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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=112.71.188.23&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-16T11:16:14Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 2018-07-28T11:16:20Z <p>112.71.188.23: 敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備。 (狭義では、他人の入ることを許さない、自分だけの領域を指す。)</p> <hr /> <div>敵を防ぐために土や石で堅固に築いた建物・設備。<br /> (狭義では、他人の入ることを許さない、自分だけの領域を指す。)<br /> <br /> == 概説 ==<br /> 主に近代以前の軍事的な防衛施設を呼ぶ。[[戦闘]]拠点であるとともに[[食品|食糧]]や[[武器]]や資金の備蓄場所でもある。主要な城は、為政者や指揮官の住居であり、[[政治]]や[[情報]]の拠点であった。純防衛用として山地に建築されることも多いが、[[街道]]や[[川|河川]]などの交通の要衝を抑え利用することも多い。<br /> <br /> 城の一部、施設を館や塔、城壁、堀、城門と呼ぶのに対し、全体を指し示す場合には、&#039;&#039;&#039;[[城郭]]&#039;&#039;&#039;ともいう。敵との境界線に近い前線の要塞を「出城」と言い、主戦場を指す語にもなる。<br /> <br /> ヨーロッパ、中国などの大陸では、都市を囲む[[城壁]]と戦闘拠点の[[城砦]](城塞、城館)とを区別する&lt;ref&gt;[[城壁]]と[[城砦]]は、[[ドイツ語]]では「{{lang|de|Stadtmauer}}」と「{{lang|de|Burg}}」、[[英語]]では「{{lang|en|city wall}}」と「{{lang|en|castle}}」、[[フランス語]]では「{{lang|fr|muraille}}」と「{{lang|fr|château}}」として区別する。&lt;/ref&gt;。「城」という漢字自身、本来は、前者の[[城壁都市]]を意味する。しかし日本においては城壁で囲まれた城壁都市が普及しなかったこともあり、主に後者の[[城砦]]の意味で使用される。本稿でもこれを説明する。<br /> <br /> 城には、一般的に次の機能がある。ただし、規模によっては、どちらか一方を欠く城塞も存在した。<br /> ;防衛機能<br /> :不意の攻撃や戦力に劣る場合、籠城する。この時、備蓄された装備や城壁などの施設が味方の居住性を高め、逆に敵の移動や視界、攻撃を妨害する効果が守備側に有利に働く。[[攻撃三倍の法則|攻者三倍の法則]]などの経験則が唱えられたが守備側が籠城だけで敵を撃退することは、難しく基本的に援軍を待つための時間稼ぎである。また敵の侵入に備え、国境の監視などの役割も果たした。<br /> :日本の山城などは、こちらの機能はあるが居住性は低いとされる。<br /> ;居住性<br /> :城館は、多くの場合、領地を支配する支配者と結びついた。領主の生活の場であり、政庁となって領地支配の象徴としたり、敵地への勢力拡大の前線基地とする。延いては、領主の別荘として作られた城も存在する。都市を囲む城壁という意味では、領民の住居になった。このため生活に必要な施設が城内に全て揃えられた。しかしこの場合、農耕地は、城壁の外にある場合が多い。<br /> :フランスの[[シャンボール城]]などは、居住性のみで防衛機能はない。<br /> 城は、軍事拠点を指す語だが、同様の目的で建設された近代以降の施設は、主に「&#039;&#039;&#039;基地&#039;&#039;&#039;」などと呼ばれる。この線引きは、明確ではなく習慣的である。<br /> <br /> == 日本 ==<br /> {{main|日本の城}}<br /> [[ファイル:屋嶋城 城門遺構 421.jpg|right|thumb|250px|[[古代山城]]の石垣([[屋島城]] - 香川県高松市)]]<br /> 日本の城は、古代から江戸末期までに平地や丘陵、山を利用して築かれた。しかし、日本における城は古代と中世以降で使われている土木、建築技術や用途が多少異なる。現在までに、城(しろ)といわれているものは中世から[[明治時代]]までに築かれたもので、[[武家]]や城主などが日本国内の敵対する武力集団から守るための防衛施設である。<br /> <br /> 古代、日本では「城」を“き”と読み、「柵」の字も用いた。「柵」はおもに[[大和朝廷]]の東北地方の政治行政施設を併設する防御施設を意味する。「城」は水城や大野城のような西日本に点在した古代山城や防壁の類いを意味する。これらは663年の[[白村江の戦い]]に敗れた大和朝廷が敵対した[[唐]]や[[新羅]]からの侵攻を想定して、滅亡した[[百済]]から日本に亡命した人々の指導によって築かれた防御施設で、[[版築]][[土塁]]の外郭城壁をもつ特徴があったが、後の中世以降の築城技術へとは継承されることはなかった&lt;ref&gt;香川元太郎『歴群[図解]マスター 城』学習研究社、2012年。&lt;/ref&gt;。{{See also|城 (き)|城柵}}<br /> <br /> 中世、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]では小高い丘陵から山岳までの山に、[[棚田]]のようにいくつもの[[曲輪]]を形成して、簡易な小屋や物見[[櫓]]、[[城門]]などを仮設した。一方で、ふもとの平地には[[堀]]を穿ち、堀の内側に土を盛って[[土塁]]とし、出入り口である[[虎口]]には城門を建て、土塁の上には仮設の塀や櫓を建てて攻め手の侵入を防いだ。