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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&user=106.184.133.106&feedformat=atom miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-05-16T08:47:41Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 オートクチュール 2018-11-27T23:13:49Z <p>106.184.133.106: コシノヒロコは1978年「アルタ・モーダ」に日本人として初めて参加している。</p> <hr /> <div>[[file:Karen Elson at Anna Sui 2011.jpg|250px|thumb|オートクチュールの女性[[ファッションモデル|モデル]]]]<br /> &#039;&#039;&#039;オートクチュール&#039;&#039;&#039;({{lang-fr|haute couture}})とは、[[パリ]]・クチュール組合({{fr|La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne}}、ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ、通称サンディカ)加盟店で注文により縫製される[[オーダーメイド]]一点物の高級服やその店のこと。<br /> <br /> フランス語で {{fr|haute}} (オート)は「高い」「高級」を意味する[[形容詞]] {{fr|haut}} (オー)の女性形、{{fr|couture}} (クチュール。[[女性名詞]])は「縫製」「仕立て服」のことで、高級仕立服を意味する。<br /> <br /> [[イタリア]]の[[ローマ]]でも高級仕立服の[[ファッションウィーク]]が有り、日本ではローマオートクチュールコレクションと呼ばれる事があるが、[[イタリア語]]ではアルタモーダ({{it|alta moda}})と呼ぶ。[[コシノヒロコ]]は[[1978年]]「アルタ・モーダ」に日本人として初めて参加している。<br /> <br /> オートクチュールはサンディカ所属の加盟店のみであり、日本国内でサンディカに所属せずにオートクチュールと名のるのは仮縫いや手縫いなど製造工程にオートクチュールの手法を取り入れているだけである。<br /> <br /> パリオートクチュールコレクション(本来はファッションウィークと言う)の時期にはファッション関係者がパリに集まるのをビジネスチャンスととらえ、サンディカ以外のファッションショーも行われ商談が行われるが、サンディカをin、 サンディカ以外をoffと区別されている&lt;ref&gt;2015年3月12日21時NHKBSプレミアム放送[[世界で一番美しい瞬間]]ファッションの最高峰 輝く5日間 フランス パリ&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> ===シャンブル・サンディカル===<br /> 1868年にフランス・クチュール組合({{lang-fr|La Chambre Syndicale De La Confection Et De La Couture Pour Dames Et Fillettes}})」が創設される。<br /> <br /> 20世紀初頭までパリには多くの高級仕立て店が乱立しており、「オートクチュール」の規格も曖昧であった。[[イギリス]]からやってきた[[デザイナー]]の[[シャルル・フレデリック・ウォルト]]がこれらの高級仕立て店をシャンブル・サンディカル(パリ・オートクチュール組合)として組織化した。 <br /> <br /> シャンブル・サンディカルの設立により、それまで顧客の一方的な注文や、ある程度の規格の中から顧客が好みの[[デザイン]]を指定して作ったり、[[デザイナー]]が客の希望を聞きながら[[デザイン]]する服作りが、デザイナーがデザインしたものを顧客の体に合わせて仕立てて売るという「デザイナー主導」になり、顧客にとって「デザインを買う」=「芸術作品を買う」ということになった。単なるオーダーとのこのような違いから、デザイナーの社会的地位も大いに高まった。<br /> <br /> シャンブル・サンディカルは、[[コレクション]]後に大量に溢れるコピー品にも対応し、[[新聞]]や[[雑誌]]へ公開まで期限の条件をつけたり、取材する[[メディア (媒体)|メディア]]が全ての店を取材できるようにコレクションのスケジュール化を行い、海外メディアへのアピールにも大いに貢献している。<br /> <br /> 組合加盟には様々な規定があり、それらをクリアしなければならない。例えば、1年に2度のコレクションを開催、コレクションでの発表数、[[アトリエ]]の常駐スタッフの数、専属[[マネキン]]の人数などである。加盟店は[[メゾン]](maison)と呼ばれ、生地の選定から縫製まで一貫して行う為の[[アトリエ]]を持っている。しかし、急速に縮小しているオートクチュール産業・文化を維持し、新規のデザイナーやメゾンを招致するために、これらの規定は年々、緩やかになってきている。<br /> <br /> 製作過程では、[[コルセット]]など特別の部分を除いては全て、お針子が一刺し一刺し手縫いをして完成させる。ミシンは使わない。[[刺繍]]も[[レース (手芸)|レース]]もみな手編みである。デザイナーは[[テキスタイル]]デザインも行なうことがある。完成までには2、3度の仮縫いをして、最後に本縫いということになる。[[刺繍]]などの部分的な加工は「ルサージュ」などの専門のアトリエに外注されることが多い。ルサージュも含め、靴、帽子、ボタン、金細工などを行うアトリエはもともと家内手工場のような小さな資本のアトリエであった。そこにオートクチュールビジネスの縮小・顧客の減少が拍車をかけ、経済的に非常に困難に陥っていたが、2000年代にそのほとんどのアトリエを「シャネル」のメゾンが買い取り、その傘下に置いた。それはシャネルという十分な資本を持ったメゾンが経済的に資本支援をすることを意味し、パリのオートクチュールという文化保存の意味になり、フランスでは高く評価された。また、装飾品、帽子や靴などのアクセサリーも専門のアトリエや外部のデザイナーが担当する。<br /> <br /> オートクチュールは、最高の服飾素材を用いた熟練した職人の手仕事による高級服であるため、非常に高価である。シンプルなスーツ一着は300万円程度からであり、美しいシルエットのレースやビーズ刺繍の装飾的なドレスなどはその金額をさらに上回る。そのため顧客は世界中の[[上流階級]]である[[セレブリティー]]である。<br /> <br /> ===顧客の減少===<br /> 1970年代の高級既製服([[プレタポルテ]])の台頭により、現在は[[シャネル]]などの一部の[[メゾン]]を除いては殆どが赤字経営である。1950年代以降、顧客が減少し続けている為、現在ではメゾンのほとんどがプレタポルテも手がけている。それでもなおオートクチュール部門を会社が閉鎖しないのは、オートクチュールコレクションを行っていることで[[ブランド]]として「格」が上がり、[[プレタポルテ]]や[[香水]]、[[ライセンス]]事業の売り上げに多大な影響があるからである。<br /> <br /> 現在の各メゾンの顧客の合計総数ははっきりしないが、一説には毎シーズンごとに注文をする顧客は世界中で500人くらいと言われている。[[王族|王侯]][[貴族]]や有名[[俳優|女優]]、世界各国の[[ファーストレディ]]達が主な顧客となる。<br /> <br /> [[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャクリーン・オナシス]](元ケネディ大統領夫人) は[[ヴァレンティノ|ヴァレンティノ・ガラヴァーニ]]、[[オードリー・ヘプバーン]]は[[ジバンシィ]]、[[カトリーヌ・ドヌーヴ]]は[[イヴ・サン=ローラン]]、[[アヌーク・エーメ]]は[[エマニュエル・ウンガロ]]、[[ジャンヌ・モロー]]は[[ピエール・カルダン]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]と[[クリスチャン・ラクロワ]]、[[ジャン・ポール・ゴルティエ]]等。日本人で代表的だったのは、[[イヴ・サン=ローラン]]、[[ニナ・リッチ]]を愛用した歌手の[[越路吹雪]]。オートクチュールの[[アトリエ]]には、顧客の名前の記されたリアルサイズのトルソー([[マネキン]])が置いてある。<br /> <br /> ===パリ・コレクション===<br /> {{also|パリ・コレクション}}<br /> 1950年代までは[[パリ・コレクション|パリコレ]]と言えば、オートクチュール・コレクションのことであったが、パリでは1960年代からスタートしたプレタポルテ・コレクションがその後隆盛を極め、現在ではプレタポルテ・コレクションとオートクチュール・コレクションの双方を指す。毎年1月と7月に開催されるパリ・オートクチュール・コレクションには、サンディカ正式加盟店とフランス国外招待メンバー、招待されたブランドだけが参加できる。<br /> <br /> == サンディカ加盟店 ==<br /> [[Image:Channel headquarters bordercropped.jpg|thumb|180px|right|シャネルのパリの店舗]]<br /> *[[シャネル]](Chanel) <br /> *[[ディオール|クリスチャン・ディオール]](Christian Dior)<br /> *[[ジバンシー]](Givenchy)<br /> *[[ジャン・ポール・ゴルチエ|ゴルチエ・パリ]](Jean Paul Gaultier)<br /> *[[フランク・ソルビエ]](Franck Sorbier)<br /> <br /> == 国外招待デザイナー ==<br /> *[[ジョルジオ・アルマーニ|ジョルジオ・アルマーニ・プリヴェ]]<br /> *[[ヴァレンティノ・ガラヴァーニ]]<br /> <br /> == ゲスト参加したブランド(国外含む) ==<br /> *[[アン・ヴァレリー・アッシュ]]<br /> *[[エリー・サーブ]]<br /> *[[マルタン・マルジェラ]]<br /> *[[エイメリック・フランソワ]]<br /> *[[フェリープ・オリベイラ・バティスタ]]<br /> *[[オノラトゥヴュ]]<br /> *[[ティエリー・ミュグレー]]<br /> *[[ミラ・ショーン]]<br /> *[[アトリエ・ヴェルサーチ]]<br /> *[[マウリツィオ・ガランテ]]<br /> *[[オシマール・ベルソラート]]<br /> *[[ティミスター]]<br /> *[[菱沼良樹]]<br /> <br /> == 過去の加盟店 ==<br /> *[[トラント]](1968~)<br /> *[[ロリス・アザロ]]<br /> *[[バレンシアガ]](~1968)<br /> *[[ピエール・カルダン]](1948~)<br /> *[[森英恵|ハナエモリ]] - (1977~2004)<br /> *[[ランバン]](1890~)<br /> *[[ギ・ラロッシュ]](1956~)<br /> *[[ジャン・パトゥ]](1919~)<br /> *[[パコ・ラバンヌ]]<br /> *[[ニナ・リッチ]](1932~)<br /> *[[ロシャス]]<br /> *[[エルザ・スキャパレッリ]]<br /> *[[ヴィクター&amp;ロルフ]]<br /> *[[イヴ・サンローラン]](1962~2002)<br /> *[[ピエール・バルマン]](1945~)<br /> *[[マダム・グレ|グレ]]<br /> *[[ルコアネ・エマン]]<br /> *[[フィリップ・ブネ]]<br /> *[[テット・ラピドス]](1956~)<br /> *[[ペル・スプーク]]<br /> *[[クレージュ]](1961~)<br /> *[[エマニュエル・ウンガロ]]<br /> *[[カルバン]]<br /> *[[クリスチャン・ラクロワ]](1987〜2009)<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{参照方法|date=2018年3月|section=1}}<br /> *『パリ・モードの200年~18世紀後半から第二次大戦まで~』[[南静]]著(1975年5月20日、[[文化出版局]])[http://books.bunka.ac.jp/np/isbn/9784579300037/]<br /> *『パリ・モードの200年②~第二次大戦後から現代まで~』南静著(1990年11月5日、文化出版局)[http://books.bunka.ac.jp/np/isbn/9784579303212/]<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[オーダーメイド]]<br /> *[[フランスのファッション]]<br /> *[[パリ・コレクション]]<br /> *[[ニューヨーク・コレクション]]<br /> *[[ロンドン・コレクション]]<br /> *[[ミラノ・コレクション]]<br /> *[[東京コレクション]]<br /> *[[神戸ファッション専門学校]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.tsushin.tv/begin/whats_h.html オートクチュールってなに?]<br /> <br /> {{被服}}<br /> {{DEFAULTSORT:おおとくちゆうる}}<br /> [[Category:ファッション]]<br /> [[Category:コレクション (ファッション)|*]]<br /> [[Category:服飾関連企業]]<br /> [[Category:フランス語の語句]]<br /> [[Category:縫製]]</div> 106.184.133.106 一般曹候補生 2018-08-30T05:08:32Z <p>106.184.133.106: /* 服制等 */ 採用上限年齢改正施行</p> <hr /> <div>&#039;&#039;&#039;一般曹候補生&#039;&#039;&#039;(いっぱんそうこうほせい)とは、[[陸上自衛隊|陸上]]・[[海上自衛隊|海上]]・[[航空自衛隊|航空]][[自衛隊]]において将来、曹([[下士官]])になるために訓練される非任期制隊員たる士のことであり、従来の[[一般曹候補学生]]と[[曹候補士]]に代わり平成19年度(2007年度)から募集を開始した新たな任用区分である。略称は陸自・海自が「&#039;&#039;&#039;補生&#039;&#039;&#039;」(ほせい)、空自は「&#039;&#039;&#039;曹候&#039;&#039;&#039;」(そうこう)。<br /> <br /> == 設立経緯 ==<br /> 従来は、[[幹部自衛官]]を除く一般的な[[自衛官]]の募集は、任期制隊員たる[[士 (自衛隊)|2士]]の採用しかなく、一定の勤務期間を経て(2士(9月)→[[士 (自衛隊)|1士]](1年)→[[士 (自衛隊)|士長]](最短2年))、[[下士官#自衛隊|3曹]]へ昇任していた。そこで、当初から曹候補者を非任期制隊員として採用する一般曹候補学生制度を昭和50年に設立した。しかしながら、一般曹候補学生は原則2年で全員が曹に昇任してしまうため採用数が限られるとともに士としての継続的な勤務は期待できず、他方、任期制隊員では曹昇任への門戸が厳しく任期が来て離職する場合が多かった。そこで、平成2年に非任期制として[[離職率]]を低減させつつ、士としての継続的な勤務を経て将来的に曹への昇任を保証する曹候補士制度を設立した。<br /> <br /> しかし曹候補士制度は平成18年度(2006年度)募集・平成19年度(2007年度)入隊者の第17期生をもって募集業務を終了している。これは3自衛隊共通で「昇任試験に落ち続けても7年で自動的に昇任できる」という安易な考え方をする曹候補士の自覚が欠如した隊員が年々増加&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000015939 |title=「一般曹候補生である自衛官の任用等に関する訓令(案)」の概要(PDF) |accessdate=2014-12-15}}&lt;/ref&gt;し、昇任試験の平均点も一般隊員より悪化(元々少なかった任期制隊員から3曹への昇任枠は曹候補士制度の設立でさらに少なくなり、制度後期~末期においては任期制隊員出身の3曹の方が曹候補士出身の者よりも、初級下士官として活躍する傾向が見られるようになった)、制度の存在意義が問われたことなども背景として挙げられる。<br /> <br /> その為平成19年度から一般曹候補学生制度と曹候補士制度を統合、「&#039;&#039;&#039;一般曹候補生&#039;&#039;&#039;」制度に改められた。一般曹候補生は曹候補士とは異なり、自動的に曹への昇任が保障されるわけではなく、曹への昇任が見込まれなければ退職を余儀なくされる&lt;ref&gt;10人の同期のうち3曹への昇任は平均6~7人程度で残りは一定の年数経過後は依願退職となる&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 人事運用 ==<br /> 2等陸・海・空士として入隊後6月で[[士 (自衛隊)|1士]]、1年後には[[士 (自衛隊)|士長]]に昇任し、その後は昇任試験(毎年3月)と勤務成績による選考をもって入隊から最短で2年9月後に[[下士官#自衛隊|3曹]]に昇任する。ただし、非任期制とはいうものの、曹への昇任が見込まれなければ一般曹候補生としての資格を失う場合がある。具体的には以下のとおり。<br /> <br /> #初級陸・海・空曹としての水準に到達する見込みがなく、数次にわたる補備教育を実施しても到達が見込まれない場合<br /> #一般曹候補生としてふさわしくない行為(重大規律違反・服務事故等)があった場合<br /> #心身の故障その他の事由により[[陸曹候補生]]課程等を修了できない場合<br /> <br /> しかし、一般曹候補生に対する任期満了金支払い義務は生じず、結果、国としては自衛官の退職に際しての人件費の莫大な削減が見込めるとされている。また募集人数と曹への昇任枠を比較すれば、全員が昇任することは不可能であり、かなりの人数が昇任できないことが自明であるため人件費削減の制度という面も大きい。3曹昇任後は、主として前線での指揮([[分隊長]])を行う([[陸上自衛隊]]の場合)。実務経験4年で[[幹部候補生 (自衛隊)|一般幹部候補生]]部内選抜試験の受験資格を得ることができる。<br /> <br /> == 一般曹候補生課程 ==<br /> <br /> (前期)<br /> {|class=wikitable<br /> |-<br /> |align=center|区分||align=center|男子||align=center|女子<br /> |-<br /> |[[ファイル:Flag of the Japan Self-Defense Forces.svg|25px]] [[陸上自衛隊]]||[[北部方面混成団]]第120教育大隊([[真駒内駐屯地]])&lt;br /&gt;[[東北方面混成団]]第119教育大隊([[多賀城駐屯地]])&lt;br /&gt;[[東部方面混成団]]第117教育大隊([[武山駐屯地]])&lt;br /&gt;[[中部方面混成団]]第109教育大隊([[大津駐屯地]])<br /> [[中部方面混成団]]第110教育大隊([[松山駐屯地]])&lt;ref&gt;平成29年度に[[善通寺駐屯地]]から移駐&lt;/ref&gt;&lt;br /&gt;[[西部方面混成団]]第118教育大隊([[久留米駐屯地]])&lt;ref&gt;平成28年度末に[[相浦駐屯地]]から移駐&lt;/ref&gt;<br /> |[[女性自衛官教育隊]]([[朝霞駐屯地]])&lt;br /&gt;北部方面混成団第120教育大隊&lt;br /&gt;他各部隊<br /> |-<br /> |[[ファイル:Naval Ensign of Japan.svg|25px]] [[海上自衛隊]]||[[教育隊#海上自衛隊|横須賀教育隊]]教育第1部([[武山駐屯地|武山地区]])&lt;br /&gt;舞鶴教育隊([[舞鶴基地]])&lt;br /&gt;呉教育隊([[呉基地]])&lt;br /&gt;佐世保教育隊([[佐世保基地 (海上自衛隊)|佐世保基地崎辺地区]])||横須賀教育隊教育第2部(武山地区)<br /> |-<br /> |[[ファイル:Flag of the Japan Air Self-Defense Force.svg|25px]] [[航空自衛隊]]||航空教育隊第1教育群([[防府南基地]])&lt;br /&gt;航空教育隊第2教育群([[熊谷基地]])||航空教育隊第1教育群<br /> |}<br /> <br /> 前期課程修了後、陸自は各部隊等に臨時設置される教育隊で、海自・空自は術科学校で術科教育を受けた後それぞれの部隊に配属され、部隊実習に入る。<br /> <br /> [[ファイル:Rikusoukouhosei2.jpg|thumb|right|200px|一般陸曹候補生の徽章と制服]]<br /> [[File:US Navy 111214-N-RM161-087 Engineman 3rd Class Jermale Woody helps a Sailor from the Japan Maritime Self-Defense Force destroyer JDS Ikazuchi (DD 1.jpg|thumb|200px|曹候補者徽章をつけた&lt;br&gt;一般海曹候補生]]<br /> <br /> == 服制等 ==<br /> * 服制:任期制隊員と同様の制服を着用し、陸自及び空自はえりに曹候補者き章(甲)を、海自は左腕に曹候補者き章(乙)をつける。<br /> * 受験年齢:入隊時点で18歳以上27歳未満の日本国籍を有する男女。2018年10月から関連規則を改正し上限年齢32歳を施行&lt;ref&gt;2018年8月28日読売新聞朝刊1面&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 採用数 ==<br /> 以下は制度開始からの採用実績(出典:自衛官募集HP「一般曹候補生募集要項」)<br /> *平成19年度(2007年度):約5,500名<br /> *平成20年度(2008年度):約6,500名<br /> *平成21年度(2009年度):約6,025名<br /> *平成22年度(2010年度):約4,410名<br /> *平成23年度(2011年度):約3,800名<br /> *平成24年度(2012年度):約3,850名<br /> *平成27年度(2015年度):約4,420名<br /> *平成28年度(2016年度):約5,050名<br /> <br /> 非任期制隊員であるため、3曹に昇任せず(できず)退職(除隊)した場合、退職金は任期制隊員の計算方法と違い少ない。将来的には10,000人程度にまで採用数を拡大することで人件費の抑制を図るとされている(詳細は[[自衛隊員の削減]]項を参照)。平成21年度(2009年度)から平成23年度(2011年度)は年2回(春期・秋期)に分けて採用試験を実施してきたが、平成24年度から平成28年度までは秋期一回のみの試験だった。<br /> <br /> [[平和安全法制]]成立に伴い、平成27年度(2015年度)25092人の応募数で、平成26年度(2014年度)より2割減少。平成19年度(2007年度)に現在の採用区分になって以降ピークだった平成23年度(2011年度)から半減している&lt;ref&gt;[[朝日新聞]]発行[[週刊朝日]]12月11日号24ページ「自衛官リクルート作戦」&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 景気好転に伴い公務員への内定辞退者が増加傾向を示していることから平成29年度より採用試験を春期・秋期の2回制に戻している&lt;ref&gt;[https://ameblo.jp/mezaji/entry-12341298970.html 公務員辞退者続出の影響は?](目指せ!自衛官のブログ記事より)&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[自衛官]]<br /> *[[内務班]]<br /> *[[幹部自衛官]]・[[下士官]]<br /> *[[重処分]]<br /> *[[制服 (自衛隊)]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references/&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/08.html 一般曹候補生募集]<br /> *[http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/2006/ax20070131_00004_000.pdf 一般曹候補生である自衛官の任用等に関する訓令]<br /> * [http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1963/ax19630422_00010_000.pdf 陸上自衛隊の教育訓練に関する訓令]<br /> * [http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1967/ax19670607_00004_000.pdf 海上自衛隊の教育訓練に関する訓令]<br /> * [http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1965/ax19660329_00003_000.pdf 航空自衛隊の教育訓練に関する訓令](防衛省・自衛隊情報検索サービス)<br /> <br /> {{自衛官の採用区分}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:いつはんそうこうほせい}}<br /> [[Category:陸上自衛隊]]<br /> [[Category:海上自衛隊]]<br /> [[Category:航空自衛隊]]</div> 106.184.133.106 自衛官候補生 2018-08-30T05:07:20Z <p>106.184.133.106: 現行受験年齢と2018年10月からの上限年齢改正施行</p> <hr /> <div>[[ファイル:Jsdf-候補生(新隊員前期).jpg|thumb|right|自衛官候補生(120教育大隊)迷彩服3型が貸与されている]]<br /> &#039;&#039;&#039;自衛官候補生&#039;&#039;&#039;(じえいかんこうほせい、略称「自候生」)とは、[[陸上自衛隊]]・[[海上自衛隊]]・[[航空自衛隊]]において[[2010年|平成22年]]度から採用される任期制隊員([[士 (自衛隊)|2等陸・海・空士]])のうち、教育期間中の身分を[[自衛官]]の定数外としたもの。[[2009年]][[10月3日]]に公布された[[防衛省設置法]]等の一部を改正する法律に基づき平成22年[[7月1日]]より施行され、[[2011年|平成23年]][[3月|3]]・[[4月]]入隊の隊員から開始された。受験年齢は入隊時点で18歳以上27歳未満の日本国籍を有する男女。2018年10月から関連規則を改正し上限年齢32歳を施行&lt;ref&gt;2018年8月28日読売新聞朝刊1面&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[ファイル:44i-KW-6 (自衛官候補生教育(晴天を駆ける)) R 教育訓練等 209.jpg|thumb|right|戦闘訓練中の候補生]]<br /> [[ファイル:7FA攻撃開始! 教育訓練等 161.jpg|thumb|right|突撃の訓練をする自衛官候補生]]<br /> [[自衛隊法]]第41条の規定により、「隊員の採用はすべて条件附のものとし、その隊員がその職において6月を下らない期間を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式のものとなる。」と定められていることから陸自の新隊員前期教育、空自の新隊員教育、海自の練習員期間中の隊員に階級を設けず、教育終了時をもって自衛官としての[[身分]]・[[自衛隊の階級|階級]]を付与したものである。任用時は2士の階級となる。<br /> <br /> 自衛官候補生の期間は、3か月を基準&lt;ref&gt;海自の任期制隊員は約4か月の練習員課程の当初3か月が自衛官候補生、任用から概ね3か月後に2等海士に任命される。&lt;/ref&gt;として教育訓練に要する期間を勘案して防衛省令で定めることとされており、防衛省職員の定数外となる。候補生教育終了時に本人の希望と適性に基づき[[職種]]が決定され、その後、各部隊に臨時設置される[[教育隊]](陸)、職種学校(陸)または術科学校(海・空)において専門教育を受けた後、それぞれの部隊に配属される。なお、航空自衛隊の場合、術科学校の定員等の関係で、先に部隊に配属されてから術科学校での教育を受ける場合もあり、&#039;&#039;&#039;直配&#039;&#039;&#039;と呼ばれる。なお[[音楽隊|音楽隊員]]を希望する者は採用前に、各音楽隊で実施される部隊説明会に参加し、実技試験を受ける必要がある。海空の操縦士は[[航空学生]]・[[防衛大学校]]・一般大学卒に限定しているが、陸自では[[陸曹航空操縦学生]]により自衛官候補生出身でも操縦士へコース変更が可能。<br /> <br /> 任期制自衛官として任官された隊員の初任期は自衛官候補生の期間を含め陸は2年、海・空自衛隊は3年(2任期目以降は現行任期制隊員と同じく陸海空いずれも2年)となる。<br /> <br /> このほか、候補生教育の終了時に「任用一時金」(1任期目の任期満了手当の一部に相当)が支給されるが、自衛官に任官後1年3か月未満で退職した場合にはこれを償還しなければならない(旧来の任期制隊員にあっては退職手当の一部を「前払い」することや任期途中で依願退職した際の償還義務は設けられていなかった)。また、この任用一時金は「雑収入」に該当するため、個人で確定申告を行わなければならない。<br /> <br /> 自衛官候補生の間は階級章の代わりに「2士」と同サイズの台地に円で囲まれた桜章(このデザインは[[曹候補士|曹候補者き章(乙)]]に例あり)が縫い込まれたき章(自衛官候補生章)を、服務細則に基づく[[階級章 (自衛隊)|階級章]]と同様の位置に縫い付ける。<br /> <br /> == 自衛官候補生の宣誓 ==<br /> [[ファイル:自衛官候補生入隊式(福島) R 教育訓練等 50.jpg|thumb|right|入隊式に臨む自衛官候補生]]<br /> [[ファイル:64式7.62mm小銃 117教大・自衛官候補生武器授与式(24.6.11受領・東混団PR大島曹長) R 装備 155.jpg|thumb|right|武器授与式において、[[64式7.62mm小銃|64式小銃]]を拝領する自衛官候補生]]<br /> <br /> 自衛官候補生は、自衛隊法第53条及び自衛隊法施行規則第39条の2に則り、入隊時に以下のような宣誓書に署名捺印をすることが義務付けられている。<br /> <br /> {{Quotation|私は、自衛官候補生たるの名誉と責任を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、知識をかん養し、政治的活動に関与せず、専心自衛官として必要な知識及び技能の修得に励むことを誓います。}}<br /> <br /> == 教育担任部隊 ==<br /> * 陸上<br /> ** 方面[[混成団]]隷下教育大隊及び[[女性自衛官教育隊]](常設)<br /> ** 普通科・特科・戦車連隊等に設けられた[[コア部隊|教育中隊等]]もしくは臨時設置の[[教育隊]](臨時設置。3・4月入隊など、常設教育隊の受け入れ定員数超過及びそれぞれの募集地域毎集約して教育を担任する観点から編成される)<br /> ** [[陸上自衛隊通信学校]]([[通信教導隊 (陸上自衛隊)|通信教導隊]]内に編成):平成29年度から自衛官候補生(女子)の教育を開始&lt;ref&gt;{{Cite web|url=http://www.boueinews.com/news/2017/20170501_7.html |title=自衛隊ニュース2017年5月1日|accessdate=2018-04-14|publisher=防衛ホーム新聞社}}&lt;/ref&gt;<br /> * 海上<br /> ** [[地方隊]]隷下[[教育隊#海上自衛隊|教育隊]](常設)(大湊地方隊を除く)<br /> * 航空<br /> ** [[航空教育集団]]隷下[[教育隊#航空自衛隊|航空教育隊]](常設)<br /> <br /> == 処遇等 ==<br /> * 自衛官候補生手当(125,500円/月)<br /> *: 2012年2月29日に成立した「国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律」(特例法)により、同年4月から2年間約10%減額されていた&lt;ref&gt;[http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/gyokaku/02jinji02_03000079.html 国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律について] - 総務省ホームページ&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.asagumo-news.com/news/201203/120308/12030808.html 国家公務員給与削減、特例法成立] - 朝雲新聞web&lt;/ref&gt;。<br /> * 任用一時金(176,000円): 自衛官候補生課程を修了し2士に任官する際に支給される(任官拒否者=除隊には支給されない)。&lt;br/&gt;また、任官から1年3か月未満で中途退職する場合は勤務期間に応じ以下の割合で償還しなければならない。税制上は雑所得となるため、確定申告を行う場合、個人で行う必要がある。