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https:///mymemo.xyz/wiki/api.php?action=feedcontributions&feedformat=atom&user=240B%3A13%3A8340%3A1F00%3A51DD%3A6C65%3ACB61%3A9241 miniwiki - 利用者の投稿記録 [ja] 2024-06-24T12:20:28Z 利用者の投稿記録 MediaWiki 1.31.0 F-4 (戦闘機) 2018-10-13T14:21:41Z <p>240B:13:8340:1F00:51DD:6C65:CB61:9241: /* 日本 */</p> <hr /> <div>{{Infobox 航空機<br /> |名称=F-4 ファントムII<br /> |画像=File:184th Fighter Group - McDonnell F-4D-28-MC Phantom 66-0710.jpg<br /> |キャプション=アメリカ空軍のF-4D<br /> |用途=[[戦闘機]]<br /> |分類=[[艦上戦闘機]]、[[戦闘爆撃機]]([[マルチロール機]])<br /> |設計者={{仮リンク|デービッド・ルイス|en|David S. Lewis|label=デービッド・S・ルイス}}<br /> |製造者=[[マクドネル・エアクラフト]]([[マクドネル・ダグラス]])<br /> |運用者 more=&lt;nowiki/&gt;<br /> ** {{USA}}([[アメリカ海軍|海軍]]、[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]、[[アメリカ空軍|空軍]])<br /> ** {{JPN}}([[航空自衛隊]])<br /> ** {{UK}}([[イギリス海軍|海軍]]、[[イギリス空軍|空軍]])<br /> ** {{ISR}}([[イスラエル航空宇宙軍|イスラエル空軍]])<br /> ** {{BRD}}([[ドイツ空軍 (ドイツ連邦軍)|ドイツ空軍]])<br /> ** {{GRE}}([[ギリシャ空軍]])<br /> ** {{TUR}}([[トルコ空軍]])<br /> ** [[#運用者|その他]]<br /> |初飛行年月日=[[1958年]][[5月27日]]<br /> |生産数=5,195機<br /> |生産期間=1958年から1981年<br /> |運用開始年月日=[[1960年]][[12月30日]]<br /> |退役年月日=[[1996年]](USAF)<br /> |運用状況=現役<br /> |ユニットコスト=2,400万[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]&lt;ref name=&quot;knaack&quot;&gt;{{cite book|last=Knaack|first=M.S.|title=Encyclopedia of US Air Force aircraft and missile systems|publisher=Office of Air Force History|year=1978}}&lt;/ref&gt;<br /> }}<br /> &#039;&#039;&#039;F-4&#039;&#039;&#039;は、[[アメリカ合衆国]]の[[マクドネル・エアクラフト|マクドネル]]社が開発した[[艦上戦闘機]]である。[[アメリカ海軍]]をはじめ、多くの国の[[軍隊]]で採用された。愛称は&#039;&#039;&#039;ファントムII&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;&#039;Phantom II&#039;&#039;&#039;)。<br /> <br /> == 概要 ==<br /> [[画像:F-4F approaching KC-135R over UK 1997.JPEG|thumb|left|250px|[[空中給油]]を待つF-4F]]<br /> [[アメリカ海軍]]初の全天候型双発[[艦上戦闘機]]として開発され、大型の翼と高出力の[[ジェットエンジン]]を双発で装備し大きな搭載量を特徴としている。当初の機種番号は海軍ではF4H、[[アメリカ空軍]]ではF-110だったが[[1962年]]に[[アメリカ軍]]の[[軍用機の命名規則 (アメリカ合衆国)|軍用機の命名規則]]統一によりF-4となった。<br /> <br /> [[ベトナム戦争]]での活躍から多くの[[西側諸国]]に採用され、各国の要求に応じて様々な派生型が数多く作られたことより[[冷戦]]期の代表的な機体となった。数々の実戦戦績や各国へのセールスの成功も含めて傑作戦闘機と評価され、マクドネル社の発展の原動力としてその名を世界に広めた戦闘機とされる。<br /> <br /> [[マクドネル・エアクラフト|マクドネル]]社と[[ダグラス・エアクラフト|ダグラス]]社の合併により[[マクドネル・ダグラス]]社となってからも生産が続き、総計5,195機の生産数となった。超音速[[戦闘機]]の歴史で5,000機以上製造されたのは、このF-4と[[MiG-19 (航空機)|MiG-19]]、[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]]、[[MiG-23 (航空機)|MiG-23]]の4機種しかない。うち3機種は[[東側諸国|東側]]の[[ソビエト連邦]]製であり、西側ではF-4が唯一例となる。現在の[[ベストセラー]][[F-16 (戦闘機)|F-16]]が[[2012年]]時点で4,500機程度の生産数であることを見ても特筆すべき生産数であるといえる。<br /> <br /> 設計・初飛行から約40年を経過した[[1990年代]]半ばに開発国のアメリカでは全機退役したが、その後も日本の航空自衛隊をはじめとした諸外国では現在でも多くの機体が現役のままであり、[[2010年]]以降も運用され続ける見通しである。<br /> <br /> == 開発経緯 ==<br /> === 開発の背景 ===<br /> [[空対空ミサイル]]や超音速機の実用化の進められた[[1950年代]]~[[1960年代]]に、超音速飛翔体同士の交差時間はごく僅かであるため[[航空機関砲]]による撃破は困難であり、将来の航空機同士の戦闘はミサイルが主役となり、[[戦闘機]]はミサイルを運ぶだけのものになるという[[ミサイル万能論]]が主流となった時期があった。<br /> <br /> このため、[[アメリカ空軍]]では、旋回性よりも速度や航続力を重視した護衛戦闘機[[F-101 (戦闘機)|F-101]]や[[戦闘爆撃機]][[F-105 (戦闘機)|F-105]]、空対空ミサイルを遠距離から発射する[[迎撃戦闘機]][[F-102 (戦闘機)|F-102]]や[[F-106 (戦闘機)|F-106]]等の開発が重視されることとなった。<br /> <br /> F-4自体も当初は[[機関砲]]は不要として装備されずに空対空ミサイルの搭載量が重視された。<br /> <br /> === 開発前史 ===<br /> [[File:McDonnell F3H-G mockup in 1954.jpg|thumb|280px|F3H-Gの[[モックアップ]](1954年)]]<br /> [[1952年]][[7月]]、[[アメリカ海軍]]はグラマン社にF9F-9(後の[[F-11 (戦闘機)|F11F-1]])を発注し、また、[[9月]]にアメリカ海軍は[[超音速]]昼間戦闘機の提案依頼(RFP)を発表し、応募8社からチャンス・ヴォート社の[[F-8 (戦闘機)|「F8Uクルセイダー」]]を選択した。<br /> <br /> この結果、マクドネル社は[[FH-1 (航空機)|F1Hファントム]]、[[F2H (航空機)|F2Hバンシー]]、[[F3H (航空機)|F3Hデーモン]]と続いてきた艦載戦闘機の受注を失うこととなった。これに対してマクドネル社はF3HのエンジンをライトJ67に換装しM1.69を狙う「F3H-Cスーパーデーモン」、さらに三車輪式降着装置や後退角45度面積450平方ftの翼を与えたF3H-E、F-101ブードゥーのレイアウトを織り込み双発のライトJ65に低翼配置の面積530平方ftの主翼と全浮動の尾翼を持つF3H-Gと社内検討を行っていた。<br /> <br /> マクドネル社は[[1953年]][[9月19日]]にF3H-Gをアメリカ海軍航空局に提出した。F8U契約直後の海軍は数週間の後に却下したものの作業自体の継続は奨励したため、[[1954年]]前半にモックアップは完成し、海軍の上級職員に公開されるに至った。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 原型機発注 ===<br /> [[画像:McDonnell F4H-1F Phantom II aboard USS Independence (CVA-62), in 1960.jpg|thumb|280px|F4H-1F&lt;br/&gt;胴体にPhantom IIの文字が読み取れる&lt;br/&gt;(1960年)]]<br /> [[画像:McDonnell XF4H-1 Phantom II being launched from USS Independence (CVA-62), circa in 1959.jpg|thumb|280px|[[カタパルト]]に接続されたXF4H-1(1959年)]]<br /> 1954年中頃に[[アメリカ海軍]]航空局は全天候戦闘機の提案要求を出した&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20081225171837/http://www.boeing.com:80/defense-space/military/f4/bluebook/milestn.htm F-4 Phantoms Phabulous 40th - 1978 Commemorative Book]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[https://web.archive.org/web/20120414121024/http://www.boeing.com/defense-space/military/f4/index.htm F-4 Phantoms Phabulous 40th Home]&lt;/ref&gt;。これに対してマクドネル社からは単発のF3H-Eと双発のF3H-G、他にグラマン社とノースアメリカン社から提案が提出された結果、1954年[[10月18日]]にマクドネル社はF3H-G案を基にしたYAH-1プロトタイプ2機建造の同意書を受け取った。しかし、海軍側で要求を明確にすることができずにいたため、実用化を約束されたものではなかった。とはいえ、数ヶ月のうちに要件として半径250海里で2時間以上の戦闘航空哨戒を実施できる艦隊防空戦闘機とすることが明確になり、F4H-1と改称されることとなった。<br /> <br /> マクドネル社のモックアップは4門の20mm[[機関砲]]を装備することとしていたものの、アメリカ海軍は4発の[[スパロー (ミサイル)|スパローミサイル]]の装備のみを要求した。しかしながら、前述されたこの楽観論は、後にアメリカ海軍をはじめとする使用者を悩ませる問題を引き起こすこととなった。F3H-Gは新基軸となるスパローの胴体下半埋め込み式装備に変更され、また、M1.5を想定していた[[アームストロング・シドレー サファイア|ライト J65]]から当時最新鋭の[[ゼネラル・エレクトリック J79|ゼネラル・エレクトリック J79-GE-2]]に変更してM2級とすることとなった。<br /> <br /> 要求仕様では[[火器管制装置]]の技術的信頼性の問題から搭乗員数の指定はなく、マクドネル社は単座と複座の両案を提示していた。これに対してアメリカ海軍は早々に複座案を採択した。また、胴体中心線上の600ガロン入り[[増槽|落下タンク]]用を除き[[パイロン]]は廃止されるものとされた。<br /> <br /> [[1955年]][[6月25日]]に2機の「XF4H-1」テスト機と5機の「YF4H-1」試作機の正式契約が締結された。<br /> &lt;gallery widths=&quot;180&quot; heights=&quot;150&quot;&gt;<br /> ファイル:F-4A NASA 1965 E-14209.jpg|[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]で研究に使用されたF-4A&lt;br /&gt;無論、初期型であるため機首部分に[[機関砲]]は搭載されていない([[1965年]])<br /> ファイル:McDonnell YF4H-1 from above 1958.jpg|試作機のYFH-4&lt;br /&gt;主翼形状などにおいて量産機との差異が確認できる<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === 初飛行 ===<br /> [[1958年]][[5月27日]]、原型機であり第一号機でもあったマクドネル社の「XF4H-1」が初飛行を行い、油圧系統の不具合で降着装置の格納はできなかったものの飛行自体は不具合なく終わっている。同時期に試作されていたチャンス・ヴォート社の[[XF8U-3 (航空機)|F8U-3]]は、この6日後に初飛行を行っている。<br /> <br /> それぞれの初飛行成功後、[[エドワーズ空軍基地]]にて両機の比較審査が行われた。[[1958年]][[12月]]、単発単座のXF8-Uに対する複座型・双発エンジンの優位性と搭載力が評価され「F4H-1」が選択された。当時、それまでの超音速戦闘機にみられない太い胴体と直線で構成された大型の主翼を持ち、[[白鳥]]になるかどうかも分からない「[[みにくいアヒルの子]]」と関係者の間で囁かれたこの戦闘機には、幻影や亡霊という意味を持つ「ファントム II:Phantom II(ファントム・ザ・セカンド)」の愛称が与えられた。IIとなったのは[[太平洋戦争]]末期にマクドネル社が[[FH-1 (航空機)|FH ファントム]](世界初の実用ジェット艦上戦闘機)を開発したことによる。しかし先代(FH)は少ない生産数と運用期間の短さから知名度が低く、ファントムといえば本機を指すようになっていった。<br /> <br /> === 飛行テスト ===<br /> [[アメリカ海軍]]はマクドネル社に対し、既に完成していた原型機「XF4H-1」2機に加え、21機の量産原型機(F4H-1)を発注した。この計23機でより実戦的な評価作業と原型機の洗い直しが行われた。この研究・開発用の21機はそれぞれメーカーであるマクドネル社や、エンジンを担当した[[ゼネラル・エレクトリック]]社、ミサイルを担当した[[レイセオン]]社などに各種研究開発のために引き渡され使用されたため、ひとつとして同じ機体はなかったと言われている。この時期にレーダーを換装したことによる[[レドーム]]の大型化や[[キャノピー]]の改善も行われている。<br /> <br /> これらに続き生産された24機は訓練用としてアメリカ海軍や[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]に引き渡され、パイロットや整備員の訓練に使用された。<br /> <br /> == 特徴 ==<br /> === 基本構成 ===<br /> [[File:Cabinacaza.JPG|thumb|200px|前席コックピット&lt;br/&gt;計器盤上に各種メーターや機器が並ぶ]]<br /> F-4の大きな特徴に、無給油で3,184kmを飛行できる航続距離が挙げられる。高い推力と引き換えに燃料消費の激しい大型エンジンを2基も搭載していたが、それを補って燃料搭載量は、胴体内に6個と主翼内に2個のタンクに加え、胴体下の600ガロンの[[増槽]]と主翼下の370ガロンの増槽の総計は3,370ガロン(12,460L)と、当時の群を抜くものだった。さらに空中給油能力も合わせると、パイロット自身の持久力の許す限りの航続時間を持つこととなった。<br /> <br /> また、アメリカ海軍初の複座型[[艦上戦闘機]]であることも特徴となっている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;複座型の全天候型艦載機として[[F3D (航空機)|F3D スカイナイト]]が採用された前例があるが、結局艦載機としては使用されず、陸上基地からの出撃に留まっている&lt;/ref&gt;。F-4では前席にパイロット、後席にレーダー・航法担当のレーダー迎撃士官が搭乗する。<br /> <br /> コックピット前席の前面計器盤は、円形のレーダースコープとその操作装置を中心として、上部に光学照準機(HUDではない)、中央部に[[コンパス]]や水平儀等の操縦関係の計器、左には操作系、右には警告灯、下側には油圧系統のメーターやゲージが備わり、サイドコンソールに各制御スイッチが配置される。レーダースコープの横には、360度をカーバーする円形のレーダーホーミング及びレーダー警戒装置用の表示装置が配置される。また、F-4Eでは、スロットル・レバーや操縦桿に、レーダーなどの装置を操作するためのスイッチが取付けられたが、これは、今で言うHOTASとは異なる。<br /> <br /> 後席の前方視界は殆どなく、レーダー迎撃士官はパイロット用の射出座席、つまりパイロットの背中部分に備わったレーダースコープや各種計器を使用し、機内の通信装置を用いてパイロットに現在の位置や周囲の状況を伝える。後席右パネルの操縦桿状の物はレーダー操作用のスティックである。原型である海軍型には後席に操縦装置は無いが、空軍向けの派生型においては、後席にも操縦系統を設けている。前後席ともに空戦時の後方確認用にキャノピー枠内側に凹面鏡のリアビューミラーを備えている。<br /> <br /> 胴体下には、4基のAIM-7[[スパロー (ミサイル)|スパロー]]ミサイルを半埋め込み式で搭載できるようになっており、左右の主翼下の各2箇所と胴体中心線下の1箇所に、ミサイルなどの兵装や燃料タンクまたは電子戦ポッドを搭載するための、パイロンを装備している。<br /> <br /> === エンジン ===<br /> [[画像:J79IHI17A GAB001.jpg|thumb|250px|F-4に搭載される[[ターボジェットエンジン]]&lt;br/&gt;写真は[[GE・アビエーション|ゼネラル・エレクトリック]](GE)製J79-GE-17Aを石川島播磨重工業(現[[IHI]])にて[[ライセンス生産]]したJ79-IHI-17A]]<br /> [[画像:Airforce Museum Berlin-Gatow 424.JPG|thumb|250px|スプリッターベーン&lt;br/&gt;F-4F(2007年)]]<br /> エンジンは当時最新鋭の[[ゼネラル・エレクトリック J79]]とされた。[[F-104 (戦闘機)|F-104A]]にも採用されたJ79-GE-3A型エンジンは[[アフターバーナー]]時の推力が6,715kgと当時としては群を抜く推力を発揮し、これを二基搭載することは充分な搭載力や機動性という恩恵をもたらした。<br /> <br /> 開発中、地上でのアイドリング状態からアフターバーナー点火時のマッハ2.2まで、同一のエアインテーク形状では対応できないという問題が判明している&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;マクドネル社の前作の[[F-101 (戦闘機)|F-101]]戦闘機も[[プラット・アンド・ホイットニー JT3C|J57]]エンジン双発の大推力ながら同様な問題で最高速度はマッハ1.7に留まっている&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> この問題はエアインテーク周辺に発生する[[衝撃波]]が空気吸入を妨げることが原因と判明しており、その対策としてエアインテーク直前の[[スプリッターベーン]](境界層分離板)の先端をマッハ2に対応した位置に調整して衝撃波面をコントロールして空気流を確保している。<br /> <br /> スプリッターベーンには表面で成長する境界層を吸い取るために各12,500個の小穴を空けてあり、この排気はスプリッターベーンの上下に出っ張ったアウトレットから排出される。それより後方のエアインテーク内の境界層は別に吸い取られエンジン周囲を冷却して後方に排出される。そのためスプリッターベーンとエアインテークに構造の隙間が見て取れる。また、スプリッターベーンはインテークへの境界層の進入防止と境界層の吸入による振動(バズ)を防ぐため胴体の間に50mm程の隙間が設けられている。<br /> <br /> 以上により必要な性能は確保できたため、「{{仮リンク|インテークランプ|label=可変ランプ|en|Intake ramp}}」は採用されていない。{{-}}<br /> <br /> === 主翼・尾翼 ===<br /> [[画像:AIM-4 and AIM-7 on F-4E.jpg|thumb|left|250px|F-4Eの下面&lt;br/&gt;主翼下にAIM-4ファルコンミサイル3発、胴体下にAIM-7スパローミサイル4発を搭載している]]<br /> [[画像:F-4EJ(Kai)01.jpg|thumb|left|250px|下反角がついた水平尾翼(F-4EJ)]]<br /> 主翼はアスペクト比2.8テーパー比1/7で、後退角は翼弦長25%で45度、前縁で52度であり、また、後縁にも若干の後退角がついている。[[翼平面形#クリップトデルタ翼|クリップドデルタ翼]]と後退翼の中間的なものである&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[F3H (航空機)|F-3H]]、[[F-101 (戦闘機)|F-101]]、本機F-4、そして次代の[[F-15 (戦闘機)|F-15]]と、歴代のマクドネル(ダグラス)社の戦闘機を見比べると、後退翼から徐々にクリップト・デルタ翼へと翼平面形が変化していくことを見て取れる&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 開発初期の風洞試験の結果、主翼全体に5度の上反角を与える必要があると判明したが、機体主要部のチタニウム構造材の再設計は困難だったため、主翼幅70%辺りで折り畳まれる外翼部のみに12度の上反角を与えることで同等の効果を得るものとした。また、同じ外翼部の翼弦長を10%程度延長して[[ドッグトゥース (航空)|ドッグトゥース]]&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;高迎角時に渦流を発生させることで翼端失速を押さえる効果がある&lt;/ref&gt;としている。<br /> <br /> また、主翼は低翼配置であり、水平尾翼のほうが高い位置にある。この配置は迎え角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果をなくし急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)を生じること&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;マクドネルの前作・F-101戦闘機の場合は、ピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限しており、大きな欠点となっている&lt;/ref&gt;が判明した。そのためF-4では風洞試験の結果を受けて水平尾翼に23度と大きな下反角をつけることで対処している。なお、水平尾翼(スタビレーター)は全面が一体となって稼働する全浮動式を採用しており、尾翼前縁で発生した衝撃波の干渉をあまり受けることなく操舵が行えるため、超音速飛行時においても機動性を低下させることがなくなった。そのため、F-4以降の戦闘機においても水平尾翼は全浮動式が採用されている。尾部には[[ドラッグ・シュート]]と水平尾翼を作動させる装置が内蔵されているほか、垂直尾翼の安定板前部の中央には、スタビレーター人工感覚システムの圧力センサーが取付けられている。<br /> <br /> その後の研究で、主翼を尾翼より上に配置すれば、ピッチアップは防止できる事が判明した&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;F-4より先行して開発・配備されている[[F-100 (戦闘機)|F-100]]戦闘機は主翼位置が尾翼より高く、前後に開発された多くの機体が悩まされたピッチアップの問題とは無縁であった&lt;/ref&gt;。また、低翼配置は、[[爆弾]]・ミサイル等を翼下に吊下するためには降着装置を長大化する必要があり、これもまた問題となった。