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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=125.30.100.112&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-21T03:20:56Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 タンブリン 2018-09-09T01:11:33Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{Redirect|タンバリン|お笑いコンビ|タンバリン (お笑いコンビ)|日本の芸能事務所|タンバリンアーティスツ}}<br /> {{画像提供依頼|<br /> # ・皮のあるタンブリン(楽器のみの全体像の画像)<br /> # ・[[オーケストラ]]や[[吹奏楽]]等での演奏風景<br /> |date=2018年9月}}<br /> [[画像:Rhythm Tech tambourine.jpg|thumb|200px|皮のないタンブリン]]<br /> [[画像:Tambourin Détail.jpg|thumb|200px|皮のあるタンブリンのシンバル付近の拡大画像]]<br /> [[画像:Pandeiro3.JPG|thumb|200px|ブラジル風タンバリン「パンデイロ」の演奏風景]]<br /> [[画像:GypsyTambourinePostcard.jpg|thumb|200px|タンブリンを演奏するジプシー(1910年代フランスの絵葉書)]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;タンブリン&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;タンバリン&#039;&#039;&#039;({{lang-en-short|tambourine}}、「タンバリーン」と発音する)は、胴に小さな[[シンバル]]を付けた極めて浅い小型の片面[[太鼓]]である。[[打楽器]]、[[膜鳴楽器]]に分類される。安価で、簡単に音を出すことができるため、[[教育楽器]]として多用される。日本の小学校で使われる教科書ではタンブリンと明記している&lt;ref name=&quot;instrument&quot;&gt;[http://www.jei-one.com/instrument.html 楽器紹介] JEI ONE&lt;/ref&gt;。これは文部科学省から発行されている「教育用音楽用語」という冊子で音楽用語に関する基準が示されており、教科書に出てくる音楽用語はこれに従っているためである。なお、フランスではこの楽器と[[プロヴァンス太鼓]]の両方を &#039;&#039;tambourin&#039;&#039;(タンブラン)と呼び、クラシック音楽の作品ではプロヴァンス太鼓の方を指す場合がほとんどである。その場合、タンブリンは &#039;&#039;tambour de Basque&#039;&#039;(タンブール・ド・バスク「[[バスク地方]]の太鼓」)として区別する。<br /> <br /> == 構造 ==<br /> 膜の直径はおおむね20 - 30[[センチメートル|cm]]、胴の深さは5 - 8cmである。この胴に数カ所(5 - 10箇所)鼓面と水平に細長い穴を開け、中央に細い棒を通す。そこに小さなシンバルを向かい合わせて棒に通し、タンブリンの動きによってシンバルが打ち合わされるようになっている。<br /> <br /> タンブリンの種類には、響き線(スネア)を付けたもの、鈴を付けたもの、皮のないもの(ヘッドレスタンブリン、モンキータンブリン&lt;ref name=&quot;instrument&quot;/&gt;)などがある。タンブリンは太鼓の一種であるが、音の多くをこのシンバルに依っていると言っていい。<br /> <br /> == 奏法 ==<br /> 手に持って叩く奏法が最も一般的。指、拳、手のひらで叩くほか、膝に打ち付ける、振ってシンバル部を鳴らす、鼓面のふちにそって鼓面をこする、[[ドラムスティック]]で叩くなど様々な鳴らしかたがある。スタンドに装着して、指、拳、手のひらで叩く方法もある。<br /> <br /> [[ドラムセット]]のハイハット・スタンドに取り付ける方法もあり、これはハイハットを叩いたりペダルを踏んだときにも鳴らすような、装飾的な使い方にもなる。<br /> <br /> タンブリンを[[ティンパニ]]の上に乗せ、ティンパニの鼓面を撥で叩く方法は、タンブリンには鼓面と反対側(あるいは鼓面なしのもの)に「脚」としての突起点が3 - 4箇所程度付いていることが求められる。無ければ絆創膏やテープを厚めに貼って代用することも可能。この脚としての点がティンパニの振動をタンブリンに共鳴させることにより、1人の打楽器奏者の演奏でティンパニとタンブリンの音が同時に得られる(脚がないとタンブリンの胴全体がティンパニの振動を押さえ込んでしまい、両方とも上手く鳴らない)。[[西村朗]]などの[[作曲家]]が特に打楽器アンサンブルのための作品に好んで用いる。<br /> <br /> ちなみに胴に開いている穴は、かつてそこに鈴が付いていた頃の名残(当時[[ラディック・ムッサー|Ludwig社]]の特許)であり、指を入れるための穴ではない。小学校教員向けの指導書には、この穴に親指を入れて演奏すると危険であると明記されている。<br /> <br /> == タンブリン(タンバリン)が活躍する曲 ==<br /> * [[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]:歌劇『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』<br /> * [[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]:バレエ音楽『[[春の祭典]]』<br /> * [[グスターヴ・ホルスト]]:組曲「[[惑星 (組曲)|惑星]]」より「木星」<br /> * [[カール・オルフ]]:[[カルミナ・ブラーナ]]<br /> * [[アントニン・ドヴォルザーク]]:[[自然と人生と愛|序曲「謝肉祭」]]<br /> * [[山田康太]]:[[だんだん]]より[[シジミジルのテーマ]]<br /> * タンブリンの輪:[[童謡]] 作詞:[[山下武夫]] 作曲:[[岩河三郎]]<br /> * ヘイ!タンブリン:[[童謡]] 作詞:[[吉岡治]] 作曲:[[湯山昭]]<br /> * 真実一路のマーチ:[[水前寺清子]]の楽曲 作詞:[[星野哲郎]] 作曲:[[米山正夫]]<br /> * [[ぐるぐるカーテン]]:[[乃木坂46]]の楽曲 作詞:[[秋元康]] 作曲:[[黒須克彦]]<br /> * イエロー・タンブリンマン:[[うたっておどろんぱ]]より 作詞:[[吉田仁美]] 作曲:[[大森俊之]]<br /> * [[アレクサンドル・ボロディン]]:[[交響曲第2番 (ボロディン)|交響曲第2番 ロ短調]]<br /> * [[バリンタン]]:[[関ジャニ∞]]の楽曲 作詞:[[村上信五]] 作曲:[[安田章大]]<br /> <br /> == 各国語の呼び名 ==<br /> 各国で様々に呼ばれているのは、タンブリンの原義が「小さな太鼓(&#039;&#039;タンブール&#039;&#039;+指小辞&#039;&#039;イン&#039;&#039;)」というに過ぎないからであり、他にもタンバリンと呼びうる楽器があるからである。それで、「バスク風」(baskische、de Basque)とか「シンバルの付いた」(Becken-)ということばを添えているのである。<br /> *[[ドイツ語|独]]:Tamburin, Schellentrommel, Schellentamburin, baskische Trommel, Beckentamburin<br /> *[[フランス語|仏]]:tambour de Basque, bedon de Biscaye<br /> *[[英語|英]]:tambourine<br /> *[[イタリア語|伊]]:tamburino, tamburo basco, tamburello<br /> <br /> == タンブリン教本(タンブレロ奏法含む) ==<br /> *フレームドラム(ATN刊) [[大久保宙]]著<br /> *tamburello italiano アンドレア・ピッチオーニ著 <br /> <br /> == 世界的奏者 ==<br /> *[[ペドロ・エステファン]]<br /> *[[デヴィド・マヨラ]]<br /> *[[寺社下峻平]]<br /> <br /> == 主なメーカー ==<br /> *[[ヤマハ]]<br /> *[[パール (楽器メーカー)|パール]]<br /> *プレイウッド<br /> *グローバー<br /> *レフィーマ<br /> 他<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commons|Tambourine}}<br /> *[[タンブラン]](タンブリンとは異なる太鼓の一種)<br /> *[[ティンバレス]](タンブリンとは異なる太鼓の一種)<br /> *[[パンデイロ]] ([[ブラジル]]におけるタンブリン)<br /> *[[タンボリン]](タンブリンとは異なる太鼓の一種)<br /> *[[ショーカリョ]]<br /> <br /> {{オーケストラの楽器}}<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:たんふりん}}<br /> [[Category:打楽器]]<br /> [[Category:膜鳴楽器]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 シンバル 2018-09-01T12:50:17Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;シンバル&#039;&#039;&#039;({{lang-en-short|cymbal}})は、[[体鳴楽器]]に分類される[[打楽器]]の一つ。<br /> つば広帽子の形に比較的薄く伸ばした[[金属]]でできた[[楽器]]を指す。主に[[西洋音楽]]で使われる。同様のものは[[ユーラシア大陸]]全土に広がっており、[[仏教]]に使われるものを鐃鉢(にょうはち)または鐃ばつといい、それと同じもので[[芝居]]に使うものを妙はつという。同形のさらに小型のものは、銅ばつ・銅拍子(どびょうし)・手平金と呼ばれる。また、同種の物に非常に小さいシンバルがあり、指に付けて打ち合わせたりして演奏するので[[フィンガーシンバル]]と呼ばれる。[[クロタル]]もその一種である。現在{{いつ|date=2013年1月}}&lt;!-- See [[WP:DATED]] --&gt;の西洋音楽で常用されるものとしては、[[タンバリン]]の枠で見ることができる。また、[[アンティークシンバル]](クロタル、クロテイルと呼ばれることもある)というシンバルの形をしている小型の楽器は、形は似ているものの音色や音の性質は全く異なる。<br /> <br /> == 奏法や構造による区分 ==<br /> [[ファイル:2006-07-06 Crash Zildjian 14.jpg|thumb|200px|サスペンデッド・シンバル]]<br /> [[ファイル:Aaclashcymbals.jpg|thumb|200px|クラッシュシンバル]]<br /> 同じ形のシンバルを2枚対向させて打ち合わせるなどして演奏する場合と、1枚のシンバルを吊すかホルダにゆるく固定して[[スネアドラム]]のバチ([[ドラムスティック|スティック]])や、[[シロフォン]]や[[マリンバ]]、[[グロッケンシュピール]]や[[ヴィブラフォン]]、場合によっては[[ティンパニ]]のバチ([[マレット (打楽器)|マレット]])で叩く場合とがあり、前者を&#039;&#039;&#039;クラッシュ・シンバル&#039;&#039;&#039;(一般的には合わせシンバルやハンドシンバルと呼ぶ)、後者を&#039;&#039;&#039;サスペンデッド・シンバル&#039;&#039;&#039;と呼んで区別する。また、2枚のシンバルを水平にホルダに固定して、1枚を上下に動くようにしてペダル装置で操作するものがあり、&#039;&#039;&#039;ハイハット&#039;&#039;&#039;と呼んで主に[[ドラムセット]]の中で使用する。なお、サスペンデッド・シンバルに金属製の鋲([[リベット]])を数本打ち込んだものもあり、&#039;&#039;&#039;[[シズルシンバル]]&#039;&#039;&#039;と呼ばれる。また、サスペンデッド・シンバルの中でもチャイナシンバルやスプラッシュシンバルのように独特の音響を持つシンバルは&#039;&#039;&#039;エフェクト・シンバル&#039;&#039;&#039;と呼ばれている。<br /> <br /> クラッシュは、⊃⊂と描きながら片方を上から下へ、もう片方を動かし、こすらせるようにして打ち合わせるのが基本である。非常に小さな音から一打ちで[[オーケストラ]]全体をも制するほどの大きな音まで出すことができる表現力がある。<br /> <br /> サスペンデッドには[[トレモロ]](細かく反復して打つ方法)をしながらだんだん音量を大きくしていく奏法があり、劇的に曲を盛り上げる効果がある。<br /> <br /> クラッシュでのトレモロは、楽器のひとつの縁と、逆の縁を交互に打ち合わせる奏法による。また、楽器をトライアングルのばちでこする、その他、様々な特殊奏法が開発されている。<br /> <br /> 上述の、管弦楽団や吹奏楽団などにおける合わせシンバルサスペンデッド・シンバルには、18インチ・19インチ・20インチ前後のサイズのものが一般的に多く用いられるが、曲想によりこれ以外のサイズのものも適宜用いられる。マーチングバンドなどにおいては、演奏効果等に鑑み、様々なサイズの合わせシンバルを用いる。メーカーでも様々な径のシンバルを取り揃えている&lt;ref&gt;{{Cite web |url=https://www.pearlgakki.com/sabian_cpmp/AA_Marching_Band.php |title=マーチングシンバル:AA Marching Band|パール楽器製造株式会社 |accessdate=2018-09-01}}&lt;/ref&gt;。また、幼稚園や小学校の園児・児童等による鼓笛隊などにおいては、音楽的な側面よりも、体格的な問題から、小さな径のインチ数の楽器が選択されるケースが見受けられる&lt;ref&gt;{{Cite web |url=https://www.suzuki-music.co.jp/product_category/drum-and-marching/marching-cymbal/ |title=シンバル|鈴木楽器製作所 |accessdate=2018-09-01}}&lt;/ref&gt;。&lt;!--大きな径の楽器ほど重量もあることから、まだ小さな体格の園児・児童には演奏が難しいため--&gt;<br /> <br /> == ドラムセットにおけるシンバルの種類 ==<br /> [[ドラムセット]]におけるシンバルの役割は重要で、以下に用途別の名称を記載する。<br /> * 名の由来:音を元に命名することが多い。<br /> * サイズ:6 - 24インチサイズが市販されているサイズ。<br /> * 音質:シンバルは材料と口径・厚みの3要素が音質を作る基礎となる。それらに加え、ハンマリング・シェイピング・フィニッシュが細部を決定付ける。口径が小さいほど音量は小さくなり、音程は高くなる。厚みが増すほど音程は高くなり余韻がなくなる。<br /> * 演奏:スティックを使用する他、マレットと呼ばれるフェルト状の布で先端がくるまれたバチを使用する。マレットの場合、スティックとは異なりアタック音が出ないため、純粋なシンバルの響きを引き出せる。<br /> <br /> === ハイハット ===<br /> [[ファイル:HiHat.jpg|thumb|150px|ハイハット]]<br /> * 名の由来:{{要出典範囲|ハイ(High:高い)・ハット(Hat帽子)が語源であると思われる{{誰2|date=2010年11月}}|date=2010年11月}}。というのも楽器として起源である[[ローソック]]シンバルという背の低いものがジャズの初期に登場しているからだ。ローソックは「Low Sock」のことで、足で合わせシンバルを鳴らす楽器であった。後により高い位置にセッティングしスティックで演奏するようになったのである。<br /> * サイズ:13 - 15インチサイズが一般的。<br /> * 形状:皿状。<br /> * セッティング:専用のハイハット・スタンドに載せ、縁を合わせるように対面させる。同径で上(トップ・ハイハット)が薄め・下(ボトム・ハイハット)が厚めのものを組み合わせることが多い。<br /> * 音質:口径が小さいため高い。ペダルを開閉させることで硬い音や響く音を出せる。<br /> * 演奏:ドラム演奏の要ともいえるビートを刻む主人公。アクセントなどの味付けをする他のシンバルとは一線を画す。スタンドのペダルを踏み2枚のシンバルを閉じ合わせた「クローズ」状態で叩くことにより余韻がないチック音を奏でる。またペダルを緩めて叩くことによって2枚のシンバルが互いに擦れあいながら鳴る「オープン」音を奏でる。さらにオープン状態で発音してからペダルを踏むことにより余韻を途中でカットするなど、フットワークとスティックワークを組み合わせて多彩な表現ができる。ロック系の音楽などで音量がほしい場合にはクローズ状態から少しペダルを緩めた「ハーフオープン」を用いる場合もある。ペダルだけでリズムを刻むペダル奏法もあり、踵でペダルを蹴ればシンバルクラッシュ(クラシックのシンバル音、スプラッシュ奏法)をすることも可能。<br /> <br /> === クラッシュ ===<br /> * 名の由来:クラッシュ([[衝突]])が由来。厚みにより「シン(Thin)」や「ヘビー(Heavy)」等が冠語として付く。<br /> * サイズ:14 - 18インチサイズが一般的。<br /> * 形状:皿状。<br /> * セッティング:一般的にスタンドに載せる。[[ラックシステム]]だと吊るす場合もある。<br /> * 音質:余韻のある澄んだ音。ロックでは、厚め(Heavy)で余韻が長く高い音程のものが好まれ、ジャズでは薄く(Thin)余韻が短く低い音程のものが好まれる。<br /> * 演奏:曲の流れにアクセントを付けたり、曲の構成を[[サブリミナル効果|サブリミナル]]的に通知する目的で使用される。ビバップやモダンジャズではアクセントとしてBass Drumと同時に使われる事が多く、構成とは別にリズム全体を高揚させるために使われる。<br /> <br /> === ライド ===<br /> * 名の由来:「ライド・ビート(ビートを乗せる)」ドラムセット創成期におけるjazzにおいて、このシンバルを鳴らしてリズムパターンを演奏(シンバルレガート)していたため。「ライド(Ride)=乗った」というのは有名な誤解による間違いである。<br /> * サイズ:18 - 24インチサイズが一般的。<br /> * 形状:皿状。カップ(中央部の盛り上がり)のサイズは決まっておらず、小さいものや、ないものもある。薄く音程の低いライドを好むジャズでは、聴覚上の音量を上げるために穴を空けてリベットを取り付けた[[シズルシンバル|モデル(リベット付き、sizzle付きと言う)]]もある。リベット数や取り付け位置の決まりはない。<br /> * セッティング:一般的にスタンドに載せる。<br /> * 音質:ロックでは高音で歯切れのよい音のものが好まれ、ジャズでは音程が低く奏法次第で様々な音の出せるものが好まれる。スティックで叩いた直接音はピング音と言い、ドライなライドはこれが強い。ドライなライドは基本的に厚め。ライドはクラッシュシンバルと比すると音は前に出ない。<br /> * 演奏:ビートを刻む目的で使用する点でハイハットシンバルに通じる。特徴的なのはカップ(日本での通称。正式にはBell:ベル)と呼ばれる中心の盛り上がった部分で力強いビートが刻める点。他にもスティックのショルダー(先端から5cm程の部分)でライド表面を叩く事で、クラッシュとは異なるアタックが可能。<br /> <br /> === クラッシュライド ===<br /> * 名の由来:クラッシュとライドの両用として作られた。<br /> * サイズ:16 - 22インチサイズが一般的。<br /> * 形状:皿状。<br /> * セッティング:一般的にスタンドに載せる。<br /> * 音質:クラッシュ音も出るがビートも刻める中間の音質。<br /> * 演奏:ビートを刻みながら、クラッシュ音を出すということが可能。ジャズ等ではクラッシュシンバルで代替することが多い。<br /> <br /> === チャイナ ===<br /> * 名の由来:チャイナの名のとおり[[中国]]で使用されているシンバル。<br /> * サイズ:サイズが幅広い。小さいものは持ち手を付けて[[京劇]]で用いキメの部分などで演奏される。<br /> * 形状:通常のシンバルの形状とは異なり、縁が反り返っている。<br /> * セッティング:一般的に表裏を逆向きにセットしたりもする(つまり通常のシンバルとは逆に裏側を演奏面とする)。<br /> * 音質:[[倍音]]が整っていないために、音は他と比べると濁りのある音。<br /> * 演奏:普通のアクセント以上のインパクトがほしい時に使用するが、逆にこれでビートを刻むこともある。<br /> <br /> === スプラッシュ ===<br /> * 名の由来:[[スプラッシュ]]([[しぶき]])が由来。<br /> * サイズ:6 - 10インチサイズが一般的。<br /> * 形状:皿状。<br /> * セッティング:スタンドに載せるが、合わせシンバルとしてクラッシュシンバルやチャイナシンバルと組み合わせることもある。合わせシンバルの場合、同じ向きで重ねる方法(レギュラー)と逆向きに重ねる方法(リバース)がある。<br /> * 音質:クラッシュシンバルよりも余韻の減衰が早く、軽い音<br /> * 演奏:静かなバラードのような曲で使用したりもするが、逆にスピードのある曲でしつこくならない程度にクラッシュ音がほしい場合にも使用したりする。<br /> <br /> === チャイナスプラッシュ ===<br /> * 名の由来:チャイナとスプラッシュの両方の要素があるため。<br /> * サイズ:6 - 10インチサイズが一般的。<br /> * 形状:チャイナ同様に通常のシンバルの形状とは異なり、縁が反り返っている。<br /> * セッティング:スタンドに載せるが、合わせシンバルとしてクラッシュシンバルやチャイナシンバルと組み合わせることもある。<br /> * 音質:チャイナシンバルよりも余韻の減衰が早く、軽い音。スプラッシュよりはパワフル。<br /> * 演奏:チャイナシンバルよりもアクが強くないため、スプラッシュでは物足りないときなどに使う。<br /> <br /> === ベル ===<br /> * 名の由来:ベルはシンバルの中央部の膨らみのことであり、それ単体で独立したもの。<br /> * サイズ:6 - 10インチサイズが一般的。<br /> * 形状:[[ボウル]]状。<br /> * セッティング:スプラッシュシンバル同様スタンドに載せるが、合わせシンバルの場合、逆向きに重ねる(リバース)の方が現実的。<br /> * 音質:力強い音(カンカンと鳴る)。減衰の速いスプラッシュと異なり、余韻は長い。<br /> * 演奏:インパクトという点でチャイナに通じる。ただし、ビートを刻むことはあまりない。<br /> <br /> == 製造 ==<br /> [[銅]]を主成分とした金属の[[合金]]([[錫]]・[[銀]]・[[ニッケル]]等を含む)で製造される。製造方法は大きく3種類あり、製造工程がさらに求める音により変わるため一概に製造過程を定義しにくいが、大体のところは以下のとおり<br /> <br /> === 製造方法 ===<br /> * プレス製法:金属板をプレスして成形するもの。安価なもの。<br /> * 鍛造製法:鋳造した地金を叩き伸ばしていくもの<br /> * 鋳造製法:溶けた地金を型に流し込むもの<br /> <br /> === 製造工程 ===<br /> * ハンマリング:ハンマーで表面を打っていく工程。機械打ちと手打ちがある。<br /> * 切削加工(レイジング):表面を削る工程。削らない場合、隙間を空けて削る場合、削る・削らない部分を意図して併置する場合もある。<br /> * メッキ加工:表面に[[メッキ]]をする工程。しない場合もある。<br /> <br /> == シンバルメーカー ==<br /> 今日の[[西洋音楽]]で使われるシンバルは[[トルコ]]から広まったものであるという歴史から、現在もシンバルメーカーはシンバル発祥地トルコが源流というブランドが世界市場で主力となっている。もうひとつの発祥地と言われる[[中国]]源流のブランドは、今のところWuhan・ZENN。<br /> <br /> * [[ジルジャン|Zildjian]](ジルジャン):[[イスタンブール]]出身の[[アルメニア人|アルメニア]]系シンバル職人ジルジャン一族が経営するブランド。「ジルジャン」は「シンバル職人の息子」という意味がある。現在は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で生産されている。現存するシンバルメーカーの中で最も古い歴史を持つ。<br /> * [[セイビアン|SABIAN]](セイビアン):ジルジャンのカナダ工場が独立し枝分かれしたブランド。saly,bily,andyという3人の子供たちの名前をあわせて社名とした。8角形のロクタゴン(Rocktagon)などユニークな商品があり、様々なエンドースメントアーティストと共同製作したシリーズや、多数の試作品を一般ドラマーのプロ、アマに試奏させてアンケートを募り、人気が高かった試作品を商品化したものなど、ユーザーの意見をフィードバックした商品もラインナップに加わっている。<br /> * [[イスタンブール・シンバル|ISTANBUL]](イスタンブール):ジルジャンの[[トルコ]]工場が閉鎖され路頭に迷った職人を集めて作られたブランド。アゴップ社で作られた製品とメメット社で作られた製品があり、それぞれの製品にはそれぞれのサインが入っている。<br /> * [[パイステ|PAiSTe]](パイステ):エストニア系ロシア人のトーマス・パイステによって創設された。現在はスイスのブランド。ジャズ全盛時にも繊細かつ高品質な製品で評価が高かったが、1970年代、楽器のエレクトリック化に対応できる音量の出る製品が大ヒットとなる。全てのシリーズがシートシンバルで出来ており、製品毎のムラがなく、安定した品質を売り出している。<br /> * [[ユーヒップ|UFIP]](ユーヒップ):[[イタリア]]のブランド。溶かした合金を回転する機械に注ぎ、遠心力を使ってシンバルの原型を製造する。全てがハントメイドで作られているため、そして製品の品質を安定させるために、意図的に流通量を制限している。<br /> * KOIDE(コイデシンバル):[[小出製作所]]。日本国内唯一のシンバル製造も行う金属加工メーカー。大阪府に所在。クラシックシンバルとドラムセットシンバルをラインナップする。<br /> * [[ボスフォラス|Bosphorus]](ボスフォラス):Zildjian、ISTANBULとは全く異なる流れを持つトルコブランド。独特なタッチと、トルコ伝統の製法を守る孤高のブランド。<br /> * [[ターキッシュ|Turkish]](ターキッシュ):ISTANBUL社の職人が独立して作ったメーカー。ISTANBULより明るいキャラクター。<br /> * [[マイネル|MEINL]](マイネル):[[ドイツ]]のブランド。打楽器の総合メーカー。上位シリーズの製造工場はトルコ。社員全員がドラマーであり、仮にドラマーではない人間が入社した場合、MEINL側が費用を負担してまでドラムを習わせる程、徹底してドラマー目線による楽器作りを肝としている。<br /> * [[ウーハン・シンバル|WUHAN]](ウーハン):[[中国]]のブランド。漢字表記は「武漢」。当然China Cymbalが強い。ライド等も隠れた名品。<br /> * [[マスターワーク|MasterWork]](マスターワーク):トルコ製。<br /> * [[スピッチーノ]]:イタリア人のシンバル職人スピッチーノがハンド・ハンマーを行い、オールドKジルジャンを意識している。スピッツとも言う。<br /> * ZENN(ゼン):[http://www.soundhouse.co.jp 株式会社サウンドハウス]の[[プライベートブランド]]、[[サウンドハウス]]でのみ購入可能。シンバルの他にも小物打楽器など扱っており、他社では考えられないほど非常に格安。<br /> * [[アメディア|Amedia]]:トルコのイスタンブールに所在するシンバルメーカー。トルコの伝統の製法に従い100%ハンドメイドで[[ハンドハンマリング]]・シンバルを製造している。<br /> * [[ソウルトーン|soultone]](ソウルトーン):イスラエル出身のドラマー、イキー・レビーが2003年に設立したメーカー。<br /> * Agean Cymbal(エイジーンシンバル): istanbulの職人が2002年に立ち上げた純トルコ製ハンドメイドシンバル。トルコシンバルの伝統を継承し且つ他に無いクリアなサウンドを持つシンバル<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commonscat|Cymbals}}<br /> * [http://www.zildjian.com/ Zildjian]<br /> * [http://www.sabian.com/ SABIAN]<br /> * [http://www.istanbulcymbals.com/ Istanbul Agop]<br /> * [http://www.istanbulmehmet.com/ Istanbul Mehmet]<br /> * [http://www.paiste.com/ PAiSTe]<br /> * [http://koidecymbal.com/ 小出製作所]<br /> * [http://www.bosphoruscymbals.com/ Bosphorus]<br /> * [http://www.turkishcymbals.com/ Turkish]<br /> * [http://www.meinl.de/ MEINL]<br /> * [http://www.china-gongs.com/ WUHAN]<br /> * [http://www.masterworkcymbal.com/ MasterWork]<br /> * [http://www.amediacymbals.com.tr/ Amedia]<br /> * [http://www.kikutani.co.jp/UFiP/UFiP-index.html Ufip]<br /> * [http://www.soultonecymbals.com/ Soultone]<br /> <br /> {{オーケストラの楽器}}<br /> {{ドラムス}}<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しんはる}}<br /> [[Category:打楽器]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 ブトロス・ブトロス=ガーリ 2018-08-19T14:00:46Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{Otheruses|エジプトの外交官・元国連事務総長|本項人物の祖父であるエジプトの政治家|ブトロス・ガーリー}}<br /> {{政治家<br /> |name = ブトロス・ブトロス=ガーリ<br /> |各国語表記 = {{Lang|ar|بطرس بطرس غالي}}<br /> |画像 = Naelachohanboutrosghali-3.jpg<br /> |caption = ブトロス・ブトロス=ガーリ(2002年3月頃)<br /> |国旗 = UN<br /> |order = 第6代[[国際連合事務総長]]<br /> |term_start = [[1992年]][[1月1日]]<br /> |term_end = [[1996年]][[12月31日]]<br /> |predecessor = [[ハビエル・ペレス・デ・クエヤル]]<br /> |successor = [[コフィー・アナン]]<br /> |国旗2 = EGY1972<br /> |職名2 = [[エジプト|エジプト・アラブ共和国]]&lt;br /&gt;外務担当国務大臣代行<br /> |就任日2 = [[1977年]][[11月17日]]<br /> |退任日2 = [[12月15日]]<br /> |元首職2 = 首相<br /> |元首2 = マムドゥ・サレム<br /> |就任日3 = [[1978年]][[9月17日]]<br /> |退任日3 = [[1979年]][[2月17日]]<br /> |元首職3 = 首相<br /> |元首3 = マムドゥ・サレム&lt;br&gt;ムスタファ・ハリル<br /> |order4 = [[ファイル:Flag of La Francophonie.svg|25px]] [[フランコフォニー国際機関]]事務総長<br /> |term_start4 = [[1998年]]<br /> |term_end4 = [[2002年]]<br /> |predecessor4 =<br /> |successor4 =<br /> |birth_date = {{birth date|1922|11|14|df=y}}<br /> |出生地 = {{EGY1922}}・[[カイロ]]<br /> |death_date = {{death date and age|df=yes|2016|2|16|1922|11|14}} <br /> |death_place = {{EGY}}・[[カイロ]] <br /> |配偶者 = レイア・マリア<br /> |サイン = Signature of Boutros Boutros-Ghali.svg<br /> |alma_mater = [[カイロ大学]]<br /> |party = <br /> |religion = [[コプト正教会]]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;ブトロス・ブトロス=ガーリ&#039;&#039;&#039;({{Lang|en|Boutros Boutros-Ghali}}、[[1922年]][[11月14日]] - [[2016年]][[2月16日]])は、[[エジプト]]の[[国際法]][[法学者|学者]]、第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]。事務総長在任当時の報道等では&#039;&#039;&#039;ブトロス・ガリ&#039;&#039;&#039;と表記されることが多かった。[[1997年]]から[[2002年]]まで[[フランコフォニー国際機関]]事務総長を務めた。<br /> <br /> {{翻字併記|ar|بطرس بطرس غالي|Butrus Butrus Ghālī}}(ブトロス・ブトロス・ガーリー)。「ブトロス」とは[[ラテン語]]の[[ペトルス]]や[[フランス語]]の[[ピエール]]、[[英語]]の[[ピーター]]と同一の語源を持つ名前で、[[使徒]][[ペトロ]]に由来する。<br /> <br /> == 人物・来歴 ==<br /> 1922年、[[カイロ]]に生まれる。[[コプト正教会]]信徒であり、[[ユダヤ人|ユダヤ]]系エジプト人のレイア・マリアを妻に持つ&lt;ref&gt;{{Cite news|title=At Home With: Boutros Boutros-Ghali|newspaper=[[ニューヨーク・タイムズ|New York Times]]|date=October 19, 1995|url=http://www.nytimes.com/books/97/07/20/reviews/ghali-home.html}}&lt;/ref&gt;。祖父の[[ブトロス・ガーリー]]は[[ムハンマド・アリー朝]]期に[[首相]]を務めた。[[カイロ大学]]を卒業し、[[1946年]]に[[パリ大学]]において国際法で[[博士]]号を取得、同年よりカイロ大学教授として国際法および[[国際関係論]]を講じた。<br /> <br /> [[1977年]]、大統領[[アンワル・アッ=サーダート]]によって外務担当国務大臣代行に任ぜられ、[[イスラエル]]との和平合意に尽力した。サーダート暗殺後も、[[ホスニー・ムバーラク]]の元で[[1991年]]まで務めた。[[1989年]]、ムバーラクに随行して日本の[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]に参列している。<br /> <br /> [[1992年]]、第6代[[国際連合事務総長|国連事務総長]]に選出された。[[アフリカ大陸]]出身者では初の国連事務総長。『[[平和への課題]]』(アジェンダ・フォー・ピース)などの提言書を次々と発表し、[[国際連合|国連]]改革(主に財政改革)、[[国連平和維持活動|PKO]]改革を実施した。就任時点での年齢69歳と1ヶ月は、歴代の国際連合事務総長のなかで最高齢の記録である。<br /> <br /> しかし、ガーリが主張したPKO改革の大きな柱であった「平和強制部隊(平和執行部隊)」は、[[ソマリア内戦]]への介入([[第二次国際連合ソマリア活動]])で予想以上の損害を出し、アメリカ軍を始めとした平和強制部隊を構成する部隊の多くが撤退。ソマリア内戦は一層の泥沼化を見せて、ガーリの平和強制部隊構想は失敗に終わる。また、この失敗を受けて、[[1996年]]の事務総長選挙の際にはアメリカが[[拒否権]]を発動して再選を阻止したため退任した。この判断には圧倒的多数の理事国がガーリを選出していたにも関わらず、アメリカ一国の反対で押し切られたとして、国際社会から大きな批判がアメリカに集中した。一方で[[整理解雇|人員削減]]・給与カットなどに終始し、国連の業務に支障が出るなど、改革が必ずしもいい方向に行かなかったためにアメリカは分担金の支払いを拒否しており、この退任は妥当であるという評価もある。学者であるがゆえに国連政策の理論を構築したが、実務面では非常に評価が低いという見方も存在する。国連改革およびガーリの後任は、国連事務局に長年勤めていた[[コフィー・アナン]]に引き継がれることになる。<br /> <br /> [[1997年]]11月、[[ハノイ]]において開催された第7回[[フランコフォニー国際機関|フランコフォニー]]・サミットにおいて、新設の{{仮リンク|フランコフォニー事務総長|label=事務総長|fr|Secrétaire général de la Francophonie}}に選出され、翌1998年から2002年まで務めた。<br /> <br /> [[2006年]]、イスラエル元首相[[シモン・ペレス]]と共著を出版。[[2007年]][[1月]]、従兄弟が役員を務める石油会社がイラクの復興事業に絡み、国連事務次長だった{{仮リンク|ベノン・セヴァン|en|Benon Sevan}}にリベートを送っていたことが判明した([[イラク武装解除問題#国連汚職問題|国連汚職問題]] - [[石油食料交換プログラム]])。<br /> <br /> 2016年2月16日、カイロ市内の病院で93歳で死去&lt;ref&gt;{{Cite news<br /> | url=http://uk.reuters.com/article/uk-people-boutrosghali-idUKKCN0VP1XT<br /> | title=Former U.N. chief Boutros Boutros-Ghali dead at 93<br /> | work=[[ロイター]]<br /> | publisher=<br /> | date=2016-02-16<br /> | accessdate=2016-02-17<br /> }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 日本との関係 ==<br /> 訪日時には必ず[[東郷神社 (渋谷区)|東郷神社]]に参拝していた&lt;ref&gt;[[ニューヨーク・タイムズ]] Boutros-Ghali vs. &#039;Goliath&#039;: His AccountBy BARBARA CROSSETTE<br /> Published: November 20, 1996 [http://www.nytimes.com/1996/11/20/world/boutros-ghali-vs-goliath-his-account.html] &quot;When Boutros Boutros-Ghali visits Japan, he inevitably makes a quiet pilgrimage to an obscure shrine in what an aide calls &#039;&#039;some godawful far-reaching corner of Tokyo.