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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=133.206.56.32&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-25T20:52:39Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 東海道中膝栗毛 2018-10-08T04:33:49Z <p>133.206.56.32: /* 登場人物の紹介 */</p> <hr /> <div>[[画像:弥次喜多の像.jpg|180px|thumb|right|弥次さんと喜多さんの像&lt;br&gt;([[京都]][[三条大橋]])]]<br /> {{Portal 文学}}<br /> 『&#039;&#039;&#039;東海道中膝栗毛&#039;&#039;&#039;』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、[[1802年]]([[享和]]2年)から[[1814年]]([[文化 (元号)|文化]]11年)にかけて初刷りされた、[[十返舎一九]]の[[滑稽本]]である。「[[栗毛]]」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。<br /> <br /> 大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『&#039;&#039;&#039;弥次喜多&#039;&#039;&#039;』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。文学的な価値とともに、文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。<br /> <br /> ==あらすじ==<br /> 本作は、弥次喜多の旅行記の形式をとる。<br /> <br /> お[[江戸]]・[[八丁堀 (東京都中央区)|神田八丁堀]]の住人、栃面屋&#039;&#039;&#039;弥次郎兵衛&#039;&#039;&#039;(とちめんや やじろべえ)と、居候の&#039;&#039;&#039;喜多八&#039;&#039;&#039;(きたはち)は、妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、それぞれの人生で思うにまかせぬ不運が続き、つまらぬ身の上に飽き果て、厄落としに[[伊勢神宮|お伊勢参り]]の旅に出ることを決意した。身上を整理して財産をふろしき包み一つにまとめ、旅立った二人は、[[東海道]]を[[江戸]]から伊勢神宮へ、さらに[[京都]]、[[大坂]]へとめぐる。2人は道中で、[[狂歌]]・[[駄洒落|洒落]]・冗談をかわし合い、いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。<br /> <br /> ===登場人物の紹介===<br /> [[File:Yazi Kita statue at Sunpu castle, Shizuoka.JPG|thumb|弥次郎兵衛(左)喜多八(右)&lt;br /&gt;([[駿府城]]・2012年9月)]]<br /> ;弥次郎兵衛(やじろべえ)<br /> :東海道の旅に出発当時数え歳50歳(満49歳)。[[屋号]]は「栃面屋」。肥っていて、作者によると「のらくら者」「ただのおやじ也」という。作中では下俗で軽薄な性格設定がされているが、一方で楽器を演奏し、古今の書籍に通暁し、[[狂歌]]や[[漢詩]]、また法律文書も自在に作成するなどきわめて教養の高い人物として描かれる。[[駿河国]]府中(現・[[静岡市]])出身、実家は裕福な商家であったが遊蕩が過ぎて作った借金がもとで[[江戸]]に夜逃げし「借金は富士の山ほどある故に、そこで夜逃を駿河者かな」と身の上を詠んでいる。江戸では[[神田]]八丁堀の[[長屋]]で[[密陀絵]]などを製作して生活していた。<br /> <br /> ;喜多八(または北八)「きたはち」 <br /> :出発当時数えで30歳(満29歳)。弥次郎兵衛の[[居候]]。元々は弥次郎兵衛の馴染みの[[陰間]]であったが、弥次郎兵衛とともに江戸に駆け落ちしてくる。ある商家に使用人として奉公したが、使い込みをした上に、女主人に言い寄ろうとして嫌われ、解雇されて行き場を失い、弥次さんとともに旅立つ。<br /> <br /> ==経緯==<br /> 一九は[[1795年]]([[寛政]]7年)から、職業作家として多くの[[黄表紙]]ほかを出していたが、まだ大ヒットはなかった。この[[滑稽本]]の初編は、[[1802年]]([[享和]]2年)正月に、村田屋治郎兵衛が出版した。一九が、挿絵を描き、[[版下]]の清書もするという安直さに、乗ったらしい。<br /> <br /> 名所・名物紹介に終始していた従来の紀行物と違い、旅先での失敗談や庶民の生活・文化を描いた本書は絶大な人気を博し、翌年に続編を出した。書名はそれぞれ『浮世道中 膝栗毛』『道中膝栗毛 後篇 乾坤』で、『東海道中 膝栗毛』の外題になったのは、つぎの第3編からであった。そして、『東海道中』シリーズは、[[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]6年)の第8編(大阪見物)で一段落したが、[[1814年]](文化11年)に、旅立ちの発端(はじまり)の編が、追いかけて出された。序編が、最後に書かれたのである。<br /> <br /> 一九は、頻繁に取材の旅をしたが、[[京都]]は未見で、『[[名所図会]]』などによったのではと言われる。[[狂歌]]が多くはさまれている。[[狂言]]、[[浄瑠璃]]、[[歌舞伎]]、[[浮世草子]]、[[落語]]、[[川柳]]などに関する彼の素養が、篇中に生かされている。長編としての一貫性がととのっているとは、言い難い。<br /> <br /> 本書は初出版から完結まで何年もかかっているが、記述された弥次喜多の江戸から大坂までの旅のストーリーの時間軸は、13日間である。一九はさらに後続の『続膝栗毛』シリーズを書き、弥次喜多は、[[金刀比羅宮|金比羅]]、[[厳島神社|宮嶋]]、[[木曽谷|木曾]]、[[善光寺]]、[[草津温泉]]、[[中山道]]へと膝栗毛する。『続膝栗毛』[[1810年]](文化7年)から[[1822年]]([[文政]]5年)にかけて刊行され21年後にようやく完結した。さらに[[日光東照宮]]に向かう『続々膝栗毛』も書かれたが、こちらは作者の死去により未完に終わった。<br /> <br /> 出版の経年的なデータを、[[#初刷本のデータ|次節]]にまとめる。<br /> <br /> 版元は、第4編まで『通油町 [[村田屋治郎兵衛]]』であったが、第5 - 8編には、江戸の『本石町二丁目 西村源六』・『通油町 [[鶴屋喜右衛門|靏屋喜右衛門]]』と、[[大阪]]の『心斎橋唐物町 河内屋太助』も加わり、後発の『発端』のそれは、『馬喰町二丁目角 [[西村屋与八|西村屋與八]]』であった。『通油町』は、現在の[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋大伝馬町]]である。<br /> <br /> 挿絵は、『発端』の[[喜多川式麿]]のほかは、ほとんど一九の自画である。<br /> <br /> 1809年(文化6年)発行の第8編末の広告に、「版木が減ったので、初編を再板」する旨が、すでに記されている。ヒット作ゆえに、古版木を加工したり、版木を彫りなおしたりの異本は多く、[[1862年]]([[文久]]2年)の改版が知られ、その後も翻刻が重ねられて来た。<br /> <br /> ==初刷本のデータ==<br /> ===東海道中膝栗毛===<br /> * [[1802年]]([[享和]]2年):『浮世道中 膝栗毛』(品川 - 箱根)<br /> * [[1803年]](享和3年):『道中膝栗毛 後篇 乾坤』(箱根 - 蒲原)(蒲原 - 岡部)<br /> * [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年):『東海道中膝栗毛 三編 上下』(岡部 - 日坂)(日坂 - 新居)<br /> * [[1805年]](文化2年):『東海道中膝栗毛 四編 上下』(荒井 - 赤坂)(赤坂 - 桑名)<br /> * [[1806年]](文化3年):『東海道中膝栗毛 五編 上 下 追加』(桑名 - 追分)(追分 - 山田)(伊勢めぐり)、([[歌川豊国]]の口絵)<br /> * [[1807年]](文化4年):『東海道中膝栗毛 六編 上下』(伏見 - 京都)(京都めぐり)、([[歌川豊国]]の口絵)<br /> * [[1808年]](文化5年):『東海道中膝栗毛 七編 上下』(京都めぐり)(京都めぐり)、(勝川春亭の口絵)<br /> * [[1809年]](文化6年)『東海道中膝栗毛 八編 上中下』(大阪見物)(大阪見物)(生玉 - 住吉)、(喜多川式麿と北川美丸の口絵、[[喜多川月麿]]の挿絵、1葉ずつ、他は自画)<br /> * [[1814年]](文化11年):『東海道中膝栗毛 発端』(喜多川式麿画)<br /> <br /> ===続膝栗毛===<br /> * [[1810年]](文化7年):『金比羅参詣 続膝栗毛 初編 上下』(月麿・式麿画、自画)、[[村田屋治郎兵衛]]<br /> * [[1811年]](文化8年):『宮嶋参詣 続膝栗毛 二編 上下』([[葛飾北斎]]口絵、自画)、村田屋治郎兵衛<br /> * [[1812年]](文化9年):『木曾街道 続膝栗毛 三編 上下』(月麿・式麿画)、[[西村屋与八|西村屋與八]]<br /> * [[1813年]](文化10年):『木蘇街道 続膝栗毛 四編 上下』(月麿画)、西村屋與八<br /> * 1814年(文化11年):『木曾街道 続膝栗毛 五編 上下』(月麿・式麿画)、河内屋太助、[[森屋治兵衛]]、西村屋與八<br /> * [[1815年]](文化12年):『木曾街道 続膝栗毛 六編 上下』(式麿画)、[[鶴屋金助]]<br /> * [[1816年]](文化13年)<br /> ** 『岐曾続膝栗毛 七編 上下』(二世喜多川歌麿の口絵)、鶴屋金助<br /> ** 『従木曾路善光寺道 続膝栗毛 八編 上下』(二世歌麿の口絵)、鶴屋金助<br /> * [[1819年]]([[文政]]2年):『続膝栗毛 九編 上下』(善光寺道中)([[渓斎英泉]]の口絵)、伊藤與兵衛<br /> * [[1820年]](文政3年):『続膝栗毛 十編 上下』(上州草津温泉道中)(勝川春亭の口絵)、伊藤与兵衛<br /> * [[1821年]](文政4年):『続膝栗毛 十一編 上下』(中山道中)(春亭の口絵)、伊藤與兵衛<br /> * [[1822年]](文政5年):『続膝栗毛 十二編 上中下』(中山道中)(自画)、伊藤與兵衛<br /> <br /> ==最近の出版==<br /> ===原著===<br /> * 中村幸彦校注:小学館 [[日本古典文学全集|新編日本古典文学全集]]81(1995)、ISBN 9784096580813<br /> * 十返舎一九全集 第1巻、日本図書センター(2001)、ISBN 9784820584834、<br /> * 麻生磯次校注:ワイド版岩波文庫213 &amp; 214(2002)、ISBN 9784000072137 &amp; ISBN 9784000072144<br /> <br /> ===現代語訳===<br /> * 村松友視の東海道中膝栗毛:講談社(2001)、 ISBN 9784062545556<br /> * 谷真介訳:ポプラ社 21世紀によむ日本の古典18 東海道中膝栗毛(2002)、ISBN 9784591071434<br /> <br /> ===マンガ化===<br /> * マンガ日本の古典29『東海道中膝栗毛』[[土田よしこ]]著([[中央公論新社]])<br /> <br /> ==膝栗毛物==<br /> 『東海道中膝栗毛』からヒントを得た作品に、次などがある。<br /> * 文学:紀永人作、『道中女膝栗毛』(1848)<br /> * 文学:[[仮名垣魯文]]作、『[[西洋道中膝栗毛|万国航海 西洋道中膝栗毛]]』(1870 - 1876)<br /> * 歌舞伎:[[木村錦花]]脚色、『東海道中膝栗毛』(1928)<br /> * 新内:[[富士松魯中]]作曲、『赤坂並木』『組討』『市子口寄』([[19世紀]])<br /> * 映画:[http://www.allcinema.net/prog/search_all.php 弥次喜多もの]<br /> * 漫画:[[長谷川町子]]作、『[[新やじきた道中記]]』(1951 - 1952)<br /> <br /> ==出典==<br /> ウェブ情報のほか、上記『最近の出版』、『原著』の項の、図書3冊。および、<br /> *山崎麓編:日本文学大系25 日本小説書目年表、国民図書 (1929)<br /> *[[田辺聖子]]:「東海道中膝栗毛」を旅しよう([[講談社文庫]] 古典を歩く)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[華厳経]]<br /> *[[箱根温泉]](「弥次喜多の湯」がある)<br /> <br /> === 後世の二次創作 ===<br /> {{Seealso|Category:東海道中膝栗毛を基にした作品}}<br /> *[[やじきた学園道中記]](漫画、[[市東亮子]]、秋田書店)<br /> *[[新やじきた道中記]](漫画、[[長谷川町子]])<br /> *[[御存知弥次喜多珍道中]](TVゲーム、[[HAL研究所]])<br /> *[[真夜中の弥次さん喜多さん]](漫画、[[しりあがり寿]]、マガジンハウス 映画、[[2005年]]、アスミック・エース エンタテインメント)<br /> *[[やじきた道中 てれすこ]](映画、[[2007年]])<br /> *[[やじきた道中記X]](パチンコ)<br /> *[[やじきた志ん幹線]]<br /> *[[弥次喜多隠密道中]]<br /> *[[弥次喜多 (1927年の映画)]]<br /> *[[弥次喜多道中記]]<br /> *[[彌次喜多 名君初上り]]<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> {{Wikiquote}}<br /> {{commonscat}}<br /> *[http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/biiti/kikaku/hizakurige_cn.html 林美一コレクション(膝栗毛)]<br /> *[http://www.geocities.jp/yaji_kita843/index.html 「東海道五十三次」:名物を食べ名所を見、写真中心の江戸日本橋~京三条大橋間、足掛け三年の徒歩全記録]<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:とうかいとうちゆうひさくりけ}}<br /> [[Category:戯作]]<br /> [[Category:1800年代の小説]]<br /> [[Category:歌舞伎の演目]]<br /> [[Category:十返舎一九]]<br /> [[Category:旅行を題材とした作品]]</div> 133.206.56.32 マサダ 2018-08-11T03:32:55Z <p>133.206.56.32: /* 歴史 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|古代ユダヤの建造物|その他}}<br /> {{Coor title dms|31|18|55|N|35|21|13|E}}<br /> {{世界遺産概要表<br /> |site_img = ファイル:Israel-2013-Aerial 21-Masada.jpg<br /> |site_img_capt = マサダ<br /> |site_img_width = 275px<br /> |ja_name = マサダ<br /> |en_name = Masada<br /> |fr_name = Massada<br /> |country = イスラエル<br /> |criterion_c = (3),(4),(6)<br /> |rg_year = 2001年<br /> |ex_rg_year = -<br /> |remarks = -<br /> |url_no = 1040<br /> |map_img = ファイル:Forten Herodes.PNG<br /> |map_img_width = 200px<br /> |}}<br /> &#039;&#039;&#039;マサダ&#039;&#039;&#039;({{lang-he|מצדה}}, {{lang-en|Masada}})は第一次[[ユダヤ戦争]]の遺跡で、[[イスラエル]]東部、[[死海]]西岸近くにある城址。「マサダ」とは[[ヘブライ語]]で「要塞」を意味する。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[紀元前120年]]頃、[[死海]]のほとりの砂漠にそびえる切り立った岩山の上に建設され、後に[[ヘロデ大王]]が離宮として改修した。山頂へは「蛇の道」と呼ばれる細い登山道が一本あるのみ、周囲は切り立った崖で、難攻不落と言われた。<br /> <br /> [[66年]]、[[ローマ帝国]]に対してユダヤ人が決起し[[ユダヤ戦争]]が勃発した。[[70年]]、[[ティトゥス]]の指揮する[[ローマ]]軍団によってユダヤ側の本拠地であった[[エルサレム]]が陥落([[エルサレム攻囲戦 (70年)|エルサレム攻囲戦]])。[[エルアザル・ベン・シモン|エルアザル・ベン・ヤイル]]に率いられた[[熱心党]]員を中心としたユダヤ人集団967人が包囲を逃れ、マサダに立てこもった。籠城側は兵士のみではなく、女性や子供も含まれていた。<br /> <br /> 1万5千の[[ローマ軍団]]が周囲を包囲したが、さすがのローマ軍も、攻撃を寄せ付けないマサダの峻厳な地形に攻めあぐねる。やがてローマ軍はユダヤの[[捕虜]]と[[奴隷]]を大量動員して土を運び、山の西側の崖をそっくり埋めて突入口の建設を開始する。ユダヤ側は執拗に防戦したが、二年がかりで山腹は着実に埋められ、やがて陥落は目前となった。敗北が確実となったある日、指導者たちは集まって今後の方針を協議した。抵抗を続ければ全員が殺され、降伏すれば全員が[[奴隷]]となるのが当時の習慣であった。<br /> <br /> 73年5月2日、ローマ軍部隊は完成した侵入路を通り、城内に突入する。ローマ兵は死にもの狂いの抵抗を予想していたが意外にも、防戦する者は1人もいなかった。奴隷となるより死をと、突入の前夜に籠城ユダヤ人は全員が[[集団自決]]していたのであった。[[ユダヤ戦記]]は穴に隠れていた2人の女と5人の子供だけが生きのびたと伝える。<br /> <br /> マサダ陥落によってユダヤ戦争は終結した。陥落後のマサダはローマ軍により徹底破壊され、長い間その所在が分からなくなっていたが、[[1838年]]にドイツ人考古学者によって所在が確認された。<br /> <br /> マサダは現代ユダヤ人にとり、民族の[[聖地]]となっている。[[イスラエル国防軍]][[将校]]団の入隊宣誓式はマサダで行われ、[[士官学校]]卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。<br /> <br /> === ヨセフスの問題 ===<br /> [[ヨセフスの問題]]とは、「集団自決するある人数の者が円形に並び、数えてX番目の者が仲間に殺してもらい、最後の1人は自殺する。最後の1人になるには何番目に並べばよいか」という問題。ヨセフスとはユダヤ戦争時の指揮官で、当時は実際に似た方法が取られ、兵士はまず自分の妻子を殺してから一箇所に集まり、仲間を殺す役をくじ引きで選んだという。遺跡からは、そのために使われたといわれる名前を書いたくじが出土している。<br /> <br /> == 登録基準 ==<br /> [[2001年]]に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録された。現代では観光地となっており、麓からの[[索道|ロープウェイ]]が整備されている。<br /> <br /> {{世界遺産基準|3|4|6|}}<br /> <br /> == 交通アクセス ==<br /> 要塞跡へはロープウェイの[[マサダ索道]]を利用する。所要時間は約3分である。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> ファイル:Telecabina Masada.JPG|[[頂上駅]]<br /> ファイル:CableCarToMasada.JPG|ロープウェイ<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 映像作品 ==<br /> *73年のユダヤ戦争および集団自決を描いたテレビミニシリーズ『炎の砦マサダ』(&#039;&#039;[[:en:Masada (miniseries)|Masada]]&#039;&#039;)が1981年に制作された。