そのため通常尾翼型の超音速戦闘機においては、これ以降は高翼配置が主流となっていった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;中国が90年代以降に配備している[[JH-7 (航空機)|JH-7]]戦闘爆撃機は、F-4の派生型であるブリティッシュ・ファントムと同じエンジンを搭載し主翼面積や機体重量も近似しており、しばしばF-4と比較されるが、主翼は高翼配置である&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 基本的に尾翼周りの設計は超音速機の発展途上の形態であり、その技術の未熟さは遷音速域において操縦安定性を悪化させる要因になっている。当時のマクドネル社の基本設計は短いジェットインテーク-ノズル系で機体の軽量化を図り、その上に胴体尾部を延長しているため、ジェット推力の変化による水平尾翼との近接作用で有害な上下力が発生する。高い尾部の上にさらに垂直尾翼を設置している一方で、[[艦載機]]ゆえに機体の上端は制限されてしまうためアスペクト比の小さい形となり方向舵の効きが悪く、旋回時に過大なアドバースヨーを発生する。<br /> <br /> 主翼前縁フラップには、初期型ではエンジンの17段目[[圧縮機|コンプレッサー]]で抽出した空気を吐き出すBLC([[境界層制御]])装置を装備していたが、F-4Eからは前縁スラットに改良されている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;主翼の内翼部と外翼部に分けて装備されている。&lt;/ref&gt;。主翼の内翼部後縁には、内側に[[フラップ]]、外側に[[エルロン]]を装備しており、フラップ類は着艦時など低速での揚力を確保するだけでなく、空戦フラップとして使用されることで改善されている。<br /> <br /> 当時の[[戦闘機]]は超音速飛行時の抗力低下を重視し、主翼面積の小さな高[[翼面荷重]]の機体が多かったが、F-4は離着艦性能の維持のため大面積の主翼を採用し、翼面荷重は低くなっている。元来は大型のミサイルキャリアーとして設計され戦闘機同士の空中戦・格闘戦を念頭に置いていなかったものの、低翼面荷重と高推力重量比により格闘戦もこなせる機動性を得ることができた。その空戦性能は、海軍機ながら当時の[[アメリカ空軍]]の[[センチュリーシリーズ]]などを凌駕しており、のちに(軽快なMiG機相手に苦戦を強いられる局面もあったものの)[[ベトナム戦争]]など数々の実戦でも証明された。<br /> {{-}}<br /> <br /> === レーダー ===<br /> [[画像:F-4C APQ-100 radar maintenance 1982.JPEG|thumb|250px|写真は発展型のAPQ-100レーダー]]<br /> 機首部分に[[ウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスティングハウス]]社製[[AN/APQ-35#AN/APQ-72|APQ-72]]を搭載し目標の捕捉と[[スパロー (ミサイル)|スパローミサイル]]の誘導に使用している。<br /> <br /> 原型機18号機までは直径が約60cm(24in)の[[AN/APQ-35#AN/APQ-50|APQ-50]][[パラボラアンテナ]]だったが、19号機以降では約81cm(32in)へと大型化するのに合わせてレドームも「[[ドルーピー]]の鼻」と呼ばれた大型のものに変更された。これによって前方下方向の視界が損なわれたとして後部座席からの後方視界不良の問題も合わせてキャノピーの改良も行われ、機体の背部に沿わせたラインからより膨らませた外形に変更され相応の改善を得ることとなった。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 降着装置 ===<br /> ホイールベース7.01mトレッドベース5.46mと幅広の三車輪式降着装置は着艦時の衝撃に耐えられるように着艦重量17,250kgで7.2m/sの沈下速度&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;高さ5.28mから自由落下させた際の接地速度に相当&lt;/ref&gt;に耐えるべく太く頑丈に設計されている。海軍型は前脚を51cm(イギリス海軍向けK型は102cm)伸ばして離艦時の迎え角を稼ぐことができる。<br /> <br /> 着艦時に使用する[[アレスティング・フック|アレスターフック]]は尾部に収められ4.8Gの荷重に耐える。アレスターフックは空軍型にも残されている。<br /> <br /> 機尾に装備されるドラッグシュートは直径4.8mで着陸時だけではなく空中でのスピン回復にも使用可能とされている。<br /> &lt;gallery widths=&quot;180px&quot; heights=&quot;150px&quot;&gt;<br /> 画像:F-4EJ NoseLandingGear.jpg|前脚部(F-4EJ)<br /> 画像:F-4 Phantom land with parachute.JPEG|着陸後にドラッグシュートを開いたF-4E(1983年)<br /> 画像:McDonnell Douglas F-4C-19-MC In flight refueling of 061006-F-1234S-031.jpg|[[空中給油]]を受けるF-4C<br /> 画像:McDonnell Douglas F-4C with armament layout 061006-F-1234S-024.jpg|F-4Cと搭載可能な兵装<br /> 画像:F-4 Phantom in flight Apr 1982.jpg|[[ワイルド・ウィーゼル]]に従事するF-4G([[AGM-88 (ミサイル)|AGM-88 HARM]]搭載)<br /> 画像:F-4E-81st-tfs.jpg|無誘導爆弾を投下するF-4E<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> == 改良 ==<br /> [[1963年]]にF-4Bが艦隊配備を開始されて実戦配備下にあった10年間に度重なる改良が施され、その間、前縁スラットの追加や受信アンテナの整備、[[ベトナム戦争]]中の[[機関砲]]の搭載や搭載兵器の追加などが行われた。<br /> <br /> 初めての大規模改修が[[1973年]]の近代化改修と寿命延長で、ベトナム戦争を経たF-4Bの残存649機の中の飛行時間が短く、また、激しい空中戦に参加していない148機に対して「F-4J」に準じた能力(エンジンは排気煙軽減装置の追加のみ)とする改修を行い「F-4N」と改称した。海兵隊のF-4BもF-4Nに改修されている。<br /> <br /> アメリカ空軍のF-4Dの一部も[[LORAN]]航法装置(自機の位置を把握するための装置)の受信アンテナを追加された。また、固定武装として機関砲を搭載したF-4Eも海軍のF-4に装備していた前縁フラップや電子光学望遠鏡、TISEO兼用レーダースコープを追加された。<br /> <br /> [[1967年]]より生産された522機のF-4Jの内260機も[[1978年]]から[[1987年]]までに一機当たり180から190万ドルの費用を投じて行われた J79-GE-10B 無煙型エンジンへの換装と前縁スラットの追加による延命改修により「F-4S」となった。<br /> <br /> [[画像:McDonnell Douglas YF-4E Fly-by-Wire (before the canard modification) 060901-F-1234S-028.jpg|thumb|right|250px|フライ・バイ・ワイヤを装備する62-12200号機]]<br /> [[ファイル:F-4 shoulder canards side.jpg|thumb|right|250px|飛行中の62-12200号機&lt;br/&gt;カナード翼を装備しているのが分かる]]<br /> === 62-12200号機 ===<br /> : 5,000機近く生産されたF-4の中でも特にその姿を幾度も変えたのが62-12200号機だった。元々はアメリカ海軍向けF-4Bの一機として生産された機体だが後にアメリカ空軍からの発注を受けてF-4C型にして納入された後、機首部分に偵察カメラや機材が積まれて戦術偵察型RF-4Cの原型機となった。<br /> : RF-4C原型機は試験終了後に今度はF-4Eの原型機として使用された。この改修ではカメラ搭載スペースに機関砲を搭載しレーダーを小型のものに変更している。F-4Eの原型機テストの終了時には62-12200号機をF-4Cに戻して実働部隊へ復帰させることは不可能となったため、「[[ボロン]]」「[[ベリリウム]]」などの新素材の検証や耐性強度テストなどに転用された。<br /> : 更に同機は「アジャイル・イーグル計画」にも使用され、戦闘機の空戦時の運動能力向上のための前縁スラットを取り付けられた。アジャイル・イーグル計画の終了後は当時実験段階だった「[[フライ・バイ・ワイヤ]]」のテスト機として改修を受けている。この時エアインテーク部分に[[カナード翼]]が取り付けられた。<br /> : 62-12200号機は[[1979年]][[1月]]に退役し[[オハイオ州]]のアメリカ空軍博物館に展示されることとなった。度重なる改良で得られたデータはその後の様々な新型機の開発に役立てられている。<br /> {{-}}<br /> === スーパーファントム・プロジェクト ===<br /> : [[1983年]]に[[ボーイング]]社は比較的酷使されていないF-4に、当時の最新技術を投入し改修する計画、スーパーファントムを発表した。<br /> : 当時、2,700機近くが運用されていたF-4は[[21世紀]]目前の[[2000年]]においても2,000機近くが飛行可能な状態であるとの予測が立てられていた。また、21世紀の航空機の戦闘は[[早期警戒管制機]]との[[戦術データ・リンク|データリンク]]や当時はまだ開発段階だった[[ファイア・アンド・フォーゲット|撃ちっ放し能力]]を有する[[AIM-120 (ミサイル)|AIM-120 AMRAAM]]空対空ミサイルの実用化など、F-4の開発された時代では想定されていない技術が前提となるとされた。この予測を基に計画されたのがこの計画であり、主にレーダーなどの[[アビオニクス]]及びエンジンの換装、[[コンフォーマル・フューエル・タンク]]の追加が計画された。<br /> : レーダー類はウエスチングハウス社製「[[AN/APG-66]]」へ換装して[[ルックダウン能力]](低高度目標の捕捉能力)とシュートダウン能力(低高度目標の撃墜能力)向上を図った。それに合わせコックピットの計器類もスペリー社製[[マルチファンクションディスプレイ|多機能ディスプレイ]](MFD)や、GEC製[[ヘッドアップディスプレイ|HUD]]等[[F-16 (戦闘機)|F-16]]のものに換装され、[[慣性航法装置]](INS)には[[F-20 (航空機)|F-20]]用に開発された[[ハネウェル]]社製の423([[リングレーザージャイロ]]方式)が搭載される予定であった。<br /> : エンジンは[[F-15 (戦闘機)|F-15]]やF-16が搭載する[[プラット・アンド・ホイットニー F100]]を改良した[[プラット・アンド・ホイットニー PW1120]](アフターバーナー推力 9.5t)へ換装するとした。このエンジンはJ79に比べ25%近く軽量で推力は20%増し、燃料消費率も5%から15%低いとされた。胴体下面に搭載するコンフォーマル・フューエル・タンクは4,164[[リットル|L]]の燃料を追加搭載でき、後端部のフェアリングにはAN/ALE-40[[チャフ]]・[[フレア (兵器)|フレア]]ディスペンサーが装備されていた。さらにCFTに4箇所の[[ハードポイント]]が設けられ、うち2箇所にAIM-7を装着することも可能となっていた。<br /> : この計画には当時200機近いF-4を保有していたイスラエルや約260機を保有していた西ドイツが興味を示したとされている。ただし、両国ともこのボーイング社案をそのまま使用してはいない。イスラエルはエンジンこそPW1120を搭載するもののHUDを含むアビオニクス類は国産品を搭載する独自の計画(F-4Eクルナス2000 後述)を立案した。西ドイツは本計画に対抗する形で「ICE(Improved Combat Efficiency:戦闘効率改善)計画」を立案した。<br /> : 空軍航空システム部門は1986年2月にボーイング社の改修計画の続行を承認したが、これらの機能をF-4ファントムIIに付加するには多大なコストを必要としたことから海外のカストマーからの発注はなかった。また、1991年にソ連邦の崩壊とワルシャワ条約機構軍が消滅にした事が計画に追い討ちをかけ、そのまま計画は立ち消えとなった。<br /> <br /> === 標的機としての運用 ===<br /> : アメリカ海軍は初期に生産され老朽化したF-4Bを標的機へ改造する計画を立案し[[ペンシルベニア州]]ウォーミンスターにあるNADC(海軍航空開発センター)で標的機への改造研究と設計を実施した。同センターは[[空対空ミサイル|空対空]]・[[地対空ミサイル]]の試験や濃密な対空防御を有する地域への電波妨害による模擬侵入を可能とするRPV(遠隔操作機)の研究を行っていた。<br /> : NADCは老朽化したF-4B一機を入手し、操縦系統をすべて無線を経由して操作するように改造した。完成した無人標的機は「QF-4B」と名付けられ、視認性を良くするために真っ赤に塗装されたが機首にアンテナが二本増えている他は外見的な違いはなかった。コックピット内の操縦装置は人間による操作を可能としたままで全操縦系統を無線操作で作動させるためのトグル・スイッチを多数追加している。これは駐機場と滑走路間の往復と滑走路と空中の往復間の操縦という別種の操作を地上のパイロットと空中の誘導母機「DF-4J」(別名フォックス:F-4Bの改造機)から遠隔操作を行うパイロットで分担することで改造内容や遠隔操作手順を単純なものとすることを意図したものである。<br /> : QF-4Bの操作は機上コマンドコントロール受信機で受信する406MHz~550MHzの帯域中の20チャンネルの信号を使用する。20チャンネルの信号はブレーキのオン・オフ、降着装置の上下、上昇降下、推力の上昇下降、フラップ・方向舵・エアブレーキの作動、搭載物の投棄、アフターバーナーの点火と停止、拘束フックの上下、ドラッグシュートの作動、記録カメラの作動など、飛行に必要な役割にそれぞれ割り付けられる。<br /> : アメリカ海軍は原型機を含めた44機のF-4BをQF-4Bに改造し標的機としてミサイル実験部隊で運用した。以降、老朽化・余剰となったF-4E/N/S/Gも無人標的機に改修されている。<br /> <br /> === 記録への挑戦 ===<br /> F-4が初飛行した[[1950年代]]はアメリカと[[ソビエト連邦|ソビエト]]の最新鋭機を使用した熾烈な世界記録更新競争の時代でもあった。また、[[アメリカ空軍]]と[[アメリカ海軍|海軍]]も記録の更新競争を行う形となっていた。<br /> <br /> ; トップ・フライト<br /> : [[1959年]][[7月14日]]にソビエトは[[Su-15 (航空機)|Su-15]]の原型と言われる当時最新鋭の実験機Tu-431により28,852mの上昇記録を記録した。これに対してアメリカ海軍は「トップ・フライト計画」として原型機の「XF4H-1」による高度記録更新を行った。同年[[12月6日]]、エドワーズ空軍基地を離陸したローレンス・E・フリント中佐操縦のXF4H-1は高度30,040mまで上昇記録を更新した。<br /> : なお、その一週間後の[[12月14日]]にはアメリカ空軍のF-104CがJ・B・ジョーダン空軍大尉の操縦により高度31,513m(103,389ft)の高度記録を更新した。これは、初めて10万フィートを突破した記録ともなった。<br /> ; LANA&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;L(=ローマ数字の50) Anniversary of Naval Aviation&lt;/ref&gt;計画<br /> [[File:A3D-2 refueling F4H-1F during Project LANA 1961.jpeg|thumb|right|250px|空中給油を受けるLANA計画参加機]]<br /> : アメリカ海軍航空50周年に当たる1961年を記念して[[アメリカ大陸]]横断飛行の速度記録に挑戦した。<br /> : アメリカ海軍は当時最新の「F4H-1」つまりF-4の原型機を5機(予備機2機)用意した。横断計画は[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]のオンタリオ・フィールド飛行場から[[ニューヨーク州]][[ロングアイランド]]のフロイド・ベネット飛行場まで無着陸飛行を行うものとされた。<br /> : 飛行士として後に[[ジェミニ11号]]で[[有人宇宙飛行|宇宙飛行]]を経験し、[[アポロ12号]]に乗り込み、司令船パイロットを務めた[[リチャード・F・ゴードンJr]][[中尉]] (当時) を含む計6名のパイロットが抜擢された。1番機には指揮をとるJ・S・ラモール中佐とT・J・ジャクソン大尉の二名、3番機にゴートン中尉とB・R・ヤング中尉が搭乗した。<br /> : [[5月24日]]、5機のF-4がオンタリオ・フィールド飛行場を時間を隔てて飛び立った。1番機・2番機・3番機にトラブルがないことを確認した予備の2機はすぐに引き返している。3機はそれぞれ単独飛行を行い[[ニューメキシコ州]]・[[ミズーリ州]]・[[オハイオ州]]の上空で空中給油を受けニューヨークを目指した。<br /> : 最初にフロイド・ベネット飛行場の上空を通過したのは1番機で離陸より3時間と5分が経過していた。続いて到着したのは2番機で所要時間は2時間50分だった。最後に到着した3番機は2時間47分を記録し、最短記録を残したゴートン・ヤング両中尉がベンデックス・トロフィーを受賞した。<br /> ; セージバーナー<br /> : [[1961年]][[8月28日]]、3マイル(4.82km)の区間内で125ft(40m)以下の高度を維持してマッハ1を超える平均 902.769mph(1,452.826km/h)の速度記録を樹立した。しかし、これに先立つ5月18日の最初の試行でピッチダンパーの故障による空中分解でパイロットのJ.L.フェルトマン海軍中佐が殉職している。<br /> ; スカイバーナー<br /> : [[1961年]][[12月22日]]、水噴射装置を追加したF-4により1,606.342mph(2,585.086km/h)の絶対世界記録速度を記録している。その直前の12月5日には同計画の別の機体が 66,443.8ft(20,252.1m)での水平飛行高度を記録している。<br /> ; ハイジャンプ<br /> : [[1962年]]、[[アメリカ海軍]]はF-4の上昇性能を誇示する目的で「ハイジャンプ計画」に着手する。これは指定された高度までの上昇時間を競うもので「トップ・フライト」と異なり、到達時間を競うものである。基地には[[メーン州]]ブランズウィックと[[カリフォルニア州]]ポイント・マグーが選ばれた。<br /> : 本計画では、後に[[ジェミニ3号]]、[[ジェミニ10号]]、[[アポロ10号]]で[[有人宇宙飛行|宇宙飛行]]を経験後、[[アポロ16号]]で[[月面]]の「[[デカルト高地]]」に着陸し、[[1981年]]の[[スペースシャトル]]の第1回目と9回目の飛行の船長に選ばれることになる[[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・W・ヤング]][[中佐]](当時)、D・M・ロントン[[少佐]]、D・W・ノードバーグ少佐、F・T・ブラウン少佐、海兵隊のW・C・マクグロー中佐の5名がそれぞれの高度の記録を更新した。<br /> : 詳細は以下の通りである。<br /> <br /> {| class=&quot;wikitable&quot; cellpadding=&quot;5&quot; style=&quot;background:#fff; text-align:center;&quot;<br /> |-<br /> !パイロット!!到達高度!!時間!!記録日<br /> |-<br /> |ジョン・W・ヤング中佐|||3,000m||43.52秒||[[2月21日]]<br /> |-<br /> | ||25,000m||230.4秒||[[3月31日]]<br /> |-<br /> |D・M・ロントン少佐||6,000m||48.79秒||2月21日<br /> |-<br /> |D・W・ノードバーグ少佐||15,000m||114.54秒||[[3月1日]]<br /> |-<br /> | ||30,000m||371.34秒||<br /> |-<br /> |style=&quot;text-align:left&quot;|F・T・ブラウン少佐||20,000m||178.5秒||3月31日<br /> |-<br /> |W・C・マクグロー中佐||9,000m||61.62秒||3月1日<br /> |}<br /> : この時、ヤング中佐は[[マニュアル]]を無視して[[フラップ]]を上げたまま推力100%で離陸し、車輪が滑走路を離れると同時に車輪を引き上げ、そのまま加速し十分な速度に達してから機首を引き揚げるという操縦を行った。教本にはない手順だったが、後の上昇記録更新でも踏襲されるようになった。これによりヤング中佐は腕のいいテストパイロットとして知られるようにもなり、同年9月に第二次宇宙飛行士選抜に名を挙げられている。<br /> : なお、本計画の記録は[[1973年]]にソ連(当時)の[[MiG-25 (航空機)|MiG-25]]の特殊改造機「E266」が20,000mから30,000mまでの記録を更新することになるが、アメリカ空軍の[[F-15 (戦闘機)#ストリーク・イーグル|ストリーク・イーグル計画]]によって[[F-15 (戦闘機)|F-15]]が破るまで、その記録を更新されることはなかった。<br /> <br /> == マクドネル社の躍進 ==<br /> マクドネル社は1964年会計年度の総売り上げは8億6,500万ドルの7割を国防省関係からの受注で占めていた。前年度比で3億ドル増を記録しており、アメリカの経済雑誌「フォーチュン」は1964年11月号で当時のマクドネル社の活況振りを6ページに渡り紹介した。<br /> <br /> 軍用機生産に限れば売り上げの2億4,500万ドルの大部分がF-4によるものだった。翌年の1965年にはF-4の年間生産数は500機を突破することが既に決まっていた。マクドネル社の敷地面積は50万[[平方メートル|m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;]]を超え従業員数は3万5千人となった。また、10社を超すアメリカ国内の有力航空宇宙メーカーをおさえて[[マーキュリー計画]]の宇宙カプセル開発と生産をNASAから受注している。[[1939年]]に15人の従業員とビル2階の間借りでの創設当初から見ると空前の成長だったことが分かる。<br /> <br /> だが、創設者であるジェームス・スミス・マクドネルJrはA3HとA4Hの空白期の経験などから浮き沈みの激しい国防省からの受注に頼っていては心細いと考え、軍事専門の航空機メーカーからの脱却と規模拡大を図り、[[ベトナム戦争]]により軍事物資生産に優先された資材の入手難と旅客機受注の伸び悩みにより経営難にあったダグラス社の吸収合併を1968年に行った。以降マクドネル・ダグラス社となり、ダグラス社の旅客機の製造と共に[[A-4 (航空機)|A-4 スカイホーク]]の生産を引き継ぐこととなった。<br /> <br /> マクドネル・ダグラス社は軍民両部門の航空機メーカーとして成長を続け[[1985年]]にはヒューズ・ヘリコプター社をも傘下に入れるに至った。<br /> <br /> == 部隊配備 ==<br /> === アメリカ海軍・海兵隊への配備 ===<br /> [[ファイル:F-4B VF-51 CVA-43.jpg|thumb|250px|艦上のF-4B(1972年)]]<br /> 1959年に始まり1960年2月15日に[[航空母艦|空母]][[インディペンデンス (CV-62)|「インディペンデンス」]]における初の離着艦全通試験など一連の航空母艦適合テストで十分な結果を得た[[アメリカ海軍]]は[[1961年]]に正式にF-4Bの艦隊配備を開始した。<br /> <br /> [[大西洋艦隊 (アメリカ海軍)|アメリカ大西洋艦隊]]初のF-4飛行隊となったのは空母[[フォレスタル (空母)|「フォレスタル」]]搭載となる第74戦闘飛行隊だった。[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]は[[1962年]]に空母[[キティホーク (空母)|「キティホーク」]]搭載の第114戦闘飛行隊がF-4Bの引き渡しを受けている。<br /> <br /> 配備開始2年後の[[1963年]]時点でF-4保有飛行隊は6個となっていた。