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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=111.87.58.123&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-04-26T00:35:45Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 19世紀 2018-07-29T14:18:31Z <p>111.87.58.123: /* 1860年代 */</p> <hr /> <div>{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=19th_century&amp;oldid=699548268 英語版 &quot;19th century&quot; 00:31, 13 January 2016 (UTC)]|date=2016年1月}}<br /> {{出典の明記|date=2012年3月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:British_Empire_1897.jpg|right|thumb|250px|19世紀に君臨した[[大英帝国]]。]]<br /> &#039;&#039;&#039;19世紀&#039;&#039;&#039;(じゅうきゅうせいき)は、[[西暦]][[1801年]]から西暦[[1900年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 19世紀の歴史 ==<br /> === 国民国家の成立 ===<br /> [[ファイル:Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg|right|thumb|250px|フランス[[七月革命]]。ヨーロッパでは革命により近代的な国家が生まれた。]]<br /> [[西欧]]では[[フランス革命]]の影響により[[自由主義]]と[[ナショナリズム]]が広がった。19世紀初頭の[[ナポレオン]]の興亡や反動的な[[ウィーン体制]]、「[[諸国民の春]]」や数々の[[市民革命]]の勃発の後、ナショナリズムの高揚により[[ドイツ]]、[[イタリア]]などの新たな統一された強力な[[国民国家|国家]]が登場した。<br /> また[[ナポレオン戦争]]による混乱に乗じて1810年代から1820年代にはスペイン・ポルトガルの支配からラテンアメリカ諸国が各地で独立した。しかし大土地所有者の優遇やモノカルチャー栽培などで独立してからも近代化は進まず、欧米列強への従属がこの後も長く続いた。<br /> <br /> === 帝国主義の興隆 ===<br /> [[ファイル:SepoyMutiny.jpg|right|thumb|270px|インド大反乱。アジア・アフリカ諸国には苦渋の時代であった。]]<br /> 19世紀の[[イギリス]]は[[工業化]]による生産力の増大により得た、圧倒的な経済力と軍事力で世界の覇権を握った。イギリスは時には武力をも用いて世界各国に[[自由貿易]]を認めさせ、イギリスを中心とした[[国際経済]]体制に世界を組み込んでいった([[パクス・ブリタニカ]])。この過程で、[[大陸国家]]である[[清]]や[[ロシア帝国|ロシア]]と[[海洋国家]]のイギリスとの間に度重なる衝突が発生し、20世紀における[[世界大戦]]の遠因が形成された。<br /> <br /> [[アジア]]・[[アフリカ]]にとっては苦渋の時代であり、[[トルコ]]、[[タイ王国]]などの国では[[西欧]]文化を取り入れ[[近代化]]が試みられた。清国の[[非公式帝国|半植民地]]化が実質的に始まったのは、[[アロー戦争]]敗北後に[[天津条約 (1858年)|天津条約]]、[[北京条約]]を締結してからである。[[オスマン帝国]]もヨーロッパ諸国による介入で[[ギリシャ独立戦争]]において敗北し、[[ムハンマド・アリー]]の[[エジプト]]での台頭を止めることが出来なかった。インドではイギリスが19世紀に[[マラーター戦争]]、[[シク戦争]]を行い、インドを[[植民地]]化した。[[1857年]]には[[インド大反乱]]が勃発したが、翌年にイギリスはこれを鎮圧し、[[ムガル帝国]]は終焉を迎えた。<br /> <br /> 日本でも[[1853年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[マシュー・カルブレース・ペリー|ペリー]]が[[浦賀]]に来航、[[江戸幕府]]に[[開国]]を認めさせ、[[日本]]も欧米を中心とした[[世界経済]]に組み込まれた。[[1868年]]には長らく続いた[[幕藩体制]]は崩壊し([[明治維新]])、新たに発足した[[明治]]政府は[[欧米]]文化を摂取して急速な近代化を目指した。19世紀末には、近代化に成功した日本やタイ王国などの一部の国以外は、西欧列強の植民地にされるか、強い影響下におかれた。<br /> <br /> === 列強の植民地争奪戦 ===<br /> 19世紀中頃に、ドイツ、[[フランス]]、アメリカ合衆国はイギリスに続いて[[産業革命]]をなしとげた。こうした後進産業国では政府の強力なリードのもとで産業育成がなされた。19世紀の末期には資源の豊富なアメリカ合衆国や[[重化学工業]]分野が成長したドイツの発展が著しく、事実上イギリスの覇権は崩れた([[第二次産業革命]]参照)。これにより1870年代の露土戦争前後から19世紀末には列強の植民地争奪競争がおこなわれた。日本も[[日清戦争]]、[[日露戦争]]などを通じ、こうした植民地争奪戦に乗り出していく。<br /> <br /> == できごと ==<br /> [[ファイル:Stephenson&#039;s Rocket.jpg|thumb|right|250px|[[蒸気機関車]]「[[ロバート・スチーブンソン]]の[[ロケット号]]」。]]<br /> * 日本では[[江戸時代]]の後期及び末期([[幕末]])から[[明治時代]]にあたる。<br /> * 中国では[[清]]の時代の後期から末期にあたる。<br /> * イギリスでは[[ジェームズ・ワット]]の圧縮[[蒸気機関]]が開発され、その10年後にはワットの複動式蒸気機関が完成し、[[炭鉱]]において地下300メートルの深さまで掘ることが可能になった。毎年さまざまなタイプの[[石炭]]を何百万トンも産出するようになり、世の中が一変した&lt;ref&gt;[[サイモン・ウィンチェスター|ウィンチェスター, サイモン]]著、[[野中邦子]]訳『{{仮リンク|世界を変えた地図|en|The Map that Changed the World|label=世界を変えた地図 - ウィリアム・スミスと地質学の誕生 -}}』[[早川書房]]、2004年7月、ISBN 978-4-15-208579-5、65-66頁。&lt;/ref&gt;。<br /> ----<br /> === 1800年代 ===<br /> {{main|1800年代}}<br /> * [[1801年]]<br /> ** [[伊能忠敬]]が幕命により[[伊豆国|伊豆]]から[[陸奥国|陸奥]]の沿岸の測量に向かう。<br /> *** 中村小一郎ら[[樺太]]を巡視する。富山元十郎ら[[ウルップ島]]に至り、「天長地久大日本属国」の標識を立てる。<br /> ** [[本居宣長]]死去(72)。<br /> ** [[グレートブリテン王国]](イギリス)と[[アイルランド王国]]が合併する。<br /> ** [[フランス]]と教皇庁との[[コンコルダート]](政教協約)が結ばれる。<br /> ** ロシア皇帝[[パーヴェル1世]]が宮廷クーデタで暗殺される。<br /> [[ファイル:Hiroshige le pont Nihonbashi à l&#039;aube.jpg|thumb|right|250px|江戸時代の旅行ブーム。1802年には[[十返舎一九]]の『[[東海道中膝栗毛]]』の刊行が始まり、[[文化文政時代]]のおおらかな気風も相まって各地への旅行が庶民でも楽しまれるようになった。画像は[[歌川広重]]の「[[東海道五十三次]]」の「[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]」。]]<br /> [[ファイル:Nội thất cung Diên Thọ.jpg|thumb|right|250px|[[阮朝]][[越南]]の成立。[[黎朝]]衰退後に台頭した[[西山朝|西山三兄弟]]を倒し、[[阮福暎]]は嘉隆帝と名乗ってベトナム全土を統一した。画像は首都の[[順化]](ユエ)に今も残る順化皇城の{{仮リンク|延寿宮|zh|延寿宫}}。]]<br /> * [[1802年]]<br /> ** 蝦夷奉行を置き、更に蝦夷奉行を[[函館]]奉行と改称する。<br /> *** 伊能忠敬が幕命により[[陸奥国|陸奥]]・[[出羽国|出羽]]・[[越後国|越後]]の沿岸の測量に向かう。<br /> *** この冬、[[近藤重蔵|近藤守重(重蔵)]]ら、幕命により[[択捉島]]を視察する。<br /> ** [[タイ王国|タイ]]の援助で[[阮福暎]](嘉隆帝)が[[ベトナム]]全土を統一し越南[[阮朝]]が成立。<br /> *&amp; [[第一次サウード王国]]が[[メッカ]]と[[メディナ]]を占領する。<br /> ** 英仏間で[[アミアン講和条約]]。<br /> * [[1803年]]<br /> ** 伊能忠敬が幕命により、[[東海道]]・[[北陸道]]・[[佐渡島]]の沿岸の測量に向かう。伊能忠敬が[[令制国|国]]・[[郡]]・[[村]]の呼称を調査する。<br /> ** ウィリアム・ロバート・スチュアートの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]船籍ナガサキ号が[[長崎港|長崎]]に来航し[[貿易]]を要求する。<br /> ** [[前野良沢]]死去(81)。<br /> ** アミアン講和条約が破棄され、[[ナポレオン戦争]]が再開される( - 1815年)。<br /> ** イギリスと[[マラーター同盟]]の間で[[第二次マラーター戦争]]が勃発する( - 1805年)。同年に[[ムガル帝国]]はイギリス保護下に入った。<br /> [[ファイル:Jacques-Louis David, The Coronation of Napoleon edit.jpg|thumb|right|250px|[[ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠|ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠]]。]]<br /> * [[1804年]]<br /> ** [[ナポレオン・ボナパルト]]が[[フランス皇帝]]に即位([[フランス第一帝政]])。<br /> ** [[オーストリア帝国]]成立。<br /> ** [[ロシア帝国|ロシア]]使節[[ニコライ・レザノフ|レザノフ]]が[[長崎港|長崎]]に漂流民を護送、貿易を求める。<br /> ** [[ハイチ]]が[[フランス]]から独立。初の黒人による共和国。<br /> ** [[象潟地震]]により[[象潟]]の海岸が隆起して陸地となる。<br /> [[ファイル:Turner, The Battle of Trafalgar (1822).jpg|thumb|right|250px|[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ウィリアム・ターナー]]の「[[トラファルガーの海戦]]({{仮リンク|イギリス国立海洋博物館|en|National Maritime Museum}}蔵)」。]]<br /> * [[1805年]]<br /> ** [[トラファルガーの海戦]]。<br /> ** [[アウステルリッツの三帝会戦]]。<br /> ** オスマン帝国により[[ムハンマド・アリー]]が[[エジプト]]総督に任命される([[ムハンマド・アリー朝]]の成立)。<br /> ** 伊能忠敬が幕命により[[伊勢国|伊勢]]・[[紀伊国|紀伊]]・[[山陽地方|山陽]]・[[山陰地方]]の測量に向かう。<br /> ** 紀伊の[[医師]][[華岡青洲]]が初めて麻酔剤を用い[[乳癌]]を手術する。<br /> * [[1806年]]<br /> ** [[ライン同盟]]の成立による[[神聖ローマ帝国]]の滅亡。<br /> ** [[イエナ・アウエルシュタットの戦い]]、ナポレオンのベルリン入城、[[大陸封鎖令]](ベルリン勅令)の発令。<br /> * [[1807年]] <br /> ** [[ティルジットの和約]]。[[ヴェストファーレン王国]]と[[ワルシャワ公国]]が成立。<br /> ** [[プロイセン王国|プロイセン]]で[[ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン|シュタイン]]・[[カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク|ハルデンベルク]]の改革が始まる。<br /> ** オスマン皇帝[[セリム3世]]が[[イェニチェリ]]軍団に廃位され、[[ムスタファ4世]]が即位。<br /> ** 幕府が[[松前藩]]を転封、西[[蝦夷]]地を上知して天領とする。<br /> ** [[永代橋]]落橋事故。<br /> [[ファイル:El Tres de Mayo, by Francisco de Goya, from Prado in Google Earth.jpg|thumb|right|250px|[[フランシスコ・デ・ゴヤ|ゴヤ]]の「[[マドリード、1808年5月3日]](プリンシペ・ピオの丘での虐殺)」。]]<br /> * [[1808年]]<br /> ** スペインの政変で[[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]が退位し、[[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]が即位。<br /> *** この混乱でフランス軍がスペインを占領。ナポレオンの兄[[ジョゼフ・ボナパルト|ジョゼフ]]がスペイン王(ホセ1世)となる。<br /> *** スペイン人がフランス支配に抵抗し[[スペイン独立戦争]]が起こる。宮廷画家[[フランシスコ・デ・ゴヤ|ゴヤ]]は「マドリード、1808年5月3日」を描く。<br /> ** [[ポルトガル王国|ポルトガル]]の[[ブラガンサ家|ブラガンサ王家]]が亡命し、[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]に到着。<br /> ** 日本の長崎で[[フェートン号事件]]。<br /> ** [[間宮林蔵]]が[[樺太]]を探検。<br /> * [[1809年]]<br /> ** [[ヴァグラムの戦い]]。<br /> ** ナポレオンが[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]]と離婚。<br /> ** 海賊[[蔡牽]]による艇盗の乱が鎮圧される。<br /> <br /> === 1810年代 ===<br /> {{main|1810年代}}<br /> * [[1810年]]<br /> ** ナポレオンが[[ハプスブルク家|ハプスブルク]]皇女[[マリア・ルイーザ (パルマ女公)|マリー・ルイーズ]]と結婚。<br /> ** [[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]が創設される。<br /> ** [[メキシコ]]独立運動の先駆者[[ミゲル・イダルゴ]]の「[[ドローレスの叫び]]」。<br /> ** [[カメハメハ1世]]が[[ハワイ|ハワイ諸島]]を統一し、[[ハワイ王国]]を建国。<br /> [[File:Masakra mameluków.jpg|thumb|right|250px|シタデルの虐殺。エジプト総督ムハンマド・アリーはアラビア半島遠征への壮行会に乗じてこの国の支配者層である[[マムルーク]]を虐殺し、権力基盤を固めた。]]<br /> * [[1811年]] <br /> ** イギリス国王[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]が精神疾患のため、[[ジョージ4世 (イギリス王)|王太子ジョージ]]が[[摂政]]となる([[摂政時代]] - 1820年)。<br /> ** イギリスで機械打ち壊し運動である[[ラッダイト運動]]発生。<br /> ** [[ムハンマド・アリー]]による「シタデルの惨劇」。<br /> ** [[ゴローニン事件]]。<br /> [[ファイル:Napoleons retreat from moscow.jpg|thumb|right|250px|ナポレオンのロシア遠征。画像はアドルフ・ノーザンの「ナポレオンのモスクワからの退却」。]]<br /> * [[1812年]] <br /> ** [[1812年ロシア戦役|ナポレオンのロシア遠征]]。<br /> ** [[米英戦争]]( - [[1814年]])。<br /> * [[1813年]] <br /> ** [[清]]の[[北京]][[紫禁城]]に[[林清]]率いる[[白蓮教]]系[[天理教 (中国)|天理教]]徒が乱入。<br /> ** [[ライプツィヒの戦い|ライプツィヒ諸国民戦争]]でナポレオン敗北。<br /> [[ファイル:Congresso di Vienna.png|right|250px|thumb|革命への反動。画像は[[ウィーン会議]]の様子を描いたJ.B.Isabenの絵画。]]<br /> * [[1814年]]<br /> ** [[キール条約]]で[[デンマーク]]が[[ノルウェー]]を[[スウェーデン]]に割譲。<br /> ** [[フォンテーヌブロー条約 (1814年)|フォンテーヌブロー条約]]によりナポレオンが[[エルバ島]]に流される。<br /> ** [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]が帰還しフランス国王となる(ブルボン復古王政)。<br /> ** [[ウィーン会議]]。<br /> [[ファイル:Andrieux_-_La_bataille_de_Waterloo.jpg|right|thumb|250px|ナポレオン戦争の終結。画像は[[ワーテルローの戦い]]。]]<br /> * [[1815年]] <br /> ** [[ワーテルローの戦い]]でナポレオン敗北、[[百日天下]]が終わり、[[セントヘレナ島]]に流される。<br /> ** [[ウィーン議定書]]の締結、[[ウィーン体制]]( - [[1848年]])の成立。<br /> [[File:Théodore Géricault, Le Radeau de la Méduse.jpg|thumb|right|250px|「[[メデューズ号の筏]]」。[[モーリタニア]]沖での難破で船員147名のうち15名しか生存しなかった。画像はこの事件を描いたフランス人画家[[テオドール・ジェリコー]]のもの([[ルーブル美術館]]蔵)。]]<br /> * [[1816年]] <br /> ** 前年の[[インドネシア]]・[[タンボラ火山]]噴火の影響で各地が寒冷化し「[[夏のない年]]」と呼ばれる。<br /> ** 世界で最初にイギリスが[[金本位制]]を導入する。<br /> ** イギリス全権として[[ウィリアム・アマースト (初代アマースト伯爵)|アマースト]]が清に貿易拡大を要求するが拒絶される。<br /> ** [[アルゼンチン]]([[ラプラタ連合]])が[[スペイン]]から独立。<br /> *** 以後、中南米諸国の独立が相次ぐ(→ [[アメリカ大陸諸国の独立年表]])。<br /> ** [[モーリタニア]]沖で[[メデューズ号の筏|メデューズ号の座礁事件]]。<br /> * [[1817年]] <br /> ** エルギン卿の[[パルテノン神殿]]彫刻([[エルギン・マーブル]])を[[大英博物館]]で公開。<br /> ** [[アメリカ合衆国]]大統領に[[ジェームズ・モンロー|モンロー]]が就任。党派対立がほとんどない「[[好感情の時代]]」を迎える。<br /> ** [[光格天皇]]が譲位し、第120代[[仁孝天皇]]が即位。<br /> ** [[セルビア公国 (近代)|セルビア公国]]が[[オスマン帝国]]から独立。<br /> * [[1818年]] <br /> ** [[スウェーデン]]で[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世]]が即位し、新[[王朝]][[ベルナドッテ朝]]開始。<br /> ** [[アーヘン会議 (1818年)|アーヘン会議]]で、[[四国同盟]]にフランスが加わり[[五国同盟]]となることが決定。<br /> ** エジプトが[[第一次サウード王国]]を攻略し滅亡させる。<br /> ** [[チリ]]が[[スペイン]]から独立。<br /> [[ファイル:Darbar of Maharaja Ranjit Singh.jpg|thumb|right|250px|[[パンジャーブ]]の[[シク王国]]。イギリスのインド進出に最後まで抵抗したのがシク王国である。画像は国王ランジート・シングの宮廷(ダルバール)を描いた細密画。]]<br /> * [[1819年]] <br /> ** イギリスで[[ピータールーの虐殺]]事件。<br /> ** イギリス人[[トーマス・ラッフルズ|ラッフルズ]]により[[シンガポール]]開港。<br /> ** ドイツ学生運動[[ブルシェンシャフト]]を取り締まる[[カールスバート決議]]が成立。<br /> ** アメリカ合衆国がスペインから[[フロリダ]]を購入。<br /> ** [[シク王国]]の[[ランジート・シング]]が[[カシミール]]地方を占領。<br /> ** [[文政小判|文政の改鋳]]。<br /> <br /> === 1820年代 ===<br /> {{main|1820年代}}<br /> * [[1820年]] <br /> ** [[ラファエル・デル・リエゴ|リエゴ]]らによる[[スペイン立憲革命]]( - [[1823年]])。<br /> ** 秘密結社[[カルボナリ]]によるナポリ革命。<br /> ** フランス王位継承予定者[[ベリー公]][[シャルル・フェルディナン・ダルトワ|シャルル・フェルディナン]]が暗殺される。<br /> ** [[ミロのヴィーナス]]が発見される。<br /> ** [[アメリカ合衆国]]で[[ミズーリ協定]]。<br /> ** [[清]]の[[道光帝]]が第8代皇帝に即位。<br /> * [[1821年]] <br /> ** [[セント・ヘレナ島]]にて[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]死去。<br /> ** [[ギリシャ独立戦争]]( - 1829年)が始まる。<br /> ** [[メキシコ]]、[[ペルー]]及び[[グアテマラ]]総督府がスペインから独立する。<br /> ** 世界最初の鉄製汽船アーロン・マンピー号がイギリスで完成する。<br /> ** 幕府が蝦夷地の上知を止め、松前藩を蝦夷地に戻す。<br /> [[ファイル:Eugène Delacroix - Le Massacre de Scio.jpg|right|200px|thumb|ギリシア独立戦争。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]の「キオス島の虐殺」。]]<br /> * [[1822年]] <br /> ** ギリシャ独立宣言([[ギリシャ第一共和国]]成立)。[[キオス島]]の虐殺事件。<br /> ** [[ホセ・デ・サン・マルティン]]と[[シモン・ボリーバル]]が[[グアヤキル]]で会談。<br /> ** [[ブラジル帝国]]が[[ポルトガル王国|ポルトガル]]から独立する。<br /> [[ファイル:Entrevista de Guayaquil.jpg|right|200px|thumb|グアヤキルの会談。スペイン支配からラテンアメリカを別個に独立させてきた二人の指導者ホセ・デ・サン・マルティンとシモン・ボリーバルがこの地で会見した。]]<br /> * [[1823年]] <br /> ** [[アメリカ合衆国]]が[[モンロー宣言]]を発する。<br /> ** [[インド]]の[[アッサム]]地方でイギリス人・ロバート・ブルースが野生[[茶]]樹を発見。<br /> ** 旧[[グアテマラ]]総督府支配地から[[中米連邦]]が結成される。<br /> * [[1824年]] <br /> ** ギリシア独立義勇軍に参加した詩人[[ジョージ・ゴードン・バイロン|バイロン]]が[[メソロンギ|ミソロンギ]]で病死。<br /> ** エジプトの[[ムハンマド・アリー]]が[[オスマン帝国]]側について[[ギリシア独立戦争]]に参戦。<br /> * [[1825年]]<br /> ** [[ジョージ・スチーブンソン|スチーブンソン]]のロコモーション号が世界初の公共貨物鉄道としてストックトン-ダーリントン間に開通。<br /> ** ロシアで[[デカブリストの乱]]が発生。<br /> *** ロシア皇帝[[アレクサンドル1世]]没後、皇帝となった[[ニコライ1世]]が反乱を鎮圧。<br /> ** [[ボリビア]]がスペインから独立する。<br /> ** 文政の[[異国船打払令]]。<br /> * [[1826年]]<br /> ** アメリカ先住民[[チェロキー族]]が[[オクラホマ]]へ強制移住(涙の旅路)。<br /> ** オスマン帝国で[[マフムト2世]]が[[イェニチェリ]]軍団を廃止。<br /> ** ロシア皇帝ニコライ1世の命で[[皇帝官房第三課]]が創設される。<br /> [[File:Two poor Chinese opium smokers. Gouache painting on rice-pap Wellcome V0019165.jpg|thumb|right|250px|清におけるアヘンの輸入超過。1820年代後半にはアヘン密輸により清の財政悪化が懸念され始めた。画像はアヘン吸引をする清の庶民。]]<br /> * [[1827年]] <br /> ** [[ナヴァリノの海戦]]。<br /> ** イギリスから清へのアヘン貿易額が、清からイギリスへの茶貿易額を初めて上回る。<br /> ** アルジェ太守フサイン・イブン・パシャの「扇の一打」事件。<br /> * [[1828年]] <br /> ** ロシアとイランで[[トルコマーンチャーイ条約]]を締結。<br /> ** [[ポルトガル内戦]]( - 1834年)。<br /> ** [[シーボルト事件]]。<br /> ** [[ウルグアイ]]の独立が承認される。<br /> * [[1829年]] <br /> ** イギリスで[[カトリック教徒解放令]]。<br /> ** [[アドリアノープル条約]]。ギリシャの独立が承認される。<br /> <br /> === 1830年代 ===<br /> {{main|1830年代}}<br /> [[ファイル:Russian attack on Warsaw 1831.PNG|thumb|right|250px|ポーランドの[[十一月蜂起]]。ポーランド人はロシアの支配からの独立を求めたが鎮圧される。この知らせを受けた[[フレデリック・ショパン|ショパン]]は[[練習曲作品10-12 (ショパン)|革命のエチュード]]を作曲した。]]<br /> * [[1830年]] <br /> ** [[七月革命|フランス七月革命]]。<br /> *** 国王[[シャルル10世]]が亡命し[[ブルボン朝|ブルボン復古王政]]崩壊。<br /> *** [[オルレアン家]]の[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]がフランス国王となり[[七月王政]]成立。<br /> ** [[オランダ]]から[[ベルギー]]が独立([[ベルギー独立革命]])。<br /> ** [[ロシア]]支配下のポーランドで独立運動([[十一月蜂起]])が起きるが鎮圧される。<br /> ** スチーブンソンの[[ロケット号]]が世界初の旅客鉄道として[[マンチェスター]]-[[リヴァプール]]間に開通。<br /> ** [[アメリカ合衆国]]で[[インディアン移住法]]。<br /> ** [[大コロンビア]]が解体され、[[ベネズエラ]]・[[エクアドル]]が独立。<br /> [[ファイル:The Great Wave off Kanagawa.jpg|right|thumb|250px|画狂人[[葛飾北斎|北斎]]。数ある[[浮世絵]]師の中でも市井の中で90歳近くまで絵筆をとり続けていた北斎は構図や構想では群を抜いており海外での評価も高い。画像は1831年頃に出版された葛飾北斎の「[[富嶽三十六景]]」の「[[神奈川沖浪裏]]」。]]<br /> * [[1831年]] <br /> ** ジョン・レニー設計の[[ロンドン橋]]が完成。<br /> ** 第一次[[エジプト・トルコ戦争]]( - 1833年)。<br /> * [[1832年]] <br /> ** イギリスの[[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)|グレイ]]内閣による{{仮リンク|第1回選挙法改正|en|Reform Act 1832}}。[[腐敗選挙区]]の廃止による政党の再編成。<br /> ** フランスで「1832年の[[六月暴動]]」。<br /> * [[1833年]] <br /> ** [[天保の大飢饉]]( - [[1839年]])。<br /> ** スペインで[[カルリスタ戦争]]始まる( - 1876年)。<br /> ** [[バイエルン王国|バイエルン]]王子の[[オソン1世|オットー(オソン1世)]]が[[ギリシア]]国王として即位。<br /> ** [[英国国教会]]で[[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]らにより[[オックスフォード]]運動が起こる。<br /> [[ファイル:WomenofAlgiers.JPG|250px|thumb|right|ウジェーヌ・ドラクロワ「アルジェの女たち」。1834年に描かれたこの作品はロマン主義の異国趣味を示すとともに、東方世界を退廃的で官能的なものと見なす「[[オリエンタリズム]]」を示す作品でもある([[ルーヴル美術館]]蔵)。]]<br /> * [[1834年]] <br /> ** [[ドイツ関税同盟]]発足。<br /> ** [[フランス]]が[[アルジェリア]]を併合。<br /> ** パリ・トランスノナン街の虐殺。<br /> ** 清とイギリス全権大使チャールズ・ネイピアが貿易交渉を行うが決裂、イギリスの軍艦は虎門塞砲台を砲撃。<br /> ** [[ボーア人]]による[[グラハムズタウン]]会議においてイギリス支配からの独立と内陸部への移住が決定される([[グレート・トレック]]の始まり)。<br /> * [[1835年]] <br /> ** [[ハレー彗星]]接近。<br /> ** [[アルゼンチン]]でブエノスアイレス州知事[[フアン・マヌエル・デ・ロサス|ロサス]]の独裁政治始まる( - 1852年)。<br /> * [[1836年]] <br /> ** [[パリ]]の[[エトワール凱旋門]]完成(1806年 - )。<br /> ** [[アラモの戦い]]。<br /> * [[1837年]]<br /> ** [[徳川家慶]]が[[江戸幕府]]第12代[[征夷大将軍|将軍]]となる。<br /> ** [[大塩平八郎の乱]]。<br /> ** [[モリソン号事件]]。<br /> ** [[イギリス]]で[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]即位( - 1901年)。[[ヴィクトリア朝|ヴィクトリア時代]]始まる。<br /> [[ファイル:Turner, J. M. W. - The Fighting Téméraire tugged to her last Berth to be broken.jpg|right|250px|thumb|[[帆船]]から[[蒸気船]]へ。交通革命により蒸気機関が搭載された船が海の主役になった。画像は[[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー|ウィリアム・ターナー]]の「[[テメレーア (戦列艦)|戦艦テメレール]]([[ロンドン・ナショナル・ギャラリー]]蔵)」で[[トラファルガー海戦]]で戦った名だたる戦艦が蒸気船に引かれて解体されに向かうところである。]]<br /> [[ファイル:ChartistRiot.jpg|right|250px|thumb|チャーティスト運動。1838年には「人民憲章」がまとめられ更なる選挙権の拡大が唱えられた。]]<br /> * [[1838年]] <br /> ** [[イギリス]]で人民憲章がまとめられ、選挙権の更なる拡大を訴える[[チャーティスト運動]]起こる。<br /> ** メキシコの[[菓子戦争]]( - 1839年)。<br /> ** 第一次[[アフガン戦争]]( - 1842年)。<br /> ** [[緒方洪庵]]が瓦町に[[適塾]]を開く( - 1868年)。<br /> * [[1839年]] <br /> ** 世界初の実用的[[写真]]術「[[ダゲレオタイプ]]」が公表される。<br /> ** [[中米連邦]]が解体。<br /> ** [[アミスタッド号事件]]。<br /> ** [[蛮社の獄]]。<br /> ** 第二次[[エジプト・トルコ戦争]]( - 1840年)。<br /> ** オスマン皇帝[[アブデュルメジト1世]]が[[ギュルハネ勅令]]を発布([[タンジマート]])。<br /> <br /> === 1840年代 ===<br /> [[ファイル:Destroying Chinese war junks, by E. Duncan (1843).jpg|right|250px|thumb|[[アヘン戦争]]。イギリスの砲撃により大破する清の軍艦。]]<br /> {{main|1840年代}}<br /> * [[1840年]] <br /> ** [[アヘン戦争]]( - 1842年)。<br /> ** 「天保11年の[[三方領知替え]]」から[[天保義民事件]]が起こる。<br /> ** [[ナポレオン]]の亡骸がパリに帰還しアンヴァリド(廃兵院)に安置される。<br /> ** [[ニュージーランド]]先住民族[[マオリ]]とイギリスの間で[[ワイタンギ条約]]が結ばれる。<br /> [[ファイル:Carl Spitzweg 036.jpg|thumb|right|250px|[[ビーダーマイヤー]]時代。ウィーン体制の相対的安定は政治や国際情勢ではなく小市民としての平穏な生活を優先する人々の嗜好に合致していた。画像はビーダーマイヤー時代を代表するドイツ人画家[[カール・シュピッツヴェーク]]の「日曜日の散歩」。]]<br /> * [[1841年]] <br /> ** [[デイヴィッド・リヴィングストン|リヴィングストン]]がアフリカ大陸での宣教を開始。<br /> ** 大御所[[徳川家斉]]死去。老中[[水野忠邦]]による[[天保の改革]]( - 1843年)。<br /> *** 大御所家斉の側近を処罰、智泉院・感応寺事件、[[奢侈禁止令]]、[[株仲間]]解散。<br /> * [[1842年]] <br /> ** [[清]]と[[イギリス]]の間で[[南京条約]]締結。<br /> ** 天保の[[薪水給与令]]。<br /> * [[1843年]] <br /> ** 人返し令。[[上知令]]の発布、しかし反対派が多く上知令撤回とともに[[水野忠邦]]は老中を罷免される。<br /> * [[1844年]] <br /> ** アメリカ合衆国と清で[[望厦条約]]締結。フランスと清で[[黄埔条約]]締結。<br /> ** オランダ国王[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]が徳川幕府に[[開国]]を勧告。<br /> ** [[ドミニカ共和国]]が独立。<br /> [[ファイル:Ireland_population_change_1841_1851.png|right|thumb|200px|[[ジャガイモ飢饉]]。連合王国に併合されたアイルランドでは、その弊害としてイギリスに住む不在地主の搾取により大飢饉が発生し人口が激減した(1841年 - 1851年)。]]<br /> * [[1845年]]<br /> ** ヨーロッパで[[ジャガイモ飢饉]]。特にアイルランドで深刻な被害( - [[1849年]])。<br /> ** アメリカ合衆国が[[テキサス共和国]]を併合。[[ジョン・オサリバン]]が「[[マニフェスト・デスティニー]]」の語でこの併合を鼓舞する。<br /> * [[1846年]]<br /> ** [[ロバート・ピール|ピール]]内閣が[[穀物法]]を廃止し、イギリスの[[自由主義]]貿易が確立する([[1815年]] - )。<br /> ** [[テキサス州|テキサス]]の帰属をめぐり[[米墨戦争]]が起こる( - 1848年)。<br /> ** 仁孝天皇が没し、第121代[[孝明天皇]]が即位。<br /> ** [[クラクフ蜂起]]。<br /> * [[1847年]]<br /> ** [[スイス]]で[[分離同盟戦争]]起こる。<br /> ** [[モルモン開拓者]]が[[ソルトレイクシティ]]の建設を始める。<br /> ** [[リベリア]]が[[アメリカ合衆国]]から独立。<br /> ** ボリビアがスペインから正式に独立。<br /> ** [[京都御所]]に[[学習院 (幕末維新期)|学習所]]が開講される(後の[[学習院大学]])。<br /> [[ファイル:Maerz1848 berlin.jpg|right|250px|thumb|[[諸国民の春]]。1848年のベルリンにおける三月革命。同時期にウィーンでも革命が起こり宰相メッテルニヒはイギリスに亡命しウィーン体制は崩壊した。]]<br /> * [[1848年]] <br /> ** [[1848年革命|諸国民の春]]。<br /> *** [[フランス二月革命]]。<br /> **** 国王[[ルイ・フィリップ]]が亡命し[[七月王政]]崩壊。[[フランス第二共和政|第二共和政]]成立。<br /> **** 第二共和政政府の内紛から[[六月蜂起|六月暴動]]発生。国民投票で[[ナポレオン3世|ルイ・ナポレオン]]が大統領になる。<br /> *** ドイツ・オーストリア[[三月革命]]。<br /> **** ウィーンから[[メッテルニヒ]]がイギリスに亡命し、[[ウィーン体制]]が崩壊する。<br /> **** [[フランクフルト国民議会]]が招集される( - 1849年)。<br /> **** [[フランティシェク・パラツキー|パラツキー]]のチェコ独立運動、[[コシュート・ラヨシュ|コシュート]]のハンガリー独立運動など起こる。<br /> **** [[オーストリア帝国]]皇帝[[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]が退位。[[フランツ・ヨーゼフ1世]]が即位。<br /> *** [[サルデーニャ]]王[[カルロ・アルベルト]]のイタリア統一運動が起こる。<br /> ** [[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争#第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争]]。<br /> ** [[カール・マルクス|マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]が「[[共産党宣言]]」を発表<br /> ** 米墨戦争終結に伴う[[グアダルーペ・イダルゴ条約]]。<br /> *** [[メキシコ]]はアメリカ合衆国に[[カリフォルニア]]・[[ネバダ]]・[[ユタ]]・[[ニューメキシコ]]その他の[[メキシコ割譲地|領土]]を割譲。<br /> *** アメリカ合衆国領となった[[カリフォルニア]]で金鉱発見([[カリフォルニア・ゴールドラッシュ]])。<br /> ** イランで[[バーブ教徒の乱]]( - [[1850年]])。<br /> * [[1849年]]<br /> ** 「諸国民の春」の退潮。<br /> *** [[ジュゼッペ・マッツィーニ|マッツィーニ]]らにより[[ローマ共和国 (19世紀)|ローマ共和国]]が樹立されるが、フランス軍により倒される。<br /> *** ノヴァーラの戦いでカルロ・アルベルトのイタリア統一運動がオーストリア軍に鎮圧される。<br /> *** [[ブダ]]と[[ペシュト]]が陥落し、コシュートらのハンガリー独立運動がロシア軍に鎮圧される(ヨーロッパの憲兵)。<br /> ** ロシアで[[ミハイル・ペトラシェフスキー|ペトラシェフスキー事件]]。<br /> ** 第2次シク戦争(1848年 - )でイギリスが勝利し、インド最後の反英勢力[[シク王国]]が滅亡。<br /> <br /> === 1850年代 ===<br /> [[ファイル:Crystal Palace interior.jpg|right|thumb|250px|第一回[[万国博覧会]]。ロンドンで行われガラスと鋼鉄でできた[[水晶宮]]が話題となった。]]<br /> [[ファイル:Nightingale receiving the Wounded at Scutari by Jerry Barrett.jpg|right|250px|thumb|白衣の天使。イスタンブール近郊のスクタリにて[[クリミア戦争]]での負傷兵を見舞う[[フローレンス・ナイチンゲール]]。]]<br /> [[ファイル:Ceremonial hall Dolmabahce March 2008 pano2b.jpg|thumb|right|200px|オスマン帝国の改革。クリミア戦争を乗り切ったオスマン帝国は[[アブデュルメジト1世]]のもと大胆な近代化に取り組んだ。かつてのトプカプ宮殿から西欧化された[[ドルマバフチェ宮殿]]への移動もその流れの一つである。画像はこの宮殿の「儀式の間」。]]<br /> [[ファイル:Gustave Caillebotte - Jour de pluie à Paris.jpg|right|thumb|250px|パリ大改造。ナポレオン3世により生まれ変わったパリは近代都市計画の模範となった。画像は[[ギュスターヴ・カイユボット|カイユボット]]の「パリの通り、雨の日」。]]<br /> [[ファイル:Визит Перри в 1854 году.jpg|thumb|right|250px|[[黒船来航]]。[[マシュー・ペリー|ペリー]]司令長官率いるアメリカ[[東インド艦隊]]の出現は200年以上続いた日本の「泰平の世」を揺るがした。画像は1854年に再び日本を訪れて[[横浜]]に上陸したペリー一行を描いたもの。]]<br /> {{main|1850年代}}<br /> * [[1850年]]<br /> ** [[オルミュッツ協定]](オルミュッツの屈辱)。<br /> ** [[バーブ教]]開祖[[セイイェド・アリー・モハンマド]](バーブ)がイラン政府に銃殺される。<br /> ** [[清]]で[[太平天国の乱]](- 1864年)。<br /> ** 清の[[咸豊帝]]が第9代皇帝に即位。<br /> * [[1851年]] <br /> ** 世界初の[[国際博覧会|万国博覧会]]がロンドンで開催され、[[水晶宮]]が建設される。<br /> ** [[大戦争|ウルグアイ内戦]]が終結(1839年 - )。<br /> * [[1852年]] <br /> ** ルイ・ナポレオン([[ナポレオン3世]])がフランス皇帝に就任([[フランス第二帝政]])。<br /> ** [[カミッロ・カヴール|カヴール]]が[[サルデーニャ王国]]の首相となる。<br /> ** [[ハリエット・ビーチャー・ストウ]]『[[アンクル・トムの小屋]]』を発表。<br /> ** モンテネグロがオスマン帝国から事実上独立し、[[モンテネグロ公国]]が成立。<br /> * [[1853年]]<br /> ** [[クリミア戦争]](- 1856年)。<br /> ** セーヌ県知事[[ジョルジュ・オスマン|オスマン]]による[[パリ改造|パリ大改造]]始まる。<br /> ** [[徳川家定]]が江戸幕府第13代[[征夷大将軍|将軍]]となる。<br /> ** [[マシュー・ペリー|ペリー]]が[[浦賀]]に来航。[[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]が[[出島|長崎]]に入港。<br /> * [[1854年]] <br /> ** ペリーの再来航による[[日米和親条約]]締結(日本の[[開国]])。老中[[阿部正弘]]らによる[[安政の改革]]( - 1857年)。<br /> ** 日本で[[安政東海地震]]、[[安政南海地震]]。<br /> ** アメリカ合衆国で[[カンザス・ネブラスカ法]]の制定。<br /> * [[1855年]] <br /> ** [[国際博覧会|万国博覧会]]がパリで開催され、産業宮が建設される。<br /> ** [[タイ王国|タイ]]と[[イギリス]]でボーリング条約(英泰友好通商条約)締結。<br /> ** 日本で[[安政江戸地震]]。<br /> * [[1856年]] <br /> ** [[クリミア戦争]]講和のための[[パリ条約 (1856年)|パリ条約]]締結。<br /> ** 日本のアメリカ合衆国総領事として[[タウンゼント・ハリス|ハリス]]が着任。<br /> ** オスマン帝国の宮廷が[[トプカプ宮殿]]から[[ドルマバフチェ宮殿]]に移される。<br /> ** [[雲南省]]で[[杜文秀]]による回民反乱([[パンゼーの乱]])が起こる( - [[1873年]])。