<br /> ** 任官から3か月未満: 全額<br /> ** 3か月以上7か月未満: 支給額の75%<br /> ** 7か月以11か月未満: 支給額の50%<br /> ** 11か月以上1年3か月未満: 支給額の25%<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[自衛官]]<br /> * [[内務班]]<br /> * [[幹部候補生 (自衛隊)|自衛隊幹部候補生]] - 大卒程度を対象とし、[[幹部自衛官]]になるために教育・訓練を受ける学生。<br /> * [[航空学生]] - [[操縦士]]・[[戦術航空士]]としての訓練を受ける[[幹部候補生 (自衛隊)|飛行幹部候補生]]の自衛官。<br /> * [[3士]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO165.html 自衛隊法]<br /> * [http://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/recruit/09.html 自衛官候補生募集]<br /> <br /> {{自衛官の採用区分}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:しえいかんこうほせい}}<br /> [[Category:自衛隊員|しえいかんこうほせい]]</div> 106.184.133.106 サーカス 2018-08-30T04:45:55Z <p>106.184.133.106: /* 日本での歴史 */ 義務教育を受け、サーカスを家業継承する場合で出演料も発生しない場合は労働基準監督署も児童のサーカス出演を認めている。</p> <hr /> <div>{{Otheruses|舞台興行}}<br /> [[Image:Georges Seurat 019.jpg|180px|right]]<br /> [[Image:Arturo Michelena 00.JPG|180px|right]]<br /> &#039;&#039;&#039;サーカス&#039;&#039;&#039;(circus)は[[動物]]を使った[[芸]]や[[人間]]の[[曲芸]]など複数の演目で構成される見世物。一般的に円形劇場や[[天幕]]などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られる。[[古代エジプト|古代エジプト時代]]に始まり、[[ローマ時代]]にその原型がなされた。また、近代サーカスの原点としては[[1770年]]の[[イギリス]]「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催とされる。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> 語源は[[ラテン語]]で[[円周]]・[[回転]]を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場([[キルクス]])であるとする説がある。現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされている。<br /> <br /> === 近代サーカスの歴史 ===<br /> 近代サーカスはイギリス人退役軍人の[[フィリップ・アストリー]]によって確立され、[[ヨーロッパ]]から[[ロシア]]・[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へと広がったとされる。しかしアストリー自身は「サーカス」という用語を使っていない&lt;ref&gt;田中未知子著、クリストフ・レノー・ド・ラージュ写真『サーカスに逢いたい――アートになったフランスサーカス』現代企画室. 2009.4.[http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0903-9] pp.22&lt;/ref&gt;。従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは[[道化師|道化芸]]という概念を新たに取り入れている。道化芸は[[19世紀]]初頭に活躍した[[パントマイム]]役者[[ジョセフ・グリマルディ]]、[[ジーン・オリオール]]らによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなった。<br /> <br /> === 日本での歴史 ===<br /> [[ファイル:浅草観音境内ニ於イテ興行仕候 佛蘭西曲馬-French Equestrian Circus on the grounds of Asakusa Kannon temple (Asakusa kannon keidai ni oite kōgyō tsukawashi sōrō-Furansu kyokuba) MET DP147693.jpg|サムネイル|フランスの曲馬団による浅草での興行。[[歌川国輝 (2代目)]]、1871年]]<br /> [[日本]]にはじめてサーカスが訪れたのは[[1864年]]で、「[[リチャード・リズリー・カーライル|アメリカ・リズリー・サーカス]]」により[[横浜市|横浜]]で興行がなされた。それまで日本でも見世物は存在したが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼んだ。[[1886年]]には、イタリアのチャリネ一座が来日する(東京での初演は[[秋葉原]]の火除け地であった)。この公演に強い衝撃を受けた[[尾上菊五郎 (5代目)|五代目尾上菊五郎]]は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する[[歌舞伎]]を上演している。<br /> <br /> 日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、[[1899年]]に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされる。日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露した。その後、大正末から昭和にかけて[[有田サーカス]]・[[木下大サーカス]]・[[シバタサーカス]]などが続々と創立し、人気を博した。ただし、各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、[[1933年]]&lt;!-- 出典 http://www.bijyutu.wakayama-c.ed.jp/collection/onchi_data.htm --&gt;の[[カール・ハーゲンベック|ハーゲンベック]]・サーカスの来日以後のことである。<br /> <br /> [[1948年]]に[[児童福祉法]]が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止された。これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難となった。現在日本のサーカスで子供達が出演しないのはこの法によるものである。しかし、義務教育を受け、サーカスを家業継承する場合で出演料も発生しない場合は[[労働基準監督署]]も児童のサーカス出演を認めている。<br /> <br /> [[1930年代]]から[[1960年代]]までは20~30団体があったがその後激減し、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止。[[木下大サーカス]]、キグレサーカス、[[カキヌマ大サーカス]]の3団体を残すのみとなったが、同年12月に[[ポップサーカス]]が旗揚げし、[[キグレNewサーカス]]・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなる。[[カキヌマ大サーカス]]は拠点を海外に移した後、破産し解散したと言われているが、[[2002年]]頃までは国内での活動が確認されている{{要出典|date=2010年10月}}。<br /> <br /> [[昭和]]の戦後に「[[ボリショイサーカス|ボリショイ・サーカス]]」というCMが[[日本テレビ]]系で頻繁に打たれ(初期には[[東京都体育館]]、そのあと[[後楽園]]から[[東京ドーム]]で開催)、その印象が強烈に残っている人を中心に「ボリショイ・サーカス」というサーカス団があると誤解するものがいた。しかし、これは日本の興行会社(呼び屋)が[[ソ連]]のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で毎年興行を打ったためにそういった誤解が生まれたのである(後にその興行会社が「ボリショイ・サーカス」という法人名を取得する [http://www.bolshoicircus.com/ ボリショイ・サーカス] )。ただし、その後[[平成]]になって、ロシアで既存のサーカスが「[[ボリショイ・モスクワ国立サーカス]]」と「[[ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス]]」と改名された。<br /> <br /> [[1992年]]、テレビ局のタイアップで[[シルク・ドゥ・ソレイユ]]が来日。再びサーカスブームが訪れる。その効果からテレビアニメの[[カレイドスター]]やテレビCMの[[鉄骨飲料]]などサーカスを取り上げたものが多く放送された。<br /> <br /> [[2001年]]、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校(学校法人ではない)が日本唯一のサーカス学校として創立される。<br /> <br /> [[2010年]]、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表した&lt;ref name=&quot;kigure&quot;&gt;[http://web.archive.org/web/20101022002802/http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20101020-OYT1T00924.htm 「キグレサーカスが事業停止…新型インフル打撃」]YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年10月20日18時35分、「倒産速報(株)キグレサーカス」東京商工リサーチ. 2010年10月20日公開. http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1205977_1588.html 2012年9月14日閲覧&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 演目 ==<br /> 近代サーカスで上演される演目は無数にあり、多様化の一途を辿るが、一般的な演目としては以下のものが挙げられる。<br /> ;動物曲芸<br /> :馬を使用した曲馬芸が最も一般的で、その他[[ライオン]]、[[ゾウ|象]]、[[クマ]]、[[トラ]]などが使用される。調教された動物による火の輪くぐりや三輪車、自転車、縄跳び、シーソーなどを使用した芸が披露される。<br /> :しかし、取り扱いが不適切で、例えば野生のアフリカゾウは60歳まで生きるが、サーカスでは30歳に達しないと指摘される&lt;ref&gt;{{Cite book|author=ゲイリー・L・フランシオン|title=動物の権利入門|date=|year=|accessdate=|publisher=緑風出版|page=80|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}&lt;/ref&gt;。<br /> ;空中曲芸<br /> :綱渡りやトランポリン、空中ブランコなどを使用した空中での技の難易度や美しさを見せる曲芸。<br /> ;地上曲芸<br /> :ワイングラスを重ね、足や額に乗せて平衡感覚を見せるものや、人間同士が重なり合ってその重厚な美しさを見せる(人間ピラミッドなど)曲芸。<br /> ;道化芸<br /> :道化師(ピエロ)が手品や軽業などを見せながら時折失敗を混ぜつつ、観客の笑いを誘うなど、主に観客の緊張を解くことを目的として上演する曲芸。<br /> <br /> == サーカス団・個人 一覧 ==<br /> *日本<br /> ** [[木下大サーカス]] - 岡山県[[岡山市]]<br /> ** [[キグレNewサーカス]] - 北海道[[札幌市]](2010年10月19日に事業停止し、廃業&lt;ref name=&quot;kigure&quot; /&gt;)<br /> ** [[カキヌマ大サーカス]] - 栃木県[[足利市]]<br /> ** [[ポップサーカス]] - 大阪府[[大阪市]]<br /> ** [[ハッピードリームサーカス]] - 大阪府[[大阪市]]<br /> ** [[わんわん大サーカス]] - 芸能プロダクション・[[内田芸能社]]<br /> ** [http://hmc.jp ハッピーメリーサーカス]-東京荒川区<br /> ** [[Dio Kobayashi]] - 個人<br /> ** [[GちょこMarble]] - 個人 東京(サーカス芸を使った大道芸)<br /> **中国大黄河雑技団 - 愛知県名古屋市<br /> **Circus Outdoor - 東京都(サーカスの形式で音楽家や芸人と全国を旅する[[グランピング]]集団)<br /> <br /> *ロシア<br /> **ロシア連邦サーカス公団<br /> ***[[ボリショイ・モスクワ国立サーカス]]<br /> ***[[ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス]] <br /> **[[ボリショイサーカス]](ロシアのサーカス団が日本公演で用いる名称)<br /> **[[猫のサーカス]](一時ボリショイサーカスに参加していた)<br /> <br /> *北朝鮮<br /> **[[平壌巧芸団]]<br /> **[[牡丹峰巧芸団]](通称朝鮮人民軍サーカス)<br /> <br /> *中国<br /> **[[中国雑技団]]<br /> **[[上海雑伎団]]<br /> **[[広東雑技団]]<br /> **[[江西省雑技団]]<br /> <br /> *アメリカ合衆国<br /> **[[リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス|リングリングサーカス]]<br /> **[[コール・ブラザーズ・サーカス]]<br /> **[[サーカス・サーカス]]([[ラスベガス]]の[[ホテル]]。無料アトラクションとして館内で公演をしている)<br /> **[[シルク・ドゥ・ラ・サンフォニー]]<br /> <br /> *カナダ<br /> **[[シルク・ドゥ・ソレイユ]] - [[カナダ]]・[[モントリオール]]<br /> <br /> == サーカスに関する都市伝説 ==<br /> サーカス団は旅をしながら芸をする、いわば余所者であるため「芸人はもともとさらわれたり買われたりした子供だ」といういわれのない偏見に晒されることがあった。<br /> <br /> == 題材とした作品 ==<br /> &lt;small&gt;※発表順&lt;/small&gt;<br /> ; 文学<br /> * サーカス(1929年) - [[中原中也]]の詩。最初は無題だったが1932年に「サーカス」と題された。<br /> * [[サーカス (小説)|サーカス]](1948年) - [[三島由紀夫]]の短編小説。<br /> ; 映画<br /> * [[サーカス (映画)|サーカス]] (1928・アメリカ) - チャールズ・チャップリン監督・主演。<br /> * [[サーカス (1936年の映画)|サーカス]] (1936・ソ連)<br /> * [[地上最大のショウ]] (1952・アメリカ) - セシル・B・デミル監督、チャールトン・ヘストン出演。<br /> * [[空中ぶらんこ]] (1956・アメリカ)<br /> * [[サーカスの世界]] (1964・アメリカ) - ジョン・ウェイン、リタ・ヘイワース出演。<br /> * [[フェリーニの道化師]] (1970・イタリア) - フェデリコ・フェリーニ監督・出演のドキュメンタリー映画。<br /> * [[パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻]] (1973・日本) - 高畑勲演出、宮崎駿脚本。中編アニメ。<br /> * [[ブロンコ・ビリー]] (1980・アメリカ) - クリント・イーストウッド監督・主演。西部劇をモチーフにした曲芸一座の物語。<br /> * [[翔べイカロスの翼]] (1980・日本) - さだまさし主演。同名のノンフィクション書籍(1978年出版)の映画化。1979年にTVドラマ化もされた。<br /> * [[ロザリンとライオン]] (1989・フランス)<br /> * [[ベアーズ・キス]] (2002・ロシアほか)<br /> * [[グレイテスト・ショーマン]] (2017・アメリカ)<br /> [http://www.circus-mura.net/shiryou/cinema/cinema.html サーカス映画リスト]も参照のこと。<br /> ; テレビドラマ<br /> * [[素晴らしきサーカス野郎]] (1984年) - サーカス団員たち ([[千葉真一]]ほか) が殺人事件に巻き込まれ、これを解決する物語で、サーカスシーンも劇中に取り込まれている<br /> <br /> == その他 ==<br /> [[フォーミュラ1|F1グランプリ]]のシリーズ戦で世界中を転戦する様子をサーカスの巡業になぞらえて、「F1サーカス」と呼ぶことがある。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> *『日本見世物世紀末』- 目森一喜(1996年,ISBN 9784884815066)<br /> *田中未知子著、クリストフ・レノー・ド・ラージュ写真『サーカスに逢いたい――アートになったフランスサーカス』現代企画室. 2009.4.[http://www.jca.apc.org/gendai/onebook.php?ISBN=978-4-7738-0903-9]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}} <br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> {{commons|Circus}}<br /> * [[道化師]](ピエロ)<br /> * [[アクロバット]]<br /> * [[カーニバル]]<br /> * [[見世物小屋]]<br /> * [[大道芸]]<br /> * [[雑技]] - 中国のサーカス<br /> * [[熊使い]]<br /> * [[エアリアル (サーカス)]]<br /> * [[空中ブランコ]]<br /> <br /> {{Event-stub}}<br /> {{Entertainment-stub}}<br /> {{Theat-stub}}<br /> {{Normdaten}}<br /> {{DEFAULTSORT:さあかす}}<br /> [[Category:サーカス|*]]<br /> [[Category:ラテン語起源の言葉]]</div> 106.184.133.106 日米地位協定 2018-07-17T03:15:17Z <p>106.184.133.106: /* 裁判権 */ 1975年在日米軍牧港補給基地で環境基準の8000倍の六価クロム検出、在日米軍は1年間使用されず、廃棄される予定と使用を認めず&lt;ref&gt;1975年8月24日琉球新報&lt;/ref&gt;。[[労働基…</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2015年6月23日 (火) 13:45 (UTC)}}<br /> {{条約<br /> |題名 =日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定<br /> |画像 =<br /> |画像キャプション =<br /> |通称 =日米地位協定<br /> |起草 =<br /> |署名 =[[1960年]]([[昭和]]35年)1月19日([[ワシントンD.C.]])<br /> |効力発生 =[[1960年]]([[昭和]]35年)6月23日<br /> |寄託者 =<br /> |番号 =昭和35年条約第7号<br /> |言語 =[[日本語]]および[[英語]]<br /> |内容 =[[在日米軍]]の日米間での取り扱いなど<br /> |関連 =[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]<br /> |ウィキソース =<br /> |リンク =[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/kyoutei/index.html 日米地位協定]- 外務省<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定&#039;&#039;&#039;(にほんこくとあめりかがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやくだいろくじょうにもとづくしせつおよびくいきならびににほんこくにおけるがっしゅうこくぐんたいのちいにかんするきょうてい、{{lang-en|Agreement under Article VI of the Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America, Regarding Facilities and Areas and the Status of United States Armed Forces in Japan}})は、[[1960年]]([[昭和]]35年)[[1月19日]]に、新日米安保条約([[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]])第6条に基づき[[日本]]と[[アメリカ合衆国]]との間で締結された[[地位協定]](日本での法令区分としては[[条約]])。略称&#039;&#039;&#039;日米地位協定&#039;&#039;&#039;(にちべいちいきょうてい、{{lang-en-short|U.S. - Japan Status of Forces Agreement, SOFA}})。主に[[在日米軍]]の日米間での取り扱いなどを定める。[[1952年]](昭和27年)[[2月28日]]に、旧・[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約|日米安全保障条約]]3条に基づいて締結された、&#039;&#039;&#039;日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定&#039;&#039;&#039;(にほんこくとあめりかがっしゅうこくとのあいだのあんぜんほしょうじょうやくだいさんじょうにもとづくぎょうせいきょうてい、{{lang-en-short|Administrative Agreement under Article III of the Security Treaty Between the United States and Japan}})、略称&#039;&#039;&#039;日米行政協定&#039;&#039;&#039;(にちべいぎょうせいきょうてい、{{lang-en-short|U.S.-Japan Administrative Agreement}})を承継する。日米地位協定をどう運用するかを協議する実務者会議は、月2回[[日米合同委員会]]で行っている。<br /> <br /> 本項では一般的な呼称である「日米地位協定」で記述する。<br /> <br /> == 締結経緯 ==<br /> {{seealso|安保闘争}}<br /> * [[1951年]]([[昭和]]26年) - [[日本国との平和条約]]、同条約第6条a項により占領軍のうち[[アメリカ軍]]部隊にのみ&lt;ref&gt;1954年に締結・発行を受けた「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」により、アメリカ軍以外の数か国の軍が航空機や船舶を日本国を出入りしている。&lt;/ref&gt;引き続き駐留を許す[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]](旧安保)締結<br /> * [[1952年]]([[昭和]]27年) - 旧安保に基づく具体的取り決めとして&#039;&#039;&#039;日米行政協定&#039;&#039;&#039;に調印。<br /> * [[1960年]]([[昭和]]35年) - [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]](新安保)締結に伴い、日米行政協定を&#039;&#039;&#039;日米地位協定&#039;&#039;&#039;として改正。正式に条約とする&lt;ref&gt;1960年(昭和35年)6月23日条約第7号「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> この法律の第17条により、「合衆国の[[軍法]]&lt;ref&gt;統一軍事裁判法。&lt;/ref&gt;に服するすべての者に対して(第17条1-a)、また米軍基地内において(第17条1-b反対解釈)、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。」とされ、合衆国軍隊が[[第一次的裁判権]]を持つ。「統一軍事裁判法」に服する者には、日本で罪にならない犯罪でも同法で犯罪となるなら、米軍が専属的裁判権を行使する権利を有する(第17条2-b。日本国法令ではなく合衆国法令やアメリカ軍軍法その他が適用される)。また裁判権が競合する場合でも、公務執行中の作為又は不作為から生ずる場合は、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して米軍が第一次的裁判権を有する(第17条3-a)とされる。<br /> <br /> === 不平等性の主張 ===<br /> 協定の改定を求める日本の人々は、日米地位協定が不平等であると主張している。同じ[[第二次世界大戦]]敗戦国の[[イタリア共和国]]、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]が[[冷戦]]後に大使館の土地以外の管理権があるのに対して日米地位協定は1960年以来、運用改善のみで一言一句改定されていない。<br /> <br /> === 裁判権 ===<br /> {{See also|在日米軍裁判権放棄密約事件}}<br /> 第17条5(C)により、日本で裁判を受けるべき被疑者であっても、アメリカが先にその身柄を拘束した場合は、身柄が引き渡されるのは、[[検察庁]]により[[起訴]]がなされた後である。このため、起訴までの間に充分な捜査ができない。更には重罪にも拘らず、身内の行為として不当に寛大な処分がされる恐れさえある(→[[軍法会議#軍法会議の問題点]])。<br /> <br /> [[1956年]][[3月28日]]の[[日米合同委員会]]では、職場で飲酒した後の帰宅途中に事件事故を起こしても「公務中」とみなす取り決めが、同年10月28日の委員会裁判権分科委員会刑事部会会合では、第一次裁判権さえ放棄し『実質的に重要であると認める事件についてのみ権利行使』とする密約が結ばれていた事が後年に判明している。<br /> <br /> これが如実に現れたのが、[[1974年]]の「[[伊江島]]住民狙撃事件」である。当初、在沖米軍は容疑者の“公務外”を認め、日本に一次裁判権を譲ったが、直後に[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]・[[アメリカ国防総省|国防総省]]の強い反発と突き上げを受け、事件の概要を改変してまで急遽公務証明を発給し、日本外務省の抗議の中、一次裁判権を強引に移管させた。国務長官緊急電の『国務省・国防総省共同メッセージ』はその理由を「米国内の事情」と「もし裁判権を行使し損なったら、その影響は米国が他の国々と結んでいる一連の地位協定にまで及び、……米軍要員の士気にも及ぶ」ためであるとしている。<br /> <br /> [[1975年]]在日米軍牧港補給基地で環境基準の8000倍の[[六価クロム]]検出、在日米軍は1年間使用されず、廃棄される予定と使用を認めず&lt;ref&gt;1975年8月24日[[琉球新報]]&lt;/ref&gt;。[[労働基準局]]長、立入調査の段階で、すでに建物は閉鎖状態で納品サンプルを採取できず実態がつかめず、労働者の健診は行われたが、六価クロムとの因果関係は認められず&lt;ref&gt;[[沖縄タイムス]]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1995年]]には、[[アメリカ海兵隊]]の兵士3名が12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した。裁判自体は日本管轄で行われたものの、実行犯である3人が日本側に引き渡されなかったことが大きな問題になった([[沖縄米兵少女暴行事件]])。<br /> <br /> [[2002年]]6月に沖縄で、窃盗容疑で逮捕された整備兵が「急使」(米軍の[[クーリエ]])の[[身分証明書]]を保持していたため、釈放され任意調べに切り替えられた事件&lt;ref&gt;協定のうち刑事裁判管轄権に関する合意事項第二の四:<br /> :急使その他機密文書もしくは機密資料を運搬または送達する任務に従事する軍務要員は「その氏名及び所属部隊を確かめるという必要以上にいかなる目的のためにも身柄を拘束されることはない」などが記載された特別の身分証明書を支給される。この者が犯罪を犯し、日本側から要求された場合には、任務の終了後直ちに日本の法律執行機関に出頭する。&lt;/ref&gt;、4月には在日オーストラリア人女性が、横須賀で空母「キティホーク」乗組員に強姦され、しかも容疑者は事件発覚前に海軍当局によって[[名誉除隊]]させられアメリカ本土に逃亡する事件が起きている&lt;ref&gt;[http://www.kanaloco.jp/article/61580 賠償1ドルも「正義が欲しかった」、米兵犯罪の被害女性 帰国加害者に勝訴] 神奈川新聞2013年11月21日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[2004年]]8月、[[沖国大米軍ヘリ墜落事件]]が発生した際には、アメリカ軍が一時的に現場を封鎖していた。[[沖縄県警察]]は[[航空危険行為等処罰法]]違反で、[[公訴時効]]いっぱいの3年間にわたり捜査を行なったが、協定の壁に阻まれ全容解明は出来なかった。『米軍機事故の現場は協定により全てアメリカ軍管轄地』の拡大解釈がされている疑いがある。<br /> <br /> [[2008年]]4月には、沖縄県[[北谷町]]で、海兵隊憲兵隊が、[[万引き]]で店員に[[現行犯]]逮捕された海兵隊員の家族少年を、[[110番]]通報で駆けつけた[[沖縄警察署]]員の引き渡し要求を無視して、身柄を拘束し基地内に連行(憲兵隊は「容疑者が暴れる恐れがあったため」と弁解している)、その後解放し任意調べにするという事態が起きた。沖縄署は「優先権侵害であり捜査妨害」と表明している。<br /> <br /> [[2013年]]、[[AP通信]]が情報開示を求めた結果、2005年からの性犯罪処分者中、詳細が判明した244人の3分の2は、自由刑を受けず降格や不名誉除隊、罰金などの人事処分のみだったことが判明。国防総省は軍法会議にかけるよう努力していると説明しているが、ほとんど守られていない事実が明らかになった&lt;ref&gt;[http://www.fukuishimbun.co.jp/sp/nationalnews/CO/world/803172.html 在日米軍の性犯罪処分の甘さ告発 3分の2収監せず、AP報道] 福井新聞(共同通信)2014年2月11日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === 将兵の地位 ===<br /> 第9条第2項により、将兵・[[軍属]]は[[外国人登録]]の義務がない(「合衆国軍隊の構成員は……外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される」)。日本への出入国に際しては[[パトリオット・エクスプレス]]([[軍用飛行場]]のみを経由するアメリカ空軍[[チャーター便]])や[[軍港]]を通じて入境すれば、[[出入国管理及び難民認定法]]・[[出入国管理]]の対象外([[パスポート]]不要。軍人IDカードさえあればよい。犯罪歴があっても入国出来る)で、また営外居住の場合は誰がどこに住んでいるのか把握出来ない。その総人数は“[[日本の外国人]]”の統計から除外せざるを得ない。<br /> <br /> 軍車両は「軍務」として証明を取れれば、[[有料道路]]通行料は日本政府負担となる。この「軍用車両有料道路通行証明書」が際限なく発行され、私用のレンタカー、果ては団体観光旅行「ヨコタツアー」にまで使用されている&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-18/2008041801_02_0.html 在日米軍 レジャーも日本負担 07年度 有料道代8億8000万円][[しんぶん赤旗]]&lt;/ref&gt;。自動車の取得に当たっては、[[日本人]]・[[在日外国人]]を問わず[[車庫]]証明の提出が義務付けられているが、沖縄では基地外在住であるにも拘らず将兵・軍属が「保管場所は基地内」と強弁し、証明を提出せず自動車保管場所確保の義務を免れている疑いが2008年5月に浮上&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-05-03/2008050315_01_0.html 沖縄米軍車両の車庫証明 3000台中わずか4台 国交省資料で判明 井上議員に提出]しんぶん赤旗&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また“米軍関係者の拘禁に当たっては習慣等の相違に考慮を払う”と定めた「地位協定に基づく日米合意」により、一般人には当時&lt;ref&gt;2012年から「取調べの可視化」が一部の事件について、部分的に導入されるようになっている。