のクラブ対抗戦として開催された。1865年、エリシアン球場でニューヨークの[[ニューヨーク・ミューチュアルズ|ミューチュアル・クラブ]]とブルックリンの[[ブルックリン・アトランティックス|アトランティック・クラブ]]の選手権試合が開催されおよそ2万人の観衆を集めた。この光景が印刷屋のカリアー&amp;アイブズの[[リトグラフ]]「アメリカの国民的野球試合」(右図)に収められた。この時代の球場には外野フェンスが存在せず、本塁打は全てランニング本塁打だった。<br /> <br /> [[ファイル:Southendgrounds.jpg|thumb|250px|left|ボストン・ビーンイーターズ(現[[アトランタ・ブレーブス]])の本拠地であった[[サウス・エンド・グラウンズ]](1893年)]]<br /> 1860年代には、野球がアメリカ合衆国内で急速に普及していく。[[1862年]]には、[[ニューヨーク]]の[[ブルックリン区|ブルックリン]]に初のフェンス付き野球場である[[ユニオン・グラウンズ]]が完成。ユニオン・グラウンズでは、1500人ほどが入れる観客席があったことで、野球の試合で観客から入場料を取ることができるようになった。同球場では、米国にプロ野球組織が出来る前から、いくつものニューヨークの著名な野球クラブが本拠地とし、[[1871年]]以降は初期の[[ナショナルリーグ]]の試合でも用いられた。<br /> <br /> [[1871年]]、初のプロ野球リーグ[[全米プロ野球選手協会|ナショナル・アソシエーション]]が誕生し、本格的な興行を目的とした近代野球場が、各地で相次いで建設された。この時代に作られた野球場の中でも、特に著名なものの1つが、[[アトランタ・ブレーブス|ボストン・レッドストッキングス(現アトランタ・ブレーブス)]]の本拠地[[サウス・エンド・グラウンズ]]である。[[1880年]]には、後に[[ポロ・グラウンズ]]として知られることになる野球場(ブラザーフッド・パーク)がマンハッタンに完成。同球場は、1891年に「ポロ・グラウンズ」に改称してオープンし、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)]]が本拠地として使用を開始する。この時期にはまだ、プロが使用する球場であっても、収容人数は数千人~1万人台前半規模の物が多数を占めていたが、1882年開場の[[エクスポジション・パーク (ピッツバーグ)|エクスポジション・パーク]](収容人数:16,000人)のように、多くの観客席を備えた球場も存在した。<br /> [[ファイル:West Side Park 1908 08 30.jpg|thumb|right|350px|ウエスト・サイド・パーク(写真は1908年8月30日、カブス - [[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ジャイアンツ]]戦)。左翼 - 340 ft (約103.6 m)、中堅 - 516 ft (約157.3 m)、右翼 - 316 ft (約96.3 m)]]<br /> 1890年代からは、1万人台後半以上の大規模な観客席を備えた野球場が次々と現れるようになる。[[シカゴ・カブス]]の本拠地[[ウエスト・サイド・パーク]]は、1894年の改修で16,000人の観客席を備えた。[[1901年]]に誕生した[[ニューヨーク・ヤンキース|ニューヨーク・ハイランダース(現ニューヨーク・ヤンキース)]]は、当初[[オリオール・パーク]]を本拠地にしていたが、[[1903年]]から収容人数16,000人の[[ヒルトップ・パーク]]に移転する。その後、[[1911年]]にジャイアンツが新ポロ・グラウンズに移転。2年後には、ハイランダースから球団名を変更したヤンキースも、同じくポロ・グラウンズに移転した。新ポロ・グラウンズは、34,000人もの大収容人数を誇る、当時では画期的な新球場であった。<br /> <br /> 黎明期の野球場は、現在と異なりフィールドの形がかなり歪であった。ポロ・グラウンズはその典型で、グラウンドがほぼ長方形の形をしており、中堅までが483ft(約147.2m)と異様に長いが、左翼までは279ft(約85.0m)、右翼までは257.67&amp;nbsp;ft(約78.5m)と極端に短くなっており、ポップフライでもポール際なら本塁打になることが多かった。[[ベーブ・ルース]]は、この球場の形状を利用して、本塁打を量産した。また、レイク・フロント・パーク([[シカゴ]])は、左翼まで186ft(約56.7m)、中堅まで300ft(約91.4m)、右翼まで196ft(約59.7m)と極めて狭く、あまりの狭さに1884年シーズン終了後に広いウエスト・サイド・パークに移転した。狭い球場が多い一方で、中堅までが542ft(約165.2m)、左翼365ft(約111.3m)、右翼400ft(約121.9m)というヒルトップ・パークのように広大な球場も多く、球場サイズは全く統一されていなかった。また、この時代の球場は木製であったため、火事に見舞われることも少なくなかった。<br /> <br /> ==== 近代野球場の隆盛 ====<br /> [[ファイル:Fenway from Legend&#039;s Box.jpg|thumb|250px|現存するメジャーリーグ最古の野球場、[[フェンウェイ・パーク]]。]]<br /> まだ木造建築が主流だった[[1908年]]、初めて鉄骨や鉄筋コンクリートを用いて建設された野球場である[[シャイブ・パーク]]([[フィラデルフィア]])が開場。これを機に、鉄筋コンクリート製球場建設ブームが沸き起こり、その後長きに渡って米国の野球史を彩る近代野球場が次々と姿を現した。翌[[1909年]]には[[フォーブス・フィールド]]([[ピッツバーグ]])が完成し、[[1910年]]には、収容人数3万人で、フィールドの広さも標準的な近代野球場[[コミスキー・パーク]]([[シカゴ]])がオープン。その2年後の[[1912年]]には、現存するMLB最古の球場である[[フェンウェイ・パーク]]([[ボストン]])がオープンした。同年には[[タイガー・スタジアム|ネビン・フィールド]]([[デトロイト]]、後のタイガー・スタジアム)や[[エベッツ・フィールド]]([[ニューヨーク]])、[[クロスリー・フィールド]]([[シンシナティ]])、更に2年後の[[1914年]]には[[リグレー・フィールド]](シカゴ)がオープンし1915年には、当時最大の4万人を収容可能な[[ブレーブス・フィールド]](ボストン)が完成した。メジャーリーグの発展と野球人気の上昇により、球場の収容人数も、2万人~4万人規模が主流になっていった。<br /> <br /> この時期に作られた球場は、依然としてフィールドのサイズは統一されていなかったが、概ね現代の水準に近づいてきていた。また、この時代は街中の限られた空き地に球場を作ることが多かったため、結果として左右非対称の歪な形状になることが多かった。その代表例がフェンウェイ・パークであり、左翼方向が右翼に比べて狭く、本塁打の乱発を防ぐためにレフトの外野フェンスが極端に高くなっている(通称:グリーンモンスター)。左右非対称の形状や、カクカクしたフェンスラインは、土地が足らないことによる苦肉の策であったが、次第に古き良き時代の野球場と象徴として捉えられるようになり、近年の新古典主義ボールパークの多くが、左右非対称の歪な外野フェンスラインを採用している。<br /> [[ファイル:Yankee Stadium,1920s.jpg|thumb|200px|left|1920年代のヤンキー・スタジアム正面玄関]]<br /> [[1923年]]には、ニューヨーク・ヤンキースの新球場[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]が開場。収容人数は当時最大の58,000人で、「&#039;&#039;&#039;ルースが建てた家&#039;&#039;&#039;」(&#039;&#039;The house that Ruth built&#039;&#039; )という異名を持った。しかし、開場時は左中間が異常に深く(「デスヴァレー」(&#039;&#039;Death Valley&#039;&#039;)=「死の谷」と呼ばれた)、逆にライトポールまでの距離が短かったため「(左の強打者である)ルースのために建てられた家」だという声も存在する&lt;ref&gt;[[藤澤文洋]] 『やっぱり凄い メジャーリーグ大雑学』 [[講談社]]&lt;講談社+α文庫&gt;、ISBN 4062564297、2000年、300頁。&lt;/ref&gt;。MLB屈指の強豪球団ヤンキースの本拠地として、ヤンキー・スタジアムは数々の歴史的場面の舞台となった。客席が増設され一時は82,000人収容になったり、[[1946年]]には照明灯が導入されるなど、改修もたびたび行われた。また[[野球]]以外にも使用され、[[1956年]]から[[1973年]]にかけては[[NFL]][[ニューヨーク・ジャイアンツ]]の本拠地として使用された。さらに[[プロボクシング]]のビッグマッチも行われた。<br /> <br /> ヤンキー・スタジアムの完成を以って、大規模な近代野球場建設ラッシュも一段落する。[[1931年]]には「&#039;&#039;&#039;湖畔の失敗&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;The Mistake on the Lake&#039;&#039;)」と評された[[ミュニシパル・スタジアム (クリーブランド)|ミュニシパル・スタジアム]]([[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]])が開場したが、次なる野球場建設ラッシュは、既存の球場の老朽化が始まり、球団拡張が進められた1960年代~1970年代を待つことになる。<br /> {{ - }}<br /> ==== アメフト兼用野球場の流行 ====<br /> (後述の「[[#アメフト兼用球場(円形兼用球場)|多目的施設としての野球場/アメフト兼用球場(円形兼用球場)]]」の項も参照)<br /> <br /> 1960年代中盤 - 1970年代になると、1900年代初頭に作られた野球場の老朽化が目立つようになった。更に、この時期にはMLBの球団拡張が進められ、各地で新球団が続々と産声を上げていた。また、この頃には既に[[NFL]]がMLBと並ぶ人気プロスポーツに成長しており、野球界と同じく新球場を求める声が上がっていた。こうした事情により、野球と[[アメリカンフットボール]]の兼用球場が各地で次々に建設されることになった。<br /> {| class=wikitable<br /> !開場年!!球場名(開場時)!!球団!!新球場!!備考<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |[[1953年]]||[[カウンティ・スタジアム]]||[[アトランタ・ブレーブス|ミルウォーキー・ブレーブス]]([[メジャーリーグベースボール|MLB]])&lt;br /&gt;[[ミルウォーキー・ブルワーズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[グリーンベイ・パッカーズ]]([[NFL]])||[[ミラー・パーク]]||[[2001年]]閉場 <br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |[[1960年]]||[[キャンドルスティック・パーク]]||[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]([[メジャーリーグベースボール|MLB]])&lt;br /&gt;[[サンフランシスコ・フォーティナイナーズ]]([[NFL]])||[[パシフィック・ベル・パーク]]||[[1971年]]から&lt;br /&gt;アメフト兼用 <br /> |-<br /> |[[1961年]]||[[ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム]]||[[テキサス・レンジャーズ|ワシントン・セネタース]](MLB)&lt;br /&gt;[[ワシントン・レッドスキンズ]](NFL)||[[ナショナルズ・パーク]]|| <br /> |-<br /> |[[1964年]]||[[エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム|アナハイム・スタジアム]]||[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]](MLB)&lt;br /&gt;[[ロサンゼルス・ラムズ]](NFL)||[[1997年]]に野球専用球場へ再改装||[[1981年]]から&lt;br /&gt;アメフト兼用<br /> |-<br /> |[[1965年]]||[[アストロドーム]]||[[ヒューストン・アストロズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[テネシー・タイタンズ|ヒューストン・オイラーズ]](NFL)||[[ミニッツメイド・パーク]]||[[1968年]]から&lt;br /&gt;アメフト兼用 <br /> |-<br /> |[[1966年]]||[[ブッシュ・メモリアル・スタジアム|ブッシュ・スタジアムⅡ]]||[[セントルイス・カージナルス]](MLB)&lt;br /&gt;[[アリゾナ・カージナルス|セントルイス・カージナルス]](NFL)||[[ブッシュ・スタジアム|ブッシュ・スタジアムⅢ]]||[[2005年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1966年]]||[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]||[[オークランド・アスレチックス]](MLB)&lt;br /&gt;[[オークランド・レイダーズ]](NFL)||||<br /> |-<br /> |[[1966年]]||[[アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム]]||[[アトランタ・ブレーブス]](MLB)&lt;br /&gt;[[アトランタ・ファルコンズ]](NFL)||[[ターナー・フィールド]]||[[1996年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1967年]]||[[クアルコム・スタジアム|サンディエゴ・スタジアム]]||[[サンディエゴ・パドレス]](MLB)&lt;br /&gt;[[ロサンゼルス・チャージャーズ|サンディエゴ・チャージャーズ]](NFL)||[[ペトコ・パーク]]||<br /> |-<br /> |[[1970年]]||[[スリー・リバース・スタジアム]]||[[ピッツバーグ・パイレーツ]](MLB)&lt;br /&gt;[[ピッツバーグ・スティーラーズ]](NFL)||[[PNCパーク]]||[[2000年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1970年]]||[[リバーフロント・スタジアム]]||[[シンシナティ・レッズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[シンシナティ・ベンガルズ]](NFL)||[[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]||[[2002年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1971年]]||[[ベテランズ・スタジアム]]||[[フィラデルフィア・フィリーズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[フィラデルフィア・イーグルス]](NFL)||[[シチズンズ・バンク・パーク]]||[[2003年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1976年]]||[[キングドーム]]||[[シアトル・マリナーズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[シアトル・シーホークス]](NFL)||[[セーフコ・フィールド]]||[[2000年]]閉場<br /> |-<br /> |[[1982年]]||[[ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム|メトロドーム]]||[[ミネソタ・ツインズ]](MLB)&lt;br /&gt;[[ミネソタ・バイキングス]](NFL)||[[ターゲット・フィールド]]||<br /> |}<br /> <br /> 野球・アメフト兼用球場という概念は、元々1887年から[[フィラデルフィア・フィリーズ]]が本拠地として使用していた[[ベイカー・ボウル]]を、[[1933年]]に誕生したNFL新球団の[[フィラデルフィア・イーグルス]]が本拠地として使用するようになったことで、出来上がった。そして、1960年代からは、最初から[[アメリカンフットボール]]兼用として建設される円形球場が流行となった。アメフト兼用球場は1970年代までに多数作られていった。[[1965年]]には世界初のドーム球場である[[アストロドーム]]([[ヒューストン]])が誕生し、人工芝も[[1966年]]に誕生し各地に広まった。(詳しくは[[#人工芝|人工芝]]の項を参照)これらの球場は近代的で未来を感じさせる球場であった。<br /> <br /> 後に広いファウルゾーンや高めのスタンド、近代的な外観、左右対称のグラウンド形状などが[[w:en:Cookie cutter stadium|クッキーカッター]](画一的、どれも見た目が一緒)と呼ばれるようになり、不評を買うようになる(後述)。<br /> <br /> この流れの中でも、[[1961年]]開場の[[ドジャー・スタジアム]]([[ロサンゼルス]])、[[1964年]]開場の[[シェイ・スタジアム]]([[ニューヨーク]])は野球専用球場として作られている。ただし、シェイ・スタジアムのスタンドの形状は典型的なクッキー・カッターである。また、[[1973年]]開場の[[カウフマン・スタジアム]]([[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]])はアメフト用スタジアムと隣接して造られている。[[1987年]]に[[マイアミ・ドルフィンズ]]の本拠地として建設された[[サンライフ・スタジアム|ドルフィン・スタジアム]]は、元々はアメフト専用球場であったが、[[1993年]]に誕生した新球団[[フロリダ・マーリンズ]]が本拠地として使用することが決まると、野球も行えるように改修された。<br /> <br /> ==== 新古典派球場建設ブーム ====<br /> (詳細は、後述の「[[#野球専用球場・ボールパーク(ball park)|野球専用球場・ボールパーク(ball park)]]」の項を参照)<br /> <br /> 1980年代に入っても流れは変わらず、[[メトロドーム]]や近代的球場の最高峰とも呼べるスカイドーム(現[[ロジャース・センター]])が建設された。この流れを大きく変化させたのは、[[1992年]]に開場した[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]である。これに続く新古典派球場の建設ラッシュにより1960年代からの円形兼用球場は次々と閉場され、同じ敷地に野球専用球場とアメフト用スタジアムが隣接するチームが増えていった。円形兼用球場は[[2008年]]を最後にメジャーリーグチームの本拠地球場としては使われなくなる。密閉型ドームや人工芝球場も減っていった。現在、このブームにそっていないといえる兼用球場で、移転の予定がないのは[[ロジャース・センター]]と[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]のみである。人工芝球場及び密閉型ドームなのは[[トロピカーナ・フィールド]]のみとなっている。<br /> <br /> [[2020年]]開場予定の[[テキサス・レンジャーズ]]の新本拠地球場[[:en:Globe Life Field|グローブライフ・フィールド]]を最後に、建設時期未定の[[タンパベイ・レイズ]]新球場を除いて、MLBの新球場建設ラッシュは一段落する予定である。現在のMLB本拠地球場は新しい物が多く、フェンウェイ・パークやリグレー・フィールドといった古い球場も新球場建設の予定は無いため、当分の間は現在の球場が継続使用されていく見込みである。<br /> <br /> === 日本における野球場の歴史 ===<br /> ==== 黎明期 ====<br /> [[日本]]初の野球場は、新橋鉄道局の職員が結成し“日本初の野球チーム”とされる[[新橋アスレチック倶楽部]]が新橋駅近くに設けた&#039;&#039;&#039;[[保健場]]&#039;&#039;&#039;とされる。学生の間で野球が盛んになり学生野球が発展すると、[[早稲田大学]]が[[戸塚球場]]、[[慶應義塾大学]]が[[三田綱野球場]]、[[明治大学]]が[[明治大学球場]]などを作った。電鉄会社も沿線開発の一環として、[[阪神電気鉄道]]が[[鳴尾球場]]、[[阪急電鉄]]の前身である[[箕面有馬電気軌道]]、[[阪神急行電鉄]]がそれぞれ[[豊中球場]]、[[宝塚球場]]、[[京阪電気鉄道]]が[[京阪グラウンド]]球場を建設している。<br /> <br /> 日本初の本格的な野球場は[[1924年]](大正13年)、[[兵庫県]][[西宮市]]にできた[[阪神甲子園球場]]である。[[全国中等学校優勝野球大会|中等学校野球]]のために[[阪神電気鉄道]]が建設した。完成当初は大会規模に比して、観客収容数が多すぎると懸念されていた甲子園は結果的に大成功を収め、ほかの電鉄会社も新たな球場を建設していった。[[1928年]]完成の[[藤井寺球場]]などがこれに当たる。[[1926年]]には[[明治神宮野球場]]が完成し、[[東京六大学野球連盟]]を中心として使用された。<br /> <br /> ==== 戦前 ====<br /> [[1936年]](昭和11年)に[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本職業野球連盟]]による[[日本プロ野球|プロ野球]]の第1回リーグ戦が始まった。この年は甲子園球場を基本に[[鳴海球場]]や宝塚、戸塚、[[上井草球場|上井草]]、[[洲崎球場|洲崎]]の球場を使用してゲームをしていたが、翌年の[[1937年]]に内野スタンドが2層となっている[[阪急西宮スタジアム|阪急西宮球場]]と[[後楽園球場]]がプロ野球用に造られた。これらに甲子園を加えた3球場を基礎にプロ野球は興行された。<br /> <br /> しかし[[太平洋戦争]]の激化により、プロ野球も学生野球も中断に追い込まれる。球場も[[日本軍|軍]]に接収され、[[高射砲]]が設置されるなど野球どころではなくなっていった。<br /> <br /> ==== 戦後の建設ラッシュとナイター設備の導入 ====<br /> [[ファイル:Osaka studium air 1985.jpg|thumb|250px|right|大阪スタヂアム。狭隘な敷地に3万人を収容するため、1層式内野スタンドの傾斜は37度に達した]]<br /> [[ファイル:西条市東予運動公園野球場 内野スタンド.JPG|thumb|250px|right|グラウンドレベルに放送席等が設けられているため、観客席の位置が高い]]<br /> 戦争終了の翌年、[[1946年]]にはペナントレースも学生野球も再開された。球場によってはアメリカ軍に接収されたところもあったが、徐々に解除されていった。<br /> <br /> その後[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の後押しもあり野球場が各地に造られていった。プロ野球チームの親会社によって[[ナゴヤ球場|中日スタヂアム]]([[1948年]])、[[大阪スタヂアム]]([[1950年]])、[[駒澤野球場]]([[1953年]])などが建設された。公営の球場も[[平和台野球場]]([[1949年]])、[[宮城球場|県営宮城球場]]([[1950年]])、[[川崎球場]]([[1952年]])、[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]([[1957年]])などがこの時期に建設されている。これら以外にも、[[国民体育大会]]に対応する競技施設の整備を目的とするなどして、全国各地で公営の野球場が順次整備されていった。<br /> <br /> この時期に建設された球場は、終戦後まもない時期のため、空襲等により空地になっていた市街地を活用して建設される場合が多く、そのため交通の便においては非常に優れていた反面、周辺市街地の復興が進むにつれ、グラウンドや諸設備の拡張が難しいという問題を抱えることとなった。だが、この当時建設された球場は、後に建設される球場に多大な影響を及ぼしている。それら日本独自とも言える特徴は以下の通りである。<br /> <br /> ; 1層式スタンド<br /> : 敷地面積、及び建設コストの兼ね合いから、内野スタンドは多層式ではなく1層式が主流となった。それによる観客収容数の減少を防ぐため、座席の前後間隔を60 - 70cm程度に詰め、スタンドの傾斜は20.0 - 35.0度と急勾配になった(米国の球場の場合、1階スタンドの勾配は12.0度程度)&lt;ref&gt;{{PDF|[http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1116823311281/files/0722shiryou1.pdf 新球場の建設場所について(広島市)]}}&lt;/ref&gt;。さらに外野スタンドも巨大化したため、球場の全体的な形状は「すり鉢型」となった。特に大阪スタヂアムの内野スタンドの傾斜は37度にも達したことで有名である。<br /> ;本塁の北側配置<br /> : 公共施設として建設された球場の多くが、興業施設としてではなく、アマチュア利用者のプレーに設計の重きを置いたため、公認野球規則を敢えて無視し、本塁から投手板を経て二塁に向かう線を南向きにしている。<br /> ; バックネット裏・グラウンドレベルへの放送席の配置<br /> : プロ野球中継の盛り上がりを受けて、試合を実況するラジオ・テレビの放送席がバックネット裏のグラウンドレベルに設置された。当時の野球中継は国民の最大の娯楽の一つであり、その実況を行うアナウンサーが選手の一挙一動をつぶさに伝えるため、言わば球場の「特等席」を用意されていた。そのため観客席はその煽りを受ける形で上方へ押し上げられ、戦前に建設された球場と比べると臨場感に欠ける面があった。<br /> ; スタンドに張り巡らされたフェンス<br /> : プロ野球の盛り上がりと共に、試合中、観客がグラウンド内に乱入して進行を妨げる事例が多発したため、各地の球場で侵入防止のフェンスが張り巡らされるようになった。また、日本独自の太鼓・楽器を用いた応援行為は、グラウンドに背を向ける姿勢で行われることも多々あるため、打球から身を守る安全措置としての意味合いもあった。<br /> <br /> 1950年代からは各地にナイター設備が整備されていった。[[1958年]]にはプロ野球の全本拠地においてナイター設備が整備されている。地方では引き続き公営野球場の整備も進められた。<br /> <br /> [[1962年]]の[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]の竣工をもってプロ本拠地の整備はほぼ一段落する。米国の[[キャンドルスティック・パーク]]を手本に建設された東京スタジアムは、多層式スタンド、内外野天然芝を備え、当時の他球場とは明らかに異なるモダンな設計だったが、僅か15年で取り壊され、歴史の中へ消えていった。<br /> <br /> ==== 人工芝とそれを生かした多目的球場の登場 ====<br /> 1970年代後半にはアメリカの1960年代の流行が流れてきた。[[1976年]]には後楽園球場に日本初の[[人工芝]]が敷設されると、その見た目の美しさと整備の容易さからプロ野球の本拠地球場を中心に広まりを見せた。西宮球場、神宮球場等、由緒ある歴史を持つこれら球場も次々に人工芝を導入した。<br /> <br /> さらに[[1978年]]には可動式スタンドや昇降式マウンドを備え、球場の平面図を真円形とし、大規模なコンサート等、野球以外のイベント開催にも対応できる[[横浜スタジアム]]が建設された。翌[[1979年]]には[[西武ドーム|西武ライオンズ球場]](現西武ドーム)が[[丘陵地]]を掘り起こすという珍しい形で建設された。<br /> <br /> ==== ドーム時代到来 ====<br /> [[1988年]]に日本初のドーム球場、[[東京ドーム]]が誕生した。これは同時に[[日本武道館]]を超える規模の室内コンサート会場が誕生したということになる。<br /> <br /> 屋根を備えた巨大コンサート会場という側面を持つ多目的ドーム球場は、大規模なイベント誘致を当て込んだ自治体にとって、存在すること自体が一種のステータス・憧れであり、巨額の資金を投じて大都市に次々と建設されていった。