&#039;&#039; There, with incense drifting around him, the Secretary General pauses alone for a moment or two and bows. The shrine is a monument to Adm. Heihachiro Togo, the Japanese naval commander who defeated Russian fleets at Port Arthur and the Tsushima Strait in 1904 and 1905 &quot;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==著書==<br /> *[http://www.amazon.fr/gp/product/2804800709/ 60 ans de conflit israelo-arabe : Temoignages pour l&#039;Histoire](シモン・ペレスとの共著)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> {{Commonscat|Boutros Boutros-Ghali}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 西山教行「[http://www.momiji.h.kyoto-u.ac.jp/~nishiyama/Francophonie2003.pdf フランコフォニーの成立と展望]」『フランス語教育』特別号、21-31ページ、2003年<br /> * {{Cite news |title=Boutros Boutros-Ghali: The world is his oyster |newspaper=Al-Ahram Weekly |date=10-18 January 2006 |url=http://weekly.ahram.org.eg/2006/777/profile.htm |accessdate=2011-02-25|language= en|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120630162722/http://weekly.ahram.org.eg/2006/777/profile.htm |archivedate=2012年6月30日 |deadurldate=2017年9月}} <br /> * {{Cite web |url=http://www.francophonie.org/Les-anciens-Secretaires-generaux.html |title=Les anciens Secrétaires généraux |publisher=[[フランコフォニー国際機関|Organisation Internationale de la Francophonie]] |accessdate=2011-02-25 |language=[[フランス語]]}}<br /> <br /> {{start box}}<br /> {{s-dip}}<br /> {{Succession box<br /> | title = [[ファイル:Flag of La Francophonie.svg|25px]] [[フランコフォニー国際機関]]事務総長<br /> | years = 初代:1998年 - 2002年<br /> | before = (新設)<br /> | after = [[アブドゥ・ディウフ]]<br /> }}<br /> {{end box}}<br /> <br /> {{国際連合事務総長}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ふとろす かあり ふとろす}}<br /> [[Category:国際連合事務総長]]<br /> [[Category:エジプトの外交官]]<br /> [[Category:エジプトの政治家]]<br /> [[Category:エジプトの学者]]<br /> [[Category:国際法学者]]<br /> [[Category:国際関係研究者]]<br /> [[Category:エジプトのキリスト教徒]]<br /> [[Category:非カルケドン派の信者]]<br /> [[Category:ロシア科学アカデミー外国人会員]]<br /> [[Category:カイロ大学の教員]]<br /> [[Category:カイロ大学出身の人物]]<br /> [[Category:パリ大学出身の人物]]<br /> [[Category:カイロ出身の人物]]<br /> [[Category:1922年生]]<br /> [[Category:2016年没]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 玉島テレビ放送 2018-07-09T17:32:24Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{基礎情報 会社<br /> | 社名 = 玉島テレビ放送株式会社<br /> | 英文社名 = Tamashima TV<br /> | ロゴ =<br /> | 種類 = 株式会社<br /> | 市場情報 =<br /> | 略称 = たまテレ<br /> | 国籍 = {{JPN}}<br /> | 本社郵便番号 = 713-8121<br /> | 本社所在地 = [[岡山県]][[倉敷市]][[玉島地域|玉島]]阿賀崎一丁目2番31号<br /> | 設立 = [[1982年]](昭和57年)[[11月]]<br /> | 業種 = 5250<br /> | 事業内容 = ケーブルテレビ事業、インターネット事業 他<br /> | 代表者 = 取締役[[会長]] 安藤實&lt;br /&gt;[[代表取締役]][[社長]] 藤井鉄郎&lt;br /&gt;取締役[[相談役]] 平井弘明<br /> | 資本金 = 1億1,025万円<br /> | 売上高 =<br /> | 従業員数 = 20人<br /> | 決算期 =<br /> | 主要株主 = 安藤實&lt;br /&gt;平井弘明&lt;br /&gt;[[玉島信用金庫]]&lt;br /&gt;玉島商工会議所&lt;br /&gt;[[倉敷市]]&lt;br /&gt;[[山陽新聞|山陽新聞社]]<br /> | 主要子会社 =<br /> | 関係する人物 =<br /> | 外部リンク = http://www.tamashima.tv/<br /> | 特記事項 =<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;玉島テレビ放送株式会社&#039;&#039;&#039;(たましまテレビほうそう)は、[[岡山県]]南部をエリアとする[[ケーブルテレビ]]局である。略称は「&#039;&#039;&#039;たまテレ&#039;&#039;&#039;」(社屋移転までは「TTC」)。<br /> <br /> [[インターネットサービスプロバイダ|ISP]]事業は同社及び[[ケーブルネットワーク金光]]エリアで事業展開している。<br /> <br /> 同じ倉敷市内に本社を置く[[倉敷ケーブルテレビ]](KCT)・[[エフエムくらしき]]と共に、[[倉敷コミュニティ・メディア]](KCM)を結成している。<br /> <br /> == 本社所在地 ==<br /> * 岡山県倉敷市玉島阿賀崎1-2-31<br /> ** かつては[[倉敷市役所#支所#玉島支所|倉敷市役所玉島支所]]の隣に社屋があったが、[[2010年]][[4月1日]]に現在の場所に移転され、旧社屋は解体された。<br /> <br /> == サービスエリア ==<br /> * [[岡山県]][[倉敷市]]([[玉島地域|玉島]]地区、[[船穂町|船穂]]地区)<br /> <br /> == ISPのみのサービスエリア ==<br /> * 岡山県[[浅口市]](金光町)<br /> ** [[インターネットサービスプロバイダ|ISP]]事業([[ケーブルネットワーク金光]]の回線を使用)のみ<br /> <br /> == 自主放送チャンネル ==<br /> [[地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送(地デジ)]]の12ch(アナログ放送では2ch)において、自主放送チャンネル「&#039;&#039;&#039;たまテレちゃんねる&#039;&#039;&#039;」が設けられている。社屋移転後は16:9[[ハイビジョン]]による放送がされている。また、[[2013年]][[9月]]中旬より地デジにおいて[[データ放送]]が実施されている。<br /> <br /> 番組は毎日18時を基点に、1〜3時間ごとのローテーションで同じ内容が繰り返して放送される(早朝4時〜6時は放送休止)。<br /> <br /> == 主な放送チャンネル ==<br /> === 地上波系列別再送信局 ===<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !NHK-G<br /> !NHK-E<br /> !NNN<br /> !ANN<br /> !JNN<br /> !TXN<br /> !FNN<br /> !JAITS<br /> |-<br /> |[[NHK岡山放送局|NHK岡山]]<br /> |NHK岡山<br /> |[[西日本放送テレビ|西日本放送]]<br /> |[[瀬戸内海放送]]<br /> |[[山陽放送テレビ|山陽放送]]<br /> |[[テレビせとうち]]<br /> |[[岡山放送]]<br /> |[[サンテレビジョン|サンテレビ]]<br /> |}<br /> <br /> === テレビ局 ===<br /> *[[日本デジタル配信]]の地上光ネットワークを使用している。以前は[[アイ・ヒッツ|i-HITS]]を使用していた。記載はないがPPVは[[ジャパン ケーブルキャスト|JC-HITS]]を使用している。&lt;!--JC-HITSについては「玉島テレビ放送」公式サイトでは使用の確認ができない。i-HITSも、i-HITS公式サイトのリストに玉島テレビ放送が載っているのみ--&gt;<br /> <br /> ;地上波放送<br /> *[[地上デジタルテレビ放送|地上デジタル放送]]は、同放送の対応テレビまたはチューナであれば視聴可能。<br /> *地上デジタル放送は[[2006年]][[12月1日]]より開始。<br /> *アナログ放送は2011年7月1日から[[2011年問題 (日本のテレビジョン放送)#デジアナ変換|デジアナ変換]]によって放送が続けられている。2015年3月31日をもって終了した。&lt;ref&gt;[http://www.tamashima.tv/catv/index.html デジアナ変換放送終了のお知らせ]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !デジタル<br /> !放送局<br /> !備考<br /> |-<br /> |D011(1)<br /> |[[NHK岡山放送局|NHK岡山]][[NHK総合テレビジョン|総合]]<br /> |<br /> |-<br /> |D021(2)<br /> |NHK岡山[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]<br /> |<br /> |-<br /> |D031(3)<br /> |[[サンテレビジョン|サンテレビ]]<br /> |デジタル放送では2009年12月1日に再送信開始<br /> |-<br /> |D041(4)<br /> |[[西日本放送テレビ|西日本放送]]<br /> |<br /> |-<br /> |D051(5)<br /> |[[瀬戸内海放送]]<br /> |<br /> |-<br /> |D061(6)<br /> |[[山陽放送テレビ|山陽放送]]<br /> |<br /> |-<br /> |D071(7)<br /> |[[テレビせとうち]]<br /> |<br /> |-<br /> |D081(8)<br /> |[[岡山放送]]<br /> |<br /> |-<br /> |D111(11)<br /> |たまテレチャンネル11<br /> |<br /> |-<br /> |D121(12)<br /> |たまテレチャンネル12<br /> |<br /> |}<br /> <br /> ;BSデジタル放送<br /> *アナログ変換は[[2007年]][[11月30日]]をもって終了した。<br /> <br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !チャンネル<br /> !放送局<br /> !備考<br /> |-<br /> |BS101(1)<br /> |[[NHK衛星第1テレビジョン|NHK BS1]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS103(3)<br /> |[[NHK BSプレミアム]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS141(4)<br /> |[[BS日本|BS日テレ]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS151(5)<br /> |[[ビーエス朝日|BS朝日]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS161(6)<br /> |[[BS-TBS]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS171(7)<br /> |[[BSジャパン]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS181(8)<br /> |[[BSフジ]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS191(9)<br /> |[[WOWOW]]プライム<br /> |rowspan=3|別途契約チャンネル<br /> |-<br /> |BS192<br /> |WOWOWライブ<br /> |-<br /> |BS193<br /> |WOWOWシネマ<br /> |-<br /> |BS200(10)<br /> |[[スター・チャンネル]] 1<br /> |rowspan=3|別途契約チャンネル<br /> |-<br /> |BS201<br /> |スター・チャンネル 2<br /> |-<br /> |BS202<br /> |スター・チャンネル 3<br /> |-<br /> |BS211(11)<br /> |[[日本BS放送|BS11]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS222(12)<br /> |[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル|BS12トゥエルビ]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS231<br /> |[[放送大学]]<br /> |<br /> |-<br /> |BS258<br /> |[[Dlife]]<br /> |BSパススルー受信のみ視聴可能<br /> |}<br /> <br /> ;CSデジタル放送<br /> *契約したコースによって視聴可能なチャンネルが異なる。いずれも地上波・BSは全チャンネル視聴可能。<br /> **G - Gコース(全チャンネルが視聴可能)※2013年12月1日より提供開始。<br /> **M - Mコース(CSの17チャンネルが視聴可能)※2013年12月1日より提供開始。<br /> **K - 基本コース(CSの15チャンネルが視聴可能)<br /> **T - お手軽コース(CSの2チャンネルのみ視聴可能、別途契約チャンネルはBSのみ視聴可能)<br /> *2013年8月1日より、別途契約チャンネルを除くチャンネルがハイビジョンに移行した。<br /> *※1 : 2013年8月1日より同チャンネルで再送信されていた[[食と旅のフーディーズTV]]の放送終了に伴い、2016年5月1日より再送信開始。<br /> *※2 : 2013年12月1日より再送信開始。<br /> <br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !チャンネル<br /> !放送局<br /> !視聴コース<br /> !備考<br /> |-<br /> |C314<br /> |[[倉敷市]]広報チャンネル<br /> |G/M/K/T<br /> |<br /> |-<br /> |C611<br /> |[[スカイ・エー|スカイ・A sports+]] HD<br /> |G/K<br /> |<br /> |-<br /> |C612<br /> |[[GAORA]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C622<br /> |[[チャンネルNECO]] HD<br /> |G/K<br /> |<br /> |-<br /> |C225<br /> |[[東映チャンネル]]<br /> |G/M/K<br /> |別途契約チャンネル<br /> |-<br /> |C226<br /> |[[衛星劇場]]<br /> |G/M/K<br /> |別途契約チャンネル<br /> |-<br /> |C630<br /> |[[ファミリー劇場]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C631<br /> |[[スーパー!ドラマTV]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C642<br /> |[[キッズステーション]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C658<br /> |[[テレ朝チャンネル#テレ朝チャンネル2 ニュース・スポーツ|テレ朝チャンネル2 ニュース・スポーツ]] HD<br /> |G/K<br /> |<br /> |-<br /> |C662<br /> |[[スペースシャワーTV]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C663<br /> |[[MTVジャパン|MTV]] HD<br /> |G/M/K<br /> |<br /> |-<br /> |C664<br /> |[[歌謡ポップスチャンネル]] HD<br /> |G/K<br /> |<br /> |-<br /> |C671<br /> |[[ショップチャンネル]] HD<br /> |G/M/K/T<br /> |<br /> |-<br /> |C672<br /> |[[QVC]] HD<br /> |G/M/K/T<br /> |<br /> |-<br /> |C678<br /> |[[旅チャンネル]] HD<br /> |G/K<br /> |※1<br /> |-<br /> |C683<br /> |[[ザ・シネマ]] HD<br /> |G/K<br /> |<br /> |-<br /> |C684<br /> |[[J SPORTS]] 1 HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C685<br /> |J SPORTS 2 HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C686<br /> |[[日本映画専門チャンネル]] HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C687<br /> |[[時代劇専門チャンネル]] HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C688<br /> |[[LaLa TV|女性チャンネル♪LaLa TV]] HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C689<br /> |[[アニマックス]] HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C690<br /> |[[ディスカバリーチャンネル]] HD<br /> |G/M<br /> |※2<br /> |-<br /> |C691<br /> |[[フジテレビONE|フジテレビONE スポーツ・バラエティ]] HD<br /> |G<br /> |※2<br /> |-<br /> |C692<br /> |[[フジテレビTWO|フジテレビTWO ドラマ・アニメ]] HD<br /> |G<br /> |※2<br /> |-<br /> |C693<br /> |[[IMAGICA BS|イマジカBS]] HD<br /> |G<br /> |※2<br /> |}<br /> <br /> === ラジオ局 ===<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> !アナログ<br /> !デジタル<br /> !放送局<br /> |-<br /> |76.8MHz<br /> |<br /> |[[岡山エフエム放送|FM岡山]]<br /> |-<br /> |77.1MHz<br /> |<br /> |[[広島エフエム放送|HFM]]<br /> |-<br /> |78.6MHz<br /> |<br /> |[[エフエム香川|FM香川]]<br /> |-<br /> |80.0MHz<br /> |<br /> |[[NHK岡山放送局|NHK岡山]][[NHK-FM放送|FM]]<br /> |-<br /> |81.0MHz<br /> |<br /> |[[エフエム愛媛|JOEU-FM]]<br /> |-<br /> |82.8MHz<br /> |<br /> |[[エフエムくらしき|FMくらしき]]<br /> |-<br /> |85.1MHz<br /> |<br /> |[[エフエム大阪|FM OH!]]<br /> |-<br /> |14(副音声)<br /> |C274(副音声)<br /> |[[放送大学学園|放送大学ラジオ]]<br /> |}<br /> <br /> == 電話サービス ==<br /> * [[ケーブルプラス電話]]([[KDDI]]との業務提携により提供する[[固定電話]]サービス)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[ケーブルテレビ局の一覧]]<br /> * [[区域外再放送]]<br /> * [[セットトップボックス]]<br /> * [[ケーブルテレビ向けCS放送]]<br /> * [[デジタルチューナー]]<br /> * [[ホームターミナル]]<br /> * [[ケーブルテレビ]]<br /> * [[日本ケーブルラボ]]<br /> * [[日本ケーブルテレビ連盟]]<br /> * [[デジタルCATV実験協議会]]<br /> * [[日本ケーブルキャスセンター]]<br /> * [[日本CATV技術協会]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.tamashima.tv/ たまテレ]<br /> <br /> {{Broadcast-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:たましまてれひほうそう}}<br /> [[Category:倉敷市の企業]]<br /> [[Category:浅口市]]<br /> [[Category:岡山県のケーブルテレビ局]]<br /> [[Category:1982年設立の企業]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 竹原市 2018-07-07T14:29:27Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{日本の市<br /> |画像 = File:Taketsuru_house_Takehara.jpg<br /> |画像の説明 = 町並み保存地区に残る[[竹鶴酒造]](竹鶴政孝生家)<br /> |市章 = [[ファイル:Takehara Hiroshima chapter.JPG|75px|center]]竹原[[市町村章|市章]]<br /> |市章の説明 = [[1963年]][[9月30日]]制定<br /> |自治体名=竹原市<br /> |地方=[[中国地方]]<br /> |都道府県=広島県<br /> |支庁=<br /> |コード=34203-3<br /> |隣接自治体=[[三原市]]、[[東広島市]]、[[豊田郡]][[大崎上島町]]&lt;br/&gt;[[愛媛県]][[今治市]]<br /> |木=[[タケ|竹]]<br /> |花=[[ウメ|梅]]<br /> |シンボル名=<br /> |鳥など=<br /> |郵便番号=725-8666<br /> |所在地=竹原市中央五丁目1番35号&lt;br /&gt;&lt;small&gt;{{ウィキ座標度分秒|34|20|30.3|N|132|54|24.9|E|region:JP-34_type:adm3rd|display=inline,title|name=竹原市}}&lt;/small&gt;&lt;br /&gt;&lt;center&gt;[[ファイル:Takehara city hall.JPG|250px |center]]<br /> |外部リンク=[http://www.city.takehara.lg.jp/ 竹原市ホームページ]<br /> |経度=東経132度54分<br /> |緯度=北緯34度20分<br /> |位置画像={{基礎自治体位置図|34|203}}<br /> |特記事項=<br /> }}<br /> [[file:Takehara City.jpg|thumb|250px|朝日山より望む竹原市街]]<br /> &#039;&#039;&#039;竹原市&#039;&#039;&#039;(たけはらし)は、[[広島県]]の[[市]]。古くから[[瀬戸内地方|瀬戸内]]の交通の要衝として発展した。[[室町時代]]より港町として知られ、[[江戸時代]]後期は製塩業で栄えた。現在は 『&#039;&#039;&#039;[[安芸国|安芸]]の[[小京都]]&#039;&#039;&#039;』 と呼ばれ、[[2000年]]に[[国土交通省]]によって、町並地区が「[[都市景観100選]]」に選定された。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> 広島県の南中部に位置する。市街地は、JR竹原駅を中心として扇状に広がる官公庁・商業地区、港を中心とした港湾・工業地区、文化財が集中する寺院等を含む町並み保存地区に大別される。また、市の特産物であるタケノコなどの産地である小吹地区などに分類される。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {{See|竹原|忠海}}<br /> 元来、[[墾田永年私財法]]により、[[京都市|京都]]・[[賀茂御祖神社|下鴨神社]]の[[荘園]]地として開墾されたのが最初とされるが、名前の由来は、「竹の原」なのか或いは荘園管理者が「竹原氏」であったからかに分かれている。室町後期には、[[毛利氏|毛利家]]三男「[[小早川隆景|隆景]]」が、竹原で幼少期を過ごすなどあったが江戸後期の「[[塩田]]」と「[[酒造]]」により発展し、忠海町には[[関所]]払いができたほどである。また、塩はその当時広島県が全国の80%のシェアーを占め遠く[[大阪府|大阪]]や江戸まで[[北前船]]で輸送した。<br /> <br /> 尚、竹原市の高崎町[[阿波島]]周辺の『スナメリクジラ回遊海面』が[[1930年]]に[[天然記念物]]保護指定されている。これは1960年代までスズキなどの魚を[[スナメリ]]を目印に釣る伝統漁法によって指定されたものである。しかし保護指定にもかかわらず、スナメリは減少し、現在この漁は行われていない。なお、この関連施設として『[[宮島水族館]]』が指定されておりスナメリも飼育されている。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> かつては12村27通りで竹原村と下野村とを区切り、1町16村で成り立っていた。<br /> * [[1952年]](昭和27年)[[4月1日]] [[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]]竹原町・下野村が合併し竹原町(2代)が発足。このときには16村のうち8村ほどを事前統合済みである。<br /> * [[1954年]](昭和29年)[[3月31日]] 東北部に当たる賀茂郡東野村と東部の豊田郡大乗村、及び南方村字立石等の区域のうち一部を編入。<br /> * [[1955年]](昭和30年)3月31日 賀茂郡荘野村、豊田郡田万里村と合併。<br /> * [[1956年]](昭和31年)4月1日 賀茂郡・[[豊田郡]]の郡域再編(詳細は各郡の記事を参照)により同日付で豊田郡の所属となる。<br /> * 1956年[[9月30日]] 豊田郡[[吉名村]]、賀永村大字仁賀のうち賀茂郡西条町へ編入された区域以外を編入。<br /> * [[1958年]](昭和33年)[[11月3日]] 豊田郡竹原町、忠海町が合併し市制施行。<br /> <br /> == 行政 ==<br /> * 市長 : [[今榮敏彦]](2018年1月14日就任、1期目)&lt;ref&gt;[http://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20171224-OYTNT50075.html 竹原市長選 新人・今栄氏が圧勝] - 読売新聞 2017年12月25日&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 経済 ==<br /> [[ファイル:Takehara Post Office-First.JPG|270px|thumb|&lt;center&gt;本瓦葺きの[[竹原郵便局 (広島県)#周辺|旧・竹原郵便局]]]]<br /> === 産業 ===<br /> ==== 漁業 ====<br /> * 吉名漁港<br /> * 長浜漁港<br /> <br /> ==== 工業 ====<br /> * 非鉄金属([[三井金属鉱業]]竹原精煉所)<br /> * 造船<br /> * 木材・建築材料(桐谷材木店)<br /> * 竹原 工業・流通団地(広島県の工業団地で現在1社操業中。広島県、竹原市で企業誘致活動中。)<br /> <br /> ==== 特産品 ====<br /> * [[タケノコ]]<br /> * 葡萄<br /> * [[日本酒]](藤井酒造・中尾酒造・[[竹鶴酒造]])<br /> * [[ジャム]]([[アヲハタ]]の本社工場がある)<br /> * 竹産関連<br /> * 煉瓦<br /> * [[手袋]](アトム)<br /> <br /> == 姉妹都市・提携都市 ==<br /> === 海外 ===<br /> * {{Flagicon|KOR}} [[潭陽郡]]([[大韓民国]][[全羅南道]])<br /> <br /> ===日本国内===<br /> ; {{Visible anchor|その他}}<br /> * 「[[安芸国|安芸]]の[[小京都]]」として全国京都会議に過去に加盟していたが脱退した。しかし、観光都市として「安芸の小京都」と称されている。<br /> <br /> == 地域 ==<br /> === 人口 ===<br /> {{人口統計|code=34203|name=竹原市}}<br /> <br /> === 学校教育 ===<br /> ==== 小学校 ====<br /> * [[竹原市立大乗小学校]]<br /> * 竹原市立荘野小学校 / 平成17年4月竹原市立田万里小学校が統合<br /> * 竹原市立竹原小学校<br /> * 竹原市立竹原西小学校<br /> * 竹原市立忠海小学校 / 平成27年4月、竹原市立忠海西小学校・竹原市立忠海東小学校が合併<br /> * 竹原市立中通小学校<br /> * 竹原市立仁賀小学校<br /> * 竹原市立東野小学校<br /> * [[竹原市立吉名小学校]]<br /> <br /> ==== 中学校 ====<br /> * 竹原市立賀茂川中学校<br /> * [[竹原市立竹原中学校]]<br /> * 竹原市立忠海中学校   (この中学校と竹原市立忠海小学校は併設型であり、2つをまとめて、『忠海学園』とも呼ばれる。)<br /> * [[竹原市立吉名中学校]]<br /> <br /> ==== 高等学校 ====<br /> * [[広島県立竹原高等学校]]<br /> * [[広島県立忠海高等学校]]<br /> <br /> ==== 大学 ====<br /> * [[広島大学]]生物生産学部付属水産実験場<br /> <br /> == 隣接する自治体 ==<br /> * [[三原市]]<br /> * [[東広島市]]<br /> * [[大崎上島町]]<br /> * [[愛媛県]][[今治市]]<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 鉄道 ===<br /> * [[西日本旅客鉄道]]<br /> ** [[呉線]]  [[忠海駅]] - [[安芸長浜駅]] - [[大乗駅]] - [[竹原駅]] - [[吉名駅]]<br /> ** その他、[[山陽新幹線]]が[[三原駅]] - [[東広島駅]]間で当市を通過しているが、殆どがトンネル区間である。<br /> *中心となる駅:竹原駅<br /> <br /> === 空路 ===<br /> * [[広島空港]]<br /> ** 路線タクシー(竹原港・竹原駅より定時運行)<br /> <br /> === バス ===<br /> *高速バス<br /> **[[芸陽バス]]:かぐや姫号([[広島バスセンター]]・[[広島駅]]~竹原駅・竹原港(~忠海駅))<br /> *一般路線バス:芸陽バス<br /> <br /> === 道路 ===<br /> * [[高速道路]]<br /> ** 市の北部を[[山陽自動車道]]が通っているが、[[インターチェンジ]]をはじめとした設備はない。最寄は[[河内インターチェンジ|河内IC]]。忠海は本郷IC。<br /> * [[一般国道]]<br /> ** [[国道2号]]<br /> ** [[国道185号]]<br /> ** [[国道375号]]([[東広島呉自動車道]])<br /> ** [[国道432号]]<br /> * [[都道府県道|県道]]<br /> ** [[広島県道59号東広島本郷忠海線]]<br /> ** [[広島県道75号三原竹原線]]<br /> ** [[広島県道208号吉名停車場線]]<br /> ** [[広島県道209号大乗停車場線]]<br /> ** [[広島県道246号竹原港線]]<br /> ** [[広島県道330号上三永竹原線]]<br /> ** [[広島県道351号造賀田万里線]]<br /> ** [[広島県道369号南方竹原線]]<br /> ** [[広島県道464号竹原吉名線]]<br /> <br /> === 港湾 ===<br /> * [[竹原港]](内港・外港)<br /> * 吉名港<br /> * [[忠海港]]<br /> <br /> ==== 航路 ====<br /> * 竹原港<br /> ** [[しまなみ海運]](竹原 - [[大崎上島]] - [[大崎下島]][[御手洗港|大長]])<br /> ** [[山陽商船]]・[[大崎汽船]](竹原 - 大崎上島)<br /> ** [[契島運輸]](竹原・内港 - [[契島]])<br /> ** [[中・四国フェリー]](竹原 - [[波方港|波方]])2009年4月30日に廃止&lt;ref name=&quot;47NEWS&quot;&gt;{{Cite news|url=http://www.47news.jp/localnews/hiroshima/2009/05/post_20090501120238.html|title=中・四国フェリーが最終運航|publisher=47NEWS|date=2009-05-01|accessdate=2011-11-19}}&lt;/ref&gt;<br /> * 忠海港<br /> ** [[大三島フェリー]](忠海 - [[大久野島]] - [[大三島]])<br /> ** [http://www.qkamura.or.jp/ohkuno/oku_ship.html 休暇村大久野島](忠海 - 大久野島)<br /> <br /> == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==<br /> === レジャー ===<br /> * [[大久野島]]<br /> * 湯坂温泉郷<br /> * 黒滝山<br /> * バンブージョイハイランド<br /> <br /> === 観光 ===<br /> * [[竹原|町並み保存地区]](国[[重要伝統的建造物群保存地区]])&lt;!--上市・下市--&gt;<br /> **竹原歴史民俗資料館(旧[[市立竹原書院図書館]])<br /> **[[竹鶴酒造]]([[竹鶴政孝]]の生家)<br /> * [[木村城]]([[小早川隆景]]が入城) <br /> * [[竹取物語|かぐや姫]]美術館<br /> * 今井政之陶芸会館 <br /> * たけはら美術館(池田勇人寄贈美術品等)<br /> * 道の駅たけはら<br /> * 海の駅たけはら<br /> <br /> === 祭り ===<br /> * 二窓の神明祭(2月)<br /> * 宮床祭り(4月)<br /> * 竹祭り(5月)<br /> * 仁賀れんげ祭り(5月)<br /> * 忠海祇園祭(7月)県の無形文化財に指定されている<br /> * たけはら夏まつり花火大会(8月)<br /> * 磯宮八幡宮大祭(9月)<br /> * [[憧憬の路]](10月または11月)<br /> * 恵比寿講(11月)<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Shokei no michi 1.JPG|憧憬の路([[2012年]][[10月27日]])、竹の中に蝋燭の火が灯る<br /> File:Shokei no michi 2.JPG|憧憬の路([[2012年]][[10月27日]])、憧憬広場<br /> File:Shokei no michi 3.JPG|憧憬の路([[2012年]][[10月27日]])、町並み保存センター付近<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 旧跡 ===<br /> * [[大日本帝国陸軍|旧日本陸軍]][[陸軍造兵廠|造兵廠]]火工廠 忠海製造所<br /> *[[木村城]]:県指定史跡。