<br /> <br /> ;スタッフ<br /> *監督:[[ボリス・セイガル]]<br /> *製作:リチャード・アーヴィング<br /> *脚本:ジョエル・オリアンスキー<br /> *原作:アーネスト・K・ガン<br /> *撮影:ポール・ローマン<br /> *音楽:[[ジェリー・ゴールドスミス]]<br /> <br /> ;キャスト<br /> *[[ピーター・オトゥール]]<br /> *[[ピーター・ストラウス]]<br /> *[[バーバラ・カレラ]]<br /> *[[アンソニー・クエイル]]<br /> *[[デビッド・ワーナー]]<br /> *[[ナイジェル・ダヴェンポート]]<br /> *[[ジョセフ・ワイズマン]]<br /> *[[ポール・L・スミス]]<br /> *[[ケヴィン・マクナリー]]<br /> *ナレーター:[[リチャード・ベイスハート]]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons&amp;cat|Masada|Masada}}<br /> * [[ユダヤ戦争]]<br /> * [[古代イスラエル]]<br /> * [[ディアスポラ]]<br /> * [[集団自決]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://whc.unesco.org/en/list/1040/ Masada - UNESCO World Heritage centre](公式サイト){{en icon}}<br /> * [http://www.thinkisrael.com/Tourism_Euk/Articles/Attractions/Pages/The%20Masada%20Museum.aspx Israel The Massada Museum - ThinkIsrael.com]<br /> <br /> {{イスラエルの世界遺産}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:まさた}}<br /> [[Category:イスラエルの世界遺産]]<br /> [[Category:世界遺産 ま行]]<br /> [[Category:イスラエルの国立公園]]<br /> [[Category:イスラエルの考古遺跡]]<br /> [[Category:古代イスラエル・ユダ]]<br /> [[Category:南部地区 (イスラエル)]]<br /> [[Category:要塞]]<br /> [[Category:2001年登録の世界遺産]]<br /> [[Category:防衛施設の世界遺産]]</div> 133.206.56.32 トンガ 2018-08-04T21:32:27Z <p>133.206.56.32: /* 経済 */</p> <hr /> <div>{{基礎情報 国<br /> | 略名 =トンガ<br /> | 日本語国名 =トンガ王国<br /> | 公式国名 =&#039;&#039;&#039;{{Lang|to|Pule&#039;anga Fakatu&#039;i &#039;o Tonga}}&#039;&#039;&#039;<br /> | 国旗画像 =Flag of Tonga.svg<br /> | 国章画像 =[[ファイル:Coat_of_arms_of_Tonga.svg|100px|トンガの国章]]<br /> | 国章リンク =[[トンガの国章|国章]]<br /> | 標語 =&#039;&#039;{{Lang|to|Ko e Otua mo Tonga ko hoku tofi&#039;a}}&#039;&#039;&lt;br/&gt;(トンガ語: 神とトンガは私の遺産)<br /> | 位置画像 =Tonga on the globe (Polynesia centered).svg<br /> | 公用語 =[[トンガ語 (ポリネシア)|トンガ語]]、[[英語]]<br /> | 首都 =[[ヌクアロファ]]<br /> | 最大都市 =ヌクアロファ<br /> | 元首等肩書 =[[トンガの国王|国王]]<br /> | 元首等氏名 =[[トゥポウ6世]]<br /> | 首相等肩書 =[[トンガの首相|首相]]<br /> | 首相等氏名 ={{仮リンク|アキリシ・ポヒヴァ|en|ʻAkilisi Pohiva}}<br /> | 面積順位 =174<br /> | 面積大きさ =1 E8<br /> | 面積値 =748<br /> | 水面積率 =4.0%<br /> | 人口統計年 =2008<br /> | 人口順位 =196<br /> | 人口大きさ =1 E5<br /> | 人口値 =104,000<br /> | 人口密度値 =147<br /> | GDP統計年元 =2008<br /> | GDP値元 =6億&lt;ref name=&quot;economy&quot;&gt;IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=74&amp;pr.y=16&amp;sy=2008&amp;ey=2008&amp;scsm=1&amp;ssd=1&amp;sort=country&amp;ds=.&amp;br=1&amp;c=866&amp;s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&amp;grp=0&amp;a=])&lt;/ref&gt;<br /> | GDP統計年MER =2008<br /> | GDP順位MER =178<br /> | GDP値MER =3億&lt;ref name=&quot;economy&quot; /&gt;<br /> | GDP統計年 =2001<br /> | GDP順位 =179<br /> | GDP値 =6億&lt;ref name=&quot;economy&quot; /&gt;<br /> | GDP/人 =5,373&lt;ref name=&quot;economy&quot; /&gt;<br /> | 建国形態 =[[独立]]&lt;br/&gt;&amp;nbsp;- 日付<br /> | 建国年月日 =[[イギリス]]から&lt;br/&gt;[[1970年]][[6月4日]]<br /> | 通貨 =[[パアンガ]](Pa&#039;anga)<br /> | 通貨コード =TOP<br /> | 時間帯 =+13 <br /> | 夏時間 =なし<br /> | 国歌 =[[トンガ諸島の王の歌]]<br /> | ISO 3166-1 = TO / TON<br /> | ccTLD =[[.to]]<br /> | 国際電話番号 =676<br /> | 注記 =<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;トンガ王国&#039;&#039;&#039;(トンガおうこく)、通称&#039;&#039;&#039;トンガ&#039;&#039;&#039;は、南[[太平洋]]に浮かぶ約170の島群からなる[[国家]]で、[[イギリス連邦]]加盟国のひとつである。[[オセアニア]]のうち[[ポリネシア]]に属し、[[サモア]]の南、[[フィジー]]の東に位置し、[[首都]]の[[ヌクアロファ]]は最大の島[[トンガタプ島]]にある。<br /> <br /> == 国名 ==<br /> 正式名称は、&#039;&#039;Pule&#039;anga Fakatu&#039;i &#039;o Tonga&#039;&#039;(トンガ語)。<br /> <br /> 公式の英語表記は、&#039;&#039;Kingdom of Tonga&#039;&#039;。通称、&#039;&#039;Tonga&#039;&#039;。<br /> <br /> [[日本語]]の表記は、&#039;&#039;&#039;トンガ王国&#039;&#039;&#039;。通称、&#039;&#039;&#039;トンガ&#039;&#039;&#039;。[[国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は、&#039;&#039;&#039;湯加&#039;&#039;&#039;。<br /> <br /> 国名は、[[トンガ語 (ポリネシア)|トンガ語]]で南の意味。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{main|トンガの歴史}}<br /> [[考古学]]的な証拠から、トンガへの最初の植民者は[[サンタクルーズ諸島|サンタ・クルーズ諸島]]から船で来たことが分かっている。紀元前4000年頃から、元々[[東南アジア]]にいた[[オーストロネシア語族|オーストロネシア語]]を話す人々の祖先([[ラピタ人]])が[[ポリネシア]]へ移住してきたが、トンガへの植民はこの動きの一部である。トンガは、考古学的な年代推定から、BC800 - 750年前の独特のラピタ式土器が出土しているため、[[ポリネシア]]で一番古い遺跡として認められている。[[ラピタ人]]たちは1000年に渡り、現在はトンガ、[[サモア]]、[[フィジー]]として知られている島々で生活し、航海し、戦争を行い、異なった種族間の結婚を行っていた。その後、より多くの探検者たちが東へ出発して[[マルキーズ諸島]]や[[タヒチ島|タヒチ]]、最終的には太平洋の残りの島々を発見した。このことにより、[[人類学|人類学者]]たちは、トンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評する。<br /> <br /> [[ファイル:Piragrin2.jpg|thumb|left|トンガの[[航海カヌー]]]]<br /> <br /> [[12世紀]]までに、トンガ人とトンガの大酋長、すなわち&#039;&#039;[[:en:Tu&#039;i Tonga|Tu&#039;i Tonga]]&#039;&#039;(神聖王)は[[ニウエ]]から[[ティコピア島]]まで、太平洋中に知れ渡っていた。このことから、ただちに[[トンガ大首長国|トンガ帝国]]と言及する[[歴史家]]もいる。もっと良い言い方としては、相互にやりとりを行う、航海者、首長、冒険者のネットワークというのが妥当であろう。[[15世紀]]と[[17世紀]]には、[[内戦]]が勃発した。[[オランダ人]]の探検家のスホーテン(Willem Schouten)と[[ヤコブ・ルメール|ルメール]](Jacob Le Maire)が[[1616年]]にヨーロッパ人として初めてトンガに到着したのは、このような時期であった。他のヨーロッパ人の来航としては、もっとも重要な[[ジェームズ・クック]]の[[1773年]]、[[1774年]]、[[1777年]]の到着、また最初のロンドンの使節の[[1797年]]の到着、[[メソジスト]]のWalter Lawreyの[[1822年]]の到着が挙げられる。ジェームズ・クックの来航は、トンガが[[イギリス帝国]]の一地域として組み入れられる過程への決定的な第一歩となった。<br /> <br /> トンガは若き戦士、戦略家、雄弁家であり「トゥイ・カノクポル([[:en:Tu&#039;i Kanokupolu|Tu&#039;i Kanokupolu]])」という「首長」の称号を持つ家系の子孫であるタウファアハウ([[:en:Taufa&#039;ahau|Taufa&#039;ahau]])により、ポリネシア人の王国として[[1845年]]に統一された。彼は、首長の称号の[[:en:Tu&#039;i Kanokupolu|Tu&#039;i Kanokupolu]](トゥイ・カノクポル)を持っていたが、伝統的な信仰を捨て、「ジョージ王(King George)」との洗礼名でプロテスタントの洗礼を受け、キリスト教へ改宗した。一方で、トンガでは島にポリネシア人が入植した遥か昔から連綿と続いてきた神聖王([[:en:Tuʻi Tonga|トゥイ・トンガ]])の家系が伝統的な権威として存続していた。その末裔であるラウフィリトンガ([[:en:Laufilitonga|Laufilitonga]])は39代目のトゥイ・トンガであり、最後のトゥイ・トンガであった。ラフィリトンガはカトリックへ改宗し、カトリック勢力から銃器の供給を受け、最初はジョージ王に対して優勢に戦いを進めた。しかし、ジョージ王はプロテスタント勢力([[メソジスト]])からラフィリトンガを遥かに上回る量の銃器を入手し、血みどろの戦闘の末にラウフィリトンガを破った。この結果、有名無実と化していた神聖王(トゥイ・トンガ)は滅亡し、ジョージ王として新王朝を開いた。こうして、トンガの聖俗二重王権構造(神聖王としてのトゥイ・トンガ王朝と首長として実権を握るトゥイ・カノクポル王朝)の構造は終焉を迎えた&lt;ref&gt;『[http://d-arch.ide.go.jp/idedp/KSS/KSS047300_001.pdf 海洋島嶼国家の原像と変貌]』(編集:塩田光喜、[[アジア経済研究所]]、ISBN 4-258-04473-3、執筆:大谷裕文、「第4章 異人と国家 -トンガの場合-」、pp.147-189)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1875年]]に、使節のシャーリー・ベーカー(Shirley Baker)の助けで、彼は法典を整備し、トンガを立憲君主国として宣言した。その時には、彼は奴隷を解放し、また法典、土地保有、出版の自由を大事なものとして扱い、そして首長(国王)の権力を制限した。[[1900年]]にトンガは、友好条約の下で[[イギリス]]の保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2代目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領の地位は、3代目の君主の[[サローテ・トゥポウ3世]](サローテ女王)が亡くなる前に結ばれた条約の下で、[[1970年]]に終わりを迎えた。トンガは1970年に[[イギリス連邦]]に参加し、[[1999年]]には[[国際連合]]に参加した。植民地化の力にさらされたにも関わらず、トンガは決して現地人による統治を失うことが無かった。このことは太平洋の国では珍しいことであり、彼らに多くのプライドを与えている。<br /> <br /> === 近年の動き ===<br /> * [[1987年]] {{仮リンク|ファタフェヒ・トゥイペレハケ|en|Fatafehi Tuʻipelehake}}王子([[タウファアハウ・トゥポウ4世]]の弟)が首相に就任。<br /> * [[1991年]] 日本の無償資金協力によって建設中だったファアモツ国際空港のターミナルビルが完成した。同年、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子が首相辞任。<br /> * [[2005年]]8月 王政への批判が高まり、以後集会やデモ、ストライキが頻発する(トンガ動乱)。<br /> * [[2006年]]2月 首相の[[トゥポウ6世|ウルカララ]]王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の三男)が辞任。<br /> * 2006年[[7月5日]]夜 [[アメリカ合衆国]]・[[カリフォルニア州]]の高速道路で、18歳の少女が運転する車が暴走し、元首相ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子夫妻と王室関係者が乗る車に激突。暴走車を運転していた少女は無事だったが、ファタフェヒ・トゥイペレハケ王子、カイマナ妃、運転手、ほか同乗の2名の王室関係者が死亡。<br /> * 2006年9月 タウファアハウ・トゥポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア皇太子が王位を継承([[ジョージ・トゥポウ5世]])。<br /> * 2006年11月 国内で暴動が発生、死者7名が出る。<br /> * 2006年[[11月17日]] ジョージ・トゥポウ5世が戒厳令を発令。鎮圧の為にオーストラリアとニュージーランドに軍の派遣を要請する。<br /> * 2007年4月 戒厳令一部解除、首都では継続される。[[2012年]]現在でも首都では戒厳令が継続されている。<br /> * [[2008年]]8月 動乱により延期されていたジョージ・トゥポウ5世の戴冠式を挙行。<br /> * [[2012年]]3月 ジョージ・トゥポウ5世死去。トゥポウトア・ラバカ王太子(前述の元首相ウルカララ王子)が[[トゥポウ6世]]として即位。<br /> * [[2015年]][[7月4日]] トゥポウ6世の戴冠式を挙行。<br /> <br /> == 政治 ==<br /> [[File:Tonga Royal Palace Oct 08.jpg|thumb|王宮]]<br /> {{main|トンガの政治}}<br /> [[元首]]は[[トンガの国王|国王]]。[[立憲君主制]]で[[一院制]]の[[立法議会 (トンガ)|立法議会]](閣僚および[[貴族]]議員9名、民選議員17名により構成&lt;ref&gt;「トンガ王国」『世界年鑑2016』([[共同通信社]]、2016年)225頁。&lt;/ref&gt;)があるが、国王に多くの権限がある。<br /> <br /> 国民は王族、貴族、平民の3つの身分からなる。身分の変更は基本的に認められない。[[1980年]]にオナライバハママオ王子が平民の娘と結婚したために王族の称号を剥奪され、平民になった事例以外、公式な記録がない。身分制度が存在するが、全ての法律は全ての身分に平等に適用されることが憲法に明記されている。憲法が制定されたのは[[1875年]]で、[[日本]]の[[大日本帝国憲法]]([[1889年]])よりも早い。現在の憲法もこの当時の改定憲法である。<br /> <br /> === 国王の一覧 ===<br /> [[ファイル:Kingtupoucropped.jpg|サムネイル|国王・トゥポウ6世の戴冠式(2015年7月4日)]]<br /> ツイ・カノクポル王朝の系譜が続いている。<br /> # [[ジョージ・トゥポウ1世]] ([[1875年]] - [[1893年]])<br /> # [[ジョージ・トゥポウ2世]] ([[1893年]] - [[1918年]])<br /> # [[サローテ・トゥポウ3世]] ([[1918年]] - [[1965年]]、女王)<br /> # [[タウファアハウ・トゥポウ4世]] ([[1965年]] - [[2006年]])- サローテ・トゥポウ3世女王の長男。<br /> # [[ジョージ・トゥポウ5世]] ([[2006年]] - [[2012年]])- トゥポウ4世の長男。<br /> # [[トゥポウ6世]] ([[2012年]] - 在位中)- トゥポウ4世の三男。<br /> <br /> == 地方行政区分 ==<br /> [[ファイル:Tonga.jpg|right|300px|thumb|&#039;&#039;&#039;トンガの国土&#039;&#039;&#039; トンガを構成する172の島は南北600kmに渡って広がる]]<br /> {{main|トンガの行政区画}}<br /> トンガの地方行政区分は、北からヴァヴァウ、ハアパイ、トンガタプの3つに分かれる。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> {{main|トンガの地理}}<br /> トンガは4つの群島、172の島からなり、うち45島が有人である。島々は南北600km、東西200kmの幅に広がる。東西の幅が狭いのは、すぐ東に[[トンガ海溝]]が南北に伸びているためである。トンガ海溝は[[インドプレート]]に[[太平洋プレート|南太平洋プレート]]が東側から潜り込むために形成されている。このため、トンガは基本的には火山群島である。西側の島の方が新しく、東側の島は火山島が沈下したことによるサンゴ礁から形成されている。また、[[標準時]]として[[UTC+13]]([[日本標準時]]より4時間早い)を採用しているため、[[国際日付変更線|日付変更線]]をはさんで東隣にある[[ニウエ]]などとは同じ時刻を示すものの、トンガの日付は1日早くなる。世界で最も早い時間帯を採用しているのはトンガではなく、[[キリバス]]の[[ライン諸島]] (UTC+14) である。<br /> <br /> === 気候 ===<br /> トンガ全域が[[ケッペンの気候区分]]でいう[[熱帯雨林気候]] (Af) に属する。気候は海洋性であり、気温の年較差よりも日較差の方が大きい。5月から11月にかけては南東[[貿易風]]の影響下にあるため、涼しくなる。首都ヌクアロファ(南緯21度9分、東経175度14分)の1月の平均気温は25.8度、7月は21.3度、年間降水量は1643mmである。気温は島によってあまり変化がないが、降水量はヴァヴァウ島の2790mmまで幅がある。<br /> <br /> === 主な島 ===<br /> [[File:Nuku Island Vava&#039;u.jpg|thumb|[[ヴァヴァウ諸島]]]]<br /> * [[トンガタプ島]] - 首都ヌクアロファが置かれた最大の島。トンガの国土の約1/2を占める。<br /> * [[エウア島]] - トンガタプ島の南東10kmに位置する島<br /> * [[ハアパイ諸島]] - トンガタプ島の北東150kmに広がる群島<br /> * [[ヴァヴァウ諸島]] - トンガタプ島の北東400kmに広がる群島<br /> * [[ニウアトプタプ島]] - トンガタプ島の北北東600kmに位置する島<br /> * [[ニウアフォオウ島]] - ニウアトプタプ島の西に位置する環礁<br /> * [[タファフィ島]] - ニウアトプタプ島に隣接する小島で、トンガ最北の島<br /> <br /> == 交通 ==<br /> {{main|トンガの交通}}<br /> 国内の島嶼間の交通は[[フェリー]]などの船舶が主である。なおヌクアロファ郊外にある[[ファアモツ国際空港]]と[[ヴァヴァウ国際空港]]に、トンガ航空や[[ヴァージン・オーストラリア]]、[[エア・パシフィック航空]] などの国内外の多くの[[航空会社]]が就航している。<br /> <br /> == 経済 ==<br /> {{main|トンガの経済}}<br /> [[ファイル:Coin tonga.JPG|thumb|180px|トンガの通貨[[パアンガ]](Pa&#039;anga)]]<br /> [[File:Downtown Nuku&#039;alofa.jpg|thumb|left|首都[[ヌクアロファ]]]]<br /> トンガの産業は[[農業]]、[[漁業]]と[[観光]]、[[出稼ぎ]]労働者の送金である。主要農業作物は[[カボチャ]]、[[コプラ]]と[[バナナ]]。国内市場が小さく、貿易に頼る。