[[福岡ドーム]]([[1993年]])、[[大阪ドーム]](現京セラドーム大阪)([[1997年]])、[[ナゴヤドーム]]([[1997年]])、[[札幌ドーム]]([[2001年]])などである。これとは別に西武球場も屋根を新設し西武ドームとして[[1999年]]に生まれかわった。<br /> <br /> だが、これらの球場はいずれもアメリカの1960年代の流行である多目的円形球場の域を脱していない。多目的であるが故、可動式スタンドを備えた結果、広大なファウルゾーンが存在して臨場感に欠け、これでは野球観戦に最適な形態とは言い難い。さらに、以前はグラウンドレベルに設置されていた放送席が機械器具の発達によりスタンド内に設置されるようになったが、代わりに審判員・関係者用の諸室がグラウンドレベルに設置されたため、依然として観客席はグラウンドからは遠い存在であった。<br /> <br /> さらに多目的ドーム球場は、可動式スタンド、昇降式マウンド、空調設備等、複雑な装置を備えた結果、補修・メンテナンス費用も莫大なものになっている。一例を挙げると、札幌ドームのメンテナンス費用は、2011年からの20年間で約200億円に達すると試算されており、その調達方法について未だ目処がついていないのが現状である。<br /> <br /> 一方で屋外球場では自治体によって[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]]([[1988年]])、[[千葉マリンスタジアム]](正確には[[第三セクター]]による)([[1990年]])が建設され、プロ野球の球団誘致に成功している。大阪ドーム、札幌ドームも第三セクターによるものである。<br /> <br /> なお東京ドームとグリーンスタジアム神戸の両球場は、日本のプロ本拠地としては初めて[[公認野球規則]]で定められた規格を満たした球場である。この後、プロの使用を視野に入れた新設球場はほとんどが規格を満たすようになり、既存の球場は順次拡張されていった。<br /> <br /> ==== ボールパークへ ====<br /> [[ファイル:MAZDA Zoom-Zoom Stadium Hiroshima(March 21, 2016).JPG|thumb|320px|left|米国の新古典派ボールパークを参考に建設された[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]]]<br /> [[野茂英雄]]のメジャー挑戦により日本でもメジャー流の新古典派ボールパークや天然芝などに注目が集まるようになった。各球場で[[フィールドシート]]が設置されたり、天然芝に近いロングパイル人工芝などの新型人工芝への張り替えや、[[オーロラビジョン#姉妹品|リボン状の新型映像装置]]などメジャー流を取り入れた改修が進んでいる。<br /> <br /> [[1999年]]に完成した[[鶴岡ドリームスタジアム]]に日本の野球場として24年ぶりに内野天然芝が敷設された。翌[[2000年]]には[[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]](ほっともっとフィールド神戸)、[[2001年]]には[[サンマリンスタジアム宮崎]]も内野に天然芝を敷設した総天然芝の野球場となった。特に「ボールパーク宣言」を掲げたオリックスの本拠地・グリーンスタジアム神戸は、その後も低フェンス化、日本初のフィールドシートの設置など日本のボールパークの歴史の端緒となる改革を進めていった。<br /> <br /> [[2004年]]から2期にわたる大規模改修工事をうけた[[宮城球場]]では天然芝こそ当時は断念した&lt;ref&gt;[[2016年]]から天然芝となった。&lt;/ref&gt; ものの、メジャーの新古典派を意識した特徴的なスタンドが造られた。その後、[[東京ドーム]]、[[福岡ドーム]](福岡Yahoo!Japanドーム)などでもファウルグラウンドに仮設のフィールドシートを設けるなど、ボールパーク化の試みは続いた。<br /> <br /> [[2009年]]に新規の野球場として完成した[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]](マツダスタジアム)は、屋外型、左右非対称のフィールド、内外野完全天然芝、狭いファウルグラウンド、といった特徴を備え、さらに観客席最前列をグラウンドレベルとする等、米国のボールパークに近いレベルの野球場となった。<br /> {{-}}<br /> <br /> == 野球場の形態について ==<br /> === 多目的施設としての野球場 ===<br /> [[ファイル:McAfeecoliseumsat.png|thumb|250px|left|多目的野球場の例([[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]])]]<br /> 広大さと収容能力の点で利点を持つことから、野球場は古くから野球以外のスポーツやイベントの開催地として使われてきた(阪神甲子園球場は設立当時から多目的施設としての利用も視野に入れていた)。<br /> <br /> 野球以外のスポーツで野球場を利用することが最も多い競技は、野球と同じく米国発祥の競技であり、広大なフィールドを必要とする[[アメリカンフットボール]]である。シーズン開催時期があまり重ならないことから、米国では野球場が[[メジャーリーグベースボール|MLB]]と[[NFL]]の本拠地としてよく併用され、特に1960年代からは可動スタンドを備えた円形球場(後述)が多数、新設された。近年の米国では新古典派球場ブームにより分化されていき、MLBとNFLの本拠地として併用されているのは残りわずかである。日本でも[[甲子園ボウル]]、[[ライスボウル]](東京ドームで開催)などのように、[[ボウル・ゲーム]]を野球場で行うケースが多い。<br /> [[ファイル:Sapporo Dome Hovering Stage.jpg|thumb|200px|right|札幌ドームのホヴァリングサッカーステージ(オープンアリーナ)]]<br /> 近年では[[プロレス]](主に[[新日本プロレス]])・[[K-1]]などの格闘技が行われることも多い。ほかにも[[サッカー]]、[[競輪]]などが野球場で行われた例がある。また日米のプロサッカークラブの一部が野球場を本拠地としている。札幌ドームのホヴァリングサッカーステージの他に、米国ではアメフト兼用球場のアメフト用フィールドをそのままサッカー用に転用している。ただしこちらもサッカー用スタジアムがそろいつつある。詳細は各野球場の記述を参照。<br /> <br /> イベントとして多いのは[[演奏会|コンサート]]である。特にドーム球場は当初よりコンサート開催を考慮して設計されている。日本ではかつて、[[日本武道館]]で単独コンサートを行うことが一流の証と考えられてきた時代があったが、近年は収容能力をはるかにしのぐ野球場でのコンサート(主に東京ドーム)が最大のステイタスとされている。観客動員力が高いバンド・アーティストを『スタジアム級』と称することからも、それが伺える。ただし、野球場はもともと歌や演奏を聞かせるために作られた施設ではないため、音響や舞台設置の面で問題が生じるために、高い人気を得ていてもあえてスタジアムコンサートを行わないアーティストもいる。近年ではサッカースタジアムおよび陸上競技場を用いるケースが増えたため、相対的に野球場でのコンサート開催は減少している。<br /> <br /> 他にも、[[展覧会]]や大きな団体の集会でも使用される例がある。<br /> <br /> ==== アメフト兼用球場(円形兼用球場) ====<br /> [[ファイル:Three Rivers Stadium aerial view 1996.jpg|thumb|200px|典型的なクッキーカッター・スタジアムである[[スリー・リバース・スタジアム]](アメリカンフットボール開催時)]]<br /> [[ファイル:Pedro goes to Pittsburgh.jpg|thumb|200px|スリー・リバース・スタジアムの後継として建設された野球専用球場[[PNCパーク]]]]<br /> 米国では1960年代から1970年代にかけてアメフト兼用球場が流行した。[[1961年]]の[[ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム|D.C.スタジアム]]がこのタイプの始祖である。従来の球場はフィールドの形にそったスタンドであったが、これらの球場は二塁ベースの後方を中心に円形にスタンドを構成する。その円形の中に可動スタンドを備え、グラウンドが野球の時には扇型、アメフトの時には長方形になるように設計されていた。<br /> <br /> 円形のスタジアムは後に&#039;&#039;&#039;クッキーカッター&#039;&#039;&#039;(Cookie-cutter。日本語では“[[金太郎飴]]的”)としてファンから嫌われることとなる。円形兼用球場が嫌われた理由としては、見栄えの悪さと共に、野球観戦に不向きであったことが挙げられる。そもそも、野球とアメフトでは要求されるスタンドが異なる。基本的にバッテリー間の攻防が主となる野球では、バッテリー間を観るのに適した傾斜の低い観客席が好まれ、パスやランプレー、キックなどで常にフィールドを広く使うアメフトでは、急勾配でフィールド全体を俯瞰できるものが好まれる。更に、少ない試合数で一試合に多くの観客を動員するアメフトと違って、シーズン中はほぼ毎日試合を行う野球では、アメフト兼用球場の収容力(6万人~7万人台)は過剰であった。そのため、常に空席が目立つことになり、見栄えの悪さを強調した。アメフト兼用の円形球場は、野球を国民的娯楽(National Pastime)として愛する米国民に敬遠され、MLBの観客動員は停滞する。<br /> <br /> 1990年代に入ると、次々と前述の新古典派球場が完成。MLBの観客動員は飛躍的に増加し、1990年代から2000年代にかけての好況も相まって、MLBは空前の好景気を迎えることになる。一方で、アメフト兼用スタジアムは次第に姿を消していき、2016年時点で残存しているのは[[オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム]]、[[サンライフ・スタジアム|ドルフィン・スタジアム]]、[[クアルコム・スタジアム]]の3球場のみである。しかしドルフィン・スタジアムを本拠地としていたフロリダ・マーリンズ(現[[マイアミ・マーリンズ]])は2012年に、クアルコム・スタジアムを本拠地としていた[[サンディエゴ・パドレス]]は2004年にそれぞれ新球場に移転したため、それ以降両スタジアムにおいて野球は行われていない。オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムを本拠地とする[[オークランド・アスレチックス]]も、2012年に野球専用球場に移転する予定であったが、財政難と地元住民の反対により計画は中止された。同球場は、最後のアメフト兼用球場となる可能性が高い。<br /> <br /> 一方、日本では横浜スタジアム、千葉マリンスタジアム、福岡ドーム、大阪ドーム、ナゴヤドーム、札幌ドームがこのタイプである。千葉マリンスタジアムを除いて円状にスライドする可動席を採用している。可動スタンドは三日月状もしくは[[円 (数学)#円の性質|弓形]]に近い形状のものが一対あるのが基本であるが、ナゴヤドームは本塁後方にも可動スタンドが存在する。これらの可動スタンドを持つ球場は球場の中心点から同じ距離にある座席が全て同じ高さにあるという特徴がある。<br /> <br /> これらの球場のスタンドは以下の欠点がよく指摘される。(詳しくは各球場の項を参照。)<br /> * ファウルゾーンが広すぎて臨場感に欠ける。<br /> * バックネット裏の座席、外野のフェンスと座席が不必要なまでに高い位置になる。<br /> * ファウルポール直下が死角となる座席が多い。<br /> * 内野席でダイヤモンド内が見えにくい席が存在する。<br /> <br /> ==== ドーム球場 ====<br /> {{main|ドーム球場}}<br /> [[ファイル:Baseball Game.jpg|thumb|250px|典型的なドーム球場、[[ナゴヤドーム]]]]<br /> ドーム球場とはグラウンドをドーム形状の屋根で覆った野球場のこと。天候に左右されずにゲームを開催できるという長所がある。<br /> <br /> 世界初のドームスタジアムは1965年[[アストロズ]]の本拠地として建設された[[アストロドーム]]。日本初のドームスタジアムは1988年完成の東京ドームである。現在、日本でプロ野球チームの本拠地として使用されているドーム球場には[[東京ドーム]](1988年)、[[福岡ドーム]](1993年)、[[ナゴヤドーム]](1997年)、[[大阪ドーム]](1997年)、[[西武ドーム]](1999年)、[[札幌ドーム]](2001年)がある。地方には[[大館樹海ドーム]](2軍戦が開催)、[[出雲ドーム]]などが存在する。<br /> <br /> ドーム球場は屋根の仕様から大まかに2つのタイプに分類することができる。1つ目のタイプは屋根の素材に[[テフロン]]コーティングの[[ガラス繊維]]膜材などを使用し、場内を陽圧化することで屋根を持ち上げるタイプである。東京ドームやアメリカの[[ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム|メトロドーム]]がこれにあたる。2つ目のタイプは天井を鉄骨屋根で覆うタイプである。福岡Yahoo!JAPANドームをはじめ日米問わずほとんどの球場がこの方式を採用している。木造建設の大館樹海ドーム、屋外野球場に屋根をかぶせた[[西武ドーム]]など、珍しいケースもある(「西武ライオンズ球場」時代は無蓋だった)。<br /> [[ファイル:Tigersbluejaysapril2008.jpg|thumb|250px|世界初の本格的な開閉式ドーム球場、[[ロジャース・センター]](旧称スカイドーム)]]<br /> 当初は、屋根で場内を完全に密閉した密閉式のドーム球場が多かったが、青空・夜空の下での野球観戦を希求する声が強くなるにつれて、天候によって屋根を自由に開閉できる開閉式ドーム球場が登場した。世界初の開閉式ドーム球場は[[モントリオール・エキスポズ]]の本拠地だった[[オリンピック・スタジアム (モントリオール)|オリンピックスタジアム]]で、1988年改修されて簡易開閉式となった(同球場は設計ミス・故障により屋根を開閉できない状況が続いた)。当初から開閉式として建造されたドーム球場は[[ブルージェイズ]]の本拠地として1989年完成した[[ロジャース・センター]]である。このスタジアムは日本初にして唯一の開閉式ドーム球場である福岡ドーム(福岡ヤフオク!ドーム)の設計に影響を与えている。<br /> <br /> 開閉式ドーム球場が生まれた当初はあくまでドーム球場であることを売りとしており、造形的にも屋根の開閉が可能なドーム球場としての色彩が濃かった。日照量が足りないこともあり、スカイドーム(ロジャースセンター)、福岡ドーム(ヤフオクドーム)は人工芝である。<br /> <br /> アメリカでは1990年代以降、レトロ調ボールパークがブームになるにつれ、開閉式の屋根を建設するにしても、悪天候時のみ屋根を閉じる前提の設計とし、フィールドには天然芝を敷設し、屋根はドーム形状を用いない、「ドーム」を名乗らない、などボール・パーク色の強いものとなっていった。[[チェイス・フィールド]]、[[セーフコ・フィールド]]、[[ミニッツメイド・パーク]]、[[ミラー・パーク]]などがその代表例である。これら球場に屋根が設置された理由は、チェイス・フィールド、ミニッツメイド・パーク、ミラー・パークについては所在地特有の暑さ・寒さを避けるために、セーフコ・フィールドは雨の多いシアトルの気候を考慮されたためである。一例としてチェイス・フィールドのナイトゲームの場合、午後4時の地元チーム練習開始に合わせて屋根は閉じられ、午後7時の試合開始に合わせて再び屋根が開く。この開閉に必要な時間はわずか4分程度、電気代は2ドルとされている[[ファイル:MillerPark.jpg|thumb|left|250px|開閉式屋根付きの天然芝野球専用球場、[[ミラー・パーク]]]]<br /> <br /> 一方、日本で唯一の開閉式ドーム球場であるヤフオクドームは日照量の問題、騒音問題、強風、開閉する際にかかるコストなどの複合的な要因で、2000年以降は特別に指定した試合を除き、屋根を開けて試合を開催しない状態になっている。野球場ではないが、サッカー場として建造された天然芝の[[御崎公園球技場]]では、日照や通風などの問題で芝の生育が不良になるという問題も発生している。<br /> <br /> 1999年完成の[[西武ドーム]]は、屋根を支えるための、客席のみを覆うドーナツ状の鉄傘を取り付ける第1次工事が完了した1998年度に西武ライオンズ球場から一時的に西武ドーム球場(翌年正式に西武ドームへ改称)へと改称したが、グラウンド部分には屋根がなく降雨時にはもちろん雨天中止となった。このようにドーム球場ではないにもかかわらずドームを名乗るという珍しい状況が1年間続いた。屋根完成後も、観客席後方と屋根の間に隙間は存在したままであり、ドーム球場であるのにもかかわらず場外本塁打が生まれる。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 野球専用球場・ボールパーク(ball park) ===<br /> [[ファイル:CamdenYards 2005-05-08.jpg|thumb|250px|新古典派ボールパークの先駆け、[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]]]<br /> 純粋に野球開催のみを主目的に建設された野球場を、現在、米国では一般に「ボールパーク」と呼ぶ。野球場を指す一般的な用語としては、従前から「[[スタジアム]]」があり、米国では、[[1920年]]に[[グリフィス・スタジアム]]が野球場として初めて「スタジアム」を名乗って以来、「○○・スタジアム」という名の名称が一般的であった。しかし、1990年代以降に作られた新球場では、「○○・パーク」、「○○・フィールド」、「○○・ボールパーク」が主流になり、スタジアムと名が付く球場は減少傾向にある。<br /> <br /> ボールパークと呼ばれる野球場は、&#039;&#039;&#039;天然芝、狭いファウルゾーン、野球専用でプレーが観やすい観客席、左右非対称のグラウンド形状、設計の随所に見られる遊び心、広く開放的な観客コンコース、等&#039;&#039;&#039;を共通の特徴としており、&#039;&#039;&#039;新古典派(ネオ・クラシック様式)&#039;&#039;&#039;とも呼ばれ、[[1992年]]に開場した[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]がその先駆けとなった。<br /> <br /> カムデンヤーズはデザイン面だけでなく[[マーケティング]]の面でも画期的な存在であった。それまでの球場はアメフトとの兼用が多く、そのため少ない試合数でより多くの観客を収容することに重点を置いた設計であった。これはレギュラーシーズンだけで年間162試合もこなすMLBにとっては収容力が過剰であった。そこで、カムデンヤーズはあえて収容人数を4万人台まで減らし、相対的に収容率を上げ、ファンにチケット購入に対する飢餓感を醸成させた(「早く買わないとチケットが売り切れるかもしれない」と思わせることが購買意欲をあおる最高のマーケティングとなる)。一方で、客単価の高い高付加価値の上位クラス座席を増設し全座席に対する比率を上昇させ、全体の座席数は減らしながらも、収益性は逆に高まるというビジネスモデルを作り上げた&lt;ref&gt;[http://tomoyasuzuki.jugem.jp/?eid=143]&lt;/ref&gt;。これに倣い、その後の新球場も座席数を抑える傾向にある。<br /> <br /> さらに現在、米国においては、マイナーリーグ用に低予算でボールパークを建設し、「市街地の活性化」に活かそうとする事例が増えている。ボールパークの周囲にはメリーゴーランドや観覧車、さらにはバーベキューコーナーを設ける等、野球にあまり関心が無い人であってもボールパークの空間・雰囲気を楽しめるよう様々な工夫が凝らされており、その結果、数千人収容規模のボールパークでありながら、試合毎にそのキャパシティを大幅に上回る観客が訪れている&lt;ref&gt;参考文献『野球小僧』2009年12月号(ISSN18801-12)112ページ「日本野球 構造改革の提言」より&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> このようにボールパーク型の野球場は、旧来の球場以上に訪れる観客の裾野を広げる可能性を持つと言える。<br /> <br /> 日本においても、野球場のことを「○○スタジアム」(野球に限らず、観客席を持つ競技場を意味する単語)、または「○○球場」と呼んでいたが、グリーンスタジアム神戸が[[2000年]]に「ボールパーク化計画」を発表、プロ野球本拠地として25年ぶりに内野を天然芝化し、その後も低いフェンス、内野にせり出した[[フィールドシート]]、1990年代から続くスタジアムDJによる場内アナウンスなど球場をアメリカ風に改革していったことで、「ボールパーク」という言葉が広く認知された。<br /> <br /> また、広島の新球場計画では、当初ドーム球場を建設する方針であったが、本拠地とする予定の[[広島東洋カープ]]がドーム完成後の採算性を危惧し、また選手らの肉体的負担を考慮して天然芝のフィールドを強く求めたことなどから、ボールパーク建設計画に変更された。(2003年に計画凍結、2005年に現計画が再開。詳細は[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]を参照)<br /> <br /> さらに東京ドームなどで相次いでフィールドシートが設置され、千葉マリンスタジアム、横浜スタジアム、札幌ドームで内野フェンスが撤去もしくは低くされたりするなど、従来からの多目的球場においても、ボールパーク化の試みが行われている。<br /> <br /> ==== アメリカ合衆国における1990年代からの新球場建設ブームの背景 ====<br /> 1992年のオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズを皮切りにMLBは未曾有の新古典派新球場建設ブームに沸いた&lt;ref&gt;杉浦大介「[新球場建設が続く理由]税金を使って球場を建てるって本当?」『SLUGGER』2008年2月号、日本スポーツ企画出版社、44-47頁&lt;/ref&gt;。<br /> {| class=wikitable<br /> !開場年!!球場名(開場時)!!球団!!備考<br /> |-<br /> | nowrap=&quot;nowrap&quot; |[[1992年]]||[[オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ]]||[[ボルチモア・オリオールズ]]|| <br /> |-<br /> |[[1994年]]||[[レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン|ザ・ボールパーク・イン・アーリントン]]||[[テキサス・レンジャーズ]]|| <br /> |-<br /> |[[1994年]]||[[プログレッシブ・フィールド|ジェイコブス・フィールド]]||[[クリーブランド・インディアンス]]|| <br /> |-<br /> |[[1995年]]||[[クアーズ・フィールド]]||[[コロラド・ロッキーズ]]|| <br /> |-<br /> |[[1997年]]||[[ターナー・フィールド]]||[[アトランタ・ブレーブス]]|| <br /> |-<br /> |[[1998年]]||[[バンク・ワン・ボールパーク]]||[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]||世界初の開閉式屋根付き天然芝球場<br /> |-<br /> |[[1999年]]||[[セーフコ・フィールド]]||[[シアトル・マリナーズ]]||開閉式屋根付き天然芝球場<br /> |-<br /> |[[2000年]]||[[ミニッツメイド・パーク]]||[[ヒューストン・アストロズ]]||開閉式屋根付き天然芝球場<br /> |-<br /> |[[2000年]]||[[パシフィック・ベル・パーク]]||[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]|| <br /> |-<br /> |[[2000年]]||[[コメリカ・パーク]]||[[デトロイト・タイガース]]|| <br /> |-<br /> |[[2001年]]||[[ミラー・パーク]]||[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]||開閉式屋根付き天然芝球場<br /> |-<br /> |[[2001年]]||[[PNCパーク]]||[[ピッツバーグ・パイレーツ]]||<br /> |-<br /> |[[2003年]]||[[グレート・アメリカン・ボール・パーク]]||[[シンシナティ・レッズ]]|| <br /> |-<br /> |[[2004年]]||[[ペトコ・パーク]]||[[サンディエゴ・パドレス]]|| <br /> |-<br /> |[[2004年]]||[[シチズンズ・バンク・パーク]]||[[フィラデルフィア・フィリーズ]]|| <br /> |-<br /> |[[2006年]]||[[ブッシュ・スタジアム]]||[[セントルイス・カージナルス]]|| <br /> |-<br /> |[[2008年]]||[[ナショナルズ・パーク]]||[[ワシントン・ナショナルズ]]|| <br /> |-<br /> |[[2009年]]||[[シティ・フィールド]]||[[ニューヨーク・メッツ]]|| <br /> |-<br /> |[[2009年]]||[[ヤンキー・スタジアム]]||[[ニューヨーク・ヤンキース]]|| <br /> |-<br /> |[[2010年]]||[[ターゲット・フィールド]]||[[ミネソタ・ツインズ]]||<br /> |- <br /> |[[2012年]]||[[マーリンズ・パーク]]||[[マイアミ・マーリンズ]]||開閉式屋根付き天然芝球場<br /> |- <br /> |[[2017年]]||[[サントラスト・パーク]]||アトランタ・ブレーブス|| <br /> |- <br /> |[[2020年]](予定)||[[w:en:Globe Life Field|グローブライフ・フィールド]]||テキサス・レンジャーズ|| <br /> |-<br /> |未定||[[w:en:Rays Ballpark|名称未定]]||[[タンパベイ・レイズ]]||<br /> |}<br /> <br /> 上記のように、2017年までの26年間に22もの新球場が開場し、現在建設・計画中のもので2つの球場が開場となる予定である。<br /> <br /> 新球場ラッシュの背景には、ほとんどの野球場が建設費用の大半を税金でまかなっていることが挙げられる。2015年1月まで[[MLBコミッショナー|コミッショナー]]を務めた[[バド・セリグ]]の卓越した経営手腕の下、アメリカ野球史上に残る好景気を記録し、日本に比べて黒字経営球団の多いメジャーリーグといえど野球場の建設費用は莫大であり、簡単に調達できる金額ではない。<br /> <br /> そこで、ほとんどの新球場建設にあたっては、住民投票によって地元住民の同意を得て税金投入や特別税徴収、公債発行が行われている。さらに球団は自治体から完成した球場を格安でリース契約できるなど、多くの優遇政策があり、その結果、このような新球場建設ラッシュを生んでいる。2006年までに建設された新古典派球場のなかで住民投票で税金投入などが認められなかったのは[[AT&amp;Tパーク]]([[サンフランシスコ・ジャイアンツ]])のみである&lt;ref&gt;ただし、ジャイアンツは税額控除を受けている。建設当時は[[サンフランシスコ・ベイエリア]]は[[シリコン・バレー]]の好景気に沸いており、この巨大な経済基盤を持つ大都市であったからこそ、自前での球場建設が可能だったのである。&lt;/ref&gt;。例えば、[[2010年]]開場の[[ミネソタ・ツインズ]]の新球場は、建設費用5億2200万ドルのうち、約4分の3に相当する3億9200万ドルが[[ミネアポリス市]]など地元自治体の負担であり、ミネアポリス市がある[[ヘネピン郡]]では消費税率を引き上げている。このように新球場建設には地元住民の理解と協力が不可欠である。<br /> <br /> なぜこのような公金投入が行われることになるのかは、アメリカの経済学者、[[アンドリュー・ジンバリスト]]の著書『May the Best Team Win』&lt;ref&gt;『60億を投資できるMLBのからくり』[[鈴木友也]]訳、ベースボール・マガジン社、2007年、ISBN 9784583100180&lt;/ref&gt; などに詳しい。それによると、MLB機構は球団の数や移転を管理し、球団数よりもそれを欲しがる自治体のほうが多い、需要過多・供給不足の状態を意図的に作り出している。