<br /> * [[1857年]] <br /> ** [[アロー戦争]](-1860年)。<br /> ** [[インド大反乱]](セポイの乱)。ムガル皇帝[[バハードゥル・シャー2世]]が擁立される。<br /> * [[1858年]]<br /> ** [[バハードゥル・シャー2世]]が廃位され[[ミャンマー]]に流刑。ムガル帝国滅亡。<br /> ** [[フェリーチェ・オルシーニ]]によるナポレオン3世暗殺未遂事件。<br /> ** [[清]]と[[イギリス]]・[[フランス]]が[[天津条約 (1858年)|天津条約]]を締結。<br /> ** [[井伊直弼]]が[[大老]]となり[[安政の大獄]]始まる。<br /> ** [[徳川家茂]]が江戸幕府第14代[[征夷大将軍|将軍]]となる。<br /> ** [[日米修好通商条約]]を含む[[安政五ヶ国条約]]が締結される。<br /> ** 安政5年の[[コレラ]]大流行。<br /> * [[1859年]]<br /> ** [[スエズ運河]]の建設はじまる( - 1869年)。<br /> ** [[イタリア統一戦争]]開始。<br /> ** [[ウェストミンスター宮殿]](イギリス国会議事堂)の大時計台[[ビッグ・ベン]]が完成。<br /> ** [[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]『[[種の起源]]』で[[進化論]]を発表。<br /> ** ハーパース・フェリーでの[[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]の反乱。<br /> ** オスマン帝国の属国だった[[ワラキア]]と[[モルダヴィア]]が統合し、[[ルーマニア公国]]が成立。<br /> <br /> === 1860年代 ===<br /> [[ファイル:Japanese Mission Sphinx.jpg|right|thumb|250px|エジプトのサムライたち。徳川幕府がフランスに派遣した[[横浜鎖港談判使節団]]の一行が[[スフィンクス]]像前で撮った写真。]]<br /> [[File:Regaining Jinling.jpg|thumb|right|250px|[[太平天国の乱]]の顛末。[[拝上帝会]]の[[洪秀全]]を天王とする宗教運動はやがて清朝を揺るがす大反乱へと発展した。画像は1864年の[[天京攻防戦]]で、この戦いで太平天国は清朝に殲滅されたのである。]]<br /> [[ファイル:Nanjing Jinling Arsenal 1865 built by Li Hongzhang.jpg|thumb|right|250px|同治中興。[[アロー戦争]]後に即位した[[同治帝]]の時代から清朝では[[洋務運動]]と呼ばれる近代化が進められた。画像は漢人官僚の[[李鴻章]]が1865年に[[南京]]に作らせた金陵機器製造局の写真。]]<br /> [[ファイル:Edouard Manet 022.jpg|right|thumb|250px|メキシコ出兵。この失敗により大西洋を越えたナポレオン3世の遠大な野望は潰え、彼自身の求心力の低下にもつながった。画像は[[エドゥアール・マネ]]の描いた「[[皇帝マキシミリアンの処刑|メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑]]」。]]<br /> [[ファイル:Taisehokan.jpg|thumb|right|220px|[[大政奉還]]。江戸幕府15代将軍[[徳川慶喜]]は倒幕運動の高まりの中で朝廷に政権を返上する決断を下した。画像は[[邨田丹陵]] の歴史画「大政奉還図([[聖徳記念絵画館]]蔵)」で[[京都]][[二条城]]に集まった慶喜と諸藩重臣たちが描かれている。]]<br /> [[ファイル:SuezCanalKantara.jpg|right|thumb|250px|[[スエズ運河]]開通。この運河によりヨーロッパからアジアへの航路は大幅に短縮された。]]<br /> [[ファイル:GoldenSpikev3.jpg|right|thumb|250px|[[最初の大陸横断鉄道]]。大西洋側と太平洋側から伸びた鉄路がプロモントリーサミットで結ばれた。写真はこの地での1869年5月10日の開通記念式典の模様。]]<br /> {{main|1860年代}}<br /> * [[1860年]] <br /> ** [[円明園]]が破壊略奪され、[[清]]と[[イギリス]]・[[フランス]]が[[北京条約]]を締結。<br /> ** [[ロシア]]も清と北京条約を結び[[沿海州]]を獲得、ここに[[ウラジオストク]]を建設。<br /> ** [[ジュゼッペ・ガリバルディ|ガリバルディ]]率いる[[千人隊]]が[[シチリア島]]に上陸し占領。<br /> *** 国王[[フランチェスコ2世 (両シチリア王)|フランチェスコ2世]]が逃亡し[[両シチリア王国]]滅亡。<br /> *** ガリバルディは占領した南イタリアをサルデーニャ王に献上する(テアーノの会見)。<br /> ** [[テトゥアン]]の会戦でスペインがモロッコのアラウィー朝に勝利。<br /> ** [[桜田門外の変]]で[[大老]][[井伊直弼]]が暗殺される。<br /> * [[1861年]]<br /> ** アメリカ合衆国で[[南北戦争]](- 1865年)。<br /> ** フランス・スペイン・イギリスの[[メキシコ出兵]]。<br /> *** [[メキシコ]]の[[ベニート・フアレス|ファレス]]政権の対外債務支払い停止宣言に対抗。<br /> ** [[イタリア王国]]成立。<br /> *** [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]が初代イタリア国王となる。初代首相カヴールはこの年に急逝。<br /> ** [[清]]の[[咸豊帝]]が死去。<br /> *** [[辛酉政変]](祺祥政変)で[[西太后]]が実権を握り[[粛順]]らが処刑される。<br /> *** 西太后の[[垂簾聴政]]のもと[[同治帝]]が第10代皇帝に即位。同治中興の始まり。<br /> ** [[ロシア]]皇帝[[アレクサンドル2世]]による農奴解放令。<br /> * [[1862年]]<br /> ** アメリカ合衆国大統領[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン]]の[[奴隷解放宣言]]。<br /> ** [[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]が[[プロイセン王国]]宰相に就任し「[[鉄血演説]]」を行う。<br /> ** 薩摩藩主の父[[島津久光]]の幕府への介入による[[文久の改革]]を行う。<br /> * [[1863年]]<br /> ** [[ポーランド]][[一月蜂起]]。<br /> ** [[赤十字国際委員会]]が創設される。<br /> ** 将軍家茂の上洛、[[新撰組]]の設置、[[八月十八日の政変]]、[[薩英戦争]]。<br /> * [[1864年]]<br /> ** 教皇[[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]の回勅「クワンタ・クラ」と「[[誤謬表]]」。<br /> ** [[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争#第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争]]。<br /> ** [[ロンドン]]にて[[第一インターナショナル]]が結成される( - 1876年)。<br /> ** [[三国同盟戦争]]( - [[1870年]])。<br /> ** [[下関戦争]]、[[禁門の変]]、[[一会桑政権]]成立、[[第一次長州征伐]]。<br /> * [[1865年]] <br /> ** [[南北戦争]]で[[南部連合]]首都[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]が陥落、南軍の[[ロバート・リー|リー]]将軍が降伏。<br /> ** [[リンカーン大統領暗殺事件]]。<br /> * [[1866年]]<br /> ** [[普墺戦争]]、オーストリアの敗北で[[ドイツ連邦]]崩壊。<br /> ** [[第二次長州征伐]]。[[徳川慶喜]]が江戸幕府第15代[[征夷大将軍|将軍]]となり、[[慶応の改革]]を行う。<br /> * [[1867年]]<br /> ** [[メキシコ]]皇帝[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]処刑。<br /> *** マクシミリアンはハプスブルク家の皇帝[[フランツ=ヨーゼフ1世]]の弟。<br /> ** [[オーストリア=ハンガリー帝国]]成立([[アウスグライヒ]])。<br /> ** ロンドン条約により[[ルクセンブルク]]が[[永世中立国]]とされる。<br /> ** [[カール・マルクス]]『[[資本論]]』第1巻刊行。<br /> ** [[ロシア]]が[[アラスカ]]をアメリカ合衆国に売却する。<br /> ** [[英領北アメリカ法]]。[[カナダ]]が植民地からイギリス最初の自治領に。<br /> ** [[南北戦争]]で敗北した[[南部]]諸州が再建法により軍政におかれる( - 1877年)。<br /> ** 孝明天皇が没し、第122代[[明治天皇]]が践祚。<br /> ** [[徳川慶喜]]が朝廷に[[大政奉還]]。[[坂本龍馬]]・[[中岡慎太郎]]暗殺される([[近江屋事件]])。<br /> ** [[キューバ]]がスペインからの独立を宣言([[第一次キューバ独立戦争|キューバ独立戦争]]開始)。<br /> * [[1868年]]<br /> ** [[明治維新]]。<br /> *** [[王政復古 (日本)|王政復古]]の大号令。新政府は王政復古を各国公使に通告。<br /> *** [[五箇条の御誓文]]。[[五榜の掲示]]。[[神仏分離|神仏分離令]]。<br /> *** 明治天皇即位式を上げる。改元し一世一代の制を定める。<br /> *** 江戸を[[東京]]と改称し、[[江戸城]]を[[皇居]]とし東京城と改称。<br /> ** [[戊辰戦争]]。<br /> *** [[鳥羽・伏見の戦い]]。[[徳川慶喜]]の蟄居。<br /> *** [[西郷隆盛]]と[[勝海舟]]の会談。[[江戸開城|江戸城開城]]。[[上野戦争]]。<br /> *** [[奥羽越列藩同盟]]と新政府軍の戦い。[[会津藩]]降伏。<br /> *** [[榎本武揚]]ら[[蝦夷地]]を占領、[[五稜郭]]を本営とする。<br /> ** [[タイ王国|タイ]]で国王[[ラーマ5世]](チュラーロンコーン)が即位し[[チャクリー改革]]が始まる。<br /> ** マグダラの戦いでエチオピアがイギリスに敗北し、エチオピア皇帝[[テオドロス2世 (エチオピア皇帝)|テオドロス2世]]が自殺。<br /> * [[1869年]]<br /> ** [[箱館戦争|箱舘戦争(五稜郭の戦い)]]で旧幕府軍が降伏。<br /> ** [[ピウス9世 (ローマ教皇)|教皇ピウス9世]]の召集で[[第1バチカン公会議|第1ヴァティカン公会議]]開催。<br /> ** [[スエズ運河]]が開通する。<br /> ** アメリカ合衆国で[[最初の大陸横断鉄道]]が開通する。<br /> <br /> === 1870年代 ===<br /> [[ファイル:Wernerprokla.jpg|thumb|right|250px|[[ドイツ帝国]]の成立。ドイツ皇帝の戴冠式は普仏戦争に敗れたフランスの[[ヴェルサイユ宮殿]]鏡の間で行われた。画像はアントン・フォン・ヴェルナーによるもの。]]<br /> [[ファイル:Adolph Menzel - Eisenwalzwerk - Google Art Project.jpg|thumb|right|250px|[[第二次産業革命]]。科学技術の発展とその組織化により動力に石油・電気が用いられるようになり、工業は大規模なものとなった。特に統一後のドイツの革新が世界を席巻した。画像はドイツ人画家[[アドルフ・フォン・メンツェル]]の「鉄圧延機工場」。]]<br /> [[ファイル:Berliner kongress.jpg|right|thumb|250px|[[ベルリン会議]]。[[露土戦争]]後のこの会議によって列強諸国による地域分割の原則が確定した。]]<br /> [[ファイル:Victoria Disraeli cartoon.jpg|thumb|right|180px|[[アラジン]]に扮した[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレーリ]]が、ヴィクトリア女王にイギリスの王冠とインドの皇帝冠を交換するよう迫る様子を描いた風刺画(1876年)。]]<br /> {{main|1870年代}}<br /> * [[1870年]]<br /> ** [[普仏戦争]]。<br /> *** [[セダンの戦い]]でナポレオン3世が捕虜となり、フランス第二帝政崩壊。<br /> *** 国防政府が戦争を継続する、[[フランス第三共和政]]の成立。<br /> ** イタリア王国による[[教皇領]]接収、[[ローマ]]遷都。「[[未回収のイタリア]]」を除く統一の完成。<br /> * [[1871年]]<br /> ** [[ドイツ帝国]]成立。<br /> *** 皇帝[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]の戴冠式が[[ヴェルサイユ宮殿]]鏡の間で行われる。<br /> *** フランスの敗北により[[アルザス=ロレーヌ]]の委譲を含む[[フランクフルト講和条約]]が結ばれる。<br /> ** [[パリ・コミューン]]事件。<br /> ** 日本で[[廃藩置県]]実施。[[岩倉使節団]]派遣。<br /> ** [[シカゴ大火]]。<br /> * [[1872年]] <br /> ** ドイツで[[イエズス会]]の活動が禁止され、[[ヴァティカン]]と断交する([[文化闘争]])。<br /> ** 日本で[[学制]]・[[徴兵令]]・[[グレゴリオ暦]]導入。[[汐留駅 (国鉄)|新橋]]-[[桜木町駅|横浜]]を[[鉄道]]が開通。[[福沢諭吉]]『[[学問のすゝめ]]』初版刊行。<br /> * [[1873年]]<br /> ** ウィーン証券取引所で株価が暴落。<br /> *** [[大不況 (1873年-1896年)|1873年の恐慌(「大不況」)]]が発生し全世界に広がる(-[[1896年]])。<br /> ** ブダとペシュトが公式に合併しハンガリーの首都[[ブダペシュト]](ブダペスト)が誕生する。<br /> ** [[ドイツ]]・[[オーストリア]]・[[ロシア]]の[[三帝同盟]]締結。<br /> ** 国王[[アマデオ1世]]退位により[[スペイン第一共和政]]成立。<br /> ** [[西郷隆盛]]・[[江藤新平]]・[[副島種臣]]ら[[征韓論]]に破れ下野([[明治六年政変]])。<br /> * [[1874年]]<br /> ** [[万国郵便連合]]の設置。<br /> ** [[イギリス東インド会社]]解散。<br /> ** 日本で[[板垣退助]]らにより[[民選議院設立建白書]]提出される。<br /> * [[1875年]]<br /> ** イギリス首相[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレーリ]]が[[スエズ運河]]を買収。<br /> ** ドイツで[[ドイツ社会主義労働者党]](後の[[ドイツ社会民主党]])が結成される。<br /> ** [[清]]の[[光緒帝]]が第11代皇帝に即位。<br /> ** [[樺太・千島交換条約]]。<br /> * [[1876年]] <br /> ** 大宰相[[ミドハト・パシャ]]らの起草による[[オスマン帝国憲法]](ミドハト憲法)を発布。<br /> ** [[コーカンド・ハン国]]がロシアに滅ぼされ領土に編入される。<br /> *** 中央アジアでは同じ頃[[ブハラ・ハン国]](1868年)と[[ヒヴァ・ハン国]](1873年)がロシアの保護国にされている。<br /> ** インド大飢饉( - 1878年)。<br /> ** [[神風連の乱]]、[[秋月の乱]]、[[萩の乱]]。<br /> ** 純血[[タスマニア]]・[[アボリジニ]]の最後の女性トルガニニが死亡し、この種族は絶滅。<br /> * [[1877年]]<br /> ** [[西南戦争]]。<br /> ** [[東京大学]]が創設される。<br /> ** [[露土戦争 (1877年-1878年)|露土戦争]]。<br /> ** イギリス領インド帝国成立。ヴィクトリア女王が[[インド皇帝|インド女帝]]兼任。{{仮リンク|デリー・ダルバール|en|Delhi Durbar}}開催。<br /> * [[1878年]] <br /> ** [[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]。<br /> *** ロシア優位の[[サン・ステファノ条約]]に代わりドイツ宰相ビスマルクが中心となり[[ベルリン条約 (1878年)|ベルリン条約]]を締結。<br /> *** [[セルビア]]・[[モンテネグロ]]・[[ルーマニア]]三国が正式に独立。[[大ブルガリア公国]]は当初の案より領土を縮小されたが自治を認められる。<br /> *** この会議以後、ヨーロッパ列強が弱小国を分割・植民地化する傾向が強まる([[帝国主義]]の時代)。<br /> ** ドイツで[[社会主義者鎮圧法]]を制定。<br /> ** [[紀尾井坂の変]]。[[竹橋事件]]。<br /> * [[1879年]]<br /> ** [[ズールー戦争]]の勝利でイギリスが[[ズールー王国]]を保護国化。<br /> ** [[チリ]]対[[ペルー]]・[[ボリビア]]で[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]が起こる。<br /> ** ローマ教皇レオ13世の回勅「エテルニ・パトリス」により[[新トマス主義]]の動きが高まる。<br /> <br /> === 1880年代 ===<br /> <br /> [[File:Attentat auf Zar Alexander II 1881 19Jh.jpg|thumb|right|250px|皇帝[[アレクサンドル2世]]の暗殺。[[農奴解放令]]を始めとする大改革に取り組んだアレクサンドル2世ではあったが、現状に不満を持つ急進派の標的とされあえなく絶命した。画像は[[サンクトペテルブルク]]での爆発による皇帝暗殺の様子を描いたもの。]]<br /> [[ファイル:Van Gogh - Portrait of Pere Tanguy 1887-8.JPG|right|thumb|200px|世界に広がる浮世絵。[[浮世絵]]はヨーロッパ諸国の[[ジャポニズム]](日本趣味)に影響を与えた。画像は1887年に描かれた[[フィンセント・ファン・ゴッホ]]の「[[タンギー爺さん]]」。]]<br /> [[ファイル:Neuschwanstein Castle LOC print.jpg|thumb|250px|ノイシュヴァンシュタイン城。プロイセンによるドイツ統一に屈服した[[バイエルン王国|バイエルン]]国王[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]による城。中世の君侯に憧れ次第に精神を病んでいった王の夢の城とされている。画像は1890年代の城の写真。]]<br /> [[ファイル:Statue of Liberty 7.jpg|right|thumb|180px|ニューヨークの自由の女神。アメリカ独立100周年を祝ってフランスからアメリカ合衆国に贈られた女神像。19世紀末までにはアメリカ合衆国は世界最大の工業国となり、新天地を求めた多くの移民がこの女神像を眺めつつ入国していった。]]<br /> [[ファイル:Kenpohapu-chikanobu.jpg|right|300px|thumb|大日本帝国憲法の発布。「憲法発布略図」[[楊洲周延]]画。]]<br /> {{main|1880年代}} <br /> * [[1880年]]<br /> ** ドイツの[[ケルン大聖堂]]が完成(1248年 - )。<br /> ** 日本で[[国会期成同盟]]結成。<br /> ** 第二次[[アフガン戦争]]。<br /> * [[1881年]] <br /> ** [[大隈重信]]が政府から追放される([[明治十四年の政変]])。[[国会開設の詔|国会開設の勅諭]]。自由党結成。<br /> ** ロシア皇帝[[アレクサンドル2世]]が暗殺される。<br /> * [[1882年]]<br /> ** [[日本銀行]]創立。<br /> ** [[ドイツ]]・[[オーストリア]]・[[イタリア]]の[[三国同盟 (1882年)|三国同盟]]締結。<br /> ** [[ジョン・ロックフェラー|ロックフェラー]]の[[スタンダード・オイル|スタンダード石油]]が[[トラスト]]を形成しアメリカ石油業界を独占する。<br /> ** [[ウラービー革命]]にイギリスが介入。[[アレクサンドリア砲撃|アレクサンドリアが砲撃され]]、エジプトはイギリスの保護国となる。<br /> * [[1883年]]<br /> ** [[オリエント急行]]([[パリ]]-[[イスタンブール]])開通。<br /> ** [[インドネシア]]の[[クラカタウ]]が大噴火([[火砕流]]・[[津波]]による死者36,417名の惨事)。<br /> * [[1884年]] <br /> ** [[清仏戦争]](-1885年)。<br /> ** [[ベルリン会議 (アフリカ分割)|ベルリン・コンゴ会議]](-1885年)により[[アフリカ分割]]の原則が定まる。<br /> ** イギリスとドイツでの[[ニューギニア島]]の分割が完了する<br /> * [[1885年]] <br /> ** 日本で内閣制度発足、[[伊藤博文]]総理就任(12月)。<br /> ** イギリス領インド帝国の[[ボンベイ]]で第1回[[インド国民会議]]が開催される。<br /> ** 大ブルガリア公国が[[東ルメリ自治州]]を併合。<br /> ** [[マフディー戦争|マフディーの反乱]]で[[ハルツーム]]の[[チャールズ・ゴードン|ゴードン]]らが虐殺される。<br /> * [[1886年]]<br /> ** [[バイエルン王国|バイエルン]]国王[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]が廃位され怪死を遂げる。<br /> ** フランスで[[ジョルジュ・ブーランジェ|ブーランジェ]]が陸相となる([[ブーランジェ将軍事件|ブーランジェ事件]] - 1889年)。<br /> ** [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク]]の[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]の除幕式。<br /> ** [[ジョージア州]][[アトランタ]]で[[コカコーラ]]発売。<br /> * [[1887年]] <br /> ** [[フランス領インドシナ]]の成立( - 1954年)。<br /> ** [[独露再保障条約]]締結。<br /> * [[1888年]] <br /> ** 日本で[[枢密院 (日本)|枢密院]]設置、[[市町村制]]公布。[[1888年の磐梯山噴火|磐梯山噴火]]。<br /> ** [[ロンドン]]で[[切り裂きジャック]]事件起こる。<br /> * [[1889年]] <br /> ** [[大日本帝国憲法]]発布(2月11日)、[[市町村制]]施行。<br /> ** [[パリ万国博覧会 (1889年)|第4回パリ万国博覧会]]開催。[[エッフェル塔]]の完成。<br /> ** [[パリ]]にて[[第二インターナショナル]]が結成される( - 1914年)。<br /> ** オーストリア皇太子[[ルドルフ (オーストリア皇太子)|ルドルフ]]謎の情死(マイヤーリンク事件)。<br /> ** ブラジル皇帝[[ペドロ2世 (ブラジル皇帝)|ペドロ2世]]廃位、ブラジルは共和政となる。<br /> <br /> === 1890年代 ===<br /> [[ファイル:Paul Gauguin 134.jpg|right|260px|thumb|ゴーギャンとタヒチ。フランスの[[ポスト印象主義]]の画家[[ゴーギャン]]は新天地を求めタヒチへ旅立った。タヒチは必ずしも楽園とばかりは言えずゴーギャンは無理解と貧困に苦しめられたがその画業は深められた。画像は「三人のタヒチ人」(スコットランド国立博物館蔵)。]]<br /> [[ファイル:Battle of the Yellow Sea by Korechika.jpg|right|300px|thumb|日清戦争。日本の勝利と清の敗北により東アジアの冊封体制は崩壊することになる。画像は[[小林清親]]の「於黄海我軍大捷 第一図」。]]<br /> [[ファイル:China imperialism cartoon.jpg|right|thumb|200px|中国分割に乗り出した列強諸国の諷刺画。]]<br /> [[ファイル:Poster Cinematographe Lumiere.jpg|right|thumb|250px|映画の誕生。フランス人の[[リュミエール兄弟]]によるこの発明はメディアの可能性を一挙に広げるものとなった。]]<br /> [[ファイル:Tassel House stairway.JPG|thumb|right|250px|[[アール・ヌーヴォー]]様式。[[世紀末]]には曲線を利用したフランス語で「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーが各地に拡がった。画像は[[ヴィクトール・オルタ]]の設計による[[ベルギー]]・[[ブリュッセル]]の[[タッセル邸]]の内部。]]<br /> {{main|1890年代}}<br /> * [[1890年]] <br /> ** 日本で第1回[[総選挙]]、第1回[[帝国議会]]、[[足尾鉱毒事件]]。<br /> ** [[エルトゥールル号遭難事件]]。<br /> ** ドイツ首相[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の引退、ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の親政始まる。<br /> ** [[ウンデット・ニーの虐殺]]。アメリカ合衆国の国勢調査局が「[[フロンティア]]の消滅」を宣言。<br /> ** [[セシル・ローズ]]が[[ケープ植民地|ケープ植民]]相となり、[[ローデシア]](現[[ザンビア]]・[[ジンバブエ]])を併合。<br /> ** [[ヘルゴランド=ザンジバル条約]]。<br /> * [[1891年]]<br /> ** 教皇[[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]の回勅「[[レールム・ノヴァールム]]」。<br /> ** ロシアで[[シベリア鉄道]]起工。<br /> ** イランでタバコ・ボイコット運動。<br /> ** [[大津事件]]でロシアの[[ニコライ2世|ニコライ皇太子]]負傷。<br /> * [[1892年]]<br /> ** アメリカ合衆国西部で{{仮リンク|ジョンソン郡戦争|en|Johnson County War}}。<br /> ** [[ピエール・ド・クーベルタン|クーベルタン男爵]]が[[近代オリンピック|オリンピック]]の復活を提唱。<br /> * [[1893年]] <br /> ** 女王[[リリウオカラニ]]が廃位され[[ハワイ王国]]滅亡(ハワイ革命)。<br /> ** [[パナマ運河疑獄]]で[[フェルディナン・ド・レセップス|レセップス]]らが有罪判決を受ける。<br /> ** 初の[[婦人参政権]]が[[ニュージーランド]]で成立。<br /> * [[1894年]] <br /> ** [[日清戦争]]( - 1895年)。<br /> ** [[露仏同盟]]締結。<br /> ** フランスで[[ドレフュス事件]]。<br /> ** フランス大統領[[マリー・フランソワ・サディ・カルノー|カルノー]]が暗殺される。<br /> * [[1895年]] <br /> ** 日本と清が[[下関条約]]締結。<br /> *** [[台湾]]・[[澎湖諸島]]が日本領となり、[[朝鮮]]が独立国となる。<br /> *** 日本の[[遼東半島]]領有に反対する[[三国干渉]]を招く。<br /> ** 西太后の隠居所である[[頤和園]]が完成する([[1884年]] - )。<br /> ** フランス人[[リュミエール兄弟]]により[[映画]]が始まる。<br /> * [[1896年]] <br /> ** [[明治三陸地震#巨大な津波|明治三陸大津波]](6月15日・M6.8)。<br /> ** ロシアでホドゥインカの惨劇。<br /> ** [[アテネオリンピック (1896年)|アテネ五輪]]開催(第1回[[夏季オリンピック]]大会)。<br /> ** [[アドワの戦い]]にて[[イタリア]]軍が[[エチオピア]]軍に大敗北。エチオピアは独立を死守する。<br /> ** イランの君主[[ナーセロッディーン・シャー]]が暗殺される。<br /> * [[1897年]]<br /> ** [[スイス]]の[[バーゼル]]にて第一回[[シオニスト会議]]が開かれる。<br /> ** [[朝鮮]]が国号を[[大韓帝国]]と改称する。<br /> ** 宮城沖[[地震]](2月20日・M7.9)。<br /> * [[1898年]]<br /> ** フランスの作家[[エミール・ゾラ|ゾラ]]が「[[我弾劾す]]」の公開状を発表する。<br /> ** オーストリア皇后[[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト]]が暗殺される。<br /> ** [[米西戦争]]。[[パリ条約 (1898年)|パリ条約]]でアメリカ合衆国は[[フィリピン]]・[[グァム島]]・[[プエルトリコ]]を獲得。<br /> ** [[ファショダ事件]]。<br /> ** [[清]]で[[康有為]]らの[[戊戌の変法]]が行われるが、西太后ら保守派の[[戊戌の政変]]で倒される(百日維新)。<br /> ** 明治民法施行。<br /> * [[1899年]] <br /> ** 第1回[[万国平和会議]]がロシア皇帝[[ニコライ2世]]の提唱でオランダの[[ハーグ]]で開催される。<br /> ** [[ボーア戦争|第二次ボーア戦争]]。<br /> ** ドイツとアメリカ合衆国での[[サモア]]分割が完了する。<br /> ** [[フィリピン第一共和政]]が成立し、[[米比戦争]]が勃発する。<br /> <br /> === 1900年代 ===<br /> {{main|1900年代}}<br /> * [[1900年]]<br /> ** 清で[[義和団の乱]]。<br /> *** 清の西太后政府が義和団に与し、列強八カ国に宣戦布告。<br /> *** 北京は八カ国連合軍に占領され、西太后らは[[西安]]に蒙塵する。<br /> ** イタリア国王[[ウンベルト1世]]が暗殺される。<br /> ** [[カール・ラントシュタイナー]]が[[ABO式血液型]]を発見(翌年論文発表&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ただし、この時点ではA型、B型、C型の3つであるとされた。&lt;/ref&gt;)。<br /> ** [[マックス・プランク]]が[[エネルギー量子仮説]]を提唱、[[量子論]]の創始。<br /> ** [[ジークムント・フロイト|フロイト]]『[[夢判断]]』刊行。<br /> <br /> == 文化 ==<br /> === 文学 ===<br /> * [[ロマン主義]]文学<br /> * [[自然主義文学]]・写実主義文学<br /> * [[サイエンス・フィクション]]の成立<br /> * [[推理小説]]の成立<br /> <br /> === 音楽 ===<br /> [[File:Waltz1816 72.jpg|thumb|right|250px|ワルツを踊る人々]]<br /> *前世紀に引き続いて[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が活躍し、さらには[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]や[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]が登場するなど、[[ロマン派音楽]]が花開いた時代であった。[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]派と[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]派の激しい対立が起こったが、いずれもロマン派音楽に属する。<br /> * 「会議は踊る、されど進まず」の[[ウィーン会議]]を経て、ヨーロッパ中に[[ウィンナ・ワルツ]](これもロマン派音楽に属する)が広まったことから、19世紀は「ワルツの世紀」とも呼ばれる。ウィーンでは[[ヨーゼフ・ランナー]]と[[ヨハン・シュトラウス1世]]が「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争を繰り広げた。やがて「ワルツ王」[[ヨハン・シュトラウス2世]]がウィーンに、[[エミール・ワルトトイフェル|ワルトトイフェル]]がフランスに現れる。世紀末の1899年にシュトラウス2世が没し、同年にワルトトイフェルも引退して「ワルツの世紀」は事実上の終焉を迎えた。<br /> <br /> === 思想 ===<br /> * [[ロマン主義]]<br /> * [[社会主義]]運動<br /> * [[進化論]]<br /> * [[功利主義]]<br /> * [[実存主義]]<br /> * [[分析哲学]]<br /> * [[精神分析]]<br /> * [[プラグマティズム]]<br /> * [[世紀末]]思想<br /> <br /> === 科学 ===<br /> * 19世紀は制度としての科学が確立し、「科学の世紀」とも呼ばれる。科学が[[自然哲学]]から分離し、技術への応用が進展した。<br /> * [[物理学]] - [[古典物理学]]の体系化が進展し、電気、磁気、光、熱、重力など様々な現象を統一的に説明する理論へ発展した。<br /> ** [[熱力学]]<br /> ** [[電磁気学]]<br /> ** 近代[[原子論]]、[[原子物理学]]の確立<br /> * [[化学]] - 物理学により[[化学反応]]の中心原理となる[[原子]]と[[電子]]の相互作用が解明され、[[化学合成]]がはじまる。<br /> ** [[化学量論]]<br /> ** [[有機化学]]の確立<br /> * [[生物学]] - このころまでの生物学は[[博物学]]的側面が強かったが、[[生化学]]、[[進化論]]の確立により、大きなパラダイムシフトが発生した。<br /> ** [[進化論]]の確立、[[生態学]]の誕生<br /> ** [[細胞説]]の確立<br /> ** [[生化学]]<br /> ** [[微生物学]] - [[自然発生説]]の否定<br /> * [[天文学]]<br /> ** [[天体物理学]]<br /> ** [[分光法]]<br /> * [[数学]]<br /> ** [[非ユークリッド幾何学]]<br /> ** [[集合論]]<br /> <br /> === 技術 ===<br /> * [[写真]]、[[映画]]<br /> * [[蓄音機]]<br /> * [[蒸気機関]]の発達。[[トラクションエンジン]]、乗合[[バス (交通機関)|バス]]の登場と普及。<br /> * [[蒸気船]]、[[戦艦|装甲艦]]の発達<br /> * [[飛行船]]<br /> * 木材[[パルプ]]からの[[紙]]の大量生産。[[輪転機]]、[[ライノタイプ|鋳植機]]の登場により、大量の印刷物の発行が可能になり、[[マスメディア]]時代が幕を開けた。<br /> * [[歯車式計算機]]、[[タビュレーティングマシン]]<br /> * [[万国博覧会]]<br /> * [[鉄道の歴史|鉄道]]の敷設がはじまる。19世紀後半には敷設ラッシュに。<br /> * [[電気]]技術の発達。[[電信|電信機]]、[[電話機]]、[[モーター]]、[[発電機]]、配電設備、[[白熱電球]]の発明。[[電車]]の登場。<br /> * [[内燃機関]]の発明。ガソリンエンジン駆動の[[自動車]]が発明される。<br /> * 化学合成のはじまり。[[染料|合成染料]]、[[合成繊維]]の発明。[[アスピリン]]の合成。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === ヨーロッパ ===<br /> ==== 政治家・王族 ====<br /> [[ファイル:David napoleon.jpg|thumb|200px|right|ナポレオン・ボナパルト。画像は[[ジャック=ルイ・ダヴィッド|ダヴィッド]]「アルプス越えのナポレオン」。]]<br /> [[ファイル:Metternich by Lawrence.jpeg|right|thumb|200px|ウイーン体制の立役者であるオーストリア宰相[[メッテルニヒ]]。]]<br /> [[ファイル:Camillo Benso Cavour di Ciseri.jpg|right|thumb|200px|サルデーニャを中心としたイタリア統一を果たした宰相[[カヴール]]。]]<br /> [[ファイル:Gustave-Le-Gray Giuseppe-Garibaldi Palermo-1860 1-1000x1500.jpg|thumb|right|200px|イタリア独立戦争で両シチリア王国を屈服させた[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]。]]<br /> [[ファイル:BismarckundNapoleonIII.jpg|right|thumb|250px|ナポレオン3世(左)とビスマルク(右)。]]<br /> [[File:Wilhelm Gause Hofball in Wien.jpg|thumb|right|250px|1900年の[[ホーフブルク宮殿]]における宮廷舞踏会にて参加者に取り巻かれた[[オーストリア]]皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世]]。]]<br /> [[ファイル:Charles Darwin 1880.jpg|right|thumb|200px|『[[種の起源]]』で[[進化論]]を唱えた[[チャールズ・ダーウィン]]。]]<br /> [[ファイル:Emancipation proclamation.jpg|right|thumb|250px|閣僚に[[奴隷解放宣言]]の初稿を提示するアメリカ大統領[[エイブラハム・リンカーン]]。]]<br /> [[ファイル:Général Toussaint Louverture.jpg|thumb|right|200px|[[ハイチ]]の独立指導者[[トゥーサン・ルーヴェルチュール]]。]]<br /> [[ファイル:Frontispiece photograph from Hawaii&#039;s Story by Hawaii&#039;s Queen, Liliuokalani (1898).jpg|right|thumb|200px|ハワイ王国最後の女王[[リリウオカラニ]]。]]<br /> [[File:David Livingstone.jpg|thumb|right|200px|暗黒大陸と呼ばれていたアフリカで宣教活動を行い現地の探検を行った[[デイヴィッド・リヴィングストン]]。]]<br /> [[ファイル:Punch Rhodes Colossus.png|right|thumb|200px|アフリカを南北にまたぐ[[セシル・ローズ]]。]]<br /> [[ファイル:General Gordon&#039;s Last Stand.jpg|right|thumb|200px|[[ハルツーム]]の戦いで[[マフディー戦争|マフディー軍]]に包囲される[[チャールズ・ジョージ・ゴードン|ゴードン将軍]]。]]<br /> [[ファイル:Menelik II.gif|right|thumb|200px|エチオピア皇帝の正装をした[[メネリク2世]]。]]<br /> [[File:Abd-EL-Kader-And-Napoleon-III.jpg|thumb|right|250px|ナポレオン3世と会見する「[[アルジェリア]]民族運動の父」[[アブド・アルカーディル]]。]]<br /> [[ファイル:ModernEgypt, Muhammad Ali by Auguste Couder, BAP 17996.jpg|right|thumb|200px|エジプトの近代化を推進した[[ムハンマド・アリー]]。]]<br /> [[ファイル:Sultan Abdülmecid - Google Art Project.jpg|right|thumb|200px|[[ギュルハネ勅令]]を出して[[恩恵改革]](タンジマート)を行い[[ドルマバフチェ宮殿]]を建設させたオスマン帝国の[[アブデュルメジト1世]]。]]<br /> [[ファイル:Portrait of Bahadur Shah II as calligrapher. Delhi, ca. 1850, Royal Ontario Museum, Toronto. - копия.jpg|right|thumb|200px|[[インド大反乱]]で担ぎ上げられたものの廃位されミャンマーに流された最後のムガル皇帝[[バハードゥル・シャー2世]]。]]<br /> [[ファイル:Chulalongkorn LoC.jpg|right|thumb|200px|[[チャクリー改革]]を行いタイ王国の独立を維持した[[ラーマ5世]](チュラーロンコーン)。]]<br /> [[ファイル:George Francis Joseph - Sir Thomas Stamford Bingley Raffles.jpg|right|thumb|200px|マレー半島南端に[[シンガポール]]を開港したイギリス人の[[トーマス・ラッフルズ]]。]]<br /> [[File:Jose rizal 01.jpg|thumb|right|200px|フィリピンの独立のためにスペイン植民地政府に銃殺された[[ホセ・リサール]]。]]<br /> [[ファイル:The Ci-Xi Imperial Dowager Empress (5).JPG|right|thumb|200px|清朝末期の政局を左右した[[西太后]](慈禧太后)。]]