<br /> <br /> [[画像:130608 Matsumoto Castle Matsumoto Nagano pref Japan02bs4.jpg|right|thumb|250px|近世城郭の建築と水堀([[松本城]] - 長野県松本市)]]<br /> 戦国時代中ごろまで[[弓矢]]や[[槍]]が中心だった古来の戦い方に、新たに[[ポルトガル]]から伝わった[[火縄銃]]が加わったことで、それまで[[矢]]や[[槍]]を防げるだけの塀や建物に防弾を考慮する必要が生じることとなった。[[織田氏]]や[[豊臣氏]]の台頭する時代から[[徳川氏]]が政権を樹立した江戸時代までの城は、こうした銃器に対する策として、内部に石や瓦礫を入れた分厚い[[土壁]](太鼓壁)やおもに寺院に使われていた屋根[[瓦]]、そして[[石垣]]が多用されることとなる。城地の選択も、主力であった山や山岳からより利便性の高い平地や平地に近い丘陵にも多く築かれるようになり、山城の麓に館を営んで生活や政務を行っていた城主や領主は、それまで有事のときにだけ篭っていた城内に生活の場所を移すようになった。この城郭の利便性の追求と建築の恒久化は[[寺院]]建築や[[住宅]]建築の特徴を多く取り入れ、日本城郭特有の[[天守]]のような重層な櫓の要素をもった楼閣建築を発生させることとなった。このように、城の外観には戦うためだけのものというだけではなく、内外に見せて主の権威を高める目的も含まれるようになり、現在まで日本で見られるような独特な形式の城となった。<br /> <br /> === 奄美・沖縄地方 ===<br /> {{main|グスク}}<br /> [[File:Naha Shuri Castle09s5s3200.jpg|right|thumb|250px|グスクの石垣と建築群(首里城。沖縄県那覇市)]]<br /> 鹿児島県の奄美諸島および沖縄地方の城は「グスク」または「スク」と呼ばれるものである。12世紀、沖縄地方に点在していた領主の「按司」(あじ)の居城で、城内に「ウタキ」(御嶽)や「ウガンジュ」(拝所)と呼ばれる沖縄地方特有の信仰施設を持つ。元々聖地のような土地を取り込んで築かれている。<br /> <br /> 三山時代に多くのグスクが築かれ、現在までに見られる多くのグスクはこのころのものである。土木や建築の技術、特に石垣は日本内地の石垣とは異なり、[[琉球石灰岩]]を加工した石積みの石垣であって外観も曲線をなして角さえも丸みを帯びている。また、中国や朝鮮半島で「馬面」(マーミェン)や「雉」(チ)と呼ばれる横矢がかりの出張りや、城門においては[[牌楼]]や石造のアーチ門(拱門)が見られるなど、日本内地の城郭建築と異にする箇所が見られる&lt;ref&gt;西ヶ谷恭弘編著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版 2008年&lt;/ref&gt;。建築物では日本城郭の二重櫓や天守ような高層建築はなく、ぎっしりと建てられた舎殿のほか櫓としては門上の櫓のみである。<br /> <br /> == ヨーロッパ ==<br /> === 歴史 ===<br /> 城塞の技術は、15世紀 - 16世紀の[[火薬]]、[[大砲]]、[[銃]]の活躍によって大きく変化した。有史以来の防護設備、砦、城、[[要塞]]の基本は壁と塔であった。壁により敵の侵入を防ぎながら、塔から高さを生かした攻撃を行うもので、重力を利用すれば、[[弓矢]]の威力は増し、単なる石や丸太も[[武器]]として利用することができた。攻撃側は、壁を壊すための[[攻城戦|器具]]を工夫したが、いずれも大がかりで時間のかかるもので、守備側の優位は堅かった。<br /> <br /> しかし、大砲、銃が使われ出すと、火薬を使った銃弾の威力は高さの優位を減少させ、大砲により高いが比較的薄い壁は容易に打ち壊されるようになった。このため要塞と城の機能は分離されるようになり、要塞は高さより、厚さを重視するものになり、永久要塞としては星型(稜堡式)要塞が、野戦要塞としては[[塹壕]]が主流となった。一方、城は防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多いものが作られるようになる。フランス語の&#039;&#039;&#039;シャトー&#039;&#039;&#039;(château、複数形châteaux)は日本語で城と訳されているが、[[荘園]]主によるものは城郭というよりは[[イギリス]]・[[アイルランド]]における[[マナー・ハウス]]に相当する。<br /> <br /> ====古代====<br /> [[File:Hadrian&#039;s Wall west of Housesteads 3.jpg|thumb|right|250px|[[リメス]]の最北端[[ハドリアヌスの長城]]]]<br /> [[File:Celio - le mura tra porta san Sebastiano e porta Ardeatina 1974.JPG|thumb|right|250px|帝都ローマの[[アウレリアヌス城壁]]]]<br /> [[中近東]]を含めた地域では文明が興り都市が形成されるとその周囲に[[城壁]](囲壁)を巡らしていたが、これは街の防護と戦時の拠点とするためだった。古代ギリシアでは、[[アクロポリス]]が作られ、その影響を受けたローマ人も戦時は、丘に立て籠もった。こうした様相は、当時文明の中心であった[[地中海]]周辺ばかりでなく、例えば[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の『[[ガリア戦記]]』には険阻な地形に築かれた[[ガリア人]]の都市を攻略する様子が度々登場するように広く見られるものである。首都ローマにも都市を守る城壁(囲壁)である[[セルウィウス城壁]]が築かれていた。また仮設であるが[[ローマ軍団]]は、進軍した先で十分な防御能力を備えた陣地を構築しており、これも城の一種と見ることもできる。恒久的な基地としては[[ティベリウス]]の[[プラエトリアニ|親衛隊]]の兵舎が挙げられる。<br /> <br /> [[古代ローマ]]の全盛期になると、もはや侵入できる外敵が存在しなくなり、都市機能の拡大に合わせて城壁を拡大していく必要がなくなった。[[ローマ帝国]]の防衛は国境線に築かれた防壁[[リメス]]並びに[[ローマ軍団|軍団]]及び補給物資を迅速に投射できる[[ローマ街道]]等の輸送路の維持によって行われていた。