そのため、フランチャイズ都市では球団オーナーがより良い待遇・環境を自治体から引き出すために「移転」という選択肢を選ぶこともある。地域の象徴であり、地域活性化にもつながるプロスポーツチームを手放したいと思う自治体は少なく、オーナーや球団の要求を呑むケースが多い。<br /> <br /> かつて存在した「アメリカの古き良き野球場」を模した球場が、人々に懐かしさという感情をわき起こさせたことが、新古典派球場ブームの根底にある、というアメリカ固有の事情があるということが重要である。<br /> <br /> == 代表的な野球場 ==<br /> === 日本国内 ===<br /> * [[阪神甲子園球場]] 日本で最初に誕生した野球専用競技場。<br /> * [[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島]]、[[神戸総合運動公園野球場|ほっともっとフィールド神戸]]、[[宮崎県総合運動公園硬式野球場|サンマリンスタジアム宮崎]] プロ野球が行われるスタジアムで数少ない内外野全面天然芝球場。<br /> * [[西武ドーム]] 既存の屋外球場にドーム屋根を架設、丘陵地を掘り起こして建設された。<br /> * [[札幌ドーム]] 日本で唯一、[[プロ野球]]と[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の本拠地を兼ねる。<br /> * [[東京ドーム]] 日本初のドーム球場。<br /> * [[千葉マリンスタジアム]](ZOZOマリンスタジアム) 埋立地の人工海浜近くに立地し、[[海陸風]]に見舞われることが多い。常時風向風速測定がされる。<br /> * [[川崎球場]] 外野スタンドが非対称(スタンドは2000年取り壊し)。<br /> * [[長野オリンピックスタジアム]] 1998年長野冬季オリンピックの開会式・閉会式会場として利用。<br /> * [[倉吉市営野球場]] 現存する主要屋外球場で唯一ラッキーゾーンが設けられている。<br /> * [[福岡ドーム|福岡 ヤフオク!ドーム]] 日本初にして唯一の開閉式ドーム球場。<br /> * [[ナゴヤドーム]]<br /> * [[横浜スタジアム]] スタンド可動式の多目的球場として建設されたが、2003年に新型人工芝へ変更され、固定式となった。<br /> <br /> === 日本国外 ===<br /> * [[アストロドーム]] 世界初のドーム球場、世界初の人工芝敷設(現在は野球は行われていない)。<br /> * [[ヒューバート・H・ハンフリー・メトロドーム]] 世界初のエアドーム式野球場。<br /> * [[ロジャース・センター]] 世界初の開閉屋根付きドーム球場。<br /> * [[チェイス・フィールド]]、[[ミニッツメイド・パーク]]、[[ミラー・パーク]]、[[セーフコ・フィールド]] 開閉式屋根に天然芝グラウンドを併設。<br /> * [[ミニッツメイド・パーク]] 中堅後方に「タルの丘」と呼ばれる傾斜がある。またタルの丘の頂上付近のフィールド内にフラッグポールが建っている。<br /> * [[フェンウェイ・パーク]] 左翼方向が極端に狭い左右非対称なグラウンドと、10m以上の高さを誇るレフトフェンス(通称:グリーンモンスター)。<br /> * [[AT&amp;Tパーク]] 右翼席のすぐ後ろが海であるため、右翼席を極端に少なくして、海に飛び込む本塁打ボールを「スプラッシュヒット」として名物化させている。<br /> * [[カウフマン・スタジアム]] 2008年まで、外野席が一部を除いて存在しなかった。外野部分には、巨大な噴水が設置されている。<br /> * [[トロピカーナ・フィールド]] 人工芝のドーム球場だが、塁間は全て土である。<br /> * [[エキシビション・スタジアム]] 本来は[[カナディアン・フットボール]]用のスタジアムであるため、ライトフェンスが仮設式であり、ライト後方にはフットボール用のグラウンドが広がっている [http://www.ballparksofbaseball.com/past/ExhibitionStadium.htm]。<br /> * [[蚕室総合運動場野球場]] 両翼100m、左翼から右翼まで240m、中堅125mという世界でも屈指の広さを誇る左右対称球場。<br /> * [[フォロ・ソル]] 海抜2,300mの高地に位置するため、打球が非常に飛びやすい。また、コンサート会場が野球場に改修された珍しい例。<br /> * [[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]] ラテンアメリカ最大の収容人数で、ファウルグラウンドも広く、世界でも屈指の広さを誇る球場。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons|Category:Baseball venues}}<br /> * [[日本の野球場一覧]]<br /> * [[ソフトボール]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://fudoki.web.fc2.com/index.html 球場風土記]<br /> * [http://www2s.biglobe.ne.jp/~ranbee/zukan.htm 野球場図鑑]([http://www2s.biglobe.ne.jp/~ranbee/index.htm 野球もの] より)<br /> * [http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/index.htm BALL PARK]<br /> * [http://www.geocities.jp/muguken1975/index.html 球場巡礼]<br /> *[http://yakyujo.com/ YAKYUJO.com]<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{野球}}<br /> {{MLBの本拠地球場}}<br /> {{日本プロ野球の本拠地野球場}}<br /> {{韓国プロ野球の本拠地野球場}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:やきゆうしよう}}<br /> [[Category:野球場| ]]<br /> [[Category:野球用語]]<br /> [[Category:球場設備]]<br /> <br /> <br /> {{Baseball-stub}}</div> 158.201.245.201 碓氷峠 2018-06-08T15:42:52Z <p>158.201.245.201: /* 粘着運転化 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|[[群馬県]]・[[長野県]]の峠|[[神奈川県]]の峠|碓氷峠 (神奈川県)}}<br /> {{Infobox 峠<br /> |名称=碓氷峠<br /> |画像=[[ファイル:R18-Usuitoge.JPG|300px]]<br /> |画像キャプション=碓氷峠(国道18号)<br /> |標高=960<br /> | 緯度度 = 36 | 緯度分 = 20 | 緯度秒 = 41.6 <br /> | 経度度 = 138 |経度分 = 39 | 経度秒 = 3.8 <br /> |所在地=[[群馬県]][[安中市]][[松井田町坂本]]・[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]<br /> |山系= [[関東山地]]<br /> |交通路=[[File:Japanese_National_Route_Sign_0018.svg|24px]][[国道18号]]&lt;br /&gt;[[北陸新幹線]](碓氷峠トンネル)<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;碓氷峠&#039;&#039;&#039;(うすいとうげ)は、[[群馬県]][[安中市]][[松井田町坂本]]と[[長野県]][[北佐久郡]][[軽井沢町]]との境にある[[日本]]の[[峠]]である。[[標高]]は約960[[メートル]] (m) 。[[信濃川]]水系と[[利根川]]水系とを分ける[[中央分水嶺]]である。峠の長野県側に降った[[雨]]は[[日本海]]へ、群馬県側に降った雨は[[太平洋]]へ流れる。<br /> <br /> [[古代]]には&#039;&#039;&#039;碓氷坂&#039;&#039;&#039;(うすひのさか)、&#039;&#039;&#039;宇須比坂&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;碓日坂&#039;&#039;&#039;などといい、[[中世]]には&#039;&#039;&#039;臼井峠&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;臼居峠&#039;&#039;&#039;とも表記された。[[近世]]以降は碓氷峠で統一されている。「碓井峠」「碓水峠」は誤表記。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> 1200万年ほど前には現在の碓氷峠は海中にあり、[[クジラ]]や[[サメ]]などが生息していた。700万 - 200万年前には[[碓氷川]]上流地域で[[噴火]]活動があり、110万 - 65万年前の[[溶岩]]噴出で碓氷峠付近は[[平地]]となった。その後、30万 - 20万年前に[[霧積川]]によって東部で[[侵食]]があり、急な[[崖]]が形成された。以上のような経緯から、[[地層]]は下部が[[第三紀]]中期の[[堆積岩|海生堆積岩類]]、上部が後期[[中新世]]から前期[[更新世]]の[[火山岩|火山岩類]]で構成されている{{Sfn|野村哲|1996|pp=5&amp;ndash;6}}。下部の堆積岩層は[[泥岩]]、[[砂岩]]、[[凝灰岩]]などで侵食されやすい。また、上部の火山岩層の厚みは数百メートルに達する。<br /> <br /> 東部が激しく侵食された結果、現在の碓氷峠は直線距離で約 10[[キロメートル]] (km) の間に[[標高]]差が500&amp;nbsp;m以上に達する急峻な東側のみの片勾配となっていて、[[群馬県]]側の麓・横川の標高387&amp;nbsp;mに対し、[[長野県]]側の[[軽井沢町|軽井沢]]は標高939&amp;nbsp;mと峠 (960&amp;nbsp;m) との標高差がほとんどない。特に、[[中山道|中仙道]]を例に取ると[[坂本宿]]から[[刎石山]]までの水平距離700&amp;nbsp;mの間に標高差が300&amp;nbsp;mもある{{Sfn|野村哲|1996| p=6}}。そのため一般的な、山脈を[[トンネル]]で抜けることで峠越えの高低差を解消できる両勾配を持つ峠と異なり、通行には[[近代]]に至るまで数多くの困難を抱えた。<br /> <br /> [[気象学]]的にも、碓氷峠は[[関東地方]]と[[中部地方]]の境界にあたる。日中、関東地方南岸では大規模な[[海風]](太平洋海風)が生じて、およそ5&amp;nbsp;[[メートル毎秒|m/s]]で大気が内陸に向かって進む。一方で中部地方内陸部では上空に低圧部が現れ、谷から山頂に向かう風が生まれる。午前中は碓氷峠にこれら二つの流れが両側から向かってきて、峠では風が真上に向かって[[平衡]]状態となる。午後になると[[地表面]]の温度が高くなって双方の勢いが増すが、関東地方からの流れがより強くなるため南東風が吹き、関東地方の大気が中部地方に流入する経路となる。なお夜間には海風が支配的となって南東風が続く{{Sfn|鶴田治雄|1985|p=242}}。また、山を登る空気は気圧が低くなるとともに[[膨張]]して温度が下がり、[[飽和]]した[[水蒸気]]が[[霧]]となるため、関東平野から碓氷峠を登って流れ込む南東風が原因となって軽井沢では年間130日以上も霧が発生している&lt;ref&gt;『朝日新聞』2006年6月14日付 夕刊、マリオン面、6面。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 自然環境 ==<br /> [[植生]]は付近にあって[[標高]]の近い[[浅間山]]山麓部分と似ており、[[ブナ]]や[[コナラ]]などの[[落葉樹]]、および[[モミ]]や[[カラマツ]]といった[[針葉樹]]が生えている。[[下草]]としては[[ゼンマイ]]や[[ススキ]]、[[リンドウ]]、[[ニッコウザサ]]などがある。浅間山との違いとしては、[[ムラサキ]]や[[シモツケソウ]]、[[モウセンゴケ]]が多いことが挙げられる{{Sfn|本田政次|1988|p=266}}。<br /> <br /> 一帯には古くから[[ニホンザル]]が生息しているが、[[1980年代]]から人里に降りてきて農作物などに被害が出るようになり、[[1984年]]には[[碓氷郡]][[松井田町]](当時)など3町で計2000万円以上もの被害があった。その原因としては<br /> * [[林野庁]]が[[ナラ]]や[[クリ]]などの[[広葉樹]]を[[スギ]]などの[[針葉樹]]に代えたため、餌となる木の実が減少した<br /> * [[北陸新幹線]]や[[上信越自動車道]]の建設にともなって従来の棲み処を離れた<br /> * 観光客らが餌を与えるようになって人に馴れた<br /> などが指摘されている&lt;ref&gt;『朝日新聞』1988年12月10日付 朝刊、群馬地方面&lt;/ref&gt;。上信越自動車道の開通後は交通量の減った[[国道18号]]への出没も増え&lt;ref&gt;『朝日新聞』1998年6月13日付 夕刊、娯楽面、7面。&lt;/ref&gt;、[[1990年代]]末以降は碓氷峠を拠点に軽井沢の中心部にも出現している&lt;ref&gt;『朝日新聞』2005年1月29日付 朝刊、オピニオン面、12面。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[ファイル:碓氷峠の変遷.png|right|400px|thumb|碓氷峠の変遷&lt;br /&gt;中仙道・中仙道和宮道・国道18号・信越本線・碓氷バイパス・上信越自動車道・北陸新幹線]]<br /> === 古代 ===<br /> 古来から坂東と[[信濃国]]をつなぐ道として使われてきたが、難所としても有名であった。この碓氷坂および[[駿河国|駿河]]・[[相模国|相模]]国境の[[足柄峠|足柄坂]]より東の地域を[[坂東]]と呼んだ。『[[日本書紀]]』景行紀には、[[ヤマトタケル|日本武尊]](ヤマトタケル)が坂東平定から帰還する際に碓氷坂(碓日坂)にて、安房沖で入水した妻の[[弟橘媛]]をしのんで「吾妻(あづま)はや」とうたったとある。なお『[[古事記]]』ではこれが[[足柄峠|足柄坂]]だったとされ、どちらが正しいかという論争が存在する{{Sfn|倉田正|1979|p=65}}。現在でも碓氷峠を境にして、東側が[[関東地方|関東]]文化圏・[[関東方言]]に、西側が[[中央高地]]文化圏・[[東海東山方言]]に分かれている。<br /> <br /> 碓氷峠の範囲は南北に広いが、その南端に当たる[[入山峠]]からは[[古墳時代]]の祭祀遺跡が発見されており(入山遺跡)、古墳時代当時の古東山道は入山峠を通ったと推定されている。[[7世紀]]後葉から[[8世紀]]前葉([[飛鳥時代]]後期 - [[奈良時代]]初期)にかけて、全国的な幹線道路([[日本の古代道路|駅路]])が整備されると、碓氷坂にも[[東山道]]駅路が建設された。入山遺跡はこの時期までに廃絶しており、碓氷坂における東山道駅路は近世の[[中山道|中仙道]]にほぼ近いルートだったとする説が有力視されている。なお、[[万葉集]]にみえるように[[防人]]たちにとっては故郷との別離の場となっていた{{Sfn|市川潔|1983|p=190}}。<br /> <br /> [[平安時代]]前期から中期頃の坂東では、武装した富豪百姓層([[しゅう馬の党|僦馬の党]])が国家支配に抵抗し、国家への進納物を横領したり略奪する動きが活発化した。これら富豪百姓層を「群盗」と見なした国家は、その取締りのため[[昌泰]]2年([[899年]])に碓氷坂と[[足柄峠|足柄坂]]へ関所を設置した。これが[[碓氷関]]の初見である。碓氷関は[[天慶]]3年([[940年]])に廃止され、[[中世]]に何度か復活した{{Sfn|倉田正|1979|p=66}}。<br /> <br /> 古代駅路は全国的に[[11世紀]]初頭頃までに廃絶しており、碓氷坂における東山道駅路も同時期に荒廃したとされている。その後、碓氷峠における主要交通路は、旧碓氷峠ルートのほか、入山峠ルート・[[鰐坂峠]]ルートなどを通過したと考えられているが、どのルートが主たるものであったかは確定に至っていない。<br /> <br /> === 中世 ===<br /> 中世には碓氷峠付近の主要道は現在の大字峠(地図中の旧碓氷峠)を通るようになった。この峠には[[熊野皇大神社]](碓氷峠熊野神社)があり、同神社[[正応]]5年[[4月8日_(旧暦)|4月8日]]([[1292年]][[5月3日]])紀の鐘銘から、この頃までには大字峠の道が開設されていたといわれる。入山峠を通る古道よりも坂本付近などが峻険で通りにくかったが、そのため防備に優れていたとされる&lt;ref name=&quot;日本歴史地名大系&quot;&gt;日本歴史地名大系&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[応永]]30年([[1423年]])の[[国一揆|国人一揆]]や[[永享]]12年([[1440年]])の[[結城合戦]]では、碓氷峠は[[信濃国|信州]]からの侵攻を防ぐ要衝となっていた。[[永禄]]4年([[1561年]])に[[上杉謙信|長尾景虎]]が[[小田原城]]の[[後北条氏]]を攻めた際に[[武田信玄]]が笛吹峠に出陣し、信玄は碓氷峠からの進出をその後数回にわたって行ない、永禄9年([[1566年]])には[[箕輪城]]の攻略に成功して[[上野国]]へ進出した。[[天正]]18年([[1590年]])の[[小田原征伐]]の際、[[豊臣秀吉]]は[[前田利家]]らの北国勢を碓氷峠から進軍させている&lt;ref name=&quot;日本歴史地名大系&quot; /&gt;。<br /> <br /> [[ファイル:Old Usui Pass.JPG|thumb|right|240px|旧碓氷峠(長野県[[北佐久郡]][[軽井沢町]][[大字]]峠町)]]<br /> === 近世 ===<br /> [[江戸時代]]には[[中山道]]が[[五街道]]のひとつとして整備され、旧碓氷峠ルートが本道とされた。碓氷峠は、[[関東地方|関東]]と[[信濃国]]や[[北陸地方|北陸]]とを結ぶ重要な場所と位置づけられ、峠の江戸側に[[関所]](坂本関)が置かれて厳しい取締りが行われた{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=58&amp;ndash;59}}。峠の前後には[[坂本宿]]・[[軽井沢宿]]が置かれ、両宿場間の距離は2里26町(約10[[キロメートル]]〈km〉余)であったが、峠頂部の熊野神社の標高が1200&amp;nbsp;m、坂本宿の京都口が標高460&amp;nbsp;mであるから、その標高差は740&amp;nbsp;mもあり通行者の大きな負担になっている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=58&amp;ndash;59}}。特に刎石(はねいし)は[[つづら折れ]]の急坂のうえ落石も多く、峠道最大の難所である{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=58&amp;ndash;59}}。なお、坂本から熊野神社までの旧中山道ルートの現在は、旧[[建設省]]と「道の日」実行委員会により制定された[[日本の道100選]]のひとつとして1986年(昭和61年)に選定を受けている{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=6&amp;ndash;13}}。<br /> <br /> ただし、古道はその後も活用されており、たとえば難所の碓氷峠を避けることができる鰐坂峠ルートは「姫街道」「女街道」と呼ばれていた。この道は[[本庄市|本庄]]で中山道本道から分かれて[[藤岡市|藤岡]]・[[富岡市|富岡]]・[[下仁田町|下仁田]]を経由し、鰐坂峠([[和美峠]]付近)を経て信州に入り、追分宿付近で本道と合流していた。しかし、こちらも難所であることに差はなかったといい、本道と同様に西牧関所が置かれていた。<br /> <br /> [[天明]]3年([[1783年]])の[[浅間山]]噴火では3[[尺]] (90[[センチメートル]]&lt;!-- (cm) --&gt;) 以上の砂が積り、碓氷峠往還は8日間にわたって通行不可能になっている&lt;ref name=&quot;日本歴史地名大系&quot; /&gt;。碓氷峠は中山道有数の難所であったため、幕末の[[文久]]元年([[1861年]])に[[和宮]]が[[徳川家茂]]に嫁ぐために中山道を通ることが決まった際に一部区間で大工事が行われ、和宮道と呼ばれる多少平易な別ルートが開拓された。なお、約3万人の和宮一行は同年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]](1861年[[12月10日]])に軽井沢を発って碓氷峠を越え、翌10日(1861年[[12月11日]])に横川に宿泊している{{Sfn|倉田正|1979|p=67}}。<br /> <br /> === 明治時代以降 ===<br /> [[明治]]に入ってもその重要性は変わらず、人々や物資の往来は続いた。[[1878年]][[9月11日]]、[[明治天皇]]の北陸道・東海道巡幸では、天皇は徒歩にて峠を通過している。[[明治天皇紀]]によれば、「峠の険難は馬すらも通はず・・・」とあり&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author=富山県護国神社 |year=2012 |title=富山県における聖帝四代の御製を拝す |page=p78 |publisher=富山県護国神社}}&lt;/ref&gt;、この時期においても難所であることには変わらなかった。[[1882年]]に従来の南側に新道が作られ、[[1886年]]には馬や車での通行が可能となった。「碓氷新道」と呼ばれたこの新道は[[国道18号]](の旧道)にあたり、[[坂本宿]]からその後[[碓氷湖]]が作られたあたりまではおおむね和宮道(正しくは、(明治天皇)御巡幸道路であり、和宮道は、熊野神社北側から子持山の南西あたりまでをいう)を踏襲し、そこから西側は中尾川に沿って全く新しいルートとされ、軽井沢宿と沓掛宿の間で旧道と合流するものであった。新道の碓氷峠は、中山道旧道の碓氷峠(新道開通後は旧碓氷峠と呼ばれている)から南に3&amp;nbsp;kmほどの場所に移動した。この結果、碓氷峠越えの道は3&amp;nbsp;km長くなったものの平均勾配が半分以下に低減された{{Sfn|倉田正|1979|p=68}}。その後「旧軽井沢」と呼ばれるようになった地区は中山道旧道に沿った場所で、[[軽井沢駅]]周辺は明治時代に開発された新道沿いにあたる。<br /> <br /> [[大正]]以降は[[貨物自動車|トラック]]などの往来も盛んになり、[[失業]]対策も兼ねた[[公共事業]]の一環として[[1932年]]から翌年にかけて拡幅および一部[[舗装]]工事が行なわれ、これを記念した石碑が県境に残っている{{Sfn|倉田正|1979|p=68}}。なお、[[第二次世界大戦]]中には牛や馬の峠越えによる物資の輸送も行なわれた&lt;ref&gt;『朝日新聞』1984年12月11日付 朝刊、解説面、4面。&lt;/ref&gt;。国道18号の碓氷峠の区間は、[[1956年]](昭和31年)から拡幅や改良・舗装工事が進められていたが、カーブが184個もあることなどから限界があり、交通需要の高まりに応えるため[[1971年]]に国道18号のバイパスである[[有料道路]]の&#039;&#039;&#039;[[碓氷バイパス]]&#039;&#039;&#039;(入山峠を通る、かつての古東山道のルート)が開通した。碓氷バイパスは[[2001年]][[11月11日]]から無料化され、かつての中山道は[[ハイキング]]コースとして整備された。[[1993年]]には[[上信越自動車道]]が開通したことから、[[1979年]]には[[交通量]]が2,000台/日あった明治時代の新道もその重要性は薄れつつある。なお上信越自動車道の建設に当たっては、同道路内で最長となる全長1,267メートルの[[碓氷橋]]が、碓氷川などをまたぐように架橋された。<br /> <br /> === 現在の交通量 ===<br /> [[2005年]]の[[上信越自動車道]]の碓氷峠付近(群馬・長野県境)の交通量は以下の通りである&lt;ref&gt;{{Cite web |title = 平成17年度道路交通センサス/長野県 |date = 2013-08-07 |url = http://www.pref.nagano.lg.jp/michiken/infra/doro/chosa/kotsuryo.html |publisher = 長野県 |accessdate = 2015-03-20 }}&lt;/ref&gt;。<br /> :{| class=&quot;wikitable&quot;<br /> <br /> |+ 碓氷峠付近の1日当たりの平均交通量(2005年)<br /> ! 日 !! [[乗用車]](台/日) !! [[貨物自動車]](台/日) !! 合計(台/日)<br /> |-<br /> ! 平日<br /> | {{0}}8,669 || 10,065 || 18,734<br /> |-<br /> ! 休日<br /> | 17,538 || {{0}}4,177 || 21,715<br /> |}<br /> <br /> なお、2005年の[[国道18号]]の碓氷峠付近(安中市松井田町原甲)の交通量は平日が2,016台/日、休日が4,129台/日&lt;ref&gt;{{Cite web |title = 群馬県の道路交通量一覧 |url = http://www.ktr.mlit.go.jp/takasaki/takasaki00050.html |publisher = [[国土交通省]] [[地方整備局#関東地方整備局|関東地方整備局 高崎河川国道事務所]] |accessdate = 2015-03-20 }}&lt;/ref&gt;、[[2001年]]の[[碓氷バイパス]]の1日当たりの平均交通量は10,235台/日だった&lt;ref&gt;『朝日新聞』2001年11月3日付 朝刊、群馬地方面、35面。&lt;/ref&gt;。[[1993年]]の予測では上信越自動車道、碓氷バイパスの交通量はそれぞれ8,000台/日、7,000台/日になると見込まれており&lt;ref&gt;『朝日新聞』1993年3月8日付 夕刊、社会面、8面。&lt;/ref&gt;、実際の値はともにこれを上回っている。特に碓氷バイパスは1993年の交通量およそ15,000台/日からの半減が予想されたが、利用台数はそれほど減っていない。<br /> <br /> == 鉄道 ==<br /> === 鉄道の建設 ===<br /> [[ファイル:Usui-Bridge-3.jpg|thumb|200px|right|線路の一部だった[[碓氷第三橋梁]]]]<br /> [[ファイル:JGR-3900SL.jpg|thumb|200px|right|最初に投入されたラック式の3900形蒸気機関車]] <br /> [[鉄道]]においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、[[上野駅]] - [[横川駅 (群馬県)|横川駅]]間が[[1885年]]に、さらに[[軽井沢駅]] - [[直江津駅]]間が[[1888年]]に開通すると当区間が輸送の[[ボトルネック]]となり、東京と新潟の間の鉄道を全線開通させることが強く望まれた{{Sfn|倉田正|1979|p=68}}。なお、1888年から1893年にかけては[[碓氷馬車鉄道]]という[[馬車鉄道]]が[[国道18号]]上に敷設されていたが、輸送可能な量が少ない上に峠越えに2時間半もかかっていた{{Sfn|田島二郎|1998|p=11}}。当初の[[機関車]]の能力では[[粘着式鉄道]]にて通過困難な[[線形 (路線)#勾配|勾配]]があり、[[スイッチバック]]や[[ループ線]]などを設ける方法では対処できなかったため[[ラック式鉄道]]を模索し、視察した[[ドイツ]]の[[ハルツ山地|ハルツ山]]鉄道を参考にして[[アプト式]](アブト式)を用いることを提案した[[仙石貢]]と[[吉川三次郎]]のプランが採用された。この案では中山道沿いに線路を敷設するため資材や人員の運搬コストを低減できる一方で、最大で66.7&amp;nbsp;[[パーミル|‰]](= {{分数|1|15}}。約 3.8 度)という急な勾配になる。なお、この際に鉄道建築師長の[[ボーナル]]は[[和美峠]]や[[入山峠]]を通る{{分数|1|40}}程度の勾配の案を提示している{{Sfn|北河大次郎|2007|p=55}}。