<br /> <br /> ===== フランス =====<br /> * [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]](在位[[1804年]] - [[1814年]]、[[1815年]]) - [[フランス]]皇帝<br /> * [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]](在位[[1814年]] - [[1824年]]) - フランス国王<br /> * [[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]](在位[[1824年]] - [[1830年]]) - フランス国王<br /> * [[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ1世]](在位[[1830年]] - [[1848年]]) - フランス国王<br /> * [[ナポレオン3世]](在位[[1852年]] - [[1870年]]) - フランス皇帝<br /> * [[シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール]]([[1754年]] - [[1838年]]) - フランス外相<br /> * [[ジョゼフ・フーシェ]]([[1759年]] - [[1820年]]) - フランス内相<br /> * [[フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー]]([[1787年]] - [[1874年]]) - フランス首相<br /> * [[アドルフ・ティエール]]([[1797年]] - [[1877年]]) - フランス首相・大統領<br /> * [[ルイ=ウジェーヌ・カヴェニャック|ルイ・ウジェーヌ・カヴェニャック]]([[1802年]] - [[1857年]]) - フランス陸相・行政長官<br /> * [[ジョルジュ・ブーランジェ]]([[1837年]] - [[1891年]]) - フランス国防相<br /> * [[レオン・ガンベタ|レオン・ガンベッタ]]([[1838年]] - [[1882年]]) - フランス内相<br /> <br /> ===== オーストリア=ハンガリー =====<br /> * [[フランツ2世|フランツ1世]](在位[[1804年]] - [[1835年]]) - オーストリア皇帝<br /> * [[フランツ・ヨーゼフ1世]](在位[[1848年]] - [[1916年]]) - オーストリア=ハンガリー皇帝<br /> * [[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト]]([[1837年]] - [[1898年]]) - オーストリア=ハンガリー皇后<br /> * [[クレメンス・メッテルニヒ]]([[1773年]] - [[1859年]]) - オーストリア宰相<br /> * [[アンドラーシ・ジュラ]]([[1823年]] - [[1890年]]) - 二重帝国(ハンガリー王国)の初代首相<br /> * [[フランティシェク・パラツキー]]([[1798年]] - [[1876年]]) - チェコの政治家・歴史家<br /> * [[コシュート・ラヨシュ]]([[1802年]] - [[1894年]]) - ハンガリーの革命家<br /> <br /> ===== ロシア =====<br /> * [[アレクサンドル1世]](在位[[1801年]] - [[1825年]]) - ロシア皇帝<br /> * [[ニコライ1世]](在位[[1825年]] - [[1855年]]) - ロシア皇帝<br /> * [[アレクサンドル2世]](在位[[1855年]] - [[1881年]]) - ロシア皇帝<br /> * [[ニコライ・レザノフ]]([[1764年]] - [[1807年]]) - ロシア外交官<br /> * [[カール・ロベルト・ネッセルローデ]]([[1780年]] - [[1862年]]) - ロシア外相 <br /> * [[アレクサンドル・ゴルチャコフ]]([[1798年]] - [[1883年]]) - ロシア外相<br /> <br /> ===== イギリス =====<br /> * [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]](在位[[1837年]] - [[1901年]]) - [[イギリス]]女王<br /> * [[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|アルバート]]([[1819年]] - [[1861年]]) - 女王ヴィクトリアの夫君<br /> * [[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)|グレイ伯爵チャールズ・グレイ]]([[1764年]] - [[1845年]]) - イギリス首相<br /> * [[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー]]([[1769年]] - [[1852年]]) - イギリス首相・元帥<br /> * [[ロバート・ステュアート (カスルリー子爵)|カスルリー子爵ロバート・ステュアート]]([[1769年]] - [[1822年]]) - イギリス外相<br /> * [[ジョージ・カニング]]([[1770年]] - [[1827年]]) - イギリス外相<br /> * [[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル]]([[1784年]] - [[1865年]]) - イギリス首相・外相<br /> * [[ベンジャミン・ディズレーリ]]([[1804年]] - [[1881年]]) - イギリス首相<br /> * [[ウィリアム・グラッドストン]]([[1809年]] - [[1898年]]) - イギリス首相<br /> * [[ウィリアム・ウィルバーフォース]]([[1759年]] - [[1833年]]) - イギリスの政治家・奴隷廃止主義者<br /> <br /> ===== ドイツ(プロイセンほかドイツ領邦を含む) =====<br /> * [[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]](在位[[1871年]] - [[1888年]]) - 初代ドイツ皇帝<br /> * [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](在位[[1888年]] - [[1918年]]) - 3代ドイツ皇帝<br /> * [[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]](在位[[1864年]] - [[1886年]]) - バイエルン国王<br /> * [[カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク]]([[1750年]] – [[1822年]]) - プロイセン王国宰相<br /> * [[ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン]]([[1757年]] - [[1831年]]) - プロイセン王国宰相<br /> * ゴットフリート・ルドルフ・カンプハウゼン([[1803年]] - [[1890年]]) - プロイセン王国宰相 <br /> * [[オットー・フォン・ビスマルク]]([[1815年]] - [[1898年]]) - 初代ドイツ帝国宰相<br /> * [[カール・カウツキー]]([[1854年]] - [[1938年]]) - ドイツ社会民主党の理論家([[教条主義]])<br /> * [[エドゥアルト・ベルンシュタイン]]([[1850年]] - [[1932年]]) - ドイツ社会民主党の理論家([[修正主義]])<br /> <br /> ===== 北欧 =====<br /> * [[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]](在位[[1818年]] - [[1844年]]) - [[スウェーデン]]王<br /> <br /> ===== イタリア =====<br /> * [[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]](在位[[1846年]] - [[1878年]]) - ローマ教皇<br /> * [[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]](在位[[1878年]] - [[1903年]]) - ローマ教皇 <br /> * [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]](在位[[1861年]] - [[1878年]]) - 初代イタリア国王<br /> * [[ジュゼッペ・マッツィーニ]]([[1805年]] - [[1872年]]) - イタリア統一運動家<br /> * [[ジュゼッペ・ガリバルディ]]([[1807年]] - [[1882年]]) - イタリア統一運動家<br /> * [[カミッロ・カヴール]]([[1810年]] - [[1861年]]) - イタリア首相<br /> <br /> ===== スペイン =====<br /> * [[ラファエル・デル・リエゴ]]([[1784年]] - [[1823年]]) - スペインの将軍・政治家<br /> <br /> ===== ベルギー =====<br /> * [[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]](在位[[1831年]] - [[1865年]]) - 初代ベルギー国王<br /> * [[レオポルド2世 (ベルギー王)|レオポルド2世]](在位[[1865年]] - [[1909年]]) - 第2代ベルギー国王<br /> <br /> ===== ギリシア =====<br /> * [[オソン1世]](在位[[1833年]] - [[1862年]]) - 初代ギリシア国王 <br /> * [[イオアニス・カポディストリアス]]([[1776年]] - [[1831年]]) - 初代ギリシア大統領・ロシアの外相でもあった<br /> <br /> ==== 軍人 ====<br /> * [[ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル]]([[1742年]] - [[1819年]])<br /> * [[ミハイル・クトゥーゾフ]]([[1745年]] - [[1813年]])<br /> * [[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]([[1758年]] - [[1805年]])<br /> * [[ヨーゼフ・ラデツキー]]([[1766年]] - [[1858年]]) <br /> * [[ミシェル・ネイ]]([[1769年]] - [[1815年]])<br /> * [[カール・フォン・クラウゼヴィッツ]]([[1780年]] - [[1831年]])<br /> * [[アルフレート1世・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ]]([[1787年]] - [[1862年]])<br /> * [[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ]]([[1800年]] - [[1891年]])<br /> <br /> ==== 実業家 ====<br /> * [[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド]]([[1777年]] - [[1836年]])<br /> * [[ジョージ・ハドソン]]([[1800年]] - [[1871年]])<br /> * [[トーマス・クック]]([[1808年]] - [[1892年]])<br /> * {{仮リンク|アリスティッド・ブシコー|en|Aristide_Boucicaut}}([[1810年]] - [[1877年]])<br /> * [[アルフレート・クルップ]]([[1812年]] - [[1887年]])<br /> * [[ポール・ジュリアス・ロイター]]([[1816年]] - [[1899年]])<br /> * [[アンドリュー・カーネギー]]([[1835年]] - [[1919年]])<br /> * [[ジョン・モルガン]]([[1837年]] - [[1913年]])<br /> * [[ジョン・ロックフェラー]]([[1839年]] - [[1937年]])<br /> * [[エドワード・ヘンリー・ハリマン]]([[1848年]] - [[1909年]])<br /> * [[バジル・ザハロフ]]([[1849年]] - [[1936年]])<br /> <br /> ==== 科学と技術 ====<br /> * [[ジャン=バティスト・ラマルク|ジャン・バティスト・ラマルク]]([[1744年]] - [[1829年]])<br /> * [[ジョン・ドルトン]]([[1766年]] - [[1844年]])<br /> * [[ジョルジュ・キュヴィエ]]([[1769年]] - [[1832年]])<br /> * [[アレクサンダー・フォン・フンボルト]]([[1769年]] - [[1859年]])<br /> * [[リチャード・トレビシック]]([[1771年]] - [[1833年]])<br /> * [[ロバート・ブラウン]]([[1773年]] - [[1858年]])<br /> * [[トマス・ヤング]]([[1773年]] - [[1829年]])<br /> * [[アンドレ=マリ・アンペール|アンドレ・マリ・アンペール]]([[1775年]] - [[1836年]])<br /> * [[アメデオ・アヴォガドロ]]([[1776年]] - [[1856年]])<br /> * [[ヨハン・ヴィルヘルム・リッター]]([[1776年]] - [[1810年]])<br /> * [[カール・フリードリヒ・ガウス]]([[1777年]] - [[1855年]])<br /> * [[ゲオルク・オーム]]([[1789年]] - [[1854年]])<br /> * [[マイケル・ファラデー]]([[1791年]] - [[1867年]])<br /> * [[チャールズ・バベッジ]]([[1791年]] - [[1871年]])<br /> * [[ニコライ・ロバチェフスキー]]([[1792年]] - [[1856年]])<br /> * [[ニコラ・レオナール・サディ・カルノー]]([[1796年]] - [[1832年]])<br /> * [[ニールス・アーベル]]([[1802年]] - [[1829年]])<br /> * [[クリスチャン・ドップラー]]([[1803年]] - [[1853年]])<br /> * [[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]([[1803年]] - [[1873年]])<br /> * [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]([[1806年]] - [[1859年]])<br /> * [[チャールズ・ダーウィン]]([[1809年]] - [[1882年]])<br /> * [[エヴァリスト・ガロア]]([[1811年]] - [[1832年]])<br /> * [[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]]([[1812年]] - [[1910年]])<br /> * [[クロード・ベルナール]]([[1813年]] - [[1878年]])<br /> * [[ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー]]([[1814年]] - [[1878年]])<br /> * [[ジェームズ・プレスコット・ジュール]]([[1818年]] - [[1889年]])<br /> * [[レオン・フーコー]]([[1819年]] - [[1868年]])<br /> * [[アレクサンドル・エドモン・ベクレル]]([[1820年]] - [[1891年]])<br /> * [[ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー|ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョウ]]([[1821年]] - [[1902年]])<br /> * [[ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]([[1821年]] - [[1894年]])<br /> * [[ルイ・パスツール|ルイ・パストゥール]]([[1822年]] - [[1895年]])<br /> * [[グレゴール・ヨハン・メンデル]]([[1822年]] - [[1884年]])<br /> * [[ルドルフ・クラウジウス]]([[1822年]] - [[1888年]])<br /> * [[アルフレッド・ラッセル・ウォレス]]([[1823年]] - [[1913年]])<br /> * [[ジャン・アンリ・ファーブル]]([[1823年]] - [[1915年]])<br /> * ケルヴィン男爵[[ウィリアム・トムソン]]([[1824年]] - [[1907年]])<br /> * [[トマス・ヘンリー・ハクスリー]]([[1825年]] - [[1895年]])<br /> * [[ベルンハルト・リーマン]]([[1826年]] - [[1866年]])<br /> * [[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]([[1831年]] - [[1879年]])<br /> * [[リヒャルト・デーデキント]]([[1831年]] - [[1916年]])<br /> * [[ギュスターヴ・エッフェル]]([[1832年]] - [[1923年]])<br /> * [[アルフレッド・ノーベル]]([[1833年]] - [[1896年]])<br /> * [[ゴットリープ・ダイムラー]]([[1834年]] - [[1900年]])<br /> * [[エルンスト・ヘッケル]]([[1834年]] - [[1919年]])<br /> * [[ドミトリ・メンデレーエフ]]([[1834年]] - [[1907年]])<br /> * [[ロベルト・コッホ]]([[1843年]] - [[1910年]])<br /> * [[カール・ベンツ]]([[1844年]] - [[1929年]])<br /> * [[ルートヴィッヒ・ボルツマン]]([[1844年]] - [[1906年]])<br /> * [[ヴィルヘルム・レントゲン]]([[1845年]] – [[1923年]])<br /> * [[ゲオルク・カントール]]([[1845年]] - [[1918年]])<br /> * [[エミール・クレペリン]]([[1856年]] - [[1926年]])<br /> * [[ハヴロック・エリス]]([[1859年]] - [[1939年]])<br /> <br /> ==== 思想と哲学・人文諸学 ====<br /> * ヴィヴァン・ドミニク・ドゥノン([[1747年]] - [[1825年]])<br /> * [[ジェレミ・ベンサム]]([[1748年]] - [[1832年]])<br /> * [[ジョゼフ・ド・メーストル]]([[1753年]] - [[1821年]])<br /> * [[ルイ・ガブリエル・ド・ボナール]]([[1754年]] - [[1840年]])<br /> * [[アンリ・ド・サン=シモン|アンリ・ド・サン・シモン]]([[1760年]] - [[1825年]])<br /> * [[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]([[1762年]] - [[1814年]])<br /> * [[トマス・ロバート・マルサス]]([[1766年]] - [[1834年]])<br /> * メーヌ・ド・ビラン([[1766年]] - [[1824年]])<br /> * [[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト]]([[1767年]] - [[1835年]])<br /> * [[フリードリヒ・シュライアマハー]]([[1768年]] - [[1834年]])<br /> * [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]([[1770年]] - [[1831年]])<br /> * [[ロバート・オウエン]]([[1771年]] - [[1858年]])<br /> * [[シャルル・フーリエ]]([[1772年]] - [[1837年]])<br /> * [[デヴィッド・リカード]]([[1772年]] - [[1823年]])<br /> * [[フリードリヒ・シェリング]]([[1775年]] - [[1854年]])<br /> * [[フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー]]([[1779年]] - [[1861年]])<br /> * [[フェリシテ・ド・ラムネー]]([[1782年]] - [[1854年]])<br /> * [[フリードリヒ・フレーベル]]([[1782年]] - [[1852年]])<br /> * エティエンヌ・カベ([[1788年]] - [[1856年]])<br /> * [[アルトゥル・ショーペンハウアー]]([[1788年]] - [[1860年]])<br /> * [[クリスチャン・ユルゲンセン・トムセン]]([[1788年]] - [[1865年]])<br /> * [[フリードリヒ・リスト]]([[1789年]] - [[1846年]])<br /> * [[ジャン=フランソワ・シャンポリオン|ジャン・フランソワ・シャンポリオン]]([[1790年]] - [[1832年]])<br /> * [[レオポルト・フォン・ランケ]]([[1795年]] - [[1886年]])<br /> * [[トーマス・カーライル]]([[1795年]] - [[1881年]])<br /> * [[オーギュスト・コント]] ([[1798年]] - [[1857年]])<br /> * [[ジュール・ミシュレ]]([[1798年]] - [[1874年]])<br /> * [[トーマス・マコーリー]]([[1800年]] - [[1859年]])<br /> * ジャン・ポール・ミーニュ([[1800年]] - [[1875年]])<br /> * [[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー]]([[1801年]] - [[1877年]])<br /> * ハリエット・マーティノー([[1802年]] - [[1876年]])<br /> * [[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]([[1804年]] - [[1872年]])<br /> * [[アレクシ・ド・トクヴィル]]([[1805年]] - [[1859年]])<br /> * [[ジョン・スチュアート・ミル]]([[1806年]] - [[1873年]])<br /> * [[マックス・シュティルナー]]([[1806年]] - [[1856年]])<br /> * [[ヨハン・グスタフ・ドロイゼン]]([[1808年]] - [[1884年]])<br /> * [[ピエール・ジョゼフ・プルードン]]([[1809年]] - [[1865年]])<br /> * [[ヴィッサリオン・ベリンスキー]]([[1811年]] - [[1848年]])<br /> * [[アレクサンドル・ゲルツェン]]([[1812年]] - [[1870年]])<br /> * [[サミュエル・スマイルズ]]([[1812年]] - [[1904年]])<br /> * [[セーレン・オービエ・キェルケゴール]]([[1813年]] - [[1855年]])<br /> * [[ミハイル・バクーニン]]([[1814年]] - [[1876年]])<br /> * [[J・J・バッハオーフェン|ヨハン・ヤコブ・バッハオーフェン]]([[1815年]] - [[1887年]])<br /> * [[テオドール・モムゼン]]([[1817年]] - [[1903年]])<br /> * [[カール・マルクス]]([[1818年]] - [[1883年]])<br /> * [[ヤーコプ・ブルクハルト]]([[1818年]] - [[1897年]])<br /> * [[ジョン・ラスキン]]([[1819年]] - [[1900年]])<br /> * [[ハーバート・スペンサー]]([[1820年]] - [[1903年]])<br /> * [[フリードリヒ・エンゲルス]]([[1820年]] - [[1895年]])<br /> * [[ハインリヒ・シュリーマン]]([[1822年]] - [[1890年]]) <br /> * [[エルネスト・ルナン]]([[1823年]] - [[1892年]])<br /> * [[フリードリヒ・マックス・ミュラー]]([[1823年]] - [[1900年]])<br /> * [[フェルディナント・ラッサール]]([[1825年]] - [[1864年]])<br /> * [[ジャン=マルタン・シャルコー|ジャン・マルタン・シャルコー]]([[1825年]] - [[1893年]])<br /> * [[ウォルター・バジョット]]([[1826年]] - [[1877年]])<br /> * [[ニコライ・チェルヌイシェフスキー]]([[1828年]] - [[1889年]])<br /> * [[エドワード・バーネット・タイラー]]([[1832年]] - [[1917年]])<br /> * [[ヴィルヘルム・ディルタイ]]([[1833年]] - [[1911年]])<br /> * [[ジョン・アクトン]]([[1834年]] - [[1902年]])<br /> * [[レオン・ワルラス]]([[1834年]] - [[1910年]])<br /> * [[ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ]]([[1835年]] - [[1882年]])<br /> * [[チェーザレ・ロンブローゾ]]([[1835年]] - [[1909年]])<br /> * フランツ・オーヴァーベック([[1837年]] - [[1905年]])<br /> * [[フランツ・ブレンターノ]]([[1838年]] - [[1917年]]) <br /> * [[エルンスト・マッハ]]([[1838年]] - [[1916年]])<br /> * [[カール・メンガー]]([[1840年]] - [[1921年]])<br /> * [[ギュスターヴ・ル・ボン]]([[1841年]] - [[1931年]])<br /> * [[アルフレッド・マーシャル]]([[1842年]] - [[1924年]])<br /> * [[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]([[1842年]] - [[1906年]])<br /> * [[ポール・ラファルグ]]([[1842年]] - [[1911年]])<br /> * [[ピョートル・クロポトキン]]([[1842年]] - [[1921年]])<br /> * [[ガブリエル・タルド]]([[1843年]] - [[1904年]])<br /> * [[リヒャルト・アヴェナリウス]]([[1843年]] - [[1896年]])<br /> * [[フリードリヒ・ニーチェ]]([[1844年]] - [[1900年]])<br /> * [[セルゲイ・ネチャーエフ]]([[1847年]] - [[1882年]])<br /> * [[ゴットロープ・フレーゲ]]([[1848年]] - [[1925年]])<br /> * [[ヴィルヘルム・ヴィンデルバント]]([[1848年]] - [[1915年]])<br /> * [[マックス・ノルダウ]]([[1849年]] - [[1923年]])<br /> * [[アーサー・エヴァンズ]]([[1851年]] - [[1941年]])<br /> * [[ゲオルグ・イェリネック]]([[1851年]] - [[1911年]])<br /> * [[ジェームズ・フレイザー]]([[1854年]] - [[1941年]])<br /> * [[カール・カウツキー]]([[1854年]] - [[1938年]])<br /> * [[フェルディナント・テンニース]]([[1855年]] - [[1936年]])<br /> * [[ゲオルク・ジンメル]]([[1858年]] - [[1918年]])<br /> * [[エミール・デュルケーム]]([[1858年]] - [[1917年]])<br /> * [[ルドヴィコ・ザメンホフ]]([[1859年]] - [[1917年]])<br /> * [[ピエール・ジャネ]]([[1859年]] - [[1947年]])<br /> * [[テオドール・ヘルツル]]([[1860年]] - [[1904年]])<br /> * [[ルー・アンドレアス・ザロメ]]([[1861年]] - [[1937年]])<br /> * [[ハインリヒ・リッケルト]]([[1863年]] - [[1936年]])<br /> <br /> ==== 宗教 ====<br /> * [[サロフのセラフィム]]([[1759年]] - [[1833年]])<br /> * ヤン・ローターン([[1785年]] - [[1853年]])<br /> * [[ジョン・ヘンリー・ニューマン]]([[1801年]] - [[1890年]])<br /> * [[ヨハネ・ボスコ]]([[1815年]] - [[1888年]])<br /> * [[ウィリアム・ブース]]([[1829年]] - [[1912年]]) <br /> * [[ベルナデット・スビルー]]([[1844年]] - [[1879年]])<br /> * [[リジューのテレーズ]]([[1873年]] - [[1897年]])<br /> <br /> ==== 文学 ====<br /> * ヤン・ポトツキ([[1761年]] - [[1815年]]) - ポーランドの作家 <br /> * [[アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール]]([[1766年]] - [[1817年]]) - フランスの作家<br /> * シュレーゲル兄弟<br /> ** [[アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル]]([[1767年]] - [[1845年]]) - ドイツの文学者<br /> ** [[フリードリヒ・シュレーゲル]]([[1772年]] - [[1829年]]) - ドイツの文学者<br /> * [[バンジャマン・コンスタン]]([[1767年]] - [[1830年]]) - スイス生まれの作家<br /> * [[フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン|フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン]]([[1768年]] - [[1848年]]) - フランスの作家<br /> * [[イヴァン・クルィロフ]]([[1769年]] - [[1844年]]) - ロシアの文学者・劇作家<br /> * [[ウィリアム・ワーズワース]]([[1770年]] - [[1850年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[ウォルター・スコット]]([[1771年]] - [[1832年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[サミュエル・テイラー・コールリッジ]]([[1772年]] - [[1834年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[チャールズ・ラム]]([[1775年]] - [[1834年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ジェーン・オースティン]]([[1775年]] - [[1817年]]) - イギリスの作家<br /> * [[E.T.A.ホフマン|エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン]]([[1776年]] - [[1822年]]) - ドイツの作家<br /> * [[スタンダール]]([[1783年]] - [[1842年]]) - フランスの作家<br /> * [[グリム|グリム兄弟]]<br /> ** [[ヤーコプ・グリム]]([[1785年]] - [[1863年]]) - ドイツの文学者<br /> ** [[ヴィルヘルム・グリム]]([[1786年]] - [[1859年]]) - ドイツの文学者<br /> * [[トマス・ド・クインシー]]([[1785年]] - [[1859年]]) - イギリスの評論家<br /> * [[アレッサンドロ・マンゾーニ]]([[1785年]] - [[1873年]]) - イタリアの詩人・作家<br /> * [[ジョージ・ゴードン・バイロン]]([[1788年]] - [[1824年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ]]([[1790年]] - [[1869年]]) - フランスの詩人<br /> * [[フランツ・グリルパルツァー]]([[1791年]] - [[1872年]]) - オーストリアの劇詩人<br /> * [[ジョン・キーツ]]([[1795年]] - [[1821年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[ハインリヒ・ハイネ]]([[1797年]] - [[1856年]]) - ドイツの詩人<br /> * [[メアリー・シェリー]]([[1797年]] - [[1851年]]) - イギリスの小説家<br /> * [[ジャコモ・レオパルディ]]([[1798年]] - [[1837年]]) - イタリアの詩人<br /> * [[アダム・ミツキェヴィチ]]([[1798年]] - [[1855年]]) - ポーランドの詩人<br /> * [[オノレ・ド・バルザック]]([[1799年]] - [[1850年]]) - フランスの作家<br /> * [[アレクサンドル・プーシキン]]([[1799年]] - [[1837年]]) - ロシアの詩人・作家<br /> * [[ヴィクトル・ユーゴー]]([[1802年]] - [[1885年]]) - フランスの作家<br /> * [[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]([[1802年]] - [[1870年]]) - フランスの作家<br /> * [[エリアス・リョンロート]]([[1802年]] - [[1884年]]) - フィンランドの著作家<br /> * [[プロスペル・メリメ]]([[1803年]] - [[1870年]]) - フランスの作家<br /> * [[ジョルジュ・サンド]]([[1804年]] - [[1876年]]) - フランスの作家<br /> * [[ウージェーヌ・シュー]]([[1804年]] - [[1857年]]) - フランスの作家<br /> * [[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]]([[1805年]] - [[1875年]]) - デンマークの作家<br /> * [[ジェラール・ド・ネルヴァル]]([[1808年]] - [[1855年]]) - フランスの詩人<br /> * [[ニコライ・ゴーゴリ]]([[1809年]] - [[1952年]]) - ロシアの作家<br /> * [[アルフレッド・テニスン]]([[1809年]] - [[1892年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[テオフィル・ゴーティエ]] ([[1811年]] - [[1872年]]) - フランスの作家<br /> * [[ウィリアム・メイクピース・サッカレー]]([[1811年]] - [[1863年]]) - イギリスの作家<br /> * [[チャールズ・ディケンズ]]([[1812年]] - [[1870年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ロバート・ブラウニング]]([[1812年]] - [[1889年]]) - イギリスの詩人<br /> * [[イワン・ゴンチャロフ]]([[1812年]] - [[1891年]]) - ロシアの作家<br /> * [[ブロンテ姉妹]]<br /> ** [[シャーロット・ブロンテ]]([[1816年]] - [[1855年]]) - イギリスの作家<br /> ** [[エミリー・ブロンテ]]([[1818年]] - [[1848年]]) - イギリスの作家<br /> ** [[アン・ブロンテ]]([[1820年]] - [[1849年]]) - イギリスの作家<br /> * [[アルテュール・ド・ゴビノー]]([[1816年]] - [[1882年]]) - フランスの作家<br /> * [[イワン・ツルゲーネフ]]([[1818年]] - [[1883年]]) - ロシアの作家<br /> * [[ジョージ・エリオット]]([[1819年]] - [[1880年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ギュスターヴ・フローベール]]([[1821年]] - [[1880年]]) - フランスの作家<br /> * [[シャルル・ボードレール]]([[1821年]] - [[1867年]]) - フランスの詩人<br /> * [[フョードル・ドストエフスキー]]([[1821年]] - [[1881年]]) - ロシアの作家<br /> * [[ゴンクール兄弟]]<br /> ** [[エドモン・ド・ゴンクール]]([[1822年]] - [[1896年]]) - フランスの作家・評論家<br /> ** [[ジュール・ド・ゴンクール]]([[1830年]] - [[1870年]]) - フランスの作家・評論家<br /> * [[アレクサンドル・デュマ・フィス]]([[1824年]] - [[1895年]]) - フランスの作家<br /> * [[ウィルキー・コリンズ]]([[1824年]] - [[1889年]]) - イギリスの作家<br /> * [[カルロ・コッローディ]]([[1826年]] - [[1890年]]) - イタリアの作家<br /> * [[ジュール・ヴェルヌ]]([[1828年]] - [[1905年]]) - フランスの作家<br /> * [[レフ・トルストイ]]([[1828年]] - [[1910年]]) - ロシアの作家<br /> * [[ヘンリック・イプセン]]([[1828年]] - [[1906年]]) - ノルウェーの作家<br /> * [[ルイス・キャロル]]([[1832年]] - [[1898年]]) - イギリスの作家<br /> * [[サミュエル・バトラー]]([[1835年]] - [[1902年]]) - イギリスの作家<br /> * [[レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ|レオポルト・フォン・ザッヘル・マゾッホ]]([[1836年]] - [[1895年]]) - オーストリアの作家<br /> * [[オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン]]([[1838年]] - [[1889年]]) - フランスの作家<br /> * [[ウォルター・ペイター]]([[1839年]] - [[1894年]]) - イギリスの作家<br /> * [[エミール・ゾラ]]([[1840年]] - [[1902年]]) - フランスの作家<br /> * [[トーマス・ハーディ]]([[1840年]] - [[1928年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ステファヌ・マラルメ]]([[1842年]] - [[1898年]]) - フランスの詩人<br /> * [[ポール・ヴェルレーヌ]]([[1844年]] - [[1896年]]) - フランスの詩人<br /> * [[エドモンド・デ・アミーチス]]([[1846年]] - [[1908年]]) - イタリアの作家<br /> * [[ロートレアモン伯爵]]([[1846年]] - [[1870年]]) - フランスの詩人<br /> * [[ブラム・ストーカー]]([[1847年]] - [[1912年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ジョリス=カルル・ユイスマンス|ジョリス・カルル・ユイスマンス]]([[1848年]] - [[1907年]]) - フランスの作家<br /> * [[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ]]([[1849年]] - [[1912年]]) - スウェーデンの作家<br /> * [[ギ・ド・モーパッサン]]([[1850年]] - [[1893年]]) - フランスの作家<br /> * [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]([[1850年]] - [[1894年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ピエール・ロティ]]([[1850年]] - [[1923年]]) - フランスの作家<br /> * [[アルチュール・ランボー]]([[1854年]] - [[1891年]]) - フランスの詩人<br /> * [[オスカー・ワイルド]]([[1854年]] - [[1900年]]) - イギリスの作家<br /> * [[アーサー・コナン・ドイル]]([[1859年]] - [[1930年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ハーバート・ジョージ・ウェルズ]]([[1866年]] - [[1946年]]) - イギリスの作家<br /> * [[ピエール・ルイス]]([[1870年]] - [[1925年]]) - フランスの詩人<br /> <br /> ==== 美術 ====<br /> * [[ジャック=ルイ・ダヴィッド|ジャック・ルイ・ダヴィッド]]([[1748年]] - [[1825年]]) - フランスの[[新古典主義]]の画家<br /> * [[ウィリアム・ブレイク]]([[1757年]] - [[1827年]]) - イギリスの[[ロマン主義]]の画家・詩人<br /> * [[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]]([[1774年]] - [[1840年]]) - ドイツのロマン主義の画家<br /> * [[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]]([[1775年]] - [[1851年]]) - イギリスの[[ロマン主義]]の画家<br /> * [[ジョン・コンスタブル]]([[1776年]] - [[1837年]]) - イギリスのロマン主義の画家<br /> * [[ドミニク・アングル]]([[1780年]] - [[1867年]]) - フランスの新古典主義の画家<br /> * [[テオドール・ジェリコー]]([[1791年]] - [[1824年]]) - フランスのロマン主義の画家<br /> * [[カミーユ・コロー]]([[1796年]] - [[1875年]]) - フランスの[[写実主義]]の画家<br /> * [[ウジェーヌ・ドラクロワ]]([[1798年]] - [[1863年]]) - フランスのロマン主義の画家<br /> * [[オノレ・ドーミエ]]([[1808年]] - [[1879年]]) - フランスの写実主義の画家<br /> * [[ジャン=フランソワ・ミレー|ジャン・フランソワ・ミレー]]([[1814年]] - [[1875年]]) - フランスの写実主義の画家<br /> * [[ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク]]([[1814年]] - [[1879年]]) - フランスの[[ゴシック・リヴァイヴァル]]の建築家<br /> * アドルフ・フォン・メンツェル([[1815年]] - [[1905年]]) - ドイツの写実主義の画家<br /> * [[ギュスターヴ・クールベ]]([[1819年]] - [[1877年]]) - フランスの写実主義の画家<br /> * [[ウィリアム・フリス]]([[1819年]] - [[1909年]]) - イギリスの[[ヴィクトリア朝]]絵画の画家<br /> * [[ナダール]]([[1820年]] - [[1910年]]) - フランスの写真家<br /> * [[ジャン=レオン・ジェローム|ジャン・レオン・ジェローム]]([[1824年]] - [[1904年]]) - フランスの[[アカデミズム]]の画家<br /> * [[ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ]]([[1824年]] - [[1898年]]) - フランスの[[象徴主義]]の画家<br /> * [[シャルル・ガルニエ]]([[1825年]] - [[1898年]]) - フランスの第二帝政様式の建築家<br /> * [[ギュスターヴ・モロー]]([[1826年]] - [[1898年]]) - フランスの象徴主義の画家<br /> * [[ウィリアム・ホルマン・ハント]]([[1827年]] - [[1910年]]) - イギリスの[[ラファエル前派]]の画家<br /> * [[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]([[1828年]] - [[1882年]]) - イギリスのラファエル前派の画家<br /> * [[ジョン・エヴァレット・ミレー]]([[1829年]] - [[1896年]]) - イギリスのラファエル前派の画家<br /> * [[フレデリック・レイトン]]([[1830年]] - [[1896年]]) - イギリスのヴィクトリア朝絵画の画家<br /> * [[カミーユ・ピサロ]]([[1830年]] - [[1903年]]) - フランスの[[印象主義]]の画家<br /> * [[エドゥアール・マネ]]([[1832年]] - [[1883年]]) - フランスの印象主義の画家<br /> * [[ギュスターヴ・ドレ]]([[1832年]]– [[1888年]]) - フランスの挿絵画家<br /> * [[エドワード・バーン=ジョーンズ|エドワード・バーン・ジョーンズ]]([[1833年]] - [[1898年]]) - イギリスのラファエル前派の画家<br /> * [[エドガー・ドガ]]([[1834年]] - [[1917年]]) - フランスの印象主義の画家<br /> * [[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー]]([[1834年]] - [[1903年]]) - アメリカ生まれの[[唯美主義]]の画家<br /> * [[ウィリアム・モリス]]([[1834年]] - [[1896年]]) - イギリスの装飾芸術家<br /> * [[フレデリク・バルトルディ]]([[1834年]] - [[1904年]]) - フランスの彫刻家<br /> * [[イワン・クラムスコイ]]([[1837年]] - [[1887年]]) - ロシアの写実主義([[移動派]])の画家<br /> * [[ポール・セザンヌ]]([[1839年]] - [[1906年]]) - フランスの[[ポスト印象主義]]の画家<br /> * [[クロード・モネ]]([[1840年]] - [[1926年]]) - フランスの印象主義の画家<br /> * [[オディロン・ルドン]]([[1840年]] - [[1916年]]) - フランスの象徴主義の画家<br /> * [[オーギュスト・ロダン]]([[1840年]] - [[1917年]]) - フランスの彫刻家<br /> * [[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ピエール・オーギュスト・ルノワール]]([[1841年]] - [[1919年]]) - フランスの印象主義の画家<br /> * [[イリヤ・レーピン]]([[1844年]] - [[1930年]]) - ロシアの写実主義(移動派)の画家<br /> * [[ポール・ゴーギャン]]([[1848年]] - [[1903年]]) - フランスのポスト印象主義の画家<br /> * [[ヴィクトル・ヴァスネツォフ]]([[1848年]] - [[1926年]]) - ロシアの写実主義(移動派)・象徴主義の画家<br /> * [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]([[1853年]] - [[1890年]]) - オランダの[[ポスト印象主義]]の画家<br /> * [[ジョン・シンガー・サージェント]]([[1856年]] - [[1925年]]) - アメリカ出身でイギリスで活躍した肖像画家<br /> * [[ジョルジュ・スーラ]]([[1859年]] - [[1891年]]) - フランスの[[新印象派|新印象主義]]の画家<br /> * [[グスタフ・クリムト]]([[1862年]] - [[1918年]]) - オーストリアの象徴主義の画家<br /> * [[エドヴァルド・ムンク]]([[1863年]] - [[1944年]]) - ノルウェーの[[表現主義]]の画家<br /> * [[ポール・シニャック]]([[1863年]] - [[1935年]]) - フランスの新印象派の画家<br /> * [[アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック|アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック]]([[1864年]] - [[1901年]]) - フランスの[[世紀末芸術]]の画家<br /> * [[カミーユ・クローデル]]([[1864年]] - [[1943年]]) - フランスの彫刻家<br /> * [[オーブリー・ビアズリー]]([[1872年]] - [[1898年]]) - イギリスの[[世紀末芸術]]の画家<br /> <br /> ==== 音楽 ====<br /> * [[ルイージ・ケルビーニ]]([[1760年]] - [[1842年]]) - イタリア出身の作曲家<br /> * [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]([[1770年]] - [[1827年]]) - ドイツの作曲家<br /> * [[ニコロ・パガニーニ]]([[1782年]] - [[1840年]]) - イタリアのヴァイオリニスト<br /> * [[ジョアキーノ・ロッシーニ]]([[1792年]] - [[1868年]]) - イタリアの作曲家<br /> * [[フランツ・シューベルト]]([[1797年]] - [[1828年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ]]([[1801年]] - [[1835年]]) - イタリアの作曲家<br /> * [[ヨーゼフ・ランナー]]([[1801年]] - [[1843年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[ヨハン・シュトラウス1世]]([[1804年]] - [[1849年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[フェリックス・メンデルスゾーン]]([[1809年]] - [[1847年]]) - ドイツの作曲家<br /> * [[フランツ・リスト]]([[1811年]] - [[1886年]]) - ハンガリーの作曲家<br /> * [[ロベルト・シューマン]]([[1810年]] - [[1856年]]) - ドイツの作曲家<br /> * [[フレデリック・ショパン]]([[1810年]]? - [[1849年]]) - ポーランドの作曲家<br /> * [[リヒャルト・ワーグナー]]([[1813年]] - [[1883年]]) - ドイツの作曲家<br /> * [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]([[1813年]] - [[1901年]]) - イタリアの作曲家<br /> * [[ジャック・オッフェンバック]]([[1819年]] - [[1880年]]) - ドイツ出身の作曲家<br /> * [[アントン・ブルックナー]]([[1824年]] - [[1896年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[ベドルジハ・スメタナ]]([[1824年]] - [[1884年]]) - チェコの作曲家 <br /> * [[ヨハン・シュトラウス2世]]([[1825年]] - [[1899年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[ヨーゼフ・シュトラウス]]([[1827年]] - [[1870年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[ヨハネス・ブラームス]]([[1833年]] - [[1897年]]) - ドイツの作曲家<br /> * [[エドゥアルト・シュトラウス1世]]([[1835年]] - [[1916年]]) - オーストリアの作曲家<br /> * [[カミーユ・サン=サーンス|カミーユ・サン・サーンス]]([[1835年]] - [[1921年]]) - フランスの作曲家<br /> * [[エミール・ワルトトイフェル]]([[1837年]] - [[1915年]]) - フランスの作曲家<br /> * [[ジョルジュ・ビゼー]]([[1838年]] - [[1875年]]) - フランスの作曲家<br /> * [[モデスト・ムソルグスキー]]([[1839年]] - [[1881年]]) - ロシアの作曲家<br /> * [[ピョートル・チャイコフスキー]]([[1840年]] - [[1893年]]) - ロシアの作曲家<br /> * [[アントニン・ドヴォルザーク]]([[1841年]] - [[1904年]]) - チェコの作曲家<br /> * [[エドヴァルド・グリーグ]]([[1843年]] - [[1907年]]) - ノルウェーの作曲家<br /> * [[ニコライ・リムスキー=コルサコフ]]([[1844年]] - [[1908年]]) - ロシアの作曲家<br /> * [[パブロ・デ・サラサーテ]]([[1844年]] - [[1908年]]) - スペイン出身の作曲家<br /> * [[ガブリエル・フォーレ]]([[1845年]] - [[1924年]]) - フランスの作曲家<br /> * [[クロード・ドビュッシー]]([[1862年]] - [[1918年]]) - フランスの作曲家<br /> * [[ピエトロ・マスカーニ]]([[1863年]] - [[1945年]]) - イタリアの作曲家<br /> * [[ジャン・シベリウス]]([[1865年]] - [[1957年]]) - フィンランドの作曲家<br /> <br /> ==== 社会事業家 ====<br /> * [[フローレンス・ナイチンゲール]]([[1820年]] - [[1910年]]) - イギリスの看護師・社会事業家<br /> * [[アンリ・デュナン]]([[1828年]] - [[1910年]]) - スイスの社会事業家<br /> * [[ピエール・ド・クーベルタン]]([[1863年]] - [[1937年]]) - フランスの教育者・近代オリンピックの父<br /> <br /> ==== 探検家・旅行家 ====<br /> * [[アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン]]([[1770年]] - [[1846年]]) - エストニア出身のロシアの探検家<br /> * [[リチャード・フランシス・バートン]]([[1821年]] - [[1890年]]) - イギリスの探検家・軍人・外交官・翻訳家<br /> * [[イザベラ・バード]]([[1831年]] - [[1904年]]) - イギリスの旅行家<br /> * [[フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン]]([[1833年]] - [[1905年]]) - ドイツの地理学者・探検家<br /> * ニコライ・ミハイロヴィッチ・プルジェヴァルスキー([[1839年]] - [[1888年]]) - ロシアの探検家<br /> <br /> ==== 料理 ====<br /> * [[ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン|ジャン・アンテルム・ブリア・サヴァラン]]([[1755年]] - [[1826年]]) - フランスの美食家<br /> * {{仮リンク|グリモ・ドゥ・ラ・レニエール|en|Alexandre_Balthazar_Laurent_Grimod_de_La_Reynière}}([[1758年]] - [[1837年]]) - フランスの美食家<br /> * [[アントナン・カレーム]]([[1784年]] - [[1833年]]) - フランスの料理人<br /> <br /> ==== その他 ====<br /> * バルバラ・フォン・クリューデナー(クリュデネル夫人)([[1764年]] - [[1824年]]) - ロシアの予言者・神秘主義者<br /> * [[エマ・ハミルトン]]([[1765年]] - [[1815年]]) - イギリスのネルソン提督の愛人<br /> * [[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]([[1778年]] - [[1840年]]) - イギリスのファッションの権威・摂政皇太子[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ]]の友人<br /> * [[ピエール・フランソワ・ラスネール]]([[1800年]] - [[1836年]]) - フランスの犯罪者・詩人・その『自伝』でも有名<br /> * [[カスパー・ハウザー]]([[1812年]]? - [[1833年]]) - ドイツの身元不明の孤児・王族の落胤か<br /> * [[ローラ・モンテス]]([[1821年]] - [[1861年]]) - バイエルン国王ルートヴィヒ1世の愛人<br /> * [[ヘレナ・P・ブラヴァツキー|ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー]]([[1831年]] – [[1891年]]) - ロシア生まれの[[神智学協会]]の設立者<br /> * [[アルフレド・ドレフュス]]([[1859年]] - [[1935年]]) - フランスのユダヤ系の軍人・[[ドレフュス事件]]で冤罪となる<br /> <br /> === アングロアメリカ ===<br /> * [[トーマス・ジェファーソン]](任期[[1801年]] - [[1809年]]) - 第3代アメリカ大統領<br /> * [[ジェームズ・モンロー]](任期[[1817年]] - [[1825年]]) - 第5代アメリカ大統領 <br /> * [[アンドリュー・ジャクソン]](任期[[1829年]] - [[1837年]]) - 第7代アメリカ大統領<br /> * [[ジェームズ・ポーク]](任期[[1845年]] - [[1849年]]) - 第11代アメリカ大統領 <br /> * [[エイブラハム・リンカーン]](任期[[1861年]] - [[1865年]]) - 第16代アメリカ大統領<br /> * [[ユリシーズ・グラント]](任期[[1869年]] - [[1877年]]) - 第18代アメリカ大統領・北軍の軍司令官<br /> * [[ジェファーソン・デイヴィス]]([[1808年]] - [[1889年]]) - アメリカ連合国(分離した南部諸州)唯一の大統領<br /> * [[ロバート・E・リー|ロバート・エドワード・リー]]([[1807年]] - [[1870年]]) - アメリカの軍人・南軍の軍司令官<br /> * [[デイヴィッド・クロケット]]([[1786年]] - [[1836年]]) - アメリカの軍人・[[テキサス州|テキサス]]独立を支持し[[アラモの戦い]]で玉砕<br /> * [[アルフレッド・セイヤー・マハン]]([[1840年]] - [[1914年]]) - アメリカの軍人・歴史家・戦略研究者<br /> * [[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ジョン・ブラウン]]([[1800年]] - [[1859年]]) - アメリカの奴隷制度廃止運動家<br /> * [[フレデリック・ダグラス]]([[1818年]] - [[1895年]]) - アメリカの奴隷制度廃止運動家<br /> * [[ハリエット・タブマン]]([[1820年]]/[[1821年]] - [[1913年]]) - アメリカの奴隷制度廃止運動家<br /> * [[マイアー・グッゲンハイム]]([[1828年]] - [[1905年]]) - アメリカの事業家<br /> * [[アンドリュー・カーネギー]]([[1835年]] - [[1919年]]) - アメリカの事業家<br /> * [[ジョン・モルガン]]([[1837年]] - [[1913年]]) - アメリカの事業家<br /> * [[ジョン・ロックフェラー]]([[1839年]] - [[1937年]]) - アメリカの事業家<br /> * [[サミュエル・ゴンパーズ]]([[1850年]] - [[1924年]]) - アメリカの労働運動指導者<br /> * [[アレクサンダー・グラハム・ベル]]([[1847年]] - [[1922年]]) - アメリカの技術者<br /> * [[トーマス・エジソン]]([[1847年]] - [[1931年]]) - アメリカの技術者<br /> * [[チャールズ・サンダース・パース]]([[1839年]] - [[1914年]]) - アメリカの哲学者<br /> * [[ウィリアム・ジェームズ]]([[1842年]] - [[1910年]]) - アメリカの哲学者<br /> * [[ラルフ・ワルド・エマーソン]]([[1803年]] - [[1882年]]) - アメリカの思想家・作家<br /> * [[ナサニエル・ホーソーン]]([[1804年]] - [[1864年]]) - アメリカの作家<br /> * [[エドガー・アラン・ポー]]([[1809年]] - [[1849年]]) - アメリカの詩人・作家<br /> * [[ハリエット・ビーチャー・ストウ]]([[1811年]] - [[1896年]]) - アメリカの作家<br /> * [[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]([[1817年]] - [[1862年]]) - アメリカの思想家・作家<br /> * [[ウォルト・ホイットマン]]([[1819年]] - [[1892年]]) - アメリカの詩人 <br /> * [[ハーマン・メルヴィル]]([[1819年]] - [[1891年]]) - アメリカの作家<br /> * [[エミリー・ディキンソン]]([[1830年]] - [[1886年]]) - アメリカの詩人 <br /> * [[マーク・トウェイン]]([[1835年]] - [[1910年]]) - アメリカの作家<br /> * [[ライマン・フランク・ボーム]]([[1856年]] - [[1919年]]) - アメリカの作家<br /> * [[エドワード・マイブリッジ]]([[1830年]] - [[1904年]]) - アメリカの写真家<br /> * [[ルイス・カムフォート・ティファニー]]([[1848年]] - [[1933年]]) -アメリカの宝飾デザイナー <br /> * [[ルイス・サリヴァン]]([[1856年]] - [[1924年]]) - アメリカの建築家<br /> * [[スティーブン・コリンズ・フォスター]]([[1826年]] - [[1864年]]) - アメリカの作曲家・「アメリカ音楽の父」<br /> * [[ヘンリー・クレイ・ワーク]]([[1832年]] - [[1884年]]) - アメリカの作曲家<br /> * [[ジョセフ・スミス・ジュニア]]([[1805年]] - [[1844年]]) - アメリカの宗教家・[[末日聖徒イエス・キリスト教会|モルモン教]]の創始者<br /> * [[ブリガム・ヤング]]([[1801年]] - [[1877年]]) - アメリカの宗教家・モルモン教の指導者・[[ソルトレイクシティ]]を設立<br /> * [[チャールズ・テイズ・ラッセル]]([[1852年]] - [[1916年]]) - アメリカの宗教家・[[エホバの証人]]の創始者<br /> <br /> === ラテンアメリカ ===<br /> * [[トゥーサン・ルヴェルチュール]](? - [[1803年]]) - ハイチ独立運動指導者・黒人解放運動の先駆者・フランス政府に逮捕され獄死する<br /> * [[ミゲル・イダルゴ]]([[1753年]] - [[1811年]]) - メキシコ独立運動での初期の指導者・神父・独立闘争の途上処刑される・「メキシコ独立の父」<br /> * [[ホセ・デ・サン・マルティン]]([[1778年]] - [[1850年]]) - アルゼンチンの軍人・政治家・スペインからラテンアメリカ各国を独立させる<br /> * [[シモン・ボリバル]]([[1783年]] - [[1830年]]) - ベネズエラの軍人・政治家・スペインからのコロンビア共和国の独立を目指す<br /> * [[アグスティン・デ・イトゥルビデ|アグスティン1世]]([[1783年]] - [[1824年]]) - メキシコ独立運動指導者・政変でメキシコ皇帝(在位[[1822年]] - [[1823年]])となるが一年足らずで失脚<br /> * [[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]([[1793年]] - [[1877年]]) - アルゼンチンの政治家・連邦派から[[ブエノスアイレス州]]知事として独裁を行う<br /> * [[アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ]]([[1794年]] - [[1876年]]) - メキシコの政治家・軍人・「西半球のナポレオン」と呼ばれたが[[米墨戦争]]で敗北<br /> * [[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]([[1798年]] - [[1834年]]) - ポルトガル王位継承者・ブラジル帝国初代皇帝(在位[[1822年]] - [[1831年]])として独立<br /> * [[ベニート・フアレス]]([[1806年]] - [[1872年]]) - 先住民で最初のメキシコ大統領(在任[[1861年]] - [[1863年]]/[[1867年]] - [[1872年]])・「建国の父」<br /> * [[フランシスコ・ソラーノ・ロペス]]([[1826年]] - [[1870年]]) - [[パラグアイ]]の大統領・[[三国同盟戦争]]を指揮するが激戦で国土を消尽し戦死する<br /> * [[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン1世]]([[1832年]] - [[1867年]]) - ハプスブルク家出身のメキシコ皇帝(在位[[1864年]] - [[1867年]])・[[メキシコ出兵]]で処刑される<br /> <br /> === サハラ以南のアフリカ ===<br /> * {{仮リンク|エルハジ・ウマル・タール|en|El_Hadj_Umar_Tall}}([[1797年]]頃 - [[1864年]]頃) - 西アジアのトゥクロール帝国の創始者・フランスの支配に抵抗したが屈服<br /> * [[デイヴィッド・リヴィングストン]]([[1813年]] - [[1873年]]) - イギリスの探検家・宣教師・医師・「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカを調査<br /> * [[テオドロス2世 (エチオピア皇帝)|テオドロス2世]]([[1818年]] - [[1868年]]) - エチオピア皇帝(在位[[1855年]] - [[1868年]])・「ラス達の時代」を終わらせソロモン朝を中興<br /> * [[ポール・クリューガー]]([[1825年]] - [[1904年]]) - [[トランスヴァール共和国]]の大統領(在任[[1883年]] - [[1900年]])・[[第二次ボーア戦争]]で敗北<br /> * [[サモリ・トゥーレ]]([[1830年]]頃 - [[1900年]]) - 西アフリカのサモリ帝国の創始者・フランスの支配に抵抗したが屈服<br /> * [[チャールズ・ゴードン]]([[1833年]] - [[1885年]]) - イギリスの軍人・太平天国の乱では常勝軍を率いる・スーダンのマフディー軍に殺害される<br /> * [[ヘンリー・スタンリー]]([[1841年]] - [[1904年]]) - イギリスのジャーナリスト・探検家・リヴィングストンの捜索で知られる<br /> * [[ムハンマド・アフマド・アル=マフディー|ムハンマド・アフマド]]([[1844年]] - [[1885年]]) - スーダンの宗教指導者・マフディー(救世主)を名乗って反乱を起こす<br /> * [[メネリク2世]]([[1844年]] - [[1913年]]) - エチオピア皇帝(在位[[1889年]] - [[1913年]])・[[アドワの戦い]]でイタリアに勝利し独立を死守<br /> * [[セシル・ローズ]]([[1853年]] - [[1902年]]) - イギリスの政治家・ケープ植民地首相・縦断政策を進め「アフリカのナポレオン」と呼ばれる<br /> * {{仮リンク|ジャン・バティスト・マルシャン|en|Jean-Baptiste Marchand}}([[1863年]] - [[1934年]]) - フランスの軍人・横断政策でスーダンを探索しイギリス軍と対峙([[ファショダ事件]])<br /> <br /> === 西アジアと北アフリカ ===<br /> * [[アル・ジャバルティー]]([[1754年]] - [[1825年]]) - エジプトの歴史家・ナポレオンやムハンマド・アリーを記録した『アジャーイブ』で知られる<br /> * [[セリム3世]]([[1761年]] - [[1808年]]) - オスマン朝第28代皇帝(在位[[1789年]] - [[1807年]])・西洋式軍制の導入を図るが[[イェニチェリ]]軍団に廃位される<br /> * [[ムハンマド・アリー]]([[1769年]]? - [[1849年]]) - オスマン朝のエジプト総督・ムハンマド・アリー朝の創始者(在位[[1805年]] - [[1848年]])<br /> * [[アブラハム・コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン]]([[1779年]] - [[1851年]]) - オスマン朝の[[アルメニア人|アルメニア系]]外交官・歴史家として『モンゴル帝国史』を執筆<br /> * [[マフムト2世]]([[1785年]] - [[1839年]]) - オスマン朝第30代皇帝(在位[[1808年]] - [[1839年]])・[[アーヤーン]]を押さえイェニチェリ軍団の廃止に成功<br /> * [[ムスタファ・レシト・パシャ]]([[1800年]] - [[1858年]]) - オスマン朝の大宰相・[[ギュルハネ勅令]]を起草し[[タンジマート]]を推進・[[クリミア戦争]]にも対処<br /> * [[フェルディナン・レセップス]]([[1805年]] - [[1894年]]) - フランスの外交官・事業家・[[スエズ運河会社]]を設立し[[スエズ運河]]開削を成し遂げる<br /> * アフマド・ベイ([[1806年]] - [[1855年]]) - フサイン朝[[チュニジア]]の君主(在位[[1837年]] - [[1855年]])・フランスの援助で急速な近代化を進める<br /> * [[アブド・アルカーディル]]([[1807年]] - [[1883年]]) - フランスの[[アルジェリア侵略|アルジェリア遠征]]に抵抗した人物・アルジェリア民族運動の父とも評価される<br /> * [[アミール・キャビール]]([[1807年]] - [[1852年]]) - イランの大宰相・アターバク・軍制改革や官制改革に着手するも反発する保守派により暗殺される<br /> * ミールザー・ハサン・シーラージー([[1815年]] - [[1895年]]) - イランのシーア派の最高権威・[[タバコ・ボイコット運動]]を[[ウラマー]]として指揮<br /> * [[セイイェド・アリー・モハンマド]]([[1819年]] - [[1850年]]) - イランのシーア派の宗教改革者・後にバーブ教の開祖・預言者となる<br /> * [[バハーウッラー]]([[1817年]] - [[1892年]]) - セイイェド・アリー・モハンマドの弟子・バーブ教壊滅後に再建されたバハーイー教の教祖<br /> * [[ミドハト・パシャ]]([[1822年]] - [[1884年]]) - オスマン朝の大宰相(在任[[1876年]] - [[1878年]])・欧米以外で最初の[[ミドハト憲法]]を起草<br /> * [[アブデュルメジト1世]]([[1823年]] - [[1861年]]) - オスマン朝第31代皇帝(在位[[1839年]] - [[1861年]])・ギュルハネ勅令からタンジマートを推進<br /> * [[イスマーイール・パシャ]]([[1830年]] - [[1895年]]) - ムハンマド・アリー朝エジプトのヘディーヴ(在位[[1867年]] - [[1879年]])・[[スエズ運河]]を放出<br /> * [[ナーセロッディーン・シャー]]([[1831年]] - [[1896年]]) - ガージャール朝第4代シャー(在位[[1848年]] - [[1896年]])・列強に権益を譲渡し国内は混乱<br /> * [[ジャマールッディーン・アフガーニー]]([[1839年]] - [[1897年]]) - パン・イスラム主義を唱えた思想家・イラクやトルコ・エジプトを遍歴<br /> * アフメド・ウラービー([[1841年]] - [[1911年]]) - エジプトの陸軍大佐・列強の植民地支配とヘディーヴの支配に対し[[ウラービー革命]]を起こす<br /> * [[アブデュルハミト2世]]([[1842年]] - [[1918年]]) - オスマン朝第34代皇帝(在位[[1876年]] - [[1909年]])・露土戦争で憲法を停止し専制を行う<br /> * [[ムハンマド・アブドゥフ]]([[1849年]] - [[1905年]]) - エジプト出身の思想家・イスラム法学者・アフガーニーに共鳴し『固き絆』を刊行<br /> * [[ラシード・リダー]]([[1865年]] - [[1935年]]) - シリア出身の思想家・イスラム法学者・ムハンマド・アブドゥフの影響で『マナール(灯台)』を刊行<br /> <br /> === 南アジア ===<br /> * [[ラーム・モーハン・ローイ]]([[1772年]] - [[1833年]]) - インドの社会運動家・[[ブラフモ・サマージ]]を創設・[[寡婦殉死]]に反対する<br /> * [[バハードゥル・シャー2世]]([[1775年]] - [[1862年]]) - ムガル帝国最後の皇帝(在位:[[1837年]] - [[1858年]])・インド大反乱で敗北し廃位される<br /> * [[クンワル・シング]]([[1777年]] - [[1858年]]) - インド東部[[ビハール]]の領主・インド大反乱では80歳を超えて反乱軍を指揮したが戦死する<br /> * [[ランジート・シング]]([[1780年]] - [[1839年]]) - インド西北部の[[シク王国]]の君主(在位:[[1801年]] - [[1839年]])・王国に最盛期をもたらす<br /> * アイヤ・ヴァイクンダル([[1810年]]頃 - [[1851年]]頃) - インドの宗教家・新宗教[[アイヤーヴァリ]]の始祖となり南部タミル社会に影響を与えた<br /> * [[ジェイムズ・ラムゼイ (初代ダルハウジー侯爵)|ダルハウジー侯爵ジェイムズ・ラムゼイ]]([[1812年]] - [[1860年]]) - イギリス政府の第13代[[インド総督]]・「[[失権の原理]]」で藩王国の併合を推進<br /> * [[チャールズ・カニング (初代カニング伯爵)|チャールズ・カニング]]([[1812年]] - [[1862年]]) - イギリス政府の第14代インド総督・[[副王]]・インド大反乱後の処理を行い各地の藩王の地位を保障 <br /> * [[サイイド・アフマド・ハーン]]([[1817年]] - [[1898年]]) - インド人ムスリムの文人・近代[[ウルドゥー語]]散文の父・[[アリーガル・ムスリム大学]]を設立<br /> * [[ナーナー・サーヒブ]]([[1824年]] - [[1857年]]以降) - マラーター王国宰相[[バージー・ラーオ2世]]の養子・インド大反乱ではイギリス軍と戦う<br /> * ダヤーナンダ・サラスヴァティー([[1824年]] - [[1883年]]) - インドの宗教家・「[[ヴェーダ]]に帰れ」と唱え改革団体アーリア・サマージを組織 <br /> * {{仮リンク|ダーダーバーイー・ナオロージー|en|Dadabhai Naoroji}}([[1825年]] - [[1917年]]) - インド人初のイギリス下院議員・[[パールシー]]出身・インド国民会議を設立<br /> * [[ロバート・ブルワー・リットン]]([[1831年]] - [[1891年]]) - イギリス政府の第19代インド総督・副王・帝国会議を開催し[[イギリス領インド帝国|インド帝国]]を成立させる<br /> * [[ラクシュミー・バーイー]] ([[1835年]]? - [[1858年]]) - インド中部[[ジャーンシー]]の王妃・インド大反乱で「インドのジャンヌ・ダルク」と称される<br /> * [[ラーマクリシュナ]]([[1836年]] - [[1886年]]) - インドの思想家(ヴェーダーンタ哲学)・神秘主義者として伝統文化復興に尽くす<br /> * [[ラヴィ・ヴァルマ]]([[1848年]] - [[1906年]]) - インドの画家・西洋絵画の技法でヒンドゥーの神像を描く・多色石版でインド各地に広がる<br /> * [[ヴィヴェーカーナンダ]]([[1863年]] - [[1902年]]) - インドの思想家(ヴェーダーンタ哲学)・[[ラーマクリシュナ僧院]]を組織する<br /> <br /> === 東南アジア ===<br /> * ファン・デン・ボス([[1780年]] - [[1844年]]) - オランダ領東インド総督・コーヒーやサトウキビや藍などの強制栽培制度を実施<br /> * [[トーマス・ラッフルズ]]([[1781年]] - [[1826年]]) - イギリスの東インド会社準知事・マレー半島南端にシンガポール港を開く<br /> * [[ラーマ4世]]([[1805年]] - [[1868年]]) - チャクリー朝タイ国王(在位[[1851年]] - [[1868年]])・タイの近代化に着手・「[[王様と私]]」のモデルでもある<br /> * アンリ・ムオ([[1826年]] - [[1861年]]) - フランスの探検家・西欧人として最初にアンコール・ワットを発見・『インドシナ王国遍歴記』がある<br /> * [[ラーマ5世]](チュラーロンコーン)([[1853年]] - [[1910年]]) - チャクリー朝タイ国王(在位[[1868年]] - [[1910年]])・チャクリー改革を推進<br /> * [[ティーボー]]([[1859年]] - [[1916年]]) - コンバウン朝ビルマの最後の国王(在位[[1878年]] - [[1885年]])・第三次英緬戦争で敗北<br /> * [[ホセ・リサール]]([[1861年]] - [[1896年]]) - フィリピンの独立運動家・医師・著述家・スペイン軍の手で銃殺されたが現在は国民的英雄<br /> * [[エミリオ・アギナルド]]([[1869年]] - [[1964年]]) - フィリピン共和国(第一次共和国)初代大統領(在任[[1899年]] - [[1901年]])・[[米比戦争]]で敗北<br /> <br /> === オセアニア ===<br /> * [[カメハメハ1世]]([[1758年]]? - [[1819年]]) - ハワイ王国初代国王(在位[[1795年]] - [[1819年]])・ハワイ諸島を初めて統一した<br /> * [[リリウオカラニ]]([[1838年]] - [[1917年]]) - ハワイ王国最後の女王(在位[[1891年]] - [[1893年]])・ハワイ革命で共和派に地位を追われる<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 清 ====<br /> * [[嘉慶帝]]([[1760年]] - [[1820年]]) - 清の第7代皇帝(在位[[1796年]] - [[1820年]])・先帝の寵臣[[ヘシェン]]を処罰し綱紀粛正に努める<br /> * [[林清]](? - [[1813年]]) - 清の反乱指導者・[[天理教 (中国)|天理教]](八卦教)の指導者として北京[[紫禁城]]を攻撃するが鎮圧される(癸酉の変)<br /> * 沈復([[1763年]] - [[1825年]]) - 清の文人・随筆『浮生六記』の著者・使節団随行員として琉球王国を訪問する記載がある<br /> * 阮元([[1764年]] - [[1849年]]) - 清の文人・書家・「[[南北書派論]]」「[[北碑南帖論]]」を提唱し帖学派に対抗して碑学派を起こす<br /> * [[ウィリアム・アマースト (初代アマースト伯爵)]]([[1773年]] - [[1857年]]) - イギリスの政治家・外交官・[[嘉慶帝]]との会見を拒否され貿易制限改善の交渉は失敗<br /> * [[関天培]]([[1781年]] - [[1841年]]) - 清の軍人・広東水師提督・アヘン戦争では清軍の指揮官となり果敢に戦うも虎門の戦いで玉砕する<br /> * [[道光帝]]([[1782年]] - [[1850年]]) - 清の第8代皇帝(在位[[1820年]] - [[1850年]])・[[アヘン]]の密輸増大と銀の流出に苦しむ<br /> * [[林則徐]]([[1785年]] - [[1850年]]) - 清の政治家・[[欽差大臣]]としてイギリスから密輸されたアヘンを処分・アヘン戦争の発端となる<br /> * [[龔自珍]]([[1792年]] - [[1841年]]) - 清の思想家・文人・公羊学の立場から外国勢力の危機を指摘・『春秋決事比』他の著作がある<br /> * [[魏源]]([[1794年]] - [[1856年]]) - 清の思想家・林則徐と協力し海外事情を紹介した『海国図志』をまとめる<br /> * [[チャールズ・エリオット (海軍士官)|チャールズ・エリオット]]([[1801年]]? - [[1875年]]) - イギリスの海軍士官・対清全権商務総監・アヘン戦争の戦端を開き香港を占領<br /> * [[ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー|ニコライ・ムラヴィヨフ・アムールスキー]]([[1809年]] - [[1881年]]) - ロシアの東シベリア総督・[[アイグン条約]]で清からアムール川流域を獲得<br /> * [[センゲリンチン|僧格林沁]]([[1811年]] - [[1865年]]) - 清の軍人(モンゴル[[八旗|旗人]])・欽差大臣・太平天国の乱やアロー戦争で活躍・捻軍に包囲され戦死<br /> * [[曽国藩]]([[1811年]] - [[1872年]]) - 清の政治家・[[洋務運動]]の一人・弱体化した清軍に代わり[[郷勇]]([[湘軍]])を組織し太平天国の乱を鎮圧<br /> * [[左宗棠]]([[1812年]] - [[1885年]]) - 清の政治家・洋務運動の一人・太平天国の鎮圧に活躍・イリ事件や清仏戦争の処理も担当<br /> * [[洪秀全]]([[1814年]] - [[1864年]]) - 清の宗教家・キリスト教系の上帝会の教祖・太平天国の乱を起こし天王と名乗るが敗北して自殺したか<br /> * [[粛順]]([[1816年]] - [[1861年]]) - 清の政治家・辛酉政変で恭親王奕訢や西太后との権力闘争に敗れ処刑される<br /> * [[ヤクブ・ベク]]([[1820年]] - [[1877年]]) - ウズベク人軍人・清の支配下の東トルキスタンに入りタリム盆地一帯を制圧・左宗棠に討伐される<br /> * [[李鴻章]]([[1823年]] - [[1901年]]) - 清の政治家・洋務運動の一人・太平天国の鎮圧に活躍・日清戦争や北清事変の処理も担当<br /> * [[李秀成]]([[1823年]] - [[1864年]]) - 清の太平天国の指導者・上海攻撃や[[天京攻防戦]]で活躍・処刑される前に残した『李秀成自述』は資料として貴重<br /> * [[趙之謙]]([[1829年]] - [[1884年]]) - 清の書家・画家・篆刻家・金石学から北魏の書をもとに新境地を開く・『六朝別字記』の著作がある<br /> * [[劉坤一]]([[1830年]] - [[1902年]])- 清の政治家・洋務運動の一人・義和団事件に際し[[張之洞]]らとともに[[東南互保]]を結ぶ<br /> * [[咸豊帝]]([[1831年]] - [[1861年]]) - 清の第9代皇帝(在位[[1850年]] - [[1861年]])・アロー戦争の混乱で北京を脱出し熱河で死去<br /> * [[フレデリック・タウンゼント・ウォード]]([[1831年]] - [[1862年]]) - アメリカの軍人・[[太平天国の乱]]に際して常勝軍を組織する・[[慈渓の戦い]]で戦死<br /> * [[アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー]]([[1832年]] - [[1904年]]) - ドイツの軍人(陸軍元帥)・[[八カ国同盟|8ヶ国連合軍]]総司令官として義和団を鎮圧<br /> * [[愛新覚羅奕キン|恭親王奕訢]]([[1833年]] - [[1898年]]) - 清の咸豊帝の弟・辛酉政変に勝利しアロー戦争後の同治中興の政局を指導・[[総理各国事務衙門|総理衙門]]を設置<br /> * [[西太后]]([[1835年]] - [[1908年]]) - 清の咸豊帝の妃で同治帝の母・同治帝から光緒帝まで断続的に「[[垂簾聴政]]」を行い権力を掌握<br /> * [[丁汝昌]]([[1836年]] - [[1895年]]) - 清の軍人・[[北洋艦隊]]の提督・日清戦争の[[威海衛の戦い]]での艦隊戦敗北の責任をとって自決する<br /> * [[張之洞]]([[1837年]] - [[1909年]]) - 清の政治家・洋務運動の一人・義和団事件に際し[[劉坤一]]らとともに[[東南互保]]を結ぶ<br /> * [[劉永福]]([[1837年]] - [[1917年]]) - 清の軍人・[[黒旗軍]]を率いて越南(ベトナム)に進入したフランス軍を駆逐・日清戦争でも活躍<br /> * [[楊守敬]]([[1839年]] - [[1915年]]) - 清末の文人・書家・地理学や訓詁学にも精通・明治期の日本を訪問し『日本訪書志』を残す<br /> * [[呉昌碩]]([[1844年]] - [[1927年]]) - 清末民初の文人・詩・書・画・篆刻ともに精通し「四絶」とも「清代最後の文人」とも呼ばれる<br /> * [[王懿栄]]([[1845年]] - [[1900年]]) - 清末の官僚・[[国子監]]祭酒・金石学者として[[劉鶚]]と[[甲骨文字]]を研究し殷王朝の存在を立証<br /> * [[黄遵憲]]([[1848年]] - [[1905年]]) - 清末の詩人・官僚として戊戌の変法にも参加・外交官としては日本を訪れ『日本国志』を執筆<br /> * [[厳復]]([[1854年]] - [[1921年]]) - 清末民初の思想家・翻訳家・ハックスリーの社会進化論を『天演論』で紹介し思想界に影響を与える<br /> * [[同治帝]]([[1856年]] - [[1875年]]) - 清の第10代皇帝(在位[[1861年]] - [[1875年]])・東太后と西太后の「[[垂簾聴政]]」で同治中興を迎える<br /> * [[愛新覚羅載漪|端郡王載漪]]([[1856年]] - [[1922年]]) - 清の皇族・[[義和団事件]]の主戦派の中心だったが鎮圧後は戦犯として新疆に追放される<br /> * [[韓邦慶]]([[1856年]] - [[1894年]]) - 清末の小説家・ジャーナリスト・当時の世相や社会風俗を[[呉語]]で描いた『[[海上花列伝]]』で有名<br /> * [[康有為]]([[1858年]] - [[1927年]]) - 清末の思想家([[公羊学]])・光緒帝の信任を得て戊戌の変法を行うが西太后派の政変で挫折<br /> * [[ジョージ・アーネスト・モリソン]]([[1862年]] - [[1920年]]) - オーストラリア出身の『[[タイムズ]]』紙の特派員・義和団の乱や日露戦争を報道<br /> * [[譚嗣同]]([[1865年]] - [[1898年]]) - 清末の官僚・思想家・戊戌の変法に参加・西太后派の政変で処刑された「戊戌六君子」の一人<br /> * [[光緒帝]]([[1871年]] - [[1908年]]) - 清朝の第11代皇帝(在位[[1875年]] - [[1908年]])・戊戌の変法を支持するも政変で瀛台に幽閉される<br /> <br /> ==== 越南 ====<br /> * [[嘉隆帝]](阮福暎)([[1762年]] - [[1820年]]) - 阮朝越南の初代皇帝(在位[[1802年]] - [[1820年]])・[[西山朝]]を倒し国家を統一<br /> * [[グエン・ズー|阮攸]]([[1765年]] - [[1820年]]) - 阮朝越南の文人・中国の小説『[[金雲翹]]伝』を[[チュノム]]に翻案し『[[トゥイ・キォウの物語]]』を書く<br /> <br /> === 日本 ===<br /> * [[伊能忠敬]]([[1745年]] - [[1818年]]) - 江戸時代後期の商人・測量家として日本全国を測量し「大日本沿海輿地全図」を完成させる<br /> * [[菅江真澄]]([[1754年]] - [[1829年]]) - 江戸時代後期の旅行家・博物学者・東北地方を中心に各地を遍歴し膨大な「菅江真澄遊覧記」を残す<br /> * [[鶴屋南北 (4代目)|鶴屋南北]]([[1755年]] - [[1829年]]) - 江戸時代後期の歌舞伎の作者・代表作に「[[東海道四谷怪談]]」がある<br /> * [[良寛]]([[1758年]] - [[1831年]]) - 江戸時代後期の曹洞宗の僧侶・歌人・書家・貞信尼により『蓮の露』にその作がまとめられる<br /> * [[華岡青洲]]([[1760年]] - [[1835年]]) - 江戸時代後期の外科医・世界初の全身麻酔を用いての乳癌の手術を成功させる<br /> * [[葛飾北斎]]([[1760年]] - [[1849年]]) - 江戸時代後期の[[浮世絵]]師・代表作に「[[富嶽三十六景]]」や「[[北斎漫画]]」がある<br /> * [[松浦清|松浦静山]]([[1760年]] - [[1849年]]) - 江戸時代後期の大名([[平戸藩]])・藩政改革を行う・隠居後の随筆『[[甲子夜話]]』も有名<br /> * [[酒井抱一]]([[1761年]] - [[1829年]]) - 江戸時代後期の僧侶(権大僧都)・絵師として[[江戸]][[琳派]]の祖となる・代表作に「夏秋草図屏風」がある<br /> * [[水野忠成]]([[1763年]] - [[1834年]]) - 江戸時代の老中・大名([[沼津藩]])・奢侈の横行する大御所時代にあって[[貨幣改鋳|文政の改鋳]]を行う<br /> * [[小林一茶]]([[1763年]] - [[1828年]]) - 江戸時代後期の俳諧師・平明で素朴な句風で知られる・代表作に『[[おらが春]]』<br /> * [[十返舎一九]]([[1765年]] - [[1831年]]) - 江戸時代後期の作家・代表作に[[滑稽本]]『[[東海道中膝栗毛]]』がある<br /> * [[曲亭馬琴]]([[1767年]] - [[1848年]]) - 江戸時代後期の作家・代表作に読本『[[椿説弓張月]]』『[[南総里見八犬伝]]』がある<br /> * [[雷電爲右エ門]]([[1767年]] - [[1825年]]) - 江戸時代後期の[[大相撲]][[力士]]・現役21年で通算黒星10回のみという史上未曾有の業績を残す<br /> * [[高田屋嘉兵衛]]([[1769年]] - [[1827年]]) - 