この時点でも旧世代の[[F3H (航空機)|F3H デーモン]]や[[F4D (航空機)|F4D スカイレイ]]を運用中であり[[F-8 (戦闘機)|F8U]]もF-4と並ぶ主力[[戦闘機]]だった。それに対してアメリカ海軍は[[1965年]]の時点でF-4を搭載可能な[[ミッドウェイ級航空母艦|ミッドウェイ級]]以上の空母11隻の全飛行隊へのF-4を配備しようと計画した。1隻当たり二個飛行隊分を配備しようとすると単純計算で244機を必要とし、同時期にアメリカ軍が[[ベトナム戦争#北爆開始|北ベトナムへの爆撃]]を開始したこともあり、F-4飛行隊の増強が続いた。<br /> <br /> アメリカ海兵隊は海軍への配備開始から一年後の[[1962年]]から配備を始めた。F-4Bを初めて受領したのは第531戦闘攻撃飛行隊で、翌1963年には第314戦闘攻撃飛行隊が受領し、同年10月に[[日本]]の[[厚木海軍飛行場|厚木基地]]に派遣されている。日本への配備は[[東南アジア]]から最短距離にあるためベトナム情勢を鑑みてのことだった。戦争中期頃からは施設の整備の進んだ[[フィリピン]]の基地を使用するようになった。<br /> <br /> === アメリカ空軍での採用 ===<br /> [[画像:F-110Specter.jpg|thumb|250px|F-110A(F-4C)]]<br /> 当初、F-4は[[艦上機]]として開発されたが、空海両軍での[[戦闘機]]の共用化によるコスト削減を目論む[[ロバート・マクナマラ]][[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]]の方針もあって、空軍規格に改められた機体をF-110A「スペクター(Spector)」として採用した。1962年に3軍統一の機体命名法が施行されるとF-4Cに改めている。<br /> <br /> 空軍への採用の際の変更点は<br /> <br /> *主脚のタイヤを幅を広げた低圧タイヤに変更(幅を19.5㎝から29㎝へ変更)<br /> *後席のコンソールの設計変更と位置を低くして、後席での前方視界を確保<br /> *レーダーを、F-4Bで使用されているAN/APQ-72を改良したAN/APQ-100に変更<br /> *爆撃システムをAN/AJB-7全高度核爆撃制御システムとし、全高度での核爆撃を可能した<br /> *新たにAN/ASN48慣性航法装置(INS)を装備<br /> *空中給油装置をブローブ・アンド・ドローグからフライング・ブームに変更、胴体背部に受油口が取付けられた<br /> *エンジンは、推力は変わらないものの、火薬カートリッジ・スターターを付けたJ79-GE-15に変更<br /> *主翼の折り畳み機構を手動に変更<br /> *アレスティングフックは着陸した際の非常時の事故に備えて残された<br /> <br /> F-4が当時の[[アメリカ空軍]]戦闘機に勝っていたのは、J-79エンジン双発の大パワーと、それに伴う機体規模の余裕であった。ただし全面的に優れていた訳ではなく、低空での速度性能や安定性では高翼面荷重の機体である[[F-105 (戦闘機)|F-105]]に、レーダーや電子装備では全天候要撃機の[[F-106 (戦闘機)|F-106]]には劣っていた。しかしながら総合性能においては空軍機を凌駕する事を空軍側でも認めざるを得ず、採用に至った。[[ベトナム戦争]]が本格化する直前の1964年、F-4Cを受領した第555戦術戦闘飛行隊が那覇空軍基地の第51戦闘迎撃航空団に配備された。<br /> <br /> 後の視点から見ればF-4の最大の長所は、低空侵攻任務では欠点となった低翼面荷重であった。ミサイルキャリアーとして開発された機体であり、空戦性能向上を意図したものでなく、艦上戦闘機としての離着陸(艦)能力を確保するためのものであったが、副産物としてまずまずの格闘空戦性能を発揮した。当時の空軍機は[[要撃機]]および[[戦闘爆撃機]]が主体で、当時の[[ミサイル万能論]]の影響もあり、空戦性能を軽視していた。結果としてF-4はベトナム戦争において、その空戦性能で活躍する事になる。<br /> <br /> また、アメリカ空軍は当初海軍に提案されていたF-4の偵察型をF-4Cの機首を改造した戦術偵察機RF-4Cとして導入した。[[アメリカ海兵隊]]でもF-4B/Jを戦術偵察機に改造したRF-4Bを導入した。これに対して[[アメリカ海軍]]はRF-4を採用せず、RF-8や[[A-5 (航空機)|RA-5]]、その後継として偵察ポッドを装備した[[F-14 (戦闘機)|F-14]]を用いて偵察を行なった。<br /> <br /> === ブルーエンジェルス ===<br /> [[ファイル:F-4 Phantom Blue Angels.jpg|thumb|250px|ブルーエンジェルスのF-4Jは青く塗装された]]<br /> 1969年にF-4Jを導入し全米や[[ヨーロッパ]]でアクロバット飛行を披露した。[[アジア]]では日本や韓国にも飛来している。日本に飛来した際にはその騒音から住民から苦情が寄せられた。その為「もう日本には来ない」とブルーエンジェルスのメンバーは激怒したという。これが原因なのかは不明だが以降ブルーエンジェルスは来日していない。1974年に、[[A-4 (航空機)|A-4F スカイホーク]]に機種転換した。<br /> <br /> {{Main|ブルーエンジェルス}}<br /> <br /> === サンダーバーズ ===<br /> ブルーエンジェルスと同じく1969年にF-4Eを導入した。こちらも1974年に[[T-38 (航空機)|T-38A タロン]]に機種転換した。<br /> <br /> {{Main|サンダーバーズ}}<br /> <br /> === ベトナム戦争 ===<br /> [[画像:F-4C Phantom II (PCAM) 3.jpg|thumb|right|250px|F-4Cのインテーク ベトナム戦争で北ベトナム空軍機を4機撃墜した戦果マークが入れられている]]<br /> F-4は同じく出撃したF-8クルセイダーとは異なる最大8発搭載の[[空対空ミサイル]]のうち4発の[[スパロー (ミサイル)|AIM-7]]ミサイルと当時としては際立って有力な[[アビオニクス]]によりレーダー捕捉段階で視界外から敵機を撃ち落すことを可能としたミサイルキャリアーだった。<br /> <br /> しかし、F-4初の実戦となった[[ベトナム戦争]]ではレーダーでは敵味方判別をできないことから生じた同士討ちの結果として、視認前のミサイル発射を禁止されたり、ミサイル装着時の部品の破損などの人的ミス等によるミサイルの信頼性の低下、当時の技術的限界によるミサイルの性能不足&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;当時のレーダー誘導ミサイルは、運用する機体からレーダー波を照射し続ける必要があり、戦闘機どうしの格闘戦には不向きであった。また、赤外線誘導ミサイルは、エンジンの廃熱を追うために敵機の背後から撃つ必要があり、運動性に劣る機体では不利となった&lt;/ref&gt;等により、F-4の特質を十分に生かすことができず、また、開発時に想定していない空対空格闘戦という状況に対して訓練不足&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ミサイルには最低射程があるため、敵機と急接近した際には使用できなかった&lt;/ref&gt;と兵装の制限([[機関砲]]を内蔵しない)、さらには爆撃機護衛・制空権確保という任務上、戦闘空域に留まる事が求められたため、苦戦を強いられることになった。<br /> <br /> 北ベトナム空軍の運用する[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]や[[MiG-19 (航空機)|MiG-19]]、[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]]等は旧型ながら優れた機動性と制約の少ない機関銃を持ち、地上管制の元で限定された戦術目標を達成すれば充分という有利さ、さらには迎撃が任務である事からミサイルを撃った後は戦闘空域から離脱する事もできた事から、F-4をはじめとするアメリカ軍の戦闘機部隊を苦しめたのである。<br /> <br /> とはいえ、当時のアメリカ戦闘機としては運動性は優れており、MiG戦闘機には運動性に遅れを取ったとしても、他に代えるべき機体は存在しなかった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;実は[[F-106 (戦闘機)|F-106]]戦闘機が、低翼面荷重、高推力重量比で、運動性や加速性に優れた機体だったが、アメリカ本土防空が目的で、高度な電子機器を搭載する高価な機体だったため、ベトナム戦争において制空任務に用いる事はできなかった。ただし仮想敵機としてF-4パイロットの訓練に用いられ、大いに手こずらせ、技量向上に貢献した。&lt;/ref&gt;。空軍においては、機関砲を固定装備とし、運動性を向上させたE型を就役させ、格闘戦への対処とした。また、結果的には空戦での撃墜成績については、MiG戦闘機に勝っていた。しかしながら乗員が2名なので、戦死者の数は敵より多かったともされている。<br /> {{-}}<br /> <br /> ; アメリカ海軍<br /> [[画像:F-4B Phantoms of VF-161 and A-7C Corsairs of VA-86 drop bombs on Vietnam in March 1973.jpg|thumb|250px|[[爆弾]]を投下するアメリカ海軍のF-4と[[A-7 (航空機)|A-7]]]]<br /> : [[アメリカ海軍]]のF-4が初めて実戦参加を果たしたのは、[[1965年]][[3月]]の[[ベトナム戦争#ローリング・サンダー作戦|「ローリング・サンダー作戦」]]だった。それ以前にもF-4飛行隊が乗艦する[[空母]]が北ベトナム沿岸に展開していたが、北ベトナムの航空戦力はほぼゼロに等しいので最新鋭のF-4の実戦投入は不要として見送られていた。<br /> : [[3月29日]]には第151戦闘飛行隊のF-4B、2機が北ベトナム上空で撃墜され初損失となっている。[[4月29日]]には[[中華人民共和国]]の[[領空侵犯|領空を侵犯]]した第96戦闘飛行隊のF-4Bが[[中国人民解放軍空軍]]の[[戦闘機]]に撃墜されている。<br /> : 同年[[6月17日]]、空母[[ミッドウェイ (空母)|「ミッドウェイ」]]の第21戦闘飛行隊のF-4B二機が[[ハノイ]]の南方80kmで遭遇した[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]の4機中2機をすれ違いざまに[[スパロー (ミサイル)|AIM-7]]で撃墜し、はじめてF-4の火器管制能力を発揮するに至った。これは全アメリカ軍を通じてベトナム戦争初の撃墜記録となった。以降、アメリカ海軍のF-4BとF-4Jは北ベトナム軍戦闘機を36機撃墜しているものの、ほとんどが[[サイドワインダー (ミサイル)|サイドワインダー]]によるものだった。<br /> {{-}}<br /> ; アメリカ海兵隊<br /> [[画像:F-4Bs VMFA-115 323 DaNang Jan1966.jpg|thumb|250px|南ベトナムに駐留するアメリカ海兵隊のF-4B([[1966年]][[1月]])]]<br /> : [[ベトナム戦争]]開始後、在日[[アメリカ海兵隊]]にも前線への出撃命令が下され、F-4飛行隊も南ベトナムのダナン基地やチュライ基地に進出した。後に激戦期と呼ばれることになる[[1968年]]末における任務は南ベトナム国内で活動する共産軍の制圧のための通常爆弾や[[ナパーム弾]]、[[ロケット弾]]、[[ガンポッド]]による対地攻撃であり、空中戦とは無縁の日々が続いたという。それでも、展開するF-4飛行隊は五個に増強されていた。当時2機のF-4を失ったものの乗員は全員救助されている。<br /> : [[1972年]]以降、攻撃目標が南ベトナムから北ベトナム、特に[[ラオス]]を経由し南ベトナムに伸びる大補給ルート「[[ホーチミン・ルート]]」に移ると損害は増加した。北ベトナム軍正規軍の装備する[[対空砲]]や[[対空ミサイル]]により、3機のF-4の損失と2名のパイロットの[[行方不明]]という損失を蒙っている。<br /> {{-}}<br /> ; アメリカ空軍<br /> : [[アメリカ空軍]]は[[F-105 (戦闘機)|F-105]]や[[F-111 (航空機)|F-111]]などの[[戦闘爆撃機]]を次々と投入した。だが[[爆弾]]を満載し機動性の低下したF-105などにとっては、北ベトナムの主力戦闘機[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]は旧式機と言えども侮り難い敵だった。格闘戦に巻き込まれ爆装を投棄した時点で、「爆撃の阻止」という相手の戦術目標は達成しており、[[熱帯雨林]]という[[精密機械]]には適さない環境によりミサイルを武器とする戦闘機はその能力を著しく落としていた。<br /> : [[1965年]][[4月3日]]、2機のF-105がMiG-17に撃墜されたことを受け、空軍はミグ戦闘機の掃討任務の為にF-4C飛行隊七個を南ベトナムに、三個飛行隊を[[タイ王国]]にあるアメリカ軍の基地に駐留させた。<br /> : しかしながら、1965年から[[1966年]]までのわずか一年の間に撃墜や事故など様々な原因で54機のF-4Cを損失している。初期トラブルの顕現と対応が不十分なままで実戦投入されたため戦場で燃料漏れや主翼への亀裂が生じたこと、ミサイルの使用に様々な制限や問題があったこと、[[機関砲]]を装備していなかったことが挙げられる。<br /> ; D型・E型の登場<br /> [[画像:JM61A1 GAB001.jpg|thumb|250px|展示されるM61A1「バルカン」&lt;br/&gt;画像は[[航空自衛隊]]のF-4EJの為に[[ライセンス生産]]された「JM61A1」]]<br /> : 1966年2月からマクドネル社の生産ラインはF-4CからF-4Dに移行した。また、1968年11月からはF-4として初めて固定武装として機首に[[M61 バルカン|M61A1]][[機関砲]]を搭載し、主翼前縁へのスラットの付加によって運動性を高め、より格闘戦に優れたF-4Eの部隊配備を開始している。<br /> {{-}}<br /> ; 損害<br /> : F-4Eが格闘戦に何とか対応できる機体として配備されたといっても状況は厳しかった。[[1971年]]末までに361機のF-4C/D/Eが[[対空砲]]や[[地対空ミサイル]]、ミグ戦闘機により撃墜されており、停戦が発効する1973年までも損害は拡大している。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 湾岸戦争 ===<br /> [[1991年]]に勃発した[[湾岸戦争]]にもF-4が投入された。この時は制空任務等を後継機である[[F-15 (戦闘機)|F-15]]などに譲り、作戦運用上最後の派生型となったF-4Gが[[ワイルド・ウィーゼル]]の任に就いた。<br /> <br /> === アメリカ軍からの退役 ===<br /> [[ファイル:F-4 Phantom II USN last operational carrier landing.jpg|thumb|250px|空母[[アメリカ (空母)|「アメリカ」]]に着艦するF-4S&lt;br/&gt;米空母に配備されたF-4が最後の作戦を終え着艦した瞬間でもあり、奥に新たに配備されはじめたF/A-18が写る]]<br /> [[アメリカ海軍]]では[[1973年]]より[[F-14 (戦闘機)|F-14]]の配備に伴い徐々に数を減らし、[[1986年]]に[[空母]][[ミッドウェイ (空母)|「ミッドウェイ」]]搭載のF-4と[[A-7 (航空機)|A-7]]が[[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]へ機種転換したことで全機が空母上から退役した。予備役飛行隊に配備された機体も翌年には姿を消している。<br /> <br /> [[アメリカ海兵隊]]ではF/A-18への更新により[[1992年]]に全機退役した。<br /> <br /> [[アメリカ空軍]]では[[F-15 (戦闘機)|F-15]]や[[F-16 (戦闘機)|F-16]]の配備が進むにつれて戦闘機としては一線から徐々に退いていたが、[[SEAD]]専用機材であるF-4Gは[[湾岸戦争]]に投入された。しかし、老朽化と陳腐化は否めず、無人標的機(QF-4Bなど)に改造されたものを除き、[[1991年]]の[[湾岸戦争]]を最後として実戦配備からすべて引退している。一部[[空軍州兵]]での使用は続いていたが、[[1996年]]のアイダホ州軍F-4Gを最後に米空軍予備役からの引退も完了した。[[エドワーズ空軍基地]]にある{{仮リンク|アメリカ空軍テストパイロット学校|en|United States Air Force Test Pilot School}}の[[テストパイロット]]の養成課程ではF-4が使用されていたため、状態の良い機体や補修部品はここに集められた。<br /> <br /> &lt;div style=&quot;clear:both&quot;&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> 無人標的機型QF-4は、2016年8月17日に最後の任務(F-35の支援)を終えた。最後の機体はF-35より発射されたQF-4に向け発射されたが兵器テストの詳細な条件やシナリオは不明ながら、同機は無傷で帰還している&lt;ref&gt;[https://theaviationist.com/2016/08/31/usaf-qf-4-phantom-is-shot-at-by-an-f-35-with-two-aim-120s-during-last-unmanned-mission-and-survives/ USAF QF-4 Phantom is shot at by an F-35 with two AIM-120s during last unmanned mission (and survives)]&lt;/ref&gt;&lt;ref&gt;[http://aviationweek.com/defense/f-35-test-marks-final-unmanned-qf-4-target-drone-flight F-35 Test Marks Final Unmanned QF-4 Target Drone Flight | Defense content from Aviation Week]&lt;/ref&gt;。最後の飛行は2016年12月21日に行われ、QF-4は退役した。後継はQF-16である&lt;ref&gt;[http://aviationphotodigest.com/last-flight-qf-4-holloman-afb/ Phantom Pharewell: The Last Flight of the QF-4 at Holloman AFB]&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> == 現在の運用状況 ==<br /> [[File:Tucson05 AMARCHelicoptersFightersMountain.jpg|250px|thumb|[[デビスモンサン空軍基地]]にてモスボールされているF-4(写真奥)]]<br /> [[File:F-4E Edwards (12842861393).jpg|thumb|アメリカ空軍テストパイロット学校のNF-4E(2014年)]]<br /> 初期設計から約60年、初飛行から優に50年以上を経た[[2015年]]時点においても、[[日本]]の[[航空自衛隊]]をはじめとして、[[ギリシャ空軍]]、[[エジプト軍|エジプト空軍]]、[[大韓民国空軍|韓国空軍]]、[[イラン空軍]]、[[トルコ軍|トルコ空軍]]の6ヵ国で配備・運用中である。<br /> <br /> アメリカ空軍のテストパイロット学校では、教育用として武装を撤去し計測用センサーを搭載した練習機型を数機運用している。<br /> <br /> 改良・近代化改修の計画が各国で進められており、そのまま[[2010年]]以降も使用し続けられる見込みである。この他、アメリカ国内にて非営利団体が1機のF-4Dを飛行可能状態で保存しており、[[アメリカ空軍]][[デビスモンサン空軍基地]]において[[モスボール (軍事)|モスボール]]状態で保存されているものも存在する。<br /> <br /> ※各国の詳細については、下記の[[F-4 (戦闘機)#海外の採用国と派生型一覧|海外の採用国と派生型一覧]]を参照のこと。<br /> {{-}}<br /> <br /> == アメリカ軍の採用と形式一覧 ==<br /> === アメリカ海軍・海兵隊航空団 ===<br /> ; XF4H-1<br /> : 原型機。2機製造された。<br /> ; YF4H-1<br /> : 試作機。5機製造。<br /> ; F4H-1<br /> : [[軍用機の命名規則 (アメリカ合衆国)|命名規則変更]]により&#039;&#039;&#039;F-4A&#039;&#039;&#039;に名称を改めた。45機製造された。<br /> : 前述の通り、R&amp;D作業のために製造された最初の21機の内、16機目(18号機)以前と17機目(19号機)以降とで[[レドーム]]と風防([[キャノピー]])の形状が異なる。これ以降の形式は17機目(19号機)のものを基としている。<br /> ; F4H-1F<br /> : 命名規則変更により&#039;&#039;&#039;F-4B&#039;&#039;&#039;に名称変更。F-4初の量産型で合計684機が製造された。<br /> ; F-4G<br /> : 生産中のF-4Bに自動迎撃データリンクと自動着艦用の機材を搭載した機体。<br /> : 12機が改修されて実戦投入され、同時期に行われた新型[[迷彩塗装]]の実験が原因(新型迷彩塗装を施した機体の被害増大)と言われる被弾により1機を失っている。改修機は短期間でF-4Bに仕様変更されたが同機で開発されたシステムはF-4Jに反映されている。また、G形式名は短期間で消滅したので空軍がF-4Eを改修したSEAD(防空網制圧)機で再利用した。<br /> ; F-4J<br /> [[画像:F-4B Phantom II of VF-101 aboard USS America (CVA-66), in 1967 (6432036).jpg|thumb|250px|空母艦上で駐機中のF-4J]]<br /> : F-4Bの改良型として522機製造された。<br /> : レーダーにパルス・ドップラー方式を使用した[[AN/APQ-35#AN/AWG-10|AWG-10]]を搭載し、戦闘機として初めて[[ルックダウン能力]]を獲得した。また、F-4C用のメインギア回りと主翼、海軍型F-4Gで開発した機材に加えてエンジンを従来のJ79-GE-8から出力を強化したJ79-GE-10に変更した。<br /> : 空軍が採用したAN/AJB-7全高度核爆撃制御システムを装備しており、目視目標捕捉システム(VTAS)、サイドワインダー拡張捕捉モード(SEAM)、AN/ASW-25A一方向データリンクを装備している。また水平尾翼には、前縁にスロットが取付けられており、低速時の操縦性が改善されている。<br /> : アメリカ海軍の[[ベトナム戦争]]中唯一の[[エース・パイロット|エース]]、カニンガム/ドリスコル組が使用したが、5機目を撃墜後の帰還中に北ベトナム軍の[[地対空ミサイル]]を被弾、海上で脱出したため実機は現存していない。<br /> {{-}}<br /> ; F-4N<br /> : F-4Bの搭載電子機器をF-4J相当にアップグレードした機体。<br /> : 改修内容はF-4Jと同じだが、機首下面にAN/AAA-4赤外線センサーを取付け、AN/ALQ-126欺瞞ECMを装備しており、機体寿命(飛行時間)を3500時間から5000時間に延長している。F-4B自体が実戦で酷使されていたため生産機数に対して改修実施機は少なく、改修機数は227機と言われている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;横須賀を母港とした空母[[ミッドウェイ (空母)|「ミッドウェイ」]]に艦載されていた&lt;/ref&gt;。<br /> ; F-4S<br /> [[画像:F-4 Phantom II VF-301.jpg|thumb|250px|編隊飛行を行うF-4S]]<br /> : F-4Jの近代化と寿命延長型。<br /> : レーダーをAN/AWG-10Bに変更、AN/ALQ-126欺瞞ECM、AN/ALR-46またはAN/APR-32レーダー警戒装置を装備しており、レーダー警戒装置のアンテナを取付けている。<br /> : 空戦時の運動能力向上を意図してF-4E同様に前縁フラップをスラットに変更したが、離着陸時の安定性が従来の機体より悪化している。