しかしながら[[ローマ帝国]]が衰退する[[4世紀]]頃以降、[[ゲルマン人]]の[[ゲルマン民族の大移動|侵入]]に対抗するため都市に城壁(囲壁)を築いて防衛する必要性が生じた&lt;ref&gt;Claridge, Amanda 1998 &#039;&#039;Rome: An Oxford Archaeological Guide&#039;&#039;&lt;/ref&gt;。ローマ帝国最盛期には城壁を持たなかった首都ローマも、全周約19km・高さ8m・厚さ3.5mの[[ローマン・コンクリート]]で造られた[[アウレリアヌス城壁]]で防御されることになった。<br /> <br /> 城壁の素材は地域や時代・建築技術の程度によって様々で、日干しレンガや焼きレンガ・石・木・土など様々である。なお『ガリア戦記』に記されている[[ガリア]]の城壁は木を主体としたものであり、北西ヨーロッパに本格的に石造建築が導入されるのはローマ化以降のことである。ローマ帝国の最盛期には強固な[[ローマン・コンクリート]]で城壁(囲壁)や塔が造られるようになっていた。<br /> <br /> このように、古代地中海世界を含めて、[[10世紀]]半ばまでのヨーロッパには厳密に「城」と呼べるものは存在せず&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot;&gt;堀越 宏一 「戦争の技術と社会」3.城と天守塔, 〜 15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史 ISBN 978-4-623-06459-5&lt;/ref&gt;、主に都市や国を囲んで防御する[[城壁]](囲壁)や[[塔]]が造られていた。<br /> <br /> {{clear}}<br /> ==== 中世 ====<br /> [[File:Cléden-Poher 34A motte castrale plan.jpg|thumb|right|200px|[[モット・アンド・ベーリー]]]]<br /> [[File:Cittadella aerea.jpg|thumb|right|200px|[[城郭都市]] [[チッタデッラ]]]]<br /> ;10世紀 モット・アンド・ベーリー型の城<br /> [[西ローマ帝国]]の消滅後、古代ローマの建築技術は急速に失われ、土塁並びに木造の塔や柵が再び主流をなす時代が訪れた。10世紀、農業技術革命による生産力の上昇に伴い人口の増大と富の蓄積が始まると、それらを守るための施設を作り維持する社会的余裕も生まれた&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。また[[カロリング朝]][[フランク王国]]が衰退・分裂して中央の支配力が緩みだし、[[ノルマン人]]や[[マジャル人|マジャール人]]の侵入が激しくなると、各地の領主は半ば自立して領地や居舘の防備を強化&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;しはじめた。当初は居館と附属施設の周りに直径50mほど&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;の屏を作り、濠を掘る程度だったが、10世紀の終わり頃から城と呼べる建築物を作るようになった。<br /> <br /> 多くは木造の簡易なもので、代表的な形態が&#039;&#039;&#039;[[モット・アンド・ベーリー]]&#039;&#039;&#039;型である。平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして、濠(空濠が多かった)を形成し、その土で小山と丘を盛り上げた。小山は粘土で固めてその頂上に木造または石造の塔(天守)を作った。この丘は『&#039;&#039;&#039;モット&#039;&#039;&#039;(Motte)』と呼ばれる&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。また、丘の脇または周囲の附属地を木造の外壁で囲んで、貯蔵所や住居などの城の施設を作った。この土地は『&#039;&#039;&#039;ベイリー&#039;&#039;&#039;(Bailey)』と呼ばれた&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。これは非常に簡単に建築でき、100人の労働者が20日働けば建設できたと考えられている&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。このような城は、東西は現在の[[ポーランド]]から[[イングランド]]や[[フランス]]、南北は[[スカンディナビア半島]]から[[イタリア半島]]の南部までの広範囲に広がっており&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;、特にフランスで多く使われていた。<br /> <br /> また、ほとんどの街も城壁を有する[[城郭都市]]となった。古い街の中には、古代ローマ時代の城壁を再建・補強して用いた場合もあった。<br /> <br /> {{clear}}<br /> [[File:Krak des chevaliers - artist rendering.jpg|thumb|right|200px|[[集中式城郭]] [[クラック・デ・シュヴァリエ]]城]]<br /> [[File:Aerial Tower of London.jpg|thumb|right|200px|[[集中式城郭]] [[ロンドン塔]]]]<br /> ;11世紀〜12世紀 集中式城郭<br /> 11世紀には、天守や外壁が石造りの城が建築されるようになるが、石造りの城は建造に長期間(数年)かかり費用も高額になるため、王や大貴族による建設が中心であり、地方では木造の城も多く残っていた。石壁には四角い塔が取り付けられ、壁を守る形になった。<br /> <br /> 12世紀の[[十字軍]]の時代には、中東における[[ビザンティン]]、[[アラブ]]の技術を取り入れ、[[築城 (城)|築城]]技術に革新的変化がみられた。