<br /> <br /> == 竹原を舞台とした作品 ==<br /> === 漫画・アニメ ===<br /> * 「[[たまゆら (アニメ)|たまゆら]]」(2010年 [OVA])<br /> ** 「たまゆら〜hitotose〜」(2011年 [TVアニメ])<br /> ** 「たまゆら〜もあぐれっしぶ〜」(2013年 [TVアニメ])<br /> ** 「たまゆら〜卒業写真〜」(2015-2016年 [OVA・劇場公開作品])<br /> <br /> === テレビドラマ ===<br /> * NHK連続テレビ小説「[[マッサン]]」<br /> <br /> === 映画 ===<br /> * 「[[時をかける少女 (1983年の映画)]]」<br /> <br /> == 竹原市ゆかりの有名人 ==<br /> * [[池田勇人]]([[政治家]]、元[[内閣総理大臣]])<br /> * [[池田行彦]](政治家)<br /> * [[大内寛文]](元[[ラグビー日本代表]]選手、当市に所在する長善寺住職)<br /> * [[大藤剛宏]](医師)<br /> * [[唐島基智三]]([[評論家|政治評論家]]、[[ジャーナリスト]])<br /> * [[河野一之]](元[[財務事務次官|大蔵事務次官]]、[[太陽神戸銀行]]会長)<br /> * [[伊藤みのり]]([[広島ホームテレビ]][[アナウンサー]])<br /> * [[伊藤修令]](元[[プリンス自動車工業]]~[[日産自動車]]所属、7代目~8代目[[日産・スカイライン|スカイライン]]開発責任者)<br /> * [[今井政之]]([[陶芸家]])<br /> * [[阪田恒四郎]]([[サカタインクス]]創業者)<br /> * [[竹鶴政孝]]([[ニッカウヰスキー]]創始者)<br /> * [[浜田省吾]]([[シンガーソングライター]])<br /> * [[村上定]](実業家、ジャーナリスト)<br /> * [[頼杏坪]](儒学者、漢詩人)<br /> * [[頼春水]](儒学者、漢詩人)<br /> * [[頼春風]](儒学者、漢詩人、医師)<br /> * [[頼山陽]](父・頼春水は竹原出身であるが、山陽は[[大阪市|大坂]]江戸堀に生まれ、[[広島市|広島]][[袋町 (広島市)|杉ノ木小路]]で育つ)<br /> * [[中井正一]]([[美学|美学者]]、[[評論|評論家]])<br /> * [[長谷川繁雄]](元[[プロ野球選手]]・[[南海ホークス]]~[[中日ドラゴンズ]]~[[近鉄バファローズ]])<br /> * [[白崎泰夫]](元プロ野球選手・[[南海ホークス]])<br /> * [[樋口賢]](元プロ野球選手・[[中日ドラゴンズ]])<br /> * 白島 明 旧姓 大上([[シンガーソングライター|元、世良公則とツイストメンバー・シンガーソングライター]])http://www.drillspin.com/person/view/ARDSAX269201<br /> * 舟本 浩 (国土交通省 観光庁 観光戦略課長)<br /> * [[平和勝次とダークホース|平和勝次]]([[芸人]]、[[演歌歌手]])<br /> * 六代目[[柳亭左楽]]([[落語家]])<br /> * [[桐谷広人]]([[将棋棋士]]、[[投資家]])<br /> * 笹原綾乃([[フリーアナウンサー]]、[[広島エフエム放送]][[アナウンサー]]、[[広島ホームテレビ]]ココブランニュー[[リポーター]])<br /> * 近藤志保([[広島エフエム放送]][[アナウンサー]])<br /> * [[油谷誠至]]([[映画監督]])<br /> * [[佐渡斉]]([[千葉県]][[四街道市]]長、元[[千葉県議会]]議員)<br /> * [[土肥美緒]](元[[女優]]・[[エステティシャン]])<br /> * [[五十嵐広行]](ダンサー、プロデューサー・EXILE HIRO 竹原市生まれ・横浜育ち)<br /> *[[ 山根良顕]](お笑い芸人・アンガールズ)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 通信 ==<br /> {{Multimedia|竹原市の画像}}<br /> * [[たけはらケーブルネットワーク]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Takehara, Hiroshima}}<br /> * [http://www.city.takehara.lg.jp/ 竹原市]<br /> * [http://www.takeharakankou.jp/ 竹原市観光協会]<br /> <br /> {{広島県の自治体}}<br /> {{Authority control}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:たけはらし}}<br /> [[Category:広島県の市町村]]<br /> [[Category:竹原市|*]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 宍粟市 2018-07-07T14:07:39Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{日本の市<br /> |画像 = ファイル:Iwajinja-b.jpg<br /> |画像の説明 = 伊和神社<br /> |市章 = [[ファイル:Flag of Shiso Hyogo.JPG|100px|border|center]]宍粟[[市町村旗|市旗]][[ファイル:Shiso Hyogo chapter.JPG|75px|center]]宍粟[[市町村章|市章]]<br /> |市章の説明 =市旗・市章、共に[[2005年]]([[平成]]17年)[[4月1日]]制定<br /> |自治体名=宍粟市<br /> |都道府県=兵庫県<br /> |支庁=<br /> |コード=28227-8<br /> |隣接自治体=[[養父市]]、[[朝来市]]、[[たつの市]]、[[姫路市]]、&lt;br /&gt;[[神崎郡]][[神河町]]、[[佐用郡]][[佐用町]]&lt;br /&gt;[[岡山県]]:[[美作市]]、[[英田郡]][[西粟倉村]]&lt;br /&gt;[[鳥取県]][[八頭郡]][[若桜町]]<br /> |木=[[ブナ]]<br /> |花=[[ササユリ]]<br /> |シンボル名=他のシンボル<br /> |鳥など=-<br /> |郵便番号=671-2593<br /> |所在地=宍粟市山崎町中広瀬133番地6&lt;br /&gt;&lt;small&gt;{{ウィキ座標度分秒|35|0|16|N|134|32|58|E|region:JP-28_type:adm3rd|display=inline,title}}&lt;/small&gt;&lt;br /&gt;[[File:Shiso City Hall.JPG|250px|宍粟市役所]]<br /> |外部リンク=[http://www.city.shiso.lg.jp/ 宍粟市]<br /> |経度=<br /> |緯度=<br /> |位置画像={{基礎自治体位置図|28|227}}<br /> |特記事項=<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;宍粟市&#039;&#039;&#039;(しそうし)は、[[兵庫県]]の中西部に位置する[[市]]。[[西播磨県民局]]管轄区域。<br /> <br /> 2005年(平成17年)4月1日に、[[宍粟郡]]の4町([[山崎町 (兵庫県)|山崎町]]、[[一宮町 (兵庫県宍粟郡)|一宮町]]、[[波賀町]]、[[千種町 (兵庫県)|千種町]])が合併して誕生した。人口は県内41自治体中第25位、面積は[[豊岡市]]に次ぎ県内第2位である。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[File:Yamasaki district Shisou city Aerial photograph.1976.jpg|thumb|300px|市役所のある[[山崎町 (兵庫県)|山崎地区]]周辺の空中写真。&lt;br/&gt;1976年撮影の3枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]<br /> [[File:Ibo-River,Yoi,Yamasaki-cho,Shiso.jpg|thumb|280px|right|揖保川(山崎町杉ケ瀬より)]]<br /> [[File:Yamasakitown Shisocity Hyogopref arban area.JPG|thumb|260px|最上山公園から望む宍粟市中心部]]<br /> <br /> 宍粟市は兵庫県の中西部、[[神戸市]]から約100km、[[姫路市]]から約30kmに位置し西は[[岡山県]]に、北は[[鳥取県]]に接している。<br /> <br /> 市域は東西約32km、南北約42kmと広大で県内でも豊岡市に次ぐ面積となっているが市域の大部分が山地であるため人口密度は低い。主要な河川は[[揖保川]]と[[千種川]]で、どちらも[[播磨灘#播磨灘に流れ込む主な川|播磨五川]]に含まれる。[[一級水系|一級河川]]でもある[[揖保川]]は、市北部[[波賀町]]の[[戸倉峠]]付近に発し音水湖 (引原ダム)を擁する引原川と市北東部の[[一宮町 (兵庫県宍粟郡)|一宮町]]に発する三方川が一宮町安積で合流し名を変えたもので、市南部[[山崎町 (兵庫県)|山崎町]]を通り[[たつの市]]、[[姫路市]]へと南流する。一方、[[名水百選]]にも選ばれている[[千種川]]は市北西部[[千種町 (兵庫県)|千種町]]の江浪峠に発し南流、[[佐用郡]][[佐用町]]、[[赤穂郡]][[上郡町]]を貫流し[[赤穂市]]へと流れる。<br /> <br /> また市の大部分は山林地帯であり、「宍粟50名山」を指定するなど「&#039;&#039;&#039;しそう森林王国&#039;&#039;&#039;」を謳っていて、[[波賀町]]には県内最高峰[[氷ノ山]]、[[千種町 (兵庫県)|千種町]]には第二峰[[三室山 (兵庫県・鳥取県)|三室山]]、第三峰[[後山]]を擁する。[[森林セラピー基地]]に認定されている。<br /> &lt;div style=&quot;width:72%;&quot;&gt;<br /> {{Weather box<br /> |location = 一宮<br /> |metric first = Y<br /> |single line = Y<br /> |Jan high C = 7.3<br /> |Feb high C = 8.2<br /> |Mar high C = 12.2<br /> |Apr high C = 18.9<br /> |May high C = 23.3<br /> |Jun high C = 26.5<br /> |Jul high C = 29.8<br /> |Aug high C = 31.5<br /> |Sep high C = 27.2<br /> |Oct high C = 21.5<br /> |Nov high C = 15.7<br /> |Dec high C = 10.1<br /> |year high C = 19.3<br /> |Jan low C = -1.5<br /> |Feb low C = -1.3<br /> |Mar low C = 1.1<br /> |Apr low C = 5.8<br /> |May low C = 10.9<br /> |Jun low C = 16.1<br /> |Jul low C = 20.9<br /> |Aug low C = 21.6<br /> |Sep low C = 17.7<br /> |Oct low C = 10.8<br /> |Nov low C = 4.9<br /> |Dec low C = 0.4<br /> |year low C = 8.9<br /> |Jan precipitation mm = 63.8<br /> |Feb precipitation mm = 84.5<br /> |Mar precipitation mm = 135.2<br /> |Apr precipitation mm = 137.9<br /> |May precipitation mm = 195.5<br /> |Jun precipitation mm = 225.8<br /> |Jul precipitation mm = 272.9<br /> |Aug precipitation mm = 164.3<br /> |Sep precipitation mm = 212.0<br /> |Oct precipitation mm = 117.6<br /> |Nov precipitation mm = 75.4<br /> |Dec precipitation mm = 62.3<br /> |year precipitation mm = 1739.9<br /> |unit precipitation days = 1.0 mm<br /> |Jan precipitation days = 10.4<br /> |Feb precipitation days = 11.0<br /> |Mar precipitation days = 12.7<br /> |Apr precipitation days = 10.4<br /> |May precipitation days = 11.3<br /> |Jun precipitation days = 12.8<br /> |Jul precipitation days = 13.2<br /> |Aug precipitation days = 9.8<br /> |Sep precipitation days = 10.8<br /> |Oct precipitation days = 8.3<br /> |Nov precipitation days = 7.8<br /> |Dec precipitation days = 9.1<br /> |year precipitation days = 127.9<br /> |Jan sun = 81.1<br /> |Feb sun = 88.2<br /> |Mar sun = 124.1<br /> |Apr sun = 157.0<br /> |May sun = 167.7<br /> |Jun sun = 137.4<br /> |Jul sun = 140.8<br /> |Aug sun = 157.1<br /> |Sep sun = 120.8<br /> |Oct sun = 131.6<br /> |Nov sun = 106.3<br /> |Dec sun = 95.0<br /> |year sun = 1508.2<br /> |source 1 = [http://www.jma.go.jp/jma/ 気象庁]<br /> }}<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> === 隣接している自治体 ===<br /> ==== 兵庫県 ====<br /> <br /> *[[姫路市]]、[[養父市]]、[[朝来市]]、[[たつの市]]<br /> *[[神崎郡]][[神河町]]<br /> *[[佐用郡]][[佐用町]]<br /> <br /> ==== 岡山県 ====<br /> *[[美作市]]、[[英田郡]][[西粟倉村]]<br /> <br /> ==== 鳥取県 ====<br /> *[[八頭郡]][[若桜町]]<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> [[File:Ichinomiyatown Azumi Shisocity Hyogopref Route 29.JPG|thumb|240px|一宮町中心部&lt;br/ &gt;一宮町安積で撮影]]<br /> 「宍粟」の名称は山崎町の中心部に残る地名・鹿沢(しかざわ)を古くは「ししさわ」と読んだことに由来する。以後「ししさわ→ししあわ→しさわ→しそう」と変化し「ししあわ」に「宍禾」ないし「宍粟」の漢字が当てられた。「宍禾」は『[[播磨国風土記]]』で用いられている古い表記で、新市名決定の際も「宍禾市(しさわし)」の案が対抗馬とされていた。竹内正浩の「日本の珍地名」(文春新書)で難読・誤読地名番付の「西の横綱」と紹介された。<br /> <br /> === 山崎町 ===<br /> 市南部に位置する。古来から[[因幡街道]]による山陽と山陰の結節点として発展しており、江戸時代には本多家[[山崎藩]]1万石の[[城下町]](のち[[陣屋]]町)として一層の発展を遂げた。また、[[1621年]]([[元和 (日本)|元和]]7年)には町内在住の龍野屋孫兵衛により[[揖保川]]水運が開かれ[[高瀬舟]]の就航が可能となり郡内の物資の集積地としてより一層の発展が進んだ。[[明治維新|維新]]後、[[廃藩置県]]により山崎藩が廃され[[山崎県]]が置かれたが、のち[[姫路県]]([[姫路県|飾磨県]])に統合され、再び[[兵庫県]]に統合され現在に至る。維新後も昭和期に郡制が廃止されるまで[[宍粟郡]]の郡役所が所在するなど、古くから[[宍粟郡]]の中心市街として発展してきた。現在でも[[姫路市]]・[[鳥取市]]を結ぶ[[国道29号]]と[[京阪神]]・[[中国地方]]を結ぶ[[中国自動車道]]の交点となっており交通の要衝となっている。また[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]など大型量販店が進出しており、[[播磨]]北西部(宍粟市・[[佐用町]])の中心市街となっている。<br /> <br /> === 一宮町 ===<br /> [[File:Ichinomiyatown Shimada Shisocity Hyogopref Ibo river.JPG|thumb|240px|市内を流れる揖保川(一宮町嶋田)]]<br /> 市北東部に位置する。古代の[[播磨国]][[宍粟郡]]の地であり、町内の須行名(すぎょうめ)には[[延喜式]]大社・[[伊和神社]]が鎮座する。伊和神社は播磨国[[一の宮|一ノ宮]]であり、町名の由来となった。『[[播磨国風土記]]』によれば、伊和大神は揖保川流域を中心に[[西播磨]]一帯を支配した大勢力が尊崇した神のようである。中世には播磨国[[守護]][[赤松氏]]歴代の尊崇と庇護を得た。現在は町内に国道29号及び[[国道429号]]が通り、国道29号沿いの須行名から東市場、安積(あづみ)にかけての地区が宍粟市北部の拠点街として栄えている。<br /> <br /> === 波賀町 ===<br /> 市北部に位置する。弘長年間(1261-63)に芳賀七郎が築城した[[波賀城]]に、13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として、因幡街道を抑える要所に拠った。市制施行当初より[[豪雪地帯]]、[[過疎地域自立促進特別措置法]]による[[過疎地域]]に指定されている。町内で国道29号、国道429号が交差する。町西部で[[鳥ヶ乢]]トンネルを介して[[千種町 (兵庫県)|千種町]]と連絡する。<br /> <br /> === 千種町 ===<br /> 市北西部に位置する。『[[播磨国風土記]]』によると古くは神々が腰を下ろす場を意味する「敷草村」と呼ばれていた。また古来より千種鉄(宍粟鉄)の生産地として有名であり、千種鉄は上質なことで名をはせたことから、製鉄業を中心に発展した。今も[[たたら製鉄]]所跡が残っている。また、江戸時代には[[天領]]となった。しかし明治に入ると西洋式製鉄に圧されて廃業を余儀なくされ、町の中心産業は林業へと転換が計られたが、安価な外国産木材の流入により需要が激減した。[[明治維新|維新]]後は[[久美浜県]]、[[生野県]]、[[姫路県]](のち[[姫路県|飾磨県]])を経て、[[兵庫県]]の所属となる。市制施行当初より豪雪地帯、過疎地域自立促進特別措置法による過疎地域に指定され、[[過疎化]]、[[少子高齢化]]が深刻である。町内を横断して国道429号が通っており、西は[[岡山県]][[津山市]]、東は[[波賀町]]、[[一宮町 (兵庫県宍粟郡)|一宮町]]へと通じている。町東部で鳥ヶ乢トンネルを介して波賀町と連絡する。<br /> <br /> &#039;&#039;(この他の詳細な歴史は、[[播磨国]]、[[山崎藩]] の各項目も参照のこと。)&#039;&#039;<br /> * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] 町村制施行に伴い、宍粟郡山崎町等1町15村発足。<br /> * [[1975年]]([[昭和]]50年)[[10月16日]] [[中国自動車道]][[福崎インターチェンジ|福崎IC]]~[[美作インターチェンジ|美作IC]]間の開通に伴い、[[山崎インターチェンジ (兵庫県)|山崎IC]]供用開始。<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> * [[2005年]]([[平成]]17年)[[4月1日]] - [[一宮町 (兵庫県宍粟郡)|一宮町]]・[[千種町 (兵庫県)|千種町]]・[[波賀町]]・[[山崎町 (兵庫県)|山崎町]]が合併して発足。同時に市章を制定&lt;ref name=&quot;図典 日本の市町村章 p160&quot;&gt;図典 日本の市町村章 p160&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;市章&quot;/&gt;。<br /> * [[2017年]](平成29年)4月1日 - 市全域が過疎地域自立促進特別措置法による過疎地域に指定される。<br /> <br /> == 行政 ==<br /> === 歴代市長 ===<br /> *市長職務執行者 中田耕一郎(旧波賀町長)<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !代!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!備考<br /> |-<br /> |初代||白谷敏明||[[2005年]]5月15日||[[2009年]][[5月14日]] ||旧山崎町長<br /> |-<br /> |第2代||田路勝||[[2009年]]5月15日||[[2013年]]5月14日||旧一宮町長<br /> |-<br /> |第3代||[[福元晶三]]||[[2013年]]5月15日||現職||<br /> |}<br /> <br /> === 行政機関 ===<br /> *市役所:[[2009年]]3月に新市役所が現在地に完成し移転した。新市役所建設までは、旧宍粟郡広域センターと兵庫県山崎庁舎の一部を市役所として使用した。のちに兵庫県山崎庁舎は市が買い上げ、2011年3月から再度、市役所北庁舎として使用している。<br /> **一宮市民局<br /> ***三方町出張所<br /> **波賀市民局<br /> **千種市民局<br /> <br /> === 紋章 ===<br /> [[ファイル:Shiso Hyogo chapter.JPG|thumb|100px|紋章]]<br /> * 「宍」を図案化したものであり、[[2005年]][[4月1日]]の市制施行と同時に制定された。&lt;ref name=&quot;図典 日本の市町村章 p160&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;市章&quot;&gt;{{cite web | url=http://www.city.shiso.lg.jp/d1w_reiki/417902500020000000MH/417902500020000000MH/417902500020000000MH.html| title=宍粟市章| publisher=宍粟市例規集 | accessdate=2012-11-24}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 立法 ==<br /> === 市議会 ===<br /> {{See|宍粟市議会}}<br /> 合併時の特例で2005年の市議選のみ旧町域の単位で選挙区が設置され(カッコ内は定数)、山崎(13)・一宮(7)・波賀(3)・千種(3)の各町で合計26を定数としていた。以後定数は選挙のたびに削減され、2009年5月3日投票の第2回市議選では定数20(選挙区が廃止され市全域が単一選挙区とされた)、2013年5月12日投票の第3回市議選では定数18、2017年4月30日投票の第4回市議選では定数16とされた。<br /> <br /> 市議会議長・副議長は、申し合わせにより任期2年。2017年5月の定例会では、議長に実友勉(創政会)、副議長に西本諭(公明市民の会)を選んだ。<br /> <br /> === 兵庫県議会 ===<br /> 本市でひとつの選挙区(宍粟市選挙区)をなす。その定数は1である。<br /> <br /> * 2007年4月 最終投票率:&#039;&#039;&#039;68.34%&#039;&#039;&#039;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !候補者名!!当落!!政党!!得票<br /> |-<br /> |高嶋利憲||当選||無所属||9,582<br /> |-<br /> |長田執||落選||自民||7,316<br /> |-<br /> |春名哲夫||落選||無所属||7,221<br /> |}<br /> <br /> * 2011年4月 最終投票率:&#039;&#039;&#039;60.48%&#039;&#039;&#039;<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> !候補者名!!当落!!政党!!得票<br /> |-<br /> |春名哲夫||当選||無所属||10,369<br /> |-<br /> |高嶋利憲||落選||無所属||10,205<br /> |}<br /> <br /> * 2015年4月 無投票で春名哲夫が再選<br /> <br /> == 経済 ==<br /> === 産業 ===<br /> *主な産業<br /> **2016年(平成28年)策定の「宍粟市地域創生総合戦略」&lt;ref&gt;[http://www.city.shiso.lg.jp/soshiki/kikakusomu/tiikisouseika/tantoujyouhou/plan/index.html 地域創生総合戦略]宍粟市HP&lt;/ref&gt;では「&#039;&#039;&#039;森林から始まる地域創生&#039;&#039;&#039;」をテーマとして掲げ、林業を主産業として地場産業の強化をはじめ、農商工連携や6次産業化など積極的な産業振興策により、市における経済の活性化と経済循環が高まる取組を進めることとしている。<br /> *主な立地企業<br /> **[http://www.yahatak.co.jp/ 八幡建設株式会社] - 山崎町<br /> **[http://www.ime-group.co.jp/index.html 一宮電機] - 一宮町、山崎町<br /> **[[セイバン]] - 波賀町、千種町<br /> **[[播磨三相電機]] - 山崎町、千種町<br /> **[[ミズノ]] - 山崎町<br /> **[[ミズノ|株式会社ミズノインダストリー波賀]] - 波賀町<br /> **[http://www.sanyouhai.com/ 山陽盃酒造株式会社] - 山崎町<br /> **[http://www.nagatasangyo.co.jp/ 長田産業株式会社] - 山崎町<br /> **[http://www.kinugasa.co.jp/ 衣笠木材株式会社] - 山崎町<br /> **[http://www.toa-ringyo.co.jp/ 東亜林業株式会社] - 山崎町<br /> **[[兵庫県手延素麺協同組合]]山崎支部 - 山崎町<br /> **[[兵庫県手延素麺協同組合]]一宮支部 - 一宮町<br /> **[http://www.utumi.com/index.html ウツミ工業株式会社]<br /> **[[神戸新聞社]]宍粟支局<br /> **[[関西電力]]山崎実験センター<br /> *産業人口<br /> **第1次産業 2,380人(5.2%) <br /> **第2次産業 19,960人(43.6%) <br /> **第3次産業 23,441人(50.9%)<br /> <br /> === 金融機関 ===<br /> ==== 銀行 ====<br /> * [[みなと銀行]]山崎支店<br /> ==== 信用金庫 ====<br /> * [[西兵庫信用金庫]]本店営業部、一宮支店、上野支店、千種支店 - [[指定金融機関]]<br /> ==== 信用組合 ====<br /> * [[淡陽信用組合]]山崎支店、一宮支店、&lt;del&gt;上野支店&lt;/del&gt;、千種支店<br /> ==== 農協 ====<br /> * [[兵庫西農業協同組合|JA兵庫西]]山崎支店、城下支店<br /> * [[ハリマ農業協同組合|JAハリマ]]本所、染河内支所、下三方支所、三方支所、繁盛支所、波賀支所、千種支所<br /> <br /> == 姉妹都市・提携都市 ==<br /> === 国内 ===<br /> * {{Flagicon|JPN}}兵庫県[[高砂市]]<br /> **[[1987年]]に旧波賀町と親善都市提携<br /> <br /> === 海外 ===<br /> *{{Flagicon|USA}} [[スクイム]]市([[アメリカ合衆国]] [[ワシントン州]])<br /> **[[1993年]][[6月]]に旧山崎町と姉妹都市提携。<br /> <br /> == 地域 ==<br /> === 施設 ===<br /> ==== 警察署 ====<br /> *[[宍粟警察署|兵庫県宍粟警察署]](山崎町今宿) - 旧山崎警察署<br /> **安積警部派出所・曲里交番(一宮町安積)<br /> **山崎中央交番(山崎町鹿沢)<br /> **御名駐在所(山崎町御名)<br /> **戸原駐在所(山崎町宇原)<br /> **高下駐在所(山崎町高下)<br /> **土万駐在所(山崎町土万)<br /> **上牧谷駐在所(山崎町上牧谷)<br /> **田井駐在所(山崎町田井)<br /> **河東駐在所(山崎町三谷)<br /> **染河内駐在所(一宮町能倉)<br /> **三方駐在所(一宮町三方町)<br /> **繁盛駐在所(一宮町上岸田)<br /> **安賀駐在所(波賀町安賀)<br /> **上野駐在所(波賀町上野)<br /> **引原駐在所(波賀町引原)<br /> **千草駐在所(千種町千草)<br /> **室駐在所(千種町室)<br /> <br /> ==== 郵便局 ====<br /> &#039;&#039;&#039;[[集配郵便局]]&#039;&#039;&#039;<br /> * [[播磨山崎郵便局]] - 671-25xx(山崎町)、671-24xx(姫路市安富町)<br /> * [[播磨一宮郵便局]] - 671-41xx(一宮町)、671-42xx(波賀町)<br /> * 千種郵便局 - 671-32xx(千種町)<br /> &#039;&#039;&#039;無集配郵便局&#039;&#039;&#039;<br /> * 山崎鹿沢郵便局<br /> * 山崎蔦沢郵便局<br /> * 山崎神野郵便局<br /> * 山崎土万郵便局<br /> * 播磨青木郵便局<br /> * 城下郵便局<br /> * 染河内郵便局<br /> * 下三方郵便局<br /> * 三方郵便局<br /> * 繁盛郵便局<br /> * [[波賀郵便局]](2007年2月集配業務廃止)<br /> &#039;&#039;&#039;[[簡易郵便局]]&#039;&#039;&#039;<br /> * 奥谷簡易郵便局<br /> * 与位簡易郵便局<br /> * 都多簡易郵便局<br /> * 神谷簡易郵便局<br /> * 伊和簡易郵便局(2017年3月1日から一時閉鎖&lt;ref&gt;[http://www.post.japanpost.jp/notification/storeinformation/detail/index.php?id=3033 一時閉鎖:伊和簡易郵便局(兵庫県)]. 日本郵便&lt;/ref&gt;)<br /> * 波賀谷簡易郵便局(旧小野簡易郵便局が移転)<br /> * &lt;del&gt;鹿伏簡易郵便局&lt;/del&gt;(2003年12月廃止)<br /> * 西河内簡易郵便局<br /> * 鷹巣簡易郵便局<br /> <br /> === 人口 ===<br /> 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.44%減の40,945人であり、増減率は県下41市町中32位、49行政区域中40位。<br /> {{人口統計|code=28227|name=宍粟市}}<br /> ==== 人口推移 ====<br /> {{Color|green|緑色}}で示したものが、宍粟市の人口である。(宍粟市発足以前は現在の市域の人口)なお、人口は[[国勢調査]]による各年10月1日時点のものである。&lt;!--<参考 - [[#行政区域の変遷(市町村制施行以後)]]>--&gt;<br /> {|<br /> |-<br /> |1920年(大正9年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 47,657 <br /> |-<br /> |1925年(大正14年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 47,760<br /> |-<br /> |1930年(昭和5年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 48,893<br /> |-<br /> |1935年(昭和10年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]] 48,357<br /> |-<br /> |1940年(昭和15年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]] 48,492<br /> |-<br /> |1947年(昭和22年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g50.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]][[ファイル:g01.png]] 59,217<br /> |-<br /> |1950年(昭和25年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]] 60,289<br /> |-<br /> |1955年(昭和30年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g50.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g01.png]] 58,655<br /> |-<br /> |1960年(昭和35年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 54,590<br /> |-<br /> |1965年(昭和40年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g50.png]][[ファイル:g01.png]][[ファイル:g01.png]] 50,889<br /> |-<br /> |1970年(昭和45年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 48,558<br /> |-<br /> |1975年(昭和50年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 48,791<br /> |-<br /> |1980年(昭和55年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 49,084<br /> |-<br /> |1985年(昭和60年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g03.png]] 48,980<br /> |-<br /> |1990年(平成2年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]] 48,454<br /> |-<br /> |1995年(平成7年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g30.png]][[ファイル:g10.png]] 47,685<br /> |-<br /> |2000年(平成12年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]] 45,460<br /> |-<br /> |2005年(平成17年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g10.png]][[ファイル:g05.png]][[ファイル:g01.png]] 43,302<br /> |-<br /> |2010年(平成22年)<br /> |[[ファイル:g100.png]][[ファイル:g100.png]][[ファイル:g03.png]][[ファイル:g01.png]] 40,945<br /> |}<br /> <br /> === 教育 ===<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> ! 幼稚園 !! 小学校 !! 中学校<br /> |-<br /> | 山崎幼稚園 || 宍粟市立山崎小学校 || rowspan=&quot;2&quot; | [[宍粟市立山崎西中学校]]<br /> |-<br /> | 菅野幼稚園 || 宍粟市立山崎西小学校<br /> |-<br /> | 神野幼稚園 || 宍粟市立神野小学校 || rowspan=&quot;4&quot; | [[宍粟市立山崎東中学校]]<br /> |-<br /> | 河東幼稚園 || 宍粟市立河東小学校<br /> |-<br /> | 伊水幼稚園 || 宍粟市立伊水小学校<br /> |-<br /> | 都多幼稚園 || 宍粟市立都多小学校<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;2&quot; | 城下幼稚園 || [[宍粟市立城下小学校]] || rowspan=&quot;2&quot; | [[宍粟市立山崎南中学校]]<br /> |-<br /> | 宍粟市立戸原小学校<br /> |-<br /> | 神戸幼稚園 || rowspan=&quot;2&quot; | 宍粟市立はりま一宮小学校 || rowspan=&quot;2&quot; | [[宍粟市立一宮南中学校]]<br /> |-<br /> | 染河内幼稚園<br /> |-<br /> | 三方幼稚園 || 宍粟市立一宮北小学校 || [[宍粟市立一宮北中学校]]<br /> |-<br /> | 波賀幼稚園 || 宍粟市立波賀小学校 || [[宍粟市立波賀中学校]]<br /> |-<br /> | 千種幼稚園 || [[宍粟市立千種小学校]] || [[宍粟市立千種中学校]]<br /> |}<br /> <br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> ! 高等学校など<br /> |-<br /> | [[兵庫県立山崎高等学校]]<br /> |- <br /> | [[兵庫県立伊和高等学校]]<br /> |-<br /> | [[兵庫県立千種高等学校]]<br /> |-<br /> | F.S.播磨西高等学院<br /> |}<br /> <br /> ==== 廃止された学校 ====<br /> 少子高齢化と小規模化に伴い、宍粟市の学校規模適正化により、以下の学校が廃校になっている。<br /> <br /> * 宍粟市立千種東小学校(2011年3月31日、千種南小学校へ統合)<br /> * 宍粟市立千種南小学校(2012年3月31日、千種北小と統合し宍粟市立千種小学校へ)<br /> * 宍粟市立千種北小学校(2012年3月31日、千種南小と統合し千種小へ)<br /> * 宍粟市立菅野小学校(2014年3月31日、土万小と統合し宍粟市立山崎西小学校へ)<br /> * 宍粟市立土万小学校(2014年3月31日、菅野小と統合し宍粟市立山崎西小学校へ)<br /> * 宍粟市立野原小学校(2015年3月31日、波賀小・道谷小と統合し宍粟市立波賀小学校へ)<br /> * [[宍粟市立道谷小学校]](2015年3月31日、波賀小・野原小と統合し宍粟市立波賀小学校へ)<br /> * 宍粟市立三方小学校(2016年3月31日、下三方小・繁盛小と統合し宍粟市立一宮北小学校へ)<br /> * 宍粟市立下三方小学校(2016年3月31日、三方小・繁盛小と統合し宍粟市立一宮北小学校へ)<br /> * 宍粟市立繁盛小学校(2016年3月31日、三方小・下三方小と統合し宍粟市立一宮北小学校へ)<br /> * [[宍粟市立神戸小学校]](2018年3月31日、染河内小と統合し宍粟市立はりま一宮小学校へ)&lt;ref&gt;[http://www.hyogo-c.ed.jp/~gakuji-bo/30touhaigou.pdf 平成30年度 公立学校新設・廃止等一覧]&lt;/ref&gt;<br /> * 宍粟市立染河内小学校(2018年3月31日、神戸小と統合し宍粟市立はりま一宮小学校へ)<br /> <br /> == 交通 ==<br /> * [[自動車]]の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の地名表記は、「姫路」となる。<br /> <br /> === 鉄道 ===<br /> 現在市内には鉄道は通っておらず、淡路島を除けば県内の市で唯一鉄道の通っていない市となっている。また、過去においても旧波賀町に[[波賀森林鉄道]]が存在しただけで、一般の鉄道が通ったことがない。<br /> ==== その他 ====<br /> * [[2006年]](平成18年)8月5日に国見の森公園が開園し、園内にミニモノレール([[スロープカー]])が建設されている。