スラットの形状はF-4Eに比べ若干分厚く先端部が角張っている他、主翼折りたたみ部のフェンスの背が若干高くなっている。<br /> : 後継機たる[[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]の就役までの中継ぎの機体として、248機が改修された。<br /> {{-}}<br /> <br /> === アメリカ空軍 ===<br /> ; F-4C<br /> : F-4Bを空軍の要求に合わせて改修した型。採用当初は&#039;&#039;&#039;F-110A スペクター&#039;&#039;&#039;(&#039;&#039;Spectre&#039;&#039;)と呼ばれていたが、命名規則変更に伴いF-4Cに改称され、愛称も海軍型と同じ「ファントムII」に変更された。<br /> : 変更点としてはAIM-4 ファルコン、AGM-12 ブルパップ、核爆弾の運用、ブーム式空中給油装置、低圧タイヤの搭載が挙げられる。特に海軍型との大きな違いとしては複操縦装置の搭載があり後席にもパイロット資格を持つ要員が乗り込む。以降の空軍型も同様である。また、主翼の折り畳み機構は手動に変更されておりコストを下げる責務に貢献している。アレスティングフックは残されていて滑走路の着陸距離を短縮する目的を与えた。もちろん外形やシステムも海軍型と大差ないため空母からの離着艦や適合も同じである。<br /> ; EF-4C<br /> : [[F-105 (戦闘機)|F-105G]]の後継機としてF-4Cを改修した[[SEAD|SEAD(敵防空網制圧)]]機([[ワイルド・ウィーゼル]])だが、SEAD機として限定的な能力しか持たず兵器搭載能力や運用面でも制約があった。<br /> ; F-4D<br /> [[ファイル:F-4 Phantom II Collings Foundation.jpg|thumb|250px|F-4D]]<br /> : F-4Cの改良型。空軍の要求を元に設計された本格的なタイプであり、C型の機首下面に取付けられていたAAA-4赤外線探知器をレーダー警戒受信器に変更。サイドワインダーの搭載機能を削除し[[AIM-4 (ミサイル)|ファルコン]]のみ搭載としたがファルコンの成績不良から[[サイドワインダー (ミサイル)|サイドワインダー]]搭載機能を追加している。レーダーを測距機能付きの[[AN/APQ-35#AN/APQ-109|AN/APQ-109A]]に換装して低空目標の探知能力を向上している。また、東南アジアでの運用の為[[LORAN]]という長距離航法システムを追加した機体もあった。AN/ASQ-91爆撃計算機をAN/AJB-7全高度核爆撃制御システムに組み合わせることで誘導爆弾の誘導機能を追加した。ASQ-91自体も対地攻撃を簡略して、かつ精度を著しく向上させている。このD型ではSEA迷彩(東南アジア迷彩)、俗に言うベトナム迷彩が生産段階からの標準塗装になった。<br /> {{-}}<br /> ; EF-4D<br /> : F-4Dを改修したSEAD(防空網制圧)機のテストベッド機、EF-4Dとしては採用されなかったもののこの機体で開発された機材がF-4Gの信頼性向上に繋がった。<br /> ; F-4E<br /> [[画像:F-4 Phantom II, Davis-Monthan.JPG|thumb|250px|F-4E]]<br /> : F-4Dの改良型。対地攻撃能力強化のためのC型からD型への改良に比べて変更内容はかなり大きい。<br /> : エンジンはドライ時推力52.53kN、アフターバーナー時推力79.62kNのJ79-GE-17に換装、接近戦能力の向上のために偵察型に倣い延長した機首に[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]を固定装備し、前縁スロット付きスタビレーターと空戦時の運動能力向上を図るため、前縁フラップを可動式スラットに変更した([[サンダーバーズ]]所属機除く)。[[機関砲]]搭載のために従来より小型の[[AN/APQ-35#AN/APQ-120|AN/APQ-120]]レーダーに換装しているがAPQ-120開発の遅れから初期の30機はレーダーなしでの配備後に追加搭載している。<br /> : AN/APS-107レーダー警戒装置を装備しており、そのアンテナが垂直尾翼上端に取付けられていたが、後期型では、AN/ALR-46となり、アンテナは主翼端に取付け位置が変更されている。また、一部の後期型では、左主翼内翼部前縁に電子光学式目標識別センサー(TISEO)が取付けられている。<br /> {{-}}<br /> ; F-4G<br /> [[ファイル:F-4 Phantom in flight Apr 1982.jpg|thumb|250px|[[ワイルド・ウィーゼル]]に使用されていたF-105の後継機であるF-4G]]<br /> : [[F-105 (戦闘機)|F-105G]]の本格的な後継機としてF-4Eをアメリカ空軍の要求に合わせ改修した[[SEAD|SEAD(敵防空網制圧)]]機([[ワイルド・ウィーゼル]])で[[対レーダーミサイル]]を主武装とする。<br /> : 機首下面と垂直安定板上部に、AN/APR-38統合型制御/指示セット(CIS)のセンサー類を装備する為、機首のM61A1 20mmバルカン砲は撤去されている。CISは7つのモジュールで構成されており、敵のSAM(地対空ミサイル)サイトの追跡/誘導レーダーまたは[[レーダーサイト]]から発射されるレーダー波(電波)を、周波数0.01-25GHzの間で脅威電波輻射として探知し、後席に設置されたCISのシステムの専用装置を操作する電子戦士官が、内蔵された脅威ライブラリーと比較して、探知したレーダー波を識別すると、その位置を測定して、200nm(370km)の範囲でコックピットのPPIスコープ(平面位置表示機)に位置を表示するものであり、搭載された対レーダーミサイルのAGM-45・AGM-78・AGM-88を、探知した位置にある追跡/誘導レーダーまたはレーダーサイトに向けて発射することにより、敵の防空網制圧を行うことができる。<br /> : また、電子対抗手段(ECM)として、[[電子妨害装置]]の初期はAN/ALQ-119、後期には新型のAN/ALQ-184が主に使用され、USAFEのみAN/ALQ-131ポットをスパローミサイルが取付けられる機体前方の兵装ステーションに搭載する。<br /> {{-}}<br /> <br /> === 偵察型 ===<br /> [[画像:Right side view of RF-4C Phantom.jpg|thumb|250px|イギリスに向かうアメリカ空軍のRF-4C]]<br /> [[画像:F-4EJ(Kai) and RF-4E Nose.jpg|thumb|right|250px|F-4E(EJ、F)系列(左)とRF-4(右)の機首部分を正面から比較した写真]]<br /> [[画像:QF-4B PTMC with AQM-37 1981.jpeg|thumb|right|250px|QF-4B]]<br /> ; RF-4B<br /> : F-4Bの機首を延長し、拡張した空間に偵察装備を施した機体。開発当初からF-4の原型機をベースとした偵察型が海軍に提案されていたものの、[[F-8 (戦闘機)|RF-8]]を保有し、後継機として[[A-5 (航空機)|A-5]]を改修した偵察型(RA-5C)の採用を決定していた海軍からは関心を得られなかったが、海兵隊が保有するRF-8の更新機として採用した。生産末期にF-4B規格の機体からF-4J規格の機体に変更されている。<br /> ; RF-4C<br /> : RF-4Bと同時期に空軍へ提案されていた偵察型で、[[F-101 (戦闘機)|RF-101]]の後継として導入された。F-4自体の採用は海軍や海兵隊が先行していたがF-4の偵察型は空軍の方が先に発注していたため、「RF-4BはRF-4Cを海兵隊向けに改修した」と言う説が一般化している。<br /> : 飛行中に敵のレーダー波や通信を傍受して、受信した情報をデータ通信により送信が可能な、ALQ-125戦術電子偵察装置を搭載しており、マッピングと地形回避用の[[AN/APQ-35#AN/APQ-88|AN/APG-88]]レーダーが搭載されたため、機首のレーダードームが小型化されている。機首下部には前方レーダー警戒器と前方・後方・垂直方向の撮影ができる偵察用のKS-87カメラ機材を搭載しており、そのため、機首下部に前方と後方、機首両側面にカメラ窓が取付けられている。その後方には、APQ-102R/TSLAR(側方機上監視レーダー)の装置とアンテナ、ASS-18A赤外線偵察装置が搭載されており、それらの電子画像と赤外線写真をフィルムに記録することができる。その他にも、前席のコックピットとその前方には、LA-313A光学ファインダーとそのペリスコープが装備されている。RF-4Bが兵器運用能力を持たなかったのに対して配備当初から[[核兵器]]の運用能力を持っており、さらに[[ベトナム戦争]]後に自衛用の[[サイドワインダー (ミサイル)|AIM-9]]搭載能力を追加された。<br /> ; RF-4E<br /> : F-4Eの機体に、RF-4Cの偵察装備を取り付けた偵察型。アメリカ空軍では採用されず、生産機は全て外国(西ドイツ、イラン、イスラエル、日本、ギリシャ、トルコ)へ輸出された。<br /> <br /> === 標的機 ===<br /> ; QF-4B<br /> : 老朽化し余剰となったF-4Bを改造した[[標的機]]。44機のF-4Bが改造を受けた。<br /> ; QF-4E<br /> : 老朽化し余剰となったF-4Eを改造した標的機。<br /> ; QF-4G<br /> : 老朽化し余剰となったF-4Gを改造した標的機。<br /> ; QF-4N<br /> : 老朽化し余剰となったF-4Nを改造した標的機。<br /> ; QF-4S<br /> : 老朽化し余剰となったF-4Sを改造した標的機。<br /> <br /> === 計画機その他 ===<br /> [[File:NF-4E Edwards (23962953283).jpg|thumb|アメリカ空軍テストパイロット学校のNF-4E(手前)。奥は既に退役したF-4C(1987年)]]<br /> ; NF-4E<br /> : [[エドワーズ空軍基地]]にある{{仮リンク|アメリカ空軍テストパイロット学校|en|United States Air Force Test Pilot School}}の[[テストパイロット]]養成課程で使用する機体。武装を撤去し計測用センサーを搭載している。<br /> : 空軍から退役した機体を使用しているため年によって機体が異なり、以前はF-4Cなども使用していた。<br /> ; F-4H<br /> : 原形機のF4Hとの混同を避ける目的で欠番となったため、存在しない。<br /> ; F-4VG<br /> : 主翼を[[可変翼]]に改修したF-4。計画のみ。<br /> ; F-4T<br /> : [[1970年代]]後半に立案・計画された制空戦闘機型F-4E。[[デジタル]]化した[[射撃管制装置|火器管制装置]]を持ち、すべての対地攻撃能力を省略して[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]と胴体下にAIM-7を主翼下にAIM-9を各4発搭載する純粋な戦闘機任務([[制空権|制空]]戦闘および[[要撃機|要撃]])に特化させた機体だった。しかし、F-4の性能を上回る[[F-15 (戦闘機)|F-15]]や[[F-16 (戦闘機)|F-16]]などの新型機の登場で採用する国もなく中止となった。<br /> ; F-4X/RF-4X<br /> : イスラエル空軍の要望に応えるべくシリアで運用されているMiG-25に対抗するための発展型。イスラエルはRB-47Fに搭載されていたHIAC-1 LOROPカメラのF-4への搭載を、アラブ諸国偵察のために要求していたが、都度却下されていた。しかし1971年にアメリカは態度を変え、F-4の胴体下パイロンに搭載可能な同カメラ収納ポッド(G-139)の開発を許可した。このポッドは22ft以上の長さと4,000lb以上の重量を持つためアメリカ空軍とイスラエル政府出資によりピースジャック計画としてF-4の性能向上を図ることとなった。[[水メタノール噴射装置]]により150%に推力されることを想定して機体各部を修正し、最大速度M3.2、巡航速度M2.7を発揮するものとされ非公式にF-4Xとして知られるようになった。<br /> : しかし当時アメリカ自身が保有していないマッハ3級戦闘機をイスラエルが保有する可能性から、関連技術のイスラエルへの禁輸を決定した。これに対して、ポッドの空気抵抗も考えてカメラを機首搭載として無武装化した(戦闘機としては使用できない)RF-4Xとすることで一旦は計画が再開したものの、F-4の高性能化が可能であるという事実がF-15に与える影響と水噴射の安全性と信頼性を憂慮したアメリカ空軍が計画から離脱。結果、イスラエルだけで計画を継続できずに自然消滅することとなった。<br /> <br /> == 海外の採用国と派生型一覧 ==<br /> [[画像:F-4 Phantom operators.PNG|thumb|350px|青は現運用国、赤は旧運用国]]<br /> F-4は多数輸出されており、その運用国も多岐にわたるが、外国への供与・売却の大半を占めたのは、ベトナム戦争後期から戦争終結後に生産されたF-4Eであった&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;航空自衛隊仕様のF-4EJや西ドイツ空軍仕様のF-4F、輸出用偵察型のRF-4Eも含む。&lt;/ref&gt;。F-4Eには戦訓を取り入れた改良も施されていたが、平和の到来や[[F-15 (戦闘機)|F-15 イーグル]]/[[F-16 (戦闘機)|F-16 ファイティングファルコン]]への更新によって余剰ぎみになっていたという事情もある。<br /> <br /> 同じ米空軍仕様のF-4C/Dの供与・売却が少なかったのは[[ベトナム戦争]]で多くの機体が損傷し、また機体も疲労が蓄積しているため長期の運用に不向きとされたことによる&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;米空軍中古のF-4C/Dの供与を受けたのはスペイン(F-4C)と韓国(F-4D)だけで、イラン向けのF-4Dは新造機である。また、スペインと韓国は同じく米空軍中古の偵察型RF-4Cも供与されている。&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> F-4を運用したのは開発国のアメリカのほかに政治的に親密だった日本や[[イスラエル]]、和平に合意しイスラエルとの友好関係を築いた[[エジプト]]、[[イラン革命|革命]]まではアメリカの重要な同盟国で[[オイルマネー]]を持つ重要顧客でもあった[[イラン]]、[[北大西洋条約機構]](NATO)加盟国であり対ソ戦において地政学的に重要な位置にある[[トルコ]]と[[ギリシャ]]、アメリカへの基地提供の見返りを望んでいた[[スペイン]]、[[英語圏]]の同盟国である[[イギリス]]と[[オーストラリア]]、東西対立の最前線[[ドイツ]]([[西ドイツ|旧西ドイツ]])、極東地域の大韓民国など11ヵ国に上り、冷戦下で同盟国の防空能力向上を図ったアメリカの[[戦略]]が見て取れる。<br /> <br /> 運用国によって異なる使用・運用目的に合わせた派生型や近代化計画が多数存在する。<br /> <br /> === 日本 ===<br /> [[画像:自衛隊F4戦闘機01.jpg|thumb|250px|航空自衛隊のF-4EJ改(2005年5月撮影)]]<br /> [[画像:RF-4EJ Kai of 501st squadron at Hyakuri Air Base 2007.jpg|thumb|250px|百里基地所属のRF-4EJ(2007年9月撮影)]]<br /> ; 概要<br /> : [[1966年]](昭和41年)に[[F-X (航空自衛隊) #第2次F-X|第2次F-X]]により[[F-86 (戦闘機)|F-86F]]の後継機種としてF-4Eを[[日本国|日本]]向けに改修したF-4EJを選定した。導入時の際の2機はマクドネル社セントルイス工場製の輸入、続く12機分は部品で輸入し[[三菱重工業]]での[[ノックダウン生産]]、それ以降を同社による[[ライセンス生産]]と決定した。加えて、[[1974年]](昭和49年)よりRF-4Eを14機輸入しており、[[1981年]](昭和56年)の生産終了までに日本が調達したF-4の総数は154機となる。また、F-4のライセンス生産が許可されたのは日本が唯一となる。<br /> : [[F-15J (航空機)|F-15J]]が導入されるまで主力[[戦闘機]]として防空任務を担当した。出自が[[艦上機]]であるために陸上機としては大きな構造重量(着艦の衝撃に耐えるため、足周りが頑丈であった)への批判や、採用後も[[1976年]](昭和51年)の[[ベレンコ中尉亡命事件]]で低空目標の探知能力(ルックダウン能力)不足が明らかになるなど、課題も抱えた&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;ちなみにF-4は、米海軍向け後期型のF-4Jにおいて戦闘機として世界ではじめてルックダウン能力を備えた機体であり、第2次FXの選定時の1966年にはこれよりルックダウン能力に優れた機体は存在しなかった。この亡命事件で地上のレーダーとF-4EJの双方が[[領空侵犯]]機を見失うという事態が発生したことで、[[航空自衛隊]]への[[早期警戒機]]「[[E-2 (航空機)|E-2C]]」の導入が決定する&lt;/ref&gt;。<br /> : [[F-104 (戦闘機)#日本|F-104J/DJ]]が実戦部隊から退いた[[1986年]](昭和61年)からは数の上でもF-15Jが主力戦闘機となるが、[[1989年]](平成元年)より延命・能力向上目的の改修を受けた90機が「F-4EJ改」となり防空任務に就いた。また、RF-4E偵察機2機の事故減に対して、[[1990年]](平成2年)より15機の近代化改修対象外の初期型F-4EJを偵察型「RF-4EJ」に改修した。[[三沢飛行場|三沢基地]]の[[第3航空団]]第8飛行隊は[[F-2 (航空機)|F-2]]の配備遅延のために[[1997年]](平成9年)から繋ぎとして[[F-1 (航空機)|F-1]]の代わりにF-4EJ改を[[支援戦闘機]]として運用していた。<br /> : 現在、F-4はF-15Jへの更新や部隊の改編、老朽化により徐々にその数を減らしている。2016年現在、日本でF-4を[[戦闘機部隊 (航空自衛隊)|戦闘機部隊]]で運用しているのは[[茨城県]][[百里飛行場|百里基地]]の[[第7航空団]]第301飛行隊・第302飛行隊の二個飛行隊となっている。<br /> : また、RF-4E/EJ改を運用している百里基地偵察航空隊第501飛行隊を偵察型に改修したF-15Jで更新する計画があった。<br /> ; 第2次F-X選定<br /> : [[航空自衛隊]]では最初の主力機[[F-86 (戦闘機)|F-86F]]の老朽退役が始まることから、[[1966年]](昭和41年)より[[F-X (航空自衛隊)|後継機選定]]を開始した。だが、前回のF-Xでの[[ダグラス・グラマン事件|汚職事件]]を受け、今回の選定作業は極秘裏に行われることとなった。<br /> : [[1967年]](昭和42年)[[10月]]よりの選定で以下の9機種の名が挙げられた&lt;ref&gt;[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/058/1410/05804031410008a.html 第058回国会 決算委員会 第8号]&lt;/ref&gt;。<br /> :<br /> {| class=&quot;wikitable&quot;<br /> |-<br /> |F-111||ゼネラル・ダイナミックス社<br /> |-<br /> |F-4E||マクドネル・ダグラス社<br /> |-<br /> |P-530([[F/A-18 (航空機)|F-18]]の原型:計画案)||[[ノースロップ]]社<br /> |-<br /> |[[F-5 (戦闘機)|F-5]]||ノースロップ社<br /> |-<br /> |[[X-27 (航空機)#CL-1200|CL-1010-2]]([[F-104 (戦闘機)|F-104]]の発展型)||[[ロッキード]]社<br /> |-<br /> |[[SEPECAT ジャギュア|ジャギュア]]||[[イギリス]]・[[フランス]]の共同開発<br /> |-<br /> |[[サーブ 37 ビゲン|サーブ37]]||[[SAAB]]社<br /> |-<br /> |[[ミラージュF1 (戦闘機)|ミラージュF1]]||[[ダッソー]]社<br /> |-<br /> |[[イングリッシュ・エレクトリック ライトニング|ライトニング]]||[[イングリッシュ・エレクトリック]]社<br /> |}<br /> : 更なる選定により[[1968年]](昭和43年)7月の第二次調査結果までにF-4E、CL-1010-2、ミラージュF1の三機種までに絞られた。CL-1010-2は実機が存在しないこと、ミラージュF1は導入経験のない欧州機だったことから、F-4Eの導入が最有力とされ、航空自衛隊の現場からも「F-4しかない」との声も挙がっていたという。同年11月、F-4E導入を決定し、翌年の[[1969年]](昭和44年)[[1月10日]]の国防会議でF-4E(104機)の導入を正式決定し閣議了承を受けた。この時点でのF-4EJ一機当たりの価格は、20億円だった。<br /> ; 導入計画<br /> : 当初の[[第3次防衛力整備計画]]ではF-4EJ四個飛行隊分(104機)の編成を予定した。しかし、[[1967年]](昭和42年)の[[国会]]で[[日本社会党]]や[[日本共産党]]などの[[野党]]の追及を受けた[[防衛庁長官]]の「周辺国の脅威になる爆撃機能(対地攻撃能力)を持たせない」との答弁を受けて、[[核兵器]]制御装置(DCU-9/A)、爆撃コンピュータ(ASQ-91)、[[空対地ミサイル]]・ブルパップ制御装置(ARW-77)、[[空中給油]]装置を省略した機体を&#039;&#039;&#039;F-4EJ&#039;&#039;&#039;として採用した。後に対地攻撃能力はF-4EJ改への改修の際に追加されている。なお、AN/APR-36/-37についてはライセンス生産が認められなかったため、国産のJ/APR-2が開発されて装備されている。<br /> : これに加え、沖縄返還による[[戦闘機部隊 (航空自衛隊)|戦闘機部隊]]増強のために24機、さらに第三次FXの選定の1年延長による12機の追加をうけて、最終的に140機を導入した。また、[[1974年]](昭和49年)にはRF-4Eを14機輸入し、追加配備している(後述)<br /> : 最初の2機が完成品[[輸入]]、続いて11機が[[ノックダウン生産]]、残りの127機が[[三菱重工業]]での[[ライセンス生産]]で調達された&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;完成品輸入の2機のほか、ノックダウン生産の10機にもアメリカ空軍によるブロックナンバー「F-4EJ-45/-47」が与えられている&lt;/ref&gt;。<br /> : 当初、[[大蔵省]](当時)は米軍調達価格とライセンス生産の価格差に難色を示していたが、全機完成品輸入であった西ドイツなどと比較して、機体あたり2億円程度の差であることから、保守運用の利便性や貴重な外貨の流出を抑える効果を認めてライセンス生産に同意した。結果として、F-4のライセンス生産(自国生産)が行われたのは日本のみであるが、日本は研究開発費分担金として機体単価17億円の0.8パーセント、約1400万円の104機分、計18億円をアメリカ政府に支払っている。<br /> : 機体の旧式化による性能向上が必要となったため90機を&#039;&#039;&#039;F-4EJ改&#039;&#039;&#039;に改修し一部の機体を[[支援戦闘機]]として運用した。また、[[偵察機]]として&#039;&#039;&#039;RF-4E&#039;&#039;&#039;とF-15配備で余剰となったF-4EJを偵察機に改造した&#039;&#039;&#039;RF-4EJ&#039;&#039;&#039;も運用している。全世界通算での最終号機は第7航空団第301飛行隊所属の「17-8440」である。<br /> : [[航空自衛隊]]の他に[[海上自衛隊]]も[[第4次防衛力整備計画]](4次防)に於いて「高速哨戒機」の名目で米海軍からの提供が可能とされたF-4Jの導入を計画していたが、[[オイルショック]]による4次防縮小の影響を受けて見送られた。<br /> ; 機体<br /> 航空自衛隊では、現在までに4種類のF-4を運用している。