&lt;/ref&gt;は全面的に認められていない「取調べの可視化」、弁護人の同席が保障されている&lt;ref&gt;[http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/6698c70725700f4ecf0e128af1b30a2a 当番弁護に行ってきます~ところで、外国人の取り調べで米兵が優遇されてたこと、知っていますか?](「ヤメ蚊の情報流通促進計画」 報道記事あり)&lt;/ref&gt;他、[[横須賀刑務所]]に収監されている米兵服役者は、食事などで日本人服役者に比べて厚遇されている事が2002年に判明した&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-23/2008042302_04_0.html “塀の中”まで米兵優遇]しんぶん赤旗&lt;/ref&gt;。拘留中の厚遇は、他の外国人では殆ど例がない&lt;ref&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1410/14009181410007c.html 参議院会議録情報 第140回国会 決算委員会 第7号]]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === その他 ===<br /> [[AFN]]他、米軍[[無線局]]には[[電波法]]は適用されない。日米両政府の当局間の取極によることになっている。航空特例法(日米地位協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律)により、米軍機は自衛隊機と異なり、通常時でも[[航空法]]の最低安全高度規制(第81条)、及び迷惑な飛行の規制(第85条)に縛られずに飛行する事が可能である&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-16/2011021604_01_1.html 全国各地で傍若無人に 米軍機の低空飛行] しんぶん赤旗「シリーズ 安保の異常を考える」&lt;/ref&gt;。また自衛隊機(自衛隊法第107条規定)と同様に[[耐空証明]]を受ける義務がない。基地内日本人職員の地位には[[時間外労働]]に関する三六協定、安全委員会、[[就業規則]]などに関する6つの[[労働基準法]]関連規定が適用されていない。これらはいずれも地位協定に基づく協議と合意の対象としている&lt;ref&gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-15/2013051504_03_1.html 治外法権 許されない 米基地労働者 [[田村智子|田村]]氏「法適用を」] しんぶん赤旗2013年5月15日&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ==参考文献==<br /> *[[矢部宏治]]「知ってはいけない ―隠された日本支配の構造―」講談社 ISBN 978-4062884396<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references /&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[対米従属論]]<br /> * [[岸信介]](日本国内閣総理大臣)/[[クリスティアン・アーチボルド・ハーター]](アメリカ国務長官) 「施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第十二条6(d)に関する交換公文」(通称「岸・ハーター交換公文」)に関わった<br /> * [[ジラード事件]]<br /> * [[米軍機母子殺傷事件]]<br /> * [[横浜米軍機墜落事件]]<br /> * [[沖国大米軍ヘリ墜落事件]]<br /> * [[人質司法]] 日米地位協定の改正協議の障害のひとつとなっているといわれている。<br /> * [[不平等条約]]<br /> * [[横田空域]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/index.html 日米地位協定] - 外務省<br /> * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sfa/kyoutei/index.html 日米地位協定全文] - 同上<br /> * [http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19600119.T6J.html 施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第十二条6(d)に関する交換公文、1960年1月19日] - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室<br /> * [http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-10-24/2008102401_02_0.html 行政協定第一七条を改正する一九五三年九月二十九日の議定書第三項・第五項に関連した、合同委員会裁判権分科委員会刑事部会日本側部会長の声明](しんぶん赤旗記事内)<br /> * [http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/kimitsubunsho-l01.html 「日米地位協定の考え方」](独立系メディアE-WAVE tokyo 琉球新報に掲載されたものの全文コピー)<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:にちへいちいきようてい}}<br /> [[Category:日本の軍事]]<br /> [[Category:在日米軍]]<br /> [[Category:日本の条約]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国の条約]]<br /> [[Category:日本の戦後処理]]<br /> [[Category:1960年の条約]]<br /> [[Category:日米関係]]</div> 106.184.133.106 上原康助 2018-07-17T03:04:03Z <p>106.184.133.106: 、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、</p> <hr /> <div>{{参照方法|date=2014年1月30日 (木) 23:48 (UTC)}}<br /> {{政治家<br /> |人名 = 上原 康助<br /> |各国語表記 = うえはら こうすけ<br /> |画像 = <br /> |画像説明 = <br /> |国略称 = {{JPN}}<br /> |生年月日 = {{生年月日と年齢|1932|9|19|no}}<br /> |出生地 = {{Flagicon|JPN}} [[沖縄県]][[国頭郡]][[本部町]]<br /> |没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1932|9|19|2017|8|6}}<br /> |死没地 = {{Flagicon|JPN}} [[沖縄県]][[沖縄市]]<br /> |出身校 = [[沖縄県立北山高等学校]]<br /> |前職 = <br /> |現職 = <br /> |所属政党 = ([[日本社会党]]→)&lt;br /&gt;([[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]→)&lt;br /&gt;[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]<br /> |称号・勲章 = [[勲一等旭日大綬章]] &lt;br /&gt; [[従三位]]<br /> |世襲の有無 = 無<br /> |親族(政治家) = <br /> |配偶者 = <br /> |サイン = <br /> |ウェブサイト = <br /> |サイトタイトル = <br /> |国旗 = 日本<br /> |職名 = 第59代 [[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]&lt;br /&gt;第29代 [[沖縄振興局|沖縄開発庁長官]]&lt;br /&gt;第24代 [[国土庁|国土庁長官]]<br /> |内閣 = [[細川内閣]]<br /> |選挙区 = <br /> |当選回数 = <br /> |就任日 = [[1993年]][[8月9日]]<br /> |退任日 = [[1994年]][[4月28日]]<br /> |退任理由 = <br /> |所属委員会 = <br /> |議員会館 = <br /> |元首職 = <br /> |元首 = <br /> |国旗2 = 日本<br /> |職名2 = [[衆議院議員]]<br /> |内閣2 = <br /> |選挙区2 =([[沖縄県全県区]]→)&lt;br /&gt; [[沖縄県第3区|沖縄3区]]<br /> |当選回数2 = 10回<br /> |就任日2 = [[1970年]][[11月16日]]<br /> |退任日2 = [[2000年]][[6月2日]]<br /> |退任理由2 = <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;上原 康助&#039;&#039;&#039;(うえはら こうすけ、[[1932年]][[9月19日]] - [[2017年]][[8月6日]])は、[[日本]]の[[政治家]]、[[労働運動|労働運動家]]。<br /> <br /> 衆議院議員(10期)、[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]([[細川内閣|第59代]])、[[沖縄振興局|沖縄開発庁長官]]([[細川内閣|第28代]])、[[国土庁|国土庁長官]]([[細川内閣|第24代]])を歴任。<br /> <br /> == 来歴・人物 ==<br /> ===生い立ち===<br /> [[沖縄県]][[国頭郡]][[本部町]]字伊豆味に、農業・[[上原幸福]]の二男として生まれる。[[1951年]][[沖縄県立北山高等学校]]を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、[[USCAR]]の布令116号で[[ストライキ]]に参加することは違法で解雇とされ、[[琉球住民]]への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、[[1960年]]上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌[[1961年]]には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。<br /> <br /> ===全軍労委員長から国政へ===<br /> [[1963年]]には全沖縄軍労働組合(全軍労)に改組・拡大し、以後沖縄で最も存在感のある労働組合として、大量解雇撤回スト([[1970年]])等の争議を指導して待遇改善を勝ち取り、また沖縄革新陣営の中核として、[[屋良朝苗]]の行政主席当選などに貢献した。[[1970年]]、沖縄において[[国政参加選挙|戦後初の衆議院議員選挙]]に[[日本社会党]]から立候補し当選。以後連続当選10回を果たす。党内では左派系の「平和戦略研究会」代表を務め、安全保障問題に取り組んだ。<br /> <br /> 党国民運動局長等、[[田邊誠|田辺誠]][[日本社会党委員長|委員長]]を首班とする[[社会党シャドーキャビネット]]防衛庁長官を歴任([[山花貞夫]]に委員長や首班が交代した後も留任)。[[1993年]][[細川内閣]]で北海道開発庁長官、国土庁長官、沖縄開発庁長官として初入閣。[[1994年]]には社会党副委員長となり、[[1996年]][[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]副党首に就任する。<br /> <br /> ===「沖縄もう一つの選択」===<br /> かねてから、沖縄基地問題に対する社民党(特に沖縄県本部)の硬直した対応を疑問視していた上原は、[[1998年]][[5月]]、政策研究会「未来21・沖縄」を結成し、日米安保体制がアジア地域における安全保障の公共財産となっていると認めた上で、基地問題解決を図るべきであるとする「沖縄もう一つの選択」アピールを発表した。なおこの時期保守陣営から[[大田昌秀]]の対抗馬として県知事選に擁立する動きもあったが結局立たず、同年[[6月19日]]には社民党を離党し[[除名]]処分を受け、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]入りし翌[[1999年]]9月[[民主党代表選挙]]では[[新政局懇談会]]会長[[横路孝弘]]推薦人名簿に名を連ねた。<br /> <br /> [[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では[[沖縄3区]]で[[東門美津子]]に敗れ、[[比例復活]]もならず落選。この選挙を最後に政界を引退した。[[2002年]][[勲一等旭日大綬章]]受章。<br /> <br /> [[2017年]][[8月6日]]、[[呼吸不全]]のため、沖縄市内の病院で死去。{{没年齢|1932|9|19|2017|8|6}}&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/123864 |title=上原康助氏が死去 全軍労、衆院議員、初の県選出大臣 84歳 |date=2017-08-06 |publisher=沖縄タイムス |accessdate=2017-08-06}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 政府は、没後、[[従三位]]を追贈することを閣議決定する&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/135172 |title=上原氏に従三位 政府が閣議決定/元衆院議員 功績認める |date=2017-08-06 |publisher=沖縄タイムス |accessdate=2017-08-30}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 発言 ==<br /> *『日米安保のあり方に疑問を投げかけ、ポスト冷戦の今日的国際情勢に見合った方向に日米安保体制を改めていく努力をすべきとする主張は、ごく自然なことではないでしょうか。』<br /> : - 衆議院本会議にて[[町村信孝]]の質問を受けた閣僚答弁で「みずからの政治信念」と前置きしつつ日米安保に対する疑念を表明する。(1993年8月26日)&lt;ref&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/127/0001/12708260001006a.html 衆議院会議録情報 第127回国会 本会議 第6号]&lt;/ref&gt;<br /> *『私は本当に[[琉球王国]]をつくろうかと思っている』<br /> : - 衆議院予算委員会にて日米安保条約などにおける沖縄の負担軽減を求めて。(1997年2月13日)&lt;ref&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/140/0380/14002130380012a.html 衆議院会議録情報 第140回国会 予算委員会 第12号]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ==政策==<br /> * 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する&lt;ref&gt;第140回国会 法務委員会請願284号&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 文献 ==<br /> === 著書 ===<br /> *『数字でみる復帰後の沖縄 - 基礎資料』(日本社会党沖縄県本部上原康助事務所、1980年10月)<br /> *『基地沖縄の苦闘 - 全軍労闘争史』(創広、1982年3月) <br /> *『連立政権激動の263日 - 上原康助大臣日記』(琉球新報社、1994年10月) <br /> *『激動の戦後史と共に - 国政25年を振り返って』(ボーダーインク、1995年11月)<br /> *『沖縄もう一つの選択 - 未来21沖縄を展望して』(光文堂印刷、1998年6月)<br /> *『道なかば』(琉球新報社、2001年11月、ISBN 4897420431)<br /> <br /> === 共著 ===<br /> *『まーかいがウチナー - どこへ行く沖縄』([[照屋林賢]]との対談集、日本社会党中央本部機関紙局、1994年7月、ISBN 4930886856)<br /> <br /> === 関連文献 ===<br /> *『壁にいどむ - 上原康助七年の軌跡』([[吉田勝広]]、上原康助後援会、1977年11月)<br /> *『わが命沖縄と共にあり : 上原康助苦闘の半生』([[森哲郎]]、出版工房、1985年8月)<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> *[[琉球独立運動]]<br /> *[[沖縄イニシアティブ]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> *[http://www.awf.or.jp/3/persons-04.html 慰安婦問題とアジア女性基金]<br /> {{-}}<br /> {{start box}}<br /> {{s-par}}<br /> {{Succession box<br /> | title = {{flagicon|JPN}} [[予算委員会|衆議院予算委員長]]<br /> | years = 1995年 - 1996年<br /> | before = [[佐藤観樹]]<br /> | after = [[深谷隆司]]<br /> }}<br /> {{s-off}}<br /> {{succession box <br /> | title =  {{Flagicon|日本}} [[北海道開発庁|北海道開発庁長官]] <br /> | years = 第59代:1993年 - 1994年<br /> | before = [[北修二]]<br /> | after = [[羽田孜]](事務取扱)&lt;br /&gt;[[佐藤守良]]<br /> }}<br /> {{succession box <br /> | title = {{Flagicon|日本}} [[沖縄開発庁|沖縄開発庁長官]]<br /> | years = 第28代:1993年 - 1994年<br /> | before = [[北修二]]<br /> | after = [[羽田孜]](事務取扱)&lt;br /&gt;[[佐藤守良]]<br /> }}<br /> {{succession box <br /> | title = {{Flagicon|日本}} [[国土庁|国土庁長官]]<br /> | years = 第24代:1993年 - 1994年<br /> | before = [[井上孝 (政治家)|井上孝]]<br /> | after = [[羽田孜]](事務取扱)&lt;br /&gt;[[左藤恵]]<br /> }}<br /> {{end box}}<br /> <br /> {{衆議院予算委員長}}<br /> {{衆議院災害対策特別委員長}}<br /> {{国土交通大臣||[[北海道開発庁|北海道開発庁長官]]・[[国土庁|国土庁長官]]}}<br /> {{沖縄及び北方対策担当大臣||[[沖縄振興局|沖縄開発庁長官]]}}<br /> {{沖縄小選挙区選出衆議院議員(1996-)}}<br /> <br /> {{Normdaten}}<br /> {{デフォルトソート:うえはら こうすけ}}<br /> [[Category:日本の閣僚経験者]]<br /> [[Category:北海道開発庁長官]]<br /> [[Category:国土庁長官]]<br /> [[Category:民主党の衆議院議員]]<br /> [[Category:社会民主党の衆議院議員]]<br /> [[Category:沖縄県選出の衆議院議員]]<br /> [[Category:日本社会党の衆議院議員]]<br /> [[Category:日本の労働運動家]]<br /> [[Category:勲一等旭日大綬章受章者]]<br /> [[Category:沖縄県出身の人物]]<br /> [[Category:1932年生]]<br /> [[Category:2017年没]]</div> 106.184.133.106 明治座 2018-04-07T10:34:30Z <p>106.184.133.106: /* 関連項目 */ * 音声ガイド</p> <hr /> <div>{{Otheruses|[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]にある[[劇場]]|その他|明治座 (曖昧さ回避)}}<br /> {{ホール概要<br /> | 名称= 明治座&lt;br/&gt;&lt;span style=&quot;font-size:90%;&quot;&gt;Meijiza&lt;/span&gt;<br /> | 画像= [[ファイル:Meijiza_(2006.05.07).jpg|280px|明治座(東京都中央区)]]<br /> | 通称= <br /> | 正式名称= <br /> | 旧名称= <br /> | 完成年= <br /> | 完成月= <br /> | 完成日= <br /> | 開館年= 1993<br /> | 開館月= <br /> | 開館日= <br /> | 開館公演= <br /> | 閉館年= &lt;!--閉鎖されたホールのみに使用--&gt;<br /> | 閉館月= &lt;!--同--&gt;<br /> | 閉館日= &lt;!--同--&gt;<br /> | 最終公演= &lt;!--同。判明している場合は記入--&gt;<br /> | 収容人数=<br /> | 客席= 1,368席<br /> | 延床面積= <br /> | 設備= 場内:[[花道]]&lt;br/&gt;その他:売店・飲食店<br /> | 用途= [[歌舞伎]]・[[演劇]]<br /> | 旧用途= <br /> | 運営= 株式会社明治座<br /> | 所在地= [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]日本橋浜町二丁目31番1号&lt;br /&gt;浜町センタービル1~6階<br /> | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 41 | 緯度秒 = 16.68 | N(北緯)及びS(南緯) = N<br /> | 経度度 = 139 |経度分 = 47 | 経度秒 = 12.77 | E(東経)及びW(西経) = E<br /> | 地図国コード = JP<br /> | 郵便番号= 103-0007<br /> | アクセス= [[#交通|交通]]を参照<br /> | HP= [http://www.meijiza.co.jp/ 明治座]<br /> }}<br /> {{基礎情報 会社<br /> | 社名= 株式会社明治座<br /> | 英文社名= Meijiza Co., Ltd.<br /> | ロゴ= <br /> | 画像= [[File:Maru ni Yamato-zakura.png|100px]]<br /> | 画像説明= 明治座定紋「丸に大和桜」<br /> | 種類= [[株式会社 (日本)|株式会社]]<br /> | 市場情報= <br /> | 略称= <br /> | 国籍= {{JPN}}<br /> | 本社郵便番号= 103-0007<br /> | 本社所在地= [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋浜町]]2丁目31番1号<br /> | 設立= [[1950年]]([[昭和]]25年)[[5月]]<br /> | 業種= サービス業<br /> | 事業内容= 演劇興行事業<br /> | 代表者= [[三田芳裕]](代表取締役社長)<br /> | 資本金= 2億円<br /> | 発行済株式総数= 400万株<br /> | 売上高= 連結:130億1,525万8千円&lt;br/&gt;単独:73億1,715万2千円&lt;br/&gt;(2010年8月期)<br /> | 営業利益= 連結:3億6,731万7千円&lt;br/&gt;単独:3億8,073万1千円&lt;br/&gt;(2010年8月期)<br /> | 純利益= 連結:△4億4,732万4千円&lt;br/&gt;単独:△5億7,487万8千円&lt;br/&gt;(2010年8月期)<br /> | 純資産= 連結:18億1,960万1千円&lt;br/&gt;単独:13億9,638万0千円&lt;br/&gt;(2010年8月31日現在)<br /> | 総資産= 連結:257億6,265万9千円&lt;br/&gt;単独:221億1,139万8千円&lt;br/&gt;(2010年8月31日現在)<br /> | 従業員数= 連結:394人、単独:151人&lt;br/&gt;(2010年8月31日現在)<br /> | 決算期= [[8月31日]]<br /> | 主要株主= [[銀座コリドー|(株)銀座コリドー]] 10.62%&lt;br/&gt;三田芳裕 5.83%&lt;br/&gt;[[松竹|松竹(株)]] 4.25%&lt;br/&gt;(2010年8月31日現在)<br /> | 主要子会社= [[明治座フードコミュニティー|(株)明治座フードコミュニティー]] 100%&lt;br/&gt;[[エス・ピー・ディー明治|(株)エス・ピー・ディー明治]] 97.4%<br /> | 関係する人物= [[市川左團次 (初代)|初代市川左團次]]&lt;br/&gt;[[三輪善兵衛]]&lt;br/&gt;[[新田新作]]&lt;br/&gt;[[三田政吉]]&lt;br/&gt;[[三田芳裕]]&lt;br/&gt;[[三田友梨佳]]<br /> | 外部リンク= [http://www.meijiza.co.jp/ meijiza.co.jp 明治座]<br /> | 特記事項= <br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;明治座&#039;&#039;&#039;(めいじざ、[[英語]]:&#039;&#039;Meijiza&#039;&#039;)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋浜町]]二丁目にある[[劇場]]、およびこれを運営する企業の&#039;&#039;&#039;株式会社明治座&#039;&#039;&#039;(かぶしきかいしゃめいじざ、英語:&#039;&#039;Meijiza Co., Ltd.&#039;&#039;)である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[明治]]時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「[[歌舞伎座|銀座歌舞伎座]]」「[[新橋演舞場]]」「[[帝国劇場|お堀端帝劇]]」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。<br /> <br /> 1873年(明治6年) に&#039;&#039;&#039;喜昇座&#039;&#039;&#039;(きしょうざ)として創建された本劇場は、初期には焼失と再建を繰り返しながら成長し、その度に名称も&#039;&#039;&#039;久松座&#039;&#039;&#039;(ひさまつざ)、&#039;&#039;&#039;千歳座&#039;&#039;&#039;(ちとせざ)とめまぐるしく変わっていった。1893年(明治26年)に[[市川左團次 (初代)|初代市川左團次]]が千歳座を買収して[[座元]]となり、これを明治座と改称するに及んでやっとその名が落ち着き、今日に至っている。<br /> <br /> 明治座は戦前から[[戦後昭和]]の一時期までは、[[歌舞伎]]や[[新派]]の殿堂として知られた。また、大正時代の一時期は野球部を保有していた。&lt;ref&gt;大平昌秀著 異端の系譜 p51&lt;/ref&gt;その後は[[時代劇]]公演や、時代劇俳優や[[演歌歌手]]など年配に好まれる[[芸能人]]が[[座長]]となった歌謡ショー形態の公演([[座長公演]])が中心となった。2000年代に入ると&lt;!--[[モーニング娘。]]の公演や、テレビ局との提携による『[[渡る世間は鬼ばかり]]』『[[3年B組金八先生]]』『[[大奥 (テレビドラマ)]]』の舞台公演、[[上川隆也]]主演『[[燃えよ剣]]』など--&gt;テレビ局との提携による[[現代劇]]や観劇者の世代を引き下げた[[ミュージカル]]形態の公演もおこなわれるようになった&lt;!--(夏・秋の時期に設定される場合が多い)--&gt;&lt;!--「概要」なので簡潔に--&gt;。舞台設備には、[[ワイヤーアクション|宙乗り]]装置も常備されている。各階のロビーには所蔵絵画が多数展示されており、美術館のような雰囲気を醸し出している。<br /> <br /> 1945年(昭和20年)3月10日の[[東京大空襲]]で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていた&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;&gt;[http://www.tokyochuo.net/issue/face/past_data/mita/mitakaichou.html NPO法人東京中央ネット > 特集 > 今月の顔、三田政吉]&lt;/ref&gt;。地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、1947年(昭和22年)3月に復興期成会が組織された&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。明治座設立発起人準備委員会を開いたのは、復興期成会結成から3年近くも経った1949年(昭和24年)11月だった&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。発起人総代に[[三輪善兵衛]](ミツワ石鹸社長)、副総代に[[新田新作]](新田建設社長)、準備委員に松坂屋の伊藤鈴三郎、松竹の[[大谷竹次郎]]などが名を連ね、[[料亭]]「[[玄冶店 濱田家]]」を営む[[三田政吉]]も参加した&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。建設は新田建設が請け負い、1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。<br /> <br /> 1957年(昭和32年)に[[三田政吉]]が明治座代表取締役専務となり、同年に漏電のため焼失した明治座の再建に尽力する&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。1993年に三田政吉は明治座代表取締役会長となる&lt;ref name=&quot;mitakaichou&quot;/&gt;。2002年から、政吉の長男である[[三田芳裕]]が社長を務めている&lt;ref&gt;{{Cite web |url=http://www.nihonbashi-tokyo.jp/enjoy/people/201103/ |title=株式会社明治座 代表取締役社長/玄冶店 濱田家 代表取締役社長 三田 芳裕 氏 |work=まち日本橋:お江戸日本橋情報サイト |publisher=[[三井不動産]] |date= |accessdate=2013-07-28}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> また、[[福岡市]][[博多区]]の[[博多座]]で年1回の割合で舞台を制作しているほか、明治座グループとして俳優養成機関・明治座アカデミーの運営や、都内を中心に外食産業も手掛けている。<br /> <br /> 1993年には、再開発で建て替えた賃貸[[オフィスビル]]の[[浜町センタービル]]低層階を占める形となっている。エスカレーターやエレベータを備え、客席には車椅子スペースの設置など、[[バリアフリー]]を導入している。<br /> <br /> 公演方式は他の劇場とは異なり、30分程度の幕間(休憩時間)を2回挟む。劇場内に大人数に対応した食堂や喫茶コーナーがあり、休憩時間を利用して客を誘導するシステムとなっている(食堂は一部事前予約制)。飲食店のほかにもロビーには売店が多数あり、公演にちなんだ土産品や衣料品雑貨などを販売している。<br /> <br /> 建物3階(劇場1階席)受付にてオペラグラスの貸出(有料)を行っており、貸出料は一律500円。保証料は一般的なオペラグラスは2000円、高機能なカブキグラスでは5000円。<br /> <br /> 弁当製造部門は明治座本体が運営しており、[[江東区]][[東砂]]に工場があり劇場で供されるほか、都内へケータリングも行っている。西京漬は単体で主力商品としている。<br /> <br /> == 沿革 ==<br /> 1873年(明治6年)に開場して以来、130年以上の歴史と伝統を誇る。戦前は[[松竹]]が経営していたが、戦後は[[新田建設]]の新田新作が中心となり、株式会社明治座を設立して運営。以降、基本的に自主興行を続けている。<br /> <br /> * 1873年(明治6年) - 久松町に&#039;&#039;&#039;喜昇座&#039;&#039;&#039;が開場。<br /> * 1879年(明治12年) - 大改築を行い、&#039;&#039;&#039;久松座&#039;&#039;&#039;と改称。<br /> * 1880年(明治13年) - 火災で焼失。