<br /> ** 山麓駅 - 山上駅<br /> <br /> === 一般路線バス ===<br /> *[[神姫バス]]<br /> *[[ウエスト神姫]]<br /> <br /> === 高速バス ===<br /> * [[山崎インターチェンジ (兵庫県)|山崎IC]](料金所内側) <br /> ** [[津山エクスプレス京都号]]([[西日本ジェイアールバス]]・[[神姫バス]])<br /> *** 京都・高槻 - 津山<br /> ** [[中国ハイウェイバス]](西日本ジェイアールバス・神姫バス)<br /> *** [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]]・[[大阪駅]] - [[津山駅]]<br /> **[[プリンセスバード号]](神姫バス・[[日ノ丸自動車]])※姫路駅 - 山崎インター間のみの利用は出来ない <br /> ***姫路駅 - 鳥取<br /> * [[山崎インターチェンジ (兵庫県)|山崎IC]](料金所外側)<br /> * [[山崎バスターミナル]](市の代表ターミナルだが、JTB発行の時刻表の地図には「◎山崎」には掲載されていない)<br /> * 車庫前<br /> ** [[山崎 - 三ノ宮線]]([[ウエスト神姫]])<br /> *** 神戸(三宮) - 山崎<br /> * [[葛根バスストップ]]<br /> ** 中国ハイウェイバス(西日本ジェイアールバス・神姫バス)<br /> *** USJ・大阪駅 - 津山駅<br /> <br /> === 道路 ===<br /> ==== 高速道路 ====<br /> [[File:Yamasakitown Funamoto Shisocity Hyogopref Chugoku Expressway.JPG|thumb|250px|山崎インターチェンジの付近&lt;br/ &gt;山崎町船元で撮影]]<br /> * [[中国自動車道]] - 当市と大阪方面を結ぶ最速ルートで、当市における東西の交通軸として位置づけられている。<br /> ** [[山崎インターチェンジ (兵庫県)|山崎IC/BS]]<br /> ** [[山崎ジャンクション|山崎JCT]] - [[播磨自動車道]]と接続予定。<br /> ** [[揖保川パーキングエリア|揖保川PA]]<br /> ** [[葛根バスストップ|葛根BS]] - 大阪市~津山市を結ぶ[[中国ハイウェイバス]]が停車。<br /> <br /> ==== 国道 ====<br /> [[File:Yamasakitown Yamada Shisocity Hyogopref Route 29 No,2.JPG|thumb|250px|市の中心部を縦断する国道29号&lt;br /&gt;山崎町山田で撮影]]<br /> * [[国道29号]] 市中心部を経由し、山崎、一宮、波賀の3町を縦断的に結ぶ。当市における南北の交通軸として位置づけられている。<br /> * [[国道429号]] 千種、波賀、一宮の3町を横断的に結ぶ。市北部の生活道路としての機能を期待されていて、改良工事が進んでいる。<br /> * 国道29号と429号は、波賀町上野で交差し、数百メートル重複する。<br /> <br /> ==== 県道 ====<br /> {{col-begin}}<br /> {{col-2}}<br /> * [[兵庫県道6号養父宍粟線]]<br /> * [[兵庫県道8号加美宍粟線]]<br /> * [[兵庫県道23号三木宍粟線]]<br /> * [[兵庫県道26号宍粟新宮線]]<br /> * [[兵庫県道39号一宮生野線]]<br /> * [[兵庫県道44号相生宍粟線]]<br /> * [[兵庫県道48号大屋波賀線]]<br /> * [[兵庫県道53号宍粟下徳久線]]<br /> * [[鳥取県道・兵庫県道72号若桜下三河線|兵庫県道72号若桜下三河線]]<br /> * [[兵庫県道80号宍粟香寺線]]<br /> * [[兵庫県道154号千種新宮線]]<br /> {{col-2}}<br /> * [[兵庫県道428号森添三方線]]<br /> * [[兵庫県道429号岩野辺山崎線]]<br /> * [[兵庫県道430号東河内安富線]]<br /> * [[兵庫県道432号宇原新宮線]]<br /> * [[兵庫県道433号塩田三日月線]]<br /> * [[兵庫県道520号大沢岩野辺線]]<br /> * [[兵庫県道521号道谷三方線]]<br /> * [[兵庫県道522号名坂宍粟線]]<br /> * [[兵庫県道523号塩田一宮線]]<br /> * [[兵庫県道537号田井中広瀬線]]<br /> * [[兵庫県道546号上ノ波賀線]]<br /> {{col-end}}<br /> <br /> ==== 道の駅 ====<br /> * [[道の駅はが (兵庫県)|はが]]<br /> * [[道の駅みなみ波賀|みなみ波賀]]<br /> * [[道の駅ちくさ|ちくさ]]<br /> * [[道の駅播磨いちのみや|播磨いちのみや]]<br /> * &lt;del&gt;[[道の駅山崎|山崎]]&lt;/del&gt;([[2013年]][[3月31日]]に閉鎖)<br /> <br /> == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==<br /> === 山崎町 ===<br /> *[[生谷温泉 伊沢の里]]<br /> *県指定天然記念物「千年フジ」<br /> **[[かおり風景100選]]:[http://kobe-mari.maxs.jp/shiso/sennenfuji.htm 山崎大歳神社の千年藤]{{リンク切れ|date=2017年10月 |bot=InternetArchiveBot }}<br /> *[http://www.kuniminomori.jp/index.html 兵庫県立国見の森公園]<br /> *せせらぎ公園<br /> **[[十二ン波]] - 揖保川にある奇岩群の名勝。兵庫県観光百選地に選定<br /> *[[長水城]]跡<br /> *[[播州山崎花菖蒲園]]<br /> *[http://www.budounet.jp/ ぶどうの里 山崎農業公園]<br /> *本多公園 - [[山崎城 (播磨国)|山崎城]]跡<br /> **[[山崎町歴史民俗資料館]] - 旧龍野治安裁判所([[明治22年]]築)の建物を保存・活用<br /> **山崎町歴史郷土館<br /> *最上山公園 - [[篠の丸城]]跡<br /> *[[山崎アウトドアランド]]<br /> *[[与位の洞門]]<br /> <br /> &lt;gallery mode=packed heights=170px&gt;<br /> File:Shiso, Hyogo Yoi-no-Domon.jpg|[[与位の洞門]]<br /> ファイル:Saijosan park 04.JPG|最上山公園<br /> ファイル:Banshu Yamasaki Iris garden in 2013-6-16 No,44.JPG|播州山崎花菖蒲園<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 一宮町 ===<br /> {{右|<br /> [[ファイル:Iwajinja-b.jpg|right|thumb|none|伊和神社]]<br /> }}<br /> *[[家原遺跡]]公園<br /> *[[伊和神社]](播磨国[[一宮]])<br /> *[[御形神社]]<br /> *スポニックパーク一宮<br /> *[[福知渓谷]]<br /> *[[一宮温泉]]<br /> <br /> === 波賀町 ===<br /> [[ファイル:Haga Castle 01.jpg|thumb|波賀城史跡公園]]<br /> *[[波賀城史跡公園]]:市の史跡。<br /> *[http://www.bansyu-tokura.com/ ばんしゅう戸倉スノーパーク]<br /> *[http://www.shintokura.com/ 新戸倉スキー場]<br /> *[[原不動滝]]([[日本の滝100選]]、[[氷ノ山後山那岐山国定公園]])<br /> *[[音水渓谷]]・音水湖(引原ダム)<br /> *[[赤西渓谷]]<br /> *フォレストステーション波賀<br /> <br /> === 千種町 ===<br /> {{右|<br /> [[ファイル:Chikusa kougen.jpg|thumb|none|ちくさ高原]]<br /> }}<br /> *[[ちくさ高原]] - 標高850~1125mに広がる高原。[http://www.chikusakogen.com/ ホームページ]<br /> **[[ちくさ高原スキー場]] - スノーボードも2012年12月解禁<br /> **[[ちくさ高原ゆり園]]<br /> **ラドンの泉<br /> *県立三室高原野外活動センター - 平成18年3月閉鎖<br /> *エーガイヤちくさ<br /> *コープふるさと村 ちくさ<br /> *たたらの里学習館<br /> *平成之大馬鹿門<br /> *黒土の滝<br /> *千草カントリークラブ<br /> <br /> == 温泉 ==<br /> * [[しそう よい温泉]](山崎町与位)&lt;ref name=&quot;yoionsen&quot;&gt;[http://yoionsen.co.jp/ しそう よい温泉公式サイト]&lt;/ref&gt;<br /> * [[一宮温泉]]「まほろばの湯」(一宮町三方町)&lt;ref name=&quot;kankou&quot;&gt;[http://www.shiso-kankou.jp/spa.html しそうツーリズムガイド]&lt;/ref&gt; <br /> * [[生谷温泉]]「伊沢の里」(山崎町生谷)&lt;ref name=&quot;kankou&quot;&gt;&lt;/ref&gt; <br /> * [[波賀温泉]] 「楓湯」(波賀町原)&lt;ref name=&quot;kankou&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> * [[東山温泉 (兵庫県)|東山温泉]] (波賀町)&lt;ref name=&quot;kankou&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> * [[エーガイヤ温泉]]「エーガイヤちくさ」(千種町)&lt;ref name=&quot;kankou&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> &lt;gallery mode=packed heights=200px&gt;<br /> File:Shiso, Hyogo-Yoi Onsen -1.jpg|[[しそう よい温泉]]<br /> File:一宮温泉まほろばの湯 064.jpg| [[一宮温泉]]「まほろばの湯」<br /> <br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 出身著名人 ==<br /> *[[本條猛二]]([[実業家]]、元[[山陽自動車運送]]社長、山崎町)<br /> *[[嶺重慎]]([[天文学者]]、[[京都大学基礎物理学研究所]]教授、山崎町、出生地は[[北海道]][[札幌市]])<br /> *[[大位山勝三]](元[[大相撲]][[幕内]][[力士]]・元[[プロレスラー]]、山崎町)<br /> *[[小林晋哉]](元[[プロ野球選手]]、山崎町)<br /> *[[稲澤譲治]]([[医学博士]]、[[東京医科歯科大学]]難治疾患研究所教授、山崎町)<br /> *[[美鳳あや]]([[宝塚歌劇団]]、山崎町)<br /> *[[森本友]](女子[[陸上選手|陸上]]・[[マラソン]]選手、山崎町)<br /> *[[柳田博美]](元[[ガンバ大阪]]チームドクター、山崎町)<br /> *[[生沢朗]]([[洋画家]]、挿絵画家、山崎町)<br /> *[[田路舜哉]]([[実業家]]、[[住友商事]]の創業者 、一宮町)<br /> *[[細川伸二]]([[柔道家]]、一宮町)<br /> *[[橋本福夫]]([[日本文学者]]、[[アメリカ文学]]者、[[翻訳家]]、一宮町)<br /> *[[三浦和人]]([[歌手]]、波賀町)<br /> *[[大日ノ出崇揚]](元[[大相撲]][[幕内]][[力士]]、千種町)<br /> *[[杉下元明]]([[日本文学者]])<br /> *[[植木實]]([[大阪医科大学]]理事長、元同学長、元同教授、元[[大阪医科大学附属病院]]院長)<br /> *[[前田浩 (化学者)|前田浩]] ([[化学者]])<br /> *[[宗接唯人]] ([[プロ野球選手]]、[[千葉ロッテマリーンズ]]、波賀町)<br /> *[[垣田恭兵]]([[柔道家]])<br /> *[[垣田恵利]]([[柔道家]])<br /> <br /> == ゆかりの人物 ==<br /> *[[池田輝澄]](江戸時代の大名、[[池田輝政]]の四男、[[山崎藩]]藩主)<br /> *[[本多忠英]](江戸時代の大名、[[本多忠勝]]の曾孫、山崎藩藩主)<br /> *[[山崎闇斎]]([[儒学者]]、祖父が山崎出身)<br /> *[[西江雅之]]([[文化人類学者]]、[[言語学者]]、元[[早稲田大学]]文学部教授、山崎で疎開)<br /> *[[黒田孝高]] ([[戦国大名]]、宍粟市周辺の領地を与えられ、山崎城に居住していたとされる)<br /> <br /> == その他 ==<br /> === トピックス等 ===<br /> * 「宍粟市」が[[難読地名]]である上に、「&#039;&#039;&#039;穴栗&#039;&#039;&#039;(あなぐり?)市」などと間違われることがしばしばあるが、これを逆手に取った地域おこしのアピールが行われている。特に『日本の珍地名』で「東の横綱」とされた[[千葉県]][[匝瑳市|匝瑳(そうさ)市]]とは、[[ゆるキャラ]]や[[ローカルヒーロー|ご当地ヒーロー]]の相互交流などが行われている&lt;ref&gt;[http://www.city.shiso.lg.jp/shiseijoho/shisoshishokai/chimeidoappudaisakusen/1386903065887.html 宍粟市知名度アップ大作戦展開中!!難読地名でまちおこし/宍粟市ホームページ]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 郵便番号 ===<br /> *山崎町・姫路市安富町<br /> **[[播磨山崎郵便局]]:671-25xx、671-24xx<br /> *一宮町・波賀町<br /> **播磨一宮郵便局:671-41xx、671-42xx<br /> *千種町<br /> **千種郵便局:671-32xx<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * {{Cite book|和書|editor=小学館辞典編集部|edition= 初版第1刷 |date=2007-01-10|title=図典 日本の市町村章 |publisher=[[小学館]]|isbn=4095263113}}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons|Category:Shiso, Hyogo}}<br /> * [http://www.city.shiso.lg.jp/ 宍粟市役所]<br /> * [http://fd.city.shiso.lg.jp/ 宍粟市消防本部]<br /> <br /> {{Geographic Location<br /> |Centre = 宍粟市<br /> |North = [[養父市]]<br /> |Northeast = [[朝来市]]<br /> |East = [[神河町]]<br /> |Southeast = <br /> |South = [[たつの市]] [[姫路市]]<br /> |Southwest = [[佐用町]]<br /> |West = [[岡山県]][[西粟倉村]]&lt;br&gt;[[美作市]]<br /> |Northwest = [[鳥取県]][[若桜町]]<br /> |image = }}<br /> {{兵庫県の自治体}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しそうし}}<br /> [[Category:兵庫県の市町村]]<br /> [[Category:宍粟市|*]]<br /> [[Category:西播磨]]<br /> [[Category:陣屋町|兵庫県]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 匝瑳市 2018-07-07T13:56:16Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{日本の市<br /> |画像 = ファイル:Hankouji-koudou.SosaCity.Chiba.jpg<br /> |画像の説明 = [[飯高壇林]]<br /> |市章 = [[ファイル:Flag of Sosa Chiba.JPG|100px|center]]匝瑳[[市町村旗|市旗]] [[File:Emblem of Sosa, Chiba.svg|75px|center]]匝瑳[[市町村章|市章]]<br /> |市章の説明 = [[2006年]]([[平成]]18年)[[5月14日]]制定<br /> |自治体名 = 匝瑳市<br /> |都道府県 = 千葉県<br /> |支庁 =<br /> |コード = 12235-1<br /> |隣接自治体 = [[旭市]]、[[香取市]]、&lt;br /&gt;[[香取郡]][[多古町]]、[[山武郡]][[横芝光町]]<br /> |木 = [[イヌマキ]]<br /> |花 = [[チューリップ]]<br /> |シンボル名 = 市の鳥<br /> |鳥など = [[ウグイス]]<br /> |郵便番号 = 289-2198<br /> |所在地 = 匝瑳市八日市場ハ793-2&lt;br /&gt;&lt;small&gt;{{ウィキ座標度分秒|35|42|28.3|N|140|33|51.4|E|region:JP}}&lt;/small&gt;&lt;br /&gt;[[Image:Sosa City Office.jpg|center|250px|匝瑳市役所]]<br /> |外部リンク = [http://www.city.sosa.lg.jp 匝瑳市 公式サイト] {{ja icon}}<br /> |位置画像 = {{基礎自治体位置図|12|235|FileName=File:Sosa in Chiba Prefecture Ja.svg}}<br /> |特記事項 =<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;(そうさし)は、[[千葉県]]北東部にある人口約3万6千人の[[市]]。<br /> <br /> == 地理 ==<br /> [[2006年]]([[平成]]18年)[[1月23日]]に[[八日市場市]]と[[匝瑳郡]][[野栄町]]が[[市町村合併|合併]]して誕生。市名の由来は匝瑳郡。旧八日市場市は[[植木]]([[苗木]])の産地として有名であり、匝瑳市は植木の栽培面積が日本一となっている&lt;ref&gt;[http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/9,6759,137,html 匝瑳市のホームページ]より。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 北部は[[谷戸|谷津田]]が入り組んだ複雑な地形の[[台地]]部。一方、南部は[[九十九里浜]]に面する平坦な地形である。<br /> <br /> 市の中央を東西に[[総武本線|JR総武本線]]と[[国道126号]]が並走し、中央の西方を[[国道296号]]が南北に走る。<br /> <br /> === 隣接する自治体 ===<br /> * [[旭市]](旭地区、[[干潟町|干潟地区]])<br /> * [[香取市]]([[山田町 (千葉県)|山田地区]])<br /> * [[香取郡]][[多古町]]<br /> * [[山武郡]][[横芝光町]]([[光町 (千葉県)|光地区]])<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> {|class=&quot;wikitable&quot;<br /> {{oldarea/line|7}}<br /> |-<br /> {{oldarea|町|[[匝瑳郡]]|福岡町|1|1|0|0}}<br /> {{oldarea/o|A|1}}<br /> {{oldarea|町|匝瑳郡|八日市場町|1|5|0|1}}<br /> {{oldarea/o|D|10}}<br /> {{oldarea|市||[[八日市場市]]|10|3|0|0}}<br /> {{oldarea/o|F|12}}<br /> {{oldarea|市||匝瑳市|12|1|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[豊栄村 (千葉県匝瑳郡)|豊栄村]]|1|5|0|0}}<br /> {{oldarea/o|C|9}}<br /> {{oldarea|町|hidden|八日市場町|9|1|1|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[須賀村 (千葉県)|須賀村]]|1|5|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[匝瑳村]]|1|5|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|[[香取郡]]|豊和村|1|3|0|0}}<br /> {{oldarea/o|B|3}}<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[豊和村 (千葉県)|豊和村]]|1|1|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|香取郡|吉田村|1|3|0|0}}<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[吉田村 (千葉県)|吉田村]]|1|1|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|香取郡|飯高村|1|3|0|0}}<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[飯高村]]|1|1|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[共興村]]|1|5|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[平和村 (千葉県)|平和村]]|1|5|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[椿海村]]|1|5|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[野田村 (千葉県)|野田村]]|1|9|0|0}}<br /> {{oldarea/o|E|2}}<br /> {{oldarea|町|匝瑳郡|[[野栄町]]|2|1|0|0}}<br /> |-<br /> {{oldarea|村|匝瑳郡|[[栄村 (千葉県)|栄村]]|1|9|0|0}}<br /> {{oldarea/line|7}}<br /> |}<br /> &lt;div style=&quot;line-height:110%;font-size:smaller;&quot;&gt;<br /> &lt;div&gt;A [[1915年]]([[大正]]4年)[[12月8日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div&gt;B [[1948年]]([[昭和]]23年)[[11月3日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div&gt;C [[1954年]]([[昭和]]29年)[[3月31日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div&gt;D [[1954年]]([[昭和]]29年)[[7月1日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div&gt;E [[1954年]]([[昭和]]29年)[[7月17日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;div&gt;F [[2006年]]([[平成]]18年)[[1月23日]]&lt;/div&gt;<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> === 沿革 ===<br /> ==== 匝瑳市発足前 ====<br /> * [[1897年]]([[明治]]30年)[[6月1日]] - [[八日市場駅]]が開業。<br /> * [[1946年]]([[昭和]]21年)[[10月9日]] - [[千葉交通|成田鉄道]][[成田鉄道多古線|多古線]]が[[廃線|廃止]]。<br /> * [[1970年]]([[昭和]]45年)[[4月1日]] - [[国道296号]]が制定。<br /> <br /> ==== 匝瑳市発足後 ====<br /> * [[2006年]]([[平成]]18年)[[1月23日]] - [[八日市場市]]、[[匝瑳郡]][[野栄町]]が合併し&#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> <br /> === 行政区域変遷 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;変遷の年表&#039;&#039;&#039;<br /> {| class=&quot;wikitable navbox collapsible collapsed&quot; style=&quot;font-size:x-small&quot;<br /> |-<br /> ! colspan=&quot;3&quot; style=&quot;font-size:small&quot; | 匝瑳市市域の変遷(年表)<br /> |-<br /> ! 年<br /> ! 月日<br /> ! 現匝瑳市市域に関連する行政区域変遷<br /> |-<br /> | [[1889年]]([[明治]]22年)<br /> | [[4月1日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | [[町村制]]施行により、以下の町村がそれぞれ発足。&lt;ref&gt;角川日本地名大辞典編纂委員会『[[角川日本地名大辞典]] 12 千葉県』、[[角川書店]]、[[1984年]] ISBN 4040011201より&lt;/ref&gt;<br /> * &#039;&#039;&#039;旧[[八日市場市]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[匝瑳郡]]<br /> *** &#039;&#039;&#039;福岡町&#039;&#039;&#039; ← 八日市場村・富谷村・籠部田村・下富谷村・米倉村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[平和村 (千葉県)|平和村]]&#039;&#039;&#039; ← 川向村・平木村・東谷村・上谷中村・荻野村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[椿海村]]&#039;&#039;&#039; ← 椿村・春海村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[匝瑳村]]&#039;&#039;&#039; ← 松山村・中台村・生尾村・宮本村・山桑村・大浦村・長岡村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[豊栄村 (千葉県匝瑳郡)|豊栄村]]&#039;&#039;&#039; ← 飯倉村・富岡村・時曽根村・貝塚村・木積村・久方村・田久保村・新村・亀崎村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[須賀村 (千葉県)|須賀村]]&#039;&#039;&#039; ← 蕪里村・高野村・高村・横須賀村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[共興村]]&#039;&#039;&#039; ← 松山村・吉崎村・長谷村・東小笹村・西小笹村・登戸村<br /> ** [[香取郡]]<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[吉田村 (千葉県)|吉田村]]&#039;&#039;&#039; ← 吉田村・八辺村・入山崎村・南山崎村・南神崎村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[飯高村]]&#039;&#039;&#039; ← 飯高村・大掘村・金原村・安久山村・小高村・片子村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[豊和村 (千葉県)|豊和村]]&#039;&#039;&#039; ← 大寺村・内山村・飯塚村・米持村<br /> * &#039;&#039;&#039;旧[[野栄町]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** 匝瑳郡<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[野田村 (千葉県)|野田村]]&#039;&#039;&#039; ← 野手村・今泉村・新堀村<br /> *** &#039;&#039;&#039;[[栄村 (千葉県)|栄村]]&#039;&#039;&#039; ← 栢田村・新堀村・谷河原村<br /> |-<br /> | [[1915年]]([[大正]]4年)<br /> | [[12月8日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 福岡町が改称し&#039;&#039;&#039;八日市場町&#039;&#039;&#039;になる。<br /> |-<br /> | [[1943年]]([[昭和]]33年)<br /> | [[11月16日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 香取郡吉田村・飯高村・豊和村・日吉村が匝瑳郡に移行。<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;3&quot; | [[1954年]]([[昭和]]29年)<br /> | [[3月31日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 八日市場町・平和村・椿海村・匝瑳村・豊栄村・須賀村・共興村・吉田村・飯高村・豊和村が合併し、&lt;br /&gt;&#039;&#039;&#039;八日市場町&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> |-<br /> | [[7月1日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 八日市場町は市制施行により、&#039;&#039;&#039;[[八日市場市]]&#039;&#039;&#039;となる。<br /> |-<br /> | [[7月17日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 栄村と野田村が合併して&#039;&#039;&#039;[[野栄町]]&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> |-<br /> | [[2006年]]([[平成]]18年)<br /> | [[1月23日]]<br /> | style=&quot;text-align:left&quot; | 八日市場市と野栄町が合併し&#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;が発足。<br /> |}<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;変遷表&#039;&#039;&#039;<br /> {| class=&quot;wikitable navbox collapsible collapsed&quot; style=&quot;font-size:x-small&quot;<br /> |-<br /> ! colspan=&quot;9&quot; style=&quot;font-size:small&quot; | 匝瑳市市域の変遷表<br /> |-<br /> ! colspan=&quot;3&quot; | 1868年&lt;br /&gt;以前<br /> ! 明治元年 - 明治22年<br /> ! 明治22年&lt;br /&gt;4月1日<br /> ! colspan=&quot;2&quot; | 明治22年 - 昭和64年<br /> ! 平成元年 - 現在<br /> ! 現在<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;38&quot; | [[匝瑳郡]]<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 八日市場村<br /> | bgcolor=&quot;#66ffff&quot; rowspan=&quot;5&quot; | &#039;&#039;福岡町&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#66ffff&quot; rowspan=&quot;5&quot; | [[1915年]]([[大正]]4年)[[12月8日]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;八日市場町&#039;&#039;に改称<br /> | style=&quot;color:white&quot; bgcolor=&quot;#e66b58&quot; rowspan=&quot;53&quot; | [[1954年]]([[昭和]]29年)[[3月31日]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;[[八日市場市|八日市場町]]&#039;&#039;&lt;br /&gt;[[1954年]]([[昭和]]29年)[[7月1日]]&lt;br /&gt;市制<br /> | style=&quot;color:white&quot; bgcolor=&quot;#e66b58&quot; rowspan=&quot;60&quot; | [[2006年]]([[平成]]18年)[[1月23日]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;<br /> | style=&quot;color:white&quot; bgcolor=&quot;#e66b58&quot; rowspan=&quot;60&quot; | &#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 富谷村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 籠部田村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 下富谷村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 米倉村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 川向村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;5&quot; | &#039;&#039;平和村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;5&quot; | &#039;&#039;[[平和村 (千葉県)|平和村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 平木村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 東谷村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 上谷中村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 荻野村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 椿村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;2&quot; | &#039;&#039;椿海村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;2&quot; | &#039;&#039;[[椿海村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 春海村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 松山村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;7&quot; | &#039;&#039;匝瑳村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;7&quot; | &#039;&#039;[[匝瑳村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 中台村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 生尾村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 宮本村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 山桑村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 大浦村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 長岡村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 飯倉村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;9&quot; | &#039;&#039;豊栄村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;9&quot; | &#039;&#039;[[豊栄村 (千葉県匝瑳郡)|豊栄村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 富岡村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 時曽根村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 貝塚村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 木積村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 久方村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 田久保村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 新村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 亀崎村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 蕪里村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;4&quot; | &#039;&#039;須賀村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;4&quot; | &#039;&#039;[[須賀村 (千葉県)|須賀村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 高野村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 高村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 横須賀村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 松山村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;6&quot; | &#039;&#039;共興村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;6&quot; | &#039;&#039;[[共興村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 吉崎村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 長谷村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 東小笹村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 西小笹村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 登戸村<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;15&quot; | [[香取郡]]<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 吉田村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;5&quot; | &#039;&#039;[[吉田村 (千葉県)|吉田村]]&#039;&#039;<br /> | rowspan=&quot;15&quot; | [[1943年]]([[昭和]]18年)[[11月1日]]&lt;br /&gt;[[匝瑳郡]]に移行<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 八辺村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 入山崎村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 南山崎村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 南神崎村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 飯高村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;6&quot; | &#039;&#039;[[飯高村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 大掘村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 金原村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 安久山村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 小高村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 片子村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 大寺村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;4&quot; | &#039;&#039;[[豊和村 (千葉県)|豊和村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 内山村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 飯塚村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 米持村<br /> |-<br /> | rowspan=&quot;7&quot; | [[匝瑳郡]]<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 野手村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;3&quot; | &#039;&#039;野田村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;3&quot; | &#039;&#039;[[野田村 (千葉県)|野田村]]&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#66ffff&quot; rowspan=&quot;7&quot; | [[1954年]]([[昭和]]29年)[[7月17日]]&lt;br /&gt;&#039;&#039;[[野栄町]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 今泉村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 新堀村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; | 東栢田村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;2&quot; | [[1876年]]([[明治]]9年)&lt;br /&gt;栢田村<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;4&quot; | &#039;&#039;栄村&#039;&#039;<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; rowspan=&quot;4&quot; | &#039;&#039;[[栄村 (千葉県)|栄村]]&#039;&#039;<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; | 西栢田村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 新堀村<br /> |-<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; |<br /> | bgcolor=&quot;#99ccff&quot; colspan=&quot;2&quot; | 谷河原村<br /> |}<br /> <br /> == 人口 ==<br /> 平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、6.41%減の37,261人であり、増減率は県下54市町村中41位、60行政区域中47位。