江戸時代後期の廻船業者・海商・[[国後]]や[[択捉]]の航路を開発・[[ゴローニン事件]]の解決にも活躍<br /> * [[鈴木牧之]]([[1770年]] - [[1842年]]) -江戸時代後期の商人・随筆家として雪国の民俗資料としても重要な『[[北越雪譜]]』を執筆<br /> * [[佐藤一斎]]([[1772年]] - [[1859年]]) - 江戸時代後期の儒学者・昌平坂学問所の儒官・渡辺崋山や佐久間象山ら幅広い人材を育成<br /> * [[徳川家斉]]([[1773年]] - [[1841年]]) - 第11代将軍(在任[[1787年]] - [[1837年]])・治世は[[寛政の改革]]から[[大御所時代]]に及ぶ<br /> * [[平田篤胤]]([[1776年]] - [[1843年]]) - 江戸時代後期の国学者・[[復古神道]]の大成者・国学四大人の一人・『霊能真柱』『古道大意』がある<br /> * [[式亭三馬]]([[1776年]] - [[1822年]]) - 江戸時代後期の戯作者・浮世絵師・薬屋・[[滑稽本]]『[[浮世風呂]]』『[[浮世床]]』などで知られる<br /> * [[間宮林蔵]]([[1780年]] - [[1844年]]) - 江戸時代後期の探検家・隠密・[[樺太]]の探検により[[間宮海峡]]を発見・[[シーボルト事件]]にも関与<br /> * [[頼山陽]]([[1781年]] - [[1832年]]) - 江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人・主著に『[[日本外史]]』があり幕末の思想界に影響を与えた<br /> * [[柳亭種彦]]([[1783年]] - [[1842年]]) - 江戸時代後期の戯作者・長編[[合巻]]『[[偐紫田舎源氏]]』を執筆するが天保の改革で譴責され急逝する<br /> * [[二宮尊徳]]([[1787年]] - [[1856年]]) - 江戸時代後期の農政家・思想家・「報徳思想」を唱え農村復興政策を指導した<br /> * [[市川團十郎 (7代目)|七代目市川團十郎]]([[1791年]] - [[1859年]]) - 江戸時代後期の歌舞伎役者・「[[勧進帳]]」など[[歌舞伎十八番]]をまとめる・天保の改革で追放<br /> * [[徳川家慶]]([[1793年]] - [[1853年]]) - 第12代将軍(在任[[1837年]] - [[1853年]])・[[大御所時代]]の弊を改めるべく[[天保の改革]]を支持<br /> * [[大塩平八郎]]([[1793年]] - [[1837年]]) - 江戸時代後期の儒学者・[[大坂]][[町奉行所]]の[[与力]]・[[大塩平八郎の乱]]を起こした<br /> * [[渡辺崋山]]([[1793年]] - [[1841年]]) - 江戸時代後期の武士(三河国田原藩家老)・画家・蛮社の獄に巻き込まれ蟄居し自刃する<br /> * [[遠山景元]]([[1793年]] - [[1855年]]) - 江戸時代の旗本・江戸北町奉行・天保の改革に抵抗した姿勢から「遠山の金さん」のドラマが生まれた<br /> * [[水野忠邦]]([[1794年]] - [[1851年]]) - 江戸時代後期の[[老中]]・大名([[浜松藩]])・[[天保の改革]]を主導するが失敗<br /> * [[マシュー・ペリー]]([[1794年]] - [[1858年]]) - アメリカの東インド艦隊司令長官・幕府に開国を要求し[[日米和親条約]]を結ぶ<br /> * [[フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト]]([[1796年]] - [[1866年]]) - ドイツの医師・博物学者・長崎に赴任し[[鳴滝塾]]を構える<br /> * [[歌川広重]]([[1797年]] - [[1858年]]) - 江戸時代末期の[[浮世絵師]]・代表作に「[[東海道五十三次]]絵」がある<br /> * [[歌川国芳]]([[1798年]] - [[1861年]]) - 江戸時代末期の浮世絵師・代表作に[[天保の改革]]を批判した「源頼光公館土蜘作妖怪図」がある<br /> * [[徳川斉昭]]([[1800年]] - [[1860年]]) - 江戸時代末期の大名([[水戸藩]])・[[水戸学]]による尊攘論を唱え[[井伊直弼]]と対立・[[徳川慶喜]]の実父<br /> * [[エフィム・プチャーチン]]([[1803年]] - [[1883年]]) - ロシアの遣日全権使節・幕府に開国を要求し[[日露和親条約]]を結ぶ<br /> * [[タウンゼント・ハリス]]([[1804年]] - [[1878年]]) - アメリカの初代駐日公使・[[日米修好通商条約]]を結ぶ<br /> * [[高野長英]]([[1804年]] - [[1850年]]) - 江戸時代後期の医者・蘭学者・『[[戊戌夢物語]]』で幕府を批判し蛮社の獄で弾圧される<br /> * [[レオン・ロッシュ]]([[1809年]] - [[1900年]]) - フランスの外交官・駐日公使・幕末の情勢の中で徳川幕府を支援し[[慶応の改革]]に踏み切らせる<br /> * [[ラザフォード・オールコック]]([[1809年]] - [[1897年]]) - イギリスの外交官・清国駐在領事・駐日公使・幕末日本を紹介した『大君の都』がある<br /> * [[堀田正睦]]([[1810年]] - [[1864年]]) - 江戸時代末期の大名([[佐倉藩]])・老中・日米修好通商条約締結に尽力するが締結直後に罷免される<br /> * [[緒方洪庵]]([[1810年]] - [[1863年]]) - 江戸時代末期の医師・蘭学者・大坂に[[適塾]]を開き福沢諭吉らの人材を育てた・日本初の[[種痘]]を行う<br /> * [[佐久間象山]]([[1811年]] - [[1864年]]) - 江戸時代末期の思想家・兵学者・江戸に[[象山書院]]を開く・上洛して開国論を唱えるも反対派に暗殺される<br /> * [[井伊直弼]] ([[1815年]] - [[1860年]]) - 江戸時代末期の[[大老]]・大名([[彦根藩]])・[[日米修好通商条約]]に調印し[[安政の大獄]]を実施<br /> * [[河竹黙阿弥]]([[1816年]] - [[1893年]]) - 幕末維新の歌舞伎作者・代表作に「[[三人吉三廓初買]]」「[[青砥稿花紅彩画]](白浪五人男)」がある<br /> * [[阿部正弘]]([[1819年]] - [[1857年]]) - 江戸時代末期の老中・大名([[備後福山藩]])・黒船来航に伴う[[日米和親条約]]に調印・[[安政の改革]]を実施<br /> * [[安藤信正]]([[1820年]] - [[1871年]]) - 江戸時代末期の大名(磐城平藩)・老中・[[久世広周]]とともに和宮降嫁を推進・[[坂下門外の変]]で失脚<br /> * [[勝海舟]]([[1823年]] - [[1899年]]) - 幕末維新の幕臣・崩壊する幕府を支え[[江戸開城|江戸無血開城]]などに尽力・明治政府にも出仕<br /> * [[徳川家定]]([[1824年]] - [[1858年]]) - 第13代将軍(在任[[1853年]] - [[1858年]])・黒船来航後の混乱の時代の将軍・後嗣なく死去<br /> * [[大村益次郎]]([[1824年]] - [[1869年]]) - 幕末維新の兵学者・長州征伐や戊辰戦争での長州藩の勝利に貢献・維新後は兵部省大輔となるが暗殺される <br /> * [[岩倉具視]]([[1825年]] - [[1883年]]) - 幕末維新の[[公家]]([[右大臣]])・[[王政復古の大号令]]により倒幕を実現し明治政府の首脳となる<br /> * [[ジョン万次郎]]([[1827年]] - [[1898年]]) - 幕末維新の通訳・教育者・もとは土佐の漁師・漂流をしてアメリカで教育を受け幕末の外交でも活躍<br /> * [[山内容堂]]([[1827年]] - [[1859年]]) - 江戸時代末期の大名([[土佐藩]])・[[幕末の四賢侯]]の一人・大政奉還を促すが[[小御所会議]]では劣位に置かれる<br /> * [[小栗忠順]]([[1827年]] - [[1868年]]) - 江戸時代末期の幕臣・[[勘定奉行]]・[[外国奉行]]・幕府の軍備増強を推進・主戦論を唱え維新後は斬首される<br /> * [[松平春嶽]]([[1828年]] - [[1890年]]) - 江戸時代末期の大名([[越前福井藩]])・幕末の四賢侯の一人・[[横井小楠]]を起用し[[文久の改革]]や[[四侯会議]]で活躍<br /> * [[高橋由一]]([[1828年]] - [[1894年]]) - 幕末維新の洋画家・イギリス人[[チャールズ・ワーグマン|ワーグマン]]に師事し「鮭」「花魁」などの作品を残す<br /> * [[西郷隆盛]]([[1828年]] - [[1877年]]) - 幕末維新の藩士([[薩摩藩]])・軍人(陸軍大将)・「[[維新の三傑]]」・[[征韓論]]で下野し[[西南戦争]]を起こす<br /> * [[ハリー・パークス]]([[1828年]] - [[1885年]]) - イギリスの外交官・駐日公使・幕末の情勢の中で中立を標榜しつつ薩摩藩や長州藩を支援する<br /> * [[仮名垣魯文]]([[1829年]] - [[1894年]]) - 幕末維新の戯作者・新聞記者・この時代の世相を取り入れた『[[西洋道中膝栗毛]]』や『安愚楽鍋』で知られる<br /> * [[吉田松陰]]([[1830年]] - [[1859年]]) - 幕末の藩士([[長州藩]])・教育者として[[松下村塾]]で多くの弟子を育成・安政の大獄で処刑される<br /> * [[大久保利通]]([[1830年]] - [[1878年]]) - 幕末維新の藩士([[薩摩藩]])・政治家(内務卿)・「[[維新の三傑]]」・[[西南戦争]]を鎮圧し官僚機構を整備<br /> * [[河鍋暁斎]]([[1831年]] - [[1889年]]) - 幕末維新の浮世絵師・戯画や諷刺画で有名・浮世絵の伝統を近代日本画につなげる・代表作に「地獄極楽図」<br /> * [[木戸孝允]]([[1833年]] - [[1877年]]) - 幕末維新の藩士([[長州藩]])・政治家(内務卿)・「[[維新の三傑]]」・[[版籍奉還]]や[[廃藩置県]]を断行<br /> * [[福澤諭吉]]([[1835年]] - [[1901年]]) - 幕末維新の藩士([[中津藩]])・啓蒙思想家・教育者として[[慶應義塾]]を創設・『[[学問のすゝめ]]』などがある<br /> * [[岩崎弥太郎]]([[1835年]] - [[1885年]]) - 幕末維新の実業家・[[三菱]]財閥の創業者で初代総帥・政商として明治政府に協力<br /> * [[松方正義]]([[1835年]] - [[1924年]]) - 明治時代の政治家・内閣総理大臣(在任[[1891年]] - [[1892年]](第一次)・2度組閣)・[[松方デフレ]]を起こす<br /> * [[坂本龍馬]]([[1836年]] - [[1867年]]) - 幕末の藩士([[土佐藩]])・[[薩長同盟]]の締結や[[大政奉還]]に尽力・[[近江屋事件]]で暗殺される<br /> * [[松平容保]]([[1836年]] - [[1893年]]) - 幕末維新の大名([[会津藩]])・[[京都守護職]]・[[戊辰戦争]]では会津で奮戦するも敗北し蟄居する<br /> * [[榎本武揚]]([[1836年]] - [[1908年]]) - 幕末維新の幕臣・政治家・戊辰戦争では函館五稜郭にて敗北・以後は明治政府に出仕する<br /> * [[井上馨]]([[1836年]] - [[1915年]]) - 明治時代の政治家・外務卿から外務大臣となり[[条約改正]]のため[[欧化政策]]を推進([[鹿鳴館]]時代)<br /> * [[徳川家茂]]([[1846年]] - [[1866年]]) - 第14代将軍(在任[[1858年]] - [[1866年]])・南紀派から擁立され[[公武合体]]政策のため[[和宮親子内親王|和宮]]と結婚 <br /> * [[徳川慶喜]]([[1837年]] - [[1913年]]) - 第15代将軍(在任[[1867年]] - [[1868年]])・[[大政奉還]]の後に[[鳥羽・伏見の戦い]]で敗北・蟄居後は[[公爵]]となる<br /> * [[三条実美]]([[1837年]] - [[1891年]]) - 幕末維新の公卿・政治家(太政大臣)・尊攘派として[[七卿落ち]]の一人となるが維新政府で復権し活躍<br /> * [[板垣退助]]([[1837年]] - [[1919年]]) - 明治時代の政治家・[[征韓論]]で下野し[[自由民権運動]]の指導者となり[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]を結成<br /> * [[富岡鉄斎]]([[1837年]] - [[1924年]]) - 明治から大正時代の文人画家・神官・幕末は勤王の志士と交わる・代表作に「不尽山頂全図」他がある<br /> * [[山縣有朋]]([[1838年]] - [[1922年]]) - 明治時代の政治家・内閣総理大臣(在任[[1889年]] - [[1891年]](第一次)・2度組閣)・[[陸軍大将]]・[[元老]]<br /> * [[大隈重信]]([[1838年]] - [[1922年]]) - 明治時代の政治家・内閣総理大臣(在任[[1898年]](第一次)・2度組閣)・教育者として[[早稲田大学]]を創設<br /> * [[高杉晋作]]([[1839年]] - [[1867年]]) - 幕末の藩士([[長州藩]])・[[奇兵隊]]を組織し[[下関戦争]]の和議交渉や[[長州征伐]]で活躍するが早世する<br /> * [[三遊亭圓朝]]([[1839年]] - [[1900年]]) - 明治時代の[[落語家]]・落語中興の祖・作品に『[[牡丹燈籠]]』『[[真景累ヶ淵]]』があり[[言文一致運動]]にも影響<br /> * [[黒田清隆]]([[1840年]] - [[1900年]]) - 明治時代の政治家・内閣総理大臣(在任[[1888年]] - [[1889年]])・[[大日本帝国憲法]]を発布<br /> * [[伊藤博文]]([[1841年]] - [[1909年]]) - 明治時代の政治家・日本の初代[[内閣総理大臣]](在任[[1885年]] - [[1888年]](第一次)・4度組閣)<br /> * [[陸奥宗光]]([[1844年]] - [[1897年]]) - 明治時代の政治家・外務大臣として条約改正や下関条約締結で活躍・著作に『[[蹇々録]]』がある<br /> * [[中江兆民]]([[1847年]] - [[1901年]]) - 明治時代の思想家・自由民権運動の理論家で「東洋のルソー」と呼ばれる・著作に『民約訳解』がある<br /> * [[川上操六]]([[1848年]] - [[1899年]]) - 明治時代の軍人・陸軍大将・[[参謀総長]]・日清戦争の開戦を主張し日本軍を勝利に導く<br /> * [[小泉八雲]]([[1850年]] - [[1904年]]) - 明治時代の文学者・帰化した外国人で『[[怪談]]』『知られざる日本の面影』などで日本を紹介<br /> * [[明治天皇]]([[1852年]] - [[1912年]]) - 第122代[[天皇]](在位[[1867年]] - [[1912年]])・日本が近代化を果たしたことで「明治大帝」と呼ばれる<br /> * [[北里柴三郎]]([[1853年]] - [[1931年]]) - 明治時代の医学者・細菌学者・[[破傷風菌]]の純粋培養や[[血清療法]]を確立・私立[[伝染病研究所]]を創設<br /> * [[高峰譲吉]]([[1854年]] - [[1922年]]) - 日本の科学者・実業家・[[デンプン]]分解[[酵素]]「[[タカジアスターゼ]]」を発明し[[アドレナリン]]の抽出に成功<br /> * [[坪内逍遥]]([[1859年]] - [[1935年]]) - 明治時代の小説家・評論家・劇作家・『[[小説神髄]]』『[[当世書生気質]]』で近代文学の先駆けとなる<br /> * [[岡倉天心]]([[1863年]] - [[1913年]]) - 明治時代の教育者で[[東京美術学校]]設立に貢献・[[フェノロサ]]らと日本美術の再評価を行う<br /> * [[二葉亭四迷]]([[1864年]] - [[1909年]]) - 明治時代の小説家・評論家・翻訳家・『[[浮雲 (二葉亭四迷の小説)|浮雲]]』や『あひゞき』などの作品で写実主義を唱える<br /> * [[尾崎紅葉]]([[1868年]] - [[1903年]]) - 明治時代の小説家・[[山田美妙]]らと[[硯友社]]を設立し「我楽多文庫」を刊行・代表作に『[[金色夜叉]]』がある<br /> * [[志賀潔]]([[1871年]] - [[1957年]]) - 明治時代の医学者・細菌学者・北里柴三郎に師事・[[赤痢菌]]を発見・[[京城帝国大学]]総長などを歴任<br /> * [[樋口一葉]]([[1872年]] - [[1896年]]) - 明治時代の女流小説家・赤貧に苦しみながら『[[たけくらべ]]』『[[にごりえ]]』などを執筆<br /> <br /> == 19世紀生まれの最後の生き残り ==<br /> 2013年6月12日、日本の[[木村次郎右衛門]](男性での史上最高齢者)が116歳で死去し、19世紀生まれの男性は全員がこの世を去った。2017年4月15日には[[エンマ・モラーノ]]が117歳で死去し、1800年代(1800年 - 1899年)生まれの人物は全員がこの世を去ったことになり、19世紀生まれは残り2人([[ヴァイオレット・ブラウン]]、[[田島ナビ]]の2人、いずれも女性)となった。さらに同年9月15日にブラウンが117歳で死去したため、田島が19世紀生まれの最後の生き残りとなった。そして2018年4月21日午後7時58分、田島が117歳で死去したことににより、生年月日に確実な証拠のある19世紀生まれの人物は全員この世を去ったこととなった&lt;ref&gt;{{en icon}} {{Cite web|url=http://supercentenarian-research-foundation.org/TableE.aspx|title=Validated Living Supercentenarians|work=Gerontology Research Group|accessdate=2018年4月22日}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> ; 注釈<br /> {{Reflist|group=注}}<br /> ; 出典<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[長い19世紀]]<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 19 | 年代 = 1800 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:19せいき}}<br /> [[Category:19世紀|*]]</div> 111.87.58.123 13世紀 2018-07-29T13:06:26Z <p>111.87.58.123: /* イスラム世界 */</p> <hr /> <div>{{翻訳中途|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=13th_century&amp;oldid=696089173 英語版 &quot;13th century&quot; 21:12, 20 December 2015 (UTC)]|date=2016年1月}}<br /> {{centurybox}}<br /> [[ファイル:YuanEmperorAlbumGenghisPortrait.jpg|thumb|right|220px|[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]像。]]<br /> [[ファイル:Mongol_Empire_map.gif|right|thumb|250px|[[モンゴル帝国]]の発展。]]<br /> [[ファイル:Mongolen-Reich (1227-1295).PNG|thumb|right|250px|[[モンゴル帝国]]の最大領域。]]<br /> [[File:YuanEmperorAlbumKhubilaiPortrait.jpg|thumb|right|220px|[[クビライ|クビライ・ハーン]]像。]]<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;13世紀&#039;&#039;&#039;(じゅうさんせいき)は、[[西暦]][[1201年]]から西暦[[1300年]]までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 13世紀の歴史 ==<br /> === モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica) ===<br /> 13世紀は、[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の興した[[モンゴル帝国]]が[[ユーラシア大陸]]の大半を支配したため、&#039;&#039;&#039;モンゴルの世紀&#039;&#039;&#039;と呼ばれる。モンゴル帝国は[[交易]]を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した([[シルクロード]]の発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。<br /> <br /> [[ジャワ島]]では、[[シンガサリ王国]]が東部から興って[[クディリ王国]]を倒したが、モンゴル帝国([[元 (王朝)|元]])の[[クビライ]]の遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する([[1292年]]、[[マジャパヒト王国]]成立)。12世紀に中国を二分した[[金 (王朝)|金]]と[[南宋]]は元により滅ぼされた。また、[[日本]]も2度にわたる元の侵攻(&#039;&#039;&#039;[[元寇]]&#039;&#039;&#039;)に遭ったがこれを撃退している。<br /> <br /> === 十字軍勢力は衰退へ ===<br /> [[第6回十字軍]]に赴いた[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]は、[[アイユーブ朝]]の[[スルターン]][[アル=カーミル]]との交渉によって[[エルサレム]]の譲渡を認めさせたが、10年余りで再び[[イスラム]]勢力により陥落した(以後、[[20世紀]]までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も[[十字軍]]の遠征は行なわれたが、[[レバント]]における[[十字軍国家]]は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点[[アッコ]]を失って[[エルサレム王国]]も滅亡、[[パレスチナ]]全域がイスラム勢力下に入った。<br /> <br /> === マグナ・カルタ成立 ===<br /> [[イングランド王国]]では、[[国王]]の権限を制限する[[マグナ・カルタ]](大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており[[中世]]の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と[[議会]]の対立が激しさを増す[[17世紀]]に再度注目されることとなる。[[清教徒革命]]や[[アメリカ合衆国]]建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在の[[イギリスの憲法|イギリス憲法]]を構成する前文にも残っている。<br /> <br /> == できごと ==<br /> [[ファイル:Eugène Ferdinand Victor Delacroix 012.jpg|right|thumb|250px|[[第4回十字軍]]。東ローマ帝国の内紛に介入した[[ヴェネツィア]]商人の使嗾により首都[[コンスタンティノポリス]]はキリスト教徒の十字軍に占領された。画像は[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]の歴史画「第4回十字軍のコンスタンティノポリス入城([[ルーヴル美術館]]蔵)」。]]<br /> [[ファイル:San Marco horses.jpg|thumb|right|200px|「サン・マルコの馬」。第4回十字軍を支援した[[ヴェネツィア共和国]]は東ローマ帝国から多くの貴重品を持ち去った。画像は「勝利の[[クアドリガ]]」とも呼ばれる四頭馬の彫像でもとは[[コンスタンティノープル競馬場|コンスタンティノポリス競馬場]]を飾っていたもの。[[ヴェネツィア]]に移送されてからは[[サン・マルコ大聖堂]]に置かれていた。]]<br /> [[ファイル:Marco Polo, Livre des merveilles, Fr. 2810, Tav. 88 (Dettaglio Detail).PNG|right|thumb|250px|大旅行家[[マルコ・ポーロ]]。ヴェネツィア商人として元朝ほかアジア各地を訪れ『[[東方見聞録]](イル・ミリオーネ)』に記録を残した。画像は『驚異の書』写本(Fr. 2810)でマルコ・ポーロが象や駱駝を乗せた船でホルムズを訪れる箇所の挿絵。]]<br /> [[File:Vardzia Chapel fresco.jpg|thumb|right|200px|[[グルジア王国]]の繁栄。女王[[タマル (グルジア女王)|タマル]]の時代に[[ルーム・セルジューク朝]]を破り、東ローマ系亡命国家[[トレビゾンド帝国]]を支援してグルジアの勢力は拡大した。画像は南グルジアのヴァルディツィアの修道院礼拝堂フレスコ画に描かれた父王ギオルギ3世と並んで立つ女王タマルの肖像。]]<br /> [[ファイル:Magna Carta (British Library Cotton MS Augustus II.106).jpg|right|thumb|250px|[[マグナ・カルタ]](認証付写本)、1215年に作られたもの。]]<br /> [[ファイル:Giotto - Legend of St Francis - -07- - Confirmation of the Rule.jpg|thumb|right|250px|教皇権の最盛期。教皇はこの時期には世俗王侯を凌ぐ権威を有し、教会政治でもその手腕を遺憾なく発揮した。画像は14世紀に描かれた[[アッシジ]]の[[アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群|フランチェスコ聖堂]]の[[ジョット・ディ・ボンドーネ]]の壁画で、教皇[[インノケンティウス3世]]と[[アッシジのフランチェスコ]]の会見が描かれている。]]<br /> [[ファイル:Frederick II and eagle.jpg|thumb|right|200px|神聖ローマ皇帝[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]。破門されたまま[[第5回十字軍|十字軍]]を組織しエルサレムを奪い返すなど大胆不敵な行為から当時の人々は「世界の驚異」とも「[[反キリスト]]」とも呼んでいる。画像は彼が著した『[[鷹狩]]論(鳥類を利用した狩猟技術)』に描かれた皇帝の肖像。]]<br /> [[ファイル:Seventh crusade.jpg|thumb|right|250px|[[第7回十字軍]]。画像は南仏[[エーグ・モルト]]を出港し、[[マムルーク朝]]支配のエジプトに向かうフランス王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]とその一行。聖王と称えられたルイ9世だがこの遠征には失敗し捕虜となる。]]<br /> [[ファイル:Cathedrale nd chartres vitraux015.jpg|thumb|right|250px|[[シャルトル大聖堂]]。盛期[[ゴシック様式]]を代表するフランスの教会建築で、画像にあるバラ窓[[ステンドグラス]]が有名である。]]<br /> [[ファイル:St-thomas-aquinas.jpg|thumb|right|200px|[[トマス・アクィナス]]。盛期[[スコラ学]]を代表する神学者で、理性と信仰を結び付ける壮大な著作『[[神学大全]]』をまとめ、「天使博士」の称号を得た。画像は15世紀の[[カルロ・クリヴェッリ]]によるもの。]]<br /> [[File:Christian and Muslim playing ouds Catinas de Santa Maria by king Alfonso X.jpg|thumb|right|250px|イベリア半島における文化交流。レコンキスタが進む一方でキリスト教徒とイスラム教徒の共存は[[カスティーリャ]]の賢王[[アルフォンソ10世]]の時代も続いた。画像はこの王の時代に編纂された『聖母マリア頌歌集(カンティーガス・デ・サンタ・マリーア)』の挿絵でキリスト教徒とイスラム教徒の合奏が描かれている。]]<br /> [[ファイル:Codex Manesse Sängerkrieg auf der Wartburg.jpg|thumb|right|250px|[[ヴァルトブルク]]の歌合戦。[[テューリンゲン方伯]]の宮廷に集まった[[ミンネザング|ミンネザンガー]]たち。画像は14世紀に編纂された『[[マネセ写本]]』([[ハイデルベルク]]図書館蔵)の挿絵。]]<br /> [[File:Lübeck rathaus.jpg|thumb|right|280px|[[リューベック]]。[[北海]]・[[バルト海]]貿易を生業とする北ドイツ諸都市では[[ハンザ同盟]]が結ばれ、リューベックがその盟主とされるようになった。なおリューベックは1266年には帝国自由都市の地位も獲得している。画像は13世紀に拡張されたリューベックの市庁舎でマルクト広場の黒煉瓦造りの建物がそれである。]]<br /> [[File:Qingjing Mosque - old tablets - DSCF8676.JPG|thumb|right|250px|[[泉州市|泉州]](ザイトン)の繁栄。南宋時代から多くのイスラム商人が定住していたが、[[蒲寿庚]]らが元朝に帰服すると以前にも勝る賑わいを見せるようになった。画像は泉州のイスラム寺院{{仮リンク|清浄寺 (泉州市)|zh|清淨寺|label=清浄寺}}に残るアラビア文字の刻まれた石碑。]]<br /> [[ファイル:Chinesischer Maler von 1238 001.jpg|thumb|right|200px|禅宗の到来。中国で発達した[[禅宗]]は[[日宋貿易]]などを通じて日本に流入した。画像は日本禅宗の源流ともなった中国の無準師範(仏鑑禅師)の[[頂相]]で現在は[[京都]][[東福寺]]に所蔵されている。]]<br /> [[ファイル:Kamakura Budda Daibutsu front 1885.jpg|thumb|right|200px|武家の都[[鎌倉]]。東国を基盤とした政権の誕生により、宋よりもたらされた禅宗や、「鎌倉仏教」と呼ばれる庶民に開かれた新しい宗派がこの地で発展した。画像は「鎌倉の大仏」で知られる[[高徳院]]の[[阿弥陀如来]]坐像。]]<br /> [[ファイル:Mōko Shūrai Ekotoba 2.jpg|thumb|right|330px|蒙古襲来。[[クビライ]]の命によりモンゴルの大軍が日本に押し寄せた。画像は御家人[[竹崎季長]]によって依頼され、[[元寇]]の様子を生々しく伝える記録となった『[[蒙古襲来絵詞]]([[三の丸尚蔵館]]保管)』。]]<br /> [[ファイル:Ippen Shōnin Engi-e.JPG|thumb|right|330px|[[執権]]・[[北条時宗]]。二度にわたる蒙古襲来を迎え撃った日本側の指導者は北条時宗であった。画像は『[[一遍上人絵伝]]』巻5のもので、時宗の僧侶[[一遍]]と鎌倉七口の一つ小袋坂(現在の[[巨福呂坂]])にて対面する北条時宗(折烏帽子で白い狩衣を着て馬に乗った人物)。]]<br /> [[File:Sakya Paṇḍita Kunga Gyeltsen.jpg|thumb|right|200px|[[インド]]から[[チベット]]へ向かう仏教。インド仏教の最後の拠点ヴィクラマシーラ寺院は1203年にイスラム教徒に破却された。その学頭であったシャーキャシュリーパドラはチベットに亡命し、[[サキャ派]]6代座主となる[[サキャ・パンディタ]]らに法を伝えた。画像はサキャ・パンディタの肖像。]]<br /> [[File:Harihara Majapahit 1.JPG|thumb|right|200px|[[マジャパヒト王国]]の躍進。クディリ王国とシンガサリ王国の抗争に加えモンゴル人の元朝の襲来で混沌としたジャワ島に秩序をもたらしたのがマジャパヒト王国である。画像は初代王ラデン・ウィジャヤ(クルタラジャサ・ジャヤワルダナ)の肖像に基づく[[ハリハラ]]([[シヴァ]]と[[ヴィシュヌ]]の集合神)の像。]]<br /> [[ファイル:Ruins of Bagan, 1999.jpg|thumb|right|330px|万塔の都[[パガン]]。仏教信仰の篤いミャンマーではモンゴル侵攻の中でも[[ナラティーハパテ]]王のもと造寺造仏が続けられた。しかし1287年の[[パガンの戦い]]でこの都はついに陥落した。]]<br /> [[ファイル:Wheel of Konark, Orissa, India.JPG|thumb|right|280px|[[オリッサ]]をめぐる争い。インドの北部と南部をつなぐ東海岸のオリッサはこの時期にはイスラム教徒の[[奴隷王朝]]とヒンドゥー教徒の[[東ガンガ朝]]の激突の舞台となった。画像は[[東ガンガ朝]]のナラシンハ・デーヴァ1世によって建てられたオリッサ・[[コナーラクのスーリヤ寺院]]にある車輪のデザインの基壇部分。]]<br /> [[ファイル:Qutab.jpg|thumb|right|330px|[[クトゥブ・ミナール]]。[[奴隷王朝]]の[[クトゥブッディーン・アイバク|アイバク]]によって13世紀初頭に[[デリー]]に建てられたインド最古の[[ミナレット]]で、後世に一部が破損したものの現在でも世界で最も高い72.5mの高さを誇っている。]]<br /> [[ファイル:Al-jazari elephant clock.png|thumb|right|200px|イスラム世界の機械工学。博識な技術者、であった[[ジャザリー]]が1206年に著した『巧妙な機械装置に関する知識の書』は好評だったらしく多くの写本が残されている。画像は[[オートマタ]]の技術を駆使した「象時計」。]]<br /> [[ファイル:Mevlana Konya.jpg|thumb|right|280px|[[スーフィズム]]の高まり。忘我境の中で神との合一を果たすスーフィズムと呼ばれるイスラム神秘主義が[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]によって大成された。画像は[[トルコ]]の[[コンヤ]]にあるルーミー廟の前で旋回舞踏を行う[[メヴレヴィー教団]]の人々。]]<br /> [[ファイル:Alal al-Din Khwarazm-Shah crossing the rapid Indus river, escaping Chinggis Khan and his army.jpg|thumb|right|210px|[[モンゴルのホラズム・シャー朝征服]]。中央アジアを支配していた[[ホラズム・シャー朝]]もモンゴルの攻撃で崩壊した。画像は[[インダス河畔の戦い]]で敗北後も戦い続けたホラズム・シャー朝の君主[[ジャラールッディーン・メングベルディー|ジャラールッディーン]]。]]<br /> [[ファイル:DiezAlbumsFallOfBaghdad a.jpg|thumb|right|200px|[[アッバース朝]]の滅亡。モンゴル人[[フレグ|フラグ]]の征西により[[バグダードの戦い|バグダードが陥落]]した。最後のカリフは処刑され市街は略奪と殺害が横行したと伝えられる。画像は[[ラシード・ウッディーン]]『[[集史]]』の写本の挿絵。]]<br /> [[Image:Legnica.JPG|right|thumb|300px|[[ワールシュタットの戦い]]。モンゴル軍によりポーランド・チュートン騎士団連合軍が大敗を喫した。画像は14世紀に書かれた聖人伝『シレジアの聖ヘドウィッヒの伝説』の挿絵。]]<br /> [[File:Ice-battle.jpg|thumb|right|300px|氷上の戦い。「ネヴァ川の勝者」として[[スウェーデン]]軍を打ち破った[[ノヴゴロド公]][[アレクサンドル・ネフスキー]]は、1242年には新たな敵であるドイツ騎士団を氷の張ったチュド湖で迎え撃ち勇猛さを轟かせた。画像は20世紀に作られた「氷上の戦い」のモザイク画。]]<br /> <br /> <br /> * モンゴル帝国の発展。<br /> * [[東ローマ帝国]]の衰微。<br /> * [[オスマン帝国]]成立。<br /> * [[インカ帝国]]の前身となる[[クスコ王国]]の成立。<br /> * [[托鉢修道会]]の成立。<br /> * [[スターバト・マーテル]]の成立。<br /> * 日本では[[鎌倉時代]]にあたる。<br /> ----<br /> === 1200年代 ===<br /> {{main|1200年代}}<br /> * 1201年<br /> ** コイテンの戦いで、[[チンギス・カン|テムジン]]がグル・カンの[[ジャムカ]]に率いられたモンゴル高原東部の諸部族を打ち破る。<br /> * 1202年<br /> ** フランス王[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]がイングランド王[[ジョン (イングランド王) |ジョン]]の大陸領土没収を宣言。<br /> ** 教皇[[インノケンティウス3世]]が勧請した[[第4回十字軍]]が[[ヴェネツィア]]に集結。<br /> ** [[シトー会]]のアルベルトが[[リガ]]に[[リヴォニア帯剣騎士団]]を創設。<br /> ** [[源頼家]]が[[明菴栄西]]を開山に迎え京都[[建仁寺]]が創建される。<br /> * 1203年<br /> ** [[インドの仏教|インド仏教]]の中心地だった[[ヴィクラマシーラ大学|ヴィクラマシーラ寺院]]がイスラム軍に破却される<br /> *** この事件でインド仏教は滅亡したとされ、破壊を逃れた僧侶は[[チベット]]などの近隣に亡命する。<br /> ** [[比企能員の変]]。[[源実朝]]が[[鎌倉幕府]]第三代[[征夷大将軍|将軍]]となる。前将軍源頼家が[[伊豆国|伊豆]]に幽閉される。[[北条時政]]が初代[[執権]]に就任。<br /> * 1204年<br /> ** 第4回十字軍が[[東ローマ帝国]]の首都[[コンスタンティノープル|コンスタンティノポリス]]を攻撃し占領。<br /> *** ヴェネツィアの協力を得て[[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン1世]]を皇帝とする[[ラテン帝国]]が成立。<br /> *** 東ローマ帝国はいったん断絶し、[[ニカイア帝国]]ほかの亡命政権が成立( - 1261年)。<br /> ** [[伊賀国|伊賀]]・[[伊勢国|伊勢]][[平氏]]の叛乱([[三日平氏の乱 (鎌倉時代)|三日平氏の乱]])。前将軍源頼家が殺害される。<br /> * 1205年<br /> ** [[藤原定家]]ら『[[新古今和歌集]]』編纂。<br /> ** [[畠山重忠の乱]]。[[牧氏事件]]により執権[[北条時政]]が追放される。[[北条義時]]が鎌倉幕府第2代執権に就任。<br /> ** ハドリアノポリスの戦いで、[[カロヤン・アセン]]率いる[[第二次ブルガリア帝国|ブルガリア帝国]]軍がラテン帝国軍に大勝し、ラテン皇帝ボードゥアン1世が捕虜となる。<br /> * 1206年<br /> ** モンゴル諸族を統一した[[チンギス・カン|テムジン]]が[[クリルタイ]]で推戴され、[[モンゴル帝国]]の初代大ハーン(チンギス・ハーン)に即位。<br /> ** [[南宋]]の[[韓侂冑]]が[[金 (王朝)|金]]への北伐を行う([[開禧用兵|開禧北伐]])。<br /> ** [[インド]]北部でゴール朝の将軍[[クトゥブッディーン・アイバク]]が独立し[[奴隷王朝]]が成立。<br /> ** [[ヘルマン1世 (テューリンゲン方伯)|テューリンゲン方伯]]の宮廷で「[[ヴァルトブルク城|ヴァルトブルク]]の歌合戦」が開かれる。<br /> * 1207年<br /> ** [[承元の法難]]。<br /> ** 南宋の韓侂冑が暗殺される。<br /> * 1208年 - 南宋と金の嘉定の和議。<br /> * 1209年<br /> ** 教皇[[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]が[[フランシスコ会|小さき兄弟会(フランシスコ会)]]を認可。<br /> ** 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。<br /> ** フランス王フィリップ2世による[[アルビジョア十字軍]]始まる( - 1229年)。<br /> ** [[ケンブリッジ大学]]が創設される。<br /> <br /> === 1210年代 ===<br /> {{main|1210年代}}<br /> * 1210年 - [[土御門天皇]]が譲位し、第84代[[順徳天皇]]が即位。<br /> * 1211年<br /> ** ブルガリアの[[タルノヴォ]]主教会議で[[ボゴミル派]]が異端とされる。 <br /> ** [[西遼]](カラ・キタイ)の帝位が[[ナイマン部]]の[[クチュルク]]に簒奪される。<br /> * 1212年<br /> ** [[ナバス・デ・トロサの戦い]]で[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]のカトリック連合軍が[[ムワッヒド朝]]揮下のイスラム連合軍を破る。<br /> ** [[少年十字軍]]。<br /> ** [[プシェミスル朝]]の[[ボヘミア王国|ボヘミア国王]][[オタカル1世]]が王国の世襲を認められる。<br /> ** [[ブーヴィーヌの戦い]]でフランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンに勝利。<br /> * 1213年 <br /> ** [[西遼]]の耶律氏の血統が断絶。<br /> ** [[和田合戦]]。<br /> * 1214年 - モンゴルが中都を包囲し、金の[[宣宗 (金)|宣宗]]は中都から[[開封]]へ遷都。<br /> * 1215年<br /> ** [[第4ラテラン公会議]]。<br /> ** [[イングランド王国]]で[[マグナ・カルタ]]が制定される。[[第一次バロン戦争]]( - [[1217年]])。<br /> * 1216年 - 教皇[[ホノリウス3世 (ローマ教皇)|ホノリウス3世]]が[[ドミニコ会|説教者修道会(ドミニコ会)]]を認可。<br /> * 1217年 - [[ジャン・ド・ブリエンヌ]]らによる[[第5回十字軍]]。<br /> * 1218年<br /> ** モンゴルに西遼が滅ぼされる。西遼の旧領はチンギス・ハーンの次男[[チャガタイ]]の[[ウルス]](所領)となる([[チャガタイ・ハン国]])。<br /> ** [[オトラル]]事件により、モンゴルの通商使節団が[[ホラズム・シャー朝|ホラズム朝]]に虐殺され、[[チンギス・カンの西征|チンギス・ハーンの西征]]が始まる。<br /> ** [[レオン王国]]の[[アルフォンソ9世]]により[[サラマンカ大学]]が創設される。<br /> * 1219年<br /> ** 鎌倉幕府第3代将軍[[源実朝]]が暗殺され、[[源氏]]の嫡流が途絶える。<br /> ** [[デンマーク王]][[ヴァルデマー2世 (デンマーク王)|ヴァルデマー2世]]が[[エストニア]]に侵攻し、[[トームペア城]](現在の[[タリン]])を築く。<br /> <br /> === 1220年代 ===<br /> {{main|1220年代}}<br /> * 1220年<br /> ** [[アルプス山脈]]を南北に縦断する[[ゴッタルド峠]](ゴットハルト峠)が開通する。<br /> ** モンゴルにホラズム朝が滅ぼされる。<br /> ** [[慈円]]が『[[愚管抄]]』を著す。<br /> * 1221年<br /> ** 順徳天皇が譲位し、第85代[[仲恭天皇]]が即位。<br /> ** [[承久の乱]]により幕府軍が朝廷軍に勝利。[[六波羅探題]]を設置。<br /> *** 後鳥羽上皇が[[隠岐国|隠岐]]へ、土御門上皇が[[阿波国|阿波]]へ、順徳上皇が[[佐渡国|佐渡]]に流される。<br /> *** 仲恭天皇は廃位され(九条廃帝)、第86代[[後堀河天皇]]が践祚(翌1222年に即位)。<br /> ** モンゴル軍が[[インダス河畔の戦い]]に勝利し[[ホラサーン]]地方や[[アフガニスタン]]に進軍。<br /> *** [[バルフ]]・[[ヘラート]]・[[メルブ]]・[[ニーシャープール]]・[[バーミヤン]]を占領し破壊する。<br /> ** [[チチェン・イッツァ]]のトルテカ・マヤ系支配者に対する反乱により[[マヤパン]]が政治的中心地となる。<br /> * 1222年<br /> ** ケン・アロクによりジャワで[[シンガサリ朝]]が建国される。<br /> ** アフガニスタンの[[カラホト]]で[[丘長春|長春真人]](丘長春)がチンギス・ハンに会見する。<br /> * 1223年<br /> ** [[カルカ河畔の戦い]]で、モンゴル軍がロシア・ポロヴェツ連合軍に最初の勝利。