輸出品は[[カボチャ]](93%)、[[香辛料]]、[[マグロ]]、輸入品は、[[貨物自動車|トラック]]、[[乗用車]]、[[内燃機関]]である。<br /> <br /> [[アジア開発銀行]]によると2013年の輸出入は[[輸出]]額1480万ドル・[[輸入]]額は2億2990万ドルであり&lt;ref name=&quot;kiso&quot;&gt;{{Cite web |author= |date=2015-06-08 |url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tonga/data.html |title=トンガ王国 基礎データ |work=国・地域 |publisher=[[外務省]] |accessdate=2015-10-31}}&lt;/ref&gt;、貿易赤字も大きい。[[日本]]に対してはかつては大幅な貿易黒字(2002年時点で対日輸出14億6千万円に対して対日輸入2億1500万円&lt;ref&gt;{{Cite web |author= |date= |url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/04_databook/07_ocean/ocean_06/ocean_06_t02.html |title=トンガ 表-2 我が国との関係 |work=政府開発援助国別データブック2004年版 |publisher=[[外務省]] |accessdate=2015-10-31}}&lt;/ref&gt;)であったが、2013年現在は対日貿易も大幅な赤字&lt;ref name=&quot;kiso&quot; /&gt;となっている。<br /> <br /> === カボチャ ===<br /> トンガでは元来カボチャを食べる習慣がなかったが、気候がカボチャ栽培に適している上に、[[冬至]]にかぼちゃを食べる習慣などで日本でかぼちゃ需要の多い12月に収穫シーズンとなるため、[[1990年代]]に日本の商社がカボチャ栽培を持ち込んだ。現在ではカボチャはトンガ経済の柱となっており、対日貿易黒字のほとんどをカボチャ輸出が占め、また近年では韓国、中国、ニュージーランドなどへも輸出されている。一方でカボチャ栽培が成功しすぎたため、[[モノカルチャー|モノカルチャー経済]]化が懸念されており、トンガ政府は新しい輸出作物の開発を進めている。<br /> <br /> 中央銀行は[[トンガ国立準備銀行]]である&lt;ref&gt;お金ナビ&quot;[http://www.yenmoney.net/tuka/america-tonga.html トンガ 通貨 お金投資マネー.net]&quot;(2012年4月1日閲覧。)&lt;/ref&gt;。<br /> {{Clearleft}}<br /> === 情報・通信 ===<br /> トンガの主要放送局は[[OBN (トンガ)|OBN]]と[[トンガ放送|TBC]]があり、TBCはテレビチャンネルの[[テレビジョン・トンガ]]も放送している。インターネットにおいては、[[Tonga Network Information Center]]という[[インターネットサービスプロバイダ|プロバイダ]]が主流である。新聞は売店などでの販売が主流。<br /> <br /> == 軍事 ==<br /> [[File:Royal Tongan Marines 2007.jpeg|thumb|[[トンガ防衛局]]の海軍(海兵隊)兵士]]<br /> {{Main|トンガ防衛局}}<br /> * 主に治安維持や海難救助を主任務とした常設の国防軍を保有する。<br /> * 徴兵制はなく、志願制<br /> * 国防費は国家予算の4.5%<br /> <br /> * 兵力<br /> ** 陸軍歩兵部隊:108人<br /> ** 王室近衛部隊:50人<br /> ** 海軍:50人<br /> ** 警察隊:310人<br /> ** 合計518人<br /> * 2004年6月から[[アメリカ軍]]の後方支援のため、44名の兵士を[[イラク]]に派遣している。<br /> <br /> 2006年11月の暴動で6人が戦死。兵力不足で治安が維持できなくなり、ニュージーランド軍とオーストラリア軍に派兵を依頼し、暴動を鎮圧した。両国軍は2006年の年末には帰国した。<br /> <br /> == 国民 ==<br /> [[File:Ula fu.jpg|thumb|ダンスを踊るトンガ女性]]<br /> {{main|トンガの国民}}<br /> &lt;!-- (住民の人種構成、言語、宗教など) --&gt;<br /> 住民は、長身でがっしりした体格の[[ポリネシア人]]が98%であり、また少数の[[ミクロネシア人]]もいる。<br /> <br /> 言語は、[[トンガ語 (ポリネシア)|トンガ語]]と[[英語]]が公用語である。日常生活ではトンガ語が使われるが、英語も広く通用する。<br /> <br /> 宗教は、[[キリスト教]]がほとんどである。<br /> <br /> == 文化 ==<br /> {{main|トンガの文化}}<br /> ===スポーツ===<br /> トンガは、[[ラグビー]]が盛んなことで有名である。[[ラグビートンガ代表]]は[[ラグビーワールドカップ]]には8大会中7回出場しているが、ベスト8進出経験はない。日本で有名なトンガ出身者の中には、[[アマナキ・レレィ・マフィ]]のように[[ラグビー日本代表]]となっている選手もいる。<br /> <br /> また、[[日本]]の[[相撲界|角界]]にも、トンガ出身の[[力士]]([[南乃島勇|南乃島]]など)がおり、[[キング・ハク]]、[[シオネ・ヴァイラヒ]]、[[ファレ・シミタイトコ|バッドラック・ファレ]]など大相撲から[[プロレス]]に転向して成功を収めた者もいる。<br /> <br /> 国土が南太平洋の熱帯地域に位置することから、[[雪]]が降らない上に[[氷点下]]になることもないが、[[夏季オリンピック]]とともに、[[冬季オリンピック]]にも出場していることでも有名である。<br /> <br /> ===特徴===<br /> トンガの人々は全体的に大柄で、ツポウ4世は[[1976年]]の[[ギネス世界記録|ギネスブック]]で「世界で最も大きな国王 (209.5kg)」として登録されていた&lt;!-- 英語版には http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5333318.stm を出典として1970年代において最も肥えた君主であるという記述がある --&gt;。トンガの女性の平均身長は170cmで、[[婦人靴]]の最小サイズは26cm。[[男性]]の平均身長は177cmで、足のサイズが30cm以上ある人も少なくない。<br /> <br /> ===祝祭日===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot; border=&quot;1&quot; style=&quot;font-size:90%;margin: auto;&quot;<br /> |+ &#039;&#039;&#039;祝祭日&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> !日付&lt;br/&gt;現地語表記<br /> !日本語表記<br /> !現地語表記&lt;br/&gt;(英語、トンガ語)<br /> !備考<br /> |-<br /> | [[1月1日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 1 &#039;o Sanuali<br /> | [[元日]]<br /> | New Year&#039;s Day&lt;br/&gt;&#039;Uluaki &#039;Aho &#039;o e Ta&#039;u Fo&#039;ou<br /> |<br /> |-<br /> | [[イースター]]の前の金曜日<br /> | 聖金曜日<br /> | Good Friday&lt;br/&gt;Falaite Lelei<br /> | [[4月]]になることが多い。<br /> |-<br /> | イースターの次の日<br /> | イースター・マンデー<br /> | Easter Monday&lt;br/&gt;Monite Toetu&#039;u<br /> | 4月になることが多い。<br /> |-<br /> | [[4月25日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 25 &#039;o &#039;Epeleli<br /> | [[ANZACの日]]<br /> | ANZAC Day&lt;br/&gt;&#039;Aho Fakamanatu &#039;o &#039;e ANZAC<br /> |<br /> |-<br /> | [[5月4日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 4 &#039;o Me<br /> | 皇太子トゥポウトアの誕生日<br /> | HRH Crown Prince Tupouto&#039;a&#039;s birthday&lt;br/&gt;&#039;Aho &#039;Alo&#039;i &#039;o e Pilinisi Kalauni<br /> |<br /> |-<br /> | [[6月4日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 4 &#039;o Sune<br /> | 解放記念日<br /> | Emancipation Day&lt;br/&gt;&#039;Aho Fakamanatu e Tau&#039;ataina<br /> |<br /> |-<br /> | [[7月4日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 4 &#039;o Siulai<br /> | 国王タウファアハウ・トゥポウ4世の誕生日<br /> | HM King Taufa&#039;ahau Tupou IV&#039;s birthday&lt;br/&gt;&#039;Aho &#039;Alo&#039;i &#039;o &#039;Ene &#039;Afio<br /> |<br /> |-<br /> | [[11月4日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 4 &#039;o Novema<br /> | 憲法記念日<br /> | Constitution Day&lt;br/&gt;&#039;Aho &#039;o e Konisitutone<br /> |<br /> |-<br /> | [[12月4日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 4 &#039;o Tisema<br /> | 国王シアオシ・トゥポウ1世の記念日<br /> | King Siaosi Tupou I Commemoration Day&lt;br/&gt;&#039;Aho Fakamanatu &#039;o Tupou I<br /> |<br /> |-<br /> | [[12月25日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 25 &#039;o Tisema<br /> | [[クリスマス]]<br /> | Christmas&lt;br/&gt;&#039;Aho Kilisimasi<br /> |<br /> |-<br /> | [[12月26日]]&lt;br/&gt;&#039;Aho 26 &#039;o Tisema<br /> | [[ボクシング・デー]]<br /> | Boxing Day&lt;br/&gt;&#039;Aho hoko &#039;i he &#039;aho Kilisimasi<br /> |<br /> |}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *『海洋島嶼国家の原像と変貌』(編集:塩田光喜、アジア経済研究所、ISBN 4-258-04473-3、執筆:大谷裕文、「第4章 異人と国家 -トンガの場合-」、pp.147-189)<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[トンガ関係記事の一覧]]<br /> * [[トンガ大首長国]]<br /> * [[日本とトンガの関係]]<br /> *[[中尾重平]] - 王族と結婚した<br /> &lt;!--<br /> * [[トンガの通信]]<br /> * [[トンガの交通]]<br /> * [[トンガの軍事]]<br /> * [[トンガの国際関係]]<br /> --&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons&amp;cat|Tonga|Tonga}}<br /> ; 政府<br /> * [http://pmo.gov.to/ トンガ王国政府] {{en icon}}<br /> ; 日本政府<br /> * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tonga/ 日本外務省 - トンガ王国] {{ja icon}}<br /> * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/zaigai/list/oceania/tonga.html 在外公館リスト - 在トンガ日本国大使館] {{ja icon}}<br /> ; 観光<br /> * [http://www.tongaholiday.com/ トンガ政府観光局] {{en icon}}<br /> ; その他<br /> * [https://web.archive.org/web/20080405064036/http://www.pic.or.jp/country/tonga.htm PIC - トンガ]<br /> * [http://blog.pic.or.jp/ 国際機関 太平洋諸島センター]<br /> <br /> {{オセアニア}}<br /> {{ポリネシア}}<br /> {{イギリス連邦}}<br /> {{DEFAULTSORT:とんか}}<br /> [[Category:トンガ|*]]<br /> [[Category:現存する君主国]]<br /> [[Category:島国]]<br /> [[Category:イギリス連邦加盟国]]</div> 133.206.56.32 典座 2018-06-03T01:01:33Z <p>133.206.56.32: /* 概要 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;典座&#039;&#039;&#039;(てんぞ)は[[禅宗]][[寺院]]の役職の一つ。禅宗寺院で[[修行僧]]の[[食事]]、[[仏]]や[[祖師]]への供膳を司る。[[六知事]](ろくちじ)の第五位。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 炊事係は一般に「飯炊き」「[[権助]]」などと呼ばれ、新米の役回りとされたり、低く見られがちな職務である。しかし調理や食事も重要な修行とする[[禅宗]]では重要な役職とされ、日本曹洞宗の開祖[[道元]]は著作「典座教訓」の冒頭で、典座には古来より修行経験が深く信任のある僧が任命されてきたことを述べている。日本の現在の禅宗寺院においても、道元が典座教訓で記述した、求法のため[[宋 (王朝)|宋]]で修行した際に二人の老典座との出会いから[[禅]]修行の本質に覚醒した[[故事]]に鑑み、重要視される職務である。<br /> <br /> == 故事 == <br /> 道元が『[[典座教訓]]』に記した体験は、以下のようなものである。<br /> <br /> 「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草&lt;ref&gt;原文「苔」。これを茸と訳す文献もある&lt;/ref&gt;を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗だくになり、苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。<br /> <br /> 『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』<br /> <br /> 『なぜ、今のような炎天の日中にされるのです』 老人は答えた。『今のほか、いつを待てと言うのか』<br /> <br /> 私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」&lt;ref&gt;*道元『典座教訓・赴粥飯法』 講談社学術文庫 P69&lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> 「また私が上陸許可を待って港の船の中にいた時、ある老僧が食材の買入れに港にやってきた。船室に招いて茶を勧め、話を聞くと『私は、阿育王寺の典座である。故郷を出て四十年、歳も六十を越えたが、これからまた20キロほど歩いて、食事の用意に寺まで帰らねばならぬ』<br /> <br /> 『飯の用意など誰かがやるでしょう。何か差し上げますので、ゆっくりしていかれては』<br /> <br /> 『それは駄目だ。外泊許可を貰っていないし、典座は老人にもできる修行、他人には譲れぬ』 <br /> <br /> 私は聞いた。『あなたほどのお年なのに、なぜ忙しく働いてばかりいて、坐禅したり先人の教えを学ばないのですか。それでいったい何のいいことがありましょう』<br /> <br /> 老僧は笑って言った。『外国からきたあなたは、どうやら何もわかっていないようだ』私はこれを聞き、大いに驚き、また恥じた。 そして老人は「もう日も暮れた。行かねばならぬ」と立ち上がり、寺へと帰っていった。 私が多少とも修行のことを知るようになったのは、実にこの老典座の恩によるのである」&lt;ref&gt;*同上 P76&lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> 道元は日本に帰国してより[[建仁寺]]に留まったが、建仁寺の典座が食事の用意を軽く考え、職務を適当に行っていることを見、宋との落差を非常に遺憾とした。そして『典座教訓』を執筆し、典座職の重要性と、その職務要領を詳細に書き残した。 <br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{reflist}} <br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[首座]]<br /> *[[知客]]<br /> *[[精進料理]]<br /> *[[五観の偈]]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:てんそ}}<br /> [[Category:禅用語]]<br /> [[Category:料理]]<br /> [[Category:仏教の称号・役職]]<br /> [[Category:禅の芸術と文化]]<br /> [[Category:瞑想]]</div> 133.206.56.32 キープ (インカ) 2018-05-19T23:27:11Z <p>133.206.56.32: /* 結縄 */</p> <hr /> <div>{{複数の問題 |出典の明記=2017年6月 |参照方法=2017年6月}}<br /> [[画像:Quipu.png|thumb|220px|キープ]]<br /> &#039;&#039;&#039;キープ&#039;&#039;&#039;(Quipu、khipu)は、[[インカ帝国]]で使われた[[紐]]に[[結び目]]を付けて[[数]]を記述する方法。[[ケチュア語]]で「結び目」を意味する。キープは紐の結び目の形で数を表現するため、「&#039;&#039;&#039;結縄&#039;&#039;&#039;(けつじょう)」とも呼ばれている。 &lt;ref&gt;http://www.nytimes.com/2016/01/03/world/americas/untangling-an-accounting-tool-and-an-ancient-incan-mystery.html &#039;&#039;&#039;Quipu&#039;&#039;&#039; [[New York Times]] &lt;/ref&gt;<br /> <br /> <br /> == 構造 ==<br /> 単色、もしくは複数に彩色された紐で作られ、さまざまな形の結び目がついている。紐は二本撚り以上になっており、太さには4種類が存在した。最も太い紐は親紐と呼ばれ、その他は下がり紐として親紐に房状に結びつけられている。結び目の形、紐の色、結び目の位置などに情報が含まれ、結び目の位置によって、一、十、百、千、万の位が表された。下がり紐は3本ほどから2000本近いものまであり、細い補助紐がつけられる場合もある。レイランド・ロックの研究によって、[[十進法]]を用いていることが判明した。<br /> <br /> == 機能 ==<br /> キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに記録し、その作製および解読を行うキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれた役人がいた。キープカマヨックはインカ帝国統治下の各地におり、人口、農産物、家畜、武器など資源についての統計や、裁判の判例なども記録した。キープそのものは計算の道具ではないため、[[w:Yupana|Yupana]]と呼ばれる[[アバカス]]の一種で計算した結果を記録する場合もある。インカ帝国にはキープを教える専門の学校が存在し、交叉型の分類、集計の混じった情報を扱うこともでき、数学的思考を可能とした。