2015年3月末時点のF-4EJ改の保有数は55機、RF-4E/EJは13機である&lt;ref name=&quot;hakusyo27&quot;&gt;[http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2015/html/ns035000.html 平成27年度防衛白書 資料35 主要航空機の保有数・性能諸元]&lt;/ref&gt;。<br /> ; F-4EJ<br /> [[File:F-4EJ (344 &amp; 321) of 302 Sqn fly over Misawa Air Base during Cope North exercise, -30 Nov. 1978 a.jpg|thumb|250px|[[第302飛行隊 (航空自衛隊)|第302飛行隊]]所属のF-4EJ(1978年)]]<br /> : F-4Eから対地攻撃能力や空中給油能力を除去し、スクランブル発進時の加速力を重視して他国のF-4Eの持つ前縁スラットを省略した機体。[[1971年]](昭和46年)[[7月25日]]に2機(1・2号機)を完成輸入し、続く11機(3~13号機)を[[三菱重工業]]で[[ノックダウン生産]]、127機(14~140号機)を[[ライセンス生産]]により国産とした。[[1981年]](昭和56年)[[5月20日]]に最終140号機 (#440) を納入している。<br /> : [[1972年]](昭和47年)[[8月1日]]臨時第301飛行隊を編成。4号機墜落事故([[1973年]](昭和48年)[[5月1日]])による2ヵ月半の飛行停止措置を経て[[1973年]](昭和48年)[[10月16日]]に同隊は臨時が取れ正式発足。その後[[1981年]](昭和56年)までに302から306SQまでの計6個飛行隊が編成された。[[1975年]](昭和50年)[[11月1日]]より302SQに対[[領空侵犯]]措置任務が付与されアラート待機を開始した。<br /> : 国産機中90機を戦力向上と寿命延長を目的としてF-4EJ改に改装し、F-15導入で余剰となった15機は偵察機RF-4EJに改装している。改修対象外の機体は各飛行隊で標的曳航などの訓練支援や運用試験に用いられてきたが次第に運用の幅は狭まり、[[1999年]](平成11年)に12機を[[小牧基地]]の簡易格納庫に保管することとなった。RF-4EJを含めて退役が進んでおり[[2012年]]現在、可動状況にあるF-4EJは飛行開発実験団の数機のみとなっている。<br /> ; F-4EJ改<br /> [[画像:JASDF F-4 Phantoms.jpg|thumb|250px|[[三沢基地]]から離陸するF-4EJ改(2002年)]]<br /> : F-4EJ国産機の機体寿命延長と能力向上を目的とした改修を行った機体。[[1980年]](昭和55年)からF-4EJの延命・能力向上研究を開始し[[1981年]](昭和56年)度に改修設計作業を開始した。[[1982年]](昭和57年)[[2月20日]]に航空機構造保全プログラム(ASIP)検査方式による機体寿命の延長&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;個々の機体を、飛行実績により管理して、それをコンピューター処理することにより、より正確な疲労度と疲労限界を個々の機体に決定する機体の管理方式である。これで、一括で定められていた機体寿命を個々の機体で設定することが可能となり、約2000飛行時間の寿命延長が可能となった、それにより、3000飛行時間とされていたF-4EJの機体寿命が5000飛行時間へと延び、年間飛行時間を200時間とした場合には、10年の延命が可能となった。&lt;/ref&gt;と戦闘能力の向上が可能であると判断し、昭和57年度に07-8431号機を三菱重工へ引き渡し改装、[[1984年]](昭和59年)[[7月17日]]に初飛行、[[12月13日]]に航空自衛隊へ引き渡された。<br /> : 改修は下記の通り、[[アビオニクス]]類を中心としている。<br /> :* セントラルコンピュータとしてJ/AYK-1搭載による、兵装システムの統合と[[80式空対艦誘導弾|ASM-1]]/[[93式空対艦誘導弾|ASM-2]][[空対艦ミサイル]]運用能力の獲得。[[無誘導爆弾]]による対地攻撃能力の付与。操作方式が、F-4EJの手動式から自動式になり、対地/対艦攻撃能力が向上している。<br /> :* APQ-120レーダーを&#039;&#039;&#039;[[AN/APG-66#派生型|APG-66J]]&#039;&#039;&#039;([[F-16 (戦闘機)|F-16A/B]]で使用のAPG-66改造型)に換装し、目標探知距離を80[[海里|nm]] (148km) まで延伸した上、[[ルックダウン能力|ルックダウン]]・[[ルックダウン能力#シュートダウン能力|シュートダウン能力]](下方低空の目標を探知・攻撃する能力)を改善<br /> :* [[F-15 (戦闘機)|F-15J]]用の誘導指令装置を追加し、APG-66J搭載のみでは失うAIM-7F[[スパロー (ミサイル)|スパロー空対空ミサイル]]の運用能力を付与&lt;!--詳細不明。CWイルミネータ付与か。--&gt;<br /> :* レーダー警戒装置(RWR)をJ/APR-6に更新。脅威レーダーの受信周波数域が拡大され、新しい世代のレーダーに対応が可能となった。表示の面では、電波源の方向を8方位から、電波源からの距離(電波の強さ)を3段階で表示するものだったのが、CRTによるデジタル式表示となった。<br /> :* AN/ASR-63 アナログ式慣性航法装置をデジタル式のJ/ASN-4に更新。誤差を1/3に改善のほか、目視確認による位置のアップデート機能と12ヶ所の目標場所と3ヶ所の目標座標を記録できるターゲット・マーク機能を有する。<br /> :* [[IFF]]誰何装置をAN/APX-76Aに更新。従来のものは、地上のレーダーや他の航空機からの質問信号に対して応答信号しか送信できなかったが、更新されたものは、前者の機能の他に、自機から他の航空機に質問信号を送信することが可能となった。<br /> :* AN/ASC-26 [[照準器|光学照準機]]をカイザー社製[[ヘッドアップディスプレイ|HUD]]に変更、機能はF-4EJ改独自のものとなっている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;HUDユニット自体はアルファジェットで使用されているのと同じであるが、機能はコンピューターのソフトウェアにより変更されている&lt;/ref&gt;。<br /> :* レーダーディスプレイをJ/AVQ-3に変更<br /> :* [[AN/ALQ-131]]([[:de:AN/ALQ-131|de]])[[電波妨害装置|ECM]]ポッドの搭載能力の追加<br /> :* [[操縦桿|HOTAS]]概念の導入。スロットル・レバーに8個のスイッチ類が付いており、スロットル・レバーと操縦桿に手を置いたまま各種の操作が可能となった。<br /> : なお、改修時に放置した配線が原因となり[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]を誤射する事故(不時発射事故・後述)が発生したため後に対策が施された。<br /> : F-4EJとの外見的な差異は胴体の上に付いているTACAN(戦術航法装置)のアンテナがVHF/UHF無線機用に大型化され、両主翼端や垂直尾翼上端に新型RWRのJ/APR-6の半円球のアンテナが付き、[[軍用機のコックピット|コックピット]]の照準装置がHUDに変わった等が挙げられる。<br /> : [[1987年]](昭和62年)度予算で量産改修が認められ、[[1989年]](平成元年)に量産改修1号機が[[小松飛行場|小松基地]]第306飛行隊に配備、[[1993年]](平成5年)までに第301・302飛行隊がF-4EJ改に改編と続き90機が改修配備された。次期支援戦闘機計画(FS-X)での機種決定の遅れから、[[F-2 (航空機)|F-2]]の配備開始が[[F-1 (航空機)|F-1]][[支援戦闘機]]の退役開始時期に間に合わないことが分かり、このため、小松基地の第306飛行隊をF-15J/DJに改編して捻出した機体をF-2配備までの繋ぎとして[[三沢飛行場|三沢基地]]第3航空団第8飛行隊に配備されることになり&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;当初の計画では第304飛行隊のF-4EJ時代の施設が残されており、施設流用可能でF-4運用実績のある[[築城基地]]第8航空団[[第6飛行隊 (航空自衛隊)|第6飛行隊]]へ配備する計画だったが西方への「政治的配慮」で[[三沢基地]]第3航空団第8飛行隊になった&lt;/ref&gt;、1996年(平成6年)にF-1からの機種更新を完了している。その後、第8飛行隊は2009年(平成13年)にF-2への機種更新を完了している。<br /> ; RF-4E<br /> [[画像:JSDF F-4 Phantom II.jpg|thumb|250px|[[千歳基地]]航空祭で展示されたRF-4E&lt;br/&gt;機首部分に[[ノーズアート|シャークマウス]]が施されている&lt;br/&gt;左奥には洋上迷彩が施された第8飛行隊所属のF-4EJ改の姿も確認できる(2006年)]]<br /> : アメリカの開発した輸出用の偵察機。[[F-86 (戦闘機)|RF-86F]]の後継機導入計画の立案段階では三菱製のF-4EJにマクドネル・ダグラス製の偵察型機首を取り付けることが検討されていたが全機完成機を輸入することになり[[1974年]](昭和49年)[[12月3日]]から[[1975年]](昭和50年)[[6月8日]]にかけて14機を導入した。全機が[[百里基地]]偵察航空隊第501飛行隊に配備。2機が事故で失われ、2機が退役、2010年現在10機を保有。<br /> : レーダー警戒装置等一部搭載機器をF-4EJ改と同じ物に替えたために非公式には「RF-4E改」とも呼ばれている。<br /> {{-}}<br /> ; RF-4EJ<br /> [[画像:RF-4EJ335.jpg|thumb|250px|航空自衛隊のRF-4EJ]]<br /> : RF-4Eを2機事故で失い12機となった第501飛行隊の偵察力の増強のため、F-4EJ改への改修を行わない初期型F-4EJに偵察ポッドを運用できるように改修した機体。<br /> : [[1990年]](平成2年)に改造が始まり、試改修1号機(87-6406)は[[1992年]](平成4年)[[2月4日]]に初飛行した。量産改修は[[1991年]](平成3年)から[[1993年]](平成5年)にかけて行い、計15機改修、百里基地第501飛行隊が運用している。計画当初は17機を改修する予定だったが15機時点で予算計上中断、そのまま実質終了となった。<br /> : RF-4EJでは偵察機器をセンターラインポッドに搭載して運用するため、機首の[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]をそのまま維持している点がRF-4Eとの顕著な差となっている。<br /> : RF-4EJは有事の場合、上記の理由により、戦闘機として運用することが可能である。<br /> : 15機のうち、2号機から8号機は長距離斜め写真(LOROP)撮影用ポッド運用能力しか持たない&#039;&#039;&#039;限定改修型&#039;&#039;&#039;、1号機と9~15号機はLOROPに加えて戦術偵察(TAC)ポッド及び戦術電子偵察(TACER)の運用能力の追加と慣性航法装置とレーダー警戒装置をF-4EJ改規格のJ/ASN-4とJ/APR-6Aに変更したため&#039;&#039;&#039;量産改修型&#039;&#039;&#039;と呼ばれたが、後に限定改修型も3種類のポッドが運用できるように再改修された。<br /> : 最近になって一部の機体が寿命を迎えたことから退役が始まった。<br /> ; 配備部隊<br /> ; F-4EJ<br /> * 第7航空団 - [[第301飛行隊 (航空自衛隊)|第301飛行隊]](後に第5航空団に移駐し、EJ改に更新)・[[第305飛行隊 (航空自衛隊)|第305飛行隊]](F-15Jに機種更新)<br /> * 第2航空団 - [[第302飛行隊 (航空自衛隊)|第302飛行隊]](後に第83航空隊に移駐し、EJ改に更新)<br /> * 第6航空団 - [[第303飛行隊 (航空自衛隊)|第303飛行隊]](F-15Jに機種更新)・[[第306飛行隊 (航空自衛隊)|第306飛行隊]]<br /> * 第8航空団 - [[第304飛行隊 (航空自衛隊)|第304飛行隊]](F-15Jに機種更新)<br /> * 実験航空隊(航空実験団を経て現在の飛行開発実験団。2008年現在、唯一稼動するF-4EJを運用)<br /> * 第1術科学校<br /> [[画像:JASDF F-4EJkai.JPG|thumb|250px|展示されるF-4EJ改(2008年)]]<br /> ; F-4EJ改<br /> * [[三沢飛行場|三沢基地]]:第3航空団 - [[第8飛行隊 (航空自衛隊)|第8飛行隊]](F-2に機種更新)<br /> * [[百里飛行場|百里基地]]:第7航空団 - 第302飛行隊<br /> * [[百里飛行場|百里基地]]:第7航空団 - 第301飛行隊<br /> * [[小松飛行場|小松基地]]:第6航空団 - 第306飛行隊(F-15Jに機種更新)<br /> * [[岐阜基地]]:飛行開発実験団<br /> * [[浜松基地]]:第1術科学校<br /> ; RF-4E/EJ<br /> :* [[百里飛行場|百里基地]]:[[偵察航空隊]] - [[第501飛行隊 (航空自衛隊)|第501飛行隊]]<br /> ; 誤射事故(不時発射事故)<br /> : [[2001年]](平成13年)[[6月25日]]、[[北海道]]の[[北海道大演習場|島松射撃場]]上空で、対地攻撃訓練中の第83航空隊(当時)第302飛行隊所属のF-4EJ改が、[[ロケット弾]]を用いた実弾射撃訓練後に右旋回したところ[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]を不意に発砲した。約2秒間に渡って弾倉内の訓練弾(インターネットなどで「発射されたのだから訓練弾ではなく実弾ではないか」という意見が散見されるが、訓練弾は実弾と同様に火薬により発射されるが着弾時に炸裂しない砲弾で、訓練でのみ使用される専用弾である。)188発が発射され&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;なお、その後の捜索では弾丸は18発しか発見されておらず、発射されたもののうち約9割が行方不明となった&lt;/ref&gt;、弾丸は射撃場外に飛翔して演習地北方に位置する[[北広島市]]冨ヶ岡の北広島リハビリセンターの敷地内に着弾、施設や駐車車両に損害を与えた。<br /> : その後の調査で、EJからEJ改への改修の際に撤去されずにいた不要配線が外装板の取り付け作業の[[ドリル]]による穿孔で損傷、それがロケット弾用の配線と接触して通電したのが原因と判明した。<br /> ; 後継機<br /> : F-4EJ改の後継となる[[F-X (航空自衛隊)|次期主力戦闘機(F-X)]]の選定が[[防衛省]]にて行われ、[[2008年]](平成20年)度に機種決定の予定だった。しかし、防衛省が最有力候補としていた[[F-22 (戦闘機)|F-22]]が技術流出を懸念したアメリカ議会から禁輸措置を受けたため、平成23年([[2011年]])度からの[[中期防衛力整備計画 (2011)|中期防衛力整備計画]]での決定に延期された。候補は[[ユーロファイター タイフーン]]、[[F/A-18E/F (航空機)|F/A-18E/F]]、[[F-35 (戦闘機)|F-35]]の三機種に絞られ、[[2011年]][[12月20日]]にF-35が次期主力戦闘機として正式に選定された。しかし、F-35の配備は開発の遅延等から[[2017年]]以降とされているため、F-4EJ改の運用スケジュールを耐用年数見直しの上で変更する可能性もあるとされる。最終組み立てを日本国内で行ったF-35Aの機体が2017年6月13日に初テストフライトを実施した&lt;ref&gt;{{Cite web |url=https://response.jp/article/2017/06/15/296177.html?from=dangling2 |title=最新鋭のステルス戦闘機「F-35A ライトニングII」、国内組み立て初号機のテストフライトを実施 |publisher=[[Response.]] |date=2017-6-15 |accessdate=2017-11-13}}&lt;/ref&gt;。<br /> : 支援戦闘機型は[[F-2 (航空機)|F-2]]の配備を受けて2008年度末に退役した。偵察機RF-4は偵察部隊の縮小を受けて、F-X配備後に余剰となったF-15の改修機によりRF-4EJのみ代替する。<br /> <br /> === 韓国 ===<br /> [[画像:F-4D ROKAF w Sidewinders 1979.jpeg|thumb|250px|韓国空軍所属のF-4D(1979年)]]<br /> [[ファイル:201403 공군17전투비행단 F-4E Republic of Korea Air Force (4) (13261281303).jpg|250px|サムネイル|右|第17戦闘飛行団のF-4E(2014年)]]<br /> [[1968年]]にF-4D 18機の発注が行われ、[[1969年]][[8月]]にアメリカ空軍の中古機4機を受領する&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。 以降、順次引き渡しが行われた。 その後韓国側はF-4D 18機の追加供与を希望し、アメリカ政府はこれを了承。[[1972年]]には、韓国軍向けにアメリカで製造されていた[[F-5 (戦闘機)|F-5A/B]] 36機を南ベトナムへの駆け込み供与する見返りに、国内に駐留するアメリカ空軍部隊の機材を譲渡される形でF-4Dの引き渡しが行われた&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。 引渡し対象となったのは、韓国国内に駐留していたアメリカ空軍第3戦術戦闘航空団所属機である&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。その後もアメリカ空軍の保有していたF-4Dの引き渡しが行われ、[[1988年]][[4月]]までに92機のF-4Dを取得した&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。&lt;br/&gt;<br /> [[1978年]]には「ピース・ピーザントII」の計画名で、アメリカ空軍で余剰となったF-4Eを総計103機(新造機は37機)導入する&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。[[1990年]]には第460戦術偵察航空群の閉隊を受けて、同隊が保有していた12機のRF-4Cを取得&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。以後、アメリカ空軍で退役したRF-4Cの引き渡しを受けている&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 最終的にF-4D、F-4E、RF-4C合計で203機のF-4を購入した。<br /> <br /> 1980年代後半にはF-4E/Fに対して近代化改修が行われ、[[AN/AVQ-26|AN/AVQ-26 ペイブ・タック]]{{仮リンク|照準ポッド|en|Targeting pod}}、[[ポップアイ (ミサイル)|ポップアイ]]空対地ミサイルの運用能力が付加されている&lt;ref name=&quot;航空ファン&quot;/&gt;。さらに、韓国空軍では、100機前後のF-4をF-4 ICE相当へ近代化改修する計画を立案したが、韓国戦闘機計画(KFP)で[[F-16 (戦闘機)|F-16C/D]]の[[ライセンス生産]]する事が決定し、合わせて当時の経済事情などから[[1993年]]に計画は放棄された。<br /> <br /> 現在では140機程度が実戦配備されており、大邱基地所属の第11戦闘飛行団にF-4D 2個大隊、清州基地所属の第17戦闘飛行団にF-4E 3個大隊、水原基地所属の第10戦闘飛行団にRF-4C 1個大隊が編成されている。大邱基地に配備されているF-4Dは、同じ複座型の重戦闘爆撃機である[[第4世代ジェット戦闘機|第4世代機]]の[[F-15E (航空機)|F-15K]](F-15Eの韓国ライセンス生産型)で更新されているが、F-4EとRF-4Cについては今後も運用していく予定で一部の機体には寿命延長処置が施された。<br /> <br /> 通算5,000機目(5057号機)に製造されたF-4は韓国が発注したものだった。同機は記念塗装が施され完成セレモニーに参加した。その後、通常迷彩に戻され[[1978年]][[5月24日]]に引き渡しが行われた。<br /> <br /> ; 配備基地<br /> :*テグ基地:第11戦闘航空団 - 第110戦闘飛行隊(F-4D)- 第151戦闘飛行隊(F-4D)&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :*ソンナム基地:第39戦術偵察航空群 - 第131戦術偵察飛行隊(RF-4C)&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :*チョンジュ基地:第17戦闘航空団 - 第152戦闘飛行隊(F-4E)- 第153戦闘飛行隊(F-4E)- 第156戦闘飛行隊(F-4E)&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === イスラエル ===<br /> [[画像:F-4E-Phantom-FTC-hatzerim-1.jpg|thumb|250px|[[イスラエル空軍]]のF-4E。&lt;br/&gt;この機体は飛行試験を行う[[第601飛行隊 (イスラエル空軍)|第601飛行隊]]のテールマーキングが施されている]]<br /> [[画像:F-4E Israel HAPIM0321.jpg|thumb|250px|[[テルノフ空軍基地]]で展示されるF-4E。&lt;br/&gt;空中給油プローブが装備される]]<br /> {{seealso|第三次中東戦争|消耗戦争}}<br /> [[第三次中東戦争]]後にイスラエルに兵器の供給を行っていた[[フランス]]の中東政策が、対立する[[アラブ連合共和国]]([[エジプト]]と[[シリア]])や[[ヨルダン]]などアラブ諸国寄りとなり、50機の[[ミラージュ5 (航空機)|ミラージュ5]]の対イスラエル禁輸処置を始めとしてイスラエルへの兵器供給が全面的に停止された。[[戦闘機]]50機の損失に10機が[[スクラップ]]となっていた[[イスラエル空軍]]は、第三次中東戦争による消耗からの回復と戦力補強が死活問題となっていた。また、ソビエト連邦が第三次中東戦争で消耗していたアラブ諸国に960機、[[シリア]]に430機の戦闘機の引き渡しを行っていたこともこの問題に拍車をかけた。<br /> <br /> イスラエルは兵器供給をアメリカに頼ることとして[[1968年]]に当時の[[レヴィ・エシュコル]]首相が自ら訪米、20機の[[A-4 (航空機)|A-4]]と50機のF-4Eの有償援助を求めた。アメリカ政府と[[アメリカ合衆国議会|議会]]は傍受した無線などからソビエトのアラブ諸国への軍事援助が本格化しており中東の軍事バランスがアラブ側に大きく傾いていると判断し、イスラエル政府の要求を受けることとした。<br /> <br /> 1968年末にF-4E型48機を約2億8千万ドルの有償での最優先供与が認められ、翌年からイスラエル空軍のパイロット・整備員120名がカリフォルニア州{{仮リンク|ジョージ空軍基地|en|George Air Force Base}}でF-4を使用した訓練を開始している。<br /> <br /> [[1969年]][[9月7日]]に第一陣6機がイスラエルに到着して以降、順調に引き渡しが行われ、同月中に[[ハツォール空軍基地]]に最初のF-4飛行隊として[[第201飛行隊 (イスラエル空軍)|第201飛行隊]]が&lt;ref name=&quot;aeroflight201&quot;&gt;[http://www.aeroflight.co.uk/waf/aa-mideast/israel/af/units/201sqn.htm aeroflight.co.uk 201sqn]&lt;/ref&gt;、翌10月には[[ラマト・ダヴィド空軍基地]]で2番目のF-4飛行隊として[[第69飛行隊 (イスラエル空軍)|第69飛行隊]]が編成された&lt;ref name=&quot;aeroflight69&quot;&gt;[http://www.aeroflight.co.uk/waf/aa-mideast/israel/af/units/69sqn.htm aeroflight.co.uk 69sqn]&lt;/ref&gt;。