{{人口統計|code=12235|name=匝瑳市}}<br /> <br /> == 行政 ==<br /> === 市長 ===<br /> * 市長:[[太田安規]]([[2010年]]([[平成]]22年)[[2月26日]]就任・弘道会)<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+ [[2010年]]([[平成]]22年)[[2月7日]]<br /> |-<br /> !当落||得票数||候補者||党派||議員歴<br /> |- style=&quot;font-weight: bold;&quot;<br /> |当 ||style=&quot;text-align: right;&quot;|12,880||[[太田安規]]||[[無所属]]||新<br /> |- style=&quot;font-weight: bold;&quot;<br /> |||style=&quot;text-align: right;&quot;|5,330||佐藤悟||[[無所属]]||新<br /> |- style=&quot;font-weight: bold;&quot;<br /> |||style=&quot;text-align: right;&quot;|3,758||[[石田勝一]]||[[無所属]]||新<br /> |}<br /> <br /> === 歴代市長 ===<br /> * 初代:江波戸辰夫(えばとたつお)([[2006年]]([[平成]]18年)[[2月26日]] - [[2010年]]([[平成]]22年)[[2月25日]] 旧八日市場市長)<br /> <br /> === 役所 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;匝瑳市役所&#039;&#039;&#039; (旧八日市場市役所)<br /> ** (本庁舎) <br /> *** 匝瑳市八日市場ハ793番地2<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;野栄総合支所&#039;&#039;&#039; (旧野栄町役場) <br /> ** 匝瑳市今泉6474番地 <br /> <br /> ==== 住所表記 ====<br /> * 八日市場地区はイ・ロ・ハ・ニ・ホは前に「八日市場」が付くが、他は変更なし。<br /> ** 例1:八日市場市イ→匝瑳市八日市場イ<br /> ** 例2:八日市場市飯倉→匝瑳市飯倉<br /> * 野栄地区は匝瑳市の後に旧大字名が付く<br /> ** 例:匝瑳郡野栄町野手→匝瑳市野手<br /> <br /> === 警察 ===<br /> * [[匝瑳警察署]](匝瑳市全域を管轄)<br /> <br /> === 消防 ===<br /> * [[匝瑳市横芝光町消防組合]]<br /> ** 匝瑳消防署(消防本部内)<br /> *** 匝瑳市八日市場ホ715番地<br /> ** 野栄分署 <br /> *** 匝瑳市今泉6521番地8<br /> * [[消防団]](全14分団)<br /> ** 中央分団 中央地区<br /> ** 匝瑳分団 匝瑳地区 <br /> ** 豊栄分団 豊栄地区<br /> ** 吉田分団 吉田地区<br /> ** 飯高分団 飯高地区<br /> ** 豊和分団 豊和地区<br /> ** 椿海分団 椿海地区<br /> ** 平和分団 平和地区<br /> ** 共興分団 共興地区<br /> ** 須賀分団 須賀地区<br /> ** 野田分団 野田地区<br /> ** 栄分団  栄地区<br /> <br /> === 国の機関 ===<br /> * [[千葉地方裁判所]] 八日市場支部<br /> * [[八日市場簡易裁判所]]<br /> * [[法務省]] [[千葉地方検察庁]] 八日市場支部<br /> * 法務省 [[八日市場区検察庁]] <br /> * 法務省 [[東京法務局#千葉地方法務局|千葉地方法務局]] 匝瑳支局<br /> <br /> === 県の機関 ===<br /> * 千葉県海匝土木事務所<br /> * 千葉県海匝健康福祉センター(八日市場地域保健センター)<br /> * 千葉県海匝農業事務所<br /> <br /> == 経済 ==<br /> === ショッピング ===<br /> * [[カインズホーム]]スーパーセンター八日市場店([[ベイシア]]も併設)<br /> * [[カスミ]]匝瑳店<br /> <br /> === 金融機関 ===<br /> * [[千葉銀行]] 八日市場支店<br /> * [[千葉興業銀行]] 八日市場支店<br /> * [[京葉銀行]] 八日市場支店<br /> * [[銚子信用金庫]] 八日市場支店<br /> <br /> == 地域 ==<br /> === 教育 ===<br /> ==== 小学校 ====<br /> * [[匝瑳市立平和小学校]]<br /> * [[匝瑳市立椿海小学校]]<br /> * [[匝瑳市立八日市場小学校]]<br /> * [[匝瑳市立豊栄小学校]]<br /> * [[匝瑳市立須賀小学校]]<br /> * [[匝瑳市立共興小学校]]<br /> * [[匝瑳市立吉田小学校]]<br /> * [[匝瑳市立豊和小学校]]<br /> * [[匝瑳市立栄小学校]]<br /> * [[匝瑳市立野田小学校]]<br /> <br /> ==== 中学校 ====<br /> * [[匝瑳市立八日市場第一中学校]]<br /> * [[匝瑳市立八日市場第二中学校]]<br /> * [[匝瑳市立野栄中学校]]<br /> <br /> ==== 高等学校 ====<br /> * [[千葉県立匝瑳高等学校]]<br /> * [[敬愛大学八日市場高等学校]]<br /> <br /> ==== 特別支援学校 ====<br /> * 千葉県立八日市場特別支援学校<br /> * 千葉県立飯高特別支援学校<br /> <br /> == 交通 ==<br /> === 道路 ===<br /> * &#039;&#039;&#039;[[地域高規格道路]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[銚子連絡道路]]<br /> *** 現在は市内には上記の道路はないが、現在[[八日市場インターチェンジ|八日市場IC]]が設置される計画があり、[[横芝光インターチェンジ|横芝光IC]]からここまで延伸される予定である。<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[一般国道]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[国道126号]]<br /> *** かつて国道126号線であった区間は現在、県道や市道へと降格している。詳細は上記または[[千葉県道104号八日市場井戸野旭線]]を参照。<br /> ** [[国道296号]]<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[主要地方道]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[千葉県道16号佐原八日市場線]]<br /> ** [[千葉県道30号飯岡一宮線]](九十九里ビーチライン)<br /> ** [[千葉県道45号八日市場八街線]]<br /> ** [[千葉県道48号八日市場野栄線]]<br /> ** [[千葉県道49号八日市場栄線]]<br /> ** [[千葉県道56号佐原椿海線]]<br /> ** [[千葉県道74号多古笹本線]]<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[都道府県道|一般県道]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[千葉県道104号八日市場井戸野旭線]]<br /> ** [[千葉県道106号八日市場佐倉線]]<br /> ** [[千葉県道109号横芝停車場吉田線]]<br /> ** [[千葉県道114号八日市場山田線]]<br /> ** [[千葉県道122号飯岡片貝線]]<br /> **[[千葉県道149号八日市場府馬線]]<br /> ** [[千葉県道212号八日市場停車場線]]<br /> ** [[千葉県道299号平和共興線]]<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[自転車道]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[千葉県道408号飯岡九十九里自転車道線]]<br /> <br /> * &#039;&#039;&#039;[[農道]]&#039;&#039;&#039;<br /> ** [[東総広域農道]]<br /> <br /> === 鉄道 ===<br /> * [[東日本旅客鉄道]]<br /> ** {{Color|#ffd400|■}}[[総武本線]]<br /> *** [[飯倉駅]] - [[八日市場駅]]<br /> : 市の中心駅は八日市場駅。<br /> <br /> === バス ===<br /> * [[ジェイアールバス関東]]<br /> * [[千葉交通]]<br /> * [[匝瑳市内循環バス]]<br /> <br /> ==== 高速バス ====<br /> ===== 八日市場ルート =====<br /> * [[東京駅バスのりば|東京駅]](乗車は八重洲南口、降車は日本橋口) - 富里バスターミナル - 富里七栄スクエア - ラディソンホテル - 三里塚公園 - 住宅入口 - [[航空科学博物館|航空博物館前]] - 岩山 - 白桝 - 染井 - 多古台バスターミナル - 多古 - [[道の駅多古]] - 吉田 - [[八日市場駅]] - &#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;役所<br /> <br /> ===== 銚子 - 千葉・幕張線 =====<br /> * [[千葉運転免許センター|免許センター]] - [[海浜幕張駅]] - [[千葉みなと駅]] - [[千葉中央駅]] - [[千葉駅]] - 中央3丁目 - [[松尾横芝インターチェンジ|松尾横芝IC]] - 松尾 - 横芝 - 飯倉 - 八日市場 - &#039;&#039;&#039;匝瑳市&#039;&#039;&#039;役所 - [[干潟駅]]前 - 旭 - 海上 - 飯岡保健福祉センター前 - 飯岡 - 高速八木 - 高速小浜 - 高速三崎 - 東芝 - 陣屋町<br /> <br /> == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事・施設 ==<br /> * [[老尾神社]]<br /> *: [[崇神天皇]]7年の創建と伝えられ、[[物部小事]]との関係も伝えられている。[[延喜式神名帳|式内社]]、[[明治]]以降の[[社格]]は[[近代社格制度#諸社|郷社]]。詳細は生尾神社の項目または匝瑳市のホームページを参考。<br /> * [[飯高寺]](飯高檀林跡)<br /> *: 詳細は飯高寺の項目または匝瑳市のホームページを参考。<br /> * [[長徳寺 (匝瑳市)|長徳寺]]<br /> *: 屋敷と呼ばれている畑地にあった、常光寺の僧によって建てられた小坊寺の地蔵院が、寺院形態を整えてできた[[真言宗智山派]]の寺。<br /> * [[龍尾寺]]<br /> * [[長福寺 (匝瑳市)|長福寺]]<br /> *: 川向にある。真言宗智山派。毎年の正月の節分法会が豪華。<br /> * 須賀[[ハリストス正教会]]<br /> *: [[1899年]]([[明治]]32年) - [[東京府]][[東京市]][[神田区]](現:[[東京都]][[千代田区]][[神田 (千代田区)|神田]])の[[ニコライ・カサートキン|ニコライ大主教]]から贈られた「[[最後の晩餐|機密の晩餐]]」「聖母子」「[[キリスト|ハリストス]]」など10画からなる[[油絵]]の[[イコン]](聖画)が収蔵されている。これらは、[[山下りん]]が描いたものである。<br /> * [[松山庭園美術館]]<br /> *: [[芸術家]]の[[此木三紅大]]の[[コレクション]]と[[アトリエ]]を公開したもの。<br /> * [[ふれあいパーク八日市場]]<br /> *: 正式名称「都市と農村総合交流ターミナル ふれあいパーク八日市場」は、地場産業の振興と地域の活性化、都市と農村の交流を目的に、匝瑳市が設置・管理をしている。<br /> <br /> === 公園 ===<br /> * 天神山公園<br /> * 野栄ふれあい公園<br /> <br /> === 祭り ===<br /> * よかっぺ祭り<br /> * [[八重垣神社 (匝瑳市)|八重垣神社]][[祇園祭]]<br /> * 小高のはだか参り<br /> * 八日市場の盆踊り([[千葉県指定文化財一覧#無形民俗文化財|千葉県指定無形民俗文化財]])<br /> * 仁組獅子舞(千葉県指定無形民俗文化財)<br /> <br /> == 出身有名人 ==<br /> * [[加瀬完]]:元[[参議院議員]]、[[参議院議長|参議院副議長]]<br /> * [[地井武男]]:[[俳優]]、[[タレント]]<br /> * [[佐久間信子]]:タレント、[[ファッションモデル]]<br /> * [[西条みつとし]]:[[脚本家]]、[[演出家]]<br /> * [[小林由美子]]:[[声優]]<br /> * [[飯島滋弥]]:[[プロ野球選手]]([[大映ユニオンズ|大映スターズ]]他)<br /> * [[宇野勝]]:プロ野球選手([[中日ドラゴンズ]]・[[千葉ロッテマリーンズ]])<br /> * [[日朗]]:[[鎌倉時代]]の[[日蓮宗]]・[[法華宗]]の[[僧]]。[[日蓮]]六老僧の一人<br /> * [[弘智法印]]:鎌倉時代の[[真言宗智山派]]の僧。日本最古の[[ミイラ|即身仏]]として[[新潟県]]の[[西生寺]]に安置されている<br /> * [[原大輔]]:[[歌手]]<br /> <br /> == その他 ==<br /> * NTT市外局番は0479で、旭市、香取郡多古町、[[山武市]]の一部(旧・[[松尾町]]域)、山武郡[[芝山町]]・[[横芝光町]]と同一のエリア(八日市場MA)である。<br /> * 隣接する旭市と同様で、[[いろは順#地名・地番にいろは順を用いた例|イロハ地名]]である。<br /> * 「ソーサマン」という[[ローカルヒーロー]]がいる。<br /> * 『日本の珍地名』で、[[難読地名]]の西の横綱とされる[[兵庫県]][[宍粟市|宍粟(しそう)市]]と、東の横綱とされる匝瑳市との間では、難読市名同士の交流を通じた知名度向上が図られており&lt;ref&gt;[http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/16,23359,237,html 難読市名同士の交流事業を実施します - 匝瑳市]、2013年2月13日更新。&lt;/ref&gt;、上述のソーサマンが、宍粟市のイベントにゲスト参加する&lt;ref&gt;[http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/16,28156,249,582,html ソーサマン第27話 ソーサマン宍粟市で活躍の巻 - 匝瑳市]、2014年1月27日更新。&lt;/ref&gt;等の活動が行われている。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commons|Category:Sosa, Chiba}}<br /> ; 行政<br /> * [http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/1,html 匝瑳市 公式サイト]<br /> ; 観光<br /> * [http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/9,html 観光/イベント - 匝瑳市]<br /> <br /> {{千葉県の自治体}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{japan-area-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:そうさし}}<br /> [[Category:千葉県の市町村]]<br /> [[Category:匝瑳市|*]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 セルジュ・チェリビダッケ 2018-06-14T16:38:41Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{複数の問題|ソートキー=人1996年没<br /> | 出典の明記 = 2012年3月17日 (土) 15:10 (UTC)<br /> | 独自研究 = 2012年3月17日 (土) 15:10 (UTC)<br /> }}<br /> {{Infobox Musician &lt;!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--&gt;<br /> | Name = セルジュ・チェリビダッケ&lt;br /&gt;Sergiu Celibidache<br /> | Img = Ballot Celibidache 061996 2.jpeg<br /> | Img_capt = {{仮リンク|レミー・バロー|fr|Rémy Ballot}}を指導するチェリビダッケ(左)(1996年)<br /> | Img_size = 250px&lt;!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --&gt;<br /> | Landscape = &lt;!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --&gt;<br /> | Background = classic<br /> | Birth_name = &lt;!-- 個人のみ --&gt;&lt;!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --&gt;<br /> | Alias =<br /> | Blood = &lt;!-- 個人のみ --&gt;<br /> | School_background = &lt;!-- 個人のみ --&gt;<br /> | Born = [[1912年]][[7月11日]]&lt;br /&gt;{{ROM1881}} [[ローマン (ルーマニア)|ローマン]]<br /> | Died ={{死亡年月日と没年齢|1912|7|11|1996|8|14}}&lt;br /&gt;{{FRA}} [[サントル地域圏]]&lt;br /&gt;[[ロワレ県]] [[ピティヴィエ郡]]&lt;br /&gt;[[:en:La Neuville-sur-Essonne|La Neuville-sur-Essonne]]<br /> | Origin = {{ROM1881}} [[ヤシ (ルーマニア)|ヤシ]]<br /> | Instrument = 指揮<br /> | Genre = [[クラシック音楽]]<br /> | Occupation = [[指揮者]]<br /> | Years_active = 1945年 - 1996年<br /> | Label =<br /> | Production =<br /> | Associated_acts =<br /> | URL =<br /> | Notable_instruments =<br /> }}<br /> {{Portal クラシック音楽}}<br /> <br /> [[画像:CelibidacheAtCurtis.jpg|thumb|250px|セルジュ・チェリビダッケ(右)(1984年)]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;セルジュ・チェリビダッケ&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;セルジウ・チェリビダッケ&#039;&#039;&#039;とも、&#039;&#039;&#039;Sergiu Celibidache&#039;&#039;&#039; ({{IPA-ro|ˈserd͡ʒju t͡ʃelibiˈdake|}}, [[1912年]][[7月11日]]&lt;ref&gt;当時ルーマニアで使用されていた[[ユリウス暦]]では[[6月28日]]&lt;/ref&gt; - [[1996年]][[8月14日]])は、[[ルーマニア]]生まれで、[[ドイツ]]で活躍した[[指揮者]]・[[作曲家]]。<br /> <br /> == 人物・来歴 ==<br /> ルーマニアの[[ローマン (ルーマニア)|ローマン]]([[w:Roman, Romania|Roman]])に生まれ、[[第一次世界大戦]]中に[[ヤシ (ルーマニア)|ヤシ]]に転居、21歳頃まで同地で過ごす。6歳頃から[[ピアノ]]を学びはじめるが、これが直接音楽家を目指す契機にはならなかったようで、27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていたという。ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ち[[ユダヤ人]]と深く交流したため、[[イディッシュ語]]も堪能であったばかりでなく、多くの言語に精通した[[ポリグロット]]であった。また晩年には[[仏教]]に改宗し、日本でも多く[[坐禅|参禅]]を行なっている。<br /> <br /> == 指揮者として ==<br /> ===ベルリン時代===<br /> チェリビダッケは初め[[パリ]]に留学したが、[[1936年]]に[[ベルリン]]に移り、[[フンボルト大学ベルリン|フリードリヒ・ヴィルヘルム大学]]や[[ベルリン芸術大学|ベルリン音楽大学]]で音楽、数学、哲学などを学んだ。彼は戦時中もベルリンに留まり、同地で終戦を迎えることになる&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、6-7頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 戦後、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団|ベルリン・フィル]]の常任指揮者だった[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]ら有名指揮者たちは[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]との関係をとがめられ謹慎生活に入り、ロシア出身の[[レオ・ボルヒャルト]]が同フィルの暫定首席指揮者となるが、わずか3か月後に米軍の誤射で亡くなってしまう。チェリビダッケはこれを機にベルリン・フィルの指揮台に立つことになるが、その経緯についてははっきりしない。採用の直前に、[[ベルリン放送交響楽団]]の指揮者コンクールで優勝しているが、それとの直接的な関係も必ずしも定かではない&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、13-17頁。&lt;/ref&gt;。 いずれにせよ、チェリビダッケはボルヒャルト死去のわずか6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューを飾る。曲は[[ロッシーニ]]の[[セビリアの理髪師]]序曲と[[カール・マリア・フォン・ウェーバー]]の[[ファゴット協奏曲|バスーン協奏曲]]、そして[[アントニン・ドヴォルザーク]]の[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|交響曲第9番「新世界より」]]であった。その後、暫定的にではあるが[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]の首席指揮者に就任した&lt;ref name=&quot;Ref-0&quot;&gt;{{Cite web|url=http://www.berliner-philharmoniker.de/en/history/wilhelm-furtwaengler/#49|title=Interim chief conductor Sergiu Celibidache(暫定首席指揮者 セルジュ・チェリビダッケ)|work=Berliner Philharmoniker|accessdate=2015-08-12}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1945年]]当時、チェリビダッケには学生オーケストラを除けば本格的な指揮の経験はほとんどなく、彼はベルリン・フィルを指揮しながら広大なレパートリーを開拓していった。それはバロック、古典派から近現代の作曲家まで膨大なものに及び、しかも(協奏曲を除き)その全てを暗譜で指揮した&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、21-25頁。&lt;/ref&gt;。<br /> 活動初期は評論家の受けもよく、ベルリン・フィルを多く指揮し、フルトヴェングラーの後継候補と謳われる。フルトヴェングラーを深く尊敬していた彼は、フルトヴェングラーの[[非ナチ化]]裁判に協力するため奔走し、2年後の[[1947年]]にフルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰するのを手助けした。フルトヴェングラーも、チェリビダッケが恒久的な首席指揮者の地位に収まることを望んでいたといわれるが、多くの団員はフルトヴェングラーこそが本来の首席指揮者であり、チェリビダッケの登用は過渡的なものとみなしていた。オーケストラや(とくに年配の)団員たちにとって、チェリビダッケの非妥協的なリハーサルや、しばしば独裁的な気質は不評であり&lt;ref&gt;[http://www.berliner-philharmoniker.de/en/titelgeschichten/2015-2016/celibidache/ KNIGHT IN SHINING ARMOUR] ベルリン・フィル公式、2016年3月5日閲覧。&lt;/ref&gt;、一方チェリビダッケからみれば、首席指揮者として十分な発言権がないことに不満が溜まっていった&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、37-47頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 国際的な客演指揮者として ===<br /> こうした雰囲気に嫌気がさしたチェリビダッケはベルリン・フィルと距離を置き、[[ロンドン]]での客演活動を始め、さらにヨーロッパ全域から中南米にいたるまで客演の範囲を拡大していった。チェリビダッケとフルトヴェングラーとの友情も失われ、1952年にフルトヴェングラーが「終身首席指揮者」に復帰すると、事態はより決定的となった。この時期、チェリビダッケとベルリン・フィル周辺の関係は破綻していたが、一方で、ベルリン・フィルでの指揮活動は聴衆や批評家から圧倒的な支持を受けており、1953年にベルリン市の「音楽芸術賞」、1954年には[[ドイツ連邦共和国功労勲章|功労十字大勲章]]を、1955年にはドイツ批評家協会賞を受賞している&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、55-62頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 聴衆や批評家はチェリビダッケに熱狂し、オーケストラの団員や幹部は反発を強めるという状況のなか、フルトヴェングラーが[[肺炎]]で倒れ、事態は急展開する。1954年11月、フルトヴェングラーが死の病に伏しているさなか、チェリビダッケは「[[ドイツ・レクイエム]]」のリハーサルで大衝突を起こし、それから38年後の[[1992年]]3月31日に、時の独大統領[[リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー|ヴァイツゼッカー]]に請われて最初で最後の復帰を果たすまで、ベルリン・フィルを指揮することはなかった&lt;ref&gt;[http://www.berliner-philharmoniker.de/en/titelgeschichten/2015-2016/celibidache/ KNIGHT IN SHINING ARMOUR] ベルリン・フィル公式、2016年3月5日閲覧。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> フルトヴェングラーの死後、その後継者としてベルリン・フィルは[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]を選出する。チェリビダッケはその後しばらくイタリアを中心に活動し、[[サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団]]や、イタリア放送協会 (RAI) に所属する複数のオーケストラ(トリノ、ローマ、ミラノ他)などで客演を重ねた。1960年から63年までは[[デンマーク王立管弦楽団]]、1963年から71年までは[[スウェーデン放送交響楽団]]との結びつきを強めた&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、チェリビダッケ年譜(巻末)。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1971年]]6月に、南ドイツ放送交響楽団(のちの[[シュトゥットガルト放送交響楽団]])創立25周年コンサートでの指揮が好評を博したのをきっかけに、翌1972年、定期客演指揮者となる。以降77年まで実質的な芸術監督として活動をし、同楽団の水準をドイツの有力オーケストラにまで引き上げた&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、114-117頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === ミュンヘン・フィル時代 ===<br /> 客演指揮者として各地を転々とし、行く先々で評価を得てきたチェリビダッケであったが、1979年6月、ついに[[ルドルフ・ケンペ]]の後任を探していた[[ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団]]の首席指揮者に就任する。きっかけは同年2月のミュンヘン・フィルにおける初指揮で、この演奏会が圧倒的な成功を収めたことだった。チェリビダッケは、新団員の多数採用、団員給与の[[バイエルン放送交響楽団]]並みへの引き上げ、プログラムや招聘する指揮者やソリストの決定に対する強い発言権など、厳しい条件を提示したが、そのほぼ全てが認められたといわれている&lt;ref&gt;クラウス・ヴァイラー『評伝 チェリビダッケ』相澤啓一訳、春秋社、1995年、130-139頁。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> シュトゥットガルト放送交響楽団とは放送用の録画が本人の意に沿わない「編集」を行われた、という理由で1982年を最後に決別。また晩年には[[ミュンヘン]]市の芸術監督に就任した。<br /> <br /> 日本では最初FMによるシュトゥットガルト放送交響楽団の放送で「幻の指揮者」としてファンを増やしていった。1977年秋と1978年春に単身で来日を果たし、[[読売日本交響楽団]]に客演、1980年には[[ロンドン交響楽団]]と来日。手兵ミュンヘン・フィルとは1986年以降1990年、1992年、1993年と頻繁に訪れた。1986年の公演での[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の[[交響曲第5番 (ブルックナー)|交響曲第5番]]以降、ブルックナーは来日公演の主要なレパートリーとなり、1990年10月にミュンヘン・フィルとともに来日した時は、ブルックナーの[[交響曲第4番 (ブルックナー)|交響曲第4番]]、第7番、[[交響曲第8番 (ブルックナー)|第8番]]を指揮して、7番、8番はハイビジョンによる録画も行われている。<br /> <br /> アメリカには、1984年に、[[フィラデルフィア]]の[[カーティス音楽学校]]の校長だった[[ジョン・デ・ランシー (音楽家)|ジョン・デ・ランシー]]の要請で、当校で指揮を教えた。そして、当校学生オーケストラを連れて[[カーネギーホール]]で開いたコンサートは、あまりにも素晴らしく、ニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した&lt;ref&gt;[http://www.nytimes.com/1984/02/28/arts/music-debut-of-sergiu-celibidache.html MUSIC: DEBUT OF SERGIU CELIBIDACHE]『[[ニューヨーク・タイムズ]]』、1984年2月28日。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 相当な[[毒舌]]で知られていて、ミュンヘン市当局は他の指揮者(クラウス・ウムバッハ)への批判を金で黙らせたとされる。また、[[カール・ベーム]]が晩年にミュンヘン・フィルに客演しようとした際、チェリビダッケの毒舌(チェリビダッケはベームを「&#039;&#039;芋袋&#039;&#039;」「[[袋#麻袋|ドンゴロス]]野郎」と呼んでいた)を耳にし、それを演奏契約解除の通告と見做して出演を取りやめた、という逸話も残っている。反面、ベームが病気のため指揮できなくなったロンドン交響楽団の演奏会をわずか1日のリハーサルで引き受けるなど、その本音はよく分からない。かつてチェリビダッケの毒舌(カラヤンはじめ他の指揮者を批判)が新聞の紙面を賑わせた際には、見かねた[[カルロス・クライバー]]が天国にいる[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]に成り済まして「ブルックナーは”あなたのテンポは全て間違っている”と言っています。天国でもカラヤンは人気者です」と反論のテレックスを打ったということもあった。<br /> <br /> == 厳しいリハーサル ==<br /> {{要出典|彼のリハーサルは、全ての音が自分好みになるまで徹底的にリハーサルするというものであった。[[ゲネプロ]]も普通は1週間のところを3週間要求するといわれ、協奏曲以外は[[暗譜]]でスコアなしでセッションをする。[[ピエール・フルニエ]]をソリストに迎えてドヴォルザークの[[チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲]]を演奏した[[フランス国立管弦楽団]]との演奏会(1975年ごろ)では紳士ながらもいつもの厳しさを発揮する彼の姿があるが、しかしソリストが[[ダニエル・バレンボイム]]だと妙に解釈がソリスト任せになり、スコアをめくり間違えるほど不勉強なコンサートもビデオに残されている。