<br /> * 1885年(明治18年) - &#039;&#039;&#039;千歳座&#039;&#039;&#039;と改称して新築開業。<br /> * 1890年(明治23年) - 火災で焼失。再建。<br /> * 1893年(明治26年) - [[市川左團次 (初代)|初代市川左團次]]が千歳座を買収して座元となり、&#039;&#039;&#039;明治座&#039;&#039;&#039;と改称。<br /> * 1923年(大正12年) - [[関東大震災]]で焼失。<br /> * 1928年(昭和3年) - 再建。<br /> * 1945年(昭和20年) - [[東京大空襲]]で焼失。<br /> * 1950年(昭和25年) - &#039;&#039;&#039;株式会社明治座&#039;&#039;&#039;設立。再建。<br /> * 1957年(昭和32年) - [[漏電]]を原因とする火災が発生、再び焼失。<br /> * 1958年(昭和33年) - 再建。<br /> * 1990年(平成2年) - 老朽化で興行休止。<br /> * 1993年(平成5年) - 浜町センタービル内に創建から7代目となる新明治座が開場。<br /> <br /> == 交通 ==<br /> &#039;&#039;&#039;鉄道&#039;&#039;&#039;<br /> *[[都営地下鉄]][[都営地下鉄新宿線|新宿線]]&lt;span style=&quot;color:yellowgreen&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;○&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;[[浜町駅]] すぐ<br /> *都営地下鉄[[都営地下鉄浅草線|浅草線]]&lt;span style=&quot;color:#EF4868&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;○&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;[[人形町駅]] 徒歩7分<br /> *[[東京地下鉄]][[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]&lt;span style=&quot;color:#95989F&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;○&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;人形町駅 徒歩7分<br /> *東京地下鉄[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]&lt;span style=&quot;color:darkviolet&quot;&gt;&#039;&#039;&#039;○&#039;&#039;&#039;&lt;/span&gt;[[水天宮前駅]] 徒歩10分<br /> <br /> &#039;&#039;&#039;路線バス&#039;&#039;&#039;<br /> * [[中央区コミュニティバス]](江戸バス)北循環「&#039;&#039;&#039;浜町駅(明治座前)&#039;&#039;&#039;」<br /> * [[都営バス]][[都営バス臨海支所|秋26系統・錦11系統]]「&#039;&#039;&#039;浜町中の橋&#039;&#039;&#039;」<br /> <br /> == ギャラリー ==<br /> &lt;gallery&gt;<br /> File:Meijiza in 1933.JPG|[[関東大震災]]後に復興した明治座(1933年撮影)。<br /> File:Meiji-za-1.jpg|入口回り(2011年2月4日撮影)<br /> File:Meiji-za-2.jpg|ロビーを見下ろす(2011年2月4日撮影)<br /> File:Meiji-za-3.jpg|売店(2011年2月4日撮影)<br /> File:Meiji-za-4.jpg|ホール(2011年2月4日撮影)<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{reflist}}<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[三田政吉]]<br /> * [[三田芳裕]]<br /> * [[三田友梨佳]]<br /> * [[音声ガイド]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Meijiza}}<br /> * [http://www.meijiza.co.jp/ 明治座]<br /> * [http://www.meijiza-ac.jp/ 明治座アカデミー]<br /> <br /> {{デフォルトソート:めいしさ}}<br /> [[Category:東京都の劇場]]<br /> [[Category:東京都中央区の建築物]]<br /> [[Category:東京都中央区の企業]]</div> 106.184.133.106 ビリヤード 2018-03-18T06:20:17Z <p>106.184.133.106: /* 記念切手 */ [http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2001/0816/index.html]。</p> <hr /> <div>{{独自研究|date=2007年12月}}<br /> &#039;&#039;&#039;ビリヤード&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;billiards&#039;&#039;、{{lang-en-short|&#039;&#039;cue sports&#039;&#039;, &#039;&#039;billiard sports&#039;&#039;}})は、室内で行われる[[スポーツ]][[競技]]のひとつ。&#039;&#039;&#039;ビリアード&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;撞球&#039;&#039;&#039;(どうきゅう)、&#039;&#039;&#039;球撞き&#039;&#039;&#039;・&#039;&#039;&#039;玉突き&#039;&#039;&#039;(たまつき)とも呼ばれる。&lt;!-- フランス語で棒を指す&#039;&#039;&#039;bille&#039;&#039;&#039;が語源とされている。<br /> &lt;div class=&quot;references-small&quot;&gt;(語源については疑義あり。[[ノート:ビリヤード]]での議論を参照)&lt;/div&gt; --&gt;<br /> [[Image:PoolTablewithEquipment-non.jpg|right|thumb|250px|ポケット玉突き台その他用具]]<br /> <br /> == 概要 ==<br /> ビリヤードとは、[[ラシャ]]と呼ばれる布を張ったスレート(石板)にクッションで囲ったテーブル上で「[[キュー (ビリヤード)|キュー]]」と呼ばれる「タップ(皮)、先角(コツ)、シャフト、バット」で構成された長い棒状の道具を使い、静止している白や黄の手玉(キューボール)を撞き、先玉(カラーボール)に衝突させ、それらの球が起こすアクションを自分の思い通りにコントロールすることで競い合う球技であるが、キャロム、ポケット、スヌーカーで使用するテーブルの規格が異なる。他の多くの[[球技]]と異なる点は、体力の優劣、年齢によって勝敗が左右される要素が少ないことであり、そのため子供から年配者まで幅広い年齢層のプレイヤーが楽しむことができる&lt;ref&gt;[http://www.e-cba.net/kokutai/ 千葉国体資料:ビリヤード競技のご紹介]&lt;/ref&gt;。また各プレイヤーの実力に合わせて適切なハンデを振ることにより、初級者からプロまでが同じテーブルで直接対戦することができる。<br /> <br /> ビリヤードは常に一人でテーブルへ向かってプレイを行い、静止した球を撞く。そのため対戦相手と直接球を撞き合うことはなく、ショットの成否は全て自らのプレイによる結果となる。また、体格や体力において優れていれば必ず勝てるとは言えず、技術の熟練度やプレッシャーに負けない精神力、集中力を備えているほうがよい結果を残す&lt;ref&gt; 「POOLPLAYER ISABU」(著:山下東七郎)によると、ビリヤードの才能の一つとして「決して揺れない心」と表現されている。&lt;/ref&gt;ことが多い。技術の緻密さ、ゲームを有利に進めるための戦術を競う競技であることから、メンタルスポーツ&lt;ref&gt;ロバートバーンが自著で語ったところによれば「ビリヤードの要素の大半は精神力と集中力で占められる」としている。ロバートバーン(1999) p.33&lt;/ref&gt;のひとつとされる。<br /> <br /> === ビリヤードの起源 ===<br /> ビリヤードの起源については諸説あり、[[中国]]、[[イタリア]]、[[フランス]]、[[イギリス]]、[[スペイン]]のいずれかで発明されたとされる。かつてはビリヤードは「ベルメル」と呼ばれており、中近東から戻った十字軍兵士がベルメルをヨーロッパへ持ち込んだとする説もある。また、紀元前400年頃、ギリシアの屋外スポーツで、円錐形のものへ丸い石を棒で突き当てる競技が原型という説もある。<br /> <br /> ビリヤードは元々屋外のスポーツで[[クロッケー]]競技に似ているものだったと言われる。スペインでは「ビロルダ」というスティックでボールを転がし、2本のポールの間に入れて競技されるものが「ビラルダ」を経て、最終的に「ビリヤード」になった。<br /> <br /> 1469年、世界初のビリヤードテーブルは[[ルイ11世 (フランス王)|ルイ11世]]のために作られた。そのビリヤードテーブルは石版にクロスが敷かれ、真ん中にひとつだけ球を落とす穴があるものだった。しかし、同世紀の他のフランス国王、教会はビリヤードを「罪深きもの」として見なし、遊ぶことを禁じていた。<br /> <br /> なおビリヤードから派生・分化したゲームとしては[[バガテル]]、[[ピンボール]]、[[スマートボール]]、[[アレンジボール]]、[[パチンコ]]などが存在する。詳細については各項目の歴史などを参照。<br /> <br /> === ビリヤードの分類 ===<br /> ビリヤードは使用するテーブルの形状によって大きくキャロム競技とポケット競技に分けられ、それぞれによって使用する道具等が若干異なる。主にイギリスを中心とした旧英連邦諸国において人気が高い競技の[[スヌーカー]]もテーブルにポケットがあり、ポケット競技に含められることもあるが、テーブル表面積が2倍近くあり、使用するボールが小さく、目の付いたラシャによりボールが自然とカーブするなど競技特性が異なること、ボールをポケットへ落とすことだけではなく、相手にボールを落とすチャンスを与えないセーフティープレーにより相手のファールを誘って点数を得ることも重要な戦略となっているなど、そのゲーム性は大きく異なるためポケット・ビリヤードとは別競技として扱われる場合が多い。<br /> <br /> * ビリヤード<br /> ** キャロムビリヤード<br /> ** ポケットビリヤード(&#039;&#039;&#039;[[:en:pocket billiards|pocket billiards]]&#039;&#039;&#039;)または、プール(&#039;&#039;&#039;[[:en:pool billiards|pool billiards]]&#039;&#039;&#039;)<br /> ** [[スヌーカー]]<br /> <br /> これらの競技はいずれもキューを用いて行われるスポーツであることから、&#039;&#039;&#039;キュースポーツ&#039;&#039;&#039;(Cue Sport)とも呼ばれている。<br /> <br /> == 器具と用語の解説 ==<br /> === テーブル ===<br /> [[Image:Pooltafel.jpg|right|thumb|230px|ポケットビリヤード用のテーブル。6ヶ所にボールを落とす穴「ポケット」がある]]<br /> [[Image:Pool_table_frames.jpg|right|thumb|230px|分解されたテーブル]]<br /> ビリヤードをプレイするための台のことを&#039;&#039;&#039;ビリヤードテーブル&#039;&#039;&#039;、あるいはそのまま単に&#039;&#039;&#039;台&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。テーブルの台座部分は主にスレートと呼ばれる石板やその代用品でできており、[[ラシャ]](羅紗、クロス、ベーズ([[:en:Baize|en]])とも呼ぶ)と呼ばれる柔らかい専用の布でその表面が覆われている&lt;ref&gt;日本では緑や青地のラシャを見かけることがほとんどであるが、赤やベージュといった色も存在する。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> テーブルの周囲は主に木製の&#039;&#039;&#039;エプロン&#039;&#039;&#039;もしくは&#039;&#039;&#039;スカート&#039;&#039;&#039;と呼ばれる外枠で覆われている。スカートの上面は&#039;&#039;&#039;レール&#039;&#039;&#039;と呼ばれ、その上面はスレート面よりも一段高くなっており、その段差の内側にはラシャを張ったゴムの壁が三角柱を横に寝かせたような状態で貼り付けられている。このゴムの壁を&#039;&#039;&#039;クッション&#039;&#039;&#039;と呼び、球が当たると跳ね返るようになっている。このクッションの内周は長辺と短辺の比が2:1の長方形となっている。一般的なビリヤードテーブルのサイズは長辺の長さで示される。レール上にあるマークは、ポイントと呼ばれる。<br /> <br /> ポケット競技やスヌーカーで使用されるテーブルには四隅と長辺の真ん中の合計6箇所に「ポケット」と呼ばれる穴が開けられており、ボールがそこへ入ると落ちるようになっている。このような台を&#039;&#039;&#039;ポケットテーブル&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。一方、キャロム競技に使用されるポケットのないテーブルを&#039;&#039;&#039;キャロムテーブル&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。ポケットテーブル、キャロムテーブル共にそれぞれの競技によって大きさの違うテーブルが存在する。なお、スヌーカー競技用のテーブルを&#039;&#039;&#039;スヌーカーテーブル&#039;&#039;&#039;と言って呼び分ける場合もある。<br /> <br /> ビリヤードテーブルは非常に大きく重量がある&lt;ref&gt;ポケットビリヤード用の9フィートテーブルはスレート重量も併せて総重量が400kg程度になる。&lt;/ref&gt;ため、分解して室内へ運び入れて組み立てられる。しかし、ビリヤードは球同士を衝突させて、それらの球のアクションを支配しようとするという競技であるため、ボールが偏った動きをしないようにスレート面が限りなく水平かつ平滑であることが求められる。そのためビリヤードテーブルの脚はそれぞれ高さを微調整できるようになっており、複数枚で構成されるスレート面はスレート&lt;ref&gt;9フィートサイズのポケットテーブルは概ね3枚のスレートで構成される。&lt;/ref&gt;同士の継ぎ目に段差ができないよう慎重に設置される。<br /> <br /> また、ビリヤードをストレスなくプレイするためにはテーブル端でキューを振るだけの余分な空間と幾つかのインテリアを置くための空間が必要となるため、例えば長辺が9フィートのポケットテーブル1台を設置するためには最低でも20畳ほどの空間が必要となる。<br /> <br /> === ボール ===<br /> [[Image:CueBallOneBallNearPocket.jpg|right|thumb|180px|コーナーポケットそばの手球と1番ボール]]<br /> [[Image:Measel_cue_ball_cropped.jpg|right|thumb|180px|観戦者に手球の動きを伝えるための「点」が付いているドットボール]]<br /> [[Image:Cribbage_pool_rack_closeup.jpg|right|thumb|180px|ポケットビリヤードで使われている的球]]<br /> <br /> {{Main|ビリヤードボール}}<br /> <br /> ビリヤードで使用するボール(玉、球、ともに「たま」と読む)は[[フェノール樹脂]]などの硬質なプラスチックで作られ、大きさは競技によって異なるが概ね5~7cm程度のサイズである。ボールがどの方向にも正しく転がっていく必要があるため、非常に精密に作製されている。プラスチックが実用的になる以前は木材や象牙で作られていた。<br /> <br /> ビリヤードではキューを振って先端のティップでボールに触れて転がす。この一連のアクションを指して「撞く」、「突く」と表現する&lt;ref&gt;英語ではshotと表現されるが、日本では「打つ」と表現されることは少ない。&lt;/ref&gt;。また、競技中においてはボールに接触が許されているのはキュー先に取り付けられたティップのみであり、ティップ以外の部分で触れたり、ボールを置き直すなどの必要がない場合に手で直接ボールに触れることはファールとなる。<br /> <br /> ==== 手球 ====<br /> プレイヤーがキューで撞く球を&#039;&#039;&#039;手球&#039;&#039;&#039;又は&#039;&#039;&#039;キューボール&#039;&#039;&#039; (cue ball) と呼ぶ。手球の色は競技によって異なるが、概ね白やクリーム色をしている&lt;ref&gt;キャロム競技では黄色のものを利用している場合もある。また、ロシアン・ピラミッドでは的球が全て白色となっているためバーガンディなどの色を使っている。&lt;/ref&gt;。基調は無地だが、ポケット競技で使用される手球には赤または青で小さな丸印、三角印、あるいはブランドマークなどが描かれているものをよく見かけることができる。また、競技を観戦している視聴者にも手球の回転が理解できるように大きめのドット(点)を描いた「ドットボール」もよく利用されている。<br /> <br /> その他、狙った位置を撞くことができているかをチェックできるようにある面から見て同心円を描いてある「プラクティスボール」など練習用の手球が数種類ほど発売されている。ただし、実際の競技で利用されることはない。<br /> <br /> ==== 的球 ====<br /> 手球を転がして狙い当てようとするボールを&#039;&#039;&#039;的球&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;オブジェクト・ボール&#039;&#039;&#039;(object ball)と呼ぶ。的球は手球と区別しやすいように、手球とは異なる色に着色されている。白色の手球に対して様々な色に着色されていることから&#039;&#039;&#039;カラーボール&#039;&#039;&#039;と呼ぶこともある。ポケット競技で使われる的球には通常、表裏の対極となる2箇所に1から15までの番号が描かれているが、キャロム競技やスヌーカーで使用される的球には番号は描かれていない。<br /> <br /> 通常のプレイで的球をキューで撞いてはならないが、ナインボールなどで先行権を決めるための「バンキング」、またポケット競技の1つである[[スクラッチ・ゲーム]]においては的球を直接撞くこともありうる。ただし的球をキューで撞くことは的球にチョーク汚れをつけることになるため、店によって禁じている場合が多い。上記ゲームをプレイする場合は店に一言断りを入れておくなどの注意が必要である。<br /> <br /> === キュー ===<br /> {{Main|キュー_(ビリヤード)}}<br /> <br /> === 補助器具など ===<br /> [[Image:Billiard chalk 20050724 001.jpg|right|thumb|200px|[[チョーク]]]]<br /> ;チョーク<br /> チョークはティップと手球の摩擦係数を増加させるために使用される道具のことである。チョークをティップへ塗り付けないとティップが手球表面を滑りやすくなり、ショットミス(&#039;&#039;&#039;キューミス&#039;&#039;&#039;という)を起こしやすくなる。<br /> <br /> 一般にチョークの主成分は筆記用のチョークと同じ[[炭酸カルシウム]]であり、1辺2 - 3cm程度の立方体に固められた状態で販売されている。ビリヤードで使用するチョークには研磨剤も配合されており、これがティップの表面に食い込むような形で付着するようになっている。この研磨剤によりティップは少しずつではあるが摩耗していく。<br /> (筆記用のチョークには研磨剤が配合されていないため、ビリヤード用のチョークの代用品として使用してもティップにはあまり付着しない)<br /> <br /> チョークを使用する際、指へチョークが付着しないように使用面を除いた5面が包装されており、使用面にはわずかに窪みがつけられているものが多い。青や緑、赤、ベージュなどに着色されているものが販売されているが、ラシャに付着してもあまり目立たない色を選んで使うことが推奨される。<br /> <br /> ; その他<br /> * グローブ - ブリッジを作る側の手に装着する手袋で、親指、人差し指、中指のみを包む。手汗をよくかく人がキューの滑りをよくするために使用する。<br /> * パウダー - 同じく手汗の多い人がキューのすべりをよくするために用いる。<br /> * メカニカル・ブリッジ - 手球が遠い位置にあり、ブリッジを組むにも手が届かない場合に使用する。<br /> * エクステンション - 一時的にキューの長さを伸張することができる。<br /> * [[ラック_(ビリヤード)|ラック]] - ポケット競技においてカラーボールを定位置に並べる時に使う。<br /> <br /> == ビリヤードのプレイ ==<br /> ビリヤードのゲームのほとんどは二人(それ以上のこともある)で行い、一方のプレイヤーがミスショットをすることによってプレイヤーが交代する。言い換えると相手が失敗しない限り自分がプレイすることはできないし、自分が失敗しない限り主導権を握り続けることができる。それは即ち&#039;&#039;&#039;ビリヤードとはいかにミスショットをしないゲームか&#039;&#039;&#039;ということを表すともいえる(ここでいうミスショットとは、ファウルのほかに得点とならないショットを含む)。ナインボールで例えるならば、バンキングによって先攻を得た後、1番から9番までノーミスで突き切り、それを定められたセット数繰り返すことが一番確実な勝利方法といえる。<br /> <br /> ミスショットをしないためには常に正確な狙い(エイミング)、ショットを毎回行う必要があるが、非常に強いプレッシャーのかかる場面においては普段どおりのショットができないことも多い。どのような局面であっても一定の精神状態を保ち続けることが安定したショットをする上で重要となることから、ビリヤードはメンタル・スポーツであるとされている。<br /> <br /> またあるショットによって得点を上げたとしても、その次のショットを行うに当たってどの位置に手球を持っていくと自分にとって有利になるのかを考えておく必要があり、これをポジショニング・プレーと言う。<br /> ポケット競技では的球をポケットし、手球を次の的球を狙いやすい位置に持っていくことを「ネキストを出す」と表現する。ネキストとは「next」(ネクスト)がなまったものと考えられており、「ネキ」と省略することも多い。ポジショニング・プレイを「ネキ出し」と言うこともある。ポケットすることを「入れ」、ポジショニングプレーを「出し」と言うこともある。<br /> キャロム競技ではポケット競技と異なり、テーブルの上から的球が消えることはないため手球の止まる位置だけではなく、的球が止まる位置や、それぞれの球が走るコースなども考慮しなければならず、より高度なポジショニング・プレーが求められる。3つ球、4つ球競技において極力球の位置を動かさずに連続して得点を上げる&#039;&#039;&#039;セリー突き&#039;&#039;&#039;もポジショニング・プレーの一つといえる。<br /> <br /> === マナー ===<br /> 各ゲーム共通のマナーとして以下のようなものがあげられる。<br /> <br /> * くわえタバコでプレイしない。<br /> * テーブルに飲食物を置かない。<br /> : 上記2点については[[ラシャ#ビリヤードのラシャ|ビリヤードのラシャ]]を参照。<br /> * 空いているテーブルにもたれない。<br /> * プレイヤーの意識を引くような言動をしない。<br /> : 大声で騒いだりしないことも当然であるが、他のプレイヤーの正面あたりに入り込まないように心がける、やむを得ず入ってしまった場合はむやみに動いたりしないことが推奨される。<br /> * 道具を乱暴に扱わない。<br /> * カラーボールをキューで突かない。<br /> <br /> === 体格差について ===<br /> ビリヤードは非常に大きなテーブルを使用するため、どうしても手の届かないところに手球が行くことがある。身長の高い人間・手足の長い人間は小柄な人間・手足の短い人間よりもそういう場合は普段と同じフォームでプレイできる範囲が大きくなるため、若干有利になるといえる。また威力のあるブレイクや強い回転をかけるショットを求める場合は、ある程度の筋力と体重があったほうがのぞましいとされる。<br /> <br /> しかしどれほど大柄な人間であっても手球と的球の位置によってはレスト(メカニカル・ブリッジ)を使わざるを得ない状況になるため&lt;ref&gt;人によっては状況次第で利き腕と逆のフォームを作ってプレイする人もいる&lt;/ref&gt;、大柄な人間が小柄な人間より圧倒的に有利であるとは言い切れない。また車椅子を使用するプレイヤーもいることから、プレイヤー自身の努力によって肉体の体格差をかなりのところまで跳ね返すことができると考えられる(これはプロのビリヤード選手をみても、体格などに統一性が見られないことからも推測できる)。<br /> <br /> ビリヤードにおいては体格差よりも、正確なショット、プレッシャーに負けない精神力の方が重要といえる。<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> == キャロム・ビリヤード ==<br /> [[Image:A pool table in Café Zéphyr, Paris, France, 14 January 2007.jpg|thumb|250px|right|キャロムテーブル]]<br /> &#039;&#039;&#039;キャロム・ビリヤード&#039;&#039;&#039;(俗にキャロム)はビリヤード競技のひとつ。手球を撞きワンショットで手球を2つ以上の異なる的球に当てる&#039;&#039;&#039;キャロム・ショット&#039;&#039;&#039;(英:キャノン・ショット)を行うことを競技の目的としている。キャロム・ショットが成立した場合は得点となり、競技者は続けて撞く事ができる。<br /> <br /> キャロム・ゲームは白球2つと赤球1つ(競技によっては2つ)を用い、2人で行うものが多い。白球は競技者がそれぞれの球を自分の手球として保持し、他方の手球を的球として用いることができる。競技者が撞くことのできる手球はゲーム終了まで変更できない&lt;ref&gt;ショット毎にどちらの白球でも自由に選んで撞いて良い「エニーエニー」と呼ばれるルールも存在する&lt;/ref&gt;。ふたつの手球は同色・同型で判別がつかなくなる場合もあるので一方の白球に黒い印を付けることもあった。この黒い印をつけた手球は俗に「黒球」と呼ばれた。[[日本ビリヤード協会]]が制定した統一ルールでは、一方の手球は黄色く着色されたものを利用することになっている&lt;ref&gt;NBAルールブック(初版、キャロムビリヤード競技規定 第2章 第2条 第3項、および第4項)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> キャロム・ショットが成立するまでに必要な条件を設ける事で競技にはバリエーションがあり、それぞれの競技ごとに難易度が異なっている。公式競技には[[四つ球|四つ玉]]、[[ボークライン]]([[カードル]])、[[スリークッション]]、[[バンドゲーム]]([[ワンクッション(ビリヤード)|ワンクッション]])などがある。<br /> <br /> キャロム・ビリヤードを行うテーブルは&#039;&#039;&#039;キャロム・テーブル&#039;&#039;&#039;と呼ばれ、球を落とすためのポケットはなく、四方が完全にクッションで囲われている。キャロム・テーブルには競技別にいくつかのサイズが存在する。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |+ キャロムテーブルのサイズと行われる競技<br /> ! サイズ !! 日本における俗称 !! 主に行われる競技<br /> |-<br /> ! 8フィート<br /> | 小台 || [[四つ球|四つ玉]]<br /> |-<br /> ! 9フィート<br /> | 中台 || 四つ玉、[[三つ玉]]、42cmボークライン、フリー競技<br /> |-<br /> ! 10フィート<br /> | 大台 || スリークッション、47cmボークライン、フリー競技<br /> |}<br /> <br /> 大台にはヒーターが内蔵されており常時保温されている。これはラシャを湿気から守りコンディションを一定に保つためである。ラシャは湿気が少なく乾燥しているほどボールが転がる距離が長くなるため、スリークッションなどで用いる重量のある手球を安定して長い距離走らせる必要が多い競技では外気に影響されないよう、ヒーターによる温度コントロールが必要となる。<br /> <br /> == ポケット・ビリヤード ==<br /> &#039;&#039;&#039;ポケット・ビリヤード&#039;&#039;&#039;([[:en:pocket billiards|pocket billiards]])は種目ごとに定められたルールに従ってボールを[[ポケット]]へ落としていく競技。ポケット・テーブルには四隅と両長辺中央の計6つのポケットが設けられていおり、ここへボールを落としていく。それぞれのポケットにはネットが張られているものがある。ボールが落ちるとこのネット内に溜まる(pool)ことから&#039;&#039;&#039;プール・ビリヤード&#039;&#039;&#039;([[:en:pool billiards|pool billiards]])(俗にプール)とも呼ばれる。<br /> <br /> [[アメリカ合衆国|アメリカ]]では「ビリヤード」と言えばキャロム・ビリヤードを指すことが多いため、ポケット・ビリヤードについてはプール&lt;ref&gt;プールという言葉には長年悪いイメージがついていたが、それは競馬の「ノミ屋」を指す言葉 poolroom の意味合いが変化したため。観客がレースの合間に遊べるようにノミ屋達がビリヤード台を設置したことが始まりである。長い時間を経て poolroom は「ビリヤードをするための部屋」という印象が強くなり、ビリヤードは次第にギャンブル色が強いものへと認識されるようになった(以上はCUE&#039;S(2006年5月号 p.114)の記述を参照)。また「pool」という単語自体にも「プール賭博」という意味がある。&lt;/ref&gt;という呼び方がされることがある。日本においてはこのようなネットが張られたポケットはあまり見かけられず、ポケットへ落ちたボールがレール下に備え付けられたドレーンを伝って自動的に一箇所に集められるボール・リターン構造になっているものを見かけることができる。<br /> <br /> [[Image:Russian_billiards_ball_at_a_side_pocket.jpg|right|thumb|250px|ロシアン・ピラミッド用のポケット]]<br /> ポケットの形状は種目や国によって異なることがあり、[[ロシアン・ピラミッド]]で利用されるテーブルのポケットは逆ハの字、中国のポケットテーブルはスヌーカーのようにカーブ状になっているものが存在&lt;ref&gt;Billiard Wave(2002/03/16放送)&lt;/ref&gt;している。また、2008年現在においてプロトーナメントで利用されるテーブルは9フィートが公式サイズ&lt;ref&gt;1950年代のアメリカでは10フィートサイズのものが公式テーブルとして採用されていた。(CUE&#039;S(2007年7月号 p.25)を参照のこと)&lt;/ref&gt;となっている。<br /> <br /> 公式競技には&#039;&#039;&#039;[[ナインボール]]&#039;&#039;&#039;、&#039;&#039;&#039;[[エイトボール]]&#039;&#039;&#039;、[[ローテーション・ゲーム]]、[[ストレートプール]](14-1、フォーティーン・ワン)、[[ワンポケット・ゲーム]]などがある。ほか、日本人が考案した種目に、ボウリングの採点方式を取り入れた[[ボウラード]]、サッカーのコンセプトを融合させた[[FUJIYAMA (ビリヤードの種目)|FUJIYAMA]]がある。ボウラードは[[日本プロポケットビリヤード連盟]]のプロ認定試験において実技種目として採用されている。FUJIYAMAは1998年頃に開発され歴史が短いものの、世界のトッププレイヤーである[[エフレン・レイズ]]がオープン戦に参加した。<br /> <br /> === ブレイクショット ===<br /> {{main|ブレイクショット}}<br /> <br /> スヌーカーも含め、ポケットビリヤードではセットの開始時に、複数の的球が決まった形に固めてセットされる。