<br /> * 1224年<br /> ** [[ナポリ大学]]創建。<br /> ** [[北条泰時]]が鎌倉幕府第3代執権に就任。<br /> ** 南宋の太子趙竑が廃されて追放され(霅川の変)、皇帝寧宗が死去の後に[[理宗]]が即位する。<br /> * 1225年 <br /> ** [[アイケ・フォン・レプゴー]]により『[[ザクセンシュピーゲル]](ザクセン法鑑)』が編纂される。<br /> ** エルサレム女王[[イザベル2世 (エルサレム女王)|イザベル2世]]と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の結婚。<br /> * 1226年<br /> ** [[藤原頼経]]が鎌倉幕府第4代将軍となる。<br /> ** [[リミニ]]の[[金印勅書]]で、[[ドイツ騎士団]]の[[プロイセン]]征服と領有が認められる。<br /> ** 教皇ホノリウス3世が[[カルメル会]]を認可。<br /> * 1227年<br /> ** モンゴルに[[西夏]]が滅ぼされる。<br /> ** チンギス・ハーンが死去。<br /> ** 教皇[[グレゴリウス9世]]が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を破門。<br /> * 1228年<br /> ** 破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が[[第6回十字軍]]を起こす(破門十字軍)。<br /> * 1229年<br /> ** [[オゴデイ]]がモンゴル帝国第2代皇帝となる。その息子[[グユク]]がエミルの所領を与えられる([[オゴデイ・ウルス]](オゴタイ・ハン国))。<br /> ** ヤッファ協定によりアイユーヴ朝の[[アル=カーミル|アル・カーミル]]から皇帝フリードリヒ2世にエルサレムが返還される。<br /> ** イフリーキーヤ総督[[アブー・ザカリーヤー1世]]がムワッヒド朝から独立し[[ハフス朝]]が成立。<br /> ** [[イエメン]]のマンスール・ウマル1世がアイユーブ朝から独立し[[ラスール朝]]が成立。<br /> ** [[ベーメン]]の修道院で作成された中世最大の[[写本]]「[[ギガス写本]](悪魔の聖書)」に残された最後の年号はこの年のもの。<br /> <br /> === 1230年代 ===<br /> {{main|1230年代}}<br /> * 1230年 - [[寛喜の大飢饉]]( - 1231年)。<br /> * 1231年 - [[メルフィ]]の会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書(リベル・アウグスタリス)』を発布する。<br /> * 1232年<br /> ** 後堀河天皇が譲位し、第87代[[四条天皇]]が即位。<br /> ** [[御成敗式目]]ができる。<br /> ** [[三峰山の戦い]]。<br /> ** 高麗が[[開京]]から[[江華島]]に都を遷す。<br /> * 1233年 - 教皇[[グレゴリウス9世]]が[[異端審問]]制度を導入し、[[ドミニコ会]]に審問を委託する。<br /> * 1234年<br /> ** モンゴルに金が滅ぼされる。<br /> ** 南宋の皇帝[[理宗]]が[[真徳秀]]らを登用し政治改革を行う(端平更化)。<br /> ** [[バグダード]]にムスタンスィリーヤ学院が建立される。<br /> ** 教皇グレゴリウス9世による『グレゴリウス9世教皇令集』が出される。[[列聖]]は西方教会では教皇の専権行為となる。<br /> * 1235年<br /> ** モンゴルの首都[[カラコルム]]が建設される。<br /> ** 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による「マインツの[[ラント平和令]](帝国平和令)」。<br /> * 1236年 <br /> ** カスティーリャがイスラム支配下の[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]を奪取。<br /> ** [[九条道家]]が[[円爾]]を開山に迎え京都[[東福寺]]が創建される。<br /> ** 高麗[[高宗]]の命で[[高麗八萬大蔵経]]の作成が始まる( - [[1251年]])(現在は[[伽耶山]][[海印寺]]が所蔵)。<br /> * 1238年<br /> ** [[タイ王国|タイ]]で[[スコータイ朝]]成立。<br /> ** [[東ガンガ朝]]のナラシンハ・デーヴァ1世が即位。<br /> *** この王のもとで[[コナーラクのスーリヤ寺院]]が建設される。<br /> ** アラゴン王[[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]]による[[バレンシア]]の征服(アラゴン王国の[[レコンキスタ]]完了)。<br /> * 1239年 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がロンバルディア同盟を圧倒。<br /> ** [[教皇派と皇帝派|皇帝党(ギベリン)]]の[[ヴェローナ]]が北イタリアを席巻し[[教皇派と皇帝派|教皇党(ゲルフ)]]との対立が激化する。<br /> <br /> === 1240年代 ===<br /> {{main|1240年代}}<br /> * 1240年<br /> ** 西アフリカで[[マリ帝国]]成立。<br /> ** ネヴァ河畔の戦いで[[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド公]][[アレクサンドル・ネフスキー]]がスウェーデン軍を破る。<br /> ** モンゴルのバトゥが[[キエフ]]を制圧し[[キエフ大公国]]が滅亡。<br /> *** この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる([[タタールの軛]])。<br /> * 1240年頃<br /> ** 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が[[カステル・デル・モンテ]]を建設。<br /> * 1241年<br /> ** [[ワールシュタットの戦い]]でモンゴルの[[バトゥ]]が[[ドイツ]]・ポーランド諸侯連合軍を破る。<br /> ** [[モヒの戦い]]でハンガリーが、[[オロモウツ]]の戦いでモラヴィアがモンゴル軍に敗北する。<br /> ** オゴデイ・ハーンが死去、その第六皇后[[ドレゲネ]]が摂政監国となる。<br /> ** [[リューベック]]と[[ハンブルク]]と間に商業同盟が結ばれる([[ハンザ同盟]]の起こり)。<br /> ** ラスール朝がアイユーブ朝から[[メッカ]]を奪取する。<br /> * 1242年<br /> ** 四条天皇が没し、第88代[[後嵯峨天皇]]が即位。<br /> ** [[北条経時]]が鎌倉幕府第4代執権に就任。<br /> ** ポワティエ伯[[ユーグ10世・ド・リュジニャン|ユーグ10世]]らによるフランス王ルイ9世への反乱。<br /> ** チュドー湖上の戦い(氷上の戦い)でノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーが[[ドイツ騎士団]]を破る。<br /> * 1243年<br /> ** クメール朝カンボジアで[[ジャヤーヴァルマン8世]]が即位し廃仏政策を行う( - [[1295年]])。<br /> ** [[キョセ・ダグの戦い]]で、モンゴル帝国がルーム・セルジューク朝に勝利する。<br /> ** バトゥが[[ヴォルガ川]]下流域の[[サライ (都市)|サライ]]を中心に独立する([[ジョチ・ウルス]](キプチャク・ハン国)の成立)。<br /> * 1244年<br /> ** [[藤原頼嗣]]が鎌倉幕府第5代将軍となる。<br /> ** [[道元]]が[[越前国|越前]][[永平寺]]を開く。<br /> ** エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される。<br /> ** 最後の[[カタリ派]]の根拠地[[モンセギュール]]が陥落する。<br /> * 1245年<br /> ** [[第1リヨン公会議]]。この会議の決定で[[プラノ・カルピニ]]がモンゴル帝国へ派遣される。<br /> ** [[フランドル伯|フランドル女伯]][[マルグリット2世 (フランドル女伯)|マルグリット2世]]が[[ブルージュ]]の[[フランドル地方のベギン会修道院群|ベギン会修道院]]を創設。<br /> ** ヤロスラヴの戦いで、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国がポーランド・ハンガリー連合軍に勝利。<br /> * 1246年<br /> ** 後嵯峨天皇が譲位し、第89代[[後深草天皇]]が即位。<br /> ** [[北条時頼]]が鎌倉幕府第5代執権に就任。[[宮騒動|寛元の政変]](宮騒動)。<br /> ** 摂政監国ドレゲネ召集のクリルタイでモンゴル帝国第3代皇帝[[グユク]]が即位。<br /> *** グユクに教皇使節プラノ・カルピニが会見する。<br /> ** ライタ川の戦いでのオーストリア公[[フリードリヒ2世 (オーストリア公)|フリードリヒ2世]]の戦死により、[[バーベンベルク家]]男系は断絶。<br /> * 1247年 - [[宝治合戦]](三浦氏の乱)。<br /> * 1248年<br /> ** フランス国王ルイ9世による[[第7回十字軍]]。<br /> ** パリ・[[シテ島]]の[[サント・シャペル]]教会が献堂される。<br /> ** [[ケルン大聖堂]]が着工される(最終的な完成は[[1880年]])。<br /> ** グユク・ハーンが死去。グユクの皇后オグルガイミシュが摂政監国として国政を担当。<br /> ** [[マリーン朝]]が[[フェズ]]を都として建国される。<br /> * 1249年 - [[アルガルヴェ]]地方の[[シルヴェス]]と[[ファロ]]を奪還し、ポルトガルの[[レコンキスタ]]が終了。<br /> <br /> === 1250年代 ===<br /> {{main|1250年代}}<br /> * 1250年<br /> ** [[マンスーラの戦い]]とファルスクールの戦いでエジプトの[[マムルーク]]軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。<br /> *** マムルーク軍団は[[トゥーラーン・シャー]]を倒し[[シャジャル・アッ=ドゥッル|シャジャル・アッ・ドゥッル]]を君主に擁立([[マムルーク朝]]成立)。<br /> ** [[スウェーデン]]王[[ビルイェル・ヤール]]による[[フィンランド]]遠征([[北方十字軍]])。<br /> * 1251年<br /> ** 伽耶山海印寺の[[高麗八萬大蔵経|高麗版大蔵経]]が完成する。<br /> ** {{仮リンク|1251年の羊飼い十字軍|en|Shepherds&#039; Crusade (1251)}}。<br /> ** モンゴル帝国第4代皇帝[[モンケ]]が即位。摂政監国だったオグルガイミシュが殺害される。<br /> * 1252年<br /> ** [[宗尊親王]]が鎌倉幕府第6代将軍となる。<br /> ** [[高徳院]]大仏(鎌倉大仏)が着工される。<br /> ** [[フィレンツェ]]で[[フローリン金貨]]が発行される(近代貨幣制度の先駆け)。<br /> * 1253年<br /> ** モンケ・ハーンの命による[[フレグの西征|フレグの征西]]が始まる。<br /> ** フビライの[[雲南・大理遠征]]により[[大理]]が降伏する。<br /> ** フランス国王ルイ9世の命で[[ウィリアム・ルブルック]]がモンゴル帝国に派遣される。<br /> ** 北条時頼が[[蘭渓道隆]]を開山に迎え[[建長寺]]が創建される。<br /> ** [[ハールィチ・ヴォルィーニ大公国|ハールィチ・ヴォルィーニ大公]][[ダヌィーロ・ロマーノヴィチ]]がローマ教皇[[インノケンティウス4世]]から[[ルーシ王]]の称号を授かる。<br /> * 1254年 <br /> ** 神聖ローマ皇帝[[コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)|コンラート4世]]死去([[大空位時代]]が始まる( - [[1273年]]))。<br /> *** [[ウィレム2世 (ホラント伯)|ホラント伯ウィレム]]が名目上の皇帝に選出され、「神聖ローマ帝国」の国号を初めて用いる。<br /> *** ケルンやマインツが[[ライン都市同盟]]を結成する。<br /> * 1255年 - ポルトガル王[[アフォンソ3世]]が[[コインブラ]]から[[リスボン]]に遷都。<br /> * 1256年<br /> ** [[北条長時]]が鎌倉幕府第6代執権に就任。<br /> ** 教皇[[アレクサンデル4世 (ローマ教皇)|アレクサンデル4世]]により各地の隠修士団体が統合され[[聖アウグスチノ修道会|聖アウグスティノ修道会]]が成立する。<br /> * 1257年 - アラムート城砦の[[ニザール派]]がモンゴルに降伏する。<br /> * 1258年<br /> ** モンゴルの[[フレグ]]が[[バグダード]]へ入城し、[[アッバース朝]]を滅ぼす。<br /> ** [[シモン・ド・モンフォール]]らが国王[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]に[[オックスフォード条項]]を認めさせる。<br /> *** 翌1259年に[[ウェストミンスター条項]]に拡大される。<br /> * 1259年<br /> ** [[モンケ]]が合州城近郊の釣魚山にて陣没。<br /> ** 後深草天皇が譲位し、第89代[[亀山天皇]]が即位。<br /> ** 崔氏政権が倒れ、高麗がモンゴルに降伏。<br /> ** ペラゴニアの戦いで、ニカイア帝国が[[エピロス専制侯国|エピロス]]・[[アカイア公国|アカイア]]・[[シチリア王国|シチリア]]連合軍に勝利する。<br /> <br /> === 1260年代 ===<br /> {{main|1260年代}}<br /> * 1260年<br /> ** [[クビライ]]が開平府にて即位し、[[カラコルム]]の[[アリクブケ]]と帝位を争い内戦になる。<br /> ** 元で基本通貨となる[[中国の貨幣制度史|交鈔]]「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。<br /> ** [[日蓮]]が『[[立正安国論]]』を著わし前執権の北条時頼に送る。<br /> ** マムルーク朝がモンゴル軍を[[アイン・ジャールートの戦い]]で破る。マムルーク朝スルタンに[[バイバルス]]が即位。<br /> ** フランスの[[シャルトル大聖堂]]が竣工し献堂式が行われる。<br /> ** モンタペルティの戦いで[[シエーナ]]がフィレンツェに勝利。<br /> * 1261年<br /> ** ニカイア帝国が[[ジェノヴァ]]とニュムファエウム条約を締結し、帝国内での特権を承認し軍事援助を引き出す。<br /> ** ニカイア帝国がラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回。<br /> *** 東ローマ帝国が復活し[[パレオロゴス朝]]の[[ミカエル8世パレオロゴス|ミカエル8世]]が即位。<br /> ** [[チベット仏教]][[サキャ派]]の僧侶[[パクパ|パスパ]]がモンゴル帝国の国師となる。<br /> * 1262年 - ベルケ・フレグ戦争。<br /> * 1263年 - ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。<br /> * 1264年<br /> ** アリクブケがクビライに投降し、年号が[[至元 (元世祖)|至元]]と改まる。<br /> ** [[北条政村]]が鎌倉幕府第7代執権に就任。<br /> ** ポーランドで[[カリシュの法令]]発布。<br /> ** [[第二次バロン戦争]]( - [[1267年]])。<br /> * 1265年<br /> ** 東ローマ皇帝ミカエル8世がモンゴル系諸国と同盟を結ぶ。<br /> *** [[フレグ・ウルス]]の[[アバカ]]には娘[[デスピナ (イルハン朝)|マリア]]を、[[ジョチ・ウルス]]の[[ノガイ]]には娘エウフロシュネーを娶わせる。<br /> ** 「ド・モンフォールの議会」でオックスフォード条項とマグナカルタが正式に承認される。<br /> *** 同年、国王ヘンリー3世はイーブシャムの戦いでシモン・ド・モンフォールを倒す。<br /> * 1266年<br /> ** [[惟康親王]]が鎌倉幕府第7代[[征夷大将軍|将軍]]となる。この年で『[[吾妻鏡]]』の記載が終わる。<br /> ** フランス王ルイ9世の弟[[カルロ1世 (シチリア王)|シャルル・ダンジュー]]がシチリア王カルロ1世となる。<br /> *** [[ベネヴェントの戦い]]でカルロ1世はフリードリヒ2世の庶子[[マンフレーディ]]を戦死させる。<br /> * 1268年<br /> ** [[北条時宗]]が鎌倉幕府第8代執権に就任。<br /> ** タリアコッツォの戦いでシチリア王カルロ1世がコンラート4世の子[[コッラディーノ]]に勝利。<br /> *** コッラディーノ処刑により[[ホーエンシュタウフェン家]]が完全に断絶する。<br /> ** マムルーク朝のバイバルスが[[アンティオキア]]を攻略し[[アンティオキア公国]]が滅亡する。<br /> ** 哲学者[[ロジャー・ベーコン]]がフランシスコ会で断罪され投獄される。<br /> * 1269年<br /> ** [[マリーン朝]]がムワッヒド朝を滅ぼす。<br /> ** [[パスパ文字]]が元の国字として公布される。<br /> <br /> === 1270年代 ===<br /> {{main|1270年代}}<br /> * 1270年<br /> ** フランス国王ルイ9世による[[第8回十字軍]]。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。<br /> ** パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。<br /> * 1271年<br /> ** クビライが[[大都]]を首都と定め、国号を大元(元)と称した。<br /> ** 高麗の世子(後の[[忠烈王]])がクビライの王女[[クトゥルク=ケルミシュ]]と結婚。<br /> ** マムルーク朝のバイバルスが十字軍の城[[クラック・デ・シュヴァリエ]]を攻略。<br /> * 1272年<br /> ** [[二月騒動]]で、北条氏名越流や時宗の異母兄[[北条時輔|時輔]]らが討伐される。<br /> * 1273年<br /> ** ハプスブルク家の[[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]が神聖ローマ帝国君主に選ばれ、大空位時代終わる。<br /> ** [[ボードゥアン2世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン2世]]の死去に伴い、シチリア王カルロ1世がラテン帝国継承権を獲得。<br /> ** モンゴルが[[済州島]](耽羅)を征服し、[[三別抄]]の乱が鎮圧される。<br /> ** モンゴルが[[襄陽・樊城の戦い]]で南宋の[[呂文煥]]を降伏させる。この戦いでイスラム式の[[回回砲]]が用いられる。<br /> ** [[トマス・アクィナス]]が『[[神学大全]]』の著述を終える。<br /> * 1274年<br /> ** [[第2リヨン公会議]]。<br /> ** [[元寇#文永の役|文永の役]]。<br /> * 1275年<br /> ** 北条時宗の命で元の使者[[杜世忠]]らを龍ノ口刑場で斬る。<br /> ** [[マリーン朝]]の[[アブー・ユースフ・ヤアクーブ]]がイベリア半島に上陸しエシハの戦いでカスティーリャ軍に勝利。<br /> * 1275年頃<br /> ** [[北条実時]]が[[称名寺 (横浜市)|称名寺]]に[[金沢文庫]]を創設する。 <br /> * 1276年<br /> ** [[博多湾]]に沿って[[防塁]]を築く。<br /> ** 元が南宋の首都臨安([[杭州市|杭州]])を降伏させる。<br /> ** エルビスターンの戦いで、マムルーク朝のバイバルスがモンゴル軍に勝利。同年バイバルスはダマスカスで病没。<br /> * 1277年<br /> ** パリ司教エティエンヌ・タンピエによる219命題の異端宣言。<br /> ** 地中海の[[ジェノヴァ]]の[[ガレー船]]が[[フランドル]]の[[ブリュージュ]]外港のズウィン湾に到着。<br /> *** これにより地中海から大西洋を経由し北海・バルト海を結ぶ商業航路が開かれる。<br /> * 1278年 - [[マルヒフェルトの戦い]]で神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。<br /> * 1279年<br /> ** 元が南宋を[[崖山の戦い]]で滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。<br /> ** 北条時宗が元の使者を再度斬首する。<br /> ** [[チョーラ朝]]と[[ホイサラ朝]]の連合軍が[[パーンディヤ朝]]軍に敗北し、チョーラ朝は滅亡。<br /> ** シチリア王カルロ1世が[[ナポリ]]のカステル・ヌォーヴォ(マスキオ・アンジョイーノ)を建設( - [[1282年]])。<br /> <br /> === 1280年代 ===<br /> {{main|1280年代}}<br /> * 1281年<br /> ** 亀山天皇が譲位し、第90代[[後宇多天皇]]が即位。<br /> ** [[元寇#弘安の役|弘安の役]]。<br /> ** 教皇[[マルティヌス4世 (ローマ教皇)|マルティヌス4世]]が東ローマ皇帝ミカエル8世を破門にする。<br /> * 1282年<br /> ** [[シチリアの晩禱]]事件。<br /> ** ウェールズ公[[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]がイングランド王エドワード1世に敗れ、ウェールズは独立を喪失。<br /> ** 神聖ローマ皇帝ルドルフ1世が[[オーストリア]]・[[シュタイアーマルク]]を獲得。<br /> ** 元への帰順を拒み南宋の遺臣[[文天祥]]が刑死する。<br /> ** 北条時宗が[[無学祖元]]を開山に迎え[[円覚寺]]が創建される。<br /> * 1283年<br /> ** 元で[[京杭大運河]](済州河・会通河・通恵河)の改修が始まる( - 1292年)。<br /> * 1284年<br /> ** [[北条貞時]]が鎌倉幕府第9代執権に就任。[[安達泰盛]]らによる[[弘安徳政]]の実施。<br /> ** ドイツ・[[ハーメルン]]で約130人の子供が集団失踪(「[[ハーメルンの笛吹き男]]」伝説のおこり)。<br /> ** ナポリ湾の海戦でアラゴン王ペドロ3世がナポリ王カルロ1世に勝利。アラゴン十字軍が始まる。<br /> ** メロリアの海戦で[[ジェノヴァ]]が[[ピサ]]に勝利し、[[ティレニア海]]の覇権を握る。<br /> * 1285年 - [[霜月騒動]]にて[[平頼綱]]が安達泰盛らを討つ。<br /> * 1287年<br /> ** 後宇多天皇が譲位し、第91代[[伏見天皇]]が即位。<br /> ** [[パガンの戦い]]で元が[[パガン朝]]を滅ぼす。<br /> ** 元で[[ナヤン]]・カダアンの乱( - [[1292年]])。<br /> ** 聖ルチア祭の洪水で、[[ゾイデル海]]の開口部が[[北海]]とつながる。<br /> * 1288年<br /> ** [[白藤江の戦い (1288年)|白藤江の戦い]]で[[陳朝]]ベトナムが元朝に勝利。<br /> ** イルハン朝の使節[[ラッバーン・バール・サウマ]]がローマ教皇[[ニコラウス4世]]ほか各国君主と会見。<br /> * 1289年<br /> ** [[久明親王]]が鎌倉幕府第8代将軍となる。<br /> ** マムルーク朝が十字軍支配の[[トリポリ]]を占領。<br /> <br /> === 1290年代 ===<br /> {{main|1290年代}}<br /> * 1290年<br /> ** [[浅原事件]]。<br /> ** イングランド王[[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]]が[[ユダヤ人]]追放令を布告。<br /> ** ポルトガル王国の[[ディニス1世]]が[[コインブラ大学]]を創設する。<br /> * 1291年<br /> ** マムルーク朝が十字軍の最後の拠点の[[アッコ]]を陥落させる。<br /> ** ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの三州による原初同盟が結ばれる([[スイス連邦]]の始まり)。<br /> ** 亀山法皇が[[無関普門]]を開山に迎え[[南禅寺]]が創建される。<br /> * 1293年<br /> ** [[九州]]に[[鎮西探題]]を置く。<br /> ** [[鎌倉大地震]]。この地震の混乱で[[平頼綱]]が誅殺される([[平禅門の乱]])。<br /> ** [[竹崎季長]]が『[[蒙古襲来絵詞]]』を完成させ、[[甲佐神社]]へ奉納する。<br /> * 1294年<br /> ** [[ヴィジャヤ]]が元朝をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。<br /> ** クビライが死去し、[[テムル]]がモンゴル帝国(元)の第6代大[[ハーン]]となる。<br /> ** 宣教師[[ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ]]が大都に到着。<br /> * 1295年<br /> ** [[バイドゥ (イルハン朝)|バイドゥ]]を倒した[[ガザン・ハン]](前年にイスラム教に改宗)が[[イルハン国]]の君主となる。<br /> ** イングランド王エドワード1世による[[模範議会]]が招集される。<br /> ** スコットランドとフランスが「[[古い同盟]]」を結ぶ。<br /> ** [[マルコ・ポーロ]]が[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]に帰国する。<br /> ** クメール朝カンボジアのジャヤーヴァルマン8世が崇仏派のインドラヴァルマン3世により暗殺される。<br /> * 1296年<br /> ** イングランド王エドワード1世が[[スコットランド王国|スコットランド]]より[[スクーンの石]]を奪う。<br /> ** 元の使節周達観がクメール朝カンボジアに来訪。<br /> * 1297年<br /> ** 鎌倉幕府が[[永仁の徳政令]]を出す。<br /> ** [[スターリング・ブリッジの戦い]]で、[[ウィリアム・ウォレス]]率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破。<br /> ** [[フランソワ・グリマルディ]]らが[[モナコ]]の要塞を占拠(モナコ公国の始まり)。<br /> * 1298年<br /> ** [[フォールカークの戦い]]で、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を撃破。<br /> ** [[コルチュラ島|コルチュラ]]の戦いでジェノヴァがヴェネツィアに勝利、マルコ・ポーロが捕虜となる。<br /> ** 伏見天皇が譲位し、第92代[[後伏見天皇]]が即位。<br /> * 1299年<br /> ** [[オスマン1世]]がイェニシェヒルを占領、ルーム・セルジューク朝から独立を宣言し[[オスマン朝]]成立。<br /> ** 元の成宗が禅僧[[一山一寧]]を使者として日本に送る。<br /> ** 『[[一遍聖絵]](一遍上人絵伝)』([[清浄光寺]]蔵)が描かれる。<br /> <br /> === 1300年代 ===<br /> {{main|1300年代}}<br /> * 1300年頃 - スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === モンゴル世界 ===<br /> * [[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]([[1167年]] - [[1227年]]) - モンゴル帝国の創始者(在位[[1206年]] - [[1227年]])<br /> * [[ジョチ]]([[1177年]]/[[1184年]]? - [[1225年]])- チンギス・ハーンの長男・[[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)]]の祖<br /> * [[チャガタイ]]([[1185年]]/[[1186年]]? - [[1242年]]) - チンギス・ハーンの次男・[[チャガタイ・ハン国|チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)]]の祖<br /> * [[オゴデイ]]([[1186年]] - [[1241年]]) - モンゴル帝国の第2代ハーン(在位[[1229年]] - [[1241年]])<br /> * [[グユク]]([[1206年]] - [[1248年]]) - モンゴル帝国の第3代ハーン(在位[[1246年]] - [[1248年]])<br /> * [[バトゥ]]([[1207年]] - [[1256年]]) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)のハン(在位[[1225年]] - [[1256年]])・ロシアや東欧を制圧<br /> * [[モンケ]]([[1209年]] - [[1259年]]) - モンゴル帝国の第4代ハーン(在位[[1251年]] - [[1259年]])<br /> * [[クビライ]] ([[1215年]] - [[1294年]]) - モンゴル帝国第5代ハーン(在位[[1260年]] - [[1294年]])・中国元朝(大元ウルス)の創始者<br /> * [[フレグ]]([[1218年]] - [[1265年]]) - [[イルハン朝|イル・ハン国(フレグ・ウルス)]]の創始者(在位[[1260年]] - [[1265年]])・アッバース朝を滅ぼす<br /> * [[アリクブケ]](? - [[1266年]]) - クビライの弟・クビライと帝位を争う([[モンゴル帝国帝位継承戦争]])<br /> * [[カイドゥ]](? - [[1301年]]) - オゴデイの孫・クビライに対し反乱を起こす(カイドゥの乱)<br /> * [[阿塔海|アタカイ]]([[1234年]] - [[1289年]]) - 元の将軍・日本討伐軍の総司令官・東路軍と江南軍を編成して戦うが敗北する<br /> * [[バヤン (バアリン部)|バヤン]]([[1236年]] - [[1294年]]) - 元の将軍・クビライの重臣・南宋討伐軍の総司令官として[[臨安市|臨安]]を降伏させる<br /> * [[アルグン]]([[1258年]]? - [[1291年]]) - イルハン朝の第4代君主(在位[[1284年]] - [[1291年]])・バール・サウマを教皇ニコラウス4世に派遣<br /> * [[ラッバーン・バール・サウマ]]([[1220年]]代 - [[1294年]]) - [[ネストリウス派]]キリスト教(景教)の聖職者・モンゴル帝国から欧州諸国を歴訪<br /> * [[ガザン・ハン|ガザン]]([[1271年]] - [[1304年]]) - イル・ハン国の第7代君主(在位[[1295年]] - [[1304年]])・アルグンの息子で[[イスラム教]]に改宗<br /> <br /> === イスラム世界 ===<br /> * [[ジャザリー]]([[1136年]] - [[1206年]]) - [[ジャズィーラ]]出身のアラブ人機械工学者・数学者・著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』で知られる<br /> * ラーヴァンディー(? - [[1207年]]以降) - ルーム・セルジューク朝に仕えた歴史家・同王朝の歴史書『胸の安らぎと喜びの証し』を執筆<br /> * [[ファリードゥッディーン・アッタール|アッタール]]([[1140年]]代頃 - [[1221年]]頃) - [[ペルシア]]の[[神秘主義]]詩人・代表作に『[[鳥の言葉]]』『神秘主義聖者列伝』がある<br /> * [[イブン・アスィール]]([[1160年]] - [[1233年]]) - ザンギ―朝に仕えた歴史家・『完史』『アターベク王朝における輝かしき歴史』の著作がある<br /> * [[イブン・アラビー]]([[1165年]] - [[1240年]]) - アンダルシア出身の[[スーフィズム|イスラム神秘主義者]]・「存在一性論」を提唱し『叡知の根源』を執筆<br /> * [[クトゥブッディーン・アイバク]](? - [[1210年]]) - 奴隷王朝の創始者で初代スルターン(在位[[1206年]] - [[1210年]])・[[クトゥブ・ミナール]]を建設<br /> * [[ムハンマド・ナースィル]](? - [[1213年]]) - ムワッヒド朝の第4代[[アミール]](在位[[1198年]] - [[1213年]])・[[ナバス・デ・トロサの戦い]]で敗北<br /> * [[ジャラールッディーン・メングベルディー]](? - [[1231年]]) - [[ホラズム・シャー朝]]の第8代スルターン(在位[[1220年]] - [[1231年]])・モンゴル軍の西征に抵抗<br /> * ヤフーヤ・イブン・マフムート・アル・ワーシト(13世紀前半) - バグダードの挿絵画家・[[アル・ハリーリー]]の『[[マカーマ (文学)|マカーマート]]』の挿絵で有名<br /> * ファリドゥッディーン・ガニシャカル([[1173年]] - [[1266年]]) - インドのイスラム神秘主義者・イスラム教と[[ヒンドゥー教]]の融和思想の基礎を築く<br /> * [[ヤークート・アル=ハマウィー]]([[1179年]] - [[1229年]]) - アナトリア出身の地理学者・『地理学辞典』の他に『学者文人事典』『類語辞典』を編纂<br /> * [[アル=カーミル]]([[1180年]] - [[1238年]]) - アイユーブ朝の第5代スルターン(在位[[1218年]] - [[1238年]])・エルサレムを一時十字軍に返還<br /> * [[サアディー]]([[1184年]]? - [[1291年]]?) - ペルシアの神秘主義詩人・『果樹園』『薔薇園』の著者・サアディー廟も有名<br /> * [[イブン・バイタール]]([[1188年]] - [[1248年]]) - アンダルシア出身の医師・植物学者。アル=カーミルに仕え『薬と栄養全書』ほかを執筆<br /> * ムハンマド1世([[1191年]] - [[1272年]]) - [[ナスル朝]]の初代君主(在位[[1238年]] - [[1272年]])・第三次ターイファ時代を制し[[グラナダ]]に勢力を確立<br /> * ジューズジャーニー([[1193年]]? - ?) - 奴隷王朝のイラン人歴史家・君主[[シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ|イルトゥトゥミシュ]]に仕え主著に『タバカーテ・ナースィリー』がある<br /> * [[ナスィールッディーン・トゥースィー]]([[1201年]] - [[1274年]]) - ペルシアの学者・『ナースィルの倫理学』や『イルハン天文表』がある<br /> * [[サーリフ]]([[1201年]] - [[1249年]]) - アイユーブ朝の第7代スルターン(在位[[1240年]] - [[1249年]])・エルサレムを十字軍から奪還<br /> * [[ラズィーヤ]]([[1205年]] - [[1240年]]) - 奴隷王朝の第4代スルターン(女性でスルターナ)(在位[[1236年]] - [[1240年]])・男装して政治を行うが殺害される<br /> * [[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]([[1207年]] - [[1273年]]) - ペルシアの神秘主義詩人・『シャムセ・タブリーズ詩集』の著者・[[メヴレヴィー教団]]の開基<br /> * [[アブー・ザカリーヤー1世]](? - [[1249年]]) - [[ハフス朝]]の建国者(在位[[1228年]] - [[1249年]])・ムワッヒド朝から独立し[[イフリーキヤ]]を支配<br /> * [[シャジャル・アッ=ドゥッル|シャジャル・アッ・ドゥッル]](? - [[1257年]]) - アイユーブ朝スルターンの[[サーリフ]]の夫人・マムルーク朝の初代スルターン(在位[[1250年]])<br /> * [[ムスタアスィム]]([[1212年]] - [[1258年]]) - バグダードのアッバース朝最後(第37代)の[[カリフ]](在位[[1242年]] - [[1258年]])<br /> * イブン・アル・ナフィス([[1213年]] - [[1288年]]) - シリア出身の医師・代謝の概念をまとめあげ「循環理論の父」と呼ばれる<br /> * [[バイバルス]](? - [[1277年]]) - マムルーク朝の第5代スルターン(在位[[1260年]] - [[1277年]])・十字軍やモンゴル軍を撃退した英雄<br /> * [[アブー=アブドゥッラー・ムハンマド・アル=ムスタンスィル|アル・ムスタンスィル]](? - [[1277年]]) - ハフス朝の第2代君主(在位[[1249年]] - [[1277年]])・[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の[[第8回十字軍]]を撃退<br /> * [[アブー・ユースフ・ヤアクーブ]](? - [[1286年]]) - [[マリーン朝]]の君主(在位[[1259年]] - [[1286年]])・ムワッヒド朝を滅ぼし「戦闘王」と呼ばれる<br /> * [[ギヤースッディーン・バルバン]](? - [[1287年]]) - 奴隷王朝の第9代スルターン(在位[[1266年]] - [[1287年]])・イルトゥトゥミシュ家を倒し恐怖政治を行う<br /> * [[アラーウッディーン・アターマリク・ジュヴァイニー|ジュヴァイニー]]([[1226年]] - [[1283年]]) - イルハン朝の政治家・歴史家・歴史書『[[世界征服者の歴史]]』の著者<br /> * [[アシュラフ・ハリール]](? - [[1293年]]) - マムルーク朝の第9代スルターン(在位[[1290年]] - [[1293年]])・十字軍の最後の要衝アッコを奪取<br /> * ユヌス・エムレ([[1240年]]頃 - [[1321年]]頃)- アナトリア西部出身の詩人・民衆の[[トルコ語]]をもっとも初期に用いた神秘主義詩人で近代文学にも影響<br /> * [[アミール・ホスロー]]([[1253年]] - [[1325年]]) - デリー・スルターン朝の諸王朝に仕えた詩人・宗教歌謡[[カッワーリー]]の祖で「インドの鸚鵡」と呼ばれる<br /> * [[イブン・タイミーヤ]]([[1263年]] - [[1328年]]) - マムルーク朝の[[神学者]]・ハンバル派法学者・イスラム神秘主義を批判し神と人間の絶対的不同を唱える<br /> * [[ジャラールッディーン・ハルジー]](? - [[1296年]]) - デリー・スルターン朝の[[ハルジー朝]]の創始者で初代スルターン(在位[[1290年]] - [[1296年]])<br /> <br /> === アフリカ ===<br /> * ゲブレ・メスケル・ラリベラ(生没年不詳) - [[エチオピア]]のザグウェ朝の王(在位13世紀前半)・[[ラリベラの岩窟教会群]]を建設<br /> <br /> === キリスト教世界 ===<br /> ==== 東ローマ帝国・ラテン帝国・ニカイア帝国 ====<br /> * [[アレクシオス4世アンゲロス]]([[1182年]] - [[1204年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1203年]] - [[1204年]])・第4回十字軍により帝位に就くが内紛で戦死<br /> * [[ボードゥアン1世 (ラテン皇帝)|ボードゥアン1世]]([[1172年]] - [[1205年]]) - [[ラテン帝国]]の初代皇帝(在位[[1204年]] - [[1205年]])・ブルガリア帝国との戦いで捕虜となり獄死<br /> * [[テオドロス1世ラスカリス]]([[1175年]]頃 - [[1222年]]) - ニカイア帝国の初代皇帝(在位[[1205年]] - [[1222年]])・第4回十字軍を逃れ亡命政権樹立<br /> * [[エンリコ・ダンドロ]]([[1107年]]? - [[1205年]]) - [[ヴェネツィア共和国]][[ドージェ|元首]]・第4回十字軍を東ローマ帝国に方向転換させる<br /> * [[ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン]]([[1150年]]頃 - [[1218年]]頃) - 歴史家・第4回十字軍に従軍し『コンスタンティノポリス征服記』を執筆<br /> * [[ジャン・ド・ブリエンヌ]]([[1148年]] - [[1237年]]) - エルサレム王(在位[[1210年]] - [[1212年]])・ラテン帝国皇帝(在位[[1231年]] - [[1237年]])<br /> * [[ニケタス・コニアテス]]([[1150年]] - [[1213年]]) - 東ローマ帝国の政治家・第4回十字軍に遭遇して亡命・歴史家として『年代記』を執筆<br /> * ゲオルギオス・アクロポリテス([[1217年]] - [[1282年]]) - 東ローマ帝国の帝都大学総長・[[第2リヨン公会議]]に出席・歴史家として『年代記』を執筆<br /> * [[ミカエル8世パレオロゴス|ミカエル8世]]([[1224年]] - [[1282年]]) - 東ローマ皇帝(在位[[1261年]] - [[1282年]])・ラテン帝国を滅ぼし[[パレオロゴス朝]]の創始者となる<br /> * グレゴリオス・パキュメレス([[1242年]] - [[1310年]]) - 東ローマ帝国の学者・アクロポリテスの著作を継ぐ『歴史』を書く・東西教会合同には反対<br /> <br /> ==== 東欧・カフカス ====<br /> * [[タマル (グルジア女王)|タマル・バグラティオニ]]([[1160年]]? - [[1213年]]) - [[グルジア]]の女王(在位[[1184年]] - [[1213年]])・セルジューク朝を駆逐しグルジア全盛を現出<br /> * [[カロヤン・アセン]]([[1168年]]/[[1169年]] - [[1207年]]) - [[第二次ブルガリア帝国]]の皇帝(在位[[1197年]] - [[1207年]])・ラテン帝国に勝利を収める<br /> * [[ショタ・ルスタヴェリ]]([[1172年]] - [[1216年]]) - グルジアの詩人・官吏としてタマル女王に仕える・長編叙事詩『[[豹皮の騎士]]』を残す<br /> * [[サワ (セルビア大主教)|サヴァ]]([[1174年]]頃 - [[1236年]]) - セルビアの初代大主教・父[[ステファン・ネマニャ]]とともにヒランダル修道院を設立・正教会の聖人<br /> <br /> * [[ミハイル2世 (キエフ大公)|ミハイル2世]]([[1179年]] - [[1246年]]) - チェルニゴフ公・キエフ大公(在位[[1238年]] - [[1246年]])・モンゴルに抵抗し殺害され聖人となる<br /> * [[ヘンリク2世]]([[1196年]]頃 - [[1241年]]) - [[ピャスト朝]]の[[ポーランド君主一覧|ポーランド大公]](在位[[1238年]] - [[1241年]])・ワールシュタットの戦いで戦死<br /> * [[ベーラ4世]]([[1206年]] - [[1270年]]) - [[アールパード朝]]のハンガリー国王(在位[[1235年]] - [[1270年]])・モンゴル軍により荒廃したハンガリーを復興させる<br /> * [[アレクサンドル・ネフスキー]]([[1220年]] - [[1263年]]) - [[ノヴゴロド公国|ノヴゴロド公]]・[[ウラジーミル・スーズダリ大公国|ウラジーミル大公]](在位[[1252年]] - [[1263年]])・中世ロシアの英雄<br /> * [[オタカル2世]]([[1230年]]? - [[1278年]]) - プシェミスル朝のボヘミア王(在位[[1253年]] - [[1278年]])・ルドルフ1世と神聖ローマ皇帝位を争い戦死<br /> <br /> ==== イタリア ====<br /> * [[インノケンティウス3世 (ローマ教皇)|インノケンティウス3世]]([[1161年]] - [[1216年]]) - [[ローマ教皇]](在位[[1198年]] - [[1216年]])・教皇権全盛期の教皇・ジョン王を屈服させる<br /> * [[グレゴリウス9世 (ローマ教皇)|グレゴリウス9世]]([[1143年]]? - [[1241年]]) - ローマ教皇(在位[[1227年]] - [[1241年]])・十字軍をめぐるフリードリヒ2世との確執で有名<br /> * [[レオナルド・フィボナッチ]]([[1170年]]頃 - [[1250年]]頃) - イタリアの数学者・『[[算盤の書]]』でアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入<br /> * ジャコモ・ダ・レンティーニ(? - [[1250年]]) - シチリア派の詩人・フリードリヒ2世の宮廷では公証人として活躍・[[ソネット]](十四行詩)の創始者<br /> * [[アッシジのフランチェスコ]]([[1182年]] - [[1226年]]) - イタリアの修道士・フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)の創設者<br /> * [[プラノ・カルピニ]]([[1182年]] - [[1252年]]) - フランシスコ会士・教皇[[インノケンティウス4世 (ローマ教皇)|インノケンティウス4世]]によってモンゴル帝国に派遣される<br /> * [[アッシジのキアラ]]([[1194年]] - [[1253年]]) - フランシスコ会女子修道会キアラ(クララ)会の創設者・「もう一人のフランチェスコ」と呼ばれる<br /> * [[パドヴァのアントニオ]]([[1195年]] - [[1231年]]) - ポルトガル生まれのフランシスコ会士・神学者・説教に優れ死後は[[教会博士]]となる<br /> * チェラーノのトマス([[1200年]]頃 - [[1265年]]頃) - フランシスコ会士・フランチェスコの『第一伝記』と『第二伝記』を執筆・聖歌「怒りの日」も有名<br /> * ジョヴァンニ・ダ・プロチダ([[1210年]] - [[1298年]]) - 皇帝フリードリヒ2世の侍医・アラゴンや東ローマと組み・[[シチリアの晩禱]]事件を画策したか<br /> * ブルネット・ラティーニ([[1210年]]頃 - [[1294年]]) - フィレンツェの政治家・詩人・[[ダンテ]]の師・当時の知識を網羅した百科全書『宝典』を編纂<br /> * [[ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス5世]]([[1210年]]頃 - [[1296年]]) - ローマ教皇(在位1294年)・有徳の修道士だったが急遽に教皇選出される・半年で退位し列聖される<br /> * [[ボナヴェントゥラ]]([[1221年]]? - [[1274年]]) - 神学者・[[枢機卿]]・フランシスコ会総長・熾天使博士・著作に『精神の神への道程』ほかがある<br /> * [[トマス・アクィナス]]([[1225年]]頃 - [[1274年]]) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・天使博士・『[[神学大全]]』で盛期[[スコラ学]]を代表<br /> * [[シャルル・ダンジュー]]([[1227年]] - [[1285年]]) - シチリア王(在位[[1266年]] - [[1282年]])・後にナポリ王(在位[[1282年]] - [[1285年]])<br /> * [[ヤコブス・デ・ウォラギネ]]([[1230年]]? - [[1298年]]) - [[ジェノヴァ]]の大司教・説教者・年代記作家・中世有数の聖人伝『[[レゲンダ・アウレア|黄金伝説]]』を執筆<br /> * ヤコポーネ・ダ・トーディ([[1230年]]頃 - [[1306年]]) - フランシスコ会士(聖霊派)・「[[スターバト・マーテル]]」などラウデ(宗教讃歌)で有名<br /> <br /> * [[チマブーエ]]([[1240年]] - [[1302年]]) - [[フィレンツェ]]の[[ゴシック]]期の画家・弟子[[ジョット]]の才能を見抜いた逸話でも知られる<br /> * モンテクローチェのリコルド([[1243年]]頃 - [[1320年]]) - イタリアのドミニコ会士・聖地巡礼をして西アジア各地を歴訪・『巡礼記』『護教論』がある<br /> * フォリーニョのアンジェラ([[1248年]] - [[1309年]]) - フランシスコ会女子修道会の修道女・主婦から転じて信仰生活に入り『幻視と教えの書』を残す<br /> * [[マルコ・ポーロ]]([[1254年]] - [[1324年]]) - ヴェネツィア商人・旅行家でモンゴル帝国各地を歴訪・『世界の記述(東方見聞録)』の著者<br /> <br /> ==== イベリア半島 ====<br /> * [[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]([[1155年]] - [[1214年]]) - [[カスティーリャ王]](在位[[1158年]] - [[1214年]])・[[ナバス・デ・トロサの戦い]]でムワッヒド朝に大勝<br /> * [[ドミニコ|ドミニコ・デ・グスマン]]([[1170年]] - [[1221年]]) - スペインの修道士・ドミニコ会(説教者兄弟会)の創設者<br /> * ライムンド・ペニャフォル([[1175年]]頃 - [[1275年]]) - スペインの修道士・ドミニコ会総長・教皇グレゴリウス9世に従い『教会教令集』を編纂<br /> * [[ハイメ1世 (アラゴン王)|ハイメ1世]](征服王)([[1208年]] - [[1276年]]) - アラゴン王(在位[[1213年]] - [[1276年]])・イスラム領の[[バレアレス諸島]]や[[バレンシア]]を征服<br /> * [[アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ10世]](賢王)([[1221年]] - [[1284年]]) - カスティーリャ国王(在位[[1251年]] - [[1282年]])・『[[アルフォンソ天文表]]』の編纂などで有名<br /> * [[ペドロ3世 (アラゴン王)|ペドロ3世]]([[1239年]] - [[1285年]]) - アラゴン王(在位[[1276年]] - [[1285年]])・[[コンスタンサ・デ・シシリア|シチリア王女]]と結婚・[[シチリアの晩禱]]事件で[[シチリア王]]となる<br /> * [[モーシェ・デ・レオン]]([[1250年]] - [[1305年]]) - カスティーリャのユダヤ教徒[[ラビ]]・[[カバラ|カバリスト]]・『柘榴の書』『ゾーハル』の著作がある<br /> <br /> ==== フランス ====<br /> * トゥールーズ伯レーモン6世([[1156年]] - [[1222年]]) - 南フランスの諸侯・フランス国王による[[アルビジョワ十字軍]]に対抗する<br /> * ギヨーム・ド・ロリス(? - [[1240年]]) - フランスの詩人・薔薇の蕾に心を奪われた若者の愛のアレゴリー『[[薔薇物語]]』正編の作者<br /> * [[ヴィラール・ド・オヌクール]](活躍時期[[1230年]] - [[1250年]]頃) - フランスの建築家・残された画帖は[[ゴシック様式]]の貴重な文献<br /> * ヘイルズのアレクサンデル([[1170年]]/[[1185年]] - [[1245年]]) - パリ大学教授・神学者(不可抗博士)・フランシスコ学派の祖・著作に『神学大全』がある<br /> * [[ブランシュ・ド・カスティーユ]]([[1188年]] - [[1252年]]) - フランス王ルイ8世の王妃・息子ルイ9世の幼少期と十字軍の不在の時期に摂政を務める<br /> * ヴァンサン・ド・ボーヴェ([[1190年]]頃 - [[1264年]]) - フランスのドミニコ会士・中世随一の百科全書『大いなる鏡』三部作を執筆<br /> * [[ペトルス・ペレグリヌス]](生没年不詳) - フランスの科学者・「磁気書簡(1269年)」で磁気の引力や磁化作用、南北極の区別について言及する<br /> * ロベール・ド・ソルボン([[1201年]] - [[1274年]]) - フランスの司祭・神学部の学生のための学寮を設置・後年その名が「ソルボンヌ大学」に転じる<br /> * エティエンヌ・タンピエ(? - [[1278年]]) - フランスのパリ司教・神学部での[[アリストテレス]]哲学講義に関し1270年と1277年に異端宣告を行う<br /> * [[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]](聖王)([[1214年]] - [[1270年]]) - フランス国王(在位[[1226年]] - [[1270年]])・[[第7回十字軍]]と[[第8回十字軍]]を指揮・チュニスで病没<br /> * ムールベケのグイレルムス([[1215年]]/[[1235年]]頃 - [[1286年]]頃) - フランスの翻訳者・アリストテレスの著作をギリシア語から直接翻訳しトマスに影響<br /> * [[ウィリアム・ルブルック|ギヨーム・ド・リュブリキ]]([[1220年]]? - [[1293年]]?) - フランシスコ会士・聖王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]によりモンゴルに派遣され『東方諸国旅行記』を残す<br /> * [[ジャン・ド・ジョアンビル]]([[1224年]] - [[1317年]]) - フランスの伝記作家・第8回十字軍に従軍しルイ9世の伝記『聖王ルイの生涯』を執筆<br /> * ジャン・ド・マン([[1240年]]頃 - [[1305年]]) - フランスの詩人・ギヨーム・ド・ロリスの正編を継いで『薔薇物語』続編を執筆する<br /> * ブラバンのシゲルス([[1240年]]頃 - [[1281年]]/[[1284年]]) - パリ大学の教授・[[イブン・ルシュド]](アヴェロエス)の哲学を導入し[[二重真理|二重真理説]]を提唱<br /> * [[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]([[1245年]] - [[1285年]]) - フランス国王(在位[[1270年]] - [[1285年]])・[[シチリアの晩禱]]事件からアラゴン十字軍を起こす<br /> <br /> ==== イングランド ====<br /> * [[ジョン (イングランド王)|ジョン]](欠地王) ([[1167年]] - [[1216年]]) - イングランド王(在位[[1199年]] - [[1216年]])・大陸領土を喪失・教皇に破門される・[[大憲章]]を承認<br /> * [[ロバート・グロステスト]]([[1175年]]? - [[1253年]]) - イングランドのリンカーン司教・[[オックスフォード大学]]総長・光学や自然哲学に貢献<br /> * マシュー・パリス([[1200年]]頃 - [[1259年]]) - イングランドの歴史家・セントオルバーンズ修道院に所属し『大年代記(クロニカ・マヨラ)』を執筆<br /> * [[ヘンリー・ブラクトン]](? - [[1268年]]) - イングランドの[[ローマ法]]学者で聖職者・「国王といえども神と法の下にある」の句は有名<br /> * [[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]([[1207年]] - [[1272年]]) - イングランド王(在位[[1216年]] - [[1272年]])・諸侯の反乱を受けて議会の設置に同意する<br /> * [[シモン・ド・モンフォール]]([[1208年]] - [[1265年]]) - イングランド貴族(第6代[[レスター伯]])・国王ヘンリー3世に対抗し議会を整備<br /> * [[ロジャー・ベーコン]]([[1214年]] - [[1294年]]) - イングランドの[[哲学者]]・神学者・驚嘆博士・近代科学の先駆者とされる<br /> * [[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]([[1228年]]頃 - [[1282年]]) - イングランド王エドワード1世による征服以前の[[ウェールズ]]独立時代最後の公<br /> * [[エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世]](長脛王)([[1239年]] - [[1307年]]) - イングランド王(在位[[1272年]] - [[1307年]])・[[ウェールズ]]を征服・[[模範議会]]を開く<br /> <br /> ==== スコットランド ====<br /> * [[アレグザンダー2世 (スコットランド王)|アレグザンダー2世]] ([[1189年]] - [[1249年]]) - アサル朝のスコットランド王(在位[[1214年]] - [[1249年]])・ヨーク条約で国境を画定 <br /> * [[アレグザンダー3世 (スコットランド王)|アレグザンダー3世]] ([[1241年]] - [[1286年]]) - アサル朝最後のスコットランド王(在位[[1249年]] - [[1286年]])・ヘブリディーズ諸島を獲得<br /> * [[マーガレット (スコットランド女王)|マーガレット]] ([[1283年]] - [[1290年]])- スコットランド女王(在位[[1286年]] - [[1290年]])・アレグザンダー3世の外孫・夭折し王統は断絶<br /> * [[ジョン・ベイリャル (スコットランド王)|ジョン・ベイリャル]] ([[1250年]] - [[1315年]]) - スコットランド王(在位[[1292年]] - [[1296年]])・イングランドに敗北し[[スクーンの石]]を奪われる<br /> <br /> ==== 神聖ローマ帝国 ====<br /> * [[ハルトマン・フォン・アウエ]]([[1160年]]頃 - [[1210年]]頃) - 詩人・業病に侵された騎士と清純な乙女を描いた物語『[[哀れなハインリヒ]]』の作者<br /> * [[ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ]]([[1160年]]/[[1180年]]頃 - [[1220年]]以後) - 詩人・[[ミンネザング|ミンネザンガー]]・叙事詩『パルチヴァール』で有名<br /> * [[ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ]]([[1170年]]頃 - [[1230年]]頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙情詩「菩提樹の下で」や政治詩がある<br /> * [[ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク]]([[1170年]]頃 - [[1210年]]頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙事詩『[[トリスタン]]』は長編だが未完で終了<br /> * [[オットー4世 (神聖ローマ皇帝)|オットー4世]]([[1175年]] - [[1218年]]) - 神聖ローマ皇帝(在位[[1209年]] - [[1215年]])・ブーヴィーヌの戦いでジョン王と組んで敗北する<br /> * [[アイケ・フォン・レプゴー]]([[1180年]] - [[1235年]]) - 行政官・ドイツ語として最古の散文文書であり法書である『[[ザクセンシュピーゲル]]』を編纂<br /> * ハイスターバッハのカエサリウス([[1180年]]頃 - [[1240年]]頃) - シトー会修道士・奇談を多く含んだ聖人伝『奇跡についての対話』をまとめる<br /> * [[コンラート・フォン・マールブルク]]([[1180年]]/[[1190年]]頃 - [[1233年]]) - 異端審問官・聖女エリーザベトの告解師父・異端審問を憎まれ暗殺される<br /> * [[アルベルトゥス・マグヌス]]([[1193年]]頃 - [[1280年]]) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・普遍博士・トマス・アクィナスの師・錬金術でも有名<br /> * [[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ2世]]([[1194年]] - [[1250年]]) - [[ホーエンシュタウフェン朝]]の神聖ローマ皇帝(在位[[1215年]] - [[1250年]])・第6回十字軍に参加<br /> * [[タンホイザー]](? - [[1265年]]以降) - 詩人・ミンネザンガー・[[フリードリヒ2世 (オーストリア公)|オーストリア公フリードリヒ2世]]に仕える・[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の[[オペラ]]の主人公でもある<br /> * [[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]([[1218年]] - [[1291年]]) - [[ハプスブルク家]]における最初の[[神聖ローマ帝国]]君主(ローマ王)(在位[[1273年]] - [[1291年]])<br /> * [[ルトガルディス (聖人)|ルトガルディス]]([[1182年]] - [[1246年]]) - フランドルの[[シトー会]]修道女・神秘家・幻視や聖痕にまつわる生涯をまとめた聖人伝でも有名<br /> * [[エルジェーベト (ハンガリー王女)|エリーザベト]]([[1207年]] - [[1231年]]) - ハンガリー王女・[[テューリンゲン方伯]][[ルートヴィヒ4世 (テューリンゲン方伯)|ルートヴィヒ4世]]の妻・修道女となり死後列聖される<br /> * [[マクデブルクのメヒティルト]]([[1210年]] - [[1279年]]) - ベギン会の女性・後にヘルフタ修道院に居住・神秘家・著作に『神性の流れる光』がある<br /> * [[ハッケボルンのメヒティルト]]([[1240年]]/[[1241年]] – [[1298年]]/[[1299年]]) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『特別な恩寵の書』がある<br /> * [[ヘルフタのゲルトルード]]([[1256年]] - [[1302年]]) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『神の愛の使者』があり大ゲルトルードと呼ばれる<br /> <br /> ==== 北欧 ====<br /> * [[スノッリ・ストゥルルソン]]([[1178年]]/[[1179年]] - [[1241年]]) - [[アイスランド]]の政治家・歴史家・『[[ヘイムスクリングラ]]』『[[スノッリのエッダ]]』を執筆<br /> * [[ホーコン4世 (ノルウェー王)|ホーコン4世ホーコンソン]](老王)([[1204年]] - [[1263年]]) - ノルウェーの国王(在位[[1217年]] - [[1263年]])・国内体制を整え王国に最盛期をもたらす<br /> * ビルイェル・ヤール(? - [[1266年]]) - [[スウェーデン]]の政治家・[[北方十字軍]]を指揮・息子ヴァルデマールを国王に擁立しフォルクンガ朝の祖となる<br /> <br /> === 南アジア・チベット・東南アジア ===<br /> * シャキャーシュリーバトラ([[1127年]] - [[1225年]]) - インドのヴィクラマシーラ寺院最後の学頭・寺院破却後はチベットに亡命し仏教を伝える<br /> * [[サキャ・パンディタ]]([[1182年]] - [[1251年]]) - [[チベット]]の[[サキャ派]]の座主・シャーキャシュリーパドラの法を継ぐ・パクパは甥<br /> * [[マーダヴァ]]([[1199年]] - [[1278年]]) - インドの思想家・ヴィシュヌ派からマドヴァ派を起こしシャンカラ派と対立・主著は『ブラフマ・スートラ注解』<br /> * [[パクパ]](パスパ)([[1235年]] - [[1280年]]) - チベットのサキャ派の座主・元のクビライに招請され帝師となり[[パスパ文字]]を作成<br /> * ナラシンハ・デーヴァ1世(? - [[1264年]]) - インドの[[東ガンガ朝]]の君主(在位[[1238年]] - [[1264年]])・[[コナーラクのスーリヤ寺院]]を建設<br /> * [[ジャヤーヴァルマン8世]](? - [[1295年]]) - カンボジアのクメール朝第22代国王(在位[[1243年]] - [[1295年]])・廃仏を行う・周達観が来訪<br /> * ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(? - [[1268年]]) - [[パーンディヤ朝]]の君主(在位[[1251年]] - [[1268年]])・貿易により最盛期を現出<br /> * ルドラマ・デーヴィー(? - [[1289年]]/[[1295年]]) - [[カーカティーヤ朝]]の女性君主(在位[[1263年]] - [[1289年]]/[[1295年]]) ・善政と繁栄ぶりで有名<br /> * マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(? - [[1309年]]) - パーンディヤ朝の君主(在位[[1268年]] - [[1309年]])・[[チョーラ朝]]を滅ぼして領土を拡大<br /> * [[ラームカムヘーン]](大王)([[1239年]] - [[1317年]]) - タイの[[スコータイ朝]]第3代国王(在位[[1277年]] - [[1317年]])・[[タイ文字]]作成・[[上座部仏教]]を導入<br /> <br /> === 東アジア ===<br /> ==== 南宋・金・元 ====<br /> * [[丘長春]](長春真人)([[1148年]] - [[1227年]]) - 金末期からモンゴル帝国初期の[[全真教]]の道士<br /> * [[韓タク冑|韓侂冑]]([[1152年]] - [[1207年]]) - 南宋の[[中国の宰相|宰相]]・[[慶元の党禁]]で活躍・[[開禧北伐|開禧の北伐]]に失敗し処刑される<br /> * [[馬遠]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある<br /> * [[夏珪]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある<br /> * [[史弥遠]]([[1164年]] - [[1233年]]) - 南宋の宰相・[[韓侂冑]]を倒し金と和議を結ぶ(嘉定の和議)・[[寧宗 (宋)|寧宗]]没後に[[理宗]]を擁立 <br /> * [[真徳秀]]([[1178年]] - [[1235年]]) - 南宋の政治家・皇帝[[理宗]]の側近として政治改革(端平更化)を行うが頓挫する<br /> * [[無準師範]]([[1178年]] - [[1249年]]) - 南宋の禅僧(仏鑑禅師)・中国五山第一万寿寺の住持・弟子に[[無学祖元]]や[[牧谿]]がいる<br /> * 無門慧開([[1183年]] - [[1260年]]) - 南宋の禅僧(仏眼禅師)・[[杭州]]の霊洞山護国仁王寺住持・公案集でもある『[[無門関]]』を編纂<br /> * [[張即之]]([[1186年]] - [[1266年]]) - 南宋の官僚・書家・代表作に楷書「金剛般若波羅蜜経」がある・日本の禅林にもその書が招来される <br /> * [[耶律楚材]]([[1190年]] - [[1244年]]) - モンゴル帝国の官僚・[[遼]]の[[契丹族]]の末裔・戸籍や税制で功績があったか<br /> * [[孟珙]]([[1195年]] - [[1246年]]) - 南宋の将軍・金の滅亡に貢献・[[モンゴル・南宋戦争|モンゴル帝国との戦い]]では南宋の防衛線を守り通す<br /> * [[郭侃]](? - [[1277年]]) - モンゴル帝国の将軍・[[フレグの西征]]や[[バグダードの戦い]]で活躍・後にフレグを離れフビライに仕える<br /> * [[賈似道]]([[1213年]] - [[1275年]]) - 南宋末期の宰相・[[度宗]]のもとで専権を極める・[[モンゴル・南宋戦争|モンゴル南宋戦争]]で敗退し失脚<br /> * [[蘭渓道隆]]([[1213年]] - [[1278年]]) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無明慧性の弟子)・[[鎌倉]][[建長寺]][[開山 (仏教)|開山]]<br /> * [[無学祖元]]([[1226年]] - [[1286年]]) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無準師範の弟子)・鎌倉[[円覚寺]]開山<br /> * [[牧谿]](生没年不詳) - 南宋の禅僧(無準師範の弟子)・法名は法常・[[水墨画|水墨画家]]・「[[瀟湘八景]]図巻」などが日本に招来される<br /> * 玉澗(生没年不詳) - 南宋の禅僧(杭州天竺寺書記)・法名は若芬・水墨画家・「瀟湘八景図」や「廬山図」などが日本に招来される<br /> * 呉自牧(生没年不詳) - 南宋の文人・首都臨安の記録である『夢梁録』を執筆<br /> * [[謝枋得]]([[1226年]] - [[1289年]]) - 南宋末期の政治家・学者・元には仕えずに唐宋の文章から『[[文章軌範]]』を撰述<br /> * [[曾先之]](生没年不詳) - 南宋末期の学者・元には仕えずに正史の要約本『[[十八史略]]』を執筆<br /> * [[呂文煥]](生没年不詳) - 南宋末期の軍人・襄陽の守将となり襄陽樊城の戦いで奮戦するも降伏・後に元軍に従い臨安開城などで活躍<br /> * [[蒲寿庚]](生没年不詳) - 南宋から元の[[泉州市|泉州]]の貿易商人・アラブ系イスラム教徒・南宋を裏切り元の水軍司令官となる<br /> * [[アフマド・ファナーカティー]](? - [[1282年]]) - 元の財務官僚・ムスリム式の徴税制度を導入し実権を握るが反発を招き暗殺される<br /> * [[范文虎]](? - [[1301年]]) - 南宋から元の軍人・賈似道の娘婿・[[襄陽・樊城の戦い|襄陽包囲戦]]で降伏してから元に仕え日本討伐の江南軍司令官となる<br /> * [[郭守敬]]([[1231年]] - [[1316年]]) - 元に仕えた水利事業家・天文学者・暦学者で「[[授時暦]]」を作成<br /> * [[銭選]]([[1235年]]頃 - [[1301年]]以降) - 南宋から元の文人画家・篆刻家・趙孟頫と交流するも元には仕えず・「宮女図」がある<br /> * [[陸秀夫]]([[1236年]] - [[1279年]]) - 南宋末期の宰相・[[崖山の戦い]]で[[祥興帝|帝昺]]とともに入水・亡宋の三傑の一人<br /> * [[張世傑]](? - [[1279年]]) - 南宋末期の軍人・崖山の戦いの後に再起を図るが遭難死・亡宋の三傑の一人<br /> * [[文天祥]]([[1236年]] - [[1282年]]) - 南宋の軍人・政治家・元朝に仕えることを拒否し刑死・亡宋の三傑の一人<br /> * [[一山一寧]]([[1247年]] - [[1317年]]) - 元の成宗[[テムル]]より遣わされた渡来僧・後に日本の建長寺ほかの住持を歴任<br /> * [[馬致遠]]([[1250年]] - [[1321年]]) - 元の劇作家・匈奴に降嫁した王昭君の故事を題材とする[[元曲]]「[[漢宮秋]]」の作者<br /> * [[趙孟フ|趙孟頫]]([[1254年]] - [[1322年]]) - 南宋から元の政治家・書家・画家・宋王室の一族・著作に『松雪斎集』がある<br /> * [[鮮于枢]]([[1257年]] - [[1302年]]) - 元の政治家・書家・詩人・著作に『困学斎集』がある<br /> * [[王実甫]]([[1260年]] - [[1336年]]) - 元の劇作家・書生張君瑞と宰相の娘崔鶯鶯の恋愛を題材とする元曲「[[西廂記]]」の作者<br /> * [[周達観]]([[1266年]] - [[1346年]]) - 元からクメール朝カンボジアに派遣された使節・『真臘風土記』を著し「富貴真臘」と讃える<br /> <br /> ==== 大越 ====<br /> * [[陳興道]]([[1228年]] - [[1300年]]) - 大越陳朝の王族・[[陳仁宗]]を補佐し総司令官となる・元軍を[[白藤江の戦い (1288年)|白藤江の戦い]]で撃破<br /> <br /> ==== 高麗 ====<br /> * [[高宗 (高麗王)|高宗]]([[1192年]] - [[1259年]]) - 第23代高麗王(在位[[1213年]] - [[1259年]])・モンゴルに服属・[[高麗八萬大蔵経]]でも有名<br /> * [[一然]]([[1206年]] - [[1289年]]) - 高麗の禅僧(普覚国尊一然)・朝鮮三国時代の重要史料である『[[三国遺事]]』を撰述する<br /> <br /> === 日本 ===<br /> * [[法然]]([[1133年]] - [[1212年]]) - [[浄土宗]]開祖・専修念仏を唱え『[[選択本願念仏集]]』を著す・親鸞の師<br /> * [[北条時政]]([[1138年]] - [[1215年]]) - 鎌倉幕府初代執権(在位[[1203年]] - [[1205年]])・梶原氏や比企氏を幕政から排除<br /> * [[栄西]]([[1141年]] - [[1215年]]) - [[臨済宗]]開祖・『興禅護国論』の著者・京都[[建仁寺]]ならびに鎌倉[[寿福寺]]開山<br /> * [[運慶]](? - [[1224年]]) - [[仏師]]・[[快慶]]らとともに[[慶派]]を大成・[[東大寺]][[南大門]][[金剛力士]]像などが代表作<br /> * [[藤原隆信]]([[1142年]] - [[1205年]]) - [[歌人]]・画家として伝「[[源頼朝]]像」など[[似絵]]を描いたとされる<br /> * [[和田義盛]]([[1147年]] - [[1213年]]) - 鎌倉幕府[[侍所]]別当・有力御家人であったが[[和田合戦]]で敗北し一族は滅亡<br /> * [[大江広元]]([[1148年]] - [[1225年]]) - 源頼朝の側近・鎌倉幕府の[[政所]]初代別当・承久の乱では主戦論を唱える<br /> * [[慈円]]([[1155年]] - [[1225年]]) - [[天台宗]]の僧([[天台座主]])・歌人・九条兼実の同母弟・『愚管抄』の著者<br /> * [[貞慶]]([[1155年]])- [[1213年]]) - [[法相宗]]の僧・[[笠置寺]]や[[海住山寺]]を再興・「解脱上人」と呼ばれる<br /> * [[鴨長明]]([[1155年]] - [[1216年]]) - [[神官]]・歌人・随筆『[[方丈記]]』の著者・歌論書『[[無名抄]]』や説話『[[発心集]]』もある<br /> * [[藤原兼子]]([[1155年]] - [[1229年]]) - 後鳥羽院の乳母・通称は卿局・鎌倉幕府との交渉に手腕を発揮し院政に重きをなす<br /> * [[北条政子]]([[1157年]] - [[1225年]]) - 源頼朝の正室・頼家と実朝の母・「尼将軍」と呼ばれ実朝暗殺以後の幕政を指導<br /> * [[藤原定家]]([[1162年]] - [[1241年]]) - [[公卿]]・権中納言・歌人で『新古今和歌集』『[[新勅撰和歌集]]』を編纂<br /> * [[北条義時]]([[1163年]] - [[1224年]]) - 鎌倉幕府第2代執権(在位[[1205年]] - [[1224年]])・承久の乱で勝利する<br /> * [[三浦義村]](? - [[1239年]]) - 鎌倉幕府侍所所司・評定衆・有力御家人として北条氏に次ぐ宿老とされる<br /> * [[畠山重忠]]([[1164年]] - [[1205年]]) - [[御家人]]・「坂東武士の鑑」と称されたが[[畠山重忠の乱]]で滅ぼされる<br /> * [[俊芿]]([[1166年]] - [[1227年]]) - [[真言宗]]の僧・渡宋の後に[[泉涌寺]]を再興・「月輪大師」と呼ばれる<br /> * [[西園寺公経]]([[1171年]] - [[1244年]]) - 公卿・[[太政大臣]]・[[西園寺家]]の祖・[[関東申次]]として承久の乱後の朝廷を支配<br /> * [[親鸞]]([[1173年]] - [[1262年]]) - [[浄土真宗]]開祖・法然の弟子・『[[教行信証]]』の著者・[[本願寺]][[大谷家]]の祖<br /> * [[明恵]]([[1173年]] - [[1232年]]) - [[華厳宗]]の僧・[[栂尾]]の[[高山寺]]開山・戒律の復興に尽くし『[[摧邪輪]]』や『夢記』を残す<br /> * [[後鳥羽天皇]]([[1180年]] - [[1239年]]) - 第82代[[天皇]](在位[[1185年]] - [[1198年]])・[[太上天皇|上皇]]となり承久の乱を起こす<br /> * [[源頼家]]([[1182年]] - [[1204年]]) - 鎌倉幕府第2代将軍(在任[[1202年]] - [[1203年]])・伊豆修善寺にて殺害される<br /> * [[北条泰時]]([[1183年]] - [[1242年]]) - 鎌倉幕府第3代執権(在任[[1224年]] - [[1242年]])・「御成敗式目」を制定<br /> * [[源実朝]]([[1192年]] - [[1219年]]) - 鎌倉幕府第3代将軍(在任[[1203年]] - [[1219年]])・私家集に『[[金槐和歌集]]』がある<br /> * [[順徳天皇]]([[1197年]] - [[1242年]]) - 第84代天皇(在位[[1210年]] - [[1221年]])・承久の乱で[[佐渡]]に流刑・『[[禁秘抄]]』を残す<br /> * [[少弐資能]]([[1198年]] - [[1281年]]) - 御家人・鎌倉幕府の[[鎮西奉行]]・大宰少弐・元寇では日本側の総司令官となる<br /> * [[道元]] ([[1200年]] - [[1253年]]) - [[曹洞宗]]開祖・入宋して禅を学ぶ・『[[正法眼蔵]]』の著者・越前[[永平寺]]開山<br /> * [[叡尊]]([[1201年]] - [[1290年]]) - [[真言律宗]]の僧・[[奈良]][[西大寺 (奈良市)|西大寺]]の復興を果たす・謚号は興正菩薩<br /> * [[円爾]]([[1202年]] - [[1280年]]) - 臨済宗の僧・入宋して無準師範の法を嗣ぐ・京都[[東福寺]]開山・諡号は聖一国師<br /> * [[忍性]]([[1217年]] - [[1303年]]) - 真言律宗の僧・叡尊の弟子で鎌倉[[極楽寺 (鎌倉市)|極楽寺]]開山・病者や[[非人]]の救済に尽くす<br /> * [[藤原頼経]]([[1218年]] - [[1256年]]) - 鎌倉幕府第4代将軍(在任[[1226年]] - [[1244年]])・摂家の[[九条道家]]の子<br /> * [[藤原頼嗣]]([[1239年]] - [[1256年]]) - 鎌倉幕府第5代将軍(在任[[1244年]] - [[1252年]])・第4代将軍頼経の子<br /> * [[後嵯峨天皇]]([[1220年]] - [[1272年]]) - 第88代天皇(在位[[1242年]] - [[1246年]])・[[持明院統]]と[[大覚寺統]]の両統分裂をもたらす<br /> * [[日蓮]]([[1222年]] - [[1282年]]) - [[日蓮宗]]開祖・『[[立正安国論]]』の著者・[[身延山]][[久遠寺]]ならびに[[池上本門寺]]開山<br /> * [[阿仏尼]]([[1222年]]? - [[1283年]]) - [[女院]]付きの[[女房]](安嘉門院四条)・女流歌人・『[[十六夜日記]]』ほかを残す<br /> * [[北条実時]]([[1224年]] - [[1276年]]) - 北条氏一門の[[北条氏 (金沢流)|金沢流]]の祖・[[引付衆]]や[[評定衆]]を歴任・[[金沢文庫]]の創設者<br /> * [[北条時頼]]([[1227年]] - [[1263年]]) - 鎌倉幕府第5代執権(在任[[1246年]] - [[1256年]])・[[宝治合戦]]で勝利し幕政を安定させる<br /> * [[安達泰盛]]([[1231年]] - [[1285年]]) - [[御家人]]・時宗死後に[[弘安徳政]]を指導するが[[霜月騒動]]で落命する<br /> * [[一遍]]([[1239年]] - [[1289年]]) - [[時宗]]開祖・遊行による「踊念仏」を勧める・「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」でも有名<br /> * [[凝然]]([[1240年]] - [[1321年]]) - 華厳宗の僧・東大寺戒壇院住持・著述は1200巻にも及ぶ・『八宗綱要』は仏教研究に不可欠の文献<br /> * [[宗尊親王]]([[1242年]] - [[1274年]]) - 鎌倉幕府第6代将軍(在任[[1252年]] - [[1266年]])・後嵯峨天皇の皇子で最初の皇族将軍<br /> * [[竹崎季長]]([[1246年]] - ?) - [[御家人]]・元寇で奮戦するも恩賞不足に苦しむ・「[[蒙古襲来絵詞]]」で知られる<br /> * [[北条時宗]]([[1251年]] - [[1284年]]) - 鎌倉幕府第8代執権(在任[[1268年]] - [[1284年]])・幕府の中枢にあって元寇を斥ける<br /> * 浅原為頼(? - [[1290年]]) - 武将・甲斐源氏小笠原の一族・[[伏見天皇]]暗殺を謀り宮中に乱入・失敗して自殺する([[浅原事件]])<br /> * [[平頼綱]](? - [[1293年]]) - [[内管領]]・霜月騒動に勝利し権力を握るが[[平禅門の乱]]で落命する<br /> * [[惟康親王]]([[1264年]] - [[1326年]]) - 鎌倉幕府第7代将軍(在任[[1266年]] - [[1289年]])・第6代将軍宗尊親王の子<br /> * [[北条貞時]]([[1271年]] - [[1311年]]) - 鎌倉幕府第9代執権(在任[[1284年]] - [[1301年]])・得宗権力を拡大し[[永仁の徳政令]]を出す<br /> * [[久明親王]]([[1276年]] - [[1328年]]) - 鎌倉幕府8代将軍(在任[[1289年]] - [[1308年]])・[[後深草天皇]]の皇子<br /> <br /> == フィクションのできごと ==<br /> <br /> * 1204年 - [[第四回十字軍]]による[[コンスタンティノポリス]]占領の混乱で窮地に追い詰められた東ローマ帝国の高官・歴史家[[ニケタス・コニアテス]]は危機一髪のところをラテン人バウドリーノに救出される。バウドリーノは奇想天外な人生の顛末をニケタスに語り始める([[ウンベルト・エーコ]]『バウドリーノ』)。<br /> * 1205年 - [[栂ノ尾]][[高山寺]]の[[明恵]]が入唐渡天を志し、[[春日明神]]に暇乞いをする。一人の翁が現れて明恵の出立を止めるように申し入れる。老人は春日神社の使者で、[[八大龍王]]が眷属を引き連れて現れ、諸仏が居並ぶ中で釈迦が説法をする様子を見せると、明恵はこの奇跡を見て入唐渡天を思い止まる(能「春日龍神」)。<br /> * 1213年 - 北条氏に反発した侍所別当[[和田義盛]]らが反乱を起こし([[和田合戦]])、多くの和田一族の多くが滅せられる中で、義盛の三男[[朝比奈義秀|朝比奈三郎義秀]]は生き残り[[安房国]]に出奔。この後、高麗に渡ったという伝説のほか小人の島や馬人の島を訪ねたとも伝えられ、果ては地獄をめぐり閻魔大王と対決したという伝承も残されている(「朝比奈三郎伝説」)。<br /> * 1220年頃 - [[アルプス]]を南北につなぐ[[ゴッタルド峠]]はかねてから交通の難所で、ある牧人が悪魔に頼み込んで特別な橋を架けてもらう。悪魔はその引き換えに生贄を要求するが、機転を利かした牧人によって悪魔は退けられる([[ゴッタルド峠]]の[[魔橋]]伝説)。<br /> * 1239年以降 - [[ギベリン|皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)]]の対立する[[ヴェローナ]]で[[ロミオとジュリエット]]の悲劇が起こる([[ウィリアム・シェークスピア]]の悲劇)。<br /> * 1256年以降 - 1263年以前 - 僧形となった[[北条時頼]]が諸国遍歴の途上、下野の[[御家人]][[佐野源左衛門|佐野源左衛門尉常世]]の館で一夜の宿をとる([[謡曲]]『[[鉢の木]]』)。<br /> * 1261年 - 1264年 - 愛欲生活を続けてきた[[タンホイザー]]が教皇[[ウルバヌス4世 (ローマ教皇)|ウルバヌス4世]]に懺悔するが、教皇は自分の持つ枯れ木の杖から芽が出るまで救われることはないと告げる。悲嘆に暮れるタンホイザーがその場を立ち去ると、教皇の杖から新たな芽が生えてきたが、ついに彼を見つけ出すことはできなかった(「タンホイザー」伝説)。<br /> * 1271年/1275年 - 1292年 - [[元 (王朝)|元]]の[[フビライ・ハン]]に仕えた[[マルコ・ポーロ]]が各地を巡り「死者たちとすれ違う都市」「名前の上にのみ育つ都市」「蜘蛛の巣都市」などの不思議な街を紹介する([[イタロ・カルヴィーノ]]『見えない都市』)。<br /> * 1272年 - [[鎌倉]][[建長寺]]の裏山で老いた寺男安里(あんり)が、大覚禅師([[蘭渓道隆]])により日本に連れて来られる以前はフランスの牧童で[[少年十字軍]]に加わっていたことを語りだす([[三島由紀夫]]『[[海と夕焼]]』)。<br /> * 1282年 - フランス人支配に不満が高まっているシチリア島で、前シチリア王の妹エレーナと島の若者のアッリーゴは身分違いもあってその恋愛はうまく成就しない。複雑な経緯があってやがてこの二人は「[[シチリアの晩鐘]]」事件に巻き込まれていく([[ジュゼッペ・ヴェルディ]]のオペラ「[[シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)|シチリアの晩鐘]]」)。<br /> * 1285年 - 道ならぬ恋により[[リミニ]]領主ジョヴァンニ・マラテスタの怒りを買った、その妻[[フランチェスカ・ダ・リミニ|フランチェスカ]]とその弟[[パオロ・マラテスタ|パオロ]]は、ともに殺害され愛欲の地獄に落ちてからも、黒い風に吹き流され永遠にさまよい続けている([[ダンテ・アリギエーリ]]『[[神曲]]』地獄篇第二圏)。<br /> * 1300年 - 聖金曜日に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国遍歴が始まる(ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇冒頭)。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[年表]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{十年紀と各年| 世紀 = 13 | 年代 = 1200 }}<br /> {{世紀}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:13せいき}}<br /> [[Category:13世紀|*]]</div> 111.87.58.123 1970年代 2018-07-29T12:18:37Z <p>111.87.58.123: /* 文学 */</p> <hr /> <div>{{Otheruses||日本ローカルの事柄|1970年代の日本}}<br /> {{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | 年代 = 1970 | 年 = 1970 }}<br /> &lt;imagemap&gt;File:1970s decade montage.png|420px|thumb|&#039;&#039;&#039;上段&#039;&#039;&#039;: (左)1974年に起きた[[ウォーターゲート事件]]によって[[アメリカ合衆国大統領]]を辞任し、ホワイトハウスを去る際に[[Vサイン#ベトナム戦争、勝利と平和|勝利のV]]を掲げる[[リチャード・ニクソン]]。(右)1975年の[[サイゴン陥落]]によって[[ベトナム戦争]]が終結した後に米国海軍の航空母艦に乗る避難民。&lt;br /&gt;&#039;&#039;&#039;中段&#039;&#039;&#039;: (左)1979年の[[イラン革命]]では、[[モハンマド・レザー・パフラヴィー]]の亡命後[[ルーホッラー・ホメイニー]]により[[イスラム共和制|イスラム共和制政体]]が成立された。(中央)1970年代の中盤から遅くにかけて、[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]の人気がピークに達した。(右)[[オイルショック|第一次オイルショック]]は交通の停滞を巻き起こし、世界経済に損害を与えた。&lt;br /&gt; &#039;&#039;&#039;下段&#039;&#039;&#039;: (左)1970年11月の[[1970年のボーラ・サイクロン]]では、東パキスタン(1971年に[[バングラデシュ]]として独立)の[[ベンガル地方|ベンガル・デルタ地帯]]で約50万人の人命が失われた。(右)1978年の[[キャンプ・デービッド合意]]へのサインの後に握手を交わす[[イスラエル]]と[[エジプト]]の首脳。<br /> rect 301 4 592 200 [[サイゴン陥落]]<br /> rect 2 2 297 200 [[ウォーターゲート事件]]<br /> rect 390 202 611 424 [[オイルショック]]<br /> rect 192 203 386 423 [[ディスコ (音楽)]]<br /> rect 0 203 184 424 [[イラン革命]]<br /> rect 309 426 600 621 [[キャンプ・デービッド合意]]<br /> rect 0 427 305 621 [[1970年のボーラ・サイクロン]]<br /> &lt;/imagemap&gt;<br /> &#039;&#039;&#039;1970年代&#039;&#039;&#039;(せんきゅうひゃくななじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1970年から1979年までの10年間を指す[[十年紀]]。