しかし例えば[[ヴィオラ]]奏者が欲しいと思った素晴らしいヴィオラを買う手助けをしたりするなどの優しい一面があったことが、CDが発売されてから明らかになった。また[[オペラ]]のような練習が限られるレパートリーは、この指揮者には経済的に全く不可能であった。|date=2015年4月}}<br /> <br /> 読売日本交響楽団とのリハーサルではテューニングだけに数十分を要したと伝えられている。<br /> <br /> == 死後 ==<br /> 1947年から1948年頃のフルトヴェングラーとともに行ったベルリン・フィルのイギリス演奏旅行と前後して、チェリビダッケは初めての公式のレコーディングを行っている。ベルリン・フィルを指揮してのメンデルスゾーンの[[ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)|ヴァイオリン協奏曲]]、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]の[[交響曲第1番 (プロコフィエフ)|古典交響曲]]などがその最初期のもので、その直後には[[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]を指揮して[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の[[交響曲第25番 (モーツァルト)|交響曲第25番]]、[[ピョートル・チャイコフスキー]]の[[交響曲第5番 (チャイコフスキー)|交響曲第5番]]と『[[くるみ割り人形]]』組曲などをイギリスでレコーディングしている。自らの録音を聞いて、「エンジニアがテンポをいじった!」と疑ったほど、その結果には満足がいかなかったらしい。<br /> <br /> [[ウォルター・レッグ]]など[[EMI]]のプロデューサーからかなりの悪条件でこき使われた、と感じたこともレコード業界不信を助長したが、ホールの音響に左右されるものをマイクの直接音収録で記録するのには限界がある、と悟ったチェリビダッケは以後、極端に録音媒体の発売を嫌い、ごく少数の例外を除いてはレコーディングは行わなかった。別の意味でカラヤンとの録音が比較されるのも意識したと言われている。他の正規録音には、自ら作曲した『秘密の小箱』がある([[ドイツ・グラモフォン]]社録音)。<br /> <br /> なお、晩年になると、映像を伴う録画媒体の制作には積極的に(本人の言によればしぶしぶ)取り組み、ソニーなどで演奏会のビデオソフトが発売された。<br /> <br /> チェリビダッケの死後、『遺族らが、(日本を中心に)音質劣悪な[[海賊盤]]が氾濫する現状を憂えている』と称して、未発表の演奏会の録音をドイツ・グラモフォン、EMIからCD化したが、その音源の選定については、膨大な中からのわずかな数に過ぎず、本当に最善の演奏であるかについては意見が分かれた。特にEMIの録音は年代によってもテンポの設定が若干異なるため、チェリビダッケの演奏の全貌を網羅しているというわけではない。<br /> <br /> == 作品 ==<br /> 作曲家としての作品は「秘密の小箱」以外に3曲の[[交響曲]]などがあり、{{要出典|音響を前面に押し出した近代・[[印象主義音楽|印象主義]]的作風と言われている。|date=2015年4月}}近年故国の[[ルーマニア]]の青少年管弦楽団などで交響曲が初演されてしばしば再演でも取り上げられている。<br /> <br /> == 教育 ==<br /> [[シュトゥットガルト]]、ミュンヘン、[[マインツ]]、[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン]]、[[東京]]、[[イタリア]]などで多数の指揮者講習会やゼミナール・講義・コンクールを持った。また、ほとんどの演奏会の直前のリハーサルは市民や学生のために公開されていたが、ベルリン・フィルに復帰したときの演奏会は関係者以外立入禁止であった。ただし実際はシュトゥットガルト時代のようにベルリンの指揮科の学生が自由に出入りしていたといわれている。本人へのインタビューによると全世界で3,000人の弟子を教えたという。<br /> <br /> == 演奏解釈 ==<br /> 「音楽は『無』であって言葉で語ることはできない。ただ『体験』のみだ」というのが彼の音楽論である。しばしば行われた「音楽現象学」講義には「始まりの中に終わりがある」という思想が貫かれている。<br /> <br /> {{要出典|実際の演奏に関しては、楽曲の徹底した構造分析と、モチーフによる構成の統一、時には極端なテンポ・音程の改変が採用されている。|date=2015年4月}}その意味では、彼と対照的にレコーディングのみの音楽活動を行うようになった[[グレン・グールド]]と奇妙な関連性が見られる。<br /> <br /> 後年チェリビダッケはフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視して[[メトロノーム]]の数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという。<br /> <br /> {{要出典|また[[ハーモニー]]の純度・楽器間のバランスも徹底的に追求され、彼のトレーニングしたオーケストラは徹底的に[[室内楽]]的な「聞き合い」を要求されることになる。また[[弦楽器]]の肥大した現代オーケストラにおいては、[[木管楽器]]の増強がしばしば見られるが、そのことにより全奏時においても木管楽器の存在感は際立っている。しかしそれと相対するように、シュトゥットガルト時代には木管楽器にあまりに小さな音を要求したために奏者が楽器に詰め物をしなければならなかったという逸話も残っている。それはホールが響きやすかったためであり、そのためにピアノ(弱奏)を基調とした音楽作りが必要であると考えていたともいわれる。|date=2015年4月}}<br /> <br /> 彼も多くの巨匠指揮者と同じく、年齢を重ねてテンポは遅くなった。演奏に関しては総じて晩年の[[テンポ]]が非常に遅い。最晩年の[[ポルトガル]]・[[リスボン]]で演奏されたブルックナーの交響曲第8番は、一般的な演奏時間が約80分のところ105分かかっている。<br /> <br /> 現代音楽については[[レナード・バーンスタイン]]による[[ピエール・ブーレーズ]]のピアノ・ソナタ評のように真の理解者ではなく、現代音楽の指揮を拒否するトスカニーニと似た路線であった。イタリアの[[シルヴァーノ・ブッソッティ]]が自分のスコアを見せて音楽の[[カオス]]だと説明した際、そんな子供じみた考えの音楽は振りたくないと拒否した経緯がある。とはいえ現代作品に完全に無理解であったわけではなく、[[新ウィーン楽派]]以降の無調作品を僅かながらも演奏はしていた。[[1968年]]には[[ミラノ]]で[[ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニ]]の「弦楽三重奏とオーケストラのための対位法(1962)」の録音に指揮で参加し、[[1974年]]には[[スイス]]で[[アルノルト・シェーンベルク]]の[[管弦楽のための変奏曲 (シェーンベルク)|管弦楽のための変奏曲]] op.31を演奏する他、[[ルイジ・ダッラピッコラ]]、[[ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニ]]、[[カルロス・チャベス]]、[[ボリス・ブラッハー]]等同時代の作曲家の作品を取り上げている。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{reflist}}<br /> <br /> {{commonscat|Sergiu Celibidache}}<br /> <br /> {{先代次代|[[デンマーク王立管弦楽団]]&lt;br /&gt;首席客演指揮者|1960 - 1963|[[ヨン・フランセン|ヨーン・フランセン]]&lt;br /&gt;(首席指揮者)|ヨーン・フランセン&lt;br /&gt;(首席指揮者)}}<br /> {{ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 歴代首席指揮者}}<br /> {{ベルリン放送交響楽団 首席指揮者}}<br /> {{スウェーデン放送交響楽団 首席指揮者・音楽監督}}<br /> {{シュトゥットガルト放送交響楽団 首席指揮者}}<br /> {{フランス国立管弦楽団首席指揮者・音楽監督}}<br /> {{ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ちえりひたつけ せるしゆ}}<br /> [[Category:ルーマニアの指揮者]]<br /> [[Category:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]<br /> [[Category:カーティス音楽学校の教員]]<br /> [[Category:ヤシ出身の人物]]<br /> [[Category:1912年生]]<br /> [[Category:1996年没]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 ウィリアム・ウォルトン 2018-06-12T15:32:12Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{Portal クラシック音楽}}<br /> <br /> &lt;!--<br /> [[ファイル:William Walton.jpg|thumb|250px|サー・ウィリアム・ウォルトン]]<br /> [[ファイル:William.jpg|thumb|250px|サー・ウィリアム・ウォルトン]]<br /> --&gt;<br /> [[ファイル:Sir William Turner Walton.jpg|thumb|upright=0.9|alt=Man in suit and tie looking towards the camera|250px|サー・ウィリアム・ウォルトン]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;サー・ウィリアム・ターナー・ウォルトン&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;Sir William Turner Walton&#039;&#039;&#039; [[メリット勲章|OM]], [[1902年]][[3月29日]] - [[1983年]][[3月8日]])は、[[20世紀]][[イギリス]]の[[近代音楽]]の[[作曲家]]。<br /> <br /> == 人物・来歴 ==<br /> *1902年、[[ランカシャー]]州[[オールダム]]に生まれる。<br /> *1912年、10歳でオックスフォード聖歌隊学校に入学。<br /> *1916年、[[オックスフォード大学]]クライスト・チャーチ校に入学。在学中にサシェヴァレル・シットウェルやシグフリート・サッスーンと知り合い、親友となる。<br /> *1920年、退学してシットウェルの家に住み込み、作曲に専念する。<br /> *1922年、サシェヴァレルの姉[[イーディス・シットウェル]]の詩に基づく『ファサード』で成功を収める。『ファサード』は後にバレエ作品にもなる。<br /> *1923年、国際現代音楽協会ザルツブルク大会において、『弦楽四重奏曲』(後のイ短調作品とは別)が初演され、[[アルバン・ベルク]]に称賛される。<br /> *1929年、『[[ヴィオラ協奏曲 (ウォルトン)|ヴィオラ協奏曲]]』完成。<br /> *1931年、カンタータ『[[ベルシャザールの饗宴]]』完成。<br /> *1934年、最初の[[映画音楽]]『逃げちゃ嫌よ』。以後手がけた映画作品は14作にのぼる。<br /> *1935年、[[交響曲第1番 (ウォルトン)|交響曲第1番]](1932-)を完成。<br /> *1937年、[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]のために[[王冠 (戴冠行進曲)|戴冠行進曲『王冠』]]を作曲。<br /> *1939年、『[[ヴァイオリン協奏曲 (ウォルトン)|ヴァイオリン協奏曲]]』完成。<br /> *1944年、映画『[[ヘンリィ五世]]』の音楽を作曲。<br /> *1948年、[[イタリア]]・[[ナポリ湾]]に望む[[イスキア島]]に移る。<br /> *1951年、[[ナイト]]に叙せられる。<br /> *1953年、[[エリザベス2世]]のために[[宝玉と勺杖|戴冠行進曲『宝玉と勺杖(宝玉と王のつえ)』]]、『テ・デウム』作曲。<br /> *1960年、[[交響曲第2番 (ウォルトン)|交響曲第2番]]初演。<br /> *1969年、最後の映画音楽『三人姉妹』作曲。<br /> *1983年、自宅で死去。<br /> <br /> == 作風 ==<br /> [[ベンジャミン・ブリテン]]、[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]と並ぶ20世紀のイギリス音楽を代表する存在である。[[エルネスト・アンセルメ|アンセルメ]]や[[フェルッチョ・ブゾーニ|ブゾーニ]]の助言を受けたとされるが、ほぼ独学で作曲家となった。長寿に恵まれたにもかかわらず、作品数は必ずしも多くない。しかしながら、[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]や[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]、[[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]]や[[ベンジャミン・ブリテン|ブリテン]]らの作品のほか、[[ジャズ]]や[[ラテン音楽]]など、同時代のさまざまな音楽をたくみに吸収・消化し、新鮮かつ大胆なリズム・和声を用いて表情豊かで親しみのある作品を生み出した。豊かな情感と壮大で雄渾多感な表現を好んだこと、明晰な調性感を好んだことから、[[新ロマン主義]]の作曲家と見なしうるが、客観的で端正な表現をよしとする[[新古典主義音楽]]の発想にも洗礼を受けている。<br /> <br /> == 主要作品 ==<br /> {{main|ウォルトンの楽曲一覧}}<br /> === 舞台作品 ===<br /> *[[オペラ]]『トロイラスとクレシダ』<br /> *バレエ音楽『賢い乙女たち』 - [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]作品の編曲による<br /> *バレエ音楽『審問』<br /> <br /> === 管弦楽作品 ===<br /> *[[交響曲第1番 (ウォルトン)|交響曲 第1番 変ロ短調]] (1935年)<br /> *[[交響曲第2番 (ウォルトン)|交響曲 第2番]] (1960年)<br /> *交響曲 第3番(未完成)<br /> *序曲『ポーツマス岬』 &quot;[[:en:Portsmouth Point (Walton)|Portsmouth Point]]&quot; (1925年)<br /> *シエスタ &quot;Siesta&quot; (1926年)<br /> *『ファサード』第1組曲 (1926年) - 同名の室内楽より編曲<br /> *[[王冠 (戴冠行進曲)|戴冠式行進曲『王冠』]] (1937年) - [[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]の[[戴冠式]]のために作曲<br /> *『ファサード』第2組曲 (1938年) - 同名の室内楽より編曲<br /> *喜劇的序曲『スカピーノ』&quot;Scapino&quot; (1940年)<br /> *[[スピットファイア 前奏曲とフーガ]] (1942年) - 映画音楽からの改作<br /> *『[[ヘンリィ五世]]』から弦楽のための2つの小品 (1944年) - 映画音楽からの改作<br /> *[[宝玉と勺杖|戴冠式行進曲『宝珠と王杖』]] (1953年) - エリザベス2世の戴冠式のために作曲<br /> *ヨハネスブルク祝典序曲 &quot;Johannesburg Festival Overture&quot; (1956年)<br /> *パルティータ &quot;Partita for Orchestra&quot; (1958年)<br /> *「英語諸国民の歴史」のための行進曲 &quot;March for &#039;&#039;A History of the English-Speaking Peoples&#039;&#039;&quot; (1959年) - チャーチルの同名の著書を元にしたテレビシリーズのための音楽。番組自体は実現しなかった。<br /> *ヒンデミットの主題による変奏曲 &quot;Variations on a Theme by Hindemith&quot; (1963年)<br /> *ブリテンの即興曲による即興曲 &quot;Improvisations on an impromptu of Benjamin Britten&quot; (1969年) - [[ベンジャミン・ブリテン]]の[[ピアノ協奏曲 (ブリテン)|ピアノ協奏曲]]の第3楽章のテーマに基づく変奏曲<br /> *ヴァリイ・カプリッチ (1970-71) - 「5つのバガテル」をオーケストラ編曲<br /> *序言と幻想 Prologo e fantasia, for orchestra (1980年)<br /> <br /> === 協奏曲 ===<br /> *協奏交響曲 &quot;Sinfonia concertante&quot; (1927年/1943年改訂)<br /> *[[ヴァイオリン協奏曲 (ウォルトン)|ヴァイオリン協奏曲]] (1939年/1943年改訂)<br /> *[[ヴィオラ協奏曲 (ウォルトン)|ヴィオラ協奏曲]] (1929年/1961年改訂)<br /> *[[チェロ協奏曲 (ウォルトン)|チェロ協奏曲]] (1956年/1975改訂)<br /> *ファンタジア・コンチェルタンテ &quot;Fantasia concertante, for two pianos, jazz band, and orchestra&quot; (1924年)<br /> <br /> === 室内楽作品 ===<br /> *『ファサード』(&#039;&#039;[[:en:Façade (poem)|Façade]]&#039;&#039;)<br /> *『ファサード2』<br /> *弦楽四重奏曲 イ短調<br /> *ピアノ四重奏曲<br /> *ヴァイオリン・ソナタ<br /> *5つのバガテル - ギター独奏<br /> <br /> === 合唱作品 ===<br /> *[[オラトリオ]]『[[ベルシャザールの饗宴]]』<br /> *『ロンドン市の栄光を称えて』<br /> *戴冠式テ・デウム - エリザベス2世女王の戴冠式(1952年)のために<br /> *グローリア<br /> <br /> === 映画音楽 ===<br /> ==== シェイクスピア3部作 ====<br /> [[ローレンス・オリヴィエ]]の制作・監督・主演による3作は映画史上も傑作とされる。音楽も、ウォルトン自身(上述)やミュア・マシーソン、クリストファー・パーマーなどによって演奏会用に編曲されている。<br /> *[[ヘンリィ五世]](&#039;&#039;Henry V&#039;&#039;, 1944年)<br /> *[[ハムレット (1948年の映画)|ハムレット]](&#039;&#039;Hamlet&#039;&#039;, 1948年)<br /> *[[リチャード三世 (1955年の映画)|リチャード三世]](&#039;&#039;Richard III&#039;&#039;, 1955年)<br /> <br /> ==== その他の映画 ====<br /> *逃げちゃ嫌よ(&#039;&#039;[[:en:Escape Me Never|Escape Me Never]]&#039;&#039;, 1935年) [[パウル・ツィンナー]]監督<br /> *[[お気に召すまま|御気に召すまま]](&#039;&#039;[[:en:As You Like It (1936 film)|As You Like It]]&#039;&#039;, 1936年) パウル・ツィンナー監督<br /> *バーバラ少佐(&#039;&#039;[[:en:Major Barbara (film)|Major Barbara]]&#039;&#039;, 1941年) [[ガブリエル・パスカル]]監督<br /> *スピットファイア(&#039;&#039;[[:en:The First of the Few|The First of the Few]] / Spitfire&#039;&#039;, 1942年) [[レスリー・ハワード]]監督<br /> *[[空軍大戦略]](&#039;&#039;Battle of Britain&#039;&#039;, 1969年) [[ガイ・ハミルトン]]監督<br /> *:[[コリン・マシューズ]]編曲による組曲あり。<br /> *[[三人姉妹]](&#039;&#039;[[:en:Three Sisters (film)|Three Sisters]]&#039;&#039;, 1970年) ローレンス・オリヴィエ監督<br /> *:テーマに「[[ラ・マルセイエーズ]]」を引用<br /> <br /> ==== 他者による編曲作品 ====<br /> *ウォー・タイム・スケッチブック(戦時のスケッチブック)<br /> *:ウォルトンが第二次大戦中に作曲した上記以外の映画3作の音楽、および『空軍大戦略』に作曲しながら採用されなかった音楽をクリストファー・パーマーが編曲した組曲。パーマーはこの他にも、ウォルトンの映画音楽の演奏会用編曲をいくつも手がけている。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *Aldous, Richard (2001). Tunes of glory: The life of Malcolm Sargent. London: Hutchinson. ISBN 978-0-09-180131-1.<br /> *Burton, Humphrey; Murray, Maureen (2002). William Walton: The Romantic Loner. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-816235-3.<br /> *Cox, David (1967). &quot;William Walton&quot;. In Simpson, Robert. The Symphony: Elgar to the Present Day. London: Pelican. OCLC 221594461.<br /> *Hoare, Philip (1995). Noël Coward. London: Sinclair Stevenson. ISBN 978-1-85619-265-1.<br /> *Hayes, Malcolm, ed (2002). The Selected Letters of William Walton. London: Faber and Faber. ISBN 978-0-571-20105-1.<br /> *Howes, Frank (1965). The Music of William Walton. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-315412-4.<br /> *Hussey, Dyneley (1957). &quot;William Walton&quot;. In Bacharach, A L. The Music Masters. London: Pelican Books. OCLC 655768838.<br /> *Kennedy, Michael (1989). Portrait of Walton. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-816705-1.<br /> *Lloyd, Stephen (2014). Constant Lambert: Beyond the Rio Grande. Woodbridge: : Boydell Press. ISBN 978-1-84383-898-2.<br /> *Lucas, John (2008). Thomas Beecham. Woodbridge: Boydell. ISBN 978-1-84383-402-1.<br /> *Mason, Colin (1946). &quot;William Walton&quot;. In Bacharach, A L. British Music of Our Time. London: Pelican. OCLC 458571770.<br /> *Petrocelli, Paolo (2010). The Resonance of a Small Voice: William Walton and the Violin Concerto in England between 1900 and 1940. Cambridge: Cambridge Scholars Publishing. ISBN 978-1-4438-1721-9.<br /> *Reid, Charles (1968). Malcolm Sargent: a biography. Hamish Hamilton. ISBN 978-0-241-91316-1.<br /> *Sackville-West, Edward; Shawe-Taylor, Desmond (1956). The Record Guide. London: Collins. OCLC 500373060.<br /> *Shore, Bernard (1938). The Orchestra Speaks. London: Longmans. OCLC 499119110.<br /> *Strimple, Nick (2002). Choral music in the Twentieth Century. Portland, US: Amadeus Press. ISBN 978-1-57467-122-3.<br /> *Walton, Susana (1989). William Walton: Behind the Façade. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-282635-0.<br /> *White, Eric Walter (1984) [1966]. Stravinsky: The Composer and his Works (second ed.). Berkeley, US: University of California Press. ISBN 978-0-520-03985-8.<br /> *Wilkinson, James (2011). The Queen&#039;s Coronation: The Inside Story. Scala. ISBN 978-1-85759-735-6.<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.waltontrust.org/ William Walton Trust]<br /> *{{imdb|0006338}}<br /> <br /> {{ロンドン交響楽団 首席指揮者}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:うおるとん ういりあむ}}<br /> [[Category:イングランドの作曲家]]<br /> [[Category:近現代の作曲家]]<br /> [[Category:イギリスの映画音楽の作曲家]]<br /> [[Category:メリット勲章]]<br /> [[Category:ロンドン交響楽団]]<br /> [[Category:オックスフォード大学出身の人物]]<br /> [[Category:オールダム出身の人物]]<br /> [[Category:1902年生]]<br /> [[Category:1983年没]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 チューブラーベル 2018-06-12T15:14:18Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{otheruses|楽器|音楽アルバム|チューブラー・ベルズ}}<br /> {{Infobox 楽器<br /> |楽器名 = チューブラーベル<br /> |その他の名称 = チャイム、コンサートチャイム、&lt;br&gt;シンフォニックチャイム<br /> |英語名 = Tubular bells, Chimes<br /> |ドイツ語名 = Röhrenglocken<br /> |フランス語名 = Cloches tubulaires<br /> |イタリア語名 = Campane tubolari<br /> |中国語名 = <br /> |画像 = 画像:Tubular-bells.JPG<br /> |画像サイズ = 250px<br /> |画像の説明 = コンサートチャイム&lt;!--(ムッサー社製)--&gt;<br /> |分類 = [[打楽器]]・[[体鳴楽器]]<br /> |音域 = <br /> |関連楽器 = <br /> |演奏者 = <br /> |製作者 = <br /> |関連項目 = * [[鐘]]<br /> |}}<br /> {{Portal クラシック音楽}}<br /> <br /> [[ファイル:Yamaha Deagan chimes (from LA Percussion Rentals).jpg|thumb|right|250px|コンサートチャイム&lt;!--(ヤマハ社製)--&gt;]]<br /> [[ファイル:Adams Bass Chimes.jpg|thumb|right|200px|コンサートバスチャイム&lt;!--(アダムス社製)--&gt;]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;チューブラーベル&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;Tubular Bells&#039;&#039;、[[英語]]ではテュービュラーベルズと[[複数形]]が必須)は、[[打楽器]]、[[体鳴楽器]]に分類される金属製打[[楽器]]。<br /> <br /> == 形状・呼称など ==<br /> [[キリスト教]]の[[教会]]などで見られるような[[鐘]]を、コンサートの[[舞台]]で演奏しやすいように、ひとつひとつの鐘を管状(チューブラー)にして、[[ピアノ]]の[[鍵盤 (楽器)|鍵盤]]の順番と同様に並べて吊るした楽器である。[[1867年]]に発明された&lt;ref&gt;H.ベルリオーズ・R.シュトラウス、[[広瀬大介]]翻訳『管弦楽法』音楽之友社、[[2006年]](訳注部分)&lt;/ref&gt;。単に「チャイムズ」や、「コンサート・チャイムズ」あるいは「シンフォニック・チャイムズ」などとも呼ばれる。日本では複数形をカットして、「チャイム」「コンサート・チャイム」「シンフォニック・チャイム」と呼称される。<br /> <br /> [[日本]]においては「[[NHKのど自慢]]の鐘」と紹介すれば、一般にも馴染みのある楽器である。<br /> <br /> == 特徴・音域など ==<br /> 音域は中央ハから上へ1[[オクターブ]]半ほどである。管は長いもので150cmを超え、楽器としてスタンドにセットされた状態では180cm前後の高さになる。管の太さは音程に関わらず同一のものが使用される。このような楽器の形状のため、座っての演奏(座奏)ではなく 立った状態で演奏(立奏)し、管の上部を専用の[[槌|ハンマー]](木製・皮製・[[プラスチック]]製など)を1本ないし2本用いて打鍵する。専用のスタンドに吊り下げた状態で演奏するが、単音が必要な場合には1本をスタンドから外し、片手で吊り下げて演奏することも可能である。<br /> <br /> 専用スタンドの下部にはペダル式のダンパーがあり、これを操作することで余韻を調節することができる。手で持って演奏する場合は手で余韻を止める。[[オーケストラ]]や[[吹奏楽]]の楽譜では、単に「鐘」({{Lang-en-short|bells,Chimes}}、{{Lang-de-short|glocken}}、{{Lang-fr-short|cloches}}、{{Lang-it-short|campane}})としか書かれていない場合があるが、その場合には、楽譜を見て、演奏の都合などを勘案して、チューブラーベルを選ぶか単体の鐘を使用するか決めるのが普通である。複数の音がある場合(概ね3音以上)は、作曲者はチューブラーベルを指定しているものと、通常は解釈する。<br /> <br /> その「鐘のような」[[倍音]]構造から、作曲家が音域を正確に把握していない場合もあり&lt;ref&gt;[[ジェイムズ・ディロン]]のL&#039;ECRAN Parfumeの第一小節目は、どのモデルにもない音を出す指示がある。&lt;/ref&gt;奏者がオクターブ上げたり下げたりして演奏することは慣例になっている。厄介なのはアメリカ式は最高音がGだが、ヨーロッパ式は最高音がFのため、しばしばトラブルになる。近年はヨーロッパ式の下限の音域を増やしたFからFまでの2オクターブタイプをベルジュローが制作している。<br /> <br /> == チューブラーベルの印象的な作品 ==<br /> {{節スタブ}}<br /> ; [[管弦楽曲]]([[クラシック音楽]])<br /> * [[松村禎三]]:交響曲第1番<br /> * [[セルゲイ・プロコフィエフ]]:カンタータ「[[アレクサンドル・ネフスキー (プロコフィエフ)|アレクサンドル・ネフスキー]]」<br /> * [[コダーイ・ゾルターン]]:組曲「[[ハーリ・ヤーノシュ]]」<br /> * [[ルロイ・アンダーソン]]:ベルの歌<br /> * [[グスタフ・マーラー]]:[[交響曲第3番 (マーラー)|交響曲第3番]] 第5楽章<br /> * [[アルフレード・カゼッラ]]:交響曲第2番 第1楽章<br /> * [[カール・オルフ]]:世俗カンタータ「[[カルミナ・ブラーナ]]」<br /> * [[オットリーノ・レスピーギ]]:交響詩「[[ローマの噴水]]」、交響詩「[[ローマの祭り]]」<br /> * [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]:[[交響曲第11番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第11番「1905年」]] 第4楽章「警鐘」<br /> * [[マルコム・アーノルド]]:序曲「ピータールー」<br /> * [[ピョートル・チャイコフスキー]]:[[序曲1812年]]&lt;ref&gt;楽譜上の指定は本物の鐘だが、用意できないオーケストラが多くチューブラーベルで代用されることも多い&lt;/ref&gt;<br /> * [[水野修孝]]:[[交響的変容]] &lt;ref&gt;史上初の10本の使用を指示した作品。&lt;/ref&gt;<br /> * [[冨田勲]]:[[イーハトーヴ交響曲]] 第5楽章「銀河鉄道の夜」<br /> * [[モデスト・ムソルグスキー]]([[モーリス・ラヴェル]]管弦編曲):[[展覧会の絵]] キエフの大門<br /> * モデスト・ムソルグスキー([[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー・コルサコフ]]編):[[禿山の一夜]]<br /> <br /> ; [[吹奏楽曲]]<br /> * [[クロード・トーマス・スミス]]:[[華麗なる舞曲]](Danse Folâtre)<br /> * [[ジェイムズ・スウェアリンジェン]]:[[狂詩曲ノヴェナ]] (Novena Rhapsody for Band)<br /> * [[ジョン・フィリップ・スーザ]]:[[行進曲「自由の鐘」]]<br /> * [[ハーバート・オーエン・リード|ハーバート・オーウェン・リード]]:交響曲「[[メキシコの祭り]]」<br /> * [[フランツ・レハール]]([[鈴木英史]]編曲):喜歌劇「[[微笑みの国]]」セレクション&lt;ref&gt;原曲は管弦楽編成&lt;/ref&gt;<br /> * [[パーシー・グレインジャー]]:[[リンカンシャーの花束|リンカーンシャーの花束]]<br /> * [[ジェイムズ・バーンズ (作曲家)|ジェイムズ・バーンズ]]:[[交響的序曲]]<br /> * [[ヴァーツラフ・ネリベル]]:[[コルシカ島の祈り]]<br /> * [[ナイジェル・ヘス]]:[[グローバル・ヴァリエーションズ]]<br /> * [[マイケル・ドアティ]]:[[交響曲第3番 フィラデルフィア物語]] 第三楽章「ストコフスキーの鐘」<br /> * [[エド・ハックビー]]:[[ストーン・マウンテン・ファンタジー]]<br /> <br /> ; アンサンブル曲<br /> * [[金田真一]]:カプリス<br /> * トーマス・ゴーガー(Thomas Gauger):「ゲインズボロー」-5人の打楽器奏者のための- &#039;&#039;&quot;GAINSBOROUGH&quot; for 5 Percussion Players&#039;&#039;<br /> * [[伊藤康英]]:[[バリ島]]からの[[幻想曲]] &#039;84<br /> * [[八村義夫]]:[[星辰譜]]<br /> <br /> ; [[ロック (音楽)|ロック]]<br /> * [[マイク・オールドフィールド]]:[[チューブラー・ベルズ|チューブラー・ベルズ(パート1)]]<br /> <br /> ; [[ポピュラー音楽|ポップス]]<br /> * [[SEKAI NO OWARI]]:[[炎と森のカーニバル (曲)]]<br /> <br /> ; その他<br /> * [[NHKのど自慢]]のテーマ([[鈴木邦彦]]作曲)<br /> <br /> == 主なメーカー ==<br /> * [[ヤマハ]]<br /> * [[パール楽器製造|パール]]<br /> * ムッサー<br /> * プレミア<br /> * ディーガン<br /> * アダムス<br /> * ベルジュロー<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|Tubular bells}}<br /> * [[日経ラジオ社]](ラジオNIKKEI) - 開局以来、放送開始音楽に使用([[石井歓]]作曲、[[近衛秀健]]・[[山内喜美子]]演奏)。<br /> * [[STVラジオ]]、[[アール・エフ・ラジオ日本]] - [[時報]]音に使用<br /> * [[ウェストミンスターの鐘]]<br /> <br /> {{Musical-instrument-stub}}<br /> <br /> {{オーケストラの楽器}}<br /> {{打楽器}}<br /> {{Normdaten}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ちゆふらへる}}<br /> [[Category:旋律打楽器]]<br /> [[Category:鐘]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112 スキタイ 2018-05-12T14:49:00Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>{{redirect|スキティア|小惑星|スキティア (小惑星)}}<br /> [[File:スキタイとその周辺国.png|450px|thumb|紀元前5世紀頃の黒海周辺諸国]]<br /> <br /> [[ファイル:Warrior of Scithians.png|thumb|250px|スキタイの騎兵]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;スキタイ&#039;&#039;&#039;([[ギリシア語|希]]: {{lang|el|Σκύθαι}} (Skythai), [[ラテン語|羅]]: {{lang|la|Scythae}})は[[紀元前8世紀]]〜[[紀元前3世紀]]にかけて、[[ウクライナ]]を中心に活動していた[[イラン系]]&lt;ref&gt;ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『スキタイ』&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;「イラン語派」『言語学大辞典』第1巻, pp. 675–676.([[亀井孝 (国語学者)|亀井孝]]他編著、[[三省堂]]、1988年3月。ISBN 978-4-385-15215-8)&lt;/ref&gt;[[遊牧民|遊牧騎馬民族]]および[[遊牧国家]]。