そのままでは的球をポケットすることが困難なため最初のショットはこれを崩す(散らす)ために行われる。これを&#039;&#039;&#039;ブレイクショット&#039;&#039;&#039;と呼ぶ。1つの手球で複数の的球を散らす必要があるため、通常のショットよりも非常に大きなエネルギーを手球に与える必要があり、そのためキューやキュー先(ティップ、フェラル)へ大きな力が加わる。そのためティップの劣化が進むためにタッチが変わることを嫌い、ブレイクショットには専用のキュー(ブレイク・キュー)を用いるプレイヤーが多い。ブレイク・キューを個人で所有していないプレイヤーのなかには、ハウスキューで代用する人も多い。また場合によってはティップやシャフトを破損することもある。<br /> * ボウラードなどはできる限り毎回同じような配置にすることがスコアを伸ばす際有利に働くため、さほど強いショットを行わないことが多い。またナインボールなどでも同様の理由から毎回一定の強さのブレイクを行うプレイヤーもいる。こういったゲームをプレイする場合、あえてブレイク・キューを使用しない人もいる。<br /> <br /> === ジャンプ・ショット ===<br /> ジャンプ・ショットとは手球が的球を飛び越えるように放つショットのことである。14-1やワンポケット、スヌーカー競技においてはジャンプショットは禁止されている。<br /> <br /> ジャンプ・ショットはキューをやや上方より突き下ろすことで手球をラシャに叩きつけるようにショットし、手球の反発力を利用してジャンプさせる。キューを上から突き下ろすという独特のフォームを取るため、通常よりも若干短いキュー(ジャンプキュー)を使用することが多い。<br /> <br /> かつてはそのフォームから、キューのシャフトをバットから取り外し、シャフトだけでジャンプショットを放つプレイヤーが多かった。しかしBilliard Congress of Americaによってキューの長さは最低40インチ(約101センチ)以上と定められ、シャフト単体ではこの長さに足りないため、シャフトに通常のバットよりも短いバットを付け加えたものが、ジャンプキューの始まりと言われている。<br /> <br /> 各キュー・メーカーよりさまざまなタイプのジャンプキューが発売されており、バットよりもシャフトの方が短いもの、バットの方が短いもの、非分割タイプのもの(ワン・ピース・キュー)、ブレイクキューと兼用のもの(バット部分がさらに分割できる)などがある。<br /> <br /> なお、ビギナーが手球の下端を強く突くことで故意にキューミスさせ、手球をジャンプさせるシーンを見かけるが、&#039;&#039;&#039;故意のキューミスによるジャンプはルール上ファウル&#039;&#039;&#039;であることに注意されたい。<br /> * ドローショットのミスによるミスジャンプはファウルではない(もちろん正しい的球に手球があたり、ノークッションファウルの適用外である必要がある)。<br /> <br /> またジャンプさせた手球を狙った的球の上部に当て、その的球をさらにジャンプさせる高等テクニックもある(的球ジャンプ)。<br /> <br /> ジャンプキューの使用はナインボールやエイトボールの一部のルールでしか認められていない。例として、WPA主催の[[世界ナインボール選手権]]および[[世界エイトボール選手権]]では使用可能だが、[[USオープン (ビリヤード)|USオープン]]や[[インターナショナルプールツアー|IPT]]、[[:en:American Poolplayers Association|APA]]・JPA等ジャンプキューが使用できない大会もある。USオープンとAPAでは、レギュレーションを満たすキューによるジャンプショットをすることはルール上問題ない。<br /> [[アール・ストリックランド]]等一部のプレーヤーは、高度な技術を必要とするためプレーの妙味であったセーフティの応酬が、誰でも簡単にジャンプショットを可能にするジャンプキューの出現によりつまらなくなってしまったとしてジャンプキューに批判的な立場をとっている。<br /> <br /> == アーティスティック・ビリヤード ==<br /> アーティスティック・ビリヤードはビリヤード競技のひとつ。俗に曲球、トリックショットとも呼ばれる。ポケット・テーブル(ここではスヌーカー・テーブルも含む)で行われるものと、キャロム・テーブルで行われるものがある。JPBFではアーティスティック・ビリヤード選手権を開催している。<br /> <br /> ポケット・テーブルで行われるものは複数の的球を定位置に置き、ワンショットで全ての的球をポケット・インさせるというものが多く、的球を決まった位置に置くことから&#039;&#039;&#039;セットボール&#039;&#039;&#039;と呼ばれる。日本ではこの分野においては[[木村義一]]プロなどが有名である。<br /> <br /> 日本ではTV番組「[[新春かくし芸大会]]」において[[堺正章]](2004年)、[[恵俊彰]](2007年)などがプロより技術指導を受けて挑戦したこともある。<br /> <br /> キャロム・テーブルで行われるものは決まった位置に2個の的球と1個の手球を置き、マッセや「切り押し」「切り引き」と呼ばれる、他の競技よりも手球に鋭い回転を賭けるショットを多く用いて全ての的球に手球を当てることを目的とする。配置によって難易度が変わり、その難易度によって5-10点の得点が与えられる。[[日本ビリヤード協会]](NBA)のキャロムビリヤード競技規定によると、一つの配置を規定条件と呼び、複数の規定で得た合計得点によって勝敗が判定される。一つの規定においてプレイヤーは3回の連続した試技が許され、一度成功するとその規定の得点が与えられる。&lt;ref&gt;[http://billinavi.com/rule/carom.html]&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref&gt;『キング・オブ・ザ・ハスラー』(谷津太郎)で詳しく描写されている。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 世界のビリヤード ==<br /> === アメリカ ===<br /> 日本と違い、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[英語]]では billiards と言った場合キャロムを指すことがあり、ポケットのあるゲームは pool、pocket billiard などと呼んで区別する場合があるので注意が必要である。<br /> <br /> 日本ではあまり見かけないが、アメリカではバー等に設置されたコイン式の有料ビリヤード台を良く見かける。この台はコインを入れると手球を含む16個のボールが貸し出されるようになっており、このような台ではもっぱらエイトボールが、ゲームに負けた方が次のゲームのゲーム代を置いて次のプレーヤーと交代し勝者が続けてプレーするというスタイルで気軽な娯楽として楽しまれている。<br /> しかし、ゲーム中に手玉がポケットされてしまうとゲームが続行できないため、この様な台では的球と違うサイズの手玉を用いる事により機構上対応されている。とはいえ、手球以外の玉は一度ポケットされる次にコインを入れるまで出すことができない。エイトボールのルール上8番ボールをミスポケットすると即負けとなるのは、このコインテーブルの機構に由来する。<br /> (近年のナインボール・ルールで理由を問わず的球を台上に戻さないようになったのは、主にアメリカにおけるテレビ放送の都合によるスピードアップを目的としてのものであり、上記コインテーブルの仕組が原因ではない)<br /> <br /> === フィリピン ===<br /> フィリピンではビリヤードは「貧者のゲーム」と言われており、安い料金でプレイできる。料金は1ゲームごとに精算する店舗が多く、ナインボールが7ペソ/ゲーム、エイトボールが10ペソ/ゲームとなっている。そのため、ゲームがすぐに終わってしまい結果として割高な料金を支払うことになるナインボールよりも1ゲームのプレイ時間が長いエイトボールが好んで遊ばれている。近年は時間ごとにゲーム代を支払う場所が増えた。<br /> <br /> また国内で広く一般的に浸透しているため、[[ゴーゴーバー]]では水着の女性とビリヤードが遊べるサービス産業が存在したり、スラムでは[[フィリピン国鉄#諸問題|線路を不法占拠してビリヤードに興じるなどの問題]]が起きている。<br /> <br /> == 日本での試合形式の概要 ==<br /> ここでは日本における試合形式について言及する。<br /> <br /> === キャロム・ビリヤード ===<br /> {{節スタブ}}<br /> <br /> === ポケット・ビリヤード ===<br /> 一般にはシュートアウトなしのテキサスエクスプレスのナインボールが最も多くプレイされているが、レベルに応じてプレイヤー同士でルールを取り決めてゲームを行うのが普通である。日本の住宅事情から、自宅にはテーブルを持たず、ビリヤード専門店に通うのが愛好者の間で一般的である。店ごとに決められた時間あたりの料金を支払ってプレーする。客のほぼ全員が現金を賭ける[[麻雀]]ほどではないが、ギャンブルを行う者がいる。ただ、近年、ギャンブル禁止を謳う店舗も散見され、純粋なスポーツあるいは競技として取り扱われる傾向は増えつつある。<br /> <br /> ; 公式戦<br /> : 公式戦は、ビリヤードに関連する団体が主催して行う試合である。想定される参加者の所属する地域に関しては、全国レベルのものから、参加者の所属する地域をある程度限定するもの、地域対抗の形式のものなど各種ある。参加者に対してハンディキャップは設定されないことが多い。公式戦にはアマチュアのみ参加できるものと、アマチュアとプロの両方が参加できるオープン戦があり、オープン戦には国内オープン戦と国際オープン戦がある。オープン戦の場合アマチュアの参加が限定されることもある。&lt;ref&gt;全日本ポケットビリヤード選手権大会は主なアマチュア全国大会の優勝者や、国内オープン戦のベストアマなどに限定される。&lt;/ref&gt;<br /> <br /> ; ハウストーナメント<br /> : 各地のビリヤード場が主催して行う試合である。想定される参加者の所属する地域は、ほとんどがその店舗の近隣を想定されているが、そのように規定されている場合は少ない。公式戦と異なり、異なる技量の参加者同士が拮抗したゲームが行えるよう、参加者の技量「クラス(級)」に対してハンディキャップを設定する、あるいは参加者の技量を参加条件として限定している場合が多い。<br /> <br /> == 日本におけるクラス(級)とハンディキャップ ==<br /> アマチュア・プレイヤーの技量は「クラス」(「級」とも言われる)に分けられる。<br /> <br /> === キャロム・ビリヤード ===<br /> 各個人が「持ち点」と呼ばれる点数を持ち、その持ち点によってハンデが決定する。<br /> <br /> === ポケット・ビリヤード ===<br /> アマチュアプレイヤーはビギナー、C、B、A、SAなどのクラスに分類される。これらの分類の中で唯一SA級だけが「アマチュア全国大会の優勝者」と定められている&lt;ref&gt;袴田p.93&lt;/ref&gt;が、他のクラスに関しては明確な基準は定められておらず、クラスはプレイヤーからの自己申告に基づく。そのため、参加者の実際の技量を絶対的に示す基準になりえておらず、「異なる技量の参加者が拮抗したゲームを行う」という本来の機能を果たしていないと指摘する意見{{要出典|date=2012年12月}}もある。<br /> <br /> 一度クラスを申告してしまうと、以降は下位のクラスとしては試合などへ出場することは認められないことが多いため、明らかに上のクラスの実力があっても下のクラスから昇格しようとしない人間もいる。例えば、ある店舗で開催される月例会(マンスリーハウストーナメント)において、一度A級として出場した場合、翌月以降もA級での出場が義務付けられるという意味である。なお、それ以外の試合(他店での試合)へ出場する場合はこの限りではないが、クラスを偽ることになるため推奨されない。<br /> <br /> 店舗によっては女性クラスを示すL級を設けることがあり、LA級、LB級、LC級と分類しており、ハンデを多く与えることがある。そのため、公平に見て女性よりも実力の劣る男性が、女性へハンデを振らなければならない状況が生まれることがある。例えば、ナインボールの試合であれば、男性A級プレイヤーが6セット先取であるのに対し、LA級は男性のB級と同じハンデの4セット先取というハンデが与えられる(体力・体格・腕力面よりもプレイ人口比率面からの優遇と考えられる{{要出典|date=2012年12月}})。<br /> <br /> またプロがアマチュアのハウストーナメントなどにゲストとして参加する場合、Pクラスが設けられることがある。<br /> <br /> ビリヤードのプレイは数値に表せるものではないため、万人に通用する明確な基準を作成するのは非常に困難である。また、クラスをあまり細かく分けすぎるとハンデの振り方が煩雑になり、大雑把過ぎると異なった実力の2人が同クラスとなり不公平感が生まれるなど、調整が非常に困難な部分である。<br /> <br /> ====競技ごとのハンデの振り方====<br /> 競技によってさまざまなハンデの振り方がある。以下に一例を挙げる。<br /> <br /> * ナインボールやエイトボールでは、先取すべきセット数に差をつける(例えば、A級6セット、B級4セット、C級3セットとし、先に9番ボールをセット数分だけ入れたほうが勝ちとなる)。<br /> *ジャパンナイン、あるいは5-9では、セット数という概念がないため、点球(てんだま)を増やしたり、倍率付け(点球をサイドポケットへ入れた場合、点数を2倍付けするか)などで調整する。<br /> * ローテーションでは獲得すべき点数に差をつける(例:A級240点、B級150点、C級90点とし、その得点を先に獲得した者の勝利となる)。<br /> <br /> == 玉突きというたとえ表現 ==<br /> 「玉突き」という言葉は、[[自動車]]が次々と連なって衝突事故を起こすさまにも使われ、「玉突き衝突」「玉突き事故」と表現される&lt;ref&gt;新村p.1674&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == ビリヤードを題材とした作品 ==<br /> === 映画 ===<br /> * [[ハスラー (映画)|ハスラー]](The Hustler)(1961年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br /> * ジェームズ・コバーンの新ハスラー(The Baltimore Bullet)(1980年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br /> * 道頓堀川(1982年 [[日本]])<br /> * ハスラーザ・ファイナル(Io chiara e Lo scuro)(1983年 [[イタリア]])<br /> * ナンバーワン(Number One)(1984年 [[オーストラリア]])<br /> * ビリー・ザ・ハスラー(Billy The kid And The Green Baize Vampire)(1985年 [[イギリス]])<br /> * [[ハスラー2]](The Clolor Of Money)(1986年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br /> * ハードショット(Hard Knuckle)(1987年 [[イギリス]])<br /> * キス・ショット(天使のキス・ショット)(Kiss Shot)(1989年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br /> * スティックメン(STICKMEN)(2000年 [[ニュージーランド]])<br /> * ナイン(2000年 [[日本]])<br /> * プールホールジャンキー(Poolhall Junkies)(Warner 2003年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br /> * 孔雀 女ハスラー捜査官(2007年 [[日本]])&lt;!--[[赤澤ムック]]--&gt;<br /> <br /> === 漫画 ===<br /> {{see also|スポーツ漫画#ビリヤード漫画}}<br /> <br /> * [[ブレイクショット (漫画)|ブレイクショット]]([[前川たけし]])<br /> * Hot Shot([[大野純二]])<br /> * POOL SHOOTER([[鈴木信也]])<br /> * キング・オブ・ザ・ハスラー([[谷津太郎]])&lt;ref&gt;作者死去のため未完という説が流れたが、実際は原稿を落とし続けたことで連載中止となった。1~4巻のみ刊行。&lt;/ref&gt;<br /> * ハスラー・ザ・キッド([[小笠原十余志]]原作/[[黒咲一人]]作画)<br /> * ザ・ハスラー([[一の瀬正]])<br /> * 撞球水滸伝([[中野喜雄]])<br /> * [[獣のように]]([[かわぐちかいじ]])<br /> * [w]ウォン([[たがみよしひさ]])<br /> * GAME-ゲーム-([[小塚敦子]])<br /> * ハスラー・レプリカン([[よこみぞ邦彦]])<br /> * ちょっとナインボール([[羽田周平]]原作/[[堀田あきお]]作画)<br /> * 突いてくるかい([[笹沼傑嗣]])<br /> * キス・ショット([[おおぬまひろし]])<br /> * POOLPLAYER ISABU([[山下東七郎]])<br /> * J.boy([[能條純一]])<br /> * ナインパズル([[酒井まゆ]])<br /> * 散球([[竹内広次]])<br /> * 命撞き([[北村永吾]])<br /> * 黄金のマッセ([[青山広美]]原作/[[若狭たけし]]作画)<br /> * ハスラーボーイ([[落合ひさお]])<br /> * ビリヤードスター([[コンダレーシング]])<br /> <br /> === 小説 ===<br /> * ハスラー([[ウォルター・テヴィス]])<br /> * キス・ショット!([[春原いずみ]])<br /> * 道頓堀川([[宮本輝]])<br /> * [[学生街の殺人]]([[東野圭吾]])<br /> <br /> === ゲーム ===<br /> * [[ルナーボール]]<br /> * [[エキサイティングビリヤード]]<br /> * サイドポケット<br /> * ポケットギャル<br /> * マジカルショット<br /> * キャロムショット<br /> * キャロムショット2<br /> * 撞球 ビリヤードマスター<br /> * EXビリヤード<br /> *[[プレビリアン]]<br /> *[[THE ビリヤード]]<br /> * ブレイクナイン<br /> <br /> === 記念切手 ===<br /> *[[ワールドゲームズ2001]]で記念切手図柄に採用された[http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2001/0816/index.html]。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> * 図解スポーツ大百科(第1刷 p.143 - 145)<br /> * PHW(2006年12月号 p.60 - 61)<br /> * 朝日新聞(2007年7月24日)<br /> * CUE&#039;S(2006年5月号 p.114)<br /> * 新村出編「広辞苑」(第5版) 岩波書店, 1999<br /> * ロバートバーン/遠藤智行訳 「ロバートバーンのビリヤードスタンダードブック」(初版第2刷) BABジャパン, 1999<br /> * 若松和夫「ビリヤード入門 技術と練習法」 成美堂出版, 1986<br /> * 袴田 宜伸「ビリヤードを100倍楽しむ本」BABジャパン、2009<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;div class=references-small&gt;<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> &lt;references/&gt;<br /> &lt;/div&gt;<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> {{Commonscat|Billiards}}<br /> <br /> * [http://www.nba.or.jp/ 日本ビリヤード協会]<br /> * [http://www.jpba.ne.jp/ 日本プロポケットビリヤード連盟]<br /> * [http://www.jbc-pool.net/ 日本ビリヤード機構]<br /> * [http://www.poolplayers.jp/ 日本プールプレイヤーズアソシエーション]<br /> * [http://jhba.gozaru.jp/ 日本ハンディキャップビリヤード協会]<br /> * [http://www.jwba.jp/ 日本車椅子ビリヤード協会]<br /> * [http://www.jpbf.net/ 日本プロビリヤード連盟]<br /> * [http://www.qclub.jp// Q-club(ビリヤード女子プロ後援会)]<br /> <br /> {{スポーツ一覧}}<br /> {{Authority control}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ひりやあと}}<br /> [[Category:ビリヤード|*]]</div> 106.184.133.106 裸祭り 2018-03-17T10:20:31Z <p>106.184.133.106: /* 九州地方 */ 若宮八幡神社 (豊後高田市)#秋季大祭</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2013年11月}}<br /> [[Image:Hadaka_Matsuri_small.JPG|thumb|right|300px|西大寺会陽]]<br /> &#039;&#039;&#039;裸祭り&#039;&#039;&#039;(はだかまつり)とは、参加者が褌姿など[[裸体]]に近い姿で参加する[[祭|祭り]]である。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> <br /> 裸祭りとは祭りの参加者([[氏子]])が、生誕した時と同じ裸体となることで清浄無垢の姿で神との交渉を行う神聖な祭事とされている&lt;ref name=&quot;daihyakka-hadakamatsuri&quot; /&gt;。裸祭りは、[[禊]]として[[厄]]を落として新たに生まれ変わる[[神事]]と、闘争を伴い、その年の[[五穀豊穣]]・[[豊作]]祈願・[[大漁]]祈願を占う神事の二つに大別されている&lt;ref name=&quot;daihyakka-hadakamatsuri&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;daihyakka-hadaka&quot; /&gt;&lt;ref name=&quot;britannica&quot; /&gt;。<br /> <br /> 裸祭りは正月の[[修正会]](しゅじょうえ)の最後&lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-rekishi&quot;/&gt;か、川祭、夏越し祭りの折に開催されることが多い。正月の裸祭りは[[物忌]]を終えた氏子が新しい生命を得て復活した姿を示すものであり、夏の裸祭りは穢を払う禊を起源を持つと言われる&lt;ref name=&quot;britannica&quot; /&gt;。<br /> <br /> 裸祭りは全国的に行われており、正月の裸祭りでは[[岩手県]][[奥州市]]水沢区の[[蘇民祭#黒石寺蘇民祭|黒石寺蘇民祭]]、[[愛知県]][[稲沢市]]の[[尾張大国霊神社]](通称:国府宮神社)の儺追(なおい)神事、[[岡山市]][[西大寺 (岡山市)|西大寺]]の[[会陽]](えよう)、[[福岡市]]東区の筥崎宮の玉せせりなどがあり、夏の裸祭りでは東京都品川区[[荏原神社]]の[[天王祭]]り、[[京都市]][[賀茂神社]]の夏越し祭りなどが著名である&lt;ref name=&quot;britannica&quot; /&gt;、[[常陸大宮市]]の[[祇園祭]]は毎年2日間開催され、1日目は男児が子供神輿を、2日目は成人男性が大人神輿を担いでいる。<br /> <br /> == 歴史 ==<br /> <br /> === 毘沙門堂裸押合い祭(新潟県南魚沼市) ===<br /> 本尊の農業の神・毘沙門天が開帳される初詣の正月3日に、周辺の農民が多数訪れ、早く参拝しようと押し合う中で次第に裸となり、裸押合いが始まったとされる&lt;ref name=&quot;bisyamonnosato&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;yamatokankou&quot;/&gt;。1841(天保12)年発売の『[[北越雪譜]]』(鈴木牧之著)でも、当時の参拝者が裸で押し合う様子が描写されている&lt;ref name=&quot;bisyamonnosato&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;bisyamon-suzuki&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;bisyamon-honda&quot;/&gt;。<br /> <br /> === 西大寺会陽(岡山県岡山市) ===<br /> 寺伝によれば、室町時代の永正年間に忠阿上人が参拝者に守護札を授与していたが、希望者が増えたため、1510(永正7)年に参拝する群衆の頭上に牛玉(紙製の守護札)を投げ与えた所、奪い合いになったのが会陽の始まりとされる&lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-saidaiji-rekishi&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;saidaiji&quot;/&gt;。札を奪い合う群衆は当初は着衣だったが、動きやすくなるために次第に裸になっていったと推測されている&lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-saidaiji-rekishi&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;saidaiji&quot;/&gt;。1661(寛文元)年の年紀を持つ縁起本に会陽初期の様子を表した絵図があり、裸と着衣の人間が入り交じって描かれている&lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-rekishi&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-zuhan&quot;/&gt;。<br /> <br /> == 全国の裸祭り ==<br /> <br /> === 北海道地方 ===<br /> * 1月15日:[[木古内町寒中みそぎ祭り]]([[木古内町]])&lt;ref name=&quot;kikonai1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;kikonai2&quot;/&gt;<br /> * 7月第1土曜日:[[江差かもめ島まつり]]([[江差町]])&lt;ref name=&quot;esashi&quot;/&gt;<br /> * 7月中旬:[[芦別健夏山笠]]([[芦別市]])&lt;ref name=&quot;ashibetsu&quot;/&gt;<br /> * 7月中旬:[[あかびら火まつり]]([[赤平市]])&lt;ref name=&quot;akabira&quot;/&gt;<br /> <br /> === 東北地方 ===<br /> * 元旦:[[常盤八幡宮年縄奉納裸参り]]([[藤崎町]])&lt;ref name=&quot;fujisaki&quot;/&gt;<br /> * 1月7日:[[七日堂裸まいり]]([[柳津町]])&lt;ref name=&quot;yanaidu1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;yanaidu2&quot;/&gt;<br /> * 1月7日:[[二井山裸参り]](湯殿山神社、[[横手市]])&lt;ref name=&quot;yokote&quot;/&gt;<br /> * 1月9日~28日:[[裸参り]]([[不退院]]・[[永祥院]]・[[教浄寺]]・[[盛岡八幡宮]]・[[浅草観世音]]・[[桜山神社 (盛岡市)|櫻山神社]]・[[大日如来]]、[[盛岡市]])&lt;ref name=&quot;morioka&quot;/&gt;<br /> * 1月14日:[[どんと祭#松焚祭|松焚祭]]([[大崎八幡宮]]、[[仙台市]])&lt;ref name=&quot;sendai&quot;/&gt;<br /> * 1月14日:[[こごたどんと祭り]](山神社、[[美里町 (宮城県)|美里町]])&lt;ref name=&quot;misato&quot;/&gt;<br /> * 1月14日:[[坂下初市大俵引き]]([[会津坂下町]])&lt;ref name=&quot;bange&quot;/&gt;<br /> * 1月15日に近い日曜日:[[やや祭り]]([[庄内町]])&lt;ref name=&quot;shonai&quot;/&gt;<br /> * 1月第3日曜日:[[新山神社裸まいり]]([[由利本荘市]])&lt;ref name=&quot;yurihonjo&quot;/&gt;<br /> * 旧暦1月7日:[[蘇民祭#黒石寺蘇民祭|黒石寺蘇民祭]]([[黒石寺]]、[[奥州市]])&lt;ref name=&quot;ousyu&quot;/&gt;<br /> * 2月3日:[[裸樽神輿]]([[栗原市]])&lt;ref name=&quot;kurihara&quot;/&gt;<br /> * 旧暦12月12日:[[湯之沢裸祭り]](長松垢離とり)(山祇神社、[[西和賀町]])&lt;ref name=&quot;nishiwaga&quot;/&gt;<br /> * 12月31日:飯詰稲荷神社裸参り([[五所川原市]])<br /> <br /> === 関東地方 ===<br /> * 成人の日の前日:[[小高の裸参り]]([[匝瑳市]])&lt;ref name=&quot;sosa&quot;/&gt;<br /> * 1月20日早朝:[[湯かけ祭り]]([[長野原町]])&lt;ref name=&quot;kawarayu&quot;/&gt;<br /> * 2月25日:和良比はだか祭り(和良比皇産霊神社、[[四街道市]])&lt;ref name=&quot;yotsukaido-warabi&quot;/&gt;<br /> * 3月15日:内黒田はだか参り([[熊野神社 (四街道市内黒田)|内黒田熊野神社]]、四街道市)&lt;ref name=&quot;yotsukaido-kumano&quot;/&gt;<br /> * 7月中旬:[[江ノ島天王祭]](八坂神社《[[藤沢市]]》・小動神社《[[鎌倉市]]》)&lt;ref name=&quot;enoshima&quot;/&gt;<br /> * 7月下旬:[[大和田氷川神社夏まつり]]([[新座市]])&lt;ref name=&quot;niiza&quot;/&gt;<br /> * 7月下旬:[[甘酒祭]](熊野神社、[[秩父市]])&lt;ref name=&quot;chichibu&quot;/&gt;<br /> * 7月下旬:[[祇園祭]](素鷲神社、[[常陸大宮市]])&lt;ref name=&quot;hitachiomiya&quot;/&gt;<br /> * 9月13日:[[上総十二社祭り]]([[一宮町]])&lt;ref name=&quot;ichinomiya&quot;/&gt;<br /> * 9月23日 - 24日:[[大原はだか祭り]]([[いすみ市]])&lt;ref name=&quot;isumi&quot;/&gt;<br /> * 11月19日:[[盤台行事]](有氏神社、[[神川町]])&lt;ref name=&quot;kamikawa&quot;/&gt;<br /> <br /> === 中部地方 ===<br /> * 元旦:[[上野間の裸まいり]]([[美浜町 (愛知県)|美浜町]])&lt;ref name=&quot;kaminoma&quot;/&gt;<br /> * 1月1日 - 3日:[[由比のお太鼓祭]]([[静岡市]][[清水区]])&lt;ref name=&quot;shizuoka&quot;/&gt;<br /> * 1月3日:[[ドウ押し]](毘沙門堂、[[佐渡市]])&lt;ref name=&quot;sado&quot;/&gt;<br /> * 旧暦1月13日:[[国府宮はだか祭り]]([[尾張大国霊神社]]、[[稲沢市]])&lt;ref name=&quot;konomiya&quot;/&gt;<br /> * 1月17日:[[裸胴上げまつり]](藤崎観音堂、[[糸魚川市]])&lt;ref name=&quot;itoigawa&quot;/&gt;<br /> * 1月下旬:[[曽々木寒中みそぎフェスティバル]]([[輪島市]])&lt;ref name=&quot;wajima&quot;/&gt;<br /> * 1月下旬:大寒みそぎ(和田八幡宮、[[福井市]])&lt;ref name=&quot;fukui&quot;/&gt;<br /> * 2月1日:[[ヤーヤ祭り]](尾鷲神社、[[尾鷲市]])&lt;ref name=&quot;owase1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;owase2&quot;/&gt;<br /> * 