イスラエル向けF-4の改修点として[[空中給油]]システムが当時のイスラエル空軍が保有していた他の軍用機と同様の[[空中給油#プローブアンドドローグ方式|プローブアンドドローグ方式]]に変更されている点が挙げられる。また、この機体の導入と共に入手したJ79は[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]]の独自改良型である[[クフィル (航空機)|IAI クフィル]]にも装備された。イスラエル空軍ではF-4に&quot;&#039;&#039;&#039;クルナス&#039;&#039;&#039;&quot; ({{lang-en|kurnass}}, {{lang-he|קורנס}}。[[スレッジハンマー]]の意。)という独自の愛称を付けた。<br /> <br /> 飛行隊編成から間もない[[1969年]][[11月]]頃からF-4は実戦に参加し、[[スエズ運河]]を挟んだアラブ諸国側の地上目標への積極的な攻撃を行なった。この間、イギリス製[[Z級駆逐艦]]{{仮リンク|ミングス (駆逐艦)|en|HMS Myngs (R06)|label=ミングス}}を撃沈し、ソビエト製コマール級ミサイル艇を炎上させたりもした。だが、翌年の[[6月30日]]に2機、[[7月5日]]に1機と、[[地対空ミサイル]]による損害も発生している&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;この時無事脱出した計5名のパイロットは全員捕虜となった&lt;/ref&gt;。それでも双方の政治的判断から直接的な空中戦は避けられていた。<br /> <br /> 1970年[[7月30日]]にスエズ運河上空において、イスラエルのF-4編隊とアラブ諸国のソビエト軍パイロットの搭乗する16機の [[MiG-21 (航空機)|MiG-21J]]編隊がヘッド・オンから大規模空中戦に突入した。後に低空から接近したイスラエル空軍のミラージュIII編隊も加わった結果はMiG-21の5機被撃墜に対してイスラエル側の被害はゼロという一方的な結果となった。<br /> <br /> 1969年末から[[1972年]]8月までのF-4Eのキル・レシオ(撃墜・被撃墜の率)は、25:1と圧倒的に優勢だった。<br /> <br /> ; 第四次中東戦争<br /> {{main|第四次中東戦争}}<br /> : [[1973年]][[10月6日]]というユダヤ人にとって大祭日(ヨム・キプール, 贖罪日)を狙った[[奇襲]]攻撃から[[第四次中東戦争]]が勃発した。アラブ側との緊張の高まりからF-4には通例通り爆装が施されていたが、エジプト空軍の奇襲を受けたF-4飛行隊は[[爆弾]]を抱えたまま離陸し[[地中海]]に爆弾を全発投棄したのちにスエズ運河へ向かっている。その日の戦闘でイスラエル空軍は1機のF-4を含む6機を損失しながらも、[[MiG-21 (航空機)|MiG-21]]などのエジプト空軍機16機を撃墜した。[[シナイ半島]]南端のオフィラ空軍基地(現在の[[シャルム・エル・シェイク国際空港]])に駐留していた[[第107飛行隊 (イスラエル空軍)|第107飛行隊]]は奇襲に向かってきた計27機の{{仮リンク|エジプト空軍|en|Egyptian Air Force}}航空部隊を2機のF-4Eで迎撃し、空中戦で計7機のエジプト空軍機を撃墜しこれを退けた。この戦闘は{{仮リンク|オフィラの空戦|en|Ofira Air Battle}}として知られている。<br /> : 翌[[10月7日]]、イスラエルはF-4を中心とした攻撃隊によりエジプト領内の7つの空軍基地への空爆を実施したが、エジプト側の[[空爆]]を予測しての[[対空ミサイル]]の増強などもあり、イスラエル空軍は3機のF-4Eを失った。<br /> : [[10月8日]]は攻撃目標をシリアの空軍基地5つに絞り、F-4を中心とした攻撃隊がシリア空軍機を空中戦で21機と地上に待機中の11機を破壊したが、F-4を4機損失した。<br /> : [[10月22日]]の停戦までに両軍は117回の空中戦&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;シリア対イスラエル65件エジプト対イスラエル52件&lt;/ref&gt;を行った。総参加機数450機のうちアラブ側は277機墜落、イスラエルは6機墜落、キル・レシオに換算すると46.1:1となった。実際には両者とも空中戦よりも地対空ミサイルによる被害が大きくイスラエルのF-4Eは27機が地対空ミサイルで撃墜されている。イスラエルがアメリカにパイロットを派遣していた時期の情報がベトナム戦争における[[S-75 (ミサイル)|SA-2]]などレーダーに頼る地対空ミサイルに対する内容に終わっていたのに対して、第四次中東戦争で本格的に使用されたソ連製地対空ミサイルは[[S-125 (ミサイル)|SA-3]]、[[2K12|SA-6]]、[[9K32|SA-7]]など光学照準や赤外線追尾方式を併用した改良型であったため、戦訓が通じずに苦戦させられたことによる。<br /> ; F-4E&quot;クルナス2000&quot;<br /> : 1980年代になり、機体寿命延長と能力向上を目的としてF-4Eの近代化改修計画が進められた。当初はエンジンの[[プラット・アンド・ホイットニー PW1120]](推力A/B時 9.5t)への換装やレーダーの[[A-6 (航空機)|A-6F]]用に開発されていた{{仮リンク|AN/APG-76|en|AN/APG-76}}への換装を始めとし、カイザー製広角HUDやHOTASの導入、[[パイソン (ミサイル)|パイソン]]、 [[シャフリル (ミサイル)|シャフリル]]といた国産ミサイルの運用能力の付加、[[ポップアイ (ミサイル)|ポップアイ]]運用能力の付加、ミッションコンピュータの換装(エルビット製ACE-3)などが計画されていた。試作機は1986年初飛行し1987年の[[パリ航空ショー]]にも展示された。しかしエンジン換装は出力増加に伴う発熱の機体への影響の技術的解決の失敗と予算面の都合により、また、レーダーは開発自体をアメリカ海軍が中止してしまったことにより実現できず、アビオニクスとコクピットの近代化のみの小規模な改修になっている&lt;ref&gt;[http://www.israeli-weapons.com/weapons/aircraft/f-4/F-4.html Kurnas 2000&lt;!-- Bot generated title --&gt;]&lt;/ref&gt;。<br /> ; その後の運用状況<br /> : 近代化改修された&quot;クルナス2000&quot;は1991年に実戦投入された。しかしながら1990年代中頃からは[[F-16 (戦闘機)|F-16]]や[[F-15 (戦闘機)|F-15]]、[[F-15E (航空機)|F-15I]]の導入により実戦配備されているF-4は段階的に退役を始めた。最終的にF-4は2004年にイスラエル空軍から退役した&lt;ref&gt;[http://the-diplomat.com/flashpoints-blog/2011/12/14/japan-chooses-f-35/ &quot;Directory: World Air Forces: Israel.&quot;] &#039;&#039;Flight International&#039;&#039;, 16–22 November 2004. Retrieved: 14 February 2008.&lt;/ref&gt;。<br /> ; 配備部隊および配備基地<br /> * [[第201飛行隊 (イスラエル空軍)|第201飛行隊]] - ザ・ワン・スコードロン。1969年9月より運用開始&lt;ref name=&quot;aeroflight201&quot;/&gt;。[[ハツォール空軍基地]] (~1992年)、[[テルノフ空軍基地]] (1992年~)所属。2004年頃にF-4の退役に伴い活動停止したが、2008年7月9日に[[F-16 (戦闘機)|F-16I &quot;Sufa&quot;]]を運用する4番目の飛行隊として再編された。<br /> * [[第69飛行隊 (イスラエル空軍)|第69飛行隊]] - ハンマーズ・スコードロン。1969年10月より運用開始&lt;ref name=&quot;aeroflight69&quot;/&gt;。[[ラマト・ダヴィド空軍基地]] (~1980年代)、[[ハツェリム空軍基地]] (1980年代~)所属。1994年頃にF-4の運用を停止し、1998年頃から[[F-15E (航空機)|F-15I&quot;ラーム&quot;]]を集中運用する飛行隊として再編された。<br /> * [[第119飛行隊 (イスラエル空軍)|第119飛行隊]] - バット・スコードロン。1970年後半頃より運用開始&lt;ref name=&quot;aeroflight119&quot;&gt;[http://www.aeroflight.co.uk/waf/aa-mideast/israel/af/units/119sqn.htm aeroflight.co.uk 119sqn]&lt;/ref&gt;。[[テルノフ空軍基地]]所属。2004年の年末頃までF-4の運用を続けた最後の飛行隊となった。2004年12月28日に[[F-16 (戦闘機)|F-16I &quot;Sufa&quot;]]を運用する2番目の飛行隊として再編された。<br /> * [[第107飛行隊 (イスラエル空軍)|第107飛行隊]] - ナイツ・オブ・ザ・オレンジ・テイル。1971年2月より運用開始&lt;ref name=&quot;aeroflight107&quot;&gt;[http://www.aeroflight.co.uk/waf/aa-mideast/israel/af/units/107sqn.htm aeroflight.co.uk 107sqn]&lt;/ref&gt;。[[ハツェリム空軍基地]]所属。1997年頃にF-4の運用を停止し、2006年7月5日になって[[F-16 (戦闘機)|F-16I &quot;Sufa&quot;]]を運用する3番目の飛行隊として再編成された。<br /> * [[第105飛行隊 (イスラエル空軍)|第105飛行隊]] - スコーピオン・スコードロン。1975年3月より運用開始&lt;ref name=&quot;aeroflight105&quot;&gt;[http://www.aeroflight.co.uk/waf/aa-mideast/israel/af/units/105sqn.htm aeroflight.co.uk 105sqn]&lt;/ref&gt;。[[ハツォール空軍基地]]所属。1991年に運用機を&quot;ピース・マーブルIII&quot;により導入された[[F-16 (戦闘機)|F-16C/D Block40 &quot;Barak&quot;]]に更新した。<br /> <br /> &lt;gallery widths=&quot;200px&quot; heights=&quot;150px&quot;&gt;<br /> File:F-4E Tel Noft 160413 02.jpg|[[第201飛行隊 (イスラエル空軍)|第201飛行隊]]所属機。<br /> File:Hatzerim F4 20100129 1.jpg|[[第69飛行隊 (イスラエル空軍)|第69飛行隊]]所属機。<br /> File:F-4E GivatOlga 081014 03.jpg|[[第119飛行隊 (イスラエル空軍)|第119飛行隊]]所属機。<br /> File:Hazerim roundabout.jpg|[[第107飛行隊 (イスラエル空軍)|第107飛行隊]]所属機。<br /> &lt;/gallery&gt;<br /> <br /> === エジプト ===<br /> [[画像:F-4E Egypt 347TFW.JPEG|thumb|250px|エジプト空軍のF-4E([[1980年]]) ]]<br /> [[画像:F-4E Pantom II.JPEG|thumb|250px|Exercise BRIGHT STAR&#039;85に参加するF-4E(1985年)]]<br /> [[第四次中東戦争]]終了後に[[イスラエル]]との和平合意([[エジプト・イスラエル平和条約]])を行い、アメリカの仲介により[[キャンプ・デービッド合意|キャンプデービットで合意]]がなされた。この結果エジプトとイスラエルの国交が樹立し、それまでエジプト国内に多数送り込まれていた[[ソビエト連邦|ソビエト]]からの[[軍事顧問|軍事顧問団]]は姿を消した。ソ連軍機一辺倒だったエジプト空軍は[[1979年]]に「ピース・ファラオ」計画の名称&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;『JWings』2007年9月号p61&lt;/ref&gt;で、アメリカの支援により5億9400万USドルで[[スパロー (ミサイル)|AIM-7]]、[[サイドワインダー (ミサイル)|AIM-9]]および[[AGM-65 マーベリック]]と共に35機のF-4Eを購入・配備した。<br /> <br /> エジプト空軍は単純構造のミグ戦闘機の整備には慣れていたが、ファントムが必要とする高度な整備には対応し切れず、[[1980年代]]初頭には9機だけ&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;[[1982年]]の時点で80%の機体が飛行可能な状態になかったとされる&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;が飛行できる状態であるだけだったものの、アメリカ空軍の徹底した訓練プログラムの結果、[[1985年]]には稼働率は飛躍的に向上する。パイロットの育成についても、アメリカ空軍ホームステッド空軍基地の第31戦術戦闘航空団で訓練が行われた&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> その後[[1988年]]に事故で失われた機体分の3機と、さらにアメリカ空軍の余剰となった8機を購入した。一方で[[1982年]]からは[[F-16 (戦闘機)|F-16A/B]]、1986年からはF-16C/Dの導入が開始されたため、これ以上の追加発注は行われなかった&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; 配備基地<br /> : [[2007年]]現在では28機のF-4Eを保有しており、2個飛行隊が編成されている&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> :* カイロ・ウエスト基地:第222戦闘機連隊 - 第76飛行隊 - 第78飛行隊&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> &lt;div style=&quot;clear:both&quot;&gt;&lt;/div&gt;<br /> <br /> === イラン ===<br /> [[画像:An IRIAF F-4E takeoffs.jpg|thumb|left|250px|F-4E(2009年撮影)]]<br /> <br /> [[1968年]]に親アメリカの[[パフラヴィー朝|パーレビー王朝]]下で導入した。当時は莫大な石油がもたらす[[オイルマネー]]で西側を中心とした先進兵器を次々と買いあさっていた時代であった。[[1966年]]にはイラン空軍が32機のF-4Dを発注しており、[[ベトナム戦争]]真っ只中でF-4の生産に余裕がなかったアメリカだったが、イラン向けF-4の生産には熱心だったと言われている。その後、[[1970年代]]初めから中期にかけて総計208機のF-4Eを発注し&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> 、[[1971年]][[3月]]から[[イラン革命]]直前の[[1979年]]までに177機が引き渡された&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;これらに加え、偵察型であるRF-4Eを27機発注するが、第1陣の16機が引き渡された時点でイラン革命が起こり、第2陣以降は未引き渡しとなった&lt;/ref&gt;&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ただし、現場要員達の質は低かった。当時、カリフォルニア州ジョージ空軍基地での訓練の際にイラン空軍と[[航空自衛隊]]のパイロットや整備員たちが机を並べたが、空自パイロットの一人は「たとえ一時限の講義を理解するのにも大きな隔たりがあった」との感想を述べている。そんな彼らでも大部隊を編成・維持できたのは、アメリカの航空機産業を丸抱えできるほどのオイルマネーの恩恵だった。F-4に限らず、[[1960年代]]から[[1970年代]]のパーレビー王朝時代は、[[F-5 (戦闘機)|F-5]]を皮切りに[[F-14 (戦闘機)|F-14]]など多種の軍用機を輸入・導入契約を行っている。結果、イラン革命直前には225機のF-4を保有するに至り、286機を受領したイスラエルに次ぐ大規模保有国となった。<br /> <br /> しかしながら、[[1979年]][[2月28日]]に発生した反アメリカ派の[[ルーホッラー・ホメイニー]]率いる[[イラン革命]]の際、親国王派が中枢を占めたイラン空軍では親国王派パイロットたちが政治犯として次々と投獄された。F-4もアメリカの武器輸出禁止の影響を受けて、発注済みの機体の引き渡し拒否や支援等が一切受けられなくなった為、稼働率が著しく低下した。それでも、新政権がオイルマネーで潤っている間は、闇市場などからの部品調達により何とか飛ばせる機体を維持していた。<br /> <br /> [[1980年]][[9月]]の[[イラン・イラク戦争]]では、人員不足を補うために投獄されていたパイロットたちを釈放し戦闘に参加させたものの、その多くが失われた。F-4の稼働率も約40%とされ&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;『JWings』2007年9月号p62&lt;/ref&gt;、戦闘終結の時点で飛行可能な機体は10機前後であった&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。戦後のオイルマネーの枯渇により補給が途絶し、稼働率は更なる低下とパイロットの喪失によりF-4を満足に扱える人員は大変少なくなったと言われる。<br /> <br /> 一方で、依然として闇ルート(いわゆる「イラン・ゲート」)による部品輸入が行われているとも、国内企業及び友好国である[[中華人民共和国]]の軍需企業の協力のより中華人民共和国製兵器を用いた「近代化」を施されていると言われるなど近況は不明となっている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;一説では、[[YJ-8 (ミサイル)|YJ-8]]対艦ミサイルの運用能力が付加されているとされる&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[イラン・コントラ事件]]でアメリカは「[[ニカラグア]]の反政府組織である[[コントラ]]支援のための資金の調達目的」で、20機前後のF-4Eを[[パラグアイ]]経由で輸出し、その後アメリカ国内で政治的問題となった。<br /> <br /> 2014年12月、アメリカの[[有志連合]]が行っている[[ISIL]]への空爆とは別に、イランが独自でISILへF-4による空爆を行っていることが確認されている&lt;ref&gt;[http://jp.wsj.com/articles/SB11940430595972624884104580315541271938352 イランがイラク国内のイスラム国攻撃] - [[ウォール・ストリート・ジャーナル]](2014年12月4日)&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; 配備基地<br /> : 正確な現有機数は不明であるが、F-4D/Eを50機から60機、RF-4Eを6機程度、使用可能な状態にして部隊の編成を行っているとみられる&lt;ref name=&quot;JW200709p62&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> :* ハマダン-シャーロキ基地(第3戦術航空基地):第31偵察飛行隊(RF-4E) - 第32戦闘飛行隊(F-4E/D) - 第33戦闘飛行隊(F-4E/D)&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :* ブシェール基地(第6戦術航空基地):第61戦闘飛行隊(F-4E) - 第62戦闘飛行隊(F-4D/E)&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :* バンダル・アッバス基地(第9戦術航空基地):第91戦闘飛行隊(F-4E) - 第92戦闘飛行隊(F-4E)&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :* チャーバール基地(第10戦術航空基地):第101戦闘飛行隊(F-4D)&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> <br /> === トルコ ===<br /> [[画像:Phantom.68-0342.arp.jpg|thumb|250px|トルコ空軍所属のF-4E]]<br /> [[画像:İstanbul 5399.jpg|thumb|250px|イスタンブール航空博物館に展示されるF-4E]]<br /> [[1974年]]に「ピース・ダイアモンドIII」計画の一環として、40機の新造F-4Eの配備を開始した&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;『JWings』2007年9月号p60&lt;/ref&gt;。[[1977年]]にはF-4E 32機とRF-4E 8機を追加発注し、[[1981年]][[6月]]と[[1984年]]にアメリカ空軍のF-4Eを15機ずつの計30機を受領している&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。[[1987年]]からは「ピース・ダイアモンドIV」が開始され、アメリカ空軍で余剰となった40機のF-4Eを受領した&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。さらに1991年3月には[[湾岸戦争]]への支援の見返りとして、やはりアメリカ空軍で余剰となったF-4E 40機の受け渡しが行われた&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。長期に渡るアメリカ空軍機受領によって、前縁スラット装備機・非装備機の両種を保有するに至る。<br /> <br /> 偵察型については[[1992年]]から[[1994年]]にかけて、ドイツ空軍で退役した32機のRF-4Eを受領する&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> トルコ空軍はF-4Eを182機、RF-4Eを55機受領し、総受領数は237機となる&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。現在でも合計で200機近いF-4を保有しており、各国でF-4が数を減らしている事から現時点ではトルコが最大のF-4保有国となっている。予算等の問題から[[トーネードIDS]]などの新型機の導入が難しいため、トルコ空軍ではF-4を[[2020年]]頃まで運用する予定である&lt;ref name=&quot;JW200709p61&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。これに対応した機体の延命・改修により54機のF-4が「F-4E 2020」となった。<br /> <br /> ; F-4E 2020<br /> : トルコ空軍がIAIに開発を依頼し、自国で改修したトルコ版クルナス2000と言える機体である。「ターミネーター(Terminator)」の名を持つ。計画はF-4 ICEの改修を行ったドイツのDASA社案とイスラエルのIAI社案との比較で、1995年8月に決定した。クルナス2000で見送られたレーダーの変更(エルタ[[EL/M-2032]])、トルコが[[ライセンス生産]]している[[F-16 (戦闘機)|F-16]]に準ずるアビオニクスへ変更に加え、機材間の電気配線をMIL-STD-1553Bデジタルデータバスに交換する等の大規模な改修が行われている。この改修によって[[クラスター爆弾]]の搭載能力を獲得するなど電子機器類の性能が大幅に向上した。