&#039;&#039;&#039;スキュタイ&#039;&#039;&#039;とも表記する。スキタイの居住地を&#039;&#039;&#039;スキティア&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;スキュティア&#039;&#039;&#039;)と呼ぶことから&#039;&#039;&#039;スキティア人&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;スキュティア人&#039;&#039;&#039;)ともいう。「スキタイ」は[[古代ギリシア]]人によってこの地域の諸部族をまとめて指す際に使われた呼称でもあり、スキタイが滅んだ後も遊牧騎馬民族の代名詞として「スキタイ」の名は使われ続けた。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> === 起源 ===<br /> [[古代ギリシア]]の[[歴史家]][[ヘロドトス]]は著書『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』において、スキタイの起源に関する説をいくつか挙げている。<br /> ; スキタイによる伝説<br /> * 当時、無人の境であった彼らの国土に最初に生まれたのは、タルギタオスという名の男であった。彼の両親は[[ゼウス]]とボリュステネス河(現:[[ドニエプル川]])の娘とであったという。タルギタオスからはリポクサイス、アルポクサイス、コラクサイスの3子が生まれた。この3人が支配していた時代に、天から黄金の器物がスキティアの地に落ちてきて、長兄が一番にこれを見つけ、それを取ろうとして近づいたところ、その黄金が燃えだした。長兄が離れた後、次兄が近づくと、黄金はまた燃えだした。最後に末弟のコラクサイスが近づくと火は消え、持ち帰ることができた。これによって長兄と次兄はコラクサイスを王に推戴することにした。以後、長男のリポクサイスを始祖とするアウカタイ氏、次男のアルポクサイスを始祖とするカティアロイ氏とトラスピエス氏、三男のコラクサイスを始祖とする王族パララタイ氏の4氏族が形成されることとなり、彼らの総称は王の名にちなみ、&#039;&#039;&#039;スコロトイ&#039;&#039;&#039;と呼ばれるようになった。コラクサイスは広大なスキュティアの国土を3つの王国に分け、自分の息子たちに所領として分け与え、そのうちの一国を特に大きくして黄金の器物を保管した。<br /> ; 黒海地方在住のギリシア人による伝説<br /> * [[ヘーラクレース]]は[[ゲーリュオーン]]&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;ゲーリュオーン(ゲリュオネウス)は三頭三体の怪物で、ヘーラクレースによって退治された。ヘーラクレースはゲリュオネウスの飼っていた牛の群れをギリシアへ持ち帰ったという。また、12苦行の一つにも数えられる。&lt;/ref&gt;の牛を追いながら、当時は無人であったスキュティアの地にやって来た。ところが、折からの冬季で酷寒に見舞わされ、ヘーラクレースはライオンの皮を引被って眠ってしまった。するとその間に草を食べていた馬がいなくなってしまったため、ヘーラクレースは目を覚ますなり馬を探しまわった末、ヒュライアという土地にやってきた。ヘーラクレースはこの地の洞窟で上半身は娘の姿で、下半身が蛇の姿である怪物と遭遇し、初めは驚いたものの、その蛇女に「迷った馬を見なかったか」とたずねてみた。すると蛇女は「馬は私の許にあるが、そなたが私と交わってくれぬかぎり馬を返さん」と言うので、ヘーラクレースは渋々了承し、しばらく同棲したあと馬を返してもらった。しかし蛇女の腹には3人の子供が身ごもられており、蛇女はヘーラクレースにこの子供をどうするか訊ねた。するとヘーラクレースは弓と帯を使って自分の示した仕草をした者をこの地に住まわせ、できなかった者を追放せよと蛇女に伝え、弓と金の盃のついた帯を渡して去っていった。やがて3人の子供が成人になると、蛇女はヘーラクレースに言われた通り、例の儀式を行った。長男のアガテュルソス、次男のゲロノスはヘーラクレースが示した仕草をできずに国を放逐されたが、三男のスキュテスは見事ヘーラクレースが示した仕草ができたので、国に留まり、王になることができた。以後、スキュテスの子孫が代々王となり、スキティア人は帯に盃をつけるようになった。<br /> ; ヘロドトスが信を置く説<br /> * スキタイはもともとアジアの遊牧民であったが、[[マッサゲタイ]]に攻め悩まされた結果、アラクセス河&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;通常[[アム川]]を指すが、ここでは[[ヴォルガ川]]を指す。&lt;/ref&gt;を渡り、当時のキンメリア地方に移ったという。当時のキンメリア([[キンメリオイ]]の地)は現在(ヘロドトス当時)のスキュティア(スキタイの地)とされているので、この時キンメリアはスキタイによって奪われ、スキュティアと呼ばれることとなった。<br /> ; アリステアスの説<br /> * プロコンネソス出身でカユストロビオスの子である{{仮リンク|アリステアス|en|Aristeas}}はその作詩した叙事詩において、東方の{{仮リンク|アリマスポイ|en|Arimaspi}}(一眼族)が[[イッセドネス人]]を追い払ったせいでスキタイがイッセドネス人によって追われ、そのせいでスキタイがキンメリオイを追い払ってその地に居座ったとしている。<br /> <br /> 最初の2説は少々異なるものの、3兄弟の末弟が王位を継ぐという点では似通っており、伝説といえどもそういうことがあった可能性がある。それよりもヘロドトス自身が「最も信を置く」と記している第3の説や第4の説はスキタイの東方起源説を思わせる記述なので、注目すべき説である。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 178-180.(ヘロドトス『歴史』4巻5-13)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> また、紀元前1世紀のギリシア史家[[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]も『歴史叢書』でスキュタイの起源についてふれている。<br /> <br /> * 初め、[[ヴォルガ川|アラクセス(ヴォルガ)河畔]]にわずかな部族が住みついただけであったが、あるとき戦好きで統帥力のある王が現れ、南は[[コーカサス山脈|カウカソス(コーカサス)山脈]]、東は大洋[[オーケアノス|オケアノス]]沿岸、西は[[ドン川|タナイス(ドン)川]]に至る範囲をその版図とした。<br /> <br /> * スキュタイの中にひとりの処女が大地から生まれたが、彼女の上半身は人間、下半身は蛇の姿であった。ある時、[[ゼウス]]が彼女と交わって男児をもうけ、スキュテスという名前をつけた。スキュテスはやがて名を挙げたため、彼の部族はスキュタイと呼ばれるようになった。後に彼の子孫からパロス,ナペス兄弟が現れ、王国を二分(パロイ,ナパイ)するほど強盛となった。さらに彼等の子孫から優れた諸王が生まれ、タナイス対岸の地域を支配し、[[トラキア]],エジプトにまで遠征するようになった。その他、[[サカイ]],[[マッサゲタイ]],[[アリマスポイ]]といった諸族が分岐していった。<br /> &lt;ref&gt;[[#飯尾訳編 1999|飯尾 1999]], pp. 181-182.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === アッシリア碑文の記録 ===<br /> [[ファイル:Urartu 715 713-en.svg|thumb|right|715-713 BC(水色が[[コルキス]]王国、黄色が[[ウラルトゥ]]王国、紫が新[[アッシリア]]王国)。]]<br /> 『[[アッシリア碑文]]』においてスキタイは&#039;&#039;&#039;アシュグザ&#039;&#039;&#039;あるいは&#039;&#039;&#039;イシュクザーヤ&#039;&#039;&#039;と記される([[紀元前7世紀]])。<br /> <br /> [[アッシリア]]王[[エサルハドン]](在位:[[紀元前681年|前681年]] - [[紀元前669年|前669年]])は、[[マンナエ]]の地(現:西北[[イラン]])でマンナエ軍とマンナエを救援するためにやってきたアシュグザ国(スキタイ)王{{仮リンク|イシュパカー|en|Ishpaka}}の軍を撃ち破った。その後、イシュパカーは[[紀元前673年|前673年]]頃アッシリアによって殺される。ところがその翌年、エサルハドンは自分の娘をイシュクザーヤ(スキタイ)の王{{仮リンク|バルタトゥア|en|Bartatua}}に与えて結婚させ、同盟関係となる。<br /> <br /> この「バルタトゥア」はヘロドトス『歴史』に登場する「プロトテュエス」と考えられ、プロトテュエスの息子である{{仮リンク|マデュエス|en|Madius}}率いるスキタイ軍が[[メディア王国|メディア]]軍を破り、全アジアを席捲するというヘロドトス『歴史』のエピソードにつながっていく。<br /> &lt;ref&gt;[[#林2007|林 2007]], pp. 92-93.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === リュディア・メディア戦争の原因 ===<br /> [[ファイル:Median Empire.jpg|thumb|250px|紀元前600年頃のオリエント世界。黄色がメディア領、青がリュディア領。]]<br /> スキタイの一隊が本国で謀反を起こして[[メディア王国|メディア]]領内に逃れてきた。当時、メディアの王であったのは[[キュアクサレス2世]](在位:[[紀元前625年|前625年]] - [[紀元前585年|前585年]])であったが、彼はこれらのスキタイを保護歎願者(ヒケテス)とみなし、親切に面倒を見てやった。キュアクサレスは彼らを高く評価していたので、自分の子供たちを彼らに預け、[[スキタイ語]]や弓術を学ばせたりした。スキタイたちは毎日のように狩猟に出かけ、獲って来た獲物をキュアクサレスに献上していたが、あるとき獲物が一匹も獲れず、手ぶらで帰って来たことがあり、キュアクサレスの怒りを買って手ひどい目に遭った。このためスキタイたちは獲物の代わりにキュアクサレスの子供を調理してキュアクサレスに食べさせ、その間に[[リュディア]]王[[アリュアッテス]](在位:[[紀元前605年|前605年]] - [[紀元前561年|前561年]])のもとへ亡命した。事に気づいたキュアクサレスは直ちにスキタイたちの引き渡しを要求したが、アリュアッテスが応じなかったため、5年に及ぶリュディア・メディア間の戦争が引き起こされた。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 26-27.(ヘロドトス『歴史』1巻73-74)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === スキタイのアジア支配 ===<br /> アジア(ここでは[[西アジア]]を指す)において、メディア王の[[キュアクサレス2世]]がアッシリア軍と戦い、ニノスの町を攻囲していた時、スキタイ王の{{仮リンク|マデュエス|en|Madius}}率いるスキタイの大軍はメディア軍を強襲し、交戦の末にメディア軍を破って全アジアを席捲した。スキタイ王のマデュエスらは北の草原地帯から[[キンメリア人]](キンメリオイ)を駆逐し、それを追って[[コーカサス山脈]]の東側からアジアに侵入してきたのであるが、この地ではちょうどアッシリア帝国からの独立運動が盛んで、メディア軍がアッシリア軍を攻撃している最中であったため、スキタイ軍はそのすきを狙ってメディア軍を破り、続いて[[古代エジプト|エジプト]]を目指して南下した。スキタイ軍が[[パレスチナ]]・[[シリア]]まで来た時、エジプト王{{仮リンク|プサメティコス1世|en|Psamtik I}}(プサムテク1世)が自ら出向いて贈り物と泣き落とし戦術でもってスキタイの進軍を思いとどまらせたため、スキタイ軍は後戻りしてアジアを28年間統治することとなった。このスキタイのアジア統治は乱暴で投げやりなものであり、住民の一人一人に課税して取り立て、貢税のほかに各地を回って個人の資財を略奪したので、全アジアは荒廃に帰してしまった。そのためメディア人の怒りを買い、メディア王キュアクサレス2世の指揮のもと、スキタイたちを宴席に呼んで殺害し、スキタイの大部分を駆逐することに成功し、メディア人は再びアジアを取り戻すことができた。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 37-38.(ヘロドトス『歴史』1巻103-106)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === アジアからの帰国 ===<br /> メディア人によってアジアから駆逐されたスキタイたちは、28年ぶりに故郷の草原地帯へと帰っていった。しかし、28年間留守にしていたため、スキタイ戦士の妻たちが奴隷と情を通わせて子供をつくってしまい、成長したその子供たちは帰国しようとするスキタイ戦士たちを迎え撃ってしまう。交戦の末、スキタイ戦士のある者が「我々が武器に代えて鞭を持てば、彼らが奴隷であることを自覚し、抵抗しなくなるだろう」と提案し、それを実行したところ、奴隷の息子たちは抵抗をやめて遁走した。こうしてスキタイ戦士たちは28年ぶりに故郷へ帰国することができた。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 177-178.(ヘロドトス『歴史』4巻3-4)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === ダレイオスのスキュティア遠征 ===<br /> [[ファイル:DariusScythes ru.svg|thumb|250px|スキュティア遠征におけるダレイオス1世の進路。]]<br /> [[アケメネス朝]]の[[ダレイオス1世]](在位:[[紀元前522年|前522年]] - [[紀元前486年|前486年]])は[[ボスポラス海峡]]を渡って[[トラキア人]]を征服すると、続いて北のスキタイを征服するべく、イストロス河(現:[[ドナウ川]])を渡った。これを聞いたスキタイは周辺の諸民族を糾合してダレイオスに当たるべきだと考え、周辺諸族に使者を送ったが、すでに[[タウロイ]],[[アガテュルソイ]],[[ネウロイ]],[[アンドロパゴイ]],[[メランクライノイ]],[[ゲロノイ]],[[ブディノイ]],[[サウロマタイ]]の諸族の王は会合し、対策を練っていた。スキタイの使者は「諸族が一致団結してペルシアに当たるため、スキタイに協力してほしい」と要請した。しかし、諸族の意見は二手に分かれ、スキタイに賛同したのはゲロノイ王,ブディノイ王,サウロマタイ王のみであり、その他の諸族は「スキタイの言うことは信用できない」とし、協力を断った。<br /> <br /> こうして全ての民族が同盟軍に加わらなかったため、スキタイは正面からの攻撃をあきらめ、[[焦土作戦]]によってペルシア軍を迎え撃つことにした。スキタイはまず、ペルシア軍の前に現れてペルシア軍を誘き寄せ、東へと撤退していった。両軍は追い追われながらタナイス河を渡り、サウロマタイの国を越えてブディノイの国に達した。この間の土地には焦土作戦のため水も食料もなく、ペルシア軍はただもぬけの殻となったゲロノスの木造砦を燃やして進軍を続けた。やがて無人の地に入ったため、ダレイオスは進軍をやめてオアロス河(現:[[ヴォルガ川]])畔に駐屯し、8つの砦を築き始めた。この間にスキタイ軍は北を迂回してスキタイ本国へ帰った。スキタイが姿を消したので、ダレイオスは砦の築城を放棄して西へ転じ、スキタイ本国へ向かった。ペルシア軍はそこでブディノイを含むスキタイ二区連合部隊と遭遇し、ふたたび追跡を始める。しかし、スキタイ軍は逃げるばかりで戦おうとしないため、ダレイオスは遂にスキタイの{{仮リンク|イダンテュルソス|en|Idanthyrsus}}王に使者を送って降伏勧告をした。イダンテュルソス王はダレイオスの態度に腹を立て、ふたたびペルシア軍を翻弄するとともに、両者一進一退の攻防を繰り広げた末、遂にペルシア軍をスキュティアの地から追い出した。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 198-212.(ヘロドトス『歴史』4巻83-143)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === スキュレス王のバッコス信仰 ===<br /> スキュタイの王[[アリアペイテス]](Ariapeithes)&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;イダンテュルソスの子。&lt;/ref&gt;が[[アガテュルソイ]]王{{仮リンク|スパルガペイテス|en|Spargapeithes}}によって謀殺されると、アリアペイテスの子である[[スキュレス]](Scylas)が王位を継いだ。スキュレスの母はイストリア&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;イストロス河(現:[[ドナウ川]])の河口近くにある町。[[ミレトス]]人(ギリシア人)の植民地となる。&lt;/ref&gt;の出身でギリシア人であったため、子のスキュレスに[[ギリシア語]]と[[ギリシア文字]]を教え、ギリシア風の教育をさせた。そのためスキュレスはスキュティアの王位を受け継いだものの、スキュティア風の生活([[遊牧]]生活)が好きになれず、ギリシア風の生活を好むようになり、スキュタイの人目を忍んではボリュステネス人(農民スキタイ)の町(オルビア&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;ボリュステネス河(現:[[ドニエプル川]])の西に平行して流れるヒュパニス河(現:[[南ブーフ川|ブグ川]])の右岸にある町。[[紀元前7世紀]]中葉にミレトス人の植民にかかる。&lt;/ref&gt;)へ出入りし、ギリシア風の服をまとい、ギリシア風の生活を送っていた。さらにスキュレスはスキュタイが嫌っている[[ディオニューソス|ディオニュソス]]・バッケイオス([[ディオニューソス|バッコス]])の信仰に入信してしまう。のちにこれらのことが、あるボリュステネス人の密告によって明らかとなり、スキュタイらはスキュレスの異母弟であるオクタマサデスを立ててスキュレスに反旗を翻した。スキュレスはこれを知るなり[[トラキア]]へ逃亡し、オクタマサデスらはスキュレスを追ってイストロス河畔に達した。この時、トラキア・オドリュサイ王のシタルケスはスキュタイとの戦闘を避けるべく、互いの亡命者を引き渡すことを和平案として、甥でもあるオクタマサデスと交渉し、スキュレスを引き渡した。スキュレスはその場でオクタマサデスによって斬首された。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 196.(ヘロドトス『歴史』4巻76-80)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ===マケドニア軍の侵攻とアテアス王===<br /> [[紀元前4世紀]]、スキュティア王アテアス(アタイアス{{refnest|group=&quot;注釈&quot;|「アテアス」は紀元前1世紀の綴りで、紀元前4世紀では「アタイアス」と綴っていた。&lt;ref name=&quot;雪嶋2008p138&quot;&gt;[[#雪嶋 2008|雪嶋 2008]], p. 138.&lt;/ref&gt;}})はヒストリア{{refnest|group=&quot;注釈&quot;|アドリア海北東の半島&lt;ref&gt;[[#合阪訳 1998|合阪訳 1998]], p. 157.(注4)&lt;/ref&gt;。}}の住民との戦争で苦しみ、アポロニア人{{refnest|group=&quot;注釈&quot;|アポロニアはトラキアの黒海沿岸の都市&lt;ref&gt;[[#合阪訳 1998|合阪訳 1998]], p. 157.(注5)&lt;/ref&gt;。}}を介して[[マケドニア王国|マケドニア]]王[[ピリッポス2世]]([[紀元前359年]] - [[紀元前336年]])に援助を求め、養子縁組をもちかけた。しかし、途中でヒストリア王が死去したため、アテアスは援軍に来ていたマケドニア兵を帰国させ、この話をなかったことにさせた。その頃のピリッポス2世は長引く[[ビュザンティオン]]攻囲戦の出費を取り返すべく、スキュティア遠征を画策しており、初めは率直に攻囲に要する費用を求めたものの、相手にされなかったため、すぐさまビュザンティオン攻囲を解いてスキュティア遠征にとりかかった。ピリッポス2世は初め、スキュティア人を安心させるためにヒステル河口([[ドナウ川]])に神像を建てるという口実で軍隊を差し向けたが、アテアス王が警戒し、「国境を越えて神像を建てたならば、マケドニア軍が去った後、神像を鏃にかえてしまうであろう」と敵意を募らせたため、結局全面戦争となった([[紀元前339年|前339年]])。初めはスキュティア軍が勝っていたものの、ピリッポス2世の狡猾さに敗れ、2万人の少年・婦人が捕えられ、膨大な数の家畜が奪われた。その中から2万頭の血統の良い雌馬が純血種を作るためにマケドニアに送られた。この戦いでスキュティア王アテアスが戦死したが、年齢は90歳を超えていた。<br /> &lt;ref&gt;[[#合阪訳 1998|合阪訳 1998]], pp. 156-158.(ポンペイウス・トログス『ピリッポス史』9巻2節)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[[#雪嶋 2008|雪嶋 2008]], pp. 137-138.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ===ボスポロス王国の後継争いとアガロス王===<br /> 紀元前4世紀末、[[ケルチ半島]]のギリシア系国家[[ボスポロス王国]]で王の[[パリュサデス1世]](前347/46 - 前311/10年)が亡くなり、長子の[[サテュロス2世]]が王位を継承した。しかし、その弟の[[エウメロス]]が王位に就こうとしてサテュロス2世に対して権力闘争を始めた。この権力闘争の中でギリシア,トラキア,スキタイの傭兵がサテュロス2世側に付き、[[サルマタイ]]の一部族[[シラケス]]の王アリファルネスの軍隊や、その他近隣の異民族がエウメロス側に援軍を送り、黒海北東岸の勢力が二分される戦いとなった。サテュロス2世が戦死すると末弟[[プリュタニス]]が後を継いだが、エウメロスに敗北して王国の安定を保てず失脚した。エウメロスが権力を握ると、サテュロス2世とプリュタニスの縁者を粛清した。唯一生き残ったサテュロス2世の子パリュサデスは馬で逃亡してスキタイ王アガロスに救いを求めたため、アガロスはパリュサデスを匿った。<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋2008p138&quot; /&gt;<br /> <br /> == スキタイの諸族 ==<br /> [[ファイル:Scythians map(ja).png|300px|thumb|紀元前5世紀の諸民族と諸スキタイの位置。]]<br /> ヘロドトスは『歴史』においてスキタイの諸族を紹介している。<br /> <br /> === カッリピダイ ===<br /> カッリピダイ(あるいはカリッピダイ&lt;ref&gt;[[#飯尾訳編 1999|飯尾 1999]], p. 513.&lt;/ref&gt;)はギリシア系スキタイであり、ヒュパニス(現在の[[南ブーフ川]])河畔に住んでいる。習俗は大体にしてスキタイと同じだが、自ら穀物を栽培して食用に充て、玉ねぎ,ニラ,扁豆,栗なども栽培しているので、遊牧民であるスキタイと異なる。カッリピダイの向こうにはアリゾネスという民族が住んでいる。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 181-182.(ヘロドトス『歴史』4巻17)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 農耕スキタイ ===<br /> [[ファイル:Eastern and Central Europe around 750 BC.png|thumb|right|300px|王族スキタイ侵入直前(前750年ごろ)のヨーロッパ東部。&lt;br&gt;農耕スキタイと[[チェルノレス文化]](黒森文化)が一致している。&lt;br&gt;また、[[ミログラード文化]]と[[ネウロイ]]も一致している。]]<br /> アリゾネスの向こうには農耕スキタイ(スキタイ・アロテレス)と呼ばれる部族が住んでおり、カッリピダイ同様、穀物を栽培している。しかし、カッリピダイとは違って自らの食用のためだけではなく、他に輸出するためにも穀物を栽培している。農耕スキタイの北ないし北西には[[ネウロイ]]という民族が住む。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 182.(ヘロドトス『歴史』4巻17)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> 鉄器時代の文化である[[チェルノレス文化|黒森文化]]の担い手で、古い時代の馬具が出土しており&lt;ref&gt;James P. Mallory, &quot;Chernoles Culture&quot;, Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.&lt;/ref&gt;、遅くとも先スキタイ時代である第2期までにはすでに馬をよく使う文化が成立していたことが知られている&lt;ref&gt;Terenozhkin 96 , Рис.67-6&lt;/ref&gt;。[[スラヴ語]]に見られる[[イラン語群|イラン系言語]]の地理的名称(とくに河川の名称)や[[借用語]]、そして[[キリスト教]]を受容する前の[[中世]]前期スラヴ人にも見られる[[火葬]]の習慣から、農耕スキタイはプロト・スラヴ人(原スラヴ人とも呼ばれる、[[スラヴ人]]の祖先となった複数の古代部族)のうちの基幹的な集団であると推定される&lt;ref&gt;James P. Mallory, &quot;Chernoles Culture&quot;, Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 農民スキタイ ===<br /> ボリュステネス河(現:ドニエプル川)を渡って海辺から北上すれば、まず、ヒュライア(森林地帯)があり、ここからさらに北上すれば、農民スキタイ(スキタイ・ゲオルゴイ)が住んでいる。ヒュパニス河畔に住むギリシア人はこれをボリュステネイタイ(ボリュステネス市民)と呼ぶが、彼ら自身はオルビオポリタイ(オルビア市民)と称す。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 182.(ヘロドトス『歴史』4巻18)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 遊牧スキタイ ===<br /> 農民スキタイの居住地から東へ向かい、パンティカペス河を渡れば、遊牧スキタイ(スキタイ・ノマデス)が住んでいる。彼らは純粋な遊牧民であり、彼らの住む地域は木が一本も生えていない草原地帯である。この遊牧スキタイはパンティカペス河からゲッロス河に至る東西14日間の範囲にわたって住んでいる。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 182.(ヘロドトス『歴史』4巻19)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 王族スキタイ ===<br /> ゲッロス河以遠はコラクサイスを始祖とする王族パララタイ氏の領する王族スキタイ(スキタイ・バシレイオス)の領土であり、彼らはスキタイの中で最も勇敢で数が多く、他のスキタイを自分の隷属民とみなしている。国家的な意味で「スキタイ」と呼ぶときはこの王族スキタイを指す。彼らの領土は南は[[タウロイ]]の国(タウリケ)に達し、東は盲目の奴隷の子らが開墾した掘割に至り、マイオティス湖(現:[[アゾフ海]])畔の通商地クレムノイに及んでいる。また一部はタナイス河(現:[[ドン川]])にも接している。&lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 182.(ヘロドトス『歴史』4巻20)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> [[1世紀]]の[[ポンポニウス・メラ]]は『世界地理』で、「バシリダイ族の始祖は[[ヘーラクレース]]と[[エキドナ]]の子で、習俗は王族風、武器は弓矢だけである。」と記す。&lt;ref&gt;[[#飯尾訳編 1999|飯尾 1999]], p. 514.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 別種スキタイ ===<br /> テュッサゲタイとイユルカイの国を越えてさらに東方に進めば、別種のスキタイが住んでいる。これは王族スキタイに背き、その果てにこの地に到来したものである。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 182.(ヘロドトス『歴史』4巻22)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === エナレス ===<br /> これは種族名ではなく、いわゆる「おんな病」にかかった者たちを言う。スキタイがアジアに侵入した際、スキタイはエジプトを目指して南下すると、エジプト王の泣き落とし戦術に遭い、エジプト侵入をあきらめて引き返した。その途上、シリアのアスカロンという町にさしかかったとき、大部分のスキタイがその町を通過したのに、一部の者が残って「アプロディテ・ウラニア」の神殿を荒らした。のちにこの者たちとその子孫は「おんな病」にかかったため、神殿を荒らした祟りとされている。ヘロドトスもこの者たちの意訳として「おんな男、おとこ女」と記している。「おんな病」については詳しくわからないが、性病、男色、陰萎など諸説あり、確定していない。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 38.(ヘロドトス『歴史』1巻105)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 習俗 ==<br /> === 政治 ===<br /> スキタイの王国は3人の王によって分割統治される。これは第2代の王であるコラクサイスに始まるものであり、コラクサイスは広大なスキュティアの国土を3つの王国に分け、自分の息子たちに所領として分け与えた。そのうちの一国は特に大きくして黄金の器物を保管し、[[宗主国]]としての役割をもたせた。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 178.(ヘロドトス『歴史』4巻7)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 宗教 ===<br /> スキタイが祀る神として最も重んずるのが[[ヘスティアー]](かまどの女神)で、ついで[[ゼウス]]と[[ガイア|ゲー]](大地の女神)で、スキタイはゲーをゼウスの妻としている。さらに[[アポローン]]、ウーラニアー・アプロディーテー(天上の[[アプロディーテー]])、[[ヘーラクレース]]、[[アレース]]がある。これらはスキタイ全民族が祀る神であるが、王族スキタイはさらに[[ポセイドーン]](海の神)にも犠牲を供える。これは王族スキタイがアゾフ海沿岸に住んでいるためだと思われる。以上の神々はギリシア風に訳したものであり、スキタイ語にすれば以下のようになる。<br /> * ヘスティアー→タビティ<br /> * ゼウス→パパイオス<br /> * ゲー→アピ<br /> * アポローン→ゴイトシュロス<br /> * ウーラニアー・アプロディーテー→アルギンパサ<br /> * ポセイドーン→タギマサダス<br /> 基本的にスキタイでは神像や祭壇や社は造らないが、アレースだけには神像や祭壇を設ける。<br /> <br /> ; 犠牲式<br /> どの犠牲式でもその祭式の作法は同じで、犠牲獣が前足を縛られて立つと、犠牲を執行する者が獣の背後に立って綱の端を引いて獣を転がす。獣が倒れると、犠牲をささげる神の名を唱えた後、獣の首に紐を巻き付け、それに棒をはさんでぐるぐると回して絞め殺す。その際、火も燃やさず、お祓いもせず、灌奠(かんてん:獣の頭から酒をかける)も行わない。獣を絞殺した後は皮を剥いで煮て、肉が煮上がると犠牲の執行人はその一部を初穂として取り、前方へ投げる。犠牲獣はさまざまであるが馬が多い。また、アレスに対する犠牲式は次のように行われる。スキタイの諸王国内の各地区には、それぞれアレスの聖所が設けられている。アレスの聖所は縦横3[[スタディオン]]、高さは3スタディオンいかないくらいで薪の束が積み重ねられ、その上に四角の台が設けてあり、三方は切り立って一方だけが登れるようになっている。そこへアレスの御神体として古い鉄製の短剣がのせてあり、毎年スキタイがこの御神体に家畜を生贄として捧げるのである。また、戦争で生け捕った捕虜の中から100人に1人の割合で生贄を選び、その者の頭に酒をかけてから喉を切り裂いて血を器に注ぎ、その血を御神体である短剣にかける。一方で、殺された男たちの右腕を肩から切り落として空中に投げ、儀式が終わるとその場を立ち去り、右腕と胴体は別々の場所に放置される。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 192-193.(ヘロドトス『歴史』4巻59-62)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 料理 ===<br /> スキタイは極度に木材の乏しい国なので、彼らは肉を煮るのに次のような手段を用いる。犠牲獣の皮を剥ぎ終わると、肉を骨からそぎ落とし、鍋の用意があるときはスキュティア特有の鍋に入れて煮る。そのとき先ほど肉をそぎ落とした骨を薪代わりに使って燃やす。鍋がない時は犠牲獣の胃の中へ肉を入れて水を加え、骨の薪を燃やして煮る。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 192.(ヘロドトス『歴史』4巻61)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 家畜 ===<br /> スキタイでは馬を始め、数々の家畜を飼育しているが、豚だけは飼育しておらず、生贄にも使わない。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 193.(ヘロドトス『歴史』4巻63)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 戦争 ===<br /> スキタイは最初に倒した敵の血を飲む。また、戦闘で殺した敵兵の首はことごとく王のもとへ持っていき、&lt;ref&gt;『歴史を動かした兵器・武器の凄い話』25頁&lt;/ref&gt;その数に応じて褒美がもらえる。首は頭蓋骨から皮をきれいに剥ぎ取って手巾とし、馬勒にかけて勲章とする。またある者は敵兵の皮をつなぎ合わせて衣服にしたり、矢筒にしたりする。頭蓋骨は最も憎い敵に限り、[[髑髏杯]]として用いる。年に一度、戦争で手柄のあった者はその地区の長官から一杯から二杯の酒がもらえる。逆に手柄のないものは酒がもらえず、恥辱をしのんで離れた席に座る。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 193-194.(ヘロドトス『歴史』4巻64-66)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 占い師 ===<br /> スキュティアには多数の占い師がおり、多数の柳の枝を使って占いをする。まず、占い師は棒をまとめた大きい束をもってくると、地上に置いて束を解き、一本一本並べながら呪文を唱える。そして呪文を唱え続けながら再び棒を束ね、一本ずつ並べてゆく。この卜占術はスキタイ伝統のものであるが、エナレスにおいては菩提樹の樹皮を3つに切り、それを指に巻きつけたりほどいたりして占う。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 194.(ヘロドトス『歴史』4巻67)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 死刑 ===<br /> たいていの場合は斬首だが、誤った占いをした者は後ろ手に縛られ、足掛けと[[猿轡]]をされ薪の中に押し込まれ、その薪を満載した車を牛にひかせた上、火を放って牛を走らせる。牛は一緒に焼死するか、火傷を負って焼死を免れるものもある。死刑人の子供も容赦なく殺されるが、女子の場合は殺されない。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], p. 194.(ヘロドトス『歴史』4巻69)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 葬制 ===<br /> スキタイ王陵はゲッロイの国土内にある。スキタイの王が死ぬと、この土地に四角形の大きい穴を掘り、穴の用意ができると遺骸を取り上げる。遺体は腹を裂いて内臓を取り出し、つぶしたキュペロン(かやつり草)、香料、パセリの種子、アニスなどをいっぱいに詰めて縫い合わせ、全身に蝋が塗られる。取り上げられた遺骸は車で別の国へ運ばれ、その国で耳の一部を切り取り、頭髪を丸く剃り落とし、両腕に切り傷をつけ、額と鼻を掻きむしり、左手を矢で貫くといった作業をする。その後も遺体はスキタイのすべての属国をめぐり、最後に王陵のあるゲッロイの国に到着する。遺体を墓の中の畳の床に安置し、その両側に槍をつき立てて上に木をわたし、むしろをかぶせる。墓中の広く空いている部分には故王の妾を一人絞殺して陪葬し、酌小姓,料理番、馬丁、侍従、取次役、馬も陪葬し、副葬品として万般の品々から選び出した一部と、黄金の盃を一緒に埋める。その後は全員で巨大な塚を盛り上げるが、なるべく大きな塚にしようとわれがちに懸命になって築く。一年後、今度は故王の最も親しく仕えた者50人、最も優良な馬50頭を絞殺して内臓を取り除き、中にもみ殻を詰めて縫い合わせる。その死体たちを杭で固定して騎乗の状態にさせ、王墓の周りに配置する。以上が王の葬式である。一般人の葬式では遺体を車に乗せて知人の家を廻り、馳走を受けながら40日間これを繰り返して埋葬される。<br /> &lt;ref&gt;[[#松平訳 1982|松平訳 1982]], pp. 194-195.(ヘロドトス『歴史』4巻71-73)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 歴代王 ==<br /> ;伝説上のスキタイ王<br /> * タルギタオス<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot;&gt;個別に出典を示した王以外は、[[#雪嶋 2008|雪嶋 2008]], p. 130.&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ;前7世紀のスキタイ王<br /> * イシュパカー<br /> * プロトテュエス(バルタトゥア&lt;ref group=&quot;注釈&quot;&gt;アッシリア史料。&lt;/ref&gt;)<br /> * マデュエス…プロトテュエスの子<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot; /&gt;<br /> <br /> ;前7世紀 - 前6世紀のスキタイ王<br /> * スパルガペイテス<br /> * リュコス…スパルガペイテスの子<br /> * グヌロス…リュコスの子<br /> * サウリオス…グヌロスの子<br /> * イダンテュルソス…サウリオスの子<br /> ** スコパシス<br /> ** タクサキス<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot; /&gt;<br /> <br /> ;前5世紀のスキタイ王<br /> * アリアンタス<br /> * アルゴタス<br /> * アリアペイテス…イダンテュルソスの子<br /> * スキュレス…アリアペイテスの長子<br /> * オクタマサデス…アリアペイテスの次子<br /> * オリコス…アリアペイテスの三子<br /> * (エミナコス)<br /> * (リュコス)<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot; /&gt;<br /> <br /> ;前4世紀のスキタイ王<br /> * アテアス(アタイアス)<br /> * アガロス<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot; /&gt;<br /> <br /> ;前2世紀 - 1世紀のスキタイ王<br /> * スキルロス<br /> * パラコス…スキルコスの子<br /> * コダルゾス<br /> &lt;ref name=&quot;雪嶋 2008_歴代王&quot; /&gt;<br /> <br /> == 考古学の成果 ==<br /> [[ファイル:Scythian comb.jpg|200px|thumb|エルミタージュ博物館所蔵の黄金製の[[櫛]]]]<br /> [[ファイル:Scythians shooting with bows Kertch antique Panticapeum Ukrainia 4th century BCE.jpg|200px|thumb|黄金製のスキタイ射手]]<br /> [[ファイル:Фрагменты Пекторали.jpg|200px|thumb|トヴスタ・モヒーラ古墳で発見された女性の胸飾り]]<br /> [[ファイル:Scythiancarpet.jpg|200px|thumb|[[パジリク古墳]]出土の[[絨毯]]]]<br /> [[ファイル:PazyrikHorseman.JPG|200px|thumb|パジリク5号墳出土の[[フェルト]]製壁掛けに描かれた騎馬像]]<br /> [[ファイル:Skythian archer Louvre F126.jpg|200px|thumb|陶器に描かれたスキタイ戦士]]<br /> [[ファイル:Scythian_Warriors.jpg|thumb|秘儀の杯に描かれたスキタイ戦士(クル・オバ遺跡より)]]<br /> === スキタイ美術 ===<br /> ; 初期スキタイ美術(西部)<br /> スキタイ文化を特徴づける共通要素として必ず取り上げられるのは、スキタイ風動物文様,馬具(鐙形[[銜]]と三孔・二孔銜留め具),武器(アキナケス型短剣と両翼・三翼[[鏃]])の三要素である。