<br /> <br /> [[1891年]][[3月24日]]に起工したが、急勾配でアプト式のラックレールを用いるには列車の推進力を受ける[[道床]]に十分配慮する必要があった。ボーナルはその対策として、大きな[[スパン]]に従来よく使われていた[[鋼]]桁ではなく[[レンガ]]製の[[アーチ]]を用いている。また、工事中の1891年10月に[[濃尾地震]]が起きてレンガ造りの建造物が倒壊したことを受け、橋脚に石柱を組み合わせたりレンガを縦に積むなどの地震対策が採り入れられた{{Sfn|北河大次郎|2007|p=55}}。このような技術が評価され、[[碓氷第三橋梁]]などの一連の橋梁、[[トンネル|隧道]]などは[[1993年]]から翌年にかけて[[近代化遺産]]として国の[[重要文化財]]に指定されている&lt;ref&gt;{{文化遺産オンライン|191843|碓氷峠鉄道施設 第三橋梁}}など。&lt;/ref&gt;。ただしアーチ部分の耐震性については効果は限定され、完成後の[[1894年]]6月の[[明治東京地震]]([[マグニチュード]]=7.0)ではアーチにひびが入り、同年から[[1896年]]にかけてレンガを巻き立てる補強が行なわれた{{Sfn|北河大次郎|2007|p=56}}。<br /> <br /> このような経緯を経て、延長11.2&amp;nbsp;kmの間に18の橋梁と26の[[トンネル]]が建設され、着工から1年9か月後の[[1892年]][[12月22日]]に工事が完了し、翌[[1893年]][[4月1日]]に官営鉄道中山道線(後の[[信越本線]])として横川 - 軽井沢間が開通した。碓氷峠を越えることから「&#039;&#039;&#039;碓氷線&#039;&#039;&#039;」、また横川と軽井沢から「&#039;&#039;&#039;横軽&#039;&#039;&#039;(よこかる)」とも呼ばれる。&lt;!--なお、当時の通常の[[蒸気機関車]]ではこの傾斜の登坂が困難であったが、その後技術の進歩により、[[京阪京津線]]は碓氷峠と同じ66.7 ‰(約3.8度)&lt;ref&gt;[http://web.archive.org/web/20060314225451/www.keihan-o2.com/st/k01.html 京阪電車大津線公式webサイトkeihan-o2.com 上栄町駅] (Internet Archive)&lt;/ref&gt;、さらに[[箱根登山鉄道鉄道線|箱根登山鉄道]]は80 ‰(約4.6度)の勾配をラックレールなしで登坂している。←自分だけ登ればいい電車を、貨物や客車(勾配区間では非常に大きな負荷になる)を動かさないといけない機関車と一緒にしないでください。東武鉄道の日光軌道線なんかわざわざED40(ラック機能なし)で貨物列車(しかも登りは推進運転)運行してましたが、この路線を普通に電車は登っていましたよ?。--&gt;<br /> <br /> === ラック式鉄道 ===<br /> [[ファイル:JGR-10001-EL.jpg|thumb|200px|right|アプト方式ラック式の10000形電気機関車]]<br /> トンネルの連続による煤煙の問題から、乗務員の中には[[吐血]]や[[窒息]]する者も現れ{{Sfn|倉田正|1979|p=68}}、[[1911年]]に横川駅付近に[[火力発電所]]が設けられて[[1912年]]には日本で最初の幹線[[鉄道の電化|電化]]が行われた。<br /> <br /> 電化により碓氷線の所要時間は80分から40分に半減して輸送力は若干増強された{{Sfn|田島二郎|1998|p=11}}が、輸送の[[ボトルネック|隘路]]であることは変わらず、「東の碓氷」は「北の[[板谷峠|板谷]]」、「西の[[瀬野八]]」などと並び、名だたる鉄道の難所として称された。<br /> <br /> [[1900年]]に[[大和田建樹]]によって作成された「[[鉄道唱歌]]」第 4 集北陸編では、碓氷峠の区間は以下のように歌われている。<br /> * 19.&#039;&#039;これより音にききいたる 碓氷峠のアブト式 歯車つけておりのぼる 仕掛は外にたぐいなし&#039;&#039;<br /> * 20.&#039;&#039;くぐるトンネル二十六 ともし火うすく昼くらし いずれは天地うちはれて 顔ふく風の心地よさ&#039;&#039;<br /> <br /> さらに『鉄道唱歌』と同じ年に作成された、現在の長野[[都道府県民歌|県歌]]である『[[信濃の国]]』も、6番において以下のように碓氷峠を歌っている。<br /> * &#039;&#039;吾妻はやとし 日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山 穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道 みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い&#039;&#039;<br /> <br /> なお、「ア&#039;&#039;&#039;ブ(BU)&#039;&#039;&#039;ト」という表現は当時見られたものだが、語源はドイツ語なので現在の「アプト」の方が原語に近い。<br /> &lt;!--アプト式はラック方式鉄道の一形式に過ぎず、ラック式鉄道をアプト式と呼ぶのは誤りである。←マーシュ式など他のラックレールを使っている路線を「アプト(アブト)式」と呼ぶなら間違いでしょうが、碓氷峠は実際アプト式のラックレールなのですから「アプト(アブト)式」でいいのでは? 別のもので例えるなら「マレー式は複式であり、ビッグボーイのような単式をマレー式と呼ぶのは誤り。」ならともかく「マレー式は関節式型の一形態に過ぎない、だから国鉄9800形蒸気機関車は関節式機関車であり、マレー式機関車と呼ぶのは誤り。」というのは変でしょう。--&gt;<br /> <br /> === 粘着運転化 ===<br /> [[ファイル:JRE-EF6316-JRW-EC489-Hakusan.jpg|thumb|200px|right|EF63形電気機関車を連結して碓氷峠に向かう特急「白山」]]<br /> {{Sound|JNR 169 series kumoha169-4 EF63 10 EF63 20 myoko karuizawa.ogg|クモハ169-4の走行音(EF6310+EF63 20と協調運転、301M妙高 、1号車)|(信越本線線横川-軽井沢間、1986年10月26日)}}<br /> <br /> [[太平洋戦争]]後は輸送隘路の解消のため最急勾配を22.5 ‰(約1.3度)とする迂回ルートも検討されたが、最大66.7 ‰(約3.8度)の急勾配は回避せず一般的な車輪による[[粘着式鉄道|粘着運転]]で登降坂することになり、[[1961年]]に着工し[[1963年]][[7月15日]]に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が単線で開通した。同年[[9月30日]]にラック式鉄道は廃止され、さらに[[1966年]][[7月2日]]には、旧ラック式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し[[複線]]となった。これによって当区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17分、上り列車は24分に短縮された{{Sfn|倉田正|1979|p=69}}。<br /> <br /> しかし[[電車]]・[[気動車]]・[[客車]]・[[貨物列車|貨物]]を問わず単独での運転は勾配に対応できず、[[補助機関車]]として2両を1組とした[[国鉄EF63形電気機関車|EF63形]]を常に連結することとなった。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であった。そのために必ず勾配の麓側にあたる横川側に2両が連結された。<br /> <br /> ;客車・貨物列車の場合(EF62形単機回送も含む)<br /> :信越本線内の本務機関車としてEF63形と同時期に製造された[[国鉄EF62形電気機関車|EF62形]]が牽引する列車ではEF63形を連結して当区間を走行する際の輸送定数は客車が360[[トン]] (t) 、貨物列車で400&amp;nbsp;tに制限されたほか、ラック時代に一部列車で実施されていた客車と貨車を混結した状態で走る[[混合列車]]の運転が保安上禁止された。<br /> :下り列車の場合(軽井沢)EF62 + 客車もしくは貨車 + EF63 + EF63(横川)の編成となり、無線通信によって最前部のEF62が牽引し後部のEF63形 2 両で推進するプッシュプル方式での運転操作が行われた。上り列車の場合、(軽井沢)客車 + EF62 + EF63 + EF63(横川)と勾配の麓側に 3 両の機関車が連なり、最前部のEF63形から 3 両の[[総括制御]]を行う。<br /> :EF62+EF63+EF63の 3 重連による牽引力は[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形蒸気機関車]]の5重連に相当する{{Sfn|久保田 (2005)|p=202}}。<br /> :&lt;!-- バグ回避のための行「Help:箇条書き#定義の箇条書き中の箇条書き」参照--&gt;<br /> ;電車・気動車の場合<br /> :EF62形・EF63形量産車による3重連以上を用いた試験の結果、EF63形が無動力の電車・気動車を牽引する場合は編成両数が電車が最大8両、気動車は最大7両に制限された{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=26}}。この問題についてはさまざまな解決策が検討されたが、最終的にEF63形と当区間を通過する電車を協調運転することで、増結が求められていた4両分の荷重を電車が負担する案が採用されることになった。こうして[[1968年]]以降、EF63形との[[協調運転]]により最大 12 両編成での通過を可能とした[[国鉄165系電車#169系|169系]]・[[国鉄485系電車#489系|489系]]・[[国鉄183系電車#189系|189系]]の各形式電車が投入されたが、協調・非協調を問わず当区間の運転はすべてEF63形に乗務する[[運転士|機関士]]が担当し、峠を登る列車では運転士は後ろ向きに運転を行うため、電車・気動車による列車では先頭に乗務している運転士は[[鉄道信号機|信号]]現示と進路の確認を行ない車内電話を通してEF63形乗務の機関士へ伝達し相互喚呼していた。また協調運転時の総括制御、推進・牽引運転時に電車・気動車側の[[マスター・コントローラー]]とブレーキ弁を扱うと制御回路を破損してしまうため、電車・気動車側の[[マスター・コントローラー]]はハンドル「切」位置にして鍵を抜き取り、ブレーキ弁ハンドルも抜き取るよう規程されていた。<br /> :[[1985年]](昭和60年)頃には余剰のサロ183形を改造した自力登坂可能な187系(第 2 案)も計画されたが、諸般の事情から白紙撤回されている。詳細は「[[国鉄183系電車#国鉄187系特急用直流電車開発計画|国鉄187系特急用直流電車開発計画]]」も参照のこと。<br /> <br /> ==== 横軽対策 ====<br /> [[ファイル:157series10tsc number.JPG|thumb|200px|right|車両番号(クロ157-1)の先頭に付された横軽対策識別マーク]]<br /> 最大66.7&amp;nbsp;‰の急勾配という条件で峠の下側から本形式による推進・牽引運転を実施するため、非常ブレーキ動作時などに過大な自動連結器作用力(自連力)が発生し、連結器の破損や列車の[[座屈]]による車両の車体と台車の分離、浮き上がり脱線の予防、車両の逸走といった事故が発生するのを防止する目的で、当区間を通過する車両には以下の対策(通称:「&#039;&#039;&#039;横軽対策&#039;&#039;&#039;」)が必須とされた。また、指定された形式以外の車両、大物車、鋼木合造客車は通過を禁止されている。<br /> *台枠・連結器の強化{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|pp=26, 29}}<br /> *緩衝器容量の増大{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=26}}<br /> *車掌弁(車掌用非常ブレーキ装置)への絞り追加{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=27}}<br /> *台車横揺れ制限装置の追加&lt;ref&gt;{{Cite journal |和書 |journal = [[レイルマガジン|Rail Magazine]] |issue = No. 161 |publisher = [[ネコ・パブリッシング]] |pages = {{要ページ番号|date=2015年3月}} |date = 1997-02 }}&lt;/ref&gt;<br /> *[[空気バネ]]台車装着車に対するパンク機能の付加{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=26}}&lt;ref&gt;{{Cite journal |和書 |author = 菅原憲一 |title = 国鉄の急こう配線の現状と展望 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |issue = No. 363 |page = 48 |publisher = [[電気車研究会]] |date = 1979-07 }}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 対策施工車両には識別のため車両番号の先頭に直径40[[ミリメートル]]&lt;!-- (mm) --&gt;の「●(Gマーク)」を付した。<br /> <br /> これらの制約は、当区間の粘着運転への切り替え直前に実施された165系電車9両編成とEF63形による下り勾配での試験運転で、非常ブレーキを作動させたところ機関車次位のクハ165形の軽井沢方にあたる車体後部が垂直座屈で浮上し、車体と台車が分離するという現象や上り勾配での客車牽引で縦勾配の変曲点で軽井沢方の台車が脱線する現象が発生した{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=26}}&lt;ref&gt;{{Cite journal |和書 |author = 黒岩源雄 |title = 横軽の思い出-アプト方式廃止の頃 |journal = 鉄道ピクトリアル |issue = No. 570| page = 20 |publisher = 電気車研究会 |date = 1993-01 }}&lt;/ref&gt;ことに由来する。<br /> <br /> この結果、機関車と他の車両との間で発生する自連力の過大がもたらす悪影響が認識され当区間での被牽引対象列車に対する最大8両(系列によっては7両)までの連結両数制限と車種を問わず心皿脱出防止のため空気バネ台車装着車に対するパンクの義務化が決定された{{Sfn|真宅正博|渡辺登|1968|p=26}}。前述の専用車両によるEF63形との協調運転システムの開発は、前者の制限を解消し輸送力不足を補う手段として開発されたものである。後者の対策は空気バネ台車の限界自連力が金属バネ台車に比べて著しく小さいため垂直座屈に弱い一方で空気バネをパンクさせてストッパゴムだけで車体を支持する状態にすると空気バネ有効時と比較して約6倍の限界自連力を得られることから実施されたもの{{Sfn|中橋順一|2008|pp=27&amp;ndash;28}}で、同様に貨物列車の[[車掌車]]についても推進運転時の坐屈問題から 1 段リンク式足回りをもつ[[国鉄ヨ3500形貨車|ヨ3500形]]が限定使用された&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;新線開業直後の1963年10月以降 3 回にわたり 2 段リンク式足回りを持つ緩急車の脱線事故が発生し、検証の結果大きな横圧が発生することが判明したことからヨ3500形の限定使用となった。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 電車では協調・非協調を問わず座屈による浮き上がり脱線予防策として車両重量のある[[動力車|電動車]]ユニットを峠の下側に組成することになり、[[新前橋電車区]](現・[[高崎車両センター]])・長野運転所(後の北長野運転所→長野総合車両所→現・[[長野総合車両センター]])配置の165・169系が他車両基地配置車と逆向きの編成に組成されていたほか、後に松本運転所(現・[[松本車両センター]])配置の[[国鉄115系電車#1000番台|115系1000番台]](後に長野へ移管)・新前橋電車区配置の[[国鉄185系電車#200番台|185系200番台]]も電動車ユニットの向きが本来と逆向きにされた。<br /> <br /> === 新幹線開業に伴う廃止 ===<br /> 廃止に先立ち、[[1993年]](平成5年)[[8月17日]]に、鉄道施設の一部を「碓氷峠鉄道施設」として国が[[重要文化財]]に指定した&lt;ref&gt;1993年(平成5年)8月17日文部省告示第106号「文化財を重要文化財に指定する件」&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 碓氷峠の抜本的な輸送改善は、[[1997年]]の[[北陸新幹線]]高崎 - 長野間(この区間は2015年3月13日まで[[長野新幹線]]として営業)の開通によってなされた。その際、信越本線の碓氷峠区間(横川 - 軽井沢間)は、長距離旅客が新幹線に移行する反面で県境を越える即ち住環境を跨ぐローカル旅客数が見込めないことや、峠の上り下りに特別な装備が必要で維持に多額の費用がかかるとして、[[第三セクター鉄道]]などに転換されることなく[[廃線|廃止]]された。<br /> <br /> 代替交通機関として横川駅 - 軽井沢駅間を片道34分で結ぶ[[ジェイアールバス関東]][[ジェイアールバス関東小諸支店|小諸支店]]による[[碓氷線]]1日7往復の運行に移行した&lt;ref&gt;『朝日新聞』1997年10月2日付 朝刊、長野地方面&lt;/ref&gt;。北陸新幹線は碓氷峠北方にある碓氷峠トンネルを通過する。この区間は 30&amp;ndash;‰(約1.7度)の勾配が連続しているため、[[新幹線E2系電車|E2系]]などの勾配対策を施工した車両のみが入線可能である{{Sfn|田島二郎|1998|p=11}}。新幹線開業後の1997年10月の高崎 - 軽井沢間の1日平均の乗車人員は上下方向で合計およそ30,000人・[[定員#混雑率・乗車率|乗車率]] 68&amp;nbsp;[[パーセント|%]] と前年同期に同区間を運行していた信越線特急・[[あさま#特急「あさま」の設定後|あさま]]と比べて約12,000人増加した&lt;ref&gt;『朝日新聞』1997年11月5日付 朝刊、社会面、30面。&lt;/ref&gt;。廃止の方針について、[[群馬県]][[安中市]]の[[新島学園中学校・高等学校|新島学園高等学校]]に[[長野県]]から通学する生徒の[[保護者]]を中心に廃止許可の取消を求める[[行政訴訟]]([[取消訴訟]])が[[前橋地方裁判所]]に起こされたが、裁判所は「(廃止の手続きを定めた)[[鉄道事業法]]は利用者個々の利益を直接保護するものではない」として[[取消訴訟#原告適格|原告適格]]を認めず、訴えを[[却下]]した&lt;ref&gt;[http://www.oft.co.jp/02-2/023911/h11-226-099.html H11.2.26 前橋地裁 平成09(行ウ)9 信越線廃止許可処分取消請求事件]{{リンク切れ|date=2015年3月}}&lt;/ref&gt;。[[東京高等裁判所]]の[[控訴]]審、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]の[[上告]]審も前橋地方裁判所の決定を支持し、訴訟却下が確定した。<br /> <br /> 旧碓氷線の廃線部分11.2&amp;nbsp;kmのうち、群馬県側の約10&amp;nbsp;kmは[[碓氷郡]][[松井田町]](現・安中市)が買収しており、残り約840&amp;nbsp;mについても[[北佐久郡]][[軽井沢町]]に買取を陳情する動きがあった&lt;ref&gt;『朝日新聞』2007年8月26日付 朝刊、長野東北信面、33面。&lt;/ref&gt;。廃線跡は廃止前と変わらない状態を保つように管理されており、かつての線路跡が遊歩道「[[アプトの道]]」となっている以外にも線路部分が多く残されている(遊歩道区間は、横川駅からラック方式の旧線をたどり旧熊ノ平駅までとなっている。[[#見所|後節]]も参照)。架線や通信ケーブル等も現役当時のまま残っていたが、現在では横川方の上下線で盗難され現存しない&lt;ref&gt;[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0804O_Y3A500C1CC1000/ JR信越線、廃線区間11キロで架線など盗難 被害100万円超] 『日本経済新聞』2013年5月9日&lt;/ref&gt;。[[碓氷峠鉄道文化むら]]では、横川駅側の廃線跡を利用して、かつて使われていた保守機関車500Aなどを走らせている&lt;ref&gt;『朝日新聞』2001年10月12日付 朝刊、群馬地方面、34面。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 車両 ===<br /> ==== ラック方式時代 ====<br /> * [[国鉄3900形蒸気機関車]]<br /> * [[国鉄3920形蒸気機関車]]<br /> * [[国鉄3950形蒸気機関車]]<br /> * [[国鉄3980形蒸気機関車]]<br /> * [[国鉄EC40形電気機関車]]<br /> * [[国鉄ED40形電気機関車]]<br /> * [[国鉄ED41形電気機関車]]<br /> * [[国鉄ED42形電気機関車]]<br /> * [[国鉄キハ57系気動車]]<br /> * [[国鉄キハ80系気動車]]<br /> <br /> ==== 粘着式(非ラック方式)時代 ====<br /> * [[国鉄EF62形電気機関車]]<br /> * [[国鉄EF63形電気機関車]]<br /> * EF63形との協調運転可能車<br /> ** [[国鉄165系電車#169系|国鉄169系電車]]<br /> ** [[国鉄183系電車#189系|国鉄189系電車]]<br /> ** [[国鉄485系電車#489系|国鉄489系電車]]<br /> * 横軽通過対策車(被牽引)<br /> ** [[国鉄80系電車]](一部)<br /> ** [[国鉄115系電車]](0番台の一部・300番台・1000番台)<br /> ** [[国鉄157系電車]]<br /> ** [[国鉄165系電車]](一部)<br /> ** [[国鉄181系電車]](一部)<br /> ** [[国鉄183系電車]](一部)<br /> ** [[国鉄185系電車]](200番台)<br /> ** [[JR東日本107系電車]](100番台)<br /> ** [[国鉄キハ57系気動車]]<br /> ** [[国鉄キハ80系気動車]](一部)<br /> ** [[国鉄12系客車]]<br /> ** [[国鉄14系客車]](一部)<br /> <br /> == 近代以降の事故 ==<br /> [[File:EC40 Usui touge accident.jpg|thumb|1918年(大正7年)3月7日に発生した[[信越本線熊ノ平駅列車脱線事故|熊ノ平駅列車脱線事故]]の現場]]<br /> 碓氷峠では[[明治]]以降だけでも多くの事故が起きている。[[1891年]]から[[1893年]]の線路の建設に当たっては、完成を急いだことなどから500名以上もの殉職者が生じている{{Sfn|倉田正|1979|p=68}}{{Refnest|group=&quot;注&quot;|歴史作家の[[清水昇]]は、[[碓氷関所]]跡にある「招魂碑」(1892年〈明治25年〉3月建立)に刻まれている500人という犠牲者数について、「1年間に500人もの作業員が犠牲になるだろうか」と疑問を呈した上で、この招魂碑は碓氷峠の工事のみならず日本における鉄道の建設開始(1870年〈明治3年〉3月)から1891年(明治24年)までの全体的な犠牲者を弔ったのではないかと述べている&lt;ref&gt;{{Cite book |和書 |author = 清水昇 |year = 2015 |title = 碓氷峠を越えたアプト式鉄道 66.7パーミルへの挑戦 |pages = 120 - 124 |publisher = [[交通新聞社]] |series = 交通新聞社新書 |isbn = 978-4-330-53815-0 |quote = 碓氷線建設の犠牲者 }}&lt;/ref&gt;。}}。1901年には[[日本鉄道]]副社長[[毛利重輔]]が偶然巻き込まれ死亡した[[毛利重輔#碓氷峠列車逆走事故|碓氷峠蒸気列車逆走事故]]が起こった&lt;ref&gt;[{{NDLDC|1920419/165}} 「碓氷隧道の汽車逆行の珍事時事新報明治34年7月15日」『新聞集成明治編年史. 第十一卷』](国立国会図書館デジタルコレクション)&lt;/ref&gt;。また、[[1950年]]には[[熊ノ平駅]]で数回にわたる土砂崩れが起きて50名が亡くなった。勾配が極めて急なことから[[列車脱線事故]]もしばしばあり、例えば[[1963年]][[10月16日]]に[[トンネル]]内で[[貨車]]が&lt;ref&gt;『朝日新聞』1963年10月17日付 朝刊、社会面、15面。&lt;/ref&gt;、[[1975年]][[10月28日]]には[[電気機関車]]が脱線している([[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#信越線軽井沢 - 横川間回送機関車脱線転落事故|信越線軽井沢 - 横川間回送機関車脱線転落事故]])&lt;ref&gt;『朝日新聞』1975年10月28日付 夕刊、社会面、9面。&lt;/ref&gt;。特に1975年の事故では機関車4両が10&amp;nbsp;m下の県道斜面まで転落し、乗員3名が重傷を負った。また、被災した機関車4両も復旧不能で全機廃車となった。<br /> <br /> 夏季は[[豪雨]]で[[国道18号]]が崩落することも多く、[[1979年]][[8月12日]]には雷雨のため長さ15&amp;nbsp;m、幅2.5&amp;nbsp;mにわたって崩落して通行止めとなり&lt;ref&gt;『朝日新聞』1979年8月13日付 朝刊、社会面、18面。&lt;/ref&gt;、[[1992年]][[8月29日]]には長さ150&amp;nbsp;m、幅6&amp;nbsp;mにわたって道路北側の土砂が崩れた上に地盤が緩み、復旧に2か月を要している&lt;ref&gt;『朝日新聞』1992年8月31日付 朝刊、群馬地方面。&lt;/ref&gt;。この他、[[1969年]]には[[山火事]]で国道18号の3&amp;nbsp;kmの区間が通行止めとなったこともある&lt;ref&gt;『朝日新聞』1969年4月14日付 夕刊、社会面、11面。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 伝承・歌など ==<br /> 碓氷峠には、他の峠などと同様に[[豪傑]]の伝承などがある。[[古代]]では[[頼光四天王]]の1人、[[碓井貞光]]が有名であり、先祖が勅勘によって[[配流]]され碓氷峠に隠棲していたといわれる{{Sfn|佐藤喜久一郎|2004|p=31}}。[[中世]]から[[近世]]にかけては「灘田の左太夫」(なだたのさだゆう)の話が伝わっている。実在した[[土豪]]の佐藤氏が左太夫のモデルになったとされ、具体的な内容としては<br /> * 足が非常に速く、茶飲み話をしている間に[[信濃国]]まで行って[[ソバ]]を刈ってきた{{Sfn|佐藤喜久一郎|2004|p=32}}。<br /> * 怪力の持ち主で、[[加賀藩|加賀藩主]]の[[駕籠]]を1人でかつぎ、反対側には巨石をぶら下げたまま休まずに峠を登りきった{{Sfn|佐藤喜久一郎|2004|p=33}}。<br /> * 力を利用して悪事を働いたため峠を追われ、[[妙義山|裏妙義]]に隠れ住んで亡くなった{{Sfn|佐藤喜久一郎|2004|p=33}}。<br /> などがある。<br /> <br /> [[近代]]に入ると多くの文学者が訪れ、[[正岡子規]]は[[1891年]]の『かけはしの記』&lt;ref&gt;[http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/4626_10323.html 青空文庫『かけはしの記』]&lt;/ref&gt;の中で、碓氷峠を[[馬車鉄道]]で越えた時の様子を描いている。<br /> <br /> [[大正|大正時代]]には、[[北原白秋]]が『碓氷の春』という一連の[[和歌]]を詠んでおり、その一首を刻んだ[[歌碑]]が[[横川駅 (群馬県)|横川駅]]下のドライブインに存在する{{Sfn|市川潔|1983|p=190}}。