2月3日:[[節分会はだか祭り]]([[宝光院 (大垣市)|宝光院]]、[[大垣市]])&lt;ref name=&quot;ogaki&quot;/&gt;<br /> * 2月第2土曜日:[[裸押合大祭]](栃堀巣守神社、[[長岡市]])&lt;ref name=&quot;nagaoka&quot;/&gt;<br /> * 2月第2日曜日:[[天下祭]]([[豊田市]])&lt;ref name=&quot;toyota1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;toyota2&quot;/&gt;<br /> * 2月下旬:[[赤谷どんづきまつり]](上赤谷鎮守山神社、[[新発田市]])&lt;ref name=&quot;shibata&quot;/&gt;<br /> * 3月3日:[[浦佐毘沙門堂裸押合大祭]]([[普光寺 (南魚沼市)|普光寺]]、[[南魚沼市]])&lt;ref name=&quot;bisyamonnosato&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;yamatokankou&quot;/&gt;<br /> * 3月上旬:[[中田裸祭り]]([[豊田市]])<br /> * 4月11日:[[酒とり祭り]](下後亟神明宮、[[小矢部市]])&lt;ref name=&quot;oyabe&quot;/&gt;<br /> * 4月19日: [[起し太鼓]] ([[飛騨市]])<br /> * 7月上旬:[[島立裸まつり|島立堀米の裸祭り]]([[松本市]])&lt;ref name=&quot;matsumoto&quot;/&gt;<br /> * 旧暦8月10日直前の土日:[[見付天神裸祭]](見付天神、[[磐田市]])&lt;ref name=&quot;mitsuke-tenjin&quot;/&gt;<br /> * 12月第2土曜日:[[池ノ上みそぎ祭]]([[葛懸神社]]、[[岐阜市]])&lt;ref name=&quot;gifu&quot;/&gt;<br /> <br /> === 近畿地方 ===<br /> * 1月上旬:[[どやどや]]([[四天王寺]]、[[大阪市]][[天王寺区]])&lt;ref name=&quot;tennoji&quot;/&gt;<br /> * 1月14日:[[法界寺裸踊り]]([[法界寺]]、[[京都市]][[伏見区]])&lt;ref name=&quot;fushimi&quot;/&gt;<br /> * 成人の日の前日:[[西市辺裸まつり]](法徳寺薬師堂、[[東近江市]])&lt;ref name=&quot;higashiomi&quot;/&gt;<br /> * 5月第4日曜:[[嵯峨祭]](還幸祭)([[野宮神社]]・[[愛宕神社]]、京都市[[右京区]])<br /> * 8月上旬:[[矢取り神事]]([[下鴨神社]]、京都市[[左京区]])&lt;ref name=&quot;sakyo&quot;/&gt;<br /> * 10月14 - 15日:[[灘のけんか祭り]]([[松原八幡神社]]、[[姫路市]])&lt;ref name=&quot;himeji&quot;/&gt;<br /> * 10月22日:[[鞍馬の火祭]]([[由岐神社]]、京都市[[左京区]])&lt;ref name=&quot;kurama&quot;/&gt;<br /> <br /> === 中国地方 ===<br /> * 2月第1日曜日:[[松林寺 (岡山市)|松林寺]]子供会陽([[岡山市]][[南区 (岡山市)|南区]])&lt;ref name=&quot;okayama-shorinji1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;okayama-shorinji2&quot;/&gt;<br /> * 2月第1土曜日:[[金山寺]]会陽(岡山市[[北区 (岡山市)|北区]])&lt;ref name=&quot;okayama-kinzanji&quot;/&gt;<br /> * 2月第2土曜日:[[安養寺 (美作市)|安養寺]]会陽([[美作市]])&lt;ref name=&quot;mimasaka&quot;/&gt;<br /> * 2月第2土曜日:[[岩倉寺]]会陽([[西粟倉村]])&lt;ref name=&quot;nishiawakura&quot;/&gt;<br /> * 2月第3土曜日:[[御福開祭・はだか祭り]]([[久井稲生神社]]、[[三原市]])&lt;ref name=&quot;mihara&quot;/&gt;<br /> * 2月第3土曜日:[[西大寺会陽]](岡山市[[東区 (岡山市)|東区]])&lt;ref name=&quot;saidaiji&quot;/&gt;<br /> * 2月下旬:[[道通宮子供会陽]]([[沖田神社]]、岡山市[[中区 (岡山市)|中区]])&lt;ref name=&quot;okayama-okita&quot;/&gt;<br /> * 10月中旬:[[大原の秋祭り]]([[美作市]])&lt;ref name=&quot;mimasaka-ohara&quot;/&gt;<br /> * 11月第4土曜日:[[防府天満宮]][[御神幸祭]]([[裸坊祭]])([[防府市]])&lt;ref name=&quot;hofu&quot;/&gt;<br /> <br /> === 四国地方 ===<br /> * 2月下旬:[[善通寺]]会陽([[善通寺市]])&lt;ref name=&quot;zentsuji&quot;/&gt;<br /> * 10月5日~7日:[[松山秋祭り]]の一体走り<br /> <br /> === 九州地方 ===<br /> * 1月2 - 3日:[[竹崎観世音寺修正会鬼祭]](竹崎観世音寺、[[太良町]])&lt;ref name=&quot;tara-event&quot;/&gt;<br /> * 1月3日:[[玉せせり]] ([[筥崎宮]]、[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]])&lt;ref name=&quot;fukuoka-hakozaki&quot;/&gt;<br /> * 1月7日:[[鬼夜]]([[大善寺玉垂宮]]、[[久留米市]])&lt;ref name=&quot;kurume-daizenji&quot;/&gt;<br /> * 1月10日:脇之浦はだか祭り([[北九州市]][[若松区]])&lt;ref name=&quot;wakinoura&quot;/&gt;<br /> * 1月15日:[[竹崎の円座祭]](竹崎観世音寺、太良町)&lt;ref name=&quot;tara-event&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;tara-enza&quot;/&gt;<br /> * 成人の日:[[青島裸まいり]]:([[青島神社]]、[[宮崎市]])&lt;ref name=&quot;miyazaki-aoshima&quot;/&gt;<br /> * 1月中旬の日曜日:[[ヘトマト]]([[五島市]])&lt;ref name=&quot;goto1&quot;/&gt;&lt;ref name=&quot;goto2&quot;/&gt;<br /> * 1月第3日曜日:[[破魔弓祭]](的ばかい)([[四王子神社]]、[[長洲町]])&lt;ref name=&quot;nagasu&quot;/&gt;<br /> * 1月20日:[[上津深江八坂神社裸祭り]]([[苓北町]])&lt;ref name=&quot;reihoku&quot;/&gt;<br /> * 2月10日: [[風浪宮]]大祭の裸ん行 ([[大川市]])<br /> * 6月1日 - 2日:[[川渡祭]](へこかき祭り)([[高良大社]]、[[久留米市]])&lt;ref name=&quot;kurume-koura&quot;/&gt;<br /> * 7月上旬:[[博多祇園山笠]](福岡市[[博多区]])&lt;ref name=&quot;yamakasa&quot;/&gt;<br /> * 7月中旬:[[かごしま夏祭り]]([[鹿児島市]])<br /> * 7月19日: [[津屋崎祇園山笠]] ([[福津市]])<br /> * 旧暦8月15日:[[十五夜ソラヨイ]]([[南九州市]])&lt;ref name=&quot;minamikyusyu&quot;/&gt;<br /> * 10月14日:[[ケベス祭]](岩倉社、[[国東市]])<br /> * 11月上旬:[[若宮八幡神社 (豊後高田市)#秋季大祭]]([[豊後高田市]])&lt;ref name=&quot;bungotakada&quot;/&gt;<br /> * 11月中旬:[[さいすくい]](貴船神社、[[中津市]])&lt;ref name=&quot;nakatsu&quot;/&gt;<br /> <br /> == 出典 ==<br /> {{Reflist|2|refs=<br /> &lt;ref name=&quot;daihyakka-hadakamatsuri&quot;&gt;「裸祭り」、『世界大百科事典』(平凡社)、22巻、pp.553-554。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;daihyakka-hadaka&quot;&gt;「裸」、『世界大百科事典』(平凡社)、22巻、pp.552-553。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;britannica&quot;&gt;「裸祭り」『ブリタニカ国際大百科事典』。&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bisyamonnosato&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.bisyamonnosato.com/osiai.html |title=裸押合い大祭 |publisher=裸押合い祭り実行委員会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bisyamon-suzuki&quot;&gt;{{Cite journal |和書 |author=鈴木昭英 |year=2010 |title=浦佐毘沙門堂裸押合いの昔と今 ―祭式儀礼を中心として― |journal=宗教民族研究 |issue=20 |pages=47-48 |publisher=日本宗教民俗学会}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bisyamon-honda&quot;&gt;{{Cite journal |和書 |author=本田郁子 |year=1985 |title=地域社会における伝承的身体表現に関する研究 ―新潟県南魚沼郡浦佐裸押合い祭りを事例として― |journal=山口大学教育学部研究論叢 ―芸術・体育・教育・心理― |volume=34 |issue=3 |page=159 |publisher=山口大学}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yamatokankou&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.yamatokankou.jp/osiainixtutei.htm |title=裸押合大祭 |publisher=大和観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-zuhan&quot;&gt;{{Cite book ja-jp |editor=岡山県教育庁文化財課 |year=2007 |chapter=巻頭図版 |title=岡山県の会陽の習俗 |publisher=岡山県教育委員会 |page=1 }}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-rekishi&quot;&gt;{{Cite book ja-jp |editor=岡山県教育庁文化財課 |year=2007 |chapter=会陽の歴史 |title=岡山県の会陽の習俗 |publisher=岡山県教育委員会 |page=16 }}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;eyosyuzoku-saidaiji-rekishi&quot;&gt;{{Cite book ja-jp |editor=岡山県教育庁文化財課 |year=2007 |chapter=西大寺会陽 |title=岡山県の会陽の習俗 |publisher=岡山県教育委員会 |page=63 }}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;saidaiji&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.saidaiji.jp/website/eyou |title=会陽 裸祭り |publisher=高野山真言宗別格本山 西大寺 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kikonai1&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.kikonai.hokkaido.jp/kankoujouhou/ibento/kantyuumisogi.htm |title=寒中みそぎ祭り&寒中みそぎフェスティバル |publisher=木古内町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kikonai2&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kikonai-kankou.net/ibento001.html |title=寒中みそぎ祭り |publisher=木古内町観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;esashi&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.hokkaido-esashi.jp/modules/sightseeing/content0027.html |title=かもめ島祭り |publisher=江差町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;ashibetsu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.ashibetsu.hokkaido.jp/syokokanko/kankou/kankou/kenka_festival.html |title=星の降る里・芦別健夏まつり |publisher=芦別市商工観光課観光振興係 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;akabira&quot;&gt;{{Cite web |url=http://akabirakankoukyoukai.jp/event/himatsuri.html |title=あかびら火まつり |publisher=赤平観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;fujisaki&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.fujisaki.lg.jp/index.cfm/8,0,29,247,html |title=四季のイベント情報 |publisher=藤崎町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yanaidu1&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kankou.town.yanaizu.fukushima.jp/event/%E4%B8%83%E6%97%A5%E5%A0%82%E8%A3%B8%E8%A9%A3%E3%82%8A |title=七日堂裸詣り |publisher=柳津町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yanaidu2&quot;&gt;{{Cite web |url=http://aizu-yanaizu.com/%E4%B8%83%E6%97%A5%E5%A0%82%E8%A3%B8%E8%A9%A3%E3%82%8A/ |title=七日堂裸詣り |publisher=柳津観光協会観光案内所 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yokote&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.yokote-kankou.jp/?p=10265 |title=二井山裸参り |publisher=横手市観光連盟 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;morioka&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.odette.or.jp/?p=1166 |title=裸参り |publisher=盛岡観光コンベンション協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;sendai&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.oosaki-hachiman.or.jp/festival/matsutaki/ |title=祭事 松焚祭 |publisher=大崎八幡宮 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;misato&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.misato.miyagi.jp/12kanko/2010-1228-1051-5.html |title=こごたどんと祭 |publisher=美里町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bange&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/29/325.html |title=歳時記・イベントカレンダー |publisher=会津坂下町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;shonai&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.navishonai.jp/kanko/yaya.html |title=東北の奇祭 やや祭り |publisher=庄内町観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yurihonjo&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.yurihonjo-kanko.jp/modules/gnavi/index.php?lid=93 |title=裸参り |publisher=新山神社裸まいり |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;ousyu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/view.rbz?cd=1599 |title=奥州市観光サブサイト 黒石寺蘇民祭 |publisher=奥州市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kurihara&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kurihara-kb.net/event/detail.php?id=175 |title=第50回春を呼ぶ裸たるみこし |publisher=栗原市観光物産協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;nishiwaga&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.nishiwaga.lg.jp/index.cfm/13,1621,57,44,html |title=湯之沢裸まつり(長松垢離とり)参加者募集中! |publisher=西和賀町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;sosa&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.sosa.lg.jp/index.cfm/16,8243,236,html |title=小高の裸参り |publisher=匝瑳市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kawarayu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.gunmabunkazigyodan.or.jp/map/shiryo/yukake.htm |title=川原湯温泉湯かけ祭り |publisher=群馬県教育文化事業団 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yotsukaido-warabi&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.yotsukaido.chiba.jp/miryoku/smile/kanko/matsuri_geinou/ysangyowarabihadaka.html |title=和良比はだか祭り |publisher=四街道市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yotsukaido-kumano&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.yotsukaido.chiba.jp/miryoku/smile/rekishi_bunkazai/bunkazai/4kaido/shiteibunkazai/minzoku/yshakaiutikurodahada.html |title=内黒田はだか参り |publisher=四街道市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;enoshima&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.shonan-sh.jp/times/2015/07/tennousai15.html |title=江の島を彩る夏の風物詩「江の島天王祭」が今年も開催! |publisher=湘南新聞販売 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;niiza&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.niiza.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-hadakamikoshi.html |title=大和田氷川神社夏まつり |publisher=新座市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;chichibu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.chichibu.lg.jp/4349.html |title=甘酒祭 |publisher=秩父市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;hitachiomiya&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.nihon-kankou.or.jp/ibaraki/detail/08344ba2210115214 |title=夏祭り(祇園祭) |publisher=日本観光振興協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;ichinomiya&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.ichinomiya.chiba.jp/kankou/kankouannai/bunkazai/kensiteibunka/171.html |title=上総十二社祭り |publisher=一宮町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;isumi&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.isumi.lg.jp/miryoku/bunka/matsuri/post_53.html |title=大原はだか祭り |publisher=いすみ市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kamikawa&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.kamikawa.saitama.jp/machi/bunkazai/ariuji.html |title=有氏神社の盤台祭り |publisher=神川町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kaminoma&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.aichi-bunka.jp/visit/35.html |title=美浜町 |publisher=愛知県 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;shizuoka&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.shizuoka-bunkazai.jp/folk_culture/cat01/post_8.html |title=由比のお太鼓祭 |publisher=静岡市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;sado&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.sado.niigata.jp/sadobunka/k/c/city149.htm |title=ドウ押し |publisher=佐渡市世界遺産推進課 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;konomiya&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.konomiya.or.jp/main/hadakamatsuri |title=はだか祭 |publisher=尾張大國霊神社 国府宮 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;itoigawa&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?menuid=4165 |title=藤崎観音堂「裸胴上げ」まつり |publisher=糸魚川市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;wajima&quot;&gt;{{Cite web |url=http://wajimaonsen.blog60.fc2.com/blog-entry-56.html |title=波の花・曽々木寒中みそぎフェスティバル |publisher=輪島市観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;fukui&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.wada8mangu.jp/event/detail.html |title=大寒みそぎ |publisher=和田八幡宮 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;owase1&quot;&gt;{{Cite web |url=http://owasekankou.com/event/fuyu/000232.html |title=ヤーヤ祭り |publisher=尾鷲市水産商工食のまち課 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|url=http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000000288.html |title=どやどや |publisher=天王寺区 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;fushimi&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&amp;ManageCode=1000124 |title=法界寺裸踊り |publisher=京都市産業観光局観光MICE推進室 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;higashiomi&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.higashiomi.net/youkaichi/4489.html |title=おすすめ最新情報 |publisher=東近江市観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;sakyo&quot;&gt;{{Cite news |title=水しぶき上げ斎串を奪い合う 下鴨神社で夏越神事 |newspaper=京都新聞 |date=2014-08-06 |url=http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140806000129 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;himeji&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.himeji.lg.jp/guide/festival/kenka.html |title=灘のけんか祭り |publisher=姫路市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kurama&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/himatsuri/kurama/ |title=鞍馬の火祭 |publisher=京都新聞 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;okayama-shorinji1&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.okayama.jp/museum/saijiki/2/2-4kodomo.htm |title=松林寺 子ども会陽 |publisher=岡山市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;okayama-shorinji2&quot;&gt;{{Cite news |title=子供ら「宝木」奪い合う 岡山・松林寺で250人はだかまつり |newspaper=産経ニュース |date=2015-05-02 |url=http://www.sankei.com/region/news/150202/rgn1502020052-n1.html |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;okayama-kinzanji&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.okayama.jp/museum/kinzanji/eyo.html |title=金山寺会陽 |publisher=岡山市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;mimasaka&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kanko.city.mimasaka.lg.jp/detail/index_64.html |title=安養寺会陽 |publisher=美作市経済部商工観光課 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;nishiawakura&quot;&gt;{{Cite web |url=http://nishiawakura-kanko.com/rekisi/rekisi05.html |title=岩倉寺会陽 |publisher=あわくらグリーンリゾート/西粟倉村観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;mihara&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.mihara-kankou.com/event/1519 |title=久井稲生神社 御福開祭・はだか祭り |publisher=三原観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;okayama-okita&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.okita-shine.com/eiyou2015.htm |title=沖田神社 道通宮子供会陽のご案内 |publisher=沖田神社 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;mimasaka-ohara&quot;&gt;{{Cite web |url=http://kanko.city.mimasaka.lg.jp/detail/index_187.html |title=大原秋まつり |publisher=美作市経済部商工観光課 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;hofu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.hofu.yamaguchi.jp/site/kankou-site/hadaka.html |title=防府天満宮御神幸祭(裸坊祭) |publisher=防府市おもてなし観光課 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;zentsuji&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.downtown21.gr.jp/e-you/ |title=総本山善通寺大会陽 |publisher=総本山善通寺大会陽委員会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;tara-event&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.tara.saga.jp/kanko/_1595.html |title=年間イベント |publisher=太良町観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;fukuoka-hakozaki&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.crossroadfukuoka.jp/event/?mode=detail&amp;id=4000000000506 |title=玉取祭(玉せせり) |publisher=福岡県観光連盟 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kurume-daizenji&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.kurume-hotomeki.jp/event/?mode=detail&amp;id=400000000289 |title=大善寺玉垂宮の鬼夜 |publisher=久留米観光コンベンション国際交流協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;wakinoura&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0028.html |title=脇之浦はだか祭り |publisher=北九州市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;tara-enza&quot;&gt;{{Cite web |url=http://tarachokankou.web.fc2.com/festival_101.html |title=竹崎円座祭 |publisher=太良町観光協会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;miyazaki-aoshima&quot;&gt;{{Cite web |url=http://matsuri.kanko-miyazaki.jp/search/search.php?key=45 |title=青島裸まいり |publisher=宮崎県商工観光労働部 観光交流推進局 観光推進課 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;goto1&quot;&gt;{{Cite web |url=http://navi.gotoshi.net/contents/detail/index.php?id=312 |title=下崎山町のヘトマト |publisher=五島市ナビ |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;goto2&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.goto.nagasaki.jp/gotowebbook/5/5_2_1_1.html |title=ヘトマト祭りの紹介 |publisher=五島市教育委員会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;nagasu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.town.nagasu.lg.jp/kankou/imgkiji/pub/detail.aspx?c_id=43&amp;id=100 |title=特集 破魔弓祭(的ばかい) ~無病息災を願って~ |publisher=長洲町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;reihoku&quot;&gt;{{Cite web |url=http://reihoku-kumamoto.jp/event-1-1/ |title=上津深江八坂神社裸まつり |publisher=苓北町 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;kurume-koura&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.kourataisya.or.jp/matsuri/hekokaki |title=川渡祭 |publisher=高良大社 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;yamakasa&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.hakatayamakasa.com/ |title=博多祇園山笠 |publisher=博多祇園山笠振興会 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;minamikyusyu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.bungotakada.oita.jp/page/page_00516.html |title=南薩摩の十五夜行事・知覧の十五夜ソラヨイ |publisher=南九州市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;bungotakada&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20100219103409 |title=炎と魂の饗宴― 若宮八幡秋季大祭・裸祭り |publisher=豊後高田市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> &lt;ref name=&quot;nakatsu&quot;&gt;{{Cite web |url=http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2013080700027/ |title=さいすくい |publisher=中津市 |accessdate=2015-07-29}}&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> <br /> {{Japan-culture-stub}}<br /> {{Event-stub}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:はたかまつり}}<br /> [[Category:祭]]<br /> [[Category:日本の祭り]]<br /> [[Category:裸と文化]]<br /> [[Category:裸祭り|*]]</div> 106.184.133.106 国際人道法 2018-02-01T07:38:11Z <p>106.184.133.106: /* 関連項目 */ * 捕虜</p> <hr /> <div>{{複数の問題|<br /> 独自研究=2015年3月|<br /> 出典の明記=2015年3月|<br /> 正確性=2015年3月}}<br /> &#039;&#039;&#039;国際人道法&#039;&#039;&#039;(こくさいじんどうほう、{{lang-en|international humanitarian law}}、略称:IHL、{{lang-fr|Droit international humanitaire}}、略称:DIH)は、[[第二次世界大戦]]後につくられた概念で、[[1971年]]の「[[武力紛争]]に適用される国際人道法の再確認と発展のための政府派遣専門家会議」で初めて使われた国際的な[[法規]]の[[集合]]である。<br /> <br /> == 定義 ==<br /> 広義では、[[戦時]]・[[平時]]を問わず、[[人間の尊厳]]を保護することを目的とする国際法規範すべてを包括して国際人道法と呼び、これには[[国際人権法]]や[[武力紛争法]]([[交戦法規]]と[[中立法規]]から成る[[国際連合憲章]]以前の[[戦時国際法]])が含まれるとされる。なお国際人権法のうち[[拷問等禁止条約]]は戦時においても適用される。<br /> <br /> {{要出典範囲|date=2015年3月|狭義では、[[ハーグ陸戦条約]]と[[ジュネーヴ条約]]に二分される武力紛争法のうち、傷病者・難船者・[[捕虜]]・[[文民]]などの武力紛争における犠牲者の保護を目的とする&#039;&#039;&#039;ジュネーブ法&#039;&#039;&#039;のみとされる。}}<br /> <br /> しかし、現在の実定[[国際法]]では、ハーグ法とジュネーブ法がいずれも人間の尊重を主目的としていることに注目し、交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約する「&#039;&#039;&#039;ハーグ法&#039;&#039;&#039;」(Hague Law; le droit de La Haye)と、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とした「&#039;&#039;&#039;ジュネーブ法&#039;&#039;&#039;」(Geneva Law; le droit de Genève)を併せて、国際人道法と呼ぶ([[核兵器の威嚇または使用の合法性国際司法裁判所勧告的意見|1996年「核兵器の威嚇または使用の合法性」国際司法裁判所勧告的意見]]、&#039;&#039;I.C.J.Reports 1996 (I)&#039;&#039;, p.256, para.75)とされる。<br /> <br /> == 内容 ==<br /> 「[[ハーグ法]]」とは、主として、1868年の「サンクトペテルブルク宣言」や、1899年から1907年にオランダのハーグにおいて慣習を法典化した国際条約、すなわち、「[[開戦に関する条約]]」、「[[陸戦の法規慣例に関する条約]]」(これに付属する「[[陸戦の法規慣例に関する規則]]」)、「[[陸戦]]の場合に於ける[[中立国]]及び中立人の権利義務に関する条約」、「[[海戦]]の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約」など一連のものを指す。それらの目的は、交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約することにある(&#039;&#039;I.C.J.Reports 1996(I)&#039;&#039;, p.256, para.75.)。<br /> <br /> 「[[ジュネーブ法]]」とは、「[[ジュネーヴ諸条約 (1949年)]]」及びそれに付属する「[[ジュネーヴ諸条約の追加議定書 (1977年)]]」(「第一追加議定書」、「第二追加議定書」)及び2005年の「[[第三追加議定書]]」で定められた規則の総体で、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とするものである(&#039;&#039;Ibid.&#039;&#039;)。<br /> <br /> 武力紛争法においては、締約国は、たとえ条約によって規定されていない場合においても、市民及び交戦団体が「文明国間で確立した慣例、人道の法、公の良心の要求」([les] usages établis entre nations civilisées, [les] lois d&#039;humanité et [les] exigences de la conscience publique)に由来する国際法の諸原則の下にありかつ保護下にあることを確認するという(前掲「陸戦の法規慣例に関する条約」前文ほか)、{{独自研究範囲|date=2015年3月|いわゆる「[[マルテンス条項]]」(Martens Clause; la Clause de Martens)が極めて重要である。}}<br /> <br /> その適用例として、「クプレスキッチ他事件」(Kupreskic et consorts)において旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)第一審は、「人道の基本的考慮」(elementary considerations of humanity)原則は、あいまいな(玉虫色の)(loose)国際法規則の解釈、適用においてめいいっぱい(fully)使われるべきであり、より特定的には、「マルテンス条項」は、今や慣習国際法の一部になっており、「独立した」(independent)国際法の法源の地位に到達しているとはいえなくとも、これに訴えなければならない場合があるだろうと述べた。そして、この条項が「いかなる時も」(any time)、ある国際人道法規則が十分に厳格で明確ではない場合には人道の諸原則(principles of humanity)に言及することを要請すると認め、そして、それゆえ、軍事目標物に対する「繰り返しの攻撃」(repeated attacks)は、たとえジュネーブ諸条約第一追加議定書57、58条において争いのある不明瞭な領域に属するとしても、そのような行為が「累積的効果」(the cumulative effect)により文民の生命及び財産を害したときには、国際法に一致しない場合がある(may not be in keeping with international law)と示した(IT-95-16-T, 14 January 2000, paras.524-526)。<br /> <br /> ==遵守確保==<br /> ジュネーブ諸条約は、その遵守を確保するために、「重大な違反行為」(les violations graves)の処罰のための国内法([[普遍主義]])の整備を締約国に義務づけている。これに基づき、各国は、国際人道法違反行為を処罰する国内法を置き、近年、[[ユーゴスラビア紛争]]や[[ルワンダ]]での[[ジェノサイド]]に関する訴追が行われている。最近では、「1993/1999年ベルギー法」、いわゆる「[[ベルギー人道法]]」が注目されていた(2003年8月に独立した法律としては廃止し、刑法典、刑事訴訟法典に挿入)。<br /> <br /> 日本でも2004年に、普遍主義を規定した「[[国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律]]」(平成16年法律第122号)が制定された。国際裁判所としては、[[旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所]](ICTY)、[[ルワンダ国際刑事裁判所]](ICTR)が国連安保理の決議によって設置され、上記二つの事件に関してそれぞれ活動している。普遍的なものとしては、1998年に初めて常設の国際的な刑事裁判所である「[[国際刑事裁判所]]」(ICC)のための「[[ローマ規程]]」が成立し、2003年に同裁判所が設置され、現在、コンゴの事件などで活動中である。<br /> <br /> ==核兵器の使用と国際人道法==<br /> 1996年[[核兵器の威嚇または使用の合法性国際司法裁判所勧告的意見|「核兵器の威嚇または使用の合法性」国際司法裁判所勧告的意見]]で、裁判所は、国際人道法の核となる原則が、第一に文民の保護、第二に戦闘員に不必要な苦痛を与えないこと、にあることを確認した。しかし一方、ある国々が、自衛権の行使として低エネルギー放射の戦略的核の使用は文民の被害を比較的出さないから必ずしも禁止されないと主張し、また他方、ある国々が、核兵器への訴えはあらゆる状況下で決して国際人道法の諸原則、諸規則に合致しないと主張したことについて、いかなる国も、そのような「きれいな」使用を正当化する正確な諸状況が何なのか、また逆に、その限られた使用が高エネルギー放射の核兵器の使用にエスカレートするのかどうか、示さなかったとする。そして、それゆえ、各国家が生存する根本的権利とその自衛への訴え、及び、核抑止力の政策に言及する実践に鑑みると、そのような国家の存亡をかけた自衛の究極の状況では、裁判所は核兵器の使用の合法性、違法性について決定的な結論に至れなかったと述べた(&#039;&#039;I.C.J.Reports 1996 (I)&#039;&#039;, pp.257-263.)。<br /> <br /> 裁判所は、同勧告的意見の最後に、核拡散防止条約6条の下の、厳格で実効的な国際管理の下の核軍縮への誠実かつ完結をもたらす話し合いをする義務が、今日の国際共同体全体にとって死活的に重要な(of vital importance to the whole of the international community today)目標であり続けているのは疑いない、と念を押している(&#039;&#039;Ibid.&#039;&#039;, pp.265, 267.)。<br /> <br /> == 参考文献 ==<br /> {{参照方法|date=2015年3月}}<br /> * 藤田久一『国際人道法』(新版、再増補)(有信堂、2003年、328頁)<br /> * 森下忠『刑法適用法の理論』(成文堂、2005年、278頁)<br /> * 島田征夫(編著)『国内避難民と国際法』(信山社、2005年、279頁)<br /> * 大沼保昭『東京裁判から戦後責任の思想へ』(第4版)(東信堂、1997年、416頁)<br /> * 山本草二『国際刑事法』(三省堂、1991年、357頁)<br /> * 広瀬善男『捕虜の国際法上の地位』(日本評論社、1990年、148頁)<br /> * 大沼保昭『戦争責任論序説―「平和に対する罪」の形成過程におけるイデオロギー性と拘束性』(東京大学出版会、1975年、388頁)<br /> * ARAI-TAKAHASHI(Yutaka), &#039;&#039;The Law of Occupation. Continuity and Change of International Humanitarian Law, and its Interaction with International Human Rights Law&#039;&#039;, Leiden/Boston, Martinus Nijhoff, 2009, 758pp. (International Law in Japanese Perspective Volume 11) <br /> * CASSESE(Antonio), &#039;&#039;International Criminal Law&#039;&#039;, Oxford, Oxford University Press, 2003, 472pp.<br /> * DAVID(Eric), &#039;&#039;Principes de droit des conflits armés&#039;&#039;, 3e éd., Bruxelles, Bruylant, 2002, 994pp.<br /> * CASSESE(Antonio)/DELMAS-MARTY(Mireille)(dir.), &#039;&#039;Juridictions nationales et crimes internationaux&#039;&#039;, Paris, Presses Universitaires de France, 2002, 673pp.<br /> * TSUTSUI(Wakamizu), &#039;&#039;The Changing Postwar International Legal Regime. The Role Played by Japan&#039;&#039;, The Hague, Kluwer Law International, 2002, 186pp. (International Law in Japanese Perspective Volume 8)<br /> * SALMON(Jean)(dir.), &#039;&#039;Dictionnaire de droit international public&#039;&#039;, Bruxelles, Bruylant/AUF, 2001, 1198pp.<br /> * TRIFFTERER(Otto)(ed.), &#039;&#039;Commentary on the Rome Statute of the International Criminal Court. Observers&#039; Notes, Article by Article&#039;&#039;, Munich, Nomos Verlagsgesellschaft, 1999, 1295pp.<br /> * ONUMA(Yasuaki)(ed.), &#039;&#039;A Normative Approach to War: Peace, War and Justice in Hugo Grotius&#039;&#039;, Oxford, Clarendon, 1993, 421pp.<br /> * ANDO(Nisuke), &#039;&#039;Surrender, Occupation, and Private Property in International Law. An Evaluation of US Practice in Japan&#039;&#039;, Oxford, Clarendon, 1991, 208pp.<br /> * SWINARSKI(Christophe)(dir.), &#039;&#039;Etudes et essais sur le droit international humanitaire et sur les principes de la Croix-Rouge en l&#039;honneur de Jean PICTET&#039;&#039;, Genève, le Comité international de la Croix-Rouge/Martinus Nijhoff, 1984, 1143pp.<br /> * PICTET(Jean)(dir.), &#039;&#039;Commentaire I, II, III et IV La Convention de Genève&#039;&#039;, 4vols, Genève, le Comité international de la Croix-Rouge, 1952, 542pp., 1959, 333pp., 1958, 834pp. et 1956, 729pp.<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[ジュネーヴ諸条約 (1949年)]]<br /> * [[ジュネーヴ諸条約の追加議定書 (1977年)]]<br /> * [[旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷]](旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所)(ICTY)<br /> * [[ルワンダ国際戦犯法廷]](ルワンダ国際刑事裁判所)(ICTR)<br /> * [[国際刑事裁判所]](ICC)<br /> * [[ジュネーブ軍縮会議]]<br /> * [[武器貿易条約]]<br /> * [[無防備都市宣言]]<br /> * [[強行規範]]<br /> * [[赤十字社]]・[[赤十字国際委員会]]<br /> * [[海外たすけあい]]<br /> * [[国際赤十字赤新月組織一覧]]<br /> * [[捕虜]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.icrc.org/eng/war-and-law/index.jsp War and International Humanitarian Law](赤十字国際委員会公式サイト)(フランス語、英語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、ロシア語、中国語)<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:こくさいしんとうほう}}<br /> [[Category:国際人権法]]<br /> [[Category:戦時国際法]]<br /> [[Category:国際刑事法]]</div> 106.184.133.106 非核地帯 2018-01-11T08:03:44Z <p>106.184.133.106: /* 関連項目 */ * ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約</p> <hr /> <div>{{出典の明記|date=2014年9月5日 (金) 19:08 (UTC)}}<br /> &#039;&#039;&#039;非核地帯&#039;&#039;&#039;(ひかくちたい、{{lang-en|Nuclear Free Zone}}、&#039;&#039;&#039;NFZ&#039;&#039;&#039;)とは、[[核兵器]]や[[原子力発電所]]などの使用を禁止した地域。その具体的な範囲や内容は該当の地域によって異なる。<br /> <br /> 非核地帯のうち、[[条約]]などで特に核兵器を禁止した地帯は&#039;&#039;&#039;[[非核兵器地帯]]&#039;&#039;&#039;({{lang-en|Nuclear Weapon Free Zone}}、&#039;&#039;&#039;NWFZ&#039;&#039;&#039;)とも呼ばれる。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> 世界の多数の地域の[[地方自治体]]等が「非核」や「非核地帯」を宣言している。しかし現実には、核兵器の製造・保管・配備・使用等を禁止していても、その地方自治体が認識することもなく核兵器が軍用の運搬手段によってその地域・近隣・上空などを自由に通過していることもある。また、その地域に[[原子力発電所]]などが計画された場合でも、大多数の自治体にその建設を停止させる権限は少ない。このため「非核」宣言の大半は、象徴的なものである。<br /> <br /> しかし、[[ニュージーランド]]の非核地域([[:en:New Zealand&#039;s nuclear-free zone]])は国家の[[立法]]により確実化されており、象徴的なものではない。ニュージーランドは[[西側諸国]]としては初めて非核地帯を法制化した国家で、[[核抑止]]政策を実質的に放棄した&lt;ref&gt;{{cite book|last=Lange|first=David|title=Nuclear Free: The New Zealand Way|year=1990|publisher=Penguin Books|location=New Zealand}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 主な非核地域 ==<br /> [[Image:nwfz.svg|400px|thumb|核兵器拡散状況&lt;br/&gt;<br /> {{legend0|#FF0000|[[核兵器を保有する国の一覧|核保有国]]}}<br /> {{legend0|#FF8800|[[ニュークリア・シェアリング]]}}<br /> {{legend0|#dddd00|[[核拡散防止条約|NPT]]のみ}}<br /> {{legend0|#0000FF|非核兵器地帯}} ]]<br /> 国際的な条約などによる非核兵器地帯以外の、各地域の主な非核地域には以下がある。<br /> <br /> === オーストリア ===<br /> [[オーストリア]]は非核地帯である。1970年代の[[ニーダーエスターライヒ州]]ツヴェンテンドルフ([[:en:Zwentendorf|en]])での[[原子力発電所]]建設の際に、1987年の一般投票で稼動が否決され、非核国家となった。更に1997年7月9日、[[オーストリアの議会]]は満場一致で国家の反核政策の維持を決議した&lt;ref&gt;{{cite web| url=http://www10.antenna.nl/wise/index.html?http://www10.antenna.nl/wise/478/aai.html| publisher=WISE News Communique| date=September 26, 1997| title=Coalition of Nuclear-Free Countries| accessdate=2006-05-19}}&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> === カナダ ===<br /> [[カナダ]]では、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]、[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]、キティマト([[:en:Kitimat, British Columbia|en]])、レッドディア([[:en:Red Deer, Alberta|en]])および[[レジャイナ]]が非核兵器都市である。<br /> <br /> ビクトリアでは近隣のエスクワイモルトに存在する[[カナダ軍]]のエスクワイモルト太平洋海軍基地と、その基地をしばしば使用する[[アメリカ海軍]]との問題が発生した。アメリカ海軍は核兵器を搭載した艦船や[[空母]]をエスクワイモルトに日常的に寄航させていたが、最終的にはそれらの艦船は都市の法律に抵触しないように、都市の境界に入らずに寄航するよう強いられた。<br /> <br /> === 日本 ===<br /> [[ファイル:Kobe City view from Po-ai Shiosai Park01s3.jpg|thumb|right|350px|非核の[[神戸港]]。2011年、[[ポートアイランド西公園]]からの眺め]]<br /> {{main|非核三原則|非核神戸方式|非核平和都市宣言}}<br /> [[日本]]は[[原子力発電所]]を多数使用しているが、1967年より政府は「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」との[[非核三原則]]を維持し、1971年に[[国会]]で決議された。ただし非核三原則は公式な[[法律]]ではない。[[自衛隊]]はいかなる核兵器も保有していないが、[[在日米軍]]では[[沖縄県|沖縄]]などで[[日米核持ち込み問題|核兵器持ち込み疑惑]]が発生している。<br /> <br /> [[神戸市]]は1975年以降、市議会決議により[[神戸港]]へ寄港を求める軍艦に対し「非核証明書」を提出しない場合には寄港を拒否する[[非核神戸方式]]を行っている。また日本の[[地方自治体]]の約8割以上は[[非核平和都市宣言]]を行っている。<br /> <br /> === イタリア ===<br /> [[イタリア]]は1987年11月の原子力国民投票([[:en:Italian referendums, 1987|en]])以降、非核地帯である。2008年の選挙で[[中道右派]]政党が勝利すると産業省大臣は、イタリアで最初の原子力発電所の建設を2013年までに行うという政府の予定を発表したが、その計画は2011年3月の[[東日本大震災]]で停止され、2011年7月の国民投票の後で撤回された。<br /> <br /> === ニュージーランド ===<br /> &lt;!---[[Image:Nambassa 1978 Workshop, Nuclear Free Pacific Information. Photographer unknown.jpg|thumb|300px|right|Information workshops at the 3-day Music &amp; Alternatives festival, [[Nambassa]], New Zealand 1978.]]---&gt;<br /> 1984年、[[ニュージーランド]]の[[デビッド・ロンギ]]首相は、[[原子力推進]]あるいは[[核兵器|核武装]]した艦船のニュージーランドの港の利用とニュージーランド水域への進入を禁止した。更に「1987年のニュージーランド非核地域、軍縮、軍備管理法」([[:en:New Zealand Nuclear Free Zone, Disarmament, and Arms Control Act 1987|en]])&lt;ref name=&quot;Nuclear Free Zone&quot;&gt;[http://canterbury.cyberplace.org.nz/peace/nukefree.html Nuclear Free Zone]&lt;/ref&gt;により、ニュージーランドの国土と領海は、非核兵器および非原子力推進艦艇地帯となった。<br /> &lt;!