<br /> <br /> ; 配備基地<br /> : [[2007年]]現在、52機のF-4E 2020に加え、未改修のF-4Eを110機とRF-4E 38機を保有する。<br /> :* エセキセヒール基地(第1主ジェット基地):第111飛行隊(F-4E 2020) - 第112飛行隊(F-4E) - 第113飛行隊(RF-4E)<br /> :* エルハク基地(第7主ジェット基地):第171飛行隊(F-4E 2020) - 第172飛行隊(F-4E) - 第173飛行隊(F-4E)<br /> :* コンヤ基地(第3主ジェット訓練基地):第132飛行隊(F-4E)<br /> <br /> === スペイン ===<br /> [[画像:F-4C español.JPG|thumb|left|250px|スペイン空軍のC.12(F-4C)]]<br /> [[File:McDonnell RF-4C Phantom II, Spain - Air Force AN1120970.jpg|thumb|left|250px|スペイン空軍のCR.12(RF-4C)&lt;br/&gt;イスラエル空軍のF/RF-4Eと同型の空中給油用プローブを装着している]]<br /> [[1971年]]に国内に駐留していたアメリカ空軍の中古のF-4Cを譲り受ける形で導入した。当時、アメリカ空軍の第一線を退き始めていたとはいっても、高級機でもあったF-4Cの供与が決定したのは、スペイン国内の基地提供の見返りという思惑が絡んでいた。当時のスペイン空軍は[[F-104 (戦闘機)|F-104G]]を保有してはいたが18機(複座訓練型のTF-104Gを含めても21機)と少なく、数の上でも主力機は旧式機の[[F-86 (戦闘機)|F-86]]だった。<br /> <br /> [[ベトナム戦争]]にも参加した36機のF-4Cの引き渡しは、スペイン国内の[[トレホン空軍基地]]に駐留していた米空軍の機体を、同基地に新設されたスペイン空軍の飛行隊に横滑りで移管する、という簡単な形で行われた。その後1978年に同じエンジンを使用するRF-4Cを追加導入した。スペイン空軍内部においては、F-4Cは&#039;&#039;&#039;C.12&#039;&#039;&#039;、RF-4Cは&#039;&#039;&#039;CR.12&#039;&#039;&#039;と呼ばれ区別された。<br /> <br /> F-4Cは[[1989年]]に[[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]と入れ替わる形で退役した。RF-4Cは[[1990年]]中期に、レーダーのAN/APQ-172への換装、リング・レーザー・ジャイロ式の慣性航法装置、AN/ALR-44レーダー警報受信機、ハヴ・クイック無線機の装備、機体背部へのイスラエル製空中給油プローブの装備などの近代化改修を施され、[[2002年]]まで運用されている&lt;ref name=&quot;航空ファン&quot;&gt; 航空ファン 2014年2月号&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ;配備基地<br /> [[トレホン空軍基地]]:{{仮リンク|第12航空団 (スペイン空軍)|es|Ala 12|en|Ala 12|label=第12航空団}} - 第121飛行隊(C.12/F-4C)- 第122飛行隊(C.12/F-4C)- 第123飛行隊(CR.12/RF-4C)<br /> <br /> &lt;div style=&quot;clear:both&quot;&gt;&lt;/div&gt;<br /> {{-}}<br /> <br /> === イギリス ===<br /> {{main|{{仮リンク|イギリスにおけるF-4の運用|en|McDonnell Douglas F-4 Phantom II in UK service}}}}<br /> [[画像:Phantom FG1 43Sqn.jpg|thumb|250px|F-4M(1980年)]]<br /> 当時のイギリスの国防政策による予算削減のため国産の次期主力機の候補だった[[ホーカー・シドレー P.1154]]や[[BAC TSR-2]]をキャンセルし、イギリス海軍は[[1962年]][[2月]]に[[デ・ハビランド シービクセン|デ・ハヴィランド シーヴィクセン]]の後継となる次期[[艦上戦闘機]]にF-4を選定した。当初は正式にどのタイプを導入するかは決定していなかったが、選定から3ヶ月後にF-4Bの改良型であるF-4Jの開発が開始されたことを受け、J型をイギリス向けに改修、エンジンはイギリス国産の[[ロールス・ロイス]]RB168-25RスペイMk.203(アフターバーナー時推力91.26kN)[[ターボファンエンジン]]を搭載した、「F-4K」を導入することとなった。<br /> <br /> 試作機は1966年6月に初飛行して、レーダーをAN/AWG-11に換装した量産型の製造に入り、&#039;&#039;&#039;ファントム FG.1&#039;&#039;&#039;の名称でイギリス海軍に導入された。イギリス空軍も、エンジンを同様のRB168-25RスペイMk.202とし、レーダーをAN/AWG-12に換装した「F-4M」の試作初号機が1967年2月に初飛行し、[[ホーカー ハンター]]や[[イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ]]の後継として&#039;&#039;&#039;ファントム FGR.2&#039;&#039;&#039;の名称で導入した。その後、ファントム FG.1は、1979年12月までにイギリス空軍に移管されており、1984年3月には、アメリカ海軍の中古のF-4Jを導入して、&#039;&#039;&#039;F-4J(UK)&#039;&#039;&#039;としている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;輸入した航空機の一部を国産品に交換することは、航空機製造技術を持つ国が他国機を導入した際に、自国航空産業の育成などを目的として、あるいは販売元が技術供与を拒否した場合の対処などで、普通に行われている事である。ただし本機のケースにおいては、著しくコストが増大し、部品の国産化は失敗だったとの評があった事から、「F-4Jをそのまま導入しなかったのは、[[イギリス帝国]]のある種のメンツがそれを許さなかった」という民族性ジョークに近い俗説が語られた。&lt;/ref&gt;。<br /> {{-}}<br /> ; 機体<br /> 原型機からの最大の変更点は、当時の最新技術であった[[ターボファンエンジン]]をパワープラントとして採用したことである。エンジン以外にも原型に比べて変更点が多く、非公式に『ブリティッシュ・ファントム』と呼ばれることもある。1992年のF-4Mの引退により全機が正式に退役となった。<br /> ; F-4K(ファントム FG.1)<br /> [[ファイル:F-4K XT595 NAN9-68.jpg|thumb|250px|F-4K([[1968年]])]]<br /> : F-4Jを[[イギリス海軍]]向けに改修した型。「F-4K」とはマクドネル社内での呼び名でイギリス海軍では「ファントム FG.1」と呼んだ。<br /> : エンジンをロールス・ロイスRB-168-25R[[ロールス・ロイス スペイ|スペイ]]Mk.202(後にMk.203)[[ターボファンエンジン]]に変更し、それに伴いインテークを横方向へ15センチ大型化、レーダーを[[AN/APQ-35#AN/AWG-11|AN/AWG-11]]に変更した。発艦を容易にするために前脚が原型のF-4Bより40インチも伸ばせるようになり迎え角が大きくしている。米空母に比べて小型の英空母のエレベーターのサイズに合わせるために機首の[[レドーム]]を折り畳み式にしている。エンジン換装により加速性能と航続距離は向上したが高空での速度は少し遅くなった。この種の超音速機では最高速度性能は大した意味がなく、概ね性能向上したとみてよいと思われる。ただし、スペイ・エンジンは原型のJ79より重く、テイル・ヘビーの傾向があったため、スパロー・ミサイルなどを装備しない場合でも、機体前部の兵装ステーション(No.4/6)に死重を搭載する必要があった。<br /> : 一方、空母の廃止により生産数を削減されたことでイギリス製部品のシェアも40%強にとどまり当初計画されていた50%は達成できなかった。新規部品の開発コストもかさんだため『世界で最も高価なファントム』になってしまったと言われている。<br /> : F-4Kは[[1966年]]に初飛行し[[1968年]][[4月]]に初号機が引き渡された。当初の計画では140機を導入する予定だったが当時の労働党政権は[[1966年]]に空母戦力の大幅削減(最終的に通常空母は全廃)を決定。F-4Kの搭載工事も[[アーク・ロイヤル (空母・2代)|「アーク・ロイヤル」]]1隻のみに施されることになった。F-4Kの調達数も削減された結果、1969年の最終号機引き渡しまでに52機(試作機2機を含む)の生産にとどまった。<br /> : 「アーク・ロイヤル」の改装中([[1967年]]3月~[[1970年]]2月)に空母[[イーグル (空母・2代)|「イーグル」]]で行われたF-4Kのテストの結果はアーク・ロイヤルの改装にフィードバックされた。1972年の「イーグル」の退役によりF-4が搭載される空母は「アーク・ロイヤル」のみとなり、飛行隊も2個から1個へと削減され、52機のF-4K中28機が空軍へと移管された(19機は当初から空軍に配備された)1979年12月の「アーク・ロイヤル」退役後のイギリス海軍ではスキージャンプ装備の[[軽空母]]と[[BAe シーハリアー]]の組み合わせだけとなり、全機が空軍に移管された。<br /> : 移管後、F-4Kは防空戦闘機として[[北海]]上空の防衛の任に就いた。<br /> ; F-4M(ファントム FGR.2)<br /> [[ファイル:Phantom-JH01.JPG|thumb|250px|F-4M(2007年)]]<br /> : 海軍と同様に[[イギリス空軍]]向けに改修した型。「F-4M」はマクドネル社、「ファントム FGR.2」がイギリス空軍での呼び名である。多くの部分がF-4Kに準じているが、エンジンをロールス・ロイスRB-168-25RスペイMk.202(後にMk.204)、レーダーを[[AN/APQ-35#AN/AWG-12|AN/AWG-12]]に変更されている。<br /> : F-4Kと比べて戦術(対地)攻撃能力が強化され偵察ポッドの運用能力も追加されている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;イギリス側呼称FGR.2の「R」は「偵察」を意味する&lt;/ref&gt;。また、[[M61 バルカン|SUU-23/Aガンポッド]]用の配線も当初から用意されている&lt;ref group=&quot;注&quot;&gt;F-4Kも空軍への移管時に追加された&lt;/ref&gt;。他にも、電源車など地上設備がなくとも、内蔵バッテリーでエンジンスタートできるなど、他のF-4にはないユニークな特徴もあった。<br /> : F-4Mは合計118機が発注され、7個飛行隊が編成された。その内の4個飛行隊が西ドイツ駐留NATO軍部隊の任に就いた。<br /> : 1970年代中ごろからF-4Mは後継の戦術攻撃機・戦闘爆撃機である[[SEPECAT ジャギュア]]と[[トーネード IDS|トーネードGR.1]]への転換が始められた。ちょうど同時期に防空戦闘機である[[イングリッシュ・エレクトリック ライトニング|BAC ライトニング]]の退役が始まっており、その後継である[[トーネード ADV|トーネードF.3]]の開発が手間取っていたことから、1970年代後半から1990年代初頭までファントムFGR.2はトーネードF.3の戦力化までのつなぎとして、防空戦闘を担当する7個飛行隊(うち2個飛行隊は西ドイツに駐留)に配備された。<br /> : その後は老朽化とトーネードF.3への転換により、1992年に全機が退役した。<br /> ; F-4J(UK)(ファントム F.3)<br /> [[File:McDonnell F-4J Phantom F3, UK - Air Force AN1523526.jpg|250px|left|thumb|イギリス空軍第74飛行隊のファントム F.3]]<br /> : [[フォークランド紛争]]後の[[1984年]]に、{{仮リンク|第23飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 23 Squadron RAF|label=第23飛行隊}}が[[フォークランド諸島]]に派遣されたことで生じた防空網の穴埋めのために、アメリカ海軍で余剰となったF-4Jの中古機を導入し、新たに編成された{{仮リンク|第74飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 74 Squadron RAF|label=第74飛行隊}}に配備した。アメリカ海軍が保有していたF-4Jから改修は最小限で、『女王陛下のF-4』としてはもっとも改修点が少ない。<br /> : 性能面ではF-4K/Mと遜色なかったがスペイを搭載したF-4に慣れ親しんだ整備兵達からは不評で結局F-4Mより一足先に[[1991年]]退役している(F-4Mの退役は[[1992年]])<br /> <br /> {{-}}<br /> ====装備部隊====<br /> ; ファントムFG.1(F-4K)<br /> *[[イギリス海軍|海軍]]([[艦隊航空隊]])<br /> **{{仮リンク|第700海軍飛行隊 (イギリス海軍)|en|700 Naval Air Squadron|label=第700P海軍飛行隊}}(評価試験部隊)<br /> **{{仮リンク|第767海軍飛行隊 (イギリス海軍)|en|767 Naval Air Squadron|label=第767海軍飛行隊}}(訓練部隊)<br /> **{{仮リンク|第892海軍飛行隊 (イギリス海軍)|en|892 Naval Air Squadron|label=第892海軍飛行隊}}(「[[アーク・ロイヤル (空母・2代)|HMSアーク・ロイヤル]]」付きの実戦部隊)<br /> *[[イギリス空軍|空軍]]({{仮リンク|打撃軍団 (イギリス空軍)|en|RAF Strike Command|label=打撃軍団}})<br /> **{{仮リンク|第43飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 43 Squadron RAF|label=第43飛行隊}}<br /> **{{仮リンク|第64飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 64 Squadron RAF|label=第64予備飛行隊}}({{仮リンク|第228作戦転換部隊|en|No. 228 Operational Conversion Unit RAF}})<br /> **{{仮リンク|第111飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 111 Squadron RAF|label=第111飛行隊}}<br /> ;ファントムFGR.2(F-4M)<br /> *近接航空支援・戦術爆撃<br /> **{{仮リンク|第6飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 6 Squadron RAF|label=第6飛行隊}}({{仮リンク|打撃軍団 (イギリス空軍)|en|RAF Strike Command|label=打撃軍団}})<br /> **{{仮リンク|第14飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 14 Squadron RAF|label=第14飛行隊}}({{仮リンク|ドイツ駐留イギリス空軍|en|Royal Air Force Germany}})<br /> **{{仮リンク|第17飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 17 Squadron RAF|label=第17飛行隊}}([[ドイツ駐留イギリス空軍]])<br /> **{{仮リンク|第31飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 31 Squadron RAF|label=第31飛行隊}}([[ドイツ駐留イギリス空軍]])<br /> **{{仮リンク|第54飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 54 Squadron RAF|label=第54飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> *戦術偵察<br /> **{{仮リンク|第2飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 2 Squadron RAF|label=第2飛行隊}}([[ドイツ駐留イギリス空軍]])<br /> **{{仮リンク|第41飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 41 Squadron RAF|label=第41飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> *防空戦闘<br /> **{{仮リンク|第19飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 19 Squadron RAF|label=第19飛行隊}}([[ドイツ駐留イギリス空軍]])<br /> **{{仮リンク|第23飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 23 Squadron RAF|label=第23飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> **{{仮リンク|第29飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 29 Squadron RAF|label=第29飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> **{{仮リンク|第56飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 56 Squadron RAF|label=第56飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> **{{仮リンク|第74飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 74 Squadron RAF|label=第74飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> **{{仮リンク|第92飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 92 Squadron RAF|label=第92飛行隊}}([[ドイツ駐留イギリス空軍]])<br /> **{{仮リンク|第111飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 111 Squadron RAF|label=第111飛行隊}}([[打撃軍団 (イギリス空軍)|打撃軍団]])<br /> **{{仮リンク|第1435飛行小隊 (イギリス空軍)|en|No. 1435 Flight RAF|label=第1435飛行小隊}}({{仮リンク|フォークランド諸島駐留イギリス軍|en|Military of the Falkland Islands|label=フォークランド諸島駐屯部隊}})<br /> *機種転換訓練<br /> **{{仮リンク|第64飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 64 Squadron RAF|label=第64予備飛行隊}}({{仮リンク|第228作戦転換部隊|en|No. 228 Operational Conversion Unit RAF}})<br /> ;ファントムF.3(F-4J(UK))<br /> *{{仮リンク|第74飛行隊 (イギリス空軍)|en|No. 74 Squadron RAF|label=第74飛行隊}}<br /> <br /> === ドイツ (旧西ドイツ) ===<br /> [[画像:F-4F Phantom flies a refueling mission.jpg|thumb|250px|西ドイツ空軍のF-4F]]<br /> [[画像:RF-4E AG52 Ramstein 1984.jpg|thumb|250px|旧西ドイツ時代のRF-4E(1984年)]]<br /> 1968年にRF-104Gの後継戦術偵察機として、RF-4CをF-4E規格に合わせたRF-4Eを88機発注した&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;『JWings』2007年9月号p59&lt;/ref&gt;<br /> 。RF-4Eは1971年に[[大西洋]]を横断し西ドイツに到着後、{{仮リンク|第51偵察航空団|de|Aufklärungsgeschwader 51 „Immelmann“}}と{{仮リンク|第52偵察航空団|de|Aufklärungsgeschwader 52}}の2個航空団において、RF-104Gを更新した。<br /> <br /> また、同時期にF-104Gの後継機としてトーネードIDSを導入し、防空及び攻撃任務を担わせようと計画した&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。だが、F-104Gの退役開始時期に間に合わないとして、1970年に防空戦闘機の導入を決定する&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 当時、アメリカ国内にて輸出用戦闘機として単座化・簡素化したF-4Eが計画されていたが、最終的にはF-5Eが選定される&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。しかし、この機体案は西ドイツ空軍が求めていた要求に合致し、1971年に西ドイツ向けF-4Eが提案された&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。案では単座化のほか、AIM-7の運用能力が外されていたが、設計変更に伴う価格上昇も見込まれた&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。西ドイツ空軍は方針を変更し、複座型のまま、AIM-7の運用能力削除のみを施した&#039;&#039;&#039;F-4F&#039;&#039;&#039;が採用された&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 1976年4月より引き渡しが開始され、175機が製造された&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。この内の12機はアメリカでパイロット訓練用に用いられたことから、非公式にTF-4Fと呼ばれている&lt;ref name=&quot;JW200709p59&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。訓練部隊の{{仮リンク|第20戦闘飛行隊 (アメリカ空軍)|label=第20戦闘飛行隊|en|20th Fighter Squadron}}は、当初は[[カリフォルニア州]][[ヴィクターヴィル]]の{{仮リンク|ジョージ空軍基地|en|George Air Force Base}}、1993年からF-4Fのパイロット養成が終了する2004年まではニューメキシコ州[[オテロ郡 (ニューメキシコ州)|オテロ郡]]の{{仮リンク|ホロマン空軍基地|en|Holloman Air Force Base}}を拠点としていた。F-4Fは西ドイツ国内では{{仮リンク|第71戦闘航空団|de|Jagdgeschwader 71 „Richthofen“}}、{{仮リンク|第74戦闘航空団|de|Jagdgeschwader 74}}、{{仮リンク|第73戦闘航空団|label=第35戦闘爆撃航空団|de|Jagdgeschwader 73}}、{{仮リンク|第72戦闘航空団|label=第36戦闘爆撃航空団|de|Jagdgeschwader 72}}の4個航空団に配備された。最終的に西ドイツが保有したF-4はRF-4E、F-4E、F-4F合わせて273機にも達した。