また、頂上の[[熊野神社 (安中市)|熊野神社]]の境内には[[山口誓子]]や[[杉浦翠子]]が碓氷峠を詠んだ[[俳句]]の句碑がある{{Sfn|市川潔|1983|p=191}}。[[西條八十]]の[[詩]]・『ぼくの帽子』の冒頭には碓氷峠が登場し、[[森村誠一]]の『[[人間の証明]]』はそれを引用している。<br /> <br /> == 見所 ==<br /> * 旧[[中山道]] [[坂本宿]]<br /> * 旧碓氷線 [[碓氷第三橋梁]](めがね橋)<br /> * [[碓氷湖]]<br /> *: [[碓氷川]]に建設された坂本[[ダム]]によってできたダム湖であるが、周辺が整備され新緑や[[紅葉]]の名所である。<br /> * [[碓氷峠鉄道文化むら]]:付近の観光施設<br /> * [[アプトの道]]:[[遊歩道]]<br /> *: 信越本線の横川を基点として、旧上り本線を経由し、丸山変電所、峠の湯、碓氷第三橋梁(通称めがね橋)を経て、現在は熊ノ平(旧本線の信号所)までが通行可能となっている。なお、熊ノ平から軽井沢の間は、ラック方式時代の物も残ってはいるものの、一部はトンネルがふさがれたりしており、現時点での整備計画はない。なお、横川から峠の湯までは旧上り本線を[[アスファルト]]で舗装しているが、急勾配のレールの重さによるずれにより、所々にアスファルトにひびが入っている(現在も年間に数ミリのレールのずれが起きている)。[[2005年]](平成17年)に開通したトロッコを運転している旧下り本線は柵で分離し、立入できないようになっている。なお、トロッコは碓氷峠鉄道文化むらの遊具という扱いとなっているため、同施設の入場券が必要であり、さらに11月から3月中旬までは運休となる。運転は土曜・休日及び特定日の日中となっており、横川の鉄道文化むらから峠の湯までの2.6[[キロメートル|キロ]]を走る。<br /> * 丸山変電所<br /> *: ラック方式鉄道電化の際に軽井沢の矢ケ崎変電所とともに建設された施設で、蓄電池室と機械室の2棟からなる。レンガ造りで丸山にある物は用途廃止後もそのまま放置される形となり残ったが、矢ケ崎の物は解体された。信越本線廃止後に遊歩道の整備にあわせて復元工事が行われ、[[2002年]](平成14年)に完成した。この工事にあわせ、建物内部の一部のものが撤去されている。トロッコ開通により、丸山駅として停留所が新設されたが、ラック方式時代には丸山信号所としていた場所となる。なお、廃線前から秋に咲く[[コスモス]]が絵になるとして有名ではあるが、このコスモスは付近の土地所有者が植えたもので、それが増えて現在のようになっている。<br /> * [[熊ノ平駅|熊ノ平信号場]]<br /> *: ラック方式時代には駅として開業したもので、[[1968年]](昭和38年)の粘着式運転の開始により、その後駅は廃止され信号場となる。駅としての機能があるときには玉屋(現在は坂本にある玉屋ドライブイン)が、峠の力餅を販売していた。[[1950年]](昭和25年)に発生した土砂災害によって多くの犠牲者が発生し、殉難の碑が建立され、現在も毎年慰霊祭が行われている。慰霊碑に隣接して、熊ノ平神社もある。熊ノ平は現在、遊歩道以外は立入禁止となっている。<br /> *: ラック方式時代のトンネルが 3 本、旧本線のトンネルが 4 本あるが、ラック方式時代に作られた引き上げ線となるトンネルの1本が国道18号(旧道)に続いており、業務用の出入り口として使用されていた。現在も工事車両の出入り口となっており、入口の門は施錠されている。場内には変電所も放置されたまま残っており、そこに新たに気象観測の機器も設置されている。この他アプトの碑やホーム跡も残っており、廃線当時と状態は変わっていない。<br /> * ラック方式時代のトンネル・橋梁<br /> *: 国道18号(旧道)沿いで、至る所に見ることができる。トンネル・カルバート・橋梁に関して、熊ノ平から横川の方には案内看板が設置されているが、軽井沢に近い中尾橋やその近くのトンネルは特に案内板などは設置されていない。旧本線に関しても案内板などの設置はない。<br /> * ゴルフ場付近<br /> *: [[霧積温泉]]へ通じる道路で旧本線が観察できる。[[1975年]](昭和50年)に発生した脱線転覆事故の際に出来たトンネル壁面の傷が、上り本線の第一トンネル出口に残されている。事故現場付近の植生が違っているが、旧本線から見ないとわからない状態となっている。なお、遊歩道化されていない部分の上り本線は草木が生い茂り、かなり荒れている。また、上り第一トンネル付近に出る所は吸血[[ヒル (動物)|ヒル]]が生息しているため、無用な立入りは避けたい。<br /> <br /> 廃線区間の注意事項:遊歩道など開放された箇所以外の立入は禁止されており、許可がない立入は[[住居侵入罪#邸宅・建造物|建造物侵入罪]]となる。特にラック方式時代のトンネルなどは経年から危険である。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> === 注釈 ===<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 市川潔 |title = 文学碑のある旅 -20-磯部温泉・碓氷峠(群馬県) |journal = 俳句 |volume = 32 |issue = 3 |publisher = [[角川書店]] |pages = 188 - 191 |year = 1983 |harv = ref }}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 北河大次郎 |title = 文化を彩る近代の橋(9)わが国最大の煉瓦造橋梁 碓氷峠鉄道施設 第三橋梁 |journal = 橋梁と基礎 |volume = 41 |issue = 3 |publisher = 建設図書 |pages =54 - 56 |year = 2007 |harv = ref }}<br /> * {{cite book | 和書 | author = [[久保田博]] | title = 日本の鉄道史セミナー | publisher = [[グランプリ出版]] | date = 2005年5月18日 | edition = 初版 | isbn = 978-4876872718 | ref = 久保田 (2005)}}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 倉田正 |title = 峠物語 碓氷峠 |journal = 道路 |issue = 464 |publisher = 日本道路協会 |pages = 65 - 70 |year = 1979 |harv = ref }}<br /> * {{Cite journal |和書|author = 佐藤喜久一郎 |title = 歴史叙述のなかの正当と異端 碓氷峠における佐太夫伝説とその由緒 |journal = 日本民俗学 |issue = 240 |publisher = 日本民俗学会 |pages = 29 - 58 |year = 2004 |harv =ref }}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 田島二郎 |title = 鉄路4代 - 碓氷峠を越えて |journal = 土木学会誌 |volume = 83 |issue = 3 |publisher = 土木学会 |pages = 10 - 11 |year = 1998 |harv = ref }}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 鶴田治雄 |title = 光化学スモッグの碓氷峠越え 内陸域における大気汚染の動態 |journal = [[科学 (雑誌)|科学]] |volume = 55 |issue = 4 |publisher = [[岩波書店]] |pages = 239 - 243 |year = 1985 |harv = ref }}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 中橋順一 |title = 列車の座屈現象 |journal = Railway Research Review |volume = Vol.65 |issue = No.8 |publisher = [[鉄道総合技術研究所]] |date = 2008-08 |pages = 26 - 29 |url = http://bunken.rtri.or.jp/doc/fileDown.jsp?RairacID=0004004786 |format = PDF |harv = ref }}<br /> *{{cite book|和書|author=「日本の道100選」研究会|title=日本の道100選〈新版〉|publisher=[[ぎょうせい]]|editor=国土交通省道路局(監修)|date=2002-06-20|isbn=4-324-06810-0|ref=harv}}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = [[野村哲]] |title = 平成7年度 : 群馬県、碓氷川源流域にみる自然環境の形成要因 : 碓氷峠越えを困難にしている自然史的要因を探る |journal = 群馬県の地域情報に関する総合的研究:特定研究報告書 |publisher = [[群馬大学]]社会情報学部 |pages = 3 - 10 |year = 1996 |harv = ref }}<br /> * {{Cite book |和書 |author = [[本田正次]] |title = 植物学のおもしろさ |publisher = [[朝日新聞社]] |series = 朝日選書 |pages = 262 - 267 |year = 1988 |isbn = 4022594667 |harv = ref }}<br /> * {{Cite journal |和書 |author = 真宅正博 |author2 = 渡辺登 |title = 信越線横川-軽井沢間の電気機関車と電車の協調運転 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |issue = No. 213 |publisher = [[電気車研究会]] |date = 1968-08 |harv = ref }}<br /> * 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年・2002年 を基にしたデータベース)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[日本の峠一覧]]<br /> * [[坂東]]:碓氷峠と[[箱根峠]]より東の呼称。[[白河関]]と[[勿来関]]より南。<br /> * [[入山峠]]:付近の峠<br /> * 碓氷峠を通っていた古道、および現在通っている道路<br /> ** [[東山道]]<br /> ** [[中山道]]<br /> ** [[国道18号]]<br /> ** [[碓氷バイパス]]<br /> ** [[上信越自動車道]]<br /> * 東山道と境界<br /> ** [[不破関]]:[[関ケ原町]]にある滋賀県と岐阜県の境<br /> ** [[鳥居峠 (長野県)]]:木曽地方と筑摩盆地の境<br /> ** [[青木峠 (長野県)]]:筑摩盆地と東信地方の境<br /> ** [[和田峠 (長野県)]]:諏訪盆地と東信地方の境<br /> ** [[白河関]]:栃木県と福島県中通りの境<br /> * 鉄道関連<br /> ** [[碓氷馬車鉄道]]:かつて碓氷峠を通っていた馬車鉄道<br /> ** [[信越本線]]:かつて碓氷峠を通っていた鉄道路線。[[長野新幹線]]開業に伴い[[1997年]]9月30日の最終列車をもって当該区間廃止。<br /> ** [[横川運転区]]:旧称横川機関区。鉄道で碓氷峠を越える際に使用する[[補助機関車]]「[[国鉄EF63形電気機関車|EF63]]」が所属していた運転区。<br /> ** [[北陸新幹線]]:現在碓氷峠を通る鉄道路線。1997年10月1日、長野新幹線として先行開業。<br /> ** [[碓氷線]]:碓氷峠を通るバス路線<br /> ** [[板谷峠]]:[[奥羽本線]]・[[山形新幹線]]。碓氷峠と並ぶ鉄道の難所<br /> ** [[瀬野八]]:[[山陽本線]]。碓氷峠と並ぶ鉄道の難所<br /> * [[美しい日本の歩きたくなるみち500選]]<br /> * [[峠の釜めし]]<br /> * [[頭文字D]]:[[漫画]]・[[アニメ]]。架空の設定で、[[日産自動車|日産]]・[[日産・シルエイティ|シルエイティ]]に乗り公道レースを行う女性[[走り屋]]チーム「[[頭文字Dの登場人物#インパクトブルー|インパクトブルー]]」の拠点として国道18号が劇中に登場する。<br /> * [[碓氷と彼女とロクサンの。]]:[[ライトノベル]]。旧線になった横川~軽井沢間を復活させようという物語で、碓氷峠が舞台。<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:うすいとうけ}}<br /> [[category:中山道]]<br /> [[Category:群馬県の峠]]<br /> [[Category:長野県の峠]]<br /> [[Category:安中市の交通]]<br /> [[Category:安中市の地理]]<br /> [[Category:軽井沢町の交通]]<br /> [[Category:軽井沢町の地理]]<br /> [[Category:鉄道と文化]]<br /> [[Category:信越本線]]<br /> [[Category:関東山地]]</div> 158.201.245.201 ヘルシンキ 2018-02-18T07:18:43Z <p>158.201.245.201: </p> <hr /> <div>{{Infobox settlement<br /> |name = ヘルシンキ<br /> |official_name = {{lang|fi|Helsingin kaupunki}}&lt;br/&gt;{{lang|sv|Helsingfors stad}}<br /> |native_name = {{lang|fi|Helsinki}} – {{lang|sv|Helsingfors}}<br /> |nickname = Stadi, Hesa&lt;ref name=&quot;nickname&quot;&gt;{{cite web|url=http://hdl.handle.net/10315/2924|title=Place Names in the Construction of Social Identities: The Uses of Names of Helsinki|last=Ainiala|first=Terhi|year=2009|publisher=Research Institute for the Languages of Finland|accessdate=2011-09-22}}&lt;/ref&gt;<br /> |settlement_type = 市<br /> |motto =<br /> |image_skyline = HelsinkiMontage NoEffects.jpg<br /> |imagesize = 300px<br /> |image_caption =左上からヘルシンキ大聖堂、スオメンリンナの要塞、ヘルシンキ元老院広場、アウリンコラティビーチ、市庁舎。<br /> |image_flag = &lt;!-- Helsinki does not have an official flag (see e.g. http://www.hel.fi/hki/helsinki/fi/Helsinki-tietoa+ja+linkkej_/Helsingin+tunnukset) --&gt;<br /> |image_shield = Helsinki.vaakuna.svg<br /> |image_dot_map =<br /> |dot_x =<br /> |dot_y =<br /> |dot_map_caption =<br /> |dot_mapsize =<br /> |pushpin_map = Finland<br /> |pushpin_label_position =<br /> |pushpin_map_caption = フィンランドにおけるヘルシンキの位置<br /> |pushpin_mapsize = 280<br /> |region = [[Uusimaa]]<br /> |subregion = Helsinki<br /> |leader_title = [[市長]]<br /> |leader_name = Jan Vapaavuori<br /> |leader_title1 =<br /> |leader_name1 =<br /> |leader_title2 =<br /> |leader_name2 =<br /> |leader_title3 =<br /> |leader_name3 =<br /> |established_title3 = 都市の特許<br /> |established_date3 = 1550年<br /> |area_footnotes =&lt;ref&gt;&quot;Area by municipality as of 1 January 2011&quot; (in Finnish and Swedish). Land Survey of Finland. Retrieved 9 March 2011.&lt;/ref&gt;<br /> |area_total_km2 = 158.4<br /> |area_land_km2 = 157<br /> |area_water_km2 = 1.5<br /> |area_urban_km2 = 770.26<br /> |area_metro_km2 = 3,697.52 <br /> |population_footnotes =&lt;ref&gt;VÄESTÖTIETOJÄRJESTELMÄ REKISTERITILANNE 31.1.2014&quot; (in Finnish and Swedish). Population Register Center of Finland. Retrieved 11 February 2014.&lt;/ref&gt;<br /> |population_total = 614,074<br /> |population_density_km2 = 2872.86<br /> |population_metro = 1,402,542<br /> |population_blank1_title = [[Demonym]]<br /> |population_blank1 83.3% = {{lang|fi|helsinkiläinen}} (Finnish), {{lang|sv|helsingforsare}} (Swedish)<br /> |population_density_metro_km2 = 379.3<br /> |population_urban = 1092404 <br /> |population_density_urban_km2 = 1418.2<br /> |finnish_official = 1<br /> |swedish_official = 1<br /> |sami_official =<br /> |latd=60 |latm=10 |lats=15 |latNS=N<br /> |longd=024 |longm=56 |longs=15 |longEW=E<br /> |elevation_m =<br /> |postal_code =<br /> |website = [http://www.hel.fi/ www.hel.fi]<br /> |footnotes =<br /> }}<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;ヘルシンキ&#039;&#039;&#039; ({{lang-fi|&#039;&#039;&#039;Helsinki&#039;&#039;&#039;}},{{IPA-fi|ˈhe̞l.siŋ.k̟i}}) {{Audio|Helsinki.ogg|listen}}; {{lang-sv|&#039;&#039;&#039;Helsingfors&#039;&#039;&#039;}}, {{Audio|sv-Helsingfors.ogg|listen}})は、[[フィンランド]]の首都で同国最大の都市である。また、[[バルト海]]東部の[[フィンランド湾]]に面した同国南部の[[ウーシマー県]]の県庁所在地である。人口は616,042人(2013年2月28日現在)&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.vaestorekisterikeskus.fi/default.aspx?id=278 |title=Asukasluvut - Vהestצrekisterikeskus |publisher=Vaestorekisterikeskus.fi |date=2014-03-21 |accessdate=2014-07-18}}&lt;/ref&gt;、都市的地域の人口は 1,176,976人(2012年12月31日現在)&lt;ref name=&quot;pxweb2.stat.fi&quot;&gt;{{cite web|url=http://193.166.171.75/Dialog/varval.asp?ma=159_vaerak_tau_341_fi&amp;ti=Taajamat+v%E4kiluvun+ja+v%E4est%F6ntiheyden+mukaan+31%2E12%2E2012&amp;path=../Database/StatFin/vrm/vaerak/&amp;lang=3&amp;multilang=fi |title=Taulukko: Taajamat väkiluvun ja väestöntiheyden mukaan 31.12.2012 |publisher=193.166.171.75 |date=2012-12-31 |accessdate=2014-02-17}}&lt;/ref&gt;、ヘルシンキ都市圏である{{仮リンク|大ヘルシンキ|en|Greater Helsinki}}の人口は約140万人でフィンランドではもっとも人口の多い自治体と都市域を形成している。<br /> <br /> ヘルシンキは、[[ロシア]]の旧都[[サンクトペテルブルク]]、[[エストニア]]の首都[[タリン]]と同じく、[[フィンランド湾]]に面する主要都市の一つである。ヘルシンキからの距離は、東の[[サンクトペテルブルク]]までは{{convert|300|km}}、南の[[タリン]]までは{{convert|85|km}}である&lt;ref&gt;[http://www.estemb.or.jp/jp/estonia 駐日エストニア共和国大使館公式ホームページ]&lt;/ref&gt;。<br /> なお、西に{{convert|400|km}}の距離に位置する[[バルト海]]の対岸の[[スウェーデン]]の首都[[ストックホルム]]も加え、これらの都市とヘルシンキは歴史的に密接な関係にあった。<br /> <br /> ヘルシンキ都市圏には核となるヘルシンキの都市的地域と[[エスポー (フィンランド)|エスポー]]や[[ヴァンター]]、{{仮リンク|カウニアイネン|en|Kauniainen}}、周辺の[[ベッドタウン]]が含まれる&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://epp.eurostat.ec.europa.eu/portal/page/portal/region_cities/city_urban/city_maps/FI|title=Cities of Finland|publisher=Eurostat|date=|accessdate=2013-02-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130518144548/http://epp.eurostat.ec.europa.eu/portal/page/portal/region_cities/city_urban/city_maps/FI|archivedate=2013年5月18日|deadurldate=2017年9月}}&lt;/ref&gt;。ヘルシンキは100万人以上が住む都市圏としては[[地球上の最北一覧|最北に位置する都市圏]]で[[欧州連合加盟国]]の首都としては最北に位置する都市であり、フィンランドの政治や教育、金融、文化、調査センターなど様々な分野の中心都市で、ヨーロッパでも最北の大都市である。<br /> <br /> フィンランドで事業を行う外国企業の70%はヘルシンキ地域で事業を行っており&lt;ref name=&quot;regionbrief&quot;&gt;[https://web.archive.org/web/20071202040416/http://www.helsinkiregion.com/helsinki_region_in_brief/ Helsinki region in brief]&lt;/ref&gt;、2009年に、2012年の[[世界デザイン首都]]&lt;ref name=&quot;Worlddesigncapital.com&quot;&gt;{{cite web |url=http://www.worlddesigncapital.com/news/releases/main71.htm |title=City of Helsinki appointed World Design Capital 2012 |publisher=Worlddesigncapital.com |date=2009-11-25 |accessdate=2010-04-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091128094939/http://worlddesigncapital.com/news/releases/main71.htm |archivedate=2009年11月28日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;に{{仮リンク|国際インダストリアルデザイン団体協議会|en|International Council of Societies of Industrial Design}}により選ばれ、僅差で[[アイントホーフェン]]を破っている。<br /> <br /> [[エコノミスト・インテリジェンス・ユニット]]は2012年8月に住むのに適した都市の調査で、ヘルシンキは総合で8位にランクした&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.eiu.com/public/topical_report.aspx?campaignid=Liveability2012 |title=Liveabililty Ranking and Overview August 2012 - Economist Intelligence Unit |publisher=Eiu.com |date= |accessdate=2013-03-12}}&lt;/ref&gt;。2011年、{{仮リンク|モノクルマガジン|en|Monocle (lifestyle magazine)}}の調査&#039;&#039;Liveable Cities Index 2011&#039;&#039;でヘルシンキは最も住むのに適した都市に位置している&lt;ref&gt;{{cite web|author=0:00:00 0:01:00 |url=http://monocle.com/film/affairs/most-liveable-city-helsinki/ |title=Most liveable city: Helsinki - Monocle Film / Affairs |publisher=Monocle.com |date= |accessdate=2013-03-12}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 呼称 ==<br /> ヘルシンキ&#039;&#039;Helsinki&#039;&#039; ([[フィンランド語]]の発音では最初の音節に強勢が来る。{{IPA-fi|ˈhelsiŋki}})の呼称はほとんどの言語でヘルシンキの都市を言い表すのに使われているが、[[スウェーデン語]]では使われていない。スウェーデン語での呼称はヘルシングフォシュ&#039;&#039;{{lang|sv|Helsingfors}}&#039;&#039; ({{IPA-sv|hɛlsiŋˈfɔrs|}} or {{IPA-sv|hɛlsiŋˈfɔʂ|}})で、もともとヘルシンキ市の公式名称であった。(最初期の綴りは&#039;&#039;Hellssingeforss&#039;&#039;)フィンランド語での名称はおそらく、現在[[ヴァンター川]]の名称の川に使われていた似たような名称である&#039;&#039;Helsinga&#039;&#039;からで、14世紀には既に記録されていた。