<br /> <br /> 作製されたキープは、{{仮リンク|シャスキ|en|Chasqui}}と呼ばれる[[飛脚]]たちによって運ばれた。往時の史料によれば、シャスキは一日280km ほどもリレーした。時速17km である。シャスキは18-25歳の男子から選ばれた。選ばれると、年三ヶ月の鉱山労働を一ヶ月に減免された。中継駅の維持は地元村の義務であった。シャスキ網は王のいる[[クスコ]]が中心であった。シャスキは王の食べる生鮮食品も運搬した。インカを征服したスペイン人もシャスキを使役したが、うまくゆかなかったという。<br /> <br /> == 結縄 ==<br /> [[画像:Inca Quipu.jpg|thumb|280px|キープ]]<br /> 伝説では、[[中華民族]]の始祖とされる[[伏羲]]が漢字発明以前に、意思伝達のため「結縄」を行ったという。[[隋書]]倭国伝や[[二中歴]]など古文献は、[[漢字]]伝来以前の日本について「無文字唯刻木結縄」(文字というものがなく、ただ木の棒に刻み目をつけたり、縄を結んでいる)と記す。[[沖縄県|沖縄]]や[[房総半島]]や[[北海道]]で[[昭和|昭和時代]]まで使われていた。沖縄では、[[琉球王国]]時代から徴税事務や日常活動において数量を数える表示・記録の手段として用いた。沖縄では結縄を「ワラザン」「バラザン」などと称し、単位を区別するために紐には太さや材質の異なる複数の藁を用いた。この制度は[[琉球処分]]後も継続された[[人頭税]]が廃止される[[1903年]]まで継続された&lt;ref&gt;岩本馨太郎「結縄」(『国史大辞典 5』([[吉川弘文館]]、1985年) ISBN 978-4-642-00505-0)および[[額田巌]]「結縄」(『日本史大事典 2』([[平凡社]]、1993年) ISBN 978-4-582-13102-4)<br /> &lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{参照方法|date=2017年6月|section=1}}<br /> * [[ジョージ・G・ジョーゼフ]]『非ヨーロッパ起源の数学』[[垣田高夫]]、[[大町比佐栄]]訳、[[講談社]]、1996年。<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[未解読文字]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons|Quipu}}<br /> *[http://khipukamayuq.fas.harvard.edu/ The Khipu Database Project at [[ハーバード大学]]] (gallery, archives, references, researchers, etc.)<br /> *[http://agutie.homestead.com/files/Quipu_B.htm The Quipu, an Incan Data Structure] by Antonio Gutierrez, from &quot;Geometry Step by Step from the Land of the Incas&quot;<br /> *{{Wayback |url=http://www.sfu.ca/archaeology/museum/laarch/inca/quipue.html |title=Quipu: A Modern Mystery - Sfu |date=20120205040817}}<br /> *[http://agutie.homestead.com/files/Quipu_B.htm Geometry from the land of the Incas] - Homestead<br /> * [http://www.datascope.be/sog.htm Speaking of Graphics: The Quipu and Statistical Graphics] - Datascope<br /> * [http://www.wired.com/wired/archive/15.01/khipu.html Untangling the Mystery of the Inca] - Wired<br /> *[http://links.jstor.org/sici?sici=0014-1801%28199822%2945%3A3%3C409%3AFKTNRT%3E2.0.CO%3B2-M From Knots to Narratives] - Jstor<br /> *[http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/310/5756/1903d Science: Inka Accounting Practices] - Sciencemag<br /> {{文字}}<br /> {{Authority control}}<br /> {{DEFAULTSORT:きいふ}}<br /> [[Category:インカ帝国]]<br /> [[Category:数の表現]]<br /> [[Category:数学史]]<br /> [[Category:原文字]]<br /> [[Category:未解読文字]]<br /> [[Category:紐類]]<br /> [[Category:結び目]]</div> 133.206.56.32 鳥飼 2018-05-06T04:41:32Z <p>133.206.56.32: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;鳥飼&#039;&#039;&#039;(とりかい)<br /> <br /> * [[鳥飼 (摂津市)]] - [[大阪府]][[摂津市]]の地名。<br /> <br /> 九州地方にある鳥養村,鳥養郷などとともに、古代における鳥養部(鳥飼部とも書く)の所在からきた。鳥養部とは朝廷の必要とする鳥類の飼育に従事した部民。「[[古事記]]」「[[日本書紀]]」の[[垂仁天皇]]の条などに鳥養部を定めたことがみえ、卑賤視されたらしい。(ブリタニカ国際大百科事典)<br /> <br /> ** [[鳥飼車両基地]]<br /> ** [[鳥飼大橋]]<br /> ** [[大阪府立鳥飼高等学校]](現在は[[大阪府立北摂つばさ高等学校]])<br /> ** [[近鉄バス鳥飼営業所]]<br /> * [[鳥飼 (福岡市)]] - [[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]および[[城南区]]の地名。<br /> * [[鳥飼駅]] - かつて[[福岡県]][[福岡市]]にあった、[[日本国有鉄道|国鉄]][[筑肥線]]の駅。<br /> * [[鳥飼村]](曖昧さ回避) - 旧自治体。<br /> * 鳥飼 - 米[[焼酎]]のブランドの一つ。<br /> * 日本人の姓。<br /> ** [[鳥飼家]]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[特別:Prefixindex/{{SUBJECTPAGENAME}}|{{SUBJECTPAGENAME}}で始まる記事の一覧]]<br /> <br /> {{aimai}}<br /> {{DEFAULTSORT:とりかい}}<br /> [[Category:日本の地名]]<br /> [[Category:職業姓]]</div> 133.206.56.32 識字 2018-05-02T20:32:38Z <p>133.206.56.32: /* 近世以前 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;識字&#039;&#039;&#039;(しきじ)([[:en:literacy|literacy]])とは、[[文字]]([[書記言語]])を読み書きし、理解できること、またその能力。<br /> <br /> 文字に限らずさまざまな情報の読み書き、理解能力に言及する際には、日本語では&#039;&#039;&#039;[[リテラシー]]&#039;&#039;&#039;という表現が利用される。<br /> <br /> == 概説 ==<br /> [[File:World illiteracy 1970-2010.svg|thumb|1970年から2015年にかけての45年間の全世界の非識字率の推移。この45年間に非識字率は半減した]]<br /> [[File:Figure 5 Literacy has rapidly spread Reading the past writing the future.svg|thumb|1990年から2015年にかけての25年間における世界各地域の識字率の推移。発展途上国において急速な識字率の上昇が認められる]]<br /> 識字は[[日本]]では&#039;&#039;&#039;読み書き&#039;&#039;&#039;とも呼ばれる。&#039;&#039;&#039;読む&#039;&#039;&#039;とは文字に書かれた[[言語]]の一字一字を正しく[[発音]]して[[理解]]できる([[読解]]する)ことを指し、&#039;&#039;&#039;書く&#039;&#039;&#039;とは文字を言語に合わせて正しく記す([[筆記]]する)ことを指す。<br /> <br /> 何をもって識字とするかには様々な定義が存在するが、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]では、「日常生活で用いられる簡単で短い文章を理解して読み書きできる」状態のことを識字と定義している&lt;ref&gt;https://www.accu.or.jp/jp/activity/education/02-01d.html 公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター (ACCU)  2017年12月16日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養のひとつで、[[初等教育]]で教えられる。生活のさまざまな場面で基本的に必要になる能力であり、また[[企業]]などで正式に働くためには必須である。これまで識字能力がなくとも生活することのできた地域においても、近代以後の急速な産業化によって識字能力が必須となり、識字能力は生存に欠かせないものとなりつつある。また識字能力は生活水準と直結し、また国家の産業力とも連動するため、[[人間開発指標]]など多くの開発指標において識字率は重要な要素の一つとなっている&lt;ref&gt;「生きるための読み書き 発展途上国のリテラシー問題」pv 中村雄祐 みすず書房 2009年9月10日発行&lt;/ref&gt;。またこの理解のため、[[開発経済学]]などにおいても識字率は重要な指標の一つとして用いられる。<br /> <br /> また、この項目を読み、内容が理解でき、何らかの形式にて書き出すことができる者は、少なくとも日本語に対する識字能力を持ち合わせているとみなすことができる。<br /> <br /> 文字を読み書きできないことを「&#039;&#039;&#039;非識字&#039;&#039;&#039;」(ひしきじ)または「&#039;&#039;&#039;文盲&#039;&#039;&#039;」(もんもう)ないし「&#039;&#039;&#039;明き盲&#039;&#039;&#039;」(あきめくら)といい、そのことが、本人に多くの不利益を与え、国や地域の発展にとっても不利益になることがあるという考えから、&#039;&#039;&#039;識字率&#039;&#039;&#039;の高さは基礎教育の浸透状況を測る指針として、広く使われている(「識字率が低い」場合は「文盲率が高い」とも言い換えられる)。<br /> <br /> なお、「文盲」や「明き盲」は[[視覚障害者]]に対する差別的ニュアンスを含むことから、現在は公の場で使用することは好ましくないとされている&lt;ref&gt;[http://www.houko.com/00/01/S25/100.HTM 公職選挙法48条]で「文盲」が使われていたが、平成25年法律第21号で表現が「心身の故障その他の事由」に改められた。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[光学文字認識]](OCR)の読み取り精度を指して識字率と呼称するのは全くの誤りである。<br /> <br /> == 識字状況 ==<br /> {| border=0 cellspacing=&quot;2&quot; cellpadding=&quot;2&quot;<br /> | colspan=3 align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#b5b5b5&quot; | &#039;&#039;&#039;識字率(推定)&#039;&#039;&#039;&lt;br /&gt;&lt;small&gt;([[OECD]])&lt;/small&gt;<br /> |-<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#cfcfcf&quot; | &amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#cfcfcf&quot; | 1970年<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#cfcfcf&quot; | 2000年<br /> |-<br /> | &amp;nbsp;世界全体&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; | &amp;nbsp;63 %&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; | &amp;nbsp;79 %&amp;nbsp;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;先進国および[[新興工業国]]&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;95 %&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;99 %&amp;nbsp;<br /> |-<br /> | &amp;nbsp;[[後発開発途上国]]&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; | &amp;nbsp;47 %&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; | &amp;nbsp;73 %&amp;nbsp;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;[[内陸開発途上国]]&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;27 %&amp;nbsp;<br /> | align=&quot;center&quot; bgcolor=&quot;#e8e8e8&quot; | &amp;nbsp;51 %&amp;nbsp;<br /> |}<br /> [[18世紀]]以降、ヨーロッパや北アメリカにおいては識字率の上昇が続いてきた。これは[[産業革命]]の進展と[[近代国家]]の成立に伴い、国民の教育程度の向上が必須課題となり、国家によって[[義務教育]]が行われるようになったためである。この傾向は[[20世紀]]に入り、産業化の遅れたアジアやアフリカ、南アメリカなどの諸国が国民の教育に力を入れるようになったことでさらに加速した。[[第二次世界大戦]]後、世界の識字率は順調に向上しており、[[1970年]]には全世界の36.6%が非識字者だったものが、[[2000年]]には20.3%にまで減少している&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p38&quot;&gt;「国際教育協力を志す人のために 平和・共生の構築へ」p38 千葉杲弘監修 寺尾明人・永田佳之編 学文社 2004年10月10日第1版第1刷&lt;/ref&gt;。しかし、まだ世界の全ての人がこの能力を獲得する教育機会を持っているわけではない。また、男性の非識字率よりも女性の非識字率の方がはるかに高く、2000年には男性の非識字者が14.8%だったのに対し、女性の非識字者は25.8%にのぼっていた&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p39&quot;&gt;「国際教育協力を志す人のために 平和・共生の構築へ」p39 千葉杲弘監修 寺尾明人・永田佳之編 学文社 2004年10月10日第1版第1刷&lt;/ref&gt;。ただしこの男女間格差は縮小傾向にあり、1970年に比べて2000年には5%ほど格差が縮小していた&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p39&quot; /&gt;。地域的にみると、識字者の急増は全世界的に共通しており、どの地域においても非識字率は急減する傾向にあるが、なかでも[[東アジア]]や[[オセアニア]]において識字率の向上が著しい。識字率は北アメリカやヨーロッパにおいて最も高いが、東アジア・オセアニア・[[ラテンアメリカ]]の識字率もそれに次いで高く、この3地域における非識字者は1割強に過ぎない。それに対し、[[アフリカ]]・[[中東]]・[[南アジア]]の非識字率はいまだに高く、4割程度が文字を利用することができない。最も世界で非識字率が高いのは南アジアであり、2000年のデータでは約45%が非識字者である&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p40&quot; &gt;「国際教育協力を志す人のために 平和・共生の構築へ」p40 千葉杲弘監修 寺尾明人・永田佳之編 学文社 2004年10月10日第1版第1刷&lt;/ref&gt;。アフリカにおいては2001年のデータで非識字率は37%となっている&lt;ref&gt;「アフリカ経済論」p270 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷&lt;/ref&gt;。また、非識字率は急減を続けているものの、非識字者の実数は減少せず、むしろやや増加している地域も存在する&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p40&quot; /&gt;。<br /> <br /> === 発展途上国における識字運動 ===<br /> 発展途上国、特に第二次世界大戦後に独立したアジアやアフリカの新独立国においては識字率が非常に低いところが多かったが、識字および教育は国力に直結するとの認識はすでに確立されていたため、これらの発展途上国の多くは初等教育に力を入れ、識字率の向上に努めた。途上国政府のみならず、先進各国の政府も識字能力の向上のため多額の援助を行い、多数の[[NGO]]も積極的な支援を行った。これらの努力により前述のように途上国の識字率は急上昇をつづけているが、教員や予算の不足によって国内のすみずみまで充実した公教育を提供することのできない政府も多く、アフリカの一部においてはいまだ識字率が50%を切っている国家も存在する。<br /> <br /> 第二次世界大戦後に設立された[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]は識字率の向上を重要課題の一つと位置付けており、様々な識字計画を推進している。その一環として[[1966年]]には毎年[[9月8日]]が[[国際識字デー]]と定められ&lt;ref&gt;http://www.afpbb.com/articles/-/2515456 『「国連識字デー」インドの寺子屋で学ぶ子どもたち』AFPBB 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;、[[1990年]]は国際識字年として様々な取組が行われた。そして識字への取り組みをより強化するために、[[2003年]]には「国連識字の10年」が開始され、[[2012年]]まで10年にわたって行われた&lt;ref&gt;http://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/1144/ 「国連識字の10年(2003-2012年)」国連本部で開始 「すべての人に識字を」をスローガンに、国連副事務総長が提唱」国際連合広報センター 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 機能的非識字 ===<br /> {{出典の明記|date=2016年1月|section=1}}<br /> 文字を読み書きできない&#039;&#039;&#039;非識字&#039;&#039;&#039;(illiteracy)と読み書きを&#039;&#039;&#039;流暢&#039;&#039;&#039;にできる段階(full fluency)の間には、初歩的な読み書きを行えても、社会参加のための読み書きを満足に使いこなせない段階が存在する。これが&#039;&#039;&#039;[[機能的非識字]]&#039;&#039;&#039;(functional illiteracy)である。[[1956年]]にウィリアム・グレイ([[:en:William S. Gray|William S. Gray]])は識字教育に関する調査研究報告書の中で、「&#039;&#039;&#039;機能的識字&#039;&#039;&#039;(functional literacy)」の概念を明確にして、識字教育の目標を機能的識字能力を獲得することに設定すべきと提言した。<br /> <br /> == 国別の識字率 ==<br /> {{Main|識字率による国順リスト}}<br /> 識字率は、初等教育を終えた年齢、一般には15歳以上の人口に対して定義される。