&#039;&#039;&#039;[[集中式城郭]]&#039;&#039;&#039;と呼ばれる城は、モットの頂上に置かれた石造りの直方体の天守塔『&#039;&#039;&#039;キープ&#039;&#039;&#039;(Keep)』が、同心円状に配置された二重またはそれ以上の城壁で守られていた。内側に行く程、壁を高くして、外壁を破られても内側の防御が有利になるよう工夫されている場合もあった。<br /> 石造りの城を攻撃するためには、地下道を掘って城壁を崩したり、攻城塔や[[破城槌]]を使う従前の方法だけでなく、[[12世紀]]後半には十字軍が中東から学んだ[[カタパルト (投石機)]]が使われるようになる&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。投石機は50kgの石を200m余り飛ばすことが出来るものもあり、[[14世紀]]末に[[大砲]]にその役が取って代わられるまで城攻めの中心的兵器であった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。この投石機より飛来する石弾の衝撃を逸し吸収するため、直方体の塔は多角形を経て円筒形になり、また壁の厚みも増していった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。<br /> 代表的なものに[[クラク・デ・シュバリエ]]城、[[ガイヤール城]]がある。<br /> <br /> {{clear}}<br /> [[File:Beaumaris aerial.jpg|thumb|right|200px|カーテンウォール式城郭 [[ビューマリス城]]]]<br /> ;13世紀 カーテンウォール式城郭<br /> [[カタパルト (投石機)]]と並んで[[弓矢]]による攻撃技術も発展したが、城に立て籠もった防御側の抵抗手段は塔の上から石や熱した油を落とす程度&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;のものであった。12世紀後半になり、塔や城壁に矢狭間を設けて[[クロスボウ]]を用いて反撃を行う&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;ようになった。城壁には壁面から突出する半円形の塔(側防塔)を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。こうして城の軍事的機能の中心は天守塔(キープ)から側防塔を配した城壁に移行していった。ついには、城とは強固な城門([[ゲートハウス]])と[[側防塔]]を配した城壁そのものとなり、城壁に内接する形で居住スペースなどの建物が配置された&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。この様式の城(城壁)のことを&#039;&#039;&#039;[[カーテンウォール (城壁)|カーテンウォール]]式城郭&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。<br /> <br /> ここに至り天守塔(キープ)の軍事的意味は消滅し、強固な城門であるゲートハウスがその役目を担うことになった。たが、城主たちは天守塔の持つ支配と権力の象徴性を重視し天守塔を建てることに固執した場合もあった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。<br /> <br /> {{clear}}<br /> ==== 近世 ====<br /> [[File:Fortbourtange.jpg|thumb|right|200px|[[星形要塞]] ブルタング要塞]]<br /> ;14世紀〜15世紀 要塞<br /> [[File:Castle Neuschwanstein.jpg|thumb|right|200px|[[ノイシュヴァンシュタイン城]]]]<br /> [[東ローマ帝国|ビザンツ帝国]]では[[ギリシア火薬|ギリシアの火]]と呼ばれる火炎放射器が使われていたが、これが西ヨーロッパに広まることはなく、14世紀頃に中国から伝わった[[黒色火薬]]の製造技術が[[大砲]]の製造を可能にした。当初は[[鍛鉄]]の棒を円筒形に並べた固定したものや、青銅の[[鋳物]]を用いた「大型の大砲」が造られ&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;、15世紀中頃からは[[高炉]]技術の普及で[[鋳鉄]]を用いた「中型・小型の大砲」が大量生産されるようになる&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。15世紀の砲弾には[[炸薬]]や[[信管]]は無かったが、初速が大きく水平に近い軌道で飛ぶ砲弾の破壊力は大きかった。高い建造物は大砲の標的となったため城壁は高さよりも厚さを重視するようになり、さらに地下に掘り下げて建設され地上からはその姿を見いだせないような&#039;&#039;&#039;[[要塞]]&#039;&#039;&#039;型の城となっていく&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。この形の城は最終的に[[星型要塞]]となった。<br /> <br /> これに対して、王侯貴族の住居は国境から遥かに離れた安全な地に防衛機能より居住性や壮大さや豪華さを重視した、優雅で窓の多い城や邸宅が建てられた。また、地方の中小貴族層は住居と所領経営の拠点である小型の邸宅に住むようになった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。現在のヨーロッパの城のイメージは、近世に建築されたこれらの軍事機能を持たない城や邸宅によるものである。