&#039;&#039;Helsingfors&#039;&#039;は周辺に教区の名称である フィンランド語のヘルシンキの元になった&#039;&#039;Helsinge&#039;&#039;と急流の({{lang-sv|fors}})で、元の村を流れていた。他の提唱では&#039;&#039;Helsinge&#039;&#039;の名称は中世のスウェーデン人の入植者がスウェーデンの[[ヘルシングランド地方]]から来たと言うものである。他の説では&#039;&#039;helsing&#039;&#039;の以前の形であるスウェーデン語で首を意味する&#039;&#039;hals&#039;&#039;からで、川の狭い部分を言い表しすなわち急流を表している&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://veta.yle.fi/svenskfinland/artikel.php?id=23&amp;subject=mellannyland |title=Utbildning &amp; Vetenskap: Svenskfinland |publisher=Veta.yle.fi |date= |accessdate=2009-07-08}}&lt;/ref&gt;。他のスカンディナヴィアの都市でこの種の似たような地理的な場所にある都市には[[ヘルシンゲル]]や[[ヘルシンボリ]]がある。{{仮リンク|ヘルシンキのスラング|en|Helsinki slang}}での俗称にはスタディ&#039;&#039;Stadi&#039;&#039;(スウェーデン語では都市や街)やヘサ &#039;&#039;Hesa&#039;&#039;(ヘルシンキの短縮+スラングの接尾辞 &#039;&#039;sa&#039;&#039;)がある。&#039;&#039;Stadi&#039;&#039;は話者がヘルシンキの地元出身であると主張する時に使われる。&lt;ref name=&quot;nickname&quot; /&gt;&#039;&#039;{{lang|sme|Helsset}}&#039;&#039;は北部サーミ語でのヘルシンキの呼称である。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 初期 ===<br /> [[File:Helsinki 1820.jpg|thumb|252px|left|1820年以前の都市改造前のヘルシンキ。カール・エンゲル作画]]<br /> [[File:Suomenlinna Susisaari.jpg|thumb|252px|left|18世紀に始まったスオメンリンナの要塞の建設。]]<br /> [[File:Helsingin palokunnantalo.jpg|thumb|left|250px|エロッタヤ消防署]]<br /> ヘルシンキは1550年に交易の街として[[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]によりヘルシングフォシュ&#039;&#039;Helsingfors&#039;&#039;として、ライバルとなるハンザ同盟の都市レヴァル&#039;&#039;Reval&#039;&#039;(今日のエストニアの首都[[タリン]])に対抗するために創建された。ヘルシンキは貧困、戦争、災害に見舞われ都市の計画は少しも進まず、小さいな街のままであった。1710年の[[ペスト]]ではヘルシンキの街の住民の多くが亡くなった&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.tabblo.com/studio/stories/view/409531/ |title=Ruttopuisto&amp;nbsp;– Plague Park |publisher=Tabblo.com |date= |accessdate=2008-11-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080411112934/http://www.tabblo.com/studio/stories/view/409531/ |archivedate=2008年4月11日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;。海軍の要塞である[[スオメンリンナの要塞]]が築かれた18世紀になるとヘルシンキの状況も改善されたが、ロシアがスウェーデンを破った[[第二次ロシア・スウェーデン戦争]]と併合による[[フィンランド大公国]]が成立する1809年まで十分な都市の開発は行われなかった。戦争中、ロシアはスオメンリンナの要塞を包囲した。そして、1808年の大火により市街の大部分は焼失している。<br /> <br /> [[アレクサンドル1世]]はフィンランドでのスウェーデンの影響を減らすことやサンクトペテルブルクに近いことから首都をヘルシンキに移した。続いて1827年に起こった{{仮リンク|トゥルク大火|en|Great Fire of Turku}}で当時フィンランドでは唯一の大学であった{{仮リンク|トゥルク帝国アカデミー|en|The Royal Academy of Turku}}はヘルシンキに移転され、最終的には現代の[[ヘルシンキ大学]]になった。この動きは都市の新しい役割を強化し、成長の継続を促進させた。これは明らかに市街の中心のほとんどをサンクトペテルブルクに似たドイツ生まれの建築家{{仮リンク|カール・ルードヴィッヒ・エンゲル|en|Carl Ludvig Engel}}の計画による[[新古典主義]]の街並に変えている。他の点では、鉄道や産業化などの技術の進歩は都市の成長の背後にある重要な要素であった。<br /> <br /> === 20世紀 ===<br /> フィンランドの20世紀前半の歴史は混乱し続けたが、ヘルシンキは継続的な発展が続いた。ヘルシンキのランドマークとなる出来事は第15回大会となる[[ヘルシンキオリンピック]]が1952年に開催された。1970年代にはフィンランドでの急速な都市化が他のヨーロッパの地域と比べ比較的遅く起こり、都市圏の人口は3倍になり地下鉄網などが整備されている。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[File:Helsinki SPOT 1021.jpg|thumb|right|250px|[[SPOT]]からのヘルシンキ、エスポー地域の衛星写真。]]<br /> [[File:La rue Luotsikatu, quartier de Katajanokka (Helsinki) (2769251000).jpg|thumb|250px|left|カタヤノッカの&#039;&#039;Luotsikatu&#039;&#039;]]<br /> ヘルシンキはいくつもの湾や半島、島々に市街が広がっている。市街の中心は半島の南側に広がるが、実際の名称である{{仮リンク|ヴィロンニエミ|en|Vironniemi}}の名で呼ばれることはあまりない。多くのヘルシンキ中心部の外側は互いに森林の区画で分かれていたものが、戦後開発された郊外で構成されている。{{仮リンク|ヘルシンキ中央公園|en|Central Park (Helsinki)}}は中心部から北側の市境に延びる市民の憩いの場である。<br /> ヘルシンキの大きな島には{{仮リンク|セウラ島|en|Seurasaari}}と{{仮リンク|ラウッタ島|en|Lauttasaari}}、{{仮リンク|コルケアサーリ|en|Lauttasaari}}(ヘルシンキ動物園)がある。他の重要な島には要塞の島である[[スオメンリンナの要塞|スオメンリンナ島]]や軍の島である{{仮リンク|サンタハミナ島|en|Santahamina}}がある。{{仮リンク|ピフラヤ島|en|Pihlajasaari}}はゲイやナチュラリストにサマースポットとして好まれ、ニューヨークの{{仮リンク|ファイアーアイランド|en|Lauttasaari}}に匹敵する。<br /> <br /> === 都市的地域 ===<br /> [[File:Greater Helsinki Urban Area.svg|thumb|right|250px|ヘルシンキの都市的地域]]<br /> ヘルシンキの都市的地域は10の異なった自治体&lt;ref&gt;http://www.ymparisto.fi/download.asp?contentid=6776&amp;lan=fi&lt;/ref&gt;に広がり、フィンランドでは唯一[[メトロポリス]]を形成している。&lt;ref&gt;[http://www.uudenmaanliitto.fi/files/1090/Uudenmaan_maakuntakaava_selostus.pdf Uudenmaan maakuntakaava selostus] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110813050316/http://www.uudenmaanliitto.fi/files/1090/Uudenmaan_maakuntakaava_selostus.pdf |date=2011年8月13日 }}&lt;/ref&gt; 人口は1,156,211人を擁し、面積は631.11km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;を占め、人口密度は1,836.8人/km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;である&lt;ref name=&quot;pxweb2.stat.fi&quot;/&gt;。フィンランドでは最も人口密度が高い地域で、ヘルシンキに続く[[タンペレ]]の3.7倍になる。<br /> <br /> ヘルシンキの首都圏はヘルシンキ、エスポー、ヴァンター、{{仮リンク|カウニアイネン|en|Kauniainen}}の都市で構成され、74,511km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;を占め人口は約100万人である。フィンランドの国土の0.2%の地域に人口の19%が居住し、住居の密度はフィンランドの平均よりも高い。ヘルシンキ首都圏には雇用も大きく集中し、約58万人の雇用を擁している。土地利用の度合いに関わらず、地域には大規模な保養地や緑地が広がっている。ヘルシンキ首都圏は世界最北の人口100万人を越える都市的地域で、欧州連合加盟国の首都の中でも最北の都市である。また、ヘルシンキ大都市圏には130万人の人々が暮らしこれはフィンランド人の4分の1にあたる。<br /> <br /> === 気候 ===<br /> ヘルシンキは[[湿潤大陸性気候]]である。[[バルト海]]や[[北大西洋海流]]の影響により冬の寒さは軽減され、高緯度に関わらず同緯度にある他の地点より高い。1月や2月の平均気温は {{convert|-5|°C|°F|abbr=on}}程度である&lt;ref name=&quot;fmiclimate&quot;&gt;{{cite web|url=http://www.fmi.fi/weather/climate_6.html |title=Climatological statistics for the normal period 1971–2000 |publisher=Fmi.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;。<br /> {{convert|−20|C|F}}を下回るのは通常、年に1、2週間くらいである。しかしながら、緯度のため冬至のあたりには昼の時間は6時間と続かず日照は弱く、とても曇りがちな天候はこの時期の暗さを強調している。逆にヘルシンキの夏は長い昼の時間を享受し、夏至の頃には19時間ある&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.gaisma.com/en/location/helsinki.html|title=Helsinki, Finland – Sunrise, sunset, dawn and dusk times around the World!|last=Tukiainen|first=Matti|work=Gaisma|accessdate=2011-02-11}}&lt;/ref&gt;。<br /> 6月から8月にかけての最高平均気温は{{convert|19|°C|°F|abbr=on}}である。海洋性の影響により夏の気温は涼しく、夜間の気温は内陸部より高い。ヘルシンキの最高気温の記録は2010年7月28日の{{convert|34.1|°C|°F|abbr=on}} で、最低気温は1987年1月10日の {{convert|-34.3|°C|°F|abbr=on}} であった&lt;ref name=&quot;fmi.fi&quot;&gt;{{cite web |url=http://www.fmi.fi/saa/tilastot_4.html |title=Ilmatieteen laitos – Sää ja ilmasto – Ilmastotilastot – Ilman lämpötila |publisher=Finnish Meteorological Institute |language=Finnish |date= |accessdate=2009-07-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090604044301/http://www.fmi.fi/saa/tilastot_4.html |archivedate=2009年6月4日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;。夏の気温が{{convert|25|°C|°F|abbr=on}}を超えることはまれである。<br /> <br /> {{Weather box<br /> |location = ヘルシンキ (カイサニエミ)<br /> |metric first = Yes<br /> |single line = Yes<br /> |Jan record high C = 8.5<br /> |Feb record high C = 11.8<br /> |Mar record high C = 17.1<br /> |Apr record high C = 21.9<br /> |May record high C = 29.6<br /> |Jun record high C = 32.0<br /> |Jul record high C = 34.0<br /> |Aug record high C = 31.2<br /> |Sep record high C = 26.2<br /> |Oct record high C = 19.4<br /> |Nov record high C = 11.6<br /> |Dec record high C = 10.0<br /> |year record high C =<br /> |Jan high C = −1.3<br /> |Feb high C = −1.9<br /> |Mar high C = 1.6<br /> |Apr high C = 7.6<br /> |May high C = 14.4<br /> |Jun high C = 18.5<br /> |Jul high C = 21.5<br /> |Aug high C = 19.8<br /> |Sep high C = 14.6<br /> |Oct high C = 9.0<br /> |Nov high C = 3.7<br /> |Dec high C = 0.5<br /> |year high C = 9.0<br /> |Jan mean C = -3.9<br /> |Feb mean C = -4.7<br /> |Mar mean C = -1.3<br /> |Apr mean C = 3.9<br /> |May mean C = 10.2<br /> |Jun mean C = 14.6<br /> |Jul mean C = 17.8<br /> |Aug mean C = 16.3<br /> |Sep mean C = 11.5<br /> |Oct mean C = 6.6<br /> |Nov mean C = 1.6<br /> |Dec mean C = -2.0<br /> |year mean C = 5.9<br /> |Jan low C = −6.5<br /> |Feb low C = −7.4<br /> |Mar low C = −4.1<br /> |Apr low C = 0.8<br /> |May low C = 6.3<br /> |Jun low C = 10.9<br /> |Jul low C = 14.2<br /> |Aug low C = 13.1<br /> |Sep low C = 8.7<br /> |Oct low C = 4.3<br /> |Nov low C = −0.6<br /> |Dec low C = −4.5<br /> |year low C = 2.9<br /> |Jan record low C = −34.3<br /> |Feb record low C = −31.5<br /> |Mar record low C = −24.5<br /> |Apr record low C = −16.3<br /> |May record low C = −4.8<br /> |Jun record low C = 0.7<br /> |Jul record low C = 5.4<br /> |Aug record low C = 2.8<br /> |Sep record low C = −4.5<br /> |Oct record low C = −11.6<br /> |Nov record low C = −18.6<br /> |Dec record low C = −29.5<br /> |year record low C = −34.3<br /> |precipitation colour= green<br /> |Jan precipitation mm = 52<br /> |Feb precipitation mm = 36<br /> |Mar precipitation mm = 38<br /> |Apr precipitation mm = 32<br /> |May precipitation mm = 37<br /> |Jun precipitation mm = 57<br /> |Jul precipitation mm = 63<br /> |Aug precipitation mm = 80<br /> |Sep precipitation mm = 56<br /> |Oct precipitation mm = 76<br /> |Nov precipitation mm = 70<br /> |Dec precipitation mm = 58<br /> |year precipitation mm = 655<br /> |Jan snow cm = 20<br /> |Feb snow cm = 24<br /> |Mar snow cm = 15<br /> |Apr snow cm = 0.4<br /> |May snow cm = 0<br /> |Jun snow cm = 0<br /> |Jul snow cm = 0<br /> |Aug snow cm = 0<br /> |Sep snow cm = 0<br /> |Oct snow cm = 0<br /> |Nov snow cm = 3<br /> |Dec snow cm = 10<br /> |year snow cm = 72<br /> |Jan sun = 38<br /> |Feb sun = 70<br /> |Mar sun = 138<br /> |Apr sun = 194<br /> |May sun = 284<br /> |Jun sun = 297<br /> |Jul sun = 291<br /> |Aug sun = 238<br /> |Sep sun = 150<br /> |Oct sun = 93<br /> |Nov sun = 36<br /> |Dec sun = 29<br /> |year sun = 1858<br /> |source 1 = Climatological statistics for the normal period 1981–2010 &lt;ref name=&quot;fmi.fi2&quot;&gt;{{cite web|url=http://en.ilmatieteenlaitos.fi/normal-period-1981-2010|title=Normal period 1981-2010|accessdate=2015-12-06}}&lt;/ref&gt;<br /> |date=February 2011<br /> }}<br /> <br /> {{Weather box<br /> |location = ([[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港]])<br /> |metric first = Yes<br /> |single line = Yes<br /> |Jan record high C = 8.2<br /> |Feb record high C = 10.0<br /> |Mar record high C = 17.5<br /> |Apr record high C = 23.6<br /> |May record high C = 28.8<br /> |Jun record high C = 31.4<br /> |Jul record high C = 34.0<br /> |Aug record high C = 31.5<br /> |Sep record high C = 25.3<br /> |Oct record high C = 18.2<br /> |Nov record high C = 10.5<br /> |Dec record high C = 9.6<br /> |year record high C = 34.0<br /> |Jan high C = -2.4<br /> |Feb high C = -2.7<br /> |Mar high C = 1.5<br /> |Apr high C = 8.7<br /> |May high C = 15.8<br /> |Jun high C = 19.6<br /> |Jul high C = 22.5<br /> |Aug high C = 20.5<br /> |Sep high C = 14.8<br /> |Oct high C = 8.6<br /> |Nov high C = 2.6<br /> |Dec high C = -0.7<br /> |year high C = 9.1<br /> |Jan mean C = -5.0<br /> |Feb mean C = -5.7<br /> |Mar mean C = -1.9<br /> |Apr mean C = 4.1<br /> |May mean C = 10.4<br /> |Jun mean C = 14.6<br /> |Jul mean C = 17.7<br /> |Aug mean C = 15.8<br /> |Sep mean C = 10.7<br /> |Oct mean C = 5.6<br /> |Nov mean C = 0.4<br /> |Dec mean C = -3.2<br /> |year mean C = 5.3<br /> |Jan low C = -8.1<br /> |Feb low C = -8.9<br /> |Mar low C = -5.4<br /> |Apr low C = -0.2<br /> |May low C = 4.8<br /> |Jun low C = 9.5<br /> |Jul low C = 12.6<br /> |Aug low C = 11.3<br /> |Sep low C = 6.9<br /> |Oct low C = 2.7<br /> |Nov low C = -2.1<br /> |Dec low C = -6.0<br /> |year low C = 1.4<br /> |Jan record low C = −35.9<br /> |Feb record low C = −30.2<br /> |Mar record low C = −27.2<br /> |Apr record low C = −12.1<br /> |May record low C = −5.4<br /> |Jun record low C = -0.5<br /> |Jul record low C = 4.0<br /> |Aug record low C = 2.0<br /> |Sep record low C = −7.3<br /> |Oct record low C = −14.5<br /> |Nov record low C = −19.9<br /> |Dec record low C = −29.5<br /> |year record low C =<br /> |precipitation colour= green<br /> |Jan precipitation mm = 54<br /> |Feb precipitation mm = 37<br /> |Mar precipitation mm = 37<br /> |Apr precipitation mm = 32<br /> |May precipitation mm = 39<br /> |Jun precipitation mm = 61<br /> |Jul precipitation mm = 66<br /> |Aug precipitation mm = 79<br /> |Sep precipitation mm = 64<br /> |Oct precipitation mm = 82<br /> |Nov precipitation mm = 73<br /> |Dec precipitation mm = 58<br /> |year precipitation mm =<br /> |Jan sun = 38<br /> |Feb sun = 74<br /> |Mar sun = 131<br /> |Apr sun = 196<br /> |May sun = 275<br /> |Jun sun = 266<br /> |Jul sun = 291<br /> |Aug sun = 219<br /> |Sep sun = 143<br /> |Oct sun = 84<br /> |Nov sun = 37<br /> |Dec sun = 26<br /> |year sun =<br /> |source 1 = Climatological statistics for the normal period 1981–2010 &lt;ref name=&quot;fmi.fi2&quot;/&gt;Sun and record temperatures 1981-2011 only<br /> }}<br /> <br /> == 都市景観 ==<br /> [[File:Wooden Vallila houses2 2005-29-08.jpg|right|thumb|195px|ヴァッリラ地区]]<br /> [[File:Aleksanterinkatu Helsinki summer.jpg|left|thumb|195px|ヘルシンキ中心部のアレクサンダー通り&#039;&#039;Aleksanterinkatu&#039;&#039;。]]<br /> [[File:Aleksi Helsinki Market Street.jpg|right|thumb|200px|ヘルシンキ中心の&#039;&#039;Aleksi&#039;&#039; 。]]<br /> [[File:HelsinkiToolonlahti.jpg|left|195px|thumb|夏の&#039;&#039;Eläintarhanlahti&#039;&#039;の眺め。]]<br /> [[File:Lutheran Cathedral Helsinki.jpg|thumb|195px|right|ヘルシンキのランドマークであるヘルシンキ大聖堂。]]<br /> [[File:ViewOfficeParliamentFinland.jpg|left|thumb|195px|右側がフィンランド議会、左が別館のオフィス棟。]]<br /> ドイツの建築家{{仮リンク|カール・ルートヴィヒ・エンゲル|en|Carl Ludvig Engel}} (1778–1840)は新しい都市の中心を設計するよう任命された。エンゲルはいくつかのヘルシンキの[[新古典主義建築]]の建築物の設計に携わっている。エンゲルの都市計画の中心的なポイントは{{仮リンク|ヘルシンキ元老院広場|en|Helsinki Senate Square}}である。