この項目では、国際的な視点に基づいた1970年代について記載する。<br /> <br /> == できごと ==<br /> === 1970年 ===<br /> {{main|1970年}}<br /> * [[日本万国博覧会]](大阪万博)が開催<br /> * [[1970 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・メキシコ大会]]開催。[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]が[[サッカーイタリア代表|イタリア]]を下し優勝。<br /> * [[天六ガス爆発事故]]。<br /> * [[ビートルズの解散問題|ビートルズ解散]]。<br /> * ICSD[[クリアストリーム]]がルクセンブルクで設立される。<br /> <br /> === 1971年 ===<br /> {{main|1971年}}<br /> * [[ドルショック]]が起こる<br /> <br /> === 1972年 ===<br /> {{main|1972年}}<br /> * [[日中共同声明]]<br /> * [[ウォーターゲート事件]]<br /> * [[ミュンヘンオリンピック]]<br /> <br /> === 1973年 ===<br /> {{main|1973年}}<br /> * [[オイルショック]]<br /> * [[ブルース・リー]]主演の[[映画]]「[[燃えよドラゴン]]」公開。ブルース・リー大旋風が起こるも死去<br /> <br /> === 1974年 ===<br /> {{main|1974年}}<br /> * ウォーターゲート事件で[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]米大統領が辞職。<br /> * [[中華人民共和国]][[秦]]王朝『[[始皇帝]]』の墓の一部とされる[[兵馬俑]]が発掘される。<br /> * [[日本赤軍]]が[[オランダ]]・[[デン・ハーグ|ハーグ]]にある[[フランス]][[大使館]]を占拠([[ハーグ事件]])。<br /> * [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]作の[[絵画]]『[[モナ・リザ]]』が[[上野]][[国立西洋美術館]]で期間展示される。<br /> * [[1974 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・西ドイツ大会]]開催。地元[[サッカードイツ代表|西ドイツ]]が[[サッカーオランダ代表|オランダ]]を下し優勝。<br /> * サッカーの[[ペレ]]が引退。<br /> <br /> === 1975年 ===<br /> {{main|1975年}}<br /> * [[ホーチミン市|サイゴン]](当時)陥落、[[ベトナム戦争]]が終結<br /> * [[イギリス]]女王[[エリザベス2世]]が来日する<br /> * [[蒋介石]][[中華民国]][[総統]]が死去<br /> * [[沖縄国際海洋博覧会]]開幕。<br /> * 第1回[[主要国首脳会議|サミット]]が[[フランス]]で開催。<br /> * [[スペイン]]の[[総統]]である[[フランシスコ・フランコ]]が死去<br /> <br /> === 1976年 ===<br /> {{main|1976年}}<br /> * [[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、[[ロッキード事件]]が発覚する。<br /> * [[ソウェト蜂起]]<br /> * [[中華人民共和国]]の総理[[周恩来]]が死去<br /> * [[中国共産党]]の主席[[毛沢東]]が死去<br /> * [[中華人民共和国]]で[[唐山地震]]。24万人以上の犠牲(20世紀最大被害の地震)<br /> * [[ベレンコ中尉亡命事件]]<br /> * [[モントリオールオリンピック]]<br /> <br /> === 1977年 ===<br /> {{main|1977年}}<br /> * [[アップル (企業)|アップルコンピュータ]]が設立される。同年[[Apple II]]を発表。<br /> * [[ジミー・カーター]]、[[アメリカ合衆国]]39代[[大統領]]に就任<br /> * [[日米漁業協定]]調印。200[[海里]][[排他的経済水域|経済水域]]規定に基づく初の漁業協定。<br /> * スペイン領[[カナリア諸島]]で[[テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故|テネリフェの悲劇]]。死者583人を出す史上最悪の航空事故となった。<br /> * [[ロンドン]]で第3回[[主要国首脳会議|サミット]]開催。<br /> * [[1977年ニューヨーク大停電]] - [[ニューヨーク]]で[[落雷]]が原因の[[停電]]が起こり、復旧までの3日間に900万人が影響を受けた。<br /> * [[ダッカ日航機ハイジャック事件]]<br /> <br /> === 1978年 ===<br /> {{main|1978年}}<br /> * 世紀の[[作曲家]][[アラム・ハチャトゥリアン]]が死去。<br /> * [[1978 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会]]開催。地元[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]が[[サッカーオランダ代表|オランダ]]を下し優勝。<br /> * [[日中平和友好条約]]調印。<br /> * [[日本]]をはじめアジア各国において、[[中波]]放送の周波数間隔を&#039;&#039;&#039;10kc&#039;&#039;&#039;(キロ[[ヘルツ|サイクル]])から&#039;&#039;&#039;9kHz&#039;&#039;&#039;(キロ[[ヘルツ]])間隔に変更。<br /> <br /> === 1979年 ===<br /> {{main|1979年}}<br /> * [[第二次オイルショック]]が起こる<br /> * [[スリーマイル島原子力発電所事故]]<br /> * [[イギリス]]で[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]が国内初の[[選出もしくは任命された女性の政府首脳の一覧|女性首相]]となる<br /> * [[イラン革命]]<br /> * [[イランアメリカ大使館人質事件]]<br /> * [[主要国首脳会議|東京サミット]]<br /> * [[大韓民国|韓国]]の[[大統領]]である[[朴正煕]]が暗殺される<br /> * [[ソビエト連邦|旧ソ連]]が[[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガニスタンに侵攻]]<br /> * [[マザー・テレサ]]が[[ノーベル平和賞]]を受賞する<br /> <br /> == 世相 ==<br /> === 社会 ===<br /> * 欧米を中心に、[[スタグフレーション]]が起こる。<br /> * 1970年代後半から、[[新保守主義]]の台頭が始まる。<br /> * [[文化大革命]]が終焉。[[鄧小平]]の指導体制の下で、1978年から[[改革開放]]政策が始まる。<br /> * 韓国で[[漢江の奇跡]](韓国の高度経済成長)。<br /> <br /> === 文化 ===<br /> * 欧米では[[ロック (音楽)|ロック]]がポップミュージックの主流となった。ロックの複雑化・多様化が進み、[[プログレッシブ・ロック]]、[[グラムロック]]・[[ニューロマンティック]]が流行したが、末期にはその反動からシンプルで反逆的な[[パンク・ロック]]が英米を席巻した。<br /> * [[マイクロプロセッサ]]の登場。[[パーソナルコンピュータ]]が現れ、一般の人々がコンピュータを手軽に使えるようになった。<br /> * [[1972年]]に初の[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]「[[オデッセイ (ゲーム機)|オデッセイ]]」がアメリカで発売された。また、[[アーケードゲーム]]『[[ポン (ゲーム)|ポン]]』を大ヒットさせた[[アタリ (企業)|アタリ社]]もその移植版となる家庭用ゲーム機「[[ホーム・ポン]]」を[[1975年]]にアメリカで発売し、家庭用ゲームが認知されるきっかけとなった(&#039;&#039;[[ゲーム機#第1世代|第一世代]]&#039;&#039;)。1970年代後半にはアーケードゲーム『[[スペースインベーダー]]』が日本で一大ブームを巻き起こした。<br /> <br /> == 人物 ==<br /> === アメリカ合衆国と西ヨーロッパ ===<br /> ==== 政治と軍事 ====<br /> * [[マルセロ・カエターノ]]([[1906年]] - [[1980年]])<br /> * [[ジョルジュ・ポンピドゥー]]([[1911年]] - [[1974年]])<br /> * [[ジェームズ・キャラハン]]([[1912年]] - [[2005年]])<br /> * [[リチャード・ニクソン]]([[1913年]] - [[1994年]])<br /> * [[ジェラルド・R・フォード|ジェラルド・ルドルフ・フォード]]([[1913年]] - [[2006年]])<br /> * [[ヴィリー・ブラント]]([[1913年]] - [[1992年]])<br /> * [[ハロルド・ウィルソン]]([[1916年]] - [[1995年]])<br /> * [[エドワード・ヒース]]([[1916年]] - [[2005年]])<br /> * [[アルド・モーロ]]([[1916年]] - [[1978年]])<br /> * [[ヘルムート・シュミット]]([[1918年]] - )<br /> * [[ジュリオ・アンドレオッティ]]([[1919年]] - [[2013年]])<br /> * [[ゲオルギオス・パパドプロス]]([[1919年]] - [[1999年]])<br /> * [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]([[1920年]] - [[2005年]])<br /> * [[エンリコ・ベルリンゲル]]([[1922年]] - [[1984年]])<br /> * [[ヘンリー・キッシンジャー]]([[1923年]] - )<br /> * [[ジミー・カーター]]([[1924年]] - )<br /> * [[マーガレット・サッチャー]]([[1925年]] - [[2013年]])<br /> * [[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]([[1926年]] - )<br /> * [[ズビグネフ・ブレジンスキー]]([[1928年]] - )<br /> * [[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]([[1938年]] - )<br /> <br /> ==== 哲学と思想 ====<br /> * [[グレゴリー・ベイトソン]]([[1904年]] - [[1980年]]) <br /> * [[エマニュエル・レヴィナス]]([[1906年]] - [[1995年]])<br /> * [[エルンスト・フリードリヒ・シューマッハー]]([[1911年]] - [[1977年]])<br /> * [[ハインツ・コフート]]([[1913年]] - [[1981年]])<br /> * [[ジェームズ・ジョル]]([[1918年]] - [[1994年]])<br /> * [[ポール・ド・マン]]([[1919年]] - [[1983年]])<br /> * [[ジェームズ・M・ブキャナン|ジェームズ・マギル・ブキャナン]]([[1919年]] -[[2013年]])<br /> * [[ジョン・ロールズ]]([[1921年]] - [[2002年]])<br /> * [[ケネス・アロー]]([[1921年]] - )<br /> * [[ルネ・ジラール]]([[1923年]] - )<br /> * [[J・G・A・ポーコック|ジョン・グレヴィル・アガード・ポーコック]]([[1924年]] - )<br /> * [[ポール・ファイヤアーベント]]([[1924年]] - [[1994年]])<br /> * [[ジル・ドゥルーズ]]([[1925年]] - [[1995年]])<br /> * [[ミシェル・ド・セルトー]]([[1925年]] - [[1986年]])<br /> * [[マイケル・ダメット]]([[1925年]] - [[2011年]])<br /> * [[カルロス・カスタネダ]]([[1925年]]/[[1931年]]? - [[1998年]])<br /> * [[ヒラリー・パトナム]]([[1926年]] - )<br /> * [[クリフォード・ギアツ]]([[1926年]] - [[2006年]])<br /> * [[イヴァン・イリイチ]]([[1926年]] - [[2002年]])<br /> * [[ニクラス・ルーマン]]([[1927年]] - [[1998年]])<br /> * [[アルビン・トフラー]]([[1928年]] - )<br /> * [[ヘイドン・ホワイト]]([[1928年]] - )<br /> * [[ジョージ・スタイナー]]([[1929年]] - )<br /> * [[エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ]]([[1929年]] - )<br /> * [[フェリックス・ガタリ]]([[1930年]] - [[1992年]])<br /> * [[ピエール・ブルデュー]]([[1930年]] - [[2002年]])<br /> * [[ミシェル・セール]]([[1930年]] - )<br /> * [[ハロルド・ブルーム]]([[1930年]]‐ )<br /> * [[イマニュエル・ウォーラーステイン]]([[1930年]] - )<br /> * [[エズラ・ヴォーゲル]]([[1930年]] - )<br /> * [[マーシャル・サーリンズ]]([[1930年]] - )<br /> * [[リチャード・ローティ]]([[1931年]] - [[2007年]])<br /> * [[ポール・ヴィリリオ]]([[1932年]] - )<br /> * [[ジョン・サール]]([[1932年]] - )<br /> * [[スタンレー・ミルグラム]]([[1933年]] - [[1984年]])<br /> * [[エドワード・サイード]]([[1935年]] - [[2003年]])<br /> * [[ピーター・ブラウン (歴史学者)|ピーター・ブラウン]]([[1935年]] - )<br /> * [[トマス・ネーゲル]]([[1937年]] - )<br /> * [[ロバート・ノージック]]([[1938年]] - [[2002年]])<br /> * ピエール・マシュレ([[1938年]] - )<br /> * [[カルロ・ギンズブルグ]]([[1939年]] - )<br /> * [[ツヴェタン・トドロフ]]([[1939年]] - [[2017年]])<br /> * [[クェンティン・スキナー]]([[1940年]] - )<br /> * [[マッシモ・カッチャーリ]]([[1944年]] - )<br /> * [[ダグラス・ホフスタッター]]([[1945年]] - )<br /> <br /> ==== 文学 ====<br /> * [[ソール・ベロー]]([[1915年]] - [[2005年]])<br /> * [[ハインリヒ・ベル]]([[1917年]] - [[1985年]])<br /> * [[プリーモ・レーヴィ]]([[1919年]] - [[1987年]])<br /> * [[チャールズ・ブコウスキー]]([[1920年]] - [[1994年]])<br /> * [[カート・ヴォネガット]]([[1922年]] - [[2007年]])<br /> * [[ミシェル・トゥルニエ]]([[1924年]] - )<br /> * [[ミヒャエル・エンデ]]([[1929年]] - [[1995年]])<br /> * [[ジョン・バース]]([[1930年]] - )<br /> * [[ゲーリー・スナイダー]]([[1930年]] - )<br /> * [[トニ・モリスン]]([[1931年]] - )<br /> * [[デイヴィッド・ロッジ]]([[1935年]] - )<br /> * [[ジョルジュ・ペレック]]([[1936年]] - [[1982年]])<br /> * [[リチャード・バック]]([[1936年]] - )<br /> * [[トマス・ピンチョン]]([[1937年]] - )<br /> * [[ジョン・アーヴィング]]([[1942年]] - )<br /> * [[エリカ・ジョング]]([[1942年]] - )<br /> * [[スティーヴン・キング]]([[1947年]] - )<br /> * [[ケン・フォレット]]([[1949年]] - )<br /> <br /> ==== 芸術 ====<br /> * [[ミノル・ヤマサキ]]([[1912年]] - [[1986年]])<br /> * [[ヘルムート・ニュートン]]([[1920年]] - [[2004年]])<br /> * [[ヨーゼフ・ボイス]]([[1921年]] - [[1986年]])<br /> * [[デュアン・マイケルズ]]([[1932年]] - )<br /> * [[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]]([[1933年]] - )<br /> * [[クリスト]]([[1935年]] - )<br /> * [[イリナ・イオネスコ]]([[1935年]] - )<br /> * リチャード・エステス([[1936年]] - )<br /> * [[ハンス・ハーケ]]([[1936年]] - )<br /> * [[ヤニス・クネリス]]([[1936年]] - )<br /> * クロード・ヴィアラ([[1936年]] - )<br /> * [[デイヴィッド・ホックニー]]([[1937年]] - )<br /> * [[レンゾ・ピアノ]]([[1937年]] - ) <br /> * ダニエル・ビュラン([[1938年]] - )<br /> * チャールズ・ジェンクス([[1939年]] - )<br /> * リチャード・セラ([[1939年]] - )<br /> * ジャン・ピエール・レイノー([[1939年]] - )<br /> * チャック・クロース([[1940年]] - )<br /> * ジャン・ポール・グード([[1940年]] - )<br /> * [[ブルース・ナウマン]]([[1941年]] - )<br /> * ダニエル・ドゥズーズ([[1942年]] - )<br /> * [[ジェームズ・タレル]]([[1943年]] - )<br /> * [[ギルバート&amp;ジョージ]]<br /> ** ギルバート・プロッシュ([[1943年]] - )<br /> ** ジョージ・パサモア([[1942年]] - )<br /> * [[ジョセフ・コスース]]([[1945年]] - )<br /> * [[アニー・リーボヴィッツ]]([[1949年]] - )<br /> <br /> ==== ファッション ====<br /> * [[ラルフ・ローレン]]([[1939年]] - )<br /> * [[アニエス・ベー]]([[1941年]] - )<br /> * [[ヴィヴィアン・ウェストウッド]]([[1941年]] - )<br /> * [[カルバン・クライン]]([[1942年]] - )<br /> <br /> ==== 映画・舞踏・エンターテイナー ====<br /> * [[ピエル・パオロ・パゾリーニ]]([[1922年]] - [[1975年]])<br /> * [[マーロン・ブランド]]([[1924年]] - [[2004年]])<br /> * [[ロバート・アルトマン]]([[1925年]] - [[2006年]])<br /> * [[ボブ・フォッシー]]([[1927年]] - [[1987年]])<br /> * [[アレハンドロ・ホドロフスキー]]([[1929年]] - )<br /> * [[リチャード・ドナー]]([[1930年]] - )<br /> * [[エルマンノ・オルミ]]([[1931年]] - )<br /> * [[ミロシュ・フォアマン]]([[1932年]] - )<br /> * [[ウディ・アレン]]([[1935年]] - )<br /> * [[テオ・アンゲロプロス]]([[1935年]] - [[2012年]])<br /> * [[ジェーン・フォンダ]]([[1937年]] - )<br /> * [[フランシス・フォード・コッポラ]]([[1939年]] - )<br /> * [[マイケル・チミノ]]([[1939年]] - )<br /> * [[ウィリアム・フリードキン]]([[1939年]] - )<br /> * [[フォルカー・シュレンドルフ]]([[1939年]] - )<br /> * [[ビクトル・エリセ]]([[1940年]] - )<br /> * [[ブライアン・デ・パルマ]]([[1940年]] - )<br /> * [[ピナ・バウシュ]]([[1940年]] - [[2009年]])<br /> * [[ライアン・オニール]]([[1941年]] - )<br /> * [[ヴェルナー・ヘルツォーク]]([[1942年]] - )<br /> * [[クリストファー・ウォーケン]]([[1943年]] - )<br /> * [[ジョージ・ルーカス]]([[1944年]] - )<br /> * [[スティーヴン・スピルバーグ]]([[1946年]] - )<br /> * [[シルヴェスター・スタローン]]([[1946年]] - )<br /> * [[シャーロット・ランプリング]]([[1946年]] - )<br /> * [[ライザ・ミネリ]]([[1946年]] - )<br /> * [[ダイアン・キートン]]([[1946年]] - )<br /> * [[シガニー・ウィーバー]]([[1949年]] - )<br /> * [[ジョン・トラボルタ]]([[1954年]] - )<br /> <br /> ==== 音楽 ====<br /> ===== 現代音楽 =====<br /> * [[ヤニス・クセナキス]]([[1922年]] - [[2001年]])<br /> * [[スティーヴ・ライヒ]]([[1936年]] - )<br /> * [[フィリップ・グラス]] ([[1937年]] - )<br /> * [[マイケル・ナイマン]]([[1944年]] - )<br /> * [[ブライアン・イーノ]]([[1948年]] - )<br /> <br /> ===== ポピュラー音楽 =====<br /> * [[カーペンターズ]]<br /> ** [[リチャード・カーペンター]]([[1946年]] - )<br /> ** [[カレン・カーペンター]]([[1950年]] - [[1983年]])<br /> * [[デヴィッド・ボウイ]]([[1947年]] - )<br /> <br /> ==== 科学 ====<br /> * [[コンラート・ローレンツ]]([[1903年]] - [[1989年]])<br /> * [[ジェームズ・ギブソン]]([[1904年]] - [[1979年]])<br /> * [[ノーマン・ボーローグ]]([[1914年]] - [[2009年]])<br /> * [[イリヤ・プリゴジン]]([[1917年]] - [[2003年]])<br /> * [[エドワード・ローレンツ]]([[1917年]] - [[2008年]])<br /> * [[ルネ・トム]]([[1923年]] - [[2002年]])<br /> * [[ブノワ・マンデルブロ]]([[1924年]] - [[2010年]])<br /> * [[ヴォルフガング・ハーケン]]([[1928年]] - )<br /> * [[エドワード・オズボーン・ウィルソン]]([[1929年]] - )<br /> * [[スティーヴン・ジェイ・グールド]]([[1941年]] - [[2002年]])<br /> * [[リチャード・ドーキンス]]([[1941年]] - )<br /> * [[デニス・メドウズ]]([[1942年]] - )<br /> <br /> ==== 料理 ====<br /> * [[ポール・ボキューズ]]([[1926年]] - [[2018年]])<br /> <br /> ==== その他 ====<br /> * [[サイモン・ヴィーゼンタール]]([[1908年]] - [[2005年]])<br /> * [[ギュンター・ギヨーム]]([[1927年]] - [[1995年]])<br /> * [[ユリ・ゲラー]]([[1946年]] - )<br /> <br /> === ソ連と東ヨーロッパ ===<br /> * [[ミハイル・スースロフ]]([[1902年]] - [[1982年]])<br /> * [[ニコライ・ポドゴルヌイ]]([[1903年]] - [[1983年]])<br /> * [[アレクセイ・コスイギン]]([[1904年]] - [[1980年]])<br /> * [[レオニード・ブレジネフ]]([[1907年]] - [[1982年]])<br /> * [[ヤン・パトチカ]]([[1907年]] - [[1977年]])<br /> * [[アンドレイ・グロムイコ]]([[1909年]] - [[1989年]])<br /> * [[エーリッヒ・ホーネッカー]]([[1912年]] - [[1994年]])<br /> * [[グスターフ・フサーク]]([[1913年]] - [[1991年]])<br /> * [[ボフミル・フラバル]]([[1914年]] - [[1997年]])<br /> * [[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]]([[1918年]] - [[2008年]])<br /> * [[アンドレイ・サハロフ]]([[1921年]] - [[1989年]])<br /> * [[セルゲイ・パラジャーノフ]]([[1924年]] - [[1990年]])<br /> * [[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]([[1927年]] - [[2007年]])<br /> * [[ハイナー・ミュラー]]([[1929年]] - [[1995年]])<br /> * [[エステルハージ・ペーテル]]([[1950年]] - )<br /> <br /> === ラテン・アメリカとカリブ海諸国 ===<br /> * [[パブロ・ネルーダ]]([[1904年]] - [[1973年]])<br /> * [[サルバドール・アジェンデ]]([[1908年]] - [[1973年]])<br /> * [[アウグスト・ピノチェト]]([[1915年]] - [[2006年]])<br /> * [[ホルヘ・ラファエル・ビデラ]]([[1925年]] - )<br /> * [[グスタボ・グティエレス]]([[1928年]] - )<br /> * [[ウンベルト・マトゥラーナ]]([[1928年]] - )<br /> * [[イサベル・ペロン]]([[1931年]] - )<br /> * [[マヌエル・プイグ]]([[1932年]] - [[1990年]])<br /> * [[ボブ・マーリー]]([[1945年]] - [[1981年]]) <br /> * [[フランシスコ・バレーラ]]([[1946年]] - [[2001年]])<br /> * [[ディエゴ・マラドーナ]]([[1960年]] - )<br /> <br /> === サハラ以南のアフリカ ===<br /> * [[ジャン=ベデル・ボカサ|ジャン・ベデル・ボカサ]]([[1921年]] - [[1996年]])<br /> * [[ナディン・ゴーディマー]]([[1923年]] - [[2014年]])<br /> * [[イディ・アミン]]([[1925年]] - [[2003年]])<br /> * [[アゴスティニョ・ネト]]([[1922年]] - [[1979年]])<br /> * [[ルイス・カブラル]]([[1931年]] - [[2009年]])<br /> * [[サモラ・マシェル]]([[1933年]] - [[1986年]])<br /> * [[メンギスツ・ハイレ・マリアム]]([[1937年]] - )<br /> <br /> === 西アジアと北アフリカ ===<br /> * [[ゴルダ・メイア]]([[1898年]] - [[1978年]])<br /> * [[ルーホッラー・ホメイニー]]([[1902年]] - [[1989年]])<br /> * [[ファイサル (サウジアラビア王)|ファイサル]]([[1906年]] - [[1975年]])<br /> * [[メナヘム・ベギン]]([[1913年]] - [[1992年]])<br /> * [[アンワル・アッ=サーダート]]([[1918年]] - [[1981年]])<br /> * [[バブラク・カールマル]]([[1929年]] - [[1996年]])<br /> * [[ハーフィズ・アル=アサド]]([[1930年]] - [[2000年]])<br /> * [[ダニ・カラヴァン]]([[1930年]] - )<br /> <br /> === 南アジア ===<br /> * モラルジー・デーサーイー([[1896年]] - [[1995年]]) <br /> * [[マザー・テレサ]]([[1910年]] - [[1997年]])<br /> * [[インディラ・ガンディー]]([[1917年]] - [[1984年]])<br /> * [[ムジブル・ラフマン]]([[1920年]] - [[1975年]])<br /> * [[ムハンマド・ジア=ウル=ハク|ムハンマド・ジア・ウル・ハク]]([[1924年]] - [[1988年]])<br /> * [[ズルフィカール・アリー・ブットー]]([[1928年]] - [[1979年]])<br /> * [[バグワン・シュリ・ラジニーシ]]([[1931年]] - [[1990年]])<br /> <br /> === 東南アジア ===<br /> * [[チャン・バン・フォン]]([[1902年]] - [[1982年]])<br /> * [[レ・ズアン]]([[1907年]] - [[1986年]])<br /> * [[ロン・ノル]]([[1913年]] - [[1985年]])<br /> * [[ズオン・バン・ミン]]([[1916年]] - [[2001年]])<br /> * [[ノロドム・シハヌーク]]([[1922年]] - [[2012年]])<br /> * [[グエン・ヴァン・チュー]]([[1923年]] - [[2001年]])<br /> * [[ポル・ポト]]([[1928年]] - [[1998年]])<br /> * [[ヘン・サムリン]]([[1934年]] - )<br /> <br /> === 中国 ===<br /> * [[毛沢東]]([[1893年]] - [[1976年]])<br /> * [[葉剣英]]([[1897年]] - [[1986年]])<br /> * [[周恩来]]([[1898年]] - [[1976年]])<br /> * [[鄧小平]]([[1904年]] - [[1997年]])<br /> * [[林彪]]([[1907年]] - [[1971年]])<br /> * [[李先念]]([[1909年]] - [[1992年]])<br /> * [[四人組 (中国史)|四人組]]<br /> ** [[江青]]([[1914年]] - [[1991年]])<br /> ** [[張春橋]]([[1917年]] - [[2005年]])<br /> ** [[姚文元]]([[1932年]] - [[2005年]])<br /> ** [[王洪文]]([[1935年]] - [[1992年]])<br /> * [[汪東興]]([[1916年]] - )<br /> * [[華国鋒]]([[1921年]] - [[2008年]])<br /> <br /> === 香港 ===<br /> * [[ブルース・リー|李小龍]]([[1940年]] - [[1973年]])<br /> <br /> === 台湾 ===<br /> * [[蒋経国|蔣經國]]([[1910年]] - [[1988年]])<br /> <br /> == フィクションのできごと ==<br /> * 後半 - [[宇宙人]]「オーバーロード」が地球に来訪。巨大な宇宙船が世界各地の都市上空に飛来し、その6日後にオーバーロードの地球総督カレルレンが全世界に向けて、電波による音声のみの自己紹介を行う。(小説『[[幼年期の終り]]』)&lt;ref group = &quot;注&quot;&gt;新版では[[21世紀]]前半の出来事に書き直されている。&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite Book |和書 |author = [[アーサー・C・クラーク]] |title = 幼年期の終り |publisher = [[早川書房]] |year = 1979 |page = 12 - 18・23・28 - 30頁 |isbn = 978-4-15-010341-5}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;{{Cite Book |和書 |author = アーサー・C・クラーク |title = 幼年期の終わり |publisher = [[光文社]] |year = 2007 |page = 9・20 - 22・450頁 |isbn = 978-4-334-75144-9}}&lt;/ref&gt;<br /> * 末 - [[月]]に初めての恒久的コロニーが建造される。また、[[火星]]に着陸した[[マーズ・ローバー|ロボット車]]が、のちに「放浪石」と呼ばれるようになる生命と[[ソリス湖|太陽の湖]]で接触する。(小説『[[2001年宇宙の旅]]』第一稿)&lt;ref&gt;{{Cite Book |和書 |author = [[アーサー・C・クラーク]] |title = 失われた宇宙の旅2001 |publisher = 早川書房 |year = 2000 |page = 11・16 - 19頁 |isbn = 978-4-15-011308-7}}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[1970年代の音楽]]<br /> * [[十年紀の一覧]]<br /> * [[年表]]<br /> * [[年表一覧]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * {{Commonscat-inline}}<br /> <br /> {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}}<br /> {{Navboxes<br /> | title = 1970年代の各国<br /> | list1 = <br /> {{各年のアメリカ|1970|unit=2||List=2}}<br /> {{各年のヨーロッパ|1970|unit=2||List=2}}<br /> {{各年のアフリカ|1970|unit=2||List=2}}<br /> {{各年のアジア|1970|unit=2||List=2}}<br /> {{各年のオセアニア|1970|unit=2||List=2}}<br /> }}<br /> {{History-stub}}<br /> <br /> {{デフォルトソート:1970ねんたい}}<br /> [[Category:1970年代|*]]</div> 111.87.58.123 紀元前20世紀 2018-07-20T06:31:53Z <p>111.87.58.123: /* 紀元前2000年代 */</p> <hr /> <div>{{Centurybox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 20 | BC = 1 }}<br /> [[ファイル:Funerary relief of Amenemhet I from El-Lisht by John Campana.jpg|thumb|500px|アメンエムハト1世。エジプト第11王朝に代わり第12王朝を建てた。画像は神々とアメンエムハト1世の姿が描かれたレリーフ([[メトロポリタン美術館]]蔵)。]]<br /> &#039;&#039;&#039;紀元前20世紀&#039;&#039;&#039;(きげんぜんにじゅうせいき)は、[[西暦]]による紀元前2000年から紀元前1901年までの100年間を指す[[世紀]]。<br /> <br /> == 出来事 ==<br /> [[ファイル:Seated Female Figure LACMA M.2000.1a-f (1 of 3).jpg|thumb|200px|[[バクトリア・マルギアナ複合]](BMAC)。紀元前2000年前後に発展がみられた中央アジアの文化複合体のことで、独特な造形表現で知られる。画像は[[ロサンゼルス・カウンティ美術館]]所蔵の女性座像。]]<br /> [[ファイル:Ruins from a temple in Naffur.jpg|thumb|250px|宗教都市[[ニップル]]。[[シュメール]]以来の最高神[[エンリル]]を祀っていたこの地はイシン・ラルサ時代には争奪の的となった。遺跡は保存状態も良く多くの粘土板文書も出土している。画像はニップルの神殿の遺跡。]]<br /> <br /> === 紀元前2000年代 ===<br /> * 紀元前2000年頃<br /> ** [[ミノア文明]]では前宮殿時代(中期青銅器時代(土器編年MMIA))。<br /> *** [[クノッソス]]、[[マリア]]、[[ファイストス]]、[[ザクロス]]で宮殿が形成される。<br /> ** [[中央アジア]]のステップ地帯に[[アンドロノヴォ文化]]が展開。<br /> *** この文化に属するシンタシュタ遺跡からは世界最古のスポーク型車輪のついた[[チャリオット]]が出土している。<br /> ** [[アムダリア川]](オクサス川)上流域に[[バクトリア・マルギアナ複合]]が展開。<br /> *** [[バクトリア]]の遺跡にはサパッリ・テペ、ダシュリー・オアシスが、マルギアナの遺跡にはケレッリ、ゴヌール、タイプ・テペ、トゴロクがある。<br /> ** [[アーリア人]]が[[イラン高原]]に定着する( - 紀元前1500年)。<br /> *** この時期からアーリア人はイラン系アーリア人とインド系アーリア人に分化する(インド・イラン共通時代の終わり)。<br /> ** [[ラルサ]]から出土したアシュモリアン博物館所蔵「ハーバート・ウェルド・ブランデルコレクション」の最古の「[[シュメール王名表]]」粘土板WB62が記録される。<br /> ** [[エチオピア]]から農民と牧畜民が[[ケニア]]に移住。<br /> ** [[カメルーン]]と[[ナイジェリア]]の国境付近から[[バントゥー系民族]]の拡大が始まる。<br /> ** [[ブリテンの先史時代|ブリテン島]]ではウェセックス文化第I期が始まる( - 紀元前1650年頃)。<br /> ** [[竜山文化]](中原竜山文化(河南・陝西)と山東竜山文化)が終末期(紀元前3000年頃 - )。<br /> ** [[青森県]]の[[三内丸山遺跡]]が衰退する(紀元前3500年頃 - )。<br /> ** [[メソ・アメリカ]]各地で定住農村村落の成立([[先古典期]]( - 紀元後300年))。<br /> * 紀元前2000年以降 - [[ラピスラズリ]]交易で栄えていた[[イラン]]東部のシャフリ・ソフタ遺跡が衰退する。<br /> <br /> === 紀元前1990年代 ===<br /> * 紀元前1991年頃 - [[エジプト第11王朝]]の終わり、[[エジプト第12王朝|第12王朝]]始まる。<br /> ** 宰相だったアメンエムハト1世が政変で王になり[[メンフィス (エジプト)|メンフィス]]に近いイチ・タウィに遷都。<br /> <br /> === 紀元前1960年代 ===<br /> * 紀元前1962年頃 - エジプト王アメンエムハト1世が死去。<br /> ** アメンエムハト1世の死去後の混乱に基づいて書かれたのが[[古代エジプト文学]]を代表する『[[シヌヘの物語]]』。<br /> <br /> === 紀元前1940年代 ===<br /> * 紀元前1944年頃 - アムル人バザヤが[[ラルサ]]で自立し[[イシン]]と対立。<br /> <br /> === 紀元前1930年代 ===<br /> * 紀元前1934年頃 - イシンの第5代王[[リピト・イシュタル]]が即位( - 紀元前1924年)。<br /> ** 「[[リピト・イシュタル法典]]」と呼ばれる法律文書を制定する。<br /> * 紀元前1932年頃<br /> ** ラルサの[[グングヌム]]がイシンのリピト・イシュタルから[[ウル]]を奪取。<br /> ** エジプト王センウセルト1世が[[ヘリオポリス]]に[[オベリスク]]を建立。<br /> *** 即位30年を記念して作られたもので直立して現存するオベリスクとしては最古のもの。<br /> <br /> === 紀元前1910年代 ===<br /> * 紀元前1913年 - 1903年 - エジプトとヌビアの戦争。<br /> <br /> === 紀元前1900年代 ===<br /> * 紀元前1900年頃<br /> ** [[アカイア人]]が[[ギリシア]]に侵攻。<br /> ** [[シュメール人]]以来の宗教都市[[ニップル]]での争奪戦でラルサがイシンに勝利。<br /> <br /> == 発明、発見 ==<br /> * 紀元前1950年 - [[ニップル]]で銅の秤によるシュメール・[[キュビット]](51.72 cm)の制定。<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &#039;&#039;&#039;注釈&#039;&#039;&#039;<br /> {{Reflist|group=&quot;注&quot;}}<br /> &#039;&#039;&#039;出典&#039;&#039;&#039;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{Reflist|3}}<br /> &lt;!-- == 参考文献 == --&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{Commonscat|20th century BC}}<br /> * [[年表]]<br /> <br /> {{世紀}}<br /> {{history-stub}}<br /> {{デフォルトソート:-80}}<br /> [[Category:紀元前2千年紀]]<br /> [[Category:世紀]]</div> 111.87.58.123 メチルエクゴニン 2017-05-27T04:39:11Z <p>111.87.58.123: /* 出典 */</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;メチルエクゴニン&#039;&#039;&#039;(Methylecgonine)は、[[エクゴニン]]が持つ[[カルボキシ基]]に、[[メタノール]]が脱水縮合してできた[[エステル|エステル化合物]]である。[[CAS登録番号]]は7143-09-1。<br /> <br /> == 構造 ==<br /> メチルエクゴニンの化学式はC&lt;sub&gt;10&lt;/sub&gt;H&lt;sub&gt;17&lt;/sub&gt;NO&lt;sub&gt;3&lt;/sub&gt;であり、モル質量は199.25 (g/mol)である<br /> &lt;ref&gt;<br /> [http://www.chemfaces.com/natural/Methylecgonine-CFN00190.html Methylecgonine]<br /> &lt;/ref&gt;<br /> 。<br /> 構造中に[[トロパン|トロパン骨格]]を持っている。<br /> <br /> == 誘導体 ==<br /> メチルエクゴニンの持つ[[水酸基]]に、[[安息香酸]]の持つカルボキシ基を脱水縮合させた化合物が、[[コカイン]]である。また、メチルエクゴニンの持つ水酸基に、[[桂皮酸]](3-フェニル-2-プロペン酸)の持つカルボキシ基を化合物が、[[シンナモイルコカイン]]である。<br /> <br /> == 出典 ==<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:めちるえくこにん}}<br /> <br /> [[Category:トロパン]]<br /> [[Category:カルボン酸エステル]]<br /> [[Category:アルコール]]</div> 111.87.58.123
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