<br /> <br /> {{clear}}<br /> === 構造 ===<br /> ==== モット ====<br /> [[File:Clough Castle Motte and Bailey.jpg|thumb|right|200px|[[:en:Clough Castle|クラフ城]](左側の丘がモット、右側がベイリー)]]<br /> [[File:Windsor Castle from the Air wideangle.jpg|thumb|right|200px|[[ウィンザー城]](中央のモット(キープ)と、左右のベイリー)]]<br /> 中世において、城を構築する平地や丘陵地域の周辺の土を掘りだして濠を形成し、その土で盛り上げた城の中心となるために造った小高い丘のことをモット(Motte)という。または自然の地形を利用して、既存の小さな丘を用いることもあった。この丘の上には当初は監視所が、後に塔が建てられて城を防衛する上で戦略上重要な場所であった&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot;&gt;マルコム・ヒスロップ Dr. Malcolm Hislop 著 『歴史的古城を読み解く』(桑平幸子訳) ISBN 978-4-88282-912-6&lt;/ref&gt;。一つの城には一つのモットが標準であるが、[[:en:Lincoln Castle|リンカン城]]のように二つのモットが造られた城もある。<br /> <br /> ==== ベイリー ====<br /> ベイリー(Bailey)とは、モットと共に濠や柵、城壁で囲まれた城内の区域。住居施設や倉庫、防御施設&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;のほか武器を整備する工房や城内教会(王家のチャペル)などが建てられていることもあった。一つの城に、二つ以上のベイリーが造られていることも多く、防御区画や異なる城内機能の区分けとして用いられていた&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。&#039;&#039;&#039;中庭&#039;&#039;&#039;(Courtyards)と表記されることもある。<br /> <br /> ==== キープ ====<br /> [[キープ (城)|キープ]](Keep)とは中世ヨーロッパの城で中心となる建造物。モットの頂上に建てられ、当初は木造の塔が、後に石造りの塔が造られた。日本語で&#039;&#039;&#039;主塔&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;大塔&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;天守塔&#039;&#039;&#039;、またはフランス語読みの&#039;&#039;&#039;ドンジョン&#039;&#039;&#039;({{lang-fr|Donjon}})と表記されることもある。初期の[[モット・アンド・ベーリー]]式の城郭であっても、モットの頂上は少なくとも木造の矢来で囲まれており、時には塔や他の構築物で囲まれていることもあった。これらの木造の構造物が11世紀から12世紀頃にはキープと呼ばれる石造りの建築物となった&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。多角形の石造りの外壁で囲った包囲建築物である&#039;&#039;&#039;シェル・キープ&#039;&#039;&#039;([[:en:Shell keep|shell keep]])が初期に多く見られ、後に2〜3階建ての低い建物&#039;&#039;&#039;ホール・キープ&#039;&#039;&#039;(hall keep)、さらには3階以上の高い塔&#039;&#039;&#039;タワー・キープ&#039;&#039;&#039;(tower keep)と発展した&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。キープの平面形状は、初期は四角形であったが、11世紀後期頃からは円形(円筒形)やそれに小塔を付けたもの、12世紀中頃には四つ葉型、12世紀後期以降は多角形のものが建てられるようになった&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。また15世紀頃以降、&#039;&#039;&#039;タワー・ハウス&#039;&#039;&#039;([[:en:Tower house|Tower house]])と呼ばれる居住空間をも包含した小型の城のような形態&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;も現れた。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Donjon chateau a motte saint sylvain.jpg|[[:en:Saint-Sylvain-d&#039;Anjou|Saint-Sylvain-d&#039;Anjou]]城(木造キープ)<br /> File:Cliffords Tower York UK.JPG|[[:en:York Castle|ヨーク城]](シェル・キープ)<br /> File:ConisbroughCastle2.jpg|[[:en:Conisbrough Castle|コニスボロー城]](円筒形に小塔を付加したタワー・キープ)<br /> File:Etampestour1.jpg|[[:en:Château d&#039;Étampes|エタンプ城]](四つ葉型のタワー・キープ)<br /> File:Warkworth Castle 2.jpg|[[:en:Warkworth Castle|ワークワース城]](大型のタワー・キープ)<br /> File:Szczecin zamek dziedziniec menniczy.jpg|[[:en:Ducal Castle, Szczecin|シュチェチン]]の城 (小さな中庭と塔), ポーランド<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> ==== 城壁 ====<br /> [[城壁]](Enceinte)とは、城(モット及びベイリー)を包囲して防御機能を果たす&#039;&#039;&#039;幕壁([[カーテンウォール (城壁)|カーテンウォール]])&#039;&#039;&#039;及び&#039;&#039;&#039;城壁塔&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;[[堡塁]]&#039;&#039;&#039;などの一連の構築物のこと。