一般的には識字率を計算する場合、[[母語]]における日常生活の読み書きができることを識字の定義とするが、識字の定義はその国によって異なっている&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=259 「世界の統計2017」p259 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;。全世界の識字率は2000年時点で約80%で&lt;ref name=&quot;千葉監修、寺尾・永田編、2004年、p38&quot;&gt;「国際教育協力を志す人のために 平和・共生の構築へ」p38 千葉杲弘監修 寺尾明人・永田佳之編 学文社 2004年10月10日第1版第1刷&lt;/ref&gt;、母語と[[公用語]]が異なる場合(公用語が2言語以上存在する場合)や、[[移民]]が多い国ほど識字率は低下する傾向がある。この点で、識字率を国際的に比較するには大きな注意を払う必要がある。<br /> <br />  一般に、識字率の調査は、角(2012)の研究で詳述されているように、実施方法・費用調達の点において、設計と実施が極めて困難であり、流布されている数値の信頼性はかなり低いと考えなければならない。この識字率の信頼性の低さは先進国・途上国を問わない。途上国の多くにおいては国勢調査時の回答または初等教育の就学率がそのまま識字率として流用されるケースが多く、一方先進国においてはほとんどすべての人が識字能力を持っていると推定され、非識字者があまりにも少なく必要性が疑わしいため調査を行わず、「ほぼ全員が識字能力を持つ」という意味で識字率99%と回答することが多いためである&lt;ref&gt;「生きるための読み書き 発展途上国のリテラシー問題」p13 中村雄祐 みすず書房 2009年9月10日発行&lt;/ref&gt;。日本においても識字率調査は近年行われていない&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/library/faq/faq27/faq27n03.htm 「各国の識字率」総務省統計局 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;。このため、[[アメリカ]]や[[日本]]といった多くの先進国の識字率は99%以上と推定されてはいるものの、[[国連開発計画]]の調査データにおいては調査が行われていないためにデータは空欄となっている&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2015年]]時点で最も識字率の低い国家は[[アフリカ大陸]]の[[ニジェール]]であり、識字率は19.1%にとどまっている。以下、識字率が低い順に[[ギニア]]、[[ブルキナファソ]]、[[中央アフリカ]]、[[アフガニスタン]]、[[ベナン]]、[[マリ]]、[[チャド]]、[[コートジボワール]]、[[リベリア]]の順となっており、これらの国家の識字率はいずれも50%を割っている&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0908.htm 「9月8日 国際識字デー」総務省 統計局 なるほど統計学園 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === アジア ===<br /> [[ファイル:Analfabetismo2013unesco.png|600px|thumb|2013年の識字率一覧]]<br /> * {{AFG}} - 38.2%(男性52.0%、女性24.2%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{IRQ}} - 79.7%(男性85.7%、女性73.7%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{IRN}} - 86.8%(男性91.2%、女性82.5%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{INA}} - 93.9%(男性96.3%、女性91.5%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{IND}} - 71.2%(男性81.3%、女性60.6%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{OMA}} - 91.1%(男性93.6%、女性85.6%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{KAZ}} - 99.7%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{QAT}} - 94.7%(男性89.1%、女性88.6%)(2005-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{CAM}} - 77.2%(男性84.5%、女性70.5%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{CYP}} - 97.9%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{KGZ}} - 99.2%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p192 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{KUW}} - 93.9%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{KSA}} - 94.7%(男性97.0%、女性91.1%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{SYR}} - 84.2%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p192 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{SIN}} - 94.7%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{SRI}} - 92.6%(男性93.6%、女性91.7%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{THA}} - 93.5%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{TJK}} - 99.7%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p192 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{TUR}} - 95.0%(男性98.4%、女性91.8%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{CHN}} - 94.0%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{PAK}} - 57.9%(男性69.5%、女性45.8%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{BAN}} - 61.5%(男性64.6%、女性58.5%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === アフリカ ===<br /> * {{NGR}} - 59.6%(男性69.2%、女性49.7%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{LES}} - 79.4%(男性70.1%、女性88.3% 男女の値の比率が逆転している)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{NIG}} - 19.1%(男性27.3%、女性11.0%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> *{{GIN}} - 30.4%(男性38.1%、女性22.8%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> *{{BUR}} - 36.0%(男性43.0%、女性29.3%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 北アメリカ ===<br /> * {{CUB}} - 99.8%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p192 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{DOM}} - 91.8%(男性91.2%、女性92.3%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 南アメリカ ===<br /> * {{BRA}} - 90.0%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{URU}} - 98.3%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{PER}} - 94.5%(男性97.3%、女性91.7%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === ヨーロッパ ===<br /> * {{RUS}} - 99.6%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p191 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{EST}} - 99.8%(2006-2010年)&lt;ref&gt;http://www.jp.undp.org/content/dam/tokyo/docs/Publications/HDR/2011/UNDP_Tok_HDR%202011Statistics_20140211.pdf 「統計別表 - 国連開発計画(UNDP)」p190 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> * {{POR}} - 95.7%(男性97.1%、女性94.4%)(2015年)&lt;ref&gt;http://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2017al.pdf#page=266 「世界の統計2017」p266 総務省統計局 2017年12月27日閲覧&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 総論 ===<br /> その歴史において文字を持たなかった文明においては識字という概念が存在しないのは当然であるが、文字を発明または導入した文明においても古代から中世における識字率はどこも非常に低いものだった。文字を記し保存する媒体、およびそれを複製する手段に制限があったため、文字自体の重要性が低く、社会の指導層を除いて識字能力を獲得する必要性が少なかったためである。こうした状況は、[[紙]]の発明によって媒体の制限がやや緩んだものの、どの社会においても中世にいたるまでほとんど変わらなかった。<br /> <br /> こうした状況は、[[ヨハネス・グーテンベルク]]による[[活版印刷]]の発明によって大きく変化した。活版印刷によって[[本]]が大量に供給されるようになり、それまで非常に高価だった書籍が庶民でも手に入るようになったため、識字の必要性が急激に高まったのである。また印刷によって書籍に整った文字が並ぶようになったことは、それまでの手書き本に比べて読解を容易なものとし、識字の有用性をより高めることとなった。こうした書籍の氾濫は、貴重な本を一人の人間が読み上げそれを周囲の大勢の人間が拝聴するという形で行われていた知識の伝達システムを変化させ、聴覚に代わり視覚が優位に立つ新しい方法が主流となった&lt;ref&gt;「印刷・スペース・閉ざされたテキスト」ウォルター・オング(「歴史の中のコミュニケーション メディア革命の社会文化史」所収)p135 デイヴィッド・クロウリー、ポール・ヘイヤー編 林進・大久保公雄訳 新曜社 1995年4月20日初版第1刷&lt;/ref&gt;ため、識字能力の重要性はさらに増大した。<br /> <br /> 全ての文化で文字があるわけではなく、いわゆる無文字社会も多かったが、19世紀以降こうした民族においても[[ラテン文字]]による[[正書法]]を定めることが多くなった。これは、ヨーロッパから送り込まれた[[カトリック]]や[[プロテスタント]]の[[宣教師]]が布教のために現地諸言語のラテン文字化を推進したためである&lt;ref&gt;「図説 アジア文字入門」p102 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編 河出書房新社 2005年4月30日初版発行&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === メソポタミア ===<br /> 世界最古の文明のひとつである[[メソポタミア]]ではすでに文字が発明されており、各都市では学校が設立され[[書記]]が養成されて行政文書の作成にあたっていた。しかし文字の読み書きは特殊技能であり、書記以外のほとんどの人は文字の読み書きができず、識字率は非常に低かったと考えられている。各都市の[[王]]でさえ識字能力は求められず、まれに識字能力を持つ王が現れた場合、記録にはそのことが高らかにうたわれていることがある&lt;ref&gt;小林登志子 『シュメル 人類最古の文明』p200-203 中央公論新社〈中公新書〉、2005年。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === ヨーロッパ ===<br /> [[中世]]も後期に入ると知識階級の間ではローマ教会の公用語であったラテン語の読み書きが広まり、ヨーロッパ内で知識人たちは自由にやり取りをすることが可能となっていったが、一般民衆には全く縁のないものであった。教育、特に高等教育はすべてラテン語で行われ、書物もラテン語で書かれ、[[聖書]]もラテン語で書かれるものであり、一般民衆がこれらを読むことは困難だった。これはすなわち、各地方の言語で行われる一般市民による音声言語の文化と、知識人たちによる文章言語の文化が断絶していたことを示している&lt;ref&gt;「新版 子どもの教育の歴史 その生活と社会背景を見つめて」p22 江藤恭二監修 篠田弘・鈴木正幸・加藤詔士・吉川卓治編 2008年3月31日初版第1刷 名古屋大学出版会&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この状況が変化するのは、[[マルティン・ルター]]によって[[宗教改革]]が開始されてからである。[[プロテスタント]]諸派は聖書を信仰の中心に据えたため、一般市民も聖書を読むことができるよう聖書の各国語への翻訳と民衆への教育を積極的に行い始めた&lt;ref&gt;「新版 子どもの教育の歴史 その生活と社会背景を見つめて」p23 江藤恭二監修 篠田弘・鈴木正幸・加藤詔士・吉川卓治編 2008年3月31日初版第1刷 名古屋大学出版会&lt;/ref&gt;。同様の理由でこの時期プロテスタント圏においては[[義務教育]]が提唱されるようになり、17世紀前半には[[ワイマール公国]]・[[ゴータ公国]]・[[マサチューセッツ植民地]]などで義務教育が導入されるようになった。その後もプロテスタント圏における義務教育推進や母国語識字教育は続き、18世紀には周辺地域に比べ新教地域の識字率は高かったとされている&lt;ref&gt;「新版 子どもの教育の歴史 その生活と社会背景を見つめて」p11 江藤恭二監修 篠田弘・鈴木正幸・加藤詔士・吉川卓治編 2008年3月31日初版第1刷 名古屋大学出版会&lt;/ref&gt;。こうした教育の普及努力により、17世紀以降西ヨーロッパ諸国において識字率は徐々に上昇を始めた。しかしこの時期においても知識階級の文章言語はラテン語のままであった。<br /> <br /> 17世紀と18世紀を通じ上昇を続けた識字率は、19世紀に入るとより一層上昇するようになった。これは産業革命の開始によって識字能力が業務上多くの職種において必須となり、国力を増進させたい国家と生活水準を上昇させたい市民がともに識字能力を強く求めるようになったからである。ほとんどの国で義務教育が導入されるようになり、またラテン語にかわって各国語において高度な知識が記述され出版されるようになり、知識階級と一般市民の文章言語の断絶が解消したのもこの時期のことである。19世紀末には、イギリスやフランスなど当時の最先進国においては識字率が9割を越え、ほとんどの人々が文字を読み書きすることが可能となっていた&lt;ref&gt;「新版 子どもの教育の歴史 その生活と社会背景を見つめて」p24 江藤恭二監修 篠田弘・鈴木正幸・加藤詔士・吉川卓治編 2008年3月31日初版第1刷 名古屋大学出版会&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 日本 ===<br /> ==== 近世以前 ====<br /> [[1443年]]に[[朝鮮通信使]]一行に参加して日本に来た[[申叔舟]]は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日した[[ヴァーシリー・ゴローニン]]は「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」&lt;ref&gt;『日本幽囚記』(井上満訳、岩波文庫 p.31 &lt;/ref&gt;と述べている。日本の識字率は極めて高く、[[江戸時代]]に培われた高い識字率が[[明治]]期の発展につながったとされる。<br /> <br /> 近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、[[1877年]]に[[滋賀県]]で実施された一番古い調査で「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、[[群馬県]]や[[岡山県]]でも男女の自署率が50%以上を示していたが、[[青森県]]や[[鹿児島県]]の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる&lt;ref name=&quot;jisho&quot;&gt;八鍬友広, [http://ci.nii.ac.jp/naid/110001175731/ 「近世社会と識字 (&lt;特集&gt; 公教育とリテラシー)]」, 教育學研究, 70(4), 524-535, (2003).&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、[[1881年]]に[[長野県]][[北安曇郡]][[常盤村 (長野県北安曇郡)|常盤村]](現・[[大町市]])で15歳以上の男子882人を対象により詳細な自署率の調査が実施されたが、自署し得ない者35.4%、自署し得る者64.6%との結果が得られており(岡山県の男子の自署率とほぼ同じ)、さらに自署し得る者の内訳は、自己の氏名・村名のみを記し得る者63.7%、日常出納の帳簿を記し得る者22.5%、普通の書簡や証書を白書し得る者6.8%、普通の公用文に差し支えなき者3.0%、公布達を読みうる者1.4%、公布達に加え新聞論説を解読できる者2.6%(当時の新聞論説は片仮名交じり漢文調で、非常に難しかった)となる。したがってこの調査では、自署できる男子のうち、多少なりとも実用的な読み書きが可能であったのは4割程度である&lt;ref&gt;小林恵胤, 「明治14年の識字調 ―当時の北安曇郡常盤村の場合―」, 長野県 近代史研究, (5), 51-57 (1973).&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot; style=&quot;text-align:right; font-size:small&quot;<br /> |+&#039;&#039;&#039;明治期の各県の調査初年次の自署率&lt;br&gt;(文部省年報による)&lt;ref name=&quot;jisho&quot;/&gt;&#039;&#039;&#039;<br /> !府県!!調査初年次!!調査対象!!男子!!女子!!全体<br /> |-<br /> |{{flagicon|滋賀県}}滋賀県||[[1877年]]||rowspan=&quot;2&quot;|満6歳以上||89.23||39.31||64.13<br /> |-<br /> |{{flagicon|群馬県}}群馬県||[[1880年]]||79.13||23.41||52.00<br /> |-<br /> |{{flagicon|青森県}}青森県||[[1881年]]||全住民||37.39||2.71||19.94<br /> |-<br /> |{{flagicon|鹿児島県}}鹿児島県||[[1884年]]||rowspan=&quot;2&quot;|満6歳以上||33.43||4.00||18.33<br /> |-<br /> |{{flagicon|岡山県}}岡山県||1887年||65.64||42.05||54.38<br /> |}<br /> <br /> ただし、近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体によって書かれ、かなりの習熟が必要であった。