---The Act prohibits &quot;entry into the internal waters of New Zealand 12 miles (22.2 km) radius by any ship whose propulsion is wholly or partly dependent on nuclear power&quot; and bans the dumping of [[radioactive waste]] within the nuclear-free zone, as well as prohibiting any New Zealand citizen or resident &quot;to manufacture, acquire, possess, or have any control over any nuclear explosive device.&quot;&lt;ref name=&quot;Nuclear Free Zone&quot;/&gt;&lt;ref&gt;[http://www.greens.org.nz/searchdocs/speech5334.html New Zealand Nuclear Free Zone Extension Bill - Green Party]&lt;/ref&gt; Combined with the firm policy of the United States to &quot;neither confirm nor deny&quot; whether particular naval vessels carry nuclear weapons, the Act effectively bars these ships from entering New Zealand waters.&lt;ref name=&quot;Pugh&quot;&gt;{{cite book <br /> | last = Pugh<br /> | first = Michael Charles <br /> | title = The ANZUS Crisis, Nuclear Visiting and Deterrence<br /> | publisher = Cambridge University Press<br /> | year = 1989<br /> | location = Cambridge<br /> | pages = 1–2<br /> | isbn = 0521343550 <br /> | doi = <br /> | id = }}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> New Zealand&#039;s security treaty with the United States, [[ANZUS]], did not mention nuclear deterrence and did not require unconditional port access. However, after New Zealand refused entry to [[USS Buchanan (DDG-14)|USS &#039;&#039;Buchanan&#039;&#039;]], the [[United States]] government suspended its [[ANZUS]] obligations to New Zealand, seeing New Zealand&#039;s effective rejection of United States Navy vessels as voiding the treaty. The [[Fourth Labour Government of New Zealand|Lange Labour government]] did not see their stance as incompatible with the treaty and sought a compromise for over two years before passing the Act.&lt;ref name=&quot;Pugh&quot;/&gt; Support for the non-nuclear policy was bolstered by the perceived over-reaction of the United States and by the [[sinking of the Rainbow Warrior]] by [[DGSE|French spies]] while docked in [[Auckland]]. According to some commentators, the legislation was a milestone in New Zealand&#039;s development as a nation and seen as an important act of sovereignty, self-determination and cultural identity.&lt;ref&gt;{{cite news| url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4150550.stm | work=BBC News | title=Lange&#039;s impact on NZ and world | date=August 14, 2005 | accessdate=May 20, 2010}}&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www.iht.com/articles/ap/2007/06/08/asia/AS-GEN-New-Zealand-Nuclear-Landmark.php Nuclear threat continues to grow, New Zealand warns on anniversary of anti-nuclear law - International Herald Tribune]&lt;/ref&gt; [[New Zealand]]’s three decade [[anti-nuclear]] campaign is the only successful movement of its type in the world which resulted in the nation&#039;s nuclear-free zone status being enshrined in legislation.&lt;ref&gt;{{cite book <br /> | last = Lange<br /> | first = David <br /> | authorlink = David Lange <br /> | coauthors = <br /> | title = Nuclear Free: The New Zealand Way<br /> | publisher = Penguin Books<br /> | year = 1990<br /> | location = New Zealand<br /> | pages = <br /> | url = <br /> | doi = <br /> | id = }}&lt;/ref&gt;<br /> <br /> The nuclear-free zone law does not make building land-based nuclear power plants illegal.&lt;ref&gt;{{cite web|url=http://www.world-nuclear.org/info/inf97.html|title=Nuclear Energy Prospects in New Zealand|publisher=World Nuclear Association|date=2009-04|accessdate=2009-12-09}}&lt;/ref&gt;<br /> ---&gt;<br /> <br /> === 北欧 ===<br /> [[北欧]]の「非核(兵器)北欧」 ({{lang-fi|Ydinaseeton Pohjola}}) は、[[フィンランドの大統領|フィンランド大統領]]の[[ウルホ・ケッコネン]]による、北欧の非核兵器地帯のためのイニシアチブであった。その目的は、[[ソビエト連邦]]と[[NATO]]の間の核戦争により、北欧が核の戦場となる事や[[巡航ミサイル]]のルートとなる事を防止するためであった。ただし、[[フィンランド]]と[[スウェーデン]]は、国民に[[シェルター]]の普及を奨励し、[[原子力発電所]]を利用している。<br /> <br /> === イギリス ===<br /> [[イギリス]]では1980年代初期から非核地域運動が強まり、州議会、地区議会、廃止される迄の[[グレーター・ロンドン・カウンシル]]を含む[[市議会]]など、200以上の地方議会が「非核」を宣言した。イギリス最初の「非核地帯」は1980年の[[マンチェスター]]市議会で、現在も続いている。&lt;!--- Wales became &#039;nuclear free&#039; on 23 February 1982 after Clwyd County Council declared itself &#039;nuclear free&#039; and the Nuclear Free Wales Declaration was made. This policy was legally underpinned by Section 137 of the Local Government Act, which allowed local authorities to spend a small amount on whatever members considered was in the interest of their area or a part of their area.---&gt;<br /> <br /> イギリスの非核自治体は、[[核戦争]]に関連した[[民間防衛]]演習への参加を、無益と考えて拒否する。1982年7月の国家の民間防衛演習の中止は、非核自治体の非協力が主な理由であった。[[イングランド]]と[[ウェールズ]]の54州議会(County Councils)のうち24州議会が参加を拒否し、更に7州議会が協力的ではなかった&lt;ref&gt;Bolsover, Philip, &quot;A victory - and a new development&quot;, in Minnion, J., and Bolsover, P., &#039;&#039;The CND Story&#039;&#039;, London: Alison and Busby, 1983&lt;/ref&gt;。これは[[マーガレット・サッチャー]]の政策に対するイギリス平和運動の勝利とされた。実際には非核自治体の大多数は[[労働党 (イギリス)|労働党]]が支配する議会であったが、[[自由党 (イギリス)|自由党]]や、時には[[保守党 (イギリス)|保守党]]が支配する議会も賛成した。<br /> <br /> === アメリカ合衆国 ===<br /> {{multiple image<br /> | align = right<br /> | direction = vertical<br /> | width = 220<br /> | image1 =One_of_a_set_of_two_billboards_in_Davis,_California_advertising_its_nuclear-free_policy.jpg<br /> | image2 =One_of_a_set_of_two_billboards_in_Davis,_California_advertising_its_nuclear-free_policy_2.jpg<br /> | caption2 = カリフォルニア州[[デイビス (カリフォルニア州)|デイビス]]の反核政策を広告する1対の立看板「デイビスに住もう、なぜならば...」「緑があり、安全で、非核だから」}}<br /> [[アメリカ合衆国]]では1980年代から1990年代にかけて、多数の都市、町、郡が非核地帯を設立した。その最初は[[メリーランド州]]の小さな町ギャレットで、1982年3月の住民投票で世界の注目を引いた。&lt;!---The following year, [[Takoma Park, Maryland]], was officially declared a nuclear-free zone in 1983 by then-mayor [[Sam Abbott]]. A citizen committee of the local city council continues to monitor city contracts. The city cannot hold contracts with any company associated with any aspect of nuclear weapons without a waiver from the citizen committee. In September 2005, Takoma Park took a stand against the transportation of high-level nuclear waste through the City. It voted to amend its Nuclear-Free Zone Ordinance to give its citizen committee responsibility to collect information and from this information and from consultations with individuals and organizations involved in the transportation of high-level nuclear waste, to advise the City on how to promote the safety and welfare of its citizens from harmful exposure to high-level nuclear waste. For more on Takoma Park&#039;s nuclear-free history see: http://www.takomaparkmd.gov/committees/nfz/nftpc.htm.---&gt;<br /> <br /> 有名な非核自治体には[[バークレー (カリフォルニア州)|カリフォルニア州バークレー]]があり、1986年の住民投票による非核バークレー決議により、都市が核兵器関連活動のために税を徴収し、合衆国の核基盤のボイコット・キャンペーンを行う事を認めた。&lt;!---which allows the city to levy fines for nuclear weapons-related activity and to boycott companies involved in the United States nuclear infrastructure. The City of Berkeley has posted signs at each of its borders proclaiming its nuclear free status, which specifies possible fines for such activities within its borders. However, the [[University of California, Berkeley]] is deeply involved in the [[history of nuclear weapons]], and the [[University of California]] system until recently managed operations at [[Los Alamos National Laboratory]], a U.S. nuclear weapons design laboratory, and continues to manage the [[Lawrence Livermore National Laboratory]]. As well, at the time of the passage of the act, the University operated a nuclear reactor for research purposes, which it continued to operate after the act went into effect. However, The University of California, as a state institution, is not subject to Berkeley&#039;s municipal regulations (including the ban). Berkeley also has major freeway and train lines which are used in transporting nuclear materials.<br /> <br /> On November 14, 1984 the [[Davis, California]] [[City Council]] declared the city to be a nuclear-free zone.&lt;ref&gt;[http://daviswiki.org/Nuclear_Free_Zone Nuclear Free Zone - Davis Wiki]&lt;/ref&gt; Davis has major freeway and train arteries running through it which are used for transporting nuclear materials. The [[University of California]], with a campus at [[University of California, Davis|Davis]], runs a research reactor at the nearby former [[McClellan Air Force Base]], as well as workers who are involved with Lawrence Livermore National Laboratory.<br /> <br /> On November 8, 1988 the city of [[Oakland, California]] passed &quot;Measure T&quot; with 57% of the vote, making that city a nuclear free zone. Under Ordinance No. 11062 CMS then passed on December 6, 1988, the city is restricted from doing business with &#039;&#039;&quot;any entity knowingly engaged in nuclear weapons work and any of its agents, subsidiaries or affiliates which are engaged in nuclear weapons work.&quot;&#039;&#039;&lt;ref&gt;[http://www.oaklandnet.com/government/obra/raillineremoval/Schedule%20P%20-%20Nuclear%20Free.pdf Schedule P, City of Oakland, rev. 7/30/01]&lt;/ref&gt; The measure was invalidated in federal court, on the grounds that it interfered with the Federal Government&#039;s constitutional authority over national defense and atomic energy.&lt;ref&gt;[http://www.nytimes.com/1990/04/28/us/a-nuclear-free-zone-is-ruled-to-be-invalid.html A Nuclear-Free Zone Is Ruled to Be Invalid, New York Times/AP, 4/28/90]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://www10.antenna.nl/wise/334/3337.html Guardian (US), 23 May 1990, p7, via WISE Nuclear Issues Information Service]&lt;/ref&gt; The issue being Oakland is a major port, and like Berkeley, and Davis, has major freeway and train arteries running through it. In 1992, the Oakland City Council unanimously reinstated modified elements of the older ordinance, reportedly bringing the total number of Nuclear Free Zones in the United States at that time to 188, with a total population of over 17 million in 27 states.&lt;ref&gt;[http://www.highbeam.com/doc/1P2-18768942.html Oakland City Council Reinstates Nuclear-Free Policy, US Newswire 7/3/92, via Highbeam]&lt;/ref&gt;<br /> <br /> Other cities, counties, and other governments within the United States passing nuclear free zone ordinances and the date of adoption, when known:<br /> * [[Arcata, California|Arcata]], CA (9/15/1989) &lt;ref&gt;[http://www.cityofarcata.org/index.php?option=com_content&amp;amp;task=view&amp;amp;id=197&amp;amp;Itemid=9&quot; ARCATA NUCLEAR WEAPONS FREE ZONE ACT]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Boulder, Colorado|Boulder]], CO (1985) &lt;ref&gt;[http://www.colocode.com/boulder2/chapter6-8.htm Boulder Revised Code Chapter 6-8: Nuclear Free Zone, via Colorado Code Publishing Company]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Chicago]], IL (1986) &lt;ref&gt;[http://www.nytimes.com/1987/09/20/magazine/the-company-as-target.html The Company As Target, Ronnie Dugger, New York Times Magazine, 9/20/87]&lt;/ref&gt;<br /> * [[East Windsor, Connecticut|East Windsor]], CT (12/16/1992) &lt;ref&gt;[http://www.eastwindsor-ct.gov/Public_Documents/EWindsorCT_ordinances/92-3 Town of East Windsor Nuclear Free Zone Ordinance]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Eugene, Oregon|Eugene]], OR (11/1986); revised measure defeated 5/15/1990 &lt;ref name=&quot;sunsite.berkeley.edu&quot;&gt;[http://sunsite.berkeley.edu/meiklejohn/meik-peacelaw/meik-peacelaw-16.html Meiklejohn Civil Liberties Institute Archives: Human Rights and Peace Law Docket 1945-1993]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Garrett Park, Maryland|Garrett Park]], MD (1982)&lt;ref&gt; [http://www.garrettpark-md.gov/c/286/history Town of Garrett Park: History]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Hawaii County, Hawaii|Hawaii County]], HI (1981); amendment excluding military approved by referendum 11/1986 &lt;ref name=&quot;sunsite.berkeley.edu&quot;/&gt;<br /> * [[Hayward, California|Hayward]], CA (9/15/87) &lt;ref&gt;[http://www.ci.hayward.ca.us/municipal/uncodified/Nuclear%20Free%20Hayward.pdf Ordinance No. 87-024, An Ordinance Establishing Nuclear Free Hayward]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Homer, Alaska|Homer]], AK (10/3/89) &lt;ref name=&quot;sunsite.berkeley.edu&quot;/&gt;<br /> *[[Iowa City, Iowa|Iowa City]], IA (1985) &lt;ref&gt; [http://www.press-citizen.com/comments/article/20100615/NEWS01/6150320/Iowa-City-to-replace-Nuclear-Weapons-Free-Zone-signs] press-citizen- Iowa City to replace missing signs&lt;/ref&gt;<br /> * [[Marin County, California|Marin County]], CA (1986) &lt;ref&gt;[http://municipalcodes.lexisnexis.com/codes/marincounty/_DATA/TITLE23/Chapter_23_12_NUCLEAR_FREE_ZON.html Marin County Code, Chapter 23.12: Nuclear-Free Zone]&lt;/ref&gt;<br /> * [[New York City]], NY (11/8/1984) &lt;ref&gt;[http://archive.peacemagazine.org/v01n1p30.htm Peace Magazine, Mar 1985] The article adds that 14 of 16 ballot measures passed in the 1984 general election, and that there were 80 US NFZs at that time.&lt;/ref&gt;<br /> * [[Sac and Fox Nation]], OK (8/28/1993) &lt;ref&gt;[http://www10.antenna.nl/wise/403/3922.html Native lands becoming nuclear free zones in US. Via WISE Nuclear Issues Information Service]&lt;/ref&gt; <br /> * [[Santa Cruz, California|Santa Cruz]], CA (11/17/1998) &lt;ref&gt;[http://www.ci.santa-cruz.ca.us/council/CouncilPolicies/11-04.pdf COUNCIL POLICY 11.4: DECLARING THE CITY OF SANTA CRUZ A NUCLEAR FREE ZONE]&lt;/ref&gt;<br /> * [[Sykesville, Maryland|Sykesville]], MD (6/16/1982) &lt;ref&gt;[http://archives.ubalt.edu/wmar/1982_june.htm UMB Langsdale Library WMAR-TV News Collection]&lt;/ref&gt;<br /> ---&gt;<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[核廃絶]]<br /> * [[核実験]]<br /> * [[原子力]]<br /> * [[ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約]]<br /> * [[中央アジア非核兵器地帯条約]]<br /> * [[アフリカ非核兵器地帯条約]]<br /> * [[東南アジア非核兵器地帯条約]]<br /> * [[南太平洋非核地帯条約]]<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> {{Reflist|2}}<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/n2zone/gaiyo.html 非核地帯の概要 - 外務省](ここでは非核兵器地帯の意味で使用している)<br /> **[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/gun_hakusho/2013/pdfs/hon1_2.pdf 日本の軍縮・不拡散外交(第六版) 第2部 核軍縮・核不拡散・原子力平和利用,外務省,平成25年]<br /> * [http://atomicforum.org/france/france.html France&#039;s Nuclear Weapons Program] at the [http://www.atomicforum.org Atomic Forum]<br /> * [http://jcgi.pathfinder.com/time/magazine/article/0,9171,903994,00.html Mururoa protest,Time 1973]<br /> * [http://www.smh.com.au/articles/2003/11/23/1069522476689.html?from=storyrhs “By-laws beat the bomb” – Commentary by Frank Johnson]<br /> * [http://www.bikiniatoll.com/ Bikini Atoll Atomic test zone]<br /> * [http://www.nuclearfiles.org/menu/library/media-gallery/image/testing/marshall-islands.htm Pictures of victims of US nuclear testing in the Marshall Islands.]<br /> * [http://www.underground-book.com/chapters/maralinga/British Nuclear Testing in Australia 1952-1958]<br /> * [http://www.bntva.com/ British Nuclear Test Veterans Association]<br /> * [http://www.sea-us.org.au/thunder/britsbombingus.html Australias Maralinga nuclear test site]<br /> * [http://www.ci.berkeley.ca.us/bmc/berkeley_municipal_code/Title_12/90/index.html &quot;Nuclear Free Berkeley Act&quot; - Nuclear-free zone legislation for Berkeley, California]<br /> * [http://www.radionizkor.org/peace/nw.html Radio Nizkor International Nuclear conference]<br /> <br /> {{核兵器}}<br /> {{反核運動}}<br /> <br /> {{DEFAULTSORT:ひかくちたい}}<br /> [[Category:核軍縮]]<br /> [[Category:反核兵器運動]]<br /> [[Category:国際関係]]<br /> [[Category:安全保障]]</div> 106.184.133.106
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