初期の単純な形の城壁は、城壁上部の歩廊に[[狭間]](Crenellation)付き[[胸壁]](Battlement)を備えた壁で、しばしば狭間窓(射眼)が設けられていることもあった&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。[[攻城戦|攻城]]技術の発達に伴い、城壁の構築技術は13世紀頃にかけて頂点に達した。城壁には壁面から突出する半円形の塔([[側防塔]])を配し、そこに矢狭間を設けることで城壁に取り付く敵兵に左右から射掛けることが可能となった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。幕壁部分の下部に傾斜面を設けることで、掘削による壁の破壊を難しくし、[[攻城塔]]が取り付きにくくすると共に、この傾斜面が幕壁を分厚くすることで砲撃に対するより高い抵抗力を持つようになった&lt;ref name=&quot;Malcolm Hislop&quot; /&gt;。幕壁(カーテンウォール)には一定間隔で塔(側防塔など)が造られ、塔の戦術上の重要性が認識されてくるとその間隔は短くなっていった。この塔は防衛目的のために造られた側防塔(Defensive Tower)のほか、戦術上有利な地点に設けられた[[タレット (建築)|タレット]](Turret)や[[張り出し櫓]](Bartizan)、主に居住空間を提供した居住塔(Lodging Tower)などがあった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。<br /> <br /> 一部の城では、城壁や塔の頂上部に屋根状の木造構造物を架けたものもあり、これを[[櫓 (ヨーロッパの城郭)|櫓]](Hoardings)という。<br /> <br /> 城(城壁)には少なくとも一箇所の[[城門]](Gateway)があり、一基の塔内部に門が組み込まれている場合([[:en:Gate tower|Gate tower]])と、1〜2基の塔が門の脇を固めている場合のいずれかであった。13世紀になると、城門とキープの機能を兼ね備えた&#039;&#039;&#039;楼門([[ゲートハウス]])&#039;&#039;&#039;が造られるようになった。この楼門は双子の円筒型の塔の間に四角形の居住用建物が追加されたものが多かった&lt;ref name=&quot;horikoshi_sirototensyutou&quot; /&gt;。城門を閉じるために、[[跳ね橋]](Drawbridge)、[[落とし格子]](Portcullis)及び門扉が備えられるのが一般的であった。さらに防御機能を強化するため、門の外側に要塞化した小堡([[甕城|バービカン]])が設けられることもあった。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Creneau.romain.png|狭間(凹部)付き胸壁<br /> File:Arrow slat corfe castle.jpg|狭間窓(射眼)<br /> File:Krak des Chevaliers 13.jpg|側防塔と幕壁の傾斜面<br /> File:Turrets at Willersley Castle - geograph.org.uk - 597604.jpg|小塔 Turrets<br /> File:Giarita.jpg|張り出し櫓 Bartizan<br /> File:Carcassonne Graben zwischen Chateau und Cité.JPG|塔や城壁の上部に造られた櫓<br /> File:SDJ Harlech Castle Gatehouse.jpg|楼門(ゲートハウス)<br /> File:Nuremberg White Tower f w.jpg|小堡(バービカン)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == イスラム圏 ==<br /> 古代オリエントでは、上記のヨーロッパの項目にあるように城壁で囲まれた都市国家が成立した。その後、ローマ帝国によって併合されると、やはり上記通り恒久的な要塞ではなくローマ街道による機動的な防衛により大規模な城塞は、建設されずにいた。しかしやがてイスラム勢力が台頭し、ローマ帝国の勢力が衰えるとヨーロッパとは異なる進歩を歩み始めた。<br /> <br /> 城は、軍事技術だけでなく現地の為政者と結びつく関係上、文化的な差異から逃れることは、出来なかった。イスラム教圏は、様々な地域に跨るため城の建築は、現地の文化を取り込んだり、逆に現地に影響を与えた。[[アルハンブラ宮殿]]、[[トルヒーリョ|トルヒーリョ城]]、[[アンベール城]]、[[赤い城|ラール・キラー]]、[[トプカプ宮殿]]、[[ルメリ・ヒサール]]など広範な地域で著名な城が建設された。美術面での違いを除けば中国やヨーロッパの城と同じく火砲に備え、塔や城壁を持つ点で全体的には、似た部分も多い。<br /> <br /> == 中国 ==<br /> [[ファイル:Forbidden City1.JPG|thumb|right|250px|明清代皇帝の居城、[[紫禁城]]]]<br /> 中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。<br /> <br /> 大規模なものは、[[宮殿]]など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて&#039;&#039;&#039;城郭&#039;&#039;&#039;といわれる。辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして[[万里の長城]]を発達させた。また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。