近世期「筆を使えない者」を意味する「無筆者」とは文書の作成に必要な漢字を知らない者を意味しており&lt;ref name=&quot;ordinance_of_immigration_act_article55&quot;&gt;2014年現在でも、[[出入国管理及び難民認定法]]施行規則第55条において、「&#039;&#039;&#039;無筆&#039;&#039;&#039;&#039;&#039;、身体の故障その他申請書を作成することができない特別の事情がある者&#039;&#039;」の口頭申請を認める規定があり、法令用語として「無筆」が使用されている。&lt;/ref&gt;、簡単なかなを読めることはどの庶民の間でも常識に属し、大衆を読者に想定したおびただしい平仮名主体の[[仮名草子]]が発行されていた。<br /> <br /> 義務教育開始以前の文字教育を担ったのは[[寺子屋]]であり、かなと簡単な漢字の学習、および算数を加えた「読み書き算盤」は寺子屋の主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る[[近江国]]神埼郡北庄村(現・[[滋賀県]][[東近江市]])にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される&lt;ref name=&quot;jisho&quot;/&gt;。<br /> <br /> ==== 近代以後 ====<br /> 明治時代に[[義務教育]]が開始され、徐々にその普及が進んでいくにしたがって、識字率はますます上昇していった。この時期の識字率調査としては[[1899年]](明治32年)より第二次世界大戦直前まで、[[徴兵検査]]と同時に新成人男子に対し行われた「壮丁教育程度調査」があるが、これによれば調査開始の1899年においては成年男子の23.4%は文字を読むことができず、20歳識字率は76.6%にとどまっていたが、その後識字率は急速に上昇し、[[1925年]](大正14年)には20歳非識字率はわずか0.9%、機能的非識字者を合わせても1.7%にまで減少して、このころまでに新規の非識字者の出現はほぼ消滅したと考えられている。女性においても[[1935年]](昭和10年)ごろには新規非識字者の出現はほぼなくなったと考えられており、この時点で非識字者は、すでに成人したもののみに限られることとなった&lt;ref&gt;http://home.hiroshima-u.ac.jp/cice/wp-content/uploads/2014/02/15-1-04.pdf 「識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験」斉藤泰雄 広島大学教育開発国際協力研究センター『国際教育協力論集』第 15 巻 第 1 号(2012) 55 ~ 57頁 2017年12月28日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 第二次大戦終結後、[[1948年]](昭和23年)に「[[日本語]]は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[ジョン・ペルゼル]]&lt;ref&gt;[http://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%AB ペルゼル とは - コトバンク]&lt;/ref&gt;による発案で、日本語を[[ローマ字]]表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため[[民間情報教育局]]は国字[[ローマ字論]]者の言語学者である[[柴田武]]に全国的な調査を指示した(統計処理は[[林知己夫]]が担当)。[[1948年]]8月、文部省教育研修所(現・[[国立教育政策研究所]])により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね&lt;ref&gt;[[朝日新聞]]2008年12月5日夕刊&lt;/ref&gt;、日本語のローマ字化は撤回された&lt;ref&gt;『戦後日本漢字史』(新潮選書、阿辻哲次)p.40-&lt;/ref&gt;。[[漢字廃止論]]も参照。<br /> <br /> === その他 ===<br /> [[15世紀]]に[[ハングル]]を創製して[[表音文字]]を導入した朝鮮では、ハングルのみを知っている人間は庶民にも少なからずいたが、初歩的な漢字以上の漢字の知識を持つものは非常に少なく、知識人や富裕な商人に限られていた。<br /> <br /> ベトナムでは、ついに[[表音文字]]を自力で開発しなかったため、複雑な[[チュノム]]と漢字を知ることができる層と、それ以外とに分かれ、庶民は文字を知っていても、少数の漢字とチュノムを書けるだけという例が多かった。中国本土では革命後、識字率を引き上げる目的で[[簡体字]]を採用し、多くの漢字を9画以内に収めた。<br /> <br /> == 識字に関する基本文献 ==<br /> * 日本社会教育学会編『国際識字10年と日本の識字問題』東洋館出版社、1991年<br /> * 菊池久一『&amp;lt;識字&amp;gt;の構造-思考を抑圧する文字文化-』勁草書房、1995年<br /> * 鈴木理恵「江戸時代における識字の多様性」『史学研究』209、1995年<br /> * 角知行「「日本人の読み書き能力調査」(1948)の再検討」『天理大学学報』第208輯、2005年<br /> * 角知行「文字弱者のプロフィール−日米のリテラシー調査から」『天理大学人権問題研究室紀要』第9号、2006年<br /> * あべ・やすし「均質な文字社会という神話−識字率から読書権へ-」『社会言語学』VI、2006年<br /> * あべ・やすし「漢字という障害」([[ましこ・ひでのり]]編著『ことば/権力/差別』三元社)、2006年<br /> * 鈴木理恵「近世後期における読み書き能力の効用-手習塾分析を通して-」『社会言語学』VI、2006年<br /> * かどや ひでのり、あべ やすし編著『識字の社会言語学』生活書院、2010年<br /> * 角知行『識字神話をよみとく 「識字率99%」の国・日本というイデオロギー』明石書店、2012年<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[国際識字デー]]<br /> * [[リテラシー]] - [[機能的非識字]]<br /> * [[識字運動]]<br /> * [[夜間中学校]]<br /> * [[パウロ・フレイレ]]<br /> * [[部落問題]]<br /> * [[口承文学]]<br /> * [[伝承]]<br /> * [[文化多元主義]]<br /> * [[世界言語権宣言]]<br /> * [[メディアリテラシー]]<br /> * [[絵暦]]<br /> * [[ユネスコ世宗識字賞]]<br /> * [[読字障害]]<br /> <br /> {{国の指標}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:しきし}}<br /> [[Category:識字|*しきし]]<br /> [[Category:教育統計]]<br /> [[Category:情報教育]]<br /> [[Category:教育史]]<br /> &lt;!-- [[Category:指標]] 識字率を Category:教育の指標に入れる --&gt;<br /> [[Category:心理学]]<br /> [[Category:貧困]]<br /> [[Category:健康の社会的決定要因]]<br /> [[Category:文字]]</div> 133.206.56.32 ベーコン 2018-03-25T08:14:41Z <p>133.206.56.32: /* 利用 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses|豚肉の加工品|人名(姓)|ベーコン (姓)}}<br /> <br /> [[Image:BaconStrips.JPG|200px|right|thumb|薄切りにされたベーコン。]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;ベーコン&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;Bacon&#039;&#039;&#039;)とは、[[豚肉]]を[[塩漬け]]した食肉加工製品。<br /> <br /> == 名称 ==<br /> 英語の bacon は、[[ゲルマン語]]から[[古フランス語]]経由で借用した語で、本来は背中の肉([[ロース]])を意味しており、おそらく back と語源的に関係がある&lt;ref&gt;{{cite book|title=Chambers Dictionary of Etymology|publisher=Chambers|editor=Robert K. Barnhart|year=1988|page=79}}&lt;/ref&gt;。本来のベーコンは背中の肉を使用するもので、ヨーロッパでは実際にそうしているが、[[北アメリカ]]ではポークベリー(脇腹の肉。日本でいうバラ肉)から作られるようになり、その習慣が日本にも伝わった。<br /> <br /> == 製法 ==<br /> #素材となる各部位の豚肉を計量し、整形するなど下処理する。<br /> #肉に[[食塩]]と、[[砂糖]]・[[香辛料]]などの[[調味料]]を加え漬け置きする([[塩漬け#塩せき・無塩せき|塩せき]])。工業的に作る場合、さらに[[発色剤]]・[[防腐剤]]などの[[食品添加物]]類も添加されることが多い。<br /> #塩抜きをする。<br /> #燻煙、もしくは乾燥する。 安価に作る場合、燻液を使うこともある。<br /> #工業的に製造する場合は、殺菌・包装して出荷する。<br /> <br /> == 利用 ==<br /> * [[ホウレンソウ|ほうれん草]]などの[[野菜]]と炒める。<br /> * [[スープ]][[シチュー]]などに入れる。<br /> * [[サラダ]]に散らして香りと旨味を付与する。(非加熱製造品では危険。)<br /> など、多面的に利用できる食材である。<br /> <br /> フライパンで焼いたベーコンはフライド・ベーコンと呼ばれ、[[ベーコンエッグ]]などに使われる。アメリカ映画とかで良く見かける、いわゆる「カリカリベーコン」 (crisp bacon)の表現は、外国製のベーコンは製造過程で加熱しない「生ベーコン」で、多量の脂肪が溶けて揚げる状態になるからである。日本製のベーコンは脂肪の比率が少ないうえ、製造過程で加熱されるため、焼いても米国製のベーコンのような風味にはなりにくい。<br /> <br /> == 表示 ==<br /> 日本では素材で表示および呼称が異なる。「[[食品表示法]]」(平成25年法律第70号)と、同法に基づいて定められた「食品表示基準」により、材料とする部位によって<br /> [[ばら肉|バラ肉]]の部位を用いたものを特に「ベーコン」、ほか[[ロース]]肉で作った「ロースベーコン」、肩肉で作った「ショルダーベーコン」、および「ミドルベーコン」「サイドベーコン」の表示をすることが定められている。<br /> <br /> また同法では、製品ラベルに加熱食肉製品・および非加熱食肉製品の別を表示しなくてはならない。日本で工業的に製造されるベーコンのほとんど全部は製造過程で殺菌のため煮沸されており、ラベルに「加熱食肉製品」の表示がある。<br /> <br /> == 香り成分 ==<br /> ベーコンには[[保存料]]として[[亜硝酸塩]]が添加されており、標準的な[[精肉]]に比べ[[窒素]]分に富む。このため加熱すると、標準的な精肉から[[メイラード反応]]により生じる[[2-ペンチルフラン]]や[[2-メチル-3-(メチルチオ)フラン]]、[[3,4-ルチジン]]の他に[[2,5-ジメチルピラジン]]、[[2-エチル-3,5-ジメチルピラジン]]、[[2,3-ジメチルピラジン]]、[[2-エチル-5-ジメチルピラジン]]などの[[ピラジン]]類が有効な香り成分として大きく貢献していると考えられている&lt;ref&gt;{{Cite book|和書|author = Andy Brunning|date = 2016-12-25|title = カリカリベーコンはどうして美味しいにおいなの? 食べ物・飲み物にまつわるカガクのギモン|publisher = 化学同人|isbn = 978-4-7598-1924-3|pages = 62-63}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == その他 ==<br /> * 日本では[[鯨肉]]の畝須の部位を、鯨のベーコンと呼ぶ。昭和30~50年代初頭までは、豚肉のベーコン同様に一般的に食されていた。<br /> * [[アメリカ合衆国]]では、脂肪分の多いバラ肉を用いるベーコンは1980年代以降の健康ブームで一時期敬遠され売り上げを落としたが、その後風味づけのための利用が見直され、また油脂による汚れを出さない調理法などの研究が進んだことから、ファーストフード店やレストランなどを起点に2000年代頃からブームが起きた。<br /> * 市販品のほとんどすべてが加熱製品である日本のベーコンは生でも食べられる。しかし海外のベーコンは非加熱であることが多いため、生食は危険である。<br /> * 本来は冬季用の保存食であったベーコンだが、アメリカでは夏にベーコンの消費が増える。夏季は庭でバーベキューをする家庭が多く、ベーコンの需要が増えるためという。原料のポークベリーは季節で価格変動が大きいため、先物取引の対象となり、シカゴ[[商品先物取引]]所に上場されている。<br /> <br /> ==健康への影響==<br /> [[IARC発がん性リスク一覧]]の発がん性があるとされるグループ1に加工肉が追加されている。<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons|Bacon}}<br /> * [[サーロ]]<br /> * [[製肉]]<br /> * [[ソーセージ]]<br /> * [[ハム]]<br /> * [[パンチェッタ]](生ベーコン)<br /> * [[ベーコンエッグ]]<br /> * [[ベーコン・マニア]]<br /> * [[ラルド]]<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:へえこん}}<br /> [[Category:食肉加工品]]<br /> [[Category:燻製]]<br /> [[Category:ベーコン料理|*]]</div> 133.206.56.32 ザワークラウト 2018-03-24T04:08:22Z <p>133.206.56.32: </p> <hr /> <div>[[ファイル:Kiszona kapusta.JPG|thumb|right|ポーランドのザワークラウト(キショナ・カプースタ)]]<br /> &#039;&#039;&#039;ザワークラウト&#039;&#039;&#039; (&#039;&#039;Sauerkraut&#039;&#039;) とは、[[ドイツ]]における[[キャベツ]]の[[漬物]]。また、それを使った料理も指す&lt;ref&gt;{{Citation|和書 |editor=日仏料理協会 |year=2007 |title=フランス 食の事典(普及版) |page=299 |publisher=株式会社[[白水社]] |isbn=978-4-560-09202-6 }}&lt;/ref&gt;。原義は「すっぱいキャベツ」。この酸味は[[発酵]]により生じる[[乳酸]]によるもので、[[酢|酢酸]]の味ではない&lt;ref&gt;Joseph Mercola, Brian Vaszily, Kendra Pearsall, Nancy Lee Bentley. Dr. Mercola&#039;s Total Health Cookbook &amp; Program. p. 227.&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;Farnworth, Edward R. (2003). Handbook of Fermented Functional Foods. CRC. ISBN 0-8493-1372-4.&lt;/ref&gt;。&#039;&#039;&#039;ザウアークラウト&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;ザオアークラオト&#039;&#039;&#039;とも表記されることがある。<br /> <br /> == 広まった国 ==<br /> [[英語]]では&#039;&#039;&#039;サワークラウト&#039;&#039;&#039;、[[仏語]]では&#039;&#039;&#039;シュークルート&#039;&#039;&#039;、[[オランダ語]]では&#039;&#039;&#039;ズールコール&#039;&#039;&#039;、[[ポーランド語]]では&#039;&#039;&#039;キショナ・カプスタ&#039;&#039;&#039;、[[ロシア語]]では&#039;&#039;&#039;クヮーシェンナヤカプースタ&#039;&#039;&#039;。<br /> <br /> [[フランス]]の[[アルザス地域圏|アルザス地域]]や[[ポーランド]]をはじめ[[北欧]]、[[東欧]]、[[ロシア]]でも食されているほか、ドイツ移民の多い[[アメリカ合衆国]]、[[カナダ]]などでもよく食べられている。[[1世紀]]には[[古代ローマ]]で食べられていた記録があるが、現代のものは[[16世紀]]から[[18世紀]]にかけてヨーロッパに広く定着した。<br /> <br /> == 製法 ==<br /> ザワークラウトの酸味は[[発酵]]で生じる[[乳酸菌]]の出す乳酸によるもので、酢などの[[酸味料]]は加えない。産地や各家庭において作り方はさまざまであるが、基本的には[[キャベツ]]や赤キャベツを[[繊切り]]にし、瓶や漬物樽に入れ、適量(キャベツの重量の2%程度)の[[塩]]と[[香辛料]]を入れてよく混ぜたのち、漬物石など重しをのせて押しをかけ、常温で保管する。夏季なら3日、冬場でも一週間程度で酸味が出て食べごろになる。香辛料は[[セイヨウネズ|ジュニパー]]、[[イノンド|ディル]]シード、[[キャラウェイ]]シードなどがよく使われる。また塩とともに白[[ワイン]]を加えて漬け込まれることもある。<br /> <br /> 似た料理にキャベツを丸ごと漬け込み乳酸発酵させた[[:en:Sour cabbage|酢キャベツ]]がある。後述のサルマ・サルマーレに使われるのはこちらである。<br /> <br /> == 食べ方 ==<br /> [[ファイル:Schlachteplatte-cropped.jpg|thumb|200px|right|シュラハトプラッテ]]<br /> [[ファイル:Choucroute-p1030189.jpg|thumb|200px|right|シュークルート・ガルニ]]<br /> [[ソーセージ]]などの肉料理をはじめとした色々な料理の付合せとしてよく用いられドイツ国内でも地方によって調理法や食べ方が異なる。<br /> <br /> 代表的な料理に、ドイツ語でシュラハトプラッテ ([[:de:Schlachtplatte|&#039;&#039;Schlachtplatte&#039;&#039;]])、フランス語でシュークルート・ガルニ (&#039;&#039;Choucroute garnie&#039;&#039;)、[[アルザス風シュークルート]] ([[:fr:Choucroute d&#039;Alsace|&#039;&#039;Choucroute d&#039;Alsace&#039;&#039;]]) がある。これは数種類のソーセージおよび数種類の部位の豚肉、特に腿肉(ドイツ語で[[アイスバイン]]、フランス語でジャレ・ドゥ・ポール ([[:fr:Jarret de porc|&#039;&#039;Jarret de porc&#039;&#039;]]))をザワークラウトの上に乗せて蒸し焼きにしたものである。<br /> <br /> また魚を載せた料理もある。これは海魚に限らず、[[ドイツ]]の[[ライン川]]や[[ドナウ川]]、[[フランス]]の[[ロワール川]]沿いなどでは、[[鱒]]や[[コイ|鯉]]などの川魚も良く用いられる。場合によっては[[カツレツ]]状に衣を着けて揚げてあり、[[クリームソース]]をかけて食べることが多い。<br /> <br /> フランスではシュークルートと呼ばれ、[[アルザス地域圏]]の料理とされており、果実味の強い白が特徴の[[アルザスワイン]]を合わせて飲むことが多い。またアルザスに限らず[[ロワール]]など他の地方でもシュークルートは良く用いられる。[[地中海]]沿岸ではシュークルート・ドゥ・ラ・メール (&#039;&#039;Choucroute de la mer&#039;&#039;) といって、海の魚介類を乗せた料理も見られる。<br /> <br /> その他、油で炒めたり、[[スープ]]やロシアの[[シチー]]などの[[煮込み]]料理の材料としても用いられる。また、[[サンドイッチ]]に挟むのもポピュラーな食べ方である。塩漬けした牛肉と共にパンにはさんだものは[[ルーベンサンド]]といわれ、[[ニューヨーク]]の名物料理の一つである。[[ホットドッグ]]の付け合せとしても一般的である。ドイツからフランスなどへ移住した[[ユダヤ人]]の料理としても用いられるが、[[ユダヤ教]]では豚肉を食べることが禁じられているため、乗せる具は子牛の肉や魚が用いられる。[[東欧]]では[[ロールキャベツ]](サルマ、サルマーレ)にも使われる。<br /> <br /> [[ベトナム]]にはザワークラウトと同じようなキャベツの漬け物がある。漬物甕にキャベツを入れ、水と塩と[[砂糖]]を加え、フタをしてそのまま2 - 3日おくと酸っぱい漬け物ができあがる。