<br /> <br /> [[冷戦]]終結と[[ドイツ再統一|東ドイツとの統一]]に伴う軍縮で[[1993年]]にRF-4Eが全機退役し、代わりに保有数は減少するが稼働率の向上を見込み[[トーネード IDS|トーネードIDS/ECR]]を導入した。この時退役したRF-4Eは後に[[トルコ]]と[[ギリシャ]]に引き渡されている。そしてF-4Fも[[2013年]]7月末をもって全機退役した。ドイツでF-4に付けられたニックネームには、黒い排煙を吐き出しながら飛ぶために「空飛ぶディーゼル(Luftdiesel)」「石油ストーブ(Öloffen)」や、当時の戦闘機としては大柄な機体から「鉄の豚(Eisenschwein)」があった。<br /> <br /> ; F-4F<br /> : F-4Eを[[ドイツ空軍 (ドイツ連邦軍)|西ドイツ空軍(当時)]]の要求に合わせ改修。[[F-104 (戦闘機)|F-104G]]の後継機(戦術攻撃機)として導入した為、主翼は[[高揚力装置#前縁フラップ|可動式前縁スラット]]付き、[[昇降舵|スタビレーター]]は固定式前縁スラットが無い在来型の組み合わせとなり、スパローの運用能力の割愛といった改修が加えられている。<br /> ; F-4F ICE<br /> : F-4Fに、西ドイツ空軍(当時)の要求に合わせた「ICE(Improved Combat Efficiency,戦闘効率改善)」と称する改修プランを施した能力向上型。<br /> : レーダーを従来のAN/APQ-120から[[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]で使用されていた[[AN/APG-65]]に変更し、[[AIM-120]]の運用能力を付与した。また、慣性航法装置はハネウェルH-243レーザーINSに、レーダー警戒受信機はAN/ALR68(V)2に更新され、その他にも、MIL-STD-1553Bデータバス、新型エアデータコンピュータの装備、IFFの更新などの改修が行われた&lt;ref name=&quot;航空ファン&quot;/&gt;。[[1983年]]より研究が開始され[[1992年]]より配備が開始された。<br /> <br /> === オーストラリア ===<br /> {{main|en:McDonnell Douglas F-4 Phantom II in Australian service}}<br /> [[イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ|キャンベラ]]の後継機として導入した[[F-111 (航空機)|F-111C]]に設計上のトラブルが発生し戦力化に遅れが生じた。オーストラリア空軍はこの穴埋めとしてアメリカ空軍から24機のF-4Eを[[リース]]することを決定し[[1970年]]から[[1973年]]までの3年間運用した。この時、1機が事故で失われている。<br /> <br /> === ギリシャ ===<br /> [[画像:060610 - SKP - F-4 - 03x.jpg|thumb|250px|ギリシャ空軍のF-4&lt;br/&gt;デンマークSkrydstrup空軍基地にて(2006年)]]<br /> [[画像:Greek phantom 7487 lands arp.jpg|thumb|250px|初飛行から50年を記念し、特殊塗装が施されたギリシャ空軍所属のRF-4E(2008年)]]<br /> [[1974年]][[3月]]よりアメリカからF-4Eの引き渡しを受ける。この引き渡し計画は「ピース・イカロス」と呼ばれた&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。まず36機のF-4Eを受領し、[[1976年]][[6月]]には消耗分の2機が追加で引き渡されている&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 引き渡しはその後も継続され、[[1978年]][[6月]]から[[1979年]][[4月]]にかけてF-4E 18機とRF-4E 8機が引き渡された&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。これに加え、[[1978年]][[8月]]から[[12月]]までの期間に数機のF-4Eを追加受領する。同年にはF-4EとRF-4Eの追加発注が行われ、同時に西ドイツ空軍で余剰となった29機のRF-4Eを取得する&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> [[1987年]]にはアメリカ空軍がギリシャ国内の空軍基地使用期限を8年延長する見返りとして、アメリカ空軍のF-4E 50機とF-4G 19機を引き渡す提案が示されたが、結局28機のF-4E受領に留まる&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> 現在は老朽化したF-4Eの退役に伴い、F-16の配備が進んでいる。その一方で、39機のF-4Eには能力向上を目指して改良が施された。この改良はドイツ空軍のF-4改修計画「ICE(Improved Combat Efficiency:戦闘効率改善)」を行ったESDA社(現EADSジャーマニー)が担当し全機が「F-4F ICE」と同様の改修を受け「F-4E PI2000」(F-4E AUP)となり、1999年4月28日に初飛行した。<br /> <br /> [[2007年]]現在、ギリシャ空軍はF-4 PI2000を36機、RF-4Eを23機保有しており、これに加えて10機程度が補充用に保管されている&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。<br /> <br /> ; F-4E PI2000(F-4E AUP)<br /> : [[ギリシャ空軍]]が[[エアバス・グループ|EADS]]に開発を依頼し自国で改修した、ギリシャ版F-4ICEと言える機体。「F-4E AUP」との名称でも呼ばれる。計画は「ピース・イカロス2000」と呼ばれる&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;。[[AIM-120 (ミサイル)|AIM-120]]に加えAGM-130やレーザー誘導爆弾の運用の運用能力の追加等、大規模な改修が行われている。<br /> <br /> ; 配備基地<br /> :* ラリッサ基地:第110戦闘航空団 - 第110戦闘航空団転換訓練飛行班(F-4E AUP) - 第348戦術偵察飛行隊(RF-4E)&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :* アンドラビダ基地:第117戦闘航空団第338爆撃追撃飛行隊(F-4E AUP) - 第339全天候戦闘飛行隊(F-4E AUP) - 第117戦闘航空団転換訓練飛行班(F-4E AUP)&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> :* サントリニ基地:第134戦闘航空群 - 第117戦闘航空団分遣隊(F-4E AUP)&lt;ref name=&quot;JW200709p60&quot;&gt;&lt;/ref&gt;<br /> <br /> == 運用国==<br /> {{columns |width=280px<br /> |col1 =<br /> ; {{USA}}<br /> * [[アメリカ海軍]]<br /> * [[アメリカ空軍]]<br /> * [[アメリカ海兵隊]]<br /> ; {{UK}}<br /> * [[イギリス海軍]]<br /> * [[イギリス空軍]]<br /> ; {{ISR}}<br /> * [[イスラエル航空宇宙軍|イスラエル空軍]]<br /> |col2 =<br /> ; {{IRN}}<br /> * [[イラン空軍]]<br /> ; {{KOR}}<br /> * [[大韓民国空軍|韓国空軍]]<br /> ; {{AUS}}<br /> * [[オーストラリア空軍]]<br /> |col3 =<br /> ; {{JPN}}<br /> * [[航空自衛隊]]<br /> ; {{BRD}}<br /> * [[ドイツ空軍 (ドイツ連邦軍)|ドイツ空軍]]<br /> ; {{ESP}}<br /> * [[スペイン空軍]]<br /> |col4 =<br /> ; {{GRE}}<br /> * [[ギリシャ空軍]]<br /> ; {{TUR}}<br /> * [[トルコ軍|トルコ空軍]]<br /> ; {{EGY}}<br /> * [[エジプト軍|エジプト空軍]]<br /> }}<br /> <br /> == 仕様(F-4E) ==<br /> {{航空機スペック<br /> |出典=&#039;&#039;The Great Book of Fighters&#039;&#039;&lt;ref name=&quot;Green 2001&quot;&gt;{{cite book | last=Green | first=W | coauthors=Swanborough, G | year=2001 | title=The Great Book of Fighters | edition= | publisher=MBI Publishing | location= | id=ISBN 0-7603-1194-3 }}&lt;/ref&gt;,<br /> &#039;&#039;Quest for Performance&#039;&#039;&lt;ref&gt;{{cite web|author=Loftin, LK, Jr.|title=Quest for Performance: The Evolution of Modern Aircraft. NASA SP-468|url=http://www.hq.nasa.gov/pao/History/SP-468/cover.htm|accessdate=2006-04-22}}&lt;/ref&gt;, &#039;&#039;Encyclopedia of USAF Aircraft&#039;&#039;&lt;ref name=&quot;knaack&quot;/&gt;.<br /> [[File:F-4E Phantom II.svg|600px|right|三面図]]<br /> |固定翼 or 回転翼?=固定翼&lt;!-- 選択肢: 固定翼/回転翼 --&gt;<br /> |ジェット or プロペラ?=ジェット&lt;!-- 選択肢: ジェット/プロペラ/混載/その他 --&gt;<br /> |乗員=2名<br /> |定員=<br /> |ペイロード fp=<br /> |ペイロード SI=<br /> |全長 fp=63ft 0in<br /> |全長 SI=19.20m<br /> |スパン fp=38ft 4.5in<br /> |スパン SI=11.71m<br /> |全高 fp=16ft 6in<br /> |全高 SI=5.02m<br /> |面積 fp=530.0ft&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> |面積 SI=49.2m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> |翼型=[[アメリカ航空宇宙局|NACA]] エアフォイル 0006.4-64 ルーフ, NACA 0003-64 チップ<br /> |空虚重量 fp=30,328lb<br /> |空虚重量 SI=13,757kg<br /> |運用時重量 fp=41,500lb<br /> |運用時重量 SI=18,825kg<br /> |有効搭載量 fp=&lt;!-- lb --&gt;<br /> |有効搭載量 SI=&lt;!-- kg --&gt;<br /> |[[最大離陸重量]] fp=61,795lb<br /> |[[最大離陸重量]] SI=28,030kg<br /> |その他の諸元=<br /> * &#039;&#039;&#039;[[最大着陸重量]]&#039;&#039;&#039;:16,706kg(36,831lb)<br /> * &#039;&#039;&#039;零揚抗力係数&#039;&#039;&#039;(Zero-lift drag coefficient):0.0224<br /> * &#039;&#039;&#039;抗力面積&#039;&#039;&#039;:1.10m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;(11.87ft&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;)<br /> * &#039;&#039;&#039;アスペクト比&#039;&#039;&#039;:2.77(翼面)<br /> * &#039;&#039;&#039;燃料容量&#039;&#039;&#039;<br /> ** 内部:1,994[[ガロン|USガロン]](7,549[[リットル|L]])<br /> ** 外部タンク(最大3個):3,335USガロン(12,627L)<br /> |エンジン名(ジェット)=[[GE・アビエーション|GE]] [[ゼネラル・エレクトリック J79|J79-GE-17A]]<br /> |エンジン種類(ジェット)=[[圧縮機|軸式圧縮機]] [[ターボジェットエンジン|ターボジェット]]&lt;!--ターボジェット/ターボファン/など--&gt;<br /> |エンジン数(ジェット)=2&lt;!--1つなら1と書くこと--&gt;<br /> &lt;!-- thrust --&gt;<br /> |推力 SI=52.53kN<br /> |推力 fp=5,360kg<br /> |推力 original=<br /> |推力 more=<br /> &lt;!-- afterburning thrust --&gt;<br /> |アフターバーナー作動時 推力 fp=8,120kg<br /> |アフターバーナー作動時 推力 SI=79.62kN<br /> &lt;!-- power --&gt;<br /> |出力 fp=<br /> |出力 SI=<br /> |出力 original=&lt;!--出典にある数値と単位--&gt;<br /> |出力 more=<br /> |最大速度 fp=2,370km/h ,1,472mph<br /> |最大速度 SI=[[マッハ数|M]]2.23<br /> |最大速度 more=高度 12,190m(40,000ft)時<br /> |巡航速度 fp=506 knots<br /> |巡航速度 SI=585mph ,940km/h<br /> |巡航速度 more=<br /> &lt;!-- stall speed --&gt;<br /> |失速速度 fp=&lt;!-- kt --&gt;<br /> |失速速度 SI=&lt;!-- km/h --&gt;<br /> |失速速度 more=<br /> &lt;!-- never exceed speed --&gt;<br /> |超過禁止速度 fp=&lt;!-- kt --&gt;<br /> |超過禁止速度 SI=&lt;!-- km/h --&gt;<br /> |航続距離 SI=&lt;!-- km --&gt;<br /> |航続距離 fp=&lt;!-- 海里 --&gt;<br /> |航続距離 more=<br /> |フェリーレンジ SI=3,184km<br /> |フェリーレンジ fp=<br /> |フェリーレンジ more=外部タンク搭載時<br /> |戦闘行動半径 SI=422mi,680km<br /> |戦闘行動半径 fp=367nm<br /> |戦闘行動半径 more=<br /> &lt;!-- ceiling --&gt;<br /> |上昇限度 SI=62,253ft<br /> |上昇限度 fp=18,975m<br /> &lt;!-- climb rate --&gt;<br /> |上昇率 fp=41,300ft/min<br /> |上昇率 SI=210m/s<br /> |翼面(円板)荷重 SI=383kg/m&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> |翼面(円板)荷重 fp=78lb/ft&lt;sup&gt;2&lt;/sup&gt;<br /> &lt;!-- thrust/weight --&gt;<br /> |推力重量比=0.86&lt;!--計算して無次元数にする--&gt;<br /> &lt;!-- power/mass --&gt;<br /> |馬力荷重 SI=&lt;!-- kW/kg --&gt;<br /> |馬力荷重 fp=&lt;!-- hp/lb --&gt;<br /> |その他の性能=<br /> * &#039;&#039;&#039;揚抗比&#039;&#039;&#039;:8.58<br /> * &#039;&#039;&#039;離陸滑走距離&#039;&#039;&#039;:1,370m(4,490ft),24,410kg(53,814lb)時<br /> * &#039;&#039;&#039;着陸滑走距離&#039;&#039;&#039;:1,120m(3,680ft),16,706kg(36,831lb)時<br /> * &#039;&#039;&#039;兵装類機外最大搭載量&#039;&#039;&#039;:7,258kg<br /> |武装=固定兵装:[[M61 バルカン|M61A1 20mmバルカン砲]]×1(弾数639発)<br /> * 搭載兵装<br /> :* 胴体下ステーション:[[スパロー (ミサイル)|AIM-7]]×4<br /> :* 主翼下[[パイロン]]([[空対空ミサイル]]用ステーション):[[サイドワインダー (ミサイル)|AIM-9]]×4<br /> :* 胴体中心線下/主翼下[[パイロン]](主翼下は空対空ミサイル用ステーション以外)に最大重量8,480kg(18,650 lb)までの兵装を搭載可能。<br /> :* 空対地ミサイル:[[AGM-65 マーベリック]]×6 [[AGM-62 (ミサイル)|AGM-62 ウォールアイ]]×4 [[AGM-45 (ミサイル)|AGM-45 シュライク]]×4 [[AGM-88 (ミサイル)|AGM-88 HARM]]×4 [[AGM-78 (ミサイル)|AGM-78 スタンダードARM]]×4 <br /> :* 誘導爆弾:{{仮リンク|GBU-15|en|GBU-15}}×4 GBU-12×18 GBU-10×5 GBU-14×5<br /> :* 無誘導爆弾:[[Mk 82 (爆弾)|Mk.82]]×18 [[Mk 84 (爆弾)|Mk.84]]×5 <br /> :* クラスター爆弾:CBU-87×18 CBU-89×18 CBU-58×18 <br /> :* 戦術核爆弾:B28 B61 B43 B57など各1発<br /> :* その他武装:対滑走路兵器、ロケット弾ポッド <br /> :* その他装備:ターゲッティングポッド、偵察ポッド、電子戦ポッド、2271L[[増槽]]、1400L増槽等<br /> ; アップグレード機<br /> : イギリスの機体は[[スカイフラッシュ (ミサイル)|スカイフラッシュ]]、ドイツのF-4F ICEは[[AIM-120 (ミサイル)|AIM-120]]、ギリシャのF-4Eはそれに加えて[[IRIS-T]]、日本のF-4EJ改は[[90式空対空誘導弾|AAM-3]]・[[80式空対艦誘導弾|ASM-1]]・[[93式空対艦誘導弾|ASM-2]]、イランのF-4は[[ロシア]]や[[中華人民共和国|中国]]製のミサイルを搭載可能。<br /> }}<br /> <br /> == 登場作品 ==<br /> {{main|F-4に関連する作品の一覧}}<br /> <br /> == 脚注 ==<br /> &lt;references group=&quot;注&quot;/&gt;<br /> <br /> == 参考文献・サイト ==<br /> {{脚注ヘルプ}}<br /> {{reflist|2}}<br /> <br /> === 参考文献 ===<br /> * {{cite book| last= Bowers| first= PM| coauthors= Angellucci, E| year= 1987 | title=The American Fighter| publisher= Orion Books| id= ISBN 0-517-56588-9}}<br /> * {{cite book| last= Donald | first= D | coauthors= Lake, J| year=1996| title= Encyclopedia of World Military Aircraft| publisher= AIRtime Publishing| id= ISBN 1-880588-24-2}}<br /> * {{cite book| last=Swanborough| first=G| coauthors= Bowers, PM| year= 1989| title=United States Military Aircraft Since 1909| publisher=Smithsonian| id= ISBN 0-87474-880-1}}<br /> * {{cite book|last= Taylor| first=MJH| year= 1991| title=Jane&#039;s American Fighting Aircraft of the 20th Century| publisher=Mallard Press| id= ISBN 0-7924-5627-0}}<br /> * {{cite book|last=Wagner| first=R| year=1982| title=American Combat Planes, Third Enlarged Edition| publisher=Doubleday| id=ISBN 0-385-13120-8}}<br /> * 『[[航空ファン (雑誌)|月刊航空ファン]]』 2003年5月号<br /> * 『月刊航空情報』 1993年10月号<br /> * 『戦闘機年鑑 2005-2006年度版』 [[イカロス出版]] ISBN 4-87149-632-5<br /> * 『世界の傑作機 No.74 F-4ファントムII 海軍型』、ISBN 4-89319-071-7<br /> * 『世界の傑作機 No.82 F-4ファントムII 輸出型』、ISBN 4-89319-079-2<br /> * 『世界の傑作機 No.86 F-4ファントムII 米空軍型』、ISBN 4-89319-084-9<br /> * 『ミリタリー・イラストレイテッド18「F-4ファントム物語」』ワールドフォトプレス編 ISBN 4-334-70355-0<br /> * 月刊『JWings』2007年9月号「世界で飛び続けるファントムたち」p59~p62 <br /> * 『戦闘機年鑑 2013-2014年度版』[[イカロス出版]] ISBN 978-4-86320-703-5<br /> <br /> == 関連項目 ==<br /> * [[戦闘機]]<br /> * [[F-14 (戦闘機)|F-14]]<br /> * [[F-15 (戦闘機)|F-15]]<br /> * [[F-16 (戦闘機)|F-16]]<br /> * [[F/A-18 (航空機)|F/A-18]]<br /> <br /> == 外部リンク ==<br /> * [http://www.mod.go.jp/asdf/ 航空自衛隊]<br /> <br /> {{Commons|F-4 Phantom II}}<br /> {{アメリカ軍の戦闘機 (1962-)}}<br /> {{アメリカ海軍の戦闘機}}<br /> {{アメリカ海軍の爆撃機}}<br /> {{アメリカ空軍の戦闘機}}<br /> {{イギリス海軍の航空機}}<br /> {{イスラエル空軍の航空機}}<br /> {{三菱重工業}}<br /> {{DEFAULTSORT:F004}}<br /> <br /> [[Category:アメリカ合衆国の戦闘機]]<br /> [[Category:アメリカ合衆国海兵隊の装備]]<br /> [[Category:航空自衛隊の装備品|F004]]<br /> [[Category:偵察機]]<br /> [[Category:艦載機]]<br /> [[Category:マクドネルの航空機]]<br /> [[Category:マクドネル・ダグラスの航空機]]<br /> [[Category:ボーイング製軍用機]]<br /> [[Category:三菱重工業製の飛行機]]<br /> [[Category:ベトナム戦争|F-4]]</div> 240B:13:8340:1F00:51DD:6C65:CB61:9241
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