<br /> === 構造 ===<br /> 城壁は当初、[[版築]]による土壁であり、[[唐]][[長安城]]の城壁も全長27kmに及ぶ長大な土牆(どしょう)であった。時代が下るとさらに城壁の強度が求められ、現在中国各地に遺構として残る[[明|明代]]以後の城壁はその多くが堅牢な[[煉瓦]]造りである。城壁の上部は城兵が往来可能な通路となっており、城壁に取り付いた敵軍を射撃するために「[[銃眼|堞]]」(女牆)と呼ばれるスリットの入った土塀が備えられていた。城壁は一定間隔ごとに「馬面」という突出部を持ち、これが堡塁の役目を果たして敵を側面から攻撃するのを助けた&lt;ref&gt;{{cite book | 和書 | title = 戦略戦術兵器事典 | volume = 中国古代編 | publisher = 学習研究社 | year = 1994 | id = }}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 城壁には市街に出入りするための[[城門]]が設けられていた。石造りの土台をくり抜き、トンネル状として(これを「闕(けつ)」という)その上部に木造重層の[[楼閣]]が建てられ、その上には門の名称を記した「[[扁額]]」が掲げられた。城門はその多くが二重構造となっており、城門の手前に敵を食い止める目的で半円形の小郭が設けられていた。これは「[[甕城]](おうじょう)」と呼ばれ、洋の東西を問わず普遍的に見られる防御構造であり、日本城郭では「[[虎口|枡形虎口]]」がこれに相当する。外敵が城内に攻め入るためにはまず、この甕城で足止めされることになるため、城兵は城壁や箭楼(甕城に設けられた櫓)から銃撃をしかけることができた。<br /> <br /> [[中華人民共和国]]時代に入って、市域拡張のため、また近代化の妨げになるという批判もあり、ほとんどの都市では城壁は取り壊されたが、[[西安]]や[[平遥]]のように保存されている都市も多い。<br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:XiAn_CityWall_DiLou.jpg|西安城に残る城壁<br /> Image:XiAn CityWall SouthGate3.jpg|西安城南大門の甕城<br /> Image:Deshengmen.JPG|[[北京城]]徳勝門甕城の箭楼。多数開いた窓は[[銃眼]]。<br /> Image:皇城1.jpg|北京城見取図。四周を堀と城壁が囲む。<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 朝鮮半島 ==<br /> [[ファイル:Hwaseong west gate.jpg|right|thumb|250px|李氏朝鮮の城門(華城華西門〈大韓民国京畿道水原市〉)]]<br /> [[ファイル:Ulsan waesung attack.jpg|right|thumb|250px|蔚山城(蔚山倭城)(「蔚山籠城図屏風」)]]<br /> [[朝鮮半島]]の城は、朝鮮固有の形式である[[山城]]の他に中国の影響を強く受けた都市城壁を持つ[[邑城]](ウプソン)の2形式があるが時代が下るとともに邑城へと移行した。しかし山がちな地勢上、完全な邑城は少なく山城との折衷形式のものが多く見られる。[[文禄・慶長の役]]で日本軍の攻囲に耐えた[[延安城]]、また一旦は日本軍の攻撃を退けた[[晋州城攻防戦|晋州城]]はその折衷形式のものである。現在の[[大韓民国|韓国]][[水原市]]にある[[華城|水原城]]は、李氏朝鮮の独自性を狙った造りだともいわれる。<br /> <br /> === 倭城 ===<br /> また[[文禄・慶長の役]]で南岸域を中心に日本軍が造った日本式の城も多く存在し、それらは「倭城」(わじょう)と呼ばれている。日本式の総石垣造りで、日本国内の城と同様に櫓や城門、塀を建て並べ、天守を上げた城もあった。<br /> {{main|倭城}}<br /> <br /> ==観光==<br /> 現存する城は、戦闘時や城主の居住に供されるだけでなく、権勢を誇示するために意匠を凝らして建てたものも多く残るため、地方の観光資源になっているものが多い。フランスにおける[[ロワール]]の古城めぐり、ドイツにおける[[ロマンティック街道]]は城が観光資源となっている例である。城は史跡や文化遺産でもあるため、見学者の立ち入りをどこまで認めるか、再建・修復時に歴史上存在した状態と観光面での利便性をどう両立するかが常に課題となる。[[熱海城]]のように、一度も存在したことがない城郭が現代になって新築された例もある。<br /> <br /> &lt;gallery&gt;<br /> Image:Château de Chenonceau - west view from Catherine de Medici Gardens 1a (4 May 2006).JPG|[[ロワール渓谷]]にある[[シュノンソー城]]([[世界遺産]])<br /> Image:Rural French chateau.jpg|田園地帯にあるシャトー<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 城の日 ===<br /> 財団法人[[日本城郭協会]]が、昭和49年度([[1974年]]度)の事業として[[4月6日]]を「&#039;&#039;&#039;[[4月6日#記念日・年中行事|城の日]]&#039;&#039;&#039;」と定めた&lt;ref&gt;{{cite web | url = http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/jigyo.html | title = 日本城郭協会 昭和49年度事業 (平成4年度事業も) | accessdate = 2008年9月6日}}&lt;/ref&gt;。[[平成]]4年([[1992年]])に全国的な普及キャンペーンを行い、現在では各地の城でも天守の無料開放などの行事を行うことが多くなっている。この日は、多くの城で[[サクラ|桜]]が咲く頃でもある。一般社団法人日本記念日評議会に[[平成]]25年([[2013年]])公式認定されている。