<br /> <br /> {{栄養価 | name=ザワークラウト(缶詰)| water =92.52 g| kJ =78| protein =0.91 g| fat =0.14 g| carbs =4.28 g| fiber =2.9 g| sugars =1.78 g| calcium_mg =30| iron_mg =1.47| magnesium_mg =13| phosphorus_mg =20| potassium_mg =170| sodium_mg =661| zinc_mg =0.19| manganese_mg =0.151| selenium_μg =0.6| vitC_mg =14.7| thiamin_mg =0.021| riboflavin_mg =0.022| niacin_mg =0.143| pantothenic_mg =0.093| vitB6_mg=0.13| folate_ug =24| choline_mg =10.4| vitB12_ug =0| vitA_ug =1| betacarotene_ug =8| lutein_ug =295| vitE_mg =0.14| vitD_iu =0| vitK_ug =13| satfat =0.034 g| monofat =0.013 g| polyfat =0.067 g| tryptophan =0.008 g| threonine =0.025 g| isoleucine =0.021 g| leucine =0.029 g| lysine =0.031 g| methionine =0.009 g| cystine =0.008 g| phenylalanine =0.023 g| tyrosine =0.014 g| valine =0.03 g| arginine =0.053 g| histidine =0.016 g| alanine =0.03 g| aspartic acid =0.087 g| glutamic acid =0.209 g| glycine =0.021 g| proline =0.034 g| serine =0.037 g| right=1 | source_usda=1 }}<br /> <br /> == ドイツのイメージとザワークラウト ==<br /> ザワークラウトは代表的[[ドイツ料理]]として、ドイツやドイツ人との連想性が高かった(ドイツ・フランス・ロシア文学にはしばしば登場する)。そのため、ドイツおよびプロイセン人に対するイメージが悪化した時期には、ザワークラウトはドイツ人への蔑称として使われる場合があった。<br /> <br /> [[第一次世界大戦|第一次]]・[[第二次世界大戦]]の[[英]][[米]][[軍]]では、[[ドイツ]][[兵]]を指すのに「クラウト」(「キャベツ野郎」程度の意)という[[侮蔑|蔑称]]を使った。また第二次大戦中の米国ではザワークラウトの生産業者は交戦国ドイツの敵性的なイメージをぼかすため「フリーダムキャベツ」という名前で販売を行った。米軍の[[イラク戦争]]介入に反対した[[フランス]]への悪感情が高まった21世紀初頭のアメリカで、一時期[[フライドポテト|フレンチフライ]]が「[[自由のフライ|フリーダムフライ]]」と呼ばれたことに似た現象といえる。&lt;ref&gt;{{cite news | url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=F2081FFA3B55157A93C7AB178FD85F4C8185F9 | title=Sauerkraut may be &#039;Liberty Cabbage&#039; | accessdate=2011-01-16 | date=1918-04-25 | work=The New York Times}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 戦後においても1960年代後期に台頭したロックバンドたちの特異な音楽性をさして「[[クラウトロック]]」という呼称が用いられることもあった。こちらは必ずしも蔑称ではない。<br /> <br /> == 健康への効果 ==<br /> [[ビタミンC]]を含む[[保存食]]として、[[レモン]]などの[[果実]]や[[ジュース|果汁]]と並び、長い[[航海]]の[[壊血病]]予防食としても利用された。キャベツ自体に豊富なビタミンCが含まれており、加熱しないことでビタミンCが壊れず、[[乳酸発酵]]によってさらにビタミンCが生成される。[[果物]]が豊富に収穫できない寒冷地では、[[デンプン]]で保護されて加熱してもビタミンCが壊れにくい[[ジャガイモ]]と並んで貴重なビタミンC摂取源となっている。ザワークラウトは生のままならば豊富にビタミンCを含むが、[[缶詰]]にして加熱殺菌すれば豊富なビタミンCも熱でかなりの量が壊れてしまう。前述のシュラハトプラッテ等のザワークラウトを煮込んだりする料理も同じである。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *Aubert, Claude (1999). Keeping Food Fresh: Old World Techniques &amp; Recipes. Chelsea Green Publishing Company. ISBN 1-890132-10-1.<br /> *Fallon, Sally, with Enig, Mary G., Ph.D. (2001). Nourishing Traditions...[westonaprice.org; newtrendspublishing.com]. New Trends Publishing. ISBN 0-9670897-3-5.<br /> *Katz, Sandor Ellix (2003). Wild Fermentation: The Flavor, Nutrition, and Craft of Live-Culture Foods. Chelsea Green Publishing Company. ISBN 1-931498-23-7. Retrieved 2006-04-23.<br /> *Kaufmann, Klaus (2001). Making Sauerkraut and Pickled Vegetables at Home. Book Publishing Company. ISBN 978-1-55312-037-7.<br /> *Tran Ky et François Drouard, Le chou et la choucroute : histoire, botanique, biologie, gastronomie, médecine douce, C. Corlet, 182 p. (ISBN 2-85480-687-5).<br /> *Jeanne Loesch, De choux et de choucroute : histoire, tradition, recettes, Rhin, Mulhouse, 1994, 207 p. (ISBN 2-86339-093-7).<br /> *Ingrid Wendling, La choucroute : un légume à redécouvrir, applications diététiques et thérapeutiques, Université Louis Pasteur, Strasbourg, 1994, 109 p. (thèse de médecine).<br /> <br /> ==外部リンク==<br /> * [http://www.jlindquist.net/generalmicro/324sauerkraut.html Laboratory Exercise in Sauerkraut Fermentation]<br /> * [http://www.ajcn.org/cgi/content/full/73/2/380S/F2 Fermenting food since before H. sapiens appeared.] <br /> * [http://rbth.com/multimedia/video/2014/11/12/delicious_tv_crunchy_pickled_cabbage_41345.html Crunchy pickled cabbage: video-tutorial]<br /> <br /> {{Commonscat|Sauerkraut}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:さわあくらうと}}<br /> [[Category:ヨーロッパの食文化]]<br /> [[Category:フランスの食文化]]<br /> [[Category:ドイツの食文化]]<br /> [[Category:漬物]]<br /> [[Category:発酵食品]]</div> 133.206.56.32 四輪操舵 2018-02-23T09:32:12Z <p>133.206.56.32: </p> <hr /> <div>[[image:Quadrasteer61.jpg|thumb|300px|[[:en:Quadrasteer]]が作動中の[[GMC・シエラ]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;四輪操舵&#039;&#039;&#039; (よんりんそうだ、&#039;&#039;4 Wheel Steering&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;4WS&#039;&#039;&#039;)とは、[[自動車]]の[[ステアリング]]機構(操舵方法)の一種。四輪自動車の全[[車輪]]に対して能動的に舵角を与えることにより、高い速度域での車両安定性を向上させる、あるいは極低速域での小回り性を向上させる方法である。三軸(六輪)以上の車両の場合、一部の車軸が操舵機構を持たないものがある。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[image:Mercedes Kübelwagen G5.jpg|thumb|300px|メルセデス・ベンツG5 1937年]]<br /> 一般的な自動車では、[[ステアリング・ホイール|ハンドル]]操作によって前輪に舵角を与えて方向転換を行うのが一般的である。&lt;!--この際、後輪は車体と同じ方向を向いたままであるため、運動エネルギーが大きな場合には車両の横滑りが発生する、また、--&gt;&lt;!--コーナリングにおける自動車運動力学において、「車体の向きの変えにくさ」はヨーイング方向のモーメントであり、「運動エネルギーが」という説明はどこから来るのか?--&gt;このため、舵角が大きい場合には[[内輪差]]が大きくなるなどの不都合が起こる。四輪操舵方式ではハンドルによる前輪の操舵情報を後輪に対しても与えることにより、操舵時のこうした不都合を低減することを目的としている。<br /> <br /> 機構そのものは古くから存在し、戦前のドイツで一部の車両に採用されたが戦後はいったん消滅した。[[1980年代]]終盤、日本メーカーの乗用車においては四輪操舵を採用した車種がいくつか発売されたが、雑誌などのメディアが強く注目したものの、販売は伸び悩み、それらの次期モデルからは以下にあげる理由によって四輪操舵の採用が減少していった。その理由のひとつは、機構追加による複雑化、重量の増加と新規技術ゆえの価格上昇である。もうひとつの理由は、&lt;!--自ら[[運転免許]]を取得して運転するようになる前から誰もが二輪操舵の挙動に慣れきっているため、← 逆。車両感覚は免許を取ってから慣れる。無免許運転者以外は。--&gt;四輪操舵がもたらす「理想的な」挙動と一般的な二輪操舵の挙動との違いであり、&lt;!--特に強い影響力を持つ自動車評論家と言われる人々に{{要出典|date=2013年9月}}--&gt;四輪操舵の良さが「違和感」「クセの強さ」と認識されてしまったことである。具体的には、右左折時に運転者の予想よりも車体後部が外側に振り出す(逆相操舵)ことや逆に高速走行でほとんど回頭せずに横に動くように感じる(同相操舵)こと、車庫入れ後退時に狙った通りに車が動かないと感じることなどが挙げられる。日本のように車庫・駐車場事情がそれほど良くない場合、壁にぴったりと寄せられないことは不都合を招く場合もある。さらには[[チューニングカー]]の世界においては重量や挙動に対する不満から4WSを取り外してしまうケースも珍しくない。主に[[日産自動車|日産]]車向けに、「[[HICAS|ハイキャス]]キャンセラー」なるパーツも発売されている。<br /> <br /> その後乗用車では一時採用されなくなったが、[[2011年]]12月現在においては、日産自動車が[[日産・スカイライン]]、[[日産・フーガ]]で、レクサスが[[レクサス・GS#4代目 L1#型(2012年 - )|4代目GS]]&lt;ref&gt;[http://lexus.jp/models/gs/safety/safety/vdim.html レクサスアクティブセーフティー]&lt;/ref&gt;・3代目[[レクサス・IS]]&lt;ref&gt;IS350 Fスポーツのみ装備される。&lt;/ref&gt;で、欧州メーカーではルノーが[[ルノー・ラグナ#3代目モデル|3代目ラグナ]]で、また[[BMW]]が[[BMW・7シリーズ#5代目 F01/F02(2009年- )|5代目7シリーズ]]と[[BMW・5シリーズ#6代目(2010年-)F07/F10/F11|6代目5シリーズ]]でインテグレイテッドアクティブステアリングの名称で採用している&lt;ref&gt;[http://response.jp/article/2009/03/24/122131.html 【BMW 7シリーズ 新型発表】4輪操舵システムで小回りスイスイ]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.bmw.co.jp/jp/ja/newvehicles/7series/sedan/2008/allfacts/engine/activesteering_integral.html インテグレイテッド・アクティブ・ステアリング(前後輪統合制御ステアリング・システム)]&lt;/ref&gt;。いずれも後輪の操舵角を少なくしたり後輪操舵をわずかに遅らせるなどして、自然なハンドリンクになっている。また、[[フォーミュラ1|F1]]など一部の[[モータースポーツ]]種目においては、四輪操舵装置が規定で禁止されているものもある。F1では[[1993年]]の[[ベネトン・B193|ベネトンB193B]]などで採用されていた。<br /> <br /> [[1971年]]から[[1972年]]にかけて、[[アポロ計画]]のJミッションで使われた[[月面車]]に四輪操舵システムが採用された。この場合、一方の系統が故障した場合でも、もう一方の系統で操舵できるように[[冗長化|冗長性]]をもたせるためのものであった。→[[フォールトトレラント設計]]<br /> <br /> <br /> == 同位相と逆位相 ==<br /> [[Image:4WSselect.svg|thumb|4四輪操舵の位相切り替えのひとつの例]]<br /> 四輪操舵は、同[[位相]]方式と逆位相方式に大別される。それぞれ、同相・逆相と略されることもある。<br /> <br /> ;同位相方式<br /> :舵角を前輪と同じ方向にする方式。転舵時に発生する[[ヨーイング|ヨー]]を抑えることで、車両の安定性を高める。高速域での[[車線]]変更などでの横滑りを抑える。縦列駐車にも適している。<br /> ;逆位相方式<br /> :舵角を前輪と逆の方向にする方式。回転半径を小さくすることが可能になる。ただし、後輪の軌跡や、リア[[オーバーハング (自動車用語)|オーバーハング]]が外側に膨らむ、[[車庫]]入れや縦列[[駐車]]などで、後退しながら転舵する場合の車輪の軌跡がわかりにくい、壁や[[縁石]]に寄せられない、などのデメリットがある。<br /> <br /> 乗用車では、走行速度やハンドルの操舵角度により、同位相と逆位相を連続的に制御しているものが多く、後退時にはキャンセル(中立で固定)できるものもある。<br /> <br /> 大型・特殊車両([[消防車]]や[[ラフテレーンクレーン]]など)では、特に内輪差の低減と小回り性能の向上を目的として、逆位相方式の四輪操舵機能が採用されるが、[[日産ディーゼル・FJ]]のように、同位相により「カニ足走行」も可能にした例も存在する。また、[[2階建てバス]]や三軸観光バスや全長15mの2階建てバス[[メガライナー]]などは最後軸に逆位相方式のパッシブステア機能がある。また、牽引型の[[連節バス]]にも付随車の車軸に逆位相方式のステア機能が装備されている。<br /> <br /> == 制御方式 ==<br /> 四輪操舵は、機械式と電気制御式に大別される。<br /> <br /> ; 機械式<br /> : [[ステアリング]]と前後輪とをギアやシャフトなどの機構で接続し制御するもので、[[本田技研工業|ホンダ]]が[[1987年]]に[[ホンダ・プレリュード|プレリュード]]に搭載した。ステアリングの切れ角に応じて、後輪があらかじめ機構にプリセットされた切れ角(同位相・逆位相両方)で切れる。電気制御が介入しないため信頼性は高いが、細かな制御はできない。<br /> ; 電気制御式<br /> : ステアリングの切れ角に応じて、後輪を電気制御された[[アクチュエータ]]で動かすもので、代表例は日産[[HICAS|HICAS/HICAS-II/SuperHICAS]]。[[1985年]] - [[1988年]]に採用されたHICASは[[油圧]]による後輪の同位相制御のみを行っていたが、[[1989年]]5月発表の[[日産・スカイライン|スカイライン(R32型系)]]に採用されたSuperHICASからは逆位相制御が組み込まれ、ステアリングの切り始めに一瞬のみ逆位相となり、ヨーモーメントを発生させたのち、同位相制御へと移行する機構を持っている。機械式と比べ、容易にその動作を無効化することができた。<br /> <br /> ==過去の量産乗用車への採用例==<br /> * [[本田技研工業|ホンダ]]<br /> ** [[ホンダ・プレリュード|プレリュード]](3代目-5代目)<br /> ** [[ホンダ・アコード|アコード]](4代目)/[[ホンダ・アスコット|アスコット]](初代)/[[ホンダ・アスコットイノーバ|アスコットイノーバ]]<br /> * [[トヨタ自動車]]<br /> ** [[トヨタ・ソアラ|ソアラ]](UZZ32)<br /> ** [[トヨタ・セリカ|セリカ]]/[[トヨタ・カリーナED|カリーナED]]/[[トヨタ・コロナEXiV|コロナEXiV]]/[[トヨタ・カレン|カレン]](ST181/ST183/ST201/ST203/ST207)<br /> ** [[トヨタ・カムリ|カムリ]]/[[トヨタ・ビスタ|ビスタ]]<br /> ** [[トヨタ・ライトエース|ライトエーストラック]] (1991年10月 - 1999年6月までの3代目モデル)<br /> ** 乗用車以外では[[高機動車]][[シャシ (自動車)|シャシ]]共通各車、2代目[[トヨタ・ハイメディック|ハイメディック]]<br /> * [[日産自動車]]<br /> ** [[日産・180SX|180SX]]/[[日産・200SX|200SX]]/[[日産・240SX|240SX]](S13)<br /> ** [[日産・シルビア|シルビア]](S13-S15)<br /> ** [[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]](Z32)<br /> ** [[日産・スカイライン|スカイライン]](R31-R34)/[[日産・ピンターラ|ピンターラ]](R31)<br /> ** [[日産・セフィーロ|セフィーロ]](A31)<br /> ** [[日産・ローレル|ローレル]](C33-C35)<br /> ** [[日産・ステージア|ステージア]](C34,M35)<br /> ** [[日産・フーガ|フーガ]]<br /> * [[三菱自動車]]<br /> ** [[三菱・ギャラン|ギャラン]]/[[三菱・エテルナ|エテルナ]]<br /> ** [[三菱・GTO|GTO]]<br /> ** [[三菱・ディアマンテ|ディアマンテ]]/[[三菱・シグマ|シグマ]]<br /> * [[マツダ]]/[[フォード・モーター|日本フォード]]<br /> ** [[マツダ・RX-7|RX-7]](FC3S/FD3S)<br /> ** [[マツダ・RX-8|RX-8]]<br /> ** [[マツダ・ロードスター|ロードスター]](NA/NB/NC各型)<br /> ** [[マツダ・カペラ|カペラ]]/[[フォード・テルスター]]<br /> ** [[マツダ・センティア|センティア]]/[[マツダ・MS-9|アンフィニ・MS-9]]<br /> ** [[マツダ・ミレーニア|ユーノス・800/ミレーニア]]<br /> * [[富士重工業|富士重工業 (スバル)]]<br /> ** [[スバル・アルシオーネSVX|アルシオーネ SVX]](CXD&lt;ref&gt;4WSが採用されていたのはバージョンL(型式:CXD)のみ。バージョンEを含む他のグレード(型式:CXW)には採用されていない。&lt;/ref&gt;)<br /> * [[ダイハツ工業]]<br /> ** [[ダイハツ・ミラ|ミラ]]<br /> * [[いすゞ自動車]]<br /> ** [[いすゞ・ジェミニ|ジェミニ]]([[前輪駆動|FFモデル]])<br /> ** [[いすゞ・ピアッツァ|ピアッツァ]](FFモデル)<br /> *[[フェラーリ]]<br /> **[[フェラーリ・F12ベルリネッタ|フェラーリ・F12tdf]]<br /> **[[フェラーリ・GTC4ルッソ]]<br /> <br /> == パッシブステア ==<br /> 能動的に後輪を操舵する四輪操舵と異なり、リア[[サスペンション]]のストローク量や横方向にかかる力に応じて後輪のトー角をコントロールし、回頭性や安定性を向上させる方法にパッシブステアがある。狭義では「トーコントロールシステム」の範疇であり、四輪操舵には含めない。