[[19世紀]]末から[[20世紀]]初めにかけて[[北カフカス]]と[[黒海]]北岸でスキタイの[[古墳]]が多く発掘され、その中からいくつかの金銀製品が発見されたが、それらすべてがスキタイ固有の美術品というわけではない。その様式には西アジア(後期[[ヒッタイト]]、[[アッシリア]]、[[ウラルトゥ]])の影響も見られる。<br /> <br /> ; 初期スキタイ美術(東部)<br /> [[17世紀]]から[[18世紀]]にかけて、[[カザフステップ]]におけるスキタイ・[[サルマタイ]]時代の古墳がロシア人によって盗掘され、その副葬品である金銀製品のほとんどが散逸してしまった。[[1715年]]、[[ロシア帝国|ロシア]][[ツァーリ|皇帝]]の[[ピョートル1世]](在位:[[1682年]] - [[1725年]])はその美術的価値に気づき、できる限りの金製品をかき集めて保護した。こうして集められた金製品は250点にのぼり、現在は「シベリア・コレクション」あるいは「ピョートル・コレクション」と呼ばれ、[[エルミタージュ美術館]]に所蔵されている。この「シベリア・コレクション」には初期スキタイ時代([[紀元前8世紀]] - [[紀元前6世紀]])のものからサルマタイ時代([[紀元前5世紀]] - [[4世紀]])のものまで含まれているが、初期スキタイに属するものとしては体を丸めた[[豹]]の飾板があり、これは[[アルジャン古墳]],[[ケレルメス古墳]],[[ウイガラク墓地]]のものと同じモチーフである。「体を丸めた動物」というのは初期スキタイの最大の特徴であり、他には「つま先立ちの動物」、「脚を折りたたんだ動物」などのモチーフがある。また、初期スキタイ美術の東部(カザフステップ以東)では西アジアの影響は見られず、スキタイ文化の元々の姿に近いと考えられている。<br /> <br /> ; 後期スキタイ美術<br /> 後期([[紀元前4世紀]]後半 - [[紀元前3世紀]]初め)西部(黒海北岸、北カフカス)のスキタイ美術ではギリシア文化の影響も見られる。特徴としては、パルメット([[ナツメヤシ]]の葉が広がったような文様)や[[唐草模様]]のような植物文様が施されたこと、動物表現がより写実的になったこと、人間や神々が表現されるようになったことが挙げられる。これらの作品は当時黒海北岸に住んでいたギリシア人職人がスキタイ王侯の注文に応じて作ったものと考えられている。<br /> <br /> この時代の作例としては、1971年に発掘されたトヴスタ・モヒーラ(トルスタヤ・モギーラ)古墳で発見された女性の胸飾りが挙げられ、「体をひねった動物」という表現もこの時代の特徴である。<br /> &lt;ref&gt;[[#雪嶋 2008|雪嶋 2008]] {{要ページ番号|date=2015-11-12}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === 古墳 ===<br /> スキタイ文化の分布は広範囲にわたり、西は[[ウクライナ]]から東は[[ロシア]]の[[トゥヴァ共和国]]にまで及んでいるが、それを示すものとして存在するのが古墳である。以下にはその有名なものを記す。<br /> ; 前期スキタイ時代<br /> * アルジャン古墳群(トゥヴァ共和国)…全2基<br /> ** アルジャン1号墳…紀元前9世紀末 - 紀元前8世紀初のもの<br /> ** アルジャン2号墳…紀元前7世紀末のもの<br /> * チリクタ古墳群([[カザフスタン]])…全51基<br /> ** チリクタ5号墳(黄金古墳)…紀元前7世紀のもの<br /> * ベスシャトゥル古墳群(カザフスタン)…全14基<br /> * クラースノエ・ズナーミャ古墳群(北カフカス)<br /> * ケレルメス古墳群(北カフカス)<br /> * ウルスキー・アウル古墳群(北カフカス)<br /> ; 後期スキタイ時代<br /> * チョルトムリク(チョルトムリク)古墳(ウクライナ)…紀元前4世紀後半のもの<br /> * トゥエクタ古墳群([[アルタイ共和国]])<br /> * [[パジリク古墳群]](アルタイ共和国)…紀元前5世紀末 -紀元前4世紀のもの&lt;ref&gt;[[#雪嶋 2008|雪嶋 2008]] {{要ページ番号|date=2015-11-12}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 子孫 ==<br /> <br /> === 遺伝子から ===<br /> スキティア(現在の[[ウクライナ]])における古代スキタイ人は政治的には滅亡したものの、彼らは生物学的に絶滅したわけではなく、この地方とその周辺で彼らの血統は現代にも脈々と受け継がれている。現代ヨーロッパにおける[[Y染色体]]の[[ハプログループR1a (Y染色体)|ハプログループR1a1]]はスキタイ時代のヨーロッパ東部から中央アジアにかけて広く住んでいたイラン系遊牧民の子孫を示している。ヨーロッパの各集団のうち[[スラヴ語派]]の各民族にはこのR1a1が非常に濃く含まれており、特に[[ポーランド]]全土、および[[ロシア]]の西部に集中している。<br /> <br /> === 言語から ===<br /> スキタイ人は言語的には[[インド・イラン語派]]でありいわゆる「[[アーリア人]]」であったと推定される。彼らの言語と思われるものの痕跡は[[オセット語]]や[[スラヴ語]]に残っている。スラヴ語で「神」を意味するボーグ(bog)は明らかにイラン語群の古代言語を起源としている。スキタイ国家の一部のスキタイ人は東部辺境で現在のオセチアに侵入して土着の人々を少数支配し、地域全体として[[オセット人]]を形成したと考えられるものの、オセット人の圧倒的大多数のY染色体ハプログループは[[:en:Haplogroup G-L293+|G-L293+]]であり、これはスキタイ由来ではない。<br /> <br /> === 現代 ===<br /> スキュティア地方に広く住んでいた大部分のスキタイ人は[[ゲルマン人]]と混血して[[スラヴ人]]を形成していった。スキタイ人はその国家が[[サルマタイ人|サルマチア人]]の手によって滅亡すると、ヘロドトスが農耕スキタイと呼んでいた農耕民の社会に次々と[[同化]]吸収されていったのである。サルマチア人もまたヨーロッパの中世初期に[[フン族]]の侵入により政治的に瓦解し、当地の農耕民の社会に吸収同化されていった。<br /> <br /> [[プリンストン高等研究所]]の[[パトリック・ゲーリー]][[教授]]([[歴史学]])はその著書『The Myth of Nations』([[2002年]])において「スラヴ人は、古代の人々がスキタイ人、サルマチア人、[[ゲルマン人]]と呼んでいた人々が混じり合うことにより形作られた」と説明している。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> === 注釈 ===<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|group=注釈}}<br /> <br /> === 出典 ===<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> &lt;!--この節には、編集時に実際に参考にした書籍等のみを記載して下さい--&gt;<br /> * 合阪訳 1998:&lt;!--あいさか--&gt;{{Cite book|和書|last=ポンペイウス|first=トログス|authorlink=グナエウス・ポンペイウス・トログス|others=[[ユニアヌス・ユスティヌス|ユニアヌス, ユスティヌス]]抄録、合阪學訳|title=地中海世界史|publisher=[[京都大学学術出版会]]|series=西洋古典叢書|date=1998-01|isbn=978-4-87698-107-6 |ref=合阪訳 1998 }}<br /> * 飯尾訳編 1999:{{Cite book|和書|others=飯尾都人訳編|title=ディオドロス 神代地誌|publisher=龍溪書舎|date=1999-06|isbn=978-4-8447-8472-2 |ref=飯尾訳編 1999 }}<br /> * 林 2007:{{Cite book|和書|author=[[林俊雄]]|title=スキタイと匈奴 遊牧の文明|publisher=[[講談社]]|series=興亡の世界史 02|date=2007-06|isbn=978-4-06-280702-9 |ref=林 2007 }}<br /> * 松平訳 1982:{{Cite book|和書|others=[[松平千秋]]訳|title=ヘロドトス|publisher=[[筑摩書房]]|series=世界古典文学全集 10|date=1982-03|isbn=978-4-480-20310-6 |ref=松平訳 1982 }}<br /> * 雪嶋 2008:{{Cite book|和書|author=雪嶋宏一|title=スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古|publisher=[[雄山閣]]|series=ユーラシア考古学選書|date=2008-09|isbn=978-4-639-02036-3 |ref=雪嶋 2008 }}<br /> <br /> == 関連書籍 ==<br /> &lt;!--この節には、編集時に参考にしていないがさらに理解を深めるのに役立つ書籍等を記載して下さい--&gt;<br /> * {{Cite book|和書|author=[[黒川祐次]]|title=物語 ウクライナの歴史 - ヨーロッパ最後の大国|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公新書]] 1655|date=2002-08|isbn=978-4-12-101655-3 }}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[アラン人]]<br /> * [[インド・スキタイ王国]]<br /> * [[オセット人]]<br /> * [[匈奴]]<br /> * [[クルガン]]<br /> * [[サウロマタイ]]<br /> * [[サカ]]<br /> * [[サルマタイ]]<br /> * [[スキタイ語]]<br /> * [[バロメッツ]](別名スキティアの子羊)<br /> * [[フン族]]<br /> * [[マッサゲタイ]]<br /> * [[遊牧民]]<br /> * [[スキタイ組曲|スキタイ組曲《アラとロリー》 作品20]] - スキタイ人を題材とした[[バレエ音楽]]《アラとロリー》として構想され、演奏会用の[[管弦楽組曲]]《スキタイ組曲》として作曲された[[セルゲイ・プロコフィエフ]]の[[管弦楽曲]]<br /> * [[:en:Battle of Jaxartes]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{commons|Category:Scythians}}<br /> * [http://www.lost-civilizations.net/scythians.html Scythians overview] by Chris Bennet.<br /> * [http://www.livius.org/sao-sd/scythians/scythians.html Livius articles on ancient history, entry on Scythians/Sacae].<br /> * [http://www.fotuva.org/history/archaeology.html The early burial in Tuva].<br /> * [http://www.silk-road.com/artl/scythian.shtml Scythian myth and culture; map].<br /> * [http://www.pitt.edu/~haskins/ Color illustrations of Scythian gold].<br /> * [http://antiquity.ac.uk/reviews/taylor.html Published excavations of royal Scythian kurgan (barrow) at Chertomlyk reviewed].<br /> * [http://herodot.georgehinge.com/hdt4.html Herodotus, &#039;&#039;Histories, Book IV&#039;&#039; - translated by Rawlinson, the 1942 edition].<br /> ** [http://www.metrum.org/mapping/scythia.htm Livio Stecchini, &quot;The Mapping of the Earth: Scythia&quot;]: reconstructing the map of Scythia according to the conceptual geography of [[ヘロドトス]]<br /> ** [http://www.metrum.org/mapping/gerrhos.htm Livio Stecchini, &quot;The Mapping of the Earth: Gerrhos&quot;]<br /> * [http://www.pbs.org/wgbh/nova/transcripts/2517siberian.html 1998 NOVA documentary: &quot;Ice Mummies: Siberian Ice Maiden&quot;] Transcript.<br /> * [http://www.hermitagemuseum.org/html_En/03/hm3_10-1_00_0.html エルミタージュ美術館所蔵のスキタイ美術品]<br /> * {{Kotobank|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}<br /> <br /> {{ウクライナの歴史}}<br /> {{デフォルトソート:すきたい}}<br /> [[Category:スキタイ|*]]<br /> [[Category:先史ヨーロッパ]]<br /> [[Category:インド・ヨーロッパ系諸民族]]<br /> [[Category:ウクライナの歴史]]<br /> [[Category:中央ユーラシア史]]<br /> [[Category:遊牧]]<br /> [[Category:遊牧民]]</div> 125.30.100.112 ザ・シンフォニーホール 2018-05-03T08:40:37Z <p>125.30.100.112: </p> <hr /> <div>&lt;!--{{otheruses|大阪市のザ・シンフォニーホール|ボストンのホール|シンフォニーホール}}--&gt;<br /> {{otheruseslist|日本の、&#039;&#039;&#039;大阪府大阪市&#039;&#039;&#039;のコンサートホール|日本の、&#039;&#039;&#039;岡山県岡山市&#039;&#039;&#039;のコンサートホール|岡山シンフォニーホール|アメリカ合衆国の、&#039;&#039;&#039;マサチューセッツ州ボストン&#039;&#039;&#039;のコンサートホール|シンフォニーホール}}<br /> <br /> {{ホール概要<br /> |名称=ザ・シンフォニーホール&lt;br/&gt;The Symphony Hall<br /> |画像=[[ファイル:Osaka The Symphony Hall01n3200.jpg|300px|ザ・シンフォニーホール]]<br /> |完成年=1982<br /> |完成月= <br /> |完成日= <br /> |開館年=1982 <br /> |開館月=<br /> |開館日=<br /> |開館公演=[[朝比奈隆]]指揮 [[大阪フィルハーモニー交響楽団]]<br /> |収容人数=1,704<br /> |客席=1,704席<br /> |延床面積= 14,898<br /> |設備=[[オルガン|パイプオルガン]](スイス・クーン社製、三段鍵盤、54ストップ、パイプ数3732本)<br /> |用途=音楽興行(主にクラシック音楽系統)<br /> |運営=株式会社ザ・シンフォニーホール&lt;br /&gt;(滋慶学園グループ子会社)&lt;br /&gt;(2013年末までは[[朝日放送|朝日放送株式会社]])<br /> |所在地=[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]大淀南二丁目3-3<br /> |位置=<br /> |郵便番号=<br /> |アクセス=JR[[福島駅 (JR西日本)|福島駅]]から北へ徒歩7〜10分&lt;br /&gt;[[京阪中之島線]][[中之島駅]]から北へ徒歩約15分&lt;br /&gt;[[西日本旅客鉄道|JR]][[大阪駅]]から西へ徒歩15分<br /> |HP=[http://www.symphonyhall.jp/ ザ・シンフォニーホール]<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;ザ・シンフォニーホール&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;The Symphony Hall&#039;&#039;)は、[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]にある、[[朝日放送]](ABC)創立30周年記念事業の一環として建設された、日本初の[[コンサートホール|クラシック音楽コンサート専用ホール]]。音響の面で国内外から高い評価を受けている。<br /> <br /> 1982年の開館時より、朝日放送(ABC、現・[[朝日放送グループホールディングス]])が2012年9月下旬まで保有し、2013年末まで運営してきたが、2014年に入ってからすぐ、大阪を拠点に専門学校を全国展開する滋慶学園グループが立ち上げた子会社「株式会社ザ・シンフォニーホール」に完全移管、現在に至っている。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 本施設は、朝日放送開局30周年記念事業の一つして、[[1982年]]に「世界一美しい響き」を目標に、満席時[[残響]]2秒&lt;ref&gt;[http://librarytaisei.jp/works/vol026/ Vol.026 ザ・シンフォニーホール(後半)] 地図に残る仕事 WEB.LIBRARY.TAISEI 大成建設&lt;/ref&gt;となる先進音響技術を導入して設計・建設された。日本初のクラシックコンサート専用ホールであり、1980年代後半から全国に順次建設されていった同類施設の先駆け的存在となっている。<br /> <br /> ホール内部はステージを囲むように4面に客席を配するアリーナ形式のシューボックス型配置でつくられており、ステージ背面の客席の背後にはパイプオルガンを備えている。<br /> <br /> このホールの傑出した音響効果については、かつて[[指揮者]]の[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]も、1984年に自らの手兵だった[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団|ベルリン・フィル]]を引き連れてここで来日公演を開いた際、「[[ウィーン楽友協会]]大ホールに比肩するほどの音響」と絶賛している&lt;ref&gt;『[http://www.symphonyhall.jp/hallguide/history.php ホールの歴史]』 - 「ザ・シンフォニーホール2014」(ザ・シンフォニーホール新公式)Webサイトより(2014年1月17日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[こけら落し|こけら落とし]]として[[朝比奈隆]]指揮の[[大阪フィルハーモニー交響楽団]]による[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]作曲「[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]」前奏曲等の演奏が行われ、以降、現在に至るまで、日本を代表するコンサートホールの一つとして、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]や[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]などの海外主要オーケストラや、[[マウリツィオ・ポリーニ]]や[[ヨーヨー・マ]]などの、世界的に著名なアーティスト個人および団体の関西圏また西日本における来日公演会場として使われてきている。<br /> <br /> 開館から2年後の[[1984年]]に、第25回[[BCS賞]]を受賞した&lt;ref&gt;[http://www.nikkenren.com/activity/bcs/detail.html?r=1984&amp;ci=344 第25回受賞作品(1984年)~ザ・シンフォニーホール] - 社団法人・日本建設業連合会のWebサイトより&lt;/ref&gt;他、[[2002年]]には[[企業メセナ協議会]]のメセナ大賞も受賞している&lt;ref&gt;[http://www.mecenat.jp/%E3%83%A1%E3%82%BB%E5%8D%94%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96/%E3%83%A1%E3%82%BB%E3%83%8A%E5%A4%A7%E8%B3%9E2002/#asahi 朝日放送株式会社~ザ・シンフォニーホールの運営と事業活動] - 公益社団法人企業メセナ協議会Webサイト内『メセナ大賞2002』(アーカイブ)より&lt;/ref&gt;。BCS賞に関しては、かつて当ホールと共に「[[ABCセンター]]」(後述)内に建ち並んでいたABC本社社屋と[[大阪タワー]]も受賞している([[1968年]]・第9回&lt;ref&gt;[http://www.nikkenren.com/activity/bcs/detail.html?r=1968&amp;ci=92 第09回受賞作品(1968年)~朝日放送本社・大阪タワー] - 社団法人・日本建設業連合会のWebサイトより&lt;/ref&gt;)。<br /> <br /> == 施設自体のこと ==<br /> === ホール仕様 ===<br /> 音響を優先し、座席数は1704席に抑えられている。<br /> <br /> 座席配置は正面と左右両側面とを合わせて3層にわたっており、加えてステージ側方や後方にも座席が配置されるアリーナ・シアター形式となっている。ステージ背後の壁面には[[スイス]]のクーン社製[[オルガン|パイプオルガン]](3段鍵盤・54ストップ・パイプ数3732本)が設置されている。<br /> <br /> ホール内部には[[通信機能抑止装置]]も導入されており、これによって[[携帯電話]]などの通信端末のホール内部での使用を抑制している。<br /> <br /> === 館内について ===<br /> 本施設の1階には[[プレイガイド]]などが設置されている他&lt;ref name=&quot;symphonyhall_tc&quot;&gt;『[http://www.symphonyhall.jp/ticket-info/direct.php チケット予約・購入]』 - 「ザ・シンフォニーホール2014」(ザ・シンフォニーホール新公式)Webサイトより&lt;/ref&gt;、2階については、朝日放送からの完全移管に備えてリニューアル工事を公演の合間を縫って実施してきた結果、椅子席も備えたティーラウンジの他、新たに「ザ・シンフォニー・ショップ(The Symphony Shop)」と呼称された、本施設ロゴ入りオリジナルグッズ群を販売するコーナーが設けられている&lt;ref name=&quot;symphonyh_new&quot;&gt;『[http://www.jikeigroup.net/news/20140110_3893.html 「ザ・シンフォニー2014キックオフコンサート」開かれる]』([https://web.archive.org/web/20140116192259/http://www.jikeigroup.net/news/20140110_3893.html →アーカイブ]) - 『滋慶学園ニュース』2014年1月10日付掲載記事(2014年1月17日閲覧)&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;『ザ・シンフォニーホールで今年最初のコンサートが行われます!』 - 『大阪フィルのブログ』([[大阪フィルハーモニー交響楽団|大阪フィル]]公式ブログ)2014年1月12日付掲載記事(2014年1月17日閲覧)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> このうち1階に設けられているプレイガイドは本施設で催される公演の入場者のみ立入可能な区域に所在するため、公演当日の公演入場者以外および公演の行われていない日に関しては、本施設北側の楽屋口内に設置されている「ザ・シンフォニー チケットセンター」窓口での購入を案内している。<br /> <br /> なお、3階以上がホール客席となっているが、一番下層階(つまり建物としては3階)の座席を1階席、その上を2階席・3階席と呼び習わしている。このうち、ステージ側方にある2・3階席はステージ全体を見ることが困難な席が存在し、特に3階の後ろの席は普通に着席した状態ではステージの3分の1しか見ることができない席も存在し、最も安価なチケット用に充当されるのが通例である。<br /> <br /> ステージ後方の席は、普通に着席した状態ではステージの最後方が見えないが、指揮者の表情がはっきり見え、ピアノ曲の場合はピアノ演奏者の手元がはっきり見える席も存在する。ステージ全体が見えないため、管弦楽曲や協奏曲の場合は最高額のチケットには充当されないが、この席を好むファンも存在する。<br /> <br /> == ザ・シンフォニーホール・アワー(ラジオ番組) ==<br /> [[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]で毎週[[日曜日]]の早朝に放送中。過去に当ホールで開かれたコンサートの音源を、ダイジェスト形式で紹介している。<br /> <br /> [[2013年]][[3月31日]]までは、[[桂米團治 (5代目)|5代目桂米團治]]と角野啓子([[フリーアナウンサー]])を案内役として、毎週日曜日の7:15 - 7:55に放送。当ホールをはじめ、近隣にあった旧[[ABCセンター]]の施設([[大阪タワー]]など)の設計・施工を手がけた[[大成建設]]が、長らくスポンサーに付いていた。<br /> <br /> 角野は25年、米團治は[[桂小米朝]]を名乗っていた時期から22年半にわたって出演を続けたが、[[2013年]][[4月7日]]放送分からリニューアルを実施。放送枠を毎週日曜日の7:05 - 7:35に変更するとともに、クラシック音楽に造詣の深い[[堀江政生]]([[朝日放送テレビ|ABC]][[アナウンサー]])を案内役に起用したことから、番組タイトルを『堀江政生のザ・シンフォニーホールアワー』に改めた。また、当ホールの所有権が[[2012年]][[9月28日]]付で朝日放送から[[学校法人滋慶学園|学校法人滋慶学園グループ]]に譲渡されたこと(後述)を受けて、同グループの[[一社提供]]番組になった。なお、朝日放送が当ホールを滋慶学園のグループ子会社「ザ・シンフォニーホール」へ完全に移管した[[2014年]][[1月]]以降も、放送を続けている&lt;ref&gt;『堀江政生ザ・シンフォニーホール・アワー』Webサイト内『放送内容・予定』ページにおいて「2014年1月放送内容・予定」一覧が掲載されているのが見える(2014年1月16日現在→『[https://web.archive.org/web/20140116104630/http://abc1008.com/sym/onair/index.html 放送内容・予定~「2014年1月放送内容・予定」]』(2014年1月16日閲覧→当該日付にてインターネットアーカイブに保存済))&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 2017年10月改編で始まったABCラジオ「[[感度良好!中野涼子です]]」でも、堀江アナが出演する「政生&#039;s クラシック」のコーナーがあり、こちらもザ・シンフォニーホールが提供する。<br /> <br /> == 施設事情(主にアーティスト側の視点から) ==<br /> 前述の通り音響面を優先して座席数は1704席に抑えられている他、舞台上に[[美術 (職業)#大道具|大道具]]・[[美術 (職業)#小道具|小道具]]類を揃えたりする必要のある[[バレエ]]や[[オペラ]]の公演は仕様上不可能となっている。但し、大道具・小道具類を伴わない演奏会形式によるオペラ作品の上演は可能である。<br /> <br /> このため、国内外の著名な歌劇団やバレエ団が大阪において人員や衣装類、大・小道具類なども伴って公演(引っ越し公演)を行う際には、大阪市中心部に所在する[[フェスティバルホール]]を選択している。フェスティバルホールが建て替え中の2009年から2013年4月初頭までは、隣県の[[兵庫県立芸術文化センター]]などを使用していた。<br /> <br /> このフェスティバルホールはまた、本施設と比べて収容能力が大きい一方で、残響時間こそ本施設と比べて若干短いものの特性的に高く評価されていたこともあって、前述の歌劇団・バレエ団のみならず、世界的にも著名なクラシック音楽系統アーティスト個人あるいは団体の中には、大阪における来日公演の会場として、本施設ではなくフェスティバルホールを選択するものも存在する(例えば[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団|ウィーン・フィル]]&lt;ref&gt;『[http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/wph2013/concert.html ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2013年)~他都市公演]』([https://web.archive.org/web/20130611210132/http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/feature/wph2013/concert.html →アーカイブ]) - [[サントリー|サントリーホールディングス]]Webサイト内[[サントリーホール]]Webサイトより(2014年1月17日閲覧)&lt;/ref&gt;など)。<br /> <br /> 加えて、同じく大阪市内には、本施設より一回り小さいものの、同じくクラシック音楽系コンサートに特化した造りが為されている[[いずみホール]]が存在する他、最近では関西圏内においても、[[京都市|京都市内]]に[[京都コンサートホール]]、[[兵庫県]][[西宮市]]に[[兵庫県立芸術文化センター]]といった当ホールと同様にクラシック音楽系統コンサートに本格対応した文化施設が誕生してきている。&lt;br /&gt;<br /> ことに京都コンサートホールや兵庫県立芸術文化センターに関しては収容能力において本施設を上回っていることなどから、関西圏における来日公演の会場として本施設ではなく先述の京都と兵庫の両施設のうちの何れかを使用する海外アーティスト(個人あるいは団体)も現れてきている。<br /> <br /> == 施設の完全移管 ==<br /> 本施設が移管される前の[[2004年]][[12月22日]]、朝日放送は赤字縮小に向けて[[命名権|ホール命名権]]の売却を視野に入れていることを明らかにした&lt;ref&gt;[http://www.47news.jp/CN/200412/CN2004122201001667.html 関西の殿堂、命名権売却へ。ザ・シンフォニーホール] - 『47NEWS』([[共同通信社]])2004年12月22日付掲載記事(2014年1月17日閲覧[https://web.archive.org/web/20140116200844/http://www.47news.jp/CN/200412/CN2004122201001667.html →アーカイブ])&lt;/ref&gt;。主催公演では高い集客率で黒字であるものの、貸館事業が赤字となっていることがその理由とされたが、なかなか実現に向けて踏み出せずにいた。<br /> <br /> そんな中、その朝日放送が[[2012年]][[3月29日]]、音楽やダンス、映像制作、医療などの専門学校を運営する[[学校法人滋慶学園|学校法人滋慶学園グループ]]傘下の株式会社滋慶に当ホールを譲渡することを発表した&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://asahi.co.jp/publicity/pdf/20120329.pdf 「ザ・シンフォニーホール」譲渡に関する基本合意書の締結について]|朝日放送 2012年3月29日}}&lt;/ref&gt;。これを受けて滋慶は4月17日に運営子会社「&#039;&#039;&#039;株式会社ザ・シンフォニーホール&#039;&#039;&#039;」を新たに設立、当該子会社にホールを譲渡・運営させることとし、5月11日に朝日放送との間で譲渡契約を締結、9月28日付けで売却された。但しその譲渡契約と同時に賃貸借契約も交わされ、これによりホール自体は、2013年12月末日までの期限付きながら、朝日放送が「株式会社ザ・シンフォニーホール」からホールを借用して運営を継続するという、いわば[[上下分離方式]]により存続されることになっているため、譲渡発表時点において予定として既に組まれていた公演等への影響は無いと朝日放送側は表明した。<br /> <br /> そして2013年いっぱいで本施設は朝日放送から滋慶学園グループの子会社「ザ・シンフォニーホール」に完全移管された。&lt;br /&gt;<br /> 移管後の2014年1月5日、これを記念すべく滋慶学園グループが「ザ・シンフォニー2014キックオフコンサート」を開催、司会進行役として前述「ザ・シンフォニーホール・アワー」の現パーソナリティであるABCアナウンサー・[[堀江政生]]が登場し、本施設を譲受した滋慶学園グループの総長・浮舟邦彦などグループ首脳陣が挨拶に立った&lt;ref name=&quot;symphonyh_new&quot; /&gt;。<br /> <br /> 本施設売却に関して朝日放送は、[[簿価|帳簿価格]]23億4500万円に対し譲渡価格は5億7900万円と大きく下回ることになったことから、2012年3月期決算で18億2600万円の[[減損処理]]を実行&lt;ref&gt;{{PDFlink|[http://www.asahi.co.jp/info/ir/pdf/20120511_2.pdf 固定資産の譲渡に関する契約締結のお知らせ]|朝日放送 2012年5月11日}}&lt;/ref&gt;、これに対し滋慶側は本施設について、演奏家や音楽機材エンジニアの育成に活用したいとの考えを表明した。<br /> <br /> == その他特記事項 ==<br /> * 繁華街[[梅田]]の徒歩圏内に所在しており、かつては隣接地に朝日放送の本社などが建ち並び、当ホールを含めた一帯を「[[ABCセンター]]」と呼称されることがあったが、[[2008年]]5月に朝日放送本社が福島区内に移転、かつて「ABCセンター」内に建ち並んでいた建物は当ホールを除いて全て解体された。<br /> * 朝日放送初の自社制作[[深夜アニメ]]『[[ガラスの艦隊]]』第8話の“ういごの儀式”で流されたパイプオルガンの演奏は同ホールにて行われた。<br /> <br /> == 所在地・アクセス ==<br /> 〒531-0075&lt;br /&gt;[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[大淀南]]2丁目3番3号<br /> * [[西日本旅客鉄道|JR]][[大阪環状線]] [[福島駅 (JR西日本)|福島駅]] 徒歩約7分<br /> * [[阪神本線]] [[福島駅 (阪神)|福島駅]] 徒歩約10分<br /> * [[JR東西線]] [[新福島駅]] 徒歩約10分<br /> * [[京阪中之島線]] [[中之島駅]] 徒歩約15分<br /> * 阪神本線 [[梅田駅 (阪神)|梅田駅]] 徒歩約15分<br /> * JR[[大阪駅]] 徒歩約15分<br /> **[[大阪駅・梅田駅周辺バスのりば#大阪駅JR高速バスターミナル(西日本JRバス)|大阪駅北側バスターミナル]]から[[阪急バス]][[阪急バス豊中営業所#加島線|18系統]][[加島駅]]・西川行「大淀南一丁目」下車、徒歩1分<br /> **大阪駅前の[[大阪シティバス]]8番乗り場から[[大阪市営バス酉島営業所#59号系統|59号系統]]北港ヨットハーバー行で「福島七丁目」下車、徒歩2分。または、同駅前12番乗り場(御堂筋口ガード下)から[[大阪市営バス中津営業所#41号系統|41号系統]]榎木橋行(1時間に1本程度)で「大淀南一丁目」下車、徒歩1分<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> <br /> === 注釈・出典 ===<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連書籍 ==<br /> * 『(朝日カルチャーVブックス)残響2秒~ザ・シンフォニーホールの誕生』 - 三上泰生 著([[大阪書籍]])<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[コンサートホール]]<br /> * [[フェスティバルホール]]<br /> * [[京都コンサートホール]]<br /> * [[兵庫県立芸術文化センター]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|The Symphony Hall, Osaka}}<br /> * [http://www.symphonyhall.jp ザ・シンフォニーホール公式サイト]<br /> * [http://abc1008.com/sym/ ザ・シンフォニーホールアワー] - [[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]Webサイトより<br /> <br /> {{coor title d|34.701414|N|135.486065|E|scale:2500}}<br /> {{DEFAULTSORT:さしんふおにほる}}<br /> [[Category:大阪市北区の建築物]]<br /> [[Category:大阪市の観光地]]<br /> [[Category:大阪市のホール]]<br /> [[Category:大阪府のコンサートホール]]<br /> [[Category:朝日放送の歴史]]<br /> [[Category:第25回BCS賞]]<br /> [[Category:1982年竣工の建築物]]<br /> [[Category:1982年開業の施設]]<br /> [[Category:学校法人滋慶学園]]<br /> <br /> __目次強制__</div> 125.30.100.112
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