<br /> <br /> [[姫路市]]は4月6日を「&#039;&#039;&#039;しろの日&#039;&#039;&#039;」と定めている&lt;ref&gt;市制100周年の記念事業「ふるさと創生事業」の一環として[[1989年]]に行われた企画アイデアの公募によって決まった{{cite web | url = http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/various.html | title = 姫路城公式ホームページ内雑学姫路城 | accessdate = 2008年9月4日}}。&lt;/ref&gt;。[[1990年]]から姫路城を中心としたイベント([[姫路城#イベント|姫路城でのイベント]])を行い、通常は公開されていない櫓の内部の公開などをしている。<br /> <br /> === 「日本100名城」 ===<br /> 日本城郭協会は2006年に「[[日本100名城]]」を、2017年に「[[続日本100名城]]」を選定した。地元住民や観光客にとっての人気度に加えて、歴史的な重要性、復元における正確性、保存状態などを基準としている。<br /> <br /> == 世界の城の研究者 ==<br /> &lt;!-- 基準を設定するほうがよいです。少なくとも,世界の城についての著作がある人。 --&gt;<br /> * [[太田静六]]<br /> * [[千田嘉博]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> ;一覧<br /> {{Col-begin}}<br /> {{Col-2}}<br /> * [[:Category:城画像|城の画像一覧]]<br /> * [[:Category:日本の城画像|日本の城の画像一覧]]<br /> * [[:Category:ヨーロッパの城|ヨーロッパの城]]<br /> {{Col-2}}<br /> * [[日本の城一覧]]<br /> * [[日本100名城]]<br /> * [[ヨーロッパ100名城]]<br /> {{Col-end}}<br /> ;構造・様式<br /> {{Col-begin}}<br /> {{Col-5}}<br /> * [[城郭都市]]<br /> * [[城塞]]([[城砦]])<br /> * [[要塞]]<br /> * [[山城]]<br /> * [[平城]]<br /> * [[平山城]]<br /> * [[海城 (城郭)|海城]]<br /> * [[古代山城]]<br /> * [[環濠集落]]<br /> * [[水城]]<br /> * [[長城]]<br /> {{Col-5}}<br /> * [[天守]]<br /> * [[曲輪]]<br /> * [[城門]]<br /> * [[塀 (城郭)]]<br /> * [[櫓 (城郭)]]<br /> * [[構 (建築)]]<br /> * [[築地塀]]<br /> * [[土塀]]<br /> * [[櫓門]]<br /> * [[城柵]]<br /> {{Col-5}}<br /> * [[狭間]]<br /> * [[石落とし]]<br /> * [[出し狭間]]<br /> * [[破風]]<br /> * [[塀 (城郭)|板塀]]<br /> * [[落とし格子]]<br /> * [[土塁]]<br /> * [[石垣]]<br /> * [[虎口]]<br /> * [[切岸]]<br /> * [[犬走り]]<br /> * [[堀]]<br /> {{Col-break}}<br /> * [[鯱]]<br /> * [[穴蔵]]<br /> * [[唐造]]<br /> * [[神籠石]]<br /> * [[防塁]]<br /> * [[守護所]]<br /> * [[陣屋]]<br /> * [[台場]]­<br /> {{Col-break}}<br /> * [[タレット (建築)|タレット]]<br /> * [[シャトー]]<br /> * [[グスク]]<br /> * [[チャシ]]<br /> {{Col-end}}<br /> ;その他の関連用語<br /> * [[攻城戦]]<br /> * [[攻城兵器]]<br /> * [[廃城]]<br /> * [[城絵図]]<br /> * [[正保城絵図]]<br /> * [[一国一城令]]<br /> * [[破城]]<br /> * [[廃城令]]<br /> * [[外城制]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{wikiquote|城}}<br /> {{Commons&amp;cat|Castle|Castles}}<br /> * [http://www.shirofan.com/ お城めぐりFAN]<br /> * [http://www.castles.today/ja/ 世界の城]<br /> * [http://www.sengoku-shizuoka.com/castle/ 静岡県の城総覧 【Shizuoka城と戦国浪漫】]<br /> * [http://www.oumi-castle.net/ 近江の城郭]<br /> * [http://umoretakojo.jp/ 埋もれた古城]<br /> * [http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/ ちえぞー! 城行こまい]<br /> * [http://www.jp-history.info/ 日本の歴史ガイド]<br /> &lt;!--参考文献がある個人ページ、実績などが見られるページのみを一応残しました。掲載継続が望まれるものについては残留、再掲載をご検討ください。--&gt;<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しろ}}<br /> [[Category:城|*]]<br /> [[Category:軍事史]]</div> 112.71.188.23
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