周辺には東側に{{仮リンク|フィンランド政府宮殿|en|Government Palace (Finland)}}、西側にヘルシンキ大学の本館、北側にエンゲルスが亡くなった12年後の1852年に完成した巨大な[[ヘルシンキ大聖堂]]がある。後にエンゲルスの新古典主義の都市計画に刺激され「北の白い都市」と形容されている。しかしながら、ヘルシンキは[[カレワラ]]の強い影響や1900年代初期にデザインされた[[ナショナル・ロマンティシズム]]に強く影響を受けた多くの[[アール・ヌーヴォー]]の建築物も同様におそらくより有名で、この時代ナショナル・ロマンティックアートではポピュラーなテーマであった。<br /> <br /> ヘルシンキの新古典主義建築は{{仮リンク|カタヤノッカ|en|Katajanokka}}やウッラリンナ&#039;&#039;Ullanlinna&#039;&#039;などの大きな住宅地区の特徴にもなっている。フィンランドの新古典主義建築の巨匠である[[エリエル・サーリネン]](1873-1950)の代表作には[[ヘルシンキ中央駅]]がある。ヘルシンキのいくつかの建築物は世界的に著名な建築家である[[アルヴァ・アールト]]のものを特徴とし、[[機能主義 (建築)|機能主義]]建築の先駆者の一人として見なされている。しかしながら、彼の作品である製紙会社[[ストラ・エンソ]]の本社やコンサート会場である{{仮リンク|フィンラディアホール|en|Finlandia Hall}}は市民の間では意見が分かれる対象となっている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://helsinginaallot.blogspot.com/2007/02/stora-enson-pkonttori-kanavaranta-1.html|title=Stora Enson pääkonttori, Kanavaranta 1|date=2007-02-25|work=&quot;Helsingin Aallot&quot; blog|language=Finnish|accessdate=2011-02-05}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite news|url=http://www.hs.fi/paakirjoitus/artikkeli/Kohtaako+Enson+konttori+voittajansa/HS20080614SI1MA01re3|title=Kohtaako Enson konttori voittajansa?|at=Lead editorial|date=2008-06-14|newspaper=[[Helsingin Sanomat]]|language=Finnish|accessdate=2011-02-05}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www2.hs.fi/extrat/kulttuuri/rakennukset/rakennukset_c2.html|title=Kiasma nousi inhokkien ykköseksi|last=Penttilä|first=Vappu|work=Verkkoliite|publisher=[[Helsingin Sanomat]]|language=Finnish|accessdate=2011-02-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110629165346/http://www2.hs.fi/extrat/kulttuuri/rakennukset/rakennukset_c2.html|archivedate=2011年6月29日|deadurldate=2017年9月}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ヘルシンキの他の有名な機能主義の建築物には[[ヘルシンキ・オリンピックスタジアム]]や{{仮リンク|テニスパラッツィ|en|Tennispalatsi}}、ボートレース場、{{仮リンク|ヘルシンキスイミングスタジアム|en|Helsinki Swimming Stadium}}、自転車競技場、{{仮リンク|ラシパラッツィ|en|Lasipalatsi}}(ガラスの宮殿)、トゥールスポーツホール&#039;&#039;Töölön kisahalli&#039;&#039;、ヘルシンキ・マルミ空港などがある。スポーツ競技場は1940年に開催が予定されていたヘルシンキオリンピックの会場として整備されたが、第二次世界大戦の影響により中止されたが1952年に開催されたヘルシンキオリンピックの会場としての目的として全てを満たすため整備された。歴史的な挿話としてヘルシンキの新古典主義の建築物は、多く冷戦時代にハリウッドの映画でソ連を背景として設定されたシーンでソ連では撮影が不可能だったのでしばしば使われた。有名な作品には{{仮リンク|クレムリンレター|en|The Kremlin Letter}}(1970)、[[レッズ (映画)|レッズ]](1981)、[[ゴーリキー・パーク]](1983)がある。いくらかの街並はサンクトペテルブルクやモスクワの古い建築物を思い出させ、商業映画に利用されることは多くの住民を失望させた。同時に政府は密かにフィンランドの当局にこのような映画の企画の支援の延長を行わないことを指示していた&lt;ref name=&quot;mtv3erittainsalainen&quot;&gt;Ministry for Foreign Affairs of Finland, Political Department: {{PDFlink|[http://img.mtv3.fi/mn_liitteet/mtv3/uutiset/bulleting/300538.pdf Memo 56 of 20 January 1982 (labelled highly confidential in 1982)]|1.37&amp;nbsp;MB}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> {{clear}}<br /> <br /> {{wide image|Southern Helsinki panorama 2011-06-28 1.jpg|900px|ホテルトルニからのフィンランド湾と周辺部の眺望。}}<br /> {{wide image|Helsinki_City_Center.jpg|900px|ヘルシンキ中央駅と周辺部のパノラマ。}}<br /> {{wide image|Kamppi_Center_Panoramic.jpg|900px| &#039;&#039;Kamppi Central&#039;&#039; と周辺部のパノラマ。}}<br /> {{wide image|Suomenlinna wt.jpg|900px|スオメンリンナの冬の夜。}}<br /> <br /> == 政治 ==<br /> ヘルシンキ市議会は85人の議員で構成されている。2012年の地方選では[[国民連合党 (フィンランド)|国民連合党]](23)、[[緑の同盟]](19)、[[フィンランド社会民主党]](15)が三大勢力である。&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.vaalikone.fi/kunta2012/tulos/01/ |title=Helsingin vaalipiiri - Tulospalvelu - Kuntavaalit 2012 |publisher=Vaalikone.fi |date= |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130101052243/http://www.vaalikone.fi/kunta2012/tulos/01/ |archivedate=2013年1月1日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt; ヘルシンキ市長のユッシ・パイユネン(Jussi Pajunen)は国民連合党のメンバーである。フィンランドの全ての自治体議会のようにヘルシンキ市議会は地方政治の主要な意思決定機関であり、[[都市計画]]や学校、保健、公共交通機関など様々な議題を扱っている。85名の議員は4年ごとの市議選で選出されている。伝統的に保守派の国民連合党&#039;&#039;kokoomus&#039;&#039;はヘルシンキの地方政治では最大の政党で、フィンランド社会民主党は2番目に大きな政党であった。2000年の選挙で緑の同盟はフィンランド国内ではヘルシンキでは支持が最もあり、2番目に支持がある政党の地位を得た。しかしながら、2004年の選挙ではフィンランド社会民主党が再び以前の地位を得ている。2008年の選挙では緑の同盟が再び、2番目に大きな政党となり2012年の選挙でも保った。[[左翼同盟 (フィンランド)|左翼同盟]]は4番目に大きな政党で、[[真のフィンランド人]]は着実に支持を伸ばしている第五の勢力である。[[スウェーデン人民党 (フィンランド)|スウェーデン人民党]]は何年もの間支持を減らしているが、これはヘルシンキのスウェーデン語話者の割合が減っていることによる。[[フィンランド中央党]]は全国区の政治では3大政党のうちの1つであるが、ヘルシンキでは僅かな支持しか得られていない。<br /> <br /> == 統計 ==<br /> [[File:KidsJumpingInToTheSeaByPollo.JPG|thumb|252px|left|海に飛び込む子供。ラウッタ島]]<br /> ヘルシンキでは女性の割合がフィンランド国内の51.1%比べ53.4%と高い割合である。ヘルシンキの1㎢辺りの人口密度は2,739.36人/11km&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;とフィンランドでは遥かに高くなっている。平均寿命は全国平均に比べ若干低く、男性は75.7歳に対し75.1歳、女性は82.5歳に対し81.7歳であった&lt;ref&gt;{{cite web| author=Tapani Valkonen ym. | title = Tutkimuksia 10/2007: Elinajanodotteen kehitys Helsingissä ja sen väestönosaryhmissä 1991–2005 | date = 2007-12-17 | url = http://www.hel2.fi/tietokeskus/julkaisut/pdf/07_12_17_tutk_10_Valkonen.pdf | publisher = Helsingin kaupunki, tietokeskus | accessdate = 2007-12-30}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|author=Tilastolaitoksen historiaa |url=http://www.stat.fi/org/historia/elinajanodote.html |title=Tilasto |publisher=Stat.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;。<br /> ヘルシンキは1810年代以来、後にフィンランド共和国となる[[フィンランド大公国]]の首都が[[トゥルク]]から遷都されて以来、強い成長を経験している。ヘルシンキは[[フィンランド内戦]]の期間を除いて、強い成長を示し続けていた。第二次世界大戦後から1970年代まで地方からフィンランドの都市には多くの人が移動している。<br /> <br /> 1944年から1969年までのヘルシンキ市の人口は275,000人&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.hel.fi/wps/portal/Helsinki/Artikkeli?WCM_GLOBAL_CONTEXT=/helsinki/fi/Helsinki-tietoa+ja+linkkej_/Helsingin+historia |title=Helsingin historia |publisher=Hel.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;から525,600人&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.aatos.fi/Hki450v/metro.html |title=Maan alle |publisher=Aatos.fi |date=1972-12-30 |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;とほぼ倍に増加した。<br /> 1960年代にヘルシンキの市域人口は主に住宅不足から衰えている&lt;ref&gt;{{cite journal|last=Butzin|first=Bernhard|year=1991|title=Helsinki — aspects of urban development and planning|journal=[[GeoJournal]]|publisher=Springer, Netherlands|volume=2|issue=1|pages=11-26|issn=0343-2521|accessdate=2011-01-23|doi=10.1007/BF00212573}}&lt;/ref&gt;。多くの住民は近隣のエスポーやヴァンターに移動し始め、それ以来人口は急速に増加している。エスポーの人口は1950年の22,874人から2009年には244,353人と60年間で9倍に増加し、今後も増加が見込まれている。&lt;ref&gt;{{cite web|author=City of Espoo |url=http://www.espoo.fi/download/noname/%7B07B004C2-A125-4A32-88EB-9DDAFDDBEA3F%7D/27544 |title=A Nordic Story of Youth, Growth and Excellence FACTS ABOUT ESPOO 6頁 |publisher=City of Espoo |date= |accessdate=2013-05-17}}&lt;/ref&gt;<br /> ヴァンターも同様にこの期間急速に変化し、1950年には14,976人に過ぎなかった人口は2009年には197,663人と13倍増加している。<br /> <br /> これらの劇的な人口増加はヘルシンキ首都圏の自治体に公共交通の分野&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.hsl.fi/EN/abouthsl/Pages/default.aspx |title=HSL Helsingin seudun liikenne – About HSL |publisher=Hsl.fi |date=2010-01-01 |accessdate=2010-04-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100119022312/http://www.hsl.fi/EN/abouthsl/Pages/default.aspx |archivedate=2010年1月19日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;や、廃棄物管理などの分野&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.hsy.fi/en/Pages/default.aspx |title=HSY – Default |publisher=Hsy.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt; でより強い協力関係を押し進めている。住宅不足の増加やヘルシンキ都市圏での高い生活コストから多くの日々の通勤者は、以前は辺ぴな田舎に過ぎなかった場所や同じように遠い場所である50km離れた[[ロホヤ]]や[[ポルヴォー]]、100km離れた[[ハメーンリンナ]]や[[ラハティ]]などで住宅を見付けることを強いられている。<br /> <br /> === 言語 ===<br /> [[フィンランド語]]と[[スウェーデン語]]はヘルシンキ市の公式の言語である。人口の多数の82.5%&lt;ref name=&quot;hel2.fi&quot;&gt;http://www.hel2.fi/tietokeskus/julkaisut/pdf/12_06_28_Tilastoja_23_Peuranen.pdf&lt;/ref&gt; はフィンランド語を話し[[母語]]としている。人口の6.0%は{{仮リンク|フィンランド・スウェーデン語|en|Finland Swedish}}を話している。11.5%はフィンランド語やスウェーデン語以外の言語を母語としている。{{仮リンク|ヘルシンキスラング|en|Helsinki slang}}はフィンランド語やフィンラド・スウェーデン語、ロシア語から影響を受けている。フィンランド語は今日ではフィンランド語話者やスウェーデン語話者、他の言語話者(移民など)との間の日々の業務など公共の場でのコミュニケーションの共通の言語である。話者にフィンランド語の知識がない場合では、英語が通常話されている。スウェーデン語は市や国の機関では特にフィンランド・スウェーデン語話者を目的に{{仮リンク|ハメーンティエ|en|Hämeentie}}の社会福祉部門や{{仮リンク|カンピ|en|Kamppi}}のルッカン文化センターなどで使われている。フィンランド語の知識は必要不可欠であり、通常は雇用市場では基本的な必要条件である&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://yle.fi/uutiset/teksti/news/2010/11/immigrants_learning_swedish_over_finnish_run_into_problems_2114684.html |title=Immigrants Learning Swedish over Finnish Run into Problems &amp;#124; News &amp;#124; YLE Uutiset |publisher=yle.fi |date= |accessdate=2011-09-16}}&lt;/ref&gt;。フィンランド語話者は1890年にスウェーデン語話者を上回りヘルシンキの人口の多数派になった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://scripta.kotus.fi/www/verkkojulkaisut/julk125/helsinki/ |title=Helsingin nimistön vaiheita |publisher=Scripta.kotus.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;。当時のヘルシンキの人口は61,530人であった &lt;ref&gt;[http://igs.kirjastot.fi/iGS/kysymykset/haku.aspx?word=Viipuri IGS.kirjastot.fi] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120504201358/http://igs.kirjastot.fi/iGS/kysymykset/haku.aspx?word=Viipuri |date=2012年5月4日 }}&lt;/ref&gt;。現在ではフィンランド・スウェーデン語話者に代わってロシア語話者がフィンランドでは増加しており、数の上ではスウェーデン語話者に近づきいずれ上回ることも予想されている&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.alaskadispatch.com/article/20130514/russian-language-expanding-rapidly-finland|title=Russian language expanding rapidly in Finland|publisher=alaskadispatch.com |date=2010-05-13 |accessdate=2013-05-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 移民 ===<br /> ヘルシンキはフィンランドの海外からの玄関口である。ヘルシンキ市は移民の人口が絶対的にも相対的にもフィンランド国内では最大である。130を超える国の人々がヘルシンキでは見受けられ、移民の大きなグループはロシアやエストニア、スウェーデン、ソマリア、セルビア、中国、イラク、ドイツ、トルコからの人々である。外国人の市民は人口の8.0%を占め、外国生まれの人は11.1%で&lt;ref name=&quot;hel2.fi&quot;/&gt;あった。2012年には68,375人の住民は&lt;ref name=&quot;hel2.fi&quot;/&gt;フィンランドで話されているフィンランド語やスウェーデン語、[[サーミ語]]などこれら3つ以外の母語を話している。フィンランドを背景としていない最大のグループはロシア(14,532)、エストニア(9,065)、ソマリア(6,845)である&lt;ref name=&quot;hel2.fi&quot;/&gt;フィンランドの移民人口の半分はヘルシンキ首都圏に居住し、3分の1はヘルシンキ市内に居住している &lt;ref&gt;{{cite web|author=Katriina Pajari |url=http://www.hs.fi/kaupunki/artikkeli/Kolmannes+maahanmuuttajista+asuu+Helsingiss%C3%A4/1135241719769 |title=Kolmannes maahanmuuttajista asuu Helsingissä – HS.fi – Kaupunki |publisher=HS.fi |date=2008-12-07 |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;。<br /> {| class=&quot;infobox&quot; style=&quot;float:center;&quot;<br /> |colspan=&quot;2&quot;|&#039;&#039;&#039;外国人居住者の最大のグループ&#039;&#039;&#039;&lt;ref&gt;{{cite web|title=Foreigners in Helsinki 2011|url=http://www.hel.fi/hel2/tietokeskus/julkaisut/pdf/12_02_16_Tilasto_en_6_Selander.pdf|publisher=City of Helsinki|accessdate=2014-07-22}}&lt;/ref&gt;<br /> |-\<br /> ! 出身国 || 人口 (2011)<br /> |-<br /> |{{flag|Russia}} || 13,684<br /> |-<br /> |{{flag|Estonia}} || 7,940<br /> |-<br /> |{{flag|Somalia}} || 6,513<br /> |-<br /> |}<br /> <br /> == 経済 ==<br /> [[File:Kamppi Center II.jpg|thumb|{{仮リンク|カンピセンター|en|Kamppi Center}}はヘルシンキ中心部のショッピングセンターと交通の複合施設。]]<br /> ヘルシンキには[[フィンランド銀行]]がある。ヘルシンキ都市圏地域はフィンランドのGDPのおよそ3分の1を生み出し、1人当たりのGDPは全国平均の約1.3倍に達する&lt;ref&gt;[http://www.helsinginseutu.fi/hki/hs/The+Region+of+Helsinki/City+information+and+statistics/Helsinki+Region+Statistics Helsinki Region Statistics] Retrieved 2010-12-10.&lt;/ref&gt;。フィンランドの100社の大企業のうち83社は大ヘルシンキ圏に本社を置いている。これは国際的なつながりや物流網、労働力が利用出来ることによる。しかしながら、いくつかのノキアなどを含む主要な企業はエスポーなど近隣の都市に本社を置いている。ヘルシンキを拠点とする主要な企業には大手通信企業の{{仮リンク|ELISA社|en|Elisa (company)}}やメディア企業[[ヘルシンギン・サノマット]]、大手流通グループKesko、小売業者HOK-Elanto、デパートチェーン[[ストックマン]]などがある。20世紀半ばまで、ヘルシンキはフィンランドの工業の重要な中心と見なされて来たが、1960年から1980年の間、工業部門の多くの雇用は半分に減った。<br /> <br /> 200のフィンランド人の高所得の企業幹部のうち、3分の2は大ヘルシンキ圏に居住し42%はヘルシンキに居住している。トップ50の平均所得は165万ユーロであった&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.hs.fi/english/article/Head+offices+of+large+companies+bring+good+taxpayers+to+Helsinki+region/1101981569833 |title=Helsingin Sanomat – International Edition – Metro |publisher=Hs.fi |date=2005-11-09 |accessdate=2009-07-08}}&lt;/ref&gt;。ヘルシンキ証券取引所や多くの銀行がヘルシンキにはあり、フィンランドの金融の中心となっている。ヘルシンキの今日の経済の中心は情報技術や金融が担っている。ヘルシンキの経済は徐々に工業から今日の基盤となるサービス部門に移って来た。造船の[[STXフィンランド]]や陶器の[[アラビア (フィンランド)|アラビア]]、[[アセア・ブラウン・ボベリ]]の工場は今でも周辺に残っている。<br /> <br /> == 教育 ==<br /> [[File:Helsingin yliopiston päärakennus.jpg|right|thumb|220px|[[ヘルシンキ大学]]本館]]<br /> [[File:Helia 2005-10-05.jpg|right|thumb|220px|{{仮リンク|ハーガヘリ応用科学大学|en|Haaga-Helia University Of Applied Sciences}}はフィンランド最大のビジネスポリテクニック。]]<br /> ヘルシンキには190の総合中等学校と41の高等学校、15の職業訓練機関がある。41の高等学校の半数は私立か国立で、残りの半数は自治体運営の公立である。高等教育は8の大学と4の[[ポリテクニック]]により提供されている。<br /> <br /> ===大学===<br /> *[[ヘルシンキ大学]]<br /> *[[アールト大学]](理学部はエスポーに所在)<br /> *{{仮リンク|ハンケン経済大学|en|Hanken School of Economics}}<br /> *[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]]<br /> *{{仮リンク|フィンランド国立防衛大学|en|University of the Arts Helsinki}}<br /> <br /> ===ポリテクニック===<br /> *{{仮リンク|ハーガヘリ応用科学大学|en|Haaga-Helia University Of Applied Sciences}}<br /> *{{仮リンク|ヘルシンキ・メトロポリア応用科学大学|en|Helsinki Metropolia University of Applied Sciences}}<br /> *{{仮リンク|アーカーダ応用科学大学|en|Arcada University of Applied Sciences}}<br /> <br /> ヘルシンキは{{仮リンク|欧州工科大学院|en|European Institute of Innovation and Technology}}(EIT)のナレッジセンターとイノベーションコミュニティが共にある場所の一つである&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://eit.europa.eu/home.html |title=European Institute of Innovation and Technology: Home |publisher=Eit.europa.eu |date= |accessdate=2010-04-13}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==文化==<br /> [[File:Helsinki Kiasma.jpg|left|thumb|250px|ヘルシンキ現代美術館]]<br /> ===文化施設===<br /> ヘルシンキにある最大の歴史博物館である{{仮リンク|フィンランド国立博物館|en|National Museum of Finland}}は先史時代から21世紀までの幅広い収蔵品を展示している。