<br /> <br /> 通常の後輪[[独立懸架]]では、ホイールがストロークする際や横力を受けた際に、特に旋回外側の車輪においては車両が安定寄りとなるトーインを常に保つように設定されている。また、[[車軸懸架|リジッドアクスル]]や[[トーションビーム式サスペンション|トーションビーム]]のような固定車軸の場合は、ストローク時や横力を受けた時に起こるアクスルステアをアーム長や[[ゴム]][[ブッシュ#人名以外|ブッシュ]]の[[弾性]]変形&lt;!--塑性変形したら元の形に戻らないよ--&gt;でコントロールし、リアアクスル全体を旋回中心向きに変位させ、安定を保っている。<br /> <br /> これに対しパッシブステアは、ブッシュの変形を利用するまでは変わらないが、旋回初期の極浅い[[ローリング|ロール]]の際、後輪を一瞬だけトーアウト(逆位相)にコントロールするものである。動作が受動的であるためアクチュエーターはなく、タイロッドを持たない点が四輪操舵とは異なる。挙動を乱し[[スピン]]に至らないよう、外輪のみをトーアウトとするものもある。主に[[前輪駆動]]車や[[スポーツカー]]の一部で、回頭性を向上させるための「きっかけ」として用いられる。簡単な構造で四輪操舵に近い効果を実現できる反面、高度な制御を行うことはまったく不可能である。また、ブッシュの温度特性や経年劣化、あるいは路面の摩擦係数の変化などにより動作が変動する点も弱点となる。[[マツダ]]のナチュラル4WS、[[いすゞ自動車|いすゞ]]の[[ニシボリック・サスペンション]]、[[SAAB]]の ReAxs(リアクシス)などがある。マツダでは現行車にも採用されているが、かつてほど大々的に宣伝されてはいない。<br /> <br /> [[日産・パルサー]]/[[日産・エクサ|パルサーエクサ]]/[[日産・ラングレー|ラングレー]]/[[日産・リベルタビラ|リベルタビラ]] (N12型系)、[[マツダ]]・[[マツダ・RX-8|RX-8]]、[[マツダ・RX-7|RX-7]] (FC、FD)、[[マツダ・ロードスター|ユーノス・ロードスター]] (NA、NB、NC)、[[いすゞ・ジェミニ]] (3代目)と[[いすゞ・PAネロ|PAネロ]]、SAABでは[[ゼネラルモーターズ|GM]]傘下となってからの各車に採用例がある。<br /> <br /> [[モータースポーツ]]では、これが操作性の低下を招く不確実要素となるため、たわみブッシュを硬質な物質で作られたものに交換することがある。実際に[[サーキット]]走行などにおいては、「トーコン(トロール)キャンセラー」、「ニシボリ殺し」などといった[[アフターマーケット]]パーツで動作をキャンセルすることが一般的であった。逆に国内ラリーシーンでは好評であった。<br /> <br /> ==脚注==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[HICAS]]<br /> * [[4輪アクティブステア]]<br /> * [[ニシボリック・サスペンション]]<br /> * [[:en:Quadrasteer]]:GMの四輪操舵システム<br /> * [[ハブセンター・ステアリング]]<br /> <br /> {{自動車部品}}<br /> {{自動車}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:よんりんそうた}}<br /> [[Category:自動車ステアリング技術]]<br /> [[Category:自動車工学]]</div> 133.206.56.32 マント 2018-02-20T00:09:35Z <p>133.206.56.32: /* 歴史 */</p> <hr /> <div>{{otheruses}}<br /> [[ファイル:Ludwig Streitenfeld 001.jpg|thumb|210px|[[スカーレット#緋色|緋色]]のマントを羽織った、[[神聖ローマ皇帝]][[フランツ2世]]]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;マント&#039;&#039;&#039;({{lang-pt|manto}})は、主に屋外で着用される袖なしの肩から身体を被う[[外套]]の一種&lt;ref name=&quot;jpo-card-B1&quot;&gt;[https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/pdf/card/B1.pdf 意匠分類定義カード(B1)] 特許庁&lt;/ref&gt;。[[釣鐘]]型の[[袖]]の無い、[[身頃]](みごろ)のみの形状の外套である。<br /> <br /> 現代の日本では、子供服や婦人服として着用されることがある。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[ファイル:Theodora mosaik ravenna.jpg|thumb|280px|マントを羽織った[[ユスティニアヌス1世]][[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|皇后テオドラ]]([[光背|ハロ]]のある中央の人)と侍従たち]]<br /> マントの歴史は古く、その起こりは人間が[[狩猟]]を始め、その[[毛皮]]などをそのまま羽織って[[防寒具]]としたことから始まる。マントはラテン語で&quot;Mantellum&quot; といい、英語では &quot;マントル(Mantle)&quot; であるが、この語は「覆い」を意味する。体を覆うためのマントのような衣服は各地で見ることができる。ここでは[[ヨーロッパ]]諸国のマントの歴史を見てみる。<br /> <br /> 人間が[[織物]]をし、布地を生産できるようになるとそれらを利用するようになってくる。まずは[[古代ローマ]]や[[古代ギリシア|ギリシア]]で用いられた[[ヒマティオン]]や[[パルラ]]など四角い布を体に巻くような単純なものや[[トガ]]のようにある程度[[裁断]]された[[布]]を体に巻いて着付けるようなものが出始める。[[ビザンティン]]時代になると半円形または台形に裁断されたものを肩から羽織り、片方の肩で留めるようなマントが見られるようになる。<br /> <br /> 特に有名なのは、イタリアは[[サン・ヴィターレ聖堂|ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂]]の[[モザイク|モザイク画]]に見られる[[ユスティニアヌス1世]]と[[テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)|皇后テオドラ]]の姿である。二人が着ているのは[[パルダメントウム]]と呼ばれるマントで紫の生地を基本とし、襟周りは[[宝石]]に彩られ、裾周りは[[金銀糸|金糸]]による豪華な[[刺繍]]が見られる。<br /> <br /> [[中世]]から[[ルネサンス]]にかけて、マントは当時のファッションに欠かせないものとなってくる。特に支配層となる人たちとって、マントは権威を象徴するものとなり、より長く、より豪華になっていった。形状は主に半円形のものが多く、それを両肩を隠すように羽織り、胸元で[[ブローチ (装身具)|ブローチ]]や[[紐]]で留める、または、頭から羽織って胸元で留める、またはそのまま包まる、片方の肩を出して体に巻きつけるなどの多彩なバリエーションで着られるようになる。ルネサンス期に描かれた[[聖母マリア]]の姿に当時の女性のマントの羽織り方を見ることができる。<br /> <br /> [[産業革命]]以後、いろいろな名前をつけられたマントが出てくる。ニスデール ({{Lang|en|Nithsdale}}) とは[[フード]]つきの長いボリュームのあるマントであるが、[[ニスデール伯爵夫人]] ([[w:Winifred Maxwell, Countess of Nithsdale|en]]) から名づけられたマントである。これは自分の夫を[[ロンドン塔]]から逃がすために使われたため、その名前が付いた。また、四角い布の上部に[[ギャザー (服飾)|ギャザー]]を寄せ、開口部を調節できるように紐が通されたフードをつけたキンセールクローク ({{Lang|en|Kinsale cloak}}) などが今に残っている。<br /> <br /> さらに時代が進むと袖つきの[[オーバーコート]]の出現であまり見られなくなってくるが、[[礼服|礼装用]]のマントとして[[ケープ#ケープの例|オペラケープ]]が見られるようになる。これはその名の通り盛装をして[[オペラ]]などの観劇に向う際、それに合わせて用いられるマントであるが、中に着ているドレスによっては袖つきのコートを着ることができないため用いられた。<br /> <br /> 今日ではあまり見かけることができなくなったマントであるが、[[ショール]]状のマントや[[ケープ]]といった形で見ることができる。<br /> <br /> == 職業別・身分別 ==<br /> === 学生のマント ===<br /> [[File:大正期の学生.jpg|thumb|マントを羽織る学生]]<br /> [[日本]]では[[第二次世界大戦]]前から[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]にかけて、[[旧制中学校]]や[[旧制高等学校]]、[[大学]]の[[在籍者 (学習者)|学生]]が、防寒着として着用していたことがある。[[学生帽|白線帽]]、[[下駄#下駄の種類|高下駄]]に黒マントという服装は、[[バンカラ]]旧制高校生の象徴とされ、旧制高校の[[モニュメント|記念像]]などに見られる。現在では学生がマントを着用することはほとんどない。[[1980年代]]の一時期に[[大阪府]]の[[四天王寺中学校・高等学校]]で防寒着として採用されていた。また、[[卒業式]]に着用される[[アカデミックドレス|アカデミックガウン]]をマントと呼ぶこともある。<br /> <br /> [[ポルトガル]]の大学生が新入生歓迎の行事や卒業を祝う行事で、大学の制服であるスーツの上からマントを着用することがある。<br /> <br /> === 看護師のマント ===<br /> 日本や[[欧米]]の[[看護学校]]や大学の[[看護学部]]の学生が[[戴帽式]]のときにマントを着用することがある&lt;ref&gt;{{Cite web |date=2006年 |url=http://www.seibo-c.ac.jp/college/life/campus_03_a.html |title=「祈り、そして誓う」 - キャンパスライフ |work=(公式ウェブサイト)|publisher=[[聖母大学]] |accessdate=2010年4月18日}}:聖母大学の[[戴帽式]]で看護学生がマントを着用している様子。&lt;/ref&gt;。また、[[1960年代]]までの欧米の看護師が防寒着として着用していたこともある。<br /> <br /> そのデザインは、表地が紺色、裏地が赤の場合が多い。丈は膝丈程度のものもあれば、[[足#人の足|踝]](くるぶし)まで覆うほど長いものもある。<br /> <br /> === ビジネスマンのマント === <br /> [[イギリス]]では[[背広|スーツ]]を着る際、[[帽子|ハット]](主として[[ソフト帽]])も被るのが当然であり、外ではマントも着用しなければならない。正装時は[[ステッキ]]を片手で持つ&lt;!--これは現代の日本ではあまり一般的ではない。|※特筆性なし--&gt;。スーツに加えハット、マント、ステッキを揃えるのが正統とされる&lt;!--、現代の日本で一般に着られているようなスーツとは大きく違う|※いちいち日本を主体に説明をする必要は無い--&gt;。<br /> 現代の日本ではハットやマントは着けないが、冬季は防寒のためにマント代わりに上から[[外套]](オーバーコート)を着ることが多い。今でこそスーツには様々なタイプがあるが、元々スーツは[[ウェストコート|ベスト]]を含めて一式であり、ベスト等を廃したツーピースは伝統的なものではない。<br /> <br /> [[礼装]]としても用いることができる。マントのほかにも[[インバネスコート]]・ケープ・[[クローク]]・[[ローブ]]等が該当する。<br /> <br /> == 現代の創作作品におけるマント ==<br /> マントは、[[キャラクター]]性を際立たせる演出的に優れた衣裳として、現代の創作作品([[舞台芸術]]、[[映画]]、[[テレビドラマ]]、[[小説]]、[[漫画]]、[[アニメ]]、ゲーム等々)の中で数多くの着用例がある。男性が身にまとうことは多いが、女性でもめったに見られないというほど珍しいものではない。&lt;!--この着用の記号論的な分析をどの本で読んだか思い出せない.....--&gt;&lt;!--悪役や必ずしもヒーローではないキャラクターの着用にも有名な例があるので記述を変更しました--&gt;<br /> <br /> ===マントを着用する登場キャラクターの傾向===<br /> ;伝統的キャラクター<br /> :国王や貴族・騎士など、身分が高い人間が身にまとう場合が多い。また、史実の上ではマントが存在しなかった時代・地域を舞台とする作品で、その世界にあって特別の一人であるなど演出者側がとりわけキャラクター性を強調したい者に、あえてマントを羽織らせるようなこともある。<br /> ;旅人<br /> :防寒着として着用されるほか、[[ファンタジー]]作品においては、魔法使いや旅人などのマントには透明化など特殊な能力が与えられていることがある&lt;ref&gt;『[[指輪物語]]』の主人公や『[[デルトラ・クエスト]]』の主人公のリーフが着用しているマントのように、姿を消すことができるという特殊能力が一例である。&lt;/ref&gt;。<br /> ;怪盗 <br /> :[[怪盗ルパン]]や[[怪人二十面相]]などが、変装するための小道具として使うことがある。<br /> ;魔法使い<br /> :[[ローブ]]代わりに着用される場合が多い。<br /> ;超人<br /> :[[スーパーマン (架空の人物)|スーパーマン]]や[[バットマン]]などといった[[超人]]的[[ヒーロー]]が、記号的[[アイテム]]として着用していることがある。また、ヒーロー以外にも人知を超越した力を持つキャラクターが着用する場合もある。[[悪役]]などで出番が多いキャラクターとしては、[[ヴァンパイア]](なかでも特に[[ドラキュラ]]をモチーフとした古典的なタイプ)などに着用が見られ、このうち飛行能力を持つキャラクターは体を覆わず、背中に垂らすように着用することが多い。[[パーマン]]などを始めとする日本の作品では、空を飛ぶ機能を持つマントも多い。また、ヴァンパイアや[[悪魔]]の場合、邪悪な正体を露わにしたときの彼らのマントは[[コウモリ|蝙蝠]]の[[飛膜]]型の[[翼]]に変じることが多い。このほかRPGなどで装備品として登場することが多い。<br /> <br /> == 脚注・出典 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[ポンチョ]]<br /> * [[軍服]]<br /> * [[母衣]]<br /> <br /> {{被服}}<br /> {{DEFAULTSORT:まんと}}<br /> [[Category:アウターウェア]]<br /> [[Category:ポルトガル語からの借用語]]<br /> {{Fashion-stub}}</div> 133.206.56.32 焼き魚 2018-01-30T06:07:31Z <p>133.206.56.32: /* 焼き魚の種類 */</p> <hr /> <div>[[File:Sparidae、鯛 DSCF1202.JPG|thumb|right|[[縁起物]]として[[正月]]に供される[[鯛]]の姿焼き]]<br /> [[File:Soi yakizakana.JPG|thumb|[[メバル属|ソイ]]の塩焼き[[マイタケ|舞茸]]と[[ネギ|葱]]に[[ユズ|柚子]]を添えて]]<br /> [[ファイル:Charcoal broiled Ayu.JPG|thumb|right|[[アユ|鮎]]の塩焼き]]<br /> [[ファイル:ShichirinSanma_Japan.JPG|thumb|right|[[七輪]]と[[サンマ]]]]<br /> [[ファイル:121222 Baishokaku Nagasaki Japan03s8.jpg|thumb|right|鯛の塩釜焼き]]<br /> &#039;&#039;&#039;焼魚&#039;&#039;&#039;(やきざかな)は、[[魚類|魚]]を焼いた[[料理]]&lt;ref name=kojien&gt;[[広辞苑]]第5版&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[日本料理]]では[[一汁三菜]]の焼物として重要な位置を占めている。&lt;ref name=aki&gt;『四季日本の料理 秋』講談社 ISBN 4-06-267453-X&lt;/ref&gt;<br /> 焼魚は、[[直火焼き]]と間接焼きとに分類される。直火焼きは、魚を網にのせたり串を打って、直接炭火やガスなどの熱源で、強火の遠火で短時間で焼く。間接焼きは、フライパンを利用したり包み焼きや塩釜焼きなどがあり、直火焼きより熱の伝わりが柔らかい。&lt;ref name=shun_natsu&gt;『旬の食材 夏の魚』講談社 ISBN 4-06-270132-4&lt;/ref&gt;鮮魚の他に[[干物]]も使われる。<br /> <br /> == 焼き魚の種類 ==<br /> ; 姿焼き:<br /> :魚を[[串]]などに刺し、生きている姿と同じように焼く。尾頭付(おかしらつき)ともいい、神饌や祝い事の席などで用いられることが多い&lt;ref name=kojien&gt;[[広辞苑]]第5版&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; 塩焼き:<br /> :[[塩]]をした魚を直火で焼いた物。塩は味を付けるとともに、魚の旨味を引き出すためでもある&lt;ref name=shun_natsu&gt;『旬の食材 夏の魚』講談社 ISBN 4-06-270132-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; 照り焼き:<br /> :→ [[照り焼き]]<br /> ; 幽庵焼き:<br /> :→ [[幽庵焼き]]<br /> ; 西京焼き:<br /> :[[サワラ|鰆]]等、[[西京味噌]]に漬込んだ後に焼く。身質や風味が塩焼きに向かない魚に用いられる。<br /> ; 蒲焼き<br /> :[[ウナギ|鰻]]等をタレに浸けながら焼く[[蒲焼]]は、照り焼きの一種である。焼き魚とは別の、確立された調理法とされる場合もある。<br /> ;若狭焼き<br /> :一塩干しにした[[アマダイ|甘鯛]]などに、[[酒]]を多く使った若狭地を付けて焼く。&lt;ref name=shun_natsu&gt;『旬の食材 夏の魚』講談社 ISBN 4-06-270132-4&lt;/ref&gt;<br /> ;魚田<br /> :魚を使った[[味噌田楽]]<br /> <br /> ;[[ムニエル]]<br /> :魚に[[小麦粉]]をまぶし、[[バター]]等で焼いたもの。&lt;ref name=kojien&gt;[[広辞苑]]第5版&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ;[[ポワレ]]<br /> :[[フライパン]]で少量の[[油]]とともに焼いた魚。<br /> <br /> ;塩釜焼き<br /> :本来は塩を作る釜の余熱で焼いたものだが、塩とメレンゲを混ぜて塩釜にみたて材料を包み蒸し焼きにする&lt;ref name=shun_natsu&gt;『旬の食材 夏の魚』講談社 ISBN 4-06-270132-4&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;[[ちゃんちゃん焼き]]<br /> :[[サケ|鮭]]などを[[野菜]]とともに焼いたもの。<br /> <br /> [[ファイル:Grilled Sardines 5.50€ Marisqueira O Varino Nazaré (3785526688).jpg |thumb|right| リスボン名物・鰯の塩焼き]]<br /> ;サルディーニャス・アサーダス ([[:pt:Sardinha assada]])<br /> :[[ポルトガル]]の首都[[リスボン]]の名物料理の[[イワシ|鰯]]の塩焼き。シーズンの夏には多くの[[レストラン]]が店先にグリルを出し、炭火で鰯を焼いている。[[タマネギ|玉葱]]のスライスや[[ジャガイモ]]などをつけ合せて出され、[[赤ワイン]]とよく合う。値段は1皿6匹程度で10[[ユーロ]](1000円)前後。<br /> <br /> ;四川料理の焼き魚<br /> :[[中華人民共和国|中国]]の[[四川料理]]では、[[重慶市]]の「万江烤魚」(ワンジアンカオユー)の様な、[[ソウギョ|草魚]]などの川魚に辛い漬け汁で下味を付け、一度直火焼きした後で、さらに[[トウガラシ|唐辛子]]風味の強い煮汁で煮る料理がある。もともとは辛い味付けで直火焼きした料理であったが、より辛い味付けができる煮物になった。ただ、直火焼きまでで済ませる場合もある。<br /> <br /> [[グリル]]を使って下火で魚を焼く方法は、[[イタリア]]などの[[地中海]]沿岸や、[[ベトナム]]、[[カンボジア]]、[[シンガポール]]などの[[東南アジア]]でも見られる。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> {{food-stub}}<br /> {{デフォルトソート:やきさかな}}<br /> [[Category:日本の魚介料理]]<br /> [[Category:調理法]]</div> 133.206.56.32
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