博物館の建物自体は20世紀初めに建てられたフィンランドロマン主義建築の中世風の城のスタイルで、観光名所になっている。他に有名な歴史博物館にはヘルシンキ市立博物館があり、来館者にヘルシンキの500年の歴史を紹介している。[[ヘルシンキ大学]]もまた多くの博物館を所有し、大学博物館や自然史博物館も含まれる。フィンランド国立美術館はフィンランドの古典芸術の[[アテネウム美術館]]、ヨーロッパの古典芸術のシネブリコフ美術館、モダンアートの[[ヘルシンキ現代美術館]]の3施設で構成されている。アテネウム美術館の建物は19世紀からのネオ・ルネサンスの建物で市内でも著名な歴史的な建築物である。3つの美術館はフィンランド政府出資の特殊会社&#039;&#039;Senaatti-kiinteistöt&#039;&#039;を通じて国有施設である。<br /> <br /> ===演劇・音楽===<br /> ヘルシンキには{{仮リンク|ヘルシンキ国立劇場|en|Finnish National Theatre}}やヘルシンキ市劇場、フィンランド・スウェーデン語の{{仮リンク|スウェーデン劇場|en|Swedish Theatre}}&#039;&#039;Svenska Teatern&#039;&#039;の3つの主要な劇場がある。ヘルシンキのメインとなる歌劇場には{{仮リンク|フィンランド国立歌劇場|en|Finnish National Opera}}があり、{{仮リンク|フィンラディアホール|en|Finlandia Hall}}と{{仮リンク|フィンランド音楽センター|en|Helsinki Music Centre}}&lt;ref&gt;[http://www.finland.or.jp/public/default.aspx?contentid=227499&amp;nodeid=41206&amp;contentlan=23&amp;culture=ja-JP ヘルシンキに待望の音楽センターが誕生 フィンランド大使館 2011/08/30]&lt;/ref&gt;には[[ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団]]と[[フィンランド放送交響楽団]]が本拠地としている。音楽センターには[[シベリウス音楽院]]の一部が含まれている。ヘルシンキで開催される大きなコンサートやイベントは通常、市内に2つある[[ハートウォールアリーナ]]や{{仮リンク|ヘルシンキアイスホール|en|Helsinki Ice Hall}}で開かれている。ヘルシンキにはまたフィンランドでは最大のコンベンションセンターである{{仮リンク|ヘルシンキエキシビジョン・コンベンションセンター|en|Helsinki Exhibition and Convention Centre}}がある。<br /> <br /> 多くの広く有名で定評あるバンドはヘルシンキを発祥とし、その中には[[ハノイ・ロックス]]や[[HIM (バンド)|HIM]]、[[ストラトヴァリウス]]、{{仮リンク|The 69 Eyes|en|The 69 Eyes}}、[[ノーサー]]、[[ウィンターサン]]、[[フィントロール]]、[[エンシフェルム]]、[[ザ・ラスマス]]、[[アポカリプティカ]]が含まれる。[[ハートウォールアリーナ]]では[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2006]]で[[ローディ (バンド)|ローディ]]が優勝したことから[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007]]が開催され、これはフィンランドにとっては初の[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]の開催であった。<br /> <br /> ===芸術===<br /> [[File:Finnish National Theatre.jpg|left|thumb|フィンランド国立劇場]]<br /> {{仮リンク|ヘルシンキフェスティバス|en|Helsinki Festival}}は毎年8月に開催される芸術や文化の催しで、[[白夜祭]]である{{仮リンク|アートの夜|en|Night of the arts}}&#039;&#039;Taiteiden yö&#039;&#039;が含まれる。ヴァプンアーット&#039;&#039;Vappu&#039;&#039;は学生や労働者のための毎年恒例の[[ヴァルプルギスの夜]]の祭典である。{{仮リンク|ヘルシンキ元老院広場|en|Helsinki Senate Square}}では2010年9、10月にフィンランドでは過去最大の野外芸術展が開催され、140万人の人々が国際的な[[ユナイテッドバディーベア]]の展示を鑑賞した。ヘルシンキは2012年に[[世界デザイン首都]]に選ばれ&lt;ref&gt;[http://www.finland.or.jp/public/default.aspx?contentid=181137 2012~2014年、ヘルシンキが「世界デザイン首都」に]2009/11/26 フィンランド大使館&lt;/ref&gt;、都市でデザインを効果的なツールとして社会や文化、経済開発に使われていると評価された。ヘルシンキが選択される際、世界デザイン首都の審査委員はヘルシンキで使われている革新への都市に結びついたデザインである「組み込み型のデザイン」を強調し、これらは世界的なブランドである[[ノキア]]や[[コネ (会社)|コネ]]、[[マリメッコ]]や毎年のヘルシンキデザイン週間、[[ヘルシンキ芸術デザイン大学]](現在の[[アールト大学]])、[[エリエル・サーリネン]]や[[アルヴァ・アールト]]と言った著名な建築家やデザイナーを生み出している&lt;ref name=&quot;Worlddesigncapital.com&quot;/&gt;。<br /> <br /> ===メディア===<br /> [[File:Linus Torvalds.jpeg|thumb|upright|[[リーナス・トーバルズ]]はヘルシンキ出身のプログラマで、[[Linuxカーネル]]の開発者として知られる。 ]]<br /> <br /> 今日では、200紙の新聞や320の大衆誌、2,100の専門誌、67の民間ラジオ局、3のデジタルラジオチャンネルや1つの全国局、5の公共ラジオ局がある。毎年、12,000タイトルの本が出版され1,200万枚のCDが売れている&lt;ref name=&quot;Media moves&quot;&gt;{{cite web|url=http://finland.fi/public/default.aspx?contentid=162833&amp;contentlan=2&amp;culture=en-US|title=Media moves|work=ThisisFINLAND ([[Ministry for Foreign Affairs (Finland)|Ministry for Foreign Affairs of Finland]])|accessdate=不明|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110501141049/http://finland.fi/public/default.aspx?contentid=162833&amp;contentlan=2&amp;culture=en-US|archivedate=2011年5月1日|deadurldate=2017年9月}}&lt;/ref&gt;。{{仮リンク|サノマ|en|Sanoma}}は412,000部が流通し フィンランドは最大の発行部数を誇る[[ヘルシンギン・サノマット]]&lt;ref&gt;{{cite web |title=Circulation Statistics |url=http://www.levikintarkastus.fi/english/statistics.php |publisher=The Finnish Audit Bureau of Circulations (Levikintarkastus Oy) |accessdate=2009-07-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090601160935/http://www.levikintarkastus.fi/english/statistics.php |archivedate=2009年6月1日 |deadurldate=2017年9月 }}&lt;/ref&gt;や[[タブロイド]]版の夕刊紙{{仮リンク|イルタ・サノマトゥ|en|Ilta-Sanomat}}、経済紙の{{仮リンク|タロウスサノマト|en|Taloussanomat}}を発行している他、テレビ局{{仮リンク|ネロネン|en|Nelonen}}を運営している。他の有名な出版社には{{仮リンク|アルマ・メディア|en|Alma Media}}があり30を超える雑誌を発行し、その中には日刊紙の{{仮リンク|アームレフティ|en|Aamulehti}}やタブロイド版の{{仮リンク|イルタレフティ|en|Iltalehti}}、経済紙の{{仮リンク|カウッパレフティ|en|Kauppalehti}}がある。世界的にフィンランド人は他の北欧諸国の人々や[[日本人]]と並んで、多くの時間を新聞を読む時間に充てている&lt;ref&gt;{{cite web |title=World Press Trends: Newspapers Still Reach More Than Internet |url=http://www.wan-ifra.org/press-releases/2011/10/12/world-press-trends-newspapers-still-reach-more-than-internet |publisher=World Association of Newspapers and News Publishers |accessdate=2012-11-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> [[フィンランド国営放送|YLE]]は5のテレビ局と13のラジオ局を運営する公共放送で、YLEの資金は受信料と民放の手数料により賄われている。全てのテレビチャンネルは地上波やケーブルも含め[[デジタルテレビ放送]]である。民放には[[MTV3]]やラジオ局の{{仮リンク|ラジオノヴァ|en|Radio Nova (Finland)}}があり北欧のメディアグループである{{仮リンク|ボニアグループ|en|Bonnier Group}}や&#039;&#039;Proventus Industrier&#039;&#039;が所有している。<br /> <br /> 人口の約79%はインターネットを利用している&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.stat.fi/til/sutivi/2007/sutivi_2007_2007-09-28_tie_001_en.html | title=Internet used by 79 per cent of the population at the beginning of 2007 |work=Statistics Finland |accessdate=2007-12-22}}&lt;/ref&gt;。2007年6月末時点で、フィンランドでは152万人がブロードバンドのインターネットに接続しており、これは1000人当たり287人が利用していることになる&lt;ref name=&quot;FICORA&quot;&gt;{{cite web |url=http://www.ficora.fi/attachments/englanti/5ruZDB5VP/Files/CurrentFile/Market_review_2_2007.pdf |title=Market Review 2/2007 |work=Finnish Communications Regulatory Authority (FICORA) |date=2007-08-31 |accessdate=2007-09-04|format=PDF}}&lt;/ref&gt;。全てのフィンランドの学校や公共図書館はインターネットに接続されほとんどの市民は携帯電話を所有しているが{{仮リンク|付加価値通信サービス|en|Value-added service}}は希である&lt;ref&gt;[http://www.tilastokeskus.fi/ajk/tiedotteet/v2006/tiedote_017_2006-09-05_en.html Information technology has become part of Finns&#039; everyday life] (Statistics Finland).&lt;/ref&gt;。2009年10月にフィンランドの交通・通信省はすべてのフィンランドの人々が2010年7月には最低速度1メガビット/秒のスピードのインターネットにアクセス出来るように約束した&lt;ref&gt;{{cite web |url=http://www.yle.fi/uutiset/news/2009/10/1mb_broadband_access_becomes_legal_right_1080940.html |title=1Mb Broadband Access Becomes Legal Right |work=[[YLE]] |date=2009-10-14 |accessdate=2009-10-16}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===スポーツ===<br /> [[File:2005 World Championships in Athletics 2.jpg|right|thumb|180px|ヘルシンキ・オリンピックスタジアム]]<br /> ヘルシンキには長いスポーツの伝統があり、最初に多くの国際的な認識を得たのは1952年に開催された[[ヘルシンキオリンピック]]の期間でその後も市内では様々なスポーツイベントが開催されている。1983年には初の[[世界陸上競技選手権大会]]が開催され、2005年にもヘルシンキで開催され初めて2度開かれた都市となった。1971年、1994年、2012年には[[ヨーロッパ陸上競技選手権大会]]が開催されている。ヘルシンキはフィンランドでは最もポピュラーなチームスポーツであるサッカーとアイスホッケーで成功した地元クラブチームを擁している。[[HJKヘルシンキ]](HJK)はフィンランドでは最大で最も成功したサッカークラブチームである。ヘルシンキの陸上競技クラブである&#039;&#039;Helsingin Kisa-Veikot&#039;&#039;もまたフィンランド国内では主要なチームである。アイスホッケーは多くのヘルシンキ市民にとってはポピュラーなスポーツで、一般的には地元のクラブチームである{{仮リンク|IFKヘルシングフォース|en|HIFK (ice hockey)}}(HIFK)か{{仮リンク|ヨケリト|en|Jokerit}}を応援している。HIFKは14のフィンランドチャンピオンシップのタイトルに輝き、最上位の[[バンディ]]デビジョンでプレーしている&lt;ref&gt;Video from the Finnish final 2009 against OLS from [[Oulu]]: [http://www.youtube.com/watch?v=Hn-j0t5yxIE&amp;feature=related Youtube.com]&lt;/ref&gt;。オリンピックスタジアムでは1957年に、[[バンディ世界選手権]]が初めて開催された&lt;ref&gt;[http://www.yle.fi/player/player.jsp?name=El%E4v%E4+arkisto%2F02869_1 Video from the tournament]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ヘルシンキは1940年のオリンピック開催都市に選ばれたが、第二次世界大戦により中止されその代わりに1952年の開催都市となった。オリンピックはヘルシンキにとってはソ連と戦った[[冬戦争]]や[[継続戦争]]からの経済的な完全な復興や象徴的で画期的な出来事であった。1980年以来、ヘルシンキシティマラソンが開催されているがこれは通常8月に開催されている。1997年5月25日にはフォーミュラー3000のレースが市内の通りで行われた。2009年にはヨーロッパスケート選手権が開催されている。<br /> <br /> ==交通==<br /> [[File:Helsinki Metro train.jpg|thumb|left|250px|[[ヘルシンキ地下鉄]]は明るいオレンジ色が特徴的な世界最北の地下鉄。]]<br /> [[File:Helsinki-Malmi 2008-001.jpg|thumb|left|250px|[[ヘルシンキ・マルミ空港]]は世界でも古くからある、フィンランドでは主要な[[ゼネラル・アビエーション]]の空港。]]<br /> <br /> ===道路===<br /> ヘルシンキの自動車道路網の中心は3本の半円の環状道路である{{仮リンク|ケハ1号線|en|Ring I}}&#039;&#039;Kehä I&#039;&#039;、{{仮リンク|ケハ2号線|en|Ring II}}&#039;&#039;Kehä II&#039;&#039;、{{仮リンク|ケハ3号線|en|Ring III}}&#039;&#039;Kantatie 50&#039;&#039;は東西の動脈である&#039;&#039;Länsiväylä&#039;&#039;や&#039;&#039;Itäväylä&#039;&#039;などの高速道路に接続しフィンランド各地へ通じている。都心部を通るトンネル&#039;&#039;Keskustatunneli&#039;&#039;は繰り返し提案されているが、2011年現在構想段階に留まっている。ヘルシンキの自動車の普及率は1,000人当たり390台である&lt;ref&gt;[http://www.hel2.fi/tietoa/helbro1.pdf This is Helsinki] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111211115004/http://www.hel2.fi/tietoa/helbro1.pdf |date=2011年12月11日 }}, by City of Helsinki&lt;/ref&gt;。これは同程度の人口密度であるブリュッセルの1,000人当たり483台やストックホルムの401台、オスロの413台に比べると少ない&lt;ref&gt;[http://www.eaue.de/Promode/Runge.pdf EAUE.de] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130923213626/http://www.eaue.de/Promode/Runge.pdf |date=2013年9月23日 }}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.hel2.fi/tietokeskus/suunnat/ss405/suunnatframe2.html |title=Tietokeskus: suunnatframe |publisher=Hel2.fi |date= |accessdate=2009-07-08}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ===公共交通===<br /> ヘルシンキの公共交通機関は路線バス、[[ヘルシンキ・トラム]]、[[ヘルシンキ地下鉄]]、[[ヘルシンキ近郊列車]]、フェリーなどで構成されている。これらの公共公共交通機関は2010年に発足した{{仮リンク|ヘルシンキ地域交通局|en|Helsinki Regional Transport Authority}}により統括されている。今日のヘルシンキはフィンランドの都市では唯一、トラムや地下鉄が利用出来る都市で以前はトゥルクにもトラムが導入されていたが、1972年に廃止された。ヘルシンキ地下鉄は1982年に開業したフィンランドでは唯一の地下鉄システムである。開業から16年間は1路線だけであったが、1998年に東側に分岐線が開業し3つの駅が追加された。2006年に長らく議論されていた[[エスポー (フィンランド)|エスポー]]南部への西側への延伸がエスポー市議会により認可され、東側のシポー方面への延伸は現在議論中である&lt;ref name=&quot;lansimetro&quot;&gt;[http://www.lansimetro.fi/en/frontpage www.lansimetro.fi] - an information portal dedicated to the &quot;länsimetro/västmetron&quot; subway expansion in the Helsinki capital region.&lt;/ref&gt;。旅客の利用増加に対応するためヘルシンキ地下鉄では2014年までにさらに自動化を進める計画があり、古い運行システムを新しいシステムにすることにより列車の間隔を詰めることが可能になる。<br /> <br /> ===鉄道===<br /> ヘルシンキの主要駅には[[ヘルシンキ中央駅]]や[[パシラ駅]]があり、フィンランド各地に向け列車が運行されている。[[ペンドリーノ]]が主要都市間で運行されている他、ロシアの[[サンクトペテルブルク]]とは[[カレリアントレインズ]]によって3時間半で結ばれている。<br /> <br /> ===航空===<br /> ヘルシンキの主要空港は[[ヘルシンキ・ヴァンター国際空港]]でヘルシンキ中心部から北へ約19kmの場所にあり、近隣は[[ヴァンター]]市である。欧州域内やアジアの各方面に定期便が就航し[[フィンランド航空]]の[[ハブ空港]]である。ヘルシンキの2つ目の空港は[[ヘルシンキ・マルミ空港]]でプライベートや一般向けに使われている。タリンへは{{仮リンク|ヘルネサーリヘリポート|en|Hernesaari Heliport}}からヘリコプターが利用出来る。<br /> <br /> ===航路===<br /> フェリー航路は[[タリン]]、[[マリエハムン]]、[[ストックホルム]]へ様々な事業者が運航している。{{仮リンク|フィンラインズ|en|Finnlines}}は貨客フェリーでポーランドの[[グダニスク]]やドイツの[[トラフェミュンデ]]や[[ロストック]]方面が利用出来る。{{仮リンク|サンクトペトロライン|en|Finnlines}}は客船で[[サンクトペテルブルク]]へ週3便就航している。<br /> <br /> ==ギャラリー==<br /> &lt;center&gt;&lt;gallery widths=162px heights=162px&gt;<br /> File:Helsinki Railway Station 20050604.jpg|[[ヘルシンキ中央駅]]<br /> File:Helsinkimerelta--GFDL--.jpg|サウスハーバー<br /> File:Stockmann department store in Helsinki at dawn in December 2004.jpg|クリスマス時期のアレクサンダー通りに面したデパートのストックマン。<br /> File:Mittsommernacht-in-helsinki.jpg|右側がレストラン&#039;&#039;Vltava&#039;&#039;、背後は&#039;&#039;Sanomatalo&#039;&#039;<br /> File:Uspenski Cathedral Helsinki.jpg|[[生神女就寝大聖堂 (ヘルシンキ)|生神女就寝大聖堂]]<br /> File:FinlandParliament.jpg|議事堂の壁面<br /> File:Esplanadin puisto.jpg|6月上旬の&#039;&#039;Esplanadi&#039;&#039;<br /> File:Finnish National Theatre.jpg|フィンランド国立劇場<br /> File:Temppeliaukio Church 3.jpg|テンペリアウキオ教会<br /> File:Hietaniemi beach.jpg|夏のヒエタニエミビーチ<br /> File:Itäkeskus shopping centre.JPG|ヘルシンキ東郊では最大のイティスショッピングセンター<br /> File:TileArchitectureHelsinki.jpg|トゥール地区&#039;&#039;Töölö&#039;&#039;<br /> File:Visit-suomi-2009-05-by-RalfR-059.jpg|デザイン博物館<br /> File:HouseOfTheEstatesByPollo.JPG|ヘルシンキ議員ホール<br /> File:Kauppahalli interior.jpg|旧市場内<br /> File:Immeubles art nouveau de la rue Huvilakatu (Helsinki) (2770906739).jpg|ウルランリンナ地区<br /> File:SiltasaariHelsinki.jpg|シルタサーリ地区<br /> File:Suvilahti.jpg|スヴィタリ地区<br /> &lt;/gallery&gt;&lt;/center&gt;<br /> <br /> ==参考文献==<br /> * 日本フィンランド都市セミナー実行委員会編、[[三宅理一]]・[[岡部憲明]]・パーヴォ・ペルッキオ・吉崎恵子監修、『ヘルシンキ/森と生きる都市』、市ヶ谷出版社、1997年、ISBN 978-4870712256<br /> <br /> ==脚注==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [[commons:Helsinki|Scenaries, sights, and places to go in and near Helsinki in Wikimedia Commons]]<br /> * [http://www.hel.fi/wps/portal/Helsinki_en/?WCM_GLOBAL_CONTEXT=/en/Helsinki/ Hel.fi – Official website] (in English; other languages available)<br /> * [http://www.visithelsinki.fi/ja ヘルシンキ市の公式観光情報サイト Visit Helsinki]<br /> * [https://web.archive.org/web/20071012231253/http://helsinki.mobi/ Helsinki.mobi – Official mobile website]<br /> * [http://www.helsinki.fi/en/index.shtml Helsinki.fi – City Portal]<br /> * [http://www.wdc2012helsinki.fi/en World Design Capital 2012 Helsinki] Official site<br /> * [https://rsis.ramsar.org/ris/9 Vanhankaupunginlahti, Laajalahti | Ramsar Sites Information Service]<br /> <br /> {{夏季オリンピック開催都市}}<br /> {{世界陸上競技選手権大会開催都市}}<br /> {{欧州連合加盟国の首都}}<br /> {{ヨーロッパの首都}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> [[Category:ヘルシンキ|*]]<br /> {{DEFAULTSORT:へるしんき}}<br /> [[Category:ヨーロッパの首都]]<br /> [[Category:フィンランドの都市]]<br /> [[Category:フィンランドのラムサール条約登録地]]<br /> [[Category:ヨーロッパの港町]]<br /> [[Category:ウーシマー県]]</div> 158.201.245.201
Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/extensions/HeadScript/HeadScript.php:3) in /home/users/1/sub.jp-asate/web/wiki/includes/WebResponse.php on line 46